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少女「ずっと、愛してる」 -
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1 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga sage]:2012/02/08(水) 16:01:45.01 ID:A45p+aH70
魔法少女系、オリジナルの長編小説です。
残虐表現などを多く含みます。R18指定程度と思っていただければ幸いです。
第二章になります。
第一章(前スレ)はこちらです。
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1327234326/
各キャラなどの解説があるWikiはこちらです。
http://ss.vip2ch.com/jmp/1327234326
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1328684504
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笑えるな 君のせいだ @ 2024/04/23(火) 19:59:42.67 ID:pUs63Qd+0
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【安価】貴方は女子小学生に転生するようです @ 2024/04/22(月) 21:13:39.04 ID:ghfRO9bho
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ハルヒ「綱島アンカー」梓「2号線」【コンマ判定新鉄・関東】 @ 2024/04/22(月) 06:56:06.00 ID:hV886QI5O
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713736565/
【安価】少女だらけのゾンビパニック @ 2024/04/20(土) 20:42:14.43 ID:wSnpVNpyo
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713613334/
ぶらじる @ 2024/04/19(金) 19:24:04.53 ID:SNmmhSOho
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aa/1713522243/
旅にでんちう @ 2024/04/17(水) 20:27:26.83 ID:/EdK+WCRO
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1713353246/
2 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:04:08.16 ID:A45p+aH70
第一話、第二話を投稿させていただきますm(_ _)m
「黒い一族編」は第三話からなので、最初のうちは、前スレからお読みいただいたほうが楽しんでいただけるかもしれません。
救いのない悲しいお話、どうかお付き合いいただければ嬉しいです。
3 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:09:37.72 ID:A45p+aH70
1 サバルカンダ
風が舞う、澄んだ空気が広がる場所だった。
小高い丘。一本の巨大な木が、何処までも続く長い……広い芝生の上に立っている。
樹齢何千年だろうか。
背にその圧倒的な存在感を感じながら、愛寡(あいか)は目を開いた。
甘い匂いが広がる。どこまでも、どこまでも。
芝生にはところどころ色鮮やかな花が点在していて、ただの緑ではない、優しいカラフルが目の前に広がっていた。
背の木には、ピンク色のおびただしい数の、小さな花が咲いていた。その花びらがそよ風に吹かれてちろちろと散っている。
太陽は中天。
しかし、背後の大きな、大きな木がそれから彼女と……その膝に眠っている、三人の人間を覆い隠していた。
4 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:10:42.37 ID:A45p+aH70
葉の隙間からこぼれる、金色の光。彩られて虹色に輝くそこで、彼女は自分の膝に頭を乗せて眠っている男性を見下ろした。
愛寡は、美しい女性だった。
年の頃は、十七、八頃。まさに今が盛りという、少し大人びた魅力を内包している。燃えるような赤褐色の髪。所々ウウェーブがかかったそれは、色と対照的に流れる清流をイメージさせるものだった。
ワンピースタイプの白い服の上からも分かるとおりに、彼女はかなり成熟した体型をしていた。童顔と相まって、アンバランスな魅力を孕んでいる。
長い髪は腰の辺りで一つにまとめられている。それは右側の顔面を口元まで覆い隠していた。
柔らかい太股を枕にして眠っている男性は、愛寡と同じような赤髪を、ワックスでツンツンに立たせた男だった。右目の下に、小さな縫い傷がある。整ったその顔、頬を白く長い指先で軽く撫でる。
男性の脇には、彼と全く同じ顔をした……しかし、愛寡に負けないほどの美貌を持った、青白い髪の少女が横になっていた。どちらかというと赤褐色の乙女の方が年上に見えるほど、その青白い髪の乙女は幼く見えた。
5 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:11:26.39 ID:A45p+aH70
しかし……。
彼女が孕む温かさは、少し離れた場所にいる愛寡にもはっきり分かっていた。
自分達がいる緑と青、そして色とりどりの美しい空間。それを球形に囲む一キロほどの周りは、真っ白な……雪と氷に覆われた世界だった。
温かい。
本当に。
双子の男女。その間には、黒髪の小さな……十歳前後ほどの女の子が、相互に抱きかかえられるように眠っている。
幸せそうに涎を垂らしている。その、小さな女の子の手は、愛寡が膝枕している男性の腰に回されていた。
静かな……それでいて温和な時間が過ぎる。
過ぎていく。
愛寡が指先で、膝の男性の顔を撫でていると。
――ふと、彼が目を覚ました。
「ん……寝ちまったのか?」
そう言い、体を起こそうとした彼の額を指で押さえ、その白い指を口元に持っていく。子供を黙らせるように少しだけ息を吐いた愛寡を見上げ、そして彼は軽く笑って、脇の二人の女性を一瞥した。
6 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:12:00.51 ID:A45p+aH70
「何だ……こいつらも来てたのか」
「ええ」
囁くように言葉を交わし、愛寡は疲れたように笑ってみせた。
「どうした?」
聞かれ、しかし隻眼の美女はまた……取り繕うように視線を動かしただけだった。
膝の感触を後頭部に感じながら、彼は頭をポリポリと掻き、そして手をそっと伸ばして愛寡の頬に触れた。
「冷えてるじゃねぇか」
「……」
「何かあったのか? どうした?」
7 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:12:39.41 ID:A45p+aH70
いつもそうだ。
この人は、いつも無邪気な顔で。
私のことを認めてくれる。
ここにいてもいいよと、何もしないでも認めてくれる。
この人は。
この人だけは……。
口を開きかける。しかし愛寡はそれを閉じ、発しかけていた言葉を飲み込んだ。
そして、また疲れたように微笑んで、口を開いた。
「いい、のです。もう、終わったですから」
愛寡の喋り方には奇妙な訛りがあった。いや……訛り、というよりは、はっきりと言語障害だと分かる言葉の使い方。不思議なところで語りをとめたり、文の接続詞が異なったり、表現が狂っていたりすることも往々にしてある。
彼はそれを分かっているのか、手を下ろしてもう一度言った。
8 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:13:36.03 ID:A45p+aH70
「何がだ?」
「いい、のです」
「……」
「終わった、ですから」
「まぁ……じゃあ終わったんだろうな。あんま気にすんな」
「……」
「難しいことばっか考えてると、顔に皺が寄るぞ。怒り皺つってな。女はそういうもんじゃなくて、笑い皺を作らなきゃいけねぇ」
「ええ」
また、笑顔をつくってみる。
「そう、です、ね」
9 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:14:18.14 ID:A45p+aH70
――あなたはそう
――いつもそう
――笑って許してくれる
――怒らない。認めてくれる
――それが、どれだけ私を傷つけているか
――それを知らずに
――どうしても
――どうしても
――拒絶をしてくれない
10 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:14:47.50 ID:A45p+aH70
「さて……こいつらを起こさなきゃいけねぇな」
「え……?」
愛寡の顔から、笑顔が消えた。
「今日はもう遅い。俺らは帰るわ。お前も、暗くならねぇうちにちゃんと戻れ」
「待って、もう少し」
話が、したかった。
聞いてもらいたかった。
認めてくれるのではなく。
ただ、ただひたすらに。
愛寡は、怒ってもらいたかった。
ふざけるなといってもらいたかった。
死ね、と恫喝してもらいたかった。
そう……彼女は。
ただ、ただひたすらに。
謝りたかった。
謝って、許してもらいたかった。
11 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:15:20.77 ID:A45p+aH70
――この人は
――この人は
――それさえも許してくれないというの?
――その、ひとひらの慈悲さえくれないの?
――一体いつまで
――一体、あとどのくらい血反吐を吐いて
――あとどのくらい悶え苦しめば
――この人は
――この人は
――私を、許してくれるというのだろうか
12 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:15:54.23 ID:A45p+aH70
「待って……」
すがるように呟いて、愛寡は……立ちあがろうとした彼の首に手をかけた。
「……待って……」
そのまま、細い手に殆ど無意識のうちに力が加わり、徐々にギリギリと締め付けていく。
彼は、抵抗をしなかった。
抵抗を……してくれなかった。
「…………ああ…………」
首を絞められながら。しかしそれでも、段々と紫に変色してきた唇を動かし。
やけにクリアな声で、彼は続けた。
「……分かったよ……」
「……」
13 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:16:24.23 ID:A45p+aH70
寝息が、聞こえる。
白青髪の少女と、黒髪の少女。
二人の姉は……愛寡と彼の会話にも起きる気配を見せなかった。
どれだけ長いこと、彼の首を絞めていただろうか。
どんなに絞めても。
どんなに爪を立てても。
彼は、苦しい顔一つ浮かべなかった。
浮かべて、くれなかった。
ただ微笑んで、彼女がそこにいること。
それだけをただ……許容してくれていた。
14 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:17:00.21 ID:A45p+aH70
太陽が沈んで行き、そして空に満天の星がきらめき始める。どこまでも……何処までも続く電灯のように。漆黒の空間のどこまでも遠くに、ビーズ玉よりも小さな、小さな星達がきらめき始める。
愛寡は、彼の首を絞める手を緩めていなかった。もはや渾身と言ってもいいほど、全体重をかけて締め付けていた。
彼の唇や顔は土気色に変色し、目は閉じられ、既に息はない。
二人の姉は、ピクリとも動いていない。
いつの間にか寝息は聞こえなくなっていた。
横たわっている彼女達の顔も、彼と同じような土気色に変色してしまっていた。窪み、ミイラのように枯れ果てた肌。カサカサの唇は半開きになってしまっている。
寒かった。
いつの間にか、背にしている大木は、聳え立つ氷山に変わっていた。周囲を包む芝生などは消え去り、変わりに吹き荒れる吹雪と氷、雹の嵐が周囲を包んでいた。
15 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:18:38.54 ID:A45p+aH70
体中が冷え切り、指先が真紫になった頃。
やっと愛寡は彼から手を離した。
そしてうずたかく体に積もった雪を払おうともせず、吹雪の中で肩を落とした。
――どうして許してくれるの?
――どうして、そんなに認めてくれるの?
――私なんて……
――私なんて……
16 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:19:08.58 ID:A45p+aH70
カサリ、という音がして。物言わぬ死体と化した彼の口が動いた。殆どミイラ。骨と皮のその口から、握り拳大の、手の平のような足をした黒光りする背中を見せた昆虫が這い出してくる。
それは次から次へと……何処にそんなに隠れていたのかというくらい、雪崩のようにミイラ死体の口から溢れ出てきた。
それは、二人の姉の死体からも同様だった。
蟲……蟲。
黒い……おぞましいそれは、愛寡の足を噛み、腕を噛み。耳に足を突っ込み……口から体の中に入ろうと足を動かし。
その体をたちまちの内に覆い隠し、蹂躙し始めた。
まるでそれらが一つの意思を持っているように。
それらが、あざ笑うかのように。
蟲に取り付かれた顔。その視線の先で、地面がモゴモゴと動いていた。
17 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:19:39.91 ID:A45p+aH70
それは……地平線の果てまでどこまでも続く黒蟲の洪水だった。地面がどこまでも……どこまでもそのおぞましい昆虫に埋め尽くされている。
それが、まるで降りに放り込まれた餌に群がるように愛寡に向かって雪崩を為して押し寄せてきているのだ。
怖さも、何もなかった。
体の皮を蟲の鉤爪のような口で食い破られながら、愛寡はただ、ぼんやりと足元……先ほどまで首を絞めていた彼がいた場所に向けていた。蟲……蟲。どこまでも蠢くそれに覆い隠されて、もはや見えない。
18 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:20:17.79 ID:A45p+aH70
――どれだけ私を傷つけているかも知らず
――あなたは、その下で微笑んでいるの?
――あなたは、それでも私に
――ここにいろと言うのですか?
――どうして
――どうして、許してくれたりするのですか
――どうして
――どうして……
――連れて行っては、くれないのですか?
また、蟲の一匹が彼女の口をこじ開け、そして体内にもぐりこんでくる。それを皮切りに、堰を切ったように雪崩がその美貌に押し寄せてきた。
体が押し流され、そして圧倒的な力で何処ともわからない場所へと運ばれていく。
運ばれていく。
愛寡の目からすっ、と光が消えた。
19 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:22:01.20 ID:A45p+aH70
*
ぼんやりと、外を見ていた。
ああ……今日も一日が始まる。
今日も……始まってしまう。
それは、ドームというよりはもはや塔に近かった。この時代、全表土の九割八部が氷に覆われた極寒の世界の中で、人間はドームと呼ばれる都市型生命維持機関を各地に点在させることで生を繋いでいる。
その殆どのドームは、直径二十キロほどの半球形の建物……ようは外気と内気を遮断するガードも役目を果たす隔壁で構成されていた。その内部……ドーム内壁のスクリーンに太陽や月などが投影されたり、全体の統括システムで空調管理などを行ったりする。
大きいドームになると、その二十キロクラスやそれ以上の大きさのものがエリアごとに分割され、群集しているものもあった。
20 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:22:45.68 ID:A45p+aH70
普通は横に広がるのが定石だ。つまり一つドームを建造して、そこの人口が飽和状態になれば別の場所にもう一つ建造する。
しかし……ここ、サバルカンダのドームは、その定石をとこなる建築法をしていた。つまり、横ではなく下……縦に伸びているのだ。
一階層が最も巨大で、その直径はゆうに五十キロは越える。そしてそのドームの下に、直径三十キロほどの二階層。
全体で五階層までがある。
ドームの中心にはバベルタワーと呼ばれる、三百メートル頂点に達するほどの長い、メインシャフトが存在していた。そこが全ての階層の統括機であり、空調管理などは全てタワーが行っている。
サバルカンダは他のドームとは異なり、機械管理が徹底している。上の階層になるほど品質は向上し、エネルギー効率も回っていく。最下層……つまり第一階層はそれに比べ、温度管理なども殆ど為されていない、スラム街のようになっている。
愛寡はその五階層……バベルタワーの頂点から、眼下の緑が広がっている空間を見下ろしていた。
21 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:23:25.11 ID:A45p+aH70
木や芝生……花壇などがいたるところに設けられており、天井のスクリーンには暖かい光を投げ落とす人工太陽が投影されている。
この時代、植物はかなりの貴重物だ。それどころか、一つ育て方を間違えばあっさりとお釈迦になってしまう贅沢な嗜好品。
しかしそれが……このサバルカンダの最上階には、掃いて捨てるほど存在している。
愛寡はその光景を憂鬱に見つめながら、自室のドアがノックされたのを聞き、振り返った。
小ぢんまりとした部屋だった。
機械類は一切置いておらず、ただベッドと、そしてデスクがカーペットの上に据えられている。
「あいてる」
途切れがちな声を発すると、ボタンを押す電子音の後に、目の前の扉がスライドして開いた。
22 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:24:00.42 ID:A45p+aH70
入ってきたのは、愛寡と同じくらいの背をした、猫背の青年だった。体がひょろ長く、しかし骨格がしっかりとしているのが、ピッシリとした黒いスーツの上からでも分かる。髪は鮮やかな茶。前髪で目が完全に隠れてしまっていた。
猫背や、おどおどした歩き方が癖になっているのか。首を前に突き出しながら部屋の中に入り込む。
左手でドアを閉め、猫背の青年は愛寡を見てニッ、と不恰好に微笑んだ。
「おはようございませ、師匠」
「ございませ?」
聞き返すと、一瞬きょとんとした後……彼は耳に手を当てて考え込んだ。耳たぶを掴むのが癖らしい。
「ええと……ございま、た? ございま、て? ……ございま……」
「ございま、す」
愛寡が呆れたようにたすけ舟を出すと、彼は何度かコクコクと頷いた。
「ございます」
「おはよ」
23 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:24:37.81 ID:A45p+aH70
そっと近づいて、そして愛寡は猫背の青年の頭を胸に抱いた。
そこで初めて、青年は愛寡が薄い寝巻き一つであることを自覚したらしい。耳まで顔が赤くなり、硬直した青年の頭を、愛寡はその豊満な胸に押し付けた。
彼の首筋の髪を掻き分けると、丁度右頚動脈の部分にビー球程のガラス質の球がうずもれていた。
二つ。
左頚動脈の方にもある。白と黒に光るそれを指先で撫で、愛寡は彼の頭を離した。
「うん、元気……ね」
「元気、でせ」
奇妙な訛りでそれに答え、青年はポケットに手を入れた。そして書簡だと思われる小さな筒を、彼女に差し出す。
「えと……と……ジュラデ、サ、キレット、レルセ、デ、ネ、レクサ、レト……」
24 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:25:12.68 ID:A45p+aH70
訳のわからない発音の言語を呟いた後、彼は必死に書簡を差し出したまま、その手を振ってゼスチャーを始めた。
「エキエ、サキルケ……テレスタン、ヤ」
「……」
顎に手を当て、長いひげのような形を作る。愛寡は暫くきょとんとしてそれを見ていたが、やがてくすりと笑うと、青年の頭に手を当ててゆっくりと撫でた。
「浮屋……の、こと?」
「う……き?」
「……?」
「デ、レタ」
頷き、彼は口元を抑えると、少し考え込んでまた言った。
「はい」
「ありがとう、ね」
25 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:26:01.82 ID:A45p+aH70
また頭を撫で、書簡を受け取る。蓋を開けてメモ帳ほどの髪を取り出し、愛寡はそれに目を通した。そして小さくため息をつく。
彼女の部屋の片隅には、小さな暖炉があった。木炭がパチパチと爆ぜる音を立てながら、かすかに火を発している。それを覆う金網を手でどかし、彼女は書簡を放り込んだ。
たちまちのうちに紙に火が伝染し、煙を上げて燃えていく。
憂鬱な瞳でそれを見下ろし、愛寡は額を抑えた。青年はその様子を心配そうに見ていたが、やがてまたスーツのポケットに手を入れ、中から金属製のピルケースを取り出した。そして、ラムネ菓子ほどの大きさの、乳白色のタブレットを器用に左手だけで摘み出す
。
「頭、薬でせ」
頭痛の薬だと言おうとしたらしい。
26 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:26:35.91 ID:A45p+aH70
「俺、作った」
「え? ああ……うん」
また微笑んで、愛寡はそれを受け取り、口に入れた。噛み砕いて飲み込む。
「ありがとう」
「へへ……」
褒められて嬉しいのか、また顔を赤くして青年が視線を逸らす。愛寡は彼の前で、気兼ねをすることもなく無造作に寝巻きを脱ぎ始めた。下着もつけていない裸身が突然目の前に飛び込んできて、青年は慌てて彼女に背中を向けた。
クローゼットを開け、ドレス型になっている上下一体の服を身につける。そして彼女は、その上から羽毛を幾重にも縫いつけたフードつきのコートを羽織った。
27 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:27:19.50 ID:A45p+aH70
「じゃ、行きましょ……爪(そう) 今日も、みんな、待ってる……」
一言一言を区切りながら、ゆっくりと愛寡が言う。爪と呼ばれた青年は振り返ってコクリと頷いた。愛寡はそんな彼に近づくと、軽く自分の方に抱き寄せた。そして背中をポンポンと叩く。
「効いた。頭……ありがとう、ね」
「師匠、歩ける?」
「ええ」
頷いて、愛寡は爪の腕に自分の腕を絡めた。
「先導、してくれる?」
「せん、どう?」
「先に」
「ヤー」
28 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:27:51.98 ID:A45p+aH70
歩き出した青年に引かれながら、愛寡は右足をずるずると引きずって歩き出した。
それは、義足だった。
膝下から先が、マネキン人形のような、精巧な作り物の足になっている。一応は神経感応で動くようで、膝が曲がったりはしているが……やはり歩きづらいらしい。重心が右側にかかると、体が横にぶれた。それをかいがいしく、しかしさりげなく爪という青年が支え、入り口までゆっくりと誘導する。
途中で、愛寡は憂鬱そうにため息を漏らした。
そこで足を止め、爪は少し考え込んだ後、師に向かって言葉を発した。
「ご、はね」
「ん?」
29 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:28:21.85 ID:A45p+aH70
「ご……は、や? ええと……ご、はん。ごはん。師匠、食べに、行く。俺と」
「え? でも、早く……礼拝に、出ないと」
「いい、俺、連絡……しておせ。いい、店。行く」
左手をパタパタと振って、たどたどしく力説する。愛寡は少しの間、ポカンとしていた。その疲労の色が見える目が、少しだけ優しく光り。
そして愛寡は、小さく頷いた。
「じゃあ……そう、しよう……かな」
「こっち」
足早に爪が歩き出す。
ドアが自動で開き……そして二人は、部屋の外に足を踏み出した。
30 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:28:53.74 ID:A45p+aH70
第 二 章 踊 ろ う よ ラ プ ソ デ ィ
31 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:30:13.84 ID:A45p+aH70
*
カランは言った。
私は大丈夫だと。
私のことは心配しなくてもいいんだよと。
彼女は、そう言っていつもと同じ笑顔でポツリと笑った。
――その笑顔があまりにも寂しそうで。
――その笑顔が、あまりにも心細そうで。
カランは言った。
手と手は、取り合うものだと。
そのために十本の指が存在しているのよ、と。
32 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:30:52.08 ID:A45p+aH70
そう……彼女は言った。
手と手を、取り合って欲しいと。
取り合って……そしてかつてのように微笑みあって欲しいと。
そう、彼女は言った。
彼女は願った。
俺達の幸せを。
俺達が、幸せになることを。
彼女は願った。
でも。
でも……カラン。
お前は分かっちゃいない。
33 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:31:24.21 ID:A45p+aH70
分かっちゃいない。
分かっちゃいないんだ。
やつれたお前の顔。
微笑み枯れたお前の顔。
そして、涙ももう出てこない……かつてのお前の、瑞々しい元気はつらつとした。
向日葵のような。
向日葵のようなお前の顔を。
その、お前の顔が。
――俺にとっての幸せに他ならなかったことを。
お前は知らない。
お前は、知りようもない。
だって俺は……。
俺は。
34 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:32:50.40 ID:A45p+aH70
*
サバルカンダドームの下層には、メインシャフトのエレベーターで行くようになっていた。そもそも愛寡が住んでいる最上階は、数百室ほどのホテルレベルの広さしかない。
部屋を出たところで、待ち構えていたのか、おびただしい数のメイドが、通路の両脇に勢ぞろいして頭を下げた。
一人一人に丁寧に頭を下げ返しながら愛寡が進む。彼女の歩みに準じて、メイド達は波のように次々に会釈をしていく。
その様子をじれったそうに、手を引きながら爪は見ていた。そして実に五分ほどもかけてメイドの流れを突破し、ポケットから出したIDカードをエレベーターの出入り口に差し込む。
そこで機械音声が壁のスピーカーから流れ出した。
『IDナンバー000yt、浮屋・k・エルデ認証。開きます』
35 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:34:22.60 ID:A45p+aH70
告げられた音声にきょとんとして愛寡が弟子の顔を覗きこむ。爪はIDカードを抜き取ると、それを指の間でくるくると回してニヤ、と笑った。
「便利」
一単語を口にして、師匠の手を引く。横に並ぶと、愛寡の背丈はひょろ長い爪の三分の二程しかなかった。極端な猫背になっているために、同じくらいに見えるのだ。
義足がエレベーターの出入り口に引っかかり、細い大魔法使いがよろめく。それを片手で支え、爪は慣れた手つきでボタンを操作した。ドアがしまり、個室が下降を始める。
首の球をカリカリと指先で掻いている弟子を見て、愛寡はその手をそっと押さえた。
「触らない」
爪が掻いていたのは、白い核の方だった。一瞬肩を竦めかけたが、従順に彼はコクリと頷いた。愛寡はそれを確認し、大きく息をついてこめかみを押さえた。そしてエレベーターの壁に寄りかかる。
36 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:35:02.58 ID:A45p+aH70
「どした? 師匠」
奇妙な訛りと共に問いかけられ、彼女は軽く首をかしげて見せた。
「ん?」
「お、つかれ?」
「え……えぇ。まぁ……そう、だ、かも」
「何、食べれ? 油?」
「ん……それはちょっと……」
「ツーアンケ(野菜)?」
「ごめんね。あまり……食欲ない。でも、あなたは食べればいいと思う。お金、出すから」
37 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:36:50.32 ID:A45p+aH70
数秒間彼女の言葉を理解しようと努力し、爪は困ったようにポリポリと頭を掻いて、そして口を開いた。
「じゃあか、べ……捕まる?」
「?」
「あか……えと……あ、か……」
「何?」
「あかぼう、どう?」
ガジガジと歯で何かを噛む動作をした弟子を呆れたように見て、愛寡は首を振った。
「いいわ。あなたも、それはだめ」
「おいし、けど」
「それでも」
「……ヤー」
38 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:38:59.79 ID:A45p+aH70
納得いかなそうに爪が頷いた時、丁度エレベーターが停止した。師の手を、まるで恋人のように引いて、無邪気に微笑みながら彼は外に足を踏み出した。
義足を引きずりながら愛寡が出たところは、丁度ショッピングモールになっていた。
このドームは貧富の差が激しい。
否……激しすぎると言ってもいい。
いわゆる裕福層は五階に分類される。
今彼女達がいる階は、いくつもの区画に分かれた市が混在しているエリアだった。裕福層の人間が暮らしているのは、五階だ。
その一階上の階層までが、市民権を持つ人間の居住地。最下層のスラムの人間に、市民権はない。
つまり最下層はここサバルカンダでは人間と認められないのだ。
一般的に裕福層が搾取を行うのは三階層の人間からだ。
それは、三階を境に、圧倒的に決定的な条件が変化する事実から来ていた。
39 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:40:01.75 ID:A45p+aH70
義足を引きずりながら、舗装された合成アスファルトの通りを大魔法使いが歩く。
道を行く人間達は、彼女が愛寡であるとは気づかないらしい。それどころか、各自忙しそうにせかせかと歩き回っているのが常だった。
そして、歩き回っている者達。
市でテントを開いて行商を行っている者達。
四階層の人間達。
その首筋には、皆一様に薄青色の魔法使いの核が埋め込まれていた。
一人も漏れず。
――つまり、四階層と五階層に暮らしている人間達は皆『魔法使い』なのだ。
一人も、例外はいない。
40 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:40:36.06 ID:A45p+aH70
親と手を繋いではしゃいでいる、五歳ほどの小さな子供にも。行商を行っている老女にも。全ての人間に皆等しく核が見て取れる。中には、それの周りに誇らしげに刺青で装飾を施している男性までもいる。
魔法使いの群れの中で爪は足早に歩き出そうとしたが、幼児ほどの補講速度しか師が出せないことに気づき、道路の脇に立ち止まった。そして路面タクシーを掴まえようと周りを見回す。生憎と大型バイク型のタクシーは、この時間には通りかかっていなかった。
「爪、どこに?」
息を切らしながら愛寡が顔を上げる。彼は彼女の顔に薄く汗が浮いているのを見て取ると、それを指先で拭ってから、ひょい、とその小さな体を抱き上げた。
「ちょ……ちょっと、爪?」
「ライ・ミ(掴まっていてください)」
囁くように言ってから、彼はくい、と首を上げた。
41 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:41:07.45 ID:A45p+aH70
その通りは彼らから見て右側が路上市、そして少し離れた左側が、ビルの混在しているエリアになっていた。ビル街の方に行きたいらしく、彼は周囲の視線を集めながら師を胸の前で抱え、そして丸まっていた背を伸ばした。
自分よりもはるかに逞しい弟子に抱きかかえられ、愛寡は頬を赤くしながらもガチガチに緊張していた。彼女が義足を庇うように体を丸めた時、爪はビル街の一方向を見据えて、そちらに向かって体を動かした。そして前髪で隠れた中にある目が、獲物を狙う鷹の目のように収縮する。
電動鋸で鉄を削るような、軽い金属音がした。それと同時に、爪の首筋にある片方……黒い方の核が、淡い光を発する。
次の瞬間、師を抱えた彼の姿が。
まるでテレビのチャンネルを変えたように、フッと掻き消えた。
いや……消えたのではなかった。つま先で地面をコツリと叩いた途端、まるで地面が超軟化したトランポリンのように、彼らの体を跳ね上げたのだ。
それも、目に留まらないような高速で。
42 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:41:56.56 ID:A45p+aH70
弟子の首に抱きつきながら、愛寡が目を閉じて小さな悲鳴を上げる。
頬で風を切りながら、髪で隠れていた爪の顔が露わになる。
年の頃は十七、八ほど。馬面というほどではないが、顎が伸びている特徴的な顔。
彼は面白そうに喉を鳴らしながら、一瞬で上空二十メートルほどまで飛び上がった。そして一旦空中で制止した……それから間髪をいれずに、自由落下を始める。
「ひ……っ」
青くなって愛寡が硬く目を閉じる。爪はしっかりと師を抱きかかえながら、また鷹のような目で目的のビル方向を向いた。そして足を曲げ、何もない空中を両足で踏ん張り、思い切り蹴り上げた。
また、二人の姿が消えた。
そこから百メートル以上もの空中まで放物線を描いて移動し、また自由落下を始める。
43 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:42:30.46 ID:A45p+aH70
愛寡は、既に気絶しそうなほど真っ青な顔色になっていた。下を見る勇気が出ないのか、弟子の胸に顔を押し付けている。
そんな師の様子に気づかないのか、こともあろうことに爪は、彼女を支えている一本の腕を外して振り上げた。その拍子に愛寡のからだがぐらりと揺れ、驚いて目を開けた愛寡の眼前に、上空二十メートル以上の高さから自由落下している、その圧倒的高所の光景が飛び込んでくる。
肌を刺す冷風と、風圧ではっきりと目を開けていられないのが、彼女の恐怖を倍増させた。
悲鳴を上げることも出来ずに、愛寡は目を閉じ……その意識がどこかに引っ張っていかれるようにブラックアウトする。
爪は師が手の中でぐったりしたのを見て、慌てて振り上げた手で頭上、その空中をノックした。今度は下降を始め。
そして彼は、気絶した師を抱えながら、粉塵と合成コンクリートの地面を砕き散らす音。地面を靴の裏から溶けたゴムと白煙を噴き出しながら、実に数十メートルも滑り……両足のブーツでしっかりと。
目的の料理店の入り口前に着地をした。
44 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:43:12.66 ID:A45p+aH70
*
怒っていた。
明らかに、師は怒っていた。
呆れたように肩を落とし、愛寡は真っ青な顔でレストランの大きなソファー。その隅に小さくなっていた。伺うようにチラチラと彼女の方を見ながら、控えめに目の前のおびただしい数の料理をかっ込んでいる弟子の方を見ようともしない。
気絶して起きる気配を見せない彼女の様子に慌てふためき、爪が目の前の料理店に駆け込んだのが三十分ほど前。そこの店主は偶然にも愛寡の顔を知っていたため、そこからが大事だった。
まず、店内がパニックになった。
愛寡の顔を一目見ようとする客。大声で何かを叫びながら店の外に飛び出す客。それを聞いて、雪崩のように押し寄せる通行人。
師が揉みくちゃにされないように店主と店の隅に避難し、そしていつの間にか駆けつけていた警察達に店の中に戒厳令が敷かれ……。
今に至る。
45 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:43:48.89 ID:A45p+aH70
五十席はゆうにある店内には、自分達のほかには客がいない。厨房の人間以外は、全ての従業員がぐるりとテーブルを取り囲んで愛寡の一挙手一同に視線を注いでいた。泣いているウェイトレスもいる。
無論、誰も彼もが魔法使いの核を持っている。
一番広いテーブルの上には、ありとあらゆる料理が次々と運ばれてきていた。
愛寡はテーブルについて程なく目を覚ましたが、自分がウェイトレスやウェイター。そして店の周りに洪水のように取り巻いてこちらを見ている数百の視線を確認するや否や、一言も発さず小さくなってしまったのだ。
顔色は、先ほど爪の魔法で宙を舞った時とは比較に鳴らないほど真っ青になっていた。
最初は言葉をかけていたが、師が完全に無視を決め込んでいるらしいことを自覚すると、爪は愛寡の前に運ばれてきた料理にどんどん自分のフォークを突っ込み始めた。そして情緒も何もなく、師の顔色を伺いながら……凄まじい勢いで、それら全てのおびただしい量を胃袋に詰め込み始める。
46 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:44:28.78 ID:A45p+aH70
一通り炒め飯を食い終わり、水差しから直接水を口に流しこんでから、爪は呼吸を整えて愛寡の顔を覗き込もうとした。
「師匠?」
問いかけられ、愛寡は僅かに視線を彼に向けた。
「師匠?」
もう一度呼ばれ、愛寡は肩を小さく落としながら、弟子のことを心細そうに見た。
「だい、じょう、ぶ?」
「……」
何かを言おうとしたのか、彼女が口を開く。そこで店長の男性が、手に小さな携帯通信機を持ってこちらに走ってきた。
47 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:45:40.82 ID:A45p+aH70
「聖上様。お電話でございます」
まさに土下座だった。床にためらいもなく膝を突き、店長は平たく頭を下げながら、愛寡に両手で携帯端末を差し出した。
師の言葉を遮られ、爪の目が険しくなった。それは憤慨や侮蔑と言える感情で一くくりに出来るほど単純なサインではなかった。
殺意。
純然たる、それはコロシのサインだった。
右手を振り上げかけた彼の目に、おずおずと師が携帯端末を取り上げるのが見え、爪は慌てて手を下ろして背中側に隠した。
「……どう……使うん、だっけ?」
ぽつり、と愛寡が呟く。顔を上げて立ち上がりかけた店長をゴミでも見るかのような瞳で睨みつけ、爪は手を伸ばして脇のスイッチを入れた。
48 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:46:12.22 ID:A45p+aH70
次いで投射装置から光が発せられ、携帯端末の前方十センチ四方ほどに光スクリーンを形成する。そこに、七十代ほどの壮年男性が映し出された。びっしりとした、爪の着ているような黒色のスーツに身を固め、筋骨隆々とした体格が盛り上がっている。白髪はオールバックに固められ、顔に刻み込まれた皺とはアンバランスな若々しさを放っていた。右目が白濁していて、視力がないらしい。オッドアイのような瞳で愛寡を見止め、彼は深々と頭を下げた。
『聖上、お早う御座います』
「お早う、浮屋」
浮屋と呼ばれた男性は、もう一度深く頭を下げた後、顔を上げて続けた。
『あと二十分で大礼拝が始まります。そちらへ高速艇を向かわせます故、暫くお待ちいただけませんでしょうか?』
「ええ……待ち、ます」
49 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:46:50.04 ID:A45p+aH70
素直にコクリと……子供のように愛寡は頷いた。浮屋は、心の底から彼女を責めているような気持ちはないらしかった。ただ事務的に……しかし、温かい気持ちを最大限に込めながらまた一礼し。
そしてその視線が、バツが悪そうにそっぽを向いて髪を弄っている爪に止まった。
『……パル、アラノレン・ク……ケ(お前は後ほど始末書だ)』
「……デー……」
『サイモン(やかましいわ)』
ジト目で彼を睨み、そして浮屋は愛寡に視線を戻した。
『申し訳ありません。今しばらくお待ち下さい』
50 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:47:21.70 ID:A45p+aH70
「ええ。気に、しないで」
『勿体無きお言葉。それでは』
プツン、と音がして通信が切れる。愛寡はいまだ平伏したままの店長に携帯端末を握らせると、彼の首筋の薄青色の核に軽く指を触れた。それが白く発光し、そして鮮やかな青に変色する。
顔を上気させて弾かれたように顔を上げた店長に疲れたように微笑んで、彼女は口を開いた。
「……ミル、ク……」
「は……はい」
「あたたかい、ミルクをください」
何度も頷いて、従業員が皆厨房に駆けて行く。取り残された形になった店長が、慌てて立ち上がり厨房に消える。
51 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:47:57.70 ID:A45p+aH70
愛寡はポカンとしている爪を見て、そして一つため息をついてから微笑んだ。
「ごめ、ね。高いの怖い。迷惑、かけた」
「と、と……とんでも! なです!」
予想だにしていない一言が飛び出してきて、正真正銘に爪は青くなった。叱り飛ばされるよりも、それは年頃の青年の心を打ちのめす一言だった。彼は目の前の皿を跳ね上げ、突っ込むようにして頭を下げた。
「ご……ごめんあさい!」
「え……」
きょとんとして、愛寡は首を傾げた。
「…………何が?」
もとより考えていることに決定的な違いがあったらしい。少しだけ二人は顔を合わせあい、そしてまた同時に考え込んだ。
52 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:50:13.46 ID:A45p+aH70
2 反発の狂人
浮かない顔をして壇上の最上段に腰を下ろした師を、爪はぼんやりと見つめていた。
ガラス張りの周囲……二千人以上を収容できる教会の大祭壇の壇上。その上の待機場に彼はいた。実際のところ、このガラスはマジックミラーのような加工が為されていて、祭壇側ではただの白い壁のようにしか見えない。
しかしこの部屋にいる限りは、前面全てを見通すことが出来る便利なものだった。
実際、愛寡が礼拝で何かを話すことはない。
いつもちょんと座っているだけだ。
そもそもが彼女が喋ることが苦手であるということもあったが、一番は彼女自身がこの礼拝を望んでいないという点があった。その事実は爪だけが知っている。
53 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:51:02.38 ID:A45p+aH70
六畳くらいのカーペットが敷かれた待機場で、爪は不貞腐れたようにそっぽを向いたまま、大きくソファーに胡坐をかいていた。
その正面に、もはや呆れ果てたと言わんばかりに浮屋が背筋を伸ばして座っている。
「……もう一度言うぞ? たわけ者め」
わざと共有言語で話をしている。爪は面倒くさそうに耳の穴に指を突っ込んでぐりぐりと回した。
「……無断で聖上を連れ出したばかりか、街中で魔法を使う違反。普通ならば厳罰以前の問題で即刻処刑だ。お前はこれをわきまえておるのか?」
「……」
「ルケン、クレイ!(聞け!)」
その名前を呼ばれた途端、爪の顔色が変わった。僅かに腰を浮かせ。
そして彼は反射的に浮屋に対して右手を伸ばしかけたが、眼下に愛寡がいるのに気がついて、自分の左手で右手を掴んで押し留めた。
54 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:51:53.10 ID:A45p+aH70
「メルチ(うるせぇな……)」
「やかましい。とにかく、礼拝が終わったらお前は今日一日懲罰房行きじゃ」
「…………メルチュ、アランセ?(うるせぇと言っている。殺すぞ?)」
「黙れ。お主の数々の軍規違反を、事細かに聖上に報告をしても良いのだぞ?」
話の半分も理解できてはいないのだろうが、もう一度ゆっくりと同じことを浮屋が言うと、爪は唇を噛んで押し黙った。
「……イー(分かったよ……)」
「よろしい。全く……聖上もこんな溝猫の何処がお気に召されたのか……」
ブツブツと呟きながら、浮屋がソファーを立ち。
「テ・クー・ネ(ここにいろ)」
「……」
言い捨てて彼はそのまま待機室を出て行った。
55 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:52:27.70 ID:A45p+aH70
爪は暫くの間浮屋が出て行った方向を見ていたが、やがて胸ポケットから彼のカードを取り出し、忌々しそうに手の上で弄んだ。
すぐにでも叩き割りたい衝動に駆られたが、あの老人を師が尊重していることを思い起こし、止めておく。
――何というか、愛寡は優しすぎる。
本当に、浮屋が言うとおりに溝猫に過ぎない自分に対して、こんなにも優しくしてくれる。
――そして、絶対に怒らない。
彼は、愛寡が怒ったところを見たことがなかった。
次こそは殴られる……と何度覚悟したことか分からない。今日だって、自分がやった浅はかな行動で気絶までしたのに、ミルクを飲んでからはニコニコしながら礼拝堂に帰ってきて、参拝している。
壇上ではこの信教の教会長が、白く長いローブを着ながらマイクに向かって言葉を発している。特に服装の指定はないので、集まった人間達は一様に私服だ。子供連れや老人、男女のカップルなど様々だ。
56 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:53:07.48 ID:A45p+aH70
その誰もが、魔法使い。
手に小さな経典を持ち、教会長の話に聞き入っている。
眼下の愛寡が、気づかれないようにかすかに欠伸をしたのを見て、爪はクスリと笑った。
――あの人は……。
そう、あの人は。
本当に……優しすぎる。
だからこんなに利用されるんだ。
だから、利用を……されてしまうんだ。
師は、素晴らしい人間――いや、魔法使いであるということは爪は頭の中で理解していた。
しかしそれ以上に、あの人は周りの意見に回されやすい性格をしているということも、うっすらと彼は理解していた。
何と言うか……上手く喋れないことも起因しているのだろうが、気が弱いのだ。いつも疲れたような、困ったような笑みを浮かべている。
こんな自分の言うことに素直に従ってくれる人間なんて、あの人が一番最初だった。
57 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:53:42.06 ID:A45p+aH70
――だからこそ。
だからこそ、壊されたくない。
片方の手の平を何度か握って、そして開く。
(あの人は、俺のだ)
眼下に広がる数千の魔法使い。
……魔法使い。
首筋の白い球を指でなぞる。反対側の黒い球が淡く光った。
(やるか……?)
右手が動きかける。
しかし彼は、また視線の端で愛寡のことを見止め、動きを止めた。彼女の視線が一瞬だがこちらを向いたような気がする。実際はマジックミラーで見えなくなっているのだが、それは彼の考えていた凶行を押し留めるのに十分すぎる効力を孕んでいた。
58 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:54:12.89 ID:A45p+aH70
ただチラッと見られただけで。
あの人の欠伸をする可愛らしい仕草を見れただけで。こんなにも邪気が消えていくような気がする。胸が高鳴る。幸せになる。
大きく深呼吸をして、そして息を止める。
そうだ……落ち着け。
落ち着くんだ、俺……。
優しくなれ。
あの人のように、優しくなるんだ……。
釣り合う男になれるように。
あの人に、男として見てもらえるようになるように……。
優しくなるんだ……。
感情を押し殺そうとして、無理矢理に呑み込む。
59 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:55:11.54 ID:A45p+aH70
その途端だった。
首筋の黒い球に、突然ビリリと電撃のようなショックが走った。思わず首に手をやり、歯を噛み締める。
(何だ……?)
鈍痛。それが続いている。次いで刺すような痛みと共に、黒い核の周囲から赤い血がポタ、ポタと流れ始める。それは抑える指の間を伝って、カーペットに次々と染みを広げていった。
(これは……)
同じだった。
脳裏にあの時の光景。あの時のことが稲妻のようにフラッシュバックする。
同じだ。
この痛み。
この感じ。
これは……。
あの人と初めて遭った時と、同じ痛みだった。
60 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:55:53.66 ID:A45p+aH70
(何だ……? 何が……)
思わず立ち上がって、礼拝堂の中に目を走らせる。黒い核の痛みは、遂に肉を千切りとる程の激痛に変化し、膝をつく。
血の流れは、頚動脈が傷ついたのではないかと思われるほど激しくなっていた。止まらない。抑えても駄目だ。
(敵……?)
下の愛寡は、またのん気に欠伸をしているところだった。そこから視線をスライドさせ、痛みに耐えながら民衆の方に目を向ける。
黒い核が光を発し、爪の瞳が収縮した。
そこで、初めて彼は異変に気がついた。
――おかしい。
何かが、おかしい。
眼前に広がる二千人弱の、豆粒のような人……人、人。三段ほどに分かれている礼拝席に立っている人間達。警備員が紐を持ってそのエリアを区切っている。
中央の愛寡がいる小高いステージを取り囲むようにしてそれは存在していた。天井には直径十メートルはあろうかという巨大なシャンデリアがある。それが大礼拝堂の天井から吊り下がり、真っ白な光を投げ落としているのだ。
61 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:56:24.49 ID:A45p+aH70
シャンデリアが形成する『影』……。
それは、数百の電球により、幾重にも分かれて床や壁に投影されていた。
毎日、そうだった。
それくらい言葉が不十分な自分でも分かる。
しかし……その影が今日はやけに濃いのだ。礼拝席の下の方……つまり人間達の足元に、幾重にも分かれず、墨のように真っ黒なそれが広がっている。
それどころか、その一つ一つがくっついてアメーバのように全体を……壁の下までもを覆っていた。
――動いている。
よく見ると、その影は動いていた。
ここまでも。
この、待機室の入り口程からもそれが入り込んでいる。先端がイソギンチャクの触手のようにゆらゆらと蠢きながら、実に奇妙なことなのだが、『影』が……その影が、するりと待機室に入って他の影を食い、そこを真っ黒に塗りつぶしながら広がっている。
62 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:57:04.20 ID:A45p+aH70
こっちに来る。
慌ててステージの方を見ると、何故かそこだけはその真っ黒い影は到達していなかった。
何だ、これ……。
近づいてくる。
カーペットの、影なんて出来ないはずの場所に生き物のように広がっていく。さながら本当に墨汁を投げ落としたように。
(……敵?)
――敵。
敵だ、これ。
63 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:57:37.28 ID:A45p+aH70
飛びのいて待機室の隅に移動し、爪は首筋の痛みに顔をしかめながら右手を、入り口から入ってきた黒い影に伸ばした。
首筋の黒い球が強く、濡れた光を発し始め。
「何ダ貴様。ナゼソンナに殺気ヲダシテル」
奇妙にズレた、機械音声のような声が『背後』から聞こえた。
アンドロイドのような声だった。
男の……渋い自分と同じくらいの声だ。
しかし、爪は相手の姿を確認することもせず、背後の壁――礼拝堂と逆の方向に、振り向きざまに右手の平を叩き込んだ。
「…………クッ?」
軽く、息を詰めるような声がした。
爪の背後。壁に映った彼の影を掌が捉えている。
64 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:58:23.61 ID:A45p+aH70
次の瞬間、鋸が鉄を引っかくような金属音が響き、壁についている掌の回りの空気が蜃気楼のように揺れ。
間髪をいれずに、人型に壁が抉れた。
身長は二メートル前後だろうか。
背後の影が、ポケットに手を突っ込んだような形に壁ごと後方に吹き飛ばされる。厚さ二十センチはある壁を、表面も……鉄骨に至る内部までもを紙にパンチで穴を開けるように後方に、爪の掌底は抉り吹き飛ばした。
まるで漫画のような、綺麗な人型に壁に穴が開いていた。
丁度ここは礼拝堂の外壁に一番近い場所となっている。地上四階。高さにして七メートル前後。抉れた壁と共にその『影』は礼拝堂の外に投げ出され、それでも飽き足らずに百メートルは離れたビルの壁面に、ガラスと壁を砕き、白煙を撒き散らしながら突き刺さった。
衝撃も、音も何もなかった。
65 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:59:01.68 ID:A45p+aH70
爪は首筋の黒い核を押さえ、自分が壁に開けた穴から、ためらいもなく空中に身を躍らせた。そしてなにもない虚空を足で蹴り宙を舞う。数秒後、実に驚異的な距離を弾丸のように舞い、正体不明の侵入者が突き刺さったビルのその土煙を上げている崩れた壁に難なく着地する。
オフィスビル。何かの事務所のようだ。慌てふためき出口に殺到する人間達を一瞥もせず、爪は白煙の中でベロリ、と上唇を伸ばした舌で舐めた。
何人か、崩れた瓦礫の下敷きになって呻いている。
手を刺し伸ばすことも、それどころか場所を変えようともせずに。
爪はまだもくもくと煙を上げている、眼前の部屋の壁……合成強化コンクリートの穴に向けて左手の人差し指を伸ばした。そして激鉄を起こすように、親指を上に向かってクイッと上げる。
彼がその親指を前方に曲げると、突き出した人差し指の周辺が直径十センチほど、音を立てて回転した。空気というのだろうか。それとも、空間それ自体というのだろうか。
その回転した空気の渦は、甲高い気流を裂く音をたなびかせながら、ゆっくりとその穴に向けてはじき出された。
66 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 16:59:34.04 ID:A45p+aH70
穴の中から、ポケットに手を突っ込んだまま……カラスのようなコートに身を包んだ大男がゆらりと立ち上がったのと。
その彼の胸に、爪の指先から撃ち出された空気の渦が突き刺さったのは殆ど同時のことだった。
石灰岩を握りつぶすような、胸骨が粉々に破砕される不気味な音が響く。大男の体は、後方に吹き飛びもしなかった。ただその空気が回転しながら弾痕を広げ、胸部全体にクシャリと、ドリルのように抉りこむ。
それ自体が衝突の瞬間一秒半ほどで消滅したが、与えた影響は甚大だった。
煙が晴れ、体から合成コンクリートの破片を零しながら立っている大男。百メートル以上もの距離を弾き出され、強化素材のコンクリートを突き砕いても悠然と立ち上がってきたそれの口から、ボコリと泡を立てた血痰が逆流する。床に相手が血を吐き散らし、膝を突いたのを見て、爪は面白そうにゾクゾクと体を震わせた。そして猫が鼠をいたぶるように、また大男に指を向け……思い直して下ろす。
67 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:00:05.04 ID:A45p+aH70
黒コートの男は、同様に黒色の細いサングラスをかけていた。あまりにもその色が濃いため、奥の瞳を確認することは出来ない。首から上以外が全てコートで隠れてしまっている。血を吐かされたというのに、彼は未だにコートのポケットから手を出そうとしなかった。
髪はオールバックにまとめられた灰色がかった黒髪。体格はかなり凄まじい。盛り上がった筋肉。肩幅が爪の比較にならない。
そして相手の顔面……その右半分からは、機械のコードのようなものが、いびつに所々飛び出していた。
(……アンドロイドか……?)
だとしたら、この攻撃では致命傷にならない。
――何より。
痛みを感じない相手に対していくら攻撃をしたところで。
面白くもなんともない。
一気に興味を削がれた気分になり、爪は無人となったビルのフロアで、嘲るように猫背の背を伸ばした。そして鼻までかかった長い髪をかきあげる。
68 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:00:32.32 ID:A45p+aH70
「……選べ」
ボソリ、と言葉を発する。
それは、彼が師と話しているときのような、おぼつかなくあどけない喋り方ではなかった。もっと残悪な……邪悪で、どうしようもなくドス黒い、ドロ沼のようなへばりつく喋り方だった。
「いま、死ぬ? あと、で死ぬ?」
「……」
「じゃ、いま死ね」
もとより話を聞くつもりは欠片もない。
問答無用で、今度は指ではなく両手を相手に向かって突き出す。
69 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:00:58.22 ID:A45p+aH70
それを見て、大男は地面を転がってフロアの向こう側に転がり込もうとした。馬鹿にするように鼻を鳴らし、次いで爪は、また上唇を舌でベロリと舐めた。
「メル、ア・レテナ、ゥルポス(逃げんなよ溝鼠)」
そして突き出した右手を、相手に向けて握りこむ。
次の瞬間、彼の首筋……今まで淡い光を発していた黒い核と対象側の頚動脈に埋め込まれている白い核が、強い刺激光を発し始めた。
爪が自分の方に見えない網を引き寄せるように、ぐいっと右手を引き絞る。それと間髪をいれずに、まるでロープで両足を絡め取られているかのように。
爪よりも数段大きな相手の体が、重機のような圧倒的な力で引かれ、一メートル以上も飛び上がった。
相手が空中に浮かんだのを確認し、爪が指先を自分の方に曲げる。すると、今度は磁石のS極とN極のように、男の体が何か圧倒的な力で引き寄せられ、茶髪の魔法使いの方に急降下する。
爪はそれに向かって面倒くさそうに左手を振りかぶり。
そして、相手の体が目の前に来た途端、床に思い切り叩きつけた。
70 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:01:26.70 ID:A45p+aH70
見た目は、ただのビンタだった。
しかし渾身の力で放たれたそれは、フロアの床をまるでウェハースのように貫通し、そしてその下のフロアも同様に突き抜け……実に五階建てのビル、地下フロアの床下まで突き飛ばした。
床に撃ち当たった瞬間に、大男の体は半分以上が四散してしまっていた。そもそも爪が手を叩きつけた部分が、泥玉を地面にぶつけた時のように握り拳大の肉片に破裂し、周囲の壁に前衛芸術のように張り付いている。
もくもくと立ち昇る床の破片。
そして、頭からずぶ濡れになった――他ならぬ、今しがた爆裂させた相手の血液で――若い魔法使いは、数秒間腰を落とした姿勢のままじっとしてから、大きく深呼吸をした。
その拍子に、頭に乗っかっていた相手の内臓の一部と思われるものがずるりと床に落下する。
71 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:02:01.25 ID:A45p+aH70
叩きつけた相手がぶつかった床は、直径一メートルほどの大穴になっていた。鉄骨や樹脂タイルなどが全て、破砕鉄球で砕かれたかのごとく粉々になっている。その周囲はおびただしい量の血液と肉片でコーティングされていた。
――人間一人が、弾丸のように吹き飛ばされて爆裂した。
その単純な事実をすぐに理解できる者は、おそらく警察でさえもいないだろう。
真っ赤に飛び散った、人間だったもの。
それを全身に浴び、爪は顔面に張り付いたミンチを手でずるりとはがし、ためらいもなく口の中に入れた。そしてしゃがみこみ、床に溜まっていた腸の一部を掴み上げ、かきあげて口に運ぶ。
さながら人間ではないもっと邪悪な……肉食動物に相当するその行い。
しかし租借して飲み込もうとした彼の顔が不意に歪み、爪は思い切り口の中身を吐き出した。
(不味……!)
合成ポリエステンをかじったような味がしたのだ。
72 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:02:34.96 ID:A45p+aH70
――これは、確かに。
生体アンドロイドの体だ。その合成化学組織の味。有毒だ。
「ちっ……」
忌々しそうに舌打ちをして、床の血溜まりを靴で蹴り飛ばす。
――そこで、爪は自分がやってしまったことにハッと気がつき、口元を押さえた。
壁に開いた穴から、遠くの豆粒のような大礼拝堂が見えたのだ。音を立てないように細心の注意を払って壁を抜いたため、あちら側ではまだ誰も気がついていないようだ。
しかし、こちら側の被害は甚大だった。
フロアの壁が崩れて、中のオフィスが丸見えになっている。床には巨大な穴。そして崩れ落ちた瓦礫に、逃げおくれて挟まっていた数名の女性達が、目の前の人間ト殺現場……及び爪の異常すぎる捕食現場を見たことで、完全に正常を逸してしまっていた。
元々は体に怪我を負ってしまったり、壁の破片に挟まれたりして動けなくなっていたのだ。
白目をむいて意識を失っているものもいれば、訳の分からない絶叫を上げ続けているものもいる。
73 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:03:04.75 ID:A45p+aH70
(いっけねぇ……)
別に、その女達に対しての感情など何も湧かなかった。だが、爪の心にあったのは、今しがた誰とも分からない侵入者を叩き殺したことでも、命令を無視して勝手に行動していたことに対して教会から処分が下るだろうということに対する懸念でさえなかった。
脳裏に、ぎこちなく微笑んでいた華奢な師のことが浮かび上がる。
――不味い。
俺がこんなことをしたと知ったら、あの人は悲しんでしまう。とても……とても、悲しんでしまうかもしれない。
――それだけは避けなければ。
――それだけは、いけない……。
爪は、瓦礫に足を挟まれて動けなくなっていた女性に近づき、その頭の上にしゃがみこんだ。血まみれでズルズルの顔で近づいてきた彼を見て、金切り声を上げて後ずさろうとしている。
それを無機質な、ゴキブリでも見るかのように見下ろして……爪は、軽く彼女の頬を掌で張った。
74 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:03:58.82 ID:A45p+aH70
パン、という軽い音がして。
その、頭が粉みじんになって吹き飛んだ。
文字通り、固形物であるはずの人間の体が、霧状の肉片と血液、そして骨の断片になって爆散したのだ。
支えるものがなくなってしまった首筋から、噴水のように数リットルの鮮血がぶちまけられる。それを真正面から浴び、また爪はベロリと上唇を舐めた。
――まぁ、だったら証拠を隠滅すればいいだけだよな。
そう、たったそれだけのこと。
俺を見た全てを消せばいいだけだ。
「ベル、メル(残念だけど……)」
言葉を失っている逃げ遅れたオフィス内の人々を見回し、彼は血液でぐしょぐしょの顔で、にっこりと笑った。
「リー、ギラ・ッチェ(運がなかったってことでね)」
75 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:04:28.60 ID:A45p+aH70
彼女達に向かって、右手を伸ばす。そしてふわっ、と揺らした途端、フロアの一角それ自体が、見えないビル破砕機で吹き飛ばされたかのように後方に弾け飛んだ。勢いはただ崩れただけに収まらず、実に十メートル以上もの四方空間を隣のビルまで抉り飛ばし、それは轟音と煙、そして火花を散らして倒壊し、眼下の地面へと崩れ落ちていく。
――楽しい。
――ああ、楽しい。
――どうせなら……うん、どうせなら。
――ここらへん一帯全部やっちゃおうか。
――うん。
(そうしよう)
――そうしよう、そうしよう。
76 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:05:03.72 ID:A45p+aH70
一人殺るのも、百人殺るのも同じさ。
どうせこいつら、ほっといてもまた増えるし。
いいんだ、きっといいんだ。
むしろ沢山殺した方が、師匠は驚いてしまって怒っている場合じゃなくなるかもしれない。
さっき殺した魔法使いに全部罪を擦り付けて。
で――俺がそいつを成敗したことにすればいい。
俺は褒められる。
そして、ガッカリしている師匠を慰めてあげることも出来る。
――おいおい。
(いい計画じゃないか)
ゾクゾクと鳥肌のような感覚が背筋を駆け上ってくる。
77 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:05:34.50 ID:A45p+aH70
さぁやろう。
そうしよう。
早くやろう。
早くやろうよ。
ふら、と手を伸ばす。
その視線が、未だに白煙を上げ続けている倒壊部を凝視した瞬間だった。
爪の脳幹が、揺れた。
本当に一瞬のことだった。
脳みそそれ自体が、頭蓋骨の内側に叩きつけられた感覚。シェイクされてジュースになってしまったのではないかというくらいの衝撃だった。
目の玉が飛び出しそうになり、肺の中の空気を反射的に全て吐き出してしまう。
殴られた……いや、鉄パイプのようなもので突き刺されたのは、人体の最も脆いといわれる急所……延髄の部分だった。
とっさに前に体を突き出したため、即死は免れたが。
視界が完全にブラックアウトし、意識も三百六十度暗転して、訳が分からなくなる。
彼は自分が膝を突いて、地面にうつ伏せに倒れこんだことさえ分からなかった。
78 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:06:05.10 ID:A45p+aH70
*
白目を剥いて痙攣している相手を呆れた顔で見下ろし、黒コートの大男は息をついた。そしてポケットから右手を出し、自分の顔から飛び出したコードをカリカリと指先で掻く。
凄まじい惨状だった。
ここで止めなければ、まず間違いなくこいつはここ一帯を、この謎の力……魔法でぶち壊してしまっていただろう。それが確信できるほどの破壊痕だ。
ビルの今いる五階フロア。その一部が半分以上、完全に倒壊してしまっている。そしてそこにあったはずの部分は、隣のビル……いや、よく見るとその隣のビルまで榴弾のように貫通して突き抜けている。
このフロアの後方には、頭を吹き飛ばされた関係ないこのビルの職員の死体。先ほどビルと共に弾かれたほかの職員の姿は確認さえ出来ない。
床に開いた穴などに張り付いている、爆散させられた自分の体の残りカス。それを大男が一瞥すると、血液や肉片。それら全てがゼラチンのようにグズグズに崩れ、数秒も経たずに全て海苔を連想させる黒色の塊に変質した。それがずるりと動き、壁に染み込み……そして『影』となる。
79 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:06:37.20 ID:A45p+aH70
瓦礫の隙間や光の死角などに潜り込んで、他の影と同化したのだ。
軽く首の骨を鳴らし、また息をついた大男の目に、まだ無事だった方の階段から小さな白い影が駆け上ってくるのが見えた。
それは、すらりと長い足と尻尾を持った一匹の猫だった。鼻がツンと上を向いていて、立派なヒゲが長すぎるほど外に広がっている。赤い瞳だった。アルビノなのかもしれない。
その猫の頭には、やはり白いモルモットがピンク色の指でしがみついていた。こちらの目も赤い。モルモットの方は子供の握り拳ほどの大きさで、どちらかというとトビネズミのようにも見える。肌色の足と尻尾が覗いているが、それらを覆うように、長く細かい毛が毛玉のように生えている。
それら二匹の動物には、色素欠乏というアルビノ症状以外にもう一つの共通点があった。
猫は右腕、モルモットは尻尾にそれぞれワインレッドの包帯がぐるぐる捲きに捲かれていたのだ。
その動物達は、まず部屋を見回すと突っ立っている大男を見止め、彼に走りよった。そして猫とモルモットがそれぞれ黒いコートに取り付き、猫はマフラーのように首。モルモットはコートの胸ポケットに収まる。
80 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:07:10.00 ID:A45p+aH70
「一体全体何がどうなってこうなったの? さっぱり分かんない。私分かんない」
やけにくっきりとした、しかし囁き声のように小さな滑らかな女性の声が周囲に響いた。
「……」
黙って肩をすくめた大男を見上げ、彼の胸ポケットから頭を出して鼻をヒクヒクさせた後、モルモットが長い前歯を覗かせながら、口をもぐもぐと動かした。
「いきなり先に行っちゃうんだもんなぁ……こういうアホが出てくるから、先行は僕らにさせてくれっていっつも言ってるじゃん? そうじゃん?」
今度は、やはり同様に滑らかな甲高い男の子の声だった。
「殺したの? ねぇ、殺したの?」
白い猫が三つ股の口を動かし、そして手の肉球を舐めながら顔を洗い始める。
81 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:07:38.93 ID:A45p+aH70
「埃っぽいわ、ここ。埃っぽい」
「うん、埃っぽい。実に埃っぽい」
「……ヤカマしいゾ。静かニシロお前ラ」
ボソリと大男が口を開く。すると、彼に乗っている二匹の動物達は、呆れたように視線を見合わせた。
「ご機嫌斜め」
「うん、ご機嫌斜め。実にご機嫌斜め」
「ソリャ、いきなり襲われチャ誰だって気分ハ悪イ」
そう言って、彼は倒れた相手に近づき、首筋をむんずりと掴んだ。そのまま、親猫が子猫を運搬するかのように、彼のスーツを掴んで引きずりながら、ブーツをコツコツと言わせて歩き出す。
82 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:08:07.76 ID:A45p+aH70
「そいつ食わせて。ねぇ食わせて」
「うん、食わせて。まぁ、核が二つもある! デリシャス! そうきっと多分!」
「うん、きっと多分!」
「ダメダ」
瓦礫が比較的少ない場所に立ち、大男は白煙が納まったビルの倒壊部から外を見上げた。エアバイクでこちらに急行してくる警察の姿が見える。
――元々はコトを起こすつもりではなかった。
ただ、本当に単純に少しだけ話をして出て行くつもりだったのだ。上の方から尋常ならざる気(オドス)を感じて見に行ってみたら、いきなり攻撃されたというわけだ。
こっちの方こそ訳が分からない。
――まぁ、襲われたり恨まれたりするのは慣れているが。
83 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:08:35.35 ID:A45p+aH70
問題は、このガキが彼女の……大男の姉の家族であるという事実であった。
しかしこれは……。
「ルアの黒い一族じゃネェカ……」
「ルア?」
「ルーアー?」
茶化すように二つの声を無視し、彼は爪先で地面をコツリと叩いた。次いで、彼らの周辺に伸びていた影がゼリーのようにひとりでに動き、寄り集まる。それらは円形の泉のような直径二メートルほどの模様を、男を中心に作り出した。
そこに。
本来は床であり、何もないはずのその影の中に、大男の体が足下からずるずると沈み込んでいく。それは彼が掴んでいる爪の体や、しがみついている二匹の動物にも同様なことだった。
84 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:09:01.38 ID:A45p+aH70
「ねぇ、功刀、ねぇ功刀」
猫が口をもぐもぐと動かした。その赤い瞳が、らんらんと輝いて影に沈みこんでいく爪のことを見ている。
「お腹空いたなぁ。空いた。きっと、絶対に多分」
「そうだねぇ。きっとそうじゃん?」
次いでモルモットが歯を覗かせながら口を動かす。
「きっと、私達、それダメならあそこのアレ食べちゃうなぁ。食べちゃうな」
85 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:09:33.54 ID:A45p+aH70
「美味しそうじゃん? つんつんつんつん鼻をくすぐるね。くすぐるね」
二匹の視線が、同時に爪が殺した女性従業員の首なし死体に注がれる。
「……勝手ニシロ」
ボソリと、大男が言うと、二匹は飛び出すようにして影を抜け出し、そして死体に駆け寄った。
警察のエアバイクが近づいてくる。
アルビノの白い毛を赤く染めながら、床の血溜まりでごろごろと転がっている二匹の動物を横目で見て、彼……大魔法使いHi8と呼ばれた一人。功刀は、とぷり、と影にさざなみを立てながら、その中に完全に沈みこんだ。
86 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/08(水) 17:14:22.90 ID:A45p+aH70
お疲れ様です、第三話に続かせていただきますm(_ _)m
キャラ設定など細かいことは、
>>1
のWikiと前スレをご参照ください。
ご意見、ご感想、ご質問など、どんどんください。
いろいろな方法でコンタクトを取っていただくことが可能です。
Twitter:
http://twitter.com/matusagasin08
BBS:
http://www3.rocketbbs.net/601/Mikeneko.html
Mixi:
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=769079
お好きな方法でコンタクトをください。喜びます。
ここで議論などをしていただくのも大歓迎です。
その際は、私の書き込みと区別するために、メール欄に「sage」とご入力くださいね。
続きは近日中にUPさせていただきます。
気長にお待ちくださいね。
第二章の「黒い一族編」の始まりです。
87 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2012/02/08(水) 18:23:51.45 ID:o3o2rO+zo
乙だぜ
88 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage saga]:2012/02/08(水) 19:25:26.93 ID:YN9ZJekDO
?「やっと俺の出番!!」
89 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(東京都)
[sage]:2012/02/09(木) 03:58:31.54 ID:sKRKUsVko
そこはかとなくボトムズの主題歌が似合いそうな気がしなくもない 狂気分を足せば
90 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:15:38.71 ID:vAi26PND0
>>87
ありがとうございます(`・ω・)
そちらもお風邪など召しませんよう
>>88
大活躍……するわけでもありませんし、ただただひたすら不幸なのですが、それでもよければ出てきてください(汗)
>>89
ボトムズ大好きですよ。 む せ る
もっとこれから狂気は増していきますよー
それでは、第3話〜第5話を投稿させていただきますm(_ _)m
91 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:20:50.21 ID:vAi26PND0
3 白い一族
羽が、生えなかった。
彼女にはいつまで経っても羽が生えなかった。
もう生えてもおかしくはないはずなのに、その白い背中には兆候である青痣さえも浮かび上がってきてはいなかった。
「おかしいねぇ。どうしてお姉ちゃんはダメなんだろう?」
大浴場。そう呼ばれている湯煙で真っ白になった屋内の個室で、青緑色の湯にふくらはぎまでを浸しながら、十四、五歳ほどの少女が口を開いた。
朝方なので大浴場には二人の少女以外に人影がなかった。十メートル四方ほどもある、岩に囲まれた湯場。お湯を手で掬い、問いかけられた少女がパシャッと宙に跳ね上げる。
「んー?」
聞いていなかったらしい。
最初に声をかけた少女は呆れたように肩を落とし、軽く首を振った。
92 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:24:19.65 ID:vAi26PND0
「……羽だよ羽。私にはもう出てるのにさ。どうしてお姉ちゃんは未だに子供なわけ?」
そう言って、彼女は浴場の淵に腰を下ろしながら僅かに前かがみに姿勢を崩した。
――その背中から伸びているのは、手の平大の小さな……鳥の羽骨のような物体だった。
いや、本当に手の平だ。外側を向いた状態で、子供の手のような形を連想とさせる白い骨が、肩甲骨の隙間から盛り上がっている。
少女が僅かに力を入れると、それはカシカシという音を立てながら根元から揺れ動いた。そして少しだけ鈴の音のような音を反響させる。
二人の少女は奇妙すぎるほど顔が似ていた。
しかしそれは双子の類似ではなかった。
例えるならば母と子。
それほど、彼女達の持つ雰囲気は異なっていた。
93 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:25:38.28 ID:vAi26PND0
骨のような羽を持つ少女は短く切りそろえたショートの白髪をしていた。顔立ちも幼く、大きな目が無邪気に……本心から純真なのだろう。キラキラと光っている。
大してゆったりと浴槽に泳ぐように身を横たえていた少女は、彼女とは正反対に成熟した大人の妖艶な雰囲気を発していた。お湯の上に、伸ばせば膝裏まで垂れるほどの長い白髪がばらけている。
豊満な胸を隠すでもなく風呂に浮かべ、仰向けになって彼女は息をついた。
「ねえお姉ちゃん」
妹の方は、呆れたように声を発して髪をかきあげてから、自分とは似ても似つかない体型をしている姉のソレを見て、大きくため息をついた。
そしてざぶんとお湯に飛び込み、波に驚いて顔を向けた姉に近寄る。
「聞いてるの?」
「ン……んん? 何か言った?」
94 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:27:37.01 ID:vAi26PND0
「んもう! 私真面目に言ってるんだけど? お姉ちゃん……本当にどうにかしないと、次の姫巫女の祭で乗り遅れちゃうよ」
「んー……」
また上の空といった感じで天井を見上げ……そして彼女は再びプカリとお湯の上に仰向けに浮かんだ。まるで劇画のように滑らかな、シルクのような白髪が周囲にばらけていく。
「どうでもいい、かなぁ……」
「良くないよ! いきなり何言い出すのよ」
「だってどうでもいいんだもん」
95 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:28:36.05 ID:vAi26PND0
「はぁ? だってお姉ちゃん……ルケン様からサクサンテの花もらったんでしょ。もう殆ど姫巫女決定だよ? もしかして分かってないの?」
「……決定? うーん……そうねぇ……」
分かってなかったらしい。
額を抑えて、妹はペタリと浴槽の床に腰を下ろした。
「呆れた……本当に呆れたわ。つくづくおバカな姉だとは思ってたけど、まさかここまでとはね」
「何怒ってるの?」
「何って……だって姫巫女よ? 私達のトップよ? 相手はあのルケン様だよ? 私らが小さい頃から、どれだけあの人と契るために躾けられてきたのか、もう忘れたの?」
96 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:29:15.09 ID:vAi26PND0
「うーん……」
「考え込まない。何も考えることなんてないでしょ? もう元老院はお姉ちゃんで決めてるんだよ。それなのに祭で羽なしだって分かったら、どんな辱めに遭うか分かんないよ」
「……うーん……」
「今だって、他の子にばれたら大変なんだよ。分かった? 分かったらちゃんと羽生やしの儀式、もう一回だけでも受けてよ。お願いだから」
姉の方は、しかし熱っぽく顔を赤くしながらまくし立てる妹を、本当に面倒くさそうに一瞥しただけだった。そして暫くお湯の感触を体で愉しんでから、一言
「……どーでもいいよ……」
と、投げやりに呟く。
97 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:30:05.67 ID:vAi26PND0
妹はそれを聞き、額を抑えてまたため息をついた。
「……分かった」
「ん?」
「お姉ちゃん、栄養全部胸とお尻に行ってるんだ。だからそんなバカなんだ」
「うふふ。そうかもね」
「笑わないでよ。自分のことでしょ……」
「そんなにあんな花が欲しいなら、あなたにあげる。いらないもん私」
「…………はぁぁ?」
素っ頓狂な声が風呂場に響き渡った。慌てて口を押さえて周囲を見回してから、妹は姉に囁くように問いかけた。
98 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:30:51.73 ID:vAi26PND0
「……ちょっと、今何て言ったの?」
「ルケンの花なんていらないよ。私の部屋のゴミ箱にあるから、拾ってきていいよ」
「ちょ、ちょ……ちょっとお姉ちゃん!」
慌てて妹は姉の手を引いて、無理矢理に風呂場から引きずり出した。そして大股に脱衣所まで歩き出す。風呂場の床には大小さまざまな石がゴツゴツと積み重ねられていた。底に足を取られそうになり、姉は慌てて口を開いた。
「ね、ねぇどうしたのヤナン」
「カランお姉ちゃんがあま余りにバカだから! バカだからもう! 殺されるよ!」
ヤナンと呼ばれた妹の方は、顔を真っ赤にしながら扉を開き、茣蓙が引かれた脱衣所にずかずかと入り込んだ。そして棚に脱ぎ散らしてあった衣服から、体を拭かずに下着を掴み取って身につけ始める。
99 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:31:59.13 ID:vAi26PND0
「早く服を着る!」
「で……でも、まだ三十分くらいは誰も来ないんじゃないかしら?」
「おばか! 早く花を回収しないと、本当に捨てられちゃうじゃない!」
金切り声を上げて、ヤナンは姉にバスタオルを投げつけた。それを受け取り、困惑顔でカランは首を傾げた。彼女の睫毛はかなり長く、オマケに垂れ目なために中身だけではなく外見からも鈍そうな印象を周囲に与えている。
「だからいらないって……」
「お姉ちゃんがそうでも、周りはそうじゃないの。いい? お姉ちゃん嫌われてるんだよ? それ分かってるよね?」
まるで赤子に言い聞かせるように、妹は突然真顔になると、姉にズイと詰め寄った。体をのけぞらせながら、しかしきょとんとした顔を崩さずにカランは頷いた。
100 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:32:59.11 ID:vAi26PND0
「え……えぇ…………まぁ……」
「ルケン様の誘いを断ったなんて知ったら、今度はまたどんな嫌がらせされるか分からないじゃない! もういい加減にしてよ。全くこの人は! この人はもう……」
ぶつぶつ言いながらヤナンは濡れたままゆったりとした白いローブを着て、そして頭にすっぽりとフードを被った。
「早く!」
妹と姉の関係とは思えない程強く頭ごなしに怒られて、カランは暫く呆然としていたが、やがて泣きそうに目を細め……そして頷いてからのろのろと着替え始めた。
「ルケン様のどこが気に入らないの? これ以上のチャンスはないじゃない……」
脇の壁に寄りかかって息をついたヤナンに、カランはまた少し考え込んでからか細い声で呟いた。
101 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:33:34.56 ID:vAi26PND0
「だって……」
「…………」
「汚いから……」
「どこが?」
「よく分かんないけど……」
「……」
聞こえよがしにため息をついて、妹は姉に、床に落ちていた彼女の下着を放った。
「私にはお姉ちゃんの言ってることが毎回分かんないよ」
102 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:34:06.07 ID:vAi26PND0
「……ヤナンは子供なんだよ……」
「子供で結構です。ほら、とっとと着替えてよ早く」
「う……うん……」
おどおどしながらローブを羽織り、長すぎる髪を一通りタオルで拭いてから頭の上でまとめ、フードを被る。
「濡れてにちゃにちゃする……」
「あぁもう部屋で乾かしてあげるから!」
「ちょ、ちょっと待って」
歩き出そうとした妹を制止して、姉はローブのポケットをまさぐった。そして、指先に一つの感触を探し当て……彼女は嬉しそうに頬をほころばせながら、それを取り出した。
103 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:35:41.79 ID:vAi26PND0
取り出されたのは、女性の小指ほどの長さの小さな造花だった。
「これ」
植物繊維で織られているのか、緑色の芯……その先に、まるで針の先で作ったような数重もの白い、五つの花びらを持つ小さな小さな花がくっついている。
見事な造花だった。
一瞬それに見とれてから、ヤナンははっと我に返ってから口元を押さえた。
「お姉ちゃん……」
「ん?」
「それ……誰の花……?」
恐ろしい想像が彼女の脳内を駆け巡っていた。
心臓が飛び出しそうなほどに鼓動を始める。
104 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:36:14.36 ID:vAi26PND0
思わず唾を飲み込んだ妹の目の前で、姉はあっけらかんと微笑んで、すらりと言い放った。
「マルディがくれたの。綺麗でしょう?」
「は……?」
「だから、マルディが」
言葉を失って立ち尽くす妹の前で、大事そうにそれを指先でくるくると回し、そしてカランはまたポケットの奥に閉まった。
「そういうわけで、私はあれいらないの。分かった? お風呂に戻ろう」
「…………正気? 頭おかしいでしょ……」
数秒沈黙して、やっと出てきた言葉がそれだった。カランはまたやんわりとやり過ごそうとして……しかし妹からはっきりと恐怖の感情がわきあがっているのを感じ、言葉を飲み込んだ。
105 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:36:44.05 ID:vAi26PND0
「マルディって……あれ? ……何? もしかしてあんなのの花受け取って、ルケン様の花捨てたの……?」
「だ……だって。ヤナンも見たでしょう。あんなに綺麗な花を作るのよ彼。それにあの人はルケンなんかよりずっと」
「行くよ! 早く花を回収しなきゃ!」
最後まで聞かずに、無理矢理に姉の手を握って走るように歩き出す。よろめきながらそれについていこうとして、足を躓きカランは悲鳴を上げた。
「ちょっと待って! 私の話を……」
「そんな場合じゃないよ!」
106 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:37:12.01 ID:vAi26PND0
ヒステリックに返して、青くなりながら妹は廊下を走り出した。もはや後方の姉を気にしている余裕なんてなかった。手を離し、姉の部屋へと駆け出す。
(あの人は本当に……)
走りながら、胸の中が電撃を孕んだ毒液に満たされたようにギリギリと痛むのが分かった。
(本当に…………!)
握り締めた拳。
爪が突き刺さって皮が破れ、血が出ていた。
107 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:40:27.49 ID:vAi26PND0
4 風が、強い日
ぼんやりと、天井を見ていた。
あそこまで妹がヒステリックに怒るとは、夢にも思っていなかった。それ程カランにとっては、羽も……あの花も、心底どうでもいいものだったのだ。
厚くかかった毛布の中で、寝巻きの体をもぞもぞと動かす。
朝、体を拭かずに出てきてしまったせいか、今日一日ずっと体調が優れない。自分が普通よりも遥かに体が弱いということは、重々自覚していることだった。
気をつけなければいけなかったのだが……。
妹が、アレをそれよりも優先して取りに戻ったということは、もっと、もっと優先されなければいけないことなのだ。
108 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:41:09.54 ID:vAi26PND0
あの……臭い花は。
ため息をついて、六畳ほどの狭い部屋……その隅の戸棚に無造作に突っ込んだ造花に目をやる。カランは十七になっても、電灯を薄く点けておかないと寝ることが出来ない。ここ、地下の里には当然ながら窓というものはない。明かりを得ることが出来るのは天井からのみだ。
おびただしい数の本が、部屋の周囲に敷き詰められた本棚に突っ込まれていた。年頃の娘の部屋とは思えないほど、本に溢れてぐちゃぐちゃになっている。収まりきらないものは床に積み重ねられていた。
枕元には、妹が最後まで『捨てろ』と騒いでいたあの白い花があった。それを指先でつまんで、くるくると回してみる。
何処となくレモンの香りがした。
――この花は、いい匂いがするのだ。
柑橘系の芯のしっかりとした、それでいて優しく温かい香りがする。
109 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:41:41.80 ID:vAi26PND0
あの、赤い血のような薔薇の造花から発せられるドブ川の臭いはしない。
結局朝は、いつまでもがなり立てている妹に久しぶりに大声を出してしまった。
そのせいで、今日一日ずっと口をきいていない。
(後で謝らなくちゃいけないな……)
彼女は……私が『こんなん』だから世話を焼いてくれているんだ。妹だから……世界でたった一人しかいない家族だから。
だから……。
しかし、吐き捨てるようにその妹が呟いた言葉が脳裏を掠める。
一瞬だけ、掠めた。
――どうかしてるわ――
ええ、そう。
私はきっとどうかしている。
110 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:42:13.16 ID:vAi26PND0
――ゴミと神様を比べるようなことよ――
ゴミ?
ゴミって、一体何なんだろう。
――祟りがあるよ――
「祟り……」
そっと、呟いてみる。
だって……。
臭いんだもん。
あなただって分かるでしょう?
好きで肥溜めに近づく?
近づかないでしょう?
111 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:42:44.47 ID:vAi26PND0
好きで蝿を手で触る?
触らないでしょう。
それと同じことなのに……。
もし、私がそのためだけに今生かされているとしたのなら。
私は、『証』なんて要らないんだよ……。
本当に、要らないんだよ……。
そこでふと、顔を上げる。
その視線の先に。
部屋の隅に設置されている木造のデスク。正面の木造りの椅子が、ギシ……と音を立てて揺れるのが見えた。
112 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:43:21.12 ID:vAi26PND0
――レモンの、匂いがした。
人がいた。鍵をかけて、ちゃんと戸棚の中の道具箱に閉まったはずなのに。
ベッドに入ってから、ずっと起きていたはずなのに。
何の気配も感じさせずに、その人は背中を丸めて椅子に腰掛けていた。
膝の上に肘を突いて、こちらを見ている。
体にはボロボロに穴が空いた小汚いマントを纏っていた。上下つなぎの、小姓が着る作業服に身を包んでいる。
背はかなり高い。百八十……ひょっとしたら百九十ほどもあるかもしれない。いずれにせよ、百六十ほどしかないカランからしてみれば相当巨大な人間だ。体格もガッシリしていて、所々穴が開いた服からは筋肉が盛り上がっているのが見える。
113 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:44:12.57 ID:vAi26PND0
しかし薄電灯に照らし出されたその顔は、その体格や服の様子とは似ても似つかないほどの明朗快活としたものだった。長く、茶色い髪の毛を合成樹脂で固めている。顔には部族の男性が正装する時のように、目元に赤い顔料で三本の線が、それぞれ右、左と引かれていた。線は口元まで伸ばされ、そこで切れている。
まるで鷹のような青い目をした男性だった。二十代前半だろう。明らかにカランよりも年上だが、しかし目はいたずらをする子供のように輝き、優しい光を放っていた。
足を広げた姿勢で座ったまま、彼はカランがこちらを向いてポカンとしているのを見て、にっこりと安心させるように笑ってみせた。
「よ、こんばんは」
一言、滑らかなテノールボイスを発してから肘立てをしている逆の手を上げる。
そこでカランはベッドから上半身を起こし、慌てて寝巻きの胸元を毛布で隠した。
114 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:45:02.52 ID:vAi26PND0
「え……」
予想だにしていなかったことだった。
いや……頭が完全についていかない。色々な考えが沸いて消えてを繰り返す。
カランは、決して聡い娘ではなかった。いや、妹の言う通りにかなり『トロい』人間であるというのは、誇張がなく本当のことだった。自分が周りの姫巫女候補の女の子達から、忌み嫌われて様々な嫌がらせを受けているという事実は知っていることには知っていたが、あまりに安穏としている穏やかな正確なため、大概は気づかずに呆然としてしまう。それが結果的には更なる虐めを誘発するという事実に、彼女は気づいていなかった。
今日だって妹から離れた時、夕食で椀のスープを腕にぶちまけられた。
丁度考えごとをしていたためにパニックを起こしてしまい、結局犯人は分からずじまいだった。
――問題は。
火傷を起こしてうずくまっている彼女を、その場の三十人以上もいる女の子達は誰一人も助けようとしなかったということだった。逃げ帰るように部屋に戻り、自分で包帯を巻いて今に至る。
胸を隠した彼女の右腕のそれを見て、男性はきょとんとした後、指先で指した。
115 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:47:12.83 ID:vAi26PND0
「あれ、どうしたの姫様。それ」
「きゃ……」
大分遅れて悲鳴が出た。
しかしその言葉は、甲高い声が周囲に響き渡る寸前で無理矢理に飲み込まされてしまった。
また、認識することも出来ない隙で。
いつの間にか男性がベッドの上で自分の体に馬乗りになっていたのだ。
ふわり……とレモンが香る。
男性はカランの口を手で塞ぎ、もう片方の一指し指を上げて、そっと自分の口の上に持ってきた。
「しー」
「……」
また子供っぽくはにかんだように笑い、そこで彼は、枕元に置いてあった白い造花を目に留めた。その目が一瞬丸くなり……そして、次いで耳までが赤くなる。
116 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:48:04.61 ID:vAi26PND0
彼は少しだけ泣きそうに顔を歪めた後、ポリポリと頭を掻いた。
数秒間、男性とカランは見詰め合っていた。
悲鳴をあげかけたのは反射的なものだった。
驚きが理性についてこなかったのだ。
幸い……と言っては何なのだが、この男性が押さえつけてくれたおかげで、僅かにカランも冷静にものを考えることが出来る余裕が生まれていた。
――抵抗する気は、なかった。
男性は、少女の頭を枕に押し付けていたことに気づき、慌てて手を離した。そして彼女の上から降り、ベッドの上に腰を下ろす。
「ははっ、姫巫女ってのは、みんなこんなべっぴんさんなのか? 遠くで見るのと、近くで見るのとじゃ全然違うな」
「……」
「おまけにやわらけぇと来た。あんた、ホントに俺と同じ人間か?」
117 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:48:48.40 ID:vAi26PND0
ニヤニヤと笑いながら、また上半身を起こした彼女のことを嘗め回すように、上から下まで見つめる。
しかし彼は、肝心の彼女に反応がないのを少しの間沈黙して確認すると、困ったようにまた頭を掻いた。そしてマントの内側に縫い付けられていたポケットに手を入れ、しばらくガチャガチャとかき回し、中から親指の先くらいの金属製の薬箱を取り出した。
「ほいっ、と」
軽くそう言って、彼は無造作にカランの右腕を掴んだ。そして彼女が抵抗するよりも先に、簡単に捲かれた包帯を外してしまう。
「随分とここの連中は手当てがヘタクソなんだなぁ。べっぴんさんが台無しだ」
おどけたように言ってから、彼は赤く、広範囲に膨れ上がったそれを呆れたように見下ろした。水ぶくれは破れてはいないようだが、初期治療が悪かったのか拡散してしまっている。
彼女の手を片手で支えながら、もう片方の手で薬箱を掴み、蓋を歯で外す。そして中身をあんぐりと、舌先ですくって口の中に入れた。暫くそれを租借して、ベッ、と手の平に吐き出し。
そして彼は、それをカランの火傷部に塗りたくった。
118 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:49:54.91 ID:vAi26PND0
生ぬるさと奇妙な刺激臭に、思わず体を硬直させる。少女は腕の痛みに眉をひそめた。しかし抵抗はしない。ただおとなしく治療と言っていいのか分からない、粗雑な行為を見ている。
男性は一折薬を塗ると、手馴れた動作で元通りに包帯を捲き直した。
「捲く時はさぁ、ここを、こうやって……締め付けすぎないようにしなきゃぁな。関節のところは何度か折りながら回すんだ。じゃなきゃ、腕曲がんないでしょ?」
「……」
「どう?」
ニヤニヤしている。
年頃の娘だったら、性的嫌悪というのだろうか……得体の知れない不快感を抱いてしまいそうな、不純な顔だ。
その視線が真っ直ぐ、ポカンとしているカランの胸元に注がれている。
彼女はそれに気づかないのか、数回腕を曲げてみて……そして相当驚いたのか、大きな目をさらに真ん丸に見開いた。
119 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:50:23.17 ID:vAi26PND0
「あ……」
「ん?」
「……あ……」
「…………んん?」
「痛くないねぇ」
ぼんやりと発せられた言葉を聞いて、男性はずるりと膝に置いていた手を滑らせた。
「あったりめぇだろ。俺の胆だぞそれ」
「タン? 舌?」
「そのタンじゃねーよ。俺の舌は元気満々だ。ほら」
べろ、と舌を出した相手を数秒間見つめて、カランは自分もちょろ、と舌を出した。
120 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:51:00.92 ID:vAi26PND0
「……何してんの?」
「え? あぁ……何か意味があるのかなって思って……」
「ねぇよ……」
「ん? うーん……」
一拍考え込み、そしてカランは男性の腕を細い指で掴み、自分の方に引き寄せた。いきなり顔と顔を触れ合わせられる距離まで近づけられ、逆に真っ赤になったのは男性の方だった。整った、自分よりも明らかに小さい女の子の顔を正面にして、視線が周囲に泳いでいる。
少女はまた舌を出して、今度はペロリと彼の頬。目の下から伸びている赤い顔料を舐めた。それを少しの間舌の先で転がして、納得がいったように頷き、体を離す。
「な……何だよ?」
「あなた……もしかしてあの人?」
唐突に不思議そうに聞かれ、男性はとっさに彼女から少しだけ体を離した。
121 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:51:32.53 ID:vAi26PND0
「ど……どの人だよ?」
「びっくりした……だったら言ってくれれば良かったのに……」
「何を?」
「全部」
「全部?」
「うん」
彼と同じようなはにかんだ笑みを浮かべ、カランは手を伸ばし、男性の左手を両手で包んだ。
「はじめまして。ゼマルディ。きてくれたんだ」
122 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:52:07.66 ID:vAi26PND0
「は……はぁ?」
「ずっとお手紙とかくれていたのは、貴方でしょう? よかった。本当にいたんだ」
「何で俺の正名……」
「ひょっとしたらまた私の妄想かと思った」
そう言って、カランはゼ・マルディと呼んだ薄汚い彼をもう一度自分の方に引き寄せた。そして腰を浮かせ、彼の口に自分の口をいきなり重ねる。
唐突過ぎる行動だった。
流石にそれを考えてはいなかったのか、硬直したのは彼の方だった。最初に目を見開かれ、そして逆に口を吸われて、また耳まで赤くなる。手はゆらゆらと、細い少女の体の後ろで抱きしめるべきなのか、それとも触れないでおくべきなのか決めあぐねて彷徨っていた。
123 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:53:46.77 ID:vAi26PND0
実に一分ほども口を重ねて、完全に停止している年上の男性……その口から、涎の糸を垂らしながら口を離し、カランは疲れたように大きく息をついた。
息が荒い。
しばらく、かける言葉を編み出すことが出来ずにゼマルディは口元を押さえていた。
その……カランの。
口を重ねている間にはだけられた寝巻きから覗く、白く小さな肩。肩甲骨の左右の肩の肉が、それぞれ内部からボコリと盛り上がった。
「……あっ……」
相当な痛みが走ったのか、思わず声を上げて少女が体を丸める。慌ててその体を支えたゼマルディの目に、内部に寄生虫でもいるかのように、皮の下……その肉が波打っているのが見えた。
「ちょっと……おい……」
呆然と彼は呟いた。
「まだだったのかよ……」
124 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:54:18.38 ID:vAi26PND0
カランは目の前の男性にしがみつき、そのマントを引き寄せると口に咥えてしっかりと歯で噛んだ。それは予定されていた行動でも何でもなかった。やはり反射的……いや、本能的に行ったことだった。
ただ少女の体を支えることしか出来ない彼の目の前で、カランはビクッと強く体を痙攣させた。
次の瞬間、肩の肉がまるで植物の芽が吹き出るように破れた。
押し殺した絶叫が耳に飛び込む。次いでパシャッと赤い血が、ゼマルディの顔に降りかかった。
カランの肩甲骨からせり出してきたのは、大人の腕ほどの長さがある、五股に分かれた骨の羽だった。一本一本が一メートルほどの長さがある。どこにそれだけの量が収まっていたんだというくらいの量が、開いた肩の傷口からずるずると流れ出てくるのだ。白い羽骨は、周りに青い神経と血管が絡みついたままだ。痛みは、想像を絶するほどのものらしい。半ば白目を剥きながら、カランはゼマルディの体に爪を立ててしがみついた。
125 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:54:54.20 ID:vAi26PND0
完全に、大人の大きさ……その羽だった。本来なら子供サイズの、小さな状態で芽吹いてそれが段々と大きくなる。しかし彼女はこれが始めて……つまり、十年以上の羽の成長を一時で行ったことになる。
しがみついている細い手が痙攣しているのを見て、ゼマルディは慌てて、外に出すために彼女を抱え上げようとした。しかしカランは、それを掴んで押し留めた。
時間にしておよそ三分ほど。しかし殆ど永遠とも思える時間を過ごし、カランは伸びきった羽骨から、ポタポタと肉の切れ端と血を垂れ流しながら、頭からゼマルディの胸の中に倒れこんだ。ぐったりしてか細い息を発している少女を抱いて、倍以上ものしっかりした体格の男は、途方に暮れて青くなっていた。
少し待つと、羽骨が噴出した部分の傷口が、まるで映像を高速で再生しているかのように音を立てて塞がり始めた。肉が固まり、骨の周りに寄り集まってカサブタとなっている。
カランは、泣いていた。
ゼマルディのマントを噛み締めたまま、押し殺した声でしゃっくりを上げ、ボロボロと大粒の涙をこぼしている。
126 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:55:26.70 ID:vAi26PND0
自分の力では口を開くことも出来ないらしい。マントを彼女の口から引き離すと、だらりとまた涎が垂れた。
またすこし、収まるのを待ってやる。
「…………い…………」
大分経って、少女は震える声で泣きながら呟いた。
「痛かった………………」
「…………」
「もっと早く……やっておけばよかっ……よかったよ……い……いきなり出てくるとは思わなかった……」
「わ…………悪い。ごめん」
手の中の少女の頭を抱いて、強く撫でてやりながらゼマルディは言った。
127 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:55:59.36 ID:vAi26PND0
「生娘だったって知らんかった。俺はこう、てっきり……その……もう……羽くらい生えてるもんだとばかり……」
ぐす、と鼻をすすってカランは体を起こすと、人指し指を立てて彼の口の前で止めた。言葉を中断させられ、ゼマルディははだけられたその寝巻きから、片方の胸があらわになっているのを目に留めてまた耳まで赤くなった。
「拭いて……」
「……えぇ?」
「羽、拭いて……くれる?」
そう言って、彼女は天井に向かって突き立っていた左右五本……合計十本に枝分かれした骨の羽を少しだけ、揺らした。
オルゴールのような音がした。
小さな金属板をガラス棒で叩いたような、あまりにも神秘的で、あまりにも織り込まれた澄んだ音色だった。
128 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:56:40.84 ID:vAi26PND0
*
二人は、寄り添って座っていた。
あの羽生やしの儀式から一時間ほど。大方のカランの体調は安定し、普通に話せる程に回復していた。
眼下の空調施設……地下に作られた広大な巨大フィルター。ゴゥン、ゴゥンと回転の音を立てながら回っている錆び付いたプロペラ。一キロほど伸びている金網の下の、羽一つが数十メートルはあるそれらを見下ろす。
彼らは、地上八メートルほどの監視台の上にいた。周囲にはやりかけの工事現場のように、鉄骨が組み込まれた足場がある。贔屓目に見ても、彼らがいる場所は入り口から数キロ離れている。それに入り組んでジャングルジムのようになっている鉄骨の先端部分。そこにカゴが渡してあるのだ。
二人でぶらりと足を垂らし、一つの毛布を共有している。白い息を吐き出しながら、カランは風で巻き上がっている自分の、雪のような髪を掻き揚げた。彼女の骨羽は、羽織ってきたコートの中に折り曲げられるようにして収納されている。傍目にはそんなものがあるなんて分からないほどだ。
129 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:59:09.44 ID:vAi26PND0
その地下施設は、鉄骨に電線が渡してあり、所々にほのかに赤い蛍光灯が取り付けられていた。そのせいで夕焼けのような淡い光景になっている。
ピタリと柔らかく、小さな彼女の体に寄り添われ。ゼマルディはガチガチに緊張してしまっていた。背筋を伸ばして、まるで柱のように彼女の体を支えている。
「な……なぁ」
数分も彼女が喋らないのを見かねたのか、彼は押し殺した声を発した。
「こんな空気がわりーとこ、早く出たほうがいいぜ? 俺はともかく、アンタは」
「リ・カラン」
「はぁ?」
「リ・カラン。名前……」
「ちょっ……お前、俺なんかに軽がるく正名教えていいのかよ!」
素っ頓狂な声を上げるゼマルディをきょとんと見て、カランは首をかしげた。
130 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 19:59:37.31 ID:vAi26PND0
その地下施設は、鉄骨に電線が渡してあり、所々にほのかに赤い蛍光灯が取り付けられていた。そのせいで夕焼けのような淡い光景になっている。
ピタリと柔らかく、小さな彼女の体に寄り添われ。ゼマルディはガチガチに緊張してしまっていた。背筋を伸ばして、まるで柱のように彼女の体を支えている。
「な……なぁ」
数分も彼女が喋らないのを見かねたのか、彼は押し殺した声を発した。
「こんな空気がわりーとこ、早く出たほうがいいぜ? 俺はともかく、アンタは」
「リ・カラン」
「はぁ?」
「リ・カラン。名前……」
「ちょっ……お前、俺なんかに軽がるく正名教えていいのかよ!」
素っ頓狂な声を上げるゼマルディをきょとんと見て、カランは首をかしげた。
131 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:00:10.02 ID:vAi26PND0
「だめ?」
「いやダメじゃなくて……むしろ俺は嬉しいけどさぁ……もうちょっとこう、慎みって奴をだな……いきなり羽生やしの儀式されるとは夢にも思わねぇだろ……」
「ゼマルディは、女の子とお話するのは初めてさん?」
純粋にポン、と聞かれて、彼の顔は分かりやすく真っ赤になった。しかし首を振って姿勢を正し、彼女の方を向く。
「バッ、バッカ言うなタコ。全然問題ねぇ。全然な! ちょ……ちょっと可愛いからって調子に乗るんじゃねぇぞ」
「私は二回目」
軽く言って、そして彼女はゼマルディのことを上から下まで見回した。
「…………随分大きいのねぇ。男の人て」
「……」
132 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:00:41.58 ID:vAi26PND0
「ルケンとは全然違うねぇ」
「ルケン? あんな野郎と一緒にすんな。鍛え方が違うんだ」
「何を鍛えてるの?」
「そりゃあ、これさ」
ニッ、と笑って彼は目の前に腕を突き出した。そして力を入れ筋肉を膨れ上がらせ、握りこむ。
「俺みてーな劣等種はこれがなきゃエサにされちまうからな。ボンボンとは違うのよ、ボンボンとは」
「ボンボンって?」
「あの野郎のことだ」
「あぁ、ルケンね」
「そうだ」
133 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:01:14.60 ID:vAi26PND0
腕を正拳でヒュッ、と風を切りながら突き出す。
「屁でもねーよ」
「ゼマルディはルケンよりも強いの?」
「あたぼうよ」
「凄いねぇ」
――純粋に信じた。
半ば冗談……もっと悪く言うと、大言造語に近い。今いるここ……ここがゼマルディの棲家……というよりは、『隠れ家』だった。ホームグラウンドでの話ゆえに気が大きくなっているが、ゼマルディは自分の膝が笑っていることに気がついていなかった。
そこでくしゅん、とカランがくしゃみを飛ばした。鼻をすすった彼女を見て、ゼマルディはもう一度繰り返した。
134 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:01:50.77 ID:vAi26PND0
「なぁ、戻ったほうがいいって。ここは空気がわりーんだ。里からの砂が全部ここに飛ばされてくるからさ。その……髪とかにも染み付いちまうぞ」
「いいの別に」
「ダメだろ」
「ここはゼマルディの匂いがするよ」
「……はぁ? 俺の?」
「レモンの匂いがするよ」
「どこが?」
「ここが」
嘘を言っている顔ではない。また少し首をかしげ、彼女は毛布を引き寄せてまた、隣の彼に身をさらに寄せた。
135 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:02:25.61 ID:vAi26PND0
「外に出るのは初めてだよ。こんなところがあったんだねぇ」
「何だ、姫巫女ってのはずっとあそこに閉じ込められてんのか?」
「うん。出ようとするとぶたれるよ。酷いと縛られたりする」
「ひぇ〜、そいつはおっかねぇところだな。俺だったら絶対御免被るぜ」
「……ま、私だけなんだけどね。そんなことするの……」
ボソリと付け加えられた言葉を聞いて、ゼマルディはおどけていた言葉を止めた。
よく見ると、カランの体にはいたるところに青痣が浮いていた。無事なのは顔だけだ。火傷に気を取られて気づかなかったが、明らかに鞭で叩かれた痕だと思われるところが太股近くにもあるのが分かる。
136 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:03:00.99 ID:vAi26PND0
「ま……まぁ、何だ。いきなり夜這いに行っちまって悪かった。待ちきれなくてなぁ。な、どうよ? 俺の花」
それを聞いて、カランはポケットに手を入れて小さな造花を取り出した。
「素敵。どのくらいかかったの?」
「三年だ。俺の鱗を溶かして糸にした。ちょっとやそっとのことじゃ壊れねぇ。大事にしろよ」
「え? 三年も?」
「ああ。ここで作ってたから砂っぽいかもしれんがな。へへへっ、いいだろう?」
「うん、凄くいいよ」
両手で花を握り、そしてカランはそれを自分の胸に抱きこんだ。
137 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:03:30.96 ID:vAi26PND0
――三年。
普通、男性が女性に送る求婚の意であるサクサンテの花は、一ヶ月ほどの時間をかけて製作される。その……実に三十六倍の時間をかけて製作されたのだ。
そしてそれは、同時に……。
ゼマルディが三年も前から……いや、もしかしたらもっと前から自分のことを想っていたという事実に他ならなかった。
「ありがとうね」
ポツ、と自然に発せられた言葉は。
意外なことに発した本人と、発せられた対象を同時にキョトンと沈黙させた。
お互いに顔を見合わせ、少しの間停止する。
まず立ち直ったのはカランだった。彼女は下から湧き上がってきた風から服を抑えると、花をポケットにしまって口を開いた。
「ゼマルディはね、劣等種じゃないよ」
「…………?」
138 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:04:05.15 ID:vAi26PND0
突然放たれた言葉に、彼は反応をすることができなかった。しばらく彼女の顔を見つめてから、取り繕うように笑ってみせる。
「は……はははっ、よせよ。どっからどう見ても出来そこないだぜ? 今日だってお前が騒いだら、無理矢理手篭めにしちまおうとさえ思ってたんだ。実を言うとな」
「……」
「んな崇高なもんじゃねーよ。俺ぁ離れたとこ行き来できるけど。力だって、精々里の端から端へが限界だ」
「でも、臭くない」
「臭い? 俺が?」
「違うよ。ルケンは臭いの」
「どんな風に?」
「うーん……」
暫くまた考え込み、しかし答えが見つからなかったのか、彼女は息をついた。
139 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:04:38.90 ID:vAi26PND0
「こんな風に」
そう言って手をパッと上に広げてみせる。それをポカンと見て、そしてゼマルディは面白そうに喉を鳴らした。
「カカッ……そうか姫巫女から見りゃ、あいつくせーのか」
「うん」
「こいつぁ最高だ。あのボンボン、それ聞いたらどんな顔するかね」
「だから」
「ん?」
「だから、成人をしてるのはゼマルディの方だと私は思うよ」
140 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:05:08.04 ID:vAi26PND0
「…………」
「私の初めての人だもの。それくらいじゃなきゃダメよ」
サラリと言い放って、そして彼女はもう一度くしゅんとくしゃみをした。
「…………」
「もどろ」
そう言って、隣の彼の袖を引く。
「あ……ああ」
「明日、またね」
戸惑ったように視線を泳がせている彼に笑いかける。それは、彼女が産まれて初めて他人に見せた、『安心』の笑みだった。
141 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:07:44.10 ID:vAi26PND0
5 サクサンテの花
どうもおかしい。
姉が砂っぽいのだ。
――砂……?
砂……?
何か変だ。
控えめに言っても普通の女の子よりも数段ノロい姉は、そうでなくとも羽が生えていないために、皆が風呂に入っている時間に大浴場に入ることが出来ない。
小さい頃……羽が生えていなくてもおかしくない、十二、三ほどの頃はかろうじてそこまでの協調性は有していたのだが、一度給湯栓からの熱湯を煙の中で浴びせられたことがあった。姉の背中には、未だにその火傷の痕がある。
つまり……嫌われているだけではない。
どんなに傷つけても怒ろうとしない、それどころかワンテンポずれてニコニコしているカランは、その美貌がなかったとしても閉鎖的な姫巫女の室では格好の虐めの標的だったのだ。
142 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:08:19.71 ID:vAi26PND0
女性というものは、男性よりも一所にまとまろうとする性質がある。それが子供であり……尚更全体で百人前後しかいない場所だったとしたら……。
そう、彼女達は産まれてこの方、室と言われる広さ二キロメートル四方ほどの施設を出たことがなかった。そこに現在入れられている姫巫女候補の娘達は、全体で七十人。乳幼児から二十二歳まで。その年の娘達が入っている。
――白い一族。
そう、言われていた。
白い一族には女性しかいない。厳密にいうと、自分達の部族の男性は『黒い一族』であり、対極に位置する存在だ。
姫巫女は外界との穢れを絶つ為に、一日の殆どを精神の修練で過ごす。それはやはり、ある程度の年齢ごとに大広間に集められ、座禅や簡単な武稽古、舞いなどを教わっていくのだ。
そこでも、姉はいつも脇のほうで一人安穏と座っているだけだった。前は妹と一緒に当たることもあったのだが、あまりに周囲からの風当たりが悪いために、管理の女性監査員もさじを投げているのだ。とはいえ、彼女一人を外すわけにはいかない。
――そう、どうにもいかないのだった。
「お姉ちゃん……どこ行ってきたの?」
143 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:09:07.36 ID:vAi26PND0
服を脱ぎながら、ヤナンは鼻歌を歌っている姉のことを見回した。髪なんて滅茶苦茶で、所々汚い埃の塊がくっついている。顔も薄汚い茶色い砂の膜が張っていた。汗で固まったらしい。
しかし……。
ここ、室ではそんなに砂が舞い散るところもないし。何より、運動が大の苦手の姉が深夜一人で道場に行くとは到底思えない。
「ん?」
やはり聞いていなかったのか、カランは手の包帯を気にしながらひょい、と羽織っていたゆったりしたローブを脱いだ。
――仰天した。
その表現がぴったりと当てはまるほど、ヤナンの目は満月のように真ん丸になった。
144 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:09:37.06 ID:vAi26PND0
しばらく声を出すことが出来ずに、ひょいひょいと服をバスケットに放り込んでいくカランを凝視する。
しばらくして妹の視線に気がついたのか、カランはそれを追い……自分の肩から背中に折りたたむようにしていた長く、立派な骨羽を動かした。
壮言といってはばかりない、とてつもないほどの澄んだ音色だった。
白い一族の娘は、羽生やしの儀式のあと、骨のような器官を得る。
それは主に、彼女達の心を表すために使われる器官。いわゆる第二の『顔面』と同様の役割を持つものと揶揄した方が近いかもしれない。
その感情表現は視覚的なものではなく、主に聴覚でなされる。つまり骨羽とは、音を発する部位なのだ。それが長く、硬く、立派であるほど発する音も素晴らしい。
それは同時に、女性としての格も表している事項だった。
――いつ生やした?
昨日まではすっぽんぽんと言ってもいい、赤子同然の背中だったはずだ。
145 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:10:06.66 ID:vAi26PND0
いや……それよりも。
そんなことよりも。
姉の羽は、立派過ぎた。
グループの有力候補とされている少女達のどんな羽よりもすらりとしていて……そし何より銀色に透き通っていた。向こう側が見える。こんな綺麗な羽は見たことがない。強い光がある場所で覗いたら、ひょっとしたら虹が見えるかもしれない。
もしもこの羽が周りの子に見つかってしまったら。
間違いなく、折られてしまうだろう。
叩き壊されてしまう。
本当に、そうなるかもしれない。
だって――。
妹であるヤナンの心の中。その奥の奥、中枢に近い場所に湧き上がったのは確かな苛立ちの気分だった。嫉妬といったほうがいいかもしれない。
146 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:10:38.77 ID:vAi26PND0
彼女の背中に伸びた、姉のものとは比較にならないほどの小さな羽根がくぐもった音を発した。
極薄のワインカップを柔らかく叩き合わせたような音を発しながら、カランは呆然としている妹に、にっこりと笑いかけた。
「昨日いきなり生えてきたの。不思議ね」
「……い……いきなりって……」
「これでヤナンもこそこそしないで済むよ。明日からは、みんなと一緒にお風呂に入ろうか?」
「……どこ行ってきたの?」
「何処にも行ってないよ」
「何処に行ってきたかって聞いてるの!」
それは心底からの、妹のはっきりとした怒鳴り声だった。思わず息を呑み、笑顔の行き場を失って戸惑いの視線を向ける。
147 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:11:17.53 ID:vAi26PND0
「え……だから、私はどこにも……」
「あいつに会ったの? ねぇ、だから羽生えたんだ? ルケン様がいくらやっても生えなかったのに、ねぇ、私らのことバカにしてるのお姉ちゃん?」
「ば、馬鹿になんてそんな」
「……とぼけるの? 私にさえもとぼけようとするんだ、お姉ちゃんのくせに!」
完全に頭に血が昇ってしまっていた。
突然のことで面食らいすぎたということもあるのだろうが、ヤナンの中に生まれた嫉妬と戸惑い、そして胸の奥にふつふつと溜まっていた憤りの心が、彼女の判断を鈍らせていたというのは事実だった。
本来なら姉を諭して、とりあえず服を着せるか風呂に追い込むかしなければならなかった。
だが、嘘をつかれるということよりも、えてしてはぐらかされるということは相手を傷つけてしまうものだ。それが、普段そのようなことをやったことがない……ましてややっている自覚もない程の性格の者が行ってしまったのだ。
148 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:11:48.28 ID:vAi26PND0
(この女……)
確かに、ヤナンはその時そう思った。
血の繋がった実の姉のはずなのに、そう思ってしまったのだ。
――守ってやってるのに。
あれだけ、守ってやったのに。
それから得られる幸せを棒に振って、挙句の果てにはゴミにまでして。
それで、自分ひとりだけわけのわからないことを言って、あまつさえ立派な羽を得て喜んでいる。
――これが。
これが、差別でないとして一体何なんだろう。
149 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:12:20.54 ID:vAi26PND0
唯一頼りにしていた妹に理解不能な罵倒を浴びせられて、完全にカランは萎縮してしまっていた。羽を彼女から隠すように背中に折りたたんで、そしていそいそと服を着ようとする。
「怒らないで。お姉ちゃん、何か悪いことしちゃったんなら謝るから」
「……怒ってないよ」
「怒ってるでしょ? あのね、じゃあちゃんと説明するから」
「もういいよ」
「ヤナン?」
「勝手にしてよもう。付き合いきれない。どうせまた、折角昨日拾ってきたルケン様の花じゃなくて、あの廃棄物の持ってきてるんでしょ? 私が、ゴミ捨て場から拾ってきてあげたのに部屋に置きっぱなしなんでしょ!」
言われて、カランはハッとしたようだった。慌ててポケットに手が伸びたのを見て、ヤナンは嘲るように口の端を歪めた。
150 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:12:55.49 ID:vAi26PND0
「……ほら?」
「違うよ。持ってきてないよ……」
「また嘘つくんだ。お姉ちゃんのくせに、この私に嘘をつくんだ!」
思わず壁を拳で叩いてしまう。相当驚いたのか、カランは後ずさろうとしてその場に服を抱えたまま尻餅をついた。
「え……あの……」
「もう知らないよ。勝手にしなよ。立派な羽もらえて良かったね? これで将来は安泰じゃない?」
「ヤナン、いきなりどうしたの? 意味がさっぱり分からないよ……」
「………………」
舌打ちをしようとして、しかしすんでのところでそれを押し止め、乱暴にヤナンは服を着てからその場から背中を向けた。足音も荒く出て行ってしまった妹をポカンとして見送る。
151 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:13:23.60 ID:vAi26PND0
五分……十分。
実に二十分以上も、人の気配がない脱衣所の扉をカランは見上げていた。
頭の中では先ほど妹が言った言葉が、それこそ一字一句間違わずにぐるぐると回っていた。
――嘘をついた。
ばれないようにしたのに、一瞬でばれてしまった。
どうして、と考えるより先に涙が出た。
訳が分からない涙だった。
どうしたらいいのか分からない涙。
明らかに悪いのは自分だ。
152 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:14:02.34 ID:vAi26PND0
でも……。
でも、妹だけは分かってくれると思っていた。
言わなくても、分かってくれると……本当にただ安易にそう思っていた。
安心してしまっていたのだ。
マルディは、妹の思っているような男性ではない。そう、教えてあげるつもりだった。
そうしたら喜んでくれるとばかり思っていた。そうしたら……祝福してくれるとばかり思っていた。
だって。
妹が許してくれなかったら。
他の誰が、許してくれるというのだろうか。
立とうとしたが、あまりのことに腰が抜けてしまって暫くの間は動けなかった。三十分ほど経ってからようやくもぞもぞと服を着始める。そして脱衣所の壁に、座ったまま息をついて寄りかかったとき、ガタンと音がして扉が開いた。
153 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:14:31.81 ID:vAi26PND0
「あ……」
目が合った。
入ってきたのは、姫巫女候補の少女達だった。四人いる。カランよりも年上で、二十代の娘達だ。いわゆる『背水』の子供達だった。
――この姫巫女の室には、二十二歳より上の娘は、監査官以外一人もいない。
そう、一人もいない。
彼女達はカランを見ると、少しだけ驚いた顔をし、そして周りと顔を見合わせた。
少しして全員が含み笑いをしながら、座り込んでいる彼女にまるで気づかない風を装って、その周りのバスケットに自分達の衣服を放り込み始める。
鈍いカランでさえも、この娘達は好きではなかった。会う度に、何らかの嫌がらせをしてくるのだ。
集団で。
しかも、肉体的の。
先日異常な羽生やしの儀式を行ったために、表面上は気持ちが浮ついて元気を装っていたにしても、カランの体力は殆ど残っていなかった。足腰になど力が入らない。腰が抜けてしまってどうしようもない。
154 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:15:02.59 ID:vAi26PND0
しかし、彼女にだって痛いのは嫌だった。ましてや傷が残るのなんてまっぴらだ。慌てて彼女達から離れようと、自分の頭だろうと体だろうとお構いなく投げ落とされる衣服を掻き分けて外に出ようとする。
そこで、一人の娘が足を上げ……まるで虫を踏み潰すかのように、這って出ようとしたカランの脇腹を踏みつけた。優しい踏み方ではなかった。胸骨が折れてしまったのではないかと言うくらい床に胸を叩きつけられ、ショックで思わず悲鳴を上げてしまう。
痛みが脳までジンジンと響いてきていた。恐怖と、先ほどの妹との喧嘩で呆けて訳が分からなくなっていた頭が本格的にパニックを起こしてしまう。
悲鳴を上げても、服を脱いでいる娘達は気づいた様子をしようとはしなかった。また別の娘が、今度はかかとの高い靴を履いたまま、奇妙な笑みを浮かべつつカランの右ふくらはぎにそれを踏みつけさせた。
骨と腱が圧迫され、正真正銘の切り裂くような激痛に、カランは掠れた叫び声を上げた。
「い……いたい……痛いです……痛い……」
ふくらはぎを手で掴んだまま、床に丸くなる。腕も足もブルブルと震えていた。また踏みつけられるのかもしれないと、出口はすぐそこなのに想像しただけで体が萎縮してしまい、動くことが出来ない。
155 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:15:35.93 ID:vAi26PND0
娘達の中でも年長の少女は、震えているカランを侮蔑をこめた目で見下ろし、ドン、と裸足の足で床を蹴った。
「ひっ……」
反射的にビクッと体を跳ねさせたカランを見て、娘達は動物ショーを見ているかのように甲高い、表向きだけは上品な笑い声を上げた。
「あらいたの? カラケイ(ゴキブリ)みたいに這いつくばってるから見えなかったわ」
「ごめんなさいねぇ。私達、目が悪いものだから」
「痛かった? あら……」
優しくそう聞いて、一人の娘が自分の下着をカランの方にポイッと投げる。それはうずくまっている白髪の少女……その頭に乗っかったが、近づいてきて娘は、ためらいもなくカランの腹に自分の爪先を蹴りこんだ。
「あ……」
156 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:16:09.44 ID:vAi26PND0
端的な声を上げて、腹を押さえて横向きに地面に固まる。一瞬羽が心配されたが、ゆったりとした生地が厚いローブだったため、折れる心配も外に飛び出る心配もなかったのがせめてもの救いだった。元々姫巫女候補の着る服は、羽を保護するように合成の樹脂針金が織り込まれている。だから背中辺りに衝撃を加えても、その殆どは拡散される。
「あったあった。あら……カラン、あなた変な臭いがするわよ?」
涎と、僅かに胃液のようなものを口の端から吐き出しているカランを見下ろし、娘は折角拾い上げた下着をポイ、とまた少女の方に投げ捨てた。そして彼女の白い髪を鷲掴みにし、自分の方に引き寄せる。
「私達が戻ってくるまで、ちゃんと全員の服、洗っておきなさい」
「……ぅぇ……あ……」
「あんたの臭いがくっついて着られたものじゃないわ。分かった?」
あくまでもやんわりと言って、その娘はいつの間にか顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくっているカランの頬を一度張り飛ばした。そして床に叩きつけるようにして投げ飛ばす。
157 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:16:40.57 ID:vAi26PND0
「顔はやめなよ」
「ばれたら後が怖いよ」
流石に危機を感じたのか、他の娘達が口を開く。
「ごめんなさいねぇ。どうもこの子の顔見てたらはらわたが煮えくり返っちゃうって、このことだと思うわけ。ほら、みんなも未来のお后様にパンツ洗っていただける最後のチャンスかもしれないのよ。早くお出しになってくださる?」
悪びれる様子もなくカランを蹴り飛ばした娘が口走ると、他の女の子達の目にも、徐々にサディスティックな怪しい光が宿り始めた。彼女達が同様に服をカランに叩きつけ、そしてニヤニヤしながら取り囲み出す。
「ご……ごめん……なさい……」
158 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:17:11.39 ID:vAi26PND0
腹を抱えて、カランはやっとの思いで言葉を搾り出していた。その手は、腹に近いポケットに入れてあったゼマルディの花を掴み、握り潰さんばかりに力を込めていた。
「ごめんなさい……許してください……痛いのは嫌……痛いのはやめてください……」
「ねぇ何か言ってるよ?」
「聞こえないよねぇ」
一人が尻に蹴りを入れると、もう一人が肩を踏みつける。
三人がかりのリンチだった。
しかし、器用に顔や腕……外気に触れてすぐ人目につくようなところは外している。骨も折れたり、深刻な怪我を与えないようにしているのがかえって痛みを増幅させていた。
159 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:17:50.12 ID:vAi26PND0
*
――いつの間にか、気絶してしまっていたらしい。
気が遠くなることというのは今まで生きてきて何度か体験しているが、今回が一番深かったような気がする。途中で娘の一人が突き出した爪先がこめかみに当たってしまい。そこで意識が電灯の明かりを消すように途切れてしまったのだ。
ぼんやりとしたもやの中から抜け出す感覚に似ていた。目を開けていることを認識し、次いで光を認識する。体中から力が抜けてしまったかのように、首から下が脱力している。
「良かった起きたか」
頭の上から声を投げかけられ、カランは熱ぼったいめを必死に上に向けた。
160 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:18:29.53 ID:vAi26PND0
最初は幻覚かと思った。
カランは、小さい頃からそうだった。
夢想家という次元を通り越して、白昼夢を見ることが好きだったといった方がいいのかもしれない。妹から貸してもらった恋愛小説にはまったことがあることからも、それが影響を与えているのも少なからずあった。閉鎖的な空間で、そうでなくとも人間関係が限られる状況。しかしそこで、彼女は殆ど妹以外の人間と話をしたことがなかった。
そんな彼女がすがりついたのは、本だった。室の外からも頼めばあっさりと持ってきてもらえた。カランが不精な娘だったらそうはいかなかっただろう。
それが可能だったのは、つまることろ彼女の容姿。その美しさにあった。
月に一度、黒い一族……男性は帳の向かい側から集められた女性を見ることが許される。貴族となると、実際に気にいった娘を呼んで話をすることだって可能だ。
161 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:18:57.28 ID:vAi26PND0
カランは、黒い一族筆頭の第一御曹司、ルケンのお気に入りだった。
とんでもないことだった。
何をやらせても人並み以下。容姿のみが取り得の、どんな羽かも分からない『足りない』娘が、それだけで選ばれるなんて他の候補にとってはあってはならないことだった。
それが結果的に。
自覚も、対処もさせないままカランを独りにしていた理由に過ぎなかった。
だから彼女は妄想していた。
いつも、いつも。
助けて欲しいと願えば助けてくれる。
分かって欲しいと願えば分かってもらえる。
そこにいていいよと、そこにいて欲しいと言ってくれる。
私のことを許してくれる人。
そんな人のことを、いつも、妄想していた。
――まるで本の中のようなことだった。
162 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:19:34.26 ID:vAi26PND0
いや……お話の中の女の子は、助けてもらって泣いて抱きついたりしていたけども。実際にそういう状況になってみると、ただ、ただ一番最初に来るのは強烈な恥ずかしさだった。それに痛い。体中が痛くて、抱きついたりするどころの話ではない。
脱衣所の床に胡坐をかいて、丸まっているカランを膝に抱いていた男性……ゼマルディは、彼女が大きく息をついたのを見て、心底から安堵したように息を吐いた。
「お前一体どうしたのさ? 正真正銘びっくらこいたぞオレぁ。何だ? 喧嘩か?」
先日会ったばかりの。しかし特徴的な田舎喋りでまくし立て、ゼマルディはペシペシとカランの頬を指先で叩いた。
「もしもーし?」
「ゼマルディ……?」
「お前なー……喧嘩すんなら、一対一にならんと。勝てる訳ねーだろ、四人相手に何考えてんの? まず鉄則は相手の戦力を分断することが大事だ。その上で一人一人消せ」
163 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:20:10.15 ID:vAi26PND0
「何……言ってるの……?」
「何言ってるのって、俺ぁお前が呼ぶから急いで跳んできたんだ」
肩をすくめて、彼はいつの間にかカランが右手で握り締めていたサクサンテの花を指で指した。
「知らん? 女が花を持って男のことを想うと、男は何処にいてもそれを感じることが出来るんだわ。原理は知らんけどな」
「知らなかった……」
「それにしても手ひどくやられたなぁ。オレが来なかったらどうなってたよ?」
「あの人たちは……?」
「連れてって置いてきた」
下唇をベロ、と突き出しておどけて見せてから、ゼマルディは言った。
164 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:20:41.65 ID:vAi26PND0
「殺したの?」
「んなわけねーだろ。今頃は貯水槽で寒中水泳でもしてるだろーて」
「ゼマルディって……強いねぇ……」
そこまで言って、カランは苦しそうに何度か咳を漏らした。その目が入り口の方に注がれる。
「ここ……室だよね……?」
「ああ。そういや、確かにヤベーな。見つかったら俺ギロチンだ」
「ギロチンって何……?」
「首と体がスポーンってぶっ飛んでく処刑機械だ。まぁ見るようなもんじゃねーよ」
チッチッと軽く舌打ちをし、ゼマルディは空中の何かを探すように視線を彷徨わせた。そしてチッ、と舌を一度大きく鳴らし、カランを抱いたまま立ちあがる。
165 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:21:08.90 ID:vAi26PND0
「ここらへんかな……」
呟いて、彼は目の前の壁に手を突き出した。それが水面に沈み込んでいくように。合成コンクリートの壁にずぶずぶと沈みこんでいく。そのまま彼は壁の中に飛び込んだ。
出てきた場所は、向こう側ではなかった。
なにやら小汚いマットやソファー。虫が湧いているようなカーペットが幾重にも敷き詰められた、足の踏み場もない程のガラクタが詰まっている狭い部屋。その、やはり汚れたベッドの上だった。よく見ると壁は壊れた機械や折れた鉄骨などを組み合わせて、合成樹脂を溶かしたものを間に塗りこんでいる。部屋の中には足が折れたテーブル。ぐらついた木の椅子。そして一メートルはあるかというくらいの巨大なラジオ機の残骸だった。どうやら中にエアコンが組み込まれているらしく、温かく……しかし砂っぽい風が噴き出している。
ゼマルディは軋み音を上げるベッドの上にカランを下ろすと、天井から油が浮いたコードで垂れ下がっていた電球を掴んで、くるくると回した。しばらくして薄い電気が灯る。
166 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:21:39.42 ID:vAi26PND0
「……ここは?」
「オレん家だ。お前、自由行動はあとどのくらいなんだ?」
「え?」
「風呂入ってたってことは、自由時間だったんだろ? 何時ごろまでいれるの?」
壁に、やはり文字盤が割れてぜんまいが露出した時計がかかっている。朝方の二の刻。つまりまだ六時半。そういえば今日は上の年齢の子達は朝の修練があった。その関連で早く来ていたのだ。
「……朝ごはんが七時半から……」
「かーっ、お前らそんな悠長な暮らししてんのか! まったくやってらんねーなぁ」
そう言ってゼマルディは、またポケットから薬の瓶を取り出した。今度は青い色をしている。
167 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:22:19.21 ID:vAi26PND0
「……特別だぞ」
そう言って蓋を開け、大半を指先ですくってから口に入れる。それをアメを舐めるようにしゃぶってから、どろりと涎が垂れている、指の先についた……紫色の物体をカランに差し出した。
「ぇ……」
思わず引いてそれを見る。
「食ってみろ。怪我なおっから」
「ええ?」
「嫌そうな顔すんな。これ1グラム作るのに五年かかるんだぞ」
「うーん……」
168 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:22:46.46 ID:vAi26PND0
少し考え込んで、口に入れる。思いのほか硬く、ゼマルディの指をためらいがちにちゅるちゅると数分間しゃぶってみる。
……やはり、その行動に後から気づき真っ赤になったのは彼の方だった。慌てて前かがみになり、宙を見て彼女が全部口の中に入れるのをひたすら待つ。
ごくり、と飲み込む。
「……何も起きないよ?」
「まー待て。ほら」
指先で彼が、カランのふくらはぎに浮いた青黒い内出血を指す。それが段々とピンク色に変わり、そして一分も経たずにすっ……と幻のように消えてしまった。
次々と、体中に受けた暴行の痕が消えていく。それに伴い鈍痛も薄れてなくなっていくのがはっきりと分かった。
体のだるさはとれないが、三分も経たずにカランは普通に動けるほどまで回復していた。
「え……えぇ?」
169 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:23:17.13 ID:vAi26PND0
言葉を失って呆然とゼマルディを見る。彼は満足そうにうんうんと頷いて、パチンと薬箱の箱を閉めた。そしてまたポケットに放り込む。
「何これ!」
「俺の膵臓だ」
「すいぞう?」
「打撲にしか効かないんだけど、ビンゴか。そーりゃ、よかったよかった」
「うん……うん。痛くない、痛くないよ」
嬉しそうに笑って、カランは胸の前で指を組んだ。
「凄いねぇ。ゼマルディって凄いね。いつもなら一週間はずっと痛いのに」
170 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:24:19.66 ID:vAi26PND0
「一週間?」
そう聞き返し、ゼマルディは言葉を止めた。
暫く考え込み、ニコニコしているカランを見てから壁の時計を見る。
「……後三十分位したら元の場所に送ってやるよ」
「昨日も今日もありがとう」
「礼にはおよばねぇよ。俺は弱いものいじめがでぇっきれーなんだ。あと勝ち目がない戦いもな!」
「?」
微妙に締まらないことを腕を振り上げてカッコ良く言った彼を、きょとんとカランが見上げる。
171 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:24:50.00 ID:vAi26PND0
「コーヒーでも飲む?」
「何それ?」
「まーまってろ。気絶するほどうめーから」
「ほんと? 楽しみ!」
「まーまー気にすんな。俺の花受け取ってくれたんだからよ。これくらい屁でもねーよ」
「ルケンは何にもしてくれないのに、ゼマルディは偉いねぇ」
ニコニコしている。本当に、心の底から嬉しそうだ。外見とは違い中身はどうしようもなく、そう……どうしようもなく子供なのかもしれない。
しかしゼマルディは、彼女が口走ったセリフに敏感に反応し……アルコールランプにかけようとしていたビーカーの手を止めた。
「ん? 良く聞こえなかったが」
172 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:25:37.55 ID:vAi26PND0
「ルケンも花くれたんだけどね。あの人は何も。随分前にくれてたんだけど、変な臭いするし部屋にあるんだよ」
「……は……?」
「嬉しいな、ゼマルディ」
唖然として、あんぐりと口を開けたまま硬直した彼に。しかし全くその様子には気づいていないのか、有頂天でカランは擦り寄った。
「ね、ここに毎日来てもいい? ね?」
「…………」
答えることが出来なかった。
かろうじて火にビーカーを下ろし、息をつく。そしてゼマルディは、彼女に見えないように脇を向き、青くなった頬を伝う汗を指で拭った。
「も……もちろんだってーの」
どもりながらぎこちなく笑う。
しかし、カランと逆の方を向いたその目は確かに恐怖。それ以外の何者でもない青苦しい感情を放っていた。
173 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/09(木) 20:31:03.86 ID:vAi26PND0
お疲れ様でした。第6話に続かせていただきます。
疲れ様です、第三話に続かせていただきますm(_ _)m
Wikiと前スレはこちらです。
前スレ:
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1327234326/
Wiki:
http://ss.vip2ch.com/jmp/1327234326
ご意見、ご感想、ご質問など、どんどんいただければ嬉しいです。
いろいろな方法でコンタクトを取っていただくことが可能です。
Twitter:
http://twitter.com/matusagasin08
BBS:
http://www3.rocketbbs.net/601/Mikeneko.html
Mixi:
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=769079
お好きな方法でコンタクトをください。小躍りします。
ここで議論などをしていただくのも大歓迎です。
その際は、私の書き込みと区別するために、メール欄に「sage」とご入力くださいね。
続きは近日中にUPさせていただきます。
気長にお待ちください。
それでは、今回は失礼します。
174 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(西日本)
[sage saga]:2012/02/09(木) 21:36:54.28 ID:ZchcTkpW0
おぉ!彼がやっと出てきた!
175 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:00:33.78 ID:oNd+Ad/T0
>>174
何故か連載当時の三年前も人気だったゼマルディの登場です(`・ω・´)o
確かに格好いいですが、ああいう人生は送りたくないですね……。
第6話を投稿させていただきますー。
176 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:05:45.50 ID:oNd+Ad/T0
6 鐘が鳴る
まさに、上へ下への騒ぎだった。
ゼマルディに人気の少ない室の一室に送ってもらい、姫巫女宮に帰り。そして大食堂に足を向けた時。長い木造りの廊下の先でバタバタと慌しく走り回る足音が聞こえた。
廊下の一角に少女達……丁度カランと同じくらいの年の子達が集まって、しきりに覗き込もうとしている。
そろそろと忍び足で近づいて、ローブで顔を僅かに隠しながら爪先立ちになる。そこでカランは、ゼマルディにさえ指摘された顔の汚れをとろうとごしごしと袖で頬を擦った。そして袖にゴッソリと赤茶けた砂が付着したのを見て息をつく。
気を取り直して野次馬連中から一歩下がって廊下の向こうを覗くと、四つの担架が管理官達にそれぞれ支えられながら通り過ぎていくのが見えた。
白いシーツの上には、丸くなって震えている女の子達の姿がある。びしょぬれだ。
177 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:06:17.56 ID:oNd+Ad/T0
……それは、カランについ先ほど風呂場で暴行を加えた娘達だった。顔面は蒼白で、相当体は冷えているのだろう、唇が紫色になっている。
――小さい頃、一度遊び心で貯水槽と浄水場に入り込んでしまったことがある。その時は一週間も真っ暗な懲罰房に投げ込まれ、気が狂い掛けたことを思い出して身震いする。
その時の記憶だが、確かあの地下エリアは相当な広さがあったはずだ。そこに深さ二メートルほどの大きな水槽が何個も設置されていて、水が循環するようになっている。
あそこにゼマルディが飛ばしたんだ……。
それも、おそらく水のド真ん中に。
先ほどまでは彼と一緒にいたことによる、今までにない安心感に身を包まれていたので気が昂ぶっていたが、ふと冷静にになって自分が今、妹も近くにいない本当の独りぼっちであるという事実に気づく。
178 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:09:50.94 ID:oNd+Ad/T0
――独りぼっち。
先ほど、ただ座っていただけなのに、ああやって運ばれていく子達に蹴られた。お腹やお尻を、ためらいもなく。
人に暴力など、カランは産まれてこの方振るったことなど一度もない。
それは、長い間……それが彼女の中で常識となるほどの時間、周りから煙たがられ、賛美と裏腹な虐待を受け続けてきたことによる、心の奥底に潜んだ恐怖心の裏返しだった。
耐えればいい。
我慢して、我慢して。
そして謝ればいい。
謝って、謝って、何回も何回も謝ればいずれ相手は呆れて許してくれる。
それが彼女のこの閉鎖空間で生きていくための処世術だった。
179 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:11:02.23 ID:oNd+Ad/T0
だがそれは、心に深刻な麻痺を産み……そしてどこかを腐らせるには十分な時間だった。
初めて他人に……妹のように怒りながら……気兼ねをさせながらではなく、本当に親身になって損得なしに守ってもらえたことは、カランの心にその『腐り』を自覚させる結果を生んでいた。
――妹も、自分のことを心のどこかで煙たがっていることは知っていた。
流石に四六時中一緒にいれば、嫌でも分かる。
ヤナンは気立ても良く、要領も良く。あの子の班の子供達にはとても人気がある。そういうわけで、カランの妹というだけでは少女達は手出しが出来ないのだ。
おまけに頭も良く、監査官の評判もかなり高い。
そう……中身が逆であれば、普通にトップに選ばれていたのはヤナンの方なのだ。
180 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:11:39.13 ID:oNd+Ad/T0
それが面白くないはずがない。
こんな出来の悪い姉を終始監視して、そして気を揉んでいることがストレスでないはずがない。
そんなことは、分かっていた。
分かっていたのだ。
――何だか。
目の前の人が、全て敵に見えた。
周りを見回す。しかしそこには、どこにも先ほどまで面白そうに笑ってくれていたゼマルディの姿はない。当然だ……ここは男子禁制の白い里。その中央なのだ。
誰も彼も、ためらいもなく自分のことを虐める世界なのだ。
唾を飲み込んで、みつからないようにそろそろと後ずさろうとする。
181 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:12:07.61 ID:oNd+Ad/T0
ゼマルディに不思議な薬で治療はしてもらい、体の痛みは消えたが……心に刻み込まれた恐怖心は全く消えていなかった。いや……なまじ体の痛みがない分その精神的な傷跡に致命的な血を垂れ流させていることに、他ならぬ治療を施したゼマルディは気づいていなかった。
痛みがあれば、逃避することが出来る。
我慢をすることができる。
我慢をすれば、しているだけ心は麻痺して現実を考えずに済む。
そうなのだ。
蹴られて、痛かった。怖かった。それらの感情とあの時の痛みがリアルに心の中にリピートする。
カランは、独りでそれに耐え切れるほど強い子ではなかった。つまり、今の彼女には逃げ場がなかったのだ。
182 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:12:40.58 ID:oNd+Ad/T0
――そうだ。
ゼマルディをもう一度呼ぼう。
そして今日は彼の部屋にいよう。
ここなんかよりずっと安心できる。
そう、私にはここ以外の世界があるんだよ。
痛くて苦しくて申し訳なくて独りきりの世界なんて、我慢していなくてもいいんだよ。
ゼマルディなら許してくれるよ。
笑って頭を撫でてくれるよ。
だって彼は。
彼は、強いんだもん。
そう決めて、知らずの間にガクガクと鳴いていた膝を奮い立たせて野次馬から遠ざかる。
183 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:13:12.58 ID:oNd+Ad/T0
しかし、やはり羽生やしの儀式の直後にリンチを受けたことでカランはもう限界だった。突然目の前がぐにゃりと歪んで、自分で自分の足に引っかかってしまう。
ビタン、とカエルを地面に叩きつけたような無様な音を立てて、美貌の少女は顔面から床に倒れこんだ。受身も取れずにしたたかに鼻をぶつけてしまう。一瞬視界に星が舞う。
鼻血が出てきたことに気がついて、慌てて袖で鼻を押さえ……そこで彼女は、野次馬達のみならずその場全ての目が自分を向いていることに気がつき、心底から震え上がった。
反射的に叫び声をあげようとした途端、しかし声が出てきたのは彼女の口からではなかった。丁度担架で運ばれていく途中の少女の一人が、震えながらカランを見止め、指差して訳のわからない言葉を叫びだしたのだ。
あまりの寒さのせいか、言葉になっていない。しかしその場にいる少女達は全員仰天として二人のことを見ていた。
監査官達も突然の事態に面食らったようだった。口汚く呪いの言葉を吐き散らす子とカランを交互に見て、そしてへたり込んでいるカランを険しい目で睨みつける。
184 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:13:41.95 ID:oNd+Ad/T0
表面的にはカランを暴行した娘達の方が、遥かに監査官ウケはいい。成績だって問題ない。
それに引き換え、『何も出来ない』自分は圧倒的にここでは弱い立場だ。どちらの話を信じるかというと、そんなことは決まっている。
この位置からでは何を言っているのか分からないが、どうやら貯水槽に落とされた娘達は、口々にそれがカランの仕業だと言っているらしかった。
ゼマルディの存在を匂わす単語が出てこないことにどこか安堵しながらも、しかし次の瞬間、こちらに近づいてこようとしている一部の監査官を見て青くなる。
逃げなければ、本当に酷い目に遭わされる。今月の頭にも、いわれがない濡れ衣で――その実は広間にいる観賞用の魚を殺したという実にどうでもいい話だったのだが――太股を歩けなくなるほど竹鞭で叩かれたばかりなのだ。
どうせまた話なんて聞いてもらえない。それに、自分に彼女達を『跳ばす』能力はないことからも、もしかしたらゼマルディの存在を監査官は感づいているのかもしれない。
そうしたら……。
そうしたら、自分はもしかして。
ゼマルディの名前を出すまで痛めつけられるのだろうか。
185 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:14:20.31 ID:oNd+Ad/T0
彼が冗談半分で言っていた『ギロチン』のことを思い出し、失禁しそうになる。
逃げなければと思うが、一体何処に逃げるというんだろう。隠れる場所も、逃げられるほど機敏に動く足もない。
それに、彼女の心は一睨みされただけで完全に砕き壊されてしまっていた。
それほどこの十七年間で、彼女の美貌、そして要領の悪さで招いてきた出来事が刻み込んだ心の腐りは大きく広がってしまっていた。
真っ青になって動けないでいるカランを取り囲むように、三人の監査官が立つ。いずれも彼女のことを月に一度は、何らかの因縁をつけて痛めつける女達だ。いつもはカラン一人の問題だったが、こんな大事になったのは初めてのことだ。
今度こそ、拷問されて殺されてしまうかもしれない。
カランの心の中に湧き上がった疑心暗鬼は、ゼマルディに触れ合ったことで暴発してしまっていた。今まで我慢して、押し殺していた感情が瞬間的に噴き出してしまったとでもいった方がいいだろうか。
あろうことか、カランはただ話を聞こうとして引き起こすために肩を掴んできた監査官のことを、その細い手で力の限り突き飛ばしてしまっていた。
――それは、カランが産まれて初めて行った意思表示……自衛の行動だった。
186 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:14:51.49 ID:oNd+Ad/T0
後ろに転がった監査官の目が、釣鐘のように歪む。尋常ではないことが起こっているのに加え、抵抗を見せたカランに対し。監査官達が腰に挿していた小さな皮鞭を抜いたのが見えた。
(あ……謝らなきゃ……)
謝らなきゃ、また痛いことをされる。
痛いことをされてしまうんだ。
でも……。
でも、今の私には。
今の私にはいるんだ。
味方がいるんだ。
味方がいるんだよ。
だから……だから。
悪いことをしていないのに。
それなのにぶたれるのに。
謝らなくてはいけないの?
言葉は、口から出てこなかった。縮こまって両腕で頭を守る。
187 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:15:21.13 ID:oNd+Ad/T0
そこでカランは、何事かを言っている監査官達を見もせずに右手をポケットに入れた。そして先ほど掴んだばかりのゼマルディの花を手で掴む。
――大丈夫だよ。
彼は強いんだから、大丈夫だよ。
また、助けてくれる。
いつだって助けてくれるんだよ。
自分の頭の中にそう、何度も単純に言い聞かせる。
いつだって。
助けてくれるんだよ……。
188 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:15:57.84 ID:oNd+Ad/T0
その時。
鐘が、鳴った。
ゴゥン、ゴゥン……とその重苦しく、歪で耳の奥に突き刺さる金属の音が、室全体に響き渡った。
その場全ての少女達が立っている場所に制止し、数瞬置いてざわめき始めた。
それは、彼女達が赤ん坊の頃から聞かされ……そして習性として脳に刻み込まれた音だった。
――黒い里から、男が室に来ると。それも、位の高い男が姫巫女宮に入ると、その鐘は鳴らされる。
いつもなら監査官達は鐘のなる時間……つまり一ヶ月に一度の帳の向こうから男が女を見ることが出来る日、その日を知っていて事前に娘達を大広間に集めておくのが常だ。
しかしポカンとしている彼女達に、この鐘を知っている風はない。
つまり。
その鐘は、黒い一族である男が予定なしに姫巫女宮に入り、自分で鳴らしたということに他ならなかった。
189 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:16:28.69 ID:oNd+Ad/T0
(ゼマルディ……!)
顔を上げて、目を輝かせる。
しかし次の瞬間、カランの鼻にまるで粘りつくような、薄汚いドブを連想させる、鉛色の悪臭が飛び込んできた。体中に絡みつき、べとつく感覚を撒き散らす。
この臭い。
この、ヘドロのような腐った臭い。
――ここ、正面廊下は中央の姫巫女宮において最も玄関に近い。
コツ、コツ、コツ、と無機質に歩く木靴の音が聞こえる。ここ地下の世界では、普通の樹木は育たないらしい。生えているのは殆ど、灯りがあまりない場所でも成長する低木ばかりだ。そのせいか男が履く木靴は硬い音とともに、どこか気が抜けたような空気の音もさせている。
ゼマルディは、そもそも靴なんて履いていなかった。確か裸足だったはずだ。
190 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:16:55.90 ID:oNd+Ad/T0
鼻が、曲がりそうだった。
彼のレモンの澄んだ香りとは似ても似つかない悪臭。しかしその場にいるカラン以外の娘達は皆誰も気づかないのか、逆に周囲の変化した空気にうっとりと眉を降ろしている。
(や、やだ……)
あいつだ。
どうしてこのタイミングで出てくるんだろう。
最悪。
本当に、最悪。
そう形容するしかない。
191 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:17:25.08 ID:oNd+Ad/T0
あまりのことが起きない限り何かを嫌悪などしたことがないカランだったが、この状況は本当に最悪だと,心の底が足りない語彙で警鐘を発していた。
カランだけが座り込んだまま、廊下の向こうから歩いてきた人間が角を曲がるまでの間。監査官を含む娘達は床に膝を突き、廊下の両端に速やかに座り込んだ。そして人差し指と中指だけを床につけ、深々と頭を下げる。
カランもそれに習おうと……あまつさえ、周りの子達に紛れてしまおうとして視線を彷徨わせたが、既に彼女が入っていけるようなスペースはどこにもなかった。一人廊下のど真ん中にへたり込んでいるという奇妙な図式になってしまう。
息ができない。
あまりの臭いに、あたまがグラグラする。
(ゼマルディ……)
ポケットの中の花を潰さんばかりに握る。
192 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:17:51.06 ID:oNd+Ad/T0
そこで廊下の向こうから、引きずるほどの袖――黒い一族の正装である長いローブ――と、スカートのような、薄い布で出来た腰当を床に引きずった少年が顔を覗かせた。
綺麗に櫛が入り、梳かされてピンなどで留められた茶色の髪。そして鳶色の瞳。
端正な顔立ち……いや、まるで人形のような整った卵形の顔だ。背丈はひょろ長く、僅かに猫背。顔には色とりどりの顔料で線が引かれていた。
袖をぶらぶらさせながら彼は周りを見回し、そして挨拶もせずに、一人取り残されているカランに目を留めた。
そして、彼はカランから視線をずらし。
大分離れた場所の、廊下の突き当たりを一瞥した。
193 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:18:22.65 ID:oNd+Ad/T0
溜まらず鼻を抑えたカランの目に、目前の男の口元……僅かに整った笑みを浮かべた口元が裂けそうな程強烈に、しかし一瞬だけニヤリと動いたのが見えた。
「ルケン様。ご足労、度々、度々かしこみまして候」
監査官の一人が頭を下げながら口を開く。しかし少年……十二、三ほどにしか見えない彼は監査官を一瞥もしなかった。もう一度鼻を鳴らし、侮蔑をこめた瞳で廊下の突き当たりを見てから、視線をカランに送る。
……目が合ってしまった。
「……痛っ……」
途端、網膜の裏に強烈な臭気を浴び……カランは鈍痛を感じて目を抑えた。
194 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:18:52.66 ID:oNd+Ad/T0
ルケンと呼ばれた少年は、そんな彼女の様子を気にかけるでもなく、悠々と姫巫女達が並ぶ廊下を歩いてカランに近づいてきた。
――臭い。
臭いの。
本当に、臭いのよ。
頭が変になりそうだった。
まだ、懲罰房に連れて行かれて痛めつけられた方がましだった。
カチカチ、と意図しないで歯が鳴る。
俯いたカランの前にしゃがみこみ、ふわりと綺麗な装束をなびかせた後……ルケンは飄々としたテイで、彼女の顎をつまんで自分の方を向かせた。
息を止めている、自分より年上の少女を暫く見つめてから、顎を離す。
「ふん」
バカにするように呟いて、ルケンは立ち上がった後カランに背を向けた。
195 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:19:21.88 ID:oNd+Ad/T0
そしてわざとなのか、すり足でゆっくりとその場を去りながら口を開く。
「……異臭がするから来てみれば……」
「……」
答えるべきかと迷ったが、カランには彼が言っている意味が分からなかった。
「何だ、ミミル(カメムシ)か」
「ミミ……ル?」
思わず聞き返したカランに首だけを振り返り、ルケンはゾッとするような笑みを浮かべてみせた。
正確には、笑みではないのかもしれない。
誰も……妹のヤナンでさえも分からない。
196 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:19:50.66 ID:oNd+Ad/T0
彼女達は、それこそが男性の志向の……最上の美顔だと思っている。
しかしカランから見れば、それはそう……ただ、そう……。
邪悪な。
どうしようもなく邪な。
ゼマルディのように本心から笑い飛ばすような笑顔ではなく、ただ単に何もない。
顔の筋肉は笑顔の形に引きつって入るものの、心も、目も笑っていない……まるで自分以外のゴミと会話しているかのような、黒い瞳。ドス黒いその瞳にしか見えなかった。
「カラン」
普通に、彼はただ喋っていた。
まるで自分の家の庭であるかのように、ここ男子禁制の姫巫女宮で悠々と立って、そして言った。
197 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:20:57.45 ID:oNd+Ad/T0
「は…………はぃ」
最後の方は、恐怖で掠れて消えた。
彼が何のためにここに来たのか、それを推し量りかねていたのだ。もしかしたら一年ほど前のように、狭い部屋に二人きりで何時間も閉じ込められ、好き勝手に弄り回されるのかもしれない。
そんなことになったら、本当に死んでしまう。
臭すぎて死んでしまうということは想像すると馬鹿みたいに思えるものだが、実際はとんでもないことだった。まず、息ができない。目を開けていられない。鼻が痛い喉が痛い肺が痛い。
体中の筋肉が弛緩する。
思考能力が奪われていく。
自分の魂が体から外れていくのが分かる。
198 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:21:25.13 ID:oNd+Ad/T0
それを、彼はただ面白そうに。
ニヤニヤ笑いながら……時にカランを手に持った鞭や棒で突いたり叩きまわしたりしながら見つめているのだ。
それこそ、何時間も。
何十時間でも。
――殺される。
殺されるよ。
心の準備も何もなかった。何より、ゼマルディという逃げ場を得て、彼に助けてもらってから有頂天になっていた。
嫌だ。
絶対に行きたくない。
絶対に、
絶対に、行かない。行かないんだから。
そこ以外の場所があるって分かったから。私はここにいなくてもいいんだから。
だから……嫌なんだよ……。
199 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:21:58.02 ID:oNd+Ad/T0
口に出すことは出来なかった。
しかし真っ青になっている彼女を見て嘲るようにクスリと笑うと、ルケンは続けた。
「…………元気?」
ねちっこい、糸を引くような問いかけだった。
唾を飲み込んで、カランはコクコクと頷いた。
「ならいいんだ」
意外なことにそう一言だけ言い残し、ルケンはまた元来た方に戻り始めた。
200 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:22:28.87 ID:oNd+Ad/T0
「ルケン様……?」
監察官が驚いたように声を上げる。それを聞いて、一瞥もせずに歩きながら彼は言った。
「このあたりに所用があったから寄っただけだ。他意はない」
「しばしお待ちを。おもてなしの準備をさせますゆえ」
「いらない。お前らは今まで通り、俺のカランを元気に保てばいいんだ」
「は……っ!」
息を詰めて、監察官達が礼をしながら手に持った鞭を尻のほうに隠す。それを横目で薄ら笑いを浮かべながら見つつ、ルケンはカランを一瞥した。
201 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:23:00.07 ID:oNd+Ad/T0
「じゃ……彼女を宜しく」
「お任せ下さい」
「それと……」
角で一旦停止し、彼は言った。
「何だか砂っぽいと思わない?」
「は? 砂……ですか?」
「婚礼の儀の前に、ミミルが跳ぶならさ」
「はぁ……」
「ピシャッって」
パチンと、少年が指を鳴らす。
202 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:23:27.73 ID:oNd+Ad/T0
途端、カランはポケットに入れていた手に衝撃が走るのを感じ、慌ててそれを外に出した。
「潰しておかないといけないって、思わないかい?」
言い残し、コツ、コツ、コツとルケンは玄関の方に歩いていった。
――娘達は、もう一度鐘が鳴るまで頭を上げてはいけない。こと第一貴族に関しては、名前を呼ばれた者以外彼らを正視してはいけない。
それゆえに現在顔を上げているのはカラン一人だけだった。監査官でさえも例外ではない。
――それが、幸いしたのかもしれない。
しかし、カランにはそんなことを気にしている余裕はどこにもなかった。
203 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:23:55.70 ID:oNd+Ad/T0
手を胸の前で開き、唖然とした後……その指先が震え出すのが分かった。恐怖でも、動揺でもなかった。
何だかもっと良く分からない……。
もっと、青い感情だった。
ゼマルディからもらったサクサンテの花が、まるで小型の爆薬で炸裂させられたかのように粉々に飛び散っていたのだ。
「あ……」
言葉が出てこなかった。
ルケンの足音が遠ざかっていく。
花びらが床に落ちそうになり、彼女は慌てて必死に両手を握りこんだ。
「嘘……」
――数分して、もう一度鐘が鳴った。
204 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/10(金) 20:26:42.97 ID:oNd+Ad/T0
お疲れ様です。第7話に続かせていただきます。
詳しいご案内は
>>173
でさせていただいています。
ご一読いただければ嬉しいです。
インフルエンザが流行っているようですが、皆様は大丈夫でしょうか(´・ω・)?
風邪と思ったら、すぐにお医者さんに向かってくださいね。
続きは近日中に投稿させていただきます。
気長にお待ちくださいー。
今回は、これで失礼します。
205 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 18:59:01.08 ID:87ru5DuQ0
こんばんは。第7話、第8話を投稿させていただきますー。
206 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:01:18.54 ID:87ru5DuQ0
7 願い
妹は、許してはくれなかった。
元々数十年も喧嘩をしたことがなかった仲の良い姉妹だったからこそ、その反動は大きかった。
ヤナンの方も時間が経てば当然怒りも薄れ、火照っていた頭も冷静さを取り戻していく。しかし彼女は彼女で、姉という不必要な枷を突き放すという最後の砦を侵してしまった分、やはり自分の方から声をかけるのははばかられるようだった。
本当に具合が悪かったので、ルケンの登場により騒動がうやむやになっているうちに、監査官に医務室へと連れて行ってもらい。
そこでカランは数時間休んだ後、食堂に向かい……そしてこっそりと自室へ引き上げてきていた。
途中で食堂に向かい、隅の方で黙々と食事をしようとしたが……度重なるストレスと圧迫感で、食事など一切喉を通らなかった。
吐きそうになって慌てて片付け、周囲の視線から逃げるように部屋に戻る。
207 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:01:47.14 ID:87ru5DuQ0
カランに回されるシーツやカーペットは一様に使い古されたものばかりだ。本来十七歳という年齢に達すると、年長……及び婚期が近いとして身の回りが新調されるはずなのだが、言い出せずにずるずるとここまで来ている。使っているものは殆ど幼児の頃からのもので、本以外はボロボロだ。
繕い跡で一杯のシーツに倒れこんで、うつ伏せになりカランは息をついた。
食堂。
その自分と対極側で友達の女の子達十数人と一緒に楽しく食事を取っている妹の光景が頭にちらついていた。
それに引き換え、自分はどうだろう。
こっそりと周囲の神経を逆なでしないように食事をして、監査官や年上……年下のみんなに攻撃されることを恐れて小さくなって。
あまつさえ、自分を娶ろうとしている相手が、あの男なのだ。
ただ無様に生きていくしかなかった。それしかなかったから。
208 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:02:26.75 ID:87ru5DuQ0
でも、ここ数日でその世界がガラリと一変した。
――そう、思っていた。
そう……思いたかった。
手に握りこんでいたサクサンテの花を、そっとベッドの上に置く。ルケンはこれに気づいていたのだろうか。
分からない。
あの男は得体の知れない部分がある。大体見ただけで……それに匂いを嗅いだり、時には肌の味を確認すれば。カランは生まれつきその相手の心や本質を把握することが出来た。
前まではそれが当たり前かとも思っていたが、どうやら白い一族の中でもそれができるのは自分くらいらしい。
しかし、ルケンはさっぱり分からないのだ。例えるなら渦巻いているドロの渦。その深く深くに心の本質があり、把握することが出来ない。
209 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:03:12.65 ID:87ru5DuQ0
ゼマルディの花は、芯に当たる部分が砂のように砕けてしまっていた。どんなに握ってもびくともしなかったのに、何故壊れてしまったのか分からない。先ほどまでは分からなかったが、衝撃を受けた彼女の右手。その親指から中指までが青黒くなり、内出血を起こしていた。何か打撃を加えられた痕のようだった。
むくりと起き上がり、ベッド脇の棚から裁縫道具を取り出す。彼女が唯一周りに誇れるのは、これ……裁縫の腕前だった。刺繍などは得意だが、注目されるのが怖いので、人前で行ったりしたことは殆どない。
「直るかな……」
呟いて、ズキズキと痛む右手を庇うようにしながら針に糸を通す。そして花びらに突き刺そうとして……どんなに力を入れても通らないことに気づき、首を捻る。
硬い。物凄く。
ペラペラした布のようにも見えるのに、まるで鉄板だ。
210 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:03:46.30 ID:87ru5DuQ0
ため息をついて花を置こうとすると、かろうじて繋がっていた根元部分がポキリと折れて、白い花びらがベッドにぶちまけられてしまった。
唖然とそれを目で追い……そして肩を落とす。
どうしてこんなことをルケンはしたんだろう。
よく、分からなかった。
あの人には直接……嫌いだということははっきりと伝えたことがあった。もう自分に構わないで欲しいと言ったこともあった。
でも、その度に嘲るようなニヤニヤ笑いを浮かべながら、臭いでむせているカランのことを見ているだけだった。
まるでカランが苦しんでいるのを見るのが楽しくてたまらないといった感じで。
鼻の痛みがかろうじて安定してきたりすると、情緒も何もなく、理由も予兆もなく鞭で殴ってくる。そして痛みに悶えているのを見て、面白そうに笑うのだ。
211 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:04:15.46 ID:87ru5DuQ0
今も、泣きそうな顔をしているのをルケンは想像して笑っているのだろうか。
こんな無様な私のことを、彼は楽しんでいるのだろうか。
入り口近くの戸棚に目を向ける。そこには、一輪のバラのように茎も花びらも真っ赤なサクサンテの花が、コップに入れられて立っていた。ルケンの花だ。ゼマルディのものよりも数段大きく、また、彼のように繊細な造形ではない。花びらの枚数もとても少ない。大雑把な……造花ともいえないような代物だ。
そこに手を伸ばしかけて、しかし思いとどまってやめておく。
そしてカランは、唇を噛んで一つ一つゼマルディの花びらを拾い集め始めた。なくならないように、小さい頃から大事にしている道具箱に入れていく。
そこで彼女は、部屋の片隅に人の気配を感じて顔を上げた。
212 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:04:51.10 ID:87ru5DuQ0
三回目なので驚きはしなかった。
疲れなのか、ストレスからなのか。端正な顔……その目元にくまを浮かべているカランを壁に寄りかかるようにして見ていたゼマルディは、少し視線を宙に泳がせ……そしてポリポリと頬を指先で掻いた。
彼は横目で、戸棚にあるルケンの赤い花と……バラバラにされた自分の花を見て、また言葉を捜すように宙に視線を彷徨わせた。
そして、うなだれてまた花びらを拾い始めたカランに、素っ頓狂な声で笑いかける。
「よっ、また来た」
「うん……」
こくりと頷いて、カランは花びらを全て拾うと道具箱の蓋を閉めた。そして大事そうに枕元に置く。
213 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:05:20.24 ID:87ru5DuQ0
「ごめんね。花壊れちゃった……」
いろいろなことが起こりすぎて、疲労も限界だった。何よりルケンに近づかれたせいで、鼻や胃がギリギリと痛い。顎をつままれたので変な臭いもする。一刻も早く風呂に入りたかったが、妹がいない今、また蹴られてしまうのではないかと思うと行くことが出来ない。
何より今は、夕方の定例礼拝の儀……その最中のはずだ。サボってここにいる以上、監査官にお咎めを喰らうかもしれない。
――いつもと同じく、ただ我慢して小さくなっていればこんなことにはならなかったのだろうか。
ちょっと喜んでしまったがために。
ちょっと嬉しかったがために。
何だか、色々狂ってきちゃって。
訳が分からなくて。
――疲れた。
ベッドの上に腰掛けてぼんやりとしているカランをもう一度見て、ゼマルディはバツが悪そうに、部屋の隅で肩をすぼませた。
214 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:05:59.89 ID:87ru5DuQ0
「えーとお……出直した方がいいか?」
「……」
「リカラン? おい?」
正名を呼ばれ、カランはハッとしてゼマルディの方を向いた。そして笑おうとして失敗し、小さく頭を振る。
「…………疲れた…………」
ポツリとそう漏らすのが精一杯だった。ゼマルディは困ったように、しばらく動かない彼女を見ていたが、やがて考えあぐねているのか手もみしながら口を開いた。
「何か食うか?」
「……」
215 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:06:32.61 ID:87ru5DuQ0
「ここの食い物はうめーからな。厨房に忍び込んでとってきてやっぞ?」
「……」
「風呂に行くか? 俺が入り口で見張っててやる」
「……」
口を半開きにしたまま、天井を見上げているカランに反応はなかった。そのまま数秒間沈黙し、彼女はやがて緩慢な動きでローブを脱ぐと、脇に放り出し、もぞもぞとベッドにもぐりこんだ。
「寝る……」
そう言うのが精一杯だった。
216 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:07:25.18 ID:87ru5DuQ0
ゼマルディは途方に暮れたように頭を抑え、そして息をついた。
「そ、そっか。悪かったな……ほんじゃ俺ぁ戻るよ」
「やだよ」
はっきりとそう呟いて、カランは彼に背を向けて横になったまま続けた。
「……ここにいてよ……」
「あ……ああ。お前が言うなら……いいけどさ……」
横目でチラチラとルケンの花を見ている。冷や汗を流し、顔面は真っ青だ。それは確かに、ゼマルディは心底からその『花』を恐怖しているというサインに他ならなかった。
部屋の隅から動こうとしない彼に異変を感じたのか、カランは寝返りをうってゼマルディの方を向くと、すがりつくような目で彼を見た。
217 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:07:53.84 ID:87ru5DuQ0
「ずっとここにいてよ……」
「あ…………ああ…………まぁ…………」
煮え切らない返事だった。
どうしていいか分からないといった感じで、彼は口を開き発していた単語をいいよどみ。そして、ためらいがちにそろそろと一歩を踏み出し、ルケンの花から見えない死角の位置に移動した。
ベッド脇にドカリと胡坐をかき、カランが差し出した小さな細い手を、自分のゴツゴツとした汚れた手で握る。
「……まぁ……何だ……」
「……」
「知んなかったけど……お前も結構大変なんだなァ。何不自由ないお嬢様みてーに言っちまって、ごめんなぁ」
218 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:08:34.50 ID:87ru5DuQ0
「大変?」
「だろ?」
「大変じゃないよ」
きょとんと言い返し、カランは続けた。
「寂しいだけだよ」
「じゃ……」
ゼマルディは、少女の頬についた砂の塊を指先で拭い、引きつったような笑みを発した。
「俺と同じだな」
「そうだね……」
219 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:09:06.16 ID:87ru5DuQ0
相当精神的にも肉体的にも疲労しているらしい。正直、ゼマルディからしてみても有頂天になっていたため、それが閉塞空間で囲われている少女の体力にどんな影響を与えるのか、それを推し量ってはいなかった。
何しろ五年以上前から狙っていた女の子なのだ。自分には到底届かないような高嶺の花だと思っていた。実際にそうだ。こうして喋っているところを他の誰かに見られれば、自分は黒い一族からの討伐隊にたちどころに駆除されてしまうだろう。
そう。
だからこそ……。
ゼマルディは真っ青になりながら、ルケンの花をチラチラと見ていた。その視線にやっとカランが気づき、不思議そうに口を開いた。
「……どうしたの?」
「いや……別に……」
「怒らないの?」
「何を?」
「ゼマルディの花を壊しちゃったのに、ルケンの花を飾ってること……」
「ああ……別に……」
220 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:09:35.19 ID:87ru5DuQ0
生返事を返す。それをカランは、彼が苛立っている証拠ととったらしい。
「触りたくないんだよ」
慌ててそう言って、彼女はコップを手にとってルケンの花を突き出した。
「捨ててきてもらえるかな……?」
「………………は?」
あんぐりと口をあけ、その瞬間本当にゼマルディは呆然自失と目を見開いた。
カランはすがるように彼を見て、無理矢理にコップを握らせた。
「妹が拾ってきたんだけど、本当に嫌なんだよ……」
「……」
221 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:10:12.74 ID:87ru5DuQ0
「どこか遠くのところに……」
「……」
「お願い……」
それが、どういうことを意味しているのか。
おそらく彼女は知らない。
知りようもない。
ゼマルディは、ルケンの花が入っているコップを持つ手がブルブルと震え出すのを感じ、必死にそれを押し留めた。
「わ…………」
分かった。それだけの一言がどうしても出てこない。
222 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:10:42.15 ID:87ru5DuQ0
硬直しているゼマルディに気づいていないのか、カランは疲れきった顔で目を閉じた。そして、よほど疲弊していたのか、何分も経たずにゼマルディの手を握りながら寝息を立て始める。
その手は、異常なほど冷たかった。体力が著しく低下しているせいがあるんだろう。事実、彼女の部屋の隅に丸められたシーツはほぼ血みどろの様子を呈していた。ここで行った羽生やしの儀式は、予想を遥かに超えて血を奪ったのだ。それに加えて無茶な動き、そしておそらくは大して食事を行っていないことで回復をしていないのだ。
左手でコップを握りながら、ゼマルディは小さくて柔らかい手をそっと外し、折れんばかりに歯を噛み締めた。
――俺は。
俺は、この子が好きなだけだ。
好きなだけなんだ。
223 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:11:11.09 ID:87ru5DuQ0
一目惚れとでもいうのだろうか。
それとも、運命とでもいうのだろうか。
あの腐った下層からこの子を見た瞬間、自分のことを救ってくれるのは彼女だけだと理由なき確信をした。
そう。
理由はないけど。
好きなだけなんだ。
――でも、こんなことは考えていなかった。
想定外。
あまりにも、想定外すぎる。
224 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:11:46.88 ID:87ru5DuQ0
ここでルケンの花を置き去りにして逃げるのは容易かった。でも、それをしてしまったら。
彼女の願いを打ち払ってしまったら。
本当にこの子は、味方が誰一人といなくなってしまう。それは昨日、今日とストーカーのように花を通して気配や状況を感じたことによる一つの結論だった。
この子は今、自分を支えにして生きている。本当にそれだけなのだ。
折ることは出来ない。
その気持ちを。
――だが――
捨てろというのか。
これを。
225 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:12:12.29 ID:87ru5DuQ0
俺に。
捨ててこいというのか。
正気の沙汰ではなかった。
ルケンの侮蔑を含んだ、見下すような視線を思い出す。あのクソガキの目を思い出す。
勝てるのか?
あの野郎に。
俺は、勝つことが出来るのか?
答えは否だった。
226 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:12:40.57 ID:87ru5DuQ0
できる、わけがない。
無理だ。
無理だよ。
初めて女の子と話をしたことで舞い上がってしまい、相当の大言造語をしてしまった。それを、この子は信じたのだ。明らかに嘘だと分かる言葉を、あっさりと信じたのだ。
その全幅の信頼を。
その、全ての寄りかかりを。
折れない。
折ることは出来ない。
227 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:13:27.68 ID:87ru5DuQ0
ゼマルディは発しかけていた滓のようなドス黒いものを、必死に喉の奥に飲み込んだ。そして何度か深呼吸をし、コップに入っている赤い花に目をやる。
――捨てるだけだ。
そう、捨てるだけ。
すぐ捨ててすぐ帰ってくればいい。
それだけだ。それだけ。
自分に言い聞かせ、カランの顔を見る。憔悴した彼女の顔。いわれなき心への暴力と、そしてルケンによる圧迫。こんなことを彼女は十七年間も耐え続けてきたのか。
心に湧き上がったのは、九割の恐怖と一割の怒りだった。
そして勝ったのは、怒りの方だった。
また大きく深呼吸をして立ち上がる。そしてゼマルディはカランに背を向け……白い壁にもぐりこむようにして、消えた。
228 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:14:26.49 ID:87ru5DuQ0
8 顔焼き
目が覚めた時、そこにゼマルディはいなかった。カランはもぞもぞと毛布の中で動き、しっかりと掴んでいたはずの手に暖かさがないのを、ぼんやりと瞳を開いて見つめていた。
――夢。
もしかして、夢だったのだろうか。
ここ数日のことは、夢だったのではないだろうか。
本当は自分はここでただ一日寝ていただけで。朝になれば、妹が起こしに来てくれて。
それで今までと同じ生活が始まるだけではないのか。
229 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:14:54.98 ID:87ru5DuQ0
そうなのかもしれない。
そうなのかも、しれない。
何度も手を握って、そして開いてを繰り返す。
ルケンはこう言いたかったのかもしれない。
――どんなに思い描いても、それは絵空事でしかないと。
それは、お前の妄想でしかないんだと。
せせら笑って彼はそう言いたかったのかもしれない。
230 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:15:25.60 ID:87ru5DuQ0
そうだ。
自分はそうやって馬鹿にされて、暴力のはけ口にされて。それでもニコニコ笑っていて。
我慢して。
我慢して、そして死ぬのを待っている。
それだけで十分な存在なのかもしれない。
自分には、それがお似合いなのかもしれない。
分不相応なことを望んでしまったがために、何だか全てが狂い始めた夢を見てしまったような気がする。
231 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:15:53.62 ID:87ru5DuQ0
――そうだよ。
夢なんだよ。
だから。
だから。
――だから。
彼が、もうここに戻ってこなかったとしても、それは夢なんだから、当たり前のことなんだよ。
当たり前のこと、なんだよ。
232 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:16:22.49 ID:87ru5DuQ0
ゼマルディがいくら強くても、彼がルケンに太刀打ちできるとはカランは思っていなかった。信じていないわけではない。しかし、匂いを嗅いだだけで相手の本質をある程度理解できてしまうカランにとって、彼らを比べるのはあまりにも酷な事実だった。
どんなに頭が足りないカランでも、ゼマルディ、そしてルケンの違いなんてはっきりと分かる。
例えるなら白と黒。太陽と月。決して混ざり合わない、別物……対極に位置する本質を持つ人たちだ。
ゼマルディは、優しい。
とても……とても優しい人だ。
でも、ルケンにはそれがない。彼にはゼマルディと触れ合っている時に受ける温かさが、欠片もないのだ。
233 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:16:53.82 ID:87ru5DuQ0
生き物である限り、ある程度はどんな人間でも『陽』、つまりプラスの心を持って産まれてきている。それはどんな嫌な人でもそうだし、それぞれ幸福というものを胸の奥に抱いていれば自然と気持ちは高揚し、温かいものが湧いてくるものだ。
だがルケンにはそれが一切ない。
どういうことなのか。
カランにはさっぱり分からなかった。
分からなかったが……最も近いものに例えるとしたら。
――機械。
そう、機械だ。
234 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:17:48.14 ID:87ru5DuQ0
単純な行動パターンで動く機械。その動作にルケンの心の動きは酷似しているのだ。
ゼマルディが弱いとは、カランは欠片も感じていなかった。だが、二人が衝突すればどうなるか。
……絶対にゼマルディは躊躇する。しかしルケンは躊躇などしない。
実際に龍族の男同士の決闘など、カランは見たことがなかったが……それは小説を書くことよりも容易に想像が出来た。毒ガスを持った敵に素手で殴りかかるようなものだ。イメージ的にはそのような感覚なのだ。
漠然としたもやのようなヴィジョンだが、昼間にルケンと接触し、それをはっきりと自覚してしまった。
カランは、あろうことか無自覚に自覚してしまったのだ。
目が覚めた時、ゼマルディはいないと、彼女は本能的にそう感じていた。
235 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:18:19.49 ID:87ru5DuQ0
きっと、彼はいないだろう。
だって、誰だって死にたくないもん。
こんな私のために死ぬなんて馬鹿らしいこと、誰がするでしょうか?
誰も、そんなことしないでしょう。
いいんだよ、逃げてもいいんだよ。
彼女は、先日会ったばかりの青年に。自分のことを好きだといってくれた彼に対して、精一杯そう言おうとして。
言えなかった。
逃げたのは彼女の方だった。
236 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:18:46.50 ID:87ru5DuQ0
――嬉しかったんだ。
本当に、いい匂いのする……あんな綺麗な匂いがする花をもらえて、カランは嬉しかった。
単純に、嬉しかった。それだけだった。
数年前から、何度も何度も変な形の字で手紙をくれていた人がいた。それが、ゼマルディだった。文字などを最初は知らなかったのか、書物の記事をそのまま同じような形に書き写した手紙が、自室の机の上に置いてあった。
普通ならそこで大騒ぎになることだろう。
しかしカランは、驚くことよりも先に。
まず、自分に対して。
自分という一個の個人に対して会話をしようとしてくれる人がいたということに仰天した。
237 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:19:18.56 ID:87ru5DuQ0
手紙はしばらくの間は意味不明だったが、段々と読めるようになってきて。そして一年も経つと相当な達筆に意思が疎通できるようにさえなっていた。
相手方の希望で、読んだらすぐ燃やすようにしていたため、それは残っていない。
だが、カランは。
寝る前に次が来るまで毎晩読み返していた、その歪な文字を一字一句間違うことなく口にすることさえできた。
それが彼女を支えてきたといっても、本当に過言ではなかった。
でも、だからこそ。
だからこそ、ゼマルディには自分にもう関わって欲しくなかった。
238 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:19:52.31 ID:87ru5DuQ0
昼間……ルケンと会った時、カランは廊下の突き当たりに彼がいたことを知っていた。ルケンの視線を追っていくと、柱の陰に隠れている彼のマントと思われるものがチラリと見えたのだ。それどころか、あそこまでルケンに近づかれたのに正気を失わなかったのは、ゼマルディのレモンの香りがしたからだったのだ。
彼は悪くない。
彼は、何一つとして悪くない。
そもそもの本質が違うのだ。
――そう、これは。
これは夢なんだよ。
カランは息をついて、そしてぐったりとまた目を閉じた。
239 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:20:23.56 ID:87ru5DuQ0
*
やってしまった。
迂闊だった……つい今日、彼女に言った言葉をあまりの緊張で忘れてしまっていた。
『花を持つ人間は、花を作った人間に意思を伝達することが出来る』
それが彼ら黒い一族……龍と呼ばれる人間の体組織から作られたサクサンテの花の特性だ。無論どうしてそうなるのかなんてゼマルディには分からなかった。ただ、小さい頃からそう言われているのだ。
だが。
それがまさか。
男が持っても、その持ち主に意思が飛ぶとまでは思っていなかった。
240 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:21:01.78 ID:87ru5DuQ0
――待ち伏せ。
その単語が頭に浮かび上がるのと、自分の体に投げ鎖――黒い一族の刑仕官が使用する、主に龍を捕縛するための道具が思い衝撃と共に捲きついたのは、殆ど同時のことだった。
鎖の先端には重さ一キロほどの分銅が取り付けられている。鎖が捲きつききると、それの錘に体のいたるところを殴りつけられ、溜まらず肺の中から息を吐き出す。
失策だった。
まさか、跳ぶ着地点をこうも正確に詠まれているとは夢にも思わなかった。空間の繋ぎ目から出てきた瞬間に狙い撃ちをされたのだ。
投げられた分銅鎖は、合計で九本。四方八方とは、まさにこのことだった。ゼマルディを中心にして、円形を描くように三角形に頭が尖った覆面を被り、赤いマントを羽織った黒い一族の刑仕官達が、覆面に空いた穴から感情を覗かせない鈍い眼光を発している。
241 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:21:31.48 ID:87ru5DuQ0
どうも当たり所が悪かったらしい。状況を認識するより先に、右腕上腕に凄まじい痛みが走り、ねじ切られるようなその衝撃に叫び声を上げ、彼は地面に転がった。足や、首に至るまで鎖が捲きついているので身動きが取れない。分銅の位置にも寄るだろうが、右腕を集中的に打たれてしまっていた。骨が何段かで折れ曲がっているらしい。ありえない方向に腕が曲がり、鎖に締め付けられ骨が圧搾される鈍い音が響いている。
(な……何だ……?)
訳が分からない。
自分は、カランの部屋から出て。
そして数回の移動を経て、黒い一族のここ……ゴミ集積場。その中央の焼却炉まで出てきたばかりなのだ。
そしてルケンの花を火の中に放り込んですぐ逃げようと、算段をつけていた矢先のことだった。
242 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:22:04.39 ID:87ru5DuQ0
首に引っかかった鎖を引かれ、無理矢理に状態を海老反りに起こされる。歯を食いしばると、脂汗浮いた目の前に、焼却炉脇の粗大ゴミの上に腰を下ろしてにやついているルケンの姿が映った。
そこは、小高い丘のようになっていた。積もっているのは全て白い里、黒い里から出てきたゴミ類だ。それが中央のかまどのようになっている、全長十メートル四方はある巨大焼却炉に放り込まれる仕組みになっている。
炎が燃えている焼却部はここからさらにもっと地下になっているが、熱く焼けた鉄は離れたここからでも分かるほど真っ赤に発熱していた。痛みと熱さ、そして混乱した頭が発する警鐘で目を白黒させながら、ゼマルディは手に火掻き棒を持って立ち上がったルケンを凝視していた。
彼は燃え盛る火など意にも介していないといった風に、先ほどまで棒の先端を焼却炉の入り口に突っ込んでいた。合成素材で出来ているその棒の先端が、真っ赤を通り越してオレンジ色に焼けている。
243 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:22:35.37 ID:87ru5DuQ0
ニタニタと笑いながら、十二、三ほどにしか見えないその男はゼマルディの前まで来ると、周りの刑仕官達が鎖をきつく絞り込んだのを確認して、ゼマルディが握り締めていた自分の花を指でつまんで取り上げた。そして胸ポケットにそれを指し。
彼はためらいもなく、焼けた火掻き棒の先端を、ゼマルディの右目に押し付けた。
一瞬、意味が分からなかった。
痛みというよりは、拳銃で脳幹を撃ち叩かれたような衝撃に似ていた。喚くことも、暴れることも出来なかった。
ただその一瞬で意識が雲の彼方まで吹き飛んで行き、頭の中が血の色で真っ赤になる。ひょっとしたら本当に脳の中の血管が沸騰して、頭蓋骨の中が血まみれになったのかもしれない。
聞いたことのない言語が、ゼマルディの口から搾り出された。
244 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:23:04.62 ID:87ru5DuQ0
生肉を焦がす青臭い、真っ黒な煙が彼の目から噴出している。ボダボダと垂れ流されているのは、顔面の肉が溶けて油となり、そして火がついて燃え尽きていく過程で出来た結露だった。
たっぷり十数秒は棒を押し付けると、それに張り付いた皮と共に、ルケンはポイ、と脇に凶器を放り出した。
白目を向いて痙攣しているゼマルディの体が弛緩し、鎖に支えられる形でダラリと垂れ下がる。ひょっとしたらショックで死んだのかもしれない。それ以前に、その時のゼマルディは、自分の魂が体に入っているのか、それとも三途の川の出口にいるのかさえも分からなかった。
痛みと熱さ、そんなものではない。
体中の沸騰だ。
腕や足の血管がパンパンに膨れ上がり、今にも破裂しそうに鼓動をしている。血液が流れるたびに体中に電撃のような痛みが走る。顔面なんて既に感覚がなかった。
数十秒そのまま放置され、焼かれたゼマルディの顔面から白い煙が収まっていく。
245 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:23:30.82 ID:87ru5DuQ0
まだ、溶けた肉と皮はポタポタと垂れ落ちていた。意外なことに血は殆ど出ていなかった。焼ききられてしまったのだ、蒸発して、それでおかしな形で癒着されてしまっている。右目は完全に破裂し、眼窟からは真っ黒に焦げた骨が覗いていた。その強烈な火傷は右顔から右頭頂部、そして左鼻を越えるところまで広がり、あまりの熱量を至近距離で浴びたがために、左目さえも白濁していた。
意識を失っているゼマルディを、たっぷり数分間は鑑賞した後。ルケンは興味を失ったように肩をすくめて、彼の無事な方の髪を掴んで顔を引き起こした。
「やあ、おはようマルディ」
爽やかな朝、とでも言わんばかりの軽い口調だった。
答えることが出来ずに全身を痙攣させている、自分よりも年上の男の髪をモノのように掴みながら、ルケンは呆れたように首の骨をポキポキと鳴らした。
246 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:24:09.37 ID:87ru5DuQ0
「さて」
「……」
「お前たち、あの『俊足のマルディ』をこうやって捕獲できたわけだが、どうする?」
刑仕官を見回して悠々とルケンが言うと、覆面を被った男の一人が前に一歩進み出て、一礼してから口を開いた。
「ハグレものは、民登録もされておりませんゆえ。この場にて即刻処刑が妥当なところかと」
「ふーん……案外法律ってのも面白みがねぇもんだな」
「ルケン様御自らご執行なさるのも可能でございます。食料とする線もありますが、大概ハグレの肉は不味くて食えたものではありません。それにこやつは男です」
「俺が? まぁそれもいいな」
パチン、と指を鳴らして楽しそうにルケンは笑った。それは確かに、カランが感じた邪悪な……人形のような作られた笑みだった。
247 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:24:38.67 ID:87ru5DuQ0
「じゃあ、こいつを俺のカランの目の前でひき肉にしようか」
「姫巫女宮にてでございますか? 流石にあそこで処刑を執り行うことは、元老院の御方々の逆鱗に触れかねないかと」
「構わん。俺がいいといったら、別にいいんだ。それに処刑じゃあない」
「と、申しますと?」
「カランに、肉鍋をご馳走してやろうと思ってね……」
クククククククク……と鶏のように少年は喉を鳴らした。
「どんな顔をするか、楽しみだよ」
「……かしこまりました。直ちに準備をなしましょう」
248 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:25:08.29 ID:87ru5DuQ0
「そろそろ発狂するかな? それとも失禁するかもしれないな。とりあえず前菜はこいつの兜煮にしてやろう。第一声が楽しみだよ」
ルケンは、ゼマルディの髪を掴んだまま、ずるずると引きずりつつ歩き出した。
「楽しみだよ。ほんとにさ」
その瞬間だった。
弛緩していたゼマルディの体。その残った左目が不意に発光ダイオードのように鈍い血の色に光った。瞳が光を発するというのは、反射以外に物理的にはありえない。しかしその時、ゼマルディの目は確かに赤く光った。
249 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:25:36.75 ID:87ru5DuQ0
半死の重症人に鎖をかけながら、それにいち早くきづいたのは刑仕官達だった。ルケンが反応するより先に、彼らの腕が動く。
しかしゼマルディはそれよりも早く、無事な方の左腕を虚空に向けて突き出していた。その、空中の何もない場所……熱気とゴミ臭さで歪む空気の層に、トプリ……と水面の波紋のような紋様が浮かび上がり、彼はそこから左腕を起点にして、転がるようにして体を回転させた。
ルケンが歩き出したことで、拘束していた鎖が緩んだのが幸いした。
空中に作り出した、その『空間の繋ぎ目』に横滑りに体を滑り込ませ……しかしそこで折れた右腕がつっかえ棒のように鎖に絡まっているのを感じる。
ゼマルディは、反射的に。
刑仕官達が飛び掛ってくるのを確認するほどの躊躇もなく、左手で腰に指していたサバイバルナイフを抜くと、上腕のねじれ折れた骨の継ぎ目ごと、自分の腕を切り離した。そして噴水のように血液を巻き上げながら、何もない空中に沈み込んで消える。
「ルケン様!」
刑仕官達が青くなって走りよろうとする。急に重さがなくなり、折角絡めとった魚を逃がしたかのように呆然としているルケンの、その背後の空間。地面から二メートルほど上の地点。空中にさざなみが立った。
250 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:26:05.95 ID:87ru5DuQ0
ポタリポタリポタリ、と頬に生臭くねばっこい血の塊が流れ落ちてくる。慌てて振り向いたルケンの目に、空中の繋ぎ目から上半身だけを覗かせたゼマルディが、歯を食いしばって残った左腕を横殴りにするのが見えた。
少年のものよりも数段大きい拳が、彼の胸に突き刺さる。
本来なら人間などの力で、いくら子供とはいえ殴って相手が浮き上がるということはない。しかしその時のゼマルディが発した力は、ルケンの常識を遥かに超えるものだった。肋骨が軋みを上げ、指すような痛みが胸に広がった……と思った途端、彼の体は例えようもないくらいに圧倒的な……重機のような力で後方に吹き飛ばされていた。抵抗することも出来ずに、放物線を描いて五、六メートルは後方に空中を滑り……。
そして、丁度焼却炉の側面に開いていた、補助投下口に落下を始める。空中できりもみになりながら、ルケンの目に手首が内側に折れ曲がったゼマルディと、胸ポケットから焼却炉に向かって落下していく花が映った。
251 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:26:35.99 ID:87ru5DuQ0
ゼマルディは白濁した左の瞳で、落下していくルケンを見て……そしてスッ、と何もない空中に姿を消した。
我に返り、火口と同様な様子を呈している焼却炉入り口を一瞥し、ルケンは右腕を下に向かって振った。途端、彼の首筋に埋め込まれていた黒い玉が淡い光を発し、難なくふわりと……トランポリンのように何もない空中を跳ねて、ルケンは少し離れたゴミの上に着地した。そして胸を押さえて、地面に膝を突く。それは、明らかに引力という物理法則を無視した動きだった。
刑仕官達が何事かを叫びながら駆け寄ってくる。
しかし、ルケンは彼らの方など見ていなかった。脳裏に無残に落下していく……炎の中に落ち込んでいく自分の花の光景が次々とフラッシュバックする。
体を小刻みに震わせながら、歯を強く、強く噛み締める。
眼を血走らせて見開き、ルケンは唸っていた。それは確かに肉食獣が何者かを圧倒的立場から威嚇する、その凶悪な……絶対的な猛獣の唸り声だった。
バキ、と石膏を砕いたような音がして、少年の奥歯の一本が粉々に砕ける。
彼は唸りながら。
一つ残された血まみれの腕。先ほどまで捕まえていた獲物の右腕を手に掴み、力の限り焼却炉に叩きつけた。
252 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:27:04.79 ID:87ru5DuQ0
*
目が覚めたとき、そこに彼はいた。
体には血で点々とコーティングされたマントを羽織り、肩を落としてその場に座っていた。細く、断続的に息をしている。
言葉を失った。
正真正銘に、カランは言葉を失い、絶句して飛び起き、そのまま硬直した。
口元に手を当て、目を見開いて口をわななかせる。
床には、大量の小さな薬入れが散乱していた。それら全てが少しも残らず中身がなくなっている。
ゼマルディは、左手で『今まであるべきものがあった場所』にぐるぐるといびつに包帯を捲いているところだった。
彼は、どこか光が曇った左目でカランが起きているのを見ると、照れたように掠れた声で笑って見せた。
「はは……は……情けねぇ……とこ見られたなぁ」
彼は、右腕が肘からなくなっていた。
253 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:28:24.12 ID:87ru5DuQ0
本当に、そこには何もなかった。
包帯には血がにじんでいるものの、あふれ出したりはしていないようだ。歯で噛んで結び目をつくり、彼は左手を何度か握って開いてを繰り返してから、額の脂汗を拭った。
彼は、ピエロのようなマスクをつけていた。丁度右半分を覆い隠すような、薄汚れてヒビが入った……何処から見つけてきたのかというくらい古い半面マスクを、ボロボロのゴムで顔に固定している。彼が加工したのか、それは右半分の頭頂部までを覆うような構造になっていた。
……彼の高い鼻。そして左目の下まで、何かゴムが溶けたような傷跡が広がっていた。ピンク色にミミズを連想とさせる痕が走っている。唇も、上の部分が変な形に癒着しているのが見て取れた。
彼はまた大きく息をつくと、カランが常備していた水差しを手に取り、中身を一気に口の中に流し込んだ。そしてむせて何度か咳をした後、青白い顔で停止しているカランの方を向く。
254 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:28:57.08 ID:87ru5DuQ0
マントで綺麗になくなっている右腕をサッと隠し、彼はまだ小さく震えている左手を伸ばし、そしてカランの手を強く握った。
「おう……どうした?」
「……」
「捨てて、きたぜ……約束…………守ったんだからよぉ……もっと、嬉しそうな顔ォしろや…………」
「……」
「気に……すんなァ……流石に……死ぬかと思ったが…………薬総動員して、持ち直した…………」
「……」
「屁でも、ねぇよ……」
ニッ、と左半分の顔でゼマルディは笑顔を作ってみせた。
255 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:29:27.53 ID:87ru5DuQ0
「…………」
「これで…………」
「…………」
「俺のこと……好きになって、くれるか?」
求められたのは、彼女の意思だった。
規則でも規律でも、しきたりでも何でもなく。
それは一個人としての、カランという少女の意思だった。
これほど真っ直ぐに、これほど純粋に意思、それそのものを求められたことはなかった。
256 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:30:02.62 ID:87ru5DuQ0
それはただ単なる、純然とした答えだった。
ここにいてもいいよという答え。
ここにいて欲しいという答え。
ここにいることを許してあげられるという答え。
そして。
これは夢なんかじゃない。
薄汚れていて、血なまぐさくて。
どうしようもなく腐っていて。
でも、許された離島の。
現実の世界であるという、その答えに他ならなかった。
257 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/11(土) 19:31:44.06 ID:87ru5DuQ0
お疲れ様でした。第9話に続かせていただきます。
詳しいご案内は
>>173
でさせていただいています。
お時間がありましたら、ご一読いただけますと嬉しいです(*´ω`*)
続きは近日中にUPさせていただきます。
気長にお待ちください。
それでは、今回は失礼します。
258 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage saga]:2012/02/11(土) 23:55:06.42 ID:rDIPv8jDO
マルディ…頑張れ
259 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 19:57:52.77 ID:z5UY+Nzb0
>>258
頑張って欲しいですね……(´・ω・)ガンバレ…
果たして彼が頑張った先に救いが待っているのか……
第9話を投稿させていただきますー
260 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:00:53.02 ID:z5UY+Nzb0
9 見るな
朝までずっと、カランはゼマルディの手を握っていた。彼の手は数時間前とは打って変わって氷のように冷たかった。最初は座ったまま眠り込んでしまったそれを、ベッドに座り込んだまま握っていたのだが。
やがてカランは床にペタリと腰を下ろし、毛布をベッドから引き摺り下ろすとゼマルディの体に寄り添うようにして、自分と彼の体にそっとかけた。
レモンの匂いに混じって、強烈な血の匂いがした。それに混じって、どこか土臭い……何だか水揚げされた魚のような匂いもしている。
むき出しになっていたゼマルディの左腕……その上腕部分に、べっ甲のように半透明に光っている、深緑の鱗が見えた。
初めて見る。
これが、男の人の腕……体……。
261 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:01:25.27 ID:z5UY+Nzb0
ゼマルディの隣で彼の血の臭いを嗅いでいただけで、カランには彼がどのような目に遭ってきたのか……それをはっきりと。まるで映画の中のワンシーンのように記憶として把握することが出来た。
絶句。言葉もない。
しばらく、ゼマルディに体を寄せ合いながら小さく震えていた。痛みも、苦しみも。
自分なんかには推し量ることが出来ない領域だった。
どうしてそんなことをするの?
どうしてそんな酷いことをして、笑っていられるの?
分からない。
あの男のことが、さっぱり分からない。
262 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:02:00.65 ID:z5UY+Nzb0
だが一つだけ分かったことは。
カランは、その時産まれて始めて。
怒りを感じたということだった。
無意識のうちに彼女は、猛獣の母親が子供を守る時のように、やけに細く伸びた犬歯を剥いて歯軋りをしていた。それは、いついかなる時にも動じることなく、鈍く生きてきたカランの顔からは想像も出来ないほどの確かな怒りの顔だった。
もう、ゼマルディの腕はない。
彼が笑ってくれた顔も、半分も無くなってしまった。
自分が勇気を出して言えなかった一言のせいで。他ならぬ自分のせいで。
263 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:02:29.03 ID:z5UY+Nzb0
ゼマルディは。
この、男の人は。
死ぬかもしれなかったのに。
それでも尚、笑ってみせてくれた。
好きになってくれるか?
と、聞いてくれた。
こんな私のために。
こんな矮小で脆弱で、どうしようもない卑しい自分のために。
死ぬかも、しれなかったのに。
264 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:03:25.69 ID:z5UY+Nzb0
痛かったでしょう。苦しかったでしょう。
――どうして逃げなかったの。
――どうして逃げてくれなかったの。
カランは、そっと。
毛布を潜り出て立ち上がると、部屋の隅に水を溜めておいたバケツを引きずって彼の隣に置いた。そしてタンスの中からありったけのハンカチや、自分のケープ、ストール類を取り出して水に突っ込む。
そして彼女は、ゼマルディを起こさないように彼のマスクを外した。
思わず目をそむけた。
涙が出た。
痛くて、辛くて涙が出た。
265 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:03:51.85 ID:z5UY+Nzb0
酷すぎる。
これは人間のやることじゃない。
やっていいことじゃない。
ゼマルディの薬の作用なのかカサブタが張っているが、所々グジュグジュに膿んでいる。白い一族の女は、ある程度の医療知識を小さい頃から叩き込まれて育つ。それだけではなく、家内のことなら全て一人で出来るように躾けられる。
カランは出来の悪い娘だった。
覚えが悪く、何をやらせても上手く出来ない。
そんな出来損ないの頭だった。
だがカランは。
ペリペリと音を立てながらゼマルディが傷口に貼り付けていたガーゼをゆっくり剥がし。そして誰に教えられたわけでもないのに、顔を近づけて、膿んだ傷口に唇をつけた。
266 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:04:46.25 ID:z5UY+Nzb0
そのまま水泡の中に溜まって腐り始めていた体液の混合物を吸い取り、小さく咳き込みながら脇のもう一つのバケツに吐き出す。口を拭いてから息をつき、それを何度も何度も繰り返す。あまり強くやったらゼマルディが起きてしまうかもしれない。あくまで静かに、なるべく刺激を与えないように。
綺麗に崩れた皮も舐めとり、ある程度見れるようになった部分から、自分の一着しかない一張羅……小さい頃部屋の中で育てていた地下蚕の繭から作った糸で織った白いケープを手に取り、手で引いて小さな切れ目に分ける。
確かこの蚕の糸には強力な殺菌効果があったはずだ。ゼマルディは傷口に薬を塗っていたが、どうも痛みで当てが外れていたらしく、その殆どが火傷の外に向かって流れてしまっていた。これではあまり効果がない。かといってカランにはそんな薬を作る知識も、その技能もなかった。
とりあえず精一杯、布を水につけて手で挟み、息を吹きかけて温めてからゼマルディの顔の傷口に貼り付けていく。膿を吸い取ってから布を貼るのを何度も繰り返す。
267 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:05:21.25 ID:z5UY+Nzb0
途中で彼が起きてしまうのではないかと何度もひやひやしたが、そもそも顔面の感覚がないらしい。あらかた顔の傷に布を貼ってから疲れきって肩で息をし、霧吹きを取ってまた彼の顔に少し水を吹きかける。そしてカランは、おぼつかない手つきでぐるぐると包帯を捲きなおした。
ここに至るまでで既に三時間以上の時間が経過していた。ゼマルディは、死んだように背中を丸めて座ったまま寝息を立てている。
体が冷え切っているのを感じて、カランは肩を抱いて小さく震えた。
そういえば自分も、もう動けないほど疲弊していた。そこで思い出し……しかしゼマルディの腕にも布を貼らなきゃ……と思って腰を浮かせかけるが自分の足に突っかかって転がってしまう。
盛大に頭を床にぶつけかけ……しかしそこで、隣のゼマルディがサッと左手を伸ばして彼女の体を自分の方に引き寄せた。
膝の上に抱きかかえられる形になり、カランは膿で口の周りをベトベトにした情けない顔で彼のことを見上げた。
268 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:06:00.47 ID:z5UY+Nzb0
――起きていた。
全く気がつかなかった。
耳まで赤くなり、慌てて口を拭おうとしたカランに。
しかしゼマルディはぐちゃぐちゃに潰れた自分の唇をいきなり重ねた。そのまま彼女の口の中の全てを強く吸い上げ、それでも足りずに肺の中の空気までもを自分の中に取り込まんばかりの勢いで何度も口を重ねる。
突然のことに頭がついてこなかった。カランは目を白黒させながら手足をばたつかせ、そして数十秒経った頃には、もう半ば諦めたような、しかしそれでいてどこか安心した表情を浮かべて彼に身を任せていた。
269 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:06:30.92 ID:z5UY+Nzb0
*
朝になり、目が覚める。
カランは自分がゼマルディの残った一本の手を強く握ったまま、床に座り込んで眠っていた事に気づいて軽く頭を振った。
脳天がガンガンと傷む。
毛布をテントのように頭から被って、自分の倍位も巨大なゼマルディの体に寄りかかるようにして眠っていた。
ゼマルディは、窓から差し込んできているオレンジ色の光を、白濁した左目を空けて見つめていた。この里は地下にあるが、各地区ごとに、天井に当たる岩盤に人口太陽といわれる巨大な光熱器が設置されている。その光だ。
大分ゼマルディの顔には血色が戻ってきていた。龍の薬の効果というのは、カランも体験したことだが恐ろしいものがある。流石に切れた腕や潰された目、そして焼かれた肌が回復するようなことはないようだが、片側のピエロのマスクをつけていれば、そんな重症人だとは分からないほどだ。
千切れてしまった腕は、ソーセージの先のように強く包帯で縛られ、固定されていた。
270 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:07:01.16 ID:z5UY+Nzb0
動こうとして、しかし体が強張ったようになってしまったのを感じ、カランは背中の骨羽を心細そうに何度か鳴らした。その音を聞いて、ゼマルディが隣の小さな女性を見下ろす。
「よお、昨日は悪かったな。おかげで大分元気になった」
右唇が溶けて下のものと癒着してしまっているために、声がくぐもっている。どこかのどの一部が破れているのか、やけにガラガラ声だ。
しかし昨日の半死半生の状態と比べると、相当しっかりした声だった。
思わず涙が出て、羽を風鈴のように鳴らしながら、その残った腕にしがみつく。
「ご………………ごめんなさ…………」
271 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:07:28.30 ID:z5UY+Nzb0
最後まで上手くいえなかった。震えてしまって、言えなかった。
ゼマルディは少しの間きょとんとして、しかし軽く肩をすくめると腕のカランを引き離した。そして左手を伸ばして、ベッドの上にあった彼女の服を掴んで膝の上に落とす。
「なーにいってんだお前。男と男の勝負に女が口ィ出すなよな。それに俺ァ負けたんだ。逃げてきたの。馬鹿にされることはあれど、謝られるいわれなんてさっぱりねーや」
「でも……でも、私があんなこと言ったから……」
「いいか? よーく聞け」
ゼマルディは何度か咳をすると、残った左目でカランの方を向いて、左手の人差し指で、少女の額を抑えた。
272 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:07:55.46 ID:z5UY+Nzb0
「龍の男にとっちゃ、同情は最大の侮辱なんだ。お前は俺のことを好きになってくれるんなら、こんな何でもねー傷くらい笑い飛ばせるような強い女にならなきゃいけねぇぞ」
「何でもなくないよ……」
「どこがだ? 目は見えるし、耳も聞こえる。手だって一本取られただけだ。何の差しさわりもねぇっての」
無理矢理強がっているということは、彼の発する匂いに揺らぎがあることですぐ分かった。だがそれ以上追求することが出来ず、かといって気持ちを切り替えることも出来ずに俯く。
ゼマルディは少し強く言い過ぎたと思ったのか、マスクの位置を直して、とりあえず傍らに投げてあった自分のズボンを左手だけでもぞもぞと穿き始めた。
慌ててカランが手伝おうと手を出し、しかし彼はやんわりとそれをのけた。
273 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:08:21.75 ID:z5UY+Nzb0
「ほら、早く服着ろ。風邪引くぞ」
「…………」
しかしカランは、服を膝の上で掴んだまま、しばらくの間唇を噛み締めていた。そしてゼマルディが布団を脇にのけ、マントを羽織って右腕を隠してからやっと、消え入るような声で口を開く。
「ゼマルディは……」
「ん?」
「ゼマルデイは負けてないよ……」
「……」
「負けてないよ……」
繰り返して、カランは唇を噛んだ。
274 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:08:48.96 ID:z5UY+Nzb0
ゼマルディはしばらくの間、何かを押し殺すようにして彼女を見ていた。しかしやがて息を一つつき、残った左腕でポン、とカランの頭に手を置く。静かに撫でてやりながら彼は立ち上がった。
「よし」
「どうするの?」
聞かれてゼマルディは、左手で上を指差した。
「だいぶ力も戻ってきたし、今なら跳べそうだ。上に逃げる」
「上?」
怪訝そうに聞き返し、カランは首を傾げた。
275 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:09:21.58 ID:z5UY+Nzb0
「上って……どこ?」
「正確にはここから三百メートルほど上の、地上だ」
「地上? そんなところに行ってどうするの?」
一応は、カランも小さい頃から教えられていた。自分達は地下という岩の下に暮らしていて……。
そして、その地上というところは、氷で覆われた死の世界だと。
自分達は岩という屋根に守られているから生きていけるんだと、繰り返し教えられてきた。
最初はゼマルディがヤケになってしまったのかと思った。しかし青くなった彼女を見て、少しきょとんとした後、彼は憔悴した顔を緩めて肩をすくめた。
「匿ってもらう。知り合いがいるんだ。それに、流石にこのままだと死にそうだ。ちゃんとした治療もしてもらう」
「上にも、人がいるの?」
276 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:09:50.89 ID:z5UY+Nzb0
「いっぱいいるよ。何だ? 知らんかったのか」
「知らないも何も……私にはあなたの言ってることが何だかよく分からないよ」
しばらくゼマルディは、困ったようにポリポリと自分の無事な方の頬を指先で掻いていた。そして固まった皮をペリペリと剥がし、それを脇に投げてからおもむろにカランの手を掴んだ。
「まぁ、見た方が早いな。そろそろ俺のマーキングも消える頃だし、その距離を跳ぶには結構な体力が必要なんだ。それに……」
「それに?」
「別のところに逃げてる暇は、多分ない。ルケンがもうじきここに来る。だから力を溜めてた」
「え……え?」
想像だにしていなかったのか、カランは飛び跳ねるようにして立ち上がった。そしてゼマルディの体にすがりつく。
277 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:10:30.48 ID:z5UY+Nzb0
「ど、どうして?」
「何言ってるんだお前?」
「だって、ルケンはゼマルディが殴って大怪我させたでしょう? それに、どうしてここにいるって……」
「俺じゃない。あいつの狙いはお前だ」
しっかりと残った目で彼女を見下ろし、ゼマルディは息をついた。
「……本当に気づいていないのか」
「意味が分からないよ。だって、私はあの人のことが嫌いだし……あの人は私のことが嫌いなんだよ? どうしてここまで……どうして、こんなに酷いことをするの!」
最後は殆ど絶叫だった。お門違いなのは分かっていたが、ゼマルディのマントを握り締めて声を張り上げる。
278 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:11:09.36 ID:z5UY+Nzb0
彼はしばらくの間、彼女の目に浮き上がった確かな怒りの色を見下ろしていた。
そしてやがてマントの襟を立て、口元を隠してからそれに答えた。
「分からないならいいんだ。知らない方がいい」
「納得できないよ。だってあなたまで」
「いいんだ。あいつにはもう構うな。命があっただけでも儲けもんだ」
そして青年は、傍らの白髪の少女……その細い腕を掴んで自分の方に引き寄せた。
「行くぞ。悪いがカラン、お前の意思を聞くつもりはない。支度をさせる気もない。今、力の感覚が戻ったんだ。跳ぶからな」
「え? ちょ、ちょっと……待って」
「ダメだ」
いつになく頑なに言って、ゼマルディは空中に視線を走らせた。そして何度か舌打ちをしながらぐるりと周りを見回し始める。
279 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:11:43.21 ID:z5UY+Nzb0
「急すぎるよ。だって、私何も……」
「ダメだと言ったらダメだ。よし……」
そう言って、彼は壁の一点を見つめると大きく息を吸った。しかし、負った怪我のせいで意識が集中できないのか何度も頭を振る。
「……くっそ……視線が定まらねぇ……」
「五分だけ待って。お願いだから」
しかしゼマルディはそれを無視してまた意識を集中させようとし始めた。
カランの脳裏に浮かんだのは、妹の顔だった。
もしかしたら、自分がいなくなればルケンの虐めの矛先は妹に向くかもしれない。本能的にそう感じたのだ。
出来るならあの子も一緒に連れて行ってあげたい。
280 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:12:12.95 ID:z5UY+Nzb0
そう、一緒に。
ここから逃げ出したい。
それを彼に伝えようと口を開く。
しかし、ゼマルディが彼女の方を見ずに壁に向かって手を突き出した瞬間だった。
鐘が鳴った。
ゴゥン、ゴゥン、ゴゥン、と重低音の歪んだ音……あの、歪な汚らわしい鉄の音が周囲に響き渡る。
思わず体が硬直した。
足が震え出した。
傍らのゼマルディの腰を掴んで、彼の脇に隠れようとする。
「何だ……? ルケンか……」
苦々しげに呟いて、しかし彼はまた意識を集中させ、壁の中に手を突っ込んだ。残ったゼマルディの左腕が、肩口まで何もない壁に、まるでそれが沼でもあるかのようにめりこんでいく。
281 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:12:41.10 ID:z5UY+Nzb0
その途端だった。
カランにとっては初めての経験だった。
無論、そんなことを経験したことのある女の子は、彼女の周りにだって一人だっていないだろう。それほど鮮烈で、それほど強烈な出来事だった。
反射的に動いたのはゼマルディだった。ほぼ間一髪といってもいいほどの動きで、彼は傍らのカラン……その腰を、壁から引き抜いた左腕で抱えると、地面を強く蹴って部屋の扉に体を叩きつけた。頑強な男の体にぶつかられて、半分腐食していたカランの部屋扉は外側に向かって留め金を弾かせながら倒れこんだ。
そこにもつれあうようにして、ゼマルディに庇われながら廊下に転がり出る。
282 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:13:16.40 ID:z5UY+Nzb0
殆ど奇跡といってもいい。
顔を上げた彼女の目に、自分の部屋……六畳はあるその部屋が、何か巨大な衝撃波に薙ぎ倒されるかのように、その全てが後方に吹き飛んだのが見えた。
部屋の中身ではない。
部屋、それそのものがだ。
丁度ゼマルディが入ろうとしていた壁が、根元からそのまま吹き飛ばされ、部屋の中のものを叩き潰し……そして対抗側の壁に叩きつけられ、それをも砕いて向こう側に抜けていく。
全てで、十五部屋。
廊下の端から端までその何かは突き抜けると、最後の部屋の壁を轟音と砂煙を上げて吹き飛ばし、圧搾されて潰れた缶のようにサンドイッチになった瓦礫の山と共に、建物の壁までをも突きぬけ、外の地面を何度かバウンドして転がり、狂気の音色を立ててスライドし、やっと止まった。
283 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:13:45.13 ID:z5UY+Nzb0
もくもくと砂煙が上がっていた。
前が見えないほどだ。
しかしそれが、段々と外の空気に中和されて晴れていく。
転がった時にゼマルディは頭をぶつけてしまったらしい。小さく呻きながら起き上がろうとしている彼の手の中で、カランは確かに見た。
見てしまった。
部屋があった場所だけが綺麗に……長方形に。まるで工事でもされたかのように抉れている。
各部屋に設置されている水道も、水道管が中途で千切りとられてしまっていて各所で水鉄砲を上げている。
削れた豆腐のような、合成コンクリート。
廊下の端から端まで、四角形のトンネルが出来ていた。どこをどうすればこうなるのか、想像なんて出来るはずもなかった。
284 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:14:16.02 ID:z5UY+Nzb0
――消えたのだ。
いや、吹き飛ばされた。綺麗に。長方形に。
部屋が……全ての部屋が。
合成コンクリートが、やすりでもかけられたかのようにつるつるになっている。まるで抜き取られでもしたかのようだ。それは何かが通り過ぎた建物の壁も、同様だった。綺麗な四角形に抉り取られてしまっている。
そしてカランは。
その、四角形のトンネル……床に赤々と広がるモノ。それらの発する強烈な死臭を感じてしまい、呆然とした。
彼女の背から伸びた骨羽が、怯えたように断続的に震えていた。
赤い塗料ではない。血だ。
自分達は一瞬早く外に出れたからよかったものの……ひょっとしたら。
ひょっとしたら、周りの部屋にはまだ寝ている人がいたのかもしれない。
その人たちは……。
――その、人たちは……。
285 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:14:47.59 ID:z5UY+Nzb0
「嘘……」
口元に手を当てて、震える声を発する。
「嘘だ……」
綺麗に開いたトンネルの先……。砂煙でぼやけたところに、右手を腰に当てた小さな人影が見えた。段々と煙が晴れてきて、その浮べている薄ら笑いが目に映る。視線を合わせかけて、慌ててカランは目を逸らし、ゼマルディの手を引いて立ち上がろうとし……動きを止めた。
ルケンはニヤニヤと笑いながら、自分が抉り取ったその穴に足を踏み入れた。
近づかれるまで、数分もかからなかった。彼はただ悠々と歩いてきただけだった。
286 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:15:17.98 ID:z5UY+Nzb0
逃げなきゃいけないのに。
早くゼマルディを起こして、一緒に逃げなくてはいけないのに。
カランは、ただ近づく彼を唖然として見つめていることしか出来なかった。
片目を必死に見開いて、ゼマルディはルケンが近づいてきているのを確認し、急いでカランの手を引こうとした。それに向けてルケンは、腰に当てていた手をゆらりと上げ……そして軽く指を弾いてみせた。
たったそれだけの動作だった。
だが、それが与えた影響は甚大だった。
手を握っていたカランにも分かるくらいの、強力すぎる……まるで大の男十数人で殴りつけたかのような衝撃、風の塊がルケンの方から飛んできて、ゼマルディの胸に突き刺さったのだ。
287 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:15:50.75 ID:z5UY+Nzb0
ミシ……とおかしな、岩にヒビが入るかのような音がした。
傍らの彼の体が、一瞬空中に浮いた。
次の瞬間大きなその手がカランの手からはずれ、ゼマルディはもんどりうって何度か地面を弾んでから、うつ伏せに床をスライドして止まった。その口からゴプリ、と……内臓でも傷つけたのか、大量の濁った血液を吐き出す。
「嫌……嫌ああ!」
悲鳴を上げて、転がった彼に近づこうとする。
そこで。
カランから、歩いて数歩のところまで近づいていたルケンは足を止めた。
ニカァッと裂けそうに口を開き。
ペロリと舌を出してみせ、先ほど弾いた手とは逆の腕を下手投げに放った。
288 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:16:20.81 ID:z5UY+Nzb0
少年が持っていたボール大のモノが放物線を描いて宙を舞い、ゼマルディとカランの間にゴヅン、という音をたてて着地する。それは軟質なラグビーボールのような音を立てながらその場を転がり、そして飛び散っていた、砕けた壁の破片に引っかかり止まった。
カランの目が、裂けるのではないか。
そう思うくらいに丸く、大きく見開かれた。
立ち上がり、ゼマルディに駆け寄ろうとしていたその足が止まる。そのまま少女は尻餅をつき、口をわななかせながら停止した。
言葉が出ないとは、このことだった。
腰が抜けたとは、まさにこのことだった。
しかしそれ以上に噴出していたのは。
カランの頭の中の何か大事なもの。
それを食い破り、引きちぎり、そしてぼろきれのように蹂躙しているその感情だった。
289 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:16:50.38 ID:z5UY+Nzb0
認めてしまってはいけなかった。
それを現実だと認識してはいけなかった。
しかしカランは。
耳をその両手で強く塞ぎ。
実に十数秒も沈黙した後、喉が裂けるのもお構いなしに金切り声の絶叫を発した。
ルケンはそれを聞いた途端、満足そうに、そして面白そうに目を開いて、そして喉を震わせた。馬鹿にするようにパン、パン、と手を叩いて笑い出した少年の前で、座り込んだカランは途切れることなく断末魔のような声を上げ続けていた。
290 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:17:22.03 ID:z5UY+Nzb0
「見るな!」
その声を掻き消さんばかりに怒鳴り声を出したのは、歯を食いしばって立ち上がったゼマルディだった。彼はよろめきながら彼女の脇に転がり込むと、カランを床に押し倒した。そして潰さんばかりにその目を手で押さえる。
「見るな、目を閉じろ! 閉じろ!」
カランが、しかしまだねじれた絶叫を上げ続けながらゼマルディの体にしがみつく。
その光景を見て、ルケンは興を削がれたと言わんばかりに忌々しげに顔を歪めた。そして大股にうずくまっている二人に近づき、まずゼマルディの髪を掴んで、ゴミのように脇に放り投げる。それだけの動作だったが、ルケンよりもはるかに大きな青年の体は、発泡スチロールのように軽く十メートルは宙を舞い、少し離れた床に叩き付けられた。
それを見もせずに、少年は耳を押さえて床を凝視したまま震えているカランの頭を鷲掴みにした。そして人形のように歪な笑みを発しながら、自分が先ほど放り投げたモノの方に彼女の頭を向ける。
291 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
:2012/02/12(日) 20:17:55.93 ID:z5UY+Nzb0
「ダメだろカラン。折角の……俺からのプレゼントだ。ちゃんと見て、楽しい反応をしてくれなきゃ……」
「いや……いやいやいやいやあああ!」
「嫌、じゃあないだろ? 女の分際で生意気なんだよお前。中々に粋のいい獲物で、捌くのに苦労したんだぁ……あぁ、そういえば」
「やあああ!」
「捌く時、最後まで心配してたなぁコレ。お姉ちゃんのことをな」
高笑いをして絶叫を続けるカランの頭を鷲掴みにしながら、彼女を引きずってルケンは歩き出した。そして地面に転がって血の混じった泡を噴いているゼマルディの脇に立つ。
292 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:18:22.93 ID:z5UY+Nzb0
「さて、カラン」
「いや……」
「今日は男女鍋だ。俺の刀工は滅多に見れるもんじゃあないぜ? お前はラッキーだよ」
「いや……」
「嫌、じゃねぇって言ってんだろうが!」
突然、ルケンの言葉遣いが豹変した。
彼は手を振り上げると、カランの頬を一度、二度……三度と往復で張っていき。
そして少女の頬が真っ赤に腫れ、悲鳴も聞こえなくなってきたところで、荒く息をつきながら腕を止めた。そして、胸が痛むのか手で押さえて深呼吸をする。
293 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:18:56.25 ID:z5UY+Nzb0
涙と鼻水でずるずるになった顔で、痛みと恐怖と訳の分からなさで泣いているカランの骨羽が揺れ、割れた風鈴のようなガラガラした音色が聞こえていた。
それを目を細めて聞いて、ルケンは何度か頷いてみせた。
「いい音出せるじゃないか、お前」
「……」
しゃっくりを上げている彼女の頭を掴んで、そしてルケンはゼマルディに向けて手を伸ばした。
「まずは足だ」
「……」
「次は腕」
「……」
294 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:19:23.33 ID:z5UY+Nzb0
「そして体の各部分を少しずつ落としていって、最後は首だ」
「……」
「ふふ……それを煮るとな、美味いんだ。お前にはいの一番に食わせてやるよ」
手をふらふらと振って、彼は思い出したように懐から肉切り包丁のような細く長い包丁を抜き出した。ベルトに抜き身のまま差し込んであったのだ。不気味な色を発するその鉄の凶器は、こびりついた黄赤の、人間の血液と油でベトベトに汚れていた。
「目を閉じたら酷いからな」
嘲るように言って。
そしてルケンは、ゼマルディの足。その股間に包丁をピタリとあてがった。
295 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:20:17.27 ID:z5UY+Nzb0
どうして動いたのか。
それは、カランにも分からなかった。
叫び声を上げ続けていて破れ、血が出ている喉から。
……どこか重い、気が狂ったのではないかというくらい濁った絶叫がほとばしった。
しかしそれはゼマルディからではなかった。
カランは、自分の頭を掴んでいるルケンの腕を力の限り振り解き。そして彼の手から、その肉切り包丁を毟り取ったのだった。
296 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:20:42.56 ID:z5UY+Nzb0
まさか反抗されるとは思っていなかったのだろう。
ルケンは反応が出来ずに、呆然と……自分に向けて包丁を振り上げたカランを見上げていた。
おとなしく、鈍く。
そしてどうしようもなく弱かった女性の姿ではなかった。
まるで鬼のようなその食いしばった歯茎の間から、発達した犬歯が覗いている。カランは意味不明な絶叫を上げながら、ルケンの右肩に深く包丁を叩きつけた。
切れ味は物凄く、女の力でもそれはズブズブとめり込んでいき、肉と血管が裂ける不気味な感触。それと刃先が骨に当たり、それを砕く音が撒き散らされる。
297 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:21:12.52 ID:z5UY+Nzb0
カランの目は血走っていた。
彼女は思わず包丁を肩に刺したまま後ろ向きに倒れこんだルケンに向かって、拳を振り上げていた。
泣きながら、震えながら。
それを振り下ろそうとした時、止めたのはゼマルディだった。血を口の端から垂れ流しながら瞳をカランに向け、何とか立ち上がり……そして彼女の髪を鷲掴みにして引き寄せたのだ。
ルケンが包丁を抜き取り、噴き出る自分の血を何とか押さえようとする。ゼマルディはそれを一瞥し、何かを喚いているカランを片手で羽交い絞めにしたまま、背後の壁に唾を吐きかけた。それを何度も繰り返し、一部に向かって頭から飛び込む。
それを見て、慌ててルケンが無事な方の手で肉切り包丁を彼らに向かって投げつけた。
回転しながら飛んだ包丁が、ゼマルディに抱えられたカランの左太股を貫通したのと。
二人が空間の繋ぎ目に転がり込んだのは、数秒も経たない間のことだった。
298 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/12(日) 20:22:45.01 ID:z5UY+Nzb0
お疲れ様でした。第10話に続かせていただきますm(_ _)m
詳しいご案内は
>>173
でさせていただいています。
お時間がありましたら、ご一読いただけますと嬉しいです。
2月も半ばで、大分寒いですね。
皆様もお風邪など召しませんよう。
それでは、今回は失礼させていただきます。
299 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2012/02/13(月) 00:28:23.42 ID:y2fnBOi2o
乙
300 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:15:44.57 ID:3SORN3Q00
ご支援ありがとうございます(人´ω`)
ご意見やご質問などありましたら、ツイッターなどで是非コンタクトをくださいね。
小躍りします。
少し時間が遅れましたが、10話の更新をさせていただきます。
お楽しみいただけますと嬉しいです〜。
301 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:18:28.32 ID:3SORN3Q00
10 リセット
今日も、その家に帰る。
ゼマルディはいつも決まった時間に決まったアパートのドアを開ける。
ベッドの上には上半身を起こして外を見ている妻の姿があった。
「おい、今帰った」
声をかけてテーブルの上に紙袋に入れてきたパンや果物などを置く。カランはそれを見てぼんやりとした表情をゼマルディに向けた後、軽く首を傾げて見せた。
白く長い髪は、前には艶があった白金色を発していたのに、今では雪のようにパサついた白さを発してさながら老婆のような色になってしまっている。
痩せきった体には、以前のような若々しさはなかった。肩口には骨が浮き上がっている。
変わらないのはぼんやりとした笑顔と、そして彼女の背中から伸びている骨羽だけだった。リンリンと風鈴のような澄んだ音を羽が鳴らし、それを聞いてカランはもう一度目を細めた。
302 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:19:06.06 ID:3SORN3Q00
「あぁ、マルディの親戚の人? 誰でしたっけ……」
「バカ、俺がマルディだ」
「あら? そうだったかしら……」
「アホ言ってんじゃねーよ。ほら、リンゴ買ってきた。洗ってやるから食え」
やんわりと彼女の異様な言動をやり過ごし、ゼマルディはモーターの回転する音を立てながら右腕を伸ばし、紙袋から大きく赤々としたリンゴを掴み出した。それをニコニコしながらベッドの上から見つめ、カランは胸の前で指を組んだ。
303 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:19:58.28 ID:3SORN3Q00
「ありがとう。高かったでしょ?」
「いーんだよ。金は全部ドクが出してくれるからさ」
「ドク? 誰だっけ?」
「誰もクソもねーよ」
軽くそれもいなし、ゼマルディは羽織っていたマントを脱いで脇のソファーに放り投げた。
正確に言うと、ここは彼らの家ではない。間借りしているだけに過ぎない、スラム街の一角だ。
マントを脱いだゼマルディの体は不気味な風貌を呈していた。千切り斬られた右腕は、中ほどから分厚いゴム製の手袋で覆われていた。そこから所々細いケーブルが飛び出し、右上腕の肉の中に埋め込まれている。右腕の動作は緩く、動くたびに機械の動作音を発していた。
顔面には、ピエロがつけるような白い流曲面のマスクがつけられていた。後頭部と額に金具のようなもので、肉に直接固定されている。あらわになっている顔の左側は、ところどころケロイドがみえるものの傍目には普通の人間の風体に戻っていた。
304 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:20:46.04 ID:3SORN3Q00
濁った左目でカランを一瞥し。水道を回して茶色く濁った水でリンゴを洗う。それをふきんで丹念に拭いてから、彼はベッドに近づき、妻の手にそれを握らせた。
「ほら」
「何、これ?」
「いいから食え。そのままかじればいいよ」
「分かった」
頷いて少女は、まるでネズミのように小さくリンゴに歯を立てた。そしてゆっくりと噛みながらゼマルディの方を向いて、笑った。
305 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:21:13.63 ID:3SORN3Q00
「美味しいねぇ」
「後で飯作ってやるから、少し待ってろな」
「うん」
少しずつリンゴをかじっていく彼女を、ベッドに腰を下ろしながら見る。
――ここの水は汚い。
これでは、カランの体に差し障る。
かといって今の自分にはどうすることも出来なかった。
五ヶ月経った。
一向に彼女の足は、良くならない。
306 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:21:40.21 ID:3SORN3Q00
逃げる途中で、よりにもよってルケンに投げつけられた肉切り包丁が、彼女の大腿骨を貫通して神経を切り離してしまったのだ。
初期治療の遅さが致命的になった。
もぞもぞと毛布の下で足を動かしたカランの股間に手を当て、慌ててそれを止める。
「どうした、トイレか?」
「え? あ……腰が痛くて……」
「後でマッサージしてやるから我慢しろ。動くなよ。また外れっぞ」
「何が?」
聞き返されて、額を抑えてため息をつく。
307 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:22:16.67 ID:3SORN3Q00
毛布の一部から覗いているのは、義足の接続部だった。
切断された足の切断面にはめ込んで、そして義足に接続するコネクタの役割を果たす器具だ。
「いや……まぁ、程ほどにな。俺は料理してるから、何かあったら声を出せよ」
「分かったよ」
「テレビでも見てろよ」
「テレビ?」
「……まぁ、好きにしてろな……」
会話が全くかみ合わない。しかしその名前を聞いた途端、カランは嬉しそうに羽を振るわせた。
308 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:22:41.77 ID:3SORN3Q00
「トイレ行きたくなったら言えよ」
「うん」
そこまで言って、ゼマルディは彼女に見えないように深くため息をついて背中を向けた。
汚れたキッチンに紙袋を掴んで立つ。流しに袋の中の合成食料をガラガラと落としたところで、扉の鍵を回す音と共に十畳ほどの狭いアパートに眼鏡をかけた男性が、扉の隙間から顔を覗かせた。
「マルディ、いるかい?」
快活な声だった。年の頃は三十台半ばだろうか。フケが浮いてボサボサなアフロのようになった赤髪に、無精髭の散らばった細い顔。やる気がなさそうな表情とは裏腹に、その目はどこか知的で鋭い光を発している。
309 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:23:10.65 ID:3SORN3Q00
ボロボロで繋ぎだらけの白衣を方に羽織り、中はやはり繋ぎとコーヒーの染みだらけのスーツ姿だった。
彼は玄関に足を踏み入れると、きょとんとしているカランを見て嬉しそうに片手を振ってみせた。
「やほ。元気かいカランちゃん」
「どちらさま?」
「あなたの貴公子ドクちゃんです。以後お見知りおきを。マルディの友人その一です」
うやうやしく頭を下げてみせた彼を見て、リンゴを持ったままカランはクスリと笑ってみせた。
「ええ、宜しくねドクさん」
310 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:23:41.96 ID:3SORN3Q00
「ちょっとマルディ、三十分くらい借りていっていいかな? すぐに返してあげるからさ」
「うん、いいよ。マルディ、ドクって人が呼んでるよ」
頷いてゼマルディは水道を止め、白衣の青年に近づいた。
「どうかしたんです?」
「ちょっと下のサ店にでもと思ってね」
「ここでも……」
「はっはっは。まぁまぁそう言わずに付き合えよ。男同士ジンガー(アルコール度数の高い酒)でも飲んでさぁ」
311 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:24:23.17 ID:3SORN3Q00
「いや、俺は酒は……」
あくまで断ろうとするゼマルディを、しかしドクは一瞬だけ鋭い視線でチラリと見た。それを見て言葉を止め、ボリボリと頭を掻いてからゼマルディは肩をすくめた。
「ほいほい」
「それじゃ、カランちゃん。ちょっと出てくるわ」
「あ、ちょっと待ってマルディ」
そこでカランは慌てて夫を呼び止めた。
「何だ、トイレか?」
「違うの。これ、確かテレビのリモコンだよね?」
聞かれて、ゼマルディは彼女が持っているものを見て頷いてみせた。
312 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:24:49.96 ID:3SORN3Q00
「ああ」
「どのボタンを押せばいいの?」
「赤いボタンだ。一個しかねーだろ?」
「あ、ここね!」
まるで初めて発見したとでも言わんばかりに、喜び勇んで彼女はボタンを押した。ベッドの反対側に設置してある小さなテレビ機が多量のノイズ混じりで画面に映像を映し出す。
「凄いねぇ。絵が動いてるよ」
313 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:25:18.38 ID:3SORN3Q00
食い入るように見ている。
画面から流れてくる音は、彼女の知らない言語だ。意味なんて分かっていないのだろう。
いや、どうせ。
覚えてもすぐ忘れてしまう。
彼女が集中しているのを見て、ゼマルディはそっと扉に鍵をかけた。そして外から何重にもロックをかけ、最後に開かないかを確認する。
ドクはその一連の作業を見ていたが、やがて錆び付いてぐらぐらした階段の上から、下に向けて親指を立てた。
「じゃ、行こうか」
314 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:25:47.01 ID:3SORN3Q00
*
「ずっとあの調子なのかい?」
ドクにそう聞かれ、ゼマルディは目の前のテーブルに置かれた酒に手をつけようとはせずに、ソファーに寄りかかった。そしてマントにつけてあるフードを目深に被る。
薄汚いクラブのようなカフェは、日中だというのに浮浪者やゴロツキのような品位のない者で溢れかえっていた。このテーブル席は追加料金を多額に払った者が通れる場所だ。
だから空いている。
かなりのアルコール度数の酒を喉に流し込みながら、ドクは酒臭いため息をついた。
「仕方ないなぁ……薬の錬度を上げるか」
315 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:26:20.61 ID:3SORN3Q00
「それなんだが……」
そこでゼマルディが言いにくそうに口を挟んだ。
「ん?」
「もう薬はいいよ。何だか段々酷くなってるような気がする。今日なんて俺の名前を忘れてやがった」
「マルディの名前を? でも、すぐ思い出したんだろ?」
「思い出したというよかぁ記憶を補填してるっつーか……あいつ、相当無理してる。自分でも分かってるみてーだ。人の顔とか、ものの形とか、そういうものをすぐ忘れていっちまう。はっきりしてる時ははっきりしてるが、このところ段々それも少なくなってる」
「気持ちは分かるけど、止めたらすぐ症状は進行するよ。抑えられてるといってもいい」
316 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:27:01.71 ID:3SORN3Q00
「なあ俺の心臓を使ってくれよ。ちょっとくらいならいいんじゃ……」
食いつくように身を乗り出した彼を見て、困ったようにドクは息をついた。そして空になったコップを上げて、ウェイトレスに追加注文の意思を伝える。
「話ィ聞いてくれ!」
思わず大声を上げたゼマルディの言葉……それよりむしろ、その異常な発音の言語に驚いたのか、周囲の視線が一斉に彼らの方を向いた。
それに気づいて、慌てて彼はフードをまた被りなおし、沈むようにソファーに腰を下ろした。
「友人としてオススメはしないけどなぁ。第一、キミの心臓はそういうモノに使えるわけじゃあないだろう」
「……だって薬がきかねーんだ。だったら少しでも効果がありそうなもんを……」
「流石に心臓を取ったら、キミにも後遺症が残るし。それに何度も言うけど、効いていないんじゃない。症状を抑えてるんだよ」
317 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:27:29.93 ID:3SORN3Q00
冷静に諭され、ゼマルディは口をつぐんだ。
ウェイトレスがジロジロとフードを被りピエロのマスクをした彼を見ながら、ドクの前にお代わりの酒を置いて去っていく。
白衣の青年は二杯目に口をつけながら、少し考えて口を開いた。
「まーでも、キミは俺の命の恩人なわけだし、友人なわけだし。考えてみるよ。ちょっと待っててくれな」
「ホントか!」
「興奮するなよ。男一代、約束は守るよ」
軽い調子でそう言って、彼は安心したように息を吐いて肩を落としたゼマルディを見た。
318 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:28:27.29 ID:3SORN3Q00
「で、腕の調子はどう?」
「俺のこたぁどーでもいーよ」
「そういうわけにはいかないな。医者として患者を途中で投げ出しはしないよ」
「酒臭い医者が何処にいるんだよ……」
「ここにいるだろ? 今日はそれを見に来たんだから、ほら見せて」
そう言うなり、ドクは問答無用にゼマルディの右手を引っ張ってテーブルの上に乗せた。そして手袋を引き剥がし、中身を露出させる。
千切れた腕の傷口には、多量の金属片が埋め込まれていた。それがピンや透明な糸で固定され、さらに大きな強化ゴムの金具でまとめられている。そこから骨のような太いパイプが伸び、アンドロイドの腕に接続されていた。かなりの精密動作が可能な型だが、機械と人間では、そもそも命令を発するバイパスが違いすぎる。腕の性能が高くても、意識を伝達する系統が確立できなければ意味がない。
319 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:31:48.95 ID:3SORN3Q00
ドクの手術は、神経系に操作系統を接続して、脳波、発汗具合、体温、そして動悸の割合により体の各部の動きを制御するというシステムを確立させるものだった。
多少動きは鈍いが、普通の腕とほぼ差しさわりのない動作が可能になっている。
いわば、アンドロイドではない。これは人間のほぼ完璧な一部サイボーグ化といっても良かった。
それぞれの関節部などを丹念に見て、一部にポケットから出した油を差し、そしてものの数十秒でドクはまた手袋を嵌めた。
腕を戻しながらゼマルディが口を開く。
「どうよ?」
「関節が減ってるね。少なくとも一週間以内にパーツを交換しなきゃダメだ。取り寄せるから、後でつけてあげるよ」
320 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:34:13.34 ID:3SORN3Q00
「俺なんかよりカランを見てやってくれよ」
「あの子は君みたいに動き回らないから、そもそも動作不良は起きないよ。俺のマシンドパーツはナノシステムを組み込んでるから、大概なら組成修復はするからね」
「用が済んだなら、帰りたいんだけど……」
腰を浮かせてカフェを出ようとしたゼマルディを、ドクは手を伸ばして制止した。
「ちょっと待って」
「まだ何か話があるんです?」
面倒そうな顔を隠そうともせずに口を開いたゼマルディに、しかし彼は冷静に頷いて座るように促した。
321 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:34:50.31 ID:3SORN3Q00
少し迷った後に、青年はマスクを直し巨体をソファーに沈み込ませた。
「早く戻らねぇとカランが……」
「大事な事なんだ。とりあえず、これを見て欲しい」
そう言ってドクは不意に真面目な顔つきになると、周りを見回してから白衣のポケットに手を入れた。そしてしわくちゃになった新聞の切抜きと思われるものを取り出し、身を乗り出してテーブルに置く。
「俺ァ、共有語は話せても読めないス」
「文字じゃないよ。写真」
「写真?」
322 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:35:20.31 ID:3SORN3Q00
聞き返し、視線をスライドさせる。ドクは切抜きを裏にしていたらしく、ゼマルディはそれを手にとってだらしなくソファーに腰をかけたまま、無造作に裏返して。
腰を抜かしそうになった。
思わずその新聞の写真を見たままの姿勢で硬直する。
「やっぱりそうか。もしかしたらと思ったけど……」
「もしかしたらもヘッタクレもねぇ……最悪だ……」
頭を掻き毟りたい衝動に襲われる。そしてゼマルディは一つ大きなため息をついてから、新聞の切抜きをくしゃくしゃに丸めてドクに放った。
彼は目の前の酒のグラスを掴むと、その中身を一気に口の中に流し込んだ。そして器官に入ってしまったのか激しくむせ、ドクが差し出したハンドタオルで口を押さえる。
しばらくゼマルディが落ち着くのを待ってから、白衣の青年は顎に手を当てて考え込んだ。
323 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:35:51.57 ID:3SORN3Q00
そしてくしゃくしゃに丸められた記事をまた広げて、チラリと見る。
それにはここから離れた区画のドームで起こった無差別殺人の記事が記載されていた。スラムでは一概に、特に風俗と報道に関する規制が甘い。加えてドクが買ってきたのは、スナッフ系統(殺しなどの死体愛好)を愛用する異常嗜好者のための機関紙だった。どこでどうそのような写真を入手するのか、本当なら規制がかかるべき人間の惨殺死骸があられもなく載っている。
一見しただけでは訳が分からない。
良く見れば……いや、本当ならば良く見てはいけないのだろうが、理解してみれば単純だ。
頭部が爆薬で飛ばされたように千切れ切れている大量の人間が、川に浮かんでいる。大人も子供も全く関係がない。淀み腐った川に、その地獄のような光景が展開していた。一部の人間は胴体が千切れて内臓がばら撒かれている。
テロでも起きたかのような事件だ。
324 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:36:27.62 ID:3SORN3Q00
「……魔法使いのせいってことになってる。だけど不思議でね。このドームはここから三百キロほど離れているけれど、スラムに至るまでに狂信教が根っこまで浸透してる。かなり有名なドームだから。魔法使いも表立ってこんな惨殺を行うとは思えなかったんだ」
「右上」
「ん?」
「右上、見てみ」
言われてドクは、また酒を流し込んでから写真に目をやった。
「女の子かな。どうもこの子だけ頭以外原型を留めていないね」
「奴が食ったのはそいつだけだ。他は邪魔だったか、逆鱗に触れたんだろう」
「しかし、少なく見積もっても三百人以上死んでるよ」
「それくらいで済んだなら儲けモンだ」
325 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:37:10.04 ID:3SORN3Q00
珍しく端的に突き放し、ゼマルディは左手で自分の額を抑えた。そして無事な方の目を指先でコロコロと転がす。
「まぁ、問題はだ」
記事を畳んでポケットに入れ、ドクは続けた。
「こういう惨殺事件が段々ここに近づいてきているってことなんだ。俺は君たちベルチェアのことを一応一通りは学んだつもりだったけど、どうも常識じゃ推し量れないみたいだ。一度そいつは君に負けてるんだろ? 何でここまでして追いかけてくる?」
「……」
「もう三回もドームを移転してるんだぞ。何故こいつはいちいち方向を変えて追尾して来るんだ?」
「……」
326 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:37:40.31 ID:3SORN3Q00
「君は確かに命の恩人だし、俺の友達だよ。だがそれとこれとは話は別だ。今回ここに移転したのには相当気を使ったんだ。でも間違いなくそいつは、俺達を追ってきてる。ネットの情報かとも思ったけど、その線は全部潰したから、結論として言えるのは君らに何か特別な繋がりがないかってことだけなんだ」
「……」
「いわゆる、魔法のようなものでね」
答えようとしないゼマルディを一瞥し、ドクは困ったように頭をぼりぼりと掻いた。肝心の大男は、マントのポケットに手を突っ込んだまま床を凝視していた。酒を飲んだせいか顔が赤い。しかし、それを抜きにしても彼の顔は相当に憔悴していた。頬などはこけて青白くなってしまっている。ただでさえケロイドが広がっているのに、益々人間離れした顔になってしまっていた。髪は右側はほぼコケのようにまばらに生えているだけで、やはりマスクで隠されている。もう片方は樹脂のオイルで固められている。
327 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:38:18.85 ID:3SORN3Q00
ここはサバルカンダと呼ばれるドームの下層一階だった。相当に巨大なドームだが……いわゆる、スラム街だ。そう。ここはスラムだけで構成されている。
まるで蟻の巣のように汚らしい建築物が折り重なって形成されており、人口はゆうに三十万を超える。
一つの理由は、ここは半円形上の建物ではなく、巨大な塔のような形状になっている都市だということがあった。単純に収容するスペースが広いのだ。
もう一つの理由は、このドームの生命維持機関……つまり空調などは動作をしていないということがあった。つまり、機関を制御する政府が存在しない。それゆえに市民登録も必要ない。必然的に訳ありの人間達が転がり込む場所だ。
加えて、ここは他のドームからかなり離れた場所にあり交通の便も全く整っていないと言う事実も、その閉鎖的な滓を助長していた。
隠れた最大の利点はそこだった。
もしも見つかってしまったとしても、人間に紛れてしまえばそう簡単に手出しは出来ないだろう。
そう、考えていたのだ。
328 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:38:51.70 ID:3SORN3Q00
「……ルケン……」
ゼマルディは知らずの間に歯を噛み締めていた。奥歯が砕けるのではないかというくらいの、鮮烈な歯軋りだった。片側だけの口から犬歯を覗かせながら、ギリギリと音を立てる。
その目が徐々に蛍光ランプのように赤く発光を始め、次いで彼の目の前の空のコップが、地震でもあったかのようにカタカタと音を立て始めた。
ウェイトレスが怪訝そうな顔でこちらを見ているのをドクが一瞥し、彼は手を伸ばしてゼマルディの髪を引っ張った。そして耳元に口をつけて囁きかける。
「……落ち着けよ。なるほど、今の君を見てて分かった」
「俺は落ち着いてるよ…………」
「ここからでも分かるくらいの、凄まじい気(オドス)の量だ。いつの間にそんなになったんだ? 君が怒ったのを見たことがなかったから分からなかったよ」
329 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:39:20.76 ID:3SORN3Q00
言われて初めてハッとしたのか、ゼマルディは深く息をついてドクの手をどけ、またソファーに座りなおした。
「何言ってるンです?」
「一度ちゃんと測ったほうがいいな。俺は魔法使いじゃないから何とも言えないけど、多分君の匂いが尋常じゃないんだ。それを追ってきてると見た方がいいな」
「何の根拠があってそんなこと……」
「オドスだけでコップを揺らす奴が言う台詞だと思えないな」
呆れたように手をひらひらと振って、ドクはまた手を上げ、ウェイトレスに酒のお代わりを注文した。
ゼマルディは疲れたように額を抑えていた。酒を飲んでしまったことで、彼の視界は定まっていなかった。弱いのだ。
何度か頭を振って、妙に据わった目でドクを見る。そして彼は、運ばれてきたドクの酒に手を伸ばして一気に喉に流し込んだ。
330 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:39:53.89 ID:3SORN3Q00
「おいおい……中毒になるぞ?」
「いーんだよ……」
呂律が回らない口調で言ってから、彼は背中を丸めた。
「……」
「ちょっと休んだ方がいいな。今日は俺がカランちゃんの面倒を見るから、君は下町にでも泊まるといい。ずっとつきっきりだろ? あの子の足を切り落としてから随分経つし、もう感染症の心配もないと思う」
「…………いーんだよ…………」
「聞いてるかい?」
「いーんだよ別に…………」
いつになく弱弱しい声だった。体に似合わない、それは心細そうな、どうしようもなく掠れた声だった。
331 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:40:19.83 ID:3SORN3Q00
ゼマルディは疲れきっているのは、目に見えて明らかだった。そうでなくとも、ルケンからカランを守ろうとして常に周囲を飛び回っているのだ。
正直彼ら、龍の民のことはドクには良く分からなかった。龍の体の構造は、普通の人間とは大きく異なる。
言ってしまえばカランがドクに治療をしてもらえたのは、殆ど奇跡に近い幸運だったのだ。
自分より図体の大きな青年が肩を落とし、どんよりとした視線を向けてくるのを見て、ドクは呆れたようにため息をついた。
そして議論を打ち切ることを決めたのか、スーツの胸ポケットに手を突っ込んで奇妙な形の電子チップが埋め込まれたカードを一束取り出す。ゴムでくくられているが、見ただけでも数十枚はある。
それをゴトリとテーブルに置いて、ドクは口を開いた。
332 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:40:50.58 ID:3SORN3Q00
「単刀直入に言う。少なくともあと二日以内にここを出て、二百キロほど先のドームに向かう。これは貨物トレーラーの密輸チケットだ。裏のものだから手間取った。かなり遠回りの荒道を行くことになるから、旅だけで相当かかっちゃうんだ」
「……は?」
「逃げるんだ。その間に、君の匂いを消す方法を考える」
その途端、ゼマルディの意識が無理矢理に半分ほど覚醒した。彼は立ち上がろうとして、しかし力が入らない膝からテーブルに崩れ落ちた。その拍子に氷が入っていた空のコップを床に落としてしまい、周囲の視線がこちらに向くのが分かる。
しかし彼はもう一度巨体を立ち上がらせると、その大きな掌でテーブルを叩き大声を上げた。
「ちょっと待ってくれ。だって、ここに来てから二週間も経ってないんだぞ」
333 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:41:30.66 ID:3SORN3Q00
ゼマルディの喋っている言葉は、共有語と呼ばれている常用言語ではない。いわゆる龍族で使用されている古代語に近い奇妙な発音の言語だ。
酔いと疲れに助けられる形で、シンとしたカフェに轟かんばかりの大声で、ゼマルディは周りにとって意味不明の言語で喚き出した。
「今度こそカランは死ぬぞ! もう無理だ。あの子の体は耐えられない」
呂律が回っていない。ドクは立ち上がると無理矢理にゼマルディをソファーに押し込み、ウェイトレスを手招きしてサイフから幾枚かの紙幣を握らせた。
それだけで意図は通じたらしく、彼女は手早く割れたグラスを片付けると、厨房に引っ込んでいった。乱闘が起きるものかと警戒して顔を覗かせていた店の者達が、ウェイトレスの言葉を聞いて下がっていく。
ゼマルディの隣に移動し、ドクは息をついて口を開いた。
「……おい、落ち着けよ。俺だって色々考えてる。本当に君はすぐ酔っ払うし、しかも酔っ払うとタチが悪いな」
「うるせぇ。誰がどうでどうよっぱらってるってんだ」
334 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:42:06.04 ID:3SORN3Q00
「君がだよ」
「誰が酔っ払ってンだっつーんだよ」
「……」
ため息をついてドクはカードを自分のポケットにしまった。そしてウェイトレスが持ってきたホットミルクをゼマルディに握らせる。
「まぁ、端から見てても君は限界だ。今日はゆっくり休んで、俺にカランちゃんは任せとくんだな」
「酔っ払ってねーっつってんだろ」
「何をそんなムキになってるんだ……」
手を上げて話を打ち切り、面倒になってきたのか、ドクは懐から小さな注射器を取り出した。そして視線が定まっていないゼマルディの首筋に、突然遠慮も解釈もなしにそれを突き刺す。
335 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:42:34.68 ID:3SORN3Q00
針はとても短く、五ミリほどしかない。ハチに刺されたくらいの痛みだ。しかし注入された少量の薬液がもたらした効果は絶大で、ゼマルディは何度かグラグラと頭を揺らした後、カクリと頭を折った。そしてそのままソファーに沈み込んで眠り始める。
急いで注射器をポケットに隠し、ドクはそこで一息をついた。
「……しかし、三本目を直接注入してやっと寝るとはなぁ……一体全体龍の体はどうなってるんだ? 経口摂取じゃ効かないのかな……」
思わずと言った具合で呟く。ゼマルディが眠ったのを確認して、ウェイトレスが近づいてきた。そしてドクに何事かを耳打ちし、彼からまた、さらに札束のチップを握らされる。
ドクが立ち上がると、ウェイトレスは慣れている動作でその席を囲むようにカーテンを閉めた。次いでウェイターの服を着た頑強な男が数人、その周りに警護兵のように立つ。
ドクはそれを見て何度か頷くと、ウェイトレスに手を上げて店を後にした。
336 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:43:00.58 ID:3SORN3Q00
*
次にゼマルディが目を覚ましたのは、それからゆうに丸一日は経ってからのことだった。しばらく状況が分からず、ソファーの上に胡坐を掻きながら何度か頭を振った末にやっと思い出す。
脳の芯がガンガンと痛んでいたが、そんなことに気を使っていられる状況ではなかった。慌てて空中に手をかざし、空間の繋ぎ目を見つけ、そこに飛び込む。
疲れと酔いが抜けきっていないことにより、着地をミスしてしまったらしい。視界が急にゼマルディとカランが住んでいる家の床に切り替わり、途端彼はしたたかに頭を床にぶつけてしまった。そのままゴロンと転がって、背骨を襲った鈍痛に体を丸めて耐える。
337 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:43:30.48 ID:3SORN3Q00
頭を抑えながら立ち上がった彼の目に、ベッドの上に横たわっているカランの姿が映った。正確には、彼女には骨の羽があるために僅かに横向きの寝方になっている。カーテンは全て下りており、部屋の電灯は消えていた。
かなりの音がしたはずだが、カランが目覚める気配はなかった。
慌てて彼女の脇に駆け寄り、その顔を覗きこむ。羽は小さく揺れて音を発している。どうやら体調には、特に異常はないらしい。ベッドの傍らには大量の点滴薬がホルダーにかけてあり、それらはカランの左腕のいたるところに突き刺さっていた。
――おかしい。
確かにカランを診てやって欲しいとは言ったが、ドクにゼマルディがいない間に彼女を治療する理由があるかと考えると、微妙なところなのだ。
そこで彼はカランの毛布をめくり上げてみて、合点が言って額を抑えた。
338 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:44:11.77 ID:3SORN3Q00
彼女の左足は、ルケンから逃げる際に投げつけられた肉切り包丁により傷を負い、そこから腐ってしまった。満足な治療も出来ずに、加えてゼマルディの体力も限界だったことにより一週間あまりも地上ドームのスラム街を彷徨っている過程で化膿し、取り返しのつかないことになってしまったのだ。
太股から切り取られた足には、真新しい包帯がぐるぐる巻きにされていた。血がにじんでいる。どうやら感染症の心配はないとドクが言ったのはただの気休めで、実際はゼマルディの邪魔が入らないところでじっくりと治療にかかりたかったようだ。
それはそうだ。
龍の体は、人間とは違う。
ドクのことを友人として信頼はしているものの、ゼマルディにとってカランの体を弄られるのは別の話だった。薬を自分の内臓から作れればいいのだが、完成するまでに少なくとも後半年はかかる。熟成させる期間が必要だ。
それに――高い適応力を持つ心臓を使用した薬の作成は、一人では出来なかった。そのための協力がどうしてもいるのだが、ドクは何やかんやで首を縦に振ろうとはしない。
339 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:44:38.93 ID:3SORN3Q00
彼によってカランが助かっているのは、少なからずとも事実だ。自分自身もアンドロイドの手をつけてもらい、外見的には問題なく日常を送ることが出来る。
それに、金。
正規の方法ではないのだろうが、ドクはとにかく金を持っていた。
それが今の二人の生命線になっていると言っても、過言ではない。
これだって彼の心遣いだ。カランの体を切り刻んで縫っているところを、ゼマルディに見せたくなかったのだろう。
しかし――。
そのような理。陶然たる事実では片付けられないものが、ゼマルディの中には渦巻いていた。
340 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:45:08.10 ID:3SORN3Q00
カランは静かに寝息を立てている。麻酔が効いているのだろうか……消毒薬の臭いがする。
龍の体は人間とは違う。それはつまり、この地上で市販されている薬は自分達に効果がないということを指し示していた。ある程度はドクの調合によって効き目はあるが、投薬を続けて治ったと思っている傷口がいきなり開いたり……カランの体はその繰り返しだった。いつまで経っても足が治らないのも、そのせいだ。
土台無理な話なのだ。二百キロ以上もまた旅をするのは。
毛布をそっと戻し、ベッドの脇に座り込む。
カランが狂ってしまったのは、ルケンから逃げ出して上空のドームに入り込んでから……別のドームに逃げ出すために密航したトレーラーの中でのことだった。
それまでも、妹の死を見せ付けられたことにより精神に異常をきたしているような兆候はあったものの、傍らのゼマルディが体力の限界であることもあり、気丈に振舞おうとはしていた。
しかし足が段々と腐り始め、連日猛烈な痛みと高熱に襲われるようになってしまい。
辿り着いた先のドームでドクに出会い、解熱に成功した時には、自分がどうしてここにいるのかさえ思い出せなくなっていた。
341 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:45:36.95 ID:3SORN3Q00
――額を押さえ、マスクの上から感覚がない顔の皮膚を触る。
人間なんて、脆いものだ。
こんなにも簡単に壊れる。
こんなにも簡単に、崩壊していく。
そしてそれは、他ならぬ。
他ならぬ俺のせいなんだ。
俺の。
342 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:47:11.12 ID:3SORN3Q00
どれだけの間座り込んでいただろうか。
ぼんやりと床を見つめているゼマルディの後ろで、不意にカランがもぞもぞと体を動かした。その羽がリンリンと澄んだ音を発し、彼女は小さく欠伸をして目を開いた。
弾かれたように顔を挙げ、ゼマルディは彼女の脇に屈み込んだ。
「大丈夫か?」
怒鳴るように聞くと、目の前の妻は白髪をかき上げながらきょとんとした視線をこちらに送った。
「……え? 何が?」
まだ麻酔が効いているのだろうか。かなり眠そうだ。
毛布の中に手を入れ、彼女の小さな手を握る。痩せたその手は、冷たかった。
343 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:47:40.31 ID:3SORN3Q00
「いや……俺がいない間にドクが色々したみたいだから……」
「ドクさん? 来てないよ」
どうやら今の彼女は、記憶が安定しているらしい。ゼマルディのことも夫だと認識できているようだ。
「そっか……まーいいよ」
「どうしたのゼマルディ? 何だか凄く疲れてるみたい……」
横になったまま、彼女は腕を彼に伸ばそうとして……しかし握られていない方の手には注射針がいくつも刺さっていることに気がつき目を丸くした。
「うわっ、何これ」
「お前が元気になるようにだってよ。地上の人間はそうやるんだ」
344 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:48:16.66 ID:3SORN3Q00
「私は元気だよ……」
「ああ、元気だな」
上の空、と言う感じでゼマルディが答える。彼は床に目を落としたまま、知らずの間に握り締めたカランの手に、潰さんばかりに力を込めていた。
しばらく少女は、手の痛みよりも先に彼の顔……憔悴して青白くなったそれを見つめていた。その視線がピエロ型の顔面を半分覆うマスクにスライドし、やがて彼女はそっと口を開いた。
「大丈夫だよ」
「…………何が?」
「怖がらなくていいよ、ゼマルディ」
やつれた顔でそっと微笑んで、カランは顔を上げた彼に向かって続けた。
「私が守ってあげるから、大丈夫だよ」
「…………」
ゼマルディは、答えることが出来なかった。
345 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:48:45.69 ID:3SORN3Q00
少女の手を握っていた大きな手……そこから力が抜けていき、毛布から抜き取られると力なく床に落ちた。
大分長いこと、彼は沈黙していた。
カランはぼんやりとした目で俯いているゼマルディを見ていた。
また少しして、彼女は羽根を鳴らしながら言った。
「……嬉しいなぁ……」
それは、呟き声だった。
ゼマルディは叱られた子供のように肩をすぼめて顔を挙げ……しかし、妻が発した言葉の意外性に怪訝そうに首をかしげた。
「ゼマルディは、どこにもいかない……」
「……」
カランは薄く目を閉じると、手を伸ばして彼の腕を掴んだ。そして何度か手を彷徨わせ、自分の倍はあるかというほど大きな男の手を掴んだ。
346 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:49:19.51 ID:3SORN3Q00
「どこにもいかないんだよ……」
「……」
「ゼマルディ?」
問いかけられ、しばらくしてからやっとゼマルディは顔を上げた。そして僅かに視線を逸らしながらカランのことを見て、口を開く。
「……すまねぇなぁ……」
「何が?」
「………………すまねぇなぁ………………」
同じことを繰り返し、肩を落とす。
347 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:49:54.60 ID:3SORN3Q00
カランは何かを言おうとしたが、それを寸でのところで押し留めた。しばらく間の悪い沈黙が続く。
やがてカランは、彼からそっと視線を外して天井を向いた。
「俺が悪ィ」
「……」
「俺が、余計なことしなけりゃぁ……」
「……」
「お前は、もっと楽に死ねた筈だったんだ」
ポツリポツリと発せられた言葉は、明らかに異常な含みを孕んでいた。
しかしそれ以降ゼマルディは口を閉ざしてしまった。カランはしばらくの間夫の手を握ったまま考え込んでいたが、やがて彼の方を向き、軽く笑い飛ばすように、鼻を鳴らしてみせた。
348 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:50:24.26 ID:3SORN3Q00
「死なないよ」
「……死なない?」
「私は、死なないよ」
繰り返して彼女は言った。
「ゼマルディが、守ってくれるから」
「…………」
「死なないよ……」
自分に言い聞かせるように、カランは呟いた。
349 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:50:58.16 ID:3SORN3Q00
「ああ……」
「……」
「嬉しいなぁ……」
カランは続けた。
彼女は俯いたままのゼマルディから手を離し、そして指先で彼の無事な方の頬に触れた。
「ここにいてくれるんだ……」
「……」
「こんななのに……」
「……」
「私を食べないんだ……」
そっと発せられた言葉に、ゼマルディは過剰すぎるほどの反応をした。ビクッと体を震わせて顔を上げる。見開かれた夫の目を見つめ、しかし微笑んだままカランは目を細めた。
350 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:51:29.74 ID:3SORN3Q00
その翼からは、リンリンと乾いた……しかしすんだ水のような音が鳴っていた。
「こんなに嬉しいのに……」
「……」
「忘れちゃうんだろうなぁ……」
「……」
「忘れちゃうなら……」
351 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:51:58.90 ID:3SORN3Q00
「…………」
「どうして嬉しいんだろうね……」
ゼマルディはしばらくの間、妻の顔を見ていた。だがやがて手を伸ばし、彼女の指に自分の指を絡めて毛布に押し込む。
彼は答えなかった。
目を伏せ、じっと床を見ていた。
カランはそんな夫の様子を微笑みながら見つめ……やがてまた、そっと目を閉じた。
352 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/13(月) 20:56:30.23 ID:3SORN3Q00
お疲れ様でした。第11話「龍対龍」に続かせていただきますm(_ _)m
記憶障害を持ってしまったカランを守ろうとするゼマルディでしたが、ルケンが彼らに追いついてしまい……。
前スレ:
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1327234326/
Wiki:
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ご意見、ご質問などありましたら、Twitterなどでお気軽にくださると喜びますヽ(・ω・) ノ
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次話は、近日中に投稿させていただきます。
ゆるりとお待ちくださいね。
353 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage saga]:2012/02/13(月) 22:07:30.49 ID:qlktQpFDO
そろそろ一番の見せ場、鬱ポイントですね…
354 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 19:56:32.85 ID:EmuY6hvN0
こんばんは。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
まだまだ続いていきますので、これからもお願いいたします。
それでは、今日の分を投下させていただきますね。
355 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 19:59:38.22 ID:EmuY6hvN0
11 龍対龍
程なくして、サバルカンダドームの第一区画にその人間が降り立ったのは、それから三日も経たないでのことだった。
この世界の人間達は、氷という凶器のオブラートに覆われた世界から身を守るためにドームという建造物に身を寄せていた。それは魔法使いも同じことだった。生命体である限り、常温が零下三十度を下回る極寒の世界にそのまま身をおくことは出来ない。
ドームは、それ単体で生命維持機関を有する。つまり空調、浄水設備がある一つの巨大な核シェルターのようなものだ。
それぞれに政府があり、治められている。
しかし、サバルカンダにはそれがなかった。このドームは政府の管轄がない故にスラム化している。しかしその代わりに、大規模な浄水設備と空調設備を持たなかった。簡単なたとえだと、小型のヒーターが何千個も群集して出来ているジャンク機関だとも言える。つまり正規の稼動条件を満たしているドームではないのだ。
356 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:00:05.00 ID:EmuY6hvN0
サバルカンダのようなイレギュラーはともかくとして、普通は――いわば世界中には国が何百個もそのような機関が点在していることになる。しかしそれらが全て繋がっているかというとそうではない。金属片を孕んだ雪と雹の粒は、得てしてあらゆる電波を阻害する。ケーブルも、氷の地層に阻まれて何百キロも先へと延ばすことは出来ない。
つまりこの時代において人々は、各ドームごとにそれぞれ隔離されている状況に当たる。
それでも相互の間に接続があるドームにかんしては、二パターンがあった。一つは比較的近距離でケーブルや電波によりネットが繋がっているか。もう一つは、キャラバンと呼ばれる、極寒の世界をトレーラーで往復する役割を持つ人間達の存在があった。
彼らはそれぞれの市民権……つまりドームにおける国籍を持たない。その代わりに、ネットで繋がってドーム間を旅し、品物や手紙等を届けたりする。
まさに命がけの、放浪の民族だ。
357 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:00:40.69 ID:EmuY6hvN0
氷の世界と一口に言っても、そんな単純なものではない。厚さ数百メートルにわたるクレバスが走っていたり、時には零下三十などをはるかに越える、もはや極寒と言うレベルを通り越した場所さえも存在している。
キャラバンがそこを横断することが出来るのは、詰まるところそれだけの装備に守られているからに他ならない。通常のトレーラータンクの四倍以上もの大きさを持つ、重機といっても差し支えない巨大機械の群……それが小さいキャラバンでも、最低で五台は群集し、二十人以上の人間が協力して進む。
その、キャラバンの一つだった。
それは。
ドームの第一階層。つまり関所に当たる、各所からたどり着いたトレーラーを収容する場所が、ドームには存在している。旅人はそこで休息し、荷の積み下ろしや逆に積み込みなどを行う。
358 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:01:17.40 ID:EmuY6hvN0
そこに、深夜三時を越える頃。
ダイナマイトでも数十本束にして炸裂させたかのような轟音が響き渡った。雪と寒さから内部を守る外壁が、外側から砲撃でも受けたかのようにひしゃげ、そして合成金属の破片と黒煙、液体燃料が引火し、赤黒い爆炎を吹き上げた中、外側からの肌を突き刺す冷気がトレーラー格納倉庫に吹き込んだ。
益々、内部に転がり込んできた燃え盛るそれは炎の勢いを増していた。ゴロン、ゴロン、と数十トンもある鉄の塊……大型トレーラーだと思われる、圧搾されたようにぺしゃんこになった鉄の塊が、燃え盛りながら手近な、停車されていたトレーラーにぶつかり……押しつぶし、そして連鎖的に爆発を起こした。
それで近くで検問をしていた関所管轄者や、キャラバンの人間達は吹き飛ばされた。
まるでゴミのように、綿帽子のように圧倒的な熱量に薙ぎ飛ばされ、壁に叩きつけられ。
誰も反応が出来ない、突然すぎる出来事だった。
359 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:01:47.93 ID:EmuY6hvN0
トレーラーの爆発は、連鎖的に広がっていった。横転すると起き上がらせることは不可能だといわれるほど、巨大な乗り物だ。それが薙ぎ倒され、押しつぶされるほどの強力な……考えられない力で、外部からの侵入者は投げつけてきたのだ。
数十トンもある、鉄の塊を。
とっさに物陰に隠れた職員の目に映ったのは、戦車でもカタパルトでも何でもなく。ただ、悠々とポケットに手を突っ込んで自分があけた壁の穴から足を踏み入れる……小さな子供の姿だった。
炎と悲鳴、そしてまるでウェハースのように倒壊する外壁の踏み閉め、少年はニヤニヤと生理的嫌悪を催す笑顔で笑いながら、近くの瓦礫に押しつぶされた人間……だと思しき残骸を冷めた目で見下ろした。そしてそれをぐりぐりと爪先で踏みにじり、赤い発色と共にけたたましい警鐘を鳴らし始めた非常ベルに目をやる。
360 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:02:13.85 ID:EmuY6hvN0
ドームの外壁や天井には、予期せぬ災害に備えて内部シェルターを展開する機能が備わっている。火災などが起こってしまっては、閉鎖空間のために燃え広がって取り返しのつかないことになるからだ。
未だにトレーラーの横転は、ドミノのように続いていた。この季節は横断者の群れが多くなることに加え、サバルカンダの格納施設はそんなに大規模なものではなかった。それゆえに密集している地帯に、投げ込まれた燃え盛る鉄の塊がぶつかってしまったのだ。
火花と、合成コンクリートが砕けて巻き上げられる高音。そして鉄がひしゃげて飛び散る音。
地面から厚さ一メートルほどの断熱シェルターが競りあがってきて、円形に格納庫をシャットアウトしはじめる。次いで天井のスプリンクラーが動作し、身を切るような冷たい、白濁した水が降り注ぎ始めた。
少年はそれを頭の上から浴びながら、詰まらなそうに顔を拭った。そして背後のシェルターに閉じられた穴を一瞥する。
361 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:02:53.07 ID:EmuY6hvN0
列車が突っ込んできたように、一部が凄まじい惨状になっている。スプリンクラーの水だけでは沈火が出来ない。また爆音を立てて一つのトレーラーが爆散した。その破片がゴヅ、ゴヅ、と音を立てながら、瓦礫の上に仁王立ちになっている少年の脇まで飛んでくる。
燃料タンクの一つ……と思われるものがまた爆発し、非常口に向かって逃げようとしていた男が数人、宙を舞った。
人間がこんなに簡単に飛ぶものか……と思うほど、あっさりとした飛翔だった。歪に手足を歪めながら、そのうちの一人が少年の方に隕石のように。高所五、六メートルの地点から放物線を描いて落下する。
少年は面白そうに笑うと、ゆっくりと足を踏み出し、濁った雨の中その男の落下地点まで移動した。そして彼の体が自分に激突する寸前で。
固めていた拳を、それに向かって突き出した。
パン、という拳銃でも撃ったかのような音がした。
身長百五十にも満たない少年。
彼の細い腕は、他ならぬその男。同じ人間であるはずの彼の胸を。
まるで砂糖菓子のように貫通していた。
362 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:03:25.58 ID:EmuY6hvN0
モズの早贄を連想とさせる惨状の中、犠牲になった男性が一度だけ激しく痙攣して白目をむき、動かなくなる。
即死だった。
少年は着ていた白い、タキシードのような服がその返り血でベトベトに汚れているのを見て嬉しそうに破顔した。そして子供のように甲高い声で笑いながら、男の体をもう一本の手で引き抜き、脇に放り投げる。
同じ人間の胸を貫いた手の先には、肋骨の断片と共に、水鉄砲のように血管の断面から血液を噴出している心臓……生き物の中枢が握られていた。
それをしばらく眺め回し、大きく口を開けて一部をむしゃりと噛み千切る。意外と弾力が強いらしく、ゴムのように伸びたそれを頭を振って租借してから、ベッ、と少年は吐き出した。
「……メラ……レディ・ラ、ノエラ……」
忌々しげに、聞いたことのない言語をおかしなアクセントで呟く。そして彼は手に持っていた肋骨と心臓の残骸を、べしゃりと足元の瓦礫に叩きつけた。
「アラウ」
そこでやっと、恐怖が爆発した。
363 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:04:01.37 ID:EmuY6hvN0
全ての人間が唖然としながら。
火災と爆発の中、その意味不明な虐殺を見つめていたのだ。
凍り付いて、硬直してただ見つめていた。
それは紛れもなく。
小動物でしかなかった。
口々に訳のわからない絶叫を上げながら、我先にとその場の人間達が非常口に殺到する。それを冷めた目で見つめながら、少年は一つ息をつき、顔に降りかかってくる雨を手で拭った。
そして軽く胸をさすり、ぐるりと周りを見回す。
爆発から数分。天井からのスプリンクラーも、やっと調子が出てきたのか水流が増してきている。茶色く濁った汚水まで含んでいた。燃え盛っていたトレーラーも、連鎖爆発の状況は脱したようだ。しかし未だに液体燃料に引火したまま火を上げているものもある。
まるでスコールのような状況の中、少年は瓦礫を踏みしめてまた歩き出した。
364 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:05:21.23 ID:EmuY6hvN0
その目が、管理塔だと思われるプレハブ小屋に留まる。電気がついていて、大きな合成ガラスつきのドアからは、床に座り込んで腰を抜かしている若い娘……年の頃は十五、六ほどの少女の姿が見えた。
パチン、と指を鳴らし。
少年は逃げ惑うキャラバンや職員の群れには目もくれず、大股でそこまで近づいた。そして乱暴にドアを開き、ズカズカと足を踏み入れる。
一部始終を見ていたらしく、血まみれずぶぬれの少年に足を踏み入れられ、少女は半狂乱になった。頭を抑えて金切り声を上げ、必死に立ち上がってそこから逃げようとする。
その子の髪を掴まえ。
ぐるりと彼は、自分と同じくらいの人間の体を片手で振り回し壁に叩きつけた。
365 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:05:44.62 ID:EmuY6hvN0
パッ、と赤いモノが部屋の中に散った。いや、散ったというよりは、飛び散った。凄まじい量の肉片、血液、骨や良く分からないものが、固形物から流動物になり撒き散らされる。
それは人間という一つの塊がシュレッダーにかけられたような……そんな凄まじい力の本流だった。
胸が焼けそうな光景の中、少年はずるずるになった頭を手で拭い、手に持っていた残骸をポイ、と投げ捨てた。そしてしゃがんで粘性の水溜りの中からピンク色の手の平大の塊を引き上げる。
彼はそれを口の中に入れ、満足そうにドス黒い笑みを発した。
366 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:06:11.47 ID:EmuY6hvN0
*
警報が鳴った。
それは、魔法使いがドーム内に進入したということを示すサインだった。最も、魔法使いの中には理性的なタイプもおり、そう言った者達は少なからずともむやみに人間に手を出さないようにとしていることもある。しかしそんなことは極少数で、大部分はその捕食衝動によりドーム内に入り込んだ途端、圧倒的な力での虐殺を行う。
その警報は、虐殺が始まったことをドーム内市民に知らしめるためのものだった。
最も、それを知ったからといっても魔法使いの力によっては人間にはどうすることも出来ない。ただいたずらに恐慌を引き起こす場合だってある。スラムが群集しているサバルカンダの場合、今回がまさにそれだった。
先を争って地下シェルターに入ろうとする者、とにかく大通りに向かって飛び出す者。様々だったが、深夜のそれはパニック、それそのものだった。
ドクがゴキブリの群れのように重なり合って走っていく人々を掻き分け、何とかゼマルディとカランの家の扉を蹴り開けた時には、警報と阿鼻叫喚の声は最高潮になっていた。揉みくちゃにされて半ば破れた白衣を脱ぎ捨て、青年は大声を張り上げた。
367 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:06:45.52 ID:EmuY6hvN0
「マルディ、いるか! 返事をしろ!」
人間達が走り回っているせいで、脆弱な基盤に経っているマンションはグラグラと足元が定まらない。天井の薄汚い蛍光灯が、電気を発したまま揺れていた。
ドクは口を開いた瞬間に飛び込んできた異様な臭い……まるで爬虫類の腐臭のようなそれに思わず鼻を押さえた。刺激が鼻腔を突きぬけ、目にまで達する。
「何だこの臭い……」
その目が部屋の隅の方でうずくまっている大きな影と……そしてベッドの隅に丸くなり、何度も何度もえづいているカランの姿に止まる。
「お……おい!」
慌てて叫び、部屋の中に土足で足を踏み入れる。
368 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:07:14.51 ID:EmuY6hvN0
比較的几帳面な性格のゼマルディにより整頓されていた部屋は、今や戦時中のような様相を呈していた。タンスやテレビなどの家具は滅茶苦茶に壁に叩きつけられ、ひしゃげてしまっている。
その中で、ベッドから少し離れた位置のカーペットの上でゼマルディはうずくまっていた。マントの下の体をブルブルと震わせ、マスクごしに顔を覆っている。
「マルディ、おい!」
蒼くなって彼の体に手を置こうとしたドクの耳に、奇妙な『音』が飛び込んできた。
最初は水道管が震えているのかと思った。もしくはヒーターのファンが回る音かとも思った。
いや、違う。
声だ。
唸り声。
これは、他ならぬ目の前の大男が。
うずくまっている彼が、喉を猛獣のように震わせながら唸っている声に他ならなかった。
369 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:07:42.95 ID:EmuY6hvN0
「ウルルルルルルルルルルルルルルルル」
少なくとも、ドクの耳にはそう聞こえた。頭を抑えている間から、彼の無事な方の左目が……まるで発光ダイオード、それを連想させる強い赤色に発光しているのが見て取れた。
カタカタ、と彼の周囲に転がっている、割れた茶碗の破片が動いていた。地震ではない。確かにマンション自体は揺れているが、それによるものではなかった。大男の体に引き寄せられるように震えているのだ。
半開きになった口からは涎が垂れ下がっている。その長髪は、根元から水の中のようにゆらゆらと揺れていた。
体が小刻みに震えている。
「なっ……何だ……これ……」
それは、ドクの見知った人間であり、友人である彼の姿ではなかった。容姿ではない。雰囲気……それが人間ではない何か。端的に近寄れない、近寄ることを本能が拒絶している。
370 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:08:10.80 ID:EmuY6hvN0
思わず後ずさる。
それは考えてやったことではなかった。
反射的に、医者であり病人を救うことが出来る彼は、しかしそれでも尚……明らかにおかしい彼を見て後退したのだ。
これ以上近づいたら危ない。
理由は分からない。分からないが、そう感じてしまったのだ。
そこでハッとして、ベッドの隅に丸まっているカランに目をやる。
白髪の少女は背中から骨羽を垂れ下げ、ガラスが割れたような音を断続的に発しながら、胸を押さえていた。シーツの脇には吐き散らしたのかおびただしい量の吐しゃ物が見て取れる。ひとまず異様な大男から離れることを、ドクは優先した。
カランに駆け寄り、ぐったりしているその体を抱き上げる。
目を半開きにして力なく息をしている少女には、反応がなかった。切断した右足には義足が取り付けられている。どうやら逃げるつもりだったらしい。
カランの体は、想像をはるかに超えて軽かった。子供かと錯覚してしまいそうなほど、重さがなかった。パサついた白髪を後ろに流してやり、足を踏み出し。
371 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:08:48.43 ID:EmuY6hvN0
そこで、カランをドクが抱き上げているのを横目で見たゼマルディの唸り声が大きくなった。
「ウルル……クル……ククルルルル……」
言語ではない。もっと単純な何かだった。
「クルルルルルルルルルルルルルルルル」
彼が動いた。ぐらりとふらつきながら立ち上がる。そして片手でマスクを直し、奇妙に発光している目でドクを睨みつける。
マスクを動かした左腕は、手の甲までびっしりと……トカゲのような薄緑色の鱗で覆われていた。
ゼマルディの顔は、不気味な容貌に変質していた。彼の特徴的なピエロのマスクがなければ分からなかっただろう。腕一面に広がったその鱗が、皮膚を突き破り血と皮、そして油を垂れ流しながらミキミキと音を立てて内部から競りあがってきているのだ。
372 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:09:18.61 ID:EmuY6hvN0
人間の顔ではなかった。
トカゲ……いや、ワニに近い容貌を呈している。口は本当に耳まで裂け、傷口からは涎と血が垂れ流されていた。先ほどはマスク側から見たので分からなかったのだ。
口の傷口からウロコが肉の内側より競り上がり、そして塞いでいく。次いで立ち上がったゼマルディの口からボロ、ボロ……と何かが床に転がり落ち始めた。
歯だった。
「カルル……」
唸りながら、彼はドクの方に足を踏み出した。そして生身の方の左腕の関節を奇妙な方向に曲げながら持ち上げる。
その爪がはじけ飛び……キリのような棘……が肉から飛び出すのと、歯抜けた痕から、サメの歯のように鋭い光沢を発した牙が噴出し始めたのは殆ど同時のことだった。
373 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:09:52.58 ID:EmuY6hvN0
――訳が、分からなかった。
ドクは普通の人間だ。何の力も持たない、ただ大学と古代史をかじっただけの男だ。
しかし、彼は。
マルディは自分と同じだと思っていた。人種は違えど、分かり合える存在だと思っていた。
友達だったから。
恩人だったから。
だから、自分とはなんら変わらないと。心の片隅ではそう安穏と考えていた。
彼が龍だと分かっていながら、それを本質では分かっていなかったのだ。
正直何が起きたのかはさっぱり分からなかった。しかし異変が起きていることは確かだ。ドーム内に魔法使いの虐殺警報。それに準じてのゼマルディの異変。
374 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:10:23.34 ID:EmuY6hvN0
――明日逃げるはずだったのに。
脳内に最悪の想像が湧き上がる。明日……あと一日。あと一日さえ耐え切れば、やっとのことでマルディを説得し、このドームを離れられるはずだったのに。
ガクガクと体を震わせながら、爬虫類のようなウロコに覆われた大男が、ゆっくりと足を踏み出す。次いでそれらウロコは、まるで機械兵器のの装甲板のように音を立てて後方に流れた。そしてそれぞれの隙間から、フシューと軽い音を立てて白煙を噴出し始める。
今や、ゼマルディの姿は既に人間のものではなかった。体格やマスクなども相まって、もともと普通には見えない容貌をしてはいたが……それを軽々と凌駕して有り余るほどの変質だった。
爪は、千枚通しのように二十センチ以上ものキリ状のものが指先から飛び出している。口の端からはセイウチの牙のような、赤黒いモノがいくつも飛び出していた。
フォルムは人間のものだ。しかし、その顔や腕はペッタリと体に張り付き、白い煙を噴出しているウロコに覆われている。
375 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:10:50.05 ID:EmuY6hvN0
さながら全身タイツのような鎖帷子を着た感じだ。背中をぐるりと、アーチ型に猫背にさせ、腕をブラブラさせながら……ゼマルディだったソレは、牙をガチガチと鳴らした。その喉が振動しているのが見て取れる。ウロコの奥……瞳の部分がバイザーのように透け、赤い瞳が見えていた。
涎と血液が入り混じった汚汁を口から垂れ流しながら、ゼマルディはまた一歩を踏み出した。途端、彼の首筋のウロコがエンジンノズルのように上に開き、プシュー……と蒸気圧を連想させる白い煙を吐き出す。それと同時に、強烈な汚臭……というのだろうか。鼻が曲がりそうな生臭い臭い。そう、まるで死体の臭い。内臓と血液が腐り、深緑色の液体に溶けていく際の、腐臭のようなものが周囲に充満した。
「アル……アルラ……アルルルレ……レレ」
訳のわからない唸り声を上げながら、その異形の怪物はフルンフルンと頭を振った。発光している目の焦点が合っていない。
思わず臭いにむせ、咳き込んだドクの手にぬるりとした感触が伝わった。慌てて手の中のカランを抱きなおし、そして手を開いて唖然とする。ベットリと血がついていた。急ぎカランの背を見たドクは蒼くなった。
376 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:11:20.69 ID:EmuY6hvN0
動転していた。
気づかなかった。
いざ気づいてみると、どうして分からなかったのかが分からない。
――カランの羽。
その左一本が、根元から引きちぎられていた。服をたくし上げると、血液の塊と共に肺まで達しているのではないかというくらいの深い、丸い穴が目に飛び込んできた。
とっさに傷口に自分の手を当て、強く抑える。蓋のように血液の流出を防ごうとしたのだ。目の前のゼマルディのことよりも、手の中の小さな女の子を助けようと視線を部屋の中に巡らせる。確かガムテープがあったはずだ。本来ならそんなものは使用できるはずもないのだが、緊急事態だ。止血をしなければ命に関わる。
377 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:11:49.40 ID:EmuY6hvN0
そこで。
ドクの目が、部屋の片隅に無残に転がっていたカランの骨羽の残骸を目に留めたと同時に。
目の前の化け物が、背中を丸め力を込めた……と思った瞬間、跳躍した。
掻き消えた。
飛び上がったと思ったのはつかの間で、見逃すはずもない巨体が消えた。まるで蜃気楼のように、フッと無くなったのだ。
「は……?」
あんぐりと口を空け、停止したドクの首を、不意に抱きかかえていたカランが痙攣している手を伸ばし、力の限り掴んだ。そして頭を下に向けさせる。
転びそうになりつんのめった彼の後頭部を、いつの間に移動したのか――友人の爪が横向きに凪いだ。
「キャルルルルルルルルルルルル」
甲高い高周波のような音を喉から発しながら、鎖帷子男は腕を振りぬいた。いつの間に移動したのか、さっぱりわからなかった。気配も何も感じさせずにドクのすぐ背後に立ったゼマルディは、太い腕をそのまま合成コンクリートの壁に叩きつけた。指先から伸びていた爪が、鉄にも匹敵するその壁に半ばまで突き刺さり、亀裂を走らせる。
378 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:12:34.35 ID:EmuY6hvN0
腰が抜けた。
いい年をして、と自分で自分にどこか冷静な頭が突っ込む。しかし現実はそう単純なものではなかった。ドクは自分のことを少なからずとも逆境に強い人間だと思っていたし、げんにその性分のおかげで今まで無事に生きてきた面も多々あった。
しかしこれは違う。
何かと明確な事実を提示することは出来ないが、全くの別物だった。
圧倒的な絶望感。力の差……どう足掻いても太刀打ちできないという、『種』の差。その恐怖を間近で感じすぎてしまったのだ。理性は冷たく事実、そして最適な行動を算出しているが、本能に近いところで体が動かない。
腰から力が抜け、かろうじてカランを抱いたまま、尻餅をつく。
ゼマルディは爪を壁から引き抜くと、ウロコが閉じて全身タイツのようになった体……マスクから除く半分の顔でこちらを見た。
その頭部――左額の部分が不意に盛り上がり始め、肉と皮が裂ける音を響かせながら、内部から木の枝を連想とさせる薄茶色の突起が競りあがり出す。およそ二十センチほども噴き出ると、血と油をしたたらせながらそれは止まった。
379 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:13:06.83 ID:EmuY6hvN0
――角。
角だった。水牛の角のように尖り、先端は獲物を串刺しに出来るかのごとく、鋭い輝きを発していた。
頭を振り、大男はまた腕を振りかぶった。
そしてためらいもなくドクの頭に爪を突き刺そうとして……。
そこで、震える手を上に向かって伸ばした、自らの伴侶……カランの姿を見止め、腕を停止させた。
「フシュルルルルルルルルル………………」
生身の体中から白い煙と死臭を発しつつ、口の端から涎を吹き散らす夫の姿を、憔悴し切った瞳でカランは見ていた。彼女の細く、痩せた右腕は伸び、ドクの顔の前で止まっていた。
その白い掌に突き刺さる寸前で、爪が震えている。
380 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:19:01.48 ID:EmuY6hvN0
「よかった……」
「ルルルル……」
「ちゃんと……変身、できたね……」
「ルルルルルル……」
「…………わたしが…………」
「アルルルル……」
「私が、守ってあげるから…………」
「ルル……」
「行って…………」
381 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:19:27.48 ID:EmuY6hvN0
痛みと命が薄れていく感覚の中、ニッコリと。
少女は異形と化した夫の顔に向かって微笑んでみせた。軽く首を傾げ、目を細める。
「あなたは…………前に、こう、聞いたことがあったね……」
「…………」
「好きになってくれるかって…………」
「…………」
いつの間にか、ゼマルディは唸るのを止めていた。まるで彫刻のように動きを止めたまま、目を戸惑うように明滅させながらカランを見ていた。
少女は一本だけ残った羽をリン、と鳴らしてから手を伸ばし――そして大男のウロコが覆った頬に手を触れた。
382 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:19:59.55 ID:EmuY6hvN0
「私も聞くね…………」
「…………」
「これで……私のこと…………」
「…………」
「好きになって、くれますか……?」
「…………」
「私が死んでも……」
「………………」
「私のことを、好きになっていて、くれますか……?」
383 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:20:28.87 ID:EmuY6hvN0
一秒経ち。
二秒経ち。
阿鼻叫喚と、警報が鳴り響く空の中。
唖然としているドクと、微笑む妻の前で。
呆然とし、停止し、そして泣きそうに顔を歪めて。
それから龍は、吼えた。
爬虫類を連想させる裂けた口を大きく開き、生身の腕を指先まで開ききり、ゼマルディは天上を仰いで吼えた。
言語も、音も。
そんなものはなかった。
ただそれは純然たる、単純でいて一本の吼え声だった。
384 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:21:00.55 ID:EmuY6hvN0
ガタガタガタガタと周囲の家具や壁……いや、空間それ自体が怪物の体中から噴出する白い煙の圧力に押されて、振動し始める。空気の粒子から震えているようだった。
夫の雄たけびを聞き、その叫び声が途切れた後。カランは疲れきった顔で嬉しそうに目を閉じた。
「ちょっと……寝るね…………」
しばらくの間、ゼマルディはカランのことを発光する瞳で見ていた。
やがて彼は。
妻がか細い、虫のような寝息を立て始めたのを確認し、後ろに足を軸にしてぐらりと倒れこんだ。そのままプールに飛び込みでもするかのように、その異形の体が何もない床に沈みこみ、トプリと消える。
ドクは、しばらく経っても立つことが出来なかった。ただひたすらに少女の陰惨な傷口を押さえながら、その場にへたり込んでいた。歯がガチガチと意識しないのに噛み合っている。顎の筋肉が意思を離れたみたいに言うことを聞かない。
あれが、龍。
――あれは、龍。
人間では、ない。
385 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:21:34.63 ID:EmuY6hvN0
*
ルケンが市街地に入ったのは、トレーラーの格納庫で大惨事を起こしてから、一時間も経たないでのことだった。血液と内臓、そして汚水でズブ濡れの格好のまま、ポケットに手を突っ込んでニヤニヤしながら道路を踏み閉め、歩く。
齢十二歳前後の彼は、右手でズルズルとずた袋のようなものを引きずっていた。
若い女性の……いや、人間だったものの死骸だった。髪を掴んで無造作に、殆どミンチとなったそれを引き、地面に黒いシミを後びかせていく。
サバルカンダのスラム街は、不法滞在者で構成されている。つまりビザも、市民権も持たない人間の集まりだ。子供の出生確認もなされていない閉鎖空間には、人間が溢れかえっている。そんな一時間二時間でシェルターに全員が非難できるわけもなく。今だ道路には人間達が溢れかえっていた。
彼らは口々に恐怖と絶望の声を上げながら、蜘蛛の子を散らすように……自分だけはと、ルケンから離れようと駆け回っている。
面白そうにぐるりとそれを見回し、血の染みで妙な色になっている服を翻し、ルケンは手に持っていた人間の残骸を、砲丸投げのように振り回した。そしてパッ、と手を離す。
放物線を描いてその血袋は飛んでいくと、百メートルは離れたところを駆けていた、親子連れと思われる母親の頭に直撃し、もろとも手近なマンションの壁を轟音と共に突き抜けた。
386 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:22:14.42 ID:EmuY6hvN0
パン、パンと笑いながら手を叩き、少年は悠然と歩くと、道の脇で腰を抜かしていた五歳程度の女児の前で立ち止まった。この騒乱の中、親とはぐれてしまったらしい。目を飛び出しそうなまでに見開いて、口をわななかせている。
それに向かって何のためらいもなく広げた手を伸ばし……。
次の瞬間、ルケンは猫のような動作で反射的に。
その場から大きく跳び退っていた。
何に反応したのか、分からなかった。背中を丸め、地面に足の裏を叩きつけた少年の体は、地面が弾性をもつトランポリンであるかのようにフワリと空中を舞った。そのまま十……二十メートル以上も上昇を続け、やがて背後のビル、その屋上に軽々と着地する。
しかし人間には到底ありえない跳躍を為した後でも、ルケンは本能の芯から、思わず腰を落としてその場に視線をグルリと這わせた。
387 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:22:46.75 ID:EmuY6hvN0
いつの間にか、顔面が蒼白になっていた。
それは反応。
そう、紛れもない単純な反応だった。
心臓が破裂するのではないかというくらい激しく脈動していた。
それはルケンにとって、産まれて初めて感じたモノだった。
凄まじい臭いだった。
悪臭、腐臭、死臭。
それら全てを煮詰めて濃縮したような、とてつもないヘドロの臭いだった。
それが不意に体全体を包んだのだ。
388 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:23:15.30 ID:EmuY6hvN0
鳥肌が立っていた。
何が起こったのか、分からなかった。
気づいた時にはもう遅かった。
何の気配も感じさせずに。
いきなりルケンは、後頭部を何か金属質のモノに鷲掴みにされた。
「ルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル」
バイクのマフラーのような高音が背後で轟いた。心臓までもが凍りつき、一瞬だけ体が萎縮する。
389 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:23:51.78 ID:EmuY6hvN0
予想外のその事実により固まってしまったのは、大きかった。
万力のような力で後頭部を締め付けられ、次いで首のみを支えにして小柄な少年の体が軽々と一メートル以上も持ち上げられた。
抵抗しようとした途端。
背後に立ったその『人物』は、ルケンを掴んだまま、腰を曲げて野獣のように跳躍した。エンジン。それを連想させる白く、悪臭を孕んだ水蒸気を体中から噴出させながら。
ゼマルディはその巨体ごとルケンを押さえつけ。
地上二十メートル以上もの地点から落下し、斜め上から向かいのマンションに――彼の体を下にして突き刺さった。
390 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/15(水) 20:28:35.89 ID:EmuY6hvN0
お疲れ様でした。今日の投稿はここまでになります。
毎回お付き合いいただいて、ありがとうございます。
寒いですが、皆様も体調を崩さないようお気をつけくださいね。
それではまた、今度。
391 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:04:25.14 ID:Z6fjuYRs0
こんばんは。12話の投稿をさせていただきます。
392 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:08:39.28 ID:Z6fjuYRs0
12 音速の人
彼女はいつもと同じように、そこにいた。
うずくまって震える彼を痩せた腕で、しかし彼のものよりもはるかにしっかりとした温かさで背中から抱いて、さすっていた。
名前も、顔も思い出せなくなっていた。
覚えているのは事実だけ。
それも多分、明日には忘れてしまう。
この子はもう、駄目だ。
もう、どう足掻いても駄目だ。
とても別のドームに逃げるなんて出来るはずがない。
393 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:09:14.08 ID:Z6fjuYRs0
それ以前に……逃げて、それからどうする?
逃げて、逃げて、逃げて。その先には一体何があるのだろうか。いずれ死んでしまうであろう、この忘却の時間を繰り返して、心身ともに崩れていって、結局は何が残るんだろうか。
そもそもが間違いだったこの恋には、ちゃんとした結末なんてありようもないのに、それを望んでしまっている自分がいた。
自覚してしまった途端、自制していた何かが崩壊してしまった。
ただ、彼は恐ろしかった。
どこまでもどこまでも追ってくるであろう影が恐ろしかった。
――たとえそれが正しいことだったとしても。
――たとえ社会通念上、自分は善だったとしても。
悪いのは自分なのだ。
正義によって裁かれることは何ら間違いではなく、それはただ単に正しい事であり。
394 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:09:51.66 ID:Z6fjuYRs0
――分かっていたことじゃないか。
分かっていたことではないのか?
そんなことは重々承知の上で、自分は動いたのではなかったのか?
その結果がこれか。
この子は発狂し、自分は不具。最愛の人の妹は惨殺され、依然相手はピンピンしている。
そして見つかれば、自分は極刑。この子は認識が崩壊するまでいたぶりつくされ、そして喰われてしまうだろう。
そうだ、それが。
それが正しいことだったんだ。
395 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:10:27.75 ID:Z6fjuYRs0
何が良くて何が悪いか何て、考える必要はなかったんだ。
だって、俺が何もしなければ。
少なくとも俺が何もしなければ。
この子は外の世界も知ることもなく、外の暖かさを知ることもなく、男も、常識も、優しささえも知ることもなくただ生きて、殺されて魂に還っていた筈なのだ。
その循環の輪を壊してまで、自分は何をしたかったのだろうか。
与えてあげられたのは、治らない傷と、欠落した心と、壊れた記憶だけだ。
――結局は。
結局は――。
俺は、この子をさらに壊しただけなんじゃないのか?
もっと残酷に、生きろ、生きろと囁き続けているだけなんじゃないのか?
なら。ならば今いっそ。
ひとおもいに。
396 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:11:00.23 ID:Z6fjuYRs0
*
気づいた時には、ゼマルディは白髪の妻の上半身を折るようにして覆いかぶさっていた。その無骨な左手……一本だけ残った腕で、棒のような彼女の首を握り締めていた。
カランは、何度か口をパクパクとさせると、一瞬だけ目を白黒とさせた。しかしすぐに、泣きそうに――いや、実際うっすらと涙を浮かべている夫の顔を見て、体の力をフッと抜いた。
ぐったりとしたカランを見て、ゼマルディはすぐに我に返った。そして慌てて彼女を抱き寄せ……ボロボロと大粒の涙を零した。
歯が、ガチガチガチガチと鳴り響いていた。
潰れんばかりに抱き寄せられ、細く息をしながら、カランは青白い顔を彼の肩に押し付けた。そしてゆっくりと、その背をさすってやる。
大好きな彼の背中を撫でながら、少女は掠れた声を発した。
397 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:11:26.33 ID:Z6fjuYRs0
「…………こわい?」
先ほど喉を傷つけてしまったのだろうか。微妙にくぐもっている。
ゼマルディは、彼女の顔を直視することが出来なかった。
「いいんだよ…………こわくても…………」
「…………」
「怖くなきゃ………………人間じゃないよ」
ただ。一言の呟きだった。
それは、本当に一瞬の言葉だった。
398 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:11:57.06 ID:Z6fjuYRs0
ゼマルディという一個の存在が今まで生きてきた中で、砂粒以下でしかない程の時間を占有した、その一言。
しかしそれは。
彼の今までの人生それ全てを押し流し、洗い流してしまうほど。
圧倒的に、優しすぎる言葉だった。
「あなたもわたしも、人間だもの…………」
そう言って、少女は頭を彼にこすり付けた。
399 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:12:26.55 ID:Z6fjuYRs0
*
それは唸り声だった。
純然たる、最も根幹的な威圧だった。
そしてそれは、笑っていた。
笑顔、それは最も単純で。
最上の圧倒的たる、優勢事実を示していた。
口を裂けそうなまでに広げ、隕石のように地面に衝突しても尚、その異形のものは地面を踏みしめ悠然と立ち上がった。
「キャルルルルァァァァァァァアアアア」
一際高く絶叫し、飛び退り。それは闘牛がするように頭を激しく振りたくった。
400 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:12:56.68 ID:Z6fjuYRs0
マンションの最上階から落下したルケンとゼマルディは、合成コンクリートの地面を深度二メートル以上もすり鉢型に陥没させていた。その中心に、ルケンは頭を抑えてうずくまっていた。
驚異的なのは、化け物の耐久力より先に生身であるはずのルケンが、落下の衝撃に耐え切っているという事実だった。左肩の骨が砕けているようで、奇妙な方向にダラリと垂れているが……後は頭を打っただけのようで、命に別状はない。
落下時の衝撃は、その重量と速度、高さにより加算されていく。トラックに正面衝突した時の非にならないほどの衝撃だったはずだ。
頭を振り、右手で左肩を押さえようとして、しかしルケンは痛みに小さく叫び声を上げた。
髪の間からぎらつく目を上げ、彼は自分を地面に叩きつけた張本人を視認し。
その場に硬直した。
401 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:13:44.79 ID:Z6fjuYRs0
「カル、カル、カル、カル」
断続的に唸りながら、猫背のウロコ男がゆらゆらと足を踏み出す。
「なんだ……あれ……」
立ち上がった足が、震えていた。
知らない。ルケンは、こんなモノは知らなかった。だがあれは……あれから溢れてくる、この異様な臭いは。
あの重罪人の体臭と、そして自分の同族の臭い。
それ、そのものだった。
つまりあれは俊足のマルディなのだ。
間違いなく、殺そうとして長い間追ってきた相手なのだ。
402 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:14:14.26 ID:Z6fjuYRs0
何が起こったのか、どこがどうしてああなったのか推し量ることなどできようもなかった。イレギュラーもイレギュラー。予想なんて出来ているはずもなかった。追いついたら目の前で四肢をもぎ、カランが狂乱している様を見せてやりながら殺すつもりだった。
それは、簡単に出来るはずだったのだ。
――無理だ。
一目見ただけで、ルケンはそう判断した。
彼の理性がではない、心がだった。
戦うことさえ、しようとも思わなかった。
理由は単純だ。
確実に。
そう、確実に殺される。
それを本能が確信したのだ。
403 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:14:54.76 ID:Z6fjuYRs0
理由も経緯も、それを考えるより先に、ルケンは本能的に逃走を選んでいた。痛みなんて感じている暇はなかった。砕けた左肩を気にかけるまでもなく、力が入らない足に無理矢理に意識を集中し、その場を飛びのこうとする。
しかしそこで、彼はまた……今度は背後から首を掴まれた。ハッとした時は、既にキリのような爪が喉の皮を破り、肉に食い込み。そして圧倒的な力で振り回されていた。
最初はもう一人奴の仲間がいるのかと思った。しかし背後に人影はない。加えて、目の前の大男には全く動きがなかった。
否。
怪物の左腕……そこが、半ばからなくなっていた。腕の断面が水面のようにゆらゆらと動いている。まるで切断されたかのように切れているのだ。
振り回されているまま、ルケンの横目に。
空中に浮かんでいる、二の腕から切れているゼマルディの左腕が写る。
404 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:15:19.57 ID:Z6fjuYRs0
まるで重機のような力だった。逆らうことも出来た。しかしそれを行うと、支点として掴まれている自分の首が握りつぶされたり、へし折れたりする危険性がある。
ありえない。
蒼くなる。
奴の力は、体を別の空間に飛ばすことが出来るというもののはずだ。そう聞いていたし、事実目で確認もしている。
しかしこれは違う。全く別の能力だ。飛ばしているのではない。まるで空間それ自体を操作しているような……。
405 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:15:50.52 ID:Z6fjuYRs0
男――黒い一族は、十二歳の成人の儀後、その力を得る。一人一つ。どんなに優秀な者でも、例外は唯の一つもありえない。
ありえないはずなのだ。
抵抗することも出来ないまま、ルケンは背中から軽々と壁に叩きつけられた。その瞬間に能力を全開にし、衝撃点を先に吹き飛ばしておく。しかし相当な力が体を襲い、彼は溜まらず胃液を撒き散らした。
ゼマルディは低く唸りながらただ立っているだけだ。
その目が赤く、鈍く光を発している。
ずるりと壁をスライドして地面に崩れ落ちた少年を冷たい目で見下ろし、怪物はまた足を踏み出した。腕が空中に掻き消え、パチン、という乾いた音を立てて元の場所に収まる。
406 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:16:16.45 ID:Z6fjuYRs0
逃げなければ。
逃げなければ、死ぬ。
死んでしまう。
本能が悲鳴を上げる。
しかしそこでやっと、ルケンの頭に冷静な血が巻き返された。折れた歯を吐き出し、彼は猛獣のごとき唸り声を発してゼマルディを睨みつけた。震える足を気力で押さえつけ、よろめきながら立ち上がる。
頭に、血が昇った。
それが一瞬だけ、恐怖を凌駕したのだ。
「ナメんなよゲスが…………ッ」
それはプライドだった。
圧倒的強者としての自覚が、その致命的なミスを生んだ。
407 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:16:46.95 ID:Z6fjuYRs0
逃げなければいけなかった。即、そこから離脱しなければいけなかったのだ。
間髪をおかずに。
ルケンは。
認識をすることもできずにその場所から吹き飛ばされていた。
いつの間にか……という表現は、おかしいのかもしれない。気づかないうちにという表現もどこかおかしい。
時間がなくなったのだ。
少なくとも十メートル以上は離れていたはずだ。あの化け物と、自分は。
しかしハッとした時には既に、背骨を砕き散らされるかの勢いで、彼は恐ろしいほどの力で後方に叩き飛ばされていた。
人間一人の体重が、空中に浮いた。
少なく見積もっても四十キロ後半。小柄だが、人間だ。無機物ではないその有機物の塊は、腹部に受けた鉛球のような衝撃で空中に跳ね上げられ、そのままきりもみに回転しながら、頭から大分離れた壁に突き刺さった。
意識も魔法を使用する思考の隙もなかった。不意打ちでさえなかった。気づいた時には吹き飛んでいたのではない。
気づいた時には、壁にぶつかっていたのだ。
408 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:17:14.20 ID:Z6fjuYRs0
「かっ……」
叫び声も何も出すことが出来なかった。一瞬視界が真っ赤に染まり、網膜や脳内血管が沸騰し破裂したかのような重い感覚が頭蓋をゆする。
何が起きたのか分かったのは、地面に転がって痙攣し、鼻血を噴き出しながら、右手で地面を掻いたときだった。
腕を動かしたのはほぼ無意識の行動だった。
体全体の骨が、軋みを上げて砕けてしまったようだった。ピクリとも動かない。
息を吸おうとするが、喉はヒューヒューという音を発するだけで空気を取り込もうとしない。
目が見えない。
耳の奥に空気が詰まり、音さえも、平衡感覚さえも分からなくなる。
409 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:17:43.58 ID:Z6fjuYRs0
腹が痛い。
痛い。
痛い。
背骨が折れたのか?
肋骨が肺に突き刺さっているのか?
胃が破れたのか?
脳が潰れてしまったのか?
分からない。
410 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:18:17.31 ID:Z6fjuYRs0
喉から、血液ではない何か……内臓の一部を奇妙な音を立てて吐き出しながら、ルケンはチカチカと明滅している視界を、必死に前に向けた。
今まで自分が立っていた場所に、猫背に体を丸め、マントをバタバタと風に翻している異形の男がいた。両腕を地面につけ、四足走法のような姿勢をとっている。
それは、スタートの合図ではなかった。
着地。行動が終わった後での形だった。
ゼマルディの周辺の道路は、まるで矢の先端のように、彼を先として抉れていた。それはゆうに十メートル以上もの軌跡を描いて、放射状に合成コンクリートの地面を三十センチは掘りぬいていた。
衝撃波が炸裂したような。
そんな、爆発痕だった。
ルケンはゼマルディが彼の目の前で炸裂させたその攻撃を、認識することさえ出来なかったのだ。
411 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:18:45.57 ID:Z6fjuYRs0
ゼマルディの足は、半ば地面に埋まってしまっていた。そのままの姿勢で、彼は瞳を鈍く光らせながら体をゆすった。露出しているウロコがハッチのようにガパッと開き、おびただしい量の水蒸気を噴出する。
足が埋まったコンクリートを拳で叩き壊し、ふらつきながらゼマルディはまた立ち上がった。そして地面を片手で引っかいて、その場から離れようとしているルケンを……異形の冷めた瞳で見下ろす。
何が、起こったのだろうか。
また先ほどと同じ、ノーガードの立ちポーズをとった相手を見て、ルケンの心が凍りついた。
そう、その時。
産まれて初めてルケンは、『恐ろしい』ということを自覚した。
歯がわななく。力が入らない顎が動き、ガチガチと鳴る。体が震える。あまりにも矮小な。あまりにも弱い自分自身の存在を。
その時彼は始めて自覚した。
412 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:19:24.07 ID:Z6fjuYRs0
立ち上がったゼマルディのウロコからは、水蒸気以外のものも噴出していた。霧のように赤い血も、それに混じっている。
それに、ウロコが焼けていた。真っ赤に発熱しているものもある。段々と水蒸気と空気熱で冷やされ、元の深緑色に戻っていくのが見える。
ルケンは、戦闘体制になった瞬間に能力を全開にしていた。敵に向け、戦う気概を少なくとも整えてはいた。
彼は、反発することが出来た。
斥力、とどこかで習ったことがあった。ものを引きつける引力とは真逆の力。跳ねつけ、圧倒的に反発する能力。それがルケンの力の正体だった。
彼は煙のように体から出ている、自分の臭いをつけたものを反発することが出来る。それが銃弾でも、人間でも何でも。
心でも、モノでもお構いなしに反発できる。
何も自分を傷つけることなど出来ないはずだった。
誰も、自分に触れることさえ出来るわけがなかった。そういう力なのだ。稀代の、龍族最強の、最大の、誰にも触れることすらかなわない崇高な力だったはずだった。
413 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:19:49.20 ID:Z6fjuYRs0
だからゼマルディが彼を焼却炉で殴りつけ、あまつさえ花を焼くことに成功したのは……心の底から、単なる偶然の――本当に、偶然の産物だとさえルケンは思っていた。
そう、思ってしまっていた。
悠長に。悠長に……。
彼は定められた最強に寄りかかってしまいすぎていたのだ。
地面に転がりながら、少年はただ目の前の圧倒的な力に震えていた。そこには善も悪も。正義も何もなかった。
それは暴力。
吹雪のような力。
今まで彼が周囲に与えていた、純然たる暴力でしかなかった。
戦闘なんて、本来は一瞬のものだ。
力の差があればあるほど、それは縮まっていく。力と力をぶつけ合い、どちらかがどちらかを通すために、何者かを砕き散らす行為。
それが戦闘。
それが、対決でしかない。
414 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:20:15.79 ID:Z6fjuYRs0
一撃。
一撃だった。
また内臓の破片を吐き散らし、ルケンは動くことが出来ずに地面にうつ伏せのまま横たわった。
体が痙攣している。
内臓も、骨も……体を支える背骨でさえも粉々になってしまったようだった。能力を全開にしていても、跳ね返すことが出来なかった。それ以上の力でアレは『突き抜け』、そして砕いたのだ。
ガシャン、と音を立て、ゼマルディのマントから彼の右腕が落ちた。アンドロイドの義手だったのか、何かとてつもない衝撃を受けたようにぐしゃぐしゃに潰れている。例えるならば新聞紙の棒を凄まじい力で振り回したかのような、そんな破損の仕方だった。
彼がかぶっていた片面のピエロマスクは、表面が真っ黒に焦げていた。一部溶解してツララのように垂れ下がっている部分もある。ちょうど目のところからそれが伸びており、泣いているようにも見えた。
415 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:20:49.06 ID:Z6fjuYRs0
それら全ての要素は。
ゼマルディはルケンが認識することも出来ない速さで動き、そして彼の腹をただ単純に『殴りつけた』という事実を示唆していた。
焦げは空気摩擦。地面の炸裂痕は、音速の衝撃波が発生したことによる破壊痕なのだ。
また一歩を踏み出そうとして、しかし怪物はその場に膝をついた。水蒸気は止まっていたが、体中から今度は、赤い血があふれ出す。噴水のように、霧状の血を流しながら……ゼマルディは裂けた口元からボダボダと涎を垂らしていた。
そのウロコが、一枚……また一枚、と段々剥がれていく。ウロコが生えていた部分の生身は、深い切り傷が開いて骨までが見えていた。血まみれになりながら、異形の怪物はしかし。
また地面を踏み締めて歩き始めた。
「ウルロ……ウル……ウル……ウル……」
断続的にわけのわからない言葉を呟きながら、動けないルケンの方に足を引きずりながら進む。ガラン、ガラン、と音を立てて段々とウロコは剥がれていく。
それに合わせて裂けていた口元に徐々に皮が張り……また、額の角が先端から砂のように崩れて空中に散っていく。
416 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:21:14.91 ID:Z6fjuYRs0
瞳から段々と光がなくなっていくルケンの前に立ち。
半分ほど生身に戻ったゼマルディは、血まみれの体中で彼を、覆いかぶさるように見つめた。
そしてまだ爪が残っていた左手を振りかぶる。
「や…………やめろ…………」
そこで、ルケンは。
目の前に立っている人間の顔を既に目で見ることも出来なくなっている状況の中で。
掠れた声を、血と共に発した。
「やめ…………ろ、よ…………」
「…………」
417 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:21:43.07 ID:Z6fjuYRs0
「ひきょう、だ…………ひきょうだ……」
「…………」
「こんなの…………ひきょう、だ…………」
「…………」
ゼマルディは黙って異形の手を振り下ろした。そのまま腕が、ルケンの胸を串刺しにして地面にはりつける。
少年は一瞬目を見開くと、魚のように口をパクパクさせた後、何度も激しく痙攣を始めた。
その手がわななきながらゼマルディの腕を掴み、力なく爪で引っかく。
418 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:22:13.06 ID:Z6fjuYRs0
「しにたく…………な………………」
「…………」
「いやだ………………いやだ…………」
「…………」
「わるい…………のは…………」
「…………」
「おまえ……じゃ、ない…………か……」
419 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:22:40.39 ID:Z6fjuYRs0
ミキミキと鈍い嫌な音をさせながら、ゼマルディがルケンの胸に突き立った五本の爪を動かしていく。それらは少年の心臓を探し当てると、たちまち肉、皮と共に握りつぶさんばかりの力を発し。
その瞬間。
ゼマルディは横殴りに。
生身に戻っていた血まみれの側頭部を……風を切って飛来した鉄の塊に殴りつけられ。
もんどりうって何度か地面をバウンドしながら、数メートル先の道路を滑り。
そして止まった。
420 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/16(木) 20:23:55.62 ID:Z6fjuYRs0
お疲れ様でした。
次回に続かせていただきます。
毎回お付き合いいただいている方々に感謝いたします。
421 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2012/02/17(金) 00:44:18.50 ID:xdvs2eeVo
乙
422 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:17:11.18 ID:JYEl3aKe0
こんにちは。
今日の更新で、黒い一族編は最後になります。
お話はまだまだ続きますので、お付き合いいただければ幸いです。
それでは、投稿させていただきます。
423 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:21:12.64 ID:JYEl3aKe0
13 カラン
彼女の声が聞こえた。
ゼマルディはぼんやりと目を開けた。
朝の光が、瞳を打つ。
さやさやとなびく、風の音。稲穂の香り。草の匂い、木の温かさ。
水の音。
いつの間にか寝てしまったらしい。
芝生の上で転がっていた大男は、息をついて目を開けた。
笑いながら、妻が小川に足を浸していた。パシャパシャと嬉しそうに水を蹴っている。
魚が泳いでいた。
空には、太陽が光っていた。
雲ひとつない青空だった。
424 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:21:52.62 ID:JYEl3aKe0
――あぁ、ここは。
ここは、そういえば。
「ゼマルディもこっちに来てよ。凄いよ」
カランがこっちを見て手を振っている。青年は、体を起こして草を踏み閉め、歩き出した。いつもと変わらないマント姿。しかし綺麗にアイロンがかけられ、身なりのいい紳士のような風貌になっている。妻は白いドレス姿。自分はマントの下は、黒いタキシードを纏っている。
スカートの端をつまみあげながら、カランは足で水を軽く蹴っていた。彼女の白金の髪が揺れる。
ゼマルディは、自分の生身である右手を見て、何度か開いて、そして閉じてを繰り返した。顔に手を当ててみるが、そこには綺麗な人間の皮膚の感触しかなかった。
425 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:22:48.30 ID:JYEl3aKe0
靴を脱いで、小川に足をつける。
ひんやりとした冷たい水が体中に浸透したような感じだった。思わず肩をすくめ、苦笑いしてからカランに歩み寄る。
そこで妻は、足元の小石に躓いてぐらりと前のめりに倒れこんだ。慌ててそれを押さえようとして……もつれこみ、一緒に水の中に尻餅をつく。
膝に小さな彼女を乗せるような形で、ゼマルディはしばらく呆然としていた。少ししてカランが小さく噴き出し、そして水の中で硬直しているゼマルディの体に向き直り、そして抱きついてくる。
青年はしばらく戸惑っていたが、やがてそっと彼女の後頭部に手を当て、ゆっくりと撫でた。
「私達、結婚してどれくらい経つっけ?」
そっと彼女が囁く。
ゼマルディは、答えなかった。
426 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:23:16.38 ID:JYEl3aKe0
「もうすぐこの子も産まれるよ。男の子かな? 女の子かな?」
そう言ってカランは、濡れて水面に広がっている、自分のドレス……その僅かに膨らんだ腹を手でさすった。
「ねぇ、どうしたの? お仕事厳しい?」
黙っている夫の様子に異変を感じたのか、カランは不意に心配そうな表情に変わり……そして彼の頬を手で撫でた。
ゼマルディはしばらく、何とも言えない表情で彼女のことを見つめていた。
そして、やがて彼女の頭を抱き寄せ、空を仰いでからやっと口を開いた。
「あぁ……空がなぁ……」
「ん?」
「空が、青いなぁ……」
「…………」
少しだけ、カランはきょとんとしていた。
427 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:23:46.04 ID:JYEl3aKe0
やがて少女は抱きしめられながらフッと微笑んで、そして言った。
「そうだねぇ」
「青いなぁ」
呟いて、ゼマルディは目を閉じた。
「子供はさァ」
「なぁに?」
「最低でも五人だ。そうだな……男三人、女二人がいい」
「多すぎるよ」
428 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:24:21.67 ID:JYEl3aKe0
「いーや、兄弟は沢山いた方がいいに決まってらぁ。なんなら十人、二十人でも俺ァOKだ」
「私そんなに産まされたら死んじゃうよ」
「だいじょーぶだって。女の体ぁ、男よかぁよっぽど強く出来てんだ」
「何の根拠があるのそれ?」
「勘だ」
軽口を叩きながら、彼は強く妻の頭を抱いて、そして顔をうずめた。
429 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:24:53.50 ID:JYEl3aKe0
「で、家作ってさぁ」
「……」
「子供が結婚してさ……」
「……」
「俺と、お前はじいさんばあさんになってさ……」
「……」
「一緒に、静かに死んでいこうや」
「……」
「なぁ……」
430 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:25:25.37 ID:JYEl3aKe0
石を、小川の水が叩く澄んだ音がしていた。
カランの背中から伸びた長い骨羽が、水晶のような音を発していた。
「そうだね……」
「楽しいこと、見つかるってさ」
「……」
「お前、地下では苦しいことばっかりだっただろ。でもなァ、世の中ってのは広いんだ。俺も、お前も知らん場所が一杯あるし、知らん人だってごまんといる。お前、今は何したらいいか分からんかもしれないけど、絶対いずれ、一生かけてやりたいこと見つかるからさぁ」
「……」
431 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:25:55.71 ID:JYEl3aKe0
「世の中って、楽しいぞ……」
「……」
「俺がこう思ってるように、お前がそう思ってるように、世の中には色んなことを思ってる奴らが無限にいるんだ。無限に沸いて来るんだ。そんな中では俺らなんざぁちっぽけなもんだし、苦しんで、辛くて泣き叫んでいたことなんて、ほんのチャチなものでしかねぇんだよ」
「……」
さらさらと、木々が風を受けて鳴いていた。
432 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:26:30.88 ID:JYEl3aKe0
「俺のかーちゃんはさぁ」
「……」
「俺を産んで、俺が外に連れ出した。目も、耳も、足も、腕ももがれてさぁ。黒い一族のエサになるために、飼育されてさ」
「……」
「外に、連れ出したら、かーちゃん初めて喜んでよ」
「……」
「…………」
「…………」
「あの時の空も、こんなァ……青かったような気がするなぁ…………」
433 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:27:02.60 ID:JYEl3aKe0
ゼマルディの肩が、震えていた。
カランは黙り込んでしまった大男の背中をポン、ポンと母親のようにさすってやりながら、彼の胸に顔を擦りつけた。
「嬉しいよ……」
「……」
「私嬉しいよ」
「……」
「でも、どうして嬉しいかっていうとね」
そこで、少女は囁くように言った。
「あなたがここにいてくれることが、嬉しいんだよ」
434 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:27:31.72 ID:JYEl3aKe0
「……」
「確かにね、この世の中にはたくさんの人がいるかもしれないね……」
「……」
「でもね、その人の心の中にその人がいなきゃ、それはね。死んでるってことと一緒なんだよ?」
「……」
「私は今生きてるんだよ……嬉しくないわけ、ないじゃない……」
「……」
「これからも、私は生き続けるんだよ。それが嬉しくないわけないじゃない……」
435 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:28:00.09 ID:JYEl3aKe0
「……」
「あなたのお母さんも、そう言いたかったんだと思うなぁ」
「……」
「生きるってことはね……」
「……」
「多分……多分、だけども……」
「……」
「痛いとか、苦しいとか。辛いとか、悲しいとか。そういう全てのことを度外視しても。きっと……それが一番、大事なことなんだと思うよ」
436 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:28:38.22 ID:JYEl3aKe0
「……」
「人が何より欲しいのは、そういうことなんだと……私は思うよ……」
「……」
「だってそうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ」
「……」
「私が、こんなに幸せでいる理由が、なくなってしまう」
「……」
「だから、ね。ゼマルディ」
「……」
カランはそっと顔を上げて、そして涙と鼻水でぐしゃぐしゃの夫の顔を両手で挟み込んだ。
437 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:29:06.83 ID:JYEl3aKe0
「もっと、もっと幸せになろうね……」
それは、問いかけではなかった。
確認でもなかった。
それは、少女の。
心からの。
叫びだった。
「ずっと、ずっと、生きていようね」
「……」
「死んでも、私もあなたも、ずっと生きていよう」
438 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:29:37.66 ID:JYEl3aKe0
「……」
「この私達の家で、二人だけは、ずっとずっと……ずっと、生きて……いこうよ?」
「……」
「約束だよ……?」
ゼマルディは口元をわななかせながら、そしていびつに、精一杯無骨に笑って見せた。
「と……」
「……」
「当然だろ?」
439 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:30:05.34 ID:JYEl3aKe0
カランは、もう一度。
片手で腹を押さえ、もう片手でゼマルディの腰に手を回し、そして彼の胸に体を預けた。
「あぁ……」
「……」
「あなたに、好きになってもらえて……」
「……」
「よかった……」
440 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:30:38.96 ID:JYEl3aKe0
*
怒鳴り声が聞こえた。
銃弾? 砲弾?
分からないが、飛び道具で射撃されたことだけは確かだった。奇跡的と言っては奇跡的に、その飛来した銃弾は、ゼマルディの剥がれかけていたウロコ――こめかみのひとつに突き刺さり、鉄のようなその表面を僅かに削っただけで脇にそれていた。
とは言っても、その突然の横槍が青年に与えた影響は大きかった。脳が潰されんばかりに頭蓋骨の内部でシェイクされ、さらに吹き飛んだ衝撃で体を地面に叩きつけられ、生身に戻った左腕……その二の腕が全く逆の方向に折れ曲がってしまった。
両腕を無効化された状況で、ゼマルディは懸命に視界を定めようとしていた。しかし世界中に泥沼がかかったように、目に映り、そして聞こえる全てが重かった。何か黒い、粘性の空気が体中を包んでいて状況を脳に送ることが出来ない。
加えて、視界がぐるぐると正真正銘回転していた。体中をブルブルと震わせながら、血まみれの体から徐々にウロコが剥がれ、皮が痛々しく剥けた人間の体が露わになっていく。
441 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:31:17.60 ID:JYEl3aKe0
「少年の救助を優先! 第二射撃、用意!」
高く、澄んだ女性の声が拡声器を通じて周囲にこだました。血走った目をやっと上げた彼の目に、数十メートル離れた所に転がっているルケンに、多数の警備服というのだろうか。頑強なヘルメットとアーマードスーツ、つまり強化服をアンドロイドのように着た黒づくめの男たちが群がるのが見えた。
しかし視界が回っていて定まらない。
それほど、先ほどの射撃は正確で。
殆ど致命傷といっても差し支えない攻撃だった。
だが、それよりもゼマルディの頭を支配していたのは、先ほど見た白昼夢だった。
(何だ……何だ?)
「撃て!」
女性の声と共に、乾いた銃撃音がドームの空に反響した。
442 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:31:49.91 ID:JYEl3aKe0
(何だ? 何だ何だ? ナンダ?)
対魔法使い用の、強襲弾だった。戦車の装甲でさえもへこませる威力を持つ、さながらロケット弾のような代物だ。意外と近距離で対象に命中させるのは難しいらしく、飛来したうちの大部分はゼマルディをそれ、脇に着弾し、鉛と鉄と、地面を砕いた破片を火花と共に撒き散らした。
そのうちの一弾が、折れ曲がっていた青年の腕……残っていた左腕に撃ち当たり、簡単に中ほどからを千切り弾け飛ばす。その勢いでゼマルディは、殆ど最後のウロコを撒き散らしながら空中に跳ね上げられ、また地面をバウンドして転がった。
(ナンダ?)
目に、自分達を取り囲むように多数の兵士が配置されているのが見えた。
443 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:32:19.94 ID:JYEl3aKe0
サバルカンダはスラム区画だ。それは統治が為されていないという事実に直結する。
が。
それはその反面、市民による無法規の自警団を容認するという一面も有していた。事件団といえば聞こえはいいが、ようはただのマフィアだ。しかしそのような悪党共でも、一致団結して身を守ろうとする時はある。
それは、全ての人間に均等に命の危険があるときだ。
――自警団。
すぐにこのドームを発つつもりだったために、良くは知らないが、ドクがこんなことを言っていた。
このドームには、既に魔法使いがいるという噂があると。
自警団は既に、それを取り込んでいると。
だから魔法使いの襲撃に対しての対策も、検査もドーム内では実施されないと。彼は前に言っていたことがあった。
444 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:32:51.81 ID:JYEl3aKe0
関係ないと思っていたので、よく聞いてはいなかった。事実関係はなかった。もし自警団にお抱えの魔法使いがいたとしても、どう考えてもルケンにかなうわけがないと思っていた。信用できるのは自分の力だけだ。その自分の力がかなわないなら、逃げるしかない。
そう、考えていた。
揺れる視界の奥に、スナイパーライフルのような、細身の狙撃銃を連想とさせるものを担いだ多数の兵士が見てとれた。フォルムは狙撃銃だが、違う。後部が大きくせり出していて、二人がかりで支えている。視界が回転しているために正確な数は分からないが、少なくとも道の前後で五十近いそれに狙われていた。
「救出急いで! 一般人をエリアの外!」
先ほどから響いている女性の声は、共有語だった。龍族の言葉ではない。前方の奥。兵士達の中ほどに、拡声器を持って、停車しているジープの荷台に仁王立ちになっている女性の姿があった。
白く、引きずるほど長いローブを着ている、頭にはローブからそのままのフード。しかしその隙間から、燃えるような赤い髪がウェーブがかって綺麗に伸びている。
ローブごしでも美しさが分かる、凄まじい美女だった。年の頃は二十段前半。赤い髪が顔の右側を大きく隠している。
445 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:33:19.98 ID:JYEl3aKe0
彼女は背筋を伸ばし、震えながら立ち上がったゼマルディを見るとまた声を張り上げた。
「第三射撃用意! 一般人の救出が完了、私が止めを刺す!」
(…………ナンダ?)
――あの夢はナンダ?
――この状況はナンダ?
――俺の両腕は?
――あの女はダレダ?
――一般人?
――化け物?
――俺が
――俺が?
――俺が、化け物だとでもいうのか?
446 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:33:52.58 ID:JYEl3aKe0
血まみれで、何とか両足を踏みしばって立つ。そこで兵士達が、タンカにルケンを乗せて運び去ろうとしているのが目に映った。
「キャラァァァァァァアアアアアアアア!」
反射的にゼマルディは絶叫していた。殆どウロコがはがれている状況だと言っても、皮が全て剥けたような血だらけに加え、彼の体は大き過ぎた。そしてその甲高い音は、周囲に彼を敵と認識させるに十分な威力を孕んでいた。
ゼマルディはグルグル回る世界の中で。
必死に、ルケンに向かって走り出していた。今だ半ばまで避けた口と、牙をむき出しにして地面を蹴る。
突然の怪物の行動に驚いたのか、一瞬だけ周囲の動きが止まった。その瞬間、ゼマルディの体は蜃気楼のように掻き消えていた。
447 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:34:25.03 ID:JYEl3aKe0
――あいつだけは
――あいつだけは殺さねば
――カランのために
――俺の妻が、笑って暮らせるために
――殺す
――殺す
――殺す
空間の繋ぎ目を転がり出て、タンカの脇に着地する。短い叫び声を上げた兵士達。タンカを持っていた彼らに、ゼマルディは渾身の力を込めて、吼えた。
周囲の空間が揺れた。
至近距離でなければ、その効果はないようだった。しかし間近で音とも言えない、その高周波のような吼え声を受けた兵士達は、まるで強風に薙ぎ倒されたかのように後方に吹き飛ばされ……そして泡と血を口と鼻から垂れ流しつつ、地面をゴロゴロと転がった。
448 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:34:53.25 ID:JYEl3aKe0
ゼマルディの視界が徐々にブラックアウトしていく。世界が揺れていて、ルケンが何処にいるのかも分からない。しかし彼は、視界の端に白い……タンカのようなものを捉え。
体中の力を込めて踏み潰そうと、足を振り上げた。
その途端だった。
何かが、振り上げた足を右から左へと通り過ぎた。
痛みも、何もなかった。
バランスを崩して大男が、もんどりうってその場に倒れる。
――ゼマルディの振り上げた足。彼の長い右足は、股関節から綺麗に無くなってしまっていた。ズボンと肉が焦げ、ブスブスと黒煙を発している。
血も、出ていなかった。
449 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:35:29.26 ID:JYEl3aKe0
「…………まさかここまで稼動されてる魔導生物が、まだでも現存しているなんて……」
奇妙な訛り……というのだろうか。妙におかしな共有語を喋りながら、赤髪の女は周囲を押し止め、ゆったりと両腕、そして右足をもがなくなって這い蹲るゼマルディに向かって歩き出した。
「けが人の救助、早く!」
そう一言怒鳴ってから、彼女は右腕をゆっくりとした動作で、ゼマルディに向けた。その開いた手の平が、鉄を加熱していくかのように真っ赤に発光していく。
「可哀相ですが、魔導生物は消滅させる」
450 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:36:01.95 ID:JYEl3aKe0
ルケンが、別の兵士に運ばれていく。それを庇うように女が立っている。
邪魔だった。
あの女が、邪魔だった。
「ヒィ、ラルケィ、ルケアァァ!」
ゼマルディは怒鳴っていた。連れ去られていくルケンに向かって、渾身の声で怒鳴っていた。
そして彼は。
目の前の女から、また何かが自分に向かって撃ち出されたのを視線の端で捉えていた。
451 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:36:31.51 ID:JYEl3aKe0
*
妻の声が聞こえた。
――夢だと思った。
こんな悪夢は、現実ではないと思った。
いや……夢だったのかもしれない。それが本当に起こったことだったなんて、ゼマルディには断言することは到底出来なかった。
到底、することなんてできようもなかった。
第一回転し、歪み、ブラックアウトしていく視界がやけにそれをクリアに捉えていたことからも、彼が今わの際で作り出した脳内映像である、という懸念は払拭することが出来ないのは、一所の事実だった。
452 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:37:03.24 ID:JYEl3aKe0
だが、その時。
確かにゼマルディは妻の声を聞いた。
カランの声を、彼は聞いた。
建物の影から、白髪を振り乱しながら彼女が走ってくるのが見えた。その奥には、ドクもいたような気がする。彼は憔悴し、青白い顔で何事かを叫んでいた。
妻は、義足をつけていることにはいたが……殆ど外れてしまっていて、片足で走っているようなものだった。
悪夢だった。
それは正に、ゼマルディにとって地獄の光景だった。
453 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:37:31.86 ID:JYEl3aKe0
突然の少女の乱入に、周囲は唖然としてそれを見た。赤髪の女でさえ、一瞬彼女の方に目を向けた。
カランは歯を食いしばり、事実本当に転がりながらゼマルディに向かって、懸命に駆け寄ってきていた。途中で転がったが。両腕を使い、まるで獣のように。子供を守る母親のように。なりふり構わずカランはゼマルディに駆け寄ると。
そのまま脇を通り過ぎ、派手に転がりながら、赤髪の女に、頭から体当たりをした。
相手魔法使いは、全くの予想外だったのか小さな悲鳴を上げてその場に転がった。意識を集中していないと放てないのか、発光していた魔法が気の抜ける音を立てて掻き消える。
454 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:38:08.29 ID:JYEl3aKe0
次の瞬間。
それだけクリアに見えているゼマルディの視界で。
兵士の一人が撃った銃弾が、まるで紙の塊のように妻の体を突き刺し、放物線を描いて空中に吹き飛ばした。弾は彼女の胸を貫通したが、戦車に打撃を与えられる武装だ。その威力は、子供並のカランの体には有り余るものだった。
何の抵抗もすることができずに、壊れたマリオネットのように……カランはゼマルディよりも後方に、背中からぐしゃりと音を立てて落下した。
――時間が、止まった。
夢の中の光景だった。
455 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:38:32.38 ID:JYEl3aKe0
どうしてカランが?
どうして、ここにいる?
逃げたのではなかったのか?
ドクと一緒に、逃げたのでは?
満身創痍のゼマルディは、まさに呆然としてあんぐりと……血まみれの口を開けていた。
そして周囲が静止している中片足で妻の方に這っていった。
「…………カ…………」
「……」
「カラン…………?」
夢の中で、ゼマルディはくぐもった声を血の塊とともに吐き出した。
456 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:38:59.70 ID:JYEl3aKe0
やがて地面におかしな方向に四肢を曲げながら投げ出されている、少女の脇に近づき……彼女の腹に頭を乗せ、必死に顔を覗きこむ。
「カラ、ン……」
「……」
ポッ、と軽い音だった。
しかし、それはもうどうにもならない。
そんな、絶望の咳だった。
断続的に咳と痙攣をしながら、カランは呆けたように呆然としているゼマルディを見て、壊れた笑顔を発して見せた。
457 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:39:30.97 ID:JYEl3aKe0
「ど……」
「…………」
「ど、なた……ですか………………みえない…………」
「…………」
周囲で銃器の音がした。おびただしい数の短銃が抜かれ、兵士たちがカランとゼマルディを取り囲んでいた。全ての銃口が、男の頭を狙っていた。
カランは、光と焦点が物凄い勢いでなくなっていく瞳をゼマルディに向け。
そして、そのマスクを指先で撫でた。
458 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:40:00.76 ID:JYEl3aKe0
「お、ねがいが……あります…………」
「…………」
「わたしの、夫が…………このあたりに」
「………………」
「いるんです…………」
「…………」
「伝えて、下さい……」
周囲で怒号がする。
何事かを、異形の男に対して人間達は叫んでいた。
459 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:40:29.06 ID:JYEl3aKe0
「…………」
「に、げ、て……」
「……」
「し、あわせになってくだ……さい……」
「…………」
「……………………そ、う…………」
「………………」
「つ、た」
ゼマルディは、しばらくの間停止していた。
そして彼は、兵士の一人に、銃で脇腹を殴りつけられ。虚ろな瞳で空を仰いだ時、遅れて理解した。
460 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:40:54.43 ID:JYEl3aKe0
――――――死んだ?
死んだのか――――――?
死んだ……?
殺された。
俺の。
妻が。
こいつらに。
ころされた。
コロサレタ。
コイツラニ。
アノオンナノセイデ。
シンダ。
461 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:41:21.67 ID:JYEl3aKe0
シンダ?
シンダ……?
…………………………
――……シンダ……!
「ウル……ル……ウル……ウ……」
462 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:41:51.74 ID:JYEl3aKe0
唸っていた。
泣きながら、震えながら彼は唸っていた。ガチガチガチガチと歯が鳴った。
その目が、まるで映画の中のワンシーンのように。腰を抑えながら立ち上がった赤髪の女を、スローモーション再生のごとくゆっくりとした映像で映し出す。
本能的に動いた瞬間、腰のベルトに指していた……何かが音を立てて地面に落ちた。
それは、ルケンの肉切り包丁だった。
ゼマルディはその柄を口にくわえ。
まるで魚のように左足だけで地面を蹴り、凄まじい速度で女の方に転がった。
それは、通常の動きではなかった。
周囲には奇妙な色の光が走ったようにしか見えなかった。
目の前で鮮血が散った。
463 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:42:17.56 ID:JYEl3aKe0
噛み締めた歯が何本も砕け散る感触と、肉と骨を断ち切る刃の感触。
スローモーションの夢の中で、女は断ち切られた自分の足を唖然と見つめ……そしてその場にゆっくりと崩れ落ちた。
それは、カランが切られた足と同じ場所だった。
地面に転がったゼマルディの目には、白目など既に何処にもなかった。眼球それ自体が真っ赤に染まり、さながら野獣のような様相を呈していた。
彼は、転がって目を丸くしてこちらを見ている、赤い髪の女に対して。
喉が破れ、胃の粘膜までもを吐き散らす勢いで絶叫していた。
その瞬間、サバルカンダのドームが揺れた。
464 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/17(金) 17:43:58.46 ID:JYEl3aKe0
お疲れ様でした。次回の投稿に続かせていただきます。
黒い一族編はここで一旦終了いたしまして、これからは三年後のお話になります。
まだまだお話は続いていきます。お付き合いいただければ幸いです。
465 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 00:43:28.03 ID:rIc6JsyG0
第二章のWikiをまとめていただいていました!
http://ss.vip2ch.com/jmp/1328684504
ありがとうございます!!
登場人物や用語解説など、詳しくまとめていただいています。
皆様も是非ご覧ください!!
第一章のWikiはこちらです(
http://ss.vip2ch.com/jmp/1327234326
)
466 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:49:43.84 ID:rIc6JsyG0
こんばんは。
今回から第二章の、黒い一族編の三年後からのお話になります。
第2話に戻りまして、お話が進行していきます。
それでは、投稿させていただきます。
467 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:53:18.81 ID:rIc6JsyG0
14 死した人
目を開いた。
彼の声が、聞こえた気がした。
彼は、そこにはいなかった。
愛寡は一つため息をついて、眼下の退屈な朝の礼拝を見た。
彼女の左目が、広がる人々を映す。
髪に隠れている右目はつぶれているのだ。
ふと、神父の声に目を閉じて耳を傾けている青年の一人が、彼の顔に見え、愛寡は思わず息を呑んで体を乗り出した。
しかし、違った。
時折このような不快感にさいなまれる時がある。
468 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:54:03.92 ID:rIc6JsyG0
彼女はそれを、自分自身のカルマであると自覚はしていたが、やはり気持ちいいものではなかった。
視線を彷徨わせている主を見て、浮屋という老人は、眼鏡を指先で上げてから問いかけた。
「どうかなされましたか? また、お加減が優れないので? 退席されますか?」
「ん……うぅん。違う。大丈夫」
短く答え、目尻を押さえる。
最近、疲れることが多くなった。
長期間魔法を使っていない反動もあるのだろう。
ここにいれば、魔法を使う必要はないからだ。
自分は……いや、足元に広がる、幾百もの『人間達』は、もう『食料』に苦慮することはないのだ。
469 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:54:50.15 ID:rIc6JsyG0
そこで、彼女は自分の影が軽くざわめいたのを見た。
浮屋にばれないように視線を移動させると、椅子に座っている自分の影が、ひとりでに動き出し、奥の控え室の方を指で指した。
彼女はコホン、と小さく咳をして、浮屋に言った。
「……やっぱり、具合、悪い。休む」
「そうですか……それでは、奥の部屋にどうぞ。礼拝が終わりましたら、大至急お薬を用意させます」
「ありがとう」
短く言って、席を立つ。そして彼女は控え室に入り、扉を閉めた。
途端、天井の蛍光灯に照らされた彼女の影がざわめき、中から、まるで影が沼であるかのように、波紋を立てて大柄な男が競りあがってきた。
そこで彼女は、控え室の壁に奇妙な形に穴があいているのを目に留めた。
そして、その向こうに……倒壊した建物を見る。
470 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:55:17.64 ID:rIc6JsyG0
競りあがってきた男は、唖然としている愛寡に向けて声をかけた。
「愛姉ェ。お久しぶリデス」
奇妙にノイズがかかったその声を聞いて、愛寡は弾かれたように振り返った。
そして、ポケットに手を突っ込んで立っている彼……義弟の功刀に向けて、口を開く。
「何が……」
「こいつノ仕業でス」
471 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:56:10.85 ID:rIc6JsyG0
功刀はそう言うと、影の中に手を突っ込んで、昏倒している青年、爪を掴みだした。
「爪……!」
小さく呟いて、愛寡は義足を鳴らしながら弟子に駆け寄った。
そして、クシャクシャのスーツ姿になっている彼の肩を、そっと揺する。
「どういう、こと?」
「…………」
カリ、と顔から飛び出たコードを指で掻いて、功刀は言った。
「とりあエズ、再会ノ挨拶と行きマショウか。落ち着ける場所ハありマセンかね?」
472 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:57:22.58 ID:rIc6JsyG0
*
警備員に周囲を固められた、自身の部屋に駆け込み、愛寡は息を切らしながら扉に鍵をかけた。
その影がざわめいて、爪を片手で抱えた功刀が競りあがってくる。
彼はソファーに、両手両足をワイヤーで縛りつけた爪を放り投げてから、息をついて壁にもたれかかった。
爪はまだ昏倒しているようだった。
愛寡は青くなって、功刀に掴みかからんばかりの勢いで口を開いた。
「爪、あんなことしないわ! あなた、何したの?」
「いきなりトんだご挨拶デスな。コッチは殺されカケタってのニ」
「ふざけないで……何しに、来たの!」
ヒステリックに愛寡が大声を上げる。
473 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:57:51.89 ID:rIc6JsyG0
しばらく沈黙してから、功刀は軽く息を吐いた。
「小姉サンが、殺されマシタ」
端的に呟かれたその言葉を聞いて、愛寡は発しかけていた言葉を飲み込んだ。
そして、まるで殴りつけられたかのようによろめき、壁に手をついて真っ青な顔で功刀を見る。
実に数十秒も時間をかけてから、彼女は言った。
「……は?」
「更姉が、死にマシタ。死体ヲ、ジェンダで発見シタ。ボロボロデした」
「何を……言っているの? いきなり、何?」
はは、と乾いた声で笑って、愛寡は功刀にすがりついた。
474 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:58:23.06 ID:rIc6JsyG0
「嘘! 冗談言って! 誰に? 何で? まだ、私達寿命には……!」
「殺されマシタ。体ニは無数ノ弾痕ガアッタ。ソレニ、『レ・ダード』の起動ヲ、俺は感知シました。オソラク、エリクシアの残党デス」
「『レ・ダード』……そんな……」
「…………」
功刀はしばらくまた沈黙した後、ボソッと言った。
「フィルレイン……」
愛寡がハッとして顔を上げる。
そして、鉄のような顔をした功刀を見て、小さくよろめく。
「泉兄さんノ亡霊ニ、殺されタのカモシレマセン」
475 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:58:57.95 ID:rIc6JsyG0
「嘘! だって……!」
愛寡が甲高い声でそれを遮る。
彼女は過呼吸気味になりながら、胸を押さえた。
功刀が愛寡を支え、背中をさすってやりながら椅子に腰を下ろさせる。
愛寡は功刀が差し出した水差しの水をコップで受け、コク、コク、と喉に流し込んだ。
「……失礼シやしタ。順を追っテ説明シます」
「爪を、離して」
「それはデキません。コイツは、イキナリ俺ヲ攻撃してキタ。ソレニ、聞いてマセンぜ。どうして、ルアの黒い一族ヲ、飼ってルンデス?」
愛寡は息を呑んで、そして功刀から目をそらした。
476 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 18:59:35.85 ID:rIc6JsyG0
「そ、それは……」
「魔法兵器ハ、見つけ次第処分、ト決めたハズだ。その惨状ガ、コレだ」
功刀が視線を動かすと、愛寡の部屋に設置されていた巨大なテレビに、ひとりでに電源がつく。
そこには、倒壊したビルに、グチャグチャになった人間だったモノ、そして半狂乱で叫ぶようにレポートを繰り返しているアナウンサーの姿があった。
「…………」
唖然としている愛寡に、功刀は言った。
「また、危険ナ奴を眷属にシチマッタんですか? いつにナレバ、アンたは学習するンだ?」
強い口調で自分を責める功刀を、あたふたしながら愛寡は見て、そして水を喉に詰まらせ、大きくむせた。
477 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:00:22.33 ID:rIc6JsyG0
「お……怒らない。怒らないで……」
「怒ってマセン。ただ、不愉快ナだけダ」
「この子、優しい子。本当は、優しい子だから。だから、私……」
「…………」
「私……」
呆れたような功刀の視線を受けて、愛寡の声が段々しぼんで消える。
しゅんと肩を落として、彼女は呟いた。
「……ごめんなさい……」
「…………変わりマセんな。そこガ、あんたノいい所ナノかもしれまセンが……」
ため息をつき、功刀は影の中に手を突っ込んで、血液が入ったボトルを取り出した。
「乾杯しましょうカ。ドーセ碌なモン、食ってナイんでしょ?」
478 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:00:59.52 ID:rIc6JsyG0
*
「……それじゃ、更紗姉様は……」
「確実に、死にマシタ。俺ノ言葉ニ嘘はアリマせん」
血の入ったグラスを傾けて、愛寡は片手で顔面を覆った。
その左目からポタポタと涙が垂れる。
「姉様…………」
「…………」
血のグラスを口に運び、功刀は息をついた。
そして愛寡が泣き止むのを見てから言う。
479 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:01:30.22 ID:rIc6JsyG0
「……俺達の中ニ、裏切り者ガイマス」
その断固とした口調に、愛寡は顔を上げ、そして唾を飲み込んだ。
「裏切り……者?」
「エエ。裏切りモノデス」
「私達、兄弟の中に?」
「更姉ハ、騙されてコロサレタ可能性が高イ。あの人ノ魔法ハ、俺達ノ中では、攻撃力はダントツだ。正面切って戦ッテ、勝てる奴ガいるトは思えナイ」
「何を……何を、言っているの? 功刀」
愛寡は血のグラスをテーブルに置いて、功刀の肩を掴んだ。
480 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:01:56.72 ID:rIc6JsyG0
「どうして? どうしてそう思うの?」
「直感デス。そして、俺ノ直感ハ外れたコトがない」
「私が、やったと……?」
「あなたでハナイ。それは確信シタ。タダ……」
チラリと横目で爪を見て、彼は続けた。
「多少不快ナ思いはシタが」
「お、教えて功刀。誰? 誰、何のために更紗姉様を殺したの……?」
481 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:02:22.39 ID:rIc6JsyG0
「分かりマセン。ただ、コレだけは言える」
功刀は押し殺した声で言った。
「俺達モ危険ダ」
「……それを伝えに、来てくれたの?」
「………………ソウです」
頷いて、彼は周りを見回した。
「アンタが、こんな魔法使いノ都市を作り上げてルトハ思わなかったガ」
「…………」
息をついて、愛寡は首を振った。
482 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:02:50.08 ID:rIc6JsyG0
「私じゃない……私、いただけ……他の人が、協力して……そのせいで、上層には、私のウィルスに感染した、魔法使いもどきしかいないわ……」
「愛姉ノBMZは、空気感染ダカラな。仕方ネェ」
「フィル……?」
ポツリ、と愛寡が言った。功刀が口をつぐむ。
「……あの子、私達を……憎んでる……?」
「エエ、生きてたら、ソウでしょうナ」
「泉兄様も……憎んでる……?」
「…………」
功刀は、頷いた。
「生きてたら、ソウでしょうナ」
483 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:03:20.46 ID:rIc6JsyG0
単純なその言葉に殴りつけられ、愛寡は下を向いた。
その、大魔法使いとしてはあまりにも頼りない姿に、功刀はため息をついた。
そして、彼女がスカートの中に隠していた左足の義足を目に留める。
「……聞きヅライんデスが、その足……」
「てめぇ…………」
そこで、功刀は言葉を止めて振り返った。
両手両足を縛られた爪が、目を見開いて、自分を睨みつけていることを感じたからだった。
爪は、まるで猛禽類のように瞳孔を開ききりながら、犬歯をむき出しにしてうなっていた。
「何、してる。何で、師匠、泣かせた」
484 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:03:56.20 ID:rIc6JsyG0
「……面倒なコトになりそうダナ」
カタカタと、テーブルの上の血のグラスが振動していた。
爪が歯軋りするたびに、振動が大きくなっていく。
遂には、功刀が持っているグラスと、愛寡がテーブルに置いたグラスが、パァンッ! と音を立てて砕け散った。
「きゃ!」
悲鳴を上げて、愛寡がその場にうずくまる。
「てめぇ、コロス。絶対に、コロス」
爪の瞳が、段々と赤く変色しはじめる。
部屋の中全体が、小さく振動を始めた。
「俺ハ退散シマス。面倒ゴトは御免だ。愛姉、コイツは処分スルことをススメます」
功刀は、爪を一瞥することもなく背を向けた。
その体が、ゆっくりと影の中に沈みこんでいく。
485 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:04:32.72 ID:rIc6JsyG0
「待って……功刀!」
愛寡が慌てて呼び止める。
しかし功刀は、それを坦々とした瞳で見返し、やがてトプリと、影の中に音を立てて消えた。
愛寡は慌てて、転がるように爪に駆け寄り、彼の腕と足のワイヤーを解き始めた。
「落ち着く。お願い、落ち着いて」
「師匠、師匠、何で泣いた? 何で? 何かされたか? 何、された?」
畳み掛けるように爪が言う。
愛寡は息をついて首を振った。
しかしそれに答えることが出来ずに、むせて口元を押さえ、また涙を落とした。
486 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:05:04.50 ID:rIc6JsyG0
「畜生……畜生あの……野郎……!」
爪が歯軋りをする。
その手の束縛を解き、愛寡は爪の頭を強く抱きしめた。
胸に顔が押し付けられ、爪は一瞬きょとんとした後、真っ赤になった。
途端、部屋全体の振動が止まった。
「爪……爪、聞いて……」
愛寡は、しばらくして、涙を流しながら彼に囁いた。
「私の、大事な人が……また、いなくなっちゃった……」
487 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:05:30.90 ID:rIc6JsyG0
*
ガタン、ゴトン、とトレーラーが揺れる。
それを運転しているのは、まだ年端もいかない少女だった。
鼻歌交じりに、大きなハンドルを切っている。
ジェンダドームで、虹が保護して、そのままついてきた燐という少女だった。
その隣には、旧式なディスク型記憶領域を有したアンドロイド、里が座っている。
里は手に紙の地図を持ち、それを熱心に眺めていた。
時折、彼女の頭からキュルキュルという音がする。
「この地図を解読しました結果、十五キロ先に巨大な断層がある筈です。それを越えれば、次のドームです」
トレーラーの外は、病むことがない吹雪と、極寒の雪と氷が広がる世界だ。
前など見えない状況で、ゆっくりとトレーラーハウスが進んでいく。
488 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:06:43.87 ID:rIc6JsyG0
燐は息をついてギアをチェンジさせると、里の方を向いた。
「私達が、前のドームを出てから二ヶ月くらい経ちますわ。本当にその地図、合ってるんですの?」
「高額で落札したものです。信憑性は高いと思われます」
「何が信憑性だ。だから俺はデータの落札にしておけと言ったんだ」
その時、彼女達の後ろに泊められていた、人二人くらい乗れそうなほど大きく、黒いエアバイクのハザードランプが点灯し、ややはスキーな少年の声がした。
バイクのスピーカーが振動し、彼――ピノマシンロボットのガゼルバデッツァーが言葉を続ける。
「この際だから言うよ。里、あんたの勘は当てにならない。土地感もだ。衛星をハックして分かったけど、さっきから同じ場所をぐるぐる回ってる。このトレーラーのエンジンをピノ融合炉に改造して、いくら燃料切れがないからって、無駄すぎるよ」
489 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:07:15.62 ID:rIc6JsyG0
それを聞いて、里と燐が顔を見合わせる。
そして燐は深くため息をついて、トレーラーを停めた。
「本当ですの?」
「本当だ。いくら進んでも、里の言う断層とやらには到達できないな。第一、巨大なクレバスを、このオンボロトレーラーでどうやって乗り越えるって言うの?」
「そこまでは考えておりませんでした」
「ほら見ろ!」
ガゼルがため息と共に、声を発した里にヒステリックに言う。
「戻ろう。少なくとも前のドームには、たどり着ける。食料がそろそろ限界だ」
490 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:07:59.19 ID:rIc6JsyG0
「困りましたわ……食料がないのは、死活問題ですの」
燐が頬に手を当てて、全く危機感がない声で言う。
ガゼルは、運転室の奥のハンモックに横になって沈黙している主、金髪の少女、虹に、前部に搭載されているカメラアイを向けた。
虹の首筋には、ガゼルから伸ばされたコードが接続されている。
現在、ジェンダでの戦いにより声帯が冒されている虹は、会話をすることができない。
聴覚は何とか元にもどったものの、声だけは元にもどらなかった。
だから、ガゼルと会話する時は、コードを繋げて脳波の電波通信で行うしかない。
『虹、どうする?』
ガゼルに問いかけられても、ヘッドフォンをつけた少女に反応はなかった。
491 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:08:30.21 ID:rIc6JsyG0
すぅ、すぅ、という寝息が聞こえる。
深い眠りに入っているらしい。
最近、虹は寝ていることが多くなった。
前のような人格分裂の症状はあまり見られなくなったものの、ガゼルは、基本的に虹の指示がないと動けない。
彼にとっては歯がゆい状況が続いていた。
「……今日も、反応はありませんの?」
燐が首を傾げて聞く。
ガゼルは息をついてそれに答えた。
492 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:09:05.82 ID:rIc6JsyG0
「ああ」
「やっぱり前のドームで、お医者に診せた方が良かったのでは……」
里がそう言うと、ガゼルは押し殺した声で言った。
「虹は、ピノロイドだ。人間じゃない。薬とかそういうのは効かないって、説明したじゃないか」
「それはそうですが……」
里は言いよどんで、そして口をつぐんだ。
ガゼルは淀んできた空気をかき消すように、声を発した。
「今日はここで休もう。とりあえず、虹が起きたら行動指針を聞いておく。燐は少し寝たほうがいい」
493 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:09:38.77 ID:rIc6JsyG0
*
「起きろよ、フィルレイン」
彼がそう言った。
フィルレインは眠気を無理やり押さえつけて、目を開いた。
彼は息をついて、彼女に水の入ったグラスを差し出した。
「何……? どうしたの、まだ夜だよ……」
眠そうにそう言った彼女に、泉は笑って続けた。
「星だ。今日は星が見える」
「星……?」
首を傾げて、彼の後に続いてテラスに出る。
494 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:10:25.91 ID:rIc6JsyG0
上を見ると、ドームの内面に、大小さまざまな光が投影されているところだった。
「わぁ」
小さく感嘆符を口に出し、フィルレインは口をポカンと開けた。
生まれて初めてだったのだ。
映像とはいえ、星を見るのは。
泉は手を伸ばして、星の軌道を指でなぞった。
「あそこに見えるのが、オリオンだ。三つ星が並んでるだろ。あれを繋げると、腰のベルトになる」
「オリオン?」
「神話で活躍した英雄の名前らしい。俺も詳しくは知らん。星を繋げると、絵になる。それがどういう風に見えるかで、いろいろ種類がある。星座というらしい」
泉はそう言うと、懐かしそうに空を見上げた。
495 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:11:08.01 ID:rIc6JsyG0
「昔は、ドームの天井じゃなくて、本当の空に、星があった」
「本当の空?」
またフィルレインが首を傾げる。
泉は頷いて、彼女の手を取って、テラスの椅子に腰を下ろした。
フィルレインが小さい体を泉に預ける。それを抱きかかえて、彼は続けた。
「昔、今から何百年も前、ドームの外には吹雪はなかった。普通に空があって、その向こうがあった」
「泉は、それを見たことがあるの?」
「ああ」
どこか悲しそうに彼は頷いて、自嘲気味に笑った。
「俺達が奪った。そういう空を」
どういう意味か分からなかったが、フィルレインは小さく笑って、空を指差した。
496 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:11:33.51 ID:rIc6JsyG0
「あれは? あの、凄く大きいの」
「月だ」
「月?」
「月には、兎がいるんだ」
「どうして?」
「知らん。昔妹に教えてもらった」
「そうなんだー」
楽しそうに、フィルレインは泉に聞いた。
497 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:12:03.15 ID:rIc6JsyG0
「今は、あるのかな」
「ないよ」
彼は端的にそう言って、きょとんとした彼女の頭を撫でた。
「もう、ない」
「ふーん……」
言葉の重みを推し量ることが出来ずに、フィルレインが空を見る。
キラキラと輝く光の投影。
しばらく、二人はそれを見ていた。
498 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:12:32.39 ID:rIc6JsyG0
「よく弟達が、人間はゴキブリのようだと言うが、俺は違うと思うんだ」
不意に、泉がそう言った。
「違うの?」
「人間は、星のようだと俺は思う。星の数ほど人はいるらしい。ゴキブリは潰せば新しいのが沸いてくるが、人間は潰せばもう沸いてこない。同じものはな」
「…………」
「星みたいじゃねぇか」
フィルレインは、泉の手を自分の手で包み込んで言った。
「冷えてる。中、入ろ」
「待て。もう少し」
泉は、投影された月を見上げて、言った。
「もう少しだけ、見させてくれ」
499 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:13:31.75 ID:rIc6JsyG0
*
虹は、ガンガンと痛む頭を手で抑え、そしてよろめきながらハンモックから降りようとして失敗し、ゴロリと床に転がった。
(あの子の……フィルレインの記憶……どうして、夢の中にまで……)
苦痛を息と共に吐き出そうとしてまた失敗する。目が霞む。
必死に手を伸ばし、ガゼルの後部座席を手で叩く。
待機モードになっていたピノマシンロボットの電源がつき、ガゼルがケーブル越しの脳波通信で応答してきた。
『虹、目が覚めたのか?』
『頭が痛い。鎮痛剤を頂戴』
『分かった。少し待ってて』
彼は端的にそう答えると、軽くエンジンをふかした。後部の穴から白い煙が出て、空中で寄り集まって形を変え、小さな注射器を形作る。
虹は空中でそれを掴むと、無造作に自分の左肩に刺した。
中身の液体を体に流し込んで、息をつく。
500 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:14:02.48 ID:rIc6JsyG0
しばらく頭を抑えて、彼女は首を振って痛みを振り飛ばし、周りを見た。
電気は消えていて、里が先ほどのガゼルと同じように待機モードになって座っている。
その隣のベッドに、燐が眠っていた。
『…………』
『君は、今回丸二日も眠り続けてた。大丈夫かい?』
ガゼルに聞かれて、虹はため息をついた。
『分からない』
『分からないって……体の調子はどう?』
『可もなく不可もなくって感じよ』
そこで彼女は言いよどみ、首を振った。
501 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:14:35.09 ID:rIc6JsyG0
『……どうしたの?』
『何でもない』
『俺らの間に隠し事はないだろ? 何か悩みがあるなら、聞くよ』
『…………』
『虹?』
『私の中にいる、フィルレインの夢を見る、最近』
それを聞いて、ガゼルが僅かにない息を呑むのが、虹には分かった。
『「私」……? いや、それより……泉の夢かい?』
『うん』
502 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:15:01.92 ID:rIc6JsyG0
『…………君の人格が安定してきた反動で、フィルレインの人格が何か、こう腐敗してきてるのかもしれない。あまりいい傾向ではないね』
『どうすればいい?』
『…………』
ガゼルが言葉に詰まる。
確かに、虹の人格は最近安定してきてはいた。
前のように錯乱して、フィルレインの人格が出てくることは殆どない。
つまり、別人格として作られた虹の人格が、定着してしまったことを表す。
しかし、フィルレインも他ならぬ虹の主人格――いくら狂っていても、それは変わらない。虹の一部なのだ。
それを取り除くことは出来ないし、薬でどうにかなるものでもない。
『分からない……』
『ほらね』
虹は鼻を鳴らして、眠っている燐を見た。
503 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:15:32.97 ID:rIc6JsyG0
『あの餓鬼は魔法を使った?』
問いかけられ、ガゼルはない首を振った。
『いや……ただ、本人も首筋の核の存在には気付いてるみたいだ。本当に、あの子は更紗の眷属なのかい?』
『何らかのイベントで、更紗のBMZに感染したと考えていいと思う。だとしたら、かなり強力な魔法使いになる可能性が高いよ』
虹は暗い笑みを発した。
『うまく使えば、囮くらいにはなる』
『それなんだけど、虹。相談しようと思ってた。あの二人じゃどうも駄目だ。次のドームに行く道が分からないんだ。どこからか、気(オドス)の流れは感じないかい?』
問いかけられ、虹は首を傾げた。
504 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:16:14.48 ID:rIc6JsyG0
そしてガゼルの上にまたがり、ハンドルを握る。
『外に出れる?』
『出れるよ。今ハッチを閉める』
エアバイクのハッチが閉まり、虹の体を覆い隠す。
ガゼルは虹の操縦で、静かに、滑るように移動すると、遠隔操作で二重になっている扉を開き、極寒の外に出た。
前も見えないほどの吹雪だ。
止むことはない。
505 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:16:54.09 ID:rIc6JsyG0
『星……』
『ん?』
『見えないね』
『星? 何のこと?』
『何でもない』
虹は呟くように脳波を送ると、目を閉じて意識を集中し始めた。
途端、彼女の脳裏に、殴りつけるような、凄まじい意識の本流が飛び込んできた。
506 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:17:19.53 ID:rIc6JsyG0
思わず声が出ない喉を鳴らして、ビクッ、と体を痙攣させる。
『虹、どうした!』
ガゼルに怒鳴られ、虹は呼吸を整えてから言った。
『北十一時の方角。いるね』
虹の口が、まるで裂けそうなほど、ニヤァリと広がった。
『ハイエイトだ』
507 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/18(土) 19:19:02.71 ID:rIc6JsyG0
お疲れ様でした。次回の更新に続かせていただきます。
第二章のWikiもまとめていただきました!
あわせてご覧いただければ嬉しいです!!
http://ss.vip2ch.com/jmp/1328684504
それでは、今回は失礼します。
508 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(栃木県)
[sage]:2012/02/18(土) 20:32:41.33 ID:0BypMhQh0
>>507
乙です。
個人的な希望としては、もう少し句読点を減らし、改行を多くしてもらえると
もっと読み易くなるのではないかと…
勿論、このスタイルが一番書き易いという事でしたら、それで構わないのですが。
509 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:01:25.68 ID:PLPcklEN0
こんにちは。
ご要望ありがとうございます。
句読点(、。)を減らすのは少し難しいですが、改行は今よりも多く入れるようにしてみます。
それとも、句読点ではなく、三点リーダー(……)のことでしょうか?
なるべく皆さんが読みやすいように、少しずつ修正していきたいです。
どんどんご指摘くださいね。
それでは、15話を投稿させていただきます。
510 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:02:15.15 ID:PLPcklEN0
15 剣の魔法、盾の魔法
「ほ……本当に、この先にドームがあるんですの?」
怪訝そうに燐が聞いてくる。
ガゼルは戸惑いながら、それに答えた。
「虹は、魔法使いのオドス……気のようなものを感じ取ることが出来るんだ。それは、外したことがない。この先から魔法使いのオドスの気配がするって言うなら、必然的にドームがあるわけだ」
「で、でも……魔法使いの強力な気配って……それって、魔法使いに支配されてるドームってことですわよね?」
燐が僅かに顔を青くしながら言う。
511 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:03:05.47 ID:PLPcklEN0
その隣で里が、キュルキュルと脳内ディスクを回転させながら続けた。
「前のドームに戻るという選択肢はありませんか? わざわざ魔法使いが待ち受けているところに、飛び込む必要はないように思えます」
(チッ……)
ガゼルは脳内で舌打ちをした。
彼女達の心……特に、燐の心の中には、数ヶ月前の、ジェンダドームでの更紗との死闘が、完全なトラウマとなって残っている。
魔法使いの話を出せば、こういう反応が返ってくるのは目に見えていた。
「……戻りたければ、君達だけで戻って。俺達は、元々ある魔法使いを殺すために旅をしてる。利害関係が一致しないなら、離れたほうがいい」
彼女達のことを思って言ったことだった。
512 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:06:05.74 ID:PLPcklEN0
しかし燐は、深くため息をついて、壁にもたれかかってヘッドフォンを弄っていた虹に詰め寄った。
「何とか仰ったらどうなんです? 復讐なんて、悲しいだけですわよ」
虹は虚ろな瞳で、うざったそうに燐を見て、そして、ガゼルの後部から延びているコードを首に刺した。
『時間が惜しい。こいつらを捨てて行くよ』
『ちょっと待って、虹。平和的に話を解決させたい』
脳内会話で、淡々と呼びかけてきた主を制止して、ガゼルはカメラアイを燐に向けた。
「分かったような口をきかないで欲しい。第一、更紗を殺したのは、虹だけじゃない。君もそれに加担してる。虹を人殺し呼ばわりするなら、君もそれの同罪だ」
弾かれたように振り返って、燐は歯噛みした。そしてうなだれ、両手を強く握り締める。
513 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:07:01.86 ID:PLPcklEN0
「お嬢様……」
里に抱きかかえられ、燐はガゼルに背を向けた。
「……魔法使いを殺すって……またこの前みたいに、戦うってことなんですの?」
「ああ」
「この前みたいに、沢山の関係ない人たちが殺されるっていうことなんですの?」
「そうなるな」
「どうして? どうしてそんなに冷静に言っていられるんですの? ガゼルさん、あなたはロボットだけど……温かい心を持ってるって、思ってたのに!」
燐に噛み付くように言われ、ガゼルはしばらく沈黙した後、それに答えた。
514 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:07:45.95 ID:PLPcklEN0
「元々、俺の行動プログラムは、魔法使いを殺すために構築されてる。戦闘用プログラムなんだ。どうしてと聞かれても、それは俺がそのために作られた兵器だからとしか言えない」
「あなたは兵器ではありません。まだ、今なら戻ってこれます」
里に真っ直ぐに見つめられ、断言される。
ガゼルは言葉に詰まった。
自分の存在意義を真っ向から否定されるのは、初めてのことだったのだ。
「別のドームに行って、平和に暮らすという選択肢はないのでしょうか? 誰も、傷つかずに済みます」
「…………」
515 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:08:29.14 ID:PLPcklEN0
虹は、相変わらず無表情のまま、ガゼルにまたがった。
「ちょっと……虹さん!」
『行くよ』
『待て、虹、もう少し時間を……』
ガゼルのエンジンを起動させ、虹は、自分の倍近くあるエアバイクを、軽々と操り始めた。
『ハッチを開けて。じゃなきゃ、ブチ破るわ』
『虹……』
ガゼルは言いよどみ、そして無理やりそれを押し殺した。
『分かった』
516 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:09:06.45 ID:PLPcklEN0
シャコン、という音がして、ガゼルのガラスがしまり、虹を覆い隠す。そして、トレーラーのハッチ後部がゆっくりと開き始めた。
吹き込んできた雪から燐を守るように立った里の後ろで、燐は雪の中に滑るように走りこんでいった虹に向かって何かを叫んだ。
しかし、虹達が外に出た途端、トレーラーのハッチが支えを失い勝手に閉まり、その声が遮断される。
虹は薄ら暗い笑みを発しながら、ガゼルのアクセルを踏み、雪の中を猛スピードで走り出した。
『あいつらを、囮として利用するんじゃなかったのかい?』
ガゼルが脳内通信でそう聞くと、虹はハンドルを切りながら言った。
『更紗の眷属である以上、あの餓鬼は決して逃げられない。どの道、またいつか会うわ。その時に利用すればいいだけの話』
『……そうなの?』
『うん』
根拠のない自信を聞いて、ガゼルは沈黙した。
517 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:09:39.73 ID:PLPcklEN0
しばらく虹はガゼルを走らせると、不意に止まった。
そして、巨大なクレバスの前でエンジンをふかす。
ガゼルの前部ライトがつき、暗闇を映し出した。
『何だ……これ……』
それを見て、ガゼルは唖然とした。
クレバスの中に、何かがある。
巨大な何かが、クレバスの下に向かって、円錐形に伸びていた。
逆三角形の、半径五十キロはあるだろうか。
その、宇宙船のような物体を見て、虹は口元を歪めて笑った。
518 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:10:49.25 ID:PLPcklEN0
『地底に向けて伸びるバベルの塔ね』
『ドームなのか……? どうして、クレバスの中に……』
『見つかりにくいところに建築したのね。道理で、衛星情報にも載っていない筈だわ』
『ここにハイエイトがいるのか。次は、誰?』
『さぁ』
『さぁって……』
『だって、ここから感じるオドス、一匹のものじゃないもん』
『え?』
519 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:11:35.41 ID:PLPcklEN0
虹の言葉を一瞬理解しそこね、ガゼルは聞き返した。
『一匹のものじゃないって……』
『ハイエイトクラスが二匹。それ以外が無数。感知できないくらいいる。魔法使い』
虹は、裂けそうなほど口を開いて、邪悪に微笑んだ。
『ひゃは、面白くなりそう……!』
『待つんだ虹! せめて燐達と合流しよう、君は今、言葉が喋れない。君の声紋がないと、レ・ダードが起動できない。あれがない状態で、ハイエイトクラスを二人も……』
520 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:12:01.36 ID:PLPcklEN0
虹は、最後まで聞かずに、巨大な円錐に向けてハンドルを切った。
エアバイクが浮き上がり、猛スピードで、下層に当たる部分に近づいていく。
『虹!』
彼女を制止しようとするガゼルの声を聞かず。
虹は、そのドーム……サバルカンダに、足を踏み入れた。
521 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:12:35.54 ID:PLPcklEN0
*
人が行きかう街中で、ポケットに手を突っ込んだ黒服の男が歩いていた。
巨大な身長は、嫌でも人目を引く。
二メートル近いその体躯を揺らしながら、彼、功刀は近くのカフェに入った。
ざわついている周囲を気にすることなくレジに並び、機械のコードが伸びた顔を隠そうともせず、彼はカウンター内の男性に向かって言った。
「その、赤子蒸しの皮焼きッテのヲ、一つ。アト、コーヒー。ブラックで一番濃いヤツを」
「かしこまりました」
しばらくして、トレイに料理が乗ってくる。
それを受け取り、功刀は一番奥の席に腰を下ろした。
522 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:16:42.35 ID:PLPcklEN0
赤子……人間の子供、それも胎児……手の平サイズのそれが、パリパリに焼かれて皿に載っている。
焼かれる過程で破裂したのか、眼球が飛び出していた。
それにナイフとフォークを入れ、口に運んでから、功刀はコーヒーをグビリと飲んだ。
「ふむ……」
小さく呟く。
「美味イ」
「功刀、それ何、何、それ、な、何?」
興奮気味に、彼のコートの中から声がする。
523 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:18:31.07 ID:PLPcklEN0
甲高い少年の声だった。
「お腹、すいたな。すいたの。このままじゃ、私達、暴走しちゃいそう、しちゃいそうなの」
今度は、柔らかい女の子の声がする。
「待テ。今やる」
功刀はそれに答えると、ポケットに手を入れ、小型の白い猫と、モルモットを取り出した。
店員に見つからないように、一番奥の席を選んでいて、しかも功刀の大きな体で隠され、ソファーの上に二匹が乗る。
モルモットが、ソファーの上に乗せられた赤子の肉片にかぶりつく。
続いて猫が、もそもそと肉片を食べ始めた。
功刀は息をついて、周りを見回した。
524 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:19:07.93 ID:PLPcklEN0
今の時間は、特にカップルが多い。
皆、談笑しながら楽しんでいる。
人食を。
軽く笑い、彼はコーヒーを口につけた。
何だコレは。
人一倍優しく、人間に近かった姉。
愛寡。
少し姿を消したと思ったら、こうだ。
兄が一番嫌っていた人食。
それを行う、数千もの人間……いや、「魔法使い」と共に、教祖として祭り上げられて暮らしている。
525 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:19:44.60 ID:PLPcklEN0
それは、図らずも、昔兄が描いていた理想郷にほぼ近く。
魔法使いにとって、理想的な環境。
いや、魔法使いにとっては、夢である環境が展開していた。
周りの人々の体には、どこからしらにビー球のような核がある。
それは、彼らが魔法使いであるというれっきとした事実をさしていた。
愛寡の眷属。
彼女の核は、空気感染で仲間を増やす。
何かしらの方法で、ここまで仲間を増やしたのだろう。
526 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:20:18.22 ID:PLPcklEN0
しかし、魔法を使えるのは、ほんの一握りのようだ。
その証拠に、魔法使い特有の気を感じない。
いわゆる、半魔法使い。
それらが掛け合わされて、人間ではない、しかし人間に近い個体が作られて、今に至るのだろう。
ここは、その半魔法使い達の街。
人間を喰らい、幸せに暮らす人々の理想郷。
よく作り上げたもんだ。
クック、と笑う。
アルビノのモルモット、アートナーが功刀を見上げて首を傾げた。
527 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:20:47.20 ID:PLPcklEN0
「何がおかしいの? ねぇ何がおかしいの?」
「何か面白かった? 料理はおいしいわ。ええ、おいしい」
続けてアルビノの猫、シェンダアンスが言う。
「別に。タダ、人間が人間ヲ食ってルって、ちっとオカシクなってナ」
「確かに。おかしいね。うん、おかしいね。でもおいしいよね」
「ええ、おいしいわ。おいしい。おいしければすべてがいいの」
「お前らハ単純デいいナ」
功刀はコーヒーを口に運び、そして赤子の残りを咀嚼して飲み込んだ。
そこで、アルビノ二匹の動きが止まった。
528 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:21:15.47 ID:PLPcklEN0
「どうシタ?」
功刀が呼びかけるも、二匹は頭上を見上げて停止している。
やがて、アートナーが髭を揺らしながら口を開いた。
「敵意、臭い。くさいね。くさい。凄く臭い」
「腐った臭い、臭い。くさいくさい」
「敵カ……?」
野性的な感で、功刀には分からないものを、二匹は感知する。
功刀はコーヒーを置き、そして二匹に言った。
529 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:21:44.68 ID:PLPcklEN0
「どうなのカト、聞いテル」
「くさいくさい。女の子だね。でも、腐ってる腐ってる」
「あぁくさい。功刀、見られてる。見られてるわ。あぁやだ、本当やだ」
「女の子?」
功刀は鉄のような顔を僅かに不思議そうにくゆらせ、そして続けた。
「俺ニ、敵意ガ向けられテルってコトか」
「そう、そう、理解が遅い功刀、遅い」
「遅いわ。ええ遅いわ」
「黙れ。敵と見てイイんだナ?」
530 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:25:22.65 ID:PLPcklEN0
「うん、うん」
「ええ、ええ」
「お前ら、先に行け。俺は少し片付けなければいけない用事がある」
立ち上がった功刀に隠れるように、アートナーとシェンダアンスは、彼が蓋を外した排気ダクトの中にもぐりこんだ。
「りょーかい、りょーかい」
「りょーかい、であります、あります」
白い猫とモルモットが中に消える。
足で蓋を戻し、功刀は少し離れたところで怪訝そうに立ってこちらを見ている店員に向けて、手を上げた。
「コーヒーヲもう一杯。もっと濃ク」
531 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:26:04.84 ID:PLPcklEN0
*
目の前には、地獄が広がっていた。
「何だ……これ……」
ガゼルが、思わず音量をONにして呟く。
虹は淡々とした表情で、眼前に広がる異空間を見回した。
正気ではとても、見られたものではなかった。
それほど、辺りは形容しがたい狂気に包まれていたのだ。
532 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:26:37.52 ID:PLPcklEN0
壁に、無数の人間が磔にされている。
両手両足は存在していない。
目玉や舌は抉り取られたようで、耳もない。
ドームの外壁を、ガゼルの熱砲で溶かして貫通させ、そこから入り込んだ一番下層に当たる部分。
そこは、まるで、蜂の巣のような空間になっていた。
幾万と広がる八角形の小部屋の中に、生命維持機関と思われる小型の機械がチューブで装着された人間の残骸のような人間達が、無造作に釘で打ち付けられている。
533 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:27:13.51 ID:PLPcklEN0
全員女性だと思われる。
子宮があったと思われる場所が切り開かれ、中に半透明の袋のようなものが差し込まれている。
その中には、へその緒が浮いていて、人間の胎児が浮いていた。
半透明の袋には、羊水らしいものが入っているようだ。
体外飼育をされているかのような光景だった。
はりつけられている人間の残骸のようなものが生きていると分かるのは、虹が空けた壁の穴から吹き込む風で、時折ビクビクと動くからだった。
おぞましいこと、この上ない光景だった。
534 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:27:47.05 ID:PLPcklEN0
室温は一定に保たれているようで、温かい。
ガゼルは、とりあえず進入した痕跡を消そうと無理やり思考を切り替え、後部からピノ粒子を四散させた。
それが、壁に開けた穴を塞いで、元通りに戻す。
しばらく、彼は無言だった。
歩き出した虹に追従する形で、黒いバイクがやっとのことで動き出す。
首から延びたコード越しに、ガゼルは虹に問いかけた。
『虹……何だと思う、ここ……』
『人間の飼育場ね。人間牧場って言った方が早いかしら』
何でもないことのように、通路を歩きながら虹が返す。
535 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:28:14.60 ID:PLPcklEN0
ガゼルはそれに、ヒステリックめいた、素っ頓狂な声を返した。
あまりに引きつったため、声にノイズが混じる。
『どうイウこと? 人間牧場? 人間ガこんなコトをするってイウの?』
『落ち着きなさい。声が変よ』
『落ち着いてラレないよ。どうシテ落ち着いてルんだ虹!』
機械のガゼルが正気を失いそうになる――つまり、脳内で処理できなくなるほどの異常な光景。
虹は、しかし無表情のまま通路を曲がった。
『…………』
『虹?』
『別に。ただ、変なオブジェと悪趣味だなって思うだけ』
536 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:28:45.00 ID:PLPcklEN0
『魔法使いが……魔法使いガこんなことを?』
『誰かは分からないけど。人間の発想じゃないわね』
虹はクックと笑ってから、壁にもたれかかった。
『面白いわ』
『面白い……面白イだって?』
思わず鸚鵡返しに聞き返し、ガゼルは声を荒げた。
『言葉が過ギル! 何考えてるンダ!』
『私がやったんじゃない』
『それでも……ソレデモ……』
『だから落ち着きなさい。ノイズが混じってて、何言ってるんだか分からない』
537 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:29:21.78 ID:PLPcklEN0
しばらく沈黙してから、ガゼルはカメラアイを虹に向けた。
『……ごめん、取り乱した』
『あなたに取り乱されちゃ、たまったもんじゃないわよ。そういうことはこれっきりにして』
『分かった……それで……どうする?』
『どうするって……魔法使いを殺しに行くよ』
まるでピクニックにでも行くかのような心持ちで虹が言う。
ガゼルは少し押し黙った後、彼女に言った。
『この人たちは……』
『どの道生命維持機関を外したら死ぬわ。そのほうが幸せだってなら、そうするけど』
虹はまた歩き出して、鼻歌を歌いだした。
『その手間が惜しい』
538 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:29:58.79 ID:PLPcklEN0
『…………』
追従しながら、ガゼルは言葉に詰まった。
虹の人格はよく把握していたはずだが、ここまで割り切っていた子だとは、思ってもいなかった。
割り切りすぎだ。
その思考は、人間よりも……。
そう、人間よりも……。
そこで虹は、上層に繋がるエレベーターを発見して、それに乗った。
『行くよ』
『う……うん』
ガゼルもそれに乗り込む。
539 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:30:33.57 ID:PLPcklEN0
虹がボタンを操作すると、ガコン、と音がしてエレベーターが動き出した。
しばらく降り進む。
何段かの層になっているらしく、パイプ状のエレベーター通路の外は見えなくなっていた。
『第一』
虹は淡々と言った。
『アレらは、もう人間じゃないわ』
『そんな……』
『いいんじゃない? 人間はト殺場を作って、生き物を殺すでしょ? リサイクルされてるだけまだマシよ』
『…………』
ガゼルは、言いたいことをグッとこらえて、そしてカメラアイをエレベーターの向こうに向けた。
540 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:31:06.24 ID:PLPcklEN0
『階下に生体反応。どうする?』
『殺す』
端的にそう言うと、虹はコートのフードを被り、ニマァ、と口を広げた。
『行くよ』
『……うん』
手を当てられたガゼルが、ぐんにゃりとガムのように形をゆがめる。
そして数秒も経たずに、その体躯は変質し、虹の肩に絡みつき、巨大なチェーンソーを形作った。
カメラアイが無数についた表面に、手の先には熱砲の砲口。
かなり重いはずだが、ガゼルが散布しているピノ粒子に支えられ、非力な虹でも持つことが出来るようになっている。
541 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:31:56.95 ID:PLPcklEN0
『あまり無駄な犠牲を出さないように』
『無駄な犠牲なんてこの世にないわ』
ガゼルに呟くように言い返し、虹はガコン、とエレベーターが止まり、扉が開くと同時に、走り出した。
そして、両手がハサミ型になっている、アンドロイドと思われる男達を視認するよりも早く、チェーンソーを回転させ、一気に五人の胴体を凪いだ。
前転して着地した虹の背後で、男たちの体から生体血液が噴出し、びちゃびちゃと汚らしい音を立てて飛び散る。
それら、「だったモノ」がどちゃり、と崩れ落ちたのを確認するまでもなく、虹はチェーンソーを回転させたまま走り出した。
『三時の方向、生体数八』
ガゼルの言葉を聞いて、虹はためらわずに角を曲がった。
そして、赤ん坊と思われるモノを袋詰めにして、エアダクトに放り込んでいるアンドロイド達の胴体を、正確に凪いでいく。
542 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:32:28.93 ID:PLPcklEN0
病み上がりとは思えない運動神経で、一筋の光のように虹が通り過ぎる。
それらが崩れ落ちるより先に、虹は顔面に浴びた返り血を舌で舐め取り、瞳をギラつかせながら走り続けた。
『ここの通路情報をハックした。さっきの人間牧場から採取した胎児を、加工するエリアみたいだ。無駄な殺戮はやめよう。もっと下るよ。エレベーターエリアは左だ』
『分かった』
存外素直に言うことを聞いて、虹が左に曲がる。そして先ほどと同じようにエレベーターに乗り込もうとした瞬間だった。
『……!』
とっさに虹が飛びのいた。
その、彼女らがいた場所に、どこから飛んできたのか、カッ! という音がして何かが突き刺さる。
543 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:33:35.70 ID:PLPcklEN0
『何だ……? 量子波がマイクロコンマゼロ八秒で、異常値を感知! 魔法だ!』
『遅い!』
虹が脳内通信で怒鳴る。
そのまま彼女は、バク転を何回か繰り返して高速で背後に飛び退った。
その、彼女がいた場所に一拍ずつ遅れて、カカカカカカッ、と柄がない、『刀』が突き刺さった。
虹は壁を蹴って横に飛ぶ退ると、ゴロゴロと床を転がった。
次の瞬間、凄まじい音がして、今まで彼女達がいた場所に、数千もの刀が、上下左右から飛び出してきて突き刺さった。
まさに、通路を埋め尽くすほどの量だった。
544 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:34:20.16 ID:PLPcklEN0
『解析完了。異常値を二つ感知。人間じゃない』
『魔法使い?』
『そのようだ』
『エンクトラル砲発射準備。全てのラインを連結。フルバースト』
『了解』
『発射するよ。三……』
虹がカウントダウンしながら、転がって通路の正面に出る。
『二……一、シュート!』
ガゼルの砲口から、直径二メートルはあろうかという、通路を埋め尽くすほどの熱波が放出された。
545 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:34:50.46 ID:PLPcklEN0
それは、通路を削り、地鳴りを引き起こしながら、凄まじい勢いですっ飛んでいき、正面の通路に突き刺さり……はしなかった。
キュン、という音がして、斜め上に弾かれる熱波。
そのままそれは、数メートルも壁の岸壁を抉って止まった。
熱波が通り過ぎた場所が、真っ赤に発熱している。
プスプスというそれを見て、虹は歯噛みした。
『……エンクトラル砲が弾かれた……? ピノ反量子フィールドは展開しているはずよね?』
『ああ。魔法だ。サイドG7。物質の転換系統だ』
『チッ』
舌打ちをした虹の目の前で、残っていた刀が砂になって消える。
546 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:35:33.74 ID:PLPcklEN0
その向こう、今しがた熱波を弾いたところに、ポツリと、真っ白な毛をした猫とネズミがいた。
ネズミは猫の頭の上に乗ると、口をもぐもぐと動かした。ハスキーな少年の声が響いた。
「避けられた、避けられたね」
「そうね。不愉快ね。とても不愉快」
猫が口を動かす。柔らかい少女の声だった。
『猫とネズミ……喋ってる……?』
『魔法使いだ……!』
虹の方が動きが早かった。
壁を三段跳びの要領で蹴って、ためらいもなく猫とネズミの上に移動する。
その瞳孔が拡散した瞳に睨みつけられ、二匹の動きが止まった。
547 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:36:16.29 ID:PLPcklEN0
それに向けて、一直線にチェーンソーを振り下ろす。
迂闊な坑道だった。
本来ならガゼルが、何とかして制止しなければいけない行動だった。
しかし先程の人間牧場で得た衝撃が、ガゼルの思考回路を鈍らせてしまっていた。
「「死ね、死ね」」
猫とネズミが同時に言う。
猫の瞳が真っ赤に発光した。
途端、バヂィンッ! と電気で弾かれたように、チェーンソーが空中で浮いた。
猫の額数センチ手前で、ものすごい力で吹き飛ばされたのだった。
『弾かれた……! 強力な、局地的量子フィールドだ! 来るぞ虹!』
548 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:36:50.06 ID:PLPcklEN0
ガゼルが叫ぶのとほぼ同時に、アルビノのネズミがジャンプした。
その尻尾がヒュンと動く。
途端。
数十本の刀が空中、どこからともなく出現し、虹の体に突き刺さった。
とっさに首をひねって、頭に刺さることだけは避けたものの、虹が地面にドチャリと崩れ落ちる瞬間まで、刀は出現し続け、結果、彼女は体中からハリセンボンのように刀をはやした姿で、口から大量の血液を吐き出した。
「何だ、弱い。おお、弱い」
「弱いわ。こいつ、とても弱いわ」
「どうする、シェンダアンス」
「そうね、アートナー。食べてしまいましょう」
549 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:37:24.48 ID:PLPcklEN0
「食べちゃう? ねぇ食べちゃう?」
「そうしましょう。ええ、そうしましょう」
ズルズルと、血の跡を引きずりながら這い出した虹を見て、無表情のまま猫とネズミが足を踏み出す。
『虹、今傷を……』
『くそ……やられた……!』
虹は、しかし苛立たしげに首に刺さった刀を抜いて、二匹に投げつけた。
すると、猫の瞳がまた光り、刀が弾かれて床に転がった。
『エンクトラル砲を弾くほどの強力な結界だ! 逃げるぞ!』
『逃げたければ一人で逃げて。私は逃げない』
虹は、ガクガクと震えて、体中から血を流しながら立ち上がった。
550 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:38:03.74 ID:PLPcklEN0
『逃げない!』
彼女の瞳が真っ赤に光る。
『サイド55で接続開始。全ての設定をニュートラルへ。BMZ抗体安定。レッドラインで連結』
『更紗の核を使うつもりか! やめろ! こんなところで使ったら、ハイエイトに……』
『ジャンクション』
虹が手を振り下ろす。
どろり、と彼女達を中心とした空間が歪んだ。
そしてまるで沼のようにぐちゃぐちゃになり、溶け始める。
551 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:38:28.26 ID:PLPcklEN0
「何だか面白いことをし始めたよ、面白いよ」
「ええ、面白いわ。とても面白い」
二匹がカッカと笑う。
虹は振り上げた手を、力の限り下に振り下ろした。
床が半径五メートルほど、グズグズの沼になって溶解し、落下を始める。
猫の頭に乗ったネズミが尻尾を振る。
しかし、出現した刀は、虹に触れる寸前で溶解して消えた。
552 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:38:58.95 ID:PLPcklEN0
「逃げる。あいつら逃げるよ」
「追おう、シェンダアンス。鬼ごっこだ」
「鬼ごっこ? きゃは、楽しい楽しい鬼ごっこ」
二匹が、陥没した穴に体を躍らせる。
それを上空に見ながら、虹はまた血を吐き出して膝をついた。
553 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/19(日) 16:40:39.10 ID:PLPcklEN0
お疲れ様でした。次回の更新に続かせていただきます。
リアルタイムに修正させていただきますので、ご意見やご要望などありましたら、遠慮なさらず書き込んでくださいね。
精一杯対応させていただきます。
それでは、また次回。
554 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2012/02/19(日) 18:10:07.90 ID:M02SfDUvo
おつおつ
555 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage saga]:2012/02/19(日) 19:56:03.66 ID:SBr7/t1DO
wikiを一部更新させて頂きました。
556 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(栃木県)
[sage]:2012/02/20(月) 02:13:42.31 ID:Z/yCYiMR0
三毛猫 ◆E9ISW1p5PYさんお疲れ様です。
>>508
です。
>>508
での要望ですが、三点リーダーではなく句読点でした。
例えば
>>453-454
を勝手に校正させて頂くと
突然の少女の乱入に周囲は唖然としてそれを見た。
赤髪の女でさえ一瞬彼女の方に目を向けた。
カランは歯を食いしばり、
事実本当に転がりながらゼマルディに向かって懸命に駆け寄ってきていた。
途中で転がったが両腕を使い、まるで獣のように、子供を守る母親のように。
なりふり構わずカランはゼマルディに駆け寄ると、
そのまま脇を通り過ぎ、派手に転がりながら赤髪の女に頭から体当たりをした。
相手魔法使いは全くの予想外だったのか、小さな悲鳴を上げてその場に転がった。
意識を集中していないと放てないのか、発光していた魔法が気の抜ける音を立てて掻き消える。
次の瞬間。
それだけクリアに見えているゼマルディの視界で。
兵士の一人が撃った銃弾が、まるで紙の塊のように妻の体を突き刺し、
放物線を描いて空中に吹き飛ばした。
弾は彼女の胸を貫通したが、戦車に打撃を与えられる武装だ。
その威力は子供並のカランの体には有り余るものだった。
何の抵抗もすることができずに壊れたマリオネットのように……
カランはゼマルディよりも後方に背中からぐしゃりと音を立てて落下した。
――時間が止まった。
夢の中の光景だった。
という感じです。
557 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(埼玉県)
[sage]:2012/02/20(月) 07:35:27.79 ID:SSlalQ2zo
乙乙!
558 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:21:37.42 ID:WO2eriwB0
こんにちは。
Wikiの更新とご支援ありがとうございます。
校正、例まで載せていただいて恐縮です。
大変参考になります。
句読点の位置と文の長さですね。
努力していきますので、お付き合いいただけますと幸いです。
それでは、16話を投稿させていただきます。
559 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:22:23.53 ID:WO2eriwB0
16 封印岩
警報が鳴り響く階層の中で、虹は沼になって崩れ落ちていく周囲を見回し、
そして瞳を真っ赤にぎらつかせたまま膝をついた。
『虹、大丈夫か!』
ガゼルの声が脳内に反響する。
虹は、体に突き刺さった無数の刀を抜こうともせずに、ガゼルを頭上に振り上げた。
『エンクトラル砲、フルバースト。第三射、第四射準備。ワンタイムで発射』
『虹、今エンクトラル砲を連発したら、君の体を治すことが……』
『シュート』
ためらわずにガゼルの引き金が引かれ、虹が二発の砲撃に耐え切れずに沼の中に崩れ落ちる。
560 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:27:05.49 ID:WO2eriwB0
二発の熱波は落下している虹達を追うように飛び降りた、
白い猫とネズミに向かって吹き飛び、そして弾かれて壁を抉って消えた。
全く問題なく、二匹の獣が落下してくる。
また虹の周囲に、無数の刀が出現したが、彼女に触れる寸前にグズグズに溶けて消えた。
『残存ピノ粒子、二十五パーセントを切った! 俺のナビを聞いてくれ!
急いで君の体の修復に移行する!』
『エンクトラル砲、第五射スタンバイ』
『虹!』
『落ち着きなさい……!』
頭の中で、押し殺した声で怒鳴られ、ガゼルは口をつぐんだ。
561 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:28:03.85 ID:WO2eriwB0
『私は冷静よ……私の思うとおりに動きなさい! あなたは道具! 私の道具なの!』
『いいや違う! 僕は君のサポートシステムだ! いくらピノロイドだからって、失血死するぞ!』
『シュート』
五発目の熱波が射出され、空中で回転した猫に、熱波が綺麗に弾き返された。
『かかった……!』
半死半生の虹が、口元から血液を吐き散らしながら、向かってくる熱波に手を伸ばした。
『BMZ核へのジャンクションを取り消し、全ての設定をニュートラルへ。
量子フィールド、最大限に展開。エネルギーライン、全段直結』
『まさか……更紗の核で、レベル2を引き起こすつもりか……?』
562 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:29:03.34 ID:WO2eriwB0
唖然としたガゼルに構わず、虹はニヤリと笑った。
『死ね』
向かってきた熱波が、落下する周囲の中、虹の手に当たる直前で、グズグズの沼になって変質した。
そして彼女の手の上に、直径五メートルを越える巨大な球形になって流体する。
「まずいね、何だか知らないけど、あれはまずいね」
「ええ、まずいわ。アートナー、まずいわ」
白い猫とネズミが口々に騒ぐ。
ネズミが空中でくるくると回転した。
途端、彼らの周囲に凄まじい量の刀が出現した。
猫とネズミを守るように、球形に刀が折り重なっている。
563 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:30:21.29 ID:WO2eriwB0
次いで、虹の周辺に棺おけのような黒い物体が沼の中から出現した。
認識魔法、そのレベル2の発現だった。
更紗のものと違って、出現した棺おけは一つ。
しかしそれが揺らいで消えると同時に、虹の手の中の巨大な玉が、膨らんでそして弾けた。
凄まじい地震が、ドーム全体を襲った。
揺れる周囲の中、ガゼルが何とか残りのピノ粒子を放出させ、虹の出血を止める。
虹の手から放たれた熱波を変換した腐敗フィールドは、凄まじい勢いで膨張すると、
猫とネズミを吹き飛ばし、そしてドームの一階層を球形に吹き飛ばした。
564 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:31:16.89 ID:WO2eriwB0
衝撃で彼女の体が弾かれ横に飛ぶ。
そのままエレベーターエリアから飛び落ち、岸壁がむき出しの階層と階層を結ぶ空間に躍り出た。
上の階層の一部が、すっぽりとなくなっていた。
半径一キロほどの空間が球形に抉り取られ、消滅している。
虹は落下しながら、吹き込んでくる雪風を体に浴び、ゴボッと何かを吐き出した。
それが彼女の胸に落ち、ヘドロのようになって溶けて消える。
『更紗のBMZ核が消滅した……! 何てことを!』
ガゼルが悲鳴のような声を上げる。
565 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:32:23.08 ID:WO2eriwB0
彼は後部のブースターを吹かし、横に飛ぶと虹の体を岸壁に運んだ。
そして少しせり出て、奥に空間がある場所に転がり落ちる。
落下の衝撃はピノ粒子で抑えたが、虹はそれでもまた血を吐いた。
彼女は震えながら、自分の体に突き刺さった刀を抜き始めた。
『ピノ粒子の残存指数が五パーセントを切った! 僕はターン(再融合)のプロセスに入るよ!
三十秒、スタンバイ状態になる。いいね!』
『分かった……!』
ガゼルの通信がブツリと切れる。
虹は、胸に刺さっていた刀をズルリと引き抜いて横に飛ばした。
566 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:33:55.73 ID:WO2eriwB0
ガゼルが、ピノ粒子の使いすぎで、一時的に休止状態に陥ったのだ。
彼にかかっている泉の魔法ですぐに粒子は復活するものの、タイムラグがある。
しかしそれは、致命的過ぎるタイムラグだった。
スカカカカカカッ! と硬い音がして、虹の体が吹き飛び、出現した刀に岸壁に磔にされる。
衝撃で、現在休止状態にあるガゼルが虹の手から離れて、地面を転がった。
血で滲んだ視界を必死に開いた虹の目に、空中をポン、ポン、とジャンプしながら、
軽やかに降りてくる白い猫の姿が映った。
自分で自分の体を「止めて」いるらしい。
その頭の上で、髭を揺らしながら小さなネズミが立っていた。
それはまるで人間のように二足で立ち、腕を組んで虹を見ていた。
567 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:34:37.73 ID:WO2eriwB0
真っ赤に発光した二匹の目を見て、虹が歯噛みする。
パラパラとドームの残骸が落ちてくる中、二匹は虹が磔られている空間に入り込み、そして言った。
「今のは危なかった。凄く危なかった」
「ええ、ええ危なかった。凄く危なかった。あれは私の魔法でも防げなかったわ」
よく見ると、二匹の毛が所々焦げている。
更紗の。
彼女の大魔法を持ってしても、かすり傷。
568 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:36:30.31 ID:WO2eriwB0
その時の虹には分からなかったことなのだが、全ては紙一重の出来事だった。
空中で方向転換が出来る猫、シェンダアンスがパートナーのモルモット、
アートナーが発した刀を反射し、その勢いで後部に飛び大魔法を避けていたのだった。
まさに動物的な勘がなせる技だった。
彼らが人間ならば、先ほどの魔法で勝負はついていたはずだったのだ。
「さて、食事にしようか? しようよ」
「そうね、お腹がすいたわ。すいたわ。トドメを刺したら、食事にしましょう」
猫とネズミが近づいてくる。
ガゼルはまだ起動しない。
569 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:37:48.28 ID:WO2eriwB0
虹は、ところ狭しと突き刺されて壁に食い込んでいる刀を見て、荒く息を吐いた。
(この辺なんだけどな……)
薄れて消えそうな意識の中、懸命に集中する。
「さよなら、面白い人」
「グッバイ、面白い人」
「「君の負けだ」」
声を合わせて、ニヤァリと猫とネズミが笑う。
そこで虹は、探していた微かな「気」を感じ取り、笑顔になった。
570 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:38:50.78 ID:WO2eriwB0
突然の少女の豹変に、動物二匹が止まる。
「何? 何がおかしいの?」
「さっぱりわからないわ。何か楽しいことがあるの?」
不愉快そうに喚く動物達の前で、壁に磔られた虹は唯一動く左足で壁を蹴った。
流れ出る彼女の血が途端に勢いを増し、ボタボタと床に垂れる。
それは、少し離れた場所にあった地面の割れ目に吸い込まれて消えた。
数秒経った。
「とりあえず殺そう、食事にしよう、シェンダアンス」
「待って、アートナー。何かおかしい。おかしいわ」
571 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:40:09.03 ID:WO2eriwB0
「何がおかしいの? ねぇ何がおかしいの?」
「感じない? 変な気。変な気分。凄く、凄く変な気分」
「……本当だ。くさいね。すごくくさい。くさいくさいくさい」
「くさいわ、ここ、何かとてつもなく臭いわ」
「逃げた方がいいね、逃げようシェンダアンス」
「そうねアートナー。逃げましょう」
いきなり方向転換して、虹を残して二匹が走り出す。
しかし、遅すぎた。
572 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:41:36.45 ID:WO2eriwB0
「カルルルルルルルルルルル」
奇妙なうなり声が聞こえた。
虹の血液が大量に入ったクレバスの中からだった。
「キャラァァアァァァァァ!」
叫び声がした。
クレバスがその衝撃で一気に広がり、虹は崩れ始めた壁から解放され、どちゃりと地面に転がった。
何かが、クレバスの下で真っ赤な瞳を光らせていた。
(来た……!)
虹が、霞む視界で笑う。
573 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:42:34.83 ID:WO2eriwB0
パン、パンッ!
と連続してモノが破裂する音が響いた。
今までアルビノの猫とネズミがいた場所に、微かな肉片と、焦げた臭いそして粉末状になった血液が散る。
呆気ないほどの簡単すぎる殺戮。
彼らが知覚すらも出来ない速度で、踏み潰されたのだった。
次いで、一拍置いて周囲を突風が荒れ狂う。
吸い込まれそうになった虹の耳に、ガゼルの声が聞こえた。
『ターンアップ完了。何だ? 凄まじい量子エネルギーだ!』
574 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:45:09.66 ID:WO2eriwB0
『呼び出してやったのよ……ここの主が、ごたい大事そうに抱えていた爆弾をね……』
虹は笑った。
『面白いと思わない……?』
『虹!』
彼女の命が危険と判断して、ガゼルがピノ粒子を噴出させる。
体から刀が抜け落ち、虹の傷口がふさがっていく。
そこで、ガゼルのカメラアイに、数十メートル離れた場所に放射状に地面を抉って、
何かが埋没しているのが映った。
『何だ……あれ……』
575 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:50:54.22 ID:WO2eriwB0
人間……のように見えた。
着地姿勢をとっているそれは、体中にがんじがらめに鎖が巻かれていた。
顔面の半分を、半ば解けたピエロのようなマスクが覆っている。
体中を、魚類のような鱗が覆っている。
両腕がない。左足もだ。
右足だけで、地面に「それ」はゆっくりと立った。
『まさか目で実際に見れるとはね……』
576 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:51:28.01 ID:WO2eriwB0
『何だあれ……敵か? さっきの動物達は……』
『アレが殺してくれたわ。多分、アレの魔法で』
『あれ……?』
『魔法兵器、D77コード三十九。おそらく、ルアの黒い一族』
ドシャリ、と支えを失ったように「それ」が地面に崩れ落ちる。
体中の鱗が剥がれ落ち、徐々に人間の体が浮かび上がってくる。
『人だ……』
『ここまで上手くいくとは思わなかったけど。でも良かった。使える駒で』
虹が薄ら笑いを浮かべながら、ガゼルが修復したコートを羽織る。
577 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:52:33.50 ID:WO2eriwB0
彼女の体の傷は、もうふさがっていた。
ガゼルは虹の肩から離れ、バイクの形に変質すると言った。
『ルア? 魔法兵器? そんな語句は俺の中に登録されてない』
『登録したことがないからね』
『どういうこと? アレは敵なの?』
『さあ……』
虹はまだ体の傷が痛むのか、僅かに足を引きずりながら、
全裸の両腕と左足を失っているその男性に近づいた。
意識がないらしい。
578 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:53:27.65 ID:WO2eriwB0
『何かしらの魔法兵器が封印されてることは、オドスの感知で分かってた。
更紗の魔法は、そこに移動するまでの囮よ』
『大魔法を囮に使ったのか……』
『ええ』
唖然としているガゼルの前で、虹はつま先でその男性の顔を弄って自分の方を向かせた。
床に転がった鱗が、キラキラと光って、ガゼルのライト光を反射している。
二十代後半と思われる、青年だった。
音を立ててピエロのマスクが落ちる。
579 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:54:09.85 ID:WO2eriwB0
『うわ……』
思わずガゼルが呟く。
顔面の半分は、何か強力な熱で焼かれたのか、破裂してぐちゃぐちゃになり、ケロイド状に固まっていた。
虹は小さく呻いてしゃがむと、青年の顔面にそのマスクをはめ込む。
そして、ガゼルの後部座席に彼を掴み上げ、半ば溶けて砕けていた鎖を外し、無造作に乗せた。
『連れてくの?』
『使える駒なら使う。目的のためなら手段なんてどうでもいいの。使えなきゃ……』
薄ら笑い、少女は言った。
『捨てればいいわ』
580 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:55:18.65 ID:WO2eriwB0
*
「…………」
大柄の男は、そこに立ち尽くしていた。
奇しくも自分の従者達が向かった場所は、彼、功刀が探していた場所だった。
地面の汚らしい染みとなった二匹の亡骸の前でしゃがみこみ、
功刀は、カリ……と顔面に剥き出したコードを指で掻いた。
あの二匹は、傑作だった。
猫、シェンダアンスは、知覚したモノを全て防ぐことが出来る盾を出す、盾の魔法が使える猫だった。
モルモットのアートナーは、知覚した場所に刀を出すことが出来る、剣の魔法を使える動物だ。
二匹とも、エリクシアが秘密裏に開発した魔法生物の一種だった。
それに、功刀が細工をし、BMZウィルスに感染させて使役していたのだ。
581 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:56:18.68 ID:WO2eriwB0
それが、こうも簡単にやられるとは。
魔法の気配を感じた。
現に、このドームの下層部分が大きく抉られ、消滅している。
あれは……。
姉、更紗の魔法。
それに間違いなかった。
微弱だが、姉の魔法だ。
姉が死んでいることは確認している。
愛寡には言わなかったが、核が抜き取られていた。
その事実を総合して考えると、更紗を殺した人間は、魔法使い。
核を使い、相手の魔法を使うことが出来る、反魔法使いだと思われる。
582 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:56:51.91 ID:WO2eriwB0
「ドウいうことダ……?」
呟く。
そんな魔法使い、聞いたことがない。
魔法使いは人間を喰らう。
その魔法使いを喰らって、魔法を使うというのか。
もしそんな魔法使いがいたとしたら。
それは、魔法使い全体の天敵。
脅威でしかなかった。
まるで、そう……時間を巻き戻してコピーしているような……。
そこまで考え、功刀は息を吐いた。
583 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:57:26.24 ID:WO2eriwB0
まさか。
まさか、あの子が生きているとは考えづらい。
あの子は寿命で、もう当の昔に死んでいるはずだ。
考えを真正面に戻し、立ち上がる。
アートナーとシェンダアンスを殺したのは、その魔法ではない。
何か強力な、二匹が「知覚さえも出来ない」何かで殺されたのだ。
そんなものがあるのか……?
少し考えこみ、功刀はポケットに手を突っ込んで、背を伸ばした。
584 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:58:11.12 ID:WO2eriwB0
いずれにせよ。
従者二匹が殺された。
敵だ。
このドームの中にいる。
排除しなければならない。
売られた喧嘩は買うのが、功刀の中の揺ぎ無い信念の一つだった。
(愛姉……ヤハリ、黒い一族ヲ封印シテたな……)
585 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:58:38.71 ID:WO2eriwB0
脳内でそう思う。
おそらく、アートナーとシェンダアンスを殺したのは、魔法兵器。
それも、かなり強力なものだ。
眼下にポッカリと開いたクレバスを見る。
愛寡は何かを隠している。
(聞かねバならねェ)
そう心の中で呟き、功刀は、自分の影の中に沈みこんでいった。
586 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 17:59:24.38 ID:WO2eriwB0
*
その瞬間、愛寡と爪は同時に上空を見上げた。
愛寡の顔は顔面蒼白になっていた。
「な……何……?」
「師匠、こっち」
よろめいた師を支え、爪が慌ててソファーに誘導する。
そして彼は、左手をポケットに突っ込み、そして言いにくそうに、
右手で頬を掻きながら言った。
「師匠、俺、オドス、感じる出来る。俺、龍の一族。だから、分かる」
「…………」
口元に手を当てて嗚咽を漏らした師に、戸惑いがちに、
しかし数秒我慢してから、爪は耐え切れずに言った。
587 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:00:01.57 ID:WO2eriwB0
「どうして、あいつ生きてる? 師匠、あいつ、ドーム外捨てた言ってた。嘘か?」
「ごめんなさい……ごめんなさい爪……」
「泣いてる分からない。詳しく、説明欲しい」
「私が、私が悪いの……殺せなかった……可哀相だと思った
……だから、ドームの下層で……」
「何……だと……?」
爪が唖然として制止する。
そして、次の瞬間彼は、瞳を真っ赤に発光させながら師に掴みかかった。
588 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:00:48.39 ID:WO2eriwB0
「どうして! どうして殺さなかった! 俺、騙してた? 何で? 何で!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
愛寡が激しく揺らされながらくぐもった声を上げる。
「俺信じてた! でもどうして! どうして騙した!
あいつ敵、師匠、足奪った敵! あいつ強い、師匠それ知ってる!」
「殺せなかった……殺せなかったの。私、沢山殺した。大戦の時、沢山魔法兵器殺したの
……だから、もう私、殺せない……殺せない、もう殺したくないの……」
「でも!」
そこで愛寡の部屋のドアが乱暴に開き、浮屋と、銃を持った警備員達が、部屋の中に足を踏み入れた。
589 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:01:29.34 ID:WO2eriwB0
「離れろルケン! 聖上から離れろ!」
浮屋が、彼に右手を向けて怒鳴る。
「聖上、先ほどの街での事故は、こやつが引き起こしたことであることが判明しました。即刻捕縛します」
老人がそう言うと、愛寡はサッと青くなって、彼に向かって叫んだ。
「駄目! 何してるの! 銃を降ろして!」
「何を仰る! そもそもそんな、都合の分からない餓鬼を飼う事は、私は反対でした!
ここは法治国家です。法を冒せば裁かれるのは当然だ!」
浮屋が、師に向かって怒鳴る。
愛寡は、その言葉に殴りつけられ、僅かによろめいた。
590 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:02:09.98 ID:WO2eriwB0
それが、致命的だった。
瞳を真っ赤に発光させた爪が、ゆらりと立ち上がって浮屋を睨む。
「レルレラル・オレアス・ラルラレロレラルヲ(俺に鉄を向けるか、下賎な民め)」
そう言って、爪は浮屋に向かって右手を突き出した。
「ラルオレアス、レロラルエアスポス・デスタレオア
(我慢の限界だ。てめぇみてぇなクソ野郎に師匠はふさわしくない)」
「アルレラルオ、レラシオ!(なんとでも言え! クソ餓鬼が!)」
聞いたことのないような発音で浮屋が怒鳴る。
彼も目を真っ赤に発光させ、右手を爪に向けて突き出した。
591 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:03:00.20 ID:WO2eriwB0
一拍遅れて、爪に銃を向けていた警備員全員が、
まるで列車に轢かれたかのように後方に向かって吹き飛んだ。
浮屋の体も浮き上がり、そして壁に激突する寸前。
爪は手を自分の方に向けて引いた。
吹き飛ばされた人間達が何か強力な磁石で引きつけられでもしたかのように、
一瞬空中で制止して、爪の方に猛スピードで吹き飛んだ。
浮屋も同等だった。
自分に向かってきた浮屋に向け、ニヤリと笑い。
爪は腕を振り下ろそうとし。
そこで、間に割って入った愛寡の姿を見て、慌てて息を呑んだ。
592 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:03:58.36 ID:WO2eriwB0
窓ガラスにぶち当たりかけていた警備員達が、ドサドサと鈍重な音を立てて床に崩れ落ちる。
ルケンが振り下ろしかけていた手は、浮屋を庇うように立っていた愛寡の顔面寸前で止まっていた。
「師匠……」
ポカンとして呟いた爪の頬を、不意に愛寡が思い切り手で張った。
パンッ、と女の力で頬を張られ、しかしそれが与えた心の痛みに呆然として、爪は停止した。
愛寡の目が赤く発光していた。
バチ、バチ、と音がして、天井の蛍光灯がついたり消えたりし始める。
愛寡は強く歯を噛み、押し殺した声で言った。
「……喧嘩は駄目……何回も言った。私に、逆らうつもり?」
ドサ、と魔法の支えを失った浮屋の体が床に落ちる。
593 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:04:38.00 ID:WO2eriwB0
彼らを瞳孔が拡散した赤い瞳で見回し、愛寡は呟くように言った。
「爪は、不問。だけど、次はないわ。いいわね?」
その重い響きに、浮屋が起き上がり、そして深く息をついて、何かを言いかけた。
「いいわね?」
もう一度念を押され、彼は首を振って肩をすくめた。
外に放り出されかけていた警備員達が、口々に、やっと悲鳴を上げて部屋の外に逃げていく。
浮屋は、不服そうに鼻を鳴らし、一礼してからスーツの埃を払い、爪を睨んだ。
そして数秒間にらみ合って、部屋の外に、足音を鳴らして出て行く。
爪は浮屋から視線を離し、まだジンジンと痛む頬を手で抑えた。
594 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:05:22.55 ID:WO2eriwB0
「師匠……はたいた。俺、はたかれた……?」
呆然として呟く。
次いで、爪は小刻みに震え始めた。
そして歯を鳴らし、彼はよろめき、壁に背をつけた。
「はたかれた……はたかれた! あああ!」
子供のように泣き叫び始めた爪を、愛寡は荒く息を吐きながら見て、
そして何度か目をしばたたかせた。
天井の蛍光灯の点滅が収まり、彼女の瞳の光も静かになっていく。
床にうずくまって震えている爪に近づき、彼女はそっと声を出した。
「私、小さい頃、よく叩かれた。あなたと同じ、聞き分けない子だった、から」
595 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:05:56.00 ID:WO2eriwB0
「…………」
「怒られるだけ、幸せ。そう思いなさい」
「俺……嫌われた? 俺、我侭言った。嫌われたか?」
「ううん。私は、あなたを見捨てたりしないわ。だから、安心」
爪はその瞬間、パッと笑顔になって、師に抱きついた。
「俺、もう我侭言わない。勝手なこと、しない。だから、もう叩かないか?」
「ええ。大丈夫、私、怒ってごめんなさい」
愛寡はそう言って、息をついた。
「説明するわ……爪、あなたに、頼みたいことが、あるの」
その、自信がない、何かに怯えているような瞳を受け。
爪は何度か、コクコクと頷いた。
596 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:08:59.39 ID:WO2eriwB0
*
手を伸ばした。
その手は空を切り、そして虚しく中空を掻いた。
手を伸ばした先には何もなかった。
手を引っ込めた場所にも何もなかった。
後にも先にも、広がるのは、無数の暗黒だけだった。
だって、あの子はもういないから。
後にも先にも、あの子はもはやこの世には存在していないから。
だから、俺は。
俺はこう言ってやるんだ。
597 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:09:26.21 ID:WO2eriwB0
「絵空事だよ、馬鹿め」
絵空事を信じる全ての人間よ、呪われてしまえ。
絵空事に甘んじる全ての人間よ、死んでしまえ。
死ね、死ね、死ね、死ね。
死んでしまえ。
全部、壊れてしまえ。
全部、死んでしまえ。
598 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:10:04.83 ID:WO2eriwB0
手を伸ばした。
その手は暗黒を掴んで、そして手繰り寄せた。
暗黒には、異常なほど質感も重さもなく、ただひたすらに、それは黒かった。
絵空事だよ。
絵空事だよ、馬鹿め。
幸せな生活も、楽しい毎日も、そんなものは想像の世界の空想にしか過ぎず。
何もかもをが全てが、ドス黒いことに気付きさえもしなくて。
俺は、ただその漫然とした空気に甘んじて生きていた。
599 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:10:37.57 ID:WO2eriwB0
だから馬鹿め。
絵空事なんだよ、馬鹿め。
カッカと哂った。
他の誰でもない。
今、ここにいる自分が。
自分が、面白かったのだった。
600 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:11:40.16 ID:WO2eriwB0
*
目を開いた。
残った片目を開き、男はぼんやりと上を見た。
不気味なほどに感情を宿していないその目は、少しして、
自分の隣でパチパチと音を立てて燃えている人工燃料に留まった。
「目が覚めたか」
声をかけられ、男は顔を上げた。
そして、自分の体にかけられていた毛布を脇に寄せ、緩慢に起き上がる。
そのまま座り込み、頭を振る。
何かで枷をされたかのように、脳がガンガンと痛んでいた。
601 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:12:20.59 ID:WO2eriwB0
「……何だ……」
呟いて、唯一残っている右足を見る。
僅かに血液がこびりついた後がある。
体には、厚手の黒いコートが着せられていた。
そこで彼は少し離れた場所に、巨大なバイクに腰掛け、
こちらを見ている少女がいることに気付いた。
「…………」
ぼんやりとしている脳の焦点を、無理やりに彼女に合わせる。
少女はポン、とバイクを叩いた。
バイク側部のスピーカーから、少年の声がする。
602 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:30:36.38 ID:WO2eriwB0
「会話が可能なのか? 俺の言葉が分かるか? 分かったら、返事をしてくれ」
男は、自分の顔面の半分を覆い隠しているピエロマスクの位置を直すと、無表情に少女達を見た。
そして、ボソリと呟くように口を開く。
「どこだ、ここ」
「返事をした……使用言語はこの地方のもので間違いない」
少年の声がして、ザザ……とノイズが混じる。
そして少年の声そのままに、女の子の話し方で声が聞こえた。
「こんにちは、ルアの黒い一族さん。私の名前は虹。こっちはガゼル。以後、お世話になるわ」
603 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:32:10.19 ID:WO2eriwB0
ポンポンとガゼルと呼んだバイクを叩き、虹と言った女の子は、
相変わらずの無表情のまま、機械の声を借りて男に聞いた。
「名前を教えてくださる?」
「…………」
不穏げな表情をした彼に、慌ててガゼルが言う。
「誤解しないで欲しい。氷の中に封印されてたアンタを解放したのは、俺達だ。
この子は、今言葉が話せない。俺の声を借りてなら、
会話が出来るかどうか、試してみたんだ。驚かせてすまない」
「どこだ、ここ……」
604 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:33:03.11 ID:WO2eriwB0
彼は緩慢と口を動かし、体を動かそうとし、
しかし自分に両手と左足が存在しない事実に気がつく。
「何だ……これ……」
腕がない。
足もない。
必死に何があったのか思い出そうとしたが、
頭の中にノイズが走っていて、思い出すことが出来ない。
「カランは……」
そこで男はふと、自分の妻のことを思い出した。
605 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:33:40.56 ID:WO2eriwB0
あの子は。
あの、太陽のように笑う子は。
どこだ……?
青くなる。
彼は掴みかからんばかりの勢いで、口を開いた。
「カランはどこだ! カランをどこにやった!」
「落ち着いてくれ。カラン……? 誰だ?」
「何だ、ここはどこだ。俺は何してんだ。
知ってることがあったらなんでもいい、教えてくれ!」
606 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:34:22.70 ID:WO2eriwB0
彼の必死の形相を受け、バイクが一瞬沈黙して、言った。
「……すまないけど何も知らない。俺達が知っているのは、
アンタが魔法使いの攻撃から俺達を助けてくれたって事実だけだ」
「何だって……?」
男は体を起こそうとして失敗し、ドチャリと地面に崩れ落ちた。
「くそ……!」
もがいている男を、興味がなさそうに冷たい目で見て、
虹と言った女の子は立ち上がり、つま先で男をつついた。
機械の声が、彼女の声を代弁する。
607 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:35:09.95 ID:WO2eriwB0
「名前は? ルアの黒い一族」
「名前? 今はそんなこと、重要じゃないだろ!」
「いいえ重要よ。こっちが名乗ったのに、そっちが名乗らないのは気分が悪い。
特に魔法兵器と会話してるんだから、情報を整理したいの」
「魔法兵器? 何でそのこと……お前ら、何だ?」
「いいから名乗りなさいよ」
冷たい声で言われ、彼は唾を飲み込んでから、体を無理やりに起こし座った。
「俺の名はマルディ。これでいいか?」
「変な名前」
虹は鼻を鳴らして、馬鹿にしたように言ってから、またガゼルの上に腰を下ろした。
608 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:35:48.24 ID:WO2eriwB0
「さっき助けてもらったことに関して、お礼は言わないわ。
閉じ込められてたあなたを助けたのは、私達なんだもの」
「虹、やっぱりやめないか……俺の声で君の言葉を喋らせると、気持ちが悪い」
同じ声でガゼルが言う。
虹は肩をすくめて、口をつぐんだ。
「閉じ込められてた……俺が?」
「何も覚えていないのか? さっき魔法使い二匹を殺したことも?」
「俺が……?」
「……話にならないな、虹、どうする?」
ガゼルがそう言うと、虹は脳内通信で彼に返した。
609 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:36:54.97 ID:WO2eriwB0
『上手いこと話を合わせて。こいつは使える』
『でも……正体が不明すぎる。ルアの黒い一族って何だ?
せめてそれだけでも教えてくれ』
『…………』
虹は一瞬沈黙した後、それに返した。
『エリクシアは、沢山の、魔法を応用した兵器を作り上げたわ。ルアもその一つ。
白い一族と、黒い一族っていうのがいる。白い一族は食料。
黒い一族は、白い一族を喰らって、魔法を使うの』
『生体兵器ってことか……無自覚の魔法使い?』
『そうなるわ。それも、かなり強力な』
610 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:37:35.57 ID:WO2eriwB0
『このドームにいるハイエイト達との戦いに、こいつを使うつもり?』
『ええ。使えるものは何だって使う』
『……俺みたいにか?』
問いかけられ、虹は一拍、押し黙った。
『虹?』
押し黙った彼女に、ガゼルが問いかける。
そこでマルディと名乗った大男が、右足だけで何とか立ち上がり壁にもたれかかった。
611 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:38:16.72 ID:WO2eriwB0
ここは、このドームの中間階層に当たる。
使われていない廃墟の中に逃げ込んで、今に至る。
周囲が騒がしい。
虹が、更紗の核で起こした大爆発による、下層の欠損で、人々がおおあらわしているのだ。
ガゼルは、マルディにカメラアイの焦点をあわせた。
端正な顔立ちをしているが、所々走るケロイドがそれを台無しにしている。
一応はピエロマスクでそれを隠しているが、子供が見たら間違いなく泣くレベルだ。
筋骨隆々とした体。
傷はふさがっているのか、ピンク色の肉が見える。
612 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:38:57.49 ID:WO2eriwB0
「……俺達に協力してくれ」
「協力?」
マルディは、荒く息を吐きながらそれに答えた。
顔が青白い。苦しいらしい。
「何の協力? 俺はカランを探しに行かなくちゃ……」
「だから、カランって誰だ? ここがどこかも分からないのに、
闇雲に人を探しにいったって、その体じゃ怪しまれて誰かに捕まるのがオチだ」
「…………」
「アンタを、そんな目にあわせた奴にみつかるかもしれないぞ」
ガゼルにそう言われ、マルディはサッと顔を青くした。
613 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:39:43.87 ID:WO2eriwB0
「……どこまで知ってる?」
押し殺した声でそう問いかけられ、ガゼルは、ライトを数回点滅させた。
「何も知らない。だから、教えて欲しいところなんだ」
「何が目的だよ、俺が氷の中に封印されてたって?
意味が分かんねぇ。だって俺は……」
そこでマルディの脳裏に、凄まじい痛みと共に、
ジジ、と音を立ててかすれた記憶がフラッシュバックした。
614 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:40:15.01 ID:WO2eriwB0
カラン。
妻の顔。
血にまみれて、ドロドロになったその顔。
彼女はかすかに微笑んで、言った。
「…………伝えて……ください…………」
ヤメロ。
「私の夫が……この近くにいるはずなんです…………」
ヤメロヨ。
「い、き、て…………」
ああ。
アアアアアアアアアアアアアア。
615 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:40:54.21 ID:WO2eriwB0
「おい、どうした!」
突然歯を噛み締めて地面に崩れ落ちたマルディに、ガゼルが声をかける。
一秒経ち。
二秒経ち。
マルディの頭痛は、すぐに治まった。
不快感だけが頭を撫でている。
しばらくその姿勢のままじっとしていて、彼は頭を振った。
616 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:41:25.59 ID:WO2eriwB0
いや、違う。
幻覚だ。
だってカランが、死ぬ理由がない。
一刻も早く、彼女のところに帰ってあげなければ。
しかし――。
体を見る。
両腕と左足がない状態。
何があってこんなになったのか、さっぱり思い出せないが、尋常ではない。
少なくとも、カランに何かあったことは間違いない。
617 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:41:56.67 ID:WO2eriwB0
「協力……具体的に、何すればいい?」
バイクに問いかけると、彼はライトを数回点滅させ、そして答えた。
「俺達が狙っている魔法使いを、殺す手伝いをして欲しい」
「どうして? 誰を恨んでる?」
「まだ分からない、でもここにいるはずなんだ。強力な魔法使いが」
ガゼルは一拍置いて続けた。
「アンタの力が必要だ。協力してくれるのなら、その両腕と右足に、義体を作ってもいい」
願ってもいない条件だった。
マルディは何度か頷いた。
618 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:42:44.06 ID:WO2eriwB0
「分かった。協力する。とりあえず俺に体をくれ。どうすればいい?」
「そのまま動かないで」
ガゼルはそう言って、後部座席から白い煙……ピノ粒子を噴出させた。
それがマルディの体を覆い隠し、腕と足がない場所に機械の腕、足を作り上げていく。
数秒も経たずに、彼は半機械人間として、その場に腰を下ろしていた。
「急造だから、俺から半径一キロ以上離れると、その腕と足は溶けてなくなる」
「何だ……お前らも魔法使いか?」
619 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:43:34.99 ID:WO2eriwB0
「そのようなものだと思ってくれていいよ」
ゼマルディは、用意されていたコートを羽織り、機械の腕、
そして足の具合を確かめるように、トン、トン、とその場を飛び跳ねた。
驚くほどスムーズに動く。
だが、このバイクから一キロ以上離れたらいけないらしい。
そこで虹がガゼルの座席を手で叩いた。
ノイズ音がして、彼の言葉を借りて少女が喋りだす。
「さて……体も出来たところで、話し合いを再開しましょう。
指し当たって、あなたの使える魔法のことを知りたいわ」
620 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(埼玉県)
[sage]:2012/02/20(月) 18:45:48.37 ID:SSlalQ2zo
リアルタイムktkr
支援
621 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:46:05.22 ID:WO2eriwB0
お疲れ様です。次回に続かせていただきます。
ご意見ご要望などありましたら、お気軽に書き込みをくださいね。
精一杯対応させていただきます。
Wikiを更新していただきました!
http://ss.vip2ch.com/jmp/1328684504
あわせてご覧いただければ幸いです。
それでは、今回は失礼いたします。
622 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/20(月) 18:50:19.82 ID:WO2eriwB0
ご支援ありがとうございます。
終了のご挨拶を書き込んでいて気付きませんでした。
これからも、宜しくお願いいたします。
623 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage saga]:2012/02/20(月) 19:22:07.31 ID:uFjFwkMDO
マルディ復活来たあぁぁ!!
624 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:45:49.10 ID:mkVHEDB80
こんにちは。
三年越しにマルディも復活しまして、お話が回っていきます。
お付き合いいただけましたら幸いです。
それでは、17話を投稿させていただきます。
625 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:46:22.46 ID:mkVHEDB80
17 転換と湾曲
虹が去ってから、トレーラーハウスは動いていなかった。
何と言うことはない、ただ、
燐が糸が切れたように高熱を出してしまい寝込んでいたのだ。
里は冷たい水で絞ったタオルを燐の額においてから、息をついた。
「お嬢様、お加減はいかがですか?」
問いかけられ、燐は荒く息をついてそれに答えた。
「……首が痛いよ……」
626 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:48:15.37 ID:mkVHEDB80
「首が痛いのですか? ちょっと、診せていただいても宜しいですか?」
「はい……ですの」
力なく頷いて、燐は体を横に向けた。
彼女の首筋を覗き込んだ里の脳内ディスクが、キュルキュルと音を立てた。
(これは……)
アンドロイドはしばらく押し黙った。
「ど……どうなんですの?」
627 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:51:01.32 ID:mkVHEDB80
問いかけられ、彼女は笑ってそれに答えた。
「何でもありません。風邪をこじらせたのでしょう。
寝ていれば良くなります」
「この首の……ビー球みたいなおでき、一体何なんですの……?」
「……里にも良く分かりません。
ただ、何ともありませんよ。ご安心ください」
「里が言うなら……」
息をついて、燐はベッドにうつぶせになる。
彼女の首筋があらわになった。
今までは肉に埋もれていた核が、盛り上がって妙な光を発していた。
僅かに薄黄色に発光している。
628 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:51:42.91 ID:mkVHEDB80
(ガゼルさんがいれば……)
前に、虹の看病をしたときに、
同様のものを彼女の体に見たことがあった。
ガゼルは説明を避けていたが、
どうやら魔法使いが持つ核のようなものらしい。
里自身、魔法使いというものがどういうものなのか分からなかったが、
更紗の一件もある。
あまり刺激的なことを言わない方がいいだろうと判断したのだ。
629 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:52:16.80 ID:mkVHEDB80
「水が飲みたい……」
そう言った燐に頷いて、里は水差しを手に取り
……そして停止した。
顔を上げた燐も、思わず呆然としてそれを見る。
「何……これ……」
透明な水差しの中の水が、ぐるぐると、
渦巻きのようになって回っていた。
高速に。
次いで、その渦は水差しを巻き込むと、
パァンッと音を立てて破裂した。
630 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:52:59.76 ID:mkVHEDB80
「きゃあ!」
悲鳴を上げた主人から慌てて水差しを遠ざけ、里はタオルをとって、
水を真っ向から被ってしまった燐を拭こうとした。
そこで、彼女は燐の首筋の核が強い光を発しているのに気がついた。
厳密に言うと、燐は濡れていなかった。
彼女の回りを、ぐるぐると。
水滴が回転していた。
「な……何ですの? これ、一体何ですの?」
動揺した声で燐が言う。
里は現状を処理しきれずに口をつぐんだ。
631 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:53:41.17 ID:mkVHEDB80
燐は、指先で、回転している水をつついた。
何の力で支えられているのか、
球形になったそれが渦を描いて燐の周りを回っている。
「魔法……?」
燐が呟く。
「これ……魔法じゃ……」
そこで、燐の脳裏に、不意に殴りつけるような感覚が飛び込んできた。
不快感。
悪寒。
悪い兆候。
何と表現したらいいのか、彼女には分からなかったが。
危ない。
何か巨大なものがくる。
そう、思ったのだった。
632 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:54:59.31 ID:mkVHEDB80
燐は無理やりに体を起こすと、
里を引き倒してトレーラーハウスの中に転がり込んだ。
今まで彼女達がいた場所を、一拍後、
熱線のような赤い光が通り過ぎた。
「里、こっちに!」
燐が叫んで、誰に教えられたわけでも無いのに
、意識を自分達の体の周りに集中させる。
里を抱いた燐の体の周り、その空間がぐんにゃりと歪んで、
先ほど回転していた水がまるで膜のようになり、彼女達を覆った。
数秒置いて、トレーラーハウスが大爆発を起こした。
熱炉に引火したらしく、空中に鉄片が吹き上がり高い火柱を上げて、
雪の中、巨大なトレーラーが爆散する。
633 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:55:45.49 ID:mkVHEDB80
その火の中、燐は呆然と座り込んでいた。
耳鳴りがして、よく音が聞こえない。
彼女の首筋の核は、凄まじい光を発していた。
里が、慌てて燐を抱き寄せる。
彼女達の周りを吹き荒れる炎は、
水の膜に当たる寸前でクチャリと歪んで、別方向に流れていた。
無自覚の魔法の発動だった。
おそらくは、空間それ自体を「湾曲」させているのだ。
更紗の認識魔法によく似た能力。
空間を認識し、曲げることが出来る力。
燐は、瞳を真っ赤に発光させながら、
キッ、と熱線が飛んできた方を睨んだ。
634 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:56:31.11 ID:mkVHEDB80
その先には、巨大な小山のような物体が鎮座していた。
キュラキュラとキャタピラの音がする。
肩には、レーザーの発射台がついている。
脚部がキャタピラで、上半身が人間のような形をした巨人。
魔法使いを駆逐するために動く、過去の遺物。
エンドゥラハンの姿が、そこにあった。
「どうして……機械人形がここに……」
呆然と里が呟く。
考える間もなく、エンドゥラハンが砲台を回転させ、
ためらいも無く一度、二度、と燐達に向けて熱線を発射した。
635 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:57:29.80 ID:mkVHEDB80
普通であれば、当たった瞬間に蒸発してしまうような、
高密度の熱線を受け、しかし燐はひるむことなく右手を突き出した。
ドパンッ! ドパンッ! と鈍い音がして、
まるで水鉄砲を防いだかのように、周囲に熱線が飛び散る。
エンドゥラハンは、無人なのか首を何回か回転させた後、
キャタピラを回転させ、高速で燐達のほうに突き進んできた。
踏み潰すつもりだ。
里が、存在しない頬を青くする。
燐は強く歯を噛み締めていたが、右手を突き出そうとして……失敗した。
ガハッ、と勢いよく息を吐き出し、
喘息の発作のように何度もえづきはじめる。
636 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:58:10.47 ID:mkVHEDB80
「お嬢様!」
燐の周りをたゆたっていた水が、
バシャァ! と支えを失って崩れ落ちた。
胃の中のものをその場にぶちまけた燐を抱え上げ、
里はモーター音を鳴らしながら立ち上がろうとし。
そこで、エンドゥラハンの頭部が光り、
そこから小型のバルカン砲が火を吹いた。
慌てて、燐の体に覆いかぶさるようにしてそれを防ぐ。
里の体が紙人形のように跳ね、
数秒後、彼女はガクリと首を垂れた。
637 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:58:47.33 ID:mkVHEDB80
背中が真っ黒にこげている。
銃弾が頭部に当たったらしく、
バチ……バチ……と不穏な音を発していた。
アンドロイドの従者が身を挺して自分を庇ったのを見て、
燐はわけの分からない声を上げながら、力を失った鈍重な里の体を手繰り寄せた。
そして
「里! 里!」
と喚きながら、雪の中彼女の体を揺さぶる。
里からの反応は無かった。
638 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 16:59:24.21 ID:mkVHEDB80
またえづき、胃液を吐き出した燐の前でエンドゥラハンは停止した。
そして、彼女にマニュピレーターを伸ばす。
機械の腕を見て、燐は青くなった。
逃げようとしたが、高熱のせいでふらついて倒れてしまう。
燐の首筋の核の光は、もう消えていた。
「いや……いやだ……」
マニュピレーターが燐を掴み上げる。
「やだあああ!」
彼女が絶叫し、里の残骸に向けて手を伸ばす。
639 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:00:12.00 ID:mkVHEDB80
そこで、エンドゥラハンが大きく揺れた。
燐が強く揺さぶられ、悲鳴を上げる。
凄まじい音がして、
エンドゥラハンの後部に何かが突き刺さり続けている。
視線をやっとのことで脇に向けると、大柄な熊のような、
コートを着た男性が、自分の体よりも大きなガトリング砲を片手で構え、
エンドゥラハンに向けて斉射している、という現実ではありえない光景が飛び込んできた。
(何……あの人……)
銃弾は、エンドゥラハンに全く効いていないらしい。
機械人形はキャラピラを鳴らして、男の方に進路を変えた。
640 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:01:06.55 ID:mkVHEDB80
男性は弾が切れたガトリング砲を脇に投げ捨てると、
僅かに浮いた自分の影の中に手を突っ込んだ。
そして、今度は細身の……砲身が二メートル以上あるレーザー砲を、
まるで影が沼であるかのように、ズルリと抜き出した。
その引き金を何度か引く。
エンドゥラハンのマニュピレーターに突き刺さり、
根元から燐を掴んでいる腕がちぎれとんだ。
空中に放り出された燐に、男は
「目ヲ瞑れ!」
と怒鳴り、空にポケットから出した、照明弾らしきものを打ち上げた。
照明弾は十メートルほど上空で炸裂し、凄まじい光を発する。
燐は言われたとおりに目を閉じ、背中から氷に叩きつけられ意識を失った。
641 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:01:59.53 ID:mkVHEDB80
*
(まさカ……)
目の前で倒れている女の子を見下ろし、
功刀は険しい表情で、
彼女の首筋で発光している黄色いBMZ核に視線を移した。
吹雪の中悠々と立っている功刀は、
まるで寒さを感じていないかのようだ。
氷が張った顔面。白い吐息。
その先に、何か、紙で出来たものを引きちぎったかのような、
無残な姿になったエンドゥラハンが散らばっていた。
本当に「千切られた」かのような、破壊痕だった。
力任せに頭部や腹部、キャタピラなどが捻じ切られており、
中にはグルグルととぐろを巻いているものまである。
642 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:02:38.62 ID:mkVHEDB80
およそ人間ではなしえない所業をしてもなお、
功刀は息一つ上がっていなかった。
彼は自分のコートを脱いで燐にかけると、
上半身をむき出しにした状態で、エンドゥラハンに向けて歩き出した。
彼の体は、ところどころが銀色のメタルスキンになっていた。
そこからコードが伸びて、絡み合っていろいろな箇所に接続されている。
エンドゥラハンは、正確にはまだ動いていた。
頭部のランプが点滅して、
ギギ……と鉄のなる音を立てながら僅かに動いている。
643 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:03:22.41 ID:mkVHEDB80
功刀は、残骸を登ると、頭部までたどり着いた。
そして頭部を手づかみに、力の限り引く。
ブチブチと生体組織が千切れ、
元々折れかかっていた首がむしりとられた。
頭部をズンッ、と氷の上に投げ捨て、
彼は鉄のような目で中を覗き込んだ。
そこには、一抱えほどあるフラスコ容器のようなものが格納されており、
容器の中は緑色の培養液で満たされていた。
その中には、無数のコード。
そして、脳。
眼球と脳幹までがついたそれが、僅かに気泡を発しながら浮いている。
644 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:04:16.93 ID:mkVHEDB80
脳のいたるところにコードが接続されていた。
功刀は無表情で立ち上がり、
自分の影の中から重厚なハンドガンを取り出した。
そして、ドパン、と引き金を引く。
あたりに脳漿と培養液が飛び散った。
それを真正面から浴び、凍り始めた液体を指先で拭ってから、
彼は、動かなくなったエンドゥラハンを一瞥した。
そして地面に飛び降りる。
エンドゥラハンの数十トンはある巨体がキャタピラに引きずられてきた痕が、
氷の上についていた。
それを目で追っていくと、すぐ離れた場所で途切れているのが分かる。
645 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:05:02.05 ID:mkVHEDB80
ずっと、この雪の中を単独で行動してきたわけではないだろう。
集団で移動してきたか。
もしくは……。
功刀はそこまで考えて、息をついた。
まさかとは思うが、その可能性が高い。
だとしたら、裏切り者はアイツだ。
こんな日が来るとは思っていた。
心のどこかで、そう思っていた。
646 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:05:52.23 ID:mkVHEDB80
功刀は知っていた。
そいつが、どうして裏切ることになったのか。
裏切るに足る理由を知っていた。
だからこそ、このドームに来たのだ。
(やるシカねぇノカ……)
心の中で小さく呟く。
そして、目の前に転がっていたアンドロイドの残骸を手で掴み、
自分のコートをかけた女の子の前に戻った。
647 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:06:27.14 ID:mkVHEDB80
*
燐が目を覚ましたのは、それから半日ほど過ぎてのことだった。
ハッ、と目を開き、慌てて起き上がる。
体には厚手のコートがかけてあった。
「な……何……?」
見たことがないそれに一瞬恐怖する。
しかし燐は、それ以上に、自分が置かれている環境に驚いた。
真っ暗だ。
何も見えない。
648 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:07:15.83 ID:mkVHEDB80
いや、自分の体だけは何かに照らされているかのようにハッキリと見える。
不思議な感覚だった。
そこで彼女は、背後に人間の気配を感じ、慌てて振り返った。
今までそこにいたことさえも分からなかったのに、
すぐ近くにその男性は座っていた。
大きなデスクと椅子に腰を下ろし、コンピューターを指で操作している。
それから伸びた先のコードには、残骸となった里の体が接続されていた。
「里!」
急ぎ声を上げて立ち上がろうとして、失敗する。
頭を抑えた燐を一瞥し、上半身裸の男は言った。
ノイズ交じりの、奇妙な声だった。
「あまリ大声ヲ出さないホウがいい。俺の名は功刀。アンタの名前は?」
649 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:07:59.89 ID:mkVHEDB80
穏やかに呼びかけられ、燐は何度かしゃっくりのような声を上げた後、
黒い空間――何故か全く寒くなく、適温に保たれているそこの中で男に言った。
「里を、里をどうするつもりですの?」
「ドウって……直しテル」
「直るんですの?」
「奇妙な喋り方ヲする娘ダナ。北欧デハそれがデフォルトなのカ?」
功刀と名乗った男は、一度頷いてから視線をコンピューターに戻した。
そして立ち上がり、里の頭から伸びているコード一本一本を点検する。
「ここは……ここはどこですの?」
「取り敢えず座ッタらどうダ?」
燐の質問には答えずに、功刀はスッと前を指した。
650 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:08:39.53 ID:mkVHEDB80
今まで何もなかった空間に、不意に厚手のソファーが浮かび上がった。
その脇には冷蔵庫、そして湯気を立てているコーヒーのバリスタが見える。
どこかの家庭内の一室であるかのような、そんなアットホームな感覚がしだす。
コートを引き寄せ、よろめいて立ち上がり、
燐はソファーまで這うようにして歩くと腰を下ろした。
そして身を乗り出して里のことを覗き込む。
「里……」
「触ルナ」
断固とした声に制止され、燐は手を止めた。
功刀はポン、とキーボードを叩いて、
カリカリと音を立て始めたコンピューターから目を離した。
651 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:09:16.59 ID:mkVHEDB80
そして椅子を鳴らし、燐の方に体を向ける。
「接続ガ変わるト、記憶領域ノバックアップができナイ」
「あ……私……私、燐と言います。あなたは……?
助けてくれたんですか? ここはどこですの?」
「…………」
感情の読めない鉄のような目で一瞥され、燐は口をつぐんだ。
功刀は立ち上がると、いつの間にか出現していたコートかけから
、燐が持っているものと同じコートを外し、体に羽織った。
「それはヤル。人間ノ身には寒いカモしれないカラナ」
「ここは……」
「……どこからキタ?」
端的にそう問いかけられ、燐は口をつぐんだ。
652 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:09:49.72 ID:mkVHEDB80
功刀はバリスタの方に歩いていくと、
コーヒーカップに中身を空けた。
そして口に運ぶ。
「美味イ」
呟いて、同じものを燐にも差し出す。
それを受け取り、燐は中でドロドロのスープのようになっている
コーヒー……と思われる物体を見下ろした。
そのまましばらく硬直する。
燐も、まだ小さな女の子だ。
しかし自分の身を守ろうとする知識くらいはある。
653 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:10:34.08 ID:mkVHEDB80
自分がジェンダから来た、ということをもし真っ正直に言ったとして。
もし、この人が魔法使いか、信教の人だったら……。
自分と、更紗の関係を探り当ててしまうかもしれない。
魔法使いにとって、神に等しいハイエイトの一人を殺すことに
自分は加担しているのだ。
無事にはすまない。
コーヒーカップを僅かに揺らした燐に、功刀は視線を変えずに言った。
「当ててヤロウか? ジェンダからだナ」
弾かれたように顔を上げる。
功刀は軽くカッカと笑うと、コーヒーを口に運んだ。
「図星ダナ」
654 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:11:11.37 ID:mkVHEDB80
「どうして……どうして、それを……」
「『更紗』とイウ名前に、心当たりハナイカ?」
問いかけられ、燐は青くなって首を振った。
「あ……ありません。ありませんの……!」
「アンタさんは、嘘をツクのが下手ダナ。
まぁ、子供にァ、酷ナ話か」
功刀は落ち着いた口調でそう言って、続けた。
「別に、取って食オウという訳ジャない。
ココハ、俺の魔法が作り出した影ノ空間だ」
「影……?」
「影の中ダ」
意味不明なことを呟くように言って、彼は燐を見た。
655 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:11:50.32 ID:mkVHEDB80
「エンドゥラハンに襲われてタ、アンタ達を助けタ。
そこのアンドロイドは、記憶領域ヲ別のハードディスクに入れ替えル作業をしてる。
礼くらい言ったラどうダ?」
「あ……そ、そうでしたの……ありがとう、ございます……」
心細げに頭を下げられ、功刀は頷いた。
「それデいい」
「あの……」
「ン?」
「あなた……魔法使いなんですの?」
「ソウダ。人は俺ノことを、転換ノ魔法使い、ハイエイトの一人、功刀と呼ぶ」
それを聞いて、思わず燐はカップを床に取り落とした。
656 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:12:30.24 ID:mkVHEDB80
立ち上がりかけた彼女を手で制止して、
功刀はパチンと指を鳴らした。
床にぶちまけられたコーヒーと、割れたカップがヘドロのようになって消える。
「あなたが……ハイエイト……?」
「正確ニハ、ハイエイトはもう解散シテルから、その肩書きハ無きニ等しいガ」
「どうして、私を……」
「どうしてトハ?」
「だって……だってハイエイトって、人間の敵でしょう?
私のこと、どうして食べちゃわないのですか?」
「フーン……」
興味がなさそうにそう言って、功刀は頬のコードを指先で掻いた。
657 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:13:05.71 ID:mkVHEDB80
「そう思われテタのカ」
「…………」
「まぁイイ。第一、姉さんノ眷属ヲどうこうスルつもりハナイ」
「眷……属……?」
呆然と呟き、燐はとっさに首筋の核に手をやった。
「あまり触ルナヨ」
功刀にそう言われて、手を止める。
「核ニ傷がつくと、治せない。大事ニアツカウんダ」
「私が……魔法使い……?」
「その核が何よりノ証拠ダ」
功刀はそう言って、息をついた。
658 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:13:43.44 ID:mkVHEDB80
「昔話ヲシよう」
「昔話……?」
「ああ。今から四百年ホド前、俺達ガハイエイトと呼ばれていたコロ、
俺の姉、更紗が、核の損傷で重イ病に苦しンダことがアル」
「…………」
「その時カラ、更紗姉ハ、自分の眷属ヲ作るコトが出来なくナッタ。
シカタナク、俺の兄、泉とイウんだが……その人ガ、姉ノ細胞ヲ培養シ、
アンドロイドに混ぜて従者ヲ作った」
おそらく、更紗のレプリカン、右天と左天のことだ。
顔色が変わった燐に、功刀はポケットから取り出した葉巻の先をむしり、
火をつけ、煙を吐き出してから言った。
659 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:14:24.83 ID:mkVHEDB80
「そこまでシテ二人、それが生涯通じてノ、更紗姉ノ仲間ダッタ」
「…………」
「だから、姉ノ核に感染シテル人間を見るノは、
珍しいコトだと思ってナ。それでアンタを助けた」
「私、更紗の核に感染したんですの……?」
「ソノヨウダ」
功刀は頷いて、続けた。
「ほら」
手元にあったバリスタを掴み、
中の沸騰しているお湯を無造作に燐に向かってぶちまける。
「きゃあ!」
悲鳴を上げて燐は顔を守ろうとし
……そこで、彼女の首筋の核が強く光った。
660 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:15:09.59 ID:mkVHEDB80
湯気を立てたお湯は、燐の体にぶつからず、
その寸前で止まって、ぐるぐると渦を巻いて彼女の体の周りを回転していた。
「これ……さっきと同じ……」
「動かしてミロ」
功刀はソファーの対極側に歩いていくと、立ち止まった。
「俺ノ方ニ」
燐は言われるがまま、意識を功刀に集中させた。
彼女の顔の前でお湯が渦を巻き、竜巻のような形になった。
それが勢いよく功刀の方に吹き飛んでいく。
受け止めかけた功刀の顔色が変わった。
手でお湯を弾こうとした彼の体が、空間ごとぐんにゃりと歪んだのだ。
661 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:15:49.91 ID:mkVHEDB80
そのまま骨や肉を砕く音を立てて、
功刀の体は空間ごと回転すると反対側に吹っ飛んだ。
そしてバラバラの肉片になって、床に飛び散る。
「…………」
自分のしたことの意味が分からず、
返り血を浴びて燐は呆然と口をわななかせていた。
しばらく後、耳を塞いで金切り声を上げようとし――。
背後から口をふさがれて、息を呑む。
662 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:16:25.18 ID:mkVHEDB80
「成る程、いい魔法ダ」
慌てて振り返る。
功刀が、悠然と背後に立っていた。
「あれ……あれ?」
肉片が飛び散っている場所と、功刀を交互に見る。
肉片は、次第にグズグズと溶けていってなくなった。
「『湾曲魔法』とデモ呼ぼうか。空間をゆがめることガデキルみたいダナ。
まだ、上手くコントロールできないみたいダガ……」
功刀は、僅かに口の端を歪めて、小さく笑ってみせた。
「訓練スレバ、一丁前ニナル」
663 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:17:07.19 ID:mkVHEDB80
*
「……というわけで、これが俺の魔法だ」
マルディにそう説明され、虹は大きくあくびをして背を伸ばした。
そして、ガゼルに寄りかかって息をつく。
マルディはそんな様子の虹から視線を離し、ガゼルに目をやった。
「何か、おかしいことを言ったか?」
「いや、実演してまで見せてくれたのは有り難いよ。でも……」
ガゼルは言いよどんで口をつぐみ、カメラアイを周りに向けた。
そこはサバルカンダドームの中層部、その寂れたビルの一角だった。
664 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:17:40.76 ID:mkVHEDB80
屋上に一瞬で移動した。
数十メートルの距離を。
「目で見えるところなら、マーキングなしでも跳べる」
「マーキング?」
「唾とかで、俺の臭いをつけるんだ。
そうすれば、頑張れば三キロくらいは跳べる」
マルディはそう言ってから周りを見回し、言葉を濁した。
「ここは……」
どこだ?
こんな場所、記憶にない。
こんなに廃墟だったか?
それ以前に、このドームに漂っている奇妙な気(オドス)は、一体何だ?
漂いすぎていて、何なのかがよく分からない。
665 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:18:14.93 ID:mkVHEDB80
ガゼルは少し置いてから、静かにマルディに聞いた。
「じゃあ……あんたが変身したときに使った魔法は何なんだ?
黒い一族って言うのは、変身前と、変身後で魔法の種類が違うのか?」
問いかけられ、マルディはきょとんと片目を広げてみせた。
「変身? 何のことだ?」
「とぼけるなよ。俺達の前で変身して、動物の魔法使いを殺したじゃないか」
「まさか。俺が変身? そっちこそふざけたことを言うなよ。
だって、俺にはカランが……」
そこまで言って、
マルディの脳裏にまた別の光景がフラッシュバックした。
666 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:18:53.21 ID:mkVHEDB80
――すごいねぇ、ゼマルディ
ザザ、とノイズの音と共に、カランの顔が映し出させる。
――箱の中の絵が、動いてるよ
花のように笑う妻。
その背中から伸びた二本の骨羽がリンリンと音を立てる。
「――い、おい、マルディ?」
ガゼルに大音量で呼びかけられ、マルディは慌てて顔を上げた。
動悸が激しい、心臓が破裂しそうだ。
胸を押さえて膝をつき、大男は頭を振った。
667 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:19:23.52 ID:mkVHEDB80
ナンダ
――きて……幸せに…………って……
ナンダコノコエハ
「マルディ!」
ハッとして顔を上げる。
虹が、目の前にしゃがみこんでいた。
彼女は値踏みをするかのようにマルディを見回すと、
ポケットから翠色の鱗を取り出した。
それを彼に握らせる。
「これは……」
668 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:19:57.04 ID:mkVHEDB80
「あんたの体から出てきたものだ。さっき、それを全身から生やして、
トカゲ人間のような体になっていたんだ。本当に覚えていないのか?」
ガゼルがそう言う。
マルディは鱗を握り締め、わななく手で口元を抑えた。
まさか。
まさかそんな。
そんな、馬鹿な。
弾かれたように起き上がり、彼は怒鳴った。
「俺、行かなきゃ……! カランのところに行かなきゃ!」
669 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:20:32.26 ID:mkVHEDB80
「落ち着いてくれ。まずは現状の把握からはじめよう。
どうも、あんたの頭の中にタイムラグが発生して、混乱してるみたいだ。
まずは、ここがどこだか分かるか?」
落ち着いた声でガゼルに問いかけられ、マルディは首を振った。
「……分からない」
「あんたの最後の記憶は?」
「俺は……」
言いよどんでから、マルディは息を吐いた。
「俺は、俺の妻とサバルカンダというドームに避難してた。
友人のドクも一緒だった。そこまでしか覚えていない」
670 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:21:04.71 ID:mkVHEDB80
「避難? 何から?」
「敵からだ」
それだけを答えて、マルディは手の中の鱗を粉々に握りつぶした。
「確かに、ここのドームの名前はサバルカンダというらしい。
さっきマップ情報をネットでハッキングして取得した。
第三層にあたる場所だ」
「サバルカンダ? ここが……?」
マルディは呆然として周りを見回した。
こんなに廃墟だったか?
こんなに……。
何もない場所だったか?
671 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:21:32.73 ID:mkVHEDB80
「下に向けて伸びている。六層まであるらしい。
ここは、現在居住空間としては利用されていない場所のようだな」
虹がガゼルの言葉に頷いて、脳内会話を送ってくる。
『最下層まで行きましょう』
『分かった』
ガゼルが応対した時だった。
「動くな!」
月並みの台詞があたりに響き渡った。
虹がきょとんとして声がした場所を見る。
マルディも不思議そうな顔をしていた。
672 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:22:07.40 ID:mkVHEDB80
声がした場所から、バチッ、と音がして短銃を持った男が姿を現す。
宇宙服を迷彩服にしたかのような、奇妙なものを着ていた。
『光学迷彩か……最近のは高性能だな。
生体感知を無効にするのか。虹、オドスは感じる?』
『感じない。ただの人間ね』
吐き捨てて、虹はゆらりと、近づいてくる男に向かって立った。
『殺して下に降りよう』
『待って。何か情報を得られるかもしれない。コンタクトをとりたい』
『やだよ。殺そう?』
『あいつらと同じ殺人鬼になりたいのか!』
ガゼルが思わず声を荒げる。
虹はそれに殴りつけられたかのように、口をつぐんだ。
673 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:22:43.35 ID:mkVHEDB80
そこで、マルディがぬぅと前に進み出た。
そして硬直した男の前に立ち、
コートのポケットに両手をつっこみながら、口を開く。
「争う気はねぇよ。あんた達も、銃を降ろしてくれないか?」
虹達を取り囲むようにバチバチと音がして、
新たに七人の光学迷彩を着た男たちが現れる。
全員がマルディに銃を向けていた。
最初に姿を現した男が、押し殺した声を発する。
「ポケットから手を出せ。魔法使いか?」
「あんた達が銃を降ろしてくれたら、手を出すよ」
「…………」
数秒間にらみ合い、男が銃を降ろし、回りに目配せをする。
674 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:23:16.42 ID:mkVHEDB80
男たちが遠巻きに下がり、銃を降ろした。
マルディはポケットから手を出し、
何も持っていないことを示してヒラヒラと振ると、続けた。
「俺の名前はマルディ。この子は連れだ」
「どうしてこんなところにいる?
ここは三層のド真ん中だぞ! 質問に答えろ!」
「ここがどこなのかは俺の方が聞きたいよ。
サバルカンダで間違いないのか?」
逆に問いかけられ、男たちはざわめいて顔を見合わせた。
リーダー格らしい男が、マルディに言った。
675 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:23:50.64 ID:mkVHEDB80
「核はあるのか? お前も、その子も上層の魔法使いもどきか?」
「魔法使いもどき?」
マルディはクックと笑うと、トン、と地面を蹴って飛び上がった。
「違ェねぇ」
マルディの姿が掻き消えた。
きょとんとした男たちのうち、虹に近い男が悲鳴を上げる。
いきなり後ろからマルディが、
何もない空間からぬぅっと出てきたのだった。
彼は短銃を奪い取ると、それを持っていた男の一人の延髄に、
強烈な一撃を加えた。
676 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:24:21.10 ID:mkVHEDB80
昏倒した男を見て他の男たちが銃を構えようとする前に、
マルディはくるくると空中を出たり入ったり繰り返し、
ものの数秒で、彼らが持っていた短銃を全て奪い取ってしまった。
虹の前に出現し、バラバラとそれらを地面にまく。
「魔法使いだ……!」
男の一人が引きつった声を上げて、尻餅をつく。
恐怖に目を見開いているリーダー格の男に、マルディは言った。
677 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:24:51.03 ID:mkVHEDB80
「いきなり銃を向けることはないんじゃねぇの?
魔法なんて、珍しいもんじゃないだろ?」
「お……俺達をどうするつもりだ……」
「どうもしないよ」
彼は大きくあくびをしてから、肩をすくめた。
「だから、聞きたいのはこっちだって。ここはどこで、そして……」
マルディは背後で、腕組みをしてガゼルに寄りかかっている虹を横目で見た。
「何年の何月何日かってことをさ」
678 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/21(火) 17:25:43.83 ID:mkVHEDB80
お疲れ様です。
次回の更新に続かせていただきます。
温かいご支援に感謝いたします。
これからも、宜しくお願いしますね。
それでは、今回は失礼いたします。
679 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage saga]:2012/02/22(水) 00:34:15.22 ID:a3GaTUODO
功刀が金髪ロリを連れるのは最早式用美なのか…。
680 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(栃木県)
[sage saga]:2012/02/22(水) 02:57:13.29 ID:Nqai93Hv0
乙です。
自分の勝手な要望にお応え頂き、ありがとうございました。
反対の方もいらっしゃるかもしれませんが、
自分としては格段に読み易くなり、嬉しいです。
681 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:24:22.65 ID:oI7jiOK60
功刀さんの性癖については、後ほど詳しく書いていきます。
もはや様式美ですね。
他にも何かありましたら、ご遠慮なさらず仰ってください。
勉強になります。有り難いことです。
それでは、第18話を投稿させていただきます。
682 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:30:06.42 ID:oI7jiOK60
18 真実
このまま消えてなくなることが望みだった。
溶けて消えてなくなり、無になり。
そして何の禍根も残さず、この世から消えてなくなってしまうことが、夢だった。
どうせドゥームズデイが起きれば、なくなってしまう記憶だ。
こんな世界にいたところで、意味はない。
どうせこんな世界にいたところで。
何もない。
何も起こりはしない。
683 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:30:36.98 ID:oI7jiOK60
たとえ消えてなくなってしまったとしても、
誰も同情なんてしてくれない。
あるのは嘲笑。
哄笑。
侮蔑を含んだ笑いだけだ。
それが聴こえないように。
目も、耳も、心さえもいらない。
だから僕は、消えてなくなりたい。
684 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:31:09.16 ID:oI7jiOK60
だから。
そう、思い続けて生きていた。
その思いは今も変わらない。
ふと、涙の浮いた目尻をぬぐって、硲はぼんやりとそれを見た。
涙を流すことなんて、何年ぶりだろう。
何が、悲しかったのだろうか。
喉の奥を小さく鳴らして笑い、彼は呟いた。
「もう少しだよ姉さん。待ってて。ドーゥムズデイを、楽しみにしてて」
685 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:31:53.19 ID:oI7jiOK60
*
「それじゃ……だから虹さんは、あなた達のことを恨んでいるのですか?」
燐がわななきながらかすかな声で呟く。
功刀は燐の向かい側のソファーに腰を下ろし、コーヒーをすすっていた。
しばらく沈黙してから、彼は頷いた。
「ソウなるナ」
「酷い……」
燐は口元を押さえて、うなだれた。
「あの子が生きテルとは思わなカッタ。誤算だっタ。
一思いニ殺してヤルべきダッタ」
686 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:32:36.80 ID:oI7jiOK60
「そんな……どうしてそんな酷いことが言えるんですの?」
燐に食って掛かられ、しかし功刀は表情を変えずにまたコーヒーをすすった。
「人核分裂ヲ起こシテなお、
生き続ケル苦痛がアンタにはワカルか? わからないダロウな」
「まるで自分には分かるかのような言い方ですわね……」
「分かる。俺も昔、人格分裂ヲ起こしたコトがアルからな」
何でもないことのように功刀はそう言った。
「どういうことですの……?」
687 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:33:22.10 ID:oI7jiOK60
「そのママの意味ダ。俺は昔BMZ核ノ暴走により、
精神分裂ヲを起こした。
兄弟ガ、俺の無事な方ノ意識をサーバーにアップロードして、
BMZ核をアンドロイドボディに移植した。それが、今の俺ダ」
「仰っていることが難しくて、よく分かりませんわ……」
「簡単ニ話そう。一つの体ノ中に二つの人格ハ、
存在することガデキナイ。BMZ核ハ、
一つの人格ニシカ適合しないカラダ」
688 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:34:00.60 ID:oI7jiOK60
「…………」
「だから俺は、崩れた人格ヲ切り離しテ、
マリオネットロイドと同じ存在ニナッタ。
俺の本質ハ、ニンゲンではなく、データだ」
「人の意識をコンピューターの中にアップロードすることなんて
……できるんですの?」
「デキル。魔法を使えバナ」
頷いて、功刀は立ち上がった。
689 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:34:32.57 ID:oI7jiOK60
「どこに行きますの?」
問いかけられ、彼はコーヒーカップをテーブルの上においてから言った。
「敵を倒しに行ク」
「敵……? 敵って、虹さんのことですか……?」
「…………」
沈黙して、功刀はしばらくの間燐を見ていた。
しかし首を振り、彼は呟くように言った。
「兄弟ヲ、殺さなけレバいけない」
690 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:35:34.74 ID:oI7jiOK60
*
やはり、時が離れていた。
自分が記憶している時間よりも、三年は経っている。
その事実に愕然とし、マルディは言葉を失った。
三年間、自分は何をしていたのか。
全く覚えていない。
自分たちを襲撃してきた男たちに敵意がないことを告げ、
協力を仰いだところ、散々渋っていたのだが、
日が落ちるのを警戒してか、
彼らはマルディ達をアジトへと招き入れてくれた。
相変わらず虹は言葉を発しようとしない。
691 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:36:54.65 ID:oI7jiOK60
いぶかしげに、少し離れた場所で
バイクに寄りかかって座っている虹を見て、
リーダー格の男がマルディに言った。
「で……マルディとやら。あの子とお前は、
外から来たという話でいいんだな?」
問いかけられ、マルディは一瞬躊躇したが頷いた。
どうやら、三年間の間に何かが大きく変わったらしい。
話をガゼルにあわせておいた方がいいと思ったからだった。
「もう一度聞くが、今は三千九十五年じゃないんだな?」
「九十八年だ。まるで記憶をなくしてでもいるかのような口ぶりだな」
男にそういわれ、マルディは口をつぐんだ。
692 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:37:42.05 ID:oI7jiOK60
余計なことは言わない方がいい。
無駄な争いをすることを、マルディは好まなかった。
それより現状をちゃんと認識して、
カランを助けにいかなければいけない。
あの子は、俺がいなければ生きていくことはできない。
ドクはちゃんと保護してくれているだろうか。
今、彼はどこにいるんだろう。
このドームを離れてしまっているんじゃないだろうか。
焦りばかりが募り、言葉を発することが出来なくなる。
693 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:38:32.41 ID:oI7jiOK60
「しかし……一概に信じられねぇな。
魔法使いが魔法使いと争いを起こしてるなんて、聞いたことがねぇ」
「本当のことだ。俺達は、このドームにいるハイエイトを殺すために旅をしてる」
ガゼルがスピーカー越しに口を挟むと、周囲にざわめきが広がった。
リーダー格の男……銀と名乗った彼はガゼルの方を向いて、引きつった声を発した。
「ハイエイト……? あんたら、
もしかして愛寡を狙ってるんじゃないだろうな……?」
「あいか……?」
きょとんとしたマルディの声に被せるように、ガゼルは高揚した言葉を発した。
「愛寡? 愛寡がここにいるのか!」
その途端、虹の目にいきなり生気が戻った。
694 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:39:25.08 ID:oI7jiOK60
彼女は立ち上がると、銀に掴みかからんばかりの勢いで口を開いた。
当然、声は出てこない。
ガゼルが彼女の言葉を代弁する。
「愛寡がいるの? どこ? どうやったらあの雌豚のところまで行ける?
知ってる情報を全て吐きなさい。全てよ!」
「な……何だ?」
戸惑った顔をした銀を見て、慌ててガゼルは脳内通信で虹に信号を送った。
『落ち着くんだ。話し合いは、俺とマルディに任せて、
君はもう少しじっとしててくれ』
『…………』
695 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:40:08.41 ID:oI7jiOK60
歯噛みして、虹はガゼルを睨むと途端、
ものすごい勢いで、喘息の発作のように咳をし始めた。
『こんな時に……』
苦しそうな彼女の声を脳内で聞いて、ガゼルは慌ててマルディに言った。
「この子は病気なんだ。今、薬を作る。投与してやってくれ」
「わ、分かった」
頷いたマルディの手の中に、ピノ粒子を操作して小さな注射器を取り出す。
マルディは無骨な腕で虹を抱えると、
その首筋に慣れた手つきで針を注射した。
696 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:40:44.48 ID:oI7jiOK60
しばらくして、マルディの手の中で
虹がぐったりと体を弛緩させる。
眠りに入ったようだ。
(虹の一人称が……『ボク』から『私』に変わってる
……それにこの発作。人格分裂が顕著なものになってきたんだ……)
ガゼルが心の中で不穏なため息をつく。
マルディは、ポカンとしている周囲を見回して言った。
「とりあえず、俺達はあんた達の敵じゃない。
この子を寝かせてやりたい。ベッドを貸してくれないか?」
697 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:41:46.34 ID:oI7jiOK60
*
「さて……どういうことなのか、詳しく説明してもらいたいな」
銀がそう言って、長テーブルの椅子に腰を下ろす。
ガゼルはカメライアイを操作して、
背後のベッドに虹が寝ているのを確認してから周囲を見回した。
屈強な男たちが、五十人ほど。
女と、子供の姿は見えない。
この人間たちは、「魔法使いになれなかった」出来損ないだ。
この第三層に住んではいるが、
定期的に上層からの人間狩りから逃れるため、
今彼らがいるような地下のアジトに身を潜めているらしかった。
698 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:42:44.20 ID:oI7jiOK60
女や子供は、人間牧場や食料として加工されてしまい、いない。
しかし、どうも彼らはそれを知らないらしかった。
ガゼルは言いよどみ、言葉を飲み込んでから言った。
「さっきも言ったとおり、俺達はこのサバルカンダに、
ドームの外から来た。愛寡を仕留める為にだ。
さっきも見ただろうが、このマルディも、あの女の子も魔法使いだ。
俺はその補佐をするサポートロイド、ガゼルと言う」
「愛寡を仕留める? 一概には信じられねぇな」
銀はそう言って、手元のスープを口に運んだ。
「今までも沢山の奴らが、女房子供を取り返すために
上層に行った。誰も帰ってこなかった。
今じゃ、これだけの人数、寄り集まって人間狩りに備えるだけで精一杯だ」
699 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:43:36.44 ID:oI7jiOK60
「愛寡を直に見たことがあるのか?」
ガゼルに問いかけられ、銀は首を振った。
「いや……だが、存在は知ってる。
このドームの『教祖』様だからな」
「教祖……だと……?」
ガゼルがその言葉にショックを受けて黙り込む。
教祖? 最上段に君臨して、
悠々自適に暮らしているとでも言うのか?
人間牧場を作り。
食料の心配もなしに。
何の脅威もなく、悠々自適に。
あいつ一人だけ、悠々と暮らしているとでも言うのか。
700 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:44:08.14 ID:oI7jiOK60
もしガゼルに顔があれば、怒りで真っ赤になっていただろう。
しかし彼はその感情を押し殺し、続けた。
「……そうなのか。それは知らなかった」
「何の恨みがある? とてもじゃないが、
魔法使い二人っきりでかなうとは思えないが」
「そこまでを話す義務はない」
冷たく突っぱねられ、男たちの顔色が変わる。
マルディがそこで、やんわりと口を挟んだ。
「まぁ……お互い積もる事情はあるが、
敵は同じってやつだ。仲良くいこうじゃないか」
701 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:44:53.74 ID:oI7jiOK60
スープをすすり、彼は回りを見回した。
ドクの姿はない。
もしかしたらこの中にいるかもしれないと
淡い期待を持ったのだが、それは徒労に終わった。
「指し当たっては相手の戦力を知りたい。
知っている限りの情報を提供してもらいたい」
ガゼルがそう言うと、銀は呆れたようにため息をついてそれに答えた
。
「本気で戦争するつもりか。
そんなちっぽけな女の子と、俺より若い青年と、あんたでか」
「年齢と魔法は関係がない」
「まだ、あんた達がどういう力を持っているか分からないのに、
迂闊に手伝いはできないな。人間狩りの部隊に見つかったら一巻の終わりだ」
702 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:45:35.48 ID:oI7jiOK60
「人間狩りの部隊?」
「ああ、定期的に下層に下りてくる愛寡の親衛隊だ。
全員が何かしらの魔法を使う、魔法使いだ。
確認しているだけでも俺達の倍はいる」
「何……?」
それだけの数の魔法使いを保有しているとは、考えていなかった。
尚のこと、虹が声帯を冒されていて
魔法消滅兵器レ・ダードを起動させられないことが悔やまれる。
703 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:46:15.04 ID:oI7jiOK60
実際のところ、ガゼルにもどうやって愛寡を殺したらいいのか、
そのプランがあるわけではなかった。
彼に出来ることといえば、薬を投与して虹の回復を一刻でも早く進めることだけだ。
彼女がどのような考えで動いているのか、ガゼルにも分からないところはあった。
百人以上の魔法使いを、この戦力で相手できるのだろうか。
先刻は、たった二匹の魔法使いを殺すために、
虹は保有していた貴重な、更紗の核
――腐りかけてはいたが――を使ってしまった。
その結果マルディを得たはいいが、
当のマルディは記憶喪失のようなものになってしまっている。
とても、確定的な戦術兵器として使用を見込める状態ではない。
704 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:47:16.09 ID:oI7jiOK60
そこでマルディが口を開いた。
「愛寡って奴を叩くんなら、上層に乗り込む必要があるな。
他の奴らは相手にしない。それが勝負事の鉄則だ」
「……! そうか、あんたの俊足の魔法があれば……」
ガゼルは声を抑えて言った。
「あんたが、上層のどこかにマーキングして跳躍すれば、
愛寡の目の前にでも、戦力を送り込むことができるな」
「戦うんならな」
頷いて、マルディは周りを見た。
「俺は、臭いをつけた場所なら、好きな場所に移動することができる。
だから、あんた達が協力する気と戦う気があるのなら、
上層に侵入する方法を教えてくれないか。
どこかにマーキングして、あんた達も運ぶことは十分可能だ」
705 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:47:46.53 ID:oI7jiOK60
マルディがそう言ったのには、別のわけがあった。
下層、ここにあたる場所でドクとカランが住んでいる可能性は低い。
昔のサバルカンダではないのだ。
それに、愛寡と聞いて、どこか心の奥がざわめくところがあった。
確かめなければ。
上層に行って、どこにでも行って、カランを助けなければ。
心が焦る。
男たちがざわめいて顔を見合わせる。
銀はしばらく考え込んで、口を開きかけた。
706 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:48:21.11 ID:oI7jiOK60
その途端だった。
入り口の方の男が、大声で叫んだのが聞こえた。
「人間狩りだ!」
途端、周囲の空気が一気に凍りついた。
銀が慌てて明かりを消し、短銃を持って入り口に走る。
マルディはしばらく迷っていたが、
ガゼルと虹を一瞥するとガゼルのハンドルを手で掴んだ。
「何をする」
「この人たちを守る。協力しろ」
ガゼルに囁いて、マルディはその座席に乗り込んだ。
707 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:49:04.66 ID:oI7jiOK60
「戦うつもりか?」
ガゼルに聞かれ、マルディは首を振った。
「いいや、捲く。俺と、あんたの能力ならできる」
「……分かった。虹から敵を遠ざけたい。
それにこいつらは貴重な情報源だ。協力しよう」
ガゼルがそう言う。
マルディ達が滑るように入り口に向かう。
とめようとした銀を手で制止し、マルディはアジトの床に唾を吐いた。
「じっとしてろ。捲いてくる」
彼はそう言って、ガゼルのアクセルを踏み込んだ。
708 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:49:46.64 ID:oI7jiOK60
*
空調が作動していないのか、第三層は他の層に比べてかなり寒い。
辺りには吹雪が吹き荒れていて、二メートル先も見えないくらいだ。
ガゼルはライトを消し、熱源探知機能をフル回転させた。
ついでに、生体エネルギーの感知ラインも上げておく。
先ほどの銀達のように、
敵が光学迷彩スーツを着てくるかもしれないからだ。
感知できなければ、サポートシステムとしての自分の役割はなきに等しい。
マルディが自分を器用に操作しているのを見て、ガゼルは怪訝そうに言った。
「バイクを運転したことがあるのか?」
「少しな」
頷いて、マルディはアクセルを更に踏み込んだ。
709 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:50:22.62 ID:oI7jiOK60
舗装されていない道の上を、エアバイクが疾走する。
少しして、ガゼルは声を上げた。
「右前方二時の方角。急激な魔法領域の干渉を確認。
エンクトラルフィールドだ」
「何だ? 意味が分からん」
「魔法使いだ。それも複数」
「あっちだな……!」
マルディは頷いて、
わざわざガゼルを魔法使いがいる方角に全力疾走させ始めた。
「お、おい! 相手がどんな魔法を使うかも分からないんだぞ!」
「殺す気はない。争う気もない。退場してもらいたいだけだ。戦意を奪う」
マルディはそう言って、吹雪の中、
ガゼルを上空五メートルほどの地点に浮遊させた。
710 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:50:58.42 ID:oI7jiOK60
ガゼルのカメラアイが、熱源感知として、
数十メートル先に固まって歩いている人間たちを捉える。
全員がガゼルのようなエアバイクに乗っている。
「どうするつもりだ?」
問いかけると、マルディはガゼルが示した方角を睨んで、
猫のように瞳孔を収縮させた。
「こうする」
そう言って、彼はポケットから数個、小石を取り出した。
銀達のアジトで拾ってきていたらしい。
711 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:51:35.82 ID:oI7jiOK60
それに唾をつけ、彼はガゼルのハッチを半分あけ、
野球選手のように全力投球した。
およそ人間とは思えないほどの力で数十メートル小石は飛ぶと、
魔法使い達の真正面の地面に突き刺さった。
「避けるぞ!」
そう言ってマルディが体を反転させる。
彼が避けた場所に、一直線に何か炎のようなものが通り過ぎた。
蛇のようにも見えた。
「魔法だ! 転換型のBタイプ!」
「意味が分からん!」
マルディはガゼルに怒鳴り返すと、空中でバイクごとくるりと回った。
712 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:52:25.13 ID:oI7jiOK60
瞬間、マルディの体とガゼルが掻き消えた。
数秒もたたずに彼らは、
先ほどマルディが投げた小石の場所に出現していた。
目の前に目深にコートを羽織った人間達がいるのを確認して、
マルディは軽く笑って手を上げた。
「よぉ」
また、マルディの姿とバイクが消えた。
対応し切れていない人々の背後に、
蜃気楼のように空間を歪め、彼らが出現する。
マルディは遠くの方角に石を投げてから、
五人いる魔法使いの一人、そのバイクにガゼルをぶつけた。
713 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:53:03.45 ID:oI7jiOK60
悲鳴をあげ、魔法使いの一人が地面に落ちる。
他の魔法使いが振り返る前に、またマルディの姿が掻き消えた。
先ほど石を投げた場所
……数十メートル離れた場所に出現し、彼は息をついた。
「これでいい」
「無茶をやるな……殺さなくていいのか?」
「正体不明の敵が襲ってきたということを聞いたら、
こいつらは増援を呼びにいく。この場所に。
その間に、避難してる人たちを連れて別の場所に移動する」
「あんたの能力があれば、暗殺が可能だ。五人しかいない。殺そう」
714 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:53:39.47 ID:oI7jiOK60
「嫌だ」
マルディは断固としてそう言うと、
ガゼルのハッチを閉めて、アクセルを踏み込み、
魔法使い達と逆方向に走り始めた。
「こいつらを殺せば、誰かが絶対に俺達に復讐しに来る。
そんなのは御免だ。殺したり殺されたりするのは、
別の場所で自己責任でやってくれ」
「チッ……こんな平和主義者とは……」
ガゼルが舌打ちする。
マルディは黙ってバイクを回転させた。
彼らの姿が掻き消え、数秒後、銀達のアジトにバイクが出現していた。
「増援が来る。すぐにここを離れよう」
マルディはまだ眠っている虹を横目で見て、唖然としている人たちに言った。
715 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:54:13.90 ID:oI7jiOK60
*
「へえ、それで……逃げて、帰ってきた?」
合点がいったという風に、爪は偵察隊の男の話を反芻した。
そして頷き呆れたようにため息をつく。
「どうして、殺さなかった?」
「し……しかし、敵の内情も分からない状態で、
この雪の中、交戦はできません。大事をとって後退しました」
爪は冷たい目で男を見ると、その胸倉を黙って掴み上げた。
「俺、殺してこい言った。何故、戻ってきた。それ聞いてる」
「も……申し訳ございません……!」
男が半泣きになって悲鳴を上げる。
716 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:55:03.47 ID:oI7jiOK60
片手で人一人……自分よりも大きな男を軽々と持ち上げて
尚、爪は息一つ上がっていなかった。
「俺、師匠、連れてこい言われた。
俺、お前ら、殺して来い言った。俺、言った、無視か?」
「違います! 消してそのような……」
「何が違う?」
瞳孔が拡散して、徐々にワインレッドに染まってきている瞳に
睨みつけられ、男の顔から血の気がなくなる。
爪は無造作に男を床に投げ捨てると、
周りで唖然としている魔法使い達を見回した。
「次、逃げてきたら、殺す」
含みを込めていない、真っ直ぐな言葉だった。
717 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:55:33.63 ID:oI7jiOK60
しかしそれゆえに、人々に与えられた恐怖は甚大なものだった。
彼が本気で言っていることが分かったからだ。
人間狩りの担当官達
……上層では第三層警備員と呼ばれている魔法使い達が、エアバイクにまたがる。
爪は自分のエアバイクに乗ると、エンジンキーを回して機体を浮上させた。
「大将が出られるのですか?」
魔法使いの一人にそう問いかけられ、爪は興味がなさそうに彼を見た。
「任せられない。俺が、行く」
「か……かしこまりました……」
慌てて男が自分のバイクに乗って浮上する。
爪は、総勢五十名近い魔法使いを伴って、第三層に繋がる通路に出た。
718 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:56:07.67 ID:oI7jiOK60
胸騒ぎがする。
それに、妙な臭いがする。
この臭いは。
嗅いだことがあるオドスの臭い。
師は、あいつを殺していないと言った。
何らかの事故で、あいつが復活でもしたら?
俺は、師を守れるのだろうか。
三年前の手痛い敗北の記憶が脳裏に蘇る。
意識せずに、自然に手が震えた。
719 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:56:41.70 ID:oI7jiOK60
怖かった。
怖かったが、師を守りたかった。
あの人は、もう自分の力では下層にいけないほど弱っていて、
周りもそれを許さない。
ならば。
自由に動ける、あの人の弟子である自分が、
あの人の懸念を払拭するべきだ。
いや、そのために。
そのために俺は、あの人の傍にいようと思ったんじゃないか。
(これを使わなきゃいけないことにならなければいいが……)
胸のロケットの中に、爪はあるものを持ってきていた。
720 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:57:22.07 ID:oI7jiOK60
もしもの時に備えてだ。
しかし、それを使うということは、紛れもなくまた
「アレ」と戦わざるを得ないということ。
そんな場合は避けたかった。
が、逃げるわけにはいかない。
あの人のためにも。
爪は自分で自分を奮い立たせようと、
無理やりにアクセルを踏んで、第三層に躍り出た。
そしてハッチを空けて息を吸い込み……停止した。
721 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:57:51.79 ID:oI7jiOK60
かすかな、かすかな臭い。
だが、忘れるはずもない臭い。
あの男の臭いがしたような気がした。
爪は、慌ててハッチを閉めて、硬直した。
『大将、どうなさいました?』
通信で仲間が呼びかけてくる。
爪は胸のロケットを握り締めると、僅かに震えながら、歯を噛んだ。
そして小さく言う。
「何でもない。行く」
あいつは生きていた。
師の言うことは嘘ではなかった。
ここで排除しなければいけない。
俺の、全身全霊をもって。
722 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/23(木) 19:59:21.27 ID:oI7jiOK60
お疲れ様です。次回の更新に続かせていただきます。
いろいろなコメントやコンタクト、Wikiの編集など、ありがとうございます!
凄く励みになります。
これからも宜しくお願いしますね。
それでは、今回は失礼いたします。
723 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:37:12.00 ID:o2andqOr0
こんにちは。
第19話の投稿をはじめます。
お付き合いいただければ幸いです。
724 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:40:14.04 ID:o2andqOr0
19 消えろ
アジトは複数設置されているらしかった。
地下道を通り、別のアジトに、
ものの一時間ほどで移動を終える。
マルディは道中、至るところに唾を吐いていた。
そしてアジトに到着するなり、
だ給湯設備が稼動していることを確認して、シャワーに直行した。
どうも、彼は自分の体の臭いを抑えたいらしい。
女の子のようなその理由に半ば呆れながらも、
ガゼルはベッドの上に横たわっている虹を見た。
725 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:41:31.54 ID:o2andqOr0
依然、高熱を出して意識混濁状態が続いている。
最近一人称が変わったことや彼女の挙動からも、
人格分裂が更に進んでいることは明白だった。
以前は虹とフィルレインの人格の境目が曖昧だったが、
今は完全に別々の人間として、一つの体の中に詰まっている状態だ。
虹自身も気付いていたようで、
時折ガゼルに対してだけ恐怖を訴えることがあった。
――あの子に殺される
そういう言葉が多かった。
726 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:42:30.14 ID:o2andqOr0
強迫観念から来るものだとばかり思っていたが、
どうもあながち嘘ではないようだ。
魔法使いの核、BMZは一つの精神にしか適応しない。
精神と肉体が分離した例はガゼルの頭の中にはないので分からないが、
もしそれが別々のものだと仮定するならば、BMZは精神により動作している。
つまり、フィルレインの核で虹が動くことは、厳密に言うと「出来ない」。
機械で言えば、
動作保証がなされていない別の人間のエンジンで動くことに等しい。
危険極まりない状態だ。
それに、一つしかない彼女達の体が悲鳴を上げているのだ。
727 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:43:54.56 ID:o2andqOr0
具体的な治療法……と言ってもガゼルには、
脳組織の崩壊を緩和させる薬を投与するくらいしか思いつかなかった。
二つの人格を持つ魔法使いなど、聞いたこともない。
――とにかく今は、虹の熱が下がるのを、
解熱剤投与と時間の経過で待つしかない。
心の中で息をついて、
ガゼルは短銃を肩に担いで壁に寄りかかってこちらを見ている銀に、
カメラアイを向けた。
「何だ?」
「いや……何。外から来たっていうのが、どうも信じられなくてな……」
銀はそう言うと、小さく咳をしてから続けた。
728 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:44:57.03 ID:o2andqOr0
「あんた達を敵にしたいわけじゃないが、
何……ドームを渡り歩いてるって?
キャラバンでもなさそうだし、ここにはどうやって進入した?
三年前はいざ知らず、ここに入ってこれる奴がいるとは思えない。
少なくとも正気の沙汰じゃないな」
「答える義務はない。正気など、とうに失くしてる。
俺達は魔法使いを探し出して駆除するだけだ」
「そこが分からんのだよ」
銀は虹に近づいて、その顔を覗き込んだ。
視線が、どこか娘でも見ているかのように、和らいでいる。
729 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:45:44.42 ID:o2andqOr0
ガゼルは制止せずに、黙って彼の背中を見ていた。
「こんな小さな子に憎まれている魔法使いってのは、
一体何をしたんだってな」
「そこまでを語る義務はない」
「聞こうとは思わんよ。俺達も似たようなもんだ」
肩をすくめ、銀は周りを見回した。
こちらをいぶかしげに見ている男達。
虹に意識があったら発狂しそうな光景だが、
誰一人として、銀のように近づいてこようとはしなかった。
730 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:46:18.09 ID:o2andqOr0
「ただ、一つだけ確認したい」
光学迷彩スーツを弄りながら、彼は続けた。
「その子には、大魔法使いを殺すだけの力があるのか?」
問いかけられ、ガゼルは言葉に詰まった。
しばらくして、彼は答えた。
「分からない」
「分からないとは?」
「交戦データがない。
明確な戦闘勝利の絵面を提示することは不可能だ」
「そういうことを言っているわけじゃない。
殺すためのプランがあるのかどうか、
そういう『大人』の話をしているんだ」
731 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:47:14.37 ID:o2andqOr0
ない。
とは言えなかった。
勝ち目のない戦いに赴こうとしていることを、
この大人たちが知ったら、
どのような行動に移るか分かったものではない。
しかし虹の今の状態で愛寡と交戦して、勝てるかどうか。
ジェンダでの消耗していた更紗との戦闘で、
あれだけの損害を被ったのだ。
愛寡がどのような状態にあるのか分からないが、
数十人の魔法使いに守られた彼女
――しかも、そのどれよりも強いであろう大魔法使いを殺せるか
――能力も分からないのに。
――答えは、NOだった。
到底出来るとは思えない。
732 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:47:54.72 ID:o2andqOr0
更紗の時はレ・ダードという最終兵器の後ろ盾があったゆえ、
強攻策に出ることが出来た。
しかし今、虹の声紋をとることが出来ないことから、
レ・ダードは起動できない。
愛寡がどんな魔法を使ってきたとしても、
かき消すことはもう出来ない。
マルディ一人だけでは、あまりにも心もとなすぎた。
そもそもそのマルディが「何」なのか、
ガゼルは虹に教えてもらっていない。
マルディ自身に聞いても、どうも要領を得ない。
733 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:48:41.25 ID:o2andqOr0
黙り込んだガゼルを見て、銀は静かに続けた。
「……プランはないんだろう? 隠すことはない。
相手の力が何なのか、その様子を見ると分からないようだしな」
「あんたたちは分かってるっていうのか?」
「分からない。だからこそ言っている」
話は平行線を辿るばかりだ。
目覚めない虹に、
早く起きてくれと心の中で悲鳴をあげたガゼルのカメラアイに、
そこで頭をタオルで拭きながら近づいてきたマルディの姿がうつった。
右顔面が酷く焼け爛れている。
周囲が息を呑んだのを見て、彼はゆっくりとピエロマスクを被った。
そして周りを見渡し、ガゼルが生成したコートを羽織る。
734 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:49:09.79 ID:o2andqOr0
「……で、だ。何の話だ?」
悠長にそう言ったマルディに、ガゼルは言葉を発しようとして止めた。
銀が進み出て、マルディの前に立ったからだった。
「あんた、子供は?」
問いかけられ、マルディは少しきょとんとしてから答えた。
「いないけど」
「恋人はいるのか?」
「妻がいる」
彼の言葉を聞いて、銀は周りを見回した。
「だそうだ」
周りの男たちが小さく笑っている。
735 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:49:43.37 ID:o2andqOr0
マルディは軽く顔をしかめて問い返した。
「何がおかしいんだ?」
「女がいる奴に、俺達の作戦は伝えられない。
さっさと帰って乳繰り合ってろ」
馬鹿にしたように言われ、マルディはしかしそれには言い返さずに、
虹のベッドにどかりと腰を下ろした。
そして、背中を丸めた姿勢で銀を見上げて言う。
「あんたには女房子供はいないのか?」
「全員殺されたよ。魔法使いにな」
銀は淡々と言って、周りを指差した。
736 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:50:19.15 ID:o2andqOr0
「ここにいる全員、もう家族はいない。
誰も彼も、家族を連れ去られたり、
目の前で殺されたりした奴らばかりだ」
彼はマルディのことを見下ろして、鼻を鳴らした。
「作戦もない餓鬼と、女がいる餓鬼の相手をしてる暇はないんだよ」
「何を……」
ガゼルが声を上げる。
マルディは手でそれを制止して、銀を見上げたまま言った。
「まぁ……あんたの言うとおりだ」
「マルディ……!」
737 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:50:52.77 ID:o2andqOr0
「黙ってろよ」
ガゼルにそう言ってから、マルディは続けた。
「確かにそうだが、俺には俺の目的というものがある。
その邪魔はさせない」
「女を残してか?」
「違う。ここにいる」
マルディがそう言うと、銀の顔色が変わった。
「何……?」
「俺は昔……三年前に、
このサバルカンダドームに妻と一緒に住んでいた。
記憶が正しければ、まだここにいる筈だ」
738 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:51:27.23 ID:o2andqOr0
「何言ってんだお前」
クックという笑い声がした。
銀は呆れた顔でマルディを見下ろしてから続けた。
「三年前? その間、あんたは何してたんだ?」
「それは……」
言いよどんだマルディに、男の一人が淡々と言った。
「まぁまず死んでるな」
「そうだな」
「馬鹿が」
嘲笑を受けて、そこで初めてマルディの顔色が変わった。
彼は言葉を発した男を睨んで、低い声を発した。
739 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:52:06.56 ID:o2andqOr0
「カランは死んでねぇ。言葉に気をつけろ」
「三年前に何があったか、分かるか?」
銀にそう言われ、マルディは無言を返した。
「人間狩りと称した、大虐殺だよ」
肩をすくめて銀は続けた。
「沢山死んだ。もう、何人死んだか分からないくらい人間が死んだ。
間引かれたんだ。魔法使いに」
「…………」
「あんたの奥さんとやらも、巻き込まれたと考えた方がいいな。
そっちの事情は知らんが……」
「…………」
「死んでるだろ、普通に」
740 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:52:38.11 ID:o2andqOr0
マルディはそこでベッドを蹴立てて立ち上がると、
銀の胸倉を掴み上げた。
「もう一回言ってみろ……!」
血管の浮いた片目で睨まれ、しかし銀はひるまずに言った。
「俺は、人間狩りで目の前で娘と妻を殺された」
「…………」
歯軋りしたマルディに、淡々と彼は言った。
「奴ら、躊躇も遠慮もなく、誰彼構わず殺していった。
このドームの下層には、人間の死体が何万と積み上げられた。
俺達は、その死体の山に隠れて生き延びた」
「…………」
「その気持ちが、あんたには分かるのか?」
741 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:55:37.11 ID:o2andqOr0
マルディは銀の服を離し、頭を抑えてよろめいた。
その耳に、聞き覚えのある声が反響する。
――生、き、て…………
――幸せに……なって…………
ヤメロ
――私の……夫が、この近クニ
ヤメロ
――伝えて、クダサ
ヤメロヨ
742 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:56:10.65 ID:o2andqOr0
「マルディ!」
ガゼルが大声を上げる。
カタカタとテーブルの上のコップが揺れていた。
「どうした、正気に戻れ!
オドスが漏れてるぞ……凄まじい量だ!」
「カランを……」
マルディはよろめいて頭を抑えた。
そして何度か振ってから言葉を搾り出す。
「カランを助けなきゃ……」
743 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:56:48.45 ID:o2andqOr0
「分かった。まずは落ち着くんだ。
落ち着いて話し合いをしよう。オドスを引っ込めろ!」
男たちが短銃を構えてマルディ達に向けていた。
銀も短銃をマルディに向けている。
銃を向けられている大男の髪がざわついて、
少しずつ空中に逆立ち始めていた。
その変貌と異様な雰囲気に圧倒されたのだった。
ガゼルも息を呑んだ。
魔法を使ってもいないのに、
BMZ反応……つまり魔力の指数が、
レッドゾーンの危険域を知らせたからだった。
744 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:57:19.58 ID:o2andqOr0
意識していないのだとしたら、凄まじい魔力の総量だ。
マルディは何度か深呼吸してから、軽く手を上げた。
そして息をつく。
「悪かった。少し興奮した」
「あんた……」
そこまで銀が言った時だった。
マルディは弾かれたように顔を上げ、空中を見つめた。
その顔が顔面蒼白になる。
「まさか……」
「どうした!」
745 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:57:58.79 ID:o2andqOr0
ガゼルに怒鳴るように言われ、彼は言った。
「嘘だろ……でも、この臭い……」
「マルディ、何か来るのか?」
『敵よ……』
そこで、虹に繋がったケーブルから脳内通信が送られ
ガゼルはカメラアイを、無理やり体を起こした虹に向けた。
『虹!』
『何……この臭い……ドブ川みたい
……ヘドロの臭い……悪臭……うっ……』
激しくえづいて、虹が胃の中のものをベッド脇に吐き出す。
マルディは慌てて虹の背中をさすりながら、周りに怒鳴った。
「早くここから逃げろ! あいつが来る!」
746 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:58:35.33 ID:o2andqOr0
「あいつ?」
「スカった! 俺の臭いを感知されたんだ。
逃げなきゃ皆殺しにされるぞ!」
しかし、男たちが取った行動は真逆だった。
全員光学迷彩スーツを羽織り始める。
短銃をチェックする男もいた。
「何してるんだ逃げろ!」
怒鳴るマルディに、銀はニィ、と笑って答えた。
「その様子だと、でかい獲物が来るみたいだな」
「獲物?」
747 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:59:11.49 ID:o2andqOr0
「俺達の戦法を教えてやるよ。若造。
魔法も何も使えない俺達に残されたのは、
この命一つのみ。その意味が分かるか?」
トン、と銀が胸を叩く。
それを見て、マルディは息を呑んだ。
小型の、高精度爆薬だった。
「玉砕する気か……!」
「もとより何も残っていない。これ以上失うものはないからな」
「……くそ!」
マルディは怒鳴り、立ち上がった。
そして押し殺した声で言う。
748 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 15:59:50.79 ID:o2andqOr0
「俺がまいてくる。だから……」
「待てマルディ、何か来る!
強力なエンクトラルフィールドの干渉だ! 魔法だ!」
虹がそこで、ガゼルに飛び乗り、
マルディの首筋を掴んで機内に引っ張り込んだ。
彼女の操作により、ガゼルのシャッターが閉まり、
マルディと虹を覆い隠す。
次の瞬間、辺りを凄まじい爆風が襲った。
巨大なバイクであるガゼルが横に吹き飛ばされた程だった。
暗転する視界の中で、ホバーをきかせて転倒するのは避け、
ガゼルが大声を上げる。
749 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:00:20.83 ID:o2andqOr0
「何だマルディ、どういうことだ!」
「奴だ……ルケンだ!」
押し殺した声で言い、マルディはガゼルのハンドルを握った。
「ここから離れる! 無駄な犠牲を出したくない」
「待て、詳しく状況を!」
「そんな暇はない!」
怒鳴って、マルディは周囲にゴミのように散らばった銀達を見た。
全員光学迷彩が衝撃で解けている。
歯軋りして、彼はバイクを横に回転させた。
その場からガゼルが消え、数百メートル離れた場所に出現する。
750 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:00:57.93 ID:o2andqOr0
マルディは外の吹雪を確認してから、
ガゼルのシャッターを開いて仁王立ちになった。
そこは第三層の中間地点にあたる場所だった。
倒壊した建物が並んでいる。
その屋上に出現していた。
「ここだ! ルケン! こっちに来い!」
マルディが僅かにブレた声を発する。
彼はガゼルと虹を見て怒鳴った。
「何してるんだ! お前らはここから別の場所に逃げろ!」
「ルケン? 敵のことを感知できるのか!」
「逃げろって……」
751 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:01:38.92 ID:o2andqOr0
ガゼルを屋上から突き落とそうとして……。
そこで、マルディは停止した。
虹が、いきなり体を乗り出して、
彼の唇に自分の唇を重ねたからだった。
噛み破ったのか、虹の口元から血が流れている。
それを飲み込んだ瞬間、マルディの瞳が真っ赤なワインレッドに染まった。
『丁度いいわ……行きなさい、生物兵器』
虹は血の味がするキスを終えて、唇を離してから、
熱に浮かされた顔で小さく笑った。
『離れるわよ』
『待て、どういうことだ? 敵が……』
『ここにいると、私達まで巻き添えを食らうわ』
752 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:02:08.03 ID:o2andqOr0
虹がそう言って、力の入らない手でガゼルのハンドルを握る。
マルディは屋上に膝をつき、体を小さく痙攣させていた。
その腕や、体中いたるところから緑色の鱗がせり出してくる。
歯が抜け、代わりに牙が。
爪がはがれ、代わりに長い刃が。
「カルルルルルルルルルルルルッ!」
マルディはバイクのマフラー音のような声を上げ、
立ち上がった。
その瞳は、既に正気を失っていた。
「何だ……あれ……」
753 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:02:47.09 ID:o2andqOr0
数十秒も経っただろうか。
それは、さっきまで人間のように喋っていた
「マルディ」ではなかった。
緑色の鱗に全身を覆われた、
奇妙なトカゲ人間のようなモノがそこに立っていた。
『ルアの……生物兵器……龍』
虹が苦しそうに通信を送ってくる。
彼女は、マルディが無事に「変身」したことを確認すると、
ガゼルを操作して空中に浮いた。
『龍の一族は……変身するわ。理性のタガが外れた、生物兵器に……』
『マルディが、それだっていうのか!』
754 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:03:28.88 ID:o2andqOr0
『一度あなたも見たでしょう
……私の中には、白い一族と同じタイプの血液が流れてる
……だから、私の体を取り込んでも……あいつは変身できる……』
小さく笑い、虹は正面から近づいてくるエアバイクの群れを、
レーダーでとらえた。
『私達は、この隙に上層に入るわ……』
『待て、マルディはいいのか!』
『アレに理性はないわ……変身が解けるまで、近づくのは危険よ……』
755 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:03:57.76 ID:o2andqOr0
虹はそう言って、頭を抑えた。
『……この臭い……くさい……』
『オドスのことか?』
『敵にも……龍族がいる……!』
『……何だって……?』
ガゼルの素っ頓狂な声は、周囲を更に吹き荒れた吹雪に掻き消えた。
756 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:04:39.67 ID:o2andqOr0
*
間違いない。
アレは、三年前に
……自分を瀕死にまで追い詰めた生き物だ。
爪は、言葉を失って、その場にエアバイクを止めようとして……。
凄まじい衝撃波に、横殴りに吹き飛ばされた。
視認したのが、まずかった。
アレ……マルディが、空中の何もない場所を蹴るところまでは見えた。
次の瞬間、自分たちの右方向を彗星のようなものが、
キュン、という音を立てて通過した。
757 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:05:15.26 ID:o2andqOr0
次いで、その射線上にいた部下の魔法使い達のバイクが吹き飛ばされ、
衝撃波に煽られ、次々に空中で爆発した。
凄まじい土煙と、爆音を上げて、彗星が後方の地面に突き刺さる。
「キャラアアアアアアアアアアアアア!」
人間のものではない絶叫が響き渡った。
一瞬で、部隊の三分の一が吹き飛んだ。
バイクが廃墟の壁にぶつかり、それでも尚衝撃波が止まない。
爪はバイクを捨てて空中に飛び出すと、
何もない空中を手で叩き、反発させて浮き上がった。
そして近くの廃墟の影にふわりと着地する。
758 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:05:54.58 ID:o2andqOr0
彗星が通過した場所が、綺麗に円形に消滅していた。
生き残った魔法使い達もバイクから投げ出され、
地面に転がっている。
爪は、僅かに震えながら、胸のロケットを手に取った。
チェーンを引きちぎり、蓋を開ける。
迂闊だった。
攻撃すれば、反撃が返ってくる。
それだけのことなのに、それを忘れていた。
(これを使うときが来るとは……!)
爪は、心の中で舌打ちをして、中身を一気に口に空けた。
759 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:06:25.87 ID:o2andqOr0
*
――ナンダ?
何が起こった。
俺は何をした?
マルディは奇妙に歪んだ視界の中、周りを見回した。
体中の血液が奇妙な律動で暴れまわっている。
体が熱い。
ともすれば、意識を何かに乗っ取られてしまいそうな、そんな悪寒。
刃が生えている指先を見る。
体を見る。
人間の体ではない。
760 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:06:59.08 ID:o2andqOr0
体中から鱗が生え、まるでトカゲのようだ。
そこで初めて、マルディは自分が「変身」していることを自覚した。
――何故?
――どうやって?
下等なハグレである自分が、どうして変身で来ているんだ?
あの虹とかいう女の子に、無理やり血を飲まされた気がする。
まさか……。
(あの子も……白い一族か……!)
そこで、マルディはまた弾かれたように頭を上げた。
761 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:07:29.80 ID:o2andqOr0
懐かしいにおいがしたからだった。
(カラン……?)
紛れもない、妻のにおい。
骨羽のにおい。
香り。
忘れもしない妻のにおいだった。
「ハハ……ハ…………」
笑う。
何だ、生きてたじゃないか。
何を言っていたんだ、あいつら。
生きてたじゃないか。
762 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:08:04.49 ID:o2andqOr0
しかし、その直後に臭ってきた猛烈な腐臭に、
マルディは思わずその場から後ずさった。
これは……。
知っている。
この臭いは……。
(ルケン……!)
足を固める。
殺さなければならない。
カランのためにも。
俺のためにも。
あいつを、殺さなければいけない。
たとえ、俺がここで死んだとしても……。
763 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:08:50.97 ID:o2andqOr0
そこまで考え、マルディの目の前に血まみれで転がる、
ボロ雑巾のような妻の姿がフラッシュバックした。
「アアアアアアアアアアアアアアア!」
絶叫して、地面を蹴る。
周囲全ての空間が、もったりと水の中のように動きを緩める。
体の動きだけがスムーズだ。
ものすごくゆっくりと、蹴った地面が割れガレキが吹き飛ぶ。
マルディの体は弾丸のように、
ゆっくりと動く周囲の中で吹き飛んだ。
「キャラアアアアアアアアア!」
人間のものではない叫び声を上げ、振りかぶった腕を、
奴の臭いがする建物の廃墟……その壁に叩きつける。
764 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:09:23.03 ID:o2andqOr0
奇妙な音がして、右腕がひしゃげて吹き飛んだ。
そのままの勢いで建物を貫いて、
マルディは左手を前に突き出した。
そして、轟音を立ててゆっくりと崩れる建物の影にいた、
人間大のモノに手を伸ばし……。
一瞬、それが見えた。
白い鱗だった。
マルディのものと同じ、鱗。トカゲのような風貌。
白い鱗の所々が開いて、煙が出ている。
バイザーのようになった目を光らせ、それは「迎撃」の姿勢をとっていた。
765 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:10:01.03 ID:o2andqOr0
迂闊。
その単語が頭に浮かぶよりも早く。
マルディは、凄まじい力に殴りつけられ、
反対側に向かって吹っ飛んだ。
カウンターの要領で、能力を当てられたのだった。
それは、マルディが知るよりもはるかに強く。
圧倒的な力だった。
吹き飛ばされた瞬間、周囲がゆっくりと動いていた現象が解ける。
ボロボロになった服を破りとり、白いトカゲ人間は
「カアアアアアアアアアアアアアアアア!」
と叫んだ。
766 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:10:35.08 ID:o2andqOr0
まずい。
何だか分からないが、アレはまずい。
吹き飛ばされながら、マルディは本能的な部分でその事実だけを確認した。
白いトカゲ人間の口にあたる場所に、バチバチと何かを反射させながら、
白い球体のようなものが浮き上がったのだ。
――消えろ
そう聞こえた気がした。
近くの廃墟に背中から叩きつけられたマルディを追うようにして、
その白い球体が高速で撃ち出される。
767 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:11:03.79 ID:o2andqOr0
白い球体が触れた場所は、一瞬で粉になり散っていく。
反射をする空間を、別の力で球体にして留めているのだ。
いわば、反物質の塊。
マルディはまた意識を集中させた。
空間がもったりと彼の体を包み、周囲の時間の流れがゆっくりとなる。
水の中にいるかのように、何もない空中を蹴る。
放射状に衝撃波が浮き上がる。
768 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:11:37.61 ID:o2andqOr0
それで空中で軌道を変え、高速で吹き飛んできた球体を避ける。
そのまま、彼は一直線に落下して、白いトカゲ人間に肉薄した。
「ガアアアアアア!」
意味不明な叫び声を上げて、相手の腹に左腕を叩き込む。
マルディの背後のドーム、その一部に反物質の塊が突き刺さり、
凄まじい爆発を発したのと、
白いトカゲ……ルケンがきりもみに回転しながら吹き飛んだのと、
マルディの左腕が粉々に砕け散ったのは、ほぼ同時のことだった。
769 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/24(金) 16:13:33.57 ID:o2andqOr0
お疲れ様でした。次回の更新に続かせていただきます。
ご質問やご意見などがございましたら、遠慮なさらずどんどんいただけると嬉しいです。
毎回のWikiの更新も、ありがとうございます。
大変励みになります。
それでは、今回は失礼いたします。
770 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:49:57.89 ID:bDf9OSPn0
こんばんは。
毎回のご支援などありがとうございます。
20話を投稿させていただきます。
771 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:53:29.22 ID:bDf9OSPn0
20 イケニエ
悪魔の提案を呑むしかなかった。
おびえた顔をしている沢山の子供たちを見回し、
少女はニッコリと笑った。
「大丈夫、すぐ戻るわ。だから、みんないい子にしてて」
それが今生の別れになるとも知らず、
世間を知ることもない少女は、奴らに身を任せることになった。
772 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:54:15.94 ID:bDf9OSPn0
BMZ抗体というらしかった。
その特殊な抗生物質を血中に持つ人間。
奴らは――「エリクシア」は、それを探していた。
エリクシアの支配下にあった国、ザインフロー。
その地下街も、例外ではなかった。
強制的に受けさせられる人体検査。
少しでも適正があった人間は、
連れされられ、二度と戻ってくることはない。
773 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:54:53.32 ID:bDf9OSPn0
少女は、地下街で沢山の孤児を世話していた。
ある日、エリクシアの科学者が現れて言った。
彼女が、検体になるか。
子供を、検体にするか。
偶然、彼女に抗生物質の反応が確認できたことから、
彼らは穏便にことをすすめようとしてきた。
子供を犠牲にするわけにはいかない。
よく分からないうちに、よく分からない書類にサインさせられ、
彼女はエリクシアの研究施設へと護送されることになった。
それが、悪夢の始まりだということも知らずに。
774 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:55:25.59 ID:bDf9OSPn0
*
分娩台のようなものに磔にされ、
全裸に剥かれた少女はか細く息をしていた。
ガチガチと歯が鳴り、赤茶けた髪の毛は逆立っている。
ひっきりなしに目からは涙が溢れ出ている。
歯を噛み締めていなければ、気が狂う。
それほどの、激痛だった。
震えながら首を振る。
もうやめて。
もう、限界なんです。
おかしくなってしまいます。
目で必死に、周囲を取り囲む白衣の男たちを見回す。
775 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:56:04.03 ID:bDf9OSPn0
そのうちの一人が、トレイに茶褐色の球体を載せて歩いてきたのを見て、
少女はその途端、半狂乱になって暴れ始めた。
命の危険。
警鐘。
それを脳幹の奥で感じたのだ。
「助けて! 誰か……!」
「抑えなさい」
冷たい声がして、少女を数人がかりで男たちが押さえつける。
「助けて! 殺される! 助けて!」
悲鳴を上げる。
しかしそれに返って来る反応は、ない。
776 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:56:35.59 ID:bDf9OSPn0
「凄まじいBMZ適正です。
既に三つのハイコアの移植に成功しています」
「どこだ?」
「左胸、腹部、頸部です」
「ふむ……」
リーダー格と思われる白衣の男は、
顎に手を当てて、圧倒的な無表情で少女を見下ろした。
それにゾッとして言葉に詰まる。
何というか……感情を感じない。
虚無の瞳だった。
777 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:57:05.15 ID:bDf9OSPn0
体中が痛い。
気が狂ってしまう。
これ以上されたら、おかしくなる。
ギリギリのラインに、少女はいた。
「残り四つを緊急移植だ」
「は?」
愕然とした。
しかし、男から発せられたのは、絶対的な絶望の言葉だった。
「どういうことですか? 確かにハイコアは、
残り四つですが……一気に移植したら、検体の体がもたないかと……」
778 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:57:45.38 ID:bDf9OSPn0
「だからこそだ。トロトロやっていたら、
この小娘は自殺でもしかねない。そうなればことだ。
お前が、責任をとってくれるとでも言うのか?
移植してしまった三つのハイコアの責任をな」
問いかけられ、口を挟んだ男が黙る。
「移植手術を開始する」
マスクをつけた男たちが、メスとカンシを持って近づいてくる。
嫌。
嫌だ。
死にたくない。
頭の中に、自分を慕う子供たちの姿がフラッシュバックする。
779 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:58:17.92 ID:bDf9OSPn0
嫌だ、死にたくない。
殺される。
殺され。
そこまで考えた時、少女の体をまた激感が襲った。
右腕に、何十回目か分からないクスリを投与される。
体中が痺れる。
まるで、水の中にいるかのように脳が濁っていく。
数秒後、少女は頭を抑えられ、
自分の、抉り出された左目を見ていた。
唖然として、声も出なかった。
ポカリとあいた穴の中に、何か丸いものを抉りこまれる。
体中を、生焼けにされるかのような激痛が暴れまわり始めた。
780 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:58:49.70 ID:bDf9OSPn0
「アアアアアアアアアアアア!」
意味不明な叫び声を上げながら、
分娩台の上で、人間とは思えない動きで暴れまわる。
それを押さえつけ、
男たちは残り三つのビー球のようなものを手に、近づいてくる。
殺される。
殺される。
神様。
かみさ。
膣口に何かをねじ込まれる。
耳の中にねじ込まれる。
背中を切り開かれ、背骨に埋め込まれる。
781 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:59:21.61 ID:bDf9OSPn0
頭が。
おかしく。
痛みしかなかった。
激痛しかなかった。
もうそれしか感じなくて、脳が段々と腐っていくのを感じる。
私は……。
私は……これで…………。
もう。
殺して。
お願いします。
殺してください。
お願いしますから、殺してください。
またクスリを投与される。
そこで、少女の意識は闇の中に落ち込んでいった。
782 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 21:59:54.60 ID:bDf9OSPn0
*
「アア……ガ…………」
獣のような唸り声を上げて、目を覚ます。
よろよろと起き上がり、立ち上がろうとしてまた失敗する。
頭から地面に転がり、
少女は自分が平衡感覚を失っていることに気付かず、
地面に爪を立てた。
「ガ…………」
口の端から血を垂れ流しながら、
彼女は、残った右目で必死に周りを見回した。
自分は、何かに囲まれていた。
783 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:00:28.01 ID:bDf9OSPn0
トカゲのようなもの……。
トカゲ人間、と形容すればいいのだろうか。
体中に黒い鱗を生やした、
奇妙な人間達が自分を取り囲んでいた。
「カル、カル、カル、カル」
「カカ……ガガガ…………」
奇妙な声が聞こえる。
少女は悲鳴を上げようとして、声が出ないことに気付き、
頭を抑えていやいやと首を振った。
トカゲ人間は、よだれをたらし、口を半開きにしていた。
784 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:01:23.47 ID:bDf9OSPn0
空腹。
飢餓。
明らかに少女は、餌だった。
トカゲ人間の一匹が、体を曲げて跳躍する。
そして少女に頭の上から襲い掛かる。
殺される。
――私は。
殺される。
…………殺される?
そこまで考えた時、彼女の首筋が熱くなった。
左目の眼窟に埋め込まれた「何か」が強烈な光を発する。
何かが、彼女の眼前に出現した。
785 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:02:19.34 ID:bDf9OSPn0
飛び掛ってきたトカゲ人間を吹き飛ばすように、
地面から一本の火柱が吹き上がる。
人間大のその火柱は、高速で回転しながらトカゲ人間に突き刺さり、
吹き上がった。
火柱が突き刺さったトカゲ人間は、
まるで砲弾にブチ当たったかのように空中で、
四肢がバラバラになって散った。
辺りに臭い血の雨が吹き荒れる。
――何、これ。
血の雨を真正面から受けて、少女は右手を、
また飛び掛ってきたトカゲ人間に向けた。
違う火柱が吹き上がり、人間大のものが飛び散る。
786 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:02:54.15 ID:bDf9OSPn0
――何、これ。
飛び散る肉。血。
辺りに血の雨が降る。
それは、臭い臭い血液の雨だった。
――私、何、してるの。
切れ切れの意識の中で、
彼女は地中から何本も火の柱を吹き上がらせ、立ち上がった。
彼女の体に埋め込まれた七つの核
……BMZが、全て強烈な光を発していた。
そこは、ゴミ捨て場のような場所だった。
地上十メートルほど上の地点に、
ガラス張りの部屋がせり出している。
それだけで、周りは高いコンクリートに囲まれていた。
787 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:03:26.34 ID:bDf9OSPn0
トカゲ人間は、次々に沸いてきた。
少女は殆ど考えずに、
反射的といってもいい動作で火柱を吹き上がらせていく。
血の海になった。
――夢だよ。
帰りを待っている、沢山の子供たちの姿が脳裏をよぎる。
――これは、夢。悪夢だよ……。
手を伸ばす。
そして、近づいてきたトカゲ人間の頭を掴む。
それだけで、トカゲ人間は体中から炎を噴出し、
ドパァンッ! と飛び散った。
788 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:03:58.61 ID:bDf9OSPn0
その、今わの際だった。
「お……姉…………チャン…………」
声が、聞こえた気がした。
――え?
気付いた時、声を発したトカゲ人間は吹き飛んでいた。
――どういうこと?
襲い掛かってくるトカゲ人間を破裂させていく。
「ドウ…………して…………」
「オネエ………………チャン…………」
789 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:04:37.04 ID:bDf9OSPn0
断末魔。
聞こえる。
あの子達の声が。
――嘘だ…………。
意思とは反して動いていく体を、止めようとする。
しかし体は止まらない。
有象無象と蠢くトカゲ人間達を、一匹残らずミンチにしていく。
――やめて…………。
頭が飛び散った敵が、よろよろとよろめいて、倒れる。
その体から鱗が落ちていき、急激にしぼんで行く。
数秒後、それは彼女が見知った……。
頭部がなくなった、それになっていた。
頭を抑えて、絶叫する。
790 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:05:14.40 ID:bDf9OSPn0
彼女の体の細胞、一つ一つが振動する。
次の瞬間、彼女は体から火を噴き出しながら、
頭上のガラス張りの部屋を睨みつけていた。
血の海と肉の海の中で、彼女はノイズ交じりの思考の中、
千切れんばかりに右目を見開き、上を睨んでいた。
数秒後、キュラキュラと音を立て、彼女の目の前の床から
何か巨大なものが競りあがってきた。
十メートル近い体躯をした、人形のように見えた。
腕が四本あり、足がキャタピラの機械人形。
その時の彼女は知りえなかったことだが、
それはエンドゥラハンだった。
791 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:05:44.03 ID:bDf9OSPn0
ガラス張りの部屋に立っていた人間が、
きびすを返して奥に引っ込むのが見える。
そして、彼女達を囲むように、
シェルターが競りあがってきて、周囲を閉ざした。
エンドゥラハンは、
少女に向けて指先から熱砲を放とうとして……。
そこで、動きを止めた。
その頭部がなくなり、血液のようなオイルが噴き上がる。
792 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:06:19.15 ID:bDf9OSPn0
「落ち着け。俺は、お前の味方だ」
耳元でいきなり声をかけられ、ハッとする。
振り返った目に、手にサバイバルナイフを握った、
赤髪の青年が立っているのが見えた。
グラリとエンドゥラハンが揺れて、倒れる。
「さて」
彼はクックと笑って、周囲の惨状と、全裸の少女。
そして周囲を包むシェルターを見回した。
「お仕置きの時間だ」
793 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:07:01.67 ID:bDf9OSPn0
*
両腕と両足が斬り飛ばされた男の、
首を掴んで青年は立っていた。
周囲には白衣の研究者達の死体が散らばっている。
いつの間にかシェルターは解除されていた。
少女がハッとするまで、およそ二秒。
その間に、総勢五十人はくだらない研究員が、
皆殺しにされていた。
いつの間にか周囲に死体が散らばっている。
794 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:10:35.88 ID:bDf9OSPn0
「聞きたいことがある」
彼は首を絞めている研究員
……少女にBMZを移植したリーダー格の男に、
鉄のような声で言った。
「この子一人をつくるために、何人殺した?」
男は、しばらく血痰を吐いていたが、
やがて、ニィと笑って面白そうに喉を鳴らした。
「………………知る……か…………」
「そうか」
赤髪の青年は端的に呟くと男の首から手を離し、
サバイバルナイフを、躊躇なくその頭に突き立てた。
795 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:12:16.74 ID:bDf9OSPn0
「エリクシアのゴミ蟲が」
はき捨てて、死体を蹴り飛ばす。
少女は周囲を見回して、
意味の分からなさに唖然とし、膝をついた。
「大丈夫か? ここを出るぞ」
そこで青年が、手を伸ばして少女の、
震える小さな手を掴んだ。
「俺の名前は泉。お前のような、
ハイコア適応体を探して保護してる。名前は? 意識はあるか?」
矢継ぎ早に問いかけられ、少女は何度かえづいて首を振った。
796 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:13:13.94 ID:bDf9OSPn0
「喋れないのか?」
頷く。
「……俺が来たからには大丈夫だ。行くぞ」
軽々と少女を抱え上げ、彼は、手で少女の目を塞いだ。
「女の子は、こういうもんは見ちゃいけねぇ」
研究員の死体を踏みつけ、悠々と彼は、
いつの間にか開いていた出口に足を進めた。
少女は、今までの悪夢を反芻することもなく。
青年が軽く首筋を小突いただけで、
また深い暗黒に落ち込んでいった。
797 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:14:12.78 ID:bDf9OSPn0
*
「へぇ……」
まじまじと間近で見つめられ、
少女は怯えた顔で、目の前の女性を見た。
巨大なトレーラーハウスまで連れてこられ、
猛烈な眠気に負けて眠ってしまってから、
丸々一日、少女は眠っていた。
腕や首筋に、いくつも点滴が刺さっているので、
身動きするのが苦しい。
しかし、少し前のような不快感はなかった。
「随分とまぁ……綺麗な子見つけてきたね」
青白い髪をした女性は、息をついて背後を見た。
798 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:14:57.80 ID:bDf9OSPn0
サバイバルナイフを砥石で研いでいた青年が
「ん?」
と言いこちらを向く。
「何だ、涙?」
「何でもない。兄さんの変態」
「どうしてそうなるんだ」
涙、と呼ばれた女性は、少女の顔を覗き込んで続けた。
「あなた、名前は?
もう喋れてもいい頃だと思うんだけど……」
「無視か」
「聞いてる? おーい?」
ぺしぺしと頬を叩かれ、少女は毛布を手繰り寄せ、
体を丸めて、涙と逆の位置に後ずさった。
799 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:15:34.43 ID:bDf9OSPn0
「珍しいな、お前が警戒されるなんて」
青年……赤い髪をした泉が、不思議そうに言う。
彼は腰のホルダーにサバイバルナイフを差し込むと、
立ち上がった。
「またトレーラーが狭くなりまする……」
うんざりした声がした。
少女のものだが、喋り方が年を食っている。
「この得体の知れない小僧といい、
今回の小娘といい、ににさまはお人が良すぎます」
少し離れたテーブルの前の子供用椅子に、
小さな……黒髪を床まで垂らした女の子が座っていた。
800 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:16:15.70 ID:bDf9OSPn0
彼女よりももっと先のところには、
この寒い中だというのに、Tシャツとジーンズ姿で
窓脇に座り込んでいる少年がいた。
眼鏡をかけた彼は、カチャリ、カチャリ、
と何かビー球のようなものを手でもてあそんでいる。
それを見た瞬間、少女の中の恐怖が爆発した。
自分を取り囲む研究者達が持ってきたビー球。
それを体に埋め込まれて……。
それから……。
それから……。
いきなり意味不明な声を上げて、
枕を叩きつけられた涙が尻餅をつく。
801 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:16:47.50 ID:bDf9OSPn0
「え、何? あたし何かした?」
きょとんとした彼女に向かって、
目をつぶりながら右手を突き出し……。
そこで、泉の声が耳元で聞こえた。
「落ち着けよ。ここは俺達の家だ。
お前を、保護してここまで連れてきた」
ハッとして顔を上げる。
ポン、と少女の頭に手を置いて、泉は続けた。
「こいつは、俺の妹の涙だ。あっちが更紗。
向こうにいるのが硲だ。おい、硲、こっちに来いよ!」
呼びかけられても、硲と言う少年はピクリとも反応しなかった。
802 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:17:25.52 ID:bDf9OSPn0
「……まだ俺のことを警戒してるのか。
涙、あいつのビー球、どうも良くないみたいだ。
止めさせてきてくれるか?」
「分かった」
頷いて、涙が硲の方に歩いていく。
キッチンではコトコトと、火をかけられた鍋が湯気を出していた。
涙が硲に一言、二言と喋りかける。
彼女の言葉に反応したのか、少年が顔を上げ、
おとなしくビー玉をポケットに仕舞った。
それに安堵して息をついた少女の頭を撫で、泉は言った。
「とりあえず飯にしよう。話は暖まってからだ」
803 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:17:58.49 ID:bDf9OSPn0
*
愕然とした、と言う表現が一番早いかもしれない。
目の前に並べられた美味しそうな料理。
それらに、空腹のあまり口をつける。
「味」がしなかった。
まるで、砂か消しゴムを噛んでいる様な感覚。
口の中に入れたパンを、たまらず吐き出した少女を見て、
涙が肩をすくめる。
更紗が鼻を鳴らし、ワイングラスに何か、
生臭い液体をガラス瓶から注いだ。
804 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:19:17.63 ID:bDf9OSPn0
「ハイコアを七つも持っている魔法使いなんて
聞いたことがありませぬ。きっと先は長くないでする」
「そういうことを目の前で言うもんじゃない、更紗」
「しかしににさま……」
言いよどんで口をつぐみ、更紗はグラスの中身を口にあけた。
生臭い液体……。
知っている、生物の臭い。
血だ。
その事実に気がつき、ゾッとする。
そこで初めて、黙ってパンをかじっていた硲が口を開いた。
805 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:19:54.23 ID:bDf9OSPn0
「涙姉さん、どうしたの? おいしくなかった?」
声をかけられた涙は、
ボーッとした表情で少女のことを見ていたが、
ハッとして硲の方に視線を移した。
「うぅん。ありがとう硲。いつも料理をしてくれて、あんたは偉いね」
頭をグリグリと撫でられ、硲の顔が僅かに嬉しそうに紅潮する。
それを馬鹿にしたように見て、更紗は泉に言った。
「それで……どうするおつもりです?
奴ら、ここを全力で叩いてきます。
この小娘がもし、『レベル7の危険物資』であったら、
是が非にでも取り戻しに来るでしょう」
「なら全員殺せばいい」
淡白に泉がそう言って、スープを喉に流し込んだ。
806 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:20:29.27 ID:bDf9OSPn0
彼は更紗のほうを見て、
涙がしたと同じように肩をすくめてみせた。
「何だ、怖いのか」
「そ……そんなことはありませぬ。ただ……」
更紗は少女の方を見て、息をついた。
「割に合わぬと思っただけでする」
「割に合う合わないは俺が決める。世の中にはな、
資産という言葉があってだな。
貯蓄ということも考えていかなきゃいけないんだよ」
「難しいお話は分かりませぬ」
「よし、詳しく説明してやろう。つまりだな……」
「あ、あ……あの……あの……」
そこで、やっと少女が言葉を発した。
807 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:21:01.40 ID:bDf9OSPn0
泉が言葉を止め、少女に向き直る。
「おお、喋れるようになったか!
はは、良かった。ずっと『おし』のままかと思ったよ」
「あなたたちは……何、何……で……」
カヒュ、と喉に空気が抜ける。
上手く、言葉が口をついて出てこない。
頭が回らない。
心臓の鼓動が早い。
何だ……どうしてしまったんだろう。
私は……どうして……。
「移植手術で脳の働きが鈍くなってるんだ。
気にするな。時間を置けば元に戻る」
808 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:21:40.28 ID:bDf9OSPn0
「わた……わたし、な、な……なんで……」
何度か言葉を発しようとして失敗し、
泉が握ってきた手を必死に握り返す。
「かえ、かえら……帰らなきゃ……
わた、し……子供、たち……た、た……たくさん……」
訴える。
泉はそれを聞いて、涙と顔を見合わせた。
そして、少女の手を握って、静かに語りかけた。
「お前は、もうあのドームには帰れない。
これから、俺達と一緒に暮らすんだ」
「ど、ど……どうし、どうして……?」
809 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:22:18.60 ID:bDf9OSPn0
「みんな死んでたよ」
そこで、クスッと笑って、硲と呼ばれた少年が口を開いた。
泉が慌てて硲を見る。
「こら……」
「てゆうか、自分で殺したじゃん。覚えてないの?」
空虚な硲の目に見つめられ、少女は必死に言葉を搾り出した。
「わた……わたし、わた……し、殺した?
何、言う…………な、何…………」
「何言ってんだかわかんねーよ」
鼻で笑われ、愕然として言葉を止める。
そこで、黙って聞いていた涙が
「硲」
と言って、彼の頭に小さくチョップした。
810 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:22:57.61 ID:bDf9OSPn0
ものすごい衝撃だったらしく、
硲は顔面からスープの更に突っ込んで、
テーブルにしたたかに頭をぶつけた。
しばらくして硲はむくりと起き上がると、
黙って眼鏡についたスープをタオルで拭いた。
「何するんだよ……」
「あんたね、いつも言ってるでしょ。
女の子には優しくしなきゃ駄目って。
分かってないでしょ、あたしが言ったこと」
「あいつに優しくする義理はないよ」
「それ! アンタのそういうところ、あたし嫌いだな」
指差されて、硲は衝撃を受けたように口をつぐんだ。
811 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:23:35.08 ID:bDf9OSPn0
そして少女に向かって頭を下げる。
「ごめんなさい」
「ちゃんと謝れるようになったね、えらいえらい」
涙にグリグリと頭を撫でられ、
硲はスープまみれの顔で少し嬉しそうに口角を緩めた。
その三文芝居を呆れたように見て、
更紗が少女に向かって口を開いた。
「本当に分かっていないのかえ?
たばかっていたら、承知せぬぞ」
「更紗、本当だ。この子はおそらく嘘はついていない」
「ににさまはどうしてそう、お人よしなのですか」
「勘だ。そして俺の勘は外れたことがない」
ニィ、と笑って、泉は立ち上がると、
少女の頭に手を置いて言った。
812 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:24:12.51 ID:bDf9OSPn0
「こいつは俺達の貴重な『味方』になる。
まぁ直感だがな。今日から俺達の家族だ。仲良くしろ」
「か……かぞ…………かぞく……?」
言葉を反芻し、しかし少女は泉にしがみついて訴えた。
「かえ、帰らなきゃ…………帰らなきゃ
…………わた、わたし。子供、達…………」
「…………」
その瞬間、泉は何とも言いがたいような微妙な表情を浮かべた。
その目を見て、少女は悟った。
あぁ。
あの「夢」は、本当のことだったんだ。
嘘じゃ、なかったんだ。
813 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:24:53.18 ID:bDf9OSPn0
ベッドの上に崩れ落ちて、顔面を手で覆った少女を、
息をついて見下ろし、彼は口を開いた。
「時間はある。お前のことは俺達が守る。
だから、ゆっくり現実を受け入れるんだ。
分かるか? 『ゆっくり』とだ。
一気に受け入れちゃ駄目だ。
あくまでゆっくりと、現実を現実だと受け入れろ。
話はそれからだ」
「兄さん、奴ら、来たみたいだよ」
涙がそう言って、泉の肩を叩く。
彼はまるで、
ピクニックにでも出かけるかのような動きで窓を見た。
814 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:25:33.28 ID:bDf9OSPn0
地鳴りのような音がする。
空を埋め尽くすほどの、機動戦艦。
そしてエンドゥラハンの数だった。
「へぇ、戦術級エンドゥラハンが八体に、
機動戦艦が十七個。結構奮発したな」
「ににさま、わらわが行きましょう」
椅子から飛び降りて、更紗が長い髪を床に引きながら言った。
その頭を撫でて、泉は首を振った。
「いいよ、俺一人で」
「あたしも手伝う。流石に兄さん一人だと五分くらいかかりそう」
涙がそう言って、泉の隣でコートを羽織る。
そこで、頭のスープを拭っていた硲が、いいにくそうに口を開いた。
815 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:26:07.52 ID:bDf9OSPn0
「僕が行くよ」
「お前が?」
意外そうに泉が言う。
彼のことを無視して、硲は涙を見た。
「いいでしょ?」
「確かに……いいけど、硲、
あんたエンドゥラハンと戦うの初めてじゃないの?」
「二分くれれば、多分いける」
立ち上がって、硲はポケットに手を入れた
猫背の姿勢でトレーラーの出口に立った。
816 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:26:35.50 ID:bDf9OSPn0
「……分かった。硲に任せよう」
涙が頷く。
「おいいいのか? 硲の力は……」
「いいよ、あたしが保障する」
涙にバン、と背中を叩かれ、硲は頼りなくその場をよろめいた。
「行ってきなよ。少しは男らしいとこ、見せといで」
「……分かった」
頷いて、硲は軽く笑った。
817 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:27:12.47 ID:bDf9OSPn0
*
少女は唖然としていた。
先ほどまで地鳴りのように鳴っていた音が、
一瞬で消えてなくなった。
この寒い中、
Tシャツとジーンズだけで外に出て行った硲が、何かをした瞬間。
空間が閉じるように、
エンドゥラハンと機動戦艦が消えてなくなったのだ。
何……?
何が、起きたの……?
少しして、軽く震えながら硲が戻ってくる。
818 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:27:46.50 ID:bDf9OSPn0
涙が彼にタオルを放って、笑った。
「どこに送ったの?」
「成層圏に投げ飛ばしてきた」
硲がタオルを肩にかけて、ドッ、とその場に腰を下ろす。
それを面白くなさそうに更紗が見て、口を開いた。
「ふん……わらわが出れば十秒で終わっておったわ」
「張り合うな。よくやったな硲。だがあれは第一陣だ。
すぐに第二陣が来る。ここを離れた方がいいな」
泉がそう言って、トレーラーハウスの運転席に座る。
「そうそう、まだ聞かせてもらってなかったな。お前の名前」
彼がそう言って振り返る。
819 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:28:25.37 ID:bDf9OSPn0
少女は、いつの間にか泣いていた。
彼女はしばらくの間顔を手で抑えていたが、
やがて、僅かに発光する左目の眼窟を、泉に向けた。
「…………愛寡…………」
「あいか、か。いい名前だ」
トレーラーハウスが発進する。
愛寡は歯を噛み締めて、言った。
「敵……あいつら…………敵……!」
「そうだ。俺達はあいつらと戦ってる」
泉は軽く横を向いて、愛寡を見た。
そして、また肩をすくめて言った。
「ようこそ、歓迎するよ
……居心地は悪いけどな。当分の間我慢してくれ」
820 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/25(土) 22:29:20.78 ID:bDf9OSPn0
お疲れ様でした。
次回の更新に続かせていただきます。
毎回のご支援ありがとうございます。
これからも、宜しくお願いいたします。
それでは、今回は失礼いたします。
821 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(埼玉県)
[sage]:2012/02/26(日) 18:22:05.03 ID:qkbp8fKDo
乙乙!
822 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:16:27.38 ID:pOQ9sNVj0
こんばんは。
毎回温かいご支援ありがとうございます。
第21話を投稿させていただきます。
823 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:19:09.96 ID:pOQ9sNVj0
21 Hi8対Hi8
荒く息をつき、燐はその場に膝をついた。
「ちょ……ちょっと待ってくださいまし……」
頭を抑えて、頭痛を振り飛ばすかのように首を振る。
首筋が焼けるように痛かった。
もう限界であることを、手を上げて意思表示すると、
彼女に対する「銃撃」が止んだ。
燐は、四方八方を銃座に取り付けられた
ガトリング砲に囲まれていた。
それぞれが銃口から白い煙を発している。
辺りには、ひしゃげた銃弾が数百と散らばっていた。
824 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:19:54.36 ID:pOQ9sNVj0
火薬と、硝煙の臭い。
まぶたに焼け付く臭いに、咳をしてむせ返る。
少し離れたソファーには功刀が座っていた。
彼はチラシのようなものを読んでいたが、
それをテーブルに置いて、コーヒーカップを手に取る。
「ドウした? まだ三時間シカ発砲してないガ」
「殺す気ですの? 魔法力を上げるって、
こういうことですの?」
その場にへたり込んだ燐に、立ち上がって近づき、
功刀は手を伸ばして立ち上がらせた。
「魔法力を上ゲルコとは出来ナイ。
正確に言うト、魔法力のコントロールを、
自分ノ体で掴むという訓練ダ」
825 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:20:34.97 ID:pOQ9sNVj0
「ただひたすら私を銃撃してただけじゃありませんか!」
ムキになって、
顔を真っ赤にして怒鳴る燐を押し留め、功刀は息をついた。
「まァ……コーヒーでも飲メ」
「いりませんわ! そんなドロ水みたいなもの!」
「ドロ水……」
功刀が手元のコーヒーカップを見て考え込む。
既に、燐がこの影の空間に入ってから、二週間ほどが経過していた。
功刀が言うには、外の空間の時間の流れと、影の中は異なるらしい。
影の中は普通よりも早く時間が流れるということだ。
826 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:21:21.46 ID:pOQ9sNVj0
影の中では既に二週間近く経っているが、
外では何時間……といった具合らしい。
どうしてそうなるのか、詳しく説明されたが、
燐にはよく分からなかった。
ただ……毎日、ひたすらガトリング砲で銃撃され、
それを空間を歪めて弾き返すのを繰り返す。
長い時では、一日で五時間近く続けたこともある。
功刀はコーヒーを口につけて、近くの冷蔵庫の蓋を開けた。
そして中からコーラの瓶を取り出し、燐に向かって放る。
燐はそれを受け取って、蓋を開けて口に流し込んだ。
827 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:21:55.98 ID:pOQ9sNVj0
そして功刀に問いかける。
「まだ見つかりませんの? 兄弟って」
功刀は、そう聞かれて首筋のコードを
指でポリポリと掻いた。
「アッチモ、命ガケだからナ。俺達が衝突スレバ、
必ず大惨事ニなる。そうそう簡単ニは手出しをシテハこない」
「ふーん……そういうものですの……」
燐は息をついて、テーブル上のコンピューター前に腰を下ろした。
モニターに、文字が表示される。
『お疲れ様でした。お嬢様』
「ありがとう、里。功刀さん。
いつになったら里に新しい体をくれるんですの?」
828 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:22:34.32 ID:pOQ9sNVj0
物怖じせずに功刀にそう問いかける燐に、
彼は肩をすくめて言った。
「知るカ。そいつが、今までノ体デナケレバ
嫌だトイウンダ。アレだけ壊れテレバ、修復ハ不可能だ。諦メロ」
「里、我侭を言わないで、別の体に入ってくださいまし。不便です」
『ガゼルさんと合流できれば、前の体の修復が可能です。
その時に、意識をダウンロードいたします』
表示された文字を見て、燐がため息をつく。
里は妙なところで強情なところがあった。
前のアンドロイドボディでないと嫌だ、
と功刀に言って、体の修復を頼んだのも彼女だ。
とうの功刀にはそのつもりはないらしく、
今でも、壊れたアンドロイドボディが空間の隅に放置されている。
829 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:23:10.93 ID:pOQ9sNVj0
「……でも、これで大分魔法のコントロールも分かってきましたわ。
前に比べれば、随分上手になったんではないかしら?」
問いかけられ、功刀は軽く肩をすくめた。
そしてまたチラシを手に取る。
「何ですの、その反応」
途端にやる気をなくしたような顔になった燐に、功刀は答えた。
「別に、お前サンを戦闘用ニ改造シタイワケジャナイ。
強くなれ、トは言ってイナイ」
「人をガトリングガンで撃っておいてよく言えますわね」
「ただの修行ダ」
「どうして……」
830 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:23:56.13 ID:pOQ9sNVj0
そこで燐が、功刀の袖を掴んだ。
彼女は息をついて、功刀の体に寄りかかった。
彼はしばらくチラシを見ていたが、
やがてそれをテーブルに置いて、燐の体を粗雑に抱き寄せる。
しばらくそのままで、燐は息をついた。
「どうして
……功刀さんは、私にこんなに優しくしてくれるんですの?」
問いかけられ、功刀は何かを言おうとして口をつぐんだ。
そして、しばらく考えてから、彼女の頭を撫でてやり、言う。
「さぁナ」
「はぐらかさないでくださいまし。
私、ハイエイトと言うのは、もっと恐ろしいものだと思ってました。
でも功刀さんは全然違う。人間なんて食べないし、
いつもコーヒー飲んでるだけですし……」
831 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:24:31.92 ID:pOQ9sNVj0
「お前サンの目の前デハ食ってないダケダ。
それに、俺ハ、半分機械だからナ。
人間を食わなくテモ、ある程度ハ自立稼動スル」
それを聞いて、燐は口をつぐんだ。
そして、功刀が差し出したボトルを見る。
それを受け取り、彼女はしばらく躊躇した後、蓋を開けた。
生臭い香り。
何かが腐ったような臭い。
血液の臭い。
しかし今の燐には、食欲をそそる、
甘美な臭いにしか思えなかった。
ゴクリと唾を飲み、少しずつ喉に流し込む。
先ほどのコーラとは段違いの旨みが口の中に広がる。
832 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:25:15.07 ID:pOQ9sNVj0
たまらず一気に五百ミリほど飲み干し、
燐はテーブルの上に、空のボトルを置いた。
「……ソレでいい」
頷いた功刀を、血まみれの口で見上げ、燐は言った。
「私も……もう、こうしなきゃ生きていけないんですよね?」
「分かってキタジャナイカ。最初ハ、あんなに嫌がってタクセにな」
「二週間もすれば慣れますわ……」
そうは言ったものの、燐の目には、まだ僅かな戸惑いがあった。
血液。
人体の一部。
それを「美味しい」と感じてしまうことの罪悪感。
それが「必要だ」と体が欲してしまうことに対する戸惑い。
833 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:26:04.06 ID:pOQ9sNVj0
功刀は、また心細げに抱きついてきた燐の頭を、
クシャリと撫でて小さく笑った。
「何……『餌』がグレードアップしたと考えレバイイ」
「そう割り切れるまでには、まだ時間が必要ですわ……」
「割り切レ。そうじゃないと、ヤッテイケン」
功刀はそう言って、またチラシに視線を落とした。
「さっきから何を見ていますの?」
燐もそれを覗き込む。
そこに掲載されていた写真を見て、彼女は小さく息を飲んだ。
それは、大小さまざまの、人間の死体が細切れになった写真だった。
それが絨毯のように折り重なっている。
834 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:26:35.95 ID:pOQ9sNVj0
スナッフを扱う裏ルートの新聞の、一部だった。
「さっき外に出タ時ニ拾ってきテな」
「何……ですの、これ……」
絶句して、燐が口元に手を当てる。
「こんな殺し方ハ、魔法使いジャナキャできん。
それに、この殺しカタは、よく知ってイテな」
「どこで……」
「すぐ近くダ」
チラシを畳んでポケットに仕舞い、功刀は燐を抱き寄せた。
最近では、功刀に抱かれながら眠るのが、燐の日課になっていた。
今までは里がその役目をしていたのだが、
彼女は今、それをつとめることが出来ない。
835 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:27:09.12 ID:pOQ9sNVj0
少し経った時、不意に功刀に、寝ぼけて抱きついた時があった。
彼は少し面食らったようだが、別段嫌がるそぶりはなかった。
それからエスカレートして、今に至る。
功刀はソファーによりかかり、首の骨を鳴らした。
「功刀さんは、寝ませんの?」
不意に問いかけられ、功刀は軽く首を振った。
「俺ハ、三百年前から、一度も寝てイナイ。
アンドロイドハ、基本寝ナイ」
「疲れませんの?」
「ここでボーッとしてると、大概ノ疲れハとれる。
外と、時間感覚モ違うシナ」
「…………」
836 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:28:39.48 ID:pOQ9sNVj0
燐は功刀のコートに顔をうずめて、目を閉じた。
「お父さんの匂いがする……」
それを聞いて、功刀は小さく喉を鳴らして笑った。
燐の頭を撫でてやりながら、彼は口を開いた。
「俺ハ、お前ノ父親ジャない」
「知っていますわ。もののたとえですわ」
「たとエ?」
「ええ、たとえですの」
それ以上言わずに、燐はやがて、スゥスゥと寝息を立て始めた。
起こさないように気をつけているのか、
功刀は首だけを曲げてモニターに視線をやった。
837 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:29:06.00 ID:pOQ9sNVj0
『功刀さん、あなたに質問があります』
里が文章を送って寄越す。
功刀は小さくそれに答えた。
「何ダ?」
『燐お嬢様を、ここまでサポートしてくださる理由が、
私にもよく分かりませぬ。何か、目論見があるのですか?』
「目論見……?」
意外そうにそう答え、功刀は目を丸くした。
そしてクックと喉を鳴らしてから、それに答える。
838 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:29:34.66 ID:pOQ9sNVj0
「そんなものはナイ」
『では何故?』
「敢えて言うナラバ、更姉の、忘れ形見ダカラダ」
『と、申しますと?』
「それ以上の意味ハナイ。ソレニ……」
彼は燐の頭をまた撫で、言った。
「少しくらい、話し相手ガイテもイイダろうと思ッテな」
839 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:30:08.20 ID:pOQ9sNVj0
*
燐が目を覚ました時、功刀は変わらずに彼女の頭を撫でていた。
燐は少しの間寝ぼけ眼だったが、
やがてクシャクシャになっている髪の毛を、赤くなって直し始めた。
それを見て手を止め、功刀は燐の体を抱え、脇に置いた。
そして立ち上がる。
「功刀さん、どこに?」
不安そうに問いかけられ、功刀は答えた。
「外ニな」
「私も行きます」
それを聞いて、彼は意外そうに燐を見下ろした。
「ヘェ……」
840 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:31:07.11 ID:pOQ9sNVj0
「私、少しは魔法も使えるようになりましたし、
少しは役に立てますわ。それに……」
燐は少し表情を暗くして、呟くように言った。
「虹さんを、止めてあげたいですの
……功刀さん、話し合えば分かってもらえますわ」
「既にソノ段階ハ、過ぎテル。
話し合ッテ分かる問題ナラ、更姉ハ殺されずニスンダ」
それを聞いて、燐はぐっ、と言葉に詰まった。
しかし功刀は、燐の肩を掴んで立たせてから、
彼女のコートを手で直した。
「マァ……だが、気分転換ニは丁度イイダロウ。ついて来イ」
「……はい!」
途端に顔を輝かせて、燐が頷く。
841 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:31:47.03 ID:pOQ9sNVj0
それをしばらくの間見つめて、功刀は彼女に手を差し出した。
「何ガアッテも、俺カラ手を離すナ。分かったナ?」
「分かりましたわ。子供扱いしないで欲しいですの」
「…………」
無言を返し、功刀は燐の手を掴んだ。
そして、ゆっくりと影の空間の中から、浮き上がっていく。
数秒後、燐と功刀は、トプリと音を立てて、
影の中から、路地裏にせり出していた。
一瞬、ゆっくりとビデオテープを再生しているかのように、
周囲の景色が歪んだ。
それが錯覚だと気付き、
目をしばたたかせるより先に功刀が足を踏み出す。
842 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:32:21.57 ID:pOQ9sNVj0
影の中では、時間の流れが早くなる。
つまり、外の時間は影の中よりも遅いというわけだ。
一瞬、自分が「早く」感じたのはそのせいだった。
人が沢山いる。
見た目は、凄く整備された
ドームの裕福層が住んでいるエリアに見える。
人ごみの中にまぎれた功刀に、
子供のようにちょこんと脇についていきながら、
燐は彼の歩調に合わせて早足で歩き始めた。
そして問いかける。
「ここはどこですの?」
「サバルカンダの上層ダ。教えたダロウ。
外に出タラ、マズ何をスル?」
それを聞いて、燐は慌てて目を閉じて、意識を集中した。
843 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:32:59.13 ID:pOQ9sNVj0
『オドス』を感じる。
漠然とそう教えられていただけだったのだが、
実践してみると、その難しさがよく分かった。
周囲に無数の小さな『気』があるように思える。
一瞬それに圧倒されてクラッとよろめく。
それを支え、功刀は燐に問いかけた。
「ドウだ?」
「わ……分かりません
……何だか、とても沢山の、魔法使いがいる気がして……」
「ソコまで感じられれば、上出来ダ」
「え?」
「確かに、サバルカンダの上層にいるノは、全て魔法使いダ。
俺の姉、愛寡ノ核に感染シテル。魔法は使えないガ、
微弱ノ魔力ハある。いわば『魔法使いモドキ』ダ」
844 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:33:34.58 ID:pOQ9sNVj0
「全員……魔法使い……?」
その言葉を反芻し、燐は周りを見回した。
赤ん坊の蒸し焼き。
血液の入った自動販売機。
死臭。
腐臭。
人間の、焼ける臭い。
腐った臭い。
呆然として、傍らの功刀にすがりつく。
「大丈夫ダ。お前サンも魔法使いダロう」
「私……私、違う。違いますわ……」
845 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:34:13.44 ID:pOQ9sNVj0
首を振る燐の頭を撫でて、功刀は軽く喉を鳴らして笑った。
「いいや違ウ。魔法使いダ」
「私は……」
「……先日、俺ノ従者ガ二匹、やらレタ」
歩きながら唐突に喋りだした功刀に、
慌てて追いついて燐が彼の手を握る。
「従者って……功刀さん、誰か連れてきていたんですの?」
「俺は基本、単独行動ヲしてる。
ガ、二百年前カラ共ニいた従者が、
二匹イタ。殺さレタ。正直、面白くハナイ」
「虹さんですか……?」
問いかけられ、功刀は前を見たまま言った。
846 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:34:42.13 ID:pOQ9sNVj0
「違うナ」
「え……?」
「レ・ダードの起動モ確認デキてイナイ。
アレなしであいつらを殺スのは、相当な骨ノ筈ダ」
「じゃ……じゃあ、誰が……」
「分かラン。若しクは、何らかノ、
俺が知らナイ方法で殺したカ……それか」
功刀は足を止めて、くぐもった声で言った。
「……イヤ、何でもナイ」
「気になりますわ。仰ってくださいまし」
「…………」
847 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:35:08.96 ID:pOQ9sNVj0
「功刀さん?」
「……このドームに、『龍』ガ、二匹イル」
「龍……?」
「生物兵器ダ。トテモ危険ナ。
俺達が根絶サセタつもりダッタが、生き残りガイタ」
功刀は燐の手を引いて、横道に入った。
「そのオドスを感ジル」
「敵……ですか?」
「分かラン」
「もし、遭ったら……戦闘になるんですの?」
848 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:35:45.31 ID:pOQ9sNVj0
「既に一匹トは交戦シタ。カナリ強い。
殺しハシナカったガ……覚醒すレバ、
ハイエイトクラスと言ってもイイ」
「覚醒……?」
「お前サンは、シラナクてもいいコトだ」
功刀は端的にそう言うと、
雰囲気がかなり暗い、路地裏に足を踏み入れた。
屋台がいくつか出ているが、今までとは雰囲気が違う。
スラム街だ。
こんな高級住宅街の隣にあるとは思わなかったが、
燐はそれを知っていた。
「そ、その『龍』が、あなたの従者を殺したんですの?」
「違ウ。現場に残ってイタ、オドスの流れが異なッタ。
ヤッタとすれバ、オソラく別の龍ダ」
849 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:36:23.17 ID:pOQ9sNVj0
「別の……」
「魔法兵器ハ、破壊すル。それはオレたちの取り決メだ」
「殺すんですの……?」
「そのツモリだ」
功刀はそう言って、
燐を抱き寄せて自分のコートで隠すようにして、
近くの屋台に近づいた。
粗雑に新聞が並べられている。
そこに金貨を放って
「一番アタラしいヤツをクレ」
と言う。
850 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:36:57.19 ID:pOQ9sNVj0
中の老婆は、麻薬でもやっているのか、
よだれを垂らしながらしばらく呆然としていたが、
やがてのろのろと手を伸ばして、功刀に新聞を差し出した。
その時に燐を見たが、
燐はその視線から逃げるように、功刀のコートに隠れた。
「何個カ、調達シタイモノがアル」
新聞を読みながら、功刀は雑多としたスラム街を歩き出した。
「何ですの?」
「お前ノ連れノ、パーツダ」
それを聞いて、燐の顔がパッ、と明るくなった。
「本当ですの?」
「アア。イツまでも積み上げてオクのは、邪魔ダ。景観をソコネル」
そう言って功刀は、更に奥に足を踏み入れた。
851 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:37:36.44 ID:pOQ9sNVj0
しばらく歩き回り、
燐にはただのゴミ山にしか思えない場所から、
人を使って機械の部品を探していく。
いつの間にか、投影太陽は正午の位置にまで上がっていた。
「コレくらいデいいダロウ」
「早く里を直してくださいまし」
「まァ待て。『食事』をシテからデモ……」
そこまで言って、功刀は途端に体を走ったゾッとする感覚に、
思わず傍らの燐の体を掴んで、自分の背後に庇った。
「燐、伏せロ!」
急に怒鳴り声を上げられ、燐は慌ててその場に伏せた。
852 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:38:16.39 ID:pOQ9sNVj0
遅れて燐の頭に、何か形容しがたい、
ドス黒い怨念のようなものが……粘りつく、その感覚が広がる。
ゾッとした。
体に走った悪寒は、燐にとって産まれて初めてのものだったが、
何だったかと形容すれば「そうなる」だろう。
それほど未知の悪寒だった。
何か邪悪な……。
邪悪すぎて形容のしがたい……。
そこまで考えた時、燐を庇って振りかぶった功刀の腕を、
「何か」が凪いだ。
ジュッ、という音がして、その「何か」が通過した部分の、
功刀の腕が「消滅」した。
文字通り、消えてなくなったのだ。
853 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:38:53.47 ID:pOQ9sNVj0
それは、レーザー砲に似ていた。
黒い光だった。
相当遠距離から狙っていたらしく、
黒い光は、近くの瓦礫の山に突き刺さり、
その射線上の物体を全て消滅させ、直径二メートルほどの穴を開けた。
功刀の後ろで、ガレキ漁りをしていた少年達の一人の、
頭が消し飛ばされて消えてなくなる。
血の雨を降らせて倒れた少年を横目で見てしまい、
燐は耳を押さえて悲鳴を上げようとして
……功刀の残った手で口を塞がれた。
功刀は燐を残った手で抱えると、猛烈な勢いで走り出した。
「馬鹿ナ……レ・ダード光の狙撃だト……?」
「何が起きましたの!」
「狙撃だ、第二射ガクル!」
854 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:39:42.58 ID:pOQ9sNVj0
功刀は近くのテントを軽々と飛び越え、
転がるようにしてスラム街の出口に向けて走り続けた。
「影の中に逃げられませんの! 私が跳ね返して……」
「レ・ダードの光ダ! 魔法は全テ無効化サレル! 死にタイノカ!」
怒鳴られて、燐は思わず功刀の体にしがみついた。
意味は分からない。
分からないが
……今が、のっぴきならない状況だということくらいは、
彼女にもよく分かった。
功刀はそのままスラム街の出口に向かって走り続け、
人ごみにまぎれようとして……。
丁度、彼が向かっている場所に、
白髪の、眼鏡をかけた青年が立っているのを見て、急いで動きを止めた。
彼の瞳が真っ赤に染まり、彼の体から伸びている影が、全てざわついた。
855 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:40:15.96 ID:pOQ9sNVj0
青年は、スナイパーライフルのようなものを持っていた。
その底部は、何かチューブのようなもので、
青年が背負っている巨大なタンクに接続されている。
波のようにさざめきたって走ってきた影を見て、
彼はライフルの銃口を影に向けた。
そこからドパァッ! と奇妙な音を立てて黒い光が放出される。
そこに当たった影は、白い光になって空中に散った。
飛び退った青年の姿が消えた。
まるで蜃気楼のように、残像を残して、その場からいなくなる。
「随分なご挨拶だね、功刀」
背後から声をかけられ、功刀は燐を抱いたまま、
弾かれたように振り返った。
856 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:40:48.89 ID:pOQ9sNVj0
その影がざわついて、吹き飛んだ腕を構成する。
それに伴って、腕がコートごと再生した。
青年は、数十メートル離れたビルの屋上に、座っていた。
肩にライフルを担いでいる。
彼は眼鏡をくいっ、と指先で上げると、
息をついて功刀を見下ろした。
「久しぶりに会った相手だから、躊躇したのか?
魔法展開までゼロコンマ三秒……止まって見えたけど?」
「硲……!」
押し殺した声で功刀は言って、燐をコートの端に隠した。
彼にライフルの銃口を向けて、硲と呼ばれた青年はクックと笑った。
857 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:42:10.29 ID:pOQ9sNVj0
「いいだろこれ。作ったんだ。
組成的にはレ・ダードと同じ物質を撃ち出す。
安心しろよ。今の製作段階じゃ、二発が限度なんだ」
背中のタンクを脇に放り投げ、硲はライフルを投げ捨てた。
そしてポケットからビー球を出し、
軽く放りながら、馬鹿にしたように功刀と、脇で震えている燐を見る。
「何だ、新しい従者はもう見つけたのか」
「殺ス……!」
歯軋りをして右手を突き出した功刀に、
硲は同じように右手を突き出して、笑った。
「ハハ、話が早くて助かる。その様子だと全部分かってるみたいだな」
「燐、絶対ニオレから離れるナ!」
功刀は、問答するつもりはないのか、
燐に怒鳴ってから右手を強く振り下ろした。
858 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:42:44.94 ID:pOQ9sNVj0
丁度、何かを手で裂くような動作だった。
功刀の長く伸びた影が同じような動作をして、
硲が立っていたビルの影をウェハースのようにちぎる。
現実の世界でも、同じようなことが起こった。
コンクリートが一人でに音を立ててひしゃげ、
数十メートルはあるビルが、ベロリとバナナの皮のようにめくれる。
「ガァ!」
功刀は一言叫ぶと、右手だけで何か、
凄まじく重いものを投げ飛ばした。
ビル一つが宙に浮いた。
何の誇張もなく、一つのビルが根元から千切れ、硲ごと宙を飛んだ。
数百メートル離れた街の中心街に、ビルが突き刺さる。
859 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:43:11.27 ID:pOQ9sNVj0
悲鳴。
断末魔。
建物の倒壊する音。
土煙。
砂。
爆炎。
轟音。
街の一部のガスタンクにでも引火したのか、
凄まじい炎が吹き上がった。
そこで功刀は、足元の影に手をかけた。
「ゼァア!」
また叫んで、力任せに引きちぎるような動作をする。
功刀の影が、足元の影を大きく引き裂いた。
860 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:43:46.58 ID:pOQ9sNVj0
途端、ドームの地面が割れた。
巨大なクレバスが燐の目の前に、
お菓子を引き裂くように広がっていく。
実に数キロ……正確には三キロ程も地割れは続くと、
その射線上にあった建物や人、全てを飲み込んで、
轟音を立てて崩れ始めた。
わけが分からなくなり、
功刀にしがみつきながら燐は悲鳴を上げた。
「何をしてるんですの! 人が……人がいるんですよ!」
「構うカ! 気を抜くナ、殺さレルゾ!」
まだ硲が生きている、とでも言わんばかりの声だった。
そこで燐は、またゾッとするような感覚を頭の奥で感じた。
861 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:44:21.56 ID:pOQ9sNVj0
「右から来ます!」
そう叫んで、功刀の体を掴んで、引き倒す。
大魔法使いが僅かによろめく。
その、今まで彼の頭があった場所を、黒い光が走った。
「チィィ!」
舌打ちして、功刀は燐を抱えたまま何度かバク転をして、
後ろに飛び退った。
また、少し前に功刀がいた場所に黒い光が突き刺さり、
眼下に抜ける。
「へえ……」
右の方から、声が聞こえた。
862 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:45:00.45 ID:pOQ9sNVj0
また、違うビルの屋上に別のライフルを持った硲が立っていた。
「随分といい従者を持ってる。羨ましいな」
ライフルを投げ捨てて、彼は笑った。
「まぁ、持ってきたのは一丁だけとは、一言も言ってないけどな。
すまん。安心させたかな? それよりも……いいなそれ」
指を伸ばして、猫背の姿勢のまま硲は燐を指さした。
「くれよ。ああ、僕は謙虚だからお下がりでいい」
裂けるのではないか、と思うくらいに口を広げて、硲は笑った。
「死んだ後でいいからさ」
863 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/02/26(日) 22:46:17.54 ID:pOQ9sNVj0
お疲れ様でした。
次回の更新に続かせていただきます。
3月から仕事が変わりますので、更新頻度が落ちると思われます。
長い目でお付き合いいただければ嬉しいです。
それでは、今回は失礼します。
864 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2012/02/27(月) 18:39:46.66 ID:G2stWdTto
おつおつ
865 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2012/03/07(水) 22:24:43.61 ID:r3b8RMnIO
続き気になる!
忙しいかもしれませんがこちらも更新お待ちしてます!!
>>1
さんの世界観好きですよ
(暮らしたくないけど…)
866 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/10(火) 19:14:02.13 ID:Q8aXiuZ90
こんばんは。
大変長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。
仕事が変わりまして、あまり余裕がない生活のため、
停滞してしまっていてご迷惑をおかけします。
近いうちに続きを更新させていただきます。
気長にお待ちいただけますと幸いです。
完結までは必ず書きますので、
どうかお付き合いくださいね。
宜しくお願いいたします。
867 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:14:26.76 ID:ur+gV4mt0
こんばんは。
長らくおまたせしてしまい、申し訳ありませんでした。
いろいろと一段落しましたので、更新を
再開させて頂きたいと思います。
新規の方も、前スレからの方も、その他からの方々も、
どうぞ宜しくお願いいたします。
救いのない悲しいお話、
最後までお付き合い頂けましたら幸いです。
それでは、続きが書けましたので投稿させて頂きます。
868 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:17:39.48 ID:ur+gV4mt0
22.成層圏を見るか
「あの人……何言ってるんですの……?」
燐が呆然として口を開く。
硲はクックと喉を鳴らして、
面白そうに燐を見た。
「金髪か。なぁ功刀。
お前もその趣味があったとは驚きだよ」
「燐、下がっテロ」
「功刀さん、私も戦いますわ……私も……」
「下ガレ!」
怒鳴られて、燐は功刀の手を掴んだまま
一歩、二歩と後ずさった。
その様子をゆるりと見た、硲の姿がまた消えた。
869 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:18:12.75 ID:ur+gV4mt0
遠くで爆音が聞こえる。
悲鳴、断末魔。
人の、声。
何かの崩れる音、爆発する音、
吹き荒れる砂煙。
「この、ロリペド野郎が」
不意に、いきなり背後から声をかけられ、
功刀は慌てて振り返った。
その頬に、硲が無造作に突き出した拳がめり込む。
パァンッ、と空気を切る音がした。
ただ拳を突き出しただけだ。
しかし拳は、一瞬ともいえる速度で、
功刀が反応できないほどの動きをして
彼の頬に突き刺さっていた。
870 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:18:51.76 ID:ur+gV4mt0
功刀がとっさに燐を抱きかかえて、
きりもみに回転しながら宙に浮いた。
首がありえない方向に曲がり、
巨大な彼の体がいとも簡単に
数メートルも浮き上がる。
そのまま功刀は、地面に背中から叩きつけられた。
信じられないほどの衝撃だったらしく、
彼はガハッ、と息をついて、
口から、大量の血液とオイルを垂れ流した。
「功刀さん!」
彼に庇われる形で、無傷で落下していた燐が、
慌てて、四つんばいになった功刀の背中をさする。
「しっかりしてくださいまし!
な……何が起きたんですの?」
硲が面白くなさそうにそれを見て、
ヒュンヒュンと腕を振る。
871 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:19:31.42 ID:ur+gV4mt0
「意外そうな顔だな、功刀」
荒く息をつく弟を見下ろして、
硲は彼の前に歩いてきて、しゃがみこんだ。
「お前の前で肉弾戦をするのは、
初めてのことだからな。知らないのも無理はない。
ほら、お前の大好きな肉弾戦だ。
射程圏内に入ったぞ。やれよ」
挑発的に頬を突き出す硲。
その前に、燐が、功刀を庇うように
して立ちふさがった。
「……何、お前」
心底興味がなさそうに硲が言う。
燐は恐怖で震えながら、必死に言葉を搾り出した。
「わ……私が……相手ですわ。
功刀さんは、やらせませんわ……」
872 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:20:26.78 ID:ur+gV4mt0
「へぇ」
硲の姿が消えた。
「え……?」
ポカンとした燐の背後……
丁度起き上がろうとした功刀の脇に、
硲が蜃気楼のように歪んで出現する。
「でも生憎、生きてる女は間に合ってるんだ」
またパァンッ! という空気が鳴る音がした。
功刀の首が、また別方向に曲がり、
彼が何度か地面をバウンドして、
滑ってから止まる。
唖然としている燐を見て、
硲は手をプラプラとさせながら言った。
「全く、足手まといを持つと苦労するな。
お前も、兄さんも。
そういえば、あいつも金髪だったなぁ!」
873 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:21:05.23 ID:ur+gV4mt0
「…………」
ギリ……と歯を噛んで功刀が立ち上がる。
それを横目に、硲が手を伸ばして、
燐の首を掴んだ。
そして両手で締め上げ始める。
「な……何……するんです……」
口から言葉を搾り出した燐の顔色が変わった。
細い男の力とは思えない程の勢いで、
急に締められたのだ。
「はは……ははは! 使えないよなぁ魔法!
お前の魔法は広範囲を射程圏にするからな!
こんな足手まといがいたら、逃げられないよなぁ!」
燐に体重をかけて首を絞めながら、
硲は狂ったように怒鳴った。
874 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:21:40.99 ID:ur+gV4mt0
「まだだ! まだこんなもんで
死んでもらっちゃ困る。
もっといけるだろ?
ほらもっと頑張らないと本当に死ぬよ?
いやでもここで死なれたら悲しいな、
勝手に死んだら殺すからな!
いいか、殺すからな!」
「か……あ……」
歪んできた視界で、
必死に功刀に向けて手を伸ばす。
功刀は瞳をワインレッドに
発光させながら立ち上がった。
「燐ヲ離セ……」
「嫌だね!」
燐を軽々と振り回して、硲は笑い声を上げた。
875 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:22:20.59 ID:ur+gV4mt0
「僕が一番嫌いなのは金髪と
ロリペド野郎なんだよ!
てめぇらのようななあ!」
功刀の影の形が変わった。
彼が懐に手を入れ、照明弾のついた短銃を取り出す。
功刀の影は、まるで猛獣のような形に変わっていた。
それに伴って、功刀の体が上半身だけが
膨れ上がったゴリラのような体型に変化を始める。
コートを破り散らしながら、
身長三メートルほどもある怪物に変身し、
功刀は目を光らせながら、地面を蹴った。
硲が、拳を視認できないほどの速度で
突き出した功刀の前で、燐を持ち上げる。
パッ、と燐から手を離し、
彼は拳を一瞬止めた功刀を見て、笑った。
876 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:22:58.11 ID:ur+gV4mt0
「遅いよ」
パァンッ! と空気が鳴った。
功刀の腹部に拳が突き刺さり、
肘までが埋まっている。
それを音を立てて引き抜くと、
中から大量の血液とオイルが流れ出した。
「再生させると思うかよ」
うなるように言った硲を見て、
よろめいて、功刀は照明弾を打ち上げた。
その瞬間。
硲は、燐を掴んで、功刀の肩に手を置いた。
「ポン」
彼が軽く呟く。
功刀の目が、しまった、という風に見開かれた。
877 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:23:32.86 ID:ur+gV4mt0
照明弾が炸裂するよりも先に。
彼らは、一瞬後、太陽の光が煌く、
雲の遥か上空にいた。
「成層圏を見るか?」
あざけるように、硲が言う。
一瞬後、気持ち悪い浮遊感の後に、
彼らは凄まじい勢いで落下を始めた。
功刀が青くなって辺りを見回す。
そこは、空だった。
しかし何に阻まれているわけでもない。
ただの純然たる空だ。
本物の太陽。
雲は遥か下だった。
878 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:24:15.64 ID:ur+gV4mt0
風を切って落下しているため、
燐には何の音も、光景も見えなかった。
そこは、「影」が出来ない空間だった。
少し離れた場所を自由落下していた硲の姿が消える。
一瞬後、彼は功刀に肉薄していた。
「僕は『距離』を消すことが出来るんだ。
あの世で兄さんに会ったら、教えてあげてくれよ」
「…………!」
「グッバイ。功刀。本気で喧嘩したのは、
久々だから楽しかったよ」
彼の腕が掻き消え、空気が鳴った。
腕を振り上げておろす。
その衝突までの「距離」をゼロにする。
879 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:25:02.11 ID:ur+gV4mt0
衝突の威力は、距離と速さに二乗する。
異常なまでの硲の拳の強さは、それが答えだった。
硲の拳が、功刀の腹を貫通する。
いくつもの空気の渦が破裂し、功刀の体が、
弾丸のように下に向かって吹き飛んだ。
また硲の姿が消えて、燐の脇に出現する。
彼は燐を軽く抱き上げると、一瞬後、
功刀が落下してクレーター状になった吹雪の、
氷の上に立っていた。
硲に投げ捨てるように降ろされ、
燐はぐちゃぐちゃの肉塊のように
なっている功刀を見て、息を呑んだ。
そしてよろよろとそれに向かって近づく。
「功刀さん……?」
功刀は、動かなかった。
880 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:25:56.02 ID:ur+gV4mt0
硲が背後から近づいてきて、
燐の首を掴んで自分の方を向かせる。
「さて、さっきの続きをしようか」
何でもないことのように言った硲の手を掴んで、
燐は歯を噛んで、くぐもった声を発した。
「どうして……弟なんでしょう……?
どうしてこんなこと……」
「こいつは、僕がやろうとしてたことを
全部知ってた。
更紗って……知ってるだろ?
そいつがスカをしてね。
僕の情報をネットに流しちまったんだよ。
知られちゃ困るからさ。
だから消しにきた。それだけ」
「う……あ……」
ギリギリと首を絞められる。
881 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:26:38.91 ID:ur+gV4mt0
燐は体を痙攣させながら、
功刀に向かって手を伸ばした。
殺される。
間違いなく、自分はここで殺される。
そう思ったときだった。
功刀の、グチャグチャにつぶれた手が動き、
硲に向けて手に持っていた
照明弾の銃弾が撃ち出された。
「何……まだ生きて……」
驚いたように呟いた硲の胸に
照明弾が突き刺さる。
一瞬後、硲が反対方向に吹き飛ばされ、
周囲を、炸裂した光が吹き荒れた。
882 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:27:14.40 ID:ur+gV4mt0
燐がその光に目を焼かれそうになり、
膝をついてか細く息をしながら、目を覆い隠す。
彼女の襟首を、不意にスクラップ状態に
なった功刀が掴んだ。
「逃がすか!」
硲の怒鳴り声がする。
しかし功刀は、燐の背中から伸びた影に、
頭から自分の体を突っ込んだ。
燐も、まるでそこが沼であるかのように
体が沈み込んでいく。
硲の顔が見えた気がした。
一拍後、燐は、功刀の影空間の中にいた。
883 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:27:53.45 ID:ur+gV4mt0
*
「功刀さん……! 功刀さん!」
首筋に青あざが浮いた燐が、
必死に功刀の残骸を揺らしている。
功刀は小さく呻いて、目を開いた。
「逃げらレタの…………カ……?」
「功刀さん! ご無事でしたの!」
「無事デハ…………イ。
俺…………レテ、イケ…………」
「何を言っているのか分かりませんわ。
ここはあなたの影空間ですの。
何をしたらいいんですの?
教えてくださいませ!」
「俺…………コあ…………レテ……ケ……」
「功刀さん!」
884 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:28:36.53 ID:ur+gV4mt0
悲鳴に近い声を上げた燐を見上げ、
功刀は震える手を、
里が入っているコンピューターに向けた。
燐は思い出した。
功刀が、自分のことを、
里と同じようなデータ生命体だと
言っていたことを。
慌てて功刀の体をコンピューターの前に
引っ張っていき、激しく息をつきながら、
燐はコンピューターから延びているコードを手に取った。
「ど……どうすればいいんですの……?」
「首…………ザザ…………ゲロ。繋げロ…………」
「分かりました!」
頷いて、燐はコードの色と功刀の首筋と
思われる場所のプラグに、
その色を当てはめて差し込み始めた。
885 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:29:22.82 ID:ur+gV4mt0
「カカ…………システム
…………ブレクション………………」
功刀が小さく言って、ガクリと首を垂らす。
「功刀さん!」
絶叫して、燐は功刀の体に追いすがった。
そこでモニターに電源が入り、
里からの通信が入った。
『ご安心ください、お嬢様。間一髪でしたが、
功刀さんの意識は、こちらで保護しました』
「里!」
モニターにすがり付いて、燐は途端に
安心したようにへたり込み、泣きはじめた。
「良かった……私のせいですわ……
私が、ついていきたいなんて言ったから
……だから、功刀さんは魔法を大々的に
使えなかったんですわ……」
886 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:30:14.53 ID:ur+gV4mt0
「それは違う。全ては、俺の油断が招いたことだ」
そこで妙にクリアな功刀の声が聞こえて、
燐は弾かれたように顔を上げた。
「功刀さん!」
「体が、手ひどくやられた。
今はモニターのスピーカー機能で
お前と話をしている」
「生きていたんですの……
良かった……本当に……」
「教えただろう。基本的に、元データが詰まっている
核を壊されれば死ぬが、それ以外の外傷で、
俺は死なない。
あのまま核を消滅させられていたら危なかったが、
お前の影に入り込めたから、助かった。ありがとう」
「そんな……お礼なんていいですわ……本当に……」
887 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:30:49.42 ID:ur+gV4mt0
「俺の体をもう一度構成するだけの魔力がない。
しばらくは、仮の姿でいることにする。
当然魔法は、しばらくの間使えない」
そういった功刀の体から、ゴポリと音を立てて、
何かビー球のようなものが競り上がった。
コードがすべてそこに刺さっている。
一瞬後、影空間の一部が形を変え、
ビー玉を包み込み、少女の腕にはめるには
少し無骨な腕時計の形になった。
「原始的だが、これでいい。はめろ」
命令されて、燐は床に転がった
腕時計を手に取った。
スピーカーがついていて、
そこから功刀の声が聞こえる。
888 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:31:21.59 ID:ur+gV4mt0
「あなたの核が……この中に納まっていますの?」
「そうだ。これからは、お前に俺の身を
守ってもらうこととする。
一時的だが、ここをすぐ離れる。
お前の連れ……里とか言ったな。
お前もついて来い」
『了解しました』
「俺のコートの中に、通信素子がある。
その中に里のデータをダウンロードしろ」
燐が、功刀が言うとおりにコンピューターと
携帯型の通信素子を繋げて、
その中に里のデータを高速でダウンロードする。
「急げ。俺の魔力が尽きたことから、
この空間も直に消滅する」
889 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:31:58.36 ID:ur+gV4mt0
功刀の声に急かされ、
燐は飛び出しそうな鼓動を
無理やり押さえつけ、唾を飲み込んだ。
「……分かりましたわ。
どこに行けばいいんですの?」
「俺の姉、愛寡に会う。
俺一人では、硲を倒すのに骨だ。力を借りる」
「貸してくれますの……?」
不安げに呟いた燐に、
功刀は少し押し黙った後言った。
「貸させる。俺だけの問題ではない」
890 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:32:39.11 ID:ur+gV4mt0
*
両腕が吹き飛んだマルディが、
地面を滑りながら着地する。
途端、彼を包んでいたもったりとした
空間が元に戻った。
爪のトカゲのような体が、
きりもみに回転しながら吹き飛んでいき、
一つ、二つ、三つとビルを
貫通して向こう側に抜ける。
遅れて、貫通された廃墟ビルが倒壊を始めた。
マルディは、口の端から涎をたらしながら、
荒く息をついていた。
体中の鱗が真っ赤に焼けている。
遅れてそれが、ガランガランと
音を立てて落ちていく。
891 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:33:11.72 ID:ur+gV4mt0
変身の有効時間が経過してしまったのだ。
しかしマルディは、両腕がない状態で、
体を固めた。
まだ、奴の臭いは途切れていなかった。
臭い。
腐臭。
汚臭。
生命の危機を告げる、臭い。
しかしまだ生きている。
止めを刺さなければ。
俺と、カランのために。
カランのために。
892 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:33:52.84 ID:ur+gV4mt0
また力を集中しようとして、
しかし体に力が入らずに膝をつく。
そこで、数百メートル離れたガレキの中から、
それを押しのけて白いトカゲ人間が立ち上がった。
体中が妙な方向に曲がっていて、
壊れたマリオネットのようだ。
しかし、それはパキ……パキ……と音を立てて、
瞬く間に「再生」をはじめた。
数秒後、背中を丸めた白いトカゲ人間が、
ガレキの上に立ってマルディを睨みつけていた。
(再生だと……? そんな力、俺にはないぞ……!)
「カアアアアアア!」
また、奇妙な声を上げて相手が
白い塊を口から撃ち出す。
893 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:34:36.52 ID:ur+gV4mt0
それを避けようとして失敗し、
マルディはゆっくりと近づいてくる
反物質の塊を目で見た。
死ぬ。
周囲を消滅させながら
吹き飛んできたそれを、ただ見る。
そこで、マルディは髪の毛をつかまれ、
凄まじい力で上に引っ張り上げられた。
間一髪で反物質砲から逃れ、
マルディの体が高速で宙に浮く。
「何してるんだ! 反撃できないのか!」
ガゼルの声が聞こえ、マルディは、
鱗が半ば剥がれた顔で、
自分を引っ張り上げながらエアバイクを
操縦している虹を見上げた。
「お前ラ……」
894 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:35:11.32 ID:ur+gV4mt0
『くそ、こいつこんなところで燃料切れか……
虹、もう一回変身させることはできないのか?』
『無理。死ぬよこいつ』
『何てこった……!』
脳内通信でぼやいて、
ガゼルはエアバイクのシャッターを閉めた。
ぐったりとして、マルディが意識を
うしなったのか、後部座席に寄りかかる。
『どうする? 敵さんまだピンピンしてるぞ!』
『叩く。あいつの核も回収したい』
そこで、反物質砲が背後のドーム区画に
到達して、凄まじい爆発を上げた。
光の柱が天井まで吹き上がり、
周囲を塵にしながら拡散していく。
895 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:35:56.04 ID:ur+gV4mt0
『近づけないぞ……!』
『…………』
虹が歯噛みする。
白いトカゲ人間は、足を踏ん張ると、
上空に向けて、トランポリンを
蹴るように地面を蹴った。
その体が残像を残して掻き消え、
宙に浮かび上がる。
一瞬で肉薄され、ガゼルが驚きの声を
上げるよりも早く、虹はバイクを
操作して逆噴射をかけた。
振り下ろされた腕を紙一重で避けて、
エアバイクが背後に吹き飛ぶ。
途端、白いトカゲ人間が振り下ろした
腕の射線上が、綺麗に割れた。
896 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:36:35.87 ID:ur+gV4mt0
ドームの地面が爆発したように
炸裂して二つに割れる。
トカゲ人間は避けられたことを察知したのか、
空中で虹達をとらえると、
今度は何もない中空を足で蹴った。
横飛びにそれが吹き飛んできて、
瞬く間にエアバイクに肉薄する。
「何でもありかよ!」
振りかぶられた腕をカメラアイで捕らえて、
ガゼルが悲鳴を上げる。
次の瞬間。
階下のドームから、凄まじい火柱が吹き上がった。
何か、ガスタンクにでも爆発したかのような
威力の爆発だった。
897 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:37:17.88 ID:ur+gV4mt0
それに煽られた形で、
白いトカゲ人間とエアバイクの距離が開く。
しかしそれでも、相手は腕を伸ばしてきて……。
シャッターをやすやすと貫通して、
意識を失っていたマルディの頭を掴んだ。
「狙いはこいつか!」
ガゼルが怒鳴って、慌ててマルディの
両腕を再生させる。
白いトカゲ人間は、マルディを引きずり出すと、
力任せに地面に向かって投げつけた。
弾丸のようにマルディが吹っ飛んでいき、
そこで彼の姿が消えた。
「念のため……お前にマークングしておいて良かったよ」
マルディの声が、白いトカゲ人間の隣から聞こえた。
鱗がほぼ剥がれた状態の彼は、荒く息をつきながら、
トカゲ人間に飛び掛った。
898 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:37:52.42 ID:ur+gV4mt0
そして空中をもつれ合って落下していく。
「答えろ! カランはどこだ!」
風を切りながらマルディが怒鳴る。
白いトカゲ人間……爪は、
それを聞いてニマァ、と笑った。
「ウルウレアオ、ウルレシオ
(何だ、そんなことを今更気にしてたのか)」
「アレアレオ! イレアンシオクルテオ!
(答えろ! クソ野郎!)」
「アレオ(死んだよ)」
マルディの目が見開かれた。
次の瞬間、彼らは眼下の地面に衝突し、
バラバラに転がった。
899 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:38:30.55 ID:ur+gV4mt0
着地の衝撃で足が折れたらしく、
マルディの、ガゼルが形成した方の
足が奇妙な方向に曲がっている。
パキ……パキ……と折れた箇所を修復して、
爪が……「ルケン」が立ち上がる。
彼は立ち上がろうとして失敗した、
生身のマルディを見て面白そうに笑ってから、
近づいてきた。
そして彼の首を掴んで持ち上げる。
白いトカゲ人間に首を絞められ、
マルディは口から泡を噴きながら、
押し殺した声を発した。
「ウレアシカ……ンル(どういうことだ……)」
「アレアレシオ
(死んだんだよ。そのままの意味だ)」
900 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:39:15.39 ID:ur+gV4mt0
「ウルアレシカァァ!(
どういうことかって聞いてんだ!)」
「カカ……カカカカカカ!」
ルケンは彼をあざ笑ってから、
胸のロケットの方に片手をやって、蓋を開いた。
カランのにおいだった。
「え……」
マルディの動きが止まる。
「カレンレレイアオレアレンクレ
シオランレスシオ
(灰にして持ち歩いてたんだ。
こういうときのためにな)」
「カラン……?」
マルディの腕から、力がなくなっていく。
ずるり、と腕をたらしたマルディの
首をへし折ろうと、ルケンが力を込めた時だった。
901 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:39:54.89 ID:ur+gV4mt0
「逃げろ兄ちゃん!」
銀の声がした。
至近距離で短銃で撃たれ、
ルケンがよろめく。
撃たれた箇所から、弾が勝手に
競りあがって外に排出され、
傷口がふさがっていく。
しかしルケンは、背後に組み付くように
抱きついてきた銀を振りほどけずに、
マルディの首を離してよろめいた。
「銀……さん?」
902 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:40:25.38 ID:ur+gV4mt0
マルディが呟く。
銀はそれに答えることなく、
巧みな体さばきでルケンを転がすと、
胸を強く叩いた。
彼の体がルケンごと、
局地的な高性能爆薬で炸裂する。
それに煽られたマルディを、
また降下してきた虹が掴んで、
再度引っ張り上げた。
903 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:43:59.62 ID:ur+gV4mt0
*
「何でだよ……死んだら……死んだら
意味ないだろ。死んだら全部終わりだろ……」
呪詛のように同じ言葉を呟きながら、
泉は妹の亡骸を抱いていた。
「何でだよ……置いていくなよ……
俺達、ずっと一緒に行けるって
約束してたじゃないか……」
「大兄サン、もウ……」
功刀が背後で口を開きかける。
それを、両目から大粒の涙を流しながら、
更紗が手で止めた。
その脇では愛寡が泣き崩れている。
廃墟の壁に寄りかかって、津雪が強く歯を噛む。
その隣では、魔力が切れた美並が、
地面に横になっていた。
904 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:44:45.01 ID:ur+gV4mt0
硲は妹を抱いて泣き崩れている兄を、
呆然と見詰めていた。
「死んだら……終わり……」
そう呟いて、彼はポケットから、
震える手でビー球をつかみ出した。
それをもてあそぼうとして、
派手に地面にぶちまける。
「ね……ねえ、嘘でしょう?
姉さん? 姉さん?」
彼は作り物のような笑い顔を貼り付けて、
よろめく足取りで泉に近づいた。
そして彼の隣にしゃがんで、
口を半開きにして絶命している姉のことを見る。
「姉さん? ちょっと、冗談がキツすぎますよ……」
ギリギリと歯を噛みながら、泉が強く首を振る。
そして硲から守るように、
妹の亡骸を強く抱き寄せた。
905 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:45:28.40 ID:ur+gV4mt0
泉の肩を掴んで、それを無理やり
自分の方に向かせ、
硲は豹変したような顔で怒鳴った。
「姉さん! いい加減にしろよ!
面白くねぇんだよ!」
「硲……」
更紗に手を引かれ、
しかし硲はそれを振り払って、
涙の亡骸にすがりついた。
「おい! 何黙ってんだ?
何してんだ? ちょっと待てよおかしいだろ!
何してるの? 姉さん? ねぇ、姉さん!」
「やめぬか!」
更紗に耳元で怒鳴られ、
硲は瞳孔が拡散した、
ワインレッドの瞳で彼女を睨んだ。
「何だよ邪魔するな殺すぞ!」
906 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:46:04.95 ID:ur+gV4mt0
「姉様を静かに見送ってやることが出来ぬのか!」
「うるさい! うるさぁい!」
「功刀、硲を抑えるのじゃ!
こ奴錯乱しておる!」
いきなり拳を突き出して、
硲は泉のことを殴りつけた。
「何でだ!」
「……!」
泉は殴られ、歯の欠片のようなものを吐き出して、
しかし顔を伏せて涙をまた抱き寄せた。
「何でだよ!」
滅多に見せない、硲の感情の爆発だった。
泉はまた何度も拳を顔面に叩き込まれ、
口から少量の血を吐いた。
「何でだって聞いてるんだ!」
907 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:46:37.98 ID:ur+gV4mt0
腹に硲の拳が突き刺さる。
泉は横殴りに吹き飛ぶと、
涙の亡骸を離して、ゴロゴロと地面を転がった。
「あぁ……姉さん!」
慌てて涙に駆け寄ろうとした硲を、
功刀が後ろから羽交い絞めにする。
「小兄サン、落ち着いテクレ。
泉兄さンは悪くナイ!」
「うるせぇ! うるせえうるせえうるせえ!」
「悪いノハ、アンタダロウが!」
功刀に怒鳴りつけられて、硲は振り上げた手を、
そのまま停止させた。
そして口をわななかせながら功刀の顔を見る。
「え……」
908 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:47:18.92 ID:ur+gV4mt0
「やめい功刀……今は、そういう時ではない」
更紗が手で顔をぬぐって、
地面に転がっている涙の亡骸に近づく。
そして、彼女を地面にそっと寝かせて、
胸に手を置かせた。
「何だよ……お前ら……」
硲はくぐもった声を発して、
自分を見るハイエイト達の視線から
逃れるように、力なくもがいた。
美並までもが、見えない目を彼に向けていた。
「何だよ……僕は悪くない……悪くないよ。
ちょっと……ちょっと細工しただけじゃないか
……悪いのはあいつ、あいつだろ!」
泉を指差して、硲は血反吐を吐き散らすほどの
勢いで怒鳴った。
909 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:47:59.26 ID:ur+gV4mt0
「何だよ! 何で守れなかったんだ?
あれだけ大言造語ほざいておいて
結局死んだじゃないか!
何で守れなかった!
何で守れなかったんだ? 何で!」
搾り出すような言葉を受け、
頬を真っ赤に晴らした泉が、
よろめいて立ち上がった。
そしてふらふらと涙の亡骸に近づくと、
その隣にドサリと膝をつく。
「くそ!」
兄の情けない姿を見て、
硲が更に色めきたった。
激しくもがく硲を強く羽交い絞めにして、
功刀が津雪に目配せをする。
910 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:48:36.64 ID:ur+gV4mt0
津雪はポケットに手を入れて、
小さな注射器を取り出すと、
硲に近づいて、ゾッとするような声で言った。
「悪いけど、少し眠ってな」
遠慮も介錯もなしに、
注射器が首に突きたてられる。
硲はしばらく痙攣した後、
白目を剥いて脱力した。
そこで、泉が聞いたことのないような
声を上げ、両手で地面を、
腕がへし折れるのも構わず、
何度も何度も叩き始めた。
「ににさま……やめてくだされ! やめて!」
更紗が絶叫して兄に取りすがる。
津雪が、それを見て息をつき、功刀に言った。
「取り敢えず、みんなで無事なところに
移動しましょ。話はそれからよ」
911 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/04/29(日) 22:50:45.84 ID:ur+gV4mt0
お疲れ様でした。
次回の更新に続かせて頂きます。
ツイッターなどを通して沢山のご感想、
ありがとうございます!!
お待たせしてしまい大変申し訳ありませんでした。
不定期ですが、なるべく日数を置かずに
投稿させて頂きたいと思います。
ご意見やご感想、ご質問などがございましたら
なんでもお気軽にコンタクトをください。
用語などはまとめていただいたWikiを
ご参照くださいね。
それでは、今回は失礼させて頂きます。
912 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(東京都)
[sage]:2012/04/30(月) 10:12:23.03 ID:kCTETb9Bo
待ってました!!
相変わらずダークな感じがたまらないです
ゆっくりでも全然良いので引き続き楽しみにしてますね〜
913 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:25:23.75 ID:NNs5Kzip0
こんばんは。
低速になってしまいましたが、更新をさせて頂きます。
引き続きお楽しみ頂けましたら幸いです。
914 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:31:19.11 ID:NNs5Kzip0
23.雪の降る夜
「どうしてあんたは適応できないのかな」
そう問いかけられ、硲は肩をすくめて、
手の中のビー球を弄った。
彼の様子を見て、涙が息をついて、
手元のコーヒーを口に運ぶ。
「料理は上手いのにねぇ」
愚痴のように、何度目か分からない
呟きを受けても、硲の顔色は変わらなかった。
彼はただ漫然と、床に腰を丸めて座り込んで、
ビー球を弄っていた。
狭いトレーラーハウスの中には、
今は涙と硲しかいなかった。
他の兄妹達は、近くのドームに資材を
調達しに出払っている。
915 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:32:06.74 ID:NNs5Kzip0
しばらくしてまた涙が、ぼんやりと呟く。
「あんたは悪い子じゃないって、
あたしは思うんだけどな。性根の問題なのかな」
そこで初めて硲は顔を上げて、涙を見た。
「……性根?」
「そ、性根。あんたはそれが
曲がってるのかもしれないね」
「性根が曲がってると、何か悪いことがあるの?」
問いかけられ、涙は軽く首を傾げて、息をついた。
「さぁね。でも、孤立してて、
何か寂しいとかさ、苦しいとかさ、
そういうことってないの?」
逆に聞かれて、硲は不思議そうに首を捻った。
「いや……でも、
僕……生まれた時から一人だから……」
916 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:33:16.18 ID:NNs5Kzip0
「…………」
「そういうの、考えたこともないな」
「じゃあ今考えなさい」
命令されて、硲はまた肩をすくめた。
「別に……」
どの『別に』なのかはよく分からないが、
話を終わらせたいらしい。
しかし涙は、立ち上がって彼に近づくと、
その隣に腰を下ろした。
途端に硲が挙動不審のようになり、
チラチラと涙を見ながら、
眼鏡を外してレンズを拭き始める。
「ねぇそれ、前から思ってたんだけどさ、
伊達だよね」
917 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:34:01.28 ID:NNs5Kzip0
問いかけられて、硲は息をついて、
その場に腰を下ろしなおした。
そして頷く。
「うん、それが?」
「何で伊達なのにかけてるの?
まぁ……あたしは、その方が似合ってると思うけど」
硲が、目を丸くして涙を見た。
彼は眼鏡のレンズを、シャツで綺麗に拭いて
息を吹きかけてから、
顔にかけなおし、呟くように言った。
「前に、姉さんと同じようなことを
言ってくれた人がいてさ。それだけ」
「ふーん……あんた、意外とモテるんだ」
「別に……そういう話じゃないよ」
918 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:36:38.32 ID:NNs5Kzip0
「聞きたいな。あんたの話、
聞いたことないからさ。その人は今、どこ?」
「死んだよ。天国か地獄にいる」
硲が呟くように言う。
涙は一瞬口をつぐんだが、
何でもないことのように、
その場で伸びをしてから呟いた。
「そっか」
「…………」
「大事な人だったの?」
「別に……」
「どうでもいい人だったの?」
「…………別に…………」
「…………」
919 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:37:15.53 ID:NNs5Kzip0
硲は、口をつぐんだ涙を横目で見て、
それから言った。
「でも……姉さんに、よく似た人だったよ。
本当に良く似てた。性格も、喋り方も」
「へぇ」
涙は、さして珍しいことでもないかのように
頷いて、手を伸ばして硲の頭をワシワシと撫でた。
「じゃあ、その人はこういうことしてくれたかい?」
「…………」
硲は頭を撫でられるがままで、目線を床に落とした。
「してくれる暇もなかったよ」
「…………」
「無菌室の向こう側でしか、会ったことないから」
涙は手を止め、硲の頭を軽く掴んだ。
920 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:37:50.15 ID:NNs5Kzip0
そして自分の方を向かせる。
「じゃあこういうこともしてもらったことないんだ」
「うわっ……」
ぐるんと硲の体を回転させ、軽々と、
涙は彼のことを仰向けにさせた。
そして、自分の膝に頭を乗せて、
膝枕の形にして寝かせてやる。
硲は頭をゆったりと撫でられ、
そこで初めて、安心したような笑みを浮かべた。
「……うん」
「やっと笑った。そういう顔、
他の子達の前でも出来るようになればいいのにね」
「必要ないよ……別に」
「どうして?」
921 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:38:28.93 ID:NNs5Kzip0
硲は何かを言いかけて口をつぐんだが、
思い直して、小さく言った。
「……姉さんがいればいい」
「ふーん……」
にやにやして自分を見下ろす姉に、
硲は怪訝そうな視線を送った。
「どうしたの?」
「正直でよろしい。あたしは、
そういうのは嫌いじゃないな」
「…………」
「でも、これからどのくらい一緒にいるか、
分かんないんだから。
表向きだけでも仲良くしておいた方が、
あたしはいいと思うな」
「……姉さんがそう命令するなら、そうする」
922 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:39:06.58 ID:NNs5Kzip0
「このシスコン野郎め」
軽く頭を小突かれ、硲は息をついて、
ハハ、と小さく笑った。
「…………それでいいよ」
「本当に? あんた、あたしのことが好きなの?」
意外そうに問いかけられ、
硲は何を今更問言わんばかりに、
意外そうに涙を見た。
「悪い?」
「うぅん。いいけどさ。そういうのって、
もっとムードとかを大事にして言うものじゃないかな」
「そういう知識ないから」
「そんなもんなのかね」
涙は息を吐いて、硲の額に手を乗せた。
そして軽く目を閉じて、口を開く。
923 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:39:54.06 ID:NNs5Kzip0
「ま……あたしは、今、残念ながら、
あんたのこと好きでも嫌いでもないからさ」
「…………」
「好きになってもらえるんなら、
好きになってあげられるように、努力する」
「……うん」
「だからさ、約束」
「約束?」
「そ。あんたも、あたしに好きになって
もらえるように、努力しなさい」
「…………」
「あたしに似合う男になりなさい。
それが、条件かな」
924 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:40:35.37 ID:NNs5Kzip0
「分かった」
珍しく即答して、硲は起き上がった。
そして涙の前に胡坐をかいて、
目を開いた彼女の顔を覗き込む。
「姉さんに似合う男になるように努力する。
だから、好きでいてもいい?」
「いいよ」
涙が頷いて、硲の手を持って、
彼の小指と自分の小指を絡ませる。
「約束だぞ」
「うん」
頷いて、硲は笑った。
925 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:41:10.10 ID:NNs5Kzip0
*
硲が目を覚ました時、
彼は自分のベッドに丸くなっていた。
姉と話をして、ベッドに移動して、
眠くなって……そこからの記憶が曖昧だ。
外はすっかり暗くなっている。
いつの間にか、半日以上も眠っていたらしい。
顔を上げると、トレーラーハウスの食卓に、
泉が腰を下ろしているのが見えた。
その向かい側に涙がいる。
声をかけようとして、しかし硲は、
泉の隣に座っていた更紗が甲高い声を
発したのを聞いて、動きを止めた。
「わらわは賛成でする」
926 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:42:22.62 ID:NNs5Kzip0
「まだあんたは……
兄さんの言うことなら何でも聞く
その性格をなんとかしなさい」
呆れたように涙が言って、
苛立った風にコーヒーカップをテーブルに置く。
「しかしねねさま……
ににさまの仰ることは間違ってはおりませぬ」
「でもね、無謀だってあたしは言ってるの」
涙は椅子を鳴らして立ち上がると、
腕組みをして、その場を歩き回り始めた。
そして彼女はコーヒーカップに、
バリスタからお湯を注ぐと口に入れた。
「そんなのは、何十回も試してみたじゃない」
「だが涙、悪い話じゃないだろう」
927 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:43:05.18 ID:NNs5Kzip0
泉が片手を上げて口を開く。
「確かにどこかに永住できたら、
それはそれで有り難いと思うよ。
でもね、永住できないから
こんな暮らししてるんじゃん。
今更あたしの口からそれを言わせたいの?」
明らかに苛立っている姉の様子に、
硲は声をかけることをやめ、
ベッドにまた横になり、横目で彼女の姿を追った。
「またエリクシアにぶっ潰されて終わりだよ。
何? 硲みたいな子を量産したいの?」
名前を出されて、硲は慌てて涙から視線を外した。
――僕みたいな子?
どういう意味だ?
一瞬姉の言ったことの意味が分からずに、
脳が停止する。
928 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:43:37.19 ID:NNs5Kzip0
泉は一瞬硲の方を見てから押し黙った。
それを受け継ぐように、更紗が慌てて言い繕った。
「そ……そういう訳ではございませぬ。
わらわたちは、ただ……」
「ただ、何だっつうの?」
「…………」
涙がキレた。
腕組みをして見下ろされた更紗が、
軽く喉を鳴らして、泉の脇に隠れる。
硲が見た初めての、涙が怒った姿だった。
そこで、椅子に座って小さくなっていた
愛寡が、恐る恐る口を開いた。
「わ……わた、わた……私……」
「何?」
929 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:44:16.22 ID:NNs5Kzip0
「ど……ど、どこか……べ、別、別のところ
……行きたい……言い、まし、し、た。
ごめ、なさい……」
そういうことか、
と合点がいったように涙は息をついた。
彼女は愛寡に近づくと、その頭をそっと撫でた。
「別にあんたを怒ってるわけじゃないから、
萎縮しなくてもいいよ」
「ごめ……ごめ、なさい……」
「兄さん、どういうこと?」
涙に強く睨まれ、泉は肩をすくめた。
「別に細かい意味はない。他ならぬ俺が、
トレーラー暮らしに飽きただけだ。
愛寡は何も悪くない」
「この子達の言うことを真に受けて、
また何千人殺せば気が済むの?
餓鬼じゃないんだから……」
930 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:45:04.21 ID:NNs5Kzip0
「別に何千人死のうが構わん。
そのための計画の話をしてたんだ」
「兄さん……もしかしてまだ懲りてないの?
それならそれで、こっちにも考えがあるんだけど」
「お前と議論したいわけじゃないよ。気に障ったんなら謝る」
「……あたしのこと、もしかして馬鹿にしてる?」
「被害妄想だ。そんなことはない」
「いいや馬鹿にしてるね。
どうせあたしにはバレないとか、
そう思ってるんだ。
どうせ最後にはあたしは許してくれるからとか、
そんな風に思ってるんでしょ?」
「落ち着けよ……お前を非難してるわけじゃないって」
泉は大きく息をついて、
立ったままこちらを睨んでいる涙を見た。
「勝手にコトをすすめたのは悪かった。
ほら、謝っただろ? だから席につけよ」
931 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:45:47.58 ID:NNs5Kzip0
「そういうことじゃ……ないんだよ!」
いきなり怒鳴って、涙は泉に近づくと、
その頬を思い切り手で張った。
思わず更紗と愛寡がビクッとしたほどの剣幕だった。
殴られた泉は、はー……っ、
と息をついて彼女のことを見上げた。
「じゃあどういうことだ?」
「あたし言ったよね? これ以上無駄な
犠牲を出す必要はどこにもないってさ。
言ったよね、確かに。
それともそのちっぽけな脳みその記憶には
もう残ってないかな?
ねえ聞いてなかったの?」
「聞いてたさ。で?」
「やっぱり馬鹿にしてる……
あたしそういうの嫌いだな……!」
932 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:46:30.28 ID:NNs5Kzip0
吐き捨てた涙と泉の間に、
そこで更紗が割って入った。
彼女は怯えた顔で涙を見上げたが、
すぐに視線をそらして頭を下げた。
「ごめんなさい……ねねさま、
わらわ達が我侭を言ったのです。
ににさまは悪くありませぬ!」
「……更紗ぁ……そういう話をしてるんじゃないの。
子供は引っ込んでなさい」
呆れたようにそう言って、
涙は泉の向かい側の椅子に、ドカリと腰を下ろした。
完全に愛寡と更紗は、
姉の怒った姿に萎縮してしまっていた。
彼女達からすれば、涙は姉というよりも母に近い。
二人とも俯いて小さく震えている。
涙は指先でテーブルをトントンと叩きながら、
兄の事を見た。
933 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:47:04.72 ID:NNs5Kzip0
「あたしは反対だな。今のままでいいよ」
「結局はそこに落ち着くのか……」
「結局も何も、今のままで生きていくことは
二人で決めなかったっけ?
それとも何?
あたしに隠さなきゃいけない程の嘘でもついてるの?」
彼女がそう言った途端、
愛寡と更紗が目に見えて分かるほどビクッと動いた。
それを見て、涙は深くため息をついてから泉に聞いた。
「何してきたの?」
氷のような声だった。
硲も聞いたことがないような冷たい声だ。
泉は一瞬涙から視線をそらして、
観念したように深く息を吐いた。
「……分かった。言うよ」
934 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:47:49.80 ID:NNs5Kzip0
「…………」
「資材の調達先のドームで、
愛寡がエリクシアの兵隊に襲われた。
研究施設まで連れて行かれそうになった」
「で……でも、愛寡は魔法を使いませんでした!
ちゃんとねねさまの言いつけを守っておりました!」
更紗が口を挟む。
泉は彼女の頭を撫でてから、
こちらを睨んでいる涙に向かって続けた。
「ま……そういうわけで、結局はエリクシアと
交戦することになっちまったわけだ。
俺が気付いた時には、
更紗のレベル2が展開されてた。
愛寡を見つけて、
ドームの外に引っ張ってくるのが精一杯だったわけだ」
「……ドームは?」
涙に聞かれて、泉はもう一度肩をすくめた。
「消滅したよ。それがどうかしたか?」
935 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:48:37.69 ID:NNs5Kzip0
ドンッ、と涙がテーブルを叩いた。
彼女は苛立った声を抑えようともせずに、
泉に向かって怒鳴り声を張り上げた。
「兄さんは何のためについてったの! 役立たず!」
「…………」
そこで初めて、泉はバツが悪そうな顔をして
涙から視線をそらした。
それが彼女の怒りに火を注ぐことになり、
涙は頭を抱えて、絞り出すような声で続けた。
「……失望したよ。約束した直後に裏切られるとは
思わなかった。だからここを離れたがってたのね」
「違う。確かにスカはしたが……」
「何が違うって言うの。このドームには、
魔法使いに対して理解がある人間が沢山いたんだ。
兄さんは、死んでもこのドームを守るべきだったんだ!」
936 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:49:25.08 ID:NNs5Kzip0
「…………悪かった。その点に関しては俺の落ち度だ」
「謝るのが遅いよ。もう兄さんなんて知らない。
勝手にすればいい……」
頭を抑えて、涙は立ち上がった。
「好きにすれば?
二百年前と同じことを繰り返せばいい」
「ねねさま……」
「ごめん更紗。あんたの相手してるような気分じゃない」
追いすがるような声を出した更紗に首を振って、
涙は自分のベッドの方に歩いていってしまった。
涙は肩を落として硲が寝ているベッドの方に
歩いてくると、勢いよく扉を閉めた。
慌てて顔を伏せた硲を見て、
涙はムスッとした表情のまま言った。
「あ……起こしちゃった? ごめん」
937 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:49:59.16 ID:NNs5Kzip0
「姉さん……何かあったの?」
恐る恐る問いかける。
涙は息をついてベッドに腰を下ろすと、
カリ、カリ、と爪を噛みながら言った。
「またここを離れなきゃいけない。
兄さんの役立たず……!」
ガリ、と涙は強く自分の指を噛んだ。
そこから血が溢れ出して、
ポタリポタリとベッドに赤いしみをつくる。
慌てて硲はベッドから起き上がり、
傍らの救急箱から、スプレータイプの
バンドエイドを取り出した。
「姉さん、血が出てるよ」
「知ってる」
「ほら見せて……」
「…………」
938 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:50:44.88 ID:NNs5Kzip0
おとなしく手を差し出した涙の指先に
バンドエイドを吹きつけながら、
硲は伺うように言った。
「姉さん……エリクシアが追撃してくるんなら、
これからは僕一人で全部殺す。
だから、そんなにガッカリしないで……」
「硲……」
深く息を吐いて、
涙は彼に背を向けてベッドに横になった。
「……そういうことじゃないんだよ」
呟かれた言葉に殴りつけられたかのように、
硲は黙り込んだ。
彼は歯を噛み締めて、
ドアの向こうにいるはずの泉を睨んでいた。
その瞳が段々とワインレッドに染まっていき……。
彼は、自分で自分を抑え付け、
飛び込むように、自分のベッドに横になった。
毛布を頭から被り、息を整える。
939 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:51:15.22 ID:NNs5Kzip0
……駄目だ。
あいつを殺すことは出来ない。
それに、あいつをもし殺せたら……。
姉さんが悲しんでしまう。
それだけは避けなければ……。
落ち着け。
落ち着けよ、僕……。
940 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:52:04.23 ID:NNs5Kzip0
涙に聴こえないように息をつき、
硲は首を振った。
しばらくして涙の寝息が聞こえてきたことを確認して、
硲はベッドから起き上がった。
そして扉を開けて、重苦しい雰囲気が漂っている
トレーラーの食卓側に出る。
「おお、悪かったな硲。起こしちまったか?」
泉にそう聞かれ、硲は彼を無視して、
トレーラーの運転席まで歩いていって、腰を下ろした。
そして無言でギアを操作して、トレーラーを発進させる。
ハンドルを切った彼を見て、
泉は全て聞かれていたことを悟ったのか、
息をついて傍らで泣いている更紗を見た。
「まァ……やっちまったモンは仕方ねぇ。
涙も起きた頃には忘れてるだろ、多分な」
ガタン、ゴトン、と動き出した
トレーラーの中で立ち上がり、泉は言った。
「取り敢えず飯にするか。俺が作るよ」
941 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:52:40.28 ID:NNs5Kzip0
*
一度聞いたことがあった。
「姉さんは、兄さんのどこがいいの?」
本当に分からなくて、
そして問いかけた純然たる疑問だった。
涙は少しきょとんとした後、
硲を見てから首を傾げた。
「さぁ……」
「さぁって……」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「だって……兄さんは何やらせても駄目だ。
更紗とか、愛寡とかの言うことばっか聞いてて、
結局この前みたいに姉さんをガッカリさせる」
「うん、そうだね」
それに即答して、涙はベッドの上に胡坐をかいた。
942 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:53:17.43 ID:NNs5Kzip0
「でもまぁ、そこであたしが止めないとね。
際限なくなっちゃうから」
「そこがわかんないんだ」
硲は涙と同じようにベッドの上に胡坐をかいて、
低い声で言った。
涙が怒り狂ってから数日。
消滅させたドームから、少し離れた場所に
トレーラーは停泊していた。
次のドームを検索していたが、
中々見つからずに立ち往生していたのだ。
泉は、偶然近くを通りかかったキャラバンの
人間と話をしに出て行っている。
まだ怒っている涙に対して気まずいのか、
更紗と愛寡もそれにくっついていっていた。
「別に止めるのは姉さんじゃなくてもいいんじゃないかな。
姉さん一人が、そんな重圧負うことないんだ」
943 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:54:04.59 ID:NNs5Kzip0
「…………」
「静かに暮らしたいんなら、
兄さんと一緒にいることないんじゃないかな。
兄さんは……何ていうか、
その……姉さんが望んでるような生活と、対極の人だ」
「周りに対して無頓着かと思ってたけど、
中々どうして、よく見てるじゃない」
手を伸ばして頭をグリグリと撫でられ、
硲は少し嬉しそうな顔をしたが、
すぐに涙に向かって口を開いた。
「そういうことじゃなくて……
僕は姉さんのためを思って言ってるんだ」
「ありがとう。あんたは優しい子だね」
「姉さん……」
「でも、『約束』したから」
涙は小さくため息をついて、何とも形容しがたい、
諦めにも似た表情を浮かべた。
944 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:54:56.05 ID:NNs5Kzip0
真正面で見ていた硲でさえも、
それがどういう表情なのか分からない、
憂いを含んだ表情だった。
「約束したからさ。兄さんは、あたしが守らないと」
「約束って……誰と……?」
「あたしが、あたし自身と」
意味不明なことを言って、
涙はベッドから降りて、立ち上がった。
「硲にはまだ早い話だよ。おいで、何か作ってあげる」
「ちょっと待って。話の意味が分からない」
「まだ分からなくていいよ。
うぅん……分からないなら、
分からないままの方がいい。忘れて」
「僕のことが……信用できない?」
すがるように問いかけられ、
涙はきょとんとして硲を見下ろした。
945 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:55:43.43 ID:NNs5Kzip0
「え?」
「僕のことが信用できないから、
何か隠してるの?
だから兄さんの言いなりになってるの?」
「違うよ硲、それはね……」
「僕は強くなったよ。タイマン張れば、
兄さんにも、もしかしたら負けないかもしれない。
姉さんを、兄さんの代わりに、
もっと良く守ってあげられるかもしれない。
だから姉さん、僕は……」
「硲」
呆れたように言って、涙はドアに寄りかかった。
そしてため息をつく。
「あんたまだそんなこと言ってるの?」
「…………」
「真面目に言ってるのは分かるけど、
そんなことを堂々と言うようじゃ、まだまだ子供ね」
946 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:56:22.63 ID:NNs5Kzip0
子供扱いされ、硲の頭にカッ、と血が昇る。
彼は立ち上がって、大股で涙に近づいた。
そして、自分よりも一回り小さな彼女の頭を
越えて壁に手をつき、涙の顔を覗き込む。
「僕はもう子供じゃない」
「そういうところが子供だっつってんの。どきなさい」
「真面目に話をしてるんだ。どかない」
「あんたの『真面目』はあてにならないからね。
その点では信用できないかな」
ざっくばらんに非難され、硲は辛そうに顔をゆがめた。
「……今は、本当に真面目なんだ……」
押し殺した声を何とか絞り出す。
涙は少し黙った後、息をついて硲の頬に手を当てた。
「何? 兄さん捨てて俺と一緒に来いとか、
そう言いたい訳?」
947 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:57:03.62 ID:NNs5Kzip0
いきなり図星を突かれて、
硲はグッ、と言葉に詰まった。
発しかけた言葉を躊躇して飲み込んだ硲を見て、
涙は頬から手を離し、肩をすくめた。
「ほら、即答できないようじゃ、
やっぱり信用できないな。
損得の感情で女動かせると思わないことね」
「別に……そんな訳じゃ……」
「この際はっきりと言っておくわ。
あなた、あたしに誰を投影してるのか分からないけど、
そういうのって女は一番嫌うんだよ。分かる?」
「…………」
言われて、ハッとしてから気まずそうに顔をそらした硲に、
涙は静かに言い聞かせるように続けた。
948 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:57:51.48 ID:NNs5Kzip0
「男が一番やっちゃいけないことだよ。
あんたに何があって、どういう人生送ってきたのか、
話してくれないからあたしは良く知らない。
でも、何となくそういうのは勘で分かるんだよ」
「……誰も投影なんてしてない。姉さんは姉さんだ」
「ありがとう。まぁ、そういうことにしておくわ」
涙はスルッ、と硲の手の中から抜け出して、
扉を開いて奥に歩いていってしまった。
慌てて硲がその後を追う。
「じゃあ話す。姉さんにだけ話す。
僕は、姉さんにもっと僕を知ってもらいたい。
僕も、姉さんのことをもっと知りたいんだ」
「もっと落ち着いた時でいいよ」
やんわりとそれを押し留めて、
涙はバリスタからコーヒーをカップに移して、
口に運んだ。
硲の分もコーヒーを用意し、
慌てた顔で迫ってきた彼に押し付ける。
949 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:58:32.81 ID:NNs5Kzip0
「いい? 断言してもいいよ。
あんたは、あたしを誰かと勘違いしてる。
兄さんもそうだった。
でもね、兄さんはその段階を自分で克服したんだ。
だからあたしと接していられる」
「僕が……僕が兄さんよりも劣っているって、
そう言いたいの……?」
よろめいた硲を真っ直ぐと見て、涙は頷いた。
「うん、それがどうかした?」
「そんな……」
「あんた、本気で兄さんと喧嘩したら
十秒で消し炭にされるよ。
それに、硲。あんたは兄さんみたいに
協調性があるわけでもない。
我だけが強い。
思いやりもない。
年季だって一回りも二回りも違う。
そんなで、張り合おうだなんて笑えるよ」
950 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:59:09.50 ID:NNs5Kzip0
「そんな……僕は……僕はただ……」
「まぁ、ようは焦るなって言いたいだけ。
自分がこうしたいから、
相手もこうするだろうっていうのは、
お子ちゃまの考えなの」
涙はそう言って、窓の外を見た。
いつの間にか夜になっていた。
しんしんと雪が積もっている。
「分かった? 分かったらベッドに戻っておとなし――」
そこで、硲がいきなり。
涙の口を、自分の口でふさいだ。
涙が一瞬きょとんとしてから、
コーヒーカップを床に落として停止する。
硲は無理矢理に体の小さな姉を抱き寄せようとして。
そこで、トレーラーの入り口が開いたことに気がついて、
慌てて涙から体を離した。
951 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 22:59:44.03 ID:NNs5Kzip0
「あ……」
ポカンと口をあけて、愛寡がそこに立っていた。
彼女は、口元に手を当てて、
何とも場の悪い顔をした硲と、
深くため息をついた涙を交互に見た。
「おう、遅くなった。
次のドームへの経路が分かった。
ついでにガソリンも……何だ愛寡、どうした?」
泉が朗らかに喋りながらトレーラーに足を踏み入れる。
愛寡は何度か言葉を発しようとしたが
「あ……あぅ……」
と小さく呟くだけで、
上手く言葉に出来ないようだった。
彼女を怪訝そうに見て、
泉は手を引いてトレーラーに引っ張り上げた。
952 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 23:00:13.96 ID:NNs5Kzip0
その後ろから、チョコチョコと更紗が、
小さく震えながらついてくる。
「寒いです……お腹も空きました……」
疲れた様子の更紗を抱き上げて、
泉はバツが悪そうな顔をしている硲を見た。
「どうした? 何かあったのか?」
一瞬。
硲は、泉が知覚できないほどの一瞬だけ、
彼を猛獣のような目で睨みつけた。
しかしその瞳はすぐに身を潜め。
硲は、兄妹達を尻目に、
足早にベッドルームに入り、そして扉を閉めた。
953 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/04(金) 23:02:04.80 ID:NNs5Kzip0
お疲れ様でした。
次回の更新に続かせて頂きます。
ツイッター等を通して、沢山のご感想、ありがとうございます!
皆様に支えられております。
これからも、宜しくお願い致します。
ご意見やご感想、ご質問などございましたら、
お気軽に書き込みを頂けますと嬉しいです。
暖かくなって参りましたが、お体を壊しませんよう。
それでは、失礼させて頂きます。
954 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2012/05/07(月) 00:11:37.63 ID:h/BcTK2oo
以前にも指摘されていましたが読点の位置が気になりますね
>彼は立ち上がろうとして失敗した、
>生身のマルディを見て面白そうに笑ってから、
>近づいてきた。
彼は 立ち上がろうとして失敗した生身のマルディ を見て
面白そうに笑ってから近づいてきた。
行動で分けるとこうですが
「彼は立ち上がろうとして失敗した、」で区切ると
彼=爪が立ち上がろうとして失敗した様に見えます
955 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2012/05/07(月) 00:35:01.80 ID:h/BcTK2oo
文章を読むリズムとでも言えばいいのでしょうか?
一文節ごとに読点を入れてある為に、なめらかに読み取る事が出来ずに
愛寡の様なカタコトの言葉で語られている様な気になります
文法もよく分らない人間の一意見でした
>そしてポケットからビー球を出し、
>軽く放りながら、馬鹿にしたように功刀と、脇で震えている燐を見る。
そしてポケットからビー球を出し軽く放りながら
馬鹿にしたように功刀と、脇で震えている燐を見る。
>一瞬で肉薄され、ガゼルが驚きの声を
>上げるよりも早く、虹はバイクを
>操作して逆噴射をかけた。
一瞬で肉薄され、ガゼルが驚きの声を上げるよりも早く、
虹はバイクを操作して逆噴射をかけた。
956 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2012/05/07(月) 06:59:12.46 ID:WgfUWgPIO
>>954-955
これだから読者様はwwwwww
957 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:41:57.66 ID:hlIYQLnr0
こんばんは。
読点の位置などは充分気をつけるようにしているのですが、
癖なのか、中々上手くいっていないのが現状です。
読みづらい状態になってしまい、お手数おかけいたします。
ご指摘ありがとうございます。
なるべく気をつけるようにいたします。
徐々に直させていただくという形でご了承頂けませんでしょうか。
それでは、24話を半分ほど書きましたので投稿させて頂きます。
お楽しみ頂けましたら幸いです。
958 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:42:58.03 ID:hlIYQLnr0
24.姉さん
そのハイコア適応体が見つかったのは、
三つ目のドームに足を踏み入れた時のことだった。
硲が運転するトレーラーがドームのシャッター前で止まる。
珍しく、泉と涙が共に臨戦態勢だった。
泉が砥石でサバイバルナイフの鋭角を調整し、鞘に収める。
その隣で、涙が泉と同じコートを羽織り、
彼女自身は手ぶらで、軽くその場でジャンプを繰り返していた。
「姉さん、着いたよ……」
キスをした日から、既に半年以上経過していた。
しかし、涙は一回たりとも、そう、一回たりとも硲に対して、
それを口にすることはなかった。
959 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:45:47.77 ID:hlIYQLnr0
姉と弟。
それだけの関係だ。
暗に彼女がそう言っているのだと解釈して、
口に出せずにダラダラ時が過ぎる。
硲に呼びかけられて、涙は目を合わせずに
「ん」
と小さく言って、泉の肩を叩いた。
「かなり強力なオドスを感じる。行くよ、兄さん」
「分かった」
「待ってよ姉さん……!」
そこで、硲は運転席から降りて、慌てて姉に近づいた。
まさか二人だけで行くとは思わなかったのだ。
960 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:46:17.27 ID:hlIYQLnr0
「僕も行く。連れてって」
「わらわ達も行きまする」
硲に便乗して、更紗が騒ぎ出す。
愛寡は、怯えたような顔で椅子に座って、
こちらの様子を伺っていた。
またこいつは……と、更紗を蹴り飛ばしたくなる
衝動を何とか抑える。
硲を押しのけて、更紗は前に出て涙の袖を掴んだ。
「最近魔法を使ってないせいか、頭痛がします。
殺させてください」
しかし涙は、それをそっと押し留めてから、
更紗の額に手をつけた。
「駄目。兄さんとあたしで行く」
「しかしねねさま……」
「頭痛、取れたでしょ?」
961 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:47:03.22 ID:hlIYQLnr0
涙の手の平が薄い白に光っていた。
更紗はきょとんとして首を振り、途端、表情を落とした。
「……そういう意味ではございませぬ……」
「いいから。あんた達は、ここで待機してて。
すぐに戻ってくる」
「更紗、涙の言うことを聞け」
泉がそう言うと、更紗は頬を膨らませて黙り込んだ。
「硲も。この子達を守ってやって」
涙に言われ、どうして僕が、と反論しようとした硲は、
慌てて口をつぐんだ。
彼は開かないドームのハッチを見て、
その向こうをにらみつけた。
「姉さん、何か来る」
その声にハッとして愛寡が小さくなり、震えだす。
962 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:47:45.88 ID:hlIYQLnr0
外に出ようとした硲を押し留めて、
涙はトレーラーの扉を開けた。
そして泉と外に出て、一見廃墟に見える巨大な
ドームのハッチ前に立つ。
泉は、二回りも身長が違う妹を、
腕組みをして見下ろしてから、何でもないかのように言った。
「ハイコアか?」
「多分。マインドシープされてる」
「厄介だな。殺すか?」
「そればっかりは見てみないとね」
「確かに」
端的に言葉を交わした兄妹の目の前で、
不意にボコッ、と直径にして五メートルはある
ハッチ全体がざわめいた。
そして、いきなり黒い濁流のようになり、
涙と泉の体を真上から覆い隠す。
963 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:48:19.75 ID:hlIYQLnr0
「姉さん!」
青くなった硲が大声を上げる。
黒い濁流だった。
堰を切った川が氾濫するように、
次から次へと黒い物体が流れ出してくる。
硲は、慌ててトレーラーのドアを閉めて、
エンジンをかけて後退させようとし……失敗した。
予想外の速度で黒い物体はあふれ出し、
一気にトレーラーまでもを飲み込んでしまったのだ。
(取り込まれた……?)
体中を不快感が包んでいる。
辺り一面真っ黒な空間だった。
トレーラーが一面真っ黒に染まり、
周囲の空間もろとも墨の沼のように変化する。
964 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:49:03.63 ID:hlIYQLnr0
グズリ、と硲が掴んでいたトレーラーのハンドルが、
墨汁のように崩れて散らばった。
体中を真っ黒な物体に覆われ、
硲は自分がそこに沈み込んでいくのを感じた。
魔法。
自分達は、魔法で攻撃されている。
それも、広範囲の高威力を持つ魔法。
おそらく、自分達と同じハイコア。
そこまでを冷静に分析して、硲は軽く、
黒い空間に沈んでいた足を動かした。
「ポン」
小さく呟いた彼の体がそこから掻き消える。
そして硲は、トレーラーハウスの
上空数十メートル上に出現した。
965 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:49:37.34 ID:hlIYQLnr0
落下し始めながら周りを見回し、
しかし彼は唖然とした。
辺り一面真っ黒だ。
見る限り……目算数十キロ半径程も
その黒い空間に覆い隠されている。
何だこれは。
魔法にしては強力すぎる。
レベル2か。
心の中で歯噛みして、硲は地面に
衝突する寸前にくるりと体を回転させた。
彼の体が掻き消え、少し上に出現して
また地面に着地する。
更紗のレベル2に似ている。
しかし、これはどこかが違う。
966 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:50:16.08 ID:hlIYQLnr0
既成概念自体を反転させているかのような、
そんな違和感を感じる。
物理攻撃ではない。
事実、グズグズに溶けたトレーラーの中で、
更紗が飲み込まれそうになってもがいている。
彼女の魔法が効かないらしい。
本人も何が起きているのかわからないらしく、
目を真っ赤にさせて魔力を放出させながら
何やら喚いている。
少し離れた場所では、愛寡が小さくなって
今まさに頭も飲み込まれようとしているところだった。
――ふと思う。
今あいつらを見捨てたとして。
助けられなかったと言ったとして、
姉さんは悲しむだろうか。
967 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:50:54.75 ID:hlIYQLnr0
それもまたいいかもしれない。
――僕は頑張った。
でも、助けることが出来なかったよ。
姉さんは泣くだろう。
それを慰めてあげることが出来る。
良い計画かもしれない。
口元をにやりと笑わせて、
硲は地面に沈み込んでいく足を無理矢理に引き抜いた。
しかし、そこで彼は二百メートルほど離れたところに、
白い光が浮いていることに気がついた。
目を凝らして見る。
それは、ポケットに手を突っ込んで
背中を伸ばした涙の姿だった。
彼女の体が真っ白に光り輝いている。
968 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:51:29.27 ID:hlIYQLnr0
その隣に泉がいた。
涙が一瞬だけ硲の方を見る。
硲は、そこでハッとして慌てて体を反転させた。
そしてもがいている愛寡の上に出現し、
彼女の手を引いて引っ張りあげる。
愛寡が泣きじゃくりながら硲の服にしがみつく。
「服を伸ばすな……!」
苛立たしげにそう言って愛寡を抱き寄せると、
硲はまた体を反転させた。
彼と愛寡の体が掻き消え、
今度は飲み込まれかけていた更紗の上に出現する。
「くそっ……間に合え……!」
呟いて、指先だけが出ている黒い水面に手を突っ込んで、
更紗を引きずり出す。
気を失っているのか、彼女はぐったりと脱力していた。
969 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:52:12.00 ID:hlIYQLnr0
二人を抱えて、硲はまた空中を掻き消えると、
できるだけ離れた場所に出現しようと念じてから着地した。
しかし硲がそう思っていただけだったようで、
大して先ほどと離れていない場所に出現していた。
「距離感覚が歪んでる……」
苛立たしげに呟いて、硲はまた地面に沈み込み始めた足を
また引き抜いて飛び退った。
「姉さん! 早くしてくれ!」
大声を上げる。
涙はそれを一瞥してから、安心したように視線を正面に向けた。
浮いている彼女と泉の体がゆっくりと降りてくる。
途端、周囲の三百六十度四方が全て歪んだ。
そして五人を取り囲むように球形に変化する。
落下しながら、硲は青くなった。
970 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:52:48.42 ID:hlIYQLnr0
半径十キロ程の球体空間に閉じ込められていた。
これでは、逃げ場がない。
自分の能力では、
おそらくこれ以上の距離は跳べない。
しかも、距離感が狂わされている
魔法空間の中にいるようなのだ。
正確に魔法効力の外に出れるとは限らない。
落下している硲の目に、四方八方の黒い空間から、
ハリセンボンのような、
一つ長さ二メートル以上もある針が競り上がったのが映った。
「何……だよ……?」
血の気が引いた。
まさか、嘘だろ。
971 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:53:17.78 ID:hlIYQLnr0
「姉さん!」
愛寡と更紗を抱きしめながら、
硲は前方の光る空間に向かって怒鳴った。
周囲の空間が、風船を割ったような勢いで潰れ、
中心部に向かって収束したのと。
硲達が為す術もなく、黒い針に全身を貫かれたのは、
ほぼ同時のことだった。
972 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:53:55.71 ID:hlIYQLnr0
*
「見つけた……チェックメイトだ」
硲は、意識の外で泉の声を聞いた気がした。
体中に鈍い痛みが走っていた。
僕は……。
そうだ、僕は、全身を針に貫かれて……。
死んだ、はずじゃ……。
憔悴した目を開いて、視線を上げる。
硲達は、バラバラに地面に転がっていた。
黒い空間はいつの間にかなくなっていた。
少し離れた場所にはトレーラーが停まっている。
ドームの入り口は、何か高性能な爆薬で
爆発させられたかのように炸裂して飛び散っていた。
973 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:54:34.73 ID:hlIYQLnr0
「お前の負けだ。
まぁ……千三十五回も俺を殺せば充分だろう。
気は済まねぇだろうが、俺はもう腹一杯だ」
泉は右手を伸ばして、ギリギリと音を立てて、
二十代前半程の青年の頭を握りしめていた。
青年は泉の腕を掴んで掻きむしっていたが、
彼の手は離れようとしなかった。
「悪かったな硲。予想以上に手こずった。
お前らの時間は巻き戻しておいたが、大丈夫か? 無事か?」
泉に声をかけられ、硲は慌てて、緩慢な動作で起き上がった。
そして押し殺した声で彼に言う。
「……一回死んだ……! そのまま死ぬかと思った!」
「はは、んな訳ねーだろ」
硲の怒りを、しかし軽く笑い飛ばしてから
泉は目の前の青年に向かって言った。
974 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:56:27.00 ID:hlIYQLnr0
「俺の問いが分かるか? 答えろ。
答えなければこのまま殺す。お前の型番は?」
声にならない叫びを上げて右手を振り上げた青年の腹に、
躊躇なく膝を叩きこんで、泉は横で腕組みをしている涙を見た。
「駄目だな。完全にマインドシープされてる。
洗脳を解かない限り、会話は無理だ」
「ちょっと待って。解いてみる」
涙がそう言って足を踏み出す。
「正気か?」
妹に対して、泉は眉をひそめて続けた。
「……せっかく捕まえたんだ。逃げる前に殺したい」
「気持ちは分かるけど、この子の魔法はハイコアのものだよ。
勿体無いと思わない?」
涙は小さく笑うと、迷いなく泉を押しのけて、青年の前に立った。
975 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:57:02.35 ID:hlIYQLnr0
「涙、危な……」
「しっ」
兄の言葉を打ち消して、
涙は右手を伸ばして青年の頭を触った。
「怖くないよ。あたし達は何もしない。
ただ、あんたのことを助けに来たんだ」
「だから会話は無理だって……」
「兄さんは黙って抑えてて」
泉の言葉を一蹴して、涙は続けた。
「あたしの名前は涙。この人は泉。
手荒な真似をして悪かったよ。
だからそんなに怒らないで、静かに聞いて欲しいんだ」
976 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 17:57:32.84 ID:hlIYQLnr0
泉が暴れようともがく青年を首を掴んで羽交い絞めにする。
「涙、やるんなら早くやれ!」
「せっかちな人……」
ため息をついて、涙は青年の額に伸ばした人差し指を当てた。
「あんたの記憶を、丸々全部凍結するよ。
それで洗脳が解けなかったら、諦めるんだね」
977 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/07(月) 18:04:26.02 ID:hlIYQLnr0
お疲れ様でした。
次回の更新に続かせて頂きます。
ツイッターやスレ等で沢山のご感想、ありがとうございます!!
読点の位置は気をつけるように致します。
引き続きご意見やご感想、ご質問などがございましたら、
お気軽に書き込みを頂けますと嬉しいです。
1000レスに到達しそうなので、
次回から三スレ目で更新を続けさせていただきたいと思います。
引き続きお付き合い頂けましたら幸いです。
次回更新時に、次スレのURLを貼らせて頂きます。
それでは、暖かくなって参りましたが、
皆様も無理をしてお体を壊したりされませんよう。
今回は、失礼させて頂きます。
978 :
三毛猫
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2012/05/08(火) 22:04:17.20 ID:J+4mAWs60
こんばんは。
24話の続きを3スレ目で再開させて頂きます。
少女「ずっと、愛してる」 2
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1336482083/
こちらになります。
引き続きお付き合い頂けましたら幸いです。
尚、こちらのスレは1000まで雑談などに使っていただいて大丈夫です。
これからも宜しくお願い致します。
979 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(埼玉県)
[sage]:2012/05/11(金) 21:06:01.96 ID:L6gJhVcoo
乙乙!
589.08 KB
[ Aramaki★
クオリティの高いサービスを貴方に
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