このスレッドはSS速報VIPの過去ログ倉庫に格納されています。もう書き込みできません。。
もし、このスレッドをネット上以外の媒体で転載や引用をされる場合は管理人までご一報ください。
またネット上での引用掲載、またはまとめサイトなどでの紹介をされる際はこのページへのリンクを必ず掲載してください。

さつき探偵事務所 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

1 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:15:19.77 ID:O4NrDKBa0

これは、探偵稼業の2人の女性が、日々の様々な出会いに喜んだり、悲しんだり、
腕いっぱいにたくさんの感情を抱えて生きてゆく物語です。

つきましては、依頼人の皆さまから、お仕事を募集したいと思います。
安価ではありません、いくつかの依頼の中から、お話を紡いでいきます。

※更新は、毎週するつもりですが、不定期になることも了承ください。

依頼の仕方(細かいほうが、早くできます)

1・あなたの性別、年恰好を教えてください。(もちろん実際と異なっても構いません)
2・依頼の内容。(家でした少年探し、奪われた壺の奪還等、難易は特に問いません)
3・その他備考(お笑い、シリアス、ハプニング、エロ有り等)

なお、依頼を出すのは1人につき1回(1週間)です。
募集期間は、金曜日〜月曜日としてください。

それ以外に、感想、意見等はご自由にどうぞ。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1342930519
【 このスレッドはHTML化(過去ログ化)されています 】

ごめんなさい、このSS速報VIP板のスレッドは1000に到達したか、若しくは著しい過疎のため、お役を果たし過去ログ倉庫へご隠居されました。
このスレッドを閲覧することはできますが書き込むことはできませんです。
もし、探しているスレッドがパートスレッドの場合は次スレが建ってるかもしれないですよ。

笑えるな 君のせいだ @ 2024/04/23(火) 19:59:42.67 ID:pUs63Qd+0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aa/1713869982/

【GANTZ】俺「安価で星人達と戦う」part10 @ 2024/04/23(火) 17:32:44.44 ID:ScfdjHEC0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713861164/

トーチャーさん「超A級スナイパーが魔王様を狙ってる?」〈ゴルゴ13inひめごう〉 @ 2024/04/23(火) 00:13:09.65 ID:NAWvVgn00
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713798788/

【安価】貴方は女子小学生に転生するようです @ 2024/04/22(月) 21:13:39.04 ID:ghfRO9bho
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713788018/

ハルヒ「綱島アンカー」梓「2号線」【コンマ判定新鉄・関東】 @ 2024/04/22(月) 06:56:06.00 ID:hV886QI5O
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713736565/

【安価】少女だらけのゾンビパニック @ 2024/04/20(土) 20:42:14.43 ID:wSnpVNpyo
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713613334/

ぶらじる @ 2024/04/19(金) 19:24:04.53 ID:SNmmhSOho
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aa/1713522243/

旅にでんちう @ 2024/04/17(水) 20:27:26.83 ID:/EdK+WCRO
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1713353246/

2 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:20:38.21 ID:O4NrDKBa0

登場人物

本名
西木祝子(にしきのりこ)
仕事上の名前
名坂青(なさかはる)

年齢
26歳
誕生日
9月10日
趣味
クルマ・カフェ・煙草・犬
特技
運転・車いじり・お話しすること
※茶色の髪、ミディアムより短め。快活だが意外に思慮深いところも。胸が大きい。
愛車は、ランサーエボリューションX


本名
高野槻(たかのつき)
仕事上の名前
曾根千佳子(そねちかこ)

年齢
25歳
誕生日
5月9日
趣味
トレーニング・バイク・芸術関連
特技
歌うこと・音感・カギあけ
※黒い髪、肩の下まである。最近、絵を描くようになった。細身の躰は意外と筋肉質。
愛車は、ZZR400。
3 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:22:55.15 ID:O4NrDKBa0

猫の捜索から、お仕事承ります。
危ない橋も、渡れるかも?
相談料、料金等、要相談!
4 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:24:37.62 ID:O4NrDKBa0



 長野県、長野市と松本市のあいだ、佐久市よりは左のほう。
うねうねと長い河が流れている小さな市の某所。
蒼のような黒のような、良く分からない色をした屋根、正確には瓦なのだが、とにかく古風な建物。
あるいは、単に古いだけのおうち。
どちらにしろ、ものは言いようだ。
点在する家屋の中にとけて『さつき探偵事務所』とは書いてはあるが、何の変哲もない、普通の一軒家。
大きな庭に、黄色く、背丈のあるひまわりが咲いている。
小学6年生の男の子よりは身長がありそうだ。
5 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:26:06.53 ID:O4NrDKBa0

 「暑いわあ。あの黄色いのがソーラーパネルなら、うちにケーブルひいてクーラー、がんがんにかけるのにー」
大きな胸を揺らしながら、女性が一人出てきた。
がらがらと音がする引き戸。
玄関からは白黒の犬が一匹。
耳は上半分が折れて垂れ下がっている。
しなやかな筋肉が前脚から後ろ脚まで流れるようなフォルムだ。
重力に逆らわない尻尾、利発そうな顔。
6 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:29:32.69 ID:O4NrDKBa0

 「ねえー、トルク」
起伏のある、曲線の多い、女性らしい躰。
茶色い髪の色で、なんとか首筋が隠れる程度の長さだ。
両耳の横には本人の意志とは離反して跳ね返る癖毛があった。
裸足にサンダル、ゆったりとした紺の半ズボンに半袖の白いシャツ。
ときおり、シャツをぱたぱたとめくり上げ、腰のラインと、それからおへそが見え隠れして煽情的だ。
その上の膨らみを想像するだけで、何とも言えない気持ちになってくる。
7 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:33:50.96 ID:O4NrDKBa0

 名前は、西木祝子。
この探偵事務所の所長だ。
と言っても、メンバーはもう一人しかいないのだが。
 「槻ちゃん、遅いわね、まだかしらー」
しゃがんで、トルク、と呼んだ犬に話す。
はあはあと舌を出しながら、息が荒い。
 「あなたよりは涼しいわ、ごめんなさい。そんな瞳で見ないで」
言いながら、わしゃわしゃと首の周りを撫でる。
犬はごろんと仰向けになり、腹を見せた。
本当なら、触ってやると喜ぶのだが、遠くからメカノイズの混じったエンジン音が聞こえてきたので、そうするのをやめた。
祝子は立ち上がり、呟く。
 「あら、帰って来たわね」
犬はそのままの体勢で転がったままじっとりとした目で睨んでいる。
8 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:36:06.11 ID:O4NrDKBa0

 「トルク、ゴー!」
大きな声で言うと、犬は跳ね起きて駐車場のほうへ駆けていく。
二つの意味で、凄まじい反転である。
一つは肉体的な反応。
さすがの動物らしさで、一瞬にして視界から消えたこと。
もう一つは、精神的な反応。
この女では、遊んでくれないのだろうという判断が、切り替えの速さであらわれたこと。
 「あ、待てー」
口に出した言葉ほど慌てた素振りはなく、のんびりと歩いていく。
ゴーサインを出したのは、犬に向けてであって、自分にではない。
9 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:38:36.44 ID:O4NrDKBa0

 駐車場、というのは家の裏手にある、何もない所を指して言っている。
実際に、二人はここに駐車しているし、お客さんも停めることが多い。
幹線道路からは少し奥に入った坂の上に位置している。
そこに、黒いZZRが入ってきた。
車体の両側にそれぞれ一本ずつ、マフラーが出ているのが、バランス良い。
このバイクを見るたびに、祝子は戦艦を思い浮かべる。
乗り手の細い躰も相まってのことだろう。
10 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:40:59.95 ID:O4NrDKBa0

 「今日も調子が良い。綺麗に鳴ってくれた」
そう独り言を呟いて、ギアをニュートラルに入れ、エンジンを切る。
サイドスタンドを立てながら白いヘルメットを外し、バイクと同じ真っ黒の髪を振りながら言った。
額には汗が、銀色の水玉のように滲んでいる。
名前は、高野槻。
もう一人の事務所員。
言いかえれば、祝子のパートナー。
彼女のすぐそばには、白黒の犬が伏せていた。
11 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:43:21.90 ID:O4NrDKBa0

 「トルク、ただいま」
 「槻ちゃん、おかえり」
もちろん、返事をしたのは家のほうから来たあずさで、犬では無い。
 「ただいま、祝子さん」
跨っていたバイクからおりて、返事をする。
 「どうだった?」
 「ありましたよ。掃除機に付けて、土間を掃除できるフィルター」
 「やったー。どこに?」
それを聞いて嬉しそうに、両手をぽんと合わせた。
 「マツキヨ商店」
きつく掛けたショルダーバックをはずしながら槻が言う。
 「こんなの買わないで、箒で掃けば良いじゃないですか……ってそんなことより、汗だくなので、お風呂に行きます」
歩きながら、通気性が良さそうな、薄手の白いライダースーツ、その前のジッパーを開けてキャミソール一枚になる。
祝子と比べると、ずっと起伏に乏しい躰のラインだが、すらりとした体型が、上から下まで統一されていて、美しさを感じられる。
N700系のぞみ号が好きな人ならきっと、一目惚れするに違いない。
12 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:46:04.13 ID:O4NrDKBa0

 「祝子ちゃん、下はそんな格好だったの?」
 「ええ、買い物するだけですし、すぐに帰る予定でしたから」
玄関に入り、土間の脇に設置されたお風呂セットの棚をごそごそとやる。
 「あっ、シャンプーが切れそうなんだった!」
悔しそうに言った。
 「すっかり忘れていたわねー。しょうがない、今度買わなくちゃ」
外に干してあったズボンを渡して、祝子が言った。
 「どうも。そうですね、ああ、悔しい、そして面倒」
受け取ったのは黒の半ズボン。下方向に三本矢印が出ているメーカーのものだ。
 「鍵、おかなくちゃ」
 下半身、綺麗な爪、すらりとした踵、細くつややかな脚、小ぶりなヒップを露出させながら、
鍵置き場にバイクのキーを置いて、代わりにそこにある風呂場の鍵を持った。
13 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:48:41.89 ID:O4NrDKBa0

 「早く着替えなさいよう」
薄いピンクの下着が、白い肌に良く映えた。
 「よし、行ってきます」
 「待った、靴、そのままじゃない」
 「あ、いけない」
ズボッと音をさせて靴から足を取り出す。
名前は知らないが、沖縄に生えているあの赤い花がデコレーションされたサンダルに履き替えて、つま先をとんとん、と地面につける。
 「うん、私は夕方にしよう」
祝子はそう言って家の中に入って行った。
 槻は、風呂桶にバスタオルと垢すり、石鹸とシャンプーを抱えて歩き始めた。
14 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:51:37.19 ID:O4NrDKBa0



 三分程歩いた所に浴場はある。
わざわざ、どうしてここまでくるのか。
それは、彼女たちの家には風呂場がないからだ。
風呂場がない理由は、この辺りが温泉の多く湧く地であることによっている。
木造の建物には入口が二つあり、左側には赤い文字で『女』右側には青い文字で『男』と書いてある。
槻は赤いほうを選んで鍵を差し込んだ。
青い方に入ったことは一度もない。
15 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:54:10.66 ID:O4NrDKBa0

 カタン、と木造の引き戸に付けられた錠前が回転し、小気味良い音を発する。
これが金属製のドアならば音は、ガチャリとなっていただろう。
続いて、からからと引き戸から音がする。
開ける方向は左から右で、男子のほうは取っ手が反対に付いていて右から左にひらく。
左右の扉の中央には、地域で行なわれるイベントの情報が書かれたポスターが貼られることが多い。
今あるのは道の駅での盆踊り情報だ。
 普段だと、商工会や消防団からのお知らせがほとんどである中、夏は色々な催しものがあるから茶色の古ぼけた掲示板も賑やかに見える。
白い紙に黒文字で大きく『花の駅 千曲川 夕涼みの会』と書いてあり、スイカと花火の赤い色が印象的だ。
この三色から連想できるのは、バイクに乗る自分だった。
車体と髪の黒、ライダースーツの白、そして、ブレーキランプの赤。
 この季節だと菜の花がとてもたくさん良く咲いて、人間もその数には劣るものの、いつもより増えるのだが、
ポスターではそのことにふれていなかったので、惜しいなと思いつつ槻は中に入った。
16 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 13:56:57.54 ID:O4NrDKBa0

 扉を閉め、内側から鍵をかけると、振り返って下駄箱に履いているものを入れる。
この時点で、浴場に何人いるかが分かるのだ。
今は、誰もいない。
靴の数と人間はイコールの関係になるはず。
無意識に、二つで一セットにしているのは自分たちの脚の数を理解しているからだ。
こういう身近な仕組みに槻は少しだけ感心する。
便利というには微々たるもので、ちょっとした気付きが何となく幸せな感じを出していて良い。
17 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:00:04.22 ID:O4NrDKBa0

 そこからもう一回、引き戸に出会って開くと、着替え置き場がある。
祝子は、この引き戸にも鍵が付いていたら家に風呂を設立しただろう、と言っていた。
ぱっぱと手早く服を脱いで裸体になる。
腕を交差させシャツを上にやる動作が色っぽい。
引き締まった腹筋が形づくる腰のラインから続く脇の下、無駄のない上腕三頭筋が美しい。
 前に愛した男は、それが魅力的だと言ってくれた。
何度も飽和させた愛は、やはりその性質上、一定ラインより増加することはない。
満たされないという感情は、最大まで満たした状態の一線を越えることができないからなのだろう。
虚しさとは違う。
それはある種の贅沢な悩みだった。
 恋をしていたあの頃は今ではない。
それは元から実体のあるものではないが、二人の間から空気に混ざり、拡散していった。
突然のこんな思考から脱出するように、硝ガラス戸をあけて浴場に入りながら、
どうしてそんなことを考え始めたのかを思って、頭を横に振る。
自慢の長い髪が少しだけ邪魔に感じた。
18 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:03:20.50 ID:O4NrDKBa0

 透明が揺らぎながら、大きな浴槽に張られていた。
この空間で最も澄んでいるのはお湯、その次は空気、そして自分の声だと思っている。
白い湯気が天女の纏う羽衣のようだ。
 「信濃の国はー十州にー境連ぬる、国にしてー」
 誰もいない時は、小さな声で歌をうたうことにしている。
それでも響き合った音は、どこかの誰かの耳まで聞こえてしまうようで、人々には『歌姫』というあだ名を付けられた。
初めは『うたのおねえさん』だった。
すくったお湯を、全身にかける。
タオルに石鹸をつけた。
19 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:06:11.37 ID:O4NrDKBa0

 「そびゆる山はいや高くー渡る川はいや遠し」
 長野県民ならば皆が歌える『信濃の国』という歌。
ここで、生まれて育ち、大人になって、気がつくと、この仕事をやっていた。
隣には、西木祝子が一緒だった。
それまで、実は眠っていたのかもしれない。
 大学を出てから、どうしやってここまで来たのかは自分でも不思議だ。
起きて寝る、寝たら起きるように、生きることはコインの表裏みたいに点滅を繰り返しているのだろう。
反対側は覗けずに、結果だけが後を引く航跡のようだ。
 自分が見てきたのは全て表だけであったのかも知れない。
躰を洗いながらそんなことを考えた。
こういうのは、祝子から貰った癖だと思う。
ごしごしと擦ると、滑らかなボディは、良く泡が立った。
20 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:08:26.38 ID:O4NrDKBa0

 「松本、伊那、佐久、善光寺―」
 昔の自分と、今の自分は同じなのだろうか。
歌に込めた意思は、未だにメロディを奏でているのに対して、過去の記憶は堆積して淀んでいる。
輝きを比べようとはしていない。
どちらも、槻にとっては大切であった。
髪を洗いながら考えるあれこれが、シャンプーの泡立ちみたいに、ふわふわと舞う。
21 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:11:56.53 ID:O4NrDKBa0

 「おい、これ、歌姫だよな」
突然、高い壁の向こう側から、声変わりのしていない、まだ幼く高音域を残した声がする。
きっと、近くの家の子供たちだ。
 「なによ、邪魔しないで」と少し意地悪に言ってみる。
大人になればなるほど、子供をいじって遊ぶのは面白い。
 「あー、合唱してやろうと思ったのになー」元気な、弾むような声が返ってきた。
 「これ、ソロだから」思わずこぼれる笑みを隠す必要はない。
お互いに表情は全く、分かるはずもないからだ。
 「いいよ、俺たち勝手に歌うから」
 そう言って歌い出した子供たちの音は、意図せずに融け合って、何とも不思議な和音をつくり出した。
それが一層、微笑ましい。
22 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:14:59.31 ID:O4NrDKBa0

 「四つの平らは、肥沃の地―」
一杯に溜まったお湯に躰を滑らせ、心地良く浸かった。
聞くだけではもったいないと思って、槻も自分の音を混ぜる。
 「海こそなけれー物さわに」
 人と人との結びつきは、その強さはどこで、なにで決まるのだろう。
自分にとって重要か、好きか、要因はきっとたくさんあるのだ。
そして、それを考えることこそ、絆というものなのだろう。
 「万ず足らわぬ事ぞなきー」
 人間は、人形と同じで、繋がる線を断ち切っては立っていられない。
そう考えると、身の周りには良く似たものがいくつもある。
電気も、火も、風も、水も……。
この世界はそうして成り立っているのであって、挙げるときりがない。
23 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:18:22.20 ID:O4NrDKBa0

 ふうーっと長い息をはいて、もう出ることにした。
公衆浴場だが、その実温泉なのでとても熱い。
火照った躰を冷やすため、端にある水道の蛇口をひねって桶に溜める。
暑さから逃げてここに来たのであれば、水だけ浴びて帰れば良いと思うのだが、そうもいかない。
これだけ綺麗な水が、自己の膨脹を押しとどめて流れているのを目にしてしまえば、入りたくもなる。
 しかし、直後に浴びる冷水は気持ちが良い。
焼き入れされた刃の気持ちが分かったような気がする。
 「私、もう出るねー」
上のほうを見て声をかけた。
本来その視線の先には時計がかかっているはずなのだが、もうもうと煙る蒸気で、全く見えなかった。
 「おー、またなー」
無邪気な声が、槻の首筋に当たって、弾けた。
24 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:21:37.58 ID:O4NrDKBa0



 「暑うい」
祝子が、だらけた声を出した。
仕事の依頼者の話を聞く客間と、二人の居住空間としての居間との両方の顔を持ったこのずぼらな場所は、
その主の、涼しくなりたい、という願いを叶えてはくれない。
 「槻ちゃん、アイス買ってきて……」という二つ目の願いを上書きして、再びうなだれた。
名前を呼ばれた彼女は今ごろ裸でお湯の中だ。
溶けて無くなっていないと良いが。
 土間では、犬がコの字になって転がっていて、呼吸するたびに胸が上下しなければ死んでいると勘違いしてしまいそうだ。
25 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:24:57.73 ID:O4NrDKBa0

 「トルク、生きてる?」
その言葉に、犬の耳がぴくりと動いた。
 「よし」短く、息をはくように呟いて、座っていた椅子から立ち上がる。
L字の白いテーブルはガラス製で、今まで腕を置いていたところには透明の粒がきらきらと転がっていた。
直線が折れるのをくいとめるみたいに、21.5インチのモニターが置いてある。
白い机に白いPCでは、どちらも存在感がない。
 互いに融合して、そこには何もないと思わせるように希釈された空間だった。
槻が言うには飽和の度合いがとても少ないらしいが、何のことか分からなかった。
ちょっと知りたいが、今は調べる気にもなれない。
すぐそこに横たわるソファーはいぐさで編んである洒落たもので、畳みの上から生えている印象を受ける。
26 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:28:27.34 ID:O4NrDKBa0

 茶色の髪を揺らして、その横を通り、犬のいる土間でサンダルを履いて、
車の鍵を取り外に出ると、途端に、待ち構えていたような太陽光に撃たれた。
 「眩しいっ」目を瞑る前に、足元にじゃれつく白黒が見えた。
サングラスを取りに行くのも面倒だと思って、そのまま駐車場のほうへ歩く。
銀色のサンダルが光を反射して、目映さの粒子を振りまくようだった。
それを嫌ってなのか、この犬は祝子の後ろを歩かない。
27 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:30:51.02 ID:O4NrDKBa0

 「トルク、待て」
先行する犬に、止まるよう指示する。
それを聞くと、ぴたりと止まって、振り返らずに伏せた。
丸くなる姿がかたつむりのようだ。
 庭に植わっている大きな杉の木は、一人と一匹に日陰を与えてくれている。
祝子は、傍らの歪な玉の形をした石に腰かけ、ズボンの右前ポケットから白い箱を出した。
赤く、シャープな文字で銘柄が描かれている。
一日三本までという自分のルールを守る代わりに、禁煙はしない。
28 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:33:20.64 ID:O4NrDKBa0

 「煙くなるから、風下に立たないでね」
一応、マナーとして、犬には一言断って、左の前ポケットから出したライターで火を付ける。
 かしん、という音がして、咥えた煙草の先端が赤く燃えた。
全天候型の力強い炎が立ち上がるもので、これさえあれば雨の中でも吸うことができる。
 「ふぅー」祝子は上を向いて、白い雲をはき出した。
木陰とプラスして、これでもう、陽の光は自分には届かないだろうと考えた。
しかし、同時に、そうなると自分の姿は像を結ばなくなるのではと思って不安になったが、
例えそうであっても犬なら鼻がきくだろうと気が付いて、引き続き煙草を味わった。
 短くなってゆく煙草を、唇で保持しながら、駐車場の自分の車に近づく。
29 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:36:13.68 ID:O4NrDKBa0

 黒のランサーエボリューションX。
フロントとボンネットにあるエアインテークが、平坦になりがちな外観にアクセントを加えている。
僅かに盛り上がったフェンダーも主張がうるさくなくてちょうど良い。
横から見た時のバランスも美しく、流れるような車体の後ろには大型のリアスポイラーが付いていて、離陸する前の戦闘機のようだ。
祝子は、この洗練された無骨さを備えた車が好きだった。
 煙をはきながら、車のドアをあける。
煙草に残った灰を、雑草が少し生えた緑色の地面に落として、運転席に乗り込んだ。
黒いボディが右側にほんの少しだけ沈む。
 さっきから犬は同じ場所に伏せていて動かない。
あの格好のまま銅像になったら、だらしがなくてどこにも飾れないなと祝子は思う。
30 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:38:41.96 ID:O4NrDKBa0

 灰皿に煙草を放る。
鍵を差し込み、クラッチぺダルを踏んで、バッテリーを起こした。
エンジンに点火はしない、アクセサリーの状態になったのを確認して冷房を一番強くした。
 ごう、と鳴って吹き出し口からの冷たい風が躰を撫でる。
どんどん汗が引いてゆくのが分かった。
 「ああー」
まるで、風船から空気が抜ける時のように、祝子は溜息をついて少し縮んだ。
それから、風の向きを胸に当たるようにして、座り直す。
 「気持ち良いー」
そう言って、目を瞑る。
 呼吸に合わせて上下する豊かな胸は、最も熱く、汗が溜まる場所である。
こんなことをしていないで、千早と一緒に風呂に入れば良かったという若干の後悔を心の中で揮発させ、ラジオをつけた。
31 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:41:40.64 ID:O4NrDKBa0

 今は夏、山とスイカと高校野球の季節だ。
海はこの県には置いてない。
だから、山とスイカと、高校野球。
 チャンネルを合わせると、甲子園大会長野県予選の試合結果がちょうど放送されるところだった。
なんて運が良いのだろうと思いつつ、流れ来る音声に耳を傾ける。

 こんこん、と誰かが窓を叩いた。
無粋な輩がいるものだ、と三回戦の結果を聞きながらそう思って、仕方なくも目を開いた。
32 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:44:16.33 ID:O4NrDKBa0

 「あけてください」
黒い髪をしっとりと濡らした槻が立っている。
しかし、太陽からの熱烈な視線で、半分くらいはもう乾きそうだ。
 「なあに?」窓を開きながら訊いた。
 「うわあ、涼しい!」
車の内側から漏れてゆく空気に触って槻が驚く。
 「車でクーラーつけるなんてもったいないですよ」
 「だって、部屋の中はつけちゃいけないじゃないの」口を尖らせて文句を言う。
 「お客さんが来た時は良いって決めてあるじゃないですか」
 「暑いのに、今はいないわよ」
 「私たちに合わせて来てくれる依頼人はいませんよ、普通」槻が諭すように話す。
 「アイスがありますから中に入りましょう」
 「あら、ここだって、中よ。でも、分かったわ、アイスがあるとなれば話は別。槻ちゃん、良く買って来てくれたわね」
 バッテリーをオフの状態にして鍵を抜き、車から降りた。
車体が僅かに揺れる。
33 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:47:04.30 ID:O4NrDKBa0

 「お風呂で、ちょっと歌ったんです」歩きながら槻が言った。
毛先が濡れているぶん、普段より大きな加速度で黒い線が、ゆらゆらとする。
 「縁側で食べましょうか」
 「そうね」祝子が答える。
縁側は、肌色の木材でできているため、そこまで熱を吸収するものではないが、それでもやはり、熱さは残っていた。
 「はい、どうぞ」
箱をべりべりとあけて、赤と紫の棒を一本ずつ取り出す。
そして、片方を祝子に渡した。
 「アイスキャンデー!」
待ってましたとばかりに受け取って、袋を破り、口に入れた。
舌の上で冷気が発散する。
じんわりと甘い余韻を残し、その後で、何もなくなる。
それの繰り返しが心地よい。
こうしてぼうっと舐めていると、これは煙草と似ていると感じる。
この快さが氷結した棒を眺めながら祝子は訊いた。
 「信濃の国?」
34 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:49:46.47 ID:O4NrDKBa0

 「え?ああ、そうです。男の子たちと」赤いアイスキャンデーを口から出して、槻は話す。
 「何、槻ちゃん、男風呂入ったの?」
 「違います。ねえ、祝子さん、幸せの鳥って、どうして青くて、近くにいるんだと思いますか」
疑問というよりは、ほとんど呟きに近い抑揚で話す。
 「青って色はね、光の中で一番強いのよ。幸せはね、それだけ自分を発揮させているのだから、気付いてくれーって、いつも人の近くに寄ってくるの」
 「それを分かるって、ずいぶん簡単な気がしますけど?」
 「うん、だから、全部、何もかも、自分次第なのよねえ」
ごろんと縁側に横になり、そっと目を閉じながら、祝子は話を続ける。
 「そう。隣にいるのはいつも青い鳥……。私にとっての槻ちゃんね。捕まえたから、幸せが手に入るのかしら」
35 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:52:52.57 ID:O4NrDKBa0

 「少なくとも、籠の中の私は、幸せです」柔らかく、笑った。
 「……その鳥は閉じ込めてはいないわ」
 「どうして?」祝子の瞳を覗いて、訊く。
 「少なくとも一羽は、自由にしてあげたいから。この籠は、ずっと空のまま」
 ぱん、と手を叩いて犬を呼ぶ。
よしよしと二人で撫でて、ふさふさの毛をくしゃくしゃにした。
このまま撹拌していけば、そのうち灰色になるのではないか。
 「私は、あなたのものです」ふと手を止めて、槻が呟いた。
 「その代わり、私は、あなたのもの」祝子が答える。
 「交換ね」
 ふふ、と二人は微笑んで、それからまた、溶けかかっているアイスキャンデーを舐める。
 その時、じりりんという音が居間で、高らかに鳴り響いた。
36 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/22(日) 14:54:58.72 ID:O4NrDKBa0

はい、導入部はここまでです。
あとは依頼人の皆さんにお願いしますね。

それでは次回!
37 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/22(日) 17:00:24.79 ID:kxuBk6z0o
性別:男
年恰好:11才 Tシャツ、短パン、サンダル
依頼内容:
姉ちゃんが家出しちゃったんだよ!
姉ちゃんがいなくなったのは2日前で、まだ何の連絡もねーんだ
今までもそういうこと何回かあったから、親は全然気にしてないみたいだけど……
でも、俺、見ちゃったんだよ。 先週ぐらい、姉ちゃんが変な男と話してるの
あれ、新しいカレシなのかなぁ、って思ったけど、それにしちゃ年離れてるっぽかったし……
なんか嫌な予感がするんだよ!おねがいだよ、探偵さん!姉ちゃんを見つけてくれよ!
お金は、ほら、俺がお小遣い溜めた、この貯金箱あげるから……!
38 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(三重県) [sage]:2012/07/22(日) 22:18:08.03 ID:6nd03Yrho
いいね
39 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/25(水) 01:12:05.98 ID:xy2bZTZuo
全力支援
40 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [age]:2012/07/27(金) 19:55:38.80 ID:SiQ1sDJm0

こんばんは。
更新は、明日の晩を予定しています。

ひとつ確認なのですが、依頼の募集は、
1週間につき1人ではなく
1人につき、1週間に一度です。
41 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:11:23.54 ID:EHA+HTIO0



 「あ、私出ます」
そう言って、槻がサンダルを脱いで居間へ上がっていくのを呼びとめて、祝子が言う。
 「待った!」
 「何ですか?」
 背後では二人を催促するかのように電話が叫んでいる。
 「どうして、電話って、『出る』って言うのかな」
 「はい、こちら、さつき探偵事務所」
槻が、飛んできた行き先不明の質問を回避して受話器をあげた。
42 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:16:53.58 ID:EHA+HTIO0

 「探偵さんか?姉ちゃんが家出しちゃったんだよ! 姉ちゃんがいなくなったのは二日前で、まだ何の連絡もねーんだ。
今までもそういうこと何回かあったから、親は全然気にしてないみたいだけど……」
どうどうと流れ来る言葉の奔流にたじろぎながら、槻は答える。
 「そう、お姉さんが?」
 「うん」
きっと電話口で俯いたのだろう。
声がくぐもって聞こえた。
 「たぶん男の子、お姉さんが家出、二日前、どうします」
素早く受話器の話し口を塞いで、祝子に訊く。
43 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:22:06.87 ID:EHA+HTIO0

 「よし」
首を縦に振った。
 「あ、ごめんね。詳しいこと訊きたいから、うちの事務所まで来られるかな?」
 「自転車で三十分くらい」
 「今からで大丈夫?」
 「大丈夫。急いで行くから」
 「ううん、慌てないで、ゆっくりで良いから。
あと、お姉さんの全身が映っている写真を持ってきてね。それから、車に気をつけて」
勢いに押されて、歳も性別も訊いてはいないが、最後の気遣いはどうにか伝えられた。
44 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:27:27.21 ID:EHA+HTIO0

 「なんだって?」
電話を切った槻に話しかける。
今まで大人しくしていたぶん、問いたいことはたくさんあるのだろう。
彼女はここの所長でもあることだし、ついでに言えば、祝子は槻の一つ年上だ。
 「えーっと、お姉さんが、家出したそうなんです」
 「それで?」
 「何日か前らしくて、連絡もないみたいで」
 「ふーん。詳しくは、本人からじっくり、ね」
祝子が咥えた棒を上下に揺らしながら言った。
アイスの部分はすでに消失している。
45 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:30:13.47 ID:EHA+HTIO0

 「ああ!」
 突然槻が、大声を出した
 「なによう」
 「アイス、最後の一口、私いつ食べたか知りませんか?」
 「知ってるよ、電話に出る直前」
再び祝子は、縁側にごろんとなりながら言った。
 太陽は、天頂距離を少しだけ増して、今日も変わらずに動いていることを人々に主張している。
少なくとも、さっきと同じところに転がっている祝子を見て、この人よりは勤勉であるとは思った。
そういえば、犬も動いていないな、とも考えて、持っていた木の棒を銀色のゴミ箱に入れた。
46 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:34:03.92 ID:EHA+HTIO0



 急ぎのギアを一段ほど下げたらしく、四十分経って、庭に自転車の停まる音が響いた。
そこに鎮座している車を見つめて呟くのは、槻の予想通り、男の子である。
 「うわあ、すげえ」
彼の全身は、もちろん汗でびっしょりと濡れていた。
これなら、帰りにどれだけ雨が降ろうとも安心だ。
手に持つバッグを度外視すればだが。
47 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:39:17.66 ID:EHA+HTIO0

 「こんにちは」
表のほうから、犬が出てきてそう言った。
 「ど、どうも」
男の子は、ぺこんと腰を曲げて挨拶を返す。
もちろん犬にではない。
遅れて出てきた槻に向かってである。
犬は決して人間の言葉を話しはしない、人の言葉は分かるけれど。
 「良く来てくれたわね。疲れたでしょう、事務所の中でお話訊くから、ついてきてね」
 こくんと頷く。
少し緊張気味だ。
48 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:43:57.82 ID:EHA+HTIO0

 すでに着替えを終えて、プロフェッショナルなモードに入っている槻の姿を形容するならば、大きくなった少女、だろうか。
実際、彼女の後ろを歩く彼も、そう思っていた。
頭の上の白い髪留めと、水色のワンピースが絵葉書のように決まっている。
長い髪は垂らしたままで、普段と違うのは首元のところで一度、薄い黄色のシュシュで結んであることだ。
そこから滑らかに流れる髪は、意志を持っている生き物のようだった。
49 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:49:50.14 ID:EHA+HTIO0

 「私は、曾根千佳子、よろしくね」
前を見たまま、槻はいつものように、仕事上の名前で自己紹介する。
偽名ではなく、あくまでも、仕事上というのが二人の中で共通の見解なのだ。
 「この犬は?」
揺れる尻尾を追いながら、男の子が訊いた。
 「トルクっていうの。さ、遠慮せずに上がってよ」
玄関をあけ、土間でサンダルを脱ぎながら、槻が微笑む。
50 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:55:20.76 ID:EHA+HTIO0

 相方の祝子は、すでに客間の自分ポジションに据えられていた。
ただし、格好は変わらずに、半袖の白いシャツだったので、その空間は下半身の紺だけが存在を宣言している。
 「ちょっと、青さん、着替えてないんですか……」
がっくりとうなだれて、槻が言った。
 「いらっしゃい。ここ、クーラー効いてて涼しいから、そこで待ってて」
男の子に向けてそう言い放ち、彼女があらかじめ用意していた赤いTシャツを持ってくる。
51 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 20:59:55.21 ID:EHA+HTIO0

 「はい、今着てるやつ脱いで」
 「えっ?」
この疑問は当然のものであるのだが、祝子はうろたえる男の子にはおかまいなしに、上半身の服を剥ぎ取った。
まるで山賊だと、横で見ている槻は思う。
 「わわっ」
半裸になった男の子の小さな叫びを振り切って、祝子がタオルで躰を拭く。
水で冷やしていたものだ。
 「冷たい!」
 「気持ち良いでしょー」
 わしゃわしゃと、濡れた犬を乾いたタオルで乾かすように擦る。
今この状況とは全く逆なのだが、同一直線上で反対に向かうベクトルのように、遠くて意味の近いものだった。
52 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:04:59.14 ID:EHA+HTIO0

 「青さん、もう良いですよ」
この言葉が助け舟になると良いとの願いを込めて、話しかける。
 「うん。じゃあ、これ着て」
そう言って被せるように着せたそれには、事務所の名前がプリントされている。
しかし、背中に書かれているので男の子は気が付かない。
前面は、Sの文字が流れる千曲川と、さつき探偵事務所の頭文字をモチーフに印字されている。
このシャツは、依頼人にサービスであげているもので、言ってみれば、広告の役割を期待してのものだった。
赤地に銀の文字は、議論と喧嘩の末、槻が勝ち取った。
祝子のセンスだと、緑地に灰色の文字になる。
53 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:08:24.81 ID:EHA+HTIO0

 「ありがとう」
 突然こんな目に遭って、良くも礼が言えたものだと感心したのは槻である。
犬はさっきから珍しいものでも観察するように傍にいて離れない。
彼の周囲の気温が一度は上昇しているだろう。
 「この格好良いのは、千佳子ちゃん、干しておいて」
 指示に従って、槻は玄関前の物干し竿に洗濯バサミでシャツを留めた。
54 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:11:56.20 ID:EHA+HTIO0

 「さて、すっきりしたところで、そこに座って」
祝子は、小柄な男の子の目線で話すのだが、屈むと胸の谷間が強調される。
 「お話、詳しく訊かせてくれるかな」とそんな状態で言われても、思春期の少年には厳しいものがあった。
 「この人は、ここの所長さんの名坂青さん」
フォローのために、上手な横やりをいれてやる。
紹介にあずかった祝子が、笑って手を挙げた。
55 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:18:04.34 ID:EHA+HTIO0

 「改めて、何があったのか教えてくれる?」
槻が、優しいお姉さんで訊く。
冷蔵庫で冷えていた水を、思い出したように持ってきた。
 「わあ、優しい」
祝子が茶々を入れた。
 「私はいつでも優しいじゃないですか」
 「姉ちゃんがいなくなったのは二日前で、こういうことって前にも何回かあったから、親はあんまり気にしてないんだけど……」
 ぽつり、と音が鳴りそうな感じで男の子は話しだした。
56 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:21:58.84 ID:EHA+HTIO0

 「うん」
 「でも、俺見ちゃったんだよ、先週ぐらい、姉ちゃんが変な男と話してるの」
 コップの中の水が揺らぐ。
そうして初めて、その存在が認識できた。
 「それで?」
 「あれ、新しい彼氏なのかなぁ、って思ったけど、それにしちゃ年離れてるっぽかったし……」
 「お姉ちゃんいくつ?」
祝子が訊いた。
 「十四」
 「三つ上なんだ」
槻が確認して続ける。「男の人は、どれくらい?」
 「良く分からない。二十くらいかな」
 「歳上にもてるのか……」
祝子が、どうでも良さそうなことを呟いた
57 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:25:31.60 ID:EHA+HTIO0

 「なんか嫌な予感がするんだよ!おねがいだよ、探偵さん!姉ちゃんを見つけてくれよ!」
 「話は分かった。だけどね少年、無料という訳にはいかないよ」
真剣な瞳で男の子を見据えて、祝子が言い放つ。
十一歳の子には、少し重すぎるかもしれない問いかけだった。
それでも、男の子は勇気をもって返事をする。
 「お金は、ほら、俺がお小遣い貯めた、この貯金箱あげるから……」
 五百円玉を入れて、全部で二十万円になる、四角いものだった。
58 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:32:13.79 ID:EHA+HTIO0

 「強い子ね」
 大切にしていたであろうその箱を、胸を張って差し出す彼を見ながら、槻が言う。
小さな掌で、軽く頭を撫でてやった。 
 「中に、いくら入ってるの?」と祝子が訊くと、すぐに答えが返ってくる。
 「十万円」
 「じゃあ、手付金として半分支払ってちょうだい。解決したら、もう半分」
 「どうする?やめるって選択肢もあるよ」
槻が隣から、ゆっくりと話しかける。
59 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:36:03.23 ID:EHA+HTIO0

 「親は大して心配してないみたいだし、警察も相手してくれない……お願いします」
潔く頭を下げる男の子の瞳は、もう子供のそれではなかった。
 「それじゃあ、領収書は、『お姉さん想いの少年』で切っておくね」
契約を成立させ、証紙に書き入れながら、槻が言う。
この笑顔を見られただけでも、いくらかの価値はあるだろう。
 テーブルの上には、祝子が数えた五万円分の五百円玉が、姉を探す代価として積まれていた。
60 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:40:18.15 ID:EHA+HTIO0



 「で、これが写真ね」
 ショートカットの黒い髪、前髪が四対六の割合で左右に割れている。
くりくりと大きめの瞳、ぼんやりと引かれた眉毛に、槻はのんびりとした印象を受けた。
きっと実物を見ても同じ感想を持つだろう。
 「ふうん、美人」
短評を述べて、祝子が立ち上がる。
 「学校じゃ、結構人気あるらしいんだ。何が良いのか分からないけど……」
 真っ直ぐと伸びて、きちんと整列したひまわりを眺めて言う。
しかし、視線の先の植物は、見つめていても首を傾げてはくれない。
61 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:44:21.35 ID:EHA+HTIO0

 「少年、携帯電話、持ってる?」
祝子が、上から茶色のシャツをはおりながら訊いた。
メッシュ加工で、通気性が良さそうだった。
 「そんなもん、持ってないよ」
 さすがに、小学生のうちから所持している人間は、この県には存在しないだろう。
 「おっけ。これからさっそく、調査に出るからね」
そう話す祝子の後ろで、槻は縁側に上がる廊下のガラス戸を閉める。
電話を、留守番の設定にして、また祝子が言った。
 「もし何かあったら、家の電話にかけるから。そうね、お友達の名前は『ちーちゃん』ね」
62 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:48:06.80 ID:EHA+HTIO0

 「千佳子だから?」
 「そう、この子」
 「反対に、私たちに何か話したいことがあったら、ここに番号が載ってるから、どっちでも良いよ、よろしくね」
槻が二人の名刺を渡す。
 『さつき探偵事務所 曾根千佳子』
 『さつき探偵事務所 所長 名坂青』
 それぞれの名前の下に、携帯電話の番号が書かれている。
 「分かった」
男の子は、こくんと頷く。
 「もう乾いたと思うから、干してあるシャツに着替えていくのが良いんじゃないかな」
槻が、男の子に促した。
63 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:52:10.82 ID:EHA+HTIO0

 「じゃあ、分担ね。千佳子ちゃんは、千曲川沿いとしなの鉄道の各駅、私は篠ノ井線。
先に終わったほうが、篠ノ井駅からの信越本線捜索ね」
 「俺は?」
 「おうちから、一時間で行動できる範囲を調べてみて」
男の子には、槻が指示を出した。
 「うん」
 「よーし。それじゃあ、今から三時間、お仕事開始!」
 祝子が壁にかかった時計を見ながら言う。
時間は、二時五十分だった。
64 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 21:56:43.59 ID:EHA+HTIO0



 きゅるる、と一瞬のかん高い音に続いて、ぼぼん、というエンジンの音がした。
キャブレターから供給される燃料を四つのストロークで燃焼させている。
二本のマフラーは、質の良い低音を奏でていた。
 「格好良いよなー。いいなあ!」
 男の子が、自分の跨る自転車を見て、その後でバイクを見て叫ぶ。
彼のは、町中でお母さんたちが乗りまわしているタイプのものだ。
65 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:00:21.12 ID:EHA+HTIO0

 「大きくなったらね」そう言って、槻がフルフェイスのバイザーを閉じる。
 服装は、ライダーとして完全装備の最も涼しいものなのだが、この三人と比べると抜群に暑そうだ。
 「じゃ、よろしく」
ごろごろと唸りをあげるエンジンをなだめながら、祝子が声をかける。
ランサーエボリューションXの黒い車体は、蒸した空気の中を押しのけているようだった。
対して、槻のZZR400は、大きなカウルが、風を切るという表現が相応しい。
66 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:06:51.96 ID:EHA+HTIO0

 「先に行きます」
 ギアを一速に入れて駆け出す。
駐車場を出て少しの所で一時停止のマークがあるから、いつも槻が先行だ。
その後を厳めしい四輪が追いかける。
祝子はいつも二速に入れて発進する。
その理由のほとんどが、面倒だから、というものだった。
ぶおんとアクセルを軽く煽り、運転席の窓をあけて、男の子に手を振る。
 槻に続いて、祝子もあっという間に停止線を越えて、見えなくなった。
 一人残った彼も、自転車を漕ぎ出す。
来る時は大変だったが、帰りは楽だ。
丘の上からの下りが、しばらく続いていく。
 一番風を感じられるのは、間違いなく自転車だな、と男の子は思った。
67 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:11:29.48 ID:EHA+HTIO0



 川沿いの捜索では、途中で停まり、土手も見てみた。
一時間半経ったが、何の連絡もない。
ここもだいぶ探したはずだ。
ひとまず、次の場所へ移動しなければならない。
駅にいる人間に訊けば、何かと情報が得られるはずなのだが、今のところ、何も入手できていなかった。
 この先、考えられる展開は二つ。
調査を進めていくうちに、何らかの話を聞ける。
もしくは、進めても、無駄足。
 前者の場合、調査範囲にアタリがついていることになるが、後者だと、遠ざかることになる。
それが恐ろしかったが、いつもの通り、祝子の勘にかけた。
目に見えて確信できるものではないが、これを信頼と言うのかも知れない。
68 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:15:33.07 ID:EHA+HTIO0

 ZZRのガソリンの残りは気にならない。
代わりに陽がだんだんと傾いていくことに少し焦った。
暗くなってしまっては捜索の進捗が格段に落ちる。
一日で見つかると良いのだが……。
 そんなじれったさとサイドスタンドを踵で蹴り上げ、
再びスロットルをあけて、まばらに通り過ぎる自動車の間に、とびこんだ。
 槻はまた、川沿いの道を流していく。
69 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:19:11.13 ID:EHA+HTIO0



 「あ、千佳子ちゃん?」
 「はい。ちょうど良かった」
 「うん、今どこ」
 「これから信越本線に入ります。青さんは?」
 「色々回ってて遅れてたんだけど、結果オーライ。直接、川中島駅に向かって」
 「了解です」
 「最近、その辺りで複数の男たちと少女が降りるらしいのよ」
 「国立S大の工学部ありますもんね」
 「その連中か分からんけど」
 「じゃあ、早速」
 「私も、後から行くから。それから、少年の家に電話しといてね」
 「はい」
70 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:23:34.49 ID:EHA+HTIO0

 電話を切って、またすぐかける。
なかなか出ないと思っていると、留守電に切り替わった。
槻は録音を残す。
 「もしもし、ちーちゃんだけど、えーっと」
最近の小学生は、何で呼び出せば良いのだろうかと、逡巡した。
 「カブトムシ、たくさんいるとこ見つけたよ。川中島駅に集合ね、じゃ」
 なんとも平凡な待ち合わせではないか。
我ながら感心して、携帯電話をしまう。
 アイドリングしていたエンジンに、一速のギアを繋いで派手に吹かした。
前輪が浮く寸前で三速に入れる。
がおん、という音とともに、勢い良く振れたタコメーターが鳴りをひそめる。
すでに時速七十キロメートルを越えていた。
 その辺をぶらぶら走っているネイキッドとはものが違う。
タイプはツアラーなのだが、中身はスーパースポーツと呼べるほどの性能である。
ガソリンタンクに胸を当てるような格好で疾走していく槻は、これから先の信号が赤にならないことと、
警察のみなさんが少し怠けていてくれることを、いっぺんに願った。
71 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:28:59.82 ID:EHA+HTIO0



 「どうも、ありがとうございました」
祝子が丁寧に挨拶をするのは篠ノ井線の車掌だ。
田舎の小さな線ではあるが、日々の利用者を良く見ていてくれた。
 「お仕事熱心なんですね、これからも頑張ってください」
愛想良く頭を下げて続けた。
 きっと四十手前だろうと目の前の男性の顔を見つめながら考えた。
72 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:32:33.01 ID:EHA+HTIO0

 「また、何かあったらお願いします」
 相手の両手を掴んでお礼を言いながら、なるべく胸を寄せるように心掛けた。
 「ああ、駅のほうにでも電話くれれば、事前に何か対応できるかもね」
 どうやら効果は、まあまあといったところか。
 「それじゃあ、失礼します」
 駅の目の前に停めた愛車に乗り込む。
発進する前に、手を振った。
 「千佳子ちゃん、もう着いたかしら?」
 一人きりの車内では彼女をそう呼ぶ必要はないが、仕事モードの間はどうしても、統一されてしまうのだった。
73 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:37:51.26 ID:EHA+HTIO0

 「もう五時かあ」
 運転を続けていると、訳もなく呟きたくなるものだ。
他とはある程度の隔離された空間が、やはり心地良い。
 電話ボックスも同じ原理だろう。
社会の波に、浸かりすぎると孤独が恋しくなるのは万人の共通認識なのだ。
 狼がちょっぴり格好良いのも、同時に悪者扱いされるのもこういった意識から来ている。
 出発した時につけたラジオはチャンネルがそのままで、そろそろ五時ちょうどを知らせるだろう。
74 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:41:50.49 ID:EHA+HTIO0

10

 四速から三速へ。
三速から二速へ。
前輪の制動をかけながら、スロットルバーを捻って、回転数を合わせる。
クラッチを握っては離すを二回繰り返した。
 段階的にしか減速できないのは、駆動が回転力を伝達するものだからだ。
ジェットエンジンの推進力ならば、余計な動作は全て不要になる。
しかし、その反面失われるものは、操作だ。
人間は、余計なものを必要とする珍しい生き物なのかも知れない。
75 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:46:10.33 ID:EHA+HTIO0

 駅舎の前で完全に停止してからギアをニュートラルに入れて、エンジンを切る。
鍵は、ジッパーの付いている胸ポケットに入れた。
 ほとんど無意味にも思える六つの段を踏んで、ホームに向かう手前のベンチを見る。
誰も居なかった。
 次は、その隣の待合室を覗いた。
少女が、横になっているのを見つけて、心臓が波打った。
無造作に置かれた長椅子に、仰向けになっている。
76 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:54:32.25 ID:EHA+HTIO0

 写真の少女に間違いないだろう。
見廻りもしないで、駅員は何をやっていたのだろうか、という疑問が浮かんだが、
それと同時に、自動販売機で水を買うことを考えた。
無駄な問いかけの紙風船を膨らませるのは後回しにする。
 五百ミリリットルのペットボトルで、百二十円だ。
左の前ポケットから、二枚の硬貨を取り出して、入れた。
 がたん、という音を無視するように、落ちてきたばかりのボトルをひったくった。
ついでに、おつりも今は待機させておこう。
77 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 22:58:51.09 ID:EHA+HTIO0

 「ねえ、しっかり」
静かに躰を揺するが、何の応答もなかった。
腕がだらしなく垂れて、口も半開きだ。
瞼をあけ、瞳を覗き込んでも、鈍い光がぼんやりと混じるだけである。
その中で、ぷっくりとした唇だけが、つやつやと自分の役割を果たすようにしていた。
 「起きなさい」
 意外と、こんな文句に驚いて、跳び起きるかもしれないと槻は考えて、言ってみるが、全然反応がなかった。
自発呼吸をしているので、死ぬ心配はないとは思うのだが、意識がない時点で何かしら危ない。
78 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 23:02:42.65 ID:EHA+HTIO0

 とりあえず、水を飲ませようとしていると、表で祝子のランエボの音がした。
エンジン音が静まると、ばたんとドアが鳴って祝子の声がする。
 「千佳子ちゃん!」
 「青さん、救急車を」
どうして今まで、呼んでいなかったのか。
改めて、余分なものが膨らみかけた。
 「駅員さん、大至急、救急車呼んでください」
祝子が叫んで、少女を見に来る。
槻のことも眺めて、はっとした表情だったが、彼女は何も言わず、容体を観察した。
 待合室から顔を出して言う。
「意識がないって、言ってください。外傷も、なさそうです!」
意識と外傷を並立させたことに槻は、少し可笑しくなってしまった。
79 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 23:07:02.44 ID:EHA+HTIO0

 「これは、うーん……」
 「目を覚まさなくって」
自分の汗だろうか、床にはぽつりと水滴の痕があった。
 「クスリ、かな」
 「ドラッグですか?」
 「最近はやりの、脱法ハーブとかかも」
 確かに、ここ一週間ほど、そういった話題が多くテレビで流れていた気がする。
 「ちょっと待ってね」祝子は話しながら、煙草とライターを用意した。「一服するから」
 「そんな場合じゃ……」
槻が言うのも気にせず、かしんと炎が、その後に煙が立ち上った。
 「ふうーっ」
長椅子に横になる少女に向かって、たくさんの煙をはいた。
80 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 23:10:11.11 ID:EHA+HTIO0

 「毒には毒をってやつですか、もしかして」
 「うん」
二、三回の白いやりとりをしても、特に変わった様子はなさそうだ。
 「煙そう」
 「よし、直接、体内に入れよう」
突拍子もない提案を、槻には止める術はなかった。
 大きく吸いながら、少女を人工呼吸の体勢にする。
そして、鼻をつまんで、勢い良く唇を塞いだ。
 大量のニコチンや二酸化炭素、その他諸々が、まだ若い女の子の躰を巡っていくイメージが、槻には創造できた。
「犯罪ですよう」口を尖らせて言う。
81 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 23:13:41.20 ID:EHA+HTIO0

 途端に、少女が躰を悶えさせて、起き上がった。
祝子は額をぶつける。「いて!」
げほげほと激しく咳き込む。
 「うう、えっ、おええ」そして吐いた。
 吐瀉物がコンクリートの床に広がる。
 「あらら」こうなることを予想していなかったかのように、祝子は言葉を発した。
 「まあ、でも、起きたわけですし」槻が付け足す。「結果オーライということで」
 「すぐに救急車も来るでしょ」
外で事の成り行きを見守っていた駅員に振りかえって言う。僅かに安心した様子だ。
82 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 23:17:51.83 ID:EHA+HTIO0

 「千佳子ちゃん、泣いてるの、気付いてる?」
 「いいえ」槻は首を横に振った。
 「怖かったのね。動かなくなった人間が、あんなに重いってこと」
 「そうかも知れません」
 「初めてじゃないだろうに」祝子が微笑んで言った。
 「前に、祝子さんが、やけ酒して急に静かになった時とか」
 「朝、泣き声で目が覚めたもんね」
静かに、素直に話す子だと、改めて感じた。
83 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 23:22:25.59 ID:EHA+HTIO0

 「あのう」
 「何かしら、お嬢さん」
 「私、どうしちゃったんですか?」
 「どうしてあなたのことを、私たちが知ってんのよ」
 「ああ、まだ、頭がぼうっとする……」側頭部を押さえながら呟いた。
 「救急車が来るから、それに乗ってね」
槻が声をかける。
 「これは、もてるってより、男に寄られるタイプね」
祝子の悟ったような言い方に、珍しく同意することができた。
84 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 23:26:00.82 ID:EHA+HTIO0

11

 到着した電車から、まばらに乗客たちが降りてくる。
その中に、例の男の子もいた。
 「姉ちゃんは?」
小走りに駆け寄って来て言う。
 「救急車で病院まで運んでもらったよ」
槻が、証拠の写真を、携帯電話の画面で見せた。
 「思いの外、早く解決して良かったよ」
 「残りのお金は……」
 「もう事務所帰るからね、少年は私の車に乗せてあげるから。戻って支払すませたら、家まで送ってくよ」
 「わあ、青さん、優しい!」
 「そんなもんはね、道端の石ころと同じだよ」
祝子が、少ない階段を降りながら言った。
85 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 23:30:03.95 ID:EHA+HTIO0

 「青さん、この段差踏んでいく時、何だか減速する感じ、しません?」
頬を伝った涙の痕は乾いて、すでに見えない。
 「どういうこと?」
訊き返したのは男の子だった。
祝子からの返答はすぐに響く。
 「しないよ。私のは、五段変速だもん」
 「ああ、なるほど」
 何を話しているのだろうと思っているに違いない男の子の隣で、二人は六つしかない階段を下りていく。
それは余りにも少ないのかも知れないが、これぐらいの減速比が心には丁度良いのだと思った。
 傾きを増す太陽も、それにつられて昇る月も、橙色を空のキャンバスに描いていた。
きっと、あの丸い絵の具はいつまでも、明度のグラデーションに悩まされていくのだろう。
 そう考えると、気分が、どうしても高揚した。
 涙を、流したかも知れない。
 「あ……」
 「どうしたの?」
 「おつり、忘れてた」
86 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/07/28(土) 23:35:00.52 ID:EHA+HTIO0

はい、今回はここまでです。

今夜のひと言……
『吐瀉物がコンクリートの床に広がる』
『吐瀉物がコンクリートの床に散らばる』
のどちらにしようかで15分悩みました。

また依頼のほう、お願いします。
それでは。
87 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/29(日) 02:18:07.04 ID:y7TSf7NIO


依頼人
おしとやかそうな20代後半の女性 鷹宮幸枝(たかみや ゆきえ)

依頼内容
とある男性の探索依頼。聞いてみれば、初恋の男性を探してるらしく、この街にいると聞き本人かどうか確認し、結婚しているのか知りたいと
手がかりは10年前の男の写真とササキ カズヤという名前


と一見普通な内容で、実はその男性は彼女の妹と付き合っていたが、彼とドライブしてるとき衝突事故を起こし、彼は軽症ですんだが妹は死んでしまい
妹は死んだのに男が生きてるのが許さないのと、妹の墓参りに来ないのを妹を忘れて幸せに暮らしてるんだと思い、ソイツを殺そうと企んでる。

的なシリアスがみたいです
88 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [age]:2012/08/03(金) 21:21:21.12 ID:YX25FP8q0

こんばんは。
今回の更新は遅れます。
(下手したら、月曜の夜くらいになるかも知れません)
89 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/04(土) 16:38:30.53 ID:cMK33TROo
乙です!
90 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/06(月) 23:58:56.15 ID:1HVIk0yM0

 三日後、女性が一人、依頼に来た。
 白いシャツに、多少ゆったりとしたパンツスーツ。
装飾の少ない、質素な造りの眼鏡。
大人しそうなかんばせに、それを肯定するような三つ編みのおさげが肩から流れ、胸の前に垂れている。
上から下へと視線をやると、オセロをやっている気分になった。
次は、白の番だ。
91 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:04:08.16 ID:sOSHG3WT0

 「初恋の人を……探して欲しいのです」と、消え入りそうな声で話し出した。
 「なるほど、意外と良くある依頼ですね」
槻が、努めて明るく言う。
 「それで、何か手がかりとなるものはありますか?」
続けたのは祝子だ。
 「ここに十年前の彼の写真があります。名前は佐崎一矢。
当時、私は高校三年生で、あの人は、通っていた学習塾の講師でした」
見せながら、男の名前を脇のメモ用紙に書き込んでいる。
これはいつも用意するものだ。
92 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:10:12.13 ID:sOSHG3WT0

 「珍しい漢字ですね」
 「どこにいる、といった情報は、お持ちでしょうか?」
槻が、事務的に訊く。
テンプレーションを、次々に出していけば、処理が速くなる。
 「この町に住んでいる、ということは分かりました。
見つけていただいて、その彼が結婚しているかどうかを知りたいのです」
 「はい。その依頼、お受けしたいと思うのですが、ご予算のほうは」
 金銭の話を始める時にいつも考えるのは、やらしく聞こえないように、だ。
しかし、何度経験してもそのぎりぎりの調節具合が難しい。
豆腐を食べるのに似ている。
93 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:14:01.42 ID:sOSHG3WT0

 「ここに、今月の給料、二十二万円があります。これでは不足でしょうか?」
茶色い封筒の慎ましい膨らみが、机に置かれた。
差し出すその手は、白くて、儚げに美しい。
すらりと伸びた指の、綺麗な爪が目の中に残るようだった。
 「いえ、不足ということはありません。とりあえず、今これは半分をいただきます。
残りの半分はこちらで預かって、万が一、調査が失敗したときにお返しするということで」
 所長らしく、祝子が契約の内容を確認する。
94 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:20:26.78 ID:sOSHG3WT0

 「はい。お願いします」
彼女はぺこんと頭を下げた。
それにつられてソファーが、ぎしりと鳴った。
 外では、蝉が勢い良く鳴いている。
縁側へと続く廊下の、透明のガラス戸が、自分たちと、外とを隔てている。
頼りない、たった一枚の区切りが、なぜかひどく心強いものである。
ここは外界ではないと感じられることで、何より安心できたし、納得できるものになった。
自らの躰の他は全て外側に属するはずだが、そうなると家は、
自己の延長体という扱いに、無意識でインプットされているのだろうか。
95 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:24:57.88 ID:sOSHG3WT0

 「ですが、調査が長引くこともありますので、そこはどうかご了承願います」
祝子が半分の丁寧さで続ける。
 「よろしくお願いします」
女性は、庭を見ながらそう言った。
さっきの返事より、僅かだが力が入っているようにも感じられる。
 「ええ。それでは、今日からにでも」
槻が、返事をする。
三人分出した冷水の、量が減ったのは自分だけだということに気が付いて言った。
 「お水、冷たくておいしいから、飲んでくださいね」

96 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:30:26.27 ID:sOSHG3WT0

13

 鷹宮幸枝は、四輪駆動の軽自動車で、駐車場に乗りつけた。
そこには、すでに三本のタイヤ痕がある。
とてもスポーティーな黒い車と、大型バイクだろうか、どちらも名前は知らない。
ただ、探偵の仕事を、例えば尾行をするとなった時には地味なほうが良いと思った。
 エンジンを切って、地面を踏むと、思っていたよりふわふわと柔らかい感じがした。
薄く緑のカーペットが、ところどころ禿げていたり、背が高くなっていたりする。
97 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:34:42.78 ID:sOSHG3WT0

 ドアを閉め、鍵をかけた。
大きな木の脇を過ぎて、玄関を探す。
すぐに見つかった。
 辺りには、際どくはない女性の下着が何枚か干されている。
例えば、キャミソール、靴下。
その他にシーツのようなもの、枕も二つ。
 見渡した後、呼び鈴を探すが、どこにも見当たらない。
一分ほど入口の前で立ち尽くして、無いみたいだと気付いた。
仕方がないので、こんこんと叩く。
98 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:38:33.52 ID:sOSHG3WT0

 「はあい。どうぞ」と女の声がした。
 灰色の擦りガラスの向こうに、白黒の物体が透けて見えた。
きっと、犬だろう。
そんなことを考えて、ドアをあける。
 「こんにちは。探偵事務所に御用の方ですか?」
 若い女が出迎えてくれた。
 「はい」
 「暑い中、ありがとうございます。それでしたら、こちらへどうぞ」
 幸枝は靴を脱ぎ、その女の案内に従う。
初めに聞こえた声とは持ち主が違うらしい。
99 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:41:37.92 ID:sOSHG3WT0

 中に入ると、もう一人女がいた。
きっと彼女が一番上の役職なのだろう。
部屋の真ん中の、白い机に腰掛けていた。
こちらを見て、それから立ち上がる。
 「こんにちは。どうぞ、お掛けになってください」
 型通りの、しかし、丁寧な応対だ。
全く嫌な感じがしなかった。
 「あ、はい」
100 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:44:34.14 ID:sOSHG3WT0

 蚊の鳴くような声で話すのを意識する。
抑制を演技するのは、なかなか難しい。
あらかじめ、大人しそうという雰囲気を身にまとって来た。
歳をとると、こんなことが上手になって困る。
自分の虚像を、一歩後ろから眺める気分だった。
 「千佳子ちゃん、飲み物」
 「わかってます」
101 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:48:45.79 ID:sOSHG3WT0

 胸の大きな女が、細身の女に指示をする。
まもなく、透明のコップで、良く冷えてそうな水が運ばれてきた。盆は木製だ。
 「ありがとうございます」
柔らかく礼をいうと、ほんのりとした笑顔が返ってきた。
愛嬌がある。
 「私はここの事務所の所長で、名坂青と申します」
 「所員の、曾根千佳子です」
それぞれ、ぺこん、といった感じのお辞儀をした。
102 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:52:55.37 ID:sOSHG3WT0

 「何か、ご依頼があるようですが」
 所長のほうが、話してきた。
 「初恋の人を……探して欲しいのです」
 最も憎い、あの男を。
 「なるほど、意外と良くある依頼ですね」
 「それで、何か手がかりとなるものはありますか?」
 「ここに十年前の彼の写真があります。名前は佐崎一矢。
当時、私は高校三年生で、あの人は、通っていた学習塾の講師でした」
 このことは紛れもない事実である。
決して忘れまい。
自分が死ぬか、あの佐崎を殺すまで。
103 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:56:19.66 ID:sOSHG3WT0

 「どこにいる、といった情報は、お持ちでしょうか?」
 「この町に住んでいる、ということは分かりました。
見つけていただいて、その彼が結婚しているかどうかを知りたいのです」
 妹を失った恨みを、この手で果たしてやる。
なんて単純な理論なのだろうと自分でも苦笑するほどだったが、シンプルな感情が最も強い。
単純さは、そのまま、強度になる。
だから、豆腐は相当複雑な物体なのだ。
104 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 00:59:10.70 ID:sOSHG3WT0

 「はい。その依頼、お受けしたいと思うのですが、ご予算のほうは」
 「ここに、今月の給料、二十二万円があります。これでは不足でしょうか?」
 殺人の片棒を担がせるのだ、これくらいは安いものだ。
彼女たちに、申し訳ないとは全く思わない。
 「いえ、不足ということはありません。とりあえず、これは半分をいただきます。
残りの半分は、万が一、調査が失敗したときに、お返しするということで」
 「はい。お願いします」と、落ち着いた声を維持しながら頷く。
105 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:01:37.91 ID:sOSHG3WT0

 これで契約は成立。
 私の勝ちだ。
 今すぐにでも、高笑いしたかった。
「ですが、調査が長引くこともありますので、そこはどうかご了承願います」
「よろしくお願いします」
 後は、見つかった男を、この手で殺すだけ……。
 お互いに、それほど難しい仕事ではないだろうと、心の中でほくそ笑んだ。
 「ええ。それでは、今日からにでも」
 「お水、冷たくておいしいから、飲んでくださいね」
 ずいぶんと汗をかいたグラスを掴んで、一息に飲む。
 「ああ、冷たい」
 自然と顔がほころぶのは、未来への期待か。
106 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:04:36.61 ID:sOSHG3WT0

14

 「水飲んだ時の表情見た?」
 「ええ」
 「何か、嫌な感じだったね」
 「今回、別れますか?」
 「そうしよう。槻ちゃんが彼女ね」
 「じゃあ、祝子さんは佐崎一矢を探すと」
 「よし。今から、休憩」
 「今日から始めないんですか」
 「いやね、夜になったら出るわよ」
 「何時くらいから行きます?」
 「そうね、七時」
 「あと二時間ちょっとか」
 「夏は夕方よね、やっぱり」
 「この涼んでくる感じが何とも言えませんよね」
 「そうそう。昼間暑いからこそ」
 「日中を耐え忍んだ者に与えられる、せめてものご褒美ってところですかね」
 「うん。あ、高校野球、どうなった?」
 「もう終わってますよ」
 「結果は、どこが勝ってるのかな」
 「テレビ、つけましょう」
 「ニュース、ニュース」
 「このままにしておけば、じきに流れるでしょ」
 「ねえ、こっち、こない?」
 「近くにいるじゃないですか」
 「隣にってことよ」
 「……この後、仕事じゃないですか」
 「そうね、また今度にしましょ」
107 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:07:21.99 ID:sOSHG3WT0

15

 黒のランサーエボリューションXを、二日間乗り回して、やっと佐崎の居場所を突き止めた。
こういった仕事には色々なツテが必要になってくる。
今回も、有効に利用させてもらった。
持ちつ持たれつ、ということだ。
さつき探偵事務所にだって、その手の要請はもちろん来ることがある。
108 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:10:11.20 ID:sOSHG3WT0

 「ああ、眠い」
 三時間の睡眠で、覚醒にはずいぶんエネルギーが足りない状態の眼を擦り、呟く。
独り言でも言っていないと、意識が沈んでいきそうだった。
泥沼のイメージ。
 「早く、早く」と口では言うものの、急かしているのは意識ではなく、躰のほうだ。
充電の無くなった携帯電話みたいにどうしようもなかった。
109 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:15:18.16 ID:sOSHG3WT0

 佐崎一矢が出てきたところを撮影すれば、今日のところは帰ることができる。
その彼が住んでいるのは、そこそこ綺麗なアパートだった。
近隣にはいくつかの借家が建っているが、その中で最もまともな外見だと言えるだろう。
 こんこん、と助手席の窓ガラスが鳴った。
 「何ですか?」
この人の目的は分かっているのだが、それでも訊いた。
110 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:19:00.49 ID:sOSHG3WT0


 「こんなところに停まって、どうしたの」
 自転車に跨った警官がいた。
 「長いこと運転していて、ちょっと眠くなったので、休憩をしています」
 「そのカメラは?」
 なかなか良い質問だった。気が付く人間のようだ。
 「趣味なんです。下手の横好きですけど……」
演技ではなく、ごく自然と欠伸が出た。
ナイスタイミングだ。
瞳の端に、銀の粒を溜めて言う。
 「もう、良いですか?」
 「うん、気をつけてよ」
 「はい。どうも、すみません」
何に対して謝ったのだろうか。
自分で分からない。
こんな時、隣に槻がいれば何か話したのだろう、きっと。
そう認識できる部分があって、少しは覚めてきたなと感じた。
とにかく、早く帰りたかった。
111 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:22:15.18 ID:sOSHG3WT0

16

 クラッチが焼けそうだ。
市街地の運転は神経を使う。
のろのろと遅い車たちとともに、
たまにいる迷惑な路肩駐車を避けながら、もうずいぶんと運転していた。
実際に焼けそうなわけではなく、心象としてである。
結局、物体の状態は人間の心で決まることがほとんどで、
それが実はどうであったかなどは、とても些細なことなのだ。
 槻は、バイクを扱うのが上手だ。
白バイ隊員に、スカウトされたこともある。
冗談に決まっていると思ったが。
112 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:24:19.94 ID:sOSHG3WT0

 速度を出さないと、車体の安定を保つのは難しい。
二輪車に限らず、高速で運動しないと自身を維持しづらいものはたくさんある。
 前を行く軽の四駆との距離を縮め過ぎないように、車一台を間に挟んで尾行を続けている。
ZZRのどっしりとした大きな車体が、優しく包んでくれている感じがした。
海でイルカに乗ったら、たぶんこんな心地がするだろう。
113 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:28:54.78 ID:sOSHG3WT0

 しかし、太ももから伝わる熱が、無視できなくなってきた。
かなり薄いライダースーツを選んで乗ると、こうなる。
槻の、ほっそりした躰のラインが浮き出て、色っぽさを後に残す。
ニーグリップをする気が失せてきたが、ここで引き返すわけにはいかない。
 交差点に進入して左折をする。
そこからは二車線の道路になった。
114 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:32:46.96 ID:sOSHG3WT0

 突然、前の車が止まった。
 かなり危険だ。
 咄嗟に、隣のレーンに映る。
 ドアをあけて、降りる男性が見えた。
 その向こうに、遠ざかる鷹宮幸枝の車。
 一瞬、右方向を、ミラーと目視で確認した。
 したのだが、その時はもう遅かった。
 無理に加速してきた銀色のバンが、槻の躰と、ZZR400の車体を弾いて……。
 停まる。
 右足の激痛に、一度気が遠のく。
 全くの遠慮なく、地面に叩きつけられて、全身を強く打った。
 口の中を切ったかもしれない。
 そのくらいしか、考えられなかった。
 意識が、混ぜ合わせた絵の具みたいに飽和していく。
 灰色のアスファルトが、新しい絨毯みたいに、赤く染まっていく。
 内臓がひたすらに痛くて、肺では呼吸をしたくなかった。
 離れた所で、主を失ったバイクが、車輪をゆっくりと空転させている。
 流れ出るオイルが、涙のようだった。
 きっと、泣いている。
 それは、泣いている?
 血が目に入って、彼女は目を瞑った。
115 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/07(火) 01:36:28.19 ID:sOSHG3WT0

ここで切らせてください、すみません。
次回はなるべく早くの更新をしたいと思います。
(木曜日あたりで)

それでは、また。
116 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/07(火) 09:34:29.59 ID:Xi1H9X7IO
117 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:05:35.31 ID:3jWTYI590

17

 「来た!」
 佐崎一矢と思われる男が出てきた。
正確には「思われる」だけで、その本人かどうかは定かではなかったのだが、条件反射でとびついた。
釣り針にかかった魚みたいだが、うきうきとしている点が決定的に違うところだ。
 フラッシュをたかずに、一番明るいレンズでシャッターを切る。
 一瞬の瞬き。
 瞬間の暗転。
 その後に、世界の一部分が、切り取られた。
 今それは、祝子の手にある。
 そして、今はもうない。
 刹那の余韻を残して、一時の風の匂い、光の色、地面の影、空気が止まる。
 それから、最後に人の姿が、映った。
118 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:09:26.97 ID:3jWTYI590

18

 気絶と睡眠とでは何が違うだろうか。
どちらも意識が無い状態を指していう言葉だ。
一つ考えられることとしては、意識をシャットダウンするのに、自意識が介入するかの差だろう。
結局、同じならば自ら行なったほうが気持ちの面で優れているという判断になる。
目覚めてから何分かは、目を閉じたままそんなことを考えていた。
そして、知覚を光の中へ持っていく。
119 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:13:12.80 ID:3jWTYI590

 「おはよう。祝子さん」
 「今は、夜なんだけど」
目の下に隈をつくった祝子が、ベッドの脇にいた。
きっとたくさん泣いてくれたのだろうと槻は思う。
 「あれ?」
 二人の間に笑いが起きた。
 「もう、一日以上経ったわ」
 あの事故の時から、太陽はすでに一回り半はしている。
120 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:16:34.88 ID:3jWTYI590

「気付きませんで」槻が返事をする。
 「だって、あなた、寝てたもの」
 話しながら、祝子は瞳が熱くなった。
余計な水分が、躰の外に漏れる。
止めようとしても、無駄なことだった。
意識が処理する外側で、涙が流れているようだ。
 「ああ、これじゃ、私も寝ているのと同じじゃない……」
121 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:19:39.86 ID:3jWTYI590

 「祝子さん、ありがとうございました」
 「いいえ」
 「それで、写真は?」
 急に仕事のことを訊いた。
その切り替えに自分でもびっくりする。
 「撮った。で、現像して幸枝さんに見てもらったよ」
 「それから」
 「うん。佐崎本人に違いないって」
122 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:23:13.17 ID:3jWTYI590

 白いベッドに白い布団、机も椅子も、みんな白かった。
白色の部屋だ。
 祝子が続ける。
 「私は明日から、本格的な調査を始めるから。本当は、槻ちゃんがいてくれると助かるんだけど」
 「ごめんなさい。これじゃあ、さすがに無理ですね」
 「でしょう」
 「気をつけてくださいね」
 「ええ」祝子は槻の顔を、眼を見ながら強く頷いた。
123 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:26:16.22 ID:3jWTYI590

19

 鷹宮幸枝は百貨店で果物ナイフを買った。
一番大きく、一番良く斬れそうなものを。
しかし、それだけでは怪しいので、ちょうど切らしていたキッチン用の洗剤と、三枚入りのナプキンも購入した。
 駐車場の、暗い車内でナイフをまじまじと見つめる。
この銀色が彼の生命を奪うのだと考えると、とても頼もしいものに思えてきた。
鈍い銀が、真っ赤になるのは綺麗だ。
 きっと綺麗だ。
124 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:30:07.68 ID:3jWTYI590

 急ごう、と口に出して言ったかも知れない。
たぶん、あの女たちも来るだろう。
勘の良さそうな感じだった。
初めて会った時にはそれほどではなかったが、話していくとだんだんと分かってくるものだ。
早くしないと、殺す人間が増える。
 最悪の結末と、最高の結末は、それぞれ命を奪う人間が一人の場合だ。
早くしないと……。
 「急ごう」今度は、はっきり声に出した。
125 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:33:19.24 ID:3jWTYI590

20

 「やめなさいよ!」
 「どうして?」
 「困るから」
 「何が」
 「あなたに死なれると」
 「私はそうは思わない」
 「何でそんな」
 「そいつはね、私の妹を殺してるのよ。今は独り身らしいけど、墓参りも来ない。のうのうと生きてた、屑なんだから!」
126 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:36:22.60 ID:3jWTYI590

 「あれは、事故だったのよ」
 「どうして、あなたが知っているの?」
 「調べたから」
 「ふん。佐崎一矢、何とか言ったら?」
 「こんな状態で、口なんか利けないわよ」
 「死ぬのが怖いのかしら」
 「ねえ、そろそろ、諦めようってば」
 「私は怖くない」
127 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:39:30.03 ID:3jWTYI590

 「そいつの命を奪って、私の生は終わり」
 救急車と、複数のパトカーの音がした。
さっきまでの間、電話をかけていたのが上手くいったようだ。
死のうとしている相手に時間稼ぎをするのは案外、簡単だった。
最期に話を聞いて欲しい、私がここにいた証をどこかに遺してゆきたい、
と思う人間がやはりい多くいるのだろう。
128 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:42:29.14 ID:3jWTYI590

 しかし、祝子の手は、これ以上ないくらいに赤く染まっていた。
止血に使ったタオルも、元の白が分からない。
佐崎は全身をぐったりとさせている。
息は僅かだか、あった。
すぐに病院に連れていけば、あるいは……。
 「じゃあ、勝手にすれば。すぐ病院に行くだけだと思うけど」
 「……あなた、賢いのね」
 「ありがとう、って答えるべきかしら」
 「ふふ、そういう所」
手に持ったナイフを落として、続ける。「今日は、あなたの勝ち。私は、もうしばらく生きることにする」
 「うん、それが良い」
 ちょうど、警官たちが、駆けこんで来たところだった。
129 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/08/10(金) 00:46:52.76 ID:3jWTYI590

はい、ここまでです。
127で余計な文字がありますね。

今夜のひと言……
語り残した部分は、またいずれ、ということです。

いつもの通り、依頼をお願いします。
(感想などでも構いません)

では、また。
130 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/15(水) 18:17:16.92 ID:N5gAB/xzo
おつ
131 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg :2012/09/02(日) 09:28:51.75 ID:FCxIQFVl0

ageます。

あまりにひとけが無いようなら、様子みて落としますね。
(できればそうならないと良いのですが)
132 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海) [sage]:2012/09/03(月) 23:11:46.45 ID:RtTD8+XAO
〈依頼主〉
拾杜 秋(とおもり あき)、26歳、男。
整った顔立ちをしていて、何時でも甚平姿。口調は軽く、飄々としつつもどこか抜け目ない性格。
探偵ではないが、警察から度々失踪者捜索の協力を要請される『人捜し』のプロ。さつき探偵事務所の2人とは腐れ縁の関係、らしい。

〈依頼内容〉
何時も通りに『ツマラナイ』お仕事持ってきたぞー。
今回は“逃げた『仔猫』を『飼い主』に届ける”ってな簡単なもんだ。
ただし『決して周りに騒がれるな』、コレ注意な。
んじゃ、ヨロシクー。

〈詳細〉
現在ブレイク中の女優“夕音 曖美(ゆうね あいび)”、23歳。
某番組のインタビュー企画でこの地を訪れた彼女が唐突に失踪し、行方が掴めなくなった。
宿の彼女の部屋に残されていた書き置きには、『昔から好きなあの人に会いに行きます』と書かれていた。
彼女に限って無いとは思うが、万が一という可能性が無きにしも非ず。
との事で、所属事務所の担当マネージャーから捜索依頼が当方に舞い込んできた。
彼女にどの様な事情があるにせよ、マスコミに嗅ぎ付けられるのは否が応でも避けるべき事態である。
故に、穏便かつ迅速に彼女を保護したく、諸姉に協力を要請する。

〈その他〉
曖美が長いこと片思い中の彼を探しつつ2人と追いかけっこを繰り広げる。
曖美が片思いしている彼とは一体――。
そんなラブコメ。
133 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg :2012/09/09(日) 14:41:03.71 ID:sK8Bmv830

9月下旬までとても忙しいので、更新が遅れると思います。
134 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg :2012/10/02(火) 21:38:14.81 ID:m24iLtW40

今週から再開したいです。
長らくすみませんでした。
135 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/03(水) 10:53:26.48 ID:69DasgUko
待ってた!期待上げ
136 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 20:30:44.19 ID:0JV9c2ds0

21

 すっかり秋になってしまった。
こういう言い方から、自然に対して人間は無力だなあと感じる。
西木祝子は今、とても暇だ。
それは隣にいる高野槻も同じである。
しかし、暇な時間と静寂はいつだって突然崩れるものだった。
137 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 20:34:16.41 ID:0JV9c2ds0

 「なんだい、店仕舞いか?」
 「げげっ、もりあき!」とは祝子の悲鳴。
 「捨てさんじゃないですかあ」間延びした槻の声が続いた。
138 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 20:38:50.88 ID:0JV9c2ds0

 しゃがんでトルクとじゃれ合っているのは、拾杜秋という男。
涼しげなかんばせに、この時期だというのに甚平を着ている。
その道では名の知れた『人探し』のプロである。
できれば有名になりたくない探偵業とは違い、
失踪者捜索となればなるべく人に知られていたほうが有利だ。
 彼はたまにこのさつき探偵事務所に来る。
大抵は仕事の手伝いを要求してのものだが、そうではない、単なる冷やかしの時もある。
139 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 20:43:13.16 ID:0JV9c2ds0

 二人はそれぞれ、この男に対する評価が異なるところだ。
 祝子は彼との腐れ縁のようなものに若干の嫌気を感じている。
しかし、能力に関しては一目置いてはいた。
頼れる時に頼りにできるのが、良い男の条件だと普段から思っているから、
その点は合格していると言えよう。
ただ、いつからか関わるようになってから、
どの切り口でも薄笑いを浮かべる金太郎飴のような縁に何となく違和感を持っている。
 彼を呼ぶときはいつも、苗字と名前の区切りをずらして、『もりあき』と呼んでいた。
140 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 20:48:10.94 ID:0JV9c2ds0

 彼を見て『捨てさん』と言った槻は、
元来がのんびりとした面もあるので、秋とは気が合うようだ。
彼女のその気質は、あらゆる性質と衝突をしない。
普段の快活な槻は、秋と話すときは休眠しているのかのように感じられた。
それがどちらのせいなのかは、分からなかった。
 彼を呼ぶ名前の由来は『拾』の字を『捨』と見間違えたことからである。
141 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 20:54:05.21 ID:0JV9c2ds0

 「なによう」祝子が、じっとりとした、粘性のある視線を向けた。
 「いつも通りにつまらない仕事持ってきたぞーてなもんよ」
 「わあ、素敵」槻は素直に喜んでいる。
 「で、内容は?」
 「おう。今回は、逃げた仔猫ちゃんを飼い主に届けるっていう、
まあ、そんなに難しくはないもんだ。きっと」
142 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 20:58:25.32 ID:0JV9c2ds0

 「猫探しに難しいもないでしょうよ」
 「種類は何です?」頬に手をやりながら、槻が首を傾げる。
 「女優だ」
 「ジョユー?」
 聞いたこともない猫の種類に、祝子は戸惑った。
隣の槻は、ああ、これはきっと猫じゃあないのだろうなと感じていた。
 「女優さんですね」
見かねた槻がフォローする。
 「そう。名前は……」
143 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 21:03:13.64 ID:0JV9c2ds0

22

 机の上に置かれた書類に目を通しては種々の文句が口をついた。
 「何よこれ」
 「何がです?」
 「現在ブレイク中の女優、夕音愛美23歳。知ってる?」
 ちらりと槻に目をやった。
 「ブレイク、の意味ですか?」
 「違うわよ」
 視線を紙の上に戻す。
144 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 21:23:12.36 ID:0JV9c2ds0

 「某番組のロケで訪れたここ長野にて突然の失踪。
宿の彼女の部屋には『昔から好きなあの人に会いに行きます』の書き置き。」
 「はあ、それはまた……」
 「とんでもないでしょう?」
 「大変そうですね」
 「世間にこのことが知られないようにだってさ」
 祝子は勢い良く、背もたれに躰を預けた。
 「何度も念を押されましたもんね」
145 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 21:34:01.73 ID:0JV9c2ds0

 槻が面倒くさそうに言ったのを聞いて、祝子は台所にお湯を沸かしに行った。
普段なら逆になるはずなのだが、この前の事故で槻は左腕と右脚の骨折。
頭にもまだ包帯が巻いてある。
鷹宮幸枝の依頼の件を、二人でまとめておこうということで、
病院に無理を言って特別に今日だけは事務所に帰っているのだった。
 「私、紅茶でお願いします」
 「ブレイクタイムね」
コンロに火をつけて、祝子は嬉しそうに笑った。

146 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 21:44:20.36 ID:0JV9c2ds0

23

 「あのう……」
 「何でしょう?」
 「実は、人を探していまして」
 「へえ、それはどんな?」
 「片思いの男性なのですが」
 「写真とかは」
 「あります。これ」
 「はあ、これはまた……」
 「何か知っているんですか?」
 「うん、まあ」
 「どこで見かけたとか、何でも良いんで教えてください」
147 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 21:49:09.90 ID:0JV9c2ds0

 「この人ね、今朝までうちに泊まってたよ」
 「そんな。今は……午後1時ですね」
 「10時頃出てったかな」
 「ああ、なんてこと」
 「それにしても、貴女ずいぶん洒落た格好ね。ここいらじゃ、目立つよ」
 「すみません。慌てて、着の身着のまま出てきたもので」
 「着のまま? まあ、気を付けて行きなよ」
148 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 22:03:10.07 ID:0JV9c2ds0

 「どうもありがとうございました」
 「彼と会えたら、ここに泊まりにおいでね」
 「はい、それじゃあ」
 道端に停めてあった自転車のスタンドを蹴って、跨る。
銀のフレームに小さめのタイヤ。
前に付いているカゴには彼女の持ち物と思われるかばんが入れてあった。
 「ちょっとあんた、そんな短いスカートで自転車漕ぐのかい?」
 「ええ。あとは下るだけですし、少しくらいパンツ見られても平気ですから」
149 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 22:10:23.54 ID:0JV9c2ds0

 ペダルをぐいと踏み込み、風のように去ってしまった。
器量良し、度胸もある。
子どもができたら、あの娘はきっと素敵な母親になるだろうと、旅館の女将は思った。
 ここは山の中だが、比較的整った幹線道路があり、
自転車なら30分もあれば麓の町に着けるはずだ。
 しかしおかしい。
何かを忘れているような。
肝心な何かを……。
 そうだ、彼の行き先を教えなかった。
150 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg [saga]:2012/10/08(月) 22:14:48.77 ID:0JV9c2ds0

まだ途中ですが、(一応キリが良いので)今日はここまでにします。
面白い題材なので、もう少し練ってから、
少し多めに書けると良いなと思っています。

週間更新できるように努力しますね。
それでは。
151 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関東・甲信越) [sage]:2012/10/09(火) 00:21:11.57 ID:tU8s+MLAO
152 :purekyouju ◆LLlqMaS2Hg :2012/11/03(土) 23:05:01.60 ID:goZ1DoXF0

長らくお待たせしてすみません。
最近、アイマスをSF(サイエンス・フィクション)で書く試みのほうにスイッチが入ってしまい、
こちらの更新がままならない状態です。
無責任な落とし方はしませんので、どうかもうしばらくお待ちいただけると幸いです。
79.42 KB   
VIP Service SS速報VIP 専用ブラウザ 検索 Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)