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佐藤、著莪 「「半額弁当?」」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:01:15.59 ID:vBxBAFIs0
このSSは前にVIPで書かせていただいたものとその続きです。

もし佐藤が著莪と一緒に丸富にいってたら、のifとなっています。

続きの案が頭にあったのですが、なかなか纏まった時間が取れそうにないためこちらに書かせていただこうかと。

前に書いた2つの話(佐藤、著莪 「「半額弁当?」」、佐藤、著莪「「月桂冠?」」)も少し修正して載せていきます。

更新は不定期になりそうですが、極力まとめて投下する予定です。

ちょっとでも楽しんでいただければ幸いです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1328684475(SS-Wikiでのこのスレの編集者を募集中!)
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佐久間まゆ「犬系彼女を目指しますよぉ」 @ 2024/04/24(水) 22:44:08.58 ID:gulbWFtS0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713966248/

全レスする(´;ω;`)part56 ばばあ化気味 @ 2024/04/24(水) 20:10:08.44 ID:eOA82Cc3o
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1713957007/

君が望む永遠〜Latest Edition〜 @ 2024/04/24(水) 00:17:25.03 ID:IOyaeVgN0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aa/1713885444/

笑えるな 君のせいだ @ 2024/04/23(火) 19:59:42.67 ID:pUs63Qd+0
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【GANTZ】俺「安価で星人達と戦う」part10 @ 2024/04/23(火) 17:32:44.44 ID:ScfdjHEC0
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トーチャーさん「超A級スナイパーが魔王様を狙ってる?」〈ゴルゴ13inひめごう〉 @ 2024/04/23(火) 00:13:09.65 ID:NAWvVgn00
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【安価】貴方は女子小学生に転生するようです @ 2024/04/22(月) 21:13:39.04 ID:ghfRO9bho
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ハルヒ「綱島アンカー」梓「2号線」【コンマ判定新鉄・関東】 @ 2024/04/22(月) 06:56:06.00 ID:hV886QI5O
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2 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:02:23.41 ID:vBxBAFIs0

 ―00―


中学3年の夏休み、僕は自分の部屋で『バトルバ』を対戦モードでプレイしながら、
横でコントローラーを握る従姉の著莪あやめに、かねてから考えていた進学のことを話した。

「なあ、著莪」

相変わらずボサボサの金髪と碧眼に眼鏡の組み合わせ、
そしてダメージジーンズとパーカーというラフな格好をした彼女は「ん〜? 」と、
聴いているのかいないのか、よく分からないような返事を返す。
今の状態で話しても、多分かなりの確率で聞き流されるだろうが、取り敢えず言うだけは言っておこう……

「実はさ、今の時点で僕って丸富高校に受かるかどうかギリギリのラインなんだよね」

「ほうほう……」

「だからこの際、丸富じゃなくて実家からちょっと離れた烏田高校に進学しようかって考えてるんだ」

「ふむふむ……」

「あそこなら学生寮もあって、この実家から―― あの親父から離れることが出来るし。
 僕の学力でも割と問題なく―― 一応保険として石岡君を蹴落とせば確実に合格しそうだからさ」

「……」

「まさに一石二鳥。あっ、最後の石岡君のは勿論ジョークなんだけどね」
3 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:04:18.97 ID:vBxBAFIs0

そのとき目の前のモニターに著莪の勝利が映し出される。
こんな感じで話をしながらも手の方はしっかりコントローラーを操作していたわけで――

「よっしゃー!アタシの勝ちー、佐藤の分のオヤツゲットー!」

……やはり聴いていなかったか、でも言う事は言ったし別に良いか。

「2人分のオヤツを1人でいただくのは贅沢だね〜」

アッハッハッハッ、彼女は笑うと僕の分のお菓子を無慈悲に取り上げた。

やっぱりさっきの発言は取り消す、良くなかった。僕のうまい棒(コーンポタージュ味)が……
4 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2012/02/08(水) 16:05:11.26 ID:Rj8dAzYFo
コントローラーべたべたしそうだなww
5 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:05:23.52 ID:vBxBAFIs0
 ―01―


何が起こったのだろう?

僕は今、とある大型スーパーの床の上に大の字で寝転がり、通常の店と比べるとずっと高い天井を見ている。
スーパー…… そういえば、なんでこんな所にいるんだろう……何の為に?
記憶が定かではない、ヨロヨロと立ち上がりながら、記憶の再構築を試みる。

確か僕は放課後、著莪に買い物に付き合わされたはず、まあ……ようは荷物持ちだ。
僕は散々、財布の中身を著莪によって散財させられ……
気付いたら時刻は午後9時を回っていた。

今月のお小遣いの半分以上を失い、打ちひしがれている僕に著莪は――


「今日は付き合ってもらっちゃって悪いな佐藤。お詫びにこの荷物、アタシが全部持ってやるからさ――」


何が「代わりにお前は夜食の買出しをよろしくっ! 先に帰って待ってるよー」だよ。
さりげなく僕がお金を出す事になってるし……

まぁ、夕方にゲーセンでちょっと菓子パンを食べただけだから腹は減ってるけどさ……
6 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:06:31.02 ID:vBxBAFIs0
彼女の後姿……腰の辺りまで伸びる偽物みたいな金髪を見送り、踵を返すと、ふと目に留まった大型スーパー。
それを見て、今夜はココで弁当でも買おう。そう決め入店した。

弁当コーナーに行くと、ちょうど店員さんがスタッフルームの扉の向こうに消えるところで……
目の前の弁当を見れば、半額のシールが貼られている。
ラッキー! これはきっと従姉弟に大変な目に合わされた(主に財布が)僕への神様からのささやかな恵みに違いない!

そう思って、弁当に手を伸ばして――   そうだ! その瞬間、横から誰かに殴られて。
床に倒れたところを、また違う奴に蹴られて床の上を転がっていき…… 気絶、と……

うん、思い出したものの訳が分からない。
7 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:07:50.59 ID:vBxBAFIs0
辺りを見渡すと自分と同様にスーパーの天井を鑑賞している者が数名、
おそらく彼らも何者か≠ゥらの攻撃を受けたのだろう。

レジの方を見ると半額になった弁当を手にした者達の姿が…… 一体ココで何が遭ったというのか?
グゥ、と腹が鳴る。

何故だ!僕はただ不幸な僕に神が与えてくれた恵みを手にしようと、ただ暖かい弁当が食べたいと……
それだけなのに……
例えるなら、これはトランペットに憧れてショウウィンドウにへばりつく少年のようなものだ。
少年はトランペット、僕は半額弁当、大した違いは無い。
なのに、両者の結末は大きく異なるんだよね。

少年は見ず知らずの懐の暖かい紳士にトランペットを買ってもらい。
僕は見ず知らずの奴に弁当の代わりに鉄拳をもらう……

一体何処でこんなに差がついてしまったのだろうか?
8 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:09:22.14 ID:vBxBAFIs0
もし仮に、この手に半額弁当を手に出来ていたのなら。
将来僕はあの少年のように一流のジャズマンとして世界で活躍していたかもしれないのだ。

浮き沈みはあれど充実した満ち足りた人生……

ブラボー! ヨー・サトウ! 真のジャズマンに栄光あれ――

「あの、お客様?」
9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:10:23.49 ID:vBxBAFIs0
あまりの感動に涙を流している僕に誰かが声を掛けてきた ……もしや、僕のファンか?

「頭を打たれたのでしたら救急車を呼びましょうか……?」

「心配してくれてありがとうございます。でも大丈夫、
 真のジャズマンは永久に彼方の……ファンの心の中に生き続けています」

唖然とする男性の店員さんに背を向け、惣菜コーナーへ。
後ろから、「いや、明らかに大丈夫じゃねーよ」とか聞こえるが、気にしない。
真のジャズマンたる僕は些細な事では動じない強い精神力を身につけているのだ。
10 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:11:23.54 ID:vBxBAFIs0
今宵の夕餉のメニューは何にしようか考えていると、特大サイズのチクワの天ぷらが目に留まった。

そういえば昔、石岡君が音楽の時間にリコーダーと間違えて持ってきたチクワを「尺八!」とか言って笛のように銜えてたっけ。
食べ物で遊んじゃいけません的な気持ちから、たまたま僕が持っていた給食の余りの牛乳をチクワの穴から流し込んであげたら、
たまたま彼の前の席に座っていた広部さんが白い液体塗れになったけど……
今にして思えば、彼はあのとき真の尺八奏者だったのかも知れない。

――まぁ、かなりどうでもいい話だ。
チクワ天を取り、インスタント食品が置いてある棚へ。
お目当てのモノを見つけ、ソレを2つ手にし、レジに向かう。
偶然にもレジ打ちのをしていたのは、さっき僕に声をかけてくれたファンの人だった。

彼は終始、奇異な目で僕を見ていた…… サインが欲しかったのかもしれない。
11 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:12:47.01 ID:vBxBAFIs0
サインをローマ字にするか、漢字にするか悩みに悩んで、――気付いたらマンションの自分の部屋の前に立っていた。
一体いつの間に? タイムリープ……いや、この場合はキングクリムゾン……ボスか!?

5分ほど考えたが結論が出なかったので部屋に入る。鍵は開いていた。

「ただいまー」

靴を脱ぎ、リビングの方へ、テーブルの上に手に持っていた買い物袋を置く。 

「おかえり、佐藤〜 遅かったじゃん。うお! どうしたんだよその傷?」

どうやら著莪はたった今、入浴を済ませたらしく僕のTシャツにスウェット生地のハーフパンツ姿だった。

「色々あったんだよ……」

「ふ〜ん? まあ良いや。佐藤がボロボロな理由は後で聞くよ。はい、これ♪」

そう言って彼女は僕にドライヤーを手渡すとソファーに腰を降ろす。
コレもすっかり恒例になったな。

著莪の横に座って、ボリュームのある金髪にドライヤーを当てる。

「♪〜」

こうしてる時、彼女は大抵上機嫌だ。
12 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:13:52.76 ID:vBxBAFIs0
「今日のご飯は、な〜にかな〜♪」

作業が終わりドライヤーを片付ける僕をよそに彼女は買い物袋の中を検めようとしている。

「まずは…… おお!チクワの天ぷらかいいねー、お次は?
 ほう……『どん兵衛きつねうどん』ときたか。やっぱ『どん兵衛』といえば『うどん』だよね!」

二人とも根っからの『うどん派』である。なので、もし『そば派』と対峙した日には―― 血を見る事になるかも知れない。

「そしていよいよ本日のメイン! ……ん? 佐藤……お前弁当を買いにいったんだよな?」

「一応……」

「じゃあ、なんで袋の中に弁当がないんだよ?」

「その疑問に答える前に……」

「前に?」

「まずはお湯を沸かさないか?」

そう言った直後、グゥと、二人の腹が鳴った。

「そうだね、お腹すいた……」
13 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:15:33.11 ID:vBxBAFIs0
お湯を入れて待つこと5分。
僕と著莪は『どん兵衛きつねうどん』の蓋を取る、湯気と共に鰹出汁の香りが立ち上り食欲をかき立てた。

「「いただきます!」」

まったく便利な世の中だよね、
お湯を注いで3分待つだけでこんなに美味しいきつねうどんが出来るなんてさ。
まるで現代における錬金術だよ、しかもソレをこの驚きの低価格で提供出来るなんて……

『どん兵衛』を開発した日清の食品開発部の方々、本当にありがとうございます!

「佐藤、食わないのか?」

いかんいかん、せっかくの麺が延びてしまう…… 僕は著莪の言葉で我に返り『どん兵衛』に箸を伸ばす。

「……気のせいでしょうか? 著莪さん」

「ん?」

チクワの天ぷらは特大サイズだったし1つしか買わなかったので僕は著莪に、
1本を半分にして容器に入れるように言ったはず――
だが実際に僕のどん兵衛に入っているチクワの長さは、明らかに半分以下だった。

「お前……半分の意味分かってる?」

「アタシの目には半分に見えるんだけど?」

「僕の目には4分の1にしか見えないんだが……」

やられたぞ……チクショウ。

思えばコイツが親切に「佐藤は着替えてきなよ、その間にアタシが食事の準備とか、しといてやるからさ」
とか言った時点で怪しいと疑うべきだったのだ。

真っ白な心を持つ自分が憎い……
14 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:16:47.20 ID:vBxBAFIs0
「佐藤…… お前とうとう頭だけじゃなく目もおかしくなって……」

「いや、絶対お前の方がおかしい。断言できる」

両者の間に暫しの沈黙が流れる。
ここで僕が少しでも引いてしまったら、――チクワ天は絶対にアイツの口の中だ。
だが、ここで一歩も引かぬ姿勢を彼女に見せる事によって、もしかしたら、ほんの少しでも返してくれるんじゃないかと……
まぁ……ほぼ無いだろうな……

「ハァ……しょうがないな〜 佐藤は」

ため息を付きたいのは僕の方だよ。  

「じゃあしょうがないや、アタシのを一口やるよ」
15 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:17:50.74 ID:vBxBAFIs0
『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』かのセガサタ−ンが誇る名作なのだが―― 
どんなゲームなのか説明するのは今は止そう、まぁ、とにかくだ。
それを難易度マックスでクリアした時のような喜びと達成感が、著莪の言葉を聞いた時に湧き上がったっていう、
ただ、それだけの話。

「はい、どうぞ」

彼女はそう言うと、自分の『どん兵衛』に入っていたチクワを半分に切り―― 
おいおい、これは何の冗談ですか、ハニー?

なんと、チクワを自分の口に銜えてこっちを向いたのだ……僕にかじれと? 
これはアレだよね、男女ともにワクワクが止まらない! 伝説の……
そう、その名は『ポッキーゲーム』!!(ポッキーじゃないけどね)

コイツ、なんて恐ろしい事を思いつくんだ……
16 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:19:07.21 ID:vBxBAFIs0
しかも著莪のヤツ、薄っすらと頬を染め、おまけにトロンとした目でコッチを見ている。
これでは一口と称して半分ぐらい食ってやるという僕の密かな計画が実行できない!
著莪はココまで計算ずくだったというのか? 

なんてことだ、乾杯だよ……

「なんて言うと思ったか?」

「!?」

驚く著莪をよそに僕は遠慮なくチクワにかぶりつく、
お互いの唇が触れるまであと1センチというところまで、バクッ! と。

「あ〜あ、これなら最悪、食われてもちょっとで済むと思ったのに……」

「あまいな、何年一緒に居ると思ってるんだよ。今更そんなもんで怯んだりはしないって」

「佐藤の心無い行為で乙女心が傷ついた……」

「食べたっていってもお前の取ってたちくわの半分のそのまた3分の2くらいだろう? 
 これで正真正銘の半分ってやつさ」

「……」

著莪は無言にジト目というコンボで僕にプレシャーを掛けてきた。
17 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:22:06.92 ID:vBxBAFIs0
「ハァ〜 分かったよ、どうすりゃいいんだ?」

「アタシがしたのと同じように佐藤もしてくれたら許す……」

僕にもチクワを銜えろと? ……しょうがない、妥協するか。 
渋々、咥え、間違えた。銜えて―― 瞬間、僕の唇に著莪の唇が急速に接近していた。
その距離わずか0,1ミリ。 てか……これもう触れてないか?

「ハッハッハ、お返しっ」

「オマエな」

「イヤじゃないっしょ?」

「……まあ」

「素直じゃないなー♪」

彼女の笑顔を見つつ、先程の柔らかい感触を思い出しながら――
やっぱりこんなコトは著莪の方が一枚も二枚も上手だな…… そんなことを心の中で呟いた。
18 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:23:26.70 ID:vBxBAFIs0
食後、僕は今日スーパーで体験した事をそのまま著莪に伝える。

「佐藤…… なんかヤバイ薬でもやってんじゃねーか?」

このあと、アノ手の薬は本人だけじゃなく、周りの人の人生も壊すからダメ、絶対! という結論に僕らは達した。
まあ、そういうリアクションになるよな……
当事者である僕自身、その時なにが起こったのか理解出来ていないってのに、
話を聴いただけの彼女に理解しろってのが、そもそも無理な話か。

「今のところ確かなのは佐藤が半額シールの張られた弁当に手を伸ばそうとして、知らない奴に殴られ、蹴られて」

「気が付いたらスーパーの天井を拝んでいた」

「しかもその時点で弁当はなし……と、こんなところだよね」

「ナ、ナニを言ってるのか わからねーと思うが、僕も自分で何を言ってるのかわからねー」

「ジョジョネタはいいから」
19 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:24:19.42 ID:vBxBAFIs0
「よし、決めた!」

「何を?」

「アタシも明日、そのスーパーに行ってみる!」

……確かに、実際に自分の目で見た方が早いだろうしな。

「そーゆー訳で明日もボコられ役よろしくな、佐藤」

「ナ、ナニを言ってるのか わからないんだけど?」

「佐藤がボコられ、アタシが状況を観察。OK?」

「ちょっと待て、さも当たり前のようにお前は言うけどさ……」

「大丈夫だって、佐藤って頑丈だし」

確かに僕は昔、親父の運転する車に撥ねられて、ほぼ無傷で生還した輝かしい実績がある。
だけどさ…… かなり痛かったかったんだぞ、アレ……
20 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:26:01.93 ID:vBxBAFIs0
そんな訳だからこんな理不尽な提案を了承することは断じて出来ないのだ。

「しかたないな……よし佐藤、ハグしてやるから良いだろう?」

そうは言っても、こうなったら結局どう頑張っても著莪の意見が通るんだけどね……

「ハグなんてしょっちゅうやってるじゃん」

「贅沢なヤツ〜」

「もうちょっとマシなの無いのか?」

「一緒にお風呂に入るとかどう?」

……ご褒美じゃなくて、明日の作戦の事なんだが。
いや、もちろん僕としては久しぶりに彼女と一緒にお風呂に入る事で従姉の成長具合を確かめるのはやぶさかではない。

決していやらしい意味とかではなく……
21 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:27:43.08 ID:vBxBAFIs0
いろいろと妄s考え事をしていたらあくびが出てきた。

「もういいや……風呂入ってくる」

「おっ!エロイね〜佐藤」

「ハア……」

「おい! なんだよ、そのため息! 泣いちゃうぞ? あやめちゃん泣いちゃうぞ?」

後ろで何か言ってる著莪を無視して寝巻きを取りに自分の寝室へ。

実際、今日は心底疲れていた、まさかスーパーに行ってボコボコにされるとは。
風呂に入って一刻も早く寝たい……
22 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:29:12.69 ID:vBxBAFIs0
ゆったりと湯船に浸かり某アニメのキャラの台詞が頭に浮かんだ。

『風呂は命の洗濯よ』

うん、まさにその通り。さすが年上の女性、良い事を言うものだと実感して風呂を出る。
体を拭き、服を……しまった! Tシャツとパンツしか持ってきてない。

「相当疲れてたんだな……」

どうせ著莪しか居ないし、最近暖かくなってきてるから大丈夫か、と思い、それらを着る。
脳裏にブリーフ1丁で臭う……訂正、仁王立ちしている中年男性が思い浮かんだが、急いで打ち消した。
大丈夫! だってほら、僕はTシャツを着てるし……
23 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:30:59.87 ID:vBxBAFIs0
リビングに行き『どん兵衛』の容器などを片付けてから寝室に戻る。
ようやくゆっくり眠れ――  安堵したのも束の間、イヤなモノを見た。
僕のベッドの掛け布団、あんなに膨らんでたっけ?

見間違いかと思い、一度深呼吸。 うん……見間違いじゃないな。
どうやら今日もラスボスがそこに居るらしい。

「著莪……」

「……バレた?」

彼女は掛け布団から顔を出して上目使いに僕を見ながら、こう言った。

「一緒に寝よ?」

「ハァ…… お前ココに引っ越してきてから自分の部屋で寝たこと無いんじゃないのか?」

「そうだっけ? う〜ん…… そうかもしんないけどさ……細かい事は気にしない! ほら、隣り空けてあるよ」
24 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:32:00.49 ID:vBxBAFIs0
反論が無駄だと悟ったので、仕方なく彼女の横に収まる。

「おやすみ」

「え〜 もう寝ちゃうのかよ〜」

「疲れてんだよ」

「つまんない〜」

「つまれ」

「……」


暫しの沈黙…… 流石に諦めたか?

「ね〜 佐藤〜」

著莪が腕を僕の首に回し体を寄せてきた。

「夜の営みを疎かにする男は嫌われるぞー」

「そうかよ……」

「あれ?マジでお疲れ?」 

「イエス」

「……じゃあしょうがない、コレで我慢するか」

そう言い終る前に彼女は僕に抱きつく、いつものシャンプーの香りがした。
25 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:33:05.37 ID:vBxBAFIs0
「僕はお前の抱き枕とか、ぬいぐるみじゃないんだけど」

「そうだっけ? フフッ♪ でもさ、佐藤もこうされるの嫌いじゃないだろ?」

確かに嫌いではない。著莪とこうしていると落ち着くし、加えてこの香り、ある意味究極の癒しグッズだ。
但し1つ難点があって……

「頼むから今晩は熱いからって僕をベッドから蹴り出すなよな」

「善処するよ、おやすみ佐藤……」

いつも通り僕の頬にキスをして、すぐに著莪は寝息を立て始めた。

「おやすみ」





翌朝、目覚まし時計が鳴るよりも1時間早く僕は目を覚ました。
著莪にベッドから蹴り出されて……
26 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:35:15.13 ID:vBxBAFIs0
 ―02―


『私立丸富大学付属高等学校』この春から僕と著莪が通い始めた学校だ。
最近スポーツなどにも力を入れてきているらしく施設の改修が盛んに行われている。
かなりの高偏差値進学校で、実際中学3年の1学期が終わった段階で僕の成績では入れるかどうか微妙だった。

個人的には高校進学を期に、
あの毎日がデンジャラスに過ごせて退屈しないこと請け合いな実家を出たいとの思いが強くあったので。
当初、学生寮がある私立烏田高等学校にいこうと真剣に考えていたのだが、著莪にその事を話した数日後、
彼女は僕の話をしっかり聞いていたようで――

「要するに佐藤は実家を出たいんだよね? だったら丸富に入ってどこか近くにアパートでも借りようよ。
 アタシとルームシェアでさ、そうすれば結果的にグレードの高い物件が安く借りられるし、
 ついでにアタシも実家を出られて一石三鳥♪」

聞けば著莪の父親が最近自分を見る目がいよいよヤバくなってきていて、
どうしたものか真剣に考えていたらしい。

以前からその話は耳にしていたんだけど、……そんなにヤバイのか……
27 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:36:10.86 ID:vBxBAFIs0
丸富に入るには受験勉強を割と本気でやる必要に迫られる為、先の提案を聞いても余り気が乗らなかった。
だって勉強するより石岡君を排除する方が何倍も楽だし。
やっぱり烏田に――

「金銭的には楽になると思うよ」

……世の中お金がすべてとは言わないけど、やっぱりお金は大切にするべきだよね……うん。

その最後の一言が決めてとなり、僕は石岡君を蹴落とすのを止めて丸富大学付属高校を受ける事に決めたのだった。
28 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:37:18.24 ID:vBxBAFIs0
元々勉強が苦手というわけではなかったので成績はすぐに丸富の合格ラインに届き、
両親の許可も得られ、特に問題なく進学する事が出来た。
まあ、著莪パパが一人強固に反対していたが、そちらの方も最終的には折り合いがついたようだ。

結果としてアパートではなくマンションという、かなりグレードの高い物件に入居することが出来(お金は著莪パパが負担)
著莪と一緒に住むので、僕としてはそんなに実家と環境が変わらないように感じられたため、
すぐに新生活に馴染む事が出来るなどメリットは多かった。
……ただデメリットもある。

僕の財布の中身は著莪に使われることが多いため、こちらに関しては理想とは程遠い……
だかジャンプスクエアとウルトラジャンプ、
加えて好きな作品の単行本は普通に購入できるために取り敢えずこの件に関しては良しとした。
食費の方も著莪と二人、贅沢をしなければ何とかなりそうだし。

ともかく実家に「仕送り増やして♪」と手紙を出す必要は無いな。
もっとも、仮にそんな希望を載せた手紙を出したところで、あのガタがきている両親の事だ。
きっと訳の分からないメッセージを返してくるに違いない。

特に親父辺りは『セミって食えるんだぜ?』とか本気で書きかねないから困る。
29 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:38:31.77 ID:vBxBAFIs0
「佐藤、さっきから何ブツブツ独り言いってんだ?」

「僕、声に出してた?」

「うん」

お、お落ち着くんだヨー・サトウ、真のジャズマンよ…… お前はまだ全てをさらけ出した訳ではない。

「ちなみに、……どのあたりから?」

「石岡君を排除、の辺りから」

何と言うことだ!? 僕としたことが……

「ついでに言うと、さっきエレベーターの中で佐藤が『セミって食えるんだぜ?』って言ってたのを、
 乗り合わせていた女子三人が聞いて逃げて行ったよ」

「聞こえてんなら止めてくれても良いだろう!?」

「どうせ、いつかは変質者だってコトがバレるんだから早いほうが良いかと思って」

「いつから僕は変質者が確定したんだよ?」

「だってさ、佐藤はあの親父さんの遺伝子をバッチリ受け継いでんじゃん?」


『父』その単語が出た瞬間、何も言い返すことが出来なくなった。
30 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:39:24.45 ID:vBxBAFIs0

親父は今までに数々の伝説を残してきた。
その昔、僕と著莪もその一角を担っていた『早朝かめはめ波事件』なお、これは今も親父一人で継続中である。
最近では『父さんが北に職場の機密情報を売り渡していたおかげで、母さんパソコンのおねだりが出来ちゃった♪ 事件』
エトセトラエトセトラ。

しかも後者の方はネトゲ中毒者の母が、父のパソコンのセキュリティを勝手に突破して知るところになったモノであり、
なんというか……

「……二人ともガタがきてるんだな」

「おーい、戻ってこーい」

「はっ!? 僕は一体、何を?」

「はいはい、愉快な現実逃避はそこまで。っていうかさ……また口から出てたよ」

「一応聞こう、……何が?」

「父さんが北に職場の機密情報を売り渡し、ってのが」

「…」

「今度は、そこの廊下ですれ違った女子二人が聞くと同時に青ざめて逃げて行った」

「誤解なんだぁぁぁ!! ココは3階だけど、そんなの関係ないって言うくらい超五階ぃぃぃ!!!!
 あっ、間違えた、正しくは誤解。」

「それは寒いよ、佐藤……」

このテンションで僕がいかにテンパっているかが、お分かり頂けるだろう。
あと今更だが自分で言ったことが余りに寒くて震え上がった……
31 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:40:04.69 ID:vBxBAFIs0
「おっ、ココだ」

「ココか」

僕達はとある部室の前にいる。
在学中どこか暇の潰せる所はないだろうかと考えていたところ著莪が見つけてきたのがココだ。

『ファミリーコンピュータ部』

大のセガ党でコンピュータゲームが好きな現代っ子代表の僕達にとってはオアシスと言っても過言ではない。

「とにかく入ろう……」

「そうだね……」

著莪が扉をノックする。 少し間を置き中から「はぁ〜い」と、なんとも間延びしたような声。

「「しつれいします」」

部屋に入るとそこには、この部の備品であろうブラウン管のテレビ、それに接続されているファミコン。
そしてそのコントローラーを握る一人の少女の姿があった。
32 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:42:53.62 ID:vBxBAFIs0
その女の子はしっとりとしたミディアムシャギーの黒髪で右目が軽く隠れているものの、とても明るい表情が印象的だ。
頭にかぶっている猫ミミのついた帽子も彼女にすごく似合っている。

ただ今日はとても暖かいというのに彼女は何故かマフラーを巻いている、少し鼻も赤いので風邪を引いているのかもしれない。
――って言うか同じクラスの娘だった。まだ話したことは無いけど著莪の隣の席で名前は確か井ノ上――

「もしかして入部希望者〜?」

「「あ……はい」」

「そこに置いてある入部届けに勝手にサインして生徒会に持って行けばいいみたいだよぉ〜」

「「ご親切にどうも……」」

終始ニコニコしている少女の横で入部届けにサインしながら僕と著莪はアイコンタクトでお互いの意思を確認する。
昔から著莪は人と仲良くなるのが上手く、こんな感じのちょっと変わった相手にはまず著莪が仲良くなって、
それから僕というパターンでいくことが多い。

「じゃあちょっと持って行ってくる、そっちは任せたぞ」

「オッケー、そっちも頼むな」
33 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:44:20.95 ID:vBxBAFIs0
生徒会室に行き入部届けを生徒会長さんに手渡すと「まぁ、大学部室棟の……」と、
彼女は呟き、続けてこんな事を聞かれた。

「今しがた大学部室棟の中で変質者が出たとの報告があったのですが、あなたは見ていらっしゃいませんかしら?」

なんだと!? もうこんな所にまで情報が届いているのか! ……これは由々しき事態だ、
今この場で少しでも情報のかく乱をしなければ僕の楽しいスクールライフという青春の1ページが
塀の向こうで過ごした囚人ライフに変りかねない!

「さぁ? 僕はそんな『セミって食えるんだぜ?』とか、
 自分の父親が北に職場の機密情報を売り渡している事を独り言でうっかり言っちゃうような、
 ナイスガイは見ていませんよ」

「そうですか、何か変質者につながる有力な情報があれば有難かったのですが……」

「……」

「そういえば、私立烏田高等学校に今年入った、石岡勇気って人物は如何にも変質者って感じらしいですけど?」

「まぁ!そうなんですの? 鏡! 聞きまして? これは有力な情報ですわ!」

「……あの、姉さん……」

フゥ〜何とか切り抜ることた出来たか、とっさに機転を利かせて石岡君の名前を出したのも効果的だったな。
副会長さんが何故か僕の方を見てるのが気にな―― ハッ、そうか! 
きっと僕があまりのナイスガイだったから惚れてしまったに違いない! 
フッ、我ながら罪な男だ。
まるで変質者を見るような冷たい視線だけど……きっと照れ屋さんなんだな。
34 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:46:26.60 ID:vBxBAFIs0
「至急、私立烏田高等学校に連絡を!石岡勇気なる変質者の身柄をこちらに渡すよう――」

彼女は何故か途中で言葉を切りフリーズしてしまった、一体どうしたんだろう?

「要求する、でしょうか? 姉さん」

「そうですわ、鏡! 要求するのです!」

生徒会長になるくらいだから、相当有能で頭の固い人かと思っていたけど。
予想に反して面白い人のようだ。

「そういえば自己紹介がまだでしたわね。わたくしは沢桔梗。こちら、妹の鏡。
 それぞれ名前の漢字が違います――」

姉の方の梗さんは桔梗のキョウ、妹さんの方は鏡のキョウ。そう彼女は説明した。

「――以後お見知りおきを」

「佐藤洋です。この春からこの学校に入った最高にクールでナイスガイなボーイです」

「佐藤さん、有力な情報を提供していただき変態感謝いたしますわ」

「……は?」

耳がおかしくなったのかな? 今確かに変態≠ニナチュラルに罵られたような気がするんだけど?

「姉さん、間違えてますよ……正しくは、大変感謝、です」

「そっ、そう!大変! 大変感謝しておりますわ、佐藤さん!」 

「は、はぁ…… どう致しまして」

面白い≠ナはなく変な$lなのかもしれない……
35 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:47:35.20 ID:vBxBAFIs0
沢桔姉妹との会話を終えて、ファミ部に帰ってみると――

「わぁ〜 あやめちゃんすごいね〜♪」

「そう言う、あせびもすごいじゃん♪」

さすが著莪だな……もうあせびちゃん? を膝の上に置き仲良くゲームに興じている。
その後、著莪の説明を交えながらお互いに改めて自己紹介をした。

彼女の名前は井ノ上あせび、部室で初めて見た時にも思ったが実際にこうして会話してみると、凄くいい娘だ。
法的に許されるなら抱きしめたくなるくらいカワイイ……待てよ? 
抱きしめるのがダメっていうんなら、頭を撫でるくらいなら許されるんじゃないのか?

「あせびちゃん」

「な〜に?」

「あせびちゃんの頭を撫でてみたいんだけど……ダメ?」
36 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:48:36.48 ID:vBxBAFIs0
「うわぁ…… ちょっ、佐藤……お前ってやっぱり変質者だったんだな……」

「な、何を言っているですか、著莪さん?」

ヤベッ、声が裏返った……

「あっちの頭を撫でるの?」

「おい、あせび あんまりコイツには近づかないほうがいいぞ……」

そう言って、あせびちゃんを手元に引き寄せる著莪。まずいな……なんだか酷く誤解されている。

僕はただ抱きしめると法的にアウトっぽいから、せめて頭を撫でさせて貰えたらどんなに幸せだろうと……
ホントにそれだけなんだよ、ホントにちょっとだけ、ほんの先っぽだけで! 先っちょだけでいいから!! 

あれ? これってアウトじゃね?
37 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:49:47.10 ID:vBxBAFIs0
結局あのあと著莪の奴があせびちゃんを離さなかったので、泣く泣く3人でゲームをしようと提案するだけとなった。
チクショウ…… 妥協ってレベルじゃねーぞ……
僕の野望はこうして潰えた………かに見えたのだが。

しばらくして著莪が体調不良を訴え始めたのだ。ひとまず彼女を横にして寝かせ様子を見る。

そして成り行き上、こんどは僕の膝の上にあせびちゃんが座る事に…… っしゃー!イエスッ!
心の中でガッツポーズを繰り返し、僕をこの世に生み出してくれてありがとう! みたいな感じで両親に感謝した。
38 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:50:26.15 ID:vBxBAFIs0
「お邪魔しまぁ〜す」と、可愛らしい声で言いながら我が膝元にスッポリと収まったあせびちゃんだったが、
暫くすると何やら鼻をスンスン……と、やり始めた。 僕って臭うのかな?

「洋くんから、あやめちゃんの匂いがするぅ〜」

「著莪の匂い?」

「うん。洋くんの匂いの中にちょっとだけどね〜 あやめちゃんの匂いがまじってる〜」

「あー 多分、著莪と一緒に住んでるからじゃないかな?」

「へぇ〜 2人は一緒に暮らしてるんだぁ」

最後に「なんだか夫婦みたいだね〜」と、あせびちゃんは付け加えていた。
そんな風に第3者からは見えるものなのか?
39 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:51:37.41 ID:vBxBAFIs0
だが、今はそんな余計な事を考えている場合じゃない。
膝の上に、ちょこん、と座っている愛くるしい生き物、あせびちゃん……
この存在を今という限られた時間の中で全力で愛でることこそ、僕に与えられた使命といえよう!

「あせびちゃんはカワイイなー♪」

「えへへ///」

照れるあせびちゃんとか、ヤバ過ぎだろう、もう何か神みたいなものが取り付いてるとしか思えないね!
ところが、しばらくすると――

「うっ……」

「どうしたのぉ〜洋くん?」

「い、いや何でもないよ……」

強烈な吐き気と目眩がする、尋常じゃないぞこれ。

仮に例えるなら、ゲームをやりながら尿意を我慢し続けていた、あの日の親父並みにキツイ……
40 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:52:48.14 ID:vBxBAFIs0
――しかし!

「洋くん、今度はコレやろ〜」

この子の笑顔を曇らせるなんて……僕にはできない! 出来る筈がない!
たとえこの後に待ち受けるのが地獄であろうと、親父の使用済みブリーフだろうと!
負ける訳にはいかないんだぁぁぁぁぁ!!


  ・

  ・

  ・


「バイバ〜イ」

「気をつけて帰るんだよ…… あせびちゃん」

――あれから3時間、僕は耐え切った……
41 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:54:03.02 ID:vBxBAFIs0
「佐藤 大丈夫か?」

「著莪……か。 お前こそ大丈夫か……?」

「アタシはもう平気、一応あれから1時間ぐらいで起きれる程度にはなってたんだけどさ、一応ね」

その言葉通り、彼女の顔色は元に戻っていた。

「ちょっと前まではまだ軽い目眩とかあったんだけど、あせびが帰った途端にそれも消えてさ」

「なんだか、あせびちゃんのせいみたいに聞こえるぞ」

「そういえば佐藤はまだ聞いてなかったね、あせびのコト」

「な、なんだよ……」

「佐藤が居ない時に結構イロイロ聞いたんだよ。
 そしたらさ、あの娘頻繁に高い所から落ちたり車に跳ねられたりするんだって……」

へ、へ〜 そうなんだ……
42 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:55:45.00 ID:vBxBAFIs0
「あせび自身はそれだけ不幸に見舞われても殆ど傷一つ負わないらしいんだよ。だからあの娘……」


「あっちには幸運の神様がついてるんだよ〜♪」


「って言うんだよな」

それはホントに幸運なのか?

「佐藤はどう思う?」

「……うん。それは間違いなく憑いてるよね……」

「そうだね……」

僕等はお互いに顔を見合わせると同時に言った。


「「悪霊とか死神の類が……」」
43 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:56:20.75 ID:vBxBAFIs0
 ―03―


目を明けると見慣れた天井。
あれから2日後、現在、僕は実家の自分の部屋で寝ている。
あの後どうもあせびちゃんに風邪をもらったらしく、
著莪と一緒にいると、いつものごとく彼女にうつしてしまう恐れがあったのでこうして実家に帰ることにしたのだ。

正直、今の今までこの実家の存在がこれほど頼もしく思えたことはない。
この風邪? も、あの父と母にはうつることはない筈。

……いや、うつったのか?
44 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 16:59:50.84 ID:vBxBAFIs0
と言うのも、あのネット廃人の母が今―― 心底心配そうに僕を介抱しているのだ。
どうも寝ている間に額のタオルを取り替えてくれたらしい、ヒンヤリとして気持ちいい。 
でも、だからこそおかしいのだ。普段このネネ様がネトゲを放り出して、こんな風に息子の看病をするなんて到底考えられない。

「ココは本当に僕の実家ですか?」

母に訊ねると、即座に「もちろんそうよ? 洋はおかしなことを言うのね」なんて答えが返ってきた。
いや、聴いた瞬間、鳥肌が立ったね……もう、ブワ!って感じで。
昨日は普通にフラフラな状態の息子を前にしても眉一つ動かさずに「ネネは〜」と仰っていたのに。
とても同一人物に見えない。

この風邪はあのあせびちゃん経由のものだから。なんかこう、
母をこんな具合に劇的ビフォーアフターのごとく変えてしまうの未知のウイルスが混じっているのかもしれない。
これが親父だと果たしてどうなるのか……? 少し見てみたい気もする。
45 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:01:56.81 ID:vBxBAFIs0

結局、3日間に渡り謎の高熱が続いたが、4日目の朝には嘘のように直っていた。
ちなみに母もその日の朝にはすっかり元に戻っており――
パソコンの前に座って、いつものように中学生になりきっていた。

これで仮に親父まで在宅中だったら……いや、考えるのは止そう。
さすがに両雄が揃った、いつもの我が家の光景は病み上がりにはキツイ過ぎる。
今だって正直大概だ……早く学校に行こう。

「アタシ、ネネっていいます。14歳です♪」

そんな母の声を背に僕は家を出た、もうココには帰らないかもしれない……
46 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:02:55.68 ID:vBxBAFIs0
3日振りの教室はなんだか新鮮だった。
これが小中の時なら例え1ヶ月休もうと教室に行けば加戸君、小口君、三沢君達やクラスのマドンナ広部さんがいて。
石岡君あたりが鼻に割り箸を突っ込んで「アパパパ」とか言ってる見慣れた光景があったりして、
新鮮だなんて微塵も感じないんだけど。

みんな散りじりバラバラとなってしまった今となっては懐かしい思い出――

「オッス、佐藤、3日振り!」

……そういえば1人だけあの頃のメンバーがいたな。
自分の席に着き鞄を置き後ろを向く、金髪に碧眼の従姉が満面の笑みを浮かべていた。

「おはよう、著莪」
47 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:05:13.05 ID:vBxBAFIs0
著莪とは僅か3日会わなかっただけなのに、随分と久しぶりのような感じがして自分でも驚いた。
聞けば彼女はこの三日間いろんな情報を集めていたらしい。
あせびちゃんの不幸話や特殊体質、またその対処法として神社で買ってきたお守りを持ち歩いている事。

「いや〜、アタシって今までソレ系の物のご利益って信じてなかったんだけどさ」

「で……効いたのか?」

「効果てきめん♪」

そういって著莪は、お守りを見せてくれる。

「……なんか端っこの方が焦げたみたいになってるけど?」

「最初はもちろん焦げてなかったんだけどね、あせびと一緒に居ると徐々にこうなるみたい……」

「そう……なんだ……」


僕も放課後そのお守りを買いに行こう……
48 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:06:18.71 ID:vBxBAFIs0
しかし、そこまでしてでもあせびちゃんの傍にいてやろうとするなんて。コイツ、昔からそういうとこ変わんないよな。
どんな複雑な事情を持った奴に対しても、分け隔てなく接していくし…… それが著莪の良さなんだけどさ。

「あーそうそう! スーパーの件も調べてきたよ」

「アクティブだよな、お前って」

「この前、佐藤がやられたスーパーで従業員のマっちゃんにイロイロと聞いたんだ」

「マっちゃん? あのお笑いコンビの?」

「違う違う、人志の方じゃないよ」


著莪(マっちゃん)の話によると、どうも僕があの日とった行動は『豚』と呼ばれ『彼ら』からもっとも蔑まれる行為だとの事 。


「著莪…… 僕ってそんなに太って見える?」
49 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:09:06.21 ID:vBxBAFIs0
一応、自分では人間のつもりなんだけど、実は豚だったのか?
もしそうならなんて壮大な話だろう――


15年間、一匹の豚が自分は人間だと思い込み育っていく涙無くしては見れない感動のストーリー。

僕を豚と知りながら愛情を持って育ててくれている、
実は程よく成長したら食べようって考えは少しも表には見せない、ちょっとガタのきている腹黒夫婦。

僕のオヤツやお小遣いを幾度となく取り上げる、金髪ハーフの幼馴染。

僕とはまったく関係のない所で白梅様にシバかれて、「プフォゥ! ありがとうございますでふぅー!!」と鳴く内本君。

そして僕が高校に進学して数日後、スーパーの従業員のマっちゃん(本名:松葉 菊)彼女の口から語られる衝撃の真実……


「あなた、実は……  豚なのよ!」


真実を知った僕がとった行動とは?

そのことを知った両親がとった行動とは?

「ちょっと予定より早いけどこうなれば仕方ないな……」

「ええ、そうね。今夜はトンカツとトン汁にメニューを変更しなきゃ♪」

迫り来る悪魔……

果たして僕の運命は如何に?


主演、脚本、監督、ヨー・サトウ


この夏、公開予定


ロードオブBEN・TOー
50 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:10:32.48 ID:vBxBAFIs0
――どう考えてもB級映画だな……つーか白梅様とか内本って誰だよ?
まあ、どうでも良いか。
そんなバカなことを考えている僕をよそに著莪は話を続ける。


半額弁当争奪戦 、半値印証時刻(ハーフプライスラべリングタイム)腹の虫の加護、勝利の一味……エトセトラ。
そして、スーパーマーケット内で暗黙のルールを理解し、それに則って礼儀を持って誇りを懸ける――

『狼』そう呼ばれる人達の事。
51 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:12:01.50 ID:vBxBAFIs0

「ふぅ…」

聞き終わり、思わず息をつく。 
自分達の身近のスーパーでそんな事が行われているなんて想像もできなかった。

「――と、まあ、アタシがマっちゃんから聞いた話はこんなもんかな」

なるほど、あの日の僕はさしずめ、そうとは知らずに祖父が所有する山に不法投棄をしにきた業者、というわけか。
いや、それは流石に言いすぎかな?
何せ、あそこは1度入ると冗談抜きで死を覚悟しなくちゃいけないような場所だしな……
その点、スーパーでは命を取られる訳じゃないだろう……やってみるか――

「スッゲー、面白そうだよね! 佐藤、アタシ達も参戦しようぜ!」

先に言われた……ホント僕達って考える事が似てるよな。
でもコイツに、こういうのは合っている、強敵がいればより一層燃えるタイプだし。
まあ、言ってる僕も似たようなもんだけど。

「ああ、もちろん!」


「あやめちゃん、洋くん、おはよぉ〜」
52 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:15:07.62 ID:vBxBAFIs0
光の速さで声のした方を見ると―― 僕の斜め後ろの席にあせびちゃんが座っていた、そういや同じクラスだったな。
鞄をゴソゴソやっているところを見ると、どうやらたった今登校してきたらしい。

「おはよっ、あせび 今日は遅かったね」

「うん、なんだか校門の前にいたはずなのに、気付いたらトラックの荷台に乗っかちゃっててぇ…」

サラリと朝から凄いことを……あせびちゃんは今日も平常運転のようだった。

「あっ、でも警備員のおじさんが走って追いかけて来てくれて、走行中のトラックからあっちを助けてくれたのぉ」

なるほど、今朝、校門の所にオッちゃんが居なかったのはその為か。
しかし走行中のトラックを走って追いかけるなんて、あの鍛え抜かれた筋肉は伊達ではないということか。
敵に回したくはないな……って言うか、関わりたくない。
53 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:16:35.93 ID:vBxBAFIs0
現在の時刻は20時35分。

著莪の集めた情報によると、この店の半値印証時刻は21時15分前後。
二人で相談して下見なども兼ねて早めに店に来たのだ。

「最初に来たときも思ったけどココって広い造りだよな」

「アタシ等みたいに学生とかも多いとこだからね」

「さすがに、この時間だと書店なんかは閉まってるな」

「なんか買いたいのあった?」

「寝込んでる間にウルトラジャンプが出てた筈だから買おうかと……」

「それならアタシが変わりに買っといたよ」

「明日は雪でも降るのかな……」

「なんだよ、失礼な奴だなー」

「それぐらい珍しいことだろ?」
54 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:18:02.01 ID:vBxBAFIs0
というか、少なくとも僕の記憶では過去15年の間には1度も無かった事――

「佐藤のお見舞いに行けなかったからさ…… お詫びにと思って……」

「あっ」

タイムマシーンで過去に行き、自分の発言を無かった事にしたい。
なぜ僕の家の押入れには未来から来た青いタヌキ型ロボットが居ないのだろう……ネコ型だっけ?

「ごめんなさい」

頭を下げて誠心誠意謝る、しかし著莪は口を閉ざしたままだ。
いつも騒がしい位に元気のよい彼女の沈黙は常人のものより遥かに重い。
仕方ない、この手は使いたくなかったが……

「お詫びに何でも一つ、言うことをききます」
55 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:22:34.16 ID:vBxBAFIs0
これでダメなら僕にはこれ以上打つ手が無いのだが。恐る恐る顔を上げると、
著莪は薄っすらと笑みを浮かべていて―― うゎ……すごく悪そうな顔をしていらっしゃいますね。
まるで自分の策略にまんまと引っかかった相手を見る時のような……

「計画通り……」

僕に聴こえるかどうかぐらいの声で彼女は呟いた。もしかして…… 嵌められた?

著莪「なんでも。か、フッフッフッ… 覚悟しとけよ、佐藤〜?」

今月のお小遣いの残り半分を著莪に献上することが確定―― いや、それで済めば良い方か……
今ココに哀れな奴隷が1人、誕生した。

著莪「ほら!早く下見に行こっ♪」

僕の手を握り、嬉しそうに駆け出す著莪。 まぁ……コイツの機嫌が直ったのならそれでいいか。
56 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:23:23.16 ID:vBxBAFIs0
「滅びろ……」

「爆発しろ……」

「チッ!」


……何だか、突き刺さるような視線と怨嗟の声が聞こえた気がするが、気にしないことにしよう……
57 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:24:40.43 ID:vBxBAFIs0
二人で惣菜コーナーを端から順に見ていく、さすがに時間が時間なので殆ど残っていないが、
その開いているスペースの広さから大型店ならではの種類が豊富さが伺えた。

しかし先程からこの辺り一体に漂っている揚げ物の匂いには参ってしまう。
僕も著莪も今夜の戦闘の為に昼食を菓子パン一個に抑えたのだ。
腹の虫が暴走しないように抑えないと……

そしていよいよ弁当のコーナーに差し掛かる。
この段階で店内に入ってからずっと感じていた『彼等』の視線に込められたプレッシャーが一層強くなった。
どうやら著莪もソレを感じ取っているようで、先程から僕の手を強く握ってくる。
彼女の手が薄っすらと汗ばんでいくのが分かった。……多分、僕もだけど。
58 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:28:16.67 ID:vBxBAFIs0
昨今、日本社会は不景気の真っ最中らしい。
就職難に相次ぐリストラ、ちょっとでもミスを犯せば会社はそこを容赦なくついて社員の首を切る。
こんな世の中だ、『個人の能力を見て採用』と銘打っている企業もあるが、現実は厳しい。

どんな奴でも気楽に就職が出来たと聞く、あのバブリーな栄光の時代は、もはや見る影も無い……
高校に入学したばかりの僕でさえ果たして無事に就職できるか、少し不安だ。

もっとも親父のように自衛隊という名の公務員になるという選択肢も有るにはあるが、
3代続いての入隊は如何なものだろう? 

――と、まぁ、まさに今この瞬間、僕と著莪はその一端を、まざまざと見せ付けられているのだ。
驚愕の事実が、厳しい社会の現実が…… そこにはあった。今宵、残された弁当はなんと――


「「すき焼き弁当、1個か……」」
59 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:29:45.01 ID:vBxBAFIs0
今日、この店は需要と供給のバランスがうまくかみ合ったのだろう……
『彼等』が殺気立っているのは、もしかしたらこんな状況だからかも知れない。

僕らは肩を落としつつも最寄の陳列棚に移動する、ぱっと見、粉モノを置いている棚のようだ。
適当な位置で足を止め、目の前の『強力粉』を見ていると、著莪が口を開く。

「まあ、1個だけでも残ってて良かったよ」

「確かに、何も無いよりは遥かにいいよな」

その時、突然背後から――

「よう、こないだやられてた奴じゃねーか」

何者か≠ノ声を掛けられた、一体いつの間にそこに居たのだろう?
60 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:31:56.26 ID:vBxBAFIs0
後ろを見ると空のカゴを手にした上下ともジャージ姿で長身の男が一人……

「今度は正面から正々堂々とやり合うつもりだな、関心関心」

「僕のこと、覚えてるんですか?」

「ああ、毎年この時期には何人かの新人がココに来るから本当なら一々覚えちゃいないんだがな。 お前は特別だ」

どういうことだろう? 彼の発言の真意が分からない。

よく見ればコイツって結構マッチョだな、ジャージの上から見てもそれとなく鍛えているのが分かるし。
何だか距離もさっきより微妙に近い気がする。それにしても、コイツいつから背後に―― 背後……だと?
 
……まさかコイツ、アレか!? 僕のケツを狙う……  ウホッ的な……
61 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:37:05.13 ID:vBxBAFIs0
いや! いやいや! 待て! 落ち着くんだ、ヨー・サトウ!! まだ慌てるような時間じゃない……
真のジャズマンたる僕がこの程度で――

「負けた後に、真のジャズマンだとか言い残して店から去る奴なんて前代未聞だからな」

「そっちの方かよ!!」

「そっち? まぁ、とにかく、お前は結構な有名人だぜ?」

マジかよ…… こっちは一刻も早く消し去ってしまいたい黒歴史だというのに……っつぅか、忘れてたし。
第一、アイツがこんな話を放って置くわけが――

「なぁ〜 佐藤〜?」

「な、何でしょうか……?」

このあと暫くの間、僕は著莪いじられたまくった……
62 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:38:48.24 ID:vBxBAFIs0
「そーいや、横にいるお前の彼女、昨日ココに来てたろ」

「あれ? 何で知ってんの?」

「その容姿じゃ何処に居ても目立つだろ」

確かに、――それよりも、このジャージ……とりあえずジョニーでいいか。
ジョニーは著莪のことを僕の彼女と言っていたようだけど、否定しておいた方がいいかな?

「ふ〜ん、あっ!ジョニー、一つ訂正。アタシは別にコイツの彼女じゃないよ」

「ジョニーって誰?」

さすが著莪、僕が考えたナイスな彼のニックネームを先に言ってくれた。
よし、このジャージはジョニーに決定ってことで。

「ただの従姉だよ、ジョニー」

「俺の名前はジョニーじゃないんだけど」

「ジョニーって『狼』なの?」

「あ、はい。一応そうです…… つーか、ジョニーじゃない――」

「コレが狼…… スゲーなジョニー! オラわくわくしてくっぞ!」

「……もうジョニーでいいです」
63 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:40:05.52 ID:vBxBAFIs0
――そのとき店内の空気が変わる。

「半額神の登場か」

「マっちゃんのおでましだね」

ジョニーと著莪が呟く。弁当コーナーの方を見ると――

「あれが…… マっちゃん」

半額神は、なんと若い女性だった。
名前を聞いた時に女性だとは思っていたが、それが若くてしかも半額神とは想像していなかったのだ。

彼女は、まず惣菜コーナーの端から順に作業をしていく。
隙間が開きバラバラになっていたお惣菜をきれいに並べて直していく、慣れた手つきで、しかも早い。
動くたびに、彼女が頭に巻いているバンダナから出ているポニーテール状に纏められた髪が揺れた。

染めた髪をそのまま伸ばしているのか、ポニーテールはほとんど黄褐色で、
纏めている部分から頭の方は黒髪になっている。

なんとも不思議な色合いだけど、それもまた彼女の魅力を引き立てる一端を担っていた。
64 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:42:02.47 ID:vBxBAFIs0

あっという間に半額神はそれらの作業を終え、いよいよ弁当コーナーに――
その時、『セーガー!』と著莪の携帯が鳴る。

「ん〜誰だろ? ……!?」

彼女は携帯の画面を見たままフリーズした。何事かと思い、僕も著莪の携帯の画面を見て―― 固まった。

「どうしよう?」

「……とりあえず出るしかないんじゃないか?」

著莪は恐る恐る、通話ボタンを押して電話を掛けてきた彼女と会話を始める。
僕は著莪のすぐ近くにいたままだったので相手の声がよく聞こえた。

『あっ、あやめちゃん? あっちだよぉ〜』

間違いない……あせびちゃんだ。
65 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:43:56.63 ID:vBxBAFIs0

「お、オッス、あせび。どうした?」

『ちょっと、洋くんに聞きたい事があったんだけどぉ、あっち、洋くんの電話番号聞いてなくて……
 あやめちゃんなら分かるかな?って』

「それなら丁度良いや、今隣にいるから代わるよ」

そう言って著莪は携帯をこちらに―― やっぱり出なくちゃダメだよね?

「も、もしもし?」

『あっ! 洋くんだぁ〜』

とても嬉しそうな弾んだ声だ、ホント……アレさえなければね……
癒しとストレスという相反する2つが見事に同居したあせびちゃんとの会話は思いのほかすぐに終わった。

なんでもチョコチップクッキーを作っているらしくて、僕がそれを食べられるかどうか確認してきたのだ。
本当はあせびちゃんが作ったクッキーなので一抹の不安があるが、大丈夫だと伝えると、彼女はとても喜んでいた。
明日、学校に持ってきてくれるらしい…… 本当に大丈夫だと思いた――

「おい、マっちゃんはもうとっくに半額シールを貼り終わったぞ。そろそろだ」

思いのほか親切なジョニーだった。
66 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:45:03.01 ID:vBxBAFIs0
これで彼に対する僕の誤解が解けていなければ、やっぱりコイツ、穴を狙っているんじゃ……と疑った事だろう。

「それともう一つ、お前ら二人、ココに来たときにイチャついてただろう」

そうだったっけ?

「あれを見た奴らがお前を腹いせに潰しに来るだろうから注意しな」

「何だか分からないけど、忠告ありがとう、ジョニー」

「お互い、頑張ろうな!」

半額神が一度店内へと振り返る、一礼すると踵を返して扉を開けスタッフルームへ。
その後を追うように扉が……閉まる。
67 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:46:56.04 ID:vBxBAFIs0
店内のいたる所で床を蹴る音がする。
僕らも負けじと駆ける、先頭に著莪、次にジョニー、最後が僕だ。
すでに 3人ほどの狼が弁当コーナーの前で戦闘を繰り広げて―― さらに4人が追加された。

7人の乱戦となり、その時点で著莪、さらにジョニーが加わる。           
著莪は乱戦の外周にいた1人の足を蹴り上げた、彼の両足が床から離れると同時にその背中に掌底を叩き込む。
フライングヒューマンと化した彼は横にいた他の狼を巻き込んで鮮魚コーナーの方に吹き飛ぶ。

彼等が消えたことでスペースが出来―― そこにジョニーが滑り込んだ。
ジョニーは持っていたカゴを、ある時は敵の攻撃をいなすため、また、ある時は攻撃に使い、次々と狼達をなぎ払っていく。
数秒前までの乱戦は2人が加わった事により、瞬時に著莪達を中心した戦闘へと姿を変える。
68 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:49:25.80 ID:vBxBAFIs0
その2人を狼達が総出で潰しに掛かったことで横の方に僅かなスペースが……そこを目掛けて突っ込む。
だがその時、横合いから拳が飛んでくる。クソッ! まだ他に狼がいたのか!
辛うじて、これをガードするものの、今度は背後からの攻撃を受けた。
吹き飛ばされそうになるがガードしていた奴の腕を掴むことで堪えつつ―― 勢いを利用して、そいつを投げ飛ばした。
普段では考えられないような事が出来る、これが腹の虫の加護ってやつか。

体制を立て直した僕の前に2人の男が立ちふさがる、コイツ等がおそらくジョニーの言っていた狼達だろう。
弁当コーナーに目をやると、著莪とジョニー、他数名の狼達が熾烈な攻防を繰り広げている。
どうやら今日、このスーパーで半額弁当争奪戦に参加しているのは12人……それに対して神の恵みは1つか。

「「よそ見して余裕ーだな!」」

正面からほぼ同時に拳が飛んでくる、しゃがむことでそれらの攻撃をやり過ごし、同時に2人の足をまとめてなぎ払う。
文字通り地に足の着いていない彼等に、それぞれ掌底を打ち込む。

鳥人間コンテストよろしく、2人は夢という名の大空に……現実には陳列棚の間に―― 揃って仲良く吹き飛んでいった。
69 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:54:30.94 ID:vBxBAFIs0
半額弁当の争奪戦は初参加でも割とやれるもんだな……
普段から著莪相手に、「男としてどうよ?」 と周りから言われるくらい手加減無しで戦りあっているから、
戦闘慣れしているのかもしれない…… ゲームの話だけどね。
もちろん、リアルファイトも無いわけじゃないけど……ほら、偶に――

「俺を忘れてもらっちゃ困るな」

「ガハッ……!」

なんだ!? 背後から僕の首に腕が掛けられて―― 

「リア充は、お寝んねしてな!」
70 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:56:25.96 ID:vBxBAFIs0
コイツ! さっき僕が投げ飛ばした奴か!?
戦線に復帰したのか。いや! 今はそんなことよりコイツの腕を外さないと――

「ハハッ、暴れても無駄だぜ、バッチリ決まってるからな!」

クッ! 外れない!―― ヤバイ……意識が……  

「落ちやがれー!!」

これまで、か…… 著莪……せめてお前は弁当を取れよ……

そんな事を思った瞬間だった――


 「洋くんから離れてぇ〜!」


あせび……ちゃん?
71 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:58:03.57 ID:vBxBAFIs0

彼女の声が聞こえると同時に相手の腕が首から離れた。何とかその場を離れ、振り向くと――  
僕の首に腕をかけていた男の腰の辺りに、ふわっとした猫みみ帽子をかぶり、マフラーを巻いた女の子……
あせびちゃんがしがみ付いていた。

「あっ! 洋くん、大丈夫ぅ!?」

「ゲホッゲホッ! あせびちゃん助けてくれてありがとう」

彼女は涙を流し、顔をぐしゃぐしゃにしながら、僕に駆け寄ると抱きついてきた。
場所が場所なら、さながら恋人同士の感動の再会―― 的な感じなんだけど。

残念な事にココは閉店間際スーパー、とてもじゃないけどそんな雰囲気じゃないな…… 
それと先程から妙に焦げ臭い、ズボンのポケットに入っているお守りが凄い勢いで焦げている気がする……
72 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 17:59:57.89 ID:vBxBAFIs0

早く離れ――

「あっ! あやめちゃんも、助けなきゃぁ!」

幸い、あせびちゃんは自分から勝手に離れてくれた。までは良かったんだけど……

ドサっという音がしたので目線を向けると、床に倒れている1人の男。あせびちゃんに触られていたアイツだ。

彼は白目を剥き、口から泡を吹いていた…… 未知のウイルスにでも感染したか?
時折、体がビクン!ビクン! と、痙攣している……何だか凄く深刻な感じに見えて怖いんですが……

……まさか、死んだりとか……しないよね?

背後でバタリ、バタリ……と、まるで人が次々と倒れているかのような音が聞こえる。

僕は膝を抱えて震えた……
73 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 18:02:26.44 ID:vBxBAFIs0
レジ袋を左手に持ち替え、空いた右手でドアノブを掴み……開ける。

「ただいまー」

「おかえりー」

リビングの方から著莪の声、スーパーで彼女にあせびちゃんを任せたので帰りは別々だったがどうやら先に帰っていたようだ。
靴を脱ぎ、リビングのへ行くと彼女は台所にいた、お湯を沸かしてるっぽい。

2人掛けのソファーに腰を落ち着け、レジ袋から『どん兵衛』とコロッケ、そして半額弁当を取り出してテーブルに並べる。

「タイミング、バッチリだな。丁度お湯が沸いたとこ、佐藤『どん兵衛』の蓋開けて」

そう言うと、著莪はお湯の入ったポットを持ってきた。

「お疲れっ」

「お互いに……な」
74 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 18:04:10.73 ID:vBxBAFIs0
著莪は『どん兵衛』にお湯を注ぎ、隣に腰掛ける。
出来上がるまでの五分間、僕達はスーパーでの出来事を話して盛り上がった。

結局あの後、お守りを持っていた僕と著莪の2人が残り、最終的には僕が弁当を獲得したのだ。
もちろん、あせびちゃんには事情を説明した上で。
すると彼女は「じゃぁ、あっちの早とちりだったんだぁ〜 えへへ……」と、言って照れ笑い。
また、これが凄く良い笑顔なんだよね。

これで彼女の後ろに、口からブクブクと泡を吹き、床の上で痙攣している狼達の姿が無ければパーフェクトなのに…… 
特にジョニーなんか、まるで釣り上げられたカジキみたいに元気よく床の上をのた打ち回っているんだもの……

「そういえば、あせびちゃんは何でスーパーに?」

「ああ、何でもクッキーを作つくってたら材料が足りなくなって、それで買いに来たんだってさ。
 その道中に電話してきたみたい」

成程、それでスーパーマーケットに襲撃……じゃなくて来店したのか。
今日はそのおかげで助かったけど、明日はそのせいでクッキーを食べる事が確定、素直に喜べないな……
75 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 18:10:33.62 ID:vBxBAFIs0
「「いただきます」」

まず、著莪が『どん兵衛』の蓋を剥がして箸を入れ軽く混ぜ、そこにコロッケを投入し、食べ始めた。
彼女がコロッケにかぶりつくと衣がザクっという音を響かせる、思わず口の中に唾が沸いた。
あの食感がたまらないんだよね。おまけに、どん兵衛のつゆがしみ込むことにより、また違った食感が楽しめるし……

つい見とれてしまうが、今の僕にはコレがあるのだ――
弁当の容器を手に取りフタをあけると湯気と共にすき焼きの香りが立ち上る。
四角い容器で真ん中に仕切りがあり、左側にご飯、右側にすき焼き、シンプルだな。
付属の温泉卵をすき焼きの上に落とし具材に絡めて準備完了!

肉を箸で取り、口に運ぶ…… 甘じょっぱいタレの味が口の中に広がった。
咀嚼すると卵のよく絡んだ肉の旨味…… めちゃくちゃうまい!
続けて、ごはんを口に入れる―― うん、やっぱりこの組み合わせは良い。 

すき焼きだけでも、かと言って、ごはんだけでもダメ……
両方が揃って初めて得られる満足感だ。
76 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 18:11:47.43 ID:vBxBAFIs0
温泉卵のよく絡んだ肉、豆腐、ねぎ、しらたき、どれもタレがよく染みていた。
それにしても、このすき焼き弁当のすき焼き、家で食べていたものより明らかにうまい。
これが勝利の一味が加わった味なんだろうな―― とか考えていたら肩をつつかれた。横を向くと著莪が笑顔でこう言う。

「一口ちょうだい♪」

……コイツナニイッテンダ?

一瞬、言葉の意味が理解できなかったので目を閉じて彼女が口にした台詞を頭の中で反芻する。
まぁ…… わかってはいたけど……しょうがない、焼き豆腐をやるか―― 

目を開けると、すき焼きがごっそり無くなっていた…… あれ? おかしいな、目が疲れているんだろうか?

「あ〜 えーと……著莪、目薬って何処に置いてたっけ?」

「はたひふぉひんひふぅふぉふふふぇふぉふぅふぇ」

著莪は頬を膨らませて何か≠モグモグとやっていた。 ふむ、自分の寝室の机の上、か。

「わかった、ありがとう」
77 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 18:14:16.76 ID:vBxBAFIs0
立ち上がると彼女の寝室に行き、机の上にある―― 目薬は本当に必要だろうか? 
確かさっき物凄く重要なモノを見た気がするけど…… せっかくだから一応目薬を使い、リビングに戻ってソファーに座る。

――今度はご飯の入っていたところにミステリーサークルが出来ていた。

「著莪、僕が居ない間にUFOが来てなかったか?」

「ゴクン…… いや、見てないけど?」

「今……明らかにゴクンって、やったよね? 何か≠飲み込んだよね?」

「どん兵衛のお揚げだって」

「……じゃあ、何で口元にご飯粒が付いてんだよ……」

「あっ、ヤバッ」

彼女は慌ててご飯粒を取り口に入れた。

「アハハ……」

「お前な……」
78 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 18:15:26.24 ID:vBxBAFIs0
さて、どうしてくれようか? お肉様とごはん様を拉致した罪はあまりに重い。

「そうだ、お願い!」

「お願いなんて出来る立場だと思ってんのかよ」

どうやって償わせようか?髪を好きなだけクンカクンカ出来る権利とか――

「そうじゃなくってさ、スーパーでの約束。ほら、何でも1つだけアタシの言う事きくってヤツ」

「……」

……チクショウ……確かに言ってた……

「許して?」

なぜ僕の家の押入れには未来から来た青いタヌ―― ネコ型ロボットが居ないのだろう?
今こそ、タイムマシーンで過去に行き、自分の発言を無かった事にしたい……

「……許す」

途中、色々あったものの―― 僕の人生で、一番うまいと感じた夕餉だった。
79 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 18:18:02.38 ID:vBxBAFIs0
食後、何だか気持ちが高ぶって寝れそうに無いと言う、著莪の意見でゲームをすることになった。
寝る前にゲームをすると益々エキサイトして寝られなくなる様な気もしたが……
気持ちが高ぶっているのは僕も同じか、徹夜を覚悟しておこう。

セガサターンのコントローラーを握り、案の定というか……
ややエキサイトしていると著莪がもたれかかる様にして体を寄せてきた。

「何だよ?」

「一応、弁当のお礼をしとこうと思ってさ」

著莪はそう言うと、僕の肘から上辺りにかけて、おもいっきり押し付けてきた―― その……乳房的なものを。
お互いシャワーを済ませて寝巻き姿なのが災いして……むしろ幸いか? ともかく彼女、つけてないんだよね、ブラを……

おかげで感触がダイレクトに伝わってきちゃってさ! ヤバイ! ナニがなにしてきて―― 

「べ、べべべべ別に、嬉しいわけじゃないんじゃないからね!」

「どっちだよ」
80 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 18:22:54.01 ID:vBxBAFIs0
そう言って著莪は笑った。割と……いや、かなり一杯一杯だった僕は、彼女の笑顔をまともに見ることが出来ず、顔を横に逸らす。

「ほらほら〜 どうした佐藤〜」

ヒジョーにマズイことに、彼女は面白がって、さらにソレを押し付けてくる。 
早急に他の事を考えて意識を逸らさなければ……色々とヤバイ……すでに手遅れのような気もするけど。

何か! 何か無いのか! と必死に考えていたら、ふと自分の手に握っているコントローラーの感触で、その事を思い出した。
そういえば、この『バトルバ』をプレイするのは――


あの日、著莪に違う高校に進学するって考えを話したとき以来だっけ。



 〈了〉
81 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/08(水) 18:25:14.78 ID:vBxBAFIs0
取り敢えず今日はこんなところです。

また、時間が取れましたら、つづきを投下いたします。
82 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2012/02/08(水) 18:27:17.63 ID:Rj8dAzYFo


先輩のほうはどうなるのかねぇ
部員3人あつまらなくてHP同好会完全消滅・・・?
83 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/08(水) 20:02:12.16 ID:2axs2SnKo


黒子の人ではなかったか
84 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/08(水) 21:49:21.02 ID:BGMVmFWSO


次も期待
85 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/09(木) 01:05:49.99 ID:3fcIE0RIO


期待
86 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/02/09(木) 01:20:21.82 ID:3QnT3+y50
乙普通に上手くてワロタ
とりあえずこれはハーレムものなのか著莪 ものなのか。
ハーレムの方が好きだが正直どっちでもいい。
しかし……おっちゃんがどう動くかが凄い気になる。
先輩とか同好会消滅で涙目とかかもしれないしね。石岡君が何とかしてるかも知れんがww
87 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:12:24.64 ID:UyMGRCPS0
見て下さってありがとうございます。

少し時間が取れましたので、ショートエピソードを一つ投下していきます。

88 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:13:37.39 ID:UyMGRCPS0

閑静な住宅街の一角にそびえたつ1件のスーパー。 現在時刻は午後8時10分、あと20分ほどで半値印証時刻だ。
自動ドアをくぐると店内には落ち着きのあるBGMが流れていた、
そのメロディーを聴きながら青果コーナに向かい同時に『彼等』の気配を探る。  2……4……6人か。

青果コーナーから鮮魚、精肉コーナーを抜け、揚げ物の香り漂う惣菜コーナーに到る。
ここで一度、深く息を吸いこみ先刻から空腹を告げている腹の虫をさらに刺激―― 想像以上に腹の虫が暴れた。

やり過ぎたかもしれない……
89 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:14:44.55 ID:UyMGRCPS0
視線を少し先に移せば、そこには今宵の神の恵みが―― ゴクリと生唾を飲み込む。
頭の中に……いや、正確には腹の奥底から『今なら弁当があっさり手に入るぞ? 何躊躇してんだよ? やっちまえYOー!』
みたいな声が響く。最高にCO……クールな、僕の腹の虫が語りかけてきたのだ。 クッ! まさか腹の虫が敵に回るだと!?
 
死刑囚が1歩、また1歩というように僕の足は僕の意思を無視して、弁当コーナーに向かう。
ま、まさか! 腹の虫が僕から足への命令権を取り上げたとでも言うのか!?
  
目の前に弁当コーナーが迫る……手を伸ばせば弁当に届くかもしれない距離だ。 おい……冗談だろう?

手が、僕の手が弁当に伸びてゆく……腹の虫の奴! 僕の手までその手中に収めたのか!? 待て! 止めろぉぉぉぉ!!
90 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:15:44.42 ID:UyMGRCPS0
僕は咄嗟に頭の中で腹の虫に語りかけた――


待つんだ、我が腹の虫よ。このまま空腹に身を委ね、3割引のシールが貼られた弁当を手にするのは簡単だ。
しかし一度ソレをやれば、もう2度とこの@フ域に戻ってくる事は出来なくなるんだぞ? お前は本当にそれで良いのか?

『だが、お前は今空腹なんだろう? そうなんだろう? だったら良いじゃねーかヨー!
 第一、たかだかスーパーで半額になる前の弁当を1個、買うだけじゃねーか。
 それで自分の腹が満たされるんだ、何を迷う事がある? 人間食わなきゃ死ぬんだぜ? もっと気楽にやれヨー!』

……確かにそうだ、僕はかつて『スーパーでは命を取られる訳じゃないだろう……』みたいな気楽な気持ちでいた。
それは認めよう、腹の虫よ…… だけど、今は違う!

『……』
91 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:16:37.30 ID:UyMGRCPS0
お前が言う通り、人間は食わなければ死んでしまう……

『そうさ『死』とは恐怖、生物は皆等しく『死』恐れる。怖がるものだ。だから――』

そうだ『死』は恐ろしい……でもな、ココには、それ以上に恐ろしい『死』が存在するんだ。

『戯言を……』

この¥齒鰍ノ身を置くようになった今だからわかる。ココではな『狼』としてのプライドが……
 誇りの『死』こそが、最も恐れるもんなんだよ!!

『……』
92 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:17:34.55 ID:UyMGRCPS0
僕は『狼』だ、3割引の弁当と一緒に『死』を手に取り、あの醜い豚に堕ちる気は毛頭ない!
そして腹の虫よ……お前もそんな僕のかけがえの無いパートナーだ!

『……』

思い出せ! 何の為にここまで歯を食いしばって耐えてきたんだ!

朝食は著莪と揃って寝坊したおかげで取ることが出来ず、
おまけに非常食用にと隠しておいた秘蔵のソイジョイを彼女に食われ……

『……』

昼は昼で、朝そんなこんなで慌てていたせいで財布を忘れ、昼食を買うことも出来ず、
著莪に食べかけのメロンパンを1個恵んでもらっただけ……

『……』

ホントは、それを見たあせびちゃんが「あっちのお弁当を半分あげるよぉ〜」って言ってくれたんだけど。
この前、彼女が作ってきたクッキーを大量に食べさせてもらっている最中にお守りが寿命を迎えてしまい……以下略
93 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:18:35.95 ID:UyMGRCPS0
――だからこそ、夕食だけは何としてでも、まともに食べたい。それも勝利の一味が入った、最高の一食を!
その為に耐えろ、僕と共に耐えるんだ!

『……その言葉が聞きたかった』

……え?……腹の虫……お前……いや、その声は、まさか!

『お前が本当に『狼』としてやっていく意思をちゃんと持っているかどうか、俺はどうしても確かめたかった』

父さん? 父さんなのか! 

『試すような真似をして悪かったな。洋、元気でやれよ』

待ってくれ! 何処へ行くんだ、父さん!!
そんな、せっかく10年前に生き別れた父さんと再会出来たというのに…… こんなに急に、また離れ離れになるなんて――

『そんなに泣くな、洋』

でも、父さん……
94 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:19:44.72 ID:UyMGRCPS0
『大丈夫……俺は真のジャズマンたるお前の心の中にいつまでも生き続けているぞ』

……は?

『ブラボー! ヨー・サトウ! 真のジャズマンに栄光あれ!!』



「僕の感動を返せよ!!」

寝室に″ナ高にクール……ホットな僕の声が響き渡った。 せっかくジャズマンのことは綺麗さっぱり忘れてたのに……
つーか、生き別れの父さんって誰だよ? アレは何処をどう見ても親父そのものだ。 
まぁ……むしろ本当に生き別れてたらどんなに良かったか……
やれやれ……自らの負の遺産、及び先程までの酷い夢≠フせいで空腹の度合いを示すメーターが、
プラスの10から一気にマイナスの10くらいに――

「何だよ〜佐藤、うるさいぞ……」

僕のすぐ隣で寝て≠「た著莪が目を擦りながら呟く……ん? 寝室に=H 夢=H そして最後に寝て=H
――さて、ここで問題です。今の一連のキーワードから導き出されるアンサーはなんでしょう? 

答えが出た瞬間、僕は頭を抱えた……
現在日時は4月27日、午前3時。場所は、この春から僕と著莪が一緒に住んでいるマンションの一室、僕の寝室のベッドの上。

「……夢かよ……」
95 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:20:55.26 ID:UyMGRCPS0
しかし、この無駄にリアルかつ無意味に長くて気合の入った夢を見る辺り、明らかに佐藤家の大黒柱たる『彼』の遺伝を感じる。
怖い、遺伝子が怖い。何故神は遺伝子などという強力なフォーマットを用意してしまったのか!
やっぱり僕ってあの親父の実の息子なのかな…… 

実は心のどこかで『母さんね、実はお父さん以外の人と関係を持ってしまっていて……洋は本当はお父さんの子じゃないのよ』
と、なかなかシリアスなカミングアウトを、いつの日かしてくれるに違いないと期待していたのに……
もっと欲を言えば橋の下とかで拾ってきたとかだったら完璧なんだけど……いや、希望を捨ててはダメだ! 
人間諦めない事が―― 

「佐藤、はいコレ、電話鳴ってたよ。おじさんから」

なに! このタイミングで親父から電話だと!? まさかカミングアウトするのは母ではなく親父だと言うのか……?

震える手で著莪から携帯を受け取り、耳に当てる。 ……まさかこんな形で長年の夢が実現するなんて。

「も、もしもし?」

『聞いたぜ、何でもスーパーで、真のジャズマンとか言ってたらしいな。お前、やっぱり俺の息子だよ。
 俺も学生時代に同じようなことをしたからな』

「……」

僕の長年の夢は脆くも崩れ去った……
96 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:23:24.15 ID:UyMGRCPS0
『あぁ、電話した本題だけどさ、お前、今日が誕生日だったな。良かったなじゃねぇか、
 いずれ、洋も俺みたいなナイスガイになるってことが誕生日に確定して。嬉しいだろう?』

……これは夢だ、きっとそうに違いない! 頼む! 覚めてくれ!!

『誕生日おめでとう!マイ・サ――』

即効で電話を切った。そして頭から布団を被ってガクガクブルブルと震えていた。
隣にいた著莪が「おじさんに何て言われたの? 死刑宣告でもされた?」とか言って笑っていたが、これがかなり正解に近かった。
なにせ、16歳の誕生日にあの親父≠ゥら直々に『お前は俺の遺伝子を正統に受け継いでいる』的なことを聞かされたのだ。

しかも確定である…… いってみれば純白ブリーフ砂漠仕―― 以下略


こうして僕、佐藤洋と著莪あやめは16歳になったのだった。




 《ショート・エピソード 佐藤洋(+著莪あやめ)、16歳の誕生日》


            〈了〉
97 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/02/09(木) 16:38:58.75 ID:UyMGRCPS0
本日は以上です。

次に投下できるのは来週になりそうです。

>>82 次か、その次あたりにその件が出ると思います。

>>83 アレは大好きなSSです
98 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2012/02/09(木) 16:43:31.49 ID:C3103Koe0
乙です
99 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/02/09(木) 19:22:33.53 ID:3QnT3+y50
御疲れ
100 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/02/09(木) 20:02:07.49 ID:PNYNg/OFo
おつかれさま
101 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/09(木) 20:07:02.17 ID:kY3E/XySO
102 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/09(木) 20:19:45.14 ID:pkUj2Lm8o
乙!
103 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/02/09(木) 21:39:17.76 ID:GyDUNW7go
乙!佐藤父は作中最強の存在だよな
104 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県) [saga]:2012/02/09(木) 23:45:14.12 ID:n9lPVFby0
うはっ、VIPに立ってたときに見たがまさかこっちで続き見れるとは
楽しみにしてる
105 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西・北陸) [sage]:2012/02/10(金) 08:32:13.89 ID:L8l/AZYAO
http://invariant0.blog130.fc2.com/?mode=m&no=2306

これか?
106 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/10(金) 13:32:04.58 ID:lJ+z+A5Wo
ヨー・サトウ!
107 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/17(金) 08:40:51.58 ID:Vqf9FB4Co
サト、サイトウ刑事はまだか!?
108 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/02/18(土) 15:35:11.22 ID:LsqDxTwo0
時間が取れないため投下するのは来週になります。
申し訳ありません。
109 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/02/19(日) 03:28:01.85 ID:UHMhIg8po
待ってんぜー
110 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:28:12.44 ID:ABMD2sMV0
遅くなりましたが時間が取れましたので投下いたします。
111 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:28:46.64 ID:ABMD2sMV0
 
 ―00―


 ●


著莪あやめは目を覚ました。静かに瞼を開けると、天井が見える――薄暗い。まだ夜が明けきっていないのだろう。
いつもの彼女なら二度寝をするか、隣で寝ている佐藤洋を起こして、一緒にジョギングに繰り出すかのどちらかだ。
しかし、この3日間、彼女はそのどちらもやる気にはなれなかった。
もっとも今現在、佐藤はクラスメイトのあせびに風邪(?)をうつされて実家で療養している為、
どのみち後者は無理な話なのだが……

頭が重く体もだるい、けれど体調そのものが悪いわけではない。
これは気分的なものからきていることに彼女自身気付いていた。
その原因も最初からわかっている。ソレがあるため2度寝することもできないのだ……いや、そもそも、
ソレのせいで彼女は今日を含めて3日連続で、こんな時間に目を覚ましたのである。

「嫌な夢……」
112 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:29:44.69 ID:ABMD2sMV0

そう彼女は同居人で従弟の佐藤がいないこの3日間、毎晩自分の部屋のベッドで眠り、
そして決まって、ある夢を見ていた。

その夢は毎回、佐藤が初めて彼女に高校進学の話をした場面から始まるという妙にリアルなもので、
夢の中の著莪は佐藤の話をただの冗談だと思って1度も真剣に聞こうとせず。
ついには佐藤が烏田高校に進学してしまい、それが気に食わなかった彼女は佐藤と大喧嘩をして―― 
そこで夢から覚める。
彼女にとってはまさに悪夢といえ、しかも実際に十分ありえたことだけに、著莪はますます憂鬱な気分になった。

また、これが1日だけなら彼女とてさほど気にしなかったことだろう、しかし3日連続となると話は別だ。
113 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:30:48.09 ID:ABMD2sMV0

こんなひどい夢を見たのは単純にベッドが変わったからかもしれないと考えて
佐藤のベッドで寝ることも思いついたのだが、同時に今の自分にそれはできないという思いもあり
結局は実行できていない……それは何故か? 話はかなり昔にさかのぼる。

まだ佐藤、著莪の両名とも幼かった頃。当時著莪は佐藤の家に泊まる際、
自分でドライヤー使い髪を乾かしていた。けれど自分の長くボリュームのある髪は完全に乾くまで
かなりの時間を要した為、幼い彼女はすぐにめんどくさくなってしまい途中で投げ出すのが常であった。

そのあおりをもろに食らったのが佐藤である、彼等はいつも決まって2人一緒に1つのベッドで眠るのだがその際
著莪の髪が完全に乾いていないためベッドが湿ってしまうのだ。さらに彼女の長い髪が佐藤に巻きつくのも問題だった。
彼はこれが嫌で嫌で仕方がなかったらしく。ある日とうとう著莪に、こう言った。

「もうドライヤー貸せよ、僕がやる!」
114 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:31:17.59 ID:ABMD2sMV0

それ以来佐藤と一緒にいる時は必ず彼が髪を乾かすというのが2人の間ではあたりまえとなり、
もともと自分の家にいる時は母親のリタに髪をやってもらっていた著莪は、自分で自分の髪を綺麗に乾かす機会が
無いまま今に至る。
ちにみに修学旅行の際もいつも通りに著莪の髪を乾かしていた佐藤は自室に帰るなり男子達から
ボコボコにされたのだった。

そんな訳で彼女はもしかしたら佐藤のベッドを湿らせてしまうかもしれないと思い、自分のベッドで我慢しているのだ。
自分のベッドなのに我慢というところがなんとも変っている。
それと流石に今の彼女は昔と違い、自分で綺麗に髪を乾かすこともできるのだが……
ひょっとしたら夢の影響が無意識の内にこんな所に現れ、臆病になっているのかもしれない。

ともかくそんな事があったのでその日、学校の教室に佐藤が姿を見せたとき、著莪は内心それを凄く喜んでいたのだった。
115 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:31:45.92 ID:ABMD2sMV0
     
 ―01―


 ○


僕、佐藤洋は今、とあるスーパーの鳥棚で陳列されているおかき=iサラダ味)の袋を見ている。
けれど、あくまで見ているだけで頭の中では別のことを考えていた。

本当は、つい2、3分前まで非常に知的好奇心旺盛な僕は、おかきの作り方、
及びサラダ味についての考察などに思いを馳せていたのだが……
あっ、ちなみにどの位、知的好奇心に溢れているかという事を証明できる素晴らしいエピソードがある。

小4の夏休みに石岡君と共同で『意外と簡単にできるブービートラップ』というテーマで製作した自由研究なんだけど。
全部この場で話すと長いので要約するが、まぁ、早い話が『石岡君を使ってトラップの実験をしちゃった♪』
って感じのものだ。
116 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:32:21.87 ID:ABMD2sMV0

結構色々やったんだけど、その中でも特に良い出来だったのは、
石岡君を彼の家の玄関前で地上数メートルまで瞬時に吊るすヤツ。

ヤラセにも拘らず、あまりに完成度の高いその映像の肝はなんといっても、吊り上げられた石岡君の、
『いってきまあぁぁぁぁぁぁ――――!?』と言う絶叫に集約されていると言っても過言ではない。
まるで仕掛け人の石岡君でさえも知らされていなかったんじゃないか? って首を傾げたくなるほどの迫真の演技だった。

しかもこの映像、後日何者か≠ノよってネットの動画系サイトに投稿されていたのだ。
謎が謎を呼ぶミステリーとは、まさにこの事……

その後、映像の存在がクラスのみんなに知れ渡り、
石岡君が一躍人気者になったというサブ・スートーリーも忘れてはいけない。
117 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:33:04.22 ID:ABMD2sMV0

でも、実のところは、ただの晒し……まぁ、いいや。
さて、随分と脱線したな。話を現在の僕が置かれている状況に戻そう。

僕がおかき≠フ考察を止めて目下考えている事とは……ズバリ弁当のことだ。
何故に今更、弁当? と思うかもしれないが、もちろん理由がある。

僕はいつものように弁当コーナーの前を横切り、神の恵みたる弁当(30%引き)を横目で確認。
獲物を決めて鳥棚に向かい目の前のおかき≠ナ妄想……考察していた最中に、それは起こった――
いかにも会社帰りといった感じの中年男性が、この店に訪れ、そしてあろう事か……取ってしまったのである。

僕が狙っていた獲物を……
118 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:33:46.13 ID:ABMD2sMV0

そんなわけで突如襲来した彼によって僕は目標を失ってしまったのだ。
ただ幸いにも、あと3つ弁当が残っている。急いで獲物を決めなければ……

「すまん佐藤。遅くなった」

幕の内弁当、鮭弁、そして、ちらし寿司弁当の3種。この中からどれを選ぶかだが。これがなかなか決まらない。

「おい、佐藤」

こんな形で獲物が消えるのは初めての経験で、その分動揺しているのかもしれな――

「って! 先輩!?」

「ようやく気づいたか」

この人は二階堂連。丸富大学の2年で狼として、また学生としても僕と著莪の先輩にあたる人だ。
あの初勝利の翌日にスーパーで声をかけられて以来、共闘したり、いろいろな情報等を教えてくれたりと、
お世話になっている。

「今夜はお前1人か?」

「いえ、著莪はもうすぐ来ると――」

僕が言い終える前に店内にいた狼達がその気配に気づきザワつく…… アイツが来たのだろう。
先輩がエントランスへと視線を向けた。
119 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:34:31.66 ID:ABMD2sMV0

 ● 


自動ドアが開き、店内に現れたのはこのスーパーの近くにある大学付属高校の制服を着た女だった。
『彼女』は、弁当コーナーへと一直線に歩みを進める。
ココに来た時点でもう何時、半額神が現れても不思議ではないという時間だった。
いつもみたくゆったりと店の外周にそって回り込むようにして弁当の下見をする余裕はない。

店内に入ると同時に『彼女』は『彼』の姿を確認していたが、先と同じ理由からそちらには後で行くことにした。
狼達は『彼女』の姿に見とれ、そして恐れた、ここ数日の間に急激に広まった噂を耳にしていたからだ。

デビュー戦を勝利で飾る事はできなかったものの、自身2戦目には早くも初勝利をあげ。
しかもソレが月桂冠という快挙、それ以来スーパーに来るたびに半額弁当を奪取している。
120 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:35:11.31 ID:ABMD2sMV0

そして2日前、デビューして早々に二つ名を手に入れた娘……その姿なりというのがボサボサの金髪で、眼鏡をかけ、
薄汚れたスニーカーを履いた外国人……しかもとびきりの美人である。というものだった。

今店内に姿を現した『彼女』はそれらの条件をすべて満たしている。
『彼女』は弁当コーナーの前に行き獲物を確認するとすぐさまクルリと反転し『彼』のいる菓子類が置かれた鳥棚へと急ぐ。
無事に半額神が姿を見せる前に『彼』の元に到着した『彼女』はこう言った――

「佐藤、お待たせ!」

『彼女』は丸富大学付属高等学校1年。著莪あやめ。《湖の麗人》の二つ名を持つ若き狼である。
121 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:35:56.39 ID:ABMD2sMV0

 ○


「遅かったな」

「オッス、二階堂。いやーごめんごめん、ちょっと色々≠ってさ」

彼女が言う色々≠ニはあせびちゃんのことだ。後は察して欲しい……

「著莪、アレはまだ大丈夫か?」

「うん、まだ平気。ほれっ」

そういって著莪は僕にお守りを見せた。 ……うん、予想通り焦げた面積が広がっている。

「今日はけっこうアレでさ、いつもよりアレが荒ぶっててね……」

「そうかアレがアレだった……荒れだったんだ……」

たぶん先輩には意味不明の会話だろうな。
あせびちゃんのアレについて僕と著莪で会話するとこんな感じで十分伝わるんだよね。

「何の話だ?」

先輩は案の定、理解できなかったようだ。無理もないけど。
122 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:36:38.45 ID:ABMD2sMV0

他人には決して理解できない類の会話が僕と著莪の間には少なからず存在する。
例えば先日、僕が3日振りにマンションに戻ってきた時の事だ。

2人で『バトルバ』をプレイしていたのだが、しばらくすると著莪は眠いと言い出して先に引き上げてしまった。
僕はその前にナニがナニしてとか色々あったので、すぐに眠る気にならず、そのまま夜中の2時台までゲームをしていた。
流石に寝ようという気になったのでゲーム機や、飲み物などを片付け、自室に行き、ベッドに入ったんだけど……
そこには『ベッドの中にかわいい女の子がいた』的なことを思い起こさせるような状況があった。

はっきり言ってファンタジー、ロマンチックが止まらない、男子諸君の憧れ、妄想の結晶、ロマンあふれる夢の設定だ。
こうなれば確実にその女の子は主人公の幼馴染で、毎朝彼をお越しに来てくれる位親しい間柄で、寝ている彼を起こすため
掛け布団を剥ぎ取ると、そこで彼の生理現象的なアレを見てしまい――な、お約束の展開も用意されていて。
そんな彼等にとってごく当たり前の生活を送っているうちに、何の変哲もない少年はいつしか幼馴染の他に5〜6人の
美少女達に囲まれて大変な思いをしつつもむふふな展開盛りだくさんの主人公になっているのだ。
123 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:38:24.79 ID:ABMD2sMV0

そうそう主人公といえば、昔親父が24時間ぶっ通しで放送を続け募金を集めたりする例の番組を見ていたときのこと。
その番組の終了時には毎度おなじみ『本当の主人公はあなたです』という意味不明の1文が映し出され、
親父は何を思ったのか「おい洋、おれが主人公だってよ、どうするよ?」と嬉しそうに言い始めたことがあった。
真冬の風呂上りに、タオル1枚腰に巻いて自販機までエネルゲンを買いに行くような親父が主人公の番組があったとしたら……
間違いなくこの国のテレビは終焉を迎えるな。
ちなみに当時まだ、まともだった母が僕の横で――

「主人公か、いいわね。はぁ〜 どこかに私でも主人公……いえ、ヒロインになれるようなところはないものかしら?」

――と言っていたというサブストーリー ……これは忘れたくても忘れられない。
今にして思えば、あのとき僕が「母さんはもう、立派なヒロインだよ」とでも言っておけば母はあんなふうには、
ならなかったかもしれない……悔やんでも悔やみきれない。
124 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:39:18.80 ID:ABMD2sMV0

とりあえず話は戻るが、そのとき僕はこの『ベッドの中にかわいい女の子がいた』という状態に置かれていたのである。
……まぁ、ぶっちゃけ、その女の子とは著莪のことで彼女はいつものように僕のベッドで横になっていたんだけど……
なんだか様子が変なのだ。
彼女は僕が来た事で目を覚ましたようで、その碧眼で僕をじっと見ていた。
けど普段なら宝石のように透明感のある瞳が今は濁っている感じで、表情も暗い。

とにかく僕も横になり著莪に「どうしたんだよ?」と聞くと彼女は「なんでもない……」と言って横を向いてしまった。
こうなったらこっちが無理やり口を割らせようとしても無駄だな、と思った僕は著莪と背中合わせになるようにして
眠りに付いた。

ところがしばらくして、彼女は控えめに、ゴホン、ゴホンと咳き込み、あーあーとか発声して……僕の背中に抱きついてきたのだ。
何事か訳がわからず混乱していると著莪の柔らかな唇がかすかに耳に触れ。「ねぇ……」と布に水がしみこむような、
じわりとした声で彼女は言葉を紡ぐ。

「佐藤はどこへも行ったりしないよね……?」
125 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:39:57.80 ID:ABMD2sMV0

今にも泣き出しそうな、震えてしまいそうになるのを堪えているような、そんな声。
それは雨に濡れた子犬の声のように聞く者の心を惹きつける……のだが――

「意味がわからないし。第一、そういうのは事前に声を作るところを相手に聞かれだ時点でダメなんじゃないのか?」

「……」

ワンテンポ遅れて、だよねー と言って彼女はアハハと笑う。
気のせいだろうか、いつもと違ってイマイチ元気がないような……?

「よろしい佐藤。紛らわしいことをしたお詫びにオプーナを購入する権利をやろう」

『オプーナ』というのは―― 以下略
126 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:40:33.64 ID:ABMD2sMV0

――「……ねぇ、佐藤はどこへも――」

「いや、だから……」

「あと何回やる?」

「もうやらない」

「つまんなーい」

「つまれ」

「……うん、つまる……」


――こんな具合だった。ちなみにこのあと著莪は僕に抱きついたまま眠ってしまった。
やけに前置き長かったが最後のやり取りなどはまさに『?』である。
以上が僕ら2人の時だからこそできる超簡単日常会話の1部だ。

しかし、あの日以来、著莪の様子がおかしい。スーパーでも時々、心ここにあらずって感じなんだよな……
127 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:41:57.91 ID:ABMD2sMV0

――そんな感じで色々と考えている間に半額神はとっくにシールを貼り終えていた。
……っていうかもう僕の目の前では争奪戦が繰り広げられているように見えるんだけど!?

……完全に出遅れてしまった。

急いで戦場に駆け出す。今夜は狼の数が多く至る所で戦闘が繰り広げられており、そんな中でも著莪は流石というか、
最前線にいた。これなら心配は要らないかな。――と僕も自分の戦いに集中しないと、ただでさえ出遅れているんだ!

すでに4人ほどが乱戦の外に転がっていて、起きる気配が無い。
僕はその内の1人を飛び越え乱戦の中へ身を投じる。
128 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:42:41.43 ID:ABMD2sMV0

他の者達を倒し、押しのけ、弁当コーナーに近づこうとするが、なかなかうまくいかない。
また、攻撃を食らい、乱戦の外にはじき出された。既にかなり脱落者が出ていたがそれでもなお弁当コーナーは遠い。
何故かみんな気合の入り方が半端じゃない。時々、月桂冠と言う単語が飛び交ってい…………月桂冠だって!?

僕はその存在を以前、先輩から聞かされていたことを思い出した。

「お前達にはまだ縁のないことかもしれないが一応話しておく。月桂冠とは各スーパーの半額神たちが、
 その日、残った弁当の中で太鼓判を押した半額弁当のことだ。またこれには特別なシールが貼られる。
 もしそれが出たら狼達は皆、血眼になって求めるだろう。なにせ手にした者はその日、
 その店において絶対的な勝者となるからだ。だからもし月桂冠が出たら迷わず獲りにいけ」

そしてその話を聞いた直後の争奪戦で著莪はさっそく月桂冠を獲ったんだよな。あのとき先輩は随分と驚いていたっけ……
その月桂冠が今宵も出たというのか、こうしてる場合じゃない!
129 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:43:19.89 ID:ABMD2sMV0

幾度目かのトライをするため僕が立ち上がった、その時――

「うぉおおおおおおおおお!」

著莪の気合の入った雄叫びが聞こえ、続けざまにドンっという衝撃が店内に響き渡る。
顔を上げると同時に金色が眼前に迫る。すぐにソレが著莪の髪だということがわかった僕は彼女を抱きしめるようにして止めた。
うまく勢いを殺し、彼女を床におろす。かなり被弾していた。

「著莪!」

「うぅ……佐藤? ……あぁ、受け止めてくれたんだ……ありがと」

「大丈夫か?」

「……ごめん、無理っぽい……」

著莪が、らしくない言葉を口にした事に僕は驚いた。トライ&エラーを身上とするコイツならこの場合、
例え無理でも自ら諦めるような事だけは言わないはずだった。……やっぱりコイツあの夜以来、少し変だ……
130 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:44:03.25 ID:ABMD2sMV0

「佐藤……」

何故もっとコイツに気を配らなかったのかと後悔していた僕に著莪は微笑みかけ――

「ちゃんと弁当獲れよ……んで少しアタシにちょうだい……」

ハグしてやるから。そう言って彼女は気を失った。

「わかった……待ってろ」

僕は著莪にそう告げて立ち上がる。不思議な事にそれまでの戦闘で受けた傷の痛みが消え失せ、
一瞬にして頭の中がそのこと≠セけで覆い尽くされた。

意識が、体が、すべてが燃え上がり。腹の虫が雄叫びをあげる。
心を濁さず、狙いを研ぎ澄ませ。

今、思うべきはただ1つ……


この手に月桂冠を――
131 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:44:50.36 ID:ABMD2sMV0

 ●


自分達のことを佐藤達に感づかれないよう細心の注意を払いながら、
二階堂は『彼等』と共に確実に月桂冠に近づいていた。事実、今まさに最後の1人を倒したところだ。

あとは月桂冠を手にするだけ、そう思い弁当コーナーに視線を移す……
だがその際、視界の端に黒い影のようなものが見えた気がした。
『彼等』の内の1人が何故か突然、床に膝を着き崩れ落ちる。そしてそのすぐ横に、何か――

瞬間、全身に鳥肌が立つ。まるで名うての二つ名持ちと対峙する時のような感覚だ。
自身の本能が告げている、そちらを見ずに獲物に向かえと。

しかし二階堂はその警報を無視して震えを堪えながら崩れ落ちて床の上に横たわる彼の方に顔を向けた。
ところがそこに先程見た黒い影の姿はない、近くには残りの『彼等』が3名いるだけだ。
132 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:45:25.68 ID:ABMD2sMV0

突然その内の1人が宙を舞い、その後方に2人並んで壁のようになっていた『彼等』の間に腕が生えた。
いや、生えたわけではない、差し込まれたのだ―― 

二階堂がその事を理解したとき、その腕が左右に開かれ黒毛の獣が姿を現す。
まるで力ずくで扉をこじ開けたかのようだ。同時に『彼等』2人はそれぞれ左右に吹き飛ばされていた。
133 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:46:01.19 ID:ABMD2sMV0

どうやら両手による左右への掌底らしい。らしい、というのは今ひとつ二階堂自身、確信が持てないからだ。
確かにやって出来ない事はないだろう、けれどそれで体格の良い『彼等』2人を同時に吹き飛ばすほどの
威力が生まれるだろうか? 
いくら月桂冠が懸かっていて腹の虫の力が増幅されているとはいえ。
……少なくとも自分の答えはノーだ。見たことも聞いたこともない。

自分の主ならあるいは出来るかもしれない、あの体格ならば。
だがコイツは現にソレをやってのけたのだ。他ならぬ自分の目の前で……
134 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:46:36.46 ID:ABMD2sMV0

驚愕している二階堂の元に――それ≠ェ来る。床を凄まじい音を立てて踏み切り、黒毛の獣が突っ込んでくる。
弁当を取るか? いや、もう遅い! そう判断し彼は迎撃体制を取った。

つい数分前まで自分と会話をしていた男……佐藤が迫る。
二階堂は佐藤が間合いに入った瞬間、その顔にむけて拳を放った―― が手ごたえがない。拳が空を切る。
佐藤は拳が当たる直前に自身の体をさらに屈めて攻撃をかわし。
踏切によって得られた全運動エネルギーを乗せた掌底を二階堂の腹部に打ち込んだ。

腹から体全体に衝撃が走り、彼の両足が床から離れた。
135 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:47:18.22 ID:ABMD2sMV0

 ○


支払いを済ませた僕は月桂冠とおにぎり(鮭)の入ったレジ袋を著莪に持たせ、彼女を背負う。
著莪はまだ足がふらついており、危なっかしいのでこうする事にしたのだ。

「まさか、お前まで月桂冠を獲るとはな」

「先輩、大丈夫ですか?」

先輩はウィダーインゼリー(エネルギーイン)の入ったレジ袋を提げ、袋詰め用の台に体重を預けていた。
自分でやっといて言うのもアレだけど、凄く辛そうだ。

「何とかな……自力で帰るくらいは出来そうだ」

「そうですか、あの良かったらこの後一緒に近くの公園で食事にしませんか?」

「そうだな……いや、今日は止めておこう。邪魔をしては悪いからな」

「邪魔?」

「なんでもない、気にするな」

先輩は「次はこうはいかんぞ」と言って、ふらつきながら店を出て行った。
136 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:47:53.09 ID:ABMD2sMV0

 ●


二階堂は店の外に出ると『彼等』と合流した。全員がウィダーインゼリーの入ったレジ袋を提げている。
その内の1人が二階堂のバイクを押すために付き添い、残る者達は方々に散った。

バイクを押して歩きながら『彼』が口を開く。

「やられましたね、頭目」

「あぁ、清々しいほど見事にな」

実際、完敗だった。けれど負けたというのに彼等の心は晴れやかなものだ、あの2人と戦るときは大抵こんな感じになる。

「それにしても彼女は日に日に調子を落としていますね、今日なども動きが悪いですし」

『彼』の言う通りだと自分も思う。著莪あやめは月桂冠を獲った夜を境に調子を明らかに落としている。
心ここにあらず、といった感じで集中できていないのだ。
しかしそれでも獲物が取れていたのは、ひとえに佐藤のおかげだろうと二階堂は考えていた。
137 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:49:09.86 ID:ABMD2sMV0

少なくとも二階堂の目には過去数日、佐藤は常に従姉をサポートすることを優先し、行動しているように見えていた。
もちもんあからさまにではなく、こちらが余程注意して見ていなければ分からない程度の些細なこと。
だが、その程度の些細なことで結果が変わるのがあのフィールドだ。
佐藤の行動により、確実に著莪あやめは戦いやすくなっている。
今日の結果が何よりの証拠といえるかもしれない。彼女は佐藤のサポートが無くなってすぐにリタイアとなっていた。

しかしそれにしても佐藤の行動は他の者からすれば常軌を逸している。
普通あの場では他の人間を助けている余裕は無いはず……それでもアイツはそうする事があたりまえといった感じだ。
余程あの従姉を大事にしているのだろう。
なんとも微笑ましいものだ、と二階堂は思う。
138 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:49:53.71 ID:ABMD2sMV0

「頭目……」

「なんだ?」

「自分はあの2人と戦う機会を与えてくれた頭目に感謝しています。他のメンバーも同じ気持ちですよ」

「そうか……」

自分が初めて争奪戦に参加していた佐藤達を見たときに感じたこの気持ち。
とても楽しそうに戦場を駆ける彼等を見ていると昔の自分を思い出す。
1匹の狼としてスーパーを訪れ、時に痛い思いをしながらも必死に半額弁当を追い求めた過去の自分。

「自分は『あの人』に付き従い、東区の治安の安定に一役買えるならと個人的な感情は切り捨てたはずでした。
 でも、あの2人を見ていると1匹の狼として再び戦場を駆けたいという気持ちが芽生えてくるのです」

「そうだな、オレも同じ気持ちになる」
139 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:50:54.45 ID:ABMD2sMV0

あの2人の戦いを見せることで『彼等』に少しでも何かを感じ取って欲しいと考え、
いつも数名ずつ連れてきては争奪戦に参加させていた。結果『彼等』も自分と同じく佐藤達に感化されたようだ。

「『あの人』に付き従がっているときはそれでも良かった、狼でなくなっても最低限の誇りは守られていました。
 ……でも今はそれさえもない。現《帝王》の下に付くようになってから『組織』は……《ガブリエル・ラチェット》
 は大きく変わってしまった……
 自分は、いえ、自分を含めたガブリエル・ラチェットのメンバー全員が今や本心では『計画』に加担したくないと思っています」

「だが《帝王》を止めるのは容易ではない、それに『あの人』に任された役目もある……」

「せめてあの2人が我々の助けに――」

「……もう、ココまでで良い、ごくろうだった。『計画』は明日だゆっくり休んでおけ。
 指示は追って通達する」

そう言って『彼』の手からバイクを取り、それに跨る。この話はここまでという意思表示だ。

「……失礼します」
140 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:51:28.19 ID:ABMD2sMV0

『彼』が去っていくのを見送るとキーを回しエンジンをかける。

二階堂は佐藤達に『彼等』と《ガブリエル・ラチェット》のことを話していない。
そして自分があの主に仕える犬だということも。
自分はあのガブリエル・ラチェットの頭目としてではなく、一個人として接していきたい。
そう二階堂は思っていた。しかし同時にすべてを打ち明けたいという気持ちにもさいなまれている。

言ってしまえばどれほど楽になるだろうか……
141 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:52:18.81 ID:ABMD2sMV0

けれどあの自由気ままな2人をあんな『計画』に巻き込むわけにはいかない。
かつて自分が仕え、また密かに思いを寄せていた『彼女』のように何ものにも縛られる事なく自由であって欲しい。

そう二階堂はあの若き2匹の狼に『彼女』を重ねているのだ、だからこそ彼は決意する。
主の計画に2人が巻き込まれる事がないように、自分が守ると……

同時に『組織』に所属する『彼等』の意思も今日確認する事ができた。
あの2人の戦いを見て、そして実際に拳を交えた事で
それに感化されたガブリエル・ラチェットのメンバーは今や自分と同じ気持ちなのだ。


これで自分の決意は固まった、後は実行に移すのみ。
142 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:53:06.54 ID:ABMD2sMV0

 ○


僕と著莪は、スーパーの近くにあった公園のベンチに腰掛けた。
レジ袋からちらし寿司弁当とおにぎりを取り出す。もちろん弁当は月桂冠のシールが貼られているものだ。

「ちらし寿司の弁当なんて初めてだね」

「そういえばそうだな」

見た目は至ってシンプルなちらし寿司、容器の蓋には『完熟スダチの絞り汁を使用』
と書かれているが果たしてどんなものなのか? 弁当の蓋を開けると柑橘系の香りが広がる。

「先に食うか?」

「いや、アタシは後でいいよ。獲ったのは佐藤なんだし先に食べなって」

そう言って彼女はおにぎりの包装を解き、食べ始めた。
いつもの著莪ならさしずめ、「えっ、マジ? そんじゃ遠慮なく」とか言って一口どころか半分くらい食ってしまうはず。
……コイツ一体どうしちゃったんだ?

「……それじゃ、お先に」

いただきます。と言ってから、ちらし寿司に箸を入れ一口分を取り口に入れた。
143 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:54:02.84 ID:ABMD2sMV0

スダチの絞り汁を酢の代わりに使っているので柑橘類特有の風味がある、
少し甘めの味付けだが中に入っているシラスの塩味のおかげで僕にとってはちょうどいい塩梅だ。
他には定番の具であるレンコン、カンピョウ、シイタケ、人参、煎りゴマに錦糸卵。なんというか、ほっとする味だ。
うん、うまい。 ……うまいんだけど……こんなものなのかな? 月桂冠だからもっとうまいのかと思ったんだけど……
はっきり言って少し拍子抜けと言った感じ。

僕は半分食べ終えると残りを著莪に渡す。彼女は「いただきます」と言って、もそもそと2、3口食べると箸を置いた。

「なんだよ、もっと食っていいんだぞ?」

「先におにぎり食べてたから、もうこれで十分……ありがとう、おいしかった」

「お前さ……ひょっとしてどこか体の具合でも悪いのか?」

「……そんなことないよ、元気だって」

僕の目からはとてもそうは見えないが……とにかく残りのちらし寿司を腹に収める。
勝利の1味が入っているはずなのに、肝心なものが抜けているというか……なんとも味気ない夕餉だった。
144 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:55:00.93 ID:ABMD2sMV0

 ●


その夜、丸富大学部室棟、その最上階にある『庶民経済研究部』の月明かりが差し込む部屋の中で
『彼等』が内の一人にして《ガブリエル・ラチェット》の頭目を勤めている『彼』は1台の
デスクトップパソコンの前に座りキーボードを叩いていた。
既に時計の針が今日から明日に変わってしまっていることを示していたが『彼』は、
わき目も振らずにキーを打ち続けている。

だが流石に疲れたのか作業の手を止め、台の上にある缶コーヒーを手にした。
喉を潤すにはあまりに苦い飲み物だったが、その分目は覚める。今寝るわけにはいかない自分にとっては
最高の飲み物だと『彼』は思った。

今から3時間ほど前、つまり昨日の午後10時30分。『彼』の携帯に主から連絡があった。
『計画』はすべて滞りなく順調です、情報の漏洩も《毛玉》を使う事でうまく解決しました。と告げると『彼』の主は、
下卑た声で笑い、とても喜んでいた。事実『計画』は順調そのもの、今のところ問題は起きていない。
145 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:55:56.49 ID:ABMD2sMV0

いよいよ明日『彼』の主たる《帝王》の為だけに発案されたあの忌まわしい『計画』が実行に移される。

自らが中心となり立案、準備してきただけに、この『計画』が複雑にして緻密、一切無駄の無いものであるとともに、
また以下にくだらない茶番劇であるかも『彼』にはよくわかっている。
しかしそれ故、実行されれば、かの最強は食らいつくだろう…… 

「《魔導士》か……」

『彼』は缶を台の上に置き目を伏せた。今でも鮮明に脳裏によみがえるその情景。
当時、東区最強の狼だった『あの人』と、現在もなお『最強』の枕詞をもつ《魔導士》との死闘。
2匹の獣が繰り広げた死闘の勝敗は辛くも魔導士に軍配が上がった。

そして思えば自分も、そして当時まだ《バッドフット》と呼ばれていた現帝王も、
アレをきっかけに徐々に捩れ、歪んでいったのだ。幸い自分は佐藤達のおかげで踏みとどまる事ができたが、
帝王は、いまだに自身に翼がないにもかかわらず空を舞う蝶の座を目指して堕ち続けている。

かつて自分達が仕え、そして憧れた『あの人』に、《女帝蝶》に成り代わるため……
146 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:56:34.95 ID:ABMD2sMV0

誰かがヤツを止めなければいけない。そしてそれに最も相応しいのは今まで帝王の傍にいながら何もしてこなかった
自分こそが適任だ。

『彼』は改めてソレを決意すると目を明け、再び缶を手にし、残っていた黒く苦い液体を飲み干した。

もう少しでこの″業も終わる。そして……

『彼』は携帯電話を取り出すと『彼等』にむけて一斉にある文面のメールを出した。
コレを実行するにはガブリエル・ラチェットのメンバー全員の協力が必要となる。

しばらくして『彼等』から次々と返信が来る、ソレを見た『彼』は安堵するとともに再び
モニターに向うとキーボードを凄まじい速度で打ち込み、作業を再開した。

「『あの人』に与えられた首輪にすがりつくのはもう終わりにしよう」


『彼』と『彼等』は影。ただ主に従い、夜を駆け、夜に吠える。

丸富大学庶民経済研究部に所属せし名もなき者達。自ら生き方を制限した、哀れな犬。

丸富大学2年経済学部経済学科、『彼』二階堂連を頭目とせし『彼等』を人は――

《ガブリエル・ラチェット》と呼んだ。
147 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:57:08.51 ID:ABMD2sMV0

著莪あやめは目を覚ます、またあの夢だった。
佐藤がいなかった3日間、その時に見た悪夢は佐藤が帰ってきたのを境に1時期鳴りを潜めていた。
いつも通り佐藤に髪を乾かしてもらい、当たり前のように佐藤のベッドで一緒に眠る。すべてが元に戻ったはずだった。

ところが月桂冠を獲り初勝利をあげた日の夜、またあの夢を見たのだ。それからは毎晩眠るたびにあの夢が顔を出す。
おかげで日に日に調子は落ち、今日などはとうとう獲物を獲ることが出来なかった。
だがそれはまだいい。問題は今自分の心に渦巻くこの気持ち、とにかくこの気持ちを早く整理し、消化してしまわなければ。
……ところがその気持ちが更なる焦りを生みどんどん深みに嵌っていく。生まれて初めて経験するものだ。

「いったいどうしたら……」

横を向き、そう呟くが佐藤は答えてくれなかった。

いや、コイツはこの数日、自分の異変に気付き大丈夫かと声を掛けてくれていた。
そのたびにアタシは訳のわからない意地から大丈夫と言い続けてきたのだ。今更自分から聞くなんて……

「そんなの虫が良すぎ――」

眠っているはずの佐藤が突然著莪の体に手を回し、彼女をやさしく抱きしめた。
148 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:57:40.52 ID:ABMD2sMV0

佐藤の匂いに包まれて著莪は自分の心に渦巻いていた気持ちが徐々に薄れていくのを感じた。

最近はこうして抱きしめてもらいながら寝るなんてことしてなかったっけ。昔はよくしてもらっていたのに……
と著莪は思う。

何時の頃からか著莪の方から彼を抱きしめる事はあっても、佐藤の方から彼女を抱きしめてくれることは無くなっていた。
大きくなって深夜でも互いの実家を行き来するようになってから一緒に寝る必要もなくなり、
自然とそうなっていたのかもしれない。
だからこそ彼女は嬉しくなった、例え寝ぼけているにせよ、
久しぶりに佐藤の方から抱きしめてくれたのは紛れもない事実なのだから。それもこのタイミングで……

「ありがとう佐藤」

著莪はそう言うと彼の唇に少し長いキスをしてから眠りに付いた。
その夜、彼女は例の悪夢を見ることはなく、代わりに何故か佐藤がブルドッグになっている摩訶不思議な夢を見たのだった。
149 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:58:15.49 ID:ABMD2sMV0

 ―02―


 ○


……なんか、ある。

それが下駄箱でソレを見つけたときの、最初の僕の感想だった。
現在は放課後、僕がいつも通りファミ部に行こうとして自分の下穿きを出そうとした際……
靴の上に1枚の紙切れが乗っかっていて……その、なんですか。その紙切れはどうやら手紙っぽいわけで。

そうそう下駄箱に手紙といえば小中とクラスのマドンナである広部さんの下駄箱に、机の中に、
そしてロッカーの中にと、散々ラブレターと言う名の手紙を入れ続けていたのは懐かしくも甘酸っぱい思い出だ。
でも逆にラブレターをもらうことは1度も無かったんだよね。
……代わりに不幸の手紙をもらっていた過去の僕とか本当にどうでもいい。

そんな訳で最初その手紙を見たときは正直そっち系のヤツかよって感じだったんだけど、
一応目を通してみるとそこにはこう書かれていた。

[いつも見ていました放課後校門前の警備員詰め所前で待っています]
150 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:58:55.27 ID:ABMD2sMV0

思わず3回ほど手紙を見直したが、どうやら見間違いではないらしい。
やたらと字がゴツイけどそんなのは些細な事…… 間違いない! コレはラブレターだ!!
 
今すぐ指定された場所に行きたいが、そのためにはまず先に靴を履き替えてこっちにやってくる
あの2人を何とかしなければ……ここは古典的ではあるがアレでいくか。

「しまった、教室に忘れ物しちゃったよ。取りに行ってくるから2人とも先に部室に行っといてくれ」

「ん? 佐藤って全教科、置き勉してなかったっけ?」

しまった! 初歩的なミスを!

「い、いや〜 ほらアレだよ……」

「アレ……はは〜ん、佐藤も男の子だもんなー」

「洋くんアレってなにぃ〜?」

「あせびはいいの、ほら行くよ」

頭上に『?』を浮かべるあせびちゃんの手を引いて著莪は、ほどほどにしとけよ。と言って去っていった。
アレってだけでそれなりに通じる辺りさすがは従姉だな。
でもお互いの認識にずれがあって凄く誤解されてるっぽいんだけど……
151 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 15:59:46.55 ID:ABMD2sMV0

警備員詰め所の前に来るとそこにそれらしい女子の姿はなかった。
もしかして恥ずかしがって隠れているんじゃないかと思って詰め所の周りをグルリと1周したが女子の姿はない。
そう、女子は≠「なかったのだ。

……ただ1人いつも登下校の時に僕にむけてやたらとガンを飛ばしてくるハゲでマッチョな警備員のオっちゃんが
仁王立ちしていただけ……ん?、いつも? 変だな、嫌な汗が止まらないんだけど……
いやいやいや! 僕に手紙をくれたのはあくまで女子だ。断じてハゲのオっちゃんじゃない!!

「ついに来おったか、我が怨敵よ! 果たし状をお前の下駄箱に入れてからこの刻をどれだけ待ちわびたかっ!!」

「え……果たし状?」

「なんやて!? 読んどらへんのか?」

「アレは果たし状だったのかよ!?」

「おぉ! いかにもアレはオレが書いたもんや」

なんなんだよ……チクショウ!  完全に騙されたぞ、僕の純真な心を弄びやがって!!
152 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:00:56.31 ID:ABMD2sMV0

そんな訳で怒りが頂点に達した僕と、何故だかわからないが僕に敵意むき出しのオっちゃんとで
5分ほど前から校門のところで睨みあっているんだけどさ……いやーなんつぅか、凄いよ?

僕らの周りだけ『ゴゴゴゴゴゴ……』とか文字が見えそうなぐらい空気が重いんだよね。
みんなが遠巻きに見ていたり、ココは通れないと判断して他の出入り口に向かう子とかもいるし。

僕の目の前には今まさに、かめはめ波を放たんとしている『ドラゴンボール』(初期)の亀仙人状態って感じの
スプリガンが……
もしかすると今の彼なら本当に僕ら佐藤一族が夢に見た、かめはめ波を放つことも可能なんじゃないだろうか?
153 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:01:37.54 ID:ABMD2sMV0

すさまじい威圧感をぶつけてくるオっちゃんだが、現在怒り心頭の僕にはそんなもの、そよ風程度にしか感じられない。
ちなみに対する僕も勿論先程から戦闘態勢を取っている。向こうが『ドラゴンボール』の亀仙人ときたので
こっちはジョジョ立ち(4巻カバー絵バージョン)で対抗した。
さすがに鉄壁のスプリガンと称される彼でさえ、僕の美しいジョジョ立ちを前にしてはそう簡単に動けないと悟ったようだった。

それもそのはず、幼い頃にジョジョ立ちの美しさに魅入られた僕は親父と共に鏡の前で血の滲むような努力を日々行ってきたのだ。
2人して足や背中を攣らせて床をのた打ち回りその度に著莪の爆笑を誘った事も1度や2度ではない。
錬度が違うのだ! 錬度がな!!

その状態からさらに五分が経過した、もしこれが「ドラゴンボールZ』なら、そろそろ声優さんの
『果たして、梧空は……』とかいう締めのセリフが入る頃なんだけど――

「すみません、お取り込み中のところ申し訳ありませんが少しよろしいでしょうか?」

――声をかけられた。振り返ると他校の制服を着た女子が立っていた。
長い黒髪を腰の辺りで束ねた大きな白いリボンが目に留まる。
154 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:02:27.94 ID:ABMD2sMV0

あの後、僕とオっちゃんはひとまず休戦と言う形でお互いに手を打ち、彼女の話を聞いた。

なんでも彼女は石岡君が進学した私立烏田高等学校の生徒会長さんで今日はココの生徒会に用事があるらしいのだが
場所がわからないのでとりあえず誰かに聞こうと思い、たまたま近くにいた僕に声をかけたらしい。

あの異様な雰囲気をものともせずに僕に近寄ってくるあたり、相当な度胸を持っていることは間違いなさそうだ。

オっちゃんは詰め所を離れるわけには行かなかったので、僕が彼女を生徒会室まで案内することになり。
彼女はとても礼儀正しい娘のようで僕に頭を下げながら「よろしくお願いします」と言った。
155 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:03:14.91 ID:ABMD2sMV0

生徒会室に案内する途中色んなことを話した。
彼女の名前は白梅梅。たぶんかなりの高確率で親が適当につけたか、
出生届提出時に書き間違えてそのまま受理されてしまったかのどちらかだろう。……はて? 
最近どこかでこんな名前を聞いたような…… ダメだ思い出せない。まぁ、どうでもいいや。

あと驚くことに僕と同学年だった。彼女はスラリとした長身とキリリと引き締まった顔から
妙に大人びて見えるのでてっきり1、2年上だとばかり思っていたんだけど。

「それじゃ、白梅梅さんは――」

「白梅で結構です。それと敬語じゃなくていいですよ、同学年なんですから」

「わかり……わかった、それじゃ白梅、僕のことも佐藤でいいよ」

「わかりました佐藤さん」

実は心の中でこの堅苦しい雰囲気を打破する為に「名前で梅が続いてるからバイバイとか呼ばれたりしてない?」
と名前を聞いた時に思いついた冗談を言おうかと考えたんだけど……なんだか危ないような気がしてやめておいた。
156 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:03:41.87 ID:ABMD2sMV0

「そうだ白梅、良かったら携帯の番号を交換しないか?」

僕がそう言うと彼女は、何故あなたと番号の交換をしなくてはいけないんですか? って感じの怪訝そうな顔をした。
そりゃそうだよね、もちろんわかってたけどさ……

「いや、なんというか他校の生徒同士し、お互いに交流を深めたり、相手が困っていたら気軽に相談をもちかけるとか……」

「……相談ですか」

白梅はちょっと考えてそれから、いいでしょうと言い携帯を取り出した。

「えっ、ホントにいいの?」

「佐藤さんから言ってきたのに今更ですね、やめましょうか?」

「ぜひ交換させてください!」

僕は携帯を取り出そうとするが焦っていたのだろう、ポケットから取り出したところで床に落としてしまった。
すると白梅は僕の携帯を拾い上げ、「汚れが付いてしまいましたね、ちょっと待ってください」と言って自分の
真っ白なハンカチで僕の携帯を綺麗に拭いてくれた。
157 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:04:18.64 ID:ABMD2sMV0

「お待たせしました、綺麗になりましたよ」

彼女は元の状態より綺麗になった携帯を僕に差し出す。でも、その代わり白いハンカチが随分と汚れてしまっていて……

「ごめんな白梅」

「どうして佐藤さんが謝るんですか?」

「いや、僕が携帯を落としちゃったせいで白梅のハンカチを汚させちゃって……」

「そんなことですか、気にしないでください。わたしがそうしたいからやっただけの事です」

「お礼と言っちゃなんだけどさ、困った事があったらなんでも相談に乗るよ。
 もっとも僕が出来る事なんてそんなにないけどさ……」

白梅はしばらくきょとんとした顔をしていたが。すぐに少しだけ微笑み。

「お気持ち感謝します佐藤さん、その時はよろしくお願いしますね」

ここにきて初めて僕は笑顔の白梅を見て彼女は美人だな、と思ったのだった。
158 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:04:51.41 ID:ABMD2sMV0

あれからしばらくの後、僕は丸富大学付属高校の校舎2階にある生徒会室でオフィスチェアーに座り優雅に紅茶を飲んでいる。
窓の外を見ると夕日が見える、ココに来てからそろそろ2時間が経過しようとしていた。
目下僕の目の前では3人の女子による論戦が展開されている。面子はもちろん、うちの生徒会長の沢桔梗、同副会長の沢桔鏡、
そして白梅だ。

本当は白梅を生徒会室に案内した時点でファミ部に行くはずだったのだが
梗さんがなにやら自分の雄姿を見ていってほしいと言い出し、このままでは話し合いが始められないから姉の言う通り
しばらくココにいてもらえないかと、鏡さんにも頼まれたので無碍に断るのも悪いと思い承諾したのである。
まったく、もてる男は辛いね。

ところがだ、いざ話し合いが始まると自信に満ち溢れていた梗さんの顔は刻一刻と青ざめていき、
今なんか目に涙を浮かべている。
鏡さんはというと、こちらは始まる前からこうなる事はわかりきっていたじゃありませんか。
的な感じで最初の1時間ぐらいは何も言わずに姉の様子を見ていたが、さすがにあまりに気の毒に思ったのか
その後は度々言葉を詰まらせる梗さんに代わって白梅と話し始めた。しかし相変わらず旗色は悪い。
159 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:05:37.91 ID:ABMD2sMV0

ちなみに何を話しているかと言うと、先日丸富大学の部室棟付近で変質者が目撃されたという件についてだ。

梗さんは特にこれといって証拠がないにも関わらず、犯人は烏田高校にいる石岡勇気に違いないと何故か
決め付けてしまい。妹の鏡さんの制止を振り切って烏田高校の生徒会長である白梅を呼びつけてしまったらしい。
彼女が何故、石岡君の存在を知っているのかは不明だが流石に証拠がないのでは分が悪すぎる。

一方の白梅はというとこちらは終始涼しい顔で梗さんの主張をことごとく論破し、
撃沈した姉に代わり、なんとか無難なところに話を持っていこうと四苦八苦する鏡さんの説得を跳ね除け、
逆に自分を不当な理由でココに呼び出した事への正式な謝罪を求めていた。
160 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:06:20.18 ID:ABMD2sMV0

まぁ、どう考えても梗さん達が謝罪する以外に手はないと思うのだが……
前面的にこちらだけが非を認めるというのは絶対嫌だという、もはや子供が駄々をこねているだけといったような
姉の気持ちに答え、少しでもそれに近い形での決着にしたいと鏡さんが粘りに粘って今に至ると言う訳だ。
だがさすがの鏡さんも限界が近い事が伺える、このままではもってあと少しだろう。

その様子を部屋の隅のほうで紅茶を飲みつつ観察していた僕は改めて白梅は著莪とはまったく違うタイプの
美人であると確信した。
長い黒髪、端正な顔だち、そしてスレンダーなボディ、つつましくも決して小さいとはいえないその胸もまた、
彼女の魅力を引田輝エッセンス……間違えた。引き立てるエッセンス。誰だよ、引田輝って?

あとわりとどうでもいいが、白梅が石岡勇気という生徒はそもそも烏田にはいないと言っているんだけど。
彼……推薦もらってたはずなのにどうしたんだろうか?
161 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:07:13.33 ID:ABMD2sMV0

しかし正直僕もこの結果の見えてきた勝負に飽きてきた。そろそろお暇することにしよう。
沢桔姉妹の敗北を見るのはあまりに忍びない。

「あの、それじゃ僕そろそろ行きますね」

「えっ! そんな佐藤さ……」

梗さんがもはや完全に泣き顔でいささか哀れだが致し方あるまい。断腸の思いで彼女に背を向け、扉の取っ手を握る。

「待って……おねがい……」

途切れ途切れに聞こえる梗さんの声に後ろ髪を惹かれる感じがしたが何とか踏みとどまり、扉を開けた。
今回の事が彼女にとっていい経験となることを切に願う。鏡さんに関しては心底お疲れ様でしたと言うほかない……
162 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:07:56.35 ID:ABMD2sMV0

「しつれい――」

扉を閉めえる直前に僕はあることを思いついた。
確かに僕は梗さんに何もしてあげられないけど、それでもせめてこのひどく暗い雰囲気を
最後に少し明るくしてあげることぐらい出来るんじゃないだろうか? そうだ、そうしよう。
僕は先刻思いついたネタを披露した。

「それじゃ、僕はこれで。白梅またなバイバイ――」

言った瞬間に背筋に悪寒が走ったので急いで扉を閉め逃げたのだが、追いかけてきた白梅にあっさりと捕まった。
それと思いっきり頬に平手を食らいました……
163 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:08:34.80 ID:ABMD2sMV0

現在僕と白梅は大学部室棟の近くでベンチに腰かけお茶を飲んでいる。

あの後、僕を追いかけてきて1発僕にお見舞いした白梅は「なんだか酷くどうでもいいように思えてきましたし、
このまま帰ります」と言うので、それならさっきの発言のお詫びもかねてお茶でもどう? 
と言うと彼女は「そうですね……ちょっと相談したい事もありますし、ご馳走になります」と返してきた。


ちなみにこれまた割りとどうでもいいことだが。生徒会室から――

「見ました! 見ましたか鏡!? あのお方が、佐藤さんが窮地に立たされていた
 わたくし達を魔法の言葉で救ってくださったのですわー!!」

――とか言う大声が聞こえてきていた。多分あのとき妹の鏡さんは姉の梗さんに両肩をガッチリと掴まれて
ガクガクとゆすぶられていた事だろう。

「――聞いてますか佐藤さん?」

「え? 何を?」

「怒っていいですか?」

白梅はそう言うと今度は反対側の頬に平手を打ち込んだ。
ちょっとだけ彼女は怒りっぽい性格なのかもしれない……
164 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:09:13.73 ID:ABMD2sMV0

白梅の相談内容を纏めると、どうもこんな感じらしい。

彼女の大切な親友の娘がある同好会に所属しているのだが、その同好会には部員が2人しかいないらしく、
最低でもあと1人入部しなければ廃部になってしまうというのだ。

「白粉さんは小説を書いているんですが、彼女がその同好会がなくなると小説のネタに困ると言っているんです……」

……白粉っていうのか、その娘。どんな小説を書いてるんだろう?

「それこそ白梅の力で何とかならないのか?」

「もちろんそれも考えました、いざとなればあの会≠フメンバーを全員強制的に入部させようかとも思ったのですが……」

あの会≠ニいうのが個人的に凄く気になるんだけどな……白梅のファンクラブとかそんなのか?

「あんなわけのわからない人達を白粉さんと一緒の部屋におくのは不安ですし……」

おいおい、そんなにヤバイ連中なのか? まさかの変態集団とか?
165 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:10:42.92 ID:ABMD2sMV0

「そんなわけで、わたしどうしたらいいか……」

彼女の表情が見る見る曇ってゆく、何か僕に出来る事は無いか必死に考えるが……残念ながら浮かばない。

「ごめん白梅、僕じゃ、どうしようもないみたいだ……本当にごめん」

「顔を上げてください佐藤さん。わたしの方こそこんな愚痴を聞かせてしまい申し訳ありません」

白梅はやさしかった、でもそのやさしさが今の僕には辛い……いっそのこと……

「いっそのこと僕がその娘の所属する同好会に入る事ができればいいんだけど…… ハハ、それこそ無理な話――」

言い終わらないうちに突然、白梅が僕に抱きついてきた。
166 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:12:15.38 ID:ABMD2sMV0

「そうです、それですよ! 佐藤さんありがとうございます!!」

「え……何が?」

正直いきなりすぎて訳がわからなかった。いくら僕が普段から著莪に抱きつかれたりしているとはいえ、
それで他の女子から抱きつかれて戸惑ないなんて事にはならないんだよ。
……っつぅか白梅の慎ましくも柔らかいアレが当たってるんだけど!

「本当にありがとうございました! また、お電話させて頂きますので今日はこれでしつれいします!!」

「う、うん……また」

白梅は初対面の時からは想像もつかないほどはしゃいで嬉しそうな顔をして走り去ってしまった。
よほどその親友は彼女から大事に思われているんだろうな……何だかうらやましい。

「さてと、すっかり遅くなっちゃったけどファミ部に――」

――振り返った僕は驚いた。
167 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:13:41.34 ID:ABMD2sMV0

 ●


著莪あやめはその日、久々に上機嫌だった。昨夜佐藤に抱きしめられて眠ったおかげか、
その後はあの夢を見ずに済んだからだ。
代わりに見た普段通りの変てこな夢の話を彼女は朝から佐藤に聞かせ、
彼もまたいつもの調子で仏頂面をしながらも相槌を打ってくれた。
結局あの夢を見たときに自分の心に沸きあがる感情の正体はわからないままだったが、
別にそれでもいいやと著莪は思うことにした。

別にそれを解決しなくても現実に佐藤が自分の前から居なくなるなんてありえないと彼女はただ漠然と考えるにとどめた。
うじうじ悩むなんて自分らしくないし、第一めんどくさい。やっぱり気楽が一番だ……と。

しかしそれにしても佐藤がなかなかやって来ないのは気になった。
放課後、別れる前にアイツは何かを手に持っていたようだったけど。まさかのラブレターとか……は無いな、うん。
昔からアイツがその手のことに縁が無いのを自分はよく知っている。不幸の手紙をもらっていたことは多々あるんだけどねー。
168 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:14:34.11 ID:ABMD2sMV0

そうこう考えていると著莪は喉の渇きを覚えた、あせびにゲームを中断して飲み物を買いに行きたいと告げると
彼女は快く了承してくれた。

「あやめちゃん、気をつけてねぇ〜」

あせびじゃないんだから大丈夫、と口にしかけたがなんとかこらえて手を振って応えた。
部室棟のエレベーターを降りたときファミ部部室から「マジかよ! なんで<Zーブデータがとんでんだよ!」
とか聞こえたが自分の知った事じゃない。
近場の自販機に行くと、あいにく著莪の好きな飲み物は売り切れていた。

「……アタシのお守り、まだ大丈夫だよね……」

確認したが問題は無い、単なる偶然か。著莪はほっと胸をなでおろし気を取り直して
しばらく行った所にある自販機で飲み物を買おうと思い、そちらに歩を進める。
――そしてその途中偶然にもその光景を目撃して固まった。

佐藤が自分以外の女に抱きつかれている……
169 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:15:17.49 ID:ABMD2sMV0

普段の著莪なら別になんとも思わなかっただろう。むしろ佐藤をからかう格好のネタを見つけたと喜ぶところだ。
しかし今の彼女は違った。
表面上は普段と変わらぬ自分に戻ったと思っていても実際には『くさいものには蓋を』の状態で、
ソレから目をそらしていたに過ぎない。結果、著莪の心はすぐにその感情で一杯になり、今や破裂寸前といった状態だった。

何とか! 早く何とかしないと! そう思った著莪はとりあえず、見知らぬ女が去って行き
その後こちらを向いた佐藤に抱きつく。

「アタシを抱きしめて!」

佐藤は突然の事に困惑した様子だったが言われた通りに著莪を抱きしめてくれた。

良かったこれで昨夜のように落ち着くことが出来――

だが彼女は直後、さらに自分の心に追い討ちをかけるようなことをしたと気づく。
いつもの佐藤の匂いとともに、かすかに……先程の女のものと思われる香りを鼻先に感じ取ってしまったのだ……
170 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:16:10.17 ID:ABMD2sMV0

この瞬間、著莪の心は砕け散るまでのカウントダウンに入った。走馬灯のように疑問や後悔が彼女の頭の中を駆け巡る。

――どうしていいかわからない、何もかもがわからない――

――アタシはどうして今このタイミングでこんな所に来てしまったのだろう?――

――ほんの少し時間がずれていればあんな光景を見ることもなくこの気持ちと向き合わずに済んだかもしれないのに――

次から次へと後悔ばかり生まれ、自分が押し潰されてゆくのを感じる。
涙がこぼれそうになるのを必死にこらえる著莪だったがもう限界だった。

そして今まさに心が弾け、涙がこぼれる寸前――

「……著莪、バーチャ2をやるぞ」

佐藤はそう著莪の耳元で呟いた。彼女はそんな予想も付かない従弟の言葉を聞いて唖然とした。
それこそ自分はどうして泣きそうになっていたのかさえ忘れてしまうほどに。
171 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:16:48.92 ID:ABMD2sMV0

 ―03―

 ●


庶民経済研究部部室の壁に掛けられた巨大なモニターの前に白いコートを羽織った男が座っている。
30分程前、隣にいる二階堂の携帯に『計画』の最終確認をする為の連絡が入ったので『彼』は即座に許可を出した。
今、目の前のモニターに写されている計画の戦況は5分5分といったところ、だが『彼』にとってそれは大した問題ではない。

『彼』はこの日ために食事を立つ事で凶暴化した腹の虫を抑えつつ静かに時が来るのを待つ。


そしてついにその時はきた。自身の携帯に連絡を受けた二階堂が告げる――

「実行部隊が魔導士と接触」

聞くと同時に『彼』は立ち上がる、その顔には醜悪な笑みが張り付いていた。

「さて、行くとしよう。主催者が遅れては話にならない」

そう告げて部屋を出る、二階堂がその後ろに続く。目指すは自分の縄張りにして、かつての主が治める店。

『彼』は丸富大学経済学部経済学科、遠藤忠明。最強の座を目指し今宵ついに『計画』を実行し、
弱体化した魔導士を倒さんと目論む。かつて《バッドフット》と呼ばれし化け物にして現ガブリエル・ラチェットの主。

人は『彼』を――帝王と呼んだ。
172 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:17:24.25 ID:ABMD2sMV0

マンションの部屋に帰ってきた佐藤はセガサターン、バーチャスティックのセッティングを終えると
先程からずっとポカンとしている著莪を隣に座らせスティックを握らせた、そしてプレイ開始。
最初の内は著莪がそんな状態だったので佐藤が連戦連勝。

しかしプレイ開始からしばらくすると、徐々に著莪が本来の調子を取り戻しはじめた。
時計の針が午後9時を告げたとき、佐藤はいつものように彼女に勝てなくなっており、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
対する著莪は満面の笑みを浮かべている。

「なぁ、佐藤」

「……ん?」

「ありがとう、もう大丈夫」

著莪は眼鏡をはずし、佐藤に正面から抱きつくと彼の頬に顔をよせ頬ずりをした。
まるで自分の匂いを付けるかのように。
173 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:17:59.58 ID:ABMD2sMV0

「遅い……」

今宵あの最強を倒すはずの場所、そして自身の縄張りたるスーパーで腕を組みながら遠藤は呟いた。
あと少しで半値印証時刻、しかしヤツが、魔導士が一向に姿を現さないのだ。

もしや実行部隊の襲撃で潰されて……いや、それはありえん。遠藤は自分で考えた可能性を即座に打ち消す。
仮に襲撃により重傷を負わされようとあの最強は必ず自分を倒しにこのスーパーを訪れるはず。彼はそう確信していた。

昔、西区のスーパーで、かつて帝王の名を持っていた彼女と魔導士の一騎打ちを見た自分だからこそわかる、
あの男の意志の強さをおれは誰よりもわかっている。なのに何故やつは来ない?

遠藤の頭の中で疑問がわきあがる中、ついに店内に半額神が現れた。

マズイ! 本当にもうあと少しでその時が来てしまう。
これで肝心の最強が現れなければ半年を費やした計画は単なる茶番に――

「魔導士は来ませんよ」
174 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:18:39.37 ID:ABMD2sMV0

まるで自身の思考がわかっていたかのようなタイミングでの一言に、遠藤は驚き、声のした方を睨みつける。

「……どういうことだ、説明しろ。二階堂」

そこには自分の犬であり、ガブリエル・ラチャットの頭目でもある耳にピアスをつけた男の姿があった。

「今宵、あの最強はココには来ない。彼は、いや、我々以外の者は全員。今回の件を何一つ知らないのだから」

遠藤はその一言によりすべてを理解した。
もともとその種のものには鼻がきく男だったので、二階堂が今回の件に不満を持っているのはわかっていた。
しかしだからといって、これまで決して自分から表には出ず、常に主を求めていた彼がこの土壇場で
自分に反旗を翻すなど思いもよらなかった。

「貴様ぁぁぁぁあ!!」

店内に遠藤の怒声が響き渡り、続いて彼の手が二階堂の胸倉を掴む。

「パッドフット! お前は何も知らずに踊り続けたピエロだったのさ!」

「駄犬風情がぁぁぁぁぁぁ!!」

遠藤は彼を床に叩きつけた。二階堂の体がきしむ。

「犬畜生がぁ! 主人にたてついた事を後悔させてやるぞ!!」

二階堂を鮮魚コーナーの方に投げ飛ばす。だが彼の体が床に叩きつけられることはなかった。
175 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:20:31.04 ID:ABMD2sMV0

スーパーの半額神、松葉菊は床に叩きつけられた二階堂を見て一瞬そちらに駆け寄りそうになるが、すんでのところで
踏みとどまった。
所詮自分はスーパーの1店員に過ぎず、もはや彼等のやることにあれこれ口出しできる立場にない。

彼女は歯噛みしながら、弁当にシールを貼る作業に戻る。
とはいえ残る弁当はザンギ弁当1つだけ、それに月桂冠のシールを貼りその場を離れた。

スタッフルームの扉を開け、その奥へと身を隠す。
その時再び怒声が聞こえ、彼女は閉まり行く扉を振り返えり、――自分が目にしたその光景に驚いた。
遠藤に投げ飛ばされた二階堂をガブリエル・ラチェットの1人が受け止めたのだ。
さらに遠藤の周りには他のメンバー達が主であるはずの彼に戦闘態勢をとっている。

「そうか……彼等はきっと――」

扉は閉まり彼女の声は途中で途切れてしまう、踵を返してスタッフルームの奥へ歩みを進めながら松葉菊は先程の
言葉の続きを口にした。

「ワタシが作った首輪から放たれて自由の身になったのね……良かった」
176 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:21:24.04 ID:ABMD2sMV0

扉が閉まるとともに弁当コーナーの前は戦場と化した。元の主に次々と牙を剥くガブリエル・ラチェットのメンバー達。
遠藤はそんな彼等を手にしたタンクで片っ端からなぎ倒してゆく。《帝王》の二つ名は伊達ではない。

本来《タンク》などという代物は《大猪》と呼ばれるきわめて高い生活力を有する主婦達にのみ扱えるはずの物
、狼が使うにはデメリットが多く、到底使いこなせない。ところが遠藤は自身の恵まれた体格をフルに生かす事で
大猪なみ……もしかしたらそれ以上に上手くタンクを扱っているかも知れない。

やはり自分達では《パッドフット》を倒すのは難しいか……二階堂は幾度目かの特攻をかけながら、そう思った。
だが同時にそれでも構わないとも思う。
自分達ガブリエル・ラチェットのメンバーは自らの意思で首輪をちぎり自由の身となったのだ。

ならば例え今宵遠藤に敗れようとも自分達は勝者だ。胸を張って明日から各々スーパーを自由に駆ければよい、
なにせ今回の件に巻き込まれた者は1人としていないのだから。
177 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:23:04.60 ID:ABMD2sMV0

――その時だった、この場にいる全員が何か≠ェ来るのを感じてエントランスの方を向く、数は2匹。
そしてソレが何者であるか二階堂はいち早く気づく。

何故こんな日にアイツらはよりにもよってこのスーパーに来てしまったのだろうか、タイミングが悪すぎる。
せっかく自分たちが今夜一晩犠牲になるだけで全て丸く収まるところだったのに。
やはり事前にココに来ないよう連絡をしておくべきだった…… 

しかし二階堂は後悔しつつも、あることに気付いた。アイツの方はいつもと変わりない気配だがもう1人の方は
昨日までとは別人のような気配を漂わせている、いや、そうじゃない。正しくは元に戻ったのだ。
初勝利に月桂冠を掴み獲った、あの日の彼女に。
178 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:23:57.87 ID:ABMD2sMV0

一体、昨夜自分と分かれてから、この短時間の間に何があったのか……まぁ、それこそ愚問か……
彼女の傍にはいつもアイツがついている、きっとあの従弟が何かしたのだろう。

そう思いながら二階堂は自分が心のどこかでソレを考え、また期待しているのに気付いて、思わず苦笑した。

あの2人がいるなら遠藤に勝てるかもしれない。そんな事をあの従姉弟は感じさせてくれるのだ。

自動ドアが開き、若き2匹の狼がその姿を現す。
179 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:24:26.21 ID:ABMD2sMV0

 ○


僕達がスーパーに付いた時、戦いは既に始まっていた。僕の横にいた著莪が「お先っ!」と言って駆け出す。
そんな彼女の目はかつての自信に溢れていた時のものに完全に戻っていた。これこそ僕が長年傍で見てきた従姉の姿だ。
僕も急いで彼女の後ろを追いかける。本調子に戻ったら戻ったで、厄介な相手になるのだが……でもそれでいい。
強敵を倒し獲得した時の半額弁当ほどうまいものはない!

「お前達! コイツは豚だ潰すぞ!!」

先輩が指差す方向に《タンク》を振りまわす大男の姿がある、確かに共闘して先に倒した方がよさそうだ。
ましてそれが豚ならなおのこと!

「著莪!」

「わかってるって!」

著莪はそう言うと走るペースを落として僕を先に行かせる、僕はそこから少し行った所で止まり体制を低くした。

瞬間後ろから来た彼女が僕の肩を踏み台にして跳ぶ、一気に大男の元まで到達し、勢いそのままに彼のこめかみに
膝を打ち込む。まったく予想していなかった攻撃に大男はよろめいた。
180 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:25:11.07 ID:ABMD2sMV0

だがすぐに体勢を立て直し、着地する著莪にタンクを振りかざそうとする。
しかし意識がそちらに向きすぎた為、足元がおろそかになっていた。
僕はそこにすべりこみ彼の両足を一気に刈る―― つもりで蹴ったのだが足を床から離すことはできなかった。
けれど彼はその1撃でバランスを崩し著莪を狙ったはずのタンクは空を切る。

「この駄犬共がぁぁぁ!!」

大男は叫ぶと僕に蹴りを放ってきた。
避けられないと判断してガードするが、凄く重い一撃で地を這うように吹き飛ばされてしまった。
何とか起き上がるもガードした両腕がしびれていて感覚がない。

「佐藤! 少し休んでな、アタシ等がやる!」

見れば著莪と先輩、そして過去にスーパーで見た顔の狼達が一斉に大男を攻撃している。
これが通常の豚ならひとたまりもないところだが。彼にはタンクという武器がある、ソレを自在に使いこなし
著莪達をそう簡単に寄せ付けない。
181 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:25:46.10 ID:ABMD2sMV0

どの位立っただろうか、あれからしばらくして僕も再度攻撃に参加。
共闘している狼の半数以上が倒れたがその分相手もダメージが蓄積されている。
現にアイツはもうタンクを使っていない。いや、使いたくても使えない、と言ったほうが正しいかもしれない。
もう辛うじて立っているって感じだ。

これでもし、僕と著莪の2人だけでアイツに立ち向かっていようものなら……恐らくやられていただろう。
それだけあのタンク捌きは驚異だった、何せこちらはおよそ20名ほどが束になってかかりようやくコレだ。
だけどそれも、もう終わりが近い。

「終わりだ、パッドフット! 自分のことしか考えていないお前にもはや付いていく者はいない!!」

「黙れ! その名でおれを呼ぶな! おれは帝王だ貴様等ごとき犬風情にやられてたまるか!!」

先輩にパッドフットと呼ばれた男が猛然と迫る、僕と著莪はそれを見て駆け出そうとしたが、
先輩がこちらを見て首を振った。
来るな。と言う事だろう。先輩はあの男と何か因縁があるようだ。

「「うおおおおおおおおおお!!」」

2人が雄叫びを上げて、交差する――
182 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:27:48.08 ID:ABMD2sMV0

 ●


二階堂は袋詰め用の台に昨日と同じく体重を預けて弁当コーナーの方を見ていた。
そこではあの2人が熾烈な争いを繰り広げている。

今しがた元<Kブリエル・ラチェットのメンバーはスーパーを引き上げていった。
遠藤はあの人が厚意でスタッフルームをかしてくれたのでそこに寝かせてある。
正直今でも自分達が彼を倒せた事が信じられない。
きっとあのまま自分達だけで遠藤を相手にしていたらこんな結果にはならなかっただろう。自分達は彼の強さを
知っているがゆえに心のどこかで勝てないと思ってしまっていた。

それに引き換え佐藤達は怖いもの知らずと言うか、何の躊躇もなく自分が彼に勝てると思って戦っていた。
そんな彼等を見ることで自分達もまた勇気付けられていた。そもそも自分達が主に反旗を翻す気になったのも
佐藤達のおかげだと言える。

「決まったか」

あれこれ考えているうちに勝敗が決したようだ、1人は満面の笑みで月桂冠を、もう1人は苦虫を噛み潰したような顔を
してカップ麺を、それぞれ手にしている。
こっちに気付いたらしく2人とも手を振った、二階堂は軽く手を上げて答えるとともに呟く。

「まったく、たいしたルーキー達だ」
183 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:34:07.86 ID:ABMD2sMV0

 ○


僕と著莪はレイクパークに来ていた。マっちゃんの店から比較的近いのでよく利用している。
大男との戦いは先輩や他の狼達との共闘だったこともあってクタクタになるとまではいかなかったが
そのあと著莪との争奪戦は結構堪えた。なにせお互いに調子が良かったからなかなか勝負がつかない。
まぁ、楽しかったけど。

池の周りを囲うようにして設置されたベンチに腰を落ち着ける。ちょうど木々の間から満月の光がスポットライトの
ように降り注いでいた。
僕はレジ袋からそれぞれの夕餉を取り出した、僕はどん兵衛きつねうどん、著莪は月桂冠のザンギ弁当。
結局お互いに死力を尽くして戦った結果、月桂冠を手にしたのは彼女だった。

先輩と他のみんなは弁当コーナーから引き上げる直前に半額弁当とお惣菜に殺到して
僕達が止める暇もなくあっという間にそれぞれのコーナーから食べ物を持ち去ってしまったのだ。
ただ、ザンギ弁当だけは残っていたんだよね。何故だかわからにけど……
184 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:35:01.38 ID:ABMD2sMV0

僕達は一緒にザンギ弁当の蓋を開けた。湯気とともに揚げ物の香りが広がり2人とも口内に唾がわく。
割り箸を持ち、準備完了。

いただきます! と夜の公園に僕と著莪の声が響く。

まず僕がどん兵衛の蓋を開けて麺を啜る、5分以上立ってしまっていたので少し柔らかいがこれでも十分うまい。
つづいて著莪が弁当のメインであるザンギにとりかかる。こうして改めて見るとそのザンギはサイズが子供の拳
ぐらいあるようだ。そのため割り箸でつかむことができなかった彼女は箸を突き刺して口に運ぶ。
かぶりつくと、おぉ!と歓喜の声をあげ、ご飯を掻き込んでいる。それほどうまいのか?

「著莪、僕も1口……もらっていい?」

彼女は少し渋る様子を見せたが、思いのほかあっさりと僕のどん兵衛とザンギ弁当を交換してくれた。
185 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:35:53.87 ID:ABMD2sMV0

 ●


夕餉を堪能した著莪はベンチに横になり佐藤の膝の上に頭を置いていた。瞳を閉じて今日1日の出来事を振り返る。
佐藤がブルドッグになって出てきた夢のこと、あせびが今日もいつも通り階段から転げ落ちたこと、
放課後に佐藤が見知らぬ女子に抱きつかれているのを見て自分がショックを受け危うく泣きそうになったこと。

……そしていまだに何故かはよくわからないが佐藤がバーチャ2をやろうと言い出して
しばらくの間、ぶっ通しでやり続けているうちに自分の心に渦巻いていた気持ちの正体に気付いたこと――

「……湖の麗人、か」

佐藤が呟いたので著莪は思考を中断して閉じていた瞼を開ける。

「あっ、ごめん起こしたか?」

申し訳なさそうな顔をする佐藤を見て著莪は昨日の夕餉の場面を思い出す。
せっかく彼が獲ってくれた月桂冠だったのにすぐに箸を置いた自分を見て佐藤は心配そうな顔をして……

多分あの時のアタシも今の佐藤と同じような顔をしてたんだろうな…… あっ、そういえば忘れてた。
186 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:36:27.08 ID:ABMD2sMV0

著莪は上体を起こしベンチから立ち上がると佐藤の方を向いて、両手を広げた。

「なんだよ」

「昨日してなかったから今してやろうと思って」

「何を?」

「弁当くれたらハグしてやるってやつ」

いや、と照れなのか引いているのかわからない態度を取る佐藤に、仕方なく著莪は自分から抱きつく。
さすがにそうなると佐藤も背に手を回してくる。

「こういう時に躊躇されたら、アタシが恥ずかしいっつぅの」

「……悪い」

ククっと笑いつつ著莪が腕に力を入れると、同じように佐藤も腕に力を入れてくれる。
そのシンクロが、嬉しかった。
187 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:37:25.32 ID:ABMD2sMV0

こんなに晴れやかな気持ちになれたのは久しぶりだった。
気分が良いから今自分の中にあるこの気持ちをコイツに教えてやることにしよう。
今ならタイミング的にも良いし、佐藤が望みそうな、はにかむような、かわいげのあるような感じで言ってやろう、
そう思った。

「なぁ佐藤」

佐藤は著莪の髪の中に埋めていた顔を名残惜しそうに離して彼女と正面から向き合った。
無論、2人とも抱き合ったままなので、お互いの顔が文字通り目と鼻の先にある、実際互いの鼻息が顔に当たりこそばゆい。
ほんの少し近づけば唇同士があたりそうだ。

「……あのさ、いいこと教えてあげよっか」

「何?」
188 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:38:16.54 ID:ABMD2sMV0

「実はさ、アタシ――」

その時、著莪は思った。……こんなのはアタシらしくないんじゃないか。と……
コイツにこの気持ちを伝えるのは確かに簡単だ、でも何だかそれだと負けたような感じがする。
それは自分らしくないことではないか? 自分らしくないのは過去数日だけで十分だった。
これからはまた普段通りの自分に戻ることにしよう。

それに佐藤はやっぱりというか、こうして体を合わせていても、こちらの気持ちを感じ取ってくれていない…… 
首をかしげてこっちを見ているだけ……バカ。

――佐藤は、いや、きっと男ってのはバカだから、こういう繊細な乙女心には一生気が付かないのかも……
著莪はため息をついた、かなり本気で言うつもりになっていた自分が急にバカらしく思えた。
189 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:39:50.00 ID:ABMD2sMV0

けれどバカだからしょうがないと思う反面、自分のこの気持ちを悟られていない事にほっとしている自分がいることも
また、確かだった……本当に訳がわからない。
何だか悔しい感じがする、だからこの気持ちを佐藤に教えるのはやめにしよう。

……アタシはまだこんなふうに佐藤と昔から変わらぬ2人の関係を楽しみたい。

「――やっぱなんでもない♪」

「はぁ? なんだよそれ」

佐藤の疑問を無視して著莪は眼鏡を取ると彼の顔に今日2回目の頬ずりをした。
190 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:40:31.35 ID:ABMD2sMV0

 ○


――著莪は……本当に僕が気付いていないとでも思っているのだろうか?
彼女は僕がどうしようもないバカで、鈍感なガキだとでも思っているのだろうか。
甘いんだよ、僕とてもう16だ。……お前を一目見ただけで気付いたさ。

男ってのはそんな繊細な生き物なんだ、こんな感じで抱き合っていれば嫌でもわかる。
昼間の時も思ったけど、やっぱりそうだ間違いない……

コイツまた少し成長してやがる……その、なんだ、乳房的な意味合いのものが!
191 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:41:38.03 ID:ABMD2sMV0

昼間は流石に人目があったせいで元気になるわけにもいかなかったから、著莪にバーチャ2をやろうと言い出したけど。
ココでなら人目もないし、柔らかくも豊かな弾力性を持つコレを心ゆくまで堪能しようじゃないか!

「佐藤……もうちょっとだけこのままでいさせて」

そう言って僕を見つめる著莪の碧眼は、いつもの宝石のような透明感を持っていた。
気のせいかな? 彼女の頬が紅く染まっているような気がするけど……まぁ、いいか。

「あぁ、いいとも」

それからしばらくの間、僕は著莪の柔らかな胸元の感触に思いを馳せ続けたのだった。



 《了》
192 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/02/22(水) 16:44:50.89 ID:ABMD2sMV0
本日は以上となります。
また、時間が出来ましたら投下させていただきます。

193 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/22(水) 16:47:37.22 ID:U2a0Wi3SO


白粉とはまだ知り合ってないから、白梅に暴力ふられないのかと思ったけど、そんなことなかったぜ
194 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西・北陸) [sage]:2012/02/22(水) 17:21:34.74 ID:3O3H+CQAO
ベン・トーの過去話の扱いは難しいよな
本編通りだとオチも見えてるからどうしても劣ってみえるし、オリジナルだと本編との噛み合わせが難しいしやっぱり劣ってみえるし
195 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/02/22(水) 17:23:44.48 ID:1uPaPpkro
おつかれ!
196 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/22(水) 20:09:01.80 ID:9HpPJ3vIO
お前アサウラだろ
糞編集に削られた話を書きなぐってるんだな!
とにかく乙です
197 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2012/02/22(水) 22:04:25.47 ID:L7vRLnJh0
198 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/23(木) 11:42:35.47 ID:u6i2tYeIO
乙です
素晴らしい
199 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2012/02/27(月) 16:16:02.59 ID:uE2K3sTzo
丸富のほうが大学メンバー含めて色々キャラ揃ってるんだよなー
200 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/02/28(火) 20:30:56.28 ID:KYpylA2/o

石岡くんの玄関吊り上げはやらせだって原作で言ってた
201 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 17:58:12.78 ID:aAunpJa/0
お久振りです。
ようやく時間が開きましたので投下いたします。

>>194 そうですね、悩みどころですがその辺は割り切っていこうと思います。
202 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 17:59:26.12 ID:aAunpJa/0

 ―00―


テストを来週に控えたある日の放課後。
僕は椅子に座ったまま目の前にある1枚の紙切れを見つめていた。

「さぁ、佐藤さん後は彼方がこの書類にサインしていただければ手続きは完了します」

落ち着いたその声の主に視線を向けると長い黒髪の先を白いリボンで纏めた
私立烏田高等学校の制服を着た女子が立っている。

「あのさぁ、白梅。僕ココに呼び出されてから今に至るまで、何の説明も受けてないんだけど……」

「そうでしたか? まぁ、そんな事はどうでもいいです。早くココにサインを」

ダメだ、話がまるで通じない……っていうか今日の彼女、鬼気迫る勢いというか、
ちょっと迫力ありすぎて怖いんですけど……

「佐藤さんが混乱していらっしゃいますわ。まずは説明を――」

「貴女は黙っていてください」

「うぅ……」

ガックリとうなだれる丸富大学付属高校の生徒会長、沢桔梗。

「姉さん、しっかりしてください」

姉を椅子につかせる同副会長の沢桔鏡。
ここは丸富大学付属高校の生徒会室。この1室の中に3人の美女と1匹の野獣――間違えた。
ナイスガイな僕の計4人がいる。
本来なら喜んでしかるべきシチュエーションなのに、なぜかな……ちっとも嬉しくない……
203 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:00:12.33 ID:aAunpJa/0

放課後、生徒会室に来るよう呼び出されたので。
今日の授業中に起きた爆発事故の事で何か聞かれるのかと考えていた僕は部屋に入ると驚いた。
何とそこには床に膝をつき、見るからにブルーな梗さんと、彼女を傍らで励ます鏡さんの姿が。
そしてその2人の前には、書類を手にした女王様が立っていて、
いや……ここはあえて白梅様≠ニ言った方がいいかな? まぁ、どっちでもいいか。

「こんにちは、佐藤さん。ご無沙汰しています」

「あぁ、ひさしぶり女王……じゃなかった。白梅様」

「様……?」

「なんでもないんだ白梅、気にしないで」

「そうですか……それならそれで別にかまいません」

「今日はどうしてまたココに?」

「佐藤さんに用事があったからです」

「僕に?」
204 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:01:02.46 ID:aAunpJa/0

「はい、お力をお借りしたくて」

なんだ……まさかの告白タイムとかじゃないのか。

「佐藤……さん……」

半泣き状態の梗さんに声を掛けられ、ようやくココに来た本題を思い出す。

「え〜と、呼び出しの用件って何でしょうか?」

「それは……」

何だか口ごもる梗さん。これで彼女の頬が紅く染まっていれば、告白もありえるような状況に見えなくも無い。

「わたしがお願いしたんです。さぁ、佐藤さん。こちらに」

椅子を引き、手招きをする白梅。一体どんなふうにお願いしたのだろうか……
とりあえず沢桔姉妹にお辞儀してから勧められた椅子に腰掛ける。
すると白梅は自分が持っていた書類を僕の前に置いた。
205 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:01:46.36 ID:aAunpJa/0

――で、今に至ると。

「これ、何の書類?」

「この前、わたしがご相談した件に関するものです。後で説明しますから。ともかく佐藤さん、さぁ」

「いや、あの……」

「ダメですか?」

白梅の表情が見る見る暗くなっていく。女子を泣かしたとあっては佐藤家男子の名折れだ!

「わかったよ、ココにサインすれば良いんだな?」

「いけませんわ、佐藤さん! それにサインなさ――」

「黙ったいなさいと言いましたよね、聞こえていなかったのですか?」

白梅が言葉とともに一睨みすると梗さんは、ひっ!と言って鏡さんにしがみつき震え上がった。
僕が居ないうちに2人の間に一体何が……
206 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:02:21.38 ID:aAunpJa/0

「それでは佐藤さんもこの案を了承していただけたようなので、説明の方に移らせていただきます」

順序が逆なんじゃないだろうか…… 

「この書類に記されている通り、佐藤さんは本日から私立烏田高等学校のハーフプライサー同好会に
 正式に入部した事になります。まぁ、実際に部活動に参加する必要はありません」

「は……?」

「幽霊部員みたいに名前だけ貸してあると考えていただければ。
 名目上は他校の生徒同士が互いの部活動を通じて交流を図るという扱いになっていますが、
 活動記録簿などの必要書類はわたしが偽造しておきますので問題ありません」

ちょっと待て! 今、生徒の模範たる生徒会長の口から
書類の偽造なんて言葉が、ごく当たり前のように飛び出したぞ!?

「ですから佐藤さんには、これといって実害は無いように配慮してあります」

「……書類を見てもいいか?」

「構いませんよ」

白梅から書類を受け取り目を通してみると、確かにそんな内容だった。確かに僕自身この前、
いっそのこと自分がその同好会に入れれば良いって言ったけどさ……
207 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:02:50.01 ID:aAunpJa/0

本当にそれが実現されるとは……っつぅかコレって……

「なぁ、白梅。烏田高校って前からこんな制度があったのか?」

「いいえ、ありませんよ。ですからわたしが作りました」

「マジかよ!?」

彼女は「必要でしたから」と、こともなげに答えた。
でもこんなふうに新しい制度を1から作るって、そう簡単にできることじゃないだろう……
白梅がこんなに頑張ったのもやっぱり前に話してくれた親友の為なんだろうな。

「白梅、お前って本当に凄い奴だな」

「はぁ……?」

よくわからないといった感じに少し首をかしげる彼女はなんと言うか、魅力にあふれていた。

「佐藤さん、申し訳ありませんでした。わたくしの力が足りないばかりにこんな事になってしまって……」

妹の鏡さんに支えられ、目元をハンカチで拭いながら、赤くなった目で僕を見つめる梗さん。
人によってはマイナスにしかならないその状態も、彼女の場合は自身の魅力を木和田輝エッセンス、
違う。際立てるエッセンスになりえるのだから、神様ってのは不公平なものである。
208 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:03:23.65 ID:aAunpJa/0

僕が佐藤家に生まれた事とか不公平の極みだよね。ホントやめてほし――

「佐藤さん、どうされましたの?」

「あ、あぁ、ちょっと木和田輝っていう謎の人物について脳内会議を……」

「キワダテル……さんですか?」

鏡さんが僕の妄言を真に受けたのか、真剣な面持ちでなにやら考えてくれている。

「きわだてる、とはどういう字を書くんですか? それがわかれば調べる事もできますけど」

やばい、白梅も本気で相談に乗ろうとしてくれている…… あとついでに梗さんも。
彼女の方はあまり期待できないが、先の2人なら本当に木和田輝のことを突き止めるかもしれない。
ここまできたらいっそのこと知れたいような気も―― とも思うが、やめよう。馬鹿馬鹿しいし……

「この話は一旦置くとして。梗さん、別に謝らなくてもいいですよ。
 白梅の言う通り、特に困るような事でもないですし」

「ですが……」

「それに元はと言えば、僕が白梅に困った事があったら
 力になるって言ったのがきっかけでこうなってるんですから」
209 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:03:48.58 ID:aAunpJa/0

生徒会室を後にして僕と白梅は今後について話し合った。
――というのも僕自身、ちょっと興味がわいたのだ。

二階堂先輩がついこの間まで所属していたという庶民経済研究部。
結局あれも半額弁当に関わっている人達の集まりのようだったし。
今回、白梅に強制入部させられたハーフプライサー同好会ってのも
名前からして似たような感じのものかと思ったりしたのだ。

「――で、結局その同好会ではどんな活動をしてるんだ?」

「それは……」

彼女は言うべきかどうか少し迷ったようで「佐藤さんですから教えますけど」と前置きをする。

さっきの生徒会室でも感じたことだけど、僕って結構白梅や沢桔姉妹に信用されてるっぽい。
これであの場に著莪でも居ようものなら「はいはい、妄想はそこまでにしとけよ」って感じで一蹴された事だろう。
どちらかといえば僕もそんなふうにツッコミがあるものと思っていたから、
あんな状態になるとかえって対応に困る。……どうしたものか……

「――佐藤さん。今わたしが言ったこと、聞いてくれてましたか?」

「ごめん聞いてな――」

平手が飛んでくる、強烈なツッコミだった。それと僕が言い終わる前に既に手が動いているとは……
きっと彼女は百人一首が得意なんだろう…… きっとそうに違いない。
210 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:04:17.90 ID:aAunpJa/0

「ハーフプライサー同好会?」

あせびちゃんと一緒にセガサターン版桃鉄をやっていた著莪は僕の方に向き直る。
どうやら興味がわいたようだ。

白梅と別れファミ部に戻った僕は早速著莪に今日聞いた事を話した。
案の定というかハーフプライサー同好会は半額弁当を求める者たちの集う場所で間違いないようだ。

ならばぜひ同好会の部活に参加したいと白梅に言ったところ――

「佐藤さんがそう仰るのでしたら構いませんよ。でも本当に良いんですか? 烏田に来る手間もかかるのに……」

「手間っていっても烏田なんて割りと近くだしさ、それに僕自身その同好会に興味があるし」

「……何だかすみません……」

――彼女何だかえらく恐縮していたな、気にする事ないのに。
211 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:04:52.92 ID:aAunpJa/0

「へー面白そうじゃん、アタシも行きたい!」

……コイツならこう言うと思ってたけど、やっぱりか。
まぁ白梅に許可を取れば問題ないか……

「わぁ〜 あっちも行きたいなぁ〜」

「よし! あせびも一緒に行くか!」

なんですと!? 著莪の奴正気か? 

「わぁ〜い、あっ、でも本当にいいの洋くん?」

著莪を見るとオーケーのサインを出している。
僕よりはほうがあせびちゃんと一緒にいることが多いアイツが大丈夫というならいいか。

「うん、3人で行こうか」

「やったぁ〜」

「良かったな、あせび」

「うん!」

本当に大丈夫なんだろうか…… 今日なんて授業中に爆発事故とかあったんだけどな……
212 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:05:21.13 ID:aAunpJa/0

 ●


「ふぅ……やっと終わりましたわ」

「ちょうどこちらも終わりです、姉さん」

丸富大学付属高校の生徒会長、副会長をそれぞれ務めている沢桔姉妹はパソコンのキーボードから指を離した。
姉の沢桔梗が今日昼間に起こった爆発事故の事後処理を、妹の沢桔鏡が同じく今日、私立烏田高校の生徒会長、
白梅梅が持ち込んできた制度についてこちら側の受け入れ態勢を整える作業を行っていた。

「まったく、爆発事故だけでも大変でしたのに……」

「白梅さんですか……ですがこちらが前回弱みを握られてしまっていたのですから、
 むしろこれでチャラになると思えば良いのではないですか?」

「それはそうですけど……」

梗は頬っぺを膨らませる。確かに鏡の言うとおり、前回の事を白梅に突きつけられては手も足も出ない。
しかも自分が招いた事だけにどうしようもなかった。

「何とかなったのですか?」

「えぇ、本当に何とか……ですが」
213 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:07:37.95 ID:aAunpJa/0

白梅梅の提案を梗がかなりビビリながらではあるが了承してしまった以上、
無理でもなんでも、押し通す以外に手は無かった。
それに、今回の件をこちらが飲めばこれ以上先の事は追及しない。
そう白梅が言ったことが俄然鏡のモチベーションを高めた。

「ごめんなさい……鏡」

「謝らないでください、姉さんはいつも通りにやって何かあったら私がフォローする。
 いつもの事じゃないですか」

鏡の言葉には答えず、梗は窓際に行き、そちら≠見た。
そんな姉を見て鏡は今彼女が何を考えているか、わかる気がした。双子ゆえのものなのか、それとも……

「気になりますか姉さん」

「気になっているのは鏡、あなたも同じなのでしょう?」

「……何の事ですか」

「鏡……わたくし達の間に隠し事は出来ませんわよ、あなた時折1人でスーパーに行って見ている≠フでしょう?」

驚いた、自分から姉の気持ちがわかるとついさっき思ったところだが、
さすがというか姉も自分の気持ちをちゃんと把握しているのだ。

「はい、確かに私も気にはしています。ですが私はもう姉さんが泣く姿を見たくないんです……」
214 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:08:33.29 ID:aAunpJa/0

「そして私自身、もうあんな思いはしたくありません!」

それまでと違う鏡の力強い口調だった。彼女は拳を握り締めて震えている。
窓際にいた梗は鏡の前に歩み寄るとそっと妹の手を握る。いや、優しく包み込むといった方が良いかもしれない。

「姉さん……」

「ごめんなさい鏡……それでも、それでもなお、わたくしは恋焦がれてしまいますの」

鏡が手元から視線を姉の顔に向ける。そしてその目に宿る力強い光を見てしまった。
決意の宿る姉の瞳を……

「……わかりました姉さん、でもこれが最後ですからね?」

彼女の表情は先程までの弱々しいものから一転して決意を固めた力強いもに変わっていた。

「ありがとう鏡」
215 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:09:02.71 ID:aAunpJa/0

生徒会室に2人の笑い声響く。それが落ち着いたところで鏡が言った。

「では、いつから実行しましょうか?」

「膳は急げと言いますし、早速今夜からというのはいかがかしら?」

本当に姉らしい、思い立ったらすぐに行動する。
もっともそんなところが偶に悪い方へと転び、今回の白梅のような一件を生む事もあるが。
そんなものは自分が今まで通りフォローすれば良いと鏡は結論付けた。

「それで早速今夜から」

「えぇ、今夜からスーパーに」

2人はお互いの顔を見て頷きあい、その思いを口にした。

「半額弁――」

「佐藤さんともっとお近づきに!」
216 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:09:35.95 ID:aAunpJa/0

……見事に意見が分かれた。

半額弁当と言いきる前に姉が自分とまったく別のことを口走った事に鏡は驚き、
目の前の顔をまじまじと見る。
そんな事にはまったく気付かずに梗はすでに自分の世界に旅だってしまっていた。

「あくまで偶然を装って、自然に近づかないと。それが性交したらどんな会話をすればよいのかしら……」

途端にすべてがどうでもよくなった気がした、
なにせ最初から姉と自分は根本的に違うことを考えていたのだから……
多分姉のことだから成功と性交をかなりの確率で間違えているのだろうが、
それを指摘する気力も自分には残っていない。

途端にさっきまで取り掛かっていた作業の疲れがどっと押し寄せる。

「最初の目標はアドレス交換! ……でも、
 初っ端からいきなり強姦を迫ったら佐藤さんが引いてしまわないかしら……?」

それは間違いなく引くだろう……いや、かえってその方が良いかもしれない。
もし彼がオーケーすればそれはそれで姉の悲願は達成されるかも……相当順序をとばしているが。
しかしそれにしてもどうして姉はこうも狙っているとしか思えないようなことを口にするのだろうか……

「あら鏡、ため息なんて付いてどうしたんですの?」

「姉さん……私は何だか疲れてしまいましたので、今夜スーパーに行くなら姉さんが1人で行ってください」

「そんな!?」
217 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:10:04.43 ID:aAunpJa/0

 ―01―


 ○


「あぅっあぅっあぅっあぅっ!」

「どうだ? もうやめるか?」

「……も、もうちょっと……あ、あ〜っ!」

静かに……僕は、扉を閉めた……

「著莪、今のどう思う……?」

「プロレスじゃない? 円卓の上でオットセイみたいな声を出してたちっこい女の子が
 キャラメルクラッチかけられてたし……」

「ココって502号室だよな?」

「うん、間違いない」

あれから数日後、僕達は私立烏田高校に来ていた。
ちなみにあせびちゃんはバイトの都合で来る事ができなかったので今回は僕と著莪、2人での訪問である。

白梅に教えられた部室棟5階にあるハーフプライサー同好会部室の前に立つ。
この扉の向こうに一体どんな人物が待ち構えているのだろう……美人の女子だったら最高だな。
そんな気持ちを胸に扉を開け。
――先ほどの光景を目撃した。……予想のはるか斜め上だった……

「もう一度開けてみるか?」

「そうだね、今度はアタシが開けるよ」

著莪はドアノブに手を掛けて静かに扉を開く。
218 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:10:40.45 ID:aAunpJa/0

「えぁあああ、ああぅああぅああぅぐぁああ!」

ねぇ……と僕に呟く著莪。

「アタシやっぱり午前中、あせびに引っ付かれてお守りが灰になったせいで風邪でもうつされたのかな?
 さっきのちっこい娘が今度は逆エビをきめられてる幻覚が見えるんだけど……」

「あせびちゃんの件に関しては何とも言えないとこだけど……
 少なくとも僕には今、お前と同じ光景が見えてるってことだけは確かだ」

そっか……と言って著莪は再び部屋の中に顔を向ける。

「今、なかなかいい音が聞こえたな。どうする、続けるか?」

「はっは、い……あと、ちょっとだけ……お願いします……うぅあぁ〜!」

「佐藤、お前が電話で白梅って人から聞いた、
 ハーフプライサー同好会の部室の場所って間違いなく502号室だったのか?」

「その筈なんだけどな……もう一度聞いてみる」

「うん、頼む」
219 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:11:08.29 ID:aAunpJa/0

「はぁあああ、うああぅあああぅぁ〜!!」

なかなか斬新なBGMを耳にしつつ、携帯で白梅との通話を終えた僕は著莪に告げた。

「間違いないってさ……」

「そぅ……これからどうしよっか?」

「さっきあの娘があと、ちょっとだけ。とか言ってたから終わるまで待っとくか」

「そうだね、あっ、アタシここ来る前に飲み物買ったんだよね。佐藤も飲む?」

それからしばらくの間、僕達は1本のペットボトル入り飲料を2人で飲みながら、
目の前で繰り広げられている光景をじっくりと観察。ついでに部屋の中を見渡す。

片方の壁には半額・50%OFFのシールが貼られ。壁1面を完全に覆っている。
しかもよく見ると古くなって剥がれかかった箇所の向こうにシールが顔を覗かせているところから察して、
どうも1層や2層ではないらしい……

反対側の壁には巨大なこの町の地図があり、色々書き込まれていていた。
おそらくこの近辺のスーパーと各店の半値印証時刻だろう。
床には毛の短い紅に染まった絨毯が敷かれている。そして部屋の中央に鎮座する巨大な円卓。

……黄昏の光が窓から部屋に差し込む中、その円卓の上で絡み合う2人の女子か……

何かエロいな……
220 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:11:39.37 ID:aAunpJa/0

「よく来たな、私がこのハーフプライサー同好会の会長をやっている、槍水仙だ」

しばらくの後、技かけが終わり。
僕達に気付いたこの女性、槍水仙さんは開口一番に「言っておくが、今のは別に私の趣味じゃないぞ」と仰った。
彼女の話によると技をかけられていた娘、小説を書いているらしくて、
時々あんなふうにマッサージ&ストレッチをしてあげることがあるとかなんとか。
ということはこっちの娘が白梅の親友の子か……

「あ、あの……はじめまして、白粉花です……」

何だか、怯えているように見える…… 小動物みたいな娘だな。

「こっちこそはじめまして、佐藤洋です」

「あっ、あなたがサイトウさん」

「いや、あの……佐藤です。佐藤洋」

「あぁ、さっき聞いたばかりなのにすみません!」

彼女は小さい体をますます小さくしてうなだれてしまった。
221 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:12:32.08 ID:aAunpJa/0

「アタシは著莪あやめ。よろしくな、氷結の魔女! 白粉!」

「ん? なんだ、お前達。私の二つ名を知っているのか?」

僕達はココに来る前に先輩からハーフプライサー同好会についていくつか教えてもらっていた。
その事を話すと彼女は納得したらしく「そういうお前は《湖の麗人》だろう?」と言った。

「うん、そうだけど」

「噂は聞いているぞ、しかし本当に噂どおりの容姿だな」

あらかた自己紹介も終わり、僕等はしばらく色々話していた。
この近辺のスーパーのこと、互いに目前に迫ったテストのこと。
あと何故僕と著莪はお互いのことを名字で呼び合っているのかに話が及んだので、
昔、著莪がハマったゲームと『横滑り佐藤』の話をしたが、
槍水さんには今ひとつ面白さが伝わらなかったようだった。

実は密かに、この機会に乗じてハーフプライサー同好会の人達をセガ信者に染め上げてやろうと考えていたのだが
どうやら無理っぽいな。

「なんだこのペタンコの胸は! これならブラとか必要ないって、外しちゃえ!」

「ひゃぁぁっ! やめっ、やめてくださいぃぃ!」

ちなみに先程から著莪は白粉を弄りまくっていた。
元々2人はトランプでスピードをしていたのだが。
互いの手が触れた時に白粉が著莪の手を謝りながら一生懸命ハンカチで擦り始め、
――何だかんだあった末にこうなっていた。
222 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:13:00.77 ID:aAunpJa/0

「……お前の従姉はいつもあんな感じなのか?」

当初その様子を「お前の従姉はいい奴だな」と言って眺めていた槍水さんも今ではやや苛ついた様子だ。
彼女は騒がしいのが嫌いなのかもしれない。

「……えぇ、まぁ、そういう性格ですね」

「うるさい奴だな」

本格的に苛ついて顔を歪める槍水さんをよそに著莪はさらに白粉を弄る。

「何だよ、お前ってスッゴク感度いいんだな! おい、佐藤も触ってみろよ! あははは!」

「あっ! ちょっ、ダメ! 駄目です! やめっ――あっ」

そろそろ槍水さんからブチブチ≠ニかいう音が聞こえてきそうだったので、著莪を止める為に僕は席を立つ。

「おい、著莪。いい加減に――」

その時だった。部屋の出入り口の方からブチブチ≠ニいう音がしたのを僕の耳が捉えたのだ。
223 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:13:32.68 ID:aAunpJa/0

――音のした方を見やれば。

扉を開けたところにワナワナと震える、腕に生徒会長の腕章を付けた女王様……
白梅様が立っておられましてね……
その、なんだ……すごくお怒りのご様子に見えるわけですよ。

「……いったい、何を、しているんですか……?」

端正な顔立ちの白梅が青筋を浮かべて拳を握り締めている様は、怖い……メチャクチャ怖い!
今の彼女なら、3分もあれば、この部室棟を瓦礫の山に変えることだって出来るかもしれない……

「え、えぇ〜と……す、スキンシップ……?」

先程の白梅の質問は自分に向けられたものだと理解した著莪が、恐る恐る答える。
――手を白粉の制服の中に突っ込んだままで。

白梅はそれを聞くと大きく深呼吸を1度……
次の瞬間、ドゴォン! っという音と共に彼女の拳が部室の壁に突き刺さった。
部室棟全体が揺れ、壁にヒビが入り、コンクリートの破片がパラパラと床に落ちる。

彼女は壁に突き刺さった拳を抜き取ると、再び著莪の方を向く。
著莪は「ひっ!」と言ったまま、さながら蛇に睨まれた蛙状態って感じで固まってしまった。

白粉がそんな著莪の魔の手から逃れ、ヘナヘナと円卓にもたれかかる。
224 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:14:06.54 ID:aAunpJa/0


――数分後、白梅を含む僕等5人は円卓に座り『大富豪』に興じていた。

あの後、白梅が真っ青な顔をしてガクガクと震える著莪を部屋から引きずっていこうとしたので
僕が「白梅、ココは僕の顔に免じてコイツを許してやってくれないか?」と言い、顔を差し出したところ。
彼女は暫し脳内会議を行った後「……わかりました、佐藤さんがそこまで仰るのでしたら今回だけは水に流します」
と言って、思いっ切り僕の顔面に1撃を放った。しかもいつもの平手じゃなく、グーで……

これがまためちゃくちゃ凄い威力だんだよね。
どれ位凄かったかっていうと、殴られた直後「プホォー! オレも殴られてぇ!」とかいう幻聴が聞こえちゃうぐらい。 

ともかくそんな感じで何とか白梅の怒りも静まったので。こうしてみんなで仲良く
ドラマチックヒューマンライフシュミレーションプレーイングカードゲームをしているとわけだ。

ただ先程の白梅によほど恐怖したらしい著莪は、僕の腕にしがみついたままゲームを行っている。
それと白粉も白梅が自分の膝の上でガッチリとホールドしており、正直言って僕と著莪チームと
白梅と白粉チーム。そして槍水さん単独という変わった構図が出来てしまっており、
それを見た槍水さんは「……なんだ、私だけ除け者なのか……」と呟き1人落ち込んでしまった。
225 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:14:59.90 ID:aAunpJa/0

 ●


松葉菊が治めているスーパー。
今宵ココで沢桔姉妹は自らの胸の内から沸きあがる欲望を開放する事にした。

姉の沢桔梗が店の自動ドアを抜けながら口を開く。

「さぁ行きますわよ、鏡。目指すは佐藤さんのアドレスですわ!」

妹の沢桔鏡が「はぁ」と気の無い返事をする。
2人の顔はまったく同じだが、やたらとテンションが高くはしゃいでいる姉。
対して、著しくテンションが低く、ゲンナリとしている妹。
このあまりに正反対な様子から、見る者に彼女等はまるで別人のように映ったのだった。

2人は弁当コーナーを含めて店内をくまなく歩き『彼』の姿を追い求める。
しかしこの日、西区のスーパーに行ってしまっている『彼』がこんな所にいようはずも無い。

「どうしましょう、鏡……」

「だから言ったじゃないですか。学校で佐藤さんに会って今日はどこのお店に行くか、
 聞いておいた方が良いって……」

「だってそんな事をしたら、偶然を装って佐藤さんと会うという計画が台無しになるじゃありませんか!」

鏡はまた、ため息をつく。この人は何故こうも微妙にズレているのだろうか……?
226 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:15:34.51 ID:aAunpJa/0

「佐藤……?」

その日、沢桔姉妹と同じスーパーにいた二階堂蓮は後輩の名前を耳にした。
気になったので声のする方へ行くと双子らしき女が2名。

「お前達、今佐藤と言ったか?」

毛先に少しカールを掛けた方の娘がこちらを振り返る。
もう1人の方は自分の姿を認めた瞬間、明らかに表情を変えた。

「佐藤さんを知ってらっ――」

「姉さんちょっといいですか」

ショートカットの娘が、何か言いかけた娘(さっきの発言からすると姉だろうと思われる)の手を引き、
自分から少し離れたところに移動した。
まさか不審者と勘違いされたか? と思ったが。しばらくして彼女等は自分の方に戻ってくる。

「はじめまして、二階堂さん。ガブリエル・ラチェットの頭目を勤めるあなたとお会いできて光栄ですわ」


そう自信たっぷりという感じで言い放つ彼女は、丸富大学付属高校2年、生徒会会長、
双子の姉にしてやや残念な沢桔梗。
その後ろに控え、姉が何かおかしな発言をしないか内心ハラハラしている、同校の生徒会副会長にして
良くできた双子の妹、沢桔鏡。
『彼女等』は犬の名を持つ2人で1体の狼。

かつて東の地で人は2人を、双頭の黒き獣――《オルトロス》と呼んだ。
227 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:16:09.04 ID:aAunpJa/0

 ○

まったく今日1日は驚きの連続だった。
正直、槍水さんと白粉のショータイム的なアレを初っ端に目撃したので、
もう大概の事では驚かないと思っていたけど。

……甘かった。今思うとアレがすべての始まりだったのだ。

烏田高校を出るとき校門前で見知らぬ眼鏡を掛けた小太りの男子生徒から「受け取ってくれ、同士よ」とか言われて、
A4の何やら書類の入っていると思しき茶封筒を渡されたり。
それを見た白粉がいつの間にか眼鏡をかけて「ほぅ……」って呟きながら
背筋がゾクリとするような笑みを浮かべていたり。

極めつけは男子生徒から渡された封筒の中身を確認してみたら
『Mの兄弟 会報・緊急特報版――白梅梅後援会、丸富大学付属高校支部の設立について――』とか、
わけのわからないタイトルの書類が出てきて。
読み進めると何故か先程僕が白梅に殴り飛ばされている決定的瞬間の写真が掲載されていて、
しかもその横に『驚異の新人! 佐藤洋、ついに烏田高校に上陸か!?』
なんて文字がでかでかと印刷されているんだもの……

なんで僕のフルネームが変態共の知るところになってんだよ! 
この国にはプライバシーというものがないのか!?

……僕は頭が痛くなって途中から読むのをやめたけど、
著莪は結局全部読んだみたいで腹を抱えて笑ってたっけ。

どうやら前に白梅が言ってた、あの会≠ニはコレの事だったんだろう。
確かにこんな変態共を親友と同じ同好会に入れるのはリスクが高すぎだ……
228 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:17:00.81 ID:aAunpJa/0

でもあの眼鏡を掛けていた時の白粉は一体なんだったんだ? 明らかにアレは化け物じみていたぞ……
まぁ、いい。忘れよう……そんな事より今はこっちだ。
……本当はここに至るまでにもう十分お腹一杯なんだけど。

現在、僕達(僕と著莪と槍水さんの3人、白粉はネタが浮かんだと言って帰っていった)は槍水さん、
《氷結の魔女》の縄張りのスーパーに来ているのだが……

あろうことか神はここでも飛び切りのサプライズを用意していたのだ! しかも2つ……

まず1つ目は、弁当の名前だ。
見た瞬間にこの弁当を調理した人は高確率で元清純派アイドルがエキサイトしちゃうようなヤバイ薬を
やってるに違いない。と確信するぐらい凄い。

『迸る汗! 漂う臭気! そんなお前にこそ食して欲しい! 
 ニンニクたっぷり、スタミナがっつり! スペシャルニンニクカレー弁当(改)!!』

おふぅ……もうどこからツッコンでいいかわからない。
というか、コレって本当に弁当名なのか? 

ただ凄いのは名前だけじゃないというのもわかる、弁当の内容だってはじめて見るようなものが殆どだ。
もしかして西区の店ってこんな感じが普通なのだろうか? 
229 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:18:02.90 ID:aAunpJa/0

弁当に関しては他にも言いたい事が多々あるんだけど、とりあえず今日のところは置いておこう。
さて、もう1つの驚き。それは僕等が下見を終えて最寄の鳥棚に移動した時の事だった。
そこには既に先客が3人ほどいて。僕の位置から見て右隣に茶髪の女子高生、
後ろに顎に鬚を蓄えた男と坊主頭の男という位置関係になった。

「今夜は新顔を連れてきたのね、氷結の魔女」

「しかもその内の1人は《湖の麗人》じゃねぇか」

さすがに著莪はどこに行っても有名人か、目立つもんなコイツ。
著莪と槍水さんは3人といくつか言葉を交わし、話題の矛先が僕に向いた。

「へぇ、お前、ハーフプラサー同好会の新人だったのか」

「こんな時期に新入部員なんて珍しいな」

「えぇ、まぁ……色々ありまして」

「これから顔を合わせる機会が多くなるわね。よろしくねワンコ」

そう彼女の存在こそが本日最大の驚きを僕にもたらしたのだ。
……本当に凄いんですよ。この隣にいる茶髪女子高生の乳が!!
230 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:18:31.96 ID:aAunpJa/0

日ごろから著莪のを見慣れていて、大概のことでは驚かない自信があった僕だけど。
この茶髪の乳だけは例外だった。一目彼女を見たときから、いい乳をしているとは思っていたが。
……まさかこれ程とは。

サイズもさることながら形も良い。ブラのおかげか、それとも若さ故か、
彼女のそれ≠ヘ重力の法則を無視し、垂れ下がることなく綺麗な形を保っているのだ。
トドメに、さっき彼女が僕にワンコと言ったとき、軽く肩をぶつけてきたんだけど……
その瞬間、揺れたんですよ! こう、ブルン! って感じで!!
大きくてしかも柔軟ささえ併せ持つそれ≠ヘ、もはや奇跡の領域に達していると言っても過言ではない!
茶髪のこれ≠ノ比べると著莪のそれ≠烽ワだまだ甘いと思わざるおえない。

あと、彼女。今両腕を胸の下で組んでてさ……さらにおっぱいが強調されるんだよこれが!
これってもう僕を誘惑しようとしてるって考えちゃってもいいよね?
おまけに僕のことワンコって言うんだよ? ……もちろん常識的に考えて、
これは新人だから犬って呼ぶのにかけてワンコって言ってるだけなのかも知れないけれど……

でも、それって単なる一般論であって今の僕には該当しない可能性もあるんだよね。
っていうか、むしろ該当しないよね? ……ハァハァ。つまりこれは暗に茶髪が僕に自分専用のバタ――

「はいはい、佐藤。ストップ、そこまでにしときなって」
231 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:19:06.84 ID:aAunpJa/0

自分の体を僕の右サイドに密着させるようにして著莪は耳元で囁く。

「佐藤、お前今かなり下品なこと考えてただろ」

「な、何の事だか」

コイツが僕の考えている事(おもにエロい事)を察して、
それをネタに色々要求してくる事は昔からあったので今更驚くに値しないが。
問題は何を@v求してくるかだ……

「何が望みだ……」

「弁当の半分」

著莪はそう言ってクックックッと笑う。
茶髪の乳が思わぬ方面でも凶器になってしまい内心打ちひしがれていると、
店内の空気が変わる。この店の半額神が現れたのだろうと思い、顔を上げると。

――本当にスーパーの店員なのか疑いたくなるくらい逞しい体をした中年の男が
惣菜を並べ直しているのが目に留まった。

あの人がこのスーパーの半額神……確か槍水さんがアブラ神とか言ってたっけ。
232 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:19:43.77 ID:aAunpJa/0

バタンという争奪戦開始を告げる音が店内に鳴り響く。

槍水さんは素早く通路を駆け抜け最初に弁当コーナーに到達――するかと思われたが、
事前に隣の通路に移動していた顎鬚と坊主が横合いからで出てきて槍水さんの前に立ちはだかる。
そこに僕と著莪が突っ込み、さらに茶髪も加わる。弁当コーナー前は瞬く間に乱戦状態となった。

事前に僕達3人は狙う獲物を互いに確認しているので潰しあう事は無い。
さっきの3人の他にあと2人、計5人が今宵戦うべき相手。僕はその中の顎鬚を蓄えた男と戦っている。
本当は茶髪と戦いドサクサにまぎれてあの乳を揉みしごこうかと思っていたのだが、
あいにく彼女は著莪と戦っていて僕の野望は残念ながら叶わなかった……

「やるな、ワン公!」

顎鬚が突然、視界から消える。いや、しゃがみ込んだんだ! 
気付いた時には彼は足払いを仕掛けてきていた、これをジャンプして紙一重でやり過ごす。
そこに横合いから拳が飛んできた、とっさに肘でガードするものの宙に浮いた状態で踏ん張ることができず、
少し弁当コーナーから離れてしまう。先程まで自分がいた位置を見れると坊主頭の男がいた。
顎鬚と共闘していたらしい。
233 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:20:06.63 ID:aAunpJa/0

2人が僕に背を向け弁当に向う。だが、そうはさせない!
思いっきり床を蹴り上げてすぐさま彼らに追いつく。
驚いた様子の顎鬚、こちらを向きかけた坊主の脇腹に思いっきり蹴りを叩き込む。
横にいた顎鬚も捲き込まれ彼等は揃って鮮魚コーナーの方へ吹き飛んでいった。

彼等から視線を切り、目の前の弁当コーナーから狙いの獲物を掴み取る。
――もっともこの時点でコレが最後の弁当だったけどね。
後ろを向くと著莪と槍水さんがいる、2人ともその手に狙い通りの獲物を手にしていた。

「凄いな、お前達。初めての店でこうもアッサリと獲物を獲るとは」

「さすがに弁当獲るのは魔女が1番早かったけどな」

「僕があの2人を倒した時点で他の狼は1匹もいませんでしたけど?」

周りを見ると死屍累々というか、かろうじて茶髪が立ち上がったが、あとはみんな床の上だ。

「あーあ、残念。やられちゃったわね。今日は私達の完敗……でも次はこうはいかないわよ」

茶髪はチャオと言って惣菜コーナーへ。……すげぇ……揺れてる……

僕はゴクリと生唾を飲み込んだ。
234 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:20:35.76 ID:aAunpJa/0

 ●


スーパーの帰り道、その手に月桂冠の入ったレジ袋を提げて歩きながら鏡は思った。
この姉に自分が知っている事を教えたのは間違いだったのでは……と。

姉の事だから色々と聞かれてもいないことを勝手に喋りそうだったので、
気をつけるようにと諭すつもりで二階堂のことを教えたのだが。
それを知るや否や、あの有様である…… 自分が何か言う前に姉は案の定色々と語り、
いつのまにか当初の目的を忘れ、争奪戦に参加していた。

自分としてはそれでも一向に構わないのだが、つい先程、姉は目的を思い出したのか。
「どうしましょう、鏡……」と言ったきりブルーになってしまっている。

「姉さん、元気を出してください。どちらにしても佐藤さんはいなかったんですから、
 今日は月桂冠が獲れただけでも良しとしないと」

「うぅ……そうですわね。せっかくの月桂冠ですものね……でも、でもやっぱり……」

そう言って妹に泣きつく梗。鏡は姉の背中をさすりながらこの日何度目かのため息をつくのだった。
235 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:21:01.25 ID:aAunpJa/0

 ―02―


テストも終わり、夏休み突入後最初の日曜日。
僕はマっちゃんのスーパーからほど近いレイクパークという公園に来ていた。
天気がよく公園には親子連れや、カップルの姿が目に付く。至って平和な日曜の午後である。

何故僕がココに居るのかというと、今朝先輩から話がある、という連絡を受けた為だ。
最初先輩は著莪の見舞いもかねて僕達が住むマンションに来ると言っていたのだが、
先輩にうつしてしまう恐れがあると言って僕がこの公園を指定したのだ。

話が前後するが先の通り、著莪は今、風邪で寝込んでいる。
どうもこの前、槍水さん達と初めてあった時から調子が悪かったらしい。

あの日の午前中、度重なるあせびちゃんとの接触によってついに著莪のお守りが力尽きてしまわれたのだ。
その後もあせびちゃんとの触れ合いは継続し、
著莪はお守りがない状態で彼女の攻撃……じゃれつきを受け止め続けたおかげで風邪をうつされたらしい。

また、ちょうどタイミングの悪い事にテスト期間と重なってしまい。
試験だけは受けてしまおうと著莪は無理をしてテストに臨み、
何とかクリアしたものの病状を益々悪化させてしまった。

おかげでここしばらくはずっと寝たきりの状態で、
僕も彼女に付き添う為、結局あの日、西区のスーパーに行って以来争奪戦には参加していない。
236 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:22:13.09 ID:aAunpJa/0

もっとも偶に学校帰りに食料品などを買いに行く事があるのでスーパーと無縁になったというわけでもない。
夕方のスーパーは普段僕等が訪れている時間帯のものとはまた違う顔を見せてくれるので
それはそれで楽しいものがある。

――それと先程から公園の中心部に集まり始めたあの怪しい連中は何なのだろうか?
気のせいか、この前烏田高校で僕に『Mの兄弟』とかいう変態集団の会報を渡してきた、
眼鏡を掛けた小太りの彼の姿も見えるような……

「待たせたな、佐藤」

「あっ、先輩。こんにちは」

「今朝になって突然呼び出してすまない。従姉の調子はどうだ?」

「大分良くはなりましたけど、完治にはまだ暫く掛かりそうです」

「そうか……お前も大変だとは思うが頑張れよ。
 コレはオレと元ガブリエル・ラチェットのメンバー全員からの見舞いの品だ」

そう言って先輩は立派な果物カゴを差し出す。僕は先輩にお礼を言ってそれを受け取った。
あとどうでもいいが、先程の怪しい連中が円陣を組、その中心に小太りの彼がいるのが激しく気になる。
237 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:22:59.66 ID:aAunpJa/0

僕と先輩は最寄のベンチに腰掛けた。

「早速だが呼び出した用件に入るとしよう。最近東区のスーパーに出没している双子の狼の事だ」

「双子の狼ですか? 珍しいですね」

「いや、正確には狼でも、犬や豚でもないといった感じだな」

僕等と池を挟んだ反対側で小太りの彼が「1番! 内本宏明! 相手はもちろん白梅様です!」
と声を張り上げた後、地面に腹ばいになる。 ……アイツ自分のことを内本って言ってたな。

「佐藤、聞いているか?」

「え、あ、はい。一応聞いてます」

「オレはその双子を追っているのだが、彼女等の腕前は確かだ。2つ名持ちと遜色無いと言っていいだろう」

腹ばいになった内本が両足を少し開く。彼の足側にいた人達が円陣を崩し左右に分かれた。
その先には1台の自転車に跨る男の姿が。
……っつぅか、この不審者集団、日曜の平和な公園で一体何をしでかすつもりなんだ?
奴等が何かする前に誰か警察に通報すべきかもしれない。
238 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:23:30.56 ID:aAunpJa/0

「その双子って女なんですか?」

「あぁ、すまない。言ってなかったな。ご丁寧に、あいつ等……とは言っても姉の方なんだが、
 そいつがこちらが聞いてもいないのに勝手に自己紹介をするような奴でな」

自転車が助走をつけて勢いよく内本に向って突き進む。
その余りの非日常的光景に、それまで公園にいた親子連れやカップル達が蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。
早急に警察の到着が求められる。

「姉の方は沢桔梗、妹の方が沢桔鏡という名前だそうだ」

「それって多分、丸富の生徒会長と副会長の沢桔姉妹だと思いますけど」

「その通りだ、分かっているなら話は早い」

助走をつけた自転車の高速回転する26インチの前輪が内本を轢き殺さんばかり迫るが、
自転車に乗った男が急ブレーキを掛ける。タイヤと地面が擦れ土煙が上がるが、それでも自転車は止まらない。
――その瞬間、内本は叫んだ。「白梅様ぁぁぁぁ! ありがとうございますぅぅぅぅ!!」
そしてそこで自転車の前輪が……ね。うん、ちょうど彼のお尻の割れ目にね。……こう、ズバッ!! と……
239 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:23:59.67 ID:aAunpJa/0

ちょっとした拷問を見てるみたいだったもの。彼なんか前輪が己のケツに突き刺さった瞬間、
「プギッ!!」とか悲鳴を上げちゃって、即あっちの世界に旅立っちゃったもの……
しかも自転車に乗っている男が前輪が内本のお尻の上で止まってるのをいいことに、
ハンドルを左右に……こう、グリグリっと……おかげで彼、イっちゃってるのにビクンビクンと痙攣してるし。

「――というわけで、もし2人と学校で会う機会があったら話をしてみてくれ。
 オレはこれから毛玉の言っていた町に行き、情報の収集をしてくる」

先輩は立ち上がり、僕もそれに続く。僕達が公園から出たのと入れ違いで警官隊が到着した。
逃げ惑う変態達を駆逐していく法の番人達。いいぞ、もっとやれ。

ところで警棒で殴られたと思しき奴等が恍惚の表情を浮かべてお縄についている様は
見ていて非常に不気味だよね。

「先輩、道中気をつけてください」

「あぁ、行ってくる」

話の肝心な部分を聞いていなかったので、一体何故、先輩が他の町に行き情報収集をするのかも定かではないし。
また、多分話のつながりとして僕が学校で沢桔姉妹と話さなくてはならないようなんだけど……まぁ、何とかなるか。

薄ら笑いを浮かべる内本が担架で運ばれていくのを見送り、僕は踵を返してマンションへの岐路に着いた。
240 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:24:33.91 ID:aAunpJa/0

 ●


「あぁあああぁあああぁぁぁあぁああ――――――!」

「またですか、姉さん。今度は何です?」

鏡は開けっ放しになっていた扉から姉の部屋に入り、ベッドの上で足をばたつかせる梗の隣に座る。

「こう毎日大声を出していたら迷惑が掛かりますよ。……私に」

それから30分ほど経った後、鏡は再度絶叫する姉を置いて部屋の扉を閉めた。
リビングに向う途中、冷蔵庫の中から『午後の紅茶』を取り出してソレを一口飲み椅子に腰掛ける。

思わずフーとため息をつく鏡。スーパーに通い始めてから今日までに梗がああして叫ばなかった日は無い。
その度に鏡は彼女の泣き言を聞かされてうんざりしていた。
先程などは余りにも姉がウザいと感じ思わず顔を逸らしたところ、またもや絶叫である。

「それにしても、そろそろマズイかも知れませんね……」

姉には言っていないが、自分達が半額弁当の争奪戦に参加し始めてかなりの日にちが経ってしまっている。
そのせいで狼達の間で噂が飛び交い、今やこの東区において自分達はすっかり有名人になってしまった。
しかもその噂が西区はおろか他の地域にまで広がっているらしい。

このままでは近いうちにあの男≠フ耳にも届いて……
いや、ひょっとしたらもう入ってしまっているかも知れない。
241 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:25:06.29 ID:aAunpJa/0

昔のことを思い出し、恐怖に身を震わせる鏡。
幸いにもまだあの男とスーパーで鉢合わせはしていない、
けれどこの調子で争奪戦に参加し続ければいずれ近いうちに……

カレンダーに目をやると土用の丑の日が目に入る。
ちょうどあの日に自分達は故郷のスーパーで屈辱を味わわされたのだ。
鏡は自分の肩を抱き震えを堪える。あんな事はもう2度と――

「鏡……」

――驚いた。姉がいつの間にか、背後から腕をまわして自分に抱きついてきたのだ。

「姉さ……」

言葉が続かない、代わりに鏡の瞳から大粒の涙が零れ落ち、梗の腕を濡らす。

「ごめんなさい、鏡。わたくしの我侭に巻き込んでしまって。
 あなたがあの男の事を思い出して苦しんでいるのを知りながら、
 それでもわたくしは佐藤さんに遭う為にスーパーに通い続けてしまった……
 姉として失格ですわ」

「……姉さんのせいではありません。
 私だって自分が争奪戦に参加する事に…… 喜びを見出したいたんですから……」
242 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:25:32.53 ID:aAunpJa/0

そうは言うものの嬉しかった。いつも自分を振り回してばかりいるこの姉が、
実はこんなにも自分を心配してくれていたのだ。

そう思うとまた鏡の目から涙が落ちる。梗はそんな彼女の頭をやさしく撫でながら口を開く。

「明日、佐藤さんに直接お会いしてお話しますわ。生徒名簿で自宅の住所は控えてありますし。
 ですから、わたくしたちがスーパーに行くのも、もうお終い。
 安心してくださいな、鏡。これであの男の影に怯える必要はありませんわ」

「ですが……それでは姉さんが……」

「スーパーでなくては佐藤さんとお話が出来ないというわけではありませんもの。
 結局わたくしも単純にあの狼達の戦場に再び足を踏み入れたいと思っていただけなのかも知れませんわね」

そう言って梗は腕を解くとポケットからハンカチを取り出して鏡の涙を拭ってやる。

本当は自分のために嘘をついているのだと、生まれた時からずっと一緒だった鏡にはわかっていた。
そんな姉の気遣いが嬉しくて鏡はまた涙を流す。

「鏡は泣き虫さんね」

姉の笑顔は涙でゆがんでハッキリと見えなかった。
243 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:26:01.22 ID:aAunpJa/0

 ○


部屋に帰る前にマンションのエントランスに行き、郵便受けを確認する。A4サイズの茶封筒が入っていた。
気のせいかな……この前、烏田高校で渡されたのもこんな封筒だったような……
とりあえず考えるのは後にして部屋に戻ろう。

エレベーターに向おうとした僕の目に、ふと203号室の郵便受けが映る。
最初このマンションに入居をきめる際、空いている部屋の中に203号室を見つけた著莪が、
『ルーマニア#203』の主人公と同じ部屋番がいいといって、
どうしてもココを借りると言い始めた時は説得するのに苦労したな……

最終的には僕が彼女に内緒で勝手に角部屋の契約をすることで決着したが。
その後、著莪は怒って暫く口を利いてくれなかったっけ。
244 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:30:53.93 ID:aAunpJa/0

「ただいまー」

玄関を開けるが同居人の返事は無し。眠っているのかもしれない。
テーブルの上に封筒を放り投げ、キッチンへ、流し台の上に先輩から貰った果物カゴを置く。

「おかえり、佐藤……」

――扉が開く音がして弱々しい声が聞こえた。
そちらを見るといつも以上にボッサボサの髪をした著莪がけだるそうに立っている。
パジャマがだらしなく着崩れていて右肩が露になっていた。
普段ならここで、ほぅ、鎖骨から首筋に掛けてのラインがなかなかそそるじゃないか
……なんて考えるところだが。流石に今はそんな気になれない。

「悪い、起こしたか?」

「うんにゃ、喉が渇いたから起きただけ」

「ポカリでいいか?」

「うん」

冷蔵庫からポカリを取り出して彼女に手渡し、服装を直してやる。
白っぽい液体で喉を潤した著莪はソファーに身を預け「ふぅ〜」と息をつき、
暑いのか今しがた僕が掛けたパジャマのボタンを再度はずし、胸元を開ける。

……ほぅ、なかなかいい眺めじゃないか。

245 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:31:38.76 ID:aAunpJa/0

「体調はどう?」

「結構マシになったよ、こんな感じで起きれるぐらいには」

まだ顔が少し赤いものの、確かに一時期に比べて遥かに良くなったようだ。
一度、学校の昼休み時間に電話があって急いで帰ってみると、
トイレから出たところで力尽きて動けなくなっていた事があったなぁ……

その事を話すと著莪は赤い顔をさらに赤くして俯いてしまった。
さすがに反論するだけの元気はまだ無いらしい。

「悪かったって、お詫びにリンゴ剥いてやるから」

「……ウサギさんがいい」

「お前……それはちょっと僕にはハードルが高いって言うか……」

「……」

「……わかった……」

無言のプレッシャーに負けた僕は果物カゴからリンゴを手に取る。
皮をむくだけならまだ何とかなるが、コレをウサギにするというのは
……そういえば、ウサギってどんなだっけ? 確かこうだったような……

――5分後、僕の力作を目の当たりにした著莪の第一声はこうだった。

「このウサギ……耳が4つあるんだけど……」
246 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:32:10.31 ID:aAunpJa/0

時に天才のやることは世の中から理解されない事がある。
今の僕がまさにそれ――

「なわけないじゃん」

「だよね」

僕も著莪も笑った。2人揃ってこんなふうに笑うのは久しぶりで、何だか嬉しい。

「ハハッ、ゲッホゴホ……佐藤、病人をあんま笑わせんなよぉ〜」

「体が冷えたんじゃないのか? リンゴ持ってってやるからベッドに入ってろよ」

「うん、そうする。 ……あ〜うん、無理だわ。体がだるくて動けない……佐藤、だっこして」

著莪をお姫様だっこしてベッドに寝かせてから
1度部屋を出てリンゴを乗せた皿を手に取り部屋に戻る。

「リンゴ食えるそうか?」

「佐藤が食べさせてくれるなら」
247 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:32:44.30 ID:aAunpJa/0

「ほら、コレで最後。あーん」

「あーん」

僕の芸術作品が1つ残らず著莪の胃袋に納まる。
それを見届けてから『冷えピタ』を彼女の額に貼ってやった。

「……んっ」

気持ちよさそうな表情を浮かべる著莪の顔を見ていたら。
昔、風邪をひいた石岡君のお見舞いに行った時のことを思い出した。
彼が熱にうなされて苦しそうだったので持参した『冷えピタ』を全身に貼ってやったら
赤かった顔が見る見る青く変色してたっけ。……まぁ、どうでもいいけど。

「飲み物はいる?」

「今はいいや。それよりさ、何か面白い話してよ」

「……お前チャレンジャーだな。さっき病人を笑わせるなとか言ってただろ」

「それもそうだね。んじゃ、ちょっとだけ面白い話で」

「ちょっとだけ……ねぇ」

適当な話が思い浮かばなかったので今日公園で目撃した変態集団の一部始終を話してやった。
248 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:33:15.20 ID:aAunpJa/0

「ふぅ……なんか疲れちゃった……」

それはそうだろな、と思う。こんなに著莪が笑うと知っていたら多分話さなかっただろうし。

「もう寝るよ、せっかくここまで良くなったのに、また悪化させちゃ意味ないもんね」

「そうだな」

「佐藤、いつもの……」

「オッケー」

著莪の頭に手を置き、撫でる。もちろん彼女が眠るまで続けなければならない。
これが夜であれば僕も一緒に寝てやるところだが、如何せんまだ日が高い。
そんな時にはこうして頭を撫でてやるのが日課になっていた。

しばらくして規則正しい寝息が聞こえ始める。

おやすみ、と著莪に告げてから部屋を後にした。
249 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:33:45.79 ID:aAunpJa/0

リビングに戻るとテーブルの上に置いていた携帯が鳴る。見れば……槍水さんだ。
初顔合わせ以来、直接は会っていないが、こうして電話でのやり取りはちょくちょく行なっている。
実は2日前の電話で槍水さんが白粉と2人でお見舞いに来たいという申し出があったのだが、
先輩の時と同様、あせびちゃん印の風邪を2人にうつすわけにはいかないので、丁重にお断りした。

著莪を起こさないようにとベランダに行き、電話に出る。

『佐藤か、麗人の体調はどうだ?』

いつもの口調の槍水さんに、僕は著莪の容態を伝えた。

『そうか……ずいぶんと長引くな。しかし……その、なんだ。
 すまない、力になってやれなくて』

槍水さんの言葉に思わず、え? と声が出る。

『お前は同じ同好会に所属する仲間だ。
 そのお前がこんなに苦労しているというのに、私は何もしてやれない……』

彼女は『何か私に出来る事があったら遠慮なく言ってくれ』と続けた。
……一瞬興奮して「それじゃ、エロいお願いをしてもいいですか!?」と口走りそうになったが……

「……そのお気持ちだけで十分ですよ。ありがとうございます、槍水さん」

――と言うに止めた。チキンな自分が憎い……
250 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:34:16.79 ID:aAunpJa/0

その後、話題は夏休み中のハーフプライサー同好会の活動予定を経て、
ここ最近、槍水さん達が獲った半額弁当の事に移っていた。
聞いてるだけで涎が口内に湧き出るような話の数々。実際さっきから腹の虫が鳴き続けている。

『――そういえば、明日は土用の丑の日か……ふむ、アレなら麗人の風邪も良くなるかもしれないな』

「アレ?」

何だろうアレって? まさか!? 土用の丑の日にちなんだ、うなぎプ――

『とあるスーパーに土用の丑の日にのみ特別に出る、うなぎ弁当があるんだ』

僕の妄想を置き去りにして槍水さんは淡々と話す。
話によると、そのうなぎ弁当は1時間ごとに作られて陳列されるという特殊なものなのだとか。
おまけに国産のうなぎを炭火で焼き、さらにはご飯もその都度炊かれるというのだから驚きだ。

「凄いですね、でも……そんなに手間隙掛けたものなら値段の方だって……」
251 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:35:00.58 ID:aAunpJa/0

『心配するな、弁当そのもは異様に安いんだ、それにちゃんと半値印証時刻もある』

「えっ、でも、出来立てなんですよね? そんなことして商売になるんですか?」

槍水さんが電話の向こうで急に口をつぐむ。ひょっとして聞いてはいけない事だったのか?

『……本当は半額神に対して失礼な事は言いたくないのだが……
 あそこの半額神はどうもバカと江戸っ子を混同しているようなんだ……』

「つまり……頭が悪い人ってことですか?」

『……まぁそういうことだ……』

いや、確かに僕等としてはありがたいけどさ。
安い弁当をさらに半額にすると当然の事ながら利益どころか……深く考えるのは止そう。

……この世界は広い。そう思わざるを得ない話だ。
252 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:35:30.47 ID:aAunpJa/0

通話を終え、携帯をテーブルの上に置く。その際に視界の端にソレが映った。
――そういえばコレの存在を完全に忘れていた……いや、忘れようとしていたと言う方が正解かもしれない。

意を決して机の上に置いていた茶封筒を開封する。
中から出てきたのは案の定というか……例の『Mの兄弟』とかいう変態集団が発行している会報だった。
表紙を捲ると次ページの1番上のところに《集会のお知らせ》なんて文字が…… 速攻でゴミ箱に放り込む。
さて、気を取り直して夕飯の準備でもしよう。まぁカップ麺のお湯を沸かすだけど。

コンロのつまみをひねりながら先ほどの槍水さんとの会話を思い出す。
槍水さん、うなぎ弁当についてえらく力説してくれていたな。

――『風邪を引いた奴が食べれば翌朝には体調が戻るはずだ。今の麗人にはちょうど良い』

う〜ん……流石に言い過ぎのような気もするけど。
ただ少なくとも槍水さんはそう信じて疑っていないようだ。

「物は試し……か」

この際、今の著莪に効きそうなものなら何でもやってみる価値はある。
この調子で彼女の風邪が長引けば、最悪ハーフプライサー同好会の合宿にも参加できなくなる恐れもあるし。
何より著莪自身、早く元気になって夏休みをエンジョイしたいに違いない。
253 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:36:11.58 ID:aAunpJa/0

お湯が沸いたので用意していたどん兵衛に注いでいるとタイミング良く著莪が起きてきた。
食欲があるか聞いたところ彼女はイエスと答えたので、さっそく戸棚からそれ≠出し、鍋にお湯を注ぐ。

「はい、お待ちどう」

「おぉ、何かこれ≠烽キっかり定番になってきたね」

2人揃って、いただきます、と言ってから僕は蓋を開けた。どん兵衛の鰹出汁が食卓に香る。
だが最近はそれだけではない。もう1つの香りが隣に座る著莪の前に置かれた丼から湯気と共に立ち上っている。
そうチキンラーメンの鶏ガラスープの香りだ。
前に槍水さんが風邪の時はコレが自分の定番と教えてくれたのを試してみると著莪が気に入ったので
それからは、しばしばこうして作る事がある。ちなみに卵入りだ。

当初、卵の黄身を潰してしまったりと悪戦苦闘していたが。
ここ数回でコツがつかめ、うまく綺麗に作る事ができるようになった。
今日などはもう芸術作品といってもいいんじゃないかって出来である。

著莪は何口か麺を啜ると僕のほうを向きグッと親指を立てる。僕はそれに頷いて答えた。
その後、2人揃って食べる事に集中。互いに半分ほど食してところで交換し、2種類の味を楽しむ。
1人暮らしではまず無理な事だろう。
254 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:36:45.74 ID:aAunpJa/0

――夕餉も終わり、お風呂を済ませた僕は著莪のベッドに入る。
当然ながらこのベッドの主も一緒だ。

「それにしてもさ、こうやってアタシが風邪引いてるってのに佐藤にうつらないって初めてなんじゃない?」

「……言われてみればそうかも」

昔から片方が寝込めば大抵次の日にはもう片方も寝込むという事が当たり前だったもんな。

「何か佐藤だけずるい……」

「僕は前にあせびちゃんの風邪をもらってるからさ、免疫とか抗体とか出来てんじゃない?」

「益々ずるいぞ、アタシにもよこせ」

そう言って頬を膨らませる著莪。
……それこそ無茶だろ、大体どうやってお前に抗体を送り込……いや、待てよ。
こういった場合、よくある方法として粘膜摂取とか――

「……お前、今イヤラシイこと考えてるだろ」
255 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:37:26.99 ID:aAunpJa/0

我に返ると著莪の顔がすぐ目の前にあった。
図星をつかれた僕は慌てて目線を彼女の碧眼から下の方に移動――うっ! ヤバイ!?
著莪の唇がモロに眼に入ってしまった。さっきまであんな事を考えていたせいで変に意識してしまう……

「……佐藤、アタシの眼を見て正直に答えろ」

「い……いやだ」

こんな事、正直に言えるわけ無いっての!

「お従姉さんの言うことを聞きなさい」

「む、無理……」

16年間、一緒に育ってきただけあってコイツの目をまともに見ようものなら、
こちらの考えていることがすべてバレかねない! ここは耐えるんだ! ヨー・サトウ!!

「……おおかた抗体を送り込む為に、粘膜摂取を……とか考えてたんだろう?」

その瞬間、全身に冷や汗が吹き出る。何故バレた!?
256 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:38:11.39 ID:aAunpJa/0

視線が泳ぐ僕を見て著莪はフフッと笑う。そして――

「!?」

「……んっ」

キスをしてきた……僕の唇に。しかも結構長く……
彼女は唇を離すと「えへへ、佐藤の抗体もらっちゃった」そう言って微笑んだ。
微かに著莪の顔が赤くなっていたような気がしたが、部屋が薄暗いので確信が持てない。

「何? ジーとアタシの顔見つめちゃって」

「いや……その……」

「もう一回する?」

「アホか」

僕等は笑い、どちらからともなく、おやすみと言ってその日は就寝となった。
257 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:40:13.40 ID:aAunpJa/0

 ―03――

 ○


今日は土用の丑の日。
その日、体調が良かった著莪は久しぶりにシャワーを浴び。
僕もこれまた久しぶりに彼女の髪にドライヤーを当てた。
最後に手櫛で髪をとかすように確認し、風邪がぶり返さないように著莪をベッドに寝かせる。
――と、ここまでは順調だった。ただ問題はその直後に訪れた……
イマイチ寝付けなっかった著莪は、あろうことか僕に今度こそ面白い話を聞かせろ。と無茶振りしてきたのである。

あーだ、こーだと話して聞かせるも一向に満足しなかったので最終手段として
昨日ゴミ箱に突っ込んだ『Mの兄弟』作成の会報を隅から隅までじっくりと朗読したところ、
ヤバイんじゃないかって笑いまくった著莪は何とか眠ってくれた。

この時点で既に午後5時である。
一体何が悲しくて日中のほぼ大半をあんなものを従姉の前で朗読しなければいけないのだろうか?
まるで罰ゲームのだぞ。――はっ!? 言っておくが僕はこれに対し断じて快感を感じたりとかしてないからな!
決してMに目覚めたとかじゃないからな! ホント違うから!!
258 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:42:07.95 ID:aAunpJa/0

誰に対してかよくわからない言い訳のせいで疲れた僕はソファーに寝転がっていた。
かの店の半値印証時刻まで、まだいくらか時間がある。

一眠りするか……そう考えた時チャイムが鳴る。
誰かと思い出てみれば、相手は予想もしていない沢桔姉妹だった。

「突然お伺いしてしまい申し訳ありません。でも、どうしても佐藤さんに伝えたい事がありますの」

「佐藤さん、どうか姉さんの気持ちを聞いてあげてください」

梗さんは決意を秘めた瞳を僕に向け、姉の後ろに控える鏡さんは頭を下げる。
これでもし僕が1人暮らしなら即座に2人を部屋へ招き入れて話を聞いたことだろう。
さらにもしもその話が『抱いて』的なものだったとしたら……

3人で一夏の思い出(エロ)を築く可能性が無きにしも非ずなのだが……
残念な事に今の僕は従姉と2人住まい。こんな絶好のチャンスを与えれながら実行できないなんて!
259 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:42:41.00 ID:aAunpJa/0

――という妄想はどうでもいい。

とにかく今は、せっかく寝付いた著莪を起こさないようにするのが最優先だ。
その事を沢桔姉妹に告げ。とりあえず近くの公園に行き、そこで梗さんのを聞くことに。
……ところが事はコレだけで終わらない。マンションのエントランスに降りた所で、
今度はそこで槍水さんと白粉に遭遇したのだ。

2人はうなぎ弁当が並ぶスーパーに行く前に僕を誘うのも兼ねて著莪のお見舞いに来たのだと言う。
とにかくココで立ち話も何なので5人で公園へ。
移動中に双方、自己紹介を済ませ、沢桔姉妹と槍水さんはいくつか言葉を交わしていた。

ちなみに白粉はというと……
道で出くわしたランニング中の剣道部員達を見るなり頬を赤く染め「……いい匂い……」と言い、
鼻をクンクンとさせながらフラフラとついて行ってしまった。

……なるほど、なかなかマニアックな奴だ……

槍水さんに止めなくていいんですか? と聞くと「あぁ、いつもの事だから気にするな」という返事が返ってきた。
まだ白粉とは会って間がないんだけど、何だかアイツに対する印象が随分と変わった気がする……
260 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:43:23.79 ID:aAunpJa/0

――そして現在。公園の遊具と一緒に設置されたらしい、
石で作られた円卓を全員(白粉を除く)で囲う感じに座っている。

「梗さん、話って何でしょうか?」

「……それは……」

梗さんは槍水さんをチラチラ見ながら口をもごもごさせている。

「……私は少し席をはずした方が良さそうだな」

槍水さんが離れた位置に行くと、梗さんは目をつぶり深呼吸を繰り返す。
彼女の隣にいる鏡さんがその様子を心配そうに見つめている。

「姉さん……」

「……大丈夫ですわ、鏡。見ていてくださいな」

「はい、頑張ってください」

何だろう、2人のやり取りを見ていると、まるでこれから告白でもするような流れを感じる……
っつぅかコレって本当に告白なんじゃないのか? だとしたら誰に対してのものだ?
261 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:43:58.19 ID:aAunpJa/0

周りを見渡すが槍水さんの他には誰もいない……まさか……僕なのか?

顔を真っ赤にして、こちらを見る梗さん。
……いいの? 僕、期待しちゃっていいの!?

「佐藤さん!」

「は、はい!」

「わたくしと……」

心臓の鼓動が早く、アドレナリンが脳内を駆け巡る。
こんなに緊張したのは何時以来だろうか。

「わたくしと……………………アドレスの交換をしてください!!」

「はい! 僕でよければ喜んで!!」

……え? アドレス? はて、アドレスとはなんぞや……?
262 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:44:29.41 ID:aAunpJa/0

 ●


「やった! やりましたわ、鏡!」

「やりましたね! おめでとうございます、姉さん!」

抱き合って喜び合っている沢桔姉妹。
槍水仙はそんな彼女達を横目で見ながらそれとは対照的に
ガックリとうなだれている佐藤に声をかける。

「佐藤、話は終わったか?」

「えぇ……色々と終わりま――」

「佐藤さん、それでは早速お願い致します!」

佐藤が槍水の問いに答え終わる前に梗はそう告げ、いそいそと携帯を取り出す。

しばらくの後、公園には携帯の液晶画面を何度も見返して
子供のようにハシャグ梗の姿があった。
263 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:44:56.54 ID:aAunpJa/0

鏡は姉に両肩をつかまれてガクガクと揺すぶられながら思う。

――昨日の感じからいって、もう直接本人に告白するものだと私は思っていたんですが。
あくまでもアドレス交換が目的だったんだすね……
でも、そういうのがいかにも姉さんらしいといえばらしいですけど。

「あぁ、今日はなんて良い日なのでしょうか!
 はっ!? そうですわ。佐藤さんに個人情報を教えていただいたのに
 わたくしが何もお教えしないのは不公平といえるのでは? 
 鏡、何を教えて差し上げればよいかしら? やはり個人情報には個人情報。
 等価交換がベストのはず。そうなると………… わたくしのスリーサイズなんてどうかしら?」

何故このタイミングでそんなセリフが出るんですか。
……そうですよね、しょせん姉さんは姉さんですものね……

「姉さん、ハッキリ言って今ので台無しになりましたよ……」

「えっ! 何故ですの!? 佐藤さんだって健康な男子高校生ですのよ。
 おおかた年中ムラムラとしているはず! そんな彼にはもってこいの情報のでは!?」
264 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:45:31.01 ID:aAunpJa/0

「本気で気付いてないんですか……ほら、佐藤さん達がドン引きしているじゃないですか。
 もちろん私も引いてますけど」

「ひょっとして……わたくし何か取り返しの付かないミスをやらかして!?
 ああああああああああああ!! 一体どうしたらいいの!?」

梗の平常運転を目の当たりにして、呆れたような顔をする鏡。

「……もう諦めるしかないんじゃないでしょうか?」

「今あなた本気でメンドクサイって思いましたわね!?」

「……えぇ、まぁ、はい」

「……おい、佐藤。コイツはいつもこんな感じなのか?」

槍水仙の問いに佐藤は苦笑いを浮かべつつ「えぇ……まぁ」と答える。
公園に梗の絶叫がこだました。
265 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:46:30.40 ID:aAunpJa/0

どんよりとした雲がたちこめる夕暮れの空の下、その男は駅を出た。
彼の横にはアフロにサングラスというおよそ1度目にすれば
生涯忘れる事はないであろう風貌の男が1人。彼は狼達からは毛玉と呼ばれている。

「ところで、今日なら確実に彼女等はそのスーパーに現れるんだよね?」

男の問いに毛玉はYESと答え、隣を歩く彼に視線を向ける。
――不気味な表情だ、と毛玉は思った。
一見無表情に近い顔。けれど、どこかが違う。まるで苦味と甘みを合わせたような……

恐らくは過去に自分が駆逐したオルトロスが再びスーパーに現れた事に対する不愉快という気持ち。
そしてその半面、これから行うであろう駆逐という行為に対しての愉快さ。
その2つが混ざり合い、このような表情を作り出しているのだろうと毛玉は推測する。

「じゃ、おれはここまでだ。また後でな、《ヘラクレスの棍棒》さんよ」

ヘラクレスの棍棒、それこそが彼の名だ。かつてオルトロスをスーパーから駆逐した存在。
彼は毛玉と別れ、事前に教えられた場所へと向う。

「今度こそ君達という存在をスーパーから完全に駆除してやるよ」

ヘラクレスの棍棒はヒーローにでもなったかのような気分で歩を進めた。
266 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:46:57.34 ID:aAunpJa/0


「……以上がわたくし達の過去ですわ」

梗は悲痛な面持ちで自らの過去を佐藤達に語り終えた。隣にいる鏡は目に涙を浮かべている。
つい十数分前まで賑やかだった公園は、今や鏡がすすり泣く音が響いているだけ。
そんな重い雰囲気の中、最初に言葉を発したのは佐藤だった。

「そんな事をして獲た半額弁当なんてうまいわけがない」

……え? と思わず声を出すオルトロス。
驚きの表情を浮かべる彼女等に今度は氷結の魔女が口を開く。

「そうだな、己の力で掴み獲ってこそ勝利の一味は付与される。
 そんな姑息なやり方ではいつまで経っても本当の半額弁当のうまさに気付けないだろう」

一瞬目の前の2人が何を言っているのか理解できなかった。
過去にスーパーで狼達から拒絶された沢桔姉妹にしてみれば、
佐藤達が当然のように『彼』のやった事を否定するようなことを言うのが信じられなかったのである。

「そうだ、この後僕達うなぎ弁当の出る店に行くんですけど。
 良かったら梗さん達も一緒に行きませんか?」
267 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:47:27.04 ID:aAunpJa/0

自分は今夢を見ているのかもししれない。沢桔梗はそう思った。
あのフィールドの中に1度化け物として排除された自分達が本当に戻っても良いのだろうか……

「……本当に、いいんですの?」

「当たり前じゃないですか」

「強敵を倒し手に入れた半額弁当は絶品だからな」

佐藤も槍水も当然のように自分達を誘ってくれる。
隣を向くと妹は自分の顔を見て頷いた。

「で、では……よろしくお願い……し……」

涙があふれ、最後まで言葉が続かない。
鏡がポケットからハンカチを取り出して姉の涙を拭った。

「姉さんは泣き虫ですね」
268 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:48:00.96 ID:aAunpJa/0

 ○


「おじゃまいたします」

「姉さん、くれぐれも静かにしててくださいよ?」

「わかってますわ」

「ココが佐藤達の住んでいる部屋か、結構広いな」

公園でしばらく喋っている間にスーパーへ向う時間となってので一旦、著莪の様子を見に戻ってきた。
本当なら僕1人で戻るはずだったのに梗さんが「丸富の生徒会長として著莪さんのお見舞いを!」と
言い出したものだから、槍水さんまで「ならば私も同行しよう、もともとそうする予定だったしな」ってことで
押し切られてしまった。

「ココが麗人の部屋か?」

「いえ、そこは僕の部屋です」

「佐藤さんの部屋……」

「姉さん……?」

「なっ、何でもありませんわよ!? この扉を開けたら咽返るようなイカ臭い空気が充満しているのではとか。
 エロ本がそこかしこに散らばっているかもしれないとか。そんなことは考えていませんからね!?」
269 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:49:03.20 ID:aAunpJa/0

時々この人が何で生徒会長になれたのかわからなくなる時がある……

「なぁ、イカ臭い、とは何だ?」

「「「えっ!?」」」

「な、何だ。そんなに驚かなくてもいいだろう」

そ、そうは言いますけどね、槍水さん……
うーん。今の世に、まだこんなにも穢れのない人がいるんだな。天然記念物というか。

「わたくしが教えて差し上げ――」

「すみません、姉の言ったことは忘れてください」

鏡さんが梗さんの口を押さえて玄関の方に連れて行く。

「なぁ、佐藤は何のことだかわかっているんだろう?
 私だけが知らないのは何だか嫌だ。教えてくれ」

クっ!? しまった!? 僕としたことが! 
とっさの事とはいえあんな反応をした後で今更しらばっくれるなんてできないぞ。
かといってとてもじゃないけどアレの匂いです。とは言えないし……

「あれ? 何で魔女がココにいるんだよ?」
270 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:53:16.20 ID:aAunpJa/0

声のした方を見れば、著莪が自室の扉を開けた所に立っていた。
どうやらうるさくし過ぎて起きてしまったらしい。

「久しぶりだな、麗人。本当はもう少し早くに見舞いに来れれば良かったんだが」

「あぁ、いいって、いいって。サンキューな。 あれ? そういえば花は?」

「白粉ならガイアがあたしにもっと輝けと囁いている≠ニか意味不明なことを言いながら旅に出て行ったぞ」

僕のアンサーに著莪は一瞬?≠ネ顔をしていたが、すぐに深く考えるのを止めたようだった。
その後、梗さん達も加わり、少しお喋りをしてからスーパーに向おうと槍水さんが言い。腰を上げる。
確かに悠長に話をしている場合じゃなかった。

「それじゃ行ってくる」

「……アタシも行きたい」

「それは無理だろ。せっかく治りかけた風邪が悪化するぞ」

僕が言っても著莪からの反応が返ってこない。何やら不満げな表情をしている。
いや、より正確には不機嫌そうな顔、か……
271 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:54:26.44 ID:aAunpJa/0

「お前が争奪戦に参加した言って気持ちはわかるけどさ――」

「そんなんじゃない……」

「そうじゃないって、じゃなんだよ?」

著莪は両の頬を膨らませて、う〜、と唸っている。
言いたい事があるのに言えないといった感じだ。

「佐藤、何してるんだ早くしろ」

「そうですわ、早く行かないと間に合いませんわよ」

「あっ、すいません。今行きます」

玄関で待機している槍水さん達の方に顔を向け返事をする。
そういうわけだから、と著莪に向き直ると。彼女は頭をポリポリと掻き、ため息を1つ。
――そして僕に抱きついてきた。
優しい花の香りが鼻腔をくすぐる。
272 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:54:57.94 ID:aAunpJa/0

僕は慌てた。普段2人の時はともかく、他の人がいる場で著莪とこんなことはしたことがない。
前に学校で抱きつかれたことはあったが、あの時だって人目は無かったし……

「うん、これで良し! いってらっしゃい、佐藤」

著莪は体を離し僕にそう告げると自分の部屋に戻っていった。
玄関に向き直ると……当然ながら槍水さんと沢桔姉妹がフリーズしてしまっている。

「……お待たせしました」

「さ、さぁ、急ごう時間が無い……」

槍水さんが顔を赤くしてそれを誤魔化すように催促の言葉を口にする。
第1印象がまさに氷結の魔女って感じだったから、
こんなふうに動揺してうろたえる姿はギャップがあってかわいい。

「おい、お前達も行くぞ。ん……どうした?」

「はぁ、私はいいのですがどうも姉さんの方が……」

見れば。梗さんが何かこの世の終わりでも見たかのような表情をしたまま固まっている。
結局、時間も押しているということで僕が彼女を背負いスーパーに行くこととなった。
273 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:55:55.54 ID:aAunpJa/0

 ●


「もしもし、佐藤か? オレだ、少し時間がかかったが双子についての情報は手に入れた」

とあるスーパーの駐車場で二階堂は携帯を手にし、後輩の佐藤に自分が収集した情報を伝えようとしていた。
彼女達が今宵、土用の丑の日という因縁めいた日にかなりの確率で現れるであろうスーパー。
その店の半値印証時刻までもう3時間を切っている。
本当に自分が間に合うかわからない以上、こうする事が最善だと思い彼は電話する事を決めたのだった。

『あー先輩……申し訳ないんですが、今その彼女達、
 オルトロスと一緒にそのスーパーに向ってるところなんですよ……』

オルトロス、まだ自分が口にしていない沢桔姉妹の2つ名を佐藤が口にしたことで二階堂は悟った。

……ひょっとしたら、いや、ひょっとしなくても自分の骨折り損ではなかったのか……と。
274 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:56:25.88 ID:aAunpJa/0

一気に体を疲労感が覆う。それまで張り詰めていたものがプツンと切れてしまったかのように。
この時点でもう急いでかのスーパーに向うだけの気力が二階堂からは消えうせていた。

「そうか……なら後はお前に任せてもいいか?」

彼の落胆振りを電話の向こうから察した佐藤は労いの言葉を述べる。
電話を切った二階堂は天を仰いだ。

「雨が振り出しそうだな……今夜はこの辺のホテルにでも泊まっていくか……」

月の見えぬ夜は狼にとって不吉だという、しかし二階堂の頭に不吉の文字は不思議と浮かんでこなかった。

果たしてそれは佐藤に任せておけば絶対に大丈夫だという信頼の現われか、
それともただ単に疲労感に押し潰されてそこまで考える余力がなかったのか?

バイクに跨るその後姿は、いかにも仕事に疲れ果てたサラリーマンといった感じの哀愁が漂っていた。
275 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:57:58.97 ID:aAunpJa/0

 ○


うなぎを焼いている煙、そして蒲焼き用の甘じょっぱいタレが焦げる香りが店内に満ちている。
この店に1歩、足を踏み入れた時から腹の虫が暴れていた。
もちろんそれは他の狼達にも言えること……今夜は普段と比べ物にならないぐらい激しい争奪戦になるに違いない。

狼の数は僕等を除いて14といったところ。弁当コーナー付近には狼達が既に陣取っている。

「よかった、何とか間に合ったな」

槍水さんがそう言うと同時にドカンッと音がする。
捩りはちまきをした初老の男が品出し用のカートを押している姿が目に留まった。

「おっし! 今日最後の品出しだ! 閉店まで1時間、弁当6個、速攻で半額にするぜ!」

……本当に聞いてた通りの人だな……

「品出しと同時に半額にしてしまっては商売に――」

「姉さん、ストップ。それは禁句です」

店内に充満するこの香りでつい先ほど再起動した梗さんが当然の疑問を口にしかけるものの、
すかさず鏡さんが姉の口を抑えた。

「とりあえず、あそこの鳥棚に行こう。エントランスからではさすがに距離がありすぎるからな」

槍水さんの言葉に僕等は頷き、移動する。
途中で前回戦った顎鬚と坊主、そして素晴らしいバストを持つ茶髪の姿を確認した。
だが何故か3人は一様に何かを堪えているかのように俯いている。
というか、他の狼達もそうなのかもしれない。店内がいつもとは違う異様な雰囲気に包まれているのだ。
276 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:58:25.84 ID:aAunpJa/0

 ●


梗達は頷きお菓子コーナーに陣取った。
佐藤と槍水の向こうに半額神がうなぎ弁当を陳列していくのが見える。

「ねぇ、鏡。お弁当の上に小さい容器が乗っていますわ、アレは何なのかしら?」

隣にいる妹を見ると顔が真っ青だ。どうしたの? と声を出す前に梗もまたその気配に気付く。
ココにいるはずのない男の気配……体が震え、全身から嫌な汗が噴き出す。

2人は互いの手を硬く握った。梗の脳裏に3年前の忌まわしい記憶がよみがえる。

「やぁ、キョウ。久しぶり、驚いたよ。
 てっきりもう2度とスーパーには現れないだろうと思っていたんだけどね」

声がした。優しげな、でも、機械合成されたようなクセのない、どこか気持ち悪い、
かつて自分が頬を赤らめた彼の声……今では青くなるだけの声。

気配で彼が隣に並んだことがわかったがそちらを見る気にはなれない。

「聞いたよ。こっちでも君達は昔と変わらず弱い者イジメばかりしているそうじゃないか。
 ……ホント、酷い性格だね。そんなに自分達の力を誇示するのが楽しいのかい?」

「違いますわ!」
277 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:59:02.90 ID:aAunpJa/0

梗が声を上げ、思わず彼の方を向く。

「ここにはかつてのあなた達のような――」

言おうとして言葉に詰まった。隣に立っている男の顔を、そして目を見てしまい恐怖がこみ上げる。
彼、かつて自分達をスーパーから駆逐した《ヘラクレスの棍棒》は哀れむような目でこちらを眺めていた。

「……ほら、早く出ていきなよ。今ならまだ泣かずに済むんだ。
 一応言っておくけどココにいる狼達は誰一人、ぼくの提案に反対しなかったよ」

「……そんな……」

「ぼくが言ってる意味、わかるよね? さぁ、今すぐ立ち去るか、
 勝利の1味が入っていない弁当を取るか、選びなよ」

その時だった。自分と彼の間に割って入る者が1人。
つい先ほどまで妹の隣にいた男……今日自分達をスーパーに誘ってくれた佐藤だった。

「……なんだい? 人が話をしている最中に割り込んでくるなんて。
 まぁいい。君とそっちにいる君にも聞いてもらいたい事があるんだ。
 今宵、彼女達、オルトロスを完全に駆逐する――」

「うるさいぞ」

いつのまにか鏡の隣に来ていた槍水が言葉と共に強烈な殺気を放つ。
店内の空気がビリビリと一瞬にして張り詰める。
自分達に向けられたものではないとわかっていてなお、沢桔姉妹は身を硬直させた。
278 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:59:33.01 ID:aAunpJa/0

氷結の魔女の気迫に圧倒されたヘラクレスの棍棒は2、3歩後ずさる。
そんな彼に、先ほどから腕組みをしてじっと目の前のポテトチップス(コンソメ味)の袋を
見つめていた佐藤が口を開いた。「失せろ」とただ一言。槍水に引けを取らない殺気を放ちながら。

2人の放つ殺気に中てられたヘラクレスの棍棒は「後悔するなよ……」と捨て台詞を残して立ち去っていく。
彼の姿が視界から消えると同時に佐藤達は殺気を放つのをやめた。

「まったく、うるさい奴だったな。ん? 何だ。お前達、
 そんなに泣いていては鼻が詰まって腹の虫の力が半減してしまうぞ」

槍水はそう言うとハンカチを鏡に差し出す。
涙で顔を濡らした鏡はかろうじて、ありがとうと言い、ハンカチを受け取る。

「梗さんも、コレよかったら使ってください」

梗が顔をあげると涙でぼやけた視界に佐藤が笑顔でハンカチを差し出しているのが、
かろうじて見えた。

「いいんですの……?」

「えぇ、どうぞ」

梗はハンカチを受け取ると思いっきり鼻をかんだ。それはもう、思いっきり。
279 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 18:59:59.38 ID:aAunpJa/0

 ○


「ハンカチありがとうございました、佐藤さん。後日洗ってお返しいたしますわ」

「そ、そうですか、何か悪いな……」

梗さんが遠慮なく僕のハンカチで鼻をかんだため、それには彼女の鼻水がたっぷり含まれており……
さすがに、おかまいなく。とは言えなかった。

そういえば前にもこんな事があったな……あれは確か中3の夏、体育の時間にサッカーをやっていたときのこと。
当時、中2の冬のジャージ事件以来、非常に陰湿かつ暗い扱いを受けていた石岡君だったが
相変わらず運動時にはあの時の失点を取り返そうと頑張っていた。健気な奴である……

その時の石岡君は炎天下にも拘らず時間一杯無駄にグラウンドを走り回っていたせいで汗だくの状態だった。
見かねた僕がたまたま傍にあったタオルを投げてやったところ彼はそれで顔を拭き、
「ありがとう、洋君」と言って微笑んだ。
その際、彼の笑顔は髪先から滴り落ちる汗と相まって、凄く爽やかなスポーツマンを彷彿とさせた。
ハッキリ言ってかっこよかったのだ。石岡君にはあるまじきことで大問題と言える。
……しかし、その辺はこの際どうでもいい。

真の問題は彼の持っていたタオルの端に『広部』の刺繍がしてあったことだ。
280 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:00:43.09 ID:aAunpJa/0

当時。キスをすれば子供が出来てしまうと頑なに信じているような心の綺麗な僕は我が目を疑った。
2度ほど目を擦りじっくりと見返すが、間違いない。
偶然にもそれは広部さんのタオルだったのだ……

え、どうしたの? とキョトンとしている石岡君を前にして、どうしていいかわからなかった僕は、
思わず「……ボールは友達」とか呟いちゃったりして……
そうこうしている間にクラスメイト達も僕等の対峙に気付き。
広部さんが、炎天下にも拘らず真っ青な顔で一言「私のタオル……」と。

デジャブと言っても差し支えないぐらい、あの日の光景が再現された。
広部さんが身を震わせて泣き崩れる。

それも当然のこと……なにせ彼女のタオルは石岡君のアブラギッシュな汗をしこたま吸い込んじゃてて。
さらにはまたも当の本人が「みんな、何かあったの?」とまったく自身の侵した罪に気付いていないあたり
本当に救いようがない。

その後、石岡君に起こった出来事は前にもまして……うっ……思い出すとこっちまで鬱に――

「そしてラストはこっちのシールだぁ!」
281 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:01:25.25 ID:aAunpJa/0

明らかに場の空気が読めていないテンションで半額神が叫び、
僕は過去の暗い思い出から一気に現実へと引き戻された。彼の無神経さが今はありがたい。

「みんな、準備はいいか?」

「いつでも」「オーケーですわ」

槍水さんの問いかけに梗さん達が答えてしまったので僕は無言で頷くにとどめた。

半額神がスタッフルームの中へと消えて行き、次いで勢いよく開けられた扉がゆっくりと閉まりゆく。
槍水さんが体制を低くした。沢桔姉妹もそれぞれ手にしたカゴを強く握る。

そして扉の閉まる音がすると同時にドンッという音が響き渡たった。
今宵このスーパーに来ていた狼達が弁当コーナーへと駆け、瞬く間に陳列棚の前は戦場と化す。

いつもと何一つ変わらぬ光景がそこにはあった。
282 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:02:04.28 ID:aAunpJa/0

 ●


「何をやっているんだ君達は!?」

彼は思わず叫んだ。
自分の目の前で今日声をかけ、了承してくれたはずの狼達が次々に弁当コーナー目指して駆けていく。

「事前に協定を結んでいたじゃないか! 一体何故――」

「結ぶわけないでしょ! 全員笑わないように堪えてて喋らなかっただけよ!」

乱戦の中から女の声がする。続けて近くにいた坊主頭の男が言葉を放つ。

「ここの連中はあんな姑息な提案なんて受け入れんさ!
 全員が最高の弁当を食うために集まってるんだ!」

ヘラクレスの棍棒は歯噛みする。彼のプライドは木っ端微塵に打ち砕かれた。
おまけに乱戦の中にいるというのに誰も自分を攻撃してこない。
その事実が彼をさらに苛立たせる。

「そんなのは負け犬の愚かな選択だ! 彼女等を駆逐しなければ弁当は減り続けるんだぞ!?」

自分の計画を台無しにしたこの場にいる狼達にヘラクレスの棍棒の怒りが爆発した。
283 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:03:00.61 ID:aAunpJa/0

彼は佐藤へと飛ぶ。
そもそも自分に最初から反抗的な態度を見せたあの2人。

あいつ等をまず先にしとめてやる!

――そう思った刹那、彼の視界が何か≠ノ覆われた。
それが買い物カゴであると理解した時、彼女等の、オルトロスの声が耳に入る。

「佐藤さんの元には」「行かせませんよ」

ヘラクレスの棍棒は直後、乱戦の外に吹き飛ぶ。
何とか体をひねり床に着地すると目の前にまったく同じ顔をした双子の女が立ちはだかった。

「これ以上やるなら」「叩き潰します」

その昔、何度挑んでも勝てなかったオルトロス……
自分は確かに3年前より遥かに強くなった事だろう。

しかし今、自分は果たして彼女等に勝てるだろうか……いや、おそらく――

彼は戦場に背を向け静かにスーパーを後にした。
284 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:03:26.66 ID:aAunpJa/0

 ○


さすがにうなぎの焼ける匂いで活性化した腹の虫の力は凄かった。
普段耳にすることが無いような炸裂音が乱戦の至る所で聞こえる。
倒したと思った奴がいつの間にか立ち上がりこちらを攻撃してくるなんて事は当たり前だった。
それでもようやく最前線まで来る事ができた。

陳列棚の前には槍水さん、そして沢桔姉妹が番人のように立ちはだかり、
怒涛の勢いで押し寄せる狼達を片っ端から吹き飛ばし、寄せ付けない。

「おそいぞ、佐藤!」

「そうですわ!」「待ちくたびれましたよ!」

「すみません!」

僕も加わり弁当コーナーに背を向けると後ろから槍水さんの声がした。

「ここは私達だけでいい! お前は早く月桂冠を麗人に届けてやれ!」

彼女の言葉に驚いて思わず振り返る。
285 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:04:01.65 ID:aAunpJa/0

「「あぶない!」」

僕に殴りかかってきた顎鬚と坊主を梗さんと鏡さんがそれぞれカゴで捌き、床に叩きつけた。

「これは今日、わたくし達を誘ってくださった御礼ですわ」

「さぁ、早く行ってあげてください」

2人が笑顔でそう言ったとき、僕の背後でドンっという衝撃があった。
振り返ると、すごくいい乳房が飛んで……違う。
茶髪の女子高生が槍水さんの蹴りを食らって吹き飛ばされていた。

「私は傷ついている女を目の前にしておきながら、何もしない男は嫌いだ」

槍水さんはその後にこう続けた。……佐藤、行ってやれ。と……
286 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:04:28.93 ID:aAunpJa/0

 ●


自動ドアを潜ると夏の夜の外気が肌に触れる。
氷結の魔女とオルトロスの3人はそれぞれがうなぎ弁当の入ったレジ袋を手にしていた。

「どうだ、この後一緒に夕餉にしないか?」

「まぁ! いいんですの!? わたくし……」

「……喜んで受けさせていただきます。
 姉さん、お願いですからこんな時くらいフリーズしないでください。困ります。私が」

「じゃ、決まりだな。お前達もどうだ?」

槍水が振り返るとそこには弁当を手にした茶髪と顎鬚。そしてカップ麺を持つ坊主の姿があった。

「そうね、私はご一緒させてもらうわ」

「「もちろん、オレ達もいくぜ」」

この会話、この後に控えている食事会。何もかもが数年前に諦めていたものばかり。
全てが温かく、全てが……嬉しい。

「姉さん、唐突に泣かないでください。困ります。皆さんが」

「そう言う鏡こそ泣いているじゃありませんの」

涙こそ流しているものの、彼女等の顔には笑みがあふれていた。
287 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:04:58.24 ID:aAunpJa/0

 ○


電子レンジの扉を開け、ホカホカのうなぎ弁当を取り出す。

「佐藤、早く〜」

「はいはいっと」

テーブルにスタンバイしていた著莪の前に弁当と備え付けのお新香を置く。
僕等はお互いの顔を見てうなずくと一緒に蓋を開けた。

「「おぉっ!」」

ブワッと蒸気が溢れ、蒲焼のタレの何ともいえない良い香りが食卓に広がる。
2人してゴクリと生唾を飲み込む。ご飯の上に錦糸卵が散らされており、
その上から大振りのうなぎが2切れ乗せられているシンプルな構成の弁当だ。
付属していた山椒を振りかけて準備完了。

「著莪、先に食えよ」

彼女はしばらく、う〜ん。と唸っていたが、やがて箸を取り、弁当に突き立てる。
うなぎの身を裂き、ご飯とともにすくい上げ…… 僕の前に持ってきた。

「はい、佐藤。あ〜ん」
288 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:05:27.69 ID:aAunpJa/0

「……いいのか?」

「手に入れてきたのは佐藤なんだしさ、やっぱりアタシから先に食べるのは悪いよ
 ほら、口開けなって」

ここで断るのも何だかな…… 
いただきますと言って差し出されたそれに食いつく。
タレのよく染みたご飯が、そして柔らかな身のうなぎが、そして微かな山椒の刺激が、
口内に広がる。……全てが絶妙のバランスだった。うまい!

「そんじゃ、アタシも……」

著莪はいただきますと声を上げ、ガバッと大きくご飯とうなぎの身を裂き口に入れた。
その凄い食いっぷりを見る限り体調はほぼ元通りのようだ。

「うん、うまい!」

そう言って著莪は再度うなぎとご飯を切り取り口に運ぶ。
僕はお新香の容器の蓋を開け、キュウリを摘み口に入れた。

キュウリの爽やかな味わいで口内に残っていたうなぎのタレのこってり感が消えていく。
また、コリコリとした食感も柔らかなうなぎと対照的でとても良いアクセントだ。
289 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:05:58.32 ID:aAunpJa/0

「うまかったぁ」

著莪は幸せいっぱいの声で言うと、ソファーに体をあずけた。
それに引きえ僕はテーブルに突っ伏した状態である……原因はさっきの食事だ。

「クソ……半分以上食いやがって……」

確かに著莪が最初に随分と殊勝なところを見せたので油断していた事は認めよう。
……しかし、それにしたって……いや、待て。
逆に考えるんだ。あげちゃってもいいさ≠ニ考えるんだ。 ……チクショウ、無理だ……

「佐藤、こっちに来なよ」

著莪はソファーの隣をポンポンと叩いて、手招きしている。

「何だよ……これ以上僕から何か奪おうってのか?」

「いいからおいでー お従姉さんが幸せをシェアしてあげるからさ」

疑いのまなざしを向けながらも僕は彼女の隣に座った。
すると著莪は僕の首元に抱きつき、そのままソファーに倒れこむ。
僕もまた彼女に引っ張られるままソファーに身を横たえた。
290 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:08:10.75 ID:aAunpJa/0

――しばらくしても著莪は何の反応も見せない……

「……で、これのどこが幸せのシェアになるんだよ?」

「美人のお従姉さんにこうやって抱きつかれてるんだよ?
 なんかこう、幸せな気持ちになったりしない?」

……あぁ、そういうこと……
まぁ、幸せかどうかはともかくコイツが元気になったのは喜ばしい事と言える。
こんなふうにじゃれ合うのも久しぶりだ。

「なぁ、お前こんなことしてて大丈夫なの? 体調とか」

著莪は一瞬キョトンとして眼鏡越しに僕を見てくるも、すぐにその顔をニヤリと笑みで和らげた。

「なに、心配してくれているの?」

「まぁ、そうだけど……」

僕が答えると著莪は、えっ、という顔をして、
「……そんなこと言うとは思わなかった」と呟き、眼鏡を外す。
291 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:09:06.67 ID:aAunpJa/0

著莪の顔が近づき、――互いの唇が触れた。

突然の事で頭の中が真っ白になった僕をよそに著莪は唇を離す……

「ありがとう……素直に嬉しいよ」

顔を紅くしてはにかむような表情をする著莪。
なんだかこのまま見つめていると変な気分になりそうだったので、急いで目を逸らす。

「ど、どういたしまして……」

少し間をおいて、僕等はどちらからともなく笑い出した。

「お互い、こんなのガラじゃないって。佐藤、久しぶりにゲームしよう♪」

確かにそのとおりだった。ガラじゃない。 
……でも、偶になら……

あんな著莪もいいかな、と僕は思った。


 〈了〉
292 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/03/14(水) 19:12:46.58 ID:aAunpJa/0
今日は以上です。
今後、仕事が忙しくなるので月に1回投下できれば、というペースになりそうです。

293 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/03/14(水) 20:03:23.08 ID:pj4TkJ5e0
>>292
乙てした!
294 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大分県) [sage]:2012/03/14(水) 20:33:38.12 ID:UHMcsp990
乙です
295 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県) [sage]:2012/03/14(水) 20:35:51.90 ID:sfCMt/sjo

待っててよかったと思える面白さだった
次も待ってる
296 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/14(水) 22:17:04.21 ID:jaq0nxKyo

相変わらずのクオリティだったわ
297 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/03/15(木) 00:31:08.80 ID:iRSv8S/Fo
乙でした
いつもながら素晴らしい
次も待ってます
298 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/03/15(木) 19:20:40.11 ID:DWzzFGB6o
ほんといい出来ですね
ニヤニヤしながら楽しく読んでます

仕事も頑張れー
299 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長野県) [sage]:2012/04/13(金) 01:19:17.00 ID:5VUa989Fo
そろそろかな
300 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:43:47.66 ID:UA5975g90
お久しぶりです。

遅くなりましたが投下致します。
301 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:44:20.01 ID:UA5975g90

 ―00―


『彼』は今非常に満ち足りた気持ちで一杯だった。前から数えて3番目の車両、4人掛けのボックスシートに腰掛、
1人、ペットボトル入りのお茶を片手に窓の外を流れ行く風景をゆっくりと眺めている。緑豊かな田舎の風景だ。

胸のポケットからさり気なく赤いハンカチを覗かせている『彼』は自称《企業戦士 サラリーマン》のリーダー《レッド》。
いつも彼と同じく3両目の車両に乗り込んでいる他4人のメンバーを束ねる者(少なくとも彼はそう思っている)である。

他の者から見れば全員が赤の他人であると認識するだろう。
しかし自分達5人は目には見えない固い絆で結ばれているのだとレッドは信じてやまない。
その証拠につい数分前にも共に戦場を駆け抜けてきたところだ。

「……強敵だった」

最初に『奴等』と対峙したのは去年の事。狼とその道で称されている『奴等』、
さらにその中でも最強の枕詞を持つ《魔導士》が率いるHP部との死闘は今でもハッキリと思い出すことができる。

軍配は魔導士に上がり、自分は空腹を味わう羽目になった……。
302 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:44:53.84 ID:UA5975g90

だが、あの敗北を糧として自分達はさらに強くなった。
自分に他のメンバーのプライベートは分からないが、恐らくは個々に鍛錬やイメージトレーニングを重ねていたに違いない。
それを証拠に自分同様『奴等』が来るであろう事予感した4人は今日この1年間に培ったものを各自、
思う存分に発揮していた。

グリーンはここ1年で自慢のくたびれたスーツに益々磨きが掛かっているし。
去年の今頃、比較的地味なネクタイを着用していたブルーが今日等は『ジョジョの奇妙な冒険』のグッズである
吉良良影の髑髏ネクタイを装着するまでになっている。

紅一点のピンクに至ってはちょっとぽっちゃりしていた自身の肉体をトレーニングによって絞り、
今や細身のキャリアウーマン風だ。
さらに今日の彼女は黒い勝負下着を身に付けており、相当気合が入っているなとレッドは思った。

そして最後にイエロー。彼だけは一見この1年で変わったような箇所は見受けられない。今日も今日とて相変わらず、
どこで売っているのかわからない『らん☆らん☆る〜♪』とかかれた黄色いシャツを見事に着こなしている……。

しかし企業戦士のリーダーを勤めるレッドの目は節穴ではない。彼はイエローの内なる変化を敏感に感じ取っていた。
303 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:45:19.80 ID:UA5975g90

イエローは昨年の敗北から3ヵ月後、車内である本を読み始めたのだ。
本のタイトルは『初心者でも飼える熱帯魚入門 ――グッピーと癒しのひと時を――』というものであり。
明らかに敗北し、傷ついた心に拠り所を求めているのだな、とレッドは推察する。

――それが今では『土佐犬の飼い方 ――大きな愛で抱きしめて――』である。
この薄っすらと獣臭が漂ってきそうな本を読むことで自らを鼓舞し、戦闘意欲を高めようとしているに違いなかった。

ちなみにその彼が1月ほど前、僅か1日だけだったが『女王様に飼っていただく100の方法
 ――ようこそMの世界へ――』という私設会報的な書類を一心不乱に読みふけっていた時、
隣の席にいたレッドの姿勢が微妙に前かがみだったのはあまり知られていない。

このようにグリーン、ブルー、ピンク、イエローの4人はいろんな意味で己を鍛え上げていた。
そしてそれはもちろんレッドとて例外ではない。

彼は己の中で確固たる自身の理想のイメージを作り出す為、
週末はほぼ欠かすことなくデパートの屋上や遊園地等で行われるヒーローショーに足しげく通った。

これまでは近場のデパートで行われているときに限り見に行っていたレッドだったが、
過去1年はわざわざヒーローショーのスケジュールを調べ上げ、例え県外であっても可能な限り見に行く程に熱を入れた。
304 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:45:48.63 ID:UA5975g90

プラス、これまではショーを見ている最中に最前列で子供達に混じり、誰よりも大きな歓声を上げるレッドだったが、
さらに今までの倍近い声量で歓声を上げるという試みも同時に行っていた。

その結果、彼は毎回必ずスタッフの人達に裏へ連れていかれ説教を受ける羽目になってしまい、
せっかくのヒーローショーが観戦できなくなってしまうことから、こちらの試みは道半ばで挫折している。

ちなみにどうしても遠方過ぎて足が伸ばせない時には朝から自室に籠もり、
戦隊モノのDVDを観賞する事でカバーしていた。実家住まいなので両親の反応が少々気がかりではあるが……。

――それらはすべて、今日というこの日の為!

レッドと彼の戦友達(少なくともレッドは一方的にそう思っている)は各々が断固たる決意を胸に駅を駆け。
その手に勝利を掴みとった。期待していた魔導士はいなかったものの、
去年から続けて唯一参加していた《氷結の魔女》が今年もそうそうたるメンバーを引き連れて来ていた。

まず目に付いたのが、まったく同じ顔をした2人の小女。一方は髪にカールがかかっており、
もう一方はショートカットだがもみ上げ部分のみ伸ばしている。
それぞれバリエーションの違うキャミソールワンピにカーディガンを羽織っていた。おそらくは双子だろう。
305 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:46:16.85 ID:UA5975g90

次いで、その後ろに小動物のように小さくなってオドオドしている小柄な少女。
周りが美人ぞろいなのでどうしても目立ちにくいのだろうが、
彼女とて十分平均以上の容姿を持ち合わせていると言っていい。
チュニックにハーフパンツ、足にはサンダルというシンプルな装いもよく似合っているといえる。

さらにその後ろ、結局電車からは降りなかったが、長い黒髪を腰の辺りで白いリボンで纏めた小女。
白いボーダートップスにデニム生地の黒いショートパンツを合わせており、スレンダーな和風美人という印象を受ける。

そしてそんな中にまるでハーレムよろしくといった感じの少年が1人。その第1印象はズバリ――バカそう、であった。
未だに気合い次第で『かめはめ波』が本気で出せると信じているいるであろう底知れぬバカ……、そんな感じだった。

……しかし今年1番の強敵はこの少年かもしれない。

レッドはそう思った。Tシャツの上からでもそれとなく鍛えられたボディである事が窺えたし、
何よりも『かめはめ波』をあの年になってもなお、出せると思っているような純なバカがレッドは嫌いではない。

そして自分の予想は見事に……いや、それ以上に当たった。
何と少年は電車に残った仲間、そして途中で脱落した小柄な少女の分の弁当まで合わせて購入したのだ。

まったくなんという底なしのバカなのだろうか。
自分の分だけでも購入後の移動が大変だというお粥弁当を一度に3人分も……。
306 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:46:45.38 ID:UA5975g90

しかしレッドはそんなバカな少年に自分が理想として追い求めてきた正義の味方のあるべき姿を垣間見た気がした。
自らを犠牲にしてでも弱き者のために頑張るその心こそ今の世では尊いもの。

――それをこんなところで勝負にかこつけてみすみす見殺しにするのが大人の……いや、正義の味方のすることか!

初心を思い出したレッドは明らかに遅れ、このままでは電車に間に合わないであろう少年に自らの奥義を伝授。
結果、かろうじて少年と自分、2人の正義の味方は車両のドアが閉まる直前、一緒に乗り込むことができた。

こんなに晴れやかな気分になったのはいつ以来だろうか? 

レッドは膝の上に置いたおかゆ弁当の蓋を取り、勝利の味を堪能した。

そう、企業戦士VS狼などというちっぽけな勝利では決して得られることはなかったであろう、真の勝者の味だ。
子供達の笑顔がそれを象徴している。
自分と後ろのボックスシートに座る少年少女達、そして何故か≠アの電車に乗っていない他の企業戦士達。

――この全員がまぎれもない勝者なのだから。

……ところで話は変わるが、今日のレッドはいつも以上に身だしなみに気をつかっていた。
狼達との待ちに待ったリターンマッチを予感したというのもあるが他にも理由がある。
今日、会社で重要な会議があるのだ。
307 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:47:14.95 ID:UA5975g90

彼がリーダーに抜擢されたかなり大掛かりなプロジェクトに関するもので、
他社のお偉いさんを呼んでのプレゼンテーションが予定されている。
今後、彼のサラリーマン人生を大きく左右する大切な会議と言っていい。

この日の為に作成していた資料も昨夜から朝まで掛かってようやく完成した。
自らの胃をコーヒー漬けにして作ったソレは完璧な出来栄えで、
最終チェックを終えたレッドは思わずガッツポーズを決めたほどだ。

しかしその代償も大きくコーヒーのせいで荒れた胃は普通の食べ物を受け付けない。
だからこそ今朝は是が非でもこの弁当が食べたかったのだ。荒れた胃にやさしい、このお粥弁当を……。

窓の外を流れる景色はいつのまにか木々が茂る山間の風景へと変化を遂げている。
いつもと違う光景を見たレッドはこの瞬間、お粥と樹木の葉っぱが織り成す濃い緑色によって2重の癒しを受けていた。

いつもこの時間に見ていた都会の灰色ではこれほどの癒しはなかったに違いない。

そう思った彼はこの満ち足りた気持ちの中で最後にもう1度、書類のチェックを行おうと考え、
鞄が置いてある筈の場所に手を伸ばす。

「万が1でも書類に不備があっちゃぁいけねぇからな。何たって今日の会議は重要な……」

彼の掌はそこにあるはずの鞄を掴むことなく、ただ何も無い場所でニギニギと開閉を繰り返していた。
308 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:47:41.67 ID:UA5975g90

――びゃあぁぁうまいぃですわぁぁぁぁぁ!。 ――ちょっ、姉さん。静かにしてください。
他の乗客の皆さんにご迷惑ですよ……もちろん私も迷惑してますが。
――えっ、鏡。何を言ってますの? この車両にはさっきの駅までずっとわたくし達だけで――。
――いやぁー! このお粥弁当、凄くうまいですねぇ!! ほら、白粉と白梅も食べてみろよ! めちゃくちゃうまいぞ!!
――えぁ、は、はい! いただきますね、佐藤さん!  ――いただきます……。
――ふむ、やはりこのお粥弁当は期待を裏切らないな……お、エビだ。

自分は正しい事をしたんだとレッドは今1度実感した。これから先、たとえ自分にどのような困難が待ち構えていようと、
この少年少女達の声を思い出せば、……何とか耐えられそうな気がしないでもない……。

「さて……この朝食が終わったら会社に連絡すっかぁ!」

威勢の良い声とは対蹠的にレッドは俯くような前かがみの姿勢でゆっくりゆっくりとお粥をスプーンですくい、
ズズーっとやる気のない音を立ててすすった。

先の発言には暗に、この朝食が終わるまでは幸せな気分でい続けられる、厳しい現実を直視しなくて済む、
という彼の無意識の願望が込められていたのかもしれない。

しかし彼は分別ある1人の大人として自らの行いに責任を取らなければならない。
それこそが《企業戦士 サラリーマン》の悲しき宿命でもあるのだから。

「……それにしてもよぉ、この弁当……塩っけが強すぎらぁ……」
309 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:48:18.96 ID:UA5975g90

 ―01―


「それにしても、さっきお弁当を食べた時のリアクションは一体何なんですか、姉さん?」

「フッフッフ、よくぞ聞いてくれましたわ、鏡。料理漫画のキャラクターなんかがド派手なリアクションを
 するじゃありませんか。わたくしもあんな風に目立てば少しは佐藤さんの気を引けるかと……」

「……はぁ…………」

「深い! 鏡のいつもより深いため息がわたくしの心を容赦なく抉りますわぁぁぁ!!」

僕と著莪が通う丸富大学付属高校の生徒会会長、同副会長をそれぞれ務めている沢桔梗と沢桔鏡。
2つ名は《オルトロス》。

「今日から2泊3日ですか。楽しみですね、白粉さん」

「うん、楽しみだね。梅ちゃん」

私立烏田高校の生徒会会長、白梅梅。同校の生徒、白粉花。2つ名はない。

「そういえばさっき駅のホームで妙な奴等がこっちを見てましたけど、アレってやっぱり……」

両側に高い木々が続く道路を歩きながら前を行く女子に話しかける。
彼女は歩みを止めることなく僕の歩に顔を向け「十中八九狼だろうな」と言った。普段と変わらぬキリッとした目つき、
肩口ぐらいまでの髪はワイルドに見えるように丁寧にセットされ、爽やかなカルバンクラインの香りが仄かに漂よう。

私立烏田高校、HP同好会会長を勤める槍水仙。2つ名は《氷結の魔女》。
310 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:48:48.67 ID:UA5975g90

僕達は今、とある田舎町に来ている。
夏休み突入直後こそ、同居人で従姉の著莪あやめを看病していた事により、若干の出遅れを余儀なくされた僕ではあるが、
彼女の体調が戻るや否や、破竹の勢いで毎日を遊び倒していた。

昨年改築が行われ、やたらと立派になったらしい学校のプールへほぼ毎日出向き、
第2次性徴を迎えた女子の水着姿をつぶさに観察したり。その際、校門前でハゲのオッちゃんと、
『ドラゴンボール』VS『ジョジョの奇妙な冒険』という異種格闘戦を繰り広げたり。
あせびちゃんの家に泊まりにいって徹夜で『桃鉄』をやる筈が、いつの間にやら肝試しに予定変更しちゃってたり……
(ちなみにこのいずれにも、もれなく著莪がおまけで付いてきている)。

もちろん夜は夜で著莪が寝静まったあと、ネットでロシア美人のエロ画像収集に惜しげもなく時間を費やした。
おかげで寝不足になるわ、「ロシア美人の脇のエロさは異常!」とかいう大変マニアックな寝言を著莪に聞かれるわ……。

しかしそれらはすべて『HP同好会強化合宿2泊3日IN夏休み』の為の前座に過ぎなかったのだ!

当初は槍水さんと白粉、そして僕と母方の実家に行く為途中参加の著莪、
僅か4人という少数だったものの、何だかんだあって総勢7名(内1人途中より合流)と相成った。

メンバーの中で唯一、狼とは無縁の白梅が一緒に来る事には驚いたが、
白梅曰く「例の部員交流の活動記録簿を偽装する為です」とのこと。
偽装という言葉をサラリと言ってのける大胆な梅様であった……。

ちなみに本当はあせびちゃんも来る予定だったのだが、
案の定予想通りというか今朝彼女から風邪が悪化して一緒にいけないと連絡があった。
つくづく不憫な子である……しかもそれを当の本人が気付いていない辺りが益々……。

とりあえず彼女には何かお土産を買って帰ることにしよう。さて、何がいいか……。
311 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:49:22.71 ID:UA5975g90

あせびちゃんへのお土産はさて置き。今日の服装ゆえにガバっと思いっきり露出した槍水さんの背中をガン見しながら、
……着エロってやつは素晴らしいな。なんて考えていると「着いたぞ、ここだ」と槍水さんの声。
見れば、周囲を木々で囲まれた三角屋根のロッジが僕の目の前に立っていた。

「まぁ、なかなか立派なロッジではありませんの。……でも、近くに湖もあることですし。
 なんだかホッケーマスクを装着した――」

「ストップです、姉さん。あえて誰もが口にしないことを先陣切って言おうとしないでください」

……一同の中に何ともいえない微妙な空気が漂う。つまり奴が出てきそうだな、と全員が想像していたということか。
確かにそれっぽい雰囲気が漂っていて、仮に何か≠ェ起こったとしても決して邪魔が入らないといった感じだもんなぁ。

「……まぁ、ともかくここは我々の貸切だ。管理人もいないし夜に騒いでも迷惑は掛からないぞ」

……おいおいジョニー、どうしよう? 今夜僕は自分の内なる獣を抑えきれる自信がないぜ? 

僕は思わず、今もなお井上総合病院の個室のベッドの上でカジキマグロをやっている男の名を呼んだ。無論、胸の内で。
だってそうだろう? 夏休み、うら若き男女が――

「きゃぁー! どうしましょう!? 今の聞きまして、鏡! うら若き男女が1軒のロッジを貸切ってのお泊り……
 と、くれば当然夏休みというイベントの効果もプラスして、高まった欲望は自然と肉欲に結びつくのは必死!!
 最終的には平和な筈の合宿が乱交パーティーへと変貌――」

「やめてください、姉さん!!」
312 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:50:03.39 ID:UA5975g90

……ひょっとしてドラッグでもキめちゃってるんじゃないだろうかと、
疑いたくなるぐらいテンションの高い梗さんだった……。 
鏡さんは果たしてこの合宿中、姉の暴走を止め続ける事ができるのだろうか?

梗さんを除く全員のテンションが著しく下がり、僕等の周りだけ冬が訪れそうな気配が漂う中、
――お取り込み中申し訳ないんですが、ちょっといいでしょうか……? と女性の声。

振り返ると、ワンピースを着た、小柄な娘が若干引きつったような顔をして立っていた。

「管理を任されている、淡雪です」



僕等は淡雪が注意事項他を一通り説明して帰っていった後、
リビングにある3つの3人掛けソファーにそれぞれ腰を下ろした。
沢桔姉妹、白粉と白梅、最後に僕と槍水さんといった具合に別れ、これからの予定、及び部屋割りを決める。

4つの部屋が用意されており……うん、まぁ。わかってはいたさ……みんなで雑魚寝なんてできないことぐらい。
……ハハッ。ジョニー、僕はもう現実の厳しさってやつに疲れ果てちまったぜ……。

一縷の望みとして梗さんが3度、僕の思いを代弁してくれないものかと思っていたが。
今度は最初から鏡さんが手で姉の口を押さえていた為、その願いが叶う事はなかった……。
313 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:50:30.78 ID:UA5975g90

本当に現実は厳しい。
これを教訓にして、そろそろ莫大な制作費をかけたセガの『シェンムー』の完結編はいつ発売されるんだろう? 
って淡い期待は捨てるべきだろうか?

――否! 一度セガに魅せられた以上は、例えこの身が朽ちようとも信じて待つのが生粋のセガ派が取るべき道の筈だ!
なぁ、そうだろう? 著莪! …………は、いないんだよな。

隣には槍水さんがいる。別に不満があるという訳じゃないんだけど……。
なんだかどこかスカスカしているような、妙な気分だ。

「――よし、部屋割りはこれでいいな。では各自部屋に荷物を置いたら早速強化合宿のメニューをこなすとしよう」

槍水さんは言い終ると荷物を手に部屋へと向う。他の面々もそれに続く。
結局、部屋の割りあては。沢桔姉妹が一部屋、白粉と白梅が一部屋、明日合流する予定の著莪と槍水さんが一部屋。
残る一部屋が僕となった。やったぜ! 僕だけ豪勢に1人一部屋だ! ヒャッホウ!! ……とは素直に喜べねぇ……。

実は最初に槍水さんが提案した部屋割りは彼女1人が一部屋で、僕と著莪が同室というものだったのだけれど。
せっかくのお泊りなのに槍水さんだけが1人ハブられてるような状況は好ましくないと判断して、
僕が1人部屋をになる事を買って出たのだ。

槍水さんは、すまないな……と言いつつも、ちょっぴり嬉しそうな顔をしていた。
まだ付き合いは浅いけど彼女が割りと寂しがり家なのが窺える。
本当は「僕が槍水さんと同室にっていうのはダメですか?」と聞くサブプランも頭にはあったのだが、
まだ早いと判断して控えておいた。
314 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:51:55.75 ID:UA5975g90
2泊3日の合宿はまだ始まったばかり。ここで事を急いで失敗してしまうと致命的なミスになりかねない。
……そう、焦る必要などどこにもないのだ……。とりあえずは深夜にトイレから戻ろうとして部屋を間違え、
おまけに女の子が眠っている布団にナチュラルに潜り込み、
朝にはその娘とモーニングコーヒー……なんてシチュエーションはどうだろうか? さすがにキツイか? 
いや、案外いけるかもしれないぞ……ぐふふふ……。

思わずにやけそうになるのを抑えて、割り当てられた部屋の扉を開ける。
――立派な部屋だった。結構な広さがあり2段ベッドが備わっている。加えて窓からの眺めもなかなかいい。
しかし、やっぱりここに1人で寝るのはちょっと寂しいかもな……そうか! 
それを逆手にとって寂しいですから誰か僕と一緒に寝てくださいって感じで女子に話を振ればいいんだ!

うーむ、今日の僕は絶好調だな。我ながら素晴らしくブッ飛んだアイデアが湯水の如く溢れてくるぜ。
そうだな、白粉と白梅は難しそうだし、狙うなら槍水さんか沢桔姉妹あたりがいいか……。
槍水さんは明日にも著莪が加わる事を考えると今夜しかチャンスがないな。
沢桔姉妹はうまく事が運べば2人同時にいただきま――

「佐藤君、もうみんな待ってますよ」

「あぁ、悪い。今行くよ、白梅」

「やけに嬉しそうですね。著莪さんから連絡でもあったんですか?」

「いいや、違うけど?」
315 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:52:35.95 ID:UA5975g90

嬉しいのは当然として、何故そこで著莪の名前が出るんだろう?

「そうですか、さっきリビングでミーティングをしていた時も何だか表情がイマイチ冴えないような気がしたので」
 もしかして著莪さんがいないせいかな、と」

……そうかな? 自分では、ひょっとして今なら僕……『かめはめ波』あるいは『波動拳』のどちらかが
出せるんじゃないだろうかってぐらい、気持ちが充実してると思っているんだけど。

とにかく行きましょう。そう言って玄関の方へいく白梅。僕は彼女の後姿を見ながら、
今宵のターゲットあえて難易度の高い白梅にしようかな……なんて考えていた。



僕は瞼を開ける、滝に打たれているので飛沫が飛び視界が悪が、それでもまったく見えないわけじゃなかった。

眼福だぁ……心底そう思う。なにせ僕の目の前には競泳用水着を着て腕組みをした槍水さんが降臨しているのだ。
しかも先ほど彼女自身が言っていたように……水着のサイズがちょっとだけ合っていないことが窺える。

「実は昨日、着けてみたら……去年のじゃちょっと小さくなっていたんだ。……だから、その……笑わないでくれ」

もちろんですよ! 笑うわけないじゃないですか! っていうかそれってつまりは……発育した。
と捉えていいわけですよね? よぉし! イエス!! 

僕は歓喜した。もちろん胸の内で。
316 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:53:06.26 ID:UA5975g90

もしこれで槍水さんが先の理由から水着を持ってきていない、何てことになっていたら僕は発狂した自信があるね。
祟り神の如く怒り狂っていたかもしれない。
多分、槍水さんは自分だけが水着を持っていないことで仲間はずれみたいになるのが嫌だったんじゃないだろうか。

だがそこがいい、そんな見た目のクールな印象とは裏腹に実は寂しがりやな槍水さんが僕は大好きです!!

「ん? 何だ、佐藤。ニヤニヤしてどうした? ……やっぱり私の水着姿が変なのか……?」

「いえ! 断じてそんな事はありません! とてもよくお似合いです!!」

――特にそのピッチリ具合が何とも!! という言葉はかろうじて飲み込んだ。
危なかった……あぁ、そうそう、危ないといえば今の僕も結構危ないのだ。無論、頭がではない。
半額弁当争奪戦に参戦し始めてからというもの体が鍛えられたようで、
その結果僕のウエストは見事に引き締まり昨年買ったこの海パンが気持ち緩くなってしまったのだ。

そこに加えてこの滝に打たれるというイベントの発生である。
察しの言い方ならお気づきかと思うが……海パンがずり落ちそうなのだ。
ならば何故落ちない? と思われた方には1つだけ言っておこう……引っかかっている、と。
あとは察して欲しい……。

「そ、そんなに大声で言うな……」

気のせいか、槍水さんの頬に少し朱が差したように見える。本当にかわいい人だな……スタイルも悪くないし。
何より普段はあのゴツイブーツと黒ストに隠された生足が拝めた事が何よりの収穫だ。ホント、御来光って感じ。
今日等はブーツに黒いニーソの組み合わせだったので、――御足とニーソが織り成す境目のプニっと具合が最高! 
って薄々思っていたけど……上には上があるもんだな。……ぬふぅ。
317 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:56:41.37 ID:UA5975g90

ところで何故ゆえに僕がこうして滝に打たれているのかというと。槍水さん曰く。

――これからあの滝に打たれて心と空腹を研ぎ澄まし、腹の虫と会話≠してもらう。

――何を言ってるんですの? 意味がわかりませんわ。

あの時の梗さんのツッコミは実に秀逸極まるものだった。あの場にいた全員の気持ちを見事に代弁してくれていた。
その直後、鏡さんが「腹の虫との会話とはどういう意味なのですか?」とすかさずフォローを入れた事も評価に値する。
さすがは2人で1対の獣、オルトロスだ。

その後の槍水さんの追加説明は長いので割愛するとしよう。
まぁ、ぶっちゃけ僕にとってはかなりおいしい展開である事は確かだ。
何てったって、合法的に女子の水着姿を拝むことができるし。
男は僕1人とくれば、これはもうハーレムエンドを迎えたといっても過言ではないだろう。

「よし、そろそろ交代しよう。次は誰だ?」

滝がそれほど大きくないので1度に1〜2人が入るぐらいしかスペースがないのだ。
ちなみに僕が修行僧よろしく滝に打たれている間、槍水さんを除く他のみんなは楽しそうに遊んでいた。

「次はわたくし達がやりますわ」「姉さん、当たり前のように達≠ニ言うのはやめてください。私は嫌で――」

「さぁ! 行きますわよ、鏡!!」

気合十分の梗さんは明らかに嫌がっている鏡さんの手を引いて滝の中へと入っていった。
318 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:57:36.04 ID:UA5975g90

「よく頑張ったな、佐藤。それじゃ遊んでこい」

「いや、僕はここで梗さん達の様子を見ておきますから、槍水さんが先に遊んできてください」

「……いいのか?」

「はい」

槍水さんは、それなら素直に甘えるとしよう。そう言って白粉達の下へ。

その際、ピチッにとした水着のせいで、動くたびに肌と水着の生地の境目がニーソの比じゃないぐらい
プニプニというかムチムチっつぅか……。ふぅ…………正直たまりません!

おっと、いかんいかん。落ち着け……まだ先は長いぞ、佐藤洋。
今ここで暴走すれば色々とヤバイ。本番はあくまでも夜だ。まだ慌てるような時間じゃない……。

僕は熱くなり過ぎた下半身のアレを沈める為に川底に座り、首だけ出した状態で冷却を開始。同時に沢桔姉妹の
観察を開始した。

彼女達の水着は色違いのビキニ(アンダーに肩紐なしのチュ−ブトップタイプ)だ。梗さんが白で、鏡さんが黒。
……こうして見ると、お2人もなかなかスタイルが良い。
というかこの場にいる女子は1人を除き、全員が順調な発育具合だ。益々今夜が楽しみである。

……それにしても、女子が滝に打たれている様を目の前でじっくりと眺める機会が訪れるとは予想外だった。
重力という力を得て流れ落ちる水の勢いはこれで結構侮れないものがある。
現に今2人の水着(上)がもう少しでポロリしちゃうんじゃないかって状態なんだよね。

なぁ、ジョニー。こんな時、僕はどうしたらいい?
やっぱり、ここは僕のこの両手で持って水着が落ちないように支えてあげるべきじゃないかな?
319 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:58:10.74 ID:UA5975g90

ふぅ……イカンな、実にイカンですよ。

沢桔姉妹の水着がもう少し見えそうというギリギリのところを死守する中、僕は2人の表情の変化に気付いてしまった。

多分水の勢いに耐えようとしているせいだとは思うけど、顔を赤くして唇を噛み締め、互いに手をつなぎ微かに震える
その様子は、まるで姉妹揃って何らかの辱めを受け、必死にその恥辱に耐えているかのように見えてしまうのだ。

うん……その、なんだ。すごく……エロいです。

「姉さん……私、もう……限界で、す」

――僕も限界です……。

「鏡……もうちょっと、だけ。……頑張って」

――そうですね。僕も、もうちょっとだけ頑張ってみます……。

「佐藤君、ちょっといいですか?」

――えっ、いきなり僕をご指名ですか!? そんな……経験のない僕でそんな大役が務まるかどうか……いえ、もちろん
嬉しいんですけど。

「聞いてますか、佐藤君?」

――もちろん聞いていますとも。わかりました、僕も男として覚悟を決めます。
もしデキちゃったりしてもちゃんと責任は取ります。
大丈夫ですよ、まだ自立してるわけじゃないけど、すでにアッチのほうは完全に自立しちゃってるんで。

「怒っていいですか?」

あぁ、そうですよね。やっぱりこういう事は結婚した後に初めて行うほうがいいですよね。
ちょっと古風だけどそこがまた魅力的っていうか……。

「怒ります」
320 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:58:45.13 ID:UA5975g90

「――で、何の用だよ?」

白梅様の強烈な1発で水中に沈んだ後、文字通り煩悩を水に流した僕は改めて彼女の用件を窺う。
ついでに彼女の水着姿も窺う。……ふむ、いいな。凄くいい。

ホルターネックの黒いビキニ。ローライズなショーツに彼女の膝ぐらいまであるレースのパラオが巻かれている。
しかもビキニはうなじと胸元、その両方を縛っているタイプで、おまけにパラオはスケスケだ。
うーん、何というかエロとは一味違うものがある。セクシーとでも言うのが適切だろうか……実に白梅の良さを
表すチョイスだ。

……とりあえず、アレだな。無性にビキニの紐を解きたい衝動に駆られるな、うん……。

「白粉さんに元気がないんです。何だか悩み事があるみたいで……」

なるほど、それで白粉の奴、今日はあんまり口を開かなかったのか。初対面での印象が引っ込み思案って感じだったから
これがデフォルトかと思ってたけど違うんだな。

「わたしや槍水先輩が聞いても、何でもない、の一点張りで……。
 ですから男の佐藤君だったらわたし達と違った雰囲気でもしかしたら……」

……男だったらっていうのはどうだろう? むしろかえって話しづらくなるような気がするけど……
まぁ、やるだけやってみるか。
321 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:59:17.05 ID:UA5975g90

「隣いいか? 白粉」

白粉は川縁にある大きな岩の上に座り、物憂げに膝を抱えていた。

「えぁっ、は、はい。どうぞ……」

彼女のすぐ隣に腰掛け、僕はチラリと横を見る。……それにしてもコイツは第2次性徴をどこに忘れてきたんだろうか? 

「あ、あんまり見ないでください。……恥ずかしいですよ……」

いつも付けているヘアピンとリボンを外し、代わりに髪ゴムで髪を纏めている白粉は少し頬が紅潮し、
手をモジモジさせていた。そんな彼女の水着はおそらく中学時代のものと思われるスクール水着で胸元に名前が入って
いるのだが……そこには本来あって然るべきモノがない。

そう……見ているこっちが、かわいそう……。と思ってしまうぐらいの見事なまな板なのだ。

確かに白粉も立派な美少女には違いないだろう。彼女の小動物チックな仕草に思わずときめいちゃう奴もいることだろう。
しかし残念ながら僕の好みではない!

僕は無言で白粉の胸元を見つめ、深くため息をつく。すると彼女は見るからに落ち込んでいった。

「……ご、ごめんなさい。そ、そうですよね、あたしのようなナメクジみたいなのが水着なんて着てたら
 ……見苦しいですよね……」

……ナメクジみたいとは、さすがの僕でも思わなかったけど……。
322 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 18:59:45.91 ID:UA5975g90

「白粉、もっと自分に自信を持てよ。お前って結構かわいいんだしさ、諦めたらそこで試合終了ですよ?」

「……え、え?」

コイツはきっと名作『スラムダンク』を知らないのだろう。
人生における楽しみ、その3割を損しているな、実にもったいない。

「何か悩み事があるなら僕でよければ相談に乗るけど?」

例えば……そう、胸についてとか。……というか是非そうであって欲しい! 
そうすればあの有名な都市伝説の真相をこの手で確かめる事ができる。僕のゴットハンドで白粉の胸を揉み、
育つのか否かを!!

そうだよ、大事な事を忘れていた。昔の偉い人は言いました――『胸が小さいなら、揉んで大きくすればいいじゃない』
――と!!(※注:言ってません)白粉だって素材はいいんだ。ただ胸部がまな板なだけ、
胸に関してはこれより下がりようがない! 後は上がっていくだけだ!! 

「本当ですか?」

「あぁ! ホントホント! マジも大マジ!!」

「じゃ、その……失礼して……」

白粉は言って、僕の方に手を伸ばし――

「佐藤さん、やりましたわ! ついに腹の虫との会話を果たしましたわー!!」

僕等が座っていた岩の下で梗さんが手を振っていた。チッ、当たり前だけどポロリはしなかったのか。残――

「チッ」
323 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:00:18.46 ID:UA5975g90

……気のせいかな? 今横から舌打ちが聞こえたような、――瞬間。僕の全身に鳥肌が立つ。
真夏の太陽を浴びているにも拘らずだ……。

スーパーで名うての二つ名持ちと対峙した時のような感じのものじゃない。これは……そう、まるで親父の奇行を
目撃した時のような……いわば負のもの!

何だかまるで巨大なナメクジが体の上を這っているかのような気持ち悪さというか……負っつぅか、
むしろ腐っつぅか……。

「佐藤さん、どうかされましたの?」

「顔色が優れないように見えますね」

「あぁ……大丈夫ですよ。多分はしゃぎ過ぎたんでちょっと疲れただけだと思います」

「まぁ! それはいけませんわ!」

「こちらに来てください。木陰がありますので」

鏡さんはそう言うと木陰にタオルを敷いてくれた。そこまでしてもらったのに断るのも何だか悪い気がしたので
隣にいる白粉に一言断ってからそちらに向う。

「……チッ、まぁいい。まだ時間はある……」

まずいな……白粉の声によく似た幻聴まで聞こえてきたぞ。半値印証時刻になる前に体調を戻さないと。
大丈夫、きっとちょっとだけ連続で興奮してせいで血液が下半身に集まりすぎただけだ。
クールダウンすれば無問題……

――『ニチャ……』

……だと思う、多分……。
324 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:00:46.80 ID:UA5975g90

 ●


――何でっ……!

淡雪は心の中で叫んだ。親友だった真希乃に。そして突然現れ、自分と真希乃の話し合いをブチ壊したあの男、佐藤洋に。
……そして何よりも自分自身に。

彼女はどうしようもなく苛立っていた。それが佐藤のせいでないことも分かっている。
先ほど彼に抱いた感情は完全な八つ当たりに過ぎない。そもそも佐藤がこの場に現れた時点で話し合いは終わっていた。

――いや、あんなものは話し合いですらない。ただ自分だけが一方的に言いたい事をまくし立てただけ。
真希乃に対して自分の感情だけを押し付けて……。

「真希乃、先に行ってるわよ」

思わずそう言って川から上がってしまった。自分でも訳が分からない……。

しばらく歩きふと振り返ると、川の中で真希乃と佐藤が笑顔で話をしているのが見える。
たちまち淡雪の内に言いようのない感情が溢れかえった。彼女は歯噛みして、何だか困惑気味といった感じで
会話を続ける2人を睨みつけ……そしてあることに思い至った。

真希乃が自分ではなく佐藤と一緒にいる、その様子がちょうど今自分達が抱える問題とどこか共通点があることに。

自分の元から離れていこうとする親友……その点において似通っているのでは、と。

「何よあんな奴……」

つい口を点いて出た言葉に淡雪は自己嫌悪した。

――わたしは一体どうしたいのよ……。

325 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:01:23.82 ID:UA5975g90

「おまたせ、えりか……」

自問自答しているうちに気付けば、申し訳なさそうな顔をした真希乃が目の前にいた。
突然の事で動揺した淡雪は勤めて平静を装いつつ、差しさわりのないような話題を口にする。

「結局、さっきの何だったの?」

「うんと……ぬ、の? うん、布……だった」

「布?」

よく要領を得ない答えだったが、淡雪はあえて深く追求することはしなかった。
彼女としては先ほどの気詰まりな雰囲気と、今の自分の動揺が真希乃にバレなければそれでいいのだから。

バシャバシャと激しく水を掻く音がする。
見れば佐藤が逆流であるにも拘らず、物凄い速さで泳ぎ去っていくのが見えた。

「……カッパみたいな人ね。あれ真希乃よりも早いんじゃない?」

「うん、多分早いと思うよ。凄いね、佐藤さん」

せっかく忘れかけていた気持ちがよみがえる。真希乃もそんな淡雪の雰囲気を敏感に感じ取ったようで、
また申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。

――またその顔……!

「……わたし帰るから」

「あっ、えりか待って……あたしも――」

苛立ちのあまりその場を駆け出した淡雪の耳には真希乃の言葉は途中から届かなくなった。
326 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:01:52.35 ID:UA5975g90

 ●


成田空港に降り立った『彼女』は両親とロビーで別れ、1人、ボストンバッグを担ぎながら歩を進めた。
当初の予定ではこの後、実家に1泊してそれから『彼』等と合流する筈だったのだが、
急遽予定を早め、ココから直接向う事にした。

「……それにしてもヤバイなぁ……」

何がヤバイのかといえば、つい先ほど別れた自分の父親が、である。

以前から……正確には自分が中学生になったあたりから。自分を見る父親の目つきがちょっとあれな感じに変わって
きていると思っていたが。
今回久しぶりに会った際、それがますます悪化していると『彼女』は確信するに至った。

何だかもう、油断したら襲われるんじゃない? ってぐらいの視線なのだ。
もちろん父親が実の娘に対してそんな暴挙に打って出るような事は無いだろうと思う。常識的に考えて。
……だが待てよ、確か父と母の馴れ初めは……。

『彼女』の顔が如実にげんなりとした表情に変わる。
……そう、何といっても彼には自分の教え子である当時留学生だった母に手を出したという輝かしい実績があるのだ。
オマケに趣味が中学生アイドルグループの追っかけ……。
その事実を踏まえて考えると、この度母の実家、イタリア滞在中に事件が起こらなかったことは凄く
幸運な事だったのではあるまいか……? ブルリと寒気を感じた『彼女』は思わず自分の両肩に手をやり、少し震えた。

きっと長時間、冷房の効いた所に居たからだろう、そうに違いない。と『彼女』は自分自身を納得させ、
再度、くたびれたスニーカーを前進させる。

本当は長時間のフライトで疲れていたので一旦実家で一息ついてから、かの地に移動するに越したことはない。
しかし、いくつかの事情から『彼女』は敢えてソレを選ばなかったのだ。

当然ながらその事情の一端を『彼女』の父親が担っていることは想像に難くない。
327 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:02:27.85 ID:UA5975g90

まぁ……うじうじ考えていてもしょうがない。それよりもこれでようやく退屈から解放される。

そう思いながら歩いているうちに『彼女』の表情は次第に明るくなり、足取りも軽くなっていった。

この退屈という要素も『彼女』が予定を早めた要因の1つである。

退屈やつまらないといったことが何より嫌いな『彼女』は『彼』と他数名が現在とある田舎に強化合宿に行っているのを
知っている。
もちろんソレが強化合宿と銘打ってはいるものの、実際はただ泊りがけで遊びに行っているに過ぎないのだということも。
だからこそ『彼女』は思うのだ。

――自分を差し置いてアイツ等だけで楽しむなんてずるい!

その気持ちが母の実家に行ってからも『彼女』の中で日に日に大きくなっていった。
自分も早く『彼』等と一緒に遊び倒したいと何度考えた事か……。

でもそれも昨日まで、今日からは思いっきり……

「アイツと2人で夏休みをエンジョイしてやる」

『彼女』は周りの人達が思わず振り返り見とれる視線を気にすることなく空港のロビーを歩きながら携帯電話を取り出す。
本当は真っ先に『彼』に電話を掛け、声を聞きたいところだが……それでは何だか自分が負けたような気分になる
気がして思い止まった。

どうせならせっかくこうして予定を早めて帰って来たのだから、思いっきりアイツを驚かせてやろう。
その為には事前に知っておかなければならない事がある。

そう思いある人物のところに電話を掛けた。

「あっ、もしもし? 二階堂? アタシ――」
328 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:03:32.29 ID:UA5975g90

数分後。『彼女』は通話を終えて電話を切る。
果たして自分が期待した情報を先輩に当たる人物は予想通りというか、ちゃんと把握していた。

彼から聞いた情報、それは……今宵、『彼』等が向うであろう戦場の場所である。
もっとも、かの地に2箇所、その場が存在するとは思ってもいなかったが……。

「まっ、アイツがどっちに行ってるかは分かんないけど、何とかなんだろ」

『彼女』は一人呟き、小さく笑う。
帰国して早々のサプライズが今の自分にはおもしろく、楽しいことに感じられ、嬉しかった。

今度、彼に会ったらお土産と共に改めて御礼を言おうと『彼女』は心に決め自動ドアを潜り外へ出る。

「うわっ、アッチー!」

真夏の太陽が『彼女』の肌をジリジリと焼き、汗がいっぺんに噴き出した。
つい先ほどまで冷房の効いた快適な空間にその身を置いていた『彼女』にとってこの暑さは少々こたえるものだったようだ。

『彼女』はその長くボサボサの金髪を毎年行う季節限定の髪型に……ポニーテールに結う。

「さてっと、これでよし。んじゃ行きますか♪」

この旅行中何度も思い浮かべた『彼』の顔を、『彼女』は今一度、思い浮かべる。
16年間、ずっと一緒だった従弟の顔を。
329 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:04:46.73 ID:UA5975g90

 ―02―


現在時刻は日本時間の午後8時25分。あと5分ほどで槍水さんが言っていた予想半値印証時刻の時刻となる。
先ほど店の前で《毛玉》や《サラマンダー》達と会話を交わした後に入店。それまで夏の夜の暑さに緩んでいた肌が
ひんやりとした店内の空気、そして今日と明日、2日間の為に全国各地から集いし猛者達が放つ闘気。この2つに
よって一気に引き締められた。

僕の腹の虫はすでに完全臨戦態勢を取っている。あまりに空腹すぎてちょっと胃が痛いぐらいだ。
それもその筈。何せ朝にお粥弁当を食して以来、今に至るまで水以外口にできなかったのだ。

本来昼食を取っている時間帯は、ずっと強化訓練という名の水遊びに興じていたし。
さらにその際、僕の海パンが川に流されるサプライズイベントが発生したおかげで、
(みんなには「何だか無性に川下りがしたくなったので行ってきます!」と言っておいたのでバレてはいない筈だが……)
予想外の体力とカロリー消費した挙句。
お祭りの見物中は、後に控えた争奪戦に差しさわりが出るとして槍水さんが一切の買い食い禁止令を布き……。
この数時間は僕等にとって自分の欲望との戦いだったといえる。
もちろんここで言うところの欲とは性欲ではなく食欲の方だ。

とくに先ほどまで見回っていたお祭りの屋台から流れてくる食べ物の匂いには心底参った。思わずこの食欲を
抑える為に梗さんあたりを神社裏の人気のない場所に連れて行き、性欲を開放しちゃおうかと真剣に悩んだほどだが、
胸内でジョニーと相談した結果、性交……間違えた。成功の確率が極めて低いうえハイリスク過ぎるとの結論に達した。
330 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:05:51.12 ID:UA5975g90

ぶっちゃけ、そんな事がうまくいくのは漫画や小説の中だけのこと、あくまでもフィクションの話だ。
実際、現実にそんなことをやっちゃった日には、高確率で女性に悲鳴を上げられてしまい、白と黒のツートンカラー
という最高にファッショナブルな車両に乗せられて取調室で涙ながらにカツ丼を食う羽目になるだろう。

いくら前々から梗さんがまるで恋する乙女みたいな感じで僕に熱烈な視線を投げかけているように見えていたとしても、
そんなものは残念な妄想に過ぎないのだ。

その昔、やたらと著莪と目が合うので本気で勘違いをした石岡君がラブレターを書いていた事があったが結果は
無残なものだった。もっともナイスガイで純情ボーイな僕はそんな彼を、バカな奴、と思いながら通算50通目の
ラブレターを、よく僕と目の合う広部さんの机に忍ばせていたっけ……。

最終的に一体何通の恋文を広部さんに宛てて書いたのか、今はもう思い出せない……。
331 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:06:22.38 ID:UA5975g90

……まぁ、とにかくフィクションと現実を混ぜるのは百害あって一利なし。僕はそれを親父から学んだ。

早朝からブリーフ1丁で当時30台半ばのおっさんが庭先で何度も『かぁ〜め〜は〜め〜ッ……波あぁあぁあああ!!』
と叫ぶその姿は見ていて、絶対この世にあってはならない光景だという事を、当時幼かった僕は悟るに至った。

所詮、人間の手から被弾者のパンツだけは必ず見逃す気の利いたエネルギー波が出るなんて事はありえない訳だし。
そんなものはフィクションに過ぎない。
……ついでに、月を吹き飛ばしかねないパワーを込めた親父の声のせいで、何度か通りすがりのご老人が驚き、倒れ、
家の前の道路が天国への道≠ニ近隣住民の間で囁かた現実もフィクションにならないものだろうか……。

「あ、あの……佐藤さん?」

「ん、なに?」

見れば右隣にいる白粉がなにやら心配した様子で僕を見つめている。
今回はお目当ての店が東西にそれぞれ1店づつ分かれている為、僕等はクジ引きをして二手に分かれていた。

僕と白粉が東の店、槍水さんと沢桔姉妹が西の店という具合だ。
狼ではない白梅は一応僕達と一緒に途中まで来て、今は近くの公園で待機してもらっている。
本当は女の子が夜の公園に1人でいるというのは危ないから店内で待っていてもらう予定だったのだけれど。
白梅が「もし、わたしの目の前で白粉さんが殴られでもしたら自分を抑える自信がありません」と言うので
しかたなく公園で、ということに決まったのだ。

「そ、その、間違ってたらごめんなさい。佐藤さんが苦虫を噛み潰したような顔をしていたので……
 気分でも悪いのかな? と……」

「あぁ、大丈夫大丈夫。悪いのは僕の体調じゃなくて親父の頭だから」

「えぁ? は、はい……?」
332 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:08:02.33 ID:UA5975g90

僕は親父の頭が如何に残念であるか、先ほどの『早朝かめはめ波事件』のすべてを懇切丁寧に白粉に対して説明
してあげた……のだが。

「ほほぅ……暑いと言って庭先で服を脱ぎ、ブリーフ1丁で『かめはめ波』とな。……ふむ、使える!」

白粉は話の途中から何故か眼鏡を掛け、鼻息を荒くし、訳のわからないことをブツブツと呟いていた。
何かドス黒いオーラを辺りに撒き散らしながら……。これに対して僕は一体どんな反応をするのが正しいのだろう?

そういえばコイツ、祭り見物の時も眼鏡を装着したと思ったら一目散に神輿を担ぎに行ってしまっていたな……。
前に汗臭い剣道部員のランニングにうっとりして付いて行った事といい。
もしかして眼鏡に悪霊か何かの類が憑依していて白粉はそれに操られているとか……?

「白粉、ちょっと動くなよ」

「おぅ、合点だ。相棒!」

あ、相棒? まぁ、お互いHP同好会の会員だし、相棒と言えなくもない……かな?

僕が身に着けていたお守りを白粉に掛けてあげようとした瞬間――ピシッという音がしたと錯覚するぐらいに店内の空気が
張り詰めた。
店内に流れているBGMがやけにはっきりと聞こえるようになり、同時に自分の心臓の鼓動がだんだんと早くなる。

間違いない――半額神が降臨したのだ。
333 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:09:06.17 ID:UA5975g90

恰幅のいい初老の女性だった。彼女、半額神はゆっくりとした動作で作業を淡々とこなしてゆく。
――そして今、最後の弁当に半額シールを貼り終え、レジの方へと向う。

最初に現れた時もエントランスの方からだった事を考えれば、この店のスタッフルームはそちらにあるのだろう。
弁当コーナーの特殊な形状と同様、一風変わった内装のスーパーだ。
槍水さんが「良い経験になる」と言っていたのを思い出す。

しばらくして扉が閉まるバタンという音に鼓膜が震え、戦いが始まった。
店内のいたるところから狼達が弁当コーナーに押し寄せる。

1番最初に到達したのは祭りの見物中、そして先ほど店の外で言葉を交わした《ナックラヴィー》の女……アンだ。
そこに間髪いれず2人の男が加わり、最初の戦闘が、その数秒後には密度の濃い乱戦が形成された。

その中で場の主導権を握ったのはナックラヴィー。彼は両手を広げ後方から弁当コーナーに群がる狼達を押しに押した。
後ろからの圧迫を受け、倒れ、踏みつけられる者が多数。この店特有の弧状の場だからこそできる戦法だといえるだろう。

僕と白粉は出遅れたことが幸いし、巻き込まれずに済んだ。何人かがナックラヴィーに立ち向かうのが見えるが、
彼等の攻撃はまったく効いていない。
ナックラヴィーがタフというよりも、何だか攻撃する側に力が入ってないように見える。
334 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:09:36.70 ID:UA5975g90

これから目の前の乱戦に突入するにしてもどのみち奴を何とかしないと……。
そう思った矢先、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた場に変化が訪れた。最前列にいた狼がつぎつぎと倒る。
また何人かは僕達の方に吹き飛ばされてきた。

「へぇー。姿を見ないんで、てっきりあの中で踏み潰されてるかと思ってたぜ」

今宵の神の恵み、その3つの内の1つ『丸ごとチキンカレー』の丸い2段式容器を手にした赤毛のソイツは混戦の中から
出てくると、平然とした、普段の会話のような軽い口調で僕等に語りかけた。

《サラマンダー》の2つ名を持つ男、響鉄平。現在、最強にもっとも近いとされる狼。

「未だに奪取されたのはオレが獲ったこのカレー1つだけ。この様子なら全ての半額弁当がなくなるまで後しばらく
 かかるだろう。この容赦なき戦いの場で果たしてお前達……おっと訂正だ、お前はどう駆ける?」

僕が鉄平の方に気をとられているその一瞬で、またも弁当コーナーで動きがあった。
いつの間にか僕の隣にいたはずの白粉が一体どうやったのか、弁当コーナーの最前列に到達していたのだ。

ヒューと口笛を吹き、「やるじゃん」と言う鉄平。

白粉は勢いそのままに弁当へと手を伸ばす。
しかし彼女の手は獲物掴むことなく、横合いから出てきた指先によって弾かれてしまう。
《ギリー・ドゥー》の……真希乃の指だ。
335 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:10:08.75 ID:UA5975g90

今日、川で彼女に会ったときは想像もしなかったが、真希乃は狼だったのだ。
それも全国に知れ渡るほどの有名な2つ名持ち……。さっき店の前で《毛玉》達がそう言っていた。

もう片方の手を驚きつつも伸ばそうとする白粉。けれどその手もアンの足先が上空へと弾いてしまう。
弾かれた腕の勢いを活かし、そのままバク転した白粉は状況が不利と判断したのか着地と同時にその場を離脱すべく
乱戦の外に向って駆け出す。

何だかんだでスーパーでの白粉の戦いを見るのはこれが初めてだったが、なかなかどうして、自身の小柄な体をフルに
活かした戦法だ。思えば駅でお粥弁当を奪取しようとした時も彼女はトップグループの中に身を置いていた。
2度にわたる接触と転等さえなければ白粉だって自力でお粥弁当を手に入れていただろう。

白粉を逃がすまいとする狼達の攻撃を彼女は見事に避けてる。もう少しで乱戦の外に――

「白粉!」

僕は思わず叫び、そして床を蹴り、駆け出す。
陳列棚ギリギリを駆け抜けていた彼女が何故か突然フラフラと吸い寄せられるかのようにナックラヴィーへと
進路を変えたのだ。このままではナックラヴィーの攻撃が彼女に当たる! 

そうなる前に白粉を回収……無理だ、間に合わない!

そう判断した僕は照準を白粉からナックラヴィーに切り替える。これならかろうじて間に合うし、
うまくすれば目下最大の驚異を排除することもできるだろう。
336 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:10:46.52 ID:UA5975g90

僕の放った飛び蹴りは確かにナックラヴィーの横腹に入った……筈だった。
けれど奴は倒れるどころかよろめく事すらない。どういうこ――

ナックラヴィーは振り返ると僕に右拳を放ってくる。体を捻ることでソレをかろうじてかわし、
そのままの勢いで奴の横をすり抜ける。

その一瞬、微かだが力が抜けるのを感じた。
ダメージは愚か、まだ参戦したばかりだというのに……何故? わからない。
だが何とかそこにいた白粉を小脇に抱え離脱する事に成功した。

「大丈夫か? 白粉」

「は、はい、大丈夫で……す……」

そうは言うものの彼女の顔は紅潮し、目が泳いでいる。とてもじゃないが大丈夫なように見えない。

「お前途中からどうしたんだよ? 突然ナックラヴィーの方へ引き寄せられるように……」

「そ、それはですね……その、凄く甘い香りがして……。それで、つい……」

「甘い香り?」

「はい、あの人から何ともいえない芳しい香りが……」

……ナックラヴィー、いい香り、紅潮した白粉。……そういえば以前にもコイツがこんな感じで……。

僕の頭に1つの可能性が浮かび上がった。しかし……本当にそうなのか? 今ひとつ自信が持てない。
337 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:11:25.68 ID:UA5975g90

ソレが事実かどうかを確かめる為、戦場に目を向ける。できるだけ過去にナックラヴィーとの対戦経験を持つ者がいい。
僕が今知る限り、それはサラマンダーとギリー・ドゥーだけ。
鉄平が獲物を獲得した今、この場に残るは――いた! 

ナックラヴィーの周りを駆け、隙をみては攻撃を仕掛け。まるで怒った子供のように頬を膨らませ、
顔を赤くしている$^希乃。

「っはぁ!」

1秒ほど後に彼女は大きく息を吐き出した。――やっぱり、間違いない。
ナックラヴィーの能力、それはあの分厚いコートの内側から漂う、汗の臭いだ。
想像しただけでも食欲が落ちる事請け合いのとんでもない策といえる。
それでいくと相棒のアンは多分……白粉同様、あの臭いが……。

「白粉、お前もう1度最前線まで行けるか?」

「最初よりも大分人数が減りましたし、行けることは行けると思います。……でも、
 またあの匂いに惹かれて行っちゃうかもしれません……」

つまり可能なわけだ、ならば白粉にもまだ十分チャンスはある。

「白粉、ナックラヴィーの近くを通る時に呼吸をするな。そうすれば後は普通にやればいい」

「やっ、ヤる!?」

「お互い頑張ろうぜ」

「お、おぅよ!」

白粉は何故かおかしなところに食いつき急に元気になった。この様子なら大丈夫だろう。
……いつの間にか眼鏡を装着しているのが激しく気になるところだが……。
338 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:11:57.69 ID:UA5975g90

ナックラヴィー、アン、そしてギリー・ドゥー。この3人の動向しだいで場はいかようにも傾く。
すでに他の狼達はその大半が戦闘不能となっていた。

僕は大きく息を吸い、クラウチングスタートの姿勢をとり――思いっきり床を蹴り上げ、駆ける。
ナックラヴィーが真希乃の相手をしているその隙に彼の背後を抜き、道半ばで倒れた者達の屍を踏み越え、
弁当の置かれた陳列棚へ。最前列ではコンビを組んでいると思われる男2人とアンが攻防を繰り広げている。
まずは男の片割れにスライディングざま両足を刈ってやった。

完全に意識の外からの攻撃を受け、男は宙に浮く。すかさずアンが彼の横腹に蹴りを放ちナックラヴィーの方へ
吹き飛ばす。残った男は突然の事態に戸惑いながらもアンのマークが解けたことで弁当に手を伸ばそうとした。
立ち上がるのが遅れた僕は彼のズボンの裾を引っ張っる。
それでどうにかなるとは思っていないが少しでもこちらに注意を引き付けられれば、
その間にアンが体勢を立て直して彼を抑えてくれると期待していた。

男の手を伸ばすスピードが僅かに遅れ、予想通りアンが彼の手を蹴り上げる。

――その時だった。アンの背後から腕が伸び『健康弁当』を掴み獲ったのだ。

柔らかそうな素材のチュニックにハーフパンツを履き、足にはサンダルという装いの白粉は弁当を両手に持ち
『ニチャ……』という粘着質の笑みを浮かべ、踵を返し、戦場を離れる。

「……これで後は思う存分、この香りを楽しめますねぇ……」

……白粉、それはもちろん弁当の……あぁ、うん……いいや。
趣味思考は人それぞれ、別に周りの人間に実害があるわけじゃないし……。
339 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:12:32.84 ID:UA5975g90

一瞬の出来事に僕を始め、最前列にいた3人の動きがピタリと停止した。
特にアンと男は自分が獲ろうと決めていた獲物が消えた事で暫し呆然としている。これを逃す手はない!

僕は急いで残る『まぐろカツ弁当』が置かれている陳列台に手を伸ばす。
視界が棚に遮られ弁当を目視できないが体勢を立て直している暇なんてない。
事前に下見をしたときの記憶からココだと思うところに手を出すだけだ。頼む、あってくれ!

指先が弁当容器に触れた感触が伝わってきた。そこからさらに腕を押し込み、指を容器の下に滑り込ませる。
後は掴むだけ――

「させるかぁぁぁぁあぁああ――――!!」

ガクッという衝撃と共に前へ前へと向っていた腕がピタリと止まる。
続いて僕の指が弁当容器から離れ体が宙に浮いた。

視界から弁当コーナーが遠ざかり、次いでナックラヴィーが右腕を後方に振りかざしているのが見える。
僕はここにきてようやく彼によって自分が後方に投げ飛ばされたのだと気付いた。

受身を取って床の上を転がり、起き上がった時には『まぐろカツ弁当』を前にして争う3人の姿が見えた。
ナックラヴィー、アン、そして真希乃。

真希乃は頬を膨らませ、何とか2人の攻撃を捌いている。
だが2対1に加え、呼吸ができないのはあまりにも大きなハンデだ。
いくら彼女が2年連続で花火ちらし寿司を奪取している強者といえど、このままではすぐにナックラヴィー達に
軍配が上がるだろう。そうなるまえに早く真希乃に加勢して、とにかく2対2の状況に持っていかなければ。

しかし、それだけで、ナックラヴィーとアンに勝っただけで弁当が獲れるだろか。
仮にうまくいったところで今度はギリー・ドゥーが立ちはだかるだけ……。
340 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:13:13.69 ID:UA5975g90

「クソッ! どうすれば……」

――八方塞。そんな言葉が頭をよぎった――次の瞬間、今日ここにいる筈のないアイツの気配を僕は感じた。

一体いつから店内にいたのかはわからない。帰国の便を早めたのか? いや、だとしても何故この場所を?
さまざまな事への疑問が浮かぶ……けれどこの気配は間違いなくアイツのものだ。
16年間ずっと一緒にいた僕には分かる。他の誰にもわからなくとも僕だけは……。

ついでにアイツが今どんな事を考えているのかも手に取るようにわかる。……確かにこの状況ならそれが最善だろうな。

――その代わりしくじるなよ。

――わかってるって。

そんなアイツの返事が聞こえた気がした。さっきまでの暗澹とした気持ちが嘘のように晴れやかになる。
僕は大きく息を吸い込み、ナックラヴィーに突進した。

「ふん、余裕をなくして血迷ったか!」

ナックラヴィーは顔に余裕の笑みを浮かべ、アンに顔を真っ赤にした真希乃の相手を任せ、僕とがっぷり四つに組む。

「ここまでおれと正面切って戦り合おうとした奴は久しぶりだ! その心意気だけは買ってやる!」

「ぅおおおおおおおおおおおおお!!」

僕は今出せる最大の力でナックラヴィーの体を左右にゆすりながら、弁当コーナーを背にするように体の向きを変えた。
これで準備は整った。後は……

僕は顔を横に向け合図を出した。

「今だ! 息を止めたまま一気に決めろ!」
341 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:18:42.14 ID:UA5975g90

「なっ!?」

ナックラヴィーは心底驚いたようだった。何せまったく自分が感知していなかった敵に僕が突然合図を出したのだから。

まったく予期していない事態に陥ると人は本能に沿った単調な動作しか取れないという。
彼は僕が顔を向けて叫んだ方向を見やる。

――かかったな、アホが!

そう、彼は見てしまったのだ本能に従って、僕が見たその方向に新たな敵がいると思い込んで=B
……僕がまったく関係の無い、あさっての方向を見ているとも知らずに。

次の瞬間、ゴッという鈍い響きがナックラヴィーの体を通して伝わってくる。直後、彼の腕から力が抜けた。
彼の手を払い、僕が横に跳ぶと同時に支えを失った巨体がゆっくりと弁当コーナーの最前列で戦うアンと真希乃に
向って倒れかかる。2人は突然の事に驚きながら互いに距離をとるかのように後方へとバックステップをしてソレを
避けた。

「「なっ!?」」

――直後、彼女等は同時に驚きの声を上げる。

うつ伏せに倒れたナックラヴィーの背を、まるで弁当コーナーへと続く直通ルートのようにして1人の狼が駆け抜ける。
真希乃もアンもバックステップをとった為にそれがわかっても対処できない。――そして今、残った最後の半額弁当が
陳列台の上から姿を消した。

ナックラヴィーの背後から無防備な後頭部に強烈な一撃を放ったソイツは金色の一筋を携え、
弁当を片手に宝石のような透明感のある碧眼で僕を見つめる。……満面の笑みを浮かべて。

「オッス、佐藤! ただいま♪」

これでこの合宿に参加する予定だったメンバーは全員が揃った事になる。

――丸富大学付属高校、ファミ部所属、著莪あやめ。 2つ名は《湖の麗人》
342 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:19:25.72 ID:UA5975g90

 ●


「私が向ったスーパーで淡雪に会ったぞ。昨年と――」

氷結の魔女、槍水仙そう言った瞬間から禊萩真希乃はいてもたってもいられなくなった。
昼間誘った時は絶対に行かないと言っていた淡雪が自分を探しに来てくれたのだと彼女は確信し、
いそいそと取り出していたカップ麺を再びレジ袋へと入れ直す。

「あ、あの、すみませんけど、あたし――」

佐藤を見ると、彼は自分の気持ちを察してくれたようで快く送り出してくれた。
最後に「頑張ってね」と言ってくれた事が凄く嬉しいくて、真希乃は心の底から素直に笑う。


肝心の探し人、淡雪えりかとは公園を出てすぐの所で会うことができた。
彼女はうずくまるようにしてしゃがみ込んでいたので自分の接近に気付かなかったらしい。
声をかけると驚いた表情をして、その後すぐにバツの悪そうな顔をした。

「……いいの? あの人達と食べなくて……せっかく誘ってもらったのに」

そのことを知っているということは多分えりかは氷結の魔女が出向いた方のスーパーに自分がいないのを確認した後
もう1つの店に自分を探しに来てくれたのだろう……。

真希乃は嬉しくなった。このところ、今日だってあんな気まずい感じで分かれたのに、それでもこうして自分を探しに
来てくれる親友。だからこそちゃんと話し合いをして仲直りをしたい。このまま離れ離れになんてなりたくない……。

昼間、川で佐藤が言っていたように自分達はテキトーな間柄なんかじゃない。少なくとも自分はそう思っている。

だから……大丈夫!

「えりか。その、……一緒に食事……しない?」
343 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:19:57.73 ID:UA5975g90

悲しそうに苦笑いを浮かべながら、おずおずとレジ袋を上げる親友を見て淡雪は「昼間も言ったでしょ。
いらないわよ、そんなもの」と心の中で呟いた。

本当なら心の中じゃなく口から出す筈の言葉。けれど実際には「ぅうん……」という言葉が出ただけ。
否定と肯定、どちらとも取れるような……また、取れないような。そんな曖昧な言葉。
まさに今の自分の気持ちそのもの……。

苛立ちや不安、その他もろもろいろんな色が混ざり合い、真っ黒になって自らの心を塗りつぶす。

結果、こんな何でもない問いにさえあっさりと答えられな――

「アッっつっうぅぅぅいぃぃぃですわぁぁァァー!!」

突如聞こえた女の絶叫に淡雪と真希乃は驚き、公園の方を見た。間髪いれずに何人かの声が2人の耳に飛び込んでくる。

――大丈夫ですか、姉さん! ――鏡、これが大丈夫なように見えまして!? ――ほら水だ。これで口の中を冷やせ。
――よかった、食べなくて……(×2)。 ――はい、梅ちゃん。あーん。 ――お、白粉さん!? 一体何を……。

淡雪は思った。――正直もうどうでもいいな……、と。

「真希乃、行こっ。お腹空いちゃった」

「う、うん!」

困惑したような表情から一転、笑顔となった真希乃に淡雪は手を差し出した。
気まずい雰囲気ではなくなったせいだろうか、祭りの喧騒、鈴虫達の奏でる音が2人の耳に心地良く響く。

真希乃は少し淡雪に歩み寄り、差し出された手を握ろうとして――「あっ……」と声を漏らし、
手にしていたレジ袋に視線を落とす。ある重要なことを思い出したのだ。

「何、どうしたの?」

「5分過ぎちゃった……伸びちゃってる」
344 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:20:51.38 ID:UA5975g90

 ●


白粉花は今とても上機嫌だった。どちらかといえば調子に乗っていると言った方が正しいかもしれない。

彼女がどのぐらい調子に乗っているかというと。
先ほどみんな揃っての夕餉の際、向かいに座っていた佐藤洋と著莪あやめがお互いに『あーん』をしているのを見て。
つい隣にいた親友の白梅梅に「はい、梅ちゃん。あーん」と言って箸に弁当のおかずを乗せ、
酷く狼狽した白梅に食べさせてあげるという普段ではありえないような事をしたぐらいだった。

彼女がこれ程までに調子に乗っている理由は3つ。

1つ目は、今日、遠征先のスーパーで半額弁当が獲れたことだ。
白粉はHP同好会に入ってからこれまで2回しか半額弁当を奪取できていなかった。
しかもそれは《ダンドーと猟犬群》のメンバーに誘いをかけられた時に取ったもので、
自分の力で獲ったと言えるものではない。

小柄な自分の体格ではどうやってもスーパーでの戦闘行為は自殺行為にしかならない。
けれどそうしなければいつまで経っても獲物を自力で手にすることはできない……。そう思っていた。

しかし、今日になってそんな悩める白粉の暗い心に一筋の光明が差した。

そう……お粥弁当を230秒の内に購入し、再び電車に戻る、スーパーマーケットというバトルフィールド≠ニは
まったく性質の違う争奪戦。サーキット≠フ存在である。

これなら自分の小柄ゆえの身軽さを最大限に生かせる。
さらにこれを応用したやり方をスーパーでの争奪戦でも実現できるのでは……。と白粉は考えた。
345 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:21:28.68 ID:UA5975g90

ただそうは思うものの迷いがあった。自分が今考えているような戦法は果たして本当に可能なのか?
それに可能だとしてもこんなやり方が許されるのか? まして自分のような人間が……。

彼女の脳裏に過去の暗い記憶がよみがえる。あの時は転校してきた白梅が自分の傍に付いていてくれた。
でもいつまでも彼女を頼ってばかりはいられない、これを機会に独り立ちするべきだという思いもある。

自分が構想している『筋肉刑事』の参考にもなるかもしれないし……。

白粉は趣味と実益を兼ね、HP同好会の門を叩いた。我ながら結構頑張ったと彼女は思う。

――話を戻そう。白粉はサーキットで得た自分の考えに自信が持てなかったのだ。
……誰かに相談したい、他の人の意見が聞きたい。かといってHP同好会の部長、槍水仙に相談するのも
何だかちょっと躊躇われた。
見た目の冷たい印象とは裏腹にとても優しい先輩なのだが……それだけにかえって迷惑をかけてはいけないという
気持ちがある。

そんな折に今日の佐藤の白粉に対する言葉はまさにタイムリーであったことだろう。

HP同好会に入会した時と同様、今度も勇気を出して自分のやろうと考えた事をやってみよう。
ダメならその時はまた別の方法を考えればいい。小説だってまずは書いてみる事が、最初の1歩が重要なのだ。

――かくして、白粉花はこの日、狼として産声を上げたのだった。
346 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:21:59.07 ID:UA5975g90

そして残る2つの理由は彼女の小説に絡むものだ。

先ほどスーパーを出た際にナックラヴィーの女、アンが佐藤を見て洩らした言葉。

『The novel of Four o'clock』

自分のホームページだ……。

白粉は自分の心臓の鼓動が早くなっていくのがわかった。自分が以前から考え、佐藤という人物の話を白梅から聞いて
インスピレーションが膨らみ、現在『The novel of Four o'clock』で絶賛連載中の『筋肉刑事』シリーズ。
ネット上ではかなりの高評価を得ているものの……。

「今、全国の汗と筋肉好きの同士達が注目している――」

アンの言葉は白粉の小説を、趣味を肯定するものだった。さらにその後彼女は「先生」とも言っていた。

自分のやったことが他人に認めてもらえた……。

嬉しかった。自分を受け入れてくれる人が現実にいるという事実に白粉は内心歓喜した。
それによってモチベーションは上がり、既にいくつかのネタも浮かんでいる。1番新しいものでは今まさに
現在進行形で彼女の目の前に転がっている……というか歩いているのだ。

「――それでさ、パパの目がなんつーか――」

「ますます悪化してるな……――」

自分の目の前で予定より早く合宿に合流した著莪あやめが佐藤の腕に纏わり付き、何やら自分の父親の事を話しながら
歩いている。それを見た白粉の脳裏にまた1つ新たな案が浮かび上がった。

「男に変換して、従兄弟どうしの絡み、と……ふむ、なかなか……」

それこそが3つ目の理由。佐藤を身近で観察できるのでネタに事欠かないのだ。
347 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:23:01.76 ID:UA5975g90

白粉はここ最近、ネタが浮かばずに苦労していた。

白梅の話を聞き、自分の中で妄想を膨らませ、これまで書き上げてきた『筋肉刑事』シリーズ。
しかしさすがに妄想で考えたネタも全部出切ってしまい。もう人伝に聞いたことだけで話を作るのは限界だった。

彼女は以前スピンオフとして烏田高校剣道部をモデルに話を書いた事がある。
その時、実際に自分の目で、耳で、鼻で、感じ取るということが如何に大事であるかを痛感していた。
何よりも、ネタがいたる所に転がっているのが大きい。

飛び散る汗、漂う男臭さ、しかも剣道場から離れスーパーを駆けることもあるのだから白粉にとっては好都合と言える。
……とはいえ、今だに上手く言えないのだが何かが違う。そんな気がして、絶好のネタが転がる場所を白粉は離れて
しまった。

自分が誘いを断ったので山原は解せないといった顔をしていたが。やはり正解だったと白粉は思う。
……何せ、大本命『筋肉刑事』のモデル人物。佐藤洋その人が(どういう経緯でこうなったのかは定かではないが……)
HP同好会に正式入会してきたのだから。

今までは何だかんだで、なかなか佐藤を観察する機会がなかったが、今回は違う。
この『HP同好会強化合宿2泊3日IN夏休み』の間に佐藤に関するありとあらゆる情報が手に入るのだ。

「期待通り……いえ、それ以上です……」

夕餉を終えてみんなでロッジに戻る最中、白粉は密かに邪悪な笑みを浮かべていた。
348 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:23:47.38 ID:UA5975g90

 ○


リビングのソファーに身をあずけ、脱衣所の扉が閉まるパタンという音を確認。

「……さて、行ったか」

ふと窓ガラスを見るとそこには室内の様子と共に、まるでドラゴンボールを手に入れたピッコロ大魔王みたいな
顔をした男が映ったいる。……我ながら凄い顔だ。

広場での食事を終え(途中、梗さんが槍水さんの『ビックリ煮込みハンバーグ弁当』を口にした際、下唇の裏側と歯茎を
火傷するというハプニングがあったが幸いにも舌に支障なし)ロッジに戻ったのも束の間……さぁ、これからが僕にとって
正念場。そう、男子諸君のお待ちかね、女子一同の集団入浴タイムの到来だ! 
来たぞ、キタキタ! ここからはずっと僕のターン!!

正直、ちょっとだけ僕も一緒に入れるかと期待はしていたのだが……まぁ、大方の予想通り却下された。
しかし落ち込んでいる場合ではない。こうなったらこうなったでまだ打つ手はあるのだ。とりあえずプランは2つ。

まずはプランA。オーソドックスに浴室のガラス戸を僅かに開けて隙間から覗き、6人の裸体を心行くまで観察する
というもの。うまくいけば、場の流れに乗じてさも当たり前のように僕が「……お背中、流しましょうか……?」
なんて言いながらパラダイスにINしてしまう可能性だってある!

続いて、プランB。あえて裸体ではなく、脱衣場に置き去りにされた下着(×6人分)と感動のご対面。
見ることはもとより、触ることも、あまつさえ嗅ぐ事だって出来る、まさに夢のプラン!

直接槍水さん達の裸を拝む事ができないというデメリットはあるが、そこは得意の妄想でカバーすればいいわけだし。
脱衣場に忍び込む際、気配を消すなんて事も僕にとっては朝飯前。

……あとはどちらにするかだが…………よし決めた! ここはプランBでいこう。いざ行かん! 天国へ!!

「あの……佐藤さん」

「!?」

気付いたら目の前に白粉が立っていた。一体いつの間に……っつぅか、コイツどうしてここにいるんだよ。
お前が風呂に入らなければプランBが実行できねぇだろうが! 早く脱衣場に行って裸になれよな!
もたもたするならいっその事、僕がこの場でお前をマッ裸にしてやろうか!!
349 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:24:22.29 ID:UA5975g90

……落ち着け、佐藤洋。

どうやら僕は無意識の内に白粉を睨みつけていたらしい。彼女は怯えてしまっていた。

「ご、ごめんなさい……」

「いや、僕の方こそ何かごめん……。 で、何の用?」

白粉は何やら頬を染めてモジモジとしているだけでなかなか口を開かない。
……クッ、結構カワイイじゃないかコイツ……。

「……あのですね……。実はサイト……佐藤さんにお願いしたいことがあって……」

「なんだよ、お願いって?」

彼女は頬だけでなく顔全体を真っ赤にしてこう言った。

……服を……脱いでくれませんか? と。

なぁ、ジョニー、僕は一体どうしたらいい? 小動物系女子に服を脱げと要求されてるんだけど……。

僕は思わずその場にいない男の名を――以下略。
350 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:24:51.99 ID:UA5975g90

我に返ると同時に先ほど白粉の口が紡ぎだした言葉を脳内で反芻する。

白粉は僕に服を脱いでほしいとお願いをして……つまり、どういうことだ?
これはまさか白粉からの一夏の過ちのお誘いだとでも!? 

「あわわっ、やっぱり今のは忘れてください! あとごめんなさい! 
 いきなりこんな事……気持ち悪いですよね。……あたし……」

コイツは何故こんなに卑屈になるんだろうか……。

「まぁ、確かにいきなりだったから驚きはしたけどさ。別に気持ち悪いとかは思ってないって」

「そ、そうですか。良かったぁ……」

「ところでさぁ、何故に突然僕に脱げと?」

「そ、それはですね……あたし、ラノ研にも入ってるんです……」

その後の白粉の話をまとめると、どうやら今彼女が書いている小説にマッチョの男が登場するらしいのだが、
どうしても筋肉のイメージが沸かないのだとか。
それでとりあえず身近な知り合いの男子の体を見てイメージする為に、僕を選んだのだそうだ。

「――選ぶも何もあたし梅ちゃん以外に友達いないし……ましてや漢友達なんて。あっ! ごめんなさい、
 勝手に佐藤さんの知り合顔しちゃって。……あたしなんかが知り合いなんて嫌ですよね……ごめんなさい……」

最後に言わなくてもいいことを言うあたり、コイツの卑屈の度合いが以下に深刻なレベルかが窺える……。
351 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:27:35.17 ID:UA5975g90

せっかくカワイイ容姿なのに勿体無いと言うか……。

「オーケー、僕でよければ協力するよ」

「えっ、本当ですか!?」

白粉は先ほどまでの暗い表情から一変。目をキラキラと輝かせた。
うん、やっぱり女の子に暗い表情は似合わない。

「Tシャツだけでいいかな? さすがに下は恥ずかしいっていうか……」

僕が照れ笑いを浮かべながら白粉に尋ねると――チィッ、と舌打ちが聞こえた。

「仕方ありませんね、ホントは一糸纏わぬ姿になって欲しかったんですけど……」

白粉はいつの間にか眼鏡を掛け、いつぞやに見たような邪悪な笑みを浮かべている。
……というか、コイツは本当に白粉花なのか? 
僕が気付かないうちにいつのまにか異世界のクリーチャー辺りとチェンジしちゃったんじゃないのか?

クリーチャーは……もとい白粉は口元を吊り上げながら「さぁ、サイト……佐藤さん。早く脱いでくださいよぉ〜」
と迫る。……ハッキリ言って怖い。それも深刻に身の危険を感じてしまうレベルで……。

「わ、わかったよ……ちょっと待ってくれ。今脱ぐから」

「若干怯えながら、今脱ぐから……ハァハァ……堪りません〜」

えもいわれぬ寒気を感じつつ、恐る恐るTシャツを脱ぐ。白粉はいつの間にかビデオカメラを構えていた。
352 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:30:59.61 ID:UA5975g90

「無意識に手が出るのかよ……怖いぞ、お前……」

言った瞬間、ひょっとしたら白粉がまた落ち込むんじゃないかと心配したが。
彼女は意に介した様子も無くニタニタとしていた、どうやら要らぬ心配だったらしい。
何せ今の彼女はクリーチャーであって、あの小動物チックな可愛らしい白粉花ではないのだから。

これまでの経緯からいって彼女がちょっと変わった嗜好の持ち主だというのは明らかだろう。
……それとこれはまだ憶測でしかないが、コイツひょっとして僕をモデルにしたキャラを小説に
出しているんじゃないだろうか? アンの言っていた事といい、色々と引っかか――

「うおっ!?」

暫くじっとニヤつきながら僕を視姦するかのような視線で見つめていたクリーチャーが突如、飛び掛ってきた。
横に飛び退きかろうじてソレをかわす。半値印証時刻でもないのに、まるで腹の虫の加護を受けているかのような
その素早さに、僕はかつて無い程の危機感を覚えずにはいられない……。

奴は「チッ、避けたか……」と呟いて再度僕の方に向き直り体制を低くした。
このままではヤバイ! 次にコイツが飛び掛ってきたら避けられる保証はない、ともかく防御体制を! 

「こ、これは!?」

僕はジョジョ立ち(今回は27巻カバー絵バージョン)でもって白粉を威嚇した。
丸富大付属が誇る、鉄壁のスプリガンすら震撼させたコレならば、いくら奴とてそう易々と動けないだろう。
353 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:37:40.20 ID:UA5975g90
すみません、>>352 一つ飛ばしてしまいました。正しい順序で再度投下します
354 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:38:29.21 ID:UA5975g90

何だろう、僕の本能が、止せ! 今すぐ逃げろ! と告げているような気がする……。

「ジュルリ……素晴らしい! 最高ですよ、佐藤さん! やはりあたしの目に狂いはなかった!
 昼間見たときから思ってたんです。佐藤さんは隠れ細マッチョだって!!」

眼鏡の向こうからやたらとギラギラした目で僕の上半身をカメラ片手にガン見する白粉。
……その、なんだ。うん……すごく、怖いです……。

「脂肪が少なく、いい感じの遅筋。これであとは見た目を考慮して速筋の量さえ増やせば……」

ブツブツと訳の分からないことを口走りながら白粉はジリジリと僕との距離をつめてくる。
すっげぇ怖い! やっぱりコイツは白粉じゃなくてクリーチャーだ! そうに違いな――

「ふむ、若さゆえかハリも申し分ない」

ナチュラルに僕の横っ腹に手を当て……揉んできやがった。

「よせ、や、やめ……! HA☆NA☆SE!」

「ほうほう、サイト、佐藤さんはわき腹が弱い……とな。ジュルル……」

「な、何するんだ、お前! さすがにこれは犯罪の領域だぞ!?」

「はっ! ェ、エヘヘヘ。……すみません。……その、なんていうか男性の裸体を見るのが久しぶりだったので
 ……つい手が」
355 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:39:07.93 ID:UA5975g90

「無意識に手が出るのかよ……怖いぞ、お前……」

言った瞬間、ひょっとしたら白粉がまた落ち込むんじゃないかと心配したが。
彼女は意に介した様子も無くニタニタとしていた、どうやら要らぬ心配だったらしい。
何せ今の彼女はクリーチャーであって、あの小動物チックな可愛らしい白粉花ではないのだから。

これまでの経緯からいって彼女がちょっと変わった嗜好の持ち主だというのは明らかだろう。
……それとこれはまだ憶測でしかないが、コイツひょっとして僕をモデルにしたキャラを小説に
出しているんじゃないだろうか? アンの言っていた事といい、色々と引っかか――

「うおっ!?」

暫くじっとニヤつきながら僕を視姦するかのような視線で見つめていたクリーチャーが突如、飛び掛ってきた。
横に飛び退きかろうじてソレをかわす。半値印証時刻でもないのに、まるで腹の虫の加護を受けているかのような
その素早さに、僕はかつて無い程の危機感を覚えずにはいられない……。

奴は「チッ、避けたか……」と呟いて再度僕の方に向き直り体制を低くした。
このままではヤバイ! 次にコイツが飛び掛ってきたら避けられる保証はない、ともかく防御体制を! 

「こ、これは!?」

僕はジョジョ立ち(今回は27巻カバー絵バージョン)でもって白粉を威嚇した。
丸富大付属が誇る、鉄壁のスプリガンすら震撼させたコレならば、いくら奴とてそう易々と動けないだろう。
356 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:39:37.44 ID:UA5975g90

「……かぁこいぃ」

場の雰囲気にそぐわない白粉の間の抜けた声で幾分気が削がれたが、予想通り。
白粉は僕のジョジョ立ちを前にして微動だにしなくなった。さすがはDIO様のポージングだ。

ただその代わり、奴の目だけがやたらギラギラと光っているのが気持ち悪い……
精神衛生上よろしくないのは明らかだろう。



チラリと時計を見れば、すでにアレから30分あまりが経とうとしていた。

途中、浴室から「あっ! ふぁあぁ!!」「もう……あっ!」とか「ああああああああああ!!」って声が響いてきて、
その度に後ろ髪を惹かれるような思いがして……チクショウ、目の前のコイツさえいなければ!

依然として状況に変化はなく、僕達は互いに睨み合ったまま。
……それにしてもジョジョ立ちした男子高校生とクリーチャーが対峙している様は、なんつぅか世紀末って感じだ……。

しかしこの体勢はいくら幼い頃から鍛錬を重ねてきた僕であっても正直キツイ……。
おまけに、ここに至るまでの僕の疲労が大きすぎた。このままでは自滅してしまいかねない。

実際そろそろ背中の筋辺りが攣りそうになっているのだ。
357 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:42:53.48 ID:UA5975g90

ジョジョ立ちは己のコンディションをよく見極めたうえで繰り出さねばならぬ諸刃の剣。
現状ならどんなに頑張っても13巻カバー絵ぐらいが限度だった。

それなのに僕は一刻も早くクリーチャーを倒して脱衣場に向おうとした焦りから無意識の内に、
より高レベルのジョジョ立ちを選択して……。 クッ! 何たる不覚!!

――かくなる上は危険を覚悟の上で戦法を切り替えて短時間で決着をつけるか? そうだ、それがいい!
一刻も早く白粉を亡き者にして、速攻で天国に行くというミッションを遂行せねば!

僕はジョジョ立ちを解くと同時に体制を低くして拳を構える。白粉が女の子であるという事実にはこの際目をつぶろう……。
あとで良心が痛もうが、周りから指を指されようが構うものか。クズだと非難されようが、大人気ないと笑われようが、
知ったことじゃない。とにかく今は彼女を1撃のもとに気絶させる事だけに集中しろ!

エロを目の前にした思春期男子の底力を見せ付けてくれるわ!!

「いくぞ! 白――」

「佐藤君、一体……何をしているんですか……」

僕はギギギって感じの擬音が聞こえてきそうなぎこちなさで声のした方に首を回す……。

――額に青筋を浮かべて、凄まじい闘気を放つ世紀末覇王……梅様が仁王立ちしていた。
お召し物はバスタオル1枚のみというサービス精神旺盛な格好であるにも拘らず、
僕の心がときめかないのは何故だろうか? ……うん、わかってる。もちろんわかっているだ……そんなことは。
ただ、少しでも長く夢を見ていたかったんだ……。辛い現実から目を背けたっていいじゃないか! 
政――(以下略)
358 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:43:50.39 ID:UA5975g90

 ●


白梅梅は今凄く機嫌が良かった。理由は簡単、先ほど公園で白粉に初めて「あーん」をしてもらった為だ。
これまで白梅は自分から白粉に食べさせた事はあっても白粉から食べさせてもらった事はない。
だがそれも無理からぬ事、白粉の性格を考えると無理もない。そう思って諦めていた。

……それがまさか今日、実現するなんて……。

天にも昇る気持ちといった状態の白梅は鼻歌混じりに湯船で白粉が来るのを待っていた。
洗い場で佐藤の従姉の著莪あやめが槍水仙の胸を揉みしだいているのでさえ、今はどうでもいい。

「白粉さん、わたし待ってます……」

隣にいた沢木梗が「どうかしましたの?」と声をかけてきたが、相手にするのが面倒だったので敢えて無視した。

「鏡、どうしましょう!? 白梅さんがわたくしを無視して!?」

「……ハァ」

「今あなた明らかにメンドクサイって思いましたわね!?」

「……えぇ、まぁ、はい。あと耳元でそんなに大声を出さないでください。ただでさえ浴室は声が響くんですから」

ああああああああああ!! という声が浴室に響き渡るが、白梅はまったく意に介さずに1人涼しい顔をしていた。
これから白粉が自分の前に一糸纏わぬ姿で現れるのだから大抵の事は気にならない。
359 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:44:45.92 ID:UA5975g90

ところが待てども待てども一向に白粉が姿を見せない。
最初は余裕の表情だった白梅もだんだんと焦れてきて……ついには自分から迎えに行こうと決心した。
突然湯船から勢いよくでたので隣にいた沢木姉妹が驚いたほどだ。

「白粉さん……白粉さん……」

白梅は体もろくに拭かずバスタオルを巻きつけただけで、足早に脱衣場を後にする。
彼女の頭の中は白粉の事で一杯だった。リビングの方から「ハァハァ」と荒い息遣いが聞こえる。
一体リビングで何が? ――まさか佐藤君と白粉さんが……体を重ねて……。

「何をバカな……」

自らかってに最悪の事態を想定し、顔面蒼白となる白梅。
だが彼女は折れそうになる自分の心を叱咤してリビングへと足を運び……見てしまった。

佐藤が上半身裸で腰を落とし拳を握り締め今まさに白粉へと飛びかかろうとしている様を。

「佐藤君、一体……何をしているんですか……?」

自分の中で何か≠ェ切れた気もするが、そんなことはどうでもいい。
ついでに佐藤が顔面蒼白で、ォワターッ!! と叫んでいるが瑣末なことに過ぎない。
この場において何よりも優先すべき事はただ1つ。白粉花を守ること。

「白粉さんへの狼藉……。覚悟はいいですね、佐藤君……」
360 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:45:22.45 ID:UA5975g90

 ●


同時刻、烏田高校男子寮前の路上に10数名の精鋭達が集結していた。

――部長、招集をかけられていた者は全員が揃いました。――うむ、……みんなよく集まってくれた、
今宵招集をかけたのは他でもない。つい最近まで、自らの、その業の深さゆえに入院していた『彼奴』がついに
今日、退院したのだ! ――くそっ! あの一件で主だったメンバーは捕らえられ『例の組織』は自然消滅し
たんじゃ……。 ――いや、『彼奴等』が完全消滅したわけじゃない。何せメンバー、及び素質を有した者は
世界中にいるんだ。駆逐するなんて夢のまた夢……。――やはり内本だけでも入院中に洗脳……更生措置を
施すべきだったか。

ザワつく一同を、部長は片手を挙げることで制止、言葉を続ける。

――今更言ってもせん無きことだ。我々には『M』の他に『ロリコン』との戦いもある。
そんな激務の中で『彼奴』の動向を逐一監視できなかったという事情もあるだろう。……しかし、それでも
こうなった以上、誰かがやらねばならんのだ。見ろ、あの禍々しいオーラを!

彼の指差した方向に全員が視線を投じた。烏田高校男子寮の1室、一般人には何も見えていないが
この場に集う、精鋭の彼等にはよく見える。……というより感じるのだ。今や、世界規模で信者を増やす、
新手のカルト集団『Mの兄弟』。その大幹部、内本宏明が寄宿する1室より飛散するソレを。

「ブヒィィィィィィ!!」

突如、その部屋から豚のような嘶きがこだました。

――っちぃ! 内本め、Mの電波を受信しやがったのか! ――ヤバイぞっ! オーラの量が増しやがった!
――みんな落ち着け、まずは装備の最終確認だ。アクセサリは? ――オーケーです! ――アルミホイルと受信用
アンテナは? ――ココにあります! ――黒マジックは? もちろん油性のヤツだぞ。――し、しまった!
間違えて水性を持ってきちまった!? ――馬鹿やろぅ! 死にたいのか! だからあれほど油性と水性はきちっと
別けとけって言っただろぉがよぉ!! ――す、すみません!
361 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:46:02.57 ID:UA5975g90

油性マジックがない……。それを聞いたとき部長は内心、青くなった。今回の作戦に油性の黒マジックは欠かせない。
何といっても、油性と水性では洗……更生の度合いがまったく異なるのだ。

やるしかないのか……? 苦渋の決断を下そうとした時こちらに駆けて来る人影を部長は視界に捕らえる。
今夜のミッションに先立ってある物を調達しに奔走していた副部長その人であった。

――部長! ――君か……例のものは? ――はい、バッチリです! あの神主が念を込めてくれたお守りが人数分と
サービスの御札、それと……来る時に何か嫌な予感がしたので油性の黒マジックを持参しました。――おぉ、さすが
副部長! ――やったぞ、これでいける!

この場に漂っていたイヤな雰囲気が副部長のファインプレーによって打ち消されると同時に、やれる、という確固たる
思いが全員の胸の内に沸いた。

――良し準備は万端だな。もし『彼奴』の放つ『M』のオーラに中てられた場合は即座に戦場を離脱し……この豚野郎!
と叫び自らのS気を高め正気を保つんだ。いいか? 全員で復唱するぞ。さんっ! はいっ!!

「「「「「「「「「「「この豚野郎!!」」」」」」」」」」」

――そうだ、それでいい。 ……さぁ、行くぞ。

人知れず世界の平和を守るヒーロー達。
私立烏田高等学校の心霊現象調査研究部に所属せし10数名の少年少女は今決戦の場へと向う。
362 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:46:43.14 ID:UA5975g90

 ○


「ふぅ……」

湯船に浸かると同時に一息つく。……よくぞ生きていた、って感じだった。

あの後、入浴を終えた槍水さん達がプッツンしていた白梅を取り押さえてくれたおかげで、僕は死なずに済んだ。
もっとも、何発かいいのをもらった後だったので無傷とはいかなかったが……。

白粉が自分の小説のネタの為に僕に協力してもらっていたのだと説明したことで白梅は納得し、
怒りの大魔神モードを解除。その後、心底申し訳なさそうに謝罪してきた。

その際、先に槍水さん達に取り押さえらていたせいで若干着崩れ気味だったバスタオルがハラリと床に落ちるという
サプライズがあり、大変良いものを拝見したということを付け加えておこう。
直後、僕は梗さんに掌で目隠しをされたが、脳内に一糸纏わぬ姿の白梅を焼付けた後なので何の問題もなかった。

白梅は急いで脱衣所に行き、白い7分袖に7分丈のパジャマ(後で気付いたが何と白粉とお揃い)を着込むと再び
僕の前にやって来てこう言った。

「お互いにこれでチャラにするというのはどうでしょうか?」

僕はもちろんOKの2つ返事でこの提案を受け入れた。むしろほんの10発程度、容赦のない膝蹴りを腹部にもらう
だけで全裸を拝見させてもらえるのであれば喜んで食らうというもの。……無論、僕はMではないので痛めつけら
れる事に喜びを感じたりはしないから、勘違いしないように。
363 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:47:21.88 ID:UA5975g90

その時だった。浴室のガラス戸越しに……脱衣所にガサゴソとGが蠢くような音が……。

部屋の至る所を縦横無尽に這い回り、あまつさえ飛行する事も可能。
そんなヤツが今まさに刻一刻と僕に近づきつつある……おぉ、何と恐ろしい。

――数秒後、僕の予想をはるかに上回る大きなヤツがその姿を現した。ニチャリとした醜悪な笑みを浮かべ、
片手にメモ帳とペン、さらに眼鏡を装備したソイツはある意味Gよりもはるかに恐ろしい……。

「……お背中、流しましょうか……?」

暖かいお湯に浸かっているはずなのに冷や汗が流れ、震えが止まらない……。
誰か! 誰か殺虫剤を持ってきてくれ! できるだけ強力かつ容量のデカいやつを!!

「い、いや、もう洗い終わってるからいいよ……」

「チッ! 遅かったか……」

確かに僕はこの合宿にあたり、こんなドキドキワクワク、うふふ、あはは、みたいなイベントが起こらないもの
かと密かに期待していた、それは認めよう。……しかし断じてその相手にクリーチャーを指名した覚えはない。

大体なんだよコイツ! このロッジに着いて以降どうしてこんなに間違った方向にアグレッシブなんだよ!?
白粉っていえば常にオドオドして引っ込み思案なおとなしい女の子だった筈だろう?
それがいつからクリーチャーにメタモルフォーゼしちゃったわけ!?
364 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:48:06.85 ID:UA5975g90

「格なる上は……」

白……クリーチャーは視線を僕から脱衣所に置いてあった衣服を入れる籠に移す。
当然ながら現在は僕の衣類しか入っていないわけで……。

「お、白粉さん……そんな獲物を前にした肉食獣みたいな目で一体何をご覧に……?」

「……佐藤さんの汗がたっぷりと染みこんだシャツに決まってるじゃないですか……ところで、あのシャツ、
 ちょっとだけお借りしても?」

「だ、ダメだ……」

「なんなら、パンツの方でも可ですよ?」

……あぁ、そうか。白粉ってこういう奴なんだ……。

「白粉さん、忘れ物はありましたか?」

「あっ、うん。あったあった、今そっちに行くね」

リビングの方から白梅の声がして白粉はそれに答える。……露骨に邪魔されたといわんばかりの表情を浮かべて。

「では佐藤さん、また後ほど……」

白粉が去った後も僕の震えはしばらく止まらなかった。それと何だか軽く汚されてしまったような気がする……。

覗きというのは人として絶対にしてはいけない最低の行為だという事を僕はこの日身をもって学んだ。
365 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:48:37.41 ID:UA5975g90

 ―03―


早朝、禊萩真希乃は左右を木々で囲まれた道の脇で柔軟体操をしていた。休日の朝の日課である。
今日は祭りの最終日、ココに来る前に立ち寄った祭りの会場では朝早くにも拘らず多くの人達が
花火大会の決行に向けて準備を進めていた。

頭の中に『彼女』の顔と昨夜の夕餉が思い出される。案の定グダグダに延びてしまった麺と買い足した
お握り(おかか)を2人で分けて食べた、互いに笑顔の絶えなかった楽しい時間。半額弁当は獲れな
かったが、それでも十分に空腹、心の両方を満たす事ができた。

「……久しぶりだったな、えりかとあんな風に食事ができたの」

真希乃は柔軟体操を一旦止めて目を閉じ大きく深呼吸をした。緑の香り漂う清らかな空気を胸いっぱい
に吸い込み、ゆっくりと深く長く吐き出す。ホーホーホッホゥ、という間の抜けたキジバトの声や、
小鳥達のさえずり、山の朝ならではの音が耳に心地よい。

この田舎特有といった感じのごく当たり前のそれらが真希乃は大好きだった。
それだけに高校進学と同時にこの土地、加えて親友の『彼女』と離れ離れになってしまうのが辛かった。
366 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:49:39.15 ID:UA5975g90

絶えず人に、その場の流れに自らを合わせ自己を抑える。
そんな処世術を繰り返し日々を生きてきた真希乃にとって『彼女』は、寂しさという暗闇にたたずむ
自分を照らしてくれた太陽にも等しい存在だった。

『彼女』がいてくれたから今の自分がある。自分と正面から向き合って接してくれた初めての人。
……そして自分の初めての親友。

そんな『彼女』に唯一恩返しができるのがスーパーマーケットに於ける半額弁当の争奪戦。
自分が『彼女』をサポートして上げられる唯一の手段。
そのことに喜びを感じこそすれ面倒に思った事など1度たりとも無い。

『彼女』に褒めてもらえる、喜んでもらえるという事も自分にとってとても意義のあるものだった。

水泳大会の時は『彼女』の「しっかりやって」というお願いを聞くために死に物狂いで泳いだ。
結果トップでゴールすることができたが、そんなことよりも『彼女』が喜んでくれたことの方が嬉しかった。
まるで自分の体が蕩けていくような喜び。初めて半額弁当を手にしてそれを食した時と甲乙つけがたい程の嬉しさ。

もっともっと『彼女』に褒めてほしい、喜んでほしい。そう思った。

だからこそ水泳でより上を目指す為にスポーツ特待生の誘いを受けたのだ。
すべては大好きな『彼女』に褒めてほしい一心で……けれどそのせいで自分達の仲は拗れてしまう一方だった。
367 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:50:42.29 ID:UA5975g90

仲睦まじいという言葉がピッタリだった2人……それだけに一度歯車が狂えば元に戻すのが難しい。

自身の意見を笑顔の裏に覆い隠す真希乃の態度にイラつき怒鳴り散らす『彼女』。
これでは話し合いになる筈もない。そんな調子で時間だけが過ぎ、状況は悪化の一途をたどってゆく。

――だがそんな2人に転機が訪れた。

「これも、佐藤さんのおかげかな」

そう言うと真希乃はクルリと後ろを振り返った、『彼女』の足音に気が付いたからである。

「えりか、おはよう」

真希乃の親友、淡雪えりかは少し苛立っているような、それでいてどことなく疲れたような表情をしていた。

「……おはよう、真希乃……」

淡雪はそのまま止まらずに真希乃の横を通り過ぎる。真希乃は少し困ったような笑みを浮かべ、
親友の後姿を追った。

類稀な水泳の才能を内に秘めし中学3年生、禊萩真希乃。2つ名は《ギリー・ドゥー》
森に棲まう慈悲深き妖精の名を与えられし彼女は毎年行われる夏祭りの2日間、誰よりも雄雄しく戦場を駆ける。

――自身の為にではなく、親友の為に。
368 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:51:38.86 ID:UA5975g90

 ○


HP同好会強化合宿は2日目に突入。この日は特に昨日のような滝打ちもなく普通に祭り見物をすることに。
とはいえ、さすがに朝から祭り見物ではさすがに時間を持て余しそうだったので、まずは町へ行き、
それから祭り会場へ移動しようという事になった。

朝、著莪と2人でランニングをしていた時に偶然出くわした真希乃と淡雪のことが少し気になりはしたが
さりとて僕にはどうする事もできないのだからと思い直す。

真希乃の話を聞き、今朝の淡雪の様子を見た上で僕はテキトーな間柄ではなさそうだし大丈夫だろうと感じていた。
著莪はやたらと気にしているようだが……。

あれこれ回っているうちに驚くほど早く時間が過ぎていった。
多分楽しかったからだろうと思うが、ひょっとしたらスタンドによる攻撃を受けていたかのも知れない……。
※詳しくは『ジョジョの奇妙な冒険』(ジャンプ・コミックス)をご覧ください。

日が傾いてきた頃に、僕等は長居していた漬物屋の優しいお婆ちゃんに別れを告げて、一路、祭りの会場へと向い。
……そして、それ≠見つけた。

「「マジかよ……」」

2人の声が見事に重なる、僕と著莪の2人はセガ信者として今、運命の出会いを迎えていた。

合宿の2日目、お祭り会場の一角での事だ。そこにあるはずのない存在があった。パッと見、あまりに
信じられない光景だったので思わず幾度か深呼吸した後に箱に書かれたスペルを1つ1つ確認したぐらいだ。
……間違いない、これは――

「メガアダプタ……しかも箱がこんなに綺麗なやつが現存しているなんて……」

どうやら著莪も僕と同じ気持ちだったようだ。そう、それはPS2でさも革新的であるかのように――(以下略)
369 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:52:24.90 ID:UA5975g90

実は親父に再三コレがあったらゲットしろ、と言われていたのでちょうどいい。だがしかし……。

著莪と2人で相談をする。と、いうのもお目当てのメガアダプタはガンファイトクラブ……射的屋の景品なのだ。
金を払えば即、手にできるという代物じゃない。

「佐藤、アレどう思う?」

「うん……多分、箱のデカさからいって単発のコルク弾じゃ落とせないだろうな」

「だよね……となるとあの方法のでいくしかないか」

「問題は許可してもらえるか……だな」

僕等はお互いに顔を見合わせ、頷いた。……どの道、許可してもらう以外に手はないのだ。
ならば誠心誠意頼み込むしかない。

「オッちゃん、お願い! アタシとコイツがそれぞれ2丁ずつ、計4発の同時射撃を許可してくれ!」

「はぁ? 何バカなこと言ってんだ、んなもん許可できるわけねぇだろう」

「お願いです! そこを何とか!」

「ダメなモンはダメだ」

そんな具合に、交渉をしてみるもののダメの一点張りで頑として動かない射的屋のオッちゃん。
その鉄壁ぶりにさすがの僕達も心が折れそうになる。

……こんな時に石岡君がいてくれれば、と思わずにはいられない。
370 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:53:29.99 ID:UA5975g90

昔から彼は便利な捨て駒としてクラスのみんなから好評だった。

ある時はトラップの実験台として。またある時は広部さんの怒りを買った際の身代わりとして。
そしてまたある時は苦手なニンジンが食べられるようになりますようにという願いを叶えて貰う為の生贄として。

ちなみに捧げる相手は加戸君が崇拝している絶対神マールトミーである。

教室の机を3つほど繋げて即席の祭壇を作り、そこに生贄となる石岡君をセット。
当然ながら彼が怯えて逃げないよう、事前にロープで縛り、猿轡を噛ませ、目隠しをしている。

祭壇の回りにチョークを使って魔方陣のようなものを描き、加戸君が何やら怪しげな呪文を唱えると、毎回決まって
空が厚い雲に覆われ始め。生贄の石岡君が「んんんんん!!」と何かを感じ、怯えまくる。
その様子はさながら邪神でも召喚しているかのように見えたものだ。

クラスメイトの何人かが恐怖のあまり泣き出すのだって当然のこと。
それでも誰一人教室から逃げ出さないのは、儀式直前に加戸くんがこう言ったからに他ならない。

――術式……儀式中に逃げたりしたらダメだよ? 食べられちゃうから……=B

……誰に? とは口が裂けても聞けない雰囲気だった。そんな訳で、例え尿意を堪えているせいで小刻みに
震えていようが、最悪それをもらす事になろうが、教室から出るわけにはいかなかったのだ。

術……儀式の終わりには軽くヤバイ薬をキメたかのようなテンションの加戸君が「WRYYYYYYYY!!」と
奇声を上げ、石岡君の体がビクンっと大きく反り返り、それまで空を覆いつくしていた黒雲が晴れ渡っていく。

後に石岡君曰く……「あの瞬間、自分の何か大切なものが食い千切られたかのような激痛がした」とのこと……。
今にして思えば彼が奇行に走り始めたのはちょうどあのぐらいからだったような気もする……。まぁ、単なる偶然だろう。

その日を境に僕はそれまで苦手としていたニンジンが食べられるようになったのだ。
実に素晴らしきかな等価交換!

あと、儀式終了後に何故か僕のズボンがグッショリと濡れていたのには何か意味があったのだろうか? 
371 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:56:35.58 ID:UA5975g90

最後の方は凄くどうでもいいことなので速攻で忘れるとして……。
ともかくここに石岡君がいてくれれば彼を生贄としてオッちゃんに捧げる事でメガアダプタを等価交換
として譲ってもらえるのではないだろうか。

「しつこいぞ! 商売の邪魔をすんじゃねぇ!」

とうとうオッちゃんが怒ってしまった。……打つ手なしか……。そんな言葉を隣にいる著莪がボソッと口にする。

そんな……どうしてもダメなのか、石岡君がいないばっかりに……もう僕達にやれることは何も無いというのか……。
僕は……僕達はただ……。

「奇跡のアイテムが……メガアダプタが欲しかっただけなのに……」

僕は地面に膝をつき、拳を握り締めた。目から涙が零れ地面を濡らす。
ハッキリ言って営業妨害も甚だしい行為といえた。

「……おぃ、今なんて言った? お前達、コレが何なのか知って……いや、っつぅかコレを狙ってんのか……?」

「あたりまえだ、メガアダプタ以外に興味はない!!」

……一瞬の沈黙の後、クックックッとオッちゃんは声をし殺して笑い、僕と著莪を見据えた。

「コルク弾5発で200円、×4で800円だ」

「……いいの?」

著莪の言葉にオッちゃんは柔和な笑みを浮かべて「がんばれよ」と言ってグッと親指を立てた。
372 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:57:05.34 ID:UA5975g90

ひょっとしたら彼もまた、セガ信者だったのかもしれない。
メガアダプタの箱を抱えて祭りの雑多の中を歩きながら僕は思った。

僕達の後ろには大勢のお客がいた為、落ち着いて彼と話すことが出来ず、お礼を言うだけで精一杯だったのだ。
数少ない同士との出会い……また、どこかの祭りで再開した時にはゆっくりと話してみたい――

「佐藤、財布出せ」

……もう、この一言でせっかくの感動がどこかに行ってしまった。ぶち壊しもいいところだ。

著莪は昔からこの魔法の呪文を得意としており、祭りの度に魔法少女としての片鱗を僕限定≠ナ発揮するのだった……。
ハッキリ言ってカツアゲとなんら変わらないこの行為は僕の財布の中身を容赦なく吸い上げる。

正直、著莪ぐらいの年齢で魔法少女はそろそろキツイんじゃないかと思うし、
これを機に僕に魔法を掛けるのは止めてくれないだろうかと期待していたのだが……。

「……著莪、もういい加減自分のお金使おうよ……。もう僕のHPも大分寂しく――」

「大丈夫大丈夫、コレで最後だって! ほら! アレ取ったら終わりにするから!」

著莪は輪投げの屋台の前で、やたらとデカいブルドッグのヌイグルミを指差す。
何故あんな夢見の悪くなりそうなものを欲しがるのか理解に苦しむ。

それよりもコイツなら型抜きの屋台辺りに食いつきそうなものだが……?
373 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:58:52.45 ID:UA5975g90

 ●


午後6時50分。花火大会の影響で半値印証時刻が前倒しされるという理由から、
HP同好会の会員3人+他4名は早めに昨夜弁当を食べた広場に移動していた。

――では、チーム分けをしよう。 ――方法はどうする?  ――昨日同様クジで決めますか?
――グー、パーで分かれましょうか? それなら手っ取り早いですし。 ――わたくしも佐藤さんの意見に賛成ですわ。
――太鼓とふんどしのコラボレーション……イけるか?  ――白粉さん?

結局、佐藤の意見が採用されてグーとパーでそれぞれ2手に分かれる。槍水仙、白粉花(+白梅梅)チームは西へ。
佐藤洋、著莪あやめ、沢桔姉妹チームは東へ、それぞれ向うことに決まった。

――ところでさっきから気になっていたんだが……何故グーとパーなんだ? 普通はグーとチーだろう。
――……は? いやいやいや、仙ってば何冗談言ってんの?  ――いやぁ、槍水さんも冗談とか言うんですね。
ちょっと驚きましたよ。 ――待て、私は冗談など言っていない。チーム分けなら当然グー、チーだろう?
――いいえ、グー、パーが正しいですわ。わたくし達の地元でもそうでしたもの、ねぇ、鏡? 
――はい、確かにグーとパーでした。 ――4人とも、一体何を言っているんだ? お前達の方こそつまらない冗談は止せ。
たいして面白くも…………何だ、その顔……まさか、本気で言ってるのか? ……馬鹿な……。 ――わたくし達の
意見のほうが正しいという事ですわね。何と言っても……。 ――民主主義らしく多数決に則っている……でしょうか、
姉さん?  ――そう! それですわ! わたくしはそう言おうと――。 ――あくまでも自分達が正しいと、
そう言いたいのか……だがな! いくら多数決という名の暴力を振りかざされようとも、私は自論を曲げるつもりはないぞ!  
――いや、あのさぁ、仙。そこまでムキになることもないんじゃ……。
――そうですよ、こんなのたかだかパーかチーかの違いじゃないですか。 ――何だ、著莪、佐藤。そんなのは強者の
意見に過ぎないじゃないか……。 ――いや、そんなつもりは……(×2)。
374 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 19:59:52.52 ID:UA5975g90

――氷結の魔女ともあろう者が、見苦しいですわよ。 ――ぐっ……く、そ……。 ――姉さん、火に油を注がないで
ください。 ――あ……。佐藤、アタシこの景品とかロッジに置いてくるよ。折角のメガアダプタが傷つくのも何だしね。
それじゃ、また後で〜。

著莪あやめが何かに急かされるように広場から去った後、「あの野郎、逃げやがった……」と小さく呟く佐藤の横で
今まさに氷結の魔女VSオルトロス(梗のみ)がスーパーとはあまりにかけ離れた場所での戦いを繰り広げようとしていた。
冷静になって考えれば、ただ空腹で気が立っているだけなのだが、当人達は死活問題といわんばかりの勢いだ。

鏡はトバッチリを受ける前に姉から離れ佐藤の横へと移動する。2人は顔を見合わせ、やれやれ……とため息をついた。

「あ、あの……」

もはや一食触発、そんな空気が漂う中。それまで半エレクト状態だった白粉花が事の次第を白梅から聞き、
オズオズと声を出す。即座にバチバチと火花を散らしあっていた2人の視線が彼女を射すくめた。

――何だ、白粉?  ――何用ですの?  ――え、と……ですね。あたしの地元は……チーとパーなんですが……。
――わたしも同じく。 ――な、何ですって!?  ――そんな馬鹿なっ!

誰にも譲れないものがある……をモットーに3つ巴となりつつあるこの至極どうでもよい戦いの行方はこうして
さらに泥沼化してゆく。

「僕達だけでも先にスーパーへ行きましょうか……?」

「そうですね、巻き込まれるのも嫌ですし……」

佐藤と鏡は互いに半ば諦め顔で広場を後にした。
375 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:00:32.04 ID:UA5975g90




双頭の獣オルトロスが1人、沢桔梗は途方にくれながら田舎道をトボトボと歩いていた。
ハンカチでとめどなく溢れる涙を拭いながら彼女は呟く。……どうしてこんな事に……と。

時を遡ること数十分前。彼女が公園で氷結の魔女と白梅梅を相手取り激論を交わしている最中にソレは起こった。

「あのぅ…もう時間が……」

それまで殆ど議論に参加していなかった白粉花が口にしたその言葉は、まるで魔法の呪文のように
熱くなっていた3人をフリーズさせた。

数秒の後、槍水仙、白粉花、白梅梅の3人は目的のスーパーマーケットに慌てて向かい。沢桔梗だけが取り残される。
そしてここに来てようやく彼女は気付いた。佐藤と妹の鏡がこの場にいないことに。

……まさか、わたくしを置いて2人だけで逢引を!?

こんな時ですら微妙にズレている彼女であったが、その後すぐに携帯電話を取り出し、さっそくコールを入れた。
ライフラインの相手はもちろん困った時に頼りになる妹である。

何度かのコール音のあとに妹が電話に出て――同時にピーピーという電子音が流れた。
まずいと思ったのもつかの間バッテリーの残量が尽き、沢桔梗のライフラインは呆気なく寸断されてしまう。

昨夜調子に乗って佐藤の寝顔をこっそりとムービーで撮り続けたのがいけなかったと彼女は深く後悔したが
もはやあとの祭りだった。
376 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:04:37.08 ID:UA5975g90

それからは苦難の連続だった。何人かの人にスーパーの場所を尋ねるも、祭りを見に訪れていた他県の人間だったり、
耳の遠い老人であったり、トドメには酔っ払いに見当違いの場所を教えられるなど……。
梗は何度か心が折れそうになった。

そんなこんなで文字通り、泣く泣く歩いていると暗闇の向こうに強力な光によって浮かび上がる建物を発見する。
昨夜、自分達が訪れたのとは違うソレ。みんなの笑顔が集う場、スーパーマーケット。

「ようやく、見つけましたわ……」

梗は光に吸い寄せられるようにフラフラとスーパーに近づき自動ドアを潜った。
エントランスでカゴを装備し、鳥棚の陰からそっと戦況を窺う。

弁当コーナーの前は混戦となっており、そこから少し離れた位置で鏡と佐藤がカゴ使いの女を相手に戦闘を繰り広げている。
――そこまではいい。多少、佐藤と共闘している双子の妹を恨めしく思ったが……まぁ、よしとした。

問題は弁当コーナー前の混戦だ。場の中心部にいる皮製のコートを羽織った長身の男……。
その彼が突然コートとその下に着込んでいた上着を脱ぎ捨てて「ブルゥアアア――――!!」と
わけのわからない雄叫びを上げ、グルグルと回り始めたのだ。

……変態がいる、と梗は思った。

ただそれがどんなに周りの狼達を苦しめているかは見ていて明らかだ。
何の仕掛けがあるのかはわからないが、どうも彼に近づいた者は腹の虫の加護を失うらしい……。

梗は脳をフル回転させて変態の特殊能力について考えをめぐらせる。
そしてもともと頭のいい彼女はすぐにその答えを導き出した。

本当は前夜の夕餉の後、佐藤が彼についた話しているのだが……
そのことを忘れいる辺りはご愛嬌というかなんと言うか。

「汗の臭い……ですのね。それならば今のわたくしにとっては好都合ですわ」

沢桔梗は不敵な笑みを浮かべつつ、変態ことナックラヴィーに近づいていった。
377 :すみません、訂正です。 [saga]:2012/04/19(木) 20:07:28.09 ID:UA5975g90
それからは苦難の連続だった。何人かの人にスーパーの場所を尋ねるも、祭りを見に訪れていた他県の人間だったり、
耳の遠い老人であったり、トドメには酔っ払いに見当違いの場所を教えられるなど……。
梗は何度か心が折れそうになった。

そんなこんなで文字通り、泣く泣く歩いていると暗闇の向こうに強力な光によって浮かび上がる建物を発見する。
昨夜、自分達が訪れたのとは違うソレ。みんなの笑顔が集う場、スーパーマーケット。

「ようやく、見つけましたわ……」

梗は光に吸い寄せられるようにフラフラとスーパーに近づき自動ドアを潜った。
エントランスでカゴを装備し、鳥棚の陰からそっと戦況を窺う。

弁当コーナーの前は混戦となっており、そこから少し離れた位置で鏡と佐藤がカゴ使いの女を相手に戦闘を繰り広げている。
――そこまではいい。多少、佐藤と共闘している双子の妹を恨めしく思ったが……まぁ、よしとした。

問題は弁当コーナー前の混戦だ。場の中心部にいる皮製のコートを羽織った長身の男……。
その彼が突然コートとその下に着込んでいた上着を脱ぎ捨てて「ブルゥアアア――――!!」と
わけのわからない雄叫びを上げ、グルグルと回り始めたのだ。

……変態がいる、と梗は思った。

ただそれがどんなに周りの狼達を苦しめているかは見ていて明らかだ。
何の仕掛けがあるのかはわからないが、どうも彼に近づいた者は腹の虫の加護を失うらしい……。

梗は脳をフル回転させて変態の特殊能力について考えをめぐらせる。
そしてもともと頭のいい彼女はすぐにその答えを導き出した。

本当は前夜の夕餉の後、佐藤が彼について話をしているのだが……
そのことを忘れいる辺りはご愛嬌というかなんと言うか。

「汗の臭い……ですのね。それならば今のわたくしにとっては好都合ですわ」

沢桔梗は不敵な笑みを浮かべつつ、変態ことナックラヴィーに近づいていった。
378 :すみません、再訂正です。本当に申し訳ない [saga]:2012/04/19(木) 20:10:07.01 ID:UA5975g90
それからは苦難の連続だった。何人かの人にスーパーの場所を尋ねるも、祭りを見に訪れていた他県の人間だったり、
耳の遠い老人であったり、トドメには酔っ払いに見当違いの場所を教えられるなど……。
梗は何度か心が折れそうになった。

そんなこんなで文字通り、泣く泣く歩いていると暗闇の向こうに強力な光によって浮かび上がる建物を発見する。
昨夜、自分達が訪れたのとは違うソレ。みんなの笑顔が集う場、スーパーマーケット。

「ようやく、見つけましたわ……」

梗は光に吸い寄せられるようにフラフラとスーパーに近づき自動ドアを潜った。
エントランスでカゴを装備し、鳥棚の陰からそっと戦況を窺う。

弁当コーナーの前は混戦となっており、そこから少し離れた位置で鏡と佐藤がカゴ使いの女を相手に戦闘を繰り広げている。
――そこまではいい。多少、佐藤と共闘している双子の妹を恨めしく思ったが……まぁ、よしとした。

問題は弁当コーナー前の混戦だ。場の中心部にいる皮製のコートを羽織った長身の男……。
その彼が突然コートとその下に着込んでいた上着を脱ぎ捨てて「ブルゥアアア――――!!」と
わけのわからない雄叫びを上げ、グルグルと回り始めたのだ。

……変態がいる、と梗は思った。

ただそれがどんなに周りの狼達を苦しめているかは見ていて明らかだ。
何の仕掛けがあるのかはわからないが、どうも彼に近づいた者は腹の虫の加護を失うらしい……。

梗は脳をフル回転させて変態の特殊能力について考えをめぐらせる。
そしてもともと頭のいい彼女はすぐにその答えを導き出した。

本当は前夜の夕餉の後、佐藤が彼について話をしているのだが……
そのことを忘れている辺りはご愛嬌というかなんと言うか。

「汗の臭い……ですのね。それならば今のわたくしにとっては好都合ですわ」

沢桔梗は不敵な笑みを浮かべつつ、変態ことナックラヴィーに近づいていった。
379 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:11:08.32 ID:UA5975g90

 ●


双頭の獣オルトロスが1人、沢桔鏡は争奪戦開始と同時に佐藤洋と共闘していた。

本来姉の沢桔梗がいる筈のポジションを佐藤が担うのは何だか変な感じだが。
なかなかどうして、彼は上手く自分が動きやすいようにサポートしてくれている。
さすがに姉同様カゴを扱うことはないが、その代わり佐藤にはパワーがあって
今までに無かったような戦法が取れた。

こんなにも変わるものなのかと驚く反面、いつもと違うパートナーと組む事が面白くもあった。

「小娘!」

大顎が手にしていた2つのカゴを重ね、振りかぶる。
鏡はそれに動じることなく、大顎の攻撃を自分のカゴでもって相殺した。
同じカゴ使いとして大顎の攻撃は読みやすいのだ。

無論ソレはあちらも同じ事、だが彼女と違い自分には共闘している彼の存在がある。

「佐藤さん!」

鏡の合図を受けた佐藤が床を蹴り上げ、大顎に接近。至近距離からの掌底を放つ。
ドンッという音と共に大顎が吹っ飛び―― ナックラヴィーの胸元に飛び込んだ。……顔面からベチョリと。

「いやあぁあぁヌルヌルしてるうぅぅぅぅうううぅ!」
380 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:14:31.75 ID:UA5975g90

大顎の悲鳴を聞きながら佐藤とハイタッチを交わす鏡。

――その時だった。ゴッという鈍い音が店内に響く。
見ればナックラヴィーとその隣にいたアンが頭からカゴをかぶり、両膝を床についていた。

2人はそのままほぼ同時にうつ伏せで床に倒れ込む。
ナックラヴィーの正面で絶叫していた大顎はそれに巻き込まれ押し潰された。ベチャっという音と共に……。

「いぃやあああああぁぁぁぁぁ……」

大顎の弱々しい悲鳴が聞こえるが、この場に集う狼達の関心は別のところに向いていた。
倒れたナックラヴィーの背を蹴って1人の獣が跳んだのである。

「姉さん!?」

鏡が驚きの声を上げる中、沢桔梗に何人かが飛び掛り――落ちていった。
彼等はまるで腹の虫の加護を失ったかのように梗の目前で失速し落下する。

梗は邪魔者が勝手に消えたことで悠々と弁当の置かれた陳列台の前に着地。
……そして今、その手に『花火ちらし寿司』を掴み獲った。

「鏡! 佐藤さーん! わたくしやりましたわー!!」

彼女は頬を赤らめ、最高の笑顔で手にした獲物を高々と掲げてみせた。
381 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:15:11.01 ID:UA5975g90

 ●


親友の真希乃が今宵戦っている店へと淡雪は走っていた。

腹の底に響くような爆音が空気を震わせ、同時に夏の夜空を彩る大輪の花がいくつも咲き誇る。
それはすでに争奪戦が開始されているということを彼女に告げていた。

すでにそれなりの距離を駆けているので呼吸は荒く、足が重い。休みの日には真希乃と2人、
ランニングをすることが日課の淡雪でもペースを考えず、ただただ急いで走っていれば当然の結果だ。
おそらくこのまま無事、争奪戦に間に合ったとしてもコンディションは最悪だろう。

――それでも間に合わなければ意味がない!

淡雪の眼前に強い光が迫る。今宵激戦が予想される、戦いの野、スーパーマーケットだ。
全国各地から幾多の強豪がひしめいているであろう領域……そして真希乃と共に駆け抜けた場所。
382 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:15:37.98 ID:UA5975g90

彼女が店先に着ついた時、僅かだが異臭が漂っているのに気付く。少し離れたところから――

「さぁ、姉さん。コレを両手に持った状態でじっとしていてくださね?」

「き、鏡、その両手に持ったスプレーで何を……!?」

「動かないでください、それじゃいきますよ」

「イく!? 鏡! いけませんわ、こんなところではしたな――きゃぁぁぁあぁぁぁぁぁあああああ!!」

――という会話が聞こえてきた。気にならないといえば嘘になるが、今はそんな場合ではない。一刻も早く親友の下へ!

まだ約束は守れるよ、きっと、まだ間に合う。

今一度、著莪の微笑と言葉を思い出しながら淡雪は自動ドアを潜り弁当コーナーへと急ぐ。
汗だくとなった肌に触れるひんやりとした空気が店の最奥に近づくにつれ狼達の放つ熱気へと変わってゆく。

争奪戦は続いている。まだ、約束を果たす事ができる――

「真希乃――――!!」
383 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:16:05.76 ID:UA5975g90

 ○


……さて、どうしたものだろう。と僕は思った。
今しがた突如、淡雪が出現した事で完全に場の流れが変わってしまったのだ。
当初、そこまで警戒する必要が無かった真希乃が彼女と一緒に『花火ちらし弁当』を狙いにきた途端、豹変したのである。
動きなどもさることながら気迫が先程までとまったく違う。別人といっても差し支えないぐらいだ。

淡雪が駆けつけたことでこれだけ彼女が変わるのであれば、あと少しだけ来るのが遅ければ……と歯噛みせずにはいられない。
だが、これでよかったとも同時に思う。ようやくあの2人が本来の関係に戻ったのだから。

争奪戦は既に終盤といっていい。今宵の獲物は2つの内1つが開戦後まもなくオルトロス……沢桔梗が手中に収めている。
争奪戦開始後、僕達が大顎と戦っているうちに彼女はフラリと店内に現れ、
ナックラヴィーに張り付いてしばらくチャンスを窺いつつ、場の一瞬の隙を突いて見事に花火ちらし弁当を獲得したのだ。

正直言ってまったくのノーマークだった、……というか強烈な臭気を放つナックラヴィーの後ろに、
まさか誰かが張り付いているなんて想像できるわけがない。まぁ、アンとか白粉ならともかく、
そんな超人がそう何人もいてたまるかってのが一般的な人類の意見だと思うんだけど……。

もっとも、それでいくと梗さんがまるで臭い系大好き娘みたいになってしまうのだけれど、
実は彼女……鼻が詰まっていて臭いをまったく嗅ぎ取れない状態だったらしい。
本人から直接聞いたわけじゃないので憶測に過ぎないが、やけに目が赤かったし多分間違いないだろう。

彼女が遅れてきた事から察するに、スーパーの場所がわからず……という感じではなかろうかと僕は推測する。

ところで当然のことながら彼女はナックラヴィーに張り付いた状態だったので、その、なんだ……臭うんだよね、凄く……。
384 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:16:58.58 ID:UA5975g90

そんなわけで急遽、鏡さんが姉の代わりに半額弁当と大量の消臭スプレー及びトイレなどに置いてあるアレ、
芳香剤を買い込み。現在、お店の外で梗さんの臭いを香りに変えようと努力している真っ最中だ。

『除菌もできるジョイ』を直接頭からぶっかけるぐらいの荒業を用いてもいい気がするけど……。
いや、そこまでするならいっそ根本的に、本体を風呂に入れる&服を焼却処分した方が早いんじゃないだろうか。

ぶっかけるっていう言葉を梗さんに対して使用するといつもなら即ナニがアレするところだが。今は、……ねぇ。
ちょっと難易度が高いなぁ……。

――などと、どうでもいい事を僕は考え始めた。
この戦いの場で一切必要ない思考……まるで戦う事を放棄するかのような……。

今この場に残ったのは僕も含めて5人、残る弁当は1つだけ。胃袋は依然として弁当を求めている。
それなのに真希乃、そして淡雪の2人を見ているとどうしてもある気持ち≠ェ胸の中に沸き起こってしまうのだ。

……彼女等に花火ちらし弁当を譲るべきじゃないか……と。

恐らくこんな風に逡巡が生まれている時点で、僕の戦闘力は大幅に落ちている事だろう。果たしてこんな状態で勝てるのか、
いや、そもそも勝つべきなのか? いっそ、今ギリー・ドゥーと淡雪が交戦中の狼2人を薙ぎ払い、彼女等に背を向けて
自分は即席麺のコーナーに向うべきじゃないか……。

どうする、と僕は己に問い、視線を落とした。これ以上、あの2人を直視していると本当に何もできなくなってしまう……。

視線の先、僕の足元には『らん☆らん☆る〜♪』と書かれたこの世の終わりみたいなTシャツを着た男が転がっている。
……こちらに来る時からやたらとこのTシャツを見ることが多いな。流行っているのだろうか? いや……無いな。
もしそうならこの世はとっくに終焉を迎えているはずだ。この魔法の言葉によって。

「ん?」

その時だった。僕の携帯が着信を告げる。液晶画面にはアイツの名前が表示されていた。
385 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:17:36.97 ID:UA5975g90

 ●


淡雪と分かれた後に、きっと自分はあの2人と戦えないだろう。それじゃ、行くだけ無駄だ。と思った彼女は
1人、広場に戻り花火大会を満喫していた。いや、本当は淡雪との会話を思い出していたのだ。

淡雪と真希乃。いつも一緒でこれからも当然それが続くと思われていた2人。けれど真希乃が突然、都会の高校に
進学すると淡雪に告げたことで、2人の歯車はズレ始める。

そのことを佐藤から始めて聞いたとき著莪は、何だか以前見ていた夢の中の自分と似ているな、と思ってしまった。
同時に、このままじゃいけないという気持ちが沸く。夢の中の自分はそうなってしまった事に深く絶望していた。
信じていた相手に裏切られたという気持ちに苛まれていた。こうなったのは全部アイツのせい、自分は悪くない。
そう思うだけで結局ちゃんとした話し合いもせずに分かれてしまった夢の中の自分達。

淡雪達にはそんな結末を迎えて欲しくない。
そう思った著莪は何としてもココに滞在しているうちに2人を仲直りさせたいと考えた。

差しあたって夢の自分と同じ立ち位置にいる淡雪を説得しなければ。
彼女が頑なになっている内はどんなに真希乃が歩み寄ろうとしても意味が無い。
まずはガッチリと凍りついた淡雪の心を溶かしてやること。

著莪は自分の夢の話を包み隠さず淡雪に伝え、それを聞いた彼女の心は確かに動いたようだった。

瞳に後悔の色を浮かべ、自分を見つめる淡雪の背中を著莪は押してやる。

――まだ約束は守れるよ。きっと、まだ間に合う。

それを聞いた淡雪はハッとしたように息を呑み「すみません」と言って駆け出した。
親友が……禊萩真希乃が待つ、戦いの野、スーパーマーケットへと向って。
386 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:18:09.70 ID:UA5975g90

広場の一角にある芝生の上に寝転んだ著莪は、走り去る淡雪の後姿を思い出して思わず微笑み――直後、それを考えた。

夢の中の自分達はその後どうなったんだろうか……。

何だかんだで仲直りをしていそうな気もするし、反面、あのままずっと……という気もする。

「……嫌だな、そんなの……」

何だか無性に佐藤の声が聞きたくなった著莪は戦闘中の邪魔になるかもしれないと思いつつ電話を掛ける。
3回コールして『もしもし……』という佐藤の声が耳に入ってきた。

「あ〜佐藤、今大丈夫? …… そう、良かった。ん? いや、その……別にコレといって凄く大事な用とかは
 無いんだけどさ、………… アハハ、まあまあ、そう言うなって。
 ぅ〜ん、何ていうかさぁ、急に佐藤の声が聞きたくなったんだよね……うん、満足した」

『なんだそれ……?』と返してきた従弟の声色で著莪は内心悟っていた。

彼が既に戦闘意欲を失っていることに。
387 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:19:07.09 ID:UA5975g90

時間的にいって多分、淡雪が戦場に加わっているはず……それなら無理も無いと思えた。
自分だって今の佐藤と同じ気持ちになったからこそ、こうして夏の夜空に打ち上がる花火を眺めているのだ。

だからこそ佐藤を責める気持ちにはならない。
むしろこの電話を長引かせる事で淡雪達を援護してやろうかな、という考えすら浮かぶ。……けれど――

「佐藤、絶対に弁当を獲ってこいよ。んでアタシに半分ちょうだい。ハグしてやるから」

――実際に口を突いて出た言葉はそんな考えとはま逆のもの。
それを聞いた佐藤が電話の向こうで『え〜』と不満げな声を上げる。

……まったく贅沢になったなぁ。

「よし、そんなら特別出血大サービスでキスもつけてやろう! それならいいっしょ?」

著莪は佐藤の返答を聞かずに電話を切り……ポリポリと頭を掻いた。

「……何言ってんだろ、アタシ……」
388 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:19:52.23 ID:UA5975g90

 ●


淡雪えりかと一緒に2人の敵と攻防を繰り広げるギリー・ドゥーこと禊萩真希乃の心は歓喜に満ち溢れていた。

もともと半額弁当争奪戦の場が好きな真希乃だったが、今日は特に嬉々として心が躍った。
その理由はもちろん親友の淡雪がスーパーに来てくれたからに他ならない。

――これで約束が守れる。2人で一緒においしい花火ちらし寿司を食べようという、あの約束が。

「おぉぉぉおおお――――――――!!」

いつもと違うらしくない雄叫びを上げ、ギリー・ドゥーは目の前の敵を吹き飛ばした。
それと同時に横にいた淡雪も対峙していた相手を倒す。

真希乃はホッと一息ついて親友の方に向き直り――顔を強張らせた。

淡雪のに背後に何か……黒い影≠ェ近づいていたのだ。

一体いつの間に接近していたのかわからない。
先刻、淡雪が現れてからの自分と同様かそれ以上の気迫を放つソレは猛然と親友に迫る。 

「えりか!!」

考えるよりも先に、大好きな親友を守るという一念が……本能が真希乃の体をつき動かした。
389 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:21:37.68 ID:UA5975g90

瞬時に足に力を込め、床を蹴り、淡雪と黒い影の間に割って入る。瞬く間に眼前へと迫る黒毛の……。

「――えっ?」

真希乃の視界が突然黄色一色で覆い尽くされた。訳がわからぬ彼女の前に『らん☆らん☆る〜♪』という
魔法の言葉が映し出される。この瞬間《ギリー・ドゥー》の思考は完全に停止した。

コンマ数秒の後、ソレが争奪戦開始直後に自分が倒した男が着ていたTシャツであるとようやく理解した真希乃だが。
依然として数多くの『?』が彼女の頭を埋め尽くす。

……何故Tシャツだけなのだろう? ……このシャツの主は一体どこにいってしまったのか? 
……何よりも『らん☆ら――

「真希乃!!」

ハッ! と淡雪の声で我に返った真希乃は、ともかく攻撃を、の一心で魔法の呪文に向けて拳を放つ。
その向こうにいるであろう強烈な殺気を放つ佐藤洋に向けて。

――その瞬間だった。シャツの向こうにあった彼の気配が……忽然と消える。

自分の拳がシャツの生地に触れると同時に腹部に重い衝撃が走るのを、真希乃は他人事のように感じていた。


……ごめんね、えりか。約束を守れなくて……。
390 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:22:27.29 ID:UA5975g90

 ○


夜空に打ちあがる花火のドンッという音に負けないぐらい気合の入った「いただきます!」の声が公園に響いた。
白梅がどん兵衛の蓋を捲ったことで、屋外にも拘らず辺り一帯が美味しそうな匂いに包まれ、
僕を含めた他のメンバー全員が生唾を飲み込む。

白梅は一緒に買ってきた竹輪の天ぷらをどん兵衛の汁に浸し、食べ始めた。
麺を啜り、竹輪にむしゃぶりつくその姿でさえ、どこと無く優雅さを感じさせる辺りがいかにも白梅らしい。

その隣に座る白粉はウィダーインゼリーでの夕食だ。何でもサラマンダーによる攻撃を腹部に喰らったとかで
食欲が無いのだとか。……実際ついさっきまでピクリとも動かなかったほどだ。さぞかし白梅が憤慨した事だろう。

そんな彼女等の正面に座っていた槍水さんが割り箸を割り、梗さんは弁当の蓋を取る。
鏡さんもまたせっせとお握りの包装を解いてゆく。弁当1個を2人で分けるには、少し足りない為だ。
僕もお握りとどん兵衛を同じ理由から購入している。

隣に座っている著莪がそのお握りの包装を解き、パリッとした海苔とその向こうに包み隠された白米にかじりつく。
続いて彼女はどん兵衛の蓋を開け、汁を啜った。……おっと、イカン。見ていたら涎が。

さていよいよ僕の番。割り箸を割り、膝の上に置かれた花火ちらし寿司に視線を落とす。
見れば見るほど、凄いちらし寿司だ。

上に乗っている具材は焼きアナゴ、小ぶりのエビ、カニ等に加え彩を豊かに演出するキヌサヤの緑。
定番の錦糸卵はもちろんのことながら、それとは別に小さなサイコロ状の卵焼きがついている。
391 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:24:29.97 ID:UA5975g90

ちらし寿司を1口分のすくい口に入れると爽やかな素飯の味が広がる。
砂糖とみりんを使用し、鰹と昆布の出汁が見事に調和していた。

咀嚼するとサイコロ状の卵焼きとかんぴょうの甘みと椎茸の風味がプラスされ、
石岡君の犠牲により食べられるようになったニンジンの柔らかい食感が加わり、
大きめにカットされたレンコンがシャキシャキとした気持ちのいい歯ごたえを与えてくれる。

これはうま――

「うん、去年より1段とうまくなっているな。ここまで来た甲斐があるというものだ」

……槍水さんに先を越されてしまったが、確かにうまかった。

アナゴ、エ――

「アナゴ、エビ、カニ、これらにもちゃんとした味がついているというのに不思議と一体感のある味に
 仕上がっている……。相当手間隙かけて作られたものであることは間違いありませんわね」

「そうですね、レシピが分かれば作ってみたいものです」
392 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:25:40.08 ID:UA5975g90

……また、先を越された……。
花火ちらし寿司が3つも揃っているから仕方ないのかもしれないけど、
何か凹むなぁ……。

「佐藤佐藤、アタシにもちょうだい」

僕が一人落ち込む中、著莪は僕のシャツの裾をつかんでグイグイと引っ張り、急かす。

あぁ、とっくに気づいてたさ。僕が食べ始めると同時にコイツがこちらを凝視していたってことぐらい……

「……わかったよ、ちょっと待ってくれ」

「早く早く!」

ヒナが親鳥に餌をせがむがごとく著莪は急かし、僕のシャツを引っ張る。

これ以上引っ張られるとシャツが伸びかねないので、ちらし寿司をすくい口に入れてやる。
彼女は暫し咀嚼し、ゴクリとちらし寿司を胃の腑に治め、満足そうに頷た。

「うん、うまい♪」
393 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:26:32.98 ID:UA5975g90

 ●


打ち上げ花火のドン、ドドンという音で淡雪は意識を取り戻した。
体のあちこちが酷く痛むが、大抵、争奪戦の後はこんな感じなので慣れている。

背中に芝生の感触があるが不思議な事に後頭部だけは暖かく柔らかな感触だ。
目を明けると赤い樹脂性の眼鏡をかけ、心配そうにこちらを見つめる真希乃の顔があった。

「えりか、大丈夫?」

自分の方が何倍も辛いくせに……こんな時まで人の心配をして。

そう思いながら体を起こし改めて真希乃を見ると彼女はお腹の辺りに手を当てていた。
最後の佐藤から受けた1撃が余程こたえたのだろう。

「わたしは平気。……真希乃は……大丈夫じゃなさそうね」

えへへ、と真希乃は苦笑いを浮かべ、お腹を擦る。

「ちょっと待ってて、今からウィンダーインゼリーでも買ってくるから。それなら食べられるでしょ?」

「あ、待って、えりか」

真希乃は震える手で立ち上がりかけた淡雪の服の裾をつかみ、傍らに置かれたレジ袋をもう一方の手で指差す。

「佐藤さんが買ってくれてる……」

「あぁ、そっか。それじゃ気絶してたわたし達をココに運んでくれたのも……?」
394 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:27:06.59 ID:UA5975g90

うん、と言って真希乃は頷き、傷だらけの顔を横に向けた。
淡雪もそちらに顔を向けると、自分達の少し離れた一角で楽しそうに食事を取る一行の姿が見える。

――おいしですわね、鏡。 ――はい、そうですね。姉さん。 ――……何でみなさん、微妙にわたくしから離れるん
ですの?  ――いや、そ、そんなことはないぞ? なぁ、著莪?  ――げっ! こっちに振るなよ仙!?
――スンスン……はふぅ、芳しいスメルが……。 ――ダメですよ白粉さん、そちらに行ってはいけません。
悪臭がうつってしまいま……あ……。 ――やっぱりわたくしが臭いんですのねぇぇぇぇぇぇええぇ!! 
――おい、白梅! お前なんて事を!? 世の中には例えソレが真実でも決して口にしてはいけない事が! ……あ……。
――いやぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁあ!! 佐藤さんまでぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇ!!

「……楽しそうね、凄く……」

「……う、うん……」

先ほどまでは自分の心のどこかに若干、敵に施しを受けるのを良しとしない気持ちがあった淡雪だったが、
あのバカ騒ぎを見ている内にどうでもよくなってきた。

「わたし達も食べよっか……」

ぎこちなく頷く真希乃の代わりに淡雪はレジ袋を手に取り中を検め――あっ、という声を漏らした。

恐る恐る、袋の中に鎮座したソレを取り出し。「どうしたの?」と首をかしげる親友に見せる。
今度は真希乃が、あっ、という声を上げた。

「花火ちらし寿司……何で……?」

淡雪がもう1度、ギャーギャーと騒ぐ1行の方を見ると、偶然振り返った著莪と目があった。
彼女はこちらにヒラヒラと手を振ると、横にいた佐藤にもたれかかり、綺麗な金色のポニーテールを自分達に向ける。

暗さと距離があったせいでハッキリとは分からなかったが、淡雪には彼女が自分に微笑みかけていたように見えた。
395 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:27:37.07 ID:UA5975g90

 ○


ロッジに戻ってお風呂を使い、ベッドに横になった。さすがに2日連続で雑魚寝とはいかなかったのが残念である。

天井に取り付けらた窓から満天の星空が見える。ソレを眺めながら夕餉の時のことを思い出した。
楽しいひと時だったがその中でも特に印象深かったのは。真希乃と淡雪、彼女等の笑顔をだったといっていいだろう。

梗さんの絶叫に混じり僕の背後から「「おいしい!」」と声が聞こえた気がして、もたれかかっていた著莪を押しのけ
振り向いた際に見たその光景に僕は心底安堵した。

淡雪の方は左程でもないと思うが、真希乃には最後に容赦の無い1撃を腹に叩き込んでいたので食欲があるかどうか
不安だったのだ。もっとも、仮に彼女が食べられなくとも淡雪が一緒だから平気かな、とも考えていたけど……。
何せ真希乃に渡したレジ袋に入れた花火ちらし寿司は半分だったのだから。

広場で待っていた著莪は僕が弁当を獲ってきたのを確認すると、いきなり自分の取り分である弁当の半分を彼女等に
渡すと言い出したのだ。「自分のせいでこうなったと思うから……」とか何とか言っていたが正直よくわからない。

まぁ、僕にも依存は無いので槍水さんから弁当の蓋を提供してもらい、そこにちらし寿司の半分とおかずを少量載せ、
残り半分を半分レジ袋に収め、タイミングよく目を覚ました真希乃に手渡しておいた。

万が1、淡雪が「敵の施しは受けない!」って言ったらどうしたもんかと少し考えていたが、
それも杞憂に終わったし、その後何度か真希乃達の様子を見る限り、仲直りできたみたいだし……

「めでたしめでたし……かな」

「何が?」

え〜と……何で著莪がここにいるのかな?
396 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:28:16.50 ID:UA5975g90

「お前、いつのまに……まさか、スタ――」

「はいはい、スタンド攻撃とかそんなんじゃないから安心しなさい。
 っていうか何度もノックしてたんだけど反応が無いから、何か遭ったのかと思ってさぁ」

えぇい、こうして考えていても埒が明かぬわ! 従弟が心配だ! この我が眼でその真偽を確かめに……というわけか。
ふむ、それならしょうがないよな、納得できる。

「ところで槍水さんはどうしたんだ? あの人、1人だと寂しくて眠れないとかありそうだけど……」

「仙にはダミーを抱かせてきたから大丈夫だよ、ほら例のヌイグルミ」

成程、昼間に輪投げで取ったやたらデカいブルドッグのヌイグルミはその為か。
くそぅ……あの不細工な野郎がちょっとだけ羨ましいぞ。
僕が代わりに……あー、でも、もしそうなったら首をロックされて強制的に衝天させられちゃうのか……。
身の安全をとるか、性……知的好奇心をとるか、難しいところだ……。

「で……何の用?」

「はぁ〜、やれやれ、これだから佐藤は……見てわっかんないかなぁー」

まぁ、こんな状況だし何となくはわかるけど……。

「一緒に寝ようってことだよ。言わせんな、恥ずかしい」

「いつものことじゃん」

「数日振り……だろ?」
397 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:29:21.62 ID:UA5975g90

「確かに」

「うん」

僕等は少し笑った、それほど長い期間離れていたわけではないのに、随分久しぶりのような感じがする。
著莪は僕の手を握り指を絡め、体を寄せてきた。

「やっぱりちょっと暑いね」

「そりゃぁ夏だし、少し離れようか?」

「それはヤダ……このままがいい」

彼女は身をくねらせるようにしてさらに体を寄せる。
互いの距離が鼻先がつく程の、吐息を肌で感じられる程の近さとなり僕等は互いの顔を見つめあう。

「アタシが寝るまででいいからさ」

「……僕にそれまで起きてろと……?」

囁く程度の声で著莪は言い、ニッコリと笑って頷いた。
こうなるともう彼女のペースで事が運び、僕は観念する以外にない。

……もっとも不思議とそれが嫌なわけでもないが。

「あーやっぱり、こうしていると落ち着くよ。……今日は、よく眠れそう」

「あれ? お前って枕が替わると眠れなくなる派だっけ?」

「……バーカ」

著莪は僕の鼻先にピシッとデコピンを一発。結構痛かったので仕返しに彼女のわき腹の辺りをくすぐってやった。
398 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:29:58.91 ID:UA5975g90

しばらく互いにくすぐりあっていたが、いつしか僕等は無言になり、またお互いの顔を見つめ合っていた。
何となく2人とも言いたい事があるのに両者とも口をつぐんだまま。どことなく気まずい……。

僕自身はどんな顔をしていたのかはわからないけど、著莪はどこか不安げな……雨に濡れた子犬のような顔をしていた。

窓から差し込む月明かりに照らされて煌く著莪の金髪、湖のように透き通った碧い瞳、白い肌。その全てが綺麗だった。
このまま時間が止まってまえばどんなに幸せだろう……。そう思いながら、彼女の背に腕をまわしてそっと抱き寄せる。
著莪も僕の腰に腕をかけ、お互いにぎゅっと抱きしめ合った。

足を絡めながら「……ねぇ」と著莪が囁く。……解っているよ、著莪。お互いに言うべきことがあることぐらい。
そうだよな、いつまでも目を逸らしていてはいけない。僕達は、もう臆病な子供じゃないんだ。

「佐藤、その、気付いてるよね……?」

「……うん、本当は大分前から気付いていたんだ。今まで黙っていたけど、もう限界だ。目を逸らすのはやめるよ」
399 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:30:29.06 ID:UA5975g90

覚悟を決めたような顔をして、著莪は小さく頷く。僕等は今一度強く抱きしめ合う。

「その、さ……。アレ≠ネに?」

「……G的なもの、かな?」

僕達は視線をベッドの脇へと移す。……いた! いやがった! 
眼鏡を装着し、メモ帳にペンを走らせながらハァハァと荒い息遣いをしている…………白粉Gが!!

「ぇあ、な、何でしょうか……? あたしのことは気にせずに続きをどうぞ」

「お前、何してんだよ?」

「あ、あたしですか? それはもちろんネタの匂いに誘われて……」

……うん、予想通りというか……やっぱりコイツ、ちょっと怖い。

白粉は最初、ちょうど著莪が僕に引っ付いてきた時辺りから、部屋の扉を少し開け、隙間から覗いていたのだが。
僕等がくすぐり合いを始めた瞬間、……ガサガサ……ゴソゴソ……と、進入してきたのだ。

……おぉ、思い出すだけでもおぞましい!
400 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:31:00.22 ID:UA5975g90

……が、それにしてもコイツ……。

「お前さぁ、また著莪にセクハラされるとか考えなかったわけ?」

「はっ! しま――」

僕は白粉の口を手でもって迅速に塞ぎ、隣にいる著莪に目配せをする。
彼女は、心得たって感じで頷くと扉のところに行きガチャリと鍵をかけた。その瞬間、白粉の顔が絶望の色に染まる。
この後に待ち受ける自身の運命を悟ったらしい。クックック、馬鹿な奴め。

「花、覚悟はいいねぇ〜、あれから一体どれだけ成長したのか、お姉さんがチェックしてあげよう……」

「んむー!?」

両手をワキワキと動かしながら白粉に迫る著莪は凄く悪そうな顔をしていた。
白粉が必死に僕の顔を見て何かを訴えかける。

十分反省したようだし、助けてやるか。……何気に犯罪っぽいシチュエーションだし。

「反省したか?」

「んっ、んぅ!」
401 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:33:35.86 ID:UA5975g90

白粉が盛んに首を縦に振るので手を放したやった。

「……ひ、ひどいですよ〜……」

「……ひどいのはどっちだよ。まぁ、いいや。著莪、ちょっと僕のバックから今日着てたシャツを――」

「成程……そこにあったんですか。後でちょっと拝借――モガモガ……」

僕はニチャっとした笑みを浮かべる白粉の口を再度塞ぐ。ホント、素直でバカな子だ……。

「著莪……遠慮はするな、全力でやれ」

「了解っ♪」

「ふぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?」

夏の夜空にクリーチャーの断末魔が響き渡った。
402 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:34:30.09 ID:UA5975g90

 ●


「佐藤、もう寝た?」

著莪は体を横に向け、隣で横になっている従弟に声をかけた。
彼は従姉の言葉には答えず、ただ規則正しい寝息を立てているだけ……。

「返事がない、ただの屍のようだ……」

白粉を心行くまで弄り倒し、最後には布団で彼女を簀巻きにして『白粉の巻き寿司』を作り上げ、白梅に届けた後、
争奪戦の疲れからか佐藤が欠伸を連発したので寝ようということになったのだが。著莪はイマイチ寝付けずにいた。

「アタシを置いて先に寝ちゃうなんて、この不届き者め……成敗してやる」

著莪は体を少し起こし、佐藤の唇を人差し指で突っついてやった。連続でくにゅくにゅと。

さすがに起きるかと思ったが、彼は相変わらず規則正しくお腹を上下させるだけ。

「むむむ、これでも起きないか……油性マジックがあれば額に『肉』って書いてやれるのに……」

声はやたらと不満そうだが著莪は終始笑顔だった。
彼女は佐藤の寝顔を見つめながら、そんなに長い間離れ離れになっていたわけじゃないのになぁ、と呟く。

「ホント、それなのにどうしてこんなに……」

著莪の顔がゆっくりと佐藤の顔に覆いかぶさるように近づき……互いの唇がそっと重なる。

これはあくまでも弁当のお礼……だから別にアタシが負けたわけじゃない。

そう思いながら著莪はしばらくの間、佐藤と唇を重ね続けた。
403 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:35:32.00 ID:UA5975g90

 ○


「佐藤佐藤、これ! パパにこれ買っていこう!」

青空の下、やたらと元気のいい著莪が、駅前の微妙な商店街に並んでいる変なシャツに喰いついている。
僕の名を呼んでいる辺り……どうも人の財布を当てにしている節がありそうだが、
何が悲しくて胸元に大きく『ロリコン』と書かれたシャツに金を使わねばならないのか。ここは無視するに限る。

「……ッチ。ノリ悪いなぁ。じゃ、こっちの『変態』と書かれたシャツをアタシが佐藤に奢ってやるよ」

「いらないっての、大体なんでよりにも寄って変態なんだよ!?」

「あれぇ〜、もしかして忘れちゃったとか? 昔のこと」

著莪はニヤニヤしながら自分の胸の上に手をやる。……はて、何だろう?

「ほら、小学校の頃……修学旅行のちょっと前ぐらいかな。
 佐藤の家に泊まった時に、ベッドで一緒に寝ていたアタシの胸――」

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? よし、わかった! 買う!
 買うからその話は待ってくれぇぇぇぇぇぇえええええ!!」

交渉成立だな、と言って著莪はニッシッシと笑う。

まったく我が従姉ながらなんて恐ろしい奴だ……いくら小学生の頃の話とはいえ、
アウトかセーフかでいったら、まず間違いなくアウトだろう……。
404 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/19(木) 20:41:03.88 ID:UA5975g90

「ん〜? どうした佐藤〜、顔が青いぞ?」

誰のせいだ! 誰の!! 夏の日差しを浴びているのに一瞬で汗が引くなんて生まれて初めて体験したわ!

「……どうもしねーよ、それより早く選べ……」

「う〜ん、迷うなぁー。あっ、これなんていいんじゃない? あせびのおみやげに!」

そう言って著莪が手にしたのは『らん☆らん☆る〜♪』という魔法の言葉が記されたTシャツだった。

……成程、案外いいかもしれない。あせびちゃんならフツーに着こなしそうな気がするし、
彼女のアレなんか見ようによっては黒魔術っぽい気もする。

「うん、いいんじゃないか?」

「よし決まりっ! じゃ、あとは二階堂のやつを……と」

あぁ、そういえば先輩のこと、すっかり忘れてた……。

「ほら、これ見てみ! アイツにぴったりのヤツ発見!」

「……本気か……?」

もちろん、と著莪は笑顔で言うが……なんつぅか、ハイセンス過ぎじゃない? この店のラインナップ……。

彼女の掲げたTシャツは背中のところにデカデカと『人妻サイコー!』の文字が輝いていた。



 <了>
405 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/04/19(木) 20:49:40.52 ID:UA5975g90
本日は以上となります。

途中の連続訂正などについて今一度お詫び致します。
申し訳ありませんでした。

また来月、時間が出来ましたら投下します。

最後に見て下さった方々に御礼申し上げます。
406 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/19(木) 20:59:02.23 ID:lDES/X77o
>>1
白粉ェ…
407 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/04/19(木) 23:12:45.43 ID:9rf7DsxAO
いちおつ!
あやめちんちょっとかわいすぎないか? チート?
408 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/04/19(木) 23:17:44.37 ID:TZ6htA4go

面白かった! 著莪可愛い
409 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/04/20(金) 01:19:51.40 ID:TyKTurxyo

やめたげて! 二階堂さんが憧れの人のところへ出禁になっちゃう!
410 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/04/21(土) 15:20:46.60 ID:yWJ5OCdZ0
時間が空きましたのでショートを1つ投下します。
411 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/21(土) 15:24:45.36 ID:yWJ5OCdZ0

8月某日。『彼』は来るべき戦闘に備えて己の武器を真剣に磨いていた。

長さが6センチメートル、直径が3、3センチメートルでドラム缶を掌サイズにしたような、
円柱形のソレは丹念に磨き込まれている為か、『彼』のハゲ頭同様、光り輝いている。

『彼』の近くで競馬新聞を読んでいた新入りの若い男がそれを見て――

「おいおい、オッさん。単1乾電池なんかそんなに熱心に磨いちゃってどうしたんだよ?
 まさかそれを使って自分の頭を電球みたいに光らせようってんじゃないだろうなぁ?
 『太陽拳』みたいにこう、カッ! って感じで」

――と命知らずなバカとも取れる発言をしたが。乾電池という名の武器を熱心に磨く『彼』の耳には届いていない。
それほどまでに集中しているのだ。

自分の発言を無視されたと思った同僚の男は「チッ」と舌打ちし、椅子から立ち上がると肩を怒らせながら
『彼』の側面にやって来て顔を覗きこむ。

「ひぃっ!」

短い悲鳴を上げた男は後ろに飛び退くように尻餅をついた。

『彼』の眼は飛び出さんばかりに見開かれ、ハゲ頭のせいで境界線が曖昧な額やこめかみには無数の血管が浮き上がり、
口元は、これ以上やると『口裂け女』ならぬ『口裂け男』に成りかねないほど両端が耳元に接近していた。

その表情は一見笑っている様にも怒っている様にも見え、もし今の彼の顔写真を撮って警察に持ち込もうものなら、
即凶悪犯としてデータベースに登録される事は間違いなかった。お子様や女性にはまず見せられない代物である。
412 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/21(土) 15:25:59.31 ID:yWJ5OCdZ0

同僚の男はそんな『彼』に恐怖を覚えながら、これ以上刺激しないよう、そそくさと自分の席に戻り
読みかけの競馬新聞を開く。手が震え新聞がガサガサと音を立てるので生きた心地がしない。



数分後、ようやく作業が終わったのか『彼』は手に持っていた乾電池を目の前に鎮座するスチール机の上に置く。
既に先刻から並べられていたものも含め、合計4本の単1型乾電池がギラリとした光りを放っていた。

『彼』はそれを見て満足げに頷くと、筋骨隆々な腕を伸ばし、机の端に置かれていたリモコンを手に取る。
そして後ろを振り向き、先ほどからガチガチと歯の根を震わせていた同僚の男を見据えた。

「なぁ、エアコン切ってもええか?」

「ひゃっ! ひゃひ! どうぞご自由に!」

こんなに暑い日だというのにエアコンを切る事に即同意してくれた同僚に、
『彼』は感謝の言葉を述べると、リモコンの電源ボタンを押し心地よい冷風を止めた。

「……さて、ほんならやろか」

エアコンを止めた事でサウナ室に等しいほど蒸し暑くなった警備員詰め所の1室で『彼』は呟くと
……おもむろに服を脱ぎ始める。

同僚の男が何故か青い顔をして、慌てた様子で部屋から出ていったが、トイレだろうか?

「そぉいや震えとったしのぉ、大方便秘で下剤でも飲んどったんじゃろぅ。
 まだ若いのに気の毒なこっちゃ、オレなんて毎朝快便やで」

『彼』は自分のハゲ頭を撫で回しながら、ぐわははははっ、と豪快に笑い、脱衣を再開した。
413 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/21(土) 15:26:24.72 ID:yWJ5OCdZ0

鍛えられた上半身を露にした『彼』は、脱いだ服を綺麗に折りたたみ、机の上に置く。
その際、窓ガラスに自分の姿が映りこんでいたのに気付き、何となくポーズを決めてみた。

「……我ながら、えぇ筋肉やのぅ、たまらんわ」

ガラスに映りこんだ自身の体を、しばし眺め続け満足した『彼』は続いて床の上に四つん這いになり、
上半身に負けないぐらいに鍛え抜かれた足で地を蹴り上げ、逆立ちの体制に移行――その状態で腕立て伏せを開始した。

1、2、3……とカウントしながら体を上下させる『彼』の姿は神々しくもあったが、
ココがトレーニングルームではなくただの警備員詰め所……オマケにバリバリ勤務時間中であることを思えば、
もはや呆れる他ない。もし仮にまだ同僚の男がこの場に居たとしたら、このあまりの非常識っぷりに恐れおののき、
青い顔をして早退したことだろう。……もう、しているが……。


「498、499、500……と。よし、準備運動は終わりや」

『彼』は逆立ちを止めてスチール机へと向かい、サイドに掛けられていた自分のリュックの口を開け、手を突っ込む。

最初にタオルを取り出して滝のように流れる汗を拭き、たっぷりと水分を吸収したジューシーなタオルを椅子の背に掛け、
再度、リュックに手を入れ、水筒を取り出した。中には『彼』が愛飲するスポーツドリンクとプロテインを
混ぜ合わせたものが入っている。……しかも常温であった。

運動で温まった体に冷たいものはよくない、ということで始めた試みだったが、これが慣れると結構癖になる。
世の中のアスリートは全員がトレーニング後に常温の飲み物で水分補給をするべきだと彼は信じて疑わない。
414 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/21(土) 15:26:57.36 ID:yWJ5OCdZ0

まして飲み物のチョイスが自分同様スポーツドリンクにプロテインを混ぜたものであったなら最高だ。
そんなナイスガイ……いや、タフガイには必ずや、筋肉の神のご加護があることだろう。

「っぷはぁ〜! この生温さがたまらんのぉ〜」

水筒の注ぎ口に直接口をつけ、豪快にソレを煽った『彼』は、
まるで風呂上りに冷えたビールでも飲んだかのような声を上げた。

……何度も言うがあくまでも常温のスポーツドリンクがベースの代物である。
本来冷やして飲む事を前提として開発されたソレを常温で愛飲している人間がいると開発者が知ったら、
一体どんな顔をするのだろうか……。

「さて、水分補給も済んだし本番いくで!」

異性の良い掛け声と共に『彼』は片腕での腕立て伏せの姿勢を取り、そこからさらに親指1本で体を支え……腕、
いや、親指立て伏せ(?)を開始した。

先ほどと同様に1、2、3……とカウントしながら淡々と体を上下させる。
その度に親指がみしみしと悲鳴を上げ『彼』は苦痛の表情を浮かべた。

「キッついのぅ……しかしそれでこそ、やりがいがあるっちゅぅもの。オレは昨日のオレを越えるんや!」

昨日、カウント50で力尽きた自分を越えるべく、『彼』はより一層気合を入れる。そして――

「っしゃぁあ! 昨日の己を越えたったでぇ! 今日は絶好調やし、まだまだいくでー!」 

この親指だけを徹底的に鍛えるトレーニングメニューを『彼』が始めたのは、
ちょうど丸富高校が1学期の終業式を終えた翌日。つまり夏休み突入と同時である。
415 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/04/21(土) 15:27:42.35 ID:yWJ5OCdZ0

『彼』が新しいトレーニングを自身に課したのにはもちろん理由がある。それは己の夢を実現する為だ。

『彼』の夢、それは自分とはかなり年の差がある現役の女子高生を……ピチピチの若い嫁を娶ること。
そしてその夢を実現する為には倒さなければならない敵がいる。

奴を最初に目にしたのは5月末。本当はそれより前から眼に入っていたのだが、
自分の認識の中に浮かび上がったのが、ちょうどそれぐらいだったのだ。

第1印象は邪魔な奴≠セった。

毎朝自分に声を掛けてくれる女の子、著莪あやめと。
自分を怖がることなく、偶にハゲ頭をナデナデしてくれる娘、井上あせび。
彼女等の傍に金魚のフンみたくくっ付いている邪魔者……。

そいつは怪しくも美しいポーズを駆使し。
これまで、こと戦闘の分野において最強を自負してきた自分の自信を木っ端微塵に打ち砕いた。

自身の嫁候補、2人の内の1人……著莪あやめの従弟にして、
いつも彼女の傍に当然の如く居座る、羨ま……憎っくき存在……。

その怨敵の名は佐藤――

「待っとれやぁ、ヒロシィ……75……この鍛えられしゴールデンフィンガーで……76……今日こそは必ず
 ……77……ねじ込んだるさかいなぁ……78……」

自身の噴き出す汗によりスチームサウナと化した詰め所の一室で、丸富大学付属高等学校の平和を守る鉄壁のスプリガンは、
劣等感……そして嫉妬という感情を内に秘め、今日も日課のトレーニングに明け暮れるのだった。


〜ある日のハゲのオッちゃん ――詰め所より愛を込めて―― 〜



 <了>

416 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/04/21(土) 15:29:15.47 ID:yWJ5OCdZ0
以上です、失礼致します。
417 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/04/21(土) 16:59:57.51 ID:5R7ij8S1o
ニチャリ
418 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/21(土) 17:31:24.87 ID:hw5YK1/Vo
面白い!
お疲れ様
419 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/04/21(土) 18:19:37.65 ID:cRZ247Rgo
乙‼
420 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/05/16(水) 14:28:00.65 ID:auwibgZD0
こんにちは、いつも見て頂き感謝です。

投下していきます。
421 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:29:39.88 ID:auwibgZD0

 ―00―


HP同好会恒例強化合宿も無事に終わり、夏休みも後半に突入したある日。
従姉の著莪あやめの細い腰に腕をまわした状態で僕、佐藤洋は今爽快に風を切っていた。

この夏休み中にこつこつと教習所に通っていた著莪が、昨日ついに念願のバイク免許を獲得したのである。

なんでも以前から烏田高校に行く際、もうちょっと便利な足がないものかと考えていたらしく。
父親(僕にとっては叔父さん)に「高校の入学祝に、なんでも1つ好きなものを買ってやる」
と言われていたこともあって。それならバイクの免許でも取ろう、となったんだそうな。

……まったくもって羨ましい話だ。叔父さんは家の親父と兄弟だというのに何故こうも違うのだろうか。
僕なんて高校の入学祝はおろか、未だに『おめでとう』の言葉すら言われてないというのに……。

ところで8月末とはいえ、まだまだ暑いこの時期の夜にバイクで切る風は大変心地良い。
ときどき著莪がふざけて車体を揺らし、その度に僕が悲鳴を上げるというマイナスポイントはあるが
それにしても良いものである。

本来なら免許取り立て若葉マークの奴が運転するバイクに2人乗りなど絶対にお断りだが、
それが著莪となると話が変わる。何せ彼女は『ハングオン』が大得意なのだ。

ハングオンは僕達が産まれるより前にセガが世に生み出していた初の体験バイクゲームで、
昔、ド田舎の温泉に行ったとき、それを見つけた著莪はいとも簡単そうにプレイしてみせたものだ。
422 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:30:23.26 ID:auwibgZD0

そんな理由もあって僕は絶対大丈夫だと確信してい――

「佐藤、ちょっとスピード上げるよ」

「えっ!? ちょっと待ってくれ! まだ心の準備が――」

僕が言い終わらぬうちにエンジンの鼓動が上がり、体にかかる風圧が増す。
それに比例して僕の恐怖心もまた、上がる……。著莪は僕の悲鳴を聞いて楽しそうに笑った。

地に足が着いた状態であれば多分仕返しに著莪のわき腹辺りを擽ってやったことだろう。
しかし今の僕にそんなことをする余裕は無く。ただただ必死に彼女の腰にまわした腕に力を込め、
その背中にしがみつく事しかできなかった。





安い、安い、今日も安い♪ 今日も安くて明日も安くて毎日安い♪ すべては絶対神の名の下に――

後半がかなりヤバイことになりつつある歌を流す店舗の前に著莪はバイクを止めた。

「地元ならあとはココぐらいかな」

「頼むぞ……あってくれ」

バイクの試運転も兼ねて実家へと帰っていた僕達は地元のスーパーマーケットを回っていた。
423 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:30:57.95 ID:auwibgZD0

現在、自宅の1室で母がネットという広大な世界に旅立っている最中なので、
彼女が残した1000円札を頼りに外で何か食べる事にしたのだ。

先に回った『スーパー・かど』と『トミー・スーパー』は共に半値印証時刻を過ぎてしまっていた為に断念。
そしてココ。僕等の地元で最後となるスーパー、『マール・マート』。
もしココでも神の恵みが無いとなれば、あとはマックに行くか、著莪のバイクでマっちゃんの店に行くかのどちらかだ。

2人揃って入店すると、研ぎ澄まされた冷風が肌を撫でる。
次いで今宵、獲物を争う事になるであろう腹を空かせた狼達の視線が飛んできた。
……そしてあの独特の緊張感。

それを感じた瞬間、僕は安堵した。狼が臨戦態勢を取っているという事は、
すなわち獲物があるという証明に他ならない。

「10人いるかどうかってとこかな……」

著莪が小声で囁き、僕は頷く。確かにそれぐらいの数だろう。

入り口横の生鮮食品コーナーから鮮魚コーナーへ。店内の外周に沿い目的の場所へと回り込む。

「結構通路が狭いね。ちょっとやりずらいかな」

「まぁ、初めてって訳でもないし。何とかなんじゃね?」

著莪の言うように大技が使いにくいという制限はかかるが、それはみんな同じ事。
424 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:32:13.74 ID:auwibgZD0

店に迷惑掛けんなよ。と僕に言い、著莪は顔をほころばせる。
そんな彼女に、ご忠告感謝、と告げたところで惣菜・弁当コーナーに差し掛かった。

本来はバイキング方式でパックに詰める形式が採用されているであろう事が見て取れる天ぷらコーナーには、
店員があらかじめパック詰めしたものが2つ置かれているだけ。それぞれに3割引のシールが貼られている。

僕等は周辺に漂う揚げ物の香りで腹の虫を刺激しつつ、視線を本命へと向けた。


 ●


《ホプヤー》こと大谷昌義は隣にいる幼馴染の牧に気付かれないように目線だけをチラチラと動かしながら
先ほど入店してきた2人組みを追っていた。正確には金髪の外国人っぽい女の方を、である。

「昌義、あんたまたぁ? ホント飽きないね〜 そんなんだから女性の狼に嫌われるんだよ」

大谷は幼馴染が気付いていた事に内心驚きながらも、かろうじて「うるせぇ……」と返す。
同時に彼女を疎ましく思った。

どうしてコイツは……牧は自分の行くとこ行くとこついて来るのだろうか。
普段から俺の邪魔をするだけでは飽き足らず、こうして地元に帰ってくるタイミングまで図ったように同じとあっては、
もはや狙ってやっているとしか思えない……。
425 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:33:04.50 ID:auwibgZD0

「そんなに――」

大谷が牧に疑問と不満が入り混じったものをぶつけようとしたとき……
それまで店内で商品の並び替え等の作業を行っていた半額神がこちらにやって来た。

無地のエプロンを着け、胸元には『加戸』のネームプレートが光る。
坊主頭の彼は自分達の後ろを通り過ぎると歩きながらシールの束、そして赤ペンを取り出し。
惣菜・弁当コーナーに到着すると滑らかな動作で次々に半額シ−ルを貼り、赤ペンを走らせる。

瞬く間に作業を終えた半額神は曲げていた腰を伸ばし、弁当コーナー横にあるスタッフルームへと歩みゆく。
彼は扉の前まで1度店内へと振り返り、深々と1礼……。

大谷はそれと同時に1度深呼吸して自身の小柄な体をグッと低くした。
スタートダッシュをかけ、一気に獲物を狙う算段である。
狙いは時期外れとはいえ、それでもなお脂のノッた半身が見る者の食欲を掻き立てる『ホッケ弁当』だ。
ピーマン嫌いの大谷にとってもう1つの『豆ご飯とピーマンの肉詰め弁当』は端から視野に入っていない。

半額神が開けた扉の閉じる、ギィーという音と共に店内に流れるBGMがやけに明瞭に大谷の鼓膜を振るわせた。

マールトミーのご加護は常に我等と共に♪ さぁ、アナタも今すぐご入信♪ 電話番号は0120−0――

……この店には2度と近づかないほうが良いな、と大谷が心に誓ったときバタンという音。開戦の狼煙が上がった。
426 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:33:58.11 ID:auwibgZD0

 ○


扉の閉まる音と同時に僕と著莪はありったけの力で地を蹴り、駆けた。
混戦となる前に獲物を手にしてしまえば、例え店内が狭かろうが関係ない。
僕等はあらかじめ弁当コーナーまでの道が直線になるような場所で待機していたのでそれがしやすい。

ただ1つ、気になる事があるとすれば。この店内で弁当コーナーに向って直線となるような位置は2箇所。
……その内の1ヶ所を2人の狼が既に陣取っていたという事だが……。

その予感は的中した。僕等が弁当の置かれた陳列棚の前にたどり着くのとほぼ同時にその方向から小柄な男と大柄の女。
2人の狼が突撃してきたのだ。

著莪は小柄な男、僕は大柄の女をそれぞれ相手取り戦闘を開始。
その間に店内のいたるとこから次々と他の者達も押し寄せ、弁当コーナー前は乱戦と化した。

こうなっては最早こつこつと1人ずつ叩きのめす以外に方法はない。
未だ最前列に身を置いているとはいえ、少しでも油断すれば横から弁当を掻っ攫われかねない状況だ。



数分後、弁当コーナーの前に立っていた者達の大半が地に付し、残るは僕等を含む5人だけ。
僕達と同じ戦法を取ろうとしていた大柄の女。そして小柄な男と他1名。
427 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:34:40.67 ID:auwibgZD0

「……あんた、やるね!」

重く強烈な攻撃を放つ大柄の女は僕にそう言った直後、女性にしては長いその足で僕の顎を蹴り上げようとした。

「そっちこそなっ!」

僕は後方に倒れこむようにして背後にいる著莪の背にもたれ掛かり、女の攻撃をかわす。
すぐ目の前を通過する足の勢いからして、喰らえば即、意識が飛ぶだろう。

「重いっての!」

僕が体重を預けたせいで幾分前かがみになった著莪が抑えつけたバネが元に戻るかのように勢いよく押し返してくる。
――もちろんそれも計算済みだ。

押し返された反動を利用してそのまま女の懐に飛び込む。
彼女は慌てて振り上げた足で踵落としを試みるが、僕が接近していた為十分な威力が伴っていない。
左肩に脹脛の辺りが当たるも、どうということはない。

僕は殆ど密着した状態から彼女の腹部に向けて右ストレートを放つ。
深々と拳が突き刺さると同時に少し捻りを入れて衝撃が腹の虫に直接伝わるよう、叩き込んだ。

合宿の際に白梅から受けた攻撃を参考にしたもので、そういう意味では強化合宿の成果が十分に
発揮されていると言って良い。ただし合宿によって得られたとはいっても少々イレギュラー的な
ものであることは否めないが……。
428 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:35:22.52 ID:auwibgZD0

「佐藤!」

大柄の女がその場に崩れ落ちるなか。
同じく相手にしていた小柄な男ともう1人を同時に吹き飛ばしたらしい著莪が背後で叫ぶ。
そのただならぬ気迫に驚いた僕は弁当を手にするという目的を失念し、従姉を見やった。
彼女は無言でエントランス方向の鳥棚の間を指差す。

「なんだよ、一体なに――」

著莪の指差す方向を見た僕は思わず体を硬直させた。

――嘘だろう? そんなことあるはず無いじゃないか! 何故アレがここに……?
だが果たしてアレは僕のよく知るアレなのか? 違うかもしれない、っつぅかそうであってくれ……。

頭の中で必死に自分が考えた事を否定しようとするがそれも無理だとすぐに結論付けるに到った。
……僕の中の経験の全てが、間違いないと言っている。

僕等が見つめるその先にはこの店の駐車場。
――そしてそこには1台の見慣れた<gヨタ・カローラが停まっていた。


 ●



金髪の女に吹っ飛ばされた大谷は半ば諦め顔でヨロヨロと立ち上がった。
自分が妄想の中で描いていたものは脆くも崩れ去り、おまけに2日続けて獲物が取れずじまい。
429 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:35:58.45 ID:auwibgZD0

……惨めだ。そう思って弁当コーナーを見ると――何と残っていた。
てっきり獲られているものだとばかり思っていた神の恵みが……半額弁当が。それも2つとも。
ラッキーとばかりに大谷は弁当コーナーへと駆け寄る。

牧が陳列棚の前で倒れているのが眼に入ったがどうでも良かった。
むしろ強敵だったあの2人の姿が消えていることが気にかかる……が、
まぁ、それは弁当を手にしてから考えようと彼は思った。

その時である――店内にズシリとした重い気配が走り、大谷の足が止まった。
エントランス方向から発せられるその言いようのない気迫は名うての2つ名持ちと遜色ないような……
いや、そんなものを遥かに凌駕するだけの凄みを備えている。
……まるで命の危機に瀕しているかのような、ギリギリ感が半端ではない。

一体誰が? 大谷は恐る恐るエントランスの方に顔を向け……ソレを見た。

――スーパー『マール・マート』。
そのエントランスにベルト、ホック、チャックを開放した完全臨戦態勢のオッサンが1人、
鼻息を荒くして仁王立ちしていたのである。
平和なはずの日本において、まずあってはならない光景が展開されていた。

「なんだよ……俺は夢を見てんのか……?」
430 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:36:39.49 ID:auwibgZD0

オッサンはキョロキョロと何かを探しているようだったが、突如こちらに向けて猛然と駆けて来る。

「なんでこっちに!? はっ! まさかアイツも狼なのか!?」

大谷は自身の前方から迫る彼を見つつ少しばかり安心した。
狼ならば少なくとも目標は弁当、ならば自分がこれ以上弁当コーナーに近づかなければアレと戦りあうことはない。
仮に奴が自分の狙う『ホッケ弁当』を手にし、『豆ご飯とピーマンの肉詰め弁当』を自身が取る事になろうとも、
戦うよりは遥かにマシだと思った。
……というか、走ってるせいでズボンがずり落ち、いよいよ持って深刻な状態にある奴に近づこうとは思わなかった。

「あっ、コケた……」

オッサンは自らのずり落ちてきたズボンによって足を取られ、盛大に転倒した。
両サイドの陳列棚、そのどちらにも接触しなかったのは奇跡といってもよい。
あるいは絶対神の力が働いたのかもしれない……。

オッサンは「んんんんんんんんんんんふぅぅぅぅゥうほぉぉぉぉぉおおおお!!」という奇声を上げ、
立ち上がると一変の迷いもなく足に引っかかっていたズボンを脱ぎ捨てた。

その神をも恐れぬ所業に恐れおののく大谷だったが……そんな彼を更なる恐怖が襲う。
オッサンは勢い余ってあろう事か、上半身の服まで脱ぎだしたのである……まったく持って意味が分からなかった。
431 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:37:30.70 ID:auwibgZD0

先の奇声により意識を取り戻した狼達がフラフラと立ち上がり、絶賛脱衣中のオッサンを目撃すると
皆一様に顔を青く染めた。

――な、なんだ!? このオッサンは!
――オレは気絶してる間に見知らぬ異国の地に来てしまったのか!?
――この世に神はいないのか!? こんな事が現実にあっていい訳がない!
――せ、先輩! 大変です! 木和田の奴が最高に際立ってます!!
――何やってんだ木和田! こんな時に際立ってる場合じゃ――すげぇ……際立ってる……。 

いよいよカオスを加速させる弁当コーナー前。
そんな中、幼馴染の牧が意識を取り戻し床から体を起こす。

「バカ野郎! 寝てろ、牧!!」

「え……?」

彼女は大谷の言葉に意味が分からないという顔をして後ろを振り返り……悲鳴を上げた。

シャツどころか靴下すらも脱ぎ捨て、今や最後の良心ともいえる白ブリーフ1枚をかろうじて装備したオッサンが
自分の方へと猛ダッシュして来る様を目撃すれば無理からぬ事である。

オッサンは自分の意思とは関係なく結果として障壁となっていた者達を次々とデコピン≠ナ吹き飛ばしながら、
怯えて足がすくみ動けない牧に迫る。
432 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:39:07.46 ID:auwibgZD0

ガタガタと震える牧を見た大谷は何故か昔のことを思い出した。
自分より背の低かった牧にいつも「守ってやる」だの「俺に任せろ」だのとヒーローよろしく調子のいい事ばかり
言っていた日々……。その後、彼女の背丈が自分を超え、いつしか口にしなくなった言葉。

「クソッ!」

大谷は地を思いっきり蹴り、牧の元へと駆けた。
普段とは比べ物にならないスピードが出たおかげであっという間に到達すると、
幼馴染の着ているダボっとしたパーカーの襟元を掴み――投げ飛ばす。

自分より遥かに大きいはずの彼女の体がいとも簡単に宙に浮き、狙い通り鳥棚の間へと吸い込まれてゆく。
幾分、落下の際に体への衝撃があるだろうが致し方ない。……それでもココにいるより遥かにマシだろう。

ふと隣の鳥棚の間に初っ端で自分の邪魔をした金髪の女とバカそうな男がいるのが眼に入った。
2人とも体育座りのように膝を抱え、なんだか悟りきったとも、諦めたとも取れる表情で虚空を見つめている。

自分も牧がいなければあんな風にして嵐が過ぎ去るのを待っていたんろうな、と大谷は思った。
けれど後悔の念はまったく沸いてこない。それどころかむしろ誇らしく胸を張りたい気分だった。

何年か越しの末、ようやくヒロインを守るヒーローになれたのだから。

「どけぇぇぇぇぇぇぇエエええぇぇぇぇぇえ!!」

必死といった言葉がピッタリのオッサンが眼前に迫るが大谷の心は穏やかなものだ、
まるで他人事のように目の前の非日常を眺めている。

「……でも最後はやっぱりやられちまうんだよなぁ。カッコわりぃ……」

オッサンのダブルデコピンによって宙を舞ったヒーローは薄れゆく意識の中でそう呟いた。
433 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:39:50.77 ID:auwibgZD0

 ○



僕は2つの弁当が入ったレジ袋を提げ、足早に店を出た。
著莪は予め先に店を出てバイクのエンジンをかけ、待機してくれている。

著莪からヘルメットを受け取りながらチラリと視線をやれば、
その先にあるのは間違いなく親父の愛車のトヨタ・カローラだった。
僕は無言でヘルメットを被るとバイクに跨り、著莪の細く、頼りない腰に腕をまわす。
……今はできることなら何も言いたくなかった。

著莪も同じ気持ちだったようで無言のままアクセルを入れ、バイクを発進させる。
それからしばらくの間は2人揃って無言のまま風を感じ、僕の実家が近づいた頃ようやく著莪が沈黙を打ち破った。

「……海、見に行こっか」

どうせこのまま家に帰ってもネネ様のキャピキャピとした声が響き渡っているだけで、ますます落ち込むに違いない。
それならば生命の源……母なる海を眺めながら夕餉にしたほうがよっぽど有意義だといえる。
例えそれが暗闇の中の海であっても……あの親父が帰宅することが確定している魔の館にいるよりは遥かにいい……。

それと多分数日以内に親父の作り上げた都市伝説に新たな伝説が加わり、
ご近所の間で実しやかに囁かれるのは確実だろう……。
そうなる前に……いや、いっそのことこのままアパートに帰るのも吝かではない。っつぅか、そうしたい……。

「うん、賛成……」

了解という言葉と共にバイクをUターンさせると著莪は速度を上げた。
434 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:41:01.26 ID:auwibgZD0

 ●


半分よりやや欠けた月の下、牧は公園のベンチに背負っていた大谷を寝かせた。
彼は気絶していて一向に目を覚ます気配がない。

……無理もないかな。と牧は思う。何せあの変態といって差し支えないオッサンの攻撃を……ダブルデコピンを
モロに喰らったのだ。他の狼達も皆一様に伸びていたことを考えれば幼馴染が目を明けないのも致し方ない。

そういえばあの後、胸元に『加戸』のネームをつけた半額神が執拗に休憩室の方に来いと言っていたのは
単なる親切だったのだろうか? 牧は半額神の異様な光を湛える目を思い出し、ブルリと体を震わせた。

「考えるのは止そう……」

牧は大谷の頭を少し上げて自分の膝を滑り込ませた。

レジ袋からカロリーメイト(チョコレート味)を取り出しポリポリと齧る。
あんな事が遭ったのにお腹が減るのが何だかおかしくて牧は笑った。

一緒に買った紙パック入りのコーンスープを飲みながら牧はスーパーでの出来事を改めて考えてみる。

結局あの変態は狼ではなくトイレに用があっただけというオチにはビックリした。
435 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:41:37.16 ID:auwibgZD0

幼馴染を吹っ飛ばした彼は勢いそのままに弁当コーナーを素通りして、スタッフルームの扉を開け――

「トイレはどこだぁぁぁぁあ! 早くしねぇと産まれちまう! 急患だぞぉぉぉぉぉぉ!!」

――と叫び、半額神に連れられて扉の向こうへと消えていき……その後、自分が昌義を背負ってレジに向う途中――

「いやぁ、産まれた産まれた! 4日ぶりのブっ太いヤツがよぉ!
 難産だったがやっぱり苦労して産んだ甲斐があったぜぇ!!」

――という聞きたくもない報告を大声で店内に響かせながら脱ぎ去った服をその場で着込み、
鼻歌交じりで去っていった。トイレを利用させてもらったのに何一つ買うこともせず……。

「酷すぎるわね……自分の親があんなだったら真剣に自殺を考えるレベルだわ」

そんなことを思いながら牧はふと、この周辺の住民ならみんなが必ず知っている有名な都市伝説を思いだした。
今日の彼がアレの張本人だとすれば全て納得できる……。

「……まぁ、いいわ。あんまり思い出したくないし。それにしても私の予想は外れちゃったなぁ」

牧としては最後に入店してきた2人の内、黒いTシャツを着た男。
彼こそが《ホプヤー》の2つ名を持つ大谷を敗北に至らしめる黒き犬に他ならないと考えていたのだが、
……まさか突如乱入してきたオッサンが幼馴染を倒すとは思いもよらなかった。

「私の女としての感もまだまだね……それに引き換え昌義の方はすっかり男らしくなっちゃって……」

薄っすらと朱に染まった牧の顔が、自分の膝に頭を置いて眠る男の顔に近づいていった。
436 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:42:36.61 ID:auwibgZD0

 ―01―



――『変態』。

この言葉を聞いたとき、或いは文字を目撃したとき、その人は何を連想するだろうか。
一般的に捉えるなら『変態』には表と裏、2通りの意味がある。

一方は蛙や虫のように形状や体内システムを変化させることの意味で使われる学術的なもの。
こちらの意で『変態』を使う場合、そこには感動という名のスパイスが振りかけられることも多く、
プラスの感情が付属する場合が主だ。

そしてもう一方の意で扱われる場合の『変態』……おそらく世の大多数は
多分こちらを連想するのだろうが、まぁ、例を挙げると――

『石岡、アンタ最低ね! 1度ならず2度までも! 金輪際、私に近づかないで、この変態野郎!!』

『こんな真冬の、しかも猛吹雪の日にタオル1枚の軽装でエネルゲンなんか買いに行ってんじゃねぇよ!
 変態かっての!』

――こんな感じである。そこには侮蔑という名のメインディッシュしか無く。
しかも一口頂いただけで胃にもたれるようなヘビー極まりない一品であり、
個人的には絶対に御免被る代物だ。

ちなみに例えの前者は小・中と僕等男子のマドンナ的存在、広部さんが真夏の校庭で
石岡君に対して使用した際の言葉で、それを聞いた石岡君を瞬時に凍りつかせていたことからして、
おそらくは魔法の呪文だったのだろう。さすがは魔法少女だ。

後者の方は……僕が昔、身内に対して使用した言葉。とだけ言っておこう……。
437 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:43:33.90 ID:auwibgZD0

今考えると、あのとき玄関の鍵を開けてしまったのは我が人生に於ける最大の過ちだったのかもしれない。
いっそ彼にはあのまま外でカチコチに凍りついてもらっていた方が、世のため僕のためだったんじゃ……。
いや、無理か。あの親……ゲフンゲフン。彼のことだ、多分庭先で『かめはめ波』の特訓でもやりながら
平然としていることだろう……恐ろしい。何よりも自分がそんな彼の息……ゲフンゲフン。
身内だという事実が何より恐ろしい……。
僕もいずれ完全臨戦態勢でスーパーマーケットを訪れる日が来るというのか……。

「……佐藤。その……まぁ、気にするな。まだソレが確定したわけじゃない」

僕と著莪の先輩にあたる人、丸富大学2年の二階堂蓮は僕の右肩に手を置き励ましの言葉をかけてくれる。
約1ヶ月近く顔を見ていなかったので久しぶりの対面だが、相変わらず優しい人だ。

「はい、そうですよね。ハハ……」

「まぁ、安心しなって。この話はごく1部の人間しか知らないんだ。《変態》って2つ名もそうだしな。
 大抵の奴等はお前の事を無名の実力者だと思ってるって」

僕の左肩をポンポンと叩き「ぶぅわっはっはっ」と笑う銀面のサングラスをかけた立派なアフロヘアーの男、
歩くニュースペーパーこと《毛玉》。彼とは合宿中にあっているので久しぶりとは言い難いが、
相変わらず見事な梵天である。
438 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:44:07.23 ID:auwibgZD0

ココは美しき半額神、松葉菊が納めるスーパーマーケット。僕と著莪が最もよくお世話になっている店だ。
そして今宵は夏休み明け最初の争奪戦である。

「……その言い方だと僕が本当に変態みたいじゃね?」

「おっと、悪い悪い。でもよぉ、この話を聞いたら誰だってそう思うんじゃねーのか?
 何せ争奪戦の最中いきなり目の前に倒れていた男のTシャツを剥ぎ取るなんてよ」

……何も言い返せなかった。ソレが捏造などではなくありのままの事実だからこそ余計に……。

HP同好会強化合宿。その2日目において地元の強敵《ギリー・ドゥー》に勝利するため、
小道具として使った1枚のTシャツ。……まさかそれがこんな事態を引き起こすなんて誰が想像しただろうか。

毛玉の話によると、どうも僕が倒れている男のシャツを勝手に借用する1部始終を見ていた奴が何人かいたらしくて、
その話が巡り巡って《変態》という2つ名と共に、ごく1部の狼達の間で噂になっているらしいのだ……。

「今のところその話はオレの耳には入っていない。ということは本当に少人数の間だけで。ということなのだろう」

「そうそう、別に噂に尾ひれとかが付いて一人歩きしてるわけでもないんだ。いずれ無くなるって」

多分な。と毛玉は最後に余計な言葉を付け加えたが……どちらにしても僕は安心できなかっただろう。
夏休み明け直前に身内が起こしたあの1件以来『変態』という言葉になにかと過敏になっていた矢先のコレだ。
やはり僕はそういう星の下に生まれてしまったということなのだろうか……。
……入信とかしたらこの呪われた運命も変わるかな? まぁ、すでにセガの信者なんだけどね。
439 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:44:59.84 ID:auwibgZD0

「ところで今日はお前1人か?」

「いえ、著莪と槍水さん、それと白粉が来ます」

彼女等は今、著莪のバイクに乗せてもらっているところだ。多分そろそろこっちに来るはずだけど。

「ほー、HP同好会がこっち遠征とはな。こいつは面白くなりそうだ」

「毛玉、今日は珍しく参戦か?」

「もちろん。……と言いたいとこだが生憎と冷蔵庫の中身の整理でいろいろ食っちまってな。今日も観戦組だ」

コイツは本当に狼なのだろうか? 知り合ってから今まで争奪戦に参加してるのを見たことがないけど……。

「おっ、来たみたいだな」

毛玉がそう言った直後、エントランスの方に新たな気配が3つ。いずれも僕が知る3人のものだ。

3人とも2つ名持ちに相応しい気迫で……ん? 3人? 

「な、何だ、この感じ!? この怖気をふるうような……おぞましさは……?」
440 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:45:36.38 ID:auwibgZD0

「まるでじっくりと体の隅々まで舐め回されているかのような……」

……ハッ!? しまった! 僕を取り巻くこの状況、アイツにとっては大好物のはず……。

先輩と毛玉が身を震わせるなか、奴は著莪と槍水さんから離れ高速でこちらに接近してくる。
そして今、レジ側の陳列棚の辺りに――いた、いやがった! 
棚から半分だけ顔を出し、チェシャ猫のような不気味な笑みを浮かべ、こちらを凝視する――白粉花が!

僕は先輩達から離れ、迅速に彼女の下へと向かう。
ほぼ間違いなくそういう目で僕等を見ていたのだとは思うが……一応確認はしておこう。

「な、何でしょう佐藤さん?」

「白粉、今お前の頭に浮かんでいるコトを包み隠さず話してくれたら、
 あそこにいるアフロの人が乗ってきたバイクを教えてやるよ。サドルを嗅ぐなり舐めるなり好きにするといい」

「サイトウヒロシはある日、夕食の買い物に来たスーパーで竹輪を品定めしていると、突如現れたアフロの男と
 ピアスの男から痴漢行為を受けてしまう。最初は嫌がっていたサトウも終いには快楽の虜に――あぅ!」

想像以上に聞くに堪えない内容だったので白粉の後ろに束ねられた髪をむんずと掴み、グッと引っ張った。
女の子に対して絶対にやってはいけない最低の行為だが……彼女になら許されるはずである。

「えぁっと……何かご不満でも……?」

「不満がありすぎてどこからツッコンでいいやら……」

「はっ!? そうかそうですよね! サト……サイトウは夏場にガントウ刑事との猛特訓の末、
 突っ込まれるだけでなく、突っ込む方に目覚め――あぅ! あぅ!」
441 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:46:21.14 ID:auwibgZD0



「それにしても佐藤、お前には2つ名が付かないな。夏祭りでの戦果なら何か付いてもよさそうなものだが」

粒胡椒のビンを見ながら槍水さんが言う。僕は「えぇ、まぁ……」と返すのが精一杯だった。

チラッと後ろを見ると先輩と並んで麦茶の袋(徳用サイズ)を見ていた毛玉がこちらを向いて、
どうする? って感じのオーラを出している。僕はやめてくれ、というように懇願の眼差しで彼を見た。
毛玉は頷く。その風貌からしてテキトーな性格と予想していたが、
案外、人の機微がわかる人物のようである。少なくとも彼から漏れる恐れはなさそうだ。

「数日後、サイトウは同じスーパーでアフロを目撃するも彼は何故か手を出してこない。
 あまりに焦らされたサトウは懇願するような眼差しで彼を――あぅ!」

槍水さんの隣にいる白粉がもの凄い小声で呟きだしたので、とりあえず腕を伸ばし、彼女の髪を引っ張る。
まったく油断ならない奴だ……。
もしもコイツの耳にあの話が入ろうものなら……小説の中でサイトウヒロシがエライ事になるだろう。
合宿の後、アンが言っていた『The novel of Four o'clock』についてネットで調べたところ、
小説の中で僕そっくりの登場人物が……うっ、直腸の辺りが傷む……。
442 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:47:01.31 ID:auwibgZD0

「佐藤、大丈夫? 顔色が悪いけど……」

隣にいた著莪が心配そうに僕の顔を覗きこむ。一応平気と伝え、数分後。
視界の端にこの店の半額神……マっちゃんが映りこんだ。
彼女のいる位置からしてどうやらすでに惣菜に半額シールを貼り終え、
これから弁当コーナーに取り掛かるようだ。

「お前達、お喋りはそこまでにしておけ。集中しろ」

「分かってるって。仙ってば真面目だねぇ〜」

確かに槍水さんの言う通りだった。今宵は僕や先輩達を含め総勢16名……おっと、毛玉は除外だったな。
15名の飢えた獣が店内にいる。対して弁当の数は5つ。なかなかシビアだ。

マっちゃんがシールを貼り終えてスタッフルームへと戻りゆく。扉の前で立ち止まると店内に向き直り、1礼。
そして扉の奥へと姿を消した。

店内に響くジャズ調のBGM……そして扉の閉まる音。続いて店内中に鳴り響く地を蹴る足音。
次の瞬間、弁当コーナー前は戦場と化す。
443 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:47:50.21 ID:auwibgZD0



大混戦の中、1番最初に獲物を掴み獲ったのは白粉。彼女は疾風迅雷の如く狼達の間をすり抜けて弁当を奪取。
次いで著莪、槍水さんが続けて勝利を掴み。……残る神の恵みは2つ。残る敵は5人。

僕はその内の1人、いつの間にか退院していたらしいジョニーと拳を交えている。

「長期の入院生活で鈍った体に争奪戦は辛いんじゃないのか!」

「心配ご無用! リハビリは済ませている!」

ジョニーがカゴを大きく横に振りかぶる、しゃがむ事でそれをかわすと彼の左足が飛んできた。
とっさに右腕でガードするものの威力が凄く勢いを殺しきれない。
床を転がり陳列棚にぶつかる寸前でようやく停止した。

右腕が痺れるも戦闘続行可と判断し、顔を上げた――直後、カゴの網目により僕の視界が覆われる。
しまったと思ったのも束の間、下か上にすくい上げられるように勢いよく体が宙に浮く。

下を見やればジョニーが床に膝がついてしまいそうなほど重心を落とし、思いっきり跳ぶ姿が確認できた。
どうやら僕を完全に潰すつもりらしい。
444 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:48:26.16 ID:auwibgZD0

普通の店より幾分高い天井が迫るなか、僕は合宿中に一時コンビを組んだ鏡さんが使っていた戦法を思い出した。

……ちょうどいい、試してみるか。

身を捻り体の向きを反転させて天井に足をつけ、投げ飛ばされた勢いを利用して膝が天井につきかねないほど重心を落とす。
……この場合は上げるが正解だろうか?

追撃の為、地を蹴り僕に迫っていたジョニーは驚きながらもカゴを正面に持ってきてガードの体制をとる。
さすがに頭の回転が速い。このまま攻撃すればカウンターを喰らう可能性を考えたのだろう。

――だが残念ながらジョニー、僕の狙いはお前じゃないぞ。

僕は天井から一直線に飛ぶ。弁当コーナー最前線に向けて。

ライトの光が僕の体に遮られたことで違和感を感じたのか、
弁当を前にして2人の狼と交戦していた先輩が上空を、僕を見上げる。
先輩は驚き、後ろに跳んだ。残る2人は訳がわからないといった顔をしながらも弁当に手を伸ばす。

しかし遅かった。彼等の手が弁当容器に届くより先に、僕の足が2人頭を薙ぎ払う。
445 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:48:59.00 ID:auwibgZD0

 ●


店を出たところで佐藤達一行と別れた二階堂は自販機の前に停めたバイクへと向かう。

「よう、お疲れ。よかったのか? せっかく弁当を獲ったってのに後輩達との夕餉を断っちまって」

自分の愛車の横でスーパーカブに跨っていた毛玉が声をかけてきた。

「それはまたの機会でいい。……それよりも今日、佐藤が見せたあの技は……」

「いや、アイツは未だに《魔導士》と面識がない。
 おそらくはこの前の夏祭りで《オルトロス》の戦法を見てソレを真似たんだろう」

「そうだとしても魔導士のアレを知っている者はそちらに重ねて見たはずだ」

そうだろうな。と言って毛玉は黙ってしまった。二階堂も同じく黙る。
2人の脳裏には佐藤の顔と、かの最強の顔が交互に映し出されていた。

「《変態》って2つ名は得てして妙かもなぁ、学術的な意味合いで言えば――」

「自らの姿形を、そして性質を変化させる意だからな。
 自身の目で見た相手の技を己がモノとする柔軟性を持つ佐藤にはピッタリかも知れん……」
446 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:49:29.64 ID:auwibgZD0

「でもよぉ、変態はいくらなんでも可哀想過ぎるだろう」

「確かにな……世間的には不名誉な意で捉えられるだろう。
 例え魔導士と互角に戦りあえるだけの実力があろうと、変態が2つ名では締りがなさ過ぎる」

二階堂の言葉を聞いた毛玉はヒュー♪ と口笛を鳴らし、大げさに驚いたようなリアクションをしてみせた。

「いきなりあの最強を引き合いに出すとは随分と思い切ったことを言うな」

「お前もそれを連想したんじゃないのか?」

毛玉は自分の投げかけた問いに少し間を置いてから「まぁな」と答えた。
それを聞いたことで二階堂は改めてそうだろうと実感する、と同時に後輩を我が事のように誇らしくも思った。

「いずれ佐藤には相応の2つ名が与えられるだろう。それまで言いたい奴には変態と言わせておけば良い」

「だな。《氷結の魔女》だって昔は《腰巾着》と言われてたぐらいだしよ。
 そういやぁ、魔女のやつは内心穏やかじゃなかったろうな。あんなモンを見せられちまったんだ」

二階堂もそのことは考えていた。けれど彼女の事だからあからさまに狼狽する事もあるまいとも思う。
氷結の魔女の名に相応しく、少なくとも表面上は普段と何一つ変わらぬ様子を保つはず。
447 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:50:01.51 ID:auwibgZD0

……ただ、もしかしたら同姓である著莪あやめ、《湖の麗人》ならば気付くかもし――

瞬間、二階堂、毛玉の全身が、えもいわれぬ不快感によりあわ立つ。
ジワリとナメクジが這っているかのような視線を後方から感じたからだ。

2人が瞬時に視線の方向に顔を向けると――自販機の横から半分だけ顔を覗かせ口元を下品に歪めた少女が1人。
彼女の眼鏡のレンズが光っているのは自動販売機が放つ光が反射したものなのか……それとも……。

「スーパーの前で使い慣れた愛器に跨る2人の男。
 彼等の間には『変態』や『モノ』といった言葉が飛び交――あぅっ! あぅっ! あぅっ!」

まるで瞬間移動でもしたのかと錯覚を起こすぐらい高速で少女の背後に現れた佐藤が、
娘の髪を3連続で引っ張り、最後に首に1撃を放ち意識を飛ばす。
あまりの早業に二階堂達が呆然とするなか、意識を失った娘が倒れぬよう体を支えつつ、佐藤が口を開た。

「先輩、どうもすみません……ただいま害獣めを駆除しましたので
 安心してお話を続けてください。それじゃ、失礼します」

その後、グッタリとした少女を担ぎ上げた後輩はランニングでもするかのような足取りで
夜のしじまへと消えていった。

「何だったんだ、今のは……?」

「オレにもわからん……」

2人は困惑顔のまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
448 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:50:32.28 ID:auwibgZD0

 ●


仙の様子がおかしい……、著莪はそう思った。
現在、彼女と槍水仙はレイクパーク内のベンチに腰を落ち着けていた。
いつの間にか、いなくなっていた白粉花の捜索を佐藤が行っているので夕餉はお預け状態である。

著莪は空腹を紛らわす為、隣に座っている槍水に話しかけたりしていた。
最近ハマっているゲーム、好きな食べ物、犬派か猫派か、湯川専務の今……等々。

いつもと変わらぬ答えをいつもと同じ表情で語る友人。……だけど、どこかが違う。
ハッキリとした事は言えないがスーパーでレジに向う辺りから――少なくとも争奪戦が始まるまでは
本当の意味でいつも通りだったと思う――彼女の様子が変だった。

「ねぇ、仙……なんかあったの?」

「なんだ、いきなりだな。……特に何も無いぞ?」

嘘が下手だなぁ、と著莪は心の中で苦笑した。
槍水が自分の問いかけに答える前、僅かに躊躇したことで間ができていたのを彼女は見逃さなかった。
これが自分や佐藤なら、いとも簡単に平然と嘘を言ってのけるだろう。

しかし彼女は違った。氷結の魔女という2つ名を持ち、その風貌からはクールで大人びていて、
少々のイレギュラーでは取り乱す事もなく整然としているといった印象の彼女。
449 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:51:03.39 ID:auwibgZD0

でも本当は誰よりも感情豊かで、誰よりも(少なくとも自分や佐藤よりは)純真無垢で、
そして人一倍の寂しがり屋で……女である自分から見ても可愛いと思うし、抱きしめてあげたくもなる。
そんな女の子……。

その彼女がこうして何でもないと言っているのだから多分口を割らせるのは難しいだろう。
佐藤の母……あの異次元に旅立ってしまっている叔母を現実世界に連れ戻すのと同じぐらい難しいかもしれない。

「……ん〜、わかった。でも仙……いくところまでいってどうしようもなく思いつめたら
 必ずアタシに相談しなよ? できる限り力になってやるからさ」

著莪は勤めて明るく、おどけたような口調で告げる。
それを聞いた槍水は驚きと困惑とを混ぜ合わせたような表情で、しばし隣に座る友人の顔を見つめ
……やがて俯くと消え入りそうな声で呟いた。

「ありがとう、著莪……そのときは、頼む……」

「あれ〜? 仙ってば変なの〜。何でもないってさっきは言ってたじゃん♪」

なっ、と言って顔を上げた槍水は真っ赤な頬をプクーと膨らませる。
そんな様子を見て堪らなくなった著莪は彼女を思わずガバッと抱きしめた。

「もー、仙はホントかわいいなぁ、お〜、よちよち」

「よ、よせ! 何を!? こら、著莪! ドサクサに紛れてどこを触って!?」

《湖の麗人》と《氷結の魔女》。2人の元気な声が月明かりに照らされた夜の公園に響き渡る。
450 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:51:33.80 ID:auwibgZD0

 ―02―


僕はバイクを駆り烏田高校へと向う著莪の背にしがみつきながら昨夜夕餉を終えて帰宅した際のことを思い出していた。

ポストを見に行くと、隔週で届く『Mの兄弟』という謎の組織からの会報が投函されていた。
本当ならその場で破り捨ててしまいたいのだが、著莪が毎回コレを楽しみにしているので部屋に持って帰る。

彼女曰く――この基地っぷりが爆笑を誘う――とのこと。……刺激を求めるお年頃なのだろうか……。

そんな彼女が昨夜ソレの1ページ目を捲った直後、笑うどころかピシッと固まってしまったのだ。何事かと思い、
横から覗き込んでみるとページの上の方にデカデカと『我等が同志内本氏、白梅様の命によりついに出陣!!』という文字。
その下には2ページ使った見開きで、魂が抜けたかのような状態でボケ〜と突っ立っている小太りの彼が写っているのだが
……その風貌が大変な事になっていた。

占い師が付けるようなアクセサリを大量に装備して頭にはアルミホイルを巻き、後頭部からアンテナが突き出ている。
しかも眼鏡が黒マジックで完全に塗りつぶされているという森田和義アワーだった。

著莪が石化したのも無理はない。だってコレ、見てるとかなり怖いんだもの……。
451 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:52:13.04 ID:auwibgZD0

しかも、ページ下の方に対談の模様が掲載されているのだが……コレがまた大変な事になっている。

Q:やりましたねー同志内本。今の率直な感想を聞かせてください。

A:アパパ、アパパ。

Q:そうですか、非常に嬉しいと。それはそうでしょうね。
  では続いてどのような経緯から白梅様にお声をかけて頂いたのかお聞かせしてもらっていいでしょうか?

A:アパパ―――――! (奇声を上げてスタジオ内をブリッジしながら走り出した内本氏)

Q:なるほど、生徒会室の前をウロウロしていたら偶然、と。羨ましいですね。
  では次です、サクサクいきましょう。その際、ご褒美としてブチのめしてもらいましたか?

A:アパッアパッ、アパッパー! (ブリッジ状態のまま壁を伝って天井を駆ける内本氏)

Q:ふむ、自ら快楽を貪るために誰かに迷惑をかけるなどMの風下にも置けない、と。
  さすが同志内本!貴方こそMの鏡だ! ……コホン、失礼取り乱しました。
  さて、それでは最後の質問です。座右の姪を教えてください。

A:アパパパパパパパパパパパパ! ――プフォー!!(ドサっと天井から落ちてきて椅子の背もたれ部分に背をぶつけ、
  のた打ち回る内本氏)

Q:『Mのある場所に我あり、我のいる場所にMあり』今まさに自分の身を持ってソレを証明している、と。
  ホント生粋の豚野郎(いい意味で)ですね。本日はお忙しいところ、ありがとうございました!


『アパ』しか喋っていない彼も十分アレだが、それ以上に、そんな彼を前にして(スタジオ内も騒然となる中)
平然と質問を続けるインタビュアーの精神力に僕は恐れを抱かずにはいられない……。
452 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:52:54.93 ID:auwibgZD0

烏田高校に到着した僕は著莪と別れ、1人、生徒会室へと向う。
事前に白梅から顔を出してほしいと連絡を受けていたからだ。

校舎の1階にある生徒会室の扉をノックし、「どうぞ」の声を待って入室。
まるで海外のオフィスをそのまま持ってきたかのような造りの部屋だった。

僕が入室したと同時に1人の女生徒が席を立ち、「佐藤洋さんですね、こちらへ」と言って先導し、
隣の部屋……というか、部屋をガラスの壁で区切って作られたもう1つの部屋へと案内される。

1台のPCが載る立派なデスクとチュアのワンセット。
そこに座り、何やら作業をしていた白梅がこちらをチラリと見やり、立ち上がる。

「こんにちは、佐藤君。この度は呼びつけてしまうような形をとってしまい申し訳ありません」

今、ちょっと立て込んでいまして……。と頭を下げる白梅はどことなく気品があり、
やり手の女社長といった雰囲気を漂わせる。ビジネススーツがよく似合いそうだ。

「ご苦労様でした、あなたは業務の方に戻ってください。さぁ、佐藤君、こちらに掛けてください」

1礼して元いた席に戻ってゆく女生徒はさながら社長の秘書といった感じか……。
そう思いながら勧められた3人掛けソファーに腰をおろすと、白梅はコーヒーを入れて持ってきてくれた。
453 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:53:26.95 ID:auwibgZD0

「お砂糖とミルクはご自由に。さて本題なのですが、こちらにサインをお願いできますか」

白梅はソファーと対になっているテーブル上に1枚の書類を滑らせる。

「なんだこれ?」

「先日のHP同好会とファミリーコンピュータ部の合同強化合宿について作成したレポートに関するものです。
 HP同好会の方はすでに槍水先輩が署名済みなので、あとは佐藤君の署名待ちですね」

「あぁ、なるほど……」

そういえばあの時、白梅がついて来てたのはコレを書くためだとか言ってたな。

「ん、オッケー。ココでいいんだよな? え〜と、書くもの書くもの……」

「これをどうぞ」

白梅が差し出してきたペンを使い書類の代表者欄に自分の名前を書き込む。
前の時もそうだったけど、なんとなく『契約』の文字が頭をよぎった。……悪い方の意味で。
どことなく良からぬ事の片棒を担がされているような気がする……。

「失礼します」

白梅は一言断ってから僕のすぐ隣に座ると書類を手に取り、内容を改めて朗読してくれる。
あれ……前にもこんなことがあったような、まさかバイツァ・ダストか!?
454 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:54:01.00 ID:auwibgZD0

……それにしても何故か、僕の意識は聴覚ではなく視覚のほうに偏ってしまう。
隣でわざわざレポ−トの内容を読み聞かせてくれる白梅の声よりも、彼女の姿を見てしまうのだ。
同級生とは思えぬ落ち着いた雰囲気、東洋的な美しさを感じさせる艶やかで真っ直ぐな黒髪、
文字を追うその瞳はただただ上品で、淑やか、且つ潤いを湛える唇が動くたびにえもいえぬ興奮が僕の心を支配する。
さらには互いの距離が近いので、微かに肩が触れ合い、(夏服である事も手伝って)彼女の線の細さが薄っすらと感じられる。

日本的な美人の要素が香り立つ白梅梅という女性はとても魅力に溢れていた。

「――以上です。何か不備など感じたところがありましたら……佐藤君?」

朗読を終えたらしい彼女は顔をこちらに向け、ジッと僕を見つめる。惚れられたのかもしれない。

「佐藤君、きちんと聞いてました?」

「ごめん、つい、白梅に見とれちゃって」

僕は真剣に、且つノータイムで言葉を返す。この後に続く白梅の言葉は間違いなくベタなものだろう。
「バ、バカ! なななな何言ってるのよ!」とかね。……だが嫌いじゃない。むしろ大好きだ!

「人が真面目に仕事をしている最中、隣でふざけている人を見るとイラっときません?」

――まぁ、ある意味ではこれもベタな展開というべきか……。

「……怒っていいですよね?」

その後、僕は白梅が再度朗読してくれたレポートの内容に耳を傾けた。……床をのた打ち回りながら。
455 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:54:35.40 ID:auwibgZD0



「おそらく交換学生制度の件だろう。例年2年生が制度の対象になるんだが、
 今年はどういうわけか急に1年生に対象が変更されてな。それで生徒会は大忙しというわけだ」

部室棟502号室、HP同好会部室で生徒会室の様子を語ると槍水さんは言った。
もしかして例の会報にあった『我等が同志内本氏、白梅様の命によりついに出陣!!』ってコレの事なんじゃ……。

「ちなみに選ばれた人物の名前って分かります? あ……パスです」

「あぁ、もちろんだ。校内の掲示板に張り出されていたからな。内本宏明という男だ」

やはりか……。しかし、もしも彼が『アパ』しか言わない状態だったとしてどうやって本人の了解を得たのだろうか?

「休み明けと同時に対象が変更された事もあって、
 希望者が現れないんじゃないかと生徒の間でも言われていたんだが、アッサリと決まったな」

「ふ〜ん。そんじゃぁさ、交換でこっちに来るのはどんな奴なの? あ〜もぅ! パス!」

「確か今日からこっちに来ているはずだが私はまだ見ていないな。例年なら前もって名前ぐらいは開示されるんだが、
 今年はそれも無いし。まぁ、その辺りも急な変更で、ゴタゴタしているんだろう。よし、あがりだ。私が大富豪だな」

「くそー! 今度こそ絶対勝てると思ったのにー! でも2番〜。大貧民は佐藤で決まり!」

「ゲッ!」

このドラマチックヒューマン……長いから手っ取り早く『大富豪』というが、
コレって1回大貧民になると、なかなか這い上がれないよね……。
しかも今日は白粉が『ラノ研』に行ってて居ないため、人数が少なく、より一層難易度が上がるというか……。

その後も終始この流れでゲームは進み、僕はカードを配り続けた。
456 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:55:08.99 ID:auwibgZD0

 ●


小・中と一緒だった、あの顔のまったく似ていない従姉弟の声が聞こえた気がして『彼女』は辺りを見回す。

「……そんなわけないか、あいつ等は確か丸富に行ってるはずだもんね」

烏田高校部室棟のすぐ横で、黒いセミロングのウィッグをかぶり、少々大きめの黒縁眼鏡をかけた『彼女』は1人呟く。
教室にいるとあまりにも周りの連中が騒ぎ立てるのでしかたなく『お花を摘みに』という魔法の言葉を告げ、
抜け出してきたところだった。

「魔法の言葉か……そういえば昔、洋の奴がよくそんなこと言ってたっけ」

『彼女』の脳裏にバカっぽく、且つ、純朴に笑う佐藤洋の顔が映し出される。
それと同時に、ほぼ同じ印象を持つ石岡勇気の顔も浮かびそうになるが――そちらの方は即座に打ち消した。

あんな変態野朗の顔なんて、思い出すだけでも怖気立つ……、と『彼女』は思う。実際少し鳥肌が立っていた。

自分がアイドルとして本格的に活動を始めて数ヶ月だが最近よく昔の事を思い出す。
それは多分、あの頃が楽しかったから、そして自分を偽ることが無かったからではないか。

例えば――今は化粧を落としているので露になっている――左目尻にある泣きぼくろ。
イメージの妨げになるから隠せと言われているコレを、あの頃周りにいた人達は自分のチャームポイントだと認めてくれていた。
佐藤洋などは特に、大人っぽくて素敵だと、そう言ってくれた。ありのままの自分を受け入れてくれていた。
457 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:55:37.75 ID:auwibgZD0

それが今はどうだろう、泣きぼくろを始めとした自分のありとあらゆる部分を隠し、偽装し、
妹系アイドルなどという訳のわからないことをやっている始末……。

……自分はただ著莪あやめ、彼女のように……彼女より魅力ある女になりたかっただけなのに。

けれど『彼女』の性格上ここまで来てやめるという選択肢は無い。
周りの人間から逃げたと思われるのは絶対に嫌だった。
だから何度も、上に行くにはこうするしかない、
この先勝ち進んで行く為にはこうするしかない、と自分に言い聞かせてきた。

「電話……仕事か」

『彼女』は携帯で自らのマネージャーと2、3会話を交わすと携帯をしまい校門の方へと向かう。
その付近には既にマネージャーが手配したタクシーが待機しているはずだ。

途中『彼女』は校舎の窓ガラスで自分の顔を確認したが何も問題は無かった。
ガラスに映りこんだ顔はどう見ても、アイドルをやっている時の自分とは違う素の自分のもの。

「きっと、これなら誰も私に気付かないわね」
458 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:56:09.58 ID:auwibgZD0

自分でもおかしなことを言っていると思ったが、それこそが今の自分に求められている事なのだから仕方なかった。
それを思うと空しさがこみ上げてくる。

『彼女』は沈んでいく自らの気分を盛り上げようと、いつも通り、
佐藤がバカなことを大真面目にやっている時のことを思い浮かべた。落ち込むような時はコレで大抵持ち直せるのだ。

「――っぷ!」

噴き出しそうになるのを堪えつつも重く沈んでいた心が軽くなるのを実感した『彼女』は続いて著莪の顔を思い浮かべる。
良い意味で人形のような彼女の顔は自分にやる気を与えてくれるのだ。

「……さぁ、今日も頑張るわよ」



気合の入った顔で再度歩を進める『彼女』は交換学生制度で烏田高校に通う1年、名は広部蘭。
現在、ケータイ小説が原作の映画に出演し、日々苦労しながらもロケをこなす、佐藤洋の初恋相手。

人は彼女を――『鬼灯ラン』と呼んだ。
459 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:56:38.72 ID:auwibgZD0

 ○


自動ドアを抜け、入店する。初めて訪れた店ではあるが、どことなく懐かしさを感じさせるような店内の雰囲気だ。
暖かく迎え入れてくれるような、歓迎されているような気さえする。ただしそれは僕が思っているだけだろう。
店内に足を踏み入れた際に飛んできた狼達の視線には『邪魔者』の文字が貼り付けられていた。

この近辺の最終半値印証時刻を有する店なだけあって彼等の視線には殺意すら窺える。
それだけにこの場で勝利を掴み獲れば、弁当に付与される1味もまた、格別であるに違いない。

ココは槍水さん、氷結の魔女が縄張りとしているスーパー2店の内の1店。
とても美味しいサバの弁当を出すと東区の方でも評判で、是非挑戦したいと思っていたフィールドでもある。

店内の外周に沿って歩きながら、青々と大きなキャベツがうず高く積まれた野菜コーナーや、
国産品のみ取り扱っているらしい精肉コーナーを通り過ぎ、いよいよ本命、惣菜、弁当コーナーに到達した。

定番のトンカツ、コロッケ、揚げ餃子等の揚げ物、他にはサンドイッチやサラダ、冷やし坦々麺といった変化球に、
おはぎや団子等の甘味類までが少量ながら並ぶ。

この店の規模からすると相当多彩なラインナップといえるだろう。
460 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:57:06.73 ID:auwibgZD0

そして弁当だ。今宵の獲物3つの内、真っ先に目がいったのは『サバの塩焼き弁当』。
噂に聞いていたサバ系の弁当に初っ端からめぐり合えるなんてツイている。

最初に訪れたアブラ神の店では弁当が2つしか残っていなかったので、
戦闘で体力を消耗しないよう敢えて身を引き、後のチャンスに賭けたのが報われた。

あとの2つは和風豆腐ハンバーグ弁当と、チキン竜田の甘酢あんかけ弁当。
どちらも美味そうだが、僕の胃袋はすでにサバと決まっている。

暴れる腹の虫を抑えつつ、調味料コーナーに移動、詰め替え用荒挽き胡椒のパックを見つめる。

久しぶりね、ワンコ、と隣にいた茶髪の美人女子高生が声をかけてきた。
彼女と会うのは約2ヶ月ぶりだが、相変わらず大変良いバストを有している。

「ワンコの狙いは?」

「サバ1択」

「そうよね、お互いに頑張りましょう」

彼女はそう言うと真っ正面の甜麺醤の小瓶を見つめながら口を閉じた。
どうやら狙いが被ってしまったらしい。

その後僕は合流してきた顎鬚と坊主頭達としばしの間話に花を咲かせた……のは表向きだけで、
実際のところは如何にして茶髪に感づかれることなく、如何にしてその豊満な胸を注視できるかに神経を注いだ。

途中、茶髪達が猟犬が来たとかダンドーがどうしたとか言っていたが正直どうでも良かった。
461 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:57:42.92 ID:auwibgZD0



スタッフジャンパーに身を包んだ老人――あれが槍水さんの言っていたこの店の半額神、ジジ様か――が流れるように、
作業を終え、1礼後、扉の向こうに姿を消すと同時に戦いは始まった。

僕を含め、この場に集いし者達が糧を得ようと弁当コーナー前で熾烈な争いを繰り広げるなか、ソレは来た。
烏田高校の制服を着た4人の男達が『<』字状となって乱戦に突っ込んできたのである。

「ココは俺たちが行く!」

「お前等は後方を頼むぜ!」

乱戦を両断しかねないほどの勢いで突撃をかけてきた一団を顎鬚と坊主が雄叫びを上げて受け止め、
奴等の勢いは完全に停止した。

「ボサッとしない! 『猟犬群』の本陣が来るわよ!」

茶髪が叫ぶと同時に、ヒュッと口笛の音が聞こえ『<』字状で停止した奴等の後方から新たに『<』陣形をした
四人の男達が走りこんでくる。彼等もまた、先の4人と同じく烏田の制服姿であることからしておそらく仲間なのだろう。
しかもその動きからしてアラシと違いかなり連携の取れたチーム的なもののようだ。
なるほど、『猟犬群』とはよく言ったもんだ。
462 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:58:11.36 ID:auwibgZD0

猟犬群の先発隊4人の陣形が横に広がり、後方のメンバーを受け入れようとする直前――顎鬚達が2人を倒し、
残る2人も他の狼達によって、なぎ倒された。

後方から迫っていた4人の内、先頭を走るリーダー格の男がチッと舌打ちしながら何度か口笛を吹き、速度を上げる。
彼を先頭にして『<』を細くしたような陣形で突っ込んできた。顎鬚と坊主はすでに乱戦の中へと巻き込まれており、
とてもじゃないがアレが止められるとは思えない。

「いくわよ、ワンコ!」

隣にいた茶髪が地を蹴り、乱戦の中を突き進む猟犬群の本陣に向い駆ける。

どうやら話の流れから察するに僕は彼女等と共闘する有無の約束をしていたらしい。
人が一生懸命、茶髪の乳を注視している間に勝手に共闘を約束させるとは……なんという酷い奴等だ!
身勝手にも程があるぞ! ……罰として茶髪の乳を揉み扱いてやろう。

僕は目標に向って駆けた。――が、そのとき茶髪の横をすり抜け、僕の目の前に立ちはだかる1人の男、
猟犬群のリーダー格のアイツだ。

おのれぇ、貴様! 我が覇道の前に立ち塞がろうというのか! 捻り潰してくれるわ!!
463 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:58:54.47 ID:auwibgZD0

眼前に迫る彼は僕を睨みつけると同時に体制をさらに低くして突っ込んでくる。
おそらくはタックルで僕を倒し、茶髪に近づけさせないつもりか。――ふん、笑止! だったらコレはどうだ!!

「なに!?」

僕も奴同様、身を低くして真っ正面から突っ込んだ。予想だにしないこちらの1手に敵は驚き驚愕の表情を浮かべる。
このまま突き進めば互いの頭をぶつけ合う事になるだろう。
無論僕は覚悟の上だ、というか望むところだ。石頭にかけて、こと僕の右に出る者はそうはいない。
昔から言うだろう、バ……ゲフンゲフン。やっぱ、どうでもいい。

互いに一歩も譲らず、というより奴が突然の事に驚いている内に両者の頭がぶつかる。
ゴッと鈍い音が響き、目の前に火花が飛んだ。
しかし僕は怯まない、猟犬群のリーダー、ボス犬の彼が額から血を流しながら苦痛に顔を歪めるなか、
さらに1歩、もう1歩、前に出て、押す。押す! 押しまくる!!

視界が朱に染まると同時にボス犬が吹っ飛んでゆく。どうやら僕の方も流血していたようだった。が、大したことじゃない。
我が覇道を阻まんとする不届き者に容赦ない制裁を与えた。それこそが重要なのだから。

ドサッと床に沈んだボス犬はピクリとも動かなかった。僕の完全勝利である。
これでもう誰も僕を邪魔する事はあるまい。……あとはこの手にあの特盛オッパイを掴むだけ――

「よし、獲物ゲットよ!」

声のした方を見やれば……茶髪がサバの塩焼き弁当を手にして、にこやかに微笑んでいるではないか。

「………………………え?」

僕は愕然とした。敵は今しがた排除した、障壁等ありはしないし、道は開かれていたはず。
……だというのに、これは……どうしたことだ? 僕のオッパイはどこ? 僕の特盛はどこへ行っちゃたの? 

……僕……僕の……。
464 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:59:26.16 ID:auwibgZD0

 ●


槍水とのゲームに連戦連敗して泣きながら部室を飛び出した著莪は佐藤の向かったスーパーにやってきた。

「ここがジジ様の店か」

スーパーの自動ドアを潜ると、ちょうど茶髪の女子高生が弁当を掴んだところだった。
混戦を制したらしい彼女は嬉しそうにソレをカゴに収める。

「僕の特盛がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!」

店内に轟く聞き慣れた彼の声に著莪は驚き、急いで駆け寄る。嬉々としてレジに向おうとしていた茶髪の女子高生、
さらには戦闘中だった狼達ですら、ピタリと動きを止めて声のした方を見やる。

「大丈夫か、佐藤!」

弁当の置かれた陳列台から鮮魚コーナーの方へ僅かに離れた位置……そこには床に両膝をつき、
放心どころか魂まで抜けきった状態で額から血を流し、加えて涙と鼻水まで垂れ流す佐藤洋の姿があった。

従弟のそんな姿を目撃した著莪は昔見た伯父の姿を思い出した。
その日、セガが正式に他社ハード向けに発売したゲーム、
GBA版『チューチューロケット』をプレイしていた際の伯父の顔を。

きっとあの時の伯父同様、この従弟にも何かとてつもなくショックな事があったのだろう……。
それにしても今の佐藤の顔は瓜二つと言って良いほど、あの日の伯父によく似ていた。

「……さすが親子だな」
465 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 14:59:54.46 ID:auwibgZD0

著莪はこの場に佐藤が居ては邪魔になると思い、
彼の左サイドにしゃがむとダラリと力なく垂れ下がった左腕を自分の肩に回す。

「佐藤、聞こえてる? ちょっと立ち上がらせるからな。こけんなよ?」

空腹に鞭を打つように力を入れて、一気に立ち上がり、そのまま佐藤を支えつつ、エントランスに向かう。
ヨロヨロとしつつも何とか彼が歩いてくれたのはありがたかった。

バイクが止めてある所まで来た著莪は佐藤がもう少し落ち着くまで待ったほうが良いかと思い、
店の壁にもたれ掛かるようにして彼を座らせる。

「……で、何があったんだよ?」

著莪はポケットから出したハンカチで佐藤の額から流れる血を拭きながら聞いた。

「特盛が……僕の特盛が……」

佐藤は小声で意味不明なことを呟くだけ。著莪は手を止めて頭をポリポリと掻き、ため息をついた。

「斜め45度の角度からチョップをすれば元に戻るか……?」

著莪が思案していると後ろで自動ドアの開く音。
振り返れば茶髪の女子高生が弁当の入ったレジ袋を片手に提げ、キョロキョロと辺りを見回しているのが目に留まった。
466 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:00:24.83 ID:auwibgZD0

彼女は自分達を見つけると、その日本人平均を上回るバストを揺らしながら駆け寄ってくる。

「今晩は、アナタ確かワンコの知り合いよね。……その、彼、大丈夫?」

「あー、うん。人一倍頑丈な奴だから大丈夫だと思うよ。心配してくれてありがとね」

茶髪はいささか安堵したようにため息をつき胸を撫で下ろす。

「ワンコがこうなったのって私がお弁当獲った事が原因みたいだったから……
 なんだか悪い事しちゃったみたいで……。ごめんね、ワンコ……」

彼女は心底申し訳なさそうな顔をして佐藤に謝ると、彼の頭にそっと手を置き、優しく撫でる。
なんとなく面白くない気分になった著莪だったが、頭を撫でてもらっている従弟の顔が僅かにニヤけるのを目撃する。
……今コイツの目の前には日本人平均を上回る胸が……

「あぁ、成程ね。そういうこと……」

軽く会釈して去ってゆく茶髪を見送ったあと、著莪は佐藤の隣に座り彼の耳元に顔を寄せ囁く。

「特盛だったね」

その瞬間、佐藤の体がビクッと震えた。
467 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:00:54.78 ID:auwibgZD0

 ○


著莪の発した魔法の言葉で僕を現実世界に引き戻され、涙と鼻水はピタッと止まってしまった。
その裏には暗に、「アタシは全部知ってるぞ、この変態☆ バラされたくなかったら――」という
脅迫の一念も込められているに違いなく。僕は恐怖に身を震わせた。

恐る恐る眼球を僅かに動かし隣を見ると、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる著莪の顔が……。

ここはもう暫くイっちゃってる振りをしたほうがいいと思い、
頑張って涙と鼻水を垂れ流そうとするが所詮意識してできることではなく、替わりにやたらと冷や汗が流れる。

「ねぇ、佐藤。特盛とはいかないけどさ、アタシの胸でよかったら代わりに……」

こいつ正気か……と、驚きのあまり、振り向いた瞬間、僕のおでこにデコピンが炸裂する。

「……ぃってぇなぁ、何すんだよ!」

自業自得だろ。笑顔で著莪はそう言うとさっきデコピンをした辺りを人差し指で突っつく。
僕は「う〜」と唸る他無かった。
468 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:01:58.05 ID:auwibgZD0

「さてっと、もう行こっか。仙も待ってることだし」

その時になって僕はようやく自分が弁当はおろか、カップ麺さえ買っていないことに気付いた。
著莪を待たせ、再度、店内に足を運ぶ。
ちょうど争奪戦が終わったようで、弁当・惣菜コーナーからぞくぞくと狼達が引き上げてくる。

そんな彼等の視線が何だか僕に集中しているような気がしたのは多分気のせいだろう。
もちろん僕のファンである可能性も捨てきれないが。

「え〜と、どん兵衛はっと……!?」

瞬間、背筋が薄ら寒くなるような視線を感じた。
レジの方を見ると、そこには仲間の男に肩を貸してもらいながらこちらを睨むリーダー格のアイツの姿が。
額から流血している事もあり、その形相にはかなりの迫力があった。

「山原、もう行こうぜ」 

仲間の1人に山原と呼ばれた彼はギリッという音がここまで聞こえてきそうなほど奥歯を噛み締め、
「あぁ……」と腹の奥底から絞り出したような声で答え、去っていった。
469 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:02:26.81 ID:auwibgZD0

 ●


……少しは奴の好きにさせてやろう。

剣道部の主将、そして現猟犬群の頭目を勤める山原が去っていくのを見やりながら『彼』は1人そう思った。

数日中に狩へ出ると山原に伝えたその翌日、剣道場で自分の下に来た彼は嫌な目をしていた。

昨夜の争奪戦で負けたのだろうとわかったが、果たしてその通り。
山原は今宵駆けるフィールドをジジ様の店に、と自分に進言し、突如、かの店で有名なサバについて解説をし始めたのだ。
すべては昨夜、自分に土を付けた相手を叩きのめすために。

『彼』はそんな山原の性格が嫌いではない。
というかその性格の彼がリーダーを務めているからこそ今の猟犬群は過去のものと比べても
最高クラスの力を有するに至っているのだ。

そんなボス犬に対する恩返しと言うわけでもないが暫くの間、フィールドの選択権は奴に譲ってやろう。
その間、他の猟犬群メンバーが弁当にありつけない事もあるだろうが、この際仕方あるまい……。
あまりにもそれが続くようであれば自分に選択権を戻せばよいのだから。
470 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:03:20.88 ID:auwibgZD0

『彼』は「フゥー……」と息を吐き、視線を山原から再び窓の外へと向けると丸刈りの頭を掻いた。

「くそぅ、アイツ等に呼ばれなきゃこんな事にはならねぇってのに……」

今月に入って早々、昔の教え子の結婚式に2回も呼ばれてしまった『彼』の財布は、
まるでソレだけが月末にタイムスリップしたかのように痩せ細っていた。

だからこそ『彼』はこんな異例とも言える早い時期から自らの訓練されし犬達を引き連れ、
戦いの野に赴くこうと決心したのである。

「……まぁ、狩自体は嫌いじゃないがな」

窓ガラスに映りこむ『彼』の顔は、いつの間にか教師ではなく狩猟者のソレへと変貌を遂げていた。



最近尿のキレが悪くなった事を密かに憂いている、40の大台を突破した『彼』の名は壇堂健治。
近隣のスーパーマーケットにその名を知らしめている猟犬群という部隊、システムを作り上げ、
より確実に自らの糧を獲んとするベテランの狩人。

人は『彼』とその部隊を――《ダンドーと猟犬群》と呼ぶ。
471 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:04:20.21 ID:auwibgZD0

 ○


「《ダンドーと猟犬群》が西区のスーパーで確認されたそうだ」

僕はファミ部部室内でホワイトボードに書かれた『井上総合病院』の文字を見ながら、
昼休みに先輩の二階堂蓮から聞いたことを考えていた。

一昨日の夜、夕餉の際に槍水さんから聞いたソレの2つ名の由来はイングランドに伝わる民話から来ているとか。
確かオリジナルの名は――

「《Dando and his Dogs》」

隣に座っていた著莪が僕の耳元でそう囁く。どうやら彼女も同じ事を考えていたらしい……見事なシンクロだった。

「やっぱ気になるよね、コレが終わったらアッチのスーパーに行ってみようか?」

彼女は続けて僕の耳元で囁き、眼鏡越しの青い目でこちらをジッと見つめる。
僕としてはむしろ自分から言い出してでも行く気だったので異存が有ろう筈もない。

頷いてやると著莪もまた、満足そうに頷いた。
472 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:04:52.84 ID:auwibgZD0

「それじゃ次、『井上総合病院』を担当したい奴は挙手〜」

どこだかの孤島で生まれ育ったという大変ユニーク、且つファンタスティックな経歴をお持ちの先輩、
ユウキさんがそう言った瞬間、まるで事前に打ち合わせでもしていたかのように(実際にしているのだが)
3人の手が高々と挙がる。

「ん、そんじゃ『井上総合病院』の担当は佐藤と著莪と井上な」

どこぞのバカと天才は紙一重を地でいく奴と同じ読み名を持つユウキさんは至極あっさりと決定を下し、
僕等はハイタッチを交わした。もちろんあせびちゃんとも。

お守りを所持しているから、そこまで酷い事にはならない筈である。

こうして今度の文化祭期間中、誰がどの病院または養護施設を回るかが決定し、部活はお開きとなった。
その後、『桃太郎』の一節、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは――の件よろしく、
僕と著莪は西区のスーパーへ、あせびちゃんはバイト先の『ゲーマーズショップ フォローミー』にそれぞれ向う。

途中、廊下で書類を持って生徒会室に向う鏡さんを発見したので、一緒に行きませんかと誘うと――

「お誘いありがとうございます。ですが生徒会の業務がまだ残っていますので今日は難しいかと思います」

――という答えが返ってきた。残念である……。あと著莪がバイクを泊めている駐輪場に行くと、
先輩がいたので同じく誘いをかける。すると――

「そうだな、興味もあるし偶には遠征もいいだろう」

――という答えが返ってきた。
473 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:05:21.80 ID:auwibgZD0

先輩が女だったらもっと嬉しいんだろうなと考えてしまったが、たとえ業務用掃除機でナニを吸い込んでも
女にメタモルフォーゼしないことは過去の石岡君の経験から分かっていたのでくだらない考えだと打ち消した。
ちなみに、槍水さんにもメールしたところ――

〈 修学旅行のうち合わせがあるから今日は無理だ、すまんな。また誘ってくれ 〉

――という返信が来た。……あせびちゃんのアレが関係しているのかと疑いたくなるぐらい女性に縁がない……。

「なにボ〜としてんのさ、ほいっ」

ヘルメットを僕に投げてよこす著莪。そういえば身近にいたな……。

著莪の場合、口を閉じておとなしくしていれば、あの広部さんにだって負けないぐらい綺麗なのだけれど、
常に一緒にいるからか普段はまったく気付かない。
時々、ドキッとする事はあるが、それでも不思議と普段は僕の中で女性としてのカテゴリーから外れてしまう。
474 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:05:52.03 ID:auwibgZD0

もっとも実の双子同然に育った相手にハァハァなどしようものなら、そいつは間違いなく変態である。
紳士たるこの僕では考えられない事だ。
1部の輩の間では『変態』と書いて『紳士』と読むことがあるそうだが、どうでもいい、知ったことではない。

「佐藤、準備オーケー?」

「うん、大丈夫」

僕はバイクに跨ると著莪の腰に両腕を回し、彼女に背中から抱きつくような姿勢をとる。
その際、薄着であるが故に――バイクで走ると風当たりがキツイ為、薄手の長袖ジャンパーを着ているものの――
著莪の柔らかな体の感触が腕に伝わってくる。

あと今更ではあるが著莪は今制服姿だ。つまり当然スカートを穿いている。
そう、スカート姿のまま大胆にも大股広げてバイクに跨っているのだ。
もちろん抜かりなくスパッツを穿いてはいるものの……うっ、何だこの胸の高鳴りは……? ハァハァ……。

「さ、行くよ。二階堂のやつ先に行っちゃったし」

著莪はそう言うと同時にアクセルを入れ、急発進。僕は悲鳴を上げた。
475 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:06:24.27 ID:auwibgZD0

近隣のゲームセンターで適当に時間を潰した僕等はジジ様の店に向った。
先輩の情報によれば今のところアブラ神の店を始めとした西区内のスーパーに
《ダンドーと猟犬群》は現れていないとのこ。
ジジ様の店が(烏田高校周辺の)最終半値印証時刻を有する領域であることから、
ほぼ間違いなく現れるはず。

僕等5人≠ェ辿り着いた店は明らかに前回とは異なる空気を内包していた。
ざわつき、乱れ、落ち着きがない。

「なんだか落ち着きのない雰囲気ですわね」

「一昨日、ダンドーと猟犬群が出没した店ですし当然でしょう」

……そう、業務に追われて来れないはずだった《オルトロス》が一緒なのである。
鏡さんの話によれば、姉に僕から誘いがあったと話たところ。
途端に梗さんは3倍速ぐらいのスピードで残りの仕事に取り掛かりだしたのだとか。
いつもこんな風にテキパキとしてくれていれば、と言う鏡さんのぼやきが印象的だった。

「おっ、サバの弁当がある」

先頭を行っていた著莪の声に全員がピクリと反応して弁当が並ぶ陳列台に視線を注ぐ。

「コレが有名なジジ様が作るサバを用いた弁当か」

「塩焼き」「味噌焼き」

「しかも3つずつ……」
476 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:06:56.10 ID:auwibgZD0

他に2つの弁当(『チーズカツカレー(大盛り)』と『白身魚のタルタルソース挟み揚げ弁当』)を合わせ、
計8つの夕餉候補がそこに鎮座していた。

僕等は無言でその場を離れ、缶詰の置かれた鳥棚の前に移動、
弁当コーナーに近いところから順に、梗さん、鏡さん、著莪、僕、先輩、といった具合に並ぶ。
梗さん達は揃ってコーンビーフを、著莪はスイートコーンを、僕はシーチキン、先輩はイワシの、
それぞれ缶詰を見つめる。

1番最初に口を開いたのはオルトロス……

「わたくしは塩焼きを」「私は味噌焼きを狙います」

次いで先輩……

「オレは味噌でいこう」

湖の麗人が続く……

「アタシも味噌で」

……最後に僕。

「塩焼きで」

全員が今宵狙う獲物を宣言した後、先輩がダンドーと猟犬群についての対応策を挙げた。
僕等は頷き、各々が目の前の缶へと視線を戻す。

しばらくして自動ドアが開き、禍々しい気配が入店した。
477 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:07:28.21 ID:auwibgZD0

 ●



烏田高校運動部に支給される黒いジャージを身に纏った山原を始めとする配下の犬達を背後に従えて、
剣道着姿の男、壇堂は2日連続でココ、ジジ様が治めし狩場へとやって来た。

当初連戦する気は無かった彼だが昨夜あまりにも呆気なく全員が夕餉にありつけたこともあり、
気が大きくなっていた。それと彼自身、久しぶりに食したサバの弁当が相変わらずの美味しさだったので、
それならば今宵も……と欲が出たのである。

数日前、山原が解説したように普段不摂生な生活を送る体に、DHA、EPA等の不和脂肪酸をより多く含んだ
ノルウェー産のサバを使用しているジジ様の弁当はことのほかありがたかった。
サバの脂が40過ぎの体に潤いを与えてくれるような気さえしたものだ。

彼が事前に立てていた予定だと今日から数日はラーメン屋『ヒロちゃん』で食事をするはずだった。
しかし、あの味をもう1度……という欲に負けた。サバの脂によってアッサリと滑り落ちてしまった。

昨日はかつて自分達を打ち倒してきた者が集っていたこの店を前に、多少の緊張もあった。
まるで自分が20台という若かりし頃に初めて経験したお見合いの時ぐらいの緊張ぶりだった。
478 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:07:59.25 ID:auwibgZD0

それが今日はどうだろう、自分の中に立ち込めていた暗雲は晴れ、心は一片の恐れも無い。

まるで過去20年近く、ことごとく縁談が破談した結果『クラッシャー・ダンドー』の2つ名を仲人から与えられ、
今や見合いの席で相手を前にしても物怖じ1つすることなく堂々と鼻を穿り、
屁をこくといった荒業をかませるに匹敵するレベルだ。

ただ自分とて最初の10年のように美人〜普通の相手ならそれなりに照れたりもするだろう。
……しかし、後の10年近くのように美人どころか普通以下の猛者ばかりを相手にさせられては、
さすがに萎えるというものである。
しかも最近ではどうも仲人役の人物が面白がってワザと最凶クラスのエリートを送り込んできている気がしてならない……。
この前等は、見合いの席に行ったら日本猿(♀・3歳)が鎮座しているという、
本気で笑いを取りに来ているとしか思えないような事態に遭遇する始末だった。

思わずドッキリカメラ的なものかと隣の部屋に『ドッキリ大成功!』の看板を持った奴や、カメラを構えたスタッフが
いるんじゃないかと探したほどだ。
結局そんな連中はいなかったので映画『サルの惑星』のように特殊メイクを施してあるのかと、
彼女(猿 ♀・3歳)の顔を引っ張ったところ、どうやら本物だったようで、
壇堂はしたたか顔を引っかかれ、お見合い(?)はまたも破談となった。
479 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:08:29.61 ID:auwibgZD0

「性別が雌ってだけで連れて来ちゃダメだろう……」

壇堂の洩らした言葉を聞きつけた山原が「なにか?」と聞いてきたが、彼は何でも無いと言い店へと歩を進める。
山原が怪訝そうな顔をしていたがとても話す気にはならなかった。

自分とてまだ僅かではあるが結婚願望がある。田舎の両親に孫を見せてやりたいとも思っている。
下な話ではあるが、アッチの方だってまだ問題なく起動するし、機能するはずだ。
最後に使ったのは確か……<個人のプライバシーにつき伏せさせていただきます>。

一応国家公務員で教員という職にも就いているし(貯金は無いが)安定した収入は見込める。
顔だって割と整っていると自分では考えているが……うん、まぁ、好みは人それぞれだし……。

だが根本的な問題があった。自分には当の相手がいない……こればっかりはどうしようもない。

結局、この世には神も仏も無い、という結論に達した壇堂健治はため息をつきながらスーパーの自動ドアを潜った。
480 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:09:30.85 ID:auwibgZD0

9月始めでまだ残暑が残る夕闇の中を歩き汗ばんだ体に店内の冷やかな空気は心地よかった。
ただしそれは最初だけ……次の瞬間、壇堂は身震いするような寒気を覚え店内を見渡す。
――いた、缶詰コーナーに陣取る男女の5人組。
各々が自分の目の前にある缶詰を見つめており、誰一人自分達を見ようともしない。

彼等の体からは絶対的な自信と気迫が迸っていて、それがエントランスにいる壇堂の足元から冷気のように絡み付く。

まるで《魔導士》率いる全盛時HP部がそこにいるかのようだと壇堂は思った。

もちろんベテランにして根っからの狩人である彼は、
久しく出逢っていなかった大物に巡り合えたという高揚感を覚えている。
けれどそれ以上に危機感を覚えていた。

その最大の理由は山原である。彼が先ほどから異常なまでの闘争心を前面に出しているのだ。
それが適度なものならば構わないが今宵のボス犬が発しているソレは少々度が過ぎている。
明らかに入れ込みすぎだという事は誰の目にも明らかだった。

まるで闘犬のようなその闘争本能は、確かに猟犬群のレベルをより高みへと押し上げた。
しかしあくまでもそれは彼が集団のボス犬として収まっていればの話。
1度集団から離れ、個として暴走すれば、いくら自分がいるとはいえ残された猟犬群が瓦解しかねない。
481 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:10:12.12 ID:auwibgZD0

そうなれば今宵の夕餉はおろか、必然的に山原を頭目の座から降ろさねばならず、
次のボス犬を新たに据えるまで、自分の糧は保障されない。
いや、リーダーを代えたところで、そいつが実戦で使い物になるにはどれだけかかることか……。
財布の中身が寂しい今月にそんな事態が発生すれば自分は破滅だ。

ここが最終半値印証時刻を有する店でなければ犬達を無理やり引きずり他の狩場に移る手もあっただろう。
だが全ては後の祭り。

「くそぅ、本当に神も仏もねぇな……」

壇堂は歯噛みしながらも今宵残された獲物を見据え――ダンドーとなる覚悟を決めた。

ことはシンプルだ、勝てればいい。それだけの話だ。
自分さえ弁当が獲れれば、配下の犬達がどうしようと知った事ではない。

ダンドーは肩を怒らせながら大股に歩き、菓子類の置かれた鳥棚の前に移動。
目の前にある『おつまみチーズ(徳用)』の袋に視線を固定してその時が訪れるのをジッと待つ。
彼の忠実なる犬達も身じろぎ1つせずに主人同様、菓子袋を凝視し続けた。
482 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:10:47.36 ID:auwibgZD0

……やがてソレは来た。ギィーという控えめな音を店内に響かせながら扉の向こうより半額神きたる。

初老の半額神は惣菜のパックを並べ直しながら「ほぅ」と呟き顔をほころばせた。

今宵、自身が治める領域には蒼々たる面子が集結している。
《氷結の魔女》がいないとはいえ、ここまで役者が揃うのはいつ以来だろうか。

東区の2つ名持ちが2人……3人か。その他に元《ガブリエル・ラチェット》の頭目を勤めていた男。
一昨夜、店内で意味不明の叫び声を上げていた少年。

何よりも40過ぎのベテランが2日連続で来店したのが半額神の興味を引いた。

確か彼が最後に自分の店で連戦を行ったのは30台半ばを少し過ぎたあたりだったような。
余程財布の中身が苦しいと見える、大方昔の教え子の結婚式に呼ばれたのだろうが、
それにしてもアレぐらいの年齢なら普通は幾らかの貯金もしているのが普通だろうに。

未だに結婚もせずに昔と変わらぬ不摂生な暮らしを続けているようだが。さてはて……。

そんなことを考えながらも半額神の手は目にも留まらぬ速さで作業を遂行し――今、全ての弁当に刻印を刻み終えた。
483 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:11:19.25 ID:auwibgZD0

半額神はスタッフルームの前まで来ると、再度、店内を向き直り、ゆっくりと1礼……。

その段階になってダンドーはようやく菓子袋から半額神へと視線を、体を向ける。

「……ジジ様は変わんねーな」

自分が始めて争奪戦に参加してボロ雑巾のように床の上を転がっていたとき、
スタッフルームに運んでくれたジジ様……そういえばアンタ一体いつからジジイやってんだよ。

ダンドーが昔のことを思い出すなか、ジジ様はゆっくりと体を起こし……彼の目を見た。
穏やかなその目は、若いモンに負けるなよ、とダンドーに語りかけているかのようだった。

……40過ぎのオッサンに無茶言うぜ、ジジ様もよぉ。だが、確かにそうだな……。
中年には中年の意地ってやつがある。

ジジ様が扉の向こうに消える直前、ダンドーはその暖かな背に向けて拳を突き出す。

――あぁ、まだまだ若いモンには負けねーよ。オッサンの底力を見せつけてやるさ。
484 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:11:54.47 ID:auwibgZD0

 ○


先輩の立てた戦略は、主人より先に取り巻きの犬を潰し、その後、速攻でダンドー本人を叩くというものだった。
もちろんその間に他の狼にも気を配ること。

普段なら無茶を絵に描いたようなものだが幸い前日にダンドー達が現れたとあってその他の狼は3人だけ。
猟犬群の8人はどうしても主を最優先とする為、腹の虫の加護をフルに得られない、半端な犬に過ぎないのだ。
2人でかかれば深追いしない者であっても潰す事はできるだろう。

さらに、こちらは《オルトロス》と《湖の麗人》、3人の2つ名持ちがいる。成功する確立は高い。
みんなで弁当を食べる姿が目に浮かぶようだ。

そんな自信を胸に僕等は戦場を駆けた。先輩が弁当コーナー前で他の狼を相手取り、オルトロスがダンドーを牽制、
僕と著莪が犬どもを潰す。至って順調にことは進み、ダンドーと猟犬群の内残るはダンドーただ1人。

――そこで問題が2つ発生した。1つは集団から個へと状況が変化し、背水の陣となったダンドーが突如豹変した事……。
それまで優位に戦いを進めていたオルトロスの2人が徐々に押され始めたのだ。

彼が単体でコレほどまで強いのも予想外だったが、もう1つのイレギュラーもかなり深刻なものだ。
後ろを振り返ると陳列台の上に残りし弁当は4つ……内、サバの弁当は2つ。
視線を台の下に向ければ、地に伏したまま起き上がる気配が無い先輩が……おそらくはもう……。
485 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:12:30.13 ID:auwibgZD0

他の狼が3人だけだと僕等は思いこんでいたが、実はあと1人気配を絶って潜んでいた4人目の敵が存在していたのだ。

奴は他の狼達を相手にしていた先輩に背後からカゴを被せると1撃のもとに床に沈め、サバの味噌焼き弁当を掴み、
獲物をカゴに入れ悠々とレジへ……。
更にはこの時点でほぼがら空きになった弁当コーナーに先刻まで先輩に足止めされていた奴等が押し寄せ、
各々が獲物を手にしてしまった。味噌を手にした者が1人、塩が1人、そしてチーズカレーが1人、
……最後の奴はアレルギーなのかもしれない。

「クソッ! ジョニーのやつが潜んでいたなんて!」

横にいた著莪が悔しそうに叫び、ダンドーに向かい、駆ける。

そう、ジョニー、彼1人の出現で僕達の立てた計画は戦場の塵と消えた……とはいえ彼を責める気なんて毛頭ない。
ただ、何が起こるかわからない戦場において、慢心していた愚かな自分に歯噛みするだけだ。

「うぉぉぉぉぉぉおお!!」

「「キャイン!!」」

尋常じゃない気迫と雄叫びを発するダンドーの攻撃を喰らったオルトロスが今、
尻尾を踏まれた犬のような鳴き声を上げ……宙を舞う。
486 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:13:22.23 ID:auwibgZD0

ダンドーと著莪、2人が放つ攻撃がドンドンドンといくつもの炸裂音を店内に響かせる。
互いに拳を主体とした打ち合いだが、その速度が徐々に上がり始める。

「小娘ぇぇええ!!」

「おおおおおおおおお!!」

相手が上げれば自分も上げるといったことを繰り返し、さらに速度が増していく。
だがそれもつかの間の事、著莪のペースが落ち始める、押されているのだ。

僕はクラウチングスタートの姿勢から地を蹴り、横合いからダンドーに急接近、
そのままタックルで彼の両足を床の上から引き剥がす。

「著莪! 弁当を獲れ!」

「アタシはまだ――」

「いいから獲れ! ここでもし他の奴等にサバを取られたら先輩達に合わせる顔が無い!!」

著莪が悔しそうな表情を浮かべながらも弁当コーナーへ駆けたのを見届けると同時にダンドーの体が床についた。
彼に体を捕まれる前に急いで横に転がる。
487 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:13:50.96 ID:auwibgZD0

「レディファーストってやつか?」

そう言ったダンドーは40過ぎ(先輩情報)とは思えないほど俊敏に体勢を立て直すと僕に向き直る。

「だが、自分の弁当を優先しなかった事を後悔するぞ」

「そうでもないですよ、アンタをぶちのめして手に入れればいいだけの話だ」

小童がぁぁあ! と叫び、ダンドーが拳を放つ。
僕もそれに拳をぶつけ相殺、ドンッという衝撃波と共に互いの拳が弾かれる。
空いた方の拳を続けて放つと彼もまた同じように拳を返してくる。再びドンッと衝撃。
今度は弾かれた衝撃に逆らわず互いに距離をとった。

「いいねぇ、さっきの小娘よりは歯ごたえがありそうだ」

「よりゃどう……もっ!」

僕はダンドーの懐に飛び込むと彼の腹に両手で掌底を叩き込む。数メートルは吹き飛ばすつもりで放ったソレだったが
僅かに足元を浮かせるにとどまった。
488 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:14:26.36 ID:auwibgZD0

「……いい1撃だ、ちょっとキツかったぜ」

ダンドーは掌底を放った僕の両腕を掴もうとする、急いで手を引こうとしたが左腕を掴まれた。

「ヤバ――」

僅かに身を捻った瞬間――抉られたかと錯覚するような衝撃が腹部に走る。
胃液が逆流しそうになるが何とか堪え、床を蹴り上げた足でダンドーの顎を狙うが、
彼は僕の腕を離すと同時に後ろに飛び退きコレを回避する。

まともに喰らっていたら多分終わっていただろうな、
と思いながらチラッと視線を横にやると弁当を手にした著莪がいるのが見えた。
ひとまずは1つ確保……と。

「余所見なんかしてるとあぶねぇぞ!」

目前に迫るダンドーは全体重を乗せた1撃を放ってきた。
僕は腰を低く落とし、迫る拳に向けて掌底を放つ。

炸裂音が響き僕の靴底が地面から離れた。
489 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:15:00.94 ID:auwibgZD0

……意識が朦朧としている、さっきの炸裂音の影響か耳鳴りが酷く何も聞こえない……。
ダンドーがトドメを射そうと拳を振り上げているのが見える。避けなければ……無理だ、間に合わない。

僕が敗北を覚悟したその時――ダンドーの動きがピタリと止まる。
次いで、キュルキュル……と、聞こえなかった筈の耳に明瞭に響く恐怖の音。
乾物、缶詰コーナーの鳥棚の間からゆっくりと姿を現すソレ。
ダンドーが口から「……バカな」という言葉が漏らし、青い顔をして振り返った。

――反撃するなら今しかない!

恐怖により五感と体が正常に戻った僕は急いで起き上がるとダンドーの腹に掌底を打ち込む。
完全に無防備だった彼はぶっ飛び、ソレの前に転がっていった。

最凶の権化《大猪》が駆る最凶の対人兵器、《タンク》。その前に……。

僕の放った掌底のダメージか、それとも恐怖に足がすくんでいるのか、立ち上がろうとするも再び床に倒れるダンドー。
《大猪》はそんな彼をまるで生ゴミでも見るかのような目で見据えながら平然とタンクを推し進める。

ダンドーは立ち上がれないと判断したのか、床を匍匐前進のように這い、必死に逃げようとしている。
そんな彼の足を今……ゆっくとタンクの車輪が巻き込んでゆく。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!! あgふ! ……ぁ.,pが……ぴぅぇあ……………………p……」

ダンドーの断末魔……次いでゴキャ、グチャ……と耳を覆いたくなるような鈍い音が店内に響く。
490 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:15:33.06 ID:auwibgZD0

「急げ佐藤! 弁当だ!!」

ダンドーの体をタンクが通り過ぎ、大猪の両足が彼の背中を踏みしめていた時、耳に届く先輩の声。

見れば弁当コーナーの前でヨロヨロと立ち上がり、獲物を手にする先輩の姿があった。
しかも手にしているのはサバの弁当ではなく、白身魚のタルタルソース挟み揚げ弁当。

「佐藤、最高の夕餉を掴め!!」

「はい!!」

僕は駆ける、先輩の厚意を無にしないために。何よりも自分が心から食したいと思い、求めた弁当の為に!

僕が駆け出したことに気付いた大猪はダンドーの亡骸を後方に蹴り飛ばし、その勢いを利用して急加速してくる。
こちらの方が弁当コーナーに近かったはずが、今はタンクの長さ分だけヤツの方が弁当に近い!

……無理か……いや! 諦めるな、思いだせヨー・サトウ! 
前回食すことが叶わなかった特盛オ――違う! サバの塩焼き弁当の姿を!!

他の店が作る半身をさらに半分にカットしたものと違い、豪華にも半身を丸ごと使用したサバの塩焼き。
ソレを大葉が2枚半敷かれたごはんの上にそっと寝かせている。しかも切り分ける手間をかけてでも、
あえて大葉を2枚半としたところに良いものを作ろうとする職人気質と売り上げを出さなければ、
という思いのせめぎ合いが見て取れる。

そんな作り手だからこそ他のおかずだって素晴らしい。
小さく刻んだタクアン、金色に輝く卵焼きに紅白のカマボコ、爪楊枝に刺さったミートボールが2個と唐揚げが1個、
黄色と赤のパプリカ(棒状に切られたもの)が入っているので色合いが綺麗なキャベツの千切り、
……そしてその上に横たわる小振りのエビフライ。

これ以上手を加える余地がないと思えるほどのパーフェクトな布陣だ。……だからこそ、今度こそ。

――この弁当が食いたい!!
491 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:16:16.30 ID:auwibgZD0



公園で、いただきます、と声を上げ僕等は一斉に蓋を開けた。
屋外だというのに食欲をそそるような香りが辺りに広がる。

よし、さぁ、食べるぞ! と胸の内で覇気を発し、サバに箸を突きたて身を取り口へ――持っていったとき何か=A
焼き魚特有の匂いの中に別の香りが……。そうか、この香りは大葉の、サバの身の下に敷かれている大葉の香りだ。

この爽やかな香りが食す者に更に食欲をかき立てるらしい。2つの香りによる相乗効果で更に食欲が湧く。
バランと呼ばれるビニール製の敷物ではまずあり得ないような効果だ。この弁当を作ってくれた誇り高き職人に
感謝しなければ。

口内に溢れた唾を飲み込んでからサバの身を口に入れると、ノルウェー産のサバはに脂がたっぷりの乗っているようで、
咀嚼するとジューシーな旨味が溢れてくる。凄くうまい。また絶妙な塩加減のサバの身はご飯との愛称もバッチリだった。

思わず2口目をと端が伸びそうになるが……堪える。
この弁当を手にしたのは僕だけど、僕だけの力で獲ったものじゃないのだ。

「先輩達もどうぞ」

「まぁ! よろしいんですの!?」

どん兵衛を啜っていた梗さんが真っ先に顔を輝かせた。
492 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:16:50.61 ID:auwibgZD0

「えぇ、みんなで協力して獲ったようなものですし」

「そんじゃ、遠慮なく」

隣にいた著莪がいち早く箸を伸ばしてきたので彼女の手首を軽くチョップ、迎撃する。

「著莪、お前は少し遠慮しろ」

「だが断る」

ノータイムでそう言い放ち、著莪はまるで獲物を狙う狙撃手のような目を弁当に向けてくる。
もちろんやらせてなるかと僕も彼女の弁当に視線を注ぐ。お互いに隙があれば躊躇無く獲物に箸を差し込む気でいた。

「「あっ」」

ジリジリとひり付くような緊張の中のことだった、僕の弁当に1膳、著莪の弁当に2膳、
それぞれ背後から伸びてきた箸がサバの身へと差し込まれ、ミステリーサークルを残す。

「ほぅ、噂通りの旨さだな」

「味噌に長ネギと生姜を混ぜてありますのね」

「ソレを身の片面に塗って焼き上げたというわけですか」

予想外の所から襲撃を受けたせいで僕と著莪は呆気にとられるばかり。
先輩と沢桔姉妹はそんな僕等の顔を見て笑った。
493 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:17:31.78 ID:auwibgZD0

 ●


ぼそぼそと聞こえる人の声でダンドーは意識を取り戻した。

自分は生きているのか? 大猪の駆るタンクの後輪が足に圧し掛かってきたのは覚えている。
激痛により気を失ってから今までどれほどの時間が過ぎたのだろうか? そもそも自分は今どこにいるのだ? 
体を仰向けに横たえているのは分かる、とすれば病院のベッドの上か……それにしては背に当たる感触が固い。
後頭部だけは枕のような柔らかな感触があるが……。

「俺は……一体……ココはどこだ……?」

ダンドーは声を絞り出しながら瞼を開けようとした。しかし室内灯の光がやたら明るく感じられ、すぐに閉じてしまう。

「ようやく起きおったか、ココはおれの店の休憩所だ。お前が気を失ってから2時間ほど経っている」

……だとすれば23時前後といったところか。

「どうだ起きて自力で帰れそうか? それとも救急車を呼んでやろうか?」

「いえ、自力で帰ります。休ませて頂ありがとうございます、ご迷惑をかけて申し訳ない」

「ふん、自覚していて謝罪する辺り、幾分大人になったというところか。昔のお前は自分のことで精一杯だったからな」

昔というのは自分が初めて争奪戦に参加した時の事だろう、とダンドーは思った。
確かにあの時も今と同様、いや、もっと遅くまでココで休ませてもらっていたが
自分が起きるまで待っていてくれたジジ様に対してお礼を言うのが精一杯だった。
494 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:18:01.40 ID:auwibgZD0

そんなことを考えていたダンドーはあることに気付いた。
自分の後頭部に敷かれているソレが何だか暖かく、人肌のような感触である事に。

真っ先に考えられるのは膝枕だが、この休憩所には自分とジジ様の2人しか居ないはず……ということは……
ジジ様が自分に膝枕を……。

想像してみたが正直あまり気分の良いものではなかった。ダンドーはゲンナリしつつ、心の中で呟く。
今日は厄日だな……と。この体ではしばらく争奪戦に参加する事は叶わないだろうし、
何よりも明日からこの傷ついた体で授業をしなければならない。億劫な現実が待ち構えているのだ。

やっぱりこの世には神も仏もない。そう思いながら目を開けた。その先には当然ジジ様の顔が――

「大丈夫ですか?」

自分の視界に飛び込んできたのは予想に反して女性の顔だった。
彼女は心配そうに自分の顔を見つめている。

年齢は30代前半といったところだろうか……取り立てて美人といった風ではないが、
整った顔立ちで穏やかな雰囲気を漂わせる女性だ。

「は、はい、大丈夫……です」

ダンドーはしどろもどろに答えながら自分の体温が上昇していくのを感じた。
久しく女性に縁が無かったせいか、それとも……。さまざまな考えが浮かんでは消えてゆく。
だが、1つだけ確かな事がある。

――神はいたのだ。今、自分の目の前に……。

部屋の隅で壁にもたれかかっていたジジ様は、真っ赤な顔をして固まっている壇堂健治をニヤニヤしながら眺めていた。
495 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:18:40.73 ID:auwibgZD0

 ○


「じゃ、寝ようか……」

緩めのショートパンツにTシャツ姿の著莪は僕のベッドの脇に立ち、眼鏡を外しながら囁くように告げる。

楽しい夕餉も終わり先輩達と分かれて帰宅、お風呂で汗を流してから少し(?)だけ『悠久幻想曲』をやり、
互いの部屋へ行く……はずだったのだが……。

ゲーム機を片付けて自室へ向う僕の背後にピタリと張り付いた著莪は、
そのままナチュラルに僕のベッドに入ろうとしてきたのだ。

「え〜、まだ暑いし一緒に寝るのはちょっと……」

僕等は強化合宿の2日目以降、一緒に寝ていない。
何故かといえばどちらかが相手をベッドから蹴りだす恐れが多分にあったからだ。
実際、夏休み突入直後は著莪が風邪をひいていたから大丈夫だったけど、
完治してからはほぼ毎朝どちらかが床で目を覚ましていたのだ。

「いいじゃんいいじゃん、久しぶりにさ」

ほら、そっち寄って、と言いながら彼女は僕の枕を強引に半分ほど奪ってしまう。
当然ながら体が触れ合い暑かった。
496 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:19:20.86 ID:auwibgZD0

「左手を出して」

「なんで?」

「いいから」

有無を言わせぬ強さが著莪の瞳に宿っていたので、ともかく言われた通りに左手を出す。
彼女はその手をとって手首の辺りにそっと指を滑らせた。

「やっぱり……ココが少し腫れてる」

彼女が言うココとは、今日スーパーで大猪の操るタンクと僅かに触れた箇所だった。
弁当を手中に収め離脱する際の出来事で、ほんの少し触れてだけだったのに腕が弾かれたのである。
多少バランスを崩すも何とか着地した瞬間、恐怖に汗が噴き出したのは記憶に新しい。

「痛くない?」

著莪はジッと僕の目を見ながら聞いてきた。
いかなる嘘でもたちどころに見抜かれてしまいそうな、そんな感じの目。

「まぁ、その……多少は……」

ハァ〜……と、ため息をついた著莪は僕の左手を自分の方へ引き寄せると腫れた部分に軽くキス。
そして両手で持ってその箇所を優しく包み込んだ。

「今夜はこうして寝るからな、異論は認めない」

僕が突然の事にポカンとしていると続けて「おやすみ」と著莪の声、碧い2つの眼が閉じられる。
どうやら結構心配してくれているらしかった。

「おやすみ、著莪……」

ありがとう、と続けてから僕は瞼を閉じる。心の中は著莪への感謝で一杯だった。



翌朝、床で目を覚ますまでは……。
497 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:20:03.60 ID:auwibgZD0

 ―03―


……あっ、という妙に低い声に著莪あやめは振り向いた。
そこには女が1人。彼女はパッと見どこかの学校の制服のような、いささか派手な服を身に纏っている。
フリルが付いた上着とニーソ、そしてツインテールといった髪形のせいでもあるのか、
コスプレ衣装のようだと著莪は思った。

場所は烏田高校部室棟の前、これから最上階にあるHP同好会の部室に向おうと、
階段の1段目に右足を乗せたところだった。

「……え〜と、どちら様でしたっけ?」

「なっ!? 私よ私! 広部蘭!」

著莪は胸の前で拳に握った右手を上に向けた左掌にポンッとやって「……あぁ!」と言った。

「久しぶりー! いやー、ごめんごめん。メイクしてるせいか気付かなかったよ」

実際、彼女のチャームポイントだった泣きぼくろが消えていたので
自分の記憶にある広部蘭とは随分印象が異なる気がした。

「なんでアンタがこの学校にいんのよ!?」

「ん〜と、まぁ、色々あってさ。立ち話もなんだしアタシと一緒に来ない?」

自分が歩き出すと彼女も無言でついてきた。多分、仏頂面に違いないと思い、途中で振り返ると案の定そうだった。

「なによ?」

「なんでもないよ」

外見は多少変わっていても、やっぱりこの娘は広部蘭だなと著莪は確信する。
それが嬉しくも、どこか可笑しかった。
498 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:20:38.37 ID:auwibgZD0

502号室の扉を開けると中には誰もいない。
事前に槍水からは掃除当番なので遅れるという有無のメールが着ていたし。
白粉はしばらくの間、ラノ研に行くと言っていたので当然といえば当然だった。

「麦茶でも飲む?」

「そうね、1杯ちょうだい」

著莪は戸棚から自分用と来客用のコップを出して円卓の上に置き、
冷蔵庫の扉を開けてよく冷えた麦茶を取り出す。

「で、さっきの続きだけどさ。……まさかとは思うけど洋はいないわよね?」

自分がコップに麦茶を注いでいる最中、円卓周りにある椅子の1つに腰掛けた広部が尋ねてきた。

著莪は広部の前に並々と冷たい液体が入ったコップを置きながら
「もうちょっとしたら来ると思うよ」と言って自分の分のコップに注いだソレを1口飲み、喉を潤す。
喉がカラカラだったこともあり、ことのほか美味しく感じられた。

「はぁ!? アイツもいるの! ……アンタ達、丸富の生徒よね?」

「うん、そうだけど?。あ、そういえば元気してた?」

「見りゃわかるでしょ? こちとら今日も元気1杯にアホ面晒してアイドル業やって
 ……って、話を逸らしてんじゃないわよ!」

「チェッ、メンドクサイなー」

「いいから説明しなさい」
499 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:21:09.58 ID:auwibgZD0

 ●


「――って訳」

著莪が経緯を語り終え、2杯目の麦茶をコップに注ごうとしたとき……
それまで黙って聞いていた広部が口を開く。

「……あやめ、色々と聞きたいことはあるんだけど……その半額弁当争奪戦ってのは冗談なのよね?」

「いんにゃ、マジ」

広部は再度黙り込み、著莪の顔を凝視する。
普段芸能界に身を置く自分にとって相手の言葉が本当か嘘か見抜くのはたやすい事だった。
――その結果、自分の出した結論は。

「嘘じゃないみたいね……信じられない」

「まぁ、普通はそうなのかもね。でも面白いよ、少なくともアタシと佐藤は楽しんでる」

「ふ〜ん、わかった。ひとまずソレは置くとして、もう1つ。
 アンタさっきから佐藤のやつと一緒に暮らしてるみたいな口ぶりだったけど――」

「だってそうなんだもん」

「…………は?」

「だーかーら、一緒のアパートで――」

「あぁ、なるほど。何だ驚かさないでよ、あーはいはい、同じアパ−とね。それなら分かるわ。
 まったく驚かせないでよね、思わず一緒の部屋に住んでると勘違いしちゃったじゃない」

「うん、そうだよ。一緒の部屋」
500 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:21:39.37 ID:auwibgZD0

「…………………………え?」

「ルームシェアしてんの、佐藤と2人で」

「あんた何冗談言ってるわけ? 子供の時ならいざ知らず、今や青春真っ盛りの高校生でしょう!?
 何か間違いが起こるに決まってるじゃない! そんなもん互いの両親が許可するはずが無いわ!!」

でも、許可したよ、と著莪は平然と言ってのけた。
広部は頭をフル回転させて目の前の友人が発した言葉を咀嚼する。

確かにそれ系の信じられないような話が芸能界にも存在する。例えばある事務所の社長が、
当時売り出し中だった女子中学生グループのメンバー4人を1週間でコンプリートしただとか。
個人レッスンだと称してお気に入りの娘をお持ち帰りする映画監督だとか……とにかく色々ある。

しかしいくら従姉弟で昔から双子同然に育ってきたとはいえ、良識ある親ならば許可しないはずで――

「そうか……」

著莪が自分の呟きに「なに?」と反応したが、わざわざ説明する気にもならなかった。

著莪あやめ、佐藤洋、2人の両親のかなりアレな話は地元なら誰でも都市伝説のように知っている事であり、
それを思い出した広部は納得して1人頷く。

そして改めてじっくりと目の前の友人を見た。
501 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:22:22.47 ID:auwibgZD0

彼女は何も変わっていない。いや、むしろ女としての魅力を高めていた。

先ほどは自分が思わず「あっ」と声を出してしまい気付かれてしまったが、
本当なら今の姿の自分を彼女に見られたくはなかった。できることならこの場から逃げ出したかった。

「なに見てんのよ……?」

「いやー、相変わらず綺麗だなーと思ってさ。それにしても見れば見るほど凄いかっこだね〜」

「し、しょうがないでしょ! 仕事の一環なんだから!」

広部は著莪に背を向けた。後ろから「あれ? 怒ってる?」と著莪が言っているが、そういう訳ではない。
これ以上、彼女の透き通るような目に見つめられたくなかったのだ。
自分のプライドゆえに部屋を出られない、広部なりの自己防衛である。

「すまん、遅くなった」

「オッス、仙」

部屋に入ってきた女はネクタイの色が自分に支給されていたものと違うことから上級生のようだった。
なかなか整った顔立ちで香水の匂い――カルバンクラインだろうか……?――が僅かに漂っている。
彼女の履いているハードブーツがやたらと目を引いた。
502 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:22:55.84 ID:auwibgZD0

 ○


烏田高校部室棟502号室、その扉を開けたとき、僕は固まった。
部室の中では槍水さんと著莪、そして見慣れぬ1人の女生徒がトランプをやっているのだが……。

その見慣れない彼女はコスプレ衣装のような制服を着ていて薄く化粧をしており、
尚且つ横顔だったが、間違いなく小・中と僕等男子の憧れの的……広部さんだったのである。

現にこうして僕の時間を止めた辺り、初代魔法少女としての力は以前健在のようだった。

「広部さん……?」

「うっさいわよ! 今いいとこなんだから邪魔しないで!」

ほらね、こうして昔みたいに僕の言葉をあっさりと跳ね除けてみせるところなんか、まさに広部さんだ間違いない。

僕は喜びのあまり目頭を抑えながら、すごすごと部室の隅っこへ行き、膝を抱えた。

いやー、懐かしいなー。あんまり懐かしいからか涙が溢れてくるよ、ハハハ……。

暫くしてゲームは終了。先日と同じく大富豪をやっていたようで、順位は槍水さん、広部さん、著莪のようだった。

「槍水先輩、だっけ? サシでやりましょうよ。ポーカーなんかどう?」

「いいだろう、望むところだ」

お互いにフフフ……と笑ってはいるが部室内の空気はピリピリと張り詰めている。
両者の背景にはそれぞれ龍と虎が浮かび上がっている事だろう。
503 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:23:24.34 ID:auwibgZD0

そんななか、あぶれた著莪が目頭を抑えながら、すごすごと部室の隅っこ――僕の隣――に来て、膝を抱える。

「あいつ等強すぎ……こんなの絶対おかしいよ……」

そう言ってさめざめと泣く著莪。どうも僕がいない間、コテンパンに打ち負かされたらしい。

お疲れさん、と言って頭を撫でてやると、著莪はこちらに体を傾けて僕に寄りかかる。
僕も敢えて何も言わずそのままの状態を維持し、円卓で火花を散らせる2人の戦いを見守った。

数分後、部室内に響くバシッという音。槍水さんが円卓に掌を叩きつけ、バカな……、とらしくない台詞を口にする。

「槍水先輩、あなたは確かに強いわ。戦略、戦術性、力に技術、おそらくそれら要素の殆どで私を上回っていると思う。
 でも1つだけ、運という重要な要素だけは私が圧倒的に上だったみたいね」

余裕たっぷりに、見下すように、広部さんは言い放つ。
槍水さんは悔しげに歯を食いしばってそれを聞いていたが、言葉が途切れた瞬間、フンと鼻で笑い、反撃に出た。

「確かに、そんな格好をしなければならんとは、大層な運を持っているんだな」

両雄の背景に再降臨する龍と虎。……何故、遊びのポーカーでこんなことに? 
少なくとも僕の知る限りでは、2人とも他人に対してここまで強く当たるような性格じゃないはずなんだけど……。

僕がここに来る前に白粉が出ていった訳がよく分かった。この空気は居るだけでかなり辛い。

「あの2人、ウマが合わないのかな?」

「う〜ん、どうだろう。最初に会ったときの感じではそれ程でもなさそうだったけどな……」

その後しばらく両者の攻防は続き、耐え切れなくなった僕は広部さんの手を取って部室を出た。
504 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:23:55.57 ID:auwibgZD0

「まったく、いきなり何すんのよ、洋」

「……ごめん」

部室棟の階段を下りる足を止め僕はうなだれた。確かにいきなりの事だったし、彼女が怒るのも無理は無いだろう。
……でもそれは覚悟の上、とにかく僕はあれ以上2人が言い争うのを見たくなかったのだ。

「まぁ、いいわ。どのみちこうして抜け出す予定だったし。洋、この町、案内して」

「え? あ、いや、その……」

「はぁ? 何、洋、私に逆らうの? もともと連れ出したのはあんただし、
 昔なんでも言うこと聞くって約束してくれたわよね? それともアレは嘘だったの?」

「はい、案内します……」

約束を持ち出されては何も言えない。もっとも特にそのことを後悔もしていないけど。

「おーい」

上の方から響く著莪の声。数秒後、階段を降りてきた著莪は鞄を1つ、ボストンバッグを1つ、手にしていた。

「はい、佐藤と蘭の忘れモン。このあとどっか行くんだろ?」
505 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:24:26.81 ID:auwibgZD0

僕はお礼を言って鞄とボストンバッグを受け取り「一応」と答える。
てっきりそれなら自分も、と付いてくるかと思ったがそんなことは無く。
別れ際に耳元で少し囁かれただけだった。

「何だか蘭のやつ精神的に参ってるみたいだから息抜きに付き合ってやって」

仙には上手く言っとくから、そう言って著莪は微笑むと部室へ戻っていった。

「洋、私ちょっと着替えてくるからバッグかして」

著莪の声がしてからずっと無言だった広部さんが口を開く。ちょっと不機嫌そうな声色だ。

「え、着替え? なんでわざわざ?」

「バカねぇ、私がこの格好のままであるいたら目立っちゃうじゃない。
 道中、ファンとかに会って握手とかサインとかねだられたら断るのとか面倒なのよ」

広部さんは最後に笑顔で「着替えを覗いたら、ぶち殺すから」とドスの聞いた声で
僕に殺人を仄めかし、空き部屋へ入りバタンと扉を閉めた。

爽やかな笑顔であんなことをサラリと言ってのけ、
あまつさえ僕をまるで極寒の中にいるが如く震え上がらせるなんて……。

やっぱり間違いなく広部さんは魔法少女だと僕は思った。
506 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:24:55.23 ID:auwibgZD0

 ●


剣道場内で1年と2年が練習しているのを眺めながら山原は考えていた。

昨夜ダンドー率いる猟犬軍が負けたこと、今夜狩に出るかいなかの是非、そして……。

「1年! もっと気合を入れんか!」

自分の目の前で指導に当たる剣道部顧問の壇堂健治。彼の先ほどの発言を。

「俺は今夜、ジジ様の店に行く。だが争奪戦には参加せん、やるならお前達だけでやれ」

彼の言っている事が解せなかった。
というか昨日、大猪のタンクに轢かれた彼が今日こうして指導に来たこと自体が解せなかった。

自分が知る限り、大猪のタンクに轢かれた者は即入院するのがあたりまえ、
ましてそれが40の彼なら重症は免れないはず……。

それが何故か次の日には元気ハツラツで現れたのだ。……しかも妙にテンションが高い。
部員の間では彼が苦痛からちょっとだけ刺激のキツイ薬に手を出したのでは? という噂が広まっている。
507 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:25:24.68 ID:auwibgZD0

だがこの際そんことはどうでも良いと山原は考えていた。

彼がどれだけエキサイトしようと自分には関係ない。ようは狩に出られれば問題ないのだ。
――そう思っていた矢先に出鼻を挫く彼の言葉だ。体に問題が無いのなら何故狩に出ないのか?
また、狩をしないのに何故、ジジ様の店に彼は足を運ぶのか?

「主将、今夜はどうします?」

猟犬群のメンバーの1人が尋ねてくるが山原は黙ったまま思案した。

とにかくダンドーの参戦は期待できない。
ただ、だからと言って負けたままでいるのは、到底受け入れられるものではない。
自分が猟犬群を率いた時に1度、ダンドーが率いた時に1度、2連続で自分はあの男に負けている。
許し難かった。勝利への渇望が胸の奥底から湧き上がる。

山原の目が鋭く、暗くなってゆき、隣に居る猟犬が嫌な顔をした。

「主将、その目をやめてくださ――」

「6人だったな、今動ける奴は」
508 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:25:55.40 ID:auwibgZD0

「えぇ、はい、6人です」

「今夜も出るぞ、ジジ様の店だ」

ですが、と口にしかけた猟犬だったが山原に見据えられた為、黙ってしまった。

「従えよ、今まで通り。……オレはまだボス犬だ」

そう、まだ≠セ……しかしそれも間もなく終わる。自分にとって残された時間は少ない。
スーパーに新米を使った弁当が並び始めればそれが世代交代の合図となる、
確実な勝利を求めて首輪を手にした者は群れから離れては生きていけない。

もちろん高確率での奪取に拘らなければ1人で戦う事も可能だが、
今更敗北を受け入れながらの争奪戦に参加するのは山原の性格上ありえないことだった。

だからこそ、ボス犬である内にヤツに勝たなくては。
たとえ猟犬群をすり潰してでも、自分が納得する結果を得たい。

「……勝つさ、必ず勝ってやる」
509 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:26:23.75 ID:auwibgZD0

 ○


僕が広部さんと一緒に遊んだ日(ファミレスで食事をして喋ってただけだけど)から2週間あまり、
丸富高校の文化祭の準備が忙しくなってしまったせいで僕と著莪は烏田高校に顔を出せずにいた。

その間、先輩、毛玉、の経由で様々な情報が入ってきていた。
ダンドーと猟犬群の首領、壇堂健治は恋人ができたので狩に出なくなったとか。
ボス犬の山原という男が主のいない猟犬群を使って暴れているとか。
そのせいで群れが疲弊し、それを聞きつけたダンドーが山原から指揮権を剥奪したとか。

情報は主に猟犬群のものばかり、あとは彼等が出没するのはアブラ神の店かジジ様の店に限られ、
尚且つ、槍水さんがいない時を狙うらしい。

そのためだろうが昨日白梅からメールがあり〈 最近白粉さんに生傷が耐えない 〉とあった。
槍水さんと別れて弁当を狙うときに襲われているようだ。

これ以上続くようなら剣道部に圧力をかけて、という文章が続いていたので、
しばらく山原が出てくる事は無いから、と押しとどめる文章を返信したのでお怒りは収まったようだったが……。
ともかくそんな訳で広部さんとも会えない日々が続いている。
せっかく再開できたというのに……。
510 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:26:54.05 ID:auwibgZD0

「洋君、買うものはこれで全部かなぁ〜?」

あせびちゃんがガムテープとノリが大量に入った買い物カゴを手にしながら聞いてくる。
今僕達はホームセンターに文化祭で使うものを買出しに来ている最中である。

「え〜と、ちょっと待ってね」

両手に持っていた買い物カゴを床に置き、買い物が書かれたメモを取り出す。
上から順に確認。どうやら全部揃っているようだった。

「うん、全部揃ってる」

おーい、という声と共に著莪がカートを押してきたので、
あせびちゃんが持っていたカゴと僕が持っていた片方のカゴを乗っける。
大猪が使えば凶器となるソレもこうして使う分には無害且つ、便利な道具でしかない。

「今さっき蘭からメールがあって明日、アタシ等のマンションに来てみたいってさ。
 当然二つ返事でオーケーしといたよ」

著莪はカートを押しながら事も無げに言うが、僕は驚いた。

「お前いつの間に広部さんとアドレス交換したんだよ!?」
511 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:27:58.28 ID:auwibgZD0

「いつって、こないだ部室で佐藤が来る前だよ」

なん……だと、短時間でそんなことが可能なのか!?
僕なんて2時間以上ファミレスで喋ってたけど1度もそんな話にならなかったぞ……。

「そんな訳だから、明日の放課後迎えに行ってくるね」

くそぉぅ……僕もバイクの免許さえ持っていたら著莪の代わりに広部さんを迎えに行くこともできたというのに……。、
そして僕の背背につかまりバイクに跨っていた広部さんが夜にはベッドの上で僕に跨っている……なんてエロスな展開も。

というか広部さんが来るなら部屋を片付けないと……アレを見られたら色々とヤバイ。

「佐藤、急いで店を出よう……これ以上ココいるとヤバイ」

「バカな、僕の部屋以上にヤバイことなんて――」

著莪が幾分青い顔をしてレジへと急ぐので僕もすぐソレに気付いた。
背後でボンッボンッと蛍光灯が割れる音。店員が叫ぶ声が聞こえる。

「何の音だろう? どうかしたのかなぁ?」

「さ、さぁ? 何の音かなぁ……」

僕はあせびちゃんの手を引き、足早にレジへと向った。
512 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:28:30.09 ID:auwibgZD0

 ●


「へー、結構いい部屋ね」

佐藤達の部屋に入った広部は進められたソファーに座るとリビングを見渡した。
約2週間ぶりに佐藤に会えることを内心かなり楽しみにしていたので気分は良い。

「最近いつあそこに行っても槍水先輩と白粉って子しかいなかったからつまんなかったのよ。
 で、昨日あやめに連絡取ったら文化祭の準備で忙しいってことだったから……あ、
 今更だけど今日は本当に来て良かったの?」

「昨日まではクラス内や部活内で色々忙しかったけどそれも終わったから」

佐藤はキッチンでお茶の用意をしながら答える。

「蘭とこうしてゆっくり話すのっていつ以来だろう?」

「あやめとは中2の時以来かもね、私はその後仕事が忙しくなってみんなと遊ぶ事も少なくなったし」

自分が思っていたよりもスムーズに著莪との会話が弾むことに広部はビックリした。
多分、昔のようなギスギスした雰囲気になると覚悟していたのだが、何故かそんなことも無い。
それどころか楽しいといってもいいぐらいだ。
513 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:29:02.84 ID:auwibgZD0

元々あちらに敵意があったわけではないし、自分も彼女を嫌っているわけではない。むしろ好きな部類だ。
ただ昔から何となく負けたくない≠ニいう対抗心から自分が身構えてしまっていたに過ぎないのだ。

それと今日の自分はアイドルの鬼灯ランとしてではなく、広部蘭として着飾ることなくココにいる。
だからリラックスしているのかも知れない。

高校生になり、特にここ最近は忙しかった自分にとって素のままで付き合える昔の知り合いは心地よかった。

「げっ、飲み物切らしてた……」

「ふーん、佐藤、いってらっしゃい」

僕が行くこと確定かよ……と、渋りながらも買いに行くあたり、2人の力関係が垣間見える。

「あんた達、ホント昔から変わんないわね」

「そうかなー?」

「絶対そう」

2人は同時に笑った。
514 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:29:34.05 ID:auwibgZD0

ひとしきり笑った後、著莪が「さて……」と言って自分を見据えてきた。
途端にそれまで和やかな雰囲気が消えうせる。

「もうちょっとで交換留学って終わりだよね」

「そうだけど……それがなに?」

「アタシ達も明日以降はまた忙しくなると思う、多分、烏田には行けない」

だから? と返したが広部には彼女が何を言いたいのか見当も付かなかった。
しばらく沈黙が続き、著莪が口を開く。

「佐藤を誘うなら明日が最後のチャンスだよ」

――訳がわからなかった、一体この女は唐突に何を口走っているのか……?

「蘭も佐藤と一緒にいるの嫌いじゃないでしょ?」

「……まぁ、それは認めるわ。確かに洋と一緒だと落ち着く、でも……」

「この前、佐藤の奴が言ってたと思うけど……アイツは今でも蘭の事が好きなんだよ、昔とかわらずね」
515 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:30:02.94 ID:auwibgZD0

……確かに佐藤はファミレスでそんなことを言っていた。
「僕としては普段の広部さんの方が……その、好――」とかなんとか。昔と同じ事を言っていた。

「言葉だけなら何とでも言えるわよ。洋だって――」

言いかけてしまったと思った。いくらなんでも目の前で従弟の事を悪く言われれば彼女とて怒るはず……。

しかし著莪は怒らなかった。代わりに悲しそうな、表情を浮かべている。
広部にはどことなく哀れんでいるような表情にも見えた。

「な、なによ……人の言うことが信じられないかわいそうな人間だとでも言いたいわけ?」

違うという風に首を横に振った著莪は席を立つとそのまま「来なよ」と言って近くにあった扉を開け、中へと入る。
仕方なく広部も後に続く、どうも佐藤の部屋らしいが妙に小奇麗だった。

著莪は佐藤の机の引き出しを勝手に開け、ガサゴソとやっていたが目的のものを見つけたのか
自分の前にやってきて手にしていたものを差し出す。……1枚の写真だった。

小学生の頃の自分と佐藤のツーショット。しかし何故か自分の顔にマジックで鼻毛が書かれている。
516 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:30:31.28 ID:auwibgZD0

「なによ、これ……」

「この写真、佐藤が大事にしてたんだけどアタシが落書きしちゃったんだ」

雰囲気的にココで話の腰は折れないと、広部は拳を握り締めるに止めた。

「そしたらアイツ、もの凄く怒ってさ。1週間ぐらい口も聞いてくんなくて」

私も今凄く怒ってるわよ! と広部は胸の内で叫んだ。

「でも、こんな写真をアイツ、今でも大事にしてるんだ。
 それと同時にずっと広部蘭のことを思い続けてる……」

「そうね、それはわかったわ。だからアンタは私にどうしてほしいわけ?」

べつに……ただ、と言って著莪は黙り、俯く。それから少し間をおいて顔を上げる。広部は驚いた。

著莪の表情は苦笑いこそ浮かべているものの、どこか悔しそうな、
必死に何かを堪えているような……そんな顔をしていた。

「アタシは蘭が羨ましいだけ」
517 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:31:03.45 ID:auwibgZD0



玄関を出たところでちょうど買い物から帰ってきた佐藤とすれ違ったが「今日はもう帰る」と言うだけで精一杯だった。

驚いた佐藤が困惑しているような表情を浮かべ、どこかパグのように見えたが、そんなことはどうでもよかった。
自分は今、驚きという感情に支配されている、とにかくどこかで心を落ち着けないと……。

自販機でミネラルウォーターを買ってから近くにあった公園に行き、最寄のベンチに座る。

「あやめが私を羨ましがるですって……?」

信じられなかった、自分が昔から密かに憧れを抱き、目標としてきた相手。
その彼女がつい先ほど目の前で言ってのだ……自分が羨ましいと。

「……それだけでもショックだったのに」

自分に告げた後、著莪は、ん〜……、と伸びをして。

「なんか言っちゃったらスッキリしたよ、ごめんね、恨み言なんか聞かせて」

そう言って微笑んだ。眩しいばかりの、見るもの全ての心を捉えて離さないような……そんな笑顔。
518 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:31:40.81 ID:auwibgZD0

特に着飾ることも取り繕うこともしない、
ただ昔と同じようにありのままの自分をさらけ出しているだけ。
それだけなのに彼女の笑顔を見た自分は雷に打たれたような衝撃と共に、
勝てないと心の底から思ってしまった。

何年も必死に耐えて、頑張って積み上げてきた、努力によって裏打ちされた自信。

……それが一瞬で打ち砕かれた。砂で作ったお城のようにいとも簡単に、呆気なく、崩壊した。

今までやってきたことが無駄だったとは思いたくない……けれど一瞬でも心の中で認めてしまったことは事実だ。
こんな惨めな自分に残ったものといえば、嘘で着飾られたアイドルというピエロ役……他には――!

「あった……あるじゃない、あやめに勝ってるものが1つだけ」

広部は鞄から手帳をとりだして開き、ペンを走らせる。

「あやめが私にあんなこと言ったのはつまりそういうことよね。だったらせめてそれだけでも確実に掴まなきゃ」

自分としても佐藤洋が傍にいて悪い気はしない。
思い返せばこっちに帰ってきてから自分が広部蘭だと気付いたのは彼以外にいないのだ。
道端で何人かの同級生とすれ違ったが、誰も自分に気付いてくれない。
そんな中、ちゃんと自分に気付いた洋には少なからず好感が持てる。

「でも洋は恋人って言うよりペットって感じね、困ったときの顔とかパグっぽいし」

まもなくその文面を書き上げた彼女は立ち上がると元来た道を引き返した。
519 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:32:16.02 ID:auwibgZD0

 ○


広部さんが急に帰ってしまったことには驚いた。かといって著莪に何があったと問い詰める事もできない。
もし何か言うべき事があるなら彼女の方から言ってくるからである。

僕が帰宅してから僅かに気まずさはあるものの、著莪は何も言わない。だから僕も聞かない。

その時、リビングのテーブル上に置いてあった著莪の携帯が『セーガー』と鳴る。
同時に玄関の方でパサリという音。

著莪が電話に出たので僕も玄関に行く。手紙、というか手帳の1ページを2つ折にしたような紙切れが落ちていた。
中を検めてみるとそこには久しぶりに見る広部さんの字があった。

『明日は半額弁当とあやめのことを忘れて私に付き合うこと、そうしたらご褒美をあげる。
 放課後、校門の所で待ってるから。  ――洋へ 広部蘭より――』

何度か見直したが間違いなく広部さんから僕へのお誘いの手紙だった。

「いや、待てよ……こんなときの夢オチはよくあることだ。クールだ、クールになれ」

深呼吸してはやる気持ちを抑えながらリビングに戻ると、ちょうど著莪も通話を終えたところだった。

「誰かの電話?」

「仙から、あっちも文化祭の準備が忙しいってさ」

「ふーん、あのさぁ、ちょっと頼みたい事があるんだけど」  

なに? と聞き返してくる著莪に僕は左頬を差し出す。

「1発ズキューンと強烈なのを頼む」

「ん、わかった」

白梅ほどではないが、それでも十分強烈なビンタをもらった僕は床の上を転がった。
520 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:32:50.13 ID:auwibgZD0

 ●



自分のビンタがあまりにもクリーンヒットしたせいで佐藤が壊れた……。
著莪はそう思った。

何せ彼は床に転がった後、「痛い」と一言呟き、突如笑い出したのである。
16年もの間、彼と一緒に育ってきた著莪でさえ、その様には恐怖を覚えた。

コイツとうとう……。そう口にしかけたとき床の上を笑い転げる佐藤が右手に
手紙のようなものを握っているのが目に付いた。

「あぁ、成程ね、それでか」

おそらく蘭からのものだろう。そうでなければこの佐藤の喜び方は説明が付かない。

「まぁ、そうは言っても喜びすぎだけどね。……これは」

いぜん床を転がり続ける佐藤を見やりながら著莪は槍水の話を思い出す。
なんでも今日、猟犬群のボス犬が部室を訪れて宣戦布告してきたらしい。
しかも佐藤をご指名、とのことだ。しかし佐藤は明日、意中の相手に呼ばれている。

従弟の長年の思いが叶うならできるだけサポートしてやろうと著莪は思った。
たとえ自分の気持ちを押し殺してでも彼が幸せならその方がいい……。

「うまくやれよな……」

明日は佐藤に何も言わず、1人で氷結の魔女のところに加勢しに行こう。

湖の麗人は決意を込めた青の瞳で窓の方を見る。いつしか窓の外には夜の帳が下りていた。
521 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:33:21.28 ID:auwibgZD0

 ●


白粉花は女子寮の自室でノートパソコンのモニターと睨めっこをしていた。
テレビの前に置いてある目覚まし時計を見る。現在20時30分。
放課後、HP同好会、ラノ研、そのどちらの部室にも行かず真っ直ぐに帰宅してから
すでに3時間以上が経っている。
その間こうしてずっとワープロソフトを起動させているがまったく書き込むことができずにいた。

どうしよう、と独り言のあと白粉はため息をつく。ネタがないわけではない。
ただある事が気に掛かっているせいで執筆が手に付かないのだ。

昨日の放課後、ラノ研での用事が終わりHP同好会の部室へと向った白粉は扉を開けようとして、
その気配に気付き、身を震わせた。
過去2週間近く、自分を目の敵のように潰しにきた猟犬が……あの男が何故いるのか? と。
522 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:33:50.70 ID:auwibgZD0

そして扉の前で部室に入るのを躊躇していた白粉はその際偶然、
猟犬群の頭目、山原と槍水仙の会話を聞いてしまったのである。
山原の口ぶりからは佐藤に対する並々ならぬ執念が感じられた。

「ダンドーと猟犬群の全力……」

佐藤の代わりに自分が、と槍水が言ったとき彼は勝ちを確信しているかのような口ぶりで
明日の自分達が如何に万全の状態で戦闘に臨むかを語っていた。

槍水先輩1人では……。自分の先輩を信じたいがどうしても後に続くは敗北の2文字。
自分が加勢に行ってもあまり役には立てそうに無い。体がボロボロで走ることすら儘ならないのだ。
……足を引っ張るのは目に見えている。

「……やっぱり電話しよう」

こんな時に他人の力を当てにしようとしている自分が情けなかった。
それにおそらくは先輩自身が彼に連絡を入れていることだろうとは思う。
しかし、それでも自分の口から彼に伝えたかった。
こんな情けないことしかできないけれど……何かはやっておきたかった。
ここで本当に何もしなければ心底自分が嫌いになりそうだったから……。
523 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:34:21.47 ID:auwibgZD0

 ○



「……わかった。教えてくれてありがとう、白粉」

通話を終えた僕は携帯をしまい、再度ファミレスの扉を潜る。
奥の窓際の席。そこには放課後、一緒にペットショップを見たりしながらココに来た――
昨日と違って最初に再開した時の服装、髪型に化粧、喋り方に至るまで見事なまでにアイドル、
鬼灯ランとなった――広部さんが座っている。

「ねぇ、洋。あたし待ってる間にお腹も減っちゃった、何か食べよ♪」

「広部さん……今日はどうしてこんなことを?」

「昨日の手紙に書いてあったでしょ、ご褒美あげるって。
 鬼灯ランとのデートだよ、洋だって嬉しいでしょ? あ、ランランって呼んでほしいな〜」

彼女は甘える猫のような仕草をしつつ僕を見つめる。これも鬼灯ランとしてのものなのだろう。
僕のよく知る広部さんとはまったく別人のようだった。

そして彼女が今日、鬼灯ランとしてデートしてくれたということは、
これまで何度となく告白してきた僕の気持ちが伝わっていないということだ。
……それが何よりも辛い。

「……どうして君は半額弁当と著莪のことを忘れろっていうんだ?」

「え〜、だって……スーパーのお弁当なんて――」
524 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:34:51.86 ID:auwibgZD0

この前聞いたとき以上に今日の彼女の言葉は僕の心を重くした。

「――あやめに関してはヒ☆ミ☆ツ♪ とにかく洋には無様な事とかしてほしくないし〜」

……僕には無理だ。彼女と一緒に半額弁当を求めて戦う事が無様だと、笑うことはできない。
猟犬群と、強敵達と戦い、弁当を欲する気持ちは誤魔化せない。
自分自身に嘘をついたまま彼女の傍にいたら、それは彼女を騙しているのと同じことだ。
だってそれは僕じゃないもの……。

「……それじゃ、どうして、僕なんかを?」

そう言って見つめると広部さんは息を呑んだように言葉を詰まらせた。……そしてゆっくりと語り始める。
最初はそれまで通り、鬼灯ランの口調、それがだんだんと広部さん本来のものへと近くなっていく。
僕が大好きだった広部蘭に戻っているようで嬉しかった。

「ありがとう、凄く嬉しいよ。本当に……」

きっとこれから僕が言う言葉は、そんな彼女の顔を曇らせることだろう。もう一生口を聞いてもらえないかも知れない。
それでも僕は僕であるために、自分らしく生きるために、大好きな人に嘘をつかないために、あえてそれを言うよ。
たとえ嫌われたとしても、それでも――

「……だから、行くよ。スーパーマーケットへ」

――これが、僕なんだ。
525 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:35:21.50 ID:auwibgZD0

 ●



……やはりキツイな。迫り来る4人の猟犬を捌きながら槍水は胸の内で呟いた。
昨日部室に来た山原に自分が相手をすると告げたときからこうなるであろう事は十分に予想できた。
山原の率いる猟犬群ならばどうにかなる。だがダンドーが来るとなると話は違う。自分1人では抑えきれない。
だから文化祭の準備で忙しいだろうと思いながらも著莪に電話をしたのだ。
かつて自分がダンドー率いる猟犬群を退けたときは《魔導士》という強力なパートナーがいた。
あの時は2人、今回も3人いれば何とかなる。……そう考えたが、佐藤は来れないという著莪の言葉で思惑が外れてしまった。
著莪は来てくれたが、それでも万全の状態の猟犬群を倒すにはいささか足りない。
自分達は弁当を前にしながら防戦一方だった。
争奪戦開始直後にはいた顎鬚、坊主を始めとする狼達は皆、ダンドーと猟犬群にハントされ、地に付している。

何よりもダンドーがいつも以上に気迫に溢れているのが厄介だった。さらにその相乗効果か、
主人の気合に後押しされるかのように配下の犬達も動きがよく、そう簡単に倒せない。
特にボス犬の山原は今宵を最後に引退するせいかダンドーをも超えるような気迫を放っている。

「仙、ちょっとキツイね、こりゃ」

背中合わせで自分の後ろにいる著莪がおどけたような声で言う。息が切れ、苦しそうにしながらもどこか楽しそうだ。
彼女のそんな様子に幾らか気持ちが明るくなる気がした。
自分1人では絶体絶命の中、こんな気持ちになることはなかっただろう。

「そうだな、では諦めるか?」

2人はフッと笑うと、互いに弾けるように駆けた。
被弾しているせいか、駆けるとは言えないようなスピード。案の定、犬の群れに袋叩きにされる。
それでも諦めるつもりは無かった。最後まで誇りを持つ狼として戦い抜く。
526 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:35:51.96 ID:auwibgZD0

 ●


完全な勝利が目前に迫っていた。主が率いた猟犬群は完全にこの場を掌握し、
残る敵は《氷結の魔女》と《湖の麗人》の2人だけ。その彼女等もすぐに自分達、猟犬群の餌食となるだろう。
山原は今宵の勝利をほぼ確信していた。

しかも自分の引退戦に2人の2つ名持ちが花を添えてくれるという最高の展開。

……だというのに今1つ物足りないと感じてしまうのは何故なのか? あまりにも簡単で呆気なさ過ぎるからか?
だがそれこそが自分の選んだ道。かつて親友だった彼が選んだものとは真逆の道。確率の高い勝利。
勝つことが全て、結果さえ良ければ過程はどうだっていい。楽に、安定して飯を喰えるならそれに勝るものはないはずだ。

しかし……本当にそれでいいのか? 過去数週間の自分が求めてものは本当にこんなアッサリとした勝利だったのか?
2度に亘る敗北と言いようのない屈辱を自分に与えたアイツとの再戦こそが本当の望みではなかったのか?

「終わりだ! 雌犬共!!」

主ダンドーの拳で自分達が押さえていた2人の2つ名持ちが宙に舞う。

――その瞬間、主の後ろに控えていた猟犬2匹がそれぞれ左右にぶっ飛ぶ。
自分の視界に映る黒い影はそれまで消していた気配と共に自らの姿を完全に晒す。
心臓が高鳴り、精神が一気に高揚する。心待ちにしていた者が遂に――来た!
527 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:36:26.88 ID:auwibgZD0

ダンドーの攻撃で宙に浮いた2人の体が床につくまでにもう2匹が床に沈み。ダンドーが顔を向けた時には
更に1匹が宙を舞う。黒毛の獣は一瞬の内に5匹の猟犬を沈黙させ、間髪いれずに首領ダンドーの元に駆けた。
しかしそうはさせじと主の前に立ちはだかる山原を含めた3匹の猟犬。

ダンドーが敵の相手を犬に任せ、弁当へと駆けた瞬間だった。
獣は自分に最も近い位置にいた犬のみぞおちに掌底を叩き込み、自らの勢いを止め、すぐさまバックステップ。
後方に倒れていた1匹の犬を片手で掴むと思いっきり力任せにブン投げた。

山原ともう1匹の犬は前方で悶絶しながら床に膝を付く仲間がジャマで身動きがとれず、
投げられた犬の体はあろうことか弁当へ駆ける主人の足に背後から巻きつくようにしてぶつかった。
ダンドーは足を取られて大きく転倒、強か顔を床にぶつけて悶絶する。
山原はその光景に意識を奪われていたが、ハッと我に返り敵の方へと視線を戻す。が、そこには既に彼の姿はない。

山原が敵の姿を再び視界に捉えたのは横にいた仲間の犬がドンッという衝撃と同時に後方へ吹き飛んだ時だった。

眼前に迫るかの敵、佐藤。この短時間の間に圧倒的なスピードとパワーを見せ付けられ普通なら怯むところだが、
山原は違った。勝利への欲望が、待ちに待った獲物がようやく現れたということへの喜びが、恐怖の感情を上回り、
彼の体を突き動かす。

拳の押収、鳴り響く炸裂音。もちろん互角とはいかず、山原がじわじわと押され始める。
しかし彼は耐えながら待っていた。ソレが来るのをジッと辛抱強く――そしてソレは来た。
再び立ち上がると雄叫びを上げながら猛然と佐藤の背後に迫る猟犬群の主ダンドー。 
528 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:36:53.91 ID:auwibgZD0

主の拳が横合いから目の前の敵、佐藤に迫る。仮にこの攻撃を避けたとしても、その時は自分が攻撃すればいい。
むしろその方が好都合だ、自らの手でコイツを沈めれば自分は何の憂いも無く戦場を去ることができる。

そう思いながら山原は佐藤を注視する、横か? それとも下か? ――佐藤の体が沈みダンドーの拳が大きく空を切る。
風圧が顔をに当たり山原は瞼を閉じてしまった。すぐさま目を開けて足元に視線をやる……が、佐藤の姿はない。
予め予想した左右の位置も探す……どこにもいない。姿が無い。

奴は一体どこへ――刹那、山原は親友だった彼のことを思い浮かべた。
かつて自分とは別の道を選択しメキメキと腕を上げ、遂に最強の枕詞を手に入れた狼、《魔導士》こと金城優。
彼の得意技は確か……。

その考えに至った時、山原の背に嫌な汗が流れた。そんなことはあるはずが無いと思いながら視線を上へと向ける。

天井にある幾分光量の強い照明……その間に靴底を付け、膝を天井板に着けんばかりにして力を溜め込む1人の男。
山原が気付いた次の瞬間、佐藤は溜め込んだ力を一気に開放し、重力をも身につけて更に加速。
弾丸のごとき勢いでダンドーへ迫る。

ダンドーは回避不能と判断したのか両腕をクロスさせ頭をガードした。
佐藤は臆することなく、その丸太のように太い腕がちょうど重なる位置、ダンドーの脳天に向けて踵落としを放つ。
ズンッという衝撃。バキッゴキッと響く鈍い音。ダンドーが白目をむき、鼻血がタラリと垂れ、赤い滴が床に花を咲かせる。
彼はうつ伏せに倒れ、佐藤がその背中に着地した。
529 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:37:25.78 ID:auwibgZD0

今宵この領域で中心となっていたダンドーが消え、残るは自分と佐藤だけ。
猟犬のメンバー達が起き上がり戦線に復帰するには時間がかかる、援軍は望めない。絶体絶命。

そんな中であるにも拘らず山原はさして焦りを覚えない自分に気が付いた。
それどころかこの状況を楽しんでいる自分がいる。こんな事は初めてだった。

「いや、違うな。以前にも……」

まだ自分が猟犬群に入る前のこと、狼として親友と共に戦場を駆けていた頃。勝つことよりも負けることが多かった日々。
ほぼ毎回苦戦しながらも、やはり今と同じく心のどこかでそれを楽しんでいた自分。
それが分かっていながら猟犬群に入ったのは自分の隣で急成長していく親友に、金城優に負けたくないがため……。
結果としてより安定的に高確率で弁当を取る事はできるようになった。
そしてそれと同時に楽しさを失っていった。戦う事の楽しさを……。

「だけど、最後の最後で思い出せた……」

山原は自らの拳をギュッと握り締める――そして正面を見据えた。

目の前に立ちはだかる敵は魔導士と同じ技を使い、且つ間違いなく魔導士クラスの最強レベル。されど臆する事は無い。
それどころか自分の引退する日にこんな強敵と絶好のシチュエーションで合間見えたことを感謝するべきだろう。
いつの間にか起き上がり弁当に向う槍水達の姿が視界に入ったが今はどうでもいい。

数日前に壇堂が言っていたが、確かに自分は狼には向かないだろうと思う。弁当よりも戦いを優先するからだ。
しかし、それでもかまわない。最後まで自分のやりたいことを貫き通したのだ。
たとえどんな結果で終わろうとも悔いは無い!

山原は雄叫びを上げ、佐藤に向かい突き進んだ。
530 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:37:59.84 ID:auwibgZD0

 ●



広部は菓子コーナーの鳥棚の間から佐藤洋の戦いを見つめていた。

ファミレスで自分の前から去っていく洋を追っていて、気付けば目の前にそびえ立っていたスーパーマーケット。
店内に一歩足を踏み入れた瞬間、まるで自分が握っていた手綱から解き放たれたかのように疾走する洋。
その背を追うように、逃げた犬を追いかけるように、気が付いたら走っていた自分。
瞬く間に眼前で繰り広げられる攻防。前に洋が話してくれた一般人が決して知る事のないであろう戦い。
そこに集う者は皆、互いの年齢も性別も関係なく本能の赴くままに、ただただ半額弁当を獲る為に死力を尽くしていた。
どこまでも純粋で、自分にはあまりにも眩しすぎる世界。……だから自分はこの陳列棚から先へ踏み出す事ができなかった。
この領域に自分のようなうわべだけの人間が足を踏み入れたら、何かが汚れてしまう気がした。
洋も、そして今雄叫びを上げように向かって行く男も、一切邪念の無い良い顔を、精悍な顔をしている。

「蘭も来てたんだ」

いつの間にか広部の横に弁当を手にした著莪が立っていた。傷だらけのボロボロで、それでもなお綺麗だった。

「その格好でデートしたんだ……佐藤のやつ、悲しそうにしてたんじゃない?」

無言で頷くと彼女は悲しそうな顔をした。

「アイツはね、昔っからずっと広部蘭を――」

「わかってるわよ、そんなこと……」

そう、本当は気付いていた。昨日、あやめが写真を自分に見せて「広部蘭のことを」と言ったときに。
洋が好きなのはアイドルとして嘘を着飾っている有名な自分じゃない。
彼は今も昔と同じく、素の自分を、広部蘭を好いてくれていたということに。
531 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:38:53.34 ID:auwibgZD0

わかっていたのだ。……でも自分は最後までそんな彼を信じてやる事ができなかった。
信じるだけの勇気がなかった臆病な自分。だから特別なただ1人の気持ちに背を向けて、
その他大勢から好かれている鬼灯ランとして彼と会ってしまった。

自分がファミレスで「ランランって呼んで」と言ったとき洋はますます悲しそうな顔をした。
きっと自分はあの時の彼の泣きそうな顔を生涯忘れないだろう……。

終わったね、とあやめの言葉。洋の拳が男の顔面を捉えている。男は仰向けに倒れ、動かない。
洋は弁当を掴むと再度男のもとに行き何か話しかけた。男が顔に手を当てて笑う。

「あやめ、私もう行くね。今は洋に合わせる顔が無いから……」

目じりからこぼれた涙を著莪に見られないよう、彼女は踵を返してエントランスへ向おうとした。

「いいのか? 諦めて……」

「お節介ね……」

こぼれる涙を指で拭いながらあやめに返した言葉は少し涙声になってしまった。
ライバルの彼女に泣き顔は見せられないと思い、目元をこする。化粧が崩れるかも知れないが気にしない。

「言っとくけどあくまで今は≠諱Bいつか、素顔のままでいられるようになったら……
 ちゃんと洋と向き合える勇気を持てるようになったら、また来るわ」

振り返った広部の顔を著莪はジッと見つめ、笑顔で言った。

「やっぱり蘭は泣きぼくろがあったほうがいいね、チャームポイントだもん」
532 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:39:21.52 ID:auwibgZD0

 ●


著莪が時計を見ると深夜2時を少し過ぎたところだった。
マンションに帰ってお風呂で汗を流してからセガサターンの『ダイナマイト刑事』をやり始め、
まもなく3時間が過ぎようとしている。著莪としてはある事情≠ゥらまだまだ続けていたいところだが、
これ以上やると明日に支障が出かねない。寝不足のままで文化祭の準備をするのは苦痛だ。

「そろそろ、寝ようか」

「うん……」

著莪は珍しく自分がゲーム機などの片づけをするからと言って佐藤に先にベッドへ行くよう促す。
佐藤は病人のような重い足取りでのろのろと部屋へ入っていった。

「無理もないか……」

昔から佐藤は広部蘭にフラれるとこんな感じだった。この世の終わりみたいな顔をして数日間塞ぎこむ。
その度に著莪が大笑いして気晴らしにゲームを(佐藤の意識がトブまで)するのが恒例だ。
それからいくと今回も当然……といきたいが先の理由からそれも無理だった。

「さて、どうしたもんかな〜」

ジュースの入っていたコップを片し、手を拭きながら著莪はぼやく。
これから佐藤のベッドで彼と一緒に眠るわけだが、如何せん、どんな風に慰めてやればよいのかがわからない。
1番簡単なのは最初から自分のベッドで眠ることだが、彼が落ち込んでいる時は傍にいてやりたいので却下だ。
だとすればドラマや小説等でよくあるように自分が佐藤を優しく抱きとめてやるとか……。
533 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:39:52.78 ID:auwibgZD0

「いや、無いな。ないない」

らしくないのでこれも却下。第一アレだ、恥ずかしい。……そうなるとどうすればよいのか?
いくら考えてもいい案が浮かばないので著莪は考えるのを止めた。

「なるようになるっしょ」

佐藤の部屋に入ると僅かにすすり泣きが聞こえる。やはりか、と著莪は思った。
弁当を食べている時から結構無理をして明るく振舞っているのが感じられたし、
帰ってからは自分が泣くような暇を与えなかった。
我慢していたものが開放されるとしたら今しかなかっただろう。

眼鏡を取って机の上においてから「入るよ」と一言こと断りベッドに横になる。
著莪が来るのを予測していたのか予め1人分のスペースが空けてあった。

佐藤は著莪に背を向け、すすり泣いている。肩を震わせながら……。

著莪はこういう時口にするべき言葉が分からなかった。
泣くな、お疲れ様、色んな言葉が浮かぶが、そのどれもが少し的外れな気がした。
かといってこのままでいるのも気まずい……。
534 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:40:21.79 ID:auwibgZD0

著莪は頭をポリポリと掻いてから覚悟を決めた。

佐藤の肩に手を掛け、グイッと彼の体を自分の方へひっくり返す。特に抵抗無く転がってくれた。
続いて佐藤の首に腕をまわし胸元へと抱き寄せる。

「……なにすんだよ……」

佐藤が涙声でぼそっと呟く。著莪は「黙ってろ……」と言ってから佐藤の髪に顔を埋めた。
こうすれば互いに顔を見ずに済む。
佐藤だって泣き顔を見られたくはないだろうし、著莪自身、今は彼に顔を見られたくなかった。

著莪は自分の体温が上がっていくのを如実に感じた。おまけに顔も熱い……。
心なし心臓の鼓動も早い気がする。

「著莪……」

「ん?」

「……ありがとう」

佐藤の消え入りそうな声はかろうじて著莪の耳に届いた。

いいって、と返す著莪。それがこの晩2人の間で交わされた最後の会話。
その後、佐藤は一晩中、著莪に泣きついていた。
535 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:40:52.79 ID:auwibgZD0

 ○



著莪がバイクを駐輪場から出してくると同時に『セーガー』の音。彼女の携帯電話の着信音だ。

「あーもしもし、蘭? どーしたの?」

あの日(新米と秋鮭を使った弁当を巡り猟犬群と戦った日)から著莪は広部さんと
よく電話やメールをやり取りしているようだった。
結局、アドレス交換ができなかった僕としては羨ましい限りである。
もっとも、交換していたとしても着信拒否リストに登録されていそうだが……。

一応嫌われることを覚悟しての行動ではあったが、あの日はさすがに凹んだ。
一晩中、ベッドで著莪に泣きついていたぐらいだ。高校生にもなってあれだけ泣くとは思わなかった。

ただ、一晩思いっきり泣いたからか、その後は気分もスッキリしている。
著莪がずっと傍にいてくれたからかもしれない。
思えば著莪は昔から僕が広部さんにフラれるたびに大笑いしたあと一緒にいてくれた。
とはいっても大抵意識が保てなくなるまでゲームの相手をさせられただけだけど……。

それからすれば今回はまったく違う。随分しおらしいというか……。
また、そうかと思えば、今日なんか朝起きると突然「羽田にセガの本社ビルを見に行こう!」だもんな。
……何だか気を使わせているような感じがして申し訳ない。

「佐藤、はい、これ。蘭がこれからメールを送ってくるらしいんだけど、佐藤に1番最初に見てほしいんだってさ」

通話が終わったらしい著莪が僕に携帯を差し出す。
なんだろう? 〈2度と顔を見せるなこの変態野朗!!〉とかだったら立ち直れないかも……。
536 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [saga]:2012/05/16(水) 15:41:47.82 ID:auwibgZD0

おっかなびっくりで携帯を受け取ってすぐ、ソレはきた。恐る恐る見てみると文面はなく、画像が1つ。

写っていたのは笑顔でパグを抱く広部さんだった。長い髪をナチュラルに背へと流し、
化粧っ気がなく、左目尻に泣きぼくろが見える……僕がよく知る大好きだった広部蘭。

感動のあまり軽く涙ぐんでいると、もう1通メールが届いた。
見てみると〈あやめ、今はパグで我慢するけど、もたもたしてたら私が先につかまえるからね?〉とあった。
……なんのことだろう? 最初にあやめ≠ニあるから、著莪へのメールなんだろうけど。見ちゃまずかったかな?
――『セーガー』の音。液晶モニターには広部蘭の名が……。さすがに出る勇気はなく、著莪に携帯を返す。
電話に出てしばらくすると著莪は「なっ!?」と驚きの声を上げ、ワナワナと震えながらこちらを見る。
僅かだが顔が赤かった。

「……見たのか?」

携帯をしまい、フルフェイスヘルメットを手に取ると著莪は僕を睨みつつ聞いてくる。
ごめん、と言うと同時に鳴り響くバイクのエンジン音。著莪はさっさとヘルメットを被るとバイクに跨った。
怒っているのかもしれない。

とりあえず僕もヘルメットを装着。著莪の後ろ、バイクに跨り彼女の腰に腕をまわす。
行くよ、と著莪。声の感じからするとそこまでご立腹というわけでもないらしい……。

「なぁ、さっきのメールって――」

「うっせバカ、黙ってろ」

間髪いれずに高鳴るエンジン音、浮き上がる前輪、白煙を上げるタイヤ。悲鳴を上げる僕……。
秋の空が視界に広がり、何故か広部さんの姿が思い出された。

……さようなら、僕の初恋の人。



 <了>

537 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/05/16(水) 15:43:47.68 ID:auwibgZD0
本日は以上です、失礼いたします。
538 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [sage]:2012/05/17(木) 01:48:45.49 ID:cAqxWtbP0
乙!
次回も楽しみにしてます。
539 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/05/17(木) 02:02:14.35 ID:NdqsLxwGo

原作再構成っていいよねー
ダンドー関連がいい感じに……
540 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/05/17(木) 03:00:47.25 ID:SkOIe4aGo

毎度分量多くて嬉しい
541 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/05/17(木) 09:40:11.17 ID:qQuzhtyoo

542 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西・北陸) [sage]:2012/05/18(金) 11:08:23.86 ID:VfrhAQLAO

山原好きなだけにちょっと山原の描写が薄いのが残念
あと最後のバイク二人乗りで前輪浮かしたら転けたりしないの?
543 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/05/18(金) 23:11:43.82 ID:NRdp51cTo
544 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関東・甲信越) [sage]:2012/05/22(火) 19:37:53.78 ID:Ru2V9S0AO
ようやく追いついた。
乙です。
545 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/06/21(木) 08:27:25.04 ID:dneu7Y1U0
そろそろかなー
546 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/06/21(木) 16:08:33.27 ID:uOXG4ocM0
時間が取れないため投下は来月に持越しとなりそうです。
申し訳ありません。

>>542
バイクの前輪浮かしは原作の気に入っていた描写を拝借させていただいたのですが
原作と違って免許取りたての人間がやるのは確かにまずかったかもしれませんね。
山原の描写がご指摘の通り薄い事といい……今後精進いたします。
547 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/06/21(木) 21:19:44.69 ID:tpRAe6jHo
来月か待ってる
548 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/06/21(木) 21:59:17.59 ID:vDtSZ/Vqo
何かいってくれれば安心出来る
549 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/06/21(木) 22:24:50.19 ID:mOBRN2c7o
定期連絡はマジありがたい
ゆっくりでいいから頑張ってくれ
550 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/19(木) 23:55:09.22 ID:URUgcM+B0
そろそろかなー
551 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/07/27(金) 19:39:04.58 ID:v5xybLyjo
7月も終わりだなーまだかなー
552 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [sage]:2012/07/28(土) 04:50:42.22 ID:qcWYixUJo
そろそろくるかなー
553 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/07/31(火) 20:18:52.67 ID:5UV3aKsq0
こんばんわ、お久しぶりです。

>>1で書いたようにまとめて一つを投下できるようにと
これまでタイミングを計っていましたが結局、時間が取れないまま本日に至りました。

今後もチャンスがあるか分からないので、まことに申し訳ありませんが
第6章は3度に分けて投下することにしました。

まずは第1部をこれから投下いたします。
554 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:20:02.76 ID:5UV3aKsq0

 ―00―



調理場の清掃を終え、流しで手を洗い、休憩所にゆく。
現在時刻は21時55分。いつもならとっくに家に帰ってゲームに興じている時間だ。
夕方に主任の『彼』から今日は閉店まで手伝えと命令されたため、約2時間余りパート終了時刻が延長したのである。

今日の業務はこれで終了。そう、業務の方は……。葦原藍はため息を付きつつ休憩所の扉を開けた。

「ようやく終わったのね。まったく、待ちくたびれちゃったじゃないの。このノロマ」

彼女が休憩室に入ると同時に早速、畳の上に100キロオーバーしているのは確実であろう体を大の字に
投げ出していた『彼』から罵声が浴びせられる。葦原はまたもため息をついた。

これから業務以上に大変な作業が始まるのだから気が重い。
ただ、それをしなければ自分の平和な家庭が崩壊するのは目に見えていた。

「だったら主任が手伝ってくれればいいじゃないですかぁ……」

「あぁ? なに寝ぼけたこと言ってんの? なんでアタシがアンタ担当の仕事までやんなきゃいけないのよ。
 冗談も休み休み言え! このE.T.!!」

男であるはずの『彼』は化粧を施した顔を化け物のように歪め、化け物のような声を放つ。

葦原は反論するのを早々に諦めて『彼』の巨体の横を通り過ぎ、自分のロッカーの前に移動。
『葦原』とネームプレートの入ったロッカーの扉を開ける。着ていたエプロンをハンガーに掛け、調理帽を脱ぐと
帽子の中に納まっていたセミロングの黒髪が解放された。
555 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:21:45.03 ID:5UV3aKsq0


「ちゃっちゃとしなさいよ、アタシのお楽しみ時間が減っちゃうじゃない」

やはり……と葦原は思った。3年間『彼』の下で働いているが、ここ1年ほど偶に今日みたくパート時間の延長が
言い渡される事がある。

「あのぅ……言っときますけどウチの旦那は今出張中で家には居ませんからね?」

「な、なんですって!? アンタなんでそれをもっと早く言わないのよ!」

「え、だって言おうとしら主任が――」

『彼』は巨体を起こし傍にある大きなちゃぶ台をバン! と叩き「シャラップ! 言い訳無用!」と声を上げた。

「ほんっとに使えねーな! 給料減らした上で自転車のカゴに括り付けて空に飛ばすぞ! あと旦那襲うぞ!!」

……なんて恐ろしい職場だろう。と葦原は改めて思い身を震わせた。

こき使われるわ、減俸になるわ、あまつさえ夜空を舞ったり旦那を狙われたり……。

「っていうか、いつまで人の旦那を狙ってるんですか!? いい加減諦めてくださいよ」

「仕事上いい男との接点を持つことができないんだから知り合いの男を奪うのが1番手っ取り早いのよ!
 それぐらい常識でしょうが!」

「いや、そんな常識聞いたこと――」

「宇宙人の常識なんてお呼びじゃないのよ! 早く失せろ! 雌豚!!」
556 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:22:20.52 ID:5UV3aKsq0

裏口からトボトボと出てきた葦原だったが、その足取りとは対照的な笑顔を浮かべていた。
全ては作戦通り、これでまたしばらくは安息の日々が続くだろう。

「帰って旦那に褒めてもらおっと」

そう、本当のところ旦那は在宅中なのだ。全ては男好きの『彼』を欺く為の嘘。
こうでもしないと『彼』は必ず自分の家にやってきて旦那を襲うだろう……。

それは葦原にとって最も猶予すべき自体だった。

この店で働き始めてすぐの頃、事あるごとに『彼』が家に押しかけてきて苦労したことを葦原は
まるで昨日のことのようにハッキリと思い出すことができる。
さすがに最近ではそのようなことはなくなったが、今日のように突如襲来する事があるから油断は禁物だ。

「でもこの手はもう使えないな。今度使う言い訳を考えて――」

「やっぱりそういうことだったのね。おかしいと思ったのよ、アタシが行くたびに旦那が出張とか……」

葦原は背後から聞こえた声の主を確認せずダッシュで逃げ出した。
振り返らなくとも自分には分かる。『彼』が憤怒の表情を浮かべて仁王立ちする様がありありと浮かぶ。

「待てやE.T.!! 待たないと旦那寝取った上で夜空に飛ばすぞ!!」

「止まったって主任は同じ事するじゃないですか!」



葦原に主任と呼ばれた『彼』は、とあるスーパーマーケットの半額神を勤める者。
マッチョの男が好みで、過去、スーパーにいた若い男性店員及びバイトの男の子に手を出したことは数知れず。

現在彼氏募集中の『彼』を《狼》達は――《ビッグ・マム》と呼んだ。
557 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:22:55.22 ID:5UV3aKsq0

 ○



夜の公園、レイクパーク。そこに設置されている照明の明かりに照らされたベンチの1つに腰を下ろす。
丸富高校の文化祭が終わり、現在時刻は21時30分を少し過ぎたところ。

僕、佐藤洋は文化祭のあと、後夜祭を抜け出して半額弁当争奪戦に参加。獲物を手中に収めていた。

「あー、腹減った。飯飯!」

隣に座った著莪は嬉々とした様子でレジ袋からスーパーで温めてきた弁当を2つ取り出し、
その内の1つを僕に手渡す。

今夜の獲物は著莪がマル得のり弁、そして僕が月桂冠のザンギ弁当だ。

弁当を受け取り膝の上に置く。著莪も自分の分の弁当を膝の上に置き、今度はレジ袋から割り箸を2膳と
1本だけ買ってきたペットボトルの烏龍茶を取り出す。

僕たちは割り箸を持ち、お互いに弁当の蓋を開けた。
ブワっと揚げ物特有のジューシーな香りが立ち上り口内に唾が沸く。
これ以上のお預けは拷問に等しい。著莪と1度目を合わせ、頷き合う。

いただきます! と静かな公園にやたらと気合の入った僕たちの声が響き、2人だけの晩餐が始まった。
558 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:23:23.78 ID:5UV3aKsq0

僕は膝の上に置かれたザンギ弁当に箸を伸ばしてメインであるザンギに突き刺し、口に運ぶ。
かぶりつく直前、下味に使われたであろう醤油、ニンニク、生姜の香りが渾然一体となり、鼻腔、胃袋を刺激した。
口から垂れそうになる涎を押しとどめるようにザンギにかぶりつく。

まず、しっとりとした衣の歯ざわりと衣自体につけられた味が舌を楽しませてくれる。
そこから更に歯を鶏肉本体に突き立てると心地よい弾力を感じさせながらも易々とかみ切れ、大量の肉汁が溢れ出た。
下味のニンニク、生姜、醤油が肉汁の旨味と合わさり僕の口内を蹂躙してゆく。

その味があるうちに一旦ザンギを置き、ご飯を掻き込む。相変わらずご飯が欲しくなるような味付けだ。
おかず≠ニしてパーフェクトな完成度である。

呑み込んだ後、しばらく口内の余韻を楽しんでいるとトントンと肩をつつかれた。
隣にいる著莪を見る。彼女は悪びれた様子も無く、当然だろう? という顔をしていた。

「別にいいでしょ?」

「う、うん、まぁ……」

著莪はスッと箸を伸ばして残り2つのザンギ、その1つに突き刺して口に運び。
そしてすぐさまのり弁のご飯を搔き込んだ。

著莪ののり弁からコロッケを半分貰い、その後は弁当に没頭した。文化祭の疲れからか、体が栄養を欲していたし、
マっちゃんの店で初めて獲った――これまでは著莪に獲られてばかりだった――月桂冠のザンギ弁当があまりにも
うまく、箸が止まらなかったのだ。
559 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:23:57.72 ID:5UV3aKsq0

先にのり弁を食べ終えた著莪は烏龍茶をゴクゴクと口にする。
彼女がそのペットボトルから口を離す直前、僕も食べ終えた。
著莪に渡された烏龍茶を続けて飲み、口内に残っていた油を全て胃へと流し込む。

「「ごちそうさま!」」

著莪は2つの弁当容器をレジ袋に突っ込み、近くにあったゴミ箱にソレを捨てに行く。

僕は顔を上に向け夜空を眺めた。星はよく見えたが月は見えない。新月だろうか? 

「文化祭も終わったし、これでまたいつもの日常になるね」

ゴミを捨てて戻ってきた著莪はそう言うとベンチに横になり、僕の膝に頭を乗っける。
続いて両手足を投げ出すようにして大きく伸びをした。

「んーっ……っくはぁ! ……あ〜、お腹いっぱい」

「頼むから、このまま眠ったりしないでくれよ」

著莪が瞳を閉じる。暫しの沈黙……。本当に寝る気か? と思った時、彼女の口が動いた。

「それにしても今日の半額弁当はことのほか美味かったよなー、やっぱり久しぶりってのが大きいのかな」

「そうかもな」

文化祭の準備期間に入ってからというもの、なかなかスーパーに行く暇がなかったり、
行ったとしても僕らが普段お世話になっているマっちゃんの店をはじめとした近場のスーパーには
《スルーア》が出没して半値印証時刻に至ることすら困難な状況が続いていたのだ。

1度、著莪のバイクで普段行かない遠方の店へ足を伸ばしたこともあるが結果は芳しくなく、
それ以来遠征もしていない。当然ながらHP同好会の方もご無沙汰である。
560 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:24:25.28 ID:5UV3aKsq0

もしかしたらさっきの夕餉で僕たちが会話もせずに弁当に没頭したのは、そうした困難による半額弁当への飢えを
一刻も早く満たそうという《狼》としての本能が働いた結果なのかもしれない。

「まっ、これからはスルーアに悩まされることもないし、その意味でもいつもの日常に戻るな」

「だねっ、あっ、でも今度は仙の学校の方が文化祭控えてるし、アッチでスルーアが出没するんじゃ……」

……十分に考えられる話だった。僕と著莪は互いに顔を見合わせる。
彼女はゲンナリとした表情を浮かべていた。たぶん僕もだろうけど……。

「えりかと真希乃、無事に家に着いたかな?」

重い雰囲気を変えようとしたのか著莪がいきなり話題を逸らした。

「あー、うん、真希乃だけだったら心配だけど淡雪が一緒だし大丈夫じゃない?」

丸富高校文化祭兼学校見学会のためにやって来ていた禊萩真希乃と淡雪えりかの2人は
今日正午の電車で帰っていった。僕らは駅に見送りにいくことはできなかったけど、
多分、真希乃なんかは着たとき同様、自動ドアにカバンを引っかけて転倒したのではないだろうか。
そんな彼女を淡雪が怒鳴り散らすのが目に浮かぶ。

「なんか真希乃がまたカバンを引っかけて転んでる気がする」

「考えることは同じだな」

僕らはちょっと間を置いてから同時に噴き出した。しばらく笑うと著莪は僕の膝の上から頭を上げ体を起こす。

「さてっと、そろそろ帰りますか」
561 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:24:56.00 ID:5UV3aKsq0

 ―01―



丸富高校の文化祭最終日から数日後、烏田高校を訪れると今度はこちらが文化祭モードになっていた。
校庭には屋台を組み立てる者やダンスの練習をしている者の姿があり、校舎の方からはトントンと金槌で釘を打つ
リズミカルな音が聞こえてくる。
そして何より普段と比べ、放課後になっても学校に残っている生徒の数が多い。

僕らの学校でもそうだったが、ここ、烏田高校も文化祭の準備に追われる慌しさと同時に高翌揚感が感じられた。

「おー、やっぱり活気があるなー」

駐輪場にバイクを停めてヘルメットを脱ぐと著莪は言った。
ヘルメットから解放されたことで、ボリュームのある金髪がいつも以上にボサボサになっている。
彼女は手櫛で髪先をとかしながら言葉を続けた。

「やっぱり学校が違っても、こういう楽しげな雰囲気は基本、変わんないね」

同感だな、と僕は頷く。
学校が違っても基本そこにいる生徒たちが同じ年齢の少年、少女であることには変わりないのだ。
皆がこの文化祭というイベントを心から楽しもうとしている。
それはどこの学校でも変わらないのではないだろうか。そこには純粋かつピュアな――

「いいか! 開会式当日にはこのステージ上で白梅様が文化祭の開催宣言をなさる!
 我ら全員で場を盛り上げるのだ! 『Mの兄弟』ここにありということを世に知らしめよ!
 『鼓吹団』などという一般ピーポーなんぞに負けるな!!」

僕らから数十メートル離れた場所で建設中の屋外ステージ。その前で隊列を組、オォーと雄叫びを上げる集団が……。
562 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:25:28.18 ID:5UV3aKsq0

「ねぇ、佐藤……さっきの声って」

「あぁ、たぶん……」

集団をジッと見つめ、その中から奴≠フ姿を探す。

「居た……」

集団の最前線でリーダーと思しき人物を捕捉。間違いない、眼鏡をかけた小太りの男……内本宏明がそこに居た。
前々回に送られてきた『Mの兄弟』の会報で、人類の最先端技術の結晶を取り付けられていた彼だったが、
今見る限りは、それらの装備を外した、ただの変態野朗に戻っているようだ。彼は更に演説(?)を続ける。

「されど、一般人に迷惑をかけるなかれ! これはMとして最低限のマナーだ!
 この禁を犯した者には執行部による容赦のない制――ん? おぉ! 誰かと思えば、
 そこに居るのは同志佐藤じゃないか! おーい! そんな所に突っ立っていないで君も参加しないか?」

彼は演説の最中、こちらに気付き、笑顔で手を振ってきた。
それに合わせて彼の前にいた変態集団+校庭のいたる所にいた一般生徒たちの視線が僕に突き刺さる。
また、僕は他校の制服姿なので目立つこと目立つこと……。

僕はそ知らぬ顔で彼の呼びかけを無視し、部室の方へ歩を進めた。
……あんな変態の一味だと思われるのは死んでもイヤだ。
 
「おい、いいのか佐藤? アイツ、明らかにお前を指名してるぞ」

文章にしたら必ず語尾に(笑)がつくような口調で著莪は言いながら、
僕の隣を歩き、ニヤついた顔をこちらに向けてくる。
よくみると彼女の両肩が僅かに震えていた。どうやら笑いを必死で堪えているらしい。

「黙ってろ……」

僕はそれだけ言うと、さらに歩速を上げた。
563 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:25:58.59 ID:5UV3aKsq0



部室棟の502号室。HP同好会部室で散々著莪に笑われた僕は『怒り』を表現するため、
彼女とは反対の方向へ椅子ごと体を向けた。するとちょうど壁に貼り付けられていた地図が目に留まる。

その地図は近隣のスーパーの位置、大凡の半値印証時刻、更にはそれらの店舗を効率よく回るための
ルートまで記されている優れものである。僕はそれを見ていてその店の存在に気付いた。

「あれ? こんなとこにも店がある……」

思わず口から漏れた僕の言葉に、それまで円卓に突っ伏して笑っていた著莪が、ん? と反応した。
彼女は椅子から立ち上がり僕の背後に来ると、僕の右肩に細い顎先を載せ、両手を回して後ろから抱きついてくる。

「どこにあんの? その店」

ほらそこ、と僕が指差すと「ん〜?」と著莪。その際、彼女の顔が動き、互いの頬がすれる。

「あぁ、あれか。ホント、全然気付かなかったなぁ。 仙が来たら聞いて――」

ガチャリと扉を開けて槍水さん登場。グッドタイミングである。

「久しぶりだな、この間は世話になった。おかげで楽しかったぞ」

肩口までの髪を尖らせワイルドに、しかし実はそう見えるよう丁寧にセットしている彼女はそう言うと鞄を棚の上に置き、
いつもの定位置である窓際の席に移動。ゴツイブーツから伸びる黒ストッキングに包まれたしなやかな足が目を引く。

「どういたしまして。それよりさぁ、仙に聞きたいことがあるんだけど」

「ん? なんだ、言ってみろ」
564 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:26:31.51 ID:5UV3aKsq0

著莪の質問を聞いた槍水さんは少し間を空けて、あの店か、とぼやくように言った。

「ビッグ・マムという半額神が治めている店舗だ。以前はあまり評判の良くない店だったらしいが、
 今の半額神が来て、徹底的に店の改革を行い、この西区の主婦たちから信頼と人気を勝ち取ったスーパーだ」

「凄腕の半額神が治めているスーパーですか。だったら当然弁当にも期待が持てる、と」

槍水さんは腕組みを解いて円卓に頬杖をつく。

「確かに弁当の味はいいらしいんだが総じて元値が高いんだ。半額神の方針で高級志向路線の店でな。
 だからというわけじゃないが、あまりオススメはしないぞ」

「あれ? 今の話しようからすると、仙ってひょっとしてそこの弁当をまだ……」

「……食べたことはない」

へぇー、と今だ僕の肩に顎を載せっぱなしの著莪が驚いたような声を上げた。
確かに僕も驚きだ。てっきり槍水さんは近隣のスーパーの弁当を食べた事があると思っていたのだが……。

「ちょうど1年前、今ぐらいの時期だったな。あの店に挑戦したのは。ただ……ダメだった」

「仙が諦めた店かぁ、俄然興味が出てきた」

「やめておけ、著莪。ただでさえ普段から弁当の残りにくい店なんだ、加えて今は時期が悪すぎる」

「スルーア……ですか?」

「そうだ。佐藤たちの地域でもそうだっただろうが、文化祭前のこの時期、
 奴らは近隣のスーパーで猛威を振るう。ビッグ・マムの店とて例外じゃない」
565 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:26:59.12 ID:5UV3aKsq0

僕の肩に顎を置いていた著莪が両腕を僕から離すと隣にあった椅子に腰掛けて、
やれやれ、というように首を振る。

「だからってアタシらがその店に行かないと思う?」

槍水さんはため息をつくと。閉じていた瞼を開けて僕たちを見つめ「……だろうな」と言った。

ところで何故、さも僕も一緒にそのビッグ・マムの店に行くかのような流れが構築されているのだろうか?


 
バイクのキーをポケットにしまった著莪は代わりに携帯を取り出す。

「7時55分だね。地図にあった半値印証時刻は8時半前後だから30分以上の時間がある」

初めての店は早めに来て、予め下見をしたほうがいい。
そうすれば気持ちに余裕が生まれ、自分のペースで戦いやすいのだ。

「ここが槍水さんですら弁当を獲ることが叶わなかったスーパーか……」

僕たちは改めて、そのスーパーの看板を見上げた。
住宅街の中にあって煌々とライトアップされた店舗は圧倒的な存在感を放っている。

「じゃ……行こうか」

著莪が一足先に、僕も続いて入店。自動ドアを潜り、幾分冷たい空気の中に身を投じた。
566 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:27:26.89 ID:5UV3aKsq0

マっちゃんの店ほどではないものの、入り口の左右には雑貨店、クリーニング店。
その少し奥には小さなベーカリーまであり(さすがにこの時間では閉店しているが)、なかなか店内は広い。
高めの天井には可動式の監視カメラが設置されており、エントランスを出入りする人の姿を捉えているようだ。

それにしても……。

「半値印証時刻には間があるってのに早くもこの緊張感かぁ……」

著莪は青果コーナーを横切りながら「やっぱりスルーアのせいなんだろうね」と続ける。

そうなのだ。僕らが入店した瞬間、半値印証時刻直前のように殺気立った複数の視線が飛んできたのである。
数は5。

著莪の容姿は目立つからどこに行ってもすぐに《湖の麗人》と知れるので警戒されることが多いのだが、
今回のそれは違う。
僕らの通う丸富高校が文化祭準備期間だった時も、こんな風に近隣のスーパーに集った狼達は殺気立っていた。
いちいち入店してくる者に過敏に神経を尖らせ、いざ争奪戦開始となった時には精神疲労からまともに戦えない。
そんな者たちを短期間で数多く見たが、ここもそうなのだろう。スルーアの、亡者の群れのせいで……。

僕たちは店内の様子を観察しながら1歩、また1歩と弁当コーナーに近づいてゆく。

「仙の言ってた通り、高級志向って感じだね。果物や野菜の陳列からして綺麗で上品だし」

「精肉コーナーに並んでるのはみんな国産品だしな」

おまけに値段もやや高め。これが高級志向……か。
567 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:28:08.76 ID:5UV3aKsq0

 ●



半額神ビッグ・マムは調理場の鏡の前でため息をついた。

最近、日々の生活に張りがない。かといって仕事はやりがいがあり、それなりに充実している。
問題は私生活、公私の私の部分だろうと彼は思った。

「ここしばらく恋≠してないわねぇ……」

彼には出会いの場が少なかった。チャンスがあるとすれば、それは新しくバイトで入ってくる男だが、
過去1年あまり、男はおろか新しいバイト希望者すら現れない。
そうなると今自分の右腕として働いているパートの葦原藍。彼女の旦那を奪うのが残された唯一の方法と言って
いいだろう。しかし、葦原が最近特にガードを固めているため彼女の旦那に近づくのは容易ではない。

「やっぱり去年、あの子を逃がしたのが痛かったわね」

ビッグ・マムは唇を噛み締め、およそ1年前に突然バイトとして自分を使って欲しいと
頼み込んできた少年のことを思い出す。

中学3年生の少年をバイトで使うというのはいろいろとややこしいのだが、
彼には十分なやる気があり、さらには――これが1番大きいのだが――少年が自分の好みのタイプだったため
ビッグ・マムは独断で即、採用を決定。

基本的に店内の清掃が少年の主な仕事だったが彼は頑張って働いていた。比較的仕事を覚えるのも早く、
何よりも愛嬌があった。某猫型ロボットを彷彿とさせるような寸胴体型のビッグ・マムを恐れるどころか、
逆によく懐き、ビッグ・マムは、ますます少年に入れ込んでいった。

けれど、そんな日常は1月後、呆気なく崩壊した。
568 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:28:40.35 ID:5UV3aKsq0

その日、ビッグ・マムがトイレに用を足しにいった際、少年は一生懸命、個室の便器を磨いていた。

少年はビッグ・マムに気付くと、振り返り、ペコリと頭を下げて微笑んだ。
額から玉のような汗を流しながら純朴な笑顔を向ける少年を見た時――ビッグ・マムの中で何かが切れ、
彼が我に返った時、トイレの個室に少年の姿は無く……その後も少年が店に現れることは無かった。

「あの時はアタシも若かったのね……もう少し、じっくりと落とすべきだったわ」

ビッグ・マムが壁にかかった時計を見ると、あと1分ほどで20時になるところだった。
30%OFFのシールを貼る時間が迫っている。

彼は厨房の出入り口前の棚からバーコードリーダーとシールプリンターが一体になっている
ハンディターミナルを取り出し肩に掛けた。

厨房を出て薄暗い通路を歩き、店内に通ずる両開きの扉の前まで来たところで立ち止まる。
ビッグ・マムは頭に浮かぶ少年の顔を首を振って打ち消した。

自分はこれからお客様の前に、神聖な店内に赴くのだ。
いつまでも昔の想い人のことを考えているわけにはいかない。そう思った。

「この扉を潜ったら、あたしはあなたのことを忘れるわ。
 ……さようなら、石岡勇気。さようなら、あたしの愛した男……」

扉を押し開けて店内へ、ビッグ・マムの体がひんやりとした空気に包まれる。
暗い通路から明るい店内に出たため、目がくらみ視界が真っ白になるがそれはいつものこと。
すぐ明るさに目が慣れ、白い世界の中に店内の風景が映し出される。

――はずだった。しかしビッグ・マムの視界には、その日、
いつもの見慣れて店内ではなくある者≠ェ真っ先に映りこんだのである。
569 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:29:10.58 ID:5UV3aKsq0

少年だった。少し離れた所にある大学付属高校の制服を着た少年は自分とぶつかりそうになったようで、
ピタリと足を止め、自分を見つめている。

「……あら、いいじゃない……」

ビッグ・マムは口内でかき消えてしまいそうなほど小さな声で呟いた。
到底他人には聞き取れないであろう小声だったが、少年はビクッと体を震わせ、
足早に鮮魚コーナーの方へと去っていく。

ビッグ・マムは売れ残った惣菜のパックのバーコードにバーコードリーダーをあてながら、
少年の後姿にねっちこい視線を這わせ、彼に裸体を想像した。

マッチョ好きで『The novel of Four o'clock』の熱狂的ファンの自分には分かる。
さっき体を緊張させた瞬間のボディ具合からして、あの子は細マッチョ、間違いない。

「……あぁ、青い果実はどうして……こう素敵なのかしら。子供の未成熟ながら鍛えられたボディに
 そこはかとなく宿る大人としての魅力、アンバランスさの中に潜むエロス……。
 特にあの上腕三頭筋の潜在的な美しさ……いい、たまらないわ」

ピッという電子音が鳴り、シールプリンターがカタカタと音を立て細長いシール台紙を吐き出す。
ビッグ・マムのゴツイ指先はプリントアウトされた30%OFFのシールを素早く摘み、
つぎつぎと惣菜のパックに貼り付けてゆく。

作業を終えたビッグ・マムは隣の弁当コーナーに移動し、同じような作業を繰り返す。
この時点で彼の視界に少年の姿は見えなくなっていた。

3個の弁当にシールを貼り終えたビッグ・マムはスタッフルームの扉の前まで戻ると、
巨体を回転させ店内に向き直り……1礼。扉の奥へとその身を隠す。

「……こうしちゃいられないわ」

彼は扉が閉まるなり呟くと、その巨体に似合わぬ俊敏な動きでスタッフルーに戻り、
ちゃぶ台の上に置かれたノートPCを開いた。

起動するまでにお茶を要れ、自分のロッカーから『徳用』の文字がデカデカと鎮座した煎餅の袋を取り出す。
570 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:29:38.95 ID:5UV3aKsq0

PCを操作しながらバリバリと煎餅をかじる。醤油味。

「見つけた……」

煎餅をかじるのを止め、彼は画面を凝視した。
映っているのは店内にいくつか設置されている防犯カメラの映像。もちろんリアルタイムのものである。

画面に映っている先ほどの少年の両隣にはそれぞれ女が1人ずつ立っていた。
1人はデザインからしておそらくは少年と同じ学校のものであろう制服を着た女。
そういえば、さっき店内で少年と一緒にいたような気がしないでもない。

もう1人の方は見覚えがある。およそ2年位前からだったろうか……このスーパーを縄張りとし始めた狼だ。
確か2つ名は《ガリー・トロット》。

左手に力が入り、手にしていた食べかけの煎餅が木っ端微塵に砕け散った。

「あんのぉ雌豚共がぁぁぁ……。人が目をつけた男に色目使うなんて、いい度胸してんじゃない。
 こちとら、男日照りの末にようやく見つけたんだ。そう簡単には逃がさないわよ……」

楽しそうに会話を交わす3人の映像を、ビッグ・マムは歯軋りしながら見つめる。
今なら眼力だけで人が殺れるかも知れないと、彼は思った。

「おっと、いけないいけない! また焦って石岡勇気の時みたく失敗するのは御免だわ。
 今度はじっくりと絡め獲らないと……。まずは彼の名前から知らなくちゃ。幸い狼のようだし話は早いわ」

ビッグ・マムはノートPCのメールソフトを起動させ、早速ある文章を製作し、一斉送信した。

「ふふっ、半額神同士の独自ネットワークはこういう時に便利よね」
571 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:30:08.75 ID:5UV3aKsq0

 ○



山木柚子はこのスーパー縄張りとしている狼らしい。2つ名は《ガリー・トロット》。
丸富大学の4年と言っていたから、一応僕と著莪の先輩になる。

「え〜と、山木さんは――」

僕の言葉を手で制し、彼女は「ボクのことは柚子って呼んでくれればいいよ」と笑顔で言う。
……ボクッ娘というやつか。初めて見た。

「んじゃ、柚子に聞きたいことがあるんだけど。二階堂蓮って人、知ってる?」

著莪は早くもフレンドリーに、山……柚子に質問する。
狼で、しかも丸富大学の学生となれば先輩を知っていても不思議ではないが。

「うん、知ってるよ。というかボクは……あっ、これ言っちゃって良いのかな?」

「いいんじゃない?」

著莪の軽いノリに柚子はクスリと笑い、そうだね、と返す。

「ボクは前に《ガブリエル・ラチェット》の秘密諜報員をやっていたんだよ。組織が解散するまでね」

ちょっと予想外の答えが返ってきたことに僕は驚いた。
先輩が所属していたガブリエル・ラチェットといえば構成メンバーにどんな人がいたのかさえ謎の多い組織で、
僕と著莪は殆ど何も知らない。先輩もあまり語ろうとしないので、こちらから聞くことも無いだろうと思って
いたのだが……まさか元メンバーにこんなところで会うことになろうとは。
ひょっとしたら、僕らの周りには柚子と同じように元メンバーの人たちがいるのかもしれない。
572 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:30:39.19 ID:5UV3aKsq0

僕を間に挟む形で著莪と柚子の2人はお喋りに花を咲かせている。

ところで……さっきから何か、怖気立つような視線を感じるのだが……。

僕は辺りをキョロキョロと見渡す。が、近くに人の気配は無い。
だというのにこの不快感を伴った感じは一体……まるで眼鏡を装着した白粉に見られているような……
まさか白粉のやつがスタンド能力に目覚めた!? ハハッ、まさか……。

他に考えられる線としては、弁当確認の折に遭遇した半額神ビッグ・マムが僕のことを見ているとか……
いや、それこそ無いな。あの時の寒気とねちっこい視線は僕の自意識過剰と結論が出ているじゃないか。
全ては僕の勘違いなんだ。何を根拠に彼が僕の逞しいボディを見て「……いい、たまらないわ」とか変態じみた
ことを思っていると言い切れる? とにかく落ち着け、落ち着くんだ。
集中しろヨーサトウ。まずはこの視線がどこから来ているのか探るんだ。
その先にはきっと答えがあるはずなのだから。……ふむ、視線は右、エントランス方向からか。
だが人の気配は無いぞ? この視線の主は《ギリー・ドゥー》のように気配を完璧に消しているとでもいうのか?
……いや、待て。視線は天井の辺りから注がれている。
しかし、天井に張り付くことができる人間などこの世に存在するのか? 考えられるのは《天井の蜘蛛》だが
彼が変態だという話は聞いたことがないし、こっちに来ているなんて話も聞いていない。
百歩譲って他にそんな芸当ができる人間がいたとしても、あそこはエントランスだ。
そんな人目につくところに陣取るなんて普通はありえない。
第一あの辺りには監視カメラが設置されて…………監視カメラ、だと……? 

僕は額に浮いた汗を拭いつつ、顔を横に向け、著莪の横顔……じゃなかった、その向こう
エントランス付近の天井を見やる。
入店した時には自動ドアの方を向いていたはずの監視カメラが――こちらを向いていた。

落ち着け! 落ち着くんだ! 確かにカメラはこちらを向いている、だからなんだというんだ!
あのカメラ越しにビッグ・マムが僕を見ているとでもいうのか! 
そ、そんなことあるはずが……とにかく落ち着くんだ、『素数』を数えて落ち着くんだ……。
573 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:31:08.31 ID:5UV3aKsq0



月明かりの差し込むHP同好会部室に「いただきます!」の声が響く。
僕はどん兵衛きつねうどんの蓋を取り、音を立てて麺を啜った。

「やはりスルーアが出たか、残念だったな」

槍水さんはそう言いながら高菜、錦糸卵、鳥そぼろの三色弁当を豪快に頬張る。

「仙の言う通り、弁当自体あんま残んないしありゃ難しいわ」

著莪はビッグ・マムの店の後に向ったジジ様の店で奪取した大盛りのチーズカツカレー弁当の蓋を開けながら言う。
湯気と共にカレーの匂いが部室内に広がり、僕の鼻腔を刺激した。
彼女は付属のプラスチック製先割れスプーンで1口サイズにカツを切り分けると、カレーをかけてから口へと運ぶ。

「ん〜、肉が柔らかくて濃厚なチーズの味がカレーの風味と合わさって。もう最っ高!」

「ジジ様の店のチーズカツカレーは昔から人気のある1品だからな。著莪、1口ずつ交換しないか?」

「おっ、いいね。それじゃ、はい」

著莪と槍水さんは互いの弁当を取換え、1口ずつ頬張る。
見ていた僕も負けじと、肉厚のお揚げに喰らいつく。
前歯で唇が火傷しそうなぐらい熱々なお揚げを噛み切り、咀嚼。
心地よい噛み心地のそれからは出汁が迸り、食べる者に対して惜しみの無い幸せな一時を与えてくれる。

別れを名残惜しむ気持ちはあるがお揚げを飲み込み、余韻のあるうちに麺を頬張った。
リニューアルされた麺は太く、増量されてボリュームも、さらにうまさも増している。
おいしくないわけがない……のだが……。

「うん、こっちもうまい、ん? あーはいはい、わかってるよ。
 佐藤にもちゃんとやるからさぁ、そんな恨めしそうな顔すんなって」

「そうだぞ、お前だけのけ者にはしないさ。ほら1口」

「あー、もしもし仙? それアタシのカレー弁当だから」
574 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:31:38.75 ID:5UV3aKsq0



「お前たちが会った半額神ビッグ・マムは料理の腕はもとより、もう1つ凄い特技を持っている」

夕餉を終え、3人でババ抜きをしている最中、槍水さんは語りだした。

男色家ですか? と聞きかけたがセクハラまがいの発言で嫌われるのが目に見えていたので
喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。

「彼は弁当と惣菜の需要、供給バランスを読むのが抜群にうまいんだ。我々狼にとってはあまり
 ありがたくないことだがな。おかげであのスーパーは普段から弁当が半額に至ることがほとんど無い」

極狭の戦場だな。と言いながら槍水さんは僕の手持ちカードから1枚引き、自分の手持ちの1枚と合わせて
円卓上に置いた。彼女の取ったカードの隣が実はジョーカーだったのだが、相変わらずの強運である。

「ビッグ・マムの作る料理の数々は素晴らしいと聞く。高級志向の店だからこそ値段も高めに設定しているが、
 そのぶん使用する食材の幅も広く設定できるため、他の店ではお目にかかれないような高級食材使用の弁当
 が並ぶ。確かにそれは魅力的だ。……が、先に言った通り――」

「需要と供給の狭間はまさに極狭。しかも今の時期はスルーアも出没するため奪取は非常に困難である……と」

著莪は槍水さんのカードを引きながら言う。表情が渋いのは手持ちのカードが1枚増えてしまったからだろう。

「そうだ、とにかく今は条件が悪すぎる。せめてスルーアがいなくなるまで待つのが懸命だな」

「槍水さんはもう挑戦しないんですか?」

「そうだな……もう、あの店にはいかないかもしれない。正直、結構懲りているんだ。
 何日も通いつめた挙句、半値印証時刻に至ったのは1度のみ。しかもその1度のチャンスすら他の狼に、
 ガリー・トロットに潰された。当時のHP部のメンバーが、ほとんどそうだったように私も心を折られたよ」
575 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:35:21.70 ID:5UV3aKsq0

そう言って槍水さんは自嘲気味に笑うと僕のカードに手を伸ばす。彼女の手持ちはあと1枚。
そして今度もまたジョーカーではないカードに彼女の指が触れた。
これまでの経験から言って槍水さんはこの後、かなりの確率で上がると思われる。
 
「あのさぁ、仙……ほとんどってことは、誰かは獲ったってことだよね?」

著莪の言葉に槍水さんの動作が一瞬ピタリと止まり、引こうとしていたカードから手が離れた。

「……あぁ、確かに1人いる、しかもこの時期にな。だが、それは本当に偶然のようなものだったと
 彼≠ヘ言っていた。真似できるようなことじゃない」

槍水さんの指が動き最初に取ろうとしていたカードとは別のカードを摘む。
彼女は引いたカードを見て顔をしかめた。
ジョーカーを引いたのだから当然といえば当然だが、らしくないと僕は思う。

いつもの彼女なら例えジョーカー引こうとも、ポーカーフェイスでやり過ごすはずだ。
仕切り直しでわざわざ別のカードを選び、ジョーカーを引いたことといい、何か≠ェ彼女の中でずれている。

多分、槍水さんは著莪の言葉で動揺しているのだろう……こんな彼女を見たのは初めてだ。

「佐藤、何ぼさっとしてんのさ。早く取りなって」

著莪の声で我に返った僕は「あ、あぁ」と曖昧な返事をして差し出されたカードの1枚に手をやる。
5枚の内、真ん中のカードに指をやり引こうとするが――動かない。

著莪が手に力を入れてカードを取れなくしているのだ。
576 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:36:24.02 ID:5UV3aKsq0

昔、家で親父とババ抜きをやっていた時に、勝負の決まるラスト2枚になった段階の引きで、
親父が負けたくないがためにジョーカー以外のカードを引かれそうになったら、額に血管を浮き上がらせ、
手に死ぬほど力を込め、カードを引くことができない状況を作り上げたことがあったが……
あれが30半ばを過ぎたいい大人のやることかと子供心に思ったものだ。
結局、諦めた僕がしかたなくジョーカーを引いてゲームは終わったが、
その際に勝ち誇った顔をしていた親父は、間違いなく人間として色々な面で終わっていた。

著莪がそれと同じことを、このタイミングでやる理由はおそらく……。

僕が目線を少し上げると2つの透き通った碧眼と視線が重なる。
著莪は一瞬、視線を槍水さんに向けたあとにウインクを1回。
僕もわかったと頷く代わりにウインクをしてみせる。と、摘んでいたカードがスッと引けた。
手持ち分の1枚とペアになったので、それらを円卓上に。これで僕の手持ちは残り1枚、上がりが確定した。

「あちゃ〜、佐藤、上がりかよ。お前にだけは勝てると思ってたのに〜」

著莪のおどけた口調の挑発に僕もあえてのり、「ふん、10年早いわ」と返す。
彼女は意外と雰囲気の変化に敏感なところがある。
さっき僕にウインクしてきたのは槍水仙にこれ以上この話題は禁止。重い雰囲気を変えるから援護せよ≠ニいう
アイコンタクトだったのだ。

僕らが2人でギャーギャーと言い合っていると槍水さんがクスクスと笑い出す。
よし、作戦成功! と僕は胸の内でガッツポーズを決めた。おそらくは著莪も。

「まったく、お前たちはいつも私をのけ者にする」

わざとらしく頬を膨らませながら言う槍水さん。
数秒の沈黙のあと部室に僕たちの笑い声が響き渡った。
577 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:36:54.37 ID:5UV3aKsq0



「それじゃまたな、気をつけて帰れよ2人とも」

「サンキュー仙、おやすみ」

「槍水さんこそ気をつけて帰ってくださいね」

部室棟前で僕らは槍水さんと別れ、バイクを停めている駐輪場へと向う。
少し歩いたところで著莪が口を開いた。

「仙のやつ、すぐに調子が戻ったな。あのまましばらく動揺させときゃよかった」

「結局、お前だけだもんな、今日勝ち星が無――」

僕が言い終わらぬうちにローキックが飛んでくる。
ちなみに本日の戦績は、槍水さんが20戦中14勝、僕が6勝、著莪が――

「うっさい!」

再び著莪からローキック。っつぅか、口に出してないのに何故蹴られねばならないのか……。

「そういやぁ、花のやつ、結局来なかったな」

「あぁ、そういえば……」
578 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:37:23.55 ID:5UV3aKsq0

白粉がいないというのは僕にとって心休まる時なのだけれど、
何故か今日は彼女が傍にいたかのような疲労感があったため、ナチュラルにそのことをスルーしてしまっていた。

「おおかたクラスの出し物関連で忙しいんじゃねーの?」

「う〜ん、でもさぁ、あの内気な花がそんなに積極的に関わるとは思えないんだけど」

……言われてみれば確かにそうだ。
大変失礼な話だが白粉がクラスメイトたちと一緒にワイワイとやってる姿が想像できない。

「あいつ≠ノ聞いてみるか、こんな時間だけどいるかな?」

携帯で時刻を確認すると22時になろうかというところ。

「なぁ、佐藤、あいつ≠チてまさか……」

「決まってんじゃん、白梅だよ」

「わたしがどうかしましたか?」

突然の声に著莪と僕は驚いた。声のした方を見れば明かりの消えた校舎のエントランスから出てくる人影が。
暗闇から月明かりの中に出てきたのは、長い艶やかな黒髪を腰のところで白いリボンでまとめた、烏田高校の女帝、
白梅梅、その人であった。……まぁ、声を聞いた時点でわかっていたけどさ。

「こんばんわ、佐藤君、著莪さん」

「よ、よう、白梅」

「お、お久しぶりです、白梅様……」
579 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:37:53.74 ID:5UV3aKsq0

著莪はおっかなびっくりといった感じでペコリと頭を下げ、
僕の後ろに隠れるようにして回り込むとシャツを掴んできた。相変わらず白梅が苦手なようだ。

「こんなに遅くまで学校にいたってことは生徒会の仕事が?」

「はい、文化祭までに色々とやることが山積みでして」

大変なんです、と白梅は言うが、見たところ表情から疲れているような印象は受けない。
何一つ普段と変わらない様子で飄々としている。

「大変なんだな、生徒会長ってのも」

「まぁ、そうですね。でも中途半端な人にやらせるぐらいなら自分でやったほうがマシですよ。
 イライラさせれることも無いですし、権限を得ておけばいざという時に役立ちますから」

彼女が『権限』とか『権力』なんて単語を口にすると何だか生々しい……。
僕がこうしてここにいること事態、白梅の権限のなせる業だもんなぁ。

「ところでさっき佐藤君たちの会話の中にわたしの名前が出てきていましたが?」

「あぁ、そうそう、白梅に聞きたいことがあったんだ。白粉のことなんだけど」

「白粉さんがなにか?」

白粉の名前が挙がった瞬間、白梅の表情が一瞬揺れたのを僕は見逃さなかった。
何事にも動じないこの女帝様が、こと親友の白粉関連については目の色を変える。
氷の仮面を外し、年相応の女の子に戻るのだ。
普段の凛とした白梅は確かに魅力的だが、僕としては多彩に表情、
感情を変化させるそんな彼女の方がグッとくるものがある。
580 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:38:25.23 ID:5UV3aKsq0

「そのことについて話す前に、まずはこれを……」

話を聞いた白梅は、なるほど、と呟き、手にしていた鞄を開け、1冊のノートを取り出した。

「見てもいいのか?」

「構いませんよ、見ていただかないと話が進みませんし。ただし見た内容は他言無用でお願いします。
 もしそれを守らなければ…………どうなるかわかりますよね?」

彼女は僕の肩に手を置き、顔を寄せる。
アンチマテリアルライフルの銃口のように大きく見開かれた目がこちらを見つめていた。
背後にいた著莪が、ヒィッ! と言ってますます怯えるのも頷ける。

「わかった約束するよ、絶対に他言しない」

白梅は僕の肩から手を離し、ニッコリと微笑む。女帝に相応しい見る者に恐怖を植えつけるような冷やかな笑みだ。
若干の寒気を覚えつつ彼女からノートを受け取り、開く。

ノートには所狭しと走り書きが記されており、いろんな言葉が踊っていた。
中には横線で黒く塗りつぶされていたり、何重にもマルで囲まれたりしている箇所もある。
一見科学者の計算用紙のようだ……が。

『弓と矢(=危険なので肉の棒 ※フランクフルト に代替)+的の男は四つんばいでギュッとお尻に
 力をいれて締めている=(ダイレクトかつアグレッシブに)ストライクならアッー! と声が上がる
 素敵なオートマチック判定システム』

……こんな狂気の沙汰としか思えないような方程式を生み出せる人物を僕は1人だけ知っている。
581 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:38:54.30 ID:5UV3aKsq0

「あの〜、白梅様、これってひょっとして花のノート?」

僕の肩に顎を置いてノートを見ていた著莪がオズオズと質問する。
白梅の、そうです、という答え。……やはりか……しかしどうして彼女のネタ帳と思しき代物がここに?

「然る有志の方々を使って、ほぼ完璧にコピーさせた白粉さんのノートです。2週間ほど前からこのノート、
 まぁ、オリジナルの方ですが。これを前にして休み時間中ため息ばかりついているんですよ。
 かといってわたしには何も相談してくれないし見せてもくれないので、これは余程のことだと思い、
 少々強引な手段を使わせていただきました。悩み事の原因を知らないことには手の打ちようがありませんからね。
 もっともコレだけでは正直何に悩んでいるのか皆目見当がつかなかったので、追加で彼女の身の回りを
 調査した結果、どうやらクラスメイトから文化祭でやる劇の脚本を書いてほしいと頼まれたようです。
 白粉さんが普段からよく本を読んでいるという理由で」

「つまり白粉はそのことで頭を悩ませていると?」

「はい。ですがこの件に関しては既に手を打ってあります。むろん白粉さんには言っていませんが」
 
まぁ、白粉に気付かれないよう裏から手を回してこの事実を掴んでいるわけだからそれはわかる。
しかし、白梅はどんな手を打ったというんだ?

「方法はいたって簡単なものです。劇をやろうと言い出したクラスの中心人物が消えてしまえば自ずと消滅に……」

「……気のせいかな? 今、闇討ちを計画していると暗に仄めかされたような……」

「まさか。ただ、ちょっとだけ不幸な事故に特定の生徒が巻きこまれるかもしれないという予感があるだけです」

コイツ、この学校からサラッと2、3人消すつもりかっ!?
そして何冷やかな笑みを浮かべてんですか白梅様!!
582 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:39:23.64 ID:5UV3aKsq0

「な、なぁ、白梅? さすがにそれはやりすぎなんじゃない? 
 例えば生徒会長の権限で劇の許可を与えないとかさぁ……そんな程度の処置で十分なんじゃ……」

「わたしも最初はそうしようと思っていました……」

白梅はそこで一旦言葉を切り、目を細める。
妖艶さを漂わせたその瞳の奥に、青白い炎が点ったように見えた。

「ですが調べていくうちにわかったんです。白粉さんが困っているのはどうもコバヤシという女が再三に亘り、
 要望と託けて無理難題を押し付けているからだと……」

拳を握り締め、ワナワナと肩を震わせる白梅。
彼女の全身からはそのコバヤシなる人物への憤怒のオーラが迸っていた。

「白粉さんはコバヤシのせいで思い悩まされているんですよ、許せませんよね?
 たった一人のわがままのせいで白粉さんがストレスで体を壊すかもしれないんですよ?
 わたし、怒ってもいいですよね? これはもう抹殺してしまっても仕方の無いことですよね?」

コイツ、抹殺≠チてアッサリと口にしちゃったよ!? 殺人を仄めかしちゃったよ!?
口調が普段と変わらず穏やかなだけに余計怖いわっ!!  

「そんな経緯からわたしは元凶を消毒するのがいいと考えているのですが、佐藤君はどう思いますか?」

コバヤシさんはもはや白梅の中で汚物と同等の位置づけなのだろう。

……あと、このタイミングで僕に話を振らないでほしい。
583 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:39:53.58 ID:5UV3aKsq0

だが振られた以上は答えないと、さもなくば白梅の静かな怒りの炎が僕にまで飛び火しかねない……。
どうする、どうしたらいいんだ!? 今更遅いけど僕はなんて余計なことに首を突っ込んでしまったんだ!
くそぉう! 正義の味方である僕はこのまま白梅が裏で糸を引く不幸な事故を見てみぬふりは出来ない。
……でも、事故に遭うのがわがままなコバヤシさんだけならべつにいいような気も――いやいや、待て!
結論を出すのは早計だヨー・サトウ! 僕の一言でコバヤシさんの運命が決まるかもしれないんだぞ。
クッ! なんという重圧なんだ……これ以上何も言わなければ、それこそ白梅様の怒りの鉄拳が……。

「白梅、僕に1日くれないか? とにかく僕が明日、白粉に会ってそれとなく聞いてみるからさ」

僕は考えに考えた末、問題を先送りにした。
この国の政に携わる人たちが目の前の難題に頭を悩ませた末にやるのと同じ方法だ。
ただ、結局先送りした分、何かとハードルは上がってしまうのだが……。

「わかりました、いいでしょう。他ならぬ佐藤君がそう言うのでしたら尊重します」

そうは言うものの白梅にとってこの件はもはや解決済みなのか、その目は冷やかだった。
僕の背後にある校舎の陰から「ウッヒョー!」と歓声が上がる。ドM野郎が隠れていたらしい……。

「それではわたしはこれで、おやすみなさい、佐藤君、著莪さん」

軽く会釈して白梅は僕らの前から去っていった。背後でおとなしくしていた著莪が、はぁ……、と、ため息をつき
僕の背にもたれ掛かってくる。

「なんか一気に疲れたよ……」

彼女の言葉に同意してねぎらいの言葉をかけると著莪は僕から離れ、苦笑いを浮かべた。

「でも佐藤もあんな約束しちゃって良かったのか? 花に白梅様がやってることを悟られちゃったら……」

……忘れてた。ヤバイ! ヤバイぞ、白粉に話を聞くには流れ的に白梅から聞いたことを喋らざるおえないんじゃ……。

「えっ、ひょっとしてお前何の考えも無しに? ……あ〜あ、終わったな。残念だけどさぁ……」

僕の肩に手を置き、しみじみと著莪は言う「今まで楽しかったよ佐藤……」と。

普段なら、バカな、と笑い飛ばすところだが、白梅が絡んでいるだけに笑えなかった……。
それでも無理に笑顔だけは作ったが、きっと引きつっていたことだろう。
584 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:40:23.18 ID:5UV3aKsq0


翌日の早朝。僕は以前、著莪と半額弁当を食べた西区のとある公園に来ていた。白粉と会うためだ。
昨夜、彼女に直接会って話したいことがあるという内容のメールを送り、その待ち合わせ場所がここなのである。

一方的な連絡だったし気は引けたが、時刻は早朝と書き添えておいた。
今の僕は放課後まで待っていると、あまりの不安とストレスから胃に穴が開きかねない状態なので
なりふり構っていられなかった。

噴水の水音を聞きながら近くにあったベンチに腰を下ろす。
ココには走ってやって来たのでシャツが汗で体にまとわりついていた。
……僕が意図したとおりに。

ここにはランニングがてら立ち寄るから、と白粉へのメールには書いている。
そう、なりふり構っていられないのだ。僕としては是が非でも白粉に来てもらう必要があるため、
それ相応の手土産を持参していることをちらつかせておく必要があったのだ。
僕が知る限り白粉の嗜好はこの手のものに抗えないはず……。

とか思っていると、ふと、僕の背後、公園の西口の方からトトトトトと小動物の走るような音が聞こえてくる。
振り向けば、眼鏡をかけ、烏田高校の制服を着た変なのが某黒い虫のごとき不気味さと俊敏さでもって
こちらに急速接近してくるのが目に留まった。

そいつはいきなり僕の着ていたTシャツに顔を近づけフンフンと鼻を鳴らし……恍惚の表情を浮かべ、
どこか遠い世界へトリップしてしまう。

「……おはよう、白粉」

彼女に反応が無い。いつもならリボンで束ねられた尻尾のような後ろ髪を引っ張って正気に戻すところだが、
さすがにこちらが呼び出したのだからと思い止まる。
585 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:40:53.67 ID:5UV3aKsq0

「あ、あの、おはようございます佐藤さん! 本日は朝1から結構な体験を――」

クッ、我慢我慢……。

「いや、こっちこそこんな朝早くに呼び出すようなことしちゃってゴメンな?」

「いえ! 本当に大丈夫です。っていうかあたしの方がむしろお礼を言わないといけないっていうか!
 佐藤さんの新鮮な汗の臭いを嗅ぐためならこのくらい何でもないことですよ!」

我慢我慢我慢我慢……。

「ところであたしに用事というのは何でしょうか?」

「あぁ……それなんだけど――」

僕は昨日、槍水さんが言っていたという触れ込みで近頃白粉に悩み事があるのでは、と聞いた。
結果、彼女はポツリポツリと語りだす。内容は昨夜、白梅から聞いていたものと同じ。
それを語る最中の白粉の顔は目の下に出来たくまも手伝ってか、疲れきったもののように映る。
さきほどまでの元気(+変なテンション)な様子から一変していた。
もともと元気1杯という子ではないが、それにしたって暗い。
とてもこんな娘が『弓と肉棒のオートマッチック判定システム』を考えだしたとは思えなかった。

それにつけても酷い話である。いくら白粉が普段から本を読んでいるからといって、
物語を書けるかどうかは別――いや、確かにこいつなら書けるかも知れないが、
書きあがったものはジャンルのまったく異なるものになることだろう……。
他にはメディアの違いという問題もある。小説と劇の脚本はやはり異なるもの、ということだ。

わかりやすく言うならアーケードの――以下略。
586 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:41:23.42 ID:5UV3aKsq0

「でも……劇は、脚本はやってみたいって思ってるんです」

白粉はモジモジしつつ恥ずかしそうに言葉を洩らす。
……ギラギラとした目で僕の着ているTシャツを見やりながら……。

今すぐにでも彼女の後ろ髪を引っ張りたいところだが、それはこの際おくとして……
以前の彼女では何気に考えられない発言だな、と僕は思った。
どちらかというと白粉はこういう厄介ごとから逃げるような印象があったのだが、
……なんだかんだで白粉も成長しているのかもしれない。

「そうはいっても、このままじゃヤバいだろう?」

「はぁ……そうなんですよねぇ……」

あまり認めたくは無いが、白梅の案が1番現実に即しているような気がしてきた。
人1人が消えるぐらいどうということは無いような……。

「もういっそのこと要求全部無視して何かコントみたいなもんでもやるってのはどうだ?」

全身タイツで――そう言ったとき、眼鏡の奥にある白粉の瞳が一際怪しい輝きを放つ。

「……ほぅ。全身タイツ、とな。……つまり、常時モッ――」

もう限界だった。白粉が全て言い切る前に彼女の後ろ髪に素早く手を伸ばし、引っ張る。

「お前なぁ……ちょっとは真面目に考えろよ」

「えぁっと、ちゃんと考えてますよ? 全身タイツですよね?」

「おい、いつから全身タイツの話にな……白粉?」

彼女は顎に手を当て、ブツブツと呟き始めた。

「全身タイツ……これにラブストーリーを組み合わせて……ラブ――あ、イけるかも」

え? と、僕は目を丸くした。
587 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:41:54.17 ID:5UV3aKsq0



烏度高校生徒会室には重苦しい雰囲気が漂っていた。
僕と隣にいる白粉はもちろんのこと、目の前にいる白梅も口を閉ざしたままだ。

10分ぐらい前から白梅が手にしたノートのページをめくり、
そこに記された文字に目を走らせるといった作業を行っている。

「お待たせしました」

白梅はノートを閉じて僕らに、というか白粉に優しげな笑みを向けながら続ける。

「今確認させていただいた限り、問題ありませんのでこの脚本内容での演劇を許可します。
 あとのことは生徒会とクラス代表のコバヤシさんでつめていきますね。お疲れ様でした、白粉さん」

白粉がホッと息をつく。僕も安堵した。

今朝、公園でなにやらアイデアを思いついてからの白粉は疾風迅雷といった勢いで脚本を書き上げ、
放課後の午後7時を回る頃には作業を完遂させていた。
一応、事の成り行きを白梅に説明すべく、こちらに来ていた僕も白粉が書き上げるソレを横から拝見したところ
なかなか斬新な内容の面白そうな話だった。
ラブストーリーで幅広い人たちが楽しめ、暗い話ではないが陰のあるキャラがいて、メルヘンチック。
しかもハッピーエンドなお話だ。よくこんな話を考えついたものだと思う。

そして今、白梅の許可が下りたことにより、この脚本は強力な『対コバヤシシステム』となるに違いない。
『弓と肉棒のオートマチック判定システム』や白梅の『コバヤシ抹殺計画』よりはるかに健全かつ
平和的なシステムといえよう。

「お疲れ、白粉。よく頑張ったな」

そう言って、白粉の肩をポンポンと叩く。彼女はエヘヘと照れ笑いを浮かべた。
588 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:42:23.43 ID:5UV3aKsq0



「なるほど、だから最近白粉はここに来なかったのか……」

HP同好会部室で著莪と将棋を指していた槍水さんは、
僕の話を聞き終わると腕を組み、少々憮然とした表情を作る。

「まったく、白粉のやつ……悩み事があるのなら私に相談してくれても良いだろうに……」

「まっ、花らしく仙に気を使ったんだって、わかってあげなよ」

パチッと音を立てて駒を指しながら著莪は言う。彼女の表情からして結構自信のある手のようだった。

「わかっているさ。だが……同じ同好会の仲間なのに水臭いじゃないか。
 それに私は先輩だぞ、後輩は先輩を頼るもの……まさか、私は頼りがいの無い先輩だと思われて……」

「ハハッ、それは考えすぎですって」

「いや〜、わかんないよ。今回、自分が蚊帳の外だったからって、
 こうしていじけちゃうようなカワイイ先輩だもんね」

お〜、よちよち、と著莪は席を立ち槍水さんの頭を撫でる。
たぶんバカにされたように感じたのだろう。槍水さんはその手を乱暴に払いのけた。

「も〜、冗談なのにさぁ、ムキになっちゃって」

「うるさい……」

「そういえばHP同好会は文化祭で何かやるんですか?」

著莪の槍水さん弄りが本格化しそうなので、僕はかねてから聞こうと思っていたことを口にした。

「ん? いや、特に何もしないぞ?」
589 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:43:27.79 ID:5UV3aKsq0

「え〜、何にも無いのかよぉ〜? つまんなーい」

「そうは言っても仕方ないだろう、何かやるにしても今からじゃ良い場所は望めないし、
 それに人手も無い。白粉は劇の方が忙しいだろうし、佐藤や著莪だって他校の生徒だ。
 私は友人の手伝いがあるし……それに……」

「「それに?」」

「実は、文化祭に合わせて実家から妹が来るんだ。1人で。その面倒も見ないと……」

だから難しい、と語った槍水さんだったが……妹とは初耳である。

「へー、仙の妹が来るんだ。だったら尚更なんかやった方がいいんじゃない?
 そうすれば仙の妹にとって良い思い出になるかも。人手については心配ないって、
 アタシも頑張るし、佐藤が馬車馬の如く働くだろうから」

そうか、と槍水さんは眉を八の字にして考え込む。
妹にとって良い思い出というフレーズに心動かされたようだった。
……っつぅか、著莪のやつ僕を馬車馬呼ばわりするとは……
まぁ、体力には自信があるからいざとなったら何とかするつもりではあるが。

「ふむ、だがやはり――」

「僕らも妹さんの面倒見たりしますよ」

「うちの妹は人見知りも激しいし……」

「アタシって昔から人見知りっていわれた子と仲良くなるの得意だから大丈夫」
590 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:43:55.52 ID:5UV3aKsq0

僕と著莪が間髪いれずに言うのでムムッと、困惑していた槍水さんもさすがに折れたらしい。

「ハァー……わかった、2人がそんなに言うなら何かやってみるか」

やった! とばかりに僕と著莪はハイタッチを交わす。その様子を見て槍水さんはクスリと笑った。



それから30分後、僕と著莪の2人は前回同様ビッグ・マムの店で陳列されたパンを眺めていた。

「お茶の移動販売かぁ、なんか地味だよね」

著莪が気の抜けたような声で槍水さんが提案したHP同好会の出し物のことを言い出した。

「でもまぁ、よく考えてみれば盲点を突いた企画かもね。移動販売だから場所を選ばないし
 丸富の文化祭でもそうだったけど、料理関係は油ものや甘いものが多い。
 そんな中で1律100円のペットボトルのお茶は結構需要有りそうだし」

「おまけにもしも余ったらHP同好会の活動で使えるしね。
 実は仙としてはそっちを期待してたりなんかして」

「そんなわけ……ない、とは言い切れないなぁ、あの様子だと」

「あやつも悪よのぉ……」

僕たちは互いに顔を見合わせてクスクスと笑う。
591 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:44:24.53 ID:5UV3aKsq0

「ホント、よくこんな案を思いついたよなぁ、槍水さんも」

実際、まさかあの後すぐに槍水さんが、こんな手堅い2段構えの策を思いついたのは予想外と言ってよく、
ひょっとしたら彼女はこうなることを予め予測していたのではなかろうかと疑ったほどだった。

「仙の妹ってのもどんな娘か楽しみだな」

著莪の言葉に頷き、僕は再び正面の食パン(6枚切り)に視線を戻す。
しばらくすると柚子が「やぁ」と声をかけてきた。

彼女は著莪の横に並ぶと昨日の話の続き、この店での思い出話などを語ってくれる。熱心に。
その語りようから柚子が如何にこの店の弁当に、ビッグ・マムの作りし弁当に魅了されているかが伝わってくる。

「――だからビッグ・マムの弁当は特別なんだ。洋や著莪だって食べたらわかるよ。
 ……フフッ、でも、絶対渡さないけどね」

恋する少女といった感じで柚子は言った。少年のような彼女のそんな様子は見るものを魅了してやまない。

「また来た……」

エントランスから若者たちの声が聞こえた瞬間だった。柚子は表情を一変させ、爪を嚙む。

「あのクソ虫ども……ボクの邪魔ばかりしやがって……ぶっ殺してやりたい」

僕と著莪は互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
592 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:44:53.44 ID:5UV3aKsq0



あれから幾度となくビッグ・マムの店に通い詰めた僕たちだったが今日(文化祭前日)まで、
戦うこともなく獲物を得られぬ日々が続いていた。
幸いジジ様の店があるおかげで僕か著莪のどちらかが弁当を奪取できているぶん
最悪の状況には至っていないものの、欲求不満が解消されないのは確かだった。

「あー、もう! 腹立つなー。こんなに通いつめてまだ1度も半値印証時刻に至らないなんて!」

「んなこと言ってもしかたないだろう。僕らの地元でもスルーアが出てた時はこんなだったし、
 予め槍水さんも無理って言ってたじゃねーか」

「そんなことわかってるよ……」

著莪はブツブツ言いながら部室棟前に山と積まれた段ボール箱の1つを持ち上げる。
僕は2つ持った。500ミリリットルペットボトルのお茶が24本入っているためかなりの重さがある。
HP同好会が移動販売するソレを5階にある部室まで持っていくのだが、これがまたなかなかにハードなものなのだ。

小3の夏休みに親父の職場である陸自の駐屯地で10キロの土嚢を担いで数十キロ走らされた事がある僕でさえ、
マジにキツイ。ましてそんな波乱万丈な人生経験を積んでいない著莪にはかなり過酷なものだろう。

「著莪、キツかったら置いといていいよ。僕がやるから」

「いや、大丈夫だよ、この位はさ。文化祭の準備はみんなでやるから楽しいわけだし。
 それにこうやって体を動かしとけばいつもより空腹感もまして腹の虫の加護も倍増するしだろうからね」

「無理はすんなよ?」

「おっ……へー、心配してくれてるんだ。……お礼にキスしてあげよっか?」

「アホか」

両手が塞がっていなければ額にデコピンでもお見舞いするところだ。
著莪は少し笑うと「お先っ」と言って階段を上るペースを早める。
593 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:45:23.50 ID:5UV3aKsq0

各階の部室からは扉の開閉に関係なく、生徒達の笑い声と明日出すであろう料理のチェックでもやっているのか
お好み焼きやタコ焼きに使っていると思しきソースの匂いが流れてきていた。
最初は無視を決め込んでいた僕らも荷を運び、階段の上り下りを繰り返すうちにだんだんと……。

「佐藤……」

荷運びもようやく最後という時、著莪が階段の中ほどで立ち止まる。
僕は階段を踊り場のところまで上りきってから振り返り「なんだよ……?」と聞いた。

「この匂い……地味にくるね」

「言うなって……」

階段の踊り場に取り付けられた窓から見える景色は、いつしか夕暮れのそれに変わっていた。
腹の虫が騒ぎ出すのも当然といえる……。

言うだけ無駄だと再確認したのか著莪は「うっし!」と気合を入れて階段上りを再開した。

「こんなに腹が減ってるんだ、絶対にビッグ・マムの店で弁当を獲ってやる!」

「そんなこと言ったって半値印証時刻に至るかどうか――」

「至る! 絶対に!」

彼女はそう言って僕をあっという間に追い越していった。
何を根拠に? と聞くと著莪は答える、「女の勘」と。
594 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:45:54.15 ID:5UV3aKsq0

19時45分、いつもより若干早めにスーパーを訪れた僕たちは自動ドアを抜け、
冷えた空気、そしていつもの狼達の視線に出迎えられる。
ただし視線の方は来店したのが僕らとわかるとすぐに消えた。

著莪も僕もすでに空腹の度合いが通常のそれを超えており、腹の虫が絶えず鳴き続けるといった有様だった。
柚子ではないがこの状態で仮にスルーアが弁当を持っていこうものならば、彼らを闇討ちしかねないほどに
一杯一杯で気の立った状態だ。

無言のまま青果コーナーを回り、鮮魚、精肉コーナーへと歩き、惣菜、弁当コーナーに至る。……そして見た。
そこには4つの弁当が鎮座しているのだが……その内の1つにとんでもない弁当あるのだ。

「「『特製和牛ステーキ弁当(山葵ソース)』」」

2人の声がハモる。和牛ステーキといかにも高級志向らしいその弁当は中身が素晴らしいボリューム感に溢れ、
なおかつ、プライスもそれに相応しいものとなっていた。

――1280円(10%OFF 1152円)

初めて見る未知の価格だった。もちろんこれが駅弁や寿司の類であれば驚くに値しない価格だが。
しかしこれが、まぎれもなくスーパーマーケットの弁当の価格というのだから驚くばかりである。
驚愕と言ってもいいだろう。それを証拠に普段、弁当の下見で歩みを止めない僕たちが、
こうして今、足を止め未知の価格が記された弁当を凝視しているのだ。

「……佐藤」

著莪に促され、ようやく歩みを再開し、調味料コーナーに2人して並び、同時に唾液を飲み込む。
双方、言葉を発することなく、黙ってその時がくるのを待ち続けた。
あのぶっ飛びそうな値段の弁当を見た瞬間、僕たちは直感していのだ。

――これは残るかもしれない、と。
595 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:46:23.48 ID:5UV3aKsq0

 ●



ビッグ・マムが30%OFFのシールを貼り終え厨房に戻ってみると、
いつもなら20時のパート終了タイムで家に帰っているはずの葦原の姿があった。

「……何よ、E.T.。あんたの仕事はもう終わったでしょ。
 さっさと星に帰って旦那とよろしくやってなさいよ」

「いぇ、何だか今日はあの弁当がどうなるか見届けたくて……」

あの弁当とはビッグ・マムが腕によりをかけた『特製和牛ステーキ弁当(山葵ソース)』のことであり。
また、価格が1280円と半額になることを想定して作られた普通ではありえない弁当でもあった。

「あぁ、あれね……」

好きにしなさい、と、告げたビッグ・マムは肩に掛けていたハンディターミナルを棚に戻し、
それ以上、葦原に構わず休憩室の扉の向こうへと巨体を滑り込ませた。
ちゃぶ台の上に置かれたノートPCを開く。

「主任、それじゃ失礼します」

休憩室の扉からひょっこり顔だけ覗かせた葦原が告げる。
ビッグ・マムは無言でPCの画面を見つめながら左手を上げヒラヒラと振ってそれに答えた。

扉が閉まり静寂の休憩室には壁掛け時計の秒針がカチカチと時を刻む音が響く。

それまで微動だにしなかったビッグ・マムの体が揺れるように動いたのは、
時計の針が8時3分を指し示したときだった。
596 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:47:01.68 ID:5UV3aKsq0

「来たわね……」

エントランス付近に設置された監視カメラの映像に映りこむ烏田高校の制服を着た男女、その数10。
狼から《スルーア》と呼ばれる少年少女たち。そんな彼らとてお客であることには違いないのだが、
今宵のビッグ・マムはそうは思っていない。

「あの卑しいクソ虫ども……あたしの特製弁当を取ったらただじゃおかないわよ……」

ビッグ・マムは憎悪に顔を歪め、爪を嚙む。
仮にその様子を他の従業員が目撃したら、恐怖のあまり逃げ出すのは確実であろう。
そんなオーラを放つ彼だった。

スルーアは2手に別れ、片方は青果コーナー、そして生麺のコーナーへ向う。
キャベツ、もやし、そばを購入しているところを見ると、これから焼きそばでも作るのかもしれない。

ホッと一息ついたビッグ・マムだったが、それもつかの間、すぐにまた爪を嚙む。
もう一方の4人組が菓子コーナーを経由して弁当、惣菜コーナーへと向ったのだ。

弁当コーナーの前で4人がはしゃぎながら品定めするのを、ビッグ・マムは両の拳を握り締めながら見つめる。
普通に考えればあの『特製和牛ステーキ弁当(山葵ソース)』を手にすることは無いはずだった。
30%OFFの現時点でさえ、なお900円オーバーのスペシャルプライスである。
それだけあればファミレスで食事ができるような金額だ。少なくとも自分なら手は出さない。
……しかし、油断は出来ない。なにせあの亡霊の群れは恐れを知らぬ高校生の集団なのである。
単体ならばさほど脅威にならないが群れたとなると話が違う。
時として彼らはその場のノリで思いもつかぬ行動をすることがあるのだ。

特に今のような文化祭の準備期間で気分が高翌揚している時は要注意だ。
後先考えずに弁当を取る可能性が多分にある。

「そうなったら何もかもが終わりだわ……アンタたちはカップ麺でも啜ってりゃいいのよ……」
597 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:47:31.36 ID:5UV3aKsq0

ギリギリと歯軋りしながら見守るビッグ・マム。……数分後、彼はニンマリと笑みを浮かべた。
スルーアは4つの内3つの弁当を持ち去ったものの、残る1つ『特製和牛ステーキ弁当(山葵ソース)』
には手をつけなかったのだ。

「あと少し、あと少しよ……お願いだから」

半値印証時刻まで残れ、と、およそ従業員らしからぬことをビッグ・マムは願った。
それほどの思いを彼はこの弁当に込めていた。最愛の人物に食べてもらうため、
喜んでもらうために作った弁当。それはラブレターといっても差し支えないものだ。

ビッグ・マムの経営理念の中に人間は鋭い≠ニいうものがある。
こちらが黙っていても、相手は何となく察しているというやつだが、
あれと同じことが自分の作る弁当にもいえるのではないかと彼は考えていた。
だからこそ今日の本命であるあの弁当には普段の時以上に力をいれて作り上げた。
出来うる限りの思いを込めた。彼、佐藤洋に自分の気持ちを伝えるために。

もちろん9割9部うまくいくはずが無いとわかってはいる。
こんな自分が誰かに愛されることは無いとわかってはいる。
けれど、もしかしたら……もしかしたら伝わるかもしれない。
自分気持ちが、想いが、相手に伝わるかもしれない。

そんな期待を胸の内に秘め、ビッグ・マムはその時が来るのを待ち続けた。

カチカチと規則正しいリズムで時を刻む時計の針……
その針が20時29分を指した瞬間、ビッグ・マムは立ち上がった。

調理場へ行き、出入り口前にある棚から先程しまったハンディターミナルを再度取り出して肩に掛ける。
厨房を出て薄暗い十字路を左手に進む。やがて現れる両開きの扉。

「さぁ、いくわよ……」

扉を押し開けてビッグ・マムは光り輝く店内へと踏み出した。
598 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:48:00.08 ID:5UV3aKsq0

 ○



ビッグ・マムがシールを弁当に貼った、それも月桂冠のシールをだ。
だが、それはどこか当然のように思え、さして驚きとはならない。
僕や著莪、途中で合流した柚子、店内に散らばっている他4名の狼たちも、
きっとあの弁当を見た時に思ったはずだ。これが残れば月桂冠にならないはずがない、と。

「なっ、言った通りだろ?」

著莪がこちらを見てウインクしてくる。恐れ入りました、と言って頭を軽く下げると彼女は胸を張った。
実際こうして見事著莪の予言(?)どおり半値印証時刻に至ったのだから脱帽である。

「テストの問題なんかもこうして予想出来ればいうことないのにね」

「確かに」

戦闘前に僕らが笑いながら話しているのを訝しく思ったのか柚子が、何の話? と聞いてくる。
ここに来る前のことを話すと彼女も笑った。

「それなら、著莪の勘だとこの後あのお弁当は誰が取るのかな?」

「そりゃもちろんアタシっしょ」

途端にそれまでニコニコとしていた柚子の表情が暗いものに変わる。
明確に敵意を込めた目で彼女は著莪と僕を睨みつけた。

「マムの弁当は誰にも渡さない……」

「「それでも獲るよ」」

僕らと柚子の間に火花が散った。
互いに1歩も譲る気はない、この雰囲気では他の狼を蹴散らすまで共闘するのも難しいだろう。
絶対にボクが獲るから、と言い残して柚子は僕たちから距離をとった。
599 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:48:27.49 ID:5UV3aKsq0

半額神が扉の向こうに消え、直後に聞こえる両開きの扉が閉じるバフンという音。
発砲音に似た7つの踏切音、弾丸の如く駆ける7匹の獣たち。

いち早く弁当コーナーに走りこんだ二人の内1人を僕たちの前を先行して駆けていた柚子が蹴り飛ばす。
揺れるサマードレス、響く炸裂音。
もう1人の狼の足が一瞬止まったことで追いついた著莪が彼の脇腹に掌底を放つ。
虚を疲れながらも彼はとっさに肘でガードした。――が、それでもなお勢いを殺しきれず吹っ飛ぶ。

待ちに待った半値印証時刻、目の前の獲物は月桂冠。
さらには階段を往復しての荷運びで痛いほどに感じる空腹感――暴れる腹の虫。
それ等全ての要素が普段とは比べ物にならないパワーを僕ら2人に与えてくれている。
例えこちらの攻撃が防御されたところで数メートル吹っ飛ばせるぐらいに……。

背後から飛び掛ってきた狼に振り向きざま蹴りを放つ。
僕の靴底がそいつの腹、胃袋の辺りに深々と突き刺さり、彼は苦悶の表情を浮かべ吹っ飛んでゆく。
続いて鮮魚コーナー側から駆けてきた男を相手取る。彼の放ってきた拳を首を捻ってかわし、
そのまま相手の懐へ入り無防備な腹に向けて全力の掌底、彼が吹き飛ぶ。

辺りを窺うと著莪と柚子がそれぞれ他の相手と応戦中、
そして驚いたことに僕が最初に吹っ飛ばした奴が立ち上がろうとしていた。
普通の狼なら確実にリタイアするであろうダメージを負わせたにも拘らず、
彼の目からはいまだに闘志が感じれる。

考えてみれば彼や他の狼たちだってこれまで幾度となくスルーアによって獲物が蹂躙される日々に耐えてきたのだ。
だからこそ今日のように戦う時には文字通り必死になるのは当然といえる。
結果、普段では考えられないような力を発揮してくる。自身の限界を超えて。
生きるために、喰らうために、死力を尽くす。
600 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:49:23.14 ID:5UV3aKsq0

その時、視界の端に揺らめくサマードレス、柚子だ。
体をそちらに向けたとき眼前に彼女の左足が迫っている。
腕をクロスしてガード、驚くほど重い1撃で腕の骨がきしむが耐え切った。

「凄いね、洋。ボクは君を戦闘不能にするつもりで蹴ったんだよ」

目を細め、左足を下ろしながら冷やかな口調で柚子は言う。ドMの内本なら歓喜していたことだろう。

「じゃ、コレならどう!」

柚子の足技は裾の長いサマードレスが揺れるせいで予測がつかなかった。脇腹に彼女のサンダルの踵が食い込む。
衝撃で息が詰まり僕はぶっ飛び、精肉コーナーの床に体を打ちつけた。
肺から空気が吐き出され、声1つ発することができないまま数度転がる。
普通ならリタイアしている程の攻撃だが、腹の虫の加護がいつも以上に与えられているおかげで続行可能だ。

大きく息を吸い込み顔を上げると弁当コーナー前から吹き飛ぶ狼が2匹目に付いた。
そして最前線で倒れたまま動かない者が1人。彼の近くでは攻防を繰り広げつつ他の狼を払いのける2人の姿がある。
揺らめくサマードレスに、同じく揺らめく金色の髪。
《ガリー・トロット》と《湖の麗人》、2人の2つ名持ちは互いに1歩も引くことはない。

見たところ著莪が手数で勝っていて柚子は防御に回ることが多い。
柚子に足技を使う暇を極力与えないようにしているのだろうが、その分著莪の攻撃は決め手に欠ける。
対して柚子は1撃で決めうるだけの攻撃を放てずにいる。
何かきっかけでもない限り勝負が着きそうに無いといった感じだ。

僕は急いで立ち上がる。ここで僕が著莪を援護するように動けば
目下この場における最大の敵を倒すことが出来るだろう。

その瞬間だった、弁当の置かれた陳列台の傍に倒れていた男がよろけながらも起き上がり、
弁当に手を伸ばそうとしたのである。これに気付いた著莪は柚子への攻撃を止め、男の手を払い、彼を蹴り飛ばす。
当然、柚子がこの好機を見逃すはずがなく、著莪の鳩尾に拳を打ち込んだ。

ガードすることも無くまともにそれを食らった著莪は床に膝をつき、前のめりに倒れ、動かなくなった。
601 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:49:53.24 ID:5UV3aKsq0

 ●



著莪あやめを倒した山木柚子はその直後、精肉コーナーから駆けてくる彼の気配が変化したことに気付いた。

「……来るのかい、洋」

戦闘が始まってから絶えず彼の動きや気配を追っていた柚子は早い段階で1つの結論に至っていた。
それは――彼、佐藤洋の実力が確実に2つ名持ちレベルのそれである、ということ。
しかも現西区最強と謳われる《氷結の魔女》に匹敵するのではとさえ思える。
むしろ何故、いまだ彼に2つ名がつかないのか、そちらの方が不思議なくらいだ。

前に二階堂蓮が言っていた。佐藤洋は間違いなく今の東区で最強の狼だと……。

そんな洋の気配がここに来て更に凄みを増したのである。
もしも気配の変化に比例して実力も上がるのであれば、それはもう……。

「嫌な奴のこと思い出しちゃったな……あのクソバカカス野郎のことなんて」

誰もが認める最強の狼、《魔導士》の顔が脳裏に浮かび、柚子は顔をしかめた。

「去年はたまたましくじっただけ。2度と負けるもんか……」

柚子は振り返り、目の前に迫る洋に先制攻撃の肘打ちを放つ。その1撃を洋は跳ぶことで回避してみせた。
走りこんでいた勢いそのままに飛翔するその様は、奇しくもついさっき柚子が思い浮かべた魔導士、
金城優を彷彿とさせる。彼は空中で身を捻り両足の靴底を天井につけた。
602 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:50:21.88 ID:5UV3aKsq0

「そんなところまでアイツと似てるんだね、洋は」

天井を蹴り、弾丸のような勢いで迫る洋を柚子は右の回し蹴りで迎え撃つ。
対して洋もまた蹴りを放ってきた。互いの攻撃が激突し、衝撃波が起こる。

足技に自信のあった柚子だったが、それでも相殺できなかったどころか圧し負けてしまい床を転がる。
床に伏していた狼の体に当たったことでそれほど弁当コーナーから離れずに済んだが、
右足が痺れてすぐに立ち上がれなかった。

洋が自分に止めを刺そうと追撃してくるのでは……と柚子は身構える。
しかし幸いなことに彼は弁当コーナー前で2匹の狼によって足止めされていた。

柚子は安堵したが狼たちと洋の攻防を見る限り、その状態が長くは続かないであろう事は明白だった。
それほどまでに一方的な展開。狼たちも必死に喰らいつくがそれを洋はいとも簡単にあしらってしまう。

「ボクの足はこんなだっていうのに、洋は何とも無いのか……クソッ、化け物め!」

柚子はギリッと奥歯を噛み締めて立ち上がると傍に転がっていた狼の襟元を掴み、全力で洋へと投げつけた。
そして自身も後を追うかのように駆ける。

投げ飛ばした狼の体に洋が対処している隙に彼を攻撃するもよし、放っておいて弁当に向うもよし……。
603 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:50:53.36 ID:5UV3aKsq0

そう考えていた柚子の思惑は呆気なく外された。洋は飛んできた狼の体を受け止めるでも、
避けるでもなく、蹴り飛ばしたのである。
ただの空飛ぶ肉塊と化した狼の体は洋の周りにいた他2名を巻き込みながら勢い良く精肉コーナーめざして
吹っ飛んでいった。
彼らの体が地に着く前に洋の目がギョロリと動き接近中の柚子の姿を捕らえる。

柚子は身震いした。これまで自分が屠ってきた幾多の狼たちと同様、恐怖に体が硬直してゆくのを感じる。
絶対的強者を前にした弱者のそれだ。食べる側と食べられる側の構図である。

スルーアの手を逃れたマムの作りし月桂冠……それが昨年のように、また目の前で奪われるのか?
また自分は負けるのか? ……いいや、そんなことは許さない!
本当にこの半額弁当を渇望しているのは、この和牛ステーキ弁当が食べたいのは――ボクだ!!

自身の前に立ちはだかる邪魔者への憎しみと半額弁当への想いで恐怖を取り払った柚子は体を低く屈め、
地を這うようにして突進する。洋は腰を深く落とし柚子を迎え撃つ。柚子の放った掌底に対し彼は拳をぶつけた。
腕に衝撃が走り、互いの腕が弾けたかのように後方へ飛ぶ。洋の上体がそれにつられて僅かに浮いた。
一方の柚子は腕の痛みを無視して更に1歩、前に踏み込み反対の手を彼の懐に差し込む。
その手が彼女の狙い通り、洋の腹部、胃袋の辺りに喰らいつくと同時に指を突き立てて全力で締め上げた。
洋がうめき声を上げ暴れる。

昨年、魔導士に敗北して以来、使うのを控えていたこの技は、もともと柚子の得意としていたものだった。
ただし争奪戦の場には向かない、どんなに強力であれ、これで封じられるのが1人だけであるため
1対1の状況でのみ使える限定的なもの。まさに今のような状況下にあって初めて生きてくる技。

皮肉にも柚子はそのことを魔導士から敗北と共に教えられた。
604 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:51:23.50 ID:5UV3aKsq0

洋は苦しみ悶えながらも自らの腹部に伸びる柚子の腕、手首を掴み締め上げる。激痛に柚子の顔が歪む。
それでも彼女は手を離そうとしなかった。この手を離してしまったら自分は負けるという予感があったからだ。

「我慢比べだね、洋!」

柚子は敵の腹部にガッチリと喰らいつかせた手に、指に、渾身の力を込めた。

指の間に肉の食い込む感触、洋が更に暴れ苦し紛れにヘッドバッドを放つ。
鈍い音が響き、衝撃が柚子の脳を揺らした。一瞬、意識が飛びそうになるが必死に堪える。
手首を締める洋の手から徐々に力が抜けているのを柚子は感じ取っていた。

このまま締め上げれば先に倒れるのは洋の方だ……あと少しでボクは勝てる!

そう思ったとき、洋の体の向こう側に何やらうごめくものを柚子は見た。
金色のソレは柚子の着ているサマードレスの裾のように揺れている。

――直後、柚子は不安に駆られた。

果たして本当にこの場に残っていたのは自分と洋だけだったのか……。
そして洋の向こう側にはマムの作った月桂冠が置かれた台があるはずで……。

柚子の不安が増してゆく中、それまで洋の体に隠れハッキリと見えなかったソレが動き、その姿を現した。

その正体は髪の毛だった。長いボサボサの金髪を揺らしながら歩く彼女は眼鏡をかけ、
手にした獲物を感慨深そうに見つめる。

「いやぁ、しっかし見れば見るほどうまそうな弁当だよなぁ。
 今までこの店に通いつめた甲斐があったっつぅか――」

湖の麗人の手に和牛ステーキ弁当があると認識した瞬間、柚子はその場に膝をついた。
605 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:51:53.02 ID:5UV3aKsq0

 ○



月明かりに照らされたHP同好会の部室に4つの影が伸びている。
その内の3つは円卓を囲んでおり、残る1つはそこから少し離れた位置に置かれている
1000ワットの高出力電子レンジの前にあった。

その影の主である槍水さんはウィーンと音を立てて回るターンテーブルを注視しながら
僕と著莪の奮闘記を聞いてくれている。

「――というわけ。どーよ!」

「何えらそーに威張ってんだよ、ようは死んだふり作戦じゃねーか」

「おやぁ? 負け犬くんが何か言ってるけど聞こえないなぁー」

僕が言い返せずに、ぐぬぬ、と唸っていると槍水さんがクスクスと笑い出した。

「あぁ、すまんな、お前たちのやり取りはいつも何というか……可笑しくてな。
 だが、著莪の言う通りだ。あのフィールドでは弁当を獲るためにあらゆる手段が用いられる。
 死んだふりというやり方も立派間作戦だ。」

フッフーンと胸を反らせて著莪は僕を見やる。
槍水さんの言うことは頭ではわかっているものの、やはりどこか釈然としない……。

「それに死んだふりにはそれなりにリスクも伴うんだ。実行する場が必然的に乱戦の中、
 それもより確実に成功させるためには弁当の置かれた台の前で倒れている必要がある。
 これは思いのほか怖いことなんだぞ?
 以前、そうやって死んだふりをしていた奴を見た事があるが、他の狼たちに踏まれるわ
 蹴られるわでかなり悲惨だったぞ」
606 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:52:23.44 ID:5UV3aKsq0

確かに想像するとかなりスリリングである……。

著莪は「そ、そうだぞ、ハイリスク・ハイリターンなんだからな」と言った。
なんだかちょっと彼女の顔が引きつっているように見えるのは気のせいだろうか?

「まぁ、お前たちの武勇伝についてはわかったが……」

槍水さんが言いかけたところで、温め終了を告げるピーッという音。
彼女はレンジの扉を開け、今宵、自身が勝ち獲ってきた夕餉、『サバの味噌焼き弁当』を取り出す。
以前、著莪が獲ったことのあるその弁当はまだ蓋を開けていないのに、相変わらず味噌の焼ける香ばしい
匂いを漂わせ、食欲をそそる。ちなみにこれはジジ様の店の月桂冠でもあった。

「どうしてコイツ≠ェここに居るんだ?」

槍水さんは円卓にサバの味噌焼き弁当を置きつつ、ジロリと著莪の隣の席に座っている柚子を睨む。

僕は円卓周りにあった3つの影、その最後の1つの主、ガリー・トロットこと山木柚子が
どうしてここに居るのかを彼女に説明した。

争奪戦時、それまで凄い執念で僕に喰らいついていた柚子は著莪が弁当を獲ったとわかった途端、
床に膝をつき……突如、泣き出したのである。
あまりの急展開に僕も著莪もわけがわからず、ともかく店から柚子を連れ出し彼女が落ち着くのを待って
話を聞いた。
607 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:52:54.26 ID:5UV3aKsq0

「……ご、ごめんなさい、いきなり泣いちゃって……マムの作ったお弁当が獲られちゃったから……」

柚子の言葉を聞いた僕は彼女がこれまでいかにビッグ・マムの作った弁当に執着していたかを
改めて思い知らされた。最初に会った時から彼女のスルーアに対する憎悪や、弁当に対する熱弁っぷりが
少々常軌を逸したレベルであるとは思っていたが、まさかこれ程とは……。

「……あのさぁ、良かったら柚子も一緒に食べる?」

著莪の問いかけに柚子は困惑しながらもコクリと、頷き……。

「なるほど、事情はわかった。弁当を獲った人間がいいと言うのなら私も異存は無い」

電子レンジがピーッと電子音を鳴らして止まる。
槍水さんはレンジの扉を開き『特製和牛ステーキ弁当(山葵ソース)』を取り出すと円卓上に置いた。

「ガリー・トロット、今宵は共に夕餉といこう」

槍水さんは笑顔でそう言いながら割り箸を柚子に差し出す。
柚子はまるで天使と出会ったかのように何度も感謝の言葉を述べ、箸を受け取った。

「ところでお前と佐藤は何も買ってきていないようだな」

「あっ、ごめんなさい……ボクが泣いちゃったから洋も晩御飯買いそびれて……」

「そうか、だが心配は要らないぞ」

電気ポットが置かれた台の下をゴソゴソとやっていた槍水さんはやがて段ボール箱を取り出すと
封を開けた。箱には『日清 どん兵衛天ぷらそば』の文字が……。
608 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:53:23.39 ID:5UV3aKsq0

「私の奢りだ、そばはうまいぞ」

「え……いいの?」

「あぁ、遠慮するな。まだ沢山あるんだ」

僕と著莪の方に顔を向け、槍水さんはニヤリと不適に笑い、再びゴソゴソと箱をしまう。
よく目を凝らせば、彼女が箱を置いたその横に、恐らくは同じものと思われる箱が最低でも2個は見て取れた。
1ケース12個入りが3箱。つまりあと35個のどん兵衛天ぷらそばが有るわけか……。

「おっと、忘れるところだった。佐藤も買いそびれたんだったな、どれ、1つやろうじゃないか。
 うどん派のお前に勧めるのは酷かも知れんが……そうだ、これを機にうどん派からそば派に替わったらどうだ?」

勝ち誇ったような顔で僕の前にお湯を注いだどん兵衛を置きながら、
彼女はあろう事かそば派への鞍替えを仄めかす。

く、くそぉう……お腹が減っている今の状況では、まず突っ返されることは無いと踏んで、
生粋のうどん派であるこの僕に、さも恩を売ったかのようにそばを差し出すとは……何たる屈辱ぅ!
チクショウ!! このような施しなど……施しなどぉぉぉぉぉ!!

「……ありがたく……頂戴……いたします……」

あぁ……空腹に負けた自分が情けない……。

「ですが槍水さん……これは僕がそば派の軍門に下ったというわけでは、断じてありませんよ……」

「よく言った、佐藤!」
609 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:53:53.03 ID:5UV3aKsq0

それまで黙って事の成り行きを見ていた著莪が援護してくれた。
彼女も僕同様、生粋のうどん派。これまで槍水さん(そば派)との論争を共に戦い抜いてきた同志だった。

「……ふん、そうか。まぁ、いい……これからじっくりとお前たち2人を教育し、
 そばの良さを分からせてやるさ。そのために部費でこうして実弾も用意したことだしな」

なに!? 部費を使ってまで攻勢に出るとは、なんという執念!
……っていうか、そんな理由で3ケース(推定)も買っちゃったんですか。槍水仙……おそろしい子!

「仙、そんなもんでアタシたちを打ち負かせると思ったら大間違いだぞ!
 次ここに来る時はこっちだって実弾抱えて来るからな! なっ、佐藤?」

「お、おぅよ!」

「そういうわけだ、仙! 佐藤が¥ャ遣いで『どん兵衛きつねうどん』を買ってくるからな!
 覚悟しとけよ!!」

……あれ? なんでいつの間に僕が実費でどん兵衛を買ってくるみたいな話になってんの?

「そうか、佐藤が#モチてくるのか……楽しみにしているぞ」

ねぇ、ちょっと2人とも……佐藤が≠チて強調するの止めてくれない?
そして槍水さん、あなたの言う楽しみに≠ニは食するのを楽しみにしていると僕には聞こえるのですが……。

「ね、ねぇ、ちょっといいかな? 早くしないとせっかく温めたお弁当が冷めちゃうんじゃ……」

場の空気についていけずポカンとしていた柚子が、
円卓上にある和牛ステーキ弁当にチラチラと視線をやりながら言った。
610 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:54:22.54 ID:5UV3aKsq0

彼女の言う通りだった。何故僕らはこんな不毛な争いを……いや、大事なことではあるのだが。
けれどだからといってそれが今、最優先させるべきことかと問われれば、答えはノーだ。
うどんかそばかの議論はいつでもできるが、弁当はそうはいかない。
鉄は熱いうちに打て、だ。せっかくの神の恵みは暖かいうちに食さなくてはならない!
でなければ弁当への冒涜である! 争奪戦で敗れた者達や作り手、さらには食材となった命に申し訳ない
ではないか!!

「そうだな私としたことが、熱くなりすぎて大事なものを見失ってしまっていた……
 礼を言うぞ、ガリー・トロット」

「柚子でいいよ、氷結の魔女」

「そうか、ならば柚子、私のことも仙と呼んでくれ」

「うん、わかったよ、仙」
 
2人の間に友情が芽生えた瞬間だった。以後この2人はどちらかがその生涯を閉じるまで、
末永く親友であり続ける。揃って同じ会社に就職し、同じ年の同じ月に揃って結婚、住む家も隣同士、
子供は互いに男女を1人ずつ。幸せな家庭。そんな2人の平和な日常に、ある日突然暗い影が差し――以下略



4人の、いただきます! という声が部室に響き、僕と柚子が先陣を切ってどん兵衛の蓋を取る。
割り箸で中身をさっとかき混ぜ、次いで満月のように丸い天ぷらをネギが浮かぶ出汁の中に投下して準備完了。

最初に細く、真っ直ぐなそばを啜る。未知の触感と喉越し……わるくない、というか、うまい。
あえて汁を吸わせないようにしておいた天ぷらを齧る。カリッという音、口内に広がる香ばしさ。
その余韻が残るうちに汁を飲む。うどんのそれよりも幾分スッキリとした味に仕上がっていて
天ぷらの味との相性が抜群だ。
611 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:54:53.46 ID:5UV3aKsq0

槍水さんが勧めてくるのもわかる……見事という他ない。

僕がちょっとしたショックを受けているその横で槍水さんがサバの味噌焼き弁当の蓋を開ける。
溢れる味噌の香ばしい匂い。槍水さんは早速割り箸でサバの身を1口分つまみ、口の中へ。
ほふほふ、と咀嚼しながら幸せ一杯といった表情を浮かべた。

「……なるほど、前に著莪が話していたが、こういう味だったのか」

そしてご飯をやや多めに頬張る。食べたことのある僕はわかる。
生姜や長ネギ等の香味野菜を混ぜた味噌で味付けされたサバの身は、
塩焼きや味噌煮のものよりも食する者にご飯を求めさせるのだ。
しょっぱ過ぎず、まろやかな味に仕上げられた味噌がサバの旨味と合わさり、
しかも表面を焼くことで得られたお焦げの香ばしさ……あとで味見させてもらおう。

わぁ、と柚子の声。振り向くと著莪が『特製和牛ステーキ弁当(山葵ソース)』の蓋を開けたところだった。
フワッと清涼な香りが漂い僕の鼻腔を刺激してきた。これは山葵の香り?

「へー、凝ってるなぁ。ステーキの下に山葵の葉っぱを敷いてるよ」

なんと!? 確かにステーキの下に何かの葉が敷かれていると思っていたが、まさか山葵の葉っぱだったとは……。
電子レンジで温めると山葵の上品な香りが湯気と共に溢れ、食べる者の胃を刺激、
更に食欲を増徴させる仕組みになっているのか。

「やっぱり、マムのお弁当は凄いなぁ……」

柚子がウットリとしながら呟く。
612 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:55:26.81 ID:5UV3aKsq0

楕円形で底が浅いタイプの弁当容器。その半分にパセリが散らされたライスが詰められ。
もう半分のスペース大半がこの弁当のメインである和牛ステーキによって占められている。
しっかりと厚みがあって僕の掌ほどはあろうかというサイズのそれは、見たところ和牛らしくサシも入って
いるようだった。しかも箸で食べやすいようにと予め肉がカッティングされている。
あとは付け合わせのキュウリの漬物、大きめの皮付きジャガイモが1個とニンジンのグラッセにブロッコリー、
プラス、コーンが彩り良く脇を固めている。

著莪は付属の醤油をベースにした山葵の風味たっぷりのソースをステーキにぶっかけ、
もう1つ付属していた本来刺身などに付けられている山葵パックの封を切り、
カットされた肉にちょっとづつ付けていく。

そんじゃ、と言って著莪はカットされた肉を一切れ割り箸で摘み、食す。
暫し咀嚼して飲み込むと彼女は満面の笑みを浮かべた。

「ん〜!……すっげーうまい!」

「そ、そんなにうまいのか? 著莪、私にも1口……」

「あっ! ずるいよ仙! 次はボクの番なんだから!」

「あー、はいはい! 喧嘩しない! 先に柚子からな、仙はその後」

心底落胆した表情を見せる槍水さんをよそに、はやくはやく! と急き立てる柚子。
著莪はそんな彼女に苦笑しながら弁当を渡す。柚子は待ってましたといわんばかりの勢いでステーキを口にした。

じっくりと味わうように咀嚼した彼女は、口内のものを飲み込むと同時に、
んぅ〜っ! とよくわからない声を上げて円卓に突っ伏し、身悶える。
613 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:55:54.72 ID:5UV3aKsq0

「あぁ……ん、あ、胸が締めつけられて……あっ――」

何というか、美味しいのはわかるんだけど……ちょっとオーバーじゃない?

柚子の過剰ともいえるリアクションに戸惑いながらも、槍水さんが弁当容器を手にし、ステーキを口に運ぶ。
ムグムグと口を動かしゴクリと飲み込むと目を閉じてしまった。どうやら余韻に浸っているらしい。

「これは……凄いな」

槍水さんはそれ以上語らず、著莪へ弁当を返し自分の席へと戻っていく。
ちょっとだけ彼女が柚子のようなリアクションをするかと期待したのだが……。

「さて、そんじゃあとは全部アタシの――」

「著莪……」

「――じゃないよね。わかったからそんな顔しなさんな。ほい、佐藤、口開けてー」

著莪が割り箸で挟み、差し出してきたそれにかぶりつく。

サシの入った和牛の肉は驚くほど柔らかく、噛み締めるたびに旨味の元であるジューシーな肉汁が溢れ口の中を迸る。
そこに醤油ベースに山葵が加えられたソースの味と別途付けられた山葵のツンとした軽い刺激が合わさり、
こたえられない味わいを醸しだす。しかも山葵の葉が下に敷かれていたことで山葵のサッパリとした風味が自然と
肉に移っており、サシがあるが故の肉の脂っぽさを見事に軽減していた。
単なる敷物の葉を演出に留まらず、意味のある仕掛けに昇華させるこの発想と料理の腕前。
改めてビッグ・マムが半額神として抜きん出た腕を有していることが窺える。
614 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:56:23.78 ID:5UV3aKsq0

飲み込むのがなんだかもったいなく思えたが、意を決して口内のものをゴクリと胃の腑に落とす。
その後に残る至福の余韻。ヌフゥ……。

「凄いな、これ。なんつーか……うん、凄い」

自分でも何が言いたいのかわからないような言葉だったが、著莪はニッと笑って、だろ? と言ってくれた。
いやぁ、従姉って便利だよね。何となくこんな感じってニュアンスをちゃんと汲み取ったうえで理解してくれるし。

「さて、それじゃ今度は佐藤のどん兵衛を貰おっかな。……おっ! 結構そばもいけるなー、うん、うまいうまい」

著莪が美味そうにそばを啜るのを眺めていると、横合いから妖艶な気配が……。
振り向くと槍水さんが頬杖をついて両目を細め、まるでお話に出てくる悪い魔女のような笑みを浮かべていた。

「フッフッフ……この調子でじっくりとこちらサイドに染め上げて……」

もの凄く小さな声で彼女は呟いた。
……本当に凄い執念というか、なんだか僕らセガ信者の布教活動に近いものを感じる。
熱狂的なセガ好きを人はセガ信者と呼ぶ。セガを信じ、その素晴らしさを人々(他ハードユーザー)に説き、
少しでも同志を増やそうとする。
それと同じように槍水さんもまた、熱狂的などん兵衛のそば信者としてその素晴らしさを人々(うどん派)に説き、
オセロの駒を白から黒に反転させるが如く世界をそば1色に染め上げるつもりなのかもしれない……。

ただ、この手の布教活動に積極的に勤しむのは大抵の場合、少数派のする事であって、それからするとそば派は――
いや、やめよう、これ以上の考察は危険だと、僕の中の何かが警鐘を鳴らしている……。
615 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:56:53.40 ID:5UV3aKsq0



夕餉が終わり、いつもならトランプを始めとしたゲームで遊ぶところなのどだけれど、
明日は文化祭の初日ということで僕たちは早々と帰路につくことにした。

部室棟前で槍水さんと別れ、駐輪場の近くで柚子と別れる。
都合がついたらボクも文化祭にいくよ、と笑顔で言って彼女は去っていった。

「……それにしてもさぁ、柚子のあのリアクションってちょっと、というか、かなりオーバーだよな」

2人並んでバイクが停めてある駐輪場に向う途中、僕はふと思いだした疑問を著莪に投げかけた。
そうかなぁ……と著莪は首を捻り黙り込む。

いや、どう考えても異常だろう。漫画に出てくる料理を食した審査員のようなリアクションなんて始めてみたぞ……。

「柚子ってスーパーで弁当について話すときって凄い饒舌じゃん?
 恋する乙女が意中の相手について語ってるような感じでさ」

確かにそれは僕も感じていることだ。
熱弁を振るう柚子の表情なんか、よく目が合うからという理由で著莪が自分に気があるに違いないと勘違いして
ラブレターを書いていた時の石岡君とよく似ていたし。

「アタシ思うんだよねぇ、柚子はあの弁当を作った人物に恋してんじゃないかって」

ここで、鯉? などとボケるようなお約束ごとは、それこそ石岡君の役目だったなぁ……
なんて思いながらも真面目に考える。
616 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/07/31(火) 20:57:31.17 ID:5UV3aKsq0

もし著莪の予想が当たっているとしたらその時点で柚子が意外と残念な女性になってしまうのだけれど
……とはいえ僕自身、おそらく9割9部、著莪の予想が当たっているだろうなと内心思っている。
そう考えれば納得できてしまうことが多いのだ。

「だとしたら柚子は自分の気持ちに気付いてないってこと?」

そう、とばかりに著莪は頷いてみせる。

「でもさぁ、今日の弁当を作ったのって多分、ビッグ・マムだよね? 
 正直、柚子みたいな美人があの人に惚れるのが想像つかないんだけど……」

佐藤、と著莪。彼女はそれ以上何も言わず、真剣な面持ちで僕の顔を見つめる。
なんぞ? と思って見つめ返していると、著莪はふいに優しげに目元だけで笑い、手を伸ばしてきた。
僕の頬に彼女の指が、掌が触れる。

「それでもね、好きになっちゃったらしかたないんだよ……
 周りがどう言うかなんて関係ない。アタシだって……」

そこまで言って僕の頬から手を離すと著莪はバイクに跨りヘルメットを被ってしまった。

「――やっぱ何でもない。ほらっ、佐藤。ヘルメット!」

投げてよこされたそれを被りながら、さっき著莪が言っていたことについて考える。

なんだか言葉に実感が籠っていたし、最後に自分を引き合いに出そうとしていたようだし……
ひょっとして著莪自身、何か思うところがあるのだろうか? ……うむむ、それこそ想像がつかない。

ただ、もしそうだとしてもコイツならアッサリと言うだろう。少なくとも僕には――

バイクのエンジン音が響き、早く乗って!、と著莪の声。
僕は考えるのを止めてバイクに跨ると、著莪の細い腰に腕を回した。
617 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/07/31(火) 21:02:20.76 ID:5UV3aKsq0
本日は以上となります。続きは2,3日以内に投下予定です。

こんな中途半端な投下で申し訳ありません。

それでは仕事に行ってまいりますので失礼いたします。
618 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/31(火) 21:26:39.33 ID:GUHTEARbo

区切りはついてるし分量もあるし
何が半端なのかわからんww
それにつけてもSS離れした出来だ
619 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/07/31(火) 22:08:53.17 ID:DAt0dYnQo
あいかわらずすごいクオリティだ……
数いる女性キャラの中で柚子が一番性的だと思うのは俺だけじゃないはず
620 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/01(水) 14:10:53.55 ID:iHJyT+m6o
今回も面白い!
待ってた甲斐があった・・・
621 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西・北陸) [sage]:2012/08/02(木) 09:47:19.25 ID:n2SSeB6AO
佐藤は現時点で原作9巻くらいの強さか
622 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/08/02(木) 17:46:46.55 ID:mHAiqlzi0
今日は。見て下さってありがとうございます。

時間が許せば本日で残りすべてを投下する予定です。
623 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:47:39.06 ID:mHAiqlzi0

 ―02―



烏田高校文化祭初日、この日は朝から快晴で雲1つ見当たらない絶好のイベント日和となっていた。

朝のニュースで天気予報を見る限り、文化祭が開催される今日と明日の2日間はこの天気が続くようだ。
女心と秋の空という言葉があるが、それからいくと今年の乙女は一途ということらしい。

著莪の運転するバイクの後部座席に跨っていた僕は信号待ちになったとき、
夏を過ぎたというのに今だ燦々と照りつける太陽を睨むように空を見上げた。
天気が良いのは素晴らしいが、こうも日差しが強いと熱中症で倒れる奴が出てくるのではと心配になる。

思えばあの日≠烽アんな風によく晴れた暑い日だったなぁ……、と、僕は小5の運動会のことを思い出した。

その日は朝から続く太陽の灼熱光線のおかげで気温が見る見る上がり、
開会式が始まる頃には温度計の針が35度に迫ろうかという状況だった。

そんな中、開会に伴ってこの年の春に転勤してきた校長が長い挨拶、
プラス、自慢のオカリナを演奏し始めたもんだからさぁ、大変……。

ただでさえ長い彼の演奏を炎天下の中で聞き続け、耐え切れなくなりバタバタと倒れる生徒が続出。
中には息子や娘の雄姿をカメラに納めようと早い段階から異様なテンションでスタンバイしていた保護者
(主に父親)までが倒れるだす始末だった。
……ちなみに付け加えると、栄えある保護者ダウンの第1号は何を隠そう著莪パパである。

後日、著莪経由で聞いた話だと、どうも娘の運動着姿を撮影するのが楽しみで仕方なかったらしく、
前夜にエキサイトしすぎて一睡もできなかったんだとか……。

寝不足という最悪のコンディションで日差しの照りつけるグラウンドに朝1から陣取っていれば、
そりゃ倒れもするよね。
624 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:48:11.96 ID:mHAiqlzi0

さて……そんなことはどうでもいいので話を進めるとしよう。

事の始まりは運動会前日の昼休み、お茶目全開で僕が石岡君に持ちかけた勝負に端を発している。

――「明日の運動会でどっちが長く水分補給せずにいられるか勝負しよう」

今考えても何故唐突に僕があんなことを言い出したのかは定かでないが、この勝ったところでメリットは1つも無い
馬鹿げた勝負を2つ返事でバカな石岡君は了承したのである。

そして運動会当日、まともに勝負する気が無く、影でこっそりとスポーツドリンクで喉を潤していた僕に対し。
石岡君は水を1滴も口にしないどころか、ただでさえ渇いた喉に昼食時、うまい棒(納豆味)を押し込むといった
荒業までやってのけていた。一体何が彼をそこまで駆り立てていたのかはいまだに不明である。

その後も運動会のプログラムは着々と進み、いよいよラストの色別対抗リレーで……それは起こった。

当時、5年生の赤組のリレー走者として選ばれたのは僕。
そして白組のリレー走者で選ばれていたのは石岡君だった。

その頃になると石岡君は白い顔をしていて時折ふらついていたが、
勝負のことを完全に忘れていた僕をはじめ周りの皆がこれは彼がこの手のイベント時に必ず行う恒例の悪ふざけ、
パフォーマンス的なものだろうと信じて疑わなかった。

リレーは白組優勢で進み、迎えた5年生の番……バトンを受け取った石岡君は第1コーナーに差し掛かった直後、
糸の切れた芝居人形の如く転倒して……動かなくなった。

――まぁ、要するに何が言いたいかというと、暑い日には水分と塩分をこまめに取り、
熱中症対策は万全に、ということである。

くれぐれも石岡君の真似はしないように!
625 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:49:13.50 ID:mHAiqlzi0

なお、そんな彼を颯爽と抜き去り、僕が6年生代表にバトンを渡したときになって
ようやく様子がおかしいことに気がついた教職員によって石岡君は担架で運ばれていき……
そのまま救急車で病院に直行して、1週間ほど帰ってこなかった。

そして後日、彼が退院して学校に登校してきた際、
僕に言った言葉は「1年の内に2回も救急車に乗れてちゃった。また乗りたいなー」だった。
あの日の暑さで頭がやられたのかもしれない。

「なぁ、佐藤……あそこにいる子、なんか見覚えない?」

「ん? どこ?」

あれ、と著莪は僕らの左に見える駅の出入り口付近を指差す。
その方向を見やると……年齢は10歳前後といった感じの幼女の姿が。
彼女は裾が腰の下ぐらいまである半袖のロングパーカーを羽織り、
足には白のロングブーツという格好で背にはリュックサックを背負っている。
おまけにパーカーの裾のせいで彼女が超ミニスカートを穿いているかのようで、
やたらと僕の意識を引きつけて……違う違う、そうじゃない。
いや、まぁ、服装も確かにそうなのだけれど、それ以上に彼女の顔に見覚えが――!

「槍水さんだ!」「仙だ!」

僕らは同時にそれに気付き、同時に声を上げた。
槍水さんが文化祭期間中に妹が来るといっていたし、おそらくあの娘は……。

「佐藤、アタシあの娘がスッゲー気になる。ちょっと行ってみようか?」

「異議なし」

信号が青に変わり、著莪はバイクを発進させ、交差点を左折した。
626 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:49:43.69 ID:mHAiqlzi0

 ●



突然目の前に停まったバイクに『彼女』は驚いた。思わず、えっ、と言う声が漏れ、1歩後ろへ下がる。

バイクに乗っていた2人は、彼らがフルフェイスのヘルメットを被っているせいもあり、
何だかもの凄く怪しく見えた。

2人の内、前部でハンドルを握る人物はスニーカーに細身のダメージジーンズに
やや大きく開かれたVネックシャツという格好で、スタイルからして女性だとわかる。
一方、女性の腰に腕をまわして後部に座っていた方の人物はTシャツに黒の長ズボン姿で、
こちらは男性のようだった。

2人は『彼女』を見ながら1言2言、会話を交わすがヘルメットのせいで声がくぐもっていて彼女には
聞き取れなかった。

ただでさえ、バス・ロータリーが見つからず困り果てていたところに、続いて現れたこの2人組。
「最近は物騒だから気をつけるように」、家を出る前に母親から言われた言葉が頭に浮かぶ。
不安が『彼女』の内に広がった。

もし、身の危険を感じたら大声で助けを呼ぼうと『彼女』が心に決めた時、
男の方がバイクを降りヘルメットを脱いだ。

えっ、と『彼女』は驚きの声を上げる。男の顔には見覚えがあった。
前に夏休み中、姉が部活の合宿で撮った写真を見せてもらった際に写っていた人で、確か名前は――

「えっと、間違ってたらゴメンね? きみ、槍水仙の妹さん?」
627 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:50:11.62 ID:mHAiqlzi0

男は膝を折り、背の低い『彼女』と同じ目線の高さに合わせながら聞いてきた。

「はい、そうです……」

「おー、やっぱり!」

バイクから降りた女の声に『彼女』は小動物が物音に反応するかのようにビクッと体を硬直させる。
あぁ、ごめん、驚かせたね……、と言って女はヘルメットを脱いだ。

息を呑むようなボリュームのある見事な金髪が開放され、碧い2つの眼が眼鏡の奥から『彼女』を見つめている。
『彼女』はその顔を見て、安心するとともに体の緊張を解いた。

よかった……この人も知っている人だ。

「佐藤洋さんと著莪あやめさん、ですよね……。お2人のことはよくお姉ちゃんから聞いてます」



『彼女』の名は――槍水茉莉花。病弱で普段、学校を休むこともしばしばの彼女は今回勇気を出して1人旅をし、
姉の通う高校の文化祭を見に訪れていた。趣味はインターネットとアニメ、小学4年生、年齢は10歳。

《氷結の魔女》を姉に持つ『彼女』だが、未だスーパーを駆けた経験はない。

そんな『彼女』は今回の旅に出るにあたって1つの願望を小さな胸の内に秘めていた。
628 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:50:42.55 ID:mHAiqlzi0

 ○



女の子は自分のことを槍水茉莉花と名乗った。こうして近くでじっくり見ると本当に良く似ている。
むろん、槍水さんのようにキリッとした感じはないが瞳の色や顔つきが同じベクトルなのだ。
2人の髪型をどちらか片方のものに統一したらより一層似ることだろう。

それから少しばかり彼女、茉莉花と話すと、どうやらバスに乗ろうとしたのだが駅を出たところに
バス・ロータリーが無く、途方に暮れていたところだったらしい。
しかしそれも当然のこと、なにせバス・ロータリーはここと反対側、駅の正面に位置しているのだ。
茉莉花は間違えて駅の裏に出てしまったのである。そのことを教えてあげると彼女は顔を赤くして俯いてしまった。

先に言っておくと僕はロリコンではない。ロリコンではないがそんな風に恥ずかしがる茉莉花はかわいいと思った。

「う〜ん、茉莉花をバイクに乗っけるってのは……ちょっと危ないかなぁ……あっそうだ!
 おい佐藤、お前、茉莉花についてってやれよ」

著莪の提案を遠慮からか茉莉花は断ろうとするが、正直なところ僕も著莪の意見に賛成だった。
初めて訪れた地で1人というのは心細いものがあるだろうし、また道に迷うかもしれない。
最近は物騒な世の中なので最悪、不審者に連れ去られる可能性だってあるのだ。
そのてん僕が傍にいれば道に迷うことも、不審者に攫われる事も無く――

「佐藤、茉莉花が可愛いからって手を出したりすんなよ?」

「お前は僕をなんだと思ってんだよ……人をロリコン扱いすんじゃねぇ」

冗談だって、と著莪は笑い、笑っていいのかどうか迷っている茉莉花の綺麗に整えられたおかっぱ頭を
よしよしと撫でる。茉莉花は撫でられたのが気持ちよかったのか、嬉しそうに笑みを浮かべた。
こうして見ているとなんだか飼い主に頭を撫でられて尻尾を振る小型犬を連想させる。
629 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:51:12.26 ID:mHAiqlzi0

「そんじゃ、アタシは先に行ってるから。茉莉花、またあとでな!」

著莪はヘルメットを被るとバイクに跨り茉莉花にヒラヒラ手を振る。

「はい、著莪さん、またあとで」

軽快な音と共に走り去っていく著莪を見送り、それじゃ僕たちも行こうか、と言って茉莉花と歩き始める。
すると後ろから僕を呼ぶ声が……。振り返ると休日だというのに丸富高校の制服を着た沢桔姉妹の姿が。

「あぁ、やっぱり佐藤さんですわ! 鏡、だから言ったじゃありませんの。
 たとえ後姿であろうとそれが佐藤さんならわたくしの下腹部がキュンと締め付けられ――」

「姉さんは一体どこで人を判別しているんですか……。
 ほら、そんなことを言うから佐藤さんがドン引きしていますよ」

いつもながら姉のお守りが大変そうだな……と思いつつ梗さんの発言はスルーして、とりあえず2人に挨拶。
茉莉花の紹介をしてこれから烏田高校行きのバスに乗るところだというと、梗さんたちも白梅に招待されて
烏田に向うところだというので4人でロリ、ロータリーへ。

「こうして歩いていると、まるでわたくしたちは家族のようですわね」

僕の隣を歩いていた梗さんが唐突にそんなことを口にした。
……え〜と、なんだろう? 冗談として笑って返せばいいのか?

「……姉さん、今の発言は色々とおかしなところが多すぎます」

「え? そうかしら? 一体どこが……あっ! わかりましたわ! そうですわよね、
 わたくしたちは高校生なのに茉莉花さんぐらいの子供がいるのは不自然だと、そういうことですわよね、鏡?」
630 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:51:43.43 ID:mHAiqlzi0

鏡さんが顔に手をやり深々とため息をつく。どうしまして? と梗さんが首を傾げる。
ここはいつもどおり鏡さんに任せることにしようと僕は思った。

「いいですか姉さん、確かに今姉さんが言ったこともそうですが、他にも問題は多々あります。
 私たちはともかくとして佐藤さんはまだ結婚が許される年齢ではありませんし、第一、姉さんの言い方だと
 私たち姉妹が揃って佐藤さんと結婚しているようですが、一夫多妻は日本で認められていません」

「いやですわ鏡ったら、そもそもわたくしは冗談で言っただけですのに。
 それに対してこんなに真面目に反論するなんて、鏡もまだまだお子様ですのね」

妹の反論に対する姉としての抵抗なのか、それとも本当に冗談で先の発言をしたのかは不明だが、それよりも……
梗さんの発言を黙って聞いていた鏡さんの肩が小刻みに震えているように見えるのは僕だけだろうか?
気のせいかブチブチという音も聞こえるような……。

「……わかりました、姉さんの言うことは最もです。ですからお子様の私は今後一切、姉さんのやること
 及び、発言に口を出しません。私と違って大人な姉さんはどうぞご自由になさってください」

予想もしない鏡さんの切り返しに、先ほどまで優越感たっぷりだった梗さんの顔がみるみるうちに青ざめてゆく。
うぁあああぁぁぁああぁあ! ごめんなさい、鏡ぉぉぉぉぉおおぉ!! という絶叫が駅全体に響き渡り、
道行く人々が、何事!? と振り返る。

「ちょっ!? 姉さん! 静かに! せめて音量を下げてください!!」

「鏡に……鏡に見捨てられたら……わたくし生きていけませんわぁぁぁああぁぁあああぁぁぁぁぁぁあ!!」

「わかりました! 見捨てません!! 見捨てませんから静かに――」

「わたくしはこれから一体、誰に面倒を見てもらえばいいんですのぉぉぉぉおおおぉぉぉぉぉおぉぉぉぉ!!」
 
僕は突然の事にオロオロとする茉莉花の手を引いて足早にその場を立ち去った。
631 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:52:11.88 ID:mHAiqlzi0

駅を出ると折りよくバスが来ていたので急いで乗り込み、1番後ろの席を陣取った。
鏡さんと茉莉花が窓際、梗さんと僕がその間に収まる。

茉莉花にこのあとの予定を一通り聞き、その後、沢桔姉妹があらためて茉莉花に自己紹介した。

「それにしても氷結の魔女に妹さんがいらっしゃったなんて驚きましたわ。
 あなたもスーパーを駆けたことが?」

若干目元が腫れぼったい梗さんの問いに茉莉花は首を横に振る。
彼女によれば、ビデオチャットで槍水さんからスーパーのことや狼のことを聞くことはあっても、
実際に訪れたことは無いらしい。
茉莉花自身は行ってみたいと言うのだが槍水さんに厳しく止められているのだという。

そうですか……と梗さんは言い、残念そうな表情を浮かべた。

梗さんたちのように幼い頃から争奪戦に参加しているというのは、やはりちょっと特殊なのだと僕は思う。
《オルトロス》は自身の身体能力を補う為にカゴを使用し始めたと聞いたが、
それだって一夕一朝で身に付くものではないだろう。数多くの敗北を経験したはずだ。

あの場に集う者は皆、相手が誰であろうと手加減など一切しない。弱肉強食の理そのままの厳しき世界だ。
槍水さんはそれをよく知っているから妹が狼の世界に足を踏み入れるのを許さないのだろう。

「あ、ここで降りなきゃ!」

4人で話が弾む中、バスの車内にアナウンスが流れ、茉莉花が慌てて降車ボタンを押す。

もうちょっとお話をしたかったのに……、と残念そうにする梗さんたちと別れ、僕と茉莉花はバスを降りた。
632 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:52:43.11 ID:mHAiqlzi0

「それじゃ、行こうか」

はい、と元気よく答えた茉莉花は手書きと思しき地図を取り出して、それを手に歩き出した。僕もそれに続く。
バス停から数百メートルほど歩いたところに目的の建物はあった。

「ここにお姉ちゃんが住んでるんだぁ……」

茉莉花は嬉しそうに笑みをこぼしながら、5階建ての学生アパートを見上げた。

エントランスに行き、そこに設置された郵便受けの中から2人で槍水さんの部屋号を探していると茉莉花が言った。

「何だかこんな風にテレビドラマで見たような鍵付きの郵便受けが並んでると、都会って感じがしちゃいますね」

「あーなるほどね。確かに僕らもアパート暮らしを始めてすぐの頃は、そんなこと思ったなぁ。
 郵便受けを見に行ってナンバー式の鍵を開けるのがちょっと面白かったりとかね」

もっとも、『Mの兄弟』の会報が届くようになってからは、そんな気持ちも消え失せたけどね……。

「あっ、ありました、お姉ちゃんの部屋の郵便受け。え〜と……」
 
茉莉花は事前に槍水さんから教えられていたナンバーを入れてロックを解除し、
郵便受けの中から1通の封筒を取り出す。封筒は微妙に膨らみがあった。部屋の鍵が入っているのだろう。

嬉々とした様子の茉莉花を先頭に、僕らは5階の角部屋に向かった。
途中、203号室の様子が気になったが、そこはグッと堪え、スルーする。
多分これが著莪と一緒だったら確認しに行ったのだろうが今は茉莉花のお供を優先すべき時だ。
633 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:53:12.47 ID:mHAiqlzi0

「あれ? 佐藤さん、入らないんですか?」

部屋のロックを解除して扉開けた茉莉花は、一旦部屋の中に入るも、
僕が入室しようとしないので首をかしげながら聞いてくる。

「うん、やっぱり女子の部屋に男子が勝手に入るのはマズイと思うんだ。
 こっちのことは気にしなくていいから、用事を済ませておいで」

よくわからないというような顔をしながらも、わかりましたと頷き、茉莉花は扉を閉めた。

……本当は直前まで普通に入室する気だった。
しかし、もしも部屋の中に、或いはベランダに……洗濯物が干してあったとしたら。
更にいえば、それが下着的なものだったとしたら……僕は自分の肉棒……欲望を抑えきれる自信がない。
性欲の坩堝、湧き上がる泉状態の男子高校生は後先考えず、本能の赴くままに行動するのは周知の事実。
それは例え汚れなき性、聖人と謳われるこの僕であっても同じことだ。
ましてそれがハイクラスのチェリーボーイであれば尚のこと……。
もし、槍水さんの下着的なものを手に、エキサイトしようものなら、間違いなく茉莉花の心に深い傷を残すだろうし。
また、確実に僕の人生があらゆる意味で終わることだろう。そうならないためにもここは我慢するしかないのだ! 
ブタ箱入りでこれ以上、チェリーのクラスがアップしない為にも……ね。

「お待たせしました、佐藤さ――どうしたんですか佐藤さん? 拳なんか握り締めて」

用事を終えたらしい茉莉花が扉を開けつつ、キョトンとした顔で僕を見上げる。

「あ、あぁ、うん……ちょっとね。それよりもそれ≠ヘ?」

「これ≠ナすか?」と茉莉花は手に持っていた2枚の紙切れを僕に示してみせる。
うん、と僕が頷くと、彼女は嬉しそうに顔をほころばせた。

「お姉ちゃんが残してくれていたんです。1枚はここから烏田高校への手書きの地図で、もう1枚は……」
634 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:53:45.35 ID:mHAiqlzi0

茉莉花はそこまで言ってちょっと間を置き、紙切れを胸の前で抱きしめるようにして、えへへ、と笑う。

「お姉ちゃんのメッセージが書かれてるんです」

その様子から彼女が如何に姉である槍水さんが好きかが伝わってくる。
バスの中で、とても楽しみにしている、と嬉しそうに語っていたから、てっきり文化祭というイベントが
楽しみなのかと思っていたけれど……この娘はそれよりも姉に会えることのほうが楽しみなのだろう。

茉莉花がこれほどまでにお姉ちゃん大好き≠ネのだから、きっと槍水さんだって妹を大層可愛がっているに違いない。
実質1年半以上、そんな仲良し姉妹が離れ離れなのだから、夏休みやお正月に槍水さんが帰省している時、
そして今回と、再会する際にはお互い期待に胸を膨らませているはずだ。

特に茉莉花からしてみたら、生まれた時から傍に当然の如くいた姉がいなくなって寂しいところに
今回の訪問なのだからその喜びもひとしおであるに違いない。

「さ、とりあえずいこうか、もう結構いい時間だし」

はい! と元気のいい返事が返ってきた。よく見れば彼女は先ほどまで背負っていたリュックサック
を部屋に置いてきたらしく、代わりに小さなポシェットを肩から下げている。

……そのポシェットがこれまたリュックの変わりに見事彼女のスカートというか、ロングパーカーの
裾を押さえるようになっているおかげで、もうあと2〜3センチの先に秘められし秘密の花園が露にならぬよう
防御してやがる……くそぉう!!

……落ち着け。さっき槍水さんの部屋に入らなかったことで色々と溜まっているのはわかる。
が、だからといってその捌け口を茉莉花に求めていいわけがない。
僕は健全な日本男児だ……その僕が小学4年生の幼女をエロイ目で見るなんてあってはならないことだ。
……だが待てよ、これはエロとは違うんじゃないのか? 僕は別に幼女の裸にハァハァしているわけじゃない。
ただ、あの裾の2〜3センチ向こうに何があるのかを知りたいだけなのだ。
いうなればロマンを求め、追求している探求者のようなもの……。 
な〜んだぁ、何も疚しいことなどないじゃないか。自らの性よ――知識欲を満たしたいだけだから大丈夫大丈夫。

そういえば僕と著莪も――まぁ、仲良しであるかは置いておいて――生まれた時からずっと一緒なわけだが、
何かの拍子で離れ離れになってしまったら、やっぱり寂しく思うのだろうか?
635 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:54:11.41 ID:mHAiqlzi0

 ●



HP同好会の会長、槍水仙は部室棟の前で携帯電話をポケットにしまい、空を見上げた。
目に映るのは快晴という言葉がピッタリの青空。天気予報によると今日と明日の2日間はこの天気が続くらしい。

烏田高校に一足先に到着した著莪、そして明日の劇の前までは手伝えるという白粉らと共に槍水は
HP同好会が文化祭期間中に行うお茶の移動販売の準備に取り掛かっていた。

事前に借りてきていた台車に氷とお茶がぎっしり詰まり重くなったクーラーボックスを著莪と2人で抱え、載せる。

「天気も良いですし、これならきっといっぱい売れますね」

白粉が『国産のお茶500mlペットボトル 100円』という限界まで簡素化されつつも
必要な情報はきっちり書き込まれている看板を台車に取り付けながら言う。

「うん、そーだね。目指せ完売!」

著莪の言葉に白粉も頷く。最近、著莪にセクハラ行為をされないせいか白粉と著莪の距離は近かった。
いいことだと槍水は思い、微笑む。

騒がしいのがどちらかといえば好きではない槍水だったが、かといって部員同士が妙によそよそしいのも嫌だった。
やはりみんなでわきあいあいとしているのが1番である。

……それにしても。

槍水は先ほどから何度もそうしているように携帯で時間を確認する。あと30分ほどで開会式が始まる時間だ。
だというのに、一向に待ち人が姿を見せない。著莪の話では駅前で妹を見たので迷子にならぬよう、
佐藤が一緒についている、とのことだった。
当初、妹は1人でくると言っていたので、それと比べれば遥かに安心できた。
しかし、時間が経つにつれ、やはりというか、心配になってくる。
636 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:54:41.94 ID:mHAiqlzi0

今朝から何度目かのため息を槍水がついたその時――「仙〜、うりゃ!」と、突然著莪が後ろから抱きついてきた。
内心かなり驚いたものの、槍水は努めて平静を装いつつ「暑苦しいぞ、何か用か?」と、やや不機嫌な声で言う。
「心配してんだろう?」と著莪。図星だった。

「大丈夫だって、アタシの携帯にも佐藤からの連絡はないし」

だから心配なのだ、とは言えなかった。

連絡がないということは2人揃って、何かのアクシデントに見舞われた可能性もある。
けれど、特に連絡すべきことがないという可能性も否定できない……というか後者の考え方が普通は正しい。
とはいえ、そんな時に限って不測の事態とは起こり得るもので……。

「そんなに心配なら、仙の方から電話してやれば良いのに」

「いや、その必要は無い。お前の言うとおり佐藤が一緒だし、もともと妹は1人でここに来る予定だったんだ。
 出来るだけ連絡しないと向こうから言っていきたぐらいなんだぞ。それなのに姉の私が電話を掛けるなど……」

それにアイツは年齢の割にはしっかりして、と言ったところで著莪が、ククッと堪えるように笑う。
横合いに居た白粉までもが手で口元を押さえながら笑うのを堪えていた。

「槍水先輩は妹さんが可愛くてしかたないんですね」

声のした方を見れば、生徒会長の白梅が何やら紙袋を持って立っている。
槍水は自分の体温が急上昇してゆくのを感じた。
637 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:55:11.19 ID:mHAiqlzi0

 ○



携帯で時間を確認する。開会式の開始10分前。
僕の数メートル先に茉莉花が、さらにその数メートル先にはアーチで飾られた烏田高校の校門が見える。

「間に合いましたね、佐藤さん」

少し先を行く茉莉花が振り返り、嬉しそうに言った。

「うん、そうだね。一時はどうなるかと思ったけど……」

僕は苦笑いを浮かべ、つい今しがた自らに降りかかったアクシデントを思い浮かべた。

あれは槍水さんのアパートを5分ほど歩いた時のこと。僕が少し先を行く茉莉花の後姿、
より詳しく言えば彼女が着ているロングパーカーの裾と、そこから伸びる白くてしなやかな
生太ももとの境界線に視線を集中させていた――まさに、その時だった。
後ろから突然、「あ〜、そこの君、ちょっといいかな?」と呼び止められたのだ。

振り返るとそこに居たのは、『じゃあ、僕は』でお馴染みの国家公務員……警察官な訳で……。

――Q:え〜と、何でしょうか?
――A:うん、実は『非常に危ない目つきをした男が幼女をつけまわしている』と通報があってね。
――Q:は……?
――A:君が幼女に手を出していないとはいえ、犯罪の抑止もまた、我々の仕事なんだよ。

いやぁ、日本って凄く立派な法治国家だと実感せざるを得ない。
不審者がいると即座に通報する住民に、その連絡を受けて、迅速に対応する警察官。
昨今の警察は<色々と危険なので伏せさせていただきます>だとか。
住民は何かと見て見ぬふりを決め込んでいるとか、そんな話をよく聞くけど、
なかなかどうして、素晴らしい連係プレーである。

少なくともこの地域の治安は高い水準であるようだ。いやぁ、安心したなぁ。

――Q:安心したので、僕はこれで失礼します。お仕事頑張ってください。
――A:いや、君が唐突に何に安心したのかはわからないけど、逃がさないからね?
638 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:55:44.34 ID:mHAiqlzi0

その後、茉莉花の証言もあり、警察官をあしらう事はできたが、
彼は最後まで僕に対して犯罪者を見るような眼差を向けてきてたっけ。まったく失礼な話だ!

「あっ! お姉ちゃんだ!」

一足先に校門に掛かるアーチを潜り抜けた茉莉花がその瞬間、パッと鼻の咲いたような笑顔になり、駆け出した。
その際、彼女が肩から提げた小さなポシェットが揺れ、それまで抑えられていたパーカーの裾がはためく。

僕の目は……その、何だ、裾の向こうに広がるロマンワールドをちょっとだけ目撃した。穢れなき白……ぬふぅ。

パン――ゲフンゲフン! 茉莉花の後を追って僕もアーチを潜る。
すると校門から校舎の中央玄関を繋ぐように屋台が列を成していた。
列の中央付近は屋台列が膨らむように配置され、広いスペースが……そこに大きなモニターやスピーカー、
照明器具が設置された屋外ステージが。

昨日、準備中の光景を見ていたはずなのに、こうして改めて入場者の立場で見ると壮観である。

そして校門からちょっと行ったところに、茉莉花を抱きしめる槍水さんの姿が。
茉莉花は槍水さんのスクールベスト越しの胸にグニュグニュと頬を摺り寄せて……うん、何かエロイ。
そして羨ましい……。

「あっ、佐藤さん。おはようございます」

槍水姉妹から少し離れた位置に居た白粉が僕に気づき、手を上げてきたので、ともかく彼女のもとへ。

「おはよう、白粉。この台車を押して売り歩くんだ」

白粉と2人で、今日、明日はいい天気みたいだから完売すると良いね、
などと話している最中、僕はふと気が付いた。

「そーいやぁ、著莪がいないみたいだけど?」
639 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:56:12.36 ID:mHAiqlzi0

「えぁっと……著莪さんはですねぇ……」

白粉は何やら小声でぼそぼそと呟く。
とりあえず断片的に聞き取れた彼女の言葉から、著莪がHP同好会の部室に居るということはわかった。

「よくわかんないけどさ、アイツを呼んでくるよ」

「そうだな、佐藤ならアイツを説得できるかもしれない」

妹との感動の再会を満喫して表情が微妙にゆるみ気味の槍水さんは茉莉花と手をつなぎ、
僕と白粉に近づいてくる。

「白粉から聞いたかも知れないが、お前が来る前に白梅が著莪にちょっと……な。
 私的には、あれはあれで似合っていると思うんだが……」

「あぁ……白梅が関係してたんですか、納得です。著莪の奴、いまだに白梅だけは
 ちょっと苦手みたいですから。でも似合ってるって何がですか?」

「何だ、まだ聞いていないのか。……そうだな、説明するよりも実際に見たほうが早いだろう。それと……」

茉莉花が世話になったな、近いうちに何かお礼をさせてくれ。そう言って槍水さんは頭を下げる。
その隣で手を引かれていた茉莉花も、ありがとうございました、と右に倣えでペコリと頭を下げた。
640 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:56:44.11 ID:mHAiqlzi0

槍水さんたちと分かれた僕は、アホみたいに連なる部室棟の階段を上り切り、502号室の前までやっていた。

『ハーフプライサー同好会』という妙に質素で、小さいプレートが掛けられた扉をノックしてみるが……返事はない。
ドアノブに手をかけ、開けようとするもノブが回らない。鍵が掛かっていた。
中に居るであろう著莪が開けてくれるかもしれないと思い、暫し待つが、扉が開くどころか人が動く気配すらない。
ひょっとしたら部室の中には誰もいないんじゃないのか? という考えが浮かぶ。

待っていても埒が明かないので手持ちの鍵を使って扉のロックを解除する。

「著莪……入るぞ」

扉を開けると、真っ先に部室中央に鎮座する円卓が目にはいる、が、著莪の姿は見とめられない。
円卓から視線を動かし部屋全体をぐるりと見渡す。片方の壁一面に貼られた半額シール、
もう片方の壁にはこの近辺の地図。小型の冷蔵庫、1000ワットの高出力電子レンジ、床を覆う紅い絨毯……。

本当に居ないのか、と思い、部室に入り、扉で死角になっていた隅を見る。
そこには昨日、僕たちが部室に運び入れた、お茶のダンボール箱が堆く積まれていて――

それ≠目撃した僕の頭に最初に浮かんだのは……『なんか、いる』だった。

部室の一角を占める段ボール箱の山。その山と扉側の壁との間にある僅かなスペースの間に
……変わり果てた姿で膝を抱える著莪の姿が。

「……なんで、そんなにドレスアップされてんの?」

そう、今朝の著莪からは、いや、普段の彼女からは想像もつかないくらい、
見事にドレスアップされているのである。まるでお人形みたいに着飾られているのだ。
何もかもがお姫様状態で、朝と変わらないところはボサボサの髪と薄汚れたスニーカーぐらいだろうか。
641 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:57:14.36 ID:mHAiqlzi0

「……佐藤?」

著莪は顔をあげてしばらく僕を見つめると――ダンボールと壁の間から飛び出し、抱きついてきた。

「恥ずかしすぎて死にたい……」

「まぁ、普段じゃ、絶対にしない格好だもんな。休日の秋葉原辺りによくいるような人って感じだし
 ……せっかくだから写真撮って叔父さんに送ったら? きっと喜ぶと――あ、痛っ、痛い痛い! 
 冗談だって、ギブギブ!」

黙れ、とばかりに著莪が僕の体に回していた腕に力を込めて締め上げる。
……しかし、コレ、痛いのと同時に彼女の豊満な……その、なんだ、
乳房的な意味合いのものが押し付けられて……アパパパパパ。

どうやら著莪の奴、最近また一段と成長してきている気がする。
今日、帰ったら彼女のブラのサイズを改めてチャックする必要があるかもしれない。

「白梅様が今日1日、この格好でお茶を販売しろって……」

僕を解放した後、著莪はぽつりぽつりと事の顛末を語りだした。
それによると白梅はどうやら白粉の一件が解決したお礼もかねて、
HP同好会の販売するお茶が少しでも多く売れるようにと、著莪に売り子として人目を引く衣装を着せたらしい。
642 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:57:44.23 ID:mHAiqlzi0

「ふーん、いや、いいんじゃない? 確かに著莪がその格好で売り子をやれば、集客率は上がると思うし」

「くそぉ……人事だと思って……。アタシの立場はどうなんだよ。
 こんな格好を今日1日いろんな人に見られるんだぞ……」

「まぁ、そりゃ、イヤなら無理にとは言わないけどさ。……ところでお前、元々着てた服はどうしたんだよ?」

白梅様が持っていった……と、言って著莪はうな垂れた。

「仕入れたお茶が半分ぐらい売れるか、夕方になるかしたら服は返すって言うんだよ……
 だったらいっそ、ここで夕方になるまで引きこもってようかなって……」

「あのさぁ、もう覚悟決めて売り子をやっちゃえば? どうせ今日だけなんだし、開き直るとか。
 たぶん、その格好を見て笑う奴はいないと思うよ。実際よく似合ってるし」

でも……うぅ……、と著莪は唸る。彼女の心の天秤が是か非かで揺れ動いているらしい。

「……わかった。その代わりご褒美としてこの学祭中、屋台で佐藤がアタシに何か奢ること! っつぅか奢れ!」

「うっ……まぁ、それぐらいなら……いつものこと、だし……」

いつもの、とか自分で言ってて悲しくなる……。

「約束だかんな?」僕の耳元でそう囁くと著莪は部室を出ていった。
643 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:58:13.34 ID:mHAiqlzi0

 ●



「あ、あの、お買い上げありがとうございました!」

そう言って槍水茉莉花は目の前にいる、今しがたお茶を買ってくれた男が握手を求めてきたのでその手を握る。
男は烏田高校の学生のようで、やたらと目が光っていて怖かったが、お客である以上、無碍にするわけにもいかない。

ロォオリィィィ……、と男は低い声で唸るように呟くと、茉莉花の手を離し、
たった今、購入したばかりのお茶、3ケース分の箱を抱えると、満足げな表情を浮かべて去っていった。

「やったな、茉莉花!」

隣で長蛇の列になった客を捌いていた著莪が茉莉花に声をかけ、ピッと親指を立ててみせる。

「はい! やりました!」

ドレス姿にその仕草は似合わないなぁ、と思いつつ、茉莉花も同じく親指を立てる。
まさか自分のところにお客が来るなんて……、と、戸惑うものの嬉しくもあった。

姉の槍水仙は2時間も前に友人たちの手伝いに行ったきりで、
茉莉花は佐藤、著莪、白粉の3人と行動を共にしていた。

当初、著莪と佐藤が合流してすぐは、著莪のドレスアップされた姿に目を輝かせたり、
開会式で、広部蘭というアイドルのビデオレターが流れていたことを知り、
見るからに落ち込んだ佐藤を慰めたりと忙しかった茉莉花だったが、今は違う意味で忙しかった。
644 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:58:42.01 ID:mHAiqlzi0

「茉莉花! 追加のお茶を持ってきたから、箱から出して著莪と白粉に渡してやってくれ!」

部室棟と校舎前をいったりきたりしながら、休むことなくお茶の入ったダンボール箱を運び続ける佐藤が
汗だくになりながら、叫ぶ。
はい! と茉莉花も元気よく返事をして早速、新たに追加されたダンボール箱を開封し、中身のお茶を著莪と
白粉の元に運ぶ。

「サンキュー、茉莉花! おっ、10本も買ってくれるんだ、ありがとうね〜!」

「ありがとう、茉莉花ちゃん……疲れたら……休んでてもいいからね? あっ、お買い上げありがとうございます!」

買ってくれた人の手をハンカチで拭くというサービス(?)で、ややグロッキー状態の白粉は
茉莉花に笑顔でそう告げると、すぐさま自分の前に並んだお客の手を拭く作業に戻ってしまった。

茉莉花はそんな白粉に、大丈夫です、と告げてからお茶を運ぶ作業に戻る。
疲れていないわけではないが、楽しいからか体が軽く感じた。

移動販売は開始直後から大盛況だった。
金髪美人のお姫様がお茶を売っている≠ニいう噂は瞬く間に男子生徒を中心に広がり、
移動が困難になるほど人が押し寄せたため、結局、校舎前の位置で固定販売の体となってしまっている。

押し寄せたお客(男子生徒たち)の数があまりに凄かったため、
すぐに冷やしていたお茶が無くなってしまったのだが、彼らは冷えたお茶を買いに来たのではなく、
あくまでも金髪美人のお姫様が売っているお茶≠買いに来たのであって、
それが冷えているか否かはまったく問題にしていないようだった。
645 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:59:20.42 ID:mHAiqlzi0

しかも最初は著莪オンリーで売っていたものの、途中、ふとしたことから白粉が購入者の手を拭いたのを目撃した
1部の男子たちが、更にその噂を広めてしまい、今ではお客全体の約80%が著莪、19%が白粉。
残る1%が何故か茉莉花といった具合に分かれていた。

「……いいなぁ、こういうの」

昔から自分は体が弱いため学校の行事等に参加することが稀だった。
大抵は直前に体調を崩したり、行事の最中に気分が悪くなる。

そんな中、今回のように万全の状態で臨むイベントは楽しくて仕方がなかった。
とりわけ年上の著莪や佐藤が自分を対等に扱ってくれたことで、自分も文化祭に参加しているような気になれる。

「私も役に立ってるんだよね。えへへ、嬉しいな……」

茉莉花の頭の中に、この旅行中、1度は絶対にやってみたいことが思いかえされた。

それは彼女の大好きな姉が熱中するもの……スーパーマーケットでの半額弁当争奪戦である。

しかしもはやそれ≠せずとも目的のもの≠ヘ手に入ったような気がした。

自分が争奪戦に参加したかったのは、なにも半額弁当が欲しかったからではない。

自分が本当に欲しかったのは、心の底から楽しいと思える想い出だったのだ。
646 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 17:59:51.69 ID:mHAiqlzi0

それが手に入った今、姉に心配をかけてまで争奪戦に参加する必要は……。

「茉莉花、お客さんだよ!」

著莪の声に、はい! と元気よく返事を返した茉莉花は手にしていたお茶を置き、振り返る。

白粉の列の隣。そこに先ほど3ケースものお茶を買ってくれた男子高校生の姿があった。

「あの……また買ってくれるんですか?」

相変わらず不気味な男に茉莉花が恐る恐る聞くと、彼は頷いて財布の中から一万円札を取り出した。
えっ、と茉莉花、著莪、白粉を始め、周りに居た客までもが息を呑み、まじまじと彼を見つめる。

「えっと……もしかして、1万円分ってことですか……?」

ペドオォォォ、と男は低く嘶き、首を縦に振った。
鼻息が妙に荒く、目がランランと輝いているものの、表情は真剣そのものといった感じである。

いいのかな? と思いつつ、茉莉花は差し出された1万円札を受け取ったところで、
今ここにあるお茶のストックだけでは足りないことに気が付いた。

「ごめんなさい、もうちょっと待ってくださいね。今佐藤さんが追加のお茶を持ってきてくれますから」

男はわかったと頷くと、ゴソゴソとズボンのポケットをあさりデジタルカメラを取り出しす。

「……えっ、お茶がくるまでに写真を1枚? それじゃ、著莪と白粉さんも一緒に……私だけで良いんですか?」
647 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:00:18.76 ID:mHAiqlzi0

 ○



「ラスト1本お買い上げ!! おかげさまで完売です、ありがとうございましたぁ!!」

僕が声を張り上げた瞬間、目の前に並ぶ男子生徒たちから「えー、マジかよ!」とか「ちくしょう! あとちょっと
早く並んでいれば……」などの悲痛な声が飛び交う。
中にはマジ泣きする者や、膝を地面につけて魂が抜けたかのように呆然とする者。
更には地面の土を袋やポケットに詰める高校球児まで出てくる始末だった。

対して最後の1本を購入した生徒をはじめとした『勝ち組』の面々は、
薄っすらと悲壮感すら漂う『負け組み』の面々をあざ笑いながら、
早速その場で自らの手にした勝利の美酒(お茶)に酔いしれている。

たかだかペットボトル入りのお茶が買えるか買えないかで、ここまで一喜一憂できるのが凄い……。

移動販売――殆ど移動していないのだが――は槍水さんの昼前後からが本番という予想に反し、
販売開始直後から好調だった。昼を過ぎた辺りからは客足が一般来場者も混じってピークとなり、
午後3時以降、少しその勢いが落ち着き、文化祭終了3時間前、屋台の至るところで
日本経済のデフレを思わせる値引き合戦が展開され始めた直後からが2度目のピークといった具合だった。

結局、お客の大多数は烏田の男子生徒で一般のお客は殆どおらず、
彼らはお茶よりも売り子の著莪を目当てとしていたらしいことが多分に感じられる。

「みんなー、買ってくれてありがとー!」

そう言って著莪が『完売』の札を掲げる。その瞬間、ワッ! と周辺にいた男子生徒たちから歓声の嵐が起こった。
明らかにアイドルとそのファンたちの構図である。……何か、ちょっと、嫌だな。
648 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:00:46.71 ID:mHAiqlzi0

「凄い人気だな、著莪は。まぁ、そのおかげでこんなに早く完売したわけだがな」

一旦部室に戻ろう。と言って槍水さんは少々お疲れ気味の茉莉花の手を引く。
僕と著莪は空のクーラーボックスと、やたら色んな人の手を拭きまくって
心身ともに消耗しきった白粉を台車に乗せ、その後に続いた。

「これでダンボールかなんかで台車の周りを囲ったら子連れ狼状態だよね」

「完全に見せ物だな」

普段の白粉ならば、こんな衆目に晒されるなんてことには耐えられないのだろうが、
今の彼女は幸いというかなんというかグロッキー状態なので、周りからの視線を気にする余裕がないようだ。
お疲れさん、と頭を撫でてやると辛うじて「ふぁい〜」と答えるのみである。

「なぁなぁ、佐藤。アタシも頑張ったんだけど?」

「はいはい、お疲れ、よく頑張りました」

著莪が肩を当てて自分の頭を僕の方に傾けてくるので、その頭に手を置き、撫でる。
彼女は喉を撫でてもらった猫のように気持ちよさそうな表情を浮かべた。
このまま撫で続ければ、そのうち喉を鳴らしはじめるかもしれない。

「ごろごろ……」

こちらの考えを読んだのか、ちょうどいいタイミングで著莪が鳴き真似をしたので、
アホか、と言って撫でていた手で彼女の頭をチョップする。
なにすんだよー、と言って著莪は笑った。
649 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:01:14.54 ID:mHAiqlzi0

「ところでこの後どうしよっか? 半値印証時刻にはまだ間があるし」

「せっかくだから屋台とか見て回ろうか、日中は合間を見て軽く食事をしただけだったし」

賛成! と著莪は笑顔で言った。
お祭り好きのコイツからしてみれば、待ちに待った瞬間の到来といった感じだろう。

まぁ、僕からすると、彼女に財産――財布の中身――をたかられるという
死刑執行時間が刻一刻と近づいているわけなのだけれど……。

僕らは台車を押しながら比較的ゆっくりとした速度で歩を進めた。
あんまり早く歩くと台車が揺れて大吾朗……じゃなかった、白粉が落ちてしまうためである。
そのせいで、槍水さんたちの後姿は随分前から見えなくなっていたけれど、これは仕方がない。

「そういえば、あせびは結局来なかったね」

「……そういえば」

あまりにも忙しくてすっかり失念していたが、僕らの友人でクラスメイトでもある井ノ上あせびちゃんは一昨日、
烏田高校の文化祭に来ると確かにいっていたはずなのだが……どうしてあせびちゃんが来なかったというだけで、
こんなにも不安が胸を過ぎるのだろう。

「アタシの携帯は服ごと白梅様に持っていかれちゃったから連絡があったのかどうか
 確認のしようがなかったんだよな……」

「僕の携帯には着信がなかったはずで……」

僕は言いながら携帯を開いたのだが……思わず「うぉっ!?」と声を上げてしまった。
650 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:01:43.16 ID:mHAiqlzi0

いや……なんていうか、確かに携帯はならなかったはずなのに……バッチリ残ってるのね。
あせびちゃんから連絡があったことを示す着信履歴が……。

着信履歴は50件まで登録可能になっているのだけれど、
既にその半数以上があせびちゃんの名前で埋められていた。そして、同じく彼女からのメールもほぼ同数……。

「ん? なになに? どうした――うぉ! なにこれ!?」

僕の肩に顎を置き、携帯の画面を覗き込んだ著莪は驚きの声を上げて固まった。

「べ、別に無視してたわけじゃないぞ。携帯は鳴らなかったのに履歴だけが残ってて……」

「……あぁ、うん、わかってる。あせびだもんね……」

とりあえずメールを見ようと著莪。近くの木陰に白粉とクーラーボックスを乗せた台車を移動させ、
最初に着たものから順にメールを開いていく。

その内容は『おはよう、洋君。今、校門前に着いたところだよ〜』と、
絵文字入りのかわいらしいものから始まり。

――『気付いたらトラックの荷台(コンテナ)の上に乗っちゃってて……どうしよぅ』
――『ふぇ〜ん、どんどん学校から離れちゃうよぉ〜』
――『今、信号待ちしていたら、かわいいネコさんを見つけたんだぁ〜。写メを送るねぇ』
――『さっき、学校の警備員のおじさんを見かけたから、手を振ったらあっちに気付いて、
   走って追いかけてきてくれるんだよ〜』
――『聞いて聞いて。今、あっちがちょっと余所見をしてたらドンッて大きな音が聞こえてね〜
   振り返ったらさっきまで後ろを走ってたおじさんが消えて、代わりに交差点の真ん中に
   フロント部分が凹んだ車が――』

……と、まるで警備員のオッちゃんが人身事故に遭ったのではないかと思わせるようなハートフルかつ、
割と深刻なものまで多岐にわたっていた。

「……すごいね」

「……うん、さすがあせびちゃん」
651 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:02:13.37 ID:mHAiqlzi0

僕らがメールの内容に軽く引いてると、突如、携帯が鳴り出す。
画面を見るとそこには『井ノ上あせび』の名前が……。

「も、もしもし?」

『あ〜、やっとつながったぁ〜。あっちだよぉ、洋君』

いつもと同じ、ほんわかと間延びしたあせびちゃんの声。
それを聞く限り、とても数時間前〜現在進行形で大変なめにあっているとは思えない……。

「佐藤、アタシに代わって」

著莪に携帯を渡すと、彼女は電話の向こうのあせびちゃんと暫し会話をし、
どこに居るのかを聞き出すと「じゃ、今から迎えに行くから」と言って電話を切った。

「あせびの奴、今、港にいるんだってさ。ちょっと行ってくる」

「オーケー、任せた……でもさぁ、その格好のままでいくわけ?」

あっ、と忘れてたことを思い出したかのように著莪は小さく声を洩らし、顔を赤くした。
ドレス姿に慣れて気になら無くなっていたのだろうが、改めて意識するとやはり恥ずかしいらしい。

「白梅様のとこに行ってくる……」

著莪が赤かった顔を急速に青くしながら、諦めたような口調で言ったとき――あたしが! という元気のいい声が。
声のした方を見ると、木陰に停めていた台車の横に何故か眼鏡を装着している白粉の姿が。
652 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:02:44.19 ID:mHAiqlzi0

「あたしが梅ちゃんのところに行って著莪さんの服を返してもらってきます。
 2人は部室で待っていてください」

「いや、花、無理しなくてもいいよ。疲れてるだろ?」

白粉は首を横に振り、大丈夫です、と言いながら僕たちにニチャっとした粘着質の笑みを向けてくる。
そして屋台街の中心に立てられた屋外ステージを指差した。
目を向けるとそこでは何らかのイベントが行われているらしく……あぁ、成程ね。
コイツが急に元気になったのはあれ≠フおかげか。

「烏田高校の文化祭名物、『鼓吹団』による『ふんどしの舞』! 圧倒的なパフォーマンス集団の名に相応しく
 ガタイのいい男たちがふんどし1丁で己の肉体美を惜しげもなく披露しつつ織り成す、まさに究極のパフォー
 マンス! もう最高ですよ!! あれを目にしたからには疲労なんてなんのそのです!!」

ステージ上では白粉のいう『鼓吹団』なる連中がふんどし姿で狂気の沙汰とも思える舞を披露していた。
もちろん観客は殆ど居ないのだけれど、彼らはそんなことお構いなしに踊り狂っている。

「圧倒的パフォーマンス集団っつぅかさぁ……ただの圧倒的変態集団だろ……」

「佐藤さん、あれは、ふんどしは素晴らしいものなんですよ! 日本古来より今に伝わる大切な伝統なんです!
 あの引き締まった臀部に食い込む純白の布を見てくださいよ、……はぁ〜、素晴らしい、何という芸術性!
 夏の合宿の時もそうでしたが、できることなら直接この手で貴重な日本文化に触れてみたい……」

白粉はウットリとした顔で深くため息をついた。
そんな彼女を見た僕と著莪も互いに顔を見合わせ、深いため息をつく。
……コイツが触れたいのは本当に日本文化なのか?

 「そう、あれは美学といってもいい……いえ、それよりもロマンといった方がしっくりイクような……
 ふむ、ロマン……か。なるほど、なかなか都合のいい言葉だ。今まで美学という言葉では表現し切れなかった
 行為や状況の理由付けがしやすくなる……これは是非とも今度の新作に盛り込まなくては……ふんどし姿で
 狂ったように踊る漢たち。ふんどしという名のロマンの虜となった彼らの運命は果たしてどこに向うのか?
 そしてその中に自身の相棒、サイトウ刑事がいるのを目撃してしまったガントウ刑事の心境は如何に? 
 ……ほほぅ、悪くない――あぅ!」

人を勝手に変態の一員にすんな。僕はそう言ってブツブツと小声で呟きだした白粉の後ろ髪を引っ張った。
653 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:03:15.43 ID:mHAiqlzi0

結局、白粉に著莪の服の件、ついでに生徒会から借りていた台車の返却を任せた僕らは、
とっくに部室まで辿り着いているであろう槍水姉妹の後を追った。

――アイツに任せて大丈夫だったのか? 
――まぁ、根は素直な娘だし大丈夫じゃない? 
――自分の欲望に、が抜けてるぞ。途中で寄り道してあれ≠見てるかも……。
――アハハ、確かにありえるかもね。
――笑ってる場合か。

そんな会話を著莪と交わしながら部室棟の階段を上り、502号室の前まできた僕は、
肩から提げていたクーラーボックスを床に置き、部室の扉のノブを握る。

扉を開けて中を覗き込めば、そこには当然のように僕らの先をいっていた槍水さんと茉莉花の姿が。
……しかし、何だか様子がおかしい。茉莉花は窓際の席に座り俯いているし、槍水さんはその前に
しゃがむようにして茉莉花の両肩に手を掛け、彼女の顔を見上げるように覗きこんでいる。
雰囲気もどことなく重たいし……この状況で僕はこれからどうすればいいのだろうか?
幸い、まだ槍水さんたちには気付かれていないようだし、ここは一旦撤退して善後策を講じるのが最良か?

「いやー、ごめんごめん、遅くなっちゃって。で、謝りついでっつーかさ、アタシちょっとこの後……ん?」

僕がそっと扉を閉めようとしたとき、後ろにいた著莪が事情を知らずにバーンと勢いよく扉を開け放ってしまう。
槍水さんたちは、この突然の来訪者に対して明らかに驚いたようだった。

どうしたの、2人とも? 雰囲気暗いけどなんかあった? と著莪はあっけらかんとして、まさにそんな
暗い雰囲気をぶち壊したわけなのだが……おそらく今、彼女がとった行動は、例えるなら受験勉強で
ピリピリしている息子を前にした母親が悪気なく『落ちる』『滑る』などの言葉を平然と使うようなものだった。

……ネネ様、本当に悪気はなかったんですよね?

「お前たちか、遅かったな……いや、ちょっと妹が熱を出してな。どうもお茶の販売を頑張りすぎたようなんだ。
 大した熱じゃないんだが、一応大事を取って今日はアパートに帰ろうと言っているんだが……如何せん、
 本人がうんと言わなくてな」

心底困り果てたような表情をした槍水さんは再度、茉莉花へと向き直り、帰ろうと優しく諭す。
けれど茉莉花は黙って首を横に振るだけだった。
654 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:03:43.88 ID:mHAiqlzi0

 ●



まただ……また、これからという時に自分の体は……。

槍水茉莉花は失意に暮れていた。今日は朝から慣れない一人旅をしたにも拘らず体調は良かったし、
お茶の販売を手伝っていた時も少し疲れただけに過ぎない。
だというのに販売を終えて部室に戻った途端、緊張の糸が切れ、体が重くなってしまった。

つい数分前までは何ともなかったのに。これから大好きな姉や、佐藤洋、著莪あやめ、
白粉花たちと一緒に文化祭を見て回るはずだったというのに……。

昔からいつもこうだった、楽しみにしていた遠足や運動会などの行事は、
ほぼ毎回、体調を悪くして見学……もしくは自宅で寝込み、見学すらできない。

どうして自分の体はこうも大事な時に自分の足を引っ張るのだろうか……。

「茉莉花、今日はもうアパートに帰ろう。文化祭見物は、また明日にして今は体を休めた方が良い」

今休んでおけば熱もすぐに引く、そう姉は言う。

……本当にそうだろうか? 茉莉花の心に疑問が湧き上がる。

姉の言う通りになる保証はどこにもないし、これまで自分が楽しみにしていた時ほど、
その期待はアッサリと裏切られることが多い。だったらいっそ、多少無理をしてでも……。

そんな考えが次々と浮かび、茉莉花に姉の言葉を受け入れさせようとしない。

無論、茉莉花には姉が如何に自分の体を気にかけてくれているかわかっている。
そして、姉の言うことが今の自分にとって最善であることも。
しかし、それを素直に受け入れることがどうしてもできない。
頭ではわかっているはずなのに、その一方でわかりたくない、わかろうとしない自分がいる。
655 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:04:12.92 ID:mHAiqlzi0

 ○



「……ん……んぅう〜……う〜っ……」

俯いていた茉莉花がポロリポロリと目尻から玉のような涙をこぼして泣き出してしまったのは、
僕らが部室に入ってから何度目かの説得を槍水さんが行った直後だった。
といってもセガがハード業界から撤退するというニュースを聞いた時の親父のように大泣きしたわけではなく、
堪えるように口を閉じて泣いているのである。

槍水さんはそんな茉莉花を抱きしめようとした。

「え〜とさぁ、仙……わるいんだけどちょっと席を外してくんない?」

そう言って槍水さんの肩に手を置き、著莪はウインクしてみせる。
槍水さんは暫し、著莪の碧眼をジッと見つめていたが、
やがて……「わかった、頼む……」と苦渋に満ちた顔をして部屋を出て行ってしまった。
大切にしていた妹さんに拒絶されたのが余程こたえたのだろう。

「……さてっと、茉莉花。とりあえず顔上げよっ、ほらハンカチ」

著莪は先ほどまで槍水さんがいたポジション――茉莉花の正面――に移動してしゃがみこむと、
ハンカチを取り出し、茉莉花に差し出す。ありがとうございます、とかろうじて口にするものの、
茉莉花は依然、暗い顔でハンカチを受け取らない。

「ん? ひょっとして遠慮してんの? 大丈夫だよ、コレで思いっきり鼻をかめばすっきりするぞ〜、
 ウチの学校の生徒会長なんかさぁ、……あ、今朝こっちに来る時一緒だったんだっけ?
 そう、オルトロスの片割れなんだけど。その人、前にスーパーで泣いてたことがあって、
 佐藤がハンカチ貸したんだけど、もう、ホント遠慮なく、ずびび〜! てやっちゃってさ、
 鼻水がこう、デロ〜ンと……うん、そうそう。まさにこんな感じ。アハハ、おかしいだろ?」

著莪は身振り手振りを加えながら面白おかしく茉莉花に梗さんのことを話して聞かせ、
次第に茉莉花も笑いつつ合いの手を入れてくる。こうなるともう完全に著莪のペースだった。
656 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:04:44.97 ID:mHAiqlzi0

「よーし! ようやく笑顔になった。そんじゃ、改めてハンカチ……それともアタシのより
 佐藤のやつの方がやりやすいかな?」

「そうですね、鼻水をつけるなら佐藤さんのハンカチの方がいいかも」

「茉莉花に変な入れ知恵をするんじゃありません」

著莪の頭に本日二度目のチョップをかます。なんだよ〜と著莪。茉莉花がそれを見て笑う。

「著莪さん、佐藤さん、ありがとうございます。おかげで元気出ました、もう平気です!」

茉莉花はポシェットからハンカチを取り出して涙を拭き、元気一杯に言った。
病は気から、というけれど、今の茉莉花を見ていると本当にそんな気がしてくる。
人間どんな時でも心の底から笑っていれば事は良い方に転ぶのかもしれない。

「うん、元気があってよろしい! でも今日は仙、お姉ちゃんとアパートに帰って休んでな」

「そうですね……うん、そうします。ゆっくり休んで、一杯お姉ちゃんに甘えちゃおっと」

……いいな、あの槍水さんにおっぱ――ゲフン! 一杯甘えられるなんて……僕と替わってくれないかな?
まぁ、無理なんだけど。

著莪はよしよしと茉莉花の頭をしこたま撫でると「仙〜! もう入ってきていいよ」と扉の方へ声をかける。
そろ〜、という感じでゆっくりと扉が開き、様子を窺うようにして槍水さんが恐る恐る部屋に入ってきた。

「ま、茉莉花……あ、あの……」

おっかなびっくりといった感じで槍水さんは茉莉花に話しかけようとするのだが、そこからの言葉が続かない。
普段のキリッとしたイメージの彼女からはおよそ考えられないような狼狽振りである。
657 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:05:13.22 ID:mHAiqlzi0

「お姉ちゃん、我がまま言ってごめんなさい……」

それまで部屋に入ってきた槍水さんを上目遣いで見つめていた茉莉花がそう言って頭を下げる。
それを見た槍水さんは心底ホッとした様子だった。

「いや、お前の気持ちを私ももう少し酌んでやるべきだった……それなのに一方的に――」

そんなことない! と言って茉莉花は槍水さんの胸に飛び込んだ。

「お姉ちゃんは私を心配して言ってくれてたんだもん……だからお姉ちゃんは悪くないの!」

「茉莉花……」

「お姉ちゃん……」

その後は2人とも言葉が続かず、ただただ、互いに抱きしめあっていた。
というより言葉は必要じゃなかったのかもしれない。
元々すごく仲のいい姉妹だったのだから、抱き合っているだけで相手の気持ちを酌めるのだろう。

僕も実際に経験があるからわかる。
昔から著莪と喧嘩をしてどちらか片方が明らかに悪いという時は悪いことをした方がベッドの中
(幼かった頃はお風呂の中でなんてこともあったけど)で相手の背を抱くようにしながら謝る。
あるいはそのままジッとしていると、不思議と互いの気持ちがよくわかるような気がするのだ。
体を合わせると心の距離も同じように縮まるのかもしれない。
658 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:05:43.63 ID:mHAiqlzi0

せっかく姉妹水入らず、邪魔するのも悪いと思い、著莪と連れ立って部室を出る。

「何かいいよな、ああいうのって。姉妹で抱き合って――」

「うわっ……佐藤、お前、いやらしいなー。そんな目で見てたのかよー」

「違うっつーの、お前はどんだけ僕を変態にしたいんだよ……」

「アッハッハ、まぁ、冗談はさておき……そうだね。抱き合ってるだけで気持ちが通じ合うみたいでさ。
 昔、佐藤と喧嘩しときとかはたいがいジャンケンかこれかだったもんな〜」

「そういやぁ最近喧嘩なんてしてないな」

「ん〜確かにそうだね、久々にやる? そんでもって抱き合っちゃう? お風呂の中で」

そう言って著莪はニヤニヤしながら、ん〜? といたずら心が多分に含まれた碧眼をこちらに向けてくる。

コイツは何故に風呂をチョイスしているのだ……いや、もちろん僕としてはやぶさかではないのだけれど……。

「……この歳で一緒に風呂とかありえねーだろ。却下だ却下」

「おんやぁ? その割には答えるまでに間があったな〜」
659 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:06:13.12 ID:mHAiqlzi0

正直に言っちゃえよ〜、と笑いを含んだ声で著莪は言いながら、僕の背に抱きついてくる。

そして明らかに意識的に胸元を押しつけてきやがりましてねぇ……えぇ、柔らかいんです、凄く……。

それにしてもコイツ本当に急成長したよな。中学校の頃はそれほどでもなかったってのに。
やはりイタリア系の母親であるリタの血が関係して……でもリタはあんまり大きくはないし……。
だとすれば著莪家の血筋、ということなのか? それとも他に何か? 

そういえば揉めば大きくなるとかいう真偽不明な都市伝説があるが、まさか自分で自分の胸を?
だとしたら何という寒い光景だろうか……。言ってくれれば僕がいくらでも揉――ゲフンゲフン! 
まぁ、この際彼女の胸が何故大きくなったのかという考察は止めるとして……えーと、
要するに何が言いたいかというと、アレだ、女体の神秘とは、ロマンワールドとは、
どうしてこうも僕の心を捉えて離さないのだろうかと――

「背後から抱きつくようにして動きを封じつつ、いやらしいケツにナニを突き立て……」

背後――背に抱きつく著莪の更に後ろ――からおぞましい独り言が聞こえてきたので著莪の腕を解き、振り返る。

いたいた……著莪の服が入っているらしい紙袋を床に置き、
眼鏡をかけてメモ帳にペンを走らせまくっているクリーチャーが……。

「ほらほら、正直に言っちまえよ。……欲しいんだろう? これ≠ェ。
 さぁ、一緒にイこうぜ、サイトウ。新たなるロマンワールド――あぅ!!」
660 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:06:44.47 ID:mHAiqlzi0

 ―03―



『彼女』は立ち止まり目線を上方へと向けた。学校の校門に期間限定で設置されたアーチが見え、
その中央の部分には大きな文字で『第37回・私立烏田高等学校文化祭』と書かれている。

「一般の入場は10時からって著莪が言ってたから、もう入っても大丈夫だね」

時計で時刻を確認した『彼女』はアーチを潜り、校舎まで続く屋台街を見物しながら、
知り合いがいないかそれとなく見渡す。……するとほどなくしてそれ≠目撃した。
相変わらずよく目立つな、と『彼女』は思う。

『神田フライヤー』という、どこだかの調理器具メーカーみたいな看板の取り付けられた屋台で、
いまどき珍しいアフロヘアーの彼は、その見事な梵天をそよ風に揺らしながらポテトを購入していた。

「やぁ、久しぶりだね《毛玉》。君がここに来てるってことは、やっぱり《氷結の魔女》に用事?」

『彼女』に毛玉と呼ばれた男は振り向き、サングラスの奥にある瞳で『彼女』の姿を確認すると、
おっ、と驚いたような顔をした。

「誰かと思えば《ガリー・トロット》じゃねぇか。お前さんにこんなところで会うとは夢にも思わなかったぜ。
 いくら自身の縄張りの近くとはいっても半値印証時刻にはさすがに早すぎんじゃねぇのか?」

「ここで知り合いがお茶の移動販売をしているんだ。その売り上げにボクも貢献しようかなって思ってさ」
661 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:07:12.84 ID:mHAiqlzi0

「ん? お茶の移動販売? それじゃ――」

毛玉が何か言いかけたところで、屋台をやっている男子学生がポテトが揚がったと告げてくる。
せっかくだからと『彼女』も何か注文することにした。
もうすぐお昼だったし、なによりもカフェで朝食を取ってから数時間が経過していてお腹がすいていた。

『神田フライヤー』のメニューを見ると、唐翌揚げ、フライドポテト、フィッシュアンドチップス、
アメリカンドッグに揚げアイス……等々、様々なものがラインナップされている。

「どれにしようかな〜、あ、コレ面白そう。すいません、この『揚げスニッカーズ』っていうのを1つ」

それまでアンチマテリアルライフルのごとき鋭い視線で『彼女』の胸部を凝視していた店員の
割烹着を着た男子生徒は『彼女』の注文の声で我に返ると、ちょっと待ってくださいね、と言い残して
屋台の裏へと引っ込む。

――おい、揚げスニッカーズの注文だぞ。資本主義の豚はどこ行った?
――マジか、注文がきたのかよ。
――神田なら飯喰ってくるっつって、ついさっき出て行っちまったぞ。
――ったく、せっかくの新作珍メニューに最初の客が来たってのに……矢部、お前アレ作れるか?
――できる……と言いたいところだが、残念ながら無理だ。アレは神田でなくちゃ作れねーよ。
――ロ〜リ〜。
――霧島、お前はいつまで写真眺めてんだ! いい加減仕事しろよ! さもないと写真破くぞ!!
――ペドオォォオォオォオオォオ!!
――うわっ!? 落ち着け霧島! 冗談、冗談だって!!
662 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:07:43.21 ID:mHAiqlzi0

やがて割烹着の端々に何か赤い模様≠付けて再登場した男子学生は、
今調理できる者がいないため注文の品が作れない、申し訳ない、と頭を下げてきた。
なら仕方ないね、と『彼女』は揚げスニッカーズを諦め、代わりに串揚げを注文する。
幸い、串揚げは早々に出来、『彼女』は代金と引き換えにそれを受け取ると、待っていてくれた毛玉と
一緒に近場の木陰に移動した。

「そんじゃ、改めて聞くけどよぉ、お前が言ってたお茶の移動販売をしてる知り合いって
 佐藤洋と著莪あやめの2人なんじゃねぇのか?」

「へぇ……君が洋たちの名を知ってるのは当然としても、お茶の移動販売のことまで知ってるとは
 思わなかったよ。まぁ、別に隠すようなことでもないし、その通りだよ。
 でもどうしてそのことを知っているのかは聞かせてもらって良いかい?」 

「情報のソースは明かせねぇ……だが、おまえの持ってる串揚げの1本を、オレのフライドポテトと
 交換してくれるなら口が滑っちまうかもな」

そう言ってそれまでのシリアスな顔つきを一変、ニッと笑いかけてくる毛玉に『彼女』は笑ってOKした。

これまでそんなに話したことはない彼だったけど、その外見どおり楽しい奴なのかも……。

そんなことを思いながら『串揚げ』の名が付いているものの、実際のところただの『鳥の唐翌揚げ』を3つ
串刺しにしただけのソレから、1つを外し毛玉の持つフライドポテトが盛られた紙皿の上に載せてやる。
663 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:08:12.69 ID:mHAiqlzi0

「おー、結構いけんじゃんよ。うめえうめえ! ほら、お前も食えよ」

「うん、いただくね」

紙皿に盛られたフライドポテトをちょいっと摘み、口に入れる。
以外にも素人の学生が作ったものにしてはポテトの表面はカリッと、中はホックリとなっており、
なかなか上手くできていた。ほんのりときいている塩味もいい塩梅である。

「こっちも美味しいね。……でも、両方とも脂っこいし、サッパリとしたお茶が欲しくなっちゃうなぁ」

「そうだな、これが昨日ならすぐそこんところで佐藤たちがお茶を売ってたんだが……」

「えっ? 昨日ならってどういうこと?」

「ん? あぁ、お前知らなかったのか。佐藤たちのやってた移動販売は昨日で終了したんだよ、
 お茶が1日で全部売り切れちまったんだ。
 湖の麗人がなんつぅか……ドレスアップされて本物の麗人になっちまっててな」

「麗人って……著莪のことだよね? 彼女がドレス姿?」

毛玉は実は昨日もこの会場を訪れていて一部始終を見ていたと前置きをしてから語りだした。

佐藤たちを見つけたのでに声をかけようとしたが、あまりにも忙しそうにしていたので、止めたこと。
著莪の人気っぷりと彼女目当てでお茶を買いに来る男子生徒たちの凄まじさ。
氷結の魔女の妹が来ていて、その彼女の服装にロマンを感じた……等々。
664 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:08:46.90 ID:mHAiqlzi0

「ふ〜ん、そっかぁ、最後の辺りは何を言っているのかよくわからなかったけど、
 その他はよくわかったよ。そっか、お茶、売り切れちゃったんだ。ボクとしてはちょっと残念だけど、
 それでも大盛況で売り切れになったのはいいことだね……でも著莪のドレス姿かぁ、見てみたかったな」

「携帯電話のカメラで撮ったのでよければ見るか?」

うん! 見る見る! と目を輝かせる『彼女』に、ちょっと待ってろ、と言って毛玉は携帯を操作し、
液晶画面に画像を映し出す。

お姫様みたい……と、それを見た『彼女』は呟いた。

だよなぁ……と、毛玉がため息を洩らす。

画面に映った著莪あやめはその活発そうな様子から辛うじて自分の知っている彼女だとわかる。
が、もしこれで眼鏡を取り、椅子にでも座って大人しくしていれば、
果たして自分は彼女を著莪あやめと見抜けただろうか……。それほどまでの変わりようだった。

もちろん彼女は普段から見る者を十分に惹きつける容姿を持っていたし、
元《ガブリエル・ラチェット》のメンバーの中にも多くのファンがいることは聞き知っている。
同姓である自分から見ても綺麗だと思うし、その2つ名もよく本人を表している。
……しかし、まさか服装を変えただけでこれほどとは……。

「本当、まさに麗人だね、これは……。男子生徒が殺到したのもわかるよ」
665 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:09:15.95 ID:mHAiqlzi0

「だろ? 最初にこいつを見たとき普段の服装とのギャップが凄いから一瞬、誰? って感じだったぞ」

「う〜、こんなの見たからますます実際に見たくなっちゃった」

「だよなぁ……こんな本格的なドレスとはいわないから、せめてお前が着てるサマードレスでも
 身に付けてくれねぇもんかな〜」

「そうだよね〜あっ、でもボクの着てるコレはダメかも。
 若干胸のところがソフト過ぎるから人によっては好き嫌いがあると思うし」

胸……だと? 。それまでわりと軽いノリで会話をしていた毛玉が、急に真剣な顔つきになり、聞き返す。
『彼女』はそんな彼に自分が着ているサマードレスの説明をした。

「……ガリー・トロットさんよぉ……それはつまりノーブラ状態でスーパーマーケットを、
 戦場を駆けている……ってことかい? おっと、勘違いしないでくれよ? 
 オレはあくまで学術的な興味から聞いているだけで……」

「うん、そうだよ。争奪戦時に激しく動いても痛くないし、むしろ開放感があって僕は好きなんだ」

その他にも、この兄から送られてくる服を着るようになってからというもの、2つ名を得ることができたり、
友達からは綺麗になったと言われたりと『彼女』は色々な意味で気に入っている。

「お前なぁ……聞いたオレがこう言うのもなんだが、その手の発言はもうちょっと控えめにした方がいいぞ。
 特に男の前ではな」

どうして? と首を傾げる『彼女』を見た毛玉は、ハァ……と深くため息をつき「お前、女だろうが」と言う。
そういえば、昔、兄や友達から同じようなことを言われたのを『彼女』は思い出した。
666 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:09:46.69 ID:mHAiqlzi0

「そんなにボクって女らしくないかなぁ? スタイルとかは悪くないと思うんだけど……」

「いや、そういう見た目のことを言ってるんじゃないんだが……」

「違うの? だったらアレのことかな、冬以外、眠る時に服を着ないとか――」

その瞬間、呆れ顔でフライドポテトを摘んでいた毛玉が勢いよく噴き出した。
咀嚼中だったポテトの破片が盛大に宙を舞う。

「どっ、どうしたんだい!? いきなり噴き出すなんて」

「……お前のそういうところが……いや、もうこの話は終わりにしよう。
 これ以上続けていたらオレのポテトがいつまで経っても胃袋へきそうにねぇ……」

そう言って毛玉は無言でポテトを食べ始めた。彼が何を言おうとしたのか気にかかるが、
ともかく『彼女』も食べかけの串揚げを片付ける作業に専念する。

「う〜ん、美味しいんだけど……」

串揚げはフライドポテト以上にパワフルな揚げ物だったので、
やっぱり何か飲み物が欲しいと『彼女』は思った。



一人称が『ボク』の『彼女』は丸富大学4年商学部商学科、山木柚子。

ビッグ・マムの治めし領域にのみその姿を現し、1年前のこの日、《氷結の魔女》を退け
名を上げた、輪郭の定かでない白き犬の姿をした化け物の名を関されし狼。

人は彼女を――ガリー・トロットと呼んだ。
667 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:10:14.56 ID:mHAiqlzi0

 ○



昨日と同じく天候に恵まれた文化祭の2日目は、
正午を過ぎた段階で初日以上の盛り上がりを見せていた。
出店(売り手の生徒たち)が手元の材料を使ってしまいたいがため、やたらと気合を入れているし、
今日が日曜日ということもあって一般来場者の数が多く、需要と供給のバランスが上手くとれている。

屋台街を歩いていると活気に溢れた呼び込みの声と共に、焼き鳥のタレや、
焼きそばのソースが焦げる匂いが流れてきて口内に唾が沸いた。

「おっ、フランクフルトだ! 茉莉花、1本買って半分こしようか? ……よし決定!
 おっちゃん、1本頂戴! あっお金はコイツが払うから」

視線の先を変えれば甘い匂いの香る女生徒だけのクレープ屋に、この暑さにはもってこいのカキ氷屋台。

「へー、駄菓子の屋台もあんじゃん! ……えーっと、うまい棒のコーンポタージュとチーズと、
 茉莉花は何がいい? ……ほっほぅ、ビッグカツをチョイスするとはわかってるねぇ君〜。
 あとはヨーグルトを……4つでいいか。じゃこんだけね。……佐藤、お金」

他にも、くじ引き、射的といった娯楽系の――

「えっ、茉莉花って型抜きやったことないのかよ!? そりゃいかん、
 この子供の賭博場は1度は経験しとかないと。……ってなわけで佐藤、財布出せ」

……神様、何故僕は高校生になってもまだ従姉にカツアゲされているのでしょうか……。
668 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:10:42.94 ID:mHAiqlzi0

いや、もちろんこれが昨日、著莪と交わした約束であることはわかっている。……わかってはいるのだが……。

茉莉花の熱は引いたものの、一応少し様子を見るということで、
僕らが文化祭の会場にやってきたのは午前11時過ぎ。

それからここ1時間あまりの間に僕が著莪におごらされたものは、伊勢エビフライ、焼きそば、タコヤキ、
フランクフルト、駄菓子を多数、そして型抜き……。
僕の財布は怒涛の勢いで疲弊してゆき、中でも『限定1名、伊勢エビフライ』2500円は先制攻撃にして
強烈な1撃だった。大体あの『神田フライヤー』とかいう残念そうな男たちがやっていた屋台、
……なんで文化祭の屋台なのに伊勢エビのフライなんてぶっ飛んだモン売ってんだよ……。
見たところメニューの多さを売りにしているようだったが、
なんでもかんでも用意すればいいというものではなかろうに。
誰が文化祭で2500円もする料理を食べるんだか。まぁ、僕たちが買って食べたんだけどさ……。

僕はため息をつきつつ屋台の前でしゃがみこみ、真剣な顔をして型抜きに興じる著莪と茉莉花、
特に茉莉花に視線を向けた。今日の彼女は赤いホットパンツを穿いていて、槍水さん曰く。

「人は周りの色によって気分や体温が変わったりすると言われている。
 赤は体温を上げたり、元気が出たりする作用があるそうだ」

気休めかもしれないが、無いよりは良い。ということらしい。
実際、今のところ茉莉花は元気だし効果があるのかもしれない。

その際、ひょんなことから昨日茉莉花が白いローライズで丈の短いホットパンツを穿いていたという事実が発覚して、
僕は「何だと!?」と驚き、前日に目にしたロマンが実は己の願望が作り上げた虚像であったことに軽く絶望したが
……まぁ、それはいい。この世には知らなくてもいいことがあるのだと学んだのだから。
669 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:11:24.55 ID:mHAiqlzi0

「茉莉花、楽しそうだな……良いことだ」

隣で僕と同じように茉莉花たちの様子を見ていた槍水さんは口では良いと言いながらも……何故か若干不満げな
顔をしていた。
ここに来てからというもの茉莉花は著莪にベッタリだったので、それが気にくわないのかもしれない。

「あ、割れちゃった……うぅ……」

型を3分の2ぐらい抜いたところで失敗したらしく茉莉花が肩を落として唸る。

ところでこの型抜きというのは、砂糖と餅粉を練り合わせた板みたいなものに、動植物などの絵が薄っすらと
彫られており、この絵の通りに画鋲、または針、歯ブラシを用いて余分な部分を削り落としていくのだが……
ぶっちゃけ、余程の時間とテク、そして運が無ければ抜ききれないのである。

「ありゃりゃ、アタシもやっちゃた。残念」

著莪が抜くのに失敗した型をこちらに見せ、苦笑い。
彼女が挑戦した馬の型は、その殆どが綺麗に抜かれていて完成まじかなのだが、
残念なことに最後に尻尾の部分が折れてしまっていた。

「あぁ……著莪さん、もうちょっとだったのに」

「まぁ、こんなのよくあることだって。それよりも茉莉花……」

リベンジしたくない? と著莪は続け、僕にチラチラと視線を投げかける。
茉莉花はそれを見て即座に悟ったらしく、「できることならしたいです……」と言い、
著莪と同じく、僕を横目でチラチラと……。

クッ! 著莪だけならまだしも、茉莉花まで!? なんだ、この息のあった連係プレイは……。

「こらっ、人様に物をねだるなんてあつかましいぞ茉莉花」

槍水さんに窘められた茉莉花はションボリと肩を落とす。気にすることないのに、と著莪。お前が言うな。
670 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:11:51.13 ID:mHAiqlzi0

しかしなんだ……こんな風に幼女から期待されてしまっては、男として期待に応えてやらなければいけない
ような気になってくるな。……むろん、将来への先行投資的な下心ではなく。

「そんなにやりたいのなら私に――」

「いえ、いいんですよ槍水さん。……すみません、型を2人分お願いします」

「さっすが佐藤! そうこなくっちゃ!」

別にお前を喜ばせるために奢っているわけじゃないぞ。

そう胸の内で呟きながら財布を出そうとすると、「ありがとうございますっ! 佐藤さん!」の声と共に、
茉莉花が背後から頬をすり寄せるように僕の首に腕をまわし、抱きついてくる。
何だか喜びのあまり、飼い主に飛び掛ってゆく愛玩犬を想像させた。

あと僕はロリコンではないので幼女に抱きつかれたところで喜んだりとか、
いやらしい気持ちになったりとかは断じてしない。いや、本当に。
むしろ、悲しいとか残念とか思っちゃったもの。何故かって? 簡単なことさ。
茉莉花は今、思いっきり僕の背に体を密着させている。
……しかし悲しいかな、彼女はまだ10歳の幼女であり、その体は第2次性徴を迎えておらず、
だからこそ当然ながら胸の膨らみなぞあろうはずもなく僕の背には何の感触もなかったりする。
せめて彼女が槍水さんぐらいの年齢だったら、と思わずにはいられない。

あの〜、神様、あと数年待ってから、改めてこの状況を僕に与えてくれませんでしょうか?
……ダメ、ですか……えぇ、そうですよね、わかっていますとも……チクショウめが!!

結局2人ともこの後、2回ずつチャレンジし、著莪がなんとか面目躍如よろしく1枚抜ききっただけ。
一方で1枚も抜けなかった茉莉花はしきりに悔しいと言いながらも、結構楽しめたようで、ニコニコしていた。
良いことである。

……ところでさっきから何故か槍水さんが不機嫌そうな顔をして僕を睨んでいるのだが、
何か気に障るようなことをしてしまったのだろうか?
671 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/02(木) 18:12:02.50 ID:kUaS6bJFo
ガリー! ガリー・トロット!
672 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:12:24.53 ID:mHAiqlzi0

「あっ、あのぅ……」

それまで朝から殆ど喋らずにいた白粉が小声で言いつつ手を挙げる。

「えぁっと、その、すみません……あたし、そろそろ……」

「ん?どうした、白粉?」

「実は劇の準備が、最後のリハーサルがあるんです。それで……イかないとイケなくて。
 でもあたしが居ない方が楽しめると思います。というかその方が楽しいですよ、きっと!」

「なんで最後の辺りだけ元気になんだよ、花」

茉莉花と2人、先行してくじ引きの屋台で遊んでいた著莪が引き返してきて、白粉の頭をポンポンと叩く。
僕と槍水さんは苦笑いを浮かべた。白粉の卑屈さは今に始まったことではないにしても……何だかなぁ。

「あれ? 白粉さんどこかいっちゃうんですか? ……劇のリハーサル? わぁーすごい! 
 絶対見にいきますね。あ、その前に1枚いいですか?」

少し遅れてやってきた茉莉花はそう言うと、ポシェットの中からデジカメを取り出して白粉に向ける。

「ま、茉莉花ちゃん、そんな、あたしなんか撮ったらカメラがよ――ひゃっ!?」

白粉が、自分を撮るとカメラが汚れる、何て聞いたところで誰の特にもならないようなことを言いかけた時、
著莪が背後から抱きついた。

「なになに写真撮んの? おーし! そんじゃ茉莉花、アタシも花と一緒に撮ってもらおっかなっ!」

あ、あの……、と戸惑う白粉に著莪は、いいから、と彼女をカメラに向かせ自分はピースサイン。
そして茉莉花にシャッターを切るようにと指示をだす。

「それじゃ撮りますね。白粉さん、笑ってくださーい!」

茉莉花がカメラを構えると観念したのか、やっと白粉も笑顔をつくる。
ただし著莪に抱きつかれているからか若干引きつっているように見えた。

茉莉花はそんなこと一切気にせずデジカメでパシャリ。
673 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:12:56.13 ID:mHAiqlzi0



それじゃ、また後で、と白粉と分かれた僕らは屋台めぐりを再開した。
とはいうものの、この時点で大体の屋台は回ってしまっていたので、足先は自然と校舎の中へ向く。

「白粉の劇は15時30分からのようだ。あと3時間近くあるが、どこから回る?」

中央玄関のところに置かれていた文化祭のパンフレットを茉莉花と一緒に見ていた槍水さんは
僕たちの方を見て言った。茉莉花が近くに居るからか表情が柔らかい。

「う〜ん、アタシはどこでもいいけど。そうだ、せっかくだから仙は茉莉花と2人で回ってきたら?
 久々に姉妹水入らずでさ」

著莪の提案を聞いた茉莉花が槍水さんの腕に飛びつき、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。

「やった! お姉ちゃん、行こう!」

「あ、あぁ、そうだな……。それじゃ、佐藤、著莪、ちょっと行ってくる」

遠慮がちにそう言いつつも、槍水さんは嬉しそうに目を輝かせる。

白粉の劇の時間に体育館で落ち合おうという約束を交わして僕らは仲良く手をつなぐ姉妹を見送った。

「仙って本当に茉莉花にベッタリだな。ありゃ茉莉花に何かおねだりされたら絶対にダメとは言わないぜ」

「だろうな、溺愛って言葉がピッタリだよ。……で、僕らはどこへいく?」

「そーだなー、特に決めずに面白そうな所があったら入ろっか」

「著莪、いっとくけど僕はもう奢らないからな? っつぅか今度はお前が僕に奢れよ」

考えとくよ、と言って著莪は笑う。この調子だと奢ってもらうことは期待できないだろう。
そればかりか、更なる搾取が待ち構えているかもしれない……。

「何ため息ついてんだよ? ほら、いこっ!」

僕の手を取ると著莪は歩き出した。
674 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:13:25.83 ID:mHAiqlzi0

校舎内はハッキリ言ってイロモノ系の出し物に溢れていた。
というのも屋外の店と違い、屋台の建設コストが掛からない分、そこまで気合を入れるて商売をする必要が無い。
言ってしまえば赤字を前提とした企画や無料の出し物がやりやすいのである。

店の人間が各々家にあったいらないモノを持ち寄って景品にしているらしいクジ屋、
手作り感の溢れたショートムービーをエンドレスに流すも客からは完全に休憩所として認識されている劇場、
何故だかはわからないが煌々とライトが照っていて明るい室内で営業しているお化け屋敷。

どんな店かはともかく、みんなとてもやる気に溢れ、楽しげな空気が……まぁ、例外もあったりするが、
全体的には十分な盛り上がりを見せている。

そんな店の数々を通り過ぎ、時には冷やかしたりしながら、僕らは校舎の2階へと足を踏み入れた。
すると突然「お帰りなさいませ、ご主人さま!」という声が。オーソドックスな安っぽい生地のメイド服と
エプロン、そして猫耳という3拍子を身に纏った女生徒が立っていた。どうやら階段を上がった最初の教室は
昨今の文化祭関係でほぼ必ずといっていいほど目にするメイド喫茶となっているらしい。

「えーっと、どうしよっか? 寄ってく?」

営業スマイルを浮かべるメイドの前で2人して考えていると、
僕らから遠い方の扉――多分この店ではあちらが出口になっているのだろう――がガラリと開き、
見慣れた梵天がヌッと出てきた。その後から続いて、こちらもよく見知っている耳にピアスを通した男の姿が。

「あっ! 二階堂に毛玉じゃん!」

「ん? よぉ、誰かと思えば佐藤に湖の麗人か」

とりあえずまた後で、とメイド風の女生徒に会釈し、先輩達の元へと向かう。

「こんにちは先輩、いつココに?」

「30分ぐらい前だ。それよりも、いや、立ち話もなんだな、2人とも時間はあるか?
 ……よし、なら俺たちはこれからココに入るんだがお前たちも一緒にどうだ?」

先輩はたった今出てきたメイド喫茶の隣の教室を指差して聞いてくる。僕らは2つ返事でそれを受けた。
675 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:13:53.44 ID:mHAiqlzi0

その教室は出入り口の辺りから既に装飾が施されていた。
黒い垂れ幕にクリスマスツリー用の電飾や100均で買い集めたであろうクリスタル風のプラスチックを
散りばめた無駄にけばけばしい飾り付けの、いわゆる夜のお店風である。

先輩と毛玉を先頭に僕らが近づくと客引きらしい黒スーツにサングラスをかけた男子生徒が深々と1礼してくる。

「ようこそ、『お好みホストクラブ・カラスダ』へ。4名様でよろしいですね?」

どうぞこちらへ、という彼の案内で僕らは入店。

店内はブラックライトや、どこから調達してきたのかやたらと派手な照明器具などが取り付けられていて、
薄暗く、チープではあるが一応ホストクラブっぽい内装となっていた。

案内された席に腰を下ろすと別の黒服を着た男子生徒がメニューを持ってきて説明してくれる。
それによるとどうやらこの店は基本、お好み焼き屋であるらしい。

ともかく僕と著莪、先輩と毛玉でオススメを注文する。
黒服の学生は注文を紙に書いて確認すると最後にメニューを裏返し、「ご指名は?」と聞いてくる。

なんぞ? と思い、裏返されたメニューに目をやると……あぁ、なるほど、と僕は納得した。

この店の名前である『お好みホストクラブ・カラスダ』。
そのホストの顔写真がメニュー表の裏側に載っていたのである。

「『アゴ☆ヒゲ』を頼む」
676 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:14:20.72 ID:mHAiqlzi0

毛玉がメニューを一度も見ずに黒服に告げると彼は「かしこまりました」と頭を下げ、
メニュー表を持って奥へと消えていった。

……何でかな、毛玉の指名した『アゴ☆ヒゲ』に心当たりがありすぎるのだけど。

著莪が僕のシャツを引っ張りながら、ねぇ、と目配せしてくる。
どうやら彼女の頭にも彼≠フ顔が映し出されているようだった。
先輩や毛玉を見るも、彼らはこちらの視線に気付きながら何も言おうとしない。

だとするといよいよもって僕らの予想したアイツ≠ェこの店に。

数秒後、「ご氏名、ありがとうございます」の声と共に僕らの前に姿を現したのは――。

「よう、ワン公に麗人、お前らも一緒に来てたのか、久しぶりだな。
 こうしてスーパー以外で顔を合わせるのは初めてか。……おっと、接客をしないとな。
 ようこそ『お好みホストクラブ・カラスダ』へ、ご指名いただいた『アゴ☆ヒゲ』だ。よろしくな」

……想像通りというか、ある意味想像以上の斜め上というか。チャラい感じの派手なスーツを着て、
ホットプレートを抱えた狼、顎鬚が登場した。

シャツの襟とか立てまくりで、胸元もバッチリはだけていて……何というか、
その様がもの凄くよく似合っていたので僕は引いた。……著莪や毛玉は普通に笑っていたけれど。

「どうした、ワン公? 下向いちまって、気分でも悪いのか? ……え、似合ってる? 本職みたい?
 ハハッ、ありがとよ。お世辞でも嬉しい……ん? お世辞じゃない? おいおい、そんなマジ顔で
 言うなって、てれちまうじゃねーか。よーし、お礼に当店特製のぶっかけ≠サービスしてやるよ」

顎鬚は早口でそう言うと、手に持っていたホットプレートを颯爽とテーブル上にセットして調理を開始した。

ところで今の顎鬚の言葉を聞いて、白粉がいたら大層喜んだだろうな、と思った僕はもうダメかもしれない……。
677 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:14:48.76 ID:mHAiqlzi0

 ●



日付は一旦戻り、文化祭初日の午後9過ぎ。
1台のマイクロバスが閑静な住宅街の中にそびえ立つ1軒のスーパーマーケットの前に停まった。

降車口が開き、車内からぞろぞろと人が降りてくる。普段このスーパーで働いている従業員やパートタイマー達だ。
彼らは各々が片手、もしくは両手にパンパンに膨らんだビニール製の買い物袋を提げている。

葦原もまたそんな御一行の一員だった。彼女はバスの最後尾5人掛けの席に主任と一緒に座っていたため
バスから降りるのが最後から二番目となってしまう。

両手に、これでもか、というくらい栗を詰め込んだ袋を提げた葦原はバスを降りたところで立ち止まり
今日1日を振り返る。

なかなかハードな1日だった。毎年恒例のバス旅行in栗拾い。
この社員旅行は栗拾いがメインイベントではあるのだが、その他にも観光したり、足湯に浸かったり、
おいしいものを食べたり……等々。しかもこれらを日帰り旅行で消化してしまうのだから必然的に
スケジュールが詰まってしまう。

「あー疲れた……でも、フフ……」

葦原は両手に下げた袋を見て笑みをこぼす。そう、例えハードスケジュールなバスツアーとはいえ、
高級食材である栗をタダで好きなだけ拾えるというのだからたまらない。
実際、葦原を始めとした主婦一同からの絶大な支持を受けているので長引く不況下においても尚、
この社員旅行は存続しているのである。
678 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:15:15.86 ID:mHAiqlzi0

「何ニヤケながら立ち止まってんの、気持ち悪いわよ。アンタE.T.からエイリアンにでも昇格するつもり?
 邪魔だから退けなさいよ」

「あっ、すみません」

葦原がその場から数歩前に出て振り返ると、バスの降車口のところに化け物の着ぐるみのような主任の姿があった。
彼が降車口の段を1段また1段と降りるたびにマイクロバスの車体が揺れ、
その極太の両足がアスファルトの地面に降り立った時、明らかにバスの車体が浮いた。

「……主任、もうちょっとダイエットとかした方がいいですよぅ。バスのタイヤがパンクしちゃいます」

「アンタねぇ、よく見なさい! あたしはこれでもこの夏に瘦せて今や体重が100キロジャストなのよ!」

「普通100キロの体重を軽いとは言わ――」

「シャラップ!! とにかく痩せてんのよ! それに重量感があるのはこの栗のせいでもあるわ!」

そう言って主任は親指で自分の背を差す。

彼はどこぞのミリタリーショップで購入したという自衛隊のリュックサックを背負っていて、
しかもその中に目一杯栗を詰め込んでいるのだ。主任が重いのは動かしようのない事実だが、
それでも確かに、この重量感の何割かは彼の採ってきた膨大な量の栗が担っているのは間違いなかった。
そもそも常人が背負える重量なのかどうかも疑わしい。

「毎年のことですけど、よくそんなに採れますね主任」

「そりゃそうよ、こちとらワザワザ栗の花が咲いてない時に出向いてやってんだから。
 せめて採れるだけ採ってやらないと割に合わないわ」

「でも主任の場合は採り過ぎじゃないですか? 泣いてましたよ、栗園のおじさん……」
679 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:15:46.67 ID:mHAiqlzi0

「そんなの知ったこっちゃないわね。嫌なら採り放題っていう看板を下ろしゃぁいいのよ」

「それは……そうですけど……あっ、こんな風に話し込んでる場合じゃないんでした。早く帰らなくちゃ」

それじゃ主任、失礼します、と葦原が踵を返すと同時に彼女の右肩がムンズと掴まれる。
恐る恐る葦原が振り返ると、いつの間にか急接近していた主任が太い腕をこちらに伸ばしていた。
気のせいか自分たちの間に『ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ……』の文字があるような……。

「あ、あのぅ主任?」

「何アッサリと帰ろうとしてんの? アンタはこれからあたしと一緒に栗の皮剝き作業をしてもらうわよ。
 明日の目玉に和栗おこわ弁当を出すから今晩作業をしないと間に合わないわ」

えぇー!? と非難の声をあげる葦原に主任は、栗というものは何もしないで放置しておくとすぐに虫が出る、
かといって薬剤を使ってお手軽に済ますというのは自分のプライドが許さない、等の説明をとうとうと延べる。

「そんな……家で旦那が待ってるんですよぅ……」

「あたしにとっちゃ明日は男をゲットできるかどうか一世一代の大勝負なのよ! この栗おこわ弁当が
 うまくいけば、あの狼が手にして食してくれれば……きっとあたしの想いは伝わるはず!」

果たしてそう、うまくいくのだろうか? というのが葦原の正直な意見だった。

前回、主任が特大の怨念……ではなく、重い……でもなく、想いを込めた『特製和牛ステーキ弁当』は結局
他の狼に獲られてしまったわけだし、今度はそうならないという保証はない。
また、もしもうまい具合に主任が目をつけていた彼が奪取したとしても、果たして主任の気持ちに気付くか
は疑問である。
680 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:16:15.08 ID:mHAiqlzi0

「何よその目は。心配しなくても大丈夫よ。この前あたしの邪魔をしたあの金髪の狼には
 レジのところで睨みを利かせておいたから。2度とうちには来ないわ」

「う〜ん、でも私が見てた限りじゃあの子、エントランスの方ばっかり気にしてて全然主任の顔を
 見てなかったような――」

「うっさいわね、アンタ! 一々細かいことを……あたしが大丈夫っつってるんだから大丈夫なのよ!!
 それにあたしが男をゲットできれば必然的にアンタの旦那はターゲットリストから外れるのよ!
 嬉しくないの!!」

「うっ、それは、まぁ……嬉しいですけど……」

「でしょう? だから下拵えを手伝え、今すぐに!
 断ったらそこにあるママチャリの籠に詰め込んで夜空に飛ばすぞ!!」

どちらにせよこうなったら自分に拒否権はない。それに夜空を飛ぶことだってもちろん避けたい……。

葦原は渋々、わかりました、と頷き、主任の後について店の裏口へと向い……ある重大な事に気がついた。

「あのぅ、主任、私今日はオフになっているんですけど、この作業に時給はつくんですよね?」

主任は葦原の質問に答えず、ポケットから鍵を取り出しながら一言――

「あたしもオフでタダ働きよ」

葦原は急に自分がもの凄くかわいそうに思えてきた。家に居る旦那に今すぐ来てもらって慰めてもらいたい、
これからタダ働きをする自分を褒めてもらいたい……と、一瞬思ったが慌てて打ち消した。

そんなことになれば……旦那が危ない。
681 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:16:43.80 ID:mHAiqlzi0

 ○



「著莪、飲み物は?」

「お茶ならいる。ジュースとか甘いものはパス……」

僕は冷蔵庫の扉を開けて麦茶の入ったペットボトルを取り出し、紙コップに注いだ。

「ほら、起きれるか?」

部室棟の502号、HP同好会部室に鎮座するやたらと立派な円卓。
その円卓上で寝転がっていた著莪は苦しそうな顔をしながらも「あんがと……」と言って起き上がり、
僕が差し出した紙コップを手にする。

彼女がお茶を飲んでいる最中、体育館の方から拍手と歓声が聞こえてきた。
時計を見ると時刻は午後4時30分を回ったところ。おそらくは白粉の劇が終わったのだろう。

「高評だったみたいだな、白粉の劇」

窓から体育館の方を見ながら言うと著莪も、うん、とだけ答える。
僕の視線の先から聞こえていた拍手はやがて止んだと思ったら、再度鳴り響き、また止む、
というのを繰り返している。どうやらカーテンコール、出演者などの紹介が行われているらしい。

何度目かの拍手のあと、不意に、ごめんね、の声。振り向くと同時に腕が伸びてきて僕は抱きしめられた。
相手はむろん著莪。彼女の使っているシャンプーの香りが漂う。互いの顔の距離が文字通り目と鼻の先だった。

ひょっとしたら著莪は僕の背に抱きつこうとしたのかもしれない。
それを僕が振り向いてしまったのでこんな風に正面からの形になってしまったのかも……。
まぁ、背後だろうが正面だろうが大した違いじゃないのだが。

「アタシのせいで佐藤まで劇見られなくなっちゃって……」

「そうはいっても半分以上は見れたんだし気にすんなって。予め脚本の内容は知ってて、あの後の展開も
 わかってるし。それよりも、これに懲りたら今度からはもうちょっと甘いもんの間食を自重するように」
682 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:17:13.43 ID:mHAiqlzi0

そう、著莪がこうして部室で横になっていたのは何も熱中症のようなものではなく、
単なに食い過ぎによる胸焼けが原因なのである。

顎鬚の店から出た後も先輩(+毛玉)と行動を共にしていた僕たちは、続けて坊主のやっていた店、
『たこ焼きショップ 神龍』へと向かい、散々笑い倒し。更にそこから幾つかの店、屋台(飲食系)を回った。

行く店行く店、先輩が奢ってくれるので、僕ら、とりわけ著莪が調子に乗ってしまい、
そしてあろうことか『神田フライヤー』が伊勢えびフライの代わりに始めたという珍メニュー、
『揚げスニッカーズ』に手を出してしまったのである。

「……うん、反省してる……。特にラストのあれ≠ヘやり過ぎたよ……」

そう言って苦笑いを浮かべた著莪は、思い出してまた気分が悪くなったのか僕から離れると再び円卓の上に
寝転がる。

著莪をダウンさせた揚げスニッカーズというのは皆さんがよく見知っている、
あの1本で食す者に確かな満腹感を与えてくれる魅惑のチョコバー、あれを油で揚げたものなのだが……
ここでちょっと考えていただきたい。1本でも満足する、ということは当然カロリーもまた満足感に比例する
わけであり、ましてそれを油で揚げてしまうのだからこれはもう、ノンカロリー炭酸水が流行る今日の日本
の流れに真っ向から対立する暴挙といっても過言ではない。

……ただ、ハイカロリーであることに目をつぶればそこまで不味くもなく……いや、むしろおいしいのだ。

サクッとした歯ごたえの衣の向こうには、油の熱で柔らかくなったチョコレートとヌガー、
トロトロのキャラメルに、それ等の中を泳ぐピーナッツがあり、普段食べるスニッカーズとはまったく
違うような印象を食する者に与える。
683 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:17:43.63 ID:mHAiqlzi0

更にソレを揚げた油が前日から無数の食材を揚げたものなので、何だか肉や魚のフライ的な匂いがするし。
……とにかく何ともいえないが妙にハマる味なのだ。

僕は幸いにも著莪から味見(毒見)として一口貰っただけだったので助かったが、
あとの残りを全て平らげ、あまつさえ追加でもう1本頼んでしまった著莪はというと……。

「うぅ……思い出したらまた胸焼けが……」

この有様である。それでもなんとか白粉の劇の半ば辺りまでは耐えていたらしいのだが、
さすがに我慢しきれなくなって、「部室で寝てるから」と一言。

その声があまりにも一杯一杯だったので僕も先輩と槍水さんにことわって彼女に付き添ったというわけである。

「お茶は? もう1杯いる? それとも保健室いって胃薬でも貰ってこようか?」

「ありがと、でもどっちもいい……それよりも佐藤にお腹を撫でてほしいな。そっちの方がよく利く気がする」

「そんなんでよければお安い御用だけどさ、胸焼けなのにお腹って変な感じがするな」

「ん〜、そういえばそうかも。じゃ胸でお願い」

ほぅ……胸を撫でろ、とな? では遠慮なく……なんて言うはずもなく、
僕はそばにあった椅子に腰掛けて金髪の間に見え隠れする額をチョップ。
著莪は「病人には優しくしろよ〜」と言って笑う。

その様子からすれば、結構気分は良くなってきているのかも知れなかったが、
一応その後、リクエスト通りに彼女のお腹の辺りを擦ってやった。
684 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:18:13.49 ID:mHAiqlzi0



コンコンと扉がノックされたのは僕が著莪のお腹を擦り始めて暫く経ってからだった。
円卓の上で著莪はスースーと寝息を立てているので、彼女を起こさないよう小声で、はい、と返事をする。
ドアノブが回り、ゆっくりと扉が開き……姿を現したのは――

「しつれいします……。やぁ、洋。著莪の調子はどう?」

両手にそれぞれ麻で編まれた手提げ袋と紙袋を提げた柚子だった。
僕が少し身を引いて円卓上を指差すと彼女は、寝ちゃってたんだ、と小声で呟き、扉を静かに閉める。

おや? どうして柚子は著莪が不調だと知っているんだろうか? 

あぁ、それはね、と柚子。彼女は白粉の劇が終わってから僕と著莪の姿を探したが一向に見つからず、
諦めて体育館を出たところで先輩と毛玉に遭遇したのでダメもとで聞いたところ僕たちが劇の半ばで
退室したのを知ったのだそうだ。

「お腹を擦っててあげてたの? 懐かしいな〜。
 ボクも小さい頃にお腹を壊した時は兄さんたちが代わる代わる擦ってくれたっけ……」

僕が著莪のお腹に手を当てていたのを見た柚子は、そう言って過去を懐かしむように目を細める。

「お兄さんたち=H」

僕は柚子に椅子を勧めながら聞き返す。彼女は「あぁ、言ってなかったっけ」と言いながら両手に持っていた
手提げ袋と紙袋を静かに円卓に置き、椅子に腰掛けた。

「ボクには3人の兄がいるんだ。ちょっと待ってて、今写真を出すから……」

柚子は携帯を取り出し、操作をしていたが、やがて「ちょっと昔で、僕も一緒に写っちゃってるけど」と言って
携帯の液晶画面をこちらに向けた。
685 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:18:44.16 ID:mHAiqlzi0

写真に写っているのは、まず20代前半の知的な草食系イケメン眼鏡男子。
続いて20代後半のホスト風――顎鬚とは良い意味でまったくベクトルの違う――。
最後に30代前半と思しきガタイの良いワイルドな男。
このバリエーション豊かな、いわゆる美形の男3人が柚子のお兄さんであるらしい。

更に写真の中の柚子が今よりちょっとだけ幼い感じで、尚且つ男物の服を着ていることから
パッと見、美形の4人兄弟が写っているようにしか見えず……。

「これはボクが高校3年の時の写真なんだ。この時はまだ私服に兄さんたちのお下がりを着ていたんだよ」

失礼かとも思ったが、男4人兄弟に見えたというと柚子は不機嫌になることも無く、
むしろ、そう言われたのを楽しんでいるかのように答える。

「うん、そうなんだ。昔からよく男4人兄弟と誤解されたものさ。でも、この写真の時期から少し後ぐらいに
 兄さんたちが起業してアパレル会社を立ち上げたんだけど、その会社でデザインされた服を着るようになってから
 はそんなことも無くなったんだ。お化粧を始めたのもちょうどそれぐらいからだったしね。」

それだって兄さんたちに勧められて始めたことだけど、と柚子。
どうやら彼女は3人のお兄さんの影響をモロに受け、ほぼ男の子同然の育ち方をしてきたようだった。
彼女がどことなく中性的、少年的なのはそういうところに原因があるのだろう。

ここまできたら、と、これまでの異性関係について訪ねてみたところ、そもそも異性を意識することさえ殆ど
無かった、という答えが返ってきた。

……何てこった、だとすると著莪の言っていたあの仮説≠ェいよいよ真実味を帯びて――

「ねぇ、柚子ってビッグ・マムのことが好きだったりする?」
686 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:19:15.42 ID:mHAiqlzi0

それまで眠っているだろうと思っていた著莪が突然口を開いたこと、そして更には彼女の柚子に対する質問が
あまりにもド直球だったことに僕は2重で驚いた。対して柚子は著莪が起きていたらしいことには少し驚いた
ものの、質問の方にはさほどたじろぐことも無く、「そんなの決まってる、大好きだよ」と即答した。

「尊敬しているし、いつもマムのことを考えるとため息が止まらなくて、
 ベッドに入った時はたまにマムの姿とか……いろいろ考えちゃって眠れなく……」

柚子のやたら長い独白を聞いた著莪は僕の方を見ながら「こりゃ確定だね」と一言。
確かに否定する方が難しいこの状況では僕も頷くしかなく……。

「あ〜と、柚子? この前一緒に弁当食べてた時から思ったんだけどさ、アンタ、恋、してるんじゃない?
 ビッグ・マムに」

柚子は「え?」と声をあげ、静寂が部室を支配する。

しばらくの沈黙の後……ダンッと円卓を叩いて柚子が立ち上がる。
衝撃で紙袋と手提げ袋が倒れ、袋の中身が円卓上にバサッと広がった。

「……うそ……え? 恋……これが恋っていうものなのかい!? ボクが……マムに!?」
 
「うん、そうだと思うよ。そうじゃなきゃスルーアやアタシらに弁当奪われた時とか、
 ビッグ・マムの弁当を食った時のリアクションの説明がつかないし」

「えっ? ボクのリアクションってそんなにおかしい?」

僕たちが揃って首を縦に振ると柚子は何故自分があんな感じになるのかを懇切丁寧に説明してくれる
のだけれど……なんていうか、聞けば聞くほど僕たちと彼女との間にある溝は深まるばかりで……うん、
やっぱり決定的に何かが違うようだ。
687 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:19:46.88 ID:mHAiqlzi0

「そうなんだ……体がギュッてなって、興奮して、嬉しくって……これが恋……。
 そ、それじゃ、ボクが本当に求めていたものはマムのお弁当じゃなくて、マム本人だってこと?」

僕たちが再度頷いてやると柚子は力無く椅子に座り込む。

思えば彼女の弁当に対する執着は凄かった。争奪戦時の強さも並々ならぬものだったし。
スルーアに弁当を奪われた時なんかはまさに嫉妬に悶える女の顔になる。
それもこれも全てはあの半額神、ビッグ・マムに対する柚子の気持ちの表れだったのだろう。
恐らく彼女の強さは腹の虫の加護だけでなく、そういった要素も絡んでいたに違いない。
ガリー・トロットの2つ名が付いたのが、ちょうどビッグ・マムの店を縄張りにし始めた頃だったというのも
頷ける。

「ま、アタシらはそうだと思うよ。なんだったら今晩ビッグ・マムの店に行った時に確かめてみたら?」

「う、うん、そうだね……でも、それまで家でじっくりと考えてみるよ。だからごめん、急だけど帰るね……」

力なくそう言って柚子は席を立ち、円卓上に広がってしまった紙袋と手提げ袋の中身を元通りに詰め直し始める。
僕たちもその作業を手伝ったが、もともとかなり無理やり詰め込んでいたらしく、なかなか全部を納めることが
できない。

仕方ないな、と柚子は肩をすくめ、それら荷物の中から30センチはあるであろう大きな『スーパーBIGチョコ』
を取り出して著莪に差し出す。

「あげる、良かったら後で食べてよ。コレを抜けば全部はいると思うし」

著莪が胸焼けを起こした原因が甘いものであることを彼女は知らなかったらしい。

柚子が笑顔で差し出してきたソレを著莪は「う、うわぁー、いいの? ありがとー。食べるのが楽しみだなー」
引きつった笑顔を引きつらせながら受け取る。

まるで相当悪質な嫌がらせを受けているようにしか見えなかった。
688 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:20:13.96 ID:mHAiqlzi0

「よし、全部入ったね。2人とも手伝ってくれてありがとう。じゃ、またね……」

柚子が来た時と同じように両手に袋を提げた直後、部室の扉が開く。

「佐藤、どうだ著莪の様子――なんだ柚子、来ていたのか」

姿を見せたのは槍水さん。その背後に隠れるようにして茉莉花が部室に入ってくる。

「やぁ、仙、一昨日ぶりだね。おじゃましてるよ。ん? 君の後ろに居るのは……もしかして妹さん?」

「あぁ、今年で10歳になる妹の茉莉花だ」

「あ、あの、初めまして……」

茉莉花は小声でそれだけ言ってペコリと頭を下げるとすぐさま槍水さんの後ろに隠れてしまう。
僕や著莪、そして白粉の時とは明らかに対応が違っていた。

「すまない、妹は結構人見知りがあってな。気を悪くしないでくれ」

大丈夫だよ、と苦笑した柚子は槍水さんの背後からチラチラと自分のほうを窺っている茉莉花をしげしげと
見つめた。

「へー本当、見れば見るほど仙にそっくりだなぁ。この子、スーパーの経験は? ……そう、無いんだ。
 じゃひょっとして仙が戦っているところも見た事が無いとか? ……ふ〜ん、そうなんだ……」

柚子は何かを思案するように黙って茉莉花を見ていたが、やがて膝を折り、目線の高さを茉莉花に合わせる。
簡単な自己紹介を始め、それが終わると少し間を空け、「ねぇ、茉莉花ちゃん」と優しげに微笑みながら彼女は
言葉を続けた。

「君はスーパーで戦うお姉さんを見たくはないかい?」
689 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:20:45.63 ID:mHAiqlzi0

まったく予想していなかった柚子の問いに茉莉花は「えっ」と驚きの声をあげ。
槍水さんは「バカなことを言うな!」と柚子を批難する。

「まぁまぁ、落ち着きなよ、仙。ボクはなにも妹さんに争奪戦参加を勧めているわけじゃない。
 ただ普段とは違う狼としての、氷結の魔女としてのお姉さんの姿が見たいかどうか尋ねただけだ」

それはそうだが……と、なおも食って掛かる槍水さんを適当にあしらいながら、
柚子はジッと茉莉花の顔を見つめる。

「私……お姉ちゃんが狼として戦っているところが見てみたい」

茉莉花はそれまで伏目がちだった顔をあげ、しっかりと柚子の顔を見据えながらそう答えた。

「うん、よく言えたね、えらいえらい。……さて、茉莉花ちゃんはしっかりと自分の気持ちを口にした。
 今度は仙がそれに答えてあげる番だよ」

柚子はさっきまでとは打って変わって少年のように微笑みながら、どことなく上から目線で槍水さんを見やる。
ふん、と鼻を鳴らし、槍水さんはその視線を真っ向から受け止めた。2人の間にかすかな緊張が走る。

「さしずめお前はこの子をダシにして私をビッグ・マムの店に誘い出す気だったのだろう?
 より強い相手を倒して得た弁当であればあるほど、付与される勝利の1味は格別のものとなるだろからな。
 折りしも今日はあの1年前と同じ日だ。だとすればあの弁当≠ェ店頭に並ぶ」

「そうさ、よく覚えていたね。やっぱり自分が負けた日のことは――」

黙れ、ガリー・トロット、と、かなり強い口調で槍水さん。柚子はそんな彼女を見て、やれやれと首を振る。

「やめなよ、魔女。ホントのことを言われたからってそんなにいきり立つのは、妹さんが怯えるよ」
690 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:21:13.38 ID:mHAiqlzi0

槍水さんのスカートの裾を握る茉莉花の手がかすかに震えていた。
けれどそれは柚子が言ったように怯えからきているのではないことが彼女の表情から感じられる。

「負けた……お姉ちゃんが……?」

信じられないという顔で茉莉花がポツリと呟く。

「さてっと、それじゃボクはそろそろ消えるとしようかな。
 今夜出るであろう『和栗おこわ弁当』に向けて英気を養わなくちゃね」

じゃね、と柚子は手を軽く振り、僕と著莪にウインクを1つ。そして扉の向こうへと消えていった。



柚子が去った後の部室の空気はハッキリ言って重かった。

「お姉ちゃんが負けたってあの人は言ってたけど……そんなの嘘だよね?」と茉莉花が食って掛るように言い出し。
槍水さんは「……それは、嘘じゃないんだ」と茉莉花にその時のことを話して聞かせる。

僕と著莪は部屋の隅っこにいって、極力姉妹の邪魔をしないよう心がけたが、
それでも同じ部室に居るためにどうしても2人の会話が耳に入ってしまう。

――茉莉花、私はガリー・トロットに負けた。そしてそれ以来あの店に出向くこともやめている。
――でも、お姉ちゃんは凄腕なんでしょ? HP部の先輩方以外なら誰が相手だって……。

茉莉花は自分の姉、槍水仙こと氷結の魔女がとにかく強いという頭があったのだろう。
だからこそ、そんな姉が敗北したという事実が許せないに違いない。
691 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:21:44.53 ID:mHAiqlzi0

……しかしそれにしても、と僕は思う。それは柚子のことだ。

前にこの部室で4人揃って夕餉を囲んだ際の柚子を見ている僕としては、
どうにもさっき彼女がとった挑発的な態度は解せない。不自然なもののように写ってしまうのだ。
まして少し前まで自らの恋にショックを受けていた彼女である。
いくらビッグ・マムの作った弁当があるとはいえ、そこまですぐに戦闘モードに自らを切り替えられるものだろうか?

著莪にそのことを話すと彼女もその意見に同意してくれる。

「柚子自身、自分の意識が弁当からビッグ・マムに移ってしまってこれまでと同じように
 戦えないのはわかっているはずだよな。それなのにあんな風に仙を煽ったとなると……」

柚子はもしかしたら氷結の魔女を倒すことが目的じゃないのかも、と著莪。
僕が、どういうこと? と聞くと、彼女は顔を寄せ僕の耳元で囁くように言う。

「ほら、柚子がここを出て行く前に、アタシたちにウインクしてきたじゃん?
 あの状況でどちらかといえば仙寄りのアタシたちにあんな事するって普通じゃ考えられないだろ?」

ふむ、確かに、と頷く僕に著莪は「ここは1つ柚子を信じて仙をスーパーに送り出そう」と提案してきた。

――ねぇ、お姉ちゃん、行こうよスーパーに!

茉莉花は槍水さんのシャツを掴み、なんとか姉をビッグ・マムの店に向わせようと促している。

「な? 茉莉花もあぁ言ってることだし、ここはひとつ」

著莪はそろそろ終盤に差し掛かりそうな雰囲気の姉妹のやり取りを見つつ、囁く。

――ダメだ。私には桃たちとの先約がある。ずっと前からしていた約束を破るわけにはいかない。
692 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:22:13.22 ID:mHAiqlzi0

それが槍水さんが今日、かの店に行けない理由だというのなら僕たちで解決できるかも知れない……。

わかった、柚子を信じよう、と僕。決まりっ、と著莪は勢いよく立ち上がり、槍水さんのところへ。
自分と僕の2人に変わりが出来ないだろうかと持ちかける。

――いいのか? 私たちにとっては凄くありがたいのだが……いや、桃の、友人の方は問題ないと思う。
  人数が多ければ多いほど良いと言っていたからむしろ喜ぶだろう。
――んじゃ決まりね。……ん? あぁ、アタシの体調なら大丈夫。結構ゆっくりと休めたからね。
――では、好意に甘えさせてくれ。今友人に確認する。
――よろしくっ!

「著莪さん、佐藤さん、その……ありがとうございます!」

槍水さんが友人の桃さんに確認の電話かけに廊下へ出た直後、茉莉花がそう言って頭を下げてくる。

「茉莉花が喜んでくれて嬉しいよ。お姉さん、氷結の魔女の戦いをしっかり見ておいで」

はい、元気よく返事をした茉莉花は真横に来るといきなり僕の腕に抱きついてきた。
相手が幼女であるにも拘らず、そのあまりに大胆な行動にボクは少しドキリとしてしまう。

茉莉花が腕に頬ずりをしてきたので、なんとなく頭を撫でてやる。
普段よく触っている著莪の髪とはまた違う、子供特有の細い髪は真っ直ぐでクセが無くサラサラだった。
指の間を微風が流れていくような気持ちの良い触り心地で……このままこの子が成長しなければ、なんて
……はっ! いったいなにを考えているんだ僕は!?

ふ〜、危なかった、危うくロリコンの道に足を踏み入れるところだったじゃないか。
いかんいかん………………でも、偶になら悪くないかも……。

カッシャッ、カッシャッ、カッシャッ……。

正面からなにやら擬似シャッター音が。見やると、携帯電話のカメラを僕に向けた著莪がいるわけで……うん。

「……おい、キサマ何をしている……」
693 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:22:43.86 ID:mHAiqlzi0

「ん〜、文化祭の思い出に1枚? ほら、上手く撮れてるだろ?タイトルは『幼女と変態』でどーよ?」

「まんまじゃねーか!? いや、そうじゃなくて……人を勝手に変態に貶めてんじゃねーよ!?」

「ダメかー、なら『私とロリコンのお兄さん』」

「却下に決まってんだろーが! 今すぐデータを削除しろ!!」

「よし、わかったならシンプルに『ロリコン』で」

「もういい……そのかわり、今すぐ携帯をよこせっ!!」

うわ〜やめろよ〜と、僕とは反対方向に手を伸ばし著莪は抵抗する。
これでは埒が明かないと判断した僕は彼女を床に押し倒し、馬乗りの姿勢になった。
フッフッフ、これでもう逃げられま――

パシャッ、パシャッ、パシャッ……。

さっきとは別方向からまたも擬似シャッター音が……。

「……茉莉花? 何をしているんだい?」

「私も今回の思い出にと思って。う〜んと……よかったちゃんと撮れてる」

いやいや、それはちゃんと取れてちゃイカン類のものだぞ……。
恐らく事情を知らない人が見たら十中八九、性欲の赴くままに金髪の外人を押し倒す男子高校生にしか
見えないわけで……ヤバイぞ、なんてこった! 明らかにさっきの写真よりも犯罪臭が!?
マズイ、マズイぞ!? 何とかしなくては! 何か、何か良い方法は……そうだ!!

「お、お嬢ちゃん? いい子だからこっちにおいで? ほら、飴をあげるから……」

カ・ン・ペ・キ、だっ!! 日本古来より使われし、この鉄板の台詞! 
あまりにベタ過ぎと思う輩もいるかもしれないが……フッフッフ、だからこそ良いのだよ。
使い古された台詞だからこそ聞く者に安心と安らぎを与えることができるのだ。
分かるかい? つまり言葉による誘いと同時にその言葉自体が持つ安心感を相手に与えることで、
僕は怪しい者ではないよ、という暗示をかけているわけなのさ!
694 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:23:12.98 ID:mHAiqlzi0

まして相手はただでさえ暗示や催眠の類に掛かりやすいとされている幼女……もう1度言おう。
カ・ン・ペ・キ、だっ! パーフェクト!!

「え? 佐藤、さん……? え?」
 
「うわぁ……佐藤、そこまでいっちゃうとさすがのアタシでもフォローできないっつーか……」

あれ? なんだかわからないけどさっきよりも状況が悪化した気がするぞ? 何故、何が悪かったというのだ? 
はっ!? もしや飴か? 飴がいけなかったというのか? 
考えてみれば茉莉花は物の溢れた時代しか知らない生粋の現代っ子。そ
んな彼女をたかが飴などで釣るという発想がそもそも間違っていたのだ。ドチクショウが! 
せめて飴と1種類に限定せずにおかし≠ニ言っておけば良かった! 

くそぉぅ……もはや一刻の猶予も無い。こうなったらもう、幼女をクスリで眠らせるかして……。

「佐藤、著莪、友人がオーケーをくれたぞ、早速今、から……なんだ、この状況は?」

槍水さん……アナタはなんてタイミングで入室してくれちゃっているのですか……。

これはもうアレだな。若い男がスタイル抜群の美女を押し倒して馬乗りになり、
それを幼女がカメラで撮影してる状況ですが何か? 的なノリでごまかすしか……いや、無理だろ。
一体どんなファンタスティックな成人向け映像作品の撮影現場だよ、これ……。

「あ、お姉ちゃん、お帰り。今ね、みんなで思い出にって写真を撮ってたんだよ」

幼女の言葉――ゲフン! 落ち着け、ヨーサトウ。頭をエロスモードから通常モードへとシフトしろ!

……では、気を取り直してテイク2。

茉莉花の言葉に、何だそうなのか、とアッサリ納得した槍水さんだったが、それもつかの間、
彼女の顔がすぐに不機嫌そうなそれへとシフトしてゆく。

「私のいない時に記念写真か……そうか、みんなで私を除け者にするんだな……」
695 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:23:43.40 ID:mHAiqlzi0

 ●



「1年ぶりか懐かしいな……」

槍水仙はライトアップされ、薄闇の中に荘厳さを漂わせるその店を見上げた。

携帯で時刻を確認すると20時ジャスト。この店の半値印証時刻はあと30分ほど先ではあるが今日は日曜日、
おまけに最寄の高校である烏田は文化祭最終日なので普段と違い、需要と供給のバランスが変わる可能性がある。
余裕を持っておくに越したことは無い。

「ここが狩場、お姉ちゃんが……狼と呼ばれる人たちが戦ってる戦場……」

槍水の左手を握っていた茉莉花が緊張の面持ちで、
つい先ほど姉がそうしていたのと同じようにライトアップされたスーパーを見上げる。

本当にこの子をココに連れてきて良かったのだろうか……。そんな思いが槍水の胸の内に湧く。

本来、槍水は妹がこの戦場に来ることに反対だった。彼女が狼としてデビューしてからこれまでに、
何度か話を聞いた妹が自分も行ってみたいと言うことがあったが、その度にダメだと言い聞かせてきた。

彼女はあの争奪戦の場がどんなに過酷なものであるか、身をもって知っていた。
そこに集う者たちは皆、相手が子供であろうと老人であろうと容赦しない。
もちろんそれが当たり前だし、自分の意思で糧を得ようとする者に対しての礼儀でもある。

槍水自身、自らの行く手を阻もうとする者は年齢、容姿、社会的な地位に関係なくブチのめしてきた。

だからこそ容易に想像できてしまうのだ、自分の可愛がっている自慢の妹が一度戦場に足を踏み入れた瞬間
どうなるのかが……。
696 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:24:13.76 ID:mHAiqlzi0

もちろん、妹が争奪戦に参加せずに見ているだけなら問題は無い。
しかし、槍水茉莉花の姉である槍水仙は妹がどんな性格であるかもよく知っている。
彼女のこれまでの経験から言って、妹はいざ争奪戦を目の前にしたら、きっと参戦しようとするはずであった。

だからこれまでも、そしてこれからも、彼女は妹を絶対に夜のスーパーマーケットに連れてくるつもりは
無かったのだ。例えそのことで妹を泣かせ、自分が批難されようとも、妹が傷つくよりは遥かに良かった。
もちろん、実際にそんなことになったら自分はもの凄くショックを受け、数日間は立ち直れないのだろうが……。

「お姉ちゃん、どうしたの? 早く行かないと争奪戦が始まっちゃうよ」

槍水は我に返り自分の隣に視線を落とす、が、さっきまでそこに居たはずの妹の姿が無い。
驚き辺りを見回すと自分の正面、スーパーの入り口の前に白いパーカーに白いブーツ、
そして今朝自分が渡した赤いホットパンツを身に纏った妹の姿があった。

ライトを背にしているせいか、槍水には妹が少しだけ大きく見えるような気がした。
成長期だし本当に大きくなったのかもしれない。

「あぁ……そうだな。いくぞ茉莉花、覚悟はいいか? もし怖かったら手を握っててやるが……」

「覚悟はできてるよ、だから大丈夫!」

元気よく返事をする妹が頼もしく嬉しい反面、手を繋ぐのを拒まれたことに寂しさを感じる気持ち
があることに槍水は苦笑した。妹と足並みを揃え、自動ドアを潜る。

もしかしたら自分は茉莉花に頼られなくなることが怖かったのかもしれない。
妹が傷つくのが怖いといいながら、実はそれをきっかけにした茉莉花が自分の下から離れてゆくかもしれないと、
不安に駆られて結局は、妹が成長するチャンスを奪い続けていたのかもしれない……。
697 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:24:43.76 ID:mHAiqlzi0

その身に軽やかで清涼な空気を受けつつ、槍水は同時に気配と視線を探る。数は8。

「すごい……これが狼の視線と気配」

茉莉花は入店直後、ビクリと一瞬たじろぐものの、すぐにいい感じの緊張を醸しだす。
初めてこの場に足を踏み込むのにこの反応……ある程度の覚悟をしてきたのだな、と槍水は感心した。

そして決断した。

――私は今からお前の意思を尊重しよう。己の気持ちに正直に、思うままに駆けてみろ。
  その結果がどうなろうとも、私たちが姉妹であることに変わりは無いのだから――

「行こう、エントランス付近で立ち止まっていては他のお客の邪魔になる」

槍水がそう言って歩き出すと茉莉花もトテトテと後をついてくる。
いつも通り店内の外周に沿ってゆっくりと歩き、目的地を目指す。
高級感に溢れた店内は1年前に見ているとはいえ、やはり新鮮だった。

時折茉莉花が綺麗に陳列されたトマトや林檎を見て「偽物みたい……」と呟いたり、興味深そうに辺りを
見回すのが気配で感じられる。
その茉莉花の気配が自分を始めとした店内の狼たちの緊張感で張り詰めたのはそれから僅か数秒後のことだった。

「あれ≠ェスルーア……」

茉莉花の言ったあれ≠ニは自分たちが入店して間もなく、この店を訪れた仕事帰りと思しきサラリーマン風の
男とヒョウ柄のシャツを着た主婦の2人を指していた。

「いや、厳密にはスルーアとは違う。だがやることは同じだ」
698 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:25:13.03 ID:mHAiqlzi0

軽やかなBGMが流れる中、サラリーマン風の男は缶ビール1本と唐翌揚げにフライドポテトのセットをカゴに
入れレジへと向う。彼が弁当コーナーを素通りした瞬間、槍水は思わず息をつく。
店内中の狼や茉莉花もほぼ同じリアクションをとった。

ただ、唯一茉莉花だけはこの緊張感の本当の意味を知らない。一方で槍水は気付いていた。
彼女のいる位置からは弁当の置かれた陳列台の様子が見えていたからである。

今宵残された弁当、その内容がどんなものかまでは見えないものの、残っている数は十分に把握できた。

その数、僅かに2つである。

その事実を知る者たちの緊張が再びピークに達した。先の彼とほぼ同時に入店してきた主婦が弁当コーナーの
前に立つ。彼女はしばらく2つの弁当を眺めていたが、やがてその1つを手に取り、カゴに収め、レジへと向う。
店内の空気は一気に悲痛なものへと変わった。

「茉莉花、弁当の確認をするぞ。決して立ち止まらずに横目で確認するんだ。できるな?」

茉莉花の、はい! という返事を背で受けながら、槍水は弁当コーナーへと歩を進めた。
699 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:25:43.51 ID:mHAiqlzi0

 ○



19時45分、体育館で白梅が閉会の言葉を述べ、内本率いる変態集団『Mの兄弟』と
初日に見た烏田高校伝統の変態パフォーマンス集団『鼓吹団』の雄叫びが夜空にこだました。

終わったね……と著莪が疲れ果てた様子で僕にもたれかかってくる。

「何言ってんだ、これからが本番だっての……」

「これから? まぁ、学生からしたら後夜祭を本番っていうのかもしれないけど」

「え、後夜祭の話? 僕はてっきり桃、じゃなかった、木之下さんの彼氏さんのライブのことかと……」

「あぁ、佐藤が言ってたのはそっちか。でもそれだって後夜祭の一環なわけだし、どのみち同じだよね」

僕らは互いに顔を見合わせて笑う。正直疲れと気だるさで自分たちが何を喋っていて、
また、何に対して笑っているのか分からなくなりつつあった。

目の前ではグラウンドに移された屋外ステージの音響や照明各種の準備とチェックに奔走するコード類を
抱えた放送局員たちの姿が。後方からはチープな音が聞こえてくる。

「あっ、始まったみたい」

著莪の声で振り向いてみるとアメリカ合衆国のオクラホマ州を髣髴とさせるあの曲≠ノ合わせて
フォークダンスを踊る男女たちの姿が。

「確かアレって参加自由だったんだよなぁ。佐藤、アタシらもこれが終わったら参加しようぜ」

右手に持ったケミカルライトを振りながら著莪は楽しげに言う。
700 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:26:14.21 ID:mHAiqlzi0

「踊るだけの気力が残ってたらな。っつぅかお前元気だな、さっきまで死にそうな顔してたじゃん……。
 もし、余ってるんだったら分けてくれよ」

「いいよ、分けたげる。料金はそうだな〜、3万ジンバブエ$でどう?」

「有料かよ……ってかジンバブエ$って結局いくらだ?」

「さぁ? アタシもわかんない。冗談で言っただけだし」

アッハッハッと笑う著莪を放っておいて時計を見るとあと2、3分で20時になるところだった。
いよいよ後夜祭開始まであとわずか。思えばココに来るまでは長い道のりだった。

槍水さんがご友人と交わしていた約束とは、木之下桃さん(ご友人)の彼氏さんが後夜祭で行う15分の
ライブの間、ケミカルライトを振ったり、掛け声をかけたり、拍手をしたりと、ようはライブの盛り上げ役を
するという簡単なお仕事のはずだったのだが……去り際に槍水さんが言っていた言葉。

――「桃は彼氏のためなら手段を選ばない」

まさにその言葉通り、ケミカルライトの振り方から、掛け声と拍手のタイミング等々を……たかだか15分の
演奏のために僕らはココ、屋外ステージ前の最前列で1時間以上前から練習させられていたのである。
同じような動作を永遠と繰り返すこの辛さは一言ではとても語りつくせない。

「そんじゃ佐藤、元気を注入してやるからなー」

あーはいはい、了解でございますよ〜。ん? 著莪の顔が妙に近いな。ちょっと息苦しいし、唇に感触が……。
701 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:26:49.61 ID:mHAiqlzi0

「ほいっ、注入完了! 元気出た?」

「お前、今何をした?」

「何って、キスだけど? イヤだった?」

「……著莪、時と場所を考えようよ。……イヤじゃないけどさ」

「だったら問題ないんじゃない? アタシも別にイヤじゃないし。
 っていうかイヤだったらそもそもやんないけどね」

まぁ、確かにイヤならやらんわな……最もな意見だ。

僕が心の中で納得したところで、折り良く、おーい、という声。
見ればステージのむかって右側の方から小走りに駆けてくる人影が……近づくにつれてそれが槍水さんの
もう1人のご友人である紫華蔓さんだと分かる。

「はい、2人ともコレ桃から、もう1本持って両手でやれって」

おっとりとした顔立ちで、バレッタで髪をアップにまとめた蔓さんはそう言って笑顔で青色のケミカルライトを
手渡してくる。僕と著莪はゲンナリ顔でそれを受け取った。

「元気ないね、洋君もあやめさんも。無理もないか、桃が無茶させたもんね。
 でも、もう少しだから頑張ろうよ」

僕たちは「えぇ、まぁ……はい」と曖昧に答え、苦笑いを作る。
702 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:27:18.92 ID:mHAiqlzi0

この紫華蔓さんという人は何というか、10年20年と月日がたっても変わらないんだろうなと感じさせる
落ち着いた顔をしていて、すごく家庭的な雰囲気を纏っている女性だ。……ただし、何故だかはわからない
のだが僕の食指は動かない。それどころか僕の第6巻的何かが『彼女は危険である!』と警鐘を鳴らしてい
るのだけど……。う〜ん、何故だろうか?

「よぅーし、3人とも揃ってるな! そろそろ馬車馬のように働いてもらうぞ!」

前髪をヘアピンで分け、オデコの目立つ木之下桃さんはどこからともなく木箱を担いで現れると開口1番に
そう告げた。彼女はそのままステージ前の最前線の中央付近に行き、担いでいた木箱を設置してその上に乗る。
実は彼女、セガ……じゃなかった、背が白粉よりも低いのだ。そのため持参した木箱の上に乗っかってようやく
僕とドッコイドッコイぐらいなのだ。

そんな彼女がその手にケミカルライトを握ると同時にステージ上も準備完了。

ノリがいいのと頭がちょっとアレなのは実は紙一重、を地でいくような連中が後夜祭の開始宣言をステージ上
で行い。すぐさまその後に木之下さんの彼氏さんがオモチャのキーボードを持ってご登場。正直この時点で
かなりのイロモノ感は否めない。
しかし演奏が始まると彼氏さんは見事に僕の予想を裏切る本格的なロックをやってのけた。

木之下さんがそれに負けじと腹の底から声を張り上げ、ケミカルライトをリズミカルに振りはじめる。
打ち合わせの通り、僕たちもそれに続いた。

「ふぉおぉぉおおぉぉお――――う! ダーリン、最高おぉうぉうおぉ――!!」

初っ端からぶっ飛ばして果たして最後まで持つのかが怪しい木之下さんに僕と著莪は苦笑しながら
精一杯ケミカルライトを振りまくった。
703 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:27:47.24 ID:mHAiqlzi0

 ●



『和栗おこわ弁当』に月桂冠のシールを貼り付けた半額神がバックヤードの向こうへと姿を消した時、
総勢10匹の狼たちは一斉に地を蹴り上げた。1匹、また1匹とその数は減り、今や戦闘可能な者は僅かに2匹のみ。
現西区最強と謳われる《氷結の魔女》と、このスーパーを縄張りとして他の店には決して訪れることのない変り種、
《ガリー・トロット》との一騎打ちの様相を呈していた。

とはいえ決着こそついていないが、勝敗は誰の目にも明らかだった。

ほぼ無傷の氷結の魔女に対し、無数の傷を負って立っているだけで精一杯のガリー・トロット。

次の1撃で終わるんだ、と槍水茉莉花は陳列棚にもたれ掛かりながらその時が来るのを待っていた。

けれどそう思ってから一体どれだけの時間が過ぎたのだろうか?
待つ時間というのは長く感じるものではあるが、それにしてもコレは遅すぎる。

ジッと2人の様子を見つめていた茉莉花はそこであることに気がついた。相手の喉笛に噛み付き、息の根を止める。
そう思えるほど鋭かった2人の目つきが、刻一刻と穏やかなものへと変化しているのだ。
しかし、そうはいっても戦闘態勢を解除したわけではないし、両者の間の緊張感は保たれている。
ただ、その質は2人の目つきと同じく、トゲトゲしく硬かったものから、ふんわりとした柔らかいものに変化していた。

まるで奸悪なムードだった友人同士が話し合いで仲良しに戻っていくのを見ているように、茉莉花は感じた。

やがて彼女の姉である氷結の魔女が口を開く
。それはあまりにも小さな声で途切れ途切れにしか茉莉花の耳に届かない。
けれど、彼女には姉がその時なんと言ったかがわかる気がした。
704 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:28:14.93 ID:mHAiqlzi0

数秒後、今度はガリー・トロットが口を開く。彼女の言葉はハッキリしていて茉莉花の耳にも聞き取れた。

「さぁ、なんのことだかわからないよ」

そう言ったガリー・トロットは、まるで傷など1つも負っていないのではないかと見る者に思わせるほど
綺麗な、穏やかな笑みを浮かべた。
そしてその言葉を聞いた氷結の魔女もまた、2つ名に似つかわしくない暖かで、優しげな微笑を見せる。

それを見た茉莉花は改めて、さっき姉が言ったと思われる言葉に確信を持った。

なぜならその言葉を紡いだのは、名うての狼である氷結の魔女ではなく。槍水茉莉花がよく知る自慢の姉、
槍水仙だったのだから。

両者の間の空気が一変し、2人は攻撃の構えを取る。

次の瞬間、2人の2つ名持ちはあらん限りの力を込めて地を蹴り上げる。

一際大きい炸裂音が店内に響き渡り、1人の狼がその身を地に横たえた。

「ありがとう、柚子」

先程姉が、ガリー・トロットに向けて紡いだ言葉が、茉莉花には再び聞こえた気がした。
705 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:28:43.59 ID:mHAiqlzi0

 ○



疲労感で朦朧とした意識の中に携帯電話の音が混じっていることに気付いたのは、しばらく経ってからだった。

これほど長い間コールし続けるような奴といえば親父以外にはありえない。
どうせまた夢で見た『ネズミ帝国攻略作戦ー日本震撼ーV』とかいう危なすぎて僕ばかりか
全世界が震撼しかねないような話を永遠と垂れ流すに違いない……。

着信拒否リストに登録しておこうと思い携帯の画面を見れば、そこには『槍水仙』の文字が!?

「も、もしもし? 出るのが遅くなってすみません! てっきり親父の奴が愚にも付かない話を――」

『もしもし、佐藤か? こっちこそ長々とすまん。……ちょっと聞いて欲しいことがあったんだ』

そこからはずっと槍水さんのターンだった。彼女の話を聞きながら時々合いの手を入れたりする。
内容はビッグ・マムの店での争奪戦を軸に展開し、茉莉花と一緒に和栗おこわ弁当を食べたことを
笑いながら話したかと思えば、柚子が自分のためにワザと汚れ役を買って出てくれたと涙で言葉を
詰まらせることもあった。

他には茉莉花が初めて争奪戦に参戦したこと……等々。

『――という感じだ。聞いてもらったらスッキリした、礼を言うぞ』
706 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:29:12.51 ID:mHAiqlzi0

著莪にもよろしく伝えてくれ。それじゃ、おやすみ、と言って槍水さんは電話を切ってしまう。
できれば次は僕のターンとして木之下さんによる地獄のケミカルライト振りの練習秘話を聞いて
もらおうと思ってたのに……残念。

「オッス、起きたか佐藤? いやー今トイレに行ってたんだけど、すぐそこまで帰ってきたところで
 茉莉花から電話があってさ。いろいろと話を聞いたけど、うまくいったみたいだよ」

「奇遇だな、僕もついさっきまで槍水さんと話してたよ。もちろんかけてきたのはアッチ」

「ははーん、さてはあの姉妹、互いに人に話を聞いて欲しくてほぼ同時にアタシらに電話を掛けてきたなぁ」

だな、と僕も答える。さすが姉妹、よく似ていておまけに行動パターンも殆ど同じとは、いやはやなんとも。

「そういや今何時?」

「ん〜と、9時をちょっと回ったところだね。後夜祭も終わって――あっ!
 ライブ終わったら一緒に踊ろうって言ってたのに忘れてた……」

残念そうに著莪は肩を落とすが、彼女の言った、忘れていたというのは実際とは少し違う。
あの後、予想以上のライブの出来により急遽アンコールに次ぐアンコールがあり、結局
当初の予定を30分もオーバーしてしまったのだ。
707 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:29:43.65 ID:mHAiqlzi0

もともと15分でのペース配分でアクションを行っていた僕たちが合計45分の長丁場でどんな目にあったことか、
おかげでライブ終了直後に意識が飛びかけるわ、最初からテンションMAXで突っ走っていた木之下さんが
ライブ半ばで救急搬送されるわ……。でも彼女に関しては結構幸せそうな顔して気絶してたからあれはあれでアリか。

「……うぅ、楽しみにしてたのに……こうなったら意地でも踊ってやる! ゆくぞ佐藤!!」

「踊るっていったてどこで? 音楽もかかってないぞ」

踊る場所はあそこ! と言って僕の手を引き走りながら前方を指差す。
そこにはキャンプファイヤーの組木が半分以上墨になった状態で残っており、確かに雰囲気は良い。

「音楽は脳内補間で!」

まぁ、ぶっちゃけあの曲が流れていなくてもフォークダンスぐらいなら踊れそうで――

「それだと踊りにくいと思いますよ、あんな曲でも有ると無いとでは随分違います」

その声を聞いた瞬間、著莪は僕を盾にするかのようにして背後に隠れてしまう。
彼女をここまで怯えさせる人物は僕の知る限り1人しかいないはず。そう、言わずと知れた烏田高校の女帝――

「よう、白梅。お疲れ様」

「残念ですがわたしはまだこの後に仕事が残っていますので、
 お疲れ様、という言葉は早いですね。ですがお気持ちだけはありがたくいただきます」

白梅はそう言って、話は戻りますが、と前置きした上で手にしていた古めかしいラジカセを僕の前に置いた。
708 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:30:13.39 ID:mHAiqlzi0

「あの曲のリズムはフォークダンスに適したものです。この再生ボタンを押せばそれがエンドレスで流れますから、
 お2人でどうぞ心ゆくまで踊ってください。なんでしたら電池が切れるまで踊られても構いませんよ」

ラジカセの電池が切れるまで踊り続けるとか、どんな新手の拷問だよ。
……内本と愉快な仲間達なら喜んでやりかねないが……。

「あ、うん……ありがとう。今度何かでお礼するよ」

「気を使わないでください、これはわたしから佐藤君へのお礼でもあるんですから。
 この度は白粉さんの件、ありがとうございました。それでは失礼します」

白梅が踵を返して校舎の方に向かいかけた時、それまで僕の背に隠れていた著莪が、待って、と声をあげる。
呼ばれて振り返った白梅に彼女は「あ、あの、ありがとう……」と言って頭を下げた。

これは著莪が重度の白梅嫌いであることを知っている僕からしたらちょっとした驚きだった。

そしてそれは白梅も同様だったらしく、彼女は予想もしない著莪からのお礼にしばらくポカンとしていたが
やがて口元に手をやってクスリと笑う。

「どういたしまして、喜んでもらえて何よりです」

腰の辺りまである真っ直ぐで艶やかな黒髪、その髪先を纏めた白いリボンを揺らしながら
去っていく白梅の後姿を見つめながら、アイツって結構いい奴なんだな、と著莪が呟く。

これを機に彼女の白梅に対する苦手意識が少しずつ消えていけば良いなと僕は思った。

――もしもし、わたしです。首尾の方は? ……そうですかだったら良いんです。
  では後のことは事前に決めたとおりに……えぇ、そうです、彼女にはどこか遠い所で
  幸せになってもらいましょう。

「なぁ、佐藤。アイツってやっぱり怖い……」

世の中うまくいかないなぁ、と僕は心の中でぼやいた。
709 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:30:45.17 ID:mHAiqlzi0

 ●



過去2年もの間、自らの縄張りだったスーパーマーケット。
山木柚子はその店の裏口から出てくると2、3歩進んだところで突然膝を抱えてうずくまる。
彼女の肩は小刻みに震えていた。

「やった……」と柚子は呟く。この僅か30分足らずの内に起きた出来事を彼女は振り返った。

予定通り、争奪戦で――やる以上わざと負けるつもりは無かったが――先日の夕餉の借りが返せたこと。
敗北して床でのびていた自分にビッグ・マムが声をかけてくれたこと。
その彼に勇気を出して自分の意思を伝えたこと。そしてその結果……。

彼女は自分の右の頬をつねってみる。痛かった。当然のように痛い。
しかしその痛みが今の彼女には喜びに感じられた。

「やっぱり夢じゃない……ボクは明日からマムと一緒に働けるんだ。アドレスの交換もできちゃったし……」

携帯電話を取り出して操作をすると液晶画面にビッグ・マムの携帯番号とメールアドレスが。
更に操作すると、さっき自分と自分の兄たちが一緒に写った写真と交換という条件で撮らせてもらった
ビッグ・マムの写真が写しだされる。

それを眺めているだけで胸を焦がすような嬉しさが体の奥底から湧き上がり、柚子は身悶えた。

一刻も早くこの気持ちを誰かに聞いたもらいたい。

柚子は手にしていた携帯を操作して彼≠フ携帯番号を表示させると迷わず電話を掛けた。

「もしもし、山木です。あ、洋? 今大丈夫かな?
 ちょっと聞いて欲しい事があるんだけど……え、またかってどういうこと?」 
710 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:31:37.13 ID:mHAiqlzi0

 ○



柚子が、おやすみ、と言って通話を切る。僕は、ふぅ、とため息をついた。
携帯をしまう前に時刻を見るとすでに午後9時半を回っている。
だとすれば大方20分以上、柚子の惚気話を聞かされていたことになるわけで……そりゃため息の1つも出るよね。

「終わった? お疲れさん。さ、踊ろっか」

電話の最中、お預けを喰らったことでいじけたように僕の背中を指でつついていた著莪は、
僕が柚子との通話を終えた瞬間、白梅が持ってきてくれたラジカセを手に立ち上がる。

「……もう少しだけ待ってくんない? 気力の方が限界に来てて……」

却下、これ以上は待てない、と著莪は言い、ラジカセを少し離れたところに置くと、再生ボタンを押した。
スピーカーから後夜祭のフォークダンス中、ずっと流れていたオクラホマな曲が流れ出す。

「気力が切れてんなら、また分けてやろうか?」

著莪はニヤニヤしながら座り込んでいた僕に手を差し出してくる。
遠慮しとくよ、と答えながら僕はその手を取り、立ち上がった。

「なーんだ、つまんねーの」

「なんとでも。それより踊るんだろう? 早くしないと残った熾き火が灰になるぞ」
711 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/02(木) 18:32:12.38 ID:mHAiqlzi0

「ん、そうだね。そんじゃ、やりますかっ」

キャンプファイヤーの残り火の周りで、僕は著莪の左やや後方に立ち、互いの掌を重ね合わせる。
リズムを取りながら曲が繋ぎ目にきた所でダンスを開始した。

「うん、これこれ。やっぱりこれをやんないと文化祭って気がしないんだよねぇ」

著莪はステップを踏みながらそう言いうと、僕の前でクルリと回転してみせる。
そして彼女のボリュームのある金髪もまたそれに付き従うようにワンテンポ遅れて回る。
結構様になっていたが、いかんせんボサボサ髪では映画のワンシーンのようにとはいかなかった。

ちなみにこの後、一般的に後夜祭などで行われているフォークダンスでは、
カップル・ミクサー・ダンスが主流なので、数ステップ踏んだ後、パートナーが変わるのだが、
僕らは生憎と2人なのでパートナーを変えないカップル・ダンスで踊りを続けた。

「ねぇ、佐藤……」

著莪は自分の左側で時折鮮やかな火の粉を夜空に舞い上げる熾き火を見やり、
僕の右腕に、まるで腕枕でもするかのように頭を乗せてくる。

「来年も、こうして2人で踊りたいね」


 <了>
712 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/08/02(木) 18:41:02.47 ID:mHAiqlzi0
以上で6章は終わりです。

今回もそうでしたが少々仕事に追われ気味なので
次の投下がいつになるかわかりません。

毎月月末には定期報告を入れさせていただきます。

それでは失礼いたします。
713 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/02(木) 18:43:24.38 ID:kUaS6bJFo
お疲れ! 今回もおもしろかったよー!
体に気をつけてくださいねー
714 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/02(木) 21:27:56.99 ID:oTump8vJo

毎度凄いな
いつまででも待ち続ける所存
715 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/03(金) 00:53:26.44 ID:KkBv0FbVo
乙!

やっぱクオリティたけえwww
716 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/08/05(日) 17:16:56.33 ID:Dx3Wig7C0


おまえ何者だよwww上手すぎだろwww
次も待ってる
717 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/08/05(日) 17:53:08.85 ID:UnHWy9wFo
乙ー
ほんとすごいな。次も楽しみにしてる
718 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2012/08/06(月) 01:52:37.49 ID:uiqmPh6D0
乙です。

構成がすごすぎる
アサウラ先生の没ネタと言われても信じるレベル

次も楽しみにしてます
719 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/06(月) 15:03:19.46 ID:OWA9sXQOo
投下量多いし上手いしイイ!
720 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/08(水) 16:54:07.50 ID:lTGjE4mIO
乙ー
最高でした! 次も待ってます
721 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/08/28(火) 15:48:44.40 ID:wbLVHaDr0
見て下さってありがとうございます。

今月は忙しかったので全く話を書けずにいましたが、
来月半ば辺りから時間が取れそうなので書いていく予定です。

>>713 お気遣い、ありがとうございます。
722 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/09/20(木) 12:35:57.42 ID:wSR5U71ao
そろそろ来るかな?
723 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/09/28(金) 23:03:39.18 ID:F5qsW5kW0
来月になってしまうのだろうか?
724 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/09/29(土) 12:22:50.29 ID:5JAAqI3G0
投下は早くて来月末、遅ければ再来月となりそうです。
725 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/29(土) 13:58:10.32 ID:nVkxwtlG0
楽しみに舞ってる!
726 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/09/29(土) 17:49:36.44 ID:XDdaSF8Qo
結構遠いけどそんなもんかな
首を長くして待ってます
727 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/15(月) 21:48:08.01 ID:Ls6Q6Il+0
原作9.5とCOMIC出ますね。保守。
728 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2012/11/11(日) 01:07:45.46 ID:uqlQdrDa0
そんなこんなでもう十一月
早く来ないかな〜
729 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/11/30(金) 19:10:12.94 ID:TSocjRGH0
こんばんは、お久しぶりです。

時間が限られていますので、前回同様1章のみ投下いたします。

730 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:11:03.89 ID:TSocjRGH0

 ―01―


  【0】



11月の澄んだ空気のおかげで星々が空に瞬く新月の夜、
1台のスーパーカブが街灯で照らされながらも、なお暗い路上を走っていた。

やや肌寒さを感じさせる夜風が首元を通り抜ける。すでに秋の暮れ。先月末まで粘っていた残暑
の面影はすでに無く、今月に入ってからというもの、めっきり朝夕の冷え込みが厳しくなった。

奴≠フいる東北では、すでに冬の部類に入るかもしれない。

彼が、例年あと一ヶ月と少しした頃に南下してくる赤毛の後輩、その出立ちから1部の狼たちに
暴れん坊なサンタクロース≠ニ呼ばれる男のことを思い起こしながらバイクを走らせていると、
ライトアップされて闇夜に浮かぶ荘厳さを湛えし建造物が見えてくる。
それは彼が今宵の目的地と定めたる店。かつて東区最強にして全国にその名を轟かせた名うての
狼、《女帝蝶》が半額神を勤める聖地、スーパーマーケットだ。

バイクを店先の駐車場に進入させると、見慣れたバイクが1台、
すでに停まっているのが目に留まる。

「おっ、アイツは今日もココか。元上司の店にこんだけ足しげく通い詰めるとはねぇ。、
 これはいよいよ、あの当時の噂は本当だったみてぇだな」

その昔、とある狼が、自分の所属する組織の長へ、密かに恋心を抱いていたという噂話を思い出
しつつ、彼は見慣れたバイクの隣に自分の愛車を停めた。
時計を確認すると半値印証時刻には、まだいくらかの余裕がある。
731 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:11:33.19 ID:TSocjRGH0

「さて、と……何か面白い情報でもあれば僥倖だが」

被っていたヘルメットを脱ぎ去ると、その瞬間、髪の毛が空気を取り込み、
ボンっと音がしそうな勢いで拡張される。

手で触り、自慢のヘアースタイルをチェック。側頭部のボリュームがいささか減っていた。

「時間もあるし手直ししておくとするか」

彼は上着の内ポケットから巨大なフォークのような器具を取り出す。愛用のアフロ調整器具だ。

鼻歌を歌いながらバイクのミラーを覗き込み、手早くアフロを整えた彼は器具を仕舞い、
変わりに銀面のサングラスを取り出し、装着する。

「いいねぇ、バッチリだ」

ミラー越しに移った自分の姿に満足した彼、《毛玉》は折り曲げていた腰を伸ばす。
駐車場にスーパーから煌々と照らされる光でもって、ヒョロリと細長い長身でやや猫背、
そしてその先にボリュームのあるアフロヘアという何とも奇抜な影が伸びた。

影はそこから、ゆらリゆらりと先端のアフロ部分の膨らみを揺らすように移動して行き、
やがて店内へと吸い込まれるように消えてゆく。
732 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:12:03.62 ID:TSocjRGH0

「ほぅ、こいつはまた……」

自動ドアを潜り抜けた毛玉は店内に充満する普段と異なった雰囲気を敏感に感じ取った。
不安や敵意、緊張感がいつも以上に大きい。

こんな日は大抵弁当の数が少なかったり、2つ名持ちが複数店内にいて他の者たちが警戒してい
ることが多いのだが……それにしては皆、何処かうかれてそわそわとしているような……。

毛玉は普段通り戦闘態勢を整えつつも、惣菜・弁当コーナーの前を通過して残された弁当をチェ
ック。そして疑問の答えを得る。今宵、残された3割引のシールが貼られた弁当は3つ。
その中に初めて見る弁当が1つあり、陳列棚の上で圧倒的な存在感を放っていたのだ。
おそらく半額神の新作弁当だろう。まだ誰も食したことのない未知なる獲物。
毛玉の喉がゴクリと鳴った。

入店時に感じた雰囲気の中に、僅かだが嬉々としたものが混じっていたのはコレのせいだろう。
まるで目の前に新しいオモチャを置かれ、お預けを喰らっているペットのように、店内にいる者
たちはその時が来るのを待ちわびているのだ。誰だって初物には心が弾む。
ただそれだけに、初めて降臨せし弁当を是が非でもわが手に、と多くの者たちが考えるのもまた、
当然の成り行きである。

「やれやれ……こりゃぁ今日は荒れるな」

毛玉は下見を終えて弁当コーナーからやや離れた位置にある鳥棚の間に向うと、
そこにいた先客の隣に並び、陳列された商品に目をやりながら口を開く。
733 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:12:32.68 ID:TSocjRGH0

「よう、二階堂」

毛玉に二階堂と呼ばれた男は「毛玉か、何のようだ?」とチラリとも彼を見ずに答える。
特にこれといって用件があるわけではなかったが、弁当に半額シールが貼られる予定時刻まで
あと20分ほど。たかが20分、されど新作の弁当に期待して待つには少々長く感じる時間だ。
最悪、腹の虫が暴走して、まだ半額になる前の弁当に手をつけてしまう恐れだってある。

「……で、何が言いたい」

情報交換だ。毛玉が真面目くさって言うと二階堂は「そういう名目の時間潰しじゃないのか」と
返し、ククッ、と笑う。
《ガブリエル・ラチェット》の頭目を務めていた時は感情を殆ど表に出さなかったこの男が、
組織の解散から約半年、随分と笑うことが多くなった。それは彼にとって良いことだと毛玉は思う。

「いいだろう、確かに期待して待つ時間は長いからな」

最近の西区東区の動き等から話は始まり、しだいに話題はあの2人が今宵、
まだここに姿を見せていないことへと移る。

「ま、正直アイツらがいないってのはありがたい。弁当が捕れる確率が少しでも上がるからな」

「弱音だな毛玉、2つ名が泣くぞ」

「おいおい、お前は知ってんだろう? オレ様が実力で2つ名を得たわけじゃないって」

「堂々と言う様なことじゃないだろう」

毛玉と二階堂は互いに陳列された商品に目を向けたまま、少しだけ笑った。
734 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:13:02.64 ID:TSocjRGH0

そもそも2つ名とは何も秀でた実力者だけに与えられるものでない。
ようはその者が皆に注目されればいいのだ。それが自分場合は外見だっただけのこと。
著莪あやめのような例もあれば、日ごろの素行が元で2つ名が付いてしまう者だっている。
むしろ実力だけで2つ名が付くほうが稀だし、かなり難しい。
否が応にも皆が意識せざるを得ないほどの戦果を上げる必要があるからだ。
ここ数年でそんな事をやってのけたのは《魔導士》ぐらいのものである。

「そういえば最近、佐藤が2つ名らしきもので呼ばれている」

「おれもそれは耳にするぜ。西区では主にワンコ≠ニかワン公≠セな。
 ちょっと遠方の方じゃ例の変態=Bどれも締まらねぇ呼ばれ方だが、
 中には黒き犬=A黒妖犬≠ネんてのもあった」

「……予想以上に色んな名で呼ばれているな。東区では主に麗人の犬≠セ」

基本は犬なんだな、と毛玉は腕を組み、考える。今挙がった中で選ぶなら、断然麗人の犬≠セ。
1番しっくりくるし、まさに名は体を表す、である。しかし……今ひとつパンチがないようにも
思えるのだ。更にもう一捻り欲しいところ……。

そうして考えるうちに毛玉は閃いた。自分的には会心の出来だと思えるそれを。

「なぁ、二階堂。佐藤の2つ名だが、良いヤツを思いついたぜ。……あぁ、もちろん最高だ。
 その名も麗人のバター犬=Bどうだ、最高にイかしてるだろう?」

決まったとばかりに、ぶぅわっはっは、と笑う毛玉の脛に、ローキックが飛んできた。
735 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:14:02.63 ID:TSocjRGH0

 【1】



テストを翌週に控えた月曜の放課後、丸富大学の敷地内に建てられた5階建ての部室棟、
その3階にある『ファミリーコンピュータ部』、通称ファミ部の部室に僕は居た。

この部室棟は本来大学のサークルが集う場所ながら、同じ敷地内に建てられている付属高校の部
も1部、収められている。高校の校舎から通う者にとってやや遠いものの、基本的に大学のもの
ということもあって設備が充実しているため、とくに不満を述べる者はいない。

当然ながら僕、佐藤洋もまた、この部室棟を気に入っている1人だ。
トイレは綺麗だし、エレベーターはついているし、全部室冷暖房に光ファイバーを完備。
さらに11月に入ってからは各部屋にコタツまで設置され、まさに至れり尽くせりである。

さて、約2時間ほど前からこのファミ部部室には僕を含め3人の部員がコタツに入りぬくぬくと
しているのだが、なにも遊んでいるわけじゃない。放課後、テスト目前ということで勉強のため
に殆どの生徒が下校していく中、僕と従姉の著莪あやめ、そしてクラスメイトでありファミ部の
仲間でもある井ノ上あせびちゃんの3人で敢えて学校に残り、誰も訪れることの無い部室でテス
ト勉強をしているのだ。
736 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:14:33.19 ID:TSocjRGH0

大学のサークルが多く入っている部室棟はテスト期間とは無縁の大学生がいつもどおり活動して
いるのだが、それでも高校生だけで構成されているファミ部部室は静かなもの。
おまけに先にも述べたとおり、暖房も完備されているのでテスト勉強にはもってこいなのである。

ところでテスト勉強というと思い出されるのは、やはり中2の冬に僕の家で勉強会を開いた時の
三沢君と根津君だろうか。

当時成績が少々下降気味だった僕は、翌週にテストを控え、このままではいけないと真剣に考え
た末に、成績をV回復させるべく勉強会の開催を思いつき、早速メンバーを集めた。

まず成績がそこそこ良く、いるだけで常に仲間へ勇気を与えてくれる三沢君を招集。
これに、小悪党ながら頭の回転が尋常ではない小口君と、幅広い見識を持つ者がいたほうが良い
ということで、ワールドワイドなオカズが好みの根津君を加え、奇才ばかりが集まってしまった
ため、中和剤として至極真っ当な一般人の笹山君を追加。以上4名に、呼んでもないのに何故か
当然のように石岡君が参加してきて、合計6名の勉強会と相成った。

本当はここに広部さんも呼ぼうとしたのだけれど、僕が「今週の土日みんなで僕の家に泊り込み
でヤるんだけど広部さんもどう?」と誘った瞬間、彼女はもの凄く冷たい目で僕を睨み、僕の頬
へ愛情たっぷりの拳を打ち込んでこう言った。――「行くわけないでしょうが、この変態!!」。

誤解。それはちょっとしたミスや、説明不足、勝手な思い込みが生むものだ。
もう少し相手に丁寧に伝えよう、もう少し相手を理解しよう……そんな些細な気持ちを全人類が
持てば誤解なんてものは生まれず、世界はより素晴らしくなるはずなのに……人は安易に楽をし
ようとして誤解を生む。その代償が時として深刻な事態を生んでしまうのだ。
ただ一言「勉強会を」、それさえ付け加えておけば、このような悲しい出来事は回避されたはず
なのに……。
737 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:15:03.04 ID:TSocjRGH0

僕は己の過ちを悔い、頬の痛みに涙しながら、それでもどこかその痛みが快感に変わるのを感じ
つつ、冷やかな目で僕を見やる広部さんの視線にゾクゾクしたものだ。
あの時、広部さんが僕に向けた蔑むような眼差しと強烈な1撃は今でも鮮やかに思い出せる。
綺麗だったな。可愛いかったな。痛気持ちよかったなぁ……。え〜と、そういえばこれ何の話だ
っけ? あぁ、そうそう、勉強会だ。

そんな訳で広部さんは不参加。著莪もパスとのことで、結局僕を加えた6名のバカも――ゲフン!
若者がその週の土日、僕の家に泊り込みで勉強会を行うべく集ったのだが……当時の僕らは若さ
溢れる思春期真っ盛りの中学2年生。
そんな男子が6人も集まるとなればテスト勉強など出来ようはずもなく、開始10分で早くも小
口君たちは家から持ってきたエロ本の回し読みを開始し、僕と石岡君はカタカナ辞典と広辞苑を
手にエロい単語を見つける作業を行っていた。

そうしている内にいつしか日はどっぷりと暮れ、トイレから戻ってきた三沢君が妙にスッキリと
した顔で諭すように「……みんな、そろそろ勉強に戻らないか」と言い、我に返って事態の深刻
さに気付いた僕らは青ざめた。

――すでに夜、だと……いつの間に!?
――クソッ! こんな調子で初日が終わっちまうなんて!
――なぁ、俺たちが集まったのって勉強するにはむしろ逆効果なんじゃ……。
――ね、ねぇ、みんな、とりあえず落ち着こうよ? ほら洋くんも、お茶でも飲んで――
――飲んどる場合かーッ! 貴重な、貴重な時間がぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ!!
――い、石岡! 大丈夫か? しっかりしろ! 石岡ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!

僕らは各々、手に持っていたエロに関する教材を窓から放り捨て……るのは勿体なくて出来なか
ったので、部屋の隅に置き、教科書とノートを広げ勉強を再開。
しかし気ばかりが焦ってしまい一向に内容が頭に入ってこない。
何時また、エロに走るかも、という不安もある。
738 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:15:32.92 ID:TSocjRGH0

小口君の「くそぅ……エロにヤられた……」悲痛な言葉にみんなが同意し、膝をつく中、
この窮地からいち早く立ち上がった人物がいた。そう、我等が英雄の三沢君である。

彼は自分の鞄から1冊のエロ本を取り出すとみんなに言った。――今度のテストで平均点が85
点以上の者にのみ、コレを見る権利を与えよう、と。

僕らは一斉に(色々な意味で)立ち上がった。
そうか、中学生のエロに対するパワーを勉強に結びつける手があったかっ! 
そう誰もが思い、驚きと羨望の眼差しで、このエロ本を高々と掲げる革命家を見つめていた。

ただ今にして考えれば、根津君を例に出すまでもなくエロ本の好みは人それぞれであり、
三沢君の掲げたそれ≠ェ果たして自分の好みに合致するものなのか、そこまでのやる気を呼び
起こすに値するものなのかどうかは甚だ疑問である。
下手をすればカンニングなどの不正行為に走る恐れもあったのだ。

……が、当時の僕らはある意味最も性に興味を持ち、出会うもの全てが新鮮で刺激的で、
精力的に精を出し続ける中学生という神秘なる存在。
また『性と向かい合う時は純粋であれ』って考えだったものだから、不正に走る気など微塵もな
かった。

そんな訳でエロという2文字がついているだけで即座に臨戦態勢に入れる、この万年発情期状態
の男子たちは、三沢君の読みどおり、未知のエロ本を見たいという一念の下、テストの直前まで
死に物狂いで勉強し、無事に平均85点以上のラインをクリア。
当事者たちは自分を性……成功へと導いてくれた三沢君を今まで以上に崇拝する事となったのだ
った。――やはり彼は人々を立ち上がらせる事に関して比類なき才能の持ち主である、と。
739 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:16:03.40 ID:TSocjRGH0

なお、件のエロ本を見た折、根津君が「やっぱりココア色の肌をした南米のモデルさん(55歳)
じゃないとイマイチだな」と、しみじみ語っていた事と、僕らが一生懸命勉強に打ち込んでいた
その横で、余裕からか爆睡し続けていた石岡君が、当然ながら全教科赤点だったことも付け加え
ておこう。

さて、こんなくだらない昔話はどうでもいいとして、勉強勉強と。

「あぁ〜、ぬくぬくだよぉ〜。寝むくなってきちゃったぁ……」

部室中央に設置されたコタツ(僕の向い側の位置)に生地の厚いニーソを穿いた足を突っ込み、
首にはマフラー、頭には、ふわっとした白くて大きい猫耳帽子、そしてさらに自前の半纏を羽織
ったあせびちゃんは間延びした声でそう言うと、小さくて可愛い口を開け、「ふぁ〜」とあくび
をしてみせる。これが夏であればさながら、どこの我慢大会? ってスタイルだ。
今月に入ってめっきり気温が下がったせいで、風邪が悪化しないよう気をつけているのだと彼女
は言っていた。

確かに季節の変わり目は体調を崩しやすいが、あせびちゃんのあれ≠一概に風邪といってよ
いのかは疑問である。……でも本人がそう言ってるからそれでいいのだろう、うん。

「あ〜、勉強始めて結構経つし、そろそろ集中力が途切れる頃だもんね」

僕の左隣でコタツに入っていた著莪は、う〜、と伸びをして、「うしっ、ちょっと気分転換を…
…」と言いながらモゾモゾとコタツから這い出る。
彼女は傍にあった戸棚の扉を開け、中からセガサターンを取り出し、テレビに接続しはじめた。
ちなみにファミ部のテレビは基本、ゲーム専用モニターと化しており、
端子もあるにはあるのだが真っ当なテレビ番組が表示されているのを、僕はまだ見たことが無い。
740 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:16:33.42 ID:TSocjRGH0

「ソフトはっと……これでいっか」

著莪が取り出したソフトは『]−MEN VS.STREET FIGHTER』。
実はこれ、先週の土曜日にあせびちゃんのバイト先の『フォローミー』で開かれたゲーム大会で
使われたソフトなのだ。
僕はもちろんこの大会には出場していて、同じくエントリーしていた著莪とは準々決勝で戦って
いる。
この従姉弟対決は熾烈を極めた。なにせこの日のために僕らは、互いを練習相手とし、特訓を重
ねていたので、双方、相手の手の内は大体読めているし、技をかけるタイミングも熟知している。
そのせいで互いに決め手を欠いたが、99秒という時間一杯の激闘の末、著莪に軍配が上がって
いた。

「ルールは?」

あの時と同じ、と著莪は答えながら、ソフトをサターンにセットし、
4メガRAMカートリッジを取り出す。

ゲームとして知らぬ者のないストリートファイターと、アメコミでは知らぬ者のいないエックス
メンのキャラクターがタッグを組んで戦うという豪華仕様のこのソフトは、残念ながらサターン
単体のマシンスペックでは処理しきれないのだ。
通常パワーメモリーを差し込んでいる部分に、RAMカートリッジをぶっ込むこみ、マシンパワ
ーを増強する必要がある。
『足りなければ足せばいい!』を伝統としたセガらしい奇策といえよう。
そうすることによってロード時間ほぼ皆無、処理落ちしない等々、ストレスフリーでアーケード
の興奮そのままにプレイすることが可能になるのだ。

「2人ともがんばれぇ〜」

あせびちゃんの応援に僕らは笑顔で答え、互いに火花を散らす。特に僕は、ね。
741 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:17:02.88 ID:TSocjRGH0

「今度は負けないからな」

「ふっふっふ、返り討ちにしてやるよ」

著莪は不敵な笑みを浮かべながら僕にコントロールパッドを手渡し、再びコタツに潜り込むと使
用するキャラを選びだす。
彼女がセレクトしたキャラはケンとウルヴァリン……大会で僕を破り、そのままの勢いで優勝し
た組み合わせだ。

僕もキャラを選択、当然、大会で使用したキャラを選ぶ。
そうでなければ意味がない、僕にとってこれはリベンジマッチなのだから。

「へー、そうくるか。だったらせっかくだし何か賭けようか」

「……OK。で、何を賭ける?」

「アタシは……そうだなぁ〜、よし、キスしてやるよ、もちろん思いっきりディープなやつ。
 そんでもって佐藤は今晩捕った弁当の半分を賭ける。どうよ?」

「何だよ、それ……」

賭けとは双方がつりあいの取れるものを出し合って始めて成立する。それからすると彼女の出し
た条件は僕にそこまでメリットがないんじゃないのか? 
いや、まぁ、キスが嫌なわけじゃないんだけどね。それでも弁当の半分というのはちょっと……。
742 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:17:39.95 ID:TSocjRGH0

僕が不平を述べると、著莪は「うっわぁ、贅沢〜」と大げさに驚いて見せ、やれやれと首を振り、
コタツの上にコントローラーを置く。
何をするのかと黙ってみていると彼女は胸のした辺りで両腕を組む。

「しょうがないなぁ、じゃ、揉んでいいよ、両方」

またやけに湿っぽい声で、シンプルに表現すればエロイ声で著莪はそう言うと、制服(しかも生
地の厚い冬服)の上からでもハッキリと見て取れるぐらい強調するように持ち上げてみせる……
その、アレだ、乳房的な意味合いのものを!

「な、何言ってんだよ。そういう意味で言ったわけじゃ、それにあせびちゃんもいるのに――」

僕がもっともらしいことを言いつつ、強調されたソレと、ニコニコと微笑むあせびちゃんの両方
へ交互に視線をやっていると著莪はニヤリと笑い、腕組みを解除、素早くコントロールパッドを
手に取り――。

「はい、はじめ!」

不意打ち的に賭けゲームを始めてしまう。僕は慌ててモニターに目をやるも、その時にはどうに
もならない状態になっちゃってて……まぁ、不意打ちじゃなかったとしてもどのみち……。
743 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:19:18.24 ID:TSocjRGH0



あせびちゃんを自宅に送り届けた著莪と駐車場で合流した僕は彼女と共に眼前にそびえ立つ荘厳
さを湛えし建物へと足を踏み入れた。
ここは西区でも特に強豪が集う場所、《氷結の魔女》こと槍水仙の縄張りの1つにして、
通称ジジ様と呼ばれし半額神が治める戦いの野、スーパーマーケットである。

センサーが反応して透明のゲートが開くと、涼しいという程度に微調整された空気が流れてくる。
僕らがそこに飛び込めば、4つの気配が瞬時に肌を刺した。敵意をむき出しにしたそれは狼の警戒。
しかし、それもすぐに店内BGMにかき消されるように消えてゆく。
どうやら彼らはこの店の常連であり、僕らの顔をよく見知っているようだ。

「あの2人と+1名、それと仙がいるね」

著莪はそう言って、行こうかと歩みだす。僕もそれに続いた。
店内外周に沿って夏の異常気象のせいでいまだに高値が続く葉物野菜が並んだ青果コーナーを抜け、
国産の肉が主に陳列された精肉コーナーを通り過ぎ……目指すべき惣菜・弁当コーナーへ。

惣菜の品数はまばらだ。売れたのだろう。そして肝心の弁当は……。

「4つ、か。アタシらが来たせいで2人分足りなくなっちゃったんだね」

著莪は申し訳なさそうな言葉とは裏腹に、満面の笑みを浮かべつつ、下見を終えると歩みを止め
ることなく醤油等の液体系調味料が置かれた棚に向う。
彼女に追随しながらこちらも下見を終えた。……なるほど、著莪が笑顔になるのも頷ける。
4つの弁当の内、3つはこの店で絶大な人気を誇るサバ系だ。
『味噌焼き』が2つと『味噌煮』が1つ。最後の1つは旬の食材を使用した『手作りタルタルソ
ースを使ったカキフライ弁当』だ。

カキフライは大好物ではあるけれど……せっかくサバ系の弁当があるのなら、
やはり狙うはこちら、ということになる。カキフライはまたの機会だ。
744 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:19:48.61 ID:TSocjRGH0

著莪に続いて鳥棚の間に入っていくと、そこには烏田高校の冬用制服にモッズコートを羽織った
槍水さんの姿が。さすがに本物の軍用ではないだろうが、荒々しいデザインのコートは彼女の履
いているゴツいブーツや、ワイルドに見えるよう丁寧にセットされた髪型によく似合っている。

「おっす、仙。久しぶり」

「うん、本当に久しいな、著莪、佐藤」

槍水さんは著莪の声を聞くとそれまで閉じていた瞼を開け、腕をしたまま振り向く。
いつものエタニティとかいう香水の匂いが香った。

著莪が彼女の隣に並び立ち談笑し始めたので、僕はさらにその隣に並び、あらためて槍水さんを
観察する。……するとどうだ、彼女が体の正面を棚へと向けているのとモッズコートの裾が長い
ためにスカートが確認できず、もしかしたらコートの下にはスカートだけじゃなく、何も穿いて
ないんじゃないか!? という淡い幻想を抱けてしまうではないか。
個人的にはこのまま何時間でも眺めていられそうなのだ……ハァハァ。

またこうして間近で見るとコートがダボッとしているせいで、襟元に覗く首筋がやたらと細く強
調されていて、うん、直接的に言うと……最高にエロスを感じるね! 
土下座して写真撮らせてもらおうかな。

「何だ佐藤、さっきからジッと私を見ているが……もしかしてこのコート姿は変か?」

「いいえ、決してそんなことありませんよ。むしろ似合いすぎるぐらい似合ってて、
 最高にエロ――ゲフン! エレガントです」
745 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:20:18.72 ID:TSocjRGH0

「そ、そうなのか? エレガントはさすがに言いすぎだと思うが……まぁ、その……ありがとう」

照れて頬を染める槍水さんを眺めていると、首筋にもほんのりと赤みが差してそれがまた新たな
エロスを醸し出していて……ハァハァ、ハッ、イカン! 鑑賞してたら股間のナニがムクムクと
アレな感じに……こんな場所で元気一杯僕の股間≠ネど洒落にならんぞ!? 
……いや、逆に平静を装っていれば意外と誰も気づけなんじゃないか。
例え誰かが気がついて指摘したところで「それがどうしたの?」と毅然とした態度で接するれば
相手だってそれ以上は言えないはずだ。何なら槍水さんで試してみるか? 
世間話でもするように「ワイルドなあなたを見ていたら僕も釣られてワイルドに」と。
そうすれば槍水さんだって「そうかなのか、それは素敵だな」と微笑みかけて……くれるわけな
いよね。 

最近寒くなってきたので夜はまた著莪と一緒に眠るようになっていたのだけれど、
そのせいでアレする機会が減っちゃって……その、溜まっちゃってて……そのせいで色々と、ね。
わかるよね、わかるはずだ。

とにかく今はこの猛々しい下腹部を鎮めなければ。瞼を閉じて視覚情報をシャットアウト、
続いて腹の虫を活性化させる。食欲を高めれば自ずと性欲は薄れるはずだ。
ましてここは腹の虫のホームともいえるスーパーマーケットにして争奪戦間近、
食欲に意識を向けることは容易い。
思いだせ、ヨー・サトウ、過去に食したサバの味噌焼きと味噌煮の姿を、そして味を! 
746 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:20:49.09 ID:TSocjRGH0

…………よし、いい感じだ。下腹部が治まるにつれて腹の虫の加護が増しているのを感じる。
感覚が研ぎ澄まされているので、ほら、ちょっと耳に意識を集中すれば、
今まさにバックヤードの向うから店内へと歩み行くジジ様の足音まで聞こえる。
この分なら半値印証時刻に到る頃には万全の状態に――おや、体の側面になにやら柔らかい感触が。
この香りは、著莪か。

「こんなところで元気になんなよ、変態くん」

体の側面を密着させて著莪はそう僕の耳元で囁き、吐息をフーっと耳に吹きかける。
神経を集中させていたせいで僕の耳は通常時のそれよりも感度が上がってしまっていて……あぱ、
ナニが、あぱぱ、一気に、あぱぱぱ、マキシマムな状態に、あぱぱぱぱぱぱぱぱぱ。

「どうしたんだ佐藤。何だか体が小刻みに震えているように見えるんだが……」

「あー、心配ないよ。こいつ偶にこんな風にバグるんだ、
 暫くしたら元に戻るから放っておいてあげてよ」

「そうか、著莪がそう言うなら……」

あぱぱぱ……あぱぱ……。
747 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:22:04.40 ID:TSocjRGH0



ドンッという地響きがして僕は意識を取り戻した。と、同時に辺りを見渡して愕然とする。隣に
いたはずの著莪と槍水さんの姿がない――いやッ、いた! 2人とも弁当コーナーに駆けている、
ということは……半値印証時刻に到ってしまっているというのか!? 
これは間違いなく何らかのスタンド――以下略。

僕は急いでクラウチングスタートの姿勢を取る。この際、変態といわれようが構うものか!

スタートを切り、身を低くして鳥棚の間を猛然とダッシュ。
すでに戦いの始まっている弁当コーナーへ飛び込んだ。弁当に1番近い位置には著莪と槍水さん。
この2人が他3人、顎鬚と坊主と初めて見るウルフヘアの女から弁当を守るような形を取っている。
あの2人なら3人を相手取ったところで何とでもしそうなものだが、
ひょっとして僕を待っててくれた、とか?

僕はまず身近にいたウルフヘアに的を絞り、背後から蹴りを放つ。
すると彼女は僕の殺気に気付いたのか髪をザワッと逆立て振り返らずに垂直に跳ぶ。
一旦しゃがみ込んで力を溜めるような動作を殆ど加えていないにも拘らず、
かなりの高さを出して僕の蹴りを悠々とかわす。大した瞬発力とバネだ。
一方の僕は勢いをつけての蹴りが外れ、バランスを崩す。
空振りした足を床につけ、代わりに軸としていた足を床から離して1回転するようにしたことで、
なんとか無様に転倒することだけは避けたものの、体勢を立て直した時にはウルフヘアの蹴りが
目前に迫っていた。彼女の穿いている制服のスカートが揺れている。烏田高校の制服だ。
ネクタイの色からすると白粉と同じ1年か。

靴先が僕の腹に叩き込まれる。ウルフヘアの1撃で、息が止まる。しかし吹っ飛ばされる程では
ない。
僕は自分の腹に伸びる彼女の健康そうな足を両手で摑み、思いっきりぶん投げた。
竜巻旋風脚でも繰り出したかのようにウルフヘアが精肉コーナーへ飛んでいく。

肺に空気を吸い込んだ僕は振り向いて弁当の置かれた陳列棚の前で戦う男2人を見やる。

次は顎鬚だ。……今度は外さない。
748 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:22:33.39 ID:TSocjRGH0



502号のプレートが掛かった扉を開けると、温かみのある暖色系の、
でも決して明るすぎない淡い光が僕らを包む。

「あ、先輩おかえりなさい。佐藤さん、著莪さん、こんばんは」

部室に入ると円卓に置かれたノートPCを前にした白粉がニコニコ顔を僕らに向けてくる。

「おっす、花、久しぶり。仙に聞いたよ、最近絶好調なんだって」

「はい、そうなんです。筆がノってるせいで神経が妙に鋭敏化して」

いつもなら僕とでもオズオズと喋る白粉が今日は普通に、しかも苦手意識を持っていた著莪と会
話していることに僕は驚く。
若干脂ぎっているのが気になるものの、彼女の顔には自信が漲っていた。

「さぁ、夕餉の準備をしよう。みんな弁当を出してくれ」

槍水さんの声。著莪と白粉は会話を止めて奪取した弁当を電子レンジの前で待つ槍水さんに渡す。
もちろん僕もだ。著莪は『サバの味噌煮』。僕は味噌焼き。白粉は……ノートPCの横に置いて
あったレジ袋から弁当を取り出した。

なになに、豚の角煮弁当? 初めて見る弁当だ。
てっきり白粉はアブラ神の店で弁当を奪取したと思っていたんだけど。
749 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:23:02.83 ID:TSocjRGH0

「白粉は本当に調子がいいようだな。あの店でこれを捕るのは大変だったろう」

「いぇ、今日は狼の数も少なかったですし、運が良かったんです……」 

「そんなに謙遜するな、これが捕れたのは紛れもなくお前の実力だ」

「そうだぞ花、ご褒美に撫でてやろう」

「えへへ、ありがとうございます。……それじゃ、あたし皆さんの分のコップを用意しておきま
 すね」

よしよし、と著莪に頭を撫でられた白粉は嬉しそうに微笑んで、すぐ横の戸棚から4人分のコッ
プを取り出し、円卓に置いていく。
菌が……とか訳のわからないことを言っていた彼女とは思えない……。
良いことなんだけど、あまりの変貌振りに、コイツ本当に白粉花なのか? と思ってしまう。

「えぁっと……佐藤さん、何か?」

僕が見つめていたことに気付いた彼女は首を傾げる。クッ、結構キュートじゃないか……。

「いや、なんて言うか、変わったなぁって思ってさ。明るくなったっていうか」
750 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:23:32.84 ID:TSocjRGH0

「そ、そうでしょうか、自分じゃ分からないんですけど。
 あっ、でも佐藤さんも少し変わりましたよね。体が一回り太くなったっていうか」

「それは……遠回しに太ったと言ってる?」

「いえ、違いますよ。体全体の筋肉がさらに鍛え上げられてきたなって意味です。
 前に会った時より速筋が増えたおかげでボディバランスが良くなってるんですよ!」

「僕制服を着てるんだけど、しかも冬服を……なのになんでそんなことが分かるんだよ……」

「だって服の張り具合とか挙動なんかが全然違うじゃないですか。
 そりゃぁ、直に見た方がより細部の変化まで詳しく分かりますけど……良かったら脱いでくれ
 ませんか?」

白粉の鼻息が段々荒っぽく、またその顔が歪んできていることに僕は恐怖を感じた。
と、ここで白粉は眼鏡を取り出してきて装着する。

「同じHP同好会の仲間同士なんですからちょっと位良いじゃないですか、ハァハァ。
 ……え、ダメ? 何でですか!? あ、そうか、先輩たちの前で脱ぐのが恥ずかしいんですね。
 わかりました、それなら廊下へ行きましょう! なんでしたらこの階の他の部屋でも良いです
 から! ね、そうしましょうすぐ行きましょう!」

眼鏡の奥で怪しげな光を放ち始めた白粉に凄まじい恐怖を覚えた僕は、助けを求めるように著莪
を見る。すると彼女は分かったと頷きこちらに歩み寄る。さすがは著莪だ。
さぁ、早く僕をこの窮地から救い出してくれ! ヘルプミー!!
751 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:24:02.74 ID:TSocjRGH0

「久しぶりの部員同士の交流だもんな。弁当はアタシが温めといてやるから安心していって来い。
 あ、花の分も一緒にやっとくよ」

著莪はそう言って僕の手からレジ袋を取り、円卓に置いてあった白粉の弁当と合わせて、
電子レンジの前でターンテーブルが回るのをジッと見つめる槍水さんのところへ持っていく。

助けてくれるんじゃなかったのか……。

「さぁ、佐藤さん、お弁当の温めが終わる前にチャッチャと脱いじゃいましょう。ほら早く」

白粉は僕の腕を素早く摑むと、引っ張って無理やり部室から出そうとしてきやがる。
当然僕は抵抗するのだけれど、その小さな体のどこにあるのかと疑問に思うぐらい強靭な力から
で彼女は腕を引っ張ってくる。
リアルに身の危険を感じた僕は摑まれていない方の手で白粉の後ろ髪を引っ張った。

「なんで抵抗するんですか! ちょっとだけ服を脱ぐだけで良いんです――あぅ!
 写真とかムービーは撮りませんから!! ただ網膜に焼き付けるだけッ!
 それだけです――よぅ!?  んもう! ナニが嫌なんでふぐふぐぅ……」

髪を引っ張るだけではまったく治まらないので、僕は一房から手を離して代わりに彼女の頬を摑
むとタコ唇のようにして発言を封じる。
白粉は暫く「ふぐふぐぅ」と抵抗を見せたが、やがてその目から怪しげな光が消えてゆく。

「反省したか」

「しゅみまふぇん、ひょうひにのっひぇまひた……」

彼女は僕の腕から手を離し、ペチペチとその腕をタップしてくる。
仕方なく僕は手を離してやった。
752 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:24:34.56 ID:TSocjRGH0

数分後、電子レンジが4回目のピーッという音を立てる。
温め終わった弁当を取り出した槍水さんはそれを持って自分の席に着いた。

「これで揃ったな。さぁ、夕餉にしよう」

全員が目の前にある弁当を見つつ、手を合わせ、声を上げた。いただきます!

各自一斉に弁当の蓋を取り、部室内に味噌の香りが漂う。
4人中3人が味噌を使って調理されたサバの弁当なのでこれは当然といえた。
僕は早速半身のサバに箸を突き立てるとその身を割いて口に運ぶ。
まず焦げた味噌の香ばしい匂いが口内から鼻腔へと突きぬける。
咀嚼すれば、ノルウェー産のサバの身から溢れ出るジューシーな脂と甘辛く味噌味が混ざり合い、
濃厚な味わいを作り出す。
そして仄かに感じる生姜と長ネギの爽やかな風味……それらが渾然一体となり、
食する者に要求してくる。ご飯を寄越せ、と。

僕は白米を頬張って口内のサバと共に咀嚼する。やっぱりジジ様の店のサバ系は良い、
食べる度に飽きるどころか、ますますその味の虜になってしまう。

僕が何度か、サバ→ご飯→サバ→ご飯、を繰り返していると、ちょんちょんと肩を突かれる。
著莪だ。しかもニヤニヤと笑っている。

「佐藤、まさか忘れてないよねぇ? 賭けのこと」

……完璧に忘れていた。いや、違うか、正しくは忘れようとしていた≠セ。
753 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:25:03.21 ID:TSocjRGH0

そうだよなぁ、負けたんだよなぁ……ギャンブルってやつはよくない。
ましてそれが勝敗に関係なく不利益にしかならないなんてものならば問題外だ。
昔からそんな事はわかっていたはずなのに……ちくしょぅ……。

僕は無言で手にしていた弁当を円卓上に置き、著莪の前へと押しやる。
……すると、彼女もまた、自分の弁当を僕の前に置いた。

「半分こな」

彼女の短い台詞に僕は感動した。てっきり僕の夕餉だけが終わったものとばかり思っていたのだ。

「あ、ありがとう、著莪」

「ん? いいっていいって気にすんなよ。ほんの気持ちだからさ」

そう言ってちょっとだけ照れたように笑った彼女は弁当に取り掛かる。
僕は胸の内でもう1度感謝して、目の前に置かれたサバの味噌煮弁当を手に……んん? 
おやおや? これはどうしたことだろう。
ご飯や付け合せのオカズなどは間違いなくほぼ半分なのだけれど、肝心のサバが残り僅か。
3分の1あるかないかといったところ……。

僕は、ギギギ、という音でも出そうなぐらいぎこちなく頭を回し、隣でサバの味噌焼き弁当に舌
鼓を打つ著莪を見やる。
すると彼女は僕にチラッと目を向けてニヤリと笑い、やがっただとおぉぉぉぉぉぉ!

一瞬、激昂してやろうかと思ったものの……とはいえ賭けに負けた身としては、
例えこれだけでも弁当を恵んでもらったのだから感謝すべきだよなぁ、と思い直し、
弁当と手する。――と、ここで僕は白粉がチラリチラリとこちらを見ていることに気がついた。
ん? と声を出して彼女に顔を向ける。

「あ、あの、良かったらあたしのと少し交換しませんか? 佐藤さん」

白粉は言って豚の角煮弁当を差し出してくる。
それは梅干が載ったたっぷりのご飯、柴漬け、レンジで熱せられたことで多少ヘタってしまった
レタスに包まれたポテトサラダ、そしてメインである鮮やかに色づいた豚の角煮が収まったシン
プルな弁当だった。
754 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:25:33.85 ID:TSocjRGH0

白粉に弁当を渡し、代わりに彼女の弁当を手元に置けば、今まで3つの弁当が放つ味噌の匂いで
わからなかった、豚の角煮の何ともいえない濃厚そうな醤油ベースの香りが立ち昇ってくる。
微かに八角の匂いもある。随分と本格的だ。煮汁を纏ったブロック肉には、
脂身と赤身がみごとな黄金比で同居していて箸先で突けばプルプルと揺れる。

僕は箸で角煮を摑む、するとまるでゼリーを相手にしているかのように箸でブロック肉が2つに
割れた。切れた、と言ってもいいかもしれない。
それほどまでに抵抗なく、肉は真っ二つになったのだ。

「凄いですよね、あたしも初めて槍水先輩がこのお弁当を捕ってきた時に見て、
 驚いちゃいました。

「この弁当を出す店は総菜の半分を中国の料理人が作っている。
 おかげで中華圏の料理はそこらの店を遥かに凌ぐ出来栄えだ。
 特にこの角煮は、皮無しのトンポーローと言っても差し支えない一品だぞ」

槍水さんの説明を聞いて僕は納得する。本場の料理人が調理したからこその完成度というわけか……。

僕は2つに割れた角煮の片方に箸を突き刺して口に入れる。
事前に分かっていたこととはいえ、やはり肉がめちゃくちゃ柔らかい。
咀嚼しようとした途端ほどけるといった表現がピッタリくる。
赤身の繊維が滑らかに崩れ、その向うにある脂身が舌の上でジュワリと溶けてコクと脂の甘み、
醤油ベースの煮汁の旨味が一緒に口いっぱいに広がる。
そして最後に八角と生姜がそれとハッキリわかるぐらい効いていて、
脂がしつこく感じないよう全体の味を引き締めるのだ。
755 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:26:03.75 ID:TSocjRGH0

これはヤバイぐらいご飯が欲しくなる。それも無性に、一刻も早く。

「はい、佐藤」

声と同時に横から差し出される箸先と、その上に乗った光り輝く白米。何と素晴らしいタイミン
グだろう。

「著莪、ありがとう」

いいって、と笑い、著莪は僕の口にご飯を入れてくれた。それを咀嚼する。
……うん、やっぱりこの味には米の飯がよく合っているな。
角煮単体では決して得られない満足感といったところだろうか。

「花、アタシとも交換してくれない? ……サンキュー、それじゃこれね。
 で、その弁当はこっちに……」

著莪はサバの味噌焼きと味噌煮を白粉と交換し、さらに味噌煮と僕の前にあった角煮弁当を入れ
替えて、半分になった角煮を口に含んだ。

僕はこの後に備えてサバの無い弁当容器からご飯をすくいとった。
直後、著莪は、うんまー、と、笑顔で言って僕の方を向き、口を開ける。

僕は準備していたご飯を彼女の口に入れてやった。
756 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:27:02.12 ID:TSocjRGH0



 ●



「佐藤は明日どうするの?」

槍水たちとの夕餉を終えて帰宅後、お風呂から上がった著莪あやめは、リビングの2人用ソファ
ーに背を預け、自らの背後でドライヤーを用意している同居人で従弟の佐藤洋に聞いた。

「西区に行くか、こっちのスーパーに行くかってこと?」

うん、と頷くと同時にブォオォ、と音がして髪にドライヤーの温風が当てられる。
このマンションに越してきて、早7ヶ月。その間に風邪引いて寝込むなど特殊な例を除いては、
自分の髪を佐藤が毎日乾かしている。

彼が「終わった」と言うと内心がっかりするほど、著莪はこうしている時間が好きだった。

「まぁ、多分西区じゃないかな。槍水さんはいないけど白粉がいるし、
 それに久しぶりにアブラ神の弁当を見てみたいしね」

今日夕餉を終えた際、仙は、明日の争奪戦には参加しない、と言っていた。
理由は来週の金曜日に出発する修学旅行の打ち合わせを、同じ班の仲間と泊り込みでやるからだ
という。

「アブラ神の弁当か〜、ま、あそこの弁当は色んな意味で凄いもんな」

弁当名に『!』が付いている店は他に無いだろうと、著莪は思い、可笑しくなって少し笑う。

「……何だよ、いきなり笑い出して」

「あぁ、ごめん。アブラ神の店の弁当名を思い出してたらさぁ、なんかツボっちゃって」
757 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:27:33.21 ID:TSocjRGH0

「最初見たときはヤバイ薬でもやってるのかと思ったもんな」

それかオリンピック開催中の松岡修三。佐藤の言ったそれがまたツボに嵌って著莪は笑う。

佐藤と一緒だといつも本当に楽しい、バカみたいな話や出来事が多いけど、そこがまた良いのだ。
いつまでもこんな日々が続けばいいと、心の底からそう思っている。
……でも、明日から自分は2泊3日の温泉旅行に行かねばならない。
その間はこのバカな笑いを得ることができないのだ。それは嫌だが、
かといって今回の旅行は家族で過ごす大切な時間。蔑ろにすることは出来ない。だったらいっそ……。

「……ねぇ、佐藤も一緒に来ない? 温泉旅行」

「そりゃまぁ、最近寒くなってきたから温泉は魅力的だけど……」

髪に当たる温風の位置が一所で止まる。振り向くと佐藤は何やら真剣に考え込んでいた。
著莪は視線を彼の顔から下腹部へ移す。

……やっぱり。昔からそうだがコイツが真剣な顔をしている時は、得てしてろくでもないことを
考えている場合が殆どだ。まったく、今日のスーパーといい、今といい……。
最近2人で一緒に眠ることが多かったから溜まって≠「るのかもしれない。

「……だからと言って不思議と危機感は覚えないんだよねぇ」

著莪は呟き視線を再び上げる。彼の顔は微妙にニヤケていた。
彼女はため息をつきつつ、彼の下腹部を指で弾く。アパッ!? っと訳のわからない叫び声が上がる。

「ほーら、ちゃっちゃと続き続き」

著莪が前に向き直ると、後ろから「あ、あぁ、うん……」と佐藤が答え、ドライヤーの温風が移
動し始める。
まずは根元から、毛先の方は最後。時々手釧をあて、温風と冷風を交互に使いながら、
佐藤は慣れた様子で彼女の長く金色に輝く髪を乾かしていく。
758 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:28:02.58 ID:TSocjRGH0

「はい、終わり」

そう言って佐藤は著莪の頭を軽くポンと叩き、ドライヤーを片付ける。
「サンキュ」と著莪は口にしてソファーから身を起こし、佐藤の部屋へ。
セミダブルのベッドに潜り込む。

おっと、眼鏡を外さないと。

著莪がケースに眼鏡を仕舞い枕元に置くと片づけを終えた佐藤がやって来てベッドに入る。
2人は向かい合うように横になった。

――明日からしばらく会えないね。
――大げさだなぁ、携帯だってあるんだし、たったの2泊3日だっての。
――たった、か。まぁそうなんだけどね……。
――もしかして寂しい?
――佐藤は?
――う〜ん……正直少しは。
――寂しいんだ。
――そっちはどうなんだよ……。
――寂しいよ。
――そう……なんだ。
――……何ビックリしてんだよ。
――いや、その……ごめん。
――うわぁ、ヒデー奴。

著莪は唇を尖らせて寝返りを打ち、佐藤に背を向けた。
佐藤は、少し慌てた様子で暫しまごついた末、著莪を背中から抱くようにして体を密着させる。

「ごめん」

大して怒っていた訳でもなかったので著莪は、許す、と一言。
2人はベッドの中でクスクスと笑う。一頻り笑った著莪は自分の腰に回された佐藤の手を握る。

……今夜は良い夢が見れそう。著莪はそう思い、瞳を閉じた。
759 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:29:01.74 ID:TSocjRGH0

 【2】



金曜の放課後、土日を利用して家族旅行に行く著莪を見送った僕は烏田高校を訪れた。

今日から日曜の夕方まで僕は1人。
思えば高校に入って以来、こんなにも長い期間1人でいたことは無かっただろう。
何せ著莪とは高校に部活、スーパーでの争奪戦、更には住んでいるアパートの部屋まで同じなの
だから、今回のような事でもない限り1人になるなんてことはありえない。

まぁ、何にしてもせっかくの機会だ、普段は出来ないような事でもするとしよう。
さしあたっては今夜、リビングのテレビでゆっくりと<諸事情につき伏せさせていただきます>
でもするとして……そういえばティッシュが切れてたっけ。スーパーで買って帰ろう。
ぬふぅ……夢が膨らむな。

僕は思わずスキップでもしてしまいそうなほど軽い足取りで、休日でもないというのに人っ子1
人いない校庭を抜け、不気味なほど静まり返った校舎の脇を通り、鼻歌交じりで校舎からやや離
れた位置に建っているコンクリート造りで無駄に頑丈そうな部室棟の階段を駆け上がる。

それにしても今日の烏田高校はやけに人が少ない、というか今のところ白梅を見かけた他は誰に
も会っていない。いつもならこの部室棟にも部活動を行っている者たちの姿があるのだけれど、
まさか、生徒が集団で失踪したとでもいうのだろうか……ハハッ、そんなファンタジックな出来
事が起こる訳ないじゃないか。……ないよねぇ?

不安を胸に、僕はHP同好会の部室の扉をノックする。
760 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:29:31.98 ID:TSocjRGH0

……………………………………………………………………。

返事がない、ただの屍のようだ。つぅかマジで誰もいないの? 

502号のプレートが掛かった扉をそっと開ける。するとそこには椅子に座る小さな背中と、
それにかかる1房の髪。白粉だ。
良かった、人間がいて。前日に恐怖した人物で安堵するってのも変だけど……。

僕は部室に入り静かに扉を閉めると、白粉に背後からそっと近づく。
彼女は出入り口に背中を向けるようにして円卓に着いており、ノートPCを開いてカタカタと軽
快なタイプ音を響かせていた。
音楽でも聴いているのか、耳には妙に大きなヘッドホン。そのコードはPCに接続されている。
扉がノックされても気付かなかったのだから、結構な音量で聞いているのかもしれない。

正直、白粉がPCを前にしている時点で悪い予感しかしないのだが、昨夜「筆がノって」と語っ
ていたこともあり、ここは敢えて彼女がどんなおぞましいものを書いているのか確認することを
決意。怖いもの見たさというか、度胸試しというか……。

白粉の肩越しにノートPCの画面を覗くと……あー、何というか、予想通りワープロソフトが起
動していて、タイプされてゆく文字は。

『黒いコートを身に纏った男との邂逅はサイトウに新たな世界の扉を開かせた。そう、すなわち
 これまで受け∴齦モ倒だったサイトウに攻め≠フ境地が開けたのだ。これまで数々の漢た
 ちをイかせてきた彼は、まさか自分がイく側に回るとは夢にも思わない。しかしかいくら拒も
 うと思っていても体は欲望に抗えず、サイトウは遂に――』

……狂気に満ち満ちていた。
761 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:30:02.56 ID:TSocjRGH0

僕は即座に白粉の背にかかる1房の髪を摑み、グッと引っ張る。
「あぅ!」という声が部室に響いた。

「さ、佐藤さん! いつの間に!?」

「ちょっと前からだ。っつぅか、何てモンを書いてんだよ、お前は」

「え? あ、あのすみません、コレ聞いてるんで何を仰っているのか聞こえなくって……」

今取りますから、とヘッドホンに手をやり、彼女は自身の首にそれをかける。
やはり音量が結構大きかったようで、ヘッドホンからは何やらボソボソと人の声が聞こえてきた。
これは……音楽とかじゃないな。落語とか漫才かな?

「……ぇあっと、その……何でしょうか?」

白粉は申し訳なさそうにしながら、上目使いで遠慮がちに聞いてくる。僕が不意打ち的に驚かし
たせいか、昨晩と打って変わってオドオドとしたいつもの#瀦イだ。

「あーうん、やっぱりいいや、なんでもない。それよりもさ……」

彼女の首にかかったヘッドホンから洩れ聞こえる音がやたらと気になった僕は、彼女に何を聴い
ているのかと尋ねる。すると彼女はモジモジとするだけで、なかなか教ええくれない。
マニアックなアニソンでも聴いているのだろうか? でも歌って感じじゃないんだよな。
だとすると何だろう? ……うーん、いいや、こうなったら人を勝手に陵辱していた罰として、
強硬手段に訴えるとしよう。

僕は素早く彼女の側面に回ると、サッとノートPCに突き刺さっているヘッドホンのジャックを
引き抜いた。あっ! と白粉が声を上げるが、遅い。
音声出力がヘッドホンからスピーカーへと切り替わる。
762 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:30:33.70 ID:TSocjRGH0

――これでどうだ!
――まっ、まだまだぁ! 
――ほほぅ、粘りおるわい。ではこれでどうだ!
――んんぎぃぃい深いぃぃ! 
――それっそれっ! 
――くっぐぐぬっ!? ぬうぅぅぅぅおおぉぉ!
――それっそれっ!! 
――アッ、アッ、ダ、ダメです、もうぅぐん!!

ノートPCの小型スピーカーからは、男2人の渋い声と畳の上で激しく蠢くような音などが聞こ
えてくる。予想の斜め上をいくとんでもないモノが飛び出してきたことで僕は、
この後白粉になんて声をかけてやれば、と頭を悩ませた。

だってさぁ、肉体同士が打ち合わされるようなパンッとかパシッとかいう音まで聞こえてきちゃ
うもんだから、もう完全にソッチ系のモノと断定せざるを得ず。
しかもそんな音声を1人、大音量で聞きながら、こいつは一体何をしていたのかと……。

「ち、違うんですよ? こ、これはその……決していやらしいものではなくってですね……」

白粉はアタフタと弁解しながらノートPCを操作して音声を止めつつ、チラリチラリとこちらを
見てくる。
その様子はどこか小学生の頃、僕に著莪の抜け毛を集めていた事がバレた時の石岡君に似ていた。

とりあえず僕は、へ、へぇ、という曖昧な応答をしてみた。すると彼女は、やっぱり信用されて
いないと思ったようで、PCのDVDドライブを開き、中に入っていたディスクを取り出した。
763 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:31:02.16 ID:TSocjRGH0

「ほ、ほら、これです! あたしはこの『これがプロの技だ! 最強格闘伝授シリーズ 寝技・
 絞め技編』を聴いてサト、サイトウが長身痩躯の漢と畳の上で激しくヤり――あぅ!」

「どっちにせよソッチ系の資料として使ってんじゃねぇか!」

「あぅぅ……すみません。あっ、でもアレですよね。こういうのをそういうふうに考えちゃうっ
 てことは、つまり佐藤さんの頭にはそっち系の変換ロジックが確立されてるって事ですよね!
 ? ――あぅ! でも音声だけ聞いていると、もう完全にアッチの音声にしか聞こえないって
 1部では結構有名なんですよ。出演者さんもサイト……佐藤さん好みのナイスミドルでマッチ
 ョな方々――あぅっ! あぅっ!」

「貴様ッ! 何故言い直した!?」

「……す、すみません、妄想と現実がごっちゃになっちゃって……最近書いた話でサイトウが『
 僕はマッチョ好きだ!』って叫ぶシーンがあったので……つい」

こいつ、さっき書いていた文章もそうだが、なんと業の深いことを……。
しかもつい♀ヤ違えた、ということは、つまりそれだけ僕とそのサイトウなるキャラクターが
白粉の頭の中では酷似しているということであり……その、なんだ。……凄く、嫌です。

僕が今1度後ろ髪を引っ張ってから手を離すと、白粉は平然とした様子でズレた眼鏡を円卓に置
いて部室の隅にある戸棚へと歩み行き、置いてあった自分の鞄に手を突っ込んで何やらゴソゴソ
とやり始めた。
変換ロジックがどうのと言っていた時は目がギラギラとしていたが、今は眼鏡を掛けていないか
らか到って普通だ。

そんな白粉を横目に、僕はとりあえず円卓に着き、今日は何故こんなにも人がいないのか彼女に
聞いてみる。すると烏田高校はこの日、毎年恒例の1、2年生によるマラソン大会が行われた関
係で学校自体が昼前で終わっているのだと知れた。どうりで生徒の姿がないわけである。
764 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:31:32.43 ID:TSocjRGH0

「あっ、これだ」

ガサゴソとやっていた手を止めた白粉は鞄の中から何やら小袋を取り出し、
こちらへとやって来る。

「えぁっと、お詫びといったらなんですが、佐藤さんも良かったらお1つ如何ですか?」

彼女がそう言って差し出してきたのは、どうやらお菓子の小袋であり、
テレビのCMでよく見かける種抜きの干し梅、『男梅』だった。
……また如何にも白粉好みなネーミングのお菓子である。

「ん〜、それじゃせっかくだし頂こうかな」

僕はパックに手を突っ込み、ちょっと大き目の干し梅を1個摘み出した。
酸っぱそうな匂いと見た目で瞬時に口の中に唾が湧く。
この『男梅』、食べるのは初めてだがなかなかにキそうな代物だ……。

「あ、これ以外と酸味は薄いんですよ。ですから3つぐらいがちょうどいいと思います」

こちらがどうこう言う前に白粉は素早く、僕の掌に大きそうな干し梅を2つ追加で載せてきた。
彼女の言とは裏腹で、見るからに酸っぱそうなそれは僕の口内に唾を沸き立たせる。
白粉の言葉を信用して3つ一気にいくべきか……いや、しかしこれはどう見ても……。

この場に石岡君でもいれば即、奴の口に放り込んで様子を窺った後、対応を決めるのだけれど…
…。クッ、せめてドMのヤツでもいれば……。この大事な局面に、どうして奴らはいないのだ!
765 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:32:03.81 ID:TSocjRGH0

僕がいつまで経っても『男梅』を食べない事に首を傾げていた白粉は、
やがて何かに気付いたように、あっ、と小さく呟いて俯く。

「そ、そうですよね。菌塗れのあたしからのお菓子なんて食べたくありませんよね……」

こ、コイツ! よりにもよってこのタイミングで卑屈になりやがって。
最近、こういうのは無くなってきていたのに……仕方ない、こうなったら覚悟を決めて。

「い、いただきます!」

僕は意を決して3つの『男梅』を口に放り込み、咀嚼して……ん? ん!?

「んぅ!! おぅ!! Oh!? おぉ――!? アッ……おぉ!? ちょっ、ちょっと待って
 ! これ、想像以上にキてッ!!」

予想の遥か上をいくスパーンッときた酸味に、僕は体を仰け反らせて硬直する。
口内の『男梅』からは、かすかに梅の旨味と甘みが感じられるものの、
そんなの関係ねぇ! と言わんばかりに強烈な酸味が縦横無尽に暴れ回り、唾が止めどなく溢れる。

もう目が片方しか開けられない状態だし、両手は胸元の前でボールを摑んでいるかのような感じ
で、指先にはググっと力が入るし。
足なんかは自然と内股になっちゃってて、まるで尿意を限界まで堪えながらゲームを続行した挙
句、実の息子に「洋! ペットボトルセット!!」とか言っちゃった人みたいになってるし。

これはどう考えても3つ同時に口にしちゃいかんものだろう……強烈過ぎる。
766 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:32:33.11 ID:TSocjRGH0

僕は霞む視界で白粉の姿を追った。するとさっきまで目の前にいたはずの白粉は戸棚の所でデジ
カメを構え、レンズをこちらに向けているではないか!?
しかもその顔には眼鏡が再装着されていて……。

「お、白粉……きさま……何を……?」

彼女は「シャー」何て言葉が出てきそうなぐらい口元を下品に歪め、笑う。

「あぁ、いぇ、HP同好会の楽しい思い出を保存しておこうと思って、えぇ、動画で。
 間違っても『男梅をいっぱい食べさせた時のリアクションはアレの際に絶頂する様と酷似する』
 という都市伝説を確かめようとしつつも今後の参考資料として保存しようとしているわけじゃ
 ありませんから安心してくださいね」

クソッ! ふざけんじゃねぇぞ! 一体お前の言葉のどこに安心できる要素があるというんだ!
一刻も早く彼奴の手からデジカメを奪い、データを消去しなくては――ん!? Oh! ちょっ、
またキた、これッ!! 

早くこの苦境から脱し、白粉の元へ、と焦った僕は、うっかり干し梅を咀嚼してしまう。
すると口の中に新たな酸味が溢れ出し……。

「アッアッ、Oh、イエスイエぁス!! あぁっ!! ちょっ、ゴォウッ!?」

悪循環の堂々巡りの中で喘ぎ、身を激しくくねらせながら僕は己の浅はかさを悔いた。
767 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:33:02.47 ID:TSocjRGH0

 ●



白粉の目の前で、佐藤が『男梅』の酸味に蹂躪され、身をくねらせている。
時々、体を弓なりに反らせて硬直してはビクンビクンと痙攣し、
「あっ!? キ、キた! Oh、イエぁス!!」などと口走る。
その様子に白粉は夢中で動画撮影モードのデジカメのレンズを向けた。

こんなにもうまくイくなんて、と白粉は内心、ほくそ笑む。年末に行われるある祭り℃Q加す
ることが決まってからというもの、今日まで執筆は順調そのもの。
本の内容は予てから自分の内で温めていたネタでもあるサイトウが掘られる側から掘る方に
という路線で進めている。ただ、コレを書くにあたってどうしても確認したいことがあった。
それはサイトウの絶頂時のリアクションである。

もちろん、サイトウというのは白粉が自分の小説内で書いている架空のキャラなので、
実際にリアクションを確認する相手は、サイトウのモデルとなっている佐藤洋だ。
問題は如何にして佐藤のイく瞬間を捉えるかである。

一番手っ取り早いのは佐藤が自分の目の前で絶頂を迎えてくれることなのだが、
さすがにそれを彼に言うのは色んな面で憚られるので却下。
かといって彼の住むマンションに監視カメラをつけて、などというのは論外。

そうして悩んだ末に白粉が辿り着いたのがこの『男梅』だった。

やはり佐藤は最高だ。これほどモルモッ……ゲフンゲフン、観賞にピッタリな素材は他にない。
彼を見ているだけで頭に次々とイマジネーションが湧き、ヤる気がムクムクと……ムクムク、か。
ふむ、アレをそうしてナニすれば使える表現だ……メモメモっと。

白粉がニタニタと笑いながらメモ帳にペンを走らせていると佐藤が一際大きく嘶いた。
彼女が慌ててデジカメを向けていると、佐藤は突然、床の上に仰向きで倒れ、
すぐさま首ブリッジの姿勢になる。

ほほぅ、どうやら特大の絶頂を迎えるらしい……ふふっ、この好き者め。

「イエスッ! Oh、イエぁァス――!!」

佐藤の叫びを聞いた白粉は予想以上の成果に、口の両端を裂けんばかりに吊り上らせた。
768 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:33:39.43 ID:TSocjRGH0

 ○



僕が口内の干し梅による酸味地獄から、首ブリッジの姿勢で叫んだ直後、
コンコンッと扉をノックする音。

ブリッジをしているせいで逆さまになった僕の視界に写る白粉は、それこそクリーチャーと言っ
て差し支えないぐらいに口の端を吊り上らせ、僕の方にカメラのレンズを向けたままだ。
どうやら夢中になりすぎていてノックの音に気付いていないらしい。

……となると僕が返答するしかないのか。ふ〜やれやれだぜ。

「はい、開いてますからどうぞ」

「失礼しま――……」

扉の向こうから現れたのは、白いニーソに包まれたエロティカルな2本の足と、
床から見上げる僕の目線をもってしても見えそうで見えない、スカートの中に広がるワンダーラ
ンド……ではなく、烏田高校の冬服の上から白いコートを羽織った白梅だった。
彼女は扉を開けて部室に入ると、床で首ブリッジをしたナイスガイな僕を見て眉間に皺を寄せる。

「何をやっているんですか、佐藤君?」

「うん、ちょっとね。そんなことより今日は白なんだ、最高に素敵だよ」

強烈な威力の蹴りがブリッジで浮いて無防備な背中に叩き込まれる。
体が浮き上がり、僕は部室の天井に叩きつけられ、落下。
床に強か背を打ちつけてジタバタと悶えた。
769 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:34:20.03 ID:TSocjRGH0

「会って早々何を言い出すかと思えば、変態ですか」

「……へ、変態って何がだよ……僕はただお前が着ているコートが白でよく似合っていたからそ
 う言っただけで……」

え……、と白梅は珍しく狼狽し、頬を朱に染めた。

「す、すみません。佐藤君の視線が床から見上げるようにこちらを向いていたので、てっきり……」

「イテテ……ま、いいって、確かに僕の言いかたも紛らわしかったし。
 ……ところで白ってとこにそれだけ過剰反応したってことは白梅がは――」

「それ以上言っても、余計な詮索をしても怒りますよ?」

白梅の名刀を思わせる鋭い目で睨まれ、僕はこの件に関しては今後一切詮索しないと心に誓った。

「で、結局のところ何しにきたんだ? 白粉に用事があるならそこにいるけど」

僕が起き上がって指差すと白梅もまた、そちらの方を見やる。
戸棚の前で自分の世界にぶっ飛んでブツブツと呟き、デジカメを動画モードで構える白粉花を。

「……白粉さん、ちょっと様子がおかしいようですが」

「安心しろ、今に始まったことじゃない」

全てを言い切った瞬間、僕の内臓は悲鳴を上げた。
白梅が予備動作なしで僕の腹に拳を叩き込んだのだ。
しかもその拳が肉に食い込んだ瞬間に捻りまで入れてくれるというサービス付である。
770 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:35:03.97 ID:TSocjRGH0

「会って早々何を言い出すかと思えば、変態ですか」

「……へ、変態って何がだよ……僕はただお前が着ているコートが白でよく似合っていたからそ
 う言っただけで……」

え……、と白梅は珍しく狼狽し、頬を朱に染めた。

「す、すみません。佐藤君の視線が床から見上げるようにこちらを向いていたので、てっきり……」

「イテテ……ま、いいって、確かに僕の言いかたも紛らわしかったし。
 ……ところで白ってとこにそれだけ過剰反応したってことは白梅がは――」

「それ以上言っても、余計な詮索をしても怒りますよ?」

白梅の名刀を思わせる鋭い目で睨まれ、僕はこの件に関しては今後一切詮索しないと心に誓った。

「で、結局のところ何しにきたんだ? 白粉に用事があるならそこにいるけど」

僕が起き上がって指差すと白梅もまた、そちらの方を見やる。
戸棚の前で自分の世界にぶっ飛んでブツブツと呟き、デジカメを動画モードで構える白粉花を。

「……白粉さん、ちょっと様子がおかしいようですが」

「安心しろ、今に始まったことじゃない」

全てを言い切った瞬間、僕の内臓は悲鳴を上げた。
白梅が予備動作なしで僕の腹に拳を叩き込んだのだ。
しかもその拳が肉に食い込んだ瞬間に捻りまで入れてくれるというサービス付である。
771 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:38:08.33 ID:TSocjRGH0

立っていた僕は衝撃と痛みに屈し、まるで従者のごとく白梅の前に片膝をつく。

――ぷふぉう! オレもサービスされてぇ!

気のせいだろうか? 今、Mの声が聞こえたような……。

「ふざけないでください、怒りますよ」

「もう……怒ってんじゃん……本気で。それとできることなら今度からは1撃入れる前に何か一
 言……不意打ちはキツ過ぎだって……」

まだ本気じゃないです、と彼女はサラリと言い、次からは1撃入れる前に予告することを約束し
てくれた。これは全人類から見たら小さな1歩かもしれないが、僕にとっては大きな1歩だ。

これで今度から白梅に攻撃される前に心の準備が出来るというもの。
ようはイメージできれば良いのだ……これから僕は白梅にではなく、
広部さんに愛情の籠った1撃をぶち込んで頂くのだ、と。
そうすれば痛みなんて怖くない、苦痛なんて感じるはずもない。
だってそれは僕にとってご褒美なのだから! 

広部さんが僕を手ずから痛めつけてくれるなんて……ふぅ、いかんな、考えただけでも衝天して
しまいそうだ。僕はどうやら天国の扉の鍵を手にしちまったらしい。

「――ですから今日はこれを佐藤君に渡そうと……佐藤君、聞いてますか?」

気付けば白梅がDVDが入っていると思しきケースを手に、僕を見つめているではないか。
僕が、何ぞ? と見つめ返すと彼女は深くため息をつき、円卓の上に手にしていたケースを置く。
772 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:38:34.82 ID:TSocjRGH0

おっと、この流れはもしや……。

「怒っていいですか?」

「ハイキタァッ!! 早速天国の扉が開かれるぅぅぅぅッ!? さぁ白梅、来いッ!!
 ズキュゥーンっとくるような感じの! ホラっ、どうした!? カモーン!!
 メメタァってのでも可だぜ!?」

おや、どうして白梅は眉間に皺を寄せているのだろう? 額に手をやって首を振る暇があったら、
早くその手で僕を天国へと誘って……あれ、何でため息をつくの?

「変態ですか、佐藤君。凄く気持ち悪いですよ、率直に言って、引きました……」

そんな!? どうして!? と困惑する僕の耳に、どこからともなく声が響く。

――やめるんだ同士佐藤よ、見苦しいにも程があるぞ。恥を知れ。
  そうまで乱暴に求めたところで真の快楽は得られんぞ。

同士? ……お前、まさか変態の内本か!?

――自らの欲望を成就させんと一方的に誰かに迷惑をかけるとは……キサマ、それでもMかッ!! 

いや、そもそもMじゃない……と思う、多分。

それに誰が自分の欲望のため一方的に迷惑をかけていうんだ。僕は折檻されて衝天したい、
白梅は怒りを僕にぶつけたい……ほら見ろ、ウィン&ウィンじゃないか。
どこが一方的だというのだ!
773 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:39:04.29 ID:TSocjRGH0

僕は心の中で叫び、もしや声の主がこの部室にいるのではと見渡す。しかし奴の姿は認められない。
いるのは生ゴミでも見るがごとき冷やかな目で僕を見やる白梅と、いつの間にかデジカメを手帳に
持ち替えてペンを走らせる白粉ぐらいのものだ。

「サイトウはケツを突き出し、叫ぶ。『ホラっ、どうした!? 何を躊躇う! お前は突きたい
 し、僕は突っ込まれたい。ウィン&ウィンなんだ、負い目を感じる必要がどこにある!?
 共に天国へとイこうじゃないか! さぁ来いッ!! カモーン!! ズキュゥーンと直腸にく
 るような感じのを1発!!』……ふむ、これは使える。ぜひともどこかに突っ込んで……」

彼女の大変不愉快な呟きに僕は己の行いを恥じた。
いくらウィン&ウィンとはいえ世の中にはやって良い事と悪い事があるのだ。

それに気付かせてくれた礼として髪を引っ張るのは止めておくことにしよう。
……でもデジカメのデータだけは後で忘れず消しておこう。それとコレとは話が違う。
パソコンを嗜む白粉のこと、あの映像データが何かの拍子にネットの世界へ流出する恐れがある。

その後、僕は白梅に誠心誠意謝罪した。すると彼女はどこかホッとした表情を見せ、快く許して
くれる。「もし疲れているのなら、こんど腕の良い医者を紹介しますよ」とも言ってくれた。
そんな白梅の優しさに、全米ならぬ全僕が泣いたのは言うまでもない。

「今度はしっかり聞いてくださいね」

白梅はそう前置きしてから、円卓に置いたケースを手に再度説明をしてくれる。
ケースの中身はやはりDVDーRで、その内容は先月に行われた文化祭の写真のデータだった。
生徒会によって選ばれた烏田の生徒たちがカメラマンをやっていたそうで、
彼らの撮り溜めたデジカメのデータの中から僕たちに関係したものなどを、
白梅が編集してまとめた物がこのディスクに収められているのだという。
774 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:39:32.92 ID:TSocjRGH0

「ちょうど今日完成したものです。近いうちに自宅へ送ろうかと考えていたのですが、
 さっき佐藤君が部室棟の方へ向うのを目にしたので、それなら直接渡すほうが良いかと思い、
 こちらへお邪魔さていただきました」

僕がお礼を言いDVDを受け取ると白梅は、それではわたしはこれで、と部室を後にする。
なんでも、マラソン大会の折、1部の男子生徒が突然失踪し、最終的には隣町で発見されるとい
う前代未聞の珍事があったらしく、事件の首謀者として捕縛された4人のバカな男子生徒から事
情聴取をする作業がまだ残っているらしい。生徒会長というものは実に忙しい役職である。
……1部では副会長の方が忙しいという例もあるようだけど。

長く艶やかな黒髪を纏めた白いリボンを揺らし歩みゆく彼女の後姿に、僕は頭を下げた。

白梅を見送り部室に戻ると、白粉が円卓についてノートPCを超高速でタイピングしていた。
どうもさっきの不快な呟きを小説に反映させる作業を行っているようだ。
もし良かったら彼女にノートPCを借りてDVDを見ようかと考えていたのだが、
どうやら無理っぽい。

でもこれで良かったのかもしれない。白粉の執筆作業を邪魔するのも悪いし、
どうせならこのDVDは著莪が帰るのを待って一緒に見た方が良いだろう。

僕はDVD入りのケースを鞄に突っ込んでから、そっと手を伸ばし、
ノートPCの横に置かれた白粉のデジカメを拝借する。

とりあえず動画を確認……しようと思ったものの、よく考えてみれば進んで見たい動画でもなか
ったので、記録されているものが1件だけであることを確認の後、全てを削除した。
775 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:40:04.02 ID:TSocjRGH0



今日はマラソン大会で疲れたので、と言って白粉は争奪戦に参加することもなく帰ってしまった
ので僕は1人、11月のいささか肌寒い夜風の中を烏田高校最寄のスーパーマーケット、
通称アブラ神と呼ばれる半額神が治める店に向った。

「結局1人か……こうなると分かってたらマっちゃんの店でも良かったかも」

細く尖った月が昇る夜空の下を歩いていると、どことなく体ばかりか、
心までも冷え冷えとしてくるようだ。……せめて体が温まるような半額弁当が獲れるといいなぁ。

果たして暗い夜道の先に煌々とライトアップされたスーパーマーケットが姿を現す。
まるで宮殿を思わせるような荘厳さを湛える建物は、それでいて光が放つ熱のせいなのか、
家庭的な親しみと温かみを見る者に与えてくれる。僕はそこに飛び込んだ。

店内は少し涼しいという程度の温度。その空気を体に浴びながら歩を進める。
放たれてきた鋭い視線は6といったところ。多くもないが少なくもない、そんな数だ。

一昔前の流行曲を木琴で奏でたような店内BGMを耳に、僕は店内外周を舐めるように回っていく。
途中陳列された様々な商品で目を楽しませ……惣菜・弁当コーナーへと至る。

惣菜はまばらだ、売れたのだろう。弁当は……3つ残っている。

小さめの容器に収まる『夜食に、麺類のお供に、ジャストフィット!! ハーフチャーシューチ
ャーハン』。
対照的にデカデカとした容器の『きっと誰もが1度は夢に見る組み合わせ! 牛丼&親子丼の奇
跡のコラボ丼』。
そして『寒い夜にはこいつが1番! お肉たっぷり、ボリューム満点!! 和風ロールキャベツ
弁当』。以上が今宵の獲物候補だ。
776 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:40:34.09 ID:TSocjRGH0

相変わらずどの弁当にも『!』が使用され、半額神のテンションの高さが窺える。
しかし何度かこの店に通う内に、そのどれもが名前負けしない内容の弁当であることが分かって
きたし、むしろ『!』がより多く使用されている弁当ほど美味いに違いないとさえ思えるような
ってきた今日この頃だ。

それからいくと狙いはロールキャベツだな。寒い夜には≠フ件からして僕の求めていたものだ
し、汁物の料理を敢えて弁当にしている点からも興味深い1品だ。
何よりロールキャベツが僕の知っているものに比べて遥かにデカイ。
少年の握り拳ぐらいはありそうな大きさで、それが2つも入っている。
これにコンソメではなく、薄い琥珀色の和風出汁が絡められていところもまたニクイ。
半額神がより日本人の好みに合うようチョイスしたのだろう。
また弁当自体はゴマのかかった大盛りのご飯に箸休めとして漬物と卵焼きがついているが、
実質ロールキャベツがご飯を口に運ばせる役目を担った唯一のおかずであり、
それからいっても和風テイストなのはありがたい。
単体で食すならコンソメでも良いが、ご飯と合わせるとなると和風の方が断然箸が進む。

僕は口の中に湧き出た唾を飲み込み、自己主張を始めた腹の虫を落ち着かせながら歩み行く。
今夜の獲物は決まった。あとはどこで食べるかだが、どうせ部室に戻っても1人。
ならマンションに帰ってゆっくり食べるか。……うん、そうしよう。
なまじこのボリュームの弁当を公園などで食べて満腹になってしまったら動くのが億劫になりそ
うだ。それなら飲み物を買う必要は無いな。

飲料コーナーを素通りしようとすると、そこには顎鬚を生やした男と坊主頭の男の姿が。
彼らは共闘することが多く、僕は最初コンビを組んでいるのかと思っていたが、
どうやらそうではなく、ただ互いに気が合うので何となく一緒にいることが多いのだとか。

ん? あれは……。
777 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:41:03.80 ID:TSocjRGH0

顎鬚と坊主が並び立つ位置から僅かに横。棚に貼り付けられた小さなポップが視力1.5の僕の
目に留まる。そこには『テレビやネットで話題の!』という文字が……むむ、こういう書き方を
されるとちょっと気になるぞ。

僕はやや早歩き気味に顎鬚たちの背後を通過しつつ、横目でポップが示す商品を確認。
それは『関東・栃木レモン』なる紙パック入り乳飲料だった。
クラスの何人かが昼食の際飲んでいたのを見たこともあって、
実は前々から気になっていた商品なんだよね。……買ってみようかな。
でも、乳飲料と和風と名の付いた料理を組み合わせるのはいかがなものだろう? 
若さと勢い、そして石岡勇気という実験台がいなければ抵抗がある組み合わせだ。

かといってここで逃すと再入荷しない恐れもあるし……。
よし、これは後日、著莪が帰ってきた時に一緒に飲むことにしてとりあえず買っておこう。
それなら石岡君がいなくても何の問題もない。
2人で飲むなら200より500ml入りの方がいいかな。

僕は『関東・栃木レモン』(500ml)の購入を決めると、顎鬚たちが陣取る飲料コーナーと
棚を1つ隔てた向こう側、バターやチーズといった乳製品が並ぶ棚の前で腕を組み、
瞼を閉じてその時が訪れるのを待つ。すると気配が1つ、こちらに近づいてくるではないか。

目を明けて顔を向ければ、その先にはこちらに歩いてくる茶髪の女。
今日の彼女は烏田高校の制服ではなく、暖色系のセーターに私服のスカートを合わせている。
778 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:41:37.11 ID:TSocjRGH0

茶髪は「チャオ」と、ダボついた大きめのセーターの袖から指先だけを覗かせてヒラヒラと動かす。

「今晩はワンコ。今日は1人? ……そう珍しいわね。喧嘩でもしたの?」

僕が1人でいるのが余程珍しいのか、彼女は色々と聞いてくる。
それらに一通り答えると、彼女は僕の隣に並び立つ。

「あなたもロールキャベツ狙い?」

僕はチラリと茶髪を横目で見つつ、頷く。彼女は「そう」と言い、何気ない仕草で腕を胸の下で
組む。本来はバストラインを曖昧にする大きく柔らかなセーターだが、彼女が腕を下からすくい
上げるように組んだため、その形とサイズがほのかに浮かび上がった。
……その曖昧なボディラインが僕を誘惑する。

時々思うのだけれど、彼女が行うこの動作は、ひょっとして僕の集中力を低下させんとする精神
攻撃の一種なのではないだろうか? 1度他の男たちと真剣に議論する必要があるな。

「今日は月桂冠にならなくてもキツイ戦いになりそうね。でもワンコのパートナーがいない分、
 少しはマシかしら」
779 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:42:05.21 ID:TSocjRGH0

「ロールキャベツを狙う奴が僕たちの他にも?」

えぇ、と茶髪は胸をすくい上げていた腕を解き、目の前の棚を指差す。
と、同時に棚の向こうからチッと舌打ちが聞こえてきた。

なるほど、顎鬚か坊主のどちらか、或いはその両方がロールキャベツを狙っているという訳か。
確かに熾烈な争いになりそうだ。

僕は目の前の棚に並べられた商品と、茶髪の曖昧なボディラインを交互に見やりながら半値印証
時刻の訪れをジッと待つ。やがて店内の空気がバスト……間違えた、爆発的に張り詰めた。
この位置から直接見ることは出来ないが雰囲気がそうだと告げている。
この店の半額神、通称アブラ神が降臨したのだ。

徐々に高まっていく緊張感。僕は茶髪のバストをチラ見するのを止めて、今1度目を閉じる。
腹の虫が唸る声に耳を傾け、雑念を頭の中から追い出した。

――準備は整った。あとは合図を待つばかり。

観音開きの扉が閉まり、バタンという音が鳴り響く。即ちそれは争奪戦開始の合図。戦いの狼煙。
今宵集いし獣たちは今、戦いの野を駆ける。
780 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:42:34.30 ID:TSocjRGH0

僕と茶髪はほぼ横一線で駆け出した。棚の間を抜け弁当棚が置かれた広い通路に出ると、
隣に控えていた顎鬚と坊主の姿が。
彼らは僕らの一足先を疾駆し、弁当コーナーへ正面から接近していく。
それとほぼ同じタイミングで左右から3人の男が迫っていた。

いち早く弁当コーナーに到達した顎鬚と坊主は弁当に手を伸ばすことなく、それぞれ左右に分か
れて敵を潰しにかかる。3人の内2人は彼らの攻撃をモロに受け、床に叩きつけられた。
しかし最後の1人が顎鬚の横をすり抜けるようにして弁当に手を伸ばす。
坊主がこれに気付くが彼が迎撃に回るにはいささか距離があった。

そうはさせじと僕は更に加速。茶髪を抜き去り、男の指先がロールキャベツ弁当の容器の表面に
触れると同時に、彼の手を横合いから拳で殴りつけた。
男は驚きながらも弾かれた腕とは反対の腕で僕に攻撃しようとする。が、遅い。
僕は彼の体に自分の体を密着させ、渾身の力を籠めて押した。

ぶっ飛んだ男はその先にいた顎鬚に蹴られ、更に別の方向へと吹っ飛ぶ。
781 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:43:04.57 ID:TSocjRGH0

ここで1瞬の間が空いた。坊主がこちらに駆けようとするもまだ距離がある。
顎鬚は体制が整っていない。いける! 

僕は弁当に手を伸ばすも、その瞬間背後に気配が迫り弁当棚に影が落ちる――ヤバイッ!

直感した僕は膝を折って頭を下げる。刹那、空中より飛来した茶髪の放った蹴りが頭頂部の髪を
掠めた。チリチリと髪が焦げ、異臭が鼻をつく。

茶髪は僕を飛び越す形で弁当棚の最前線からやや横に着地すると、すぐさま体を反転させて弁当
に手を伸ばす。しかしそこに坊主が、反対側からは顎鬚が突っ込んできた。
茶髪は舌打ちをして一旦弁当を諦め、まず先にやって来た坊主の攻撃をかわすとカウンターで肘
を打ち込む。吹っ飛びはしなかったものの、彼の動きを止めておくには十分な威力。
坊主が苦悶の表情を浮かべる。

続けて彼女は首だけ動かして顎鬚の姿を捉えると彼の放った拳を、たった1歩のバックステップ
という最小現の動きでもって避け、彼の足を払った。
自らの勢いを止める術を失った顎鬚は茶髪の横を通り過ぎ、坊主と接触。共に転倒する。
更に茶髪は続けざまに飛び掛ってきた2人の狼をもあっという間に蹴散らしてしまった。

その流れるような一連の戦いぶりに、僕は争奪戦の最中であることを忘れ見入ってしまう。
自信に満ち溢れた茶髪は最早、2つ名持ちとなんら変わりない実力を有していた。

……ただ、だからといって獲物を譲る気はさらさら無いのだが。

邪魔者を片付けた茶髪は弁当に手を伸ばそうとする。
僕はしゃがむような体勢から勢いよく前に跳び、彼女の左腕を摑む。
782 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:43:33.83 ID:TSocjRGH0

「離しなさい!」

――A:イヤです。

茶髪は摑まれた腕を振りほどこうとしながらも反対側の手を弁当に伸ばす。
僕は左足を1歩前に踏み出して踏ん張ると、思い切り茶髪の腕を摑んだ右手を引いた。
彼女の両足が床から離れ、弁当へと伸ばした手は逆に遠ざかる。
「なっ!?」と驚愕し、茶髪は振り返った。化粧気の少ない今風の美人。そんな印象の顔。

少し気が引けるけど……今は争奪戦の真っ最中、誰であろうと容赦はしない!

僕は迫ってくる彼女の額に自分の額を勢いよくぶつけた。いわゆるヘッドバッドである。
ゴッという鈍い音。頭の天辺から足の先へ、衝撃と一緒に痛みが駆ける。
歯を食いしばってそれに耐え、額から鮮血を滴らせながら床に崩れる茶髪を後方に残し、
僕は獲物を、半額弁当を目指して前に突き進む。あとは摑み獲るだけだ。

ところが僕と同時に弁当コーナーへと辿り着いた者が1名。
坊主頭の彼は傷だらけになりながらも闘志の籠った、されどどこか探るような目を僕に向ける。
僕もまた彼の目を見返した。それは時間にして1秒にも満たなかっただろう。
互いの意図を理解した僕らは同時に弁当へ手を伸ばし、弁当の容器を摑み獲る。

「ワン公はロールキャベツか。狙いが別でよかったぜ」

「そうだな、あんたがコラボ丼狙いでホッとしたよ」

どうやらあの時棚の向うで舌打ちをしたのは顎鬚だったようだ。
783 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:49:42.50 ID:TSocjRGH0



半額弁当と『関東・栃木レモン』(500ml)、そしてティッシュペーパー(400枚入り×5
個パック)を入れたカゴを手に、レジへ来てみれば、
先程コラボ丼を奪取した坊主とハーフチャーハンをゲットした顎鬚の姿があった。

残る最後の獲物は彼か茶髪……多分、茶髪が獲るだろうと予想していたのでちょっと意外だ。

「ようワン公、この次は負けねぇぞ」

僕が後ろに並ぶと顎鬚は弁当容器を挙げてニッと笑う。僕もニッと笑い返し、カゴを挙げた。

「また狙いが被ったら返り討ちにしてやるよ」

「へっ、言いやがる。ところで話は変わるが、今日は麗人と一緒じゃねぇんだな。喧嘩中か?」

「家族旅行中だよ。っつぅか茶髪も同じことを聞いてきたけど、流行ってんの、それ?」

「そりゃぁよぉ、なぁ?」

顎鬚は支払いを終えてレジを抜けた坊主に何やら同意を求め、自分の支払い作業を始めてしまう。

「それだけみんなが珍しく思ってるのさ。
 いつも一緒にいるお前らが1人だけで行動してるって事にな」

坊主はレジを出てレンジに弁当を入れると、僕の顔を見てククッと笑う。
……僕は一体どんな表情をしていたのだろう?
784 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:50:32.89 ID:TSocjRGH0

訳が分からないまま顎鬚がレジの店員さんからお釣りを受け取っているのを見た僕は慌ててポケ
ットの中から財布を取り出す。手にズシリとくる重み。
はて、昼間手にした時はこんなじゃなかったような……。

違和感を覚えながらも僕は財布を開き……驚愕した。

財布に……お札が……ない。こ、こここ、これは一体どうした事だ!? 
確か今日の昼休みに学校近くのコンビニで5,000円を下ろしたはず! 
ATMから出てきた樋口一葉のお札がピン札だったので、
何だか得したなぁって気分になったはずだ。なのに何故!? 

僕は頭をフル回転させ、1つの答えを導き出す。……ははぁん、僕としたことが。
さては夢を見ているな? 一見、僕はスーパーにいるようでその実、
自室のベッドで著莪の髪に顔を埋めて眠っているに違いない。
うんうん、そうだよね、こんな事が現実に起きるわけ無いもの。
そうとわかれば早速この悪夢から目覚めなくては。

僕は己の顔を殴らんと拳を固める。さて、ガツンと1発強烈なヤツを。
そうすれば目が覚める――

「お待たせしました、次のお客様、どうぞ」

店員さんの声にハッとなった僕は、思わず反射的に手にしていたカゴをレジの台の上に乗せてし
まう。
店員さんは慣れた手つきで素早くカゴの中の半額弁当を取り、バーコードの読み取り機器を当て
てゆく。ピッという小気味良い電子音が聞こえ、夢だと気付きながらも僕は、なお一層青ざめた。
……夢にしてはちょっとリアル過ぎやしないか?
785 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:51:03.31 ID:TSocjRGH0

万が一、そう、万が一の話しだが、これが現実だと仮定すると、カゴを店員さんに渡す前なら「
買い忘れた物が」とでも言ってこの場を去ることも出来たのだろうが、すでに際は投げられてし
まっている。
この状況下で「すみません、お金が……」なんて言おうものなら……考えるだけでも恐ろしい。

早くこの悪夢から覚めなくては――おや? これは……。

財布のお札入れによく見れば紙切れが入っているではないか。
4つ折にされたそれを開くとメモ翌用紙に著莪の字で走り書きが。

『お土産代が足りなさそうだったからちょっと借りるね。
 代わりにアタシの手持ちの小銭を入れといたから。たぶん2,000円分ぐらいはあると思う』

………………………………………………。

広辞苑の【手紙】の項目に従姉がメモ翌用紙に走り書きしたものに限り、
従弟を沈黙させ、思考までも奪い去る効力を持つ≠ニ書き加えるべきかもしれない。

「お客様、お会計は合計で440円になります」

レジ内の店員さんの声で僕は再びハッと我に返り、財布の小銭入れを確認する。
メモにあった通り、そこには硬貨がギッチリと詰まっていた。
どうりで手にした際に重量感があったはずである。

手のひらにジャラっと硬貨を出すと5円玉や十円玉がやたらと多く目に付くものの、
その中に100円、500円といった硬貨もチラホラと見受けられる。
確かに2,000円分ぐらいのお金はありそうだった。

極力細かいお金を使い支払いを済ませた僕は無事にレジを抜け、試しに頬をつねってみた。
ホッと息をつく。痛かった。
786 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:51:33.13 ID:TSocjRGH0

まったく著莪のせいで一時はどうなるかと思った。もしメモの存在に気付かなければ、
僕は間違いなく夢から覚めるために自らの顔を殴っていたことだろう。
そうなっていたら西区はおろか、東区の狼たちの間でも、僕の奇功が噂として広まり、
最悪翌朝のニュースか朝刊の地方欄に取り上げられる恐れだってあったのだ。
そうなれば、飛びてェーッ、てどころな話じゃない……おぉ! 何と恐ろしい!!

……帰ったら電話で著莪に文句の1つも言ってやらねば。

僕は顎鬚と坊主に別れを告げ、エントランスへと歩き出す。その際レジを横目で見やれば狼たち
が成していた列の大半が、今度はレジ近くにあるポットの前に移っていた。
列の最後尾付近に並ぶ者は、いつポットのお湯が切れるかわからない恐怖に晒されて表情が硬い。

そんな光景を眺めてつつ歩いていた僕は、ふと、違和感を覚えて足を止めた。

――茶髪の姿が見当たらない。

彼女はお湯を必要とするカップ麺などではなく、お握りやパンといった食べ物を買って早々にレ
ジを抜けたのか? それともジジ様の店に? 
だとしても僕や顎鬚たちに声をかけることぐらいはしそうなもの、
これまでの彼女は少なくともそうだった。……ということは。

僕はエントランス付近から再度店内最奥に位置する弁当コーナーに向う。
果たして弁当コーナーから少し離れた鳥棚の傍に、グッタリと横たわる茶髪の姿があった。
僕の頭突きによって倒れた場所は弁当棚の間近か。
恐らく最後の獲物に群がった狼たちによって邪魔とばかりに蹴り飛ばされてしまったのだろう。
服は汚れ、顔や足は傷だらけ。
これが争奪戦直後のスーパーマーケットでなければ完全に事件の被害者だ。
特に額からの出血跡が痛々しい。一体誰がこんな酷い事を……はい、僕がやりました。
787 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:52:04.11 ID:TSocjRGH0

店内のトイレの洗面所でハンカチを濡らし、茶髪の額についた血の痕を拭ってやる。
しかし起きる気配は無い。……さて、どうしよう。

このまま店内に居続けるのも迷惑だろうし……そうなると僕が茶髪を背負い店を出るという方法
が最も自然かつ正しい行動ということに……。
例えその結果、茶髪の胸とかお尻なんかの感触が僕の背中や掌に伝わってきたとしても、
それは不可抗力ということだよね? うん、いいな、すごくいい! 早速実行しよう!

僕は床に片膝をつけて茶髪の上体を起こしてやる。そして……む? え〜と、ここからどうしよう。
行動を開始したはいいが気を失ってる人を背負うのって結構難しいぞ……。

前に著莪を背負った時は彼女の意識があったので、こっちのいいように動いてくれたのだけれど、
今回はそうはいかない。というか意識が戻ったら意味が無い。
茶髪が目を覚ます前に早く彼女を、彼女の豊満なバストを僕の背に! 

この際多少強引にでも、と僕が思ったその時「ぅ……ん」と茶髪が意識を取り戻してしまう。
彼女はしばらくボーと僕の顔を見つめ、やがてハッとしたようにあたりを見渡す。

「私、気を失ってたのね……。ワンコは……介抱しようとしてくれてたの?」

僕の口から「あ、あぁ」と呻くような声が漏れる。気を失った茶髪を背負うことで合法的に彼女
のワガママボディに触れられるチャンスを逃した事に対する口惜しさからのそれだったが、
茶髪はYESの返事だと認識したらしく、「ありがとう」と微笑む。
僕はうしろめたさを感じながら大丈夫かと訊ねた。

「そうね……ダメージもあるけど、それ以上に空腹、かな」

茶髪は照れたように言い、フラつきながらも自力で立ち上がり、惣菜が置かれていた棚へ。
ところが、そこはすでに敗北した者たちが殺到した後であり、おつまみ用の焼き鳥が入ったパッ
クと、お握りが少々残っているだけ。
「……ま、こうなるわよね」と茶髪は息を吐き、お握りを2つ手にしてレジを抜ける。
その背中がやけに寂しげに見えたので、僕は声をかけた。

「あのさぁ、よかったら夕食を、一緒にどう?」
788 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:52:36.00 ID:TSocjRGH0



手を合わせて、いただきます、と言い、茶髪はお握りの包装を解き食べ始めた。
海苔がパリリっと音立てて噛み切られる。
どうも彼女は僕と同様、こういうおにぎりは温めないタイプのようだ。

いつぞやに槍水さんが部室で米のα化とβ化について話してくれたことがある。
彼女の言葉を借用すると、
「α化とβ化、これは米の甘み、うまみに関係してくる。
 簡単に言えば冷めて硬くなった状態がβ化であってこれは当然、味が落ちる。
 温め直すことによって炊き上がり時同様α化させ、もっちりとさせるとともにうまみを上げる
 ことができる」――ちょっと長めのお話なので割愛させていただこう。

これはスーパーで売られているパック寿司についてのものだったが米に関する基本は同じ。
お握りであろうと寿司であろうと使用されている米の飯自体は温めた方が旨味が増すのである。

ならばそこまでわかっているにも拘らず、何故僕がお握りをレンジで温めないかといえば、
簡単な事、お握りの包装は本体である握り飯と表面を覆う海苔が一体となっているため温めれば
米が発する水蒸気により海苔のパリパリ感と香ばしさが損なわれてしまうのだ。
それはあまりに惜しい……だからこそ敢えて冷たいお握り食すことが多いのだ。

茶髪もおそらくはこんな理由からお握りを温めなかったのではないだろか。

「ワンコ、お弁当が冷めちゃうわよ?」

茶髪に声をかけられて振り向いてみれば、彼女は2つ目のお握りを半分近く食べ終えているでは
ないか……また時間がぶっ飛んでいやがる。
スタンド攻撃を受けた可能性が高いが、ともかく今は彼女が言うように弁当だ。
せっかくの半額弁当をおろそかにしては天罰が降るというもの。
789 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:53:04.59 ID:TSocjRGH0

僕は茶髪に促されるように膝の上に乗せていた弁当の蓋を開ける。スーパーの電子レンジで温め
られたそれは、肌寒い夜気の中にホカホカとした湯気と美味そうな和風出汁の香りを解き放つ。

僕は喉をゴクリと鳴らし、この弁当のメインであるロールキャベツに箸を伸ばした。
子供の握り拳ほどもある大きなロールキャベツを箸でつかみ持ち上げると電子レンジで熱されて
ゼリー状からシャバシャバな液体へと姿を変えた和風だしの滴がポタポタと滴り落ちる。

タイミングを見計らい、よく煮込まれた半透明のそれに齧りつく。
ある程度覚悟はしていたが、それでも噛み切る際にロールキャベツの中から汁が零れた。
おまけに熱い。

僕は口をタコのようにしてハフホフとやりつつ、噛み切ったロールキャベツを咀嚼する。
表面を覆うキャベツは見た目通りしっかりと茹でられ柔らかで甘く、中に入っている豚のひき肉
は粗挽きゆえか旨味が濃く、長ネギの微塵切りと、意識しなければ気付かない程度にショウガの
絞り汁が薬味として加えられていた。
噛み締めるたびに肉汁が口内に迸り、それが和風鰹出汁と混じり合うのだから、
これはもう堪らなくご飯が欲しくなる。

僕はその欲求に従い、ご飯を搔き込んだ。キャベツの甘みと肉特有のダイナミックなパワーが合
わさった鰹出汁に白米を加えて咀嚼し、飲み込む。
……なるほど、良い組み合わせだ。ご飯のおかずとして申し分ない。
さすがはアブラ神の作った逸品だ。

1つ目のロールキャベツとゴマのかかった大盛りのご飯を半分近く平らげ1息ついた僕は、
ふと、隣から並々ならぬ視線が注がれていることに気付く。

「……………………………………」
790 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:53:33.94 ID:TSocjRGH0

茶髪は2つ目のお握り(紀州梅)をあと1口か2口というところまで食べたものを胸の前まで下
ろし、こちらをジーっと見つめている。

まさか僕に惚れちゃった? いやぁ、まいったなぁ……何てこれっぽちも思えないほど彼女の目
は僕の膝に乗った弁当へと向けられていた。広辞苑の――以下略。

僕が「その……よかったら食べる?」と聞くと茶髪は即座に首を縦に振る。
勢いのよい動作だったため彼女の胸元が揺れた。

ほほぅ、ダボついたセーター着ていてなお揺れる、とな。……眼福だ。

「えーと、それじゃぁ……はい」

え? と驚きの声をあげ、茶髪が固まる。
どうしたんだろうと首をかしげた直後――僕は自分がやらかした≠アとを自覚した。

「ワンコ、私はあなたの従姉じゃないのよ?」

そう……僕はつい、いつも著莪にそうするようにロールキャベツを箸でつかみ上げ、茶髪に差し
出してしまったのだ。いわゆるあーん≠ニいうヤツである。何という痛恨のミス!

レジでお金がないことに気付くのもかなりの恥辱だが、これはこれでメチャクチャ恥ずかしい……
これはそう、学校で担任の女教師をお母さんと呼んでしまった時の感じとよく似ている。
クラスの連中は囃し立て、先生は微笑みながら「どうしたの?」と優しく聞いてくれちゃったり
するあれだ。
何年か経って思い起こせば別に何ということはない、ただの微笑ましい思い出なのだけれど、
やらかした当時の自分は取り返しのつかない失敗をしたかのように落ち込んでしまうのである。
791 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:54:03.99 ID:TSocjRGH0

今の僕はまさにそんな失敗を犯した小学校低学年の子供みたいな心境である。
こうなったら最後、赤面し、俯いている以外に手は無い。ひたすら時が過ぎるのを待つしか――

「……でも、こんなのも偶にはいいかもね」

茶髪の言葉に今度は僕が、え? と固まってしまう。
彼女はそんな僕を見てちょっとだけ笑うと「あーん」と口を開けた。
これは夢か? 確かめるためにちょっと顔面を一発……。

「もう、ワンコ早く。ロールキャベツが冷めちゃう」

「あ、あぁ、うん、ごめん……」

僕は今1度、ロールキャベツを和風出汁に浸してから汁が垂れてもいいように弁当容器で受けつ
つ、茶髪の口に運ぶ。

「あ、あーん……」

「あーん」

ロールキャベツを半分ぐらい口に入れたところで、茶髪の歯が透明感のある表面のキャベツに食
い込んでゆく。噛み切ると僕の時と同様出汁の滴が垂れ、下で受けている弁当容器のご飯に黄金
色のシミを作った。

「んぅう……ん、んん……」

茶髪は口の中で熱々のロールキャベツを転がし、咀嚼してゆく。何だかちょっと……エロいな。
792 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:54:32.42 ID:TSocjRGH0

しばらくの後、茶髪は口内のモノ……じゃなくてものをゴクンと飲み込み、すぐさまお握りをパ
クつく。しかしもともと一口分しか残っていなかったので、それを食べ終えた彼女の表情はどこ
か物足りなさ気だ。
しょうがないここは僕のモノを――って違う! ヨー・サトウ、エロスモードを至急チェンジし
ろ、通常モードに切り替えるのだ!

弁当のご飯を箸ですくい口もとに持っていくと茶髪は顔を輝かせ、それを口に収める。
考えてみればロールキャベツも後半分あるんだから、
弁当容器を箸ごと彼女に渡してあげれば早いのだけれど、まぁ……これはこれでいいか。
年上の美人なお姉さんにあーん≠オて食べさせてあげるなんて夢のような貴重な体験を違和感
なく続けられている訳だしね。

「あぁ美味い、さてっと……ワンコ、お弁当と箸を貸してもらえる?
 やっぱりこれは恥ずかしくって」 

僕は照れたように笑う茶髪に弁当と箸を手渡して、心の中で泣いた。
夢の終わりはいつも唐突である。しかもそれがいい夢であった時は尚更……ね。

そうこうするうちに夕餉は終わり、僕はいつもとは一味違う満足感と、ちょっぴりの悲壮感に浸
りながら「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
隣では茶髪がレジ袋にゴミを一纏めにしていた。袋の口を結び、彼女はベンチから腰を上げる。

「それじゃ、私はこれを捨ててそのまま帰るわ。今日は一方的にご相伴に預かっちゃったから、
 今度何かでお返しするわね」

ほぅ、お返しとな……それはアレですか!? 自分の身体で――以下自主規制。
793 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:55:03.91 ID:TSocjRGH0

「ありがとう、ワンコ。楽しい夕食だった。あなたの飼い主さんにもよろしくね」

茶髪は最後に訳のわからないことを言い、チャオ、とセーターの袖から指先だけを出した手をヒ
ラヒラと振って公園の出入り口へと歩み行く。
やや強く吹きだした夜風の中をしっかりとした足取りで。これなら何の心配もないだろう。
風でスカートが揺れているがセーターの裾が重しのような役割を果たしているので、
そっちのガードも完璧。
かわいげがあって、それでいてガードを硬くする……セーターとはよくできたアイテムだな。

僕は感心しつつ残念と首を振り立ち上がる。と、その時、僕の携帯が着信メロディを奏で始めた。
携帯を見やれば……著莪である。何の用だろう?

『あ、佐藤? いや〜、特にこれって用はないんだけどね。……うん、つまりさ、暇』

笑うように著莪は言い、夕飯は? と聞いてくる。
これは長話になると直感した僕は、帰路につきながらロールキャベツの弁当を獲ったことと、
今しがたまで茶髪と一緒に夕餉にしていた話をしてやった。

『へー、美味そうだな……よし、来週の放課後は西区へ行くことに――』

「無理でございます」

『え〜、何でだよぉ〜』

「来週はテストだし、『おこた会』の打ち合わせもあるんだぞ。
 実家から送ってもらったコタツの設置もやんないといけないし、色々とやることが多いんだよ」
794 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:55:33.56 ID:TSocjRGH0

僕が言うと電話の向こうから深いため息が聞こえてくる。
著莪がガックリと肩を落としたのが手に取るようにわかった。

『……完全に忘れてたわ。そういやそうだったっけ……ハァ……』

彼女はテンションが駄々下がりしたとこぼし、もう寝ると言って電話を切ろうとする。
僕は慌てて彼女を呼び止め、財布の一件を問いただした。
なんとなく病人に鞭を打つようでいい気はしないが言わずにはいられない。
結果として茶髪とのキャッキャウフフな時間を得られた訳ではあるが、そんなの関係ねぇ! 
何としてもこやつから謝罪の言葉を引き出してやるわ!

『あぁ、うん……ごめんね。ホントに悪かったと思ってる。……アタシって最低だよね……』

「い、いやっ、反省してるようなら別にいいんだ、うん……特に大事に至ったわけじゃなし」

思いのほかストレートに、かつ沈んだ声で謝られ、僕はそれ以上彼女に追い討ちをかけることが
できなくなってしまう。……ちくしょう、抜かった。
こうなると分かっていたら電話を受けてすぐにまくし立てるか、
彼女のテンションが元に戻っているであろう帰宅後に面と向って言ってやればよかったのだ。

こうして1度話題にして、しかも実質許す感じになってしまっては、「この件に関してはこれで
終わり。今後僕はこれに関して一切追及いたしません」と宣言したのと同義。
くそぉぅ、やっちまった……。

お詫びにお土産買ってくるから、という台詞を僕の耳に残して著莪は電話を切ってしまう。
僕は足を止めた。
795 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:56:04.14 ID:TSocjRGH0

「お詫びにって、それ僕のお金じゃん」

著莪の奴、己のテンションが低いのに便乗して、上手く僕の追及を逃れたばかりか、人の金でお
土産を買ってくるとを宣言しやがった! 今頃奴は電話を片手にニヤついているに違いない。

僕はクッソーと呻いて頭を搔く。何年経ってもこのあたりのやりとりは著莪の方が1枚上手だ。
気付くと彼女のペースでことが運んでしまっている。
その結果、僕がこれまでに何度枕を濡らした事か……今夜は思う存分己を慰めてやるとしよう。
とりあえず先月に買った『巨乳ナースのお注射しちゃうぞ❤』の3巻辺りで。

僕はニヤつきそうになるのを堪えながら軽やかな足取りで帰宅の途を急ぐ。
今夜は徹夜になりそうだ。
796 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:56:51.96 ID:TSocjRGH0

 【3】



日曜日の夕方、家族水入らずの温泉旅行から少し早めに帰宅した著莪あやめは、
この春から従弟と2人で住んでいるマンションの部屋の前で足を止めた。

玄関の扉が開け放されている。

何か遭ったのかと室内を覗く。見る限り異常は無いようだった。
「ただいまー」と靴を脱ぎリビングへと向う。

「……何だよ、寝てんのか」

リビングにある白い2人用ソファーで佐藤が顔を天井に向けて寝息を立てる。
その姿はまるで終電に乗って帰宅する最中に眠ってしまったお疲れのサラリーマンだ。
室内を見渡すと各部屋の扉と窓が全て開け放されている。
掃除機が出しっぱなしになっているところを見ると、多分、換気をして大掃除でもしたのだろう。

著莪は肩に掛けていたボストンバッグを床に、手に提げていた袋をテレビとソファーの間に据え
られたテーブルの上に置く。

ん? コレは……。

著莪の目に留まったのはテーブル上に置かれた『ファブリーズ』だ。
この某会社から販売された製品は抜群の消臭効果を持っているのはあまりに有名。
797 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:57:22.22 ID:TSocjRGH0

「はは〜ん、さては佐藤のヤツ」

著莪はリビング、そして佐藤の部屋のゴミ箱とティッシュの残量をチェックして、
ニヤリと笑みを浮かべる。

やたらと綺麗なゴミ箱、目減りしたティッシュ、ファブリーズ、換気と大掃除。
そして疲れたようにグッスリと眠る佐藤。

「成程ね、昨夜はお楽しみでしたなぁ」

彼女は言った直後、昨夜だけじゃなくその前夜も、かな、と考え、また笑う。

別にどうと言うこともない、健全な男子高校生らしく事に及んだだけだ。
おおかた先月にネット通販で買っていたDVDを使ったのだろう、
確か巨乳のナースものだったはずだ。

佐藤は上手く隠しているつもりらしいが自分はちゃんと知っている。昔から彼の父親と一緒にゲ
ーム感覚で、その手の本などを探し当ててきた自分にとって建物自体に手を加える事ができない
マンションでの家捜しは簡単すぎてあくびが出るレベルだ。
先月届いたDVDもトイレの水溜めタンクの中に完全防水を施した上で隠してある程度だった。

「まぁ、あの時が異常だったのかな、床材の下とか信じられないようなところに隠してたんだも
 んねぇ」
798 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) :2012/11/30(金) 19:57:49.89 ID:TSocjRGH0

リビングに戻った著莪はソファーで眠る佐藤の頬を人差し指でつっつく。
すると彼は「うぅん……」と唸って身をよじり彼女に背を向けてしまった。
著莪は少しムッとなる。
一昨日の夜、佐藤が茶髪と2人で食事をしていると電話越しに聞いた時と同じような気分だった。

何だか……面白くない。

著莪は佐藤の隣に座り、彼の体にもたれ掛かるように身を寄せ、瞳を閉じる。
そうしていると彼女の内に湧いた小波はやがて薄れ、凪いでゆく。

心穏やかになった著莪は更にもう少し、佐藤に体重を預けた。2人の身体が徐々に傾く。

……このままソファーに倒れこんでやろうか。

著莪がそんな事を考えた時、傾きつつあった両者の身体がピタリと止まる。
著莪が横を見上げれば佐藤が目をショボショボとさせてぼんやりと虚空を見つめていた。
佐藤はソファーについていた腕を伸ばして自分たちの傾いた身体を垂直に戻すと目を擦り、
著莪へと顔を向ける。

「……おかえり」

半分寝ぼけたような佐藤の顔に著莪は微笑みかけた。

「うん、ただいま」
799 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/11/30(金) 20:01:03.61 ID:TSocjRGH0
本日は以上となります。

また時間が取れましたら続きを投下いたします。

800 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2012/11/30(金) 21:04:19.79 ID:ne503npFo

首を長くして待ち続けた甲斐があったのぜ
1章だけというが凄いボリュームだww
9.5と併せて妄想が捗るな全く
801 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/11/30(金) 22:04:29.54 ID:fIIxxwjOo

佐藤はすっかり飼いならされているな
802 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/12/01(土) 01:22:13.32 ID:f+sNqMamo

さて、茶髪の薄い本でも久々に開くか……
803 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県) [sage]:2012/12/01(土) 08:33:35.01 ID:8ZoVM8MCo
待ってたぜ、乙
相変わらず素晴らしいボリューム
804 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/01(土) 11:44:55.21 ID:OXhioxhMo
久しぶりの投下乙!

やっぱりおもしろいわ
805 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/12/01(土) 14:51:11.53 ID:MghORcoGo

これで前編とは素晴らしい
806 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/15(火) 20:11:08.81 ID:vFc4wlomo
保守
807 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 23:47:52.75 ID:AexS8JwF0
そろそろ来ないと>>1来ないとまずいぞ…
808 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/30(水) 19:27:49.17 ID:E7m8dIuF0
今日で二ヶ月か

続きが見たい

809 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/31(木) 19:35:24.61 ID:+qCqQqLF0
こんばんは、ご無沙汰しております。

来週の水曜日にようやく時間が取れましたので残りをまとめて投下いたします。
810 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/31(木) 19:41:47.06 ID:MWgIBLnuo
softbankじゃない…だと…?
811 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/31(木) 21:56:13.84 ID:7MRsltC/o
とっくに県名表示廃止されてますよ…
812 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 21:29:35.20 ID:+OeGo+EV0
今晩は、>>1

申し訳ありません。仕事の呼び出しがあり、
今日すべて投下することが出来なくなりました。

取り敢えず、出来るだけ投下しようと思います。
813 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 21:32:47.92 ID:+OeGo+EV0
今晩は、>>1。→ 今晩は、>>1です。

訂正、すみません。
814 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:34:40.86 ID:+OeGo+EV0

 ―02―


  【0】



東区の中でも特に激戦区となる半額神松葉菊が治める大型スーパーマーケット。
1匹の狼が胸のポケットに引っ掛けていた銀色のサングラスを装着し、その透明なゲートを潜る。

「ほぅ……あいつらがいるのか」

自動ドアを潜り抜けた彼は店内のいたるところから飛んでくる視線の中に《オルトロス》の気配
を察知する。現在東区において5本の指に入る実力を有した双子の狼だ。
そしてそんな彼女たちがいるせいだろう、店内はすでに半値印証時刻にでも到っているかのよう
な緊張感に包まれている。

「やれやれ……こりゃぁ今日は荒れるな」

自慢のアフロヘアを形が崩れぬようにワシャワシャと撫でた《毛玉》は普段通り戦闘態勢を整え
つつも、惣菜・弁当コーナーの前を通過して残された弁当をチェックし、やや離れた位置の島棚
に向う。

「よう、二階堂」

毛玉に二階堂と呼ばれた男は「毛玉か、何のようだ?」とチラリとも彼を見ずに答えた。

前回、毛玉がこの二階堂に会ったのは1週間前。場所は今日と同じくこのスーパーだが、
心なしか、その時と比べて彼に覇気が感じられない。

毛玉がその事を口にすると、二階堂は知り合いに有り金の殆どを渡して金欠であると言い、
ため息をつく。
815 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:35:26.33 ID:+OeGo+EV0

こんな事が前にもあったような……。

毛玉は即座に頭をフル回転させ彼が過去、今日と同じ状況に陥っていた時の記憶を探り……金を
貸したという相手を1人、割り出した。

「《ガンコナー》か?」

二階堂はその名を聞いてあからさまに嫌そうな顔をする。無理も無い、と毛玉は思った。
このガンコナーこと山乃守喨は丸富大学庶民経済研究部に籍を置いていた元狼にして、
身内である《ガブリエル・ラチェット》のメンバーたちからは『ダメ人間』または『人間の屑』
と呼ばれていた、ある種の名物男だった。

その彼が今だにダメ人間のまま生き続けていることも驚きだったが、貸した金が戻ってこないこ
とを誰よりも知っているはずの二階堂が、今なお生きたATMを続けている事に毛玉は驚愕した。

彼がお人好しであることは知っていたが、まさかこれ程とは……。

ご愁傷様、と毛玉は労いの言葉をかける。すると二階堂は見るからに憂鬱そうな表情を浮かべた。

「……それだけなら良かったんだがな」

二階堂は肩越しに後ろを指差す。毛玉が振り向くもそこには商品が並べられた棚があるだけで、
これといって変わった物は見受けられない……。

「その先だ。……あいつらがいるだろう」
816 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:36:04.48 ID:+OeGo+EV0

「……あぁ、そういう事か」

二階堂の指差す先にはオルトロスの気配。
毛玉は彼が言わんとすることを、おおよそ察し、念のため確認する。

「出遭ったのか?」

毛玉が問うと、二階堂は無言で頷いた。

「おい、そいつはヤバイんじゃねぇか……最悪、2人同時に……」

「一応、最近は未成年に手を出すことはないそうだ……が、当てにはならんだろうな。
 渡した金が底を尽けばなりふり構わず口説き≠ノ掛かるかも知れん……」

過去にガンコナーが目をつけた女の最も低い年齢を知っていた毛玉は否定することもできずに黙
り込んだ。しかも彼がターゲットとする対象は、基本美人で胸の大きい娘と相場が決まっている。

沢木姉妹は……胸は年齢に即してまずまず、美人という点でも文句なしで、おまけに裕福な家庭
で育ってきたお嬢様だ。ガンコナーの標的として十分すぎる素質を備えているといえるだろう。

「……妹の方はかなり警戒している様子だったから大丈夫だと思うが」

「そんな女ほど1度懐に入ってしまえば、とか前に言ってたのを聞いたことがあるぜ」

毛玉の言葉を聞いた二階堂は、またもため息をつき「いってくる」と一言。
彼の後姿を見つつ、毛玉は苦笑いを浮かべた。

「面倒見がいいねぇ、あいつも」
817 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:36:38.84 ID:+OeGo+EV0

 【1】



『彼女』はうつ伏せになっていた円卓から身を起こす。
待ち疲れていつの間にか眠ってしまったようだった。

涙に濡れた目元を擦りながら部室の壁に掛かった時計を見やると、
アブラ神の店の半値印証時刻はとうに過ぎている。

「結局、今日は誰も来なかったなぁ……」

『彼女』は落胆した表情を浮かべ、放課後からずっと座っていた椅子から腰を上げる。

部室の壁に貼られた西区のマップ。それを見て各店舗の半値印証時刻が昔と変わっていない事を
確認した『彼女』は今宵向うスーパーを決め、部室を出て行く。

退部する際に返すタイミングを失って持ち続けていた鍵を使って戸締りをした。
鍵についた鈴が鳴る。卒業生から引き継いだもので、鈴はその時からついていた。
多分、合鍵を作った際に付いてきたのだろうが、外す必要もなかったのでそのままにしてある。

夜空に立ち込める分厚い雲の下、街灯に照らされた夜道を歩く。
時折冷たい夜風が『彼女』の頬を吹き抜け長い髪を揺らした。
818 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:37:12.81 ID:+OeGo+EV0

過去HP部のメンバーと連れ立って歩いたこともある道を歩きながら『彼女』は言い知れぬ不安
が胸の内に渦巻くのを感じた。果たしてそれはこれから向うスーパーでの争奪戦に対してのもの
なのか、それとも部室に現HP同好会の会員が誰1人姿を見せなかったことに対してか……。

前者はブランクから来るものなのでそれなりに納得できた。
狼として初めてスーパーを駆けた日から、これほど長い期間争奪戦を離れたことは無かったし、
腕がどの程度さびついているかわからない。不安を感じるのはむしろ当然だろう。

対して後者はまだそれほど逼迫している訳ではない。
確かに会員と接触するのは重要なことだが、まだ計画の初日だ。
さすがに1日会わなかったぐらいでそこまで深刻になる必要はない。

西区の外れに建つ1軒のスーパーマーケット。『彼女』はその前に立ち、夜空を見上げる。
さっきまで空を覆っていた雲に、ところどころ切れ間が出来て、そこから一際目を引く弓月が顔
を出していた。

狼たちの間で、美しい月夜は幸運の前触れだといわれている。
だとすれば幸先が良いと『彼女』は気分を切り替えて、足を踏み出す。

自動ドアが開き、心地よく温かな空気が流れ出る。
去年までのこの時期には、よく身を委ねたものだ。
819 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:38:12.65 ID:+OeGo+EV0

『彼女』がエントランスを抜ければ、狼と呼ばれる者たちが放つ視線が飛んでくる。
温かさは微塵もなく、警戒と身震いしそうなほどの殺気が籠められたそれ。

「……懐かしいな」

久しぶりに浴びせられた狼たちの気迫。飛んできた視線の数は5。2つ名持ちはいない。
しかしその大半はどこか落ち着いた気配を漂わせる……おそらくは古狼だろう。

場数の多い彼らは腕の錆びを落とすのに丁度いい相手だ、と『彼女』は不気味な笑みを洩らす。

店内を歩み行き、獲物が置かれた最奥の陳列台を目指す。途中何度も刺すような視線を向けられ
るが、そのいずれも『彼女』に驚異を与えるには至らない。

「……へぇ、ホントについてる……まさかこれ≠ェ残ってるなんて」

陳列台に弁当は4つ。そのうち1つは『彼女』の現役時代に、残れば必ず月桂冠に至るという代
物で、『彼女』は過去にこの弁当を幾度となく食したことがあった。
そしてその事実は『彼女』に更なるアドバンテージを与えることになる。
狙う弁当の味を明確にイメージできればそれだけ腹の虫の力を引き出せるからだ。

実際のところ今宵どれだけ戦えるのかという一抹の不安があった自分にとってこれは幸運だ。
美しい月夜は≠ニいう噂は本当だったらしい。
820 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:38:51.05 ID:+OeGo+EV0

入店してから獲物の確認まで、1連の手順を踏んだ『彼女』が弁当コーナーから去ろうとしたと
ころ、背後でバタンと音がする。
振り返ると半額神がスタッフルームの前で1礼する姿が目に留まった。

期待に満ちた空気が徐々に増していくのを感じ取りながら『彼女』は最寄の陳列棚の前で足を止
め、眼鏡の奥の瞳を閉じる。
しばらくすると爆発的に空気が振るえ、狼たちの歓喜が伝わってきた。

「……やっぱり至ったんだね、月桂冠に」

予想通り、これで復帰戦の舞台は整った。掌を腹部に当てる……こちらも申し分ない。
腹の虫は月桂冠を求め、暴れ狂っている。気を抜くと暴走しかねないほどに。

「もうちょっとだけ待ってて、合図が出たら好きなだけ暴れてくれて構わないから……」

腹部を撫で、腹の虫に語りかけながら『彼女』は、その瞬間が訪れるのをじっと待つ。

――やがて店内に響く、観音開きの扉が閉じる音。開戦の狼煙。

自らの欲望を解放する瞬間が訪れる。
821 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:39:24.74 ID:+OeGo+EV0



月桂冠を手に取り辺りを見回す。いたるところに横たわる狼たちの姿。時折耳に響く呻き声。
起き上がる者は1人もいない。

「……ま、こんなものかな」

『彼女』はこともなげに言うと、その場を離れ、レジを抜けた。
体には傷1つ無く、また服装にも一切乱れは無い。

店を出て少しいったところで『彼女』は来た時と同様に立ち止まる。

争奪戦で他大勢の狼を完膚なきまでに叩き潰し、月桂冠を手中に収めた。
戦闘における技のキレや感のさびは無いに等しい。だというのに胸の内の不安が消えない……。

そんな『彼女』の不安に同調するかのように夜空の雲が、今宵『彼女』に幸運をもたらした月を
覆い隠してしまう。

「何だろう……嫌な感じ」

期間は限られている。何としても仙が戻ってくる前に事を終えてしまわなければならない。
これは優に自分を意識させる最後のチャンスなのだ。

「絶対に、成功させなくちゃ……でないとまた、1人ぼっちに……」


『彼女』の名は鳥頭みこと。かつて心霊現象研究部の副部長を務めながら、同時に歴戦の猛者が
揃ったHP部で、異才と謳われた毒℃gい。HP部を崩壊に誘った鍵の1人にして、狼さえも
死に至らしめる花の名で称えられた恐ろしくも心の内に悲しみと孤独を抱えし女。

人は彼女を――《ウルフズペイン》と呼んだ。
822 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:39:58.96 ID:+OeGo+EV0

 ○



「「「いただきます!」」」

マンションのリビングに著莪と白粉、そして僕の声が上がる。
続けて3人の割り箸を割る軽快な音が響く。腹の虫が絶頂を迎える瞬間だ。

弁当の蓋を取り、容器の中に閉じ込められていた湯気と香りを解放する。
コタツの上に置かれた弁当から揚げ物特有のパワーある匂いが迸る。

僕が今宵の糧とするのはアブラ神の店で勝ち獲った、『そろそろお前の出番だぜ! さぁ行け! 
たっぷりのカキフライ弁当!!』。
梅干を中央に置いた大盛りのご飯に、俵型のカキフライが5つと、
千切りキャベツがたっぷりと添えられた豪快な弁当である。

箸でその内の1つを摘み上げると予想以上にしっかりとした感触。粗めのパン粉を用いているら
しく、やや衣が厚いようだ。そしてその奥に包まれし牡蠣……如何なるお味なりや……。

僕はタルタルソースの冷たさと熱々の衣を同時に感じつつフライを半分に噛み切った。
――瞬間、レンジで熱せられた牡蠣の汁、旨味が口の中に溶け出し広がっていく。
予想以上に熱かったため、体がビクンっと震えるが、ぬふぅ〜と、大きく息を吐くことでやり過
ごし、咀嚼する。
823 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:40:32.30 ID:+OeGo+EV0

粗めのパン粉で作った衣は温めてもなお心地よい食感を残していて、ほたほたとした牡蠣の身か
らは滾々と海のミルクたるクリーミーな汁が溢れ出してくる。
まろみと塩気に加え仄かな酸味を伴ったタルタルソースが、フライとして加熱されてことによっ
て力強さを増した牡蠣の旨味によくマッチしていた。

僕は顔が緩むのを感じながらご飯を口に運ぶ。昔からそうだがカキフライはご飯がよく進む。
それからいくと将来は米から作る日本酒をぬる燗にして生牡蠣とで1杯やるのが1番だ、とか言
うようになりそうだ。僕や著莪の爺さんがまさにそんな感じだしね。

……それにつけても美味いな、このカキフライ。
もうご飯が進むこと進むこと。これぞ至福のひと時ですなぁ……。

「ふぅっ! はふっ! ……んぅう……!」

レンジで温めたことで少々、クタっとしている千切りキャベツを箸休めとしながら食べ進めてい
ると、僕の左隣で著莪がロールキャベツをしゃぶるように口に銜えて、暴れ始める。
彼女が食そうとしているのは『この旅の果てに何が待ち受けるのか、おれは見てみたい……和風
ロールキャベツ弁当MkX!』。前に僕が食べた弁当の改良版だ。

僕も以前食べたことがあるから分かるのだが、このロールキャベツは噛み切ろうとすると中から
熱々の汁が溢れ出すので結構大変なのだ。特に今回は改良版とあって前の物よりも汁が多めに詰
まっているらしく、嚙んだことでロールキャベツのお尻の方から汁が、トポポポ、と溢れ出てい
る。
824 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:41:05.26 ID:+OeGo+EV0

幸い著莪は弁当容器を受け皿のようにしていたため、コタツ布団に汁を零す惨事には到らなかっ
たものの、それでもやはり多少の汁がコタツの天板に飛び散ってしまう。

僕は近くに置いていたティッシュの箱を手に、天板を拭く。
あっ、ティッシュがもう空に……この前ちょっと励んじゃったせいか。
ストックは無いし、また買ってこないと。

暫しの格闘の末に、ようやく著莪はロールキャベツを噛み切り、ハフホフと咀嚼する。

「うん! むっちゃうまい。汁が多くて食べるのがちょっと大変だけど、佐藤に聞いてた通り、
 こりゃご飯が進むね。サッパリ気味の鰹出汁に豚肉と長ネギの旨味が溶け出してて、パワフル
 な味になってるところもグッド」

そう言って満面の笑みを浮かべた彼女は黒ゴマの振りかけられたご飯を頬張っていく。
その見事な食べっぷりを見ていると、基本前に食べたことがある弁当ながら、むちゃくちゃ興味
が湧いてくる。MKXってことはあれから4段階の進化を経ているということになるわけで……。

あとで味見させてもらおうと僕は心に決め、著莪からカキフライに意識を戻すと、視界の端にや
たらとこちらを見る白粉が映る。
何だか顔がやたらとテカっていて、しかも食事中には必要ないであろう眼鏡をかけていて……。

「……な、なに……?」

「さ、佐藤さん、口元にタルタルソースが付いてますよ――ってダメです!
 拭かないでください! せっかくのエロスが――あぅっ!」
825 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:41:58.47 ID:+OeGo+EV0

鼻息を荒くする白粉の後ろ髪を素早く引っ張ってから口元を拭う。
……ったく、食事の最中にハッスルしやがってからに、コイツは……。

僕はため息をつき、白粉の弁当に視線を落とす……そこにはご飯以外の全てが黄金色に輝く、
見るだけで目眩がしそうになる揚げ物尽くし1品が。

コイツの顔がアブラギッシュにテカっているのは、この『重くて何が悪い!? 重さは満足の証
なり! コロッケ・串カツ・エビフライ・メンチカツ・椎茸の素揚げ・野菜チップスによる夢の
競演! スーパーミックスフライ弁当!!』を食しているせいだろう。
最近、執筆が絶好調で色々補給しないといけない、などと言っていたが、これは効き過ぎじゃな
いのか……。

「あ、あの、よかったら……少し味見します?」

弁当を見られていることに気付いた白粉は僕が味見を暗に要求していると思ったのか、
上目使いに聞いてくる。いや、そりゃぁ味見させてくれるというのであれば、僕としてはやぶさ
かではないんだけどね? っていうか是非味見させてください!

依然眼鏡をかけたままではあるが、こうして見る限り邪悪な表情ではないし、せっかくご本人が
味見させてくれると言っているのだから、その厚意に甘えるとしよう。うん、そうしよう。

僕が頷くと、白粉は丸ごと揚げられた大振りの椎茸の柄を箸で摘み、僕に差し出してくる。
826 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:42:33.05 ID:+OeGo+EV0

著莪以外の女子にあーん≠ナ食べさせてもらうので、ちょっと照れつつ僕は口を開けた。
普段こういう経験がないのか、白粉はおずおずとした様子で食べさせてくれようとするのだけれ
ど、何だか箸先がフラフラしていて上手く口に入らない。
頑張って舌を這わせてみたりしたが、やたら椎茸の傘が唇の周りにペチペチとぶつかるばかりだ。

「ほ、ほーら、もっとおーきく口を開けてごらん」

僕は言われるままに口を大きく開ける。するとようやく椎茸が口に収まった。
肉厚の身は嚙むとプリっとした弾力があり、咀嚼すれば熱で活性化された椎茸の旨味と甘味が表
面に振りかけられていた抹茶塩と合わさっていい塩梅だ。
これだけでも十分ご飯が進むおかずとして――

「……ど、どうだ、うまいか? よーく味わえ?」

ご飯を求めて自分の弁当に手を伸ばそうとした僕は、白粉の声に薄ら寒いものを感じ、椎茸を飲
み込む。白粉の顔を見やれば……この小娘、なんとおぞましい笑みを浮かべているのか!?
眼鏡の奥で怪しげな光をギラギラと発し、口元は両の耳に到達しかねない程に吊り上っていやが
る。

僕は白粉の発言と不自然にもったいつけて椎茸を食べさせてくれたことを思い返し……怒りに震
えた。
827 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:43:10.73 ID:+OeGo+EV0



白粉の粛清と夕餉を終え、僕らはコタツに入って駄弁り続けた。
白粉が先週の土曜日に白梅の家に招かれてキムチ鍋をご馳走されたとか、著莪が家族旅行中、
父親に獲物を見るような目で見られて本気で怖かったとか、丸富高校の校門の所にある警備員詰
め所が最近要塞化してきた事とか、話題は尽きない。

「あ、もうこんな時間になって。あたしそろそろ……」

壁に掛かった時計を見て白粉が腰を上げる。送るよ、と言って著莪は白粉が遠慮する間もなく自
室に行き、温泉旅行の時に買ってきた赤いスカジャンを着込んできた。

「バイク正面に回してくるから佐藤は花をお願い」

玄関に向かう著莪に、おぅ、と応じて僕は自室へ行き、壁に掛けてあった黒いスカジャンを羽織
る。ちなみにこれも著莪が買ってきた物だ。

「わぁ、著莪さんとお揃いなんですね。どっちも背中に狼の絵があって……かぁこいい」

リビングで所在無さげに佇んでいた白粉は僕を見て目を輝かせ……制服の上に羽織った純白のコ
ートのポケットから取り出したメモ帳にペンを走らせ始めた。もちろん眼鏡を装着して、だ。
828 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:43:43.26 ID:+OeGo+EV0

「一応聞いておこう……何をしている?」

「いぇ、大したことじゃないんです。ただ、相棒とのペアルックはいいなと思っただけで……」

「ふぅん、珍しくまともだな。てっきりまたよからぬことを妄想していたのかと身構えたよ」

「そんな疚しい物じゃないですよ。背中にある狼のデザインなんか最高です。
 あとは漢募集中!≠ニ、その隣に挿入すれば完璧で――あぅ!」

ハッスルしかけた白粉を黙らせ、僕は彼女と共に玄関を出た。
鍵を掛ける僕の斜め後ろで白粉は眼鏡をケースにしまう。

「白粉は来週どうするんだ、やっぱり1人でスーパーに?」

眼鏡ケースをポケットに入れた彼女は「えぁっと……」と考える素振りをしたままフリーズした。
先に下へ降りている著莪を待たせてはいけないと思い、僕は白粉を促して歩を進める。
階段を降り始めたところで白粉はようやく口を開いた。

「そ、そうですね、やっぱり行くと思います。……1人はちょっとだけ心細いですけど、
 槍水先輩が留守の間はあたしが代わりに先輩の縄張りを守らないと……」

オドオドとした様子で語ってはいるものの、見ればその目には強い光が宿っていた。
829 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:44:15.00 ID:+OeGo+EV0

それはまるで主人の留守中に家の番をする小型犬のようでもあり、
またどこか、選ぶ道が困難だと知りながらも、敢えてその道を選択するセガ信者のようでもある。

……そうか、境遇は違えど白粉もまた、困難に立ち向かう1人の獅子か……ならば、幼き頃から
この道を歩む者として、僕も微力ながら手を貸そうじゃないか。

「白粉、安心しろ。槍水さんが戻るまで、僕もそっちに行くよ。
 同じ同好会に所属する仲間として。そして苦難の道を行く同志として。僕はお前の味方だ」

横並びで一緒に階段を下りていた白粉が「えっ」と声をあげて立ち止まる。
階段を数段下りたところで僕も立ち止まり、そんな彼女を見上げるように振りかえる。
白粉は驚きと困惑が合わさったような表情でこちらを見つめていた。

冬の寒さを内包いた夜風が下の階から階段を伝って吹き上がり、バイクのエンジン音を運んでく
る。早く行かなければ……そうは思うものの靴底は階段に張り付いたかのように動かない。
僕の目に映る1人の少女、白粉花。彼女から目を離すことが出来ない。

そしてそれはまた彼女も然りだ。お互いに魅了されてしまったかのように、僕らは見つめ合う。

時間にすればほんの数秒、先週の争奪戦で弁当を前に坊主と互いの意思を探りあった時よりも僅
かに長い程度のものだっただろう。……僕らの間で止まっていた時間が白粉の一声で動き出す。

「……いいんですか?」
830 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:44:47.89 ID:+OeGo+EV0

白粉の柔らかそうな唇が動き、か細い声で言葉を紡ぐ。
ともすれば風の音にかき消されてしまいそうな程の呟き。
でもそれはしっかりと、耳元で囁かれたかのような明瞭さでもって僕の鼓膜を震わせる。

「あぁ、もちろん」

僕は笑顔で答えた。すると白粉はモジモジとして、顔を下に向け歩みだす。
1段2段と階段を下り、僕と同じ段に並び立つと、彼女は僕に向き直り、顔をあげた。

「ありがとうございます。あたし嬉しいです、佐藤さん」

邪気など微塵も感じられない、彼女の着ている純白のコートの様に純粋で一切の汚れを感じさせ
ない微笑み。思わず抱きしめたくなるほどの、可愛らしい笑顔で白粉はそう言った。
831 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:45:35.39 ID:+OeGo+EV0

1階に下りるとすでに著莪がバイクをアイドリング状態で待機させていた。

「お、来た来たって……ん? 何か嬉しそうな顔してるね花」

「えっ、そうですか? ……あ、いや、えへへ、そうかもしれないです」

何だよ〜思わせぶりに〜、と、照れ笑いを浮かべる白粉を著莪は突っつく。
そんな彼女に僕はさっき白粉に言った西区遠征の件を説明した。

ふむふむ、と、相槌を打ちながら聞いていた著莪は、僕の話を聞き終わると同時に、当然自分も
参加することを宣言。困難に立ち向かう者は応援してあげたくなると言って彼女はニッと笑った。
それを見て僕は嬉しくなる。さすがはセガ派だ。

「あっ、でも来週の月曜日だけはダメか。テストの後はファミ部の……」

「……おこた会、か」

『おこた会』とは、中間テスト終了の日に合わせて行われるファミ部の恒例行事の1つだ。
星空の下、丸富の校舎屋上にて、用意したコタツに入り、みんなでみかんを食べながら携帯ゲー
ム機で遊ぶ、という何だかよくわからないイベントである。

更に言えば、この行事、元々は年末にやっていたらしいのだけれど、冬休みの関係で大半の部員
が実家に帰ってしまうのと、12月の寒風吹きすさぶ中での開催は本気で寒くて洒落にならんと
いう理由から段々と日程が前倒しになってしまったのだとか。
832 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:46:09.79 ID:+OeGo+EV0

そりゃいくらコタツが暖かろうと、基本的には屋外、しかも夜の開催なのだから当然の成り行き
というものだろう。また、この日程の前倒しに対して、過去この荒行かと見まがう年末開催の
『おこた会』をやり抜いてきた1部のOBたちから反発の声が上がっているんだとか……。

彼ら曰く「普段室内に籠ってゲームばかりしている昨今の軟弱な若者達だからこそ、伝統通りに
12月の寒さの中での開催をすべきである! 子供は風の子、外に出て遊ぶべし! でなければ
震えながら『おこた会』を乗り切っていた我々がバカみたいではないか!!」。

至極真っ当そうでありながら実はそうでもなく、しかも後半の辺りは明らかにやっかみでしかな
い馬鹿げた主張を彼らはのたまっているのである。
もちろん僕らがそんな声に耳を貸さないのは言うまでもない。

ともかくそのイベントが来週の月曜に控えているのだ。
著莪に言われた僕は今さらながら思い出し、頭を抱える。

あれだけクサい台詞を吐いておきながら「ごめん、やっぱ月曜だけ無理!」と謝らなくてはなら
んというのか……なんという格好悪さだ……。

「佐藤さん、言い忘れてたんですけどあたしも月曜だけは先約があってスーパーには行けないん
 です」

「へっ? そうなの……?」

白粉によれば、先週の土曜日に夕食をご馳走になった白梅へのお礼として1日彼女の手伝いをす
るのだそうで、その日がちょうど来週の月曜日の放課後なのだという。
833 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 21:46:47.02 ID:+OeGo+EV0

「鑓水先輩の留守中、縄張りを守るって言っておきながら申し訳ないんですけどね」

白粉はそう言って苦笑する。その後何度か、ひょっとして僕に気を使った優しい嘘なんじゃない
かと問い、どうやらホントであるらしいと確証した僕はホッと胸を撫で下ろした。
とりあえずあまりの恥辱に今晩、布団を頭から被って悲鳴を上げずに済んだのは大変喜ばしいこ
とである。

「それじゃ花、これを被って。……うん、それでオッケー。忘れ物はない?
 ……よし、じゃ後ろに乗って、遠慮しないでしっかり摑まれよ」

「はい! あ、あの佐藤さん、今日はありがとうございました。凄く楽しかったです」

僕が安堵している間にテキパキとヘルメットを被り、著莪の細い腰に腕を回した白粉は、
ヘルメット越しに僕を見やり、おやすみなさい、と頭を下げる。

「うん、おやすみ。また火曜日に」

「はい、また」

それじゃ行ってくるね、という声を僕の耳に残し、著莪はアクセルを開ける。
軽快な音を響かせ、2人を乗せたバイクはあっという間に走り去っていった。

ギュッと著莪の腰にしがみついた白粉の背を見送り、ふと、目線を上げれば、バイクが走り去っ
た西区の空が黒雲に覆われていた……道中、雨が降りださなければよいのだが。

少し心配になるものの、まぁ大丈夫だろうと思い、僕は目線を頭上に向ける。
まるで西区との間に透明な壁でもあるかのように東区の空は晴れ渡り、弓月が煌々と輝いていた。
834 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 21:49:00.80 ID:+OeGo+EV0
本日はここまでとなります。

失礼いたします。
835 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 23:48:45.77 ID:uHo6eQaa0
乙です! これがくるのを楽しみに待ってました!!
836 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/07(木) 02:33:15.15 ID:/ZFnz1JXo

舞ってました。
837 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/07(木) 04:38:22.35 ID:sH1LnOJ+o
乙。待ってましたぜ
838 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/07(木) 06:29:18.65 ID:cBGtB1nbo
乙乙
839 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/07(木) 23:43:20.97 ID:m3muN2tIo
乙ー
待ってた
840 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/08(金) 18:07:16.39 ID:MNeL9apT0
待ってた!
841 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/11(月) 08:02:20.21 ID:21NzUtf3o
乙!

相変わらずいい
842 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/25(月) 01:58:46.20 ID:bUEHQEBv0
初見だけど凄くいい!
面白い、続きが楽しみだ~
843 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/04/03(水) 13:23:14.62 ID:RM8lL4Zoo
まだかな
844 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/04/07(日) 14:47:40.57 ID:yLEXEbc+o
2ヶ月過ぎる
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