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律「終末の過ごし方」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :にゃんこ :2011/05/08(日) 02:45:52.11 ID:cflo9fRe0
SSはよく書く方ですが、こういう形のアップは初めてなので、至らない事もあるかと思います。
何か問題などあれば、どうかご指導ご鞭撻をお願いします。

このSSは今は無きアボガドパワーズの『終末の過ごし方』の設定を下敷きに、
『けいおん!』のキャラクターが動くという感じのSSになっています。
もしよろしければ、読んでやって下さいませ。
地の文多めで、りっちゃん視点です。

あとネットカフェなどでの更新となるので、もしかしたらIDにバラつきが出るかもしれません。
申し訳ありませんが、どうかその旨もご了承下さい。
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ぶらじる @ 2024/04/19(金) 19:24:04.53 ID:SNmmhSOho
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旅にでんちう @ 2024/04/17(水) 20:27:26.83 ID:/EdK+WCRO
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1713353246/

木曜の夜には誰もダイブせず @ 2024/04/17(水) 20:05:45.21 ID:iuZC4QbfO
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aaorz/1713351945/

いろは「先輩、カフェがありますよ」【俺ガイル】 @ 2024/04/16(火) 23:54:11.88 ID:aOh6YfjJ0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713279251/

【MHW】古代樹の森で人間を拾ったんだが【SS】 @ 2024/04/16(火) 23:28:13.15 ID:dNS54ToO0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713277692/

こんな恋愛がしたい  安部菜々編 @ 2024/04/15(月) 21:12:49.25 ID:HdnryJIo0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713183168/

【安価・コンマ】力と魔法の支配する世界で【ファンタジー】Part2 @ 2024/04/14(日) 19:38:35.87 ID:kch9tJed0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713091115/

アテム「実践レベルのデッキ?」 @ 2024/04/14(日) 19:11:43.81 ID:Ix0pR4FB0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713089503/

2 :にゃんこ :2011/05/08(日) 03:06:57.04 ID:cflo9fRe0
「りっちゃんが着たがってたあの高校の制服、お友達から借りられる事になったのー」

ほんの少しの楽器の練習の後、お茶の準備をしながら、いつもと変わらないほんわかとした柔らかい表情でムギが微笑んだ。

「えっ? マジで? ホントに?」

少し大袈裟に私はムギに尋ねてみる。
勿論、疑ってるわけじゃない。
三日前に何となく「あの高校の制服、着てみたいよなー」と雑談のついでに出した話題を、しっかりとムギが覚えていた事に少し驚いたからだ。
その私の驚きを分かっているのかどうなのか、それでもムギはいつもの優しい笑顔で続けてくれた。

「うん。中学の頃のお友達があの高校に通ってて、休日でよければ貸してくれるんだって」

中学の友達から借りられるとか、流石は相変わらずのムギの人脈の広さには驚いてしまう。
あの高校はかなりの進学校で、私なんかじゃ背伸びしても足下にも及ばない偏差値の進学校だ。
しかも、ついでに言うと県外だ。
それなのに、そんな進学校に通う友達が居るとか、どんな人脈だよ……。

「ムギちゃん、すごーい」

そう無邪気に感心した声を上げたのは唯だった。
もっとも、唯の場合はムギの人脈の広さに驚いているのか、何でも出来るムギ自体に驚いているのか、どちらなのかは微妙なところだけど。
3 :にゃんこ :2011/05/08(日) 03:26:22.31 ID:cflo9fRe0
「あの高校の制服か。私も着てみたかったんだよな」

普段、さわちゃんの衣装を着る時には、ほぼ確実に無駄な抵抗する澪も意外に乗り気な様子で呟いた。
まあ、あの高校の制服は流石に進学校の制服だけあって、別に露出度とか高くないしな。
最近では際限なく露出度の限界を極めようとしているさわちゃんの衣装を考えれば、あの高校の制服なら内気な澪でも百倍は気楽に着れるだろうし。
不意に視線をやると、何かを言いたそうにしながらも、言い出す機会を見失っている様子の私の後輩を見付けた。
悪戯に微笑み、私は座っていた自分の席から少しだけ身を乗り出して、ツインテールの後輩の頭を撫でてやる。

「大丈夫、大丈夫。成長の様子の見られない梓にもぴったりな制服があるって。なあ、ムギ?」
「なっ……! だから、律先輩には言われたくないです!」

ムギが応じるよりも先に、梓が自分の胸を押さえて赤面した。
胸の事は一言も触れてないのに、相変わらず可愛らしい反応を見せる後輩だ。
まあ、さっきの言葉は胸を見ながら言ったんだけどね。
その私達の伝統となりつつあるやり取りを見守った後、ムギがフォローの言葉を入れてくれた。

「大丈夫よ、梓ちゃん。私の友達にも、梓ちゃんくらいの身長の子がいるもの」
「そうですか……。安心しました。ありがとうございます、ムギ先輩」

本気で自分のサイズの制服があるか心配だったんだろう。
梓は本当に胸を撫で下ろすような表情をしていた。
4 :にゃんこ :2011/05/08(日) 03:28:11.81 ID:cflo9fRe0

前フリが長い……。
すみません、明日以降に続きます。
5 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/08(日) 05:19:49.59 ID:J6gICcc+o
ふむ期待
6 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/08(日) 09:47:56.89 ID:pjaa3dTJo
ふむ。
まだ世界が7(だっけ?)日で終わるってニュース報道前かな。
7 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(栃木県) [sage]:2011/05/08(日) 11:17:15.02 ID:bMfdJY3Ao
元ネタは知らないけど期待
8 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/09(月) 01:37:03.72 ID:0D2kG2CfP
全員眼鏡をかけているのか、いないのか、それが問題だ
9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/05/09(月) 12:29:21.91 ID:ZGTiHGCOo
懐かしすぎて原作覚えてないぜ
陸上の女の子と保険医がいたっけ?
10 :にゃんこ :2011/05/09(月) 15:35:20.67 ID:m9tD4tO90
「でも、ありがとな、ムギ。あの高校の服、女子高生のうちに着ておきたかったんだ」

私が言うと、ムギは給仕しながら、いえいえ、と微笑んだ。
学園祭が終わり、少し秋が深まり始めたこの頃、私達軽音部は受験シーズン真っ直中にも関わらず、ほとんど毎日部室に集合していた。
部室ではお茶をしたり、少し練習したり、やっぱりお茶したり、まあ、大体がそんなところ。
いやいや、勿論受験勉強だってしてるぞ?
私達は高校三年生で、やらなきゃいけない事とやるべき事があって、当然今やるべき事は受験勉強なわけで。
でも、私が、私達が大切にしたいのは、それだけじゃなくて。
こう言うのも照れるけど、放課後に部室に集まって、お茶をしたり、他愛もない事を話したり、
そんな時間が本当に楽しくて、とても大切な時間で、手放したくないくらい素敵な時間なんだと思う。
皆がそう考えているからこそ、こんな受験シーズンにも皆で集まっていられるんだろう。
自分で言うのも何だけど、本当にいい部だなって思う。
これも部長の人望の賜物だな。なんて自慢するわけじゃないけどさ。
11 :にゃんこ :2011/05/09(月) 15:36:05.54 ID:m9tD4tO90
「どしたの、りっちゃん?」

私が少しだけ黙っていたのが気になったのか、いつも隣の席に陣取っている唯が私の顔を覗き込んで首を傾げた。
何となく考えていた事を察された気がして、私は軽口を叩く事で誤魔化す事にした。

「いやー、梓くらいの身長の子はいるんだろうけどさ。
梓くらいのスタイルの子がムギの友達にいたらいいよなー、って部長として心配してあげてたんだよ」

そう言うと、やっぱり梓が胸元を押さえて、だから律先輩には言われたくありません、と頬を膨らませた。
ははっ、お約束お約束。
まあ、確かに私も梓の事を言えた立場じゃないのが、悲しいところなんだけど。
12 :にゃんこ :2011/05/09(月) 16:01:36.81 ID:m9tD4tO90
「おいおい、後輩をあんまりいじめるなよ、律」

幼馴染のくせに一人だけ嫌味なくらい成長した澪が、諌めるように言いながら肩を竦める。
何だよー、富裕層め。
持つ者には持たざる者の苦しみは分かるまい。
この私と梓のやり取りは、持たざる者同士の魂の触れ合いなのだ。
梓……、おまえだけはずっとこちら側の人間だと信じているぞ……。
そういう思いを込めて視線を移してみると、私の思いには一切気付いていないらしい梓が自分のポケットを探っていた。
こちら側の人間……だよな?
そんな願いも込めつつ、私は梓に訊ねてみる。
13 :にゃんこ :2011/05/09(月) 16:05:58.64 ID:m9tD4tO90
「どうした、梓? 忘れ物?」
「あ、いえ、すみません。忘れ物じゃないです。どうも携帯が鳴ってるみたいで……」
「あー、マナーモードにして、制服のポケットとかに入れとくと結構気付かないよねー」

私の質問に答えた梓の言葉に唯があるある的な表情で腕を組んで頷いていたが、
着信音が鳴る状態にしておいても、休日は寝てて着信に気付かない事が多い唯が言っても説得力は無かった。
いや、そんな事は今はどうでもいいか。
ポケットの中から携帯電話を取り出した梓が液晶を見ると、あ、純だ、と小さく呟く。

「すみません、ちょっと電話に出させて頂きますね」

そう丁寧に断ると、梓は席から立って、私達の鞄を置いている長椅子まで歩いて行った。
純ちゃんか……。今度の日曜に遊ぶ約束でもするのかな?
そう軽く考えていた私の耳に、それを打ち崩す非日常的な梓の会話が届いた。
14 :にゃんこ :2011/05/09(月) 16:08:03.83 ID:m9tD4tO90
「急にどうしたの、純。え? やっと繋がったって、何? 電波が悪いの?
え? そうじゃないって? うん、今軽音部だけど……。え? 変な冗談やめてよ。
冗談じゃないって……。嘘でしょ?
そんな……、世界が終わっちゃうなんて、急にそんな事言われても……」

世界が終わる?
映画かゲームの話か?
だけど、梓の様子を見る限りとても冗談には……。
突然過ぎる会話の流れに、あまり出来が良いとは言えない私の思考回路ではついていけない。
と。
不意に私の携帯電話のバイブレーターが震え始めた。
いや、私のだけじゃない。
周囲を見渡すと、唯の携帯電話のバイブも震えているようだった。
唯と二人で携帯電話を取り出して、突然過ぎる不自然な着信に不安な面持ちでお互いの顔を見合わせる。
何だ……? 何が起こってるんだ……?
更に数秒後。
その携帯電話の着信を取るより先に、私達の日常を完全に壊す無慈悲な音が響いた。
それは聞き慣れた校内放送のチャイム。
だけど、その内容はあまりにも私達の日常とはかけ離れていて……。
それが私達の……、いや、人類の終わりの始まり。
そして、終末までの長くて短い最後の日常の始まりだった。
15 :にゃんこ :2011/05/09(月) 16:12:44.82 ID:m9tD4tO90

今日はここまでです。
眼鏡……、何処かで掛けさせたいですね。
16 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(栃木県) [sage]:2011/05/09(月) 16:17:46.82 ID:CzlCCz65o

急展開だね
17 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/09(月) 22:01:26.72 ID:0/z0Z02To
乙。
終末報道が来たか。5人それぞれがどう反応するのか興味深いな。
そういや、原作(終末〜)だと確か終末報道とかそれを知った直後の人々の描写は端折ってたっけ確か。

ところで、けいおん!に元から眼鏡キャラいるじゃないかww
18 :にゃんこ :2011/05/12(木) 00:57:23.46 ID:zY479YXo0


――月曜日
19 :にゃんこ :2011/05/12(木) 00:57:53.53 ID:zY479YXo0
自宅でドラムの練習をしていた私は手を止め、ラジカセの電源を入れる。
少し遅れたかと思っていたけど、ちょうど時間はぴったりみたいだった。
軽快な音楽が流れる。
20 :にゃんこ :2011/05/12(木) 00:58:21.52 ID:zY479YXo0
「胸に残る音楽をお前らに。本当の意味でも、ある意味でも、とにかく名曲をお前らに。
今日もラジオ『DEATH DEVIL』の時間がやって来た。
まあ、時間がやって来たって言っても、休憩時間以外は適当に喋ってんのはお前らも知っての通りだけどね。
こんな人類滅亡の寸前で死の悪魔なんて縁起の悪い事この上ないけど、聴いてくれてる物好きなお前らに感謝。
そんな物好きなお前らには今更だけど、一応毎度の番組紹介から入らせてもらうよ。
日曜休みで一日空いたし、もしかしたら初めてこの番組を聴いてくれてる新顔もいるかもしんないしね。
知ってるお前らはトイレにでも行って、スタンバイしといて。
21 :にゃんこ :2011/05/12(木) 00:59:42.73 ID:zY479YXo0
この番組は人類の終わりまでとにかく色んな曲を紹介し続けようって、適当でご機嫌なソウルフルラジオ。
それで、メインパーソナリティーのこのアタシがクリスティーナってわけ。
新顔のお前らがいたらよろしく。
クリスティーナって言っても、本当はガチで日本人なんだけど、その辺りは触れないのがお約束。オーケー?
さてさて、前回の放送から、日曜挟んで遂に訪れちゃった人類最後の一週間。
日本政府が国家非常事態宣言……、誰が言ったか通称『終末宣言』を宣言して一ヵ月半。
宣言されての一週間は暴動やら何やらで、今思い出しても相当に騒がしかったよね。
22 :にゃんこ :2011/05/12(木) 01:00:17.42 ID:zY479YXo0
変な宗教は出てくるし、自暴自棄に適当な暴動を起こす奴等もいるし、そりゃ騒がしかった。
芸能人なんかも海外に逃げ出す奴がいるかと思ったら、急に自分はロリコンだとか、同性愛者だとかってカミングアウトする奴までいる始末。
まあ、海外に逃げ出す奴より、カミングアウトする奴等の方がよっぽど信用出来るけど。
ただあの大御所がロリコンでショタコンでバイセクシャルだってカミングアウトしたのは、流石のアタシでも驚いたけどね。
でも、それだけ皆、最後くらいは偽らざる本当の自分を誰かに知っていて欲しいって事なのかもしれないね。
23 :にゃんこ :2011/05/12(木) 01:01:12.13 ID:zY479YXo0
あ、期待しても駄目だぞ、お前ら。
残念だけど、アタシにはカミングアウトする様な秘密なんか持ってないからね。
強いて言えば、本当は日本人だってことくらい?
それはさっき聞いたって?
こりゃまた失礼。
24 :にゃんこ :2011/05/12(木) 01:01:43.84 ID:zY479YXo0
とにかく『終末宣言』から約一ヵ月半、悟ったのか、飽きたのか、
最近は各地の暴動も沈静化してきたみたいで、ひとまずは一安心ってところだよね。
暴動なんかよりやるべき事が見つかったんならいいけどさ。
ただ最低限の警戒だけは忘れないでよ。
意味不明の暴動に巻き込まれて、終末より先に死んじゃうとかそれこそ馬鹿らしいってもんだ。
願わくば、お前らがこの番組を最後まで無事に聴き終えられますように。
25 :にゃんこ :2011/05/12(木) 01:02:20.43 ID:zY479YXo0
週末まではお前らと一緒!
それがこの番組の最後のキャッチコピーってね。
26 :にゃんこ :2011/05/12(木) 01:02:46.92 ID:zY479YXo0
似合わないって?
ほっといて。
さて、ラジオとは言え、アタシだけずっと喋ってても仕方がない。
27 :にゃんこ :2011/05/12(木) 01:03:15.81 ID:zY479YXo0
そろそろお前らからのリクエストの一曲目といってみようか。
メールだけど、こんな状況でも届くもんだね。
さて、それじゃ今週の記念すべき一曲目、岐阜県のガンレックスからのリクエストで、
L'Arc〜en〜cielの『Driver's High』――」
28 :にゃんこ :2011/05/12(木) 01:05:28.02 ID:zY479YXo0

今回はここまでです。
案外にラジオが長くなってしまいました。
29 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/12(木) 01:09:01.90 ID:cVZTu79Ro
乙。

ラジオネタキター。終末とのクロスならきっとあるだろうと期待してたよ。
しかもDJはあの人になってるかな番組名的に。
30 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2011/05/13(金) 04:10:47.26 ID:xBCk/fhHo
俺も一度だけ考えたネタだwwwwww
終末好きなんで超期待。
31 :にゃんこ :2011/05/13(金) 22:48:35.82 ID:O4OQsKgL0
放課後、と言うべきなのかどうなのか、とにかく普通だったら全ての授業が終わっている放課後の時間。
私は一人、部室で軽くドラムを叩いていた。
『終末宣言』から約一ヵ月半、多くの同級生が学校に来なくなる中、私はといえばほとんど毎日学校に足を向けている。
勿論、勉強が好きなわけじゃないし、高校生なら学校に登校しなきゃって使命感に燃えてるわけでもない。
人類の終末が近付いているらしいけど、焦って何かをする気にはなれなかったし、この状況で何処かに旅行するのも危険だった。
それにもうすぐ世界が終わるとしても、終わりまではいつも通りの日常が続くわけで、下手に特別な行動を取れるわけでもないわけで。
32 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:49:05.42 ID:O4OQsKgL0
だからというわけじゃないけど、私は平日休日を問わず登校している。
飽きっぽい私にしては、これは快挙なのかもしれない。
でも……、
33 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:49:33.42 ID:O4OQsKgL0
「日常に逃げ込んでんのかなあ、私……」

ドラムを叩く手を止め、自分に言い聞かせるように呟いてみる。
世界の終わりが一週間後に迫ったらしい今になっても、私は未だにその実感が湧いて来てなかった。
34 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:50:02.17 ID:O4OQsKgL0
そりゃあそうだ。
もうすぐ死ぬと言われても、私の身体に異変が起こっているわけでもなし、私自身は健康体そのものだし。
病気にかかっているわけでもないし、大怪我を負っているわけでもない。
これで死の実感を持てと言われても、誰にとっても無理な話だろう。
35 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:51:07.58 ID:O4OQsKgL0
だけど、思う。
それを実感しないように、私は『終末宣言』前の生活を繰り返してるんじゃないんだろうか。
いつも通りに過ごしていたら、一週間後の世界の終わりなんて夢みたいに消えて無くなって、何事もなくいつも通りの生活に戻れる。
澪をからかって、唯とふざけて、ムギとお茶をして、梓をいじってやる。
そんな変わらない日常が戻って来る。戻れる。
36 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:51:41.27 ID:O4OQsKgL0
心の何処かでそれを期待してるんじゃないか。
だから、こんな時期になってもしつこく登校し続けてるんじゃないかって、そう思えてしまう。
けれど、そう思えたところで、今更私には他にどうする事も出来ないんだけど。
少しだけ溜息を吐いて、ドラムの練習に戻ろうかと思った瞬間、部室の扉がゆっくりと開いた。
37 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:53:15.05 ID:O4OQsKgL0
「りっちゃん、おいっす」

扉を開いたのは唯だった。
『終末宣言』以来、私に次いで登校数の多い唯は、やっぱりいつも通りの唯に見えた。
こいつも私と同じように、一週間後に世界が終わるなんて、そんな実感は無いんだろうか。
そんな考えを顔に出さないように、おいっす、と軽く私が返すと、長椅子に鞄を置いて唯が続けた。
38 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:53:41.06 ID:O4OQsKgL0
「相変わらず早いね、りっちゃん」
「まあなー。家に居てもやる事無いしなー」
「駄目だよ、りっちゃん。時間はちゃんと使わないと青春の無駄遣いだよ」
「家に居ても大体ゴロゴロ転がってるだけのお前が言うな」
「甘いね、りっちゃん。それが私の充実した青春なのです!」
「うわっ、言い切りやがった……」
39 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:54:07.84 ID:O4OQsKgL0
苦い顔で私が言ってやると、唯はいつもの、してやったり、といった感じの表情を浮かべる。
ホント、こいつはいつでも何処でも変わらんなー。
それが唯の持ち味であり、唯の強さでもあるんだろうな。
『終末宣言』直後、私は軽音部の活動は以降自由参加という形式に変更する事を提案した。
そもそもが自由参加に近い軽音部だけど、あえて言葉にする事で皆の自由意思を尊重する事を伝えたかった。
勿論、誰も欠席するつもりなんてないだろう。
40 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:54:35.77 ID:O4OQsKgL0
それでも、こんな状況だし、家庭や色んな事情で仕方なく欠席する事も多くなるだろうと思ったからだ。
幸いなのか我が田井中家は放任主義で、
数日家族で過ごすだけで家族の時間は終わって、後は家族各々が自由に過ごすという形になっていた。
少しクール過ぎやしないかと思わなくもないけど、それがうちの家族だし、聡もそれで不満はないみたいだった。
とにかくそれ以来、軽音部の活動に参加する頻度は多い順に私、唯、梓、澪、ムギという順番になっている。
41 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:55:02.81 ID:O4OQsKgL0
「それより、りっちゃん」

急に真剣な顔になって、唯が言った。
何を言い出すのかと思って身構えたが、次の唯の言葉は本当にいつもと何も変わらない普段通りの唯の言葉だった。

「今日は久々にムギちゃんに会える日だねー。
美味しいお菓子いっぱい持って来てくれるって言ってたし、すっごく楽しみだよねー」
42 :にゃんこ [saga]:2011/05/13(金) 22:57:05.31 ID:O4OQsKgL0

今日はここまで。
牛歩展開で申し訳ないです。

終末の過ごし方を知っている人が多くて嬉しい限りです。
43 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(栃木県) [sage]:2011/05/13(金) 23:06:17.97 ID:KWkLFr9go
乙乙
知らないけど見てます

スレタイ通りりっちゃん視点がメインなんだな
続き楽しみ
44 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/13(金) 23:26:59.30 ID:0X7OdbFGo
乙−。

毎日とはいかないまでも全員学校に来てるのか良かった。
ムギがなかなか来れないのはやはり家の事情かな。
45 :Ψ ◆kKKqyFB9fA [sage]:2011/05/14(土) 00:09:22.06 ID:TvOn8OWAO
良いな…読みやすいし、無理がない。恋愛話も書いたら面白いかも

とにかく続き期待してるよ。
46 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(中部地方) :2011/05/14(土) 12:14:18.08 ID:3XoJfIo1o
何かおかしいと思ったら終ノ空とごっちゃになってた
47 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 18:31:43.00 ID:M7ASOsG90
まったく……、こいつは何にしろお茶とお菓子が行動の基準なんだな。
そう思いながらも、私は微笑んでしまっていた。
ムギに会えるのが楽しみなのは私も同じだし、久々のムギのお菓子が楽しみなのも確かだった。

「うん、そうだな……。楽しみだよな、やっぱり。うん……」
「ん? どしたの、りっちゃん?」
48 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 18:34:22.03 ID:M7ASOsG90
つい何度も頷いてしまう私の様子を、唯が不思議そうに眺めながら訊ねる。
自分でも上手くは説明できないけれど、何故だかとても嬉しかった。
多分だけど、こんな状況でも顔馴染みと変わらず顔を合わせられるという事は、きっと幸せな事なんだ。
勿論、そんな恥ずかしい事を私が口に出来るはずもない。
その代わりに私は立ち上がって、唯の近くにまで歩いてからその腕を軽く取った。
49 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 18:37:32.49 ID:M7ASOsG90
「よっしゃ、行こうぜ」
「行くって……、何処に?」
「校門だよ、校門。そろそろムギも来る時間だし、紬お嬢様をお迎えにあがろうぜ!」
「おっ、いいねー。私達で紬お嬢様をお迎えしちゃおう! あ、そうだ!」
「お、どした? 何か面白いアイディアでもあるのか?」
50 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 18:41:17.02 ID:M7ASOsG90
「メイド服を着てお迎えするのはどうかな? ちょうどさわちゃんの服があるし!」
「いや、そこまではせんでいい……。軽音部の負の遺産については触れてくれるな……」
「えー……」
51 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 18:44:03.16 ID:M7ASOsG90
不満そうに唯が頬を膨らませたが、それでもその表情は少し笑っているようにも見えた。
そして、それは私も同じ。
いつもの唯のボケに呆れた表情を浮かべるように演じながらも、こみ上げてくる笑顔を抑え切れない。
馬鹿みたいだけど、本当に心地良い二人の距離。
良くも悪くも、これが私と唯の関係なんだろう。
それは変わらず続くはずだと思う。
52 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 18:45:09.06 ID:M7ASOsG90
世界の終わりまで。
きっと。
ずっと。
53 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:14:46.34 ID:M7ASOsG90
「とにかく行こうぜ。お嬢様をお待たせしては、執事の名折れ。遅れるわけにはいかん!」
「あ、メイドじゃなくて、執事って設定だったんだ。じゃあ、さわちゃんの執事服を着るとか?」

少し深呼吸をしてから唯に向けて宣言すると、
途端に笑顔になった唯が、嬉しそうにまた天然なのか本気なのかよく分からない発言をしてくれた。
やれやれ。
まあ、執事とか言っちゃってる私も、唯の事は言えないんだけどさ。
54 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:17:08.12 ID:M7ASOsG90
「いや、服に関してはもういい。とにかく行くぞ」
「ラジャー!」

そうして二人で部室から出て、私達はゆっくりと校舎の中を歩く。
お待たせするのは執事の名折れとは言ってみたけれど、実のところムギが来る予定の時間まではまだ三十分近くある。
校舎を二人でゆっくり歩く時間くらいはあった。
55 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:20:25.80 ID:M7ASOsG90
さっきまでの騒ぎぶりは何処へやら、私の隣に居る唯は珍しく静かに歩いていた。
私もその珍しい唯の様子を横目に、何となく口を噤んでゆっくりと校舎を見回しながら歩いてみる。
世界の終わりまであと一週間。もう一週間。
来週の月曜日は来ない……かもしれない。
かもしれない、と思うのは私の弱さなんだろうけど、とにかく今週で世界は終わるらしい。
56 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:23:46.28 ID:M7ASOsG90
そう考えると三年間過ごした何の変哲もない校舎が、何処となく特別に見えた。
今現在、登校する生徒が全校生徒の三割くらいになってしまった、我らが桜が丘女子高等学校。
登校してくる同級生達も目に見えて少なくなってきていた。
ほとんどの同級生の顔は、よくて数日に一度しか見ない。
逆によく目にするのは和に清水さん、それに意外といちごくらいかな。
57 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:25:25.95 ID:M7ASOsG90
関係ないけど、いちごをよく見かけるのは本当に意外だ。
いや、いちごの真似をしているわけじゃないんだけど。
とにかく、そんな生徒の少なくなった私達の校舎を見ながら、私は思う。
勿体ないなあ、って、そう思うんだ。
この光景を見られるのは、あとほんの少しかもしれないのに。
58 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:32:10.21 ID:M7ASOsG90
多分、そう思ってるから、私はずっと学校に来てるし、唯もよく来てくれているんだろう。
だから、私と唯は目に焼き付ける。
例え世界が終わらなくて、何事もなく卒業する事になったとしても、それでも。
私達の校舎を大切に思い出せるように。
59 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:33:17.83 ID:M7ASOsG90
「あれ、唯に……律?」

玄関の靴箱まであと数歩という距離にまで近付いた時、急に後ろから声を掛けられた。
聞き覚えのある声だった。
って、私と唯を知ってる人なんだから、その声に聞き覚えがあるのも当然なんだけど。
60 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:37:33.53 ID:M7ASOsG90
自分で自分に突っ込みながら振り返ってみると、そこに立っていたのは信代だった。

「あ、信代ちゃんだ! おひさー!」

久しぶりの同級生との再会が嬉しかったのか、唯が信代に駆け寄っていく。
唯が軽く手を上げると、信代も手を上げてお互いに軽く叩き合う。
61 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:44:08.13 ID:M7ASOsG90
当然、私も信代と久々に会えて嬉しかったんだけど、
それよりも信代が学校に居る事の方が意外で唯に一歩出遅れる形になってしまった。
それも仕方がないと言えば仕方ないと思う。
『終末宣言』の直後、誰よりも先に学校に来なくなったのは、この信代だった。
見る限りでは学校が嫌いなわけでもなさそうだったし、
友達を大切にする面倒見のいいタイプの信代が真っ先に学校に来なくなったのは、私としても気になるところだった。
62 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:51:16.93 ID:M7ASOsG90
もしかしたら、何かの暴動に巻き込まれて……、なんて嫌な想像もしていたくらいだったし。
携帯電話で連絡を取ろうかとも思ったんだけど、
もし繋がらなかったら、って思うと、情けないけどその一歩を踏み出せずにいた。
でも、とりあえずは元気そうな信代を見て、私は心の底から安心した。
親友と呼べるほど親しいわけじゃないけど、それでも同じクラスで友達なんだ。
無事でいてくれて、本当に嬉しかった。
唯と違い、その場で黙ったままの私の様子を不思議に思ったのか、信代が首を傾げながら言った。
63 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 19:53:41.48 ID:M7ASOsG90
「どうしたの、律? ひょっとして私と会えなくて寂しかったとか?」

心情を見透かされた気がして、私は目を逸らしながら、違うやい、と返してやった。
くそー、信代のくせに生意気な……。
悔しいからこのまま信代と唯を置いてムギを迎えに行こうかとちょっとだけ思ったけど、
やっぱり信代が今まで何をしていたのか気になって、私はその場から立ち去る事が出来なかった。
悔しがっている事が分からないよう声のトーンを少し変えて、結局、私は信代に訊ねてみる事にした。
64 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 20:08:15.15 ID:M7ASOsG90
「そんな事より本当にどうしたんだよ、信代。
急に学校に来なくなったと思ったら、いきなりそんな私服で学校に登校してきて。
色気づいて指輪なんかもしちゃってさ。校則違反だぞ、校則違反ー!」
65 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 20:14:32.59 ID:M7ASOsG90
学校外で会う事が少ないから、私は信代の私服姿をそんなに見た事がないからはっきりとは言えない。
だけど、今日の信代の私服姿は、妙に色っぽいというか艶っぽいというか、とにかく色気があった。
服自体はしまむらで見かけるような普通の服装なのに、どうにも輝いてる感じがする。
普段は私と同じく、可愛いのとか興味ない感じだったのにさ。
何だよー。さわちゃんにキラキラ輝く方法でも教えてもらってたのか?
66 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 20:18:10.55 ID:M7ASOsG90
ひょっとしたら、この見慣れない信代の指輪の魔力とかだったりして。
この指輪をはめただけで志望校に合格、宝くじにも当たり、身長も伸びてお肌もツヤッツヤー!
ホントもう次々と幸運が舞い込んで来て、今ではあの頃の悩みが嘘のように! なんてな。
特に左手の薬指にはめる事で幸運が舞い込む確率が更に倍とか?
……って、あれ? 左手? そんでもって、薬指……?
えっ……?
67 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 20:19:02.59 ID:M7ASOsG90
「まあまあ、指輪くらいいいじゃん、りっちゃん。
いいなー。その指輪可愛いなー。その指輪、信代ちゃんが自分で買ったの?」

何も気付いていない唯が、羨ましそうに信代の指輪を見つめる。
私はと言えば固唾を呑んで、信代の次の言葉を待つ事しか出来なかった。
まさか……だよな?
ラブリングとかそういうの……だよな?
それはそれで、結構衝撃的ではあるんだけど。
そして、しばらく後、信代は照れた顔で頭を掻きながら、ある意味私の予想通りの言葉を言った。
68 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 20:19:42.67 ID:M7ASOsG90
「ははっ。校則違反は勘弁してよ。これ旦那から貰ったもんなんだからさ」
「えっ……? 信代……ちゃん……? 旦……那……?」

流石の唯でも事態が呑み込めてきたらしく、静かに深刻に信代に訊ねていた。
唯の質問に答えるために、ゆっくりと信代が口を開く。
69 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 20:20:15.07 ID:M7ASOsG90
その瞬間、もう確定している、と私は思った。
これから信代はもう確定している事を口にするだけだ。
それを私は分かっている。何を言うかも分かっている。分かり切っている。
だから、私は驚かないようにしよう。
これから多分叫ぶ唯を、大声で叫ぶな、と説教する役に徹しよう。
大丈夫。私は冷静だ。今更、信代の言葉なんかに驚かない。
私はクールに定評のあるりっちゃんだ。
70 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 20:20:42.73 ID:M7ASOsG90
そうして、
信代が、
私達の疑問に答える、
言葉を発した。

「うん、結婚したんだよ、私」
「ええええええええええええええええっ!」
71 :にゃんこ [saga]:2011/05/17(火) 20:21:36.77 ID:M7ASOsG90

今日はここまでです。
長くてすみません。
まさかの誰得何得な信代編に突入ですみません。
72 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2011/05/18(水) 00:20:54.61 ID:VXji3vVH0
乙 いいぜ 意外な登場人物に、意外なエピソード
73 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:30:37.22 ID:re1EXFoM0
しまった。
唯を説教するつもりが私も唯と一緒に一緒に叫んでしまった。
でも、それも仕方が事だった。
会話の流れからある程度予想してはいたけど、実際本人の口から聞くとやっぱり衝撃的だ。
これまでそんな素振りを全然見せなかった信代が結婚なんていきなり過ぎだろ。
74 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:31:06.25 ID:re1EXFoM0
「何? 私が結婚した事がそんなに意外?」

怒ってる様子じゃなく、普段見せる豪快な笑顔で冗談交じりに信代が言った。
さっきの私達の反応は失礼だったかもしれないけど、信代はそんな事なんか全然気にしていないみたいだった。
凄い余裕だ。
まさかこれが主婦の余裕ってやつか?
75 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:31:42.47 ID:re1EXFoM0
「いや、意外っつーか……。何つーかさ……」

私は頬を掻きながら言葉を探してみたけど、中々いい言葉が見つからなかった。
何て言うべきなんだろう。
友達が結婚した事自体が初体験なんだ。
この様子を見る限り、信代の結婚は嘘とか冗談じゃないみたいだし。
やっぱりこういう時は笑顔で祝福するのが正しい反応なんだろうか。
いや、それだと普通過ぎるから、少し冗談交じりに反応するべきなのか?
76 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:32:11.69 ID:re1EXFoM0
あー、分からん!
そうして私が悩んでいると、私が何を言うより先に唯が信代の両手を握って微笑んだ。

「凄いね、信代ちゃん! おめでとう!」
「ははっ、ありがとう、唯」
77 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:32:40.88 ID:re1EXFoM0
そう言って、いつも豪快な信代が照れた表情ではにかむ。
そうか。唯の反応が正解だったのか。
私はつい一人で感心して頷いてしまう。
前から思ってるんだけど、こういういざという時の唯の行動は間違いがない。
物怖じもしなくて、感じるままに行動してるだけなんだけど、
そんな風に単純だからこそ、正解までの最短距離を見つけられてるって感じだ。
私もそんな唯の単純さを見習う事にした。
78 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:33:06.68 ID:re1EXFoM0
「うん、そうだな。結婚おめでとう、信代。
先を越しやがってー。こいつめー!」

言いながら、信代に駆け寄って肩を軽く叩いてやる。
本当はチョークスリーパーを仕掛けてやりたかったんだけど、
私と信代の身長差じゃ信代にチョーキングを仕掛けるのは無理があった。
79 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:39:24.31 ID:re1EXFoM0
「律もありがとう。
私なんかあんた達みたいに可愛くないから、先に結婚しちゃって申し訳ないね」
「お、言うようになったな、こいつー!」

私が笑いながら何度も肩を叩くと、信代は更に気持ちいいくらいはにかんだ。
80 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:39:52.92 ID:re1EXFoM0
その笑顔は本当に眩しくて、信代だって十分可愛いよ、と私は思った。
確かに信代は体格もよくて、女子高生って言うより肝っ玉母さんみたいだけど、
それでもその笑顔や照れた仕種は女の私から見ても本当に魅力的だった。
会った事もない人だけど、信代の旦那さんも信代のそんなところに惹かれたんじゃないかな、と何となく思う。
81 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:40:25.70 ID:re1EXFoM0
「ねえねえ」

信代の手を取ったままの唯が、聞きたくて仕方がないといった素振りで信代に訊ねた。

「信代ちゃんの旦那さんって一体誰なの?
私達の知ってる人? 年上? 年下? ねえねえ、教えてよー」
82 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:40:59.20 ID:re1EXFoM0
信代より年下だと日本の法律では結婚出来ないんだが……。
突っ込もうかと思ったけど、今それを言うのも何だか無粋な気がした。
私はその唯の言葉をスルーして、信代の返事を待つ事にする。
83 :にゃんこ [saga]:2011/05/19(木) 22:42:46.57 ID:re1EXFoM0

今回はここまでです。
信代みたいな子の方が、結構早く結婚するんですよね。
実体験からですが。
あ、やばい。おっさんってことがばれる。
84 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/05/20(金) 01:17:33.43 ID:8YdMTkq7o
このエロゲを知ってる時点でオッサn…いやなんでもない
85 :にゃんこ [saga]:2011/05/23(月) 21:11:18.30 ID:EGGW5WVl0
「三歳年上だよ。幼馴染みの腐れ縁でさ。
元々、旦那が大学を卒業したら結婚するつもりだったんだけど、こんな状況だしね。
今の内にって事で、一ヶ月前に婚姻届けを出したんだ。
受け付けしてないんじゃないかと思ってたけど、意外と役所も開いてて律儀なおじさんが受理してくれたんだよ。
ちゃんと戸籍にまで反映されてるかは分かんないけど、でも、受け取って貰えただけでも気分的に嬉しかったな」

ほんの少し顔を赤くして、信代が語ってくれた。
本当に嬉しそうに。
86 :にゃんこ [saga]:2011/05/23(月) 21:39:42.00 ID:EGGW5WVl0
幼馴染みか……。
一瞬、私の頭の中に澪の顔が浮かんだ。
他に幼馴染みがいないわけじゃないけど、私にとって一番近い幼馴染みはやっぱり澪だった。
傍に居なくちゃいけない。居て当たり前の私の幼馴染み。
勿論、そんな事を本人に伝える事はないだろうけど。
と言うか、伝えたらあいつの中の感情が一周回って「恥ずかしい事を言うな!」と逆に殴られそうな気がする。
あいつに殴られ慣れているせいか、どうしてもそんな気がする。
非常にそんな気がする。
私の思い過ごしならいいんだけど……。
87 :にゃんこ [saga]:2011/05/23(月) 22:07:08.92 ID:EGGW5WVl0
「おー! 幼馴染み!
いいなー! 私も幼馴染み欲しいなー」

そうやって声を上げたのは、勿論唯だった。
私と違って、唯の方は自分の幼馴染みを思い浮かべなかったらしい。
おいおい。この事を知ったら、和泣くぞ。
いや、泣く……かな?
どうにも和には何かで泣くイメージが無いな。
和の事だから、冷静に何も聞かなかった事にするだけのような気がするし。
それはそれで長い付き合いの幼馴染みの姿ではあるんだろうけど。
88 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 00:53:45.00 ID:q+DyXaNG0
「だけど、水臭いぞ、信代ー。
幼馴染みと付き合ってるなんて、一言も言ってなかったじゃんかよー」

私が頬を膨らませて言ってやったけど、それでも信代は穏やかな表情のままで続ける。

「ごめんって。聞かれなかったし、自分から言うのも何か恥ずかしくってさ。
大体、嫌じゃん? 聞いてもないのに自分から彼氏が居るって言い出す奴って」

それは確かに嫌だな……。
89 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 01:01:27.51 ID:q+DyXaNG0
信代から見ても嫌そうな顔をしていたんだろう。
苦笑しながら、信代は話題を変えた。

「でも、こんな時期だからって、本当はこんなに急いで結婚するつもりじゃなかったんだ」
「え? そうなのか?」

私が信代の顔を覗き込みながら訊ねると、軽く信代は頷いた。
頷いたその信代はこれまでの照れ臭そうな笑顔じゃなくて、
そうだな……、何て言うんだろう……、
何かを懐かしそうに考えているみたいな……、『郷愁』……だっけ?
とにかくそんな静かで優しい表情をしていた。
90 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 01:10:52.80 ID:q+DyXaNG0
「卒業したら進路はどうするつもりか、確か唯には話した事あったよね?」
「うん、覚えてるよ。酒屋さんのお手伝いだよね?」

信代が訊ねると、間髪入れずに唯が自信満々で応える。
てっきり「そうだっけ?」と首を捻るもんだと思ってたんだけど、
意外に覚えてる事は覚えてるんだな、と私は唯の記憶力に感心した。
と言うか、普段から私と唯自身の言った事も覚えておいてくれると助かるんだけどさ。
とにかく、その信代の進路については私も知っていた。
信代自身から直接聞いた事はないけど、
信代の家が酒屋だって事は聞いた事があるし、
卒業後はそこを手伝うらしいという話も、又聞き程度で聞いた事はあった。
91 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 01:21:57.33 ID:q+DyXaNG0
「先月に『終末宣言』があったじゃん。
それでさ、私はこれからどうしたいのか考えたんだよ。
これからどうなるか分からないし、
テレビで言ってる通りなら一ヶ月半後には死んじゃうわけだし」

死んじゃう。
何気なく言ったんだろうその信代の言葉に、少しだけ私の心臓が高鳴る。
だけど、それを顔に出さないように、黙って信代の言葉の続きを私は待つ。
今はまだ、誰かが死ぬとか自分が死ぬとか、そういう事を考えたくなかったから。
92 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 01:33:54.31 ID:q+DyXaNG0
「それで単純だけど、私はやっぱりうちの酒屋を手伝いたいって思ったんだ。
欲を言うと日本一の酒屋になりたかったんだけど、流石にこんな短期間じゃね……。
でもさ、だったらせめて少しでも日本一の酒屋に近付いてやりたくってさ。
それで長いこと、学校に来てなかったんだよ。
ずっと家で酒屋の仕事をやっててさ。大変だけど、とてもやりがいがある仕事なんだ。
こんな時期でも、うちの常連の飲んだくれのおっちゃんとかが毎日来るしね。
どんだけ飲むんだよー、って感じだけどね」
「信代ちゃん、カッコイイ!」

茶化すわけではなく、本気の表情で唯が拍手していた。
釣られて私も拍手してしまう。
唯の言うとおり、そう語った信代の姿は本当にかっこよかったから。
少なくとも、色んな事を考えないようにしてる私より数十倍は。
93 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 01:43:46.35 ID:q+DyXaNG0
……って、そんな卑屈になってる場合でもないか。
私は頭を振って気を取り直して、信代に話の続きを催促する事にした。
卑屈になる事はいつだって出来るからな。そういうのは一人ぼっちの時にするべきだ。

「それで信代?
酒屋さんの手伝いをしてたのは分かったけど、
結婚するつもりはなかったってのはどういう事なんだ?
何か旦那さんに不満でもあったのか?」

そう私が訊ねると、また顔を赤くして信代が笑った。
94 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 01:51:39.23 ID:q+DyXaNG0
「いやいや、旦那に不満なんてないよ。
そもそも私を嫁に貰ってくれるだけで感謝ですよ。
小さい頃から、嫁の貰い手があるかお父さんにはよく心配されてたからね」
「じゃあ何で?」
「まだ結婚する前の旦那にさ、
学校を辞めてうちの酒屋を手伝いたいって伝えたんだ。
少しでも酒屋って仕事を経験しておきたいって。
そうしたら、あいつ、言ってくれたんだよ。
『俺もお前と酒屋をやる。お前のやりたい事が俺のやりたい事だ』ってさ。
気障だよね。言ってて自分で恥ずかしいよ」
95 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 01:57:15.06 ID:q+DyXaNG0
確かに気障だった。
気障で気恥ずかしいけど、素敵な話だった。
信代はそういう最後の時まで一緒に居られる相手を見つけられたって事なんだ。
それはとても素敵な話だ……、けど、つい私の背中が痒くなってしまっていたのは内緒だ。
いや、分かってはいる。
分かってはいるんだけど、そういう気障な話とかメルヘンな話とかはどうにも痒くなる。
それは私の持って生まれた性格で、どうにも変えようがないんだよなー。
申し訳ないけど、この辺は本当に勘弁して頂きたい。
96 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 02:08:39.88 ID:q+DyXaNG0
だけど、羨ましかったのも確かかな。
私にも最後の瞬間まで一緒に居たい誰か、居てくれる誰かは出来るんだろうか。
その時、またも一瞬浮かんだのは澪の顔だった。
我ながら色気無いな、と思いながらも、澪だったらどうだろうと私は考える。
澪なら最後まで居てくれる……とは思うけど……、いや、多分……。
腐れ縁の関係ではあるけど、あいつも私と一緒に居たいとは思ってくれているはず。
それが世界の最後までかどうかは分かんないけど、少なくとも私の方はまだあいつと離れたくなかった。
でも、もし……。
もしもあいつが誰か違う人と一緒に居たいと言い出したら、
私は気持ち良くあいつを送り出してやる事が出来るだろうか……?
97 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 02:20:22.57 ID:q+DyXaNG0
それはまだ、考えても仕方がない事だけどさ。
と。

「信代ちゃん、いいなー。私も結婚したいなー」

そんな私の思いに完全に気づいてないだろう唯が信代に向けて憧れの眼差しを向けていた。
やっぱりこいつの方はずっと変わらないんだな。

「はいはい。
唯ちゃんは結婚するよりも先に彼氏を作りまちょうねー」

からかう感じで私が言ってやると、
唯はまた頬を膨らませて「りっちゃんだってそうじゃん」と呟いた。
それはそれとして、そんな変わらない唯の姿にとても安心している私が居た。
色んな事が変わっていく。
世界も、人も、終わりに向けて変わっていく。
それは多分、必要な事なんだろうけど……。
でも、変わらない誰かが居てくれるってのは、何だかとても嬉しかった。
98 :にゃんこ [saga]:2011/05/24(火) 02:23:16.10 ID:q+DyXaNG0

もう少し書きたかったのですが、体力の限界なので今日はここまでです。
信代編が長過ぎると言うか、まだ月曜日すら終わってません。
どれくらいの長さになるか不安ですが、頑張って書くのでこれからもよろしくお願いします。
あと、確かにこのゲームを知ってるだけでおっさんでした。
99 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 20:55:46.21 ID:REPpvMfk0
「それでさ」

急にまた信代が続ける。
私は苦笑して唯を見ながら、信代の言葉に耳を傾けた。

「そんな感じであいつがうちを手伝ってくれる事になったんだ、それも住み込みでさ。
もうこの際だから、入籍して夫婦で酒屋を盛り上げようって事になってね。
それでずっとうちを手伝ってて忙しくてさ、つい皆に連絡を取り忘れてたんだよ。
律も唯もごめんね」

私は軽く頭を振って、いいよ、とまた信代の肩を叩く。
そういう事情なら怒るに怒れないじゃないか。
そもそも怒ってたわけでもないけどさ。
100 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 20:57:44.18 ID:REPpvMfk0
「でも、今日はどうにか時間が出来たから、学校に来てみる事にしたんだ。
しばらく皆と会えてなかったし、それに……」
「それに……?」

私が先の言葉を催促すると、何処か寂しそうな顔で、でも、何かを決心した顔で、信代は言った。
あくまで明るく、いつも通りの肝っ玉の太い信代の声色で。

「今日はお別れの言葉を伝えに来たんだよ。
友達とか、先生とかにさ。もう皆と会えるのも最後かもしれないからね」
101 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 20:59:54.04 ID:REPpvMfk0
そんな今生の別れでもあるまいし、と私は明るく軽口を叩こうと一瞬考えたけど、やめた。
そうだったな。
本気で今生の別れになるかもしれないんだよな。
もう、そんな時期なんだよな……。
ほんの少しの沈黙。
唯も少し視線を落として、何となく寂しそうに見える。
102 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:00:54.68 ID:REPpvMfk0
「あはは。二人とも何やってんのー?」
「いやいや、私は何もやってないし。律が勝手に飛びついて来ただけだよ」
「うるへー。考えてみりゃ、信代にチョークスリーパー掛けた事無かったからな。
折角だから、存分に味わっとけい!」
「うわ、無茶苦茶だ」
103 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:01:23.20 ID:REPpvMfk0
顔は見えないけど信代が苦笑したらしく、
信代の背中越しに見えた唯もそれに釣られてまた笑っていた。
私も多分笑っていた。
その顔は三人とも寂しさを含んではいただろうけど、今出来る最高の顔だったと思う。
そうして一分くらい信代の背中におんぶされて、
私は存分に信代をチョーキングしてから身体を離した。
唯の隣に戻って、信代の表情をうかがってみる。
ずっと私をおんぶしていたのに、信代は疲れた様子を全然見せずに笑っていた。
流石は信代。桜高最強の女(多分)。
104 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:03:06.53 ID:REPpvMfk0
「さてと……」

名残惜しそうに信代が呟く。
私も、多分唯も、次に信代が何を言おうとしているのか分かっていた。
その言葉は出来れば聞きたくなかったけど、それを止めるわけにもいかなかった。
私達は私達で、信代は信代で、しなきゃいけない事は違ってるんだから。
105 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:03:54.98 ID:REPpvMfk0
「そろそろ行かないと。まだ挨拶したい人は多いし、約束もあるしさ」
「そっか……」
「でも、律達に会えて本当によかったよ。
一応、軽音部の部室にも顔を出そうかとは思ってたんだけど、時間が取れるか分からなかったし……」
「もうすぐムギも来るから、会っとけよ」
「いや……、でも行くよ。春子とか待たせてるしさ。流石にもう行かないと」
「だったらさ、信代ちゃん。よかったらなんだけど……」
106 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:05:10.94 ID:REPpvMfk0
珍しく遠慮がちに唯が言った。
私は口を噤んで、唯の言葉を待つ事にする。
こいつが口ごもりながら何かを言う時は、本当に真剣に何かを考えてる時だから。
107 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:05:38.29 ID:REPpvMfk0
「どうしたの、唯?」
「今度、軽音部でライブやる予定なんだけど、よかったら信代ちゃんも見に来てよ。
部室でやる小さなライブなんだけど、本当にすごいよ!
歴史に残るくらいのすっごいライブだから!」
「おいおい……」
108 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:08:11.03 ID:REPpvMfk0
呆れた表情で軽く唯の頭をチョップしてやる。
唯の発案自体が悪いわけじゃないんだけど……。
私はチョップを唯の頭に置いたままノコギリみたいに動かしながら、言葉を続けた。

「歴史に残るライブって、まだ日にちも決まってないだろ。
大体、身内で、ライブやれたらいいな、って話してるだけじゃんか」
「えー……。でも、きっとすごいライブになるよ!
絶対歴史に残るし! て言うか歴史に残すし!」
「何だよ、その自信は……」
109 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:09:29.99 ID:REPpvMfk0
普段と変わらない私と唯の馬鹿なやり取り。
自分でも馬鹿みたいだな、とつくづく思う。
でも、それを見てる信代は笑ってくれた。

「いいね。時間は出来るだけ……、ううん、絶対空ける。
澪達にも会いたいし、放課後ティータイム……だったよね?
私、実は結構あんた達のバンドのファンだし、楽しみに待ってる。
ライブの日程が決まったら、すぐに教えてよ」
「おー、流石は信代ちゃん!」
110 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:13:11.18 ID:REPpvMfk0
何が流石なのかは分からなかったが、信代の言葉に唯は満面の笑顔で喜んでいた。
私も、オッケー、と言いながら、信代とハイタッチを交わした。
ありがとう、信代。
心の中でだけそう言って、そうして私達はまずは春子と会うという信代を見送った。
三人とも笑顔で、とりあえずの別れを交わせた。
完全に信代の姿が見えなくなった頃、唯が何かに感心している様子で呟いた。
111 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:13:43.73 ID:REPpvMfk0
「何か……カッコよかったよね、信代ちゃん……。
女の『みりき』に溢れてるって言うか……」
「『魅力』な」
「むー……。分かってるよ。ついだよ」
「どっちだよ。
でも、分かるよ。
人妻の艶めかしさっつーか、セクシーさっつーか、とにかく余裕があったよな」
「あれが人妻のみりきなのか……」
「魅力な。まあ、いいや。とりあえずムギを迎えに行こうぜ」
112 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:14:44.86 ID:REPpvMfk0
私がそう言った瞬間。
背筋に何らかのどす黒いオーラ的な何かを感じた。
そのオーラ的な何かは本当に何の前触れも無く、私達の背後に現れていた。
瞬間移動でもしているかのようだった。
な、何を言ってるか分からねーと思うが、私も何をされたのか分からなかった。
催眠術とか超スピードとか、そんなチャチなもんじゃ断じてねえ。
もっと恐ろしい物の片鱗を……。
113 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:15:11.77 ID:REPpvMfk0
って、よく考えなくても私の知っている人の中には、そういう神出鬼没な人が居たんだった。
若干呆れつつ振り返ってみると、予想通り私達の顧問の先生が何故かその場に崩れ落ちていた。

「何やってんだよ、さわちゃん……」

小さく訊ねてみたけど、
さわちゃんは私の言葉に反応せずに何かを呟いていた。
114 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:15:39.43 ID:REPpvMfk0
「……された」
「何?」
「先を越された……」
「だから何?」
「中島さんに先を越された……。
生徒に……、よりにもよって生徒に……」
「あー……」
115 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:17:39.36 ID:REPpvMfk0
それ以上、私は何を言う事も出来なかった。
とても残念ではあるんだけど、
それに関して私がさわちゃんに言ってあげられる言葉はありそうにない。
と言うか、ずっと聞いてたのかよ。
いや、確かに信代が結婚したって話を聞いたら、そりゃ顔を出しにくかっただろうけど。
どうしたものか、と首を捻っていると、唯が事もなさげに軽く言い出した。

「大丈夫だよ、さわちゃん!
さわちゃんはまだ結婚してないかもしれないけど、私達だってまだ結婚してないから!」
「いや、それ何の慰めにもなってないから……」
116 :にゃんこ [saga]:2011/05/28(土) 21:20:41.86 ID:REPpvMfk0

今回はここまでです。
ネットカフェでアップしようとしたら、ポート開放で書き込めなかった罠。
117 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) :2011/05/28(土) 23:16:57.91 ID:/Jikl66N0
乙乙 さわちゃんェ…
118 :にゃんこ [saga]:2011/05/29(日) 01:56:08.76 ID:oaeVjkUw0
うわ、寝る前に読み返してみたら、一文抜けてる。
恥ずかしい……。
↓のが101と102の間に入ります。
119 :にゃんこ [saga]:2011/05/29(日) 01:56:36.48 ID:oaeVjkUw0
私も何を言えばいいのか分からなくて、どうしようかと少し迷ったけど……。
それでも私は信代の背中側に周って、背中から飛び付いてチョーキングの体勢を取っていた。
信代もちょっと驚いたみたいだったけど、私を振り落としたりはしなかった。
やっぱりと言うべきなのか、その体勢はチョーキングと言うより、
私が信代におんぶされてるみたいになってて、それを見てた唯が軽く笑った。
120 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:09:14.12 ID:Qb/2+Hqe0
私は唯の頭を掴んで軽く揺らしながら突っ込む。
それでも、唯は自分の発言の何が問題だったのか分かってないみたいで、きょとんとしていた。
そうなんだ。
こいつはこれでも本気でさわちゃんを慰めてるつもりなんだ。
私はそれをよく分かっているし、さわちゃんもそれだけは長い付き合いでよく分かってるみたいだった。
その場に崩れ落ちた体勢のままだったけど、さわちゃんは軽く苦笑を浮かべて私達を見つめた。
121 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:10:33.18 ID:Qb/2+Hqe0
「そうね……。私はまだ結婚してないけど、貴方達も結婚してないものね……。
特に貴方達は彼氏が出来た事すらないものね……。
それに比べれば私なんてまだまだ幸せな方よね! ファイトよ、さわ子!」

拳を握り締めて、さわちゃんは自分に言い聞かせるよう気合を入れる。
ちょっと心配してみたらこれだ……。
彼氏が出来た事がないのは本当だけど、それを人に言われるのはちょっと腹立つな。
私の隣に居る唯も微妙な顔でさわちゃんを見つめていた。
私の知る限り、唯にも彼氏が出来た事はなかったはずだし。
そもそも男に興味があるのかどうかも怪しいし……。
122 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:11:43.98 ID:Qb/2+Hqe0
まあ、さわちゃんが元気になったのは何よりだ。
私は唯の手を取って、唯と顔を見合わせる。

「さて、もうすぐムギも来る事だし、幸せな人は置いといて急ごうぜ、唯」
「あいよ! そうだね、りっちゃん!」

そうして二人でさわちゃんに背中を向け、私達は校門への新たな一歩を踏み出そうとして……。
123 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:12:14.37 ID:Qb/2+Hqe0
「ちょっと、二人ともぉ!」
「うわっ!」
「おっとと! 掴まって、りっちゃん!」

さわちゃんに私の脚を掴まれ、体勢を崩して倒れそうになってしまった。
唯が私の手を支えてくれたおかげで倒れずにすんだけど、正直、結構危なかった。
体勢を立て直し、ありがとな、唯、と軽く頭を下げた後、
私は出来るだけ嫌そうな顔でさわちゃんに言った。
124 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:13:36.92 ID:Qb/2+Hqe0
「ちょっとさわちゃん……、危ないじゃんかよー」
「それはごめんなさい……。確かにやり過ぎちゃったわね……。
でも、一週間ぶりに会った先生を置いて、そんなに急いで行かなくてもいいじゃないの。
この一週間何やってたの? とか聞いてくれてもいいじゃない」

聞いて欲しいのか……。
確かにこの一週間、さわちゃんの姿を見かけなかったし、何をやってたのかは気になるけど……。
でも、その言葉通りに、ただ聞いてあげるのも面白くないな。
そこで私は一つ少し意地の悪い事を思い付いた。
信代の結婚にショックを受けてた姿から考えるに、この一週間彼氏と過ごしてたわけでもなさそうだ。
倒されそうになった仕返しにその辺を弄ってみる事にしよう。
私はニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべ、さわちゃんの肩に手を置いた。
125 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:14:25.53 ID:Qb/2+Hqe0
「この一週間何をやってたかなんて、聞かなくても分かるよ、さわちゃん。
彼氏とめくるめく愛へのハイウェイ的なアバンチュールを過ごしてたんだろ?」
「おー、アバンチュール!」

アバンチュールという言葉の響きが好きなのか、唯が大袈裟に強調してくれる。
相変わらずよく分からない所にツボがある奴だな。
それに対して、何故かさわちゃんはしばらく反応を見せなかった。
あれ、おかしいな。いつも通り顔を伏せて嘆いてくれると思ったんだけど……。
ちょっと意地悪過ぎたかな、と私が不安になりかけた時、急にさわちゃんが驚いた表情を浮かべた。
126 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:16:00.17 ID:Qb/2+Hqe0
「ど……、どうして知ってるのっ?」
「えっ? マジでっ?」
「いや、マジで、って何よ。私だって彼氏とアバンチュールする事くらいあるわよ。
実はね、前の彼氏とやり直す事になったの……。
それでこの一週間、二人で温泉旅行に行ったりして、ずっとアバンチュールしてたのよ」
「すごいよ! 温泉でアバンチュールなんて大人の関係だよね、りっちゃん!」
「そうだな、唯……。まさか本当にさわちゃんにそんなアバンチュールが……」
127 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:17:37.80 ID:Qb/2+Hqe0
唯と二人で意外なさわちゃんの大人の一面に感心してしまう。
彼氏と二人で温泉旅行のアバンチュールしてたなんて……。
つい私はタオルも巻かずに混浴に入るさわちゃんと彼氏を想像してしまう。
二人は見つめ合い、いつしか唇を重ねてそのまま……って、何考えてんだ私!
何だか顔が熱い。自分でも自分の顔が赤くなってしまっているのが分かるくらいだ。
知っている人のそんな姿を想像してしまうのは、どうにも気恥ずかしくてたまらない。
128 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:19:37.66 ID:Qb/2+Hqe0
どうしても落ち着かなくて、私は唯の顔を気付かれないように覗いてみる。
唯も私と同じ様な事を考えているんだろう。唯の顔も少しだけ赤くなっているように見えた。
そういう情報に疎く見える唯だけど、普通の女子高生並みの知識はあるに違いない。
って、そういえば前に唯に聡の隠してたそういうビデオを貸したのは私だった。
いや、ほら、私達も女子高生なわけで。そういうビデオを観たくなる事もあるわけで。
あー、もう、だから、とにかく!
そんな感じで私と唯が黙り込んで悶えていると、急にさわちゃんが大きな笑い声を上げた。
129 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:20:39.68 ID:Qb/2+Hqe0
「あっははは! 何、赤くなってんのよ、二人とも。
冗談よ、冗談。この一週間は実家の整理とか同級生と会ったりとかしてただけよ。
彼氏が居たとしても、流石に一週間も温泉旅行なんか行くわけないじゃない。
それにしてもそんなに赤くなるなんて、幼く見えるけどあんた達も年頃なのねえ」

一瞬、さわちゃんが何を言い出したのか、私には分からなかった。
それくらい状況が呑み込めなかった。
130 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:21:19.97 ID:Qb/2+Hqe0
数秒経ってからようやく私は、ああ、そうか、と思った。
からかったつもりが、逆にからかわれてたんだ。
それが分かった瞬間、急に悔しさが込み上げてきた。

「くっそー、騙したな!」
「謀ったな、さわちゃん!」

唯と二人で頬を膨らませて文句を言ってやったけど、
さわちゃんは、てへっ、と舌を出して首を傾げるだけだった。
131 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/05/30(月) 23:22:47.70 ID:/Veq1Yep0
.oO(さわちゃんにもし彼氏がいたら、スレタイ的に眼鏡男子だな)
132 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:23:33.35 ID:Qb/2+Hqe0
やられた……。
普段、彼氏ネタで弄ってるからお約束の鉄板だと思ってたのに、まさかそれに返しネタを用意してくるなんて……。
大体、信代の結婚にショックを受けてたんだから、
彼氏が居ない事は分かってたはずなのに、完全に予想外の返しに思考停止しちゃってた……。
さわちゃんめ。悔しいけど三年生のこんな時期になってお約束を崩すなんて、敵ながら天晴れ。
133 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:24:03.40 ID:Qb/2+Hqe0
「でもね。一つ嘘じゃない所もあるのよ」

急にさわちゃんが遠い目になって語り始める。
まだ悔しくはあったけど、とりあえずさわちゃんの言葉を聞いてみる事にした。

「そう。あれは一週間前の事……」
「その語り口、好きだよな、さわちゃん」
134 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:24:32.54 ID:Qb/2+Hqe0
「黙って聞きなさい。
それでね、さっき前の彼氏とやり直す事になったって言ったでしょ?
実は前の彼氏から「やり直そう」って言われた事だけは本当なのよ。
これだけは嘘じゃないわよ。
急に一週間前に呼び出されてね、何の用事かと思ったらそう言われたの」
「でも、やり直さなかったの?」
135 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:25:17.15 ID:Qb/2+Hqe0
また聞きにくい事を平然と唯が聞いていた。
でも、聞かないわけにもいかない事でもあるか。
今も彼氏が居ない事を嘆いてるって事は、つまりその前の彼氏とはやり直さなかったって事なんだから。
さわちゃんもその辺はちゃんと話そうと思っていたのか、特に唯を怒るわけでもなく続けた。
136 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:26:13.33 ID:Qb/2+Hqe0
「そりゃそうよ。もう終わっちゃった関係だもの。
大体、振られちゃったのは私の方なのに、
それをこんな時期だからって都合よくやり直したいって言われてもね。
そう言われてもね……」
137 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:27:14.40 ID:Qb/2+Hqe0
そこまで言うと、急にさわちゃんの身体が痙攣するように震え始める。
冬の始まりと言っても、まだ寒いわけじゃない。
勿論、唯の発言に怒っているわけじゃない。
私達に対する怒りじゃない。
つまり……。
と。
さわちゃんが唐突に立ち上がって眼鏡を外してから叫んだ。
138 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:28:03.43 ID:Qb/2+Hqe0
「大体なあっ!
もうすぐ死ぬからって昔の女に縋り付くって根性が気に入らねーんだよ!
死が何だっつーの! こちとら死の悪魔の『DEATH DEVIL』だっつーんだよ!
しかも、後で調べてみりゃ、いつの間にか結婚してて妻子持ちだっつーじゃねーか!
不倫させるつもりだったのかよ!
ざけんじゃねーッ!」
139 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:28:46.44 ID:Qb/2+Hqe0
あーあ、やっぱり出たよ、『DEATH DEVIL』……。
でも、まあ、仕方ないか。
自分から振っておいて、しかも結婚してて、
それでこの際だからって感じで昔の彼女とやり直そうとするとか、さわちゃんじゃなくても怒るよ。
勿論、その前の彼氏の方に何か事情が無かったとは言い切れない。
140 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:29:22.32 ID:Qb/2+Hqe0
ひょっとしたら、この時期になって、最後の時間を目前にして、
本当に傍に居たかったのはさわちゃんだって気付いたのかもしれない。
それで今更だけど、やり直そうとしたのかもしれない。
気持ちは分からないでもないけど……。
だけど、それは多分、やっちゃいけない事なんだ。
だから、さわちゃんは怒ってるんだろう。
141 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:29:59.15 ID:Qb/2+Hqe0
「大体なあっ! 大体なあ……。
何よ、もう、今更……。
あーあ、もう……」

さわちゃんの『DEATH DEVIL』モードは結構短い。
これまで何回か見て来たけど、どの時も数分で元に戻っていた。
今回も同じ様に素に戻ったんだろう。
眼鏡を掛け直して、さわちゃんはまたその場に崩れ落ちた。
142 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:30:52.61 ID:Qb/2+Hqe0
泣いているわけじゃなかったけど、そのさわちゃんの姿はとても寂しそうに見えた。
身勝手な前の彼氏の行動に怒っているのは確かなんだろう。
それでも、本当は少しだけやり直したい気持ちもあったんだろう。
だから、信代の結婚を羨ましく思っているわけだし。
残された時間も少ないし、本当はやり直すという選択もありなんだろうとは思う。
思い残しの無いように、最後に何もかも捨てて誰かに縋るのも一つの選択なんだ。
それを選んでも、誰もさわちゃんを責めないだろうけど……。
だけど、さわちゃんはそれを選ばなかった。
さわちゃんには悪いけど、私はそれがとても嬉しいと思う。
それは多分……。
私はしゃがみ込んで、またさわちゃんの両肩に手を置いて言った。
143 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:31:30.48 ID:Qb/2+Hqe0
「さわちゃんは立派だよ。皆、そんなさわちゃんの事が好きだよ」
「りっちゃん……」
「私だってさわちゃんの事が大好きだよ!」
「唯ちゃん……」
「さあ、立って、さわちゃん。
もうすぐムギが美味しいお菓子を持って来るからさ。
部室で一緒に食べよう」
「ムギちゃんが……。ねえ、りっちゃん……」
「うん……」
「りっちゃんの分のお菓子も分けて貰っていい?」
「うん……。って、うおい!」
144 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:32:12.52 ID:Qb/2+Hqe0
私が突っ込んで頭を軽く叩くと、その時のさわちゃんはもう笑顔だった。
悲しくないわけでもないし、後悔してないわけでもないと思う。
それでも、さわちゃんは……、私達の顧問の先生は笑顔だった。
きっとそういう風に生きて、そういう風に終わりを迎えてくれるんだ。
145 :にゃんこ [saga]:2011/05/30(月) 23:33:34.17 ID:Qb/2+Hqe0

今回はここまでです。
唯がアバンチュールをやけに推すのは声優ネタだったりして。
146 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 01:18:53.66 ID:fzyJMlSn0






147 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 01:19:39.13 ID:fzyJMlSn0






148 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 01:25:51.59 ID:fzyJMlSn0
校門でムギと合流して部室に戻ると、澪と梓もいつの間にか部室に来ていた。
久しぶりに会うムギは少し疲れて見えたけれど、それでもとても楽しそうに振る舞ってくれた。
かなり久しぶりの軽音部の全員集合。
ムギはその事が嬉しかったんだと思う。
いつもよりも落ち着かず、はしゃいで見えた。
ムギが疲れている理由について、私は何も聞かなかった。
多分、それはムギが話したい時に話してもらえればいい事だと思う。
149 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 01:31:17.61 ID:fzyJMlSn0
そうしてさわちゃんを含めた六人でお茶をして、
さわちゃんが吹奏楽部の活動を見に行った後で
(私は知らなかったけど、
午前中はさわちゃんの授業を受けたい有志の生徒達相手に授業をしていたらしい)、
私達軽音部の間に少し気まずい空気が流れた。
150 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 01:40:19.26 ID:fzyJMlSn0
原因は練習でやった私達のセッションが妙に噛み合わなかった事だ。
勿論、その妙に噛み合わないセッションの原因は私……、
と言いたいところだけど今回はそうじゃなかった。
よくドラムが走り気味でリズムキープもバラバラと、
結構厳しい評価を受けがちな私だけど、今日の私のドラミングは悪くなかったと思う。
リズム隊の澪も何も言って来なかったし、唯とはアイコンタクトで難しいリフも何とかこなせた。
いや、普段の練習から考えると、出来過ぎなくらいに私の演奏は悪くなかったはずだ。
151 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 01:46:56.26 ID:fzyJMlSn0
今回の噛み合わないセッションの原因は、
こう言うのも人のせいにするみたいで嫌なんだけど、梓のミスによるものが大きかったと思う。
これは本当に意外な事だった。
私のミスのせいならともかく(って自分で言うのも悲しいんだけど)、
普段真面目で、子供の頃から演奏を続けている努力家の梓が今日に限って凡ミスを繰り返していた。
しかも、普段なら本当にありえないミスばかりを。
いや、今日に限って……、じゃないか。
考えてみると、最近の梓は何だかどうもおかしかった。
152 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 01:58:42.15 ID:fzyJMlSn0
最近とは言っても、『終末宣言』の日からじゃなかった。
あれはあれでとても衝撃的な宣言で、
あれ以来、恐怖とか諦めとかで学校に来れなくなった同級生も多かったけど、
少なくとも梓はそういう子じゃなかった。
あの日、純ちゃんの電話と校内放送で世界の終わりを知った梓だったけど、
その後の行動は私達三年生が見てもびっくりしてしまうくらい落ち着いていた。
静かに家族に連絡を取ったり、事の真偽をニュースとかで調べたり、
私達の横で呆然とする澪を気遣ったりするくらい、すごく落ち着いた行動だった。
本当のところは分からないけど、
きっと純ちゃんが梓が慌てないように、電話で何か言ってくれたんだろうって思う。
純ちゃんの事をよく知ってるわけじゃないけど、あの子は多分そういう子だった。
自由に見えて、いつも誰かの事を気遣ってる子なんだ。
だから、ちょっと固めで融通の利かない所もある梓が、あんなに心を開いているんだ。
私もそういう先輩になれたらよかったんだけど……、実際は梓にどう思われているんだろう?
153 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 02:07:21.39 ID:fzyJMlSn0
いやいや、今は梓の私の評価はどうでもいい。
とにかく、そんな落ち着いた様子の梓なのに、ここ三日くらいどうにも様子がおかしかった。
一昨日なんてかなり挙動不審で、
私が指摘するまで自分の髪を結んでない事、鞄を持って来てない事にも気付いてないくらいだった。
それは最後の日まで一週間を切ったから、というわけでもないとは思う。
これは単なる私の勝手な考えなんだけど、
梓は世界が終わるとか、自分が死ぬとか、そんな事よりも恐い何かに怯えているように見えるんだ。
それが何なのかは分からないけど、部長としてそんな梓の力になりたいと思う。
154 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 02:12:01.98 ID:fzyJMlSn0
だけど、梓はそんな私に何も言ってくれなかった。
悩み事があるのか、心配な何かがあるのか、
そんな感じで何度も聞いてみたんだけど、
梓は「何でもないです」の一点張りで私の質問に答えてくれなかった。
私じゃ駄目なのかと思って、唯やムギに頼んで聞いてもらった事もあったけど、
やっぱり梓は何も答えずに無理な笑顔で笑っただけみたいだった。
155 :にゃんこ [saga]:2011/06/02(木) 02:13:28.75 ID:fzyJMlSn0

とりあえず今回はここまでです。
場面転換の



を間違えて二回使っちゃった……。
やっちゃった……。
あと地の文が多くて、何かすみません。
156 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/06/02(木) 02:38:52.87 ID:lXDhMDwVo
あずにゃん気になるのう
地の文はよほど読みにくい文章でもない限りそこまで気にしないでいいと思う
なんにせよ待ってます
157 :にゃんこ [saga]:2011/06/03(金) 23:24:30.58 ID:zgVV8sPg0
その何も言わない梓に一番苛立っていたのは澪だった。
セッション中、梓が凡ミスを繰り返す度に目に見えて不機嫌になっていく。
いや、苛立っていると言うより、焦っているんだろうな。
人一倍練習しているくせに、学園祭の時も自分の腕に自信が持てずに眠れてなかった澪だ。
最後になるかもしれない私達のライブを何としても成功させたいんだろう。
だからこそ気負ってしまって、普段ミスする事がない梓の今の様子に焦りを募らせているんだ。
158 :にゃんこ [saga]:2011/06/03(金) 23:28:46.84 ID:zgVV8sPg0
いつもの澪なら梓を気遣って相談にも乗れていたはずだけど、
もうすぐ死ぬと言われて誰かの事を気遣えるほどの余裕はないんだ、あいつは。
あいつはそういう繊細な奴だった。
もし『終末宣言』より前に梓が悩んでいたのなら、きっと澪が梓を支えてやれていたんだろうな。
梓は澪に憧れているみたいだし、澪なら解決してやれたはずだった。
上手くいかないよな、色々と……。
159 :にゃんこ [saga]:2011/06/03(金) 23:35:33.32 ID:zgVV8sPg0
勿論、焦ってしまうのは私も同じだった。
ただ澪には悪いけど、私が焦るのはライブの成功を願うからじゃなくて、
私達には話せない梓の中の問題が解決出来るかって事が気になるからだ。
もうすぐ終わるかもしれない世界。
そんな世界でも……、いや、そんな世界だからこそ、
せめて梓の問題だけは解決して、また五人で笑いたいんだ。
160 :にゃんこ [saga]:2011/06/03(金) 23:38:40.88 ID:zgVV8sPg0
そうじゃないと……。
そうじゃないと、悲し過ぎるじゃないか……。
161 :にゃんこ [saga]:2011/06/03(金) 23:41:38.17 ID:zgVV8sPg0
結局、今日どうにか練習出来たのは、『五月雨20ラブ』とムギの作曲してくれた新曲を少しだけ。
『五月雨』の方はもう完成してる曲だから大体完璧だったけど、ムギの新曲はまだ二割も演奏出来なかった。
そもそも新曲の方は曲名も歌詞も決まってない。
新曲の内容については澪に任せてるけど、今の状況じゃ完成したのかどうかあいつに聞く事も出来なかった。
162 :にゃんこ [saga]:2011/06/03(金) 23:52:39.73 ID:zgVV8sPg0
梓の様子に澪が焦ってるからって事もあるけど、それよりも澪も澪で何かを抱えてるみたいだったから。
『終末宣言』後、軽音部の中で誰よりも取り乱したのはやっぱり澪だった。
最初の一週間はそれこそひどかった。
自宅に閉じ籠ってかなり情緒不安定で、怯えていたかと思えば突然泣き出したり、
かと思えば妙な現実逃避で周りを混乱させたり、一時期は手に負えないかと思ってしまったくらいに。
163 :にゃんこ [saga]:2011/06/03(金) 23:57:07.32 ID:zgVV8sPg0
でも、本当はそれが人間の正しい反応なのかもしれなかった。
私達みたいに平然としてる方がおかしいのかもしれないって、自分でもそう思わなくはないけどさ。
それでも、自分勝手だけど、私は澪に怯え続けて欲しくなかった。
だから、私は何度も澪の家に行って、澪の部屋で何度も話し合った。
もうすぐ世界が終わるかもしれないからって、それで何もしない方が勿体ないって何度も話した。
164 :にゃんこ [saga]:2011/06/04(土) 00:03:11.37 ID:9/KJvxcC0
勝手な言い分だと思う。
ずっと自分の家で家族と過ごすのも悪くなかったのに、私はそれを止めてしまった。
結局、それは多分、私が澪と一緒に居たかったから。
日常を無くしたくなかったから……。
165 :にゃんこ [saga]:2011/06/04(土) 00:06:30.16 ID:9/KJvxcC0
私の説得に根負けしたのか、私の我儘に付き合ってくれる気になったのか、
澪は自宅に籠るのをやめて、二日に一回くらいは学校に来てくれるようになった。
それ以来、澪は『終末宣言』前みたいな様子を見せるようになったけど……。
でも、分かる。
普段の澪みたいに見えて、人には言わない何かを抱えているんだって。
たまに見せる澪の寂しそうな笑顔に、そう感じさせられてしまう。
166 :にゃんこ [saga]:2011/06/04(土) 00:10:30.11 ID:9/KJvxcC0
最後のライブを目前に、私も含めてそんな風に沢山の問題を抱えてしまっている我が放課後ティータイム。
最後に悔いのないライブが出来るのか、それは私にも分からなかった。
こうして、最後の月曜日が終わる。
167 :にゃんこ [saga]:2011/06/04(土) 00:15:53.60 ID:9/KJvxcC0






168 :にゃんこ [saga]:2011/06/04(土) 00:23:48.14 ID:9/KJvxcC0



――火曜日


169 :にゃんこ [saga]:2011/06/04(土) 00:25:05.15 ID:9/KJvxcC0
少し寝入っていた私はセットしていた携帯電話のアラームに起こされた。
急いでラジカセの電源を入れる。
軽快な音楽が流れる。
170 :にゃんこ [saga]:2011/06/04(土) 00:25:39.88 ID:9/KJvxcC0
「胸に残る音楽をお前らに。本当の意味でも、ある意味でも、とにかく名曲をお前らに。
今日もラジオ『DEATH DEVIL』の時間がやって来た。
まあ、時間がやって来たって言っても、休憩時間以外は適当に喋ってんのはお前らも知っての通り。
その辺は気にせずノータッチで今日もお付き合いヨロシク。オーケー?
171 :にゃんこ [saga]:2011/06/04(土) 00:31:27.04 ID:9/KJvxcC0


今回はここまで。
助言ありがとうございます!
謝ってばかりもうざったいので、これからは弱音など吐かず書いていこうと思います。
何はともあれ、やっと月曜日が終わりました。
これからもよろしくお願い致します。
172 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2011/06/04(土) 02:07:06.88 ID:rHCOBwtD0
>>1乙 楽しみにしてるんで、がんばってください
173 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 02:10:27.85 ID:9bU9HsRO0
パーソナリティーは勿論、昨日と同じくクリスティーナ。
つまり、アタシ。
って、ここまで付き合ってくれたリスナーなら、言わなくても分かってるか。
さて、最後の月曜がさっき終わったんで、今日はとうとう最後の火曜日。
ノンストップで世界が終末に向かってるってわけね。
今週の週末には終末って、ホントに出来の悪い冗談だけど、そんな冗談にこの放送は止められない。
何度も言うけど、最後までヨロシク。
174 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 02:18:44.28 ID:9bU9HsRO0
にしても、『終末宣言』で放送中止になっちゃったアニメのラジオ番組の枠を貰って、もう一ヶ月も経つんだね。
ラジオなんて聞いた事しかなかったアタシがいきなりパーソナリティーになっちゃって、
それでもここまでやって来れたのはリスナーのお前等と隠されてたアタシの潜在能力のおかげだね。
なんて冗談。
ほとんどリスナーのお前等のおかげだよ。本当に感謝してる。ありがとね。
大体さあ、番組の枠が空いたからって、
顔見知り程度でしかも未経験のアタシにパーソナリティーやらせるとか、
うちのディレクターってどうかしてると思わない?
しかも、いつの間にかどんどん放送時間が延びて、最近は一日中喋りっぱなしになっちゃってるし。
あの人本当にどうかしてるって。
175 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 02:24:55.47 ID:9bU9HsRO0
それにさ、あの人ってここだけの話、ヅラなんよ。
これはアタシとお前等だけの秘密。
誰にも言っちゃダメだぞ。
……って、これラジオだった。失敬失敬。
あはっ、ディレクター睨んでる。
こりゃ、後が恐いねー。
……でもさ。
これでもディレクターには感謝してるんだ。
音楽関係の仕事で、これだけ大きな仕事をやれるなんて思ってなかった。
世界が終わる非常事態だからこそ、
暇なアタシがパーソナリティーやれてるって事は分かってるけど、それでも嬉しいもんよね。
176 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 02:29:56.83 ID:9bU9HsRO0
音楽は好きだし、出来るだけ最後まで音楽と関わってたかったからさ。
そこんところはヅラのディレクターに感謝。
あ、また睨んでる。
いいじゃん、ディレクター。
アタシはカツラなんか被ってないありのままのディレクターが好きよ。
……被ってない姿は見た事ないけど、多分好きだから。
だーかーら、そんなに睨まないでよ。
177 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 02:37:12.00 ID:9bU9HsRO0
さてさて、ディレクターの事はさておいて、
思い返せば最初の一週間はそりゃすごいもんだったのよ。
当時を知らない新参のお前らに説明しとくと、
この時間枠って当初は放送中止になったアニメのラジオの枠だったからさ、
そのアニメ好きの皆さんから心温まるお便りを沢山頂いたわけよ。
「ちゃんと前番組を完結させろ」とか、
「せめて引き続き声優に放送させろ」とか、
「貴方の子を身篭りました」とか、
「クリスティーナ、逝ってよし」とかね。
ごめん、最後のは嘘。「逝ってよし」は古かったね。
178 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 02:46:50.10 ID:9bU9HsRO0
でも、その時はさ、アタシも若かったからさ、
本気でその心温まるお便りと口論したもんだったのよ。
お電話をくれた今は常連の島根の『ラジオネームなど無い』略して『ラジな』とも、
番組中にそりゃ大喧嘩しちゃったのよね、これが。
いや、新参のお前らは驚くかもしれないけど。
ディレクターも止めてくれりゃいいのに、面白そうにニヤニヤ見守ってくれちゃって。
今考えると、こんな状況だからこそ、普通は放送出来そうにない物を放送したかったみたいね。
……チッ、あのヅラめ。
ははっ、睨んでる睨んでる。
179 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 02:56:51.68 ID:9bU9HsRO0
ま、確かにラジなの言う事も分からないでもないんだけどさ。
楽しみにしてたラジオ番組がアタシみたいな無名の新人に乗っ取られちゃ、そりゃ気に入らないよね。
アタシだって抗議の電話をしたくなるわ。
一応自己弁護させてもらうと、
ラジなの好きなアニメは会社に残ったスタッフ有志が超特急で製作してるらしい。
完全版は無理かもしれないけど、せめて台本だけは完璧な物を仕上げるって意気込んでた。
何作品かは無理みたいだけど、それでも出来る限りは頑張ってくれるってさ。
声優の皆さんも何人かはそっちの仕事に集中してるらしいし。
だから、新参者のアタシがその人達にアニメ製作に集中して貰えるように、
お前らにせめてもの暇潰しを提供してるってわけ。
180 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 03:03:40.51 ID:9bU9HsRO0
それにしても、あれだけ大喧嘩したラジながうちの常連になるとは思わなかったね。
何か言いたい事を言い合ったら友情が芽生えてた感じ。
夕焼けの河原での殴り合いの決闘後、みたいな。
発想が古いって?
ほっといて。
あとはこう言うのも気障っぽいんだけど、音楽のおかげかもね。
正直言うと、アタシ実はアニメソングってなめてた。
アニメの付属品の安っぽい劇中曲だろ、なんて聴きもせずに馬鹿にしてた。
でも、喧嘩中にラジなが「この曲を聴いてみろ」って挙げてたアニソンを、
聴かないのも悔しいから何曲か聴いてみたら、悔しいけどいい曲もあるじゃない。
181 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 03:04:11.87 ID:9bU9HsRO0
それにしても、あれだけ大喧嘩したラジながうちの常連になるとは思わなかったね。
何か言いたい事を言い合ったら友情が芽生えてた感じ。
夕焼けの河原での殴り合いの決闘後、みたいな。
発想が古いって?
ほっといて。
あとはこう言うのも気障っぽいんだけど、音楽のおかげかもね。
正直言うと、アタシ実はアニメソングってなめてた。
アニメの付属品の安っぽい劇中曲だろ、なんて聴きもせずに馬鹿にしてた。
でも、喧嘩中にラジなが「この曲を聴いてみろ」って挙げてたアニソンを、
聴かないのも悔しいから何曲か聴いてみたら、悔しいけどいい曲もあるじゃない。
182 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 03:04:44.86 ID:9bU9HsRO0
それにしても、あれだけ大喧嘩したラジながうちの常連になるとは思わなかったね。
何か言いたい事を言い合ったら友情が芽生えてた感じ。
夕焼けの河原での殴り合いの決闘後、みたいな。
発想が古いって?
ほっといて。
あとはこう言うのも気障っぽいんだけど、音楽のおかげかもね。
正直言うと、アタシ実はアニメソングってなめてた。
アニメの付属品の安っぽい劇中曲だろ、なんて聴きもせずに馬鹿にしてた。
でも、喧嘩中にラジなが「この曲を聴いてみろ」って挙げてたアニソンを、
聴かないのも悔しいから何曲か聴いてみたら、悔しいけどいい曲もあるじゃない。
183 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 03:12:31.46 ID:9bU9HsRO0
それにラジなの奴もアタシが勧めたロックを律儀に聴いてくれたみたいでさ。
あいつもアニソン以外は聴かない奴だったみたいだけど、アタシの好きなロックを悪くないと思ってくれたみたい。
まさかあの喧嘩の後にまた電話掛けてくるなんて、本当に律儀な奴だよ。
それが受けてこのラジオが今まで続いてるってんだから、世の中分かんないね。
まさに音楽は世界を救うってやつ?
いや、世界は救ってない……か。
もうすぐ終わっちゃうしなあ……。
だけど、少なくともアタシとラジなはそんな感じに音楽で分かり合えた。
少しだけかもしれないけど、確かに音楽はこれまでそんな風に世界を救ってたって、アタシはそう思う。
184 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 03:18:19.09 ID:9bU9HsRO0
……さて、そろそろ一曲目のリクエストにいってみよう。
一曲目は今話題のラジオネームなど無いことラジなからのリクエスト。
って、終末が近いからって、いちいち世界の終わりっぽい曲を選ばないでよ……。
ま、いいや。
じゃあ今日の一曲目、島根県のラジオネームなど無いからのリクエストで、
FLOWの『WORLD END』――」
185 :にゃんこ [saga]:2011/06/06(月) 03:20:01.32 ID:9bU9HsRO0

今回はここまでです。
うわ、三重投稿やっちゃった……。
186 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/06/06(月) 08:36:40.03 ID:/rjAKVqIo
まさかのクリスティーナのワンマンショー
187 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/07(火) 12:45:24.31 ID:cqtmWIxIO
スタンドの攻撃を受けてるのかと思った
188 :にゃんこ [sage saga]:2011/06/07(火) 20:32:19.56 ID:fSctFwBa0


レスありがとうございます。
数あるけいおんSSの中でも、トップクラスにクリスティーナを扱っていると自負しております。
そんな所で自慢しても仕方ありませんが。
投稿ミスにつきましては本当に申し訳ないとしか……。

とにかく、次の更新は明後日の予定です。
次からは澪編に入ります。
189 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 20:39:53.73 ID:6lNkwtuG0




190 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 20:40:54.84 ID:6lNkwtuG0
朝。
人通りの少なくなった通学路をゆっくりと歩く。
車の通りも少なくて、どこか別の街に来てしまったような気もする。
今となっては、遅刻を気にして、急いで学校に向かう必要もなくなった。
それはそれで大助かりではあるけど、
そういういつもの光景が無くなってしまったのは少し寂しいな。
ちょっと立ち止まって、周りを見渡してみる。
191 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 20:43:02.62 ID:6lNkwtuG0
見慣れた建物、橋、線路、店、道路、公園……。
ずっと一緒にいてくれて、ずっと私達と育ってきた街並み。
話によると、世界が終わった後もこの街並みだけは残るらしい。
人が居なくなって、動物達も居なくなって、それでもずっと人の街は残り続けるそうだ。
どういう世界の終わりだよって思わなくもないけど、終末ってのはそういうものらしかった。
192 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 20:44:19.13 ID:6lNkwtuG0
街だけ残る……か。
それはせめてもの救いなんだろうか。
それとも、この地球上には生物なんて必要なかったっていう皮肉なんだろうか。
193 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 20:51:05.33 ID:6lNkwtuG0
「律? どうしたんだ? 行くぞ」

立ち止まっていた私に向けて、私の長い黒髪の幼馴染みが言った。
私が街並みを見渡しているうちに、澪はかなり先の方まで行ってしまっていた。
194 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 20:53:43.54 ID:6lNkwtuG0
「何してんだよ、律。急に隣から居なくなったらびっくりするじゃないか」
「いやー、久しぶりに我が街を眺めてたら、ロマンティックが止まらなくなっちゃって」
「何だよ、それ……」

呆れた感じで澪が呟いて、私が悪戯っぽく微笑んでやる。
195 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:04:21.78 ID:6lNkwtuG0
それがずっと続いてきた私と澪の関係。
もうすぐ終わりを迎えるのかもしれないけど、私の我儘で続けてもらっている私達の関係だ。
『終末宣言』から大体一ヶ月、
やっと澪の様子も落ち着いてきたけど、本当の澪の本心は分からない。
気弱で怖がりなくせに強がりがちな澪。
世界の終わりまで一週間も残ってなくて、そんな中でこいつは何を考えているんだろう。
196 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:07:14.24 ID:6lNkwtuG0
いつもならそれをそれとなく聞けてたんだろう。
だけど、我ながら情けなくなるけど、今はそれを聞くのが恐い。
もしこいつの本心の中に、部活やライブ、私達よりも大切な何かがあって、
それを優先したいとこいつが考えていたら、私はそれを止める事が出来ない。止めていいわけない。
それが恐くて、私は澪の隣でわざとらしくても笑ってるしかない。
だけど、澪とは長い付き合いだ。
澪もそんな私の様子に気付いてるかもしれない。
それでも、私は笑って澪に話し掛けるだけだ。
このままでは駄目なんだと分かっていても。
197 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:08:15.99 ID:6lNkwtuG0
「ところでさ、澪」
「ん」
「今日はどうするんだ? ずっと部室に居る? それか他に何かするのか?」
「そうだな……。とりあえず今日はさわ子先生の授業に出ようと思ってる。
一時間目から希望者に授業してくれるみたいだし、私も出てみようかなって」
「なんと。さわちゃんもいい先生だなー。
昨日だけじゃなくて、今日まで授業してくれるなんて」
「いやいや、昨日部室で言ってただろ。この一週間はずっと授業する予定だって」
「あれ? そうだっけ?」
「おいおい……」
198 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:13:16.63 ID:6lNkwtuG0
そうだっけ? とは言ってみたけど、本当は私も知っていた。
昨日、さわちゃんが部室で、
「今週は音楽室でずっと授業してる予定だから、暇なら来てもいいわよ」
って、そう言ったさわちゃんの笑顔が眩しくて、忘れられるわけがない。
誤魔化したのはそのさわちゃんの笑顔が眩し過ぎて、照れ臭かったからだ。
私達の顧問の先生の山中さわ子先生。
半ば無理矢理に顧問になってもらったけど、私はさわちゃんが顧問で本当によかったと思う。
たまにエロ親父的な発言に困らせられる事もあるけど、それも御愛嬌って事で。
199 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:16:36.58 ID:6lNkwtuG0
「こんな状況で、自分の事より生徒の事を考えられるなんて、いい先生だよ」
「普段は変な衣装製作してくるけどなー」
「それもさわ子先生の魅力だろ? 変過ぎて困る事もあるけどさ」
「じゃあ、今度さわちゃんの作ったサンバカーニバルみたいな衣装着てあげたらいいじゃん?
さわちゃん喜ぶぞー」
「うっ……、それはちょっと……」
「冗談だよ。でも、確かにさわちゃんっていい先生だよな。
折角だし、今日は私も澪と一緒に、さわちゃんのいい先生ぶりを見物に行こうかな」
「うん。じゃあ、今日はとりあえず一緒にさわ子先生の授業を受けよう。
それから先の事は後で部室で考えればいいんじゃないかな」
200 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:22:21.97 ID:6lNkwtuG0
「えっと……さ」

また急に澪が立ち止まって喋り始める。
私も足を止めて、澪の言葉に耳を傾けた。
目を少し伏せながらも、力のこもった言葉で澪は続けた。
201 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:25:09.22 ID:6lNkwtuG0
「昨日の事……なんだけどさ」
「……梓の事か?」
「うん……。ごめん。私、先輩らしくなかったと思う」
「そうかもな……」
「頭では分かっててもさ、焦っちゃって自分じゃどうにもならなくて、苛立って……。
それで……」
202 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:29:53.84 ID:6lNkwtuG0
澪が少し口ごもる。
私は黙って澪の次の言葉を待つ。
黙ってはいたけど、私は嬉しかった。
澪も澪で梓の事を考えてないわけじゃないって分かったから。
いや、むしろ梓の事を考えていたから、澪も苛立ってしまってたんだろう。
それを澪自身も分かっているんだ。
だから、口ごもりながらも言葉を続けてくれた。
203 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:31:11.75 ID:6lNkwtuG0
「梓が何か悩んでるのは分かる。何とかしてあげたいと思う。
思う……んだけど、梓は何も言ってくれなくて、それ以上私には何も出来なくなって……。
梓に苛立っちゃってる私に一番苛立っちゃって……。
昨日……、ううん、ここ最近、先輩として最低だったと思う……」
「自分で分かってるんなら大丈夫だよ、澪。
後はそれを梓に伝えてあげればいいんだよ。
分かってても、難しい事だけどさ……」
「そうだよな……。そうなんだよな……」
「そうだよ」
204 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:33:30.70 ID:6lNkwtuG0
そう言いながらも、私は次の言葉を言い出す事が出来なくなった。
自分の言っている事は正論だと思うし、間違ってないと思う。
澪も私の言葉に納得してくれてるだろうし、難しい事だけどそれを実行しようと思ってくれてるはずだ。
だけど。
私は考えてしまう。
自分で言っておいて、それを自分で実行出来ているのか、って考えてしまう。
既に澪に我儘を押し付けてしまってる私にそんな事を言えるのか。
言ってしまっていいんだろうか……。
205 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:40:04.86 ID:6lNkwtuG0
と。
その沈黙は急に破られた。
耳を澄ませば聞こえるくらいの微かな声が校舎の廊下に響いたからだ。
普通に話してたら気付かなかっただろうけど、
黙っていたおかげと言うべきか、その呻くような声は妙に私達の耳に響いた。
しかもその呻き声は長く続いて、一度気にしてしまうともう耳から離れなくなってしまった。
206 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:40:46.29 ID:6lNkwtuG0
「な……、何?」

さっきまでの様子とは一転、別の意味で不安そうな表情を浮かべて澪が呟く。
こんな時でも性格の本質的なところは変わらないらしい。
私はちょっと嬉しくなって、からかうように言ってやる。
207 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:42:08.94 ID:6lNkwtuG0
「さあなー。お化けかもなー」
「お、お化けって……、そんな非科学的な……」
「世界の終わりの方が十分に非科学的じゃんか。
呻き声の正体、確かめに行ってみようぜ」
「いやいや、もしかしたら誰かが腹痛で苦しんでるだけかも……」
「そっちの方が大変じゃんか。
もしそうだったら、保健室に連れて行ってあげないといけないだろ」
「あっ……、しまった……」
208 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 21:42:55.89 ID:6lNkwtuG0
自分の言葉が墓穴を掘ってしまった事に気付いた澪が、
不安一杯という感じの表情を見せる。
私はそれに苦笑して、多分、澪の言葉が当たりだろ、
とフォローしながら、呻き声の発生源を探してみる事にした。
209 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 23:22:13.93 ID:6lNkwtuG0
周囲を見渡しただけで、発生源は案外に簡単に見つかった。
見つかった……んだけど、その発生源の場所が普通過ぎたから、
つい私はガッカリして呟いてしまっていた。

「何だ、オカルト研かよ……」

いや、別にオカルト研が悪いわけじゃないんだけど、もっと意外な展開を期待してた私的には拍子抜けだった。
オカルト研の部室からなら呻き声が聞こえてもおかしくないからなあ……。
うん、おかしくない……か?
まあ、いいや。
210 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 23:34:28.84 ID:6lNkwtuG0
「ほら澪、何か大丈夫そうだぞ。
呻き声が聞こえるの、オカルト研の中からだし」
「何が大丈夫なんだよ!」
「いや、病人や怪我人が居なさそうって意味で。
一大事じゃなくて何よりじゃないか」
「その代わり、呻き声の正体がお化けの可能性がぐっと高くなったじゃないか…」
「私としてはそれでも全然オッケーだぜ?」
「私は嫌だ!」
「でもほら、もしかしたらお化けじゃなくて宇宙人の方かも……」
「どっちにしろ嫌だ!」
211 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 23:41:53.45 ID:6lNkwtuG0
相変わらず我儘な幼馴染みである。
だけど、やっぱり安心した。
そういえば澪をこんな感じに弄るのは、すごく久しぶりな気がする。
何か落ち着くな。
こういうのが好きなんだよなあ、私って……。
212 :にゃんこ [saga]:2011/06/09(木) 23:48:47.06 ID:6lNkwtuG0
私はその落ち着いた表情を澪に見せないよう、わざとらしく笑いながら言った。

「まあまあ。とりあえずオカルト研の様子だけ見てみようぜ?
チラッと見るだけにしとくから、澪も来いよ。
呻き声は何かの魔術っぽい儀式の声だよ、きっと。
ベントラーベントラーみたいな」
「儀式……ね……。それなら、まあ、ちょっと見るだけなら……。
もしかしたら腹痛とかの可能性も少しは残ってるわけだし……。
でも、儀式だったら邪魔しちゃ駄目だからな。ちょっと見て終わりだぞ。
あとベントラーは魔術の儀式じゃないけどな」
「わーってるって。……って、恐がるくせに詳しいな、おまえ」
213 :にゃんこ [saga]:2011/06/10(金) 00:11:29.50 ID:Tp39Qv0Y0
突っ込んだ後、あれだけ騒いでおいて今更だけど、
オカルト研の子達に気配を悟られないように、私達は静かにオカルト研の部室に近付いていく。
勿論、その動機の半分はオカルト研の身を心配しての事だ。
学園祭をきっかけに折角仲良くなれたんだ。
あの子達にも何かあったら心配じゃないか。
いや、純粋な好奇心からって動機も半分あるけどさ。
214 :にゃんこ [saga]:2011/06/10(金) 00:32:24.82 ID:Tp39Qv0Y0
だけど、お化けとか宇宙人とか、そんな贅沢は言わないから何か面白い儀式が見れればいいなあ。
その程度のほんの少しの不純な期待を持って、私はオカルト研の部室の扉をそっと開いた。
おはようございまーす、ってね。と、そんな本当に軽い気持ちで。
でも、そんな不純な思いを持っていたのが悪かったのかもしれない。
オカルト研の中では、私には思いも寄らなかった衝撃的な光景が広がってた。
死体が転がっていたとか、宇宙人が居たとか、チュパカブラが背びれを振動させて飛び回っていたとか、
そういう非常事態は幸いにと言うべきか起こってはいなかった。
それでも。
その時、私が目にした光景はそういうのを目撃するのと同じくらい、衝撃的なものだった。
215 :にゃんこ [saga]:2011/06/10(金) 00:40:33.79 ID:Tp39Qv0Y0
「ぶふぉっ!」

オカルト研の部室の扉の間からその光景を目にした瞬間、私は思わずむせてしまっていた。
自分でも不細工だと思う酷い声が漏れてしまう。
それも仕方が無かった。
と言うか、これでむせない人間なんているか!
誰だって驚くよ! 私だけじゃなくて、絶対誰だって驚くって!
こんなの想像もしてなかったし!
普通なら自分の目を疑うし!
はっきり言って、おかしーし!
216 :にゃんこ [saga]:2011/06/10(金) 00:50:13.85 ID:Tp39Qv0Y0
……とにかく。
オカルト研の部室の中には二人の女子が倒れていた。
一瞬、病気か怪我で倒れてるのかと思ったけど、そうじゃなかった。
勿論、事件に巻き込まれているようでもなくて、二人は元気そうに動いていた。
そうなんだよ。動いてるのが問題だったんだ。
何をしてるんだろうって少し不審に思ったけど、その疑問もすぐに解決した。
解決してしまった。
何でかって、その答えは簡単だ。
何故なら二人とも半裸だったからだ。
いやいや、半裸っていう表現は大人しかった。
正確に言うと、申し訳程度に下着を着けているっていうほぼ全裸の姿で、
二人の女子生徒が抱き合うような距離でお互いに動いてたんだ。
217 :にゃんこ [saga]:2011/06/10(金) 00:54:55.29 ID:Tp39Qv0Y0
つまり……、その……、あれだ。
お互いに動くって言うのは……、
えっと、お互いにお互いを触り合ったり、お互いの唇を重ね合ったり、
何か舌とか出してお互いの舌に触れ合ってたり、つまりそういう事をしてたんだよ!
何だよ、もう!
しかも、よく見たらその女子ってオカルト研の子達じゃないし!
他人の部室で鍵も閉めずに誰だよ、ちくしょう!
218 :にゃんこ [saga]:2011/06/10(金) 01:06:49.66 ID:Tp39Qv0Y0
ああ、もう……。
いいや、もう。
何か疲れた……。
こんな他人の、しかも女子同士のなんて見てられないよ。
そりゃ私だって女子高に通ってる身だし、そういう関係の女子がいるって噂を聞いた事もあった。
誰と誰がそれっぽいかって話題で盛り上がった事もある。
別に女同士でそういう関係になっても、いいんじゃないかなとは思う。
ほら、私ってロックな女のつもりだし。
だけど、聞くと見るとじゃ大違いだ。
何だか見ちゃいけないものを見てしまったって気になってしまう。
219 :にゃんこ [saga]:2011/06/10(金) 01:17:48.66 ID:Tp39Qv0Y0
私は大きく溜息を吐いて、その場から去ろうとして……、その動きが止まった。
それは私の意思で止めたわけじゃなかった。
私の動きを止める誰かが居たからだ。
私の服を掴んで離さない誰かが居たからだ。
当然、その誰かが誰なのかは分かり切っていた。
澪だ。
澪は私の服を掴んで、食い入るみたいにオカルト研の中の女子二人を見つめていた。
その表情はとても……、その二人の姿をとても羨ましそうに見ているみたいだった。
220 :にゃんこ [saga]:2011/06/10(金) 01:20:12.14 ID:Tp39Qv0Y0


今回はここまでです。
澪編もまだまだ終わる気配を見せませんが、今後とも宜しくお願い致します。
まさかの百合展開。
……ですが、実は『終末の過ごし方』にもある展開だったり。
221 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2011/06/10(金) 01:48:00.76 ID:s0ZRfC1Eo
まあ、終末だしね
そういうのも……
222 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/06/10(金) 04:08:49.27 ID:0W5BSs1Co
ちきしょーホント覚えてないや原作
もったいねぇ
223 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/10(金) 13:33:37.42 ID:FRl6aYbDO
自分は元ネタ全く知らないけど楽しませていただいてます

澪律ktkr
224 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 21:47:33.17 ID:+7DPB8Sg0
「ちよっと……、離せよ、澪……!」

オカルト研の部室の中の二人に気付かれないよう私は囁いたけど、
その言葉を聞いていないのか、聞いていて拒否しているのか、とにかく澪は私の制服を掴んだまま離さなかった。
何処までも澪は裸で絡み合う二人をずっと見つめていて、
その表情は前に一度、澪以外の人間が浮かべた事のある表情によく似ている気がした。
それは一年の頃のムギの表情だ。
さわちゃんと唯が接近して、その二人の様子にうっとりしていたムギの表情。
多分、それは憧れだ。自分では手の届かない場所に居る人達への届かない想いだ。
225 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 21:48:16.00 ID:+7DPB8Sg0
詳しく話した事はないんだけど、ムギはそういう女の子同士の関係が好きらしかった。
ムギ自身が女の子同士の関係を誰かと築き上げたいのかどうかは分からない。
単にそういう関係の女の子同士を見ているのが好きなだけなのかもしれないし、それはどっちでもいい事だ。
ムギが何を好きだろうと、何を望んでいようと、ムギは私の大切な親友なんだから。
だけど。
そう思っている私でも、今の自分の胸の鼓動は止められそうになかった。
226 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 21:51:00.32 ID:+7DPB8Sg0
誰かの濡れ場を初めて目撃したからじゃない。
女同士の関係が現実にある事を知ってしまったからでもない。
勿論、それらが原因でもあるけど、それだけじゃなかった。
それ以上に胸が痛いほどに騒ぐ理由があった。
私は躊躇いながら、オカルト研の部室の中の二人に視線を戻す。
227 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 22:02:52.64 ID:+7DPB8Sg0
「お姉さま……」
「ほら、タイが曲がっていてよ」

裸の二人(よく見ると一人は長い黒髪で、もう一人はショートヘアで眼鏡を掛けていた)は抱き締め合い、
お互いに愛おしそうな表情で囁き合って、お互いの肉体を弄り合っていた。
そんな格好でタイとかそういう問題じゃないだろ!
しかも、何だよ、その演技掛かった口調は……。『お姉さま』だし……。
まあ、部室に鍵が掛かってなかった事から考えても、
例え誰かに見つかっても見せつけてやろうというくらいの感覚なんだろうな。
それで多少演技臭くても、そういう自分達に酔ってるんだろう。
228 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 22:07:04.33 ID:+7DPB8Sg0
……いやいや、そんな事は関係ない。
そんな事よりも重要なのは、その二人を澪がずっとムギに似た表情で見つめ続けている事だ。
幼馴染みだからって、澪の全てを知ってるわけじゃない。
私の知らない澪の姿だって、沢山あるんだろう。
だけど、こんな状況で澪がこんな行動を取るなんて、私の知らない澪にも程があった。
あんな甘々な歌詞を書くだけあって、澪は恋愛に対して人一倍敏感だ。
自分だけじゃなく、他人の恋愛にも敏感で、誰かの恋の話題が出るだけで赤面するくらいだった。
なのに、そんな澪が今、他人の、しかも女同士の濡れ場を目撃して、憧れる様にじっと見つめている。
違うだろ、澪。
そこは部室の中の二人の見物を続けようとする私を、
「失礼だろ!」ってお前が赤くなりながら殴るところだろ。
何だよ……。そんな私の知らないお前を見せないでくれよ……。
229 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 22:11:21.38 ID:+7DPB8Sg0
でも、それだけならまだよかった。
それだけなら幼馴染みの知らない一面を見てしまって、私が少し寂しくなってしまうだけの事だった。
気付かれないように、もう一度私は澪の表情をうかがってみる。
ムギに似た表情。だけど、ムギとも少し違う澪の表情。
もしかして……、と思う。
胸の奥に秘めていた私の考えが浮かび上がってくる。
だから、私の胸は痛んでるんだ。
230 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 22:14:31.13 ID:+7DPB8Sg0
「あっ……」

気付かれないようにしていたつもりが上手くいかなかったらしい。
視線に気付いた澪と私の目が合って、その一瞬後に澪は赤くなって視線を逸らした。
気が付けば私も視線を伏せていた。何だか顔が熱い。私も赤くなっちゃってるんだろうか。
正直に言うと、今までそれを考えてなかったわけじゃない。
でも、そんな事、誰にも言えるもんか。
澪が私の事を好きなんじゃないかって。
そんなの自意識過剰過ぎる。
こんな私が同性の幼馴染みに好かれてるって考えるなんて、それ自体恥ずかしくて口に出せるか。
231 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 22:15:12.79 ID:+7DPB8Sg0
ただ、噂になった事は何度かあった。
いつも傍に居て、皆にコンビとして認められている私と澪。
悪気は無いんだろうけど、そんな関係を見て、私達二人の恋愛関係を想像する子は少なくなかった。
特に下級生かな。
曽我部さんから聞いた話によると、
澪ファンクラブの中には澪の恋人が誰なのかという派閥があって、
それには唯やムギ、梓に果てはさわちゃんや和まで候補が居て、誰が澪の恋人なのかで争ってるんだそうだ。
いや、勿論、極一部の話なんだろうけれども。
と言うか、女同士なんだが……。
そして、その派閥の中で一番大きいのが澪の恋人は田井中律派……、つまり私の勢力らしかった。
ちなみに曽我部さんも私の派閥なんだそうだ。
それは何と言うか……、ありがとうございます……?
232 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/11(土) 22:21:51.59 ID:knY4gIOSO
細々して見づらい。
適度でいいから、改行いれてくれ。
233 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 22:25:25.48 ID:+7DPB8Sg0
当然だけど、本来ならそれは笑い話の一つだ。
少し不謹慎だけど、何事もない生活の中で自分達で想像するだけなら何の問題も無い事だ。普段なら。
だけど、今は世界の終わりの直前っていう非常事態だった。
前にクリスティーナこと紀美さんがラジオで話してたけど、
『終末宣言』以来、自分の特殊な趣味や性格、性癖を告白する有名人は増える一方だ。
勿論、それは有名人だけの話じゃなくて、私の周りの人達でもそうだった。
私の友達の中ではボーイズラブってのが好きだって告白した子が居たし(皆、知ってたけど)、
父さんも友達(男)が急に好きだって告白してきたから驚いたって言っていた(妻を愛しているからって断ったらしい)。
皆、最後くらいはありのままの自分で居たいんだ。
ひょっとすると、オカルト研の中の二人も『終末宣言』後にこういう関係になったのかもしれない。
234 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 22:26:51.07 ID:+7DPB8Sg0
私にもその気持ちは分かる。
私には特に隠している性癖とかはないけど、
あればきっと誰かに言っておきたいと考えてたと思う。
澪はどうなんだろう……って、私は思う。
澪は追い込まれないと本当の実力を出せないタイプだし、
追い込まれないと本音もあまり口にしない。
でも今は……、人類全体が追い込まれてる状況だ。
まさか、だよな。
澪は別に私の事を好きとかじゃないよな?
澪はただ初めての女同士の濡れ場に驚いて、目を離せなくなってるだけだよな?
あの『冬の日』の歌詞も私の事を書いてたわけじゃないよな……?
235 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 22:28:10.14 ID:+7DPB8Sg0
そう考えてしまうから、私の胸は痛いほど鼓動しまっている。
澪に好かれるのが嫌なんじゃない。
澪の事は好きだ。
当然、恋愛対象としてじゃない。親友として、幼馴染みとして、大好きだ。
女同士の関係に抵抗があるわけでもない。
ムギの台詞じゃないけど、本人同士がよければいいと思う。
それが自分自身の事になると分からないけど、
もし誰かに告白されたりしたら本気で考えてみてもいいとも思う。
だけど、その誰かがもしも澪だったら……。
そう考えると、どうしても私の胸は痛くなる。
痛いんだ、とても。
236 :にゃんこ [saga]:2011/06/11(土) 22:34:36.85 ID:+7DPB8Sg0


今回はここまでです。
細々としてる印象を与えちゃって、申し訳ないです。
ご指摘ありがとうございます。
今更ですが、次回からもう少し読み易い改行を目指します。
特に今回はりっちゃんの心の動きばかりだから、余計に読み難かったですね。
すみません。精進します。
237 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:38:05.23 ID:toNYD3r30





オカルト研の部室の中の二人を十分くらい見てたと思う。
急に澪が私の手を引いて、「行こう」と小さく囁いた。
何処に行くのか私は少し不安になったけど、
澪に手を引かれて辿り着いた場所は軽音部でない方の音楽室だった。

そうだった。
そういえば私達はさわちゃんの授業を受けるんだった。
そんな事、すっかり頭の中から消え去っていた。
最初は部室に寄る予定だったけど、
オカルト研を覗いてたせいでそんな時間も無くなってしまっていた。
それで澪は直に私を音楽室に連れて来たんだろう。
さっきまで私の言葉も聞かずにオカルト研を覗いてたくせに、
急に妙に冷静になっている澪に私は何も言えなかった。
何を考えてるんだよ、澪は……。
238 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:38:45.39 ID:toNYD3r30
さわちゃんの授業は面白かった……と思う。
授業にはムギと唯も参加していて、
久し振りに四人で受ける授業はとても嬉しかった。
だけど、そんな折角の授業なのに、どうしても私は授業に身を入れる事が出来なかった。
身を入れられるわけがない。
授業中、ずっと澪の視線を感じていたからだ。
実際に見られてるわけじゃないかもしれない。
単に私の自意識過剰な所が大きいんだろう。
でも、意識し始めるとどうしようもなかった。
澪に見られてると思うと、どうやっても授業に集中出来なかった。

授業の後、皆で部室に向かおうとした時、
そういや予定があったんだ、ってわざとらしい言い訳をして、私は皆の中から抜け出した。
居心地が悪くて、澪の傍には居られなかった。
本当はずっと傍に居たかった。
世界が終わるらしいって聞いてから、私は最後まで澪の傍に居たいと思ってた。
無理に家の中から連れ出してまで、澪には傍に居てほしかった。
澪に私が必要なんじゃなくて、私に澪が必要なんだ。
だけど、それはこんな意味でじゃない。
こんな居心地の悪さを求めてたわけじゃない。
だから、私は逃げ出したんだ。
239 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:41:05.33 ID:toNYD3r30
「あー……。何やってんだ、私は……」

皆から抜け出した先、
軽音部から少し離れた廊下の窓から校庭を見下ろしながら、私はつい口にしていた。
どうしようもない自己嫌悪。
こんなんじゃ駄目だ。
このままじゃ駄目だ。
『終末宣言』以来、何度そう思ったんだろう。
何度そう思いながら、何も変えられなかったんだろう。

「ちくしょー……」

自分の情けなさが悔しくて、拳を握りながら吐き捨ててみる。
勿論、そんな事で何も変わるわけがなかった。
ただ悔しさが増しただけだった。
悔しさをずっと感じながら、それでもどうしようもない私は校庭を見回してみる。
校庭を見回したところで、何も解決するはずがないのに。
それでも、私は他に何も出来なかった。
240 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:42:18.75 ID:toNYD3r30
見下ろしてみた校庭は『終末宣言』前と何も変わってないように見えた。
生徒の数こそ減ってるけど、それ以外はほとんど何も変わってない。
その何も変わってない校庭に、私はよく知っている長い黒髪を見つけた。
澪じゃない。
梓だ。
最近、様子のおかしい梓。
どうにか手助けをしてあげたい私の大切な後輩。
その梓は何かを探してるみたいに足下を見下ろしながら歩いていた。

「おーい、あず……」

反射的に手を上げて声を掛けようとして、その途中で私の言葉は止まった。
声を掛けて、どうする?
声を掛けて、どうなる?
こんな今の私が、何も言おうとしない梓の力になってやれるのか?
それとも、代わりにどうしようもない私の愚痴を聞かせるつもりか?
答えは出ない。
241 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:43:24.66 ID:toNYD3r30
でも、途中までしか出なかった私の言葉は、梓の耳に届いていたらしい。
梓は顔を上げて、私の方に視線を向けた。
梓と私の目が合って、視線がぶつかる。
その一瞬、気付いた。
梓が泣きそうな顔をしている事に。
多分、今の私と同じような顔をしている事に。

梓の表情を見た私は、何とかしなきゃと思った。
小さくて弱々しい後輩の力にならなきゃと思った。
何も出来ない私だけど、何とかしてあげたかった。
今度こそ、私は梓の悩みを聞きだすべきだった。
だから、私はなけなしの勇気を振り絞って、喉の奥から言葉を絞り出そうとした。
242 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:45:12.73 ID:toNYD3r30
「あず……」

だけど、その言葉はまた途中で止まる事になった。
私と目の合った梓が私から目を逸らして、すぐに校庭から走り去ってしまったから。
まるで私から逃げ出すみたいに。
それでも追い掛けるべきだったのかもしれない。
でも、なけなしの私の勇気は、逃げ出していく梓の姿に急に萎んでしまって……。
身体から力が抜けていくのを感じる。
脚に力が入らない。
私はその場に座り込んで、頭を抱えてとても大きな溜息を吐いた。

ひょっとして……、と思った。
私はずっと梓は何かに悩んでいるんだと思ってた。
私達に言えない何かを抱えて、ずっと無理に笑ってるんだと思ってた。
でも、ひょっとして……、それは違ったのか?
梓は私と関わりたくなくなっただけなのか?
私の近くに居たくなくて、それでするはずのないミスを連発していたのか?
そんなにまで、私の事が嫌いになったのか……?
243 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:46:44.78 ID:toNYD3r30
ひどい被害妄想だ。
梓がそんな事を考える子だと思う事自体、梓に対して失礼だ。
でも、駄目だった。
澪の視線を感じると気になって仕方がなくなったのと同じに、
梓に嫌われてるんじゃないかと思い始めると、その考えが私の頭から離れなくなった。
それにそれは、ずっと思ってなくもなかった事でもあったんだ。
梓はずっと真面目な部活を望んでた。
練習をせずにお茶ばかりしている私に呆れてた。
その不満と呆れが今になって爆発したんじゃないか。
世界の終わりを間近にして、その嫌悪感を隠す事が出来なくなったんじゃないか。

「あいつの近くで何をやってたんだ、私は……」

また呟いた。
ほとほと自分が嫌になって来る。
被害妄想が頭から離れない自分が嫌だったし、
それ以上にその考えを被害妄想と言い切れない自分がとても嫌だった。
244 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:47:25.01 ID:toNYD3r30
世界は終わる。もうすぐ終わる……らしい。
多分、それまでに皆、本当の自分を嫌でも見せ付けられる事になる。
私が今、見たくなかった自分の弱さを見せ付けられているみたいに。
こうして世界の終わりを目前にして、
隠していた本当の自分を曝け出して、ありのままで死んでいく事になるんだろう。
そこまで考えて、私はやっと気付いたんだ。
私達はもうすぐ死ぬんだって事に。
死ぬ……んだ。
来週を迎える事も出来ないんだ。
それまでの時間は、当然だけど止められない。
ずっと考えないようにしてきた事だった。
考えないようにして、普段通りの生活をしないと耐えられなかった。
世界の終末……。
その現実を分かっているつもりで、私は何も分かってなかったんだろう。

急に。
考えないようにしてた想いとか感情とか、
そんな色々な物が私の中で目眩がするくらいごちゃごちゃになって……。
それが吐き気になった。
私は近くにあった女子トイレに駆け込んで、思わず吐いた。
初めて心の底から感じる死の恐怖に、私は何度も吐く事になった。
死にたくない……。
死にたくないなあ……。
245 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:49:13.95 ID:toNYD3r30





しばらく吐いた後。
酸素が行き渡らなくてふらふらする頭で女子トイレから出ると、
何の気配もなく後ろから近づいて来た誰かに優しく背中を撫でられた。
見られた……?
自分の情けない姿を見られたかもしれない事が恥ずかしくて、
私の心臓が少しだけ早く動いてしまっていた。
特に軽音部の部員の誰かに、こんな弱い自分なんて見られたくなかった。

緊張しながら振り返ってみて、私は驚いた。
本当に驚いて、しばらく声が出せなかった。
多分、そこに軽音部の誰かが居たとしても、そこまで驚かなかったかもしれない。
それくらいに意外な人が私の背中を撫でてくれていた。
246 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:50:38.43 ID:toNYD3r30

「平気?」

その誰かは特徴的なクルクルした巻き毛を揺らして、私の表情を覗き込んでいた。
その顔は普段の無表情だったけど、
反対に背中を撫でる手付きはとても優しくて、それがまた意外で私は言葉を失っていた。
いや、普段のその人を知ってたら、そりゃ誰だって声が出せないよ。
だって、私の背中を撫でてくれていたのは、
私のクラスメイトの中でもクールで無表情な奴の代名詞こと、
いちごだったんだから。
あの若王子いちごだぞ?
無表情なままではあったけど、
いちごがこんな事をしてくれるなんて誰も想像もしないよ……。

ずっと黙ったままの私を変に思ったんだろう。
無表情に首を傾げながら、いちごがまたぼそりと私に訊ねる。
247 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:52:23.89 ID:toNYD3r30
「平気?
私じゃ不満?
軽音部の方がよかった?」

ぶつ切りの言葉で分かりにくかったけど、
つまり私の背中を撫でてるのが軽音部の部員じゃなくて、
いちごだったのを不満に思ってるのかって事なんだろう。
いやいや、もし本当にそうだったら、何様なんだよ、私……。
私は誤解を解くために首を振った。
いちごとは特別に仲が良いわけじゃなかったけど、そんな誤解はされたくなかった。

「そんな事ないよ、いちご。
……ごめん、心配掛けたな」

「別に心配はしてない。
急に女子トイレに駆け込むから、何事かと思っただけ」

「さいですか……。
でも、ありがとうな」

「別に。お礼なんて要らない」
248 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:54:04.33 ID:toNYD3r30
相変わらず無表情でぶっきら棒な奴だった。
普段なら取り付く島も無いと引き下がるところだったけど、
今日のところはそういうわけにもいかなかった。
私は背中を撫でてくれていたいちごの手を取って、軽く右手で握った。
バトンをやっているせいか少し豆があったけど、それでも小さくて柔らかい手だった。

「ありがと、いちご」

「だから……、そういうのはいいよ」

そう言っていちごは私から目を逸らしたけど、嫌がってるわけじゃないみたいだった。
無表情だから分かりにくいけど、もしかしたら照れているのかもしれない。
いつもクールないちごの意外な一面を見れた気がして、少し嬉しかった。
それで私の顔が少しにやけてしまっていたのかもしれない。
いちごが急に私と目を合わせると、無表情だけど神妙な声色になった。

「急に吐くなんてどうしたの?
妊娠?」

「そんなわけがあるか!」

「そう……」

「もしかしてからかってる……?」

「さあ……」
249 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:54:36.72 ID:toNYD3r30
やっぱり分かりにくいなあ……。
でも、それは別に嫌じゃなかった。
長い付き合いじゃないけど、いちごはそういう分かりにくい奴なんだ。
分かりにくいけど、多分、それがいちごで、それでいいんだよな。
私はそうして一人で納得してから、いちごの手を取ったまま訊ねてみた。

「いちごの方こそどうしたんだよ。
最近、いつも学校で見るけど」

「そっちもね」

「私は高校生の鑑だから、どんな状況でも学校に来るのだよ、いちごくん」

「じゃあ、私もそれで」

「じゃあ、ってなんだよ。じゃあ、って……」
250 :にゃんこ [saga]:2011/06/14(火) 00:58:13.11 ID:toNYD3r30


今回はここまでです。
ちょっと鬱展開。
今更ですが、改行を入れてみました。
読み易くなってたらいいんですが。

あと計算してみたら、原稿用紙100枚分超えてました。
まだまだ続く予定ですが、ここまで付き合ってくれた皆さん、ありがとうございました。
これからも宜しくお願いします。
251 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/14(火) 01:07:13.77 ID:OlWCaMoAo

いつも楽しんで読ませてもらってるよー
252 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2011/06/14(火) 02:58:15.03 ID:5ftuG1cv0
>>1乙 こちらこそ、よろしくなんだよー
253 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/06/14(火) 08:28:54.39 ID:+veoAsGzo
軽音部メンバーよりモブのほうが出番多いな、今のところ
254 :にゃんこ [saga]:2011/06/16(木) 22:44:51.05 ID:GDoU5EKg0
私は苦笑したけど、いちごは無表情のままだった。
だけど、その顔は単なる無表情とも違っていた。
本当に分かりにくいけど、
よく観察すると何となくいちごの心の動きが見える気がした。
もしかしたら、単にいちごは感情を顔に出さないタイプなだけなのかもしれない。
これまでも何となくそう思ってはいたけど、はっきりとは確信してなかった。
大体、こんなに長い間二人きりでいちごと話したのも、
考えてみれば初めてかもしれないな……。

不思議な感じだった。
さっき吐いたせいで身体はふらふらなのに、
思いも寄らなかったいちごとの会話のおかげで、自分の心がとても落ち着いてる気がする。
死ぬ事に対する恐怖が完全になくなったわけじゃないけど、それでも。
255 :にゃんこ [saga]:2011/06/16(木) 22:47:51.02 ID:GDoU5EKg0
結局、それ以上、いちごは私が吐いた理由について訊ねなかった。
だから、私もそれ以上、いちごが学校に来ている理由を訊ねなかった。
どちらの理由も、お互いが言いたくなった時に言えばいいだけの事だった。
それに多分、深く詮索し合わないのが、
いちごが人と付き合う時に重視してる事なんだと思ったから。
いちごは決して冷たいわけじゃない。
またいちごに背中を撫でられながら、私はいちごに深く頭を下げた。

「落ち着いたよ、いちご。
ごめん、本当にありがとう」

すると、いちごは私の言葉に対して、またもやとても意外な事を言った。

「関係ない……」

「え?」

「関係ないわけ、ないから」

「ん……あ?」
256 :にゃんこ [saga]:2011/06/16(木) 22:48:33.01 ID:GDoU5EKg0
また驚かされて、変な言葉が出てしまった。
口癖と言うわけじゃないけど、
いちごはこれまで何事に対しても「関係ないけど」とよく言っていた。
そんないちごが「関係ないわけない」って言ったんだ。
これは驚かされるよなあ……。
勿論、その言葉が私だけに向けられた物だと考えるのは、かなりの自意識過剰だった。

「関係ないわけない」ってのは、
自分と繋がる全てに対して……、って意味合いが強いんだと思う。
今までいちごは色んな事を「関係ない」と言っていた。
それは無関心が理由でもあったんだろうけど、
主にはそれ以上に他人の意思を尊重するって意味で使ってたんだろう。
自分の中の世界を大切にする代わりに、他人の中の世界も尊重する。
だから、お互いに必要以上干渉し合わないようにしよう。
そういう意味で、いちごは「関係ない」って言ってたんだと思う。
その考えは正しいと私も思う。
誰が何をしていても、それは個人の自由で、自分勝手に干渉する事でもない。
だから、他人のする事は自分には関係ない事なんだ。
257 :にゃんこ [saga]:2011/06/16(木) 22:51:36.57 ID:GDoU5EKg0
でも、「関係ないわけない」というのも、正しい考えだと思った。
他人が何をしていても、自分自身にはほとんど影響がない。
その意味じゃ、他人のする事は自分には何も「関係ない」。
だけど、ほとんどないってだけで、完全に影響がないわけでもないんだ。
他人の、自分の何気ない行動が色んな事に影響を与えて、
何かが大きく変わっちゃう事もあるんだ。
何かと無関係でいられなく事もあるんだ。
私はちょうど今それを強く実感してるところなんだ。
世界が終わるって現状もそうだけど、それ以上に考えてしまうのは……。

「うん……。そうだな……。
関係ないわけ、ないよな……」

私は自分に言い聞かせるみたいに言った。
いちごはその私の言葉については何も言わなかった。
優しく背中を撫でてくれるだけだった。
ただ少し優しさを増したその手付きが、
私の言葉に頷いてくれているみたいには思えた。
258 :にゃんこ [saga]:2011/06/16(木) 22:53:16.84 ID:GDoU5EKg0
何事にも無関係ではいられない。
いちごと私の関係にしてもそうだし、軽音部の皆と私の関係にしてもそうだ。
取り分け、梓と……澪だ。
特に澪と私はお互いに深過ぎるところにまで関わり合ってる。
小さい頃、私の好奇心から始まった私と澪の関係。
あの時、私がもし澪に声を掛けていなかったら、
澪の人生も、勿論、私の人生も今とは全く別の物になっていたんだろう。
澪がいなければ私はこの桜高には来てなかっただろうし、
私がいなければ澪は澪でそのメルヘンな性格を生かして、文学部か何処かで名を馳せていたのかもしれない。
当然それは仮定の話で、今現在の私が考えても仕方がない事だった。

だから、私は別の事を考えないといけない。
世界の終わりを目前にして、
私は澪との関係をどうするのか、どうしたいのかを考えなきゃいけない。
澪が私の事を好きかどうかは別としても、
少なくとも世界の終わりの日には何をしていたいのかを二人で話さないといけない。
それだけはこの残り少ない時間で私が解決しなきゃいけない事だ。

それで……。
それでもし、解決出来たのなら、その時は……。
まだ何も決まっていない状態で、こんな事を伝えるのは失礼かもしれない。
それでも伝えられるのは今しかなかったし、私達の結末をいちごにも知ってほしかった。
少し躊躇いながら、それでも私はゆっくりとそれを口にした。

「なあ、いちご。もしよかったらなんだけど……」
259 :にゃんこ [saga]:2011/06/16(木) 22:56:26.72 ID:GDoU5EKg0


今日はここまで。
皆様、よろしくお願いします。

>>253の方
ありがとうございます。
何と言われるまで気が付かなかったという。
普段書くのは群像劇が多いんで、モブの出番の多さを自然に思っていました。
そういう視点のご指摘ありがたいです。
260 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/16(木) 23:16:49.91 ID:4cRTDpgBo

毎回続きが気になるよ
261 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/06/17(金) 04:56:13.05 ID:HhT/cwEOo
別にモブ多くてもいいじゃないか
群像劇って素敵だと思うし書ける人は尊敬する
262 :にゃんこ [saga]:2011/06/19(日) 02:48:17.55 ID:Hc43SAZ70





部室。
いちごと別れた私は、
逃げ出しそうになる脚を無理矢理動かして、軽音部の自分の席に座っていた。
部室の中には私以外誰も居なかった。
代わりと言っては何だけど、私の机の上には変な落書き付きのメモが置かれている。

『あずにゃんをさがしてくるよ!』

落書きといい、文字といい、間違いなく唯の書き置きだった。
いや、書き置きを残してくれるのはありがたいんだけど、相変わらずこの落書きは何なんだ?
猫みたいな生物の両耳の辺りから、
妙に長くて太い毛がにょろりと生えているんだが……。
ひょっとして、これが唯の『あずにゃん』のイメージなんだろうか。
この長くて太い毛をツインテールだと考えれば、
梓+猫のイメージで『あずにゃん』だと考えられなくもない……気もする。
と言うか、自分をこういうイメージで見られてると知ったら、多分梓怒るぞ。

でも、我ながら情けない事だけど、その現状に私はとりあえず安心していた。
別に落書きの正体が『あずにゃん』なんだろうって事とは関係ないぞ。
勿論、今の部室の中に誰も居ない現状の事だった。
色んな問題を解決しなきゃいけないのは分かってる。
それでも、今の私にはその解決の糸口すら見つけられていない。
無理矢理にやる気と使命感を湧き上がらせる事だけは出来ても、
解決のための具体的な方法が全然思い浮かんで来てなかった。
263 :にゃんこ [saga]:2011/06/19(日) 03:09:45.95 ID:Hc43SAZ70
「いつもこうなんだよなあ、私……」

机に突っ伏しながら、つい呟いてしまう。
ドラムを叩いてる時もよく言われる事なんだけど、私は結構勢いだけで動いちゃうタイプだ。
よく考えて動くべきなんだろうって思う事も勿論あるけど、
それでもこれは私の持って生まれた性格って言うか、
変えたくない自分の中のこだわりって言うか、
とにかく勢いに乗っちゃうノリのいい自分でいたかった。
勢いに乗り過ぎて失敗する事も、誰かを傷付けちゃう事もいっぱいあったけど、
勢いだけでも動いていれば、何かが上手くいくはずだって、多分心の何処かで信じてた。
ううん、今だって、信じてる。
そうやって私は生きて来たんだから。
生きて来れたんだから。

だけど、今は勢いだけじゃどうにもならない。
そんな気もしてる。
何かをしなきゃとは思うし、
勢いで梓や澪の悩みに踏み込んでみるのもありだと思う。
そうすれば案外と簡単に、二人の悩みを晴らしてあげる事も出来るかもしれない。
そうだったらどんなにいいだろう。
でも、今勢いだけで動いたら、これまでの私の経験から考えて、
間違いなく私だけで空回っちゃって、余計に二人を傷付けてしまう気がする。
そんな……気がする。

思い出すのは、二年の時、澪と喧嘩をしてしまった時の事だ。
あの頃、私は自分の傍から澪が離れていく感じがして、凄く焦ってた。
今でも何故かは分からないけど、澪が離れていくのがとても嫌だった。
もしかしたら、ずっと傍に居てくれた澪が私の傍から居なくなったら、
それ以外の誰かもどんどん離れていって、
最後には独りぼっちになっちゃうなんて事を考えてたのかもしれない。
はっきりとは自分でも分からない事だけどさ……。
264 :にゃんこ [saga]:2011/06/19(日) 03:26:38.52 ID:Hc43SAZ70
だから、私はどうにか澪の注意を自分に向けさせようって思ったんだと思う。
勢いに乗ってふざけたりしていれば、いつもどおり澪がこっちに向いてくれるって思った。
でも、それは失敗した。
私のした事は澪を怒らせ、困らせるだけだった。
分かってくれない澪に私は腹を立てて、
それ以上に澪を困らせてしまった私に腹を立てて、しばらく軽音部にも顔を出せなかった。
それどころか風邪までひいちゃって、顔を出したくても出せない状況にまでなった。
さっき吐いたのもそうなんだけど、
私って意外と繊細で、少しでも精神的に参るとすぐに身体の方にも影響が出るんだよな。
こんな繊細さなんて、何の自慢にもなりゃしないけど……。

あの時、私は澪を傷付けた。
傷付けてしまったと思った。
そう思うと自分のしてしまった事が恐くて、何も出来なくなって。
勢いで前に進みたい自分と、それを止めようとする自分で雁字搦めになって……。
本当に意外に繊細で、それが自分でも嫌になる。

そういう意味で考えると、澪以上に気になるのが今の梓だった。
私の姿を見て逃げ出した梓。
嫌われてしまったのかもしれないし、嫌われる原因はいくつも思い当たる。
でも、それは被害妄想として片付ける事は出来る。
それだけなら、私もどうにか梓のために動き出せると思う。
動けなくなるのは、自分が梓に好かれる要素が一つも思い当たらなかったからだ。
265 :にゃんこ [saga]:2011/06/19(日) 03:48:59.08 ID:Hc43SAZ70
唯は梓を可愛がってるし、梓もかなり唯に懐いてると思う。
澪は梓の憧れの先輩で、澪の梓に対する指導は的確だ。
ムギも梓に優しいし、お互いに信頼し合っているみたいだ。
私……はどうなんだろう?
私は梓に対してどんな先輩だ?
可愛がっていたか?
いい先輩だったか?
優しくしてやれたのか?
……答えは出せない。
それでも、嫌われてると考える事よりも、
好かれてないのは間違いないと考えられる事の方が、私にはとても辛かった。

「なあ、お前は梓から何か聞いてないか?
私の事について……とかさ」

ちょっと思い立って、私は水槽に視線を向けてトンちゃんに呟いてみる。
トンちゃんは私の言葉を聞いているのかいないのか、
いつもと変わらず優雅に泳いでいた。
そりゃそうだ。
でも、思った。
梓は私だけじゃなく、軽音部の他の皆にも今の自分の悩みを話してくれなかった。
だけど、もしかしたらトンちゃんになら話しているかもしれない。
トンちゃんを一番世話しているのは梓だ。
『終末宣言』後も、梓はずっとトンちゃんの世話を欠かさなかった。
だから、梓もトンちゃんにだけは、自分の悩みを打ち明けているかもしれない。

勿論、それでどうなるわけでもない。
トンちゃんが私達の言葉を分かってるかどうかも分からないし、
もし分かってたとしても、私にもトンちゃんにもどうしようもない。
だって……。

「喋れないもんなあ、お前……」
266 :にゃんこ [saga]:2011/06/19(日) 04:07:37.67 ID:Hc43SAZ70
私は呟きながら、つい苦笑してしまう。
トンちゃんは喋れないって当たり前の事をおかしく思ったからじゃない。
もしも喋れたとしても、
トンちゃんなら梓の悩みを人に言ったりしないんじゃないかと思えたからだ。
梓もそう思っているから、トンちゃんに悩みを打ち明けているんだろうか。

「トンちゃんより信頼されてない部長か……」

それは全部私の勝手な思い込みだけど、少し落ち込んだ。
駄目だ駄目だ。
弱気になってるばかりじゃ、本当に何も出来ないままに終わっちゃうじゃないか。

突然。
そうやって頭を振っている私の耳に予想外の声が響いた。

「ハーイ! アタイ、スッポンモドキのトンちゃん!
チェケラッチョイ!」
「喋ったあああああ!」

つい叫んでみたけど、勿論そんな事があるわけない。
乗っておいて何だけど、呆れた視線を部室のドアの方に向けてみる。
聞き覚えのある声だからその声の正体は分かっていたけど、
それでも、その人の顔を確認しない事には、ちょっと信じられなかったからだ。

「何やってんだよ、和……」

その声の正体を確認して、私はつい肩を落としてしまう。
私のせめてもの願いも空しく、そこに立っていたのは予想通り和だった。
いや、本当に何やってんだよ、和……。
せめて和だけはボケ担当になってほしくなかった……。
267 :にゃんこ [saga]:2011/06/19(日) 04:13:20.38 ID:Hc43SAZ70


今回はここまでです。
モブ編多いですが、付いて来てくれる皆さんに感謝感謝です。
次は和編。
あれ、またモブ……?
いや、自分的に和ちゃんは立派なメインキャラなのですが。
268 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/19(日) 04:25:09.06 ID:JW5kZ6ESO
おつおつ
今回も面白かった
269 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/19(日) 06:55:58.19 ID:843xJ/3DO
おちゅん


和編って、主人公が変わるのかい?
律編の何一つが解決されてない気がするんだが
270 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/06/19(日) 08:41:33.39 ID:h55JdC4Po
いままでと同じ様に律と和のお話ってことやろたぶん
271 :にゃんこ [saga]:2011/06/21(火) 01:28:38.77 ID:cHOTjrFR0
私がそうやって呆れた視線で見つめてみたけど、
和は何でもない様な顔で部室の中に入って来ながら言った。

「たまにはね」

「たまにはって和……」

「律がトンちゃんと話したいみたいだったから」

「……見てたのかよ」

「ええ」

「そっか……」

本当なら見られたくない自分の姿を、
人に見られてしまった私は焦るべきだったんだろう。
だけど、何故かそんな気は起きなかった。
見られた相手が和だからかもしれない。
「お母さんみたい」ってのが皆の和に対する評価だけど、私も何となくそう思ってる。
だから、私は不思議なくらい焦らなかったんだろうな。
272 :にゃんこ [saga]:2011/06/21(火) 01:44:46.03 ID:cHOTjrFR0
和は私がトンちゃんに話しかけていた事について、とりあえずはそれ以上触れなかった。
ただ部室の中に入って来て、長椅子の辺りで軽く微笑んでるだけだった。
私も釣られて軽く笑ってしまう。
何だかとても落ち着く空気が流れてる気がした。
でも、二人して微笑んでるだけっていうのも、何となく気恥ずかしかった。
私は頭を掻きながら、微笑んでる和に訊ねてみる。

「ところでどうしたんだ、和?
唯ならいないぞ」

「いいのよ。唯がいないのは知ってるわ。見てたもの」

それもそうだった。
私がトンちゃんに話しかける姿を和が見てたって事は、
和が部室の外からドアの隙間越しに部室内の様子を伺ってたって事だ。
唯がいない事は分かり切ってる事だった。
でも、だったらどうして部室に?
その疑問を私が口にするより先に、私の考えを読み取ったのか、和がその答えを口にした。

「今日は律に用があって来たのよ」

「私に?」

少しだけ意外だった。
和とはいい友達だけど、二人きりで話をする事は少なかった。
特に和自身に私への用事があるなんて、滅多にない事だったからだ。
私は好奇心を抑え切れず、和にまた訊ねてみる。

「何? 私に何の用?」
273 :にゃんこ [saga]:2011/06/21(火) 01:59:34.47 ID:cHOTjrFR0
すると和が少し激しい表情になって、
私達の間ではお決まりになっている台詞を口にした。

「ちょっと、律!
講堂の使用届がまだ提出されてないわよ!」

「忘れていたー!
……って、何の届けやねん!」

習慣でつい叫んじゃったけど、途中で思い直して和に突っ込んだ。
確かに私は書類を提出するのを忘れがちだけど、今は提出する書類なんてなかったはずだ。
疑いの眼差しで和を見つめたけど、
和はそれを気にせずにまた平然とした普段の表情に戻るだけだった。

怒った様子は演技だったみたいだけど、
書類の話自体は本当だったって事なのか?
何か出さなきゃいけない書類なんてあったっけ?
って、確か和は講堂の使用届って言ってたよな……。
まさか……。
そう思いながら、私はおずおずと和に訊ねる。

「講堂の使用届……?」

「そうよ」

「講堂を何のために使うの……?」

「放課後ティータイムのライブのため」

「使用届、必要なの……?」

「それはそうよ。
使いたがってる部も多いんだから」

「マジで?」

「マジよ」

「大マジ?」

「大マジよ」
274 :にゃんこ [saga]:2011/06/21(火) 02:15:35.91 ID:cHOTjrFR0
知らなかった……。
と言うか、まだそんなシステムが生きてたとは思わなかった。
それに講堂を使いたがってる部が他にあったなんて、
世界が終わる直前って言っても……、
いや、直前だからこそ、考える事は皆同じなんだな……。
これは素直に自分の考えが甘かったって思った。
私は和に頭を下げる。

「ごめんな、和。
まさか私達以外に何かやりたがってる部があるなんて思わなくて……。
でも、何で和がライブの事を知ってるんだ?
それに私達が講堂を使うかどうかも、まだ決めてなかったんだけど……」

私の言葉に和が少し優しい顔になった。
でも、それは私に対して優しくなったわけじゃない。
それは和が唯の事を話す時にする顔だったし、
その後に和が話し始めたのはやっぱり唯の話だった。

「唯がね。
最後に大きなライブをやるって言ってたのよ」

「やっぱり唯だったか。
信代だけじゃないとは思ってたけど、
唯の奴、あっちこっちで宣伝してんな……」

「そうね。でも唯、楽しそうだったわよ。
「絶対、歴史に残すライブにする!」って言ってたしね」

「あいつ、そのフレーズ好きだな、オイ」
275 :にゃんこ [saga]:2011/06/21(火) 02:30:32.77 ID:cHOTjrFR0
私が笑いながら言うと、和も「そうね」と優しく笑った。

「私とライブの事を話した時も五回くらい言ってたし、
今はそれが唯の好きなフレーズなのね。
でも、あの子、何処でライブをやるのかも決めてないみたいだったから、
それで律に講堂の使用届の事を話しておこうと思ったのよ」

「いや、別に私も部室でするか、
最悪グラウンドでやれればいいか、って思ってたんだけど……」

「駄目よ。
部室だと小さなライブになるし、グラウンドだと天候に左右されるじゃない。
「絶対、歴史に残すライブにする」んでしょ?
こういう準備はちゃんとしておかないとね」

「そうだな……。ありがとう、和。
「絶対、歴史に残す」んなら、会場もでっかいライブにしないとな……。
なあ和、講堂の使用届、まだ間に合いそうか?」

「深夜なら空いてなくはないけど、金曜日までは無理ね」

「もうそんなに予定が埋まってるのか?」

「ええ。どこの部も最後に何かを発表したいみたいだし、
桜高以外の団体からも申し込みがあるから、ほとんど埋まってるわね。
こんな時だけど、こんな時だからこそ、
そういう予定はきちんと組んでおかないと……。
それでまだ空いてる時間となると、金曜日か土曜日の夕方になるわ」

「金曜か、土曜か……」
276 :にゃんこ [saga]:2011/06/21(火) 02:33:02.77 ID:cHOTjrFR0


短いけど今回はここまでです。
前回は言葉足らずでした。今回から律視点の和編です。
これからも律視点以外の視点は無い予定です。

でも、中々、書きたいところまで書けないなあ。
頑張ります。
277 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/06/21(火) 21:55:57.51 ID:CXN2o6OA0
律澪なら支援せざるをえない
278 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/21(火) 22:33:21.28 ID:PpS3/I1vo
俺も支援するぜ
279 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/06/22(水) 03:58:16.60 ID:kli9hmMVo
カプなんてどうでもいいし支援もしないけど最後まで見るぜ
280 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 01:20:18.23 ID:74LZJUpb0
そう呟きながら、私は迷っていた。
本当なら考えるまでもなく、金曜日にライブをやるべきだ。
いや、どうしても金曜日が好きってわけじゃなくて、
消去法で考えると必然的に金曜日しかなくなるだけだ。
だって、そうじゃないか。
よりにもよって世界の終わりの日の前日の土曜日にライブをやるなんて、
演奏する私達はともかく、呼ばれた皆にとっては迷惑この上ないだろう。
馬鹿らしい例えだけど、
それこそ富士山頂でやる結婚式に招待されるくらい迷惑に違いない。
だから、考えるまでもない。
ライブは金曜日の夕方。
これで決まりだ。

でも……。
そこまで考えて私は不安になる。
本当に金曜日で間に合うのか、とても不安になってしまう。
新曲は完成してないし、
梓の問題も澪との関係もまだ解決してない。
こんな状態でまともに演奏なんて出来るんだろうか……。

そうやって私は唸っていたけど、
気になって目をやると、私の様子を和が静かに見てくれている事に気付いた。
唯の事を話す時みたいな優しい表情の和が私の瞳の中に映る。
見守ってくれてるんだな、和……。
思わずそう考えていたけど、その考えは少し気恥ずかしくて、
私は顔が熱くなるのを感じながら、その気恥ずかしさを誤魔化す事にした。

「和、悪いけどもう少し考えたいから、ちよっと待ってくれるか?
あと立たせたままってのも悪いし、何処か空いてる席に座ってくれよ」
281 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 01:44:54.00 ID:74LZJUpb0
「じゃあ、お言葉に甘えて」と和が私の言葉に従って、席の近くまで移動する。
バランス的に澪の席に座るんだと思ってたけど、
それから和が選んだのは意外にも私のすぐ隣の梓の席(と言うより椅子)だった。
予想外に和と接近する事になって、私は少し緊張してしまう。
同時に普段梓が座っている席に和が座っている状況に新鮮さを感じる。
ありえない話ではあるんだけど、
もしも和が軽音部に入ってくれていたら、
こういう席割で一緒にお茶してたりしてたのかな。

「どうしたの、律?」

「ん、あ、いや、何となく……さ。
新鮮だなー、って思って」

「何が?」

「和と二人でこんなに近くで話すなんて、あんまりなかったじゃん?」

私がそう言うと、和が何となく悪戯っぽい顔を見せた。
最近、和がたまに見せてくれるようになった顔だ。

「そうね。
私が律に話し掛ける時は、大抵がお説教だったものね」

「いやいや、そんな事はありませんって。
和様にはいつも本当に感謝しておりますって。
たまに頂くお説教もありがたい事ですって」

笑いながら私が言うと、和も小さく微笑んでくれた。
いつも真面目で優等生な和だけど、冗談が通じないわけじゃない。
本当にたまにだけど、和の方から冗談を言ってくれる事も最近は増えてきた。
確信はないけど、それが私達の仲良くなった証拠だったら嬉しい。
282 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 02:02:23.39 ID:74LZJUpb0
「そういえば、それは何なの?」

微笑みながら和が指差したのは、唯の置いた書き置きだった。
机の上に置いたままにしてたから、目に入って気になったんだろう。
私はその質問には答えずに、「あいよ」と和にその書き置きを手渡した。
見てもらった方が分かりやすいし、自分で考えた方が面白いだろうと思ったからだ。

渡された書き置きを見た和は一瞬困った顔をしたけど、
すぐに「ああ、そっか」と明るい顔になって呟いた。

「この猫みたいな何かが『あずにゃん』って事ね」

「分かるの早いな!
私でも分かるのに二十秒くらい掛かったぞ?
流石は幼馴染みってやつか?」

軽くからかったつもりだったけど、
急に和の表情が萎んでいくのが目に見えて分かった。
あんまり急激に表情が変わるもんだから、
何かまずい事を言っちゃったのかって私が不安になるくらいに。
冗談を言う時の悪戯っぽい顔は見せてくれるようになった和だけど、
そんな本当に辛そうな表情の和を見るのは初めてだった。
そんな今にも泣き出しそうな和なんて……。

何て声を掛ければいいのか迷ったけど、私はまずは謝る事にした。
和の表情が辛そうに変わった原因が私の言葉なんだとしたら、
私は和に謝らないといけない。
283 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 02:15:39.18 ID:74LZJUpb0
「あの、和……。
ごめん……な」

「何……が……?」

「だって、そんな……。
そんな辛そうな顔してるの、私のせいなんだろ……?
ごめん……。いつも私、そういうのに気付けなくて……」

「律のせいじゃないわ……」

「だけど……」

「いいのよ。私の方こそごめんなさい、律……。
律相手なら、何とか耐えられるって思ってたんだけど……。
駄目みたいね。本当にごめんなさい……」

「耐えられる……って?」

一瞬、弱気な私が顔を出して、
和が私の事を嫌いだからその嫌悪感に耐えてる、って後ろ向きな考えをしてしまう。
和がそんな人じゃないのは分かっているのに。
分かり切ってるのに。
何を考えてるんだよ、私。
本当におかしいぞ、今日の私は……。
勿論、和の「耐えられる」って言葉は、そういう意味じゃなかった。
和は静かに私のその被害妄想を解き放つ言葉を口にしてくれた。

「唯の事を考えるとね……。
駄目なのよ……」
284 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 02:27:11.90 ID:74LZJUpb0
私は自分の被害妄想を恥じながら、
それでも今は和の言葉の続きを聞く事にした。
恥ずかしがるのは後からでも出来る。
今は和に失礼な考えをした分、和の言葉を聞かなきゃいけない時だった。

「唯と……、何かあったのか……?」

「ううん、そうじゃないわ。
唯はずっと私の幼馴染みで腐れ縁で、こんな時でも明るく話し掛けて来てくれる。
本当に明るい顔で笑ってくれる。
だから、唯の事を思うと、辛くなるの……」

「だけど、さっきは……」

「ええ。唯の話で笑えたわ。笑えてたと……思う。
でも、それはライブをするっていう未来の事を考えられるからなのよ。
まだ先に唯の笑顔を見られる時間があるって、それが嬉しくて安心出来るのよ。
だから、先の話じゃなくて、昔の話を思い出しちゃうと駄目だわ。
まだ私達が小さくて、小さい唯が笑ってた頃を思い出しちゃったら、
否応無しに私達に残された時間は本当に短い事に気付いちゃって……。
それが、辛いのよ……」
285 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 02:44:53.66 ID:74LZJUpb0
和の言葉を聞いていて、私は一つ気付いた。
さっき和は軽音部に入る前に、ドアの隙間から部室の中を覗いていた。
それは私がトンちゃんに話し掛けているところを覗き見したかったからじゃない。
きっと和は唯が部室の中に居るかどうかを確かめてたんだ。
唯の顔を見ると辛くなるから、
私一人しか居ない事を確かめてから部室に入ってきたんだ。
今の私が澪と顔を合わせる事が恐いのと同じように。

和はまた言葉を続けようと口を開く。
多分、ずっと我慢していたんだろう。
和の言葉は止まる事はなかったし、私も止めようとは思わなかった。
タイプは違っているけれど、私と和は本当はかなり似てるんじゃないかと思えたんだ。

「もうすぐ終末が来るらしいわよね……。
それは私も分かってるし、もう逃れられないってのも分かってる。
勿論、私自身が死ぬのは恐いし、嫌だわ。
私だってまだやりたい事が沢山あるもの。まだ死にたくないわよ。
でも、私が死ぬ事よりもっと恐い事があるの。
それは多分、律も同じだと思う」

「私も……?
そうか……。うん、そうだよ……。
私だって死にたくない。死ぬのは本当に恐い。
周りに恐がってる様には見せないけど、やっぱり恐いよ。
でも、私も和と同じにもっと恐い事があるな……」

そのもっと恐い事について、
和はとりあえずは触れなかった。私も今は触れなかった。
その代わり、和が少しだけ落ち着いた表情になってから、私に訊ねた。
286 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 02:55:45.29 ID:74LZJUpb0
「律もやっぱり恐いのよね……」

「和もな」

「私が言うのも何だけどね。
律ってこんな時でも毎日学校に登校してるみたいだし、
いつも唯と一緒に楽しそうに遊んでるから、終末なんて恐くないように見えたのよ」

「和が言うなよ。
和だって毎日じゃないけど学校で見るし、
ちょっとボケてみてもすごい冷静な顔で私に突っ込むじゃんか。
和には世界の終わりなんて何ともないんだって思ってたぞ」

「失礼ね。私を何だと思ってるのよ、律は」

「和の方こそ、私を何だと思ってんだよ」

言って、私は頬を膨らませて和を軽く睨む。
和も少し不機嫌そうな顔で私を見つめて……。
それから、すぐ後に二人して苦笑した。
何だよ。
二人ともお互いを同じ様な目で見てたってわけか。
やっぱり私達は何処か似てる所があるのかもしれない。
287 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 03:15:30.36 ID:74LZJUpb0
「何かさ……。
強がっちゃうんだよな……」

つい私は口に出していた。
和の前だと何故か素直になれている気がする。
近過ぎず、遠過ぎず、とても微妙な距離感の仲の私と和。
遠い他人じゃないけど、近くて本音を言えない相手とも違う。
二人きりになる事は少ないし、ずっと傍に居たいと依存してるわけでもない。
それでも、絶対失いたくない相手。
多分だけど、私と和はそんな関係の大切な友達なんだろう。

和もそう思ってくれているのかもしれない。
辛そうな表情は完全になくなってはいなかったけど、
それでも少しの優しさと穏やかさを取り戻した表情で和が言った。

「私は強がりとは違うんだけど……、
どんな時も落ち着いてなきゃって思ってたわ。
兄弟も小さいし、恐がってる姿なんて見せられないもの。
でも、それってやっぱり強がりなのかしらね?
下手に落ち着こうとするのは、逆に恐がりな証拠って話もよく聞くし……」

「難しい話はよく分かんないけど、でも、言いたい事は分かるな。
私は世界の終わりが恐くて、それよりも恐がってる自分がもっと恐くて……さ。
上手く言えないけど、だから、恐がりたくなかったんだよな。
多分、いつもの自分じゃない自分になるのが、本当に恐かったんだと思う。
でも、それよりももっと恐いのが……、悲しいのが……」
288 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 03:29:43.94 ID:74LZJUpb0
そこで私は口ごもる。
言葉にするのが恐かった。
言葉にして実感してしまうのが恐かったし、
言葉にして和に実感させてしまうのが恐かった。
これからも強がるためには、それに気付かないふりをしている方がいいんだろう。
でも、その私の言葉は和が力強く継いでくれた。
そう。和は見ないふりをするのをやめたんだ。

「死ぬのは恐いわ。
きっと色んな物を失っちゃうんだろうって思うと恐いわよね……。
だけど、そんな事より、皆が死んじゃう事の方がずっと恐いわ。
家族が、唯が、憂が死ぬ事を考えたら、自分が死ぬ事を考えるより嫌な気分になる。
悲しくなるのよ、とても……」

「そうだよな……。
そう……なんだよな……」

私も父さんや母さんに聡……、
澪がもうすぐ死んでしまうって現実がすごく恐くて、悲しかった。
自分が死ぬのは嫌だけど、多分、それだけなら私も耐えられると思う。
だけど、私以外の誰かが死ぬって想像だけは、恐くてたまらなかった。
私自身より、澪が死んでしまう事の方が、何倍も辛かった。
だから、和は泣きそうな顔をしてるんだ。
私も泣き出したくなってるんだ。
289 :にゃんこ [saga]:2011/06/23(木) 03:33:11.65 ID:74LZJUpb0


今回はここまでです。
ヤベェ、いつの間にか律澪話になってる……。
というのは冗談です。
一応、二人の話は多めになる予定であります。
よろしくお願いします。
290 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/23(木) 05:05:21.00 ID:8Sz7OTKSO
乙!
今回も面白かった
あと、律澪が多めなのもありがてぇ
291 :にゃんこ [saga]:2011/06/25(土) 01:48:08.98 ID:NEewVLDL0
もうすぐ私達は消えていなくなってしまう。
人間も、人生も、歴史も、何もかもが消え去ってしまう。
大切で、大好きな人が跡形もなく消えてしまう。
残された時間は本当に少なくて、
それまでの時間を私はせめて大切な幼馴染みと過ごしたいと思った。

幼馴染みに無理をさせて、自分で無理をして、
お互いに無理ばかり重ねながらだけど、それでも一緒の時間が欲しかったんだ。
もうすぐ終わる世界で、泣きながら過ごしたくなかったから。

「友達が居なくなるのは、嫌だもんな……」

私は自分に言い聞かせるように呟いてみる。
言葉にしてみると、少しずつ実感出来てくる気がした。
そうだよな。
別に難しい事じゃなかったんだ。
この世界の終わりが恐くて、悲しい理由は本当はすごく単純だったんだ。
友達を無くしたくないんだ、私は。
だから、澪を無理して学校に登校させてる。
だから、梓に嫌われたと思うのが、本当に悲しかったんだ。
292 :にゃんこ [saga]:2011/06/25(土) 02:07:45.82 ID:NEewVLDL0
「そうよね。
自分の傍に居てくれた誰かが居なくなるなんて、嫌よね……」

私の呟きは和にも聞こえていたらしい。
和も私の言葉に頷きながら呟いた。
馬鹿みたいに単純だけど、
人が死にたくない本当の理由はそんなものなのかもしれないよな。
勿論、友達が死んでほしくない理由も。

少し違うかもしれないけど、
前は私はこういう話を聞いて不安になった事がある。
自分が二十歳前後で自立するとして、両親が七十歳まで生きるとする。
そうすると、自分が年に十日の里帰りを毎年行ったとしても、
両親と一緒に過ごせる時間は、合計しても半年と少しという計算になるんだそうだ。

その話を高橋さん(だったと思う)から聞いた時、私はとても不安になった。
受かればの話だけど、大学生になったら寮に入るつもりだったし、
将来的には家自体の事を聡に任せて、私は家から出てく事になってたんだろうと思う。
それは普通の事で、特に意識した事もなかったけど……。
それでも、具体的に数字にして表されると、何だか焦ってしまって仕方がなかった。
そんなに短いんだ……、ってそう思えて不安だった。
いつかは居なくなる両親なんだって分かってたつもりだったけど、
単に私は考えないようにしてただけなのかな……、どうにも分かってなかったみたいだ。
293 :にゃんこ [saga]:2011/06/25(土) 02:24:50.78 ID:NEewVLDL0
自分と誰かの関係は時間制限付きなんだ。
両親とだってそうなんだから、誰とだってそうなんだ。
世界が終わるからってだけじゃなくて、
普通に生きてても、友達との時間制限は一つずつ尽きていってたんだろう。
こう考えるのは嫌だけど、
澪との関係もいつかは尽きてたんだろうな……。
その原因が喧嘩別れなのか、どっちかの死なのかは分かんないけどさ。

「頑張らないと、いけないわよね」

急に和が言った。
これまでみたいな呟きじゃなくて、少しだけど力強い言葉だった。

「唯の顔を見てると泣きそうになるし、辛いけど……。
でも、私は唯と一緒に居たいもの。
残された時間は少ないから、早く唯の顔を見ても泣かないように頑張るわ」

「無理はするなよ……って、そんな事は言ってられないか。
ははっ、こう言うのも変だけどさ」

お決まりの台詞と逆の言葉を言ってしまって、私はちょっと笑ってしまう。
和も眼鏡の奥の表情が緩んだように見えた。

「でも、終末だからってだけじゃなくて、
どんな時だって、誰だって無理して生きてるものだって私も思うわ。
勿論、無理せずに生きられるなら、
それに越した事は無いんでしょうけど、中々そうはいかないものね。
……頑張らなくちゃね」
294 :にゃんこ [saga]:2011/06/25(土) 02:36:56.60 ID:NEewVLDL0
「そうだな、和。
だからさ」

「そうね」

「これからも無理しよう、和」

「これからも無理しましょう、律」

二人の言葉が重なって、二人で笑った。
「無理しよう」なんて、基本努力が苦手な私に言えた事じゃないけど、
それでも多分、今は無理した方がいい時なんだろうって思えた。
私達に残された時間は少ないし、悲しくて辛い事も多い。
だけど、私達は立ち止まってなんかいられない。
立ち止まってるわけにはいかないんだ。
こう言うと少年漫画の台詞みたいだけど、実はそんな格好のいい決意表明じゃない。

本当は立ち止まっていられないから。
立ち止まったら不安で死にそうになるから。
泳いでないと死んでしまうらしいイルカやマグロ的な意味で、
無理をしてでも、私達は立ち止まっていられないんだ。

それがいい事なのか、悪い事なのかは分からない。
無理をする事で、また誰かを傷付けてしまうかもしれない。
また自分が傷付くかもしれない。
だけど、そうしながら、私と和は進み続けていくんだと思う。

和ならきっと大丈夫。
和ならもうすぐ立ち直れて、いつもみたいな冷静な突っ込みを見せてくれるようになれる。
最後の日まで唯と笑い合えるようになれるはずだ。
295 :にゃんこ [saga]:2011/06/25(土) 02:51:56.45 ID:NEewVLDL0
私の方は……、まだ分からない。
進み続けるのはやめないと思う。
もしかしたら、その先には誰からも嫌われて、
一人で生きていくしかない未来が待っているのかもしれないけど……。

また少し気弱になってる私の考えを察したんだろう。
机の上に出してる私の右手に、和が軽く自分の右手を乗せた。
唯や私とは違って、普段は決して誰かの身体に触ったりしない和の意外な行動だった。

「後悔だけは、したくないものね」

それは私に向けられた言葉ではあったけど、
きっと和自身にも向けられた言葉でもあったと思う。
どんな結果になっても、後悔はしたくない。
それは世界の終わりが近くなくても当たり前の事だったけど、
世界の終わりが近いからこそ、よくある言葉だけど重く心に残る言葉になった。

「確かに後悔は、したくないな……。
もう残り少ない時間だけど、せめて自分の気持ちに正直に……。
最後まで……」
296 :にゃんこ [saga]:2011/06/25(土) 02:54:45.54 ID:NEewVLDL0


此度はここまでです。
まだ火曜日なのか……。
何か牛歩どころか蝸牛歩といった感じですが、頑張ります。
どうにか退屈させないような展開を心掛けたいです。
297 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/25(土) 03:32:09.30 ID:nUmcWbIyo
おつー
まだ三分の一も行ってないってことか
話が面白いから読ませてもらってる方としては、長く楽しめそうでいいんだけどねww
298 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/25(土) 14:55:20.60 ID:s2TooHKf0

毎回すごい面白いです!
299 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/06/25(土) 15:49:58.37 ID:oNY5Garu0
おつ
良かったよ
300 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2011/06/26(日) 01:42:45.18 ID:L4myYfjIO


一気に読んじったw
301 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:09:31.41 ID:6fUAm3zg0
後悔は、したくない。
和の手の温かさを感じながら、思う。
おかげで一つだけだけど、答えも出せた。

「決めたよ、和」

「決まったの?」

「ライブだけど、土曜日の夕方にする事にする」

「それでいいのね?」

「ああ」

私が言うと、和は頷いて、私の答えを受け入れてくれた。
本当は金曜日の夕方にライブをした方がいいんだろう。
私もそう思わなくはないし、和もそっちの方がいいと考えてるはずだ。
でも。
金曜日じゃ、間に合わない。
今のままの私たちじゃ、どうやっても満足のいくライブは出来ない。
絶対、悔いの残るライブになってしまうだろうから。
そう思ったから。
私は土曜日の夕方に、最後のライブをする事に決めた。
勿論、一日の猶予じゃ、ライブの出来にそう変わりはないかもしれないけど……。
少しでも私達の目指す「歴史に残すライブ」に近付けるのなら、そうするべきなんだ。
私は後悔はしたくないし、誰にも後悔させたくない。
302 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:11:57.16 ID:6fUAm3zg0
ライブを見に来てくれる人は大幅に減るだろう。
今のところ三十人くらいを呼ぶ予定だけど、何しろ世界の最後の日の前日の事だ。
誰にだって私達のライブなんかより大切な予定があるだろうし、それは仕方のない事だと思う。
大体、土曜日の夕方にライブをする事自体、私の我儘なんだ。
ライブに来れない人達を責める事なんて出来ない。
最低、本当に数少ない身内だけのライブになる可能性も大きいな。
憂ちゃんはまず間違いなく来てくれるだろうけど、
放任主義の私の家族はどうなるかは分からないな。
聡にだって最後に何か予定があるかもしれないし。
それも仕方なかったし、それでいいんだと私は思った。
私達は最後に私達の満足のいくライブをやりたい。
多分それが世界の終わりに対して出来る、私の最後の抵抗だ。

「ねえ、律」

不意に和が温かい指を私の指に強く絡める。
強く強く、包んでくれる。
私は少し気恥ずかしい気分になりながら、でも訊ねた。

「どうしたんだ、和?」

「私、軽音部の最後のライブ、絶対見に行くから」

「いいのか?」
303 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:19:13.83 ID:6fUAm3zg0
予定とか大丈夫か?
私がそう言うより先に、和は優しく静かに頷いてくれた。

「スケジュールは絶対に空ける。
貴方達のライブ、絶対に見届けるわ。
見届けたいもの。唯が夢中になった音楽の魅力を。
唯を夢中にしてくれた律の音楽をね」

「そんな大したもんじゃ……」

「ううん、そんな事ないわ。
動機はどうであっても、律はぼんやりしてた唯の生きる理由を見つけてくれた。
そのきっかけになってくれた。そんな音楽を律は作ってくれた。
あんまり上手くなくても、お茶ばかりしてても、
それは全部、貴方達の音楽に、放課後ティータイムに必要なものだったんだって思うもの。
だから、見届けたいのよ、私のためにもね」

和の言葉に私は目を伏せてしまう。
滅多に自分の音楽について褒められた事がないから、
嬉しいんだか恥ずかしいんだか、どうにも身体中がむず痒かった。
その私の気恥ずかしさも察したんだろう。
本当に気の利く和は微笑んで、自分の制服のポケットの中から何かを取り出した。
何かと思えば、それは澪ファンクラブの会員証だった。
304 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:21:57.44 ID:6fUAm3zg0
「それに私、ファンクラブの会長だしね。
会長として、澪の演奏も見ておきたいしね。
勿論、律の演奏も楽しみにしてるわ」

「律義だよなー、和も……」

「『律』に『義』を通すから、『律義』ってところかしらね」

「また和がボケた!」

「たまにはね」

ボケはボケなんだけど、
ちょっと難しくて理知的なところが和らしく、それがおかしくて私は軽く笑った。
和も微笑んでいた。
その笑顔は不安を拭い切れていなかったかもしれないけど、私達は笑い合えていた。

世界の終わりまで、あとほんの少し。
それまでに出来る事は本当に少ない。
力のない凡人の私に出来る事は、ライブの成功のために駆け回る事だけだろう。
唯のように天才肌じゃなく、澪みたいな努力家でもなく、
梓やムギみたいな幼い頃からのサラブレッドでもなく、単に部長ってだけの私。
軽音部の中で一番足を引っ張ってるのは、多分私なんだろうって自覚はある。
でも、私は部長だから。
こんなんでも部長だから、最後くらいは部のために何かをしないといけないと思う。
305 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:22:37.14 ID:6fUAm3zg0
何かを……、出来るだろうか……?
いいや、やるんだ。やらなきゃいけないんだ。
これが無理を出来る最後の機会なんだ。
ここで無理をしなきゃ、きっと私は世界の最後の日まで後悔をし続ける事になる。

「大丈夫よ」

和が私に視線を向けて力強く言った。
励ましでも気休めでもなく、心の底からそう思ってくれているみたいだった。

「律なら大丈夫。
それに梓ちゃんも、律の事を大好きだと思うわよ」

「「大好き」……って、流石にそれは言い過ぎだろ……。
せめて「嫌いじゃない」くらいならいいな、って私も思うけどさ……」

「ううん。梓ちゃんは絶対に律の事が「大好き」だと思うわ。
だから、言えないのよ、色んな事が。
本当に辛い事ほど、「大好き」な人には言えないものだから……」

そうかな、と言おうと口を開いて、私はすぐに口を閉じた。
そうだったな。
和は唯が「大好き」だから顔を合わせられなくて、
私も多分、澪が「大好き」だから逃げ出しちゃったんだ。
梓も、そうなんだろうか……?
こう思うのは不謹慎過ぎるけど、そうだったらいいな、と私は思った。
もしもそうだとしたら、私の手がまだ梓に届くかもしれないから。
まだ梓の力になれるんだから。
306 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:25:25.97 ID:6fUAm3zg0





和は唯達が戻って来るより先に軽音部から出て行った。
生徒会の仕事が残ってるみたいだったし、
唯と顔を合わせるにはまだ心の整理が出来ていないらしかった。
和にもまだ少しだけ迷いが残っているんだろう。
それについて私が和に出来る事はなかったし、逆にしなくていいんだって思った。
和は一人で立ち直れるし、一人で立ち直りたいんだ。
最後まで和が私に助けを求めなかったのは、そういう事なんだと思うから。
私に出来るのは、その和を見守る事だけなんだ。

軽音部から出て行く時、和は私の顔色が悪い事を指摘してくれた。
鞄の中に入れっ放しだった手鏡で自分の顔を見てみると、確かに酷い顔をしていた。
別に和との会話で疲れ果てたってわけじゃない。
さっきまで吐いてたんだから、この顔色はある意味当然だった。
いちごや和のおかげで気分の方は良くなっていたけど、顔色はまだ正直だ。
私は洗面所で顔を洗い、一足先に弁当を食べる事でどうにか顔色を誤魔化す事にした。
それがどれくらい効果があるかは分からないけど、
軽音部の皆の前では少しでも落ち着いた顔をしておきたかった。

弁当を半分くらい食べ終わった頃、唯達が梓を連れて部室に戻って来た。
唯達が梓を探しに行ったのは、今日は昼前から梓が来ているはずだったのに、
全然姿を見せる気配が無かったのを不安に思ったからだそうだった。
その時の唯とムギはいつも通りに見えたけど、澪と梓の様子はどうもよくないように見えた。
とは言っても、澪と梓が昨日の険悪な雰囲気を引きずってるわけじゃなく、
お互いがお互いに別の事を悩んでいるようだった。
307 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:28:35.66 ID:6fUAm3zg0
まず澪の方は私と目を合わせず、唯やムギとばかり話している。
それも話しているのはイルクーツクとか、カムチャッカとか、
明らかに何かを誤魔化しているような内容ばかりだった。
オカルト研の部室の中の二人の事を考えてしまっているのか、
それとも全く違う事を考えて私から目を逸らしているのか、それは分からない。

梓は梓でまた無理をして笑っていた。
学校を一人でうろついていた事も、今日軽音部に中々顔を出さなかった事も、
「何でもないです」と口癖みたいに繰り返しながら、澪とは違って何度も私の方に視線を向けていた。
声を掛けようとした私の前から逃げ出した事を気にしているんだろう。
それについて、私は梓に何も聞かなかった。
聞かなかった理由は私にも分からない。
今聞くべき事じゃないのは確かだったけど、もしかしたら私もまだ恐かったのかもしれない。
うっかり訊ねてしまって、梓から嫌悪感に満ちた視線を向けられるのが恐かったのかも。
勿論、そうやって恐がり続けていいはずがないし、いつかは梓にそれを訊ねないといけない。

だけど、流石に澪と梓の二人の事を同時に考えるのは、私には出来そうもなかった。
まずは片方の問題から解決しないといけないだろう。
二人とも大切な仲間なんだし、
どちらかに優先順位を付けるのは嫌だったけど、そうも言っていられない。
少し悩んだけど、私はまず澪との問題を解決しようと思った。
澪の方が好きだったから。
……という理由ならまだよかったのかもしれない。
澪の方を選んだのは、本当はもっと消極的な理由からだった。
簡単な理由だ。
澪との関係に対する問題は、私が勇気を出して澪に訊ねるだけで済む事だ。
それはそれでとても難しい事だけど、少なくとも自分の意志だけでどうにかなる事だった。
308 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:30:15.11 ID:6fUAm3zg0
それに対して、梓の悩みに関しては私はまだその解決の入口にも立てていない。
梓が何に対して悩んでいるのか、全然見当も付いてない有様だ。
梓は何も言ってくれないし、言ってくれないからこそ、余計に不安が募ってくる。
まさか……、まさかだけど……、こんな事は考えたくないけど……。
家庭内暴力……とか……、麻薬……とか……、強姦……とか……。
悲惨過ぎて逆にリアリティの無い話が、私の頭の中に浮かんで離れなくなる。
まさか、とは思う。
そんなはずがない、とも思う。
でも、今はそういう事が起こってもおかしくない状況で、
梓の様子はそれくらい重大な何かが起こっているようにしか思えなくて……。
もしそうだとしたら、梓の悩みの件は私だけではとても手に負えない。
唯やムギ、それに澪の力を借りなければ、梓を助ける事なんてとても出来ない。

だから、私は勇気を出そうと思った。
まずは澪の考えをはっきりと聞いて、それから梓の問題を少しでも好転させたい。
澪との関係については、多分私の自意識過剰だろう。
澪が私の事を好きだなんて、
そんな事を考えてるなんて事を知られたら、誰からも笑われるだろうな。
女同士とかいう問題以前に、澪が私なんかを好きになるはずがなかった。
澪には、そう、もっと釣り合いの取れた素敵な相手が似合うだろう。
あいつにはそれだけの価値があるんだ。
だからこそ、私はあいつと話そうと思う。
私の我儘で無理に外に連れ出してしまってる事を謝ろう。
寂しいけれど、他に一緒に過ごしたい人が居たら、その人と過ごしてくれていい事を伝えよう。
その結果、澪が私達から離れていく事になっても、私はそれで後悔しないと思う。
友達を無くしたくはないけど、無理して友達でいてもらう事の方が、ずっと辛い事だから。
309 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:30:40.97 ID:6fUAm3zg0
でも、ひとまず今は全員で演奏をするべき時間だった。
これから離れ離れになってしまうとしても、
五人で居られた時間をもう少しだけでも感じていたかったから。
今の皆の気持ちはバラバラかもしれないけど、その想いだけは一緒だったはずだ。

その日の練習でぎこちないながら完璧に演奏出来たのは『冬の日』。
意識して選んだわけじゃなく、元々、今日練習する予定だった曲で、
澪が作詞したけど、私が没にしたはずの歌詞の曲だった。
澪には悪いとは思ったけど、
自分へのラブレターだと勘違いした歌詞を歌われるなんて、恥ずかしいにも程があるじゃないか。
でも、今日、私達はその曲を演奏していた。
何故かと言うと、ちょっと前、
澪がパソコンに残していた『冬の日』の歌詞を唯が見つけて、
「すごくいい歌詞だから私が歌いたい」と言って譲らなかったんだ。
私が何を言っても唯はその私の言葉を聞かずに、
「逆にりっちゃんはこの曲の何が駄目だと思ってるの?」と言った。
そう言われると私も弱くて、没にするのを断念するしかなかった。
悔しいけど、私も歌詞自体はとても気に入ってたからな。
そんなわけで、私達の曲に『冬の日』が追加される事になったわけだ。
まあ、今は気に入ってる曲で、私も大好きなんだけど……。
よりにもよって今日この日に練習する事になるなんて、何だかとても因縁めいたものを感じてしまう。
ひょっとしたら、澪じゃなくて、私の方が澪を意識してしまってるのかもしれない。
310 :にゃんこ [saga]:2011/06/29(水) 22:33:46.57 ID:6fUAm3zg0


今回はここまでです。
皆様に読んで頂けて、嬉しい限りです。
ありがとうございます。

しかし、長く続けてきて不意に気付いたのですが、
何かムギちゃん、ごめん。
全然出番無いですね。
いや、これからです、多分。
311 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/29(水) 22:48:03.77 ID:WtcTP1O4o

さすが和ちゃん頼りになるな
そして、イルクーツクとかカムチャッカの話する澪にワロタ
312 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/06/29(水) 23:26:03.63 ID:86DfVuDSO
乙!
律はいよいよ澪と話し合うのかな
313 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/06/30(木) 07:26:19.46 ID:Wol8Zh62o
次が怖いですのぅ
314 :にゃんこ [saga]:2011/07/02(土) 02:26:05.60 ID:LzvfiuWO0





夕焼けで街中が赤く染まる。
世界が終わると言っても、夕焼けが赤いのは変わらない。
多分、私達が居なくなっても、街は同じ様な時間帯に赤くなり続けるんだろう。
私達も私の部屋で赤く染まっていた。
来週には感じられなくなる夕焼けを特別感じてたいわけじゃないけど、
それでも今の私達は夕焼けに照らされ、赤く染まっている。染まっているんだ。
私達の頬も何となく赤く染まってるのは、そういう事のはずなんだ。
私達というのは、私と澪だった。

軽音部での練習が終わって皆と別れて、
二人きりの帰り道になった時、自分の家に帰ろうとする澪を私は呼び止めた。
少し戸惑ってる感じの澪に、私は私の家で話したい事があると伝えた。
これから私が話そうとしている事は、道端で話すような内容でもないと思ったからだ。
今、その自分の行動を、ほんの少し反省してる。
だって、自分の家の自分の部屋なんて、完全に私に都合のいい舞台じゃないか。
私はこれから勇気を出さなきゃいけないのに、
最初から自分に有利な状況を作り出しておくなんて、
情けないし、これじゃ澪にも申し訳なかった。
でも、だからと言って、今の私には澪の部屋に自分から行く事も出来なかった。
澪の部屋で、もしかしたら今生の別れになるかもしれない話を切り出すなんて、私にはとても出来ない。
そんな状況、考えただけで震えてしまう。
その話を終えた帰り道、自宅に帰れるかどうかも自信がないよ……。
315 :にゃんこ [saga]:2011/07/02(土) 02:48:11.77 ID:LzvfiuWO0
だから、私は卑怯だと思いながら、
私の部屋で澪と二人で夕焼けに照らされてる。
私はベッドの上で足を崩して。
澪は私のその隣で上品に足を揃えて。
二人、沈黙して、静かに。
たまに目に入る夕焼けに目を細めて。

私の部屋に入って十分……、いや、五分か……?
私達はずっとそうしていた。
本当に珍しい状況だった。
普段は私の方から澪に思い付いた事を何でも話した。何でも話せてた。
澪も私の話を真面目に聞いたり、私の話が下らないと思った時はスルーしたり。
スルーされると少し悔しかったりもしたけれど、
面白いと感じた時は二人で心の底から笑い合えて……。
澪とはずっとそういう風に過ごせると思ってた。
ずっとそんな感じで居たかった。

もう、そういうわけには、いかないのかな?
そうしてちゃ、いけないのか?
私はどうしてもそう思ってしまう。
世の中は緊急事態で、自分の命すらももうすぐ消えてしまいそうで、
そんな状況で、普段の私達のままでいちゃ、駄目なんだろうか?
答えを出さなくちゃいけないんだろうか?

分かってる。
時間がないのは、分かってる。
時間が解決してくれるなんて、悠長な事を言ってられないんだって分かってる。
時間は、もう無い。
なのに迷ってしまうのは、単に弱気な私が逃げ出したいからだ。
だから、普段のままの自分達でいたい、ってそう思ってしまうんだろう。
316 :にゃんこ [saga]:2011/07/02(土) 03:02:22.09 ID:LzvfiuWO0
「そういうわけにも、いかないよな……」

私は小さく呟いてみる。
逃げてばかりいられないんだ。
立ち向かわなきゃいけないんだ。
澪のためにも、私は私の我儘を終わらせなきゃいけないんだ。
きっとそれが一番いいんだ。

「え、何?」

私の呟きは澪の耳にも聞こえていたらしい。
ずっと黙ってたんだから、それも当然かな。
ちょっとだけ隣の澪に視線を向けてみる。
澪は顔を赤く染めて、何かに緊張しているみたいに見えた。
まるで小さな頃に戻ったみたいだ。澪だけじゃなくて、私も。
私の部屋で、今よりもずっと恥ずかしがり屋だった澪と二人きり。
確かあれは澪の作文の朗読の特訓中だったか。
何だか懐かしくて、微笑ましくて、楽しかった頃が思い出されて……、
………。

って、うおっと、危ない。
今、泣きそうだったな。
何だよ、どうも感傷的だなあ、私。
でも、駄目だ。今は泣いちゃいけない。
何をするべきなのか、何をすればいいのか確信は持てないけど、
少なくとも泣いてる場合じゃない事だけは、私にも分かってるんだから。
私は深呼吸して心を落ち着かせて、出来る限り笑ってみせる。
317 :にゃんこ [saga]:2011/07/02(土) 03:22:12.21 ID:LzvfiuWO0
「いや、さ。
そういや澪と私の部屋で二人きりになるのは、久し振りだと思ってさ。
最近は澪の部屋の方にばっか行ってたじゃん?」

「そう……だな。
ごめん……」

澪の顔が少し曇る。
部屋の中に閉じこもってた自分を思い出したんだろう。
それでも、だからこそ、私は澪に向けて微笑んだ。
そんな事は気にしなくていいんだって。
むしろ私の我儘の方を責めてくれていいんだって。
そう澪に伝えられるように。

「謝んなくてもいいって。
私の方こそ、何度も澪の部屋に押し掛けちゃっててごめんな。
何か他にしたい事があったんだったら悪かったな、って今更だけど思ってる。
だから、それはごめんな」

私の言葉に澪が目を伏せる。
でも、表情が暗くなったわけじゃないし、
よく見ると少しだけ顔が赤くなってるのも分かる。
きっと何かを言おうとしてくれてるんだけど、
何を言えばいいのか迷って、それが頭の中で一周して、
照れ臭い言葉や気恥ずかしい言葉なんかを思い付いたんだろうな。
318 :にゃんこ [saga]:2011/07/02(土) 03:37:50.09 ID:LzvfiuWO0
『終末宣言』前の私だったら、そんな澪をからかったりしてたんだろう。
でも、今日はそんな気分は起きなかった。
そんな普段と変わらない澪の姿に私は安心した。
これでいいんだって、思えたんだ。

「いいんだよ、律。
謝らなくてもいい……、ううん、謝らないでほしい。
だって……、私、嬉しかったんだよ?」

澪が顔を赤くして目を伏せたままで、
私よりも大きいくせに物凄く縮こまって、それでも想いを言葉にしてくれた。

「一ヶ月前……にさ……。
世界が終わっちゃうって聞いて、本当に恐かったんだ……。
自分でもおかしいと思うけど、外に出るのが恐かったんだよ。
家の中に居ても何も変わんないって分かってるのにさ……。
でも恐くて……、本当に恐くて……さ。
分かってても、外に出られない自分がまた情けなくて、ずっと泣いてた。
律が来てくれなかったら、多分まだ泣いてたと思う」

「私の方こそ……」

こんな事を言うつもりはなかった。
こんな事を言ったら、澪に呆れられると思ってたから、ずっと言わずにいようって思ってた。
でも、気が付けば、言葉にしてた。
呆れられても、軽蔑されても、澪には聞いてほしい事だったのかもしれない。
319 :にゃんこ [saga]:2011/07/02(土) 03:47:58.39 ID:LzvfiuWO0
「私もさ……。
澪が部屋から出てきてくれなかったら、ずっと泣いてたかもな……」

「律……も……?」

澪が顔を上げて、意外そうな顔で私を見上げる。
その表情は何故か少し嬉しそうに見えた。

「何だよ。そんなに意外か?
私だってそんなに図太いわけじゃないんだぜ?
恐いものは恐いし、泣く時は泣いてるじゃんか。
それに今だから言うけどさ、本当はずっと恐かったんだ。
私が澪の迷惑になってたら、どうしよう……ってさ」

「迷惑って……、何で?」

「断っておくけど、今だからだぞ?
今だから言う事だぞ。この事、誰にも言うなよ?」

「分かったってば」

「ほら、小さい頃からさ。
私って結構、澪を引っ張ってたじゃん?
軽音部だって、私が引っ張る形で澪に入ってもらったわけだし。
……入りたかったんだろ、文芸部」

「そりゃ入ろうとは思ってたけど……。
と言うか、よく覚えてるな、私が文芸部に入ろうとしてたこと」
320 :にゃんこ [saga]:2011/07/02(土) 03:55:38.61 ID:LzvfiuWO0
「覚えてるよ。
澪との事は……、全部覚えてるよ。
澪との事だもんな」

「真顔で恥ずかしい嘘を言うな」

少し笑って、澪が私の胸を軽く叩いた。
私は頭を掻きながら、それについては笑って誤魔化した。
でも、全部覚えてるってのは流石に嘘だけど、
文芸部の事についてはずっと気に掛かってたのは確かだった。
小さな頃から、澪にはずっと私の我儘に付き合ってもらってた。
嫌な顔もせずに……は言い過ぎか、
だけど、嫌な顔をしながらも、澪は私の我儘に付き合ってくれていた。
軽音部に入ってくれた事もそうだし、
今、こんな時期に学校に来てくれてる事だって……。
321 :にゃんこ [saga]:2011/07/02(土) 03:59:12.58 ID:LzvfiuWO0


今回はここまでです。
おっと意外にも爽やかな展開ですね。
このままですむとは思えない……。
322 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/02(土) 08:02:18.61 ID:CdkHW72No

続きが気になるところでの区切りだなww
323 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/02(土) 13:11:55.68 ID:NLGS6fLSO
おつー
二人のやりとりいいね
しかし、このままですむとは思えないって……不安だ
324 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/07/03(日) 18:29:45.48 ID:GxFvRi+c0
面白いね
続きが待遠しい
325 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 22:49:08.40 ID:DuUAFoKR0
私はどれだけ澪に頼ってきたんだろう。
私はどれだけ澪に迷惑を掛けてきたんだろう。
残り少ない時間、迷惑を掛け続けていいわけがない。
本当はこれからも傍にいたかったけど……、
こんな負い目を感じたままで一緒にいちゃいけないんだ。
だから、私は本当の事を伝えようと口を開いたんだ。

「文芸部の事もそうだけどさ。
今だってそうなんだよ。
迷惑掛けてるんじゃないかって、そう思うんだ。
なあ、だから、今更だけど……、聞いておきたいんだよ。
澪はさ、世界の終わりまで……」

言葉が止まる。
喉が渇く。
手足が震えて、全身が震えて、私の言葉が止められてしまう。
本当は聞かなくてもいい事。
聞かずにいれば、気付かないふりをすれば、私達はこのままでいられる。
それでもいいんじゃないか、と考えてしまう。
逃げたって悪くないじゃないか。
逃げ出したからって、誰も私を責めたりしないだろう。
だけど、その逃げた先の私達の関係は、何もかも誤魔化した関係だ。
今だって誤魔化してる。それを死ぬまで続ける事になる。
それが嫌だから、私は勇気を出すんだろう?
私は唾を飲み込んで、拳を握り締めて、言葉を続ける。
私の言葉を待ってくれている大切な幼馴染みに向けて。
326 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 22:51:08.25 ID:DuUAFoKR0
「世界の終わりまで……、終わりまでさ……、
他に過ごしたい誰かはいないのか……?」

私は言ってしまった。
今の私達の関係を終わりにしてしまうかもしれないその言葉を。
だけど、不思議と後悔はなかった。
ずっと聞きたかった事だったからだ。
世界が終わるからってだけじゃない。本当はずっと聞きたかった。
聞きたかったけど、恐くて聞けずにいた。
もしも、私の存在を澪が迷惑に感じていたとしたら、
そんな答えを澪の口から聞いてしまったら、
私は……、私は……。
でも、もう誤魔化したくはないから。
自分の気持ちもそうだし、澪にも自分の気持ちを誤魔化してほしくなかったから。
今は一歩を踏み出すべき時なんだ。

「他に過ごしたい人って……?」

澪が静かな声で私に訊ねる。
そう言った澪の表情は分からない。
私は視線を足下に落としたままで、隣の澪の表情なんてとても見られない。
それでも、どうにか口だけは動かした。
327 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 22:52:38.98 ID:DuUAFoKR0
「えっと、ほら……、あのさ……。
私、いつも澪に付き合ってもらってて……。
軽音部に入ってくれた事も、ずっと傍にいてくれた事も、
楽しくて、嬉しくて、本当に感謝してる……んだけど……。
でも……、でもさ……。
澪は本当にそれでよかったのかなって、
考え出したら申し訳なくなってきて……。
それで……、えっと……」

言葉がまとまらない。
頭の中が色んな言葉が渦巻いて、混乱して、ぐちゃぐちゃになっちゃってる。
こんなんで本当に私の気持ちは伝わるのか?
でも、もう途中で言葉を止めるわけにもいかなかった。

「今だってそうだよ。
『終末宣言』の後さ……、
澪は別に自分の家にいてもよかったんじゃないかって思っちゃうんだ。
もうすぐ世界が終わるなら、
澪の好きなように過ごさせるべきだったんじゃないかって……。
それを私が私の都合で、私の我儘で無理矢理に連れ出しちゃって、
澪はこんな時期まで私に付き合ってくれて、それが嬉しくて、それが申し訳なくて……。
だから……、今更だけど聞かせてくれ。
澪はこれから世界の終わりまで、誰か他に過ごしたい人はいないか……?
何か他にしたい事はないのか……?
私に遠慮せずに正直に言ってくれ。
澪が他の誰かと過ごしたいなら、私はそれを止めない。止められないよ……。
軽音部の事も気にしなくていいから、本当の事を言ってほしい。
最後のライブだって何とかする。
だから……」

上手く伝えられなかったのは自分でも分かってる。
我ながら酷い言い回しだ。
だけど、これまで恐くて言えなかった言葉は、全部言えたと思う。
もう後戻りはできない。
後は澪が出す答えを、どんなに辛くても受け止めるだけなんだ。
328 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 23:08:17.84 ID:DuUAFoKR0
澪はしばらく何も言わなかった。
澪はどんな表情をしてるんだろう。
私の今更な質問に怒ってるんだろうか。悲しんでるんだろうか。
だけど、澪がどんな表情をしていても、私はそれを受け止めないといけない。
足下にやっていた視線を少しずつ上げていく。
恐い。逃げ出したい。身体中が震えてしまう。
それでも、私は何とか顔を上げて、隣にいる澪の方に視線を向けた。

「やっとこっちを向いてくれたな、馬鹿律」

そう言った澪の顔は静かに微笑んでくれていた。
私が我儘を言った時や私が失敗してしまった時、
そんな時にいつも澪が見せてくれる優しい笑顔だった。

「何を気にしてるんだよ、律。
律の言うとおり文芸部には入りたかったし、終末まで家に閉じこもってもいたかったよ。
でも、それを律が引っ張ってくれたんじゃないか。
私は律に引っ張られて軽音部に入ったし、
律に引っ張られて終末の前に最後のライブをやる事にしたんだ。
それは律のせいでもあるけど、それ以上に律のおかげなんだよ」

「私の……おかげ……?」

「成り行きで入部する事になった軽音部だけど、私はそれを後悔してないよ。
終末の事だって、律のおかげで最後まで頑張ろうって思えたんだ。
すごく恐かったけど、律のおかげで恐いままじゃなくなったんだ。
全部、律のおかげなんだよ。
だからさ、他に過ごしたい誰かなんていないんだ。
そんな寂しい事を言わないでくれよ、律。
終末まで一緒に過ごしたいのは、軽音部の皆なんだから……」
329 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 23:09:18.41 ID:DuUAFoKR0
語り過ぎたと思ったのか、澪は赤くなって、
だけど、私から視線を逸らさなかった。
私も澪から視線を逸らさなかった。逸らしたくなかった。
二人の視線が合って、二人でお互いの気持ちを確かめ合ってたんだと思う。
でも、そんな事をしなくても分かり切ってた。
お互いに本音を伝え合ってるって事を。
気が付けば、私は小さく笑ってしまっていた。
澪の様子がおかしかったわけじゃない。
自分のしてきた事がとても滑稽に思えたんだ。

「あ、何笑ってんだよ、馬鹿律」

「馬鹿って言うなよ、馬鹿澪」

そう言いながらも、確かに馬鹿だったな、って思った。
私は何を考えていたんだろう。
考えてみれば、澪の好きにしてほしい、ってのも私の我儘だったかもしれない。
それもまた私の考えの押し付けだったんだ。
澪の事を考えているようで、
本当は自分の中の不安に耐えられなかっただけなんだろう。
自分が嫌われてるかもしれないと思うと、
それをどうにか確かめたくなってしまう時みたいに。

だけど、澪は私のその不安に付き合ってくれた。
また澪は私の我儘に付き合ってくれたんだ。
でも、多分、それでよかった。
勿論、度の過ぎた我儘は問題だろうけど、そういうのが私達の関係なんだろうな。
それをまた申し訳なくは感じたけど、
それ以上に私はそんな澪を幼馴染みに持てて喜ぶべきだと思った。
330 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 23:10:52.26 ID:DuUAFoKR0
「……悪かったな、澪。
変な事、聞いたりして」

「いいよ。律の気持ち、分かったから。
こう言うのも何だけど、律も不安なんだって分かって、嬉しかったから」

「何だよ、それ。
でも……、ありがとな」

照れ臭くなって私が笑うと、澪も顔を赤らめて笑った。
夕焼けの中の二人。穏やかな時間を過ごせている二人。
もう残り少ない時間だけど、私達はこうして大切な幼馴染みとしていられる。
大切な存在でいられるはずだった。
このままの二人だったなら。
331 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 23:15:21.37 ID:DuUAFoKR0





それから私は、澪と最後のライブについて少しだけ話す事にした。
今日会った和にライブの会場を用意してもらっている事は話したけど、
和に口止めされてた事もあって、ライブの日付と会場が講堂だって事は話さなかった。
和が言うには、講堂の使用届自体は完璧に受理したんだけど、
一介の生徒会長程度の権限じゃ、非常時には講堂を会場として用意出来ないかもしれないらしい。
非常時ってのは、世界の終わりの前に災害や暴動が起こった時の事だ。
確かにそんな事が起こってしまったら、講堂でライブなんてとてもできないだろう。
会場が確保できるかどうかの返事は、最低でも予定日の二日前までは待ってほしいとの事だった。
皆をぬか喜びさせたくないから、と和は真剣な表情で言っていた。

別にいいんだけどな、と私は思う。
もしも講堂が使えなくなったとしても和の責任じゃないし、
講堂を用意しようと提案してくれただけでも嬉しかった。
講堂が使えなくたって、唯達だってぬか喜びだなんて思わないだろう。
でも、和としてはそれだけは避けたいらしかった。
少しでも唯が悲しむ可能性のある事はしたくないんだろう。
本当に唯の事が大切なんだな……。
それが何だか嬉しい。

そんなわけで会場と日付については隠しながら、
私は澪と最後のライブについてどうにか話を進める。

「最後のライブか……。
ちゃんと練習してるんだろうな、律?」

言葉は厳しかったけど、そう言った澪の唇の形は笑っていた。
どうもからかってるつもりらしい。
やれやれ。
そういう態度に対しては、私もこのキャラを使わざるを得ない。
332 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 23:17:45.78 ID:DuUAFoKR0
「んまっ、失礼ね、澪ちゃん。
私の練習は完璧でしてよ。
そう言う澪ちゃんこそ、新曲の歌詞は完成してるのかしらん?」

「うっ……」

痛い所を突かれたって感じの表情を澪が見せる。
私は苦笑して、軽く澪の頭に手を置いた。

「おいおい……。
まだ出来ないのか、新曲の歌詞?」

「うん……。
どうしても納得のいく歌詞が書けなくてさ……」

「まあ、曲はもう出来てるし、
歌うのは澪の予定だから焦る事はないんだけど……。
そんなに悩む歌詞なのか?」

「だって、私達の最後の曲じゃないか。
最後に相応しい悔いの無い曲を作りたいんだよ。
私達の集大成って言えるみたいなさ……」

「そっか……」

澪がそう言うんなら、私から言える事は何もなさそうだ。
私は作詞の専門家じゃないし、甘々ながら澪の歌詞は観客に好評なんだ。
私があれこれ言うより、ギリギリまで澪に悩んでもらった方が、いい歌詞ができるだろう。
そうは思ったんけど、私は澪に一つだけ伝える事にした。
伝えた方がいい事だと思ったからだ。
333 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 23:18:22.81 ID:DuUAFoKR0
「なあ、澪」

「どうしたの、律?」

「私には作詞はよく分かんないし、
お節介だとは思うけど言わせてもらうよ。
多分だけどさ……、最後とか集大成とか、
そういう事は考えなくていいんじゃないか?」

「でも……、最後の曲なんだよ?」

「いや、よくあるじゃん?
歌手が「私の集大成としてこの歌詞を書きました!」って言う曲。
ああいう曲って大抵が今までの曲の歌詞をつぎはぎしたり、
完結してた前の曲の続きの曲を蛇足で作ったりで微妙だったりするんだ。
過去の曲に引きずられまくってるんだよな。
お祭り曲としてはアリだと思うけど、そういうのは集大成とは違うと思うんだ」

「それは……、そうかもな。
思い当たる曲は何曲もあるし、作詞してる身としては耳に痛いな……」

「大切なのは過去よりも今なんだって私は思うな。
こう言うのも何だけど、最後の曲とは言っても単なる完全新曲のつもりでいいはずだよ。
前の曲なんて関係なくて、今の自分に作詞できる精一杯の歌詞でいいんだよ」

「驚いた。律も色々と考えてるんだな……」

「ふふふ。もっと褒めたまえ」

「いや、本当にすごいよ、律。
私、そんな事、考えもしなかったから」

珍しく澪が私に賞賛の視線を向けて来る。
自分で「褒めたまえ」と言った身だけど、
そこまで褒められるとどうにも気恥ずかしくなってくる。
頭を掻きながら私はベッドから立ち上がって言った。
334 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 23:20:04.25 ID:DuUAFoKR0
「そういや、喉乾いてないか?
ずっと話しっぱなしだったしな。
冷蔵庫から何か飲み物持って来るよ。
私はコーラでも飲もうかな」

「えっと、律……」

「分かってるって。澪のは炭酸じゃないやつな」

「なあ、律……」

「澪は紅茶がいいか?
確か缶のやつの買い置きがあったはず……」

「律!」

何だよ、と言おうとしたけど、その言葉が私の口から出てくる事はなかった。
いつの間にか背中にとても柔らかい感触を感じていたからだ。
澪に抱き付かれたんだと気付いたのは、十秒くらい経ってからの事だった。
別に澪に抱き付かれる事自体は珍しい事じゃない。
基本は恐がりな澪だ。何かあればよく私に抱き付いてきていた。
面倒ではあったけど、よく抱き付いてくる澪の事を私は嫌いじゃなかった。
澪の身体は柔らくて気持ち良かったし、頼られているんだと思うのは嬉しかった。
でも、今回の抱き付きは違った。
普通なら澪は私の腰かお腹に手を回して抱き付いてくる事が多い。
抱き付きなんだ。そりゃ手を回すのは腰かお腹だろう。
335 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 23:20:30.36 ID:DuUAFoKR0
今回は違った。何もかもが違った。
澪は私の肩から手を回して、私の背中に全身を預けて抱き付いてきていた。
いや、そうじゃない。
これは抱き付かれたって言うより、抱き締められたって言う方が正しいか。
澪に抱き締められるのも初めてじゃない。
あれは学園祭の時、『ロミオとジュリエット』を演じた時にも澪に抱き締められた事がある。
劇の演出上、抱き合わなきゃいけなかったあの時、確かに私は澪に抱き締められた。
それに関して私は特に何も感じなかった。
劇の配役の事だし、相手が澪なんだ。
抱き締められる事には特に何の抵抗もなかった。
澪も私を抱き締める事について感じるものはないみたいで、
私を抱き締める澪の胸や腕から特別な感情は何も感じなかった。

でも、
これは、
違う。

私には分かる。分かってしまう。
澪は心の底から私を抱き締めている。
腕の中に抱き止めようとしているんだって。

それについて私は何も言えない。
言葉が見つからない。
さっき今生の別れになるかもしれない話を切り出した時よりも、頭が混乱してしまっている。
まさか……、やっぱり……、だけど……。

何も言えない私の様子を不安に感じたんだろう。
澪が震えながら、言葉を絞り出した。
私は背中で澪の震えを感じながら、その言葉を聞いた。

「……行かないでよ」

「……み……お……?」

「行かないで……。
傍にいてよ、律……!」
336 :にゃんこ [saga]:2011/07/05(火) 23:23:50.70 ID:DuUAFoKR0


今回はここまでです。
澪との話は別れ話がメインかと思っていたが、別にそんな事はなかったぜ!
また話が長くなる……。
すみません。どうかお付き合い下さい。
337 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/05(火) 23:48:18.91 ID:VZjb6ZYSO

面白いからどんなに長くなっても最後まで付き合うよー
338 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/07/06(水) 04:00:37.53 ID:+bs684Wmo
背中が痒いぜ
しかし意外とその場で考えて書いてる感じなのかな 頑張れ
339 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/06(水) 21:02:49.78 ID:B8Q7MgbRo

原作知らないけど十分面白いな
俺も最後まで付き合うぜ
340 :にゃんこ [saga]:2011/07/08(金) 00:33:05.09 ID:scC/KyzD0
澪ちゃんは甘えんぼでちゅねー、とからかう事は出来なかった。
肝試しの時や怪談を話してみた時、色んな場面で澪は私に抱き付いてきた。
その時も澪は震えていたけど、
今回の澪の震えはそのどれよりも強く、心の底から震えてる感じがした。
さっき頼もしい姿で私の弱音を受け止めてくれたのは、強がりだったのか?
いや、それも違う。
あの姿とあの言葉は澪の本音だと思うし、強がってたわけじゃないはずだ。
だけど、今の澪は心底怯えてる様子だ。
という事は、さっきまでの頼もしい姿の真実は、つまり……。

「大丈夫だって、澪。
飲み物取ってくるだけだから。
ほんの少し離れるだけなんだからさ」

私は背中に澪の感触を感じながら囁いた。
そう囁いてあげる以外、どうすればいいかは思い付かなかった。
それにこれでよかったはずだ。
澪の姿を見て、私は一つの事を考えていた。
こう考えるのは、何度も感じてきた事だけど自意識過剰だと思う。
だけど、必要以上に卑屈でいる事も、もうやめるべきなんだろう。
私はあまり自分に自信がないけど……、
自信があるように見せておいて、本当はとても自分に自信が持てないけど……、
でも、分かった。
もう目を逸らさずに、そう考えなきゃいけなかった。

さっき澪が私の前で頼もしい姿を見せられたのは、私の前だったからだ。
私が傍にいたからなんだ。
私が近くにいたから、澪は強い姿の澪でいられた。
私の悩みを吹き飛ばしてくれる頼れる幼馴染みでいられたんだ。
341 :にゃんこ [saga]:2011/07/08(金) 00:35:35.13 ID:scC/KyzD0
だからこそ、今の澪は震えてるんだ。
怯え切って、私を行かせまいと私に縋り付いているんだ。
一人になってしまったら強い自分でいられなくなるから。
世界の終わりが恐ろしくて、居ても立ってもいられなくなるからだ。
その気持ちは私にもよく分かる。私だからこそよく分かる。

私も澪と同じだった。
流石に誰かと一瞬でも離れたくないほど怯えてたわけじゃないけど、
私だって世界の終わりが恐かったし、自分が死んでしまう事が嫌だった。
だから、澪に傍にいてもらいたくて、学校に連れ出したんだ。
澪にはそれに無理に付き合ってもらってるんだって、私はさっきまで思ってた。
それが負い目で、それが辛くて、
もう無理に付き合ってくれなくてもいいって、なけなしの勇気で澪に切り出した。
でも、澪は顔を横に振ってくれた。
他に過ごしたい誰かなんかいない。
最後まで一緒に過ごしたいのは軽音部の皆だって言ってくれた。
それはとても嬉しかったけど……。

違ったのか?
本当に一人でいる事が恐くて耐えられないのは、
私じゃなくて澪だったのか?
私が澪を必要とするよりも、澪の方がずっと私を必要としてたのか?
私は自分に自信が持てなくて、そう考えないようにしてた。
自分が誰かに必要にされるなんて、そんなの恥ずかしくて考えられなかった。
特に前に和と澪の仲の良さを見て、つい嫌な気分になって皆に迷惑を掛けちゃった私だ。
あれ以来、自分が澪に必要な人間だなんて、出来るだけ考えないようにしてたしな。
勿論、誰かに……、それも澪に必要にされる事が嫌なわけがない。
本当に嬉しい。
どうにか澪を助けてあげたい。
澪が私を支えてくれたみたいに、私も澪を支えてあげられたら……。
そう思えたから、私はもう一言だけ澪に伝えられた。

「大丈夫。傍にいるよ。
世界の終わりまで、もう澪が嫌だって言っても傍にいるぞ?
だからさ、そんなに抱き付かなくっても大丈夫だって」

恥ずかしい言葉だった気は自分でもする。
でも、それが私の本音だったし、今はそんな言葉を言ってもいい時だったと思う。
その私の言葉は、全部は無理だったけれど、
少しは私の後ろの澪の震えを弱めてあげられたみたいだった。
震えより柔らかさの方が気になるくらいになった頃、
落ち着いた声色を取り戻した澪は私の耳元で小さく囁いた。
342 :にゃんこ [saga]:2011/07/08(金) 00:36:20.98 ID:scC/KyzD0
「ごめん……。
ありがとう、律……。
何だかすごく不安になっちゃって。
私の隣から律が離れるのがすごく恐くて、行ってほしくなくて……。
こんな急に……、ごめん……」

「いいよ」

「傍に……、いてくれる?」

「いるよ」

私が言うと、澪はしばらく黙った。
私達二人には珍しい沈黙の時間。
でも、それが嫌じゃない。
澪は私から身体を離しはしなかったけど、
それでも震えを少しずつ弱めていって、その内に完全に震えを感じなくなった。
腕の力は弱めずに、少し強く私を抱き締めたままで澪が続ける。

「考えてみたら、私って律に抱き付いてばっかりだよな……」

「もう慣れたから気にすんなって。
でも、気を付けろよ?
相手が私だからいいけど、間違って男子になんか抱き付いてみろ。
澪は美人さんだからな、一発で恋されちゃうぞ?」

「美人……かな……」

「ファンクラブもある澪さんが何をおっしゃる。
間違いなく美人だよ、澪は。
いいよなー。羨ましいよ。
私が男子に抱き付いたりした日にゃ、「さば折りかと思った」とか言われる有様だし」

「……っ!
男子に抱き付いた事……、あるの……?」

「いや、ないけど。
同じ学校のおまえに言う事じゃないけど、うち女子高じゃんか。
単なる予測だよ、予測」

「びっくりさせるなよ……」

「そんな驚く事じゃないだろ、失礼な奴だな。
くそー、今に見てろよ。
私だって澪が羨ましがるようなセレブリティなイケてるメンズを彼氏に……、って、痛!」
343 :にゃんこ [saga]:2011/07/08(金) 00:37:38.25 ID:scC/KyzD0
急に私を抱き締める澪の腕に力が入って、私はつい叫んでしまう。
正直、かなり苦しい。
単なる冗談なのに、何がそんなに気に入らないんだ。
私はわざと少し不機嫌な声色になって、後ろの澪に不満をぶつけてやる。

「私、何か変な事言ったか?」

「なあ、律……。
一つ聞いて欲しいんだけど……」

「何だよ……。
先に腕の力を緩めてくれよ。ちょっと苦しいぞ……」

「先に聞いてほしいんだ」

「……あ、ああ」

澪の妙に真剣な声に私は頷く事しかできなかった。
澪の言葉を聞かなきゃいけないと思った。
その時、私には一つの予感があったからだ。
できる限りだけど目を逸らす事をやめて、
目の前の事を受け入れようと思った私が正面から向かい合わないといけない問題。
その問題と向き合う時が目前に迫ってるって予感が。

「さっき律は間違えて誰かに抱き付くなって言った」

「……言ったな」

「でも、私は他の誰かに抱き付いたりなんかしないよ。
私が抱き付くのは、律だけだから。
いや、違うか。
抱き付くくらいなら、女子限定だけど誰かにする事はあるかもしれない。
でも……、私が自分の意志で、自分から抱き締めるのは律だけなんだ」
344 :にゃんこ [saga]:2011/07/08(金) 00:39:03.98 ID:scC/KyzD0
どういう意味?
って聞くのも不躾だろうし、もう今更過ぎる気もした。
澪の言いたい事は、さっき分かったんだ。
いや、分かってたんだ。自分で見ないようにしてただけで。
私はそれに応えないといけない。

また少しだけ二人で黙る。
それは多分、これから向き合わなきゃいけない事があるって、お互いに知ってるからだ。
しばらく経って、後ろの澪がほんの少し震え始めて、でも、強い言葉で澪が言った。

「私は律に傍にいてほしいんだ」

「……傍にいるよ」

「うん……。それは嬉しいけど、そうじゃないんだよ。
私……、私はもっと違った形で律と一緒にいたい。
私は……、律の事が好きだから」

「……私だって好きだよ」

「それは友達として……だよね?
私は、そう……、上手く言えないけど……、そうじゃなくて……。
そう……だな……。えっと……。
例に出すのは変だと思うけど……、
私は律と……、今日見たオカルト研の中の二人みたいになりたいんだ」
345 :にゃんこ [saga]:2011/07/08(金) 00:41:25.34 ID:scC/KyzD0


此度はここまででございます。
大筋は考えているのに、話が予想外に色んな方向に膨らんでいる感じです。
と言うか、澪編が終わらないですね。
流石はメインヒロイン(暫定)。
346 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/08(金) 01:17:13.69 ID:g8P5Xx8h0
おつー
澪の告白に律は何て答えるんだろうwwktk
347 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/07/08(金) 21:57:04.40 ID:ZGgHYhJco
にゃんこ先生乙
348 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/08(金) 22:13:54.31 ID:dlWCTxG00
澪がメインヒロインか
出番いっぱいありそうで澪好きの俺得
しかし、簡単に問題解決とはいかなそうですね
349 :にゃんこ [saga]:2011/07/09(土) 22:09:40.09 ID:VESLlKEp0
オカルト研の中の二人……。
その澪の言葉で最初に思い浮かんだのは、裸で絡み合う二人の姿だった。
いや、それは勿論、単なる分かりやすい例えで、
澪が言いたいのはそういう意味じゃないのは分かってるんだけど、
どうしてもあの裸の二人を思い出してしまう。
仕方ないじゃないか。
忘れるにはまだ時間が全然経ってないし、それくらい衝撃的な光景だったし。
何も言わない私の姿を見て、澪も自分が何を言ったのか気付いたんだろう。
顔が見えないから分からないけど、多分顔を真っ赤にしながら焦って訂正した。

「いや、オカルト研の中の二人っていうのは、違くて……。
そういう意味じゃなくて……。
あ、でも……、そういう意味に、なっちゃう……のかな……。
私は律が好きで……、
友達よりも……、親友よりも深い関係になりたくて……。
つまり……ね?
それは……、恋人……って事に……なる……のかな。
恋人……って事はやっぱりあのオカルト研の中の二人みたいに……。
いや、でもでも……」

私の後ろで澪はまた自分の発言の恥ずかしさに悶え始める。
私も何だか顔中が熱くなるのを感じながら、
澪の言った事を頭の中で何度も噛み締めていた。
律と恋人になりたい。
はっきりと言ったわけじゃないけど、澪はそういう意味の事を言った。
多分、私はその澪の言葉が嬉しかったと思う。
赤くなってるんだろう自分の顔を隠したくなるくらい、
澪に悟られないように自分の震えを止めるのが大変なくらいに、
多分、私は嬉しかった。

でも。
恋人というのがどんな物なのか、私は知らない。
恋愛漫画を読んだ事はあるし、
普通の女子高生より遥かに少ないだろうけど、恋愛モノのドラマも何本か観た事はある。
ただ、大抵の恋愛モノは主人公と相手役の恋模様や修羅場はよく見られるけど、
主人公が相手役を好きになった理由を深く表現した作品は少なかった気がする。
相手役が好みだったからとか、少し優しくしてもらえたからとか、
そんな理由で恋に落ちるもんなのか? って、私は何度も思ったもんだ。
格好いいな、と思う男子も何人かいた事はあるけど、
それだけで恋に落ちた事もないし、男子を恋愛的な意味で好きになった事もなかった。
恋を知らない女……なんて、まるで安い恋愛モノのキャッチフレーズみたいだけど、
そういう意味で私は確かに恋を知らない女なんだよな。
350 :にゃんこ [saga]:2011/07/09(土) 22:12:18.10 ID:VESLlKEp0
澪の事は好きだ。
幼馴染みで親友だし、澪とはもっと仲良くなりたいっていつも思ってる。
その先に澪との恋愛関係を期待してたのかどうかは分からないけど、
少なくともこれまでも、これからも私の人生から澪を外して考えるのは無理だった。
私の心のずっと深い所に澪がいるし、多分澪の深い所にも私がいる。
もう今生の別れになるような話は二度と切り出したくないし、
澪とはもう離れたくないよ……。
だから、私は澪に言ったんだ。できる限り私の想いが届くように。

「なあ、澪。
手を放してくれないか?」

「えっ……。
ご……ごめんなさい、私……。
律の気持ちも考えずに……、律の迷惑も考えずにこんな……、
ごめ……ん……」

澪が消え入りそうな声で呟いて、私を抱き締めていた手から力を緩める。
今にも泣き出してしまいそうな小さくて震える声。
きっとすごく悲しい顔をしてるんだろう。
でも、私は澪から身体を離して、向き合ってかなり久し振りに澪と顔を合わせて。
行き場を無くした澪の手を取って、できるだけ優しく包み込んで。
伝えられるように。
そうじゃないんだと。

「違うって、澪。
ほら、おまえだけ後ろで私の様子を見られるなんて、ずるいじゃん。
私にも澪の顔を見せてくれよ」

「えっ……」

やっぱりすごく悲しそうな顔をしてた澪が戸惑った表情に変わる。
こんな時に私と顔を合わせるなんて、恥ずかしがり屋の澪には難しい事だろう。
だけど、私は澪と顔を向け合いたかった。
私だって顔が赤い自分を見られる恥ずかしさに耐えてるんだ。
澪にだってその恥ずかしさには耐えてほしい。
まだ何が起こってるのか分からないといった感じで澪が呟く。
351 :にゃんこ [saga]:2011/07/09(土) 22:18:04.29 ID:VESLlKEp0
「り……つ……?
えっと……、私は……ごめん、その……」

「私はさ、澪の事が好きだよ」

「えっ……」

澪が驚いた表情に変わる。
まさかそんな事を言われるなんて思ってなかったんだろうか。
確かに私も自分の口からそんな言葉が出るなんて思ってなかった。
でも、その私の言葉に嘘はなかった。
私は澪が好きだ。大好きだ。
それが恋愛感情なのかどうかは分からないけど、
私と恋愛関係になりたいと、あの恥ずかしがり屋の澪が言ってくれた。
だから、私は澪の気持ちに応えていいんだと思った。

「澪は私の恋人になってくれるんだろ?」

「……いいの?」

「いいよ。
……澪こそいいのかよ、私なんかで。
もっと素敵な誰かは他にたくさんいるだろ……?」

そうだ。
澪には私なんかより他に相応しい相手がいるはずだ。
ずっとそう思ってた。
だから、こんな世界の終わりを間近にして、
私なんかが澪の傍にいていいのかって思えてしまって辛かった。
でも、澪は言ってくれた。
私の両手を握り返して、伝えてくれた。

「ううん……、そんな人なんていないし、
例えどんなに素敵な人がたくさんいたとしても、
私は……、その誰よりも律がいい。律の傍がいい。
律が一番いい」

「そっか……。
ありがとう……」

ずっと近くにいた私と澪。
女同士ではあるけれど、この気持ちに嘘はないはずだ。
私達の結末は恋人同士という関係でいいはずなんだ。
二人とも分かってる。
もう私達には時間が無い。解決してくれる猶予もない。
はっきりとさせないまま世界が終わるって結末に至っていいはずがない。
本当の事を言うと、私は澪の事を恋愛対象として好きなのかまだ分からない。
でも、それでいいんだ。
恋愛モノの作品で、恋に落ちるきっかけが腑に落ちないのも、そういう事のはずなんだ。
恋に落ちるきっかけなんてなくて、愛に理由なんてなくて、
恋人として付き合っていくうちに、本当の恋愛感情を抱くようになるはずなんだ。
もうすぐ世界が終わる。
それまで自分を好きでいてくれる人の気持ちに応え続けるのが、一番いい選択肢だと思ったから。
私は、澪の、恋人になろうと思う。
352 :にゃんこ [saga]:2011/07/09(土) 22:19:21.73 ID:VESLlKEp0
澪と無言で見つめ合う。
かなり色の濃くなった夕焼けに二人で照らされる。
二人の顔が赤いのは、その夕焼けのせいだけじゃない。
お互いに恋人になれた気恥ずかしさと緊張に頬を赤く染めながら、
すごく自然に……、誰かに操られるみたいに唇を近付けて……。
………。

瞬間。
何故だか目の前がぼやけた。
水の中にいるみたいに、焦点がはっきりしない。
何が起こったんだ……?
澪の手を握っていた右手を放して、私は自分の目尻を擦ってみる。
それで私はやっと気付いた。
自分が涙を流してる事に。
あれ……?
何でだ……?
どうして私は涙を流してるんだ……?
澪と恋人になれた嬉し涙なのか……?
いや……、違う……? 哀しく……て……?
いいや、駄目だ、泣くな、私!
こんな時に泣いてどうするんだ。
私は澪と恋人になるって決めたんだ。
こんな涙なんて澪に見せられないんだ!

私は急いで何で流れるのか分からない自分の涙を拭って、
もう一度澪と視線を合わせようと瞳を動かして……、
そこでまた気付いた。
澪も涙を流していた。
嬉し涙なんかじゃなく、澪が悲しい時に何度か見せたのと同じ顔で涙を流していた。

二人で、
顔を合わせて、
泣いていた。

どうして泣く?
何で泣いちゃってるんだよ、私達は……!
もう時間が無い私達を、どうして涙なんかが邪魔するんだよ……!
世界が終わるって聞いた時も、
今日の朝に死を実感した時にも流れなかったくせに、どうして……!
どうして、こんな今更……!
353 :にゃんこ [saga]:2011/07/09(土) 22:22:16.36 ID:VESLlKEp0
「違……っ。
こんな……泣いてなんか……」

止まらない涙を拭いながら、私はどうにか言い繕おうとする。
涙を流しながら説得力はないけれど、これを涙だと澪に思わせたくなかった。
これは汗なんだ。
単に澪と唇が近付いたから緊張して流れただけの汗なんだ。
どんなに無理があっても、そうでなくちゃいけないんだ。

だけど、やっぱり私のその言葉には無理があった。
澪も自分の涙を拭いながら私から手を放すと、
急いで自分の鞄を担いで私の部屋の扉を開けた。

「律、ごめん……」

「澪……、これは違くて……、その……」

「ごめん、今は……、帰らせて……。
本当に……ごめん……」

澪がそう言う以上、私には何もできなかった。
何かをしようにも、私の邪魔をする涙は次から次へと溢れ出て来てしまって、何もできなくなる。
涙の海に溺れて、動き出せなくなる。
部屋から出て行く時、澪は最後に一つだけ言った。

「明日、学校には行けない……。
ごめん……。律を嫌いになったわけじゃ……ない。
でも……、無理……。無理なの……。
こんな時に……、本当にごめんなさい……」

私の部屋の扉が閉まり、私は一人部屋の中に取り残される。
結局、最後まで、意味の分からない二人の涙は止まらなかった。
もうほとんど残されていない私達の時間が、どんどん削ぎ取られていく。

「何だよ……。
何だってんだよ……」

夕焼けが落ちても、
部屋を月明かりが照らすようになっても、
私はベッドに顔を埋めてわけの分からない涙を流し続けた。
何度も、ベッドに拳を叩き付けながら。
354 :にゃんこ [saga]:2011/07/09(土) 22:24:37.13 ID:VESLlKEp0





――水曜日


泣いているうちに眠っていたらしい。
気が付けばセットしている携帯のアラームが鳴り響いていた。
アラームを解除して、私は何も考えないようにしながらラジカセの電源を入れる。
軽快な音楽が……、流れない。
雑音だけがスピーカーから耳障りな音を立てる。
355 :にゃんこ [saga]:2011/07/09(土) 22:27:30.78 ID:VESLlKEp0


此度はここまでです。
やっと火曜日が終わりました。
長かったですが、ここまで読んでくれた皆さんのおかげです。
ありがとうございます。

ここで澪編は一旦終わりです。
ようやく水曜日を迎えます。
356 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/09(土) 23:56:33.43 ID:L4nkikaSO

澪編は長かったけどハラハラしながらあっという間に読んじゃったよ
357 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/10(日) 20:36:20.59 ID:PsghyG6w0

意を決して話し合いするも問題は悪化してしまったか?
律にはなんとか澪との関係修復がんばってほしいね
次は誰編になるんだろう
358 :にゃんこ [saga]:2011/07/11(月) 19:09:54.61 ID:XhGUk/oI0





私は電気を点けて、もう一度ラジカセを確認してみる。
コンセントは抜けてないし(雑音が出てるんだから抜けてるはずないけど)、
周波数も間違ってないし、AMとFMの切り替えを間違ってるわけでもなかった。
じゃあ、どうしてなんだろう、と思うけど、答えは出ない。
ラジオ局や電波自体に何かトラブルが起こったんだろうか?

「世界の終わり……か」

何となく呟いてみる。
正直な話、まだあまり実感は湧いてない。
でも、少しずつ、その終わりに近付いてる。
何かが一つずつ終わっていって、最後の日には何もかも無くしてしまう。
そんな気だけはする。

私は深い溜息を吐いて、自分の携帯電話を手に取った。
他の家のラジオの状況を確認してみようと思ったからだ。
ほとんど無い可能性だけど、
私の家だけ電波の入りが悪いとかそういう可能性がないわけじゃないしな。
それに何かが一つずつ終わってしまうとしても、
紀美さんのラジオ番組をもう無くしてしまうのはきつい。
世界の終わりが近付いていても、
そんな事関係なく発信してくれるラジオ『DEATH DEVIL』が私は好きだ。
言い過ぎな気もするけど、救いだったって言えるかもしれない。
本当はすごく恐くて、逃げ出したくて、
それでも、紀美さんの元気な声を聴いてるだけで、私は今までやってこれた。
だから、私はあの番組を無くしてしまいたくない。

「週末まではお前らと一緒!」と紀美さんは言ってくれた。
週末まで……、終末まで……。
だから、何があっても、何が起こったとしても、
それまでは紀美さんとあのスタッフは放送を続けてくれるはず。
私はそう信じたい。

携帯電話の電話帳を開いて、誰に電話を掛けようかと私は少し迷う。
軽音部のメンバーはさわちゃん含めて全員があのラジオを聴いてるらしかったけど、
流石に全員が全員、毎日聴いてるわけじゃないみたいだった。
唯は早寝に定評があるし、ムギも家の手伝い(社交的な意味で)で聴けない日が多いらしい。
さわちゃんも「恥ずかしいから何回かに一回聴くだけで十分」と苦笑してた。
そんなわけで、ラジオを毎日聴いてるのは私と澪、それと梓になる。
359 :にゃんこ [saga]:2011/07/11(月) 19:11:46.20 ID:XhGUk/oI0
澪……にはまだ電話を掛けられない。
あんな別れをした後だし、私もまだ自分の涙の理由を見つけられてない。
涙の理由が分かるまで、私は澪に会っちゃいけないし、何かを話せもしないと思う。
何かを話そうとしたって、また私達は涙を流し合ってしまうだけになるだろう。
勿論、澪とはもう一度話し合わないといけないけれど、今は無理だ。
もう時間は無いけれど、でも、今は駄目だと思う。
となると……。

「梓になる……よな」

自分に言い聞かせるように呟く。
考えるまでもない。
今の私が連絡を取るべきなのは梓だ。
最近、梓にはあんまりいい印象を持たれてないみたいだけど、
電話をすればラジオの受信状況くらいは教えてくれるだろう。
でも、それだけでいいのか?
折角のチャンスなんだ。
その電話で梓の悩みを聞いておく方がいいんじゃないのか?
そう思い始めると、梓の番号に発信できなくなる。
梓の悩みについても、もう触れてあげられるだけの時間も少ない。
部長として……、じゃないか。
一人の梓の友達として、本当は梓の悩みを解決してあげたい。
だけど、こんな私に何かできるのかって、不安になる。

動かなきゃ何も始まらない。
それを分かってるから、昨日私は動いた。
でも、動いた結果がどうだ?
意味不明の涙に縛られて、何もいい方向には動かなかった。
分かり合ってるはずの幼馴染みの澪との問題すら、何も解決させられなかった。
そんな私に何ができる?
まだ梓の悩みが何なのかさえ分かってない私に何をしてやれる?
何度も立ち止まりそうになる。
恐くて動き出せなくなる。
それでも……。
私はやっぱり馬鹿なのかもしれない。
気が付けば梓の電話番号に発信しようと、私は携帯電話の発信ボタンに指を置いていた。
動かないままでいる方が恐いから。
私の知らない所で梓が苦しんでると考える方が何倍も恐いから。
私は梓に電話を掛けようと思った。

いや、掛けようと思ったんだけど……。
ふと重大な事に気が付いて、私はベッドに全身から沈み込んだ。
身体から力が抜けていくのを感じる。
自分が情けなくて無力感に支配されてるとか、そういう事じゃない。
私は枕に顔を沈めて、自分の間の悪さに呆れながら呟く。
360 :にゃんこ [saga]:2011/07/11(月) 19:16:36.58 ID:XhGUk/oI0
「圏外かよー……」

そう。
私の携帯電話の電波状況は圏外を示していた。
これだけ気合を入れておいて、電波が圏外とかギャグかよ……。
私らしいと言えば私らしいんだけど、こりゃあんまりだ……。
でも、まあ、よかったと言えば、よかったのかもしれない。
これでとりあえずラジオ局の方に問題がある可能性は少なくなった。
こんな住宅地で携帯電話の電波が圏外になるなんて、普通はありえない。
そうなると電波塔か、衛星か、
とにかく電波そのものにトラブルがあったって事になる。
ラジオ局がテロか何かで壊された可能性も少しは考えていただけに、
ひとまずは胸を撫で下ろしたくなる気分だった。

「それにしても、どうするかなー……」

私は立ち上がって、自室の窓に近寄りながら呟く。
澪本人が言っていた事だし、今日、澪は登校してこないだろう。
家の中で一人、私と同じように涙の理由を考えるんだろう。
私は学校に行こうと思う。
澪が登校してこなくても、私は軽音部に行かなきゃいけない。
言い方は悪いけど、私は軽音部の最後のライブの主犯格で首謀者なんだ。
誰が来ても、誰も来なくても、私は軽音部の部室に行かなきゃいけない。
間違ってばかりの私だけど、それだけは間違ってないと思う。

でも、それを部の皆に押し付けるのはよくないとも思う。
今日、澪は登校しない。軽音部の皆が揃う事はない。
それなら、その事を皆にも伝えておくべきだ。
それで澪のいない軽音部に、
皆が揃わない軽音部に意味がないと思ったなら、
今日は登校せず思うように過ごす方が皆のためになるはずだ。

だけど、携帯電話が使えないとなると、それを伝えようがない。
どうしたものか……、と唸ってみたけど、
またそこで私は簡単な事に気付いて、またも脱力してしまった。
家の電話があるじゃんか。
最近、全然使ってなかったから、存在自体忘れてた。
ごめんな、家の電話。
電波が悪いと言っても、流石に電話線で繋がってる家の電話は無事なはずだ。
もしかしたら家の電話も使えなくなってるかもしれないけど、まだ試してみる価値はある。
窓の外を見ながら、自分の間抜けさ加減に何となく苦笑してしまう。
そういやカーテンも閉めずに寝ちゃったな、
と思いながらカーテンを閉めようと手に持って、そこで私の手が止まった。
361 :にゃんこ [saga]:2011/07/11(月) 19:17:02.66 ID:XhGUk/oI0
それは偶然なのか……、必然なのか……、
あってはいけないものがそこにあった。いてはいけない人がそこにいた。
見つけてしまったんだ。
それが私の妄想か幻覚ならどんなによかっただろう。
よく見えたわけじゃない。
そいつは窓の外でほんのちょっと私の視界の隅に入り込んで、すぐに消えていった。
だから、気のせいだと思ってもいいはずだった。
妄想や幻覚だと思い込んでも、何の問題もなかった。
だけど……!
万が一にでもそれがそいつである可能性があるのなら……!
放っておけるか!

「あの……馬鹿!」

思わず叫んで、朝から着たままの制服姿で私は部屋から飛び出る。
玄関まで走り、靴を履く時間ももどかしく感じながら、無我夢中で駆ける。
あいつが何処に行ったのかは分からない。
進んだ大体の方向も分かるかどうかだ。
それで十分だった。
こんな時期、こんな真夜中に、たった一人で出歩くなんて、正気の沙汰とは思えない。
それもあんな小さな……、
私よりも小さな後輩が……、
梓が……!
こんな真夜中に……!
放っておく事は出来なかった。
無視する事なんて出来なかった。
嫌になるほど泣いていたせいか、
普段使ってない身体の筋肉が筋肉痛で悲鳴を上げる。
それでも駆ける。
夜の闇の中、申し訳程度に点いた街灯の下を精一杯走る。
走らないといけなかった。見つけ出さないといけなかった。

あいつは馬鹿か。
あいつが何を悩んでいるのか知らない。
あいつに何が起こっているのかも知らない。
だけど、こんな何が起こるか分からない状況で、
何が起こっても自己責任で片付けられてしまうような状況で、
こんな真夜中にあんな女の子が一人きりでいていいはずがない。
別に戒厳令が出てるわけじゃない。
夜間外出禁止令が出てるわけでもない。
この付近は比較的治安のいい方だとも聞いてる。
でも、そんな事は関係ない!
私の後輩に……、大切な後輩に……、
嫌われていたとしても大好きな後輩に……、
何かが起こってほしくないんだ。
何かが起こってからじゃ遅いんだ!
私の間抜けな気のせいならそれでいい。
万が一にでもあの影が梓の可能性があるなら、私は走らなきゃ後悔する。
絶対に後悔するから。
だから!
私は夜の暗がりの中、目を凝らして梓を捜し続ける。
失いたくない後輩を走り回って探す。
かなり肌寒い季節、汗だくになって走る。
走り続ける。
息を切らす。
身体が軋む。
それでも、走り続け……。
362 :にゃんこ [saga]:2011/07/11(月) 19:24:10.11 ID:XhGUk/oI0
気が付けば、あまり知らない公園に私は辿り着いていた。
汗まみれで、息を切らして、
さっき転んだ時に膝を擦りむいて血を流しながら、私は一人で公園に立っていた。
三十分は捜していたはずだ。
ドラムをやってるんだし、
体力的にはかなり自信のある私が本気で限界を感じるくらいに走り回った。
梓は何処にも見付からなかった。
やっぱり私の見間違いだったんだろうか……。
気のせいだったんだろうか……。
何にしろ、これ以上捜し回っていても意味が無いかもしれない。
ひとまずは梓の家に連絡を取ろう。
間抜けな事に、さっきまでの私にはそこまで思いが至らなかった。
そうだ。連絡を取るべきだったんだ。
連絡を取って、その後にどうするか考えよう。

私は息を切らしながら、
持ち出していた携帯電話に目を向け、
瞬間、背筋が凍った。
分かっていた事だ。
分かっていたのに、動揺して忘れてしまっていた。
携帯電話の画面には、圏外と表示されていた。
そこでようやく私は気付いたんだ。
さっきまで馬鹿と責めていた梓と同じ状況に自分が陥ってしまっている事に。

急に身体が震え始める。
冬の夜の肌寒さだけじゃない。
恐怖と不安で、全身の震えを止める事が出来ない。

「大丈夫……。
大丈夫……のはずだ……」

自分に言い聞かせるけど、自分自身が納得できていない。
梓よりは背が高いけれども、男の子っぽいともよく言われるけども、
結局、私は平均よりも背の低くて力の弱い、小さな女の子でしかなかった。
考え始めると止まらない。
さっき梓に対して考えていた事が、そのまま自分に跳ね返ってくる。
酷いなあ……。
我ながら本当に酷いブーメランだよ……。
363 :にゃんこ [saga]:2011/07/11(月) 19:24:38.45 ID:XhGUk/oI0
少しの物音に怯える。
何かと思えば猫で胸を撫で下ろすけど、逆に人通りの無い事が余計不安に感じる。
夜の闇は深く、誰の気配もない。
世界にひとりぼっちになってしまったのような不安感。
いや、平気なはずだ。単に私はこのまま家に帰ればいいだけだ。
家に帰って、梓の家に連絡するだけだ。
分かっているのに、足を踏み出せない。
さっきまで三十分も走ってここまで辿り着いた。
家までの帰り道は何となく分かるけれど、
単純に計算して一時間近くは掛かる計算になってしまう。
一時間……。
この闇の中を一時間も歩くなんて、意識し出すと恐ろしくてたまらない。
誰か知り合いの家が近くに無いかと考えてみるけど、どうしても思い当たらなかった。
叫び出したくなる恐怖。
逃げ出したくなる現実。
恐い……。
恐いよ……。

と。
立ち竦む私を急に小さなライトが照らした。

「ひっ……」

小さく呻いて、身体を強張らせる私。
逃げ出したくても、足が動かない。
本当に弱い私……。
泣き出したくなるくらいに……。
でも。
こんな所で終わってしまうわけにはいかないから。
涙の理由を澪に伝えられてないから。
拳を握り締めて、勇気を出して、そのライトの光源に視線を向けて……。

「あれ……?」

またそこで私は力が抜けた。
今日は何だか空回りする事が多い気がする。
そういう星回りなのか?

「まったく、しょうがねえな……。
帰るぞ、姉ちゃん」

そうやって頭を掻きながら言ったのは、
母さんのママチャリに乗った私の弟……、聡だった。
364 :にゃんこ [saga]:2011/07/11(月) 19:25:50.69 ID:XhGUk/oI0


今回はここまで。
梓編かと思ったら聡編。
しまった。誰も得しない。
365 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/11(月) 22:00:45.90 ID:azXkqVaZo

ここでまさかの聡編
でも、世界の終わりだし家族との話も必要か
366 :にゃんこ [saga]:2011/07/15(金) 22:21:13.86 ID:HiDnOgid0





夜道、聡の後ろ、ママチャリの荷台に乗って、私は運ばれていた。
さっき何で聡は自分のマウンテンバイクじゃなくて、
どうして母さんのママチャリに乗ってるんだろうと思ったけど、
それは私を後ろに乗せるためだったんだな。
確かにマウンテンバイクじゃ二人乗りは難しいだろう。
ちゃんと先まで考えてる聡の行動に私は何とも言えない気分になる。

「ごめんな、聡。
迷惑掛けちゃったな、また……」

荷台で揺られ、私は小さく呟いた。
後先を考えない自分の行動と、先まで見据えた弟の行動を比べてしまうと、
こんな自分が本当に梓を助けてやれるつもりだったんだろうか、とつい自虐的になる。
空回りばかりしてしまう自分。
情けなくて、不安で、溜息ばかりが出て来て、止まらない。
そんな私に向けて、聡は自転車を漕ぎながら軽く笑った。

「いいよ。姉ちゃんに迷惑掛けられるのは慣れてるしな」

「何だよ、もう……」

私は頬を膨らませてみるけど、言い返す言葉は無かった。
聡の言う通りだ。
私はいつも後先考えずに動いちゃって、人に迷惑を掛けてばかりだ。
友達だけじゃなく、弟の聡にだって……。
世界の終わりの直前のこんな夜道、
軽口を叩いているけど聡だって恐かったはずだ。
それなのに私を見付けて、駆け付けてくれるなんて、
私と違って本当によくできた弟だと思う。

「ごめん……な」

無力感が私の身体に広がりながら、消え入りそうな言葉で言った。
走り回って疲れ果てたせいもあるけど、勿論それだけじゃなかった。
世界の終わりまで残り四日。
日曜日は実質的に無いも等しい日だと聞いてるから、
普通通りに過ごせるのは土曜日が最後になる。
私はその土曜日を後悔なく過ごせるんだろうか。
最後のライブを悔いなくやり遂げられるんだろうか。
……今の状況じゃ、どう考えてもそれは無理そうだ。
だから、私は「ごめん」と言った。
「ごめん」としか言えなかった。
聡にだけじゃなく、何もしてやれない澪と梓に。
最後のライブを楽しみにしてるムギと唯に。
私を気に掛けてくれている全ての人に。
367 :にゃんこ [saga]:2011/07/15(金) 22:29:40.12 ID:HiDnOgid0
「おいおい、姉ちゃん。
そんなに落ち込まないでくれよ。俺、気にしてないしさ」

笑顔を消して、真剣な表情で聡が言ってくれる。
ふざけた感じじゃなくて、本気でそう思ってくれているみたいだった。
その様子が、私にはまた心苦しい。

「だけど……、聡にだって最後の日まで、
したい事や、それの準備なんかもあるだろ?
それをこんな……、私の考えなしの行動に時間を取られちゃって……。
そんなの……、いいわけないじゃんか……。
だから……」

「いいんだって。
だって、姉ちゃんだもんな。
そんな姉ちゃんでいいんだよ、俺」

「……どういう事?」

「姉ちゃんってさ。
自分に何か起こった時より、誰かに何か起こった時の方が心配そうな顔してるよな。
自分の事より、誰かの事を心配してるって思うんだよな。
だから、気が付いたら動いちゃってるんだよ、姉ちゃんは。
考えなしではあるけど、考えるより先に誰かの事を心配しちゃってるんだよ。
それってすごく馬鹿みたいだけど……、すごく嬉しいんだ」

何も言えない。
聡の言葉が正しいのかどうかは分からないし、
自分が何を考えて梓を追い掛けたのかも分からない。
聡が言ってくれるように、
梓の事が心配でそれ以上の事を考えられなかったのかもしれないし、
もしかしたらそうじゃない可能性もある。
でも、迷惑を掛けてばかりなのに、聡はそれを「すごく嬉しい」と言ってくれた。
それだけで私は救われた気になって、何だかとても安心できて、
気が付けば前でペダルを漕ぐ聡に手を回して、全身で抱き付いてしまっていた。
とてもそうしたい気分だった。
368 :にゃんこ [saga]:2011/07/15(金) 22:34:21.03 ID:HiDnOgid0
「ちょっと、姉ちゃん……。
くっ付くなよ、暑苦しいぞ……」

嫌がってるわけじゃない口振りで聡が呟く。
姉とは言っても、年の近い異性に抱き付かれて照れてるのかもしれない。
そんな反応をされてしまうと、私の方も少し恥ずかしくなってくる。
だけど、まだ聡から離れたくもなくて……。

「あててんだよ」

ちょっと上擦った声で、前に唯から流行ってると聞いた事のある漫画の台詞を言ってみる。
「あててんのよ」だったっけ?
まあ、いいか。
とにかく私は恥ずかしさを誤魔化すために、そうやってボケてみた。
だけど……。

「何をだよ」

と、そうやって聡が真顔で返すから、私は悔しくなって軽く聡の頭を小突いた。
「何すんだよ」と聡が非難の声を上げたけど、私はそれを無視した。
いや、自分でも分かってんだよ……。
最近、梓にすら追い抜かれそうで辛いんだよ……。
前に色々あって梓に胸を触られる事があった時、
これなら勝てると言わんばかりの表情を浮かべられた時の屈辱を私は忘れん。
流石に梓になら負ける事は無いだろう、と思いたいけど、
今じゃ化物レベルの澪だって中学の頃は私よりも小さかったんだ。
油断は出来ない。
豊胸のストレッチやら何やらは当てにならないけど、
少なくとも栄養だけは確実に摂取しておかないとな……。

そう思った瞬間、急に私のお腹が大きく鳴った。
考えてみれば、夕飯も食べてなかった。
夕食抜きで泣き疲れた上に三十分以上も走り回ったんだ。
そりゃ私のお腹も大声で鳴くよな。
仕方がない。それは必然的な生理現象なのである。
生理現象なのである……のに、振り向いた聡がとても嫌そうな顔で言った。
369 :にゃんこ [saga]:2011/07/15(金) 22:36:00.50 ID:HiDnOgid0
「うわー……。
姉とは言え、女の人のそんなでかい腹の音を聞きたくなかった……」

「うっさい。誰だって鳴る時は鳴るんだ。
澪だって、唯だって、ムギだって、梓だって鳴るんだ。
おまえの好きなアイドルのあの子だって、腹が減ったら腹が鳴るんだ」

「嘘だ!
春香さんはお腹を鳴らしたりなんかしない!」

「昭和のアイドルかよ……」

呆れて私が突っ込むと聡は小さく笑った。
どうやら冗談だったらしい。
流石にアイドルでもお腹を鳴らすという現実くらいは分かってたか。
それは何よりだ。たまに分かってない人もいるからなあ……。

そうして二人で小さく笑いながら、自転車で帰り道を走る。
たまに不満を口にしながらも、聡は後ろでくっ付く私を振り払いはしなかった。
私の好きにさせてくれるつもりなんだろう。
今更ながら、聡と二人乗りをするのはとても久し振りだと気付いた。
特に聡が漕ぐ方の二人乗りは初めてのはずだ。
聡も私を乗せて二人乗りできるくらいに成長したんだな、と何だか姉みたいな事を思ってしまう。
って、実際にも姉なんだけどさ。

「そういえば……」

不意に気になって、私は気になっていた事を訊ねる事にした。
少しだけ聡に回す手に力が入る。

「どうして私があんな所にいるって分かったんだ?」

「超能力だよ。
姉ちゃんも知ってるだろ?
双子には超常的なシンクロ能力が……」

「冗談はよせい。と言うか、私ら双子じゃねーし」

「はいはい、分かったって。
いや、部屋で漫画読んでたらさ、急に家の中がバタバタ騒々しくなったんだよ。
何かと思って部屋から出てみたら、姉ちゃんが家から出てくところじゃんか。
まるで親と喧嘩して家出してく娘みたいだったぞ?
それで一応、父さんに事情を聞いてみようと思って部屋に行ったら、父さんと母さん寝てたし……。
しかも、姉ちゃんに電話掛けようと思ったのに圏外だし……。
それで母さんのママチャリ借りて、姉ちゃんを追い掛けてきたんだよ。
結構捜し回ったんだぞ? 姉ちゃんって足速いよな」

「家出娘みたいだったか、私?」

「うん。とても必死で、何かに焦ってて、すごく泣きそうな顔に見えたし」

「……泣いてねーよ」

「見えたってだけだよ」

「泣きそうな顔に見えた……か」
370 :にゃんこ [saga]:2011/07/15(金) 22:36:41.40 ID:HiDnOgid0
弟の聡にそう見えたって事は、私は本当に泣きそうだったのかもしれない。
それは梓の事が心配だったからってのもあるんだろうけど、
これ以上、何かを無くしたくないっていう自己中心的な悲しみが原因でもあるような気もした。
聡は私が誰かを心配すると、考えるより先に動くと言ってくれた。
それは私自身もそう思わなくもないけど、
その心の奥底では誰かを失う事が恐くて、
自分が悲しみたくなくて、居ても立ってもいられなかっただけかもしれない。
勿論、そんな事を口に出す事はできなかった。

だけど……、それでも……。
聡は一人で怯えていた私の所に来てくれた。
それだけは本当に嬉しくて、私はまた全身で強く聡を抱き締めた。
そんな私の姿に、また聡が苦笑して言う。

「痛いよ、姉ちゃん」

「あててんだよ」

「肋骨を?」

「肋骨が当たったら、そりゃ痛いわな……。
って、何でやねん!」

「だから、冗談だって。
でも、何はともあれ、家に帰ったらゆっくり休めよ、姉ちゃん。
ライブやるんだろ? 体調管理も大事な仕事だぜ」

「ライブやるって伝えたっけ?」

「前にたまたま会った澪ちゃんに聞いたんだよ。
澪ちゃん、すごく楽しみにしてるみたいだった」

「澪ちゃん……ねえ」

「いや、澪さんな、澪さん!」

焦って聡が訂正する。別に恥ずかしがらなくてもいいのにな。
最近、聡は澪の事を『澪さん』と呼ぶようになった。
小学生の頃までは『澪ちゃん』と呼んでいたのだが、
中学生男子にとって、年上の女をちゃん付けで呼ぶのは抵抗があるものらしかった。
我が弟ながら、よく分からない所で繊細な男心だ。
いや、今はそれよりも……。
371 :にゃんこ [saga]:2011/07/15(金) 22:38:29.80 ID:HiDnOgid0
「そうか……。
あいつも楽しみにしてくれてるのか……」

私は声に出して呟いてしまっていた。
私だけじゃなく、聡もそう感じるって事は、
澪も本当に最後のライブを楽しみにしてくれてるんだろう。

「成功させたいな……」

本当に、成功させたい。
笑って、終わらせたい。
楽しみにしてくれてる皆の期待に応えたい。
そうして、最後に私達の結末を見せ付けたい。
世界に刻み込んでやりたい。
私達は軽音部でよかったんだと。
そのために越えなきゃいけない壁は大きいけど、
ライブを成功させたいのは自己中心的な理由ばかりかもしれないけど、
それでも……。

私の考えを感じ取ってくれたんだろうか。
不意に優しい声色になって、聡が言った。

「とにかく頑張ってくれよ、姉ちゃん。
ライブ、俺も観に行こうと思ってんだからさ」

「いいのか?」

「何だよ。俺が観に行っちゃ駄目なの?」

「いやいや、そうじゃなくて……。
実はさ、まだ確定じゃないけど、ライブは土曜日にやる予定なんだよ。
土曜日……、つまり世界の終わりの日の前日だぞ?
いいのかよ? 聡にだって予定があるんじゃないのか?」

「残念だが、無い!」

「うわっ、言い切りおった!
言い切りおったぞ、我が弟め!」
372 :にゃんこ [saga]:2011/07/15(金) 22:39:07.74 ID:HiDnOgid0
「実はさ、俺が世界が終わるまでにやりたかったのは、あのRPGのコンプリートなんだ。
いや、焦ったよ。始めたばかりの頃に『終末宣言』だったからさ。
大作RPGでコンプまで300時間は掛かるって聞いてたから、本気で頑張ったんだよ。
でも、それもこの前、鈴木と手分けして終わらせたから、後の予定は何もないんだ。
いや、本当はあったのかもしれないけど……」

「何かあったのか?」

「これ恥ずかしいから、あんまり言いたくないんだけど……」

「何だよ?」

「同じクラスの女子に告白したら、振られた。
だから、もう予定はないし、できる予定もないんだよな」

「あちゃー……」

言いたくない事まで言わせちゃっただろうか?
私は申し訳なくなって聡の顔を覗き込んだけど、
月明かりに照らされる聡の顔は何故かとても清々しく見えた。

「まあ、駄目で元々だったしさ。
告白できただけで十分……、なんて言うほど割り切れてはないけど、すっきりはしたよ。
だからさ、姉ちゃんのライブを観に行くよ。
鈴木達も予定無さそうだし、誘ってみる。
実は鈴木の奴、「おまえの姉ちゃん可愛いな」って言ってたから、多分姉ちゃんに気があるぞ?」

「マジな話?」

「うん。髪が長くてスタイルいいし、ツリ目な所も本当に可愛いって……」

「それ澪じゃねえか!」

「いや、実は姉ちゃんが澪さんと遊んでる時に見掛けた事があって、
「あれが俺の姉ちゃんなんだ」って鈴木に言ったら、
澪さんの方が俺の姉ちゃんだって勘違いされて、何となく訂正できなかった……」

「訂正しとこうぜ、そういう時は!」

「安心して。ライブの日に訂正しとくから」

「それ恥ずかしいの私じゃねえか!
やめてくれ……。
その鈴木君が幻滅した目で私を見るのが想像できる……」

げんなりと私が呟くと、本当に楽しそうに聡が笑った。
本当に生意気な弟だ。
でも、そんな所がやっぱり私の弟だな、って思えて、何だか私も笑えた。
これだけは『終末宣言』前からも変わらない私達の関係。
変わり行く世界で、変わらないものもあるんだ。
本当は私も変わらなきゃいけないのかもしれない。
でも、『変わらない』事がその時の私には嬉しかった。
373 :にゃんこ [saga]:2011/07/15(金) 22:39:43.19 ID:HiDnOgid0





結構長い時間、自転車の後ろで揺られて、自宅に戻った私を誰かが待っていた。
私の家の前、二つの影が寄り添って立っている。
誰だろう、と思って目を凝らすと、それは和と唯だった。
こんな時間に何の用なのか見当も付かないけど、少なくとも変質者の類じゃなくて安心した。
私は自転車から降りて、二人に近付いて話し掛けようとする。

瞬間、唯が予想外な行動を取って、私は言葉を失った。
行動自体は普通だったんだけど、普通なら唯が取るはずもない行動だったからだ。
だって、唯は膝の前で手を揃え、深々とお辞儀をしたんだ。
こんな事されたら、何かの異常事態じゃないかと思えて、硬直するしかないじゃないか。
そんな私の様子を分かっているのかどうなのか、
唯は頭を上げてから、柔らかく微笑んで続けた。

「こんばんは、律さん。
こんな時間にごめんなさい。今、お時間よろしいですか?」

そこでようやく私は気付いた。
唯が取るはずもない行動を取るのも当然だ。
和の隣で私に頭を下げたのは唯じゃなく、
髪を下ろした唯の妹の憂ちゃんだったんだ。
374 :にゃんこ [saga]:2011/07/15(金) 22:54:10.94 ID:HiDnOgid0


今回はおしまいです。
次は憂編です。
絡みの無さそうなキャラまでフォローする痒いところに手の届くこのSS。

そんな事よりメインを充実させた方が……?
すみません。出てないキャラもあと少しなんで、どうかお付き合い下さいませ。
375 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/15(金) 23:07:20.45 ID:tqZsaqKSO


聡は「けいおんキャラの癌」って言われるほど、あんま需要ないキャラだから仕方ないよ


実際、原作の律に聡は存在してないから
376 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/15(金) 23:54:34.37 ID:j39nhpHN0
けいおんSSスレ荒らしまくってるやつは黙れ
377 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/15(金) 23:58:55.70 ID:G6ug0puSO
おつ
いい姉弟関係だな
しかし梓は真夜中に出掛けて何をしてたんだろう
378 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/15(金) 23:59:01.54 ID:tqZsaqKSO
>>376
はい?
379 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/16(土) 05:07:47.16 ID:f61WzCsKo
次は憂編か
メインも読みたいけど、いろんなキャラとの話も面白いよ乙
380 :にゃんこ [saga]:2011/07/18(月) 21:56:19.96 ID:ETGi5jXN0





「ごめんね、待たせて」

シャワーを浴びて、少しの腹ごしらえを終えてから、
私は私の部屋で待っててもらっていた憂ちゃんに声を掛けた。

「いいえ、こちらこそごめんなさい、律さん。
こんな時間に非常識だと思いますけど、律さんにどうしても話したい事があったんです」

申し訳なさそうな顔で憂ちゃんが頭を下げる。
私はそれを軽く微笑む事で制した。
私の方こそ、こんな時間に来てくれた人を待たせるなんてとんだ非常識だ。
でも、流石に空腹な上に汗まみれで話を聞く方が何倍も失礼だったし、
私の方も多少はマシな状態になってから、憂ちゃんの話を聞きたかった。
こんな時間に真面目で良識的な憂ちゃんが来てくれたんだ。
きっとよっぽどの事情があるんだろう。
少なくとも、疲れ果てて身の入らない状態で聞き流せる話じゃない事だけは確かだった。

ちなみに現在、和はリビングで聡と話をしている。
和はボディガードとして憂ちゃんに付き添ってきただけらしく、
私と憂ちゃんの話が終わるまでリビングで待っていると言っていた。
風呂上りにリビングをちょっと覗いてみた時、意外にも二人の話は盛り上がっていた。
聡がコンプリートしたらしいあの大作RPGは和の兄弟もプレイしているそうで、
攻略法やストーリー、キャラクターを演じている声優に至るまで幅広く会話してるみたいだった。
澪以外の女子と話す弟の姿は新鮮で、照れた様子で年上の女と会話する姿が可愛らしくて、
姉としてはいつまでも見ていたくはあったけど、そういうわけにもいかない。
少し後ろ髪を引かれる気分ながら、
どうにかその誘惑を振り切って、こうして私は自分の部屋に戻って来たわけだ。

「えっと……、ですね……」

何だか緊張した面持ちで憂ちゃんが目を伏せている。
とても話しにくい、だけど、話したい何かがあるんだろう。
私は律義に座布団に正座してる憂ちゃんの手を取って、私のベッドまで誘導する事にした。
少し躊躇いがちではあったけど、
すぐに私の考えが分かってくれたらしく、憂ちゃんは私のベッドに腰を下してくれた。
その横に私も腰を下ろし、憂ちゃんと肩を並べる。
憂ちゃんとこんなに近くで話をした事はあんまりないけど、
多分、今回の憂ちゃんの話はこれくらい近い距離で話し合うべき事のはずだと思った。
381 :にゃんこ [saga]:2011/07/18(月) 21:57:22.64 ID:ETGi5jXN0
「それでどうしたの、こんな時間に?
唯の事?」

私と憂ちゃんの間に他に話題が無いわけじゃない。
それでも、私は唯の事について訊ねていた。
これまでも私と憂ちゃんの会話で一番話題に上っていたのは唯の事だったし、
憂ちゃんがこんな真剣な表情で緊張しているなんて、その緊張の理由は唯以外に絶対にない。

「はい、お姉ちゃんの事なんですけど……、
あのですね……、明日……、いえ、もう今日ですね。
今日……なんですけど、お姉ちゃん、学校には行かないそうなんです」

「……来ない……のか?」

呟きながら、不安になる。呼吸が苦しくなるのを感じる。
唯も何かを悩んでいたんだろうか。
それとも、私が唯の気に障る何かをしてしまったんだろうか。
少しずつ、一人ずつ、軽音部から去ってしまうのか?
澪、唯、次は梓、最後にムギと去って、私だけが部室に取り残されちゃうのか?
その私の不安を感じ取ったんだろう。
憂ちゃんが軽く頭を振って、隣にいる私の瞳を覗き込んで言ってくれた。

「あ……、違うんです。
律さんが何かしたとか、軽音部に行きたくないとか、そんな事はないんです。
お姉ちゃん、ずっと……、今でも勿論、軽音部の事が大好きなんですよ?
いいえ、違いますね……。
大好きって言葉じゃ言い表せないくらい、
お姉ちゃんの中では軽音部の事が大きい存在なんだと思います」

だったら、唯はどうして?
ついそう訊きそうになってしまったけど、私はどうにかその言葉を押し留めた。
憂ちゃんはそれを話しに来てくれたんだ。
急いじゃいけない。焦っちゃいけない。
どんなに時間が無くても、憂ちゃんが言葉にしてくれるまで、それを待つだけだ。

それに急ぐ理由は私の中から一つ減っていた。
さっきシャワーを浴びる前、「先に梓の家に電話させて」と憂ちゃん達に伝え、
私が梓の家に電話しようと受話器を上げた時、憂ちゃんは首を傾げながら言ったんだ。

「梓ちゃんの家ならついさっき行って来ましたけど、梓ちゃんに何かご用なんですか?」

憂ちゃんの言葉に私は張り詰めていた糸が切れて、しばらくその場に座り込んだ。
ひとまずは安心できる気分だった。
憂ちゃんが言うには、私の家に来る二十分前には梓の家に行って、
話をしてきたばかりなんだそうだった。
夜道に私が見た梓の姿は単なる見間違いだったのか、
それとも何かの用事が終わった後の帰り道の梓を見たのか、
色んな可能性がありはしたけど、そんな事はどうでもよかった。
今は梓が無事に自分の家にいてくれるだけで十分だった。
382 :にゃんこ [saga]:2011/07/18(月) 22:01:25.69 ID:ETGi5jXN0
私は上げた受話器を元に戻し、
「用事はあったけど、やっぱり学校で会った時でいいや」と憂ちゃん達に伝えた。
梓の悩みについては、電話で話すような内容でもない。
直接あいつから聞き出さないといけない事だ。
今日、学校で会ったら、それを梓に聞こうと思う。
もしも本当に梓に嫌われていたとしても構わない。
それでも私は梓の悩みの力になるべきなんだ。
私はあいつの先輩で、軽音部の部長で、嫌われていてもあいつが大切なんだから。

そういうわけで、今の私は焦ってはいない。
時間が無い私だけど、焦る事だけはしちゃいけない気がする。
焦ると正常な判断ができなくなる。
当然の事だけど、私は少しずつ身に染みてそれを理解し始めていた。
はっきりとは言えないけど、澪との事も焦っちゃいけない気がする。
いや、違うな。
焦っちゃいけなかったんだ。
あの時、私は焦ってしまってたんだ。
だから……。

小さく溜息を吐いて、私は憂ちゃんの次の言葉を待つ。
今は梓の事、澪の事より、目の前の憂ちゃんの事だ。
じっと憂ちゃんの瞳を覗き込んで、話してくれるのを待ち続ける。
少しもどかしい時間だったけど、それはきっと私達に必要な時間だった。
しばらく経って……。
考えがまとまったのか、憂ちゃんがまっすぐな瞳で私を見つめながら口を開いた。

「お姉ちゃん、軽音部の事がすごく大切なんです。
軽音部の事も、律さんの事も、大切で仕方が無いんだと思います。
それでも、今日は部に顔を出さないって、お姉ちゃんは言ってました。
水曜日は……、「今日一日は憂と二人で過ごしたいから」って言ってくれたんです……」

そういう事か、と私は思った。
残り少ない時間、唯はその内の一日を大切な妹と過ごす事に決めたんだ。
それはそれで構わなかった。
軽音部の事も大切ではあるけど、私は唯の選択肢を尊重したい。
家族と過ごしたいのなら、私達に遠慮なんかせずにそうするべきなんだ。

「ごめんなさい、律さん……」

言葉も弱く、辛そうな表情に変わりながらも、
視線だけは私から逸らさずに憂ちゃんが言ってくれた。
本当に申し訳ないと思ってくれてるんだろう。
でも、本当に謝るべきなのは私の方だった。
こんなにお互いを大切に思い合ってる姉妹に気を遣わせるなんて、
私の方こそ謝るべきなんだ。
そう思って私は口を開いたけど、その言葉より先に憂ちゃんがまた言った。
383 :にゃんこ [saga]:2011/07/18(月) 22:03:09.10 ID:ETGi5jXN0
「私の事は気にしなくてもいいって、お姉ちゃんに何度も伝えたのに、
お姉ちゃんは絶対に私と過ごすって言ってくれて……。
ライブの準備がとても楽しいって、お姉ちゃん言ってたのに、それなのに……。
それが律さん達に申し訳ないのに、本当はすごく嬉しくって……。
そんな私が嫌で、せめて今日お姉ちゃんが軽音部に行かない事だけは、
皆さんに直接伝えたいと思って……。
それが私にできる精一杯で……。
ごめんなさい、律さん。本当にごめんなさい……」

「唯……は今、どうしてる?」

「最初……、本当はお姉ちゃんが皆さんの家を直接回るって言ってました。
でも、無理を言って、私と手分けして回ってもらう事にしたんです。
それで私は梓ちゃんと律さんの家に、
お姉ちゃんは紬さんの家と澪さんの家に、直接話しに行く事になったんです。
先に紬さんの家に向かったから、多分、今は澪さんの家で話をしてると思います」

「一人で?」

「いえ、それは大丈夫です。
お父さんが車で送ってくれてますから。
私の方はお母さんが付き添いで来てくれるはずだったんですけど、
うちのお母さん、ボディガードにはちょっと頼りなくて……。
それで、お姉ちゃんが和さんに電話で私の付き添いを頼んでくれたんです」

「そっか……。だったら、二人とも安心だな」

「それで……、実はですね、律さん……」

憂ちゃんの顔が辛そうな表情から、何かを決心した表情に変わる。
憂ちゃんは決して弱い子じゃない。
強い子ではないかもしれないけど、唯の事が関係するなら強くいられる子だ。
つまり、これから唯に関する大切な話を始めるんだろう。

「私、最初は軽音部の事が好きじゃありませんでした」

「そうなんだ……」

憂ちゃんの言葉に、意外と驚きはなかった。
何となくそんな気がしていた。
仲のいい姉妹の間に入って、
二人の関係を邪魔してしまっていいのかって思わなくもなかったんだ。

憂ちゃんは続ける。

「少しの時間、部活に行ってるだけなら気になりませんでした。
でも、少しずつ……、どんどんお姉ちゃんが家に帰ってくる時間が遅くなって……。
お休みの日も家にいてくれる事が少なくって、それが嫌で……。
軽音部の部長の会った事もない『りっちゃん』って人が嫌いになりそうでした。
確かお姉ちゃんが一年生の頃のテスト勉強の日だったと思うんですけど、
初めてその『りっちゃん』……、律さんに会って、その顔を見てるのが辛くて……。
それでついゲームの律さんとの対戦で本気を出しちゃったんです。
『これ以上、お姉ちゃんを私から取らないで』って、そんな気持ちで……。
あの時はごめんなさい……」

「えっ? あれってそんな意図がある重大な戦いだったの?
いや、マジで強いなー、とは思ってたんだけど……」

思いも寄らなかった真相に私は驚きを隠せない。
勿論、多少は大袈裟に言ってるんだろうけど、人には色んな考えがあるもんなんだな……。
憂ちゃんがその私の様子に表情を緩める。
384 :にゃんこ [saga]:2011/07/18(月) 22:03:55.45 ID:ETGi5jXN0
「でも、学園祭で初めてのお姉ちゃん達のライブを見て、
ライブ中のお姉ちゃんはすっごく格好良くて、すっごく楽しそうで……。
私……、思ったんです。
軽音部のお姉ちゃんが、今までのお姉ちゃんよりもずっと好きだって。
それから、お姉ちゃんが大好きな軽音部の事も、好きになっていきました。
もう、軽音部じゃないお姉ちゃんなんて、考えられないです。
私、軽音部の……、放課後ティータイムのお姉ちゃんが大好きです。
それを私、律さんにずっと伝えたかったんです。
軽音部の部長でいてくれて、ありがとうございます。
お姉ちゃんをもっと好きにさせてくれて、本当にありがとうございます」

憂ちゃんが頭を下げながら、私の手を握る。
私の方こそ、お礼を言いたい気分だった。
大好きなお姉ちゃんと一緒にいさせてくれてありがとう、と。
最初こそ頼りない初心者だったけど、唯はもう軽音部に無くてはならない存在だ。
軽音部はあいつの才能に引っ張られて機能していると言っても過言じゃない。
唯がいたからこそ、軽音部はこんなに楽しく、大切な部活にできた。
それは私達だけじゃどうやっても辿り着けなかった境地だろうし、
例え他にギター担当の誰かが入部して来てくれていたとしても、やっぱり無理だったと思う。
三年間、こんなに楽しかったのは、唯がいたからこそ、だ。
だから、私は唯に、憂ちゃんに感謝しなきゃいけない。
同時にやっぱり申し訳なくなった。
私は目を伏せたかったけど、どうにか耐えて憂ちゃんの瞳から目を逸らさずに言った。

「ありがとう、憂ちゃん。
そんなに私達を好きでいてくれて、本当に嬉しいよ。
でも……、これまではそれでよかったかもしれないけど、
この状況でも、それでいいの?
『今日一日は一緒にいる』って事は、逆に言うと今日一日って事でしょ?
世界の終わりを間近にして、たった一日だけで本当にいいの?」

憂ちゃんはその私の言葉に微笑んだ。
無理をしているわけでもなく、強がりでもなく、本当に心からの笑顔に見えた。
385 :にゃんこ [saga]:2011/07/18(月) 22:04:48.20 ID:ETGi5jXN0
「違いますよ、律さん。
『一日だけ』じゃありません。『一日も』ですよ、律さん。
こんなおしまいの日まで残り少ないのに、
お姉ちゃんはそんな貴重な時間を、私に『一日も』くれるんです。
私はそれがすっごく……、
すっごく嬉しいです……!」

そう言った憂ちゃんの笑顔は輝いていた。
眩しいくらいの笑顔。
そんな笑顔をさせる唯の時間を、私が一日以上も貰うんだと思うと少し震えた。
参ったなあ……。
絶対にライブを成功させなくちゃならなくなったじゃないか……。
恐いわけじゃないし、重圧に負けそうってわけでもない。
これは武者震い……、とりあえずはそういう事にしておこう。
何はともあれ、私は私のためにも、憂ちゃんのためにも、
私達は何としてもライブを成功させなくちゃならない。
ふと思い立って、私は隣に座る憂ちゃんの肩を抱き寄せて囁いた。

「成功させるよ。
最後のライブ、絶対に成功させる。
憂ちゃんに、これまで以上に格好いい唯の姿を見せたいからさ」

憂ちゃんは私の腕の中で、
「はい」と、笑顔で頷いてくれた。
386 :にゃんこ [saga]:2011/07/18(月) 22:07:14.63 ID:ETGi5jXN0


今日はここまで。
さて、次は誰編になるのでしょうか。
次回をお楽しみ……、すんません、調子乗ってました。
次は普通にムギ編です。

↑次回をお楽しみに。と言う重圧に耐えられませんでした。
387 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/18(月) 22:27:27.69 ID:qzPHWGKCo
乙。憂ちゃん健気やなぁ
388 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/18(月) 22:37:35.52 ID:i3CN0gwC0
ええ子達や・・・・・・
389 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東日本) [saga sage]:2011/07/20(水) 21:23:53.60 ID:/NNI6//30
悟りすぎてるような気もする
ええ子すぎる
大人びすぎてる



でも面白い
続き待ってるよ
390 :にゃんこ [saga]:2011/07/21(木) 23:47:10.34 ID:Pj2QSlyz0





朝、軽音部の部室で私は一人座っていた。
ほんの少し曇っているけど、雨は降りそうにない空模様を私は見上げる。
太陽にたまに雲が掛かる程度のよくある天気。
確か数日前に天気予報で聞いた限りでは、世界の終わりの日まで雨は降らないらしい。
雨が好きなわけじゃないけど、もう体験できないと思うと何だか名残惜しかった。
でも、空模様に関しては私には何もできない。
何となく溜息を吐くけど、別に憂鬱ってわけでもない。
ただちょっと寂しかっただけだ。

それにできない事を考えていても仕方が無かった。
私にできない事はいくらでもある。
多分、できる事よりもできない事の方が遥かに多いだろうな。
でも、そんな事より、今の私にできる事を考えるべきだろう。
それは憂ちゃんのためでもあるけれど、それ以上に私のためでもあるんだから。

夜、話が終わり、和と一緒に家に帰る直前、
「梓ちゃんの事、助けてあげてください」と憂ちゃんは言った。
唯の事が大好きだけど、唯の事ばかり考えてるわけじゃない。
憂ちゃんはちゃんと友達の事にも目を向けられる子だ。
だから、自分が唯と二人で過ごすのが申し訳なくて、嬉しくて辛かったんだろう。

私の家に来る前、憂ちゃんが梓の家を訪ねた時、
頭を下げる憂ちゃんに梓は笑顔で答えたらしい。
「大丈夫だから」と。
「でも、唯先輩がいなくて、
全員が揃わない中で律先輩がちゃんと練習するか心配だな」と。
普段と変わらない様子と口調で笑っていたらしい。
泣きそうな顔で、笑っていたらしい。

梓の親友の憂ちゃんにも、その梓の表情をどうにかする事は出来なかった。
本当に大丈夫なのか、
悩み事があったら何でも言ってほしい、
そんな事を何度伝えても、梓は微笑むだけ。
今にも泣き出しそうな顔で微笑むだけ。
軽音部の皆にも、親友にも、誰にも、本心を見せずに辛そうに笑うだけ。
そんな梓を見て、憂ちゃんは一日も唯を独占してしまう自分に罪悪感を抱いてるみたいだった。
心の底から唯を必要としてるのは梓じゃないかと思うのに、
憂ちゃん自身も唯から離れたくないし、
唯と最後に一緒に過ごせる一日がどうしようもないくらいに嬉しくて……。
だからこそ、罪悪感ばかりが膨らんでいるみたいだった。
391 :にゃんこ [saga]:2011/07/21(木) 23:48:08.14 ID:Pj2QSlyz0
でも、それは憂ちゃんが悪いわけじゃない。
唯が悪いわけでもない。
唯だって梓の異変には気付いていた。
梓の悩みを何とかしてあげたいと考えていた。
だけど、梓は自分の悩みを一言も口にしなかったし、
その気遣い自体を誰にもしてほしくないみたいに見えた。
梓がそう振る舞う以上、
唯には何もできないし、憂ちゃんにも、誰にも何もしてあげられない。
どんなに辛い事でも、口にしない限りは他人には何もしてあげられないんだから。

それで迷った末に唯はこの水曜日って中途半端な時に、憂ちゃんと過ごす事に決めたんだと思う。
梓の悩みを解決したいとは勿論、思ってる。
でも、梓の悩みはいつになれば解決するのか分からないし、
下手をすれば世界の終わりの時に至っても解決する事はないかもしれない。
だから、その前に妹と過ごしたいと考えたんだ。
梓の事も大切だけど、妹の憂ちゃんの事だって同じくらい大切だからだ。
それに憂ちゃんと過ごすのが水曜日だけなら、
まだ木、金曜、土曜日と三日間を梓のために使えるから。
それで水曜日を選んだんだ。
いや、本当にそこまで考えてたのかどうかは分からないけど、
私の中では唯はそういう事を考えて行動する奴だった。
きっとそうなんだろうと思う。

だから、悪いのは梓なんだ。
自分の抱えている何かを隠し通そうとする梓が一番問題なんだ。
どんなに辛くても、恐くても、誰かに伝えるべきなんだ。
私に何ができるかは分からないけど、それでも伝えてほしかった。
例えその悩みが人の生死に関わるような重大な問題でも……。
それを想像すると震えてしまうくらいに恐いけど……。
だけど、それでもいいと思う。
そんな問題を梓が抱えてるとしても、私はそれを梓の口から聞きたい。
最後に部長として梓のために何かできるんだったら、私はそうしたいんだ。
困った後輩を持って災難だよな、まったく。
でも……。
392 :にゃんこ [saga]:2011/07/21(木) 23:49:14.27 ID:Pj2QSlyz0
「部長だからな」

自分に言い聞かせる。
そうだ。
私が部長。五人だけの部だけど、部長は部長だ。
それにドラマーでもある。
皆の背中を見ながら、何かを感じ取れるパートでもあるんだからな。
そういや前に唯が言ってたっけか。
「大丈夫。りっちゃんならできる。
部長だし、お姉ちゃんだし、ドラマーだし!」って。
何の保障にもなってないし、何の説明にもなってないけど、
それでも何かができそうな気になってくるから不思議だ。
よし、と私は一人で拳を握り締めて頷く。
と。
急に何の前触れもなく軽音部の扉が開いた。

「おはよう。早いね、りっちゃん」

自分だけでなく、周りまで優しい気分にさせてくれる声色が部室に響く。
顔を上げて確認するまでもなく、それはムギの声だった。
いや、そもそも何の前触れもなく扉が開いた時点で、
部室に来た人の選択肢はムギかさわちゃんの二人に絞られてたけどな。
足音も立てずに部室にやってくるのはこの二人くらいだ。
二人とも神出鬼没なんだよなあ……。
まあ、ムギの方はお嬢様的な教育か何かで、
足音を立てないよう歩く練習をしているとしても(勝手な推測だけど)、
さわちゃんの方はマジでどうやって足音も立てずに現れてるんだろうか。
……別にどうでもいい事だった。
私は顔を上げてムギの顔を見つめ、「おはよう、ムギ」と言った。
393 :にゃんこ [saga]:2011/07/21(木) 23:54:35.08 ID:Pj2QSlyz0


短いけど、今回はここまでです。
実に原稿用紙300枚分ぶりにムギさんが台詞付きで登場です。

悟ってるように見えますか。なるほど。
普段、バトル系の話を書いてるので、その辺が影響してるのかも。
ご指摘、ありがとうございます。
394 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/22(金) 00:03:59.03 ID:vWSJ8mMlo

ついにムギちゃん編来るか!?
395 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/22(金) 00:34:04.92 ID:83T6uMoRo
乙。楽しみにしてまっせ
396 :にゃんこ [saga]:2011/07/23(土) 23:32:01.72 ID:XoDlxcvB0
部室に入ったムギは長椅子に自分の鞄を置きに行く。
私はムギに気付かれないよう、少しだけ微笑んだ。
ひとまずは安心した。
下手をすれば、今日は誰も軽音部に来ないかもと思わなくはなかったんだ。
憂ちゃんの話では、唯が来なくても梓は登校して来るつもりみたいだったけど、
それにしたってちゃんとした確証がある話じゃないしな。
だから、嬉しかった。
ムギが部室に顔を出してくれた事が、私は本当に心から嬉しい。

「ムギと部室で二人きりってのも珍しいよな」

胸の中だけでムギに感謝しながら私が言うと、
鞄を置き終わったムギが顔を上げて応じてくれた。

「そうだね。りっちゃんと二人きりなんて、何だかとっても久し振り。
ひょっとしたら、夏に二人で遊んだ時以来じゃないかな?」

「そうだっけ?」

夏に二人で遊んだ時……、確か夏期講習が始まる前日くらいの事だ。
まだ四ヶ月くらいしか経ってないはずなのに、随分と前の出来事の様な気がする。
『終末宣言』以来、この一ヶ月半、本当に色んな事があった。
世界が終わるなんて夢にも思わなかった事が現実になったし、
変わらないと思ってた私と澪の関係も、今更だけど大きく動き出そうとしている。
目眩がしそうなくらい多くの事があった。
でも、それも終わる。もうすぐ終わる。
その終わりがどんな形になるかは分からないけど、
少なくとも最後のライブだけは私達の結末として成功させたい。

……ムギはどうなんだろうか?
不意に気になって、私の胸が騒いだ。
そうやって人の考えが気になってしまうのは、私の悪い癖かもしれない。
でも、考え出すとどうにも止まらなかったし、胸の鼓動がどんどん大きくなった。

琴吹紬……、ムギ。
合唱部に入ろうとしてたところを私が引き止めて、軽音部に入ってもらったお嬢様。
キーボード担当で、放課後ティータイムの作曲のほとんどを任せてる。
いつも美味しいお茶とお菓子を振る舞ってくれて、
それ以外にも合宿場所とか多くの事で助けになってくれる縁の下の力持ち。
実際にもキーボードを軽々と運べる力持ちでもある。
397 :にゃんこ [saga]:2011/07/23(土) 23:36:49.58 ID:XoDlxcvB0
『終末宣言』直後から、ムギが軽音部に顔を出す事は少なくなった。
深く踏み込んで聞いた事はないけど、どうも家の事情が関係しているらしい。
世界の終わりが間近になったと言っても、いや、間近だからこそ、
名家と言えるレベルのムギの家にはやるべき事がたくさんあったみたいだ。
眉唾な話だけど、人類存続のためにそれこそSF的な対策への協力も行われたんだとか。
人類の遺伝子を地下深くに封印するとか、
超強力なシェルターを急ピッチで開発したりとか、
できる限り多くの人達を宇宙ステーションに避難させてみたりとか、
とにかくムギの家はそういう冗談みたいな世界の終わりへの対抗策に追われていたらしい。
家族思いのムギはこの約一ヶ月のほとんどを、
それらの対抗策に追われる両親の手伝いをする事で過ごしてたみたいだ。

「心配しないで」と月曜日に久し振りに会えたムギは言った。
「これからはずっと部活に顔を出せるから」と笑ってくれた。
家の事情で大変だったはずなのに、
登校するのもやっとの状況のはずなのに、
ムギは疲れを感じさせない笑顔でそう言ってくれた。
それ以来、ムギは一日も欠かさずに登校して来てくれている。
対抗策が成功したのかどうかは聞いてない。
国もやれる事はやったみたいだけど、それ以上の事はムギも分からないみたいだった。
まあ、名家とは言え、ムギの家も協力程度で深くは関わってないんだろうし、
もしも対抗策が成功していたとしても、庶民の私達には多分関係ない事だろう。
だから、それに関してはそれ以上の話をしない。
聞いたところで、ムギが困るだけだろうしな。
そんな事よりも、私はムギが登校してくれる事の方が嬉しかった。
それだけで十分だ。

それに最後のライブなんだけど、ムギは誰よりも成功させたいと思ってる気がするんだ。
家の手伝いをしている時でも、メールで澪のパソコンに新曲の楽譜を送って来てくれてたし、
久し振りに合わせたセッションでも全くブランクを感じさせなかった。
きっと時間を見ては練習をしてくれてたんだろう。
今でこそ何としても成功させたいと私も思ってるけど、
憂ちゃんと話すまではムギほど最後のライブに熱心じゃなかった。
軽い思い出作り程度にしか考えてなかったんだ。

考えてみれば、ムギは『終末宣言』前から軽音部の活動に本当に熱心だった。
いつも一生懸命に楽しんで、練習も、練習以外も楽しそうで、
そんなムギの楽しそうな姿が私には嬉しかった。
それだけで軽音部を立ち上げた甲斐があったって思えるくらいに。
私達の軽音部が、この五人の音楽が一番なんだって思えるくらいに。
だから、私はムギに訊ねる。
五人揃っての放課後ティータイムの今と先を考えるために。
398 :にゃんこ [saga]:2011/07/23(土) 23:37:46.44 ID:XoDlxcvB0
「ムギは私と二人で寂しかったりしない?」

持って回った言い方だったかもしれない。
でも、それ以上の言葉は思い付かなかったし、
思い付いたとしても口に出しては言えなかっただろう。
ムギは自分の椅子の前まで移動しながら、私の言葉に首を傾げる。

「どうして?
私、寂しくなんかないよ?
どうして、そんな事を聞くの?」

「いや……、折角家の用事も終わって、
部活に顔を出してくれてるのに、今日は全員揃えないじゃんか。
一番忙しいムギが参加してくれてるのに、何か悪いなって思ってさ」

私が頭を掻きながら言うと、ムギがまた微笑んだ。
優しい笑顔で、「心配しないで」と言ってくれた。
言葉自体は最近梓が泣きそうな笑顔で言う物と同じだったけど、
ムギのその言葉は梓の言葉とは優しさとか、想いとか、色んな物が違う気がした。

「大丈夫よ、りっちゃん。
勿論、今日唯ちゃんと会えないのは残念だけど、それは仕方の無い事だもの。
私だってずっと部活に来れなかったじゃない?
そんな事で唯ちゃんを責めたりしないし、それならむしろ責められるのは私の方。
ずっと出て来れなくて、私の方こそごめんね、りっちゃん……」

自分の椅子に手を置きながら、
それでも自分の椅子に腰を下ろさないままで、ムギが困ったように笑った。
困らせないようにしようと思っていたのに、
結局は私の行動がムギを困らせてしまったみたいだ。
私は自分の馬鹿さ加減に大きく溜息を吐いて、椅子から立ち上がった。
ムギが立って謝ってくれてるのに、私だけ座ったままじゃいられなかった。
立ち上がって目線をムギと合わせて、私は真正面からムギに頭を下げた。
399 :にゃんこ [saga]:2011/07/23(土) 23:39:10.37 ID:XoDlxcvB0
「謝らないでくれよ、ムギ。
こっちこそ変な事を言っちゃったみたいでごめんな。
だけど、気になったんだ。
唯もそうなんだけど、今日は……、澪も来ないからさ」

今日は澪も来ない。
それはとても言いにくい事だったけど、伝えないわけにもいかなかった。

「澪ちゃんも? 何かあったの?」

ムギが残念そうな声を上げる。
昨日、唯はムギの家に行った後、澪の家を訪ねたと憂ちゃんが言っていた。
例え澪が唯に今日登校しない事を伝えていたとしても、
それが唯からムギに伝える事は時間的にもできなかったんだろう。
結局、夜から携帯電話の電波も、ラジオ電波も、
それどころかテレビ回線と家の電話の電話回線も切れていて、復旧されていなかった。
連絡手段が無い私達は、お互いの出欠確認もままならなかった。
信じるしかなかったんだ。皆で交わした約束を。
部室に集まるって約束を。

だからこそ、私はムギの顔を見るのがとても恐かった。
唯も澪もいない軽音部に、ムギはがっかりしてるんじゃないだろうか。
約束を果たせなかった軽音部に、少なからず失望してるんじゃないだろうか。
しかも、それは澪が悪いわけでも、唯が悪いわけでもない。
この場合、梓だって悪くない。
梓に嫌われてると思えて仕方なくて、梓の悩みから逃げ出した私が無力だったんだ。
今日、全員が揃えない責任は全部部長の私にある。
だから、私はムギの顔を見られないんだ。

「ごめんな……」

顔を上げられないまま、私は絞り出すようにどうにか言葉を出した。

「澪に何かあったんじゃない。
澪が来ないのは私のせいなんだ。
こんな状況なのに、もう時間も残り少ないのに、
それでも答えが出せなくて、悩まずにはいられない私の責任なんだ。
本当にごめん……」
400 :にゃんこ [saga]:2011/07/23(土) 23:45:04.00 ID:XoDlxcvB0
実を言うと、澪の件に関しては私の中で一つの答えが固まりつつあった。
今からでもそれを澪の家に行って伝えたなら、
もしかすると澪の悩みは晴れるのかもしれない。
今日の昼過ぎからでも、登校して来てくれるかもしれない。
だけど、私はそれをしたくなかった。
それを澪に伝えるのが恐いって事もあるけど、
曖昧なままでその答えを伝えたくなかったし、
こう言うのも変かもしれないけど、私は悩んでいたかった。
澪にも今日一日は悩んでいてほしかった。
悩んでいたいなんて、滑稽で無茶苦茶にも程がある。
きっとそれは私の我儘なんだろうと思うけど、簡単に答えを出したくないんだ。

世界の終わりも間近なのに、
とても自分勝手で、周りにすごく迷惑を掛けてしまってる。
勿論、ムギにだって……。
だから、私はムギに謝るしかないんだ。

頭を下げる私に、ムギはしばらく何も言わなかった。
何を思って私を見てるのかは分からない。
胸の中で私を責めているのかもしれない。
でも、責められても仕方ないし、私はムギのどんな言葉でも受け入れようと思う。

どれくらい経ったんだろう。
突然、普段より低い声色で、ムギが深刻そうに呟いた。

「りっちゃんは……、澪ちゃんと喧嘩したの?」

何て答えるべきか少し迷ったけど、私は大きく頭を横に振った。

「いや……、喧嘩じゃ……ないな。
喧嘩じゃないんだけど、今日は会えないんだよ。
変な事を言ってるとは思うんだけど、悩んでるんだよ、お互いに……。
悩まなきゃ……、駄目なんだよ、私達は。
こんな状況で何を悠長な、って思われても仕方ないのは分かってる。
でも……、でもさ……」

上手く言葉にできない。
自分の中でも曖昧にしか固まってない考えなんだ。
そんな考えを人に上手く伝えられるはずなんてない。
だけど、上手くなくても私はムギに伝えなきゃいけなかった。
ムギも当事者だ。軽音部の仲間なんだ。
そんな私の我儘や曖昧な考えで振り回してしまってる事だけは、謝らなきゃならない。
勿論、まだムギの表情を見るのが恐くて堪らなかったけど、私は顔を上げた。
謝り続けたくはあったけど、単に頭を下げ続けるのも逃げの様な気がしたからだ。
これから責められるにしても、
私はムギの顔を見ながら責められるべきなんだと思うから。
だから、私は伏せていた視線をムギの顔に向ける。真正面から見つめる。
401 :にゃんこ [saga]:2011/07/23(土) 23:46:08.47 ID:XoDlxcvB0
「やっと顔を上げてくれたね、りっちゃん」

視線を合わせたムギは微笑んでいた。
さっきまでの困ったような笑顔じゃない。
安堵……って言うのかな。
すごくほっとしたみたいな笑顔だった。すごく意外な表情だった。

「よかった……。喧嘩じゃなかったんだね。
りっちゃんと澪ちゃんが喧嘩してるわけじゃないなら、私はそれで十分よ。
勿論、今日澪ちゃんと会えないのは残念だけど、
誰よりも澪ちゃんと付き合いの長いりっちゃんが言う事だもん。
きっとりっちゃんも澪ちゃんも今日は悩まなきゃいけない日なんだよね。
だったら、私も応援する。応援したいの、二人の事を」

責められると思ってた。
責められるだけの事はしたと思ってたし、今でも思ってる。
だけど、ムギは笑顔で私を見守ってくれている。
ムギの笑顔は本当に温かくて、それが辛くて、私はまた呟いた。

「でも……、それは私の我儘で、こんな状況なのに……。
それなのに応援してくれるなんて……、こんな私の我儘を……」

「ねえ、りっちゃん?
りっちゃんは優しくて、誰のためにでも一生懸命になってくれるよね?
私はそれが嬉しいし、そんなりっちゃんが大好きよ。
でも……、でもね……、
私、りっちゃんにはもっと自分に自信を持ってほしい。
我儘だって、もっと言ってほしいの」
402 :にゃんこ [saga]:2011/07/23(土) 23:48:41.50 ID:XoDlxcvB0


今回はここまでです。
しまった。すごい中途半端だった。

ムギ編、結構長いですがまだ半分です。
流石は何だかんだとメインキャラのムギさん。
403 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/24(日) 00:18:14.39 ID:0QWrlZiSO

律は澪に対してどんな答出すんだろう
それと、ムギの家はやっぱりすごいww
404 :にゃんこ [saga]:2011/07/25(月) 23:18:51.01 ID:mNeqt+dR0
「自信って……、だけど私は……」

「学園祭の時だってそう。
メンバー紹介の時、りっちゃんの自分の紹介がすごく短かったじゃない?
私、それがとても残念だったの。
私達の軽音部の部長なんだって、自慢の部長なんだって、もっと皆に紹介したかったな」

「それは……、確かにそうだったけどさ……」

学園祭の時は夢中で記憶はあんまりないけど、何となくは覚えてる。
ムギの言葉通り、学園祭のメンバー紹介の時、私は自分の自己紹介を早々に切り上げた。
それは照れ臭かったからってのもあるけど、
私よりも他のメンバーの紹介をした方が観客の皆も喜んでくれると思ったからでもある。
部長ではある私だけど、
私自身を目当てにライブに来てくれた人はあんまりいないはずだと思ったんだ。
だから、皆の紹介を優先した。
その方が多くの人に喜んでもらえると思ったんだけど、ムギはそれを残念だと言った。
自慢の部長だって言ってくれた。

私はそのムギの言葉にどう反応したらいいのか分からない。
自慢の部長だと言ってくれるのは嬉しいけど、
私にそう言われるだけの価値があるのか自身が無かったからだ。
自身が無い……か。
考えていて、気付いた。
ムギが言うように、確かに私は自分に自信があんまり持ててないみたいだ。
それはもしかすると無意識の内に、
部のメンバーと自分を比較してるからかもしれなかったけど、それは別の問題だった。
ムギが私に自信を持ってほしいと言ってくれている。
今はそれを優先的に考えるべきなんだろう。
少し声を落として、小さな声でムギに訊ねる。

「私、自慢の部長かな……?」

「勿論!」

即答だった。
迷いがなく、お世辞でもなく、ムギは強い瞳でそう言った。
拳まで握り締めて、強く主張してくれた。
元々、ムギは嘘が吐けるタイプでもないし、本気でそう思ってくれてるんだろう。
でも、その理由が私にはどうしても分からなかった。
悪い部長ではなかったと思うけど、
ムギに力強く主張されるほどいい部長だったとも思えないんだ。
私のその疑問を感じ取ってくれたのか、ムギがまた珍しく強い語調で続けた。

「さっきも言ったけど、りっちゃんは部員の私達の事を考えてくれてる。
自分よりも優先して考えてくれてるよね。
いつも明るいし、楽しませてくれるし、
軽音部の皆もそんなりっちゃんの事が大好きだと思うわ。
この高校生活、途中で終わっちゃう事になっちゃったけど……、
それはすごく残念だけど……、
でも、これまでずっとずっと楽しかった。
本当に本当に嬉しくて……、楽しくて……、
それは軽音部の部長でいてくれたりっちゃんのおかげよ。
だから、りっちゃんは自慢の部長よ。
何度でも自信を持って言えるわ。
りっちゃんは私達の自慢の部長なの」
405 :にゃんこ [saga]:2011/07/25(月) 23:21:10.71 ID:mNeqt+dR0
嬉しかった。
そのムギの言葉が心から嬉しくて、舞い上がってしまいそうだった。
私はそんな部長でいられたんだな……。
それだけで軽音部を立ち上げた意味があったと思える。
だけど、同時にそれでいいのかって思ってしまう自分もいた。
ムギが軽音部を楽しんでくれたのは本当に嬉しい。
でも、それは……、それは……。

「ありがとう、ムギ。
私の事、自慢の部長って呼んでくれて嬉しい。
楽しんでくれて、私も嬉しい。
だけど……、それもさ……、私の我儘なんだ……」

私は言ってしまった。
言わない方がいい事だったんだろうけど、私はそれを伝えたかった。
ずっと心の中に引っ掛かっていた事、
皆と笑顔でいながらも少しの罪悪感に囚われてしまっていた事を。
伝えたかったんだ、ずっと。

「私はさ、皆にはいつも楽しんでほしいし、笑っててほしいよ。
そのためには何だってしてあげたいし、そうしてきたと思う。
さっきムギは私が優しくて、皆のために一生懸命になれるって言ってくれたけど、
それは全部、皆のためじゃなくて自分のためなんだよ。
私は皆が楽しんでるのが嬉しくて、自分が喜びたくて、皆を楽しませてるんだ。
軽音部の部長をやってるのも、自分が楽しみたかったからで……。
ごめんな……。
私はそんな自慢の部長なんかじゃなくて……。
澪との事でもムギに迷惑掛けてる自分勝手な奴なんだよ……」

私の言葉はどんどん小さくなって、最後には止まった。
こんな事を伝えてもムギが困るだけって事は分かってたのに、
私は何でこんな事を言っちゃってるんだろう。
でも、ずっと気になってる事だった。
皆の……、特にムギと唯の笑顔を見ると、たまに不安になってたんだ。
私は私のために軽音部をやってて、
自己満足のためにムギや唯を楽しませてて、
そんな自分勝手な私の姿を知られたくなくて……、
でも、知ってほしかった。
謝りたかったんだ、それだけは。

急にムギが歩き始める。
手を伸ばせば私に届く距離にまで近付く。
誰かのために一生懸命のようで、
その実は自分の事ばかり考えてた私にムギは失望したんだろうか。
平手打ちの一つでも来るんだろうか。
それも構わない、と私は思った。
平手打ちの一つどころか、好きなだけ叩いてくれていい。
ムギが私の目の前で両腕を上げ、勢いよく振り下ろす。
衝撃に備え、私は覚悟を決めて瞼を閉じる。
一瞬後、私の両側の頬に衝撃が走った。
406 :にゃんこ [saga]:2011/07/25(月) 23:23:37.61 ID:mNeqt+dR0
だけど……。
その衝撃は私の想像していたそれとは、痛みが全然違った。
平手打ちなんてものじゃない。
友達を呼び止める時、ちょっと勢いよく肩を叩く程度の衝撃だった。

「もう……。駄目よ、りっちゃん」

ムギの穏やかな声が響き、閉じていた瞼を開いてみて、気付く。
ムギが私の頬を両手で優しく包んでいる事に。
気が付けば、私は絞り出すように呟いていた

「何……で……?」

「いいんだよ、りっちゃん。
恐がらなくても、大丈夫。恐がる必要なんてないわ。
だからね、そんなに自分を責めちゃ駄目よ、りっちゃん」

「私が恐がってる……?」

私の言葉にムギがゆっくり頷く。
そのムギの頷きを見て、
そうか、私は恐かったのか、と妙に冷静に私は考えていた。
世界の終わりは勿論恐いけど、それ以外の事も多分恐かった。
澪との関係に答えを出す事も恐かったし、梓の問題を解決できるかも不安でたまらない。
これからの事に不安は山積みだ。
でも、何より恐いのは、最後のライブを成功できるのかって重圧かもしれなかった。
それは聡や憂ちゃんのせいじゃない。
ライブを楽しみにしてくれる人が想像以上に多かった事を、自分一人で恐がってたんだと思う。

「そうだな……。恐かったのかもな……」

軽く私が頷くと、「うん」とムギもまた頷いた。
それから困ったような笑顔を浮かべる。
微苦笑とでも言うんだろうか。私が困らせてしまった時、ムギが浮かべる表情だ。
407 :にゃんこ [saga]:2011/07/25(月) 23:25:31.44 ID:mNeqt+dR0
「私もね……、本当はすっごく恐かったの。
この一ヶ月、私、お家のお手伝いをしてたじゃない?
詳しい事は分からないんだけど、でもね、ずっとお手伝いをしてると実感してくるの。
家族や、お手伝いの皆や、色んな人が必死に頑張ってる姿を見てると、感じるの。
世界の終わりの日は冗談なんかじゃなくって、本当に来るんだって。
それを皆、分かってるんだって……。
私、恐かったわ。
世界の終わりも恐かったし、私の大好きな皆も消えちゃうのがすっごく恐かった。
だからね、私、お家で何度も泣いちゃったわ」

「泣いちゃったのか?」

「うん。自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいね……。
でも、本当よ?
毎日、お家のお手伝いが終わったら、ベッドの中でずっと泣いてたの。
お手伝い中、泣かないように我慢してた涙を全部流しちゃうくらい、大声で泣いてた。
しばらくの間、朝起きたらすごい顔してたな」

そう言うと、ムギの微苦笑から苦笑が消えた。
簡単に言えば、普段の優しい微笑みに戻ってた。
こんな時だけど、私は気が付けば軽口を叩いていた。

「そっか……。見たかったな、その時のムギの顔」

「駄目よ。その時の顔だけはりっちゃんにも見せられないわ」

「そりゃ残念だ」

わざと悪い顔になって私が言うと、「もう」とムギは軽く私の頬を抓った。
いや、これも抓ったってほどじゃない。
指に少し力を入れただけなのが、どうにもムギらしい。
そう感じがら、私は安心してる自分に気付いていた。
この一ヶ月、泣き過ぎてすごい顔になってたとムギは言った。
毎日じゃないだろうけど、学校に来なかった日にはそういうすごい顔をしてた日もあったんだろう。
だけど、少なくとも今のムギはそんなすごい顔をしてなかった。
今のムギは私達を安心させてくれる優しい顔をしてる。
つまり、ムギは泣かなくなったんだ。
世界の終わりに対する恐怖は完全には消えてないにしても、泣く事だけはやめたんだ。
笑顔でいる事に決めたんだ、最後まで。
408 :にゃんこ [saga]:2011/07/25(月) 23:26:02.46 ID:mNeqt+dR0
「ムギはいい子だな」

言いながら、私も右手を伸ばしてムギの頬を触る。
柔らかく、温かいムギの頬。
ムギは首を傾げながら、少しだけ赤くなる。
もしかしたら、珍しい私の言動に照れてるのかもしれない。
顔を赤くしたまま、またムギが優しく微笑んで言った。

「りっちゃんだって素敵よ。
とっても素敵な私達の自慢の部長。
だって、世界の終わりの日が恐くなくなったのは、りっちゃんのおかげだもの」

「私の……?
でも、私は何も……」

してない、と言うより先に、ムギは首を横に振った。
癖のある柔らかいムギの髪が私の手をくすぐる。
その後に私に向けたムギの顔は、これまで見たどんなムギの顔より綺麗に見えた。

「ううん。
りっちゃんの……、りっちゃん達のおかげで私は恐くなくなったよ。
確かに『終末宣言』の後、りっちゃん達と話す機会は少なかったけど、
私の中のりっちゃん達が私を励ましてくれたの。
離れていたけど、ずっと傍にいてくれたの」

「ムギの中の私達……?」

「うん。私の中のりっちゃん達が……。
あ、でもね、妄想とか、妖精さんとかね、そういう事じゃないの。
泣いてた時、本当に恐かったのは世界が終わる事より、
りっちゃん達ともう会えなくなるって考える事だったんだ。
あんなに楽しかったのに、あんなに夢中になれたのに、
その時間がもうすぐ終わっちゃうなんて、とっても辛かった。
りっちゃん達が私と同じ大学を受けてくれるって聞いて、
まだ楽しい時間を続けられるって思ってたのに、それができなくなるのが嫌だったの。
だから、何度も何度も泣いちゃった」
409 :にゃんこ [saga]:2011/07/25(月) 23:27:36.50 ID:mNeqt+dR0
「私も……、そうだよ、ムギ……。
自分が死ぬとかより、皆と会えなくなる事の方が辛かった」

「でもね、泣きながら気付いたんだ。
離れてても、りっちゃん達が私の中にいる事に。
勿論、離れてても平気って事じゃなくて、
上手く言えないけど、上手く言えないんだけど……」

ムギが言葉を失う。
何か大切な事を伝えようとしてくれてるんだろうけれど、いい言葉が見つからないに違いない。
でも、それをムギには言葉にしてほしいし、私もそのムギの言葉を聞きたかった。
その手助けをしてあげたかったけれど、私はどうにも無力だった。
自分の想いすら曖昧にしか表現できない私には、ムギのその言葉を導いてあげられない。
くそっ……、何やってんだ、私は……!
どうにか……、どうにかしたいのに、してあげたいのに……!
左手で頭を抱え、私はつい唸り声を上げてしまう。
瞬間、ムギが笑った。
これまでの優しい微笑みとは違う、何かが楽しくて浮かべる様な笑顔だった。

「もう、りっちゃんたら……。
また私のために一生懸命になっちゃうんだから……。
本当に優しいよね、りっちゃんは」

「あっ……」

今度は私が赤くなる番だった。
ムギの頬から手を放して、視線を逸らす。
その私の様子をムギは嬉しそうに見てたみたいだったけど、
しばらくしてから、「そうだわ」と何かを思い付いたように言った。

「ねえ、りっちゃん?
これから新曲を合わせてみない?
微調整をしておきたい所もあるし、私、りっちゃんのドラムが聞きたいな」
410 :にゃんこ [saga]:2011/07/25(月) 23:29:33.19 ID:mNeqt+dR0


此度はここまでです。
予想以上にムギ編が終わらなくて自分が驚きます。

今のところ平坦な展開で申し訳ないです。
どうにか盛り上げていきたいと思います。
411 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/25(月) 23:42:45.79 ID:93BNIgafo

ムギちゃんマジいい子
こういう展開も良いよー
412 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/07/27(水) 18:30:09.85 ID:/gLROacZ0
にゃんこさん乙
元ネタ調べて知っといた方が楽しめるのかな
それともネタバレになるから知らないほうがいいのだろうか
413 :にゃんこ [saga]:2011/07/27(水) 22:49:40.83 ID:X9dpuirv0





ドラムとキーボートだけの曲合わせ。
前代未聞ってほどじゃないけど、結構珍しい事だとは思う。
私もムギと二人だけで曲を合わせるなんてほとんどした事なかったし、
二人だけで合わせるのが完全な新曲なんて事は初めてのはずだった。
それにドラムとキーボートだけで曲の微調整なんてできるものなのか?
私は少しそう思ったけど、
作曲なんてした事ない私に詳しい事は分からなかったし、
こう言うのもなんだけど、曲の微調整の方は別にどうでもよかった。

「りっちゃんのドラムが聞きたい」とムギは言った。
そう言ってくれるならすぐにでも聞かせてあげたいし、
私の方だってムギのキーボードが聞きたかった。
この三日間、ムギが登校して来てくれるようになったおかげで、
ムギのキーボードを全然聞けてないってわけじゃないけど、
月曜日も火曜日も私の心に迷いがあったせいで集中しては聞けてなかった。
だから、私はムギのキーボードを聞きたい。
いや、違う。聞きたいんじゃなくて、聴きたい。
耳を澄まして、肌を震わせて、身体全身でムギのキーボードを感じたいんだ。
勿論、私の方にはまだ多くの迷いや恐怖がある。
それを忘れる事はできないし、しちゃいけないと思うけど、
せめて迷いは頭の片隅に置くだけにしておいて、気合を入れて演奏したいと思う。

……って、気合を入れてみたんだけど、私にはまだ不安があった。
だけど、その不安の原因は澪の事でも、梓の事でもなかった。
実は我ながら恥ずかしいんだけど、新曲を上手く叩けるか自信が無いんだよな……。
だって、新曲、超難しいんだぜ?
いや、難しい事は難しいんだけど、
それより新曲のジャンルに慣れてないからってのが大きいかな。
新曲とは言ってもいつもの甘々な曲調になるだろうって思ってたんだけど、
ムギの作曲した新曲は何故か今までの放課後ティータイムには無い激しい曲だったんだ。
ひょっとすると、澪の意向があったせいかもしれないな。
何故だか分からないけど、澪は今回の曲だけは激しい曲に仕上げたいらしかった。
恩那組って感じの熱く激しいロックスピリッツなバンドをしたかった私としては嬉しい限りなんだけど、
いくら何でもバンドを結成して二年以上経ったこの時期に、
いきなりこれまでと全然違うジャンルの曲をやれと言われても難しいってもんだ。
まったく……。
困ったもんだよ、澪の気紛れも……。

でも、そう思いながら、気が付けば私は頬が緩んでいた。
何だかとても懐かしい感覚が身体中に広がってる。
新曲を上手く演奏できるかどうかで不安になれるなんて久し振りだ。
あんまり褒められた話でもないけど、
そんな事で不安になれる感覚が自分に残ってた事がとても嬉しい。
キーボードの準備をするムギに視線を向けて、気付かれないように頭を下げる。
これから先も私は迷い続けていくんだろうけど、
今だけだとしてもこんなに落ちつけてるのはムギのおかげだ。

私の視線に気付いたのか、ムギが私の方に向いて首を傾げる。
私は頭を上げて、何もなかったみたいに笑顔で手に持ったスティックを振る。
まだ少し首を傾げながらも、ムギは微笑んで右手の親指と人差し指で丸を作る。
キーボードの準備が完了したって事だ。
私は椅子に座り直し、背筋を伸ばしてから深呼吸する。
上手く演奏できるか分からないし、
そもそもドラムとキーボートだけでどれだけ合わせられるかも微妙なところだ。
だけど、それでも構わない。
これはこれからも私達が放課後ティータイムでいられるかの再確認なんだから。
414 :にゃんこ [saga]:2011/07/27(水) 22:50:16.34 ID:X9dpuirv0
頭上にスティックを掲げる。
両手のスティックをぶつけ、リズムを取る。
ムギのキーボードが奏でられ始める。
普段の甘い曲調かと錯覚させられる穏やかな曲の始まり。
だけど、即座に変調する。
激しく、滾るような、今までの私達には無い曲調に移行する。
歌詞が無いどころか、まだ曲名すら決まってない未完成の新曲。
でも、この曲は間違いなく私達の新曲で、恐らくは遺作となるだろう最後の曲。
私は全身で、これまでの曲以上に激しくリズムを刻む。
曲は所々で止まる。サビの部分も満足な形で演奏できない。
リードギターも、リズムギターも、ベースすらもいないんだから当然だ。
ドラムとキーボードだけの、ひどく間抜けなセッション。
セッションと呼んでいいのかも分からない曲合わせ。

でも、私とムギは目配せもなしに、演奏を合わせられる。
確かに私達の出番が無い箇所では演奏が短く止まる。
そればかりは誰だってどうしようもない事だ。
だけど、再開のタイミングを合わせる必要は私達には無い。
そりゃ楽譜通りに確実に演奏すれば、
タイミングを合わせる必要なんて無いだろうけど、残念ながら私にはそこまでの実力はない。
楽譜通りに完璧に演奏できれば、ドラムが走り過ぎてるなんて言われないだろうしな。
それでも私が確実に合わせられるのは、聞こえるからだ。
私だけじゃない。きっとムギも聞こえてるはずだ。
私達以外のメンバーの演奏が。

勿論、こう言うと台無しなんだけど、それは幻聴だ。
今ここにいないメンバーの演奏が聞こえるなんて、幻聴以外の何物でもない。
幻聴が聞こえる理由だって分かってる。
覚えてるからだ。
耳が、身体が、心が、皆の演奏を刻み込んでるからだ。
何度も練習した新曲を覚えてるから。覚えていられたから。
上達の早い唯のリードギターを。
努力の果てに手に入れた堅実な澪のベースを。
安定して皆を支える梓のリズムギターを。
仲間の、音楽を。
だから、そこにいなくても、私達は皆の演奏を心で聴く事ができる。
その演奏に合わせる事ができるんだ。
何も奇蹟って呼べるほどの現象じゃないだろう。
こんな事、多分、誰にだってできる。
仲間がいれば、きっと誰にでも起こるはずの日常だ。
日常で上等だ。特別なんて私には必要ない。
私は嬉しかった、その日常が。

さっきムギの言っていた事が理解できてくる。
「私の中のりっちゃん達が私を励ましてくれたの」ってムギの言葉。
傍にいるだけが仲間じゃない。
傍にいる事に越した事はないけど、傍にいなくても仲間は胸の中にいてくれる。
だから、ムギは泣くのをやめる事ができたんだ。
私もそうなんだって気付いた。
世界の終わりが辛くて悲しいのは仲間がいるからだけど、
世界の終わりを直前にしても前に進もうと思えるのは仲間のおかげなんだ。
当然だけど、皆が傍にいないのは寂しくて胸が痛む。
でも、それ以上に安心できて嬉しくなるし、胸が熱くなってくる。
私はまだ生きている。
私達はまだ生きていられる。
だから、逃げたくないし、世界の終わりに負けたくない。
もうすぐ死んでしまうとしても、それだけは嫌だ。嫌なんだ。
そうか……。
私があの時、澪の前で泣き出してしまった理由は……。
415 :にゃんこ [saga]:2011/07/27(水) 22:52:45.37 ID:X9dpuirv0
演奏が終わる。
一度もミスをする事なく、ムギとの演奏を終えられた。
完璧に合わせる事ができた。
ムギの演奏だけじゃなくて、私の中の皆の演奏とも。
心地良い疲れを感じながら、私はムギに声を掛ける。

「やっぱドラムとキーボードだけってのは寂しいよな」

「うん。それはそうよね。流石に少し無理があったね」

そう言いながら、ムギも微笑んで私を見ていた。
多分、私がすごく嬉しそうな顔をしてたからだろう。
仕方ないじゃないか。すごく嬉しかったんだから。

「ありがと、ムギ。
ムギの言いたい事、何となく分かったよ。
言葉にはしにくいけど、心の中では分かった気がする。
仲間と離れたくはない。離れてても平気なはずない。
だけど……、離れてても私達の中には、良くも悪くも仲間がいるんだよな……。
ドラムを叩いてると聞こえるんだよ、皆の演奏が。
それが辛いんだけど、悲しいんだけど……、それ以上に嬉しい……な」

「私も聞こえたよ、皆の演奏。
だから、もっと頑張らなくちゃって思うの。
それと、私の方こそありがとう、りっちゃん。
涙が止まらなったのはりっちゃん達がいたからだけど、
涙を止められたのもりっちゃん達のおかげなの。
だから、本当にありがとう、りっちゃん」

「考えてみりゃ、
私の勝手でムギを軽音部に引きずり込んだわけだけど、
今思うとそうしてて本当によかったと思うよ。
私の我儘に付き合ってくれて、ありがとな、ムギ」

「ねえ、りっちゃん?
私の持って来るお菓子、好き?」

唐突に話題が変わった。
ムギが何の話をしようとしているのか分からない。
私は面食らって変な顔をしてしまったけど、素直に頷く事にした。

「勿論好きだぜ?
美味しいもんな、ムギの持って来るおやつ。
前持って来てくれたFT何とかって紅茶も美味しかったしな」

「FTGFOPね。
今日も持って来てるから、後で淹れてあげるね」

「おっ、ありがとな、ムギ。
そういや、もしかしたら軽音部が廃部にならなかったのって、ムギのおかげかもな。
唯が入らなきゃ廃部になってたわけだけど、
唯の奴、ムギのおやつがなかったら、うちに入ってなかった可能性が高いからな……。
あっ、やべっ。冗談のつもりだったけど、何だか本当にそんな気がしてきた……。
……本当にありがとな、ムギ。その意味でも!」
416 :にゃんこ [saga]:2011/07/27(水) 22:54:58.75 ID:X9dpuirv0
私のお礼にムギは微笑んだけど、急に表情を曇らせて目を伏せた。
ムギがそんな表情をする必要なんて無いのに、何があったのか不安になった。
目を伏せたままで、ムギが小さな声で呟く

「そのお菓子をね……、
本当は私のために持って来てたって言ったら、りっちゃんは私を嫌いになる?」

「え? 何だよ、いきなり……」

「私ね、皆に美味しいお菓子を食べてもらいたかったの。
皆が喜んでくれるのは嬉しいし、皆の笑顔を見るのが好きだったから。
でもね……、それだけじゃないの。
ずっと隠してたけど、私ね、皆が喜んでくれるのが嬉しいから、
自分が嬉しくなりたいから、お菓子を持って来てたんだ。
「ムギちゃん、すごい」って言われたくて、自分のために持って来てたの」

「でも、それくらい誰だって……」

「ううん、最後まで聞いて。
それにもう一つ隠してた事があるの。
私、恐かったの……。
お菓子を持って来ない私を好きになってもらえる自信がなかったの……。
お菓子を持って来ない私なんて要らないって言われるのが恐くて、
だから、そんな私の我儘を通すためにずっとお菓子を持って来てた。
ねえ、りっちゃん?
そんな自分勝手な私の話を聞いてどう思う?
嫌いに……、なっちゃったかな……?」

そんな事で嫌いになるかよ!
ムギの気持ちは分かる。本当によく分かる。
私も恐かった。
いつも明るく楽しいりっちゃんって言われるけど、
そうじゃない私が人に好かれるか恐くなった事は何度もある。
たまに落ち込んで辛い時もあったけど、
そんな時でも無理して明るい顔をしてた。
恐かったからだ。明るくない自分が拒絶されるのが恐かったから。
だから、ムギの言う事がよく分かるんだ。
確かにそれは自分勝手かもしれないけど、そんな事で嫌いになるわけなんてない。

私はそれをムギに伝えようと口を開いたけど、それが言葉になる事はなかった。
言葉にする直前になって、
そのムギの言葉が新曲の演奏前に、私がムギに言っていた事と同じだと気付いたからだ。
そうだよ……、何を言っちゃってたんだよ、私は……。
自分勝手に動いてる罪悪感に耐え切れなくて、ムギに弱音を吐いてただけじゃんかよ……。
真の意味で自分の馬鹿さ加減に呆れてきて、放心してしまう。
そんな間抜けな表情を浮かべる私とは逆に、柔らかく微笑んだムギが続けた。
417 :にゃんこ [saga]:2011/07/27(水) 22:58:57.52 ID:X9dpuirv0
「分かってくれたみたいね、りっちゃん。
だから、自分の事を自分勝手だなんて、我儘だなんて思わないで。
誰かのために何かをしてるみたいで、
本当は全部自分のためだったなんて、誰だってそうなんだって私は思うの。
私だってそうだし、本当の意味で誰かのために何かを行動できる人なんていないと思うわ。
皆、自分の得のために、誰かの手助けをするの。
自分を好きになってもらうためだったり、自分をいい人だと思うためだったり、
でも、それでいいんだと思うわ。
それにね……、それでも私は嬉しかったの。
軽音部に入って、皆の仲間に入れてもらえて、すっごく嬉しかった」

「私だって……。
私だって、ムギが仲間に入ってくれてすごく嬉しかった。
澪にも言ってないけど、実はムギが入部してくれた日さ、
家に帰った後も布団の中で何度も何度もガッツポーズするくらい嬉しかったんだ。
本当に嬉しかった」

二人とも、いや、多分、誰でも自分のために生きてる。
自分のためにしか生きられない。
でも、ムギはそれでいいと言ってくれた。
私が私のためにムギを部に誘ったとしても、それがすごく嬉しかったからだ。
それを私に気付かせてくれるために、
隠してたかったはずのムギ自身の本音まで教えてくれて……。
私のせいでそんな事をさせてしまって、またムギに謝りたくなってしまう。
いや、きっとムギはそんなの望まないだろう。
今はごめんなさいって言葉よりも、ありがとうって言葉が必要なんだ。
だから、私はムギに感謝する。
仲間になってくれて、親友になってくれてありがとう。
心からそう伝えたい。

だけど、最後に一つだけ……。
私の最後の不安をムギに聞いてもらいたいと思う。

「私は我儘だと自分でも思う。でも、本当にそれでいいのか?」

「いいの。りっちゃんは我儘でもいい。
りっちゃんの我儘の中は、単に我儘だけじゃなくて、
私達の事を考えて言ってくれる我儘の方が多いんだから。
それが私達には嬉しいの。
りっちゃんの我儘のおかげで、私達は軽音部でとても楽しかったんだしね。
だから、もっと自分に自信を持って。
私達に自慢の部長って自慢させてほしいな」

「だけど、思うんだよな。
たまに私は度の過ぎた我儘を言っちゃう事があるって。
それで何度も皆を傷付けた事があると思ってる。
もしもまたそうなっちゃったら……。
気が付かないうちに皆を傷付ける我儘を言っちゃってたら……」

「大丈夫よ。その時は……」

言葉を止めたムギが、右手で自分の右目を吊り上げ、左手で何もない場所を軽く殴る。
何だか見慣れた光景を思い出す。

「その時は澪ちゃんが叩いてくれるよ」

言って、ムギが吊り上げてた目を元に戻す。
ツリ目で左利きの拳骨……、澪の物真似のつもりだったらしい。
そういや、マンボウ以外のムギの物真似は珍しい。
少しおかしくなって笑いをこぼしながら、私は自分に言い聞かせるように呟いた。
418 :にゃんこ [saga]:2011/07/27(水) 22:59:29.67 ID:X9dpuirv0
「そっか……。そうだよな……」

「勿論、そんな時は私達だってちゃんと言うよ。
唯ちゃんは突っ込んでくれるだろうし、きっと梓ちゃんも注意してくれる。
私だってりっちゃんのおやつを抜きにしちゃうからね」

「それだけは勘弁してくれ……」

うなだれて呟きながらも、私は嬉しくて泣きそうになっていた。
私が失敗してしまっても、注意してくれる仲間がいる。
そう思う事で、すごく安心できる。
おやつ抜きは嫌だしな。
最初こそ私の我儘から始まった部活だったけど、
皆にとってこんなにも大切な居場所にする事ができたのか……。
もうすぐ失ってしまうこの部活だけど、
このままじゃ終わらせない。絶対に終わらせてやらない。
もう世界の終わりになんか負けるもんか。

「ありがとう、ムギ」

これまで何度も言ってきた言葉だけど、
こんなに心の底から滲み出て、極自然にありがとうと言えたのは初めての気がする。

「どういたしまして」

ムギがとても綺麗な笑顔で微笑む。
私は照れ臭くなって、両手に持ったスティックを叩き合わせる事で誤魔化す事にした。

「よし。じゃあ、練習続けるぞ、ムギ!」

「あいよー!」

唯みたいな返事をして、ムギがまた演奏を始める。
私も難しい新曲に体当たりでぶつかっていく。
私達の音楽を、奏でる。
そこにいないメンバーの曲を心で再現しながら、未完成な曲を心で完成させる。
難易度の高いパートを終え、曲の繋ぎのパートに入った時、急にムギが演奏を止めた。
私も手を止め、振り返って私の方を見るムギに視線を向ける。
ムギがミスをしたわけじゃないし、私だってミスしてない。
急な訪問者があったわけでもない。
何の前触れもなく、唐突にムギが演奏を止めたんだ。
でも、その急展開の理由には、私にも心当たりがあった。
もしかしたら……。

「なあ、ムギ。ひょっとして……」

「うん、ごめんね……。
難しい所が終わって気を抜いてる私の中の唯ちゃんがギターを失敗しちゃって……。
それが気になって演奏止めちゃった……」

「確かにそこ何度も唯がミスした所だよな。
実を言うと、さっき私の思い出してる時も唯がそこでミスしてたし。
難易度の高い所はできるのに、何でそこが終わると気を抜いちゃうんだ……、
って、うおい!
そこまで再現せんでいい!」

長い乗り突っ込みだった。
私達の心の中にはいつだって軽音部の仲間がいる。
いい意味でも、悪い意味でも……。
今回は悪い意味だったみたいだけど。
勿論、それが嫌なわけじゃない。
ムギがばつの悪そうに苦笑して、私もそのムギに合わせて笑った。
明日、唯に会ったら、このパートを重点的に気を付けるように言っておこう。
419 :にゃんこ [saga]:2011/07/27(水) 23:03:36.23 ID:X9dpuirv0


此度はおしまいです。
ムギ編もこれでおしまい。
長かったですね。

いつもお読み頂き、ありがとうございます。
原作の『終末の過ごし方』ですが、プレイしてもネタバレ要素は少ないかもしれません。
『終末〜』なのは設定だけで、このSSのほとんどは『けいおん!』寄りなので。
プレイしてたら、ニヤリと出来るくらいだと思います。
でも、いいゲームなんで、機会があればプレイしてみて下さい。
420 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/27(水) 23:25:13.37 ID:bibpY6gko
ムギ編も面白かった
421 :にゃんこ [saga]:2011/07/31(日) 21:15:23.78 ID:bwm/XcdO0





六回くらいムギと新曲を合わせ終わった時、
私は軽音部に向かってくる忙しない足音に気が付いた。
多分、走ってるんだろうその足音。
それは待ち合わせに遅刻しそうな時に唯が立てる足音に似てたけど、
今日は唯は憂ちゃんと過ごすはずで、ここには来ないはずだった。
勿論、澪の足音ともかなり違う気がする。
つまり、軽音部に近付いて来ているこの足音の持ち主は……。

私の身体が小さく硬直する。
心臓の鼓動が僅かにだけど速くなる。
逃げ出したあいつの姿を思い出して、胸が痛んでくる。
正直、辛いし、若干逃げ出したくもある。
でも、もう逃げられないし、逃げたくない。
まだ確認は取れてないけど、何が起こってもおかしくないこの時期、
あいつにあんな夜の道を一人で出歩かせるような事だけは、もうさせちゃいけない。
もう私があいつに嫌われているんだとしても、
嫌われてるなりにしなきゃいけない事もあるはずだ。

私は頷いて、スティックを片付ける。
近付いて来る足音をじっと待つ。
ふと視線を送ると、ムギもどこか緊張した表情で唇を閉じていた。
ムギは鈍感じゃない。
人の気持ちを察する事ができるし、近付く足音の持ち主が誰かも分かってるはずだ。
ムギも私と同じ気持ちなんだな……。
そう思うと勇気が湧いてくる。
今度こそあいつと向き合うんだって、そんな気持ちにさせてくれた。

「おはようございます!
すみません、遅くなりました!」

扉が開いて、挨拶が部室内に響く。
私はムギと二人で部室の扉の方向に視線を向ける。
勿論、扉を開いたのは私達の小さくて唯一の後輩の梓だった。
走ってたせいか息を上げて、ほんの少し汗も掻いてるみたいだ。
昨日までは制服で部室に来てたのに、
今日の梓は何故か私服なのが少し気になる。

「おう、おはよう」

自分の掌にも汗を掻くのを感じながら、私は何気ない素振りで声を掛ける。
これから重大な話をしなきゃいけないんだと思うと、やっぱり緊張してしまう。

「梓ちゃん、おはよう」

ムギの声も何だか上擦ってるように聞こえた。
ムギも緊張してるんだ。
梓は自分の悩みを私だけじゃなく、誰にも語らなかったし、
それどころか自分が悩んでいる素振りすら誰にも見せないようにしていた。
自分は悩んでない。
誰にも心配される必要はない。
梓のそんな姿はかえって私達を不安にさせる。
『本当に辛い事ほど、「大好き」な人には言えないものだから』。
不意に昨日聞いた和の言葉を思い出す。
梓が私達の事を大好きかどうかは別問題としても、
本当に辛い事ほど誰かに話す事ができないのは確かだと私も思う。
私だってそうだったし、誰だってそうだと思う。
本気で悩んでるんだけど……、
って、自分から切り出すような悩みなんて、きっと本当は大した事じゃない悩みなんだ。

だから、恐い。
梓がどれだけ大きな悩みを抱えてるのか、想像もできない。
そんな悩みを私なんかがどうにかできるんだろうか。
無理じゃないかと思えて仕方がない。
私はちっぽけで凡人の単なる女子高生なんだ。
きっと、私が梓の悩みを探るのは、梓にとっても迷惑に違いない。
それでも、このまま逃げる事だけはしちゃいけないはずだ。
私と梓のお互い……な。
422 :にゃんこ [saga]:2011/07/31(日) 21:16:07.36 ID:bwm/XcdO0
「今日、唯先輩が来ないらしいですね。
憂から聞きました。今日唯先輩と会えないのは残念ですけど……。
でも、唯先輩もちゃんと憂の事を考えてたみたいで、何だか嬉しいです」

寂しげな笑顔で呟きながら、
梓が長椅子に自分の鞄を置きに……いかない。
そりゃそうだ。
今日の梓は私服姿で自分のギターを持ってるだけだった。
どうして私は梓が長椅子に自分の鞄を置きに行くと思ったんだ?
いや、答えは簡単だった。
梓だけじゃない。部室に入った時、私達はまず長椅子に自分の鞄を置きに行くからだ。
誰が決めたわけでもない。
その方が楽だから誰もがそうしてるってだけの習慣だ。
考えてみれば、ここ最近、梓は自分の鞄を持って来てない気がする。
まあ、授業も無いんだから、かさばる鞄を家に置いてるだけなのかもしれないけど。

「あれ?
そういえば澪先輩は?」

梓は唯だけじゃなく、澪も部室にいない事に気付いたらしい。
部室内を見回しながら、何でもない事みたいに訊ねてきた。
そうだ。梓は今日澪も来ない事を知らなかったんだ。
澪が今日来ないのを知ってるのは、私がそれを話した憂ちゃんだけだからそれも当然だった。
ムギに伝える時もそうだったけど、他に悩みを持ってるはずの梓にはそれ以上に言いにくい。
嫌でも自分の身勝手さを実感させられて、ひどく申し訳なくなってくる。
でも、私はまっすぐに梓の瞳を見つめて、その言いにくい事を伝える事にした。
言わないで終わらせられる事じゃなかったし、
これから私は梓にそれよりもずっと言いにくい事を何度も言わなきゃいけないんだから。

「澪は今日、来ないんだ」

私の言葉に、梓の寂しげな笑顔が硬直した。
私が何を言っているのか理解できないって表情だった。
胸が強く痛い。心が折れそうだ。
梓は特に澪に憧れていた。その先輩と会えないなんて、かなりの衝撃だろう。
私なんかで澪や唯の代わりが務まるとも、とても思えない。
梓の中の自分の立ち位置を実感させられて、私の方が辛くなってきそうだ。
自業自得……かもな。
いや、私の辛さなんて、今は関係ないか。
今は梓の辛さや迷いの方に目を向けなきゃいけない時だ。
私は言葉を絞り出して続ける。

「ごめんな……。
別に喧嘩したわけじゃないんだけど、今日はさ、澪は……」

私のその言葉は最後まで伝える事はできなかった。
突然、梓が泣き出しそうな表情に変わって、
ギターの『むったん』も置かず、そのまま部室から飛び出してしまったからだ。
止める時間も隙もない。
本当に一瞬と言えるくらいの時間に、梓は部室からいなくなってしまった。
423 :にゃんこ [saga]:2011/07/31(日) 21:18:31.29 ID:bwm/XcdO0
私は呆然とするしかなかった。
そこまで……なのか?
そこまで私は梓に疎ましく思われてるのか?
唯と澪が傍にいなければ、話もしたくないくらいに私を嫌ってるのか?
嫌われてるなりに……とは思ってたけど、
ここまで嫌われてるなんて私は……、もう……。
陳腐な言い方だけど、心のダムが決壊してしまいそうだった。
ダムが決壊して、涙腺が崩壊して、その場で壊れるくらいに泣きじゃくりたい気分だ。
そんなに梓は私の事を嫌ってたのかよ……。

「りっちゃん……」

ムギが私に声を掛ける。
考えてみれば、ムギも同じ立場と言えるのかもしれない。
こんなのムギだって辛いはずだ。
泣きたくて仕方がないはずだ。
そう考えて、振り返って見てみたムギの表情は辛そう……じゃなかった。
私の予想とは裏腹に、ムギは意志を固めた強い表情で私を見ていた。
自分の辛さなんかより、優先しなきゃいけない事を分かっいてる表情。

「りっちゃん!」

もう一度ムギが言うけれど、
やっぱり情けなくて弱い私は、
辛さに沈み込みそうで、
今にも泣きそうで仕方がなくて、
私は……、私は……。

「うおりゃあっ!」

大声を出して、私はドラムの椅子から立ち上がる。
歯を食い縛り、なけなしの想いを奮い立たせて、無理矢理に立ってみせる。

「追い掛けるぞ、ムギ!」

大声でムギに宣言する。
ムギが嬉しそうに私を見てくれる。
分かってる。
立ち上がれたのは別に私自身の力ってわけじゃない。
だからってムギが励ましてくれたからでもない。
そうだ。私達は二人だから……、今は二人だから、一緒に強くいられたんだ。
その場で泣くんじゃなくて、梓をどうにかしなきゃって思えたんだ。
そういう事なんだ。
424 :にゃんこ [saga]:2011/07/31(日) 21:19:42.30 ID:bwm/XcdO0
「うん!」

ムギがキーボードの電源を落として、力強く頷く。
二人で部室の扉を開き、お互いにお互いを奮い立たせて駆け出していく。
部室を飛び出し、階段を駆け降りて、一瞬私達の動きが止まる。
梓の事で不安になったわけじゃない。
その気持ちはずっと心に抱いてるけど、
そんな事ではもう私達の脚や心は止められない。
動きが止まったのは、単に梓がどこに走って行ったのか見当も付かなかったからだ。
普通ならここで私達の思い出の場所なんかを捜すんだろうけど、
残念だけど私達と梓の思い出の場所は軽音部の部室なんだ。
軽音部の部室から出てきた以上、私達はどこか別の場所を捜さなくちゃいけない。
梓はどこだ……?
教室か? 体育館か? 保健室か?
それとももっと予想外の場所なのか?
下手すりゃ学校外に出てる可能性も……?
仕方ない。
ひとまずムギとは二手に分かれて片っ端から……。

「律先輩! ムギ先輩!」

瞬間、私達は呼ばれ慣れた呼び方で、遠くから誰かに呼ばれた。
でも、そう呼ぶのは梓だけのはずだなんだけど、その声は梓の声とは違っていた。
それなら誰が私達を呼んだんだ?
声がした方向を見回し、その声の持ち主が近付いて来るのを見付けて思い出した。
そういえば、あの子も私達を梓と同じ呼び方で呼んでいた。
クルクルしたツインテールの梓の親友……、純ちゃんも。
425 :にゃんこ [saga]:2011/07/31(日) 21:21:20.09 ID:bwm/XcdO0


今回はここまでです。
最近忙しくて、ちょっと短いなあ。
面目ないです。

また梓編かと思いきや今度は純編。
引っ張る。まだ引っ張るのか。
426 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/31(日) 21:24:24.12 ID:ZnvwJxZro
乙。マイペースでやってくだせぇ
427 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/07/31(日) 22:05:57.71 ID:Klm9mIkno
乙!
そして純ジュワ〜щ(゚д゚щ)
428 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/01(月) 02:54:49.12 ID:WsUJvlISO
忙しいなか更新おつー
数日おきに読めるだけでもありがたい
429 :にゃんこ [saga]:2011/08/02(火) 22:27:09.14 ID:02RQBnjM0





純ちゃんが息を切らし、可愛らしい癖毛を振り乱して駆け寄って来る。
今まで見た事もない、とても深刻な表情を浮かべて。
純ちゃんの事をそんなによく知ってるわけじゃない。
だけど、純ちゃんがこんなに必死な表情を浮かべる事なんて、滅多にないはずだった。
いつも笑顔ってわけじゃないけど、
私の知ってる純ちゃんは静かに微笑んで梓を見守ってくれる子だった。
つまり、よっぽどの事が起こったんだ、きっと。

「どうしたんだ、純ちゃん?」

駆け寄って来る純ちゃんの方に私達も向かう。
今は梓を追い掛けなきゃいけない時だけど、純ちゃんの事も放ってはおけなかった。
それに純ちゃんが深刻な表情で私達を呼び止める理由なんて、梓以外の理由であるはずがない。
私とムギも必死に廊下を駆ける。
私達と純ちゃんの距離は歩いて十秒掛かる距離ですらなかったけど、今はそんな時間ももどかしかった。
一秒でも早く純ちゃんと話がしたかったんだ。
私達と純ちゃんの距離が手が届くくらいになった時、私は純ちゃんの両肩を掴んで矢継ぎ早に訊ねた。

「何? どうしたの? 梓に何かあったの?
もしかして走るスピードが速過ぎて、転んで怪我したとか?
それとも、階段から転がり落ちたとかか?
梓は大丈夫なのか? 無事なのか?
怪我してるんだったら、すぐに保健室かどこかで治療しないと……」

早口にまくしたて過ぎてたかもしれない。
でも、私の言葉は止まらなかった。
梓が私の事を嫌いでもいい。
この際、世界が終わるのだって別問題だ。
せめて世界が終わるまでは、梓には怪我もなく無事にいてほしい。
誰だろうと何だろうと梓を傷付けさせたくない。
勿論、私自身も含めて、梓を傷付けるものを許したくなかった。

「りっちゃん、落ち着いて」

私の後ろまで駆け寄って来ていたムギが私の肩に手を置く。
落ち着けるはずない。そんな事をしている余裕なんてない。
落ち着いてなんて……。
不意に。
目の前の純ちゃんの表情が少し緩んだ事に私は気が付いた。

「純ちゃん……?」

「いえ、すみません。ちょっと嬉しくて……」

必死だった表情がどこへ行ったのか、
純ちゃんの表情は普段梓を見守ってくれるような優しく静かな微笑みになっていた。
嬉しい……?
純ちゃんが何を言っているのかは分からない。
でも、少なくとも純ちゃんの表情を見る限りは、
梓が怪我をしたとか、梓に何かの危険が迫ってるとか、そういう事は無さそうだった。
私は純ちゃんの両肩を掴んでいた手から力を抜いて言った。

「梓は無事なんだよね……?」

「はい、お騒がせしてすみません、律先輩。ムギ先輩も……。
梓は怪我なんかしてません。変質者に襲われてるって事もないですよ。
そういう意味では梓は大丈夫です」

「そういう意味で……?」

私がそう疑問を口にすると、また急に純ちゃんが真剣な表情になった。
さっきまでの深刻そうな表情とは違って、
自分が言うべき事を口にしようって強い意志を感じる表情に見えた。
純ちゃんは真剣な表情のままで口を開く。

「あの……、律先輩……?
律先輩は梓を苛めたりなんかしてませんよね?」

「え? 何なの、いきなり……。
そんな……。私は梓を苛めてなんて……」
430 :にゃんこ [saga]:2011/08/02(火) 22:29:32.52 ID:02RQBnjM0
いきなり過ぎる。純ちゃんは何を言ってるんだ。
私は梓を苛めてない。苛めるはずなんかない。
でも、自信を持って「苛めてない」と言えない自分も確かにいた。
梓が軽音部に入って以来、私は小さな後輩ができた事が嬉しくて、
梓をいじったりからかってきたし、何度も迷惑を掛けてきたとも思う。
だけど、それは全部梓が可愛くてやってきた事だ。
梓の事が好きだから、からかいながら一緒に楽しみたかった。

梓はそれをどう思っていたんだろう?
やっぱり迷惑で頼りない部長だって思ってたんだろうか?
もしかしたら、自分は苛められてると思っていたのかもしれない。
だから、この時期になって、私から何度も逃げ出しているのかもしれない。
梓は私に苛められてると思ってたのかもしれない。
私に苛められてるって純ちゃんに相談したりもしてたのかもしれない。
……私は梓にどう思われてるんだ?
どんなに決心しても、結局は何度も考えてきた壁にぶち当たる。
無限に迷路を迷い続けてるみたいに、無限に何度も……。

「違うよ!」

唐突に廊下に大きな声が響いた。
私の声でも、純ちゃんの声でもない。
勿論、私と純ちゃんのやりとりを後ろから見ていたムギの声だった。
振り返って見てみると、ムギが今にも泣きそうな顔で胸の前で拳を握り締めていた。

「違うよ、純ちゃん……!
りっちゃんは梓ちゃんを苛めたりしてない。
苛めたりなんかしない!
りっちゃんは……、りっちゃんはとっても梓ちゃんの事を大切に思ってるもの!
りっちゃんは私達の自慢の部長なんだから……!
勿論、私だって梓ちゃんの事が大切で……。
だから……、だからね……、りっちゃんは……!」

それ以上、言葉にならない。
涙を堪えるので精一杯なんだ、って思った。
何だよ……。
ムギは世界が終わる事も我慢できるのに……、
それだけの強さがあるくせに……、
私の事なんかで泣きそうにならないでくれよ……。
涙を流しそうにならないでくれよ……。
でも、思った。
梓にどう思われてるのかは分からないけど、
少なくともムギは私をそういう風に見てくれてたんだって。
梓を大切にしてると思ってくれてたんだって。
こんなに皆に支えられてる私を自慢の部長だって思ってくれるんだって……。

だから、私は言った。
少なくともムギの前では自慢の部長でいられるように。

「私はさ、純ちゃん……。
これまで梓を苛めた気はこれっぽっちもないけど、梓にどう思われてるか分からない。
ひょっとしたら、梓の方は私の事を嫌な先輩だって思ってたのかも……。
でもさ、本当にそうだとしたら私は梓に謝るよ。
だって、私は梓が大切だし、梓にとっても自慢の部長になりたいからさ」

まったく……、私は何度も回り道をし過ぎだった。
どんなに決心しても、結局は何度も考えてきた壁にぶち当たる。
無限に迷路を迷い続けてるみたいに、無限に何度も……。
でも、発想の転換が得意なひらめきりっちゃんと言われる私とした事が、
どうしてこんなに単純な事に気が付かなかったんだろう。
無限に迷い続けて何度も壁にぶつかるなら、その壁を壊せばいいだけの事なんだ。
どう思われてるかなんて、結局は本人に聞くしかないんだ。
そして、今がその時だった。
いや、ひらめきりっちゃんって呼び名を考えたのも、今だけどな。

「ごめんな、何度も何度も……。
でも、もう大丈夫。大丈夫だよ。
無理もしてないし、落ち着いて梓と話せると思う。
もしも梓に本当に嫌われてたらさ……。
その時はムギが慰めてくれよな」
431 :にゃんこ [saga]:2011/08/02(火) 22:30:19.03 ID:02RQBnjM0
私は軽く微笑みながら、まだ泣きそうな顔をしてるムギの頭を撫でる。
私は本当に無力で、一人じゃ何もできない。
仲間がいなきゃ、何もできやしない。
でも、仲間がいるから……、もう大丈夫だと思う。
またいつか迷う事もあるだろうけど、その時もきっと仲間がいてくれるだろう。

「うん……。
うん……!」

泣きそうな顔で、ムギが笑う。
その顔を見て、ムギは本当に可愛いな、ってこんな時だけど私は思った。
可愛くて、無邪気で、優しくて、強くて……。
そんなムギが部員でいてくれて、よかった。

唇を引き締め、純ちゃんに視線を戻す。
上手く伝わったかは分からないけど、
私達の梓に対する想いが少しでも伝わってたらいいなと思う。
純ちゃんはもう少しだけ真剣な顔を崩さなかったけど、
いつしか安心したような笑顔になっていた。

「変な事を聞いてすみません、律先輩。
だけど、確かめておきたかったんです。
今日、私、最近の梓の様子が気になって学校に来たんですけど、
さっき廊下を泣きそうな顔で走ってく梓を見たんです。
私が声を掛けても、返事もしないですごい勢いで走り去って行きました。
すごく……辛そうな顔で走って行ったんです」

「確かめておきたかった……、って?」

「まさかとは思ったんですけど、
もしかしたら、梓は軽音部の皆さんに苛められてるんじゃないかって思ったんです。
そんな事はないって信じてます。
信じてましたけど……、あんな顔の梓を見るとどうしても不安になっちゃって……。
律先輩だけじゃなくて、ムギ先輩にも失礼な事をしてしまって……、本当にすみませんでした」

「ううん、いいの。
純ちゃんは本気で梓ちゃんを心配しててくれたんでしょ?
だから、いいの。
私の方こそ、大きな声を出しちゃってごめんね……」

ムギが申し訳なさそうに頭を下げる。
純ちゃんの方は少し動揺した表情になって、胸の前で手を振った。

「い、いえいえ!
失礼な事をしたのは私の方なんですから、謝らないで下さい。
悪いのは私の方なんで……!
でも……」

「でも?」

「苛めはないにしても、梓が悩んでるのは軽音部の事だと思うんです。
この一週間、梓の様子がおかしいのは皆さんも分かってると思います。
私もそれを何度か梓に訊ねてみたんですけど、
梓ってば辛そうに「大丈夫。何でもないから」って答えるんですよ。
何でもないはずないのに、梓ってば何を言ってるのよ、もう……!」

苛立たしそうに純ちゃんが地団太を踏む。
何も言わない梓に苛立ってるってのもあるんだろうけど、
そんな親友に何もしてあげられない自分にも苛立ってるんだろう。
これまでの私達がそうだったみたいに……。
432 :にゃんこ [saga]:2011/08/02(火) 22:30:56.03 ID:02RQBnjM0
だけど、そうなると梓は軽音部どころか、親友にも何も相談してないみたいだ。
この調子だと家族にも何も伝えずに、自分一人で悩みを抱え込んでるんだろう。
一体、何をそんなに悩んでるってんだ……。
って、そういやさっき純ちゃんが気になる事を言ってなかったか?
私はおずおずとそれを純ちゃんに訊ねてみる。

「なあ、純ちゃん。
梓の悩みが軽音部の事……、ってのは?」

「あ、いえ、確証はないんですけど、何となくそう思うんです。
私が軽音部の事を話題に出す度に、梓が本当に辛そうな顔をするんですよ。
梓、『終末宣言』の前から皆さんの卒業が近付いてるのが寂しいみたいで、たまに憂鬱そうでした。
最近の梓の様子は何だかその憂鬱が悪化したみたいに見えるんです。
私が軽音部の話をしようとすると、怯えてるみたいに小刻みに震え出すくらいなんです。
梓は必死にそれを私や憂に気付かれないようにしてるみたいですけど……」

「そっか……。
そりゃ確かに軽音部で苛めがあるんじゃないか、って純ちゃんが思っても仕方ないな。
でも、軽音部の事で、一体何の悩みがあるんだ……?
私の事が嫌いなら、もうそれでもいい。
だけど、話を聞く限りじゃ、どうもそんな程度の問題じゃなさそうだし……」

「梓はその何かを終焉よりも恐がってると思います。
梓にとって、終焉より、自分の死よりも恐い何かって、何なんでしょう……。
それもそれが軽音部の事でなんて……。
悔しいなあ……。こんな事ならもっと早く軽音部に入っておけばよかった……」

「純ちゃん、軽音部に入ってくれるつもりだったの?」

私が訊ねるより先に、ムギが言葉に出していた。
何だかその声色には喜びが混じってるような感じもする。
ムギの言葉に、純ちゃんは「しまったなあ」と呟いて苦笑した。

「梓には言わないで下さいよ?
実は私、皆さんが卒業した後、憂と一緒に軽音部に入部するつもりだったんです」

「憂ちゃんも?」

「はい。私が頼んだら憂は梓のためならって、快く引き受けてくれました。
私もジャズ研の事は惜しいですけど、やっぱり梓を放っておけませんから。
これ本当に梓には言わないで下さいよ?
こういうのは相手に知られないでやるのがカッコいいんですから」

照れ臭そうに純ちゃんが笑う。
梓もいい親友を持ったんだな、と嬉しくなってくる。
私の隣にいるムギも嬉しそうだ。
でも、その純ちゃんの笑顔が少しだけ曇った。

「まあ、終焉のせいで、その計画も無駄になっちゃいましたけどね……」

終焉……、世界の終わりは私達からあらゆるものを奪っていく。
計画や予定、未来を奪い去る。
だけど……。

「無駄にさせないよ」

私は言った。
まだ遅くはないはずだ。まだ間に合うはずなんだ。

「世界の終わりを止めるのは無理だけど、純ちゃんのその気持ちは絶対に無駄にしない。
軽音部に入ろうとしてくれてた事は秘密にするけど、
それくらい梓の事を思ってくれた親友がいた事だけは絶対に梓に伝える。
無駄にしちゃいけないんだ」

純ちゃんの瞳を覗き込んで、私は心の底から宣言する。
強がりじゃないし、純ちゃんのためでもない。
私がそうしたいと感じたいから、そうするんだ。
433 :にゃんこ [saga]:2011/08/02(火) 22:31:48.05 ID:02RQBnjM0
「カッコいい……」

不意に純ちゃんがそう呟いたけど、すぐにはっとして自分の口元を押さえる。
私は悪戯っぽく微笑み、照れた様子の純ちゃんの前で右手の親指を立てた。

「お、私に惚れ直したかい? 私に惚れると火傷するぜ?」

「え……、遠慮しときます! 私には澪先輩がいるんで!」

そりゃ残念だ、と私が頬を膨らませると、純ちゃんが小さく笑う。
それから聞き取るのが難しいくらい小さな声で、何かを呟いた。

「もう……、面白いなあ、律先輩は……。
本当に先輩なのかな、この人は……。
でも、そんな律先輩が梓も好きなんだよね……。
ちょっと悔しいけど、律先輩なら……」

「ん? どしたの?」

「律先輩。
実は私、梓が今どこにいるか知ってるんです」

「本当っ?」

「はい。梓を追い掛けて、どこに入っていくかも見届けましたから。
ここから距離はありませんし、まだそこにいるはずです。
でも……」

そこで言葉を止め、純ちゃんは人差し指を立てて凛々しい顔になった。
何だか年上のお姉さんのような仕種だった。

「最初に言っておきますよ?
これから私は先輩達に梓の居場所を教えます。
でも、それは先輩達に梓の事を任せるって事じゃありませんよ。
多分、梓の抱えてる悩みは軽音部の事だから、
私は先輩達に梓の居場所を教えてあげるんです。
軽音部の悩みじゃ、私には梓に何もしてあげられないじゃないですか。
だから、軽音部の問題は軽音部の皆さんで解決して下さい」

そう言った純ちゃんの頬は少し赤味を帯びていた。
梓の問題を私達に任せるのが悔しく、
同時にそれを素直に表現できない自分が恥ずかしいんだろう。
その気持ちは私にも分かる。
もしも澪が何かの悩みを抱えていて(今抱えてる悩みじゃなくて、あくまで仮の話で)、
それを解決できるのが自分じゃない誰かだったとしたら、私も悔しくて堪らないと思う。

気が付けば私は口を開いていた。
純ちゃんを気遣ったわけじゃなく、素直な気持ちが言葉になっていた。

「分かってるよ。任されたなんて思ってない。
そうだな……。
言うならこれは軽音部の私達と、梓の親友の純ちゃんの共同作業なんだ。
純ちゃんは軽音部の問題に口出しできないから、私達が梓と話をする。
私達は梓の悩みが軽音部の何かだって事を分かってなくて、それを教えてもらえた。
これから梓の居場所も教えてもらえるしな。
だからこれは、誰が欠けてもできない律ムギ純の共同作業なんだよ」

伝えるべき事は全て伝えたつもりだ。
純ちゃんがそれをどう受け取ったかは分からなかったけど、
しばらくして純ちゃんは困った顔で微笑んでくれた。
434 :にゃんこ [saga]:2011/08/02(火) 22:32:25.16 ID:02RQBnjM0
「律ムギ純って……。
他に言い方なかったんですか?」

「え? 駄目だった?
私的に会心の出来だったんだけど……」

「全然駄目ですよ。カッコよくないです。
でも、共同作業って言葉は気に入りました。
意外とやりますね、律先輩」

「意外とってどゆことかなー……」

手を伸ばして、純ちゃんのモコモコしたツインテールをくしゃくしゃに弄ってやる。
癖毛を弄るのはあんまり好ましいと思われないだろう事だったけど、
純ちゃんは梓がたまに見せる甘えたような表情を見せた。
こう見えて、純ちゃんもやっぱり後輩なんだな。

「最後に一つだけ聞きたい事があります」

私にツインテールを弄られながら、純ちゃんが真顔で私とムギの顔を見渡して言った。

「先輩達は梓の事をどう思ってるんですか?」

「大切な仲間だ!」

「大事な後輩よ!」

私とムギの答えが重なる。
流石に一言一句同じとはいかなかったけど、二人の想いは一緒みたいだった。
私達の答えを聞いて、純ちゃんは満足そうに頷く。

「分かりました。これから梓の居場所を教えます。
軽音部の部室で待ってますから……、
絶対に笑顔の梓を連れて帰って来て下さいよ?」

「当然だ!」

「勿論!」

また私とムギの言葉が重なって、純ちゃんが嬉しそうに笑った。
435 :にゃんこ [saga]:2011/08/02(火) 22:36:09.87 ID:02RQBnjM0


今日はここまでです。
純ちゃん編もこれにて終了。

話もようやく佳境に入ってまいりました。
この展開がよく分からんとか、この伏線はどうなったんだ、みたいな事があれば何でも聞いてください。
少しでもお役に立てる答えを返せたらと思います。
いや、ひょっとすると自分でも忘れてる伏線があるかもなんで……。
そんなことはないと思いたいのですが。
436 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/02(火) 23:53:39.87 ID:J4QDh1tXo

もう佳境なのか
梓の行動とかが気になってたけど
いよいよ解き明かされるのね
437 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/08/04(木) 23:54:39.82 ID:OnGsCNDS0

次回も楽しみだ
438 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:33:20.38 ID:9FBCI9DI0





教室に前後があるかどうかは分からないけど、
教壇の方を前と考えると、二年一組の教室の後ろの扉の前。
梓の居場所を教えてもらった後、純ちゃんと別れた私達はそこに立っていた。
梓の居場所がそのまま梓の教室だなんて、何だか馬鹿みたいに単純な答えだった。
分かってみれば簡単ではあるけど、
純ちゃんに教えてもらえてなければ、私達はこんなに早くここには辿り着けなかった。
ずっと後で辿り着けていたとしても、その時間にはもう梓は教室の中に居なかっただろう。
さっき自分で言った事だけど、
確かにそれは私達と純ちゃんの共同作業のおかげだな、と思った。
そうだ。
ムギの励ましと純ちゃんの想いが無ければ、私はここには辿り着けなかった。
辿り着こうとも思えなかったんじゃないだろうか。

勿論、今の私の支えはその二人だけじゃない。
振り返ってみれば、
私の周りでは色んな人たちが世界の終わりを目の前にして、精一杯生きていた。
人を気遣い、たくさんの人を心配している憂ちゃん。
軽音部のために動いてくれてる和。
強く生きるための笑顔を見せた信代。
関係なく見える誰かと誰かでも、決して無関係ではない事を教えてくれたいちご。
人のために動ける私を嬉しいと言ってくれた聡。
この状況でも自分を変えずに生きている唯。
自分を変えて、私達の関係を変えたいと思っている澪。

あれ?
さわちゃんからは何か支えてもらったっけ?
……思い付かない。
突っ込みを鍛えてもらった気はする。
いや、鍛えてもらったっていうか、必然的に鍛えさせられたというか……。
ごめん、さわちゃん。
今度会う時までに考えとくよ。
439 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:35:10.28 ID:9FBCI9DI0
でも、思った。
多くの人達の生き方が私の胸の中でまだ生きてるんだって。
ほんの小さな支えが重なって、そのおかげで私は今ここにいられるんだって。
だから、進める。
進もうって思える。
緊張して胸が張り裂けそうなほど高鳴るけど、足を動かせる。
震える手を押し留めて、二年一組の教室の扉に手を掛ける事ができる。

後ろにいるムギに私は軽く視線を向けた。
胸の前で拳を握り締め、ムギが強い視線を返してくれる。
頑張って、とその視線は言っているように思えた。
そうだ。頑張らないといけない。
梓の悩みを聞き出すのは、私の役目なんだから。

さっき少し相談して、ムギは教室の中に入らない事に決めていた。
それはもしまた梓が逃げ出しても、
すぐに追いかけられるようにムギが待機しておくって意味もあったけど、
それ以上にムギが私を信じてくれてるのが大きかった。
「りっちゃんが梓ちゃんと話すのが一番いいと思う」ってムギは言った。
「私は口下手だし……」と苦笑交じりにそうも言ってたけど、
私は別にムギが口下手だとは思わない。
確かにムギは私達の中では比較的口数が少なめだし、
自分の想いを難しい言葉なんかで表現する事も少なかったけど、
その分自分の考えを単純な言葉でストレートに表現してくれてると私は思う。
「楽しい」とか、「素敵」とか、「面白い」とか、
ムギの言う言葉は本当に単純で、単純なのが嬉しかった。
自分の気持ちを的確に表現できてるし、そういうのは口下手とは言わないはずだ。
むしろ妙に持って回った言い方をしてしまう私の方こそ、本当に口下手って言えるかもしれない。

それでも、ムギは私に梓を任せてくれた。
私なら梓の悩みを聞き出せると信じてくれた。
「梓ちゃんが一番悩みを話しやすいのは、りっちゃんだと思うから」と言ってくれた。
ムギは教室の外で私達を待つ事に決めてくれた。
その想いに応えられるかどうかは分からない。
だけど、もう私は梓の前から逃げたくなかったから。
自分自身の迷いを断ち切るためにも、梓と正面から向き合いたかったから。
私は梓と話をしたい。話したいんだ。
考えてみれば、この一週間、梓とはろくに会話もできてないしな。
顔を合わせながら、一週間も会話できてないなんて辛過ぎるじゃないか……。
ひょっとしたら、ムギは私のその考えを感じ取ってもくれたのかもしれなかった。

どちらにしろ、私にできるのは進む事だけだ。
ムギにもう一度だけ視線を向けてから、私は教室の扉を引いた。
梓から見えないように、一歩引いてムギが廊下に身体を隠す。
結果がどうなろうと、ムギはそこで待っててくれるだろう。
440 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:37:27.71 ID:9FBCI9DI0
「頼もう」

小さく呟いて、私は二年一組の教室の中に足を踏み入れる。
何度か来た事のある教室だけど、入り慣れない梓の教室はとても新鮮に見えた。
いや、そんな事は別にどうでもいい。
教室の扉を軽く閉めてから、私はこの教室に居るはずの梓を捜し始める。
梓はすぐに見つかった。
と言うか、すぐ傍に居た。
教室の廊下側、後ろから三番目の梓の席だった。
私は後ろの扉の方から教室に入ったわけだから、
私から数歩ほどしか離れてない距離に梓は座っていた。

だけど、梓は私の存在には一切気付いてないみたいだった。
私は扉を開いて、「頼もう」と呟き、扉を閉めまでしたのに、
梓はその私の動きに全く気付かなかったようで、自分の席で微動たりともしなかった。
ただ両手で頬杖を付いて、何の動きも見せない。
そんな梓の後ろ姿を見て、私はひどく不安になる。
私はこれまで何度も梓に迷惑を掛けてきたと思うし、それで何度も梓に叱られてきた。
生意気な後輩だと思ったけど、同時に私に突っ掛かって来る梓の姿が嬉しかった。
その梓が私に文句の一つも言わずに、自分の中に悩みを抱え込んでいるなんて。
ずっと逃げ出してた私の姿に気付かないほど、胸の中の悩みに支配されてるなんて……。
この数日で何度も梓から逃げられてしまった私だけど、
そんな抜け殻みたいな梓の姿を見る方が、逃げられるよりも何倍も辛かった。
何とかしないと……。
私が……、何とかしないと……!

唇を閉じ、私は梓との数歩の距離を縮めるために足を動かす。
一歩。
梓が何を悩んでいるのかは分からない。
二歩。
純ちゃんの言うように、本当に軽音部の事を悩んでいるんなら、多分その原因は私だろう。
三歩。
私が原因なら、私はもう梓の目の前から消えよう。それで梓の悩みが晴れるんなら、それもいい。
四歩。
だけど、最後のライブは梓に参加させてやりたい。きっとそれが梓の心の支えになる。
五歩。
そうなると私は最後のライブには参加できなくなるのか。ドラムだけ録音しておくべきか?
六歩。
嫌だ! 本当は私も梓と一緒にライブに参加したい。皆と曲を合わせたいんだ!
そのためには……。
そのために私がするべき事は……!

「……確保」

私は手を伸ばし、梓の頬杖の左腕を軽く掴む。
梓に私の存在を気付かせるために、
それ以上に私の中の不安感を振り払うために、それは必要な行動だった。
441 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:39:04.25 ID:9FBCI9DI0
「えっ……?」

突然の事に驚いた梓が身体を震わせる。
自分の手を掴んだのが誰なのかを確認するために、私の方に視線を向ける。
梓と私の視線が合う。
その一瞬に、気付いた。
梓の顔がひどくやつれ果ててる事に。
頬は軽くこけ、目には深い隈が刻まれて、自慢のツインテールも左右非対称だ。
元気が無いとは思っていたけど、こんなにやつれてるなんて私は気付いてなかった。
気付けなかったのは、ずっと梓が私から視線を逸らしていたからだ。
それでも、梓が視線を逸らすだけなら、私は梓のやつれた顔に気付けたはずだ。
本当に気付けなかった理由はたった一つ。
梓に目を逸らされるのが恐くて、私の方もチラチラとしか梓の姿を見ていなかったからだ。
昨日一度だけ視線が合ったが、その時も遠目で何も気付く事ができなかった。
梓の何を分かってやれる気でいたんだよ、私は……!
心底、自分を軽蔑したくなる。
思わず梓の腕を掴んでいた手に力を入れてしまう。

だけど、梓は言った。
驚いた顔を無理に隠して、力の入らない笑顔まで浮かべて。

「さっきはすみません、律先輩……」

「すみませんって……、おまえ……」

まさか梓の方から謝られるなんて思ってなかった。
面食らった私は、掛けるつもりだった言葉が頭の中で真っ白になっていくのを感じた。

「驚かせちゃいましたよね、
急に逃げ出しなんかしちゃったりして……。
驚くなって言う方が無理な話ですよね。
本当にすみません。
でも、私、すごく寂しくなっちゃって……。
それで……」

「寂しく……なった……?」

「いえ……、ほら、今日唯先輩が来ないって事は私も分かってたんですけど、
澪先輩まで来ないなんて知らなくって……。
それが辛くて、何だか恐くなっちゃって……。
気が付いたら軽音部から飛び出してたんです」

「澪が来ないのが、そんなに辛かったか……?」

「はい……。あ、いえ、ちょっと違います。
澪先輩って言うか……、先輩達が一人ずつ減っていくのが恐くて……。
今冷静に考えると偶然だって事は分かるんですけど、
唯先輩に続いて澪先輩まで部活に来なくなって、
最後にはムギ先輩や律先輩まで来なくなっちゃうんじゃないかって。
そんな風に思っちゃって……」

「そんな事はないぞ。
私もムギも、週末までずっと部活に出るつもりだぜ?
唯だって明日には来るし、澪も今日は考え事があるから家に居るだけだ。
明日には全員揃う。全員揃って練習できるし、お茶だってできる。
ムギがFTG何とかって美味しい紅茶も入れてくれる」

「そう……ですよね。
そうですよね……。不安になる必要なんて、無いですよね」

言って、梓が笑う。
力無く、自信も無さそうに。
その表情のまま、梓は続けた。
442 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:42:37.71 ID:9FBCI9DI0
「ごめんなさい、律先輩。
後でムギ先輩にも謝らないといけませんね。
部活に戻りましょう、律先輩。
すみません、お時間を取らせてしまって……。
恐かったけど……、もう大丈夫です。
明日には皆揃うんですもんね。だから、大丈夫です」

梓は自分の席から立ち上がる。
まだ不安感を完全には拭えてないけど、自分の力だけで立ち上がる。
自分を待つ軽音部の仲間の下に、無理をしながらでも歩き出していく。
私にできるのは、そんな梓を見守ってやる事だけだ。
梓の抱えてた悩みは、
軽音部の仲間が居なくなるかもしれないって不安感からだったんだな……。
世界の終わりを間近に迎えたこの状況だ。
確かに誰かが欠けてしまってもおかしくはない。
その不安感は私にもある。ムギや唯、澪にだってあるだろう。
でも、軽音部の全員は最後まで部活に出たいと思ってる。
明日には全員が勢揃いして、いつしか不安感だって消えていく。
それでいい。それでいいんだ。
私が嫌われてるわけじゃなくて、本当によかった。
後は梓を大切にしてやるだけだ。

梓は足を踏み出して、教室を後にしようと歩き出そうとする。
私もそんな梓を笑顔で見送って……。
って……。

「ちょっと……、律先輩……?」

私は梓の腕を掴んだままにしていた手に力を込める。
さっきみたいに自分自身を嫌悪してるからじゃない。
絶対に離さないって思ったからだ。
この手だけは絶対に離しちゃいけない。
443 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:47:16.84 ID:9FBCI9DI0
「……あるかよ」

「えっ……? 何ですか、律先輩?」

「って、そんなわけがあるかよ!
そんなのってあるかよ!」

私は腹の底から叫ぶ。
教室が揺れる。そう思えるくらいに精一杯の大声で。
今は絶叫しなきゃいけない時だった。
自分を誤魔化してはいけないんだって。
不安を見ないふりをしてちゃいけないんだって。
私は梓と自分にそれを分からせなきゃいけないんだ!

「律先輩……、何を……?
何を……言って……」

貼り付けたみたいな梓の笑顔が硬直する。
分かってないはずがない。
私より誰より、梓自身が自分に嘘を吐いている事をよく分かっているはずだった。
いや、完全には嘘じゃないか。
でも、だからこそ、余計に始末に負えない嘘なんだ。

さっきまでの梓の言葉に嘘はなかったと思う。
軽音部の仲間が減っていくのが不安だったのは確かだろうし、
それ以外の話もほとんどが梓の本心だったはずだ。
悩みの理由としては問題無かったし、よくできた話ではあった。
だけど、よく考えてみなくても分かる。
梓はこんなに簡単に誰かに悩みを語る子だったか?
抱え込んで、一人で悩み続けるのが梓って子じゃなかったか?
良くも悪くもそれが梓なんだ。
そんな梓が自分の本心を簡単に語る理由だって分かる。
本当に隠しておきたい事を隠すために、それ以外の本心を語ったんだ。
普段は隠している本心を語れば、それで納得してもらえるだろうって思ったんだろう。
部活の先輩達が居なくなるのが辛い、ってのは、それはそれで十分な悩みだ。

これが昨日の私なら、私もその梓の言葉を信じてたと思う。
梓が私の前から逃げ出した理由は、
居なくなるかもしれない私の顔を見るのが辛いから、だの何だのって適当な理由でも考えて。
だけど、残念ながらと言うべきなのかな、
今日の私にはその梓の誤魔化しは通用しなかった。
まずはこんな時期の深夜に動き回ってる梓の姿を見たからってのがある。
私はそれを梓にぶつけてみる。
444 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:49:48.23 ID:9FBCI9DI0
「なあ、梓……。
おまえの悩みは本当にそれか?
そりゃ、私達と離れるのが辛かったって悩みは嬉しいし、それは本当だと思う。
でもさ、それじゃ説明が付かないんだよ。
おまえ……、昨日、いや、今日か。
今日の深夜に何してた?
憂ちゃんと会う前に外を走り回ってただろ?
見たんだよ、偶然」

梓の硬直した笑顔が今度は強張る。
私から視線を逸らして、足下に伏せる。
その様子が私の言葉を完全に認めていたけど、言葉だけは力強く梓が言った。

「何を言ってるんですか、律先輩。
夜は憂が来るまで、家でずっとギターの練習をしてましたよ?
それに、こんな時期の深夜に、どうして外を出歩かなきゃいけないんですか?
そんなはずないじゃないですか。
律先輩の見間違いですよ。見間違いに決まってるじゃないですか」

口早に梓が捲し立てる。
それだけでも嘘だと言ってる様なもんだけど、私はそれについて追及しなかった。
夜に見たあの影は間違いなく梓だったんだろうけど、
見間違いと言い切られたら、それ以上話を進めようがない。
水掛け論で終わっちゃうのが関の山だ。
だったら、私にできる事は結局はたった一つ。
それは梓の事を信じてやる事だ。
いや、梓の言う事を全面的に信じるって意味じゃない。
何度も語り掛けて、いつかは梓が本当の事を言ってくれるって信じる事だ。
これまでに積み重ねた私達の関係を信じるって事だ。
それを信じられなければ、私は梓の部長でいる意味も価値もないんだ。
ムギと純ちゃんと話してきた中で、私はそう思った。
私は自慢の部長と呼ばれるに相応しい部長になりたい。
そのためにも、梓の本心から逃げちゃいけない。

「梓。見間違いだっておまえが言うなら、それでいい。
無理をするなとも言わない。
無理しなきゃ、こんな状況で生きてけないもんな……。
でもさ、おまえのその無理は違う……。違うと思う。
無理しないおまえを受け止めてくれる人の前じゃ、無理しなくてもいいと思う。
そんなに私の事が信じられないか?
本当の悩みを口にしたら、見限られるとでも思ってるのか?
いや、確かに私はおまえにとっていい部長じゃなかったとは思うよ。
迷惑掛けてばっかりだったもんな……。
私を信じられないってんなら、それも仕方ない事だと思う。
おまえがそんなにやつれてるって事すら、
今日まで気付けなかった馬鹿な部長だもんな。仕方ないよ。
それなら……、それならさ……。
せめて……、せめて私以外の誰かには話してほしいんだ。
私じゃ役不足だと思うなら、唯にでも、憂ちゃんにでも、誰にでもいいから話してほしい。
おまえ自身のためだし、それが負い目になるってんなら、
駄目な部長の私の願いを聞いてやるって意味で、誰かに話してほしいんだよ……」
445 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:50:44.24 ID:9FBCI9DI0
話せば話すほど、自分自身の無力を実感させられる気がした。
私には梓に何かしてやれるほど、梓に信じられてなかったのかもしれない。
それを実感するのが恐くて、ずっと逃げ出してきた。
でも、もう逃げられない。逃げたくない。
私の胸の痛みなんかより、こんなに傷付いてる梓の姿こそどうにかしなきゃいけないんだ。
だから、梓の誤魔化しに騙されたふりをしちゃいけないんだ。

「そんな……、私が律先輩を信じてないなんて……。
そんな事……、そんな事ないよ……。
私は律先輩が……、律先輩の事が……。
でも……、でも……」

梓が呟きながら後ずさり、視線をあちこちに移動させる。
追い詰める形になってしまって、ひどく申し訳ない気分になってくる。
それでも、私は梓の腕を掴んだ手を離さなかった。
恨んでくれても構わない。
後で何度殴ってくれたっていい。
このままでいちゃいけないんだ。
梓の悩みがどんなに重い悩みでも、私はそれを受け止めたい。
それこそ犯罪が関わるような悩みだって構わない。
それを受け止めるのがここまで梓を追い詰めた私の責任だと思うから……。

不意に。
梓が視線を何度か自分の机の方に向けた。
さり気ない行為だったけど、
ずっと梓を見つめていた私は、それを見逃さなかった。
あらゆるものを見落としてきた私だけど、今度こそ見逃すわけにはいかなかった。

机の中に何かあるのか?
それが梓の悩みの原因なのか?

「机……?」

私が呟くと、梓がはっとした表情で急に動き始めた。
私が無理に机の中を覗こうとしたわけじゃない。
何となく疑問に思って呟いただけだったけど、
その事で梓は自分の机を探られるんじゃないかと過剰に反応していた。
身体を無理に動かし、私に掴まれた手を振りほどこうと暴れる。
危険だとは思ったけど、私としても梓の腕だけは離すわけにはいかない。
余計に力を込め、梓から離れないようにして……、それが悪かった。
446 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:54:14.06 ID:9FBCI9DI0
「ちょっ……!」

「うわっ……!」

無理な体勢でいたせいでバランスを崩してしまい、
二人で小さく悲鳴を上げて、その場で折り重なって倒れてしまった。
周りの机や椅子も巻き込んで倒れてしまって、豪快な音が教室に響く。

「痛たたた……。
大丈夫か、梓?」

それでも梓の腕だけは離さずにいられたみたいだ。
私は梓の手を掴んだまま顔を上げ、その場に座り込んで訊ねる。
梓からの返事はなかった。
やばいっ。打ち所が悪かったかっ?
そうやって心配になって梓の方に顔を向けてみたけど、
幸い梓の方は自分の椅子に倒れ込むような形になっただけみたいで、私よりも無事な様子に見えた。
だったら、どうして返事がなかったんだ?
梓の顔を覗き込んでみると、梓は大きく目を見開いて私じゃない何処かを見ていた。
そこでようやく私は気が付いた。
倒れた衝撃で梓の机を横向きに倒してしまい、机の中身をその場にぶち撒けてしまっていた事に。
梓がその机の中身を見ているんだって事に。

事故とは言え、梓が隠そうとしてた物をこの目で確認していいんだろうか。
そう思わなくもなかったけど、それを確認しないのも不自然過ぎた。
心の中で梓に謝り、私もその机の中に入っていた物に視線を向ける。

「えっ……?」

そう呟いてしまうくらい、予想外の物がそこに転がっていた。
死体とか拳銃とか麻薬とか、そういう不謹慎な意味で予想外だったわけじゃない。
意外じゃなさ過ぎて、逆に意外な物だったんだ。
その場所には、うちの学校の学生鞄が転がっていた。
机の中に入れるために小さく潰されている。
多分、中には何も入ってないんだろう。
でも、どうして鞄を机の中に……?
疑問に思って私が梓に視線を向けると、急に梓の表情が大きく崩れた。
いや、崩れたってレベルじゃない。
大粒の涙を流して、大声で泣き声を上げ始めた。
447 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:55:02.89 ID:9FBCI9DI0
「ごめんなさい!
ううっく……、う……、あ、ああ……!
うああああああああああああっ!」

梓が何を言っているのか見当も付かない。
鞄が何なんだ?
中には何も入ってなさそうだし、何で梓は泣き出してるんだよ?
突然の展開にこれまでと違った意味で不安になってくる。

「おい、ちょっと梓……」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!
本当にすみません! すみません、すみません、すみません!
すみま……せ……、うううう……!
ひぐっ……! あっ……、うわあああああああああああっ!」

梓の涙は止まらない。
その原因が私なら何とかしようもあるだろうけど、
本当に何が起こったのか私にはまだ何も理解できてない。
梓の涙の原因……、それはやっぱり机の中に隠されてた鞄なんだろう。
鞄といえば、考えてみれば、最近、梓は部室に鞄を持って来てなかった。
それは授業が少なくなって、荷物も無くなったからだと思ってたけど……。
そこで私は一つの事を思い出していた。
ああ、何で気付かなかったんだ。
授業がほとんど無くなったのは、当然だけど『終末宣言』の後だ。
『終末宣言』の後も、梓は普段通りに部室に学生鞄を持って来てたじゃないか。
そりゃそうだ。授業が無くたって、弁当やら何やらの荷物はあるんだから。
梓が部室に鞄を持って来なくなったのは、
そう、約一週間前……、梓の様子がおかしくなった頃からだ!
じゃあ、やっぱり梓の悩みは鞄に関係していて……。
そこでまた私の思考が止まる。

だから、鞄が何だってんだよ。
鞄の中身が悩みだって言うのか?
でも、中には何も入ってないだろうくらい小さく潰されてるし、
何かが入ってたとしても、そんな大袈裟な物が入ってるわけが……。
一瞬、また私の思考が止まった。
疑問に立ち止まってしまったわけじゃない。
梓の悩みと、梓の痛み、梓の隠してた事が分かったからだ。
やっぱり、梓の悩みは鞄の中身じゃなかった。
まだ見てないけど、鞄の中身なんて見る必要もなかったし、中身なんて何でもよかった。
でも、それじゃ……。
こんな……、こんな事で、梓は一週間も悩んでくれていたのか?
それもただの一週間じゃない。
世界の終わりを週末に控えたかけがえのないこの一週間を?

馬鹿だ。
本当に馬鹿な後輩だ、梓は……。
こんな取るに足らない事でずっと悩んでいただなんて……。
だけど、梓の辛さや不安は、私自身も痛いくらいに実感できた。
梓ほどじゃないにしても、同じ状況に置かれたら、
間違いなく私も同じ不安に襲われてただろう。
448 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:55:34.42 ID:9FBCI9DI0
私は掴んでいた梓の腕を離した。
もう掴んでいる必要はない。
必要なのは多分、私の言葉と心だ。

「失くしたんだな、梓……」

「ごめ……ひぐっ、なさい……。
大切にしてたのに……、大切だっ、ひっく、たのに……。
どうして……、こんな時に……、ううううう……。
ずっと探してるのに、どうして……、ひぐっ、どうして見つからないの……!」

「京都土産のキーホルダー……か」

梓じゃなくて、自分に言い聞かせるよう呟く。
修学旅行で行った京都で、
京都とは何の関係もないけど、私達が買ってきたお揃いのキーホルダー。
私が『け』。
ムギが『い』
澪が『お』。
唯が『ん』。
梓が『ぶ』。
五人合わせて『けいおんぶ』になる、そんな茶目っ気から購入したキーホルダーだ。
何気ないお土産だけど、梓がとても喜んでくれた事をよく覚えてる。
最初はそうでもなかったけど、梓の喜ぶ顔を見て、
私もこのキーホルダーを一生大切にしようって思った。
それくらい梓は喜んでくれたんだ。
少し大袈裟かもしれないけど、
多分他の部員の皆も軽音部の絆の品みたいな感じに思ってくれてるはずだ。

その『ぶ』のキーホルダーを梓は失くしてしまった。
梓の鞄をどう見回しても見つからないのは、そういう事なんだろう。
梓が隠したかったのは鞄そのものじゃない。
本当に隠したかったのは、キーホルダーを失くしてしまったって事実だったんだ。
これまでの梓の不審な行動も、
失くしてしまったキーホルダーを捜しての事だと考えて間違いない。
ずっと思いつめていたのは、
自分がキーホルダーを失くしてしまった事にいつ気付かれるかと気が気でなかったから。
昨日、校庭で私の前から逃げ出したのは、
キーホルダーを捜しているのを私に知られたくなかったから。
深夜に外を出歩いていたのは、
自分の身も案じずに必死にキーホルダーを捜していたからだ。

梓は本当に馬鹿だ。
小さなキーホルダーのために、どれだけ自分を追い詰めてしまったんだろう。
こんなにやつれ果ててまで、どうして……。
だけど、誰にそれが責められるだろう。
少なくとも私には、そんな梓を責める事なんてできない。
449 :にゃんこ [saga]:2011/08/07(日) 22:58:46.25 ID:9FBCI9DI0


今夜はここまでです。
やっと梓の悩みが明らかに……。
って、悩みのスケール、超小さい。
のが。
可愛いと思うんですが。

(註)誤字脱字が多めな本作ですが、りっちゃんの役不足は誤植ではありません。
りっちゃん、役不足の意味を間違えて覚えてます。
何とも無駄なところで細かい設定で申し訳ない。
450 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/07(日) 23:13:51.50 ID:7V+DpOJ7o
乙。切ないよー
451 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/07(日) 23:56:05.01 ID:NQELTxiOo
世界の終わりなんて壮大な話やってるのに
すごいけいおんぽいと思う
いつも楽しみにしてる
452 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/08(月) 07:11:20.76 ID:PZmI8XpSO

梓の悩みがわかった時ちょっとウルッときちゃったよ
いい話だな
453 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/08/08(月) 18:07:46.00 ID:TK8pEMpp0
おつー
次も楽しみに待ってます
454 :にゃんこ [saga]:2011/08/11(木) 21:39:13.80 ID:okX2kLbx0
不安で仕方がなかったんだろうと思う。
ずっと不安で、誰にも言い出せずに胸の中に溜め込んで、
不自然なくらい過剰にキーホルダーを失くした事を隠してた梓。
考えてみれば、さっきの行動にしたってそうだ。
鞄が梓の机から飛び出た時、いくらでも誤魔化しようがあったのに。
私にしたって、鞄を目にした当初は何も分かってなかったのに。
なのに、梓は過剰に反応してしまって、涙までこぼしてしまっていた。
それはきっと恐かったからだ。
キーホルダーを失くした事を知られてしまう事が恐くて、
ほんの少し私がその真相に近付いただけで、
全ての隠し事を知られてしまったと勘違いしてしまったんだ。

更に言わせてもらうと、何も梓は机の中に鞄を隠す必要なんてなかった。
鞄が学校の机にあるという事は、
キーホルダーを失くしたと梓が気付いたのは学校だったんだろう。
小さく潰れた学生鞄を見る限り、鞄の中身は小分けにして家に持ち帰ってるんだと思う。
多分、違う鞄を自宅から持って来て、それに入れて持ち帰ったに違いない。
梓はその時、学生鞄も持って帰ればよかったんだ。
持ち帰る時、学生鞄を誰かに見られるのが不安なら、
小さく折り畳んでその違う鞄にでも入れておけばよかったんだ。
まあ、そりゃ少し不自然ではあるけど、
普段と違う鞄を持ち歩いてるくらいじゃ、誰も深く問い詰めたりなんてしない。

でも、梓はその少しの不自然さすら、不安でしょうがなかったんだ。
もしもいつもと違う鞄を持っているのを誰かに見られてしまったら。
その誰かにいつもの学生鞄はどうしたのかと訊ねられてしまったら。
それで万が一、鞄の中身について訊ねられてしまったら……。
冷静に考えればそんな事があるはずないのに、きっと梓はそう考えてしまったんだろう。
だから、一週間も机の中に鞄を入れたまま、放置する事しかできなかったんだ。
誰かに見られるのが不安で、机以外の何処かに隠す事さえできなかったんだ。

「恐かっ……た……。恐かったんです……」

不意に梓が言葉を続けた。
しゃくり上げるのは少しだけ治まっていたけど、
梓の目からは止まることなく大粒の涙が流れ続けている。
私は座り込んだままで、涙に濡れる梓の瞳をじっと見つめる。
455 :にゃんこ [saga]:2011/08/11(木) 21:40:53.70 ID:okX2kLbx0
「『終末宣言』とか……、世界の終わりの日とか……、
それより前からずっと私、恐くて……。
不安で、寂しくて……。それで……」

「『終末宣言』の前から……?」

「はい……。私……、私、不安で……。
先輩達が卒業した後も、軽音部でやってけるのかなって……。
ひとりぼっちの軽音部で、
ちゃんと部を盛り上げていけるのかなって、そう思うと恐くて……。
それで私……、私……は……!
う……っ、ううううっ……!」

また梓の涙が激しさを増していく。
梓の言葉が涙に押し潰されそうになる。
だけど、梓は涙を流しながらも、しゃくり上げながらも言葉を止めなかった。
ずっと隠してた涙と同じように、ずっと隠してた言葉も止まらないんだと思う。

「ごめん……なさい、律先輩……!
私……、私、とんでもない事をして……!
皆さんに、ひっく、皆さんに……、私は……とんでもない事を……!」

「何だよっ? どうしたっ?
とんでもない事って何だよっ?」

梓の突然の告白。
気付けば私は立ち上がって梓の肩を掴んでいた。
梓の悩みはキーホルダーを失くした事だけじゃなかったのか?
新しい不安が悪寒となって私の全身を襲う気がした。
梓が「ごめんなさい」と言いながら、自らの涙を袖口で拭う。

「ごめ……んなさい……!
私、考えちゃったんです……。
願っちゃいけない事なのに、願って……しまったんです……。
『先輩達に卒業してほしくないな』って……。
『先輩達とまたライブしたいな』って……。
それが……、それがこんな……、こんな形で叶……、叶うなんて……!
私……が、願っちゃったから……! 終末なんて形で……、願いが叶って……!
そん……な……、そんなつもりじゃ、なかったのに……!」

おまえは何を言ってるんだ。
終末……、世界の終わりと梓の願いが関係してるはずがない。
それこそ自分が世界の中心だって、自分から宣言してるようなもんだ。
世界はおまえを中心に回ってない。
世界の終わりとおまえは考えるまでもなく無関係だ。
無関係に決まってる。
456 :にゃんこ [saga]:2011/08/11(木) 21:41:54.07 ID:okX2kLbx0
私はそう梓に伝えたかったけど、そうする事はできずに言葉を止めた。
そんなの私に言われるまでもない。
梓だって自分がどれだけ無茶な事を言っているか百も承知のはずだ。
梓は頭がいい後輩だ。私なんかよりずっと勉強もできる。
確かに梓の言葉通り、世界の終わりが来る事で私達の卒業は無くなったし、
あるはずがなかった最後のライブを開催する事ができるようにはなった。
だとしても、その自分の願いが世界の終わりと何の関係もない事は、梓だって理解してるだろう。

それでも……。
それでも梓がそう思わずにはいられない事も、私には痛いくらいに分かった。
世界の終わりがどうのこうのって話より、梓は多分、
間近に迫った私達の卒業を心から祝福できない自分に罪悪感を抱いてるんだと思う。
笑顔で見送りたいのに、私達を安心して卒業させたいのに、
それよりも自分の寂しさと不安を優先させてしまう自分が嫌なんだと思う。
梓は真面目な子で、いつも私達を気遣ってくれていて、
ちゃんとした部と呼ぶにはちょっと無理がある我が軽音部にも馴染んでくれて……。
梓はそんな私達には勿体無いよくできた後輩だ。
よくできた後輩だからこそ、色んな事に責任を感じてしまってるんだ。

そして、梓をそこまで追い込んでしまったのは、ある意味では私の責任でもあった。
二年生の部員は梓一人で、一年生の部員に至っては一人もいない我が軽音部。
五人だけの軽音部。
五人で居る事の居心地の良さに私は甘えてしまってた。
五人だけで私の部は十分だと思ってた。
それはそうかもしれないけれど、一人残される梓の気持ちをもっと考えるべきだったんだ。
五人でなくなった時の、軽音部の事を考えなきゃいけなかったんだ。
梓はずっとそれを考えてた。考えてくれてた。
だから、梓は私達の中の誰よりも、キーホルダーを大切にしてくれてたんだ。
世界の終わりの前の一週間を費やしてしまうくらいに。
457 :にゃんこ [saga]:2011/08/11(木) 21:42:36.19 ID:okX2kLbx0
「キーホルダーだけどさ……」

私が小さく口にすると、目に見えて梓が大きく震え出した。
触れずにいた方がいい事かもしれなかったけど、触れずにいるわけにもいかなかった。
梓をこんなに辛い目に合わせているのはキーホルダーだ。
小さなキーホルダーのせいで、梓はこんなにも怯えてしまっている。
でも、梓を救えるのも、恐らくはその小さなキーホルダーだと思うから。
私はキーホルダーの事について、話を始めようと思った。

「梓がそんなに大切にしてくれてるとは思わなかったよ。
京都の土産なのに、京都とは何の関係もないしさ。
実は呆れられてるんじゃないかって、何となく思ってた」

「呆れるなんて……、そんな事……。
私、嬉しくて……、宝物にしようと思って……、
でも、大切にしてたのに……、落としちゃうなんて、私……。
こんなんじゃ……、こんなんじゃ私……、
先輩達の後輩でいる資格なんて……」

涙を流して、梓はその場に目を伏せようとする。
私は梓の肩を掴んでいる手に力を入れて、視線を私の方に向かせる。
梓と目を合わせて、視線を逸らさない。
泣き腫らした梓の瞼が痛々しくて、ひどく胸が痛くなってくる。
梓を悲しませているのは、軽音部の先輩である私達の無力が原因だ。
私の方も、梓と同じく大声で泣きたい気分だった。
役に立てず、負い目しか感じさせる事のできない無力過ぎる私達。
自分の情けなさに涙が滲んでくる。
だけど、泣いちゃいけない。視線を逸らしちゃいけない。
今一番泣きたいのは梓で、今泣いていいのは梓だけだ。

どうして、キーホルダーを失くしたって言ってくれなかったんだ?
そう言葉にしようとしてしまうけど、唇を噛み締めて必死に堪える。
梓がキーホルダーを失くした事を私達に話さなかった理由……、
それは訊くまでもないし、訊いちゃいけない事だ。
キーホルダーを失くしたと私達に話してしまったら、
いや、知られてしまったら、
私達の心が自分から離れていってしまうって、梓は考えたんだ。
キーホルダーを一週間も一人で捜し続けてた事から考えても、それは間違いない。
あのキーホルダーは私達にとって、単なる思い出の品なんかじゃない。
軽音部の絆の証、絆の品なんだ。
特に来年一人で取り残されるはずだった梓にとっては、私達以上にその意味があるだろう。
一人でも大丈夫だと思えるために、梓はきっとあのキーホルダーに頼ってくれてたんだ。
絆を信じられるために。

そうだ。
梓が本当に悲しんでる理由は、キーホルダーを失くしたからじゃない。
キーホルダーを失くした事で、
私達の絆その物も失くしてしまった気がしてしまって、それが悲しいんだ。
実際、私達だって、キーホルダーを失くされた事で梓を責めたりしない。
梓も私達から責められるとは思ってないだろう。
梓を責めているのは梓自身。
世界の終わりを間近にしたこの時期に、絆を失くしてしまった自分を許せないんだ。
だから、誰にも知られないままに、自分の力だけで失くしたキーホルダーを見付けたかったんだ。

でも、だからこそ、私には梓に掛けてやれる慰めの言葉が思い付かなかった。
キーホルダーを失くした事なんて気にするな、なんて簡単な言葉で片付く話じゃない。
そんな言葉を掛けてしまったら、それこそ梓は今以上に自分自身を責める事になるはずだ。
一瞬だけの笑顔は貰えるかもしれない。
その場限りの安心は得られるかもしれない。
でも、それだけだ。
それ以降、世界の終わりまで、梓は自分自身を責め続ける事になるだろう。
勿論、私だって、私自身を許せないまま、世界の終わりを迎える事になる。

なら、私に何ができる?
無力で、頼りなくて、後輩に気を遣わせて追い込んでしまった私に何が?
……何もできないのかもしれない。
何もしてやれないのかもしれない。
少なくとも、今の私にできる事は何もない。今の私には何もできないんだ。
でも……。
だからこそ、今の私じゃなく……。
458 :にゃんこ [saga]:2011/08/11(木) 21:46:32.91 ID:okX2kLbx0


少し短めですが、今回はここまで。
話的に正念場なので、まだ結構続きます。
どうにか盛り上げて行ければと思います。
459 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/11(木) 22:06:34.28 ID:XcGFMSc60
問題や悩みを解決してみんな笑顔になれるといいな
おつー
460 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/11(木) 22:17:16.85 ID:NOZEoggDO


頑張れ部長
461 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/11(木) 23:33:02.66 ID:BK0KuEKlo
乙ぐぬぬ・・・
462 :にゃんこ [saga]:2011/08/13(土) 22:51:20.97 ID:A5NjIVI60
私は大きく溜息を吐く。
何もできない今の自分を情けなく思いながら、
それでも、掴んでいた梓の肩を思い切り自分の方に引き寄せる。
私の胸元に椅子から転がり込んでくる梓を座り込んで抱き締める。

「あの……っ、えっと……?
律……先輩……?」

小さな身体を震わせて、何をされたのか分からない様子の梓が呟く。
呟きながらも、梓の涙はとめどなく流れ続けている。
しゃくり上げながら、震える身体も治まる事がない。
今の私には梓の涙を止められない。震えも止めてやる事ができない。
梓の不安を止めてやれるのは、今の私じゃない。
だから、胸元に引き寄せた梓を、私は頭から包み込むように抱き締める。
強く強く、抱き締める。
まだ掛けてあげられる言葉は見つからない。
その代わりに、小さな梓を身体全体で受け止める。
小さな梓と同じくらい小さな私が、小さな身体で小さく包み込む。
どこまでも小さな存在の私達。
それでも、私達は小さいけれど、とんでもなくちっぽけな存在だけど、
信じてる事だって……、信じていたい事だってあるんだ。

「梓……。きっとさ……。
今の私が何を言っても、おまえの不安を消してはやれないと思う。
私は人を支えてあげられるタイプじゃないだろうし、
誰かの不安を消してあげられるくらい頼り甲斐のある部長でもないんだ。
逆に皆に支えられてばかりだしさ……」

やっと見付けた言葉が私の口からこぼれ出る。
でも、これは梓の耳元に囁いてはいるけど、梓だけに聞かせてる言葉でもなかった。
これは自分に言い聞かせてもいる言葉だ。
願いみたいなものだった。
祈りみたいなものだった。

私の胸の中で、梓は私の言葉を震えながら聞いている。
その震えを止めてやれる自信はない。
今の私に梓を安心させてあげる事はできないだろう。
私の気持ちを上手く伝える事もできないかもしれない。
でも……。

「でもさ、梓……。
こう言われるのは迷惑かもしれないけど、
私の勝手な勘違いかもしれないけど、一つだけ思い出してほしい事があるんだよ。
なあ、梓。
キーホルダーを失くしちゃった事は、梓も辛くて不安だったんだろう。
もっと早く気付いてやれなくて、悪かった。
私はさ……、こう言うのも情けないんだけど、
あんまり梓が私と目を合わせてくれないもんだから、梓に嫌われちゃったんだって思ってた。
それが不安で辛くてさ……、それで梓と話す勇気が中々持てなかったんだよな」

私の言葉を聞くと、腕の中の梓の震えが大きくなった。
その震えは不安が増したってわけじゃなく、自分の行為をはっと思い出したって感じだった。

「そんな……。そんな風に思われてたなんて……。
でも……、思い出してみたら、そう思われても仕方ない事を私は……。
すみません、律先輩!
私は律先輩の事を……、嫌いになってなんか……」

「いいよ」

言って、私はまた腕に力を込めて梓を抱き締める。
今話すべきなのは、梓が私を嫌ってるかどうかじゃない。
嫌われてたって、疎まれてたって、
それでも梓の悩みを晴らしてあげるのが、私のなりたい『自慢の部長』だと思うから。
勿論、梓に嫌われてなかったのは嬉しいけどな。
本当に泣き出してしまいそうなくらい嬉しいけど、それを噛み締めるのはまだお預けだ。
463 :にゃんこ [saga]:2011/08/13(土) 22:52:25.97 ID:A5NjIVI60
「いいんだよ、梓。その言葉だけで私は十分だよ。
キーホルダーを失くして、梓がそんなに不安に思ってくれたのも嬉しい。
キーホルダーを失くした自分が許せなくて、必死に探してたんだろうって事も分かる。
こんなにやつれちゃってさ……、こんなになるまで……。
キーホルダーを失くしたからって、私達がおまえから離れてくって思ったのか?」

「いいえ……、そんな事考えてなんか……。
でも……、でも……、ひっく、そんな事あるはずがないって思ってても……、
心の何処かで考えちゃってたのかも……しれません……。
先輩達を信じてるのに、だけど……、夜に夢で見ちゃうんです……。
キーホルダーを失くした私の前から……、先輩が離れていく夢を……。
そんな……、そんな自分が、嫌で、本当に嫌で……。
うっ、ううっ……!」

梓の涙がまた強くなる。
もしもの話だけど、キーホルダーを失くしたのが『終末宣言』の前なら、
梓はこんなにも不安にならず、涙を流す事も無かったんじゃないだろうか。
世界の終わりっていう避けようがない非情な現実。
誰だってその現実に大きな不安を感じながら、それをどうにか耐えて生きている。
普段通りの生活を送る事で、世界の終わりから必死に目を背けたり。
秘密にしていた事を公表する事で、別の非日常の中に身を置いてみたり。
そんな風に何かを心の支えにしながら、どうにか生きていられる。

梓の場合は多分キーホルダーがそれだったんだと思う。
小さいけれど、目にするだけで私達の絆を思い出せるかけがえの無い宝物。
それを失くしてしまった梓の不安は、一体どれほどだったんだろう。
私も自分が世界の終わりから逃げてる事に気付いた時は、吐いてしまうくらいの不安と恐怖に襲われた。
その時の私はそれをいちごや和に支えてもらえたけど、
梓はずっと一人でその不安に耐えて、自分を責め続けていたんだ。
こんなにやつれるのも無理もない話だった。

小さい事だけど、きっと私達はそんな小さい事の積み重ねで生きていられる。
小さい物でも、失ってしまうと不安で仕方なくなるんだ。
だけど、不安になるという事はつまり……。

「なあ、梓。
話を戻させてもらうけど、一つだけ思い出してほしい」

「は……い……?」

「軽音部、楽しかったよな?
そりゃ普通の部とはかなり違ってたと思うけど、でも、すごく楽しかったよな?」

「あの……?」

「私は楽しかったよ。
ムギのおやつは美味しいし、ライブは熱かったし、楽しかった。
唯は面白いし、澪は楽しいし、ムギはいつも意外な事をやってくれるしな。
二年になって梓って生意気な後輩もできた。
楽しかったんだよ、本気で……。
軽音部、楽しかったよな……?
楽しかったのは、私だけじゃ……ないよな……?」

私の言葉の勢いが弱まっていく。
その私の姿を不審に思ったんだろう。
梓が少しだけ自分の腕を動かし、私の背中を軽く撫でてくれる。

「律先輩……? 急に何を……?」

「ああ、ごめんな……。ちょっと……さ。
梓はどうだったんだろうって思ってさ……」

「私……ですか……?」

「私ってさ、結構一人で空回りしちゃう事が多いだろ?
部長としても、役不足だったと思うし……。
でも、楽しかった事だけは、本当だったって信じてる。
……信じたいんだ。それだけは譲りたくないんだ。
だから、梓に思い出してほしいんだよ。
軽音部が楽しかったのかどうかを。私達のこれまでを。
今の私に梓の不安を消し去ってあげる事はできないと思う。
梓の不安を消せるのは梓だけだし、私にできるのはその手助けだけだ。
それも、その手助けができるのは今の私じゃなくて、梓の中の昔の私だけだと思うんだよ」
464 :にゃんこ [saga]:2011/08/13(土) 22:53:10.02 ID:A5NjIVI60
「昔の……律先輩……?」

「これまで私が梓に何をしてあげられたか。
梓をどれだけ楽しませてあげられたか……。それを思い出してほしい。
自信なんてこれっぽっちも無いけど、ほんの少しでも手助けになればいいと思う。
なってほしいと思う。
私じゃ役不足だと思うなら、私以外とのこれまでを思い出してくれ。
澪やムギ、唯と過ごしてきたこれまでの自分を思い出してくれ。
そうすれば……、少しはその不安も晴れるんじゃないかって……、思うんだ……」

今の私に梓の不安を晴らすだけの力が無いのは、すごく無念だ。
やっぱり私は、梓にとっていい部長じゃなかったんだろう。
だけど、梓と笑い合えたあの頃の事は嘘じゃなかったはずだ。
梓も楽しんでくれていたはずだ。
私はいい部長ではなかったけど、いい友達としては梓と関係してこれたはずだ。
そのはずなんだって……、信じたい。
不安な自分を奮い立たせるのは、自分の中のかけがえのない過去。
今の自分を作り上げた誰かと積み重ねてきた楽しかった思い出だと思うから。
私は梓にもそれができると信じるしかない。
それができるくらいには、私は梓と信頼関係を積み重ねてこれたんだって信じるしかない。

そもそも不安や罪悪感ってのは、そういうもののはずなんだ。
楽しかったから、かけがえがないものだから、失うのを不安になってしまうんだ。
失ってしまった自分に罪悪感を抱いてしまうんだ。
失くすものが無ければ、大切なものが無ければ、不安なんて感じるはずがない。
それを梓が気付いてくれたなら……、
いや、気付いてはいるだろうけど、心から実感してくれたなら……。
その涙を少しは拭う事ができるかもしれない。

私は小さな身体で小さな梓を強く抱き締める。
それは小さな私にできる世界の終わりへの小さな反抗でもあった。
まだその日が来てもいないのに、世界の終わりってやつは色んな物を私達から奪おうとする。
小さなものから取り囲んで奪い去っていく。
そうはいくもんか。
もうすぐ死んでしまうとしても、それまでは何も奪わせてやるもんか。
過去も、現在も、未来だって、奪わせてなんかやらない。
私から、梓を奪わせたりしない。

不意に私の腕の中の梓が震えを止めて、小さく言った。

「そうですね。
律先輩じゃ役不足ですよ」

一瞬、頭の中が真っ白になった。
梓じゃなくて、私の身体が震え始める。止められない。
全身から何かを成し遂げようとしてた気力が抜けていくのを感じる。
駄目だった……のか……?
私じゃ、梓のいい部長どころか、いい友達にもなれなかったってのか……?
私の小さな反抗は脆くも崩れ去ったってのか……?
信じたかった私の思い出は、全部無意味だったのか……。
梓は別に私を嫌ってはいなかった。
でも、力になってやれるほど、私は信頼されてもいなかったんだ。
抱き締めていた梓を、私の胸から解放する。
もう私に抱き締められる事なんて、もう梓は求めないだろう。
私には梓の不安を晴らしてやれないし、涙も止められないし、震えも治められない。
私は梓に……。
信じさせたかった。
信じられたかった。
信じていたかった。
でも、もう私は……、私は……。

身体を離したけれど、私はそこにいる梓の顔を見る事ができない。
その場から逃げ出したくなる。
もうこの場には居られない。
465 :にゃんこ [saga]:2011/08/13(土) 22:54:15.96 ID:A5NjIVI60
「梓、ごめ……ん……」

喉の奥から絞り出して言って、
振り向きもせずに逃げ出そうとして……。
そんな私を華奢で柔らかい何かが包み込んだ。
何が起こったのか、数秒くらい私には分からなかった。
梓に抱き締められたんだって気付いたのは、それからしばらく経ってからの事だ。
私は私が梓にしたように、頭から胸の中に強く抱き留められていた。

「あず……さ……?」

何も分からなくて、間抜けな声を出してしまう。
ただ一つ分かるのは、抱き締められる一瞬前、梓が笑っていた事だった。
涙が止まったわけじゃない。
涙を止められたわけじゃない。
でも、梓は笑っていた。泣きながら、笑っていたんだ。
今梓の胸の中にいる私にとっては、もう確かめようもない事だけど……。

「ありがとうございます、律先輩……。
こんな面倒くさい後輩なのに、こんなに大切に思ってくれて、
私、嬉しいです」

「でも、梓、おまえ……。
えっと……、私を……」

言葉にできない。
梓の真意が掴めなくて、曖昧な言葉しか形にできない。
梓が明るい声を上げた。

「もう……、律先輩ったらこんな時にもいつもの律先輩で……。
真面目な話をしてるのに、普段通りのいい加減で大雑把な律先輩で……。
そんな律先輩を見てると……、何だか私、嬉しくなってきちゃうじゃないですか。
不安になってなんか、いられなくなっちゃうじゃないですか……」

「大雑把って、おまえ……。
いつもはともかく、さっきまではそんな変な事言ったつもりは……」

「もう一度、言いますよ。
律先輩は役不足です。
私の不安を晴らす役なんて、律先輩には役不足過ぎます」

「だから、そんなはっきり言うなよ……」

少しやけくそになって、吐き捨てるみたいに呟いてみる。
梓が明るい声になったのは嬉しいけど、そこまで馬鹿にされると釈然としない。
でも、梓はやっぱり明るい声を崩さなかった。

「ねえ、律先輩?
役不足の意味、知ってますか?」

「何だよ……。
その役を務めるには、実力が不足してるって事だろ……?」

「もう、やっぱり……。
受験生なんだから、ちゃんと勉強して下さいよ、律先輩。
役不足って、役の方が不足してるって意味なんですよ?」

「役の方が不足……って?」

「もういいです。これ以上は家で辞書で調べて下さい」

「何なんだよ、一体……」

「とにかく……、ありがとうございます、律先輩……。
私……、嬉しかったです。
律先輩との思い出……、思い出してみるとすごく楽しかった。
軽音部に入ってよかったって、思えました……」

まだ梓が何を言っているのかは分からない。
でも、梓の声が明るくなったのは何よりで、私の方も嬉しくなった。
梓の変な言葉も、まあ、いいか、と思える。
私の小さな反抗は、少しだけ成功したって事でいいんだろうか。
今の私も、過去の私も、結局は梓の涙を止める事はできなかった。
でも、少なくとも笑顔にしてあげる事はできたみたいだった。
それだけでも今は十分だ。

……役不足の意味は、後で純ちゃんにでも聞いてみる事にしよう。
466 :にゃんこ [saga]:2011/08/13(土) 22:58:36.73 ID:A5NjIVI60


今回はここまでです。
梓編終わったみたいですが、まだ続きます。

役不足って、そういう伏線だったのかよ。
長い前振りでした。
467 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/13(土) 23:16:24.77 ID:6VfcYIOSO
りっちゃんかわいい
468 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/13(土) 23:25:15.26 ID:kWq8XTRPo

役不足ネタをこの場面で使うとはww
469 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/13(土) 23:35:38.49 ID:OPNz0AUSO
良かったー乙!
470 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/14(日) 15:25:04.51 ID:yYGGgxBIO
役不足はわざと誤用してたのかw
471 :にゃんこ [saga]:2011/08/16(火) 21:35:21.06 ID:bAeskBad0





梓は笑顔になったけれど、その涙が完全に止まるまでには、もう少しだけ時間が掛かった。
笑顔を取り戻したとは言っても、心の中に残るしこりを取り除くには、まだ涙が必要みたいだ。
好きなだけ、泣いたらよかった。
泣いた先に晴れやかに笑えるんなら、泣かずに耐えるよりその方がずっといい。
涙は必要なもので、どんな涙にも意味があるはずなんだ。
昨日、私が澪の前で訳も分からず流してしまったあの涙にも、きっと意味があるはずだ。
私は多分、あの涙の理由を分かりかけてきていた。
澪に伝えたい言葉もほとんど固まってる。
答えは、出ていた。
後はそれを声に出して、その答えを澪の耳と心に伝えるだけだ。
その答えを他人が聞けば、大概が馬鹿な答えだって笑うかもしれない。
確かに自分で出した答えながら、馬鹿な答えを出したもんだと思わなくもない。
それでも、よかった。

馬鹿な答えでも、それが私の答えだし、
軽音部の皆なら、その答えを笑って受け入れてくれると思う。
澪がどう受け取るかは分からないけど、
できれば澪もその答えを笑顔で受け取ってくれれば嬉しい。
受け取ってくれる……、と思う。
自信過剰かもしれないけど、澪が涙を流した理由は私と同じはずだから……。

そうやって梓の腕の中で私が澪への想いを再確認し終わった頃、
若干震えが止まった梓が私の身体を解放してから、落ち着いた声色で言った。

「ありがとうございます、律先輩……。
やっとですけど……、落ち着きました。
長い間、無理な体勢をさせてしまって、ご迷惑をお掛けしました」

「気にするな」

言ってから、私はしばらくぶりに梓の顔を正面から見る。
瞼を泣き腫らしてはいたけど、梓は照れ臭そうに笑っていた。
長く涙を流してしまった事を、少し気恥ずかしく感じてるんだろう。
梓があまり見せる事が無い可愛らしい照れ笑い。
その表情を見て、梓は笑顔を取り戻せたんだな、と私は胸を撫で下ろす。
残り少ない時間、笑顔を失くしたまま終わらせるなんて悲し過ぎるじゃないか。

勿論、深刻に世界の終わりについて考え続けて、
哲学的な答えを出したりするのも一つの生き方だろう。
そういう生き方を否定しないし、立派だとも思うけど、その生き方は私達には似合わない。
皆が笑顔で、お茶をしたり、雑談に花を咲かせたり、
そんな普段通りのままで世界の終わりを迎えるのが、私達の生き方なんだ。
多分、世界が終わる詳しい理由も分からないまま、その日を迎えるんじゃないだろうか。
正直言って、テレビで世界が終わる理由を何度説明されても、よく分からなかったしな。
とりあえず隕石やマヤの予言とかとは、一切関係ない事だけは確からしいけどさ。
まあ、世界が終わる理由なんてのは、別に知っても仕方がない事だ。
理由を知ったところで世界の終わりを回避できるわけでもないし。
そんな事よりも、今の私には気になる事がある。
私にとっては、世界の終わる理由よりもそっちの方が何倍も重要だ。
軽く微笑んでから、私は梓の耳元で囁く。
472 :にゃんこ [saga]:2011/08/16(火) 21:36:27.91 ID:bAeskBad0
「梓、ちょっと後ろ向いてくれるか?」

「え、何ですか、いきなり?」

「ほら、早く早く」

「はあ……。分かりましたけど……」

狭いスペースだったけど、その場で梓が器用に半回転してくれる。
梓のうなじがちょうど私の目の前に来る体勢になる。
私は「ちょいと失礼」と手を伸ばして、梓の両側の髪留めをクルクル回して解いた。

「え? 律先輩……?」

「櫛は部室にあるから、手櫛で失礼」

「えっ……と……?」

「おまえさ、自慢のツインテールがボサボサだし、左右の位置も変になってんだよ。
気になるから、私に結び直させてもらうぞ」

「別にツインテールが自慢なわけじゃ……って、そうじゃなくて!
いいですって! 自分で結び直しますから! 大丈夫ですから!」

「何だよー、可愛くない後輩だなあ。
こういう時くらい、先輩の思いやりに身を任せたまえ、梓後輩」

私が言うと、少しだけ抵抗していた梓の動きが止まる。
私に結び直させてくれる気になったのか?
そう思った瞬間、梓が妙に重い声色で呟いた。

「大雑把な律先輩に、ちゃんと髪を結べるんですか?」

「中野ー!」

後輩の生意気な発言にいたく憤慨した私は、梓の首筋に自分の腕を回して力を入れる。
私の得意技、チョークスリーパーの体勢だ。
梓も私にそうされる事が分かってたらしく、
特に抵抗もせずに私のチョークスリーパーに身を任せた。
と言うか、チョークスリーパーに身を任せるって、言い得て妙だな……。
少しずつ力を込めると、チョークスリーパーって技の性質上、必然的に私達の顔は間近に近付いていく。

間近に見える梓の顔は笑うのを我慢してるように見えた。
どうもさっきの発言は冗談だったらしい。
私の方もいたく憤慨したってのは嘘だけどさ。
しばらくそのままの体勢でいたけど、先に根負けしたのは私の方だった。
気付けば私は笑顔になってしまっていて、梓も私につられて晴れやかな笑顔に変わっていた。

「ありがとうございます、律先輩」

何度目かのお礼の言葉を梓が口にする。
嬉しい言葉だけど、流石に何度も言われると私も背中がむず痒くなってくる。

「もう礼の言葉はいいって、梓」

「でも、伝えたいですから。
何度だって、言葉にしたいんです。
こんなに安心できたのはすごく久し振りで、すごく嬉しいんです。
律先輩が私の先輩でいてくれて、本当に嬉しいんです。
もうすぐ世界の終わりの日なのに、安心できるって変な話ですけど、でも……。
私……、幸せです」
473 :にゃんこ [saga]:2011/08/16(火) 21:37:51.81 ID:bAeskBad0
幸せなのは私も一緒だ。
梓とすれ違ったまま世界の終わりを迎えなくて、すごく幸せだった。
もうすぐ死ぬ事は分かってるけど、この幸せな気持ちは無駄にはならないはずだ。
よくもうすぐ死ぬのに、短い幸福なんて無意味だって言葉を聞く。
でも、残された時間が短い事と、幸せ自体は何の関係も無い事だと私は思う。
短い時間の幸福が無意味なら、結局は長生きして得た幸福だって無意味って事になる。
長かろうと短かろうと、最終的には死ぬ事で何もかも失われるんだから。
どうやっても、人は死んでしまうんだから。
だから、私は短い時間の幸せでも無意味だなんて思わない。思いたくない。
そのためにも、私は梓に訊いておかなきゃいけない事があった。

「なあ、梓。
キーホルダー……、一緒に捜すか?」

軽く、囁いてみる。
失くしてしまったキーホルダーを見付けだす事も、梓には大きな幸せになるだろう。
その幸せを梓が求めるんなら、私もその力になりたいと思う。
残りの時間、キーホルダーを捜す事に力を尽くすのも、一つの道だ。
だけど、梓はゆっくりと首を横に振った。

「いえ……、もういいんです。
一週間ずっと、これだけ捜しても見つからないって事は、
誰かに拾われるかなんかして、もう何処か遠い所にあるのかもしれませんしね。
それに……、キーホルダーが無くても、先輩達は私を仲間でいさせてくれる。
それを律先輩が教えてくれたから……、だから、もう大丈夫です」

完全に吹っ切れたわけじゃないんだろう。
梓のその声は寂しげで、少し掠れて聞こえた。
でも、今度こそ、その梓の言葉は信じられる。
まだ無理はしてるんだろうけど、梓はキーホルダーという形のある絆の品じゃなくて、
私達との絆そのものっていう形の無いものを信じてくれる事にしたんだ。
形の無いものを信じるのは恐いし、不安になってしまうから、
そりゃ少しの無理はしないといけない。無理をしなきゃ信じ続けられない。
だけど、梓はそれを信じてくれる。
信じるために、今の寂しさも耐えてくれる。
何だか急に、そんな梓が愛おしく思えた。
私はチョークスリーパーの体勢を解いて、抱き締めるみたいに梓の背中から両腕を回す。

「ありがとな」

信じてくれて。
後半の方は言葉にしなかった。
照れ臭いのもあったし、その言葉を伝えるのも今更な気がした。
でも、言葉にしなくても、今だけは梓に私の気持ちが伝わってると思う。
不意に梓が明るく微笑む。

「だから、お礼を言いたいのは私の方ですよ、律先輩。
これじゃ逆じゃないですか」

「そう……かな。そうかも……な。
でも、私からも礼を言いたくてさ。ありがとう、梓」

「私こそ……って、これじゃきりが無いですね」

「そうだな。じゃあ、最後に梓が私に感謝の気持ちを示してくれ。
お礼の言い合いっこはそれで終わりにしようぜ?」

「感謝の気持ちを示すって……、どうすればいいんですか?」

「梓の髪を私に結び直させてもらう。
私に感謝してるんなら、それくらいの事はさせてもらおうじゃないか、梓くん」

「そうきましたか……。
いいでしょう。それくらいは我慢してあげます」

よっしゃ、と声を上げて、私は梓から身体を離して少し距離を取る。
解いた梓の髪は真っ黒でまっすぐで、女の私から見てもすごく綺麗に思えた。
手を伸ばして、手櫛で丁寧に梓の髪を梳いていく。
少し痛んでるのに、梳く指に引っ掛かりがほとんど無い。
もしかしたら、これは澪よりもいい髪質かもしれないな。
ちょっと悔しくなって、ぼやくみたいに呟いてみる。
474 :にゃんこ [saga]:2011/08/16(火) 21:38:28.96 ID:bAeskBad0
「ちくしょー。
マジでまっすぐな髪だな。生意気な奴め」

「羨ましいですか?」

「んまっ、本気で生意気な子ね!
でも、まあ……、羨ましい事は羨ましいけど、そこまででもないかな。
ストレートはストレートで苦労があるみたいだし、あんまり髪を伸ばすつもりもないしさ」

「そう言う割には、律先輩も髪の扱いが意外と上手じゃないですか」

「ふふふ、まあな。
暇な時、澪の髪を結ばせてもらってるし、髪の扱いにかけてはそれなりの腕前だと思うぞ。
だからさ、気になるんだよ、梓みたいに綺麗な髪が傷んでるとさ。
澪の奴も精神的に追い込まれるとそれが髪質に出る奴だから、余計に気になるんだよな」

「ご心配……、お掛けします」

申し訳なさそうに梓が縮こまり、頭を小さく下げる。
その梓の頭を撫でて、私はそれを軽く笑い飛ばしてやる事にした。

「気にするなって。
まあ、でも、深夜に一人で外を出歩くのだけは頂けないけどな。
キーホルダーの事が気になるからって、いくら何でも危ないだろ。
ただでさえ梓は……」

可愛いんだから。
そう言おうとしてる自分に気付いて、慌ててその言葉を止めた。
流石にその言葉を梓自身に届けるのは恥ずかし過ぎる。
私は一息吐いてから、訂正して言い直す。

「小学生みたいに小さいんだからな」

「なっ……!
律先輩だって、人の事言えないじゃないですか!」

「私はおまえよりは大きい」

「年の差です!」

梓が頬を膨らませて拗ねる。
って、年の差……か?
見る限り、梓は一年の頃から全然成長してないように見えるんだが……。
この調子じゃ、今後どれだけ年月を経たとしても、成長しなさそうだぞ。
いや、私も人の事は言えないくらい、一年の頃から成長してないんだけどな……。
……何か悲しくなってきた。
梓も自分が全然成長してない事を自覚してるみたいで、物悲しそうに沈黙していた。
発育不良な二人が、揃って大きく溜息を吐く。

いやいや、今は私達の発育の事なんてどうでもいい。
私は梓の右の髪を結びながら、できるだけ声色を明るく変えて言った。

「でも、危ないのは確かだ。
もうあんな事するのはやめてくれよ、梓。
と言うか、深夜に私の家の前を通ったのは梓で間違いないんだよな?
まだおまえから本当のところを聞いてないけど」

「はい……。律先輩が見たのは、確かに私だと思います。
深夜、キーホルダーを捜して、走り回ってましたから……。
見間違いだなんて言って、すみませんでした……」

「それはいいけどさ。
私はさ、梓の事が本当に心配だったよ。
私だけじゃない。
ムギも、唯も、澪も、憂ちゃんや純ちゃんもおまえを心配してたんだからな」

「純……も……?」

意外そうに梓が呟く。
それは純ちゃんが梓を心配してるのが意外なんじゃなくて、
私が純ちゃんの事を話題に出すのが意外だと感じてるみたいだった。
確かに私と純ちゃんって、あんまり関わりがなさそうだからなあ……。
475 :にゃんこ [saga]:2011/08/16(火) 21:52:15.28 ID:bAeskBad0


此度はここまで。
激動の展開だったので、ちょっと一休み。

しかし、単にりっちゃんが好きだからという理由だけで主人公にしましたが、実に主人公に相応しくて助かります。
今更ですが。
普通の子で、ボケも突っ込みもできて、悪意がなく、悩むけど前向きで人の事も考えられて、自分の事を客観視もできるなんて。
何と言う主人公としての完璧超人。
476 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/16(火) 22:15:23.01 ID:ohMqE1/SO

こうやってみんなに笑顔が戻って元の関係に戻っていくのっていいな〜
梓編はこれで解決なのかな
梓編の次は誰編になるんだろう
477 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/16(火) 23:58:14.79 ID:UlKTUHYM0
おつー
俺もりっちゃん好きだ
元気で行動力もあるもんね
478 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/08/17(水) 00:35:49.77 ID:qASyCx0J0
面白かった
479 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県) [sage]:2011/08/17(水) 01:43:34.57 ID:gOgiBPW4o
こういう役はりっちゃんが一番合うな
なんたって部長だし
そろそろおれの唯の出番?
480 :にゃんこ [saga]:2011/08/18(木) 21:55:32.89 ID:Wnnpcz4x0
でも、私と純ちゃんが無関係に見えても、決して無関係じゃない。
いちごが言ってたみたいに、私達は自分でも知らない何処かで知らない誰かと必ず繋がってる。
何かと無関係ではいられないんだ。
特に私と純ちゃんには梓っていう大きな繋がりがある。
それだけで私と純ちゃんは、深い所で繋がり合ってるって言えるかもしれない。
今回、私はその繋がりに助けられ、梓の悩みを晴らす事ができた。
それは梓を大切に思う人間が多いって証拠でもある。
梓がそんな風に大切に思われるに足る子だから、
誰もが梓を放っておけなくて、結果的に梓自身を救う事になったんだ。
私はそれを梓に少しだけ伝えようと思った。
梓の悩みは私達の悩みでもあるんだって。
梓が悩んでいると、皆が梓を助けたくなるんだって。
梓は愛されてるんだって。

勿論、純ちゃんとの約束もあるから、
必要以上の事を伝えるわけにはいかないけど。
それでも、私は伝えるんだ。梓は一人じゃないんだと。

「この教室に来る前に、純ちゃんと話をしたんだよ。
梓が二年一組に居るって教えてくれたのも純ちゃんなんだぜ?
軽音部の部室から飛び出すおまえを見かけたって言ってた。
声も掛けたって言ってたけど、気付かなかったのか?」

「いえ……。無我夢中で走ってて、純が見てたなんて全然気付きませんでした。
でも、そうなんだ……、純が……。
純に……、悪い事しちゃったな……」

「後で純ちゃんに謝って……、いや、お礼の方が喜ぶな。
お礼を言っとけよ、梓。
純ちゃんが教えてくれなきゃ、私はこの教室まで来れなかった。
梓の悩みを聞き出す事もできなかったんだ。
今お前と私が笑えるのは、純ちゃんのおかげでもあるんだ」

「そうですね……。
いつもは好き勝手な事してるのに、純ったら……。
こんな時だけ……、こんな時だけ気が効くんだから……」

「いい友達だな」

「……はい!」

梓が感極まった様な大きな声を出す。
もしかしたら梓はまた少し泣いているのかもしれなかった。
でも、それはもう悲しい涙じゃなくて、胸が詰まるみたいな嬉しい涙なんだ。
少しだけ気難しい面がある梓にも、純ちゃんみたいな素敵な友達がいるんだな。
私はそれが嬉しくなって、梓の左側の髪を結び終えてから続けた。

「おまえが思う以上に、純ちゃんっていい子だぞ。
純ちゃんさ、おまえの知らない所で軽音部の新入部員を見つけてくれたらしい。
それも二人もだぜ。
入部してくれるのは来年度からみたいだけど、これで来年の軽音部も安泰だな」

「本当ですかっ?」

「ああ。でも、私が言ったって純ちゃんには内緒な。
純ちゃんから、新入部員の事は梓には内緒してくれって頼まれてるんだよ。
勿論、その新入部員が誰かも内緒なんだ。
だから、どうかここはご内密に頼むぜ、お代官様」

「そうですか……。二人も新入部員が……。
何だか……、来年度がすごく楽しみになってきました。
見てて下さいね、律先輩。
来年度の軽音部は、今の軽音部より絶対すごい部にしてやるです!」

「その意気だ」
481 :にゃんこ [saga]:2011/08/18(木) 21:56:07.34 ID:Wnnpcz4x0
私が不敵に微笑んでやると、梓も私の方に振り向きながら柔らかく微笑んだ。
勿論、二人とも分かってる。
来年度は、多分、無い事を。
それでも、私達は笑うんだ。
私達が私達でいられるために。

「よし、完了」

手櫛でもう少しだけ髪を梳かしてから、梓のその場に立ち上がらせる。
私も立ち上がって、私に背を向けていた梓を私の方に向かせた。
何となく、嬉しくなる。
そこには若干疲れた感じがするけど、普段と変わらない梓の姿があったからだ。
普段と変わらない梓の姿だけど、そんな普段の梓の姿を見るのはすごく久し振りだ。

梓が自分の髪の位置を手で確認しながら、軽く笑って言う。

「ありがとうございます、律先輩。
髪の位置も完璧じゃないですか。
大雑把だと思ってましたけど、律先輩の事、見直しました!」

「素直に褒めるって事を知らないのかい、梓ちゃん。
それに見直したって事は、これまでは見損なってたって事かよ。
まあ、いいけどさ」

軽口を叩き合う私達。
やっぱりあんまり部長と部員の関係って感じがしないな。
どっちかと言うと、同級生の部員同士っぽい。
でも、まあ、それもいいか。
それも私と梓が付き合ってきた二年間の結果なんだ。
求めてた関係とはちょっと違うけど、こんな友達みたいな関係も悪くない。
いや、友達みたいな、じゃない。
私と梓は友達だ。
友達で、いいんだと思う。

急に梓が少しだけ寂しそうな顔になる。
世界の終わりの事を思い出したのかと思ったけど、そうじゃなかった。

「あーあ……。
考えてみたら、何だか勿体無い事しちゃいましたね……」

自嘲的に梓が小さく呟く。
悲しんでるわけじゃなく、自分に腹を立ててるわけでもなく、
ただ自分のしてしまった事を少しだけ後悔してるみたいに。

「私……、一週間も一人で何を抱え込んでたんでしょうか。
キーホルダーを失くした事……、早く律先輩達に伝えればよかったなあ……。
律先輩達を信じればよかったのに、自分を信じられればよかったのに、
それができずに深夜に駆け回ったりまでして……、必死に捜し回って……。
そんな私のせいで皆に心配掛けちゃって……、
律先輩にまで勿体無い無駄な時間を掛けさせてしまって……。
私が……、信じられなかったせいで……」

梓が小さい身体を更に縮ませるみたいに小さくなる。
一つの悩みは晴れたけど、
その副産物として、今度は自分の掛けた迷惑について罪悪感を抱いてしまってるんだろう。
梓は責任感の強い子だ。
自分のミスや失敗を抱え込んで、たまにそれに押し潰されそうになっちゃう子だ。
今までの私なら、そんな梓を心配そうに見つめる事しかできなかっただろうけど……。
でも、もう大丈夫。
梓は私を信じてくれた。
後は私が梓を信じて、梓に自分自身を信じさせてあげるだけだ。
私は手を伸ばして、梳いたばかりの梓の頭頂部をくしゃくしゃにしてやる。
482 :にゃんこ [saga]:2011/08/18(木) 21:59:42.15 ID:Wnnpcz4x0
「ちょ……っ? 律先輩……っ?」

「馬ー鹿。
確かにおまえのせいで長い事悩まされたけど、それは別に無駄な時間じゃなかったよ。
勿体無いなんて事も無い。こんな時だけど、私自身や軽音部の事について深く考えられた。
それはおまえのせいで……、おまえのおかげだ」

「どうして……」

また泣きそうな顔で、梓が掠れた声を上げた。

「どうして律先輩は……、そんなに優しいんですか……?
私の事なんて……、もっと責めてくれてもいいのに……」

「生憎、私には人を責める趣味はないのだ。
それにさ、優しいのはおまえもだよ、梓。
キーホルダーの事でそんなに悩んだのは、私達の事を大切に思ってくれてたからだろ?
そんなおまえを責められないし、それに……」

「それ……に……?」

「まだ取り戻せる。
思い悩んだ分、心配掛けちゃった分なんて、いくらでも取り戻せるよ。
だから、梓さえよければさ、今日、私んちに泊まりに来ないか?
何ならムギや純ちゃんも誘って、皆で色んな話をしようぜ。
私の部屋で布団並べてさ、「好きな子いる?」って話し合ったりとか」

私の言葉に、梓は呆気に取られたみたいにしばらく沈黙していた。
まさか私がそんな話を始めるなんて、考えてもなかったんだろう。
実を言うと、私も自分がこんな話をするなんて思ってなかった。
泊まりに来ないかって言葉も、その場の勢いで言っただけだ。
でも、勢いながら、いい提案だって自分で自分を褒めたい気分でもある。
そうなんだ。
勿体無い事をしたと思うんなら、取り戻せばいいだけなんだ。
それを自覚して一緒の時間を過ごせれば、
勿体無かったと思える時間以上の充実した時間を過ごせるはずだ。

「もう……」

梓が呆れた表情で小さく呟く。
でも、その表情の所々からは、隠し切れない笑顔が滲み出ていた。

「それじゃ修学旅行じゃないですか、律先輩」

「お、それ頂き。
いいじゃんか、修学旅行。
梓とは一緒に行けなかったわけだし、私達だけの修学旅行って事でどうだ?
勿論、梓の予定が合えばだけどさ」

「……仕方ないですね。
律先輩がそこまで言うなら、付き合ってあげます。
やりましょう。律先輩の家で、私達だけの修学旅行を」

「よっしゃ。そうと決まれば早速ムギ達を誘いに行こうぜ。
折角だから、夕食は私が腕に縒りを掛けて用意しよう。
何かリクエストないか?
何でも梓の好きな物を作ってやるぞ」
483 :にゃんこ [saga]:2011/08/18(木) 22:00:24.40 ID:Wnnpcz4x0
「じゃあ……、ハンバーグをお願いしていいですか?」

「ハンバーグかよ。別に何でも作ってやるのに。
……って、ひょっとしてハンバーグしか作れないって思われてる……?」

「いえいえ、違いますよ。
前に律先輩の家で食べたハンバーグが美味しかったから、また食べたいんです。
……駄目ですか?」

「そう言われると、私も腕に縒りを掛けざるを得ない。
そうだな、今日はハンバーグにしよう。
美味しいご飯も炊いてやる。
今日は梓のリクエスト通り、愛情込めてハンバーグを作ってやるぞ」

「あ、別に愛情はいいです」

「中野ー!」

私が声を荒げて掴み掛ろうとすると、
梓は上手い具合に私の腕を避けて教室の扉まで駆けて行く。
最近、生意気さに加減の無い後輩だけど、
そんな生意気さをどうにかながら取り戻せて、私は嬉しかった。
教室の扉を開きながら、梓が私の方に振り返る。

「ほら、早く行きましょう、律先輩」

「あいあい」

「それと……」

「どうした?」

「何度も言いましたし、さっき最後だって言いましたけど、でも、もう一度言わせて下さい。
私の先輩でいてくれて、本当にありがとうございます、律先輩」

「おうよ。
……おまえこそ、私の後輩でいてくれて、ありがとな」
484 :にゃんこ [saga]:2011/08/18(木) 22:01:32.16 ID:Wnnpcz4x0





二年一組の教室を出た瞬間、
笑顔の私達を見つけたムギが、泣き出しそうな梓の胸に飛び込んだ。
ずっと私達の事を信じて待っていてくれたんだろう。
申し訳なさそうに、でも嬉しそうに梓が謝り、
これまでの事情を説明すると、ムギは怒る事も無くそのまま梓を抱き締めた。
ずっと唯が身近に居たせいか、どうも私達には唯の抱き付き癖がうつってしまってるみたいだ。
抱き付かれ慣れてるみたいで、梓の方もムギに抱き締められるままにしていた。
妙な感じだけど、これが私達のコミュニケーションでもあるんだろう。

ムギがしばらく梓を抱き締めた後、
私の家で私達だけの修学旅行をしないかと伝えると、
「後輩とのそういうイベント、夢だったの」と言って、目に見えてはしゃぎ出した。
ムギにはどれだけ色んな夢があるんだ……。
でも、ムギが積極的になってくれるのは大歓迎だ。
梓だけじゃなく、ムギも喜んでくれるんなら、一石二鳥ってやつじゃないか。
勿論、ムギが楽しんでくれるのは、私だって嬉しい。

そうして盛り上がっていると、
不意に梓が廊下の角から私達を見ている何者かの視線に気付いた。
当然ながら、その何者かは純ちゃんだった。
軽音部の部室で待ってると言っていたけど、
やっぱり梓の様子が気になって教室の近くまで来てたんだろう。
梓が手招きすると、少しだけ恥ずかしそうに梓の傍まで近付いて、
それでも純ちゃんは急に笑顔になって、梓の頭を強めに撫で始めた。
元気そうな梓を見て嬉しかったんだろう。
頭を撫でるのは純ちゃんなりの愛情表現なんだろうけど、
「撫でないでよ、もー!」と梓はほんの少し不機嫌そうな声を上げていた。
私達には結構自由に頭を撫でさせてくれる梓だけど、
流石に同級生に頭を撫でられるのは恥ずかしいらしい。
これまで、私には二人の関係は梓が主導権を取ってる関係に見えてた。
でも、本当は自由に見える純ちゃんの方が、梓をリードしてるのかもしれない。
485 :にゃんこ [saga]:2011/08/18(木) 22:02:44.11 ID:Wnnpcz4x0
そのムギの言葉に対しては、私は肯定も否定もしなかった。
ずっと私達を見てたムギが言うんならそうなのかもしれないけど、
簡単にそれを認めてしまうのも何だか恥ずかしかった。
だけど、どちらにしても、
明日には私と澪の関係にとりあえずの結末が訪れるんだろうな、って私は思った。
澪の言葉を信じるなら、明日には学校で私達が顔を合わせる事になる。
そこで私達は何かの話をして、何らかの結論を出すんだろう。
その時を考えると少し恐かったけど、同時に待ち遠しくもあった。
澪に私の想いと答えを伝えたい。
どんな形であっても、澪にはそれを聞いてもらいたい。
その時こそ、私と澪が自分の本当の気持ちを実感できる時だと思うんだ。

私の家での修学旅行については、純ちゃんも笑顔で了承してくれた。
世界の終わりも近いんだし、家族が心配したりしないかと確認すると純ちゃんは苦笑した。
純ちゃんが言うには、家族会議を行った結果、
家族皆が世界の終わりまで自由に過ごす事に決めてるらしい。
人に迷惑を掛けなければ、何処でどう過ごしてくれても構わないそうだ。
大らかな家庭だなあ、と思わなくもないけど、
我が田井中家も似たようなもんなので、人の家庭の事は言えなかった。
まあ、それだけ家族が信頼し合ってるって事だとも思うけどさ。

それから私達は軽音部の部室に向かって、
三人で新曲の練習を始めようとして……、気が付けば純ちゃんがその場から消えていた。
神隠しに遭ったってわけじゃない。
「単に修学旅行の準備に家に戻っただけです」と梓が言っていた。
「そんなの後でいいのに」と私がぼやくと、苦笑しながら梓が続けた。
純ちゃんは私達が最後にライブをする事を憂ちゃんから聞いて知っていたらしい。
どうやら純ちゃんも最後のライブを観に来てくれるらしく、
その楽しみをネタバレで減らしたくないから、って逃げるように帰ったんだそうだ。
こんな時でもマイペースを崩さない。
世界がどう変わっても、純ちゃんは純ちゃんだ。
純ちゃんを見習って、私も私のままでいたい。
486 :にゃんこ [saga]:2011/08/18(木) 22:03:20.37 ID:Wnnpcz4x0





――木曜日


布団を並べて話をしていると、純ちゃんは一人で早々に眠ってしまった。
その純ちゃんを起こさないよう小さな声で会話を続けていると、
携帯電話の大きめなアラームの音が私にいつもの時間を伝えた。
私は慌ててアラームを切り、眠ってる純ちゃんの方に視線を向けてみる。
……すげえ。結構大きい音だったのに、微動たりともしていない。
梓から話には聞いてたけど、どんだけ寝付きのいい子なんだ、純ちゃんは……。
まあ、これだけ寝付きがいいなら、少しは大きな音を出しても大丈夫だろう。

祈るような気分で、私はラジカセの電源を入れる。
電波の不調のせいか昨日は聴けなかったけど、今日は復旧してるだろうか?
できる事なら、世界の終わりまであの人の声を聴いていたい。
週末まではお前らと一緒!
あの人はそう言ってくれていた。私はその言葉を信じていたい。
私の祈りが届いたのか、スピーカーからは昨日みたいな雑音は出なかった。
軽快な音楽が流れる。
487 :にゃんこ [saga]:2011/08/18(木) 22:06:32.73 ID:Wnnpcz4x0

今夜はここまでです。
遂に木曜日になりました。
作者の自分もちょっと切ない。

唯編は短いのを入れる予定でしたが、
>>479の方のおかげで何かちょっと思い付きました。
少しだけ長い話になりそうです。
488 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/18(木) 22:35:43.68 ID:pAqXpY3do
次回も期待してます
乙!
489 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/19(金) 00:41:02.03 ID:XfXfSBFSO
りっちゃんカッコいい
490 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県) [sage]:2011/08/19(金) 02:18:09.03 ID:N4UNxKruo
>>487
唯編期待してる
唯も律みたいにみんなの悩みや不安をやわらげるタイプぽいけど
491 :にゃんこ [saga]:2011/08/20(土) 20:16:14.34 ID:DgFkpJqV0
「胸に残る音楽をお前らに。本当の意味でも、ある意味でも、とにかく名曲をお前らに。
今日もラジオ『DEATH DEVIL』の時間がやって来た。
一日空いちゃったけど、アタシの事ちゃんと憶えてる?
アタシよ、アタシ。
オレオレ詐欺じゃないわよ。アタシよ、クリスティーナ。
一日で忘れちゃってる困ったちゃん達はこの放送中に思い出しといてよ。
オーケー?

しっかし、昨日はまさかラジオどころかテレビ、電話まで電波障害になっちゃうなんてね。
シューマン共鳴だか何だかの異常だそうだけど、こりゃ本格的に終末が現実的になって来たわ。
電波が途絶えるなんて、これまでの人生で経験した事なかったかんね。
日常が少しずつ消え去ってるって実感も湧いてくるわね。
しかも、シューマン何たらってのも、滅多な事では異常が起きるはずがない自然現象らしいのよ。
それに異常が起きてるってんだから、いよいよ世界最後の日も間近ってわけだ。
まあ、それでもそんな異常下でも電波を一日で復旧できたわけだから、
ひょっとしたら終末ってのもそんな大したもんじゃないかもしれないけど。
それとも電波専門の電波職人さんの腕のおかげかしらね?
流石は職人さん。
洗練された腕にいつも頭が下がります。なんてね。
あははっ。

何はともあれ、終末までは今日入れて残り三日。
日曜日には未曾有の大災害ってやつがアタシ達の身に降り掛かるわけよ。
いや、そもそも災害なのかどうか科学者の皆さんもちゃんと分かってないらしいけど、
とにかく人類全体が消えちゃうのだけは間違いない。
そんな終末まで、残りもう三日。
でも、まだ三日。
泣いても笑っても三日間もあるわけだし、
どうせなら終末まで笑って過ごしていこうぜ、お前ら。
世界の制度に反抗して生きるのが、ロックってわけよ。
終末だろうと何だろうと、世界が勝手に決めた規範には違いないじゃん?
アタシ達に都合の悪い制度は、何だって切って捨てる。
それが真のロックスピリッツ。
アタシも付き合うから、最後くらいお前らもロックに生きようぜ。
オーケー?
492 :にゃんこ [saga]:2011/08/20(土) 20:17:11.77 ID:DgFkpJqV0
そういえば勘違いしてるお前らが多いみたいだけど、
ギター掻き鳴らしてドラムのビートを刻む激しい曲がロックってわけじゃないらしいのよ。
アタシも子供の頃は勘違いしてたんだけど、
ロックミュージックの定義って単に歌詞や心根が反骨的かどうかなんだってさ。
曲の激しさとか、ギターのテクニックとかは一切関係無し。
お前らの心の中に反骨心があれば、それだけで全ての歌がロックミュージックだ。
だから、演歌やアニメソング好きなお前らも、反骨心があれば当番組にメールヨロシク!
終末まで、一緒にこの番組盛り上げてこうぜ!
週末まではお前らと一緒!
……って、これじゃ番宣だった。
こりゃ失敬。

ああ、電波障害については心配はないみたいよ。
ウチのディレクターが独自のシステムを構築したらしくて、
今後、公共の電波に障害が起きたとしても、少なくともこの番組だけは終末までお届けできるらしいのよ。
……一体、何者なのよ、あの人は。
単なるヅラじゃないとは思ってたけど、ここまで得体の知れない人だったとは……。
謎が多いディレクターよ、マジで。
残念だけど、終末までにその謎は解けそうもないし……。
まあ、一つくらい謎を抱えたまま終末を迎えるのも悪くないわね。
この謎はアタシもお前らと一緒に墓場まで持ってくから、それで勘弁ヨロシク。
どっちにしても、謎多きディレクターのおかげで放送の心配はしなくてよさそうだし、
その点では感謝感激雨霰。

でも、ディレクターだけじゃなくて、昨日一日、アタシは色んな人に感謝したわ。
アタシの好きなミュージシャン、番組のスタッフ、電波職人さん、
直接スタジオまで来てくれたリスナーのお前ら、電波障害を心配して駆け付けてきたラジな……。
たくさんの人がこの番組のために頑張ってくれた。
たくさんの人にこの番組が支えられてるんだって教えてくれた。
一日かけて、精一杯この番組のために駆け回ってくれた。
アタシにできる仕事はほとんど無くて、足手纏いにしかならなかった。
その分、今日は喋らせてもらおうと思う。
アタシがこの番組のためにできるのは、喋る事だけだからさ。
493 :にゃんこ [saga]:2011/08/20(土) 20:18:22.30 ID:DgFkpJqV0
失くして初めて、それの大切さが分かる……。
よく聞く言葉だし、単に一日空いただけなんだけど、昨日一日でその言葉を強く実感させられたよ。
成り行きで続けてきた番組だけど、アタシはこの番組が大好きなんだなって。
アタシはこの番組が生き甲斐なんだなってさ。
アタシにこの番組続けさせてくれて、お前らサンキュ!
残り短い放送だけど、最期までお付き合いヨロシク!
週末まで……、終末まではお前らと一緒!

さってと、とは言え、湿っぽいのはこの番組には似合わないし主義じゃない。
そろそろ記念すべきリクエストの復帰第一発目といってみましょうかね。
えっと、曲名は……。
お、復帰記念のおかげか、珍しく世界の終わりっぽくないリクエスト……。
って、あれ何? どしたの、ディレクター?
え?
この曲も歌詞はともかく、この曲が流れた番組が世界の終わりっぽい番組なわけ?
おいおい、お前ら……。
とことんこの番組を世界終末記念番組にしたいわけ?
ま、それもいいか。
こんな時でも時事ネタを忘れないその腐れ根性、アタシは嫌いじゃないよ。
折角だから、とことん終末っぽい曲を集めてみるのもいいかもね。
んじゃ、今日の一曲目、長野県のムー・フェンスからのリクエストで、
中川翔子の『フライングヒューマノイド』――」
494 :にゃんこ [saga]:2011/08/20(土) 20:21:25.86 ID:DgFkpJqV0


短めですが、ここまで。
クリスティーナを一番忘れてたのは自分というのは内緒の話。

あ、もう気付かれてると思いますが、
ラジオで流れてる曲は全部世界の終わりっぽい曲です。
495 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/20(土) 21:04:49.97 ID:NhlU+LYy0

ときどき入るラジオネタいいね
496 :にゃんこ [saga]:2011/08/22(月) 21:24:01.81 ID:Z8R6uNk30





朝、私達は三人で軽音部の部室でお茶を飲んでいた。
純ちゃんは居ない。
登校後、純ちゃんは私達と別れ、ジャズ研の部室に向かっていた。
ジャズ研も最後のライブを開催するから、そのための練習に行くらしい。
こんな時期に純ちゃんが登校してた理由は、ある意味で私達と同じだったってわけだ。
しかも、純ちゃんが言うには、そのライブは純ちゃんを中心に行われるんだそうだ。
そりゃほとんど毎日登校してるはずだよ。
ジャズ研のライブの開催は金曜日の午後。
会場は講堂らしく、もう既に使用届の提出もしているそうだ。
どの部も考える事は同じってわけだな。
世界の終わりに反抗したいのは、別に私達だけってわけじゃない。
私達のしている事は、何も特別な事じゃないんだ。
やっぱり皆、最後に何かを残したいんだと思う。
それは形として残るものじゃないけど、それでも何かを残そうとする事は無駄じゃないはず。

いや、私としては、別にその行為が無駄でも構わない。
私達はこれまで放課後を無駄に過ごして来た。
軽音部を設立して、たまに練習はするけど、ほとんどの時間をお喋りに費やして、
合宿に行っては遊んで、休日にはやっぱり雑談に花を咲かせて、それを梓や澪に怒られたりして……。
正直、音楽にまっしぐらに生きて来れたなんて、冗談でも口に出せない。
一言で言えば、私達にとっての放課後のほとんどは、人生の無駄遣いだったんだよな。
だけど、それでよかったと思う。
無駄だけど、楽しかった。
辛い事も少しはあったけど、皆と出会えて、最高に面白かった。
退屈する暇なんてないくらい、充実した無駄な時間を過ごせた。
その無駄が、私にとってすごく大切なものになったんだ。
だから、私達の最後のライブが無駄な行為でも、私は全然構わない。

それよりも気になるのは、やっぱり純ちゃんのライブの方だ。
純ちゃんの演奏は何度か聴いた事はあった。
でも、これまでの純ちゃんの演奏は、
ジャズ研の先輩達の伴奏的なパートである事が多く、
純ちゃん自身の本当の実力はいまいち掴みづらかった。
相当に練習を積んでるみたいだし、かなり上手い方だと思うんだけど、
伴奏的に演奏するのとメインで演奏するのでは、印象もかなり違ってくるだろう。
これは是非ともジャズ研のライブを観に行かなきゃいけない。
純ちゃんも私達のライブを観に来てくれるんだから、
私達もジャズ研のライブを観に行くのが礼儀ってもんだ。
それに新入部員(予定)の真の実力を把握しておくってのも、部長の大事な仕事だしな。

でも、何よりジャズ研のライブが観たい理由は、
今更だけど純ちゃん自身に興味が出始めたってのが一番かもしれない。
これまでは単なる梓の友達としてしか見てなかったんだけど、
昨日見せてくれた心から梓を心配する純ちゃんの姿がすごく印象的だった。
単なる友達なんかじゃない。
純ちゃんは梓の親友で、深く繋がってる仲間なんだなって思った。
単純だけど、私はそんな理由で純ちゃんに興味を持った。
それに梓の仲間だってんなら、私達の仲間でもあるってもんだ。
新しいお仲間としては、しっかりと相手の事を知っておかなきゃな。
497 :にゃんこ [saga]:2011/08/22(月) 21:25:06.22 ID:Z8R6uNk30
「どうしたんですか、律先輩?」

ムギの淹れてくれたFTGFO何とかって紅茶を飲みながら、梓が首を傾げた。
新しい軽音部の仲間が増えた事が嬉しかったせいか、私の顔が緩んでしまっていたらしい。
「何でもないよ」と私は首を振ったけど、
私の席の斜め向かいに座ってるムギはその私の誤魔化しを見逃してくれなかった。

「でも、りっちゃん、すごく嬉しそうよ?
何か素敵な事でもあったの?
言いたくないなら仕方ないけど、よかったら教えてほしいな」

ムギにそう言われちゃ、教えないわけにはいかなかった。
そもそも、隠し通さなきゃいけない事でもない。
私は自分の笑顔の理由をムギ達に伝える事にした。

「いや、昨日も話した事なんだけど、
純ちゃんが軽音部の新入部員を見つけてくれたってのが嬉しくてさ。
ついつい顔が緩んじゃったわけですよ、部長としては」

完全に真実ってわけじゃないけど、嘘を吐いてるわけでもない。
深く話せない事情を知ってるムギは、それを察して柔らかい笑顔を浮かべてくれた。

「そうよね。それって本当に素敵な事よね。
りっちゃんが笑顔になっちゃうのも分かるな。
私だって、嬉しくて自分が笑顔になっちゃうのを抑えられないもの。
……でも、純ちゃんってすごい子だよね。
私達があんなに探しても見つからなかったのに、新入部員を二人も見つけてくれるなんて……。
すごいなあ……、新入部員かあ……。
ねえ、梓ちゃんは新入部員ってどんな子だと思う?
どんな子だったら嬉しい?」

「え、私ですか……?
どんな子でも嬉しいですし、想像もできませんけど……。
そうですね……。
できればムギ先輩みたいな子か、それが無理なら大人しい子だと嬉しいです。
ムギ先輩みたいに気配りのできる子だと私も安心できますし、
大人しい子なら私でも色々と教えてあげられるんじゃないかって思うんです。
逆に活発な子や、私を振り回すような子はちょっと……」

そこで言葉を止めた梓は、わざとらしくチラチラと私の方を見た。
その目は明らかに私を挑発していた。
確実に私の突っ込みを待っていた。
こいつ……、誘ってやがる……。
そこまでされちゃ、私の方としても突っ込む事に関してやぶさかじゃない。
私は机を軽く掌で叩いてから、大声で言ってやる。
498 :にゃんこ [saga]:2011/08/22(月) 21:26:15.08 ID:Z8R6uNk30
「それって私みたいな子はノーサンキューって事かよ!」

「別に律先輩みたいな子とは一言も言ってませんよ」

「いや、言ってただろ! 私の方を見てもいただろ!」

「知りません。律先輩の自意識過剰じゃないんですか?」

「おい中野! コラ中野!
いい加減にしないと、ガラスの様なハートを持った部長が泣いちゃうぞ中野!」

「律先輩のは強化ガラスの様なハートだから、大丈夫なんじゃないですか?」

「強化ガラスでも、割れないだけでヒビは入るんだぞ!」

「あ、強化ガラスって自分で認めましたね、律先輩」

「中野ー!」

言葉だけだと辛辣な言い争いっぽいけど、私と梓の顔は笑っていた。
ふざけ合っているのはお互いが承知の上での言い争いなんだ。
昨日から梓の発言はいつもに増して生意気になっていた。
ムギ達と私の部屋に泊まった時も、何度梓が生意気な発言をしたか数え切れない。
でも、それは私に対して反骨心を持ち始めたからの発言じゃない。
いや、反骨心が無いとは言い切れないけど、どちらかと言えば甘えに近い発言に思える。
長く不安を抱えてた反動もあるんだろう。
梓は私に憎まれ口を叩く事で、これまでの勿体無かった時間を取り戻してるんだと思う。
好きな子にちょっかいを出して相手の興味を引いて甘える……。
そんな小学生みたいな行動が、梓の愛情表現の一つなんだろうな。
梓がその愛情表現を私に示してくれるのは勿論嬉しいんだけど、
これまた昨日からそんな私達を妙に嬉しそうに見守るムギの視線が気になるのは私だけか?
何か非常に生暖かい視線を感じるんだが……。

「なあ、ムギ……?」

どうにも気になって、
頬に手を当てて私達を見つめるムギに声を掛けてみたけど、
残念ながらムギは私達を見つめたまま何の反応も見せなかった。
どうやら何かに夢中になり過ぎて、私の声が聞こえてないらしい。
超うっとりしてる。
と言うか、そういや久々に見たな、こんなムギ。
一年の頃は頻繁に見せてた姿だけど、二年に上がってからは、
他の事に興味を持ち始めたのか、単に誤魔化し方が上手くなったのか、
こんなうっとりした感じのムギの姿を見せる事は少なくなっていた。
499 :にゃんこ [saga]:2011/08/22(月) 21:26:44.91 ID:Z8R6uNk30
「あの……、律先輩……?」

流石に妙過ぎるムギの姿が気になり始めたんだろう。
梓が不安そうに私の方に視線を向けた。

「ムギ先輩、どうしたんですか?
何だかうっとりしてるみたいに見えますけど……」

一年の頃のムギの姿を知らない梓だ。
私以上に妙な様子の今のムギを不審に……、じゃなくて、不安に思うのも無理はなかった。
しかし、このムギの姿をどう説明したらいいのか、私自身にもよく分からん。
私は頭を掻きながら、どうにか梓に上手く伝えるふりはしてみる。

「別に心配はないんだけど、
いや、なんつーか……、ムギってそういうのが好きな人なんだよ。
最近はあんまりそんな様子もなかったけど、どうも突発的に再発しちゃったみたいだな……」

「そういうのが好き……って、どういうのが好きなんですか?」

「えーっと……、だな……。
「女の子同士っていいな」っつーか……、
「本人達がよければいい」っつーか……、
ムギってそういうのが好きなんだよ。どんと来いなんだよ。
ほら、アレだ。みなまで言わせるな」

「女の子同士……?」

私の言葉を反芻するみたいに梓が呟く。
流石にすぐに理解できる事じゃないだろうし、いきなり理解されたらそっちの方が嫌だ。
十秒くらい経っただろうか。
私の言葉の意味を理解したらしい梓が目に見えて慌て始めた。

「えっ? あの……、えっ?
私と律先輩が……?
女の子同士の関係に……? ええっ?
私は別に……、そんなつもりじゃ……。
でも……」

理解してくれたのは嬉しいが、梓の動揺は私の予想とは違う原因のようだった。
見る限り、どうやら梓はムギが女の子同士の関係が好きな事よりも、
梓と私がムギにそんな関係として見られてるって事に動揺してるらしい。
そっちかよ。
まあ、流石に私に気があるって事は無いにしても、
意外と梓自身も女の子同士の関係に興味があるって事なのかもしれない。
同性の幼馴染みに告白されて、そいつの恋人になろうとした私に言えた事じゃないけど……。
澪の事を思い出して、私は少しだけ視線を伏せてしまう。
もうすぐ私は澪と一日ぶりに再会する。
それはすごく不安な事だけど、でも、それは澪と再会してから考えればいい事だ。
私はもうあの時の自分の涙の理由を分かってるんだ。
後はそれを澪に伝えるだけでいい。

軽く梓に視線を戻してみる。
決心を固めた私の視線を違う意味の視線と勘違いしたのか(何とは言わないけど)、
挙動不審に周囲に視線を散漫とさせながら、梓が早口に捲し立てるみたいに言った。

「そ……、そういえば、唯先輩達遅いですね!
一日空いちゃったから、唯先輩達に会えるの楽しみです!
二人とも今日は来てくれるんですよね?」

こいつ誤魔化した。
焦って誤魔化した。
いや、まあ、別にいいけど。
500 :にゃんこ [saga]:2011/08/22(月) 21:29:01.27 ID:Z8R6uNk30



今回はここまでです。
やっと唯の事が話題に出てきた。

嘘みたいだろ、唯編なんだぜ、これ。
501 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/23(火) 00:21:59.26 ID:b+InWFwSO
お、唯くる?
絡み 期 待
502 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/08/23(火) 08:55:03.45 ID:HbNUF8y/o
いいなぁ…みんないいなぁ…

ところで今更ですけど>>485の前、何か抜けてません? 気のせい?
503 :にゃんこ [saga]:2011/08/29(月) 21:33:51.61 ID:hjrm0ayi0
それに唯達が学校に来てくれるか気になるのも本音ではあるんだろう。
誤魔化して振ってきた話題ではあるけど、
そう言った梓の顔はやっぱりまだ不安そうに見えた。

「ああ、心配しなくても大丈夫だぞ、梓。
昨日ちゃんと確認しといたしさ」

言いながら、私はポケットから自分の携帯電話を取り出す。
テレビや電話を含め、電波障害は昨日の夕方辺りには無くなっていた。
紀美さんの言葉じゃないけど、多分、電波職人さんのおかげなんだろう。
まあ、本当に電波職人さんのおかげかどうか分かんないし、
そもそも電波職人さんってどんな仕事の人達の事を指すのか不明だけど、
とにかく電波の復旧に関わってくれた人がいるなら、その全員に感謝したい。

ただ、電波が復旧したとは言っても、電話が繋がりにくい状態には変わりがなかった。
そんな状態で唯達に連絡を取るのも、いつ切れるか不安でもどかしいだけだ。
だから、私は電波の繋がりがよさそうな時間を見計らって(単なる勘だけど)、
唯と澪に梓の悩んでたのはキーホルダーを失くしたからだったって事、
でも、私達が梓と話し合って、その梓の不安をどうにか晴らしてやれた事、
その二つの用件だけを簡潔に書いた短いメールを出した。
詳しい事は直接会って話せばいい事……、
いや、直接会って話した方がいい事だからな。

唯と澪もその私の気持ちを分かってくれたのか、
私の送信からしばらく後に二人から短い返信が届いた。
返信の内容は『ありがとう。明日は絶対学校に行くから』って、二人とも大体そんな感じだったかな。
だから、大丈夫。梓が不安になる必要はない。
二人とも約束を守ってくれるタイプなんだし、
形や対応はそれぞれ違ってても、梓の事を心配してたのは確かなんだから。

「心配するなって。
大体、まだ十時にもなってないじゃんか。
今日早く目が覚めちゃったからって、私達が来るのが早過ぎただけだよ。
ほら、昨日唯達からのメールもしっかり届いてる」

私は唯達からの返信メールを開いて、隣に座ってる梓に見せる。
受信メールを人に見せるなんて本当はマナー違反だけど、
不安になってる梓になら唯達もきっと許してくれるだろう。
梓もマナー違反だって事は分かってるんだろう。
申し訳なさそうな顔をしながら、
私の見せたメールを早々と読んで、すぐに私の携帯から目を逸らした。
504 :にゃんこ [saga]:2011/08/29(月) 21:34:23.47 ID:hjrm0ayi0
「すみません、律先輩。
先輩達の事を信じるって言ったのに、まだ不安がっちゃって。
駄目ですよね、こんなんじゃ……」

「心配するなって言ってるだろ?
唯達がキーホルダーや今までの態度の事で梓を怒るとは思わないけど、
万が一おまえを怒るようなら私も一緒に謝るよ。
部員の不祥事は部長も謝るのが筋ってもんだしさ。
それに謝るのは慣れてんだよな、私」

「それ自慢になってませんよ、律先輩……。
でも、ありがとうございます。
もう……、大丈夫です。
唯先輩も澪先輩も優しいから、私を怒らないんじゃないかって思います。
だけど、私、しっかり謝りたいです。
よりにもよってこんな時に、迷惑掛けちゃったのは確かですから。
だから、謝らないといけないって思います。心から謝りたいんです。
それでやっと、私……、また軽音部の部員に戻れるんだって、そう思います」

そこまで決心できてるんなら、大丈夫だろう。
私は強い光を灯した梓の瞳を見つめながら、軽く微笑んで頷いた。
誰だって自分の失敗を認めて、謝るのは不安になる。
私だって梓と同じ不安を胸に抱えてる。
私もこれから澪に会って、謝らなきゃいけないからな。
とても不安で、今にも逃げ出したいけど……、
でも、梓も私も逃げないし、逃げたくない。
それこそ私達が私達のままでいるために必要な事だからだ。

何となく視線をやってみると、
いつの間にか素に戻っていたムギが真剣な目を私達に向けていた。
これから謝らなきゃいけない私達を見守っててくれるつもりなんだろう。
ありがとな、と胸の内だけでムギに囁いて、私もこれからの事に覚悟を決めた。

急に。
手に持った携帯のバイブが振動し始めた。
突然の事に驚いた私は、少し焦りながら携帯の画面を確認するとメールが一件届いていた。
覚悟を決めたばかりで情けないけど、こういう不測の事態くらいは焦らせてくれ。
急に鳴ったら焦るだろ、普通。
まあ、それはともかく。
当然の事だけど、確認してみた画面には見慣れた名前が表示されていた。
それは問題なかったんだけど、その差出人のメールの内容が問題だった。
いや、別に不自然な事が書いてあるわけじゃない。
メールの内容自体は誰でも一度は受けた事があるはずの内容だ。

でも、そのメールは不自然だったんだ。
結構長い付き合いになるけど、
あいつからこんな内容のメールを受け取るのは私も初めてだった。
特に傍に梓が居る事が分かってるはずなのに、
私だけにこんなメールを送って来るなんて、不自然を通り越して不審なくらいだ。
一体、どうしたっていうんだよ、あいつは……。
その不審なメールの差出人は唯。
メールの内容は『今から三年二組の教室で二人きりで会いたい』というものだった。
505 :にゃんこ [saga]:2011/08/29(月) 21:36:26.74 ID:hjrm0ayi0





三年二組……、つまり私達の教室に私が足を踏み入れた時、
唯は自分の席に座って、ぼんやりと窓の外の風景を眺めていた。
普段なら駆け寄ってたと思うけど、
今日に限って私はそんな唯の近くまで駆け寄れなかった。
ぼんやりとした唯の表情が妙に印象に残ったからだ。
いや、こいつがぼんやりしてるのはいつもの事なんだけど、
今日の唯のぼんやりはいつものぼんやりした表情とは違う気がした。
上手く言えないけど、何処となく大人びた雰囲気を見せるぼんやりって言うか……。
気だるげな大人の女の雰囲気を纏ってるって言うか……、とにかくそんな感じだ。

いつだったか唯の言った言葉を不意に思い出す。
「私を置いて大人にならないでよ」って、確か唯は前にそう言っていた。
マイペースで子供っぽい唯らしい言葉だって、その時は思ったもんだけど……。
何だよ……、おまえの方こそ私を置いて大人っぽくなってんじゃんかよ……。
ちょっと悔しい気持ちになりながら、私はゆっくりと唯の席の方に歩いていく。
勿論、唯が大人になるのは喜ばしい事なんだけど、
もう少しだけでいいから、私に面倒を見られる子供な唯のままでいてほしいって思う。
いや、本音はそうじゃないか。
子供だろうと、大人だろうと唯は唯だ。
唯がどう変わろうと、私はそれを受け止めたい。
それでも嫌な気分になってしまうのは、
世界の終わりが近いこの時期に、生き方を変えてほしくないっていう私の我儘なんだろう。
変わらなきゃ人は生きていけない。
特に自分の死を間近に感じたら、その死を覚悟できる自分に変わろうとする。
だけど……、それは違う。少なくとも私は違うと思う。
だから、大人びた唯の雰囲気に、私は不安になっちゃうんだろう。
506 :にゃんこ [saga]:2011/08/29(月) 21:36:51.41 ID:hjrm0ayi0
「あ、りっちゃん」

私が唯の前の和の席にまで近付いて、
やっと私に気が付いた唯がいつもと変わらない高めの明るい声を出した。
何となく安心した気分になった私は、
後ろ向きに和の椅子に座ってから手を伸ばし、唯の頬を軽く抓る。

「よ、唯。一日ぶりだな。
って、いきなり呼び出すなよな。びっくりするだろ」

「ごめんね、りっちゃん。
私、りっちゃんと二人きりで話したい事があったんだ。
だから、教室に来てもらおうって思ったんだけど……、迷惑だったかな?」

「別に迷惑じゃないし私はいいんだけど、
梓とムギを誤魔化して出てくるのは、大変だったし心苦しかったぞ?
……どうしても、私と二人きりじゃないと駄目だったのか?」

私が言うと、唯は寂しそうに「うん」と頷く。
いつも楽しそうな唯の寂しそうなその顔は、私の胸をかなり痛くさせた。
一年生の初め、軽音部に入部して以来、唯はいつも楽しそうに笑っていた。
どんなピンチや辛い事も、唯が笑顔で居てくれたから楽しく乗り越えられた。
『終末宣言』の後も、世界の終わりなんてそっちのけで、唯は明るい笑顔を私達に向けてくれていた。
私はそんな唯に呆れながら、同時に憧れてた。
マイペースに生きられる唯が羨ましかったんだ。
今、澪へ伝えようと思ってる答えも、変わらない唯が居たからこそ出せた答えでもある。
だから、大人びた表情の、寂しげな唯を見てると私の胸は痛くなる。

寂しそうな表情のままで、唯は小さく続けた。

「あずにゃんが悩んでたのって、京都のお土産の事だったんだよね……?」
507 :にゃんこ [saga]:2011/08/29(月) 21:41:14.02 ID:hjrm0ayi0


ここまでです。
おわ、すみません。忙しくて一週間も更新無しでした。
少し落ち着いたので、元のペースに戻せるとは思います。

>>502の方

分かりづらくてすみません。
カッコつけて台詞が続いた後での場面転換ってのをやってみた次第でして。
一応、抜けてないので、大丈夫です。
508 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/29(月) 21:53:06.07 ID:Blcm8NzN0
おつ!
続き気になるー
509 :にゃんこ [saga]:2011/08/31(水) 21:12:57.58 ID:7SF4LcZt0
京都のお土産……、つまり、梓が失くしたキーホルダーの事だ。
昨日、私がメールで伝えてから、唯はずっとその事を気に掛けてたんだろう。
唯が寂しそうな顔をする理由は、多分それ以外に無い。
「そうだよ」と頷いてから、私は唯の顔から指を放して続ける。

「最近、梓がずっと悩んでたのは、
メールでも伝えたけどキーホルダーを失くした事だったんだ。
こんな時期にどうしてそんな事で悩んでるんだ。
どうして早く私達に伝えてくれなかったんだよ。
って、思わなくもなかったけど、あいつの気持ちも分かるんだよな。
世界の終わりを目前にして、梓はこれ以上何かを失くしたくなかったんだよ。
世界の終わりまでは、変わらない自分と私達のままで居たかったんだ。
だから、少しの変化が恐かったんだと思うし、梓自身もそういう事を言ってた。
唯もあまり責めないでやってくれよ」

「責めないよ。
あずにゃんの気持ち、私にも分かるもん。
私だって、あのキーホルダーを失くしたらすごくショックだと思うし、
こう見えても、おしまいの日の事を考えると不安になってるんだよ?
そう見えないかもしれないけどね。
だから、あずにゃんの不安と悩みが分かるし、その悩みが晴れて本当によかったよ」

「おしまいの日……ね」

確かめるみたいに呟いてみる。
唯は終末の事を『おしまいの日』と呼んでいる。
不謹慎な気もするけど、何だか唯らしい可愛らしい呼び方だ。
そういえば憂ちゃんも、終末を『おしまいの日』って呼んでたはずだ。
平沢家ではそう呼ぶようにしてるのかもしれない。
考えてみれば、それぞれに思うところがあるのか、
私の周囲でも皆が終末を色んな名前で呼んでる気がするな。

まず私は単純に『世界の終わり』って呼んでる。
それは終末って非現実的な言葉に抵抗があるからでもあるけど、
もっと言うとそんな言葉を口に出す事自体が気恥ずかしいからだ。
だって、『終末』だぞ?
『終末』なんて、漫画やアニメ以外で聞く事はまずない。
後は宗教的な本や番組なら言ってるかもしれないけど、それにしたって日常的な話じゃない。
そんな言葉、普段の生活で簡単に口に出せるかっつーの。
そりゃたまには言わなくもないけど、日常会話としてはあんまり使いたくない言葉だ。

世界の終わりをちゃんと『終末』って呼んでるのは、私の周りじゃ和と澪に梓か。
皆、どっちかと言うと、生真面目なタイプだから、正式名称で呼んじゃうんだろう。
性格が出てて、ちょっと面白い。
ムギはどうだったかな……?
えっと……、確か『世界の終わりの日』って呼んでたはず。
私とほとんど同じだけど、ムギの呼び方の方が何だかムギらしい。
単にムギの口から終末って言葉が出るのが、似合わな過ぎるだけかもしれないけど。

特殊な呼び方は純ちゃんだ。
純ちゃんは『終焉』って呼んでた。
私の部屋で話をしてる時に何度もそう呼んでたから、私の耳が覚えちゃってる。
その度に妙にお洒落な呼び方だなと思ってると、梓が隣から私に耳打ちしてくれた。
どうやら純ちゃんは最近そういうゲームをプレイしたらしく、
『終末宣言』が発令されてからずっと終末を『終焉』って呼んでるんだそうだ。
漫画好きで影響されやすい純ちゃんっぽくて、何だか安心する。
確かそのゲームはオーディン何たらってゲームらしいけど、まあ、それは別にいいか。
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510 :にゃんこ [saga]:2011/08/31(水) 21:13:27.57 ID:7SF4LcZt0
「りっちゃん……?」

妙に長く考え事をしてしまったせいか、唯が私の顔を覗き込みながら訊ねてきた。
「悪い。何でもない」と言ってから、私は唯の頭を撫でた。
唯が寂しそうな顔をしてる時に悪いんだけど、私は少し安心していた。
安心したせいで、ちょっと余計な事を考える余裕もできたんだろう。
安心できたのは、唯の悩みが世界の終わりの事じゃなく、梓の事だって気付いたからだ。
今の唯の顔は、卒業を目前にして梓の事を考える先輩の顔だって気付けたから。
もしも世界の終わりが無かったとしても、
普通の日常生活で起こったかもしれない悩みと寂しさを唯が抱えてるんだって。
だから、私は安心できてるんだ。
後はその安心を唯にも分けてあげればいいんだ。
少しだけ強く、私は唯の頭を撫でる。

「責めないでやってくれってのは、梓の事だけじゃないよ、唯。
自分の事も責めるなって事だ。
唯は梓の悩みを晴らすその場に居れなかった自分に罪悪感を抱いてんだろ?
梓の悩みに気付けなかった自分に、寂しさを感じてるんだろ?
そんな寂しさを唯が感じてるってだけで、梓は十分嬉しいと思うぞ?」

「でもでも……、昨日私はあずにゃんより憂の事を優先しちゃったし……。
あずにゃんの悩みがキーホルダーの事だったなんて、全然気付けなかったし……。
りっちゃんみたいに、あずにゃんを慰められなかったし……。
あずにゃんの事が大好きなのに、私、何もできなくて……」

「昨日、憂ちゃんと一緒に居たのは、
今日からの残り三日を梓の悩みを晴らすために使ってあげるためだったんだろ?
そんなおまえを責められる奴は、おまえ自身を含めていちゃ駄目だよ。
梓もそれを分かってるし、私の部屋でもずっとおまえの事を気に掛けてた。
前に一度、梓の落としたキーホルダーが戻って来た事があっただろ?
憶えてるか?
おまえが梓の名前を書いたシールを、キーホルダーに貼ってた時の事だよ。

梓はあのシールをはがした事をすごく後悔してた。
あのシールをはがさなきゃ、また自分の所に戻って来たかもしれないのにって。
勿論、シールを貼ってたからって戻って来るとは限らないけど、
おまえのおかげで戻って来たキーホルダーなのに、
それをもう一度落としてしまった事を、梓はすごく申し訳なく思ってた。
一度取り戻せたものをもう一度失くすなんて、そんな辛い事は無いからさ。
だからさ……、二人してお互いの事を考えて、自分を責め合うのはやめようぜ?
梓はおまえに会いたがってたし、おまえだって梓の事が大好きなんだろ?
だったら、大丈夫だよ」
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511 :にゃんこ [saga]:2011/08/31(水) 21:14:02.73 ID:7SF4LcZt0
「りっちゃん……」

言いながら、唯が真剣な顔で私の方を見つめる。
その表情からは寂しさが少しずつ消えているように見えた。
寂しさの代わりに、決心が増えていく感じだ。

「りっちゃんはすごいなあ……」

不意に唯が呟いた。
いつもは私をからかうために使われる言葉だけど、
今回ばかりはその意味は無いみたいに見えた。

「すごいか、私?」

「すごいよ。
あずにゃんの悩みの原因に気付いちゃうし、私の事だって慰めてくれるもん。
流石はりっちゃん部長だよね」

「そう言ってくれるのは嬉しいけどさ、梓の悩みの原因に気付けたのは偶然だよ。
本当にたまたま、運が良かったから気付けただけだ。
梓の悩みの原因がキーホルダーの事だったなんて、私も思いも寄らなかったもんな。
唯が居ない間に梓の悩みを晴らしてやれたのも、単にタイミングの問題だと思うよ。
唯は運悪くタイミングが合わなかっただけだ」

「でも、やっぱりすごいよ。
もしも何かのきっかけで私があずにゃんの悩みの原因に気付けてたとしても、
そんなあずにゃんをどうすれば支えてあげられたか、全然分かんないもん」

「だから、そうじゃないよ、唯。
私はたまたま軽音部を代表しただけだと思う。
もしもその場に居たのが私じゃなくて唯だったら、
もっと上手く梓を支えてやれてたんじゃないかな。
勿論、ムギはムギで、澪は澪でそれぞれがそれぞれの方法で梓を支えたはずだよ。
私もあれで本当によかったのか分からないしな」

役不足って言われたし、とは私の胸の内だけで囁いた。
実はまだ梓の言葉の真意は分かってない。
そういや純ちゃんに役不足の意味を聞くのを忘れてたしな。
辞書で調べるのもすっかり忘れてた。
私じゃ梓の悩みを晴らすのには役不足だから(頼りないから)、
梓自身がしっかりしなきゃいけないと思ったって事でいいのかな……。
しずかちゃんがのび太を放っておけないから結婚してあげた的な感じか?
うわ、そう考えると、私って物凄く格好悪いじゃんか……。
自分自身の格好悪さに苦笑しながら、私は続ける。

「だから、自分を責めなくてもいいんだよ、唯。
おまえならきっと私よりも上手く梓を支えてやれる。
自信を持てって。梓はきっとおまえの事が大好きだよ」

それは誤魔化しも嘘偽りも無い私の本音だった。
私も梓の事を大切に思ってるけど、
多分、唯ほど梓の事を深く思ってやれてはいないと思う。
梓も役不足な私より、唯と会えて話せた方がきっと喜ぶはずだ。

それから、唯は私を真顔でしばらく見つめていて、
少しずつその表情が崩れて来て……、急に頭を掻きながら照れ笑いを浮かべた。

「でっへっへー。そうかなあ。
あずにゃん、私の事大好きかなあ。
いやはや、お恥ずかしい」

「立ち直り早いな、オイ!」

即座に私がチョップで突っ込むと、
唯は照れ笑いを浮かべたまま頬を膨らませた。

「えー……。
りっちゃんが自分に自信を持てって言ったんじゃん。
それとも、りっちゃんは私がずっと悩んでる方がよかったって言うの?」

「いや……、そうは言わんが……」

唯が元気になったのは嬉しいが、どうにも拍子抜けを感じるのも確かだった。
これまで梓達と長く話し合ってきただけに、余計にそう感じる。
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512 :にゃんこ [saga]:2011/08/31(水) 21:16:40.83 ID:7SF4LcZt0


今回はここまでです。
毎度のように悩み相談かと思ったら、実はこれ唯編の導入部だったりします。
長くなりますね。お世話かけます。
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513 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/31(水) 21:55:14.92 ID:8y2Wv8wko

唯編もけっこうな長さになりそうだね
どんな話になるんだろう
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514 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/08/31(水) 22:02:39.26 ID:+WFkGWJ8o
おつおつ
毎回楽しみにしてる



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515 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/09/01(木) 09:49:55.34 ID:7fkYYN2mo
ついに始まるか、唯ちゃん編…!
いつもずっと楽しみにしてます、としか言えないぜ
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516 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県) [sage]:2011/09/02(金) 02:14:52.44 ID:3pac43zbo
かわ唯
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517 :にゃんこ [saga]:2011/09/02(金) 22:19:27.20 ID:PfsZM32H0
でも、まあ、唯はそれでいいのかもしれない。
笑ったり、泣いたり、怒ったり、瞬く間に表情が変わる唯。
あまりにも簡単に表情が変わるから真意を掴みにくいけど、実はその全部が嘘じゃない。
唯は感情を誤魔化したりせず、そのまま受け止めて、そのまま表現してるだけなんだ。
自分の思ったままに、自然に生きてる。
それは簡単なようで、どんなに難しい事かを私は知ってる。
だから、皆、唯の事が眩しくて、好きなんだと思う。
勿論、私もそんな唯の事が大好きだ。
私は苦笑しながら、唯にチョップした手をノコギリみたいに前後に動かす。

「ま、いいや。
唯が立ち直ったんなら、私としても万々歳だよ。
その調子のままで早く梓に会いにやってやれよ。
あいつ、喜ぶぞ。勿論、ムギも。
ムギも唯と会いたがってたからさ」

「あいよー、りっちゃん!」

選手宣誓みたいに腕を上げて、元気よく唯が微笑む。
出会った頃から変わらない、世界の終わりを間近にしてもまだ変わらない逞しい笑顔。
この笑顔に私達は騙されてるんだよな。
唯の失敗や天然に困らせられる事もそりゃ多いけど、
この笑顔を見せられると別にいいかって思わせられてしまう。
特に長く唯の傍に居るだけに、和や憂ちゃんは私よりも強く騙されてるんだろうな。
でも、それもそれでよかった。
唯は騙すつもりもなくただ笑顔になって、私達はそんな唯の笑顔に騙されて、それでいいんだと思う。
それが私達の関係なんだ。

「そういえば、りっちゃん……」

急に真剣な表情に変えて、妙に深刻そうに唯が呟いた。
突然の事に気圧されそうになりながらも、私は唯の真剣な瞳を正面から見つめて訊ねてみる。

「どうしたんだ、唯?」

「さっきのりっちゃんの話の中で、
一つだけ気になる所があったんだけど……」

「私、何か変な事言ったっけ?」

「あずにゃんがりっちゃんの部屋で、私の事を気に掛けてたって言ってたでしょ?
りっちゃんの部屋……って?
あずにゃん、りっちゃんの家に来たの?」

「あー……」

妙な所で耳聡い奴だ。
聞き流してもいい所だったと思うけど、唯にとっては聞き逃せない話なのかもしれない。
そういえばメールで梓が家に泊まった事は書いてなかったしな。
別に隠さなきゃいけない話でもないし、私は正直に唯に説明する事にした。

「いや、昨日、梓が私の家に泊まりに来たんだよ。
私が誘ったからってのもあるけど、梓も私と話したい事がまだまだあったみたいでさ。
キーホルダーの事で、この一週間、ろくに話もできなかったしな。
だから、少しでもその時間が取り戻せればって、私も思ってさ。それで……」

「ずるいよ、りっちゃん!」

「いや、ずるいっておまえ……」

「私だってまだあずにゃんとお泊まり会なんてした事ないのにー!
しかも、『私の部屋』って事は、りっちゃんの部屋に泊まったって事だよね?
ずるいずるい! 私も私の部屋であずにゃんとお泊まり会したいー!
あずにゃんとパジャマパーティーしたいー!
あずにゃんとパジャマフェスティバルしたいー!」

「落ち着け」
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518 :にゃんこ [saga]:2011/09/02(金) 22:20:17.66 ID:PfsZM32H0
軽音部で梓と一番仲がいいのは多分唯だ。
それを考えると、梓は誰より先に唯の部屋にこそ泊まりに行くべきだったんだろう。
実際に梓は、憂ちゃんの部屋には何回か泊まりに行った事があるらしい。
ただ唯のこの様子を見ると、梓じゃなくても唯の部屋に泊まるのは若干躊躇うな。
何をされるか分からんぞ。
その意味では、梓は賢明だったとも言えるかもしれん。
念のため、私は唯にそれを訊ねてみる。

「一つ訊いておくが、
その梓とのパジャマフェスティバルとやらで何する気だ」

「別に何も変な事はしません!
猫耳付けてもらったり、お風呂に一緒に入ったり、
私のベッドで一緒に寝たりしてもらうだけなのです!」

「それが既に変な事だという事に気付こう」

「えー……。
憂にはたまにやってもらってる事なのに……」

「そうか……。
おまえと憂ちゃんの関係に関してはもう何も言わんが、それを梓に求めるのはやめてやれ。
妹と後輩は違うものだからな。
違うものに同じ行為を求めるのは、お互いを不幸にするだけだぞ……」

「りっちゃんが珍しく知的な発言をしてる……」

「珍しくとは何だ!」

少し声を強くしてから、私は両手で唯の頬を包み込む。
それから指で唯の頬を掴むと、
「おしおきだべー」と言いながら外側に力強く引っ張った。

「いひゃい、いひゃいー……!
ごへんなさいー……!」

そうやって痛がりながらも、唯の表情は笑っているように見えた。
私が両側に頬を引っ張ってからでもあるんだけど、
それを前提として考えても、やっぱり唯の顔は嬉しそうに微笑んでるように見えた。
唯をおしおきしながら、私も気付けば笑顔になっていた。
これが軽音部なんだよなあ……、って何となく嬉しくなってくる。
いや、世間一般の軽音部とは大幅に違ってるとは思うけど、
こういうのこそが私達で作り上げた、私達だけの軽音部なんだ。
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519 :にゃんこ [saga]:2011/09/02(金) 22:20:57.90 ID:PfsZM32H0
「もーっ……。
ひどいよ、りっちゃん。
お嫁に行く前の大切な身体に何してくれるの?」

十秒くらい後に頬を指から解放してやると、
唯は自分の頬を擦りながら軽い恨み事を口にした。

「心配するなって。
四十過ぎてもお嫁に行けてなかったら、私が責任取ってやるよ」

「えっ、りっちゃんがお嫁に貰ってくれるの?」

「いや、聡に嫁がせてやる。
そして私は小姑として、田井中家嫁の唯さんをいびってやるのだ。
あら、唯さん。このお味噌汁、お塩が濃過ぎるんじゃありませんこと?」

「りっちゃんの弟のお嫁さんか……。
それもありかもー」

「ありなのかよ!」

「いやー、りっちゃんの家族になるのって何か楽しそうだしー。
それに、そうなると私がりっちゃんの妹になるんだよね?
りっちゃんの事をお姉ちゃんって呼ばなきゃだよね。
ね、お姉ちゃん」

「自分で振っといて何だが、もうこの話題やめにしないか。
何つーか、それ無理……。
唯にお姉ちゃんって呼ばれるとか、正直無理……」

「あっ、お姉ちゃん、赤くなってるー」

「だから、やめい!」

また私が軽くチョップを繰り出すと、
唯が楽しそうに笑いながら頭でそれを受け止める。
もう何が何やら……。
色々と悩んでた事もあったはずだけど、
軽音部の仲間と居ると、特に唯と居ると悩みが何もかも吹き飛んじゃう感じだ。
簡単に言うと唯が空気を読めてないだけなんだろうけど、
世界の終わり直前の空気ってのは本当は読む必要なんてないのかもしれない。
唯と居るとそんな気がしてくるから不思議だった。
私は溢れ出る笑顔を止められないまま、笑顔で続ける。

「もういいから、早く音楽室に行こうぜ。
梓もムギもそろそろ待ちくたびれてる頃だよ。
それに心配しなくても大丈夫だぞ、唯。
昨日は別に梓と二人きりでパジャマフェスティバルをしたわけじゃないんだ。
ムギと純ちゃんも泊まりに来て、四人でお喋りしてたんだよ。
梓と二人きりのパジャマフェスティバルは、今度おまえが存分にやればいい」

「そうなんだ……。
それもちょっと残念かなー。
あずにゃんとりっちゃんが、
私の知らない所でラブラブになったのかと思って楽しみにしてたのに……」

「おまえは一体、何を求めてるんだ……。
まあ、とにかく、そんなわけで早く戻ろうぜ。
私なんか誤魔化して出て来ちゃったわけだから、そろそろ不審に思われてるだろうしさ」
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520 :にゃんこ [saga]:2011/09/02(金) 22:23:51.62 ID:PfsZM32H0
「そういえば、どうやって誤魔化して出て来たの?」

「『そろそろ唯か澪が来る頃だろうから、ちょっと校門まで見に行ってくる』ってさ。
澪はまだ来てないけど、今からおまえと一緒に戻れば嘘にはならないだろ。
過去を捏造する事で有名な私ではあるけど、
ネタ無しでの誤魔化しや捏造は意外と心苦しいんだよ。
私ってば結構善良で臆病な小市民だからさ」

「どうもご迷惑をお掛けしました、りっちゃん隊長」

「分かればよろしい、唯隊員」

「あ、でも、迷惑掛けついでに最後に一つだけ訊きたいんだけど、いいかな?」

「何だね、唯隊員」

「あずにゃん、どうやって納得してくれたのかなって。
キーホルダーを失くして、一週間も捜し回ってて、
そのキーホルダーはまだ見つかってないんだよね?
でも、あずにゃんはりっちゃんのおかげで、キーホルダーを失くした悩みが解決したんでしょ?
私、それを一番聞きたくて、りっちゃんに教室に来てもらったんだ……」

そう言った唯の表情は、今まで見た事が無いくらいに真剣だった。
一番聞きたかったってのも、本心からの言葉なんだろう。
だったら、私にできるのは唯の言葉に真剣に答えてやる事だけだ。

「別に私のおかげじゃないよ、唯。
梓は私達を信じてくれたんだ。言葉に出すのは少し照れ臭いけど、私達の絆ってやつをさ。
梓はキーホルダーっていう形のある思い出じゃなくて、
形が無くて目にも見えない私達の思い出や絆を信じてくれる気になってくれたんだ。
私は梓がそれを信じられるように、ほんの少し梓の背中を押してあげただけ。
その絆を私自身も信じようと思っただけなんだ。
私にできたのはそれだけの事で、それを信じられたのは梓自身が強かったからだよ」

「そっか……。
でも、それならやっぱりあずにゃんが安心できたのは、りっちゃんのおかげだよ。
形が無いものを信じさせてあげられるなんて、すごく大変な事だよ?
やっぱり、りっちゃんはすごいなあ……。流石は部長だよね……。
だって……」

「だって……?」

私が呟くと、唯は机に掛けていた自分の鞄の中にゆっくりと手を突っ込んだ。
それから鞄の中にある何かを探し当てると、おもむろにそれを私に手渡した。
何かと思い、手渡されたそれに私は視線を向ける。

「写真……か?」

自分自身に確かめるみたいに呟く。
いや、確かめるまでもない。唯が私に手渡したのは、確かに写真だった。
軽音部の皆が写った一枚の写真。
写真を撮るのが好きな澪が所属してる我が軽音部だ。
部員の皆が写った写真は別に珍しくも何ともないけど、その写真は何処か不自然な写真だった。
その写真の中では、私だけ前に出てておでこしか写ってなくて、唯、澪、ムギは後ろで三人で並んでいる。
勿論、部員皆の写真なんだから、梓もその写真の中に居た。
でも、その梓の姿だけが不自然に浮いている。
空気や雰囲気的な意味で浮いてるんじゃなく、梓の上半身だけが本当の意味で宙に浮いていた。
別に心霊写真ってわけじゃない。
私達四人が写った写真に、別撮りの梓の写真を貼り付けてるってだけの話だ。
つまり、単純な合成写真ってやつだ。

「私ね……」

私がじっくりとその写真を見つめていると、不意に唯が囁くみたいに喋り始めた。

「昨日、憂とその写真を作ったんだ……。
あずにゃんの悩みが何なのかは分からないけど、
離れてたって私達はずっと一緒だよ、ってそれを伝えようと思って……。
別々に撮った写真でも、こんな風に一緒に居られるみたいにねって。
でも、この写真、もう無駄になっちゃったかな……?」
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521 :にゃんこ [saga]:2011/09/02(金) 22:24:55.66 ID:PfsZM32H0


今回はここまでです。
唯とりっちゃんが話し始めると、ネタの応酬になって話が進まない……。
恐ろしい子達……!
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522 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/03(土) 15:17:10.90 ID:psLTjfW1o
乙!
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523 :にゃんこ [saga]:2011/09/05(月) 21:58:54.68 ID:x5w3qp9J0
そこでようやく私は唯が寂しそうな顔をしてる本当の理由に気付いた。
自分が間違えた事を言ったとは思っちゃいないけど、
ある意味で私の言葉は失言だったのかもしれない。
私が私で梓の悩みに向き合ってる時に、
唯も別の方法で梓の悩みに向き合おうとしてた。
目指した場所は一緒だけど、二人の選んだ道は別々で、
しかも、ほんの少しのタイミングの問題で、
私の選んだ道が梓の悩みを晴らしてあげられる結果になった。
梓が形の無い絆を信じてくれる結果になった。
唯の選んだ道も間違っていないのに、
結果的には唯の選んだ方法は私と正反対になってしまっていたんだ。
だから、唯はほんの少し寂しそうなのかもしれない。
私を羨ましく思ってしまうのかもしれない。

でも、羨ましいと思ってしまうのは、私も一緒だ。
私は手を伸ばして、唯の頬を軽く撫でる。

「何言ってんだよ、唯。
思い出の品が必要なくなっちゃうなんて、そりゃ極論だろ。
形の無いものを信じるのは大切な事だけどさ、形があるものだって大事だよ。
何のためにお土産があるんだ。何のために世界遺産は残ってるんだ。
自分達のしてきた事を形として残したいからじゃんか。
自分達の思い出を目に見える形にしておきたいからじゃんか。
私達だって、旅行先だけじゃなく、
撮る必要がほとんど無い時でもたくさん写真を撮ってたのは、
思い出を形にしておきたかったからだろ?
色んな事を忘れたくなかったからだろ?
だからさ、おまえの作った写真は無駄にはなんないよ。
梓もきっと喜ぶ。
キーホルダーの代わりってわけにはいかないだろうけど、
新しいおまえとの絆として大切にしてくれるよ」

「でも……、ううん、そうだよね……。
あずにゃん、喜んでくれるよね……。
ごめんね。私、りっちゃんの事が羨ましかったんだ。
私が考えてたのより、ずっと素敵な方法であずにゃんを支えてあげられるなんて、
すっごく羨ましくて、ちょっと悔しかったんだ……。
あずにゃんの事、ずっと見て来たつもりだったのに、
あずにゃんの事でりっちゃんに先を越されちゃったから……。
それが悔しくて、それを悔しがっちゃう自分が、何だか一番悔しかったんだよね……。
ごめんね、りっちゃん……」

「馬鹿、私だっておまえの事が羨ましかったよ、唯」

「私の事が……?」

うん、と私は唯の言葉に頷く。
選んだ道は違うけど、違うからこそ羨ましかった。
私には唯とは違う方法で梓を支える事ができた。
でも、唯は私とは違う、私には思いも寄らない方法で梓を支えようとしてた。
それが羨ましくて、ちょっと悔しくて、とても嬉しい。
524 :にゃんこ [saga]:2011/09/05(月) 21:59:26.73 ID:x5w3qp9J0
「特に何だよ、おまえ。
こんな写真作っちゃってさ……、カッコいいじゃんかよ。
何、カッコいい事やってんだよ、唯。
ホント言うとさ、私なんか、梓の前でオロオロしてただけだったんだぜ?
梓の悩みが何か分からなくて、梓の悩みを探る事ばかり考えてた。
でも、違ったんだな。他の方法もたくさんあったんだよな。
梓の悩みが何なのか分からなくても、
おまえみたいな方法で支えてやる事だってできたんだ。
新しい思い出で、悩みを一緒に抱えてやる事だって……。
私はそれを思い付かなかった自分が悔しいし、それを思い付けたおまえが羨ましいよ。
だから、お相子だな。
私もおまえも、自分にできない事をしたお互いが羨ましいんだ。
悔しい事は悔しいけどさ、今はそれを嬉しく思おうぜ。
二人とも梓の事を真剣に考えて、別々の解決策を見つけられたんだからな。
それってすごい事じゃないか?」

「すごい……かな。
ううん、すごいよね。
後輩を助けてあげられる方法を先輩が別々に二つも思い付くなんて、
そんなに大切に思われてるなんて……、あずにゃんの人徳ってすごいよね!」

「そっちかよ。
……でも、確かにそうだな。
生意気だけどさ、そんなあいつが大切だから、私達も一生懸命になれたんだよな。
あいつが居なきゃ、私も私でいい部長を目指せなかったかもしれない。
その意味では梓に感謝しなきゃな」

「りっちゃんは最初から私達の素敵な部長だよ。
勿論、澪ちゃんやムギちゃんも素敵な仲間だもん。
やっぱり軽音部のメンバーは誰一人欠けちゃいけない素敵な仲間達だよね」

「あんがとさん。
おまえこそ、素敵な部員だよ、唯。
そもそもおまえが居ないと軽音部は廃部になってたわけだしな。
そういう世知辛い意味でも、私達は誰一人欠けちゃいけない仲間だ」

「それを言っちゃおしまいだよ、りっちゃん……」

笑いながら「まあな」と言って、唯に手渡された写真にまた目を下ろす。
いつ撮った写真かは思い出せないけど、若干写真の中の私達の姿が今よりも若く見えた。
大体、梓抜きで集合写真を撮る事なんて、
二年生になってからはほとんどなかったはずだから、
この写真は私達が一年生の頃に撮った写真なんだろう。
合成された梓の写真も多分梓が一年生の頃の写真に違いない。
いや、梓の写真の方は自信が無いけど。
梓ってば、中身はともかく、外見が全然変わってないからなあ……。

しかし、それより気になるのは写真の中の私の姿だ。
唯達は並んで仲睦まじそうに写ってるのに、何故だか私だけおでこしか写っていない。
いや、前に出過ぎた私が悪いのは分かってるけど、何となく納得がいかなかった。
私は腕を組み、頬を膨らませながら唯に文句を言ってみる。
525 :にゃんこ [saga]:2011/09/05(月) 21:59:59.94 ID:x5w3qp9J0
「ところで唯ちゅわん。
どうして私だけ顔も写ってないこんな写真を選んだのかしらん?
もっと他にいい写真があったんじゃないのかしらん?」

「えー、いいじゃん。
だって、この写真が一番私達らしいって思ったんだもん。
りっちゃんだって、一番りっちゃんらしく写ってるよ?」

「私らしい……か?」

「うん!」

自信満々に唯が頷く。
その様子を見る限り、少なくとも冗談でこの写真を選んだわけじゃなさそうだ。
「りっちゃんらしい」って、そう言われちゃ私の方としても何も言えなくなる。
恥ずかしながら、確かに私らしいとは自分で思わなくもないし……。
仕方が無い。
唯だって真剣にこの写真を選んだんだろう。
納得はいかんが、これが私達らしい姿だってんなら、私もそれをそのまま受け入れよう。
でも、まだ納得できない……と言うより、もう一つだけ分からない疑問が残っていた。

「それで、唯?
何でこの写真は私達が一年生の頃の写真なんだ?
梓の写真はいいとして、私達が一年の頃の写真じゃなくても他に色々あっただろ?」

「分かってないね、りっちゃん。
これはね、私達とあずにゃんが違う学年で産まれて来ちゃって、
学校で同じ行事を過ごす事はできなかったし、私達が先に卒業もしちゃうけど……。
だけど、学年は違っても、
この写真みたいに心は一緒に居る事ができるからって、
いつまでも仲間だからって、そういう意味を込めて作った写真なんだよ」

「おー、すげー……」

「……って、憂が言ってました!」

「私の言ったすげーを返せ!」

声を張り上げながら、私は妙に納得もしていた。
考えてみれば、憂ちゃんも梓と同じく後に残される立場だ。
妹だから当たり前だけど、憂ちゃんは梓以上に何回も唯に取り残されてきたんだ。
その寂しさを知ってる憂ちゃんだからこそ、
梓の事を心配できたし、梓が一番喜ぶだろう写真の選択もできたんだろうな。

まったく……、梓の奴が何だか羨ましいな。
憂ちゃんにも純ちゃんにも心配されて、
軽音部の皆から気に掛けられて……、それだけ誰からも大切にされてるって事なんだろうな。
私は少しだけ苦笑して、手に持っていた写真を唯に返す。

「さ、そろそろ本当に帰ろうぜ。
その写真、早く梓に渡してやれ。きっと喜ぶぞ。
憂ちゃんが言ってた云々は……、まあ、おまえが言いたければ言えばいいんじゃないか。
色々と台無しな気もするが、それはそれで唯らしいしな」
526 :にゃんこ [saga]:2011/09/05(月) 22:00:29.42 ID:x5w3qp9J0
言ってから、私は和の席から立ち上がろうとして……、
急に唯に制服の袖を引かれた。
何かと思って目をやると、
「ほい」と言いながら唯が写真を私にまた渡そうとしていた。

「何だよ、私にその写真を梓に渡させる気か?
そんなの駄目だよ。
おまえ自身が梓に手渡す事に意味があるんだからさ」

諭すみたいに私が言うと、急に真剣な表情になった唯が頭を横に振った。
その唯の表情はこれまでのどの表情よりも寂しそうに見えた。

「違うよ、りっちゃん。
あずにゃんに渡す写真はちゃんとあるから大丈夫。
憂がパソコンで何枚も作ってくれたから、あずにゃんにはそっちを渡すよ。
だからね、その写真はね……、りっちゃんのなんだよ?」

「私……の……?」

「りっちゃんも私達の仲間でしょ?
それとも……、私達といつまでも仲間で居たくない?
高校生活が終わったら……、
ううん、おしまいの日が来たら、私達の仲間関係はおしまいになっちゃうの?」

「そんな事……、あるわけないだろ……?
私達はいつまでも仲間だよ、唯……」

「……だよね?
だから、私はりっちゃんにもこの写真を持ってて欲しいんだ。
実はね、この写真、あずにゃんのためだけじゃなくて、
りっちゃんにも渡したくて作ったんだよ?」

予想外の唯の言葉に、私は何も言えなくなる。
これまで考えてもなかった展開に、自分の胸の音が大きくなっていくのを感じる。
唯は寂しそうに微笑んだまま、続ける。

「りっちゃんさ……、最近、すっごく悩んでたでしょ?
あずにゃんの事もだけど、他にも多分色んな事で……。
分かるよ。最近のりっちゃん、すごく辛そうだったもん。
勿論、あずにゃんの事は心配だったけど、私はりっちゃんの事も心配だったんだ。
あずにゃんと同じくらい、りっちゃんの事も大切だから……」
527 :にゃんこ [saga]:2011/09/05(月) 22:01:00.50 ID:x5w3qp9J0
別に嫌われてると思ってたわけじゃないけど、唯の発言は衝撃的だった。
唯は一緒に居ると楽しくて、すごく大切な友達だけど、
そんな風に考えていてくれるなんて思ってなかった。
私の事をそんなに見てくれてるなんて、考えてなかった。
考えるのが恐かった。
だって、そうだろ?
仲がいいと思ってる友達の中での自分の位置がどれくらいかなんて、恐くてとても考えられない。
だから、私はその辺について深く考えないようにしてた。
梓の件でだって、例え梓に嫌われてても、自分が梓を大切に思ってればそれでいいんだと思ってた。
私が誰かの大切な存在になれるだなんて、そう思うのは自意識過剰な気がしてできなかった。

でも、唯は私の事を、私が思う以上に見てくれていた。
私の事を大切だと言ってくれた。
それだけの事で、胸の高鳴りが止まらない。
言葉に詰まる。
泣いてしまいそうだ。
そうして何も言わない私を不安に思ったのか、唯が自信なさげに呟く。

「私、軽音部の部長でいてくれたりっちゃんにすごく感謝してるんだ。
りっちゃんが居なきゃ音楽を始める事なんてなかったと思うし、
澪ちゃんや、ムギちゃん、あずにゃんやギー太とだって会えてなかったと思う。
私の高校生活、本当に楽しかったのはりっちゃんのおかげなんだ。
だからね、私はりっちゃんの事が大好きだよ。
大好きだから心配で……、とっても心配で……。
でも、今日久し振りに元気そうなりっちゃんを見られて、すごく嬉しかった。
りっちゃんは……、どう?
私にこんな風に思われて、迷惑じゃない?」

迷惑なわけがない。
でも、口を開けば泣いてしまいそうで、言葉にできない。
写真を受け取ってから私は和の席にまた座り込んで、
今にも涙が流れそうになりながらも、それでも唯の瞳だけはまっすぐに見つめる。
これだけで唯に伝わるだろうか?
泣いてしまいそうなほど嬉しい私の想いを伝える事はできただろうか?

誰からも大切に思われてないって思ってたわけじゃない。
それほど悲観的な考え方はしてないつもりだ。
でも、暴走しがちで皆に迷惑ばかりかけてる私が、こんな私が大切に思われてるなんて……。
それが、こんなにも、嬉しい。

それを気付かせてくれたのは唯だ。
唯は単純で、正直で、普通なら照れて言い出せない事でも平然と言い放つ子で……。
そんなまっすぐに感情や想いを表現してくれる子だから、唯の言葉には何の嘘も無い事が分かる。
唯以外の皆も私の事を考えてくれてるって気付ける。
私達はいつまでも仲間なんだって、確信できる。

「迷惑じゃ……ない。あり……」

やっぱり言葉にならない。
自分の想いを言葉にして伝えられない。
でも……。
唯は嬉しそうにいつもの笑顔を浮かべて、私の右手を両手で包んでくれた。
528 :にゃんこ [saga]:2011/09/05(月) 22:03:30.76 ID:x5w3qp9J0


今夜はここまで。
とりあえず唯編はこれでおしまいです。
ちょくちょく出てくる予定ですが。

次の編で個別ルートは終わる予定です。
ようやく出てくるわけですね、ベースのラスボスが。
529 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/05(月) 22:26:01.42 ID:/1DXRfYO0

みんな仲間思いでいいなあ
そして、いよいよか
530 :にゃんこ [saga]:2011/09/07(水) 21:27:19.45 ID:tJM7Uq2s0





唯には先に部室に行ってもらって、私は少しだけ教室に残る事にした。
胸が詰まって、皆の前には顔を出せそうになかったからだ。
まだ泣いてるわけじゃないけど、ちょっとした事で大声で泣き出してしまいそうだ。
それは悲しみの涙じゃないけれど、皆の前で見せるのはちょっと恥ずかしかった。
ネタや悲しい涙ならともかく、
嬉しさから出る涙はあんまり人前で見せたいもんじゃないからな。

今頃、唯は謝る梓を笑って許して、いつもと変わらず梓に抱き付いてる事だろう。
いや、いつもとは言ってみたけど、そういえばこの一週間、唯は梓に抱き付いてない気がする。
梓が悩む姿を見せるようになってから、多分、一度も抱き付いてないはずだ。
自由に見える唯だって、空気が読めないわけじゃない。
梓が笑顔を取り戻せるようになってからじゃないと抱き付けなかったんだろう。
だから、唯は今、笑顔を取り戻した梓に存分に抱き付き、強く抱き締めてるに違いない。
これまで抱き付けなかった分、そりゃもう強く、強く……。
梓もそんな唯の姿に安心して、私と同じように嬉しさの涙を流しそうになってるかもな。

もしかしたら、唯だけじゃなく、ムギも梓に抱き付いてるかもしれない。
ムギだって梓の事を心配してたんだし、ムギが梓に抱き付いちゃいけないなんて決まりも無い。
唯が嬉しそうに梓に抱き付いてるのを見ると、私だってたまに梓に抱き付きたくなるもんな。
三人はそうして、今まで心を通わせられなかった時間を取り戻してるはずだ。
世界の終わりを間近にして、それでもギリギリでいつもの自分達を取り戻す事ができるはずだ。

できれば私もその場に居たかったけど、そういうわけにもいかなかった。
それは三人に涙をあんまり見せたくないからでもあったけど、
それ以上に私には最後に伝えなきゃいけない答えがまだあったからだ。
梓の悩みをきっかけに、私達放課後ティータイムは深く自分達の事について考えられた。
長い時間が掛かったけど、皆がそれぞれの答えを出して、
それぞれが世界の終わりに向き合って、どう生きていくか決める事ができた。
変な話だけど、梓が悩んでくれた事で、私達はまた強く一つになれたんだと思う。
だから、私がこれから伝えなきゃいけないのは、単なる個人的な問題の答えだ。
別にその答えがどんなものでも、私達が放課後ティータイムである事は変わらない。
必ず伝える必要がある答えでもない。
答えを伝えなくても、曖昧なままでも、私だけじゃなく、
あいつだって最後まで笑顔のまま、放課後ティータイムの一員でいられるはずだ。
曖昧なままで終わらせてもいい私達の最後の個人的な問題。
それはそれで一つの選択肢だけど、私はそれをしたくはなかった。
馬鹿みたいな答えしか出せてないけど、私はあいつにそれを伝えたい。
それが、私と私達が、最後まで私と私達でいられるって事だから。

だからこそ、私は教室に残ったんだ。
二人の関係にとりあえずでも、結論を出してみせるために。
予感があった。
いや、予感と言うより、経験則って言った方が正しいかもしれない。
経験則ってのは、経験から導き出せるようになった法則って意味でよかったはずだ。
その意味で合ってるとして、私はその経験則から教室に残った。
あいつは登校した後、間違いなく最初にここに来る。
部室に顔を出すより先に、私と二人きりで会おうとする。
皆の前で笑顔でいられるために、最初に私と話をしておきたいって考える。
それで何処に私を呼びだそうか考えるために、とりあえず教室に足を踏み入れるはずだ。
……って私が考えるだろう事を、あいつは分かってる。
分かってるから、今、あいつは自分を待つ私に会いに教室に向かっている。
そうして教室に向かって来るあいつを、私は待つ。
そんな風に私達はお互いが何を考えているか分かってしまっている。痛いくらいに。
だから、待つ。
心を静め、高鳴る胸を抑えて、自分の席に座ってその時をじっと待つ。
多分、その時はもうすぐそこにまで迫ってる。

それから数分も経たないうちに。
耳が憶えてるあいつの足音が近付いて、
教室の扉が開いて、
少し震えた声が、
教室に響いた。

「……おはよう、律」

ほら……、な。
私は立ち上がり、声の方向に視線を向ける。
震えそうになる自分の声を抑えながら、言った。

「よっ、澪。
……久しぶり」
531 :にゃんこ [saga]:2011/09/07(水) 21:27:48.16 ID:tJM7Uq2s0





会わなかったのは一日だけだったけれど、澪と会うのはすごく久しぶりな感じがした。
たった、一日。だけど、一日。
特に世界の終わりが近くなった一日を澪と離れて過ごすなんて、
思い出してみると気が遠くなるくらい長い時間だった。
片時も澪の事を忘れなかったと言ったら流石に嘘になるけど、
それでも、心の片隅にずっと澪が居たのは確かだし、
誰かと話してる時にもまず最初に考えてしまうのは澪の反応だった。
私がこうしたら澪はどう反応するんだろう。
私がこの言葉を言ったら澪はどんな話をし始めるんだろう。
そんな風に、何をする時でもそこには居ない澪の反応が気になってた。
そうだな。そう考えると、澪が居たのは私の心の片隅じゃない。
澪は私の心の真ん中をずっと占領していたんだ。
だから、一日会わなかっただけで、澪の存在がこんなにも懐かしいんだ。

「よっ、律……」

言いながら、澪はまず自分の席に近付いて行く。
私の「久しぶり」という挨拶については、何も突っ込まなかった。
澪も私と同じように考えているんだろう。
こう考えるのは自信過剰かもしれないけど、
多分、澪も自分が何かをしようとする時には、私の反応を気にしてくれてるはずだ。

去年の初詣だったか、私が電話を掛けると急に澪に怒られた事がある。
「今年は絶対騙されないからな」と、意味も分からず私は澪に怒られた。
澪が言ってるのがそれより更に一年前の初詣の事だと気付いたのは、結構後にムギに指摘されてからだ。
そういえば一昨年の初詣の時、
私は澪に晴れ着を着てくるのか聞いて、澪にだけ晴れ着を着させた事があった。
晴れ着を着るかと私が聞けば、真面目な澪は皆が晴れ着を着るって勘違いすると思ったんだ。
私の狙い通り、澪は一人だけ晴れ着を着て来て、恥ずかしそうにしていた。
からかうつもりがあったのは否定しないけど、
そんな事をした本当の理由は澪の晴れ着が見てみたかったからだ。
勿論、そんな事を口に出す事は、これからも一生ないだろうけど。
例え澪と恋人同士になったとしても、な。

とにかく、去年の初詣の時、澪はそういう理由で私を怒ったみたいだった。
そんな事気にせずに好きな服を着ればいいのに、澪はどうしても私の反応が気になるらしい。
「澪ちゃんはいつもりっちゃんの事を気にしてるんだよ」って、
去年の初詣前の事情を話した時にムギが妙に嬉しそうに言っていた。
何もそこまで、とその時は思わなくもなかったけど、
今になって考えてみると、私も人の事を言えた義理じゃない。
小さな事から大きな事まで、私の行動指針の中央には確かに澪が居る。
和と澪が仲良くしてるのが何となく悔しくて、
澪に嫌われたかもって考えた時には、恥ずかしながら体調を崩しちゃったくらいだしな。
いや、本当に今思い出すと恥ずかしいけどさ。

どんな時でも、そんな感じで私達はお互いの事を意識し合ってる。
それくらい私達はお互いの存在をいつも感じてる。
いつからこうなったんだろう……。
嫌なわけじゃないけど、何となくそう思う。
最初は特別仲良しだったわけじゃない。
元々は正反対な性格だったし、澪の方も最初は私を苦手に思ってた感じだった。
それなのに少しずつ二人の距離は近付いていって、
一日会わなかっただけでお互いの存在が懐かしくなるくらい身近になった。
禁忌ってほどじゃないけど、女同士で恋愛関係にさえなりそうになるくらいに。
そんな中で私に出せた答えは……。
532 :にゃんこ [saga]:2011/09/07(水) 21:29:47.76 ID:tJM7Uq2s0


今回はここまででございます。

気付いたら、もう四ヶ月も投下してました。
長いこと、お世話になります。ありがとうございます。
あと一ヶ月ちょっとくらいで終われればと思っております。
533 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/07(水) 21:55:13.32 ID:wR98TFfSO

次回が楽しみだ
534 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/09/10(土) 00:53:16.97 ID:LLJtEGi/0
おつ!
535 :にゃんこ [saga]:2011/09/12(月) 21:24:05.48 ID:ouRyDjbN0
「梓の悩み、分かったんだな……」

自分の席に荷物を置きながら、小さく澪が呟いた。
その言葉からはまだ澪の真意や心の動きは掴めない。

「まあな。梓、おまえにも謝りたがってたよ。
後で会いに行ってやれよ」

「ああ……。
でも、まさかキーホルダーを失くした事で、
梓があんなに悩んでくれてたなんて思いもしなかったよ。
そんな小さな事であんなに……」

「小さな事に見えても、梓の中ではすごく大きな事だったんだ。
それに、人の事は言えないだろ?
私達も……さ」

「小さな悩み……か。
うん……、そうかも、しれない。
生きるか死ぬかって状況の時なのにさ、私は何を悩んでるんだろうな……」

少しだけ、澪が辛そうな表情をする。
ちっぽけな悩みやちっぽけな自分を実感してしまったのかもしれない。
死を目前にすると、悩みなんて何処までも小さい物でしかない。
勿論、私自身も含めて、だ。
私も『終末宣言』後、小さな事で心を痛め、死の恐怖に怯え、
声にならない叫びを上げそうになりながら、無力な自分に気付く。
その繰り返しを何度も続けるだけだった。
世界の終わりを間近にした人間がやる事なんて、何もかもがちっぽけなんだろう。
これから私がやろうとしている最後のライブだって……。

私は自分の席から立ち上がって、まだ立ったままの澪に近付いていく。
澪は動かず、近付く私をただ見つめている。
澪の前の……、いちごの席くらいにまで近付いてから、私はまた口を開いた。

「小さな悩みだよ、私達の悩みも。
すっげーちっぽけな悩みだ。
世界の終わりが近いのに、私達二人の関係なんかを悩んでる。
小さいよな、私達は……」

私の言葉に澪は何も返さない。
視線を落とし、唇を噛み締めている。
無力で弱い自分を身に染みて感じてるみたいに見える。
昔から、澪は弱い子だった。
恥ずかしがり屋で、臆病で、弱々しくて、
私より背が高くなった今でも何処までも女の子で……。
そんな風に、弱くて、儚い。
私の、
幼馴染み。

私はそんな弱くて儚い澪を、何も言わず見据える。
ちっぽけな私達を、もうすぐ終わる残酷な世界の空気が包む。
心が折れそうになるくらい、辛い沈黙。
言葉を失う私達……。

だけど。
不意に視線を落としていた澪が、顔を上げた。
強い視線で、私を見つめた。
辛そうにしながらも、言葉を紡ぎ出してくれた。

「でも……、でもさ……、律……。
小さい悩みだけど、その悩みは私にはすごく大きい悩みなんだ……。
終末の前だけど……、そんな事関係なくて、
ううん、終末なんかより私には大きい悩みでさ……。
馬鹿みたいだけど、それが私が私なんだって事で……。
上手く言えないけど……、上手く言えないんだけど……」

言葉がまとまってない。
言ってる事が無茶苦茶だ。
多分、澪自身も自分が何を言いたいのか分かってないんだろう。
でも、馬鹿みたいだと思いながらも、澪は自分の悩みを大きい物だと言った。
それくらい大きな……、大切な悩みなんだって、自分の口から言葉にして出してくれたんだ。
536 :にゃんこ [saga]:2011/09/12(月) 21:25:00.92 ID:ouRyDjbN0
「そうだよな……。馬鹿みたいだよな……」

私は囁くみたいに言った。
でも、それは辛いからじゃなくて、全てを諦めてるからでもない。
上手くなくても、自分の想いを澪が口にしてくれたのが嬉しかったからだ。
私は沈黙を破り、澪に伝えたかった言葉をまっすぐにぶつける。

「馬鹿みたいだし、何もかも小さい悩みなんだって事は分かってる。
私なんて物凄くちっぽけな存在で、
多分、居ても居なくてもこの世界には何の関係も無いんだろうな、とも思うよ。
私はそれくらい小さくて、そんな小さい私の悩みなんてどれくらい小さいんだって話だよな。
でもさ……、やっぱりそれが私でさ。
小さくて、世界の終わりの前に何もできなくても、私は生きてるんだ。
誰にとっても小さくても、私だけは私の悩みを小さい悩みなんて思いたくない。
大きくて大切な悩みなんだって思って、抱え続けたいんだ。
勿論、澪の悩みもな」

澪は何も言わなかった。
これまでみたいに、言葉を失ってるわけじゃない。
多分、私の真意が分かって、少し呆れてもいるんだろう。
しばらくして、澪はいつも見せる苦笑を浮かべながら呟いた。

「……試したのか、律?」

「別に試したわけじゃないぞ。
澪の気持ちを澪の口から聞きたかったんだ。
澪ってば、自分の気持ちを中々口にして出さないからさ。
その辺の本当の気持ちを聞いときたかった。
ごめんなー、澪ちゅわん」

「何だよ、その口調は……。
私は律が思うほど、自分の気持ちを隠してるわけじゃないんだぞ。
律は昨日、私が律の事を思って、
ずっと泣いてたって思ってるかもしれないけど、お生憎様、そんな事は無いぞ。
そりゃ律の事は考えてはいたけどさ、でも、それだけじゃないぞ。
ちゃんと新曲の歌詞を考えたりもしてたんだ。
おかげで律が感動して泣き出しちゃうくらいいい歌詞が書けたんだからな。
後で見せてやるから、覚悟しとけよな」

多少の強がりはあるんだろうけど、澪のその言葉は力強くて心強かった。
昔から、澪は弱い子だった。
でも、それは昔の話だ。
今もそんなに強い方じゃないけど、弱さばかり目立ってた昔とは全然違う。
澪は強くなったと思う。高校生になってからは特にだ。
それは私のおかげ、と言いたいところだけど、私のおかげだけじゃないだろうな。
唯やムギ、和や梓……、
色んな仲間達との出会いのおかげで、澪は私が驚くくらい強くなった。
そうでなきゃ、私と恋人同士になりたいなんて言い出さなかっただろうしな……。
昔の澪なら、仮にそう思ったとしても、
言い出せずにずっと胸にしまい込んでるだけだっただろう。
強くなったんだな、本当に……。
私はそれが少し寂しいけれど、素直に嬉しくもある。

「私の事を一日中考えてたわけじゃなかったのは残念だが、その意気やよし。
それにさ、小さな悩みだって分かってても、
それが世界の終わりより大きな悩みだって言えるなんてロックだぜ、澪。
世界に対するいい反骨心だ。
それでこそ我等がロックバンド、放課後ティータイムの一員と言えよう。
褒めてつかわすぞよ」

「……なあ、律。
今更、こんな事を聞くのは、おかしいかもしれないんだけど……」

「どした?」

「放課後ティータイムってロックバンドだったのか?」

本当に今更だな!
と突っ込もうとしたけど、私の中のもう一人の私が妙に冷静に分析していた。
実を言うと、前々からそう考えてなくもなかったんだ……。
軽音部で私がやりたいのはロックバンドだったし、
甘々でメルヘンながらも放課後ティータイムは一応はロックバンドだと思おうとしてた。
しかし、よくよく考えてみると、やっぱりロックバンドじゃない気がどんどん湧いて来る。
そういえば、今日の放送で紀美さんが言っていた。
ロックってのは、曲の激しさじゃなくて、歌詞や心根が反骨的かどうかなんだって。
537 :にゃんこ [saga]:2011/09/12(月) 21:26:10.27 ID:ouRyDjbN0
……やっべー。
放課後ティータイムの曲の中で、反骨的な歌詞の曲が一曲も無い気がする……。
いや、そんな事は無いはずだ。
いくらなんでも、一曲くらいはあってもいいはず。
えっと……、ふでペンだろ?
それとふわふわ、カレー、ホッチキス……。
ハニースイート、冬の日、五月雨にいちごパフェにぴゅあぴゅあ……。
あとはときめきシュガーとごはんはおかず、U&Iなわけだが……。

あー……。
見事なまでに反骨的な歌詞が無いな……。
作詞の大体を澪に任せたせいってわけじゃない。
ムギの作曲と唯の歌詞のせいでもある。
考えてみれば、放課後ティータイムの中で辛うじてロックっぽいのが私と梓しか居ない。
しかも、その二人が揃いも揃って、作詞も作曲もしてないわけだから、
そりゃ何処をどうやってもロックっぽい歌詞が出てくるわけが無いよな……。
そう考えると放課後ティータイムは、
ガールズバンドではあってもロックバンドとはとても言えんな……。

私は溜息を吐いて、澪の肩を軽く叩いた。
頬を歪めながら、苦手なウインクを澪にしてみせる。

「何を言ってるんだ、澪?
放課後ティータイムはロックバンドだぜ?」

「えっ……、でも……。
ほら、歌詞とか……さ。
私、ロックをイメージして作詞してないし、唯だって……」

「いや、ロックバンドなんだよ。
ロックバンドでありながら、反骨的な歌詞が無いというのが反骨的なんだ。
ロックに対するロック精神を持つロックバンド。
それが放課後ティータイムなのだよ、澪ちゃん……!」

「何、その屁理屈……」

澪が呆れ顔で呟く。
私だって、放課後ティータイムがロックバンドじゃないという事実は分かっている。
分かってはいるが、分かるわけにはいかん。

「まあ、律がそれでいいなら、それでいいけど……」

「そう。私はそれでいい。
……って事にしといてくれれば、助かる」

「それより、律?
私の方の昨日の話はしたけど、そっちは昨日はどうだったんだ?
どんな風に……、過ごしてたの?」

「気になるか?」

私が訊ねると、うん、と小さく澪が頷く。
私だって、澪が昨日過ごしたのか気になってたんだから、澪の言葉ももっともだった。
一日会わなかっただけだけど、その一日が気になって仕方ないんだよな、私達は。
ずっと傍に居た二人だから……。
私は澪の肩から手を放して、腕の前で手を組んで続けた。

「澪と別れてから、色々あったよ。
聡と二人乗りしたり、憂ちゃんと話したり、
ムギと二人でセッションしたり、梓と梓の悩みについて話したり……さ。
それに純ちゃんとムギと梓と私で、パジャマフェスティバルをしたりしたな」

「パジャマフェスティバル……?」

「いや、それはこっちの話。
まあ、とにかく色々あったよ。本当に目まぐるしいくらい、色々な事があった。
その分、ムギや梓……、純ちゃんともずっと仲良くなれたと思うけどさ」

「ムギと梓はともかく、律が鈴木さんと過ごしてたなんて意外だな……」
538 :にゃんこ [saga]:2011/09/12(月) 21:27:38.99 ID:ouRyDjbN0
「私だって意外だったけど、話してみると楽しい子だったよ。
梓の親友だってのも分かるくらい、いい子だったし。
澪も苦手意識持ってないで、純ちゃんと仲良くしてあげてくれよ。
金曜日にジャズ研のライブがあるみたいだから、観に行ってあげようぜ。
純ちゃん、きっと喜ぶと思うよ」

「鈴木さんか……。
律がそう言うなら、もうちょっと話してみるのもいいかもな……」

「まあ、苦手なのも分かるけどな。
澪に憧れてるのは分かるんだけど、えらく距離感が近いもんなあ。
でも、いい子だよ。
それに話してみると、純ちゃんも現実の澪の姿に幻滅して、
少しはちょうどいい距離に落ち着くかもしれないしな」

「どういう意味だよ、律……」

「言葉通りの意味だが?」

言ってから澪の拳骨に備えてみたけど、意外にも澪の拳骨は飛んで来なかった。
その代わり、少しだけ寂しそうに、澪は呟いた。

「そっか……。
律は昨日、元気だったんだな……」

私が居なくても……。
とは言わなかったけど、多分、澪はそういう意味で呟いていた。
私が私の居ない所で楽しそうにしてる澪を見るのが辛かったみたいに、
澪も澪の居ない所で私が元気に過ごしているという現実が辛かったんだろう。
何処までお互いの事を気にしてるんだろうな、私達は……。
それは依存なのかもしれなかったけど、
多分、私達はその依存のおかげで、まだ正気を失わずに世界の終わりに向き合えてる。
私は軽く微笑んでから、澪の耳元で囁く。

「うん……、元気だった。
澪が居なくても元気だったけど……、でも、物足りなかったよ。
片時も澪の事を忘れなかったって言うと嘘になるけど、
でも、楽しいと思う度に、澪が傍に居たらな、って思った。
一緒に楽しい事をしたかったよ。
梓の悩みの件でも、澪なら私の言葉をどう思うか考えながら梓と話してた。
ずっと、澪の事が気になってた。
考えてたよ。澪の言葉をさ。
私は澪とどうなりたいのかってさ」

澪はじっと私の言葉を聞いていた。
澪が次の私の言葉を待っている。
私の答えを待っているのを感じる。
もうすぐにでも、私が澪の想いに対する答えを言葉にするのを、澪は多分予感している。
私も澪に向けて、私の答えを伝えようと激しく響く心臓を抑えて口を開く。

思い出す。
澪に恋人同士になりたいって言われた時の喜びを。
きっと澪なら、私には勿体無いくらいの恋人になってくれる。
また、思い出す。
私を抱き締めた澪の柔らかさと、私が重ねようとした澪の唇を。
澪と恋人同士として、そういう関係で世界の終わりを迎えるのも悪くないって思えたのを。
澪と恋人になるのは、私達に安心と喜びを与えてくれると思う。
だから、澪と恋人同士になるのは、きっと悪くないんだ。

私は言葉を出す。
澪と私の関係をどうしたいかを、震えながらもまっすぐに伝えるために。
私の本当の気持ちを澪に伝えるために。

「私はすごく考えた。考えてた。それで、答えが出たんだ。
これから伝えるのが私の答えだよ、澪。

なあ、澪……。
私はさ……、
私はおまえと……、
恋人に……、
恋人同士には……なれないよ」
539 :にゃんこ [saga]:2011/09/12(月) 21:29:08.45 ID:ouRyDjbN0


今回はここまでです。
話もようやく進んで参りました。
540 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/12(月) 22:48:40.80 ID:vfP8ndF8o

まさかの答え、二人の関係はどうなってくんだろう。
541 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/13(火) 00:36:54.80 ID:YHbexxNC0
おつ!
澪編はどんな結末になるのかな
542 :にゃんこ [saga]:2011/09/13(火) 21:22:29.73 ID:lE/2SYIz0
伝えたくない言葉だった。
けれど、伝えたい言葉だった。
これが偽りの無い、澪に対する私の本音だ。
澪と恋人になるのは悪くないと思えた。
悪くないけれど……、良くもないって思ったんだ。
私は澪の告白が嬉しかった。澪と恋人になりたいと思った。安心できるって思えた。

でも、同時に思い出したんだ。
澪と自分の唇を重ねる直前、自分が涙を流したのを。
ほとんど同時に澪も泣き出してしまっていたのを。
長い事、私は私の涙の理由が分からなかった。
澪の涙の理由も分からなかった。
今はもうその涙の理由を確信している。
確信できたのは、軽音部の皆と話せたからだ。
唯もムギも梓も、苦しみながら、悩みながらも同じ答えを出していた。
皆が同じ答えを出していて、私の答えもそうなんだって気付けた。
だからこそ、あの時は泣いてしまってたんだ、私も、澪も。
世界の終わりが間近だからって、その選択だけはしちゃいけなかったんだ。
いや、しちゃいけないわけじゃないか。
選択したくなかったんだ、簡単な選択肢を。

「澪の告白は嬉しかった。
嬉しかったんだ、本当に……」

私は言葉を続ける。
どうしようもなく我儘な私の答えを澪に伝えるために。
上手く伝えられるかどうかは自信が無いけど、
少なくとも私が何を考えているかだけは分かってもらえるために。

「澪の事は好きだ。
澪はずっと傍に居てくれたし、一緒に居るとすごく楽しい。
そんな澪と恋人になれたら、どれだけ楽になれるかって思うよ。
でも、今の私達にそういうのは違う。違うと思う。

気付いたんだ。
一昨日、私が澪と恋人になろうとしたのは、世界の終わりから逃げたかったからなんだって。
澪と恋人になれば、世界の終わりの事なんて考えずに、澪と二人で笑顔で死ねるって思った。
自分の不安から目を逸らすために、私は澪を利用しようと思っちゃってたんだよ。
世界の終わりが近いんだし、そういう生き方も間違ってないんだろうけど……。
嫌だ。私は嫌なんだよ。澪をそんな風に利用したくなんかないんだよ……。
大切な幼馴染みを、そんな扱いにしたくないんだ。
今更……、今更な答えだと思うけど……、それが私の答えなんだよ」

澪は何も言わない。
私の瞳を真正面から見つめて、ただ私の言葉を黙って聞いている。
澪が何を考えているのかは分からない。
でも、少なくとも、私の言っている事の意味は分かってるはずだと思う。
澪は頭がいいし、一昨日、私と同じように涙を流したんだ。
澪も心の何処かでは、私と同じ答えを出していたはずなんだ。
私達は今、恋人同士にはなれないんだって。

「何度でも言うよ。
私は澪の事が好きで、傍に居たい。澪が本当に大切なんだ。
でも、それは恋人同士としてって意味とは違う。
一昨日、私はおまえと恋人同士になろうと思って、
雰囲気に流されるままにキス……しようとして、気が付けば泣いてた。
あの時はその涙の理由が分からなかったけど、今なら分かるよ。
急に澪と恋人になるなんて、何かが違うって心の何処かで分かってたからなんだ。
そんなの私達らしくないって気付いてたからなんだ。
だから、私はそれが悲しくて泣いちゃってたんだ……」

「私達らしくない……かな」

澪が久しぶりに口を開いて呟いた。
それは反論じゃなくて、純粋な疑問を言葉にしてるって感じの口調だった。
私はゆっくりと首を縦に振って頷く。

「うん……。私達らしくないと思う……。
澪もそれを分かってたから、あの時、泣いてたんだろ?
少なくとも、あの時、私はそういう理由で泣いたんだ。
私達が私達でなくなる気がして、それが嫌だったんだと思う。
軽音部の皆と話しててさ、思ったんだ。
唯もムギも梓も、世界の終わりを目の前にした今でも、これまでの自分で居たがってた。
皆、世界が終わるからって、自分の生き方を変えたくないんだ。

それは私達も同じなんだよ、澪。
もうすぐ死ぬからって、死ぬ事を自覚したからって、急に生き方を変えてどうするってんだよ。
そんなの、今まで私達がやってきた事を否定するって事じゃんか。
あの楽しかった時間全部を無駄だったって決め付けるって事じゃんか。
私達が私達じゃなくなるって事じゃんか。
嫌だ。そんなの嫌だ。私はそんなのは嫌なんだよ……」
543 :にゃんこ [saga]:2011/09/13(火) 21:22:58.49 ID:lE/2SYIz0
私の想いは伝えた。
すごく不安だったけれど、とりあえずは私の考えを伝える事ができた。
多分、澪も私の言う事を分かってくれたはずだ。
いや、最初から分かってたのかもしれない。
分かってたけど、それを認めたくなかっただけなんだろう。

「でもさ、律……」

不意に澪が小さく呟いた。
少しだけ辛そうに、でも、自分の想いを強く心に抱いたみたいに。

「終末から目を逸らしたいって意味があったのは、否定しないよ。
逃げようとしてたのは確かだと思う。
でもね……。
それでも、私は律と恋人になりたいと思ってたんだよ?
女同士だからそんなのは無理だって分かってたけど、でも……。
ずっと前から、私は律の事が……」

それも嘘の無い澪の想いなんだろうと私は思う。
世界の終わりから目を逸らすための手段だとしても、
完全に何の気も無い相手に恋心をぶつける事なんて澪は絶対にしない。
『終末宣言』の前から、澪は少しだけ私の事を恋愛対象として好きでいてくれたんだろう。
でも、それは私にとって急な話で……、
澪の事は好きだけど、澪と恋人になるっては発展し過ぎた話で……。
だから、私は自分でも馬鹿だと思う答えを澪に伝える事にした。
この答えを聞けば、多分、誰もが私を馬鹿だと思うだろうし、私自身もかなりそう思う。
だけど、それこそが私に出せた一番の答えだし、私の中で一番正直な想いだから……。
私は、
その答えを、
澪に伝えるんだ。

「女同士なんて私には無理だよ、澪……。
親友に急にそんな事を言われたって、
いきなり恋愛対象として見る事なんてできないよ……。
最初は恋人になろうとしておいて本当に悪いけど、無理なんだよ……」

ひどく胸が痛む言葉。
伝えている方も、伝えられる方も傷付くだけの辛い言葉だった。
私の言葉を聞いた澪は、自分の席にゆっくりと座り込んだ。
机に肘を着いて、絞り出すみたいにどうにか呟く。

「そっか……。
そうだよな……。迷惑だった……よな……。
ごめん……な、律……。
私が勝手に律を好きになって……、こんな時期に戸惑わせちゃって……。
本当に……ごめ……」

最後の方は言葉になってなかった。
澪の声は掠れて、涙声みたいになっていた。
多分、本当は泣きそうで仕方が無いんだろう。
それでも私に涙を見せないようにしてるんだろう。
もう私の負担になりたくないから。
もう私を戸惑わせたりしたくないから……。

だけど、私は澪に伝えなきゃいけない事がまだあった。
澪を余計に傷付けるだけかもしれないけど、それも私の本音だったから。
544 :にゃんこ [saga]:2011/09/13(火) 21:23:46.19 ID:lE/2SYIz0
「まったく……、本当に迷惑だよ。
こんなに私を迷わせて、私を戸惑わせて、
もうすぐ世界の終わりが来るってのに、こんなに私の心を揺らして……。
おまえって奴はさ……」

「ごめ……ん。り……つ……。
ごめん……なさ……」

「おかげでまた考えなくちゃいけない事ができちゃったじゃないか」

「え……っ?」

「私がおまえの事を恋愛対象として好きになれるかって事をさ」

「り……つ……?」

「私は澪と恋人にはなれないよ。今は……さ。
だって、そうじゃん?
おまえと知り合ってから大体十年くらいだけど、
その十年間、おまえとは幼馴染みで、ずっと親友で、
そんな奴をいきなり恋人だと思えってのは無理があるだろ、そりゃ。

実を言うとさ、
澪が私の事を好きなんじゃないかって思う事もたまにはあったけど、
そんな自意識過剰な事ばっか考えてられないし、確信が無かったから気にしないようにしてた。
でも、世界の終わり……終末がきっかけだったとしても、おまえは私に告白してくれただろ?
おまえが私とどういう関係になりたいのか、私はそこで初めて知ったって事だ。
おまえとは長い付き合いだけどさ、
私とおまえが恋人になるかどうかを考えるスタートラインは、私にとってはそこだったんだ。
それがまだ一昨日の話なんだぜ?

だから、考えさせてほしいんだよ、澪。
考える時間が無いのは分かってるし、どんなに頑張っても三日後までに出る答えでもない。
だけど、時間が無いからって、焦っておまえとの関係を結論付けるのだけは嫌なんだ。
それだけは嫌なんだ。絶対に絶対に嫌なんだ。
そんな適当にこれまでのおまえとの関係を終わらせたくないんだよ。
馬鹿みたいだし、実際に馬鹿なんだろうけどさ……、
その答えを出せるまで、私達は友達以上恋人未満って関係にしてくれないか?」

私はそうして、抱えていた想いの全てを澪にぶつける事ができた。
これが私の出せた我儘で馬鹿な答え。
馬鹿だけど、嘘偽りの無い私らしい答えだ。
正直、こんな答えを聞かされた澪の身としては、たまったもんじゃないだろうと自分でも思う。
世界の終わりが近いのに、何を悠長な話をしてるんだって怒られても仕方が無い。
怒ってくれても、構わない。
でも、焦って結論を出す事だけは、
これまでの私達を捨てる事だけは、絶対に間違ってると私は思うから。
だから、これが私の答えなんだ。

「それじゃ……」

澪が震える声で喋り始める。
目の端に涙を滲ませながら。

「それじゃ少年漫画みたいじゃないか、律……」

そうして澪は、泣きながら、笑った。
これまでの辛そうな顔じゃなくて、
呆れながら私を見守ってくれてた少し困ったような笑顔で。
私も苦笑しながら、小さく頭を掻いた。
545 :にゃんこ [saga]:2011/09/13(火) 21:24:16.30 ID:lE/2SYIz0
「しょうがないだろ?
私は少女漫画より少年漫画の方をよく読んでるんだから。
でも、確かに友達以上恋人未満って関係は、少年漫画の方が多いよな。
少女漫画は一巻から主人公達が付き合ってたりするもんな。

だから、勘違いするなよ、澪。
私が言ってるのは、そういう少年漫画的な意味での友達以上恋人未満の関係だからな。
付き合うつもりが無い相手を期待させるだけの便利な言葉を使ってるわけじゃないからな?
私が澪となりたい友達以上恋人未満ってのは、恋人になる一段階前っつーか……。
恋人になる前に、何度もデートを重ねてお互いの想いを確かめ合ってる関係っつーか……。
ごめん。上手く言えてないな、私……」

「……大丈夫。分かってるよ、律。
私を期待させるだけ期待させて便利に使うなんて、
そんな器用な事ができるタイプじゃないもんな、律は。
それにさ、律の表情を見てると、
私との事を本気で考えてくれてるんだって、分かるよ……。
同情や慰めで私と恋人になるんじゃなくて、
終末から目を背けるために恋人との蜜月に逃げ込むわけでもない。
律はただ私の想いをまっすぐに受け止めようとしてるんだって分かるんだ。
心の底から、私との関係を考えようとしてくれてるんだって……。
そんな律だから、私はさ……」

そこで言葉が止まって、また澪の瞳から涙がこぼれた。
でも、それは単なる悲しみの涙じゃない。
涙を流しながらも見せた澪の顔は、これまで見た事が無いくらい晴れやかな笑顔だった。

「やだな、もう……。
涙が止まらないよ、律……。
恥ずかしいよな、こんなに涙を流しちゃって……」

「いいよ。どれだけ泣いたっていい。
恥ずかしがらなくても、いいんだよ。
こう言うのも変だけど、今の澪の顔、すっげー綺麗だよ」

それは私の口から自然に出た言葉だった。
泣きながら笑って、笑いながら泣いて、
すごく矛盾してるけど、そんな澪の表情は見惚れてしまいそうになるくらい綺麗だった。
だから、私の言葉は何の飾りも無い私の本音だった。
……んだが、気が付けば、私の頭頂部が澪の拳骨に殴られていた。
さっきまで座ってたくせに、わざわざ一瞬のうちに立ち上がって、私の頭を殴ったわけだ。

「何をするだァーッ!」

私の方もわざわざ誤植まで再現して、澪に文句を言ってやる。
いや、マジでかなり痛かったぞ、今のは。
これくらい言ってやっても罰は当たらないだろう。ネタだし。
だけど、澪の奴は顔を赤くして、あたふたした様子で私の言葉に反論を始めた。

「だ……、だって律が恥ずかしい事を言うから……!
すごい綺麗とか……、真顔でそんな恥ずかしい冗談を言うな!
こんな時にそんな事言われたら、冗談でもびっくりするじゃないか……!」

「いや、別に冗談じゃなかったんだが……って、あぅんっ!」

最後まで言う前にまた澪に叩かれ、私は妙な声を出してしまう。
自分で言うのも何だが、「あぅんっ!」は我ながら気持ちの悪い声だったな……。
それはともかく、本音を言ってるのに、
どうして私はこんなに叩かれないとならんのか。

「何をするんだァーッ!」

今度は誤植を訂正して澪に文句を言ってみる。
あの漫画を読んでない澪がそのネタに気付くはずもなく、
顔を赤くどころか真紅に染めて、更に動揺した口振りで澪が続けた。

「だから……、そんな恥ずかしい冗談はやめろって……!
どうしたらいいか、分からなくなっちゃうじゃないか……!
やめてよ、もう……!」

「恥ずかしい冗談って、おまえな……。
これくらいの事で恥ずかしがっててどうすんだよ。
恋人同士ってのは、もっと恥ずかしい事をするもんなんだぞ」
546 :にゃんこ [saga]:2011/09/13(火) 21:25:08.14 ID:lE/2SYIz0
呆れ顔で私が返すと、澪はまた自分の椅子に座って、黙り込んでしまった。
顔を赤く染めたまま、視線をあっちこっちに動かしている。
どうも澪の許容できる恥ずかしさの限界を超えてしまったみたいな様子だ。
その瞬間、私は気が付いたね、澪が変な事を考えてるんだって。

「おい、澪。おまえ今、変な事考えてるだろー?」

「へ、変な事って何だよ……」

「私が言う恋人同士の恥ずかしい事ってのは、
夕陽の下で愛を語り合ったり、「君の瞳に乾杯」って言ったり、
そういう背中が痒くなるような恥ずかしい事って意味だぜ?
今、おまえが考えてる恥ずかしい事って、そういうのじゃないだろ?
例えば、そうだな……。
前に見たオカルト研の中の二人みたいな事、想像してただろ?
いやーん、澪ちゃんのエッチ」

「なっ……、か、からかうなよ、馬鹿律!」

叫ぶみたいに言いながら、澪が自分の拳骨を振り上げる。
もう一度拳骨が飛んで来るかと思ったけど、
澪はそうせずに、拳骨を振り上げたままで軽く吹き出した。
それはこれまでの笑顔とは違って、面白くて仕方が無いって表情だった。
微笑みながら、澪が嬉しそうに続ける。

「何か……、こういうのってすごく久しぶり……。
そんなに前の話じゃないはずなのに、懐かしい感じまでしてくるよ。
何だか、嬉しい。
律の言ってた事が、何となく実感できる気もするな。
多分だけどさ、
もし一昨日に私達があのまま恋人になってたら、今みたいに笑ってられなかった気がする。
今までの私達とは、全然違う私達になってた気がする。
律にはそれが分かってたんだな……」

「そんな大層な意味で言ったわけじゃないけどさ……。
でも、私はそれが嫌だったんだと思うよ。
勿論、恋人同士になって、
全然違う自分達になるのも悪くはないんだろうし、
そういう恋人関係もあるんだろうけど……。
私は澪とはそういう関係になりたくなかった。

もしもいつか私達が恋人になるんだとしても、
これまでの幼馴染みの関係の延長みたいな感じで私は澪と付き合いたい。
それこそ少年漫画みたいにさ。
よくあるじゃん?
十年以上連載して、長く意識し合ってた幼馴染みが、
最終回付近でようやく恋人になるみたいな、そんな感じでさ……。
それでその幼馴染みを知ってる仲間達から、
「あいつら本当に付き合い始めたのか? これまでと全然変わってないぞ」とか言われたりするわけだ」

「ベタな展開だよな」

「誰がベタ子さんやねん!」

「いや、ベタ子さんとは言ってないけど……」

「私は澪とそんなベタな関係になりたいんだけど……、
澪は嫌じゃないか?」

少し不安になって、囁くように訊ねてみる。
これは完全に私の自分勝手な我儘なんだ。
これまでの澪との関係をもっと大事にしたい。
いつか恋人になるんだとしても、澪との関係に焦って結論を出したくないって我儘だ。
だから、それについての答えを、私は澪自身の口から聞きたかった。
どんな答えだろうと、それを澪に言ってほしかったんだ。
547 :にゃんこ [saga]:2011/09/13(火) 21:25:43.66 ID:lE/2SYIz0
「嫌じゃないよ」

いつも見せる困ったような笑顔で、
いつも私を見守ってくれてる笑顔で、澪は小さく言ってくれた。

「嫌なわけないよ。
律がそんな真剣に私の事を考えてくれるなんて、それだけですごく嬉しいんだ。
焦って今までの私達の関係を壊しそうになってた私を、律が止めてくれたんだから。
一昨日、もしも律が私を恋人にしてくれてたとしても、今頃きっと後悔してた。
そうして後悔しながら、終末を迎えてたと思うよ。
だから……、私は律とこれから友達以上恋人未満の関係になりたいよ」

そう言った澪の本当の気持ちがどうだったのかは分からない。
女性は何でも結論を急ぎたがる、って感じの言葉を聞いた事がある。
確かにそうだと私も思わなくもない。
少女漫画なんか、特にその傾向があるような気がする。
さっき澪に言った事だけど、少女漫画は一巻から主人公達が付き合ってる事が多い。
こんなの少年漫画じゃ考えられない事だよな。
それくらい女の子達は(いや、私も女の子だけど)、曖昧な関係に満足できないんだ。
早く結婚するのも、自分から結婚を迫るのも、女性の方が遥かに多いみたいだし。
迷うくらいなら、とにかく早く結論を出して、とりあえずでも安心したい子が多いんだ。
それが女の子の本音なんだろうと思う。

私はどっちかと言うと少年漫画を読む方だし、
弟がいるせいか考え方もちょっと男子っぽいかな、って自分でも思う。
それで澪との結論を急ぎたくなかったのかもしれない。

だけど、昔から女の子っぽい性格の澪は、
強がってはいるけど、その実は誰よりも女の子な澪は、
私の答えを本当はどう思っていたんだろうか……。
本当はやっぱり私とすぐにでも恋人になりたかったんじゃないだろうか。
傷の舐め合いみたいな関係だとしても、
世界の終わりまで安心していたかったんじゃないだろうか。
そう考えると、私の胸が痛いくらい悲鳴を上げてしまう。

でも。
それはもう考えても意味の無い事だった。
本音が何であれ、澪は私の考えと想いを受け止めてくれた。
私と友達以上恋人未満の関係になると言ってくれた。
私にできるのは、その澪の気持ちに感謝して、
これからの澪との事を心から真剣に考える事だけだ。

「週二だ」

私は澪の前で指を二本立てて、不敵に笑った。

「え? 何が?」

「だから、週二だよ、澪。
今週はライブで忙しいから、来週から週二でデートするぞ。
覚悟しろよ。色んな場所に付き合ってもらうからな。
勿論、単に遊びにいくわけじゃない。
友達以上恋人未満ってのを意識して、恋人みたいなデートを重ねるんだ。
そこんとこ、よく覚えとけよ」

来週の約束……。
恐らくは果たせない約束……。
でも、その約束は私の心に、ほんの少しの希望を持たせてくれて……。

「ああ、分かったよ、律。
来週から週二でデートしよう。
私達、友達以上恋人未満だもんな。
……言っとくけど、遅刻するなよ?」

屈託の無い笑顔で、澪が左手の小指を私の前に差し出す。
「わーってるって」と言いながら、私は自分の小指を澪の小指に重ねる。
願わくば、この約束が本当に果たせるように。
548 :にゃんこ [saga]:2011/09/13(火) 21:31:04.00 ID:lE/2SYIz0


此度はここまでです。
ラスボス編も中々長いですね。

澪編、まだ終わりじゃないのぞよ。
もうちょっとだけ続きます。
549 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/13(火) 21:41:34.64 ID:rDEwmlpGo
乙。来週のデートの約束とか切なすぎる・・・
550 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/13(火) 21:45:26.63 ID:PhAKd7MSO
おっつおっつ

切ないです
551 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/14(水) 03:52:50.84 ID:c1y6npY6o

友達以上恋人未満か
世界が続いていくなら二人はもっと深い関係になっていけたんだろうな……
552 :にゃんこ [saga]:2011/09/15(木) 20:14:12.41 ID:ExCrT+4b0





かなり長い間、二人で視線を合わせながら小指を絡ませていたけど、
いつまでもそのままでいるわけにもいかなかった。
二人で名残惜しく指切りを終えて、
それから私は澪が書き終えたと言っていた新曲の歌詞を見せてもらう事にした。

新曲の歌詞はこれまでの甘々な感じとは違って、
ロックってほどじゃないけど、少し硬派な感じの歌詞に仕上がっていた。
確かにこれまでとは違う感じの歌詞にしたいと言ってたけど、
まさかこんなに普段と印象の違う歌詞を澪が仕上げて来るとは思わなかった。
過去じゃなくて、未来でもなくて、
今を生きる、今をまだ生きている私達を象徴したみたいな歌詞……。
残された時間が少ない私達の『現在』を表現した歌……。
頭の中で、ムギの曲と澪の歌詞を融合させてみる。
悪くない。
……いや、すごくいい曲だと思う。
これまでの私達の曲とはかなり印象が違うけど、これもこれで私達の曲だと思えるから不思議だ。
早く皆と合わせて、澪の歌声を聴きながらこの曲を演奏したい。
ただ、激しい曲なだけに、私の技術と体力が保つかどうかが少し不安だけどな。
まあ、その辺は何とか気力と勢いでカバーするという事で。

はやる気持ちを抑えて、肩を並べて二人で音楽室に向かう。
音楽室まで短い距離、私達はどちらともなく手を伸ばして、軽く手を繋いだ。
お互いの指を絡め合うほど深く手を繋げたわけじゃない。
流石にそれはまだ恥ずかし過ぎるし、
例え私が澪とそうやって手を繋ごうとしても、澪の方が真っ赤になっちゃってた事だろう。
だから、私達は本当に軽く手を繋いだだけ。
二人の手を軽く重ねて、軽く握り合っただけだった。
でも、それがとても心地良くて、嬉しい。
それが『現在』の私達の距離。
友達以上で、恋人未満の距離。
背伸びをしない、恋愛関係に逃げ込んでもいない、極自然な距離なんだ。

もしも世界が終わらず、これからも続いていったとして、
私と澪が本当に恋人になるのかどうかは分からない。
単なる友達じゃないのは間違いないけど、
それを単純に恋愛感情に繋げるのはあんまりにも急ぎ過ぎだろう。
それこそ私達は女同士だし、私が女の子相手に恋心を抱けるかも分からない。
もしかしたら、友達以上恋人未満を続けていく内に、
お互いに自分の恋心は勘違いか何かだったと気付くのかもしれない。
でも、私の幼馴染みを……、
澪を大切にしたい事だけは、私の中でずっと前から変わらない事実だ。
多分、訪れない未来、例え私達が恋人同士になれなかったとしても、
私は澪と一生友達でいるだろうし、澪も私の傍で笑っていてくれるだろう。
先の事は何も分からないけど、その想いと願いだけは私の中で変えずにいたい。

音楽室に辿り着く直前、
澪が繋いでいた手を放そうとしたけど、私はその澪の手を放さなかった。
友達以上恋人未満って関係はまだ皆には内緒にしとこうとは思う。
でも、二人で手を繋いで音楽室に入るくらいなら問題ないはずだ。
特に何処まで分かっているのか、
唯とムギは私達の関係を心配してくれていたから、
これくらいアピールした方が二人にも分かりやすいはずだ。
私達はもう大丈夫なんだって。
軽音部の問題は、今の所だけどこれで全部解決したんだって。
何の心配もなく、最後のライブに臨めるんだって……な。

隣の澪は顔を赤くしてたけど、
音楽室に入った私達を待っていたのは、私達以上に仲が良さそうな二人だった。
言うまでもなく、唯と梓の事だ。
私が澪と話している間に全ての事情を話し終わったんだろう。
唯がここ最近見られなかった嬉しそうな表情を浮かべ、
梓に抱き着きながら、キスをしようとするくらいに顔を寄せていた。
梓はと言えばそんな唯の顔を右手で押し退けながらも、
左手では唯に渡されたんだろう写真を大事そうに掴んでいる。
こういうのツンデレ……って言うんだっけ?
まあ、とりあえず二人とも仲が良さそうで何よりだ。
553 :にゃんこ [saga]:2011/09/15(木) 20:15:18.74 ID:ExCrT+4b0
私達が若干呆れながら唯達の様子を見てると、ムギが嬉しそうに駆け寄って来た。
唯と梓もそれに続いて私達に駆け寄って来る。
三人が肩を並べ、繋がれた私と澪の手に揃って視線を向ける。
ムギが嬉しそうに微笑み、珍しく梓が私に抱き着いて来る。
唯が「妬けますなー、田井中殿」と茶化しながら笑う。
澪が顔を更に赤く染めて、私が「おうよ!」と澪と繋いだ手を頭上に掲げる。
五人揃って、笑顔になる。
心の底から、幸せになれる。

とても長い時間が掛かった。
世界の終わり……終末っていう、
対抗しようもない強大な相手の恐怖に私達が怯え出してから、本当に長い遠回りをした。
本当に気が遠くなるくらいに長い長い遠回り……。
だけど、そのおかげで、取り戻せた私の絆は、これまで以上に深く強くて……。
今なら、身震いするほどの最高のライブができる。
そんな気がする。
勿論、それには今日明日と精一杯練習しなきゃいけないけどなー……。
でも、やってやる。やってみせる。
私達のために、ライブに来てくれる皆のために、『絶対、歴史に残すライブ』にしてやる。
まずは唯がミスしそうな新曲のあのパートを注意しかないと、だな。

不意に。
「盛り上がってる所、悪いんだけど」という言葉と一緒に、誰かが音楽室に入って来た。
そんな事を言うのは、勿論、我等が生徒会長しかいない。
私が和に視線を向けると、既に唯が和の方に駆け寄っていた。
早いな、オイ。
まあ、これもこれで、私達と違った仲の良い幼馴染みの関係って事で。

「どうしたの、和ちゃん」と嬉しそうに唯が和に訊ねる。
苦笑しながら、「ちょっとね」と和が私と視線を合わせる。
瞬間、和が滅多に見せない晴れ晴れとした笑顔を見せた。
本当に嬉しそうな表情……。
今の私と和の間で、二人だけが分かる笑顔の理由……。
それが分かった途端、意識せずに私も笑顔になっていた。
高鳴る鼓動を抑えられない。
私は笑顔のまま、和以外の全員の顔を見渡す。
皆、何が起こってるのか分かってない表情を私達に向けている。
いや、一人だけ……、唯だけちょっと不機嫌そうだ。
私と和がアイコンタクトで語り合ってるのが気に入らないんだろう。
自分だけの大切な幼馴染みの和を、私に取られちゃった気分なんだろうな。
でも、私がその理由を話せば、きっと唯も皆も笑顔になる。
講堂の使用許可が取れた事を、
最後のライブの最大の会場を用意できた事を皆に話せば……。

私はもう一度、皆の顔を見回す。
最高の仲間達に、私の言葉を伝える。

「なあ、皆……、前々から話してた事だけど、
軽音部で最後のライブを開催したいと思うんだ。
もう会場の用意もできてるから、安心してくれ。
だからさ……、今更だけど聞かせてほしい。
皆……、
しゅうまつ、あいてる?」
554 :にゃんこ [saga]:2011/09/15(木) 20:15:51.07 ID:ExCrT+4b0





――金曜日


今日は澪が私の家に泊まりに来ていた。
いやいや、別に友達以上恋人未満として、色んな事をしようと思ったわけじゃないぞ。
澪が私とパジャマフェスティバルをしたいと言ってきたからってだけだ。
ムギ達との話をした時には平静を装ってたけど、
本当は澪も参加したくてしょうがなくなってたらしい。
そういや、前に私がムギと二人で遊んだ時も、
「私もムギと遊びたかった」って、誘ってたのに文句を言われたな。
今も昨日、ムギとどうやって過ごしたのかとか訊いて来てるし……。
澪の奴……、ひょっとして、私よりムギの事を好きだったりするんじゃないか?
ちょっとだけそんな考えが私の頭の中に浮かぶ。

……はっ、いかんいかん。
それじゃ、何だか私が澪にやきもち妬いてるみたいじゃないか……。
私はそんな照れ臭い気持ちを隠すために、立ち上がってラジカセのスイッチを入れる。
幸い、そろそろ紀美さんのラジオの時間だ。
軽快な音楽が流れる。
555 :にゃんこ [saga]:2011/09/15(木) 20:18:24.85 ID:ExCrT+4b0


今夜はここまで。
遂に金曜日です。

個別ルートはこれにて全員終了。
後はグランドエンディングルートに入ります。
……自分で言った事ですが、グランドエンディングって何なんだ……。
最近よくありますが。
556 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/15(木) 20:42:16.82 ID:7FR+M80qo

やっと全員笑顔で部室に集まれたな
よかった
557 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛媛県) [sage]:2011/09/16(金) 04:57:30.75 ID:KkHRMbhGo
いよいよしゅうまつか。
558 :にゃんこ [saga]:2011/09/17(土) 21:43:52.43 ID:PrE/G5mJ0
「胸に残る音楽をお前らに。本当の意味でも、ある意味でも、とにかく名曲をお前らに。
今日もラジオ『DEATH DEVIL』の時間がやって来た。
この番組も、今回入れて残り二回。
日曜休みだから、土曜が最後の放送って事になるわね。
勿論、お付き合いするのは、いつもの通り、このアタシ、クリスティーナ。
終末まではお前らと一緒!
後二回、ラストまで突っ走ってくから、お前らも最後までお付き合いヨロシク!

……いやあ、にしても、思えば遠くに来たもんだ。
飽きたら早々に打ち切ってもらおうと思ってたのは内緒の話だけど、
これまたやってみると中々コクがあって、濃厚なのに、不思議と飽きが来なかった。
って、料理番組の感想みたいだけど、でも本当にそんな感じ。
一ヵ月半って短い間だったけど、この番組もリスナーのお前らもアタシの宝物。
残り二回の放送が心底名残惜しいわよ。

でも、勘違いしないでよね、お前ら。
終わるのはラジオ『DEATH DEVIL』の終末記念企画だからさ。
来週からはラジオ『DEATH DEVIL』の終末後記念企画が始まる予定なのよ。
超絶パワーアップ予定でさ。
そんなわけで、来週月曜から新装開店なんで、引き続き本番組をヨロシク。

あ、ディレクターがそんなの聞いてないって顔してる。
そりゃそうよね、言ったの今が初めてだもん。
いいじゃんか、ディレクター。
言ったもん勝ちだし、まだこの番組続けたいじゃん?
リスナーの皆も望んでると思うし、誰も損しない素敵企画だと思うけど?

……お。
苦笑いしてるけど、ディレクターからオーケーサインが出たわよ、お前ら。
おっし、これで本決まり。
ラジオ『DEATH DEVIL』破界篇は次回で終了。
来週からラジオ『DEATH DEVIL』再世篇にパワーアップして再開予定って事で。
ちなみに破界篇の『かい』は世界の『界』で、
再世篇の『せい』は世界の『世』って書くからお前らもよく覚えといてね。
何でかって?
いや、あんのよ、そういうゲームが。
深い意味は無いから、それ以上はお前らも気にしないで。
559 :にゃんこ [saga]:2011/09/17(土) 21:44:42.79 ID:PrE/G5mJ0
分かってるって。
別に終末の事を忘れてるわけじゃないよ。
日曜日の陽が落ちる前には、終末が……、世界の終わりがやって来る。
誰も望んじゃいないけど、とにかく足音響かせて、まっしぐらに終わりがやって来る。
でもさ、未来の事は誰にも分かんないじゃない?
九分九厘世界が終わるらしいけど、それは確定した未来じゃない。
『未来』ってのは、『今』になるまで永久に『未来』なんだから、
それがどうなるか不安に推論してたって無意味でしょ?
日曜日に世界がどうなるかは、結局は日曜になってみるまで分からない。
だったら、別に来週の事を予定してても、悪くないんじゃない?
馬鹿みたいだって自分でも分かっちゃいるけどさ。

え?
どしたの、ディレクター?
九分九厘じゃ全然決まってないも同然だって?
九分九厘……、あ、ホントだ。
九分九厘じゃ一割にもなってないじゃん。
こりゃ失礼。
いや、アタシの友達がさ、99%の事を九分九厘って言うのよ。
ついその口癖が感染しちゃったみたいね。
馬鹿みたいと言うか、ホントに馬鹿で申し訳ない。
正確には九割九分九厘終末がやって来るって話だけど、
それにしたって確定してないのは確かなんだし、確率の話をしててもしょうがないわよ。
……確率を思いっ切り間違えてたアタシが言うのもなんだけどさ。
あははっ、まあ、勘弁してちょうだい。

話はちょっと変わるけど、お前らパンドラの箱の話って知ってる?
有名な話だから知らない人は少ないと思うけど、
その箱を開けたら、世界にあらゆる災厄が飛び出して来たって話ね。
箱を開けたら、艱難辛苦、病別離苦、そんな感じの四苦八苦が世界に蔓延しちゃった。
四苦八苦は仏教用語だけど、それは今は置いといて。
それだけ災厄が一気に飛び出たけど、
一つだけパンドラの箱の中に残ってた物があったらしいのよ。
それは『希望』……、なーんて言い古された話をしたいわけじゃない。
箱の中に残ってた物が何なのか色んな説があるみたいだけど、
一説によると残ってた物は『予知能力』なんだって説もあるらしいのよね。

確かに人が『予知能力』なんて手に入れちゃったら、最高の災厄だと思わない?
先の事が分かんないから、人生ってやつは面白いし、人は生きていけるんでしょ?
馬鹿みたいって言うか馬鹿だけど、
アタシ達は先の事が分かんないから、どうにかながらでも生きて来られた。
終末が近付いてても、馬鹿話どころか来ないはずの来週の話までできる。
未来の事が分からないから……、そういう事ができるのよね。
人間って、そういう馬鹿な生き物でいいんじゃないかって、アタシは思うのよ。
だから、思う存分、未来の話をしようじゃない?
例え存在しない未来でも、『現在』を生きられるならそれもアリでしょ?

……しまった。
やけに真面目な話になってしまった。
ひょうきんクリスティーナと呼ばれるくらい、
ひょうきんに定評のあるアタシとした事が……。
ま、アタシはそう思うってだけの個人的な意見よ。
お前らはお前らの思うように生きてくれれば、それでオーケー。
自由を求めて、自由に生きてくのがロックってやつだしね。

さってと、そろそろ今日の一曲目といきますか。
今日の一曲目も終末っぽいって言ったら、終末っぽいのか?
歌詞を見る限り、内容が全然理解できないけど、
もしかしたら終末の曲なのかもしれない……と思わなくもない曲。
そんな変わり種の今日の一曲目、愛知県のジャガー・ニャンピョウのリクエストで、
サイキックラバーの『いつも手の中に』――」
560 :にゃんこ [saga]:2011/09/17(土) 21:45:59.77 ID:PrE/G5mJ0






「りっちゃんが着たがってたあの高校の制服、お友達から借りられたのー」

それなりの楽器の練習の後、お茶の準備をしながら、
いつもと変わらないほんわかとした柔らかい表情でムギが微笑んだ。

「えっ? マジで? ホントに?」

少し大袈裟に私はムギに尋ねてみる。
勿論、疑ってるわけじゃない。
確かあの高校の制服の話をしたのは、確か『終末宣言』前の約一ヵ月半前の事だ。
言い出しっぺの私ですら半分忘れ掛けてたのに、
ムギがその約束をずっと覚えてくれれたって事に私は驚いていた。
それもただの一ヵ月半じゃない。
世界の終わりまで残り少ない時間の中で、
ムギは私との約束を果たそうとしてくれてたんだ。

「ありがとな、ムギ!」

申し訳ないんだか、嬉しいんだか、
何とも言えない気持ちになって、私はお茶の準備をするムギに後ろから軽く抱き着いた。

「ちょっと……、危ないよ、りっちゃん」

叱るような口振りだったけど、口の端を笑顔にしながらムギが言った。
お盆にお茶を乗せたムギに抱き着くのが危ないのは分かってる。
でも、抱き着きたかったんだ。
それくらい私の胸は色んな気持ちでいっぱいだった。
ムギはいい子だな、本当に……。

「おい律……、危ないぞ?」

「わーってるって、み……」

その言葉に返事しようと顔を向けた私は、一瞬言葉を失った。
そこには嫉妬に燃えてるってほどじゃないけど、若干不機嫌そうな顔の澪が居たからだ。
昨日友達以上恋人未満になっておいて、
よりにもよってそいつの前で他の子に抱き着くのは、確かにあんまり褒められた事じゃないよな……。
別の意味でも危なかったか……。

「ごめんごめん、ちょっと危なかったな」

「気を付けろよ、律」

「ああ、分かってるって」

言いながら私がムギから離れた直後くらいに、
澪が不機嫌そうな顔から軽い苦笑に表情を変えていた。
少しは嫌だったんだろうけど、不機嫌な表情は半分演技だったらしい。
ムギ相手にやった事だし、澪自身もそんなに心が狭い奴ってわけじゃない。
軽い警告の意味で不機嫌そうな演技をしたんだろう。
澪自身が嫌だからと言うより、
将来的に深い仲になる誰かの前でそういう事をするなって事を、私に教えてくれたみたいだ。
やれやれ。
澪は私の母さんかよ……。
そう思わなくもないけど、私を心配してやってくれた事だし、悪い気はしなかった。
まあ、将来的にそんな深い仲になる予定があるのは、今は澪しかいないんだけどな。

「でも、あの高校の制服が着られるのは嬉しいよな。
ありがとう、ムギ」

澪がムギに軽く微笑み掛ける。
「いえいえ」とお盆に置いたお茶をそれぞれの机に置きながら、ムギが会釈した。
その二人の様子はとても仲の良い友達そのもので、
澪がムギに対して嫉妬してるって事もやっぱりなさそうだ。
心なしかムギが私達を見る目も、いつもより生温かく見える。
ひょっとして……、私と澪の関係、気付かれてる……?
いや、別に隠す事じゃないんだけどさ……。
561 :にゃんこ [saga]:2011/09/17(土) 21:47:39.84 ID:PrE/G5mJ0
「遂に私達があの高校の制服に袖を通す時が来たか……」

「何を大袈裟に言ってるんですか、唯先輩」

「えー……。
あずにゃんはあの高校の制服を着るの楽しみじゃないの?」

「楽しみですけど、そんな大袈裟に言うほどじゃないです」

「もー。あずにゃんのいけずぅ」

「何がいけずですか……」

不意に顔を向けると、唯と梓がこれまた仲が良さそうに会話していた。
先輩と後輩としては少しどうかと思うが、
それでも久しぶりにそんな唯と梓の姿を見るのは純粋に嬉しかった。
私がボケて、澪が注意して、ムギが皆を思いやって、唯と梓が子供みたいにじゃれ合う。
そんな時間を取り戻せた事が、今は本当に嬉しい。

「ところで、その制服は何処にあるんだ?
明日持って来てくれるのか?」

笑顔になりながら、私は目の前のムギに訊ねてみる。
お茶の準備を終えたムギも軽く微笑みながら返す。

「ううん、あの高校の制服はもう持って来てあるの。
さわ子先生の衣装と一緒に、ハンガーで掛けてあるんだ。
本当は制服を着るのは明日がいいかなとは思ってたんだけど、
今日の方がいいかもって思い直したんだ。
多分、明日はさわ子先生の衣装をたくさん着る事になると思うし……」

「だろうなー……」

少し呆れながら、私は小さく呟いた。
昨日、土曜日にライブを開催する事を皆に伝えると、
即座に部員全員が手を上げて快くライブへの参加を決めてくれた。
皆ならそうしてくれるだろうと思ってはいたけど、やっぱり嬉しかった。
その時、少し泣き出しそうになってたのは、誰にも内緒だ。
ついでに言えば、昨日家に帰った後、
広辞苑で『役不足』の意味を調べた時の私の表情も誰にも内緒だ。

とにかく、ライブに部員が全員参加する事が決まった後、
私達は信代やいちご、聡や憂ちゃんとか、そんな思う限りの知人に連絡を取った。
観に来てはくれなくてもいい。
ただ私達が最後にライブを開催する事だけは、皆に知っておいてほしかったから。
でも、全員とは言わないけど、
多くのクラスメイトや友達が私達のライブを観に来てくれると言ってくれた。
こんな時期なのに、私達の最後のライブを観てくれる……、そんな皆に心から感謝したい。

勿論、さわちゃんも私達のライブを観に来てくれると言っていた。
「最後のライブに相応しい、素敵な衣装を持ってくわよ!」と余計な言葉まで添えて。
いや、余計な言葉って言ったら、すごく失礼だとは思うんだけど……。
思いはするだけど……さ。
それでも、澪と梓が珍しくそのさわちゃんの衣装を着る事を反対しなかった。
むしろ自分から進んでその衣装を着たいって言い出したくらいだ。
当然、そのさわちゃんの衣装を心から着たいわけじゃなくて、
その衣装を着る事で、これまでさわちゃんにお世話になった感謝の気持ちを示したいからだ。
その気持ちは私だって同じだった。
澪と梓が反対しないんなら、
私だって最後の……高校最後のライブくらいは、さわちゃんの好きにさせてあげたいんだ。

そんなわけで、ムギの言葉は本当に正しい。
確かに今日の内に着ておかないと、
明日あの高校の制服を着るどころか、目にできるかどうかすら危うい。
早めに、今すぐにでも着ておかないと、
折角のムギの努力を全部水の泡にしちゃう事になる。

「じゃあ、お茶飲んだらすぐにあの高校の制服に着替えようぜ、皆。
練習もあの高校の制服でやろう。
急がないと、衣装合わせとか言って、さわちゃんが来るかもしれないしな」

少し焦って私が言うと、皆が非常に神妙そうな表情で頷いた。
私達の心は今こうして一つになった。
一つになり方が、非常に微妙だが。
562 :にゃんこ [saga]:2011/09/17(土) 21:50:07.56 ID:PrE/G5mJ0


今回はここまでです。
やりました。
ようやく初っ端の開始一行目から張っていた伏線を回収できました……。
あれ伏線だったのか……。

でも、これで次の更新で一番書きたかったシーンが書けそうです。
563 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/17(土) 23:46:14.97 ID:FK5IZ+lno
乙です
564 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/09/19(月) 02:22:21.85 ID:dtVh4mnk0
一番書きたかったシーンか
楽しみだな
565 :にゃんこ [saga]:2011/09/19(月) 14:36:50.84 ID:i61ag9xK0





さわちゃんの衣装の中に埋もれて、
あの高校の制服はさりげなくハンガーに掛けられていた。
実はムギが言うには、一週間前には既に友達から借りていたらしい。
でも、私達のそれぞれが悩みを抱えている事に気付いていたムギは、
皆の悩みが少しでも解決するまで、制服の事は誰にも言わないでおこうと思ったんだそうだ。
あの学校の制服を着るなら、皆揃って、笑顔で着られる方がいい。
「変な我儘で皆に秘密にしてて、ごめんね」と苦笑しながらムギが言ったけど、
そのムギの変な我儘を悪く思う部員なんていなかった。
大体、それは変な我儘じゃなくて、ムギの思いやりなんだから。

私達はムギの思いやりに感謝しながら、部室の中であの高校の制服に着替え始める。
一緒に大浴場にだって入ってる仲だ。
変な照れもなく、皆手早く着替えを終えていった。
特に部室で水着に着替える事も躊躇わない唯とムギの着替えは、そりゃ早かった。
物凄い早着替えだった。
唯なんか上下の下着丸出しになってから、誰の視線も気にせずそのまま着替えてた。
決して悪い事じゃないんだけど、妙に複雑な気分になるのは何故だろう。
唯よ……、今更だけど、女子高とは言え、
女子は人前では普通ブラジャーとパンツを丸出しにせず、上下片方ずつ着替えるもんなんだぞ……。
唯らしいっちゃ、唯らしいんだけど……。

でも、唯がそんな見事な着替えっぷり(脱ぎっぷり?)を見せてくれたおかげで、
残る私達も初めて着るあの高校の制服を戸惑わずに着替える事ができた。
初めて着る服って、どんな服でも少しは戸惑うもんなんだけど、流石は唯だ。
伊達にメイド服ですら、即座に着方を覚える女じゃない。
その能力と情熱をもっと他で生かせればいいんだけど、それでこそ唯でもある。

「りっちゃん、カックイー!」

制服に着替え終わった私の姿を見て、唯が珍しく私に対する称賛の声を上げた。
普段が普段だから、またからかわれてるのかと思ったけど、
私の姿を褒める唯の輝いた瞳には嘘が無いように見えた。
どうやら純粋に褒めてくれてるらしい。
まあ、私自身ってより、制服自体が格好いいからってのもあるんだろうけど。
それでも、褒められるのに悪い気はしない。
私は少し照れ臭い気分になりながら、目の前の制服姿の唯に言ってやる。

「ありがと、唯。唯も似合ってるぜ」

「でっへへー、そっかなあ。
私、そんなに似合ってる?」

「そうですね、似合ってますよ、唯先輩。
何だかすごく優等生みたいに見えます」

私の言葉に乗っかる形で、これまた制服に着替え終わった梓が言った。
梓のその言葉に、唯がまた頭を掻いて照れ始めたけど、唯は気付いてるのだろうか。
優等生みたいに見えるって事は、普段は全く優等生に見えてないって事に……。
事実だから、しょうがなくもあるが……。

「律先輩も似合ってますよね。
すごくまともな女子高生に見えますよ」

悪気の無い顔で、梓が無邪気な声色で続ける。
唯が普段優等生に見えてないってだけならまだしも、
私の方はまともな女子高生にすら見えてなかったのかよ!
いや、確かに普段は制服を着崩してるけどさあ……、
そんなに言うほどまともな女子高生に見えてなかったのか……。
突っ込む気になるより先に、すごく落ち込むぞ。
着崩すだけなら、あの生徒会長の和も結構やってるのに……。
これが人望の差か……。

初めて着る服だし、私としては珍しく制服の上着のボタンまで締めてたけど、
どうにも悔しいので全部外して、スカートの中に入れてたシャツも出してやった。
タイ……と言うか、
制服のネクタイも緩めて、会社帰りのサラリーマンみたいにしてやる。
566 :にゃんこ [saga]:2011/09/19(月) 14:48:49.57 ID:i61ag9xK0
「あー、折角まともな女子高生みたいだったのにー……」

今度は梓じゃなくて、唯が残念そうに呟いた。
ブルータス、おまえもか。
……ブルータスってのが誰かはよく知らないけど。
しかし、そんなに私がまともな女子高生に見えてなかったとは……。
だが、構わん。
これが私のスタイルだ。
残り少ない高校生活、世界の終わりが来ようが来まいが、最後まで貫き通してやるぞ。
唯と梓は精々真面目に制服を着こなすがいいさ。

「つーん」

わざわざ声に出しながら、腕を組んで唯達から視線を逸らしてやる。
別に怒ってるわけじゃないけど、このくらいの自己主張はしておかなきゃな。

「悪口言ったわけじゃないんだよー。
ごめんよー、りっちゃ……」

唯が謝りながら私に駆け寄って来ようとして、その声が途中で止まった。
どうしたんだろう、と私が唯に視線を戻すと、
唯は少し驚いた顔で私の後ろの方に視線をやっていた。
唯の隣に居る梓も、意外そうな表情でその方向を見つめている。
その視線を辿るみたいに振り返ってみると、
その唯達の視線の先には、私と同じようにあの高校の制服を着崩したムギが居た。
上着のボタンを外し、ネクタイも緩めていて、どうにもムギっぽくないその姿。

「どうしたんだよ、ムギ?
そんなに制服を着崩したりして……」

つい不安になって、私はムギに訊ねてしまう。
いくら何でも、ムギっぽくないにも程がある。
何かの心境の変化か?
恋する乙女は好きな男のタイプによって印象を変えるらしいが、そういう事なのか?
その私達の不安そうな視線に気付いたムギは、困ったように苦笑して言った。

「ご……、ごめんね、皆。
前からりっちゃんの制服の着方、してみたいなって憧れてたんだ……。
でも、授業中にやったら、叱られちゃうじゃない?
それで今までりっちゃんの真似ができなくて……。
だから、折角の機会だし、りっちゃんみたいに制服を着てみようと思ったの。
……でも、ごめんね。私には似合わなったよね……。
やっぱりこの着方はりっちゃんがやってこそだよね……。
すぐに着替え直すから、ちょっと待っててくれる……?」

本当に残念そうなムギの声色。
かなり落ち込んでるみたいに見える。
似合わないなんてそんな事ない。
私がそれを伝えようと口を開くと、それより先に唯と梓がムギに駆け寄っていた。
真剣な表情で唯と梓がムギに伝える。

「そんな事ないよ、ムギちゃん!
変な顔しちゃって、私達の方こそごめん!
ムギちゃんのそんなカッコ見るの初めてだから、ちょっと驚いちゃっただけなんだよ。
すっごく似合ってるから、そのままのカッコでいよ?
いいでしょ、ムギちゃん?」

「そうですよ、ムギ先輩!
その格好のムギ先輩の姿も、意外性があって素敵です!」
567 :にゃんこ [saga]:2011/09/19(月) 14:49:31.74 ID:i61ag9xK0
……私に対する態度とは天と地ほどの差があった。
でも、別にそれが嫌ってわけじゃない。
私も唯達と同じ気持ちだ。
いつもムギに助けられてる私達だ。
ムギがしたい事なら、何でも手助けしてあげたい。
制服を着崩したムギの姿が似合ってるってのも確かだしな。
お嬢様っぽいムギの見せる(実際にお嬢様なんだけど)少し背伸びをしたその姿。
意外性があって驚くけど、とても可愛らしくて、素敵だと思う。

「……本当?」

自信なさげにムギが呟く。
そのムギの手を取って、唯が優しく微笑んだ。

「ホントだよ、ムギちゃん。
すっごく可愛いもん。着替え直すのは勿体無いよ。
私の方からもお願い。そのままのカッコでいてよ、ムギちゃん」

「……りっちゃんは、私がりっちゃんの真似して、嫌じゃない?」

唯に手を取られながら、ムギが意を決した表情になって言った。
私に断られたらどうしようかと思ってるんだろう。
まったく……。
いつも頼りになるくせに、こんな時だけ気弱になるんだからな、ムギは。
ムギは多分、自分の外見とか、家柄とか、色んな事が周りの皆と違ってる事を気にしてる。
皆の仲間になりたくて、皆と同じ事をしてみたいと思ってる。
だからこそ、皆と同じ事をして、
それでも自分の姿が浮いていたらと思うと、不安で仕方が無いんだろうと思う。
人と違う事は強味になる事もあるけど、ほとんどの場合不安に繋がっちゃうものなんだ。
だから、私はムギに言ってあげるんだ。

「嫌なわけないだろ?
ムギが私の格好に憧れてたって言ってくれるのも嬉しいよ。
どんどん真似してくれよ、ムギ。
何ならカチューシャだって貸してやるぞ?」

「……うん。ありがと、りっちゃん。
ごめんね。ありがとう、皆……」

それでようやく、ムギはまた笑顔になってくれた。
私達が大好きな、ムギの柔らかくていつまでも見てたい笑顔に。

悩み事は人それぞれ。
世界の終わりを間近にしても、悩みの形はそれこそ千差万別。
失くしたキーホルダーの事や、成功させたいライブの事や、
人と違う自分の事や、そして、恋の事なんかをそれぞれ悩んで……。
馬鹿みたいだけど、それが私達が私達のままでいるって事なんだろう。

「……で?」

私は部屋の隅の方で、
私達の様子をうかがってた黒髪ロングに視線をやってみる。
黒髪ロングは居心地の悪そうに壁際に身を寄せ、目を逸らす。
568 :にゃんこ [saga]:2011/09/19(月) 14:50:19.33 ID:i61ag9xK0
「おまえの方は何でそんな恰好をしてんだよ、澪」

「いや、その……、あの……」

歯切れ悪く澪が呟く。
そんな恰好と言うのは、あの高校の制服に着替えた澪の姿の事だった。
澪も私やムギと同じように制服を着崩し、
濃紺の上着のボタンを外して、シャツを出した上にネクタイを緩めている。
それだけなら、まあ、いいとして、
何故か澪はその上から更にフード付きのパーカーを重ねていた。
フードまで被って、明らかに場違い感丸出しだ。

いや、それも別にいい。
重要なのは、その薄紫っぽいパーカーは澪の私物って事だ。
それは何度か澪の部屋で見掛けた事があるけど、
澪自身が着ているのを目にした事が無いパーカーだった。
いつの間にか、さわちゃんの衣装と一緒にハンガーに掛けていたらしい。

「照れてるのか?
別に制服くらいなら恥ずかしくないじゃんか?
恥ずかしいにしても、上からパーカーなんか着ちゃったら、
制服借りて来てくれたムギにも悪いだろ?」

「いや、そうじゃなくて……」

私達の会話が耳に入ったらしい。
ムギは私達の方に近寄ると、優しい声色で澪に囁いた。

「いいんだよ、澪ちゃん。
恥ずかしいなら、そのままでも。
フードを被ってる澪ちゃんも新鮮で素敵だもん」

「ち、違うんだよ、ムギ。
恥ずかしいとか、そんなんじゃなくて、私は、ただ……」

恥ずかしい事からは逃げがちな澪としては、珍しく食い下がっていた。
この調子だと、本当に恥ずかしいからパーカーを着てるわけじゃないらしい。
でも、そうなると、澪がこんなにしてまでパーカーを着てる理由が分からない。
一体、どういう事なんだ……?
私が不審そうな視線を向けると、遂に観念したようで、澪がぼそぼそと呟き始めた。
569 :にゃんこ [saga]:2011/09/19(月) 14:50:50.07 ID:i61ag9xK0
「……たんだ」

「え? 何? どした?」

「あの雑誌でMAKOちゃんが、この制服の上からパーカーを着てたのが可愛かったんだ……」

沈黙。
天使が通ったかのような沈黙が音楽室を包む。
澪が顔を真っ赤にして、フードを更に深く被って縮こまった。

MAKOちゃん……。
確か澪が読んでるファッション誌の読者モデルの名前だったはずだ。
何度か澪の部屋で読んだ事があるけど、
確かそのMAKOちゃんが今の澪みたいな恰好をしてた時があった気もする。
だから、澪はこの制服を着るのに乗り気だったんだな。
制服を買うのは無理としても、パーカーだけは自前で用意して……。

「澪ちゃんって、結構ミーハーだよね」

悪気の無い表情で、唯が楽しそうに口にする。
実際悪気は無いんだろうけど、その唯の言葉は澪にとどめを刺すのに十分だった。
パーカーに手を掛け、急に暴れるみたいにして立ち上がる。

「いいよ! 似合わない事して悪かったよ!
脱ぐよ! 今すぐ脱ぐから待っててよ!」

「いやいや、そこまでせんでも……」

私は暴れる澪の腕を取って、どうにか動きを止めようと力を入れる。
でも、体格のいい澪を小柄な私の力で抑えるのは少し無理があって、
澪のパーカーがもう少しで脱げそうになった瞬間……。

「あーっ!」

唯が不意に大声を出した。
あまりに突然の事に、私も澪も、ムギや梓ですらも驚いて動きを止める。

「ど……、どうしたんだよ、唯……」

私はおずおずと唯に訊ねてみる。
奇行には事欠かない唯だけど、少なくともこんな風に突然大声を上げる事はそうはない。
つまり、よっぽどの事があったって事だ。

「見てよ、りっちゃん! 凄いよ!」

唯が人差し指を窓の方向に向けて、また大きな声を上げる。
私も窓の方に視線を向ける。
窓の外の光景を見た瞬間、唯が大声を上げるのももっともだと私は思った。
澪達も呆然として、窓の外の光景を見ていた。

「うわ……」

つい私の口からそんな声が漏れ出していた。
それくらい、印象的な光景だった。

「空が……」

私に続くみたいに、澪が呟く。
空は変わらず青かった。
だけど、その青い空に流れるたくさんの雲は、
これまで見た事が無い速度で流れていて……。
例えるなら、テレビで観るVTRの早回しの空模様。
そんな早回しの雲が、
現実の時間で、
青い空を流れていた。
まるで、
世界の終わりを告げるみたいに。
570 :にゃんこ [saga]:2011/09/19(月) 14:51:25.08 ID:i61ag9xK0





異常な空模様に惹かれ、私達五人はグラウンドにやって来ていた。
風は強かったけど、台風って呼べるほどの風速でもなかった。
ムギや梓の髪がそこそこ靡く……、その程度の風速。
つまり、異常な速度の風が吹いてるのは上空だけなんだろう。
世界レベルで考えればあり得ないって事は無いんだろうけど、
日本ではまずあり得ない速さで多くの雲が流れていた。

世界の終わりを告げる前兆……ってか?
そうとしか思えない雲の動きに、私はとても複雑な気分になる。
不謹慎だけれど、私はその雲の動きをすごく綺麗だと思っちゃったから。
終わる前の美しさなのに、それは残酷なくらい綺麗だったんだ。
多分、皆もそう感じてるんだろうと思う。

私はしゃがみ込んで。
梓はただ静かに顔を上げて。
ムギは少しだけ首を傾げて。
唯は右手を飛行機に見立ててみたいに掲げ。
澪は結局フードを被ったままで。

五人とも、静かに空を見上げている。
皆の顔に悲しみや諦めの表情は浮かんでないし、
多分、私もそんな顔はしていない。
誰もが静かに、空を流れる雲を見上げている。
世界の終わり……、終末の予兆を実感している。
世界は本当に終わるんだな……って、頭じゃなくて心で理解する。
恐くないと言ったら嘘になる。
でも、今は恐さより、残念な気持ちの方が大きかった。
折角皆と仲良くなれたのに、
かけがえの無い仲間達ができたのに、
その関係は終わる。もうすぐ終わる。
それが残念でしょうがない。

私は立ち上がり、皆と肩を並べる。
右から、ムギ、梓、澪、唯、私って順番で並ぶ。
空模様が気にはなるけど、もう空を進んで見上げはしない。
終末の予兆については、未来の私達については、十分に実感できた。
だから。
今から私達が見るのは、今生きる私達と今生きる私達のしたい事だ。
571 :にゃんこ [saga]:2011/09/19(月) 14:55:28.87 ID:i61ag9xK0


今回はここまで。
たまにはこんな時間に。

一番書きたかったシーンってどこがって?
いや、あの……、ほら……、
今回は『No, Thank You!』のED映像の再現みたいな感じでして……。

実はあのED映像って超世界の終わりっぽくね?
って、ふと思ったのがこのSSを書くきっかけだったりします。
そのためだけに五ヶ月近くも続けてきたのか、自分。
読んでくれる皆さんも付き合って頂き、ありがとうございます。
572 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/19(月) 16:07:59.59 ID:hM8+Qw+J0

No, Thank You!がきっかけだったのかww
NTYは衣装もかっこいいよね
573 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/19(月) 17:33:49.73 ID:QFIITvryo
>>571
EDの雰囲気伝わってたよ!
574 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/09/21(水) 01:25:32.07 ID:hkyb0Fzto
あの映像かっこいいよね エフェクトも含めて
しかしそこからこれだけ書くのは素直にすげぇ
575 :にゃんこ [saga]:2011/09/21(水) 21:23:52.21 ID:IdvxXT/q0
「終わっちゃうんだね、私達の世界……」

正面を向いたまま、唯が呟く。
終わる世界を名残惜しいと思ってる……、
そんな感じの表情で唯は淡々と呟いていた。

「そうだな……」

唯の言葉に私が答える。
日曜日に世界が終わる。それはもうほとんど確定事項なんだ。
それまでに私達がやらなきゃいけない事は、まだたくさん残されてる。
だったら、前に進まなきゃな。
その先にあるのが、世界の終わりでも。

「そっかー……。それは残念だなあ……」

気が付けば、唯が呟きながら私の手を握っていた。
私も握り返す。強く。
もう私達の絆を見失わないために。
視線を向けると、澪達もそれぞれ隣のメンバーと手を繋いでいた。
軽音部一同、放課後ティータイム一同、強く手を握り合う。

全員が手を繋いだのを見届けると、唯が軽く笑った。
自嘲でも諦めでもない、純粋で幸せそうな笑顔で。
そんな笑顔で、皆の顔を見回しながら自信ありげに言った。

「でも、大丈夫だよ。私達は放課後ティータイムだもん」

「おいおい……。根拠になってないぞ、唯……」

澪が少し呆れたみたいに唯の顔に視線を向ける。
だけど、唯は自信に満ちた表情を崩さなかった。
澪の顔に自分の顔を近付けて、唯が不敵に続ける。

「甘いよ、澪ちゃん。
根拠ならちゃんとあるのです」

「えっ……、本当に根拠なんてあるんですか?」

梓が意外そうに声を上げた。
梓も唯の発言はいつもの無根拠な自信からのものだと考えてたみたいだ。
いや、かく言う私も、唯のその発言に根拠があるとは考えてなかった。
こんな時期だから意味の無い自信でも持てる唯は心強いし、
それでいいと思ってたんだけど、どうやらそういうわけじゃなかったらしい。

「何々? 教えて教えて」

ムギが好奇心に満ちた顔で唯の顔を覗き込む。
否定から入らず、まず好奇心から物事に臨むそのムギの態度は、
世界の終わりを目前にしてもいつものままで、私にはそれがとても嬉しかった。

「ふっふっふ……、だったら皆に教えてあげましょう」

自信満々な態度を崩さず、嬉しそうに唯が笑う。
少しだけ澪から手を離し、ピースサインで空に手を掲げると、すぐに掌を開いた。
いつの間に書いていたのか、
掌には我等が放課後ティータイムのマークがマジックで書かれていた。
576 :にゃんこ [saga]:2011/09/21(水) 21:25:07.35 ID:IdvxXT/q0
「何故ならば!
放課後ティータイムはいつまでも放課後だからなのです!」

「意味が分かりません……」

梓が呆れた顔で突っ込むと、澪も困った顔で苦笑した。
その二人の反応には不満があったらしく、唯が眉を軽く吊り上げて補足説明を始める。

「もーっ、あずにゃんも澪ちゃんも分かってないんだから……。
だからね、いつまでも放課後って事は、言い換えたら永遠に放課後って事でしょ?
つまり、放課後こそ、放課後ティータイムの真骨頂の時間って事なんだよ」

それだけで全てを説明したつもりらしく、
「ふんすっ!」と唯は自信満々のままに謎の鼻息を鳴らした。
鼻息……か?
とにかく久しぶりにその得意の鼻息を鳴らすくらい、唯には自信のある説明だったらしい。
どちらかと言うと唯側に近い私は、唯の言おうとしてる事は何となく分かる。
でも、真面目なタイプの澪と梓は唯の言う事が分かってないみたいで、首を傾げていた。
どうにか澪達に唯の発言の真意を説明してやりたいが、
感性に満ちた唯の発言を噛み砕いて説明できるほど、私も感性的じゃないからなあ……。
どうしたものかと悩んでいると、意外な所から助け舟がやって来た。

「世界の放課後……?」

確かめるみたいなその小さな声は、ムギが呟いたものだった。
唯が嬉しそうにムギの方に顔を向けて微笑む。

「そうそう! さっすがムギちゃん!
私が言いたいのはね、そういう事なんだよ!
おしまいの日に世界が終わっちゃうって事は、
つまり世界中の授業が全部終わっちゃうって事でもあるよね?
だったら、世界が終わっちゃった後に始まるのは……」

「世界の放課後……か」

唯の言葉を継いで、私は呟いてみる。
これまた唯らしい言い回しだなと、感心しながら思う。
そういや、前に漫画で読んだ事があるけど、
終末の予言の日の事をラグナロク……、神々の黄昏って言うんだっけ。
神々の黄昏と世界の放課後……。
言い方の違いはあるけど、言ってる事は大して変わらない。
そうなると、確かに私達が世界の終わりを恐がってるわけにはいかないな。
他の誰が世界の終わりを恐がってても、私達だけはその世界の放課後を恐がっちゃいけないんだ。
だって……。

「私達は放課後ティータイム……、だもんな。
放課後ティータイムの活動は、唯の言うように放課後が真骨頂だ。
その放課後を恐がるなんて、放課後ティータイムの名が廃るってやつだな」

私が言うと、唯が満面の笑顔で私に抱き着いてきた。
自分の言葉を理解してもらえたのが、心の底から嬉しかったらしい。

「ありがとう、りっちゃん!
分かってもらえて、すっごく嬉しいよ!」

「どういたしまして、唯。
そんなに喜んでもらえるとは思わなかったけどな……」

「放課後が真骨頂って、五時から男ですか……」

呆れ顔の梓が、わざわざ古い言葉を使って突っ込んでくる。
五時から男っておまえな……。
いや、梓の言ってる事は、全面的に正しくもあるけどさ。

「でも、確かにそれだな」

話の成り行きを見守ってた澪が、不意にとても楽しそうに言った。
私達の中で世界の終わりを一番恐がってるのは澪のはずだけど、
唯の言葉はその澪の不安を簡単に振り払ってしまったらしい。
それが唯の人柄で魅力なんだろうな。
澪の悩みを完全には解決してやれなかった私としては、ちょっと悔しいけどさ。

「よっしゃ」
577 :にゃんこ [saga]:2011/09/21(水) 21:25:48.63 ID:IdvxXT/q0
抱き着いてきた唯の身体から少し離れて、私は気合を入れるみたいに呟いた。
部員に引っ張られてるだけじゃ、示しが付かないってもんだ。
一応、私はこれでも部長なんだからな。
両手を上げて、宣言するように言ってみせる。

「放課後ティータイムとしちゃ、
世界の放課後を気にしてるわけにはいかないぞ、皆。
明日のライブのために精一杯やるぞーっ!」

「おーっ!」

私の言葉に続き、皆が腕を掲げる。
世界の終わりへの不安を吹き飛ばしていく。

「私達の最後のライブ!」

「おーっ!」

ムギが続ける。
私達はここに居る。世界が終わろうと、それだけは否定させない。

「最高のライブを!」

「おーっ!」

梓も力強く宣言する。
放課後は私達の真骨頂。誰の記憶にも残らなくても、私達が死ぬまで私達を憶えている。

「絶対、歴史に残すライブ!」

「おーっ!」

少し赤くなりながら、澪も腕を掲げる。
いや、死んでも記憶に残してやる。
どんな形になっても、私達が生きた証として私達の曲を残してやるんだ。

「終わったらケーキ!」

「おーっ!」

こんな状況になっても、唯が予想通りの宣言をかましてくれる。
この前の学園祭の時は戸惑わされたけど、残念ながら二度目は無い。
唯がそう宣言するのを分かってた私達は、これまでで一番大きい声で掛け声を合わせてやる。
おやつに釣られてるみたいだけど、結局はそれが私達の本質だ。
馬鹿馬鹿しいとは思うけど、その本質だけは世界が終わっても変えてやらない。
578 :にゃんこ [saga]:2011/09/21(水) 21:28:07.83 ID:IdvxXT/q0
気合を入れ終わった私達は、皆で顔を合わせて笑い合う。
世界の終わり……、終末……、世界の放課後……、何でもいい。
もうそんな物に私達を止めさせない。
人はいつか死ぬ。
そんな事は分かってたつもりだったけど、その実は何も分かってなかった。
死ぬのを間近にして、私は気付く。
命は誰にとっても限りあるものだ。

いや、いつか死ぬ……どころの話じゃない。
下手したら一秒後には死んでる可能性もある。
それこそ一秒後に頭に隕石が直撃してる可能性だってあるんだ。
こう言うのも変なんだけど、きっと私達はまだ幸せなんだろうと思う。
自分の死ぬ時期が分かり、それに向けて準備ができるなんて、できそうでできる事じゃない。
不慮の事故で死ぬ事より、戦争や病気で死ぬ事より、それはきっと幸福な事なんだ。
だからこそ、もう迷わない。
思い出に浸りもしないし、約束に心奪われる事もしない。
思い出も約束も人生に必要な物ではあるけど、それは今を生きるために必要な物ってだけだ。
今を生きるための材料なのに、それに縛られてちゃ、何の意味も無い。
だから、私達は今を生きようと思う。

もう一度、私達は手を繋ぎ合う。
私達が今生きているって事をお互いの肌で感じ合うために。
生きてるんだって感じ合えるために。
と。

「あっ、唯ーっ!」

手を繋ぎ合う私達に、誰かが声を掛ける。
手を繋いだまま、私は声のした方向に顔を向けてみる。
声がした場所では、和が風に髪を靡かせながら立っていた。
隣には和と仲がいいらしい高橋さんも居る。

「どうしたの、和ちゃん?」

まだ私の体温を感じていたかったんだろう。
珍しく駆け寄らず、私と手を繋いだままで唯が和に訊ねた。
軽く微笑みながら、和が応じる。

「生徒会の仕事が一段落したから、さっき音楽室に唯達の様子を見に行ったのよ。
でも、誰も居ないじゃない?
どうしたのかと思ってたら、窓からグラウンドに唯達が居るのを見つけたの。
こんな所で皆で手を繋いで、一体、何をしてるの?」

「ちょっと邪神復活の儀式をしてたんだよ」

部員の皆の絆と温もりを確かめ合っていたとは、流石に恥ずかし過ぎて言えない。
ふと思い付いたボケを私が口にすると、軽く微笑んだままで和が返した。

「そうなんだ。じゃあ私、生徒会室に戻るわね。
邪神が降臨したら呼んでくれるかしら」

「突っ込めよ!」

「……冗談よ、律」

「和の冗談は冗談なのか本気なのか分かりにくいんだよ……」

「それに終末が近いからって邪神を復活させるより、
ムスペルを率いたスルトと交渉をした方がいいんじゃないかな?」

ぼやくみたいに私が呟くと、
和の隣に立っている高橋さんがよく分からない事を言い始めた。
579 :にゃんこ [saga]:2011/09/21(水) 21:32:27.67 ID:IdvxXT/q0
「スル……、え? 何?」

「スルト。北欧神話に登場する巨人の事。
邪神復活って事は、ヘルヘイムのヘルを復活させようとしてたんでしょ?
終末……、つまり、ラグナロクを止めるのなら、ヘルよりもスルトを止める方がいいと思うの。
ヘルヘイムも脅威的な軍勢を率いてるけど、ムスペルは世界を燃やし尽くすレベルだもの」

「あの……、えっと……、その……、
何て言うか……、ごめん……?」

高橋さんが何の話をしているのか、全然分からない。
ひょっとして私が邪神復活とか適当な事を言ったのが悪かったんだろうか。
何が何だか分からないまま、私はとりあえず高橋さんに頭を下げる。
スルト……、じゃない、
すると、高橋さんが風に揺れる眼鏡を掛け直しながら微笑んだ。

「冗談よ。ごめんね、りっちゃん」

スーパーウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐分かりづれええええっ!
和と仲がいいだけに優等生コンビだな、とは思ってたんだけど、
ここまで高度で知的なボケを駆使する子だとは知らなかった。
そうして私が呆けた顔をしてるのが面白いのか、高橋さんは笑顔を崩さず続ける。

「終末に邪神とか言ってるから、そういう話なのかと思っちゃって、つい……。
本当にごめんね、りっちゃん」

「風子って本当に北欧神話が好きよね。
でも、風子がそれを言うなら、
私としては終末はキリスト教圏の方を支持したいわね。
天使が七つのラッパを吹く事で訪れる黙示の日。
そっちの方がこれから訪れる終末には相応しいと思うのよ。
大体、これから訪れる終末がラグナロクの方だとしたら、
もう既に巨人族の侵攻が起こってる時期でしょ?」

高橋さんのボケ(?)に更に和が難しい会話を被せ始めた。
やめてくれ……、日本語で喋ってくれ……。
隣に目をやると、唯も私と同じように頭を抱えて唸ってるみたいだ。
頭がいい人と自分が一対一で話すのならともかく、
頭がいい人同士が話すのを傍から見せられる事ほど、どうしようもない事は無いよな、マジで。
特に和は頭のいい天然ボケだ。下手すれば唯の数倍は強敵となるだろう。

これはどうにか空気を変えねばなるまい。
大丈夫。私は居るだけで空気を変えられる事で定評のあるりっちゃんだ。
相手が和達という強敵ではあるけど、違う話くらいは振れるはずだ。

「そ……それよりさ、和。
和が生徒会の仕事をしてたってのは分かるけど、どうして高橋さんと一緒に居るんだ?
高橋さんは別に生徒会ってわけじゃなかったよな?」

私が言うと、唯が和に見えないように私の後ろで親指を立てた。
グッジョブって意味なんだろう。
幼馴染みとは言っても、唯も和の知的過ぎる一面は苦手としてるみたいだ。
私もたまに暴走する澪は苦手だからなあ……。

私の言葉を聞いて、流石の和も自分が高橋さんと話し過ぎてたと実感したらしい。
一つ咳払いをしてから、風に揺らされる眼鏡を掛け直した。

「今日はね、風子には生徒会の仕事を手伝ってもらってたのよ。
風子とは一緒に音楽室に顔を出す予定だったから、それまでの時間、ちょっとね……。
おかげで溜まってた仕事は全部片付いたわ」

「音楽室に顔を出す予定……?」

澪が首を傾げて和に訊ねると、それには高橋さんが応じた。

「うん、そうなの。
昨日ね、唯ちゃんから土曜日にライブをやるってメールを貰ってから、
居ても立っても居られなくなっちゃって……。
土曜日に会える事は分かってたんだけど、それまでに軽音部の皆の顔を見ておきたかったんだ」

「そうなんだ。嬉しいな。ありがとね、風子ちゃん」

唯が笑顔で近付いて、高橋さんの手を取る。
すると、唯に釣られるみたいに、高橋さんも満面の笑顔になった。
580 :にゃんこ [saga]:2011/09/21(水) 21:33:45.04 ID:IdvxXT/q0
「ううん、私の方こそお礼を言わせてほしいくらいだよ、唯ちゃん。
私ってこんな性格でしょ?
終末が近付いてるからって何ができるわけもなくて、図書室でずっと本ばっかり読んでたの。
本を読んでる時だけは、終末に対する不安も見ずにいられたから……。
でも、この前ね、図書室でたまたま会った若王子さんから聞いたの。
こんな時だけど、軽音部がずっと練習してるよって。
多分、最後にライブをしようとしてるんだろうねって。
私……、嬉しかったなあ……。
こんな時でも頑張ってるクラスメイトが居るって思うと、すごく心強くもなったの。
だから、唯ちゃんからメールを貰った時、
私もそのライブを見ていいんだって思うとすっごく嬉しかった。
ありがとう、皆……」

その高橋さんの言葉に、唯は少しだけ呆けていた。
高橋さんが何を言ってくれているか、ちょっと理解し切れていないらしい。
私は唯の近くまで駆け寄って、耳元で「褒められてんだよ」と教えてやった。
少し赤くなって、唯がまた幸せそうな笑顔を浮かべる。
鈍感な奴だが、それも仕方ないかな。
こんなに褒められる事なんて、ライブやった時もそうは無かったからなあ……。
ふと振り返ると、澪達も頬を染めてるように見えた。
褒められ慣れてないから、照れ臭いんだろう。
背中がむず痒くなってる私も、人の事は言えないんだけどさ。

「それにね……」

私達の顔を見ながら、高橋さんが続ける。

「嬉しかったのは私だけじゃないよ。
皆の顔が見たいって子は、他にも居るんだよ」

言うと、高橋さんがグラウンドの端の方に生えてる樹の陰に視線を向ける。
これまで気付かなかったけど、その木陰には見覚えのある人影があった。
小柄で、後ろに髪を束ねている、眼鏡のクラスメイト……。

「宮本さん?」

澪がその人影に向けて声を掛ける。
小さくなりながらだけど、
その人影……、宮本さんはゆっくりと私達の方に歩み寄って来た。
すごく仲がいいわけじゃないけど、宮本さんが照れ屋で赤面症なのは私も知ってる。
それで宮本さんは遠くから私達を見てたんだろう。

「アキヨちゃんもライブを観て来てくれるの?」

唯が嬉しそうな声色で、近寄って来た宮本さんに訊ねる。
宮本さんは赤面しながらも、唯の瞳を見つめながら軽く頷いた。

「宮本さんはね……」

宮本さんが何を言うより先に、和が嬉しそうに微笑みながら言った。
人より先に話し始めるなんて和らしくないけど、
多分、それだけその話を伝えたくて仕方が無かったんだろう。
581 :にゃんこ [saga]:2011/09/21(水) 21:34:33.56 ID:IdvxXT/q0
「宮本さんとはさっき音楽室に顔を出した時に出会ったんだけど、
宮本さんはずっと音楽室の中の様子を気にしてたみたいだったわよ。
人の気配がしないから、本当にライブをするのかって不安になってたんじゃないかしら。
だから、私は宮本さんと一緒に貴方達を捜す事にしたのよ。
練習はあんまりしない部だけど、今はたまたま音楽室に居ないだけで、
ちゃんとライブに向けての準備はする部だって知ってもらいたかったしね」

「普段から練習くらいしとるわい!」

私が口を尖らせて言うと、「そうかしら?」と和が苦笑する。
高橋さんがそんな私達を楽しそうに見つめ、宮本さんも軽くだけど表情が緩んだ。
小さな声だけど、はっきりと宮本さんが言葉を出し始める。

「皆……、最後のライブ、頑張ってね……。
私、応援してるから……。
ずっと皆で、終末なんか関係なく、音楽続けてね?
私、軽音部の音楽、好きだから……。
軽音部のライブ、すっごく面白かったから……!」

こんなに宮本さんの声を聞いたのは初めてかもしれない。
口数が少ない子だし、照れ屋な子だしな。
それでもこんなに話してくれるって事は、
私達の音楽を本当に好きでいてくれてるって事なんだろう。
面白かったって感想は複雑だけど、好きでいてくれてるんならそれでもいいよな。

頑張らなきゃな、と私はまた思った。
和も高橋さんも宮本さんも、
勿論、それ以外の皆も私達のライブを楽しみにしてくれてる。
これはもう私達だけのライブじゃないって感じる。
これは私達放課後ティータイムに関わってくれた皆が、
世界の終わりに見せ付けてやる一大的なロックイベントなんだ。
見せてやろうじゃないか。
神なんだか何なんだか、世界を終わらせようとしてる誰かさんに。
私達は生きているんだって。

「ねえねえ、和ちゃん」

そうやって決心を固める私を置いて、
唯がまた場にそぐわないマイペースな事を言い始めた。

「どうしたのよ、唯?」

「予備の眼鏡とか持ってない?」

「何よ、いきなり」

「だって、皆が眼鏡掛けてるから、私も掛けたくなったんだもん」

「何を言い出すんですか、いきなり……」

呆れた表情で梓がこぼす。
確かにまたいきなり何を言い出すんだ、唯は……。
まあ、唯の言う事も分からないでもない。
今ここに居る軽音部以外のメンバー全員が、見事なまでに眼鏡を掛けてるからなあ……。
妙な所で流行に敏感な唯が眼鏡を掛けたくなったとしても、不思議じゃなくはある。

だけど、残念ながら、和が呆れた表情で唯に返した。
582 :にゃんこ [saga]:2011/09/21(水) 21:35:11.14 ID:IdvxXT/q0
「悪いけど予備の眼鏡は、今日は持って来てないわ。
私の眼鏡をちょっとだけ貸してあげるから、それで満足しときなさい」

「えー……。
皆で眼鏡を掛けて、記念撮影とかしたかったのにー……」

「おいおい。何個眼鏡が必要になると思ってん……」

「ならばその願い、私が叶えてあげましょう!」

私が唯に突っ込み終わるより先に、
その言葉はよく聞き慣れたあの人の声に潰されてしまった。
そう。
その人こそこれまた眼鏡を掛けたファッションパイオニア……、さわちゃんだった。
またいつの間に来たんだ、この人は。やっぱり瞬間移動の使い手なのか?
和と高橋さんは何となくさわちゃんの本性を知ってるみたいだから特に驚いてなかったけど、
無垢で儚げな印象の宮本さんは、さわちゃんのそんな本性に思いも寄ってなかったみたいだった。
若干怯えてる感じで私の方に走り寄って、私の背中の後ろに隠れる。

「また神出鬼没だな、アンタ!」

宮本さんを庇いながら言っってみたけど、
さわちゃんは私の突っ込みを華麗にスルーし、ひどく心外そうな表情で唯に言った。

「もう……、駄目でしょう、平沢さん。
着たい服がある時とか、ファッションに関しての悩みがある時とか、
そういう時はいつでも先生に相談してっていつも言ってるじゃないの」

「あー、そっか。さわちゃんに相談すればよかったんだよね。
忘れててごめんね、さわちゃん」

「次からは気を付けるのよ、平沢さん」

「はーい」

ボケなんだか何なんだか、
和と高橋さんとは違った意味で高次元の会話を交わす唯とさわちゃん。
これはもう私達に踏み入れる領域じゃないな……。

「って、先生。
願いを叶えるって、もしかして……」

澪が不安そうにさわちゃんに訊ねる。
さわちゃんは心底うれしそうに、その澪の言葉に答えた。

「そうよ。貴方達、眼鏡を掛けたいんでしょ?
安心しなさい。被服室に二十個くらい眼鏡を置いてるから、貸してあげるわ。
秋山さん達も遠慮なく掛けたらいいわよ」

どうしてそんなに眼鏡を置いてるんだ、とは誰も訊ねなかった。
さわちゃんはそういう人なんであって、それに対して疑問を持つのは、
何で酸素と水素が結合すると水になるのか、って考えるのと同じくらい無意味だった。
さわちゃんの謎は、そういう自然の摂理みたいなもんなんだ。
それでいいいのだ。

そんなわけで。
筋道を立てて話すのも面倒臭いけど、
何故だか私達はこれから皆で眼鏡を掛ける事になった。
583 :にゃんこ [saga]:2011/09/21(水) 21:39:14.88 ID:IdvxXT/q0


今回はここまでです。
宮本さんはともかく、高橋さんの性格が掴めないので、超オリジナルです。
宮本さんは大人しい文学少女で、
高橋さんは活発な文学少女かなって感じですが。

そんなわけでと言うべきか。
次回、眼鏡編です。
584 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2011/09/21(水) 21:56:15.53 ID:hkyb0Fzto
元ネタリスペクトか。眼鏡的な意味で
585 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/21(水) 22:02:10.87 ID:LbUQXX8Ho
中野さん、五時から男はちょっと古いですよ
586 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/21(水) 22:05:48.19 ID:g9BFceRSO
眼鏡編どんな話になるんだろう
587 :にゃんこ [saga]:2011/09/23(金) 21:32:10.10 ID:rKkuuigL0





被服室に行ったさわちゃんを見送り、
皆でぞろぞろと音楽室に戻ると、一人の人影が私達を待っていた。
もうさわちゃんが眼鏡を取って来たのかと一瞬思ったけど、そうじゃなかった。
私達を待っていたのは、大きな弁当のバスケットを持った憂ちゃんだった。
私達にお弁当の差し入れを持って来てくれたらしい。
そういえば、もう昼時だ。
気配りのできる子の憂ちゃんに、私達は感心する。
でも、予想外に人数が増えちゃったから、弁当足りるかな。
私達だけで食べるのも、和達に悪いし。
さわちゃんは間違いなく、つまみ食いしてくるだろうし。
……とか思っていたら、
憂ちゃんの持って来てくれたバスケットには、明らかに十人分を超える量の弁当が入っていた。
憂ちゃんが言うには、軽音部のお客様が居ると思って、
念を入れて多めにお弁当を作って来たんだそうだった。
すげー。エスパーか?
本当に準備のいい子の憂ちゃんに、私達は心底感心する。

量的に問題が無くなった事だし、
私達は和達と一緒に一足早めの弁当を頂く事にした。
床にシートを敷いて、憂ちゃんの弁当を広げる。
一応私達が個人で持って来ていた弁当も一緒に並べると、
異常なくらい豪勢な食卓がシートの上にできあがってしまった。
こう言うのも何だけど、最後の晩餐……って感じか?
不謹慎な上に不吉ではあるけど、本当にそんな気がしてくる。
……って、駄目だ駄目だ。
何だかんだと、あの空の光景に少し圧倒されちゃってるのかもしれない。
負けないよう、しっかりしなきゃな。
頭の中に浮かんだ後ろ向きな考えを振り払い、私はどんとシートの上に腰を下ろす。
あぐらを組んだ事を澪に注意されたけど、それは気にしない事にした。
これから訪れる世界の終わりに真正面から向き合うには、
正座で縮こまるより、あぐらで大きく構えてた方がいいと思ったからだ。
勿論、あぐらの方が楽だからってのもあるけどな。

そうして皆で弁当を食べていると、
何故か少し疲れた感じでさわちゃんが音楽室に入って来た。
どうしたのか訊ねると、被服室の眼鏡はすぐに見つけたんだけど、
走って音楽室に来ようとしているところを、古文の掘込先生に見つかったらしい。
それで「終末が近いのに変わらんな」とか、
「そもそも高校生の頃から何も変わってないぞ」とか説教されたんだそうだ。
道理でさわちゃんにしては音楽室に来るのが遅かったわけだ。
普段のさわちゃんなら、下手すりゃ私達より先に音楽室に来ててもおかしくないもんな。

疲れた様子のさわちゃんを尻目に、
唯が興味津々な表情でさわちゃんの持って来た袋の中に手を入れる。
私も唯の腕の隙間から袋の中に目をやると、中には大量の眼鏡ケースが入っていた。
588 :にゃんこ [saga]:2011/09/23(金) 21:32:43.48 ID:rKkuuigL0
「おーっ……」

唯は興奮した声を上げながら適当な眼鏡ケースを手に持つと、
即座にケースの中から眼鏡を取り出して、赤いアンダーリムの眼鏡を装着した。
装着した……って言い方も変だけど、
唯の眼鏡の掛け方は、掛けたって言うより、装着したって言い方の方が絶対に正しいと思う。
蔓も持たず掌を広げてレンズごと掌を顔に密着させるとか、装着以外の何物でもないだろ……。
と言うか、その掛け方だと絶対にレンズが指紋で汚れるし……。

「何だよ、その掛け方は……」

若干呆れながら突っ込んでやると、
流石に自分でも変な掛け方だって事は分かってみたいで、唯が軽く舌を出して笑った。

「でへへ。皆でお揃いで眼鏡を掛けられると思うと嬉しくってつい……」

「ま、いいけどな。それさわちゃんの眼鏡だしさ」

「ちょっと、唯ちゃん、りっちゃん。
その眼鏡、まだ新品同然なんだから、あんまり粗末に扱わないでよー」

疲れた様子のさわちゃんが、弁当を食べながら軽く唯に注意する。
服を少し着崩してるし、私が言うのも何だけど、
あぐらを組んでだらけてるそのさわちゃんの姿は非常にだらしない。
それに加えて、担任モードの口調から言葉が崩れて来てる。
まあ、和と高橋さんに自分の本性が知られてるのは分かってるみたいだし、
残る宮本さん一人相手に猫を被ってても仕方が無いって思ったんだろう。
疲れたから、猫を被ってる余裕が無いってのもあるんだろうしな。

ちょっと視線をやると、宮本さんが驚いた表情でさわちゃんを見つめていた。
私は苦笑しながら立ち上がり、宮本さんに近寄って耳元で訊ねてみる。

「驚いた?」

私の方を向いて、宮本さんが小さく頷く。
実を言うと、うちのクラスの大体はさわちゃんの本性を何となくは知っているみたいだ。
上手く演じてはいるけど、意外と粗があるもんなあ、さわちゃんの猫被り。
ただ、知ってはいても、
さわちゃんの本性を直接目にした事があるクラスメイトは少ないようで、
宮本さんもさわちゃんの素の姿を目にするのは初めてみたいだった。
特に宮本さんは気弱な印象があるから、
初めて見るさわちゃんの本性に怯えたりしてるんじゃないだろうか。
宮本さんのためにも、さわちゃんの名誉のためにも、私は少しだけフォローする事にした。

「大丈夫だよ、宮本さん。
今のさわちゃんの姿は、その……色々と変ではあるけど……、
でも、生徒思いである事は間違いない……はずだし、
宮本さんに気を許してるからこそ、あんな姿を見せてるんだと思うよ?」
589 :にゃんこ [saga]:2011/09/23(金) 21:33:12.60 ID:rKkuuigL0
私の言葉に安心してくれたのか、宮本さんは軽く表情を緩める。
何だか少しだけ笑ってるようにも見える。
ちょっと分かりづらいけど、これが宮本さんの笑顔なのかもしれない。
その表情のまま、宮本さんはさわちゃんの姿を見ながら呟いた。

「ありがとう、田井中さん。
うん……、私……、大丈夫だよ?
山中先生のこんな姿を見るのは初めてだし、ちょっと驚いちゃったけど……。
でも……、何だかすごく面白いと思うから」

おお、意外とタフだ。
強がりかとも少し思ったけど、
宮本さんの表情から考えると、その言葉は本音なんだろうな。
宮本さんの言葉じゃないけど、その宮本さんの様子は私としても面白かった。
本好きで気が弱そうなクラスメイトってだけの印象だったけど、実はそういうわけでもなかったらしい。
クラスメイトの意外な一面を見られて、気が付けば私は笑っていた。
何だか、とても嬉しい。
もうほとんど宮本さんと関われる時間は無いだろうけど、
その短い時間でもっと宮本さんと仲良くなれたらいいな、って私は思った。

「ねえねえ、アキヨちゃん」

眼鏡を強調するポーズを取りながら、
唯が軽く宮本さんの顔を覗き込んで声を掛ける。
宮本さんとそんなに関わりがあるわけじゃないだろうに、
いきなり名前で呼んでる上に途轍もなく馴れ馴れしい奴だ。
でも、それが唯って奴なんだし、私はそんな唯が嫌いじゃない。
いいや、大好き……なのかな。多分だけど。
宮本さんもそんな唯が嫌じゃないらしく、穏やかな表情で首を傾げた。

「どうしたの、平沢さん?」

「唯でいいよ、アキヨちゃん。
私ももうアキヨちゃんの事、アキヨちゃんって呼んでるし」

「えっと……、あの……」

唯はともかく、宮本さんは人をいきなり名前で呼ぶ事には慣れてないんだろう。
戸惑ってる様子で、宮本さんが少し顔を赤く染める。
ちょっと残念だけど、私は苦笑しながら唯を諌める。

「おいおい、遠慮しろよ、唯。
宮本さん困ってるだろ?」

「えー……。
私、変な事言ってるかなあ……」

「変じゃないけど、そういう呼び方になるには時間が掛かる人も居るんだって。
ごめんね、宮本さん。
唯も悪気があって言ってるわけじゃないんだよ」

私が軽く頭を下げると、困ったように宮本さんが首を振った。
ただ、困ってるのは唯の遠慮の無い行動じゃなくて、私が頭を下げた事らしかった。
590 :にゃんこ [saga]:2011/09/23(金) 21:33:40.77 ID:rKkuuigL0
「ううん、ごめんね、二人とも……。
田井中さんも頭なんて下げないで。
ごめんなさい。
私、そういうの慣れてなくって……。
でも……、ねえ、平沢さん……、
ううん、唯ちゃんって呼んでいいんなら、私……、唯ちゃんって呼んでいいかな?」

「うん、勿論だよ、アキヨちゃん!
アキヨちゃんが唯って呼んでくれて、私すっごく嬉しいな!」

「ありがとう、唯ちゃん……」

宮本さんが言うと唯が満面の笑顔を浮かべ、
それに釣られるようにして、ぎこちないながら宮本さんも嬉しそうに頬を緩めた。
これまでクラスメイトって接点しかなかったのに、一瞬にしてもう仲の良い友達って感じだ。
まったく……。
唯は本当に誰とでもすぐに仲良くなれるんだな……。
ライブハウスに出た時も、ナマハ・ゲやデスバンバンジーの皆とすぐ仲良くなってたしな。
考えながら、不意に気付く。
そういえば、唯は私と最短記録で親友になれた奴じゃないだろうか。
出会った時期こそ違うけど、澪よりも遥かに短い時間で、唯は私と親友になっていた。
天真爛漫で、楽しくて面白くて、誰にでも優しい唯。
皆、そんな唯の笑顔に助けられてるんだろう。
勿論、私も含めて。

ただ、それだけにうちが女子高でよかったって思わなくもない。
これが共学だったら、多分、唯の奴、男子を勘違いさせまくりだぞ。
うちが共学だったとしても澪のファンクラブは設立されるかもしれないけど、
高嶺の花みたいな雰囲気になっちゃって、澪に声を掛ける男子はほとんどいないだろう。
その点、唯は親しみやすくて誰にでも優しいから、そりゃもうとんでもない事になるな。
しかも、唯の事だから、告白して来た男子全員と付き合ったりなんかして……。
恐るべし、唯。
流石にそれは無いと思いたいが、唯の場合は洒落にならんな……。

「そうそう、アキヨちゃん」

私の心配なんて想像もしてないんだろう無邪気な笑顔で、唯が続ける。

「私だけじゃなくて、りっちゃんの事もりっちゃんでいいよ。
りっちゃんもアキヨちゃんの事、名前で呼ぶから」

「おいおい……。
私の意思を無視して話を進めるなよ……」

「駄目なの、りっちゃん?
ねえ、知ってる?
名前で呼ぶとね、すぐに皆と仲良くなれるんだよ?」

それが簡単にできるのはおまえだけだよ。
そう言いたくもあったけど、私はそれを言葉にするのをやめた。
きっとそれは唯に伝えなくてもいい事だから。
唯はそのまま自分を特別と思わずに、ありのままの唯でいてほしい。
苦笑して、宮本さんと視線を合わせる。
宮本さんは照れながら、少し嬉しそうにしながら、小さく言った。
591 :にゃんこ [saga]:2011/09/23(金) 21:34:08.72 ID:rKkuuigL0
「……じゃあ、りっちゃん……って呼ぶね?
いいかな……?」

「了解だ。これからもよろしくな、アキヨ」

そうして、私と宮本さん……アキヨは軽く握手を交わした。
残り少ない時間でも、人間関係は変えていける。
当たり前の事だけど、唯は無意識にそれを私達に教えてくれたみたいだった。

「そういえば、唯ちゃん……?」

宮本さんが遠慮がちに訊ねる。
名前で呼び合う仲になったと言っても、距離が完全に縮まったわけじゃない。
でも、だからこそ、これからも縮めていきたくなるんだよな。

「何、アキヨちゃん?」

「さっき私に話し掛けて来てくれたけど……、どうかしたの?
私に何か訊きたい事があったの?」

アキヨに言われ、何かを思い出したって表情で唯は自分の手を叩いた。
それから、さっきと同じように、眼鏡を強調したポーズを取る。

「そうそう。そうなんだよ、アキヨちゃん。
眼鏡のスペシャリストのアキヨちゃんに、私に眼鏡が似合ってるか訊きたかったんだ。
どうかな? 頭がよく見える?」

眼鏡のスペシャリストって何だよ……。
それを私が突っ込むより先に、アキヨが軽く微笑みながら言う。

「うん。よく似合ってると思うよ」

何のお世辞も無いまっすぐな口調だった。
アキヨの言うとおり、確かによく似合ってる。
頭がよく見えるかどうかはさておき、ファッションとしては完璧だ。

「そうだよ、お姉ちゃん!
眼鏡を掛けたお姉ちゃんも、すっごく素敵だよ!」

アキヨの言葉に力強く続いたのは、勿論憂ちゃんだ。
何だか頬を赤く染めてる様にも見える。
滅多に見ない姉の眼鏡姿を新鮮に思ってるんだろうな。
唯のくせに目立っちゃって、ちょっと悔しい。

「ありがと、憂。
憂も眼鏡、すっごく似合ってるよ」

唯が言い、眼鏡を掛けた姉妹が顔を合わせて笑う。
気が付けば、いつの間にか私以外の皆も眼鏡を掛けていた。
その横で、さわちゃんが皆の眼鏡姿を嬉しそうに見つめている。
……さわちゃんは置いといて。
出遅れた形になってしまった私も、袋の中から眼鏡ケースを取り出した。
一人だけ掛けてないのは、空気的にも悪いしな。
そのまま眼鏡を掛けようとして……、私の手が止まる。
592 :にゃんこ [saga]:2011/09/23(金) 21:34:35.93 ID:rKkuuigL0
何故だろう。
すごく嫌な予感がする。
こういう時って、大体が最後に掛けた奴がオチ担当になったりしないか?
皆が似合うってお互いを褒め合ってる中、
最後に勿体ぶったナルシスト的なキャラが登場した瞬間、
皆に「似合わねー!」と笑われたりするそんなシーン……。
漫画でよく使われる黄金パターンじゃないかよ……。

掛けたくねー……。
眼鏡を掛ける事自体はいいんだけど、からかわれたくねー……。

でも、この空気の中で、一人だけ眼鏡を掛けないわけにもいかなかった。
何となく視線を戻すと、唯と憂ちゃん、
アキヨが悪意の無い表情で私が眼鏡を掛けるのを待っていた。
この三人の事だ。本当に悪気無く、私が眼鏡を掛けるのを待ってるんだろう。
仕方が無い。
私の心は決まった。
笑いたければ笑えばいい。
皆の笑顔のために、この田井中律、あえてピエロになってやろうじゃないか。

蔓を手に持ち、鼻先に眼鏡を乗せる。
立ち上がって、「どうよ」と言わんばかりに親指で自分の顔を指してやる。
さあ、御照覧あれ。
これがりっちゃんの眼鏡姿だ!

すぐに音楽室が笑い声で包まれるかと思ってたけど、そうはならなかった。
しばらく音楽室を沈黙が支配する。
突然立ち上がった私を、黙り込んだ皆が静かに見守っていた。
くっ……、何だよ……。
放置プレイって手法かよ……。
そんなに私の眼鏡姿を笑いたいのかよ……。
分かってるよ、似合わないのは分かってんだよ……。
もう耐えられない。
私は愚痴る様に皆から視線を逸らしながら呟く。

「いいよ。笑いたきゃ笑ってくれ。
自分でも分かってるよ。
私に眼鏡なんておかしーし……」

情けない。自分で言ってて情けない……。
でも、容姿に関してだけは、私だって自信が無いんだよ……。
だけど、その私の情けない愚痴には、意外な所から意外な返答があった。

「いや、似合ってるよ、律……」

言ったのは澪だった。
澪の事だ。私を慰めるために気休めの言葉を言ってくれたんだろう。
まったく、優しい幼馴染みだよ。

「やめてくれよ、澪……。
こんなのおかしーって自分でも分かってんだからさ……」

「いやいや、普通に似合ってるんだよ、律」

驚いて私が皆に視線をやると、誰もが真顔のままで頷いていた。
笑いを堪えてるわけじゃなく、気休めの表情をしてるわけじゃなく、
ただ感心した様子で私の顔を見ていた。

「意外よね。律にこんなに眼鏡が似合うなんて」

「真面目な委員長に見えるよ、りっちゃん」

「うんうん、漫画に出てくるおでこ委員長って感じだよ」

「あ、確かにそうですね、唯先輩。
何処かで見た事がある気がしてたんですけど、
言われてみれば確かによく見る委員長キャラです」

「りっちゃんには眼鏡が似合いそうだと思ってた私の目に狂いは無かったわね」

「自信持ってください、律さん」
593 :にゃんこ [saga]:2011/09/23(金) 21:35:39.27 ID:rKkuuigL0
皆が口々に私を褒めて(?)くれる。
……意外に好評だったとは。
よく見る委員長キャラって評判は喜んでいいのかどうか分からないけど、
からかわれて笑われたりするよりはよっぽどマシだった。
でも、そうなると、愚痴ってた自分の事が途端に恥ずかしくなってくる。
勝手に被害妄想抱いちゃって本当に恥ずかしいし、皆に申し訳ない。
私は素直に皆に頭を下げる。

「ごめん、皆。
眼鏡掛ける事なんて滅多に無いから、
皆にからかわれるんじゃないかって思っちゃってさ……。
変な事言い出しちゃってごめんな……」

「律先輩ってば、変な所で繊細ですよね。
自信を持って下さいよ。
意外とですけど、似合ってるんですから」

「意外と、ってのは余計だけど、ありがとな、梓。
梓も眼鏡似合って……」

言い掛けて、思わず言葉が止まる。
何だろう。この何とも言えない違和感は。
梓の言葉に嘘は無いし、皆の言葉や態度にも嘘は無い。
でも、皆、私じゃなくて、違う誰かに対して違和感を抱いてる雰囲気がある。
勿論、私も皆と同じ深い違和感を抱いてる。
その違和感の正体はすぐに分かった。
分かった……んだけど、それを言葉にするのは躊躇った。

だって、その違和感の正体は私を気遣ってくれた梓本人だったんだから。
正確に言えば、眼鏡を掛けた梓の姿が違和感に満ちていたんだ。
梓に眼鏡は似合ってる。
小さな後輩の眼鏡姿は本当に可愛らしい。
のだが。
黒髪のツインテールと眼鏡という組み合わせが違和感バリバリだった。
何て言えばいいんだろう。
言葉は悪いけど、すげーインチキ臭いんだよな……。
前にテレビでメイド喫茶を見た事があるんだけど、
そのメイド喫茶の中に眼鏡でツインテールのメイドを見つけた時にもそう感じた。
可愛い要素を無理矢理二つ組み合わせた違和感って言うのかな。
可愛い事は間違いないのに、とにかくすごく無理矢理でインチキっぽいんだ。
特に襟足ならともかく、梓の場合、
頭の上の方で結んでるツインテールだから、インチキ臭さは更に倍を超える。

「どうしたんですか、律先輩?」

急に言葉を止めた私を不審に思ったのか、梓が首を傾げながら訊ねてくる。
その様子を見る限り、梓は自分のインチキ臭さに気付いてないんだろう。
ど……、どうしよう……。
594 :にゃんこ [saga]:2011/09/23(金) 21:38:33.22 ID:rKkuuigL0


今回はここまでです。
まだまだ続く眼鏡編。

ところで今回、これまでの投下の中で一番緊張しています。
「てめーはおれを怒らせた」にならないか緊張しております。
いや、自分も眼鏡ツインテールは好きなんですが、
どうもインチキ臭く見えてしまうのです。
自分だけではないと思いたい。
595 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/23(金) 22:04:49.86 ID:4FZxVfNJo

スレで時々眼鏡の話題が出てて何んだろうと思ってたんだけど
元ネタググってやっとわかったwwそういうことだったのねww
596 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/09/23(金) 23:53:13.84 ID:sGSWE3bV0
俺も眼鏡ツインテール好きだが
インチキ臭いっての何となくわかるよww
597 :にゃんこ [saga]:2011/09/25(日) 18:08:59.56 ID:KBG5C+uw0
私は救いを求めて周囲の皆を見渡してみる。
誰か……、誰かこの状況を打開できる奴は居ないのか……?
そうだ。
どんな服装でも自在にコーディネートするさわちゃんならどうだろう?
さわちゃんなら、この梓のインチキ臭さを緩和する融和策を考え……、いや、駄目だ。
「このインチキ臭さがいいんじゃない」とか言いながら、
猫耳やメイド服やリボンやフリルなんかを更に付加させて、
何処を目指してるのか分からない、痛々しくて新しい梓を誕生させちゃいそうな気がする。
そう考えながら、私は疑念に満ちた目でさわちゃんに視線を移してみる。
やっぱりと言うべきか、さわちゃんはインチキ臭い梓をうっとりした目で見ていた。
この人……、本気で眼鏡梓をコーディネートする気だ……!

こうなると、やっぱり私が梓の眼鏡姿のインチキ臭さを直接伝えるしかないのか。
それが優しさなんだろうし、場の空気を和ませるのが部長の役割ってやつだ。
軽い感じに言えば、少しは頬を膨らませるだろうけど、
梓も私の言葉を素直に受け止めてくれるはずだ。
さあ、梓に伝えよう。
眼鏡姿を恥ずかしがってた私が言うのも何だけど、
ツインテールの髪型をした梓の眼鏡姿は途轍もなくインチキ臭いんだって。
深呼吸をしてから、私はゆっくりと皆の顔を見回す。
唯と澪が梓の眼鏡姿に私がどんな反応をするのか、期待を込めた表情で私を見ている。
憂ちゃん、和、高橋さん、アキヨもじっと私の言葉を待ってるみたいだ。
梓を含めた十人……、眼鏡の奥の二十の瞳が私を見つめていた。

十人……?
一人多くないか?
確か音楽室で弁当を食べていたのは、私を含めて十人だったはずだ。
何と……!
十一人いる…だと…!?
少し動揺して、私はもう一度皆の顔を見回してみる。
えっと……、音楽室に居るのは……、
私、唯、憂ちゃん、ムギ、澪、さわちゃん、いちご、梓、アキヨ、高橋さん、和だろ……。
ん?
もう一度、落ち着いて数えてみよう。
私、唯、憂ちゃん、ムギ、澪、さわちゃん、いち…

「おまえか、若王子いちごーっ!」

気が付けば、つい叫んでしまっていた。
私があんまり突然に叫んじゃったもんだから、
アキヨと澪が驚いて身体を硬直させてたけど、驚いたのは私だって同じだった。
唐突な上に馴染み過ぎだろ、いちご……。
勿論、その驚きは唯達も同じだったみたいだ。
いつの間にか眼鏡を掛けて弁当を食べているいちごの姿を見つけると、
私と同じくいちごの姿に気付いてなかった何人かが驚きの声を上げ、澪に至っては半分気絶していた。

「おまえは何でいきなりこんな所に居るんだよ……」

半分気絶した澪の肩を抱えながら、私はおずおずといちごに訊ねてみる。
いちごは私の言葉に反応せず、憂ちゃんの弁当のおむすびを淡々と食べ続ける。
女の子座りな上に両手でおむすびを頬張るそのいちごの姿は、悔しいくらい絵になっていた。
って、そんな事は今はどうでもよかった。
私は意を決して、もう一度いちごに訊ねようと口を開く。
598 :にゃんこ [saga]:2011/09/25(日) 18:10:43.77 ID:KBG5C+uw0
「だから、何でおまえは……」

その言葉はいちごが急に私の方に掌を向ける事で制された。
しばらく黙ってて、という意味らしい。
釈然としなかったけど、こういう時のいちごには何を言っても無駄だろう。
私は小さく溜息を吐いて、
とりあえず手の中の澪の肩を揺さぶりながら待つ事にした。
澪の意識がはっきりし始めたのと同じ頃、
いちごは手に持っていたおむすびを完全に食べ終わっていた。
軽く私に視線を向け、淡々とした口調でいちごが喋り始める。

「食べてる時に話し掛けないで。行儀が悪いでしょ」

お利口さんか、おまえは!
そう言いたいのを私はぐっと堪える。
まずは疑問をいちごにぶつける方が先決だと思ったからだ。

「それでおまえはどうしてここに居るんだよ」

「居たら駄目?」

「いや、そういうわけじゃなくて、ここに居る理由をだな……」

やきもきしながら私が言うと、
いちごが表情を変えずに自分の隣に座っている人物に視線を向けた。
その人物とは、いちごの存在に驚いてなかった内の一人……、さわちゃんだった。
一斉に私達の視線をさわちゃんに集中させると、
さわちゃんは「てへっ」と可愛らしい感じに舌を出しておどけた。

「実はね、さっきお弁当を頂いてる時に、音楽室の外に人の気配を感じたのよ。
誰かと思って見に行ってみれば、若王子さんじゃない。
折角だから音楽室の中に誘って、一緒にお弁当を食べてもらう事にしたのよ。
いいじゃない。クラスメイトじゃないの」

「それは教師として正しい行動だと思いますが、それを皆に伝える事を忘れないで下さい。
報告、連絡、相談のホウレンソウを欠かさないで下さい」

わざわざ敬語まで使って、私はさわちゃんに伝えてやる。
悪びれた風でも無く、さわちゃんは楽しそうに笑う事でそれに応じた。

「いやー、若王子さんの眼鏡姿に見入っちゃってて……」

「うんうん。それは分かるよ、さわちゃん!」

急にさわちゃんに賛同したのは目を輝かせた唯だった。
身を乗り出しながら、少しだけ興奮した様子で唯が続ける。

「前からお姫様みたいに可愛いって思ってたけど、
いちごちゃんにこんなに眼鏡が似合うなんて思ってなかったよ!
お姫様なのには違いないんだけど、
それに知的な感じが加わったって言うか……、とにかくすっごく可愛いよ!」

「流石は唯ちゃん。
分かってるじゃない。可愛い物を見極める目はやっぱり確かね」

可愛い物を愛するという点では似通った二人が、
初めて目にするいちごの眼鏡姿を見ながら、だらしなくにやける。
何をやってるんだ、と思わなくもないけど、その点については私も同意見だった。
眼鏡を掛けたいちごの姿は、こう言うのも悔しいけど、はっとするくらい可愛かった。
言うならば、まさしくモエモエキュン……ってか?
いちごも一応ツインテールではあるんだけど、
梓とは違っていちごのツインテールだと眼鏡も似合うから不思議だ。
可愛い子は何をやってても可愛いから得だよなあ……。
別に梓が可愛くないってわけじゃないけど、いちごはどうにも別格なんだよな。

いやいや、いちごの可愛さに見惚れてる場合じゃない。
私は意識がはっきりした澪をその場に置き、いちごの近くにまで歩いていく。
梓にいちごの隣を空けてもらい、私はいちごの隣にそのまま腰を下ろす。
いちごが軽く私に視線を向けた。
599 :にゃんこ [saga]:2011/09/25(日) 18:11:28.81 ID:KBG5C+uw0
「何か用?」

「結局、いちごが何しに来たのかと思ってさ」

「様子を見に」

「様子……って軽音部の?」

「うん」

「それならそう言ってくれりゃいいじゃんか。
こんな驚かすような事しなくても、
普通に訪ねてくれればいちご姫をもてなしてたのに……」

「驚かすつもりなんてない」

少しだけいちごの声が変わった。
声色はほんの少し低く、声の速度もゆっくりになっている。
表情も無表情には違いなかったけど、何処か強張ってるみたいにも見える。

「律が気付かなかったんでしょ」

いちごが続け、私から視線を逸らす。
そこでようやく、いちごが不機嫌になってるんだって事に私は気付いた。
言われてみれば、さわちゃんの様子を見る限りは、
さわちゃんもいちごも、別に私達を驚かそうとして隠れてたわけじゃないみたいだ。
いや、そもそもいちごは隠れてたわけじゃない。
自分の存在こそ主張しなかったけど、普通に音楽室の中で座ってただけなんだ。
憂ちゃんや和を含む何人かはいちごに気付いてたみたいだし、
単にアキヨや唯と話すのに夢中になってた私が、いちごの姿に気付かなかっただけらしい。
これはいちごに悪い事をしてしまったかもしれない。

私は私から目を逸らすいちごの背中を軽く擦った。
この前、いちごが私にしてくれた事だった。
そうしたのは、こうすればいちごが私の方を向いてくれるはずだと思ったのもあるけど、
何より私がいちごの存在や優しさを忘れたわけじゃないって事を伝えたかったからだ。

「ごめんな、いちご。怒らないでくれよ。
まさかいちごが部活の様子まで見に来てくれるなんて思ってなかったんだよ。
気が回らなくてごめんな。それ以上に、ありがとな。
私達の事を気に掛けてくれるなんて嬉しいよ」

「別に、怒ってない」

またいちごが私に軽く視線を向ける。
無表情なままではあるけど、声色は柔らかくなってる気がした。
少しは私の事を許してくれたんだろうか。
いちごの顔を覗き込んでから、私は微笑む。
気難しいクラスメイトだけど、私達の事を気に掛けてくれてる。
私を助けてもくれた、優しい子なんだよな。
その事がとても嬉しかった。

「律は」

不意にまたいちごが呟くみたいに言った。
いちごの背中に手を置きながら、私はいちごの瞳を覗き込んで見る。
何故だか、眼鏡の奥の瞳が少し潤んでるように見えた。

「律は大丈夫なんだね」

火曜日の事を言ってるんだろう。
確かに火曜日の私の様子は酷かったよな。
吐いた上に青白い顔もしてたみたいだし、精神的にも最悪だった。
いちごが私のその後を気にするのも無理は無いだろう。
これはいちごに前向き元気なりっちゃんを見せてやらないとな。
だから、私は何かを言うよりも、歯を見せるくらいただ大きく笑った。
私の心からの笑顔を見せたかった。
恐怖と絶望に負けそうだった私を最初に引き戻してくれたのは、誰あろういちごなんだ。
今、私が皆と笑えてる最初のきっかけをくれたのは、いちごだったんだ。
ありがとう、いちご。
その想いを込めて、私にできる最高の笑顔をいちごに向けていたい。
600 :にゃんこ [saga]:2011/09/25(日) 18:11:58.45 ID:KBG5C+uw0
しばらくその顔を向けていると、いちごがとても意外な表情を見せた。
口の端を上げて、目尻を柔らかく下げて、
軽くとだけど、それは確かに……、初めて見るいちごの笑顔だった。

「よかった」

いちごがそう言って、すぐにまたいつもの無表情に戻った。
でも、笑ってくれていたのは確かなはずだ。
その瞬間、私はとても自意識過剰な考えを抱いていた。
ひょっとすると、いちごは軽音部じゃなくて、私の様子を見に来てくれたのかもしれない。
他の誰よりも私の事を気にしていてくれたのかもしれない。
だから、私がいちごの姿をすぐに見つけられなかった事に、不機嫌になってたのかもしれない。
恥ずかしくなるくらい自意識過剰だけど、私にはそう思えてならなかった。
何だかすごく照れ臭い気分になりながら、私はまたいちごの背中を擦る。

「ありがとな。本当にありがとう、いちご」

「いいよ。律が元気なら。
元気じゃない律は、律じゃないから」

「何だよ、それ」

言って私が笑うと、いちごは少し目尻を細めた。
すごく温かい雰囲気。
胸がいっぱいになりそうだ。

不意に。
恐ろしいほど多くの視線を感じた。
私は恐る恐る周囲を見回してみる。
気が付けば、私達を様々な感情が宿った視線が包んでいた。

まず和と高橋さんが苦笑して、
ムギはうっとりとして、
アキヨは照れた様子でチラチラと、
憂ちゃんは顔を少し赤く染め、
さわちゃんと唯は若干楽しそうにしていて、
梓が心配そうに澪と私の顔を交互に見ている。
そして、澪は……、えっと……、その……、何だ……。
嫉妬に狂った顔とかならまだよかったんだけど、
よりにもよって今にも泣き出しそうな表情で私達に視線を向けていた。

気まずい……。
別にいちごと私がそんな関係ってわけじゃないし、
いちごだってクラスメイトとして私を心配してくれただけなのに、何だかすごく気まずい。
澪には後で二人きりになった時にフォローしておく事にするとして、
私はどうにか話を誤魔化すようにいちごに話を振ってみた。

「そういやさ、いちご。
前も聞いた話だけど、いちごは何しに毎日学校に来てるんだ?
バトン部の活動もしてるみたいだけど、毎日じゃないみたいだしさ。
でも、いちごは毎日登校して来てるだろ?
よかったらでいいんだけど、それがどうしてなのか教えてくれないか?」

「あ、それは私も気になるな」

私の言葉に続いたのは高橋さんだった。
そういえば、高橋さんも図書室でたまたまいちごに会ったって言ってたよな。
601 :にゃんこ [saga]:2011/09/25(日) 18:12:27.66 ID:KBG5C+uw0
「そうね。もしよければ、私にも教えてもらえるかしら?
若王子さん、先週くらい生徒会室に見学に来たじゃない?
若王子さんが生徒会室に来るなんて意外だったから、驚いたわ。
何か込み入った事情があるのなら、話を聞くのは諦めるけど……」

そう言ったのは和だ。
和の言葉通りなら、いちごは図書室だけじゃなく、生徒会室にも出没してたらしいな。
そういや、そもそも何でいちごは火曜日に音楽室の近くに居たんだ……?

「いちごちゃん、毎日、何してたの?」

「教えてくれると嬉しいな」

「図書室や生徒会室に若王子さんって組み合わせも意外よね」

質問がいちごに集中する。
普段から謎の多いいちごなだけに、
皆いちごの真意が気になって仕方が無いみたいだった。
勿論、私もそうだけど、私が振った話題なだけに、
それを無理矢理いちごに答えさせる形になるのは、言い出しっぺとしていちごに悪い気がする。
両腕を左右に広げ、「ストップ、皆」と言おうとした瞬間、いちごが口を開いた。

「じゃあ、律にだけ教えてあげる」

「へっ? 私っ?」

思わず私は間抜けな声を出してしまっていた。
まさかいちごがそんな事を言い出すとは思わなかった。
まあ、全員に知られるよりは、誰か一人にだけ話す方が気が楽なんだろう。
いや、いちごってそういう事を考えるタイプだっけ?
もう一度覗き込んでみたいちごの表情からは何も掴めない。

「いいなー、りっちゃん。
いちごちゃんは私の心の友なのに、りっちゃんだけずるいなー」

羨ましそうに唯が呟く。
いつからいちごとおまえが心の友になったんだ。
もしかしたら、唯にとってはクラスメイト全員が心の友なのかもしれないけどさ。

「悪いな、唯。
おまえはいちごの心の友かもしれんが、私はいちごの心の故郷だからな」

冗談のつもりだったけど、
その言葉を聞いた澪がまた泣き出しそうな表情になった。
おいおい、またかよ……。
でも、澪の気持ちも分からなくはないか。
今までの関係ならともかく、
友達以上恋人未満っていう複雑な関係の今じゃ、細かい事が気になっちゃうんだろうな。
それは私も同じで、私もムギと澪の関係を気にしちゃったりもしてたからな。
そんな事があるはずないと分かってても、どうしても不安になっちゃうんだ。
それだけ澪が私にとって特別な存在になってきてるって事なんだろう。
勿論、それはまだ口に出して澪には言えないけど……。
602 :にゃんこ [saga]:2011/09/25(日) 18:14:21.18 ID:KBG5C+uw0
「そうね。もしよければ、私にも教えてもらえるかしら?
若王子さん、先週くらい生徒会室に見学に来たじゃない?
若王子さんが生徒会室に来るなんて意外だったから、驚いたわ。
何か込み入った事情があるのなら、話を聞くのは諦めるけど……」

そう言ったのは和だ。
和の言葉通りなら、いちごは図書室だけじゃなく、生徒会室にも出没してたらしいな。
そういや、そもそも何でいちごは火曜日に音楽室の近くに居たんだ……?

「いちごちゃん、毎日、何してたの?」

「教えてくれると嬉しいな」

「図書室や生徒会室に若王子さんって組み合わせも意外よね」

質問がいちごに集中する。
普段から謎の多いいちごなだけに、
皆いちごの真意が気になって仕方が無いみたいだった。
勿論、私もそうだけど、私が振った話題なだけに、
それを無理矢理いちごに答えさせる形になるのは、言い出しっぺとしていちごに悪い気がする。
両腕を左右に広げ、「ストップ、皆」と言おうとした瞬間、いちごが口を開いた。

「じゃあ、律にだけ教えてあげる」

「へっ? 私っ?」

思わず私は間抜けな声を出してしまっていた。
まさかいちごがそんな事を言い出すとは思わなかった。
まあ、全員に知られるよりは、誰か一人にだけ話す方が気が楽なんだろう。
いや、いちごってそういう事を考えるタイプだっけ?
もう一度覗き込んでみたいちごの表情からは何も掴めない。

「いいなー、りっちゃん。
いちごちゃんは私の心の友なのに、りっちゃんだけずるいなー」

羨ましそうに唯が呟く。
いつからいちごとおまえが心の友になったんだ。
もしかしたら、唯にとってはクラスメイト全員が心の友なのかもしれないけどさ。

「悪いな、唯。
おまえはいちごの心の友かもしれんが、私はいちごの心の故郷だからな」

冗談のつもりだったけど、
その言葉を聞いた澪がまた泣き出しそうな表情になった。
おいおい、またかよ……。
でも、澪の気持ちも分からなくはないか。
今までの関係ならともかく、
友達以上恋人未満っていう複雑な関係の今じゃ、細かい事が気になっちゃうんだろうな。
それは私も同じで、私もムギと澪の関係を気にしちゃったりもしてたからな。
そんな事があるはずないと分かってても、どうしても不安になっちゃうんだ。
それだけ澪が私にとって特別な存在になってきてるって事なんだろう。
勿論、それはまだ口に出して澪には言えないけど……。
603 :にゃんこ [saga]:2011/09/25(日) 18:16:33.43 ID:KBG5C+uw0
とりあえずこれ以上澪を不安にさせないように、
まずは早くいちごの話を聞かせてもらう事が先決かな。
私はいちごと一緒に立ち上がって、音楽室の隅の方まで移動する。
私の耳元に口を寄せると、いちごが囁いた。

「誰にも言わないでよ、律。
笑われたくないから」

「……笑われるような理由なのかよ?」

「違うけど」

そう囁いたいちごの頬は少し赤くなっていた。
どうも恥ずかしがっているらしい。
いちごが恥ずかしがるなんて、一体どんな理由で登校してたってんだ……?
何だか不安になりつつも、私は真剣な顔で囁き返す。

「誰にも言わないよ。笑いもしない……と思う。
聞いてみなきゃ分かんないけど、
少なくともいちごが私を信じて話してくれる事なんだ。
馬鹿にして笑ったりなんかしないよ」

「約束」

「うん、約束だ」

「じゃあ、話す。私が学校に来てた理由は……」

そうして、いちごが私の耳元でその理由を囁いた。
世界の終わりを目前にして、
クールでお姫様みたいないちごが登校してた理由は……。

「……あはっ」

思わず私は声に出して笑っていた。
笑っちゃいけないって事は分かってるのに、湧き出る笑いを止められない。

「あはははっ!
そっか……! そっかあ……!」

笑いを止められない私を、
唯が不思議そうに見つめて訊ねてくる。

「どしたの、りっちゃん?
そんなに面白い理由だったの?」

「いや、そういうわけじゃなくてだな……。
ははっ、あはははっ!」

途端、無表情なまま、いちごが笑いを止めない私を何度も叩き始めた。
叩いたって言っても、あまり勢いは乗せず軽くって感じだ。
いや、バトン部で鍛えたスナップの効いたそのチョップは結構痛かったが。
しかも、無表情ではあったけど、そのいちごの顔面は真っ赤だった。
よっぽど恥ずかしいんだろう。
真っ赤な顔をして、いちごは私をチョップするのを止めなかった。
冗談みたいな理由だったけど、いちごの反応からすると本当に本音だったみたいだ。
604 :にゃんこ [saga]:2011/09/25(日) 18:17:08.28 ID:KBG5C+uw0
「馬鹿にしないって言ったのに。
笑わないって言ったのに。
律なら分かってくれると思ったのに。
律に話した私が馬鹿だった」

淡々とした口調だったけど、かなり恨み節がこもっていた。
こんなに心を揺らしてるいちごを見るのは初めてで、
それはとても新鮮だったけど、これ以上勘違いさせ続けるのも可哀想だった。
私は少しだけ笑いを堪えて、
でも、笑顔のままでいちごの手首を軽く掴んだ。

「悪かったよ、いちご。
つい笑っちゃったけど、馬鹿にしたわけじゃないんだよ。
誰にも話さないし、いちごが登校してた理由はずっと私の心の中にしまっとくからさ。
それに、いちごの気持ちは分かるよ。
全部じゃないけど、私もきっと同じ理由で学校に来てたんだと思う。
それが嬉しかったし、
いちごと私の理由が一緒ってのが意外でさ、それで笑っちゃったんだよな」

私の言葉を分かってくれたらしく、
いちごは私を叩くのをやめてくれたけど、
赤く染まったその顔はしばらく元に戻らなかった。
かなりの一大決心で私に話してくれたんだろうと思う。
そんないちごの様子を見ていると、また私の顔が緩んでいった。
悪いとは思うけど、でも、これだけは勘弁してもらいたい。
いつもクールないちごがこんな理由で学校に来てたなんて、
それで毎日学校を歩き回ってたなんて、嬉しくなってくるじゃないか。
嬉しくて、幸せになっちゃうじゃないか。
だって、そうじゃん?
世界の終わりを間近にして、いちごが毎日登校してた理由が……。
『学校が好きだから』なんてさ。
605 :にゃんこ [saga]:2011/09/25(日) 18:19:52.03 ID:KBG5C+uw0


今回はここまでです。
存外に長い眼鏡編。
もう終わりますけれども。

しかし、なん…だと…!?
眼鏡編に見せかけて、いちご編だった…だと…!?
606 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/25(日) 20:33:56.19 ID:qB7KvQ3Yo
乙!
607 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/25(日) 21:25:25.66 ID:mRQ+22+SO

眼鏡かけたいちご見てみたいな
608 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/25(日) 22:08:06.11 ID:/29J8AYfo
んーむ。
609 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/25(日) 23:31:50.64 ID:/F6oYYiSO

かわいいちご
前に眼鏡を掛けた画像を見かけたが…キャワイイかったぞ
610 :にゃんこ [saga]:2011/09/27(火) 19:05:25.22 ID:buxu7BEn0





皆で弁当を食べ終わった後、
「練習を邪魔するのも悪いから」と和達は音楽室から出て行った。
高橋さんとアキヨは本好き同士、
いつの間にか気があったらしく、これから図書室に向かうらしい。
和はもう少しだけ生徒会の仕事をまとめるとの事だ。
憂ちゃんは次は純ちゃんのいるジャズ研に差し入れに行くそうで、
音楽の先生として純ちゃんの練習を見に行ったのか、
それともまだ憂ちゃんの弁当を食べ足らないのか、
さわちゃんも大量の眼鏡を抱えてジャズ研に向かった。
いちごは楽器に興味を持ったらしく、
キーボードやドラムを無表情ながら興味深そうに見ていた。
私が「いちごも何か楽器を演奏できるのか?」と聞いてみると、
「マラカスなら」とこれまた冗談なのか本気なのか、よく分からない返答があった。
マラカスねえ……。
マラカスもバトンみたいなもんだと思えば、いちごに似合う……のかな?

それから少しだけ滞在した後、いちごもふらりと音楽室から出て行った。
『学校が好きだから』という理由で学校に来てたいちごだ。
ふらりとクラスメイトの誰かを探しに行くんだろう。
清水さんや春子なら何度か見掛けた事があるし、
もしかしたらその辺の子達に会いに行くのかもしれないな。
清水さんはともかく、春子といちごがどんな話をするのか想像も付かんが。
まあ、意外と気が合ってたりしてな。

それにしても、いちごに本当にマラカスが演奏できるんだったら、
折角だし最後のライブにゲストで一曲くらい参加してもらうのも面白いかもしれない。
マラカスを組み込めそうな曲か……。
ふわふわ時間(タイム)なんかだと、結構合うかも。

音楽室に五人残された私達は、
ムギの用意してくれたFTGFOP(よし、もう憶えた)を飲んだ後、練習に取り掛かった。
練習自体はかなり上手くいったと思う。
新曲の演奏自体はほとんど完成してたんだし、
私の知らない所で猛練習してたんだろう澪の歌声も、完璧に新曲の旋律に乗った。
これなら多分、皆に完成した新曲を届けられそうだ。
私達のこれまでの曲とは雰囲気の違う新曲に、アキヨ辺りが驚く顔が目に浮かぶ。

ただ演奏中に困ったのは、梓のインチキ臭い眼鏡姿を何度も思い出しちゃった事だ。
いちごとのやりとりのおかげでうやむやにできたけど、
不意に頭の中にその姿が浮かんで笑いを堪えるのが正直辛かった。
梓に伝えなきゃって緊張感が切れたせいもあるんだろうな。
何かツボに入っちゃってる。
これだけは本番までにどうにか克服しとかなきゃな。

でも、それ以外の点で練習に問題は無かった。
それは、あの世界の終わりを告げるみたいな空を見たからかもしれない。
あの空模様には圧倒された。
音楽室から出て行く時、アキヨや高橋さんだけじゃなく、
和やさわちゃんですらも何度も目にしたはずの空模様を見て、複雑な表情を浮かべていた。
勿論、それは私達も同じだ。
窓の外の空模様が目に入る度、否応なしに世界の終わりを実感させられて、胸が鼓動する。
恐いのかどうかは自分でも分からない。
ただ、終わりに近付いてる世界を、心の奥底から分からされる。
もう逃げようがないんだって事を。
611 :にゃんこ [saga]:2011/09/27(火) 19:05:59.06 ID:buxu7BEn0
だから、逆に覚悟が決まった。
世界が終わるのは逃げようがない現実なんだし、逃げたところで同じく世界が終わるだけだ。
世界は、
終わる。
どうしたって、
終わるんだ。
だったら、私達は私達のしたい事を、最後まで精一杯やってみせるだけだ。
それに、世界の終わりを目の前にしても、したい事がある私達は幸せだと思う。
目標に向かって進んでいける。
私達は進める。
だからこそ、生きていける。

唯がギターのギー太を奏でる。
マイペースな唯とはいえ、流石に世界の終わりの事を実感してないわけじゃないだろう。
本当は世界の終わりが悲しくて仕方が無いはずだ。
でも、いつもと変わらず、楽しそうに、幸せそうに唯は音楽を紡いでいく。

ムギがキーボードで私達を導く。
初めて会った時とは随分と違う印象になったムギ。
だけど、その本質は変わってないんだと思う。
楽しい事が好きで、全てを楽しもうという姿勢を崩さないでいて、
私達と音楽を楽しんでくれてる。

梓が楽しむ唯をフォローするみたいに、むったんを演奏する。
自由奔放な私達を真面目の型に嵌めるんじゃなく、
自由奔放なままだからこそ演奏できる曲を模索してくれるようになった梓。
それが自由な私達の中でのアクセントになって、
私や唯も新しい可能性を見つけていけるようになった。

澪……。
誰よりも臆病で、誰よりも世界の終わりを恐がってるはずの澪。
今でも逃げ出したいと心の底では思ってるのかもしれない。
だけど、澪は逃げない。
逃げずに立ち向かい、私達をベースという土台で支える。
臆病だからこそ、誰よりも多くの勇気を振り絞って、
そんな眩しい勇気の力を私達に見せてくれて、私達はその勇気に支えられている。

私……はどうだろう?
結局、私は皆を支えられたんだろうか?
唯やムギは強い子で私を支えてくれて、
梓が立ち直れたのも強い想いを持てる子だったからで、
澪に至っては私の我儘をぶつけてしまうだけだった。
大した事は何もできなかった。
そんなので部長として部を支えられたなんて、逆立ちしたって言えないけど……。
ひょっとしたら、それでもいいのかもしれない。
私は私のままで生きていけばいい。
皆、そんな私でいいって言ってくれてる。
間違えた道を行こうとしたら、澪が拳骨で引き戻してくれるだろうしな。
だから、自分がこの部に必要だったかなんて、そんな事を考えるのはもうやめよう。
誰の役に立ててなかったとしても、私は最高の仲間達に囲まれて幸せなんだ。
その想いをライブにぶつけようと思う。
それで少しでも、私の幸せを誰かに分けてあげられたら、
誰かが笑顔になってくれるなら、それだけで私は世界の終わりまで笑ってられるはずだ。
612 :にゃんこ [saga]:2011/09/27(火) 19:06:26.13 ID:buxu7BEn0





――土曜日


今日で実質的に世界は終わる。
日曜日、いつ頃に世界が終わるかは分かってないからだ。
陽の落ちる前に世界の終わりは来るらしいけど、そんな事を気にしているわけにもいかない。
結局の話、何事も無く終われるはずの最後の日が今日って事だ。

純ちゃんのライブを観終わった後、私達は徹夜で練習をしていた。
不安だったわけじゃないけど、できる限りの事はしておきたかったんだ。
形式的なものだけど和に宿泊届を出して、さわちゃんにも寝袋を借りた。
ある程度の練習を終えた後、私達は寝間着に着換える事にして、気付いた。
そういえば、パジャマもジャージも持って来てなかった事に。
でも、まあいいか、と皆で頷く。
パジャマは無いけど、服なら軽音部の負の遺産がたくさん残ってるんだ。
唯と澪が浴衣、ムギがチャイナ服、梓と私がゴスロリに着替えた。

そんなバラバラの服装で、
私達は夕方に観たジャズ研のライブを口々に語り合う。
いいライブだった。心の底からそう思う。
ジャズを観る機会自体そうは無かったんだけど、
ほとんど初めて見ると言っていいジャズバンドの本格的な演奏はカッコよかった。
当然、ジャズだからカッコいいってだけじゃなく、
純ちゃんの演奏も様になっていて、思わず舌を巻いちゃうくらいだ。
もしかしたら、澪に匹敵する実力なんじゃないか?
普段おどけてる純ちゃんの姿からは想像もできないその見事な実力。
これなら来年の軽音部も安泰だ。
ひょっとすると、今の軽音部よりよっぽどすごい部になるかも……。
それはそれで複雑な気分だけど、梓が一人軽音部に残る事にならないってのは純粋に嬉しい。

寝なきゃいけない事は分かってた。
それでも、いつまでも話し足らなくて、誰からも言葉が途切れる事が無かった。
話し終えたら、眠らなきゃいけなくなるから。
眠ったら、残り少ない朝を迎えてしまう事になるから。
朝が来なきゃいいのに……。
別れの日の朝が……。
勿論、ライブに響くし、眠らずにいていいはずがなかった。

三時を回ったくらいに、私は意を決して皆に「もう寝よう」と伝えた。
唯あたりが嫌がるかと思ってたけど、
意外にも泣きそうな顔でそれを嫌がったのは梓だった。
普段見せない梓の我儘な姿に唯達が困惑した姿を見せる。
梓もこの時間を終わらせたくないと思ってる事は嬉しかったし、
それくらい私達との時間を大切にしてくれてるんだろう。
ちょっとやそっとじゃ、梓も眠りたくない事を譲りそうになかった。

私も同じ気持ちだけど、ここを譲るわけにはいかない。
私はわざと儚そうな雰囲気を装ってから、梓に向けて言った。

「朝までずっとお休みを言い続けたいの。
だって夜が明けて欲しくないんですもの。別れの朝なんて来なければいいのに……」

少し間があったけど、しばらくして梓が「似合いませんよ」と笑ってくれた。
「中野ー!」と言いながら、私は梓の後ろに回ってチョークスリーパーを仕掛けてやる。
似合わないのは分かってるよ。
大体、これ学園祭でやったジュリエットの台詞だしな。
私の雰囲気に似合わないこの台詞を言えば、梓の頭も少しは冷えるかと思ったんだ。
結果はとりあえずは成功だったみたいだ。
梓も自分が我儘を言ってる事は気付いていたみたいで、
頭を私達に下げてから、もう寝る事を承知してくれた。
「お休みを言い続けるなんて、律先輩には似合いませんしね」と照れ隠しに笑いながら。
こうして、私達は最後の徹夜を終え、眠りに就く事になった。

それからしばらくの間、
似合わない私の台詞に対する唯の笑いが止まらなかったけどな。
まったく……、失礼な奴だ。
613 :にゃんこ [saga]:2011/09/27(火) 19:19:25.35 ID:buxu7BEn0


今回はここまでです。
遂に土曜日ですね。

あ、超今更ですが、
このSSの舞台設定はけいおん!!の番外編1の直後くらいが冒頭という設定です。
いや、書いてなかったなと思いまして。
614 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/27(火) 19:41:15.93 ID:7AF4Jf6SO
乙乙、ライブが楽しみだな
615 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/27(火) 20:03:28.02 ID:qDLGBI0F0
終末が近づいてきてる描写いいね
616 :にゃんこ [saga]:2011/09/29(木) 20:47:46.84 ID:aNxPLZtc0





夢を見た。
唯とムギと澪と私の四人で同じ大学に通う夢。
澪とムギが危なげなく、私と唯も奇跡的に大学に合格して、
四人で高校生の時と変わり映えのしない生活を送るっていう他愛の無い……、
幸福で、悲しい夢だった。

夢から覚めた時、私はしばらく呆然としていた。
幸せそうな未来の私達の姿に引きずり込まれそうだった。
夢の中の方が現実なら、どんなによかった事だろう。
もうすぐ終わる現実から目を逸らして、
いつまでもその夢の中に浸っていたかったのも、私の正直な本音だ。
でも、そういうわけにはいかないよな。
夢は、夢なんだ。
もしかしたら、辿り着けていたかもしれない未来。
もう辿り着く事のできない未来。
そんな未来に思いを馳せるのも、
決して悪い事じゃないんだろうけど……、
私はまだ生きてる。終わりを迎えようとしている現実に生きてる。
だったら、残る時間を私のしたいように生きていかなきゃな。
少なくとも、夢の事ばかり考えて世界の終わりを迎えるのは、
絶対に後悔しそうだし、どうにもつまんなさそうだからな。

小さく溜息を吐き、寝袋から身体を出してみる。
どれくらい眠ってたんだろう。
何だかすごく長い夢を見てた気がするし、
もしかしたら結構長い時間、眠っちゃってたのかもしれない。
皆はもう起きてるんだろうか?
そう思いながら周りを見渡してみて、途端、背筋が凍った。

部室の中には誰も居なかった。
私一人だけ残して、部室には人の気配が一切存在しなかった。
それどころか、皆で使ったはずの寝袋も見当たらなかった。
私達は確かに五人で寝袋の中で眠っていたはずだ。
ジャズ研のライブの話をしたり、ロミジュリの話をしたり、
皆で寝る前に色んな話をした事を、今でも鮮明に覚えてる。
当然だ。まだ何時間も経ってない過去の話なんだ。忘れててたまるか。

だけど、今の部室内には……、
音楽室の中には、私の大切な仲間達の姿が一つも無くて……。

不意に恐ろしい想像が私の頭の中に浮かんで来る。
駄目だと分かっているのに、その想像を止める事はできなかった。
もしかして……、世界の終わりがもう来てしまったのか?
生き物だけが死を迎えるらしい終末。
世界はその終末を迎え、私から私の大切な仲間……、
ムギや唯や梓、澪を奪い去っていって……、
何の因果か終末から私だけ取り残されてしまって……。
私一人だけ置いていかれて……。

いいや、そんなはずがあるもんか。
私一人だけ生き残るなんて、そんなご都合主義があるもんか。
それこそ梓が私達の卒業を悲しんだせいで、
終末が訪れる事になったって考えるくらい荒唐無稽だ。
私はそんな特別な人間じゃない。
凡人で、平凡で、特に取り柄の無い普通の女子高生なんだ。
漫画でたまに見るけど、
主人公だけが都合よく世界の終わりを免れるなんて、
そんなご都合主義な展開が私の身に起こってたまるか。
それに……、そんなの、嬉しくない。
全然嬉しくない!
私だけ運良く生き残れてたって、嬉しいはずがあるか!
そんなの自分一人が死ぬ事よりも、よっぽど恐いじゃないかよ!

立ち上がって、私は駆け出す。
音楽室の扉に手を掛けて、鍵を空ける。
何処でもいい。
生きている人の姿を目にしたかった。
唯やムギや梓、聡、父さんや母さん……、そして、澪が。
澪がまだ生きてるんだって事を、この目で確かめたかった。
終末が一足先に訪れただなんて、そんな事があってたまるか!

勢いよく扉を開く。
一歩、音楽室から足を踏み出す。
皆の顔が……、澪の顔が今すぐ見たいんだ!
617 :にゃんこ [saga]:2011/09/29(木) 20:48:19.41 ID:aNxPLZtc0
「うわっ!」

そうして、階段を走り降りようとした瞬間、小さな悲鳴が廊下に響いた。
聞き覚えのある……、一番聞きたかったあいつの声だ。

「どうしたんだよ、律。
そんなに走って何処に行くつもりなんだ?」

私の目の前には、階段を登り終えようとしている澪が居た。
いつの間に着替えたのか制服姿で、胸の前にスーパーのレジ袋を抱えて。
普段と変わらない姿の澪が不思議そうに立っていた。

思わず私はその場に崩れ落ちる。
足に力が入らない。
腰が抜けちゃったみたいな感覚だ。
澪の顔を見て安心できたせいか、どうにも立っていられなかった。

「だ……、大丈夫か、律?
そんな急に座り込んじゃって……、何かあったのか?
お腹でも痛いのか?」

澪が心配そうに私の顔を覗き込む。
私が一番見たかった顔が間近に迫る。

「だいじょ……」

大丈夫だよ、と言おうとしたけど、言葉が続かなかった。
声を出そうとすると、泣き出しそうになってしまって、何も言えなくなる。
よかった。
澪が居てくれて。
生きていてくれて。
私一人が取り残されたわけじゃなくて、本当によかった……。

澪に肩を貸され、私達はとりあえず音楽室に戻る。
私を長椅子に座らせてくれると、レジ袋を足下に置いて澪も私の隣に座った。
二人で肩を並べる。
心配そうな表情を崩さないまま、不意に澪が私のお腹に自分の手を当ててくれた。

「本当に大丈夫か、律?
ジャージを忘れたからって、ゴスロリをパジャマにするのは無理があったかな……。
熱は無さそうか? 風邪っぽいなら、さわ子先生を呼んで来るよ。
さわ子先生、多分、昨日は被服室に泊まったはずなんだけど……」

心の底から私を心配してくれてる澪の顔。
いつも私を見守ってくれてた澪の表情だ。
私は軽く首を横に振り、私のお腹に当ててくれてる澪の手に自分の手を重ねた。

「律……?」

少し照れたような声を澪が上げる。
深呼吸して、もう一度私は声を出そうとしてみる。

「あのさ、澪……」

うん。今度は大丈夫。少しは落ち着けたみたいだ。
これならどうにか澪に私の言葉を届けられる。

「大丈夫だよ。熱は無いし、腹痛があるわけでもない。
座り込んじゃったのは……、そうだな……。
ちょっと疲れちゃってたからだと思うよ」

誤魔化したわけじゃない。
疲れてたのは確かだ。肉体的にじゃない。精神的にだ。
楽しくて悲しい夢を見ちゃったせいで、想像以上に心を擦り減らしてたんだと思う。
じゃなきゃ、あんな無茶な想像はしなかっただろうし……。

「そうか……? だったらいいけど、無理だけはするなよな?
今日の夕方にはライブがあるんだし、律は大事な座長なんだからな。
座長として、役目はちゃんと果たしてもらわないとな」

澪がまだ心配そうにしながらも、軽く微笑んだ。
座長って……。
私達がやるのは別に演劇でもミュージカルでもないんだが……。
でも、言われてみると、そうかもしれないな。
言い出しっぺこそ唯だけど、
何だかんだと今回のライブを準備したのは私なんだ。
これは確かに私が座長って事になるのかもしれない。
618 :にゃんこ [saga]:2011/09/29(木) 20:48:47.54 ID:aNxPLZtc0
「私が座長だってんなら、粉骨砕身で頑張らないといけないザマスね。
澪さん、あーたもしっかりと私に付いてくるザマスよ」

「何だよ、そのおまえの座長に対するイメージは……」

私がわざとおどけて言ってみせると、呆れたように澪が呟いた。
それから澪は私のお腹に置いた手をどけようとしたけど、
私はその澪の手を自分の手で包んで放さなかった。放したくなかった。
澪の体温をもう少し感じていたかったんだ。

「ちょっと、律……」

嫌がった様子じゃなかったけど、上擦った声で澪が呟く。
頬を赤く染めてるのを見ると、どうやら照れてるみたいだった。
そんな反応をされると、私の方も何だか恥ずかしくなってくる。
私も多分顔を赤くしながら、それでも澪の手を放さずに囁いた。

「心配してくれて、ありがとな」

「あ……、当たり前だろ。幼馴染みなんだから」

「違うだろ、澪?
私達は友達以上恋人未満……だろ?」

「えっと、それは……、その……、そうなんだけど……」

顔を真っ赤にして、澪が俯く。
ちょっと恥ずかしい事を言い過ぎたかもしれない。
私は小さく微笑むと、少しだけ話題を変える事にした。

「そういや、澪は何処に行ってたんだ?
他の皆も姿が見当たらないしさ、
置いてけぼりにされたかと思って焦っちゃったじゃんかよ」

「私はスーパーに朝ごはんを買いに行ってたんだよ。
いや、もうお昼ごはんになるのかな……。
まあ、とにかく、買い出しに行ってたんだ」

「えっ、嘘っ?
もうそんな時間なのかよ?」

私が大きめの声を上げると、
澪が苦笑しながら自分の携帯電話をポケットから取り出した。
液晶画面を私の顔の前に向ける。
画面には11:47と表示されていた。
私は小さく肩を落としてから呟く。

「マジかよ……。そんなに寝ちゃってたのか、私……。
徹夜明けとは言え、いくら何でも寝過ぎだろ……。
澪も起こしてくれりゃいいのに……」

「私だって起きたのは一時間くらい前なんだよ。
それに律もよく寝てたから、起こせなかったんだ。
疲れも溜まってるみたいだったし、ゆっくり休んでてほしかったんだよ」

「確かに疲れは溜まってたけどさ……」

「律にゆっくり休んでてほしいってのは、別に私の独断じゃないぞ。
唯も梓もムギも、律に休んでてほしがってたからな。
皆、最近、律が誰よりも頑張ってた事を知ってるから。
誰よりも軽音部の事を考えて行動してくれてた事を知ってるから。
だから、皆、今だけは律に休んでてほしかったんだよ」

頑張れた……のかな?
私は皆のために何かできたのかな?
私がそれを口に出すより先に、澪が大きく頷いた。
言葉は必要なかった。
澪の表情が皆の気持ちを代弁してくれてるみたいだった。
私は皆の手助けをできたんだって。
それはとても嬉しいけれど……、やっぱり少し照れ臭い。
私は澪から目を逸らして、窓の外を見ながら訊ねてみる。

「そういや、唯達はどうしたんだ?
一緒じゃないのか?」

「唯達は寝袋を片付けた後で、唯の家に行ったよ。
唯が何か忘れ物をしたみたいでさ、ムギと梓が付き添ってった。
私も付き添ってもよかったんだけど、律を一人にするわけにもいかなかったしな。
いや、買い出しには行ったけど、これでも急いで帰って来たんだぞ?
鍵もちゃんと掛けてたから、安全面でも問題は無かったと思うけど……」
619 :にゃんこ [saga]:2011/09/29(木) 20:49:16.47 ID:aNxPLZtc0
瞬間、私は自分の迂闊さを恥ずかしく思った。
そういや音楽室には鍵が掛かってたじゃないか。
鍵が掛かってたって事は、誰かが寝袋を片付けた後で鍵を掛けたって事なんだ。
世界の終わりが私以外に一足先に訪れたなんて、
そんな荒唐無稽に支離滅裂を二乗したみたいな現象が起こるわけないじゃんか……。
何を心配してたんだよ、私は……。

でも、その間抜けな考えは同時に、
それだけ私が冷静でいられなかったって意味でもある。
目が覚めた時、私は部員の姿が見えない事に……、
特に澪の姿が見えない事に、どうしようもない不安を感じた。
冷静でいられるはずもないくらい、心の奥底から全身で動揺した。
それくらい、恐かったんだ。
澪を失う事こそが。

今なら実感できる。
一番を決めるなんて馬鹿らしい。
好きな物、好きな人を好きな順番で並べる事に意味は無いし、その価値なんてほとんど無い。
それぞれに良さがあるのに、順位付けるなんて馬鹿げてる。
でも、思った。
私の中で一番大切な人は他の誰でもなく澪なんだって。

だから、私は言葉にした。
何処まで上手く伝えられるかは分からない。
友達以上恋人未満の関係なのに、一番大切な人だなんて順序的にも変な話だ。
けど、それが私の正直な気持ちだったから……、伝えなきゃいけないと思ったんだ。

「なあ、澪……?
私はさ、一人で音楽室に残されて恐かったんだ」

「悪かったって。
スーパーで美味しそうなごはん買ってきたから、それで許してくれよ。
ほら、律の好きなおにぎりを選んでくれていいからさ」

「いや、怒ってるわけじゃないんだよ、澪。
変な話をするみたいだけど、聞いてくれないか?
私が音楽室に残されて恐かった理由なんだけどさ……」

私は澪の手を握りながら話した。
自分の見た夢の事、音楽室に誰も居なかった事で頭に浮かんだ酷い想像の事を。
二つとも自分の弱さを象徴してるみたいで恥ずかしかったけど、
私の想いを正確に伝えるには、話しておいた方がいい事のはずだった。

「私も何度も見た事があるよ」

私の話を聞き終わった後、
顔を上げた澪が窓の外に視線を向けながら言った。

「『終末宣言』以来、律が見たみたいな夢、私も何回も見てた。
皆で大学に合格して、一緒に通って、
折角の大学生活だから一人暮らしを始めようとしたけど、
いきなりは不安だから律とルームシェアしたりしてみたりとかさ。
楽しい夢を見てて、夢の中じゃ幸せだったな。

でも、目が覚めた後に気付くんだ。
それは本当は悪夢だったんだって。
悲しい夢の方がずっとマシなくらい、心を抉り取るような悪い夢だったんだって。
こう言うのも恥ずかしい……んだけど、
私、そんな夢を見た後はしばらく一人で泣いてたよ……」

澪も見てたんだな、と私は思う。
逆に見ない方が変なのかもしれない。
普段はもう来ない未来の事を考えないようにして、
私達に訪れない大学生活なんかを考えないようにしてる。
曖昧な未来くらいなら考えられるけど、具体的な未来を頭に描くのはどうしても気が滅入る。
未来の事を具体的に考えるとなると、否応なしに世界が終わる事を実感させられるから……。
そんな無理をしてるから、眠った後の夢の中なんかで、
どうにか抑えてた未来への想像が溢れ出しちゃったりするのかもしれない。

だけど、今は夢よりも、現実で考えてしまった想像の方が重要だった。
悪い夢とは言っても、夢は夢なんだ。
深層心理や抱えた不安なんかが夢の中で溢れるのは、ある意味当然だ。
そんなのを深く考えても意味は無い。
他人の寝言と会話しちゃいけないって話も、何処かで聞いた事があるしな。
だからこそ、目が覚めた後の現実で考えた悪い想像の事こそを、考えなきゃいけなかった。
620 :にゃんこ [saga]:2011/09/29(木) 20:50:17.40 ID:aNxPLZtc0
私がその話を伝えようとすると、澪がそれより先にまた口を開いた。
私の言おうとしてる事を、澪は既に分かってるんだろう。

「自分一人が取り残されちゃう……。
私だってそんな想像をした事があるよ。何度も、何度もさ。
文芸部に入ろうと思ってた私に言えた事じゃないけど、
軽音部の仲間が私の前から居なくなっちゃったらって、
私だけが一人ぼっちなっちゃったらどうしようって恐かったよ。
実際、二年の時に律と違うクラスになって、
知ってる子が誰も居ないと思った時に、すごく恐かったから。
結果的に和が居たおかげで一人ぼっちにはならなかったけど、
それでも、恐かった。本当に恐かったんだよ……」

その時の事を思い出したのか、澪の手が少し震え始める。
二年の時、澪は私と離れて、そんなに恐がってたのか……。
気付いてあげられなかった自分を責めたくなったけど、そんな事をしても意味は無かった。
今、私がするべき事は、震える澪の手を握って、
気付いてあげられなかった分まで強く安心させてあげる事だろう。
私は澪の体温を感じて、澪も私の体温を感じて、
私達はお互いに傍に居るんだって事を感じ合う。

「ごめんな、澪」

澪の手を強く握って、澪の横顔に視線を向ける。
二年の時の事だけじゃなく、悪い想像を口にしてしまった事を謝るために。
私の本当の気持ちを伝えるためとは言っても、
こんな時に不安にさせるような事を伝えるべきじゃなかったのかもしれない。

「私もやっぱり恐がってんのかな……。
皆が、澪が居なくなる事を考えちゃうとさ、すごく不安なんだ。
音楽室の中に一人で居たのはほんの少しの時間だったけど、
それでも、いても立ってもいられないくらい恐かった。
もし私の馬鹿な想像みたいが本当になって、
私以外に世界の終わりが訪れて、私だけが取り残されるって考えるとさ……。
恐いんだよ……。
それこそ、死んじゃう事なんかより、よっぽど恐かったし、寂しかったんだよ……」

最後には弱音になってしまっていた。
まったく情けない……。本当に情けない私だ……。
でも、どうしてなんだろう。
私は澪以外の前では強がれるのに、弱い自分を何とか隠せられるのに、
どうして澪の前では弱い自分を曝け出しちゃうんだろう。

また私の手に体温を感じる。
気が付けば私の手が澪に握り返されていた。
今度は澪が私の手を強く握ってくれる番だった。

「律はさ……、私が居なくなる事が恐いって言ってくれたよな?」

「ああ、そうだな……。
恐いよ。澪が死んじゃうのが、澪が居なくなっちゃうのがさ……。
今更、こんな事を言い出すのも、澪には迷惑かもしれないけど……」

「本当、今更だよな」

長い髪を掻き上げてから、澪が言う。
言葉の内容自体とは違って、その澪の表情は優しかった。

「一つ聞いておきたいんだけど、
律がそんな一人ぼっちになっちゃうって想像をし始めたのって、
勿論、『終末宣言』より後だよな?」

「そりゃまあ……、そうだけど……」

「私は違うんだよ、律」

「違う……って?」

「律は『終末宣言』をきっかけに、
私が居なくなるのを恐がるようになってくれたみたいだけど、
私の方は『終末宣言』なんか関係なく、
そんなのよりずっと前から、律が居なくなるのが恐かったんだよ?」

すぐには何も言えなかった。
澪が何を言おうとしてるのか、まだ分からない。
今の私には、ただ澪の言葉を聞く事しかできない。
澪が多分戸惑った表情をしてるはずの私に顔を向けて、口を開ける。
その時の澪の表情は、意外にも普段の優しい笑顔だった。
621 :にゃんこ [saga]:2011/09/29(木) 20:51:08.45 ID:aNxPLZtc0
「私はね?
中学生……、ううん、多分小学生の頃から、
律が私の傍から離れていくのが恐かったんだ。
私って内気な方だし、律は活発で友達も多いからさ……。
それこそ律がいつ私の傍から消えてもおかしくないって思ってたよ。
高校に入ってからもその考えは消えなかったな。
律は唯と波長がすごい合ってるみたいだし、
私なしで唯と行動する事も増えてきて……、
私の前からいつ律が居なくなるのか不安で仕方なかったんだよ」

「私は……、澪から離れようなんて思った事なんて、一度も無かったんだぜ……」

澪の言葉に、私はどうにかそれだけ口にする。
澪が私の事をそんな風に考えてたなんて知らなかった。
嫌われてはいないはずだとは思ってたけど、
そんなに不安に思われるほどに私が大きな存在だったなんて……。
澪がまた軽く笑う。照れ笑い……になるのかな。
少し重そうな会話の内容とは違って、そんな表情で澪が話を続けた。

「分かってるよ、律。
いや、ようやく分かった……のかな?
こんな突然に終末が来る事になったせいでもあるけど、
まさか私が律と世界の終わりまで一緒に居る事になるなんて、思ってなかった。
最期まで律が一緒に居てくれるなんて、何だか夢みたいだよ。
馬鹿みたいだけど、こんな時期になって、私にはそれがようやく実感できたんだ。
律はずっと私の傍に居てくれるんだって。
こう言うのもおかしいけど、私はそれがすごく嬉しいんだよ。
律が傍に居てくれるなんて、それも友達以上の関係で傍に居てくれるなんてさ」

私は澪から握っていた手を放す。
瞬間、澪が少し不安そうな顔をしたけど、
すぐ後に私は自分の手を澪の頭の上に乗せた。
ニヤリと微笑んで、おどけて言ってみせる。

「まったく……。
重い女だな、澪は……。
何だっけ? そういうの何て言うんだっけ? ヤンデレだっけ?
ちょっとそんな感じだぞ、澪」

「私はヤンキーじゃないぞ」

「ヤンキーデレの略じゃねえよ!」

「分かってるよ、律。
でも、そっ……かな……。私……、重い女かな……」

「ああ、最近ムギのお菓子を食べ過ぎなんじゃないか?
二の腕や太腿なんかぷにぷにしてる感じに見えるぞ」

「体重の話っ?」

「いやいや、嘘だって。さっきの冗談のお返しだ。
それにさ、私は別に澪が重い女でも全然構わないぞ?
それくらい背負ってやるし、澪の気持ちを重いなんて考えるわけないだろ?
今更だけど、私だって澪と同じ気持ちなんだ。
澪と離れたくないし、ずっと傍に居たい。
例え残り少ない時間でも、お前の傍に居られたらいいなって思うんだ。
そうそう。日曜日は澪んちでゴロゴロするんだから、準備よろしくな」
622 :にゃんこ [saga]:2011/09/29(木) 20:51:39.40 ID:aNxPLZtc0
「え? そんな予定あったっけ?」

「いや、今決めた!」

「自慢げに言うな!」

言いながら澪が私の頭を叩く。
叩かれた頭を擦りながら私が笑うと、澪も優しい笑顔を浮かべて続けた。

「まあ……、仕方ないな。
じゃあ、予定も他にないし、明日は私の部屋でゆっくりしようか、律。
そうだな……。お茶でも飲みながら、ライブの反省会とかをするぞ」

「反省会かよー……」

「今日のライブが大成功だったら、反省会は短めにするよ。
だから、頑張ろうよ、律。今日のライブを。
何処までやれるかは分からないけど、最高のライブを目指そう?
絶対、歴史に残すライブにしたいしさ」

「当たり前田のクラッカーよ!」

「古いな!
でも、それにさ、律……。
一人ぼっちになる心配の先輩の私から言わせてもらうけど、律は大丈夫だよ。
終末までは私が傍に居る。終末から先は保証できないけど、終末までは絶対傍に居る。
嫌だって言っても傍に居るから。絶対絶対、傍に居るから!」

「……私もだ、澪。
一生、まとわりついてやるから覚悟しろよ!
離れてやらないんだからな!」

澪の肩に手を回して、私の方に引き寄せる。
離れるもんか。
澪の肩を抱きながら、頭の中で何度も呟く。
離れるもんか。絶対、離れてやるもんか。
世界の終わりにだって、私達の想いを壊させたりなんかしない。
623 :にゃんこ [saga]:2011/09/29(木) 20:54:34.02 ID:aNxPLZtc0


今回はここまでです。
そろそろクライマックスなので、今の内に裏話を。
書き始めた当初は実はこんなに律澪になるとは思ってませんでした。
それが今はこんな感じに。
恐るべし百合夫婦。
624 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/29(木) 20:58:52.90 ID:mJp/10vNo
乙。自分はこの二人大好きだからどんとこいです
でもひたすらに胸が苦しい・・・切ない
625 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/29(木) 21:12:23.66 ID:lR6dwjq7o
律と澪の会話いいなあ
お互いを大切に想って心を支えあってるのが伝わってくるね
626 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/09/29(木) 23:06:28.49 ID:7JmygCrf0
乙!世界が終わらなかった未来の夢を見るってのがまた切ないなあ
627 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/09/29(木) 23:46:56.55 ID:JtYwU9AN0
いいね
乙です
628 :にゃんこ [saga]:2011/10/02(日) 18:57:31.33 ID:TKPU1wp60





二人で肩を並べ、頭を寄せ合って、もう離れない事を決心した後。
私はゴスロリから自前の制服に着替え、澪と静かに昼食を食べた。
世界の終わりの前日でもまだ開いてるスーパーで、澪が厳選したごはんは美味しかった。
これで多分、私達が昼食を食べるのは明日の残り一回。
そう思うと、スーパーの惣菜でも、食べ終わるのが何だか名残惜しい。
苦手なおかずもあったけど、残らず綺麗に平らげてから、
澪の買って来てくれた歯ブラシや洗面具で身だしなみを整えていく。
邪魔にならないよう頭の上の方で結んでた髪を解き、
少しはねた髪を自前の櫛で梳かそうとすると、澪が私の椅子を用意して手招いた。
準備をしてくれたのに、遠慮をするのも失礼だ。
私は椅子に座り、櫛を澪に手渡した。

「んじゃ、頼むよ、澪」

「……うん」

頷いて、澪が私の髪に櫛を通していく。
小さい頃は結構やってもらってた事だけど、
そういえば高校生になってから、澪に私の髪を梳かしてもらった事はほとんど無かったな。
逆に澪の髪を結ばせてもらって、色んな髪型にして遊んでた事は何度もあったが。
それを私が口にすると、澪が私の頭を掴んでから溜息交じりに言った。

「高校生にもなって、お互いの髪を梳かし合うなんて変じゃないか。
それに……、えっと……」

「何だよ?」

「律に枝毛とか見つけられたくなかったし……。
律に髪を弄られてる時、本当は冷や冷やしてたんだぞ。
律に私の枝毛を見つけられたらどうしようって……」

それだけ長い髪なんだから、枝毛くらいあるだろう。
そうは思ったけど、口にはしなかった。
澪にとっては重要な事なんだろうし、そんな事を気にする澪が可愛らしく思えたからだ。
まあ、私も澪の事は言えた義理じゃないけどな。
前にムギに髪を梳かしてもらった時、
ムギは私の髪質を褒めてくれたけど、それでも何か恥ずかしかったもんな。

それに、やっぱり私に前髪を下ろした髪型は似合わない、って自分でも思う。
私が前髪を下ろすと一気に幼くなっちゃうって言うか、
無理に可愛らしさをアピールしようとしてるみたいって言うか……、
何かもう、とにかく恥ずかしいんだよな、これが。
前髪を下ろした姿を見せられるのなんて、家族か軽音部の皆くらいだよ、本当に。

はねてた髪が直ったかなって、自分でも分かり始めた頃、
机の上に置いてた私の黄色のカチューシャを澪が私の髪に当てていく。
流石は幼馴染み。
私がいつも着けてるのと全く同じ場所にカチューシャを着けてくれた。
それだけ澪が私の事を見ていてくれてたって事でもあるんだろう。
照れ臭い気分になりながら、後ろ手に澪の手を握る。

「ありがとさん、澪。
カチューシャ着ければ、今日もそれいけりっちゃんは元気百倍だ。
唯達が戻ったら、最後の音合わせに掛かろうぜ。
って言っても、後はチューニングの確認くらいだけどさ」

私のその言葉に澪は答えなかった。
聞こえなかったってわけでもないだろう。
何かあったのかと思って、様子を確認しようと振り返ろうとすると、澪が急に私の手を強く握った。

「……なあ、律。
一つ、我儘を言わせてほしいんだけど、いいかな……?」

神妙な声色だった。
それくらい澪の中では深い決心が必要な言葉だったんだろう。
私は振り返るのをやめて、正面を向いたまま頷いてから言った。

「いいよ。いつもは私が澪に我儘を聞いてもらってる立場だもんな。
あんまり無茶な我儘だと無理だけど、できる限りの我儘は聞くよ。
どんな我儘でも、とりあえずどんと来い!」
629 :にゃんこ [saga]:2011/10/02(日) 18:58:18.89 ID:TKPU1wp60
その私の言葉に、澪は少し安心したみたいだった。
ちょっと声色を柔らかくしてから、澪は澪の言う我儘を続けた。

「じゃあ……、言うね?
正直、ほとんど無い可能性だと思う。
万が一……、億が一……、ううん、兆どころか一京分の一くらいの確率かもしれない。
でも……、でもね……。
終末の後、もしも律が一人でも生き残ってたら、精一杯生きてほしいんだ」

澪は? とは聞かなかった。
澪が言いたい事は、つまりそういう事なんだって思った。
ほとんどあり得ない可能性だけど、無いとは言い切れない。
何かの間違いで、神様の悪戯かなんかで、
もしも私だけがこの世界に生き残っていたら……。
澪の居ない世界に。
私一人が。
考えただけで、身体が震えてくる。
それこそ、さっき私が澪と話した嫌な想像そのものだ。
私一人だけが取り残される、生き物全てが全滅するよりも残酷な未来だ。
それでも、澪は言ったんだ。
私に生きてほしいんだって。

「澪、それは……」

すぐには答えられない。
澪の居ない世界で私が生きていけるなんて、到底思えない。
澪が居ない世界に取り残されるくらいなら、私は澪と一緒に世界の終わりを迎えたい。

「生きてほしいんだよ……」

絞り出すみたいに澪が呟いた。
もしかしたら、泣きそうな顔をしてるのかもしれない。
そりゃ私だって生きてたいけど、それは誰かと生きてたいって意味だ。
澪と生きてたいって意味なんだ。
澪にも生きててほしいんだ。
それが無理なら、私が死ぬのはともかく、せめて澪にだけは……。

考えていて、気付いた。
私も澪と同じ事を考えてるって事に。
自分よりも生きててほしい人が居るって事に。
本当に我儘だよな、私……。
ごめん、澪。おまえを悪者にさせちゃったな……。
おまえは考えなきゃいけない最悪の未来を考えてくれてただけなのに……。

私は頷いた。
澪の決心を踏みにじらないために。
澪に謝るみたいに。

「……ああ、分かったよ、澪。
私……、生きるよ。生きる。おまえが傍に居なくても。
だから、おまえも……」

最後まで言う前に、澪が私の肩に手を回して顔を寄せた。
私の耳元で、若干震えた声で澪が囁く。

「……うん。私も生きる。
恐いけど……、すっごく恐いけど……、律と離れたくないから……。
律の傍に居たいから……、律の居ない世界でも、生きていくよ」
630 :にゃんこ [saga]:2011/10/02(日) 18:58:48.31 ID:TKPU1wp60
傍に居る事を誓い合った矢先に変な話だけど、
これも私達が傍に居るって事なんだろうな、とも思った。

傍に居られる時は、傍に居続ける。
でも、傍に居られなくなった時、どちらかを失ってしまった時、
せめて心の中でだけは傍に居られるように、お互いの願いを叶えられるように……。
私達は一人でも生きていく事を決心し合った。
恐いけど……、悲しいけど……、
私は私が死んでも澪に生きていてほしいから。
澪も澪が死んでも私に生きていてほしがってるから。
私達はお互いの我儘を叶え続けるんだ。

勿論、どちらかが生き残る可能性なんてほとんど無いのは、二人とも分かってるけどな。
まあ、最悪の状況を想像するのは、澪の悪い所で、いい所でもある。
澪は私の肩から身体を放すと、恥ずかしそうに長椅子に歩いて行った。
自分でも無茶な想像をし過ぎたと思ってるんだろう。
顔を俯かせて、小さく呟き始めた。

「ごめん……。変な我儘、言っちゃったよな……」

「いいよ。たまには澪にも我儘を言ってもらわなきゃな。
それに何か嬉しいんだよ。
澪の我儘は私の事を思ってくれての我儘だから、本当に嬉しいんだよ。
今も自分勝手な我儘を聞いてもらってる身としてはさ」

椅子から立ち上がりながら、私は軽く微笑む。
そのまま歩いて、澪の傍まで近付いて行く。
澪は不思議そうな表情をしていたけど、
何を言われるよりも先に私は腕を回して真正面から澪に抱き着いた。
いや、抱き着いたたんじゃないな。
抱き締めたんだ、私の友達以上恋人未満の澪を。

「ちょっ……! えっ……? えーっ……?」

何が起こったのか分からないって表情で、澪が私の腕の中でじたばた暴れる。
自分から抱き着く事は多いくせに、誰かに抱き着かれる事は慣れてないらしい。
そういや、私も唯とはふざけて抱き合う事は多かったけど、
澪とは自分からこんな風に密着する事はあんまりなかった気がする。
冷静になって考えると恥ずかしくなってくるけど、もう今更だ。
私は多分顔を真っ赤にしながら、澪に囁いた。

「澪が我儘を言ってくれたお礼に、私の精一杯を見せてやる」

「せ……、精一杯……?」

「友達以上恋人未満って言っても、色々……、あるじゃん?
もうほとんど恋人みたいな関係とか、友達よりちょっと親しいだけの関係とか、
相手を都合よく使うために、友達以上恋人未満って事にしてるだけの関係とか……。
友達にも色々な関係があるみたいに、友達以上恋人未満にも色々あるよな……?
まだ私は澪の事を恋愛対象として見れてないし、
将来的に恋人になれるかどうかも分かんないけどさ……。
こうして抱き締めたいくらいには、澪の事が好きなんだ。
だから……、これが今の私にできる精一杯なんだよ」
631 :にゃんこ [saga]:2011/10/02(日) 18:59:15.92 ID:TKPU1wp60
言ってて更に恥ずかしくなってきた。
私の我儘のせいで曖昧な関係になってしまってる私と澪。
だから、分かりやすい形で澪に私の気持ちを示したかったんだけど、
やっちゃった後で、今更これで正しかったのかって不安になってきた。
澪が愛おしくて、澪が大好きで、澪を抱き締めたかったのは確かだ。
これが今の私の澪への正直な気持ちの全てで、
今の私が澪にできる精一杯の行為なのには間違いが無いんだけど……。
何だかすごく不安になってくる。
私の想いや行動が本当に正しかったのか恐くて堪らない。
人に自分の想いを伝える事がこんなに不安になる事だなんてな……。

不意に、澪が苦笑した。
私の精一杯が一杯一杯なのがばれちゃったんだろう。
軽い感じで、澪が苦笑したまま呟く。

「精一杯って言われてもな……。
律ってば、唯ともよく抱き合ってるから、こんな事されてもよく分かんないな」

うっ……。
やっぱり澪さんはよく見てらっしゃる……。

「いや、それは親愛の情と言いますか、友達として……」

「だったら、私もまだ単なる友達って事だよな、律?」

「いやいや、そうじゃなくてだな……。
澪は友達と言うか、恋人に限りなく近いと言うか……」

「それに律は若王子さんともかなり仲がいいみたいだし、
やっぱりああいうお姫様みたいな子の方が好きなんじゃないのか?」

「だから……、そうじゃなくて、あー、もう!
そんな事言うなら、分かったよ! 変な事しちゃったよ!
もう離れるぞ、み……」

私が澪から身体を放そうした瞬間、
澪が私の脇の下から腕を通して私の胸の中に顔を静めた。
さっきまでの表情とは打って変わって、その時の澪は顔を真っ赤にしていた。

「ごめん、律……。
ちょっと意地悪しちゃったな……。
律の精一杯……、本当に嬉しいし、これで十分だよ。
簡単に私と恋人になるわけじゃなくって、
友達以上恋人未満って関係を選んでくれたのが、今は本当に嬉しい。
私の事を……、こんな普通じゃないお幼馴染みの私の事を、
律が本気で考えてくれてるって分かるからさ……」

意地悪された事について言いたい事も色々あったけど、
私の胸の中に居る澪の表情を見ていると、そんな事はどうでもよくなった。
不器用なやり方しかできなかった私だけど、
そんな不器用な私の想いを澪が受け取ってくれたんだ。
こんなに嬉しい事は無いよ。
腕に力を込めて澪を更に強く抱き締めながら、私はまた澪に囁いた。

「私も嬉しいよ、澪。
こんな時期に答えを出せない、優柔不断な私を受け入れてくれてさ……。
だから、考える。ずっと考え続けるよ。
澪と恋人になれるのか、澪の恋人になりたいのか、週二でデートしながら考えるよ」

「うん、楽しみにしてる」

「ただし、澪。
おまえにもちゃんと考えてもらうぞ?
おまえが本当に私の恋人になりたいのか?
私の恋人になって、本当に幸せになれるのか?
デートしながら、おまえにもそういう事を考えてもらうからな?」
632 :にゃんこ [saga]:2011/10/02(日) 18:59:45.47 ID:TKPU1wp60
澪の気持ちを疑ってるわけじゃない。
でも、澪にも後悔の無いように考えてほしかった。
今更だけど、澪や私の中に生まれたこの想いは、
吊り橋効果みたいなやつから生まれた物かもしれない。
それに、女同士の恋愛関係も色々と大変だろうしな。
だから、考えるべきなんだと思う。
世界が終わろうと、世界が終わるまいと、
自分の想いが本当に正しいのかを自分に問い続けるのは、必要な事のはずだ。
私のその気持ちを分かってくれてたみたいで、澪も私の胸の中で静かに頷いてくれた。
考え続けようと思う。
世界の終わりまで、澪の傍で。

……って言っても、
実を言うと私の中に澪との恋愛に対する不安はほとんど無い。
よく漫画である、世界全てを敵に回しても澪を好きでいられるか……、
って想像をしようかとも思ったんだけど、その想像自体が現実的じゃなかったんだよな。
大抵、こういう恋愛関係の場合、
周りや家族が猛反対して、世界全体から自分達の関係が拒絶される……、
みたいなのがありがちな展開なんだろうけど、
何か私達にそういう展開は当てはまらない気がするんだよな。

だって、もしも私が澪と付き合う事になったって伝えても、
うちの両親なら一言で「いいよ」とか言いそうなんだよ。いや、マジな話。
どんだけ放任主義なんだよ……。
あと軽音部のメンバーも平然と認めてくれちゃいそうだ。
唯なんか「え? まだ付き合ってなかったの?」とか言うんじゃないだろうか。
勿論、全員が全員、認めてくれるわけじゃないんだろうけど、
私の大切な人達が認めてくれるんなら、それでいいかって気になってくる。
そんなわけで、女同士の恋愛に対する不安はほとんど無いんだ。
呆れたから漏れたのか、安心できたから漏れたのか、
どっちでもあり、どっちでもないような苦笑が私の口からこぼれる。

「どうしたんだ、律?」

その苦笑に気付いた澪が、私の胸の中で小さく訊ねてくる。
「何でもないよ」と首を横に振って、澪を抱き締める腕の力をもう少しだけ強くした。
私に不安は無い。澪と傍に居る事が恐くなるなんて事は無い。
だから、後は考えるだけだ。
傍に居過ぎて空気みたいな存在になっちゃった澪を、恋愛対象として見れるかって事を。
それはとてもとても長い時間が掛かる事だと思う。
残り少ない時間で答えが出る事じゃないし、無理に答えを出していい事でもないはずだ。
こう言うのも変だけど、のんびりマイペースな放課後ティータイムとして、
私達の関係のその後をじっくりと考えていきたい。
勿論、それまで私がするべき事は、澪の傍から離れない事が最優先だけどな。
633 :にゃんこ [saga]:2011/10/02(日) 19:00:14.36 ID:TKPU1wp60
不意に。
音楽室の中に小さな音が立った。
何だろうと思って、澪を胸の中に抱き締めたまま周りを見回すと……。

「ギャー!!」

思わず大声を上げながら、私は澪から自分の身体を放した。
私から身体を放された澪は一瞬不安そうな顔になったけど、
私の大声の原因を音楽室の入口付近に見つけると、

「ギャーッ!!」

私と同じ様な叫び声を上げて、顔面を真っ赤に染めた。
それもそのはず。
唯とムギと梓がトーテムポールみたいに身体を重ねて、
音楽室の入口から私達の様子を嬉しそうにうかがっていたからだ。

「あー、気付かれちゃった……」

「唯先輩が物音立てるからですよ!」

「だって、二人の様子をもっと近くで見たかったんだもん……」

隠れるのをやめた唯達が肩を並べて部室に入ってくる。
本当は覗き見されてた事を怒るべきなんだろうけど、
唯達のその様子は楽しそうな上に嬉しそうで、とても怒れるような雰囲気じゃなかった。
三人で私と澪を見守っててくれたんだろうな、って私は思う。
いや、覗き見されてた事自体は相当恥ずかしいが……。

「りっちゃん、おいっす」

気に入ったのかムギの借りてくれた制服をまだ着てる唯が微笑む。

「お……、おいっす……」

声が上擦りそうになりながらも、
それをどうにか抑え、平然を装って唯に返す。
その私の様子をムギが心底嬉しそうな表情で生温かく見つめてる。

「ねえねえ、りっちゃん。澪ちゃんと何してたのー?」

無邪気な表情で唯が続ける。
こいつ……、とぼけやがって……。
私は唯から視線を逸らしながら、こっちもとぼけてやる事にした。

「ほら……、アレだ。
そう! 『ロミオとジュリエット』の劇の復習だよ!
澪と話してたら懐かしくなってきちゃってさ、
それで今抱き合うシーンをやってたところだったんだよ!
なあ、そうだよな、澪!」

私が澪に言うと、張子の虎みたいに澪がコクコクと何度も首を振った。
顔を真っ赤にしながらで説得力は全然無かったけど、何もしないよりはマシだ。
しかし、唯はまた無邪気な顔を崩さずに楽しそうに言ってくれた。

「えー……?
ロミジュリじゃ、りっちゃんがジュリエットだったじゃん。
ジュリエットは抱き締められる方なのに、
今回はりっちゃんが澪ちゃんを抱き締めてるように見えたよ?
ロミジュリなら、ロミオがジュリエットを抱き締めないと駄目だよー?」
634 :にゃんこ [saga]:2011/10/02(日) 19:00:40.16 ID:TKPU1wp60
……よく見てんじゃねーか。
私は溜息を吐きながら、視線を梓の方に向けてみる。
梓は顔を少し赤くさせながら、私と澪の顔を交互に見つめていた。
そういや、梓の奴、前に学園祭のライブで澪のパンチラ(パンモロ?)見て興奮してたな。
唯に何度抱き着かれても抵抗しないし、やっぱりこいつ……。
いやいや、梓の嗜好は今は関係ない。

別に唯達に私と澪の関係がばれるのが嫌なわけじゃない。
いつかは皆に伝えなきゃいけない事だとも思う。
でも、今は……、何だ……、は……恥ずかしい……。
ほとんど気付かれてはいるんだろうけど、
自分達の口から伝えるのは、二人の関係がもっとはっきりしてからにしたいし……。
少なくとも、今日のライブが終わるまではまだ内緒にしていたい。

「そ……、それよりさ、唯?
忘れ物を取りに帰ったらしいけど、一体何を忘れたんだよ?
今日のライブの道具でも忘れたのか?」

誤魔化すように私が話を逸らすと、
「そうだった」と言いながら唯がポンと手を叩いた。
音楽室の入口の方まで走って行って、
廊下に置いていたらしい大きめの紙袋を手に取ると、楽しそうに私の目の前に差し出した。

「じゃじゃーん!
忘れ物はこれだったのです!
折角用意してたのに、昨日持って来るの忘れちゃってたんだ。
ちなみにライブの道具は大丈夫だよ。一週間前からちゃんと準備してたもん。
憂が!」

「それは安心だな」

言いながら、私は唯の差し出した紙袋を受け取る。
お、結構重い……。
何が入ってるんだ?
紙袋の中を覗いてみる。
中に入っていたのは、写真や紙切れや金属の箱やその他色々……?
何だこれ。

「おい唯、何だよこれ」

「え? 分かんないの、りっちゃん?」

「うむ。全く」
635 :にゃんこ [saga]:2011/10/02(日) 19:01:09.38 ID:TKPU1wp60
首を傾げて唯に訊ねると、ムギと梓が軽く苦笑したみたいだった。
私を馬鹿にしてるわけじゃなくて、分からなくて当然、って言いたげな苦笑だった。
二人は唯から聞いて袋の中身の正体を知ってるんだろうけど、
逆に言えば聞かなきゃ絶対に分からないって事なんだろうな。
特に唯のやる事だ。
相当、奇想天外な正体なんだろう。
気が付けば、赤面がまだ治まり切ってない澪も紙袋の中身を覗きに来ていた。
やっぱり澪も紙袋の中身の意味が分からないみたいで、私と視線を合わせてから肩をすくめた。

「もー。りっちゃんも澪ちゃんも鈍いなあ……。
長い付き合いなのにー……」

頬を膨らませて、心外そうに唯が呟く。
鈍いって、そういう問題なのか、これ?
だって、写真はともかく、この紙切れなんかサイズや内容に一貫性が無いしなあ……。
……って、よく見たらこの紙切れ、私が授業中に唯に回した手紙か?
ちょっと探ってみたら、楽譜や猫耳なんかも入ってるみたいだな。
写真も一貫性は無いけど、一応、全部私達が写ってる写真ではある。
共通点って言ったら、当然ではあるけど私達に関係ある物って事くらいか。
それに加えて、紙袋の中に不自然に入ってる金属の箱……。
という事は、ひょっとすると……。

「唯、もしかして、これ……。アレか?」

私が呟くと、今度は急に私に抱き着いて、
「流石はりっちゃん!」と嬉しそうに唯が笑う。
どうやら私の考えが当たっていたらしい事が分かり、つい微笑んでしまう。
唯らしい天然で奇想天外な発想だけど、悪くない考えだと思ったからだ。
ふと振り返ってみると、一人だけ状況を掴めていない澪が寂しそうに首を傾げていた。
まあ、澪じゃ想像も付かない事かもしれないなあ……。
流石に唯も澪がこの紙袋の正体に辿り着くのは無理だと気付いたらしい。
私が澪にその正体を説明しようとするより先に、唯が幸せそうな笑顔を崩さずに言った。

「これはね、澪ちゃん……。
私達からの未来の人達へのプレゼント……。
タイムカプセルなのです!」
636 :にゃんこ [saga]:2011/10/02(日) 19:03:41.62 ID:TKPU1wp60


今回はここまでです。
ちょっと静かな展開。

タイムカプセルって懐かしいなあ。
637 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/02(日) 23:43:11.50 ID:q28QDf0k0

未来の人達へのプレゼントってどういうことだろう
638 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/02(日) 23:57:44.55 ID:WDvw6RWSO
やっぱ律澪はいいね
乙!
639 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/03(月) 08:11:49.72 ID:oUXrI9RIo
>自分達の口から伝えるのは、二人の関係がもっとはっきりしてからにしたいし……。
>少なくとも、今日のライブが終わるまではまだ内緒にしていたい。

二人の関係がどんなふうに変化していくのかも楽しみだな
640 :にゃんこ [saga]:2011/10/04(火) 20:48:04.38 ID:tfOQQ7Jq0





先にさわちゃんに差し入れに行った梓を見送った後、
私達はタイムカプセルとスコップを持って校庭の大きな桜の樹の下に集まっていた。
枯葉もかなり散り終わった桜の樹を見上げながら、
そういや、この桜の樹に伝えられる伝説を誰かから聞いた事があったな、と何となく思い出す。
確かこの樹の下で女の子から告白して結ばれたカップルは、
呪われた輪廻に囚われて、別れたいと思っても永遠に別れられないとか何とか。
ありがちな伝説のはずなのに、そう言われると何か恐い。
何事も物は言い様だな……。
と言うか、うちは女子高なんだが……。
まあ、伝説ってのは、古くから伝えられてるもののはずなのに、
詳しく調べてみると、その実は十年前に創作されたものだった事もよくあるらしい。
この桜の樹にまつわる伝説も、多分、誰かが適当に創作したものなんだろうな。
そうして、特に興味の無い桜の樹の伝説について考えていると……、

「すみません、お待たせしました」

さわちゃんに差し入れを終えたらしい梓が、桜の樹の下の私達に駆け寄って来た。
その梓の腕には学生鞄が抱えられている。
キーホルダーを失くしてしまった梓の学生鞄だ。
水曜日までの梓ならその学生鞄を決して私達に見せなかっただろうけど、
完全ではないながらキーホルダーの事を吹っ切れた今の梓なら大丈夫だった。
まだ少し後悔や悲しさはあるんだろうし、その顔は複雑そうな表情に見える。
でも、梓は精一杯の笑顔を私達に向けてくれた。
私も梓に笑顔を向け、何事も無いような普段通りの口調で梓に訊ねる。

「どうしたんだ、梓?
鞄なんか持っちゃって……、中に何か入れて来たのか?」

「はい、律先輩。
実は先生に差し入れに行った後で、
タイムカプセルに入れられそうな物を、部室や教室で探してみたんです。
これといった物はあんまり見つからなかったんですけど、とりあえず鞄の中に詰め込んで来ました」

「あずにゃんもタイムカプセル埋めるの楽しみなんだねー」

唯が嬉しそうに梓に言ったけど、
梓は唯から視線を逸らして、私によくやるみたいに頬を膨らませてみせた。

「別にそんな事は無いです。
唯先輩がどんな理由でタイムカプセルを埋めようって言い出したのかは分かりません。
でも、私はやるからには徹底的にやっておきたいんです。
よく分かりませんけど、このタイムカプセルは未来の人達へのプレゼントなんですよね?
だったら、適当な物なんか入れられないじゃないですか」

「もう。楽しみなくせに、あずにゃんも素直じゃないんだからー……」

梓の生意気な発言も意に介さず、唯は嬉しそうな表情を崩さない。
梓がタイムカプセルを楽しみにしてる事は間違いない、って思ってるんだろう。
普段の唯の判断は何の根拠も無い事が多いけど、
今回ばかりは唯が間違ってないと私も強く感じた。物凄く感じた。
何故なら、梓の学生鞄が何をそんなに詰め込んだんだって思えるくらい、パンパンに膨らんでいたからだ。
間違いなくとりあえずってレベルじゃない。
自分の思い出の品を片っ端から詰め込んで来たってレベルの量だぞ、これ。
前に小さく潰された梓の鞄を見ていただけに、余計にそう感じる。
あれだけ小さく潰す事ができる鞄を、ここまで膨らませる事ができるのか……。
呆れを超えて、逆に感心させられる。

視線をやってみると、澪もムギも苦笑に似た表情を浮かべていた。
勿論、そんな梓を嫌がってるわけじゃない。
生意気で素直じゃなくて、可愛らしい後輩を微笑ましく思ってるって、そんな感じの表情だった。
多分、今の私も澪達と似た表情を浮かべてるはずだ。
私達の表情に気付いたのか、
鞄を限界まで膨らませておいての自分の発言に説得力が無いと思ったのか、
梓はその場に鞄を置くと、顔を少しだけ赤く染めながら早口で誤魔化すように言った。
641 :にゃんこ [saga]:2011/10/04(火) 20:54:32.77 ID:tfOQQ7Jq0
「そ……、そんな事より早く穴を掘らないといけませんよね。
先輩達に力仕事をさせるのも申し訳ないんで、私が穴を掘りますね。
ムギ先輩、スコップを貸して頂けますか?」

歩き寄りながら、ムギからスコップを借りようと梓が手を差し出す。
ムギは柔らかい笑顔を浮かべ、スコップを持ったままで軽く首を横に振った。

「ううん、大丈夫よ、梓ちゃん。もう穴は掘らなくてもいいの」

「え? どうしてですか?
タイムカプセルを埋めるなら、少しでも深い穴を掘っておいた方が……。
あ、心配しないで下さい、ムギ先輩。
ムギ先輩ほどじゃありませんけど、私、力は強い方なんですよ?」

ムギに心配させないようにしてるんだろう。
力強く微笑みながら、梓がもう一度ムギに向けて手を差し出した。
だけど、ムギはまたスコップを梓に渡そうとはしなかった。
不安そうな表情を浮かべる梓に、ムギが優しい声色で言葉を掛ける。

「穴はもういいんだよ、梓ちゃん。
だって、ほら……」

梓を手招きながら、ムギが桜の樹の私達が立っている側の裏に歩いて行く。
梓が首を傾げながらムギの後に付いて行き、私達もその後に続いた。
桜の樹の裏側に完全に回った後、
ちょっと照れた表情を浮かべながら、ムギが自分の足下を指差した。
ムギの指の先に視線を向けた直後、梓が悲鳴みたいな甲高い声を上げた。

「早っ!! 深っ!! 凄っ!!」

何かの技の名前みたいだが、当然ながらそんな事は無い。
敬語を使うのも忘れて、梓がそんな我を忘れた声を上げるのも当然だ。
それもそのはず。
ムギの指差した先には、半径五十p近い大きな穴が掘られていた。
勿論、この穴は私が掘った物でも、唯や澪が掘った物でもなかった。
梓もそれくらいは分かってるんだろう。
軽い化物でも見るような視線をおずおずとムギに向ける。
梓に視線を向けられたムギは、困ったような微笑みを浮かべながら、恥ずかしそうに続けた。

「私、皆でタイムカプセルを埋めるのが夢だったの……。
タイムカプセルを埋めるのなんて初めてだから、
嬉しくて、張り切り過ぎちゃって……、つい穴を深く掘り過ぎちゃったの……」

「そ……、そうなんですか……。
すみません、ムギ先輩……。
何だか私、出しゃばった真似をしちゃったみたいで……」

「ううん。私の方こそ、梓ちゃんの申し出を無駄にしてごめんね……」

「い……、いいえ、謝らないで下さい、ムギ先輩。
あの……、えっと……、お疲れ様でした……」
642 :にゃんこ [saga]:2011/10/04(火) 20:55:35.69 ID:tfOQQ7Jq0
その言葉の後、梓とムギの言葉は止まった。
無理も無い。
傍から見てた私達ですらびっくりしてるんだ。
事態を全く知らなかった梓の驚きは、私達よりも遥かに大きいはずだ。
何しろさわちゃんに差し入れを持って行った梓と別れてから、合流するまで二十分も経ってないんだ。
まさかその間にこんなに深い穴をムギが一人で掘るなんて、梓も夢にも思わなかっただろうな。

いつもあれだけ重いキーボードを平然と持ち運んでるんだ。
ムギが力持ちだって事はよく知ってたけど、まさかここまでとは思ってなかった。
「穴は私が掘りたい」というムギに、体育館倉庫で見つけたスコップを手渡して約七分。
たったそれだけの時間で半径五十p近い穴を掘るなんて、驚異的と言わずに何て言えばいいんだろう。
かなり固いはずの地面をプリンみたいに掘ってくんだもんなあ……。
ムギは絶対怒らせないようにしよう……。
そんな事を考えた、ムギと出会って三年目の冬。

少しだけの沈黙。
私も澪も梓もムギも、何を言うべきなのか迷ってしまってる。
放課後ティータイムの仲間達は言葉を失う。
約一名を除いて。

「穴掘るの、ムギちゃん一人に任せてごめんね。
でも、ありがとう。これでタイムカプセルを埋められるよ!」

その約一名とは言うまでもなく唯だった。
何事にもって程じゃないけど、ほとんどの事には動じない性格の唯が何だか羨ましくなる。
唯の言葉に心が落ち着いたようで、ムギが軽い微笑みを浮かべた。

「ううん、気にしないで、唯ちゃん。
穴を掘るのは、私がやりたくてやった事だもん。
私の方こそありがとう、唯ちゃん。
タイムカプセルを埋めるって夢を叶えさせてくれて」

「いえいえ、こちらこそー」

ムギのまっすぐな言葉に、唯が照れ笑いを浮かべる。
いつもなら突っ込みを入れてたところだけど、今回は別にいいかと思った。
唯のやる事はいつも突然で、いつも無茶苦茶で、
でも、それがいつも面白くて、いつも楽しくて、いつも嬉しい。
多分笑顔になりながら、私は腕を上げて宣言する。

「よっしゃ。
穴はムギが掘ってくれた事だし、タイムカプセルを埋める事にしようぜ。
と言うか、まずはタイムカプセルに入れる物の選別から始めなきゃいけないんだけどな。
梓の鞄の中に入ってる物全部を入れるのは無理だもんな」

目配せをしてみると、流石に鞄の大きさを自覚している梓が小さく縮こまった。
梓も変な所で一生懸命になるよなあ……。
でも、タイムカプセルに心を躍らせてるのは、私も同じだった。
やってる事が小学生レベルではあるけど、子供の頃に戻れたみたいで何か楽しい。
気が付けば、梓の置いていた鞄をムギが軽々と持って来ていた。
そのままムギが鞄を開き、私も鞄の中身を覗き込んでみる。
643 :にゃんこ [saga]:2011/10/04(火) 20:56:07.41 ID:tfOQQ7Jq0
「色々持って来たよなあ……」

思わず呟いてしまっていた。
梓の鞄の中には部室に置いていた私達の写真や、
余ってたピックや五線譜、学祭でさわちゃんが用意してくれたHTTのTシャツなんかが入っていた。
あの短い間で、よく掻き集めて来たもんだ。

「おっ、これは……」

面白い物を見つけた私は、呟きながら鞄の中からそれを取り出してみる。
中身の入ったCDケース……、我が軽音部思い出のディスクとはつまり……。

「うわあっ!」

妙な声が上がったかと思うと、
そのCDケースがいきなり私の手からひったくられた。
ひったくったのは、勿論澪だ。
横目に様子をうかがってみると、
澪は顔を真っ赤にしてそのCDケースを胸の中に抱いていた。
私は若干呆れて、澪の肩を叩いて軽く声を掛けてみる。

「おいおい……。そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃんか……」

「やだ! タイムカプセルでも、これを残すのだけは絶対に嫌!」

「将来的には、きっと笑える一品になってるって」

「やだやだ! 本気で嫌だからね!」

「み……」

「いーやーだーっ!」

取り付く島も無かった。
まだこんなに心の傷が残っていたのか……。
まあ、一度封印が解かれたとは言え、再封印されたブツだ。
澪にとっては、本気で誰の目にも触れさせたくない代物なんだろう。
そう。そのCDケースの中のディスクの正体は、
梓が入部するより前に制作した新入生歓迎ビデオだった。
何故か澪にナースのコスプレをさせて撮影されたいわくつきの一品だ。
そういや、本当にあれ何でナース服だったんだろう……。
当時、さわちゃんの中でブームでも来てたんだろうか。
どうでもいいけど。
644 :にゃんこ [saga]:2011/10/04(火) 20:57:38.44 ID:tfOQQ7Jq0
「澪ちゃん、落ち着いて」

心配そうにムギが澪の肩に手を置く。
泣きそうな顔で、澪がムギの方向に振り返って言った。

「こんなの残したくないよ、ムギ……。
梓もどうしてこんなの持って来たんだよ……。
こんなのずっと封印しててよかったじゃないか……」

澪が責めるような視線を梓に向ける。
梓も澪に責められる事は分かってたみたいで、
申し訳なさそうな顔を浮かべながら、大きく頭を下げた。

「すみません、澪先輩。
でも、私、軽音部の思い出はできる限り残しておきたくて……。
特にそのディスクは私達の数少ない映像ですから、絶対に残しておきたいんです」

「梓の言う事も分かるけど、だからって……」

「心配しないで下さい、澪先輩。
澪先輩だけに恥ずかしい思いはさせません。私も封印を解きます」

言って、梓がポケットの中から、また中身の入ったCDケースを取り出した。
澪が胸の中に抱くCDケースと同じく封印されしもう一枚……。

「あ、それちょっと前に作ったビデオ?」

唯が嬉しそうにそのCDケースを指差すと、真剣な表情で梓が頷いた。
私も胸の前で腕を組んで、梓に向けて神妙な声色で呟いてみる。

「軽音部にようこそにゃん……のやつだな」

「今はそこには触れないで下さい、律先輩」

「はい、すみません、梓後輩」

悪い事は言ってなかったはずだが、怒られてしまった。
釈然とはしないが、今は黙っておく事にしよう。
梓は視線を澪の方に戻すと、静かな声色で続けた。

「澪先輩がそのディスクを残すのが恥ずかしいなら、
私も私の恥ずかしいディスクを残します。恥ずかしいけど、残したいんです。
私達が軽音部で活動した記録ですから、
未来の私達じゃなくても、誰かに観てもらいたいって思うんです。
これは私の我儘ですから心苦しいんですけど、
でも、どうかそのディスクをタイムカプセルに入れさせてもらえませんか?」

真剣な表情と、真摯な態度だった。
一度大切な物を失くしてしまった梓なんだ。
残された思い出の品を大切にしたいという気持ちが、誰よりも強いんだろう。
私は軽く微笑み、ムギの隣で澪の肩に手を置いた。

「観念するしかないな、澪。
後輩がここまで言ってくれてるんだ。
願いを聞き届けてやらなきゃ、女が廃るってもんだ」

「それは……、私もそうしてあげたいけど、でも……」

「分かったよ、澪。
おまえの気持ちも分かる。
それじゃ、梓には悪いけど、その代わりに一年の頃の学祭のビデオを……」

「わーっ!
分かったよ! もう我儘言わないよ!
一年の学祭のビデオ入れるくらいなら、こっちのディスクを入れてくれよ!」

澪が真っ赤になりながら、胸に抱いてたディスクを私に手渡す。
勝った……!
脅したみたいで居心地が悪いけど、
澪に早く決心させるためにはこれが一番いい方法のはずだった。
澪としても梓の願いを叶えてやりたかったんだろうけど、
一度嫌がった手前、自分から引き下がりにくかったみたいだしな。
645 :にゃんこ [saga]:2011/10/04(火) 21:00:42.02 ID:tfOQQ7Jq0
梓が申し訳なさそうに私と澪の顔を交互に見てたけど、
気にするなって意味も込めて、軽く梓にそのディスクを手渡してやった。
梓の言ってる事は確かに我儘ではあるけど、間違ってないんだ。
こういうのは、後輩が言っていい我儘なんだと私は思う。
私は軽音部で後輩になった事が無いから、
模範的な先輩ってやつが分からないけど、
私自身はそういう後輩の我儘を笑顔で聞き届けてやれる先輩でいたい。

「そういえば……」

ムギに支えられて立ち上がりながら、澪が不意に小さく呟く。

「さっき唯はこのタイムカプセルを、
未来の人達へのプレゼントって言ってたよな?
どういう事なんだ?」

それは私も気になってる事だった。
タイムカプセルってのは、当たり前だけど未来の自分達に残すための物だ。
百歩譲って自分達じゃない未来の誰かに残すのはいいとしても、
その人達へのプレゼントってのがよく分からない。
澪に合わせて私も首を傾げると、唯が急に真剣な表情を浮かべて言った。
相も変わらず、馬鹿みたいな速度で雲が流れる空を見上げながら。

「うん、実はね……。
ほら、明日がおしまいの日だよね?
世界から皆が消えて居なくなっちゃう日なんだよね?
私も、りっちゃんも、澪ちゃんも、ムギちゃんも、あずにゃんも、
憂も、和ちゃんも、純ちゃんも、さわちゃんも、皆……、皆……。
って事は、タイムカプセルを残しても、もう私達にこのタイムカプセルは開けないよね……。
誰も開けられなくなっちゃうよね……。
それってすっごく悲しくて寂しい事だよね……?

でも、私、思ったんだ。
世界から皆が居なくなって、生き物全部居なくなっちゃって、
しばらくこの世界から生き物が居なくなっちゃっても……。
いつかは新しい生き物が生まれて来るはずだよね?
理科の授業でやったけど、この地球も最初は生き物が一種類も居なかったんだよね?
それでも、よく分かんないけど、生き物は何処かから生まれて、
私達みたいにお茶を飲んだり、音楽を演奏できるくらいに進化したんでしょ?

だったら……、だったらね?
きっといつかは私達みたいにタイムカプセルを残そうって思う、
今の人間みたいな生き物も生まれてくるって思うんだよね。
だから、このタイムカプセルは、そんな人達へのプレゼント。
ずっと昔、こんな人達が居たんだって、想像して楽しんでもらうためのプレゼントなんだ。
……勿論、私達のタイムカプセルを、
未来の私達じゃなくても、誰かに受け取ってもらいたいって気持ちもあるけどね」
646 :にゃんこ [saga]:2011/10/04(火) 21:03:34.56 ID:tfOQQ7Jq0
皆、静かに唯の言葉を聞いていた。
唯がそこまで未来について考えてたとは思ってなかったんだ。勿論、私も含めて。
少し強い風に吹かれるその唯の表情は、とても力強く、頼もしく見えた。

「すげーな、唯……」

私が感心して言うと、唯が頭を掻きながら表情を崩した。

「いやー……、
実は今言った事のほとんどが、オカルト研の子達からの受け売りだけどねー」

「私の言ったすげーを返せ!!」

一瞬にして全身から力が抜ける。
澪達も困った感じで苦笑してるみたいだ。
唯も黙っときゃいい話で終われたのに……。
まあ、そういう事を黙ってられないのが、唯って奴なんだけど。
でも、言われてみると、
確かにさっきの唯の言葉はオカルト研の子達が言いそうだった。
世界の終わりの後に生まれる新しい人類なんて、いかにもオカルト的だ。
別に悪いわけじゃない。
そう考えると楽しくなってくるし、
それを真面目に考えてタイムカプセルを残そうと思い付いたのは、確実に唯の発想だろうしな。

「でも、そうだな……」

私は空を見上げながら誰にでもなく、自分に向けて呟いてみる。

「未来の私達じゃなくても、
未来に生きてる誰かがこのタイムカプセルを受け取ってくれたら、嬉しいよな……。
私達が生きた証拠が残るって事だもんな……」

「人は……、二回死ぬ……か」

答えを期待したわけじゃなかったけど、私の呟きに続く言葉があった。
その言葉は澪が呟いたものだった。
澪に視線を向けて、私は小さく訊ねる。

「何だ、それ?」

「いや、唯の話を聞いてて、何となく思い出したんだよ。
聞いた事ないか、律?
人は二回死を迎える。
一回目は肉体的に死を迎えた時。
二回目は誰からも忘れ去られた時……って、よく聞く言葉だよ。

もしもだけどさ……。
もしも本当に新しい人類が生まれて、
このタイムカプセルを見つけてくれたら、その人達は確実に私達の事を考えるよな?
私達の事を考えて、心の中に残してくれるはずだよ。
だったら……、それはつまり……」

「私達の二回目の死は無くなる……って事か?
私達の事を考えてくれる人が居る……か。
肉体的に死ぬ事には違いないけど……、ちょっと嬉しいな」

唯がそこまで考えていたのかは分からない。
未来の人に残す物=タイムカプセルって単純に連想しただけかもしれない。
勿論、それでもよかった。
その単純さが唯の強さで、
そんな唯が私達の仲間でいてくれる事が私達の幸せだったんだと思う。
647 :にゃんこ [saga]:2011/10/04(火) 21:09:02.11 ID:tfOQQ7Jq0


今回はここまでです。
タイムカプセル編かと思いきや、実はオカルト研編?

ではここでまた個人的な裏話。
No,Thank Youネタをやってしまったせいで、
ワタクシ、ED映像を見る度に泣ける体質になってしまいました。
648 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/04(火) 22:16:37.78 ID:3IeRbIgSO



ED映像捉え方によってはなんか悲しい
5人とも切なくなる表情だし
649 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/04(火) 23:13:45.56 ID:nVTrclASO

それぞれ皆はどんな品物を持ってきたんだろう
650 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/04(火) 23:38:43.91 ID:48U9mqkVo
未来の人にタイムカプセル残すことで自分達の思い出は消えずにずっと残るってことか
いいね〜乙
651 :にゃんこ [saga]:2011/10/06(木) 19:42:07.81 ID:Vhb6Zuoq0
「素敵な考えだね」

嬉しそうな感じで、微笑みながらムギが言う。
ムギも何度も世界の終わりの事を考えて泣いたと言っていた。
まだ心の中にしこりは残っているんだろうけど、
ムギは世界の終わりを前にして歩みを止めてしまうより、
私達との最後のライブを目指す事を選んでくれた。
泣く事をやめ、取り戻せたそのムギの笑顔は眩しい。

「でも、大丈夫かな……?」

不意にムギの笑顔が曇る。
でも、それは世界の終わりに悲しみを感じてるからじゃなかった。
もしかしたら唯よりも天然かもしれない、
ムギらしい心配をしただけだって事はそのすぐ後のムギの言葉で分かった。

「ここにタイムカプセルが埋まってるって、未来の人達は気付いてくれるかな?
何か目印みたいな物があった方がいいんじゃないのかな?」

私はそんなムギの天然な心配を苦笑しながら、ムギの肩を軽く叩いた。
天然ではあるけど、もっともな心配ではあるよな。

「そういやそうだよな、ムギ。
世界の終わりの後にどれくらい残るかは分かんないけど、
せめて目印になる物くらいは置いておいた方がいいかもな。
できるだけ頑丈で、ちょっとやそっとじゃ壊れそうにない目印がいいよな。
何かちょうどいい物あったっけか?」

「ふっふっふ……」

私が呟くと、いきなり唯が不敵に笑い始めた。
腰に手を当てて、完全に悪役の笑い方だ。

「何だよ、唯。
気持ちわりーな……」

「気持ち悪いとは失礼な。
でも、許してしんぜよう、りっちゃん隊員。
何故ならば、ふっふっふ……。
目印になりそうな物は既に私が用意しているからなのです!
ふっふっふ……。ふっふっふ……」

「ふっふっふ……はもういい。しつこい」

「えー……。
カッコいい笑い方なのにー……」

「おまえにはそれがカッコいいのかよ。
それはそれで別にいいけど、目印って何なんだよ?
何を用意してるんだ?」
652 :にゃんこ [saga]:2011/10/06(木) 19:42:41.56 ID:Vhb6Zuoq0
私が訊ねると、いきなり唯が申し訳なさそうな顔になって、ムギを手招いた。
自分を指で指しながら、ムギが首を傾げる。

「え? 私?」

「ごめんね、ムギちゃん。
その目印、結構重いから、運ぶの手伝ってくれる?
皆をびっくりさせようと思って、ちょっと遠い所に置いてるんだ」

「そうなんだ。分かったわ、唯ちゃん。
じゃあ、りっちゃん、澪ちゃん、梓ちゃん。
唯ちゃんと一緒にちょっと行ってくるね」

「大丈夫か、ムギ?
私も手伝おうか?」

澪が心配そうに申し出たけど、軽く笑顔を浮かべてムギが首を横に振った。
まあ、結構重いって言っても、唯基準での結構な重さなんだろう。
唯がムギ一人だけを指名した事から考えても、二人で十分持ち運べる目印に違いない。
ムギもそれを分かっているからこそ、澪の申し出を断ったんだろうな。
唯とムギが二人で駆け出していく。

取り残された私達は、とりあえずタイムカプセルに入れる物を選別する事にした。
梓の学生鞄の中から、唯が持って来た物と被ってない物を探し出していく。
ある程度選別した後、紙袋の中から金属の箱を取り出してみる。
唯が持って来たタイムカプセル用の金属の箱……、
って、よく見りゃこれ箱っつーかクッキーの缶じゃねーか。
こんなので下手すれば億単位の年月を経てまで、
缶の中身を風化させずに護れるもんなのか……?

あ、でも、唯も唯で一応それは考えてたみたいだな。
箱というか缶を開いてみると、
中にはそれより小さい缶が、四重くらいに重ねられてしまわれていた。
缶一つじゃ不安だけど、四つくらい重ねれば何とか保つかなって思ったんだろう。
単純と言うか、何と言うか……。
一缶だけよりはそりゃマシだろうけど、
億単位の年月相手じゃ付け焼き刃もいい所って感じだ。

澪達もそれは気付いてたみたいで、缶を見ながら肩をすくめている。
でも、その表情に呆れはない。私も呆れてなんかない。
まったく唯の奴は……、って思わなくもないけど、
缶の中身を守れるかどうかは、私達には別に重要じゃないんだ。
実際問題、新しい人類ってやつが生まれる可能性がどれくらいなのか、私には分からない。
残念だけど、その可能性は途轍もなく低いんだろうなって思う。
宇宙は広くて、地球に似た環境の星も多いみたいだけど、
まだ宇宙人が見つかってない事から考えても、
人間みたいな生き物がこの宇宙に生まれる確率は本当に低いんだろう。
そんなに低い可能性なのに、
地球に人間みたいな生き物が二回続けて生まれるなんて奇蹟に等しいよな。

だけど、それでもいいんだ。
届かないタイムカプセルだとしても、無駄になる想いだとしても、
少なくとも私達の生きた証はこの世界に残る。残せるんだ。
残す事と、残そうって思う事にこそ、意味があるんだと思う。
それが誰の手に届かなくても、目に触れなくても私は構わない。
もしも本当に新しい人類なんかが生まれて、
私達のタイムカプセルを見つけてくれれば、それだけで御の字ってやつだ。
そんでもって。
その新しい人類がタイムカプセルの中身を調べながら、
「この時代の技術でこんな物が残せるはずが無い!」とか言ってくれると嬉しいんだけどな。
人差し指を立てながら私がそれを言ってみると、澪から呆れた声色の返答があった。

「どういうオーパーツだよ……。
と言うか、全部この時代の技術で作られてるものだし……」

何の面白味もない返答をありがとう、澪。
でも、澪の口からオーパーツって言葉が出てくるとはな。
キャトルミューティレーションやチュパカブラも知ってるし、
こいつって結構オカルトの事を勉強してんだよなあ……。
そういや、こいつ前に言ってたな。
恐いのを見るのは嫌だけど、恐い物の正体を知らない方がもっと恐いって。
律義と言うか、難儀な性格をしてる奴だよな、澪も。
確かに人間は分からない物を恐れる生き物だとはよく聞くけどさ……。
653 :にゃんこ [saga]:2011/10/06(木) 19:47:00.02 ID:Vhb6Zuoq0
「でも、もしかしたら世界のオーパーツって、そういう物かもしれませんよね」

珍しく私をフォローするように梓が言った。
梓の口からオーパーツって言葉が出るのは別に意外じゃなかった。
何となく梓は色んな事にマニアックな印象がある。
いや、私の勝手な印象で悪いけど、何故だかものすごくそんな気がする。
私の考えを知らず、マニアック(仮)な梓が続ける。

「知ってます?
今の技術の機械を使えばすぐに作れる物なんですけど、
機械が無い当時の技術で、人力で作ったら五十年くらい掛かるオーパーツがあるらしいんですよ。
そのオーパーツを見つけた人達は、
「この時代の技術でこんな物を残せるはずが無い!」って頭を悩ませたんですけど、
後々詳しく調べてみると、本当に五十年掛けて作ってただけだったらしいんですよね。
何とも拍子抜けな話ですけど、何事もそんな物なのかもしれませんね。
もしかしたら、律先輩みたいな人が後世の人を驚かせるためだけに、
そんな風に五十年掛けて趣味で作ったオーパーツも多いのかもしれないなって思います」

「おまえは私を何だと思ってるんだ……」

「え? 律先輩ってそういう人だと思ってましたけど……」

「中野ー……、いや、否定はできんな……」

「否定しろ!」

顎に手を当てて首を捻ると、澪が私の後頭部を叩いて突っ込んだ。
そんな私達の様子を梓が楽しそうに見つめる。
明日世界の終わりが来るってのに、何とものんびりしてるよな、私達も。
まあ、それが放課後ティータイムだ。
放課後こそが私達の真骨頂。
世界の終わりだって、いつもみたいに穏やかに迎えてみせる。

「お待たせ、皆ーっ!」

不意に校庭に私達の中で一番マイペースな奴の声が響いた。
声の方向に視線を向けると、唯とムギがかなり大きな何かを持って歩いていた。
私は大きく手を振って、唯達に声を掛けてみる。

「お疲れ様ー。
目印って何だー……って、それ見覚えあるな」

「ふっふっふ……。皆さんももうお分かりですね。
何を隠そうこれこそ……、えーっと……」

首を捻りながら、唯が私達の立つ桜の樹の下にまで歩き寄って来る。
どうやらそれの正式名称を忘れたらしい。
突っ込もうかとも思ったけど、
それをわざわざ運んで来てくれた唯にそんな扱いをするのも申し訳なかった。
私は口を閉じて、唯がそれの正式名称を思い出すのをじっと待つ事にした。
実を言うと、私もそれの名前をよく憶えてないしな。

「えーっと……、何だっけ……?
何かの石で……、えっとー、何とかストーンって名前で……。
何ストーンだったっけ……?」

そうこうしている内に、唯達は穴の横まで辿り着いてしまっていた。
唯はムギと腰を下ろしてそれを地面に置くと、
何故かピースサインをしながら不敵に笑ってそれを指差して言った。

「そう!
これこそ私達のタイムカプセルの目印……、
ジュリエットのお墓(仮)なのです!」

あ、こいつ諦めた。
これの名前、思い出すの諦めやがった。

「ジュリエットのお墓(仮)って……」

梓が呆れ顔で呟く。
まあ、唯の言う事も間違ってはいないんだが……、
いや、やっぱり間違っていた。
唯の持って来たタイムカプセルの目印は、
前に私達がロミジュリの劇を演じた時にオカルト研から借りた何かの模型だった。
あの時、ジュリエットのお墓の代わりに使ったから、
確かにその模型はジュリエットのお墓(仮)と言えるんだが、
せめて正式名称くらい憶えてないと、いまいち締まらないぞ、唯よ……。
私がそれを指摘すると、不機嫌そうに唯が頬を膨らませた。
654 :にゃんこ [saga]:2011/10/06(木) 19:47:26.95 ID:Vhb6Zuoq0
「何さー……。
じゃあ、りっちゃんはこの石の名前、憶えてるのー?」

それを私に振るのかよ。
一度聞いた気はするけど、
私もあの時はジュリエットを演じるので精一杯だったからなあ……。
首を捻り、どうにか頭の中に浮かんだ名前を言ってみる。

「ロ……、ローゼンストーン……?」

「ロゼッタストーンだろ、律」

一瞬にして突っ込んだのは澪だった。
ロミオを演じてたのに意外と余裕があったのか、
それともオカルトに詳しいからこの石の名前を知ってたのか……。
どっちでもよかったけど、多分後者なんだろう。
澪に突っ込まれた私を指差して、唯が実に嬉しそうに笑った。

「りっちゃんだって憶えてないじゃん。
それでこそりっちゃんだよ!」

「ロゼッタのロの字も出て来なかったおまえに言えた事か!」

言いながら、私は唯の頬を軽く引っ張ってやる。
それでも、唯は笑うのをやめずに、嬉しそうににやけていた。
唯の奴は前々から私の事ばかり馬鹿にしてかかるが、
真面目な優等生が多い我が軽音部の中で、自分サイドの仲間が居る事が嬉しいんだろうな。
まあ、私も同じ様に唯に救われてる所は結構あるけどさ。
とは言え、馬鹿にばかりさせるのも腑に落ちない。
もう機会も無いかもしれないし、思う存分唯の頬を引っ張っておく事にしよう。

ある程度唯の頬を引っ張った後、私が唯の頬から手を放すと、
若干呆れた表情を浮かべてた澪が少し神妙な顔になって言った。

「でも、よかったのか?
そんな高そうな物、オカルト研から借りて来ちゃって。
迷惑だったんじゃないか?」

それは確かに澪の言うとおりだった。
結構な大きさだし、本格的な造形だから、相当高価な物に違いない。
私が少し不安に思いながら唯の顔を覗き込んだけど、
唯は幸せそうに微笑んでから指でピースサインを形作った。

「大丈夫だよ、澪ちゃん。
オカルト研の子達、「新人類へのメッセージのためなら喜んで」って笑って貸してくれたもん」

あのオカルト研の子達が笑って……?
全然想像できないけど、嘘を言う必要も無いし、その唯の言葉は本当なんだろう。
学祭以来、唯はオカルト研の子達とかなり交流があったみたいだし、
無表情に見えるあの子達の笑顔を引き出せるくらい仲良くなってたんだろうな。
流石は唯だよな。
笑顔のまま、幸せそうに唯が続ける。

「このジュリエットのお墓(仮)を貸す代わりに、
タイムカプセルにオカルト研の研究レポートも入れてほしいって頼まれたけど、
別にいいよね、皆?」

「まあ、お世話になってる立場だし、
それくらいこっちも喜んで入れてあげようぜ、唯。
でも、『終末宣言』以来、会う機会が無かったけど、あの子達も元気そうでよかったよ」

私が返すと、珍しく唯が苦笑した。
苦笑される方ならともかく、唯が苦笑するなんて、何かすごい事があったんだろう。
655 :にゃんこ [saga]:2011/10/06(木) 19:51:41.88 ID:Vhb6Zuoq0
「うん。元気だったよ、オカルト研の子達。
おしまいの日の後に生まれるはずの新人類の研究が忙しいって楽しそうにしてたし。
何だったかなあ……?
終末をちょ……ちょうえつ? したエク何とかって新人類が生まれるって言ってたよ」

「エク何とか……?
よく分からんが、それはすげーな……」

「エクシードですか?
超越と書いてエクシードって読む」

私の言葉に続いたのは、マニアック(仮)な梓だった。
何でここでおまえが答えるんだ……。
私だけじゃなく、梓の事なら基本的に全肯定する唯も複雑そうな表情を浮かべた。

「す……、すごいね、あずにゃん!
確かそういう名前だったと思うけど、まさかあずにゃんが知ってるなんて……」

「前に本で読んだ事があったんですよ」

何の本だよ!
そう突っ込もうかと思ったが、
何だか藪蛇になりそうだったからやめておいた。
それでも、私にはただ一つ思う事があります……。
多分その超越(エクシード)ってのは、
オカルト用語じゃなくて、少年漫画的な用語に違いないという事です……。
いや、深くは突っ込まないけどさ。
とりあえず、これから先は梓の枕詞のマニアック(仮)から、(仮)を取る事にしよう。

「それじゃあ、タイムカプセルの中身を入れちゃわない?」

タイムカプセルを埋めるのを一番楽しみにしてるはずのムギが、楽しそうに声を上げる。
私達の会話に割って入るなんてムギらしくないけど、早く埋めたくてうずうずしてるんだろう。
いつまでも雑談してるわけにもいかないし、私もそのムギの提案に異論は無かった。
見渡してみると、唯達にも異論は無さそうで、それぞれに頷いていた。
思い思いに色々な物を詰め込んでいく。

唯が預かったオカルト研のレポート。
放課後ティータイムのマークを描いたピック。
さわちゃんの作ったHTTのTシャツ。
新曲を含めた私達の全曲分の楽譜。
新入生歓迎ビデオのディスクの新旧二枚。
猫耳に虎耳にウサミミに犬耳に象耳。
予備で持って来てた私の白いカチューシャ。
ライブハウスで演奏した時以来、
皆の楽器のケースに貼っていたバックステージパス。
私が授業中に唯と回し合ってた手紙。
唯が憂ちゃんと制作した、一年の頃の私達と梓との合成写真。
『終末宣言』後、試しに何曲か演奏を録音してみたカセットテープ。
そして、その一番上には……。

「えっ……?」

梓が小さく声を上げる。
まさかこれをタイムカプセルの中に入れるとは思ってなかったんだろう。
半分泣きそうな表情になって、それを入れようとする私の右腕の袖を掴んだ。
656 :にゃんこ [saga]:2011/10/06(木) 19:52:11.80 ID:Vhb6Zuoq0
「そんな……。それを入れちゃ駄目ですよ、律先輩……。
だって……、それを入れちゃったら……、先輩達の思い出が……。
私……、私のせいで……」

その声色は掠れてきていた。
泣きそうになっているのを、ぐっと堪えているんだろう。
私は私の右の袖を掴む梓の手を左手で優しく包んで伝える。
そうじゃないんだって。
梓のせいなんかじゃないんだって。

「違うぞ、梓。
これをタイムカプセルに入れようって思ったのは、梓のせいじゃない。
梓のおかげなんだぜ?」

「梓がさわ子先生に差し入れに行ってる間に、皆で話し合ったんだ。
こうするのが一番いいんだってさ」

私の言葉に続き、澪が梓の頭を軽く撫でながら言う。
私の包む梓の手が強く震え始める。
恐怖から震えてるわけじゃない。
いよいよ涙を堪えられなくなってきてるんだろう。
勿論、梓を泣かしたいわけじゃないけど、
私達のこの言葉だけは大切な後輩に伝えなきゃいけなかった。

「梓ちゃんが教えてくれたのよ?
私達は物に頼らなくても、絆を信じられるんだって」

母親みたいな優しい顔を浮かべながら、ムギがタイムカプセルにそれを入れる。
『い』という文字のキーホルダー……、
梓が居ない間に学生鞄から外しておいたキーホルダーを。

「そうだよ、あずにゃん?
私達は大丈夫。思い出のお土産が無くたって、心はいつまでも一緒だもんね」

『ん』のキーホルダーをタイムカプセルに入れ、
唯は涙をこぼし始めていた梓を後ろから強く抱き締める。
また梓の手が大きく震えるのを感じる。

「大切なのは物じゃなくて、物に込められた気持ちだからな。
梓がそれを信じてくれてるのに、
先輩の私達が信じないわけにはいかないだろ……?」

澪が『お』のキーホルダーを置く。
妹を見守るみたいに、置いた手を動かして梓の頭を撫でる。

「でも……、それはやっぱり……。
うっ……、ううっ……、私が……、
私がキーホルダーを失くしちゃった……、せいで……。
そんな私の……、ひっく……、馬鹿みたいな失敗に……、
先輩を付き合わせてしまうなんて……、私の……せいで……」

泣き声を混じらせながら、梓が声を絞り出す。
梓は責任感の強い子だ。皆への優しさから、責任を背負い込む子だ。
自分一人が耐える事よりも、周りの人達を巻き込む方を辛く感じる子なんだ。
だから、どうにか乗り越えた気でいたキーホルダーの事で、
また私達に迷惑を掛けてしまってる気になっているんだろう。
でも、私達には決してそれが迷惑じゃなかった。
それを示してやりたいと私は思った。
657 :にゃんこ [saga]:2011/10/06(木) 19:52:42.62 ID:Vhb6Zuoq0
「前も言っただろ、梓?
私はおまえのおかげで私自身や軽音部の事を、深く考えられたんだよ。
私だけじゃない。
唯も澪もムギも、おまえの思い悩む姿を見て、色んな事を考えられた。
おまえが教えてくれたんだ。
私達がどれだけ軽音部の事が大切だったのかってさ。
だから……、大丈夫だ」

言って、私は『け』のキーホルダーをタイムカプセルの中に入れた。
『け』『い』『お』『ん』の配置で、キーホルダーがタイムカプセルの中に並ぶ。
そこに『ぶ』のキーホルダーが無い事は少し寂しかったし、
梓もそれを申し訳なく思ってるんだろうけど……、
その『ぶ』のキーホルダーの事を皆が忘れなければ、それでいいんだと思う。
澪の話じゃないけど、私達がキーホルダーの事を忘れなければ、
キーホルダーは私達の手元から無くなった事にならないんだ。

「私達はキーホルダーの事を憶えてる。絶対に忘れないよ、梓。
キーホルダーが無くても平気だし、何の心配もしてない。
梓が心苦しく思う必要は何も無いんだ。
でも、一つだけ心に残しておいてくれ。
私達はキーホルダーとおまえの事を憶えてる。忘れてやるもんか。
だから、おまえも憶えておいてほしい。
失くしたキーホルダーと私達の事を。
私達はおまえの事を憶えていて、おまえは私達の事を憶えていてくれる。
結局の所、それが私達の絆に繋がるんだって思うからさ。
その絆があったって事実だけは、世界が終わったって変わらないんだよ。
それだけは頼むぜ、梓」

「は……い……!」

「声が小さいぞ、中野!」

「はい……っ!」

涙を流しながら、梓が力強く宣言してくれる。
唯が梓を支えながら、その場に立たせてやる。
涙こそ流れていたけど、梓の瞳には強い光が宿っていた。
もう大丈夫だ。梓も、私達も。

穴の中に置いてから、皆でタイムカプセルを埋めていく。
土を完全に戻し終わった後、その上にロゼッタストーンを配置する。
未来の人達に届くかどうかは分からないけど、
少なくともこれで私達の生きた証は残せたと思う。
それだけで勇気が湧いて来る。
後は私達が今生きてるんだって、世界に向けて見せ付けてやるだけだ。

誰が言うでもなく、一人一人が音楽室に向けて駆け出していく。
世界最後の……、いや、高校最後のライブに向かって、突っ走っていく。
世界の終わりなんか関係なく、このライブだけは最高のライブにしてみせる。
絶対、歴史に残してやるんだ。

走っている途中、
ふと目に入った校舎の時計は、午後二時三十分を回っていた。
ライブの開演時刻は午後六時三十分。
ライブまで、残り四時間。
658 :にゃんこ [saga]:2011/10/06(木) 19:54:28.30 ID:Vhb6Zuoq0


今夜はここまでです。
意外とタイムカプセル編も長くなりましたが、
そろそろライブ……の前にあの人が出る予定です。
659 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/06(木) 20:55:22.12 ID:sF7v8SXDO
おぅつ
てっきりりっちゃんはカチューシャをカプセるんだと思ってた
キーホルダーとは…やられました
660 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/07(金) 00:24:17.60 ID:idrq5b8SO
タイムカプセル編も面白かった
あの人ってのは○編になってない人かな
661 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/08(土) 13:32:58.60 ID:v/BbX6eDO
乙です。
いつも読ませてもらっています。

ちょっと気になったのですが、キーホルダーの場面で、ムギが「い」、澪が「お」となっているのですが、本編では確か澪が「い」で、ムギが「お」だったと思いまして…。何か意図があってのことだったらすみません。
662 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/08(土) 13:59:37.55 ID:uJfC0AT0o
2期5話ではムギが「い」澪が「お」、2期26話では澪が「い」ムギが「お」になってる
どっちが正しいんだろう
入部した順番なら律「け」澪「い」紬「お」唯「ん」梓「ぶ」なんだろうけど
663 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/08(土) 15:56:58.75 ID:uJfC0AT0o
>>662の2期26話は2期22話の間違いです
すいません
664 :にゃんこ [saga]:2011/10/08(土) 21:33:01.42 ID:YRwqUe4v0





タイムカプセルを埋めて音楽室に戻ると、
私達は五人揃って、静かに自分の楽器のメンテナンスを始める。
唯達、弦楽パートは弦を変え、念入りにチューニングをしている。
キーボードのムギは特にメンテナンスする事も無かったみたいだけど、
私達の曲で使う音色だけじゃなく、普段は使わない音色まで名残惜しそうに何度も鳴らしていた。
多分、それぞれがそれぞれに、自分の相棒との最後の会話を交わしているんだと思う。

勿論、それは私も同じだ。
中学の頃、やっと中古で手に入れた私の相棒のドラム。
買ってから叩かなかった日は一日も無い……とまではいかないけど、
心の中では毎日こいつを叩き続けてた。どんな風に叩いてやろうかって考えるのが楽しかった。
唯みたいに名前を付けたりはしてないけど、こいつだって私の一番の相棒なんだ。
最後まで頼むぜ、相棒。
心の中で呟きながら、私も最後のメンテナンスに取り掛かる。

そういえば、世界の終わり……、
終末は生き物だけが死を迎えるっていう世にも奇妙な現象らしい。
その原理や理屈はともかくとして、
もし本当にそうだとしたら、こいつらはこの世界に生き残るって事なのかな。
こいつらがこの世界に残るのは嬉しいけど、私は同時に寂しくもなった。
例えこいつらがこの世界に残れたとしても、誰も演奏する人が居ないまま、
音を奏でる事もできず、ただ埃を被って風化していくって事になるんだろうか。
その想像は私の心をとても寂しくさせた。

だから、せめて……と思う。
もし新しい人類が生まれるとするなら、せめてできるだけ早く生まれてほしい。
その人類が取り残されたこいつらに興味を持って、
その場に居ない私達の代わりに演奏してやってほしい。
何だったら終末を迎えた地球に興味を持った何処かの宇宙人なんかでもいい。
その宇宙人がこいつらを演奏してやってくれてもいい。
誰でも構わないんだ。
私達の相棒を演奏してくれるなら……。
途方もなく馬鹿馬鹿しい想像だったけど、私は心の底からそれを願う。

皆のメンテナンスが完全に終わった後、
音楽室での最後の練習を手早く終わらせると、私達は講堂の舞台袖に相棒達を運び込む事にした。
ライブまでまだ時間はあったけど、準備は完了させておかないといけない。
特にライブ直前にドラムを運び込んで即座に演奏するなんて、流石の私でも体力的に自信が無いしな。
本当はもう少し練習しておきたくもあったけど、
どうせいくら練習しても練習し足りたと思える事はないだろう。
不安はある。緊張もしている。
でも、それはどんなライブでも同じ事だ。
これは私達がこれまで何度も感じて来た緊張と不安だ。
だから、私達は普段通りその緊張に向き合えばいい。
いつもと同じく、これまで練習して来た自分達の成果を信じればいいだけだ。

舞台袖では和と憂ちゃんが待っていた。
私達を待っていたのかと思ったけど、そうじゃなかった。
和は今日の講堂のイベントを裏方で取り仕切る仕事があるらしく、
憂ちゃんはその仕事を手伝ってるんだそうだった。
何で憂ちゃんが和を、って一瞬思ったけど、すぐに思い直した。
この前、二人で私の家に来た事だし、和と憂ちゃんって実はかなり仲がいいんだよな。
そりゃそうか。
唯が和の幼馴染みって事は、憂ちゃんも和の幼馴染みって事なんだから。
私の知らない所で、二人の間に色んな絡みがあるんだろう。

ふと気になって、私の幼馴染みに視線を向けてみる。
秋山澪……、私の幼馴染みで友達以上恋人未満。
流石に憂ちゃんと和が私達みたいな特殊な関係とは言わないけど、
やっぱり幼馴染みってのは、誰にとっても特別な存在なんだと思う。
憂ちゃんもそうなのかは知らないけど、
唯はたまに私達には決して向けない表情を和に向ける事がある。
安心しているのか、信頼し切っているのか、
私達には立ち入れない関係性を感じさせる温かい笑顔を……。
ひょっとすると、私も澪に向けてそんな表情を向ける事があるんだろうか?
自分では分からないけど、そう考えると少し照れ臭い。
665 :にゃんこ [saga]:2011/10/08(土) 21:34:04.59 ID:YRwqUe4v0
楽器を配置し終わってから、舞台袖の和達と別れて音楽室に戻ると、
妙に嬉しそうな表情を浮かべているさわちゃんが長椅子の上で眠っていた。
しかも、ただ眠ってるわけじゃない。
美容室でシャンプーしてもらう時みたいな体勢で、
長椅子の手すりに首の付け根を乗せて、ガクンと頭だけ床の方に垂らしていびきを掻いていた。
よくこんな体勢で眠れるな。
と言うか、絶対これ首痛めるぞ……。
私のそんな思いをよそに大きな寝息を立てるさわちゃんは、手に大きめの紙袋を持っていた。
死後硬直みたいに固く握られたさわちゃんの手から、無理矢理紙袋を奪い取ってみる。
予想通り、紙袋の中には五人分の洋服が入っていた。
多分、さわちゃんは徹夜で私達の衣装を縫い終えて音楽室まで来てくれたんだけど、
楽器を運んでて居ない私達を長椅子に座って待ってる内に、力尽きて寝ちゃったんだろうな。
私達のためにこんなに頑張ってくれたんだ……。
そりゃ自分の作った衣装を私達に着せたいっていう下心もあるんだけど、
今は私達のライブのために頑張ってくれた顧問の先生が純粋に誇らしかった。

ありがとう、さわちゃん。
面と向かって言った事は無かったはずだけど、本当にありがとう。
さわちゃんが顧問になってくれたおかげで、私達は三年間本当に楽しかったよ……。
私達、これからこの衣装を着て最高の演奏をするから、
さわちゃんへの感謝も込めて、精一杯演奏するからさ……。
だから、見守ってて下さい、先生。

皆もそういう事を考えてたんだと思う。
私が目配せをすると、皆が静かながら強く頷いて、さわちゃんの衣装を手に取り始める。
遅れないように、私も紙袋の中から自分の衣装を探し始める。
これから着替えるんだ。私達の最後の勝負服に。

正直な話、さわちゃんの用意したその衣装は意外だった。
世界が終わらなくても、ライブはこれが最後の機会になるわけだし、
さわちゃんがどんな衣装を用意してても、私達はそれに着替えてみせるつもりだった。
スク水だろうと、ナース服だろうと、チャイナ服だろうと、ボンテージだろうと、
露出の多い服装を好むさわちゃんの求める衣装に着替えようと思ってた。
そういう服に一番抵抗がありそうな澪でさえ、私達のその考えに反対しなかった。
澪だってさわちゃんに感謝の気持ちを示したいのは同じなんだ。
それこそ、私達はV字フロント水着だろうと着……、
いや、流石にV字フロント水着は嫌だけど、ある程度の露出までは気にしないつもりだったんだ。
だからこそ、さわちゃんの用意した最後の衣装は意外だった。
露出が完全に無いとは言わないけど、精々夏服やキャミソールレベルの露出の衣装。
下手すりゃ、私の持ってる夏服の方が露出してるくらいだ。
この衣装でいいのかなって、少し不安になる。

でも、この衣装を持って音楽室に来てくれてる以上、
この衣装こそさわちゃんが私達に最後のライブで着てほしい衣装のはずだ。
なら、私達も迷わない事にしよう。
最後のライブの最後の衣装はこれで決まりだ。
666 :にゃんこ [saga]:2011/10/08(土) 21:34:49.34 ID:YRwqUe4v0
今回の衣装は全員がお揃いの服じゃなかったから、
どれが誰の服かは分かりにくかったけど、
だったら、さわちゃんが何を考えて私達の衣装作ったのか考えればいいだけだ。
まあ、そんなに悩まなくても大丈夫。
私達のスリーサイズまで何故か知ってるさわちゃんの事だ。
これまでもそうだったんだし、それぞれの体格に合った衣装を作ってくれてるに違いない。
それに私の場合はもっと簡単だ。
さわちゃんとは何回も私の好きな色の話をした事がある。
私が好きな色は、普段、私が着用してるカチューシャの色……、
私がそうありたいと思う明るい光の色……、黄色だ。
だから、私には黄色の衣装を用意してくれてるはずだ。
黄色のズボン……、黄色い下着の方じゃないパンツはすぐに見つかった。
これだと見立てて履いてみると、サイズもぴったりだった。
続けて私の体格に合った衣装を探し出し、袖に腕を通していく。

皆が着替えるまで、時間はそんなに掛からなかった。
梓は一番小さな服を着ればいいだけだし、
何か悔しいけど澪は胸元がゆったりした衣装を探せばいいだけだったからな。
着替え終わると、次はその衣装に合う髪型を皆で話し合っていく。
髪が短めな唯と私は普段通りでいいとしても、
澪、ムギ、梓の長髪メンバーはそういうわけにもいかない。
髪が長いと、衣装に合わない髪型が余計に目立っちゃうんだ。
実は私、それが面倒で髪をあんまり伸ばしてなかったりするし。
勿論、今の髪型が気に入ってるからでもあるけど。

話し合った結果、澪は特に髪を結ばず、梓とムギがポニーテールでいく事になった。
梓とムギのポニーテール姿はあんまり見た事が無かったけど、
よく似合ってたし、二人の衣装にぴったりな髪型だと思った。
唯なんか「ポニーテールのあずにゃんも可愛い」って梓に抱き着いたくらいだ。
とにかく、これで全員の着替えは終わった。
後はさわちゃんを起こしてこの姿を見せて……。
そう思った瞬間だった。

突然、何の前触れもなく、私の前髪が私の目を隠すように下りてきた。
何で急に前髪が下りてくるんだ?
そんなの簡単だ。誰かが私のカチューシャを外したからだ。
いや、今はそんな事は重要じゃない。
心の準備ができてる時ならまだしも、
私のこんなおかしな髪型を急に皆に見せるなんて恥ずかし過ぎる。
唯のおでこ禁止らしいが、私は前髪禁止なんだ。
ものすごく嫌ってわけじゃないけど、人にはあんまり見せたくない。
俯いて、両手で顔を隠して、誰かに外されてしまったカチューシャを探す。

カチューシャはすぐに見つかった。
犯人はさわちゃんだった。
涼しい表情をして、何事も無いかのように手に私のカチューシャを持っている。
いつの間にか目を覚ましていて、私の背後からこっそりカチューシャを外したらしい。

私は「返せよ、さわちゃん」と責めるみたいに要求してみたけど、
さわちゃんは何故だかすごく優しい顔を浮かべてから、私に頭を下げた。
「このライブ、前髪を下ろしたりっちゃんの姿を見せてほしいのよ」って、懇願するみたいに。
これまで、衣装の事について、さわちゃんとは何回も話した事がある。
唯やムギは大体どんな衣装でも着るだろうし、
澪は逆にほとんどの衣装を着たがらないだろうから、
いつの間にか私がさわちゃんと衣装の打ち合わせをするようになっていた。
とは言っても、私も別に衣装にこだわりがある方じゃないから、
二つだけ釘を刺しておいて、後の事はほとんどさわちゃんに丸投げしてたんだけどな。
667 :にゃんこ [saga]:2011/10/08(土) 21:35:15.58 ID:YRwqUe4v0
釘を刺した事の一つ目は、単純にあんまり露出の多い衣装は作らない事。
いや、正確には別に作ってもいいけど、私達に着させないようにする事だった。
そんな衣装作られても澪は絶対着ないし、私だって着たくないもんな。
二つ目は、お願いにも似たすごく個人的な約束だ。
こっちの方も単純。
私の衣装は私がカチューシャを着ける事を前提として製作してほしいって約束だった。
どんな衣装でも大体は着るけど、それだけは譲れなかった。
前髪を下ろした私なんておかしいしさ。
少し不満そうにしながらも、これまでさわちゃんは私との約束を破らなかった。
ちょっと露出が多めの事もあったけど、
私の衣装だけはカチューシャに似合いそうな衣装にしてくれていた。
さわちゃんも分かってくれてるんだと思ってた。
私が前髪を下ろしたくないんだって。

いや、違うか。
今もさわちゃんは私が前髪を下ろしたくない事を分かってるはずだ。
分かってるけど、私に前髪を下ろした姿でライブをしてほしいんだろう。
迷いながらさわちゃんの顔を見ていると、さわちゃんは、
「私だけじゃないのよ。クラスの皆も、カチューシャを外したりっちゃんを見たがってるの」って続けた。
そう言われると、ライブを観に来てもらう立場としては弱い。
クラスの皆だって、私が前髪を下ろすのは苦手だって事は知ってるはずだ。
だけど、見てみたいんだと思う。前髪を下ろした本当の私の姿を。
それが誤魔化しの無い私の姿を皆にぶつける事に繋がるんだろうし。
あ、いや、本当の私の姿は、カチューシャを着けてる方なんだけどな。
前髪を下ろしてる方は仮の姿だ。私の中では。

でも、皆がそれを望んでるなら、叶えてあげるのがプロってやつだ。
……プロじゃないけど。
話をさわちゃんにもう少しだけ詳しく聞いてみると、
クラスの皆の中でも、特にいちごが私に前髪を下ろしてもらいたがってるんだそうだった。
いちごかよ……。
それならそうと、私に直接言ってくれりゃいいのにさ。
まあ、いちごも面と向かっては人に言いにくい事があるのかもしれないな。
私は溜息を吐いてから、苦笑する。
心は決まった。
今回くらい、特別出血大サービスだ。
カチューシャを外して、前髪を下ろした姿で演奏してやろうじゃないか。

……つっても、やっぱりちょっと恥ずかしい。
幸い、私の衣装の上着はパーカーだったから、
フードを被る事だけはさわちゃんに許してもらった。
「フードを被らないのが日本の風土なのにー」
って、駄洒落を言いながらだったけど、さわちゃんのその視線はすごく優しかった。
もしかしたら、こうなるのを見越して私の衣装をパーカーにしてくれたのかもしれない。

何はともあれ、こうして全員の衣装合わせが完了した。
皆で肩を並べて整列してみる。
若干コミックバンドっぽかった今までとは違って、
今回は今時の女の子のラフな服装って感じで、何だか本当にガールズバンドみたいだ。
いや、実際にもガールズバンドなんだけど、今までが今までだったからなあ……。
満足そうに私達の衣装を観賞した後、
さわちゃんが最後に手作りらしいバッジを私達に手渡した。
バッジには『Sweets』って書いてある。
折角ガールズバンドみたいな感じになったのに、
どれだけお菓子ばかり食べてるお菓子系だと思われてるんだ、私達は。
……あれ?
お菓子系ってそういう意味じゃなかったっけ?
まあいいや。
お菓子ばかり食べてるってのも、我等が放課後ティータイムの正しい姿だ。
苦笑しながら皆でバッジを着け合って、今度こそ最後の勝負服に着替え終わった。

携帯電話で確認してみると、遂に時間は午後五時を回っていた。
円陣を組んで皆で気合を入れ合おうと思って部室内を見回すと、
いつの間にかムギがお茶の用意をして、さわちゃんが一足先にケーキを食べていた。
本当にマイペースな方々ですね!
肩を落として、澪に視線を向けてみる。
澪も呆れた顔を少し浮かべてたけど、すぐに「仕方ないな」と呟いて自分の椅子に座った。
確かに仕方ないか、と私も思い直す。
これも私達にとっては、バンド活動の一環なんだ。
私も席に付いて、最後になるかもしれないムギのお茶を待つ事にした。
668 :にゃんこ [saga]:2011/10/08(土) 21:39:19.81 ID:YRwqUe4v0





しばらくムギの出した美味しいお茶を皆で飲んでいたけど、
不意に思い出して、私は部室に置いてあるCDラジカセの電源を入れた。
今日の夜は練習してたから聴き逃したけど、今ならまだ間に合うはずだ。
実はあの番組の放送時間はかなり変則的だ。
前半は午前零時から午前六時まで。
後半は午後零時から午後六時まで。
そんな変則的なスケジュールらしい。
後半の方を聴いた事はないから確かな事は言えないけど、
放送の中で、ハードスケジュールだよって、紀美さんが呟いたから間違いないと思う。

憶えてる周波数を合わせてみる。
古いラジカセだから多少ノイズがあったけど、聞き取れない程じゃない。
聞き慣れた声と共に、軽快な音楽が流れる。
669 :にゃんこ [saga]:2011/10/08(土) 21:49:57.94 ID:YRwqUe4v0


今回はここまでです。
台詞無しの展開がこんなに長いとはこれ如何に。


>>661

>>662の方が書いて下さいましたが、
キーホルダーは2期5話を参考にして書いておりました。
最近、違う話だとキーホルダーの字が違う事もある事に気付きまして、どっちなんだと思ってましたが……。
>>662の方に書いて頂いたとおりに、
入部した順だとドラマになるんで、そっちを採用しておけばよかったと後悔中です。
もうこのssでは仕方ないので、三年生は全員同じクラスだし、
気分で皆のキーホルダーを付け替えてたって事でどうか一つお願いします。
670 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/08(土) 21:59:19.81 ID:uJfC0AT0o
乙です
次回も楽しみにしてます
671 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/08(土) 22:52:54.88 ID:FmJDWm0SO
たしか、22話以外のシーンや公式絵でも澪が「い」を付けてるのがいくつかあるんだよね
672 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/08(土) 23:39:28.45 ID:mxLavemN0

これが最後のラジオになるんだろうか
673 :にゃんこ [saga]:2011/10/10(月) 18:23:47.17 ID:qm1eWKx10
「そういえば、お前らはこんな話を知ってる?
道を歩いてると、向かいから頭に赤い洗面器を載せた男が歩いて来たらしいのよ。
その男は洗面器の中に水を張って、こぼれさせないようにそっと歩いてた。
それで、気になって、その男に訊ねてみたわけよ。
「失礼ですが、どうして洗面器を頭に載せてるんですか」って。
すると、男は……。

おっとと……、そろそろ最後の曲の時間みたいね。
短いようで長かったけど、次の曲で終わりかと思うと名残惜しいわね。
この一ヵ月半……、休憩は取りながらだけど、
半日喋りっ放しで、アタシやお前らの好きな曲をひたすら流しまくって、
馬鹿みたいに大変だったけど、すっごく楽しかったわよ。
明らかに労働基準法を違反してるけど、それでもいいかって思えるくらいにさ。
……って言っても、ひっどいブラック企業よね、うちの局も。
来週からは労働時間の見直しを要求したいわよ、本気で。

来週……、来週か……。
明後日、月曜日……、政府や研究者の皆さんはそんな日は来ないって言ってる。
正確にはずっと地球は回るから月曜日自体はやって来るけど、
この世界から消えちゃうアタシ達には関係ない事だって言って下さってる。
そんなのつい三日くらい前までは、アタシも半信半疑だった。
だって、終末よ?
これまで地球上にどんだけ長い間生物が繁栄してたってのよ。
その中で今のアタシ達だけが終末を迎えるなんて、逆に貴重な体験じゃないの。
大体、今まで終末の予言がどれだけされてんだっつの。
世界滅ぶ滅ぶ詐欺はアタシが生きてきた二十数年の中でも、三回くらいはあったわね。
短いようで長い人類の歴史の中じゃ、
それこそ百や二百じゃ足りないくらい、終末の予言があったんだろうなって思うわ。

そもそも終末の予言ってのは、逃げたい側の人間の口上って事が多かったみたいだしね。
昔から人類は衰退してるって説が囁かれてて、
だから、もうすぐ終末を迎えるって、何千年も言われちゃってるみたいね。
どうして終末を迎えるのかって理由も単純で、
富める者だけ富んでる世界は異常だから、正しい世界になるために世界は終末を迎える。
それで終末後には正しく生きてる選ばれし者だけが、
働く必要の無い楽園みたいな世界に至れるんだってのよ。
当時の人達はそうとでも思わなきゃやってらんなかったんだろうなってのも分かるし、
今回の『終末宣言』もそういう類の現実逃避なのかなって思ってたんだけどさ……。
674 :にゃんこ [saga]:2011/10/10(月) 18:24:31.58 ID:qm1eWKx10
ううん、そう思いたかったのかな。
世界は平等じゃないし、生きるのに大変で凄惨な場所だけど、
それでも死ぬよりはマシだと思ってたし、
死んだ後に天国みたいな世界が待ってるなんて思ってなかったから、そう思おうとしてたんだと思うわ。
実は天国なんて存在しないって思ってるけど、地獄の存在は信じてるタイプなのよ、アタシ。
いやいや、思春期の女の子かよ、って思わないでよ。
アタシってキャラ的に地獄を信じてなきゃいけないじゃない?
ほら、アタシってロックな『DEATH DEVIL』だし?
それだけかって聞かれても、本当にそれだけって答えるしかないんだけど。

とにかく、そんなわけで、終末なんて信じてなかったわけ。
『終末宣言』も政府の研究の間違いで、来週の月曜日は何事も無くやって来るはずって思ってた。
でも、さ……。
一昨日からの映画みたいな空模様を見たりとか、
肌で最近の世界の空気とかを感じたりしてると……、
知識じゃなくて本能で分かっちゃうのよね、世界は本当に終わりそうだなって。
それはアタシだけじゃないと思う。
お前らも何となく気付いてるんじゃない?
もうすぐアタシ達は終末を迎えて、
これまでアタシ達が積み上げてた物も全て失われちゃうんだろうってさ。

明日、世界は終わりを迎えて、アタシ達は死を迎える。
何もかも消えて無くなる。
この世界から存在しなくなる。
アタシも、アタシの仲間も、お前らも、永遠に。
きっとそれは辛くて苦しい事なんだろうね。
アタシだって恐い。
今だって内心怯えながら放送してんのよ?
え? 似合わないって?
ほっといて。

だけど、思ったより恐くないのも確かなのよね。
身辺整理って言うか、覚悟って言うか、
そういうのができちゃってるのよ、アタシ。
多分、それはお前らのおかげ。
ひょんな事からこのラジオを担当するようになって、夢みたいに楽しい時間を過ごせた。
これから先に世界が消えちゃうとしても、アタシはアタシの生きてる証を残せたって思う。
お前らの中にアタシの声やアタシの紹介した曲とかが残ったなら、それがアタシの生きた証。
それにさ、ほとんど無い可能性ではあるんだろうけど、
ひょっとしたら何かの間違いで、お前らの中に生き残りが出るかもしれないじゃない?
生き残ったお前らの中の誰かが、
たまにアタシの事を思い出して笑ってくれたら、
それだけでアタシと終末のタイマン勝負はアタシの勝ちだよ。
勿論、アタシだってただで死んでやるつもりはないね。
どんな形の終末が来るのかは分からないけど、やれる限りの抵抗はしてやるわよ。
675 :にゃんこ [saga]:2011/10/10(月) 18:25:05.05 ID:qm1eWKx10
それでもし生き残れたら、アタシはまたここに座ってお前らに呼び掛ける。
明日は放送は休みだけど、
月曜からはラジオ『DEATH DEVIL』再世篇の始まりだからね。
ううん、アタシが死んだって、
ウチのスタッフが一人でも生きてたら、そいつがお前らに電波を届ける。
特にウチのヅラのディレクター……、略してヅラクターなんかは平然と生き残りそうだしね。
もしもアタシが居なくても、ウチのヅラクターの美声をお届けできれば何よりだよ。
何はともあれ。
月曜日からは更にパワーアップした放送をお前らにお届けする予定だから、
これからも当番組とヅラクターをどうぞヨロシク!
終末まではお前らと一緒!
いや、終末からもお前らと一緒だ!
ここまで突っ走って来れたのは、
ヅラクターやウチのスタッフやアタシの仲間達、
それに勿論、お前らのおかげだ。
本当にありがとう!
またお前らと会えるのを楽しみにしてる!

さってと、そろそろ本気で最後の曲だ。
最後に一曲お送りしなきゃ、番組としてもちょっと締まらないしね。
この曲をお送りしながら、今回の放送はお別れとさせてもらうわ。
最後の曲はクリスティーナこと、この私、河口紀美からのリクエスト……、
って、え?
いやいや、やらせじゃないわよ。
ちゃんと私から私へのリクエストって言ってるじゃん?
ラジなに教えてもらった曲なんだけど、最終回はこの曲で締めようって思ってたのよ。
最終回なんだし、それくらいはパーソナリティー特権って事で勘弁して。

じゃあ、繰り返しになるけどもう一度……。
最後の曲はクリスティーナこと、この私、河口紀美からのリクエストで、
ROCKY CHACKの『リトルグッバイ』――」
676 :にゃんこ [saga]:2011/10/10(月) 18:29:27.46 ID:qm1eWKx10


短めですが、今回はここまで。

では、また裏話。
実は最初は律「忘れるな、我が痛み」みたいな話にしようと思ってました。
『ゼーガペイン』クロスで。今回の展開はその名残でもあります。
677 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/10(月) 19:27:33.17 ID:ui2FWJhN0
おつおつ
678 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) [sage]:2011/10/10(月) 21:25:40.80 ID:pdnSuLgAO
ヤバイ親の目の前で泣いてる
679 :にゃんこ [saga]:2011/10/12(水) 21:33:53.71 ID:j4mvqDH10





ラジオ『DEATH DEVIL』の今週の放送が終わった。
最後の曲が終わった後、ラジカセから聞こえてくるのはノイズだけだった。
探せば他にも放送してる番組はあるんだろうけど、
この周波数で発信されるラジオ放送はこれで終わりなんだろう。
いよいよ後には退けない時間帯になってきたってわけだな。
当然、退くつもりなんてない。
私がここに居るのは私の意思からだけど、ここに居られるのは皆のおかげだ。
皆に支えられたから、助けられたから、私はここに居られる。
だから、私は前に進むんだ。その先が世界の終わりでも。
憂ちゃんに格好いい唯の姿を見せるって約束もしたしな。

「……行くか!」

ラジカセの電源を切ってから、両腕を掲げて言ってみせる。
皆の視線が私に集まった。
強い決心が感じられる真剣な梓の視線。
私達を見守ってくれるようなムギの視線。
ライブを楽しみにしてる興奮した感じの唯の視線。
穏やかに私を見つめてくれる澪の視線。
目尻を濡らしながらも、涙をこぼさず強く私を見つめるさわちゃんの視線。
たくさんの視線がたくさんの想いを宿してたけど、
その根本にはこれから行われるライブを成功させたいって気持ちがある。
多分、私もそういう視線を皆に向けてるんだろうと思う。

「そうですね、行きましょう!」

この一週間で何度も私に泣き顔を見せた梓が立ち上がる。
もう泣いていない。
真剣な表情を浮かべつつも、少しだけ笑ってる。
私達が誰一人欠けずに最後のライブに参加できる事を喜んでるんだ。

「最高のライブをやるんだもんね!」

ムギがポニーテールを揺らす。
これまで私達をずっと見守ってくれてたムギ。
これからもずっとずっと私達を見守り続けてくれるんだろう。
たまに危なっかしいムギの行動を、
私もこれからも見守ってあげられたらいいなと思う。

「終わったらケーキだよ! 皆、忘れてないよね?」

マイペースを崩さず、真面目な顔した唯が右腕を掲げる。
真面目な顔の理由は、ライブの後のケーキが楽しみだからなんだろう。
いや、勿論これからのライブを楽しみにしてもいるんだろうけどさ。
何処までも変わらない奴だけど、こいつはこのままでいいんだ。
私達は変わらない唯に引っ張られて、変わらずに三年間を過ごせたんだから。
世界の終わりまで、変わらずにいられたんだから。

「おいおい……。まだ食べる気なのか?」

苦笑しながら、澪が唯に突っ込みを入れる。
気弱で臆病なくせに、
こんな状況でも自分のポジションを忘れない澪も相当マイペースだ。
澪だって放課後ティータイムの一員だもんな。
こいつも知らず知らずのうちにマイペース大王になってたみたいだ。

ううん、考えてみりゃ、私達皆マイペースなのかな。
世界の終わりの前日の夕方にライブを開催する事自体もそうだけど、
さわちゃんは変わらず恋が上手くいってなかったし、
梓は落とし物の事で悩んでたし、澪は恋愛面で頭を抱えてたし、唯はずっと楽しそうだったし……。
特にムギなんか、もしかしたら自分が生き残れるかもしれない計画を蹴って、
家族で一緒に居る事よりも、何よりも、私達とライブを開催する事を選んでくれた。
私も澪との関係の答えをすぐに出さない事を選んじゃってるもんな。
皆、どうしようもないくらいマイペースだ。
でも、思う。
他の誰かにとってはともかく、
私達にとってはそれこそが生きるって事なんだって。
680 :にゃんこ [saga]:2011/10/12(水) 21:34:33.46 ID:j4mvqDH10
「じゃあ、貴方達……」

瞳を濡らしてはいるけど、微笑みながらさわちゃんが言った。
マイペースを崩さない私達に呆れながら、同時に嬉しくも思ってくれてるんだろう。
瞳を濡らしてるのは世界の終わりが近いからじゃなくて、
多分、紀美さんのラジオが最高に胸に響いたからだろう。
流石に紀美さんのラジオの全部を聴いたわけじゃない。
でも、私の知ってるラジオ『DEATH DEVIL』では、紀美さんは一度も弱音を吐かなかった。
まあ、放送時間の長さくらいは愚痴ってたけど、
世界の終わりについての弱音を吐く事は一度も無かった。
何処までもまっすぐに前だけを見つめていて、その姿には私も何度も勇気付けられた。
紀美さんがどんな気持ちでラジオを続けてたのかは分からない。
本当は恐怖に負けそうになりながら、どうにか続けてたのかもしれない。
だけど、私の知ってる紀美さんは、
強くて格好よくて、皆に勇気を与えてくれる素敵な人だった。
その裏にある心がどんなものであったとしても、それはとても立派な事だと思う。

紀美さんのバンドメンバーだったさわちゃんだって立派な人だ。
私が無理矢理軽音部の顧問にさせちゃったさわちゃん……。
掛け持ちで顧問をするのは本当は大変だっただろうけど、
軽音部に居るさわちゃんはいつも楽しそうで、
たまに見せる顔は格好よくて、大人の女の人って感じだった。
ふざけながら、からかい合いながらも、さわちゃんは私達の事を支えてくれてたんだ。

「いってらっしゃい。私も後から追いかけるわ」

さわちゃんがそう続けた瞬間、
気付けば私はさわちゃんの後ろに回って、背中から抱き着いていた。
これまでの事に感謝の気持ちを示したかったけど、胸がいっぱいになって、
でも、特に思い付かなくて、こうする事しかできなかった。

「ちょっと……。どうしたの、りっちゃん?」

嫌がってる様子じゃなく、嬉しそうにさわちゃんが囁いてくれる。
上手くできなかったと思うけど、
少しでも私の気持ちがさわちゃんに伝わってたらいいな。

「さわちゃん、今までありがとう」

その後、私の口から出たのは、すごく単純な言葉だった。
結局、頭の中に浮かんだ言葉はそれだけだ。
だけど、単純なだけに、それが多分、嘘の無い心からの本音だった。

「いいわよ、私も楽しかったしね」

後ろ手にさわちゃんが私の頭を撫でる。
照れ臭かったけど、何だか嬉しい。
……のはよかったんだが。
不意に周囲を見回すと、またも私に多くの視線が集まっていた。
特に気になった視線は、澪と梓の視線だった。
二人とも、嫉妬と言うか、寂しそうと言うか、とにかく複雑そうな眼差しを私に向けている。
澪はともかくとして、何で梓もそんな眼差しを向けてるんだ……。
ひょっとして梓はさわちゃんの事が好きなのか……?
さわちゃんは各方面で人気らしいし、それもそれで不思議じゃないけど……。

まあ、いいか。
さわちゃんに感謝の気持ちを示したかっただけで、私に他に意図は無いわけだし。
私はさわちゃんから身体を離すと、苦笑しながら澪と梓の手を取って引いた。
681 :にゃんこ [saga]:2011/10/12(水) 21:35:02.38 ID:j4mvqDH10
「何変な顔してんだよ、二人とも。
ほら、そろそろ本当に講堂に行くぞ。お客さん達を待たせたら失礼だろ?」

「わ……、分かってるって」

流石に自分でも変な顔をしてるって分かってたらしい。
澪がちょっと頬を赤く染めながら、小さく頷いた。

「もう……、誰のせいでこんな顔してると思って……」

「何だよ、梓?」

「何でもないです!」

梓は妙に不機嫌そうだったけど、
完全に怒ってるようでもなくて、怒り交じりの苦笑みたいな表情を浮かべていた。
よく分からないが、何かを悩んでるってわけでもないみたいだし、よしとするか。
さわちゃんの事が好きなのかどうかは、ライブの後に訊いてみる事にしよう。
ん?
随分前に同じ事をムギにも訊いた気がするな……。
モテモテだな、さわちゃん。
私はちょっとだけ笑ってから、すぐに口元を引き締めて強めに言った。

「そんじゃ、ムギも唯も行くぞ!
私達の高校ラストライブだ!」

「あいよー、りっちゃん!」

「うんっ!」

ムギと唯が音楽室の入口まで駆け出していく。
私も澪と梓の手を引いて唯達の後を追う。

「相変わらず慌ただしいわねー、あんた達」

そんな私達の姿を見て、さわちゃんが微笑ましそうに呟いた。
と。
瞬間、私達は足を止めて、さわちゃんの方に一斉に振り向く。
多分、予想もしてなかったんだろう。
私達の突然の行動に、さわちゃんは面食らった表情を浮かべた。

「な、何……? 忘れ物か何か……?」

「いえいえ、そういえば忘れてた事があったなー、と思いまして……」

唯が揉み手をしながら、悪戯っぽく微笑む。
そういや、唯ってさわちゃん相手にはこんな顔を向ける事が多いよな。
でも、もしかしたら、
私もさわちゃんに唯と同じ様な顔を向けてるのかもしれない。
別に馬鹿にしてるわけじゃない。
頼りになって、支えになってくれて、
でも、からかい甲斐があって、友達みたいなさわちゃんの事が好きだから。
大好きだから、私達は五人揃って頭を下げて言うんだ。

「今までありがとうございます!
いってきます、先生!」

私達の声が重なる。重なった声が音楽室に響き渡る。
さわちゃんは少しだけ黙って、
無言で私達の姿を見守ってくれていたけど……、

「ええ……。
唯ちゃん、澪ちゃん、りっちゃん、ムギちゃん、梓ちゃん……。
皆……、いってらっしゃい……!
皆の最高のライブを私達に見せてね……!」

嬉しそうな優しい声色で、私達を送り出してくれた。
682 :にゃんこ [saga]:2011/10/12(水) 21:36:27.86 ID:j4mvqDH10


今夜はここまでです。
長くかかりましたが、次からライブに入る予定です。
長らくお世話になります。
683 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/12(水) 21:51:58.89 ID:fjvIr6Xco

ライブ編も楽しみにしてる
684 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/12(水) 22:01:55.05 ID:0cCW+jTSO
乙!
685 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/13(木) 13:22:28.92 ID:+PGYJ469o

続きが気になるけど終わってほしくないこのジレンマ・・・
686 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/13(木) 20:04:03.08 ID:dMZE8DwIO
佳境すぎて心が苦しい
687 :にゃんこ [saga]:2011/10/17(月) 21:01:43.26 ID:kMGjv5NB0





私達は講堂の裏口から舞台袖に入り、降りた緞帳の裏で楽器の用意をしていた。
皆、緞帳から客席は覗かず、静かに作業を行う。
何人来てくれているのかを確認するのは失礼な気がしたからだ。
何人来てくれていても構わない。
何人も来てくれていなくても構わない。
特に今日は世界の終わりの前の日だ。
来てくれる予定だった人でも、急な用が入って来れなくなる事も少なくないと思う。
勿論、それは残念な事だけど、
そちらの用事の方が大事なら、遠慮なく優先してくれればいいと思う。
このライブは私の……、私達の最後の我儘から開催したライブだからな。
私達が好きで勝手に開催してるライブでしかない。
参加する義務なんて誰にも無い。
皆、思い思いに過ごすのが一番大切な事だし、私もそうするし、皆もそうしてほしい。

とは言っても、アーティストのエゴって言うのかな。
何人くらい来てくれているのか気になるのも、確かなんだよな。
いやはや、こんな時なのにお恥ずかしい。
まあ、ちょっと考えちゃうくらいは許してほしいところだ。
観客の数は、多分、三十人くらいかなと思う。
皆の家族に和と和の家族、さわちゃん、純ちゃん、
いちご、アキヨ、高橋さんにオカルト研の二人……。
それと時間に余裕があれば、信代くらいかな。

月曜日に会って以来、信代からの連絡はないし、私も信代に連絡をしていない。
忙しいだろうと思ってたし、少しでも信代の夢に向かって進んでほしかったってのもある。
あれから信代は日本一の酒屋に少しでも近付けたんだろうか。
信代の満足いく形で前に進めているんなら、私も嬉しい。
他の酒屋を深く知ってるわけじゃないけど、
少なくとも私の中では信代は日本一の酒屋だと思う。
いや、勿論、信代の店のお酒を飲んだ事はないけど、
前に疲れている時に信代が差し入れしてくれたジュースはものすごく美味しかった。
ジュース自体は市販されてる物だ。
でも、それを必要としてる人に、必要としてる時間に提供できるって事がすごいんだ。
それができる信代は、今も日本一の酒屋に向けて進めてるはずだろう。

これは私のちょっとした我儘と言うか贅沢だけど、
信代の彼氏……、旦那も連れて来てくれると楽しいな。
皆、信代の旦那には興味津々だし、誰よりもさわちゃんが信代の旦那を見たがってた。
勿論、私だって信代の旦那を一度見てみたい。
筋肉質で逞しい感じの旦那なんだろうなって私は想像してるけど、
ひょっとしたら全然違うタイプかもしれないし、連れて来てくれていると本当に楽しい。
楽しいってのも、何か失礼な話かもしれないけど。

でも、三十人か……って、そう考えると私は嬉しくなってくる。
身内ばかりだけど、こんな時期に三十人も集まってくれるなんて、すごい事じゃないだろうか。
何より、バンドのメンバーが一人も欠けなかったって事が嬉しい。
世界の終わりの前日の今日、
テレビやラジオで聞く限りでは、様々なバンドがラストライブを開催するらしい。
武道館でもあのバンドの盛大なライブが開催されるんだとか。
最後に何かを形にしたいってのは、誰もが考える事なんだろうな。
でも、フルメンバーで最後のライブを開催するバンドは多くなかった。
まだ二人組ならともかく、三人以上……、
特に五人以上のバンドがフルメンバーで、最後のライブを行えるのは珍しいみたいだ。
バンドメンバーとは言え、最後にやっておきたい事はそれぞれ違うんだからそれは仕方ない。
その点、私達は誰一人欠けずに最後のライブに臨めてる。
そもそも開催できるなんて思ってなかったライブだけど、こんなに嬉しい事はない。
唯の思い付きに感謝だな。
まあ、武道館でライブを開催できるようなバンドと比較する事じゃないけどさ。
688 :にゃんこ [saga]:2011/10/17(月) 21:02:20.04 ID:kMGjv5NB0
「楽しそうだな、律。
どうしたんだ?」

よっぽど嬉しそうな顔をしてたんだろう。
ベースとマイクの準備が終わった澪が、小さく私に声を掛けた。
私は頭の上にスティックを掲げながら、声は静かに応じる。

「何人くらいお客さんが入ってくれてるのかって考えてたんだよ。
多分、三十人くらいだと思うけど、そんなに来てくれるなんて嬉しいよな」

「う……、三十人か……」

「百人以上の観客の前で歌った事のある澪さんが何を緊張してんだ。
そもそもファンクラブのメンバーだけで三十人近くはいただろ、確か」

「実数の問題じゃないんだよ……。
人がいっぱい居るって事に緊張するんだ……。
特に今回はこれまでの私達のイメージとは違う新曲もあるしさ……。
どうしよう……。引かれたらどうしよう……」

「別に引きゃしないって。観客の皆も身内ばかりだと思うしさ。
でも、これまでの私達のイメージとは違うってのは確かだよな。
曲調も歌詞もこれまでの澪とは違う感じだよ。
どうしたんだ? 音楽性の違いからの心境の変化ってやつか?」

「あっ……、それは……、えっと……」

澪が一瞬、視線を俯かせる。
その様子は照れてると言うより、何かを不安に思ってるって感じだった。

「どうした、澪?
私、変な事言っちゃったか?」

「いや……、そうじゃなくてさ……。
あの……さ……。
今回の新曲、律は嫌いじゃないのかなって……。
何だか新曲を演奏し終わる度に……、律が溜息を吐いてた気がするんだ。
だから……」

成程、澪は私の様子を不安に思ってたのか。
澪の言うとおり、私は新曲を演奏する度に大きな溜息を吐いてた。
でも、その溜息の理由は澪の考えてるものとは全然違ってる。
私は軽く微笑み、立ち上がって澪の近くにまで歩いてから澪の肩を叩く。

「馬鹿だな、澪は。
私、この新曲、好きだぜ?
溜息を吐いてたのは単に新曲が激しい曲だから結構疲れるからで、深呼吸みたいなもんだ。
それと……、毎回、いい演奏ができるからさ……、
嬉しくて感嘆の溜息……って言うのか? そういう感じで息が漏れてただけだよ」

「そうなんだ……。よかった……。
実はさ、律……。この曲は律の事を考えてムギと作ったんだ」

「えっ?
私……の事……?」

「あ、いやいや、律のために捧げる歌とか、そういう意味じゃなくて……」

「そりゃそうだ。
そんな事されたら、恥ずかしくて叫び声を上げるわ」

『冬の日』が自分に宛てられたラブレターかと勘違いした時も、
私らしくなく、毎日ドキドキしちゃって、気が気でなかったしな。
いや、これは誰にも内緒だけど。
澪が少しだけ頬を赤く染めて、恥ずかしそうに続ける。
689 :にゃんこ [saga]:2011/10/17(月) 21:03:05.18 ID:kMGjv5NB0
「律はさ……、本当は激しいハードロックをやりたかったんだよな……?
好きなドラマーもそんな感じの人が多いしさ……。
でも、今だから言うけど、放課後ティータイムじゃ、
なし崩し的に私の歌詞に合った甘いポップ系が多くなっちゃって、それが気になってんだよ。
律は私に付き合って好みとは違う曲を演奏してくれてるんじゃないかって……、
そう思って、今回は激しい曲にしてみたんだ。
今回の新曲はそういう意味で律の事を考えて作った曲なんだよ」

「確かに私は激しい曲の方が好みだし、
放課後ティータイムの曲は好みとは言えない曲が多いな。
今回の新曲の方が私の性には合ってる。
でも……、放課後ティータイムの曲は全部好きだよ。
好みじゃないけど好きなんだ。好きになっちゃう魅力があるんだ。
唯の歌声、ムギの作曲、梓のギター、勿論、澪の作詞に……」

照れ臭い言葉だったけど、それは全部私の本音だ。
じゃなきゃ、こんなに長い間、皆とバンドなんて組めてない。
外バンなんて考えられない。
好みじゃなくても、放課後ティータイムは私の居場所なんだから。
私の想いが伝わったんだろうと思う。澪も私と同じ様に照れ臭そうに頷いた。

「ありがとう、律。
律が私の曲を好きでいてくれたなんて、
面と向かって聞いた事なかったから本当に嬉しいよ」

「言っとくけど、好みなわけじゃないからな。
好みじゃないけど好きなだけだからな」

「分かってるよ、律。好きでいてくれるだけで嬉しい。
じゃあさ、次の曲は『きりんりんりん』を新曲に加え……」

「その曲は却下」

呆れた顔で私が却下すると、
流石の澪もその曲は採用されるとは思ってなかったみたいで、悪戯っぽく笑った。
どうやら冗談だったらしい。
冗談を言えるくらいなら、かなり緊張も解れたって事なんだろう。
私は苦笑して澪の肩を軽く叩くと、ドラムまで戻って体勢を整えた。

見回してみると、既に唯達の準備も終わってるみたいだった。
舞台袖で私達を待ってくれていた和に視線を向ける。
私と澪のやりとりをずっと見てたらしく、ちょっと苦笑した表情の和が頷く。
隣に居た眼鏡の子(確か生徒会の会計)に指示を出すと、マイクを自分の口元に運んだ。
私は和から視線を正面の緞帳に戻し、深呼吸をして皆に視線を向ける。

唯が楽しそうに微笑んで私を見ている。
ムギも珍しく真剣な表情で私に視線を向ける。
澪は緊張を忘れようと少し強張った顔で、
梓は私を見る他の三人の表情と私の顔を交互に見つめている。
690 :にゃんこ [saga]:2011/10/17(月) 21:03:36.26 ID:kMGjv5NB0
「やるぞ!」

緞帳の先までは聞こえないくらいの声量で皆に宣言する。
そのまま私がスティックを掲げると、皆も効き手を頭上に掲げた。
会計の子が操作してくれたんだろう。それに釣られるみたいに緞帳が上がっていく。
少しずつ上がっていく緞帳に合わせるくらいの速さで、和の声が講堂中に響く。

「さて、皆さんお待ちかね。
絶対、歴史に残すライブイベント、放課後ティータイムのライブの開催です!
皆さん、高校生活最後の彼女達のライブを、思う存分お楽しみ下さい!」

またハードル上げてくれるな、和……。
と言うか、和も結構『絶対、歴史に残すライブ』ってフレーズが好きだったんだな……。
少し微笑ましい気持ちになりながら、
私は緞帳が上がり切るのを待ってから客席に視線を向けた。
信代が旦那を連れて来てくれてるといいなって、そんな軽い事を考えながら。
だけど……。

「えっ……?」

私だけじゃない。
放課後ティータイムのメンバーの全員が戸惑いの声を上げていた。
圧倒された。
圧倒されるしかなかった。
私は観客の数は三十人くらいだろうと思っていた。
贔屓目に考えて、多めに見積もって三十人だ。
唯は五十人くらい来てくれるはずと言っていたが、
夏フェスの参加人数を三億人とか言ってた奴だから、誰も当てにしてなかった。
でも……、でも、これは……、そんな……。

客席から歓声が上がる。
想像以上の歓声……、予想すらしていなかった大量の……。
私は息を呑んだ。

少し見回しただけで、講堂の中には二百人を下らない数の観客が入っているのが分かる。
私達の家族、アキヨ、いちご、オカルト研の二人、信代、信代の旦那らしい背の高いカッコいい人、
さわちゃん以外にも先生が何人か、マキちゃんにラブクライシスのメンバー……、
清水さんに春子達といった私のクラスメイト、澪ファンクラブのメンバーの半数近く、曽我部さん、
多分、私達に制服を貸してくれたムギの中学時代の友達……。
それだけじゃない。
見掛けた事はあるけど名前も知らないうちの学校の生徒に、
誰かの友達らしい全然知らない子達も大勢客席に座っていた。

世界の終わりの間近にこんな人数が……、私達のライブに……。
こんな時なのに……。
瞬間、私は涙を流していた。
私だけじゃない。澪もムギも唯でさえも、その場に崩れ落ちるみたいに大粒の涙を流してた。
何の前触れも無かった。
心の動きを感じるより先に涙が流れてた。
遅れて、胸の痛みを感じ始める。嘘みたいだけど、感情より先に涙腺が反応していた。
声を出そうとしても嗚咽となって声にならない。
悲しいわけじゃない。絶望してるわけでもない。
でも、ただ涙が止まらない。

止まらない涙を流しながら、思う。
集まってくれた観客の皆の気持ちを考える。
私達のライブを見たいのは間違いないだろうけど、
多分、皆、私達と一緒に終わる世界に向けて叫びたいんだろうと思う。
言ってやりたいんだって思う。
私達は生きてるんだって。
明日消えて無くなる命でも、今を烈しく生きてるんだって。
強く生きてやるんだって。
皆は私達にそれを代表させてくれてるんだ。
生きるって事の意味を終わる世界で叫ぶ代表を。
691 :にゃんこ [saga]:2011/10/17(月) 21:07:27.96 ID:kMGjv5NB0


今回はここまでです。

ちょっと裏話。
このssがここまで律澪になっちゃったのは、
ある日、道端でローソンの澪のストラップを拾っちゃった事が無関係ではないと思います。
りっちゃんのストラップだけは持ってたんですが、見事に澪だけ落ちてるとは。
これはssを律澪にしろという神の思し召しだと考え、こんな感じになった次第であります。
嘘みたいな本当の話。
692 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/17(月) 21:47:55.49 ID:sOy9D/530
最高のライブになるといいな
693 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/17(月) 23:07:46.36 ID:QBtOPJmSO
おつー
映画前にまたローソンでけいおんフェアあるらしいね
694 :にゃんこ [saga]:2011/10/19(水) 21:17:35.61 ID:oNEfTHUU0
だから、私は何かを言わなきゃいけない。
軽音部の部長として、このライブの座長として、私から皆に宣言しなきゃいけない。
ライブの始まりを私の口から宣言しなきゃならない。
最高で最後のライブを開催するために。

でも。
口を開いても、言葉が出ない。
呼吸をする事すら精一杯だ。
堰き止められてたダムが決壊したみたいに、私の涙が流れ続ける。
涙が私の言葉を止める。
瞼を開いてるのも辛いくらいの涙が私の邪魔をする。
涙が止められないのは私だけじゃなかった。

唯が膝から崩れ落ち、ギー太を胸に抱いて大声で泣いている。
普段から涙脆い奴ではあるけど、今回の唯の涙は尋常じゃなかった。
世界が終わるって知ってからも変わらず楽しそうに振る舞ってた唯だけど、
やっぱり心の奥底では辛かったんだろうし、悲しかったんだろう。
同時に自分に寄せられる皆の期待に戸惑ってしまっているんだろうと思う。
軽い気持ちで、何となく開催する事になった最後のライブ。
内輪で開催するだけなら単なるお遊びみたいなもんだった。
だけど、こんなにも多くの人が世界の終わりの前日に来てくれるなんて、
それだけの価値が自分達にあるのかって今更ながらに恐がっちゃってるんだ。
そんな唯の気持ちが分かる。
勿論、私もそうだからだ。

ムギが腰から崩れそうになりながら、キーボードに手を付いて大粒の涙を流してる。
キーボードで倒れそうな自分の身体をどうにか支えてる。
泣く事をやめられたムギでも、この事態には泣かざるを得ないみたいだった。
皆が集まってくれた事への感謝で胸が一杯なんだろう。
胸が一杯だから、多分、欲が出ちゃったんだ。
この素敵な時間をずっと続けてたいって。
明日も明後日もずっと続けてたいって。
明後日はもう無い事も分かってるのに……、
なのに、欲が出ちゃって、そんな浅ましい自分の欲が愛おしくなっちゃって……。
終わらせたくない。
終わりたくないって思っちゃって……。
だから、ムギの涙も止まらないんだ。

澪が声も上げずに舞台に突っ伏して震えている。
澪が考えてるのはライブの事だけじゃないだろう。
ライブは成功させたいし、どうにか歌いたいと思ってくれてるはずだ。
でも、多分、そこに私っていう重荷が圧し掛かっちゃってる。
本当は私の恋人になりたかったはずだ。
友達以上恋人未満じゃなく、今すぐにでも深い関係の恋人になりたかったはずだ。
私もそうしたかったけど、そうするわけにはいかなかった。
私の想いも固まっていないのに、恋人になるなんてそんな失礼な事は出来なかった。
でも、澪の姿を見てると、その考えが揺らぎそうになる。
私は間違っていたのか?
澪の恋人になって、抱き合って、世界の最後まで一緒に居るべきだったのか?
世界の恋人達は本当は皆そうしてるものだったんじゃないか?
自分の気持ちがはっきりしてなくても、
お互いを慰め合うために傍に居るものだったんじゃないか?
それが恋人って関係の真実だったんじゃ……?
考え出すと不安が溢れだして止まらない。
もう取り戻す事のできない残り少ない時間を考えてしまって、焦りが止まらない。

泣いているのは舞台上の私達だけに留まらなかった。
客席の所々から泣き声が上がり始める。
皆、とめどない涙を流してる。
悲しみや不安や怒りや苦しみや……、
世界の終わりに対する色んな感情を宿した涙を流し続ける。
涙脆いと噂の春子が大声で泣いてる。
父さんと母さん、聡が肩を寄せ合って震えてる。
純ちゃんと憂ちゃんが眼に涙を浮かべ、手を握り合ってる。
アキヨが本に顔を寄せて震え、高橋さんがその肩を包み込むみたいにして支える。
ラブクライシスの皆の表情も辛そうで、下級生の子達からも大きな泣き声が上がる。
そして、いちごまで……。
いちごまでいつもの無表情ではあるけど、私の方を見ながら一筋の涙を流してた。
毅然とした表情だったけど、その涙を止める事はできなかったみたいだった。
695 :にゃんこ [saga]:2011/10/19(水) 21:18:13.34 ID:oNEfTHUU0
伝染させてしまったと思った。
私達が……、いや、私が泣いてしまったからだ。
誰も泣きたくて私達のライブに来てくれたわけじゃないのに、
悲しむために私達のライブに来たわけじゃないのに、私が涙を流せる空気を作ってしまった。
泣いて、皆で慰め合うみたいな空気を作ってしまった。
未来に絶望して、過去に縋り付いてもいいんだって、そんな空気にしてしまった。
皆で肩を寄せ合って悲しみを共有しようっていうライブにしてしまったんだ。
最初に私が泣いてしまったせいで……。

私が望んでたライブはこういうライブだったのか?
私は悲しみながら終わる世界、終わるライブで満足なのか?
いいや、違う!
私がやりたかったのは、こんなライブじゃない!
これから私達がやるライブは、思い出に浸るためのライブじゃない。
皆で最後まで慰め合うって約束をするためのライブじゃない。
私がやりたいのは、私がやるべきなのは、今を生きてる自分達のためのライブだ!
私達は此処に居るって事を叫んでやるためのライブなんだ!

「……な、……いで。
これから……、ライ……、ライブを……」

立てられたマイクにどうにか声を届けようとする。
涙を流す皆にどうにか言葉を届けようとする。
でも、そんな私自身の声が出ない。言葉が出ない。
涙に邪魔されて、私のやりたいライブを開催する事ができない。
悔しかった。
部長を名乗っておきながら、皆を支えようとしておきながらこの様だ。
こんなんじゃ、ライブに来てくれた皆の時間を無駄にしてしまうだけだ。
観客の皆に申し訳ない。
軽音部の皆にも向ける顔が無い。
自分で自分自身が赦せなくなる。
唇を噛み締めて、拳を握り締める。
何もできていない自分を殴り付けてやりたくなる。
私はどうにか立ち上がり、マイクを握ろうとする。
もう一度、届けられるかどうか分からない掠れた声を出そうとした瞬間……、

「皆さん、こんばんは。
放課後ティータイムです」

講堂にあいつの声が響いた。
この一週間、私達の前で何度も涙を見せたあいつが、
『終末宣言』のずっと前から別れを悲しんでいたあいつが、言葉を皆に届けてくれた。
涙を流さずに。
優しい微笑みまで浮かべて。
真面目で、内気で、寂しがり屋で、小さな後輩が……。
私達の想いを継いでくれた。
696 :にゃんこ [saga]:2011/10/19(水) 21:18:40.55 ID:oNEfTHUU0
「ギターの中野梓です。
今晩は私達放課後ティータイムのライブに来て頂き、ありがとうございます。
ライブ開催の告知が一昨日っていう突然さにも関わらず、
こんなに多くの方々に集まって頂けるなんて、本当に嬉しいです。
重ね重ね、ありがとうございます」

MCなんてろくにやった事も無いくせに、堂に入っていた。
少なくとも私よりは遥かによくできてる。
いつの間に練習してたんだろうか。
ひょっとして、こうなるのを承知で隠れて練習してたのか?
いや、違うか。
多分、ずっと前から……、
一年生の新入部員が居ないと分かった時から、
来年、自分が部長として軽音部を引っ張る事を自覚して、梓はMCを練習してたんだ。
私達の跡を継いでくれるために。軽音部を続けていくために。

それにきっと、このライブは梓にとってこそ無駄にできないライブなんだと思う。
世界の終わりが来なきゃ、開催するはずもなかったこの最後のライブ。
世界の終わりを迎える不運な私達が、幸運にも開催できる事になったライブだから……。
来年一人で取り残されるのを覚悟してた梓だからこそ、その大切さを誰よりも分かってるんだ。
だからこそ、泣いてる場合じゃない。
最高のライブに……、
『絶対、歴史に残すライブ』にしなきゃいけないんだって分かってるんだ。

梓は泣き声の止まらない客席に、温かく優しい言葉を届け続ける。
泣き顔だらけの講堂の中、眩いくらいの笑顔で。

「実は私、こう言うのも何ですけど、
このライブ、皆さんにはご迷惑だったかなって思ってます。
だって、開催告知が二日前なんですよ?
急過ぎるにも程がありますよね。
何と軽音部の皆も、部長以外今日ライブやるって事を知らなかったくらいなんです。
やるやるって言ってましたから準備はしてましたけど、
それにしたってもう少し前に言ってくれてもいいじゃないですか。
まったく……、うちの部長っていつもそうなんですよ……。
ドラムのリズムキープもバラバラだし、走り気味な所もありますし……。
しっかりしてほしいですよ、本当に」

「部長いじめか、中野ーっ!」

つい立ち上がって叫んで、気付いた。
私、泣いてない……。
涙が止まっていて、声も出せてる……。
ふと見回してみれば、澪達の涙も止まっていたし、客席から笑い声が漏れ始めていた。
そうか……。
梓が皆の涙を止めたんだ。
梓が皆の悲しみを吹き飛ばしたんだ……。
そうか……!

「梓、おまえ……」

立派な後輩……、
ううん、私達には勿体無いくらいの最高の後輩だよ、おまえは……。
その言葉を届けるより先に、梓が惚れちゃいそうになるくらい優しい笑顔を私に向けた。
その梓の笑顔が本当は何を意味していたのかは分からない。
でも、その梓の笑顔は、私にも頼って下さいよ、と言ってるように見えた。
私は皆を支える事ばかり考えてた。
支えられてる事を申し訳なくも思ってた。
でも、そういう考え方をしなくてよかったのかもしれない。
私は皆を支えたい。同じ様に皆も私を支えたいと思ってるんだろう。
支えるとか支えられるとかじゃなくて、支え合うんだ。
そうだよ……。
今更だけど、私達は五人で放課後ティータイムなんだ……!
697 :にゃんこ [saga]:2011/10/19(水) 21:19:10.30 ID:oNEfTHUU0
梓が客席に視線を戻す。
後ろ手に私の方を指し示しながら、言葉を続ける。

「皆さんご存じだと思いますけど、
今立ち上がったのが、私達軽音部の部長、田井中律先輩です。
あんまり練習しないし、遊んでばかりで変な事ばかり思い付くし、
リズムキープもバラバラで走り気味な人なんですけど……、
私、律先輩のドラムが大好きなんです。
実は律先輩と合わせると、同じ曲が毎回全然違った曲になっちゃうんですよね。
聴いてる方には堪ったものじゃないかもしれませんけど、それってすっごく楽しいんです。

私、親がジャズバンドをやっていたので、
その影響でギターを始めたんですけど、皆さん、ジャズって知ってます?
人によるとも思いますけど、ジャズって演奏中に即興で新しい曲を作っちゃう事があるんですよ。
同じ曲を演奏していても、毎回新しい進化した曲になるんです。
方向性は違いますけど、律先輩ってそんなジャズみたいな人だなって思うんです。

勿論、酷い曲になる事も多いんですけど、
たまに想像していた以上のすごい曲になって、
自分でも感動するくらいの曲を演奏できる事があるんですよ。
本当にたまに……ですけどね。
でも、その感動を知っちゃったら、もう律先輩とのセッションを忘れられません。
何度失敗しても、何度も一緒にセッションしたくなっちゃうんです。
律先輩も罪な人ですよね」

褒められてるんだか馬鹿にされてるんだか分からなかったけど、
今はただ梓のMCを聞いているのが面白くて、楽しくて、嬉しかった。
そんな風に考えてくれてたんだな、梓……。
そう考えながら私が目を細めて梓の後ろ姿を見つめていると、急に梓が続けた。

「それでは、もう一度ご紹介します!
ドラム担当で軽音部部長、田井中律先輩です!
律先輩、一言どうぞ!」

一言と来たか。
いいだろう。
皆に感動的な言葉を届けてやろうじゃないか……、
とマイクに口を寄せた瞬間、マイクも使ってないくせに講堂中に大きな声が響いた。

「その前髪下ろした人、誰ー?」

「今、紹介されただろ!
りっちゃんだよ! 部長でドラムの田井中のりっちゃんだよ!
カチューシャしてないから分からなかったか、コンチクショーッ!」

スティックを振り回して、大声の発生源に文句を言ってやる。
大声の発生源の正体は探さなくても声で分かる。
信代だ。この声色でこの声量で叫べるのは信代しかいない。
誰かに突っ込まれるだろうとは思ってたが、やっぱり一番に信代が突っ込みやがったか……。
698 :にゃんこ [saga]:2011/10/19(水) 21:20:57.65 ID:oNEfTHUU0


今回はここまでです。
やっとライブが始まりそうですね。
遠回りをしましたが、やっと辿り着けました。
699 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/19(水) 23:18:03.25 ID:haMLXVLio
乙乙
700 :にゃんこ [saga]:2011/10/21(金) 19:43:06.60 ID:sT9PuPCN0
睨むみたいに視線を向けてみると、
多分旦那なんだろう男の人の背中を何故か叩きながら、信代が続けた。

「冗談だよ、律!
カチューシャしてないのも可愛いじゃん!
欲を言えばパーカーのフードを脱いでくれると嬉しいんだけどさ!」

「りっちゃん、可愛いー!」

「結婚してーっ!」

信代の言葉に続いて、エリや春子なんかが歓声を上げる。
こいつら、本当にろくでもないクラスメイト達だな……!

「うっせ!
フードだけは絶対脱がないからな!」

吐き捨てるみたいに言ってやってから、私は少しだけ深くフードを被り直す。
やめてくれよな……。
ただでさえ恥ずかしいのに、『可愛い』だなんて言いやがって……。
何だか顔が熱くなっちゃうじゃんか……。
そうやって縮こまってる私の姿を見てから、梓が苦笑交じりの声で言った。

「もう、律先輩は仕方ないですね……。
それでは、メンバー紹介を続けますね。
次にご紹介するのは、キーボード担当の琴吹紬先輩です」

「わ、私……?」

いきなり自分の話題になるとは思ってなかったんだろう。
ムギが驚いた様子で梓に視線を向ける。
そのムギの目尻は涙で濡れてはいたけど、それ以上涙が溢れ出す事も無かった。
「ムギー!」という歓声が客席のあちこちから上がる。
客席の様子を満足そうに見つめてから、梓がムギの方向に向き直す。

「琴吹紬先輩……、ムギ先輩は美人で、優しくて、大人っぽい素敵な先輩です。
それに放課後ティータイムの曲の作曲もほとんどムギ先輩がやってるんですよ。
作曲なんてそう簡単にできる事じゃないのに、何曲も制作してくれて本当に助かってます。
部室に居る時はいつも私達に美味しいお菓子を用意してくれるし、お世話になってばかりです。
あ、お世話になってるのは、私だけじゃなくて律先輩達もなんですけどね」

言ってから、梓が悪戯っぽい笑顔を私に向ける。
反論しようかとも思ったんだけど、よく考えたら全然反論できない。
考えてみれば、ムギにはお世話になりっ放しだ。
ライブが終わったら、せめてお茶の準備くらいは手伝おうかな。
そう思って何となく視線を向けてみると、軽くムギの頬が赤く染まっていた。
いつも穏やかなムギとは言え、人前で後輩に褒められるのは照れ臭いものらしい。
「実はですね……」と何処か楽しそうにさえ聞こえる声色で梓が続ける。
701 :にゃんこ [saga]:2011/10/21(金) 19:43:47.74 ID:sT9PuPCN0
「ムギ先輩ってそんな非の打ち所の無い先輩だから、
私が入部した当初は近寄りがたい雰囲気があったんです。
いいえ、そうじゃありませんね。
ムギ先輩はいつでも優しい先輩なのに、私の方が勝手に縮こまっちゃってたんです。
私にはムギ先輩みたいなお嬢様っぽい知り合いが居なかったので、
何を話し掛けたらいいのかって、結構悩んだりしてたんですよね。

でも、軽音部でお世話になってる内に、
ムギ先輩も私達と同じ様な事を考える女の子なんだなって思うようになりました。
楽しい事があったら笑いますし、悲しい事があったら泣きますし、
当然の事なんですけど、ムギ先輩も私達と同じ普通の音楽好きの人なんだなって……。
そうそう。
意外かもしれませんけど、ムギ先輩ったら、お茶の時間におやつの摘み食いなんかもしてるんですよ」

「あーっ! 梓ちゃん、それ内緒の話なのにー!」

ムギがまた顔を赤く染めて、私達の顔色をうかがう。
内緒にしてた事が私達にばれたと思って、恥ずかしくて仕方が無いに違いない。
まあ、ムギがたまに摘み食いしてるのは、
軽音部なら皆が知ってる話なんだけど、
ムギとしては私達に内緒にしているつもりだったんだろうな。
恥ずかしそうに、ムギが視線を落として呟く。

「だって、美味しそうなんだもん……」

滅多に見せないそのムギの照れた様子はとても可愛らしかった。
客席の皆もそう思っていたみたいで、
微笑ましそうに「いいなー、私も食べてみたいなー」という感じの声があちこちから上がっていた。

「あ、そうだ」

不意に何かを思い出したみたいに、
ムギがキーボードの前に置かれていたマイクを手に取って言った。

「皆さん、今日は私達のライブにお越し頂き、ありがとうございます。
キーボード担当の琴吹紬です。
また皆さんにライブでお会いできて、私、嬉しいです。
すっごく楽しくて、すっごくすっごく嬉しいです!
皆さんの大切な時間を私達に頂けて、本当に感謝してます!
皆さんの心に残るライブになるよう精一杯演奏するのは勿論ですけど、
実は今日、皆さんへの感謝の気持ちを込めてたくさんのケーキを用意してるんです。
ライブが終わっても、そのまま客席で待ってて下さい。
皆さんにケーキをお配りしますね」

客席から嬉しそうな歓声が上がる。
その感性を尻目にムギが私達の方に視線を向けると、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。

「ごめんね。皆の分のケーキが減っちゃうけど……」

「別にいいよ。美味しい物は皆で味わった方がいいしさ」

首を横に振って言った後、私はふと気が付いた。
私達のケーキが減るのは構わないけど、
客席の皆の分のケーキが準備できてるのかって思ったからだ。
ムギの様子を見る限りじゃ、
まさか二百人ものお客さんが集まってくれるとは思ってなかったみたいだ。
私達が考えていたのと同じく、ムギもお客さんは三十人くらいだと予測していたはずだ。
だとすると、圧倒的にケーキの数が足りないはずなんだけど……。
それを訊ねると、ムギは小さく苦笑した。
702 :にゃんこ [saga]:2011/10/21(金) 19:44:26.10 ID:sT9PuPCN0
「大丈夫。
今日は一人一ホールのつもりでケーキを用意してたの。
切り分ければ、皆の分のケーキを用意できると思うよ」

「一ホールかよ!」

思わず突っ込んだ。
いくら何でも一人一ホールは多過ぎだ。
唯なら食べ切るかもしれないけど、
少なくとも私を含めた常人の皆さんじゃ間違いなく食べ切れない。
でも、今回はムギのその天然が幸いしたかな。
皆にムギの美味しいケーキを味わってもらえるなら、それで結果オーライだ。

「流石はムギ先輩……」

梓が困ったように呟いていたが、その表情は笑顔だった。
少しずつ分かってはきたけど、
まだまだ謎の多いムギの姿を楽しくも嬉しくも思ってるんだろう。

「ケーキ、楽しみだねー」

涎でも垂らしそうな表情をしながら、唯が呟く。
こいつの頭の中はいつも甘い物と可愛い物の事ばかりだった。
それが今は心強い。
流していた涙も梓のおかげで拭い去れてるみたいだ。
それなら大丈夫。普段はともかく、唯は本番に強い女だ。
梓が少し口元を引き締め直し、唯を手の先で示す。

「それでは、次のメンバー紹介です。
ギターの平沢唯先輩です!」

「皆、今日は来てくれてありがとーっ!」

言い様、唯がギー太を目にも留らぬ超技巧で奏で始めた。
おー、ミュージシャンっぽい。
これはふわふわのギターアレンジだな。
妙にミュージシャンっぽい姿にこだわる唯にとって、一度はライブでやってみたかった事なんだろう。
ライブなんかでよく見る光景だしな。
それにしても、高校一年生になるまでギターに触れた事も無かったとは思えない見事なテクニックだ。
こういうのを天才って言うんだろうな。
悔しくて羨ましくもあるけど、今はただただ頼もしい。
天才と出会え、その天才と組めた偶然に感謝したい。
私は天才じゃないけど、天才と組めたって点では天から愛されてるのかもな。
天才の唯。本番に強い唯。天然ボケの唯。
そんな唯なら、今からの演奏と歌声で皆を笑顔にする事ができるはずだ。
……とか思ってたら、急に間の抜けた不協和音が講堂を包んだ。

「あ、間違っちゃった」

頭を掻いて、唯が苦笑いを浮かべる。
超技巧に挑戦し過ぎて、一番難しい所で指が動き損ねてしまったらしい。
おいおい、大丈夫か……。
梓とムギが苦笑する。
澪……も、被ったフードの奥の目尻の涙を拭いながら笑ってる。
客席の皆からも大きな笑い声が上がる。
狙ってやったのかどうなのか、とにかく唯は本当に皆を笑顔にしてしまった。
ミュージシャンとしてはどうかと思うが、これが一つの唯の音楽なのかもしれないな。
703 :にゃんこ [saga]:2011/10/21(金) 19:44:58.37 ID:sT9PuPCN0
「えーっと……」

梓が苦笑を浮かべたままで続ける。

「今見た通りの人が唯先輩です。
それでは、次の人の紹介に……」

「私の紹介それだけっ?
あずにゃんのいけずぅ……。
もっとりっちゃんやムギちゃんみたいに紹介してよー……!」

「自分で自己紹介して下さい」

「ひどいよ、あずにゃん……」

「そんな泣きそうな声を出さないで下さいよ……。
私がいじめてるみたいじゃないですか」

「じゃあ、ちゃんと紹介してくれる……?」

「もう……、仕方ないですね……。
では、改めてご紹介しますね。ギターの平沢唯先輩です。
見ての通り、唯先輩はだらしないし、楽譜もろくに読めないし、
律先輩以上に遊び回ってるし、お菓子の事しか考えてないし、
すぐに抱き着いて来るし、変なあだ名付けてくるし、すごく困った先輩です」

また客席から笑い声が上がる。
よく見ると憂ちゃんがハラハラした様子で梓の言葉を見守っていた。
大好きなお姉ちゃんについての紹介がどうなるか心配でしょうがないんだろうな。
唯も何処まで自分の悪い印象を語られるのか、別の意味でハラハラしてるようだった。
私も少し不安を感じなくはなかったけど、当事者ほどハラハラしてはいなかった。
梓が苦笑を穏やかな笑顔に変えて、唯の傍に近寄って行っていたからだ。
そうして、唯の傍で梓が小さく口を開いた。

「でも、唯先輩の演奏はすごいんですよ。
毎回ギターが上手くなってて、私の演奏を引っ張る技術も持ってて……。
どんどん進化する唯先輩の姿に、いつも驚かされます。
それに……、私、唯先輩の困った行動……、嫌いじゃないですよ」

最後には少し照れた様子になっていた。
そうだ。言葉こそ厳しいけど、梓が唯を悪く思っていない事を私はよく知ってる。
傍から見ていると、よく分かる。
唯が梓の事を大好きなように、梓だって唯の事が大好きなんだって。
感極まったんだろう。
唯が梓に抱き付こうと飛び掛かろうとして、でも、何とか自制した。
流石の唯もギー太を肩に掛けたまま、
むったんを肩に掛けている梓に抱き着くほど馬鹿じゃない。
感激した様子で、唯が梓に顔だけどうにか寄せる。

「ありがとう、あずにゃんー!」

「嫌いじゃないってだけですよ!
それにこれからの演奏、さっきみたいに失敗したらケーキ抜きにしますからね!」

「うう……、あずにゃん厳しい」

そう言いながらも、唯の顔は笑っていた。
梓も笑顔だった。
何だか夫婦漫才を見せられた感覚だ。
いや、私と澪のやりとりもよく夫婦漫才と言われるが、それは置いとくとして。

「それでは、最後のメンバー紹介になります。
ベース担当の秋山澪先輩です!」
704 :にゃんこ [saga]:2011/10/21(金) 19:46:41.65 ID:sT9PuPCN0
寄せてくる唯の顔を手で押し退けながら、梓が大きな声を出す。
大きな声を出したのは、少し緊張し始めたからだろう。
最後のメンバー紹介……。
この澪のが終わると、ついに私達のライブが本当の始まりを告げる事になる。
終わりの始まりが訪れようとしているんだ。
私も自分の鼓動が激しくなってくるのを感じていた。
もう迷いはない。
泣くつもりもない。
後はできる限りの精一杯の演奏を講堂に響かせればいいだけだ。
でも、不安はある。
皆を満足させるに足る演奏が私にできるのかって思う。
特に軽音部の中で一番皆の足を引っ張りそうなのは私だ。
もしも演奏を失敗してしまったら……、
そう思うと今更だって分かってるけど不安になってくる。

「澪先輩はですね。
放課後ティータイムでベースを担当してるんですけど……」

澪の紹介が続く。
紹介されている澪の表情は分からない。
ドラムからは距離があったし、フードを被ってるから横顔が少し見える程度だ。
もう少し澪の表情が見てみたいな……。
私がそう考えた瞬間だった。
澪がメンバー紹介を続ける梓を手で制した。
自己紹介は自分でするって事なんだろう。
梓は素直に引き下がり、じっと澪の次の言葉を待つ。
私も固唾を飲んで、澪の次の言葉を静かに待っていた。

と。
澪が被っていたフードを脱いで、一瞬、私の方に視線を向けた。
それの澪の視線はライブで不安がってる視線じゃなくて、
病気や怪我なんかで弱ってる時の私を見守ってくれる視線だった。
それだけで私の不安は何処かに吹き飛んでいた。
そうだったな。
私のドラムはあんまり上手くないけど、
澪のベースと一緒なら、安心して土台を組めるんだったな……。

すぐに客席に視線を向ける澪。
でも、十分だ。
私には一瞬の澪の視線だけで勇気が湧いてくる。
それはきっと、澪も同じ。
客席の方を向いた澪が大きく口を開く。
大勢の客の前で緊張しているだろうに、勇気を出して、逃げずに、力強く。

「皆さん、今日はありがとうございます。
放課後ティータイムのベースの秋山澪です。
こんな時なのに、こんなにたくさんの人達に集まってもらえるなんて、嬉しいです。
あの、私……、これから新曲を演奏する前に、皆さんに話しておきたい事があるんです。
すみませんけど、少しだけ私の話を聞いて下さい。

明日……、終末が訪れますよね。
明日、私達の積み上げてきた物も、未来も、何もかも失われてしまうんでしょう。
正直、恐いです。
これまでも何度も逃げ出しそうになりました。
ライブを投げ出そうと思った事も、一度や二度じゃありません。
考えてみれば『終末宣言』以来、
ずっと終末の恐怖から逃げる事ばかり考えていたように思います。
705 :にゃんこ [saga]:2011/10/21(金) 19:47:26.19 ID:sT9PuPCN0
でも、私の仲間達は、私を逃げさせてくれませんでした。
実を言うと、皆が居なければ私は終末よりも先に自殺していたかもしれません。
それくらい恐かったんです。
こんなに恐い思いをしてまで、生きていたくないとも思っていました。
だから、逃げさせてくれない仲間……、律を恨んだ事もあります。
律は死ぬ事だけじゃなくて、違う逃避も許してくれませんでした。
誰かの温かさに甘えて、誰かと傷を舐め合って生きていく事さえも……。
どれだけ律は私に意地悪をすれば気が済むんだろうって、
りっちゃんはそんなに私の事が嫌いなの? って、子供の頃みたいに考えたりもするくらいに。

今は感謝しています。
律や放課後ティータイムの皆は勿論、多分、終末にも……。
変な話ですけど、終末には少しだけ感謝してるんです。
だって、突然には来なかったじゃないですか。
幸か不幸か、『終末宣言』から終末まで一ヶ月半の猶予がありました。
その猶予が嫌で自殺しようとしてた私が言うのもおかしいかもしれませんが、
今考えると何の前触れもなく終末を迎えるよりはよっぽど幸せな気がします。

この一ヵ月半……、私は律達のおかげで何度も自分を見つめ直せました。
当然だと思ってた日常を失われる事になって、
本当に大切な物や好きな人を見つける事ができました。
覚悟のようなものもできたように思います。
いえ、覚悟というほどではないかもしれないですけど、すごく当たり前の事に気付けたんです。
結局、遅かれ早かれ私達は死ぬんだって事に。
例え明日に終末を迎えなくても、私達はいつかは必ず死ぬ事になります。
分かってたつもりで、分かってませんでした。
分かっていなかったから、思い出に逃げ込んだり、約束を信じたりしてたように思います。
勿論、思い出や約束は大切な物です。
それらがあるから、私達は生きていけます。
でも……、もっと大切な物があるんだって律に教えてもらいました。
律は過去や未来にこだわらないタイプの人でした。
『終末宣言』より前はそんな律の姿に呆れる事もありましたが、今は違います。
律は『現在』を大切にしてる人なんだって、今の私は思います。

明日……、いいえ、
多分、『終末宣言』が宣言された瞬間、私達は過去も未来も失ったんだと思います。
積み上げてきた物が消え去って、未来は永久に訪れない事を知りました。
だけど、私達にはまだ残ってる物があります。
『今』、私達が生きてるって事。
『現在』、私達が感じてる事。
それだけはまだ奪われてませんし、奪わせたくありません。
それに気付けただけでも、私達は幸福だったんだと今は思えます。

だから、終末には少しだけ感謝しています。
当然、完全に感謝できてるわけじゃありませんけど。
嬉しいけど、嬉しくない。
ありがたくないけど、ありがとう。
何はともあれ、私達は今を生きていく。
そんな気持ちも込めた新曲を、これから皆さんにお送りしたいと思います」

言って、澪が左手を身体の右側から左側に振りしきる。
新曲演奏の合図だ。
五人で視線を合わせ終わった後、大きく頷き合う。
始める。
私達が『現在』生きている証をこの世界に刻み込んでやる演奏を。
澪がマイクに口元を寄せ、大きく口を開く。

「聴いて下さい。
私達、放課後ティータイムの新曲……、
『No, Thank You!』」
706 :にゃんこ [saga]:2011/10/21(金) 19:49:36.02 ID:sT9PuPCN0


今回はここまでです。
このssは終末クロスと見せ掛けて、2期後期EDのプロモssだったんだよ!!
な、なんだ(以下略)。

冗談ですが、何だか本当にそんな感じに。
そんなわけだか何だか、次かその次、最終投下予定です。
707 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/21(金) 21:07:41.33 ID:+3uer4BSO
最終回も期待してます乙!
708 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/21(金) 22:04:59.90 ID:CNNlPiiFo
みんなの台詞もだけど澪の台詞もいいね
最初は怯えてるだけだったけど、逃げずに終末とちゃんと向き合えるようになったんだな
709 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [saga]:2011/10/21(金) 23:55:09.43 ID:uqC2kOsB0
終わってしまうのは寂しいが最終回も楽しみにしてるよ
710 :にゃんこ [saga]:2011/10/24(月) 21:29:40.68 ID:Ie10TeSW0





静かで穏やかな曲調から私達の新曲……、
『No, Thank You!』の演奏は始まる。
新曲も普段の私達の曲とあんまり変わらないと、観客の皆も一瞬感じるだろう。
だけど、すぐに転調する。
力強く、激しく、荒々しく。
私達の想いを身体中で相棒達にぶつけていく。

思う。
明日、世界は終わる。
多分……、じゃない。きっと確実に世界は終わる。
私達は終末を迎え、一人残らずこの世界から消え去ってしまう。
死んでしまうんだろう、間違いなく。
私は……、私達は、ずっとそれが恐かった。
いや、終末なんて関係なく、
いつか自分がこの世界から消え去ってしまうって現実が恐かったんだろうと思う。
何かを残せるなら死ぬ事も恐くない……、
って考えもするけど、本当に何かを残せる人は数少ない。
夢は武道館なんて話はしてたけど、それがどれだけ大変な事か私は知ってる。
武道館を夢見るミュージシャン志望の子は数多いし、
実際に武道館で演奏できるバンドなんてその中のほんの一握りなんだ。
きっと私は何も残せない。
人は二度死ぬって澪が言ってたけど、
何も残せない私の二度目の死はかなり早く来そうだなって思わなくもない。

澪の歌が始まる。
恋に憧れる女の子の甘い想いを歌っていた澪の『現在』の歌。
今を生きる私達の願いや叫びを込めた歌。
過去や未来じゃなくて、
『現在』を生きてる……、
『現在』以外生きられない私達の精一杯の想いの歌だ。
今、私達は此処に生きてるんだ。
今、私達は強く皆の事を想ってるんだ。
今、お互いに想い合ってるんだって……。
澪は歌う。
喉を震わせて、想いを叫ぶ。
作詞した澪の想いだけじゃない。
私達放課後ティータイムの想いだけでもない。
講堂中の皆の想いを代弁し、それを澪が歌として終わる世界に響かせていく。
世界が終わる事自体はどうしようもない。
過去や未来を奪い去っていくのも気にしない。
でも、私達の『今』だけは絶対に奪わせない。
過去に逃避せず、未来に絶望せず、私達は最期まで笑顔で生き抜いてみせる!

思う。
私は何も残せない。
もしも終末が来なくたって、私の二度目の死は多分早い。
世界の皆はすぐに私の事なんて忘れちゃうんだろう。
私が居なくても、世界は何事もなく廻っていくんだろう。
だけど、構わない。
私は今を生きた。生きられたんだから。
傍目には何の価値も無い人生だったとしても、
少なくとも私の仲間達は……、澪は私の事を憶えていてくれるだろう。
私だって、澪の事は私が死ぬまで心のど真ん中に居てもらい続ける。
何をしてても、何をしてなくても、あいつの事を忘れる事は絶対に無い。
忘れてやるもんか。
私にはそれで十分だ。
偶然に過ぎないんだろうけど、私は澪と出会えて、音楽にも出会えた。
放課後ティータイムを組めて、本当に楽しくて仕方が無い高校生活を送る事もできた。
今だって、終末の前日だってのに、
こんな多くの観客の前でライブをやれてるし、
明日死ぬってのに、笑顔でドラムを叩けてるんだぜ?
すっげー嬉しい……。すっげー嬉しいよ!
711 :にゃんこ [saga]:2011/10/24(月) 21:30:23.34 ID:Ie10TeSW0
唯が何度もミスをした難所を楽しそうに弾き終わる。
梓が何百回も練習したんだろう技巧で確実な演奏に徹する。
ムギが私好みに組あ上げてくれた曲を笑顔で弾いてくれる。
私が皆のリズムを支える。
今回ばかりは皆のために確実なリズムを叩いてみせる。
特に澪はベースと歌の両方を同時にこなさなきゃならないんだからな。
澪の腕前なら問題ないと思うけど、
少しでも澪の負担を減らしてやりたいし、一つ個人的な我儘を通したかった。
澪の歌声をもっと綺麗な音色にしたい。
澪には私のドラムのフォローに回る事を考えず、より完全な形でこの新曲を歌ってほしい。
その見事な歌声をもっと響かせてほしいから。
もっと聴いていたいから。
だから、私はできる限りの精一杯のリズムをドラムで刻むんだ。

私達の演奏は融合し、一つの大きな旋律になる。
その旋律に澪が聴き惚れるような歌声を、想いを、魂を乗せていく。
演奏中、一瞬だけ澪が私の方に視線を向けた。
いつも必死な形相で歌うくせに、その時の澪の表情は満足気な笑顔だった。
多分、私も笑顔を浮かべてると思う。
こんな最高の演奏は初めてだった。
いや、ライブでの演奏はいつも最高の演奏だけど、
今回の最高はこれまでの最高の何倍も最高の演奏だった。
観客の皆も私達の新曲に聴き入ってくれているみたいだ。
「あんまり上手くないですね」と唯に言われた私達の演奏が此処まで来れるなんてな……。
勿論、それは練習を続けてたからってのもあるんだろうけど、
それよりも私達の絆が深まったから私達は此処まで辿り着けたんだって私は思いたい。
この演奏は私達の絆の形なんだって。

そうして、演奏が終わる。
メンバーの誰もが自分に奏でられる精一杯の音楽を響かせた。
私自身も含めて、それぞれに自分達の想いを世界に刻み付けられたはずだ。
私達の絆を見せ付けてやれたはずだ。
沈黙が講堂を包み、私は少し不安になった。
この新曲は求められていた物と違ってたんだろうか?
今の演奏は私達の自己満足だったんだろうか?
観客の皆に私達の想いを届ける事まではできなかったんだろうか?

不意に。
澪が少しだけ私の方に顔を向けながら、左目を閉じて小さく舌を出した。
アッカンベーってやつだ。
それは私に向けられたものじゃない。
唯にも、ムギにも、梓にも、観客の皆にも向けられたものじゃない。
それはきっと終末に向けてのアッカンベーだ。
結局、私達は終末には勝てなかった。
だけど、きっと負けもしていない。
色んな間違いや失敗はあったけれど、
最終的に私達は絶望には囚われなかったし、恐怖から逃避する事もしなかった。
こんなに多くの観客の皆の前でライブだって開催できてる。
だから、「どうだ!」って、澪は言ってるんだ。
勝てない戦いにしても、
この勝負は引き分けだって終末に言ってやってるんだろう。

澪の予想外の行動に観客の皆は呆気に取られてたみたいだったけど、
その数秒後には、歓声を上げて、講堂を包むような大きな拍手を始めていた。
終末や絶望を吹き飛ばしそうなくらいの大きな歓声と拍手だ。
その歓声と拍手は長い間続き、私達に新しい勇気とやる気を与えてくれていた。
もう一曲、皆に曲を届けたい。
ううん、一曲と言わず、十曲でも二十曲でも演奏し続けたい。
何度だって響かせてやるんだ。
私達の旋律と。
私達の想いを。
712 :にゃんこ [saga]:2011/10/24(月) 21:30:50.78 ID:Ie10TeSW0





放課後ティータイムの曲を全て演奏し終わり、
大歓声と大きな拍手に包まれた頃には、午後の十時を過ぎていた。
歴史に残るようなライブにできたかどうかは分からない。
それは観客の皆がそれぞれに胸の中で感じてくれる事で、
私達が勝手に決められる事じゃないんだと思う。
開催した側が歴史に残るライブを自称するなんて変な話だ。

だけど、少なくとも私達軽音部にとっては、
自分の歴史に残る最高のライブだったのは間違いないと思う。
完璧な演奏だったわけじゃない。
観客の皆には分からなかったかもしれないけど、
いくつか細かいミスもあったし、演奏する曲の順番やMCも少し失敗があったと思う。
決して完璧にはなれない私達の最後のライブ。
でも、それが今の私達の精一杯の姿で、ありのままのライブだった。
私達が私達のままで開催できたライブなんだ。
終末が近付いても変わりたくなかった私達の姿が、
いつまでも変わらない五人で居たかった私達の姿が観客の皆の心に少しでも残れば、
それだけでこのライブを開催した意味もあるって感じられる。

最後の曲のふわふわを演奏し終わった後、
私達はムギの持って来てくれていたケーキを切り分けて、観客の皆に配る事にした。
私達のライブに参加してくれたせめてものお礼として、
最後の私達の我儘に付き合ってくれた感謝の想いを込めて、一人ずつに丁寧に配る。
五人に分かれて、ケーキを配布していく。
私が担当した箇所は信代やいちごが座ってる客席がある方だった。
ケーキを配った後、私は信代とハイタッチを交わし、
そのまま勢いで信代の旦那とも軽くハイタッチを交わす。
それを見ていた周囲の皆が次々と手を上げていく。
皆、私とハイタッチがしたいらしい。
つい嬉しくなって、私は一人ずつと手を重ねていく。
ありがとう。
皆、これまでも、これからも、ずっとありがとう……!
胸が震え、涙が出そうになったけど、
決して泣かずに笑顔でハイタッチを交わしていく。

ほとんどのケーキを配り終わった後、
私が担当する最後の席にはいちごがマラカスを手に持って無表情に待っていた。
本当に持って来てたんだよなあ、いちごの奴……。
舞台上から見つけた時には驚いたけど、
いちごの隣の席の人も迷惑には思ってないみたいだったし、
逆に私達の演奏のアクセントになるようなマラカス捌きを見せてたから、それでいいかと思った。
勿論、舞台上までいちごのマラカスの音が聞こえてたわけじゃないけど、私だってドラムの端くれだ。
いちごの身体の動きを見れば、私達の演奏と合わせたマラカス捌きだったって事くらいは分かる。
一度も合わせた事も無いのに、そんなにも私達の曲と合わせられるなんて、
よっぽど私達の曲を好きでいてくれたんだろうなって思う。

私は軽く微笑んで、いちごと視線を合わせる。
視線が合った一瞬後、いちごは足下にマラカスを置くと、私の胸の中に飛び込んできた。
予想外ないちごの行動だったけど、
私はすぐにいちごの身体を受け止めてから強く抱き締めた。
不思議だな。私も丁度いちごに抱き着きたい気分だったんだ。
いちごは私の背中に手を回す。
私はいちごの耳元で「ありがとう」と囁く。
私の胸の中でいちごも「律も」と震える声で呟いた。

抱き合っていた時間は、十秒にも満たなかった。
いちごが私から身体を離すと、
私の用意してたケーキを受け取り、席に座って食べ始めた。
それからいちごは私から目を逸らして無表情な顔をしてたけど、
その頬は少しだけ赤く染まっていて、その肩は少しだけ震えていた。
小さく息を吐いてから、私はいちごの肩に手を置いて、「またな」と言った。
多分、涙の別れは私といちごには似合わない。
ケーキを食べながら、いちごは無表情に頷いた。
713 :にゃんこ [saga]:2011/10/24(月) 21:31:19.31 ID:Ie10TeSW0
ケーキを客席の全員に配り終わると、軽音部の皆は舞台上に集まった。
結構切り分けたはずだったけど、
ムギの持って来たケーキは二ホール余っていた。
一ホールは私達の分にするとして、
残りの一ホールをどうしようかと考えていると、急に唯が名乗り出た。
「一ホール全部を食べてみたい」というのが唯の主張だった。
本気で食べる気なのか……。
でも、別に断る理由も無いから、
「やれるもんならやってもらおうか」と言って、
私は残ったケーキの一ホールを唯に提供してやった。
流石の唯とは言え、途中で諦めるだろうと思っていたら、
見る見る内に本当に一ホールを一人で平らげやがった。
すげーよ、こいつ……。
一種の化物みたいなもんだな……。

だけど、一ホール食べ終わった唯は、しばらく舞台上から動けなくなってしまった。
そりゃそうだ。一人で一ホールも平らげやがったんだからな。
私達は舞台上に転がる唯を憂ちゃんに任せて、
ケーキを食べた人から各自解散してくれていい事を客席の皆に伝えた。
もう予定は入ってないみたいだけど、講堂をこのまま占拠しておくわけにもいかないからな。
そのすぐ後、皆はケーキを食べ終えたみたいだったけど、誰一人として講堂から出ようとしなかった。
このライブを終えてしまったら、いよいよ日曜日。
……終末なんだ。
楽しい時間を終えて、残酷な現実に目を向けたくないのは私も一緒だった。
でも、そんなわけにもいかない。
どうにか解散してもらおうと私がマイクを持つと、
私が何を言うよりも先に、一人の観客がマラカスを鳴らしながら講堂から出ていった。
あえて目立つように「じゃあ、またね」と大きな声を出して、すぐにその場から居なくなった。
勿論、そうしたのはいちごだった。
皆が帰りやすい雰囲気を作ってくれたんだろう。

でも、このままいちごを一人で帰らせるのは危険だ。
私が走っていちごを追い掛けようとすると、
「またな、律! 私もいちごと一緒に帰るよ!」と春子がいちごを追い掛けて行った。
いちごの行動が春子の躊躇いを消してくれたんだ。
春子だけじゃない。講堂に居る観客の皆の躊躇いや苦しみまで……。
客席の皆が、一人ずつ意を決したように席から立ち始める。
「またね」、「じゃあね」、「ありがとう」、
そんな言葉が上がりながら、講堂から人が居なくなっていく。
私は……、私達はお辞儀をして、そのまま頭を下げ続ける。
いちごに……。皆に、最大限の感謝を込めて。
私に続いて澪と梓、ムギも頭を下げて観客の皆を見送る。
唯も慌てて澪達に続き、憂ちゃんと一緒に観客の皆に頭を下げた。

皆、最高のライブをありがとう。
私達はこの日の事を死ぬまで心に刻むから。
死んだって、憶え続けてやるから……。
だから、本当にありがとう……!
またな、皆……!

こうして、最後のライブは本当に終了した。
714 :にゃんこ [saga]:2011/10/24(月) 21:33:36.28 ID:Ie10TeSW0


今回はここまでです。
すみません、まだ終わりませんでした。
でも、次回こそ多分最終投下です。

しかし、意外にもいちごが大活躍ですね。
最初出す予定じゃなかったのに、存在感あるなあ、いちご。
715 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/25(火) 00:54:57.74 ID:fjCw5zEo0

ライブ編すごい感動したよ
いちごけっこう登場してたしいいキャラだったな
716 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/25(火) 01:49:24.47 ID:n57KvOd0o

このライブ映像で見たいな・・・感動した
最終回寂しいけど楽しみにしてます
717 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 20:56:40.90 ID:2qeuKkVP0





講堂の後片付けがそれなりに終わった後、
今日はもう遅いし、明日講堂が使われる予定も無いから、
講堂の後片付けはある程度で大丈夫だって和が言ってくれた。
それに残った講堂の後片付けは、
私達のライブを見に来てくれた先生達が明日やってくれるそうだ。

そんなのは先生達に悪いって私達は言ったけど、
和は微笑んで「先生達も好きでやりたい事らしいから」と返した。
申し訳ない気は勿論する。
でも、先生達の言ってる事も理解できる気はした。
私達はこの学校に三年間在籍しただけだけど、
当然ながら愛着もあるし、卒業する事に寂しさも感じてた。
だから、私達より遥かに長い間この学校に勤めてる先生達の愛着は、
私達の愛着なんか比べ物にならないくらいなんだろうな、って思う。
世界の最後の日も過ごす場所に選びたいくらいに……。
それでも私は何かを言おうと思ったけど、
和はもう一つだけ私達に先生達の言葉を代弁して贈ってくれた。

「若いんだから、思うように生きなさい。
後片付けくらいは先生達に任せてくれていい。
いいライブを見せてもらえたお礼だ」

そう言われちゃ、私も引き下がらないわけにはいかなかった。
そうして、私は和に今は居ない先生達へのお礼を頼んで、
澪と一緒に皆の荷物を音楽室に取りに行く事にしたわけだ。
唯達はもう少しだけ講堂を片付けるらしい。
主にムギの持って来たケーキの箱の後片付けだけどな。
先生達が明日片付けてくれるとは言っても、
流石に自分達の持って来た物くらいは片付けておかないとな。
唯達とはその後で校門で合流する事になってる。

私は澪と手を繋ぎ、無言で音楽室に向かって行く。
二人の間に言葉は必要無かった……わけじゃないけど、
多くの想いが胸の中に生まれては消えてて、上手く言葉にできそうになかった。
ライブ中、澪とセッションしながら、私は気付いていた。
今更過ぎるけど、私は澪の事が本気で好きなんだって。
傍に居たいし、抱き締めたいとも感じてる。誰よりも大切にしたいとも。
これは恋愛感情……なんだろうか?
またそこが分からない。
根本的な問題になっちゃうけど、友達と恋人の境界線は何処にあるんだろう?
傍に居る事や抱き締める事や誰よりも大切するって事は、
別に恋人じゃなくても友達って立場のままで十分にできる事だと思う。
だったら、友達と恋人の境界線って何だ?
やっぱり、アレなのかな……?
キス……とか、オカルト研の中に居た二人みたいに裸で、とか……。
そういう事をしてこその恋人なのかな……?

変な事に思い至ってしまって、私は自分でも分かるくらい顔を赤くしてしまう。
でも、これも澪と友達以上恋人未満の私としては、考えなきゃいけない事だよなあ……。
こればかりは私一人で答えを出せる事でもなさそうだ。
明日、勇気を出して、澪の家でその話をしてみようと思う。
「恥ずかしい事を聞くな!」と五回くらい殴られるかもしれないけど、覚悟を決めて話し合おう。
それこそ私が明日やらなきゃいけない事だ。
にしても、五回か……。
あいつ腕力結構あるから、五回殴られるのは辛いな……。
だけど、澪に殴られるんならあんまり嫌じゃないかな……、って私ゃМか!
……一人でボケて、一人で突っ込んでしまった。
誰が見てるわけでもないのに、何だか気恥ずかしい。
恋愛初心者の中学生みたいだな、ってつい苦笑してしまう。
もうすぐ世界の終わりなのに、こんな事で思い悩めるなんて、すごい幸せな事なのかも。
718 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 20:57:44.73 ID:2qeuKkVP0
しかし、関係無いけど、
火曜日にオカルト研の部室に居た女二人のカップルは結局誰だったんだ?
オカルト研の部室に居たって事は、オカルト研の子達の関係者なのか?
それとも学校に侵入した単なる不審者か?
何か不審者だと嫌だから、オカルト研の子達の関係者だって事にしておこう。

そんな事を考えてる内に、私達は音楽室の入口の前に辿り着いていた。
澪がポケットから音楽室の鍵を取り出し、鍵を開けて音楽室の扉を開く。
電気を点けると、音楽室に異変が起こってる事にすぐに気付いた。
私達がライブに向かう前とは、音楽室の中の様子がかなり変わってしまってたんだ。
席の配置が若干変わってるし、
片付けていたはずの音楽室の備品が何個か無造作に転がってる。
私達より後に出たのはさわちゃんだから、
さわちゃんがやったんだと考えられなくもなかったけど、それは違うはずだと私は感じていた。
ああ見えてさわちゃんはしっかりした音楽の先生だ。
意味も無く音楽室を散らかすような事は絶対にしない。

だとしたら、不審者……?
その考えに至った私は身構え、澪を庇うように自分の身体を前に出した。
明日死んでしまうとしても、澪に危害を与える事は絶対に赦せない。
誰が相手でも、どんな不審者が襲い掛かって来ても、
澪だけはこの身に代えても護ってやるんだ……!
息を呑んで、音楽室の中を見回す。
誰か潜んでないか?
音楽室の中に他に異変は無いか?
私達の荷物は無事なのか?
慎重に、用心深く音楽室の様子を丹念に探っていく。
瞬間……、

「あっ……!」

不意に澪が驚いた声を上げる。
口元に手を当てて、異変を見つけたらしい箇所を指し示す。
私は更に身構え、澪が指し示したホワイトボードに視線を向け……、
って、ホワイトボード……?
ホワイトボードを目にした私は一瞬にして力が抜けてしまい、その場に軽く倒れ込んでしまった。
どう反応したらいいのか分からなかったからだ。
ホワイトボードには大きな文字で、
『DEATH DEVIL参上!! by.クリスティーナ』と書いてあった。

何をやってるんだ、あの人は……。
考えてみれば、音楽室を出た後、さわちゃんは扉に鍵を掛けたはずだ。
こんな御時勢だし、鍵を掛け忘れるなんて事はないと思う。
という事は、音楽室に侵入できるのは鍵を持ってる人間だけになる。
本来なら部外者のクリスティーナ……、紀美さんだけど、あの人も元軽音部なんだ。
何となく記念でスペアキーを作ってるなんて事は……、あり得る。
超ありそう。何と言ってもあの人も『DEATH DEVIL』なんだからな……。
でも、そう考えれば、音楽室がちょっとだけ散らかってるのも納得できる。
きっと懐かしくなって、昔の軽音部の思い出の品なんかを探したりしてたんだろうな。
719 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 20:58:23.90 ID:2qeuKkVP0
私は小さく苦笑しながら探ってみたけど、
どうやら紀美さんも含めて、音楽室の中には私達以外に誰も居ないみたいだった。
紀美さん、もう居ないのか……。
挨拶したかったなとは思う。
でも、紀美さんが学校に来てくれてたって事は嬉しかった。
多分だけど、紀美さんはラジオが終わった後で、私達のライブを観に来てくれてたんだろう。
私達のライブがある事を、さわちゃんが紀美さんに伝えてくれてたんじゃないかな。
勿論、単に懐かしくなって音楽室に顔を出してみただけかもしれないけど、
本当に私達のライブを少しでも観てくれていたら嬉しい。

何となく、もう一度ホワイトボードに目を向けてみる。
よく見ると『DEATH DEVIL参上!!』以外にも色々細かく書いてあるみたいだ。
『ラジオもヨロシク!!』とか、『ヅラクター給料上げて!!』とか、
私達に言えた事じゃないけど、かなりフリーダムな落書きだな……。
だけど、そんな中にも紀美さんの気遣いが見て取れた。
その落書きは私達の落書きとは重ならないように書かれてたからだ。
私達の落書きにも何かの想いが込められてるかもしれないって思ってくれたんだろう。
今は単に取り留めの無い唯の落書きがあるくらいだったけど、
そんな事にも気の回る紀美さんの優しさが何だかとても温かい。

「これ……、いいな……」

ホワイトボードの上に何か気になる言葉を見つけたらしい。
すごく嬉しそうな顔で澪が呟いた。
澪の視線の先には紀美さんらしい洒落の効いた言葉が記されていた。
私も思わず笑顔になって、後ろから澪の背中に抱き着いた。
しばらくそのまま二人でくっ付いて笑顔を浮かべ合った。
720 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 20:58:49.31 ID:2qeuKkVP0





着替えを終わらせて校門に向かうと、
衣装の上に上着を羽織った皆が私達を待っていた。

「りっちゃん、澪ちゃん、おそーい!」

唯が腕を頭上に掲げながら頬を膨らませる。
そんなに遅くなったつもりはなかったけど、
紀美さんの事を考えたりなんかしてたから、思ったより時間が掛かってたのかもしれない。
そういう意味で唯は私達の事を遅いって言ったんだろうな。

「悪い悪い」と言いながら、私は唯達に荷物を手渡そうとする。
数秒、唯の時間が止まった。
そう見えるくらい、唯は私から自分の荷物を受け取ろうとしなかった。
受け取ってしまったら、遂に私達の別れの時間が始まる。
それを分かってるから、唯は自分の荷物を手に取りたくなかったんだろう。
私は唯に何も言わなかった。
唯の気持ちは痛いくらい分かるし、唯なら大丈夫だろうと信じてたからだ。

もう少しだけ、時間が流れる。
時間は止まらない。
何をしていても、時間を止めようとしても、別れの時間は刻一刻と迫って来るだけだ。
唯もそれは分かってたんだろう。
躊躇いがちにだけど、力強く私から自分の荷物を受け取って笑った。

「ありがと、りっちゃん。
……カチューシャ着けたんだね」

急に話題を変えられてちょっと焦ったけど、私も唯に合わせて軽く笑った。

「まあな。カチューシャは私のトレードマークだからさ。
やっぱりカチューシャ無しじゃ私らしくないじゃん?
前髪が邪魔ってのもあるけどさ」

「そうかなー?
前髪を下ろしたりっちゃんも可愛いと思うんだけど……」

「あんがとさん。
じゃあ、逆におまえがカチューシャ着けてみるってのはどうだ?
予備はまだあるから、いくらでも貸してやるぞ」

「ごめんなさい!
おでこ丸出しだけは勘弁して……!」

唯が自分のおでこを隠すみたいに両手で押さえる。
きっぱり出せ、きっぱり!
と言いたいところだったけど、
私が前髪を下ろすのを恥ずかしいと感じるように、
唯もおでこを出す事に何らかの恥ずかしさを感じてるんだろう。
切り過ぎた髪を誤魔化すためのカチューシャすら断ったくらいだからな。
よっぽど自分のおでこ丸出しに自信が無いんだろう。
だから、私はそれ以上、唯にカチューシャを強要しなかった。
困った時はお互い様ってやつだ。
……何か違う気もするが。

「でも、本当にりっちゃんの前髪下ろした姿って素敵だよ」

そう言ったのはムギだった。
しまった。
ムギはどんな髪型でも恥ずかしがらないから、今唯に使った誤魔化しが通用しない……!
私はムギから目を逸らして、全く違う話題を梓に振った。
721 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 20:59:25.13 ID:2qeuKkVP0
「そうそう。
私達の髪型の事なんかより、純ちゃん達はどうしたんだ?
もう帰っちゃったのか?」

梓は私の考えに気付いてたらしく苦笑してたけど、
「そうですね、純は……」と私の振った話題に乗ってくれた。
恩に着るぞ、後輩よ……。

「純は憂と和先輩と一緒に帰りました。
何か今日のライブに触発されたみたいで、
明日、私の家で『No, Thank You!』の楽譜を見せてほしい、って言ってましたよ。
あ、そうだ。
そんなわけなんで、純に楽譜を見せてもいいですか、ムギ先輩?
作曲者はムギ先輩だから、一応許可を取っておきたいんですけど……」

「勿論よ、梓ちゃん。
私達の曲を好きになってくれて、
演奏しようと思ってくれるなんて、こんなに嬉しい事はないもの。
作曲者冥利に尽きるって、こういう事なんだって思うな」

幸せそうにムギが笑う。
私が髪型の話題とは違う話題に変えた事は、全然気にしてないみたいだった。
それは勿論嬉しいんだけど、
純ちゃんが『No, Thank You!』を好きになってくれた事はもっと嬉しかった。
純ちゃんだけじゃなく、今日ライブに来てくれた皆の心に私達の曲が少しでも残ってるといいよな。
明日世界は終わるけど、これから一瞬でも私達の曲を思い出してくれたら嬉しい。

実は前触れがあるものなのかどうかは分からないけど、
もし明日来る終末に何らかの前触れがあったなら、
その瞬間から私は澪と一緒に『No, Thank You!』を口ずさみたいと思ってる。
結局、照れ臭いのもあって、
放課後ティータイムの曲に私がメインで歌う曲は作らなかったけど、実は全曲口ずさめるんだよな。
誰も知らないだろうし、誰にも教えてないけどさ。
だから、最期まで歌ってやろうと思う。
多分下手だろうと思うけど、隣に澪が居るなら安心だ。
澪の綺麗な歌声を見本にしながら、終末相手に歌ってやれるだろう。

「さわ子先生は?」

荷物を手渡しながら、澪がムギに訊ねる。
そう言えば、ライブ後に一番に私達に駆け寄って来そうなさわちゃんの姿を見てない。
「私の衣装の見立てはやっぱり完璧だったでしょ!」
とか嬉しそうに言って来るのが、いつものライブ後なんだけどな……。
ムギは寂しそうに笑ってから、澪の質問に応じる。

「さわ子先生は今から誰かと会う予定があるみたい。
私達が講堂を片付けてる途中に、
「いいライブだったわよ」って言って、講堂から出て行っちゃったの。
これから飲み明かすとも言ってたから、
お友達と会うんじゃないかって思うんだけど……」

相手は紀美さんかな?
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれなかった。
さわちゃんに会えなかったのは残念だったけど、そんなに悔しいわけでもない。
私達とさわちゃんのお別れは、ライブ前にもう終わらせてるんだ。
だから、ムギも寂しそうではあったけど、その表情に悲しさや後悔はないみたいだった。

それにしても、ライブ後に五人だけで集まれるなんて実は思ってなかった。
さわちゃんか憂ちゃんくらい、
私達と一緒に帰宅する事になるんじゃないかと思ってた。
多分、憂ちゃんもさわちゃんも、
純ちゃんや和も私達と一緒に帰りたいと思ってはいたはずだ。
でも、そうはしなかった。
私達を五人だけにさせてあげたいって、
五人だけで話をさせてあげたいって、そう思ってくれたんだろう。
気を遣わせちゃって申し訳ないけど、その好意を無駄にするのはもっと申し訳なかった。
私は心の中で四人にお礼を言ってから、梓に荷物を手渡して校門を後にする。
意を決した表情で、澪達も私に続いて校門を後にした。
722 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 20:59:52.07 ID:2qeuKkVP0
帰り道。
私達は今日のライブの反省点や梓の見事だったMC、
音楽室にあった紀美さんの落書きや、
美味しかったムギのケーキの事なんかを話しながらゆっくりと歩いていた。
残り少ない短い通学路を、少しでも長く歩けるように本当にゆっくりと歩いた。
でも、短いと思ってた通学路は、
予想以上に遥かに短くて……、
あっという間に私達がいつも解散する場所……、
いつもの横断歩道まで辿り着いてしまっていた。

胸が激しく鼓動を始める。
澪とは明日も一緒に過ごすけど、
唯、ムギ、梓とは一緒に過ごすわけじゃない。
時間があれば会いに行く事もあるかもしれないけど、
そんな時間があるかどうかも、いつ訪れるか分からない終末のせいではっきりしない。
いっそのこと、このまま五人で誰かの家に居続けるってのはどうだろう?
多分ものすごく広いんだろうムギの家で、セッションし続けるってのは……?
何度も考えてた私達の週末の……、終末の過ごし方が浮かんでは消える。
本当にそうできたら、どんなに楽になれるだろう。

でも、そうするわけにはいかなかったんだ。
一瞬は楽にはなれるだろうけど、すぐに後悔しちゃう事は分かり切ってる。
それは私達が一番したくなかった逃避に身を任せるって事だし、
終末当日にもそれぞれがやらなきゃいけない事が残ってる。
私は澪を大切にする。誰よりも大切にする。
澪は私の想いを信じて傍に居る。答えを二人で探し合うために。
梓は純ちゃんと『No, THank You!』の練習を行う。
私達の想いを少しでも広げるために。
まだ直接聞いてはいないけど、唯は一番大切な妹の傍に居るんだろうと思う。
自分と一緒に居たいのを我慢してくれた憂ちゃんの傍で、
最後の日こそは二人きりで終末を迎えようとしてるんだろう。
ムギも口にこそ出さないけど、最後の日は家族と過ごそうと思ってるはずだ。
終末まで私達と一緒に居たいって言ってくれたムギだけど、
家族をないがしろにできないのもムギって子のはずだった。
少なくとも私の中ではムギはそんな子だ。
だから、もう十分だ。
私達の中で一番自由が取れない立場なのに、ムギはずっと私達の傍に居てくれた。
ムギの家族も長い間待っててくれた。
放課後ティータイムを大切にしてくれるのは嬉しいけど、
ムギはもう自分を大切にしてくれてる家族に目を向けてもいいんだ。

横断歩道の前で動きを止める皆を、私は思い切り腕を広げて抱き寄せる。
小さな私の身体だけど、皆を強く抱き寄せるくらいの事はしてみせる。

「りっ……ちゃん……?」

泣きそうな声で唯が呟く。
怯えてるみたいに震えている。
唯だけじゃない。澪も、ムギも、梓も、多分、私も。
だけど、私は言った。
最後まで笑って終末を迎えてやるのは、私だけじゃなく、全員の決心なんだから。
723 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 21:00:17.80 ID:2qeuKkVP0
「唯。お菓子に釣られてかもしれないけど、軽音部に入部してくれてありがとう。
おまえのおかげで廃部を免れたし、おまえの笑顔を見てるのは楽しかったぜ?
私もおまえのおかげで辛い時も笑顔になれてたと思う。
だから、笑ってくれ、唯。私はおまえの笑顔が大好きだ。
私だけじゃない。皆、唯の事が大好きだよ」

「え……、えへへ……。
そっ……だね。そっ……だよね。
楽しかった……もんね。
この三年間、ずっと楽しかったもんね。
笑ってなきゃだよね。
明日の事は恐いけど、でも、何か私、気付いちゃった。
りっちゃんのおかげで気付けちゃった。
これからの事を恐い気持ちの大きさと、
今まで感じた嬉しい気持ちの大きさを比べたら、
嬉しい気持ちの方がずっとずっとずーっと大きいよ! 何かすごいよね!
それが分かっちゃったら、笑ってない方が勿体無いよ!」

「もう……。
唯先輩も律先輩も何を言ってるんですか……」

呆れた声色で梓が呟く。
梓はもう、震えてなかった。

「そんなの当然じゃないですか。
笑ってる方が楽しいんだって、
幸せな気持ちでいた方が素敵なんだって、
それを教えてくれたのは先輩達じゃないですか。
だから、先輩達は責任を取って笑ってて下さい。
私なんか、先輩達のせいでよく「梓、変わったよね」って言われるようになったんですからね。
無理矢理影響を与えた責任を取って下さいよ!」

「あずにゃん、横暴だー……」

「横暴じゃありません!」

梓が言うと、唯の震えも止まり、
唯と梓は私の腕の中で顔を合わせて笑った。
釣られて、ムギも笑い始める。

「嬉しいな。
こんなに大切なお友達ができるなんて、とっても嬉しいな……。
私ね、皆には言ってなかったけど、本当は不安だったの。
桜が丘に入学したのは自分の意思だったんだけど、
知り合いなんてほとんど居ないし、お友達ができるかのかなって不安だったの。
でもね、すぐにりっちゃんと澪ちゃんが軽音部に誘ってくれたでしょ?
最初は単に面白そうだなって思ってただけだったんだけど、
りっちゃん達は楽しくて優しくて……、それがすっごく嬉しかった。
それを思い出すと、明日なんて恐くないよ。
これからも何度も恐くなるかもしれないけど、
皆が傍に居た、皆が傍に居るって思うと大丈夫。
私達はずっと一緒だもんね。皆のキーホルダーみたいに。
私にも見えるよ。今は此処に無い皆の鞄のキーホルダーが。
勿論、梓ちゃんのキーホルダーもね」

最後に澪が力強く腕を広げ、
皆の背中に手を回すと一言だけ言った。
もう多くを語りはしない。

「私達はいつまでも仲間だよ」

当然だ、と言う代わりに私はまた皆を強く抱き寄せた。
皆の体温を皆で感じ合う。
私達は生きた。私達は生きてる。
この生きた証を……、皆の体温を最後の時間まで絶対に忘れない。
少し名残惜しかったけど、私は皆から腕を離す。
別の道を歩いても、離れていても、仲間なんだ。
724 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 21:02:12.06 ID:2qeuKkVP0
皆の顔を見回しながら、私は不意に思った。
私と澪は一つだけ皆に隠し事をしている。
皆、気付いてるかもしれないけど、
それを伝えないのは皆の信頼を裏切る事になるのかもしれない。
終末とは違った意味で緊張してくる。
でも、こんな緊張なら悪くない。
私は苦笑して、頭を掻きながら口を開いた。

「あの……さ……。
私と澪の事なんだけど、実は私達は……」

瞬間、唯がわざとらしい欠伸を上げた。
疲れているのは確かなんだろうけど、その欠伸は間違いなく演技だった。
欠伸を続けながら、唯が言う。

「りっちゃんと澪ちゃんが大切な幼馴染みだって事は知ってるよ?
今更それをまた主張するなんて妬けますな、田井中殿。
その続きは二人の仲がもっと進んでから教えてほしいなー。
今日の私に人の惚気話を聞く体力は残されていないのです!」

うんうん、と唯の言葉に同意するみたいにムギと梓が頷く。
何だか拍子抜けだけど、やっぱり唯達も分かってるんだろうな。
私と澪が自分達の関係を模索してて、今は友達以上恋人未満の関係なんだって事を。
抱き合ってる場面も見られたんだ。そりゃ気付くよな……。
自分の口から伝えるべきだと思ってたけど、
それをはもしかしたらお互いに野暮ってものなのかもな。
とりあえず伝えておこうと思ったのは、
隠し事を告白して安心したいっていう自己満足だったのかもしれない。
その私の気持ちを察したみたいに、珍しく唯がすごく優しい表情を浮かべた。

「確かりっちゃんは明日は澪ちゃんと一緒に過ごす予定なんだよね?
明日、りっちゃんと澪ちゃんに何かあったら、月曜日に教えてくれると嬉しいな。
楽しみにしてるね」

月曜日……、来週か。
そうだな……。
明日、澪と二人で何かの答えが出せて、
もしもまた月曜日を迎える事ができたなら、一番に皆に伝えよう。
どんな答えを出せたとしても、包み隠さずに全てを伝えたい。
私が澪に視線を向けると、澪も軽く頷いた。
早く澪と色んな事を話し合いたいな……。
拳骨五発を覚悟しとかなきゃいけないのは、ちょっと気が重いけどさ。

唯達が私と澪に背を向けて横断歩道を渡っていく。
私と澪は静かに皆の背中を見送る。
別れの胸の痛みも今なら耐えられそうだ。
不意に唯が私達の方に振り返って言った。
725 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 21:02:55.91 ID:2qeuKkVP0
「じゃあね、りっちゃん、澪ちゃん!
また来週!」

唯に続いて、梓が大きく手を振って叫ぶ。

「明日は律先輩も澪先輩も元気に過ごして下さいね!
また学校で会いましょう!」

「しーゆーねくすとうぃーく!」

「何故英語っ?」

ムギが何故か英語で言って、澪が突っ込んでから穏やかに笑う。
と。
私はホワイトボードに書かれていた紀美さんの言葉を思い出した。
お気楽でお間抜けで世界の最後まで笑う予定の私達が、今言うに相応しい言葉だと思えたからだ。
私は身体中で大きく手を振った。
唯に。ムギに。梓に。澪に。
明日私達は世界と自分達の終わりを迎える。
辛いんだろう。苦しいんだろう。悲しいんだろう。
その恐怖を忘れる事は決してできないだろう。
でも、笑う。笑って終わりを迎える。
それが私達が私達なんだって事だから……。
だから、私は大きく手を振って、声の限りに叫んだ。
この世界と、この世界の全ての人達に向けて。
精一杯に。

「またな、皆!
日曜だからって気を抜いて風邪ひいたりすんなよ!
月曜からはまた皆で遊ぼうぜ!
だから……、だからさ……、皆――」




――よい終末を!










               おしまい
726 :にゃんこ [saga]:2011/10/26(水) 21:07:08.42 ID:2qeuKkVP0


今回で最終回です。
冗長な面もありましたが、自分にしては場面ごとに中々いい展開に出来たと思います。
読んで下さった皆さんのおかげです。
友達が読む予定なんで、一週間ほど置いてからHTML化の依頼をしようと思ってます。
その間、何か分からなかった点や質問などありましたら、何でも聞いてください。
出来る限り、お答えしようと思います。
それでは、半年もの間、本当にありがとうございました。
727 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2011/10/26(水) 21:37:50.33 ID:ZVqm+7+IO
乙でした!

最高?

よい、終末を。
728 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/26(水) 22:26:33.55 ID:UwRhjNKSO
終末に向けて皆が一つにまとまっていく所とかすごい良かった
729 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/26(水) 23:26:17.47 ID:/NLBuN/x0
元ネタ知らなかったけどすごい楽しめた
730 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/26(水) 23:37:47.51 ID:DhXIF6VGo
半年間お疲れさまでした。毎回更新楽しみにしてました
また最初から読み返そうと思います
731 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/10/26(水) 23:49:07.01 ID:XlW7TuSo0

面白かったよ
732 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/27(木) 08:47:46.52 ID:BAE/eu/IO
凄く良かった
終末感がほんとに伝わってきた
心がちょっと苦しい
日曜日を詳しく言及しない終わり方も切なさに拍車をかけます
一日もっと大事に生きたいて少し思いました
ありがとうホントに
733 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/10/27(木) 15:47:24.08 ID:kdW7YuTi0
昨日はエラー続きで書き込めなかった。
>>1さん乙でした。
734 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) :2011/10/28(金) 21:16:35.08 ID:iwMJxZ9r0
ご苦労様でした
735 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県) [sage]:2011/10/29(土) 02:38:16.90 ID:oHTcI8Alo
と、ここでネタばらし
736 :にゃんこ [saga]:2011/10/30(日) 20:40:40.62 ID:PgVtK3jr0
>>735

これにはりっちゃんも苦笑い。
って、いやいや。
その発想はちょっとありました。


友達が保存してくれたみたいなんで、
ちょっと早いですがHTML化を依頼しようと思います。
皆さん、多くのご感想をありがとうございました。
胸に刻んで、次回作に繋げたいです。
737 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県) [sage]:2011/10/31(月) 02:11:55.44 ID:AUEPPTnso
>>736
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