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唯「たからくじ!」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 17:47:09.02 ID:NYV5XGfA0

唯「ねえ憂、やっぱりお引越ししない?」

 お姉ちゃんは今夜もまた、そんな風に言った。
 お茶碗を左手に、わたしの作った晩ご飯を口もとに留めて、困ったような笑顔をしている。

憂「わたしもしたいけど、お引越しするお金がないでしょ?」

唯「うんうん……そうなんだけどさ」

 止めていた箸を動かして、野菜炒めを口に入れる。
 せわしく動く口から、おいしいという言葉は漏れない。

 かわりにお米を噛んで、
 それも飲みこんでしまってからお姉ちゃんは口を開いた。

唯「じゃあ、お金が入ったらお引っ越しする?」

憂「……でも、繰り返してばかりでもいいことないと思うよ」

 私たち二人がまた一緒に暮らすようになってから、もう引っ越しは四度もしている。
 そのたびにもちろんお金はかかるし、転居の手続きに追われてしまう。

 今住んでいるマンションも大体は無関心だけれど、
 ふたり厄介なおばさんコンビがいて、限界かなと思っていた。

 その矢先のお姉ちゃんの提案。
 私は頷きたかったけれど、現実的な問題が阻みすぎる。

憂「このままここで暮らそう? せめて1年はもたないと」
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(安価&コンマ)コードギアス 薄明の者 @ 2025/07/23(水) 22:31:03.79 ID:7O97aVFy0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1753277463/

ご褒美にはチョコレート @ 2025/07/23(水) 21:57:52.36 ID:DdkKPHpQ0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aa/1753275471/

ビーノどっさりパック @ 2025/07/23(水) 20:04:42.82 ID:dVhNYsSZ0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aa/1753268681/

コナン「博士からメールが来たぞ」 @ 2025/07/23(水) 00:53:42.50 ID:QmEFnDwEO
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4日も埋まらないということは @ 2025/07/22(火) 00:48:35.91 ID:b9MtQNrio
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クリスタ「かわいいだけじゃだめですか?」 @ 2025/07/19(土) 08:45:13.17 ID:AK1WfFLxO
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八幡「新はまち劇場」【俺ガイル】Part1 @ 2025/07/19(土) 06:35:32.67 ID:BGCulupRO
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【安価・コンマ】力と魔法が支配した世界で【二次創作】 @ 2025/07/18(金) 23:44:57.84 ID:Xc8IdKRvO
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2 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 17:48:45.63 ID:NYV5XGfA0

唯「うーん……」

憂「会社でなにかあったの?」

 お姉ちゃんが引っ越しを言い出すときには、いつも会社の仲間や友達に、
 結婚をしないのかとか、この歳で姉妹で暮らしているなんて変だとか言われた時。

 そうして私も同じことを言われていないかと不安に駆られて、
 毎晩帰ってきては引っ越しをしよう引っ越しをしようと繰り返す。

唯「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

憂「じゃあどうしてなの?」

唯「……なんとなく、ね」

 こんな風にごまかすのも、いつものこと。
 分かっているから、私も追求しないで食事の続きをする。

唯「……へへっ」

 お姉ちゃんが、少し悲しそうに笑う。
 どうしてそんな顔で笑ったのかはわからなかったけれど、
 きっと私が原因なんだろうな、とは思った。

 わたしたちは、姉妹ふたりで暮らしている。

 そしてほんとうは、引き出しにしまいこんだおそろいの指輪のように
 とてもとても小さな輪の中で、結婚をしている。
3 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 17:51:14.87 ID:NYV5XGfA0

 私たちの結婚は、ごく少数の人達にしか伝えていない。
 片手で数えられるほどしかいない、信頼できる人達だけだ。

 まずは純ちゃん。

 お姉ちゃんに恋してしまったことを初めて相談した相手だ。
 おのずと経過は知れてしまうし、もちろん私からきちんと話した。

 次に澪さん。

 お姉ちゃんが第二に信頼を置く人で、
 「律は口が軽いから伝えるな」と忠告してくれたのも澪さんだ。
 それが正しいかどうかは分からないけれど、その言葉を信じて律さんには内緒でいる。

 紬さんと梓ちゃんも、お姉ちゃんと私の信頼に応えてくれている。

 そして最後に、和ちゃん。

 厳しいだけじゃなくて優しい人だから、
 わたしたちのことを分かってもらえるか不安で、結局伝えるのが最後になってしまった。

 和ちゃんは私たちの関係について一通り聞くと、ため息を吐いた。

和「それを聞いて、私はなんて言ったらいいの?」

 私たちの家の窓から夕暮れにそまった空を見て、
 和ちゃんはそこに雲を浮かべるようにつぶやいた。
4 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 17:52:43.47 ID:NYV5XGfA0

唯「……和ちゃんが思ったことを言っていいよ」

 どんなことを言われるだろう。

 気持ち悪いと言われてしまうのかもしれない。
 十年の付き合いがあっても、和ちゃんが思うことは変わらないだろうと思った。

 お姉ちゃんも萎縮しながら、手指を置き直して言った。

和「そうね……」

 和ちゃんは眼鏡に軽く触れて、また私たちのほうを向いた。

 どうしてそんなに考えたりするんだろう。

 優しい言葉を選ばなくたっていい。
 できれば、知ってる誰かに、初めて現実を投げつけられたいと思った。

和「……そういえば、ひとつ不安なんだけど」

唯「な、なに和ちゃん?」

和「ふたりが付き合っても、私とは今まで通り友達でいてくれるわよね?」

 私は思わず顔を上げた。

 へたをすれば私たち以上に不安そうな顔をした和ちゃんと目が合って、
 わたしとお姉ちゃんは同時に吹きだしてしまった。
5 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 17:53:45.54 ID:NYV5XGfA0

和「なにがおかしいのよ……」

憂「だって和ちゃん、あははっ」

 和ちゃんは、私たち姉妹のことよりも先に、
 和ちゃんも入れた私たち三人のことを一番に気にしていた。

 そのことが和ちゃんらしくなくて、おかしくて、うれしくて、
 それほど和ちゃんは私たちのことを想ってくれているんだと感じた。

唯「和ちゃーん!」

憂「和ちゃんっ!」

和「ちょっ……」

 和ちゃんに抱きついたのは私のほうが早かった。
 お姉ちゃんが背中から私を抱いていたから。

 そのことに何だか奇妙な感覚をおぼえながら、私はじんわり涙が出てくるのをおさえられなかった。

唯「てーい!」

和「はうっ……もう、ほんとにあなたたちは」

 私とお姉ちゃんで力を合わせて和ちゃんを床に押しつぶした。
 これはもう六年も前のことだけれど、和ちゃんとの関係は今も変わらない。
6 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 17:56:39.32 ID:NYV5XGfA0

――――

 私がお皿洗いをしている間に、お姉ちゃんがお風呂に入る。
 そのあとに私がお風呂に入る。

 ここでお姉ちゃんが汗と疲れを落としたんだなって思いながら、
 ここで私も一緒に汗と疲れを落とせることを嬉しく思いながら。

 そうして綺麗になってからお風呂を上がって体を拭いて部屋に戻ると、
 お姉ちゃんが薄着のままお酒を飲んでいる。
 ほとんど毎日のことだ。
 酎ハイだったりカクテルだったり、お姉ちゃんは缶をグラスにあけて飲む。

唯「お、憂。飲む?」

 こういうとき、お姉ちゃんのグラスの横に氷を入れたグラスが置かれている場合もある。
 これも、ほとんど毎日のことだ。

憂「もらおうかな」

 パジャマを羽織る。
 前を留めるのだけど、普通に留めるよりひとつ下のボタンまでしか留めない。

 これが、オッケーのサインだ。

 お姉ちゃんの横に座り、グラスに私の好きなオレンジの酎ハイを注いでもらった。
 その間に、お姉ちゃんがちらりと胸元を見る。
7 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 17:57:26.61 ID:NYV5XGfA0

唯「ふふ、では乾杯」

憂「乾杯」

 にこりと笑ったお姉ちゃんと、グラスをぶつける。

 笑ったほっぺたが赤くなっている。
 お姉ちゃんは既に少し酔っているみたいだ。

唯「ふぁ。ぷはー」

 グラスの半分ほど一気に飲んで、お姉ちゃんは息を天井に向けて吐く。

 外だったらこういうふうには振舞わない。
 私だけに見せる、お姉ちゃんの無防備な飲みっぷり。

 だらしないかもしれないけれど、これがもとでお姉ちゃんを嫌いになるなんてことはありえない。
 私は、こんなお姉ちゃんを好きになったんだから。

 わたしも酎ハイを飲んでいく。

 お姉ちゃんの方に余裕があれば、このまましばらく飲んで談笑する。
 でもなければ、だいたいは一缶飲み終わればすぐお姉ちゃんがくちびるにすがりつく。

 お姉ちゃんが特に切羽詰まっていると、
 お風呂から上がった途端にお酒を口移しされて、そのまま居間でことを始めてしまう。

 今日は余裕があるみたいで、
 お姉ちゃんは私が軽く酔いを感じ始めてもまだ飛びついてこなかった。
8 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 17:59:22.19 ID:NYV5XGfA0

憂「はあー。まわってきたー」

 卓にあごを乗っけてへたれる。
 お姉ちゃんの手が私の後ろ頭をわしゃわしゃ撫でる。

 大学に入って、お姉ちゃんとまた一緒に住むようになったときから、
 髪をポニーテールにするのはやめた。

 むすんでいない髪をお姉ちゃんに掻き撫でられ、ほぐされるのがとても心地よいからだ。

唯「うーいー」

 お姉ちゃんが一緒になって卓にあごを乗せて、頬をすり寄せた。
 熱い皮膚の温度。速く感じる呼吸。
 ふらついた声は、私の胸もゆさぶるようだった。

唯「ねえ、憂。もしさぁ……」

憂「うん?」

 寄り添った体温にぼんやりしながら、お姉ちゃんに返事をする。

 このまま眠っても気持ちいいけれど、
 ボタンを開けている以上、激しい愛撫で起こされるに違いない。

 甘ったるい気持ちで、そんなことを思っていた。
9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:00:58.37 ID:NYV5XGfA0

唯「もし、わたしたちのどっちかが男の子だったら、どうしてたのかなあ?」

 お姉ちゃんの声はアルコールのせいで揺れていた。
 けれど真芯があって、そこだけは真剣味を帯びている。

憂「……お姉ちゃん、お酒足りてないんじゃない?」

 私は体を起こすと、グラスを掴んだ手を口元に運んだ。
 半分ほど残っていた酎ハイを口に流し込むと、少しだけ飲みこんだ。

憂「ん」

唯「……へへ、ごめん」

 お姉ちゃんは笑いながら起き上がると、
 私の目をじっと見つめ、それから目を閉じ、くちびるを近づけてきた。

 私もじわりと歩み寄って、くちびるを合わせる。
 力の抜けた柔らかいキスだった。

 お姉ちゃんの首に抱き着くよう腕を回しながら、舌を押し込んでいく。

唯「んっ……」

 小さな声を漏らすとともに、お姉ちゃんがわたしの舌を吸いはじめる。
 舌を橋にして、酎ハイがお姉ちゃんの口に渡っていく。

 おいしいかな。
10 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:01:48.46 ID:NYV5XGfA0

 喉の動く音がして、また舌が吸われる。
 今度はだんだん舌が渇いていった。
 酎ハイはもうみんな飲ませきってしまった。

唯「んむ」

 お姉ちゃんもそれを感じ取ったのか、くちびるを一旦離した。
 かといってキスをやめるつもりもないみたいで、顔はずっと私を見つめたままだ。

 あまり濃くないけれど、アルコールの匂いのする息は、
 お姉ちゃんの瞳の色と同じで、熱くて湿っぽく感じた。

唯「憂……お姉ちゃんのこと、犯して」

 熱い熱い体をくっつけ、至近距離から私を見つめて、
 お姉ちゃんはそう懇願するように言った。

憂「……わかった」

 普段はお姉ちゃんが私の身体をさわってばかりいるけれど、
 ごくたまに、お姉ちゃんが私に行為を求める場合もある。

 そういう時は、私も慣れないなりに精いっぱいお姉ちゃんを気持ち良くする。
 そのくらいしかできないのだから。

 座卓から引きずり出すようにお姉ちゃんの身体を強く抱きしめる。
 くちびるを重ねて舌を忍ばすと、お姉ちゃんが高い声でかすかに鳴いた。
11 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:02:46.75 ID:NYV5XGfA0

――――

 翌朝、お姉ちゃんの髪をとかして送り出す。
 このあたりはずっと変わらない。

 お姉ちゃんも、大学一年生のとき一人暮らしをして、自分のことは自分でできるようになったけれど、
 私に任せる方が楽だし、落ちつくらしい。

 お弁当だって私が作るし、朝は私が起こす。
 エッチをしてお姉ちゃんの気持ちがやわらぐなら、何度だってする。

 私にできることはなんだってする。
 お姉ちゃんに身も心もささげて、全部の労力をお姉ちゃんのためにつかう。

唯「そじゃ、いってきまーす」

 それはお姉ちゃんも同じだ。

 お姉ちゃんを笑顔にするために私が頑張るように、
 お姉ちゃんも私を笑顔にするために頑張ってくれる。

憂「いってらっしゃい、お姉ちゃん」

 そして今日も私たちは笑顔のまま、玄関を境界にして離れた。

憂「……さて」

 子供のいない私たちには、もう掃除と買い物ぐらいしかすることがない。
 昼まで時間をかけて、丁寧にお掃除をすることにした。
12 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:03:54.67 ID:NYV5XGfA0

 大まかな掃除を済ませ、細かい掃除に移る。
 掃除機をかけただけでは取りきれない塵は、ぞうきんで拭きとる。

 そのための雑巾を、ぎゅっと絞っているときのことだった。
 インターフォンが、突然の来客を告げた。

憂「……」

 こんな朝から、誰が来るとも聞いていない。

 スリッパを脱ぎ、足音を消してそっとドアの覗き窓に近づく。
 鍵はかけているから、いきなり開けられる心配はないはずだ。

 床の鳴る音が、外に聞こえていないだろうか。
 心臓が血液を送る音が焦りと不安を生む。
 息を止めて、小さな穴を覗きこんだ。

唯「ういっ、開けて」

 そこには何故か、お姉ちゃんがいた。

 仕事に行ったときの格好のまま、少し髪は乱れたふうだけれど。

唯「いるでしょ憂、早く開けてよ!」

憂「あっ、うん」

 考えることはあったけれど、まずはお姉ちゃんを家に入れるのが先だった。
 左手で鍵を開けると、すぐさまドアが開かれた。
13 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/12(火) 18:04:37.46 ID:lqhswe6mo
支援
14 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:05:19.56 ID:NYV5XGfA0

唯「ははっ」

 変なリズムで息を吐きながら、お姉ちゃんが押し入る。
 右手には、丸めた新聞が握られていた。

憂「お姉ちゃん、仕事は?」

唯「いーの、そんなの」

 にやにやと悪そうな笑顔で、お姉ちゃんは新聞を広げ始めた。
 が、急に覗き窓を睨むと、ヒールを脱いで居間に歩いていく。

憂「お姉ちゃん?」

 ついていくと、座卓に新聞が広げられて、その上に小さな紙封筒も置かれていた。

唯「ここだよ、憂」

 お姉ちゃんが指差した新聞の箇所を見ると、
 そこにはなにやら数字が太字でたくさん並んでいた。

憂「芳文社KR宝くじ……当籤番号」

唯「確かめてみて」

 お姉ちゃんが紙封筒から10枚のくじを出して、見えるように並べてくれた。

 こんなの、いつの間に買ったんだろう。
 聞いた覚えはない。けれど、今はそれよりも。
15 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:06:31.21 ID:NYV5XGfA0

憂「26組165542……」

 ざっと見渡す。
 9等すら外れていた。

憂「39組248313……」

 組番号から違う。
 すぐ次に目を移した。

憂「16組484291……」

 違う。次も違う。
 焦燥が耳の奥でドクドクと鳴る。
 不安ではなく、期待が指を速めた。

 そして、次の宝くじを手にする。
 37組913869番。

唯「……」

 ふとお姉ちゃんの視線を感じて、顔を上げる。
 うれしさをこらえきれないような、満面の笑顔。

憂「……」

 こめかみに垂れた汗を拭い、当籤番号と比べる。
 1等、2億円は……さすがに違った。
 前後賞ももちろん違う。
16 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:07:42.09 ID:NYV5XGfA0

 次に、2等。
 2等の当籤番号は、37組913869番。

憂「……あれ?」

 もう一度、宝くじを見直す。
 書かれたナンバーは、37組913869番。

憂「9138……69」

 紛らわしいところも、きちんと合っている。
 声に出しても確認して、二度、目でまた確認する。

 2等の当籤金額は、1億円。

唯「どう、憂?」

憂「……えっと、ゆ、夢じゃないよね」

唯「わたしだって夢かと思ったけど……違うってわかるでしょ?」

 わかる。
 空気に含まれる現実性が、明らかに夢とは違う。

憂「夢じゃないんだ……」

唯「当たったんだよ、憂。1億!」
17 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:08:28.04 ID:NYV5XGfA0

 お姉ちゃんが言うと、そのことが実感をともなった気がした。

憂「……ど、どうしよう」

唯「うん、どうしようかねえ」

 現実に、1億円を手にした。
 まず考えてしまうのは、やっぱりその使い道だ。

唯「まずは、みんなを呼んで高級焼き肉に行きたいね」

憂「旅行も行きたいな。新婚旅行も行けてないし」

唯「うんうん。……まだ100万いかないかなっ」

憂「すごいねぇ、1億円ってどう使ったらいいんだろう」

 ふわふわ浮いた気持ちだった。
 現実なのに、現実のことを何もかも忘れられるような気持ち。

 もしかして、1億円があれば。

唯「……ねえ憂」

 お姉ちゃんが声を低くして私の耳に口を寄せる。
 会社から着信がきているのか、携帯電話が震えている音がした。

唯「そしたら私、男の人の体が欲しいな」
18 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:09:39.32 ID:NYV5XGfA0

 携帯電話はしつこく唸っている。
 ベランダの向こうを、通学途中の高校生が自転車で駆け抜けていく。

 車輪の音が去った時、バイブレーションはもう止まっていた。

憂「……それって、その」

 知っている。
 なのに、名前が出てこない。出したくない。

唯「そうだよ。性転換手術、受けようと思うの」

憂「……」

 耳もとで、聞きたくなかったその名前はざわついた。

 性転換。
 お姉ちゃんが、男の人の体になること。

唯「そしたら私が男で、憂が女の子で……お引越したら、誰の目にも夫婦に見えるようになるから」

 いまの私たちは確かに結婚しているけれど、
 それでも外から見れば仲のいい姉妹が同居しているにすぎない。

 いつか男の人と結婚するだろうと、両親にさえ思われている。
 私たちの関係を疑っているそぶりは見せるけれど、核心に踏み込まれたことはない。

 それはお母さんたちの心が、私たちの関係を認めようとしていないからだ。
 と、私たちは思っている。

 認めてくれるなら、早く真偽を確認したくなるはずだ。
19 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:10:44.35 ID:NYV5XGfA0

憂「でも、それでも私たちは兄妹で結婚してるってことにならない?」

唯「私たちが姉妹だったことは隠したらいいよ。遠いところに引っ越してさ……」

憂「……そっか。まだまだお金は余るもんね」

 性転換手術にどれだけのお金がかかるかは分からないけれど、
 1億円ぜんぶ持っていかれるほどではないと思う。

 遠くの土地に小さな家を買えるくらいは残るんじゃないだろうか。

唯「だから……いい?」

 お姉ちゃんが、私の目を見つめる。

憂「性転換って、さ」

 所在ない手を、お姉ちゃんの肩に触れさす。
 指先でお姉ちゃんの身体を撫でて、ふくらみに手を添えた。

憂「これも……」

 その手を、そのままお腹の方に動かして、手のひらを当てる。

憂「これも……なくなっちゃうんだよね」

唯「……うん、そうだよ」

 お姉ちゃんは真剣な目で頷く。
20 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:12:02.41 ID:NYV5XGfA0

憂「ここだって、そうなんだよね」

 スカートの上から、お姉ちゃんの性器に手をやった。

 私が昨夜、指を挿れ、舌を這わせた場所。
 お姉ちゃんへの気持ちをいちばん激しく伝えられる敏感な場所だ。

憂「女の子の体じゃなくなるんだよね」

唯「うん。おちんちんをつけるから……」

憂「……そこまでする必要あるかな?」

 あそこなんて、普段外から見えることはない。
 男の人のふりをするにしたって、公共の場で裸になることはほとんどない。
 おちんちんを付けなくても、男の人になりきるのは不可能でない気がする。

唯「憂。私たちが普通に暮らすには、油断しちゃいけないんだよ?」

 お姉ちゃんはふとベランダのほうを見て、窓のそばにかけていくと、
 レースのカーテンの上にさらに厚手のカーテンを閉めてとじた。

 部屋が薄暗くなる。

唯「誰が私たちを疑ってるか分からない。夜の声を聞いてるかもしれない」

唯「そんな時に私たちが男女の夫婦だって証明するには、これがいちばん便利なんだよ」
21 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:13:23.60 ID:NYV5XGfA0

 お姉ちゃんはまた私のほうに歩いてきた。

唯「性転換手術を受けて、戸籍の性別も変えるの」

唯「指輪だって付けて出かけられるよ。ねぇ、憂」

 薄闇の中にいるお姉ちゃんの瞳は、いつもより暗く見えた。

憂「……」

 これしかないんだ。
 私たちが偏見を逃れる方法は、これがいちばんなんだ。

 姉妹じゃなく兄妹になって、顔の似た夫婦のふりをする。
 そのためにお姉ちゃんは今の身体を傷つけて、男の人の体にすげかえる。

 ふりさえできなかった夫婦になれるし、疑われることもぐっと少なくなる。

憂「……じゃあ、」

 言いかけた途端、私のエプロンに入っていた携帯が鳴りだした。

唯「出ていいよ」

憂「う、うん」

 言い止めるきっかけができてよかったと思った。
 私は携帯を取り出して画面を開く。
22 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:14:45.13 ID:NYV5XGfA0

憂「和ちゃんだ」

唯「えっ、和ちゃん?」

 急いで通話ボタンを押して、受話器を耳に当てる。

憂「もしもし、和ちゃん?」

和『憂。久しぶりね』

憂「そんなことないよ。ほんの半年ぶりぐらいじゃん」

 正直、懐かしい声だと感じたけれど、それは黙っていた。

唯「和ちゃん、どうしたの?」

和『あら、唯もいるの? 仕事は?』

憂「うん、実は……ちょっと」

唯「もしかしてさっきの電話、和ちゃんだったの?」

和『ええ。よくも無視してくれたわね』

 和ちゃんが電話の向こうで眼鏡を外す音がした。

唯「わざとじゃないの……許して?」

和『なにぶりっこやってるのよ。仕事はどうしたの?』
23 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:15:26.36 ID:NYV5XGfA0

唯「んーと、それは……和ちゃん、今一人?」

 いきなり理由を説明しては、和ちゃんが驚いて声を出してしまうかもしれない。
 「えーっ、宝くじで1億円当たった!?」なんて大声で言われる可能性も捨てきれない。

 和ちゃんはけっこうベタな人間だ。

和『ええ、家で一人よ。休診日だし』

 和ちゃんが答えると、お姉ちゃんも安心したみたいだった。

唯「そしたらー……今から憂と和ちゃんの家行っていい?」

和『かまわないわよ。紅茶でも用意しておくわ』

 長い話になるだろう。
 和ちゃんの家に押しかけたほうが、ことの証明もしやすい。

唯「ありがと。憂もいいよね?」

憂「うん。和ちゃん、1時間くらいで着くからね」

和『ええ、待ってるわ』

憂「それじゃね」

 電話を切り、お姉ちゃんの顔を見る。
24 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:16:05.10 ID:NYV5XGfA0

唯「和ちゃんに、このこと相談してみようと思うよ」

憂「……性転換のこと?」

 お姉ちゃんはこくりと頷く。

 和ちゃんは、いわゆる開業医だ。
 診療所はまだ3年目だけれど、それなりに繁盛していると聞く。

 さすがに小さな診療所で性転換手術なんてしないだろうけど、知識はあるとみていい。

憂「そうだね。訊いてみよっか」

 私も結局頷いてしまった。

 体が変わったところで心が変わるわけじゃない。
 お姉ちゃんはお姉ちゃんのままでいてくれるはずだ。

 だったら私は、お姉ちゃんが男の人の体になってもいいと思った。

 私が間違っているのだとしたら、和ちゃんがきっと止めてくれる。
 そのときは私もお姉ちゃんを止めようと思った。

唯「じゃ私、化粧落としてくるよ」

憂「うん。じゃあ……着替え用意するね」

唯「ん、ありがと憂」
25 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/12(火) 18:18:03.92 ID:NYV5XGfA0

今回はここまで。

長編(200レスくらい)
原作再開前に書き溜め始めたので、新キャラ勢はでない
5月中には完結したい

26 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(和歌山県) [sage]:2011/04/12(火) 20:28:42.45 ID:NKE7vxwQ0
応援してるよ
他の面々はでるの?
27 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [sage]:2011/04/12(火) 21:03:29.37 ID:+PQ1IZ9/o
とりあえず誰も律の事を信頼してないのが気になって仕方ない
仲間の中で一人だけ内緒にされてるって…
28 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(和歌山県) [sage]:2011/04/12(火) 22:11:43.68 ID:NKE7vxwQ0
ホントだ
澪の言葉は信じてもりっちゃんは信じてもらえないのか
29 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/14(木) 20:07:00.07 ID:7k69ZAWm0

あらかたのメンツは出す予定です
律は内緒ということにされていますが、おそらく澪から伝え聞いているだろうと思います。

続きます
30 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:08:29.90 ID:7k69ZAWm0

――――

 和ちゃんの家は診療所の裏手にある。
 医者の住む家にしては小さめだけれど、これから稼いで増築していくと話していた。

 古い作りのインターフォンを鳴らすと、入っていいわよと声がした。

 不用心だと思いながら、玄関のドアを開けて上がらせてもらった。

和「いらっしゃい、二人とも」

 中は几帳面な和ちゃんらしくよく整頓されている。
 掃除も行き届いているみたいだ。

唯「和ちゃん髪伸びたねー」

和「そうかしら? ……まあ、そうかもしれないわね」

 昔は襟までだった髪は今は肩まで伸びている。
 和ちゃんはちょっと鬱陶しそうに、首にかかる髪を払った。

憂「いやなら切っちゃえばいいのに」

和「このほうが都合いいのよ。患者もうちを選んでくれるし、まあ男うけもね……」

唯「和ちゃん、30までにはなんとかしようね」

和「いいのよ別に……やっていけるし……」
31 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:10:06.05 ID:7k69ZAWm0

 部屋を再度見渡すと、片付いているというよりうら寂しい感じがした。

 食事を取って寝るための家なのかもしれない。
 リラックスするための場所じゃないから、物が増えないのだ。

憂「ま、和ちゃんは結婚しなくても大丈夫だよね」

和「稼ぎは十分にあるからね。……でも心のケアが欲しいわ」

唯「さわちゃんと同じこと言ってるよ、和ちゃん」

和「……さっきの、35歳まで猶予くれないかしら」

唯「あわてなくてもいいんだってば。心のケアなら私がするよ?」

和「そうね、ありがたいわ」

 和ちゃんが小さく笑って、眼鏡を置いた。

和「それで、今日はどうしたの?」

憂「和ちゃんが電話したんじゃん」

和「そうだけど、私はただ二人の顔を見たかっただけよ」

和「うちに来たいって言ったのはあなたたちでしょう?」

 確かにそうだ。
 まだ興奮が収まっていないのかもしれない。思考が冷静じゃないと感じた。
32 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:12:06.52 ID:7k69ZAWm0

唯「そうそう、実は大事な話があるんだ」

和「一体どうしたのよ、会社まで休んで」

 和ちゃんはティーポットから、二つのカップに紅茶を注ぐ。
 湯気が高く昇り、重なる。

 私たちは仲良く並んだカップの前に座り、
 ひと口もらってから和ちゃんの目を見た。

憂「これから言うこと、他の誰にも言わないでね?」

和「なによ。結婚の次はなに、子供でもできたっていうの?」

 和ちゃんがくすくす笑う。
 ちょっと無神経だと思った。

憂「違うよ。……お姉ちゃん、見せてあげて」

唯「うん。和ちゃん、驚いちゃだめよ」

 お姉ちゃんがバッグの奥から、大事そうに紙封筒に入れた一枚のくじ券を取り出す。
 和ちゃんが手を伸ばし、それを受け取った。

和「宝くじじゃない。大事な話ってこれ?」

唯「うん。それ、いくらに替えられると思う?」

和「……いくらって言われても。いくらなの?」
33 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:14:05.90 ID:7k69ZAWm0

唯「これぐらいです」

 お姉ちゃんが人差し指を立てる。

和「……100万?」

唯「安い安い」

和「……じゃあ、1000万ね?」

唯「もうひと声!」

 和ちゃんの顔が引きつった。
 驚きと喜びのまじる私たちとは違って、驚きと畏怖の表情だ。

和「嘘でしょ、1億!?」

憂「嘘じゃないよ。番号調べる?」

和「……そうね。唯のことだし、見間違っててもおかしくないわ」

 和ちゃんはポケットから小さなパソコンを出して、机の上で開いた。
 立ち上げると同時に左手で眼鏡を振ってうでを伸ばし、耳に掛ける。

和「芳文社KR宝くじ、ね」

 インターネットを開き、和ちゃんはすぐに検索ワードを打ち込む。
 小型化のために設計された六列のキーボードに私はまだ慣れないけれど、
 和ちゃんのタイピングは早かった。
34 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:15:54.35 ID:7k69ZAWm0

和「……確かに、2等1億円みたいね」

 しばらくして、諦めたように和ちゃんは言った。

唯「現実を受け入れなさい、真鍋君」

和「なんで唯はそんなに冷静なのよ……」

 まったくだ、と私は頷いた。
 特にお姉ちゃんは、これから性別を変えようなんて考えているのに、
 どうしていつも通りのお姉ちゃんでいられるんだろう。

唯「だって、浮かれてる場合じゃないからね」

 そんなことを考えていた私の頭に、お姉ちゃんの声が届く。

 そうだ。今日はそのために和ちゃんの家を訪ねたんだった。

和「どういうこと? ……いえ、確かに浮かれてはいけないけれど」

唯「和ちゃん、私ね。宝くじが当たったら、したいことがあったんだ」

 お姉ちゃんはもしかしたら、最初からそのつもりで宝くじを買ったのかもしれない。
 毎日が辛くて、ちらちらと覗く蔑視の目から逃れたくて、一縷の望みをかけて10枚の宝くじを買った。

 やりたいことは、性転換手術だけだったのかもしれない。
 お姉ちゃんの言い方は、そんなふうに感じさせた。
35 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:17:44.97 ID:7k69ZAWm0

和「やりたいこと……?」

唯「うん。……和ちゃん、性転換手術って知ってるよね?」

 ぱちん、と音を立てて和ちゃんがパソコンを閉じる。
 そのまま、ゆっくりと手をカップに持っていき、ひと口紅茶を飲んだ。

和「性別適合手術のことね。それを受けたいっていうの?」

唯「そう。今の私たちは、世間的に見て夫婦じゃないから。だから、変わりたい」

 脚をきゅっと閉じて、お姉ちゃんは真剣な目で和ちゃんの方を見つめている。

和「憂は?」

憂「私は……」

 和ちゃんは性別適合手術と言った。
 それが性転換手術の正しい名前なんだろう。

 性別をあるべき形に適合させる手術。
 私たちが女同士で愛し合っていることを考えると、
 たしかにお姉ちゃんか私の性別を適合させた方がいい、と思う。

 あるべきは、男性と女性の愛なのだから。

憂「お姉ちゃんが受けたいっていうなら、和ちゃんの説明きいて、考えようかなとは思う」

和「そう。……じゃあ、まずはあらかた説明するわ」
36 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:19:01.90 ID:7k69ZAWm0

 和ちゃんはあっさりとそう言った。
 性転換手術を受けたいと言ったお姉ちゃんに驚くこともない。

 きっと不思議でもなんでもないことなんだ。

和「性別適合手術……SRSと略すのだけど、その方法を説明するわ」

唯「うん。お願いね和ちゃん」

和「まず想像はつくと思うけど、胸も性器も全部切除することになるわ」

和「乳腺に、お腹の子宮、卵管、卵巣、膣内壁ね。それを取ったら、穴の口をふさいじゃうの」

唯「う、うん」

 分かってはいたけれど痛い話だ。
 子宮を取るなんて、想像するだけで生理痛がする。

和「そして、ここからが大変よ。唯、腕出して」

唯「腕?」

 和ちゃんはお姉ちゃんの差し出した左腕の手首をつかみ、
 肘の付け根から少し離れた場所から手首に向かい、つーっと指先で長方形をなぞった。

 長さはおよそ前腕の半分ほど、幅は腕の裏側ほぼ全部を覆うような、大きな長方形。

和「今描いた四角形くらいの大きさで腕の組織を切り出して、お股につけるのよ」
37 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:20:27.85 ID:7k69ZAWm0

唯「腕が? ……そんなに?」

 お姉ちゃんは和ちゃんがなぞった長方形を見つめて、呆然とつぶやいた。

和「ええ。術後、切り取った場所が完全に回復することは少ないけれど、日常生活に支障はないわ」

唯「ぎ、ギターは?」

和「弾けるわよ。傷は残るけれど、動きに大きな問題はないの」

唯「そっか……よかった」

 和ちゃんは小さく頷いて、説明を続けた。

和「それで作ったオチンチンは、クリトリスと尿道のところにくっつけるの」

和「クリトリスと神経を繋いで、尿道はオチンチンの管と繋げるわけ」

唯「うんうん」

和「そしたらまた、今度は太ももから皮膚を切り取るの。陰嚢を作るために」

唯「……どのぐらい?」

和「そうね……このパソコンぐらいかしら」

 机の上に閉じられていたポケットサイズのパソコン。
 小さいと言ってもそれはパソコンとしての話で、皮膚を切り取るのとは比較してはいけない。
38 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:22:43.70 ID:7k69ZAWm0

憂「お姉ちゃん……」

 腕に関しては、組織を切り取ると言っていた。
 皮膚と言わなかったのは、よほど深く切り取るからだろう。

 男性器を作るためには皮だけでなく、もっと諸々が必要になるのだ。
 そして、それを作ろうとすれば、お姉ちゃんの体をどんどん痛めつけることになる。
 大きな傷をつけるから、傷痕もそれだけ大きく残る。

 それに、エピテーゼとかいうので隠しても、見る人が見れば分かってしまうだろう。
 性転換したという事実は気付かれてはいけない。
 前腕という目立つ場所にある以上、人目につかせないわけにもいかない。

 お姉ちゃんの体をぼろぼろにしてまで、やる価値のある手術ではないと思った。

 いや、ぼろぼろになるだけならまだいい。
 もしお姉ちゃんの体が、手術の負担に耐えられなかったら。

憂「やめておこうよ。お金は別のことに使おう?」

唯「……」

 お姉ちゃんは答えず、和ちゃんが掲げた白いノートPCと、自分の脚を見比べていた。

 すっと息を吸ってから、しばらく。
 やっと私のほうを向いてくれたけれど、暗い顔をしていた。

唯「……憂。私はね、このぐらい覚悟の上だよ」
39 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:25:26.40 ID:7k69ZAWm0

憂「……」

 今度は私が答えられなかった。
 私がお姉ちゃんのことを止めたりして良いんだろうか。

唯「これを最後に傷つかなくて済むなら、いくらでも傷つくつもり」

 お姉ちゃんは毎日外に出て働いてきた。
 私よりよほど傷ついてきたと思う。

唯「いつまでも……きっと、これからはもっとつらくなる人生は、歩めない」

唯「たとえ、憂と一緒でも……ごめん、無理だよ」

 そんなお姉ちゃんが弱音を吐いてしまっていて、
 それでもなお私はお姉ちゃんに頑張れ、と言うつもりだろうか。

憂「……ごめん、ひどいこと言った」

唯「ううん、いいの。ごめんね憂、弱いお姉ちゃんで」

 弱くなんかない。
 お姉ちゃんはずっと、一人で戦ってきたんだ。
 私が一人で戦わせてしまったんだ。

 それなのに、きちんと自分の手で、戦いを終わらせようとしている。

 もう、なにも言えなかった。
40 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:27:10.18 ID:7k69ZAWm0

唯「ごめんね、わかって」

憂「うん……」

唯「ありがと、憂」

 お姉ちゃんの左手が頭に乗る。
 この手ももしかしたら、まともに動かなくなってしまうかもしれない。

 でもそうなっても、私がお姉ちゃんを助けていけばいい。
 夫婦なのだから、当たり前のことだ。

和「……続けていいかしら?」

唯「うん」

憂「お願い、和ちゃん」

和「それで……そう、太ももから取った皮膚を陰嚢として、陰唇のあったあたりにつけるの」

和「その中にシリコン製のボールを2つ入れて閉じれば手術は終わりね」

唯「もう終わりなんだ」

和「ええ。あとはしばらく入院して手術痕の治療だけして退院よ」

唯「ふむ……」

 お姉ちゃんは二、三度頷いてから俯いた。
41 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:29:08.69 ID:7k69ZAWm0

和「今すぐ決めろとは言わないし、もちろんこんな所で手術なんてできないからね?」

唯「あ、うん。それはわかってるよ」

和「まあ一応、大学病院の先生に紹介状書くぐらいはできるから。決断出来たら言ってね」

唯「……うん」

 そしてお姉ちゃんはしばらく黙りこくった。

 いくら今の体がいやで、変えなくてはならないと分かっていても、
 いままで長くつきあってきた体だ。

 手術をして性転換しようと言っても、考える時間は欲しくなってしまうだろう。

 なにもすぐに答えを出す必要はない。
 お金も時間もまだまだたっぷりある。
 お金に関しては、まだ受け取ってすらいないのだけれど。

憂「お姉ちゃん、今考えるのはよさない? せっかく和ちゃんの前だしさ」

唯「……そうだね」

 お姉ちゃんは机の上に置きっぱなしにしていたくじ券を大事にしまうと、
 冷め始めた紅茶に口をつけた。

憂「そうそう和ちゃん、宝くじ当たったから」

憂「今度、軽音部とかのみんなで集まって、焼き肉屋さんにでも行こうと思うんだけど」
42 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:30:45.05 ID:7k69ZAWm0

和「もしかして、おごろうってつもり?」

唯「だって1億円だよ、和ちゃん。お医者さんでもなかなか稼げないよ?」

和「7年……いや、5年あれば1年で1億くらい稼げるわ」

唯「うわっ、ずるいよ」

和「勉強してきた甲斐があるってものね」

唯「うぅむ」

 不満そうに唸っても、和ちゃんの言い分が正しいだろう。
 むしろ将来のために勉強するべきは私たちだったけれど、その努力ができなかった。

 そのつけで、宝くじなんかに頼らないといけなくなってしまったのだ。
 宝くじといえば公的な印象はするけれど、結局ギャンブルには違いないのに。

和「とにかく、宝くじ2等で浮かれてる程度で私におごろうなんてやめなさい」

唯「……でも、みんなとも久しぶりに会うんだから、和ちゃんも一緒に来てよ?」

和「木曜か、日曜ならね。予定が合えば、どこでも行くわ」

唯「そういう風に組むよ、ご安心を」

 私は冷めきった紅茶を口にした。
 こんなふうに紅茶を出せる人を、私は多く知らない。
43 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:32:01.19 ID:7k69ZAWm0

――――

純「おっす、もしもしー?」

 その日の夕方、家に帰ってから、私は純ちゃんに電話をした。

憂「あのね、純ちゃん……」

 まずは一人であるかを確認して、口外しないように伝える。

純「うんうん。いいけど、なに内緒話って。どうしたの?」

憂「実は。宝くじに当たっちゃって。それでお姉ちゃんとみんなで焼き肉に行こうってなったんだけど」

純「ほう、焼き肉……って、みんなって?」

憂「梓ちゃんと、それから軽音部の先輩たちに、あと和さんも」

純「へー。さわちゃんはいいの?」

憂「……うーん。いちおう誘ってみようかな?」

純「あ、ウソウソ。冗談、同窓会じゃないんだから。で、いつなの?」

 純ちゃんは、さわ子先生の話が少し苦手だ。
 別にお互い嫌っているというわけじゃないけれど、
 なにぶん純ちゃんはまだ大学にいる長老なのだ。

 送り出してくれたさわ子先生に対して引け目を感じるのも無理ない。
44 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:34:00.50 ID:7k69ZAWm0

憂「次の日曜のつもり。日程変わったらまたメールするけど」

純「日曜なら平気かな。おごりってことでいいんだよね?」

憂「うん。せっかく宝くじ当たったのに、そんなにけちくさいことしないよ」

純「ま、いくら当たったとかはあえて聞かないけど……大事に使いなよ」

憂「……うん。大事にする」

 じゃあまた、と軽く電話を切られる。
 次は梓ちゃんに電話をかけることにした。

憂「もしもし、梓ちゃん?」

梓「珍しいね、憂から電話なんて」

 確かにそうかもしれない。

 私は主婦の身分だから、働いているみんなに対して遊びに誘おうというのには億劫だ。
 早くみんな結婚して家庭に入ってしまえばいいのに、
 純ちゃんといい梓ちゃんといい、どうにも恵まれていない。

 梓ちゃんに至っては恋愛放棄宣言をして、就職した会社であくせく働いている。
 何が梓ちゃんをそうさせたのかは分からないけれど、おかげで社内では信頼されているらしい。

 実際、結婚をせずに働く男の人は多いのだし、
 いくら梓ちゃんが女の子でも、そういう生き方は大いにアリだと思う。
45 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:35:54.73 ID:7k69ZAWm0

憂「ごめんね、あんまり電話しなくて」

梓「いいよ。憂から電話がくるだけで、ぜんぜん嬉しいし」

 電話口の向こうで、梓ちゃんはくすっと笑う。
 昔に比べて、笑い声が小さくなったなと感じる。

梓「それで、どうしたの? わざわざ電話したからには、用があるんでしょ」

憂「あ、うん」

 耳もとの遠くから、オフィス電話が鳴る音がした。
 まだ会社に残っているらしい。

憂「次の日曜日なんだけど、軽音部のみんなで集まるんだ。梓ちゃん、来れる?」

梓「日曜日のいつ?」

憂「夜から……7時くらいかな。焼き肉屋に行くつもりなんだけど」

梓「7時……遅れても平気?」

憂「大丈夫、まだちゃんと決まってないし。都合つかないんだったら、8時にでも9時にでもするよ」

梓「ありがとう。できたら、8時ぐらいにしてくれると嬉しいかな」

憂「わかった。ちゃんと決まったら場所と一緒にメールするね」

梓「うん、よろしく」
46 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:37:13.29 ID:7k69ZAWm0

 一瞬、電話が切られかけて、また梓ちゃんの耳に戻ってきた。

梓「そういえば、どうして急に集まることになったの?」

憂「あぁ、それがね。ちょっと、お金が入ったから。みんなにごちそうおごりたいなって」

梓「へぇ……宝くじでも当たった?」

憂「えっ。あぁうん、その通り。……誰にも言っちゃだめだよ」

梓「ああ、けっこうデカい金額当たったんだね……」

 デスクの前で遠い目をする梓ちゃんが容易に想像できた。

 宝くじが当たってしまったことは、
 一生懸命に働いている梓ちゃんに大してとても申し訳なく感じるのだけれど、
 それについて詫びればよけいに嫌みたらしくなるだけだから、そのまま沈黙しておいた。

梓「まぁ唯先輩も仕事を頑張ってるわけでしょ? 憂と二人で生きるために」

憂「うん。お姉ちゃんはすごいよ……」

 性転換のことは言わないでおこう。
 私は携帯電話を握りしめる。

梓「まあ、天網恢恢疎にして漏らさずってわけだね。神様は頑張りを見てるんだって」

 果たしてお姉ちゃんの努力を神様が快く感じているかどうかは分からないけれど、
 私は電話を耳に当てたまま、小さく頷いた。
47 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:39:19.20 ID:7k69ZAWm0

梓「じゃあ、そろそろ」

憂「あ、ごめんね。それじゃあ」

梓「うん。バイバイ」

憂「またね、梓ちゃん」

 もっとお話がしたいところだけど、残業中なのに時間を取っては悪い。
 そのまま、電話を切った。

 お姉ちゃんはまだ軽音部の先輩達に電話をかけているみたいだ。
 今話しているのは、紬さんらしい。

 いまのうちに晩ご飯の支度を始めておくことにした。

 宝くじは明日の朝、換金に行く。
 けれど、少しだけ調べたが、明日すぐにお金を受け取れることは少ないそうだ。

 貯金もほとんどない私たちにまだ贅沢をする勇気はないし、
 外食をするにもまずは冷蔵庫の中の食材を使わないといけない。

 ただ少し、いつもより豪勢な晩ご飯を作っても大丈夫だろう。
 二人で分けていた一尾の魚を、二尾焼いても些細な問題にもならない。

 一生そうして暮らすには足らないだろうけれど、
 1億円という金額の重みと安心感が身にしみてわかる。
48 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:41:12.61 ID:7k69ZAWm0

唯「あ、憂ごはん作るの?」

 電話中のお姉ちゃんが台所に立った私を見上げて言う。

憂「うん。食材使っちゃわないと」

唯「そだね、たくさん使おう」

 そうは言っても、冷蔵庫に残る食材は多くない。
 お腹一杯になっても、必要以上ではないように。

憂「ごはん食べたら、おいしいお酒も買おうか」

唯「んお、いいね!」

 お姉ちゃんと笑いあって、私は晩ご飯の準備を始めた。
 むかし、大学のころに二人暮らしを再開した日の夜のうきうきを思い出した。

唯「じゃ、またねームギちゃん」

 鳥のむね肉を切っていると、お姉ちゃんが紬さんとの電話を終わらせたらしい。
 そしてまた携帯を動かして、誰かへ電話をかけた。

唯「わっ、どうしたの、風邪?」

 ふと、お姉ちゃんが驚いた声を上げる。
 律さんか澪さんか、体調を崩しているのかもしれない。

 日曜日までに治ればいいな、と思った。
49 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:42:29.22 ID:7k69ZAWm0

――――

 お腹一杯になって、それぞれお風呂に入ってあたたまったあと、
 お姉ちゃんと一緒にスーパーまでお酒を買いに行った。

 普段は買わないちゃんとした赤ワインと、ワインオープナーも一緒に買い、
 お姉ちゃんが両手で大事そうに抱えて帰った。

 家につき、ワイングラスを買わなかったことを思い出して、
 はにかみながらいつものグラスにワインを注ぐことにした。

 私はパジャマに着替え直してから、またひとつ、ボタンをとる。

唯「ねぇ、憂」

憂「うん?」

 お姉ちゃんはおそろいのグラスにワインを注ぐと、ひかえめな声で言った。

唯「私が男の人の体になっても、えっちしてくれる?」

憂「それって……おちんちんを」

唯「……うん」

 まだその実物はありませんが、いずれお姉ちゃんの股間につけられる男性器。
 それが、私の中へ入る。一般的なセックスを行うのだ。

憂「……どうだろう」
50 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:44:05.64 ID:7k69ZAWm0

 怖いと感じる気持ちはあるけれど、
 もうとっくに、お姉ちゃんの指は私のずっと奥まで触るようになっている。

 もしかしたらオチンチンなんて目じゃないくらいに合わせた指を、深くまで。
 問題や危険があるとすれば、むしろお姉ちゃんの方だ。

 作って取り付けた男性器が、取れてしまわないか。

憂「それはお姉ちゃんだから、大丈夫なんだけど……お姉ちゃんこそ、平気なの?」

唯「えっ? ……ああ、どうなんだろう」

 意図が伝わったみたいで、お姉ちゃんは腕組みをした。

唯「……今度、和ちゃんに会う時にこそっと訊いてみる」

憂「うん、それがいいね」

唯「もし、いれるのは無理でも、憂が欲求不満にならないようにするからね」

 ワインを注いだグラスを手に、お姉ちゃんは笑った。

憂「お姉ちゃんのえっち」

 そんなお姉ちゃんの隣にくっついて座り、私もグラスを手に取った。
 猫を甘えさせるみたいに、お姉ちゃんの手が首の後ろを通り、私の顎をぺたぺた撫でる。

憂「……だいすき」
51 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:45:55.06 ID:7k69ZAWm0

――――

 お姉ちゃんのキスと愛撫に溺れて、気が付けば朝になっていた。

 歯茎や舌のつけねに残る疲れは、
 声を出しすぎたせいで、お姉ちゃんがずっと舌を絡めて塞いでいた証だ。

 宝くじの当籤で気が抜けた上に、ワインを飲みすぎてしまったのかもしれない。
 お姉ちゃんとのえっちが嬉しくてたまらないとき、たまに声を抑えることを忘れてしまうのだ。

憂「ふう……」

 隣でぐったりと眠っているお姉ちゃんを横目に起き上がる。
 カーテンの向こうからすずめが小さく鳴く声がする。

 仕事の無い日は、こうやってお姉ちゃんが疲れ果てるまでセックスができる。
 言いかえれば普段のお姉ちゃんは、ある程度手加減をしてえっちをしているのだ。
 あれで。

憂「……」

 そういえば、なし崩し的にお姉ちゃんは会社をやめてしまった。
 しばらくは生活費に困ることもないからいいけれど、いずれまた働きだす必要がある。

 これからのお金の使い方は重要だ。
 私たちは決して裕福な暮らしなどしていなかったのだし、これからの収入も少ないままだ。
52 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:46:59.55 ID:7k69ZAWm0

 ただ、なにか新しい仕事を始めるためのお金ならある。
 お姉ちゃんが手術を受けても、1億円は尽きない。

 どこか田舎の安い土地に家を建ててそこで働いたり、
 広い土地を買い、田んぼをつくるのもいい。
 マンションかアパートを買い、家賃収入で暮らすのもいいだろう。

 そのための勉強は、今度こそきちんとやろう。

憂「ん〜……」

 体をよく伸ばし、ベッドを降りた。

 シャワーを浴びて着替え、朝ごはんの支度をする。
 そのうち、もぞもぞお姉ちゃんが起き出した。

 お姉ちゃんがしゃんと目を覚ましてから朝食を食べ、
 宝くじの券を持って、銀行に向かった。

 案の定、次の日にまた来ることになったけれど、日曜日まではまだ余裕もある。
 私たちは快く頷いて、その帰りにちょっと高い鉄板焼き屋さんでランチをとった。

 それから家に帰って、余ったお金をどういう風に使おうかと相談した。
 相談というにはあまりにボケボケしてて、子供の夢の語らいのようだったけれど。

 三時にはお菓子屋さんでフルーツタルトを買ってきて二人で食べ、
 あとはワインの残りをあけ、ずっとお姉ちゃんに唇をふさがれていた。
53 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/14(木) 20:48:44.21 ID:7k69ZAWm0
つづく
54 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2011/04/15(金) 00:25:49.26 ID:/aXtAwJf0
期待
55 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2011/04/15(金) 02:13:12.18 ID:YicvqrZDO
支援
56 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/15(金) 13:30:26.96 ID:pgRirIjg0
ものすごく考えられた話だな、支援
57 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:43:11.43 ID:JRXLp+Rr0

――――

 そして日曜日の朝。
 目覚めとともに、口の中で乾いた愛液の味が復活する。

 まだ眠っているお姉ちゃんを起こさないよう、そっとベッドを降りてお風呂場に向かう。

憂「……へへ」

 お姉ちゃんに愛された体にシャワーを当て、しみこんで取れないものを感じる。
 歯磨きもして部屋に戻り、着替えてエプロンをつける。

憂「ん?」

 それを終えたところで、ベッドの方から携帯のバイブレーションが聞こえてきた。
 ベッドのほうへ向かうと、震えていたのは私の携帯の方だった。

唯「ういー、出てー……」

 お姉ちゃんが寝ぼけた口調で言っている。

 ギターをやっていたころと一緒で、お姉ちゃんは燃え尽きるまで頑張ってしまう性分だ。
 そこまで疲れるなら回数を減らそうかと提言したこともあったけれど、
 お姉ちゃんはそれだけは勘弁してと泣きついてきた。

 そうしていつも一生懸命だから、疲れ果てたお姉ちゃんを起こすのは大変なのだ。

 携帯を開くと、澪さんからの着信だった。
 少し意外だったけれど、通話ボタンを押して電話に出る。
58 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:44:07.07 ID:JRXLp+Rr0

憂「もしもし、澪さん?」

澪「おはよう、憂ちゃん。休みの朝からごめんね」

 いつも通り落ちついた澪さんの声がする。
 大人になって一段と綺麗になった澪さんだけれど、
 結婚できないのは未だに克服されない人見知りのせいだろう。

 最近では意図的に男性を避け始めたようにさえ見えて、
 もしかしたら梓ちゃんと同じ、仕事一辺倒の人種かもしれないと思い始めている。

憂「いいですよ、起きてましたから」

澪「そっか。実はちょっと話があるんだけど……いま唯はどうしてる?」

憂「お姉ちゃんですか?」

 ベッドを見ると、お姉ちゃんはまたすやすやと眠りはじめていた。

憂「寝てるみたいですけど。起こします?」

澪「いや、そのままで。今日のことなんだけど……」

 もしかして都合が悪くなってしまったんだろうか。
 でも、せっかく呼び集めたから今日は決行して、
 また澪さん含めてみんなを呼べばいいか、と考える。

 けれど澪さんが次に言ったのは、そうではなかった。
59 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:45:16.84 ID:JRXLp+Rr0

澪「今日みんなで集まる前に、二人きりで会える? 場所はどこでもいいから」

憂「……えっ?」

澪「二人きりで、相談したいことがあるんだ」

 澪さんは、二人きりというところを強調した。

 まともなものさしを使わせてもらうなら、
 既婚の女性と二人きりで会うというと、少し危険な匂いがしてくるものだ。

 澪さんは、私に敢えてその危険性をちらつかせている。
 仕方なく二人きりになってしまう、その上で会えないかと言っている。

 考えにくいことだけれど、もし澪さんがその気だとしたら、こういう風には言わないだろう。
 それに、澪さんは裏をかけるような人でもない。

憂「かまいませんけど……じゃあ、どこにします?」

澪「近くに、公園があるだろ。その向かいにマックスバーガーあるから、そこで」

憂「何時ごろ……」

澪「2時間前がいいな。5時半ぐらいで」

憂「わかりました。……それで、このことは内緒にしたほうがいいんですか?」

澪「いや、私と会うって言ってくれて構わないよ。人妻を連れ出すわけだしさ」
60 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:46:19.18 ID:JRXLp+Rr0

 澪さんはらしくないことを言って、小さく笑った。

澪「それじゃ、5時半。待ってるよ」

憂「あ、はい。わかりました」

澪「じゃあまた。切るよ」

 少しして、通話終了の電子音がする。
 携帯を耳からおろして、私はぼーっと佇んだ。

唯「憂、澪ちゃんと会うの?」

憂「あっ」

 いつの間にか、お姉ちゃんが起きていたみたいだ。
 突然声をかけられて、携帯を取り落としそうになる。

唯「憂への電話だったんだね」

憂「うん、相談があるって……」

唯「なんだろうね。私じゃなくて憂に相談なんて」

憂「さあ……聞いてみないことにはわからないよ」

 澪さんから電話が来るだけでも意外だったのに、
 その上、何の相談かなんて分かるはずもない。
61 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:48:10.38 ID:JRXLp+Rr0

唯「……ふむ。催涙スプレーでも買って、持っていく?」

憂「そこまでしたくないな……」

唯「冗談だよ。澪ちゃんにも、いくら当たったかは伝えてないし」

唯「それに、澪ちゃんだもん。そんな大胆な行動に出ないって」

 お姉ちゃんは口元を薄めて笑い、またベッドに倒れ込んだ。

憂「……そろそろ朝ご飯作るから、いつまでも寝てないでねお姉ちゃん」

唯「んー」

 気のない返事をして、お姉ちゃんはまどろみ始めた。

 それを横目に卵を割り、目玉焼きを二つ焼く。
 その隣にベーコンを並べ、オーブントースターに食パンを二枚入れた。

 お姉ちゃんが寝息を立て始める。

 喉をかするような深い寝息。
 聞いていると、私まで安心できる。

 あとで、お昼寝がしたいと思った。
 ゆっくり休んだお姉ちゃんは眠れないかもしれないから、
 膝枕をして欲しい、なんていうのは贅沢だろうか。
62 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:49:14.16 ID:JRXLp+Rr0

 結局、日中はお姉ちゃんと一緒にごろごろして、
 ぼーっと熱いキスをかわしたり、冷たいアイスを食べさせあって過ごした。

 少し摂生しないと、体重が大変なことになりそうだ。
 今日焼き肉を食べたら、一駅歩いて帰ることにしよう。

 そして、やがて澪さんとの約束で家を出なければならない時間になり、
 支度をして最低限のお金だけ持って、ひとり家を出た。

 冷えた夕方の空気を吸いながら、澪さんが指定したマックスバーガーへと歩く。

 学校帰りに寄り道をしている女子高生の集団が入っていって、少し躊躇したくなった。
 澪さんはどうしてこんな所でお話をしようと思ったのだろう。
 騒がしいしプライバシーはないし、
 せっかく二人きりで話をするならもっと別のところがある気がする。

 もちろん、澪さんにもいろいろ都合があるのだろうけど。

 アップルパイと紅茶を頼んで、二階の座席で澪さんを待つ。
 連絡は入っていないから、私の方が先に来てしまったのだろう。

 一応メールを入れておくと、すぐに返信があって、澪さんも間もなく到着するようだった。

憂「ふう……」

 紅茶を飲み、一息つく。
 制服を着た少女たちが席から見えて、ふと懐かしくなる。
63 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:50:22.19 ID:JRXLp+Rr0

 階段を上がってくる高い足音がして見上げると、人目を引く長い黒髪が目に入った。

 マックスバーガーには子供向けに、おもちゃが一緒になったバーガーセットがあるけれど、
 さすがにそれは頼まなかったみたいだ。

 一杯のホットコーヒーだけトレイに乗せて、澪さんの目が私を探す。
 手を振ろうとしたと同時に見つかったようで、悠々とこちらに歩いてきた。

 お姉ちゃんから浮気するわけではないけれど、やっぱり綺麗だと思った。

澪「ごめんね、急に呼び出して」

憂「大丈夫ですよ、時間なら余ってますし」

澪「唯も、仕事やめたんだっけ?」

憂「一時的にですけど。また仕事を始めないと、いずれ尽きちゃいますし」

澪「そうだよな。分かってるならいいんだけど」

 澪さんが肩の力を抜いた。
 コーヒーの蓋を開けて、砂糖とフレッシュを流し込む。
 ふで先のように持ったマドラーをくるくる回して、微笑んだ。

憂「それで、お話って……」

 指先が止まる。
 茶色に濁ったコーヒーが、渦を作っていた。
64 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:51:11.31 ID:JRXLp+Rr0

澪「相談っていうか……本当は、こうなる前に憂ちゃんとお話がしたかったんだけど」

憂「こうなる、ってどういうことですか?」

澪「宝くじ。当たっただろ」

憂「はい、それは……まあ」

 宝くじが当たる前に相談がしたかった。
 一体、どういうことを澪さんが考えているのか分からなかった。

憂「……どうしてですか?」

澪「憂ちゃんに聞きたいことがあるんだ。ずっと前から聞きたいとは思ってたけど……」

澪「つい最近、聞かなきゃならないことに変わったんだ」

 頷きながら、紅茶を飲む。
 アップルパイの包装に触れるが、まだ熱くて食べられそうにない。

澪「えっと……ごめん、まだ何から話そうか、迷ってるんだ」

憂「時間もそうたくさんあるわけではないですから、何からでも話してください」

澪「うん……そうだな、それじゃあ、律の話からするよ」

憂「律さん?」
65 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:52:29.99 ID:JRXLp+Rr0

 どうして突然、律さんの話なんだろう。

 律さんには、いちおう私たちのことは伏せてある。
 もちろん、澪さんからこっそり伝え聞いているとは思うけれど。

 そういう立場だから、澪さんから律さんの話をはっきり聞いたり、
 律さんが私たちのことを話しているのを見たりといったことは今までない。

 その律さんのことを、私に相談しなければならない。
 なぜか胸騒ぎのするような状況だった。

憂「律さんが……何か」

澪「律、GIDなんだ」

 私の言葉をひっくり返すように、澪さんは勢いをつけて言った。

 そうでもしなければ言えないことだったのかもしれない。
 けれど私には、その三字のアルファベットが何を示すのか分からなかった。

憂「……ごめんなさい、その、GIDって何ですか?」

澪「それは……あのだな」

 澪さんは口ごもったけれど、数度頷いて、また私を見た。

 私も視線をそらさずに、澪さんと向き合う。
66 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:53:42.97 ID:JRXLp+Rr0

澪「GIDっていうのは、性同一性障害のことなんだ」

 それだけ言って、澪さんはコーヒーを口元に持っていった。

憂「……あれですか」

 性同一性障害。
 身体の性別と精神の性別が一致しないとかいうやつだ。

 体は男性なのに心は女性だとか、
 逆に体は女性なのに心は男性ということも無論ある、らしい。

 律さんが、それだというのだろうか。
 確かに律さんの振舞いは、男性らしいと言えばそう思えなくもない。

憂「でも、律さんが……その、GID?」

 そう言われてしまうと、違和感がおこる。

 お姉ちゃんから聞いてきた律さんのお話や、私の見た印象では、
 性同一性障害という風にはとても見えなかった。

 むしろあんなふうに振舞っていながら、
 女の子らしいところもあるのだと認識していた。

澪「律も、そのことで結構悩んでいたな」

 澪さんがぽつりと言った。
67 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:55:02.97 ID:JRXLp+Rr0

澪「律は子供のころから、自分の性に疑問を持っていたらしいんだ」

澪「それこそ私に知り合う前から……いや」

 澪さんは軽く首を振った。
 その様が少し、暗そうに見えた。

澪「律は子供ながらによく考えていたんだ。女の子の体でありながら、心はそうでない、気がする」

澪「そんな自分を、正したいと思って、律は私に話しかけたって……そう言っていた」

憂「……はあ」

 わたしは、ぼんやり頷くことしかできない。

澪「律はずっと女の子であろうとした。中学の時、GIDを告白されて、理解を求められたよ」

澪「私はもちろん分かったけれど、内心は信じられなかったんだ」

憂「律さんがGIDだってこと……ですか?」

澪「うん。律は十分女の子らしかったと思う。今でも、律は女の子らしさを残してると思う」

憂「だったら、そのGIDでは……」

澪「でも。何も言わずに信じていたら、今度はこういう風に言われたんだ」

澪「私は本当に、性同一性障害者なのか? って」
68 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:56:19.37 ID:JRXLp+Rr0

 澪さんは瞼を降ろし、長い吐息をついた。

澪「律も悩んだんだ」

 私を制するように言う。
 ごくりと唾を飲みこむと、胸が苦しくなるようだった。

澪「……私も一緒に悩んでいたけど、高校に上がったころ、私はある小説を読んだんだ」

澪「そこに答えが載ってたんだ」

憂「答え……ですか」

 その結果としてさっきの告白があったのだから、
 律さんはやっぱりだと見ていいのだろう。

澪「……憂ちゃんは、両性具有って知ってる?」

憂「両性具有……あの、いわゆる」

澪「まあ、ふたなりか」

 昔にお姉ちゃんと調べたことがある。
 女の子の体におちんちんが生えているだとか、男の子の体に女性器があるだとか。

 まっとうに言うなら、男性器と女性器の一部や全部が両方備わった体の状態を言ったはずだ。
 言ってしまえば、どちらでもない性別。

憂「そうですね……一応、知ってます」
69 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:57:14.21 ID:JRXLp+Rr0

 澪さんはこくりと頷く。

澪「両性具有が生まれた場合、本人が成長してから、自分の性別を決めることができるんだ」

憂「へぇ……」

 それまで性別を決めないでおくのは不便だろうけれど、
 そのせいで起こる不都合を考えると、誰かが勝手に決めてしまうよりいいかもしれない。

澪「……本人の意志を尊重していて良いね、って思った?」

憂「え?」

 一瞬、澪さんが何を言ったか分からなかった。

澪「成長したら、絶対に男か女、どちらかの性別に割り振られなきゃいけないんだ」

澪「男か女、それしかない。たとえ男性器の半分と女性器の半分が、それぞれ自分のオマタについていても」

澪「どれほど迷ったって、決めなければいけないんだ」

憂「……えっと」

 何か言わなければ。
 そう思ううちに、また澪さんが口を開く。

澪「……こういうふうに、体でさえ、性別は完全に決まってないことがある」

澪「男性が一割で女性が九割の人もいれば、男性が五割、女性も五割という人がいる」
70 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:58:31.56 ID:JRXLp+Rr0

澪「前者はまだいい。けれど、後者は困るよな」

澪「自分はどちらでもないのに、どちらかに性別を決めないといけないんだ」

憂「はい……そうですね」

 気圧されて、うつろな言葉しか出ない。

澪「この、性別の割合の話……これはさ、体だけじゃなく、心にだって言えることだと思うんだ」

憂「心……」

澪「両性具有はなかなかいないものだけど、心の性別が崩れている人はたくさんいると思う」

 澪さんはすっと小さく、落ちつけるように呼吸をした。

澪「心の中で、自分は女の子だと思っているし、体も女の子だ」

澪「だけど時々、男性を見習ったような振る舞いもしてしまう」

澪「そういう人の心は、よく見ると、女性が八割で、男性が二割くらいあったりするんだ」

憂「二割が男性の心、ですか」

澪「そう。ただそのぐらいなら、女性として生きる上で問題はないよ」

澪「けど、この割合がどんどん均質化されると分からない。女性が四割で、男性が六割なら?」

憂「えっと……」
71 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 18:59:44.25 ID:JRXLp+Rr0

澪「律もそうなんだ。律の場合、女性が四割五分、男性が五割五分ってところか」

 澪さんが座席に掛け直す。
 それから襟を直して、後ろ髪を整えた。

澪「だから律も悩んで……けどやっぱり、GIDだって認めたんだ」

憂「……そうだったんですね」

 私はまた、紅茶の紙コップを手にし、口もとへ運んだ。
 澪さんも紙コップに手を伸ばしたけれど、その表面の感触を撫でただけで、飲みはしなかった。

 きっと今、澪さんの体は熱くなっているだろう。
 私が律さんの悩みを、理解できなかったから。

憂「……ごめんなさい」

澪「いいんだ、大丈夫だよ……なかなか分からないだろうとは思うから」

澪「わかってくれただけいいよ、ぜんぜん」

憂「……それはわかりましたけど」

 私はそろそろと、アップルパイに手を伸ばした。
 良い具合の温かさになっていた。

 包みを開き、パイを引き出しながら私は言った。

憂「でも、どうしてそれが、私に相談しなきゃならないことだったんですか?」
72 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 19:01:19.80 ID:JRXLp+Rr0

澪「ああ……そっちを先に言った方がよかったか」

 澪さんはきょとんとした顔をして、
 それから照れ臭そうに唇のはじっこで尖った歯を見せた。

澪「実は……なんだけど……えっと」

 さっきまでの表情と一変して、澪さんの顔に喜の感情があふれだす。
 信じられないくらいニコニコ笑いながら、頬を赤くして、えへえへ呻いている。

澪「へへ、その、律さ、男になるから、さ。……そしたら私をお嫁さんにしてくれるんだって」

憂「……」

 サクサクのアップルパイの生地を歯で破ると、
 ほどよい温度に落ちついた林檎の甘煮があふれてくる。
 砂糖の甘さと林檎の甘酸っぱさが舌に乗り、口いっぱいに広がった。

 これがまた、鼻に残った紅茶の香りとよく合う。
 そのまま二口目にかぶりつき、生地の食感と一緒に咀嚼して楽しむ。

憂「ところで」

 口を動かしながら、途切れに喋る。

憂「いつから、付き合ってたんですか?」
73 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 19:02:31.61 ID:JRXLp+Rr0

 そう問われると、澪さんは深く頷いた。

澪「ずっと秘密にしてたけど、唯やムギや、憂ちゃんなんかと出会う前から、私たちはそうだったんだ」

澪「そもそも律がGIDを告白したのも、私にその、好きだって言うためだったらしい」

 すると、澪さん達は私たちよりも早くから禁断の関係になっていたことになる。
 カチコチに緊張しながら、姉妹で付き合ったことの報告にいく私たちとは何だったのか。

憂「どうして今まで、結婚を……」

澪「憂ちゃんたちみたいな選択をしようと考えたことはあった。つまり、事実婚だな」

 心がずきりと痛む。
 結婚式を開き、一緒に暮らしていても、決して法的には結婚が認められていない。
 それが私たちの結婚、いわゆる事実婚だ。

憂「なのに、しなかったんですか?」

澪「そうだな……」

 澪さんはちょっと目を伏せた。

澪「こう言うと二人にはあれかもしれないけど、やっぱりそれは結婚じゃないように思ったんだ」

澪「唯や憂ちゃんが姉妹を装ったように、私たちも友達を装うんじゃないかって」

憂「それは……ですけど」
74 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 19:03:33.43 ID:JRXLp+Rr0

 私たち女同士や、近親間での結婚が認められるはずはない。
 それに外面では姉妹を装ったとしても、私たちしかいないときにはきちんと夫婦でいる。

 それでも私たちは、婚姻関係を結んでいると言えないのだろうか。

憂「澪さんは、事実婚じゃ不満だったんですね」

澪「不満というより……不安だったのかもしれない」

憂「不安ですか?」

 澪さんはコーヒーを飲みきってしまった。

澪「結婚っていうのは、社会的に承認される行為だと思うんだ。愛の結実じゃなくて」

憂「……」

澪「法的に手続きをとり、私たちが愛し合っていることを国家に認めて、許してもらうわけだ」

澪「だけど同性同士では今のところ、それは認められない。国が認めないことは、社会も大抵拒絶する」

 空になった紙コップを指で回しながら、澪さんはため息をつく。

澪「きっと私たちが女同士のまま結婚しても、唯たちは認めてくれるし、祝福してくれる」

 まるで居たたまれず視線をそらすように、私はごく浅く頷いた。

澪「けど、私たちはそんな小さな輪の中で暮らしてはいない。他のつきあいがある」
75 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 19:04:45.40 ID:JRXLp+Rr0

澪「その中には当然、私たちの結婚を拒絶する人がいるはずだ。……だから、結婚は出来なかった」

憂「たったそれだけの不安で……?」

 内心、臆病がすぎるのではないかと思った。
 私とお姉ちゃんのように愛し合えていないから、そんなことに怯えるのではないか、とさえ。

憂「それで、律さんが性転換を……性別適合をして男性になったら、すぐ結婚するんですか?」

澪「……そうだな。憂ちゃんからしたら、ちょっとひどいかもしれない」

澪「性別にとらわれすぎてないか、なんて言われても仕方ないよな」

 かたん、と音がする。
 澪さんが弄んでいた紙コップをテーブルに置いたようだった。

澪「けど、結婚になるべく不安は残したくなかったんだ」

 そしてそのコップが徐々にひしゃげて、潰れていく。

澪「……普通の人たちみたいに、ひとまえで夫婦ですって、言いたかったんだ」

澪「想い合って愛し合って結婚するのに、そのことを内緒にしなきゃいけないなんて、いやだったから……」

憂「……その気持ちは、十分わかります」

 私は少し落ちついて、紅茶を飲むことにした。
 澪さんはなにも、私たちの結婚を否定するわけではない。
 ただ澪さん達にとって、事実婚が結婚たりえなかった。それだけのことだ。
76 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 19:06:03.26 ID:JRXLp+Rr0

憂「考え方の違いですね。私は気持ちの上で通じあっていれば、認められなくても構いません」

憂「そもそも、私たちはどんな手段を取っても結婚を認められることなんてできませんけど」

 愚痴っぽくなって、またアップルパイで口をふさぐ。

澪「そうだな……律がGIDじゃないとしたら、私たちも同じ手段をとらざるをえなかったと思う」

澪「だとしたら結ばれることを諦めていたかって、そんなことはないと思うけどさ」

 冷めかけているアップルパイを、残り一気に食べてしまった。
 飲みこみ、紅茶を少し飲んでから口を開く。

憂「相談事って、澪さんと律さんの結婚の是非とかですか?」

澪「違う。そこで悩むくらいなら、律と結婚する資格なんかないと思う」

憂「じゃあ……」

澪「たいしたことじゃないんだ。相談というのも変なくらい」

 くす、と澪さんが笑った。
 なぜかその笑顔が、やけに久しぶりに感じる。

澪「同じように家庭に入る者として、唯との結婚生活についてちょっと聞きたいんだ」

憂「おね……唯とのですか?」
77 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 19:07:04.09 ID:JRXLp+Rr0

澪「……うん」

 すぐ近くを、見かけたことのある中年の男性が通っていった。

澪「今の人、知ってるの?」

憂「見たことあるだけですけど……」

澪「……ごめん、うかつだった。家から離れた店の方がよかったな」

憂「構いませんよ、どうせしばらくしたら越しますし」

澪「また引っ越すのか?」

憂「今度は遠いところに。お金ならありますから」

澪「……そっか。やっぱり、周りの目って厳しいの?」

憂「疑ってかかる人は、1人2人は必ずいます。まあ、たしかに偽ってますから」

澪「気にする人は気にするんだな……」

憂「といっても引っ越すほどのことはないと思いますけど……お姉ちゃんが心配性で」

澪「けど、今度はそういう心配がないところに引っ越すんだよな?」

憂「そうですね。家も買っちゃいますから、もう越せないかと」
78 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 19:08:16.45 ID:JRXLp+Rr0

 それだけでなく、お姉ちゃんは性転換をするし、
 きっとこれからはそういう心配にあてられることはないはずだ。

 澪さんの言うように国家に認められた結婚ではないけれど、
 少なくとも男性と女性に見えてくれれば、疑われることはないし、
 夫婦として周囲から見てもらえるだろう。

憂「……そういえば、律さんって」

澪「ん?」

憂「性別適合手術……は受けるんですか?」

澪「いや、それはまだ無理だ。お金がないしさ」

 うらやましいよ、と澪さんは潰れた紙コップを倒した。

澪「今はまだホルモン注射を受けてるだけだけど……結構変わったよ。会ったらびっくりする」

憂「……それって皆さんには」

澪「知らせてない。まあ、久々の再会にはサプライズが必要だからな」

 澪さんはいたずらっぽく笑う。
 その笑顔が、ちょっと記憶をゆさぶった。

憂「……って、律さんが言ったんですね」

澪「ん、あはは。そうだよ」
79 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/17(日) 19:09:31.60 ID:JRXLp+Rr0

 昔よく会っていた頃とは違って、男性になりつつある律さんの体。
 あの快活な笑顔は、性転換によって奪われていないのだろうか。

 そんな不安が一瞬よぎり、去った。

 性転換ではなく、性別適合だ。
 間違えていたものが本来の容器にはまるのだから、良いところが変わってしまうはずはない。

 軽くなった紅茶の紙コップを持ち、飲みほした。

澪「そろそろ、出た方がいいんじゃないか?」

 澪さんが腕時計を見て言う。

憂「そうですね。行きましょうか」

 私はトレイを持って立ち上がると、紙コップや包装を捨てた。

 それから澪さんと駅へ向かい、お姉ちゃんと合流する。

唯「澪ちゃん、またきれいになったねぇ〜」

 お姉ちゃんはそう笑っていた。
 澪さんは、お姉ちゃんの頭の中にある澪さんと同じ変化の仕方をしているのだろう。

 では、人為的にその変化の方向をねじまげた律さんに会ったら、
 お姉ちゃんはどんなふうに思うのだろう。

 驚くだけで済むのだろうか。
80 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/17(日) 19:11:37.34 ID:JRXLp+Rr0
つづく
81 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/17(日) 19:15:12.69 ID:X8uNNGwjo
乙です。支援。
82 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/17(日) 20:35:46.00 ID:RcO7/aoDO
乙かれー。期待してるぜ。
83 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/17(日) 21:38:16.70 ID:Y+nUcnRLo

パープルって漫画思い出した
84 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/21(木) 07:10:47.44 ID:EtxHLpiDO
面白いです
85 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:19:34.47 ID:eRZU/24r0
短いけどやる
86 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:20:42.13 ID:eRZU/24r0

憂「あの、澪さん」

 電車に揺られながら、私は尋ねた。

憂「今日は律さんと一緒には行かないんですか?」

 このまま何も伝えずに、お姉ちゃんと律さんを会わせるのはよくないと思った。
 お姉ちゃんの手術のことは、正直まだみんなには話したくない。

 けれど律さんがその話題を出した場合、というか出さざるを得ないだろう。
 そのときにお姉ちゃんが同調して話しだしてしまう可能性はある。
 どこかで隙を見て、お姉ちゃんにだけはこっそり伝えておきたいのだ。

澪「ああ、律は先生のところに行く予定があったから」

唯「先生? さわちゃん?」

澪「ちがうちがう、お医者さんだ」

 そう聞いて、お姉ちゃんは目を丸くした。

唯「りっちゃん病気なの?」

 その表現は、いちおう、通念上は間違っていない。
 けれど澪さんは首を振った。

澪「そうじゃない。栄養剤をもらいにいってるって感じだな」

 サプライズを隠すためにそう言っているのか、
 それとも性同一性障害は病気ではないと考えているのか。

 澪さんのすました顔からは読み取れなかった。
87 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:22:21.66 ID:eRZU/24r0

唯「りっちゃん、電話した時も声おかしかったし……ちゃんと検査したほうがいいんじゃないかなぁ」

憂「そうですよ。仕事も大変なんですし、体壊したら大変ですよ?」

澪「律に何かあったら私が支えるから大丈夫だよ」

唯「ワァオ」

 やはり、澪さんの前でさとられることなくお姉ちゃんに伝えるのは無理がありそうだ。
 途中でトイレに寄って、そこで伝えてしまおう。

 律さん達は迷い、よく考えて、
 私たちにサプライズ的に発表することを決めたのかもしれない。

 けれど、今の私たちも繊細だ。
 律さん達に崩されるわけにはいかない。

憂「お姉ちゃん、ちょっと」

 目的の駅に着いて電車を降りると、お姉ちゃんをトイレに連れ込んだ。

 そして律さんが性同一性障害であること、
 ホルモンの投与を受けて外見などが変わっているであろうこと、
 なによりお姉ちゃんが性転換手術を受けようとしていることを内緒にすることを伝えた。

唯「……わかった」

 お姉ちゃんはそれほど驚いたふうでもなく、ただゆっくりと頷いてくれた。
88 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:23:46.01 ID:eRZU/24r0

――――

 予定の焼き肉屋に到着すると、
 既に純ちゃんと和ちゃんと紬さん、そして何故かさわ子先生まで来ていた。

 神出鬼没と言うより、嗅覚がすさまじいのかもしれない。

 それにしてももう35歳くらいのはずだけれど、
 焼き肉なんて食べて胃腸は大丈夫なんだろうか。

純「憂、あんたすごく失礼なこと考えてる顔してるよ」

 それから少し待ち、梓ちゃんが駆けつけた。

 結局律さんが最後である。
 もしかしたら全員が集まるまで、どこかで待機、あるいは監視しているのかもしれない。

 お祭り好きの律さんのことだ、夜の待ち合わせに遅刻することは考えにくい。
 朝だったら平気で寝坊するし、昼も昼寝ですっぽかすことは多いけれど。

純「憂……」

憂「なあに?」

純「……いや、なんでも」

 もう全員集まった。
 ただの遅刻でないのなら、そろそろ律さんは現れるはずだ。
89 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:24:52.01 ID:eRZU/24r0

梓「律先輩遅いね」

 焼き肉屋さんの壁際にしゃがみこんで、梓ちゃんが気だるそうに言う。
 今日も仕事だったのだろうか。

憂「うん……寝てるってことはないと思うけど」

梓「へえ、なんで?」

憂「今日、病院に寄ってそのまま来るらしいから」

梓「病院? またなんで律先輩が」

憂「えっと……」

 その理由は、私から梓ちゃんに話すべきではないだろう。
 律さんと澪さんの問題を伝え聞いたからといって、
 それをべらべら言いふらすのは間違っても私のような者がとる行動ではない。

憂「よくわからないけど、病院なんだって。澪さんが言ってたから」

梓「ふぅん……まあ転んだとかだろうけど」

憂「そうかな?」

 苦笑して、もう少し待つ。
 しかし五分しても律さんは来なくて、澪さんが心配して電話をすることにした。

 わざわざ少し離れたのは、変化した律さんの声をみんなに聞かせないためだろう。
90 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:25:39.18 ID:eRZU/24r0

 私はさりげなく、お姉ちゃんのそばに行った。
 会話が他のみんなに漏れないように、顔を近づけて耳打ちするように言う。

憂「律さん、やっぱり……怖いのかな」

唯「うん……今までのりっちゃんじゃないんだもんね」

 お姉ちゃんは俯く。

 その言い方にはかげりがあった。
 たぶんお姉ちゃん自身も律さんが変わってしまったことを悲しんでいるのだと思う。

憂「お姉ちゃんは平気?」

唯「平気って?」

憂「性転換して、いろんな人との関わり方が変わっちゃうの。怖くない?」

唯「うーむ」

 お姉ちゃんは顔を上げ、澪さんの方を見た。
 電話はまだ続いているみたいで、澪さんは呆れたふうに腰に手を置いている。

唯「……いっそ、リセットしちゃうのがいいかもね」

憂「……え?」

唯「どうせ遠くに住むんだよ。だったら人間関係ぜんぶ洗い流したほうがいいかもって」

唯「それに、憂がいたら、私にはそれで十分だし」
91 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:26:44.39 ID:eRZU/24r0

憂「私だってそうだよ。だけど」

 お姉ちゃんの言っていることは、なにかおかしくないだろうか。

 繁華街に流れるぬるい夜風とともに、そんな感情が歩く。

憂「……いやだな」

 とにかく、こうして集まった場で、みんなと縁を切ることなんて考えられない。
 わがままは承知で、首を振った。

憂「お姉ちゃんだけじゃ嫌ってことじゃないけど、でも」

唯「憂」

 お姉ちゃんが私の目を射抜き、言葉を遮った。

唯「生き方を変えるっていうのは、それぐらいのことだと思うよ」

憂「……うん」

 結局、頷いてしまう。
 胸の奥にもやもやを抱えたまま、私はお姉ちゃんを信じるしかなかった。

 澪さんがぱちっと携帯を閉じる音がした。

澪「あと3分くらいで着くそうだけど、待てる?」

 お姉ちゃんが時計を見る。
 予約はしてあるけれど、まだ遅れて問題はない。
92 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:28:08.42 ID:eRZU/24r0

唯「うん、平気だよ」

 お姉ちゃんが頷く。

澪「にしても……」

 澪さんは私たちを見て、頬を緩める。

澪「近いな、二人とも」

唯「エヘヘ」

 つられてお姉ちゃんも笑った、その瞬間だった。
 澪さんの後ろから、見覚えのある顔がすっと現れた。

憂「あっ」

 輝かしいお日様のような色をした瞳。
 高い鼻立ちに、いたずらっぽく笑っている口元。
 輪郭は少し尖ったけれど、顔のパーツはほとんど変わっていない。

律「……いっても、私はもっと近くにいるぞ」

 律さんがささやくと、澪さんの顔がぐわっと歪んで、

澪「いゃああああああっ!?」

 ちょっと蒸し暑いほどの街に、冬の海風みたいな高い悲鳴が上がった。
93 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:29:11.80 ID:eRZU/24r0

 その悲鳴でみんなも振り向いた。
 後ろの方から、強い警戒心が放たれているのを感じた。

純「み、澪先輩!」

 明るい茶髪も、髪型はともかくそのままなのに、
 前情報が無いとそんなに律さんだと気付けないものだろうか。

 純ちゃんが駆けだして、澪さんの肩を抱いてこっちに連れてくる。
 あわあわ言いながら連れていかれる澪さんも澪さんだと思った。

律「いや、あの」

 でも確かに、だぼっとした服を着た律さんの姿は男性に見える。

 澪さんはまた少し背が高くなったというのに、
 さっきの律さんは背伸びした様子もなく、澪さんの背後から顔を出した。

 いくぶんか、澪さんに並ぶかそれ以上にまで背が高くなったのだ。

 すっかり変わって、男性にしか見えない律さんがおろおろ歩み寄ってくる。

純「近づかないで!」

律「ちょっ」

梓「そうですよ、このチカン!」

律「お前わかってて言ってるだろ?」

 そろそろ止めよう。
94 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:30:07.60 ID:eRZU/24r0

憂「もしかして、律さん?」

 みんながいっぺんに私の方を見た。

律「……やっと気付いてくれたか」

唯「りっちゃんなの?」

 お姉ちゃんも私の演技に乗る。
 澪さんが事前に伝えてくれなかったらどうなっていたんだろう。

律「ああ、わたしだ……うんっ」

 喋りにくそうな声だ。
 やっぱり途中で咳ばらいが出る。

律「……おれだ。田井中律」

 律さんはそう言い直した。
 喧しい街の中、ここだけ静かなように感じた。

律「あぁでも、りっちゃんでいいぞ。今は」

唯「う、うん」

 お姉ちゃんも曖昧に頷く。

 顔を見た一瞬は何も違和感がなかったのに、
 律さんを見るほど、律さんが喋るほど、言葉にしがたい気持ちが胸の中でうずくまる。
95 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/23(土) 16:32:01.42 ID:eRZU/24r0

紬「……ねぇ、いったんお店に入らない?」

 紬さんが提案する。
 外で解決しようとするには、この問題は大きすぎる。

 私たちはひとまず、焼き肉屋さんにそろって入ることにした。

律「澪、立てって」

澪「ああ、ぁ……」

 律さんに手を取られて、うずくまっていた澪さんがむりやり引っ張り上げられる。

 こうして律さんが澪さんを引っ張っていくのは昔からよく見られた光景だけれど、
 いま、なんとなく違和感があったのはどうしてだろうか。

 律さんはきっと、私たちの前では女性らしく振舞っていたのだろう。
 たとえ男性的な行動を取る時でさえも、自分が女の子であることを意識していたのかもしれない。
 さっきの律さんの手の取り方が、本当の律さんの手の取り方なんだろうか。

 わたしにはわからない。

 もしかしたら今の違和感は、律さんが男の演技をしているせいなのかもしれない。
 もちろん、ただ私が本当の律さんを知らなかっただけかもしれない。

 確かなのは、私には律さんや澪さんを悪く言うことなんてできないということ。

 いや、悪く言ってはいけないのだ。
 そうすれば私はまた、お姉ちゃんを苦しめることになってしまうのだから。
96 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/23(土) 16:32:27.91 ID:eRZU/24r0
つづく
97 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/23(土) 16:34:29.89 ID:eRZU/24r0
つづく
98 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/23(土) 16:43:50.25 ID:958X9GpEo
乙乙
99 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/23(土) 17:11:22.13 ID:9Eh8zhkDO
乙乙乙
100 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/23(土) 17:18:26.99 ID:j8MGcuslo
101 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/23(土) 21:21:44.73 ID:6RaGyjBDO
102 ::VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/23(土) 23:43:17.00 ID:wDG/AHoZo
103 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/24(日) 01:13:52.49 ID:akdAo+XBo
104 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:15:36.99 ID:GCqnE4kI0

 奥の座敷に通され、二つの七輪が埋め込まれた卓をみんなで囲んだ。

 私の右隣はお姉ちゃん、左隣に澪さんが座り、その隣には律さんが腰を下ろした。
 前には梓ちゃん、純ちゃん、和ちゃんに紬さん、少し詰めてさわ子先生が座る。

 すでに卓にはやたら高いお肉が並んでいたけれど、
 純ちゃん以外はいくつも並んだ皿に目を向ける気はないようだった。

唯「いったん、さ……りっちゃんから、みんなに説明してよ」

唯「ごはん食べるのは、それからにしよう?」

律「よし、わかった」

 律さんが頷く。
 そして、すっと立ち上がった。

律「まあ、見ての通り私は……俺は、男なんだ」

 また言い間違えて、律さんは指をまごつかせた。

律「性同一性障害って、たぶん知ってると思うけど、それだったんだ」

 みんなは黙って律さんの顔を見つめていた。
 なんと言っていいのか分からないのは当然だろう。私は一対一でさえ何も言えなかった。

律「今のところ、正確には男の体にはなれてないけど……その、なんだ」

 律さんはそんなみんなの顔を順繰りに見ていって、ふっと笑った。

律「どうやらそれなりに男に見えるみたいで、嬉しかったよ」
105 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:16:53.62 ID:GCqnE4kI0

律「さて……」

澪「待て、律」

 それだけ言って座ろうとした律さんを、澪さんが制する。
 一緒に立ちあがった二人は、やっぱり同じくらいの背丈になっていた。

澪「それからなんだけど。私と律はつきあっているんだ」

 毅然とした顔で、澪さんが言う。
 さわ子先生だけが、少し表情を歪めた。

 ここにいるみんなは、ほとんどが私とお姉ちゃんの件でそういうことには免疫がある。

 おそらく私たちがみんなにこの関係を内緒にしていたら、
 澪さんはここでカミングアウトすることはできなかっただろうと思った。

澪「性転換が認められたら、正式に籍を入れるつもりでいるけど……」

澪「もうどこかの二人みたいに、気持ちとしては結婚するつもりだ」

律「ああ、そうそう。そういうわけだから、よろしくな」

 二人は軽い感じに言った。

 私は正直なところ、心の底で苛立った。

 澪さんは、本来の結婚とは社会的に認められる行為だと言った。
 ならば、国に認められた結婚だったら、こんなふうに軽い気持ちでしていいというのか。

 たとえ男性と女性の姿や性別であっても、普通はもっと覚悟があって、慎重になる。
106 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:18:12.18 ID:GCqnE4kI0

 深く考えていないふりをしているだけかもしれない。
 それでも、反感をおぼえてしまうのは仕方がなかった。
 せめて心の内だけにとどめて、細く息を吐いた。

憂「……はい、わかりました」

律「ん、よろしく」

唯「りっちゃんでいいんだよね?」

律「ああ。唯の呼びたい呼び方でいいよ」

唯「じゃありっちゃん座ろう? みんなもいいよね?」

 お姉ちゃんがテーブルの向かいにいるみんなの顔を見ていく。

 純ちゃんはお肉からちらっと顔を上げる。
 梓ちゃんは、そんな純ちゃんの胸のあたりに目をやりながら、小さく頷く。
 紬さんと和ちゃんは、憮然とした表情のまま、手指をむず痒そうに動かす。
 さわ子先生は腕組みをして、深く頷いた。

和「……まあ、仕方ないわよね」

 やがて和ちゃんがぼそりと言った。

 仕方ない。
 律さんは生まれ方を間違ってしまった。
 もとは男性なのだから、まるで同性愛のように見えるけれど、気にしても仕方のないこと。
 糾弾することはできない、ということだ。
107 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:19:52.83 ID:GCqnE4kI0

紬「……うん、それがほんとのりっちゃんなら、私たちは気にしないから」

 紬さんは悲しそうな目で笑った。

 それでようやく、律さんと澪さんはこの場にいることを許されて、
 ゆったりと座布団の上にお尻を落ちつけることになった。

純「さ、じゃあ、焼きましょうか」

 待ってましたと言わんばかりに純ちゃんがトングを手にした。

唯「だね! いっぱい食べていいよ!」

 そして私たちは、初めて会うような律さんが醸す違和感をせめてごまかせるように、
 初めて食べるような高い高いお肉を網に乗せては炭火で焼き、胃袋におさめていった。

――――

憂「んぐ……」

 やがて、少し無理をしてしまったか、喉に詰まりを感じた。

唯「憂、へいき?」

 お姉ちゃんが水を取ってくれる。
 だけど、それさえ飲める気配がしなくて、グラスをテーブルに押し返した。

唯「ちょっと、行こう」

 お姉ちゃんが私の手を取って立ち上がった。
 手首で口を押さえながら、靴をひっかけてトイレに引っ張られていく。
108 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:20:49.51 ID:GCqnE4kI0

 トイレの個室に押し込まれ、洋式の便座の前にひざまずく。

 高いお店だからかは分からないけれど、
 トイレはきれいに掃除されていて、その行動を取るにも抵抗感はなかった。

唯「出しちゃって、憂」

憂「うっぷ……」

 お姉ちゃんの手が背中をさすると、こらえていた吐き気が一気にこみあげた。
 目を固く瞑り、出てくるものを見ないようにする。

 喉が奥からこじ開けられて、異臭が鼻を衝いた。
 便器に重たい液体がびしゃびしゃとかかる音が耳に不快だ。

憂「ぷはぁ、ぇ……ごほっ」

 口の中に酸い味が感じられた。

唯「ほれ、ほれ」

 お姉ちゃんがなおも背中をさすった。
 まだ吐くものが残っていたらしく、再びこみ上げて来て、私は便座に突っ伏した。

憂「うええええぇぇ……」

 ごめんなさい、高級焼き肉。
109 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:21:49.55 ID:GCqnE4kI0

憂「はぁー……」

 いっぺんに吐き終えて、軽くなった胃のあたりをさすりながら膝を立てた。

唯「大丈夫?」

憂「うん、ひとまず……」

 汚物を流して水道に向かう。
 口の中全体にきつい味がしている。あまり喋りたくない。

 蛇口をひねり、出てきた水で口をゆすぐ。
 黄色のどろっとした固まりが排水溝に流れていく。
 お姉ちゃんはその間ずっと、私の後ろに立ってくれていた。

憂「ごめんね、お姉ちゃん」

 口をゆすぎ終えて、手を洗いながら言った。

唯「ん?」

憂「高いのに……吐いちゃって」

唯「そんなのいいよ。今はぜいたくしていいんだから、憂も戻ってまた食べ直そうね」

 お姉ちゃんは私の頭をぽんぽんと撫でてくれる。
 鏡には、似た顔の似た髪をした、双子の姉妹にしか見えないような二人が映っていた。
110 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:22:55.62 ID:GCqnE4kI0

憂「……うん」

 私は濡れた手で、お姉ちゃんの後ろ髪に触れてみた。

唯「くすぐったいよ、うい」

 お姉ちゃんがくすくす笑った。
 冷たい指先で首筋をなぞってみる。

唯「ちょっと……えっちいってば」

 笑顔のまま、お姉ちゃんがその手をはねのける。

 私だって、こんなところでだめだとは思う。
 けれど、止まるきっかけがつかめない。今度は指をお姉ちゃんのくちびるに持っていく。

憂「お姉ちゃん……」

 焼き肉の脂とタレに濡れたくちびるが、触れた指先にやさしくくっつく。
 手のひらでお姉ちゃんの頬を包むように撫で、そっと引き寄せる。

唯「……憂?」

 お姉ちゃんだってわかっているだろうに、わざとらしく首をかしげて抵抗しない。
 そのままお姉ちゃんの顔に接近して、くちびるを重ねた。

唯「……んっ」

 私の髪を撫でていた手が、肩を掴んできた。
 けれど、その手は決して強く拒んできたりはしない。

 せめて個室に行かないと。このままでは危険なのに。
111 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:23:37.55 ID:GCqnE4kI0

唯「んぐっ……」

 くちびるに唾を当てながら吸い、
 お姉ちゃんの味だけになったところで舌を挟んでもらう。

 トイレという空間にはまるで似合わない、高い水音が立つ。

 扉の外で、人の動く気配がした。
 さすがにお姉ちゃんが肩を強く押してくるけれど、
 私はお姉ちゃんのくちびるにすがりついたまま離れない。

唯「こ、こらっ……んんっ」

 一瞬、お姉ちゃんが私を叱った。
 それでも私は自分を止めることができずに、お姉ちゃんとのキスを続けようとする。

 どうしてこんなことをしているんだろう。
 もう何処へでも逃げられるからといって、好き放題してもいいと思っているのだろうか。

 確かに、傍から見て私とお姉ちゃんがただの仲良し姉妹にしか見えないというのは、辛いときもある。

 だけどそれこそが何よりの隠れ蓑で、
 仮に私たちが全てを失っても、決して消えることのない繋がりなのだ。

 なのに、さっき鏡を見た時。
 お姉ちゃんそっくりの姿が、私たちが姉妹であることのてっとりばやい証が、
 とてつもなく厭わしく感じられてしまったのは、どうしてなんだろう。

 姉妹でなければいい。
 この関係をいち早く壊してしまいたい。
 どうしてそんなことを考えてしまうのだろう。
112 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:24:38.39 ID:GCqnE4kI0

唯「だぇ、ういっ……」

 お姉ちゃんがうめいた瞬間、ホールとトイレを隔てる扉が耳障りな音を立てて大きく揺れた。

憂「ひゃわっ!」

唯「ぷはっ、ん」

 鼓膜を叩かれたような衝撃が走り、私たちは反射的に離れた。
 くちびるに残る熱をあわてて擦って、水道に体を向ける。

 そして、ふた呼吸した後、扉が開いて知らない女性が入ってくる。
 女性は私たちの方を一瞥して、個室へ入って鍵をかけた。

唯「……」

 お姉ちゃんが私の頭にぽんと手を置く。
 少し力を入れて、叩くような調子だった。

唯「……めっでしょ」

憂「ごめん……」

 くちびるを拭った手を水に濡らし、水道を止める。

唯「戻ろっか」

憂「うん。遅くなると悪いよね」

 さっきの失態はなかったことにして、
 私はハンカチで手を拭った後で扉の把手を握った。
113 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:25:58.79 ID:GCqnE4kI0

 きぃ、と小さく蝶番が軋む。
 外に出る前にそこに律さんが立っているのは分かっていたけれど、
 後ろからお姉ちゃんに押されて立ち止まれなかった。

律「よう、バカども」

 律さんがお姉ちゃんの頭に手刀を叩きこんだ。

唯「あぐ。……りっちゃん」

律「こんなところで何してんだよ、ほんと」

 まったくである。

唯「だって憂が……」

律「お前が年長者だろうがっ」

 またお姉ちゃんが一撃お見舞いされる。
 そろそろ止めたい。

憂「あの、もしかしてさっきのは律さんだったんですか?」

律「ああ。人が来てたから……見せびらかすつもりじゃなかっただろ?」

 相変わらず、少し喋りにくそうに律さんは言った。
 律さんが扉を叩くか何かして、私たちに危険を知らせてくれたのだろう。

憂「はい……」

 申し訳ない気持ちで私は頷く。
114 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/04/29(金) 02:27:25.95 ID:GCqnE4kI0

唯「でも、そしたら普通に入ってきて教えてくれてもよかったよ?」

 お姉ちゃんが首をかしげる。

律「ばっ……」

憂「お姉ちゃん、それってどうなの……」

 律さんがちょっと顔を赤くした。
 お姉ちゃんの頭の中では律さんは絶対的に女の子なのだろう。
 私だってそうだ。

 だけど、律さんのことは男性として扱うのが礼儀だと思う。
 むしろ私たちにこそ男性として見られたくて、律さんは今日あのようなサプライズも持ち込んだというのに。

律「まぁ、いちおうな……わた、あ、俺は、女子トイレには入れっこないしな」

 律さんは少しどもったあと、誇らしげに言ってみせた。
 女子トイレに入れない、それだけの当たり前のことが、律さんにとっては嬉しいのだろう。

唯「ところで、りっちゃんなんでここにいるの?」

律「あぁ、ちょっとタバコ吸いに行こうと思って」

憂「あれ、律さんって吸うんですか?」

律「まあな」

 律さんは頷いた後、なにか考えるように唸って、私の方を見た。

律「……そう憂ちゃん、少し外に出ようぜ。気分悪いんだろ?」

憂「へ?」
115 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/29(金) 02:28:08.65 ID:GCqnE4kI0
つづく
116 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) :2011/04/29(金) 02:32:20.56 ID:WoJ1lIfGo
人工チンポって立つんかね
117 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/29(金) 02:41:08.13 ID:h8XkKp3Uo
118 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/04/29(金) 13:40:10.93 ID:pBo7CgHUo
乙です
119 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) :2011/04/29(金) 16:06:39.22 ID:tZnyLxH3o
おつおつ
120 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2011/05/09(月) 06:56:15.38 ID:TmqRxMyDO
まだかなまだかな
121 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/11(水) 00:18:55.13 ID:2QlKFe18o
まだですか
122 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/05/22(日) 17:44:25.78 ID:ArJiGHzl0
生存報告がてら
123 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/05/22(日) 17:44:59.79 ID:ArJiGHzl0

――――

 律さんに連れられて外に出ると、生温かい夜気が身を包んだ。

律「吸う?」

 箱から一本飛び出た煙草を向けられたけれど、むろん断った。

 お姉ちゃん曰く、

唯『お酒は一晩で終わりだけど、煙草は一生、体に残るんだよ』

 とのことだ。

 あと、お口が臭くなるらしい。
 お姉ちゃんにキスを嫌がられるようなことがあったらと思うと、
 煙草なんてとても吸いたいとは思えない。

憂「お姉ちゃんに怒られちゃうので」

律「束縛されてんの?」

 律さんは煙草を向けたまま呆けた。

憂「違います。吸わないようにお姉ちゃんと決めたんです」

律「ふうん……」

 おもしろくなさそうに鼻の奥で唄って、
 律さんは焼き肉屋さんの壁に寄りかかり、煙草を取り出して咥えた。
124 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/05/22(日) 17:45:43.52 ID:ArJiGHzl0

 黙って立っているのも不安だったので、私は質問を返してみた。

憂「律さんは、どうして煙草を?」

律「ん? あぁ……」

 ライターを取り出しながら、律さんは私の方を見る。
 変わっていないその瞳が、なんとなく怖かった。

律「声がな……変わってくれるかと思ったんだ。ぜんぜんそんなことなかったけど」

律「今はただ、ハマっちまった」

 そう言って律さんは煙草に火をつけた。
 細い煙がのぼって、すぐにかき消された。

憂「そうなんですか……」

 ふと、マックスバーガーで澪さんと交わした会話を思い出した。

 律さんも悩んだのだと、澪さんは何度か強調していた。

 そんな律さんに比べて、わたしは何か悩んできたのだろうか。
 律さんと澪さんの結婚に、お気楽だと怒れるほど苦しんできたのだろうか。

 私こそ、結婚を重たいものに思いすぎていたのかもしれない。
 二人にとっては、結婚はひとつの通過点でしかないかもしれないのに。
125 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/05/22(日) 17:46:26.03 ID:ArJiGHzl0

 結婚をすれば終わりでもない。
 それを私たちも、律さん達も良く分かっている。

 だからこそ、律さん達にとって結婚は軽いものだったのだ。
 これからが辛いことをよくわかっているから。

 それを、私は――

律「憂ちゃんはさ、澪から私のこと聞いてたんだよな」

憂「あ……あ、はい。お姉ちゃんにも、実は教えちゃってたんですけど」

律「んーまぁ、別にいいさ。……それで、どう思った?」

 律さんは紫煙を吐くと、おかしな質問をした。

憂「あの、どうって……」

律「私たちのカップルって、やっぱり変じゃないかなって」

憂「……変なわけないですよ。変なカップルなんてありませんから」

 私は首を振った。
 吐き気がよみがえってきそうだった。

律「……だよな」

 再び、律さんの口から煙草のけむりが吐かれた。
126 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/05/22(日) 17:48:24.63 ID:ArJiGHzl0

律「あのさ。こんな俺に言われても嬉しくないだろうけどさ……」

律「私には、唯と憂ちゃんの夫婦はずっと幸せに見えていたんだ」

 見えもしない星空で星を探しているらしく、律さんは空を向いてきょろきょろしていた。

憂「私たちが幸せ……ですか」

律「ああ。愛し合って、一緒にいられて、形はどうあれ結婚してて」

 律さんの手元から、長い煙がのぼっていた。

律「どんな生活してるか知らないけどさ……」

律「憂ちゃんはもっと、自分たちが幸せだってことに気付いていいと思うぜ」

 律さんはそのまま、半分ほど残った煙草を地面に投げて踏み潰す。

律「たとえば二人きりだったり私たちしかいない時くらい、」

律「『お姉ちゃん』じゃなくて『あなた』だとか『妻です』だとか言ってやれ」

憂「……」

律「幸せなくせに、不幸なことばかり考えるなよ。いつか本当に……」
127 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/05/22(日) 17:48:51.54 ID:ArJiGHzl0

 溜め息をつき、律さんは潰れた吸いがらを拾い上げた。

 土のついたそれを携帯灰皿に仕舞いこんで、
 律さんは悪戯を見つかった犬のような目で私を見た。

律「んじゃ、戻るか」

憂「……はい」

 胃のあたりが、きりきり痛む。
 空腹のせいではないだろう。

 きっとこれは、罪悪感が私をしめつけているのだ。

憂「あの……ごめんなさい」

 私は律さんの背中に頭を下げた。

律「憂ちゃんが悪いんじゃないさ」

 立ち止まった律さんが、どんな表情でそう言ったかはわからない。

 だけれど、その声色だけで、
 おそらく律さんがお姉ちゃんの思惑を感じ取っているであろうことは
 なんとなく勘付いたのだった。
128 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/22(日) 17:49:32.05 ID:ArJiGHzl0
つづーく
129 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) :2011/05/22(日) 18:45:00.40 ID:cmLqu1muo
おつおつ
130 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2011/05/22(日) 21:45:56.69 ID:6tMBkJsS0
なにこれすげえ・・・続き待ってます、乙でした
131 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/22(日) 23:14:50.03 ID:36uQjh7DO
りっちゃんもといりっさんが良いね
渋い
132 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/22(日) 23:32:48.75 ID:3wni2tg6o
133 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) :2011/05/24(火) 15:09:01.35 ID:sJQNX78to
乙!!
りっちゃんイケメンww

呼び名は難しいなあ二人の関係とか立場じゃ無くて
20年以上同じ呼び方してていきなり変えたら違和感あるだろうと思うよ
134 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/24(火) 21:24:03.95 ID:eA18JTbIO
スレタイからまさかこんな深刻な話になろうとは
135 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/04(土) 00:30:44.74 ID:bOnyfiqSO
136 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/06(月) 22:02:05.75 ID:GWL0W3boo
続きが待ち遠しい
137 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/06(月) 22:03:03.12 ID:GWL0W3boo
続きが待ち遠しい
138 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/06(月) 22:03:40.90 ID:GWL0W3boo
続きが待ち遠しい
139 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/06(月) 22:07:42.83 ID:GWL0W3boo
ミスりました
すみません
140 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/08(水) 00:25:45.30 ID:KyLj1mR7o
俺も待ち遠しい
141 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:20:00.38 ID:SODbyQyt0

 律さんの後に続いて私たちの座敷に戻ると、

 お姉ちゃんが隣に梓ちゃんを座らせて熱いお肉を「あーん」させようとしていた。

 26歳と25歳の姿である。

 梓ちゃんは私たちが戻ってきたことで、さらに抵抗を強めたものの、

 最後にはやけどを怖がってか、おとなしくロースを押し込まれて涙目になっていた。

律「お、浮気か唯?」

唯「なに言ってんのりっちゃん?」

梓「おひゃくはらこと言あらいでくだはい!」

律「どわっ、食ったままキレんな!」

 梓ちゃんは席を立って、律さんに食ってかかろうとする。

 せめて飲みこんでからにすればいいのにと思うけれど、

 梓ちゃんからすればこんなことでも我慢がきかないんだろう。

憂「変わらないね、梓ちゃんは」

梓「むぁくそとあーい!」

 やや身長差の広がった律さんに頬を片手で掴まれ、

 あぶあぶ言っている梓ちゃんの横をすりぬけた。

唯「おかえり、うい」

 お姉ちゃんがぽんぽんと梓ちゃんの座っていた座布団を叩いた。

 私は元通りに、お姉ちゃんの隣に腰を下ろす。
142 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:20:52.13 ID:SODbyQyt0

唯「りっちゃんと何話してたの?」

憂「えっ?」

 お姉ちゃんの質問は至極当然だった。

 別に律さんと内緒話をしたわけでもない。

 なのに、その答えに詰まってしまったのはどうしてだろう。

憂「あ、えっと……ここじゃ、ちょっと。だから」

唯「……うん」

 律さんだって、わざわざ私を外に連れ出して話したことなのだから、

 この場で大きな声で話されては嫌がるかもしれない。

 後で話せば、それで済むのだ。

 私はほとんど空っぽになってしまった胃袋を再度埋めるため、網の上のお肉に箸を伸ばした。

唯「……あ、憂、あーんってしてあげるよ」

憂「い、いいよ恥ずかしいから」

唯「そーお? じゃ、あとで口移しね」
143 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:22:01.44 ID:SODbyQyt0

――――

 そのあと。

 宴会はお酒が入ってからにわかに盛り上がり始め、

 日付が変わってからお開きになった。

 酔い潰れてしまった律さん、梓ちゃん、純ちゃんのためにタクシーを呼んで、

 律さんには澪さんが、梓ちゃんには山中先生が付き添った。

 かろうじて意識のあった純ちゃんは一人でタクシーに乗りこんでいたけれど、少し心配だ。

 後できちんと帰れたか、電話をしておこうと思う。

唯「……さて。帰りましょっか」

和「そうね」

 皆さんを乗せたタクシーが行ってから、お姉ちゃんが言った。

 残ったのは私とお姉ちゃんと、和ちゃんだ。

 いちおう終電はまだ行っていないから、来た時と同じに電車で帰るつもりだ。

 お姉ちゃんと和ちゃんの間を歩いて、駅に向かう。
144 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:22:47.92 ID:SODbyQyt0

憂「……」

 家に帰ってから、あの話は切り出そう。

 ちょっと胸焼けするような感覚を抱えたまま、

 私はほろ酔いのお姉ちゃんたちの話を聞いていた。

唯「はあぁー、なんか疲れちぃ」

憂「お姉ちゃん、しっかり歩いて」

唯「ねー憂ぃ、今日和ちゃん家泊まろうよー」

和「あら、続きやる?」

 お姉ちゃんの突拍子もない提案に、和ちゃんも乗る。

 私も賛成したいところだけれど、ひとつ気になった。

憂「和ちゃん、明日の仕事は……?」

和「平気よ、そんなに飲まないから」

 この藪医者こわい。
145 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:24:05.54 ID:SODbyQyt0

唯「まぁイザってときは和ちゃんも養ってあげるから!」

憂「いや、そこまでの余裕ないのわかってるよね?」

唯「冗談だよぉ。憂はばかだなぁ、そんなにチューしてほしいの? ん?」

憂「和ちゃん、私たちもタクシー呼んだ方がいいんじゃないかな?」

和「いっそ私の診療所に入院させるべきだと思うわ」

唯「ねえ、冗談なんだけど」

 それからお姉ちゃんは少しおとなしくなって、

 電車に乗っている間は私におぶさるように後ろから抱きついているだけだった。

 なし崩しに和ちゃんの最寄り駅で降りて、和ちゃんの診療所の裏にある家に向かう。

和「少し待ってて」

 相変わらず荒涼とした和ちゃんの家に上がると、和ちゃんは奥に入っていく。

 冷蔵庫にお酒でも蓄えてあるんだろうか。
146 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:25:17.54 ID:SODbyQyt0

唯「ねー、憂」

 通された部屋で並んでソファに掛けていると、お姉ちゃんがすり寄ってきた。

憂「なーに?」

 まだ焼き肉の匂いが抜けきらない、茶色の髪を撫でてあげる。

 お姉ちゃんは私にぎゅっと抱きつくと、潤んだ瞳で私を見上げた。

唯「私ね……びっくりしちゃった」

憂「……律さんのこと?」

唯「そう、りっちゃんの……」

 お姉ちゃんの抱きしめる力が強くなる。

 離さない、と聞こえるような気がした。

唯「ぜんぜん気付かなかったのは、私のせいだけど」

唯「……信用されてないんだなって思っちゃった」
147 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:25:55.94 ID:SODbyQyt0

憂「お姉ちゃん……」

 律さんたちは、私たちと出会う前から付き合っていた。

 そして今日までずっと、そのことを二人だけで隠してきた。

憂「……でも、それは私たちだって」

唯「分かってるよ。だけど……きっと、知ってたはずだし」

憂「それに律さんたちは、今日きちんと話してくれたよ?」

唯「……うん」

憂「信用されてるよ。大丈夫……」

 お姉ちゃんの頭を撫でて、きりきりする胸の痛みを我慢する。

 律さん達は、ただ内緒にしていたかっただけ。

 お姉ちゃんを信用していないなんてことはないはずだ。
148 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:27:01.60 ID:SODbyQyt0

唯「……悔しいよ」

 ぽつりとお姉ちゃんは言った。

憂「……よしよし」

 宝くじに当たって以来、お姉ちゃんに甘えられるのは初めてかもしれない。

 私は丁寧にお姉ちゃんの髪をほぐしてあげた。

唯「うい、私ね」

和「お待たせ、二人とも」

 お姉ちゃんが言いかけた時、和ちゃんがお酒の瓶とグラスを持って戻ってきた。

和「……うちでおっぱじめたりしないでよね」

唯「しないよっ」

 お姉ちゃんは私から離れると、和ちゃんに舌を出した。

 何を言いかけたのだろうか。

 胸から下に残った温もりのせいで、私は訊くことができなかった。
149 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:27:45.41 ID:SODbyQyt0


――――

 それから2時間ほど和ちゃんの家でもう少しお酒を飲んで、

 夜中から、奥に布団を敷いて3人で眠った。

 そのうち私は、寝る前にトイレに行かなかったせいか、

 おしっこがしたくなって目が覚めてしまった。

 体を起こしたところ、隣にいたはずのお姉ちゃんも、

 隣の布団にいた和ちゃんも姿が見えない。

憂「……?」

 眠った体で滞留していた酔いが、視界を揺らがせた。

 きっと、すぐ戻るはず。

 とにかくまずは、トイレに行かないと。

 私はどうにか立ちあがって、襖の方へと歩いていく。

 肩開きの襖の向こうから、明かりが漏れていた。
150 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:28:33.44 ID:SODbyQyt0

 廊下を通って、トイレで用をたす。

 そして、またすぐ眠ろうと襖を開けて、私は思いとどまった。

憂「……」

 わざと少し音を立てて、襖を閉める。

 その場にしゃがみこみ、そっと体を回転させた。

 背後にあった居間への扉には、いくつものガラス窓が埋め込まれている。

 やがてそのガラス窓は、みなぴかぴかと白く光った。

和「何だったの?」

唯「いいの、気にしないで」

 和ちゃんとお姉ちゃんのひそめた声。

 私に隠れて、何をしているのだろうか。
151 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:29:11.17 ID:SODbyQyt0

和「……はい、これでいいわよ」

唯「ありがとう、和ちゃん」

 お姉ちゃんがバッグをぱちんと開いた。

和「それじゃあ、寝なおしましょう。……明日に響くわ」

唯「うん、ごめんね」

 とんとんと足音が近づいてくる。

 私はしゃがんだ姿勢のまま、動かずに待った。

 お姉ちゃんと和ちゃんの驚き慌てる姿と、ことの真相を期待して。

 静かに開いたドアが、私の方に向かってくる。

憂「おぺ」

唯「あっ、ごめん憂」

 ドアは外開きだった。
152 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/10(金) 18:30:20.79 ID:SODbyQyt0
つづくよ
153 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2011/06/10(金) 18:54:15.52 ID:Zy69s7JAo
いたそう
154 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/10(金) 19:35:12.03 ID:XAFCyeY/o
乙乙
155 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/10(金) 19:40:50.11 ID:pSl8vxNso
おつつ
156 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/10(金) 20:45:18.87 ID:hgmhX17SO
今更だけど、同じタイトルのSSが既に存在している。
157 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/11(土) 02:26:23.28 ID:K1kAqD2Co
おーつ
158 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/13(月) 16:06:50.74 ID:sgZ1vIhg0

――――

憂「それで、何してたの?」

 鼻のじんじんするのがようやく収まって、私は言った。

唯「いやぁ……」

 お姉ちゃんはぽりぽり頭を掻く。

唯「帰ってから話すよ。憂、もう寝よ」

憂「今話してよ。和ちゃんに何してもらってたの?」

 落ち着きのない手をつかんで下ろさせて、問いつめる。

唯「その、ちょっとね」

和「話したら? 唯、このままじゃ変な誤解を生むわよ」

 和ちゃんも、少し焦れたように言った。

唯「……わかった」
159 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/13(月) 16:07:50.13 ID:sgZ1vIhg0

 お姉ちゃんはごくりと喉を鳴らした。

唯「あのね、憂」

 私は、お姉ちゃんが嘘をつかないように、じっと目を見つめた。

憂「……うん」

唯「実は、さっきね。和ちゃんに紹介状を書いてもらってたんだ」

憂「紹介状?」

和「私の先生への紹介状よ」

 和ちゃんが横から言った。

和「この人は性同一性障害だから、手術を受けさせてあげて、っていう」

唯「うん、そう……」

 身体が震えて、息を呑んだ。

憂「じゃあ、お姉ちゃん」

唯「うん。決めたんだ」
160 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/13(月) 16:09:39.44 ID:sgZ1vIhg0

 固く、ぎゅっと、お姉ちゃんが拳を握りしめた。

唯「……男の人になる。男の人の体になって、憂を守るから」

唯「だから……いいよね?」

 思わず、頷きかけた。

 一人、ソファにちぢこまって座るお姉ちゃんが、なぜか哀れに見えて。

 そんなことで即断していい問題じゃない。

 哀れむのもおかしな話だ。

 私とお姉ちゃんとのことなのに。

憂「……だめ」

 深呼吸をしてから答えた。

唯「憂……」

 和ちゃんが、何か言いかけて黙る。

 なにも言えなかった和ちゃんの目は、悲しそうに伏していた。
161 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/13(月) 16:10:42.33 ID:sgZ1vIhg0

憂「お姉ちゃんは、性同一性障害じゃないでしょ?」

唯「……わかんないよ。憂が好きなんだから」

憂「お姉ちゃんっ」

 正直に言ってくれないと、お話ができない。

 少し強くお姉ちゃんを叱る。

唯「……」

憂「だめだよ、こんな嘘。本当の人たちに失礼だよ」

唯「……だったら」

 ささやくように、お姉ちゃんは言った。

 ぽつりと、雨が傘に垂れた音がした。

唯「だったら……私たちはどうやって幸せになればいいの?」

唯「どうやったら、憂は妹じゃなくて奥さんだって、会社のみんなに言えるの……」
162 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/13(月) 16:11:46.67 ID:sgZ1vIhg0

憂「……」

 どうすればいいの、は私のほうだ。

 律さんに言われたこととか、

 お姉ちゃんを説得する言葉はたくさん用意したはずなのに、

 みんな、あつくなった心の中で融けてしまって、もう言葉に戻ってくれそうにない。

唯「みんな……必要もないのに、私たちを平気で踏みにじるんだ」

唯「なのに、私たちだけ誰も傷つけないで、馬鹿正直に、なんて……生きてけないよ」

憂「……けど」

 けど。何だろう。

 その先の言葉は融けていたか、

 それとも涙にぬれた瞳の前で嘘はつけなかったかで、

 喉より先に出ていくことはなかった。
163 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/13(月) 16:13:05.64 ID:sgZ1vIhg0

憂「おね、ちゃん……」

 収まったはずの鼻の痛みが、じんじん復活してきていた。

憂「ごめんねっ」

 私はお姉ちゃんの胸に飛び込んだ。

 今こうしたいのは、お姉ちゃんのほうなのに。

 本当に情けない、

 お姉ちゃんの、ただの、妹だ。

唯「……いーよ」

 お姉ちゃんは、濡れた手で私の頬に一瞬触れたかと思うと、

 きつく私を抱きしめた。

唯「私が悪いんだから……」

 お姉ちゃんは本当に苦しそうに咳き込んだ。

唯「ごめんっ……」
164 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/13(月) 16:14:37.95 ID:sgZ1vIhg0

和「じゃあ、いいのね?」

唯「……憂」

 お姉ちゃんが私の背中を撫でた。

憂「うん……」

和「それじゃ、あとは唯と憂の責任よ」

 和ちゃんは眼鏡を畳んだ。

和「私は寝るから、電気消しといてね。唯」

唯「うん。ごめんね、和ちゃん」

和「……平気よ」

 扉が開いて閉まって、襖が開いて閉まって、

 和ちゃんがいなくなった。
165 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/13(月) 16:16:39.49 ID:sgZ1vIhg0

 私はお姉ちゃんをひたすら抱きしめる。

 もうこの体には触れられない。

 愛しくなってしまうのは仕方なかった。

憂「お姉ちゃん……」

 しがみついたまま、私はどうしても離れなかった。

唯「ごめんね、憂」

 私の体を撫でながら、お姉ちゃんはずっと言っていた。

 私は、だんだん心地よくなって、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 気が付けば布団の中、お姉ちゃんの腕の中、

 和ちゃんのセットしたアラームの音を遠くに聞いて、

 お姉ちゃんの少し蒸れた汗の匂いを嗅いでいた。
166 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/13(月) 16:17:10.77 ID:sgZ1vIhg0
つづく
167 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/13(月) 16:38:27.52 ID:oPP8Pk7Yo
こんな時間に更新かいww
168 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/14(火) 02:38:19.49 ID:7teNFiVFo
おつ
169 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/29(水) 23:42:41.94 ID:BO6XXHuc0

おはようございます。
突然ですが、このスレの更新は以降しないことにしました。
理由としましてはこのままダラダラ続けるのは良くないと思い、
書き溜めて完結してからいっぺんに投下したくなったからです。
決してSS自体を投げ捨てるつもりじゃありません。

再開時はVIPにスレを立てるつもりです。
ですのでこのスレはHTML化依頼を出しておきます。
更新を楽しみにしていた人には申し訳ありません。

いつになるかは分かりませんが、必ず完結させますので期待していただければと思います。
では、しばらく。
170 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/30(木) 00:55:15.06 ID:tIB0m+Sqo
うむ
待ってる
171 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/30(木) 01:02:01.14 ID:YHTz9HcNo
たのしみにしてます
172 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(和歌山県) :2011/06/30(木) 05:58:38.30 ID:DKGSMi4x0
わたしまつわ
173 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/03(日) 18:36:21.39 ID:HT2LrpZDO
いつまでもまつわ
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