1:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 19:40:26.53 ID:DvK9a+dU0
†
ピアニストの母さんは、職業柄なのか、人柄なのか、ひとところに留まらない人だった。
それが原因で、子供の頃から俺は各地を転々としてきたけれど、そのことで母さんを恨んだことはない。
むしろ、母さんのしていることは、それがなんであろうと、正しいように感じられた。
母さんのような生き方に、憧れていた。
広い世界を飛び回る、まるで翼が生えているような、母さんの背中。
その後ろについていくことを許されたのだから、俺は恵まれていた。
母さんの生き生きとした姿を間近に見ることができて、俺は誇らしかった。
……ただ、一つだけ。
この胸にわだかまる気持ち。
ふとした瞬間に襲いくる痛み。
それだけが、ずっと、影のようにぴたりと付いてきて、俺を苦しめた。
しかし、それも俺が完全な人間になれば。
散らばる断片を集めて完成した形になれば。
いつか、何かしらの決着をつけられるはずだ、と。
そう、思っていた。
2:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 19:54:56.47 ID:DvK9a+dU0
<第1話 花火>
転校は初めてじゃない。
ただ、これが最後になるかもしれなかった。
3:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 20:07:16.43 ID:DvK9a+dU0
『花火、少しくらい見ていかないのか?』
ほとんど歩く機械みたいになっていた俺を見かねたのだろう、《俺》が苦笑気味に言う。
『よせよ。俺は祭りが苦手なんだ。知ってるだろ?』
4:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 20:11:26.57 ID:DvK9a+dU0
何が起こっている?
《未来の欠片》で何かが見えたことは一度もない。
明らかにこれまでのものとは違う。
5:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 20:28:12.54 ID:DvK9a+dU0
翌日、俺は転校の手続きに必要な書類を受け取るため、日乃出浜高校を訪れた。
既に夏休みに入っていたので、登校している生徒は少なかった。野球部員がグラウンドで練習していたり、美術部員がなぜか放し飼いにされている鶏をスケッチしていたりと、そんな程度。
閑散とした校舎に入り、担当の先生と会って、少し話をした。しかし、昨日のことが気になって内容が頭に入ってこない。俺は適当なところで話を切り上げ、そそくさと帰り支度をした。
6:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 20:35:08.72 ID:DvK9a+dU0
「ありがとうございます」
先生が校舎へ戻っていくのを見届けてから、俺はスケッチを続ける彼女の隣に、ゆっくりと腰掛けた。
「面倒だよね。転校って」
7:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 20:44:27.48 ID:DvK9a+dU0
『他から来た子』――その単語が、胸の奥に無断で手を突っ込まれたように、嫌に耳についた。
「……だから一羽だけ浮いてるのか」
少し暗い調子でそう呟いた俺に、トウコが不思議そうに振り返る。だが、俺が何も言わないでいると、彼女はまたデッサンに戻った。
8:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 20:51:08.02 ID:DvK9a+dU0
「ここは港町だし、猫もたくさんいる。――襲われる可能性は考えない?」
「魚でお腹いっぱいだから大丈夫っ! ……たぶん。今まで猫に襲われたっていう話、聞いてないし……」
「猫以外は?」
9:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 20:57:42.87 ID:DvK9a+dU0
*
あんなことをしでかして、結局、俺は彼女に《未来の欠片》のことを切り出せずに終わった。
けれど、もちろん、一歩目で躓いたくらいで諦めるつもりはない。
10:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 21:01:17.60 ID:DvK9a+dU0
「紹介します。ええっと、名前は――」
「沖倉です」
「沖倉ダビデ?」
11:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 21:13:31.09 ID:DvK9a+dU0
唐突な当たり前のグラスリップSSです。
12:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 23:10:29.16 ID:DvK9a+dU0
†
その《声》のことは、母さんにも、もちろん父さんにも、話したことはない。
あれは、忘れもしない、あの夏祭りの日。
13:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 23:16:14.15 ID:DvK9a+dU0
<第2話 ベンチ>
「俺はあの日、君と同じものを見た」
そう告げた俺に、透子は何も答えることはなかった。
14:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 23:26:55.15 ID:DvK9a+dU0
*
そして、翌日。
父さんの家のリビングのリクライニングソファの上で、俺は母さんの演奏する夜想曲を聴いていた。
15:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 23:37:18.67 ID:DvK9a+dU0
『何はともあれ、今日の約束に深水透子がどう応じるかだ』
『彼女の協力は必要不可欠なんだから、うまくやれよ』
わかってる……やれるだけのことはやるさ。
16:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 23:46:05.92 ID:DvK9a+dU0
*
来ないという可能性も考慮していただけに、女の子一人が同伴しての登場とは、昨日の突貫はかなりの成果を上げたと考えていいだろう。しかし――、
「やあ、こんにちは。君は昨日の……」
17:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 23:51:34.60 ID:DvK9a+dU0
「でも……」
永宮はなおも反対したが、最終的には透子の意思を尊重することに決めた。
「透子ちゃんを、助けてくれるのよね?」
18:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/03(水) 23:54:34.34 ID:DvK9a+dU0
*
いざ透子と二人きりになってみると、自分でも意外だが、多少の緊張があった。
それもこれも父さんや永宮の一言のせいだ――というのは、さておき。
19:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/04(木) 00:00:56.70 ID:dmglIwuH0
*
クーラーの効いた室内から外に出た瞬間、痛いほどの日差しが肌を焦がした。
「暑い……」
20:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/04(木) 00:08:18.77 ID:dmglIwuH0
言いながら、俺は透子の反応を伺う。
すると、彼女はどういうわけか瑣末なことをぶつぶつと呟き始めた。
「……謝るってことは、誰にも聞かれてないと思ってお風呂場で歌を歌ってたり、いや、そんなことより、まさかテストの点、呟いてないよね……」
21:名無しNIPPER[sage saga]
2019/04/04(木) 00:14:57.31 ID:dmglIwuH0
「……こないだの祭りの日」
彼女を不安にさせないよう、俺はなるべく穏やかな口調で、そう話を続けた。
「俺は初めて《映像》と《声》――両方の合わさった《欠片》を見た」
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