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夜叉「もうすぐ死ぬ人」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :JK [saga]:2011/12/14(水) 01:58:07.42 ID:7vHzEqmB0
月光。

夜の灯火の下、彼女は駆ける。
当てのある旅路ではない。
ただ夜の中を彼女は駆ける。

彼女に唯一の名は無かった。
彼女は斯様な存在だ。
彼女を敢えて呼称するならば、
人が何時しか彼女に与えていた呼称で呼ぶのも酔狂かもしれない。

月夜叉。
月夜を往く夜叉。
いつの頃からか、彼女は人の子から斯様に呼称されていた。
無論、彼女は人の子では無い。
彼女が何者であるかは、彼女自身も知る事ではない。
彼女は彼女として存在し、思考し、行動している。

月夜叉は夜を往く。
月夜叉は朝を知らない。
宵闇と共に発生し、朝焼けと共に消失する。
その繰り返しだ。
その繰り返しを、月夜叉は渺茫たる時の中で続けている。
それが彼女の全てであり、彼女もそれでいいのだろうと思考している。

されど月夜叉は駆ける。
駆けるのは急いでいるからだ。
久遠に等しい時を生きてきた彼女とて、
駆けなければならない事態も稀には存在する。

駆けるのは少女と再会する為。
知己の少女と戯れたいが故だ。
月夜叉は通常人間に視認される存在ではない。
月を駆ける夜叉の姿は人の子には蜃気楼の如き存在であり、
万一視認されたとしても、錯覚か夢現として片付けられる事が常である。
月夜叉は構わない。
人の子には人の子の生き筋があり、月夜叉には月夜叉の途がある。
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満身創痍 @ 2024/03/28(木) 18:15:37.00 ID:YDfjckg/o
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【GANTZ】俺「安価で星人達と戦う」part8 @ 2024/03/28(木) 10:54:28.17 ID:l/9ZW4Ws0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1711590867/

旅にでんちう @ 2024/03/27(水) 09:07:07.22 ID:y4bABGEzO
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にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:26:18.81 ID:AZ8P+2+I0
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にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:26:02.91 ID:AZ8P+2+I0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/gomi/1711459562/

にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:25:33.60 ID:AZ8P+2+I0
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にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:23:40.62 ID:AZ8P+2+I0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/gomi/1711459420/

2 :JK [saga]:2011/12/14(水) 02:08:47.25 ID:7vHzEqmB0
月夜叉を視認出来るのは、
極一部の才能を持っている者……、
否、ある特定の条件を偶然にも満たした者だけである。

人の子の眼に己の姿が写る事が無かろうと、月夜叉に不満はない。
寧ろ、人の子と己の道筋が交錯してはならぬものだと、感じている。

されど、運命の悪戯と言うべきか、
極稀にだが月夜叉と関わってしまう人間が現れてしまう事も決して少なくはない。
その人間の一人こそ、月夜叉が知り合ったまだ幼子に過ぎぬ少女。
偶さか月夜叉を視認したあの少女だった。

故に月夜叉は駆けるのだ。
少女と邂逅を果たすために。

ある程度駆けただろうか、
月夜叉は常時少女との逢瀬の場としている遊戯場に辿り着く。
約束の時間より幾分かは早いはずだったが、
少女は既に遊戯場の長椅子に腰掛けていた。

『すまない。私が遅れたか』

月夜叉も遊戯場の長椅子に悠然と腰掛け、己を待っていた少女に言葉を浴びせた。
されで、口を開いてはいない。
声帯を震わせずとも、空気を振動させずとも、
月夜叉は言葉を思念として人の子に届ける事が出来る。
斯様な異常な状況にも関わらず、
既に慣れ切ってしまっているのか、
少女は多少喜悦の表情を浮かべ、小さく己の舌を出して声を発した。

「ううん。あたしがちょっと早く来ただけだから」

『左様か』

月夜叉は呟きながら、少女の顔を無表情に覗き込む。
少女の名は真崎雪と言うのだと過去に聞いた事がある。
雪は御髪を三つに編んだ童顔であり、
贔屓目に見ても幼子にしか見えないが、彼女は既に齢十五を超えているとの事だった。
3 :JK [saga]:2011/12/14(水) 02:20:49.79 ID:7vHzEqmB0
雪と月夜叉が邂逅したのは、全く偶然からだ。
ある切欠により少々消耗していた月夜叉が遊戯場で暫し休息を取ろうとした際、
雪が長椅子に腰掛けて涙していたのだ。
通常ならば月夜叉も斯様な小娘には関心を寄せないのだが、
その日に限って彼女を気に掛けてしまい、言葉を思念として飛ばしてしまっていた。

それが、
二人の始まりだ。

雪は己が泣いている理由を語りはしなかったが、
月夜叉が人外の物怪である事を語っても気にする様子はなかった。
雪はただ只管に、己の傍に在る何者かを求めていたのかもしれない。
それが非人間であろうとも。
月夜叉は何故かそれを懐かしく感じ、その日以来、雪と友となった。

「どうしたの?」

珍しく感慨深くなっている様子の月夜叉を訝しんだらしく、雪が静かに訊ねる。

『否、少しな』

答えながら、己らしくないと月夜叉は考えた。
彼女は人の子が呼ぶ通り夜叉だ。
夜の淵を歩く者だ。
過去に思いを馳せるなど、夜叉の風上にも置けぬと夜族の者は言うだろう。
月夜叉は永久に等しい時を生きている。
退屈な時間をほぼ永久に。
故に過去に思いを馳せるなど、本来あってはならないはずだった。
されど、それも稀にならば、いいのかもしれない。

『閑話休題。
雪、昨日は私は何処まで話しただろうか?』

「あ、えっと……、
お月さんがずっと前に逢った男の人の話までかな?」

『雪……。何度も言うようだが、
その『お月さん』という呼称はどうにかならないだろうか?』

「だって『月夜叉』なんて、
ゲームのモンスターみたいな名前じゃないの。
そんな名前よりも『お月さん』の方が、とっても似合ってると思うよ」

『左様か』

似合っていると称された所で、
『お月さん』という呼称には慣れない。
月夜叉は少々度し難い複雑な心境になったが、
それも酔狂として小波の如き感情を在るが儘に受け容れた。
これも悪くはない。
何故だか斯様にも感じられた。

雪の言葉は強ち間違いとも言えなかった。
月夜叉の外見は人によって様々な印象を持つようだが、共通している見解もあった。
彼女は夜叉という呼称に似合わず、
妖艶で耽美であり、纏っている白の羽衣が天女の如き印象を人々に与えるようだ。
故に月夜叉という呼称よりは、『お月さん』の方が相応しいと言えなくもない。
少なくとも、雪の目には斯様に見えている。
ならば、月夜叉に特に異論は存在しない。
4 :JK [saga]:2011/12/14(水) 02:32:42.94 ID:7vHzEqmB0
無論、月夜叉は己の真実の姿を目にする事は無い。
月夜叉は人の子ではなく、生物ですらないのだ。
故に姿見に己の姿が映る事は決してない。
姿見にも、水面にも、彼女の姿は顕現しない。
太陽光の反射は、彼女を照らさない。
月夜叉は自らの姿を客観的に判断する事が出来ない。
故に、彼女を視認出来る者が語る姿こそ、彼女の真実の姿でよいのだろう。

思い、月夜叉は昨日、雪に語った自らの過去の続きを語り始める。
取り立てて特別な話ではない。
過去……、遥かなる過去……、
月夜叉が出会った珍妙な男との出来事の話だ。
男の話の全てを語り終わった後、
雪は目を丸くして感嘆の嘆息を洩らしていた。
それほどまでに感嘆する話ではないだろうが、されど雪は何かを感じていたようだった。

「どんな人にも……、
色んな事が起こるんだよね……」

誰に聞かせるでもなく、雪は呟いた。
様々な意味を含んでいる言葉ではあったが、月夜叉は敢えて問わなかった。
雪は続ける。

「お月さん……」

『どうした』

「お月さんはその男の人の事が好きだったの?」

『好き……?』

雪の言葉に月夜叉は呟いたきり、押し黙る。
その姿を不安に思ったのだろう。
雪は少々声色を小さくして呟いた。

「あたし、何か変な事訊いちゃったかな?」

『否』

そう答えはしたものの、
それは月夜叉に答えられる質問でもなかった。
好意とは如何様な感情なのか。
月夜叉がこれまで悠久の時間を掛け、疑問に思い続けてきた事でもある。
人の子が人の子に好意を持ち、深い関係性を築いていく生物だとは知っている。
好意という感情は、人の子にとって恐らくは非常に重要な現象なのだろう。
月夜叉にも長い時間を掛け、それが分かり始めている。

されど、月夜叉は己の中の感情が理解出来ない。
否、感情すら存在しない。
月夜叉は人の子ではなく、生物ですらない。
故に人の子の尺度で彼女を測ろうとする自体、無理な行為だ。
無論、彼女の尺度で人の子を測る事も不可能なのだが。
その程度には、月夜叉と人の子はかけ離れている。
5 :JK [saga]:2011/12/14(水) 02:40:25.77 ID:7vHzEqmB0
「お月さん?」

『逆に問おう。
雪には好意に値する男は存在するのか?』

「え……?」

『私には好意という感情が理解出来ない。
故に雪に指導を願いたい』

「あたしの……好きな人かぁ……」

雪は不意に遠くを見つめた。
何かを思案しているのであろう。
僅かな沈黙の後、雪は微笑んで言った。

「あたしだって好きな人はいるよ?
……面と向かっては、言えないけどね」

『左様か。
人間は好意を正直に表現出来ない生物らしい。
雪もそうなのか』

「うん……。
まあ、確かにそうなんだけどね。
あたしはどちらかと言えば、自分から相手に好きだって言う方だよ?」

『ならば、何故だ』

突然、雪は長椅子から立ち上がった。
その場で伸びをし、微笑が崩れ、
少々悲哀に暮れている眼光で月夜叉を見つめた。

「哀しませたく、ないから」

『何故、哀しむ。
好意を他人に持たれる事は、人の子には喜ばしい事なのだろう』

「あたしだって好きだって言いたいよ?
でも、駄目なの。あたしは多分駄目なの」

「何故だ」

「……お月さんと初めて逢ったのは、二ヶ月前だったよね?」

突然話題を変えられてしまったが、月夜叉はそれを気にしなかった。
彼女の意思を尊重し、頷く。

『左様だ。
雪がこの長椅子にて、涙していた」

「あの日ね……。
あたし、好きな人に逢いたかったの。
告白しようとも思ってた。傍に居てほしかったの。
でも、出来なかった」
6 :JK [saga]:2011/12/14(水) 02:44:09.12 ID:7vHzEqmB0
雪が長椅子の上に立って月を仰いだ。
月夜叉も雪を真似て月を仰ぐ。
今宵は半月。
己と同じ名の衛星。

月光が。

月の中で生きる月夜叉。
彼女は月の光しか知らない。
星の光は眩し過ぎる。
彼女に相応しい光ではない。
太陽の光を見る事は叶わない。
月夜叉は、夜を生きる者だから。

雪も月光を浴びている。
月夜叉は月光の下の雪しか知らない。
もしも太陽光の下で雪と出逢えたのならば、
彼女は一体どの様な姿を月夜叉に見せるのだろう。

月光が。

何故、雪は月の時間に外を出歩くのだろう。
無論、月夜叉に出逢うためでもあろうが、
彼女は夜空の向こうに何かを望んでいるのだ。
故に恐らくは雪も月の中で生きている。

「ねえ、お月さん……」

月光の下の雪。
その横顔は幼いながらに力強い。
雪。
幼い雪。
小さな雪。
されど強い雪。

そして、月光が。

「あたし、もうすぐ死ぬんだってさ」
7 :JK [saga]:2011/12/14(水) 02:50:46.04 ID:7vHzEqmB0
 月光が。

その名の通り儚い雪に。
降り注いでいる。
死ぬ、と雪は。
もうすぐ死ぬ、と雪は言った。

月夜叉は何も言わない。
何を言う事も出来ない。
月夜叉に死は無い。
死が無いからこそ、久遠に等しい時を生きていられる。

死とは何なのか、月夜叉は知らない。
月夜叉は死を体験する事が出来ない。
死を恐怖する事すら出来ない。
彼女は、夜叉だ。
生物ではない。
ただ其処に存在するだけの、夜叉なのだ。
死を理解出来る事は恐らく永久に無い。

『死……か』

月夜叉はただ事実を淡々と呟く。
雪は死ぬ。
もうすぐ死ぬ。

故に月夜叉は、もう雪と逢瀬出来ない。
何度も体験してきた。
何万回と久遠の時の中で繰り返してきた別離だ。

人は、死ぬ。
月夜叉は、死なない。

それが事実であり、現実であり、真実なのだ。
単純な真実なのだ。

『死ぬのか、雪』

何故に死ぬのか、月夜叉は問わなかった。

「うん。残念だけどね。
まだ少ししか生きてないのに、もう死ぬんだって」

『そうか……』

「お月さん、あたしが居ないと寂しい?」

『多少な』

事実だった。
感情を持たない月夜叉だったが、寂寥程度は若干感じられる。
その程度は。

雪は少し笑みを浮かべ、続ける。

「ねえ、お月さんって死なないんだよね?」

『恐らくは。試した事はないが』

「……羨ましいな」

『羨ましいか。
そうか……、そうだな……』
8 :JK [saga]:2011/12/14(水) 02:55:31.56 ID:7vHzEqmB0
人間には羨ましい事であろう。
人間は、生物は、生まれ、いずれ消えていく。
志半ばで斃れる者も少なくあるまい。
否、満足して死ねる存在などそう多くもあろうはずもない。
知っている。
月夜叉は悠久の時を生きてそれを知っている。

されど、月夜叉は雪に言わねばならなかった。

『確かに私は絶えない。
死という呪縛にも縛られていない。
しかし、雪。私は偶さか思うのだ。
私はただ生物の旅を傍観しているだけなのではないかと。
生物には時間がある。生物は限られた時間の中を生きる。
では、死のない私はどうだ。
死のない私には逆に時間そのものがないのではないだろうかと、偶さか思う」

雪は複雑に微笑した。
雪のように、儚い微笑だった。
そうかも知れないね、と雪は呟いていた。

「でも……。
やっぱり……、死ぬのは厭だな……」

それもそうかも知れない。
月夜叉には分からない。
月夜叉は人間ではないから。
月夜叉は魑魅魍魎に過ぎないのだから。

月光が。

きっと雪は月光を求めていたのだ。
死を目前とし、月光を無性に求めてしまったのだ。
月光は人に死を与えるものだから。
月光は人の死を司るものであるから。

だからこそ、月夜叉を視認する事が可能だったのだ。
月夜叉は死を司るものだから。
己に死が存在しないため、他人に死を与えられる夜叉だから。

月光が。

雪と月夜叉を包み込んでいる。
9 :JK [saga]:2011/12/14(水) 03:03:16.39 ID:7vHzEqmB0





それ以来、月夜叉は雪に逢っていない。
逢えるはずも無い。
雪は消失したのだ。
この世界から、欠片一つ残さず。

月夜叉が雪を喰らったためだ。
月夜叉は、夜叉だ。
人の子を喰らう鬼だ。
あの日、雪は月夜叉の食糧となる事を望んだ。
雪は知っていたのだ。
夜叉は人を喰らい、人と共に存在しなければならないものだと。
死を間近にし、月夜叉と邂逅する事で本能的に察していたのだろう。
月夜叉ではない何者かに、自分が夜叉の贄に選別されたのだと。

夜叉は餓えている。
人の血肉を欲している。生まれ付いての衝動。
それが夜叉だ。
捕食せずとも死に至るわけではないが、
長期間、人を喰らわなければ、夜叉は無意識的に人を襲ってしまう猛獣と化す。
惨劇の原因と化す。
故に夜叉は、人を喰らわなくてはならない。

人を喰らい、存在し続ける事を義務付けられた存在なのだ。
月夜叉は。

故に雪は月夜叉の食糧となる事を望んだのだ。
雪を喰らわねば、月夜叉はいつか獰猛な野獣と化してしまう。
雪はそれを見たくはなかったに、違いない。
短い時間とは言え、友として生きてきたのだから。
すぐ消えてしまう命であるならば、
いっそ友人の為に使っておうと雪は考えたのだ。

死ぬのは、厭だな。

雪はそう言っていた。
だのに、何故自分に命を捧げたのか、月夜叉には理解できない。
月夜叉は人ではない。
感情など持ち合わせていない。

月夜叉は、夜叉だ。
人を喰らって生きる。斯様な存在だ。
感傷も悲哀も彼女の内には存在しない。
されど、自分の糧となった幼子に、思いを馳せてみるのもいいだろう。
時間は悠久だ。

恐らくは月夜叉は無限に考え続ける。
夜を往き、自分の糧となる人々の事を。
彼女は夜を往く。
月光の中で生きる。

彼女は月夜叉。
月光の下の夜叉だ。
10 :JK [saga]:2011/12/14(水) 03:06:02.15 ID:7vHzEqmB0

過去に書いた物を手直ししてみました。
今読むと中二病にも程がありますが、
自分の中の中二心を忘れないようにもしたいです。

まだ続きます。
お付き合い頂ければ、嬉しいです。
11 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/14(水) 19:23:27.01 ID:Oxt1H9D4o
>>1
12 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/14(水) 23:55:50.18 ID:DjuvKVOPo
いい雰囲気だなー。乙
13 :JK [saga]:2011/12/15(木) 19:25:15.67 ID:fJUeZbYv0



少女が夜叉と邂逅したのは、死を望んでいたためだろう。
夜叉は何人もの人間と邂逅し、別離してきた。
少女は幾つもの裏切りに失望し、死を望んでいた。
彼女等が邂逅するのは必然であり、
運命とも呼べ、そして、矮小な出来事だった。
14 :JK [saga]:2011/12/15(木) 19:25:42.49 ID:fJUeZbYv0





森下昴は月の下を放浪していた。
昴は死を望んでいる。
月光に魅せられている。
蒼白の月光に惹かれ、昴は月の下で生きる。
昴が死に魅せられたのは、人間である事にすら耐えられなくなったためだ。
自然を破壊し、動植物を絶滅させ、同族を裏切り、殺し合う。
己が斯様な生命体である事に、耐え切れなくなっていたためだ。

人間にどれだけの価値があると言うのだろう。
地上で最大に醜く、醜悪な生物。それが人間だ。
人間など滅んでしまえばいい。
人間である自分など消えてしまえばいい。
思っていたから、死に至りたかったのだ。

昴が一体の夜叉と邂逅したのは、ほんの数日前の事だ。
天女の如き容姿ながら、自らを夜叉と呼ぶ者。
昴は彼女と邂逅してしまった。

名を月夜叉。
月の下を往く夜叉だ。
昴は人間ではなく、知的生命体として存在している月夜叉に興味を惹かれた。
人間という醜い生物を超越した超生命体(月夜叉が仮に生物であったとして)。
昴はその月夜叉にひどく惹きつけられてしまっていた。

「月夜叉」

月光の下のある高層マンションの屋上で、昴は月夜叉に漫然と声を掛けた。

『何用だ』

ひどく澄んだ声、否、思念か。
斯様な透き通る天使の如き思念の波で月夜叉は応じる。
天女の如き存在と自らが近い位置にいる現実に気分を良くし、昴は唇を微笑に歪めながら続けた。

「君は何のために存在している?」

『その質問の意図を訊きたい』

「夜叉としてこの世界に存在する以上、
君にはやらねばならない事があるはずだ。
生命体として存在しているのなら、確固とした存在理由を所有しているべきだろう?」

『私は生命体ではないぞ、昴。
ただの夜叉だ』

月夜叉の言葉に微苦笑し、そのまま昴は肩を竦めた。
己が夜叉よりも優れた存在と感じ、自己に酔う。

「分かっていないね、月夜叉。
君は人間を超越した存在なんだ。その位階に君は存在している。
人間を超越して存在している以上、生命体でなくとも何かを成さねばならないんだ」

『度し難いな、昴』

「そうかい?」
15 :JK [saga]:2011/12/15(木) 19:26:17.37 ID:fJUeZbYv0
言った昴は屋上の柵に寄り掛かるようにして、月を見上げた。
月は蒼白く灯っている。
不意に昴は思った。
己は蒼白く光る月に叫ぶ哀れな犬なのだと。

昴は己に存在理由が無い事を分かっている。
否、人間自体、存在していてはいけないのだと確信している。
周囲の享楽的な生命体とは違う。
真に世界の未来を案じているのは、自分なのだ。
不要な存在はこの世界から消失しなければならない。
故にどうも昴は死なねばならない。

昴が初めて手首を切ったのは、十三歳の頃だった。
虐めや虚無感などと言った斯様な下らない動機ではない。
人間が地球上に存在している事を、
人間である自分が地球上に存在している事を、只管に哀しんだからなのだ。
存在価値の無い生命体は淘汰されねばならない。
それが分かっていたからだ。
以来、五年の間に三十回以上手首を切った。
己の血液と共に、人類の汚濁が流されればいいと思っていた。
消えてしまえ。
自分の中にある汚れ切った人類の血など消えてしまえばいい。

斯様な自分故に月夜叉と邂逅出来たのだと、昴は信じている。
人間の罪悪を理解している自分だからこそ、月夜叉という存在を視認出来たのだと。
それだけで自分が犠牲になった甲斐があると感じられる。

『昴。逆に問うてもいいだろうか』

月夜叉は悠然とその場に存在し、超然と昴に訊ねていた。
微苦笑して髪を掻き上げ、昴は応じる。

「どうしたのよ?」

『昴は何故ゆえに存在している。
何の為に存在しているのか』

「私? 私はね……、死ぬために存在している。
死こそが浄化なんだ。世界の浄化なんだ。
死を司る君なら分かるだろう?
君はもっと世界に死を齎すべきなんだ。
誰も彼も奴もあいつもどいつも死に至らせて然るべきだ。
勿論、私を死に至らせてからで構わない事だけどね。
そのために私は生きている」

『死ぬためにか』

「そう。死は罪悪を浄化してくれる。
だから、私は人間を死で浄化させたいんだよ」
16 :JK [saga]:2011/12/15(木) 19:27:11.64 ID:fJUeZbYv0
自分の答えに満足して、昴は頷く。
そうだ。昴は浄化を望んでいる。
死によって、全ての罪悪を消失させてしまいたいのだ。

されど、月夜叉は昴の予想もしていなかった言葉を返した。

『それならば、何故生きているのだろうか』

「……え?」

『死ぬために存在しているのならば、今死ねばよいのではないか』

「死のうとした。何度もリストカットしてね」

『何だ、それは』

「手首を切る事よ。
手首を切る人の事をリストカッターと呼ぶんだ」

『手首切り……か。
左様ならば昴も手首切りなのだな』

月夜叉に言い換えられてしまうと、
昴は何故か途轍もなく厭な気分に陥った。
手首切りなど間抜けな言葉に言い換えられると、
己の行為がひどく矮小で卑小な出来事に思わされてしまう。
いいや、違う、と昴は月夜叉の言葉を己の中で否定する。
違うのだ。
己の行為は遥かに偉大なる事象なのだ。

「その呼称はやめてもらいたい。
私のしている事は、もっと違う事なんだから」

されども、月夜叉は言う。
まるでまさしく、彼女こそ夜叉だと思わされる言葉を思念として届ける。
17 :JK [saga]:2011/12/15(木) 19:27:43.98 ID:fJUeZbYv0
『呼称が何であろうと何も変わらない。
単に耳に良いか、悪いか、それのみだ。
とどのつまり、昴のしている行為は手首切りに違いないだろう』

月夜叉の淡々とした言葉。
瞬間、昴は月夜叉がやはり夜叉なのだと、思い知らされた。
感情は存在せず、事実の渦の中にのみ存在し、それ故に最も真実に近い存在なのだと。

だが、昴はそれを認めようとはしなかった。
認めたくはなかった。
黙り込んでいる昴を意に介さず、月夜叉は淡々と続ける。

『真に死にたいのであれば、手首より腹を割くべきだ。
若しくは斬首ならば確実だろう。
頸を刎ねられた生物はほぼ確実に死に至る。
無論、それでも生きている生物もあるが』

昴は髪を手に纏わり付かせるようにしてから、顔に手を当てて唸った。
何だ。何なんだよ、こいつは。
感情も同情もなく、真実のみを突きつけてくる。
他者の存在など意に介さず、己の思う事のみを真実だと考えている。

昴は月光を浴びる。
月光は全ての生物に平等に降り注ぐ。
例外なく、淡々と、柔らかく、優しく、そして残酷に。

月光が。

月夜叉の肌を照らし、彼女を蒼白な化物のように見せる。
瞬間、昴は説明し難き動悸に襲われた。
眼前の夜叉が、醜悪な怪物にしか見えなかった。
否、そうであってたまるか、と昴は必死に己の考えを振り払う。
月夜叉は目覚めた者である自分を更なる位階に誘いに来た天女なのだ。
天女でなくてはならないのだ。
そうでなければ、人類の罪を直視し続けてきた己に何の意味も無くなってしまう。

昴は己の左腕に巻いてある包帯を解き、月夜叉の眼前に差し出した。
痙攣のように小刻みに震えつつ、昴は慟哭した。
その瞬間の昴は、先刻彼女が自身で考えていたように、
彼女の望む形とは異なっていたものの蒼白く光る月に叫ぶ哀れな犬そのものだった。
18 :JK [saga]:2011/12/15(木) 19:31:21.50 ID:fJUeZbYv0
「私は何度も手首を切ってきた!
世界を終わらせるために!
世界の罪の浄化のために! 罪深き人類の浄化のために!
こんな事が月夜叉! 君に出来るか、出来るのか!
月夜叉ッ!」

見事な理屈だった。
昴自身、自分でよく出来たと褒めてやりたいくらいだった。
だのに、月夜叉は無表情に淡々と返すのだ。
無論、何の感動も感情も存在しないままに。

『手首切りなど、私には出来ない。
否、手首を切る事に何の意味も見出せない。
結局、手首を切り、何がしたいのだ、昴?」

「聞いてなかったの?
私は薄汚れた人間の世界なんて真っ平なんだよ!」

そうだ。その通りだ。と昴は思った。
人間など滅亡してしまえばいい。
皆、死の浄化に至ればいい。
されども、何故人間を超越した月夜叉にそれが分からないのか。
その理不尽が昴を苛立たせていた。
人類の真の姿を知っている自分自身。
まさしく人類を超越したと言えるだろう。
ならば、何故、同じく人類を超越している月夜叉にそれが分からないのか。

昴はやはり認めたくないのだ。
月夜叉には感情など微塵も存在していないと。
月夜叉には感情が無い。
夜叉故に感動も理念も誇りも何も無い。
昴の苛立ちも理解不能なのだと。
故にどれだけ昴が月夜叉に言葉の刃を投げ掛けようと、理解する事など不可能なのだと。

『昴。人の子はそれほど薄汚れているのだろうか』

月夜叉は問う。

「そうだ。
自然を破壊し、動物を虐殺し、地球を破壊している!」

昴は叫ぶ。

『それが薄汚いと言いたいのか。
生命体は生存の為に全事象を利用するものでは無いのか』

無論、月夜叉は罪の意識もなく訊ねる。
彼女の中にあるのは、淡々とした事実のみだ。

「じゃあ人間とは何なんだ!
同族で殺し合う人間に存在価値などあるのかッ?」

昴は絶叫する。
自分は幾度もこの理論で周囲の愚鈍共を説き伏せてきた。
正しいのは自分なのだ。
死を望んでいる自分だけが正しく、周囲の愚鈍共はそれに気付かない醜悪な生命体なのだ。
彼女は思って絶叫する。
19 :JK [saga]:2011/12/15(木) 19:31:43.34 ID:fJUeZbYv0
『ならば死ねばよいだろう』

月夜叉は昴が初めて見る表情で、冷徹に呟いた。
否、実際には月夜叉の表情は微塵も変わっていない。
昴の心情が月夜叉を冷徹な存在に見せているだけだ。
月夜叉には感情が存在しない故に、人間の感情を丸ごと呑み込む。
人間の感情の持ち様によって、月夜叉は如何様な姿にでも変貌するのだ。
当然、それは月夜叉の特殊な能力などではない。
月夜叉は真白な赤子の如き存在であり、感情を他者に伝える事など決してしない。
故に人間は月夜叉に自分の姿を投影する。
姿見の如く、月夜叉は人間の感情をそのままに写すのだ。
昂ぶる者が見れば月夜叉は暴虐な嵐に映り、
穏やかな者が見れば月夜叉は凪として映る。
それだけの事なのだ。

昴もそれを分かっている。
痛いほど分かっている。認めたくないだけだ。

『真に死を望むとあれば、何時如何様にでも死ねたはずだ』

「何が言いたい……?」

『昴は真に死を望んでいるのだろうか』

「当然だ」

「生きる価値もない、死にたいと昴に限らず人の子は言うが、実際に死ぬ者は極少数だ。
私は過去より疑問に思っているのだが、何故死なないだろうか。
死にたいのであれば、即座に命を絶てばよいだろうに」

昴は目を剥いた。
死を望みながら、未だ存在している矛盾。
人間の知人はそれを分かっていながら、敢えて昴には問わなかった。
それは恐らく昴への思いやりだったのだろう。
哀れなる昴を傷つけない為の。

されど、月夜叉は異なる。
月夜叉に同情を求める行為自体がそもそもの誤りで、
非人間に人間の理論を通そうとした所で完全無欠に無意味なのだ。
幼稚な理論武装は月夜叉に意味を成さない。
渺茫たる事実の渦の中に生きる月夜叉には、興味を示す価値もない。

昴は反論出来ずその場に蹲った。
自分は何をしている?
死を望み、浄化を望んでいるというのに、何故自分は死ねない?

本当は分かっていた。
死を望んだのは、自分を特別視しない世界が恨めしかったからなのだと。
昴は誰よりも求められたかった。誰よりも特別な存在になりたかった。
しかし、それは叶わなかった。
自分より無能で下賤な輩に見える人間に先を行かれるのが現実だった。
斯様な世界など必要無かった。
己を褒め称えない世界など、己が特別でない世界など、拒絶したかったのだ。
故に死にたかった。
20 :JK [saga]:2011/12/15(木) 19:32:18.30 ID:fJUeZbYv0
されど、同時に死にたくもなかったのだ。
低俗な愚鈍共が生きているのに、どうして自分だけが死ななければならないのか。
逆なんじゃないか?
本当に死ぬべきなのは死を望む自分じゃなく、
こんな可哀想な自分に死を望ませる世界の愚鈍共の方であるべきだ。
斯様に考えていたからこそ、
昴は死に至らない安全な手段であるリストカットに没頭した。
自分は死を望んでいるという最後の防衛線を、
己と周囲の愚鈍共との線引きとしていたのだ。
その行為こそ、己が愚鈍と称する周囲の人間より醜悪で歪な自己陶酔とも気付かずに。

月光が。

今宵は三日月。
三日月から降り注ぐ月光は残酷で、昴は息をする事すら苦しくなった。

唐突に月夜叉は言った。

『昴。真に死にたいのであれば手伝おう。
生きる価値がこの世に存在しないと言うのであれば』

月夜叉は何処までも事実の中にあり、
昴にとって理論武装出来ない事実は残酷なものに過ぎなかった。
何もかもが偽りと思いたかった。
されどその事実こそが彼女の求めた真実でもあり、
偽りとして考える行為は許される現実ではなかった。
死んでやろう、と昴は考える。
幾らでも引き返す機会はあったが、彼女はそれを拒否した。
結局、彼女は周囲の人間達とは異なる自分である事に固執したのだ。
最期に一つだけ、彼女は呟いた。

「必要無い。私は自分で死ぬ。
死んでやるよ。私は愚鈍共とは違う。
死を弄び、他人の関心を惹きたい下賤とは違うんだよ!」

柵から身を乗り出し、遥か下方の地面を見下ろす。
飛び降りれば確実に死に至れる高度。

月光が。

昴を誘っているのか、妖しく照り輝いている。
死を望んでいる昴。
自死こそが、昴の行わねばならない真実だった。
漸く死の浄化に至る事が出来る。
その思いは昴を非常に嬉しくさせた。
されども、何故か空に踏み出そうとする脚は震えて止まらなかった。

後方では。
無論、何の感情も無く、月夜叉が彼女を見つめている。
21 :JK [saga]:2011/12/15(木) 19:33:44.52 ID:fJUeZbYv0


この話は終わりです。
が、まだ物語は続きます。
またお願いします。
22 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/15(木) 20:08:47.11 ID:WTK+AQq/o
>>21
乙乙!
23 :JK [saga]:2011/12/17(土) 18:35:53.80 ID:JjKvBwFx0





空には相も変わらず月が浮かび、星が地を照らしていた。
星は小さく照る。
月は猟奇的な茜色。
茜色に輝く、猟奇的な月だ。

草加暁。
彼は何時からか、夜空の下を歩く行為を日常としていた。
「好き」でも、「愛している」でも、「貴方と一緒にいたい」でも、
彼に斯様な想いを与えてくれる者が世界に存在しないと確信して以来、
彼は夜空の下、月光を浴びて生きていく事を選択していた。
単なる若い感傷だと思って貰えれば相違ない。
暁は少年の時分、己の存在が人よりも劣っている事に気付いた。
自分には何もない。
生まれ付いての才能など微塵も身につけてはいない。
故に自分を愛してくれる者が存在などするはずもない。
ただ存在しているのみで、生きていようが死んでいようが誰にも関係がない。
斯様な存在だと、自分の身の程を自覚していた。

故に暁は夜を往く。
夜は暁を包み込んでくれる。
何もない暁を消失させてくれる。
故に暁は夜を歩く。
陽の当たる場所よりも、月光の下を選択したのだ。
その行為は誤りではない。
決して誤りではない。
彼が誤ってしまったのは……。
24 :JK [saga]:2011/12/17(土) 18:36:24.00 ID:JjKvBwFx0





暁が己と同じく夜を往く者と邂逅したのは七年前。
自分の力で成長したと断言して憚らない反抗の時分。
彼は夜の者と邂逅した。

月夜叉。
月の下を往く夜叉と彼女は名乗った。
その時分、暁は旅という名の反抗を実行していて、偶さか彼女と巡り合った。
彼女と出逢えた理由を、暁は深くは考えなかった。
天女のような夜叉。
美しき魑魅魍魎。
跳梁跋扈する非人間だ。

暁は未だ十三の少年ではあったが、
自らが取るに足らない存在でしかない事を理解しており、
寧ろ人より幾分にも劣った存在である事すらも自覚していた。
故に、故にこそ、
偶さか出逢えた月夜叉という非人間を離したくはなかったのだ。
二度とは来ない街だと思うことで、気が大きくなっていたのもあったかもしれない。

「月夜叉」

未だ声変わりもしていない澄んだ声で、
しばしば暁は彼女にそう問い掛けていたものだ。

『どうした、暁』

人喰いの鬼だというのに、月夜叉は常時穏やかに応じてくれていた。
彼女は月の下でしか姿を現さなかった。
月光の黄昏時。
月夜叉と暁は邂逅していたのだ。

月光が。

少年と夜叉を包んでいた。
少年は何処までも少年でしかなく、夜叉は何処までも夜叉だった。
己の身の程を恐らくは互いに自覚していた。
25 :JK [saga]:2011/12/17(土) 18:37:00.94 ID:JjKvBwFx0
「ねえ、月夜叉……。
あんたは誰かを好きになった事ってあるか?」

少年は常時斯様な事を思考し続けているものだ。
決まり切った約束事だ。
少年時代とは斯様な時期だ。
分かっている。
月夜叉には分かり切っているのだろう。
故に月夜叉は苦笑した。
否、苦笑するという表現には語弊があるか。
歳を経て、大人への道を歩んでしまった今の暁には分かる。
暁は人間の論理を月夜叉に当て嵌めていた。
何分、少年の時分だ。無理もない。

されど、今の暁には分かってしまう。
月夜叉は苦笑などしない。感情を動かす事などない。
苦笑した様に見えていたのは、無論、暁の錯覚だ。
自分がそうあって欲しいと思っているだけに過ぎず、
無表情な月夜叉に何らかの感情を期待してしまっていたのだと。

暁が思うに過去の暁は他人の表情を恐れていた。
他人の表情ばかり気に掛けていた。
自らの劣等性を他人に感じ取られたくはなかった。
自らの才能が皆無である事実を他人に知られたくはなかった。
例え知られたとしても、
他人がその事で自らを軽蔑する表情だけはどうしても見たくはなかった。
それを見たくはなかった。
故に無表情な月夜叉に期待を掛けていたのだ。

『斯様な感情、私には理解出来ないが』

月夜叉がそう答えるのも、恐らく暁には承知だった。
承知の上で、何度も月夜叉に問い掛けていたのだ。
決まり切った答えを期待していた。

「俺は……、月夜叉の事が好きだよ」

周囲の同級生や、家族にすら言った事がない言葉。
『好きだ』という言葉。
本気でそう感じていたのか否かは、現在の暁にも分かってはいない。
一つ言えるのは暁が月夜叉だけを信頼しており、
月夜叉を生きていく最後の砦の如き存在として考えていたという事だ。
斯様な意味では、確かに暁は月夜叉を好きであったし、愛してもいたのだろう。
否、恐らくは、好意と言う感情は他者への歪な期待に他ならないのだと暁は考える。
その対象が、人間であれ、非人間であれ、それは変わらないのだと。

月夜叉はそれを分かっていたのだろうか。
無表情に、ただ無表情に、月夜叉は淡々と呟く。何もかもに無感動に。

『それは私と性交したいという意味か、暁』

月夜叉の言葉に暁は確かに微笑していた。
暁には分かっていたのだ。
自分が月夜叉に好きだと言えば月夜叉はそう言うだろうと。
そして、暁を拒む事は決してないだろうと。
醜悪な打算に満ちた。

「そうだよ、月夜叉……」

かくも暁は計算高く、思春期の少年であり過ぎた。
極当然の少年の姿だった。

月光が。

月光が降り注ぐ中、暁は月夜叉と共にあった。
失ったものを取り戻すように、暁は月夜叉を幾度も幾度も求め続けていた。
無論、何の意味もない行為。
されど、その時分の暁は、斯様にしか生きられなかった。
それが少年であるという事だ。
26 :JK [saga]:2011/12/17(土) 18:40:03.89 ID:JjKvBwFx0





それから七年。
旅先での月夜叉との邂逅を支えに、暁は七年間を生き続けてきた。
月光が降り注ぐ度、暁は月夜叉を思い出し、過去に思いを馳せていた。
もう一度月夜叉に逢おう、と決心したのは、三年来の恋人と別れてからだった。

「貴方の見ているのは私じゃない」

恋人は言って、暁の元から去った。
故に暁は決心した。
月夜叉と再会しようと。
理解した。
自分の求めているものは月夜叉だったのだと。

三年前に出来た恋人。
暁は確実に彼女の事を愛しており、
彼女も自分を愛してくれていたはずだと暁は考えていた。
されど、暁は彼女に本気になれなかった。
彼女を愛してはいた。
だのに、それは求めていたものではないと思えてしまえる。
愛されるはずがない自分に恋人が出来、
別離した現在になって暁は分かったような気がしていた。
己は月夜叉をこそ求めていたのだと。
無表情で己を受け止めてくれた月夜叉をこそ、求めているのだと。

月光が。
茜色の月光が降り注ぐ。
暁は茜色の時分、月夜叉を捜し歩く。
親を捜し求める迷子の如く、暁は月夜叉を求めていた。
27 :JK [saga]:2011/12/17(土) 18:40:51.82 ID:JjKvBwFx0





それは偶然と言えるのか、或いは必然と呼ぶべきなのか。
七年前の旅先で、七年前の姿と一切変わらぬ月夜叉と暁は再会していた。
彼女は夢なのか、幻なのか、非人間なのか、それは分からない。
されど、とにかく暁の目の前に存在していた。

「月夜叉、俺は……」

久々に邂逅した月夜叉は暁の事など何も知らない他人だという風に、冷たく見下ろしていた。
仕方が無かった。七年ぶりの再会なのだ。
暁はそう思おうとしていた。

『誰ぞ』

「俺だよ、草加。草加暁……」

『暁』

暫し月夜叉が思案するように押し黙った。
祈るような気分で、暁は月夜叉の言葉を待っていた。

『思い出した。久しいな、あの暁か』

「そうだよ、あの暁だ。俺は月夜叉に逢いたくなって、それで……」

久しく逢っていなかったというのに、月夜叉は無表情を崩さなかった。
再会の涙など存在するはずもない。喜びの表情も無い。
されど、それが月夜叉なのだった。暁の求めた月夜叉だ。
暁は過去に月夜叉がそうしてくれたように、月夜叉の胸に飛び込んでいた。
自分の求めていたものがその場にあると思うだけで、自分を律する事が出来なかった。

『何をしている』

月夜叉が思念を飛ばす。
感情を持たない彼女に、これだけの行為では伝わるまい。
暁は腕を開いて月夜叉を胸に抱き、小さく言った。

「俺、分かったんだよ。
俺は月夜叉が本気で好きなんだ。月夜叉こそが、俺に必要なんだ」

恥も外聞も無い愛の告白だが、
その瞬間の暁は本気であり、最も正しい行為だと思えていた。
この行為こそが、真実なのだと。
されども、やはり月夜叉は無表情を崩さずに応じた。
28 :JK [saga]:2011/12/17(土) 18:41:29.57 ID:JjKvBwFx0
『私は人の子ではないよ、暁』

「ああ、分かっているよ。
それでも俺は月夜叉が……」

『否、暁。
私は人の子ではなく、生命体でもない。
人の子に似た姿をしているだけだ』

「月夜叉。だから俺は……」

『私は決して人の子ではない。
分かるだろう、暁。私は人の子ではないのだ
過去にあったように、性交には応じよう。
暁との性交、悪くは無い。人の子の営みを真似る事、楽しくもある。
だがな、暁。私を私として必要とされる事には応じられない。
私は暁の傍に何時までもは居られない。私は人の子では無いからな。

人の子が非人間を必要とする事は悪しき事ではない。
非人間に期待を掛ける事も問題では無い。
されど、非人間からの代償だけは、求めてはならない』

「月夜叉が人間じゃないからって、俺は気に……」

不意に、暁は口篭もる。
言っていて、気が付いた。
月夜叉は人間ではない。断じて人間ではない。
当然、人間でない事を暁は気にしない。

故に、気付いた。
人間でないものに惹かれる事。
それは人間を拒絶する事だ。
人間を拒絶する行為自体は、
人間が人間として生まれてきた以上、近親憎悪の発展として存在するのは社会構造の基本だ。
社会が存在する以上、人間を拒絶するという感情は間違いなく存在している。
人間は己が存在し続けるために、関わりたくもない他者をも利用せねばならない。
その打算関係の発展こそが社会だ。それ自体に問題は無い。

されど。
人間を拒絶しながらも、人間に似たものに惹かれるのはどういう行為なのか。
例えば、人間嫌いを公言しながらも、劇作や劇画に執着する者が在る。
それは支離滅裂だ。
つまるところ、人間を否定し、
非人間に期待する行為は、単なる劇作嗜好の倒錯に過ぎないのだ。
暁の行為は恋や愛ではない。
劇作に倒錯するようなものだ。
されど、倒錯自体にも問題は無い。
問題なのは、その倒錯を社会そのものに当て嵌めようとする行為そのものだった。

「月夜叉、俺は……」

項垂れて、搾り出した暁の声は掠れていた。
月夜叉は分かっている。
感情が存在せず、死のない物だから理解しているのだ。
暁の求めているものを。暁が真に欲しかったものを。
故に気紛れで暁の要求に応えてもくれたのだろう。

暁は愛してくれるものを求めていた。
誰かに愛して貰いたかった。
その欲求は何時しか単なる願望へと変化し、何者かを愛する事を忘れさせた。
否、もしかすると、
最初から見返りの無い好意を誰かに注ぐ気になれなかっただけなのか。
29 :JK [saga]:2011/12/17(土) 18:42:01.11 ID:JjKvBwFx0
暁が真に求めていたものは、愛してくれる者や、愛せる者ではない。
他の誰でも良くて、誰でもない女こそが欲しかったのだ。
無表情でただ自分の想いを受け止めてくれる、都合のいいそれだけの女が。
恋人に本気になれない理由も、恐らくはそれだった。
斯様に都合のいい人間など存在しているはずもない。

一度、月夜叉で味を占めてしまった暁は、それをそうと認識が出来ていなかった。
斯様に都合のいい存在は、
劇作の中の登場人物か月夜叉のような非人間だけだという事を。
もう己には誰かに愛される事も、
誰かを愛する事も永久に出来なくってしまったのだという事を。
全てを見抜いている表情で、月夜叉が穏やかに言った。

『それでも私を求めるか、暁』

最終選択だった。
暁は月夜叉を見つめ、ただ自分の愚かさを呪った。

月光が。

茜色の月光が、暁の身体に降り注いでいる。
暁は生まれながらにして、才能や優れた外見を持っていないが故に不幸だった。
それ以上に才能と外見のみを全てとし、
諦めという救いに頼らざるを得なくなった瞬間から、彼は不幸ではなく哀れな存在と化した。
求めるものは自分に都合のいいだけの存在。
自分を求めてくれるものすらも信用出来ない。
彼は何時しか斯様な人間に変貌していた。
斯様な人間が生きているとは言えない。
暁は生きながらに亡者だったのだろう、既に。

それに気付いた暁は自らを棄て、月夜叉の贄となる事を選択していた。
茜色の月光を浴びつつ、
自分が死に至るまで残りどの程度の時間が必要なのだろうと、
何故か暁は斯様な無意味な思考を続けていた。
斯様にして茜色の中、暁は自らの身体を紅に染めた。
これは単にそれだけの少年の物語の顛末だ。
30 :JK [saga]:2011/12/17(土) 18:42:41.72 ID:JjKvBwFx0


この話はここまで。
書き溜めが終わったので、次は一週間後くらいになりそうです。
31 :JK [saga]:2012/01/12(木) 20:37:18.80 ID:DE4CuiAp0





世界は個々の生命体が想像したように変化する。
悲観的な視点から見れば世界は悲壮に変貌し、逆もまた然りだ。
故に人々は己の見ている物こそが、真実だと思い始める。
我思う故に我あり。
世界が己の見ている妄想だとしても、妄想を妄想として認識できる己だけは存在している。
斯様な思想だ。

故に己が死ぬと世界は消滅する。
己の世界の登場人物達は消失していく。
故に世界は己の妄想でしかないのだと、斯様な考えに陥る人間は数多い。
されど、残念ながらと言うべきか、彼らの妄想したとおりに世界は形作られていない。
いないのだ。
32 :JK [saga]:2012/01/12(木) 20:37:49.39 ID:DE4CuiAp0





月が顕れぬ夜。
顕在するはずの月を視認出来ない夜。
少女は実に呆気なく、死に至ろうとしていた。

酒井泉。
彼女は人里離れた遠い雪の空の下、強い心臓の動悸に襲われた。
泉は生来にして頑強な身体を有しているとは言えず、
いつ何時に果てても何の不可思議な点も無い女性だった。
彼女が生きている事自体が奇跡の如き現象であり、
故に彼女が動悸に倒れる事は日常茶飯事であった。

されど、今回ばかりはこれまでと異なるようだった。
通常であれば数分経れば幾分か動悸は治まり、
再び生の刻を刻んでいけていたが、やはり今回の動悸は通常のものではないようだ。
数分経ても泉の身体には活力が戻らない。
どころか、余計に活力が吸い取られる感覚。
とうとう来たんだ、と何故か泉は感慨深く考えていた。

とうとう来たのだ。来てしまったのだ。
物心付いてから、訪れる事を覚悟していた日。
生まれ落ちてから十余年、考えない日の無かった己の果てる日が。
泉は遂にその日に至ってしまったのだ。

今宵は新月。
月の無い夜。
そして、珍しく雪も無い夜。

今宵、泉は、果てる。

泉には不思議と恐怖という感情は湧き上がらなかった。
悲嘆も無かった。
今日、自分は死ぬんだな、とそれだけが妙に自覚出来、ひどく落ち着いていた。

「死ぬんだな、私……」

力の入らない唇で小さく呟く。
果ててしまう事に未練が無いわけではないが、されど泉は平静だった。
自分でもおかしいと思うほどだったが、幸福感すら湧き上がってくるのだ。
現世からの現実逃避ではない。
自殺志願者の歪曲した歓びでもない。
ただ単純な、純粋なまでの歓喜。
死が嬉しいのではない。当然ながら死が恐ろしくて堪らない。
33 :JK [saga]:2012/01/12(木) 20:38:33.78 ID:DE4CuiAp0
けれども、泉は幸福なのだ。
果てる事は不幸ではない。決して不幸ではない。
死は忌み嫌われ、至る事を恐怖とされるものである。
それは当然だ。

されど、人間は死を拒絶する事も出来ない。
死があるからこそ、人間は懸命に生きるものだと泉は考えている。
間近に死を控えていたからこそ泉は懸命に生きてきた。
長く生きていたいと思う事も多々あったが、
それ以上に短くとも懸命に生きる事を選択していた。
成人は出来ないだろうと医者からは言われていた。
泣いた日もあった。泣き伏せて己が運命を嘆いた日など、どれだけあったろう。
未来に絶望して、世の全てを恨んでみた事もあったが、それは無意味だった。

故に答えを出してやったのだ。
元来、頭を使うのが苦手だった泉に、取り立てて大層な答えが出せたわけではない。
短い人生ならば人の何倍も濃い人生を送ってやろうと、ただそれだけの単純な答えを出しただけだ。
されど絶望して何もしないよりは、何倍もマシだろうと泉は思った。

己の責任を全て他人に押し付ける連中、
努力しない事を正当化する連中、話にならない甘い連中。
斯様な連中よりも愚鈍でもいい。
楽な生き方を選択出来ない莫迦な人間で構わない。
ただ一生懸命に生きて行こうと思ったのだ。

酷い失敗に泣き出したくなる日々を過ごした。
努力が至らず、挫折と落胆に陥った日々も数多かった。
されど、彼女はその生き方を通したのだ。
愚鈍と嘲笑われながら。

故に現在、死の淵にありながらも、
彼女の中にある感情は断じて悲哀ではなかった。

「私、頑張れたかな……」

周囲は一面の銀世界。
返事を期待して呟いた言葉ではなかった。
されども、その言葉には何者かが応えたのだった。

『……頑張れたのか、泉?』

ひどく懐かしい澄んだ声。
遠い昔、泉の前に現れ、友となった夜叉の声。
彼女は月夜叉。
新月の夜にも顕在する、月の下を往く夜叉だ。
34 :JK [saga]:2012/01/12(木) 20:39:04.73 ID:DE4CuiAp0





久し振りと言葉にしようとしたが、息が詰まって言葉にはならなかった。
どうやら終わりの時間が、相当に近付いているらしい。
月夜叉は泉の斯様な様相を見て首を振り、無表情に泉の隣に腰を下ろした。

『久しいな、泉。変わりないか』

変わりないはずないだろうと、泉は痙攣しているかの如く小さくかぶりを振る。

『そうか』

感情を有していないくせに、月夜叉が残念そうな表情になった様に見えた。
死を間近にしている泉の感傷だろうか。
どちらでも構わないな、と泉は倒れ伏したまま思った。
泉の霞んだ視界ではあっても、十年ぶりに邂逅した月夜叉の姿に変わりは無い。
彼女は何も変わらなかった。
姿も、表情も、口調も。

泉と月夜叉が最後に邂逅したのは数年前だ。
死を恐れ、生に絶望していた際、
超然としている月夜叉と彼女は邂逅した。
それは単なる偶然だろう。
必然など世界には存在しないと泉は考えている。
偶然を大切にしてこそ、人生を大切に出来ると思える。

数年前、生に絶望していた泉を救ってくれたのは、月夜叉だった。
否、月夜叉自体は何もしていない。
泉が一人で悩み、一人で解決しただけだ。
悩むという行為は、既に自らの中で答えが出ているにもかかわらず、
己の臆病な躊躇によって引き起こされているだけの現象に過ぎない。
悩みが生じた瞬間、人間は必ず悩みを解決する手段も分かっているものだ。
要は手段から目を逸らすか否かだ。
それにより悩みが解消されるかどうかが決定付けられる。

月夜叉は、感情がない故に、人間の精神を姿見のように投影させる。
月夜叉と語り合うという行為は、つまり自問自答と同義なのだ。
泉はそれに気付いたからこそ、生への絶望を棄て去る事が出来たのだ。
生への絶望を棄て去った翌日、月夜叉は泉の眼前から姿を消していた。
一瞬の幻影のような月夜叉との日々だった。

月光が。

今宵は照ってはいない。

『しかし、今宵のような雪の日に何をしている』

買い物に行こうとしたんだ、と文句を言おうとしたが泉は言葉を発せられなかった。
仕方なくどうにか動く手で胸を押さえる仕種をする。
月夜叉は訝しげな表情で思念を届ける。

『胸が痛いのか、泉。
そうか。訪れてしまったのだな』

数年ぶりの月夜叉は意外なほどに饒舌だ。
泉は胸を押さえながら、何故か微笑していた。
何故、今宵、月夜叉が自分の眼前に現れたのか、理由は分からない。
夜叉としての特性が死を目前にした泉の気配を察知したのかもしれなければ、
偶さか散歩がてらに放浪している月夜叉が、数年ぶりに泉の町に来訪しただけかもしれない。
35 :JK [saga]:2012/01/12(木) 20:39:47.28 ID:DE4CuiAp0
理由はどうでもよかった。
孤独の死は覚悟していたとはいえ、幾分か寂しいものだ。
死の寸前に古い友人と邂逅できるという事は、恐らくは幸福なのだろう。
故に泉は月夜叉が顕現する理由にこだわりはしない。

月光が。

降り注がない。
今宵は新月。月の見えぬ夜なのだから。

その為だろうか。
十年ぶりという要因もあるかもしれないが、
泉には今宵の雪夜叉がひどく穏やかで優しい天女に見えた。
実際には人を喰らう夜叉だとは分かっている。
されど、それを念頭に置いたとしても、彼女を夜叉だと考える事は出来なかった。

『死ぬのか、泉』

不意に。
穏やかに、静かに、月夜叉が呟いた。
霞む瞳で見た月夜叉の横顔は、無表情ながら何処と無く憂いを帯びている。
月夜叉の質問に頷きつつ、霧がかかったような泉の脳裏に、ひどく突飛な考えが浮かんでいた。
自分でも驚くほどに、意外な考えであった。

もしかしたら、月夜叉は他の誰よりも、生物が死ぬという現実を哀しんでいるのではないか。
感情を持たないが故に哀しみの涙は見せないが、
それでも胸の深い内、胸の奥の遠いところでは、死を哀しんでいるのではないか。
彼女は死なない。夜叉ゆえに死が訪れない。
故に死を最も悼んでいるのではないか。
非人間の非生命体ながら、人間を喰らわねば存在できぬ理不尽。
それを心の奥底では悼んでいるのではないか。
斯様な感情を表現する術を持たないだけなのではないか。
何故だかそう思う。

それは死を目前とした泉の世迷い事に近い考えだった。
されども、その仮定は強ち間違って無くも思える。
勘違いかもしれないが、傲慢かもしれないが、
自分の考えが正しいものだと泉は思いたかった。
仮定が正しいとしたら……。

今宵、恐らく、泉は果てる。
泉は死を自覚して生きてきたのだし、
死自体を拒絶するつもりは毛頭ない。

泉は、幸せだった。
外見に優れてなどいない。
病弱ゆえに高い身体能力も有していない。
虐めや差別の如き扱いも受けてきた。
寿命も幾許かしか残されていなかった。
人間の出来損ないの如き自分がひどく恨めしかった。
周囲の世間全てが歪んで見えたことすらあった。

されど、泉は、確かに、幸せだったのだ。
他人を拒絶して生きていた時分にも、泉から離れなかった友人がいた。
月夜叉という不可思議な友人も出来た。
妹も病弱な姉という迷惑な自分を受け止めてくれた。
泉には数少ないながらも皆が居た。
故に彼女は幸福だったのだ。
36 :JK [saga]:2012/01/12(木) 20:40:14.24 ID:DE4CuiAp0
それ故に死を目前にして泉が思うのは己の事ではなく、周囲の知人の事だった。
自分が果ててしまうのは仕方が無いとしても、遺される家族や知人はどのように変化してしまうのか。
それのみが泉の不安だった。
家族は、己の死を悼むのだろうか。
弱い妹は、自分の死から立ち直れるだろうか。
悩みを抱えていた友人は、一人で悩みを解決出来るだろうか。
勿体無いほどの恋人は、泉を忘れ、彼自身の幸せを考えて生きていけるだろうか。
分からない。死に逝く者には、どうしようとそればかりは分かりようがない。
死んだ者は、遺された者には何もしてやる事が出来ない。
故にそれのみが、泉の不安なのだった。
無論、生命体の死を悼んでいるかもしれない月夜叉を遺す事も含めて、だ。

気が付けば、泉の唇は不思議なほど楽に開いていた。
感覚も殆ど感じないが、震える声で月夜叉に訊ねていた。
死の瞬間がもう間近にまで、迫っているのかもしれない。

「ねえ、お月……。
私が死んだら、皆はどう思うかな? 哀しむのかな?
空は一人でも大丈夫かな……?」

空というのは妹だ。
弱かった妹。弱いながらも、泉を支えてくれた妹だ。
無表情なまま、月夜叉がかぶりを振る。

『泉。幾年か前にも言ったと思うが、お月という呼称は』

「駄目……。アンタはお月……。
いい名前でしょ……?」

痙攣する唇で微笑して泉が呟くと、月夜叉は肩を竦めた。
新月のためなのか、今宵の月夜叉は妙に感傷的に見える。
月光の下ではない月夜叉を、初めて見たせいでもあるかもしれない。

『よしとしよう。ところで、どうしたのだ、泉。
泉が死ぬと家族がどうなるのか気になっているのか』

「まあ……、そうかな……」

すると月夜叉は天女の羽衣のような着物を翻し、泉の身体を軽く支えた。
ひどく呆気なく月夜叉が答える。

『何も……変わらない。変わらないよ、泉』

「変わらない……か」

『人が死のうと、生命体が消えようと、常世は何も変化せぬ。
変化せぬぞ、泉。私は久遠にも似た時間を過ごし続けて知っている。
人が死に、人が哀しんだとしても、人はほぼ何も変わらない。
いずれ人は親しき人の死を忘れ、生きていく』

「少し……、寂しいな」

寂しいと言いながらも、
泉は悲嘆に暮れているわけではなかった。
月夜叉も、長き時間に在ったが故に、泉の考えは分かっていたようだ。
37 :JK [saga]:2012/01/12(木) 20:41:06.58 ID:DE4CuiAp0
『だがな、泉。
人の子は、それで、いいのだ。斯様な存在で、いいのだ。
私はそう思う。人の子は親しき人の死により悲嘆に暮れる。
されど、いつしか親しき者の死を忘れゆく。
それで、否、それがいいのだと、私は思う』

「そうだね……」

世界は決して自分の妄想などではない。
自分が消えた所で、自分の居ない世界は続いていく。
仮に人類が滅亡したとしても、人類の在らない世界は存在し続ける。
何が失われたとしても、他の何かには何の影響も及ぼさないのだ。
自分が在ろうが、在らなかろうが、世界は何の問題も無く続いていくのだ。
いずれ泉の知人たちは泉を忘れるだろう。
泉の記憶を頭の片隅へと追いやるだろう。
何時しか誰の記憶からも泉は消失してしまう事だろう。
それはとても哀しい事なのだろう。
自らの存在が片鱗も残さず消滅してしまうのだから。

されど、同時に嬉しい事でもある。
死があるからこそ、人の子の無意味であるはずの生は、意義のある生へと変化していく。
故に自らの死を遥か長い時間、誰かの胸に置くのは、きっと良くないのだと泉は思っている。
自分が精一杯生きてきたように、妹の空にも生きて欲しいから。
自分の死を負担としてもらいたくはないから。

誰が生きる事も、誰が死ぬ事も大した問題ではない。
それらは単なる自然現象に過ぎない。
故に……。

「お月……」

呟きながら、これが最期の言葉になる、と泉は実感していた。

月光が。

今宵は無い。
今宵は人々を包まない。
されど月は空に在る。
新月の夜も、肉眼に移らないだけで、やはり月は空に在る。

「最期に……、お月に逢えてよかったよ……。
やっぱり一人で死ぬのは……少し」

寂しいから、と言葉に出したつもりだったが、言葉にはならなかった。
発音すら出来なかった。
どうやらここまでらしかった。
意識が闇に染められていく。感覚が遠ざかる。
死がそこまで訪れている。
されど月夜叉は頷いたのだった。
泉の言葉が分かっていたかのように。
そして、
最期に見た、
月夜叉の表情は、
もしかすると、
38 :JK [saga]:2012/01/12(木) 20:41:38.19 ID:DE4CuiAp0





月夜叉は泉を喰らわず、その場に置いて穏やかに歩き去る。
数年来の知人が死に至り、人を喰らう己は遺される。
久遠にも近き年月を月夜叉はずっと斯様にして存在してきた。
己は死を齎す者、死を運ぶ者、死を知る者、されど死のない者。
故に夜を往く。己の存在の理由も分からぬまま人を喰らいながら存在し続けてきた。

されど、己の存在理由を月夜叉は分かりかけていた。
非人間でありながら人間の姿をしている己。
人間の想いを受けながら、感情を有さず人間を喰らい続ける己。
己は恐らく……。
無論、それは仮定に過ぎず、分かった所でどうなるものでもなかった。

だが、一つ言える事がある。

それは月光が。

今宵はない。
今宵は世界に降り注がない。
されど、見えずとも、新月の夜にも月は確かに空に存在している。
同様に月夜叉は存在し続けるのだろう。
如何な時も。見えずとも。視認出来ずとも。
死のある者たちと共に、死の瞬間を過ごすためかの如く。
総てのものに平等に。渺茫たる存在として。
月夜叉は、斯様にして、存在し続けるのだ。

故に今宵も、月夜叉は夜を往く。
夜を往き、死を齎していく。
恐らくはそれもいつかは終わる。必ず終わる。
死の無い存在にも必ず終わりは来る。
いずれは何者もが消失するのだから……。
故にその瞬間をこそ、月夜叉は望む。
望みながら、在り続ける。

彼女は月夜叉。
月、そして死を司る夜叉だ。
39 :JK [saga]:2012/01/12(木) 20:42:41.49 ID:DE4CuiAp0

今回はここまで。
待って頂けていたかどうかは分かりませんが、大変遅くなり、すみませんでした。
まだ続きます。
次は面白おかしい話になる予定です。
40 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(三重県) [sage]:2012/01/12(木) 22:59:45.29 ID:77izVBPUo
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