以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:43:03.19 ID:skFt6CMPo<>けいおんのSSです

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<>唯「天使再来襲」 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:44:18.60 ID:skFt6CMPo<> 1

バリケードに最後の思い出をむりやり押し込むと、やるべきことはなにもなくなってしまった。
通学カバン、机が4つに椅子が6つ、オルガン、ソファー、譜面台、動物の着ぐるみ、さわちゃんが集めてきた服たち、ホワイトボード、食器棚、ティーカップ。
引っ越しの時みたいに部屋は空っぽで、ほこりやちりが舞っていた。夕暮れできらめく。
残ってるのは、ドラムス、ベース、ギターがふたつに、キーボード。
でも今はちょっと演奏するような気分じゃない。
りっちゃんが、部屋の真ん中にぺたりと座り込んで言った。

「だけどなんで気づけなかったんだ?」

誰もなにも答えなかった。
みんなが疲れていた。
ムギちゃんは落ち着かなそうにあたりを歩き回り、わたしはバリケードの横に立って、てっぺんから何かがすべり落ちるたびそれを拾ってまた一番上にのせていた。澪ちゃんは西側の窓の下に座り込み目をつぶっていた。
プールの底に背中をくっつけてゆがんだ空を眺めているときみたいに、時間の流れが遅く感じられた。
鳥の声やサイレンの響きやソフトボール部のかけ声が遠く聞こえる。
塩素まみれの生ぬるい水がオレンジ色に揺れている。
やがて天使がやってきて、扉をノックした。
こん。こん。こぉぉん。
みんな動かなかった。
音が鳴るたびにちょっと震えて、緊張。
だるまさんがころんだで鬼がふりむく瞬間の感じ。そうじゃなかったら、ノックの音が金槌でくぎを打つ音でそれが少しずつわたしたちの身体に刺さって動けなくなるみたいな。
こん。こん。こぉぉん。
こん。こん。こぉぉん……。
しばらくすると音がやんだ。
ばさばさばさっ、って鳥が羽ばたき立つみたいな音。
扉が揺れた。
その隙間から一枚の天使の羽が落ちてきた。
箒の柄みたいに長い軸に、白くてふわふわした綿うさぎの毛が生えている。
大きな羽だった。
いつのまにか音は聞こえなくなっていた。
天使はどこかへ行ってしまったようだった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:44:58.48 ID:skFt6CMPo<> 「わたし様子を見てこようかしら」

しばらくあとでムギちゃんが言った。
もちろん残りの3人の頭の中には、ホラー映画なんかだとそうやってひとりで動く子はたいてい殺されちゃうんだよねっていう冗談の結句は浮かんでいたけど、やっぱりみんな黙っていた。
ムギちゃんは、はあ、とため息をついた。
ちょっとかわいそうだった。

「ねえ、そろそろわたし帰らないと。お母様に怒られちゃうわ」

ムギちゃんの家は大金持ちだった。大金持ちの子供はほかの子供たちよりもその分多くの愛情を注がれている。過保護なくらいに。
ムギちゃんは申し訳なさそうな顔してた。

「帰るか」

澪ちゃんが言った。
窓から外をのぞくと、すでに天使たちが降りはじめているようだった。
グラウンドには、下校する生徒の姿に混じって、地面に落ちた天使たちの白い粒が見える。
サッカー部とソフトボール部はまだミニゲームを続けていた。
多少天使が降ったくらいじゃ休みになんないとこがソフトボールのやなとこだよね。いつか隣の席の姫ちゃんがそう言ってた。
日は沈み、闇がゆっくり落ちてきた。
夜は天使たちの時間だった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:45:46.59 ID:skFt6CMPo<> 2

わたしたちはあずにゃんだけを残して卒業しようとしたので、悲しんだあずにゃんは時間を凍結してしまった。
あずにゃんはわたしたちにとって天使だった。
それはたったひとりの後輩だったってことで、わたしたちはあずにゃんにやさしくして、いろんなことを教えて、特別な名前を付けて、とっても大事に扱った。まるで天使みたいだって感じに。
そして卒業した。
両腕で抱えきれないほどたくさんの贈り物を、わたしたちはあずにゃんに与えて、その贈り物からなる山岳のてっぺんに卒業を載せた。わたしたちのあずにゃんへの特別な愛は、最後にあずにゃんをひとり部室に取り残すという形で完成した。結局のところ先輩であるわたしが与えられる贈り物というのは、空っぽの部屋できれいに包装された箱の紐をほどいてはじめて贈り物たりうる、そういう類の贈り物でしかない。
生きるってことは時間を押し流すってことで、もちろんわたしたちは生きていて、だから卒業式もやってきて、けれど時間を凍結するというのは死によく似ていた。あずにゃんは死んだわけじゃないけどやっぱり死んだみたいな感じだった。
天使とは死者である。
というふうによく言われるのはちょっと間違っている。
天使とは永遠の時間に過ごすものであり、死とは時間の停止だった。その意味では死者も天使だったし、時間を凍結したあずにゃんもやっぱり同じ天使だった。
あずにゃんは、いまもよく降ってくることがあって、町中を、うろうろうろうろあてもなく歩き回り、それからふと思い立って羽を広げ、また空へと消えてしまう。
なんだかそういうのってゾンビみたいだとわたしは思う。
ゾンビは死んだ人だけど、映画とかでは蘇ったって言い方をときどきしてるから、はたしてゾンビは生きてるのか死んでるのかわたしにはよくわかんない。
運動するだけっていうだけで生きているって言えるなら、宇宙のなにもかもが生きている。
まあでも、とにかくそういうわけで、あずにゃん=ゾンビは永遠の17歳となり、そして再び天使になった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:46:17.07 ID:skFt6CMPo<> 「だけどなんで気がつけなかったんだ?」

天使たちがはじめてこの町に降りはじめたとき、りっちゃんが部室で言ったのとまったく同じことを、人々は口にした。
屋根の先がとがった協会に通う人たちは、終末の予言は聖書にちゃんと書いてあるのになぜ気がつかなかったのかと言い、作家たちは、地が死者であふれかえりその結果死者たちが蘇る話は無数にあるのにどうしてそれがわからなかったのかと頭を抱え、環境主義者たちは、空気がそのうち死んだ人でいっぱいになってしまうのはわかっていたはずのことなのになぜなにもできなかったのかと嘆き、わたしたちは、いつか卒業したらあずにゃんはひとりになっちゃうって知ってたのにどうして知らないふりをしてたんだろうって考えた。
それはまとめていえば、こういうことだ。
あらゆる物事は必ず終わるのに、そしてそのことをいつでもわたしたちはよく知っているのに、それに気づかないふりをしていることを、なんで気がつかなかったんだろうってこと。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:46:45.63 ID:skFt6CMPo<> 3

部室から出て学校をあとにすると、天使たちが降っていた。
天使たちは天国からそれぞれちがった格好で落ちてくる。
気を付けの姿勢で落ちてくるものいれば、体育座りしているものもいて、天使のくせに涅槃の格好もするし座禅だって組む、セクシーなポーズをとってることとか、羽があるのに手をぱたぱた振っていることもあって、なかには頭から落ちてくるのもいる。
その多様さはまるで、天上でなにか別のことをしているときに急に誰かに突き落とされちゃいましたって感じだけど、ちゃんと途中で羽をパラシュートらしく開いて降ってくる天使もいるのだから、やっぱり自分で選んでそうしているんだろうなと思う。
そのあと天使たちは地面に激突し、潰れる。
どさりって音がする。
ワンピースをびしょびしょに濡らして、高くつりあげて、落とすみたいな。
でも潰れた天使についてはもっとずっといい比喩がある。
強化傘なんてものがなく、天啓を授けられたなんていう言い回しがまだ使われていて、天使に頭をぶつけて死んじゃったりする人がまだいた頃、わたしたちはいつもの4人で帰っていて、澪ちゃんの目の前にちょうど天使が落ちてきたことがあった。
それはひゅっと降ってきて、空と水平の姿勢をとってたから、地面に大の字にぺちゃんこになった。
天使の白い血があふれ出した。それはまるでサスペンス映画で死体から血液がじわじわと広がっていくあのシーンみたいだった。まだ乾ききっていない血はぬらぬらと新しい街灯の青い光を反射した。
なんだかちょっと甘そうだった。
澪ちゃんは気絶した。
澪ちゃんはオバケとかゆーれーとかゾンビとかそういうのがだめなのだ。
そのとき天使はどちらかっていえばそっち側だった。
わたしだって、目の前に来たらけっこうびびっちゃうかも。
ちょうど後ろにムギちゃんが立ってたから事なきを得たけど、すぐに意識を取り戻した澪ちゃんにりっちゃんが大丈夫かと聞くと、

「……ひきがえるの死体みたい」

って澪ちゃんが冗談みたいなことを言ったので、わたしたちはとっても笑ってしまった。
澪ちゃんほどじゃなくてもわたしたちにみんな天使にちょっと緊張してて、そんなときに澪ちゃんが変なこと言うもんだから、お腹を抱えてもう一生笑いが止まらないんじゃないってくらい笑ったのだ。
わたしは笑いすぎて道に座り込み、りっちゃんは隣にいたムギちゃんの背中をばんばん叩き、ムギちゃんもーー普段はそんなことしないのにーーりっちゃんの肩とか背中とか頭とかをかなり強く叩いてた。澪ちゃんは最初自分が馬鹿にされたのかと思ってちょっとむすっとしてたけどすぐに笑いに加わった。
わたしたちはそのまま、天使が歩き出しはじめるまで、ずっと笑い続けていた。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:47:25.72 ID:skFt6CMPo<> 降ってきた天使たちは、しばらくそのまま地面に張りついているけど、やがて立ち上がり、歩き出す。
首はぐらぐら、手はぶらぶら、膝からは下はあらぬ方向に曲がってて、つま先は背中をむき、びっこを引いている。外から見ても骨がぐちゃぐちゃになってしまっているというのがよくわかる。
死人が痛みを感じないように、天使たちにも痛覚がないのだ。
わたしたちは強化傘を開いた。
それが蛍光灯よりもずっと白い色をしているのは、万が一天使がそこにぶつかってもその跡が目立たないようにするためだ。実際、町中の道路や屋根の上には、たくさんの天使の白い染みがこびりついていて、羽が秋の落ち葉のように舞っている。
天使の染みは鳥の糞によく似てた。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:47:57.90 ID:skFt6CMPo<> 「わたしアメリカに行くと思うのね」

帰り道、別れ際にムギちゃんが言った。

「アメリカ?」

「うん、そこに住むって決まったわけじゃないんだけど、海外の大学にね、進学するの」

「でも今すぐってわけじゃないんだろ?」

りっちゃんがあんまり気にしてない感じを出して言う。

「わかんない、でもならべくはやいうちにそうするって……」

「そう……」

沈黙。
天使の落ちてくる音がときどき、ぼとり……ぼとり。
こんなときになんて言ったらいいかわたしは知らなかった。
いつも気の利いたことを思いつくりっちゃんも、ときどきみんなをはっとさせる澪ちゃんもこんなときに使う言葉までは持ってない。
スカートのポケットに手を突っ込むと、そこにはきれいな石とかビー玉とか貝殻とかパチンコ玉とか、とにかくそういうがらくたがいっぱい入っていて、それをわたしはぎゅっと握りしめる。
どすん。
ちょうどりっちゃんの傘の上に天使が落ちた。
特殊フィラメント素材が衝撃を吸収し、そのエネルギーが変換されて、傘は光る。
みんな目をつぶった。
天使の光。
人工の。
だれかがつぶやく。
天啓。
天使は天使だけあって普通の人よりはずっと軽い。でもあんな高くから落ちてきたものに直撃するのはちょっと遠慮したい。
たまたま姿勢の問題で天使は傘からうまく滑り落ちず、りっちゃんはちょっといらついたみたいに傘を振った。
40代くらいの背の高い男の天使が道路にたたきつけられて、30メートルくらい向こうに跳ねた。
白がとんだ。
りっちゃんの顔にぶつかった。舌打ちした。

「どうせそれもこいつらのせいなんだ……」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:48:38.06 ID:skFt6CMPo<> りっちゃんは天使が大嫌いだったのだ。
それはお父さんが、天使に頭をぶつけて死んだからなんだろうな。たぶん。
りっちゃんのお父さんは、天使が降りはじめた最初の日、駅で傘を広げた瞬間(雨が降ってたのだ)傘ごと押しつぶされて死んだ。傘の鉄骨は、りっちゃんのお父さんの骨とおんなじくらいぐにゃぐにゃに曲がっていた。
その日から、りっちゃんのお母さんはちょっと頭が変になって(天使が頭にかすったんだとりっちゃんは言う)それ以来《聖・天使教会》に通ってお祈りを続けている。《聖・天使教会》は天使が降りはじめてから現れた新興宗教団体で、天使を神様が人々を救うために地上に使わしたものだと解釈する。解釈の内容は(りっちゃんに聞いた話では)わりとこまごましているらしいけど、すべきことは単純明快で流れ星するみたいに天使にお願いごとをするのだ。どうして、りっちゃんのお母さんが天使を憎むんじゃなくて、代わりに崇めて大切にしてお祈りまでするようになったのか、わたしにはよくわからない。
そういうわけでりっちゃんの家にはいつも弟とりっちゃんのふたりしかいない。
そのおかげで、りっちゃんの家にみんなが夜遅く集合することなんかもよくあって、案外りっちゃんは平然としてるんだけど、でもなにからなにまで平気ではないんだろうなと思うし、実際りっちゃんは天使が嫌いで、あずにゃんのことも怒っていた。
天使になるなんてばかだし、あいつは、ばかだから天使になったんだ、とりっちゃんはよく言う。
でもそれは本心じゃなくて、むりやりお母さんに協会のお祈りに連れていかれるときなんかは、りっちゃんはあずにゃんが戻ってきてくれるようこっそりお願いしてるってこともみんなは知っている。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:49:24.48 ID:skFt6CMPo<> 「でもなんで急に?」

わたしは聞いてみた。
ムギちゃんが言った。

「お父様がね、この町は、きょー、いく、じょー、に悪いんだって」

ムギちゃんは冗談を言ったあと、いつでもちょっと申し訳なさそうな顔をする。だからムギちゃんのジョークでは誰も笑えたためしがないのだった。

「何でアメリカなんだ? 別荘があるの?」

「ううん、むこうに叔父さんがいるから、その家に居候させてもらうの」

homestay。
それっぽいけどほんとはぜんぜんそうじゃない発音でりっちゃんがつぶやいた。

「なにで行くの、アメリカ?」

「飛行機に決まってるだろー、ばか」

「うん、ひこーき」

「アメリカにも天使っているのか?」

「いないよ、日本だけだもん。りっちゃんニュース見てないの?」

「天使のことなんてどーでもいいしさあ、いいよなー天使のいない国って。天使がゾンビみたいにうろうろしてるのって最低」

また沈黙。
ちょっとあとで澪ちゃんが言った。

「空港には気をつけるんだぞ」

「空港に?」

「そうだ、あと一歩で逃げられるっていうところが一番危ないんだ。映画ではいつもそこで油断してやられちゃうんだよ」

澪ちゃんはとっても怖がりだけど、それゆえにホラー映画的窮地への対策をいつでも怠ってはいない。実は、ゾンビ映画や幽霊のでる映画、サスペンス映画とかをよく見ていて、研究してるのだ。
男の子がエッチなDVDにするみたいに、ベッドの下の衣装ケースにはたくさんの怖い映画が隠してあるのをわたしは知ってる。

「用心するにこしたことはないんだ。ゾンビが出たら、生きのびることができるのは必ずひとりだけなんだからな……」

澪ちゃんがそう言うと、急にまたみんな黙ってしまう。
それはまるで今なにかすっごく大事なこと言ったから、それをちゃんと頭の中にメモしておかなきゃ!っていう感じの沈黙だった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:50:08.47 ID:skFt6CMPo<>
「向こういったら、手紙、書くね」

ムギちゃんが言った。

「毎週書くよ、絶対」

それから、じゃあねって笑って、駅の方へ歩いていった。
背中がちょっと小さく見えた。
わたしはさよならを言いそびれてしまった。
帰り道、りっちゃんと澪ちゃんはさっそく、ムギちゃんのお別れパーティを盛大にやろうなという話をしていた。
ポケットの中のがらくたをわたしは未だに握りしめたままだった。何かとがった物が、指の間に刺さって痛い。
なんだか泣きそうだった。
みんながいつかはなればなれになってしまうという単純明快な事実は、天使の襲来という災難によって、より悲劇的になってるのかそれとも少しは気が紛れてるのか、わたしにはよくわからない。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:50:49.05 ID:skFt6CMPo<> 4

ひとりの天使が誰かの家をノックしていた。
りっちゃんたちと別れて、家までの最後の直線を早歩きであるいてたとき。
空には天国が浮かんでいる。
天国は幾何学的な途方もなく大きいひとつなぎの雲だった。でっかいはんぺんを浮かべたようなものって言う人もいるし、アルビノの女の子のお腹みたいだって言う人もいる。
こん。こん。こぉぉん。
静かな早夜の町に、天使の来襲音は遠くまで響く。
人々が玄関の戸締まりを確認しているようすがここまで伝わってくるような気がした。
鍵を開けておくと天使たちは家に入ってきてしまう。
ノックして誰も出てこないと。
誰も出てこないのに部屋の明かりがついていると。
別に天使たちの肩を持つわけじゃないんだけど、天使にだって悪気とかそんなにあるわけじゃないんだと思う。
ただ天使たちは人間に祝福を与えたいだけなのだ。
だけど問題は、それが人間にとってはもう必要ないものだってこと。
ずっと昔の、天使たちが再び現れるまで、図書館の端っこでほこりをかぶっていたこんなお話がある。
まだ天使と人間が共存していた時代、天使は人間にいくつものすばらしい知恵とものを授けた。
貝殻はお金で、鳥の羽は美しい装飾品で、知恵は財宝だった。
天使は人間に持てるものすべてを与え、人間たちもやがてほんのちょっとだけ進化した。その結果いつの間にか人間は天使より偉大になってしまった。100足す1は101であり、100より101のほうが少し大きい。なぜなら天使とは永遠であり、永遠に生きるの者の時はとどまり続ける。新しかったはずの知恵はやがてより複雑な叡智へと変化し、銀は安価で鋳造されお金は紙切れに取って代わり、人類は神様のおわします雲を突き破って月に立った。天使は永遠だったけど、完全じゃなかった。永遠に不完全だった。
そういうわけで、いまでは、天使の授けるものをありがたがるものは誰もいない。それはもうずっと昔に受け取られたものであり、過去の遺失物、がらくただったのだ。
再び地上に現れた天使は、ずっと昔人間が喜んで受け取ってくれた物を、いまでもおなじように与え続けようとしているのだ。
こう考えるとなんていうか天使たちもけっこうかわいそうっていうか、ちょっと悲劇的だな。
わたしはこういう話にかなり弱い。捨てられた子犬の話とか、「トイ・ストーリー」とか。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:51:37.96 ID:skFt6CMPo<>
さっきの天使が結局あの家を開けてもらえなかったんだろうか、わたしの方向に歩いてきた。
顔は右に75度曲がってて、腕はだらんと下に垂れ、背骨が折れてるんだろうかひどく猫背になっている。両足を背中側に投げ出して膝で進んでいるせいで、天使の衣装である長くて白い半透明のローブがずっと後ろから地面をひきずってついてくる。
新婦入場。じゃなきゃ、なめくじ。
珍しい光景じゃないけど実際ちょっとびびる。
天使がわたしの前でとまった。声には出さないけど、ひっ、って感じ。
食べないでくださいわたしはおいしくないですお腹が減ってるならおいしいともだち紹介します。
そして、天使は右手を差し出した。
そこには、ガラスのおはじきがふたつ赤と青、ピンクのプラ櫛、鳥の羽。
天啓。
顔あげて(ぎゅんって動く、わぁ)、わたしを見た。
言う。

「#▽∝♪※」

天使の言葉は人間にはわからないのだ。
もしも、りっちゃんだったらいますぐ傘を畳んてバットみたいにして天使をフルスイングしただろう。ほんとのとこそこまで暴力的じゃないとしても、つばくらいは吐きかけたかも。澪ちゃんなら悲鳴を上げて逃げだしただろうし、ムギちゃんは申し訳なさそうにごめんなさいって言ってそこをあとにしたと思う。あずにゃんは……まあ、あたえるほうだよね。
だけど、わたしはそれを受け取った。
ありがとうって言って笑う。天使がなにか天使の言葉で言って、それからくるりと背中を向けて、5ブロックくらい先に歩いていったあとに、突然羽を開いて宙に浮かんだ。
彼らは役目を終えると天に帰って行ってしまうのだ。
後に残されてしまったわたしは、手のひらのがらくたをじっと見つめたあと、制服のポケットにしまった。膨らんだポケットがさらに大きくなった。こんなことを続けているといつかその重さで破れちゃうだろうな。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:52:15.38 ID:skFt6CMPo<>
ふぅ、と息をついた。
わたしは天使からの贈り物を断れない。
優しいのだ。
猫が庭を荒らすから餌をやるなと言われてもお菓子をあげたり、鯉に餌をあげないでくださいと書いてあってもパンを投げる。
わたしは優しい性格なのだ。古典的な天使のように慈悲に満ち、友愛をまとっている。
澪ちゃんはよく言う。

「それはただ勇気がないっていうだけの話だぞ。いらないものをもらったり先のことも考えずに動物に優しくしすぎたり、そのとき自分がいいやつでいて、傷つかないでいればいいって思ってるだけなんだ」

ああ、澪ちゃんは心がすさんでいたのです。ありもしないものにおびえるあまり、猜疑にとらわれ信仰を失い無知と迷妄の中に居を構え、愛されることを知らぬが故に愛すことができない、なんてあわれな女の子なんでしょう!神さま、彼女に、手のひらいっぱいのビー玉貝殻パチンコ玉の祝福を!

「唯は自分が悪者になるのをおそれてるんだ。そんなのは臆病者のすることだぞ。天使に出会ったら、悲鳴を上げながら、背を向け目をつぶり耳をふさいで一目散に走って逃げる、それが本物の勇敢さってことなんだよ」

たしかに。

「まあ、だけど、唯みたいなやつはホラー映画では」

映画では?

「けっこう生き残ったりするんだ」

うれしい知らせ。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:52:45.46 ID:skFt6CMPo<> 5

夕ご飯のあとお父さんとお母さんは喧嘩をはじめた。
雨が降る前に黒雲が集まるように、天使が降る前に天国が現れるように、前々から兆候はあったのだ。
前は家族4人で夕ご飯を食べたりなんかはしなかった。
お父さんはフリーのスポーツライターだったので世界中に取材に出かけていて、お母さんもいつでもそれについて行き、だからそれはちょっとした旅行(ふたりの言うところの毎日が記念日だよねハネムーン)でもあったけど、この町に天使が降るようになってから少ししてふたりは「愛する子のために」という理由で家に帰ってきた。
帰ってきてからのふたりはなんだかよそよそしい感じで、明らかに口数は減っているようだったし、お父さんが取材でどこへ出かけようともお母さんはもうついては行かなかった。
もちろんふたりともわたしと憂の前では、天使たちさえいなければもう問題はなにもないよねオールオッケーってふうに相変わらず仲がよすぎる夫婦でいたけど、それがポーズにすぎないってことはわたしも憂も簡単に見抜いてた。なのにお父さんもお母さんもずっと家を開けていたせいで、わたしたち姉妹がそんなことでひっかかるほどもう子供じゃないってことが実感できてないのだ。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:53:25.79 ID:skFt6CMPo<>
そして、今日、たまたま庭に降ってきたおばあちゃん、つまりお母さんのお母さんを、お父さんが箒ではいて道に捨ててしまったことをきっかけに、こどもユニセフ的停戦状態も終わりを告げたようだった。

「なんであんなことをしたの?」

「あれは天使だったんだ。そして天使はうちには絶対に入れたりしない。そうやって決めておいたじゃないか」

「でも、あれはわたしの”お母さん”だったのよ!」

「だけど死んでたんだよ」

「死んでる! じゃあなに、あなたはわたしが死んだら箒で道路に捨てるわけ?」

「それとこれとは全く話がちがう」

「同じよ! なに? それともゴミ収集車にもっていかせる? 生ゴミやプラスチックや紙屑と一緒に燃やすつもり? 死ぬのが楽しみになるわね、大きな煙突のお墓にダイオキシンの線香なんて!」

「落ち着けよ。じゃあどうすればよかったんだ? 家に上げてお茶でも出せばよかったのか」

「そうよ」

「出せるわけがないだろ。それにあの姿を見ろ、気味の悪い」

「気味が悪いですって? 人の親を! だいたいあなたはもともとうちの母が嫌いだったのよ」

「そんなことはない!」

「あるわ、お母さんが病気で倒れたときだってそうじゃない。わたしは実家まで毎日往復して大変だったのに、あなたはフランスで遊んでたじゃない」

「仕事だったんだ!」

云々。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:53:55.31 ID:skFt6CMPo<>
TVはニュースを喋っている。
天気予報のコーナーになった。
『……天国はいまも近畿地方を中心に拡大を続けながら少しずつ北上中です。気象庁は、拡大の速度は緩やかな減衰傾向にあるため今後は収縮に向かうだろうという予測を示した上で、実際に今後どういった動きを見せるのかは調査中だと発表しました。また、フィリピン、韓国、中国の一部では、天使の目撃情報が現れていますが、十分な証拠が発見されないため、各国政府はいまのところこれらは宗教的な……』
わたしはとろろ醤油を白米にかけているところだった。
別に食べるのは遅いってわけじゃないけど、急いで食べようとするとすぐのどにひっかけてしまうのだ。ごはんおかわりしなきゃよかったんだ。
それらをむりやり胃の中に押し込んでしまったあとも、口論はまだ続いていて、空になった食器を抱えて逃げるように台所に向かう。
憂がお皿洗いをしていた。

「嵐がきたよ」

と、わたしは憂に言った。
とうぶん止みそうにはないねって手を止めて憂が笑う。飛んだ泡が額のところについていた。わたしは食器をシンクの中に押し込んで、指で泡を拭った。
子供のためだ!とお父さんが叫ぶのが聞こえた。

「子供のためならお風呂でも洗ってくれればいいのにね」

「あ、わたし洗って、こよっ、かなあー」

わたしがあわてて言うと、憂は

「おねーちゃんはいいんだよ。こうやっていてくれることが仕事なんだもん」

って楽しそうに言った。

「なんだか憂がお母さんみたいだ」

あははって憂は笑った。
蛇口をひねった。すぐに水の音。
なにか憂が言ったのが聞こえなかった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:54:58.38 ID:skFt6CMPo<>
「ざあざあざあね」

「え?」

「おねーちゃんはいいよね」

「そうかなあ?」

「大学生になったらこの町から出ていくんでしょ?」

「うん、まあね」

「いいなあ。きっと都会には天使もいないよね」

「でももっと危険なものがいっぱいあるって言うよ」

「それにさ、お母さんとお父さんがあんな調子じゃわたし参っちゃうな。おねーちゃんもなしでさ」

「嵐も止むよ」

「そのときまで家が無事に残ってればいいんだけど」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:55:46.18 ID:skFt6CMPo<>
ざあざあざあ。
憂は洗い終わったお皿を水切りに並べていった。小さな水切りにはすでに乾いた食器が並んでいて、そこに今洗ったばかりの食器たちがうまい具合にあいだあいだに入ってきれいに積まれいていくのは、なんだか憂にしかわからない迷路をたどっているって感じだった。白い憂の秘密のお城みたいな。
きゅっ。
蛇口を閉じて、黄色いリラックマのタオルで水滴を拭ってから憂は言った。

「わたしね、ときどき、おねーちゃんが羨ましいって思うんだ、変なふうに思わないでね、おねーちゃんが新しいことを先にやるたび、わたしもね、あと一年早く生まれてればなあって」

「わたしも一年遅く生まれてれば憂みたいに優秀になれたかもって思うときある」

「あはは。たしかにね。あとに生まれてだめだめじゃないだけよかったかも」

「あーそれってさあー……」

「あ、ちが、ちがうの。おねーちゃんがだめってことじゃなくて!」

憂はあわてて首を振って、あんまり否定するもんだからまるで本当はそう思ってるみたいに見えるということに自分で気がついて、えへへと下を向いて笑った。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:56:22.57 ID:skFt6CMPo<>
扉越しに金切り声が聞こえてきた。
天使たちの襲撃音がつつましやかに聞こえるくらい大きな騒音。
リビング・ワーはまだ続いている。
ヒステリーは幾何級数的に増大している。
やがて雨が降りはじめるんだろう。
そしてしばしの間、ふたりの兵士は剣を鞘に収めるのだ。

「……ねえ、おねーちゃん、今日も梓ちゃんに会いに行くの?」

さりげない感じを装いながら憂は続ける。

「梓ちゃんがさ、天使になっちゃったのはおねーちゃんのせいじゃない……とわたしは思うよ」

そのことはちゃんとわかってる。
だって天使は誰かを裁いたりはしない。
なぜなら天使はずっと過去にとどまり続けていて、わたしたちは新しくなっている。聖書の解釈は日々更新され、新しい罪は毎日発明される。
今、この瞬間にも重要判例は増え続けている。誰かを裁くには天使はちょっと古すぎる。
だから天使は誰も裁かない。あずにゃんはわたしたちのことを非難したりはしない。
天使たちは雨と同じで、ただ降ってくるだけなのだ。
わたしがあずにゃんに会いに行くのは、あずにゃんがまだわたしの友だちで、あずにゃんといると楽しいからってだけ。
わたしはギターケースを背負って家を出た。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:57:12.01 ID:skFt6CMPo<>


市民公園にはすでに天使が何人かいるようだった。
わたしはベンチに座ってて、その真向かいにある噴水のところにひとり。自販機の後ろの木立がときどき揺れるからたぶんそこにもいるだろう。
あとはさっき右手に見えるコンビニの前で店員に野良猫するみたいにしっしっと手を振られ追っ払われた天使を見た。その後どこに行ったのかまではわからない。
背中側にある旧テニスコートに天使が落ちてきて、がしゃんと金網の鳴る音がした。
時刻は11時を回ったところだった。
まんまるい月が低い位置で浮かぶ明るい夜。
野球場から野太い歓声が聞こえてきた。
噴水のところにいた天使が振り向いて、のろのろとその方向に歩き出す。
野球場のフェンスはきっちりと鍵がかけられて、昔から小学生の通り道になっていた抜け穴にはトタン板が打ち付けられていた。それでもフェンスをのぼって侵入してこようとする天使はいて、それをユニフォーム姿の男の人が”打つ”ところをわたしは見たことがある。
どうやら天使たちは音に反応することになっているらしい。彼らは目が見えないわけじゃないと思う。実際声を出さずとも人間のとこによってくることもある。たぶん音が好きなんだろう。音楽が。虫が光に集まるみたいに、それが彼らの本能なのだ。走音性。まあたしかにそれは天使っぽいかもね。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:57:44.18 ID:skFt6CMPo<>
わたしはケースからギターを取り出して鳴らす。
じゃらん。
アンプをつないでないから音がか細い。
天使たちにはまだ聞こえない。
木々の天蓋ごしに街灯の灯りが、スポットライトみたいに手元を照らしてた。
それからまた腕を振った。
今度はもっと大きな音がする。
弦が振動してる。
天使たちがこっちを見た気がした。ライブのとき、幕が上がって、観客みんながわたしになにかを期待してるんだって思うときみたいな感じ。
いまや音楽は鳴りはじめていた。
徐々に天使が集まってくる。
折れた足。曲がった背中。傾いた顔。垂れ下がった腕。折り畳まれた大きな羽。白い布切れ。蛍光の体液。光った。天使。天使の言葉。天使たち。
走性。
息を深く吸ってから、声を吐いた。
声は、はじめて触れた空気の冷たさにちょっと戸惑ったのち嬉しそうににふるると身体を震わせて、すぐに歌になった。
わたしは椅子の上に立ち上がっている。
ベンチを囲むように、天使たちが4人。
遠くから歩いてくるのが見えた。
みんな手のひらをさしだして、反射。きらきらしたがらくた。
あらゆる過ぎ去ったもの。

「#▽∝♪※!」

噴水の向こうに新しい天使が落ちてきた。
わたしの声は天国まで聞こえるんだってこと信じてしまいそうになる。
あずにゃんのことを考えていた。
一年生、ほとんどだまされるみたいにして部活に入ったあずにゃん。練習もまともにしないわたしたちに怒ってばかりだったあずにゃん。幸せそうに小さい口でケーキを食べてるあずにゃん。わたしにギターの上手なテクニックとため息のつきかたを教えてくれたあずにゃん。卒業式をむかえるとひとり取り残されてしまうあずにゃん。時間を凍結したあずにゃん。
天使になったあずにゃん。
はたしてあずにゃんは本当に天使にならなきゃいけなかったんだろうか。あずにゃんはわたしたちのことどう思ってたんだろうか。あずにゃんは今怒ってるんだろうか、それとも悲しんでいるんだろうか。
わたしにはわからない。
わからないのだ。
この曲はわたしたち4人が残されていくあずにゃんのためにつくったということになるはずだった。
それはこんな歌詞だ。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:58:14.96 ID:skFt6CMPo<>
ねえ、思い出のカケラに
名前をつけて保存するなら
”宝物”がぴったりだね
そう、心の容量が
いっぱいになるくらいに
過ごしたよね、ときめき色の毎日
なじんだ制服と上履き
ホワイトボードの落書き
明日の入り口に
置いてかなくちゃいけないのかな
でもね、会えたよ! すてきな君に
卒業は終わりじゃない
これからも仲間だから
大好きって言うなら
大大好きって返すよ
忘れ物もうないよね
ずっと、永遠に一緒だよ

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:58:43.15 ID:skFt6CMPo<>
天使は普通ランダマイズされてる。
けれど、この時間、この場所で、この曲を鳴らすと、なぜかいつでもあずにゃんは降ってくる。
たぶんそれはこれがあずにゃんのための音楽だからなんじゃないだろうかってわたしは思っている。
ある天使は行きつけだった喫茶店のコーヒーの香りとドア・ベルの震動に引かれ、おばあちゃんは愛する我が子の家庭から響く夕食のざわめきを叩き、潮風の匂いのなか暮らした天使は波の音に寄り、野球が好きだった天使はグラウンドの歓声に導かれる。
そしてあずにゃんはわたしたちの歌に降ってくるのだ。
でもそういうふうに考えるのってやっぱり人間的すぎるかな。
ねえ、どうなんだろ、あずにゃん?
目の前に降ってきた天使にわたしは言った。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:59:26.17 ID:skFt6CMPo<>


今日のあずにゃんはけっこう原型をたもっていた。
下にいた何人かの天使にがうまくクッションの役割になったようだった。足が一本折れて、腰のあたりで下半身が右に少しゆがんでるってだけ。
つぶれた天使たちから白い血が間欠泉のように吹き出ていた。
あずにゃんはすっかり天使色だった。
彼らは音楽が消えたいまでもわたしの周りを取り囲んでいて、その数は7まで増えている。
わたしはあずにゃんの手を握って言った。

「逃げよう!」

天使たちが背後から追いかけてきた。
危険がないって知ってても、下半身を引きずった天使が白光液を垂れ流しながらずるずるとついてくる姿はかなり恐ろしい。
天使たちはかなり遅いけど、わたしもあずにゃんをひっぱり強化傘をさし重いギターを背負っているからそんなにはやくは走れない。わたしの背中で、天使的に軽いあずにゃんがアスファルトの上を跳ねまわっている。
服は白だらけだった。こうなることはわかっているからそんなには気に入ってはない長袖のシャツをいつも着てくるのだ。衣服についた天使の液はわりと落ちるというのが天使のもっとも天使的なとこだと憂は言う。少なくともお母さんが洗濯するんじゃなくてよかった。
握ったあずにゃんの手が液でぬれていて冷たく、いやな感じ。
振り向くと天使たちはだいぶ遠くまで離れている。追跡行を通して身体のバランスはさらに崩壊していた。
こん、こん、こおん。
どこかでノックの音がしていた。
立ち止まって息を整える。

「わぁっ」

安心しているところ、すぐ後ろに天使が再び落ちてきた。
うつ伏せにアスファルトにぶつかる。
打ち所が悪かったのか首が180度後ろを向いている。そしてその落ちくぼんだ黒い目が、なんだかわたしのほうを恨めしそうに見つめているように思えるのだ。
あずにゃんの手をつい強く握りしめたのだけど、すぐに思い出してぱっと離した。
手のひらには白い血がべったり。
そんなときは、ホットケーキみたいに柔らかい月までも、なんとも気味が悪く感じられるのだった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 22:59:57.61 ID:skFt6CMPo<>
こんなふうに天使と手つないで歩いてるところを誰かに見られたりでもしていたらけっこうやばい。
最悪、あずにゃんのことをごにょごにょしたいんだって思われるかもしれない。
実際のところわたしは男の子じゃないし、そんなことにはならないだろうけど、なかには法的に微妙なところがあるなって考える人もいて、でもたいていは死体損壊が適用される。
あるいは倫理観が天使に対しては働かないのかも。これはちょっと逆説的。
まあだけどそうじゃなくても、発見されればわたしは頭がちょっとおかしいんだということになるし、「あのあのあの平沢さんちの子、あの子天使と友だちなのよ、やあねえ」っていうことにもなる。朱に交わればなんとか。家訓一、不良の子とはつきあってはいけません、みたいな。お母さんだってけっこう怒ると思うな。自分はおばあちゃんの天使がどうこう言ってたくせに(まあ物事には場合と限度があるってことだよね。ちゃんとわかってる。ちぇっ)
あずにゃんにこうやって会っていることをみんなにも言っていない(憂は感づいてるみたいだけど)天使に近づきすぎると、その人もまた天使になってしまう。そんなことさえ、まことしやかに囁かれている。
ゾンビに噛まれたらゾンビになっちゃうみたいに。
あるいはわたしはもう天使になりかけているのかもしれない。
とにかく、わたしはあずにゃんを人目のつかない裏路地へと引っ張っていく。
左右の家の高い塀が囲む小さな道。大きな暗渠の中をかがんで歩く。空き家の庭を通り抜けて、ラーメン屋のにおい。虫の声。田んぼのあぜ道を過ぎると、大きな工場が。三本足の大きいタンクからたくさんの四角いパイプがぐにぐにと絡み合って鉄塔に変化して空に向けてのびている。白い煙。流れる細い川のへりをたどれば、橋のふもとの錆びた鉄階段を上がって、なにもかも思い出すことができるだろう。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:00:31.05 ID:skFt6CMPo<>
わたしたちは校庭に立っている。
あらゆる施設は天使以後厳重な戸締まり体制を敷いている。
もちろん桜が丘女子高等学校だってその例にもれない。
だけど女子高生なら夜の学校に忍び込む方法の1つや2ついつでも頭に入れて置いているものだ。
今いちばんホットな侵入経路は西バレー部ルートだと言われている。
これはその名の通りバレー部の子たちが開拓した方法で、バレー部は部室として体育館の第二倉庫の一部を使うということになっているんだけど、第二倉庫は部室としての場所と体育用具がおいてあるところに分かれていて、さらに用具置き場の奥にはほとんど使われないマットなどが積んである小さなスペースがある。
その上のところにちょうど人ひとりが入れるくらいの大きさの窓があり、外から見るとそれはちょうど室外機の上の部分にあたるということになっている。
そこが侵入点となる。
先にあずにゃんを窓の中に押し込み(これが一苦労だった)マットの上に飛びおりると、埃が舞った。
部室にはってあるバレー選手のポスターの裏側には体育館の鍵がかけてある。
校内に夜警はいない。
室内だと傘をさす必要がなく両手が空いたので、わたしはあずにゃんを抱くようにして、軽音部の部室まで連れて行く。
部室の前で床におろすと、あずにゃんはおずおずとあたりを歩き回った後、部室のドアをノックした。
こん、こん、こぉぉん。
はたして天使はなにかを懐かしがったりするだろうか。
そんなことをふとわたしは思う。
あずにゃんはドアに手をかけて押した。
だけど開かない。
バリケードが後ろにはそびえている。
あずにゃんはドアを一生懸命押している。
わたしは笑った。
天使の知らない秘密を言う。

「あずにゃん、これ、引くドアだよ」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:01:07.84 ID:skFt6CMPo<>
月明かりが廊下まであふれ出した。
部室内は青白く発光。
白い肌したあずにゃんがぼうっと浮き上がって幽霊みたい。
バリケードには今日部室から出たときに開けた隙間がある。
そこからわたしたちは内部に侵入した。
西の窓がつくる四角形の光の上にわたしは座った。白い光はひんやりと冷たかった。

「……わたしね、町を出るんだよ」

慣れ親しんだにおいに、ふとした言葉が混じってしまう。
首の後ろに手を回す。

「って知ってるか。あずにゃんはだから天使になったんだもんね」

「∝♪※#▽∝」

天使の言葉ってなんだか笑ってるみたいだと思う。
くすくす笑い。

「あずにゃん、なんで笑ってんの?」

無視。
ドラムをたたくと音がするということを発見する。
どおんどおんどおおん。

「ねえ、あずにゃん、大学ってどんなところなんだと思う?」

どんどんどおん。じゃーん。

「ムギちゃんはね、海外に行くんだって、アメリカだよ。すごいよねえ」

ちゃっちゃっどんどん。

「さびしいけどさあ、こういうことって普通なんだよね。つまりさ、我慢しなきゃいけないっていうか結局いやだと思っててもそうなっちゃうっていう……」

ぱあぁぁん。ぱあぁぁん。

「ねえ、だから、あずにゃんは天使になったの?」

どん。

「あずにゃんは悲しいから天使だってそう思ってたんだけどでもわかんないなわたし」

ため息。

「あずにゃんがね、わたしのこと吸血鬼みたいに噛んだりしてねわたしのことも天使にしてくれればいいなあってときどき思うんだよ……それならよくわかるもんね、あずにゃんは怒っててそれでずっとわたしたちと一緒にいれるから。
だけどあずにゃんとこうやって毎日会うとそれがわかんなくなって、だってあずにゃんはなにもしないから、こうやって毎日わたしといて、でもそれはもうすぐおしまいで……そういうのってあずにゃんはどういうふうに感じるの?」

「∝♪※#▽∝」

「時間が止まってるからずっとわたしたちといるっていう気持ちがする?
それともわたしたちのこと思い出してるって感じ?
わたしあずにゃんのことわかんないなあ……あずにゃんはわたしのこと何でもお見通しだったのにわたしあずにゃんのことがよくわかんないや。
あずにゃんがもしわたしでわたしが天使ならあずにゃんはわたしのことわかった?
わたしが何を考えてるとか何で悲しいとか何で嬉しいとか、そういうこと。
そういうこと全部。
わたしはあずにゃんのことわかんないよ」

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:01:42.38 ID:skFt6CMPo<>
喋る声にひかれてあずにゃんがわたしのところまでやってきた。
手を開く。
そこには、鳥の羽、なにやらビーズのようなものに、ガラス片。
そしてピック。
それは修学旅行のお土産にわたしがあずにゃんのために買ってきたものだった。
あずにゃんはいつでもそれを差しだそうとする。まるで思い出を今もまだわたしと分かち合おうとするみたいに。
ピック以外のものを手にとって、ポケットにしまった。
それからあずにゃんの手を拳の形に握らせた。

「それはもらえないよ。だって、わたしが、あずにゃんにあげたんだもん……」

手のひらを上に滑らせて、手首をぎゅっとつかんだ。
ひっぱる。

「▽#!」

あずにゃんがわたしの上に降ってきた。
くにゅってつぶれた。
やわらかい。
人間だったあずにゃんのこと思い出した。

「あずにゃんは、どうするの、これから。ずっと降ってる?」

喋るとあずにゃんが声をつかまえようとして、わたしに抱きつくみたいになった。
いつもの反対だって思う。
あずにゃんからのところも。
すごく冷たいところも。

「わたしあずにゃんのこと心配だよ。悪い人に変なことされないかとか」

もしかしたらわたしがその悪い人なのかもしれないとちょっと思って、笑った。

「あずにゃんのこと誘拐しちゃいたいけど、都会のアパートって、動物禁止だもんね」

にゃあ、って言うみたいに天使の言葉を言う。
あずにゃんの声はやっぱり、なんだか笑っているみたいに聞こえるのだった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:02:10.03 ID:skFt6CMPo<>


家につく頃には夜も1時半だった。
わたしが天使に会いに行ってることを知らないはずの両親は就寝前完璧な戸締まりを履行するけど、憂がいつも鍵を開けておいてくれる。憂は朝は一番早いのに夜はたいてい遅くまで起きていて、部屋でTVゲームをしていたりする。
服を洗濯かごの中に入れてシャワーを浴びた。天使の羽が排水溝のごみ止めに重なってくるくる回っていた。その間を天使の血が流れてく。なんかちょっと映画の「サイコ」みたい。この場合黒い血じゃなくて白なんだけど。
洗面所で髪を拭いているとき、三面鏡に映った自分の背中が目に入った。
肩胛骨のあたりがなんだか盛り上がっているように見える。触ると固くて、でっぱっているような感じがする。
天使の羽が生えてきている。
わたしは天使になりかけているんだ。
これって気のせいだろうか。
こんなものがついていると、わたしはまだ経験がないけど、好きな人の前で裸になったりするときに困るんじゃないかって思う。
あくびが出た。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:03:32.39 ID:skFt6CMPo<>
その夜夢を見た。
いつも見る夢。
わたしは沈んでいる。
黒い泥のなかに。
青い空、きれぎれに乱反射する光がまぶしい。
水面のよう。
泥はすでにわたしの膝の下まで達している。
まるでチョコレート・アイスクリームの海に沈んでいるみたいで、冷たい。
このままじゃお気に入りの白いスカートが汚れちゃうなあ。
そんなことを最初は考えていた。
それにしてもいったいわたしはどうして沈んでいってるんだろう。
身体を動かそうとしてその答えはすぐにわかった。
重いのだ。
膝の上、スカートが。
スカートのポケット。
その中のいっぱいのがらくた。
わたしは両手を突っ込んで、つかめるだけの物をつかんで投げ捨てた。
貝殻。プラスチックの櫛。ビー玉。おはじき。ペットボトルキャップ。
泥の海に浮かんだ。
そして繰り返す。
もう一回。もう一回。
腰が冷たい。
泥が。
ポケットの中に泥が入って、つかんだ半分が泥。
投げ捨てる。投げ捨てる。投げ……。
いつの間にか泥が胸のあたりまでやってきている。
もう投げられないから、ポケットの中からがらくたをかきだすようにする。
泥と一緒に。
赤、黄、紫、青、緑、ピンク、そして黒、黒。
泥の上でがらくたたちが光っていた。
どうしてこんなにたくさんあるんだろうか。
こんなにはポケットの中に入りきらないはずなのに。
なのに。
なのに、まだ出てくる。まだ。
もう首まで泥に浸かっていた。
なのに、まだ出てくる。
いくらかきだしてもかきだしても。
おはじきやパチンコ玉、鳥の羽、ビーズ。
泥がせり上がる。
口内に少し入りこんで苦い。
泣き出してしまいそうだった。
わたしは重いんだ。
わたしは重い。
重いーー。
ふいに天使が降りてきた。
翼をはためかせてゆっくりと降りてくる。
誰のようでもない中性的な顔に微笑が浮かんでいる。
まとった布が白く光ってた。
しみひとつない完璧な白。
わたしは天使に言う。
お願い事をする。
翼をください!翼をください翼をくだ……。
喉の奥に泥が入り込んで、声が出ない。
わたしは重い、だから落ちていく。
天使が見えなくなってしまう。
もう泥は目のすぐ真下に。
そしてわたしは沈む。
潜水人症、脳の信
号が途切れ途
切れにな
って、


わっと叫んだ。
目が覚めた。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:04:00.40 ID:skFt6CMPo<>


ある朝、部室に行くと、天井に大きな穴があいていた。
正確に言うと、天窓に。
ガラスの破片が部室の真ん中あたりに散らばっている。おいてあった楽器にぶつからなくてよかったとすぐに思った。
そのほかは、ほとんどかわりがなかった。バリケードも帰りに見たときのままの姿で保存されていた。
どうやら落下物は行き帰り同じところを通っていったらしい。
完全犯罪、でもないか。
わたしは言った。

「きっとすごいでぶっちょの天使が落ちてきたんだね」

「貴乃花だな貴乃花」

たぶん澪ちゃんは昔の力士を貴乃花しか知らないのだ。貴乃花はまだ生きているのに。
今日部室に来ているのはわたしと澪ちゃんのふたりだけだった。三年生はもう受験を終えてあとは卒業を待つというだけだから、学校に来ていない人もたくさんいる。
それでもわたしたちはなんとなく習慣というか習慣への愛着というかで、部室に集まっていたのだ。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:04:34.53 ID:skFt6CMPo<>
だけどここ三日ほどはムギちゃんもりっちゃんも現れなかった。
ムギちゃんのほうは海外に移る準備とかでいろいろ忙しいらしい。いくつかの事情から卒業式を待たずして向こうへ行くのだそうだ。
そのへんはここのところ、ムギちゃんといつも夜、電話しているから知っている。
わたしは寝る前の時間、布団の中で誰かに携帯で電話かけるのが好きだった。
一年生の頃はずっと澪ちゃんと話してて、それからあずにゃんとが多くなったけど、あずにゃんが天使になっちゃってからはまた澪ちゃんに戻り、ムギちゃんが海外に行くっていう話が持ち上がったあとは、毎日ムギちゃんと電話していた。
電話だと、ムギちゃんはけっこう笑えることを言う。たぶん、例の冗談を言ったあとの、あ、やっちゃったのかもっていう表情が見えないからだろう。
一度なんかはあんまり笑ったので、ふだん怒ることのない憂がわざわざうるさいと文句を言いに来たほどだった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:05:04.99 ID:skFt6CMPo<>

「ムギちゃんの住むとこってどんな感じなの?」

「えとねー、ケンタッキー州の南のほうにあって、大きいんだけどあんまり車の通らないハイウェイのそばにあるんだけどね……自然のたくさんあるところで、サッカーの試合ができるくらい広い芝生の庭があって、道路の向こう側には森があるし、わたしは見たことないんだけど、なんでもその森にたくさん鹿がいるらしくて、あ、でも野ウサギが庭で遊んでるのを見たことはあるわ。赤い屋根の三階立ての大きな家でね、玄関のところに、なんていうんだっけ?あの悪魔みたいな、ほら、ゴーストバスターズって見たことある? そう、その、あの敵になるやつ、あの銅像がふたつあって子供の頃は怖かったなあ夜とか。家の中には叔父さんと叔母さんが二人で住んでるんだけど、叔父さんはね、弁護士してて、うちの会社のアメリカ支部の顧問弁護士なんだけど、だからやっぱりお金持ちで、ガレージにはスポーツ・カーが二台あって、赤と黄色、壁には狩猟用のライフルが並んでて、本物の銃だよ。でっかいワインセラーもあってね、子供の頃、お父さんに秘密で飲ませてもらったことあったな。で、大学がスクール・バスに乗って15分くらいかな、の町にあるんだけど、週末にはダンスパーティがあるんだって、あ、それにね、家の後ろにでっかい湖があってー、そうしたいならボートにも乗れるのよ」

「わぁ、それって映画みたいじゃん」

「うそ、映画で見ただけだもん」

「なんだよー」

「ごめんごめん。本当は叔父さんのところには行ったことないの」

「でもお金持ちなの?」

「うん、顧問弁護士してるっていうのはほんとだし、あながちさっきのうそにならなかったりして」

「ひゃー……わたしも一度くらいムギちゃん家行っとけばよかったなあ」

「わたしの家は別にふつー、まあすくなくとも見た目はって意味だけど。日本は土地が狭いから……」

「でもさわちゃん家庭訪問のときびっくりしてたよ」

「そうなの?」

「うん」

「じゃあきっと家庭訪問用に新しく家建てたのね」

「あはは」

「今度来る?」

「ほんとに? 一ヶ月に前に予約いるんじゃないの?」

「あれうそなんだよね」

「えー……なんでさ!」

「だってわたし友だち家に呼んだことなかったから……お母様とかたぶんいい顔しないし」

「ムギちゃんのおかーさんって怖いの?」

「ちょーこわい」

「でもいいんだ?」

「うん、だってどうせ家出ちゃうもんね」

「悪いやつだ」

「えへへ。でももうあんまり日がないなあ」

「あ、そっかぁ。そうだよね……」

「うん……ならべくはやく来られるようにするね!」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:05:38.29 ID:skFt6CMPo<>
それで、なんとかムギちゃんが都合をつけてくれた結果、今日の午後訪問する予定になっていたのだ。
聞いたら、澪ちゃんも行きたいと声を弾ませて言うのだった。

「りっちゃんはなんで来てないのかな? せっかくなのに」

「さあなあ、いろいろとあるんじゃないか。あいつは意外とナイーブなやつなんだよ」

「澪ちゃんは意外と繊細じゃないよね」

「ちっちゃいよりは、大きいほうがいいっていうだろ」

澪ちゃんは自信ありげにちょっと胸を反らした。バストが強調されて見える。

「おっきいもんねえ」

「ば、ばかっ。胸の話じゃないぞ!」

「貴乃花だね貴乃花」

照れ隠しつもりなのか、自然に澪ちゃんはベースの入ったケースに手をかけていて、それでふと気がついたみたいに言った。

「久しぶりに演奏する?」

部室で演奏すると天使が寄ってきてしょうがないので、わたしたちは天使以後みんなで音を合わせるということがなかった。
部室の扉についていた鍵は、まえにりっちゃんとあずにゃんが諍いを起こしてあずにゃんがりっちゃんを部室の中にいれないよう努力していたとき、りっちゃんが外から鍵をさして扉を開けようとするのに対してあずにゃんが内側のつまみを回して応戦し、がちゃがちゃやっていたら壊れてしまった。
だからわたしたちは対策としてバリケードを築くことにしたんだけど、そのあとすぐムギちゃんのことがあり、りっちゃんも来ないので、結局はほとんど役に立っていなかった。
同意のつもりで、わたしもギターをケースから出す。

「あれ澪ちゃん……」

「なんだコードをまた忘れたのか」

「ギターってどうやって持つんだっけ」

げんこつ。

「いや、じょーだんじょーだん」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:06:18.67 ID:skFt6CMPo<>
ふたりで曲を決めて何度かあわせてみる。
ギターとベースの音だけだと何となくさみしい気がしてしまう。
そういうバンドで有名なバンドもあるんだぞと澪ちゃんはいくつか名前を挙げたが、当の本人も退屈そうだった。
結局30分位するとふたりとも床に直接座り込み、楽器の音を鳴らすとも鳴らさないともいえない感じで、お喋りに高じている。

「澪ちゃんは卒業してもここに残るんだよね?」

「うん、地元の大学に行こうかなって」

「りっちゃんのこと?」

「うん、まあね。あいついま大変だろ。父親なくしてさ母親もあんな感じで、へーきなふりしてるけどなんだかんだで繊細なやつだからさ」

「澪ちゃんとちがって」

そうだな、って澪ちゃんは笑う。

「べつにわたしになにかできることがあるとも思えないけど、結局は昔からのあれだから」

「あれってなに?」

「あれはあれだよ」

澪ちゃんは横を向いた。
たぶん、澪ちゃんはりっちゃんのことが好きだからそうするんだろうなってわたしは思う。
それはつまり澪ちゃんは男の子じゃなく女の子が好きってことだ。ということをわたしは澪ちゃんから直接聞いた訳じゃないんだけど、ムギちゃんがこっそり教えてくれた。
5人の間に秘密はない。
澪ちゃんが中学生の頃体育倉庫でクラスの女の子といちゃいちゃした話とか、りっちゃんが大人ぶってアルコールに手を出そうと試みて飲んでみたのが調理用のお酒だったとか、あずにゃんが通販でエロ本を買ってるとか、りっちゃんが他校の男の子とこっそり遊びに行ってちすごい大失態かました話とか、ムギちゃんは靴にちょっと身長を高くするやつを入れてるだとか、たいていのことはわかっている。
誰かがひとりが秘密を知ればそれはもう5人の秘密なのだ。わたしたちはみんな口が軽く、さらには自分の秘密さえ隠し通せないほど(下手すれば自分のを話すときが一番)口が軽い。
みんながみんな信用に値しないという点で、わたしたちは信頼しあっている。
でも澪ちゃんのことについてはそれをりっちゃんに話さないってくらいの分別もあった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:06:56.90 ID:skFt6CMPo<>
「あのさ、これって秘密にして欲しいんだけどな……」

「うん」

今日ムギちゃんに電話で言う。絶対。
おとついの、柳のゆれる、坂道で、わたし幽霊、見たどうしよう、っていうしょうもない話じゃなかったならだけど。

「律のことなんだけど」

「りっちゃんのこと?」

「うん。律さあ、本気なんじゃないかなって思うんだよね」

「免許取ったら車欲しいから、ネットで制服とか売って稼ごうって話が?」

「あいつそんなこと言ってたのか?」

「澪ちゃんとムギちゃんのをもらって、あとでこっそり4つセットにして売ればけっこういいとこまでいくんじゃないかって話してたよ」

「ばかだな」

「だね。わたしもそう思う」

「ちがうよ、そうじゃなくてさ。あの例の天使の宗教」

「りっちゃんのお母さんの?」

「そう。それにさ、けっこう律も入れ込んでるんじゃないかって」

「ほんとに?」

「あいつ毎週日曜きっかり教会行ってるだろ?」

「それはお母さんを心配してついてってるからじゃん」

「でもあいつ最近けっこう聖書とか天使関連の書籍とか真剣に読んでることあるんだよな。天使と一緒にいるところを見たっていうクラスメイトもいるし。それからまえにわたしたちは天使についての考え方を改めなきゃいけないのかもなって言ってたぞ」

「うーん」

「きっとあいつ洗脳されちゃったんだよ。この前だってな、わたしの家のポストにパンフレットが200枚くらい入れてあったんだぞ。ゴムで束にして。これってあれだろ、勧誘だよ勧誘、友だちを売ってるんだよ、高値で売りさばいてるんだよ」

なにしろ人の制服を売るようなやつだからな、と澪ちゃんは言った。

「それか澪ちゃんのことが嫌いになったかだけど……」

「そ、それはないだろ」

「知らないよ……」

澪ちゃんはちょっと不安そうな顔を一瞬したけど、すぐに気を取り直して、

「と、とにかくだな、あいつは信仰に目覚めたんだよ。だから今日も来てないんだろ?」

「軽音部より大事な場所ができちゃったってわけだ」

澪ちゃんはぴしっと指をわたしに向けた。

「そのとおりだ」

「でもさ、りっちゃんはあんなに天使を嫌ってたじゃん」

「まあな。でも、宗教にはつきものの話なんだよな。神を信じていなかった人が改宗すると熱心で優秀な信徒になるんだよ」

「ミイラ取りがミイラになっちゃったわけだね」

この場合は天使取りが天使になっただなと澪ちゃんは嬉しそうに何度もうなづいて見せた。

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:08:24.60 ID:skFt6CMPo<>
10

ムギちゃんの家にはお昼ちょっとすぎについた。
一生に一度くらいはお金持ちのお昼ご飯を堪能させてもらっても罰は当たらないだろうとわたしたちは何度も言いあったけども、最終的には駅前のサイゼリアでお昼を食べることにした。
結局のところ再分配は法と行政によるものであり個人に期待されるものではないというのが澪ちゃんの見解だった。もしも個人が再分配を執行したならばたちまち社会は無秩序状態におちいり原始世界へと逆行することになるだろうという悲観的な人間観を、あまり人のいない平日のファミレスで分かち合うことにわたしたちは成功していた。
しかしある面では、なにもせずに約束の時間を待つにはわたしたちは腹ぺこすぎでもあったのだ。
そういうわけで澪ちゃんはイカ墨のパスタを頼み(毎月買ってるあるファッション誌に美容と健康にいいと書いてあったのだと言った。でもダブルだった)、わたしはパエリアとパンケーキを頼んで、最後に季節限定のパフェをふたりで半分にして食べた。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:08:54.87 ID:skFt6CMPo<>
ムギちゃんの家は桜が丘から5駅ほどした町の、駅から歩いて14分くらいしたところにあった。
静かな住宅街で、建っている家はどれもまだそれなりに新しく見えたけど、いくつかの道がくねくねと無理なカーブを描いているのがなんとなく古めかしくもある。道のりにはせまい公園がいくつかあり、木々に囲まれた小規模の神社があって、校庭が半分に芝生に覆われた私立中学校のそばでは、コンクリート舗装の川が穏やかに流れていた。
町は封を切ったばかりのおもちゃにみたいにきちんとしててなんとなく手つかずの感じがした。ケータイの液晶のフィルムをまだはがしてないっていうみたいな。
あんまり天使の染みを見ないせいかもしれない。ここには天国がまだやってきていないんだろうか。それとも毎日誰かがきれいに掃除してるとか。
住所をあらかじめ教えてもらっていたから家の場所はグーグルマップですぐにわかった。たしかにムギちゃんが言ったように外観からはよくあるお家のようにしか見えなかったので、わたしはちょっとがっかりした。
全体的にモノトーンの感じで、家の壁は灰色、切妻形の屋根は黒色で天使の白がぽつりぽつりと落ちている。たぶん二階建て。家自体はけっこう大きいけど庭がほとんどないからその分を足したらわたしの家とおんなじかちょっと大きいくらい。門はよくある折りたたみ式で、インターフォンで話をしたあと自動で開いた。車2台分の大きさのガレージが右側にあっていまはシャッターが降りている。
やっぱりお金持ちっぽくない。じゃあどんなのを想像してたんだって聞かれれば、記憶たどってすぐ思いつくのは、シンデレラ城。
玄関口に貼ってあるシールを見つけて、セコムが入ってるんだね個人の家にセコムが入ってるんだよってわたしは澪ちゃんに言ったけど、よく見るとそれはセコムではなくてなにか別の警備会社のものだった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:09:39.89 ID:skFt6CMPo<>
玄関あがったらすぐ、執事みたいな人が出てくるのかとてっきりわたしは思っていたけど、ここでもやっぱり予想は外れて、応接間に通してくれたのはムギちゃんのお母さんだった。
空豆みたいな形のつるつるした机に、黒っぽい革張りのソファーが向かい合ってひとつずつ。座ると腰が思ったより沈んだので澪ちゃんのほうを向いてえへへと笑った。澪ちゃんもしょうがないなあって感じで口元をちょっとゆるめて見せた。
机の上にはオレンジジュースと真っ赤なイチゴのショートケーキがふたつずつ並んでいる。わたしはまた澪ちゃんに目配せせずにはいられない。
これって漫画みたいだよねって。

「こちら、どうぞ食べてくださいね」

ムギちゃんのお母さんはムギちゃんにそんなに似てない。けど、そう思うのはムギちゃんのお母さんが外国人だからなんだろう。おそらく。
白い肌に、青い目。ムギちゃんとおんなじ色の金髪。
まだ30代前半のようにも見える。
いったいどこの国の人なんだろうか。

「いつもお話は伺っています。紬がとってもお世話になってるみたいで」

と、ムギちゃんのお母さんは流暢な日本語で言った。
澪ちゃんはなぜかとっても緊張して、いえいえお世話になってるのはむしろこっちのほうで紬さんはほんとにいい子でして手もかからないし成績も優秀ですよなどと言うので、いったいいつからこの子はムギちゃんの先生になったんだろうとわたしは考えている。

「……だよね、唯」

ぼーっとしてたら、急に澪ちゃんが同意を求めてきたからわたしは言う。

「うん、ムギちゃんがいるおかげで部活中もお茶できるしね」

「ばかっ」

澪ちゃんはわたしをこづいた。
それを見てムギちゃんのお母さんは笑った。
笑うと、目の周りや口元にはっきりとした皺が寄る。それでムギちゃんのお母さんもやっぱり、お母さんであるなりの年をとってるのだということがわかる。
元の表情に戻ったあとで、まったくおんなじ場所に皺が薄く残っているのが見えて、だからそれは何度も笑うことで刻まれた皺みたいだってわたしは思う。
この女の人がものすごく怖いだなんて話、本当なんだろうか。
あ、ってことは,ムギちゃんも切れるとちょーこわいのかも。ありうる。絶対に怒らせないようにしないと。
紬を呼んできますねと言って、ムギちゃんのお母さんは部屋をあとにした。

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:10:23.94 ID:skFt6CMPo<>
「やっぱこうじゃないと」

ケーキの側面のフィルムをぺりぺりはがしながらわたしが言うと、

「立派だよね」

と抽象的なことを澪ちゃんは言った。
フィルムに付いた生クリームをフォークですくおうとしたら澪ちゃんがあわてて、意地汚いことはやめろよなとわたしをぶった。
笑い声がした。
ムギちゃんが立っていた。
ムギちゃん家で見るムギちゃんはいつものムギちゃんよりなんだかよくわからないけどかわいらしく見えた。ゆるくカールした長い金髪を首の後ろのところでひとまとめにして、服はだぼっとした白いワンピース。
足は裸足で、化粧もなし。
指を背中でくんでいる。
扉にもたれかかって、曲げた片足を気まずそうにぶらぶら揺らしてた。
わたしたちのほうを見ては、ちょっとにっこりする。
ばったり出会った男の子の服を借りて下町を楽しむお姫様って感じでも、もちろんドレスをまとって民衆の前に立つ王女様って感じでもなかった。
強いて言うならアメリカっぽい。っていうのはムギちゃんがアメリカに行くからそう思うだけだけど。
どのみちムギちゃんの家はシンデレラ城じゃないのだ。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:11:01.55 ID:skFt6CMPo<>
「ひさしぶり」

「うん」

「ふつうの家だったでしょ?」

まあね、とわたし。
いやいや、と澪ちゃん。

「わたしの部屋上だから、あがって」

螺旋階段をのぼる、長い廊下を歩いて、自動ドアじゃないけどってムギちゃんが言った。

「わームギちゃんの部屋!」

目の前のベッドにわたしは飛び込んだ。ぐぐって沈んで、潜水。
ふかふかしてた。
ぎぃってスプリングが悲鳴を上げる。
ムギちゃんが笑った。

「わたしの部屋なにもなにもないんだけどね」

たしかにそうだった。
部屋は不思議なくらい殺風景で、その理由が段ボールになって隅っこのほうに積んである。

「ムギの部屋っていいにおいがするな」

「そう?」

「うん」

「お菓子のにおいがするよね」

「それはイメージじゃないかしら?」

「お菓子の? ムギちゃんはお菓子のイメージなの?」

「ちがった?」

「わかんない……」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:11:44.14 ID:skFt6CMPo<>
澪ちゃんはいつの間にか見つけた漫画雑誌を読んでいた。女の子同士が恋したり恋をされたりするやつ。
ムギちゃんがたまに部室に持ってきて読んでるからわたしも読んだことある。

「ああいうのってどこで売ってるの?」

「わたしはインターネットで買ってるから」

「ふうん……」

「あ、でも昔はね、年下の女の子が買いにいってくれたのよね。あれ、どこで買ってたんだろう?」

「それってパシリ? ムギちゃんって悪者だ」

「ふふふ、そうかも」

「ねえ、ムギちゃんってさあ、女の子が好きなわけ?」

「どうなのかしら。そういうことってあんまり真剣に考えてこなかったな。わたし中高女子校だったし」

「もう大学生なんだから考えなきゃだよ!」

「じゃあ、どっちも好き! 男の人も女の人も」

「それってずるくない?」

「ずるいかしら?」

「ほんとはずるくはないけど、いまはずるい」

「わかんないなあ。経験があんまりないから……」

「経験積まないとやばいよ。アメリカなのにさ!」

澪ちゃんが急に口を挟んできた。

「アメリカは関係なくないか」

「あるよー。アメリカでは恋愛がすっごい盛んなんだよ。映画とかでもいつも恋愛があるもん」

「日本だってそうだよ。漫画とか」

「漫画はフィクションじゃん」

「ばか」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:12:27.90 ID:skFt6CMPo<>
澪ちゃんはまた漫画を読みだしている。

「服見てもいい?」

「うん。もうつめちゃったのもあるけど」

衣装棚を開けるとたしかにところどころすきまが空いてたけど、それでも冬物のコートなんかがずらりと並べてある。数の点では全然わたしなんかじゃ勝負にならない。おそらく値段も。なかにはドレスみたいな服もあった。
高校の制服が4つも並んでてわたしは驚く。そういえば前にムギちゃんは制服の替えをたくさん持ってるって言ってた気がする。最初2着で、あと年度ごとに1着新しいのを買ってるって。1着しか持ってない人だって多いのに。

「ねえムギちゃん、制服はあっちに持ってかないの?」

「ああ、そこにあるのはまだ着るかなって思って……でも持って行かないかな。じゃまになっちゃうし」

「そっかー……あ、そうだ!これちょうだい、制服があるとムギちゃんのこと思い出せるからね、記念に」

「うんっ。どうせもう誰も着ないし、全部持ってちゃってもいいわ」

「ほんとに? やったーじゃあ4着みんなもらうね! ねえねえ4着セットだよ澪ちゃん、大もうけだよ澪ちゃん」

「ばかっ」

澪ちゃんが言って、げんこつ。
ひりひりする。

「……ムギちゃんハウスが建てられるとこだったのにぃ」

わたしはまた叩かれた。

「人の制服を売ろうとするんじゃない」

「えへへ……」

わたしたちがなんで笑ってるのかわからなくてムギちゃんはちょっとさみしそうな顔をしていた。
これからまたちょっとした用事(あいさつに行くんだって。あいさつ?)があるらしいのでわたしたちはおいとますることにした。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:13:37.25 ID:skFt6CMPo<>
家を出ると3時半くらいだった。
電車に乗っている間、澪ちゃんはもしもいまこの瞬間にゾンビがでたらどうすべきかってことについてなにやら検討してたけど、ふと、せっかくだから隣町へ行こうって提案してきた。春に着る服が欲しいのだと言った。わたしがやることがあるから帰るとこたえると、ふうんとつぶやいたきりそのことについては何も言わず、列車が脱線したとき安全なのは後部車両でいいのかなあとか、みんなで協力して荷物を並べてバリケードを作るんだとか、そんなハンドバックなんかは邪魔になるだけだからすぐに捨ててしまうんだぞといったことを再び延々と述べるのだった。
わたしは同世代の子に比べてもブランド品とかにはほとんど興味がないけど、このバッグはわざわざ都心まで行って買った限定品だった。
電車は桜が丘まで流れていく。
危機もなく。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:14:13.67 ID:skFt6CMPo<>
11

教会の中は思っていたのとだいぶ違ったから少し残念な気持ちがした。
外側はまさしく映画で出てくるような、とがった屋根のついている格好をしていたのに、一度エントランスをくぐった後に現れたのは単なる事務的空間だった。
空間は白っぽく、無機質で、蛍光灯の光が冷たい。ワックスのかかったリノリウムの床に反射して水面のように見えた。左手側奥まったところに階段が見えて、入り口に水平に引かれた鎖の下では『関係者以外立入禁止』のプラスチック板がぶらぶら揺れている。右手にはカウンターというか受付のようなところがあって台の上には何種類かのパンフレットが整頓されて並べてあるけど人はいない。
『《聖・天使教会》なぜ天使は再び舞い降りたか』『てんしがみんなのおねがいごとをかなえてくれる!』なんていうなことがパンフレットには書いてあり、そのひとつを適当にとってポケットに入れる。
なんだか病院みたいだった。
正面の廊下の先にある大扉まで歩いていく。誰かになにか注意でもされるかと思ったけど何も言われなかったし、ここまで来て帰るのもそれはそれでとかなんとか自分に言い訳して、扉を少し開けてみる。
そしてそこには、教会があった。
昔ながらの、懐かしい、映画的教会。
最初に目に入るのは、十字架に張り付けにされたキリスト像で、そのすぐ真下には祭壇があり、そこからこちらに向かって赤いカーペットがまっすぐのびていて、左右に長椅子が列を作って並んでいる。黒ずんだ木の椅子で、横長のクッションが上に敷いてあった。この時刻、人はまばらで、祈りを捧げる人がいたかと思えば、単に休息していたり、本(聖書だろうか?)を読むとか、ある人は居眠りなんかしていて、そのすべてをステンドグラスから横ばいに射し込む光がまるで祝福するかのように染めている。
厳めしい教会風の建物に入ったらそこは現代的な受付だったというのもなんだか肩透かしな感じがするけど、あの殺風景な事務空間から急にちゃんとした教会へとつながるのはそれ以上に変な感じがする。衣装ダンスの向こうはおとぎ話の国でした、とか。あるいは、マーガレットを開いたら、いきなり数Uの問題たちが現れて、そのあとにまた「君に届け」がはじまるみたいな。
だけどこういうのって行きはまあいいけど、帰りはやっぱり冷めちゃうんじゃないのか
な。せっかくの神様との面会も帰りに処方箋持って薬局に寄るんじゃだいなしだ。それともそうでもないのかもしれないな。もしかしたらディズニーランド帰りの電車あたりにヒントは転がっているのかも。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:14:41.61 ID:skFt6CMPo<>
わたしは最後列の左側、通路沿いのところに腰を下ろした。
同じ席の少し離れたところに座っているおばあちゃんにわたしは声をかけた。

「あのー、あの、りっちゃん、あ、高校生って知らないですか、女の子の。こういう黄色いカチューシャつけてるんですけど、こー、いう」

「いやあ、知らないねえ。高校生なのかい?」

「はい!」

「高校生なのにこんなところに来るなんて大変だねえ」

そうなんですりっちゃんはとっても大変なんですよという言葉は飲み込んだ。
でもおばあちゃんはりっちゃんのことをいろいろ詳しく聞いてくれ、なんとか思いだそうと懸命につとめてくれた。こうやってお祈りをしているような人は心が豊かなのである。やっぱり神様っていうのは力があるんだ。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:15:14.14 ID:skFt6CMPo<>
それでもうりっちゃんのことは諦めて、おとなしく黙ってることに決めてじっとしていると、なにか囁き声のようなものが聞こえてくる。耳を澄ますと、それは音楽だった。ピアノとボーカルだけの曲で、ピアノの音は柔らかくゆっくりと流れ、それでいてどこか厳かでもあり、なにやらの英語のようなそうじゃない知らない言葉、こういうのはなんだかいかにも映画で見たみたいな感じでちょっとわくわくしてしまう。するとやがて祭壇のところに、白っぽい服を着た男の人が現れるから、これはもういよいよだと嬉しくなる。

「みなさん、こんにちは」

こんにちは、とみんなが声を合わせて言葉を返す。

「本日はようこそおいでくださいました。さっそくですが、実は今日、新しく我々の仲間に加わる方がいます。彼女もまたわたしたちと同じ苦しみに遭われ、そして神の恵みによって救われようとする者の一人です。どうか我が主のように、慈悲の心を以てして彼女の手をとり、仲間に迎えてあげようではありませんか」

一瞬、それがわたしのことなんじゃないかと思ってびっくりしたけど、前の方で30代ぐらいの女の人が立ち上がるからそうじゃないんだって安心する。女の人は壇上にあがって話しはじめた。

「えーみなさん、こんにちは。わたしは今、39歳で、離婚歴があり、ひとりの娘がいます。娘は高校生です。夫とは別居していて、今は実家の方で母のお世話になっています。夫は結婚した当初はとてもよい人でしたが、だんだんとすれ違いが生まれていき、しかしそれはふつうの夫婦生活ならば十分考えられる程度のすれ違いでもありました。決定的なのは子供が生まれたことです。そこからだったんです、そのときから彼は急に素っ気なくなり、家に帰らないことも増えました。生まれたばかりの子供がそこにいるにも関わらずです。彼は子供が好きではなかったんです。わたしは娘のことをとても愛していますが、彼女は望まれて生まれた子供ではありませんでした。生まれた子供が女の子だったことも夫を失望させたのだと思います。彼はどちらかと言えば男の子を欲しがっていましたから。時が経っても夫の態度は変わらないどころかますます冷たく、家に帰ってくる頻度も減り、やがて自然な成り行きでわたしたちは別居することになって、最終的には離婚するに至りました。アルコール依存になりはじめたのは、ちょうどその離婚した頃のことでした。最初は段々と心離れていく夫への寂しさから酒に手を出すようになり、ひとりで子を育てる気苦労がそれに拍車をかけました。それでもそのときのわたしはせめて自分の身の回りのことはきちんとし、娘も学校へ行かせ、よい母親であったかはわかりませんが、少なくとよい母親であろうとしていました。このアルコールという悪魔の手に本当に捕まったのは娘が中学を卒業し、そこにちょうど離婚も重なった――もちろんそのときにはすでにそれは形式上のものにすぎませんでしたが――そのあたりでした。娘も大きくなり自分のことは自分でできるようになり、また反抗期らしきものを迎え、今までふたりでがんばってきたのが、なんだかひとりになったようで、なにか張りつめていた糸のようなものがぷつりと切れてしまったな心持ちがし、わたしはお酒に溺れるようになりました。もちろんわたしが他の誰かよりもそれほど悲惨な目にあったとは思っていません。だからこれはひとえにわたしの心の弱さが引き起こした問題です。今こうして喋っている間にもアルコールへの要求は収まらず、ふとすると手がふるえてしまっているのではないかと不安になります。幸いなことに、母の力添えもあって、娘は今のところ元気な子に育っています。わたしは娘のためにもはやくこの依存に打ち勝ちたいと心から願っています。聞いてくださいありがとうございました」

女の人が頭を下げると、ぱちぱちぱちぱちぱち拍手の音がして、ありがとうありがとうとみんなが声をかけている。
そうだったのだ、これはお酒を常習的に飲み過ぎて依存症になってしまった人たちが集まりなにやら順番に自分のことを告白しつつ神さまの力を借りてアルコールを断とうとする会合なのだった。わたしは知っている。映画にはよく出てくるやつなのだ。
りっちゃんのお母さんはアル中だったんだ!
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:15:51.87 ID:skFt6CMPo<>

いつの間にか女の人の告白は終わっており、別の人が壇上に立っていた。このままだとわたしも高校生にてアルコール中毒にされてしまうというか、法的な問題が持ち上がってきてあんまり気持ちのいいことにはなりそうにもない。
隙を見て席を立ち扉を開けて逃げ出して、再び病院的空間の方に戻ると、受付のところには女の人が座っている。大学生風の感じで、退屈そうな表情をしていて、スマートフォンをなにやらいじっていた。

「あの、りっちゃんのお母さんが、アル中で、あ……」

「なに?」

「あ、いや……あのー、ここって《聖・天使教会》あってます?」

女の人は顔を上げわたしのほうを一瞥し、それからカウンターの上のクリアファイルに綴じられた用紙をじっと見つめて言った。

「んー、今は、アルコール依存症患者のための……あー……キリスト……相互補助会……みたいだけど」

「あのっ、わたし、《聖・天使教会》に来たつもりだったんですけど、ここじゃないんですか?」

「《聖・天使教会》は火曜日と水曜日と日曜日だったと思うけど。あれ、土曜日もやってるときあったっけなあ」

それから先ほどの用紙に再び目を通して、

「あ、違った火曜じゃなくて、月曜だ。月水日ときどき土曜日」

「へ、どういうことです?」

「あれ、もしかして、はじめての人かな? 向こうから出てくるからてっきり……」

「はい、そうなんです」

「あのね、この教会はあれなんだよね、貸してるらしんだよね。あーだから、いろんな団体とか宗派とかが借りて時間とか曜日とか分けて使ってるって事だけど、つまり、もう今時は土地なんかもあんまりないっていうし。お金もかかるもんね」

「はあ」

「ちなみに、今、どっかに体験入教とかしてみようとか思ってるわけ? わたしの個人的お勧めはさ《天使光来会》かな、神父さんがみんなかっこいいんだよね。《西日本東キリスト教団》も見たとこレベル高くていい感じだよ。《天使を許さない会》なんかもBBQとかして楽しいって友だちが言ってたな……」

「あ、あのー、あ、大丈夫です。友達を探しに来ただけなので」

「あれ、そうなんだ」

「でもよかった、りっちゃんのお母さんはアル中じゃなかったんですね」

「なに?」

「あ、いや、ありがとうございます」

「がんばってね」

ありがとうございますと反射的に頭を下げたあとで、はたして何をがんばればいいんだろうかと考えてみたものの、結局はまあいいやと思うことにした。

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:16:25.36 ID:skFt6CMPo<>
12

帰り道、りっちゃんを見つけた。
河川敷、堤防の川につづくコンクリートの階段の上。下から3段目。
白い傘が揺れてた。
傘の上では、2つの点と1つの曲線が幾何的な笑顔を浮かべている。バリケードをつくるため部室をひっかき回してたときたまたま見つけた極太の油性ペンを使って、ムギちゃんとわたしでいたずら描きをしたのだった。
意外なことにあずにゃんもいた。
今日のあずにゃんは調子悪。下半身は液体だった。両足から腰にかけては芯が入ってないみたいにぐでんとして、広域接地。上半身はまあまあ。ほ乳類的基準値を満たす。一番の問題は首で、頭蓋は自由運動を勝ち得た喜びにあっちへこっちへ跳ね回る。けん玉の真っ赤な玉みたいな感じ。天使の皮は丈夫なのだ。
あずにゃんは、りっちゃんよりさらに川岸にいて、せせらぎに引かれうろうろしてるのかと思えば、急に立ち止まって泥を掘りはじめたり、天使の言葉を呟いてみたり。すこしでも水面に触れると驚いてそこから離れようとする。ちょっと猫みたい。
なんたってあずにゃんは天使である以前に猫だったんだもん。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:16:54.38 ID:skFt6CMPo<>
「ねー、りっちゃんっ! あずにゃんのこといじめてたのー?」

わたしは階段を小走りに下りて、りっちゃんの隣でひざを曲げた。
りっちゃんは肩をすくめた。

「まさか」

「だけど、骨とか折れてるし、首も……わわ、あずにゃーんだめだよー、そんな急に動いたら首が落っこちゃうよー」

それから、川岸のほうに寄っていって口笛を吹くと、あずにゃんがのろのろとこっちに歩いてきた。
わたしはあずにゃんの手を引いて、あたかも流した鈍液がとどまりきれずこぼれだしたかのように階段の終わり、いびつに広がったコンクリートに、腰を下ろした。
あずにゃんの頭を優しくなで、りっちゃんを見上げて

「あずにゃん、大丈夫? ね、りっちゃんはひどいよねー」

と、言った。
りっちゃんはなにか言い返そうとしたけど結局はめんどくさくなったみたいに言った。

「ああ、そうだそうだ。結局はみんなわたしが悪いんだよ、天使が降りはじめたのも、ムギが海外に行っちゃうのもさ、父さんが死んだのも、梓が天使になったのも、みんなみんなわたしのせいだよ」

「ていうかさー、りっちゃんがあずにゃんとふたりでいるのなんか意外」

「梓に会ってるのがおまえだけだと思ってたか?」

「そんなことないって、あずにゃんはみんなのものだもんね。つまり神さま、っていうか天使はわけへだてなく人々を愛してくれるって意味だけど……」

わたしが猫にするみたいにあずにゃんの頭をなでているのを見て、りっちゃんは微笑み、

「唯って梓を扱うのがうまいんだな」

階段飛んで、わたしの横に座った。

「ずっと前からか」

夕暮れどき。
りっちゃんの影がわたしの隣までのびていた。小さな夜の中、あずにゃんは、よりかかってわたしの膝の上に頭を乗っけている。
川は光を失い、陰影が跳ねた。電波塔。対岸の木立はいつ誰が迷い込んでいいように悪巧みの計画を練りはじめる。
ちゃぽん。
水しぶき。
2月の終わりの冷たい風。
太陽が遠い。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:17:25.69 ID:skFt6CMPo<>
「あ、そういえばね、制服」

「制服?」

「ムギちゃんが制服くれるって言ってたよ」

「ああ、制服か」

「こんなのでいいならいくらでもあげるから、生活のたしにしてねって」

「清貧だ」

「貧じゃないけどね」

「『富んでいる者が天国にはいるのは難しい』」

「りっちゃんさ」

「なに?」

「免許取れた?」

「仮免な、わたしけっこううまいんだぜ」

「へー」

「でも、教官がさ厳しいのよ。俺はちゃらちゃらした女子高生が大嫌いだと最初に言うわけ、きっとあれ昔生徒に手を出して痛い目見たんだな」

「あはは」

「だけどすぐ取れるよ」

「たまには学校来たら?」

「ムギはきてないんだろ」

「まあね」

「唯とか澪とかはまだ会えるしさあ。それよりはやく免許とればさ、唯がまだここにいるうちに三人でどっかいけるかもしれないじゃん」

「あぁ、そっか」

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:18:19.07 ID:skFt6CMPo<>
「唯はさどっか行きたいとことかあんの?」

「えっとねー……」

空を見上げると、切れ目ない大きな雲が東から広がっていき、ゆっくりと夕焼けを制圧しようとしている。白。天使の国はどんな色にも染まったりしないのだ。
わたしは呟いている。

「……天国、とか」

「ばーか、そんなとこ車なんかなくたって簡単にいけるだろ」

りっちゃんがわたしをこづいた。

「じゃあ海がいいな、海!」

「海か」

「まえに澪ちゃんがひとりで冬の海行ったでしょー。あのときからいいなあって思ってたんだよね、みんなで行きたいって」

そう、ほんとはさ、みんなで、5人で行くつもりだったんぜってりっちゃんが小さな声で呟いた。
だけどそれを打ち消すみたいにすぐ、

「なあ、梓も行くか?」

って聞いた。
あずにゃんは顔を上げてりっちゃんのほうを向いたけど何も言わない。わたしの膝の上にどんどん進出していまやお腹が乗っかっていた。寝ころんだお父さんの垂直にのばした足の上で子供が、ひこーき!ってやるみたいな感じ。

「ってむりだよなー」

「トランクにさ、ガムテープでぐるぐる巻きにして、つめてけば?」

「それ誘拐」

ちがうよねーってわたしはあずにゃんの耳元で言う。あずにゃんはばた足してた。

「変なやつ」

「だれが?」

「ふたりとも」

「えー」

「梓は、唯のせいだな」

「なにがさ?」

「梓が天使になっちまったの。梓は唯に一番なついてたんだから、梓がひとりになって寂しいのは唯のせいだ」

「えー、それならりっちゃんもじゃんー、責任転嫁だー」

「責任なんかわたしにはないんだって」

なんたって唯のせいだからな、とりっちゃんはくすくす笑いながら繰り返す。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:19:21.71 ID:skFt6CMPo<>
「てかさありっちゃん免許とる前提だけどとれるのほんとに?」

「うまいっていっただろ。神童だよ神童。教習所始まって以来の大天才」

「へー」

「それにドラマーだからな。ペダルを踏みながら手を動かすのは得意なんだ」

「走りすぎ、信号無視で横から、どかん」

ちぇって舌打ち。
りっちゃんは石を投げた。平行に水面を切って三回跳ねた。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:19:49.77 ID:skFt6CMPo<>
「りっちゃんの運転じゃほんとうに天国にしかいけないかもなあ」

「なんだとーこいつーいま殺してやるー」

りっちゃんが後ろからわたしの首をロックして締める。

「いたいたいいたいごめんごめん」

ばたばたと暴れ回るわたしの上からあずにゃんはことんって落ちて、コンクリートを土の上まで3回転がった。気に入ったのか知らないけど、そこで仰向けに横たわって動かなくなってしまう。
そんなあずにゃんのことをりっちゃんはおもしろそうに眺めている。

「澪ちゃんが言ってたんだけどさあ、りっちゃんって天使のこと好きになったの? あずにゃんのことも」

少しはにかんでりっちゃんはいった。

「許すことにしたんだよ」

「許す?」

「うん。あのさ、天使がセックスしてるとこ見たことある?」

「は?……え、それって、あのえっちなやつ?」

「うん」

「あるわけないじゃん!」

「わたしはあるよ。いつもの集会の帰りだよ、たしか日曜日だっけ。よく晴れた日だったんだけどさ、空気が妙に澄んでて、その日は集まったみんなが、なんつーのかな、自分が体験した奇跡、みたいなのを話す日で、わたし、ものすごくうんざりしててさあ」

それからちょっと笑って、

「あんまりうんざりしたもんだからあと少しでわたしの奇跡は降ってきた天使にぶつかって父親が死んだことですって言いそうになったくらいだよ」

わたしはそれには答えずに言う。

「奇跡ってさ、たとえばどんな奇跡なの?」

「くだらないことだよ。そうだなあ……たとえば、なくなったマヨネーズを逆さにしてしばらく置いておいたら七日後には復活してみたいな類のさ」

「あはは、それはたしかにくだらないね」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:21:03.07 ID:skFt6CMPo<>
「で、その帰りだよ、天使を見たのは」

「してるとこ?」

「うん。ほら、あの、エロビデオ屋あるだろ、駅のとこのさ」

「そこってエロビデオ屋じゃないよ」

「みんな男の子とか、そこで借りてるよ。年齢確認とかないから」

「でも、ふつうの映画もあるもん。しかも50円で借りれるし、ビデオテープだけど……」

「唯って意外と進んでんだな」

「ばか、勝手にそう思ってればいいじゃん」

「ま、とにかくそこの裏手でさ、近道なんだけど、通って帰ったら見たんだよな、天使がこう、ふたりで絡み合っちゃってさあ……」

「それってさ、りっちゃんの勘違いじゃないの? たまたまそういう格好になってたのかも、ちょうど上から落ちてきたとか」

「それはないよ」

「なんでわかるのさ、じっくり見てたんだ?」

「なわけないって」

それからりっちゃんは顔を上げて、天国をじっと見てから言った。

「唯はさ、いつも天使の肩を持つよな」

「そんなことはないよ」

「じゃあなんで天使がセックスしないなんて思うんだよ」

「だって天使はそんなことしないよ、できないと思うし。なんたって天使だし……」

「唯は天使贔屓だ」

「そんなことない」

「梓が天使になったから?」

「あずにゃんは関係ないじゃん」

そのあずにゃんは相変わらず土の上でごろごろと転がっている。

「そんなこと言えばりっちゃんは天使が嫌いだからそう言うんだし」

「そう、わたしは天使が嫌いなんだよ」

「で、それ見て、どうしたの?」

「どうもしないけど、たださ」

「ただ?」

「……わかんないな、なんかそれ見たら笑っちゃって。なんだろうな……要するに天使なんかさ、全然大したことないんだよな。ほんとさ気にするのもばかばかしいくらいでさあ」

「どういうこと?」

「つまりさ、わたしたち、もう、大人になるんだぜ」

「なにそれ、イミワカンナイ」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:21:32.49 ID:skFt6CMPo<>
りっちゃんは立ち上がってそう言ったのだが、恥ずかしくなったのか、すぐに座り込んでしまう。

「どーせまたお得意のそれっぽいこと言おうとするやつでしょ」

「なんか唯が冷たい」

「知らないし」

それからはわたしたち黙ってしまう。
りっちゃんは流れる川をにらんでいた。わたしはあずにゃんを眺めている。
少しあとで、わたしは言った。

「なれるの?」

「なに?」

「大人にさあ……」

「なれるよ」

「ほんとになれる?」

「なれない」

「イミワカンナイ」

あははとりっちゃんは笑って、でも許すよって言った。

「天使のことは。もういいんだ、ほんとに」

「そっか」

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:22:03.63 ID:skFt6CMPo<>
そのときあずにゃんがりっちゃんのところまでやってきた。
匍匐前進で、ゆっくり。
そして、手のひらをぱっと開いたのだ。
そこには、この河原で拾ったのだろうか、様々な石があった。
とってもきれいな石たち。
わたしはそこにピックがないことになぜだか少し安心していて、でも思った、これはきっとあずにゃんとりっちゃんの和解なんだ、って。
そういうのってたぶん人間的なんだけど、それでいいと思えたのだ。
りっちゃんが言った。

「だからわたしな」

「うん」

「梓に石をぶつけることにした」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:22:32.15 ID:skFt6CMPo<>
ちょうどいいところに石が突如出現したのだという具合にりっちゃんはあずにゃんの手のひらから石ころを取り上げた。

「ゆ、許しはどこいったのさ?」

「許すけどただでは許せないだろ」

「あずにゃんがかわいそうだよ!」

「だって痛みを感じないんだろ」

「い、痛みを感じてはいるけどそれを表現する方法がないのかも」

言ってからこれは頭のよさそうな意見だぞって思った。

「痛んでも痛まなくても一緒ならなんのために痛むんだ?」

「えーと、うーん……精神を強くする? えと、天使、天使だから、神様になるための修行だよ!」

「だったら聖書で神様だってこう述べてるんだぜ」

りっちゃんは立ち上がって言った。

「『あなたがたのうちで罪のないものが、まず彼女に石を投げなさい』」

りっちゃんに罪はないのかっ、とわたしが言うと、りっちゃんは笑って

「ないよ」

って言った。あまりにも自信ありげに笑うのでわたしはそれ以上何も言えなくなってしまうのだ。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:23:03.81 ID:skFt6CMPo<>
河原にあずにゃんが立っていた。
それと対峙するみたいに10メートルくらい離れて、りっちゃんがいる。
西の空の低いところに、雲の切れ目にあわせて、微妙に色を変えながら紫色の横縞が何本も走っている。ミックスのソフトクリーム、紫いも味、期間限定、落として溶けた、みたいな。
りっちゃんはあずにゃんに小石を投げた。
小石はあずにゃんの右のほっぺたにぶつかった。
ばしっ、という音がした。
わっ痛そうってわたしは目をつぶっちゃったくらいだけど、あずにゃんはあんまり気にしてないふうに見えた。ぶつかったせいで首が左の後ろ側に倒れ、沈む夕日を下から眺めてるみたいになった。
あずにゃんは(協会の人は奇跡って言うかもしれない、りっちゃんならあずにゃんの罪の意識がそうさせたって言うのかも)まだそこにいて、少しも動かないまま立ち止まっていた。
なんか言わなきゃってわたしは思ったけどどうやって言っていいかわからなかったから、しかたなく言った。

「ねえ、りっちゃんのとこってキリスト教なんだよね?」

「聖書を読むんだからそうなんだろうな」

りっちゃんはもう次の石ーー今度は黒光りするとがった薄いやつーーをつかんで、まるで歴戦の英雄が自分の剣をながめてうっとりするって感じで、裏返したりして光の反射を楽しんでいる。

「りっちゃん!」

「なに?」

「えと、えーとねえ……き、キリスト教徒っていうのは楽しい?」

りっちゃんはちょっと吹き出しそうになって、それから表情を崩して、

「別に楽しくはないって。でもけっこうばかな話とかもあるよ」

わたしはチャンスだって思って話を続けた。

「いま聞かせてよ」

「だめ。もうはじめちゃったんだから」

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:23:56.85 ID:skFt6CMPo<>
それからはもうりっちゃんはなにをいっても返事をしてくれなくなってしまった。
一投一投、時間をかけて淡々と石を投げ続けている。
あずにゃんのほうもなぜだかそこから動かないのだ。
わたしはもうこの愚かな儀式をくいとめるのを諦めてしまった。
ふたりに背を向けて、対岸を眺めていた。
石をぶつけたいならぶつければいいし、ぶつけられたいならぶつけられればいいのだ。悪いことすればいずれ天罰は下るんだし。
ばしっ、ぽこん、ばしっ、ぽこん、ばしっ、ぽこん。
柔らかいあずにゃんの肌に小石がぶつかり、土の上で跳ねる音。
我慢できずにときどき振り返ると、やはりりっちゃんはまだ石を投げ続けている。深い夕暮れの色に染まりながら、石を投げては拾い、投げ、拾い、投げるのだ。
あずにゃんは無表情で、りっちゃんはなんだか怒っているみたいに見えた。でもいつも天使のことになると見せるむすっとする怒り方じゃなくて、それはお父さんとお母さんが喧嘩するときの怒り方ともちがっていて、なんていうかうまく言えないけど野球のピッチャー(投げるの連想だ)がホームランを打たれて帽子を深くかぶる、みたいな感じ。
りっちゃんは、一度だけ短い言葉をつぶやいた。
単音節の言葉を二つ。
なにかを言ったのはそれだけだった。
いつの間にかわたしも、聞こえてくる音にあわせて、黒々と染まった川に向かって小石を投げている。
ばしっ、ぽこん、ぱちゃん、ばしっ、ぽこん、ぱちゃん、ばしっ、ぽこん、ぱちゃん……。

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:24:43.41 ID:skFt6CMPo<>
いつしか水の跳ねる音だけしか聞こえなくなったとき、振り向くともう西の空も真っ暗になっていた。ただ天国だけが妙に白っぽく浮かんでいるのだ。
二人の罪深い少女の影がぼんやりと遠くに見える気がした。
りっちゃんはあずにゃんのほうに歩いていって、両方の肩をぐっとつかんで、言う。

「許すよ」

あずにゃんはもちろん何も言わない。

「どっちかと言えば許すのはあずにゃんだと思うけど」

わたしは言って、すぐに言い過ぎたかなって思って、そりゃりっちゃんの気持ちも分かるけどさあ……ってつけたす。

「だって梓が何を許したりするんだ?」

「そりゃあ、もちろん、天使になっちゃったこととか……」

「唯は天使贔屓だから、そういうこと思うんだ」

「だから別に天使贔屓とか、じゃない、もん……」

りっちゃんは続けて、笑って冗談っぽく、

「それに梓が天使になったのは唯のせいだしな」

「なんでなのさ?」

「それは少しでも信心があれば自明だ」

りっちゃんだって信心なんてないくせに。
わたしが言うと、じゃあ知性だな唯には知性がないんだとかなんとか。

「あーあ唯のせいでこんな姿になって梓も大変だな」

「……そぉ#で∝♪ね」

そうですね?
あれ、あずにゃんさっき人間の言葉喋ったような。
だけどりっちゃんは、気にするふうもなくあずにゃんの手を引いて、先に歩いていってしまう。あずにゃんも自然な感じで引かれていって、ちょっとまんざらでもないみたい。前世もその前の前世だって、わたしたちベストフレンドでしたよねって感じ。
わたしはあずにゃんのことかばってやったというのに、毎日あずにゃんに会いに行ってあげたっていうのに。なんで石なんかぶつけるりっちゃんとは喋って、わたしとは喋んないのさ?
あずにゃんってやなやつ。わたしも石とかちょーいっぱいぶつけてやればよかった。
つぶやいてから、りっちゃんたちを小走りに追いかける。

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:25:16.62 ID:skFt6CMPo<>
13

ムギちゃんのお別れ会は午後から開かれた。
りっちゃんと澪ちゃんは先に行って折り紙の花綱とかきらきらのモールとか百均で買った5色の丸いクッションを並べたりして空っぽの部室に飾り付けをしている。わたしは朝からあずにゃんを探して公園でひとりギターを弾いたりしてたけど、なかなか見つからなくてほとんど諦めかけたとき、陸橋下で恐れを知らないレクサスにひかれそうなあずにゃんの腕をすんでのところで引っぱった。
部室に行くともうムギちゃんがいた。
輪っか飾りの山の中に埋もれていた。

「わたしね、輪っか飾りをつくるのが夢だったみたい」

ムギちゃんは言ってから、あずにゃんを見つけてちょっと笑う。
輪っか飾りはいまや部室の壁を半周できるくらい長い。

「ムギのやつさずっとこればっかつくってるんだぜ。手伝わずに」

「だってわたし送り出してもらうほうだもん」

「むだに長くしやがってー、飾れねーじゃん!」

りっちゃんが輪っか飾りを丸くまとめて投げた。ムギちゃんはカラフルな折り紙の海に沈んだ。銀紙が輝く。
ムギちゃんがちょっと暴れる感じをやるので、すぐそばの紫色の炭酸ジュース入りの紙コップを澪ちゃんは遠ざけた。
近くには紙コップと紙皿の白塔、プラスチックフォーク。ファンタのグレープ(半分減ってる)とペプシ・コーラの1・5リットルペットボトル、バリヤース(残り3分の2)、午後の紅茶のミルクティー。
でもティーポットはなし。お菓子はあり。
ずっと余りっぱなしのミルククッキー缶、ポテトチップス(コンソメ)、各個包装の四角いチョコレート、澪ちゃんお気に入りのパンクッキー。白いビニールの袋にはりっちゃんの買ってきた駄菓子が、シガレット、練り飴,チューイングガム、あめ玉。
そしてなんといってもその中央でどうどうとピンク色に輝く大きな苺のホールケーキ。残念ながらこれはムギちゃんの持参だったけど。
天井にあいた穴の上にはブルーシートが。ばさばさばさって青空のはためく音がする。
わたしたちは円をつくって座っていた。
[のりしろ]澪ちゃん、りっちゃん、わたし、ムギちゃん、澪ちゃん[のりしろ]みたいな感じ。ムギちゃんの輪っか飾りにいくつか混じってるメビウスの帯。
あずにゃんはわたしのひざの上でいまはおとなしい。文字通り身体を半分に折り畳んで、ぺたん。

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:25:46.86 ID:skFt6CMPo<>
りっちゃんが言う。

「乾杯のまえにムギから、一言どうぞ」

「えー……」

「ほら、なんでもいいから」

「えーと……えっとねぇ……じゃあ」

あずにゃんが言った。

「#▽√∀∀」

「ま、そういうことで……」

乾杯した。
舌の上がちょっぴり痛かった。わたしは炭酸が苦手だった。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:26:37.55 ID:skFt6CMPo<>
「でもいいよなー、アメリカ」

「ばか、旅行に行くんじゃないんだぞ」

「でもさあ、スケールでかいもんなーアメリカは。天使もいないし、な?」

「あーだめだよ、またりっちゃん、あずにゃんにでこぴんとかするー! 大丈夫か、梓、よしよし」

「ピザとかもすげーでっかいじゃん、あーいうのいいよなー!」

「あ、それちょっとわかるかも」

「まず土地が広いもんな、広大」

「車も大きいな」

「人も大きいぜ」

「野球はメジャーだしね」

「映画もすごいよね、制作費とか!」

「野球見るの?ムギ」

「見ないよ」

「意味ないじゃん!」

「でもこれからは見るようになるかも!」

「ムギもアメリカナイズされちゃうね」

「髪の毛金髪にしちゃったりなー」

「もう金髪じゃないか」

「映画もすごくない?」

「ねえ、ムギって英語喋れるんだっけ?」

「あんまり!」

「どうすんの?」

「アイ・ドント・スピーク・イン・グリッシュ、って言う」

「あずにゃん、あずにゃん。アメリカの映画はね、すごいんだよー。制作費が何百億とかあるからね。国家予算だよね、国家予算だよあずにゃん。国家予算かな? あずにゃんが日本の映画だとすると、アメリカは澪ちゃんだよ」

「♯♪」

「何の話だ」

「あ、そうだ、澪ちゃんはさ、日本風のホラーとアメリカ風どっちが怖いのさ?」

「そりゃあ、日本だよ。アメリカのホラーはがさつなんだよな、あれってただ単に驚かしてるだけだからな。そういうの一度理解しちゃうと恐怖を感じたりできなくなるんだよ、悲しいことに」

「ふふ、アメリカはりっちゃんなのかしら」

「なんでなんだ、なんでアメリカが律なのよ……ひぃあっ」

「じゃじゃーん」

「そんなお面どこにあったのさ?」

「バリケードつくるとき見つけたから隠しておいた」

「そういえば、さわちゃんは? わたしさわちゃんに会いたいわ!」

「仕事してしるんじゃないかな、流石に。卒業間近で忙しいんだろうね、帰り職員室に行ってみる?」

「聖職者だからだよさわちゃんは聖職者だから」

「『あなたがたの教師はキリスト一人だけである』」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:27:07.71 ID:skFt6CMPo<>
「あ、もういっこ思い出した! 澪ちゃんにお願いがあったの」

「え、なんだ」

「あのね」

「うん」

「最後にわたしのこと叩いてほしいの!」

「え、ああ……えー……」

「お願い!」

「澪ちゃん、叩いてあげなよ!」

「そうだーそうだー」

「わ、わかったよ……」

「力加減はいらないわ!思い切り来て」

「えいやっ」

「あっ、いったぁ……あーいた……いたい」

「ムギちゃんかわいそう」

「いつもわたし叩くときより全然強かったな」

「叩くっていうより殴るだね」

「だってムギが……わ、わたしが悪いのか」

「さいてーだー」「さいてー」

「なんかごめんな、ムギ……」

「ごめん、ちょっと今は話しかけないで。頭ががんがんするから」

「あ、うん……」

「さいてーだー」「さいてー」
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:27:35.57 ID:skFt6CMPo<>
そんな感じで宴もたけなわになりはじめた頃、立ち上がって、りっちゃんが言った。

「ごほん……今日はわたしたちムギのためにとっておきの音楽を準備してきました」

「ムギちゃんのためだけにつくった特別な曲です」

「では聞いてください、天使にふれたよ」

「使い回し反対!」

そのあと何度か冗談を飛ばしあってついにはムギちゃんもキーボードを前にした。
結局のところこの曲はあずにゃんのための曲だし、あずにゃんはいまここにいるんだからあずにゃんに向かって演奏するのが一番いいんだろう。
音楽が鳴った。
まず澪ちゃんが歌い出す。つぎにりっちゃんが。
この曲は、ひとりずつが順繰りにボーカルを担当するって構成になっている。

「ねー思い出ーのカケラに名前をつーけて保存するなら宝物がぴったりだね」

「そー心のーよーりょーがいっぱいになーるくらいに過ごたね ときめき色の毎日」

「なじんだせーふくとうわーばきー ホワイトボードのらくーがき」

「あしーたの入り口に置いてかなくちゃいけなーいのかなー」

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:28:07.39 ID:skFt6CMPo<>
こん。こん。こぉぉん。
どこから侵入したのだろう、音楽につられて天使たちがやってきた。
扉の向こうで押し合いへし合い、ドアノブをがちゃがちゃと回している。
バリケードがあるから押しても開かないのだ。引くドアだし。
低い角度から差し込んだやわらかい光の中を、ほこりがぷかぷかと漂っている。
もう夕暮れだった。
そんなふうにぼーっとしてると自分の歌う番を飛ばしそうになってしまう。

「でーもね、会えーたよ すてーきなてんーしに 卒業は終わりじゃない これからも仲間だから……」

こんこんこんこんこんこんこん。
扉の向こう側にはどうやらけっこうな数の天使がいるようだった。
建物のなかでこんなにたくさんの天使を見たのははじめてだった。誰かが玄関を開けっ放しにしたままだったのかもしれない。もしかしたらわたしたちのライブを見に来てくれたとか。あずにゃんが天国でいっぱいチケット配って。
なんたって最後のライブなんだもんね。
急に胸が締め付けられるような感じ。
そっか、おしまいなんだ。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:28:47.11 ID:skFt6CMPo<>
そう思ったときふたつのことが同時に起きた。
二番の自分のパートを歌っていたムギちゃんの声が突然とまり、それからわっと泣き出した。
だけどわたしはそれを見つけなかった。別のものに気を取られていたのだ。
それはあずにゃんだった。
あずにゃんはいま扉の前、バリケードの上に這いのぼって、ムギちゃんが泣き出すのとほとんど同時に扉に手をかけて、そして押した。
ぎぃって音がした。
天使の羽が見えた。
りっちゃんはひたいに手をやって、ため息。
だいじょうぶかってムギちゃんに駆け寄った澪ちゃんがムギちゃんの肩を抱いて、それからふりむいてぽかんと口を開いた。

「あ」

ぐるん。
バリケードの一番上に積まれた椅子が滑り落ちるのと一緒に、あずにゃんが落下した。
なにかやわらかいものがつぶれる音。
わたしはあずにゃんをつかまえて引きずり戻す。
あたりどころが悪かったのだろうか、扉から一直線に白い血がのびる。
まるで天使たちを誘導するビーコン・サインみたいに。
食器棚のへりの先には青白い指。
ずるずると天使たちが這う音。
ムギちゃんはまだ泣いている。
澪ちゃんが叫んだ。

「わぁあああああ」

天使たちはバリケードを乗り越えてこようとする。一番高いところに指がかかったと思うとすぐにすべって落ちる。それが繰り返されるうちに、てっぺんに積まれたものがどんどん手前に崩れて降ってくる。
りっちゃんが言う。

「な、なあ、どうするんだよ」

そして思い出が決壊した。
バリケードの中央が崩れ落ちる。そこから天使が這いだしてくる。机が跳ねた。着ぐるみが踏みつぶされる。食器棚が倒れる。陶器の破片が飛び散る。天使たちはかまわずなだれ込む。白い血が吹き出す。ギターのコードが抜けた。音、きゅいいいいいん。
なにもかもが揺れて見えた。
震えてるんだ、わたし。
そんなつもりなかったのに。
みんなもどうしていいかわからなくてただ右往左往するばかり。
わたしたちはパニクっている。
地上の天使たちがほとんど無害に近いことも、何度も天使たちに囲まれたことがあることも、天使たちがわたしたちのこと食べたりしないことも、忘れちゃってる。押し殺してた不安や恐怖が一気にあふれ出てきて、いままでちゃんとわかってたつもりのことまでわからなくなってしまう。
バリケードが壊れちゃって天使が降ってくる!助けて!
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:29:58.88 ID:skFt6CMPo<>
澪ちゃんは耳をふさいで座り込んでいた。
りっちゃんは壁に背中をくっつけたまま目を閉じていた。
ムギちゃんはまだ泣いている。
わたしも、わっと叫びそうになるのを、ぐっと飲み込んだ。
そして、あずにゃんは手を開く。そこにはたったひとつだけわたしがあげたピックが。
その手をわたしは強く握った。
冷たい。
死んだ手。
あずにゃんが言った。

「∝♪※#▽∝」

ふいに震動がとまった。
あずにゃんの手の冷たさが、握った手のひらの中で刺さるピックの異物感が、沸騰したわたしの脳みそに落ちて黒い焦げをつくる瞬間、頭の中のその部分だけが正しい信号を発する。いまも煮え立つ深海の暗闇の中で得体の知れない生物に怯えているのに、自分のほんのちっぽけな一部分だけが幽体離脱するみたいに空に浮かんでいる。
その場所で、流れ込む天使たちの様子をわたしは眺めている。侵攻する天使たちに踏みにじられていく思い出たちを。
りっちゃんがいつも座っていた椅子。通学鞄の置き場になってた青いソファーから飛びしてあたりを舞う綿。けどソファー右端の背中の穴だけはわたしがあけたやつ。新入生勧誘に使ったにわとりの着ぐるみ。あずにゃん専用のピンクのマグカップが割れた。さわちゃんが作った服たちが、着たことあるのも結局着ないで終わってしまったものも、みんな白い血で染まる。
握った手を通して接続されたあずにゃんの凍結された記憶をわたしの熱狂が溶かす、わたしは昨日までのこと全部思い出す。
だけどいったいずっと昔に死んでしまった過去からどんな教訓が得られるんだろう?
天使たちはもうそこまで迫っていた。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:30:43.75 ID:skFt6CMPo<>
わたしはまだ逆巻いてる。
スポットライトがステージの上のわたしたちを照らす、蒸し暑い夏の夜の喧噪遠い音楽、りっちゃんがくだらない冗談を言って澪ちゃんが怒ってムギちゃんが笑う、あずにゃんが言う「わたし、もう一度唯先輩のギターを聞きたいです!」、わたしが言う「あんまりうまくないですね!」、中学校の卒業式に泣かなかったのはなんでだったろう、もっと過去、若い母親と父親の姿、憂が泣いているわたしは割れた首の取れた人形をつかんでいる、さらに幼い憂は笑ってる、わたしは小さい、四つん這いになって後ろ向きに高速で進む、声がした、黒い影、誰かが言う「まるで天使みたい」、だけどわたしは大声で泣きはらし、暗い暗い穴の中に吸い込まれ、そして再び死んで天使になるーーそのとき、天啓が降ってきた。
落ちた天使に誰かが頭をぶつけたっていう新しい意味じゃなくて、アイデアがひらめいた!っていう昔からの。
それはこういうこと。
あずにゃんにとってこのピックってそんなに大切なものじゃない。
あずにゃんは本当にそのピックを返したかっただけなのかもしれない。あずにゃんはわたしが修学旅行のおみやげにピックなんか買ってきたことをほんとに怒っていてこんな物いらないですよって感じにわたしに押し返してきたのかも。
人間だったときは口に出せなかったけど。
その気持ちは分かる。あずにゃんも優しいのだ。わたしみたいに。
わたしは笑った。

「そっか、そうなんだよ!」

急にわたしが笑い出したから、周りのみんなは驚いた。
ぽかんとしてわたしのほうを見てる。
笑い声が澪ちゃんを自分だけの世界から引きずりだす。ムギちゃんはいつの間にか泣きやんで頭の上にはてなマークを浮かべてる。りっちゃんと顔見合わせて首を傾げた。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:31:42.53 ID:skFt6CMPo<>
え、待って、待ってよ、じゃあもしかしたら、あずにゃんが天使になったのもわたしたちとはぜんぜん関係ない理由からなのかもしれない。好きな人が別の学校にいてふられたとか、単に気まぐれとか。
わたしたちが思ってるほどあずにゃんはわたしたちのこと気にしてない。ありうる。天使たちは思ってるより人類に興味がない。これもありうる。大学はちょーハッピーは場所かもしんない。かもね。ムギちゃんはどこにいてもわりと楽しそう。まあね。澪ちゃんは単にホラー映画が好きなだけ。うん。りっちゃんはお父さんが死んでもぜんぜん気にしてない。これはおそらくない。お父さんとお母さんはあんな喧嘩しょっちゅうしてる。ふたりがわたしたち姉妹のこと全然わかってないみたいにわたしたちだってふたりのことなんか知らないのだ。
そうだよ、天使たちはすっごいいやなやつで人間たちがあわてふためく様子を見て天上でげらげら笑ってる。ゆえにあずにゃんは単に嫌みっぽくてやなやつだ。たしかに。
だけどなんで気がつかなかったの?
ゾンビ映画のせいに決まってる。もちろん。
天使は人を裁かない。
ううん、それはちゃんとわかってたつもりだし、わかってる。あずにゃんが天使になったのがわたしのせいだと思ってるからあずにゃんに毎日会いに行ったわけじゃない。あずにゃんは大事な後輩で、死者が降りはじめるそのずっと前から天使だった。
ってことは、わたしはあずにゃんをどう思ってるってことなんだろう?
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:32:19.91 ID:skFt6CMPo<>
ま、いいや。とりあえずこのピックはもらっておこう。どうせあずにゃんだってわたしがあずにゃんのこれをもらったりしないときにちょっとなんかそれっぽいことを言ったりするのを聞いてはにやにやしてるんだろうし。それが天使風のやり方で、あずにゃんはずっと天使だったんだから。
わたしは言った。

「いろいろ言いたいことはあるけど、一番いいたいのはこの状況ってすごい笑えるよ、ってこと」

あの偉大な映画たちの登場人物たちは必ずと言っていいほど、だめだってわかってるのに一番やっちゃいけないことをする。昔からなんども似たような失敗を繰り返してるのに懲りずにまたおんなじことをする。わたしたち、いままさにその瞬間にいる。無知と恐怖、澪ちゃん的迷妄にとらわれていて、ものすごいばかなことをする。
それってすっごくあほだし、笑える。

「わ、わ、笑えるわけないだろ……ばかぁっ」

と、震えながら澪ちゃん。

「突然笑い出した唯が?」

りっちゃんはにやにやしながら言う。

「ねえねえ、おもしろいことってなに?なに?」

ムギちゃんはそれがわからないことがもどかしそう。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:33:07.29 ID:skFt6CMPo<>
天使たちはもうわたしたちのすぐそば触れるとこまでやってきてていっせいに手を開く。
がらくた。
そして、あずにゃんは飛び上がった。
りっちゃんがとっさに宙に浮いたあずにゃんの腕をつかむ。あわててムギちゃんもそうする。澪ちゃんはムギちゃんにくっついてる。
わたしも遅れてあずにゃんに向かってジャンプする。のばした左手が天使に触れーー触れらんないーーそして重力が消えた。
あずにゃんたちはビニールの青空を突き抜けた。切れ間から夕暮れ色した光線が降り注ぐ。
わたしを照らす。
死者を照らす。
あずにゃんたちがどんどん遠ざかっていく。
天使たちが、天使たちのがらくたが、遠ざかっていく。
わたしは浮かんでる。
空に向かってぐんぐんのびている。
わたしは飛んでいた。
背中に羽が生えていた。
小さな羽。
天使の羽。
落ちるって思う。
ぐって背中に力を込めて、飛び上がる。あずにゃんたちのところまで宙をジャンプした。
あずにゃんの肩をつかんだ。
冷たいのがなんだか懐かしくて安心した。
あずにゃんは4人の人間の重さをまったく意に介さず軽々と翼を羽ばたかせている。
りっちゃんが言った。

「天使になるなんてやっぱりお前は、ばかだよ」

知性だ、知性の欠如だって嬉しそうに笑う。
下を見た。
ミニチュアみたいな町が見えた。
高校、河川敷、スーパーマーケット(駐車場あんなに大きいんだ!)、中学校、わたしの家、和ちゃんの家、あずにゃんの家、りっちゃんの家、澪ちゃんの家、もうじきムギちゃんの家も見えるだろう。芝生のサッカーグラウンド、レンタルビデオ店、工場の煙、カラフルな車の川、街灯。町いっぱいの、黒っぽいアスファルト、白い天使の血。そのすべてが古めかしい夕光のなかに溶け込んで、影になった。
そして景色はだんだんと名前を失っている。
上昇気流が、わたしたちをどこか遠い場所へと運んでいく。
澪ちゃんがわたしの足をぎゅっと握ってて爪が食い込んだ場所が、痛い。
わたしはまだ痛覚を信頼している。
それが嬉しい。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:33:49.09 ID:skFt6CMPo<>
「ずいぶん遠いとこまで来ちゃったねー」

「戻れるかな?」

「戻れないっ!」

「ねえー海見える?」

「見えないな」

「あれって湖かしら?」

「わかんない……」

「澪だったらわかるんじゃね」

「澪ちゃん! どうなの?」

「みえないきこえない」

「目開けてよ!」

「こわ、こわい」

「へーきだよ!」

「もうおしまいなんだよ!わたしたちは!」

「大丈夫だよ!みんなちゃんと下降してるから!」

「ほんとに?」

「信じてよ!」

「唯は信用できない」

「重力を! ね?」

「……うん」

澪ちゃんは目を開けた。
ねえあれ湖わかんないよえーつかえなーおっこちちゃえよーじゃあみずうみじゃなかったらなんなのかな川?川はない川じゃないだろじゃあ海?海でもないなあやっぱ湖じゃん?えーなになんかほかに水あった?沼泉貯水池……あ、水たまりだよ!ばかだなあえーだれのことさ。えーとね、じゃあ、ムギ。え、あ、うんごめんね、謝るなよアメリカじゃ謝ったら負けなんだぜなんたって英語には謝る表現がないくらいだからな……じゃあsorryはどんな意味なんだ……。

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:34:15.63 ID:skFt6CMPo<>
雲の切れ間から夕日が無数の光線になって、差し込んでいた。
天国の階段。
たしかそう言うんだっけ。
ケーキにナイフを立てるみたいに、オレンジ色に染まった遠い空が白色の光で切りわけられている。
そして、見た。
天使たちが飛んでいた。
最初はまるで点々と、夕焼け色のキャンパスに落ちた白い絵の具のように。それから高度が上がるにつれてもっとたくさんの白い綿毛が空を覆いはじめた。
まるでそれは群れをつくる鳥たちの集団飛行みたいだった。
夕日を反射して赤く染まり、天国の階段をどこまでものぼっていく。白い大きな翼をはためかせ直線を描いてはやいスピードで、天国のなか、翼が雲を切り裂いて、高く、見えなくなってしまう。
この高度からだとそれがよくわかる。
だけど地を這うわたしは知らなかったのだ。
町に降ってきた天使たちはいつか天国にもどらなければならず、だから降る天使と同じだけの天使が空に帰るんだってこと。
わたしは天使が”飛ぶ”ってこと、知らなかったんだ!

「ねぇ、わたしね、わたしさ、わたし、ねえ、知らなかったなあ……こんなにもたくさんの天使がね、空さぁ……飛んでるなんて、一度も考えたこともなかったんだよ」

「唯ってばかだから」

「なんで、何で、りっちゃんはわかってたのさ?」

「あたりまえだろー、だって落ちるためには飛ぶしかないんだから!」

あるいは飛ぶために。
わたしは笑った。

<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:34:42.27 ID:skFt6CMPo<>
「なんかこういうのって冒険みたいだよね」

「わたし門限までに帰らないとお母様に怒られちゃう!」

「電話しとけよなー」

「圏外だもん、ここ!」

「わ、わ、わ、地面が、地面が近づいてる。わたしたち落ちる!落ちちゃうよ!」

「大丈夫だよ!澪ちゃん!天使だっていつも着地成功してるじゃん!」

「あれ痛そう……」

「ばーか、痛みなんか感じないうちに死んじゃうよ」

「死なないからな、わたしは死なないから、律だけが死ねばいい……」

でも、わたしたち急降下してはない。あずにゃんは翼をひろげたまま。ゆっくり落ちていく。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:35:10.52 ID:skFt6CMPo<>
りっちゃんが笑いながら言った。

「だけど、ホラー博士の澪ちゃんが言うには、わたしたちのうち生き残ることができるのはひとりだけだぜ」

たしかにそうだ。
わたしは今でさえ超危機的状況にあって。
あずにゃんは天使になっちゃってて、わたしもそうなりかけてる、ムギちゃんは海外に行っちゃうし、りっちゃんは両親を失いかけて、澪ちゃんはえーと……特にないからいまのとこオッズ一番。
そしてその澪ちゃんが、またはっとするようなことを言った。

「じゃあさ、誰が一番生き残れるか勝負だな」

わたしは驚いた。
そうだ、勝負なんだ!
わたしたちは仲間なんかじゃなくて、仲間だけど敵同士で、生き残れるのはひとりだけなんだ。
これは大発見だぞって思ったんだけど、よく考えたら澪ちゃんはいまのとこ一番有利なんだからそれを言うのはあたりまえで、だからわたしは負けたくないって思った。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:35:53.95 ID:skFt6CMPo<>
「わたしとあずにゃんはもうふたりとも負けそうだから、タッグを組むよ」

ってわたしが言うと、ムギちゃんは

「それはだめよ」

って言った。

「なんで?」

ムギちゃんが答えた。

「だってそしたら結局わたしがひとりあまっちゃうじゃん」

ものすごく悲しそうな顔だった。
あわててりっちゃんが、

「わたしは澪なんかじゃなくてムギと組むからな」

って言ったけど、やっぱりムギちゃんはあのいつもの申し訳なさそうな表情で黙っていた。それでなんかもうすごく気まずい感じになっちゃったあとに、ムギちゃんが嬉しそうな顔で、

「じょーだんに決まってるじゃん。ばぁか」

って言ったから、わっ裏をかかれちゃったって、みんなはげらげら笑ってしまった。
あんまり笑ってしまったので、一番下にいた澪ちゃんは落っこちそうになっていて、とりあえず一番生き残りそうな澪ちゃんをやっつけようってみんなでちょっかいをかけてたら、澪ちゃんが怒ったふりをした。みんなはまた笑った。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage saga<>2016/04/17(日) 23:36:39.09 ID:skFt6CMPo<>
というわけで、今のところ、わたしたちは誰もかけずに5人そろっていて、まだ生きている。
そしてもちろん、そのなかで生き残るのはひとりだけで、そうなるのは他の誰かじゃなくてきっとわたしに決まってて、どんな卑怯な手を使ってもそうなってやるんだって思ったし、そしてその他のみんなもーーあずにゃんも含めてーーそれぞれにそう思っていた。
あずにゃんとわたしたちは風に流されて知らない場所まで飛んでいく。もうだいぶ遠くまでやってきてしまっている。知らない町の知らないアスファルトの上。
帰り道もわからない。
視線は低くなり、地面がぐいっと近づき、そして白昼夢的にやわらかい接地!――天使が今、再び地上に舞い降りる。
ポケットいっぱいの祝福。
てのひら零れ落ちる天啓。
物語がこれからはじまるんだ。
<> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<><>2016/04/17(日) 23:37:47.75 ID:skFt6CMPo<> おわりです!
ありがとうございます! <> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<>sage<>2016/04/18(月) 00:20:45.68 ID:JTRp7ZL3o<> 乙乙
雰囲気好き <> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<><>2016/04/18(月) 09:25:01.21 ID:FPy8A4hho<> 感想らしい感想がでてこないけど、引きこまれました
世界観がすごい(小並感) <> 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします<><>2016/04/19(火) 02:16:25.09 ID:9ipNNVYN0<> うむ、すごいとしか言えない
おつ <>