1:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:12:24.79 ID:BFmKl9Djo
◆[Alice] A/a
とりあえず見てみなさい、と言って祖母が差し出してきた通帳の名義は、どうみてもわたしのものになっていた。
なんだこれ、と思いながら開いてみると、だーっと並んだ残高欄の果ての果てには、
いまいち実感の湧きにくい額がそっけなくぽつんと記載されている。
非現実的な額ってほどではないけど、それでも何気なく見せられた自分名義の通帳に入っていたら、
大きな戸惑いを覚えても不自然ではない程度の額。
そういうわけで、わたしはとりあえず呆然とした。
「なにこれ」
「うん。わたしもびっくりした」
祖母はそう言って、食卓の上の湯のみに口をつけて緑茶をずずっと啜ったあと、ほうっと溜め息をついた。
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2:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:13:54.88 ID:BFmKl9Djo
彼女の顔つきも、ここ二、三週間でかなり変わった。というかやつれた。
溺愛していた息子が二十代前半にして死んでしまったんだから、無理もないだろう。
叔父が亡くなったのはつい先月のこと。
3:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:15:46.59 ID:BFmKl9Djo
こんな想像をするからと言って、べつに叔父のことが嫌いだったり、叔父が死んだことを悲しく思っていなかったりするわけじゃない。
素直に悲しんで見せるよりも、皮肉っぽい想像のなかに彼の死を閉じ込めてしまう方が、
韜晦に満ちた叔父の生涯の締めくくりに捧げるものとしては、なかなかにふさわしい弔いのように、わたしには思えるのだ。
4:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:16:30.76 ID:BFmKl9Djo
叔父が死んで以来、溜め息の数と暗い顔をしている時間が増えた祖母だったけど、今はどことなくうれしそうに見える。
悲しいのを通り越したら呆れが、呆れを通り越したら笑いが湧き出てきたんだろう。
祖母のそういう表情を見るのはひさしぶりだから、わたしはなんだかうれしくて、
5:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:17:38.77 ID:BFmKl9Djo
わたしは通帳の数字から目を離して、自分の湯のみに口をつけて、ずずっと緑茶をすする。
「どうして、わたし名義でこんなお金が?」
6:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:18:11.75 ID:BFmKl9Djo
そんな生活でどうやったら金がない状態になるのか、と、
わたしはちょっと呆れていたんだけど、蓋を開けてみたらこういうことだ。
どういうことだ。
7:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:19:28.35 ID:BFmKl9Djo
◇
そういうわけで、自由にできる七桁の財を大いなる驚きとともに得て、
そのお金で最初にわたしが最初にしたことはといえば、高校の屋上でサボり仲間に缶コーヒーをおごることだった。
8:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:21:29.48 ID:BFmKl9Djo
「声に出さないとわかりません」
「感情表現が苦手なんだよね」
9:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:22:26.92 ID:BFmKl9Djo
ケイくんはまたバカにするみたいに笑った。
べつにわたしだって、どうしても彼にお礼を言ってほしいわけではなかった。
ただどうでもいい思いつきをぺらぺらと並べてみただけだ。
10:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:24:35.96 ID:BFmKl9Djo
うちの学校の屋上は開放されていない。
生徒はもちろん教師でさえ必要に駆られたときにしか出入りできない。
というのも、開放してしまうと当然危ないし、くわえて人目につかないのをいいことに、
11:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:25:23.39 ID:BFmKl9Djo
咎めはするものの、彼に喫煙癖があろうと飲酒癖があろうと本心ではどうでもいいし、
彼の肺が何色をしていようとわたしの肺とは関係ない。
むしろ彼が煙草に火をつけて、その煙をたっぷりと吸い込んで、
12:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:27:13.17 ID:BFmKl9Djo
ケイくんは煙草の灰を空き缶の縁で落とすと、足元にその灰皿を置いた。
「ゴミ収集の人が困るよ」
13:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:27:51.19 ID:BFmKl9Djo
「……だけど?」
言葉に詰まったわたしを見て、ケイくんは続きを促したけど、わたしは何も言わずに、かわりに景色を眺めた。
14:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:28:19.04 ID:BFmKl9Djo
「ね、一本ちょうだい」
「いやだよ」
15:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:29:05.81 ID:BFmKl9Djo
学校の敷地内を、ぼんやりと見下ろす。
下校しようとしている生徒たちの姿が見える。階下から吹奏楽部の音階練習、剣道部が外周を走っている。
武道場から畳を打つような音、体育館からバスケットボールの跳ねる音。
16:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:30:11.42 ID:BFmKl9Djo
わたしはその言葉を聞き流しながら、いくつかのことを思い出した。
母さんのこと、叔父のこと、妹のこと。そのどれもがなんだか遠い。
17:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:31:33.72 ID:BFmKl9Djo
「……どうしてなんだろう?」
思わず、そう声をあげたとき、ケイくんが不可解そうにこちらを見た気がした。
わたしは彼の方を見ていなかったから、彼の視線がどこに向かっていたかは、本当のところ分からなかったけど。
18:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:32:28.47 ID:BFmKl9Djo
「本人に聞けよ」
「だって、もう死んじゃったし」
19:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:34:06.36 ID:BFmKl9Djo
それでも五分もしてしまえば、泣き続けるのにも疲れてくる。
尽きない悲しみがあったとしても、それをずっと貫けるほど肉体は付き合いがよくない。
彼は気を遣わないわけじゃない。
20:名無しNIPPER[saga]
2016/07/04(月) 00:34:58.39 ID:BFmKl9Djo
「それ、どんな話?」
わたしは、ただのくだらない噂か何かなんだろうと、そう分かっていたのに、
どうしてか変に気になって、思わず聞き返してしまった。
21:名無しNIPPER[sage]
2016/07/04(月) 00:35:28.31 ID:qZtjRuTp0
なんかいいな
この2000年代前半のジュブナイル小説みたいな感じ
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