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東雲なの「ヨコハマ買い出し紀行」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :ねねこ [saga]:2011/12/17(土) 18:44:51.51 ID:JjKvBwFx0
「はかせーっ、阪本さーんっ、
それじゃあ、買い出しに行ってきますねーっ!」

私は家の中に一言声を掛けて、白いヘルメットを被ります。
随分前にはかせが作ってくれたバイクにまたがると、

「ちゃんとおかし買ってきてねーっ!」

「オレの飯も忘れるなよ、娘!」

二人(一人と一匹?)の声が自宅の中から響きました。
いつもと同じ、普段と変わらない、平和な日常だなあ……。
私は嬉しくなって、気が付けば微笑んでしまいます。

「いってきまーす!
戸締まりはちゃんと気を付けて下さいよーっ!」

私がもう一度家の中に呼び掛けると、
「はーい!」というはかせの元気な声が聞こえました。
いまいち頼りないですが、阪本さんも居るから大丈夫でしょう。
それに戸締まりの必要は本当はあまり必要ありません。
こう見えて東雲家の防犯の設備は万全ですし、
この町に居る人達は変わった人も多いですが、いい人ばかりです。
何かがあれば、きっと誰かが駆け付けてくれるはずです。

私はバイクの鍵を回し、エンジンに火を灯します。
はかせが私の誕生日にプレゼントしてくれたガソリン式のバイク。
私もあまり昔の事を知っているわけではありませんが、
見るからに古めかしいデザインの可愛らしいバイクです。
ハイテクな技術を持っているのに、
アナログが大好きなはかせらしいデザインだと思います。
こういうのをハイテクによるローテクの実現……、と言うのだそうです。

はかせらしいなあ、と私が微笑むと、背中のネジが半回転しました。
私が嬉しくなると、少しだけ回転する仕組みになっている私の背中のネジ。
私が生まれた最初の頃こそ不便に思っていましたが、今では結構気に入っています。
たまに一度くらいは仰向けに眠ってみたいなと考える事もありますが、何だかもう慣れました。
それも私の生まれ持ったもの。
生まれ持った個性なんだと思います。
はかせがそこまで考えて私を作ってくれたのかどうかは分かりません。
でも、今は私の背中にネジを付けてくれたはかせに感謝しています。
もしも私が人間と何も変わりの無い姿で作られていたら、
私はこんなにもはかせの近くに居られなかったでしょうから。
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渾沌ゴア「それでもボクはアイツを殺す」 @ 2024/04/25(木) 22:46:29.10 ID:7GVnel7qo
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二次小説の面白そうなクロス設定 @ 2024/04/25(木) 21:47:22.48 ID:xRQGcEnv0
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佐久間まゆ「犬系彼女を目指しますよぉ」 @ 2024/04/24(水) 22:44:08.58 ID:gulbWFtS0
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全レスする(´;ω;`)part56 ばばあ化気味 @ 2024/04/24(水) 20:10:08.44 ID:eOA82Cc3o
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君が望む永遠〜Latest Edition〜 @ 2024/04/24(水) 00:17:25.03 ID:IOyaeVgN0
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笑えるな 君のせいだ @ 2024/04/23(火) 19:59:42.67 ID:pUs63Qd+0
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2 :ねねこ [saga]:2011/12/17(土) 18:45:19.80 ID:JjKvBwFx0
私は小さく頷くとアクセルを捻り、バイクを発進させました。
今日から横浜まで買い出しです。
買い出し期間の予定は二日ほど。
今では習慣になっている買い出しですが、
やっぱり二日間も自宅を空けるのは不安になります。
勿論、二人なら大丈夫なのは分かっていますが、
それでも少しでも二人と一緒に居たいのも私の本当の気持ちですから。
だから、早く二人の傍に戻れるようにちょっとだけ気持ちを急がせて、
でも、心を出来るだけ落ち着かせて、バイクを走らせ始めます。

静かな風が私の頬を叩きます。
凄く爽やかな空気。
排気ガスの臭いが漂ってくる事もほとんどありません。
本当なら喜ぶべき事なんでしょうが、私は何だか寂しいです。
いつもの事ではありますが、
このかなり傷んでいる道路を走っている人は、私以外に居ませんでした。
前からそれほど人通りの多い町ではありませんでしたが、
最近では目に見えて人の数が少なくなってきたように思います。
疎開がかなり進んでいるらしく、
時定町もかなりの人達が高地に移り住んでいるみたいです。
勿論、それは時定町だけの話ではありません。
県境まで辿り着いても、私は誰とも擦れ違う事はありませんでした。

「……っと」

私はちょっと驚いて、走らせていたバイクを停めました。
地図通りに進んでいたはずでしたが、
私の進んでいる道の先には道が無かったからです。
私はバイクから降りて、鞄の中に入れていた地図を取り出して視線を落とします。

「えっと……、此処がこうだから、こうなって……」

時定町からの道筋を丁寧に指で辿り、私が居る場所をしっかり確認。
何度見返してみても、地図通りだと私の居る場所の先には道があるはずでした。
それはどういう事かと言うとつまり……、

「また道路が沈んじゃったんだ……」

肩を落として、小さく溜息。
もう一度、私は前まで道があったはずのその場所に視線を向けます。
道路は浸食が進み、完全に水の底に沈んでいました。
珍しい事ではありません。
世界中、色んな町や島が少しずつ、次々と海の底に沈んでいるのだそうです。
詳しい原因は分かっていません。
温暖化の原因も多少はあるのでしょうが、
それにしたって海面上昇が急激過ぎますし、
南極の氷はまだほとんど残っているという調査結果を聞いた事もあります。
一時期、はかせも調査していたのですが、
はかせにも海面上昇の原因の詳細までは分からなかったそうです。
3 :ねねこ [saga]:2011/12/17(土) 18:47:12.80 ID:JjKvBwFx0
「また地図を書き直さないといけないなあ……」

私はペンを取り出して、地図に×マークを付けます。
ちょっと見回してみると、
地図の上には、もう十個を遥かに超える×マークが付けられていました。
通れる道がかなり少なくなってきた証拠です。
ここの所、海面上昇の影響で道がどんどん無くなって、
物流がほとんど機能しなくなって、物が集まるのは大都市だけになって来ました。
だから、何ヶ月かに一度、
私も横浜まで買い出しに行かなければならなくなりました。
食べる物だけなら自前の畑で何とか賄えるのですが、
はかせの食べたがるおかしはやっぱり大都市でなければ買えませんしね。

「こんな時にまで、ガキは贅沢で我儘放題だな」

買い出しの度、阪本さんが呆れた顔で私に言うのがいつもの事ですが、
そう言う阪本さんも私の買って来る猫缶を楽しみにしているので、人の事は言えません。
どんな時でも相変わらずな私達。
だけど、それでもいいんだって思います。
生きるだけなら何とかなったとしても、
それだけじゃ人は生きていけないものなんだって、そう思いますから。
楽しみや喜びが無いと、生きてる甲斐がありませんよね。
勿論、私も二人の喜ぶ顔が楽しみで、買い出しに行ってる所もあるんですけど。

私は地図を修正し終わると、
新しい道程を頭の中に叩き込み、バイクを回転させて新しい道を目指します。
海面上昇で、人の進める道は沢山無くなりました。
でも、人の作った道はまだ沢山残っています。
人はまだ元気です。
だから、大丈夫です。
私も元気に横浜を目指せます。
はかせ達とも一緒に居られます。
4 :ねねこ [saga]:2011/12/17(土) 18:47:51.87 ID:JjKvBwFx0





「到着」

小さく呟いて、私はバイクから降りました。
半日掛かりましたが、どうにか横浜の国に到着する事が出来ました。
ヘルメットを取り、バイクから鍵を外すと、横浜の町並みをゆっくりと眺めます。
一時期より少なくなりましたが、横浜はまだまだ大都市でした。
買い出しに出て以来、久々に目にする人々の姿に私は安心して微笑んでしまいました。
また背中のネジが回ります。

「おお、奇遇だな。
東雲なのではないか」

急に声を掛けられ、少し驚いて振り返ると、其処には笹原さんが立っていました。
貴族風の服を着ながら肩に米俵を担ぐ笹原さんのその姿は場違いで、私は吹き出してしまいます。
私が微笑んだのを疑問に思ったのか、笹原さんは首を傾げて呟きました。

「どうしたのだ、東雲なのよ」

「あ、いえ……。
お変わりなさそうだな、と思いまして。
でも、本当に奇遇ですね、笹原さん。
今日はどうなさったんですか?」

「見れば分かるであろう。
横浜まで米俵の配達に来た次第だ。
東雲なのも既知の事とは思うが、笹原家は由緒正しき農家故にな」

「ふふっ、そうでしたね。
……お祖父さんとお祖母さんはお変わりありませんか?」

「案ずるな。お二人とも息災だ。
東雲なのこそ変わらぬようで安心したぞ。
そちらは今日は買い出しか?」

「はい。はかせと阪本さんに頼まれた物もありまして。
笹原さんも横浜まで配達なんて大変ですね」

私が言うと、笹原さんは米俵を担いだまま、肩を竦めます。
米俵は相当重いはずなのに、
その笹原さんの様子からは、そんな米俵の重さは一切伝わってきませんでした。
5 :ねねこ [saga]:2011/12/17(土) 18:51:25.65 ID:JjKvBwFx0
「配達自体は問題無いのだがな。
近年は道路が少なくなってきたのが参る。
配達そのものより、通れる道を探し出すのに骨が折れた。
東雲なのも同程度の距離を走って来たはずだが、元気そうではないか。
ロボットの者のその頑丈さは少々羨ましく思えるぞ」

「あははっ、羨ましいですか?
だったら、笹原さんも機械の身体に取り替えてみます?」

「否、遠慮しよう。
生憎、私は祖父母、両親から受け継いだこの身体を気に入っていてな。
東雲なのよ、お互いに生まれ持った物は大切にしようではないか」

そうですね、と私が笑うと、
笹原さんも気持ち良く微笑んでくれました。

「では、東雲なのも息災でな。
さらばだ」

しばらく談笑した後、
笹原さんは両肩に米俵を担いだまま、駐車場から出て行きました。
思わぬ再会に私も笑顔になりながら、当初の目的を果たしにお店に向かいます。

おかしに猫缶、お米に日用品……。
おっと、そろそろ洋服も少なくなってきたし、補充しておかなきゃ。
はかせ、よく服を汚しちゃうからなあ……。
白衣を売ってるお店、まだあるかなあ……。

そうして、ほとんどの買い出しを終えた後、
私は高地に横になって、横浜の国を見下ろす事にしました。
買い出しに出た時、いつもやっている私だけの秘密の習慣です。
見下ろした夕凪の横浜は静かで、たまに見える人々の表情も笑顔でした。
素敵な終わりだな、なんてふと思いました。
6 :ねねこ [saga]:2011/12/17(土) 18:52:12.06 ID:JjKvBwFx0
人の世界はもうすぐ終わってしまうのでしょう。
もうすぐと言っても、
一年後、十年後なんて話じゃなくて、もっと先の話です。
でも、多分、何百年か先には、
海面上昇の影響か、出生率の低下の問題か、
とにかく、この地球から人は居なくなってしまうのでしょう。
それはとても寂しい事ですが……、
こんなに静かに迎えられるのなら、それも悪くないような気がします。
私は……、私はロボットでよかったと思います。
世界がどんなに変わっても、
この身体のおかげで変わらないはかせ達の傍に居られるんですから。
だから……。

高地で野宿をした後、
私は逸る気持ちを抑えてバイクを走らせます。
いつも其処に居る、其処で待っていてくれる私の家族の笑顔を見るために。
ずっと傍で笑い合うために。

辿り着いた自宅の前。
バイクを停めた私は軽く息を吸い込みます。
笑顔になりそうな自分の表情を抑えて、
多分、部屋を散らかしてるはかせと阪本さんを叱る様な感じの表情にして。
でも、心だけは満面の笑顔で。
そうして、大きな声で私の存在を知らせます。

「はかせーっ! 阪本さーんっ!
ただいま戻りましたーっ!」

すぐに開く玄関の扉。
駆け寄って来る二人の家族。

「おかえり、なのー!」

「ご苦労だったな、娘」

私の家族が、私を迎えてくれます。
きっとずっとこんな風に。
私達の時間が終わるまで。
7 :ねねこ [saga]:2011/12/17(土) 18:54:37.77 ID:JjKvBwFx0


何となく思い付いたので書いてみました。
ロボット繋がりです。
ニッチな上に超最終回っぽいですが、まだ続きます。
お付き合い頂ければ、嬉しいです。
8 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/17(土) 19:31:00.24 ID:NK5i5v4ro
>>7
ほう。ヨコハマ買い出し紀行の2次とは珍しい
期待
9 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/17(土) 21:36:15.83 ID:pCoxNfYAO
これはいいものを見つけた。
乙&期待するぜー
10 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/18(日) 05:25:37.02 ID:7uUP0GTt0
>>1

これはまた珍しく、そして懐かしいSS

マッタリを楽しませてもらおうwwwwww
11 :ねねこ [saga]:2011/12/21(水) 20:09:44.26 ID:qNDAGnLp0





「はかせ。
早くオムライス食べちゃって下さいね」

「うん……。分かってる……」

ちゃんと聞いているのかいないのか、
とても適当なはかせの生返事が部屋の中に響きます。
大好物のオムライスなのに、今日のはかせのスプーンは進みません。
スプーンが進まない理由は単純。
さっきまでもっと大好物なおかしを口にしていたからです。
そんなに食べたら昼食がお腹に入らないんじゃないかと思っていたら、案の定。
昼食の時間が始まって数分も経ってないのに、
はかせはお腹一杯で眠そうにしてしまっています。

もう……。
はかせは何度言っても分かってくれないんですから……。

でも、はかせの気持ちも少しだけ分かります。
はかせの大好きなおかし……、
サメチョコが横浜での買い出しで手に入ったのは、本当に久しぶりでした。
物資がかなり不足気味になってきた最近、
メジャーなおかしならともかく、サメチョコみたいなマイナーなおかしは中々手に入りません。
長い間、はかせも我慢していたようで、癇癪を起してしまう事も何度かありました。
だから、久々に手に入ったサメチョコが本当に嬉しかったんだという事は、私にもよく分かります。

かく言う私ですが、私もはかせの事を強くは責められません。
実は先日の横浜の買い出しでは、
私も長く見つからなかった東野圭吾の本が偶然購入出来たんです。
それで昨夜、はかせを寝かし付けた後、徹夜で読んでしまっていました。
結局、はかせも私も同じ事をしてしまってるというわけですね。
ちょっとお恥ずかしいです。

阪本さんも私とはかせの行動が似通ってる事に気付いてるみたいで、
珍しくはかせに文句一つ言わず、静かにこれまた久し振りの猫缶を食べていました。
もしかすると、阪本さんも自分の身を鑑みて、
はかせの事を強く注意出来ないのかもしれません。
どうも、はかせと私どころか、家族三人同じ事をしてしまってるみたいです。
本当はあんまり褒められた事じゃないんでしょうけど……、
気が付けば私の背中のネジが半回転していました。

ですが、オムライスのお米も貴重ですし、
このまま冷やしてしまうのも勿体無い気がします。
仕方が無いから私が食べてしまおうか……、私がそう考え始めた頃の事でした。

「すみませーん、ごめんくださーい」

不意に玄関の方から誰かの声が響きました。
相生さん……?
私は何故かそう考えてしまっていました。
勿論、そんなはずがありません。
玄関から聞こえた声は相生さんのそれとは全然違いましたし、
流石の相生さんでも最近は何の連絡も無く東雲家を訪れる事は少なくなっていました。
だから、訪問者が相生さんであるはずがないのです。

それでも、相生さんが来てくれたと考えてしまうのは、
相生さんと初めて長く話す事が出来た日の事を思い出してしまうからかもしれません。
私がクラスの皆と仲良くなる事が出来た切欠のあの日の事を……。
あの日も、そう、こんな風に相生さんが遊びに来てくれましたから……。
12 :ねねこ [saga]:2011/12/21(水) 20:10:15.50 ID:qNDAGnLp0
「すみませーん!
東雲さーんっ! いらっしゃいませんかーっ?」

私がぼんやり考えてしまっていたせいか、
訪問してくれたどなたかに声を張り上げさせてしまったようでした。

「はーい! ただいま参りまーすっ!」

私は付けていた割烹着を外すと、玄関に向かって駆け出します。
訪問者がどなたであれ、これ以上、お待たせするわけにはいきません。
相生さんの事を懐かしむのは、
訪問者の方と話した後、はかせと布団を並べてからにしましょう。

「はかせも行くーっ!」

さっきまで眠そうにしていたのに、
私の後ろについて来ながらはかせが元気な声を出します。
はかせも珍しい訪問者が誰か気になっているのでしょう。
私は苦笑しながら玄関先まで駆け、静かに玄関を開きながら言いました。

「すみませんー。お待たせしましたー」

「いえ、こちらこそお騒がせします」

玄関の前では私くらいの髪の長さの女の人が、丁寧に頭を下げていました。
初めて見る人です。
外見年齢は私より少し上くらいでしょうか。
丁寧で穏やかそうで、とても大人の人という感じの雰囲気が漂っています。
髪の色は淡い紫。瞳の色は深緑。
その綺麗なコントラストに、私は少し見惚れてしまっていました。

「あの……、何か……?」

私が覗き込んでいた事に気付いたのでしょう。
その人は少し困ったように微笑み、私と軽く視線を合わせます。
私は焦って身体の前で大きく手を振って言いました。

「い……、いえ!
綺麗な髪と瞳の色だなって思いましてですね!
人の顔をじろじろ見るだなんて私、何て失礼な事を……!
すみません。初対面の人にこんな……!」

「いえいえ、お気になさら……」
13 :ねねこ [saga]:2011/12/21(水) 20:10:42.76 ID:qNDAGnLp0
女の人の声が止まります。
やっぱり私の行動を失礼だと感じたのでしょうか。
私は不安になって、その人の顔を少しだけうかがいました。
てっきり不機嫌そうな顔をしているのかと思いましたが、
その人は顔を紅潮させて逆に私の顔を覗き込んでいました。

「あの……、何か……?」

今度は私がその女の人に訊ねる番でした。
その人はその質問には答えず、少し興奮した様子で私に訊ね返します。

「東雲なのさん……ですよね?」

「はい。確かに私は東雲なのと申しますけど……」

「あの……、失礼ですがロボットの人ですよね?」

相生さん達と出会った頃の私なら焦って誤魔化していたかもしれません。
ですが、今の私は自分がロボットである事を隠そうとは思いません。
そうなれたのは、きっと相生さん達のおかげでしょう。
懐かしい人達の顔を思い浮かべながら、私は「はい」と笑顔で頷きました。

途端、女の人は更に顔を紅くして、口早に続けました。

「あの……、あのあの……っ。
私、鷹津ココネと言うんですけど、
まさかこんな所で東雲なのさんに会えるなんて思ってなくて……。
その……、だから、私、今すごく胸がドキドキしていて……!」

女の人……、
鷹津さんはさっきまでの大人っぽい雰囲気が嘘みたいに、
まるで小さな女の子みたいに瞳をキラキラとさせていました。
私と会えて胸がドキドキするってどういう事なんだろう……?
前に中村先生が私と女の子同士で付き合いたいって言ってたみたいな意味なんでしょうか。
あ、いえ、あれは私の勘違いだったみたいですけど……。
鷹津さんに続いて、私も顔を紅く染めてしまいます。

「なのー? お客さんだれー?」

私の後ろで私と鷹津さんのやりとりを待っていたはかせが、
どうにも待ち切れなくなったみたいで顔をひょっこりと出します。
鷹津さんと視線を合わせるはかせ。
瞬間、はかせは楽しそうに微笑んで、鷹津さんを指差しました。

「あ! A7M3だ!
どうしたのー、こんなところで?
ひょっとしてなののともだち?」

A7M3……?
何処かで聞いた事がある気がします。
あれは確か……。
いやいや、それより先にはかせに人を指差しちゃいけないって伝えないと……。
「人を指差しちゃ駄目ですよ、はかせ」と言って、私ははかせの指を折り畳みます。
「えー、なんでー?」とはかせが頬を膨らませましたが、
ここは心を鬼にして「駄目なものは駄目です!」ともう一度注意しました。
はかせはまだ納得してないみたいでしたが、
鷹津さんの事の方が気になるみたいで素直に引き下がってはくれました。
14 :ねねこ [saga]:2011/12/21(水) 20:11:14.21 ID:qNDAGnLp0
私は少し緊張しながら、もう一度鷹津さんの方に視線を向けます。
幸い、鷹津さんははかせの指された事を気にしていないようでした。
ですが、やっぱり少し様子が変です。
鷹津さんは私とはかせの顔を交互に見ながら、
興奮が冷めやらぬと言った感じではかせの手を取りました。

「流石ははかせさんですよね。
そうです。私、普及型のA7M3型機です。
私達の開発に関わった方にお会い出来て、私、光栄です!」

普及型のA7M3型機……、その言葉を聞いてようやく私にも分かりました。
鷹津さんも私と同じくロボットの人であるという事が。
A7系統。
私とは全く異なる方向性から開発されたロボットタイプ。
はかせが開発したわけではありませんが、
若干の技術協力を行った事を前にはかせから聞いた事があります。
道理で鷹津さんは興奮していたはずです。
お母さんとまではいきませんが、
生き別れた親戚と再会出来たくらいの感動を感じているのでしょう。

不意に鷹津さんははかせから手を離して、今度は私の手を取りました。
突然の事に私も急にドキドキしてきます。
鷹津さんは私の顔を覗き込んで、嬉しそうに続けます。

「しかも、東雲なのさんにも会えるなんて、何だか夢見たいです。
あのA7M1以上の伝説の東雲なのさんに……」

何時の間にか私は伝説になっていたようです。
確かに私は鷹津さんより先に作られましたが、
他のロボットの人達に伝説とまで思われてるとは知りませんでした。
あれ……?
じゃあ、私は鷹津さんのお姉さんって事になるのかな……?

「もう……、相生さんったら……。
サプライズがあるって言ってたから、
何かと思ってたら、こんなサプライズがあるだなんて……」

まだ夢を見ているみたいな様子で鷹津さんが呟きます。
え?
相生さん?
鷹津さんは相生さんとお知り合いなのでしょうか?
私が鷹津さんに手を取られながらそれを口にすると、
ようやく落ち着いてもらえたらしく、で鷹津さんが照れ笑いを浮かべて続けました。

「す、すみません、東雲なのさん……。
私、ロボットが開発された経緯に興味があって……、
それで最初期のロボットの東雲なのさんに会えて興奮してしまって……。
あの、それでですね……。
今日此処に来たのはそれが目的ではなくてですね……、
相生祐子さんからお荷物をお預かりしておりまして、それをお届けに……」

相生さんから……。
予想もしてなかった事に、私は何だか嬉しくなってしまいます。
一体、何を送ってくれたんだろう……。
気になりますが、玄関先で立ち話を続けるのも鷹津さんに御迷惑です。
私はとりあえず鷹津さんを家の中に入ってもらおうと思いました。

……思ったのですが、
私がそれを伝えるより先に、はかせが鷹津さんを居間まで招き入れてました。
もう……。
はかせったら……。
15 :ねねこ [saga]:2011/12/21(水) 20:13:28.40 ID:qNDAGnLp0


今回はここまでです。
なのは実際はこんな敬語キャラではありませんが、地の文の特徴付けという事でお願いします。
16 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/22(木) 10:29:22.42 ID:FzH2XLUAO
ココネー――(゚∀゚)――――ッ!!
17 :ねねこ [saga]:2011/12/23(金) 21:24:17.75 ID:nlTltXPW0





私は鷹津さんに日本茶を振る舞い、お部屋に腰を下ろして頂きました。
でも、しばらく、鷹津さんは湯呑みに口を付ける事が出来ませんでした。
久し振りの訪問者に興味津々な様子のはかせに、質問攻めにあっていたためです。
「ゆっことはどこでともだちになったの?」、
「A7M3のみんなはげんきなの?」、
「ココネにネジはつけないの? ネジってかわいいよね?」など、
はかせは鷹津さんに様々な質問をぶつけていました。
困り気味に苦笑しながらも、鷹津さんは丁寧にはかせのそれらの質問に答えてくれました。
優しい大人の女の人だなあ、と改めて感心させられてしまいます。

こんなにはしゃいだはかせの姿は、何だかとても久し振りに見た気がします。
海面が上昇し、交通の便が悪くなってから、
東雲研究所を訪ねてくれる人はかなり少なくなりました。
だからこそ、いつも元気ですが寂しがりなはかせにとって、
数少ない訪問者の方はそれほど嬉しいものなのでしょう。

勿論、嬉しい気持ちなのは私も同じでした。
まだ私達の事を気に掛けてくれる人が居るという事は嬉しいですし、
すごく久し振りに見るロボットの人とお話し出来るなんて、胸がドキドキしてしまいます。
私とは全く異なる系統のA7M3型のロボットの人……。
どんな方なのでしょうか……?

「ねーねー、ココネー」

鷹津さんの膝に乗りながら、はかせが無邪気に訊ねます。
幼い子の扱いに慣れていないのか、
少し戸惑った様子ながらも鷹津さんは穏やかに訊ね返しました。

「どうしたんですか、はかせさん?」

「ゆっこからのにもつってなに? はかせ、すっごい気になるんだけど」

「ゆっこ……、あ、はい、相生祐子さんですね。
ちょっと待ってて下さいね。鞄の中に入ってますので……」

言いながら、鷹津さんが自分の鞄の中に手を入れます。
一瞬後には、相生さんからの届け物が鷹津さんの手に持たれていました。
それは包み紙に梱包された十センチ四方くらいの小さい箱でした。

「わーい! 何だろー?」

箱を鷹津さんから受け取ったはかせは、
包み紙をビリビリに破りながら梱包された箱を露わにしていきます。
あああ……、後でお掃除しないと……。
私の思いを余所に、はかせは楽しそうに包み紙を破り終えます。
そうして、はかせが開いた箱の中には……。
18 :ねねこ [saga]:2011/12/23(金) 21:25:13.69 ID:nlTltXPW0
「サメだーっ! カッコいい!」

はかせが喜びの声を上げます。
勿論、箱の中に本物のサメが入っていたわけではありません。
それは北海道のお土産の木彫りのクマさんのサメバージョンの模型でした。
とても写実的な木彫りのサメさんです。
見事な一品でしたが、私は不意に思いました。
このサメ、一体、何処で購入されたんでしょうか?
少なくとも私はこんな木彫りのサメが市販されているのを見た事がありません。

不意に。
私はある人の事を思い出しました。
ひょっとしたら、この木彫りのサメはあの人が……。

私は軽く鷹津さんに視線を向けます。
鷹津さんははしゃぐはかせの姿を微笑ましそうに見守っていましたが、
私の視線に気付くと、「あ、そうでした」と少し申し訳無さそうに呟きました。

「すみません、東雲なのさん。
興奮してしまったせいか、重要な事を忘れていました。
東雲なのさん宛てにも、相生祐子さんからメッセージをお預かりしているんです。
東雲なのさん、受け取って頂けますか?」

その瞬間、私の顔は輝くくらいの笑顔になっていたと思います。
相生さんからメッセージを頂けるなんて、嬉しくて胸が高鳴ります。
高校の同級生で、臆病だった私の心を開いてくれた相生さん。
相生さんは元気にしてらっしゃるのでしょうか。
ドキドキしているのか、ワクワクしているのか、
とにかく胸の高鳴りを強く感じながら、
私は「はい、是非!」と鷹津さんの前に手を差し出します。

でも、数秒待っても、
鷹津さんは私に相生さんのメッセージを渡してくれませんでした。
あれ……?
私、何か間違っちゃったのかな……?
私が首を傾げると、鷹津さんは何かに気付いたらしく、軽く自分の手を叩いて言いました。

「重ね重ねすみません、東雲なのさん。
ご説明が足りていませんでしたね。
『私の中』に相生さんからのメッセージをお預かりしておりますので、
こちらから『直接』東雲なのさんにお送りさせて頂きます。
伝説の東雲なのさんにご転送するなんて、私も緊張しますけど、よろしくお願いしますね」

説明して頂いても、私はまだ鷹津さんの言葉の意味が掴めませんでした。
直接ってどういう事なんだろう?
そうやって更に私が首を捻っていると、はかせが何でも無い事の様に言いました。
19 :ねねこ [saga]:2011/12/23(金) 21:26:04.85 ID:nlTltXPW0
「なのなの。ちょくせつってのはちゅーなんだけど」

「ちゅー……?」

「だから、なのとココネがちゅーするとデータが送れるんだけど」

「えっ?」

はかせが何を言っているのか、私にはしばらく分かりませんでした。
ちゅー?
まさかネズミの泣き真似をするって事では無いでしょうし。
じゃあ、ひょっとして……。

「ええええええええええっ?」

私は部屋全体が揺れるくらいの大きな声で叫んでしまいます。
ダンボールの中でお昼寝をしていた阪本さんも私の声で起こしてしまっていました。
ですが、今はそんな事を気にしている余裕はありませんでした。
『ちゅー』が『チュー』である事にようやく気付いた私は、
さっきまでと全然違う胸のドキドキで顔が熱くなるのを感じていました。
そういえば前にはかせから聞いた事があります。
ロボット同士でキ……、唇を合わせるとデータの転送が出来るという話を。
その時は、どうしてわざわざそんな機能を、と思ったくらいでした。
そんな機会も無いだろうと思って、それっきりすっかり忘れていたんです。
まさか無いだろうと思ってたその機会が本当にやって来るなんて……。
しかも、全く違う系統のロボットの鷹津さんにも、同じ機能があるだなんて……。

「はかせー?」

私は恨めしい視線をはかせに向けました。
不意に思い付いた事があったからです。
そもそも最初期のロボットである私の機能が、
別系統の鷹津さんにも備わっているという事はつまり……。
はかせは腰に手を当て、鼻高々に私の質問に応じます。

「A7のちゅーの機能ははかせがたのんでつけてもらったのです!」

「どうしてそんな機能を標準装備にしたんですか!」

「かわいいから!」

「可愛くないです!」

「ロボットどうしのちゅーってかわいいんだけど!」

「可愛くないですってば!」

「先生もかわいいって言ってたんだけど!」
20 :ねねこ [saga]:2011/12/23(金) 21:26:38.89 ID:nlTltXPW0
こりゃ駄目だ……。
私は肩を落として、その場に崩れてしまいます。
先生というのは、多分A7系統の開発者の方の事なのでしょう。
つまり、はかせの独断ではなく、
A7系統の開発者の方もロボット同士のチューの推進に積極的だったわけです。
本当に何を考えてるんでしょう、ロボットを開発する人は……。

「東雲なのさん……?」

鷹津さんが困った様子で私の顔を覗き込みます。
その様子を見る限り、
鷹津さんは唇を合わせてのデータ送信にあまり抵抗を持っていないようでした。
単なる口づけを恥ずかしく思う私が変なのでしょうか?
でも、ロボット同士、しかも、女の子同士でキ……キキキ、キスなんて……。
念のため、私は鷹津さんに確認してみます。

「あの、鷹津さん……?
それ以外の手段でメッセージの送信は出来ないんですかね……?」

「すみません。私もメッセージの内容までは分からないんです。
お客様のプライバシーなどにも関わりますから。
ですから……」

「ロボットどうしのちゅーかわいいよ!」

鷹津さんの言葉を後押しするみたいに、はかせが右手を掲げて笑います。
もう駄目だ……。
すごく複雑な気分でしたが、私は心を決めました。
このまま押し問答を続けても鷹津さんにご迷惑でしょうし、
少しでも早く相生さんのメッセージを受け取りたい私が居るのも事実でした。
大きく溜息を吐きます。
それから高鳴る鼓動を少しだけ抑えて、私は鷹津さんの目の前に顔を差し出しました。

「わ……、分かりました。
それじゃ……、お願いしまひゅ!」

最後は噛んでしまいました。
鷹津さんはそんな私の様子を見ながら穏やかに微笑むと、
「それじゃ、行きますね」と私の唇と自らの自分を重ねました。
それから、ほんの少しだけお互いの舌先を絡めます。
チリッ、と軽い電流が身体に奔る感覚。
これまで存在していなかった言葉が自分の中に突然生じる不可思議な現象。
これがロボット同士のデータの交換なのでしょうか。
意外にも恥ずかしさは何処かに飛んで行ってしまっていました。
私はただ初めて感じる不思議な感覚に身を任せていました。

私と鷹津さんは唇を離します。
舌を触れ合わせていたのは、一秒にも満たなかったのでしょう。
それでも、多くの情報を交換出来た長い一秒間でした。
また、小さく嘆息。
気が付けば懐かしい相生さんの声が私の頭の中を駆け巡っていました。
21 :ねねこ [saga]:2011/12/23(金) 21:28:22.83 ID:nlTltXPW0


今回はここまでです。
百合フラ……いや、何でも無いです。
22 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/24(土) 12:30:14.96 ID:+ZZtVEzAO
本編でもあれは衝撃を受けたものよ……
23 :ねねこ [saga]:2011/12/25(日) 14:47:09.74 ID:tGt6yZ4s0





やっほー、なのちゃん、はかせ、久し振り。
ゆっこです。
たまたまムサシノ宅配便のココネちゃんとお友達になって、
ココネちゃんがロボットの人だと言うので、
なのちゃんにメッセージを送ってもらう事にしました。
私、手紙は書けないけど、
こういう形ならいくらでもメッセージを送れるから不思議だね。

なのちゃんもはかせと阪本と元気にしてる?
こちらはココネちゃんと友達になった以外はほとんど変わらず元気にやってます。
家の片付けをしたり、たまにみおちゃんの漫画を読んだりして、毎日が面白いよ。
そっちも変わらず元気だと嬉しいです。

送ったサメなんだけど、
家の片付けをしている時に倉庫から見つかったものなんだ。
多分、麻衣ちゃんが家に忘れていった物だと思うんだけど、
はかせへのプレゼントのつもりで作っていた物だと思うから、
はかせへのサプライズなプレゼントにします。
麻衣ちゃんもそっちの方が喜ぶと思うので、
麻衣ちゃん的にもサプライズなプレゼントという事で。
テレビの上にでも飾って、私や麻衣ちゃん、
みおちゃんの事なんかをたまに思い出してくれると嬉しいな。

あ、それでココネちゃんなんだけど、
ココネちゃんは自分が開発された理由や、
ロボットの意味なんかに興味があるみたいです。
伝説的なロボットのなのちゃんに憧れてるみたいだし、
迷惑じゃなかったら仲良くなってあげてほしいな。
ちょっと固い所もあるけど、
優しくて思いやりがある子だから、なのちゃんとは気が合うと思います。
ロボットの開発された理由や意味なんかは、
なのちゃんの考えてる事をそのまま伝えてくれればオッケーだよ。
私達だって、自分が生まれた理由なんか分からないもんね。
それでいいんじゃないかなと思います。

あんまり長いメッセージになるのも何だし、
今回のメッセージはこれでおしまいにするね。
もしまた機会があったら、はかせや阪本と一緒に家まで遊びに来てね。
麻衣ちゃんも私も楽しみに待ってます。
それじゃあ、またね。


ゆっこ
24 :ねねこ [saga]:2011/12/25(日) 14:47:52.75 ID:tGt6yZ4s0





相生さんのメッセージが終わりました。
自分の事より、周りの皆の話の方が多い相生さんらしいメッセージでした。
私ははかせが嬉しそうに撫でている木彫りのサメに視線を向けます。
水上さんが彫った木彫りのサメ。
掴み所の無い不思議な人でしたが、水上さんははかせと仲が良かったようでした。
勿論、私にもよくしてくれました。
と。
不意に私は思い出します。
長野原さんに三人で送った手作りの券の事を……。

「なのなの、どうしたの?
お腹痛いの?」

私の視線に気付いたはかせが私の顔を心配そうに覗き込みます。
どうやら眼の端に涙が少し滲んでしまっていたようでした。
「大丈夫ですよ」と私ははかせに笑いかけました。
はかせはまだ心配そうな顔をしていましたが、
私の背中でネジがゆっくり回っているのを見つけると、ほっとした感じに微笑みました。

「それより、はかせ。
その木彫りのサメ、水上さんからはかせへのサプライズプレゼントらしいですよ。
良かったですね。後でテレビの上にでも飾りましょうね」

「はかせへのプレゼント?
やったーっ!」

またはかせが嬉しそうにサメを撫でます。
嬉しいのは私だって同じです。
皆、長く会ってないのに、まだ私達の事を憶えてくれてるんだ……。
それが嬉しくて、私の背中のネジがクルクルと回り続けました。

ふと私は鷹津さんの視線に気付きます。
気が付けば、鷹津さんは静かに私の表情を見ていました。
不思議そうな……、戸惑ったような……、そんな視線でした。
鷹津さんがどうしてそんな視線を私に向けているのか、私にも何となく分かります。
多分、ロボットなら一度は必ず考えてしまう事を、鷹津さんは考えているのでしょう。
私は軽く微笑んで、鷹津さんに訊ねてみます。

「どうかしましたか、鷹津さん?」

「あっ、えっと……、あの、すみません、東雲なのさん……。
失礼だとは思うんですが、つい東雲なのさんが気になってしまいまして……」

「その東雲なのさんっていうのはやめません?
フルネームで呼ばれる事なんてあんまり無いんで、何だか背中がくすぐったいです」

「でも、私にとって東雲なのさんは東雲なのさんですし、他にどうお呼びしていいのか……」
25 :ねねこ [saga]:2011/12/25(日) 14:48:32.13 ID:tGt6yZ4s0
鷹津さんの言葉に、私はちょっと苦笑してしまいます。
困った事ですが、鷹津さんの言う事も一理あるな、と考えてしまったからです。
光栄なのかどうなのか、鷹津さんは私を伝説のロボットと考えているみたいです。
確かにそれはフルネームで呼ぶ事しか出来ない気もします。
例えるなら、歴史上の人物を苗字だけか名前だけで呼ぶ事は無いという感覚でしょうか。
足利尊氏を苗字だけで足利さんとは普通呼びませんしね。
私は小さく溜息を吐いて、もう一度鷹津さんに向かって微笑み掛けました。
ここはロボットの先輩の私が折れなければいけない所です。

「それでは私もココネさんとお呼びしますから、
鷹……ココネさんも私の事をなのと呼んで頂けませんか?
そちらの方が呼ばれ慣れていますし、私もその方が嬉しいです」

「……は、はいっ。
わ、分かりました、なの……さん」

まだぎこちない様子でしたが、鷹……ココネさんはそう言ってくれました。
気軽に呼んでもらえるようになるには時間が掛かるかもしれませんが、
それはお互いに少しずつぎこちなさを払拭していければいい事だと思います。
特に今は世界の黄昏の時代……。
のんびり、ゆっくりと生きていける時代なんですから。

「ところでココネさん、どうしたんです?
私の何が気になるんでしょう?」

少し意地悪かと思いましたが、私はココネさんに訊ねました。
本当はココネさんが私の何を気にしているのかは私も分かっています。
でも、これは多分、ココネさん自身が口にして、自覚するべき事だと私は思うんです。
ココネさんは視線を伏せて、自分に言い聞かせるみたいに呟きました。

「あ、はい……。えっとですね……。
し……、いえ、なのさんの表情がすごく自然で、それにびっくりしてしまって……。
すみません。何だか失礼な事言ってますよね、私……」

「自然……ですか?」

「はい……。
実は私、なのさん以外にも最近お知り合いになった方が居るんです。
その人もアルファさんって名前のロボットの人なんですけど、
まるで人間の人みたいに表情も仕種も自然な人で……、そこに憧れてて……。
私だけ何か違うのかなって変な事考えてしまって……。
自然に自分を表現するにはどうしたらいいんだろう……」
26 :ねねこ [saga]:2011/12/25(日) 14:49:48.54 ID:tGt6yZ4s0


今回はここまで。
そろそろ新しい話に入りたい所です。
27 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/25(日) 14:52:12.30 ID:k8SczpS7o
お疲れです

何かコミックを読み返したくなってきた
アニメでもいいけど

次の更新をwwktkして待ってます
28 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/25(日) 20:44:31.96 ID:ON/lCUKRo
乙。

>>27
ヨコハマ買い出し紀行は旧版は絶版してるけど、最近新版がでたからそっちの方なら集めやすいよ!
でもカバーに付いてた4コマ漫画はないのが残念なところ。
29 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/25(日) 20:46:53.19 ID:ON/lCUKRo
乙。

>>27
ヨコハマ買い出し紀行は旧版は絶版してるけど、最近新版がでたからそっちの方なら集めやすいよ!
でもカバーに付いてた4コマ漫画はないのが残念なところ。
30 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/25(日) 20:47:41.69 ID:ON/lCUKRo
スマン、なんかブラウザがおかしくなった。
31 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/25(日) 22:53:09.52 ID:ssaiQIFDo

アルファさんもちゃんといるのな、よかった
32 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/25(日) 22:56:48.35 ID:k8SczpS7o
>>28
いや、コミックもDVDも持ってるんだけどさ
これって、なんつうか余裕がないときに斜め読みしようとは思わないんで、時間のあるときに集中して読みたい
今がチャンスなのかもな



>>31
同意。アルファさん萌え〜
33 :ねねこ [saga]:2011/12/29(木) 20:02:31.37 ID:BSON+2tX0
迷っている姿を見せながら、ココネさんはそう言います。
自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、迷っているんだと思います。
ちょっとだけ私は昔の事を思い出しました。
普通の女の子に憧れて、背中のネジを取りたくて仕方が無かった頃の昔の私の事を。
ココネさんも昔の私と同じ様に、
ロボット側ではなく、人間側に生きたいと考えているのでしょう。
だって、私達はロボットで……、
でも、ロボットと言うには、外見も心も人間に似過ぎていて……。
だから、私達は迷ってしまいます。
ロボットとして生きればいいのか、人間として生きればいいのか、
何も分からなくなくなっしまってて、同じ所をぐるぐる回ってしまいます。
それが恐くて、一人ぼっちで閉じこもっていただけなら、今も私はそのままだったでしょう。

でも……。
私には大切な人達が居ました。
大切な事を教えてくれた友達が居ました。
だから、私はココネさんに伝えたいと思います。
私の友達が教えてくれた、私達の在り方を。

「ココネさん」

「あ、すみません、なのさん……。
初めてお会いした方に、
しかも、私達の始祖とも言える方にこんな個人的な悩みを……」

「いいんですよ、ココネさん。
何でも話して下さい。ココネさんの悩み、私にもよく分かりますから」

「なのさんにも……?」

ココネさんが不思議そうに首を傾げます。
伝説のロボットである私がそんな悩みを抱えていたなんて、
夢にも思っていなかったのかもしれません。
でも、私は別に伝説になるほどのロボットではありませんし、
ココネさんほど深く真剣に自分の存在について考えていなかった様に思います。
あの頃の私は背中のネジさえ取れれば、普通の女の子になれると単純に考えていました。
ココネさんの様に自然に自分を表現する方法なんて、考えた事もありませんでした。
それだけで、ココネさんはもう大丈夫なんだと私は思います。
私はココネさんに軽く微笑み掛けました。
34 :ねねこ [saga]:2011/12/29(木) 20:02:58.90 ID:BSON+2tX0
「悩まないで、なんて私には言えません。
悩んでいいんだと思いますよ、ココネさん。
自分がロボットっぽく生きたいのか、人間っぽく生きたいのか、
それを真剣に悩めるのが、ココネさんらしさなんだと思いますよ。
それで最終的にどんな答えが出たとしても、
ココネさんはココネさんなんですし、それでいいんじゃないでしょうか」

「私らしさ……」

ココネさんは自分に言い聞かせるみたいに呟きます。
すぐには実感出来ない事だとは思います。
簡単に結論の出せる悩みでも無いでしょう。
でも、真剣に物事を捉えられるという個性を持つココネさんなら、
いずれかはきっと自分自身でも納得出来る答えを見つけ出せるはずです。

「なに言ってんの、なの?
ココネはココネだし、なのはなのだし、はかせははかせなんだけど」

はしゃいでいる内にお腹を減らしたのか、
オムライスを食べながら、はかせが何でもない事の様に言いました。
あんまりにも単純であっさりしたはかせの言葉。
でも、その分、そのはかせの言葉は私達の心に響いて……。

「そう……ですよね。私は私……なんですよね」

小さく微笑みながら、ココネさんが呟きました。
勿論、ココネさんの悩みが、完全に消えて無くなったわけではないでしょう。
これからも何度も迷って、立ち止まる事も何度もあるでしょう。
私がそうであったように。
だけど、大丈夫。
私に友達が居た様に、ココネさんにも心に残る誰かが居るみたいですから。
35 :ねねこ [saga]:2011/12/29(木) 20:03:35.13 ID:BSON+2tX0
「なのさん」

不意にココネさんが私の方に視線を向けました。
その瞳は自信が無さそうながらも、少しだけ強い光が灯っているように見えます。

「私、やっぱりもう少し考えてみたいです。
私達が何だったのか、何なのかをもう少しだけ……。
もしも答えが出せたら、また此処に来てもいいですか?」

「はい、その時は是非。
勿論、用事が無くても来て頂いて構いませんよ。
私もココネさんと話したい事が沢山あります。
私達が生まれた理由だけじゃなくて、
美味しいお茶やごはんの事、日常の中にあった何でもない事のお話なんかも」

「あ、お茶ではないんですけど、
私、いいコーヒー屋さんなら知ってますよ、なのさん。
さっき話したアルファさんって方なんですけど、
素敵なカフェをやってらっしゃるんですよ。
『カフェアルファ』って名前の本当にいいお店なんです。
アルファさん自身も素敵な人で、いつかなのさんにもご紹介したいです。
是非、一度訪れてみて下さい」

急にココネさんの顔が輝き、言葉も早くなりました。
ココネさんが心配するまでもなく、
その顔はココネさん自身の気持ちと想いを自然に表現していました。
きっとそのアルファさんという人が、ココネさんの心の中に居る大切な人なのでしょう。
よかった、と私は胸を撫で下ろします。

それにしても、少し固い所のあるココネさんをこんなに饒舌にさせるなんて、
そのアルファさんという方はどういうロボットの人なのでしょうか。
ココネさんの言葉通りなら、自分を自然に表現出来る自然体の方なのでしょう。
相生さんみたいな人なのかな?
何だかとても興味が湧いて来ました。
いずれはかせと一緒にその『カフェアルファ』というお店に行ってみたいと思います。

ただ、一つ問題がありました。
オムライスを頬張るはかせに私は軽く訊ねてみます。

「はかせ、コーヒー飲めますか?」

「コーヒーって苦いからわけが分からないんだけど」

言い様、はかせが私から視線を逸らしました。
やっぱり苦い飲み物は駄目なんだ……。
そういえば、私もあまり自分からコーヒーを飲んだ事がありません。
精々、お中元などで頂いた時にたまに飲むくらいです。
こんなコーヒー初心者の私達が、
そんな素敵なカフェに行ってもいいものなのでしょうか?

少し不安になって視線を向けると、
「気取ったお店ではないですし、きっと歓迎して頂けますよ」と、
ココネさんはまたとても嬉しそうに微笑んでから言ってくれました。
そうして微笑む表情はやっぱりとても自然で、
ココネさんの中にアルファさんという方が居る限り、
いつかココネさんは自分自身で満足いく答えが出せるはずだと私は思いました。
36 :ねねこ [saga]:2011/12/29(木) 20:05:24.30 ID:BSON+2tX0





【少しだけむかしのはなし ――関口ユリア】


部長と会うのはちょっと久し振りだった。
海面上昇の影響で疎開する友達の手伝いや、実家との話し合いなんかで、
私は囲碁サッカー部の人達と会う機会や時間はほとんど無くなっていたからだ。
勿論、会いたくなかったわけじゃない。
でも、忙しさを理由に、何となく会えなかった。
私は多分、部長の事が好きだと思う。
好きだけど……、好きだから……、
こんな時期に部長に迷惑を掛けちゃいけない気がした。
特に部長は大工財閥の御曹司だ。
世の中が騒がしい時期に私に構っている時間なんて無いだろう。
そう思っていた。

突然、部長に呼び出されたのは昨日の事だ。
「明日、囲碁サッカー部の部室に顔を出してくれ」とだけ電話口で言われ、
私はこうしてほとんど使われる事もなくなった部室で本を読みながら部長を待っている。
部長はまだ来ていない。
これはいつもの事だからいいけれど、私は高鳴る自分の胸の鼓動を止められない。
愛の告白……という事はあの部長だから無いだろうな。
でも、だとすると、部長は私に何の用があるんだろう。
ひょっとすると、また変な遊びを思い付いたんだろうか。
囲碁サッカーなんて突拍子も無い事を考える人だ。
また不思議な遊びに私を付き合わせようとしているのかもしれない。
それでもよかった。
こんな時期でも私の事を憶えていてくれたなんて、それだけで私は幸せだ。

「ごめんごめん。待たせたな、関口」

急に部室の扉が開いて、部長が部室に飛び込んで来た。
久し振りに見る部長の顔は飄々としていて、いつもと何も変わらなかった。
私は安心して顔が綻びそうになったけど、
それを気取られないように本に視線を向けながら呟いた。

「お久し振りです、部長」

「久し振り、関口。
最近、関口と会えなくて寂しかったよ。
関口は元気にしてたか?」

「はい。変わりはありません」

「そりゃよかった」

笑って、部長は定位置となっている自分の椅子に腰を下ろした。
軽く伸びをすると、言葉を続ける。
37 :ねねこ [saga]:2011/12/29(木) 20:12:57.82 ID:BSON+2tX0
「本当は電話で話してもよかったんだけどさ、
大切な話だから関口とは直接話したかったんだよな」

「大切な話……ですか?」

心臓が高鳴るのを感じる。
顔も少しずつ赤くなってきていると思う。
経験から言って、この後に愛の告白なんかが待ってるわけじゃない事は分かってる。
けれど、何度経験しても、思わせ振りな部長の振る舞いには胸が高鳴ってしまう。

「実は囲碁サッカーの事なんだが……」

『囲碁サッカー』という単語が部長の口から出た瞬間、私の胸の高鳴りは治まった。
やっぱり、そういう事だったのだ。
でも、がっかりしたと言うよりは、ほっとしていた。
急に部長の口から私達の関係の発展を望む言葉が出ても、私はどうしたらいいか分からない。
どうしたらいいのか分からないのに……、
それから部長は私の顔をもっと真っ赤に染める言葉を口にした。

「関口、オレと二人で囲碁サッカーの新しい時代を創らないか?」

「部長と二人で……? どういう事ですか……?」

「実はさ、関口。
ニュースなんかで観て知ってると思うけど、もうすぐでっかい飛行機が出来るんだよ。
聞いた事くらいあるだろ?
海面上昇で地上に住む所が無くなる前に、でっかい飛行機に移り住もうって計画。
これなら陸地が完全に無くなっても平気ってわけだ。
その代わり、一度飛んだら二度と降りて来れないらしいんだけどな。
実はオレの家も少しその計画に関わっててさ、
どうもオレがその飛行機に乗る事になりそうなんだよ。
開発に関係した一族の誰かが、
もしもの時のために最低一人は乗っておけってんだってさ。

別に嫌ってわけじゃないんだけどな。面白そうだし。
でも、一人だけでってのも寂しいだろ?
もう二度と降りられないらしいけんだど、
関口、オレと一緒に来てくれないか?
二人でその飛行機の中に囲碁サッカーを流行らせようぜ。
まだどんな競技か完全には分かってないんだけど、
桜井くんに貰った本もあるから何とかなるだろ。
何だったら子供達にみっちり教え込んで、
最終的にはその飛行機全体を囲碁サッカー一色に染め上げるってのも面白いと思わないか?」

子供……?
ひょっとして私と部長の……?
いやいや、私は何を考えてるんだ。
部長は単に、長い時間が経った後、
その飛行機の中で生まれた子供達に、囲碁サッカーを教えようって言ってるだけだ。
そうに決まってる。
そう考えながらも私は顔を赤く染めてしまって、同時に顔が青くなるのも感じていた。
でっかい飛行機に移り住もうって計画……。
計画自体はニュースで観て知っていたけど、
自分には関係が無い事だろうと思って気にしてなかった。
でも、まさか部長がその飛行機に乗る事になるなんて……。
38 :ねねこ [saga]:2011/12/29(木) 20:13:38.32 ID:BSON+2tX0
部長はもう二度と降りて来れないと言っていた。
つまり、その飛行機に乗らなければ、私は部長と二度と……。
二度と……。
それを想像するだけで息が詰まった。
涙腺から涙が溢れ出しそうだ。
でも、そんな顔を部長に見せるわけにもいかない。
私は開いた本の中に顔を突っ込んで、
震える声に気付かれないように静かな声で訊ねてみた。

「部長」

「何だ、関口?」

「その飛行機の中で、部長は何をするんですか?」

「特に何もしないよ。
強いて言えば、生きるって事かな?
生きる事がその飛行機に乗った人達の役目だからさ。
勿論、それだけじゃ退屈だから、囲碁サッカーを広めたいんだけどな」

「……そうですか。
そういえば、その飛行機の名前って何でしたっけ?」

「えっと、何だったかな……?
確か『ターポン』って名前だったと思うけど……」
39 :ねねこ [saga]:2011/12/29(木) 20:15:11.72 ID:BSON+2tX0


今回はここまで。
視点変えをやってしまいましたが、その分いい話に出来るよう頑張ります。
40 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/29(木) 20:27:35.56 ID:ibCqfIx9o


まさかターポンに乗るんじゃないだろうな
41 :ねねこ [saga]:2011/12/31(土) 19:38:07.46 ID:KJ6fpoue0





お買い物袋を持って、私はでこぼこの道を歩きます。
道路の補修がされなくなって長い時間が経ちます。
道がでこぼこなのも、仕方が無いと言えば仕方が無いですよね。
随分前、まだ町のあちこちで工事が見られた時には、
何を工事しているんだろう、といつも首を傾げていたものですが、
主には道路のコンクリートの補修をしてたんだなあ、と今更ながら気付きます。

出っ張りや覆い茂る草に足を取られないよう気を付けながら、
私は何度も通った懐かしい道を歩いて行きます。
私のかけがえの無い三年間を過ごした学校への通学路を、久し振りに自分の足で踏み締めて。
眼を閉じれば、今でも鮮明に思い出せます。
自分がロボットである事がばれるのが嫌で心を閉ざしていた私に、声を掛けてくれた相生さん。
漫画を描く事の難しさや楽しさを教えてくれた長野原さん。
私だけでなく、はかせとも仲がよく遊んで下さった水上さん。
ウサギの耳みたいな可愛らしい大きなリボンを着けていた安中さん。
そのクラスメイトの皆さん以外にも、私によくして下さった皆さんの事や……。
桜井先生に誘われ、何度か参加する事になった囲碁サッカー部の活動の事……。
はっきりと思い出せます。
それはきっと私の胸の中の、大切な大切な宝物。
絶対忘れたくない思い出です。

私が今日学校に向かっているのは、
当然ですが授業を受けるためではありません。
学校自体はまだ機能していて、
五十人くらいの生徒さんが通っているそうですが、私はもう生徒ではありません。
それでも私が学校に向かうのは、お買い物のためです。
今日のお昼、物資運搬のために飛行機が学校に着陸するらしい、と近所の方に教えて頂きました。
この周辺で安定した空間がある場所と言えば、やっぱり学校のグラウンドになるのでしょう。
それほど広いスペースではありませんが、小型の飛行機くらいなら着陸できるはずです。

運搬される物資にも興味がありますが、
それ以上に興味があるのはその飛行機の事でした。
よく考えてみれば、私は間近で飛行機を見た事はそれほど多くありません。
何だか楽しみです。
安中さん風に言えば、
今日は間近で飛行機が見られる。飛行機なんてあんまりよく見た事が無いから今日はすっごく楽しみだ。
という感じでしょうか。

少し笑顔になりながら、私はとても久し振りに学校の校門を潜ります。
改修工事が滅多に行われる事がなくなったので、
壊れたままの箇所もありましたが、それでも私の大好きだった学校の面影は完全に残っていました。
少なくとも周囲の建物よりは、遥かに原形を留めています。
きっと生徒さんや教師の皆さんが、大切に使ってらっしゃるのでしょう。
私の大切な物を、知らない誰かが大切にしてくれるという事は、何だかとても嬉しいです。
私の背中のネジが軽く廻るのを感じます。
42 :ねねこ [saga]:2011/12/31(土) 19:38:33.25 ID:KJ6fpoue0
と。
急にそのネジの動きが止まりました。
私の嬉しい気持ちが無くなってしまったわけではありません。
誰かにネジを軽く掴まれてしまったからです。
一瞬、前に私のネジを外した事がある女の人……、
あれから随分後になって、長野原さんのお姉さんだったという事を知ったあの人の事を思い出しました。
ちょっとだけ不安になって、私は背中の方に視線を向けてみます。
幸運にもと言うべきなのでしょうか。
私のネジを掴んでいたのは、
長野原さんのお姉さん(確かお名前は長野原よしのさん)ではありませんでした。

「久し振りだな、東雲」

男の子みたいな服装をした小柄なその人が、私に軽く笑い掛けてくれました。
少しだけほっとして、私も笑顔になってしまいます。
其処に居たのは、今でも時定市に住んでいる数少ない私のお知り合いでした。

「お久し振りです、中村先生」

そう言って、私はその人に一礼します。
中村かな先生。
私の学校の理科の先生で、卒業後もお互いの家に通い合う仲の方です。
中村先生は私のネジから手を離すと、不敵な笑みを浮かべました。

「身体の方は順調なようだな、東雲。
まあ、はかせが居るから心配はしてなかったが。
だが、たまには私の家にも顔を出せ。
はかせのメンテは完璧だと思うが、
一人で行う慣習と化したメンテだと異常に気付けない事もあるからな。
第三者の目も必要なものだぞ」

中村先生に言われ、軽く微笑む事で私はそれに応じました。
私がロボットである事を皆さんに告白する以前、
中村先生が私の家にいらっしゃる事が何度もありました。
当時は中村先生が私の事を恋人にしたいからだと勘違いしていましたが、
どうも私がロボットでは無いかと考えて、それを探りに私の家に来ていたそうです。
中村先生が私の事を好きでなかったという事実は少し残念な気もしましたが、
私が自分から自分がロボットであるという事を皆さんに告白した時には、
中村先生も同じくらい残念そうな顔をしていた事をよく憶えています。
多分、自分の手で私がロボットであるという事を証明したかったのでしょう。
私も推理小説が結構好きですから、その中村先生の気持ちは何となく分かります。
43 :ねねこ [saga]:2011/12/31(土) 19:39:06.02 ID:KJ6fpoue0
でも、中村先生は私がロボットだと告白した後も、変わらず私に付き合ってくれました。
何度か私の身体検査を行おうともしてらっしゃいましたが、
その度に私がお断りする内に諦めて頂けたらしく、今ではよい隣人として付き合って頂けています。
それに中村先生は……。

「お気遣いありがとうございます、中村先生。
中村先生こそ、お身体にお変わりはありませんか?」

少し心配になって、私は中村先生に訊ねます。
見る限り、中村先生の様子には変わりが無いように見えます。
変わりが無いからこそ、心配になりました。
ですが、中村先生はまた不敵に笑ってくれました。
私を手招き、グラウンド横の木の下に腰を掛けて、言葉を続けます。

「案ずる必要は無いぞ、東雲。
おまえの家で飲んじゃった事から続く事になったおまえとの仲だが、そう悪くはない。
心配するな。私は元気そのものだからな。
それより近所とは言え、こんな所で東雲に会えるとはな。
どうしたんだ? 学校が懐かしくなったか?」

「それは中村先生もですよ。
私の方は今日学校に物資の輸送があると近所の方から聞きまして……。
私は物資より、飛行機の方に興味があるんですけど。
あんまり近くで見た事が無いので、ちょっと楽しみなんです。
もしかして、中村先生も飛行機に興味があって……?」

「いや、私は……」

中村先生の言葉が止まりました。
急に大きな音が辺りに響き始めたからです。
何処からの音かと周囲を見廻してみると、空からでした。
まだかなり離れていますが、学校に小型の飛行機が近付いて来ています。
多分、あれが物資輸送の飛行機なのでしょう。
飛行機を見上げながら、小さく中村先生が呟きます。

「あの飛行機のパイロットがロボットだという話を聞いてな。
それで今日は学校まで足を延ばしてみたんだ」

「えっ? ロボットの方なんですか?」

私が訊ねると、中村先生は小さく頷いてくれした。
ロボットの人……。
不意にココネさんを思い出します。
他にロボットの人の知り合いが居ないわけではありませんが、
私の中で一番印象に残っているロボットの人はやっぱりココネさんです。
自分らしさや自分の存在理由について思いを馳せる、とても人間らしい感情を持ったココネさん……。

飛行機のパイロットをやってらっしゃるという事は、
そのロボットの人も少なからず自分の存在について、思いを馳せている方なのでしょうか。
それはまだ分かりません。
でも、それはもうすぐ分かる事でしょう。
私は中村先生の隣に腰を下ろして、もう少し飛行機の到着を待つ事にしました。
ロボットの人に会える機会なんてあんまり無いから、今日はすっごく楽しみだ。
44 :ねねこ [saga]:2011/12/31(土) 19:42:56.05 ID:KJ6fpoue0





旋回。
何度か空を回り、飛行機は狙いを定めてグラウンドに降りて来ます。
想像以上のエンジン音。
グラウンド横に学校の生徒さんらしい方が何人か集まって、
飛行機を指差しながら何かを喋っているようでしたが、何も聞こえてきません。
私の耳も少し痛くなってきましたが、決して不快ではありませんでした。
それは空を飛ぶために必要な音なのだと思うと、何故か嬉しくなってきます。

飛行機が車輪を出し、地面に接しました。
長い長い距離を走ります。
制動のために必要な距離。
決して広くはないグラウンドで、
ちゃんと止まれるか少し不安になりましたが、流石はプロと言うべきなのでしょうか。
十分な余裕を持って、その飛行機は動きを止め、エンジンの音を止めました。

途端、中村先生が立ち上がって、飛行機の方に走り寄り始めました。
慌てて、私は中村先生の後を追い掛けます。
中村先生がパイロットの方に興味があるように、
私だってロボットの身で飛行機のパイロットをする方に興味があるんですから。

私達が飛行機のすぐ傍にまで駆け寄った頃には、
既にパイロットの人は大きな荷物を持ってグラウンドに立っていました。
そのパイロットの人に走り寄った中村先生は、少し驚いた顔で問い掛けました。

「おまえ、ロボットだよな?」

「え? はい。まあ……。
そっちの人もそうみたいですね」

パイロットの人は少し低い声で中村先生の言葉に答えます。
そっちの人というのは、私の事でした。
背中のネジで判断したという事なのでしょうか。
それとも……。
でも、今はそれ以上に気になる事がありました。
もしかして、いえ、もしかしなくても、このロボットの人は……。
私の考えを代弁するみたいに、中村先生が続けて問い掛けます。

「おまえ、男……か?」

「まあ、一応。
あんたも女の人……ですよね?」

「……まあな」

中村先生が複雑そうに目を逸らしながら呟きます。
その中村先生の様子に、パイロットの人は少し肩を竦めたようでした。
背が高く、茶色い髪を後ろで縛ったその人は、男の方の様でした。
中村先生が驚くのも無理はありません。
私だって、ちょっと驚いています。
私の記憶が正しければA7系統のロボットの人に、
男の人はほとんど居ないはずでしたし、
私もA7系統の男の人に会ったのは初めてでしたから。
45 :ねねこ [saga]:2011/12/31(土) 19:47:54.46 ID:KJ6fpoue0


今回はここまでです。
アルファさんが出てこれません……。
勿体ぶってるわけでなくて、アルファさんとなのの行動範囲が予想以上に被りませんでした。
46 :SS速報でコミケ本が出るよ[BBS規制解除垢配布等々](本日土曜東R24b) [sage]:2011/12/31(土) 22:41:25.68 ID:QgCL5tjyo
乙でした
次回も楽しみにしてます

よいお年を
47 :SS速報でコミケ本が出るよ[BBS規制解除垢配布等々](本日土曜東R24b) [sage]:2012/01/02(月) 15:08:03.63 ID:PY3JPinao
乙です

明けましておめでとうございます。今年も作者さんの文章に期待します。
48 :ねねこ [saga]:2012/01/02(月) 18:04:21.20 ID:QwSezTUY0





【少しだけむかしのはなし ――高崎学】


しまった!
教師ともあろう者が寝坊してしまった!
何をやってるんだ、オレは!!
しかも、他の日の遅刻なら全く構わないが、
いや、教師としてはそれも相当にアレなのだが……、
とにかく今日だけは遅刻してはならん日だったというのに!
オレって奴は、オレって奴は……!!
緊張して明け方に眠り、寝過してしまうとか小学生か!!

オレは息を切らしながら全速力で走る。疾走する。
まだ間に合うはずだ。
間に合わせなければならんのだ。
出発時刻までは残り約二十分。
前に調子が悪かった椎茸の様子を見に、
急いで帰ったくらいの速度で走れば、まだ十分間に合うはずだ。

今日はターポンという名前の巨大飛行物体の出発日だ。
今日、桜井先生は桜井先生のお父さんと、弟の桜井誠とターポンに移住する。
弟の桜井誠が囲碁サッカー部である縁で、
大工から弟と一緒にターポンへの移住を勧められたらしい。
ちなみに他にも小木や関口もターポンに移住するのだそうだ。
海面上昇によって、様々な地域が海の底に沈むようになったこの頃だ。
桜井先生の選択肢は間違っていない。
「ターポンの中にも教師は必要ですしね」と言った桜井先生の笑顔は眩しかった。
とても桜井先生らしい選択だろう。

実はオレも大工に誘われたのだが、その時には一度断っていた。
オレは教師であり、オレには生徒が居るのだ。
オレの生徒の卒業を見届けない限り、
このオレが地上の教師を卒業するわけにはいかなかったのだ。
それが教師ってもんだ。
教育者として恋愛感情を人生に持ち込むなど言語道断なのだ。

だが、オレがターポンに移住しない事を伝えた時、
桜井先生の寂しそうな表情を浮かべてくれた。それからその表情が胸から離れない。
ひょっとすると何だ。アレか?
もしかして「オレも行く」と言っておけば、
桜井先生は「高崎先生が一緒に来てくれて嬉しいです」って言ってくれたのか?
それでオレは「ターポンの中で幸福な家庭を作りましょう」と伝え、
桜井先生は「えっ、それってもしかしてプロポーズ……?」ってオレに微笑み掛けてくれたりして……。
49 :ねねこ [saga]:2012/01/02(月) 18:04:49.77 ID:QwSezTUY0
グッドイナフ!!!!

って、何考えてんだ、オレは!!
そんなうまい話があるわけないだろ、コンチクショウ!!
多分、桜井先生のあの寂しそうな顔は、
同僚の先生が減るから寂しくて浮かべた顔とかだよ!!

いや、それは別に構わん。
桜井先生との関係はこれから少しずつ育んでいければ十分だ。
だが、もうすぐその『これから』が失われてしまうらしい。
大工の話によると、ターポンは一度浮かんだが最後、もう二度とは降りて来られないらしい。
地上を後にする巨大移住装置だ。
着陸の機能など必要無いという事なのだろう。
つまり、桜井先生と顔を合わせられる機会は、今日が最後だという事だ。
だから、オレは全速力で走っているのだ。

大工によるとターポンにはまだ定員まで若干の余裕があるらしい。
突然な上に手ぶらに近くはあるが、頼めばオレも多分乗せてもらえるだろう。
生徒より恋愛感情を優先するなど、教師として失格なのかもしれない。
桜井先生がオレの移住を望んでいるわけでもないのかもしれない。
だが、この期を逃せば、オレは桜井先生と話をする機会すら失ってしまうのだ。
それだけは避けたかった。
オレとて教師である前に一人の餓狼。
成就しない恋心だとしても、僅かな可能性があれば賭けてみたい。

だから、オレは走る。
心臓が高鳴るのは、走っているからだけではない。
間に合えば、オレの恋心を桜井先生に伝えたいとも考えているからだ。
二人でターポンの中でタケノコを栽培してほしいと伝えよう。
それがオレなりのプロポーズだ。

腕時計に視線をやると、
話に聞いていた桜井先生の出発時間まで、残り十分を切っていた。
だが、このペースならどうにか間に合うはずだ。
予想以上のペースだ。これなら確実に間に合えるはずだ。
そう考えてオレが頬を少し緩めた時だった。
50 :ねねこ [saga]:2012/01/02(月) 18:05:23.33 ID:QwSezTUY0
「高崎先生!」

不意に呼び止められ、
もどかしさを感じながらオレは声の方向に視線を向けた。
其処には大きな赤いリボンが風に吹かれて揺れていた。
何度かあったパターンだ。
息を切らし、不安を感じながら、オレはそいつに向けて訊ねる。

「どうした、安中!?」

「道端で中之条くんが痙攣しちゃってるんですけど!!」

「ええーっ!!?」

やっぱりか! と思った。
何故あいつはオレが急いだり焦ったりしている時に限ってトラブルに巻き込まれてるんだ。
オレに何か恨みでもあるのか?
いや、あいつも巻き込まれたくて巻き込まれてるわけではないのだろうが……。

「スグ来てほしいんですけど」

オレ以上に焦ってる様子の安中がリボンを揺らす。
いや、よく考えたら、問題なのは中之条よりこの安中の方だ。
どうして安中は毎度オレを呼びに来るんだ。
しかも、ここは学校の中じゃないってのに、道のど真ん中だってのに、
どうしてピンポイントでオレを見つけられるんだ……!

「安中、何故オレが此処に居ると分かった?」

訊ねている場合ではなかったが、
それだけはどうしても訊ねておきたかった。
細かい事を気にしている時間は無いが、
これからオレがターポンに乗れるとしたら、安中と会うのもこれが最後になるしな。

「はい。中之条くんが倒れてるのを見つけたので、高崎先生を呼びに行かなきゃって思って。
それで高崎先生の家に向かって走ってたら、高崎先生を見つけました!」

そういえば安中の勉強を、オレの自宅で何度か見てやった事があった。
それで安中はオレの自宅に向けて走り、
その途中でオレの姿を見つけたという事か。
疑問が解決してすっきりしたが、すっきりしている場合ではなかった。
だから、何で安中はオレを呼びに来るんだ。
学校の中ならともかく、道端なら救急車を呼べばいいだろうに……!
今回ばかりは、オレにはもうもたもたしている時間は無いのだ!
51 :ねねこ [saga]:2012/01/02(月) 18:05:51.27 ID:QwSezTUY0
「いいか……。よく聞け」

拳を握り締めてオレが言うと、
安中は「はい!」と気持ちの良い声で返事をした。

「中之条は……、痙攣していない!」

「ええーっ!!?」

「そうだ!! 痺れキノコを食べただけかもしれん!!!」

「ええーっ!!?

だって、口から泡を噴いちゃってるんですけど!!!」

「ええーっ!!?

……この接着剤で口を塞げ」

「ええーっ!!?

……や、やってみます」

「ええーっ!!?
ちょっと待て!!」

「ええーっ!!?」

「オレは今日こそは本気で急いでいるんだ!!」

「!!?」

「人の痙攣より、今日桜井先生に会えなくて、
布団の中で桜井先生の顔を思い出す度に、
哀しみで自分が痙攣しないようにする事の方が、
教育者としての………、なんだ!!
その………、教育者だ!!!」

「でも、私、その……!!」

急に安中が泣き出しそうな顔で叫び、オレのシャツの袖を掴んだ。
それ以上何も言い出さない。
大きな赤いリボンだけが風に揺れる。
ウサギの耳みたいに。
ウサギがぴょんぴょん跳ねるみたいに。
餓狼として、足を止めている場合ではなかった。
オレは桜井先生の下に向かわなければならん。
安中には悪いが、こうしているわけには……。
52 :ねねこ [saga]:2012/01/02(月) 18:10:02.14 ID:QwSezTUY0
だが、安中の泣き出しそうな顔を見ると、何故かオレは動き出せない。
泣きそうなくせに何処か頬を赤く染め、
手の指先からはオレのシャツの袖を離したくないという意志が強く感じられて……。
ずっと傍に居てほしいという気持ちが感じられて……。
だから、オレは。
オレは……。

オレは安中の目の前で強く親指を立てた。

「行くぞっ!!」

「……はいっ!!」

泣きそうだった安中の表情が眩しい笑顔に変わる。
胸にしこりが無いと言えば嘘になる。
だが、安中の表情を見ると、これでよかったのだと感じられた。
オレは教師である前に一人の餓狼だが、
餓狼でありながらも教師である事はやめられないのだろう。

オレは腰を下ろし、クラウチングスタートの体勢を取る。
オレはこれから向かう。
世話の焼ける中之条の所に。
オレを必要としている安中と一緒に。
急いで行くぜ。
それが教師ってもんだろ?

「コッチです!!」

そうして走り出そうとするオレを安中が呼び止める。
あ、そっちか。
オレは身体の向きを修正し、
オレが選んだオレ達の未来に向かって、安中と走り出した。
さようなら、桜井先生。
どうか、お元気で。
53 :ねねこ [saga]:2012/01/02(月) 18:12:40.79 ID:QwSezTUY0


今回はここまで。
皆様、去年はありがとうございます。
今年も頑張ります。

今まで悲しげなssを何個か書いてきましたが、
実は何故か今回の展開が一番書いてて泣けてきました。
高崎先生が素敵過ぎるからか……。
54 :SS速報でコミケ本が出るよ[BBS規制解除垢配布等々](本日土曜東R24b) [sage]:2012/01/02(月) 18:23:31.57 ID:mK7XNpp0o
55 :以下、あけまして [sage]:2012/01/03(火) 19:01:01.69 ID:oI0MNnPAO
グットイナフ!
次は誰のむかしの話になるんだ
56 :ねねこ [saga]:2012/01/04(水) 19:33:36.85 ID:E0s7Ijxj0





それから、私は男のロボットの人の物資の分配の少しだけお手伝いしました。
全ての分配が終わった後に一息吐くと、
男のロボットの人は私に声を掛けてくれました。

「お手伝い、どうもありがとうございます。
あんた……、東雲なのさん……ですよね?」

どうして私の事を? とは思いませんでした。
ココネさんにしてもそうでしたし、
ロボットの人達の間では、私はやっぱり有名人なのでしょう。
少しくすぐったい気分になりながらも、私は「はい!」と頷きます。
男のロボットの人は軽く頷いて、続けます。

「やっぱり、そうだったんだな。
研修所の資料で何度か見た事があると思ったんだ。
あんた、まだ群馬の国に居たんですね」

「はい。はかせはこの町が大好きですから」

「はかせ……? はかせってのは確か……。
ああ、そうか。そういう事か。
なるほど。それは群馬の国から離れられませんね」

「はい!
……あ、それはそうと、立ち話も何ですから、理科室でお話でもしませんか?
私、飛行機のパイロットの人に会うのなんて初めてなんで、色々お話を聞いてみたいです!」

「飛行機のパイロットなんかより、あんたの方がよっぽどすごい……。
いや、いいか。ええ、何でもお話しますよ、東雲なのさん。
別に急ぐ仕事もありませんからね。オレなんかの話でよければ」

そう言って、男のロボットの人は小さく肩を竦めます。
表情があまり変わらない方ですが、
それは別にロボットだからというわけではなく、彼自身の持ち味の様に思えました。
勿論、感情が希薄というわけでもないのだと思います。
水上さんの様に感情をあまり表情に出さないというだけなのでしょう。

「そういえば……」

私は不意に思い出して、男のロボットの人に訊ねます。

「何か?」

「貴方のお名前は何とおっしゃるんですか?
失礼ですが、まだ聞いてなかった事に気付きまして……」

「ああ、オレの名前はナイ。ナイですよ」
57 :ねねこ [saga]:2012/01/04(水) 19:36:29.04 ID:E0s7Ijxj0
私はつい首を傾げてしまいます。
名前は無い……?
他の系統のロボットならそういう事もあるのかもしれませんが、
A7系統のロボットの方々はココネさんの様に名前が付いているはすでした。
ひょっとすると、何か深い事情があるのでしょうか?
名前を付けられない悲しい過去が……。
私は踏み込んではいけない領域に、土足で入り込んでしまったのかもしれません。

「ごめんなさい!」

私は名前の無い彼に強く頭を下げます。
私が突然謝った事に、名前の無い彼は少し驚いたように見えました。

「どうしたんですか、急に?」

「いえ、あの、その……だって、
名前が無いだなんて、何か深い事情があるんですよね?
その事に気付かなくて、私、何て失礼な事を……!」

私が早口に謝罪の言葉を口にすると、
名前の無い彼は「あー……」と呟いて自分の頭を掻きました。
その表情は少しだけ苦笑しているようにも見えます。

「すみません、オレの言葉足らずでしたね、東雲なのさん。
オレの名前はナイ。ナイって名前なんですよ」

「だから、名前が無いだなんて、そんな……。
って、えっ? ナイって名前って……、ああ!
貴方、ナイさんって言うんですね!」

「はい」

名前の無い彼……、いいえ、ナイと言う名前の彼は私の言葉に頷きます。
ナイさんは最初からちゃんと名乗ってくれていたのです。
私は恥ずかしくも申し訳なくもなって、
もう一度だけナイさんに頭を下げました。
58 :ねねこ [saga]:2012/01/04(水) 19:37:29.14 ID:E0s7Ijxj0
「すみません、変な勘違いしちゃって……」

「ややこしいとは自分でも思ってるんですけどね。
それより、オレの方こそすみません。
よりにもよって、伝説の東雲なのさんにそんな気を遣わせてしまうなんて」

「いえ、気にしないで下さい。
ナイさんの方こそ、そんなに私に気を遣わないで下さい。
もっとお好きな様に振る舞って頂いて結構ですよ」

「いや、でも……」

ナイさんは少しだけ口ごもります。
それは私に遠慮しているというより、
私の仕種を不思議に思っているといった様子でした。
不意にナイさんは首を傾げ、私の全身をゆっくりと見回して続けました。

「あんた、研修所の資料に書いてあった人物像とはかなり違うんですね」

「そうなんですか?
私、その資料に目を通した事が無いので、
どんな風に書かれているのかは分からないんですけれど……」

「資料には、東雲なのさんの腕にはマシンガンが仕込んであって、
東雲研究所に忍び込む賊をそのマシンガンで撃退してたって記されてましたよ。
それでオレ、あんたの事、屈強なSPみたいな人なんだろうと思ってました」

「何なんですか、その資料は!
出鱈目過ぎますよ、そんなの!」

私はつい大声で叫んでしまっていました。
本に必ず正しい事が記されていない事は知っていましたが、
そんな出鱈目な記述はいくら何でもあんまりです。
ナイさんは私の大声に驚いた様子も見せず、軽い感じに私に訊ね返します。

「出鱈目なんですか」

「出鱈目ですよ!
そんな事、私がやってるわけないじゃないですか!
あ、でも……」

「でも?」

「腕にマシンガンが仕込まれてるのは……、本当です……」

「仕込まれてるんですか」

「豆鉄砲ですけど……」

「豆鉄砲なんですか」

「はい……」
59 :ねねこ [saga]:2012/01/04(水) 19:38:27.39 ID:E0s7Ijxj0
私が悪い事をしたわけじゃないのに、ついつい私は小さくなってしまいます。
はかせったら、もう……!
はかせが変な機能を付けたせいで、
後輩のロボットの人達に変な誤解をされてるみたいじゃないですか……!
あー! もう穴に入りたいくらいすごく恥ずかしいよー!

そうやって私が恥ずかしさで悶え苦しんでいると、
そのやりとりを傍から見ていたらしい中村先生が、呆れた様子で私達に呼び掛けました。

「何をやっとるんだ、おまえ達は。
ほら、コーヒーも出来てるから、早く理科室に来い」

私がナイさんの物資の分配のお手伝いをしている内に、
中村先生は理科実験室でコーヒーを淹れてくれていたようです。
まだ自分の顔が赤いのを実感しながらも、
私は小さく溜息を吐いてからナイさんに視線を向けました。
ナイさんは興味深そうに私の表情を見ながらも、
軽く頷いて、中村先生の後に続いて足を進めます。
今度こそ、マシンガンだけは腕から取ってもらおう。
そう決心しながら、私も二人の背中を追い掛けました。
60 :ねねこ [saga]:2012/01/04(水) 19:38:48.64 ID:E0s7Ijxj0





三人で顔を合わせ、理科実験室でゆっくりとコーヒーを啜ります。
アルコールランプで温めたお湯をビーカーに入れたコーヒーですが、とても美味しいです。
前々から中村先生はよく私にコーヒーを振る舞ってくれていました。
中村先生のコーヒーは飲む度に美味しくなる不思議なコーヒーで、
いつからか頂く事を楽しみに中村先生のお手伝いをしていたのは内緒の話です。
そういえば、何かの本で読んだのですが、
コーヒーはアルコールランプで沸かしたお湯で飲むのが、一番美味しいのだそうですよ。

「単刀直入に訊こう」

コーヒーの一杯目を飲み終わった頃、
不意に中村先生がナイさんに訊ね始めました。

「おまえはA7系統の男のロボットで間違いないんだな?」

「ちょっと中村先生、ナイさんに失礼ですよ」

私は焦って中村先生を止めようとしましたが、
ナイさんは何でもない事の様に、私の方を見ながら頭を横に振りました。

「いいよ、東雲なのさん。
疑問に思われるのは慣れてるからさ。
中村先生……ですよね?
さっきも言いましたが、オレはA7系統の男のロボットです。
何か問題がありますかね?」

はっきりとした態度をナイさんに向けられ、
中村先生は少し申し訳なさそうな表情を浮かべます。
自分が焦り過ぎてしまっていた事に、中村先生も気付いたようでした。

「いや、すまん。
A7系統の男のロボットを目にするのは初めてでな。
私とした事が、少し興奮し過ぎてしまったらしい」

「オレの方こそ、変に角を立たせてすみません。
中村先生の言う事も、もっともです。
オレもオレ以外のA7系統の男のロボットに会った事無いし……。
よく知らないんですが、A7系統の男のロボットってすぐ死んでしまうらしいですね。
女のロボットと何が違うのか分からないけど……」
61 :ねねこ [saga]:2012/01/04(水) 19:39:26.28 ID:E0s7Ijxj0
「A7系統は人間の感覚の記録実験を発展させた計画から開発されたロボットだからな。
私もよく分からないが、男女の感受性の違いによる物なのかもしれん。
男女の感受性の優劣そのものの問題ではないけれどな。
それにA7系統は、そうだな……。
『見て、歩き、よろこぶ者』だから、
生命力に満ち溢れた女性型の方が体質的に合っているのかもな」

『見て、歩き、よろこぶ者』。
中村先生の言葉が私の耳に残りました。
人間の感覚の記録の実験を発展させたA7系統……。
見て、歩いて、よろこぶ人達の記録……。
私とは完全に異なる方向性から開発された親戚とも言える皆……。
選ぶ道は全然違うけれど、A7系統の皆も幸せならいいな、と何となく私は思いました。

「そうですか……。なるほど……」

ナイさんが少し嬉しそうに呟きました。
長く出なかった答えの道筋を、
中村先生がちょっとでも示してくれたのが嬉しいのかもしれません。
そんなナイさんの表情を見ていると、私も少しだけ嬉しくなりました。

と。
何かを思い付いたらしく、ナイさんが私に視線を向けました。

「そうだ、東雲なのさん」

「何ですか?
あ、それとフルネームで呼ばれるのはちょっと……」

「じゃあ、東雲さん。
これからちょっとだけ飛行機に乗ってみる?
エンジンやプロペラ周りのチェックを、飛びながらしておきたいからさ。
後部座席でよければだけど」

「わあっ、いいんですかっ?」

私は思わず歓声を上げてしまいます。
飛行機に乗るのは初めてですし、何だかワクワクしてきます。
ナイさんは私の楽しそうな様子を見て、大きく頷きました。

「勿論だよ。
あれだけ興味深そうに飛行機を見てる東雲さんを、
乗せてあげなかったら他のロボットの皆に怒られるよ。
あ、でも……」

口ごもり、ナイさんが私の背中のネジに視線を向けました。
座席に身体を密着させなければ、飛行機に乗る時に危ないと言いたいのでしょう。
私は小さく苦笑してから、中村先生に「お願いします」と伝えました。
頷くと、中村先生は私の背中のネジを取ってくれました。
「気を付けてな」と中村先生は私の肩を叩きます。
62 :ねねこ [saga]:2012/01/04(水) 19:39:55.13 ID:E0s7Ijxj0
「空の旅は思ったより危険だぞ。
くれぐれも油断するなよ」

「中村先生も私のネジ、ちゃんと持ってて下さいね。
後で付けますし、私の大切な物なんですから」

私が微笑むと、中村先生も微笑んでくれました。
色々ありましたが、私と中村先生は最近いいパートナーになれて来た気がします。
気が付けば、ナイさんが意外そうな表情で私の背中を見つめていました。

「外れるんだ、その背中のネジ」

「はい。自分で外すのは無理なんですけど、私じゃなければ誰でも外せるんですよ。
変な機能を付けてくれますよね、はかせったら」

「じゃあ、どうして……。
いや、いいか。それなら問題無く後部座席に座れますね。
コーヒーを飲み終わったら、行きましょう、東雲さん」

どうして……、の後に続く言葉をナイさんは言いませんでした。
多分、ナイさんも分かってくれたんだと思います。
不便だし、取りたくて仕方がない物だったけど、
そのネジこそ、私が私だって証拠なんだって事を。
63 :ねねこ [saga]:2012/01/04(水) 19:40:56.83 ID:E0s7Ijxj0


今回はここまで。
いきなりナイネタって順番バラバラ。
64 :以下、あけまして [sage]:2012/01/04(水) 20:35:31.95 ID:U62JwYqNo
最初はちょっと雰囲気違うだろー、と思ったけど案外いいな…
なのの雰囲気とヨコハマは合うな。
65 :ねねこ [saga]:2012/01/06(金) 18:15:48.31 ID:nS32gXqE0





ノースアメリカン、レシプロ練習機T-6テキサン。
それがナイさんの乗る飛行機の名前だそうです。
私は後部座席に座り、ナイさんがエンジンに火を灯すのを待ちます。
とてもワクワクしているのを自分でも感じています。

空……。
手を伸ばしたら届きそうなのに、
どれだけ伸ばしても、決して手の届かなかった青い空……。
もうすぐ、私はその空に旅立ちます。
一体、どんな感覚なのでしょうか。

ちょっとだけ周囲に視線を向けると、中村先生が楽しそうに私を見ていました。
多分、はしゃいでる様子の私の姿が、興味深いのだと思います。
ほんの少し恥ずかしくも感じましたが、
今の私の中では恥ずかしさよりも好奇心の方が上回っていました。
何だか小さな子供みたいですね。
でも、いいんです。
本当に楽しみなんですから。

「じゃ、東雲さん。
そろそろ出発するけど、何も問題無い?」

計器の最終確認をしながら、ナイさんが私に訊ねます。
でも、私が準備する事は特に何もありません。
シートベルトを付け、ヘルメットと耳当てを付ければ、私のするべき事は無くなりました。
背中のネジは中村先生が大切そうに両手で抱えていてくれています。
一応、深呼吸。
もう大丈夫。準備は万端です。
私は自分が笑顔になるのを感じながら、ナイさんに伝えます。

「はい、問題ありません。
ナイさん、どうかよろしくお願いします」
66 :ねねこ [saga]:2012/01/06(金) 18:18:07.39 ID:nS32gXqE0
「了解」

言って、ナイさんが飛行機にエンジンを掛けます。
耳に痛いエンジン音、プロペラ音が響き始めました。
騒音レベルの大音量。
ですが、何故か私はそれが嫌じゃありません。
それは私だけじゃないみたいでした。
中村先生や周りで見物してる近所の皆さんまで、
大音量の中、飛行機が飛び立つのを嬉しそうに待ってらっしゃいます。

耳に痛い大音量は人が空を飛ぶために必要不可欠な不可抗力。
むしろ儀式めいた神聖な音楽。
皆さん、そんな風に感じてらっしゃるのかもしれません。

勢いよく、飛行機がグラウンドを走り出します。
広いグラウンドではありませんから、
ちゃんと飛び立てるか少し不安でしたが、そこは流石はプロのナイさんです。
グラウンドのスペースを上手に広く使い、
グラウンドの端から端までたっぷりと飛行機を走行させました。

不意に。
風の感覚が変わった事に気付いた瞬間、私は浮遊感を身体に感じていました。
浮く。浮く。浮いていきます。
あっという間に空が近付いて、雲が近付いて、気付けば私は空の中に……。
空……。
私、飛んでいます。

「わーっ……!」

言葉にならない歓声が私の口から漏れ出します。
気の利いた感想なんてとても出せません。
空はただ凄くて、ただ青くて、風は強くて、冷たくて気持ち良くて。
いえ、もう何とも表現出来ません。
私はもう初めての空に圧倒され、変な歓声を出してしまうだけでした。
67 :ねねこ [saga]:2012/01/06(金) 18:21:40.56 ID:nS32gXqE0
「どうです、東雲さん?」

前方に視線を向けたまま、ナイさんが大きな声で言いました。
大声なんてナイさんらしくない気はしますが、
それくらい大きな声を出して頂かなければ、
私はナイさんのその声に気付けていなかったかもしれません。
それくらい興奮していたと思います。
また少し深呼吸してから、私も出来るだけ大きな声でナイさんに伝えます。

「凄いです! 何が凄いとは上手く言えないんですけど……。
でも、とにかく凄いです!
風は気持ちいいですし、空は傍にありますし、それに、それに……。
空がこんなに青いとは、私、思ってもいませんでした!」

「空が青い……か。そうですね。
オレはいつも飛行機に乗ってるから忘れがちだけど、確かに青いですよね。
地上から見るよりずっと青く感じる。
昔、オレもそう思っていた事を思い出しましたよ」

言って、ナイさんは軽く微笑んだようでした。
勿論、何処で見ても、空の色はそう変わりはないのかもしれません。
私達の気のせいなのかもしれません。
ですが、私達が感じている事が私達の真実であって、それでいいのだと思います。
私はまた風の中で、自分の感覚を研ぎ澄ませます。
もう二度と感じる事が無いかもしれない空の記憶を、私の中に刻み付けられる様に。

「空もいいけど」

ふとナイさんが静かに続けました。

「地上も見てみなよ、東雲さん。
ほら、あんた達の町がよく見える」

言われて、私は地上に視線を下ろそうと首を動かしてみます。
でも、中々上手くはいきませんでした。
後部座席からでは、地上を見下ろすのは難しいみたいです。
両翼のどちらかの角度を下げて頂ければ地上を見易くなるのでしうが、
流石にそんな危険な真似を何度もして頂くわけにはいきません。
どうしよう……、と思って首を捻っていると、ナイさんが少し申し訳なさそうに言いました。

「ごめん、また伝え忘れてた。
すみません。オレってどうも言葉足らずですよね。
東雲さんの足下、コードがあると思うんで、取ってもらえますか?」

ナイさんに言われるまま、私は自分の足下を探します。
コードはすぐに見つかりました。
手に取って、ナイさんに訊ねてみます。

「ありましたよ、ナイさん。
何なんですか、このコード?」

「口で咥えてコードの先を舌で触れてみて下さい。
それで地上の風景が見られるはずですよ。
飛行機の視点と一体化するって言うか……、とにかく試してもらった方が早いかな。
確か東雲さんの系列にも互換性があったはずだけど」
68 :ねねこ [saga]:2012/01/06(金) 18:22:09.56 ID:nS32gXqE0
舌でコードの先を触れる……。
端末の接触による情報の共有機能の事なのでしょう。
でも、それよりも私が思い出しとしたのは、ココネさんとのチューの事でした。
咥えるのは単なるコードなのに、何だか私の顔は赤くなるのを感じました。
やっぱり女の子同士のチューなんて、しない方がよかったのかも……。
でもでも、相生さんのメッセージも受け取りたかったし……。

「東雲さん、どうかした?」

後ろで悶絶している私に気付いたみたいで、ナイさんが怪訝そうに私に訊ねます。
恥ずかしさは消えませんでしたが、一人で悶絶しているわけにもいきません。
私は「すみません、何でもないです」とナイさんに伝え、意を決してコードの先を咥えました。
チリッ、と軽い電流が身体を流れるのを感じます。

一瞬後。
私は全身で空を飛んでいました。
座席での感覚なんて比較にならないほど、風を全身で感じています。
空の青に包まれ、まるで身体が空に融け込んでいくかの様です。
これが飛行機の目、飛行機の肌、飛行機の耳の感覚なんだ……。
瞼を閉じているのに視界が広がって、
座っているのに全身で躍動する感覚は、奇妙でしたがとてもドキドキして楽しく思いました。
視点自体は飛行機の胴体の少し下にある感覚でしょうか。

「空の感覚はどう?」

ナイさんの声が少し遠くから響きます。
私が聞いているのか、飛行機が聞いているのか、
近くに居るはずのナイさんの声が二重に響いて来る気がします。

「はい……。とっても素敵です……」

私が言っているのか、飛行機が言っているのか、
また二重に被さるみたいな声を私は夢見心地で喉から出しました。
とても不思議な感覚。
また、ナイさんの声が二重に響きました。

「空の感覚を楽しむのもいいけど、地上も見てみなよ。
さっきよりもずっとあんたの町がよく見下ろせるはずだよ」

ナイさんの言葉に従い、私は視線を地上に向けようとしてみます。
私の意識通りに、飛行機の胴体の下の視点も動き出しました。

「これが……、私の町なんだ……」

思うより先に、私は呟いていました。
勿論、衛星カメラか何かの写真で、時定町の全体像を見た事はあります。
知っている全体像と大きく異なっているわけでもありません。
ですが、初めて直接見て感じる私達の町は、それとは全然違って見えて……。
色んな感情や思い出が私の中を駆け巡ります。
69 :ねねこ [saga]:2012/01/06(金) 18:22:48.78 ID:nS32gXqE0
私達の思い出の詰まった母校、県立時定高校。
相生さん達に缶蹴りを教えてもらった空き地。
安中さんの自宅のクリーニング屋さん。
何度か行った事のある大工カフェ。
そして、東雲研究所……。

多くの光景を目にした私は嬉しくなり、同時に少し悲しくもなりました。
思い出の詰まった光景は、幸いにもどうにか何とか残っています。
まだ壊されてはいません。
けれど、少しだけ視点を変えると、
波打ち際が時定町を包み込むように浸食して来ている事に気付きます。
少しずつ……、ほんの少しずつ……、
だけど、確実に私達の思い出を飲み込んで、水底に沈めるかの様に。

切ない想いが私の胸を駆け巡ります。
止められない海面上昇。
はかせの科学力でもどうする事も出来ず、
いつかは私達の思い出の場所は全て海の底に沈んでしまうのでしょう。
それはとても悲しい事ですけど……。

「綺麗です」

頷いてから、私は言いました。
いずれは消えてしまう私達の町。私達の命。私達の思い出。
それでも、時定町に住む人達はまだまだ元気で、生命力に溢れていて……。
だから、私達が居なくなっても、人が存在したという記憶だけは、
この星の誰かが憶えていてくれるのではないでしょうか。
海や地面や空なんかが、私達の記憶を刻み付けていてくれるのではないでしょうか。
ロボットである私が人間の皆さんの事を決して忘れないみたいに……。
確かな事は何も言えませんが、そうならいいな、と私は思います。

「うん。綺麗だよな、この町も……」

そう言ってから、ナイさんが飛行機をゆっくりと操縦します。
ゆっくりゆっくり、私に時定町の記憶を刻み付けさせてくれるみたいに。
これからも人の記憶を見て、歩き、よろこぶために。
そうしてかなり長い時間、私は思い出を胸の中に刻み付けました。
70 :ねねこ [saga]:2012/01/06(金) 18:24:18.91 ID:nS32gXqE0


今夜はここまでです。
次はまた誰かの視点になりそうです。
ヨコハマ買い出し紀行のファンが多く、ちょっと緊張しています。
世界観を壊さないよう書いていければと思います。
71 :ねねこ [saga]:2012/01/09(月) 15:36:31.68 ID:TaUpFFp00





【とおいそらのうえ ――子海石アルファ】


地上を見下ろす。
日課というわけではないが、私は毎日長い時間地上を見ている。
空の上では、他にやる事が多くあるわけでもない。
必然的に、地上を見下ろす時間が長くなるのだ。

毎日、劇的な変化が地上に起こっているわけではない。
地上はずっと穏やかで、傍目には何も変わらない様に見える。
しかし、少しずつ、確実に、地上の灯は消えている。
大規模な都市ほど早く沈黙し、人工の灯が消えていった。
これからも地上の灯は少しずつ消えていってしまうのだろう。
最終的に、灯は地球上の何処からも無くなってしまうはずだ。
いずれ、人はこの世界から消えてしまうのだ。

人類が地球上から居なくなれば、
他の生命体が繁栄するという言葉を本で読んだ事がある。
例えば過去の遺物の架空の物語の話だが、
核戦争か何かで人類が滅亡した後は、
羽虫の様な生命力の強い生物のみが跋扈する世界になると記してあった。

だが、それは誤りだ、とその本より後世の書物に記されていた。
人類は地球上の多くの物を利用して繁栄したが、
それは自然破壊ではなく、所詮は自然のサイクルの一部でしかないという。
そもそも里山での繁栄から分かるように、
他の生物も人類に支えられる形で繁殖を続けられているのだ。
人類が消え去れば、人類に頼っていた生物もかなり消え去ってしまうだろう。

だから、私は地上を見下ろしながら、不安を禁じ得ない。
人という種の消失は想像以上にこの世界に影響を与えてしまう。
もうじき訪れるであろう人という種の消失は、この世界に何をもたらすのだろうか。
恐らく、ロボットである私はそれを見届ける事が出来る。
人の子である私が人の居ない世界の行く末を見届ける事になる。
それは不幸な事なのだろうか。
それとも、幸福な事なのだろうか。
72 :ねねこ [saga]:2012/01/09(月) 15:36:59.33 ID:TaUpFFp00
「アルファー室長、入りますよ?」

不意に、自室の扉がノックされ、彼女の声が響いた。
ロボットである私を一切特別視しない彼女……。
今でこそロボットに偏見を持って接する人はほぼ居ないが、
私が生み出された当初には、多少恐怖のこもった視線を持って私を見る人も少なからず居た。
当然だろうと思う。
人に似た姿でありながら人とは全く異なる私に、
何らかの恐怖を感じてしまうのは、ある意味で自然であり、そうでなければならないと思う。
異物への不信感は生物が生きていくためには必要なものだ。
しかし、彼女は初めて私と顔を合わせた時も警戒をしなかった。
彼女が愚かだったからではない。
彼女は私と会うよりもずっと前に、私達の始祖と出会っていたらしい。
結論から言う事になるが、
その彼女が架け橋になってくれたおかげで、
私はこの方舟の住人に受け容れられる様になったのだ。

「どうぞ、ユリアさん」

心の中だけで彼女……、
ユリアさんに感謝しながら私は扉越しに彼女に返事をする。
そうして自動ドアのスイッチを押してから扉を開くと、
本を数冊抱えたユリアさんが少し困ったような笑顔を浮かべて立っていた。

「頼まれてた物、お持ちしましたよ」

「ありがとうございます、ユリアさん」

言いながら私が椅子から立ち上がると、ユリアさんは軽くかぶりを振った。
座っていて下さい、という事なのだろう。
私は腰を掛け直し、部屋にもう一つ置いてある椅子を掌でユリアさんに示した。
部屋の机に持っていた本の何冊かを置いた後、
ユリアさんは本を二冊私に手渡し、ゆっくりと椅子に腰を掛ける。
また苦笑に似た笑顔を浮かべる。

「ご注文通りの物ですけど……、本当にこの本を読むんですか?」

「ええ、前から興味があった事を不意に思い出しまして。
ご迷惑かとも思ったのですが、気になり始めると気が散って仕方が無くなりまして」

「迷惑だなんて思ってませんよ。
でも、アルファー室長がこんな本に興味を持つなんて意外でした。
特にこれなんて単なる漫画ですよ?」

言って、ユリアさんは私が右手に持っていた本を指差した。
その本の背表紙には『ヘルベチカスタンダード』と記されている。
ユリアさんが地上から移住する際に持ち込んでいたらしい本だった。
私も苦笑し、その本のページを軽く捲ってみる。
開いたページでは、
何故か天使が鬼(詳しくはなまはげと言うらしい)に言語指導をしていた。
どういう事なのかよくは分からないが、これが漫画という物なのだろう。
気が付けば、何故だか私の表情は、苦笑から微笑に変化していた。
73 :ねねこ [saga]:2012/01/09(月) 15:37:29.30 ID:TaUpFFp00
「あれ? 面白いページでしたか?」

私の表情の変化を見逃さず、ユリアさんが少しだけ嬉しそうに言った。
実際問題、面白いかはまだ分からないのだが、
普段真面目なユリアさんが地上から持ち込むくらいなのだから、
面白いかどうかはともかく、好きであるのだろう事は間違いないだろう。
その点だけでも私にとって十分興味深く、面白い本である。
その思いを私は正直に口にした。

「そうですね、とても興味深いです。
何度も読み返そうとも思っているので、
長い事お借りする事になりそうですが、よろしいでしょうか?」

「構いませんよ。
私はもう完全に憶えてしまうくらいに読んでしまっていますし、
その本がアルファー室長や誰かのお役に立てるのなら嬉しいです。
でも、申し訳ありませんが……」

「何でしょう?」

私が首を傾げて訊ねると、
今度は私が左手に持っている方の本を指差した。
そちらの本には『サメでも分かる!囲碁サッカー入門』と書いてある。

「囲碁サッカーに関しては私もまだ初心者なので、深いお話は出来ないんですよ。
囲碁サッカー関しては、桜井くんか小木さんに聞いて頂ければと思うんですが……」

「いえ、実は小木さんには既にお聞きした事があるのですが……」

少しだけ口ごもる。
前に囲碁サッカーに詳しいという小木さんと話した時の事を思い出したのだ。
小木さんに非があるわけではないが、今思い出しても頭が痛くなる。
正直な話、度肝しか抜かせなかった。
その私の様子を見ただけで、私の考えている事に気付いたのだろう。
ユリアさんは肩を竦めるみたいに苦笑を浮かべた。

「気持ちは分かりますよ、アルファー室長」

「痛み入ります」

「私も桜井くんの話ならどうにか分からなくもないんですが、
小木さんの話の場合は審判目線の専門用語が溢れてますからね。
小木さんの話が分かるのは、囲碁サッカーの本格的な上級者だけでしょうね」

「そもそも不思議な競技ですよね。
囲碁とサッカーを組み合わせるなんて、
伝統的に様々な物の複合を試す日本的な文化と呼ぶべきなのでしょうか」

「どうなんでしょうね。
でも、私、囲碁サッカーより不思議に思ってる事があるんですよ。」
船内を見ていると、そう感じるんです」
74 :ねねこ [saga]:2012/01/09(月) 15:38:07.51 ID:TaUpFFp00
ユリアさんの言おうとしている事は私にも分かった。
囲碁サッカーより何より、船内では不思議な現象が起こっている。
それは船内の子供達の様子だ。
子供達に異常が見受けられるわけではない。
船内の子供達は騒々しく、元気で、健やかに育っている。
不思議なのはただ一点だ。
多分、お互いに言おうとしている事を分かりながら、でも、ユリアさんは続けた。

「子供達の事なんですが、すごい適応力ですよね。
私達が凝り固まった頭で理解出来ない囲碁サッカーを、
教えられた先からすぐに全身で吸収して習得しちゃってます。
地上に居る頃、空の上で囲碁サッカーが流行れば面白いという話をした事はありますが、
まさか本当にターポン中を席巻するほど流行する日が来るなんて、思ってませんでした。
子供って不思議。
すごい適応力……、すごい生命力ですよね」

「ええ」

言いながら、今朝も目にした子供達の姿を思い浮かべる。
碁石とサッカーボールを組み合わせ、
演舞なのか競技なのか、私にはそれすらも定かでは無い不思議な競技。
それを子供達はいとも簡単に習得していた。
とても不可思議な光景だが、私はそれが嫌いではない。
まだこの舟が生きているという事を強く感じられる気がするからだ。

「地上と言えば……、様子、どうですか?」

不意にユリアさんが呟くみたいに言った。
人の視力では、この舟の最大望遠でも地上の様子は小さくとしか把握出来ないのだ。
少し迷ったが、嘘を伝えるわけにもいかない。
私は小さく嘆息し、ユリアさんに正直に伝える事にした。

「……よくはなっていないですね。
急に消える地域もありますし、見えていたはずの灯が無くなる地域もあります。
やっぱりもう海面上昇は止められないのかもしれないです」

「そうですか……」

「でも、私の個人的な見解で申し訳ないのですが、
前より嫌な感覚は無くなった様な、そんな気はします。
観念的で分かりにくいですけど……」

「それは……、分かる気がします。
ほとんど見えませんが物凄く目を細めた時なんかに、
地上から呑気でのんびりした感覚を覚える事があるんです。
変な話ですけれどね」
75 :ねねこ [saga]:2012/01/09(月) 15:38:34.18 ID:TaUpFFp00
ユリアさんが困った様に軽く微笑む。
私はそれが不思議と嬉しかった。
ロボットの私の個人的な見解を、ユリアさんは疑う事無く受け容れてくれる。
初対面の頃から、ユリアさんはそうだった。
恐らくは彼女の知っている人のおかげなのだろう。
何度か聞いた事はあるが、もう一度その人の話をユリアさんとしてみたいと思った。

「話の筋を変えて申し訳ございませんが、一つ聞かせて頂けますか?
ユリアさんは私達の始祖の方と同級生だったんですよね?」

「始祖……? ああ、東雲さんですか。
でも、アルファー室長と東雲さんは別の系統ですよね?」

「はい。
ですが、やはり東雲なのさんはロボットの先駆けですし。
私達には伝説的な人なのでそうお呼びした方がしっくり来ると言うか……」

「やめましょう、そういう呼び方は。
きっと東雲さんもそういうのは嫌がると思います。
始祖なんかではなくて……、そうですね。
親戚のお姉さんと呼ぶのはどうでしょうか」

親戚のお姉さん……。
無論、私に親戚など存在出来るはずもないが、
東雲なのさんをそういう関係として捉えるのは悪くない気がした。
何だか彼女を一気に身近に感じられる。
76 :ねねこ [saga]:2012/01/09(月) 15:40:09.86 ID:TaUpFFp00


今回はここまでです。
囲碁サッカー部大活躍。
主にユリアさん。
77 :ねねこ [saga]:2012/01/12(木) 20:44:50.77 ID:DE4CuiAp0
「そうですね……。
なら、恐縮ですが、これからはそう呼ぶ事にしたいと思います」

若干躊躇いがちに私が呟くと、ユリアさんが嬉しそうに頷いてくれた。
恐らく、私が東雲なのさんと出会う事は無いだろう。
私が彼女をどう呼ぼうとも彼女はそれを知る由が無いし、
もし知ったとしてもあまり気にしないのではないだろうか。
ユリアさんの口振りから察するに、彼女はきっとそういう人なのだろうと私は思う。

だけど、彼女と会う事が出来ないという現実は、
私の胸の中にとても残念な感覚を残していた。
一度、会ってみたかったが、それはきっと叶わない。
私は遥か空の上に在り、彼女は地上で大地を踏み締めて生きているのだ。
遠い遠い二人の距離だが……、
お互いに選んだ道を進めれば嬉しいと思う。

私は少しだけ微笑んで、ユリアさんへの質問を続ける。

「私の親戚のお姉さん……、
東雲なのさんはどの様な方だったんでしょうか?
資料では読んだ事がありますし、
ユリアさんに何度かお話頂いた事もあるんですが、
やっぱりもう少し踏み込んだお話が聞いてみたくなりまして……」

その私の言葉を、ユリアさんは真正面から受け止めてくれた。
真面目な表情で、何かを思案している様に首を捻っている。
私に伝えるべき言葉を考えていてくれているのだろう。
それだけで、私は嬉しく思えた。
数秒後、ユリアさんはゆっくりと口を開いた。

「そうですね……。
前にもお伝えしたと思いますが、
私は東雲さん自身とそうお話した事があるわけではありません。
高校の同級生ではありましたが、クラスも違いましたし、
一学年だけで十五クラス以上ある大きな学校でしたからね、
廊下で擦れ違う事すらそんなにありませんでしたよ。
ですが、やっぱり少し目立つ人でしたから、擦れ違う度に気にしてはいましたね」
78 :ねねこ [saga]:2012/01/12(木) 20:45:16.79 ID:DE4CuiAp0
「目立つ……?
まさか人間の方と何か大きな違いが……?」

「ええ、背中にネジが付いていましたから。
変わったファッションだな、って彼女を目にした当初の頃は気にしていました」

「ネジだけ……ですか?」

「そうですよ?」

何でもない事の様にユリアさんが首を傾げる。
彼女にとっては、きっと本当に何でもない事なのだろう。
何だか拍子抜けする気分だった。
さっき、ユリアさんの言葉を聞いた時、
人間とロボットの違いを東雲なのさんが如実に表しているのかと思い、少しだけ胸がざわついた。
圧倒的に他者が溢れる環境で、彼女がそれに耐えられたのかと不安になったのだ。
だが、ユリアさんの言葉を聞く通りであれば、
東雲なのさんは恐らくは普通の生徒として学校に通えていたのだろう。
無論、背中のネジは多少は目立ったのだろうが。

私にはユリアさんという理解者が居てくれた。
東雲なのさんにもユリアさんの様な理解者が居てくれたのだろうか。
そうであれば、とても嬉しい。
私の表情が軽く緩んだ事に気付いたのか、ユリアさんが話を続けた。

「背中のネジを除けば、東雲さんは本当に普通の高校生でした。
少し物静かな方ではありましたが、学校内の活動にはとても積極的で、
照れたり笑ったり怒ったり泣いたりもする極普通の女の子でしたよ。
数度、囲碁サッカー部の活動に参加してくれた事もあったんですが、
内気で赤面症な所があった私にも、気さくに話し掛けてくれましたしね。
それに……」

「それに?」

「東雲さんには同じクラスに仲の良い友達が居たみたいですよ。
いつもというわけではありませんが、友達四人でよく遊んでいたみたいです。
囲碁サッカー部にも四人で何度か来てくれました」

東雲なのさんの友達。
ロボットである事を知ってか知らずか、
東雲なのさんと仲良くしていたというクラスメイトの人達。
東雲なのさんはどれだけその人達に救われた事だろう。
私も間接的にその人達に救われた気分だ。

失礼かもしれなかったが、
私はユリアさんから少しだけ視線を逸らし、また地上を見下ろした。
何が見えるわけでもない。
眼を凝らせば、豆粒の様な大地が何とか見えるくらいだ。
それでも、私は名前も顔も知らない東雲なのさんの友達に思いを馳せた。
その人達がどんな人なのか、
今も存命なのかすらも分からないが、出来る限りは幸福であってほしいと思う。
そして、出来る事ならば、私の親戚のお姉さんを支えてあげてほしい。
79 :ねねこ [saga]:2012/01/12(木) 20:45:44.59 ID:DE4CuiAp0





今、私は町を歩いています。
ゆっくりと歩いて、ゆっくりと周りを見回して、
ゆっくりと変わっていく町をしっかりと記憶に焼き付けながら。
道路の周囲はススキのような多くの長い草に包まれて来ていて、
少しずつ草原に埋もれていっていて、ちょっとした不安が私の胸に生まれます。
それでも、道路はまだ健在で、元気そうに存在してくれています。
人がまだしつこく通るからなのでしょうか。
それとも、道路自身がその場に存在したいという意識を有しているのでしょうか……。

勿論、普通に考えれば後者が有り得ない事は分かっています。
そう考えてしまうのは、単に私の感傷に似た感情からかもしれません。
そもそも、この世界に存在するはずも無かった生命。
生まれ出るはずの無い思考。
幸運にも私達は、そんな存在としてこの世界に生み出されました。
恐らくは人と一緒に生きていくために……。
だから、例え道路でも、家でも、冷蔵庫でも、本でも、
それが無機物だからと言って、感情が無い物だとは私には考えられません。

今、私が町をゆっくりと歩いているのは、単なる散歩ではありません。
いえ、散歩でもあるんですけど……、
それ以上に一つ重要な目的があって、周囲を見渡ながら歩いているんです。

先月、大きな台風が日本に上陸しました。
『メイホワ』という名前のかなり大型の台風です。
幸いこの町に直接上陸する事はありませんでしたが、
それでもメイホワはかなり大きな影響を時定市に与えていました。
暴風により薙ぎ倒された樹木も沢山ありましたし、
人の住まない古い家なんかは何件か崩れてしまったのだそうです。
台風当日ははかせも恐がって眠れず、
台風一過した次の日には一日中眠っていたりもしていました。
お恥ずかしながら雷が苦手な私も、
はかせと同じく眠れなかったのですが……。

だから、今日は台風の影響で変化した地形、
歩くのが危なくなった道などを調査するために私は歩いています。
はかせは好奇心が旺盛ですし、阪本さんも抜けている所があるので、
お二人には危険な場所などを教えて差し上げられれば、と考えたからです。
私もそう注意深い方ではないのですが、
少なくとも私はお二人よりも頑丈な身ではあります。
何かが起こっても、ある程度までは大丈夫でしょう。
80 :ねねこ [saga]:2012/01/12(木) 20:46:12.56 ID:DE4CuiAp0
「この場所は危険……っと」

呟きながら、私は地図に印を付けていきます。
コンクリートの破片が転がっている空き地。
今にも崩れ落ちそうな家屋が密集する団地。
既に崩壊してしまっている古い家屋……。
念を入れて調べてみると、想像以上に多く危険な場所がありました。
勿論、危険だから近付かなければいいというわけではありません。
危険を知った上で行動しなければならない事があるのも知っています。
ですが、危険の存在を知らなければ、警戒自体も出来ません。
警戒の必要性を知るためにも、私の行動は無駄にはならないはずです。

ある程度の調査が終わって一息吐くと、
私は踵を返して足早に家路に着きました。
はかせもそろそろお腹を空かせ始めた頃でしょうし、
暇を持て余して阪本さんに何か悪戯をしているかもしれませんしね。
今日のお昼ご飯は何にしようかな。
はかせ、野菜嫌いが全然治らないからなあ……。
だからと言って、野菜を食べてもらわないわけにはいかないし……。
うーん……。
一昨日、いい卵も買えた事だし、今日はオムライスでもいいかも。
うん。今日ははかせに危険な場所の説明もしなきゃいけないから、
その説明を聞いてくれるご褒美って事で、はかせの好きなオムライスにしよう。

考えながら歩いていると、私はあっという間に自宅の玄関に到着していました。
それもそうです。
元々、はかせや阪本さんの行動範囲を考えての調査でしたから、
自宅からそれほど遠くまで歩いていたわけではありませんしね。

「はかせ、阪本さん、ただいま戻りました」

言いながら、私は玄関を軽く開きます。
返事を期待しての挨拶ではありません。
単に習慣になっている挨拶ですし、
この時間帯は特にはかせが何かに夢中になって遊んでいる時間帯です。
阪本さんと何かをして遊んでいて、
私の帰宅に気付かない事も結構ある事でしたから。

「あ、おかえりなさい」

でも、私のその挨拶には意外にも返事がありました。
しかも、その声ははかせのそれでも、阪本さんのそれでもありませんでした。
聞いた事がない誰かの初めての声色……。
だ……、誰っ?
緊張が高まるのが、自分自身でも分かりました。
知らない人が東雲研究所を訪れる事なんて、ほとんどありません。
しかも、声の響き方からして、訪問者は居間に上がっているみたいです。
勿論、警戒する必要は無いのかもしれません。
いくら無邪気で警戒心の薄いはかせでも、
信用の出来ない怪しい人を自宅に上げたりはしないはずです。
しない……と思いたいのですが。
81 :ねねこ [saga]:2012/01/12(木) 20:46:42.92 ID:DE4CuiAp0
……あ、やっぱり駄目だ。
ちょっと思い返してみただけで、
はかせってば初対面の相生さんや中村先生を簡単に自宅に上げちゃってるよ……。
お二人とも悪い人ではありませんからその時は問題はありませんでしたが、今回もそうだとは限りません。
もしも不審者だったら、腕のマシンガンでどうにかしないと……。
豆鉄砲ですけど、少しくらいは役に立つはず……。

私がそう考えている内に、
聞いた事のない足音が玄関にまで近付いて来ていました。
多分、訪問者の誰かが私を出迎えに来たのでしょう。
うう……、顔を見るのが恐い……。

「ごめんなさい。勝手にお邪魔しちゃってます」

予想よりも柔らかい態度と柔らかい声。
悪い人ではないのでしょうか。
いえ、まだ油断をしてはいけません。
はかせと阪本さんは私がこの身でお守りするんですから!
私は意を決して、訪問者の顔に視線を向けました。

「……えっ?」

一瞬、私は間抜けな声を出してしまっていました。
私を出迎えたのは初対面の人。
緑色の髪とあずき色の瞳をした大人の女の人。
私がその人と出会った事はこれまでにないはずです。
なのに、私にはその人が誰なのか分かっていました。
何故なのかは分かりません。
ひょっとすると、記憶のキャッシュの様な物が残っていたのでしょうか。
ココネさんと唇を合わせて、データのやりとりをしたあの時に……。
それとも、もっと他の理由なのか……。
でも、私には分かっていたんです。
少し照れ笑いを浮かべて私を出迎えてくれたその女の人こそ、
ココネさんが語っていたコーヒー屋さんの素敵な人……、
アルファさんなんだって事が。
82 :ねねこ [saga]:2012/01/12(木) 20:47:25.94 ID:DE4CuiAp0


此度はここまでです。
やっと『ヨコハマ買い出し紀行』になりそうです。
83 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/01/12(木) 22:10:44.60 ID:X+RsRxlyo
アルファさんキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
84 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/01/12(木) 23:39:53.11 ID:IbeMtn4AO
乙!
85 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/01/30(月) 17:01:10.10 ID:PiNGJvUBo
どうしちゃったんだろう…
せっかくアルファさんが出てきたのに!のに!
86 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(山梨県) :2012/01/31(火) 00:00:37.78 ID:2ouAnbfG0
最初からここまで読ませてもらいましたが、これは名作!と思いました。
ねねこさんの気が向いたらでいいので、続きを期待しています。
87 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/02/04(土) 20:44:38.92 ID:Sm2qxcamo
アルファさんはまだか
88 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/02/05(日) 05:15:25.65 ID:AR0YiPOE0
おいおい…よしてくれよ?こんなところでエターとかは。もったいない、もったいなさすぎる
89 :ねねこ [saga]:2012/02/07(火) 19:30:48.62 ID:ory16CjK0





東雲研究所の中、私ははかせと一緒に居間で座っています。
突然のお客さんに胸が高鳴るのを感じながら、
それでも、私は何時の間にか自分が笑顔になっているのを感じていました。
誰かが訪ねて来てくれるのはココネさん以来の事です。
世界がゆっくりとした時代になって、
皆さんがのんびりした生き方を選ぶようになったのは、素敵な事だとは思います。
ですが、のんびりとし過ぎてしまうのが、ちょっと玉に瑕でもあるかもしれません。

実はかく言う私も他の方の事は言えないのですが、
のんびりと過ごすだけで一日が終わってしまう事も多いですし、
待ち合わせに遅刻するどころか、待ち合わせの時間を決めない事もよくあります。
そのせいで、どなたかのお宅を訪ねる用件を先延ばしにしてしまい、
気が付けば用件を果たせたのが予定より半年近く後になってしまっていた事もありました。
沖縄の方に住んでいる方々の中には、
沖縄時間という独特の時間を過ごしてらっしゃる方が居るそうですが、
今は世界中の皆さんがそういう時間の中で生きてらっしゃるのかもしれません。
勿論、私も含めて、なんですけどね。

でも、だから、だと思います。
突然のお客さんがこんなに嬉しいのは。
本当に笑顔になってしまいます。
のんびりとした時間の中に私達を招き入れてくれる事が嬉しくて。
それも面識があるわけでもないのに、
初対面の私達に会いに来てくれるなんて……。


「はーい、お待たせしましたー。
カフェアルファ特製のコーヒーが入りましたよー、っと。
なーんて、いつもと違う豆と炒り方なんだけどね」


コーヒーをお盆に載せて、アルファさんが居間に戻って来られました。
お手伝いしようと私が立ち上がろうとすると、
「あー、いいのいいの」と微笑みながらアルファさんは私の行動を制しました。
私は申し訳ない気分になりながら、軽く微笑んでからアルファさんに謝ります。
90 :ねねこ [saga]:2012/02/07(火) 19:31:30.31 ID:ory16CjK0
「すみません、アルファさん。
お客さんに給仕さんなんてさせてしまって……」


「いいんだって、なのは気にしなくても。
私が好きでやらせてもらってる事なんだもん。
それより、飲んで飲んで。
特製ってわけじゃないけど、自信作なんだから」


アルファさんが笑顔でちゃぶ台にコーヒーの入った湯呑みを置いていきます。
私の分、はかせの分、アルファさんの分の三杯です。
全員分を置き終わった後、アルファさんは私とはかせを挟む形で座ります。
すると、湯呑みに入ったコーヒーを見ながら、はかせが眉をひそめて呟きました。


「はかせ、苦いの嫌いなんだけど」


「ちょっと、はかせ、失礼ですよ。
折角アルファさんがコーヒーを淹れて下さったんですから」


「アルファは好きだけど、コーヒーは嫌いなんだけど」


「もう……、はかせったら……」


はかせの言う事は分かります。
はかせの味覚にはコーヒーは苦過ぎるのも分かっています。
ですが、これではコーヒーを淹れて下さったアルファさんに悪いです。
申し訳ない気分で私がアルファさんに視線を向けると、
意外にもアルファさんは嬉しそうに微笑んでいました。
それは本当に意外で、私はついアルファさんに訊ねてしまっていました。
91 :ねねこ [saga]:2012/02/07(火) 19:32:21.88 ID:ory16CjK0
「あの……、アルファさん……?
どうかしたんですか……?」


「あ、ごめんね、なの。
いやいや、ちょっと懐かしくなっちゃって。
そういえばタカヒロもマッキちゃんも、小さい頃はコーヒーが苦手だったなって。
あ、タカヒロとマッキちゃんってのは、近所に住んでる子の名前なんだけどね。
それが何時の間にか砂糖もミルクも無しでコーヒーを飲めるようになったのよね。
下手すると、私のより苦いコーヒーでも平気で飲めてるかも。
生意気だよねー」


そう言ったアルファさんの瞳は輝いていました。
とても大切な思い出なんだろうと思います。
でも、同時に私は、アルファさんが少し寂しそうな表情を浮かべている事にも気付きました。
アルファさんは私と同じロボットの人で、
アルファさんの口振りからすると、近所の子達は人間の方なのでしょう。
のんびりした時間の中でも、やっぱりロボットと人間の方の生きる時間は違います。
だから、アルファさんは寂しそうな表情を浮かべてらっしゃるんでしょう。
今はかなり成長したんでしょう近所の子達の姿を思い浮かべながら……。

私はコーヒーを目の前にして、
飲む前から既に苦い顔をしているはかせを見つめます。
小さなはかせ。
元気で賑やかなはかせ。
変わらないはかせ。
私ははかせにどうなってもらいたいのでしょうか。
このままいつまでも変わらないはかせで居てもらいたいのか。
それとも、私は大きくなって大人の姿になったはかせを見たいのでしょうか。
……その答えはまだ出せません。


「ねえ、はかせ?
苦いのが苦手なら、砂糖とミルクをたっぷり入れちゃってもいいんだよ?
はかせの好きな様に飲むのが一番なんだから。
でも、あんまり入れると甘くなり過ぎるから、その辺だけは気を付けてね」


笑顔を浮かべて、アルファさんが手に持った砂糖とミルクをはかせの手に握らせます。
途端、はかせの顔が輝いて、「いいの?」と嬉しそうに言いました。
たまにはかせがお姉さんぶってコーヒーを飲もうとした時、
砂糖とミルクをたっぷり入れて飲もうとしているのを、いつも私が注意しているからでしょう。
「コーヒーは苦いからコーヒーなんですよ!」と何度も注意した覚えがあります。
92 :ねねこ [saga]:2012/02/07(火) 19:33:32.89 ID:ory16CjK0
「いいんですか、アルファさん?
自信作のコーヒーなんですよね?
やっぱり、自信作ならそのままの味の物を飲んだ方が……」


私が訊ねると、アルファさんが苦笑して頭を掻きました。
私より年上の方なのに(外見的な話です。実年齢は私の方が上ですね)、
その仕種はとても愛らしいものでした。


「いやー、カフェ経営の身としては邪道かと思うんだけどね……。
でも、個人の好きなように飲むのが一番。
コーヒーはどう飲むかより、誰と飲むかが大切だって思ってるからね。
……なーんて、言うほど私もコーヒー道に深いわけじゃないんだけどね。
まだまだ修行中っす」


胸の前で拳を握り締め、アルファさんが楽しそうな笑顔を浮かべます。
よく笑う人だな、と思いました。
嫌なわけではありませんし、むしろ嬉しい事なのですが、意外ではありました。
これまで出会ったロボットの方の中には、
アルファさんほど笑顔の似合う方は居なかったように思います。
ココネさん、ナイさん、それに勿論、私も含めて。

ですが、アルファさんは楽しい時、嬉しい時、照れ笑う時にも、
すっごく自然で、すっごく印象的な笑顔を浮かべてくれています。
私達とは感情統制の機構の処理能力が異なっている……、
そう考えるのは簡単でしたが、私はそう考えたくはありませんでした。
これはアルファさんが自分の経験で得た個性……。
そう考える方が素敵でしたし、実際にもそうなのだろうと思います。
だからこそ、ココネさんもアルファさんに憧れてらっしゃるのでしょう。


「ぷはーっ! 甘くておいしかったー!」


コーヒーに好きなだけ砂糖とミルクを入れられるのが、よっぽど嬉しかったのでしょう。
気が付けば、はかせは苦手なはずのコーヒーをあっという間に飲み干していました。
私は苦笑してアルファさんと視線を交わします。
アルファさんも苦笑してから、軽くはかせの頭を撫でました。


「お、苦手なコーヒーが飲めたなんてすごいじゃない。
ありがとね、はかせ。お粗末さまでした」


「えへへー。はかせははかせなので」


言い様、はかせはアルファさんの膝に飛び込みました。
ココネさんの時には見られなかった懐きっぷりです。
多分、単純にアルファさんの方がはかせにとって懐きやすいのでしょう。
そういえば、はかせは長野原さんと水上さんよりも、相生さんと仲が良いみたいでした。
元気で物怖じしない……、そういう人の方がはかせの波長に合うんでしょうね。
93 :ねねこ [saga]:2012/02/07(火) 19:33:58.87 ID:ory16CjK0
「それはそうと……、ごめんね、なの。
急に押し掛けるみたいな形になっちゃって。
外で待とうかとも思ってたんだけど、
はかせが「家で待ってて!」て言ってくれたから、好意に甘えちゃった」


はかせの頭を撫でながら、アルファさんがまた苦笑を浮かべます。
私は一口コーヒーを頂いてから、軽く微笑み返しました。


「いいんですよ、アルファさん。
訪ねて来て頂けて、私、本当に嬉しいです。
ココネさんにアルファさんの話を聞いてから、
アルファさんとはずっと会ってみたいって思ってたんですから。
家に上がってた事も気にしないで下さい。
それははかせが判断した事なんで、アルファさんが気にする事じゃありませんよ。

でも、はかせ?
相手がアルファさんだったからよかったですけど、次は気を付けて下さいよ?
この町に変な人は居ないと思いますけど、
もしかしたらって事も……って、聞いてますか、はかせ?」


妙にはかせが静かな事が気になって、
私はアルファさんの膝に寝転がるはかせの顔に視線を向けました。
あーあ……、と私は小さく溜息を吐きます。
思った通り、はかせは小さな寝息を立てていました。
寝付くの早いなあ……。


「ありゃま。
はかせ、もう寝ちゃったんだ。コーヒー飲んだ後なのに……。
ま、さっきまで私と遊んでてくれたから、はしゃぎ疲れたのかもね」


アルファさんが苦笑しながら呟いて、私も釣られて苦笑します。
はかせがはしゃいでた事は間違いないでしょう。
この時代になって、はかせは私以上に家に籠りっきりで過ごしています。
元々外歩きの多い人ではありませんでしたが、
やっぱり私と阪本さん以外の人と触れ合う機会が少ないのは寂しいのでしょう。
たまのお客さんにはしゃいでしまうのも無理ないと思います。
出来ればはかせを相生さんと会わせてあげたいのですが、
相生さんは遠い町に居ますし、相生さんにも色々と事情がありますしね。


「とにかく、今日はありがとうございます、アルファさん。
はかせは勿論、私もアルファさんに会えて嬉しいです。
本当なら私の方がアルファさんのお店に顔を出したかったんですけど、
はかせがバイクのサイドカーに乗るの苦手なんで、後に後に回してしまってたんですよね。
本当に申し訳ない限りです……。

でも、今日はアルファさんも急にどうしたんですか?
訪ねて頂けたのは嬉しいんですけど、お店の方は大丈夫なんですか?」


私が訊ねると、アルファさんは少しだけ沈んだ表情を浮かべました。
何か失礼な事を訊ねてしまったのでしょうか?
そう思って少し不安になっていると、
アルファさんはまた笑顔を浮かべて、私の質問に答えてくれました。


「いやー、実はね……、お店、壊れちゃったんだ」


「ええーっ!!?
ど、どうしてですか?」


「ほら、先月にでっかい台風があったでしょ?
『メイホワ』。あの台風でね、ものすっごくバラバラになっちゃって……。
それで今は修理費用のために出稼ぎの外歩き中なんだよね。
ま、結構長い事戻らない予定だったから、
なのと入れ違いにならなかったのが不幸中の幸いかもねー」


これはアルファさんに辛い事を思い出させてしまったのかもしれません。
私はとても申し訳ない気分になって謝ろうと思ったのですが、
アルファさんの明るい笑顔がそれをさせてくれませんでした。
アルファさんの表情は「謝らなくてもいいよ」と言ってくれてる様な素敵な笑顔でした。
これは謝ってしまった方が逆に失礼でしょう。
94 :ねねこ [saga]:2012/02/07(火) 19:37:41.88 ID:ory16CjK0


今回はここまでです。
他にも書いていたので、遅くなってしまいました。
すみません。ありがとうございます。
またよろしくお願い致します。
95 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/02/08(水) 00:21:26.90 ID:JZemonZAO
乙です

やっぱりヨコハマはいいですね〜

また読みたくなってきた
96 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(山梨県) [sage]:2012/02/09(木) 20:16:19.06 ID:Skm9EQGh0
続きキター!
日常とヨコハマの両作の雰囲気が大事にされている感じが良いですね。
97 :ねねこ [saga]:2012/02/21(火) 19:22:13.29 ID:2E5Cm4Az0
笑っていいものなのか迷いましたが、私はアルファさんに小さな笑顔を向けました。
あんまり素敵な笑顔だったので、こちらも笑顔になりたい気分だったんです。
上手く笑えたかは分かりませんが、私はそのまま小さく口を開きました。


「何だかとても残念です。
アルファさんのお店、もっと早くに行っておけばよかったなあ……。
いえ、アルファさんが修理されるのは分かっていますし、
アルファさんならきっときちんと修理して下さるんだろうって信じてます。
でも、やっぱり残念ですよね……。
ココネさんとアルファさんが大好きなお店、一度見ておきたかったです」


言ってから、私はちょっとだけ目を伏せます。
アルファさんの笑顔を素敵さだと思う気持ちと、
アルファさんのお店を見られなくて残念な気持ちが、
心の中で相殺し合って、自分でも分かるくらい複雑な表情を浮かべてしまいました。

ですが、その間もアルファさんは笑ってくれていたんです。
ココネさんや、多くのお客さんが惹かれてるんでしょう温かな笑顔。
その笑顔が胸の中に残って、いつの間にか残念な気持ちが吹き飛んでいました。
一番辛いのはアルファさんのはずなのに、何故か私の方が慰められてるみたいです。
笑顔のまま、アルファさんが言ってくれます。


「私もなのとお店で会えなくて残念。
自分で言うのも何だけど、いいお店だったと思う。
メニューはコーヒーとメイポロくらいしか無いけどね、
でも、常連のお客さんだって居るんだから」


「メイポロ……ですか?」


「ありゃま。群馬の国の人には馴染みが無かったかな?
そういう木の汁のお湯割りがあるのよ。
そうだ。今度、サービスで飲ませてあげるわね。
身体の芯から温まるって感じで、お勧めの品だよ」


「そうなんですか。楽しみです、メイポロ。
その時には私もアルファさんにお土産をお持ちしないといけませんね。
そうだ。たこわさびなんか今日のお土産にいかがですか?
確か丁度台所に置いていたはずなので、よろしければ今からでも召し上がられてみます?
クセはありますが、食べてみると美味しいですよ」


「あ、ごめん、なの。
私、タコはちょっと食べられないんだ。
動物性のタンパク質が体質的に合わないみたいで摂取出来ないんだよね。
勧めてもらって申し訳ないけど……、ごめんね、なの」


「あ、いえ……。
こちらも知らない事とは言え、何だか失礼な事を……」
98 :ねねこ [saga]:2012/02/21(火) 19:22:41.98 ID:2E5Cm4Az0
動物性のタンパク質が体質的に合わない……。
そういえば、そういう体質のロボットの方が居ると一度聞いた事があります。
普通に生活をする上では問題は無いらしいので、個性という事になるのでしょうか。
たこわさびはともかくとしても、
動物性のタンパク質の食べ物が食べられないというのは、気の毒に思えました。

いえ、それも余計なお世話というものでしょう。
動物性のタンパク質を摂取出来ないと言いながらも、
アルファさんはちょっと困った様に苦笑しただけでした。
自分の個性と長く付き合ってきた方が浮かべられる表情……。
それは、私が背中のネジをそのままにしておこうと思えた時、
やっと浮かべられた表情に似ている気がしました。

人間の方は生まれ持った物を変える事は出来ません。
顔や、身体や、外見や、健康さや、
そんな色んな物を受け容れるしかありません。
どんなに理不尽でも、人間の方はそれを受け容れて生きてらっしゃっています。

私達はロボットです。
変えようと思えば、いくらでも変えられるのでしょう。
ひょっとしたら、はかせの技術を持ってすれば、
アルファさんも動物性のタンパク質を摂取出来る様になるのかもしれません。
ですが、多分、いえ、きっとアルファさんはそれを望まないでしょう。
メリットもデメリットも、長所も短所も、
全てが自分を自分として構成している物だって、思ってらっしゃるはずですから。
だからこそ、こんなにも素敵な笑顔を浮かべられるのでしょうから。


「あ、でもさ、なの……」


不意にアルファさんが頭を掻きながら、恥ずかしそうに言われました。
軽く苦笑してらっしゃるようにも見えます。


「やっぱり、そのたこわさびってやつ、貰っちゃっていい?
私は食べられないんだけど、誰かのお土産になるかもしれないし……。
あははっ、自分で食べないくせにお土産を要求するなんて、がめついけどね」


「いえいえ、そんな事はありませんよ。
どなたかへのお土産にして頂けるんなら、私も嬉しいです。
いくらでもお持ち帰りになられて下さいね」


私が微笑むと、アルファさんがまた頭を掻きました。
照れたり、恥ずかしがったりした時の癖なのかもしれませんね。

と。
頭を掻いていたアルファさんがその手を止めて、とても真面目な顔をされました。
99 :ねねこ [saga]:2012/02/21(火) 19:23:43.84 ID:2E5Cm4Az0
「いつか……、いつかは分からないけどね……。
お店が修理出来たら、なのとはかせに手紙を出すね。
手作業だから上手く出来るかは分からないけど、
きっと前よりも立派なお店に修理するから、その時には絶対遊びに来てね。
たこわさびのお礼に、たっぷりサービスしちゃうから」


真剣な表情と真剣な言葉。
そんなアルファさんが眩しくて、私も真剣な表情になって頷きました。
アルファさんなら、きっと壊れたお店を立派に修理して下さるでしょう。
何年掛かったって、決して諦めないで、強い意志を持って……。

私も、それまでには、決心したいと思います。
これから先、私がはかせとどんな風に生きていくべきかを。
ずっと近くで私達を見守ってくれていた中村先生と相談をしながら……。


「なの、私ね……」


アルファさんが少し表情を崩し、軽く微笑んでから続けられます。
今は先の事を考えるより、目の前のアルファさんとお話をするべきでしょう。
私も小さく微笑んで、小さく首を傾げながら訊ねました。


「どうしたんですか、アルファさん?」


「私ね、『メイホワ』にはちょっとだけ感謝してるんだよね」


「そう……なんですか?」
100 :ねねこ [saga]:2012/02/21(火) 19:25:27.94 ID:2E5Cm4Az0
「うん、『メイホワ』がお店を壊さなきゃさ、
私、こんなに長い間、外歩きをする事なんて無かったと思うんだ。
アルバイトをしながら自分の足で歩いてみて、
世界ってこんなに広かったんだって、初めて気が付いた気がする。
これまでもバイクで色んな所に行ってたんだけど、やっぱり徒歩とバイクじゃ全然違うよ。

色んな物をいっぱい見て、いっぱい感じて、生きててよかったって思えるの。
本当は無かったはずの命だけど、命を貰えてよかったって感じるんだ。
もっと色んな物を見届けたいって思えるんだよね。

勿論、なのと会えたのも、嬉しかったよ。
ココネからなのの話を聞いて、一度会ってみたいとは思ってたんだけど、
『メイホワ』が来なかったら、思ってるだけだったんじゃないかな。
行こう行こうと思いながら、いくらでも待ってられる自分の身体に甘えちゃってたかも。

『メイホワ』にはそんな色んなチャンスを与えて貰えた気がするのよ。
もっと広い世界を見るためのチャンスを『メイホワ』がくれたんだと思う。
だから、あの台風にはちょっとだけ感謝。

当然だけど、それ以上に腹も立ってるけどね。
いくら何でも、あんなにお店をぶっ壊さなくてもいいじゃんよ……。
おのれー。
許さんぞー、『メイホワ』めー……!」


言葉こそ物騒でしたが、アルファさんは最後の方まで笑顔のままでした。
アルファさんはきっとお店が壊れてしまった事すら、
新しい思い出を作るための一歩なのだと考える事に決めているのでしょう。
これからも、色んな事を受け容れ、色んな物を見届けていくために。

私は一口、アルファさんの淹れて下さったコーヒーを口に含みます。
少し冷めていましたが十分に温かく、美味しいコーヒーでした。
一息吐いてから、私は言葉と想いをアルファさんに届けます。


「私もアルファさんとお会い出来て嬉しいです。
それこそ『メイホワ』が上陸しなかったら、
はかせを連れての遠出が難しいのもあって、
アルファさんのお店に行く事も出来てなかったかもしれません。
『メイホワ』には本当に、ちょっとだけ感謝ですね。

御手紙、お待ちしてますから、お店が直ったら是非呼んで下さい。
バイクに乗って、たこわさびを持って、すぐに駆け付けますから。
絶対絶対、駆け付けますから!」


「うん、絶対呼ぶね、なの。
お店で……、『カフェ・アルファ』で待ってるよ。
『カフェ・アルファ』はいつでもお客様のお越しをお待ちしております。
てろてろな時間の束の間の安らぎをお客様にご案内……、
なーんて、変なキャッチフレーズみたいだけどね」


言って、アルファさんが右手の小指を差し出します。
私はその小指に自分の小指を絡め、強く誓い、願いました。
もうすぐ訪れるはず私達の夜の時……。
この世界の夜ではなく、人の世の夜という話でもなくて……。
他の誰でもない、私達に近く訪れる夜の時を、
安らかに過ごせるように。
101 :ねねこ [saga]:2012/02/21(火) 19:26:01.64 ID:2E5Cm4Az0


今回はここまでになります。
終わりっぽいですが、まだまだ続くのでよろしくお願いします。
102 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/02/22(水) 00:30:41.59 ID:Ilgefo6AO
キテター

乙です
103 :ねねこ [saga]:2012/03/04(日) 14:36:34.48 ID:3MkZB8Lw0





「嫌だよ! そんなの……、絶対に嫌だよ!」


相生さんが大声で叫んでいます。
必死な顔で、水上さんに向けて、声が嗄れそうになるくらいの大声で。
相生さんが、強く叫んでいます。


「まったく……、ゆっこはホントにバカだなあ……」


長野原さんが相生さんの手を取って、静かに囁きます。
それは口癖になってる長野原さんの言葉、ちょっとした軽口……。
ですが、長野原さんの表情は辛そうでした。
今にも泣き出しそうな顔で、長野原さんは相生さんを見つめています。


「バカでいいよ! 私がバカって事でいいよ!
バカでも何でもいいよ!
でも、こんなのってないよ! 嫌だよ!
だから、麻衣ちゃん……!
嘘って言ってよ! いつものボケだって言って、私をバカにしてよ!」


普段、バカと言われる事を嫌う相生さんが、何度もバカを自称します。
今の水上さんを認めるくらいなら、バカでも構わないってそう言っています。
私も相生さんと同じ気持ちでした。
バカで構いません。
いつもの水上さんのボケなんだって思いたかったです。

でも、水上さんは何も言わずに、誰の言葉にも反応してくれなくて……。
その事が私の胸を強く痛めます。
多分、それ以上に相生さん達の心を傷付けてしまいます。


「やだよぉ……。
こんなの……信じたくないよぉ……!」


相生さんの目から大粒の涙がこぼれ始めます。
嗚咽を上げて、大声で泣き出し始めます。
相生さんの手を握る長野原さんの瞳にも涙が浮かび始めました。
そして、私も……。
私の目からも、大きな涙が流れ始めて……、
どうにかなっちゃいそうな胸の痛みを感じて、悲しくて、辛くて……。

気が付けば、相生さん、長野原さん、私の三人で大声で泣いていました。
何も言って下さらない水上さんの前で、
建物中に響き渡るような大きな声で、長く長く泣いてしまいました。

それは思い出……。
辛くて、悲しくて、思い出すだけで、涙が溢れそうになる……。
だけど、それは同時に私の……、私達の大切な思い出。
早過ぎる時の流れの中でも、絶対に忘れない私の大切な記憶です。
104 :ねねこ [saga]:2012/03/04(日) 14:37:04.92 ID:3MkZB8Lw0





「……あ」


目を覚ました時、私は自分が少しだけ泣いている事に気付きました。
久し振りに見た夢のせいでしょう。
何度見ても、慣れる事はありません。
何度見ても、目を覚ました時にはいつも泣いてしまっています。
でも、嫌なわけでもありません。
悲しい夢ですけど、辛い夢ですけど、
その思い出が今の私を形作ってるって思えますから、この夢の事は嫌いじゃないんです。

この時期が近付くと、私はいつもこの夢を見てしまいます。
心の中で意識してるんでしょうね。
忘れちゃいけないんだって。忘れたくないんだって。
私達の思い出をずっと失くしたくないんだって……。


「よかった……。私、まだ憶えてるんだ……」


つい嬉しくなって、私は軽く左手を握ります。
相生さん達と過ごした時の大切な思い出がまだ胸の中に残ってる……。
こんなに嬉しい事はありませんでしたから。
今日行われる行事が夢のきっかけの一つでもあるはずですが、
そういう意味で行事という習慣には感謝しないといけませんね。

近年、世界の時間がてろてろに過ぎ去るようになって、
季節の境目も曖昧になって、時間の流れがよく分からなくなりました。
時の流れが早いのか遅いのか、そもそも今は何月なのか、
そんな事すらもはっきりとは分かりにくくなってきた時代。
そんな時代の中で、私達に季節や過去を思い出させてくれるありがたい物が行事です。
暦を確認し、気の向いた人達だけが自主的に行う行事。
気を入れて挑むわけでもなく、絶対にやらなきゃいけないというわけでもありません。
ですが、少なくともこの町では、多くの人が色んな行事に参加しています。

皆さん、季節を感じて、色んな事に思いを馳せたいのでしょう。
当然、私も含めて。
はかせがお祭り好きという事もあるのですが、
私はこの町で行われるほとんどの行事に参加するようにしています。
やっぱり楽しいですし、今は遠くにいらっしゃる皆さんの事を思い出せますから。
それが嬉しいんですよね。

ふと、私は自分の右手が誰かに握られている事に気付きました。
勿論ですけど、私の手を握っていたのははかせでした。
私の方を向いて、右手で強く私の手を握ってくれています。
そのはかせの右手の中指には、細い紐が結ばれています。
紐の先に視線を向けてみると、赤い風船がふわふわと浮かんでいました。
そういえば、昨晩、はかせは指に風船の紐を絡めたまま寝てましたっけ。

正直、結構危ないですし、首に絡まりでもしたら一大事です。
そんな風に普段なら注意する所なんですけど、今日くらいは構わないでしょう。
今日の事ははかせも楽しみにしてらっしゃるんでしょうし、
私だって同じくらい……、いいえ、多分はかせよりも楽しみにしてるんですから。

はかせを起こさないように気を付けて、
身体を布団の中から起こすと、私は自分が微笑んでる事に気付きました。
楽しみで仕方が無い気分です。
だって、今日は時定高校で風船を飛ばす行事の日……。
元々はどんな由来があるのかは定かではありませんが、
今では本来の由来とは異なりながらも、
それでも大切な意味を持って行われる大切な行事の日なんですから。
105 :ねねこ [saga]:2012/03/04(日) 14:37:35.06 ID:3MkZB8Lw0





【東雲なの調査日誌 ――中村かな】


県立時定高校。
私は空を見上げてその時を待っている。
今日は年に一度、風船を空に飛ばすという由来のよく分からない行事の日だ。
しかし、学校の行事など、私は全く興味が無い。
大体、何だ。
風船を空に飛ばしてどうするんだ。
意味が分からんじゃないか。

しかし、今日だけは参加しないわけにはいかなくもある。
過去、時定高校で風船を飛ばす日は日付で決まっていたらしい。
それはそうだろう。行事なんだからな。
行事ってのは、大抵が毎年同じ時期に行われるものだろう。
だが、最近では風船を飛ばす日付は不定となっている。
不定となっているのは、
ある事と重なる日に風船を飛ばそうと、誰かが言い出したからなんだそうだ。

それについては、同意せざるを得ない。
誰だか知らんが、いい事を考えてくれたもんだ。
日々、何となく過ごしているだけでは、ついあれの事を忘れがちだ。
一時期あれだけ騒がれたのに、今じゃあれをはっきり覚えてる者は少ない。
だからこそ、行事という形であれの事を思い出させてくれるのはありがたい。
話題に上る事も少なくなっては来たが、私だってまだあれの研究は続けてるんだからな。

ふふふ、と笑ってから、私は周囲を見渡してみる。
校庭には風船を持った者が大勢集合していた。
あまり派手な行事ではないが、皆、多少は刺激に飢えているのだろう。
許可を取っているのかどうか、屋台も出てるようだな。
お、あれは……、大福の中之条か。
まだやってたんだな……。
儲かってるようには見えないが、よく続いているもんだ。
まあ、その情熱は見習うべきかもしれんがな。

そういや、あいつは来てるのだろうか?
と、無意識の内にあいつを探してしまったが、すぐに思い留まった。
何やってるんだ、私は!
国語のモミアゲが居ようが居まいが、知った事じゃないだろうが!
私とあいつの人生が重なる事は永久に無いだろうが!
大体、あいつは今、安中と……。
106 :ねねこ [saga]:2012/03/04(日) 14:40:18.45 ID:3MkZB8Lw0


今回はここまでです。
次から中村先生の話になります。
107 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/03/04(日) 21:57:29.99 ID:yBv+SgHAO


高崎先生と安中さんの関係が気になるところ
108 :ねねこ [saga]:2012/03/08(木) 19:01:19.93 ID:KZCU44ik0
顔が熱くなるのを感じる。
どうして私はモミアゲの事を考えて、顔を赤くしてるんだ……!
気の迷いだ、気の迷い!

拳を握り締め、首を激しく横に振る。
私は科学に全てを捧げた女なんだからな。
すぐにこんな顔の暑さなんて振り払ってやれるはずだ。
そうやって何度か首を振っていると、
不意に後ろから聞き慣れた声に呼び止められた。


「何かあったんですか、中村先生?」


「ギニア!!!」


思わず、変な声を出してしまっていた。
恐る恐る振り返ってみると、思った通りの顔がそこにあった。
無論、東雲とはかせだ。
二人で手を繋ぎ、繋いでいない方の手に大量の風船の紐を持ち、風船を浮かべている。


「ぷぷっ、ギニアだってー」


何がおかしいのか、はかせが笑いながら呟く。
この子供はいつもこうだった。
知り合ってから相当長いが、はかせのスタンスはいつまで経っても変わらない。
子供という物はそういう物なのかもしれないが、
未だに私にも詳しい事は分かっていないままだ。
子供という物と解明するには、科学はまだまだ力不足だ。
109 :ねねこ [saga]:2012/03/08(木) 19:05:38.37 ID:KZCU44ik0
「ちょっと、はかせ……。
中村先生に失礼ですよ。
それに中村先生を驚かせちゃったのは、私達の方みたいですし……」


東雲が自分の子供に言うみたいにはかせを叱る。
不思議なもんだな、とこの光景を見る度に私は感じる。
東雲を開発したのははかせだ。
本来ならばはかせが東雲の母親と言えるのに、
それとは逆に東雲の方がいつも母親的な立場を取っている。
関係性の逆転。
奇妙な光景で非常に興味深い。


「すみません、中村先生。
何だか私達が驚かしてしまったみたいで……」


東雲が頭を下げ、それに倣ってはかせも「ごめんなさい」と頭を下げた。
私は「気にするな」と言って、東雲の肩を叩く。
そうだ。気にする事ではない。
多分、モミアゲは今日はここには来ないだろう。
クリーニング店が繁盛してると聞くし、何も学校に来なくても風船は飛ばせる。
今日、モミアゲと安中と私は、この透き通るような青い空の下、同じ物を見上げるはずだ。
だとしたら、それでいいのだろう。

東雲は私が首を振っていた理由については訊ねなかった。
気を遣ってくれているのか、
私が首を振っていた理由に見当が付いたのか、
そのどちらなのかは分からないが、別にどちらでもいい。

それに私は東雲と話さなければならない事もある。
何度も東雲と話し合ってきた事。
しかし、頑なに東雲が固辞し続けて来たあの事について、だ。
実を言うと、東雲には私の申し出を受け容れてほしい。
私にはそれだけの技術が身に着いていると自負している。
つつがなく、東雲にとっていい方向に今の問題を解決出来るはずだ。
110 :ねねこ [saga]:2012/03/08(木) 19:14:25.26 ID:KZCU44ik0
それでも、東雲は首を縦には振らなかった。
自分自身よりも、はかせの事を考え、その件を固辞し続けた。
何度も断られる内に、私にも東雲の気持ちが分かるようにはなって来た。
東雲はたった一人の自分を大切にしたいのだ。
その結果がどんな風になっても……。

だから、今日は東雲に最終確認をするつもりだ。
余計なお世話だとは分かっているが、やはり諦め切れない私も居るのだ。
時定高校に赴任して、偶然にも東雲と出会えて、私の人生は輝いた。
大変な事も現在進行形で起こり続けているが、
自分の人生に目標を持たせてくれたのは東雲だった。
その東雲の役に立てるのなら、何でもしてやりたい気分なんだ。


「なあ、東雲……。
何度も聞いて来た事だが、最後にもう一度だけ単刀直入に訊かせてくれ。
おまえは……」


私は強い意志を持って、東雲に問い掛ける。
これは最終確認だ。
東雲の意志は変わっていないだろうという事は分かっている。
つまり、これは私の意志の最終確認でもある。
東雲の意志を確認し、私も最後の覚悟を決めたいと思う。

東雲が軽く瞼を閉じ、微笑む。
少しだけはかせの手を強く握ったようだった。
やはり私にこの件を訊かれる事は分かっていたんだろう。
分かっていて私に声を掛け、自分の意志をもう一度口にしてくれるつもりだったんだろう。
とても寂しくはあるが、心強くもある。
無機質であったはずの東雲が、これほどまでに強い意志を見せてくれる事が。
ロボットでも、強い意志を持てるのだという事が。

東雲が口を開く。
恐らくは決まり切った言葉を口にする。
それでいいんだ。
私がそう思った瞬間、想像もしていなかった事態が起こった。

唐突に駆け抜ける風。
大型の何かが飛び荒ぶ。
一瞬後、私は自分の肩にその何かの重さを感じていた。
何かに肩に乗られたのか?
鳥……?
カラス……か?
恐る恐る肩に視線を向けると、予想外過ぎる生物の姿が目に入った。


「ギニア!!!」


東雲に声を掛けられた時以上の大声で叫んでしまう。
そりゃあ、叫ぶだろうが!
くっ、あまりの驚きに私の鼓動がスタンピードしまくっている……!
落ち着け。
落ち着くんだ、私の中の『カウボーイ』ビル・ワット!!
111 :ねねこ [saga]:2012/03/08(木) 19:15:08.26 ID:KZCU44ik0
って、落ち着けるか!
鳥に肩に乗られる程度の驚きなら私だって耐えられる。
何度かカラスに肩に乗られる事もあるからな。
しかし!
こんな生き物に肩に乗られるのは初めてなのだ。
驚かない方がどうかしている。

私の肩に乗っていたのは、魚だった。
トビウオのようなヒレを有した大型の魚……。
こんな生き物が急に自分の肩に乗るだなどと、誰に想像が出来るというんだ。
大体、魚のくせにエラ呼吸はどうした、エラ呼吸は!


「な、中村先生……、その方、お知り合いですか……?」


東雲が少し驚いた表情で私の肩を指差す。
そんなわけがあるか!
私に魚の知り合いなんかおらんわ!

だが、東雲が驚いてくれたおかげで、私は少しだけ冷静になれた。
肩に乗られているから見にくいが、どうにか横目でその魚の顔を確認してみる。
かなりの大型。
魚のくせにサングラスの様な物を掛けているのがどうにも生意気だ。
水面と地上では物の見え方が違うから、それも必要なのだろうが……。

と。
私は不意に思い出した。
直接目にするのは初めてだが、図鑑で何度か見た記憶がある。
確かこの魚は……。


「わりいな。
そいつ、急に飛んで行っちまって……」


気が付くと、見知らぬ男が私達の方に駆け寄って来ていた。
髭を生やして、バンダナを頭に巻いている二十代から三十代くらいの男だ。
肌は浅黒く、身体は結構筋肉質だ。
国語のモミアゲをちょっとだけ想起させる。
その男の視線の先には私の肩の魚が写っているようだった。
どうやらこの男がこの魚の飼い主(?)らしい。


「わりい、驚かしちまったみたいっすね」


妙に訛りの強い口調で男が頭を下げる。
確かに驚きはしたが、別に私も怒っているわけではない。
貴重な生き物を見る事が出来て、逆に感謝したい気持ちでもあった。
私は苦笑を浮かべ、その男に言ってやった。


「気にする必要はない。
ミナミトビカマス……、直接見るのは初めてだな。
ある意味貴重な経験をさせてもらったぞ」


男が少しだけ驚いた表情を浮かべる。
私がミナミトビカマスの事を知っている事が、それだけ意外だったらしい。
確かに希少価値のある魚だから、知っている人間が少ないのかもしれんな。
男は微笑んで、口を開く。


「あんた、カマスの事、知ってるんすね」


「図鑑で見た事がある程度だがな。
珍しい魚だから、一度は見たいと思ってた所だ。
流石にこんな形で見る事になるとは思ってなかったかがな。
まあ、それもそれでいい思い出になるだろう」


「結構、逞しいんすね。
あ、おれはアヤセ。
こいつと組んで、大体ぶらぶらしてます」


こいつというのはカマスの事だろう。
そういえば、カマスを鷹匠のように操って漁をする人間が居るという話を聞いた事がある。
男……、アヤセもその一人なのだろう。
112 :ねねこ [saga]:2012/03/08(木) 19:17:05.66 ID:KZCU44ik0


此度はここまで。
今更なキャラも出てきました。
古参の人なのに。
113 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/03/09(金) 01:29:22.66 ID:x0OHdNMAO
乙です

アヤセさん懐かしいなぁ
114 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/09(金) 06:33:08.75 ID:Nc/PrK3IO
謎がふかまったー
原作はこれ完結したら読もう!
お疲れ様
115 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/03/16(金) 05:21:23.10 ID:LB7ktRcoo
俺は横浜買いだし紀行、という作品を読んだことはないが、ここまで楽しませてもらってる
みんな成長してるんだなー

あと、細かいことだけど一応時定は町じゃなくて市な
116 :ねねこ [saga]:2012/03/17(土) 18:24:00.75 ID:sk1v7eTz0
「自己紹介、ありがとう、アヤセ。
私は中村だ。この学校に勤めている。
それでこっちが……」


私の自己紹介が終わるより先に、アヤセは既に私から視線を離していた。
東雲が気になるのか、とも思ったが、そうではないらしい。
アヤセははかせの方に視線を向け、何かに納得したように頷いている。
子供好きなのか?
いや、違うか、と私は軽く首を振る。
そう思ったのは、肩に乗っているカマスもはかせの方を向いている事に気付いたからだ。

さっきアヤセはカマスが急に飛んで行ったと言っていた。
初対面なのだからよくは分からないが、
見る限りはアヤセはその道のプロなのだろうし、
カマスが勝手に飛んで行く事などは少ないはずだ。
つまり、子供好きなのはアヤセと言うより、カマスの方なのだろう。
カマスはきっと、近くではかせの姿を目にするために私の肩に止まったのだ。

視線を向けると、はかせが多少警戒した表情をカマスに向けている事に気付く。
それはそうだろう。
害の無い生き物だと分かってはいるのだろうが、
何しろ恐らくは私よりもはかせにとっても、カマスは得体の知れない生物に違いない。
カマスとはかせの視線がしばし交錯する。

私、東雲、アヤセの三人がその様子を見守る。
何か言ってやるべきだったのかもしれんが、ここははかせ達に任せた方がいいように思えた。
同じ様に思ってるからこそ、東雲達も何も言わずに穏やかに沈黙しているのだろう。

一分ほどの沈黙。
東雲の服の袖を掴んでいたはかせが、急に微笑んでカマスの方に手を伸ばした。
瞬間、私の肩から重さが消えた。
気が付けば、カマスは一瞬にしてはかせの手の上に移動していた。
はかせとカマスの視線が合い、はかせの瞳が輝き始める。


「カッコイイ!」


嬉しそうに、楽しそうに、はかせが歓声を上げる。
カマスの重量はそれなりのはずだが、はかせの表情からはそれは感じられなかった。
カマスがはかせの手に負担を掛けないよう止まっているのだろう。
……私には負担を掛けてもいいという事か。
まあ、止まり木扱いだったわけだしな……。
117 :ねねこ [saga]:2012/03/17(土) 18:24:41.36 ID:sk1v7eTz0
「アヤセってカマスの飼い主?」


輝いた表情のまま、はかせがアヤセに訊ねる。
アヤセは穏やかな表情を浮かべ、軽く首を傾げて応じる。


「んー……、飼い主っちゃー飼い主なんだが……、
相棒だなー、飼い主っつーより」


「あいぼー?」


「友達ってこった」


「友達なんだー」


二人、顔を合わせて笑う。
見かけによらず、アヤセは意外と子供に好かれる性質らしい。
子供と話す事に慣れているのかもしれない。
その辺、私としては素直に尊敬する。
私の言い回しは子供には難しいらしく、かなり不評を買う事が多い。
その点、アヤセは子供の視点に立って、
分かりやすい話し方をする姿勢が身に着いているようだ。


「おめー、名前は?」


視線を子供の高さにまで合わせ、アヤセがはかせに訊ねる。
はかせが口を開くより先に、カマスが私の肩に止まり直した。
やはりはかせの手に負担を掛けないよう止まり続けるのは辛かったのだろう。
それはそれとして、私は結局止まり木扱いなのか……。
そういえば随分と前、延々とスズメバチに頭に止まられ続けた事もあったような……。

はかせは私の肩に止まるカマスを少し残念そうに見ながら、
だが、元気良くアヤセの質問に答えた。
118 :ねねこ [saga]:2012/03/17(土) 18:26:29.53 ID:sk1v7eTz0
「はかせです! なのを作りました!」


「あんだ、『なの』っての?」


アヤセが訊ねた瞬間、東雲が苦笑しながら言った。


「もう、はかせったらー……。
その自己紹介はやめて下さいって言ってるじゃないですか」


「だって、はかせの自己紹介なので……」


はかせが残念そうな顔で呟く。
はかせとは長い付き合いだが、はかせの自己紹介はずっと変わらない。
もうこの自己紹介が身に着いてしまっているようだ。
私もはかせには同じ自己紹介をされたはずだしな。

あの時は私も驚いたし、東雲もかなり動揺してたはずだが、
今の東雲の様子は苦笑しているだけで、動揺してる様子は見られなかった。
自分をロボットと受け容れているからこそ、
受け容れられる様になったからこその対応だ。
ただ、流石に初対面の人間にそういう自己紹介をされるのはやめてほしいらしい。
ロボットに対する偏見はほぼ無くなったとは言え、
そんな事を言うと変な目で見られるのは間違いないからな。

アヤセが怪訝そうな視線を東雲に向ける。
東雲が息を呑む音が聞こえる気がする。
数秒後、アヤセが人差し指を指して、東雲に訊ねた。


「おめーが『なの』ってんの?」


「はい、東雲なのって言います。
はかせに作られました……」


申し訳なさそうに東雲が苦笑する。
またしばらくアヤセが沈黙したが、すぐに表情を崩して笑った。


「そっか、おめーがなのってんだな。
よろしくな」


「あっ、はい! よろしくお願いします!」


意外だったのだろうアヤセの反応に、東雲が大きくお辞儀をした。
そう言われたアヤセからは、もう怪訝そうな視線が消えていた。
はかせの言った事を冗談だと思ったわけでもないようだ。
つまり、アヤセは荒唐無稽に聞こえるはかせ達の言葉を信じたという事だ。
決してアヤセが考え無しと言う話ではない。
アヤセはきっと、そういう荒唐無稽で不可思議な話を、
自分の頭で判断し、信じられる男だという事なのだろう。

いい男じゃないか……、と不意に私は思う。
いやいやいや!
別に好意を持ったとかそういうんじゃないからな!
単に好感が持てるってそれだけの話なんだからな!
119 :ねねこ [saga]:2012/03/17(土) 18:52:52.73 ID:sk1v7eTz0
短いですが、今回はここまでです。
もうちょっとペースをあげられればと思います。

>>115

情報ありがとうございます。
日常大百科には町と書いてあったのですが、漫画とアニメは違うのかな?
よく調べてみます。
120 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/04/02(月) 00:20:24.51 ID:Gh5guB6ho
保守
121 :ねねこ [saga]:2012/04/05(木) 13:57:30.04 ID:zIcc2BjG0
「ところで、アヤセさんはどうして学校に?」


首を傾げ、東雲がアヤセに訊ねる。
アヤセは胸の前で手を組み、軽く空を見上げた。


「んー、おめー、そりゃあれよ。
そろそろあれが通るって話を聞いたもんだからよ。
久々に見ときたいって思ったんよ」


あれ……、やはりあれか。
まあ、それはそうだろう。
今の時代、こんなに人が集まる理由なんて、土着の行事や記念日だけなのだから。
しかし、流れ者であるせいか、アヤセの姿には違和感があった。
風船を手に持っていないのだ。
流れ者だから時定のルールを知らないという事なのだろうが、
郷に入らば郷に従え、という言葉もある。
私がそれをアヤセに指摘するより先に、はかせが口元に手を当てて笑った。


「ぷぷぷ、アヤセってば風船の事、知らないんだー」


はかせに指摘されるまでもなく、アヤセもそれは分かっていたらしい。
私とアヤセ以外の周囲の人間の皆が手に風船を持っているのだ。
自分の姿が浮いているという事くらいは理解していたのだろう。
アヤセは苦笑して、はかせの頭を撫でる。


「あんだよ、笑うなっての。
おれだって、自分が浮いてるって事くらい分かってるってよ。
だけど、おまえらのこそあによ?
どうして皆で風船持ってんのよ?」


「それはですね……」


そのアヤセの疑問に東雲が答えようとした瞬間、
学校のグラウンド中に感嘆の溜息と少しだけの歓声が上がった。
私、はかせ、アヤセ、東雲が揃って空に顔を上げる。
おっと、カマスもか。
とにかく、その場に居た全員が空を見上げた。


「わー、カッコいい!」


「そうですねー、はかせ」


はかせが楽しそうにはしゃぎ、東雲が穏やかに微笑む。
カッコいい……かどうかはさておき、やはり見事な技術体系だと私は思った。
空……、雲の上より更に上空、それは大型の姿を見せていた。
トビウオを想起させる大型で真白のフォルム。
名はターポン。
正式名称は他にあったはずだが、忘れてしまった。
まあ、正式名称など別にどうでもいい。
とにかく、ターポンはその雄大な姿を地上の私達に見せ付けていた。
音は全くしない。
音を聞こえさせないほど、遥か上空を飛翔しているのだ。
122 :ねねこ [saga]:2012/04/05(木) 13:57:55.49 ID:zIcc2BjG0
穏やかに夜を迎えようとする世界で、
人類の一種の救済装置として開発された巨大な箱舟。
二度と地上に降りる事のない、空という人類の新たな生活圏。
私の生徒も何人かそこに旅立った。
東雲の担任だった桜井先生も家族と共に移住したはずだ。
同僚のよしみで私も移住に誘われたが、断った。
地上でやりたい事は多く残っているからな。
それに心残りが地上に無いわけではない。
あいつが地上に残るみたいだったから……。

……って、うわー!
あいつの事は今はいいだろうが!
あいつの事なんか、今は気にしなくていいんだよ、私!

……まあ、あいつの事は置いておく。
何より、私は東雲の顛末を見届けなければならなかった。
ある意味、新しい人類とも呼べるロボットという存在が、
終わりゆく地上で何処までやれるのかを見届ける責任が私にはある。
幸い……、と言っていいのかどうかは分からんが、私にはその手段も得てしまったからな。
単に間違えて飲んじゃったせいなんだが、それはそれで幸運だったのかもしれんし。

不意に。
東雲が私の袖口を軽く引っ張った。
何事かと思って視線を向けてみると、
大量に持っていた風船の内の一つを私に手渡そうとしているようだった。
私は行事になどに興味は無い。
特に最近出来たばかりの新参者に過ぎる習慣に従って、何になるというのだろう。
何の意味も為さないではないか。

だが、私は東雲の差し出した風船を受け取った。
意味が無くても、してもいい事もあるのかもしれない、と思えたからだ。
何にでも意味があるわけではない。
意味があるから、存在しているわけでもない。
何かに意味や価値をを見出すのは、恐らくは自分自身なのだろう。

最近の東雲の姿を見ていると、特にそう思う。
東雲にはいくらでも選択肢がある。
何だって出来る。
新世界に羽ばたくのも簡単だし、
メンテナンスこそ欠かさなければ、無限に存在し続ける事も出来るだろう。
東雲の身体はそれを可能としている。
だが、東雲はそれらを選択しなかった。
東雲は何よりもはかせの傍に自分としてあり続ける事を選択した。
一見、意味が無く思える行為……、
だが、東雲や、私にとっては何よりも価値がある行為だ。

東雲が誰よりも大切にしているはかせ。
視線を向けてみると、はかせは笑顔でアヤセに風船を渡していた。
何が始まるのかまだ理解はしていないらしいが、アヤセも笑顔で風船を受け取った。
四人で風船を手に持ち、上空のターポンを見上げる。
123 :ねねこ [saga]:2012/04/05(木) 13:58:20.89 ID:zIcc2BjG0
と。
周囲の誰からとでもなく、手に持っていた風船から手を放し始めた。
一つ一つ、風船が空に舞い上がる。
倣い、私達も風船を空に飛ばしていく。
多くの色鮮やかな風船が風に流されていく。

寂寥、郷愁、餞別、挨拶……。
多くの感情がこもった風船。
これが私達の町の新しい行事。
上空を通るターポンに合わせて、風船を空に飛ばすという習慣だ。
意味は無い。多分、何の意味も無い。
風船を飛ばした所で、遥か上空にあるターポンから見えるとは思えない。
最大望遠でも無理ではないだろうか。

だが……、それでよいのだろう。
意味は私達が勝手に見つける事なのだ。
何の意味が無くても、自分勝手に見つけてやる。
それでいいのだ。

そして、元気でな、と私は思う。
確証は無いが、ターポンの中ではまだ多くの人々が元気に生活しているはずだ。
通信手段が途絶されてしまって久しいが、それだけは私も信じている。
だから、また元気な姿で私達にターポンの姿を見せてくれるよう、願うのだ。
さようなら、元気でな、ターポン。
また私達に元気な姿を見せてくれ。


「あっ、中村先生……」


ふと東雲が嬉しそうな声を上げ、腕で指し示す。
その先に視線を向けると、その場には……。
ギニア!!!

思わず大声を出してしまうかと思った。
正直、心臓がスタンピードしまくってる。
あいつ、来てたのか……。
モミアゲ……、高崎先生も。
隣に安中も連れて仲も良さそうに……。

一瞬、躊躇う。
会って、どうなる?
そもそもそんなに親しいわけじゃない。
同僚ってだけで、それ以上の関係だった事は一度も無い。
大体、隣に安中を連れてる時点で何と言うか……な……。
いっそ逃げ出してしまいたい。
逃げろ!
って、自宅まで猛ダッシュしたいぞ……。

だが。
久し振りに高崎先生の姿を見られたのは、
こう言うのも何だが、正直な話、嬉しかった。
まだ元気に生きていてくれてたんだって思うと、何もかもそれでいいかと思えてくる。
会って話をした所で意味なんて無いのかもしれない。
しかし、意味を見出すのはやはり私なのだ。
私は二度深呼吸すると、軽く東雲の肩に手を置いてから、高崎先生の方に歩き出した。
大した話は出来ないだろうが、私に出来る限りの会話だけはしてみせるために。
124 :ねねこ [saga]:2012/04/05(木) 13:59:35.17 ID:zIcc2BjG0


今回はここまでです。
保守ありがとうございます。
もう一本書いてる方がかなり落ち着いたので、こちらを早めにお送りできそうです。
125 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/04/05(木) 22:33:23.29 ID:oX7q1hZAO
126 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/08(日) 03:16:08.62 ID:kuCZpB8IO
楽しみにしてます
127 :ねねこ [saga]:2012/04/11(水) 19:22:47.77 ID:MuVqnTGr0





【とおいそらのうえ ――子海石アルファ】



また人の灯が少なくなってしまった。
毎日、地上を見る度に、人工の灯が消えていくのを感じる。
少しずつ、確実に消えていく人々の生活の跡。
完全に消えてしまうのでは、と危ぶまれる人の灯。

しかし、人の灯が消えた後、
しばらくしてまた見下ろすと、その場には青い光が灯っている。
人工の灯……では無いだろう。
遠い空の上からでは、遠い地上の様子を完全に把握する事は出来ない。
ただ、間違いなく、その青い光は灯っている。
まるで、世界が人工の灯の記憶を名残惜しく思い出しているかのように。
不知火の如く。

青い光が見えた時、少し嬉しかったが、それはすぐに不安に変わった。
青い光が灯る場所……、それはつまり人の生活が沈黙した場所。
青い灯が見える場所に、もう人々は生活していないという事だ。
着実に人々は消えてしまっているという証拠なのだ。

地上は青い光に満ち溢れてしまった。
元々地球は青い星ではあるが、
そこに新たな青が加わった事で、余計に青さを増して感じられる。
青……。
それは滅びの青なのか……。
それとも、新生の青なのか……。

ただ、青に満ちた地上ではあるが、
細かくまとまった地域からはまだ人々の生活の気配を感じる事が出来る。
先日もある地域からカラフルな色に満ちた一塊を確認出来た。
私の望遠でもはっきりと見えたわけではない。
だが、それが地上の人々が空に飛ばした風船だという事は分かった。
ユリアさんが教えてくれたからだ。

ユリアさんの故郷……、ユリアさんの母校には、
一年に一度、風船を空に飛ばすという行事があるらしい。
それに何の意味があるのかはユリアさんも知らないそうだ。
ただ、学校の垂れ幕に『はばたけ』と書かれていたので、
もしかしたらそれと関係があるのかも、とユリアさんは苦笑して推察していた。
ちなみに垂れ幕には正確には『はばたけ なんとなく』と記されているらしい。
何故、『なんとなく』なのかは分からないが、
なんとなくであれ、はばたこうという意志は素晴らしいものだと私は思う。
128 :ねねこ [saga]:2012/04/11(水) 19:23:38.64 ID:MuVqnTGr0
しかし、風船を飛ばすにしても、
時期が合っていないはずだともユリアさんは語っていた。
風船を飛ばす行事の時期とはかなり外れているらしいのだ。
単なる行事ではなく、他の意味を持たせて空に風船を飛ばしているのかもしれない。
それが何なのかは私達には分からない。
地上の人達が何を考えているのかは、遠い空の上の私達には理解出来ない。

だけど、ユリアさんは微笑む。
「もしかしたら、私達に向けて風船を飛ばしてくれているのかもしれませんね」と。
「元気でやってる? ってそんな挨拶なのかもしれませんね」と。
そうなのだろうか……。
私達が地上に思いを馳せるように、
地上の人々も私達の事を気に掛けてくれているのだろうか。
そうならば、私も嬉しいと思う。
恐らくは二度と出会う事もない地上の人達だが、そうであれば嬉しい。


「アルファー室長?
どうしました? 何か見えました?」


私の隣で地上を見下ろしていたユリアさんが、私に小さく訊ねた。
ユリアさんの……、
人の視力では地上の様子などほとんど分からないはずだが、ユリアさんは微笑んでいた。
私はユリアさんの笑顔に圧倒された気分になりながら、その言葉に応じる。


「また、青い灯が増えてるみたいです。
沈黙した地域も更に多くなってるようですし……。
ですが……」


「まだ……、元気な地域もありますか?」


「はい。少なくなってきましたが、人の生活を感じられる場所も確実にあります。
地上の人々は元気……なのだと思います、まだ。
絶対とは言えませんけど、前みたいな嫌な感覚は地上から感じられなくなったと言うか……」


「嫌な感覚……ですか。何となく分かります。
今は落ち着いて来た気がします、私にも……。
前までは大きな国から突然火が上がる事も多かったですもんね……」


ユリアさんが俯き、呟く。
ユリアさんの言う通り、以前は大国から火が上がる事が多かった。
その原因が戦争なのか、単なる事故なのかは分からない。
だが、地上の人々が大変な目に遭っているのだろうという事だけは分かる。
彼らの事を考えると、この私の胸ですら痛みを感じるほどだ。
それ以上に胸を支配するのは罪悪感だ。
私達は……、私は地上から逃げたのだ。
遠い遠い空の上に、地上の事を放り出して逃げ出してしまったのだ。
仕方が無い事とは言え、それは許されてはならない事なのではないだろうか。
そう思ってしまうからこそ、私はついユリアさんに訊ねてしまっていた。


「私達……、地上から逃げてしまったんでしょうか……?」


それを肯定してほしかったのか、否定してほしかったのかは、私自身にも分からない。
ただ、問い掛けてみたかったのだ。
その問いにはユリアさんは首を横に振る事で応じてくれた。
129 :ねねこ [saga]:2012/04/11(水) 19:24:00.55 ID:MuVqnTGr0
「さあ……、どうなんでしょうね……。
ただ、私は逃げるつもりではありませんでした。
一緒に居たい人が居ましたから、ただその人の傍に居たい一心だったんですよ。
それが逃避だと誰かが言うのなら、それも仕方ないかって思います。
でも、それを子供達に背負わせていい物なのかって、考える事もあったんですよ。
子供達は多分、意味も分からず空の上に居ます。
自分達の置かれた状況も分からないままで……」


「考える事もあった……ですか?」


私が言葉尻を捕まえるみたいな形で言うと、ユリアさんは微笑んでくれた。
私に指摘させるために、わざとそういう言い方をしたらしかった。
穏やかな表情で、ユリアさんが続ける。


「はい。そう考える事もありました。
でも、今は違うんですよ。
アルファー室長には前にお話ししましたよね、囲碁サッカーの事。
子供達、ある程度年を取った私達には理解出来ない囲碁サッカーを、
いとも簡単に、自分達独自のルールまで交えて身に着けています。
凄い適応力だと思いませんか?」


「それは……そうですね。
ユリアさんにお借りした本を読んでも、
私も囲碁サッカーという競技を完全に理解する事は出来ませんでしたし……」


「それを子供達は凄い適応力で簡単に身に着けてます。
適応力とは生命力と言い換える事も出来ます。
この沈黙に向けて進んでいる世界でも、生命力を持った子供達なら大丈夫ですよ。
ターポンが狭く感じられてきたのなら、
外の世界にはばたいていくんじゃないでしょうか」


「はばたく?
ですが、ターポンはもう地上に……」


「それでも、ですよ、アルファー室長。
囲碁サッカーをいとも簡単に身に着けた子供達なんです。
きっと、私達の想像も出来ない方法で、外の世界にはばたいていくはずですよ」


言って、またユリアさんが微笑む。
気休めでも、願望でもなく、本気でそう考えてるらしい優しい笑顔。
外の世界にはばたく……。
私には想像も出来なかった事だ。
長く空の上に居て、地上を見下ろしていて、
想像するという事を忘れていたのかもしれない。

本当に子供達は外の世界にはばたいていく事が出来るのだろうか。
分からないが、ユリアさんのように私もそれを信じたいと思った。
数年で完全に滅びると言われていたこの世界にも、まだ元気な地域が残っているのだ。
未来を信じるのも、悪くないのかもしれない。

不意に思った。
ひょっとしたら。
地上の人達の何人かは私達との再会を祈って、風船を飛ばしてくれていたのではないかと。
真意はどうであれ、そうならばいいな、と私は思った。
130 :ねねこ [saga]:2012/04/11(水) 19:25:03.60 ID:MuVqnTGr0


今回はここまでです。
次回くらいから、そろそろ色々な真相が分かり始める予定です。
131 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) :2012/04/21(土) 04:34:46.23 ID:RQlwQKG/0
書き込みは少ないけど、楽しみにしてますぜ
132 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/21(土) 14:08:35.01 ID:K24EdlcCo
ぐっとくるよ。ヨコハマも日常も好きだから。
自分のペースくずさず、しっかり書いてね
133 :横浜市民 [sage]:2012/04/21(土) 18:36:54.92 ID:y0NF+xDG0
今更こんなこと言っていいのかわからないけど

リアルの横浜(横浜駅周辺、みなとみらい、関内地区)は埋立地だから
海面上昇したら真っ先にやられると思う

原作知らないのに出しゃばってすまん
134 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/21(土) 23:16:34.93 ID:K24EdlcCo
>>133
こまけぇことは置いておくのさ

このSS読んで心にひっかかるものがあったのなら原作一読おすすめする
135 :ねねこ [saga]:2012/05/02(水) 19:37:22.73 ID:FSovLwsL0





太陽に照らされ、風に吹かれ、私達はデコボコの道路をバイクで走ります。
出来るだけ平坦で、危なくない道を選びながら、
全身を風の中に溶け込ませるみたいにして。
まるで低空飛行をしてるみたいな感覚。
気持ち良い……。
皆で空を飛んでるみたい……。

バイクにはサイドカーを付けてあります。
サイドカーに居るのは私の大切な家族。
会話はありません。
お話しするのは大好きですが、今は私達に言葉は必要ありませんでした。
皆、風に吹かれる昂揚感と、これから起こる事への期待で胸が膨らんでいるんですから。
時たま皆で顔を合わせ、微笑み合うだけで、全ての気持ちが分かり合える気がするんです。

それなりの距離を走ります。
乗り物が少し苦手なはかせが気持ち悪くならないくらいの距離。
もっともっと長い距離を進めるための、はかせの乗り物の練習。
それが今回の目的でした。
今日で練習も七回目。
町から出るだけで酔い始めてらっしゃったはかせも、
かなりバイクの振動に慣れて来始めてらっしゃるみたいです。

もうちょっと先まで……。
欲が少し出てきましたが、はかせに無理をさせるわけにもいきません。
私は目的地に辿り着いたのを確認すると、バイクを走らせるのをやめました。
エンジンを切って、バイクから降りると、サイドカーに居るはかせに笑い掛けました。


「到着、ですよ、はかせ」


「ふう……、やっと着きやがったか」


私の言葉に応じたのははかせではなく、阪本さんでした。
はかせの膝上から飛び出して、
目的地……、川岸の土手に降り立たれました。
両足を強く踏ん張って、尻尾を立てて、伸びをされます。
猫の阪本さんにはやっぱりサイドカーは少し窮屈なのかもしれませんね。
私は首を軽く傾げて、阪本さんに声を掛けました。


「お疲れ様でした、阪本さん。
サイドカーには慣れられましたか?」


「まあ、慣れたと言えば慣れたんだが……、サイドカーの乗り心地も悪くないしな。
だが、何度も言うがガキと一緒に放り込むのはやめてくれ。
ガキの相手をするのがどれだけ大変だと……、ぐおおっ!」


ぐおおっ!
というのは阪本さんの叫び声でした。
阪本さんは私が反応するより先に、サイドカーから飛び降りたはかせに抱き着かれていました。
抱き着かれた……と言うよりは、捕獲された……に近い光景のような気もしますが。
はかせは腕の中に阪本さんを抱えて、無造作に阪本さんの頭を撫でながら笑います。
136 :ねねこ [saga]:2012/05/02(水) 19:37:50.87 ID:FSovLwsL0
「阪本だってはかせと一緒で楽しいくせにー。
素直じゃないんだから、阪本はー。
そういうのってよくないと思うんだけど」


「オレはいつだって自分に素直なんだよ!
やめろやめろ!
撫でるのはともかく、力を加減せずに猫の頭を撫でるな!」


無邪気に笑うはかせに向けて、阪本さんが迷惑そうに叫びます。
いつもの光景……ですが、私は見逃しませんでした。
そう叫びながら、阪本さんの尻尾が楽しそうに振られていたのを。
やっぱり、阪本さんも楽しいんでしょうね。
最近、近所に猫さんの姿をあまり見なくなりました。
移住を進めてるというのもあるかもしれませんが、
食糧不足で猫さんのごはんまで賄う事が出来なくなったというのもあるかもしれません。
阪本さんが近所の猫さんとどれくらい仲が良いのかは知りませんが、
猫さんのお仲間が減っていくのは、いつも強気な阪本さんだって寂しい事のはずです。
私だって……、友達の皆さんと会えなくなるのは寂しいですし……。

私の少し寂しい表情に気付いたのでしょうか。
はかせは阪本さんを土手に降ろすと、私以上に寂しそうな表情を浮かべてました。
上目遣いで、遠慮がちに呟き始めます。


「ねえねえ、なのー……」


「はい、どうしたんですか、はかせ?」


「このバイクの練習……、
アルファのお店に行くためにやってるんだよね……?」


「そうですよ、アルファさんのお店、遠いですもんね。
はかせもバイクに慣れて来られたみたいですし、
もう少し頑張って頂ければ、もうすぐアルファさんのお店に行けると思いますよ」
137 :ねねこ [saga]:2012/05/02(水) 19:40:18.00 ID:FSovLwsL0
「じゃあ……、じゃあね……、
アルファのお店もいいんだけど、行きたいんだけど……、
あのね……」


「はい……?」


「ゆっこのおうちにも……、行きたいかもしれない」


躊躇いがちに、はかせが言います。
視線を俯かせて、はかせにしては珍しく、自分の願いを躊躇して……。
長い間、私とはかせは相生さんと会っていません。
勿論、嫌いになったわけではありません。
今でも相生さんの事は私も、はかせも大好きです。
だけど、会いに行けませんでした。
会いに行けば、否応無しに現実を理解しなければいけなくなりますから。
私とはかせの辛さに繋がる事は、分かり切ってますから。
それを分かっているからでしょう、
はかせも相生さんに会いに行きたいとは今までおっしゃられてませんでした。

ですが……。
いつからでしょう……。
明確な時期は分かりません。
多分、ココネさんが相生さんの贈り物を運んで来て下さった時からだと思います。
あの日以来、はかせは相生さんの贈り物のサメの置物をよく見ているようでした。
はかせは自分が強くなったって、相生さんにお会いしたいのでしょう。

だったら、私のやるべき事と、やりたい事は一つです。
私のやりたい事は、はかせがやりたい事と同じなんですから。
私は土手に膝を着いて、はかせと同じ高さの視線になって、はかせの瞳を見つめました。
はかせも視線を俯かせるのをやめて、私と瞳を合わせてくれました。
私は私の背中のネジが回るのに気付きます。
気付きながら、精一杯の微笑みを浮かべます。。
138 :ねねこ [saga]:2012/05/02(水) 19:43:39.27 ID:FSovLwsL0
「いいですね……。
来週、相生さんのお宅に伺いましょう、はかせ。
アルファさんのお店よりはずっと近いですし、練習がてらいいかもしれませんしね」


私が言うと、はかせが眩しいくらいの笑顔を浮かべます。
それからはかせは、本当に嬉しそうな表情で、私の胸の中に飛び込んで来ました。


「ありがとー! なの、好きー!」


「あはは、私も好きですよ、はかせ」


胸の中にはかせの体温を感じながら、私は柔らかくはかせを抱き締めます。
大丈夫、と思いました。
相生さんとお会いした時、私達はきっと辛くなるでしょう。
止まらない時間の流れを辛く思うのでしょう。
変わらずにはいられない自分達を悲しく思うのでしょう。

ですが……。
きっと大丈夫です。
辛くたって、そんな事より、私達はまた相生さん達と会えるのが嬉しいんですから。
会おうって思える事が嬉しいんですから。
ですから、きっと辛くても平気だと思います。

と。
しばらく私とはかせが抱き締め合っていると、
急に聞き覚えのある声が私の耳に届きました。


「何してんだ、おめえら?」


特徴的な訛り。
つい最近聞いた覚えのある男の方の声。
私は振り返って、声の方向に視線を向けました。


「よ、奇遇だな、おめえら。こんな所で何してんだ?
メルヘェンってやつか?」


声の方向には前にお会いした時よりも髭がかなり濃くなった男の方……、
アヤセさんが肩にカマスさんを乗せて首を傾げて立っていました。
139 :ねねこ [saga]:2012/05/02(水) 19:44:28.96 ID:FSovLwsL0


今回はここまでです。
大変お待たせいたしました。
終わりに向けて穏やかに進んでいきます。よろしくお願いします。
140 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/05/02(水) 21:14:03.54 ID:vaenL0HAO
141 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/05/03(木) 16:22:55.57 ID:y9G5nog1o
乙。しっかり頼む。
142 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/05/04(金) 03:10:29.50 ID:8t/g+wB0o


SS速報でも細々といくつかの日常スレががんばっていてくれて嬉しい
143 :ねねこ [saga]:2012/05/09(水) 19:39:18.48 ID:OawZK8Yu0





「アヤセさん、お久しぶ……」


「アヤセだー!」


私がアヤセさんに挨拶するより先に、はかせがアヤセさんの方に駆け寄って行きます。
初めてお会いした時以来、はかせはアヤセさんととても仲が良いみたいです。
面倒見のいい男の人という方が私達の傍に居ませんでしたから、はかせには新鮮なのかもしれませんね。
私もアヤセさんみたいな方とお話ししてると、とても新鮮に思います。
はかせはアヤセさんに抱き着くと、上目遣いに微笑みました。


「ねえねえ、アヤセー!」


「あんだ?」


「カマスと遊ばせてー!」


……訂正。
はかせはアヤセさんよりもカマスさんの方が大好きみたいですね。
はかせって動物が好きな人だからなあ……。
私が苦笑すると、アヤセさんも肩をすくめて苦笑したみたいでした。
でも、アヤセさんははかせさんの頭を撫でると、
カマスさんをはかせの肩の上に導いてくれました。
はかせはそのまま、カマスさんと戯れ始めます。
阪本さんも巻き込んで、川岸の水際に遊びに行きました。
144 :ねねこ [saga]:2012/05/09(水) 19:40:07.11 ID:OawZK8Yu0
「もう……、はかせったら……。
申し訳ありません、いつもはかせがお世話になっちゃって……」


私が軽く頭を下げると、アヤセさんは楽しそうに笑ってくれました。
とても優しい目をしてらっしゃっています。


「いいって事よ。
カマスの奴も結構暇してたしな。
遊んでやってくれたらこっちも助かんよ。
オレもはかせが楽しそうにしてんのを見んのは好きだしなー」


アヤセさんもはかせの事が大好きなんだなあ、と私はふと思いました。
何だかとっても嬉しいです。
アヤセさんとはそれほど長くお付き合いがあるわけではありません。
お話しするのは、まだ二度目ですしね。
ですが、そんな事は関係ない気がします。
アヤセさんのおかげで、好きな人が同じという事が、
こんなに嬉しくて親しみを感じる事だなんて、久々に思い出せました。
やっぱり、相生さんに会いに行こう……、私はそう決心しました。


「そういやよ」


不意にアヤセさんが首を傾げて、私に訊ねます。
私ははかせからアヤセさんに視線を向け直して、応じました。


「はい? 何ですか、アヤセさん?」


「おめえら、こんな人気の無い所で何してんだ?
答えにくい理由があるならいいんだけど、
散歩にしちゃ、奥まった場所まで来過ぎじゃねえかと思ってよ」


「あははっ、そうですね、ちょっと張り切り過ぎでしたね。
今日はですね、はかせがバイクのサイドカーに乗る練習をしてたんですよ。
今度遠出をする予定なんで、乗り物酔いしやすいはかせに慣れて頂きたいと思いまして。
練習の甲斐あって、かなり慣れられたみたいですけどね」


「ほー……、そりゃ何よりじゃねえか。
正直言うとよ、こんな所に人……、
しかも、知った顔があるなんて、思わなかったからびっくりしたわ。
こういうのも縁って言うのかね?」


「素敵な縁ですよね」


「おめえよー……。
そういう事恥ずかしげもなく言うなよなー……」


「そうですか?
でも、本当に素敵な縁だと思いませんか、アヤセさん?」
145 :ねねこ [saga]:2012/05/09(水) 19:40:32.83 ID:OawZK8Yu0
そう言ってから私が微笑むと、アヤセさんも困ったように微笑んでくれました。
何だか私はそれがとても嬉しく思えました。
どんな形でも、どんな人とでも、縁を持てるなんて素敵じゃないですか。
特に今はこんな時代ですから……。

ふと私は気になって、アヤセさんに訊ねてみる事にしました。


「そういえばアヤセさん。
アヤセさんこそこんな所でどうしたんですか?
見る限り、歩きでこんな所までいらっしゃたみたいじゃないですか。
何か御用でもあったんですか?」


「あー、それなんだけどよ……」


アヤセさんは頭を掻いて口ごもります。
何か答えにくい事を訊ねてしまったのでしょうか。
私は不安になって、つい頭を下げてしまいます。


「すみません、アヤセさん……。
立ち入った事情があるんでしたら、別にお答え頂かなくても……」


その言葉を最後まで言うより先に、アヤセさんはそれを手で制しました。
頭を下げる必要は無いという事でしょうか。


「いやいや、謝る必要はねえって。
ちょっとどう説明していいか悩んでただけよ。
んー……、何て言やあいいかなあ……。

お、そういや、なの。
おめえ、かなり初期のロボットの人らしいって後で人から聞いたんだが、本当か?
しかも、伝説的なロボットの人って事で有名らしいじゃんかよ。
こりゃ東雲さん……って呼んだ方がよかったか?」
146 :ねねこ [saga]:2012/05/09(水) 19:41:25.41 ID:OawZK8Yu0
「い……、いえいえ!
私なんてただちょっと珍しいだけですよ!
それに出来れば『なの』って呼んで下さいませんか?
私……、そっちの方が嬉しいです」


「そっか……。
そりゃ、ありがてえ。ありがとな、なの。
やっぱおめえは東雲さんってより、なのって方が似合ってるもんな。

お礼ついでにオレがここに来た理由、教えてやんよ。
オレがここに来たのはな、珍しい物を見るためなんだよ。
本当は部外者の立ち入りは禁止らしいんだけどな、
なのとはかせ……とあの猫くらいなら大丈夫だろ、多分。
よかったら一緒に来るか、なの?」


「いいんですか、アヤセさん?
ご迷惑なんじゃ……」


おずおずと私が訊ねると、
アヤセさんはとても真剣な表情になって、私の頭に軽く手を置いて下さいました。


「別に迷惑じゃねえって。
いや……、逆におめえ達に見てほしいかもしんねえな。
おめえ達に……、あいつを見てほしいんだ」


アヤセさんはそう言って、更に山の奥まった方向に視線を向けられました。
私もそちらに視線を向けます。
その先に何があるのかは分かりません。
ですが、きっとその先にはアヤセさんが大切にされている、何かがあるのでしょう。
それを見届けなきゃいけないって、何故だか私はそう強く決心しました。
147 :ねねこ [saga]:2012/05/09(水) 19:41:54.57 ID:OawZK8Yu0


今回はここまでです。
またよろしくお願いします。
148 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/05/10(木) 00:45:04.97 ID:Nr5lf5QAO
149 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/05/10(木) 17:26:55.81 ID:gXz3xWQqo
アヤセか。楽しみだよ、乙。しっかり頼む
150 :ねねこ [saga]:2012/05/16(水) 18:21:44.96 ID:WgkY/9oG0





アヤセさんの後に続き、私達は更に山奥の川岸まで歩きます。
ちなみに石の多い道は阪本さんには難しいらしく、はかせが腕の中に抱えてらっしゃっています。
いつも言い争いをし合ってるお二人ですが、こういう信頼関係もあるんですね。
何だか嬉しくて、私は背中のネジが回るのを感じました。


「ねえねえ、アヤセー……」


アヤセさんの方に駆け寄って、はかせがその腕の袖口を引っ張ります。
アヤセさんははかせが転ばないよう足下を気にされながら、優しい声で応じてくれました。


「あによー、疲れたか?」


「ううん、疲れてはないけど、どこに行くのー?
はかせ、もう結構歩いたと思うんだけど」


「ははっ、確かにそうだな。
でも、もうちょい我慢してくれな。
もう少しだからよ。……確かな!」


「おいおい、本当に頼むぜ、おっさん。
ガキに抱えられて歩かれるのって結構怖いんだからな」


「わりいわりい。
本当にもうすぐだから心配いらねえって、阪本」


笑いながら、アヤセさんは阪本さんの喉を軽くくすぐります。
阪本さんは少しだけ気持ちよさそうな声を出しましたが、
すぐに「おいやめろ」とアヤセさんに軽くねこパンチを繰り出されました。
出会ってそんなに経ってないはずなのに、
精神年齢が近いのか、お二人のその様子はとても仲の良い男友達といった感じに見えますね。
151 :ねねこ [saga]:2012/05/16(水) 18:22:30.05 ID:WgkY/9oG0
先程の話になるのですが、アヤセさんと山の奥に向かう前、
ついうっかり……、というわけではないのですが、
普段通り阪本さんが喋ってしまった時、流石のアヤセさんも驚いた表情をされていました。
ですが、私が赤スカーフの事を説明するより先に、アヤセさんは楽しそうに微笑まれました。
「ほー……、喋る猫ってのも居るもんなんだなー……」って、
不思議な物をそのまま不思議な物として受け入れるみたいに。
きっとアヤセさんはそういう方なんでしょうね。
不思議を不思議として受け止められる……。
とても素敵な事だなって私は思います。

阪本さんも喋る猫をそう驚かなかったアヤセさんを気に入られたのか、
精神年齢は同世代の男の人とお付き合いする事があまり無いからなのか、
多分その両方でしょうが、アヤセさんとはもう仲の良いお友達のようになられました。
男の方達ってそういう所が不思議ですが、何だか羨ましいですね。

それにしても、はかせがおっしゃる通り、結構奥まで歩いている気がします。
木々も数を増してますし、少しずつ道らしき物も無くなって来ました。
もうほとんど獣道みたいな感じになっています。
アヤセさんを疑っているわけではあませんが、
はかせの足でもっと奥まで辿り着けるのか、少し心配です。

私のその不安を感じ取って下さったのか、
アヤセさんが少しだけ振り向いて言って下さいました。


「わりいな、なの。本当にもう少しで到着するからよ。
もうちょっとだけ我慢してくれな」


「あ、はい……。
すみません、アヤセさん、お気を遣わせてしまったみたいで……。
でも、一体、この先に何があるんですか?
私達に見せたい物って……?
あいつ……と言うと、人間の方……、それとも動物さんですか?」


「お、鋭いじゃねえか、なの。
そのどっちでもあって、そのどっちでもねえって所かな。
おめえ達があいつを見てどう思うのか、何を感じるのか、それが知りたくてよ……。
オレの我儘に付き合ってもらってわりいな……」


「あははははっ。アヤセ、わがままなのー?
大人なのに変なのー」


アヤセさんの我儘発言がツボに入ったのか、はかせが無邪気に笑い始めます。
私が何を言うより先に、アヤセさんがはかせの頭を撫でて下さいました。
152 :ねねこ [saga]:2012/05/16(水) 18:23:02.95 ID:WgkY/9oG0
「そうなー……。
大人なのに我儘でわりいな、はかせ。勘弁してくれな」


「いいよー。はかせ、アヤセのわがまま嫌じゃないよ?
アヤセもどんどんわがまま言ってくれていいんだけど」


「ははっ、ありがとな、はかせ。
……お、到着したみてえだな。
ほれ、あいつがおめえ達に見てほしかったもんだ」


言い様、アヤセさんは水辺の岩場に指を差しました。
私、はかせ、阪本さんは一斉にその方向に視線を向けます。
アヤセさんの人差し指の先……、
その場所には一人の人間の方が座っているように見えました。

……いえ、違いますね。
目を凝らしながら近寄ってみると、それは私の勘違いだったという事に気付きます。
それは人のようなものでした。
全く動かない……、人の様な形をした白いもの。
キノコの様にも見えますが、キノコでもなさそうです。
顔があって、目があって、口があって、鼻があって、まるで……。


「生きてるみたい……」


思わず呟いてしまっていました。
読書で得た知識はそれなりに持っていたつもりです。
だからこそ、その知識が一切役に立たない『何か』に私は圧倒されていました。
これは一体、何なのでしょうか……。
私が首を捻っていると、アヤセさんが軽く微笑んでから答えてくれました。


「生きてんよ」


「えっ……?」


「それが何なのかは分かんねえ。
水神さまって呼んでる奴らも居るらしいけど、そいつらもよく分かってるわけじゃねえってさ。
でもな、生きてるって事だけは確かなんだ。
全く動かねえし、どういう理屈なのか分かんねえけど、脳波があるんだと。
生きてて、何かを考えてんだろうな、そいつは」


「生きてるんだ……」


もっと近寄って、傍でじっくり見てみたい。
そう思って私が脚を踏み出すより先に、はかせがそれに走り寄って行きました。
手を出して触れられるのかと思いましたが、
はかせはそれに触らずに阪本さんを少し強く抱き締めたみたいでした。
その博士の頭の上に、アヤセさんが手を置きて言われます。
153 :ねねこ [saga]:2012/05/16(水) 18:23:45.57 ID:WgkY/9oG0
「よ、はかせ。
おめえ、なのを作った科学者なんだろ?
こいつの正体……、何か分かるか?」


すると、はかせは軽く頭を横に振りました。
物知りなはかせには滅多に無い事でしたが、私には少しそれが嬉しく感じられました。
はかせにも分からない事があるんだなあ……。
アヤセさんがはかせの頭を撫でながら続けます。


「ははっ、やっぱ分かんねえか。
いいんだよ、はかせ。分かんねえ物は分かんなくてもよ。
オレだって分かってるわけじゃねえしな。
分かってんのは、こいつがずっと前からここに居て、
ずっと前からこのまんまの姿で居るって事……。
それと傍に街灯の木がある事が多いってくらいよ」


街灯の木……。
アヤセさんに言われて、初めて気付きました。
言われてみると、確かにそうです。
この白いものの近くには、街灯の木が沢山生えていました。

人や生き物の姿が無くなった土地に生える街灯の木。
動力が何なのか、理屈は何なのか、
とにかく夜になると引き込まれるみたいな青い光を放つ木の事です。
時定町にはまだそう多くはありませんが、人里の外れには多く生えています。
まるで生き物が消えた事を寂しく思って、木が光を放っているかのように……。

ひょっとしたら、この白いものも同じ様な存在なのでしょうか……。
人が少しずつ消えていくのを寂しがって、
土地が、世界が、新しい何かを生み出しているのでしょうか……。

不意にはかせが静かに呟きました。


「ミサゴみたい」


「ミサゴ……? 確かそれって……」


「すげえな、はかせ。
ミサゴの事も知ってんのかよ」


訊ねようとした私の言葉には、アヤセさんの言葉が重なりました。
どうもアヤセさんもミサゴの事を知ってらっしゃるみたいです。
私は口を噤み、アヤセさんの言葉の続きを待つ事にします。
しばらく経ってから、アヤセさんは少し興奮した口振りで続けました。


「いやー、まさかミサゴの事まで知ってるとはなー。
ひょっとすると、はかせ……、おめえ、ミサゴに会った事あんのか?」


「あるよー、えっへん!」


「ほー……。そりゃまた大した縁だな。
なのの言った通り素敵な縁ってやつだな、本当に。
ミサゴ、元気そうだったか?」


「うん、元気そうだったよ!
いつも裸だから寒くないかって思ったけど!」


「ははっ、そりゃミサゴの個性ってやつだから許してやれな。
そうかー……、ミサゴ元気だったかー……。
そりゃ何よりだなー……。
オレ、あの辺が地元なんだけどよ、まさかおめえも来た事あったとはなあ。
なのもミサゴに会った事あんのか?」
154 :ねねこ [saga]:2012/05/16(水) 18:24:28.25 ID:WgkY/9oG0
「いえ、私はまだ……。
と言うか、本当に居たんですね、ミサゴって!」


「なのは会った事無いんだな。
そりゃそうか。ミサゴの奴、子供の前にしか姿を現さねえからなあ……。
ミサゴにとっちゃ、なのはもう立派な大人って事なんだろうな……」


言って、アヤセさんが遠い目をされます。
ミサゴは子供の前にしか姿を現さないって話を聞いた事があります。
という事は、私と同じ様に、ミサゴは今のアヤセさんの前にも姿を現さないのでしょう。
もう、大人になってしまったアヤセさんの前には……。
それで懐かしく思い出されているのでしょうね。

ミサゴ……、水上の鷹と呼ばれる鳥と同じ名前をした女性……。
彼女は私も何度かはかせと訪れた事のある、小網代の入り江に棲んでいるという話です。
常に全裸で言葉を話さず、子供の前にしか姿を現さない。
ずっと同じ姿のままで、世界がこんな風になる前から、存在していたそうです。
疑っていたわけではありませんが、本当に存在していたんですね……。

気が付くと、はかせが頬を膨らませていました。
私の方を見て、少し不機嫌になられているようです。
つい不安になってしまった私は、はかせに訊ねてみる事にしました。


「ど……、どうしたんですか、はかせ?
わ、私……、何かはかせにしてしまいました……?」


「はかせ、言ってたんだけど……」


「はい?」


「はかせ、ちゃんとなのにミサゴを見たって言ってたんだけど!
なの、信じてなかったのー?」


「あ、いえ、それは……。
信じてなかったわけじゃありませんよ。
でも、私は目にしてみせんし……、
大体、あの時ははかせが迷子になってたじゃないですかー……!
はかせを見つけられた事の方が嬉しくて、
ミサゴの話なんて憶えてられる状況じゃありませんでしたよー……!」


「もー!
なのったら、もーっ!」
155 :ねねこ [saga]:2012/05/16(水) 18:25:42.28 ID:WgkY/9oG0


はかせが頬を膨らませて更に怒り始めます。
そんなに怒られても、私だって困りますよ、はかせ……。
あのはかせが迷子になった時は本当に不安だったんですから……。
はかせに何かがあったらどうしようって思ってたんですから……。

瞬間、私は一つ変な事を思い付きました。
もしすると……、あの時、ミサゴがはかせを守ってくれたんでしょうか?
会った事も無い人ですし、突拍子も無い思い付きでしたが、
何故だか凄くそんな気がしました。

そう思ってしまうのは、この白いものを目にしているからかもしれません。
水神さまとも呼ばれる独特な質感を持った存在……。
薄く目を開き、何処か遠くを見つめている視線……。
私は何故かこの白いものが私達を見守ってくれてるような気がしました。
この終わろうとしている世界を立ち止まって、見守ってくれてるって……。
まるで、見て、歩く者であるアルファさん達のように……。


「あ、あれっ?
ご、ごめん、なのー……。
はかせね……、そんなにおこったつもりじゃなくってね……、えっとね……」


急にはかせがおろおろと私に謝り始めます。
どうしたんだろう、と思った瞬間に、私は気付きました。
私……、泣いてる……。
何故だかは分かりません。
分かりませんが、とてもありがたい気持ちになったんです。
私を、はかせを、私達を見守ってくれてる存在があるという事が……。
最期の時まで、見守ってくれてる存在がある事が……。

私は涙を流しながら、はかせの誤解を解くために言いました。
はかせに責められた事が悲しかったわけではない事。
白いものやミサゴは私達を見守ってくれてるんじゃないかと思った事。
上手く説明出来たかどうかは分かりませんが、どうにか私の想いを言葉にしました。

はかせは微笑んで私の背中を撫でてくれて、
「何も泣く事なかろうよ」とアヤセさんが苦笑しながら満足そうに頷いてくれて、
そして、多分……、白いものや電灯の木が私達の姿を見守ってくれました。
156 :ねねこ [saga]:2012/05/16(水) 18:27:28.92 ID:WgkY/9oG0


今回はここまでです。
そろそろゆっこも出る予定です。
157 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/05/17(木) 00:34:32.02 ID:1OHUI4lAO
158 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/05/17(木) 20:33:02.91 ID:OJTJN2dAo
おお、乙なんだぜ。じっくり頼む。
159 :ねねこ [saga]:2012/05/27(日) 18:12:34.74 ID:Don8XXFs0





「何度も聞いて悪いが、本当にそれでいいんだな、東雲?」


中村先生のお宅。
二人でちゃぶ台を挟んでコーヒーを飲みながらの会話の終わり、
中村先生がとても真剣な表情で、最後に私に重く声色で訊ねられました。
私のためを思って言ってくれている事だとは分かっています。
中村先生はこれまで何度も私を説得しようとしてくれました。
それはすごく嬉しい事でしたが……、
私はどうしても中村先生の申し出を受け入れる事は出来ませんでした。
勿論、その答えは今回も同じです。
私は瞳を閉じて、静かに首を横に振りました。
それを見ると、中村先生は少し苦笑気味に呟いてくれました。


「そうか……、やはりな……。
分かってはいたんだが、最終確認をしておきたかったんだ。
これまで何度も悪かったな、東雲。
これで本当に私からの確認は終わりだ。
私としても寂しい事だが……、おまえ自身が選ぶ事だ。
これ以上の無理強いは出来んしな」


まぶたを開くと、中村先生は寂しそうにコーヒーに口を付けてらっしゃっていました。
申し出をお断りする度、悪い事をしてしまったな、といつも思います。
でも、これだけは譲れませんから……、
私はいつものように中村先生に謝る事しか出来ません。


「すみません、中村先生……。
私の事を考えて言って下さってるのは分かってるんですけど、
ですが……、やっぱりそれは私のためにも、皆さんのためにもよくない事だと思うんです。
上手く言えなくて申し訳ないんですけど、嫌……なんですよね……。
私が私でなくなってしまうみたいで……」


私が頭を下げると、中村先生は困った表情で手を振られました。
中村先生も私の言いたい事は分かってらっしゃるんでしょう。
分かってはいても、私のために何度も訊ねずにはいられなかったのでしょうと思います。
お互いに、お互いの事を考えてるはずなのに……。
なのに、二人の答えは交わらない事が、
とても不思議で寂しくて……、
でも、それでいいんじゃないかと思えました。

私は何となく窓から空を見上げてみます。
空はとても青くて、静かで、雲だけが浮かんでいました。
いつも見ている空のはずなのに、見る場所が違うだけでとても新鮮に感じます。
それはきっと、今の私だけが見る事が出来る私の風景……。
私だけの空……。
これからもずっとそんな色んな空を見続けていきたいとは思います。
まだまだ色んな物を、色々な人達を見続けていきたいです。
ですが、それが出来なくなる時期が近付いて来ているのも確かでした。
それなら、私は……。
160 :ねねこ [saga]:2012/05/27(日) 18:13:01.89 ID:Don8XXFs0
「東雲? どうした?
空に何か見えるのか?」


私が黙り込んで空を見ている事が気になったらしく、
中村先生がとても心配そうな表情で私に問い掛けます。
私は軽く苦笑してから、見た物をそのまま中村先生に伝える事にしました。


「すみません、お話の途中に。
窓から雲が見えたもので気になってしまって」


「雲……だと?」


「はい、雲です。
ただの雲なんですけど、でも……、
今日、私が中村先生のお宅にお邪魔してなかったら、
絶対に見る事が出来なかったはずの雲だと思うんですよ。
そう思ったら、何だかただの雲がとても大事な物に思えて来てしまいまして……。
あははっ、変な話ですよね」


「……おかしな奴だな」


呆れたみたいに中村先生が呟きます。
確かにおかしな話かもしれませんね。
自分で言った事ではありますが、私も結構そう思いますし……。
ですが、そのすぐ後に、中村先生がとても優しい笑顔を浮かべて言って下さいました。


「いや……、おまえはそれでいいんだろうな、東雲。
それはおまえだけの感性で、おまえだけが感じられる想いだ。
おまえの感じた事を信じればいい」


言い終わった後の中村先生はとてもさっぱりした表情でした。
ずっと背負い込んでいた物を肩から降ろしたみたいな、清々しい表情……。
その表情のまま、中村先生は私に頭を下げられました。


「……悪かったな、東雲。
私の我儘……だったのだろうな。
おまえにはおまえだけの生き方があるというのに、
私の余計なお世話でおまえを悩ませてしまったらしい。
……すまなかった」


「い……、いえ!
中村先生の申し出、私、すっごく嬉しかったです。
中村先生が私の事を本気で心配してくれてるって分かって、嬉しかったんです!
私の方こそ……、変な我儘を言ってしまってすみません、中村先生……。
でも……」


「いいさ」


そう言って、中村先生が私の肩を叩いてくれました。
とても優しく、温かく……。
私は中村先生の行動に泣きそうになってしまいましたが、
ひょっとすると、中村先生も涙ぐんでらっしゃっていたかもしれませんでした。
私は自分の目元を少し拭うと、何でもない事のように訊ねてみる事にしました。
そう、これは何でもない事。
誰にでも訪れる事……。
だからこそ、普通に訊ねるべき事なんですから。
161 :ねねこ [saga]:2012/05/27(日) 18:13:46.29 ID:Don8XXFs0
「あの、中村先生……。
私の頭は後どれくらい保ちそうなんですか?」


私の言葉を聞くと、中村先生は少し驚いたように目を見開きました。
何を言えばいいか迷ってらっしゃってるようでしたが、
すぐに私の気持ちを汲んで頂けたようで、静かに私の質問に応じてくれました。


「心配するな、東雲。
確かにおまえの頭には異常があるが、それが顕著になるのは一年二年先って話じゃない。
前にも話したと思うが、私がおまえに勧めていたのは単なる保険だ。
まだ二十年は大丈夫だと思うが、何かが起こってからは遅いからな。
それでおまえの記憶のバックアップを取っておきたかったんだが……、
いや、これはもう終わった話だな……」


私の記憶のバックアップ……。
私は、そう、ロボットです。
記憶を抽出して、その記憶を新しい記憶媒体に書き込む事が出来ます。
その技術を使えば、私の頭は何の問題も無く治す事が出来るはずです。
それは自分でも分かっています。

少し前の話になります。
中村先生が健康診断……と言うのも変ですけど、
とにかくこんなご時勢ですし、念のため私の調子を調べてくれた事がありました。
その時、私の頭……、記憶媒体に異常が見つかりました。
直接的な原因は分かりませんが、
単なる経年劣化だろうと中村先生はおっしゃっていました。
その通りかもしれないと私も思います。
パソコンの話になりますが、パソコンの記憶媒体は繊細なだけに壊れやすいものですしね。
五年から十年保存出来れば、御の字ではないでしょうか。

パソコンの記憶媒体が故障した時、または故障しそうな時、
取る対策としては言うまでもなくデータの移動が基本でしょう。
古いデータを保存して、新しい記憶媒体に上書きする。
それが機械の故障に対する当たり前の対策だとは、私もよく分かっているんです。

ですが、何故か私はそれが嫌でした。
私が私でなくなってしまう……、そんな気がしたんです。
上手く自分でも説明出来ないのですが……、
例えば私の記憶のデータを何処かにバックアップしておくとします。
そのデータは今の私に何かが起こるまで保存しておく事になるわけですが……、
そのデータを使って物を考えて動くようになる私は、本当に私自身なのでしょうか?
私と同じ記憶は持っているでしょう。
私と同じ行動も取ってくれるはずです。
傍から見ているだけでは、私と『新しい私』の違いには誰も気付かないかもしれません。
でも、私だけは知っているんです。
そうやって元気に動く私が、『今の私』自身じゃないという事を。

それを考えると私は怖くなりました。
私が死んでしまうのは仕方が無い事です。
ロボットで人間の方より長生きではありますが、
形がある物なんですからいつかは壊れてしまうのは分かっています。
残念な事ではありますが、それはそれでいい事なのでしょう。
だからこそ、怖いんです。
私でない私が皆さんやはかせと生き続けていくという事が。
皆さんが『新しい私』と付き合っていくうちに、『今の私』を忘れていく事が……。
ですから、私は……。

私は中村先生にそれを伝えました。
何度か曖昧に伝えた事ではありますが、
もう一度言葉を砕いて、自分の中の答えを新しくはっきりとさせて、精一杯伝える事にしました。
ココネさんやナイさん、それにアルファさん……。
沢山のロボットの方とお知り合いになれて、
皆さんが色んな事を考えてらっしゃってるのが分かって、私も色んな事を考えられました。
それに水神さまやミサゴ、街灯の木やターポン……。
私がどんな選択をしたとしても、見守ってくれるはずの存在達。
その存在達がずっと見守っていてくれるなら、私達はきっと大丈夫だと思いますから……。


「そうか……」


私が言いたかった事をどうにか言葉に出来た時、中村先生は満足そうに頷いてくれました。
少し寂しそうな瞳でしたが、それでも、力強く頷いて頂けました。
ゆっくり口を開いて、中村先生は続けられます。
162 :ねねこ [saga]:2012/05/27(日) 18:14:22.05 ID:Don8XXFs0
「科学に従事にする身でありながら、そこまで気が回らなかったとは科学者失格だな。
やはり、私も人の子という事なんだろうな。
すまなかったな、東雲。
人間の身では想像しにくい事だから、おまえの気持ちを失念していたようだ。

確かにおまえの言う通りだ、東雲。
おまえの記憶のバックアップを取っておいて、
おまえに何かがあった時におまえのボディに新しく搭載するという事は、
よく考えてみれば、人間で言うと死者を蘇らせるようなものだって私も気付けたよ。
死者が甦るのは生者にとっては嬉しい事ではあるが……、
死者にとっていい事なのかどうかは私にも分からない。
しかも、それが死者と同じ行動をするだけの他人であったとしたなら、
生者や生き返った者はいいとして、死者を悲しませるだけだろうからな……」


話が終わった後、中村先生は窓の外に視線を向けられました。
その視線は何かを懐かしんでいるように見えました。
中村先生にも、誰かに生き返ってほしいと思った事が何度かあるのかもしれません。
いえ、そう言う私だって何度も思った事があります。
あの人達ともう一度逢えたら……、それは誰もが考える事でしょう。
ですが、それはきっと生きている人にも、死んでいる人にも悲しい事なのでしょうね……。


「それはそうとだな」


コーヒーを一口に飲み干した後、中村先生が調子を変えておっしゃられました。
私は背筋を伸ばしてから、首を傾げて、中村先生の次の言葉を待ちます。
一息。
中村先生が続けられます。


「明日、はかせと一緒に遠出をするらしいじゃないか。
相生の所に遊びに行くんだったか?
確か結構遠い所に住んでいたはずだが、はかせはもうサイドカーには慣れたのか?」


「はい、明日は相生さんとお会いする予定です。
お会いするのはとても久し振りですから、凄く楽しみです。
はかせももう大丈夫ですよ。
特訓の成果もあって、かなり乗り物には慣れられたみたいですしね」


「そうか、それはよかった。
気を付けて行って来い」


「はい、気を付けます。
……あの、中村先生もお身体には……」


「私か?
……ああ、私なら大丈夫だ、心配するな。
飲んじゃった事から始まってしまったおまえ達との付き合いだが、
あー……、その……、何だ……、別にそれも悪くなかったと思っている。
心配しなくても、後二十年は生きる。
だから、私の事は気にせず、相生と楽しんで来るんだ。
相生によろしくな」


はいっ!
私がそう返事をすると、中村先生は笑ってくれました。
それは苦笑でも、微笑みでもない……、
たまにしか見れない中村先生の眩しいくらいの笑顔でした。
163 :ねねこ [saga]:2012/05/27(日) 18:15:08.96 ID:Don8XXFs0


今回はここまでです。
お久しぶりです
少し真相が明らかになりました。
164 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/05/27(日) 19:44:23.67 ID:hCky0UQwo
うん、うん。乙
165 :ねねこ [saga]:2012/06/24(日) 17:40:06.50 ID:zgF1iagU0





少しだけ長い道程。
バイクをゆっくり走らせ、到着したのは相生さんのお宅まで徒歩で五分ほどの場所でした。
相生さんのお宅まで行く事も出来ましたが、私はそうしませんでした。
外の空気を吸っていたいという気持ちもありましたし、
心の準備をもう少ししておきたいというのも大きかったんですよね。
やっぱり、私はまだ緊張してしまっています。
久し振りにお会いする相生さん。
何を話せばいいんだろう……って、想像するだけで、手に汗を掻いてしまいます。
相生さんは優しい人ですから私を歓迎して下さると思いますが、
その相生さんの優しさに対して、私は何をお返しする事が出来るのでしょう……。


「わーい、ゆっこー!」


「おい、ちょっと待て、ガキ!」


躊躇いながらバイクのエンジンを止めた瞬間、サイドカーからはかせが飛び出して行きました。
とても嬉しそうに駆け出して、その後ろ姿を阪本さんが追い掛けて行かれます。
呼び止める時間も隙もありませんでした。
瞬く間にはかせ達の姿は相生さんの家の方向に消えて行ってしまいました。
追い掛けようかと一瞬思いましたが、それはやめておきました。
この先、特に危険な道筋と言うわけでもありませんし、
もうすぐ相生さんとお会い出来るはかせの嬉しい気持ちもよく分かります。


「はかせーっ! 転ばないように気を付けて下さいねーっ!」


私は大きな声でそれだけはかせに伝えると、
サイドカーに積んでおいたお土産を手に取りました。
しばらくして「はーい!」というはかせの声が遠くから聞こえてきました。
少し心配ではありますが、阪本さんが一緒なら平気でしょう。
私は少しだけ微笑んでから、何となく青い空を仰いでみました。

空には雲がいくつか浮かんでいましたが、とてもいい天気でした。
緊張が解れたわけじゃありませんし、完全に無くなる事も無いでしょう。
ですけど、私はその緊張を心地良くも感じていました。
相生さんとの再会。
ずっとそうしたいと思いながら、出来なかった事……。
今日、私はそうする事を選びました。
長く躊躇っていた事でしたが、一歩進む決心が出来たんです。
それだけでも、嬉しいと思うべき事なのではないでしょうか。
その先に何があっても、きっと……。

そうして空を仰ぎ続けていたせいでしょうか。
傍に来られるまで、私はその人の存在に気付く事が出来ませんでした。
その人は私の横に立つと、穏やかで荘厳な雰囲気で言われました。


「おお、久しいな」


「ひゃ……っ、ひゃい……っ?」


突然の事に私は返事を噛んでしまいます。
さっきまでと違った緊張を感じながら、
声の方向に視線を向けてみると、そこで微笑まれていたのは笹原さんでした。
かなりお暑いでしょうに、笹原さんは普段と変わらず黒い貴族風の服を着てらっしゃいます。
笹原さんは口元に手を当てて小指を立てられると、軽く吹き出されたみたいでした。
166 :ねねこ [saga]:2012/06/24(日) 17:40:35.55 ID:zgF1iagU0
「驚かせてしまったようだな、東雲なのよ。
久し振りに会えたもので、私も高揚して気配りを失念していたようだ。
すまなかったな、許してくれ」


「い、いえいえ!
私こそ笹原さんにお気付き出来てなかったようで申し訳ありません。
お久し振りです、笹原さん」


「そうだな。
いや、久し振りと言うより、東雲なのとは偶然顔を合わせる事が多いな。
以前は確か……、横浜の国であったか。
示し合わせているわけでもないのに、不思議な縁であるな……」


「そうですね」


言って私が微笑むと、笹原さんも微笑んで下さいました。
いつも超然しておられる笹原さんの姿を見ていると、
私の緊張なんて些細な問題のような気がしてきます。
昔から変わらない人だなあ、と私は何だか嬉してもっと笑顔になってしまいます。
私が笑っていたのが不思議だったのでしょうか。
笹原さんが首を傾げて私に訊ねられます。


「どうした、東雲なのよ。
ワライタケでも食らったか?
いかんぞ、腹が嘶いたからと言っても、ワライタケを口にするのだけは」


「ふふっ、ごめんなさい、笹原さん。
何だかちょっと嬉しくなってしまいまして……
あ、ワライタケは食べてないんで、ご心配には及びませんよ」


「左様か。それならばよいのだがな」


「それより笹原さんはこんな所でどうされたんですか?
また御配達ですか?」


「左様だ、人手不足でな。
笹原家長男の私が出張らねばならぬとは世知辛い事だが仕方あるまい。
背に腹は代えられぬからな。
東雲なのこそ今日はまた買い出しか?」


「あ、いえ、今日は……」


私が答えようとすると、それより先に笹原さんが微笑まれました。
どうやら先に心当たりに思い当たって頂けたようです。
笹原さんが優しい表情で続けられます。


「そうか、ここは相生女史の家の近くであったな。
今日は相生女史に会いに行くという事か?」


「はい、今日は相生さんのお宅にお邪魔する事になっているんです。
本当に久し振りに会うんで、実はちょっと緊張してた所なんですよ」


「緊張する事は無いぞ、東雲なのよ。
私も年に数度配達に行くが、世界がどう変わろうと女史は変わらず息災だ。
緊張などせず、楽しんで来るとよい」


「はい、ありがとうございます、笹原さん。
楽しみたい……、いいえ、楽しもうと思います!
……そういえば、笹原さんは今日はここにはお一人で?
見た所、配達品などをお持ちではないみたいですけど……」


「案ずるな、東雲なのよ。商品は車に積んである。
そして、私にも今日は連れが居るの……」
167 :ねねこ [saga]:2012/06/24(日) 17:41:11.29 ID:zgF1iagU0
笹原さんがその言葉を最後まで言うより先に、
突然、白煙が空に立ち上がり、笹原さんの姿が真っ白になりました。
視線を向けてみると、その傍には手榴弾の残骸と思われる欠片が飛び散っています。
意外にも、その手榴弾の被害は私には及んでいませんでした。
殺傷力があるのか無いのかは分かりませんが、
効果範囲を笹原さんのみに絞って完全に計算し尽くされた手榴弾の様でした。

懐かしいなあ……、と私はつい目を細めてしまいます。
最初こそ驚いたものですが、これも今となってはもう風物詩のようなものです。
変わっていく時代と、変わらない物……。
その二つが重なり合って、世界という物は存在しているのかもしれません。


「ちょっと、何サボってんのよ!
まだ配達する商品いっぱい残ってるんだからね!」


大きな声で叫びながら、短い髪の女性が走り寄って来られます。
笹原さんの姿が真っ白になってしまった以上、
この方が居られるのは当然と言えば当然ですね。
笹原さんが真っ白になった眼鏡を掛け直しながら、肩をすくめて応じられます。


「サボってなどはいないぞ。
私は東雲なのと話をしていただけで……」


「言い訳はいいの!
あ、東雲さん、お久し振りです!」


相変わらず笹原さん以外には礼儀正しい方みたいでした。
私も頭を下げて会釈し合うと、すぐに笹原さんにまた食って掛かられます。


「大体、そんなんだから配達に時間が掛かるんじゃない!
いい加減、フラフラしてないでしっかりしなさいよ!
お兄ちゃんがそんなんだから、いつも私が苦労しちゃうんだからね!」


「だから、何度も言わせてもらうが妹よ。
私はフラフラしているわけでなく、見分を広めているだけなのだ。
今も東雲なのと会話する事で……」


「いいから!
もうそういうのはいいから!
とにかく、早く配達に戻りなさいよね!
配達が終わった後だったら、いくらでも東雲さんと話してもいいから!」


「妹よ……。
前も言ったと思うが、最近、特に祖母に似て来たな……。
その口振りなど特に……」
168 :ねねこ [saga]:2012/06/24(日) 17:42:21.09 ID:zgF1iagU0
刹那、また白煙が上がりました。
笹原さんの妹さんが今度はバズーカで笹原さんを撃ったからです。
それでも、笹原さんはまた全身が白く染まるだけでした。
一体、どういう仕組みのバズーカなんでしょうか。
ひょっとするとこれが愛の力……、なのでしょうか?

少しだけの沈黙の後、
妹さんは顔をトマトみたいに赤く染めると、大声で叫ばれました。


「な、何言ってるのよ、お兄ちゃん!
そういうお兄ちゃんだって、喋り方や性格がお爺ちゃんにそっくりで常軌を逸してるじゃない!
私がお婆ちゃんに似てるんだとしたら、私達が夫婦みたいに見えるって事じゃない!
妹相手にプロポーズみたいな事言うなんて、何考えてんのよ!」


「いや、妹よ。
私はそんな事は一言も……」


「いいから!
配達に戻るわよ、お兄ちゃん!
配達が終わったら、またご連絡しますね、東雲さん!」


言い様、妹さんは笹原さんの首根っこを掴んで二人で去って行かれました。
何だか嵐みたいだったなあ……。
妹さん、私が何を言うより先に、話を全部終わらせてしまいました。
仲の良い兄妹で羨ましいですね。
当然ですけど、私には兄弟が居ませんから何だか羨ましいです。
いえ……、アルファさんやココネさんは、もしかしたら兄弟のようなものかもしれませんけれど。
それと今は相生さんのお手伝いをしているビスケット2号もひょっとしたら……。

笹原さん兄妹のおかげでしょうか。
私は自分の気持ちが軽くなるのを感じながら、相生さんのお宅に足を進めました。
もう大丈夫……だと思います。
相生さんが変わらず元気でいらっしゃるのなら、
私も変わらない姿を相生さんに見せるのが一番のお礼となるはずです。


「あっ……」


二分ほど歩いたでしょうか。
私がバイクを置いた場所と相生さんのお宅との丁度中間辺り。
はかせに手を引かれた相生さんが昔と変わらない笑顔で私を待ってくれていました。
きっと私を待ち切れず、はかせが連れ出して来られたのでしょう。


「久し振り、なのちゃん」


「お久し振りです、相生さん」


そう言い合った後、二人して照れながら笑い合います。
私とはかせは昔からずっと変わらない姿のままで。
相生さんは長い年月を生きて、優しい笑顔の素敵なお婆さんになって……。
それでも、笑顔だけは昔のまま、三人で再会を喜びました。
169 :ねねこ [saga]:2012/06/24(日) 17:43:17.75 ID:zgF1iagU0


今回はここまでです。
遅くなってすみません。
お分かりになられていたかと思いますが、実はこういう展開でした。
170 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/06/25(月) 04:28:00.38 ID:H6vnHSmIo
期待したい。乙。
171 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/07/03(火) 14:58:17.18 ID:7q+1SRtNo
ドユコトー
172 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/07/04(水) 17:17:44.11 ID:+00AZL/o0
wktk
173 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(山梨県) :2012/07/10(火) 19:26:20.52 ID:suCMS/+q0
wktk
174 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/07/16(月) 11:38:30.27 ID:ZEi539z/0
wktk
175 :ねねこ [saga]:2012/07/17(火) 18:07:21.93 ID:1gzwsR/o0





一頻り相生さんと遊ばれた後、はかせは相生さんのお宅の居間で寝息を立て始めました。
ずっと楽しみにしていて昨晩は眠れなかったみたいですし、無理もない事でしょうね。
今はゆっくりお休みになられたらいいと思います。
相生さんのお宅には数日滞在させて頂く予定ですし、急ぐ用事も無いんですから。


「相変わらずはかせは元気だねー」


私の膝で寝息を立てるはかせの頭を軽く撫でながら、相生さんがおっしゃられます。
少しお疲れのようにも見えましたが、
その相生さんの表情は昔と変わらない笑顔でした。
私も微笑んでから、小さく口を開きます。


「そうですね、はかせったらずっとお元気なんですよ。
時間がどれだけ経っても、世界がどんなに変わっても、はかせはお元気です。
私達がどんなに変わっても、そのままの姿で……。
それを寂しいなって感じる事もあるんですけど、
それでも、ずっと笑顔で居て下さるはかせの姿を見られるのは、とっても嬉しいんですよね」


「うん、それは私も嬉しいよ、なのちゃん。
上手くは言えないんだけどね……、
はかせが元気な姿を見てたら、私ももっと元気に頑張らなきゃ! って気になるんだ。
はかせって皆にそう思わせてくれる不思議な子だよねー」


そう言いながら、相生さんが屈託も無く笑顔を浮かべられます。
私はその言葉に頷きながら、それは相生さんも一緒じゃないのかな、と考えていました。
はかせの笑顔は私達に元気や勇気をくれます。
同じ様に、私は相生さんの笑顔にいつも元気と勇気を頂いていました。
今でもいつか長野原さんが口にしていた言葉を思い出します。


『笑顔の天才』


高校生の頃、長野原さんは相生さんをそう呼ばれていらっしゃいました。
周りに笑顔を振りまいて、皆に元気を分けてくれる相生さん。
笑顔の天才以外の何物でも無いと私も思います。
相生さんの笑顔に勇気を頂けたおかげで、私は多くのお友達を作る事が出来ました。
本当に笑顔の天才だなあ……、
と私は口元を緩めて、相生さんの横顔を覗き込んでしまいます。
相生さんの横顔は長い年月を帯びて多くの皺を刻まれていましたが、
その分優しさも増しているように思えましたし、昔よりもずっとずっと魅力的に感じられました。


「ん? どしたの? なのちゃん?」


私が顔を覗き込んでいた事に気付かれたらしく、相生さんが首を傾げて私に訊ねられます。
流石に相生さんの魅力を感じていたとは言えません。
私は自分の頬が少し赤く染まるのを感じながら、ちょっとだけ話を誤魔化す事にしました。
176 :ねねこ [saga]:2012/07/17(火) 18:07:48.54 ID:1gzwsR/o0
「そういえば、さっきたまたま笹原さんのご兄妹とお会いしたんですよ。
昔からずっと仲が良いご兄妹で羨ましいですね」


「へー、それは奇遇だったね。
配達の途中だったのかな?
それにしても、あの子達ってずっと変わらないよねー。
私もたまにお米とか配達してもらってるんだけど、
小さな頃から、どうしてそんなに、って思っちゃうくらい変わってないもん。
血は争えない……、って事なのかな?」


「あはは、それはどうなんでしょうね」


相生さんと顔を合わせて、二人して軽く笑います。
笹原さんのご兄妹……、学校に通っていた頃の先輩、笹原幸治郎さんのお孫さん。
あのご兄妹を見ていると、タイムスリップでもしてしまったかのような錯覚を感じる事がよくあります。
だって、顔立ちだけでなく、笹原先輩とその奥さんのやりとりまでそっくりなんですから。
血は争えない……。
先程言われたばかりの相生さんの言葉を深く実感させられます。
人や時代や世代は変わっていっても、変わらない物はやっぱりあるという事なのでしょう。

これまで何度かその現実に戸惑う事もありましたが、
今では不思議とそれをそのままに受け入れる事が出来る気がします。
私の多くの妹や弟達に会って、色んな事を感じる事が出来たおかげで……。


「変わらないと言えば……」


相生さんが少しだけ不安そうな表情を浮かべて話し始められました。
私も表情を引き締めて、相生さんに視線を向け直します。
相生さんも私にその視線を向けると、一息吐いてから言葉を続けられます。


「はかせは……、大丈夫なんだよね……?」


とても心配そうな声色で、相生さんはまたゆっくりとはかせの頭を撫でられました。
くすぐったいのかはかせが少し身体を動かしましたが、目を覚ましはしませんでした。
寝起きの悪さも、その姿だけでなく心までずっと前から変わらないはかせ。
そんなはかせの姿を見てしまうと逆に心配になってしまう……。
そんな相生さんの気持ちは私にもよく分かります。
いえ、ずっとはかせの傍に居る私だからこそ、誰よりもその気持ちを持っていると思います。
177 :ねねこ [saga]:2012/07/17(火) 18:14:29.44 ID:1gzwsR/o0
今から数十年前の事です。
この世界が少しずつ終わりに向かっていると分かった時、
何処かの施設の代表の方からはかせに依頼が舞い込んで来ました。
調査の結果、世界だけでなく人類の寿命まで短くなりつつある事が分かった。
その縮みつつある人類の延命のための手段を見つけてほしい。
……というのが、その依頼でした。

依頼自体にははかせらしく興味が無いようでしたが、
相生さん達に穏やかな危険が迫っている事だけは分かって頂けたようでした。
そうして、はかせは人類の延命のための研究に取り掛かられる事になりました。
研究自体は順調に進んでいました。
主には細胞の寿命に関連するテロメアの操作の研究を行い、
通称『わかがえるくすり』の臨床実験に入った時、その事故は起こりました。
『わかがえるくすり』とはその名の通り若返るための薬ですが、
正確には若返ると言うよりはテロメアを操作し、若さを保つための薬でした。
『わかがえるくすり』というのは、あくまではかせが語感で名付けられた名称です。

とにかく、その日、はかせは臨床実験の事故に遭われました。
錠剤である『わかがえるくすり』をラムネと間違えて食べてしまい、
不完全だった『わかがえるくすり』は、はかせのテロメアを必要以上に改竄してしまったのです。
『臨床実験の事故』と記録には残っています。
いえ、ひょっとすると、事故ではなかったのかもしれません。
その日、中村先生がはかせの実験の手伝いをされていたのですが、
中村先生もはかせと同じく『わかがえるくすり』を『飲んじゃっ』ていたのです。
丁度、私が席を外していた間に、お二人はいつの間にか誤飲されていたのです。

間違えて『飲んじゃった』。
はかせと中村先生は無邪気な様子で、焦る私にそう言われました。
「自分達の失敗だから誰も気にしなくていい」と二人で苦笑されてました。
ですが、私は思うんです。
お二人はわざと誤飲されたのではないかと。
マッドサイエンティストに思われがちなお二人ですが、
その根本は誰よりも優しい心をお持ちだという事は私がよく知っています。
臨床実験とは言え、マウスなどでの実験も嫌がるお二人でしたし、
人間向けの薬だからこそ、人体での実験を行わなければいけない事も分かり切った事でした。
だからこそ、私は思うんです。
ご自分達の身体を被検体にして、『わかがえるくすり』の効果を知ろうと思ったのではないかと。
自分の身体がどうなっても、周囲の大切な人達を守るために……。

経緯はどうあれ、『わかがえるくすり』の効果は絶大でした。
お二人のテロメアは改竄され、それ以上の老化をする事が無くなりました。
人類を延命する画期的な薬の完成です。
しかし、副作用が無かったわけではありません。
老化を止めるという事は成長も止めるという事。
お二人の身体にはシナプスの成長の疎外という副作用が出ていました。
既に成人していて脳の成長がほぼ終わっている中村先生はそれほどでもありませんでしたが、
まだ子供で成長し切っていないはかせの脳には多大な影響を及ぼしていました。
老化するはずの肉体が変化しない事で、脳が混乱してしまうらしいのです。
その結果、お二人は……。

私は相生さんの瞳を真正面から見つめます。
はかせの身体の事を誤魔化す事はいくらでも出来ます。
ですが、私はそれをしたくはありませんでした。
いつもご自分に素直で居て下さる相生さんの前で、嘘なんて吐きたくありませんでしたから。
だから、私は相生さんに正直な言葉を届けようと思います。
178 :ねねこ [saga]:2012/07/17(火) 18:15:15.99 ID:1gzwsR/o0
「はい、はかせは大丈夫ですよ、相生さん。
定期検診は行ってますし、はかせきまだまだお元気で居て下さると思います。
子供の姿のままで、お元気に走り回って頂けると思いますよ」


「そっか……、そうなんだね……」


「はい、あと三十年程度なら大丈夫……らしいです。
身体の成長こそ止まってらっしゃってますけど、脳の方はそうでもないみたいでして……。
あと三十年もすれば、身体でなく脳が活動を停止するかもしれない。
そう……、中村先生が診断されてました」


「あと三十年……か……」


複雑な表情で相生さんが呟かれます。
悲しい事には違いありませんが、悲しむべき事なのか悩んでらっしゃるようです。
それは私もずっと考えていた事でした。
お二人は肉体だけは『わかがえるくすり』で老化する事がなくなりました。
古来、多くの人に望まれていた夢が現実になったわけです。
でも、それは本当に幸福な事なのでしょうか?
いつまでもそのままで生きていられる事は、人間の方にとって幸福なんでしょうか?
そればかりはロボットである私には分かりません。
人間の方よりずっと長い間生きていられる身としては、それを考える事すらおこがましいのでしょう。

ですが……。
幸か不幸か、私は人間の方と同じ立場に立つ事が出来ました。
経年劣化による記憶媒体の損傷によって、私自身も寿命を持つ事が出来たんです。
はかせや中村先生や相生さん達と同じ様に……。
正直、怖くはあります。
私がこの世界から居なくなってしまう事が。
死んでしまう事が。
とても。
怖いです。

それでも、一人だけ残されて、
はかせ達の居ない世界で無限に生きていくのも怖くて。
それは多分、悲しい事だと思いますから……。
私は、寿命を持てて、命を持てて、結果的によかったんだと思います。
死のう、と思います。
その時が来たのなら、バックアップなんて取らずに。
私として。
たった一人の『私』として。
お友達の皆さんと同じ様に……。

私は少しだけ微笑んでから、
居間の隅に置かれているお仏壇に視線を向けました。
沢山の弥勒菩薩の木像が置かれているお仏壇……。
二十年ほど前に亡くなられた水上さんのお仏壇です。
私は私の膝の上で横になっているはかせを相生さんに任せると、
そのお仏壇の目の前まで歩いて行ってゆっくりと腰を下ろしました。

軽く見回してみると、大小含めて三十尊近くのお仏像さんが目に入りました。
水上さんらしいお仏壇だなあ……。
少しだけ苦笑しながら、私は目を閉じて両の手のひらを合わせます。
十秒くらい手を合わせた頃、相生さんの寂しそうな声が聞こえてきました。


「まさか麻衣ちゃんが一番最初にお仏壇作られる立場になるなんてねー……。
仏像好きな麻衣ちゃんらしいと言えば、麻衣ちゃんらしいんだけど……」
179 :ねねこ [saga]:2012/07/17(火) 18:17:42.78 ID:1gzwsR/o0


お久しぶりです。
今回はここまでな感じです。
180 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/07/18(水) 01:47:16.84 ID:Xn6gc/fAO
乙乙

そういうことだったのか…
181 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/18(水) 10:03:55.22 ID:mgMIVD02o
おおう。誌面に表現されなかった部分をじっくりこうくるかあ。楽しみに待つ。乙。
182 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/07/20(金) 14:00:43.03 ID:LzzhJ+gB0
成る程、おもしろかったです
つづき待ってまーす!
183 :ねねこ [saga]:2012/08/09(木) 19:08:07.41 ID:r4aBJIjh0
それから、小さな苦笑。
相生さんは窓から白くて小さな雲を見上げ、懐かしむように言葉を続けられました。


「ねえ、なのちゃん……。
麻衣ちゃんってボケてばっかりだったよね……。
分かりやすいボケ、分かりにくいボケ、突っ込みにくいボケ、
突っ込んだら負けって感じのわざとらしいボケ……、色んなボケをしてたよね。
だからね、あの日も……、麻衣ちゃんが目を閉じたあの日もね……。
正直、洒落にならないボケだけど、ボケでだった方が嬉しかったなあ……」


あの日と言うのは、水上さんが亡くなった日の事でしょう。
二十年ほど昔、水上さんは長い闘病生活の末、私達に看取られて他界されました。


『ゆっこ、私が死んだら、私の事、忘れていいよ。
私、元気で明るいゆっこの事が好きだから。
だからね……、すぐに私の事を忘れて笑ってて。
お願い……』


それが水上さんの最期の言葉でした。
そのまま静かに目を閉じて、亡くなられたんです。


『嫌だよ! そんなの……、絶対に嫌だよ!』


そう相生さんが大声で叫びました。
必死な顔で、水上さんに向けて、声が嗄れそうになるくらいの大声で。


『まったく……、ゆっこはホントにバカだなあ……』


長野原さんが相生さんの手を取って、静かに囁かれました。
それは口癖になってる長野原さんの言葉。
ちょっとした軽口……。
勿論、長野原さんの表情は辛そうでした。
今にも泣き出しそうな顔で、それでも、長野原さんは相生さんを見つめます。


『バカでいいよ! 私がバカって事でいいよ!
バカでも何でもいいよ!
でも、こんなのってないよ! 嫌だよ!
だから、麻衣ちゃん……!
嘘って言ってよ! いつものボケだって言って、私をバカにしてよ!』


相生さんが涙ながらに叫んで、長野原さんも涙を流して、
私もいつの間にか泣き出してしまっていて、三人で大声で泣いてしまって……。
今思い出すだけでも、胸が締め付けられるほど辛いです。
水上さんのボケであってくれた方がどれくらい嬉しかったでしょう。
ですが、こればかりは水上さんのボケではなくて、
それ以来、私達の胸に暗い翳を落とす事になってしまいました。
水上さんはそれほど私達にとって大切な方だったんですから。
184 :ねねこ [saga]:2012/08/09(木) 19:11:12.46 ID:r4aBJIjh0
「えっ……へへ……。
こんな事言ってちゃ、麻衣ちゃんに怒られちゃうかもね……」


目尻の涙を拭いながらも、相生さんが笑顔を浮かべられました。
胸に痛みを感じていましたが、私も相生さんに釣られて笑顔を浮かべます。
水上さんとの思い出はとても辛いものです。
水上さんの事を思い出すと、大声で泣き出したい気分に苛まれます。
それでも、水上さんとの思い出はそれ以上に大切で素敵なものでした。
水上さんの事を理解出来ていた、
なんて私には逆立ちしたって、例え嘘でだって言えません。
水上さんは本当に不思議で謎めいた人で、
相生さんですら水上さんの考えや想いを、完全に理解出来ていたわけではないはずです。

ですが、水上さんは私達の友達です。
一生の、友達なんです。
完全に理解出来てなくても、一緒に居ると笑い合える。
どんな時でだって、笑い合える。
それが友達なんだと私は思います。
だから、私達は絶対に、忘れません、水上さんの事を。
相生さんも、長野原さんも、私も、きっと……。
忘れる……もんですか……!


「そうそう」


不意に相生さんが声色を明るく変えられました。
私はもう一度目尻の涙を拭ってから、相生さんの顔に視線を向けます。


「どうしたんですか、相生さん?」


「サメの置き物だけど、はかせ喜んでくれた?
メッセージにもしといたんだけど、倉庫を掃除してて見つけた物なんだ。
麻衣ちゃんがはかせにプレゼントしようと作ってた物だと思うから、
絶対絶対、はかせに受け取ってもらいたかったんだよね。
ごめんね、いきなり送り付けちゃったから驚いたでしょ?」


「いえいえ、素敵なプレゼントをありがとうございます、相生さん。
はかせも気に入られたみたいで、一日に一回は必ずあの置き物を撫でられてますよ。
やっぱりはかせも水上さんの事が大好きだったんでしょうね」


「そっか……。それは嬉しいなあ……。
麻衣ちゃんも天国で喜んでると思うよ。
……あれ?
よく考えたら、麻衣ちゃん本当に天国に行ってるのかな?
変なボケばかり言ってたから、ひょっとしたら地獄に行っちゃってるかもね。
でも、麻衣ちゃんなら大丈夫だって思えるから不思議だね。
麻衣ちゃんなら閻魔大王相手でもボケ倒して、元気にやってそうだよ」


「あはは、そんなまさか……」


そんなまさか、と私は言いながらも、相生さんの言う通りな気もしていました。
水上さんは私達の予想の遥か上を行かれる方でしたから、
閻魔大王さん相手でも引けを取らない……、むしろ勝たれるのではないでしょうか。
私達の前で見せるいつも通りのポーカーフェイスで……。
死後の世界というものがあるのかどうかは分かりませんが、
もしあるのなら、水上さんにそういう風に元気で居て頂きたいですよね。
185 :ねねこ [saga]:2012/08/09(木) 19:11:38.45 ID:r4aBJIjh0
「あ、プレゼントと言えば、相生さん……」


プレゼントと言えば、木彫りのサメ以外にも忘れてはいけない事があります。
あの日、相生さんは形の無い大切な物を私にプレゼントしてくれました。
私は私の膝の上で眠るはかせの頭を撫でながら、相生さんに訊ねてみます。


「木彫りのサメも嬉しかったんですけど、
ココネさんを紹介して頂けて、私も嬉しかったんですよ。
相生さんにロボットの方のお知り合いが居るなんて思わなかったから、最初は驚きましたけどね。
実はココネさんとお知り合いになれたおかげで、
私、他にも沢山のロボットの方とお知り合いになれたんです。
東雲研究所の中だけで閉じていた私の世界を広める事が出来ました。
だから、本当にありがとうございます、相生さん。
私、色んなロボットの方とお知り合いになれてよかった……!」


「うん、なのちゃんが喜んでくれたんなら、私も嬉しいよ。
知り合いや友達は、やっぱり多い方がいいもんね!」


「はい、そうですね!
私、本当にそう思います!

……それにしても、相生さん。
ココネさんと何処でお知り合いになられたんです?」


「えっへへー、サプライズだから内緒なのです!」


「ええー、そうなんですか?」


「あはは、冗談だよ、冗談。
実はココネちゃんはね、みおちゃんに紹介されたんだ。
みおちゃん漫画家さんだから顔が広いでしょ?
何かの漫画を描く時の取材で知り合ったらしいよ」


「そうですか……、長野原さんが……。
ロボットの漫画を描く機会でもあったんでしょうか?
でも、おかしいなあ……。
長野原さんの漫画は全部目を通させて頂いてるはずなんですけど……」


「ううん、ロボの漫画の企画じゃないらしいんだよね。
私は読んでないんだけど、菊だか向日葵とかそんな感じのジャンルの漫画らしいよ。
ロボの人って、チューすると手紙のやりとりとかが出来るんだよね?
その機能が気になったんだって、みおちゃん確か言ってた気がする!」


菊とか向日葵……?
お花に関係ある漫画なのでしょうか?
そこまで考えてから、私は一つの事に思い当たりました。
186 :ねねこ [saga]:2012/08/09(木) 19:12:30.45 ID:r4aBJIjh0
百合です。
長野原さんは男の方同士の恋愛の漫画をよく描かれてましたが、
それ以外にも女の子同士の恋愛の漫画も描かれるが多くありました。
女の子同士の恋愛……、それを百合と称する事があるのだそうです。

ああ、恥ずかしいなあ……。
百合という言葉を思い出して、私はつい自分の顔が熱くなるのを感じました。
そうです。ココネさんと初めてお会いした時、
私はココネさんと唇を合わせ、舌を重ねてデータのやりとりを行いました。
それは恋愛的な意味は無かったとは言え、
傍から見ているとまさしく百合そのものだった事でしょう。
こんな機能を搭載しちゃうなんて、はかせったらもう……。

私は少し恨めしく私の膝にあるはかせの顔に視線を下ろします。
はかせは相変わらず、静かに寝息を立ててらっしゃっていました。
それだけの事で、私の心はとても落ち着いていました。
はかせに悪気なんて無いのは分かり切っていますし、
はかせの穏やかな寝顔を見ていると、何もかも許せてしまうから不思議ですよね。
それに……。

それに、はかせがこんなに眠り続けるのは、単に疲れてらっしゃるからではありません。
『わかがえるくすり』を中村先生と処方されて数十年、
お二人の姿が変わる事こそありませんでしたが、
それでも少しずつお二人には変化が起き始めていました。
少しずつ……、ほんの少しずつですが、睡眠時間が延び始めているのです。
大人の精神力を持つ中村先生は多少の眠気なら跳ね返せるようでしたが、
子供の心のままのはかせが強い睡眠欲に耐えられるはずもありませんでした。
いつの間にかはかせは少し運動をしただけで、長い睡眠時間を必要とする体質に変化されていたのです。
終わりが近付いているという事なのでしょう。
終わりの……始まりが……。
私に出来るのは、その終わりの時まではかせと一緒に居る事だけなのでしょう。


「ぐおおおおおおおおおおっ!」


不意に相生さんのお宅の庭から男の人の大きな悲鳴が聞こえました。
驚いた私と相生さんが窓から庭に視線を向けると、
近所のお子さんらしい数人に尻尾を握られた阪本さんの姿が目に入りました。
最近は猫さんの姿を見かける事も少なくなりましたから、
滅多に目にしない猫さんの物珍しさから近所の子供達が集まって来られたのでしょう。

助けるべきなのかなあ……。
一瞬思いましたが、阪本さんの表情が見えた私はすぐに思い直しました。
大きな悲鳴を上げながらも、阪本さんがとても楽しそうな様子に見えたからです。
最近、阪本さんも以前ほどはかせに振り回されなくなって、寂しく思っていたのでしょう。
子供達に囲まれて、何処となくはしゃいでるようでもありました。


「阪本は元気だねー」


呆れているのか、微笑ましく思われているのか、
相生さんが目を細めて、優しい感じで小さく呟かれました。
昔の事を思い出されているのでしょうか。
そういえば、高校に通っていた頃に皆で囲碁サッカー部の活動を体験した時、
相生さんははかせに振り回される阪本さんを、笑いながら見てらっしゃった気がします。


「ねえ、なのちゃん……?」


相生さんが笑顔を少しだけ寂しそうな表情に変えられます。
私がゆっくりと相生さんの瞳に視線を向けると、相生さんはまた静かに続けられました。
187 :ねねこ [saga]:2012/08/09(木) 19:12:57.72 ID:r4aBJIjh0
「阪本……、何代目になるんだっけ?」


「そうですね……。
あの阪本さんは三代目の阪本さんですよ」


「あれっ、三代目?
猫ってそんなに長生きだったっけ?
うちの子よりよっぽど長生きじゃない?」


「いえ、世代はもっと重ねているんですけど、実は阪本さんがですね……、
「この赤いスカーフを受け継いだ子孫にだけ『阪本』の名を継がせる」
って、言い出されまして……、それであの子が三代目の阪本さんになったんですよ」


「なるほどねー……。
って、それなのに三代目って事は、
よっぽどスカーフを継ぎたがる子が居なかったんだねー……。
元祖阪本ちょっと可哀想、うぷぷ」


「あはは、笑っちゃ初代の阪本さんが可哀想ですよ、相生さん」


「うぷぷ、なのちゃんだって笑ってるじゃん」


「ふふっ、それもそうですね」


初代……、元祖阪本さんに悪い気はしましたが、
私と相生さんは顔を合わせて一頻り笑い合いました。
自分の名を継がせる条件を格好良く決めたつもりなのに、
その自分の名前を継ぎたがる子がほとんど居なかったなんて、何とも阪本さんらしいですよね。
ちょっと可哀想な気もしますけど、でも……。


「元祖阪本が羨ましいな……」


そう相生さんが小さく呟かれます。
それは皮肉混じりというわけでも、馬鹿にしているわけでもなく思える声色でした。


「継ぎたがる子は少なかったみたいだけど、
でも、ちゃんと阪本の名前を継いでくれた子が居たって事だもんね。
自分が生きた証をしっかり残せたって事だもん……。
うん、羨ましいな。
阪本のくせに生意気って思うくらいにね」


「そうですね……。
私も羨ましいな、阪本さんの事……」


もうすぐというわけではありませんが、
相生さんは私より先に亡くなられる事でしょう。
それから少し遅れて中村先生とはかせが亡くなり、
その内に私も機能を止めてしまう事になるのだと思います。
それは自然の摂理であって、そうなるべき事なのでしょうが、考えてしまわないわけでもありません。
私達はこの世界に何かを残せるのかなって。
阪本さんみたいに、自分が生きた証を……。


「自分が生きた証……。
私も残せるでしょうか……」


言葉にするべき事ではなかったのかもしれません。
ですが、不意に湧き上がった不安に耐え切れず、
私はつい相生さんにそう訊ねてしまっていました。
相生さんよりも長く生きられる身でありながら、それはとても失礼な事だったかもしれません。
でも、相生さんは笑顔で……、
『笑顔の天才』らしい笑顔を浮かべて応じてくれました。
188 :ねねこ [saga]:2012/08/09(木) 19:13:29.53 ID:r4aBJIjh0
「さあねー、まだ私には分かんないかなー。
でも、多分、みおちゃんは残せてるんじゃないかなって思うよ。
みおちゃんって漫画を描いてるでしょ?
「これが私の生きた証なんだよね」って、前に照れ笑いしながら言ってくれたんだ。
私にはよく分かんない漫画だけど、意外とファンも多いみたいだし、
みおちゃんの漫画はそのファンの人達の心の中に生き続けるんじゃないかな?」


「漫画が……、長野原さんの生きた証……」


「私の方は自分の生きた証を残せたのかどうかはよく分かんない。
これといったものは残せてないかもしれないなあ……。
人間国宝にでもなってれば、それが私の生きた証! って言えたのかもしんないけどね。

でも、それでもいいかなって思うんだ。
生きた証も大切だと思うけど、私ね……、今、幸せなんだ!
みおちゃんや麻衣ちゃんやなのちゃんやはかせや阪本や皆に会えて。
悲しい事や嫌な事や腹が立つ事もいっぱいあったけど、それ以上に楽しかった!
面白かったし、笑えたし、すっごく楽しかったし、すっごくすっごく楽しくて幸せだった!
だからね、私は今まで生きててよかったって思うんだよね!」


「相生さん……、私も……。
私も……、その……」


相生さんの眩しさが胸に響きます。
綺麗で、優しくて、昔見せてくれたものより何倍も天才的な笑顔……。
眩し過ぎて、私は言葉を失ってしまいます。
伝えたい言葉があるはずなのに、上手な言葉が全然見つかりません。
私ったら、何をやってるんだろう……。

不意に。
相生さんが私の手を握ってくれました。
何も言わず、天才的な笑顔で私を見つめてくれて。
それで私の中の難しい思考は全て何処かに飛んで行きました。
上手い言葉なんて言う必要無いんだって。
今感じた事を言葉にするだけでいいんだって。
相生さんがそう言ってくれているように思えました。
だから、私は感じたままに言葉を口に出しました……!


「相生さん、私も……、幸せです!
皆さんと知り合えて、お友達になれて幸せでした!
ありがとうございます!」


「うんっ!」


そう頷いてくれた相生さんのその笑顔は、やっぱり凄く天才的でした。
『笑顔の天才』の相生さんの笑顔……。
この笑顔だけは絶対に忘れたくありません。
終わりの日が来るまで憶え続けていたいって、私はそう強く決心しました。
ちょっと違うかもしれませんけど、
これがきっと私の生きて来た証の一つなのでしょう。
189 :ねねこ [saga]:2012/08/09(木) 19:14:09.73 ID:r4aBJIjh0


今回はここで終わりです。
長く続いてしまいましたが、そろそろ最後の話に入ろうかと思います。
またよろしくお願い致します。
190 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/08/09(木) 23:32:27.43 ID:hQAkgUNAO


日常のSSで泣くなんて…
191 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(山梨県) [sage]:2012/08/13(月) 20:43:25.49 ID:rv2Ga4qm0
乙です。
もうすぐラストか…。
少し寂しくなるな。
192 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/14(火) 22:14:26.16 ID:qni8zr4Ao
ヨコハマ日常いいな。乙。
193 :ねねこ [saga]:2012/08/30(木) 18:05:18.86 ID:r+H0mkyx0





エンジンに火を灯して、バイクに乗って、かなり老朽化した道路を進みます。
揺られ揺られて、私以外誰も走っていない道路を走っていると、
時たまこの世界には私以外の誰も存在していないんじゃないか、ってそんな不安を持つ事もあります。
風の音とエンジンの音と虫の声だけがする世界。
この世界の私以外の皆さんは別の世界に行ってしまったんじゃないかって……。

ですが、道路を走っていると、不意に気配を感じます。
振り返るとそこには街灯の木や、水神さまによく似た白い人型のキノコがあります。
人とは違った存在。
でも、人の記憶を持った何かが、その場所には確かに存在しているんです。
それで私は安心出来て、また道を進みます。
もうすぐ人の世も私の世も夜を迎えてしまうのでしょう。
静かに終わりを迎える事になるのでしょう。
それでも、私達の記憶や思い出はきっと何かが引き継いでくれてるはず……。
そう思えるだけで、私は最後まで歩いて行けると思います。
はかせ達と一緒に最後まで……。

長い時間、バイクを走らせます。
もしかして迷ったかも、と不安になり掛けた時、
話に聞いていた無人のガソリンスタンドを見つけて安心の溜息を吐いて。
背の高い草に囲まれて狭くてバイクで入るのも辛い道をどうにか進んで。
初めて行くあの店を私は遠目に見つけました。
白く光る建物。
小さくしか見えないのに、私の瞳に強く写るお店。
もうすぐ辿り着けるんだなあ、って何だか感慨深くなってしまいます。

私はバイクを降りて、自分の足で更に進みます。
どうしてでしょう。
初めて来た場所のはずなのに、何だかとても懐かしい気がします。
話で何度も聞いていたからでしょうか。
何度も頭の中で思いを馳せていたからでしょうか。
それは分かりませんでしたし、別にどっちでもいい事でした。
ただこの場所に辿り着けた、ってそれがとても嬉しくて仕方がありません。
それだけが私の本当の事で、それでいい気がしました。

風に揺れる手製の風見鶏……、いえ、風見のお魚……かな?
とにかく、その木彫りのお魚に視線を向けてから、
ちょっと深呼吸をして、もう一度そのお店に視線を向けました。
194 :ねねこ [saga]:2012/08/30(木) 18:05:54.13 ID:r+H0mkyx0
「わあっ……」


思わず感嘆の声が出てしまいます。
立派なお店だなあ、と思ったからです。
この時代になっても外観が立派なお店は勿論まだたくさんありますが、
そういう意味で立派というわけではなくて、大切にされてるお店なんだなあ、と私は感じました。
お掃除が行き届いていますし、細かい装飾品にお店への愛着が強く感じられます。
大体、このお店は一度壊れてしまった、というお話を聞いた事があります。
それなのに、今ではそんな事を感じさせないくらい、立派な佇まいになってるなんて……。
やっぱり本当に大切なお店なんだなあ……。
きっとたくさんの思い出が詰まった、大事な大事なお店なんだ……。

私は自分の目尻が軽く涙で濡れるのを感じましたが、
それを指先で拭って、まっすぐ前を向いて胸を張ります。
今日は泣くためにこのお店に来たわけじゃありません。
お話をして、自分の進む道に最後の決心をするために来たんですから。
だから、泣いてなんていられません。

二回、深呼吸。
少し高鳴る胸の鼓動を落ち着けて、私はそのお店の扉を開きます。
チリン、と小さく扉に掛けられたベルの音を耳にしながら、
私がその店に足を踏み入れると……。


「あっ、いらっしゃいませ。
……って、なのっ?」


綺麗な瞳を大きく見開いて、
このお店の店主……アルファさんが私に駆け寄って来られます。
ああ、アルファさんも変わらずお元気なんだなあ……。


「はい、お久し……」


「わー、何で何でー?
道中大変だったでしょー?
嬉しいなあ、まさかなのが来てくれるなんて思ってなかったよー!」


言い終わるより先に、私の言葉はアルファさんの言葉に掻き消されてしまいました。
手を握られてしまって、身動きも取れません。
ですが、それは決して嫌な気分ではありませんでした。
アルファさんが私の来訪を心から嬉しく感じて下さってる事が分かって、
何だか照れ臭い気持ちの方が大きいです。
私が少し顔を赤くして黙っているのに気付かれたようで、
アルファさんは私から手を離して頭を掻きながら苦笑されました。
195 :ねねこ [saga]:2012/08/30(木) 18:07:32.30 ID:r+H0mkyx0
「あ、ごめんね、なの。
私ったらなのが来てくれたのが嬉しくて、ついはしゃいじゃって……。
それも二日ぶりのお客さんだから嬉しくってねー……」


「あはは、ちょっとびっくりしましたけど、大丈夫ですよ、アルファさん。
こちらこそ一度連絡をすればよかったんですけど、
急にこのアルファさんのお店に来てみたくなっちゃいまして……」


「いいのいいの、お店なんだからお客さんが急に来るのは普通だよ、なのー。
って、立ち話も何だし、ほら、座って座って!」


言うが早いか、アルファさんが私を席に案内されます。
席に着いた後でお話を始めようかと思いましたが、
アルファさんは「ちょっと待っててね」と言われてから、カウンターの奥に少し引っ込まれました。
何をしてらっしゃるんだろう……。
私が首を少し捻っていると、すぐに鼻孔に温かい香りが舞い込んで来ました。
いい香り……。
言うまでもなく、コーヒーの香りです。
アルファさんはカウンターの奥でコーヒーを淹れられているようでした。


「お待たせ、なの」


両手にコーヒーカップを持って、アルファさんが戻って来られました。
満面の笑顔で、私の向かいの席に座られます。


「ほら、飲んで飲んで。
最近水を変えてねー、結構好評なんだよ。
なのにも味わってもらえたら嬉しいな。
あ、勿論お代はサービスするよ」


「ええっ、悪いですよ、アルファさん。
お金ならちゃんと持って来てますから、お支払いしますよー」


「いいんだってば。
今日はなのが来てくれたのが嬉しいから、そのお返しに飲んでほしいんだ。
それに前に何日か東雲家に泊めてもらった事があったでしょ?
全然足りないと思うけど、このコーヒーでそのお返し……って事にさせてくれない?」


「うーん……。
そうですね……、そういう事なら……。
あ、でも、二杯目からはちゃんとお代をお支払いさせて下さいね。
アルファさんに会えて嬉しいのは私だって同じなんですから」


「うん、ありがとね、なの。
ほらほら、遠慮しないで飲んで飲んで」


「それでは、いただきますね」


二人で顔を合わせて笑ってから、私はコーヒーカップに唇を付けました。
コーヒーの香りを存分に楽しんでから、ゆっくりとコーヒーで喉を潤します。
196 :ねねこ [saga]:2012/08/30(木) 18:08:02.31 ID:r+H0mkyx0
「……美味しい」


思わず言葉が漏れていました。
美味しい……、本当に美味しいコーヒーでした。
前に東雲家でアルファさんに出して頂いたコーヒーも美味しかったですが、
今回のコーヒーはそれとは比較出来ないほど舌にも心にも残る味でした。
私も詳しい味の違いが分かるほど、コーヒーを飲んでいるわけではありません。
ですが、ただこのコーヒーが美味しい事だけは間違いありませんでした。
こんなコーヒーがあったなんて……。
驚いてアルファさんに視線を向けると、照れたようにアルファさんが頭を掻いていました。


「よかったー、なのに美味しいって言ってもらえて……。
前にお世話になったお礼のコーヒーなのに、
それが美味しくなかったりしたら目も当てられないよね。
なのに美味しく思ってもらえたみたいで、よかったよ」


「はい、凄く美味しいです。
お世辞抜きでこんな美味しいコーヒーを飲んだのは初めてです。
流石はプロですね、アルファさん。
こんな美味しいコーヒーが飲めるんだったら、
もっと早くこのお店までお訪ねしてればよかったですね、ちょっと後悔です」


「あはは、ありがと、なの。
でも、そういえば、今日は突然どうしたの、なの?
来てくれたのは嬉しいんだけど、今日は一人?
はかせと阪本さんは東雲家でお留守番?」


「あ、はい、はかせ達はお家でお留守番なんです。
本当は連れて来てあげたかったんですけど、
初めて行く場所に迷いながら行くわけにもいきませんしね。
今日は下見みたいなものですね。
お店の場所は憶えましたから、次ははかせ達と一緒にお邪魔しようと考えてます」


「それは楽しみだねー。はかせの姿も久々に見たいな。
それとお店の場所の事に関してはごめんね、なの。
やっぱり分かりにくかった?
最近は草の背も高くなって来て、余計に場所が分かりにくくなってるんだよね。
でも、そんなに分かりにくいのに、来てくれてありがとね。
なのとはもう一度話をしてみたいって思ってたから、私、今、すっごく嬉しいんだ」


そう言って、アルファさんが優しい瞳で微笑まれます。
優しい瞳。優しい表情。豊かな感情。
私よりずっと後に開発されたのに、
ずっと色んな事を経験されているのでしょうアルファさん。
そんなアルファさんだからこそ、私はアルファさんと話したい事があるんです。
私はもう一度コーヒーに口を付けてから、
静かに息を吸い込んでアルファさんの瞳を真正面から見つめました。


「あの……、アルファさん……。
今日は下見っていうのは本当の事なんですけど、
実は一つアルファさんとお話ししたい事があって今日はここまで来たんです。
私の話……、聞いて……頂けますか……?」


私のその言葉を聞き終わった後、
アルファさんは驚いた素振りも無く静かに頷いてくれました。
ひょっとすると、アルファさんも私の考えに何となく見当が付いているのかもしれません。
きっとアルファさんなら私の考えを受け止めてくれる……。
そう思えた事で気がかなり楽になりました。
私は拳を軽く握り締めて、誰にも言う事が出来なかった言葉を続けます。
197 :ねねこ [saga]:2012/08/30(木) 18:09:24.01 ID:r+H0mkyx0


今回はここまでです。
お久しぶりです。
もうすぐ終わりますが、またよろしくお願いします。
198 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/30(木) 23:16:35.12 ID:4osp4zmso
楽しみにまつ。乙。
199 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/28(金) 12:40:51.71 ID:wmXqnipk0
おお
200 :ねねこ [saga]:2012/10/08(月) 18:32:05.39 ID:yndVVtCW0
「アルファさんは……、ロボットって何だと思います?」


「そりゃ突然だね」


突拍子も無い私の発言のせいか、アルファさんが首を傾げられます。
でも、その表情は笑っていませんでした。
口元に手を当てて、真剣な表情で考えて頂けているようです。
私の突然の質問も真っ直ぐに真剣に考えてくれる人……、
どんな事でも真面目に受け止めてくれる人……、
それがアルファさんなんだって、まだ短いお付き合いの中から私は思っています。
アルファさんは色んな物を受け止めている。
受け容れて、向き合っている。
そんな方だから、私はアルファさんに訊ねておきたかったんです。
誰にも言う事が出来なかった、誰にも訊く事が出来なかった事を。

ロボットって何なんだろう……?
それは私がこの世界にで目を覚まして、いつからか考えるようになっていた事です。
私ははかせに作られました。
はかせに作られて、学校に通って、たくさんのお友達が出来ました。
たくさんのお友達と遊んで、笑って、とても幸せで。
お友達の何人かはもう亡くなられてしまって、辛くて、悲しくて。
でも、それも私の大切な思い出で。
私は年を取らなくて、はかせも年齢を重ねられなくなってしまったけれど、
ずっと続けられるかもしれないと思っていた私達の日常にも、やっぱり終わりの時がすぐ傍に来ています。
最後の選択をしなければいけない時が近付いて来ています。
ロボットの私が選ばなければいけない最後の選択を。
だから、アルファさんの考えを訊いておきたかったんです。
ロボットを何だと思うかって事を。


「そだねー……」


そう呟きながら、口元に手を当てて考えて下さって。
二度ほどアルファさん自身がコーヒーに口を付けた後でした。
静かで優しい眼差しでアルファさんが言って下さったのは。


「なの自身はさ、ロボットって何だと思ってるの?」


質問を質問で返されてしまいましたが、
アルファさんが話を逸らしたわけではないという事はすぐに分かりました。
アルファさんの表情は真剣なままでしたし、
きっとアルファさんは話を勝手に切り上げるような人じゃありませんから。
つまり、アルファさんの胸の中には、もう私の質問の答えがあるのでしょう。
答えがあるからこそ、私に訊ね返したのです。
私がロボットって何だと思ってるのかって事を。
201 :ねねこ [saga]:2012/10/08(月) 18:32:39.51 ID:yndVVtCW0
「私……ですか……。
私は……ですね、私は……ロボットって……」


呟くように言いながら、私はまたロボットって何なんだろうって考えます。
何度も何度も考えた事。
ロボットって何なのかって考える時、
私はいつも頭の中にたくさんの人の事を思い出します。
はかせ、阪本さん、中村先生、相生さん、長野原さん、水上さん、
笹原さん、アヤセさん、安中さん、高崎先生……、私の知り合った多くの人達の事。
多くの人達の笑顔。
そうだよね……。
答えなんて、本当はずっと前から出てたんだよね……。
私は大きく深呼吸してから、アルファさんに私の答えを伝えました。


「あのですね、アルファさん……、
私はロボットって人間の方の友達だって思います。思ってるんです。
私ははかせに作られて、たくさんの人間の方とお知り合いになれました。
お友達にもなれました。
私のお友達は私と遊んでくれましたし、
笑顔を見せてくれましたし、幸せそうな顔も見せてくれました。
皆さんの幸せそうな顔を見て、私も幸せになれました。

だから、思うんです。
ロボットは人間の方の友達として生まれて来たんじゃないか、って。
友達になるために、幸せにし合うために生まれて来たんだって……」


ずっと前から出ていたのに、ずっと迷ってしまっていたその答え。
ロボットは人間の友達だって答えは間違ってないと思っています。
でも、私は迷っていました。
人間の方の友達で、人間の方と一緒に幸せになるために生まれて来た私。
今では、私にも多くのお知り合いとお友達が出来ました。
勿論、亡くなられた方も多いですが、
それでも、笹原さんのお孫さんを筆頭に新しいお知り合いは増え続けています。
私には本当にたくさんのお知り合いが居るんです。

だからこそ、迷ってしまっていたんです。
これからずっと先になると思いますが、
私ははかせが亡くなられた後で自分の機能を停めようと考えています。
はかせが亡くなられた時、その時こそが私の終わり時だと思うんです。
私にはそれこそ長い長い時間が残されていますが、
その時間に甘えていたらいけない、って思いますから……。
人間の方が限りある時間を生きられているように、私もそう生きたいんです。

だけど、同時に迷ってもしまいました。
私は人間の方の友達として生まれました。
今でもたくさんのお知り合いが居ますし、まだまだ増えていくと思います。
それなのに、私だけこの世界から消えてしまっていいのでしょうか。
多くのお知り合いを残して、死んでしまっていいのでしょうか。
そう思ってしまうからこそ、私は自分の答えに自信を持てないままでした。
だから、アルファさんの答えを訊きたかったんです。

私の答えを聞いても、アルファさんはしばらく何も言われませんでした。
この先、私がはかせと一緒にこの世界から居なくなるつもりだって事を、分かってらっしゃるのでしょうか?
勿論、そんな事、いくらアルファさんでも分かるはずがありません。
ですが、何故だかアルファさんには、私の出した結論を理解されているような気がしました。
202 :ねねこ [saga]:2012/10/08(月) 18:33:18.75 ID:yndVVtCW0
「ねえ、なの、私はね……」


もう一度コーヒーに口を付けられてから、アルファさんが呟かれました。
私の胸が高鳴るのが自分でも分かります。
喉がカラカラに渇いていくのを感じながら、私はアルファさんの綺麗な瞳を見つめます。
アルファさんも私の瞳を真剣な表情で見つめ返して、それからまた口を開かれました。


「私はね、なのと違う答えを持ってるんだ。
私、ロボットは世界を見ていくものだ、って思ってるんだよね。
ずっと変わっていく世界を見てて、色んな物を行ける所まで持って行くものなんだって。
私ね、色んな人達とこの世界を見てて、色んな思い出が出来たんだ。
ココネとか丸子さん、おじさんや先生、タカヒロやマッキちゃん……。
色んな人達のね、想いや思い出をもらって、受け継がせてもらったりもしたんだよ。
だから、私はその皆の思い出を未来に連れて行ってあげたい。
連れて行きたいんだ。
それがね、私のロボットって何なのかって答えなんだよ、なの」


「そう……ですか……」


私は居た堪れなくなって、視線をアルファさんから逸らしてしまいました。
アルファさんの言葉を聞いて、不安だけが胸に募っていきます。
アルファさんは立派な人だなあ……。
強い意志を持って、生きてるんだよね……。
それに比べたら、私は私の事だけを考えてしまってるのかも……。
私の答えは間違えてたのかな……。
はかせと一緒に死のうだなんて、私の勝手な自己満足だったのかな……。
色んな考えが私の頭の中に浮かんでは消えて行きます。
私の方がアルファさんよりずっと年上なのに、何だかとても情けなくなって来ました。

と。


「まあまあ、なの。
そんな顔しないで、まずはコーヒー飲んじゃおう?
おつまみもあるからさ、落ち着いてからまたその話をしようよ。
この黒砂糖なんだけどね、コーヒーのおつまみにすっごくいいんだよ。
ほらほら、騙されたと思って食べてみて」
203 :ねねこ [saga]:2012/10/08(月) 18:45:27.73 ID:yndVVtCW0
アルファさんが軽く微笑んで、席の上に置いてあった黒砂糖を私に勧められました。
胸の痛みはまだ感じていましたが、でも、アルファさんの言う通りでした。
カフェに来てコーヒーを飲まないなんて失礼ですよね……。
ちゃんと落ち着いて、それからまた自分の考えを纏めなきゃ……。
まずはお勧めされた黒砂糖を一口頂いてから……。

私は手を伸ばして黒砂糖を掴んで、それを口の中に放り込みました。
すぐに口の中に濃厚な砂糖の味が広がります。
多少癖のある味の砂糖ですが、十分美味し……って、ギャー!
ななっ、何っ? 何なのっ?
私は突然自分の身体に起こった異常事態に驚いてしまいます。
こんな事は初めてでした。
何の意識もせずに両目からいっぱいの涙が溢れ出しちゃうなんて……。


「うえええ……、アルファさぁん……。
何なんですか、この砂糖は……、えぐっ……」


両目から涙を流しながら訴えてみると、
アルファさんは頭を掻きながら申し訳なさそうに笑われました。


「あははっ、ごめんね、なの。
それ『超黒糖』って名前のとっておきの黒砂糖なんだ。
本当に単なる黒砂糖だから安心して。
でも、ロボットの人が食べると変なツボに入るのか、涙が溢れちゃうんだよね。
なのは別の系統のロボットの人だから、
効くかどうか分からなかったんだけど、ちゃんと効いたねー。
どんなロボットの人の神経でも刺激する成分が入ってるのかもね」


「もも……、もう!
先に……、ぐすっ、先に言って下さいよ、アルファさーんっ!」


「ごめんごめん。
なのって結構固いから、一度試してみたかったんだよね」


「何なんですか、それー……」


「でも、たまにはちゃんと泣くのも悪くないんじゃないかな」


「えっ……?」


私が涙を流しながら視線を戻すと、
私のぼやけた視界の先でアルファさんが微笑んでいました。
先程までの悪戯っぽい微笑みではなくて、とても優しい微笑みで。
私を見守ってくれてるみたいに……。
204 :ねねこ [saga]:2012/10/08(月) 18:51:57.75 ID:yndVVtCW0
「なのはさ」


言いながら、アルファさんが私の頭の上に手を置かれます。
軽く動かして、私の頭を撫でながらアルファさんは続けられました。


「最近、ちゃんと泣いてる?
泣ける時は泣いた方がいいと思うよ、なの。
私もね、結構涙脆いから、色んな所で泣いちゃってるんだよね。
勿論、泣けばいいってもんじゃないけど、泣いていい時もあるって思うよ。

特になのはそうだよ。
何となくだけどね、この前はかせと一緒に居るなのを見て思ったんだ。
はかせの事を思って、色んな事を遠慮してるんじゃないのかなって。
遠慮は悪い事じゃないけど、でも、感情まで我慢してちゃ駄目だと思うよ。
泣いたらいいと思う。
はかせの前で泣けないんだったら、私の前だけでもいいから泣いた方がいいよ。
感情を押し込めて出した答えがいい答えに繋がるとは限らないもんね。
泣けるきっかけは……、ちょっと無茶苦茶だったけどね」


泣くのを我慢してた……。
アルファさんのおっしゃられる通りかもしれません。
かなり涙脆い私ですが、最近は泣かないようにずっと努めていました。
はかせの前でも、中村先生の前でも、誰の前でも泣いちゃいけない。
涙を見せたらいけない。
涙を見せたら、心配を掛けてしまうから。
皆さんの前から幸せを奪ってしまうから。
だからこそ、私はずっと泣かないようにしていました。

ですが……、ですがそれは……、
単に無理をしていただけだったのかもしれません。
しかも、私の自己満足だったのかもしれません。
はかせに心配を掛けてないと思う事で、私自身が心配したくないだけだったのかも……。


「アルファ……さん……」


止まらない涙を流しながら、アルファさんに声をどうにか届けます。
その涙は黒砂糖の影響からなのか、私自身が泣きたいから流れているのか、それは分かりませんでした。
いえ、きっともうそのどちらでもいいのだろうと思います。
私はこれからもう少しだけ泣こうと思います。
長い長い涙になるかもしれませんが、もう一度私の答えを見つけるためにも……。
でも、その前に私はアルファさんに訊ねておきたい事がありました。


「アルファさんは……、どうして、私が泣きたいって……。
分かった……、ひっく、んですか……?
ずっと秘密にしてたつもり……だったのに……」


すると、アルファさんはまた私の頭を撫でてから、
照れくさそうな、誇らしそうな笑顔を浮かべて言われました。


「これでも、客商売だから」


ああ、そうなんだ、と私は思いました。
ここはカフェ・アルファ。
アルファさんとお客さんが守り続けた大切なお店。
その大切なお店と同じくらい、アルファさんはお客さん達の事を大切に思ってるんだ……。
このお店こそが、大切なアルファさんの居場所だから……。
205 :ねねこ [saga]:2012/10/08(月) 18:52:47.58 ID:yndVVtCW0


今回はここまでです。
すみません、大変遅くなりました。
またよろしくお願い致します。
206 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/10/08(月) 20:56:54.56 ID:3EWKn3sAO
207 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/08(月) 22:13:02.96 ID:MpqMcoJ7o
黒糖の話と、見て歩く者か。乙。次も楽しみにしてる。
208 :ねねこ [saga]:2012/10/30(火) 18:12:48.95 ID:BKvajNcM0





私の涙がやっとの事で止まった頃、
アルファさんが温かい笑顔でもう一杯のコーヒーを注いでくれました。


「これはサービスね。
って、一杯目もサービスだったっけ?
でも、これもサービスさせて。お砂糖で泣かせちゃったお詫びって事で」


言って、アルファさんが自分の頭を掻かれます。
何杯もサービスさせてしまって申し訳ない気はしましたが、
この場合はアルファさんのお心遣いを頂かない方が失礼でしょう。
お代は三杯目からお支払いする事にしようと心の中で決めて、私はそのコーヒーに口を付けました。


「ああ……、美味しいなあ……」


コーヒーのあまりの美味しさに思わず声が漏れてしまいます。
しばらく涙を流してしまったからでしょうか。
それとも、抱えていた物を降ろせた解放感からでしょうか。
アルファさんの淹れて下さるコーヒーは勿論いつも美味しいのですが、
今回のコーヒーは今まで頂いたコーヒーの何杯も美味しい気がしました。


「なのってさ」


頬杖を付いたアルファさんが嬉しそうに呟かれます。
私はコーヒーカップに向けていた顔を上げ、アルファさんの顔に視線を向けました。
私が見たアルファさんは満面の笑顔をしていらっしゃいました。
私と視線を合わせてから、アルファさんは続けられます。


「ホント、コーヒーを美味しそうに飲んでくれるよねー。
カフェ経営の身としては嬉しい限りだよ」


「そう……ですか?」


私はちょっと苦笑して首を傾げます。
アルファさんのコーヒーが美味しいのは確かですけど、
残念ながらその時の表情は自分では確認出来ませんもんね。
でも、アルファさんがそう言って下さるのなら、
私はきっと自分で考えてる以上に、アルファさんのコーヒーが好きなんでしょうね。
私はもう一口コーヒーに口を付けてから、小さく微笑みました。
209 :ねねこ [saga]:2012/10/30(火) 18:13:57.09 ID:BKvajNcM0
「コーヒーを飲んでいる時の自分の表情は分かりませんけど、
私、アルファさんのコーヒーって凄く美味しいな、っていつも思ってます。
普段、そんなにコーヒーを飲む方じゃないのに、
アルファさんのコーヒーなら何度でも飲みたくなるって言うか……。
とにかく、私、アルファさんのコーヒーも、アルファさんも大好きですよ」


私が言うと、アルファさんが頬を少し赤く染めてその顔を掻き始めました。
どうも私の発言がアルファさんを照れさせてしまったみたいです。
それと同時に、私の方も少し恥ずかしくなって来てしまいました。
自分が何気なく気障な台詞を言ってしまっている事に気付いてしまったからです。
アルファさんのコーヒーも、アルファさんも大好きですよ、なんて……。
あああ……、私、どうしてそんな気障な台詞を言っちゃったんだろう……。
私、そんな事を平然と言える子じゃないはずなのに……。

瞬間、何故だか私の背中のネジが一回転ゆっくり回りました。
私が嬉しい時にちょっとだけ回る背中のネジ。
半回転ならともかく、一回転も回るのは今までそんなに無かった気がします。
もしかしたら、私は恥ずかしくなりながらも、
アルファさんに自分の想いを伝えられた事を嬉しく思っているのかもしれません。


「あ、あはは……」


「ふふふ……」


二人して頬を染めて、視線を合わせながら何故か笑い出してしまいます。
すっごく照れ臭い。
でも、何だかとっても嬉しいような……、そんな気がします。
きっと、それはアルファさんも同じ様に考えて頂けているはずでした。

しばらくアルファさんと笑い合って、自分の頬の熱さを感じなくなってきた頃。
不意にアルファさんが真剣な表情を私に向けて口を開かれました。


「あのね、なの。
さっき、私はずっと色んな物を見て行きたいって言ったよね?
ずっとずっと、色んな物を見届けたいって」


「はい……。先程、聞かせて頂きました」


「私はね、たくさんの人からたくさんの想いを受け取ったんだ。
皆が辿り着けない場所まで何処までも見て、何処までも皆を憶えててあげたい。
いっぱい見て、いっぱい歩いて、世界を感じて、その先にある物を見届けたいんだよね」


「ええ、とても大事な事だと思います。
でも、私、やっぱり……」


「いいんだよ、それで」


「えっ……?」
210 :ねねこ [saga]:2012/10/30(火) 18:14:43.36 ID:BKvajNcM0
そう私が驚いた声を上げた瞬間、アルファさんは私の両手を握られました。
私の両手を優しく包み込むように。
両手から伝播するみたいに、全身にアルファさんの温かさを感じます。
それから、アルファさんは苦笑交じりに続けられました。


「立派な事を言ってるみたいだけどね、
それは単に私がそうしたいからやってるだけの事なんだよ、なの。
今までたくさんの人と関わって、色んな子達の成長を見て来て、思ったんだ。
私は皆の想い出や記憶をずっと先まで届けてあげたい。
思い出話としてお客さん達にお話してあげたい、ってそう思う。
私の楽しかった思い出をまだまだたくさんの人達と共有したいんだよね。

ねえ、なのも人型のキノコや街灯の木は知ってるよね?」


「あ、はい。
このお店に来る前にもいくつか見かけましたよ」


「あはは、そりゃあれだけあったら知らないわけないよね。
それでキノコや街灯の木なんだけど、最近、凄く増えて来たと思わない?
ちょっと前は探さないと見つからないくらいだったのに、
今じゃその辺を散歩するだけで街灯の木を二本くらいは見かけるようになった気がする。
増えてるんだよね、やっぱり。

勿論、私にはキノコとか街灯の木が何なのかは分からないよ?
私って難しい理屈とか理論とかは苦手なもんで……。
でも、街灯の木とかを見てて思うんだよね。
皆、見守ってくれてるんだなあ。
私達の事を憶えていようとしてくれてるんだなあ、ってさ……」
211 :ねねこ [saga]:2012/10/30(火) 18:18:34.33 ID:BKvajNcM0
私は少し驚きました。
アルファさんも人型のキノコや街灯の木の事を、私と同じ様に考えてたんだ……。
そんな風に考えてるのは私だけだって、何となく私は思っていました。
そんなの私の勝手な感傷なんだって。
ですが、それは違ったのかもしれません。
人型のキノコや街灯の木の事を詳しく話そうとする人は、私も含めてあまり居ません。
軽々しく話してはいけないものなんだって、私も勝手に考えていた気がします。
だから、他の皆さんが人型のキノコや街灯の木の事をどう考えているのかは分かりませんでした。
でも、皆さんも本当は考えていたんですね、
あれらは私達を憶えていようとしてくれてる世界の記憶なんだって。

すぐ先と言うわけではありませんが、人の時代はいつか夜を迎えてしまいます。
それから先に、ロボットの時代も夜を迎えてしまうでしょう。
いつかはこの世界から私達の姿が消え去ってしまうのでしょう。
それでも、私達を憶えていたいと思ってくれてる何かがある。
そう思えるだけで、私は何だか嬉しく思えます。
私達の事を憶えてくれてる何かがあってくれるなんて、とっても嬉しいです。
だからこそ、アルファさんが同じ様に私達の記憶を未来に伝えてくれる事に、憧れもしました。
私の選択が間違ってる様な、そんな気もしました。
でも、アルファさんは私の手を優しく包み込んでくれるんです。
何もかもを受け容れてくれるみたいに。

それから、アルファさんはまた軽く苦笑を浮かべたまま続けられました。


「街灯の木とかは私達を憶えていようとしてくれてる。
皆の記憶を持ってくれてる。
だから、私もそんな風に皆の記憶を未来に連れて行きたい……。

なーんて、偉そうに言っちゃったけどね、
それは私が勝手に決めて、勝手に考えてるだけの事なんだよ、なの。
そうした方がいいのかもしれない、って私が一人で考えてる事なんだ。

だからね、なのも自分が選んだ事に自信を持っていいと思うよ?」


「そう……でしょうか……?」


「そうだよ、なの。
大体、なのは私よりもずっと前から色んな物を見てるでしょ?
色んな物を見て、色んな所に行って、はかせや阪本さんと一緒に歩いて来て……。
色んな物を感じて、笑ったり泣いたり怒ったり喜んだりして……。
そうやって、なのが出した答えなんだもん。
そんななのが出した答えに誰も文句は言えないし、言わせたらいけないと思う。
なのは人間の友達のロボットとして、思うままに進んでほしいな。
私とは違う答えだけど、それでいいんだよ。

勿論、なのと会えなくなっちゃうのは寂しいけどね……。
でも、それもなのの出した答えだから、私は受け止めたいと思うよ」
212 :ねねこ [saga]:2012/10/30(火) 18:19:02.37 ID:BKvajNcM0
突然の言葉でしたが、私はもう驚きませんでした。
やっぱり、アルファさんは私の話から全てを分かっていらっしゃったんですね。
私がはかせと一緒に終わりを迎えようと思ってる事を……。
分かっていて、私の考えを尊重して、勇気付けてくれたんです。
私の方がずっと年上なのに、背中を押してもらえるなんて何だか情けないですね。

でも、嬉しくもありました。
この世界にたった一人でも私の考えを分かってくれる人が居るという事が。
私の考えや想いや思い出を未来に運ぼうとしてくれてる人が居るという事が。
凄く……、嬉しいなあ……。


「ありがとうございます、アルファさん」


泣き出してしまいそうになりながら、私は今度こそ泣かずにアルファさんを見つめます。
今までみたいに自分の不安を誤魔化して、泣くのを我慢しているわけではありません。
今は笑顔でアルファさんと向かい合うべきだと思ったから、私は泣かずに笑顔を浮かべるんです。
私の気持ちを察して頂けたのか、アルファさんも眩しい笑顔を私に向けてくれました。


「よしてってば、なの。
そんなに真っ直ぐに言われちゃうと、て、照れるぜ……。

あはは、まあ、冗談は置いとくとしても、なのはそれでいいんだと思うよ。
誰かとは違ってても、なのには自分の選んだ道に自信を持っててほしいしね。
前に進む事だけじゃなくて、立ち止まる事にも意味があっていいと思うから。
だから、私はなのの選んだ事を応援したいよ。

でもね、それはもうちょっとだけ先の話だよね?
その日が来るまでは、私のお店の常連になってほしいな。
最近、お客さんが少なくてね、新規開拓しなくちゃやっていけなくて……」


「ふふっ、アルファさんったら……。
ですけど、はい、是非っ!
このお店までの道も覚えましたし、今度ははかせや阪本さんも連れて絶対また来ます!
何度だって来ちゃいます!」


「おっ、嬉しいなー。
じゃあ、こっちもタイミングを合わせてココネとか呼んでおくね。
それで、皆でお話しちゃおう。
夜が来る前に、あったかいコーヒーを飲みながら、ね」


「はいっ!」


そう返事して、私はアルファさんと固く手を握り合いました。
これから何度でもこのお店に来ようと決心します。
十年経っても、二十年経っても、私はアルファさんに会いにここまで来ます。
その時に私がまだこの世界に居れば、ですが。
その時が来るまでは。
絶対に。
213 :ねねこ [saga]:2012/10/30(火) 18:20:33.94 ID:BKvajNcM0


お久し振りです。
お待たせしました。
来月には終了すると思います。
長い間、ありがとうございました。
214 :ねねこ [saga]:2012/11/03(土) 18:43:08.51 ID:0+Ln9Osb0





お玉でお味噌汁を掬って、私は何度も慎重に味と温度を確かめます。
熱、味、お味噌の濃さ……。
うん、きっとこれでいいはず。
前よりもずっと時間を掛けて、ようやく朝ごはんが完成しました。

最近になって。
私の味覚や触覚は少しずつ衰えて来ていました。
お味噌汁の味の濃さがすぐには分からないくらい、
熱いお風呂に入っても一分以上自分の火傷に気付かないくらい、
小指を思い切りタンスの角にぶつけても何にも感じないくらいに……、
少しずつ、少しずつ……、私から色んな感覚が失われ始めていました。
私の記憶媒体の経年劣化の影響でしょうか。
それとも、私の身体自体に異常が起き始めているのでしょうか。
そのどちらなのかは、私にも分かりません。
多分、そのどちらもなのだろうと思います。

私の身体の異常に気付いても、中村先生は私に何も訊かずに居てくれました。
時たま寂しそうな表情を浮かべられる事もありましたが、
それでも、私の姿を優しい苦笑で見届けてくれるつもりなのでしょう。
本当は私の身体を修理したいのでしょうけれど。
少しずつ身体能力が落ちていく私の姿を見ていられないのでしょうけれど。
それでも、私の最後の我儘を尊重して。
形は少し違いますけれど、はかせと一緒に老いていきたいという我儘を……。
中村先生には本当に感謝してもし切れないと思います。

中村先生……。
私の身体の事だけでなく、本当に多くの事で中村先生には感謝しています。
中村先生が居て下さったから、私は自分という存在と向き合う事が出来ました。
中村先生が居た下さったから、はかせもあまり寂しがらずに元気いっぱいで居られたんだと思います。
相生さんや長野原さんの成長に一人取り残されても、それでも……。
こんな事で感謝の気持ちが示せるかは分かりませんが、明日くらいに何かお裾分けに行きましょうか。
また、はかせの事について話したい事もありますしね。

でも、今はそれよりも先に……。


「はかせー! 阪本さーん!
大変お待たせしましたー! 朝ごはん出来ましたよー!」


居間まで届くくらいの声を上げてから、
私は出来たばかりの朝ごはんをお盆に乗せて運びます。
すっかりお待たせしてしまいました。
勿論、時間が掛かるのを見越して早起きをしているのですが、
それでも想像以上に朝ごはんの調理に時間が掛かってしまいました。
はかせも阪本さんもお腹を鳴らして居間で待っているに違いありません。
急いで配膳してあげないといけませんね。
215 :ねねこ [saga]:2012/11/03(土) 18:43:34.54 ID:0+Ln9Osb0
「すみません、はかせー!
起きてらっしゃいますかー?」


言って居間に足を踏み入れると、最近珍しい光景が私の目に入りました。
はかせと阪本さんがテーブルの前で静かに座ってらっしゃっていたのです。
これはとても珍しい事でした。
阪本さんはともかく、はかせが朝に居間で目を覚まされている事が最近本当に少なくなっていたからです。
それについては、『わかがえるくすり』の副作用だろう、と中村先生が仰っていました。
肉体の老化を抑えられても、脳の老化は抑えられない。
その内、肉体と脳の老化の差に神経回路に違和感が生じ、結果的に日中の活動時間が激減してしまう。
……のだそうです。
だからこそ、はかせが朝に居間で起きてらっしゃるなんてとても珍しい事なんです。
朝ごはんの前に起こして差し上げるのが、最近の私の日課になるくらいに……。


「あ、起きてらっしゃったんですね、はかせ。
今日もお元気そうで何よりです!」


私は少し驚いてしまっているのを誤魔化して、何とか微笑みを浮かべてみせました。
これはいい事なんですから、別に驚く必要もありませんしね。
微笑みながら私が配膳している間、はかせは何も言わずにじっと座ってられました。
阪本さんも何も言わずに私が配膳する動きを見てらっしゃいます。
な、何かあったんでしょうか……?
何だか緊張するなあ……。
二人とも寝惚けているわけではないようですから、特に問題無いと思うんですけど……。

妙な緊張を感じながらも、私は朝ごはんの配膳を終わらせます。
エプロンを外してから床に畳んで、私のお茶碗を配膳した場所に座ろうと思った時。
私は自分の腰の辺りにほんの少しの重みを感じました。
何だろうと思って視線を向けて、やっと気付けました。
いつの間にか立ち上がっていたはかせが、私の腰に背中側から抱き着いていた事に。


「どうしたんですか、はかせ?」


私はテーブルの前に座るのをやめて、はかせに訊ねてみます。
訊ねながら、私は何故か不思議な気分を感じていました。
不安と懐かしさ。
急にはかせに抱き着かれた事に対する不安。
久し振りにはかせに急に抱き着かれた懐かしさ。
その二つの感情を同時に感じてしまっていたからかもしれません。
そう言えば、はかせに急に抱き着かれるのなんて、凄く久し振りな気がします。


「はかせ……?」


はかせが何も言わない事に不安を感じて、私はまた小さく訊ねてみました。
はかせに何かあったのでしょうか?
感覚が衰え始めた私でもこんなに強くはかせの温もりを感じられるくらいの何か。
そんなにも強く私を抱き着きたくなるくらいの何かが……。
216 :ねねこ [saga]:2012/11/03(土) 18:44:02.88 ID:0+Ln9Osb0
「ガキ」


不意に私の足下に近寄っていた阪本さんが言われました。
その言葉はいつものぶっきら棒な物でしたが、とても優しい声色でした。
阪本さんは静かに続けられます。


「抱き着いてるだけじゃ何も伝わらないぞ。
娘に言いたい事があるんだろ?
だったら、泣いてちゃ駄目だろうが」


泣いてる……?
阪本さんに言われて、衰えた感覚を腰に集中させてみて私もやっと気付けました。
はかせが涙を流しているという事に。
はかせの涙が私の腰を濡らしているという事に。


「はか……」


言い掛けて、ぐっとその言葉を堪えます。
はかせの頭を撫でようと伸ばし掛けた手も握り締めて留めます。
それはしてはいけない事だからです。
先程、阪本さんははかせに言われました。
『娘に言いたい事があるんだろ?』と。
なら、私ははかせの言葉を待つべきだと思いますから。
それがどんな言葉でも、私ははかせの言葉を受け止めたいと思いますから。


「あのね……、えっと、えっとね、はかせね……」


涙を流されながら、涙声ながら、はかせが声を絞り出されます。
私に想いを伝えようと、必死に声を出されます。
それはきっと。
涙をどんなに流しても、私に伝えたい何かがあるからなのでしょう。


「はい、何ですか、はかせ?」


私は目蓋を閉じて、はかせに静かな声でゆっくり訊ねます。
決してはかせを急がせてしまう事のないように。
はかせのペースで想いを言葉にして頂けるように。
ゆっくりとした時間の流れの中に皆で居られるように。


「うん……、はかせね……。
なのにね……、言いたい事があってね。
えっと、えっとね……、なのはね、えっとね……」


「いいですよ、はかせ。
ゆっくり思った事を言って下さい。
私、ずっとここに居ますから。逃げたりしませんから。
だから、ゆっくり……、
ゆっくりはかせの言いたい事を言って下さっていいんですよ」


「じゃ、じゃあ……、言うね、なの……。
なのは……」


はかせが言葉を止めて息を大きく吸われます。
私も自分の胸の音が大きくなっていくのを感じながら、はかせの言葉を待ちます。
ほんの数秒のはずなのに、長い長い時間が経っているかの錯覚を感じます。

と。
不意にはかせの腕が私の腰から離れたのを感じると、
はかせは私から少し距離を取って私の顔を見上げられました。
勿論、私から逃げ出したわけではありません。
私の顔を見ながら話したいと思ってくれたのでしょう。
それは涙を堪えて私を見上げるはかせの表情からよく分かりました。
217 :ねねこ [saga]:2012/11/03(土) 18:45:05.42 ID:0+Ln9Osb0
はかせは目尻の涙を白衣で拭われました。
強い意志を秘めた瞳で私の瞳を真正面から見つめられます。
私もはかせの想いを受け止められるよう、真っ直ぐにはかせの瞳を見つめます。
二人で視線を重ねます。
そうして、はかせはその小さな口を大きく開かれて言われました。


「なのはさみしくない?」


意外な言葉でした。
はかせも阪本さんもいらっしゃるのに、寂しいはずなんてありません。
はかせ達と過ごした日々は、寂しさなんて感じる暇もないくらい楽しいものでした。
私だけでなく、はかせ達もそうだと思っていましたが、本当は違ったのでしょうか?
私はその事にこそ寂しさを感じて、首を傾げてはかせに訊ね返しました。


「何を言ってるんですか、はかせ。
寂しいはずなんかないじゃないですか。
私、はかせ達と一緒に過ごせて楽しくて、全然寂しくなんかなかったですよ。
どうして、そんな風に思ってしまったんです?」


「本当……?
だって……、だってね……。
なの……、なのがね……」


「私が?」


「アルファに会いにいってから……、なんか変わった気がしてね……。
はかせよりアルファといっしょにいた方が、
なのが元気になれるんじゃないかって思ってね……。
はかせはいつもなのをこまらせちゃってるし、なのもよくはかせを怒ってるしね……。
だから……、だからね……」


はかせが悲しそうな表情でそう答えられます。
アルファさんと会いに行ってから、私の何かが変わった?
変わった気は自分でもしています。
アルファさんに会いに行ってお話をさせて頂いて、私の中では色んな物が変わりました。
考え方や自分の進みたい道、選ぶべき選択肢……。
アルファさんのおかげで私はやっと自分を信じる事が出来た気がします。
ですが、それははかせが不安に思ってるような意味ではありません。
はかせが不安に思う事なんてないんです。

私は微笑んだ顔をはかせに見せてから膝を折って、
また今にも泣き出しそうになっているはかせを静かに抱き締めました。
感覚が薄れている私にも、今度こそはっきりと分かります。
はかせの震えと、はかせの体温が。
私は自分にまだその感覚が残っている事を嬉しく感じながら、はかせの耳元で囁きました。
218 :ねねこ [saga]:2012/11/03(土) 18:45:32.10 ID:0+Ln9Osb0


「私、アルファさんの事、好きですよ。
一緒に居ると安心出来ますし、その落ち着いた姿勢にはとっても憧れます。
この前会いに行った時も、私の考えや悩みを色々聞いて頂けました。
悩んでいた色んな事を晴らす事が出来ました。
でも……」


「でも……?」


「私がずっと一緒に居たいのは、はかせの方なんですよ。
そりゃはかせは野菜を残しますし、変な発明をしちゃいますし、
いくら頼んでもネジを取ってくれませんでしたし、
いつの間にか私の事を改造してたりしてますし、本当に困った人ですけど……。
でも、私、そんなはかせと一緒に居たいんです。
困った事もたくさんありましたけど、それよりも幸せだった事の方が多かったんですから」


「本当に……?」


「本当ですよ」


私が言うと、はかせの震えが少しだけ止まりました。
はかせの不安を少しだけ消してあげる事が出来たみたいでした。
でも、完全に消してあげられたわけではありません。
はかせは私の胸の中でまだ震えてらっしゃいました。
それはきっと、もっと不安に思っている事がまだ胸の中にあるからなのでしょう。
それも受け止めたい、と私は思います。
これこそが私とはかせがしなければいけない最大の話し合いなのだと思いますから。
これからも一緒に生きていくために必要な話し合いなんですから。
受け止めてみせます、はかせのどんな言葉も、想いも。
219 :ねねこ [saga]:2012/11/03(土) 18:46:03.09 ID:0+Ln9Osb0


今回はここまでです。
ありがとうございました。
220 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/11/03(土) 23:41:20.81 ID:2oTD7l9AO
221 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/09(金) 01:36:08.57 ID:8ISZWkwpo
夜が来る前に、あったかいアスファルトに座って。思い出すな… 乙。楽しみに待つ…。
222 :ねねこ [saga]:2012/11/20(火) 18:21:00.82 ID:37BIMfIJ0
はかせの肩に両手を置いて身体を離し、正面から瞳を向け合いました。
はかせは目の端に涙を浮かべられながらも、私を正面から見つめていてくれています。
悲しさや不安を胸に抱いているのでしょうけれど。
まだ恐くて仕方がないのでしょうけれど。
はかせは私に瞳を向けてくれていました。
きっとはかせも私と話をしたいと考えていて下さっているのでしょう。
私は右手の人差し指ではかせの涙を拭うと、伝えたい想いを言葉に乗せました。


「私、相生さんの事が好きです。
いつも元気で私に勇気をくれる方で、お話をしていると笑顔になってしまいます。
長野原さんの事も好きです。
私に色々な知らなかった事を教えてくれますし、困った時に私の背中を押してくれる優しい人ですから。
水上さんの事だって好きです。
不思議な方でしたけど、一緒に居ると不思議と落ち着けました。
心の何処かで私の事を考えていて下さったんだと思いますし、はかせの事も大切にして下さいましたから。
勿論、中村先生の事も大好きです。
中村先生は私の恩人です。困った時、辛い時はいつも相談に乗って下さいました。
私がロボットだって事が皆に知れ渡ったっていいんだ、って思えたのは中村先生の一言がきっかけでした。
中村先生のおかげで広い視野を持てるようになった気がします。中村先生には本当に感謝しています。

勿論、阪本さんの事も大好きですよ。
私達を見守っていて下さって、失敗した時には私達を叱って下さる阪本さん。
あんまりお伝えした事は無かったですけど、いつも嬉しく思っていたんですよ」


そう言って私が阪本さんに視線を向けると、
「よせやい」と阪本さんが目を私達から逸らされました。
怒っているのではなく、ただ照れられているだけのように見えました。
阪本さんは意外とそういう一面がある気がします。
そっくりだなあ、と私は不意に過去に思いを馳せてしまいます。
初代の阪本さんも、今の阪本さんと同じく不器用だけどとても優しい方でした。
もう初代の阪本さんは私の心の中にしか居ない……。
そう思う事も何度かありましたが、その考えは違っていたのかもしれません。
初代の阪本さんはまだ居るんですよね。
私の心だけじゃなくて、色んな人達の心の中に。
大切な思い出と記憶として。
だからこそ、私は勇気を持てるんです。
これからの私の選択と行動に。

私は阪本さんからはかせに視線を向け直し、小さく微笑みました。
その私の微笑みに少し安心して頂けたのか、はかせも小さく微笑まれました。
私の好きなはかせの笑顔。
まだ不安の残る笑顔ですけど、早く私の大好きな満開の笑顔にしてあげたいと思います。
そのためには、まずはかせの不安を全て吐き出して頂く事が一番でしょう。
私ははかせと二人で頷き合います。
それは私がはかせの想いと言葉を受け止める合図でした。
はかせはご自分の涙を拭いながら、強い想いの感じられる言葉を出され始めました。


「あのね、はかせね、なのにはね、元気に笑っててほしいの。
はかせがいなくなっても、阪本とかといっしょに元気ななのでいてほしいんだ。
はかせね、何かね……、分かるんだ。
すっごく先ってわけじゃないんだけど。
まだまだずっと先の事だと思うんだけど。
でもね、きっとはかせ、いつかいなくなっちゃうんだ。

さいしょの阪本みたいに……、次の阪本みたいに……、
みんなみたいに……、なのの前からいなくなっちゃうと思うんだけど……。
だけどね、そうなってもね……、はかせがいなくなってもね……、
なのにはずっとずっと元気でいてほしい、ってはかせは思うんだけど……」


言葉の最後の方ではまたはかせを涙を流されていました。
でも、その涙に言葉を邪魔される事無く、はかせは言い切って下さいました。
私に伝えようとしていた想いを。
ずっと胸の中に抱いていた不安を。
泣いて癇癪を起こされたりもせずに、涙を堪えて、私に伝えて下さったのです。
はかせのその成長が嬉しくて、私の方も嬉しくて涙が溢れ出そうになってしまいました。
ですが、泣いてしまうわけにはいきません。
今ははかせが涙を流される時なんですから。
その涙を受け止める時なんですから。
223 :ねねこ [saga]:2012/11/20(火) 18:21:28.87 ID:37BIMfIJ0
『きっとはかせ、いつかいなくなっちゃうんだ』


はかせはそう言われました。
当然の事ではありますけれど、はかせもご自分の身体の異変には気付かれているのでしょう。
身体が成長しないのは副作用として分かっていた事ではありますが、
最近では睡眠時間がどんどん増えていっていますし、
恐らくは頭の回転もかなり鈍くなってきてしまっているはずでした。
前に中村先生に検査して頂いた結果、
はかせの脳は普通の人とは全く違う成長を遂げているとおっしゃられていました。
だからこそ、きっとはかせはご自分がご自分でなくなる感覚を覚えているのだろうと思います。
だからこそ、はかせがはかせで居られるうちに、はかせは私に想いを伝えたかったのでしょう。
いつかはかせがこの世界から居なくなってしまう前に。

「だからね……」とはかせが言葉を続けられます。
涙を堪えて、私から瞳を逸らさずに、強い決心を私に届けられます。


「だからね、はかせがいなくなっちゃったらね、
なのは阪本といっしょにアルファのおうちに住んだらいいって思うんだけど……。
アルファもロボットだし、A7M2だし、なのとずっといっしょにいてくれると思うんだけど……。
それがね、なのがいちばん元気に笑ってられることだって思うんだけど……」


はかせの決心。
はかせの不安。
はかせの思いやり。
様々な想いの込められた言葉をはかせは私に届けて下さいました。
はかせはご自分が居なくなってしまった時の事を考えて下さっていたのです。
この世界からご自分が居なくなってしまっても、私や阪本さんが幸せで居られるように。
ご自分の身よりも、残された私達の事を案じて……。
それこそがはかせの不安だったんですね……。

嬉しい……。
すっごく嬉しいです。
はかせの想いを疑った事はありませんけれど、
私達への思いやりを言葉にして下さる事は私の胸を強く震わせました。
背中のネジも何回転もしてしまいます。
ですが、私にだってはかせに伝えたい想いがありました。
残念ながら、それははかせの言って下さった事とは正反対の想いでした。

それでも。
私はそれでいいんだって思いますから。
思いたいですから。
私はもう一度はかせを抱き締めてから、耳元で囁くんです。
私の選択を。
相生さんやアルファさんや中村先生……、
たくさんの人達と出会えてやっと選ぶ事が出来た私の想いを。


「ありがとうごさいます、はかせ。
私達の事をそんなに考えて下さってるなんて……、私、凄く嬉しいです。
でも、ごめんなさい、はかせ。
私、はかせが居なくなられた後も、この家に住もうと思ってるんです」


「どうして……?」


はかせが不思議そうに私の胸の中で呟かれます。
残念に思っているわけでもなく、悲しく思っているわけでもなく、
それは純粋に私の選択を不思議に思ってらっしゃるような声色でした。
確かに不思議に思える選択だったかもしれません。
だからこそ、私はちゃんとはかせに想いを伝えなければいけません。
私は一度深呼吸をしてから、言葉を続けます。
224 :ねねこ [saga]:2012/11/20(火) 18:21:55.80 ID:37BIMfIJ0
「アルファさんと一緒に住むのはとても魅力的だなって思いますよ。
はかせの提案、すっごく嬉しいです。
これはホントにホントの事なんですよ?
ですけど、それはしちゃいけない事……、いいえ、したくない事なんです。
アルファさんは優しい方ですから、私が一緒に住む事を快く了承して下さると思います。
私の事を支えて下さると思います。
でも、アルファさんの優しさに頼っていちゃ駄目だと思いますし……。
それよりも何よりも私……」


「何よりも……?」


「私、この家とはかせが好きなんです。
はかせとの思い出が詰まったこの家から離れるのは嫌ですし、
はかせが居なくなってしまったそのすぐ後には、
私もこの世界から居なくなってしまうと思いますから。
ですから、それでいいんだと思うんです」


「なのも……いなくなっちゃうの……?」



「はい」と頷いてから、私ははかせの頭をゆっくりと撫でました。
私ももうすぐではないですが、二十年以内には居なくなってしまうはずでした。
記憶媒体の経年劣化は進んでいますし、身体の感覚もかなり薄れて来ていました。
はかせがこの世界から居なくなってしまうまではどうにか保たせるつもりです。
それだけは絶対に果たそうと思っています。
どんな無理や無茶をしたって……。
ですが、それは逆に言えば、はかせが居なくなったその後にはどうなるか分からないという事でした。
はかせが居なくなってしまったが最後、私の緊張の糸は途切れてしまうでしょう。
そのまま機能を停止して壊れ……、いいえ、死んでしまう事になるかもしれません。

まだ、それは怖いです。
自分がこの世界から居なくなってしまう事はとても怖いです。
中村先生に私のバックアップを取って頂いた方がいいかも……。
そう考えてしまった事も一度や二度ではありません。
でも、そう考えるのはもうやめる事にします。
バックアップを取った所でそれは私ではない別の私ですし、
何よりはかせが私達の事を考えていて下さっていましたから。
ご自分がこの世界から居なくなる事より、残される私達の事を考えていてくれましたから……。
私は、この選択が出来るんです。


「修理は……」


はかせがその言葉を言い掛け、はっと口を閉じられます。
はかせも私の想いを汲みとってくれたのだと思います。
最近は私のメンテナンスを中村先生に任せ切りになっているはかせにも分かってらっしゃるはずでした。
私の不調と、私の機能の低下を。
はかせは私を作って下さった方ですから。
それでも、はかせは私の好きなようにさせて下さるんです。
最後に一つだけ確認して。


「本当にいいの、なの?」


「勿論ですよ、はかせ」


私は微笑んで続けます。
もう迷いません。
私はこの想いを抱いて、最後まではかせと一緒に居るんです。
はかせの作ったロボット、
はかせの娘、
はかせの友達として。
225 :ねねこ [saga]:2012/11/20(火) 18:22:26.70 ID:37BIMfIJ0
「修理は必要ありませんよ、はかせ。
私、はかせと一緒に歳を取っていきたいんです。
そりゃ身体のあちこちの調子が悪いですけど、人間の方なら当たり前の事ですもんね。
人間の皆さんは誰もが自分が居なくなってしまう日の事を考えてらっしゃるんですもんね。
勿論、私はロボットですから、修理すれば何とかなるはずですし、
ロボットにはそういう特権があるのも分かりますけど……。
でも、私はそうするのはやめようって思ったんです。
人間の皆さんの……、はかせの気持ちを知って生きていきたいんですよね。
はかせと一緒に生きて、最後にこの世界から居なくなろうと思います。
この世界から自分が居なくなっちゃうのは、やっぱりちょっと怖いです。

だけど、心配はそんなにいりませんよ、はかせ。
アルファさんが……、言って下さったんです。
私達の思い出を未来に連れて行ってくれるそうなんです。
私達の事をずっと憶えていてくれるそうなんです。
アルファさんが憶えていてくれるんですよ、はかせ。
私達の思い出と一緒に、見て、歩いて、喜んでくれるんです。
だから、私ははかせと一緒に、安心してこの世界から居なくなれるんですよ」


「アルファが……」


はかせが少し複雑そうな声色で呟かれます。
本当ははかせも私にもっと生きていてほしいのでしょう。
修理して、バックアップを取って、いつまでも元気で居てほしいと思って下さってるのでしょう。
それでも、はかせは分かってらっしゃるはずでした。
そんな事をしてバックアップを取っても、私じゃない別の私が生まれるだけだって。
私がそれを望まず、最後まではかせと一緒に居たいと思ってる事だって。
それを分かっているからこそ、はかせは微笑んで言って下さったのです。


「はかせもまた……、アルファと会いたいな……」


「会いに行きましょうよ、何度でも。
アルファさんもきっと歓迎してくれますよ。
色んな事を話して、色んな事を考えましょう。
いつか私達が居なくなっちゃうとは言っても、もうすぐってわけじゃないんですから。
ですから、相生さんやココネさんやアヤセさん……、
たくさんの人達に会いに行って、色んなお話をしましょうよ。
夜までの時間はまだまだ残っているんですから。
私達がこの世界から居なくなってしまう前に……。
そうする事が……、私にとってもはかせとっても一番幸せな事だと思いますから!」


「うん……っ!」


そう言ったはかせの腕が私の腰に回されて、私は強く抱き締められます。
私もはかせを強く抱き締め返します。
これが私の選択。
いいえ、これが私達の選択でした。
残された時間を精一杯楽しんで生きる……。
いつも通りに、皆の思い出と一緒に……。
はかせと阪本さんと一緒に、いつか終わりを迎えるその日まで……。
それがきっと私達の望む『日常』なのだと思いますから。


「なの好き!」


「私もですよ、はかせ!」


そうして、私達はとても久し振りに抱き合ったのでした。
226 :ねねこ [saga]:2012/11/20(火) 18:22:57.27 ID:37BIMfIJ0





私と長く抱き合った後、はかせは朝食を食べられてすぐ横になられました。
脳の調子の影響と言うより、単に疲れられたのだろうと思います。
泣いて、隠していた気持ちを伝えて、これで疲れない方が嘘だと思います。
勿論、私もかなり疲れてしまいました。
自分の想いを伝えるのがこんなに大変だったなんて、何だかとても懐かしい感覚です。
ですが、とても心地良い疲れでした。
だって、これははかせと想いを伝え合えられた疲れなんですから。


「ガキ……、頑張ったな」


阪本さんが毛繕いをされながら呟かれます。
その声色は娘を見る父親の様でした。
「ええ」と私はその阪本さんの言葉に頷きます。


「はかせ、凄く頑張られましたね……。
私達の事をこんなに考えてくれてたなんて……、
その気持ちを真正面から伝えて下さるなんて……、凄く嬉しかったなあ……」


私の背中のネジがクルクルと回ります。
阪本さんはその私のネジの方に視線を向けながら、また呟かれました。


「まあ……、娘もちゃんとやれたんじゃないか?
娘も色々迷ってたみたいだったが、いい形で答えを出せたんじゃないか?」


「はいっ!」


元気に返事をしてから、私は阪本さんの前足を両手で包み込みました。
真っ直ぐに見つめ合ってから、満面の笑顔を向けて続けます。


「阪本さんも……」


「何だ?」


「阪本さんもありがとうございます。
私が居ない間、はかせの悩みを聞いて下さってたんですよね?
だったら、今日、はかせと私が話し合えたのは阪本さんのおかげですよ。
本当にありがとございます」


「よ、よせよ……。
オレはガキが勝手に話すから、付き合ってやってたんだよ。
いつまでも悩みを話されても鬱陶しいから、娘に話してみろって言っただけだからな」


言って、阪本さんが私から視線を逸らされました。
どうも照れてらっしゃるみたいです。
こういう所、初代の元祖阪本さんとそっくりだなあ……。
私はついそれが愛しくなってしまって、阪本さんを抱き締めてしまいました。
頬擦りまでしてしまいます。
227 :ねねこ [saga]:2012/11/20(火) 18:23:40.67 ID:37BIMfIJ0
「ちょっ……、何すんだ、娘っ!」


「いいじゃないですかー、阪本さーん」


「おまえの力が馬鹿強いんだよ、ぐおおおおっ!」


阪本さんが軽い悲鳴を上げられましたが、本気で逃げ出そうとはされませんでした。
きっと阪本さんも嬉しく思っているのでしょう。
勿論、私に頬擦りされる事ではなくて、はかせが私と話が出来た事を。
私達が本音で話し合えた事を。

しばらく頬擦りした頃、不意に阪本さんが少し真剣な声色で言われました。


「ところで、娘」


「はい、何ですか、阪本さん?」


「修理やら何やらはもういいんだな?
しつこいようだが、確認させてくれ。
娘はガキと一緒に最後まで生きて、死ぬ。
それでいいんだよな?」


「はい、そのつもりです」


「そうか。なら、オレは何も言わん。
娘の選んだ事だしな。
娘がそれでいいんなら、それでいいんだろう」


「すみません、阪本さんに何の相談も無く……」


「気にするな。
オレだってどう転んでも後二十年は生きられんだろうしな。
それまで精々楽しくやろうじゃないか」


「はい、楽しくやりましょう、阪本さん。
今度からは阪本さんも私の遠出に付き合って下さいよ?
はかせと私と阪本さんの三人で、色んな所に行きましょう?
アルファさんのお店や、相生さんのお宅……、
長野原さんにも会いたいですし、ひょっとしたら遠出の先でアヤセさんに会えたりするかも……」


「まあ……、考えてやらんでもないがな」


そう言いながらも、阪本さんの尻尾は激しく振られていました。
阪本さんも遠出が楽しみで仕方が無いんでしょうね。
勿論、私だってとっても楽しみです。
私達に残された時間はそんなに長くありませんが、
それでも、楽しい事を考えるのはとても嬉しい事でした。
色んな所に遠出して、色んな物を見て、色んな思い出を作って……。
最後には私達が皆さんの思い出になって……。
きっと私達にはそれが一番幸せなんだと思いますから。

でも、そんな楽しい事を考えるよりも先に、私にはしなければいけない事があります。
私は阪本さんから身体を離して、居間の隅に置いていた鞄を手に持ちました。
阪本さんが首を傾げて、私に訊ねられます。
228 :ねねこ [saga]:2012/11/20(火) 18:24:08.87 ID:37BIMfIJ0
「おっ、もう買い物の時間か?」


「はい、そろそろお野菜を切れてしまうので、お買い物に行かないといけないんですよね。
ちょっとだけ留守にしますけど、はかせの事、よろしくお願いしますね」


「ああ、分かってる。
だが、早めに帰って来いよ。
ガキが起きてまた騒ぎ出したら、オレの手に追えんかもしれんからな」


「あははっ、分かってますよ、阪本さん」


「なあ、娘、それにな……」


「はい……?」


「周りがどう変わっても、ガキやおまえがどう変わっても、
おまえの帰って来る……、おまえの居場所はここなんだらな。
妙に難しい事なんか考えずに、ちゃんと帰ってくりゃそれでいいんだ。
分かったか?」


言い終わった後、阪本さんは私から視線を逸らしてタンスの上に逃げられました。
自分でも気障な台詞を言ってしまったと思われたのでしょう。
確かに阪本さんに似合わない気障な言葉でした。
でも、私は笑いません。
それは阪本さんの想いの込められた素敵な言葉でしたから。
私に向けてくれた優しい言葉でしたから。


「はいっ!」


私は阪本さんの言葉に強く頷きます。
私の居場所、帰るべき場所はこの東雲家。
それだけはずっと変えられない、変えたくない私の想い。
私達に終わりが来るまで……、
いいえ、終わりが来てもその想いは残し続けたいと思います。


「じゃあな」


そう言って、阪本さんは私を玄関まで見送ってくれました。
いつまで続くのか分からないこの世界。
いつまで続けられるか分からない私達の『日常』。
ですが、私には帰りたい場所がありますから。
今度こそ迷わずに笑顔で生きていける気がします。
だから、私は満面の笑顔で、背中のネジを回しながら言ったのでした。
阪本さんに、はかせに、私の大切な思い出全てに。
強い願いと、想いを込めて――


「いってきます!」







――いつか訪れる私達の夜の日。
   その夜が誰にとっても安らかな日でありますように――



229 :ねねこ [saga]:2012/11/20(火) 18:26:28.62 ID:37BIMfIJ0


今回で完結になります。
約一年にもなる長い間、お付き合い頂けた方、どうもありがとうございました。
更新ペースが遅く、ご迷惑もお掛けしてしまいました。
書き手としてもとても名残惜しいです。
誠にありがとうございました!
230 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/11/20(火) 23:56:49.82 ID:nlHqGtAAO
乙!

ヨコハマらしさがでててよかったよ
231 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/23(金) 00:54:06.72 ID:43uVBHJ6o
うん、ヨコハマらしさが出てた。じんわりと楽しみでした。乙。
232 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(山梨県) :2012/11/28(水) 21:55:26.60 ID:lVrcO1xY0
今更だけど乙です!
この話はこれからもそっと評価されてほしい。
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