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燈馬「おはようございます」可奈「はい、お弁当」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :暗黒史作者 ◆FPyFXa6O.Q [saga]:2012/08/09(木) 14:53:35.38 ID:gcH1Y9zQ0
ここではお初にお目もじします。

この名前を使うのは、
この名前で書きたいものが見付かったからです。

暇な人は目の前の箱の検索ボックスにお問い合わせを
自意識過剰とお笑いの方は、華麗にスルーが嬉しいです。

本作は二次創作クロスオーバー作品です。

メインは「Q.E.D.証明終了」

となります。
サブ以下は、有名所ですから観た人なら即分かりですが、
勿体ぶって次回以降の紹介に。

と、言いますか、原作愛好者なら投石来るかなーな代物を大真面目に作ってしまいましたので、
お手柔らかに&回避はお早めに

それでは少々
ちょうしこかせてもらいます
スタートです

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木曜の夜には誰もダイブせず @ 2024/04/17(水) 20:05:45.21 ID:iuZC4QbfO
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いろは「先輩、カフェがありますよ」【俺ガイル】 @ 2024/04/16(火) 23:54:11.88 ID:aOh6YfjJ0
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アテム「実践レベルのデッキ?」 @ 2024/04/14(日) 19:11:43.81 ID:Ix0pR4FB0
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エルヴィン「ボーナスを支給する!」 @ 2024/04/14(日) 11:41:07.59 ID:o/ZidldvO
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2 :燈可奈弁 ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/09(木) 14:56:58.29 ID:gcH1Y9zQ0
>>1

 ×     ×

「ありがとうございます」

小銭をカウンターに置いた燈馬想は、お弁当を受け取ってぺこりと頭を下げる。
弁当屋「みさと」、店長の水原可奈がギリギリの人数で切り回している小さな店だが腕は確かだ。
彼女のその方面の基礎技術が確かな事は、想にとっては十数年前から分かっている事だ。

昼食を調達した想は、しばらく歩いて町工場の門をくぐる。
挨拶を交わしながら廊下を進み、電算室のデスクに着席する。
会社が空き部屋を強引に改造して想のために用意した部屋だが、
デスクには、社内でも一際スペックの違うパソコンが用意されている。
必要に応じて事務室や作業場に出る事もあるが、今日はここで昼休みを迎える。

「燈馬さん」
「どうも」

小さな食堂のテーブル席で、着席した想に馴染みの工員が隣に座って来る。

「お茶、持って来ます?」
「お願いします」

年若い先輩工員に、想も丁重にお願いする。そして、昼食。
どれぐらい馴染みの工員なのかと言うと、
初めて想が出会ったこの工場の人間が彼と言う事になる。
あれはそう、あの弁当屋に通い始めてそんなに経っていない頃、
一人公園のベンチで弁当を広げている所に、彼がやって来た。

「燈馬想さん、すか?」
「ええ、そうですけど」

全く謎の闖入者をテリトリーに迎え、想はポケットで鍵束を握りしめながら応対していた。

「弁当屋のおばちゃんに聞いたんだけどさ。力、貸してくれるかも知れないって」

何がどうなろうとこうなるものかと、笑い出しそうにもなったが
相手は相手で深刻そうなのでそれはやめておく。

「お願い、出来ますか?」
3 :燈可奈弁 ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/09(木) 15:00:02.47 ID:gcH1Y9zQ0
>>2

丁重に頭を下げられて、当時分かりやすく暇だった事もあってこの工場に来てみると、
要は工場と元請けのトラブルだった。
工場側には非が無い事を証明する事は、想にとって容易な事だった。
その後、いくつかの段階を経て、この小さな町工場の正社員になった。

と、想が可奈に告げた時、可奈は見事に絶句した。
だが、想の昔馴染みであればそんな反応では済まない。
少なくとも約一名、この工場を幾つ買い取られるかの規模の札束ケースを持参して、
その場で実行に移そうとして側近中の側近に車に引きずり戻された知り合いがいる。
可奈もその片鱗ぐらいは理解して、それでも、「あんたらしい」と歓迎してくれた笑顔が思い出される。

「燈馬さん?」
「はい」

事あらばとてつもない切れ者なのに、子どもみたいな笑顔を見せる。
根が素直なこの工員も想のそういう所が憎めないと、今はそう受け取っていた。
只、今の想の、自分の世界な笑顔は、なんとなーく思い当たりそうな気がするが、
下手を打てばその「切れ者」の部分がなんとなーく自分に向かいそうなので自重しておく。

 ×     ×

「燈馬さーん」

定時退社後、隅田川の川沿いに歩き出した想はその声に振り返る。
一人の少女が、橋の上から想に向けて手を振っている。
近くの公立中学の制服姿で、周囲には同じ部活動らしき友人がいる。
想は、柔らかい笑みを浮かべ、小さく手を振り返す。

彼女が美里、水原美里。この人間好きで快活な所は母親譲りかと想は思う。
一見人畜無害そうなのが想。そしてルックスも案外悪くない。こうして中年に差し掛かっても、
この穏やかな雰囲気は、橋の上の見知らぬ少女にも案外悪い印象では無かったらしい。

そのまま、川沿いに次の橋へと歩みを進める。
一日を終える者、始める者、通行人もこの川縁のホームレスも様々だ。
そのまま、想は至って質素、かつ年季の入ったアパートの一室に帰宅する。
着替えて机に向かい、計算に没頭する。
4 :燈可奈弁 ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/09(木) 15:03:41.66 ID:gcH1Y9zQ0
>>3

「燈馬君」
「はいはい」

想が椅子を立ち、ノックされた玄関へと向かう。

「いつもすいません」
「うん」

隣室の水原可奈から煮物を受け取ってテーブルに向かう。
会話と言う程の会話はない、必要が無かったと言うのが正しい。
食事の前にけじめとして手帖に書き留める。

最初は、かつてが余りにも普通過ぎてなんとなく甘えてしまっていたが、
何しろ今自分が、つまり可奈が住んでいる所一つ考えても余裕などある筈が無い。
毎月、相応のものは無理にでも受け取らせる。

そして、相変わらず美味しい。
食事を終えて洗った食器を表に出しておく。
机に向かい、睡魔を待つ。
穏やかな一日だった。

 ×     ×

「へえー、美味しいものですね」
「気に入って頂けて何よりです」

現在の想のボスは、取引相手の反応に安堵を見せ、
我が社の社長から視線を向けられた想が小さく頭を下げる。
後は、本格的なモツ鍋を突きながら順当な席順に従いビールを注ぎ、しばし仕事半分の歓談と会食。
相手が想のかつての学友、かつ最大級の取引先であるため、
接待の段取りを想がつけると言う珍事に近い業務命令が実行されていた。

「なあ、トーマ」

トイレについて来たかつての学友が、想に声を掛けた。

「確かに、あの技術は凄い、感謝もしてる、が」

少なくともこの英語を理解出来る者がこの二人以外半径数メートルにいるとは思えない。
5 :燈可奈弁 ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/09(木) 15:06:46.78 ID:gcH1Y9zQ0
>>4

「今、いくら貰ってるんだ?」

直截に尋ねた友人の声音は、心底不思議そうだった。

「あの会社の規模なら…お前の…」

そこまで言って、友人は想の柔らかな笑みを見て両手を外側に向ける。
こいつはそういう奴だった、と。

 ×     ×

「では、僕はホテルまで一緒に」
「ああ、頼むよ」

お開きの後、店の入口で想とそのボスが言葉を交わす。
そして、想は、社長からがしっと肩を掴まれる。

「燈馬君、ありがとう、本当に」

頭を下げる社長に、想は更に深く頭を下げ、社長は頷いた。
元請けとのトラブル解決で短期的な大打撃は避けられたものの長期的には危ない状態になった時、
想は、この工場の技術が、かつての学友が喉から手が出る程欲しがっている、
それも最上級になり得るものである事を把握した。

想の仲介により設備融資を含む大口の契約が成立した事で、
工場は以前より何割増しの安定収益を見込める事となった。
工場の社長は工員として叩き上げ熟練を「神の手」にまで極めながら
学問にも食らいついて来たスーパー職人で、だからこそ想の技術にも人柄にも惚れ込んだ。

想のキャリアを考えると、そもそも生きる糧の用意が必要かと言う意味においても、
工場としては破格でも想の元々の人脈が見れば逆の意味で目を剥く給与だったが、
想としては人にも仕事にも惹かれるものがあった、と言う事で現在に至っていた。

「おーい、トーマ」
「今行くからー、それでは社長」
「ああ、頼むよ燈馬君」

英語と日本語をちゃんぽんした想に、社長は穏やかに言った。
6 :燈可奈弁 ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/09(木) 15:09:50.87 ID:gcH1Y9zQ0
>>5

 ×     ×

ホテルの部屋で少々ウイスキーを酌み交わした後、
別れの挨拶を交わしてホテルを出た想は、ふと空を見上げた。

月が、想を魅了する。
色々と、遠くまで来た、と言う気もするがそれでも大きな月は変わらない。
そろそろ、通行の流れに乗らなければならない事に気付き、手を伸ばそうとする前に想は動き出す。

ふと思い立ち、近くで開いていたATMに立ち寄る。
ATMを出た想の財布は、取り立てて重みを増してはいない。
そのまま、駅までふらりとウインドーショッピングをして回る。
途中、想は、下を覗き込む様に橋の欄干に体重を預ける。

そこまでの少々危うい足取りを見れば、
嘔吐を危惧するのも無理からぬ場面だが、彼はそこまで無防備にはなれない。
下はドブと言ってもいい水路と言うか川だったが、
風が頬を撫でた時、ほんの僅かの間、彼の意識はベネチアにあった。
ふうっと息を一つ吐いて、駅へと向かった。終電にはまだ間がある筈だ。

今回はここまでです。
続きは折を見て。
7 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/08/09(木) 19:00:37.40 ID:H/3G43+yo
燈馬くんはそんなことしない
8 :燈可奈弁 ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/09(木) 22:00:05.75 ID:gcH1Y9zQ0
>>7
それは、この先の展開の事ですかな?ククク

すんません、久々なモンでちょっとハイになってます。
次回投下予定は保留です、一応。近々って事でひとまず失礼
9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/08/09(木) 22:07:03.76 ID:YKUDhaC+o
>>8
勝手に想像してレスしてしまいました
期待してます
10 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/09(木) 22:58:37.00 ID:2DixmgkA0
何これ俺得
でも警部が今更燈馬逃がすとは思えないんだがww
11 :改めて本作の解説 [saga]:2012/08/11(土) 02:06:29.09 ID:9RA2XFou0
改めて本作の説明です。
本作は二次創作クロスオーバー作品です。

メインは「Q.E.D.証明終了」
サブは劇場版「容疑者Xの献身」

所により原作小説の「容疑者Xの献身」

なぜか「DEATH NOTE」が局地的に絡んで来たりします。

二次として尊重は尊重として、結構大胆なアレンジも入っています。
色々な意味で、原作愛好者からは何か飛んで来そうな気がしてやまない代物ですので、
その辺は断り書きを。

それでは、改めまして

「容疑者Xの献身」と見せて「Q.E.D.証明終了」
クロスオーバー二次創作
投下再開します。
12 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:10:34.82 ID:9RA2XFou0
>>11
>>3

 ×     ×

その日の朝、目覚めて身支度をした想は、トーストベーコン卵とそこそこ手際よく焼き上げる。
冷蔵庫のジュースと一緒に朝食を済ませる。
後片付けと用意を済ませ、表に出る。普通に施錠をして普通に出発する。

さすがに師走となると冷え込む。
思えば、本当に日本人の師走らしい師走だった、そう思い返される。
そろそろ大掃除の支度でもしようか、その前に少しは楽しい事でもしようか。

いつしか、想は隅田川の川沿いに歩みを進めていた。
想にとって青春の感慨とも無縁ではない隅田川だったが、
高速道路がいい風よけになるこの川沿いの一帯には、
青いビニールシートで作られた小さな住まいが寄り集まっている。

貧困問題への関心はゼロではないが、今の所はいつもの通勤風景そのもの。
むしろ、こうして日々往復する内に気が付いた、
それぞれに個性的で、それでいて日々規則正しい。それが風景になる程、時計の様に。
数式を作れそうな法則性が探求心を揺るがすぐらいだ。
それでもなんでも今の所は身近な世界と言う訳ではない。
犬を散歩させている老婦人と挨拶を交わし、階段を上って河川敷から道路に戻る。

いつも通り、「みさと」でお任せ弁当を一つ。
ちょっと変わった事と言えば、店を出た所で男にぶつかった。

想は謝ろうとしたが、男はそれを無視してずいっと先に進む。
だが、店には入らなかった。店を伺っている様だ。
想は嫌な感じを覚える。単に初めての店を躊躇しているのかも知れないが、雰囲気が何か剣呑だ。

声を掛けようか、そう思った辺りで男は踵を返し、
背中を丸めて想にぶつかりそうになりながらずいっとその場を後にする。
元々、この店に寄る事自体が想にとって遠回りだ。
少しだけ視線で見送り、想は至って律儀な勤め人の自分を取り戻す。
13 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:13:42.31 ID:9RA2XFou0
>>12

 ×     ×

「?」

想が、机から半身を起こす。どうやら居眠りをしていたらしい。
余り縁の無かった酒の席、それによる深夜帰宅が続き、
今日も定時退社ではあったが、勤務中はタブレットを手に作業場を駆け回り確認に追われる日だった。

帰宅してからは、夕食まで少しやりかけの数学に取り組んでいたのだが、
その世界に入り込む前に睡魔に敗北したらしい。

そして、何か珍しい物音が彼を揺り起こしていた。
再びノートに集中を向けた想は、今度こそ立ち上がった。
これは、生活音とは言わない。元々、このアパートは年季の割には防音がいい方だ。

 ×     ×

「水原さんっ!?」

ノックと共に聞こえた余りにも懐かしい叫び声が、水原可奈を虚脱状態から引っ張り出した。

「燈馬さん?」
「こっち、入ってなさいっ」

炬燵の中に死体を引きずり込んだ可奈は、
同じく引きずり込む様に娘の美里を隣の部屋に引っ張り込む。
さっさっと手櫛を入れて玄関に向かう。

「はーい」
「水原さん」

気合いで笑顔を顔に張り付けながら、可奈はチェーンのかかったドアを僅かに開く。
長年の客商売の賜物だと思う。

「あの、水原さん。今凄い音が」
「あー、うん。ゴキ、ゴキにゃんがぶーんて飛んじゃってぺろぺろしてさ、
ほらうち女所帯だから大騒ぎしてごめんなさいねー」
「このアパート、ゴキブリ出ませんよ」

その瞬間、可奈はすとんとその場に座り込んだ。
駄目だ、絶対終わった、この時点で完全に詰んでる。
その事を誰よりも知っているのが水原可奈その人だ。
14 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:16:16.36 ID:9RA2XFou0
>>13

「燈馬、君」
「はい」

よろりと立ち上がりドアにすがる可奈の言葉に、想は真面目な顔で応じる。

「Q.E.D.なのは分かってるから、その過程教えてくれるかな?」
「煙草の匂いがするのに靴が無い。
コードのささっていない炬燵の中に誰かがいる。完全に見えない状態で。
それに、今朝から普通にお客の前に出てる水原さんが、その髪の毛の乱れ方は無いです」
「うん、分かった。今開ける」

その笑顔は、はかなげなものだった。想の表情を曇らせるのに十分な。

 ×     ×

「ちょっとだけ時間くれるかな?
きちんと話すから。すうぅー、はあぁぁぁ…」

炬燵の布団をまくり上げ、ごろりと横たわる死体を前に立ち尽くす想に、可奈がぽつぽつと告げる。
想が小さく頷き、可奈が呼吸を整える。
その脇で、美里が小さく震えながら座り込んでいる。

「えーと、こいつ、富樫慎二。私の前の旦那ね。
そう、結婚してたんだけどこれが又どうしようも無い奴でね、私、男見る目なかったんだなー。

最初は羽振り良かったんだけどそれが又会社で使い込んだ金でさ、
警察沙汰は免れたけど首になって暴力ふるうわ金はせびりに来るわ散々。
しまいに離婚してからも付きまとって来てさ、周りとか、美里にね、
このままだったらどんだけ迷惑になるか、ってね。

でも、うん、分かってる、分かってる。殺しちゃいけないよね。
分かってるから、だから燈馬君。そういう事だから警察、呼んでくれないかな。
罪、償わないとね当然」

「おかあさんっ!燈馬さん、燈馬さん私」
「美里っ、だから燈馬君。私がこいつ殺した証明終了だから、警察、ね」

その間、想は片膝を付いて、時折死体の腕や脚を持ち上げてじっと観察している風だ。
それを見ているだけで、可奈の背中にじっとりと嫌な汗が伝わる。
15 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:19:15.12 ID:9RA2XFou0
>>14

「水原さん」

立ち上がった想が、可奈に近づく。

「立って下さい」
「う、うん…!?」

ゆらりと立ち上がった可奈が、想に抱き付かれて目を白黒させる。
その脇では、座り込んだままの美里が目を見開いて口の前で拳を握る。
想は、そのまま掌で可奈の腹や背中、腿をさらりと撫でたが、可奈は何も出来ない。

「分かりました」

その言葉に、可奈がぶるりと震えた。
想がゆっくりと可奈から離れ、可奈が座り込む。
もう一度片膝をついた想が、袖の中に引っ込めた掌で床に転がるスノーグローブを持ち上げてみる。

「水原さん」
「な、何?」

スノーグローブを置いた想が問いかけ、
返す声が乾いているのは本人が一番自覚していた。

「どうやってこの男を殺した、んですか?」

「う、うん。あのね、こいつ、こいつさ、
やっと、やっとね、引っ越してお店開いてやっと、これからって時に家に来てさ、
それで、お金、お金せびって美里にも、美里にも近づいてキャバクラで働けとか、
それで、それでずっと、又ずっと付きまとってやるって。

それで、私、私ね、私もう我慢出来なくてそれ、それで後ろからガーンって、
そしたらもう後戻り出来ないでしょ?こいつも結構しぶとくってさ、
もう、気が付いたらそれ、その炬燵のコードでぎゅうぎゅうに絞め殺して、

殺さ、ないと駄目だったから、生かしておいたら何、されるか、
後、後は警察で話すから。警察で話すからお願いだから、
もう許してお願いだから、もう私が殺したって事で証明は終わってるんだから、
犯人が自白してるどこにでもある殺人事件、名探偵なんて必要ないの。お願いだから警察呼んで…」
16 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:21:53.05 ID:9RA2XFou0
>>15

「エレファント」

想の僅かな呟きを聞いた時、可奈はぐらあっと目眩を起こすのを辛うじて踏み止まった。
想が立ち上がり、一歩、二歩、ゆっくりと美里に近づく。

「燈馬、さん?」
「燈馬君?」

可奈は、必死に追い縋ろうとするが座り込んだまま口も体も動かない。

その間に、想は美里の正面で片膝をつき、すっと手を伸ばす。

「燈馬くんっ!?」
「余程慌てて飛び出して来たんですね、着替えの最中に」

美里のシャツブラウスの上部ボタンを留めた想は、
そう言いながら異変に気付いた。
ガタッと立ち上がっていた可奈が胸元を掴んで体を折り曲げる。

「おかあさんっ!?」
「美里さん、ビニール袋を」
「はいっ」

可奈がどさっと座り込み、美里が持って来たビニール袋の口を想が可奈の口に押し付ける。

「呼吸を整えて下さい、はい、落ち着きましたか?」
「う、うん。重ね重ね、ごめん燈馬君」

落ち着きを取り戻した可奈が、自分を支える想の腕を抜け出る。

「とにかく」

可奈が、想の目を見た。

「とにかく…あいつを殺したの、私だから。私が一人であいつを殺したの」
「おかあさんっ」
「美里は黙っててっ!だからね、だから燈馬君」
「無理ですよ」

想は、静かに言った。
17 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:25:19.99 ID:9RA2XFou0
>>16

「無理です」
「え、ど、どうして?どうしてそういう事言うの?」

無理だ、それは自分が誰よりもよく分かっている。
真実以外のものを彼に納得させる事など、出来る筈がないと言う事を。
想は、無言で死体の袖をまくり上げる。

「内出血、手形です。両手で力一杯握った痕にしか見えません」
「だから、それは私が…」

「頭部にも直前のものと思われる傷害が見られますが、
致命傷と思われる索条痕、ガッチリと食い込んでいます。
手足や体格を見ても、この男からは格闘技などの修練の形跡が見られない。
水原さんの体にも不意打ちなどで強いダメージを受けた形跡が無い。

このスノーグローブ、硝子製で結構な重量があります。これで後頭部を殴り付ける時点で洒落にならない。
だから、水原さんがこれで殴り付けて、その後で乱闘があったと言う時点でまずあり得ない。

まして、水原さんがこれで殴り付けてからあれだけの大騒ぎを経て絞め殺した。
それを水原さんが一人でやったと言うのは手際が悪過ぎる。
僕が今ここにこうして生きている事が何よりの反証です。

この手形と索条痕により最低でも二人、腕が四本、この殺人事件が成立するための必要条件です
このスノーグローブはここ、この茶の間にあったものではありません。
置く場所が無いんですこれに見合う底面積のスペースが」

「お、おかあさん、もう駄目だよおかあさんっ」

そんな事あんたに言われなくても、誰よりも自分が一番よく分かってる、
可奈はそう一喝したかった。全く衰えの気配すら見せていない。

「燈馬さんっ、わ、私、私…」
「美里は黙っててっ!美里っ、美里はね、美里は何も言わなくていいの。
悪いのは私、私なんだから美里には今までも私が馬鹿であいつの事でもずっと苦労かけて、
あいつが生きてたらずっとこのまま、だから、だから私が殺した私が一人で殺した…」

今度こそ一喝した可奈が、へたり込んで早口で言い始めた。

「私が殺したの。私がっ!私が殺したの私が一人で殺したのっ!!
燈馬君っ!私が殺したの美里は関係ないの私が全部一人でやったの燈馬くんっ!!」
18 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:28:14.80 ID:9RA2XFou0
>>17

可奈は、叫び終えても顔を上げる事が出来なかった。

彼はどんな顔をしているのだろうか?今まで彼と共に何人も見て来た、
人の道を踏み外しその上に論理性の欠片も無い愚かな弁解を重ねている
愚かな犯罪者をどんな顔で見ているのだろうか?

彼は一見冷淡に見えても根は優しい男性だ。情において忍びない事件にも何度か遭遇している。
客観的に見ても、少しは同情の余地があると思う。
そんな自分を哀れんで見下ろしているのだろうか。

そして、次に口を開く時には、確たる態度で正しい道を選択する、それが燈馬想なのだと、
水原可奈は知り過ぎる程に知っている。

「おかあさんっ!おかあさんもういいよおかあさんっ」

駆け寄り、揺さぶる美里を、可奈は抱き締める事しか出来なかった。

「美里…いいの、美里はいいの、私が悪いんだから私がやったの私が一人で…」
「嫌だよ、こいつが悪いのにみんなこいつがおかあさんどんなにこいつ…
嫌だよ、私だっておかあさんを刑務所に入れたくない…」

水音が聞こえる。
ようやく可奈が顔を上げると、想がコップで水を飲んでいる所だった。
そして、少し周囲をうろつき回る。近寄り難い表情だった。

「美里さん」
「はいっ」
「借ります」

想は、美里の勉強机に向かい着席していた。
机に下敷き、その上にルーズリーフを置いてシャープペンシルで書き込みを始める。
黙々と書き込み、紙面が埋まるごとに次々と新しいルーズリーフを取り出す。

「燈馬さん?」
「しっ」

声を掛けようとする美里を可奈が制する。
想は、時々頭を抑えながらも黙々と書き込みを続ける。
買い置きのルーズリーフが尽きようかと言う頃に、
想は、紙面の末尾に書き込まれたQ.E.D.の文字の下にアンダーラインを引く。
19 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:30:32.35 ID:9RA2XFou0
>>18

「アリバイを作りましょう」

立ち上がった想が、使用済みのルーズリーフと下敷きを懐にしまいこみ、ぼそっと言った。

「下敷き文房具代その他、当座の必要経費です」

想が、机に一万円札を置く。可奈は、今度こそ泣き出したくなっていた。
もし、十余年前の自分がこの光景を見ていたら、迷わず二人まとめてぶん殴って警察を呼んでいた筈だ。

今からでも遅くはない。今までの手助けとは訳が違う。
彼にとって正しい事など何一つ無い。証拠の隠滅だって立派な犯罪だ。
社会にとっても彼自身にとっても大事な燈馬想と言う一人の男性。
彼の経歴、そして当たり前の良心を傷付けていい理由なんて何一つ無い。

そして、このままでは輝いていたあの日々、
どれだけ心の支えになったか知れないあの思い出まで、全て取り返しの付かない泥にまみれてしまう。

そう考えた時、可奈は隣を見る事が出来ない。
今、自分にとって何が一番大事なのか。
思い出を踏みにじり無関係な、
自分にもそして社会にも掛け替えのない大切な人を巻き込むのに娘を言い訳にしているのではないか。

逆に、そんな自分の過去のために、今一番に考えなければならないのは、
自分の小ささ、卑怯さに嫌と言うほど直面する。
殺した相手が相手だ、心の底では多分悪いとは思っていない。

あの天才の燈馬君ならうまくやってくれる、これからも何事もなく罪に問われる事もなく、
そうやってうまくやってくれるかも知れないいややってくれる。
今まで何度も、なんだかんだ言って助けてくれた彼なら。

そうだ、本来であれば彼はとっくに警察を呼んでいる筈。だが、そうしていない。
それが、今の自分の本心なのだと、そう思った瞬間そんな化け物を退治して自首する、
そうしなければならない、泣き喚きそうになっても体が動かない。
そして、又、娘を言い訳にする自分がいる。

「おかあさん、おかあさん」

その心が無限ループに食い殺される寸前に揺り戻されて、可奈は只、愛娘を抱き締めて歯がみしていた。

「色々、聞きたい事があります」
20 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:33:54.93 ID:9RA2XFou0
>>19

 ×     ×

自分の部屋に戻った燈馬は、押し入れの中を漁って工具を引っ張り出す。
これを持ち出すのは、最初の高校生活以来だ。

 ×     ×

東京都内、旧江戸川河川敷。

「ふぅむ、犯人は健気なシングルマザーだ。
そして、彼女に思いを寄せていた高校時代のクラスメイトが協力している。
死体を激しく損傷して身元の判別を困難としていると言う事は」

「あー、いたいた、現場はこっちよ撮影現場こっち。
ごめんなさいねー、どうしても昔の血って言うのが。
ほら、行くわよ、あ、な、た」

「えーと、あれって確か女優の渚幸代?確か、この辺で撮影があるって」

恰幅のいい男性を連行する妙齢の美女を指差し、貝塚北署の女性刑事内海薫が言った。

「と、その旦那だな。今は個人事務所の社長をしてる」
「へえー、さすがはサスペンスの女王。旦那さんもマニアックなんですねー」
「元は本職だからな」
「え?」
「いいか、今見た事は忘れるんだ。警視庁の黒歴史だ」
「はぁ…」

昨今よくある警察内部でのもみ消しに端を発した連続殺人事件の解決に死力を尽くし、
事情を知る本物の警察官全てから心の敬礼を受けながら刺し違える様に退職した
ロマンに殉じた男の真実を語れない事をもどかしく思う警視庁捜査一課草薙俊平の今日この頃であった。

「それで、仏さんは」
「あっちです」

草薙、内海他現職刑事の集団が、青いビニールシートで囲われた一角に入っていった。
21 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:36:31.54 ID:9RA2XFou0
>>20

「つまりだ」

少々時間が経過した所で、草薙が手帖を片手に発言する。

「遺体は真っ裸の男性で顔はぐっちゃり潰されてて歯の一本も無しで指が全部炭化レベルで焼かれてる
現場周辺に自転車が放置されていた
現場周辺にほとんど燃えていない衣類の燃え残りが詰め込まれた一斗缶が置いてあった」
「そういう事になります」

草薙の今来ても十分に納得出来る端的な説明に内海が同意した。

「軽々には言えないが、遺体を見る限り識の線かなぁ」

ペン尻で後頭部を掻きながら草薙が言う。

「身元を調べる手がかりをここまで入念に潰した、と言う事は、
それが分かれば動機がある人物に繋がる、ですか」
「そいつがどれだけかかるか、だな。指紋も歯形もあの分じゃ厳しいぞ」
22 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/11(土) 02:39:09.97 ID:9RA2XFou0
>>21

 ×     ×

「以上の通り、富樫慎二が旅館扇屋から鍵を持ったまま失踪したのが12月2日。
遺体の毛髪及び現場の自転車に残っていた指紋が、
富樫慎次が宿泊していた部屋から検出されたそれと一致しており、
現場で発見された衣類も目撃証言と一致している事からも、
殺害されたのは富樫慎二と見てまず間違いないものと…」
「意外と早かったな」

何度目かの捜査会議の席上、浅間清降刑事の報告を聞きながら草薙は呟いた。
そして、これまでの情報と整合させる。

司法解剖の結果、旧江戸川で発見された遺体の死亡推定時刻は12月2日の午後6ー10時頃。
死因は絞殺による窒息死であり、索条痕の形状や繊維片から
袋打ちねじれコードと言われる電気コードの類が凶器と推察される。

各種の失踪人情報をかき分ける中から、その死亡当日に失踪し盗難届を出された富樫の一件を
担当の浅間刑事が着目、割り出しに至った。
富樫慎二は借金取りに追われる様に現住所には寄りついておらず、
簡易宿泊施設などを転々としていたらしい。

身元が判明した事で、捜査会議では改めて鑑取りと言われる人脈捜査班の編成が組み直される。
大雑把な基礎調査は終わっていたので、
草薙と内海は過去も含めた戸籍上の周辺人物に担当を割り振られていた。

今回はここまでです。続きは折を見て。
23 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/12(日) 00:07:50.68 ID:J/BelBu70
>>10ギクッw

それでは引き続き今回の投下、入ります。

>>22

 ×     ×

なるほど美人だ。
夜のアパートの一室を訪れ、玄関を開けて現れた水原可奈を前に草薙は納得した。
三十路をいくつか越えた所だが、
かつては剣道に勤しんだという全身がしゃんとしていて根の明るさが伺える。
見た目は二十代でも通りそうだ。

「富樫慎二さん、ご存じですよね?」
「ええ」

草薙と内海が炬燵越しに可奈と向き合い、草薙が切り出した。

「殺された、んですよね。それで私の所に捜査で?」
「早い話がそうなんですけど、今日はあくまで確認と言う事で」

草薙としては話が早くて助かるのか厄介なのか、今の所判別しかねる。
そもそも水原可奈の父親からして捜査一課の刑事だったのだから、判断が難しい所だ。

「どこでその事を?」
「新聞で読みました」
「それで、その事に就いて水原さんは何か連絡などは?」
「いえ、随分前に離婚したし、関わり合いになりたくない人でしたので」

正確には八年前に結婚して五年前に離婚している。
当然、草薙達は可奈に関する基礎調査は行っている。
都内の短大を中退後、美里を出産して失踪に近い生活を送っている。
赤坂のクラブホステスとして勤務中に富樫慎次と知り合い結婚、離婚。
その後も富樫から逃れるために住所や店を移っているが、
最近になってようやく今の店のオープンに漕ぎ着けている。

「それで、妻だった私の所に捜査に来られたのですか?」
「関係者に一通り話を聞いて回っている所でして。
富樫さんに最後に会われたのはいつですか?」
「もう随分前になります。去年、いや一昨年かな、どうだったかな?」
24 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/12(日) 00:10:22.75 ID:J/BelBu70
>>23

ここで、可奈が天井を見上げて考え込む。
一方、内海は炬燵のコードを確認していた。ビニール表面の電気コードだった。

「それでは、こちらの住所に移ってからは?」
「それは無いです。こっちに来てからは会っていません」
「離婚されたんですよね?」

「ええ。今だからテンプレみたいに言えますけど
失業してからは酒と暴力とギャンブル、離婚してからも付きまとって金をせびって、
最初にちょっと情にほだされたのが悪かったって言うのか、本当に迷惑していました」
「では、12月2日、午後7時頃、何をしていましたか?」

「その日は…」

可奈は、カレンダーに視線を走らせる。

「その日は、朝から仕事で、それから娘と映画を観に行きました」
「映画ですか?」
「はい」
「その、映画の事を詳しく聞かせていただけますか」

可奈が、映画館の事と映画のタイトル、内容を聞かれるままに大雑把に説明した。

「映画を観た後は?」
「近くのラーメン屋で食事をして、それからカラオケボックスに行きました」
「カラオケですか。お嬢さんと二人で?」
「はい。時々そうしているんです」
「帰宅の時間は?」
「十一時は過ぎていたと思いますけど」
「そうですか」

 ×     ×

本来、技術系の高度計算の専門職としての採用であり、
高度な取引関係が出来た事で非常に重要なポジションには違いないのだが、
気が付くと色々と便利屋的に無くてはならない存在として、想は工場にはまり込んでいた。

流石にハードに関する専門知識は手に負えなくても、
繁忙期のその日は事務室で買い換え時期のパソコンでの会計をバックアップする一方で、
タブレットと人の間で首を往復させ言葉を交わしながら作業場を駆け回る。
25 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/12(日) 00:20:16.45 ID:J/BelBu70
>>24

そんな仕事が片付くと、工場の面々と連れ立って近くの食堂に。
小さなコップのビールを定食で傾ける。
話が合う事はむしろ少ない方だが、嫌いではない時間だった。
只、彼自身の希望を言えば、出来れば今の時期はアルコールは避けたい所だった。

同僚と別れた想は、足取りがしゃんとしている事を確認しながら自宅アパートに向かう。
その、自分の住むアパート二階の階段に差し掛かった辺りで、想の眉が動いた。
可奈の部屋から出て来る二人組、典型的な刑事だ。

「すいません」

果たして、その二人組は階段ですれ違った後に、
想が自宅ドアに手を掛けたのを見て声を掛けてきた。

「はい」
「警察の者です。ここの住人の方ですか?」

草薙俊平と内海薫、想は開かれた警察手帖を素早く記憶する。

「そうですけど」
「古い写真なのですが、この近辺でこの人物を見かけませんでしたか?」

想は、草薙が差し出した写真に視線を送り、少し考える仕草をする。

「富樫慎二さん、ですか?」
「ご存じなんですか?」

内海の声がやや高くなる。

「お隣の水原さんの元夫で最近殺された人ですよね」
「ええ、その通りです。富樫さんと何か面識は?」

再び、草薙が質問を主導する。

「いえ、直接の面識はありません。
富樫さんの事が新聞に載った時に水原さんから相談を受けたんです」
「相談。どの様な?」

「新聞に載った日の朝に電話が掛かって来まして、
新聞に出てる富樫慎二がかつての自分の夫で、ろくでもないDV男だったけど、
もちろん自分は殺していない。もしかしたら警察が来るかも知れない。そんな話を。
それで、少し不安そうでしたから、お互いに仕事がはけてからお茶を」
26 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/12(日) 00:22:58.28 ID:J/BelBu70
>>25

「お茶?」

「はい。この近くにある………と言う喫茶店です。
そこで、似た様な話をして、ずっと前に離婚したなら関わる事も無いし、
普通にしていればいいと、そんな事を話し合って分かれました」
「なるほど…水原さんとは親しくされているんですか?」
「ああ、高校の同級生なんです。だから、時々世間話などを」

「なるほど。よろしかったらお名前を教えていただけますか?」
「燈馬想と言います。とうまはあの通り、想像上の人物、想定内、のそうです」

表札を見た草薙に想が応じた。

「燈馬想さんですね。お帰りはいつもこの時間ですか?」
「それは仕事の状態によります」
「お仕事」
「………と言う会社、工場に務めています」
「ああ、そうですか。では、12月2日の日は何時頃帰宅されましたか?」
「二日、ですか」

想は手帖を開いた。

「その日は定時でしたから、7時前には帰宅していた筈ですが」
「その時、何か不審な物音などをこの辺りで聞きませんでしたか?」
「いえ、特にその様な覚えはありません」

「12月2日の午後7時以降、本当に不審な事に気が付かなかったんですね?」
「ええ、変わった事は無かった筈です」
「では、その日、水原さん親子が帰宅した時間など、分かりますか?」

「いえー、ちょっとそれは」
「有り難うございました」
27 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/12(日) 00:26:39.38 ID:J/BelBu70
>>26

 ×     ×

「もしもし」
「もしもし、燈馬君?」
「はい。警察、来ましたね」

「燈馬君も事情聴取」
「ええ、見ての通りです。どうでしたか?」
「うん、燈馬君の言った通り。富樫の事とかアリバイの事とか」
「聞かれた事をありのまま必要最小限答えましたね?」

「うん、大丈夫、だと思う。燈馬君は?」
「僕も大丈夫だと思います。警察は少なくとも水原さんの携帯、固定両方の通話記録を取る筈です」
「じゃあ、この電話も…」

「ええ、恐らく通話記録は取られる筈です。
予定通り、僕はあの事を話しました。である以上、こうして僕が水原さんに電話を掛ける。
そうしないのがむしろ不自然です。現状だと警察が把握出来るのは通話の時間と相手だけ。

固定電話、特に集合住宅は違法盗聴の恐れがありますが、携帯電話のデジタル電波の解析は難しい筈です。
携帯電話を盗聴するには令状をとって電話会社を巻き込む必要がありますが、
現時点で判事の許可が下りるとは思えない。例のゴミにカモフラージュした蝶番の、やってますよね?」

「それも大丈夫、侵入者の気配は無し」

「だとすると、最初にクリーニングしましたから室内盗聴の恐れも低い。
捜査一課が窓硝子のレーザー盗聴までやるとは思えませんから、
僕らの関係から逆算して不自然なかけ方をしない限り携帯は大丈夫の筈です。
そろそろ不自然な時間になりますから、予定通りにお願いします」

「分かった、お休み、燈馬君」
「お休みなさい水原さん」

 ×     ×

「あー、どうも、警察の者です」
「警察?」

早朝の路上で、女は草薙と内海に訝しげな視線を送る。

「クラブ「まりあん」におつとめですよね?少しお伺いしたい事が…」
28 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/12(日) 00:29:54.58 ID:J/BelBu70
>>27

 ×     ×

「刑事、さん」
「ちょっとよろしいでしょうか?」

夕方、仕事を終えた可奈が、アパート周辺に待機していた草薙と内海を伴い帰宅する。

「改めてお伺いしますが富樫慎二さんの事、
彼が殺された件に就いて、我々の訪問の前に誰かに話しましたか?」
「はい、隣の燈馬く…さんにお話しました」
「なるほど、燈馬さんに」

「はい。燈馬さん、高校の同級生だったもので。
昨日あれから燈馬さんから電話が来まして、刑事さんに事情を聞かれたと。
お話ししなくてすいません。警察とか富樫の身内とかそういう話しか思い浮かばずに」

「なるほど、それで、どの様な話を?なぜ燈馬さんに?」

「何て言いますか…元の旦那が殺された、って、
そういう事になると警察も来て煩わしい事になりそうで、
そういうのちょっと嫌でしたから。もしかしたら変なトラブルに巻き込まれるんじゃないかとか。
それで、誰かに相談したくて。燈馬君頭いいし一応話しておいた方がいいかなって。
そうしたら、仕事が終わってからって事で、お茶しながらその事を話して」

そこからの話は、いくつか質問をしてもおおよそ燈馬想の会話とも符合していた。

「燈馬さんとは親しい間柄なのですか?」

「そうですね。親しいって言えば、高校時代の親しい男友達。
彼氏とかそういうのじゃなかったんですけど今思えば一緒に馬鹿やった関係。
卒業した後は没交渉でしたね。こっちに引っ越して来る事になって、
その時にたまたま彼と出くわしてそのままここに落ち着いて」

「ほおー」

にこにこと語る可奈の言葉に、草薙は感心した様な声を出す。

「卒業してからは没交渉、ですか」
「それは、まあ…」

草薙の言葉に、可奈の笑みが曖昧なものとなった。
29 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/12(日) 00:32:29.91 ID:J/BelBu70
>>28

「まあ、色々ありましたから。警察でも調べてるんですよね。
美里が生まれてからは本当に死ぬ程忙しかったし、
職場が潰れたり切られたりしてる内に、
知ってる人には余り言いたくない様な事もそれなりに色々やってましたから」

「ただ今ー」
「お帰り」
「あ、どうも」

炬燵から頭を下げる刑事二人に、美里は表情を曇らせる。

「これも改めてお尋ねしますが」

草薙の言葉に、可奈が向き直った。

「最近、少なくともこちらに越してきてからは富樫慎二には会っていない。
それで間違いないですね」
「間違いありません」

「では、錦糸町のクラブ「まりあん」、ご存じですよね?」
「ええ、以前務めていましたから」
「「まりあん」を辞めて今の弁当屋を?」
「はい」

「では、最近「まりあん」の関係者と話しをした事はありますか?」
「ええ、ママとは時々連絡を取っていますが。最近だと、いつだったかな…
十一月の終わり頃だったと思うんですけど」

「他には?」
「いえ、他には、少なくとも最近は無かった筈です。元々水商売が好き、って方じゃなかったもので。
今のお店が上手くいっていますのであの頃の事は余り…」
「そうですか…」

「あの、「まりあん」がなんなんですか?」
「11月27日、富樫慎二が「まりあん」を訪れています。
そこであなたの務める弁当屋の事を聞いているんです。
もう一度だけお伺いします。先月と今月でいいです、富樫慎二と会った事は?」
「ありません」
30 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/12(日) 00:35:12.05 ID:J/BelBu70
>>29

草薙の問いに、可奈はきっぱり言い切った。
先月と今月であれば、あの日だけ。あの日の事が分かればどの道終わりだ。
そこは否定するしかない。彼もそう言っていた。

草薙達も、ここは詰め切れなかった。
草薙達の聞き込みによると、
事情を知らずに「みさと」の事を富樫に報せたホステスは一人だけ。
そして、富樫が店に来た事を、ママも可奈には報せそびれたと言っている。

「では、これも改めてになりますが、
12月2日。映画を観に行った、と言うお話しでしたが、半券などはありましたか?」
「半券、ですか?」

首を傾げた可奈がポーチを持ってくる。

「やっぱりないなぁー。ごめんなさい。美里ー」

奥の部屋で、可奈と美里がごそごそ話を始める。

「パンフレットならあるんですけど」

草薙が、可奈に差し出されたパンフレットをめくり始める。

「あっ」

内海に言われる迄もなく、草薙がページをめくる手を止めた。

 ×     ×

「容疑者は凄い美人なんだよ」

帝都大学のキャンパスで、内海を引き連れた草薙の言葉を聞き、
湯川学准教授はくるりと振り返った。

「珈琲でも入れよう」

今回はここまでです。
続きは折を見て。
31 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/12(日) 05:03:04.97 ID:s98Pf1I20

ガリレオシリーズは触ってないけど、どうやら大筋をなぞってるようだね

>「ふぅむ、犯人は健気なシングルマザーだ。
>そして、彼女に思いを寄せていた高校時代のクラスメイトが協力している。
>死体を激しく損傷して身元の判別を困難としていると言う事は」
ここがデスノの死神?
32 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:09:13.16 ID:epxDVnkP0
>>31
劇場版の容疑者X
なぞってる感じですかね、今の所は。

それでは、今回の投下、入ります。

>>30

 ×     ×

かくして、栗林助手の不機嫌な視線を浴びながら、
草薙と内海は湯川の研究室でコーヒーを振る舞われる。
草薙と内海は、どうした訳か一見超常現象とでも言うべき事件に関わる機会が度々あり、
その現象解明に協力してきたのが草薙の大学時代の同期でもある湯川学。
今の所、水原可奈を犯人と断定でもしない限り、事件は湯川の守備範囲とは言えないが、
頭の回転の速い湯川との雑談はそれなりに状況整理に役に立つ。

「ラーメン屋とカラオケボックスは裏が取れてる。店員が二人の事を覚えていた」
「すると、問題は映画館か。その美人が」

草薙の言葉に、湯川が続いた。

「どうして美人にこだわるんですか?」
「大事な事だ」

内海の疑問に、湯川は強調した。

「美人なんだろ?」
「溌剌とした美人だ」
「その、溌剌とした美人が映画を見ていたと言う証拠は?」
「それが、あったんです」

内海が、映画の半券がパンフレットから出て来た経緯を説明する。

「じゃあ、やっぱり犯人じゃないんだ。
それに、一度入って出たかも知れないしゴミ箱から半券を拾ったのかも知れない」

只でさえ色々と逼迫している理系の教室で、
実習開始時刻が刻々と迫る中での無駄話に、栗林の我慢の限界も刻々と迫りつつあるらしい。
33 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:11:53.12 ID:epxDVnkP0
>>32

「それぐらい考えました」
「だが、その美人が真犯人だとすると、君達は苦労するだろうな」
「え?」

「普通の犯人であれば、アリバイ工作に用意したチケットの半券の保管場所にまでは気を配らない。
刑事が来る事を見越してパンフレットに挟んでおいたのだとしたら、これはかなりの強敵だ。
実に興味深い」

「それからもう一人、気になる人物がいるんです」
「内海さぁん」

情けない様に見える栗林だが、流石にまずい領域に入りつつあるらしい。

「水原可奈の高校時代の同級生が隣の部屋に住んでいるんです」
「だからぁ、それこそ物理学者の…」
「それが、警視庁のデータベースで確認した所、尋常じゃないんです。
とにかく、漫画みたいな属性がうじゃうじゃ出て来て」
「確かに、ただ者じゃない事は確かだな燈馬想」
「燈馬想?」

草薙の言葉に、湯川の表情から薄笑いが消えた。

「湯川先生?」

栗林と内海が聞き返す。

「燈馬想が水原可奈の元同級生で隣人だと言うのか?」
「ええ、そうです」
「その、同級生だったと言う二人が通っていた高校は?」
「咲坂高校です」
「少し、詳しく聞かせてくれないか?」
「湯川先生、ちょっ、湯川先生?、」

「はい。水原可奈の父親水原幸太郎は警視庁の警部として捜査一課の指揮を執っていました。
その縁で、水原可奈の友人だった燈馬想は、
高校時代に殺人事件を含むいくつもの事件で警察に捜査協力を行い、解決を手助けしています。
丁度、湯川先生みたいに」
34 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:14:43.12 ID:epxDVnkP0
>>33

「いやいや、高校時代って、それこそ漫画…」
「それなんですが、記録によると燈馬想はアメリカの出身で、
15歳の時にはアメリカの一流大学…」
「MITマサチューセッツ工科大学」
「そう、MITです。飛び級で卒業していました」

湯川の介入を経て、栗林の突っ込みにもめげずに内海が最初の解説を終える。

「残念ながら水原幸太郎は既に他界しているが、
事情を知ってる一課出身の古株に話しを聞いた。捜査に関しても天才的に頭が切れる。
あり得る全ての仮説を否定し残ったものを真実とみなす。そういうタイプだったらしい」

草薙が補足した。

「不気味なのが、警視庁に残っている燈馬想の記録なんですけど、
私達でも閲覧不許可の部分が幾つかあるんです。一般人のファイルですよ、こんなの初めてです。
痕跡を辿ったら内閣調査室扱いNファイル極秘なんて訳分からないのまで出て来ましたし。
もちろん私達の権限では読めませんでした」

「公安かな」

内海の言葉に湯川が言う。

「彼の実績を考えるなら日本、アメリカ、どちらにおいても
そう、例えば軍事技術やその人脈に関わる様な事があっても不思議とは思わない」
「お陰で経歴の追跡に手間取った。
アメリカだからって事もあるが、高校卒業後MITに戻ってそこを卒業してからが霧の中だ」

「今は何をやっている?」
「近所の工場で技術者として働いています。
正直頭痛いですから私に説明を求めないで下さい」

内海が湯川にパンフレットやプリントアウトした資料を渡す。
35 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:17:21.34 ID:epxDVnkP0
>>34

「…実に興味深い。まだまだ下町の工場には興味深い技術が埋もれている」
「それも、燈馬想が直接海外のメーカーに売り込んだ様なんです。
彼がアメリカ時代の友人に売り込んだ事で工場は飛躍的に増収したと」
「これだけの品質であれば、喉から手が出る程欲しがっただろうな」

「元々、工場の人間が水原可奈の知り合いだった縁で燈馬想も工場と関わって、
今は正社員として技術関係の計算なんかをやってるみたいなんですが、
その事も不思議と言えば不思議なんです。
燈馬想は十代の内から数々の特許により生活には十分過ぎる程の安定した収入を得ています」

「その金の一部は過去に収集した資料の貸倉庫代に回して、
それ以外のほとんどを貯蓄に回してるみたいだな。今はその工場の給料だけで生活してるらしい。
伝手を頼ってヘッドハンティングの関係者に聞いてみた。
燈馬想のキャリアで今の給与、待遇だと言ったらみんな呆れ返ってたよ」

「彼らしいな。ロジックの拡張でも欲したのだろう」
「彼を知ってるんですか湯川先生」

余りにも当たり前に語る湯川に、内海が核心に迫った。

「ああ、随分昔に同じプロジェクトに関わった事がある。
天才なんて言葉は迂闊には使いたくないが、
本当の天才と呼べるのは燈馬想だけだ」
36 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:19:53.59 ID:epxDVnkP0
>>35

 ×     ×

テーブルに夕食を揃えていた可奈は、携帯の着信に気が付いた。

「もしもし」
「もしもし、僕です」
「燈馬君」

「着信見ました。何か変わった事がありましたか?」
「美里の学校にも刑事が来た、映画のストーリーを聞かれたって」
「そうですか。答えられましたね」
「うん、大丈夫だったって」
「それなら大丈夫です、問題ありません」

「燈馬君?」
「はい」
「…なんでもない。夕食は?」

「出先なので遅くなります。お構いなくと言う事で」
「うん、分かった」
「それでは」

可奈が電話を切った。

電話が切れた。

「凄いね、燈馬さん」
「うん」
「みんな燈馬さんの言う通りになってる」

美里の言葉を聞いて、何か自分がとんでもない錯覚に陥りそうな、可奈は改めてその恐怖を覚える。
そう、今やっている事と昔やっている事は実は同じ、なのではないかと。
やっぱり富樫を殺した事を悪い事だとは心の底では思っていない。

それどころか、そんな奴なのだから、実は昔の様に人助けをして、
まあ、助けられたのは自分なのだが、彼が上手に後始末をしてくれている。
あの時と同じコンビのミッションをやってるだけなのでは。

想のあの時のままの冷静さに、一瞬でもそんな感覚に支配されそうになる。
そんな自分を可奈は嫌悪し、何よりも想に詫びる。

「食べよ」
37 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:23:49.81 ID:epxDVnkP0
>>36

 ×     ×

午後にワン切りらしき着信履歴に気が付いて夕方に可奈に電話を入れたが、
その後が予想外に遅くなってしまった。
冷蔵庫にボロニアソーセージがあった筈だ。それで腹を満たそう。
又、ろくなものを食べていない、と言う声がリフレインして、想はふっと笑みを浮かべる。

橋を渡れば自宅はもうすぐだ。
缶詰と、ソーセージでも焼いて、缶ビールを空けようか。ふと欄干から川面に視線を向ける。
足を止めた想が、右手で欄干を掴む。左手がぎゅっと想の口を押さえていた。
想が、ごくりと喉を鳴らす。
呼吸を整え、しゃきっと歩き出す。

「?」

又、刑事か?と思ったが、聞き込みの刑事が単独行動を取る事は少ない。
想がアパートの外階段の中程にいる人影に目をこらすと、その人影は右腕を掲げた。
把握した想は、右手を挙げる。

 ×     ×

「適当に座って下さい。こんなものしかありませんが」

自分の部屋に湯川を招き入れた想は、缶詰とグラスを用意する。

「あの国からアメリカに戻った、あの時以来か」
「そうですね」

湯川が用意した缶ビールをグラスに注ぎ、カチンと乾杯する。

「それで、誰が僕の住所を知っていたんですか?」

「最近、刑事と話しただろう。彼が大学の同期でね」
「ああ、そうだったんですか」
「物理学の関わる事件で時々アドバイスを、捜査協力と言ってもいい事をした事もある。
君も、昔はその方面で慣らした口だと聞いたが」
「そうですね。確かに、そういう事がありました」

そう言った想が、ぐいっとグラスを空けた。
38 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:28:40.23 ID:epxDVnkP0
>>37

「それで、草薙刑事の話は、有力な容疑者の周辺に僕がいる。そういう話でしたか?」
「ん?いや、今の所は鑑定依頼と言う訳でもないからな、
彼としても話せる事は限られている。
言ってはなんだが、君の経歴は客観的に見ても特筆すべき点に溢れている」

「それはそうですね。何をどこまで聞いているのか知りませんけど、
疑われているのは隣に住んでいる水原さんみたいですね」
「ほう」

想が、抜き取った新聞の紙面を取り出した。

「この、富樫慎二と言う男が水原さんの離婚した夫で、
亡くなった人の事ですがひどいDV男で水原さんも随分泣かされたと、
それでもよりを戻そうとしていたらしいんです。

今の話の様に僕も多少は警察の事を知っていますから、
警察なら疑うのも当然だとは思いますが、機会があったら言っておいて下さい。
水原さんは人殺しをする様な人じゃないって」

「その、水原さんとは親しいのかい?」

「草薙さんにもお話ししましたが、高校の同級生です。親しいのかと言えば親しいですよ。
元々、警察の捜査に協力していたのも刑事だった水原さんのお父さんに協力していたぐらいですから。
彼女がアクティブな人でしたから、高校時代にはよく一緒に遊びに行ったり。
高校を出てからはずっと会ってませんでしたが、
ここに住んでからはいいご近所付き合いをさせてもらっています」

「なるほど」

 ×     ×

出前の寿司を摘みながら、大学の話、二人の思い出、学問的トピック、
口数が多いとは言えないが旨い酒が進んでいた。

「親しいか、ですか」

いつしか、湯川が6缶パックで持って来た350のビール缶は空になり、
想は、ウィスキーに浮かぶグラスの氷をふと指で動かした。

「僕は、高校生の高校生活を知りませんでしたから」
「ん?」
39 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:31:19.33 ID:epxDVnkP0
>>38

「飛び級でしたから。学問は楽しかったですけど、
率直に言って、同級生からの視線はむしろ悪意の方が多かった」
「それで、年齢通りの高校生活を?」
「その解釈は正確さを欠く、と言っておきます。
確かに、高校に入った当時は悪意と言う以前でした」

「悪意を持つ程の関心にすら至らずか」
「その中で高校生の高校生活。それを教えてくれたのが水原さん。ええ、そうです」
「なるほど。
学問の楽しさ、それだけは微塵も失われていない、そうらしいな」

少々危うい足取りで想の机に近づいた湯川が言う。

「見事なものだ。うちに大学の教授でもこれだけの資料は揃えていない」

想の机、本棚、そこに詰め込まれた資料の一つに手に取って湯川が言った。
想の所蔵資料の大半は貸倉庫に収納されているのだが、
今ここにあるかなりの部分は、想がインターネットから収集した最新にして良質の資料だった。

「そうですね。コンピューターの助けも借りますが、
数学は紙と鉛筆があれば研究出来ますから」

笑顔を見せる想の前で、湯川が書類封筒を開く。

「数学科の教授から借りて来たんだが」
「…リーマン予想を否定しているんですか?…」

湯川が差し出した文書を斜め読みして、想が言った。
その眉が僅かに陰って見える。

無理も無い、湯川はそう思う。湯川が後から知っただけでも、
想にとっては言わば青春の墓標にも等しい領域。その痛みは研究者として決して他人事ではない。
だが、それでも湯川は、想の魂が決して土深く眠ってはいない事を知っていた。

「この証明が正しいか、君に判定してもらいたい」
「時間が掛かりますよ」
「ゆっくり待つさ」

想が、机に向かって受け取った論文を熟読し、鉛筆や付箋を忙しく動かし始める。
その内、一人沈没した湯川に気付き、押し入れを開く。
そこで、ふと顔を見せた袋打ちコードを奥に押し込み壁にもたれる湯川に夜具をかける。
40 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:34:20.44 ID:epxDVnkP0
>>39

 ×     ×

「まだやっていたのか」

朝日の差し込むアパートの一室で、
目を覚ました湯川がぽかんと椅子に座る想に声を掛ける。

「分かりました。この証明は間違いです。
面白い試みですが素数の分布に根本的な間違いがあります」
「ああ、その証明が間違いだと言う事は、既に証明されている」
「そうでしたか」
「ああ。そう簡単に分かる間違いではない、そういう話だったんだが…
それを六時間か、天才は健在だな。安心したよ」
41 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/13(月) 00:36:51.28 ID:epxDVnkP0
>>40

 ×     ×

「例のお隣さん、朝は早いのか?」

共にアパートを出た湯川が、隣の想に訪ねる。

「弁当屋ですから、毎朝早くに出ています」
「弁当屋」
「ええ、美味しいですよ。僕もひいきにしていますから」
「実に興味深い」

二人は橋を渡り、川沿いの道を進む。

「なかなか興味深い通勤コースだな」

二人の横に並ぶ青テントのちょっとした集落に視線を走らせ、湯川が言った。

「いつもの光景です。彼らは時計の様に正確に生きています」
「人間は、時計から解放されると却って規則正しい生活になる。面白い」

川沿いから橋に戻り、二人の通勤路が分岐する。

「すいません、久しぶりに来ていただいて大したおもてなしも出来ずに」
「最高のもてなしを受け取ったよ」

湯川が書類封筒を持ち上げ、二人は笑みを交わす。

「それでは」
「それじゃあ」

今回はここまでです。続きは折を見て。
42 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/16(木) 03:55:37.90 ID:ZXszWIz70
引き続き今回の投下、入ります。

>>41

 ×     ×

「君達の考えている事件の流れを教えてくれ」

突然の呼び出しに当然文句の一つや二つも言いたくなる内海を完全に受け流し、
現場近くの河川敷で湯川が言った。
想と分かれたその日の事だった。

「水原…容疑者と被害者はここで待ち合わせをして、
被害者が駅前で自転車を盗んでここに現れ、犯行が行われた」
「容疑者が自転車を盗んでここに現れたと言う根拠は?」
「それは、自転車に被害者の指紋が残っていたから」

「なぜ、自転車に指紋が残っていたんだ?」
「え?」
「被害者の指紋を焼く程の容疑者が指紋を消さなかったのか?」
「それは、慌てていて」
「慌てていた容疑者が被害者の衣服を燃やそうとした」
「何を仰りたいんですか湯川先生?」

確かに、何か雲行きが怪しくなっているのは内海にも分かる。
その不安の正体を明確にしないまま、二人は駅前に移動した。

「12月2日、犯行当日の午後四時から午後十時の間に盗まれました」
「随分正確な時間だな」
「盗難届が出されていましたから」
「自転車はどこに?」
「ここにチェーンで繋いであったそうです」

大量の駐輪自転車の間を屈んで調べる湯川の脇で、
ドミノ倒しを始めた自転車を内海が支える。
43 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/16(木) 03:58:10.77 ID:ZXszWIz70
>>42

「被害者はなぜその自転車を狙ったんだ?」
「え?」
「チェーンが掛かっていない自転車など、ここにはいくらでもある。
これなど、鍵すら掛かっていない」
「湯川先生?」
「僕の推理を言おう。その自転車は新品だった」
「湯川先生」

それは、図星であり、つまり、

「敢えて盗難届を出させた?何のために?」
「盗難届を出させる、盗難の時刻が特定される事で、
犯人にとって何かいい事があったのだろう」
「その自転車に指紋が残されていた事も」
「ああ」
「それで、そうすると犯人にとってどんなメリットが?」

内海の質問に対し、湯川は実に爽やかな笑みを浮かべて返答した。

「さっぱり分からない」

 ×     ×

「湯川さん?」

定時の上がりで職場の門を出た所で、
想は、近くの囲いに腰を下ろし資料をめくる湯川に出くわした。

「どうしたんですか?」
「食事をどうしようかと考えていたら、君の言っていた弁当屋が思い浮かんだ。旨いんだろ?」
「それは、そうですけど。そのために大学からここまで?」
「思い立ったら居ても立ってもいられない性分でね」
44 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/16(木) 04:00:46.30 ID:ZXszWIz70
>>43

 ×     ×

「いらっしゃい」

気配に振り返った水原可奈がトレードマークの元気な挨拶を口に出し、
そのまま笑顔を凍結させた。

視線の先には二人の来客。
一人はこの店、弁当屋「みさと」の常連にしてもっとずっと前から旧知の仲の燈馬想。
だが、普段彼が来る時間ではない。
普段であれば、気紛れに寄ってくれるのはむしろ嬉しいし何かの都合であり得ないでは無い話だ。

だが、元々行動パターンが静かなる数学的とも言える彼が
今の状態でパターンを崩す事自体、可奈の胸がざわっとする。
そして、その燈馬想が見知らぬ男を連れて来ている。
営業スマイルを張り付かせたままそっと息を呑むには十分。これが犯罪者の思考なのだと改めて思う。

「お勧めの弁当は?」
「どれも美味しいですけど…」
「彼はいつも何を?」

可奈の視線の先で、想が小さく頷いた。

「燈馬、さんはお任せ弁当を」
「では、それを貰おう」
「はい。お任せ入りまーす」
「なるほど、どれも美味しそうだ」

興味深そうに店内を見て回る湯川の脇で、想は静かに顔を伏せている。
そんな二人の間を一人の男性客がするりと通り抜けた。

「いらっしゃいませー」
「お久しぶり」
「工藤さん」

可奈がどこか親しげに声を弾ませ、伏せていた想の視線がすっ、と、工藤に走る。
45 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/16(木) 04:03:59.94 ID:ZXszWIz70
>>44

「お店開いたって聞いてね、売り上げに貢献しないとって思ってさー」
「店長、お願いします」
「店長かぁ…ああ、失礼」

工藤が、ようやく先客の存在を気に留めた。

「お待たせいたしました」
「じゃあ、これで」
「六百円ちょうど、いただきます。ありがとうございましたー」

愛想良く立ち去る湯川の陰で、想が可奈に向けて小さく頭を下げた。

「ありがとうございました」
「いやー、可奈ちゃん全然変わらないんだね」

想と可奈の間で、
かつての常連客だった工藤がその時のままの口調で調子よく喋り倒していた。

 ×     ×

「帰って早速いただこう」

路上で、湯川が隣の想に声を掛ける。

「湯川さんはこれからその弁当を下げて電車で帰るんですか?」
「よく変人と言われるよ」

少々呆れた口調の想に、湯川が言った。

「じゃあ、僕はここで」
「付き合ってくれて有り難う…燈馬君」

別れ際、湯川の声に想が振り返った。

「数学の新しい問題を一つ思い付いたんだ。
誰にも解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは
どちらが難しいのか。但し、答えは必ず存在するとする」

「興味深いですね。考えておきます」
「考えておいてくれ」
46 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/16(木) 04:06:34.79 ID:ZXszWIz70
>>45

 ×     ×

「もしもし」
「もしもし、水原さん」
「燈馬君」

夕食時、可奈の携帯に想の携帯から着信があった。

「先ほどは驚かせてすいません。あの人は湯川学。帝都大学の物理学の准教授です。
昔、一緒に仕事をしていた事がありますが、非常に頭のいい人です」
「燈馬君が頭のいい人、って言うぐらい頭のいい人なの?」
「はい。専門分野に於いて非常に優れた学者です。
だからこそ、究めて論理的な思考、発想に応用を利かせる事が出来る」

「…なんか、燈馬君みたい…」
「と、向こうも言っていました。
例の草薙と言う刑事が湯川さんの大学の同期で時々専門分野に関する捜査協力をする間柄だと」
「それって、ますます」
「ええ、そうです」

ごくり、と言う音が、想の耳にも聞こえた。

「実は、湯川さんとは一晩飲み明かしたばかりだったんです。
その時、草薙刑事との関わりを聞きました。
その時話に出た水原さんのお弁当を食べてみたい、そう言って今日僕の所を訪ねて来たんです」

「それって」
「草薙刑事の依頼か湯川さんの独断か判然としませんが探りを念頭に入れるべきですね。
そして、湯川さんはそれだけ頭の切れる相手です。気を付けて下さい」
「分かった」

「大丈夫です、水原さん。水原さんは普段通りにしていればいいんです。
そうすれば例え相手が湯川さんでも絶対にボロなんか出ません」

ふと、会話が途切れる。
47 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/16(木) 04:09:25.58 ID:ZXszWIz70
>>46

「あの、水原さん」
「何?」
「…いえ…相手が相手です。そこまで探りを入れて来たと言う事でもありますし、次のカードを切ります」
「次のカード」
「美里さんに代わって下さい」

 ×     ×

「湯川先生、何やってるんですか?」

帝都大学のキャンパス内で、一斗缶の側に座り込む湯川に内海薫が声を掛けた。

「不要になったレポートを処分してるんだ。シュレッダーは信用出来ないからね」

湯川の手にした水差しの水が一斗缶の中に注がれる。

「何か分かったんですか?」

響き渡る程の消火音が引いてから、内海が尋ねる。

「何が?」
「水原可奈の店に行ったでしょう」
「弁当を買いに行っただけだ。燈馬君がいつも買ってるって言うから
連れて行ってもらっただけだ」
「ごまかさないで下さい。先生もやっぱり水原可奈を」

当たり前の様にここまであからさま過ぎるごまかしをかまされては、
新人とは言え担当刑事として黙ってはいられない。

「喋りたくないな」
「ええっ?」
「僕は個人的興味で動いているんだ。警察に協力するためじゃない」
「ちょ、ちょっと、こっちだって情報提供」
「悪いが帰ってくれ。それとも、捜査妨害で僕を逮捕するか」
「何なの、一体?」

思わぬ展開に、内海薫の追いすがる足も止まる。
彼女から見て湯川の答え全てがあり得ない。物理的な興味でもなければ、
少なくとも表向きはこちら、事件との関わりを持ち込む事には嫌々な態度を示していた。
それが、お互いを尊重する事なのだとしても、そういう湯川のスタンスから見て、全てが真逆を行っている。
自ら関わっておいて、それでいて本来の領分である自分、つまり警察を避けている。あり得ない。
48 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/16(木) 04:12:01.04 ID:ZXszWIz70
>>47

 ×     ×

「じゃあ、警察が意地になっていると?」
「はい。僕が聞いた範囲でも、絶対とは言えませんがアリバイはほぼ成立しています。
物理的に可能であってもその条件で実行するのは意味不明に不自然です」
「それでも、警察は彼女を追及している?」

「はい、かなりしつこく。
推測になりますが、警察は手詰まりで一番身近に動機がある水原さんに固執してる、
既にシナリオを書き上げてしまって変えられない内部事情なのかも知れません」
「話に聞く日本の捜査機関の悪弊って所かしら?」

「その可能性があります。せめてお父さんが生きていたら、
悪い口利きはしませんが捜査には公明正大な人でした。僕が軌道修正する余地があったかも知れない」
「今は無理なの?」

「ええ、恐らく親しい友人として目を付けられた僕も対立関係にあると思います。
今の僕の伝手ではすぐにどうにかは出来ません。
まして、今の水原さんは母一人娘一人、例え立件はされなくても、
このまま警察の意地に任せておいては生活そのものに支障が出ます。
やっと、自分のお店を持ってこれからだって時に」
「分かったわ。心当たりを当たって見る」

「ありがとうございます。只、平穏な暮らしが第一ですので…」
「分かってる。こちらの事情もあるから大事にはしたくない。
まずは私の一存で出来る範囲の事をするけど、最悪の場合は耳に入れる」

「すいません、いきなりこんな事を」
「そうね…いきなりじゃない事なんてなかったんじゃない?
借りもあれば恩義もある。あなたにも、彼女にも」
「本当に、ごめんなさい。感謝します」
「…大丈夫よ、あなたが側にいるなら。それじゃあ…」

一度電話を切り、かけ直す。

「もしもし、裏を取って欲しい事があるんだけど」
49 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/16(木) 04:14:29.87 ID:ZXszWIz70
>>48

 ×     ×

「燈馬想なんですね、先生が調べているのは」

帝都大学の大教室で、内海薫は教壇の側に歩み寄り湯川に声を掛ける。
湯川が黒板に個人的関心の数式を書き連ねていた大教室には二人以外の人影は無かった。

「燈馬想と水原可奈、二人の高校時代を知る人達に話を聞きました。
二人を知っている人達に二人の関係を聞いた所、かなりの割合で恋人同士だと答えた」
「高校時代の事だ、くっついたの離れたのが最大の娯楽と言う事だろう」

「二人を知っている、その前提である限り二人の関係に就いての回答は二つだけでした。
恋人、或いは非常に親しい友人。どちらにしても男女として尋常な関係では無かった。
まして、警察のデータベースを見る限り、
どちらか片方だけが事件に関わっていると言うパターンは一割にも満たなかった」
「それは、分母の数にもよるな」

「一般人以上警察官未満」
「それだと一般人レベルも含まれると言う事になるが」
「あー、言い直します。
取り敢えず、素人探偵として一般人の平均をはるかに超える数の刑事事件に関わっています。
燈馬想も、水原可奈も。そして、ほとんどのケースで同じ事件に関わっています」
「二人が過去極めて親しい関係にあったと言う事は理解した」

「ご理解いただけて嬉しいです。かつては恋人だった、或いは好意を抱いていた、
そして今も切れていない。だとすると、燈馬想には水原可奈の共犯者になる動機がある」
「だが、私の見た所、水原可奈と言う女性は見た目は美人で至ってさっぱりとした気性の女性らしい。
親しい男性、と言う事なら他にもいるだろう」

「それに、燈馬想には、12月2日のアリバイがありません」
「決定的な証拠にはならない」
出口に向かって歩を進める湯川は、追い縋る内海の言葉を一蹴する。

「理由はもう一つ、先生の推理が正しければ、
犯人は物凄く頭のいい人間です。天才なんでしょう燈馬想は」

入口に手を掛けた湯川が、内海に向けて振り返った。
50 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/16(木) 04:16:58.64 ID:ZXszWIz70
>>49

 ×     ×

「お疲れー」
「お疲れ様です」

タイムカードを押した想が、工場の廊下で夜勤組と挨拶を交わす。
ここからでも聞こえるぐらいだ、すれ違う面々の様子からも外の雨は結構なものらしい。

「あ、燈馬さん」
「はい」

夜勤の工員の一人に想が呼び止められた。

「なんか、外で女の人があなたの事を待ってますよ」
「女の人?」
「ええ、燈馬さんと同じぐらいの歳の、えらい美人」
「それ、弁当屋のおばちゃんじゃなくて?」

想と顔なじみの工員が口を挟む。

「いや、別の人。なんて言うかもっとパリッとした格好のえらい目力のある」
「おいおいマジかよ」
「なんだー、天才さんが二股か?」

ザワ、ザワ、と廊下の空気がざわめき、MOGERO念波が満ちる中、想は首を傾げて出口に向かう。
確かに、工場の門前には傘を差したえらい美人が待ち構えていた。
常人であれば射すくめられるその眼差しを前にして、
想は、ふと彼女と再会した日の事を想いだしていた。

今回はここまでです。続きは折を見て。
51 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/16(木) 08:05:44.56 ID:MQgfdDC90
俺ばかりレスするのもあれかもしれんけど乙!
電話の相手はアニーさんだね
燈馬って意外と女っ気多いんだよなあww
52 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西・北陸) [sage]:2012/08/16(木) 09:30:22.71 ID:nzBIa/2AO
燈馬は確かに女っ気多いなwwww

森羅は逆に男っ気多い気がwww
53 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:09:57.55 ID:9cMf0qdf0
感想どうもです。
それでは今回の投下、入ります。

>>50

 ×     ×

「燈馬想は、咲坂高校ミステリ同好会の初代会長でした」

内海は、廊下を進みながら話を進める。

「短期間で他の部員にその地位を譲って一部員として所属し続けています。
同好会に所属していたのは燈馬想と掛け持ち入部の水原可奈、他に四名の部員がいました」
「それは、部員旅行の行く先々の孤島や山奥の別荘で
密室殺人事件が発生すると言うサークルか何かだったのか?」

「一度だけあったらしいですが、
どちらかと言うと初代会長とそのパートナーが個人的にその傾向を持っていただけの様です。
他の部員による燈馬想の評価です。
部員の中では随一のとてもいい頭脳の持ち主
同好会でも一、二を争う頭脳派
地球人、現代人、通常能力者、同一世界人の範疇に於ける最も明晰な頭脳の持ち主
と言う事です」

「数が合わない様だが」
「ポンテンモンキチョウと言う言葉を言い残して出国して以来音信不通になっていますので除外しました。
時期的に見て事件や事件性とも今の所関わりが無さそうでしたから。念のためネットで調べて見ました」

一応取り出したプリントアウトを、湯川はさっさと受け取る。

「実に興味深い。これは、本を撮影したのか?」
「はい。たまたまその同好会の二代目会長がそちら方面をマイブームにしていましたから、
そこで詳しい図鑑を写真撮影する事が出来ました」

「なるほど、それでその同好会での二人の評判は?」
「この同好会のメンバーにしても、二人の関係に就いてはおおよそ先ほどの通りの見解でした。
しかし、この同好会初め、少し深く関わっている、特に何等かのトラブルで二人に関わった、
中には殺人事件で関わったと言うケースもありましたが、
日常の中のトラブルに於いても燈馬想の天才的な発想、
非凡な才覚は遺憾なく発揮されて、実際に際だった解決能力で関係者の印象に強く残っていました」
54 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:12:54.32 ID:9cMf0qdf0
>>53

「だろうな」
「水原可奈と親しかった部活動の上級生がこんな事を言っていました。
彼女は燈馬想の事も知っていて、話が弾んでかなり突っ込んだやり取りもあったんですが、
もし、誰かが本当に水原可奈を傷付ける様な事があった場合、燈馬想はどうするか?
私がその質問をした時、彼女は真顔でこう言いました。
考えたくもない、と。ほんの一瞬でしたが、あの恐怖はただ事じゃなかった」

 ×     ×

「よう」

その日、コンビニ弁当を下げて図書館から帰宅した想は、
自宅アパート周辺で一人の男に声を掛けられた。

「行政書士ですか」

かつての旧友を部屋に招き入れ、名刺を手にした想が言う。
これが詐称で無ければ自分の居所を突き止めた事に就いて少々言いたい事もあったが、今はやめておいた。

「こんなものしかありませんが…」

想は、コンビニ袋から取り出した500ミリリットルのペットボトルから
冷たい緑茶をコップに移してテーブルに置く。
そのテーブル脇で、旧友は床に手をついて平伏した。

「頼む、金を貸してくれ」
「事情を説明してくれますか」

まずは、直接の原因に就いて想は説明を受けた。

「つまり、説明不足によって不利な契約を結ばされたと言う理由で
顧客から多額の賠償請求訴訟を起こされた。そういう事ですね」
「言っておくがとんでもないでっち上げだ。
まともに争えば間違いなくこっちが勝訴するし刑事事件に出来るぐらいだ。
だけど、時間が無い。その前に資金ショートしちまう。
今の所証拠は無いが、こっちで今全面戦争している悪徳弁護士がいる。
今回のでっち上げ裁判、そこの差し金以外に考えられない」

「悪徳弁護士ですか」
55 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:15:32.64 ID:9cMf0qdf0
>>54

「ああ、認知症だった本人が亡くなってやっと分かったんだが、
蓋を開けてみりゃあ管理を任されてた筈の財産に謎の抵当権やら遺言も明らかに偏った内容で。
元々、こっちに財産管理打診されてたのを、ヴェテランって事で持って行かれたって事もあったからな。
そりゃあうちのボスの怒髪が天を突く、分かるだろ?
それでも、その事件自体は慎重にやったんだ。書類は完璧でも内容が異常すぎる。
文書と状況証拠を一つ一つ積み重ねてこれからって時に。
そんな時にこんなでっち上げ裁判で経営破綻、資格の危機だ。
こんな、訴えた方が逮捕されてもおかしくないやり方で狙い撃ちなんて他に考えられない」

「そう考えた方が自然ですね」
「実際、無関係を装って両方の筋に和解を斡旋する様な動きも始まってる。
要約すれば、適当な理由を付けて前の事件を降りるなら後の事件の取り下げを説得する、ってそれとなくな。
もちろん、今の所は断固として突っぱねて蹴飛ばしてる。
いや、間違っても受け容れたりしないだろ。最悪資格を失ってもな」

「状況はそんなに厳しいんですか?」
「裁判の本訴になればこっちに負ける要素は無いし最終的には刑事事件にする事だって出来る内容だ。
だけど、捏造がやたらに手が込んでる。
零細事務所で当てにしてた大口の支払いを拒否された上に仮処分保証金まで入れたら、
その後に行列してるこっちからの支払いが追い付かない。
その点だと、一番大きいのはエターナルレディ。
本当だったらこっちが頭を下げれば待ってくれそうなもんなんだが…」

「それを、出来ますか?」
「無理だ。独立資金の借入から顧客の斡旋まで散々世話になってる。
この上、開業その他ギリギリで甘えた借入の弁済猶予なんて、
こんな事を頼むぐらいなら破産を選択しかねない」
「破産になったら資格喪失ですね」
「そうなんだ。亡くなった被害者ってのもあの人の友人だった。
だから尚更頼める状況じゃない…頼む」

そこまで説明して、改めて想の前にひれ伏していた。
56 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:18:39.70 ID:9cMf0qdf0
>>55

「今までもそれなりに仕事の付き合いがあって、こんな自爆ものの捏造やる理由が無かった、普通分かるかよ。
って言い訳したい所だけど、これは俺の手抜かりだった。
事務所でサポートしてた俺の手抜かりであんな隙を作って、
分かるだろ?生半可な努力で掴める資格じゃないって。

その後も、色々甘えて助けてもらったのは本当だけど、それ以上に努力してた。
それが、こんな事で、資格喪くしてあんな悪徳弁護士が勝つって。
高校時代から特許とかでかなり稼いでるって聞いてる。
対等な友人でいたかった、だけど形振り構っていられない。頼む、この通りだっ!」

想は立ち上がり、畳に額を擦り付け滴を吸収させているその姿を静かに見下ろし、片膝をついた。

「公正証書は書いてもらいますよ。個人の法定利息最高限度で」
「もちろんだっ!すまない、恩に着る…」

 ×     ×

自分と彼女の共通の友人、或いは共通の仲間との再会を思い出しながら、
想はトディで体を温める。

「江成さんの方の景気は?」
「ぼちぼち、って所かしらね」

同じバーのテーブル席で、想の正面に座った江成姫子が応じる。
オランダの卵酒を傾けながら。

「それはいい事です。債権者としては」
「あなたもそういう冗談を言う様になったのですね。
ええ、分かっています。お金の事は冗談ではないと」
「はい。江成さんの支払いはいつもきちんと為されていますから」

変わらない邪気のない笑顔。惹かれる女性もいるのだろうと、今は姫子にも理解出来る。
もし、あの時、想が何か手を打てば自分は簡単に落ちていただろうと思えるぐらい。
あの時、流石に依頼人を放り出す訳にもいかず、解決すれば見込みもあるのだからと、
色々呑み込んで又祖母に頭を下げよう。優しく微笑んでくれるのが一番辛い。

そう思っていた矢先、手下があり得ない金策を成功させた。
問い詰めて事情を知った姫子は、翌日ただちに想の自宅に駆け付けた。
そこには、相変わらず飄々として案外親切な昔馴染みがいた。
姫子は只礼を尽くし、借金を自分名義にする様に申し入れて、
元の債務者を連帯保証人とする事を条件に快諾された。
57 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:21:16.01 ID:9cMf0qdf0
>>56

「弁護士も大変な時代と聞いています」
「ええ。あなたの方が詳しいかも知れないけど、
変にアメリカの猿まねをしたお陰で数ばかりうじゃうじゃと増えて、なかなか骨の折れる時代です」

「生活保護を受け救急車の後を追い掛ける、言い古された事ですね」
「笑えないわね。萬相談承ります。犯罪以外大概の手段で大概のトラブル処理はやってる。
そちらへの振り込みだけでも、だから」
「毎度有り難うございます」

想は慇懃に返礼する。ここでなれ合いをよしとしない相手だと言う事はよく分かっている。
そうは言っても、自分が見た目どれだけドブ浚いに沈み込んでも最後の矜持を失わない。
それがクイーンだと言う事も想はよく知っていた。

「それでも、幾つか立派な事件もやり遂げて、
小さいかも知れないけど手堅いとも聞いています」

「ええ。それもあなたの、お婆様やみんなの助けがあってこそ」

正直言って、姫子からは余り聞きたくない台詞ではあったが、それは立場上仕方がない。
むしろ、その率直さこそ彼女らしいプライドとも言えた。

「それも、決して身内に甘えず厳格な契約の上での事。
僕も、友情と言う感情は皆無じゃない。お金の事でその感情が入り込む事もある。
だからこそ、お金の関係は厳しく。それが友情を大切する合理的結論だと思っています。
クイーン会長ですから、僕は助けたい。それで合理的に割が合う。そう思ったからそうした。
それが正しい評価だと信じています」

「あなた、いい事を言いました。
あなたがそういうのならそれは真実。何よりの味方です」
58 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:23:48.20 ID:9cMf0qdf0
>>57

姫子の感謝は、心からのものだった。
想と再会し、借金の話し合いを付けたあの日、半日かけた議論が事件を左右したのは間違いなかった。
姫子の戦い方も決して見劣りするものではなかったが、やはり想には見える発想の隙があった。

相手はヴェテランの悪徳弁護士、それだけに黒幕に徹していたのだが、
それだけにたかだかひよっこと侮った、それも狡猾な手段でボディーと顎をぶち抜いて
9カウントまでマットで目を回していた相手に勝負ありとの算段は当然の事だった。

狡猾な黒幕は知らなかった、江成姫子の怒髪が天を突くとはどういう事か。
例え彼女が弁護士資格を喪う事になったとしても時間が掛かっても同じ未来が待っていた事を。
古狸の悪徳弁護士は知らなかった。その誇り高さ、矜持を憎めなく思わせる、
彼女がクイーンでいる事が許されるその魅力、意外な人徳が繋ぐ力を。

そんな姫子の動きが急に良くなった。そう思った時には完全に手遅れだった。
クイーンの騎士であるために、その名を懸けた執念の調査もあって、
姫子をハメ殺しかけた、老人の財産をあらかた呑み込んだ実行犯は土下座する生き物へとメタモルフォーゼし、
黒幕弁護士は民事に懲戒にナマコが陸に上がってトリケラトプスの大群を横断しようとした様な有様で
両手一繋がりの銀のブレスレッドを進呈された。

「こうやって、旧交を温めて美味しいお酒を飲みたい所ですけど、
気が付いているのでしょう」
「はい」
「富樫慎二」

それは、片隅のバーの片隅のテーブル席で、静かに始まっていた。
トマトジュースで割ったウォッカのグラスを置いて、姫子は想の目を見る。
恐ろしい程に静かな目だ。かつて、無鉄砲だった頃にナイトを任せた事もある男。
傷だらけとなって小さくとも一城のクイーンとなった今、改めて見極めてやろうと言う心も少しはあったが、
かつての目利きに間違いはなかった。改めて想の底知れなさが姫子にも実感される。
59 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:26:35.55 ID:9cMf0qdf0
>>58

「その名前は警察から?」
「その問いに就いてはイエスです。
警察が来てあなたと水原さんの事を色々と聞いていきました。
私の立場が立場です。事件を伏せたままの聴取は無理です」

「ご迷惑をおかけします」
「その言葉を聞きたければ彼女の方を訪ねています。
只、色々調べている割には、どうやらあの人達もカブトムシの様ですね」
「手厳しいですね、相変わらず」
「私の所に来た刑事は、あなたを中心に事件を考えています」
「僕をですか」

そう聞いて、想は僅かでも不快な表情を見せる。

「あなたの言う通り、私も今まで少しは事件に恵まれた、と、言ってもいいでしょう。
その結果、警察や報道にも多少の知己が出来た」
「そこから事件の情報を?」
「報道に毛の生えた程度ですが、あなた達が疑われる動機ぐらいは。
その上で、あの刑事はあなたを中心に事件を考えている。実に愚かな事です」

「愚か、ですか?」
「ええ。それはあり得ない」
「どうしてそう言い切れるんですか?クイーン会長、クイーン弁護士?」

「あなたいい事を言いました。
実際に起きた事件で口に出す以上、それを証明出来なければ会長としても弁護士としても失格、
それが作法と言うものですね」

微かに挑戦的な想の笑み。実に挑戦的な姫子の笑み。
姫子の口の奥に、芳醇たる洋酒が微かに甘く香る様だ。

「あなた方二人に限定するなら、富樫慎二を殺したのは水原可奈です」
「そして、それに僕が力を貸した」

想の言葉に、姫子はやれやれと笑みを浮かべて首を横に振る。
60 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:30:23.17 ID:9cMf0qdf0
>>59

「それはあり得ません。あなたは直接は関わっていない」
「じゃあ、二人に限定するなら水原さん一人で殺した事になりますね」
「直接的には。その条件であれば、あなたが事件を知った時には既に富樫慎二は殺されていた」

「どうしてそう言い切れるんですか?」
「あなたは人殺しなどと言う愚かな事はしない。
仮に水原可奈から助けを求められたとしても別の解決法を考えた筈です」
「僕は信用があるんですね」

そう言って、想は眺めたグラスの中でウィスキー・ソーダの氷を静かに揺らした。

「言い古された言葉だけど、殺人は割に合わない。違いますか?」
「違いません」

「そう。私も今まで、その事を多少は実感して来たつもりです。
あなたの頭脳は、私の最も大切なものを守るに値する。私はかつてそう判断した。
そして、それは間違っていない。だから、決して割に合わないリスクしか無い愚かしい行動をする筈がない。
あなたの事を知って尚あなたが人を殺した、等と考えるならば、プラナリアから進化を始める事です。
水原可奈による殺害を知ったならばあなたはどうするか?隠蔽が可能であればそうしたでしょう。
殺人事件そのものの隠蔽は想像以上に手間が掛かる、あなたもそれを知っている。
普通の生活者であるあなたにもそして水原可奈にも、早々に出来る事ではない。
富樫慎二に識鑑のある水原可奈、その水原可奈と直結する燈馬想。
あなた達二人がそこまで生活リズムを崩して事後処理に費やしたら簡単に足がつく」

「確かに、水原さんは朝から弁当屋、僕も規則正しく工場勤務していますから、
事件そのものを消してしまう、そんな暇はありません。時間とエネルギーが不足し過ぎます」

「実際に事件は発覚した。
遺体にはかなりの処置が為されていましたが完全とは言えない。時間を掛ければ何れ発覚する。
少なくともあの遺体処理で身元不明状態を永久かつ確実に維持出来る、そう考える程あなたは無知ではない。
あなたが事件に関わったのならば、あなたが行った事は警察からの追及を逃れる、そのための指南をする。
まずはアリバイを作り、その他諸々の肉付けを論理的に組み立てる。
或いはそのための小細工をしておく。それも綿密に事細かく確実に警察が間違った証明に導かれる様に。
…無論、これは容疑者を二人に限定した場合の話です」

最後の言葉は、想の静かな眼差しに耐えきれなくなったから。姫子はそれを自覚していた。
61 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:33:03.40 ID:9cMf0qdf0
>>60

「僕が僕自身の事を正確に把握しているかは留保します。
僕を除外すれば主犯は水原さん、そして僕はバックアップ兼参謀役に徹する。
それが江成さんの推理である、そう理解しました」

「その通り。そもそもこれは私の知るあなた達二人の行動パターンそのものです」
「では、この二人だけに限定する、その前提は正しいと考えますか?」
「その前提は間違っている。私の知る限りそれが正しい結論です」
「理由はあるんですか?」

「私の集めた情報では、実行役の筈の水原可奈にアリバイが成立してしまう。
物理的に不可能ではない、と言う程度の穴はある様ですが、それで成功するには偶然の要素が勝ち過ぎてる。
たまたま目に付かなかったから可能だった、と言うレベルなのですから。そうなのでしょう?」

「そうですね」
「やはり、把握していましたか?」
「水原さんの話を信じる限りは、ですが」
「水原さんの話は信じるに値しますか?」

「少なくともこの場合、事実関係に就いて僕に積極的な意味での嘘はつかない筈、と言う程度には。
それこそ意味が無いですし、警察の動きとも符合しますから」
「なるほど、やはりそれが合理的な結論なのですね。あなた達は白」
「そう言っていただくと助かりますけど、違った方が良かったですか?」
「その場合、少なくとも当分私の事務所の資金繰りは楽になりそうだけど」
「多分死刑にはならないでしょうから後の利子が大変ですよ」

「そうですね。不謹慎な冗談はこの辺にしておきましょう。
今分かっている範囲では、水原可奈の犯行は出来ない事は無いと言っても綱渡り過ぎて現実味に欠ける。

死亡推定時刻そのものを疑う、と言う事も考えましたが、
水原可奈の弁当屋の設備では死亡推定時刻が変更される様な死体の保管は出来ない。
他にそれが出来そうな設備があなた達の周辺にある訳でもない。
あなた達を犯人とする、この線を追う限りお手上げです」

姫子はとうとう両手を上げた。

「警察も、それぐらい合理的な判断を早めにして欲しいですね」

ぐっとグラスを傾けて想が言った。
62 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:37:47.50 ID:9cMf0qdf0
>>61

「只、この事件には、確かに謎があります。トラップと言ってもいい。
或いは警察もそこに引っ掛かってる。警察に切れる人間がいれば、罠の存在には気付く筈」

「その罠と言うのは?」
「遺留品です」
「遺留品」

「ええ。遺体は顔が潰されて歯形も失われて指紋も焼かれて全裸で単体での身元確認は不可能だった。
そこまで入念にやっておきながらそれ以外の遺留品の始末が妙に杜撰」

そこで再び、姫子と想の視線が重なる。

「警察は、早い段階で富樫慎二の正確な服装をイラスト化して聞き込みをしています。
それは、現場近くで焼却処分しようとしたものの、ほとんど燃え残った事を意味する。
何より、富樫慎二が現場まで乗って来た自転車に指紋が残っていて、
そこから足がついて直前まで宿泊していた宿泊施設との照合で身元が割れた。

遺体処理の労力を考えると、わざわざ徒労に帰しているとしか思えない手抜き。
これは、どう見ても意図的なものです。只、その意図が少なくとも上っ面からは全く分からない。
警察の組織捜査は、犯人に繋がる目に見える現実的な点と線を追及する。
ですが、警察の側に切れる人間がいるなら、必ずここ、この論理的矛盾に着目する」

「クイーン会長には分かったんですか?その謎の正体が?」

想の問いに、姫子は首を横に振った。

「忘れたのですか?私は多少の事情通ではあっても部外者ですよ。
もっとも、この謎の出所自体は把握出来ていますが」
「出所、ですか?」
「ええ。恐らく分からないと思ってこのやり方をしたのでしょうね。
お婆様が上海の租界で手に入れたものと聞いていますが、当時の古いペーパーバックの一つ…」

そこまで言った時、想は顔を下に向けて喉で笑い始める。
それを見て、姫子もふうっと嘆息して首を横に振る。
63 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/17(金) 01:40:19.39 ID:9cMf0qdf0
>>62

「あなたになら解けたのでしょうね、この謎が。
殺人現場で理性的な意図を持って為された行動、それが意図的に矛盾している。
あなたにその理由が分からない筈がない」

「昔、僕が知らない事とこの世に存在しない事の違いに就いて些か極端な見解を聞いた事がありますが」
「その人物の現状認識能力は比較的正確であると私が保障します。
それだけに、この様な立場で事件にこの関わってしまった事が悔やまれます。社会的損失です」

「警察はその矛盾に着目して解明しようとしますよ」
「警察にその発想があると?」
「正確には警察の周辺に、です。
とても頭のいいブレーンが警察についています。あの人が見逃す筈が無い」
「あなたがそこまで買う人物ですか」

その問いに、想は小さく頷いた。

「世の中広いですね。警察に協力する天才素人探偵、
その様なもの生涯で一人出会えば十分と思っていましたが」

今回はここまでです。続きは折を見て。
64 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 15:47:35.58 ID:OWZ75a520
間が空いてしまいました、すいません。
それでは今回の投下、入ります。

>>63

 ×     ×

「考えすぎですよ。どんな犯人だってミスはしますよ」

研究室で話の続きを聞いていた内海薫は、とうとう否定を口にした。
湯川の推理によると、殺人の実行犯は水原可奈で、燈馬想が事態を把握した時には既に殺害は終わっていた。
燈馬想は殺人の様な愚かな行為は絶対にしない、それにより苦痛から逃れるのは論理的ではないから。
それが理由だと言う。

燈馬想が行った事、殺人の隠蔽が無理なら警察からの追及を逃れる術を水原可奈に与える事。
アリバイを作り、警察にどう対応するかを逐一指南しておく。
遺体を処理していながら自転車に指紋を残し衣服を不完全に焼却した事、それも全て燈馬想の意図だと言う。
そして、その意図は湯川にして全くもって分からないと。

余りに飛躍した発想、それでいて意図も理解出来ない。
これでは流石に、天才数学者への妄想的とも言える過大評価。
一応は現実の事件を扱う刑事としてその発想に行き着かざるを得ない。

「あいつはそんなミスはしない」
「数学は天才かも知れないけど、殺人は素人でしょう」
「いや、殺人の方が彼には優しい筈だ」

それは、本当に妄想なのか現実なのか、
少なくとも普段の湯川であれば、現実との接点を見出していた筈。
分からないが存在する、そう言われても、
それが天才と天才の領域なのか、それとも本当に天才を過信した妄想なのか。
言葉を探している間に、内海は自らの携帯の着信に気付いた。

「湯川先生」

電話を切った内海が口を開く。
それは何か、幽霊の目撃証言でも始めそうな雰囲気を含んでいた。

「12月2日当日、水原美里の同級生が学校で水原美里と話をしていました。
今夜、母親と映画に行く、と」

報告する内海に向き合わないまま、湯川は動きを止める。
65 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 15:50:35.38 ID:OWZ75a520
>>64

「別の同級生からも裏が取れました。
つまり、映画に行く事は事件の前から決まっていた」

湯川が、無言で内海から視線を外す。

「これでも、映画の途中で抜け出して犯行を行う事自体は不可能ではありませんが、
事件の後から工作するのは無理です。計画的なら前もって計画されていた事になります」
「まさか」

笑い飛ばそうとして失敗した、その様に固まった表情の湯川は、
黒板の前でかつてなく挙動不審に首を動かしている。

「あり得ない」

湯川は、どさりと椅子に座り込んだ。

 ×     ×

「そうですか、彼女は元気ですか。それはいい事です」
「ええ。流石に今回の件では警察がしつこくて辟易している所もありますが」
「娘さん、でしたか。歳は?」
「中学生、綺麗なお嬢さんですよ」

「そう。だとすると…警察にうろつかれるのは母親の立場として不快では済まないでしょう」
「そうですね」
「警察の度が過ぎる様なら私の所に来る様に伝えて下さい」
「必ず」

想が返答し、姫子はふうっと息を吐いた。

「今や、水原可奈がシングルマザーであなたは中小企業の会社員、ですか」
「そして江成さんは弁護士」

「水原可奈なら、愛する者のためなら体を張る事を厭わないでしょう。
あなたはどこでも飄々と、真面目に役割を果たして生きていく。
思えば不思議でもなんでもないかも知れません」

「そして、江成さんはどんなに小さくても玉座を死守する一国一城の主。
もしかしたら海賊船の船長なのかも知れない」

珍しく感傷的、文学的な表現をする想に、姫子はふっと笑みを浮かべる。
66 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 15:52:52.98 ID:OWZ75a520
>>65

「あなた、いい事を言いました。
そうですね。あなたはかつて、財宝を追って日本を離れた」

その言葉に、想の笑みが曖昧なものとなる。
姫子は知っている、その結末を。そして、その前から姫子は知っていた、同じ航路を択った結末を。
最初から止める立場でも止めるつもりも無かったが、
それが男にとって、そして女にとってどういう事であるのかも。
姫子は、一杯のカクテルをオーダーする。

「江成さんはこの日本、足下の街で決して宝を諦めない」

江成姫子は海賊船の船長。
何度も大波を被り時に剣をふるい血まみれになりながらも、仲間を率いて財宝を求めて突き進む。
綺麗事なんて欠片しかない。でも、その綺麗なものを決して忘れない。

日々雑多なトラブルに埋もれ支払いに追われながらも、
それでもなんでも城を守り抜き、そして、クイーンとして最後の矜持は決して忘れない。
江成姫子がそうあり続けるという事は、
ここでほぼ氷だけのグラスに視線を落とす想の胸の奥にも、郷愁とも羨望ともつかないものを呼び起こす。

「色々な事がありました」
「そうですね」

それは、あの頃の話なのか。それとも二人がそれからくぐり抜けて来た宝探しの冒険譚なのか。
共に、割と濃い目のを持ち合わせているそんな二人が言葉少なに共感できる。
つーっとジョリー・ロジャーを飲み干した姫子が、
そのままテーブルに置かれた想のグラスも手に取りふらりと立ち上がる。
そして、カウンターから戻ると想の前に琥珀色の液体が揺れるグラスを置いた。

「そろそろお開きの頃合ですね。海賊船からラムの進呈です」
「いただきます」
67 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 15:55:19.43 ID:OWZ75a520
>>66

想は微笑んでグラスを傾ける。
頬杖をつく姫子の前で想が立ち上がり、想も又カウンターからグラスを持って来た。
差し出されたその紅の液体を見て、姫子はふっと笑みを浮かべ、口を付ける。

姫子と想を引き合わせた事件の祝勝会の後、
姫子は、ほろ酔い加減のままに想の携帯をコールしてこの近くに呼び出した。
たまに隠れ家の様に訪れる、この片隅のバーで陰の殊勲者と祝い酒を酌み交わすために。

かつての肩書きに相応しく、だがジュースではなくフレッシュのライムで作ったギムレットで乾杯した後、
想の勧めで共に酌み交わしたのが、どこか懐かしく苦み走ったライ・ウイスキーのこのカクテル。

昨今の姫子の事件簿、そして昔話に花を咲かせて、
実に楽しい一夜美味しいお酒だったが、それでも姫子は気が付いた。
彼は、旨い酒も苦い酒も味わって来たのだろうと、その横顔が伝えていた。
そして、それが分かるぐらい姫子自身も年月を経た事を自覚した。

 ×     ×

「雨は上がった様ですね」
「そうですね」

店を出た姫子が、想の前で鞄を開く。
姫子が差し出したのは、上質紙の束だった。

「これは…」
「いつか、あなたがサルベージしてくれた小説の完成品。
審査委員にかすりもしなかった様ですが」
「ああ」

さすがに、想も少し懐かしい表情を見せた。

「仕事柄そういう事にも関わりますが、消去データのサルベージ。
あなたでもそれなりには手間が掛かったのでしょう。改めてお礼を言います」
「どういたしまして」

「あなたは、そういう人です」
「え?」
「いえ。あなたは、あなた達はかつて、私の船にいました。もっとも、あなたに譲ってもらったものですが」
「はい」
「いいですか、あなた達はかつて、私の船にいました」
68 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 15:57:34.07 ID:OWZ75a520
>>67

姫子は、ざっ、と、水たまりを跳ねて想の前に立った。
旨い酒も苦い酒も味わって来たのだろう。少しは修羅場をくぐったつもりだった姫子よりもずっと。
あの頃から片鱗を見せていた想のスケールに相応しい程に。
そのスケールが見えるぐらいに大人になったから、
だから、再会した姫子は想を自分の船に誘わなかった。それでも、

「あなた達は、私の知る限り最高の航海士であり剣士だった。共に船にいた事を心から誇りに思える。
トラブルがあるなら江成法律事務所に来なさい。全力を尽くす」
「はい」
「水原可奈にもそう伝えなさい。いいですね」
「分かりました」

真正面からの姫子の目力に、想も真面目に応じる。
そして、共に不敵な笑みを浮かべた。

「それでは、今夜は楽しかったです」

姫子が手を振る前で、想を乗せたタクシーがその場を離れていく。

「あなたは、そういう人です。冷静で飄々として、それでいて案外人間が好きで案外親切」

 ×     ×

可奈の体が、ぎくっ、と震えた。

「だ、大丈夫」

美里に向けてそういう声が引きつっているのが分かる。
夜も更けたこの時間に、不意に玄関ドアががちゃがちゃ鳴っている。
家宅捜索、であるならばそれは終わりを意味する。

念入りに掃除をしたとは言っても、日本の鑑識技術はそれで済む程甘くはない。
想は、掃除の指示を出したとは言っても、家宅捜索の事は明確には言わなかった。
只、それはない、と言うだけで。

しかし、家宅捜索にしてはおかしい。そもそも、夜間執行自体が稀。まず合鍵を手に入れるだろうし、
わざわざ証拠隠滅の隙を与える程間抜けではない。
69 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 16:00:51.76 ID:OWZ75a520
>>68

「燈馬君?」

覗き穴から外を見ると、そこには想がいた。

「何やってんのよ?」

ドアを開けた可奈がチェーン越しに言う。

「え、水原さん?えっと、ああ、ごめんなさい。部屋間違えたみたいです」
「ん?お酒飲んでる?」
「ええ、ちょっと」
「あー、お水でも飲んできなさいよ」

最後がブランデーで割った40度と言う強烈な奴、
それを柑橘系で爽やかに飲ませると言うのは流石に足に来ていた。
果たして隣の部屋まで無事にたどり着けるかと言う想の有様に、可奈は迷わずチェーンを外していた。

 ×     ×

「すいません」
「珍しいね、かなり飲んでるでしょ」

炬燵の前に座り込み、コップのミネラルウォーターに喉を鳴らす想の側で可奈が言った。

「江成さんと会いましてね」
「クイーン会長と?」
「ええ。それでちょっと」

そこまで言って、想が可奈に目配せをする。

「美里」
「うん」

可奈に促され、美里が奥の部屋に引っ込んだ。

「クイーン会長がどうして?まさか」
「そのまさかです」
「そう…クイーン会長の所にも警察が」
「と言う事は?」

想の瞳に静かな切れが戻るのを確かめ、可奈は頷き事情を話す。
70 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 16:03:07.61 ID:OWZ75a520
>>69

「うん。先輩、心配して私の所に電話かけて来た。
今の店オープンした時、先輩には葉書出したから」
「そうですか」

話を聞いて、想は少し思案顔になる。

「水原さん」
「何?」
「江成さんからの伝言です。
トラブルがあるなら江成法律事務所に来なさい。全力を尽くす、と」

その言葉を聞いて、可奈は顔を覆う。
少しの間そうしていた可奈を、想は静かに待っていた。

「大丈夫ですか?」
「うん、何とか」

渡されたハンカチで顔を拭い、ボックスティッシュで大きく鼻をかんだ可奈が返答した。

「すいません。水原さんに黙っておくのは不自然になりますから」
「うん。分かってる。大事な人達をどんどん裏切って、これが報い、自業自得なんだって。
大丈夫、今更自首するとか言い出さないからさ、悪いの、みんな私なんだから。
それで燈馬君、実際現実どうなってるのか、分かるかな?」

痛々しさの残る可奈の笑顔を見て、想は少し下を向いた。

「取り敢えず、警察はまだ僕達の事を疑って何か出て来ないか調べ回ってますね。
只の確認にしては規模が大きすぎます」
「やっぱり、我慢した方がいいのかな?燈馬君の作戦だと証拠なんて無いんでしょ?
昔の学校の人達から何を聞いても証拠になんかならないんだから」
「その通りですね」
「でも、この調子だと、私達の学校だけならとにかく…」

可奈の視線が奥に向かう。

「流石に、中学校の関係先は慎重に立ち回る筈ですが。
少なくともあの刑事達はその辺は弁えているものと」
71 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 16:05:41.61 ID:OWZ75a520
>>70

「でも…向こうが形振り構わないで動き出したら、
もし、刑事があの娘の学校とか友達とか、そんな所まで、
うん、分かってる。燈馬君が、証拠が残らない様にしてるんだから、こっちから動いたらぶち壊し。
本当に関係ない人達まで巻き込んで、いい加減警察に何か言ってやろう、なんて」

「許可する、行け」
「は?」

可奈に向き直った想の言葉に、可奈は間抜けな聞き返しをする。

「だって、そっちの方が水原さんらしいじゃないですか。水原さんなら怒ります」

ぽかんとした可奈の前で、その想の微笑みは本当に無邪気なものだった。

「え、で、でも、私が刑事と…」

「大丈夫です。最近富樫慎二と会った事がある。この一点だけなんです。
その一点だけは、何を匂わされても否定して下さい。カマを掛けられてると決め付けていいです。
只、今夜の僕は飲み過ぎています。明日の朝電話を下さい」

「これでも私、お水上がりだから、こういう言葉があるの知ってる?
自分の事を酔っ払いだって言う酔っ払いはいないって」

よいしょと立ち上がった想がバランスを崩し、とっさに可奈がその体を支える。
その、柔らかな感触漂う香りに何も感じなかったと言えば明らかに嘘だった。

「大丈夫です。水原さんが詰まる様な事は決して聞かれません」

それだけ言って、想は静かに離れた。

 ×     ×

琴平静菜は、差し出された紹介状に目を通していた。

「確かに、教授のものです。事前に連絡もありました」
「あちらとは些かの縁がありました」

紹介状を畳んだ静菜が、目の前でグリーンティーに口を付ける来客に静かに視線を向ける。
72 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 16:07:57.03 ID:OWZ75a520
>>71

「それでは、あの事件の事はインターネットで?」
「はい。申し上げた事情により調べている内に、
当時の大学の関係者でしょうね。表に出せなかった内幕を身元を隠した形でSNSに書き込んでいた。
他の情報と慎重にクロスチェックしていく内にこちらに行き着いた」
「そうですか」

「ミスター燈馬は私の依頼人にとっては優良な顧客です。
刑事事件に関わるトラブルに巻き込まれているのであればその実態を把握しなければならない。
もちろん、時期的に見てもあの事件との直接の関わりは無いのでしょう」

「私もそう思います。随分と連絡もとってはいませんし」
「お尋ねしたいのは、燈馬想と水原可奈、二人の事です。ご存じですね?」
「ええ、燈馬君と一緒にこの家に来ましたから」

その後も、静菜は一つ一つ質問に応じる。
インタビューに慣れていてスキルも高い、そして聡明な相手。
何よりも、一つ一つの情報を積み重ねて的確に結論を導く、その事に長けているらしい。

やはり聡明に、応じる事が出来る事と出来ない事を確実に判断し対応しながら、
静菜は好感すら抱きながらも油断のならない相手を心のどこかで楽しむ。
やはり、仕事と言えばパソコンに向き合っての資産管理、肉体はこの山奥から動けない。
それも溢れる才能を封じての事であれば、静菜としてもたまには刺激が欲しいものだ。

「途中でケガをしていたと言う事ですが、それは犯人に?」
「いえ、事故と言うべきです」

静菜は、その時の状況を掻い摘んで説明する。

「つまり、燈馬想は水原可奈をかばってケガをしたと?」
「ええ、迷わず下に回り込んで」

静菜は、少し楽しそうな口調で答える。

「そう、彼、燈馬想が。なかなかに騎士道な性格だったんですね」
「否定はしませんけど、それだけ大切な相手でもあった、そう思いますよ」
「大切な相手ですか。当時は二人とも高校生の男女。
通俗的な意味を考えてしまう言い方ですね」
「見様によっては」

否定をしない静菜は、素直な微笑みと共に答える。
73 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/22(水) 16:10:13.21 ID:OWZ75a520
>>72

「いつの世でも、お姫様を守るナイトはロマンチックなものですからね」
「只、彼は危ない」

そう言った静菜の顔からは既に笑みが消え、理性的な美しさに憂いが差し込む。

「我が身を省みず無鉄砲、だから?」

その問いに、静菜は首を横に振った。

「逆、無鉄砲と言うよりは」
「ロジカルに過ぎる」

僅かな沈黙の後、
明晰な解を出した後にごくりと動く喉をすっと見つめ、静菜は首を縦に振る。

「恐ろしい程エレガントに論理的な解を導き出す、
その過程で全ての感情をゼロにする癖がある。大事なもの、そうでないものを選り分けて、
大事なものは命懸けで守り抜く。それでいて、自分がそれを選んだ事に気付いていない節がある」

「感情をゼロにして、弾き出された結論には命懸けで…
大切なもののためには、その身を、盾にしてでも」
「私は一夜の宿の主。それが何故なのかは分からない」

そう言って、耳を澄ませた静菜は声に出さずにそっと呟く。

「…それは…蓋をした…我が身に替えても喪わないため…」

今回はここまでです。続きは折を見て。
74 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(佐賀県) [sage]:2012/08/22(水) 17:25:13.82 ID:odXITAcuo
山場
75 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/22(水) 17:44:42.86 ID:AIjA5OaIo
スレタイ見ておおー、Q.E.Dかと読み進めたら、
容疑者Xネタとは……面白いじゃないか!

燈馬が実にらしい感じで描かれてていいね。
あと、クイーン会長とかもナイスな登場のさせ方だ。
76 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) :2012/08/22(水) 18:46:04.15 ID:k6kRSe1s0
想像以上に色々な人が出てきて嬉しいというか楽しいというか
まさか静菜さんが出てくるとは思わなかったよ
77 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/22(水) 18:53:12.04 ID:AIjA5OaIo
琴平静菜は流石に読んだの昔過ぎて、ちょっと検索してしまったww
検索結果見てちゃんと該当エピソード思い出したけど。
ていうか好みのキャラだったよ。
78 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:27:29.19 ID:7OWLv8JO0
感想ありがとうございます。

>>75
狙い所をそう言っていただけると冥利です。

滞りがちですいません。
それでは、今回の投下、入ります。

>>73

 ×     ×

「お待たせしました」

貝塚北署の取調室で、草薙と内海がテーブルを挟み可奈と向き合った。

「今朝、お電話を頂きまして、私達にお話しがあると」
「お話し、と言うより抗議ってはっきり言った方がいいですね」

硬い口調で切り出す可奈に、草薙は「ほう」と言った表情を浮かべる。

「あなた達が私の高校時代の同級生や先輩に色々と聞いて回ってるみたいで、
どういう事なんですか?みんなに何か関係があるんですか?」
「いえ、あくまで一通りの事を…」

「そんな建前の言い訳が通じる規模だと思ってるんですか?
大体、昔の知り合いとはほとんど没交渉だって言った筈です。
富樫慎二が殺されて、それで私が怪しいって言われて、
結婚前からろくに連絡もとってなかった高校時代の友達と何が関係あるんですか?」

「ご不快は重々。しかし、その、
被害者の身近にいた人物に就いては、関係無い事を確認しなければならないと言うのも我々の仕事でして」

下手に出る草薙に、一気に言い終えた可奈がふーっと息を吐く。

「それで、私の疑いは全部潰していただけたんですか?」
「それなんですがね」

ペンの尻で後頭部を掻きながら曖昧な言葉を発した草薙は、
可奈がぐわっと向けた眼差しにたじろぎそうになる。
79 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:30:02.57 ID:7OWLv8JO0
>>78

「確かに、高校時代の知人は遅くとも結婚前までには没交渉になっていた。
これは本当の事らしい。ここまでは分かりました。ごく僅かな例外を除いて」
「ごく僅か…ああ、開店報告の葉書ですか」

「ええ、それは確認しました。只、葉書に就いてはそれだけです。
最も大きな、他が没交渉の中で余りにも身近な例外が一人だけいる」
「燈馬君ですか」
「そういう事になります」

さて勝負だ。この草薙と言う刑事もやり手らしいが、
その隣でやり取りを見守っている内海薫。こちらも手強いと可奈は踏んでいた。
なかなか鋭い目、見た目の鋭さと言うより見通す鋭さが見える目をしている。

考えて見ると、父の関係もあって刑事と関わった経験は普通より多い方だが、
女性刑事と対した事は無かった筈だ。
内海と言う刑事、同性の勘を刑事としてよく知っていそうだ。そういう嫌な感覚がある。

「つまり」

可奈が口を開く。

「私が燈馬君に富樫慎二を殺してくれと頼んだ。そう言いたいんですか?」
「可能性として排除は出来ない段階です」
「無い、それは無い」
「何故ですか?」

目配せで許可を取って、内海がその質問をしていた。

「だって頼んでいないから。
それに、燈馬君は頼まれたってそんな事絶対にしない」
「いやいや、人間、恋愛にトチ狂うと何をしでかすか分からないものですからね」
「燈馬君に限ってはない」
「天才だからですか?」

草薙の挑発も冷静に流した可奈に、内海が割って入った。
草薙の表情から、それは完全にイレギュラーだったらしい。
その質問に、可奈は口元を綻ばせた。
80 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:32:35.39 ID:7OWLv8JO0
>>79

「内海さん、でしたか?」
「はい」
「あなた、いい事を言いました」

思わず口を突いてしまった可奈の言葉に、二人の刑事は視線を交えた。

「いい線いってる。燈馬君の事、そこまで調べたんですね」
「知り合いの学者が燈馬想氏の事をよく知っていました」
「それは湯川と言う物理学者」

二人の無言を可奈は肯定と捉える。

「そう、燈馬君は人殺しなんて馬鹿な事は絶対にしない。
例え、どんなに大事な相手にそんな事を頼まれても、
だったら大事だからこそ、別の方法を考えるか距離を取るか、それだけ。
人を殺していい事なんて無いんだから、燈馬君がそんな事、絶対あり得ない」

「よくご存じなんですね、燈馬想氏の事を」

草薙が体勢を立て直す様にして質問を続ける。

「ええ、前にも言いましたが、高校時代は色々連んで、
分かってるんですよね?二人で事件にも色々関わってたって」
「警視庁に残っている記録を一通りは。お父上の事も。
付け足しの様で心苦しいのですが、実に立派な先輩でした。お悔やみ申し上げます」

「有り難うございます。随分前になります」

「それが、高校時代の事。
その後、あなたは都内の短大に、燈馬想は当初帝都大学を第一志望として合格圏内に入っていた。
本来なら私や湯川と同窓となる予定だった訳ですな。
それが、急遽元いたMITへの進学手続きを取って合格、卒業早々に渡米した。そうですね?」
「そうです」
「その辺りの事、ご存じでしたか?」
81 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:35:08.97 ID:7OWLv8JO0
>>80

 ×     ×

「こんにちわー」

燈馬優は、合鍵で玄関ドアを開けて燈馬想のフラットに立ち入った。
この日、優は想にこの自宅訪問、そもそも来日自体を報せていなかった。
アメリカ在住の優は、本当は両親と共に別の予定が入っていたのだが、
よくある日程トラブルで一人別行動をとる事になり、
それならと勝手知ったる兄の部屋を訪れていたのだから、実際合鍵で入った様に留守でも当然。

「想、又出かけたのかなー」

気配の無い玄関廊下を進みながら優が呟く。
思えば何年前になるか、兄の想が日本の高校に進学したいと言い出した。
両親はその辺自主的な判断に任せる人だし、優から見るなら、
そのまま、今まで通りの流れでドクターコースに進むだろうと普通に思っていたので意外ではあった。

だが、想よりは社交的と言える優としては、
それはまあ共に思春期の兄妹として年相応の学校を経験したいと言うのも理解出来る選択だった。
とは言え、元々アメリカでも主に年齢不相応の環境と更に飛び抜けた才能、
そして飄々と理性的に交わすその性格がしばしば彼を悪意のただ中に置いた。
実際、妹の優ですらかつては割り切れない感情を抱いていた。

そんな想が、その帰国子女泣かせの閉鎖性がアメリカの日本人社会にも聞こえている、
日本の普通の学校に行くと言う選択は。優にも小さからぬ不安を抱かせた。

当の想はと言えば、いつも通りそんな事は歯牙にも掛けずに日本の高校に進学し、
優が会いに行った時には、そんなクールにして天然な兄貴には実にお似合いの
元気な相手を見付けてちょっと妬けるぐらいに青春を謳歌している有様だった。

そんな想、そして優もすっかり仲良くなった水原可奈もそろそろ次のステップを考える季節。
その前に、今までにも増して二人で、と言うか引っ張り回されていても不思議な事ではない。

両親にも負けないぐらいワールドワイドな規模で動き回っている二人なのだが、
よくよく考えて見ると、二人で動き回ってると言う事は、であって、
そしてそろそろ二人にとっても節目の時と言う事は、なんぞと
どうしても思春期後半に相応しい想像に片足突っ込みながら、
普通はリビングである実質は書斎に入った時、優の足が止まった。
82 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:37:48.18 ID:7OWLv8JO0
>>81

「想?」

まず目に付いたのは、床に並べられた大量のルーズリーフ。
電灯がついていてパソコンもディスプレイは黒いが電源ボタンは青く光っている。
ルーズリーフにはひたすら数式。

「お風呂?」

優は、床の紙片に細心の注意を払ってそーっと移動する。

「想、お風呂だった…!?」

水音の方向に進んだ優は目を見開いた。

「想っ!?」
「ん…」

他でもない、その燈馬想が、脱衣所からキッチンに向けて開いたドアを横切る形で倒れ込んでいたからだ。

「想っ!?」
「ん、優?」

想が薄目を開けて、優は安堵の吐息を漏らす。

「えっと、確かシャワー、入る所だったっけ出る所?」
「多分、これから入るんだったと思う」

むくりと起き上がった想の側で、彼に背を向けた優が推論を答える。

「ああ、そう。じゃあちょっとお茶でも飲んでてよ」

ドアがバタンと閉じて、優はふーっと嘆息して腰が砕ける。
水音が変わってシャワーに入ったのが推測出来たが、
程なく、引っかける様にパジャマを着た想が髪と手を拭きながらバスルームを飛び出して来た。

「そ、想?」

想はそのままデスクに着いてパソコンに向かい、
その一方で手元のルーズリーフに次々と書き散らしながら猛烈にキーボードを打鍵する。
83 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:40:21.74 ID:7OWLv8JO0
>>82

「フラメンコ?」

ガタリと立ち上がった想の挙動に、優は見たままの推論を呟く。

「ちょっ!?」

ポーズを決めると同時にぐらりと傾いた想の体を優が慌てて支えた。
流石にルーズリーフで足が滑りそうになった。

「ああ、優、来てたんだ。
悪いけどちょっと忙しいから、お茶でも飲んでて」

どす黒い目元からどこかうっとりとした瞳でそう言って、よいしょとばかりに席に戻る想を呆然と見送り、
次の瞬間には優は顔面蒼白で携帯電話にかじりついていた。

「もしもしっ!?私、優。想の家に来てお願いすぐ来てっ!!」

 ×     ×

「想ー、可奈が…」
「あー、駄目だね。あれじゃ何言っても聞こえてないわ。
次にガス欠したら確保しよ」
「扱い分かってますね…」

黙々と手書き計算に打ち込んでいた想がゆらりと立ち上がる。

「今度は何?」
「やばっ!」

部屋の一角から伺っていた優の隣で可奈が耳を手で押さえて床に蹲る。

「なっ、何よこれっ!?」
「ヲタ芸、今日本で流行ってるのよっ」
「想に何教えてるのよっ!?」

「大丈夫、ライブではやってないから」
「じゃなくって!…」
「キタッ」

最高潮に達した次の瞬間可奈が、少し遅れて優が飛び出した。
84 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:42:55.85 ID:7OWLv8JO0
>>83

 ×     ×

「ご馳走様でした」

座卓の前で、想が両手を合わせて頭を下げた。
取り敢えず想にその場を動くなと優には見張りを厳命して部屋を飛び出した可奈は、
戻って来るなり買い込んで来た材料を台所に広げ、
レンジして湯通ししたレトルトのご飯と缶詰のコンビーフとスープの素と刻み野菜を一煮込みして
丼にぶち込んでレンゲと一緒に差し出して現在に至っていた。


「えーと、つまり、唐突に一億円の数式のヒントを思い付いて、
それ以来あんな調子だったと」
「はい」

「こないだの登校日に帰って来てからずっと」
「はい」
「こないだの登校日って」

可奈がゴミ箱の食用ゼリー容器の概算も含め指折り数える。
その後で、優は胸倉を掴まれた兄の体が浮き上がるのを呆然と見守る。

「んー、とにかくお風呂入れといたから、今夜はお風呂入って寝る。
今寝ないとあんた普通に死ぬから。
明日の朝、優ちゃんと一緒にもっぺん来るからさ、今度こそ強制休養とかさせないでよ」
「はい、ご心配お掛けしました」
「じゃあ想、私いっぺんホテル戻るから」

 ×     ×

「こんな調子で、まあ、変わり者の兄ですから」

研究室を訪れた来客に、燈馬優はもう十何年前の思い出話を終えてあははと快活に笑う。

「それで、その研究を続けるために急遽進路を変更して渡米、MITに」
「そういう事ですね」
85 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:45:30.18 ID:7OWLv8JO0
>>84

 ×     ×

「つまり、突然として研究テーマが見付かったから、
その研究のためにアメリカに戻った、そういう事でいいんですね?」
「そういう事です」

草薙のまとめに、可奈が応じる。

「止めなかったんですか?」
「ええ」

内海薫の問いに、水原可奈はしっかりとした口調で答えた。

「どうして?」
「勝つと思ったから」

二人の女の目と目が、真正面から向かい合った。

「何であろうが、この世に燈馬君に証明出来ないものはない。
そう、思ったから止める必要は無かった、それだけ」

内海は納得していない。
大きく目に見えるものではないが、僅かな挙動がそう物語っている。

「その後、あなたも実家を離れて連絡を絶ったため、
今の住所で出会うまで燈馬想とは没交渉だった。そういう事でいいんですね?」

草薙が改めて確認した。

「ええ、そうです」

 ×     ×

「エレガントな白鳥の湖を見せてもらった所で、本題に行こうか」

机に戻った燈馬想に対してシド・グリーン、通称ロキが声を掛けた。

「その方法じゃ無理だ、証明出来ねぇ!」

想は、親友の言葉を後頭部で聞いていた。
86 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:48:27.33 ID:7OWLv8JO0
>>85

「きっとどこかに穴がある!問題に取り組んでる人間が必ず見落とす穴だ!!
証明したと思ったとたん突然口を開ける!!」

 ×     ×

「俺は何度も忠告した。だが、あいつは聞かなかった。
一度だけ言ったよ。じゃあ証明して欲しい、ってね」

空き教室でそう言ったロキは、傍らで憂い顔を見せるエキゾチック美女に視線を走らせる。

「お前のせいじゃねぇよ」

そんな二人の様子を傍らで眺めつつ、その言葉の意味は事前の調査で理解していた。
同じ時期、既に優秀な情報工学者としてスタートを切っていたエバ・スークタは
更なる一歩を踏み出していた。

大雑把に言えば人工生命に関する苦心の研究が認められ、
軍関係から実用化を求めるスカウトを受け国家的プロジェクトに抜擢された。
相応の裁量を認められたエバが、相性を含めた意味で最強の数学部門パートナーを求めたのも
その求めに応じたのも余りに当然の成り行きだった。

「こっちが一段落ついた頃には、
あっちはこれからパーティーでもおっぱじめようってそんなまっただ中だった」

 ×     ×

「以上、Q.E.D.だ」

ロキは火の無い葉巻を横ぐわえにして、敢えて不敵に宣告した。
それがロキなりの表現だった。
あの時と同じ、黒板に大量の数式を書き並べるロキと
ちょこんと座ってノートをとっている想。

だが、今の想は、ぽかんとしていた。
そして、傍らに置かれた分厚い論文を手に取る。
震える論文を両手に立ち上がる。
87 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:51:00.71 ID:7OWLv8JO0
>>86

「…嘘、だ…」

燈馬想が、最初から現実を否認した。
それは、燈馬想と言う定義そのものを否定する行為。
だが、無理も無いとロキは思う。

同じ目を見て来た同業者を、ロキは何人も知っている。
想のやって来た事の凄さ、重さ、ここで耐えられるとすると、それは最早人に非ざる存在だ。
座り直した想が、ノートを開きロキも又命を削ったその論文を改めてめくり始める。

「Q.E.D.」

最早時計の引き算も億劫になる時間が過ぎた後、
ノートには想が口にした言葉と同じ文字に二本のアンダーラインが引かれていた。

「気が済んだか?」

ロキの言葉に、想は小さく頷いた。

「やるねロキ、とてもエレガントな反証だ。実に美しい」

想は立ち上がり、日本式に頭を下げた。

「ありがとう、感謝するよ。僕には最高の…
何十年か後に大きな恥、下手をすると数学研究を何十年歪めた張本人として
歴史に名前を残す所だったんだから」

「断言してやる。俺がいなければ間違いなくそうなってた。止められたのは天才の俺様だからだ。
それだけ、迫っていたんだお前は」

ロキの言葉を聞いて、想は席に着いた。ロキは一つ舌打ちをする。

「一服してくらぁ、これも断言しておくが、最低でも十分はここには誰も来やしねぇぞ」

ロキが出て行き、ドアが閉じる。
吸わなかった葉巻の味を十分にイメージし負えたロキが教室に戻る。
下を向いていた想が、ロキに向けて顔を上げる。
88 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:53:34.85 ID:7OWLv8JO0
>>87

「ロキ…」
「ん?」
「How I want a drink alcoholic of course,
after the heavy lectures.」

かすれ声で言った想の痛々しい笑顔に、ロキは不敵に笑った。

 ×     ×

「何かヤバイんじゃないか、って思ってた奴はいないじゃなかった。
実際、燈馬自身も引っ掛かってた筈だ。

だけど、お偉いさん達が燈馬共々まとめてトラップに飲まれちまった上に、
偽物にしては余りにも美しかったんだよ、あの輝きが。
そんな輝きの中で、一番最初にほんの小さな歪みがあった。

宇宙の果てまで行って何ミクロンずれる、かも知れねぇ、その可能性を排除出来ない。
要は使い物にならない事に代わりはない。
俺だって、燈馬本人を疑ってなきゃああんだけ執念深く地獄の底まで検算しちゃいなかったよ」

ロキの言葉に、その地獄巡りに大変な尽力をして
宇宙の果ての微かな揺らぎを見事に描き出したエバも悲しげに頷いた。

「疑うべき状況だったんですか?」

「ああ、あれはヤバかった。
もちろん、研究に呑み込まれた研究者の変人ぶりなんてのはこの界隈じゃ見飽きてるがな。
だけど、あの燈馬は本気でヤバかった。ちょっと見は只の研究馬鹿だけどな、
あれは燈馬じゃない。あいつは焦ってた。
あんな状態で挑んじまったら、その先には歴史の藻屑しか見えねぇよ」

「水原可奈は、燈馬想の状態を知っていたんですか?」

その問いに、ロキは首を横に振った。
89 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/29(水) 02:56:12.56 ID:7OWLv8JO0
>>88

「今でも思うよ、呼ばなかった、探さなかったのは正解だったのかってな。
あいつが証明にのめり込んで、何回目かのドクターストップの時に、
いい加減ミズハラにシメて貰うって俺は言った。

それまでも冗談めかしては話してたけどな、それはやんわり断られてた。
で、マジにそう言ったらあいつ、見た事ないぐらいマジになりやがった。
ミズハラは、水原さんは送り出してくれた、報せたら絶交だってな。

あの燈馬が漢見せたんだ、それ以上何か言えるかよ。
ちぃと痩せ我慢が過ぎたんだな。そんなんじゃなきゃああいつが、あの燈馬がだ、
ミューズに化けたサキュバスに一滴残らず搾り取られるなんてあるもんか。
サキュバスの牝郎、きっとミズハラに化けてやがったんだろうなぁ」

火のない葉巻をくわえ、ロキは反っくり返った。

「証明の失敗が分かって、流石に長い事沈み込んでた。
まあ、見た目は普通に大学に通ってたけどな、見事過ぎるルーティンで。
この世界、特にあいつに打ち負かされた末路じゃよくある事さ。
その場で心臓止まってもそれが実話ってぐらいだ。
流石にこれを何とか出来るのはミズハラしかいない。そう思った時には手遅れだった」

「水原可奈は日本で失踪していた」

「ああ、聞いたら最初っから失踪してたけどな、あの時から本気で探してりゃあ間に合ったかも知れない。
それが、日本でガキこさえて居所も分からない、なんてあいつに言える状況じゃねぇっての。
後は、バイト先からの誘いでメジャー系の研究所に就職決めて、
その内に海外勤務になったってさ。ちょっとしたパーティーやってぷいっていなくなっちまった」

警報・警報・警報
次回から2.5回程オリキャラが暴れます。

今回はここまでです。続きは折を見て。
90 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 22:59:41.65 ID:hd2rmo1N0

燈馬君踊りすぎww
91 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/31(金) 14:53:55.04 ID:kOOSaGzk0
予告通り、今回から2.5回程オリキャラが大きく出て来ます。
原作読者の方ならモデル、と言うか裏設定の見当がつきそうですが。

正直、内容自体も書きたいから書いた、としか言えない流れになります。

それでは、今回の投下、入ります。

>>89

 ×     ×

「んー」

研究室で、エバは一人椅子に掛けたまま背中を伸ばした。
まだまだ先は長いが、今日はここまで。
改めてセキュリティを確認してパソコンの電源を落とし、立ち上がる。
消灯して研究室を出た所で、正直余り愉快ではない顔を見た。
まだ陽が高い内に、ロキと一緒に見た顔だ。

「何でしょうか?ここは関係者以外立入禁止ですけど」
「多少のコネがありまして。女同士サシで聞きたい事があります」
「燈馬は私の大切な友人です。余り…」
「さっきのシド・グリーン。ロキの話。キャストが一人欠けていた」

すれ違いざまの言葉に、エバは足を止めた。

「通称TGの定理」
「見当違いです」

エバは即答した。

「今はスウェーデンの研究所で、世界的にも最も注目されている…」
「詰まらない事を書かないで」

それは、研究所の人間すら聞いた事が無い程きつい口調だった。
92 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/31(金) 14:56:08.96 ID:kOOSaGzk0
>>91

 ×     ×

エバは、余り愉快ではない来客と共に自動販売機まで移動した。

「あなた、その黒髪のルーツは?私には英語の達者な日本人にしか見えない」
「正解」

「アイシャの先祖は富裕な商人だったと聞いてます。
明治維新の混乱で発生した多額の貸し倒れに巻き込まれ移民したと。
彼女の高祖父は、大戦中失われた大隊の救出に加わり、家族を収容所に残して棺に勲章を捧げられた。
ここではよくある事だけど、アイシャも又、数学に関しては天才の称号に恥じない飛び級児だった」

「でも、彼女の学歴には断絶がある。デデキントとでも言うのかしら?
あなた、いや、あなたのパートナーや彼女達の世界では」
「この国自体が揺れていた、特に経済が、アイシャの実家もそれに巻き込まれた」
「それでもこの大学に辿り着き、めきめき頭角を現した」

 ×     ×

「グラフの対象、それが…」
「修行不足です」
「生きててすいません」
「出直して来ます」
「ごめん、それ無理」

数式を書き連ねた黒板の前で熱弁を振るっていたロキの前で、
集まっていた学生達がぞろぞろと解散していく。

「かあぁー、この程度で、最近の若いモンは根性が足りねぇ」

床にチョークを投げ付けるロキの側でくすくす笑っていたエバは、
学生の群れの跡にちょこんとたたずむ一人の女性に気が付いた。

「あなた…」

まだ少女と言ってもいい印象を残した小柄な女性は、
スタスタと黒板に近づくとチョークを手に取り、ぐーっと円を描いてから大小の円からその他の図形
黒板の余白狭しと書き込んでいく。
93 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/31(金) 14:58:29.91 ID:kOOSaGzk0
>>92

「ちょっ…」

自分が理解している何パーセントを大きく逸脱した行動に驚きの声を上げたエバを、
ロキが腕で制する。その口元は嬉しそうに緩んでいた。
時々消したり付け足したりしながら図形を線で繋ぎ、数々の計算を書き連ね、一区切りして振り返る。
ロキは、そちらに向けてひゅうっと口笛を吹いて親指を立てた。

今までの書き込みを消した女性は、黒板に別の数式を書き連ねた。
不敵な笑みと共にのっそりと動き出したロキが、黒板前で彼女とすれ違いその続きをさっさと書き込む。
ロキの手が止まり、エバの前で二人の視線がぶつかり、女性は小さく頷いた。

ロキが、黒板消しを使用して新たな書き込みを行う。
小柄な女性はその下に計算を書き込み、Q.Eと書き込んでから、
今まで自分が書き込んでいたかなり細々と膨大な計算を消し去り新たな計算を開始した。
Q.E.Dの書き込みと共に、彼女はふーっと息を吐く。

「こいつに引っ掛からなかったのは二人目だ。あいつはQでストップしたけどな。
やるじゃん、どこの何様だ?」

ロキの問いに、彼女はようやく言葉を発した。

「アイシャ、あなたが」
「エバも名前ぐらいは聞いてるだろ。かつてCaltechから数学界を沸かせた天才少女。
Caltechでも飛び級天才のおチビちゃんがこいつをぶっこ抜いたってんだから、流石にぶっ魂消たぜ。
末恐ろしいガキはどこにでもいたモンだ」

言いながら、ロキはカッカッと黒板に数式を書き付ける。

「そこまで行きゃあこの業界、後の事も聞こえて来る。
家の事情でいっぺん中退、紙と鉛筆だけをパートナーに懸賞論文に当選して、
その受賞パーティーでうちの教授に口説き落とされてこっちに来た苦労人だ。
ま、その前に、先輩の伝手で潜り込んだベンチャーのソフト屋を専門分野でトップに押し上げたキーパーソン。
んなモンだから、スカウトの悪辣さと執念深さに定評のある
某世界的OSメーカーとも随分修羅場くぐって来たって聞いてるけどな」

ロキの不敵な笑みに、アイシャもにこりと笑みを返す。

「うちの数学でも今や若手のホープ、ニューヒロイン、実績も確か過ぎる程確か。
あの鬼教授、まだまだいい目してやがる」
「光栄です」

ぺこりと頭を下げたその笑顔は、まだ可愛らしいぐらいだった。
94 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/31(金) 15:01:00.25 ID:kOOSaGzk0
>>93

 ×     ×

「ロキ」

大学の廊下で、ロキを取り巻いていた悪友の一人が声を掛ける。

「アイシャ、随分懐いてるらしいな」
「まあなー、ありゃあ数学のミューズの化身だ。
並の上級生じゃ歯が立たない、帝王でもなけりゃあな」

「いやー、まだまだいるモンだなぁ、実際どんなだニューヒロイン」
「俺も歳感じちまうよ。頭が柔らかい、思い切りもいい。真面目な努力家」
「そこん所はなロキ」
「んだよ。それに、あのインスピレーションは天性のモンだ。こればっかりは」

「ひゅうっ、ロキがそこまで言うとはねぇ」
「飛び抜けたインスピレーション、いたよなぁ」
「ああ、燈馬の事か」

「そうそう、あのインスピレーションはそれこそ天性のモンだったよな」
「燈馬か、確か、アイシャと同い年ぐらいだろ」
「そうそう、もしこれから戻って来たらアイシャと並ぶかもよ燈馬」
「おいおい、何その新旧対決」
「いやー、いくらなんでも燈馬のは別格だろそりゃアイシャもかなりのモンだけどー」

エバを残し、悪友達はちょっとしたパーティーに向かってロキの側から立ち去っていく。

「ったく、あいつら…と…」

ぶつぶつ言いながら、二人は角を曲がる。

「アイシャ」

声を掛けたエバにアイシャがぺこりと頭を下げる。

「聞いてたか」
「はい。私自身、ここに来てから直接比べられた事も何度もあります。人種の事もありますから」

アイシャが、黒髪を摘んで答えた。
95 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/31(金) 15:03:40.48 ID:kOOSaGzk0
>>94

「そうか」
「ロキ」
「何だ?」
「燈馬想、私よりも上なんですか?」
「知りたいか?」

「誰かに勝つために数学をして来たつもりはありません。
只、美しいものを知りたいから。だけど、知りたい。
このMITにして天才と呼ばれ、
私としばしば比べられ空想の中でしばしば私に勝利している人物に興味はあります」

「じゃあ、教えてやる。間違いなく燈馬の方が上だ、少なくとも今ん所はな」
「ロキ」

エバが声を上げた。

「才能も努力も実績も、お前はピカ一だ。
このままいきゃあ数理分野でこの学校のてっぺん、引いてはフィールズ賞だって夢じゃねぇ。
だけどな、こいつばっかりはあいつの方が女神様と相性がいいとしか、不満か?」
「いえ、残されている燈馬想のデータ、論文から見ても当然の結論だと思います」
「そうか」

 ×     ×

「ロキも、日本の生活に満足していた燈馬がまさか本当に戻って来るなんて思ってなかった、
だからあんな事をストレートに言ったんだと思う」
「ところが、予想に反して燈馬想は高校卒業と共に早々にMITに再入学。
お互い曲折のあったキャリアのために、正にアイシャと同じ分野の横一線に並んでしまった」

「ええ。既に学内でも確たる実績を積み重ね、俊英揃いのMITの同期生ですら自ら認める程に
数理の女王の称号を確固たるものとしていたアイシャと、
衰えを見せずに戻って来た、かつて天才少年の王冠を我が者としていた燈馬想。
二人が並び立った事で、学内でもその分野に関わる人間は誰もが注目した。
アイシャも、露骨に突っかかったりはしなかったけど、気にしなかったと言えば嘘になる。
最初の内はアイシャは燈馬をライバルとして見ていた。だけど、その内に妹分に落ち着いた」
96 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/31(金) 15:06:07.71 ID:kOOSaGzk0
>>95

 ×     ×

再びの学舎となったMIT。そこでのこれからの学友達。
初顔合わせの後、ピザ屋でちょっとした懇親会が開かれていた。
一通りの挨拶の後、想は空きテーブルの椅子に掛ける。

かつてを知る学友からは随分変わった、
やっぱり飛び級の天才君も、いっぺんハイスクールで青春するのも良かっただろう、と言われたが、
それはその通りだと思う。それでも、やはりこういうのは余り慣れない性分らしい。
そうやって、一息ついた想の前に敢えて着席する者がいた。

「燈馬想」
「君は?」

彼女は、想の質問に端的に答えてから言葉を続ける。

「年齢も人種も、キャリアも似通った所がある。だから、ここに来てから何度も比べられ、
その空想の中で何度もあなたに敗北した。
そんな事は別に気にしない。だけど、あなたの数学には大いに興味がある。
残された論文は、書かれた年代を考えると天才少年の称号を決して裏切らない。
そして、今回戻って来た、そのための論文は天才と呼ぶに相応しい人物が書いたもの」

「僕も君の事は知っている。ロキが教えてくれたからね。
ロキが数学の事で掛け値無しに賞賛する。それは十分信用に値する評価だ。
その前から知っている。Caltechでの君の証明。
その中身を見て、僕と同い年の素晴らしい数学者がいる事を知った。
中退したとも聞いたけど、ロキから教えてもらった懸賞論文もここでの研究の数々も、
君がこの世界に戻って来て、そして僕の学友で良かった」

いつしか、貸し切りだった小さな店はしんと静まっていた。

「素晴らしい研究生活になりそう」
「うん。よろしく、アイシャ」
「よろしく、燈馬」

どちらともなく差し出され、想が握った手は華奢で、柔らかかった。
それでも、ペンだこは確かなものだった。
97 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/31(金) 15:08:24.79 ID:kOOSaGzk0
>>96

 ×     ×

「燈馬!」

研究棟の廊下を歩いていた想は、息せき切らせたアイシャに有無を言わせぬ勢いで連行された。

「ここは、教授の…」
「これ見てっ!」

アイシャの師事している教授室に想は連れ込まれ、
アイシャが指差したのはパソコン、そしてアイシャはノートを差し出した。

「論文…」
「教授の論文、さっき見付けたんだけど、間違いなく穴がある。これじゃ繋がらない。
場所も分かってるのになぜか修正出来ない。
私と話している最中に教授、家族の事で緊急の電話を掛けに行って戻って来ない。
学会に出るのに時間がない!」

想はマウスを上下させながら、アイシャの作ったノートと論文を見比べる。

「うん、穴の場所は合ってる。だけど、このアプローチをしている限り堂々巡りになる」
「そうなの」

想は、アイシャの返事を聞き流す様にしてノートの続きにペンを走らせる。

「素晴らしい論文だ、大丈夫。落とし穴がちょっと紛らわしいけどね」

想が、Q.E.Dを書き込んだノートをアイシャに差し出した。

「メモして残しておくといい。アイシャと教授の関係ならつまらないもめ事にはならないだろう」
「でも、燈馬が」
「いや、もう九分通り終わってた。
ここに気が付いたんならアイシャ一人でも間に合ってたよ、落ち着いてたらね」
「ごめんなさい、燈馬が自分の事で忙しい時に」
「いいものを見せてもらったよ」

想は、軽く手を上げて笑顔で去って行った。
98 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/08/31(金) 15:10:42.38 ID:kOOSaGzk0
>>97

 ×     ×

「負けを認めた、と言う事かしら?」

「暫定的には、と本人は言ってたけど。
燈馬はこちらに戻って来て早くに自分の専門分野に没頭していったけど、
それでも合間を見てはロキやアイシャとの関わりを楽しんでいた。
私から見たら90度超ウオッカの口直しにアブサンを飲んでるとしか思えない会話だったけど」

「つまり、燈馬とアイシャとの関係は学問的に刺激し合うパートナーだった」
「と、言っても納得しないんでしょうあなたは?」
「そうね、相反する証言が多過ぎる」
「それはそうよね。だって、会う度にキラキラと輝きを増して、若さの特権を見せつけてくれるんだから」

今回はここまでです。続きは折を見て。
99 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:13:26.42 ID:3FHGFNhP0
それでは今回の投下、入ります。

>>98

 ×     ×

何とも、微妙な空気と空気の間をエバは歩いていた。
つい先ほどまで想を交えたちょっとした研究検討会兼ティータイムだったのだが、
廊下を行くエバの周囲で一人はにこにこ上機嫌でキラキラ輝いていて、
もう一人は実に重苦しく不機嫌のオーラをまとっている。

「アイシャ」
「はい」
「お前、燈馬の事、どう思ってる」
「ロキ」

エバが小声で止めようとするがロキが聞く気配は無い。

「ロキの言った通りです」

アイシャが答えた。

「今の私じゃとても適わない。まだまだ精進しないと、上には上がいるんですね」
「そうじゃねぇっ」

アイシャには見せた事の無い苛立ちに、アイシャも一瞬たじろぐが
彼女の目はロキをしっかり見据えていた。

「男として、燈馬の事をどう思ってる。そう聞いてるんだ」
「男として、ですか?いい人だと思います。
学問的にも人格的にも、学問的には優れた才能と努力と、人格的には円満でちょっと天真爛漫な」
「で、お前は女としてあいつの事、どう思ってる?」

「どう、と言うのは?」
「聞いてるのは俺だ、けど答えなくてもいい分かってるからな。
それなら、あいつとお前のダチとして、俺はやめておけと言わざるを得ない」
「どうしてですか?」
100 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:16:02.15 ID:3FHGFNhP0
>>99

「いるんだよ、あいつには。
日本に残して来たな、掛け替えのない大事な相手って奴が。
お前には無理だ。お前は…」

真摯に見つめるアイシャの眼差しに、ロキは舌打ちをした。

「事情は分かりました。ありがとうございます」

アイシャがぺこりと頭を下げ、ロキはもう一度舌打ちして足早に前進する。

「アイシャ、呑みに行こうか」

 ×     ×

「アイシャ」

バーのカウンターで、ラム・トラックを傾けたエバが隣のアイシャに声を掛ける。

「ロキが言おうとした事、分かる?」
「何となく」

答えて、アイシャはバンブーを口にした。

「多分、だけど。あなたが数学者だから」
「私が数学者だから、燈馬とは付き合えないと」
「それも、素晴らしく優秀な数学者だから」

「その女性は、数学者ではないんですね」
「ハイスクールの同級生。代数幾何関数なんて所で頭の中で踊り出す…
勘違いしないでね、女はバカな方が可愛いなんて、燈馬はそんな男じゃないから。
もしかしたら、知的な女性であっても彼と惹かれ合う事があったかも。
でも、これはもう出会いの運命としか言い様がない」
101 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:18:34.39 ID:3FHGFNhP0
>>100

「私が遅かった、それだけですか」
「うん、って言いたいけど」
「でも、数学者は駄目。はい、それも分かります、何となくだけど。でも…」
「でも、諦められない。少なくとも始める前からは」

アイシャは小さく、しっかりと頷いた。
その真っ直ぐな眼差しがエバには痛い。乗り越える強さを持っている、と、信じたいが。
何より、アイシャは余りにも才能豊かで余りにも真っ直ぐだった。同じ分野で、しかも、男と女。
自分がもう少し若かったら、青春の本当の強さを知らない頃であれば、
他でも無い二人のために、どんな手を使ってでも引き離していたかも知れない。

 ×     ×

「あなたの国にはこういう言葉があったそうね。原始、女は太陽であった」
「アイシャは燈馬想の月?」
「それまでは太陽だった。MITではよくある事だけど、
幼い頃から数学における神童、天才、その王冠もやっかみも一身に受けて来た。
大学でも決して引けをとらないキャリアを築いて来た。
だけど、少なくとも彼女にとって、燈馬は余りにまぶしく、そして妖しい輝きだった」
「月並みだけど学者としても、男としても」

 ×     ×

「いらっしゃい」
「こんにちわ」

想は、自宅であるマンションの一室にアイシャを迎えていた。

「退院したんだね」
「うん、心配かけたんならごめん」
「まあ、こう何度も、だとね」

そっちの方がいいと思ったアイシャが笑みを見せると、
想はもう一度小さく頭を下げた。

「…ロキ…何か言ってた?」
「研究発表はオソレザンでやるのか、いい加減にしろ、だそうよ」

今度は、二人で笑みを交わした。
102 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:21:28.00 ID:3FHGFNhP0
>>101

「お茶でも…」
「いいから、少し休んでて。病院も無理して出て来たんでしょ?台所借りていい?」
「あ、うん」

体も本調子ではなく、想は正直億劫だった。
それでも、こちらに戻って来て急速に親しくなった、学問と青春を共に出来る大事な学友、
本気で心配してくれているのは分かるから粗略には出来ない。

想は、どかっとソファーに座り込む。
元々独り暮らしの筈だったが、ここまで自己管理が出来ないとは思わなかった。

きっかけはインフルエンザだったが、病床でも想の証明を求める神々の囁き妖しい光。
引き付けられるままに治りきらない内に無理をして、の繰り返しで、
風邪に過労に胃腸障害に栄養失調にと病室と大学の往復頻度が明らかに危険な領域に達している。
最悪なのは、体調と反比例して頭の冴え、数学的才能が異常に昴進して紙と鉛筆を求めてしまう。

想は右手で顔を覆っている。このままではいけない、元も子もなくなる。
頭では重々分かっているのに、色々な意味で体が言う事を聞かない、それがもどかしかった。

それでも、ほんの一時解放されたためか、想はいつしかそのままうつらうつらとしていた。
どれぐらいそうしていただろう。何か、懐かしい夢を見ていた様だ。
閉じていた瞼が薄目を開く。鼻がひくひくと動く。
想は目を見開き、思わず叫んでいた。

「あ、起きた?」

台所から声が聞こえた。
そして、アイシャがソファーの前の座卓にコップを置く。

「疲れてたのね、日本語になってた」
「え?」

首を傾げた想が、コップの水に口を付ける。
市販のミネラルウォーターをコップに移しただけの水だったが、
冷蔵庫で丁度よく冷えた水が今の想には具合が良かった。

「もう少し待ってね」

台所に戻ったアイシャは、
想が久しく使っていなかった小鉢とお椀をお盆に乗せてリビングに戻って来た。
103 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:24:01.78 ID:3FHGFNhP0
>>102

「これは…」
「ライスと卵のオカユと、ゴジルと言うの作ってみた」
「へえ…」
「本当はウメボシも欲しかったんだけど」

想が、スプーンを取って一つ一つ口にする。少々おかしな食器の組み合わせなのだがそれは口にしない。

「美味しい」
「良かった。発酵大豆とアミノ酸に富んだ薫製の干物、海藻、ご先祖様の知恵ね」
「そうだね。ありがとう」

ようやく、想は素直な微笑みをアイシャに向けた。
余りにも上等な、蜘蛛の糸と呼ぶに十分な微笑みだった。

 ×     ×

「燈馬がロキに馬鹿みたいな男の意地を見せた、その後の事よ。
病院から戻った燈馬にスープを差し入れた事から始まった。
それが足繁くなると彼女の友人はみんな止めた、彼女の才能を惜しんでね。
もちろん私もロキも、だって、知っていたから」
「それが決して報われない事を」

エバが小さく頷くが、本当はもっと、口に出せない事があった。

「最初は燈馬からも相談されたわ。燈馬も彼女の才能を高く評価していた。
だから、自分の事に専念する様に忠告して欲しいって」

当時、丁度エバはダイエットを検討していたのだが、
気が付いた想に毛布を掛けられて、ソファーに丸まったまま朝を迎えてしまう事がしばしばあるので、
アイシャの健康と学問が心配だと真顔で言われた日には、ボクササイズが実にはかどったものだ。

「私はそれを、誰からの意向であるかを付け加えて実行した。
そうしたら彼女、想と一緒にいながら年間MVPレベルの論文を見事に書き上げて見せた。
そういう意地っ張りなのよあの娘は」
104 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:26:37.08 ID:3FHGFNhP0
>>103

エバはぎりっと歯がみしていた。
その時期、一度だけどうしても諸々の予定が崩れて想の家で夕食を共にした事がある。

アイシャがその抜群の頭脳で部屋、それは物理的な位置関係を超えた全てを把握し、
想もいつしかすんなり受け容れていたその光景を見て、
唐突にエバの中の時間軸がぐらぐらと震動し吐き気を覚えた。
意識していないのならばその残酷さはMAX、
その場で想に掴み掛からなかった自分の理性の強さが信じられない程だった。

 ×     ×

「大丈夫なのか、あれ?」

プールサイドで、男子学生が言葉を交わす。

「ああ大丈夫、あれで考えがまとまるんだそうだ」
「天才はよく分かんねー」

ぷかぷかとプールに浮いていたアイシャが、
水上でがばっと回転してそのままプールサイドに向かう。
シャワールームのブースで、用意した耐水メモに細かく書き付ける。

「アイシャ!」

その声を聞いた時には、エバはブースに突入していた。

「やっと見付けた」
「エバ…」

声を掛けようとした時には、エバの張り手が壁に直撃していた。

 ×     ×

エバから事実上の召喚状を受け取ったアイシャは、
出頭したバーのカウンターで、
喉を鳴らしてボイラーメーカーを流し込むエバを目を丸くして見ていた。

「アイシャ、あなた家政婦になるためにここに来た訳?」

袖で唇を拭ったエバが口を開く。
105 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:29:24.10 ID:3FHGFNhP0
>>104

「あ、それはちゃんと」
「分かってる」

言いかけるアイシャに、エバは鋭い口調で言った。

「サポートも演習も論文も120点満点。だから言ってるんでしょ!
そんなの、いくらあなたが優秀でも一人の人間がやる事じゃない。
なまじ優秀だから、そうやって壊れた女は何人もいる。
ご丁寧に図書館の貸出枠を数学書とレシピ本で折半して、
それで、燈馬はあなたに心から感謝して頼り切り。それでいて、間違いの一つも決して起こらない」

「Q.E.D.エバ、知り合いにCIAエージェントでもいるの?」
「分かるわよ、そんなの。
それでも、女としてでも何か一つでも報われる事があればいい。
なのに、アイシャ、あなたみたいな娘が陰の女なんて冗談じゃないあいつ何様のつもりよっ!」

「エバ」
「ごめんなさい、言い過ぎた」
「報われるものはある」
「アイシャ」

「エバ、ロキも、心配してくれるのも
二人が燈馬の事を知ってて私の事も一緒に客観的に見てくれて的確な分析なのも分かってる。
私も、私自身の心を全て分かってる訳じゃない。
でも、今は大事な時、それは個人の事だけじゃない。悠久の歴史に永遠の光が一つ加わるその時」

「そうなの?本当にそうなの?」
「ええ。燈馬なら出来る。多くの先人達、そして私にも出来なかった、
絶対不変の美しい真実。燈馬はそれを見つけ出す事が出来る。
私は、新しい歴史を、一番にそれを見る事の出来る場所にいる。
その時、私の中の真実も分かるのかも知れない」
「勝負はお祝いの花火と共に、うん、悪くないわね」

エバが、ふっと悪い笑みを浮かべる。

「絶対不変の真実、それを探すのがあなた達でも、
この分野にだけはそんなもの、絶対の結論なんて存在しない。
どうせ、アイシャは言い出したら聞かない娘なんだしね」

やれやれと言う笑みを浮かべるエバに、アイシャはちょっと肩をすくめて小さく頭を下げた。
エバの合図で、マスターがアイシャにグラスを差し出す。
106 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:32:11.10 ID:3FHGFNhP0
>>105

「景気づけよ。ウォッカにホワイトキュラソー、ライムジュース。
朴念仁の癖にやたら切れ者。そんなの相手に高等数学はループになるだけ。
ブレイクスルーは真正面からぶち破るしかないって事」
「ここでは、幾多の強者がここで盤石と言われた数学の壁を突破して来た」

アイシャが、両手持ちしたグラスにぐっと口を付けた。

「そう。あなたもその一人。諦めが悪いからこそここに来た。
たまには思い知らせてやらないとね。数学者はロマンチスト、女はリアリストって事を」

 ×     ×

「そう、余りに近づきすぎた頃には本当に身近な、私達以外には隠していたけど、
客観的に見たらあれはもう同棲。その内実は助手であり家政婦であり最も身近な学友。
燈馬は心から感謝していた。それ以上でもそれ以下でもない。アイシャもそれで満足してた。
私も、アイシャにはかなりきつい事言ったけど、「自分が好きでやってる事だから」って聞かなかった。

ロキもね、あの頃の想の研究、心身の負担を考えると差し伸べられた手に甘えるのも仕方がない。
アイシャもその重さを知っているからこそ、引き込まれたんだろう、とも言ってた。
燈馬と一緒に歴史の瞬間を、そして最も美しいものを見たい。
その言葉に嘘は無かったと思う。だけど、隠せる訳なんてない、特に女同士で」

 ×     ×

「ロキ、いらっしゃい」
「よう」
「禁煙ですよ」
「ああ、分かってるよ」

想の家の玄関でロキを出迎え、アイシャは葉巻を横ぐわえにしたロキと言葉を交わす。

「すっかりメイド様が板について、結構けっこう」

とは言うが、言葉のトゲは禁じ得ない。
アキバコトバとしてのメイドと言うニュアンスを用いているの分かる。
色々と言いたい事もあるだろうし、
特にロキがエバのプロジェクトに専念するまでは想との関係でかなりきつい事を言われた事もある。
107 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:34:46.40 ID:3FHGFNhP0
>>106

「土産だ。同期じゃあ女王って言われた我が数理学のホープ、
その切れ味を久々に見てみたくなってな」

つまり、色恋に惚けている。そう言いたいのだと理解した。散々言われて来た事だ。
アイシャが、ロキが投げ出した分厚い紙束を手に取る。
それを論文と知ったアイシャがいい顔を見せた事で、ロキは不敵な笑みを浮かべる。

「ま、俺もちぃと忙しくてな、その内聞かせてもらうよ」
「ありがとうございます」

アイシャがぺこりと頭を下げた。

「…覚悟しろよ…」
「?」

アイシャが声を掛けようとした時には、振り返らずに右手を掲げたロキはドアの向こうに消えていた。

 ×     ×

自分がどう帰宅したのかも覚えていない。
とにかく、明日から忙しくなる。いや、本当ならもう今からでも。
ロキと飲み明かして、とにかく一本ウィスキーが欲しい。
脳味噌をバーボン漬けにして一時だけでも何もかも忘れたい。

それが本心だったが、無理やり断って来た。
とにかく何よりも、誠実に対応しなければならない相手がいる。
想は、自宅玄関を開けて中に入る。

「アイ、シャ?…」

アイシャは、リビングのソファーに座り込み、顔を覆っていた。
周辺には数式の紙片が散らばり、想はテーブルの上の論文とノートを見比べる。

「…分からない…」

そう呟いたアイシャの指と指の間から、小さな瞳が見えた。

「燈馬、おかしいの」

アイシャが顔を上げた。
108 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:38:06.24 ID:3FHGFNhP0
>>107

「穴が、この論文、証明の穴が、見付からない。
意地悪な仕掛けは幾つもある。だけど、それを解いて証明すると、
凄く、綺麗。正確で、整って、何も、どこにも傷も歪みも、何も分からないの」

「アイシャ」
「明日、スパコンの使用許可申請を、
そう、エルデシュにこだわって、だから分からないどこで見落としているのか、
この理論から検算、全ての数字を総当たりにして京、ガイ、ジョ、ジョウ…
当てはめて発生するエラーから逆算して…」
「アイシャ」

想の手がアイシャに触れる前に、アイシャは立ち上がった。

「そう、私、思い上がってた。
私みたいな数学オタクが、他の事しながら数学も究めようなんてそんな器用な事出来なかったんだ。
だから、何も見えない、ごめんなさい、私、又、一から…」
「アイシャ!」

想がアイシャの両肩を掴んで叫び、アイシャが大きく目を見開く。その縁からはぼろぼろと伝い落ちている。

「エラーは発生しない。無限の数字のその先にもエラーは発生しない。
エラーが発生したなら次はオーバーホールの申請をしなければいけない」
「燈馬」

「この論文も君の検証も完璧だ。どこにも穴は無い。
これは、僕を手伝って支えてくれた、その中でも寸暇を惜しんであの素晴らしい論文を書き上げた。
MIT数理学の女王健在と絶賛されたアイシャに相応しい検証だ。
このエレガントな証明からはどこにも衰えなんて見つけ出せない。
アイシャ、僕の評価が信用出来ない?」

アイシャは、ようやく首を横に振った。

「この求め方はアイシャの十八番。ほんの少し違った角度から確かめてくれた。
そのお陰で、ほんの僅か僕の中に残っていたつかえが綺麗に降りた。
それがなければ、僕は未練の迷宮で朽ち果てていたかも知れない。
アイシャは言ったよね。美しいものを見たいって。それは目の前にあるんだ」
「燈馬」

アイシャが、のろのろと燈馬から離れる。

「あれ?私?私どうして燈馬に慰められて?
私、ごめんなさい。私が、私なんかが取り乱して、燈馬が一番…」
109 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/02(日) 02:41:51.39 ID:3FHGFNhP0
>>108

アイシャが伏せていた顔を上げ、大きく目を見開いた。

「アイシャ、今まで、今までありがとう。心から感謝してる」

アイシャの小柄な体を抱きすくめ、想は穏やかな口調で言った。

「あんなに一生懸命、改めて分かったそれがどんなに、それなのに、
不滅の名前、歴史を、見せてあげられなかった。報いる事が出来なかった。
一番美しいものを、アイシャに見せてあげられなかった。本当に、ごめん」
「私…好きで、して来た事だから」

想の語尾が、絞り出す様になっている。数学オタク一直線に突き進んで来たアイシャは、
こういう事に長けていると言う日本のコミックを幾つもインプットしていた。
確か、双子と幼馴染みの話だったか、
打ちのめされた男の子、優しい女の子がすべき事、方程式に代入して得られる解は。
アイシャの腕に、助手を超える力が込められる。

今回はここまでです。続きは折を見て。
110 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/02(日) 18:23:23.48 ID:h6GyGS5w0

ここ数回面白いよ
一般論として考えるなら、富樫慎二殺害に関して
警察が調べるべき範疇を越えてるような気はするが、まあ原作通りなんだろう
ロキは苦労人だな
111 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/02(日) 18:41:18.00 ID:OOOBSj3so
乙。

ふうむ。
>>71-73で静菜に
>>86-89でロキに
>>91-109でエバに
話を聞いている人物は警察ではない、かな?
女性だというのは確定だと思うが。
112 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/03(月) 03:37:33.81 ID:qhQB4KkO0
>>110
ここ数回結構冒険だったもので、お楽しみいただけで幸いです。
すいませんがここ数回は大きなアレンジ、と言うかオリジナル展開が大幅に入っています。
大筋は大筋として、今後もこういう事はしばしばある、かも知れませんので改めて。
アイシャ自体は、カテゴリーとしては間違いなくオリジナル・キャラクターです。です、が、………

>>111
ニヤリ

それでは今回の投下、入ります。

>>109

 ×     ×

アイシャが顔を上げる前に、想の手がアイシャの肩をそっと前に押した。

「燈馬」
「今日まで本当に有り難う。
流石に、今回はへこむよ。明日から上へ下への大騒ぎ。
正直、かなり辛い事になると思う」
「そう、だね。学内で審査した教授達もみんな巻き込んで」
「うん。でも、僕がやった事だから」

アイシャは小さく頷き、静かに離れた。

「休みたい」
「うん。ベッドは使える様になってる」
「そう、ありがとう…エッグノッグ、作ってたの?」
「うん…ごめんなさい」
「いや、もらおうかな。寝酒が欲しかった所だから」
「分かった」

想の言葉を聞き、台所に戻ったアイシャは程なく温かい飲物を運んで来た。

「ありがとう」
「燈馬」

その場にしゃきっと立ったアイシャがしゃきっと、可能な限り気を張った声で言った。
113 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/03(月) 03:40:06.02 ID:qhQB4KkO0
>>112

「ありがとう」
「え?」
「こんな時、どんな顔をしていいのか分からない。
間違っても笑う事なんて出来ない。
だけど、これだけは言っておきたい。今までの時間、ありがとう、って」
「うん」

想の優しい響きを聞き、アイシャはぺこりと頭を下げて想に背中を向ける。

想の手がのろのろとアイシャに向き、口が開く。
足が半歩前に出る。
そこで、ぱたっと手が降りて口が閉じる。

「お休み、アイシャ」
「お休み燈馬」

 ×     ×

「アイシャには分かりすぎていた。打ち負かされた燈馬の絶望の深さ。
だからこそ、この先も、と言わなかった優しさも」
「良かったのか悪かったのか、賭けであっても思い切って、って言う事が出来ないのが」
「燈馬が追い求めたミューズ、アイシャはその美しさの片鱗を知っていた。
燈馬がその腕に抱こうとしたその刹那に泡と消えた。その時何が出来るのか、出来ないのか」
「只の女なら張り合う事も出来た、それ以前に記号でしかないもの。
だけど、見える人間にとってはオーラだけでも絶世の美女。
しかも、彼女も又それを見る事に人生を懸けて来た」

「ロキが言った送別会の時、片隅のホームバーで私は彼女と酒を酌み交わした。
ええ、彼女は言ってたわ。最後まで想いを伝える事も、まして、それ以上の事も決して無かった、って」
「それで、彼女は納得したの?」
「するしかない。ええ。アイシャもそう言っていた。
なかなか諦められなかった。それでも、側にいれば馬鹿でも分かる事だ、って」
「そして、アイシャも又アメリカを離れた」

「直接的な理由は教授について行ったから、これは本当。
でも、特にロキとの関係がかなり厳しかったのも確か。
ロキは言ってた、俺は疫病神かって。ロキはアイシャの事を妹の様に可愛がってた。
ロキを前にしても物怖じせず打てば響く抜群の数学センス。生真面目で芯に情熱を秘めた性格。
燈馬の事だってそう。それがあんな事になった。
只でさえそっちには疎い妹分が、只でさえ難易度が高い上に絶対に報われない弟分に、なんだから。
しかも、世紀の大事業を抱えて普通の精神状態じゃないそんな真っ最中に」
114 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/03(月) 03:42:37.99 ID:qhQB4KkO0
>>113

「ケータイ小説でもなかなかお見かけしないわね」

「燈馬の事も、アイシャがロキの代わりに、数学者に徹して側にいてくれたら、
もしかしたら傷は浅くて、いや、あの燈馬が見付けた閃きなんだから、
アイシャが一緒に本気になってたら或いは、なんて。
それが、結局燈馬はアイシャを抱えて壁に激突。

誰も悪くない、ロキも悪くないのに、
ロキは直接じゃなくても自分の不甲斐なさをアイシャにぶつけて益々自己嫌悪。
正直、アイシャの旅立ちが決まるまで、私も消化器系で通院して5キロは落とした」

「あなた達との関係はそれで終わり、ではないわね」

「関係が修復したのはあちらでの授賞式に呼ばれた時。
だって、ぐっと大人の女性になったアイシャが自分で美しいものを見付けた証明だったから。
ロキは論文読みながらオニオンスライスの製造に余念がなかったみたいだけど、
あれは、本物の彼氏連れて来たら心配性のお兄ちゃんと拳で語り合う事になるわね。
苦い思い出もちゃんと糧になって、あの娘は強かった。だから、やっと又、美味しいお酒が飲めた。
燈馬とは連絡が取れなかった、その事だけが心残りだった」

 ×     ×

「江成姫子さん、ご存じですか?」
「ええ、ミステリ同好会で一緒でしたから」
「彼女は今は何を?」
「弁護士をしていると聞いています」
「彼女と会った事は?」
「実家を出てからは一度も」

「では、燈馬想と彼女の関係で何か聞いていますか?」
「江成さんが何かトラブルに巻き込まれて、それで燈馬君がお金を貸したと燈馬君から聞いています。
燈馬君、特許とかでかなりの資産持ってるって、知ってますよね?」

「では、燈馬想が最近江成姫子に会ったと言う事は聞いていますか?」
「ええ、昨日の夜にお酒を飲みに言ったと燈馬君言ってました。
そもそもあなた達が江成さんの所まで聞き込みに行くから、
江成さんが心配して燈馬君の所まで行ったんです」

二人の刑事の僅かな沈黙を見て、可奈ははぁーっと息を吐いた。
115 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/03(月) 03:45:12.81 ID:qhQB4KkO0
>>114

「警察って、本当にこういう事もするんですね」
「?」
「あれでしょ、共犯者に他に女がいるって匂わせて動揺させるって。
私と燈馬君そういうのじゃないし殺人の共犯者でもないし相手クイーン会長だし」

しまいに笑顔でそこまで言われると、草薙も苦笑するしかない。

「敢えてお伺いしますが、燈馬想と江成姫子、この二人でそういう関係は考えられないと?」

内海が生真面目に尋ねた。

「んー、別にいいんじゃないですか?」

意外な程、すらすらと言葉が出た。

「江成さん、美人になったんだろうなー。
あれで結構、デコボコトリオ統率してただけはある女性(ひと)だし、案外お似合いかも。
なんせ司法試験合格しちゃったんですからねー、キャリアは圧倒的って奴?
でも、今はちょっと考えられないかなー。多分、本当にそういう事になってたら私にはすぐ分かると思う」

「自信ですね」
「付き合いが長いだけです」

草薙の突っ込みを可奈はさらりと交わした。

「それに…」

にこにこと話していた可奈の顔つきから笑みが消えた。

「富樫慎二の事件であれば、関係あるのは私ですよね。
肝心の私が外れて燈馬君と江成さん、いい加減プライバシーの侵害ですよ」
「申し訳ない。些か脱線しました。
あくまであなたと江成さんの事を確認したかった迄でして」

草薙が小さく頭を下げた。

「そうやってなんでもかんでも…私はいいですよ。私の事だったら。
でも、美里もいるんです。
父の事もあります。余りこういう事は言いたくありませんが、
燈馬君と一緒だったお陰で、普通の生活だとあり得ない知り合いとかコネとかもあるんですよ私。
このままあなた達に任せておいたら美里が傷付けられる。
そういう事なら、私は形振り構うつもりありませんから」
116 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/03(月) 03:47:45.13 ID:qhQB4KkO0
>>115

「無論、配慮します」

草薙が辛うじて官僚答弁を口にする。
これが剣道だったら打ち込まれる、やられた。と言う所まで行く。そんな可奈の目だった。
その時、取調室のドアが開いた。

「水原可奈さんですね。草薙の上司で葛城と言います」
「水原です」
「ご協力有り難うございました。被害者の周辺人物に対する一通りの確認作業だったのですが、
部下が些か熱心に過ぎたらしく、不愉快な思いをさせてしまいました」

「いえ、そういう事は父の仕事で分かっていましたから」
「そうですか。今日の所は」
「言いたい事は言わせていただきました。ご理解いただけて助かります」
「それでは、今日の所はこれで、ご協力感謝します」

草薙と内海が唖然とする前で、葛城が可奈をエスコートした。

 ×     ×

部下に何も言わせず姿を消した葛城が再び戻って来たのは夕方過ぎの事だった。

「どういう事ですかっ!?」

流石に、草薙も声を荒げる。隣の内海も同じ思いだが、
流石に警視庁本部の管理職相手では後がまずい。

「水原可奈の脅しを真に受けたんですか?」
「脅しじゃない」
「え?」

葛城の説明に、草薙は息を呑む。
117 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/03(月) 03:51:21.78 ID:qhQB4KkO0
>>116

「それじゃあ、本当に圧力じゃないですかっ!?」

内海が思わず叫んでいた。

「色々と上の方に探りを入れたらそういう事だった。
形の上ではどこかで直接行われたのは内々の小耳に挟んだ雑談の問い合わせ、って所か。
仕方がないだろ、アリバイがほとんど成立している所まで掴まれてるんだ。
それじゃあ止める方が正義になっちまう。
組対(組織犯罪対策部)が何かネタを掴みつつあるらしい。お前らも別の線を洗え」

内海は気付いた、ドアの向こうの気配に。

 ×     ×

帰宅して、玄関ドアに鍵を差し込もうとした時、想はざっと立ち止まる音に気付いた。

「笹塚さん?」

想がそちらを向くと、笹塚が駆け寄って来た所だった。
その後に、内海と草薙が続いている。

「君がやったのか?」
「何をですか?」
「圧力をかけたのか?君らしくないな」
「知りませんでしたか?合理的な解を得るためなら、僕は割となんでもする人間です。
それに、察する所、該当する話で思い当たるのは、愚痴を言っただけです」

「愚痴を」
「ええ。古い友人に、警察が理屈に合わない事で水原さんを疑ってる、って。
僕と水原さんの共通の友人です。率直に言って社会的地位もある。
決して愉快に思わなかった筈です。それだけの事です。
それに、あの人は決して理屈に合わない無理押しはしない」
「そうか」

淡々と話す想に、笹塚の表情がほんの僅か寂し気に歪んだ。
118 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/03(月) 03:53:53.46 ID:qhQB4KkO0
>>117

「これだけは覚えておいて欲しい」
「はい」
「水原警部は、君の事を本当に、息子の様に可愛がっていた。
その信頼に恥じる生き方だけはしないで欲しい」
「はい」

想は、笹塚の目を見てしっかりと言った。

 ×     ×

自宅で携帯電話を手にした想が、メールボックスのメッセージに従い電話を掛ける。

「優?久しぶり。琴音ちゃん元気?」
「想もすっかり伯父さんだねー。もー、あの年頃って怪獣よ怪獣。
ちょっと目を離すとどこ行っちゃうか分かったモンじゃないし。ホント誰に似たんだか」
「それで、今日は?」
「うん、それなんだけど…」

少しの間、想は黙って説明を聞いていた。

「間木照子?」
「うん、ルポライターだって言ってた。
天才数学者にしてかつての高校生シャーロック・ホームズの事を取材してる、って。
想は嫌がると思ったんだけど、上の方に根回しされてて断れなかった」
「どんな人だった?」

「黒髪の日系美人。出身が日本なのは間違いないと思う。
だけど、LAの日系人社会に馴染んでる。
それから、警察関係の仕事でキャリアを詰んでる。これも、FBIだと思う。
警察官にはなかなか消せない癖がある。その中でもFBIは司法省直属。
それに、長い間徹底したWASPの巣窟だった。今だとそれを全然匂わせない人もいるけど、
彼女は女性、日本人だからこそ強く適応してたタイプだと思う」

今回はここまでです。
続きは折を見て。
119 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:12:21.18 ID:EZgLHkXD0
それでは今回の投下、入ります。

>>118

 ×     ×

「もしもし、燈馬君?警察行って来た」

自宅で想からの着信を受け、可奈は携帯に向けて言う。
そして、警察でのやり取りに就いて報告を続ける。

「そうですか。それで大丈夫だと思います。
それより、もう一つ動きがありました」
「動きって?」
「間木照子、あるいは南空ナオミ、と言う女性をご存じですか?」
「知らない」

「そうですか。そういう女性が僕らの事を調べて回っています」
「何それ?」
「本名南空ナオミは元FBIの特別捜査官です」
「えふっ、な、何それっ!?」

思わず叫び声を上げた可奈が、美里の引きつった顔に視線を走らせ小さく頷く。

「ロキに問い合わせたら、確かに来ていました。ロキがCIAのルートで逆に調べ上げていました」
「じゃあ、ロキの所に?」
「ええ、ルポライターの間木照子を名乗って、分かっているだけでも優やロキ、エバの所を訪れています」
「優ちゃんの所まで。元って言ったよね?」

「ええ。最初に優から報せて来たんですけど、優が間木照子の取材を受けた直後に
研究のために現地のコーディネーターに駄目元で依頼していた
少数民族の長老とのアポが急遽実現したとかで」
「…もしかして、それでこっちに連絡する事自体忘れられてた?」

「ご名答です。ですから、優が間木照子と会ってから少々時間が経過しています。
それで、間木照子こと南空ナオミに就いてロキが調べ上げた情報ですが、
結婚を機に退職するも性格の不一致で離婚。その後はフリーのオプ、調査員として行動。
プロの世界では特別捜査官としてもオプとしても相当な辣腕で通っています。
一説には極めて秘匿性の高いとある国際的な調査機関に属しているとも言われていますが、
今回は恐らくその筋ではないです。今の事件の関係だとすると事件の規模が小さ過ぎる」
120 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:14:33.37 ID:EZgLHkXD0
>>119

「じゃあなんなのよ?」
「恐らく僕です」
「燈馬君?」

「ええ。自分で言うのもなんですが、水原さんも知っての通り、
今まで生きて来て色々とややこしいコネに磨きが掛かっていると言うのが現状でして。
それが刑事事件に巻き込まれた、と言う事でその中の誰かが状況を把握するために南空ナオミを動かした。
そう考えるのが自然です」

「そう…」
「すいません、妙なものを呼び込んで」
「燈馬君が謝る筋合いなんて一つもない」

「分かりました。どっちにしても大丈夫。水原さんに迷惑がかかる様な事は決してありませんから。
湯川さんにしても南空ナオミにしても、水原さんは普段通りにしていて下さい。それが最大の防御です」
「うん、分かった」
「じゃあ、お休みなさい」
「お休み、燈馬君」

 ×     ×

「いらっしゃいませー」

朝、元気のいい挨拶を聞き、想はすたすたとカウンターに近づく。

「おはようございます」
「はい、お早うございます」

可奈は、一見営業スマイルでにっこり微笑み挨拶を返す。

「お任せ一つ」
「はい。お任せはいりまーす」

いつも通り、想は弁当を購入して店を後にする。

「いらっしゃいませー」
「やあ」

そんな想に少し遅れて、やはり見知った顔が可奈の前に姿を現した。
121 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:17:08.12 ID:EZgLHkXD0
>>120

 ×     ×

「帳場(捜査本部)の本筋からは外れてる、その合間での捜査だ。
水原可奈本人ではない、ってこじつけも何度も使えない、一発勝負になるぞ」
「はい」

草薙の言葉に内海薫が返答し、建物へと入っていく。

「お忙しい所を申し訳ありません」
「いえ、一度はっきりと事情聴取を受けた方が良さそうですから」

工場の応接室で、テーブルを挟んで二人の刑事と燈馬想が向き合う。
まず最初に一度、と釘を刺してきた。人畜無害な口調だったが、それはしっかり感じ取れた。

「では、一応最初に確認しておきましょう。あなたと水原可奈さんとの関係は?」
「先日、水原さんから相当しつこく聴取したとも聞いていますが、
水原さんが答えた通りでいいと思います。敢えて言うならご近所に住んでいる高校時代の友人。
行きつけの弁当屋のおかみさんです」

「有り難うございます。これも確認ですが、富樫慎二との面識は?」
「ありません」
「新聞の死亡記事を見た水原可奈から相談を受けて初めて知った、それで間違いないですね?」
「ありません」

「お互い余り時間が無い」
「そうですね」
「12月2日の夜の事をお聞きしたい」
「変わった事は何もありませんでした」
「そうですか。これを見たら思い出し易くなるのでは」

草薙が差し出したのは、この工場での想の勤怠表だった。

「あなたは12月3日の朝、工場を欠勤していますね」
「ええと、そうです。ちょっと風邪気味で」
「病院へは?」
「いえ。一休みしたら体調が良くなりましたから」
「本当に風邪ですか?」
「本当に、とは?」
122 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:19:47.47 ID:EZgLHkXD0
>>121

「12月2日、つまり事件当日になりますが、その日の朝も休まれていますね?」
「稼働状況と時期にもよりますが、多少のフレックス・タイムが認められていますので。
数学の研究に入れ込んで少し寝不足でしたから」

「そういう事が時々ある、と言う事は上司の方からも伺っています。
しかし、二日続けて、と言う事は珍しいとも仰っていました。
3日の欠勤、これは本当に風邪だったんですか?」
「風邪です。朝起きたら体調が良くなかったもので」
「分かりました。お手数をお掛けしました」

 ×     ×

「燈馬さん」

草薙と内海が工場の廊下で想から離れようとした所で、
二十代の工員が想に駆け寄って来た。

「ああ」
「今、ちょっといいスかね」
「何ですか?」

こうして見ると、実に穏やかで人望ある見た目はまだ青年でもいける。
二人の刑事はそう思った。

「これなんスけど、ここだけどうしても解けないんですよ。
幾何は結構イケてると思うんだけどなー」
「うーん…」

工員から渡されたノートを眺めながら、想の口元がほころんだ。

「これ、幾何じゃないですよ」
「へ?」
「ここをこうして、こうです」
「これって、関数?」
「その通りです」
「あんたらがサツかよ?」

思わず視線を引き付けられた二人の刑事に、工員がやや剣呑な態度で近づいた。
123 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:22:31.98 ID:EZgLHkXD0
>>122

「警視庁の草薙です」
「貝塚北署の内海です」
「あのさー、弁当屋のおばちゃんの元旦那のクソ野郎の件だっけ?
燈馬さんがそんな悪い事する訳ねぇだろ。いい加減にしろよ」

「ああ、いいですから。誤解は解けたみたいで」
「あ、そう?」
「君は?高校生?」

「まあね。ちょっとガキのオイタが過ぎたって奴でさ、
もう観察期限切れたけど保護司と社長が知り合いで真面目に定時制行ってんの。
資格取りたいからさ、燈馬さんにもちょいちょいな、
ちょっとでも数学が楽しいなんてこの人がいなきゃあり得なかったっての」

「でも、彼の高校の先生もなかなかユニークですよ」
「ユニーク?」

草薙が聞き返した。

「幾何と見せて関数。
少し見方を変えれば解ける、ちょっとした引っかけ問題ですけどセンスが面白い。
こないだなんて高校生相手に時間いっぱい四色問題を語り倒すって、
エルデシュ信者って思わぬ所にいるものですねー」

「いや、ありゃ参ったって、マジ何がなんだか」
「ノートに取ってただけ立派です」
「では、我々はそろそろ」
「おうっ、お疲れさんっ」

辞去する二人の刑事に快活な嫌味が飛ぶ。やはり、人望はある様だ。

「どうだ?」

帰路、草薙は内海に尋ねる。

「燈馬想、改めて」
「怖い、ですね」

草薙の問いに内海が答えた。
124 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:24:54.81 ID:EZgLHkXD0
>>123

「飄々とした優男に見えて実は切れ者。経歴を知っているからかも知れませんけど、
何か底が知れないと言うか引き込まれると言うか」
「惚れたか?」
「ええ」
「何?」

「いえ、私は違います。
だけど、女性が引き付けられて引き込まれるのも分かる気がする」
「んー、むしろ優男ってのがな」
「はい。単純に切れ者とのギャップ萌えって言うのもあると思いますけど、
水原さんが答えた通りでいいと思います」

「引っ掛かったか?」
「何と言いますか、憎いですね。
多分、同じ答えを別の場面でも言っていますよあの人。それも女性相手に。
一番優しくて一番卑怯。しかも、今まで調べた所では口だけじゃない。
イザとなったら行動力もある。事、水原可奈に関しては。
そういう男が身近にいた時、女性はどう感じるか」
「手強いな」
「はい」

 ×     ×

「色々大変だったね」
「ええ」
「全く、死んだ人間だけどあの男、死んでまで可奈ちゃんに迷惑かけるって」

テーブルの向かい側で、工藤邦明が憤然としていた。
その工藤の前で、可奈はにこにこと仔牛料理にナイフとフォークを動かす。
なかなか結構なイタリアンだ。

思えば、想と連んでいた時は何かと平均的公務員子女離れした食事にも有り付いていた。
その後は色々大変だった。お水の世界に入ってからは、
こうした機会が又何度もあったが、それも仕事の内。
それも、釣り針をくっつけたまま身持ちの堅さを維持すると言う
頭脳戦と舌の楽しみを両立させるのはなかなかに難しい。

警察相手に一段落ついたと思ったら謎の調査員南空ナオミ。
少しばかり胃がキリキリして来た所に工藤からの誘い。
聞いた瞬間はそんな気分でも無かったのだが、工藤は昔馴染みで恩人と言ってもいい。
125 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:27:31.79 ID:EZgLHkXD0
>>124

「あの折、富樫の事では本当にお世話になりました」
「いや、いいんだよそんな改まって」

と、言ってくれるが、男の好意が分からない年齢、或いは経験値ではない。
只、あの頃はまだ、工藤は妻子持ち。自分もまだ多感な娘を抱えて不倫など選択の他だったが、
とにかく富樫に追い込まれていた所を工藤に助けられ、
弁護士を紹介して貰う等の助力を得て離婚まで漕ぎ着けたのは事実だった。

 ×     ×

「今夜はご馳走様でした」

ドルチェまで十分に楽しみ、タクシーの中で可奈は工藤に礼を言う。
当初は乗り気では無かったが、不自然な行動は慎む、と言うルールにより恩人の誘いに乗った。
そうして見ると、全く何も事情を知らない工藤にどこかほっとして、
そして久しぶりにちょっと華やいだ出来事は可奈の気分を幾分楽にする。
実際、工藤はあの頃も今も優しかった。

「又、食事付き合ってくれるかな?」
「嬉しいんですけど、食事はなるべく美里ととりたいので」
「今度、美里ちゃんも一緒に。回転寿司なんかいいかな?」

美里との会食。妻を癌で亡くしたとつい先ほど言っていた工藤の思惑は余りに明らかだった。

「あ、ちょっと、急だったかな?」
「いえ、あの、考えておきます。ああ、美里の事ははい」

何とも官僚的な答弁。ちょっとは慣らしたお水上がりがこんな時に上手く思い付かない。
何しろ事情が事情だ。元々美里は可奈からも多感に見える少女。
それも、自分が今まで苦労をかけたからだとも思う。
そんな美里が、とにもかくにも今こんな状況で
義父なんてものをもくろむ男と対面したらどんな事になるか、手に余ると言うのが可奈の正直な所だった。

「それじゃあ、楽しかったよ」
「はい。今夜は本当に有り難うございました」

アパートの近くで、タクシーの中に向けて可奈がお礼を言う。
タクシーが走り去った時、可奈は何か悪寒を覚えた。
振り返ると、視線の先には自宅アパートの外階段。そこに、男性にしては少々小柄な人影。
マフラーを口まで上げた燈馬想がこちらを見ていた。
可奈がその表情を確かめる前に、想はふいっと背中を向けて自分の部屋に引っ込んだ。
126 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:30:04.77 ID:EZgLHkXD0
>>125

 ×     ×

退社後、念のため尾行確認を経て一駅超えた想は、地元を離れたファミレスに入店した。

「すいません、こちらからお呼び立てして」
「いえ」

着席した想の前で、同年代の小柄な女性がぺこりと頭を下げる。

「それで岩崎さん、じゃなかったですねすいません。
その後何か問題は?一応急場は凌いだとは言っても…」
「その節は、本当に助かりました。有り難うございます」

「あれから何か言って来たりとかは?」
「いえ、大丈夫です」
「でしょうね。今時、ああまでやられて追い込みをかけて来る様なヤミ金なんて
実際はそうそういないですから」

「それも、燈馬さんにいいNPOを紹介していただいたお陰です」
「それでも、直接話を付けたのは岩崎さん、ごめんなさいどうしても、
ですから。やっぱり度胸はあるんですね」

その想の言葉に、テーブル席では二人共顔を見合わせてくすくす笑みをこぼす。

「仕事の方は?」

想は、質問の後で、首が横に振られるのを見る。

「今はどこも厳しいみたいで」
「そうですか。結婚してお子さんが産まれて、
少々ローンで無理をした矢先にご主人の会社が思わぬ倒産。
共稼ぎだったあなたは焦って自爆営業の挙げ句に、
リベート同然の自腹営業まで諸々の都合で反故にされて」

「本当に、あの時は焦るばかりで何も分からなくて」
「今は、当面の所は大丈夫、と言う事ですか?」
「ええ、お陰様で」
「就職活動中のご主人にも隠れて、独りでかなり無理な金策を重ねていましたからね。
本当に大丈夫ならいいんですけど」
127 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:32:36.40 ID:EZgLHkXD0
>>126

「ご心配をお掛けしまして。あの、それよりも燈馬先輩」
「はい」
「水原先輩、それに燈馬先輩、又何か事件に巻き込まれたとか?」
「そちらにも警察が?」
「はい。昔の事、先輩、水原先輩燈馬先輩の事を聞いていきました」
「なるほど」

想は、敢えて思案顔をするが、本来そんな事は最初から分かり切っている事だった。
想は、無言で新聞のコピーを彼女に差し出す。

「この人が、水原さんの元夫です」
「殺され、じゃあ、この事件で」

「ええ、警察は水原さんに疑いを持った様です。
水原さんにも確かめたんですが、かなり質の悪い男だったらしくて、
離婚する前も後も暴力や金銭のトラブルが色々あったので自分が疑われるのも仕方が無いと」

「それで、水原先輩は?」
「もちろん水原さんは犯人ではありません」

想の言葉に、彼女は胸を撫で下ろしている。

「でも、少々厄介な事になっているのは確かです」
「厄介な事、ですか?」
「ええ。警察は未だに水原さんを疑っています。しかも、僕まで巻き込んで」
「燈馬先輩を」

「ええ。今、水原さんの近所に住んでいる事もあって、
昔からの付き合いで共犯説も大真面目に考えている様です」
「そう、ですか」

「刑事だった水原さんのお父さんは既に亡くなっています。
水原さんも中学生の娘さんと二人暮らし、生活も決して楽ではない。
自営業者ですから警察が変に動くとそれこそ生活に直結する」

そこまで言って、想は、すっと正面を見据える。

「お願いしたい事があるのですが」
128 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:35:14.31 ID:EZgLHkXD0
>>127

 ×     ×

「おはようございます」
「おはようございます」

朝、寒さに身を縮めた燈馬想に、水原可奈は営業スマイルで挨拶を返す。

「お任せ一つ」
「はい、お任せ一つ入りまーす」

あの二人の刑事が工場に来た、と言う電話連絡はあった。
改めてアリバイを確認して行ったらしいが、
それに就いては大丈夫だと想はいつも通りあっさりと可奈に告げた。
それ以降、可奈は想と会話らしい会話をしていない。

夕食を持って行こうかとも思ったが、何か最近帰りが遅いらしく朝が早い可奈とはすれ違っている。
刑事は大人しくなったが、近々ゆっくり話をしたい。
その可奈の思いは、多忙によって一時中断され、想はいつも通り静かに店を出て行った。

 ×     ×

「ええ、そうです。Dr.の前に東洋人の男が現れて。
最初は驚いた様子でしたが、すぐに分かり合えた様子でした」
「その東洋人はこの中にいますか?」

ストックホルムのとあるキャンパス内で、南空ナオミは数枚の写真を女子学生に見せていた。

「この男です。もっと、何と言うかやつれて小汚い印象でしたが」
「そうですか。それで、その後どうなったんですか?」
「Dr.はその東洋人の手を引いて、自分の車に乗せて出て行きました」
「その事を他の誰かに?」

「言いませんよ、尊敬に値する人です。
英語を話していたみたいでしたし、同じ日系人なのかも知れませんが、
何か打ち解けたと言うか、そういう雰囲気でした。
あの人も独身です。プライベートでそういう事があってもそれがどうかしたの、と言う事です」
「なるほど」

女子学生と別れ、ナオミは呟く。

「空白の期間、あの国を脱出した燈馬想はやはりここに来ていた」
129 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:37:46.27 ID:EZgLHkXD0
>>128

 ×     ×

「こんばんわ」
「いらっしゃい」

とある夜、可奈の部屋を訪れた想を、可奈はそのまま招き入れる。
前日の夜に新聞受けにメモが入っていて、適当な時間に携帯に連絡を欲しい、
と言う事だったので、可奈はそれに従っていた。

「警察、どうだった?工場に来たんでしょ?」

お茶を出し、炬燵を挟んで可奈が尋ねた。

「ええ、アリバイと、それから水原さんとの関係を」
「何て答えたの?」
「高校時代の同級生でお隣さんとして仲良くさせてもらっています、と。
アリバイの方はまあボロが出ない様にその辺は大丈夫です」
「そう」
「それで、水原さんの方は?その後何か?」
「ううん、今の所特に、刑事からも何も言って来ないし南空とか言う人も」
「そうですか」

想は、鞄から何かを取り出す。

「これを」
「携帯?」

想が差し出したのは携帯電話だった。

「非常用のものです。僕や水原さんとは無関係の名義になっています。
しばらくの間、これを持ち歩いて下さい」
「分かった」

「電話帳には一軒だけ登録してます」
「うん。えっと、これ、サ、…」
「ああ、読み方はサヤです。万一を考えると女性の名前の方が」
「ちょっとそれ、元お水として言わせてもらうとよくあるやーなテクニックだねー」
「着メロはキングロードのエンディングテーマ。
万が一それ以外の着信があっても一切出ない、それからこの電話から他に掛ける事もしないで下さい。
この電話は、あくまで万一のための非常用のものですから」
「うん、分かった」
130 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/06(木) 04:40:18.33 ID:EZgLHkXD0
>>129

炬燵を挟んでの想の説明に、可奈は疑いも見せずに携帯を受け取った。

「それじゃあ、今夜はこれで」
「ん」

想が立ち上がる。

「燈馬君」
「はい?」
二、三歩歩いた所で、声を掛けて来た可奈に想が振り返る。

「んー、何でもない」
「そうですか」
「えっと、又、今度何か作るね。放っておくとろくな食生活しないんだから」
「楽しみにしています」
「うん」

我ながら無理がある、と可奈は思ったが、
目の前の笑顔は、可奈の知っている想の笑顔に見えた。

「そうだ、水原さん」

玄関で、想が靴を履きながら言葉を発する。

「その携帯の暗号名、あくまで某赤坂方面の超能力刑事ドラマに基づくものであって、
それ以外の意味は一切無いですからその辺の事は間違いの無い様に。それではお休みなさい」
「お休み」

それだけ言って、玄関ドアが閉じられた。

「分かってる。日本の風景大全集の後ろに
年齢順に整頓してあるビニールカバーつきのとは一切関係無いって事はちゃんと理解してるから」

ドアの向こうのドンガラガッシャンと言う効果音を聞くに、
どうやら近藤勇が御用改めに見参した所らしい。

今回はここまでです。続きは折を見て。
131 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 13:45:27.99 ID:q3Cr0rec0
では、今回の投下、入ります

>>130

 ×     ×

来年がどんどん近づく中、燈馬想はいつも通りに短く言葉を交わして弁当を購入し、
平穏な一日の仕事を終えて店を出た水原可奈は、
そのまま自宅に向かう、と言ういつものパターンを少々崩して動き出した。

「ごめんなさい、遅くなって」
「いや、僕も今来た所だから」

ホテルのレストランで、
実際は時間通りなのだが先着していた工藤に可奈が頭を下げる。

「僕の所に刑事が来たよ」
「工藤さんの所に」

確かに、最近の状況とあの刑事達の動きを考えると予期すべき出来事だった。

「ごめんなさい、工藤さんを巻き込んだりして」
「いや、いいんだよ。可奈ちゃんが謝る事じゃないから」
「それで、警察は何を?」
「うん、まあ、可奈ちゃんとの関係とか、そう、アリバイとかもね」

「アリ、バイ」
「ああ。どうもね、
僕が可奈ちゃんに頼まれて富樫を殺したんじゃないかって疑ってるみたいなんだ馬鹿馬鹿しい」
「本当にごめんなさい」
「だから、いいんだって。責めてる訳じゃない。
幸い、証明してくれる人も見付かりそうだしさ」

「本当に、ごめ、あ、すいません」
「それで、刑事にも言っちゃったけどね」
「え?」

「ほら、関係を聞かれたって。
だからさ、昔のクラブでの常連で、それで好意を持っていますってさ。
だからって殺し屋を引き受ける程お人好しでもないけどって。
嘘ついたらますます妙な事にもなりかねないから」
「え、あの、それって」
132 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 13:47:49.09 ID:q3Cr0rec0
>>131

それは、可奈も気付いていた事ではある。
だが、面と向かって口に出されると、色々と考えなければならない事でもある。

「まあ、そういう事だからさ。
いや、それは今は僕が勝手に言ってる事で、可奈ちゃんをせかすつもりは無いから。
美里ちゃんの事もあるんだし」
「は、はい」

返答しながら、可奈は斜め下に視線を落とす。
警察が来たと言う事は、それだけを考えるとやはり想に話しておくべき事だろう。
想が敢えてあの様な携帯を渡した事を考えても脅威は決して去っていない。

事に及んでは想は頭脳役、可奈は足であると同時に、
細大漏らさず正確にその偉大と言うべき頭脳にインプットするのがその役割。
その分担を外れる事が「天才」燈馬想に対して
どれだけの威力を持っているか、可奈は知り抜いている。

だからこそ、改めて頭脳戦をその想に頼っている今、
絶対負けられない闘いでその鉄の掟を曲げる事は極めて危険だ。
しかし、それを憚る気持ちは間違いなく可奈の中に存在する。
法律も倫理も踏み越えて、正義感とは無縁の協力をしてくれている。
高校時代の友人、それだけでそんな事をするなんて、あり得ない。

理由なんて、可奈の頭では一つしか考えられない。向き合わなければならない感情以外に。
レストランのガラス壁の向こうでは、そんな可奈の憂い顔こそよく見えなくても、
そうやって窓際の席に座る二人に向けて、
屋外に立つドレッドヘアに黒眼鏡の男がデジカメのシャッターを切っていた。

 ×     ×

「圧力がかかった?」
「ああ、辛いな」

湯川の問いに、草薙は割となんでもない事の様に応じる。
中華レストランで四川料理の円卓を囲むその席には内海も同席していたが、
草薙の誘いに案外あっさり出て来た辺り、
警察による燈馬想への捜査に就いて湯川の関心は決して消えてはいない。
133 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 13:50:28.46 ID:q3Cr0rec0
>>132

「燈馬想か」
「本人がそれを認めています。辛っ」

湯川の言葉に、内海薫が笹塚と想の会話のあらましを説明する。

「確かに辛過ぎる」
「辛さで脳細胞が活性化するんでしたっけ」
「辛さで脳細胞は活性化しない」

「誰々が、って所までは下っ端の耳には届かないがな、
外務省や経産省のキャリアの上の方、それに永田町。どうやらそっち方面だ。
こっちとしちゃあ水原可奈はアリバイが引っ掛かって燈馬想に至っては根拠が薄弱過ぎる。
そんな所から突っ込まれても返す言葉が無いって事さ」

「燈馬想と事件との関わりはどの程度調べたんだ?」
「上の目をかいくぐって何とか事情聴取まではやった。
あー、言う迄も無いと思うがお前に見せるのは今の段階ではまずいものだ」

そう言って、草薙は湯川にコピーを手渡す。

「事件があった、富樫慎二の死亡推定時刻が12月2日の夜。
次の日、12月3日の午前中、燈馬想は会社を欠勤している」
「長いな」

草薙の説明に湯川が感想を言った。

「夜から朝にかけて、か。
燈馬想が関わったとすると、不慣れな事を差し引いたとしても、
あの死体、現場の状況から見て翌日御前の欠勤を入れると大幅に時間が余る」
「睡眠時間では」

「殺人事件に関わって死体を始末してからすぐに睡眠を取る。
専門外の僕が考えても余り合理的な推論とは言えない。
燈馬想の性格を考えても、むしろそういう不自然な記録が残る事を避ける筈だ」
「確かにな、俺の知る限りでも犯人の心理としてそれは無理がある」

内海の説を、湯川と草薙が二人がかりで容赦なく却下する。

「そう、不自然なんだ」

草薙が言う。
134 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 13:52:50.98 ID:q3Cr0rec0
>>133

「燈馬想は事件当日、12月2日の朝も欠勤している。
彼自身はここ二日ほど体調が良くなかったと説明しているがな、これは今までに無い事だ」
「生活パターンの変更には理由がある、か」
「だが、これ以上突っ込むのは厳しい状況って事さ」
「一体、何者なんですか燈馬想」

内海がぼそっと言った。

「何と言うか、一見するとお人好しの好青年で虫も殺さぬ顔をして、
私達が聞き込んだ所でもむしろ天才馬鹿って言う印象なのに
そんな腹芸までこなして見せるって」
「燈馬想ならそれぐらいの事はやるだろう」

湯川の返答はあっさりしたものだった。

「人脈、ですか?水原可奈もそんな事を言っていました」
「それもある。彼はMIT数理学分野の最先端にいた。
最先端企業にも軍需関係にも決して小さくない人脈を持っている。
彼を、彼の数学的才能を獲得するなら日本の殺人事件の一つや二つ揉み消しても構わない。
彼が望めば、それを現実にしかねない勢力すら現実問題としてあり得るだろう」
「その辺りかよ」

早速、草薙はうんざりした声を上げる。

「ある国、とだけ言っておこう」

湯川が改めて切り出した。

「経済危機を奇貨としたテロと軍事クーデターにより民主主義から軍事政権となり、
その後改めて民主主義に移行した。そういう国がある。
助手だった僕は、研究室の教授に同行する形でその国を訪れた。

当時は軍事政権から民主政権に移行して国家の再建が始まっていた時期で、
しかも、軍事政権は隣の国を合併して、
今まで独裁者の直轄で手つかずだったそちらの開発も始まっていた」

「隣の国を合併、ですか?」
135 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 13:55:13.67 ID:q3Cr0rec0
>>134

「ああ、元々二つの国は文化的、民族的にも一致に近い状態だった。
合併された側の国は、植民地やら冷戦やらの都合で少数民族による独裁政権が長年続いていた。
その辺の事が無くなって、いよいよ国際的な批判を浴びる状態になっても
独裁システムだけは残った状態だったが、当の独裁者がぽっくり逝っちまってな。
内紛やら難民やらがカオスになって国境もぶっ壊されてしまいに合併、
当時の軍事政権の方がまだマシだったって事さ」

内海の問いに、事情を知っていた草薙が端的に言った。

「教授は形の上では日本の政府系のプロジェクト、
研究室のスポンサー企業の意向が少なからず働いた再開発計画に技術協力する事となった。
その、仕事場となった施設で休憩時間に面白い数式に取り組んでいた男。それが燈馬想だった」
「面白い、数式ですか」
「どういう数式で何がどう面白いか、説明しようか?」
「いえ、出来ればその辺は省略していただければ」

「よろしい。彼は所属していて研究所の出資者に当たる米国メジャーの意向でその国を訪れていた。
物理学者と数学者、地理的に近くで働いていても仕事上の分野は違う。
それでも嬉しかったよ。あの技量に基づく美しさの追求。
異境の地で初めて話の合う相手に出会ったと思った。
話が弾む、と言うタイプではなかったが、時折二人で飲む酒はまずくはなかった。
早速だが、水原可奈の事も思い出した」

「なんですかっ!?」
「うん。あれは、現地のホームパーティーに招かれた時だ」

 ×     ×

「水原さん、元気にしてるかな」

夜の庭で、何を見たのか遠い目をした想がふっと呟いていた。

「ん?」

「あ、高校の時の同級生だった人です」
「高校」
「はい、東京の咲坂高校」
「なるほど、さっぱり分からない」
「んー、トーマのコレだったってか?」
136 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 13:57:42.49 ID:q3Cr0rec0
>>135

 ×     ×

「その時は、曖昧な笑みで交わしていたが」
「気にしてたんですね」

内海の目が、刑事のそれになった。

「それで、その後湯川先生と燈馬想は?」

「私達が先に帰国する事となった。我々、正確には教授がやっていた事が、
日本の国内法で禁止している軍事転用技術の輸出に当たるのではないかと、
日本側に告発した人物がいた。そのために仕事半ばで帰国する事となった。
燈馬想は、その後もその国に残り続けた。政府要人の私的なブレーンとしてね」
「それって凄い事なんじゃないですか?」

「うん。燈馬想のオーナーだったメジャーの意向ももちろんあったが、
彼が些か数学者に留まらない博識才覚で知己を広げていたのも確かだ。
元々、燈馬想は日本で高校生をしていた時に、
国際司法裁判所で国家を代表して弁論を行うための補佐人をしていた事もある」

「あのー、すいません何言っているのかよく分からなかったのですが」
「ん?事実をそのまま説明した筈だが。
これ以上その辺を説明すると長くなるし今の所は省略しても構わないだろう。
その、燈馬想をブレーンとした要人と言うのが民主化運動時代もシンボル的存在だった、
過去の民主主義政権でも閣僚を務め留学の経験もあるインテリ。実に聡明な美人だった」

「やっぱりそこですか」
「うん。その美人が」
「美人にこだわるんですか?」

「重要な事だ。その聡明な美人が特にスカウトした以上、
下世話な噂も無いでは無かったが彼は十分な働きをしたと思う。
彼は十分な働きをした、が、時間がそれを許さなかった」
「何か、あったんですね」

「国内外の利権の坩堝と化していた大規模開発事業のアセスメントに重大な瑕疵がある。
貴重な生態系、文化財への致命的なダメージを意図的に隠蔽している。
その様な内容の報告書、最早告発と言ってもいい。その様な文書がイギリス経由で世界に公表された。
それにより、世界的権威と言われた何人もの学者が、
控え目に言っても開発側への度の過ぎる迎合を指弾され、その世界から抹殺された」
137 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 14:00:19.31 ID:q3Cr0rec0
>>136

「買収、ですか」
「脅迫もあったらしいが、学者としてやってしまった事を考えると」

湯川は無念な面持ちで首を横に振る。

「でも、それだけの世界的権威を批判したって事ですよね?
学界は色々としがらみとか閉鎖的って私の偏見ですか?」

「いや、残念ながらそれは否定し難い事だ。
あちらの学界の事を詳しく知っている訳ではないが、僕の聞いた話では、公表された報告書を書いたのは、
その世界ではサインがそのまま真実として通用してしまう程の権威だったらしい。

そして、その内容は些かもその権威を裏切るものではない、
確たる知識と洞察力、徹底的に綿密なフィールド・ワークに裏打ちされた、
詰まらぬ金や権力、飾りの権威でどうこう出来るものではない素晴らしいものだった。そう聞いている」

「いるものなんですねぇ」

湯川の褒め言葉に、内海ははーっと関心した態度で応じた。

「その結果、開発事業に関わった各国では学術的にも経済的にも蜂の巣を突いた様な騒動になったが、
一番の問題はその国の方だ。国際世論が沸騰したばかりか文字通りの内戦になってしまった」
「それで、燈馬想は」
「内戦が収束して随分経ってから、生きていたメールアドレスに僕が渡米の予定を報せたら、
一緒に飲みたい、と言って来たよ。彼にしては珍しい事だったな」
「友人、そうだったんですね」

「ああ、そうだった。その友人の名誉のために言っておくが、彼は数字と人間を混同する愚か者ではない。
それに、その国にもアメリカその他にも、信頼出来る人脈をいくつも持っていた。
性急過ぎると思われる政策に対しては、メジャーの意に反する事でも、
むしろ後々の問題が大きいと予測される数字を確かな所に根回しして調整に腐心していたらしい。
それでも、数字が現実となる、それによって多くの子どもが救われる、その事の魔力を彼は否定しなかった」

「それが、正しい報告によって、うまくいかないものなんですね」
138 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 14:02:44.62 ID:q3Cr0rec0
>>137

「イギリスからの報告以来、彼は信頼のおける要人の特使として事態の収拾に奔走していたらしい。
せめて国内で公正な処置をする、それが一番だと国内を説得し無闇な外部介入を押さえる、
そのための時間を稼ぐ絶望的な交渉だったともね。

だが、燈馬想がついていた政府要人は外遊中に巨額の契約の大前提が引っ繰り返った事で
スポンサーの各国政府やメジャーとの交渉のためヨーロッパに釘付け。

燈馬想は国中を奔走する中で何者かに拉致されて海賊船に監禁された。
公海上で保護された時には内戦が勃発していた。
彼の事を懸念した友人と早々にあの国を見限って深入りを恐れたメジャーが手回ししたらしいが、
彼にとってはいい事だった、と言うべきなのだろうな」

「拉致監禁されてる間に内戦、ですからね…」

「開発事業の中止で経済的に大打撃を受ける内外の勢力が国粋主義を称して武装蜂起した。
一連の流れを国外の陰謀による侵略行為であると表明して、
従来の政府議会報道をそれに協力するスパイとして武装占拠、監禁、中には殺された者もいた。
燈馬想がそこに残っていたらまず同じ目に遭っていた筈だ。

内戦自体は比較的短期間で収拾したが、彼の同僚、友人知人も少なからず犠牲になった。
ウィスキーを舐めながらそんな事を冷静に話していた。私は聞いていただけだった。
それだけでも、少しは楽になったのだと信じたい」

 ×     ×

「内外に受けの良かった私をシャッポにする腹で、
敢えて外遊中の私を秘かに拉致して何等かの手段で言う事を聞かせようとしたみたいね。
もうそんな段階じゃなくなってたし、私も安く見られたものだわ」
「でも、外遊中とはいえ、よく無事に逃れましたね。
むしろ欧米の側でも莫大な利権を諦め切れない勢力がこの際力押しして強奪しようと動いていた筈」

「燈馬の人徳、かしらね。彼を案じた人脈の要請で、
超大国のトップすら左右すると噂されるとある国際的な情報機関が動き出していた。
本国中央での決起は痛恨時だったけど燈馬や私、他にも致命的な第二波はそれによって最小限に回避出来た。
愚か者達に使われたゴロツキが血迷って、再調査に訪れていた欧米の学者やジャーナリストを手に掛けた。
国にとっても人道的にも本当に痛恨時でしたが、これによって臨時政府とやらの命運は早々に決していました」
139 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 14:05:08.35 ID:q3Cr0rec0
>>138

「欧米諸国や国連から軍事介入の警告を受けて、
元々上層部にインテリの多かった正規軍の主流は亡命政府に帰順。
圧倒的な兵力差を前に臨時政府は早々に瓦解。臨時政府メンバーにはICCによる逮捕状が出された上に、
EU圏内で逮捕されて自国民殺害を主張する加盟国の起訴が優先されたケース、
欧米の背後関係追及は中心人物の自殺で暗礁に乗り上げたと言うのも実際でしたが、
ほとんどが戦死者も含めて国内の法廷で、おおよそ法と証拠に基づき公正に裁かれたと理解しています」

「有り難うございます」
「最後に、敢えて不愉快な質問をお許し下さい」
「何かしら?」
「裏で、とは言え全くの余所者である彼をそこまで重用した。
その事に就いて一部に聞かれた下世話な風聞について」
「本当に下世話な風評!」
「失礼しました」

「白状しておきましょう。あの頃、信頼出来る仲間はいたけど、日々が戦いと駆け引き、探り合いだった。
その中で、彼は最も身近で最も誠実な男性だった。
そんな言い訳を抜きにしても彼が魅力的な男性で、そういう気持ちが無かった、と言うのは嘘になる。
お互い独り身、お酒の勢いで際どく迫った事もあった。
だけど、彼は紳士を貫いた。私の女のプライドが木っ端微塵になるだけだった。
でも、それも仕方のない事。女として彼を見ていればすぐに分かる。
私なんかが入り込む、そんな気の迷いすらあり得ないものだったとね」

その、まだまだ現役ど真ん中、衰えを見せぬ悪戯っぽくも妖艶な笑みは、
燈馬想の金剛石にも勝る克己心を証明するに十分過ぎるものだった。

 ×     ×

「共に論理的に真実を解明して天才と呼ばれる程の成果を上げて、
丸でライバルですね」
「僕は、彼の事をライバルだと思った事はない」

中華レストランの円卓で、湯川は内海の言葉を一蹴した。

「そもそも、物理学者と数学者では答えに辿り着くまでのアプローチが正反対だ。
物理学者は観察し、仮説を立てて実験によって実証していく。
数学者は全て頭の中でシュミレートしていく」

「ふーん」
「お前、全然分かってないだろう?」
「草薙さんは分かっているんですか?」
「うーん、ジャスミンの香り」
140 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 14:07:53.36 ID:q3Cr0rec0
>>139

「つまり、数学者は問題を様々な角度から見る事で謎の正体を明らかにしていく訳だ」
「燈馬想も似た様な事を言っていましたね。
工場にいる学生から数学の事を聞かれていたんですけど、
少し見方を変えれば解ける筈だって。えーと、なんだっけ…」
「幾何の問題に見えて関数の問題」
「彼らしいな」

草薙の言葉に、湯川は笑みをこぼしてそう言った。

「そう、単純な引っかけ問題。私の中学にもいたな…」
「さっきのコピーを見せてくれ」

内海の言葉を遮る様にそう言った湯川の顔からは、既に笑みが消えていた。

「燈馬想の勤務表だ」

草薙がそれに応じると、湯川は奪い取る様にそれに目を通す。

「湯川?」
「湯川先生?」
「…いや、なんでもない。今夜は本当にご馳走になってもいいのか?」
「あ、ああ」
「ご馳走さん。では失礼する」

湯川と対しているのが刑事でなくとも、
誰が見てもコピーを返却して立ち上がった湯川の言動は嘘に塗り固められていた。

「湯川先生!?」

早足で店を後にした湯川を内海が追跡する。
内海が叫んだ時には、湯川の姿は雑踏に消えていた。

 ×     ×

少々年季の入った七面鳥をワンショット。
手元が狂う様な作業でも無し、酒でも呑まなければやってられない。
バーボンのショットグラスで唇を湿した辺りで、いい加減電話がしつこく思えて来た。
141 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/08(土) 14:11:34.09 ID:q3Cr0rec0
>>140

「はい、燈馬です」

想は、鳴り続ける固定電話を取った。

「湯川だ」

即座に、想は気の緩みを後悔する。だった今から最高レヴェルの頭脳労働を要求されるのだから。

「君と、話がしたい」
「すいません、今夜は少し忙しいもので」
「いつなら会える?」

想は、敢えて送話口を塞ぎ、ごくりとショットグラスの中身を喉に通した。
静かな、だが、踏み込んで来る湯川の口調。緊迫感すら漂っている。
かつての経験からも、これは楽観できる状況ではない。
デジカメを接続したプリンターの音が部屋に響く。電話の相手が相手だ、今は思考を乱されなくはない。
まして、そのプリント自体が余り愉快ではない、となれば尚更だ。

「湯川さん」
「ん?」
「まだ、運動は続けていますか?バドミントンでしたか?
以前会った時には相当な身体能力でした」
「ああ、まあ研究の合間に多少はね」
「そうですか。それでは、今度の週末、一緒に空を飛びませんか?」

今回はここまでです。
続きは折を見て。
142 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/08(土) 23:30:50.20 ID:7UwV6YPP0
ナオミが燈馬の何を調べようとしてるのかイマイチ見えてこないなー
そして森羅つええww
143 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/13(木) 01:24:00.21 ID:xoaMC/Wa0
それでは今回の投下、入ります。

>>141

 ×     ×

「これがニュートラルポジション、
ジャンプ中の基本姿勢になります」

週末土曜日、スカイダイビング教室に参加した湯川学は、快晴の空の下ボードの上に腹ばいに乗っていた。

「もうちょっと体を反らして、はい、いい感じですね」

インストラクターの指示通り、湯川はより一層スルメの様に胴体から手足を反らす。

「他の人もやってみて下さい」

 ×     ×

「マンハッタン、バーボンとオリーブで」
「やあ」

夜、想がホテルのラウンジバーで注文を告げた所で、
背後から湯川が声を掛けた。

「湯川さん」
「ここに入るのが見えたものでね。僕もバーボン、ロックで」

湯川が横に倒した指を示しながら想の隣に座る。

 ×     ×

クリスマス前に賑わう街中で、
可奈は小走りでケーキ屋の喫茶コーナーのテーブル席を訪れた。

「ごめんね、急に連絡して」
「いえ」

席に就いた可奈の前で、工藤は一通の白い封筒を取り出した。
144 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/13(木) 01:26:16.70 ID:xoaMC/Wa0
>>143

「こんなものがうちの郵便受けに入ってた」

封筒の表面には、無機質な印刷文字で「工藤邦明様」とだけ書かれている。
可奈は無地の封筒を開く。

その中の、一見してどこにでもある紙片
そこに同じ書体で書かれていたのは、

水原可奈に近づくな
彼女を幸せにできるのはお前の様な男ではない

可奈は、息を呑んだ。封筒にはもう一つ、一葉の写真が入っている。
それは、以前工藤と夕食を共にしたホテルのイタリアレストラン、
その二人の食事を窓の外から撮影したものだった。

「可奈ちゃん?」
「は、はい」
「大丈夫?」
「は、はい。ごめんなさい」

「最近、自宅に何度か無言電話も掛かってきている。
何か、心当たりは無いかな?」
「心当たり、ですか?」
「うん。もしかしたらあの事件に関係する事とか」
「あの、事件…」

「可奈ちゃんを疑ってる訳じゃない。
でも、実際に殺人事件に続いてだ、何か、少しでも心当たりがあるなら教えて欲しいんだ。
僕に出来る事ならなんでも力になる。そのつもりだから」

 ×     ×

上海の古いビル、南空ナオミはその地下に伸びる階段を進む。
ドアを開けて薄暗いバーに足を踏み入れる。

「ジン・トニックを」

そう言いながらナオミは止まり木に着席し、グラスを受け取って喉を潤す。
それから、ナオミは隣の男性に声を掛ける。
145 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/13(木) 01:28:50.47 ID:xoaMC/Wa0
>>144

「大都会のど真ん中でブルーライトをクロスさせる、
お痛じゃ済まないわね。一つ間違えたら普通に刑事事件になる」

その、無難な勤め人風の白人男性は、素知らぬ顔でロックを傾ける。

「リレ・ブランがあるのね」

ナオミが棚に視線を移した。

「ヴェスパーを」
「かしこまりました」

注文通りの飲物を一口二口。それから口を開く。

「それを収拾してもらったんだから恩義もわく。
得体の知れないルポライターの素性ぐらい教えたくもなるわね。
もっとも、こっちも本気で潜るつもりならもう少し考えてたけど。
あの時ストックホルムにいたわね」

 ×     ×

「しかし、君にこんな趣味があるとはね」

ロックで唇を湿した湯川が言った。

「ええ、昔の知り合いがいまして、それで時々」
「なるほど。風圧浮力重力、極めて科学的なスポーツだ実に面白い」
「そう言っていただけると思っていました」

想が、にこっと笑ってマンハッタンの残りを飲み干す。

「明日、酒は大丈夫なのか?」
「まだ早いですから軽く、寝酒ですよ。エッグノッグ、もらえますか」
「エッグノッグ、南部の祝い酒だったか。あちらで覚えたのか?」
「そうですね」

湯川の問いに、想がふっと笑みを浮かべる。
146 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/13(木) 01:31:40.07 ID:xoaMC/Wa0
>>145

「うん、いいチーズだ」
「湯川さんは相変わらず健康的ですね。
僕なんかちょっとさぼると体がガチガチであの様ですよ。湯川さん、料理などもするんですか?」

ロックを傾けてアテを口にする湯川の隣で、
エッグノッグを受け取りながら想が尋ねた。

「たまにね」
「そうですか」

返答した想が、ふっと笑みを浮かべる。
キッチンに立つ湯川の姿を想像するに、火加減や調味料を難しい顔で調整するその姿は
科学実験以外の何物にも見えないだろう。

「酒しかりチーズしかり、ちょうどいい熟成に至るための微生物、温度、年月、
かつて、火事で焼け出されたウィスキー樽から芳醇な液体が現れたのがバーボンだと言う。
無駄な実験は存在しないという証左だ。
料理とは材料の切断、温度の加え方、時間、実に科学的な作業だ」

「ですね」
「理解が早くて助かる」
「僕の知り合いにも、似た様な思考回路で素晴らしく上手にマスターした人がいますから。
美味しいエッグノッグを作ってくれました。眠れぬ夜に丁度いい。それでは、又明日」
「ああ」

 ×     ×

「お帰り」
「ただ今」

努めていつも通り、といきたい所だが無理があるのは自分でも分かる。
とにもかくにも、可奈は帰宅していた。

「カレー作ったんだけど、食べる?」
「うん」

いい娘に育った。本当にそう思う。
147 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/13(木) 01:34:51.02 ID:xoaMC/Wa0
>>146

「又、あの人に会ってたの?」
「昔お世話になった人だからね」

可奈は作り笑いと共に、ご飯をよそっている美里に答える。

「そんな事してたら、燈馬さんに嫌われちゃうよ」

美里は、努めて気楽な口調を作っている。
年頃の娘が一丁前に独身の母親の色恋に口を出そうと、本来なら微笑ましい事だ。

「燈馬さんが味方してくれるのはお母さん…」
「ん、分かってる。食べよう」
「うん」

まだまだ、水原可奈の笑顔は強かった。
だが、決着の時が近づいている、その事は可奈にも分かっている。
ダシ巻き卵一個で引っ張り回していたあの頃とは違う。

計算すら必要としない論理的帰結として、彼の気持ちに関する通俗的な定義など分かり切っている。
しかも、そのために彼が払った代償が代償だ。
お人好しに考えるなら、想がそんな事で可奈を縛り付ける、それを信じたくない。その気持ちはある。
だが、人は変わる。それはこの歳まで少しは泥水の中で生きていれば嫌でも実感する。
現実的に考える時、なのかも知れない。

 ×     ×

「しまいに内戦に巻き込まれて各国の利権紛争のただ中を逃れてストックホルムに潜伏していた。
それを見過ごしていたのならラングレーは間抜け揃いと言う事になる。
知らない相手ではない、しかも国家的と言ってもいい分野で関わっていたのなら尚の事。
当時あの辺りでは女王陛下の海軍の使いもうろついていた」

そこまで言って、ナオミはシャンパングラスの中の残りをぐっと呑み込む。

「らしいな。まあ、彼も慎重だった。さすがにこちらの目はごまかせはしなかったが、
彼もその辺の事は織り込み済みの行動だっただろう」

男がようやく口を開く。
元々、ナオミは現職時代も退職後は実質的なボスの関係もあって、この男とは知らない関係ではない。
148 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/13(木) 01:37:37.15 ID:xoaMC/Wa0
>>147

「やはり、距離をおくため?」
「それもある。だが、治療、静養と言うのも本当の所だ」
「それは肉体的な?」

「外傷性ストレス障害。何人もの知人を亡くし、やらせに近いものとは言えそれは本人の知らない事で
海賊船に拉致監禁されたら、それは人として当然の反応だ。
もっとも、治療を強く勧めたのはDr.の方だったらしいがな」
「カウンセリングを受けながら彼女の下で潜伏していた」

「Dr.も先端技術の開発に関わって、産業界軍需引いては政治、
国内外にそれなり以上に厄介な人脈を持っていて、そのコネを惜しげもなくフルに使ったモンさ。
こっちも、まあ実際保護するつもりだったがそれなりに苦労させられた」
「保護が目的だった?確かにあなた達はその方向で動いていたみたいだけど」

「彼自身は一時的な亡命に近い意味合いでの滞在でもあった。それは確かだ。
元来そういう風に他人に頼るタイプではないが、あの時は身の安全、特に自分の周囲の安全のためにも
Dr.と言うカードを使うのは仕方がなかったのだろう。
そもそも、親しい相手であればこそ、迂闊に誰かに喋る事も出来ない。相手の身が危なくなる」
「心に溜まる一方ね」

「その意味でも、相応の人脈を持っていて、それでいて分を弁えているとあれば最良の隠れ家だ。
そうして当面の安全を確保しつつ、彼自身の代理人となり得る人脈に
最新鋭の暗号で注意深く連絡を取って事態を注視していた」

「内戦から脱出した後も、安全とは言えなかった」
「アメリカの関係者は二分された。はっきり言おう、彼を守るか、殺すか。
あの国の利権は巨大で彼自身の人脈も小さいものではない。
一時は巨大な力と力が膠着状態になった程だ」

 ×     ×

「おいっ、財産分与が必要なら今の内に弁護士探しておけよ。
最悪ガレージからやり直しだ。
今更もらいっぱなしじゃあ済まさないからな政治屋共。
これは投資だ。貸しは頼まれなくても作っておくモンだ。そうすりゃいつかどれかがリターンになる。
貴重な人材なら尚の事だ」
149 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/13(木) 01:40:40.68 ID:xoaMC/Wa0
>>148

 ×     ×

「結論を言えば彼は勝利した。我々は早い段階でそっちについていたがね。
最後まで彼の抹殺に執念を燃やしていたメジャー、元の雇い主でもあったが、それは文字通り消滅した」
「それは、アメリカから世界を揺るがす経済ニュースだった」

「どういう訳か株価が急落して、焦って禁断の果実に手を付けた所がSECの紐付きだった。
お陰さんで暗殺指令の張本人共は雁首揃えて株主から身ぐるみ剥がされた上に懲役三桁の刑務所行きだ」
「それを、彼が?」
「さすがに彼個人、となるとちょっと違うだろうな。それを頼めるとも思わないだろう。
だが、彼や君の国にもこういう言葉もあるんだろう?

情けは人のためならず
虎の尾を踏む

彼の抹殺に執念を燃やしていた、その事をどこかで聞いて何か思う所でもあったのだろうが
詮索する事はお勧めしない」

 ×     ×

「お早う」
「早いですね」

ダイビングクラブ「スターダスト」クラブハウスの中で、
先着していた想が入って来た湯川と挨拶を交わす。
クラブハウスと言ってもプレハブの小屋が一つ。
想はこの「スターダスト」の客分とでも言うべき立場だった。

「まさか、スカイダイビングに誘われるとは思わなかったよ」
「今飛ばないと、もう一生機会が無いかも知れませんから」
「どういう意味だ?」
「警察が仕事場に来ましたよ」
「警察が君を疑う根拠はほとんどない」
「疑っているのは湯川さん、あなたでしょう?」

想が、湯川の横顔にふっと笑みを向ける。
150 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/13(木) 01:43:25.71 ID:xoaMC/Wa0
>>149

「面白い話を聞いたよ。君は、工場で数学の話をしていたそうだな。
幾何の問題と見せて実は関数の問題。
つまり、思い込みの盲点を突く。その話を聞いた時、彼らの事を思い出したよ。
君が毎朝見るホームレス達だ」

湯川の話を聞きながら、想は再び顔を伏せている。

「彼らは時計の様に正確に生きている。あの時の君の言葉を、僕は取り違えていた様だ。
君が言いたかったのは、ホームレスの彼らでさえ、
時計の部品の様に何かの歯車になる役割を背負っている。違うか?」
「随分遠回しな言い方をするんですね、あなたらしくもない」

「もうおしまいだ、燈馬想」
「どうですかね、本当は最後まで証明出来ていないんじゃないですか?
はっきりと湯川さんの推理を言ったらどうですか?」
「君が、友人だからだ」
「僕に、友人は…」

言いかけた想の口から、ふっと笑みがこぼれた。

「おお、いたな。そろそろ時間やで」
「そうですね」

入って来たインストラクターの言葉を聞き、想がむっくりと立ち上がった。

「湯川さん」

想が、湯川にパラシュートを渡す。

今回はここまでです。続きは折を見て。
151 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(佐賀県) [sage]:2012/09/13(木) 03:25:50.47 ID:frGmUIepo
スカイダイビングで追い込みかけられる立場か
152 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/14(金) 14:33:42.63 ID:tM2ZbihN0
それでは今回の投下、入ります。

>>150

 ×     ×

「気分はいかがですか?」
「宙に浮いた様だ」

着地地点で湯川の言葉を聞き、想は珍しく、本当に珍しく体を反らせて快活な笑い声を上げた。

「それは、地に潜ってはいませんね。宙に浮く、その通りです」
「そら、ホンマに宙に浮いとったんやからなぁ」

一緒に飛んだ、想の旧知のインストラクターである諸川が想に続いた。

「しかし、見事なモンやであんた、未だに硬さの抜けんこいつよりずっと筋がいい。
額に飾っておきたいぐらいのファーストジャンプやったで」
「それはどうも。やはり、条件が揃えば宙に浮く。実に論理的だ」
「湯川さん」

諸川が離れた頃合に、笑い終えた想がすっと湯川に近づく。

「あの問題を解いても誰も幸せにはならないんです。
もう忘れて下さい」

湯川が振り返った時には、想は湯川と諸川の中間地点で湯川に背を向けていた。
153 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/14(金) 14:36:15.69 ID:tM2ZbihN0
>>152

 ×     ×

「湯川」

帰路につこうと言う時、湯川に声を掛けたのは草薙だった。

「パラシュート、特に細工らしいものは見付からなかったよ」
「だろうな。犯人の特定が容易だ、条件が悪過ぎる。彼はそんな愚かな事はしない」
「だが、やろうと思えば出来た、だろう?」

「ああ、彼からの誘いを受けて、急遽スカイダイビングに就いて確認した。
初心者相手なら極めて高い確率で殺害する事が出来る。それでいて、開いてしまえば証拠が残らない。
そういう殺害方法が論理的に可能であるから君に頼んでおいた訳だ」

「お前が地上ですり替えておいたパラシュートからその仕掛けが見付かれば、
そのまま殺人未遂で引っ張る事が出来たんだがな」
「済まない、無駄足を踏ませた様だな」
「らしくないな、無駄な実験など存在しない、だろ」

そう言って、草薙は用紙の束を差し出す。

「調べた所、過去にそういう事件が実際に発生していた。
これが、当時の記録をまとめたものだ」
「…実に興味深い」

 ×     ×

「いらっしゃいませー」

朝、元気のいい挨拶を聞き、想はすたすたとカウンターに近づく。

「おはようございます」
「はい、お早うございます」

可奈は、一見営業スマイルでにっこり微笑み挨拶を返す。
154 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/14(金) 14:38:49.35 ID:tM2ZbihN0
>>153

「お任せ一つ」
「はい。お任せはいりまーす」

いつも通り、想は弁当を購入して店を後にする。
店を出た想は、途中でコンビニに寄り便所に入り施錠する。
そこで、弁当の袋の中から、可奈が目で示して滑り込ませていた一枚の紙片を取り出す。
折り畳まれた紙片を開く。取り敢えず、店のバックヤードで覆面男が拳銃を手にしていた訳ではないらしい。

「二人で話がしたい。連絡を欲しい」

便器に放り込もうとした手を止め、想はそのメモ用紙を自分の口から胃袋に呑み込んだ。

 ×     ×

「燈馬君」

仕事が引けてから、可奈は地元を離れたビジネスホテルの喫茶店を訪れていた。
テーブル席で、想が一人静かに珈琲を傾けている。
こうして見ると、どこにでもいる会社員と言ってもいい光景だ。
その声を聞き、想は伝票を手に立ち上がる。

「燈馬君?」
「行きましょうか」

支払いを負えた想が静かに言った。
155 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/14(金) 14:41:27.09 ID:tM2ZbihN0
>>154

 ×     ×

無言で先に進む想を可奈が追う。
その内、想は鍵を取り出してホテルの客室に入った。
確かに、二人で話すためには合理的なやり方ではある。
無言で先に進んだ想は、部屋の真ん中に立っていた。
想に倣い、可奈も手近にコートを置く。

「燈馬君」

屍では無いが返事は無い。

「燈馬君、工藤さんに手紙、出したの?」

返事は無い。

「どうして黙ってるの?否定しないの?」

燈馬は、只斜め下に視線を落とし、黙って立っている。

「答えてっ!」

可奈の叫び声に、初めて反応した様に想は可奈を見た。
それは、静かな眼差しだった。

「お願い、燈馬君、答えて。
今まではそれで良かった。燈馬君が考えて結論出して。
でも、今回は。お願い、燈馬君が何考えてるのか教えて」

何かが壊れてしまいそうだった。だからなのか、泣き出しそうな声だった。
突如として、想がこんなに遠くなっている。
ついこないだ、事件の後ですらも、いや、共犯だからこそ、
あの頃と同じ、そんな感覚すら覚えていたのに。
156 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/14(金) 14:44:00.86 ID:tM2ZbihN0
>>155

「…しく…ない…」
「え?」
「…いで…しないで…ね…がいなんか…」
「何?燈馬君?燈馬君。私、私だって立場分かってるしあの時と同じじゃ済まない、そんな事分かってる。
だから、だから一回、きちんと話しをして、ね。燈馬君が何を望んで、それで、私…え?」

可奈の手は、想の両肩を掴んでいた。
それを揺すぶる前に、想は可奈の右手を取り肩から外す。
これでやっぱり男の手、意外と力強い。

「え?え?」

見知らぬ天井が見えた。
想に引っ張られたかと思ったら、背中がベッドに弾んでいた。
そして、目の前の想がどんどん近くなる。

「ち、ちょっ、と?ちょっ!?」

想が、覆い被さって来た。
取り敢えず余所行きと言う事で着替えて来たブラウスのボタンが飛ぶ。
可奈は口をぱくぱくとさせるがそれが声にならない。

「やっ、ちょやっ!」

スカートの脚と脚の間に脚が絡んで押さえ付けられる。
素肌の上半身に掌の感触が走る。

「いっ!?」

背中に鋭い痛み、これは爪を立てられた、多分下着のホックに手こずっているのだろう、と、
可奈は妙に冷静に見当を付けていた。或いは、想らしい、と。
157 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/14(金) 14:46:35.35 ID:tM2ZbihN0
>>156

「つっ」

まだ防備解除の終わっていない胸にも似た様な感触が別の感触と共に走る。
不器用と言うか乱暴というか。
悲しいと言うのかなんなのか、とにかく、やけに他人事だ。熱い感触が頬を伝っている事も含めて。

そうやって、いつしか人形の様に横たわっていた可奈は、
ようやく体が軽くなっている事に気付く。
しかし、今の自分の状態をどう客観的に見ても、
人並みの経験値の女性としてこの状態を見るに、どう見ても序の口でしかない筈だ。

辛うじて動いた目が、黙って部屋を出て行った想の姿を捉えていた。
服を取り繕い、コートを引っかけて廊下に出ると、既に想の姿はそこには無かった。
可奈がフロントに駆け付けると、想が鍵を返却しているのが辛うじて視界に入る。
ホテルを出た可奈は、タクシーで走り去る想を黙って見送り、呆然と立ち尽くしていた。

 ×     ×

広くて熱い湯船はやはり気持ちがいい、日本文化万歳だ。
湯船で体を延ばしながら、南空ナオミは実感する。
こうしていると、考えをまとめるのにも具合がいい。
精々湯あたりをしない様に気を付けないといけない。
まずは、つい先頃、ほど近い餡蜜屋で聞いた話を頭の中で反芻する。

今回はここまでです。続きは折を見て。
158 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/15(土) 01:15:10.43 ID:2ORy7W7L0
最後の参考画像はよ

それはともかく、今回の燈馬は岸崎老人かな
にしては方法が過激だが…
159 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/16(日) 04:00:19.79 ID:ilAygl1s0
では、今回の投下、入ります。

>>157

 ×     ×

「CIAに聞かれたよ、想兄ちゃんの居所を知らないかって」
「燈馬さんの?」
「うん。あの国にいたんだって」
「あの国って、それじゃあまさか内戦に巻き込まれて…」
「元々は研究所の仕事で来てたんだけど、
政府の上の人に頼まれて私的なブレーンとしてあの国の運営そのものに関わってた、って」
「そう、あの人ならそういう事も。でも、居所って、あの国は…」

「うん。内戦状態になって、想兄ちゃんの居場所、彼らは僕に聞いて来た。
あの騒動、僕と想兄ちゃんが組んで仕掛けたと思ってたよ。
無理もないよね、僕はあの国にいた事すら知らなかったのに」
「どこにいるのか、分からないの?」

「その話を聞いて、あの国や想兄ちゃんに関わる知り合いに連絡を取った。
想兄ちゃん僕の報告書の発表の後、混乱の収拾のために政府の立場であの国の中で奔走してた。
そのまま、どこにいるか分からなくなった、って、そこまでしか分からない。
前に言ってたよね、水原さんと連絡が取れなくなった、って」
「うん」

「僕の所に届いたのは命懸けの内部告発だった。
関係して表面化したものだけでも幾つも事件が発生して、巨大な背景が見え隠れして、
鯨崎警部もビア警部も、理不尽な圧力には職を賭して抗って」
「うん」
「届いたデータだけでも、下調べの段階でいよいよ容易ならざる事態だって分かった。
現地の実力者、多国籍企業、幾つもの政府レベルの利害に
世界的権威と言われる、尊敬してた、学者も関わって。
あれは、絶対消しちゃいけない、絶対に、消したらいけないものだったんだ」
「うん」

「だから僕は、ごく一部の協力者、記録者だけを頼った極秘調査を選んだ。
相手側にも現地の軍閥と世界的な権威がついてる。
正面から指輪を使っても泥仕合をやっている間に相手は取り返しの付かない事をやりかねない。
だから、今回だけは黙って」
「うん、心配した。一年連絡がなかったら、なんて書き置きだけ残されて」
160 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/16(日) 04:02:52.85 ID:ilAygl1s0
>>159

「確実な証拠を押さえて指輪の力で一挙に公表する。
あの国の中央政府には国際協調派のインテリも多い、各国政府や有力NGO、研究者も黙ってはいない。
言い訳の聞かない状態で国際的な監視下に置く、
それが一番、それしか方法は無い、僕はそう思った。そして、実行した」
「うん」

「結果、内戦になった。いい気分では無かったけどあれだけの利害が関係していた以上、
それも予測された事。困難だけど、それを避ける道は残しておいた筈、
後は向こうの選択の問題。正直、ここまで愚かだとは思わなかった、そうも思った。
それぐらい愚かな選択だったから早期に終結して、僕が守ろうとしたものは、守られた」
「うん。確か、国連や外国の議会でも発言したんだったよね」

「ありのままを説明して理解を求めて、それも上手くいったと思う。
あの国だって、むしろ内戦によって開発バブルやそれによる腐敗の膿を吐き出して、
それを上手にコントロールした、基本的にあの国の人達は聡明だったから。
僕は、その健康体になるきっかけを作った。それが歴史的に正しい評価だと、
もちろん人が傷ついたり死んだりするのは嫌だけど…」

「日本人は内戦を美化し過ぎ、それは歴史の1ページ。
分かってる。綺麗な事も醜い事も呑み込んで、生も死も、
その中でも最善を尽くしたんだ、って。
森羅はいつも、指輪の力があっても辛い事も、思い通りにならない事もあった、だけど、
それでも、それでも信念を持って森羅は精一杯…」

「でも、想兄ちゃんが、いたんだ」
「それは」

「想兄ちゃんがいたんだ。想兄ちゃんが中にいたんならあんな事に、
想兄ちゃんに話を通していれば、いたんだよ、あそこに想兄ちゃん。
いないんだ、想兄ちゃんいないんだ、
いないんだよ想兄ちゃんいないんだよどこにもいないんだよっ!!」

 ×     ×

つい先頃、ほど近い餡蜜屋で話した事を思い返す。

「燈馬さんは陰のブレーン、森羅は森羅で最初から大がかりな妨害がありそうだって事で、
現地調査から公表までずっと潜伏してた」
「結果、お互いがお互いの行動を」
「知らなかった」
161 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/16(日) 04:05:27.18 ID:ilAygl1s0
>>160

「それを知ったのは、接触があったから?」
「ええ、結論を言えばCIAから、その人達もその時は燈馬さんの事を把握出来てなくて、
森羅なら知ってるって見当を付けて来たみたい、
って言うか最初から連んでたって考えてた。
まあ、同じ時期にあの二人が、だから無理も無いんだけど」
「だけど、実際は知らなかった」

その問いに、首を縦に振って応ずる。

「既に内戦に突入し彼の所在は分からず最悪の情報もほぼ確定的に」

その時の事を、立樹はよく覚えている、忘れられる筈が無い。
美しきも醜きも等しく収集する博物学への確たる信念。一方で直情的で涙もろい。
そのタフさと繊細さを釣り合わせていた天秤は横殴りにされて大きく揺れていた。

掛けられていたバチカンの近衛兵の制服にくどくどと話を続けていたその後、
立樹が止めていなければ、博物館が半壊ぐらいしたのでは、と言う程に。
忘れられる筈が無い。七瀬立樹の生涯に於いて決して忘れられないあの日の事を。

「分かったのは森羅の研究者の伝手からだった。
そこから、色々あってスウェーデンにいる燈馬さんの友人の伝手で潜伏している、そういう情報が届いて。
いてもたってもいられないって、すぐに飛び出して行きたかったんだと思う。
だけどそこは慎重を期して、
確実な知り合いを通じて極秘にその燈馬さんの友人とコンタクトして許可を取って」
「そして、駆け付けた。あなたと榊森羅は」

 ×     ×

「ごめん」
「何を謝ってるんだ?」
「知らなかったんだ、想兄ちゃんがあんな風に関わってたなんて」
「知ってたらどうした?論文の結論が変わったのか?
筆を曲げ考古学会生物学会の恥として彼らと共に不滅の名前を残したのか?」

「そんなっ、只、想兄ちゃんと話して、もっと上手く…」
「あの時、僕は良心を制限される立場にいた。
事前に知っていたらねじ曲げる方向に動いていたかも知れない。
そこまでいかなくても解決を先延ばしにしていたかも」
「想兄ちゃんがそんな事する訳ないだろっ!」
162 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/16(日) 04:08:00.71 ID:ilAygl1s0
>>161

「そういう立場にいた僕と接触する事自体が問題なんだ。
疑われるだけでも指輪を汚す事になったかも知れない」
「それは…でも…」

「今まで、利害の対立する現場にも立ち会って来た筈だ。
指輪の使命のために、人を傷付ける事もあった筈だ。
それとも、その程度の覚悟で指輪を振り翳して来たのか?」
「違うっ!そうだよ、今まで深刻な利害の対立にも立ち会って来た、
指輪の使命のために同情したい人を傷付けた事も、武力紛争に関わった事だってある。
だけど、好きこのんで他人を傷付けたりはしない。血を流さずに出来るならそれに越した事はない。
使命は決して裏切らない様に、それでもそう思ってやって来たさ!」

「どうしてあんなやり方を選んだ?
あれだけの未発見の山に自分だけの旗を立てたかったのか?
それとも、学界の余りの腐敗に嫌気が差したのか?」

「それは!…うん、僕も博物学者だ、そういう思いがあった事を否定はしないよ。
だけど、そのために無駄な血を流したい、まして武力衝突を引き起こしたいなんて思わない。
あれは、博物学者として人類の遺産として、絶対に無くす事が許されない、そういうものだった。

でも、関係する利害が余りにも大き過ぎて、その上、世界的な権威と言われた学者、
僕が尊敬していた大学者まで、信じられない様な恥ずかしい事を、学問への冒涜を行っていた。
消される前に確実な証拠を押さえて国際的な監視下に置かないと、
取り返しの付かない事をされかねない。知っててそれを許す事こそが指輪への裏切りだ、
あの時はそう思った、だから」

「Q.E.D.
エレガントな証明だ、現実に即した妥当な判断だ、実際に発見されたものと森羅の立場、
政治的経済的な状況、諸々の当時の実情に照らして森羅のその判断に特に瑕疵はない、概ね正しい。
森羅は指輪の守護者として立派に己の役割を全うした。
あの当時政府部内にいて、後からとは言え内部から実情を把握していた僕から見て、
今の森羅の証明のどこに問題があるのかさっぱり分からない。教えてくれないか」

「それは、想兄ちゃんがいた事だ。政府の中に想兄ちゃんがいた。
あの時想兄ちゃんと協力出来ていればもっと上手く、もしかしたら内戦だって回避出来たかも、
想兄ちゃんだって、それが悔しい」

「それは買いかぶりだ。さっきも言った通り僕には僕の立場があった。
率直な実情を言う。あの開発事業に関しては少なくとも僕は騙されていた。
止める立場と見識を持っていた大臣や幹部官僚もそうだった。
その事が責任者として無能だった、と言うならその批判は甘んじて受ける」
163 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/16(日) 04:10:29.82 ID:ilAygl1s0
>>162

「いや、あの地方は現地の有力者と早くから投資していた一部の海外資本が結び付いて
軍閥と言ってもいい勢力を持っていた。軍事政権からの移行、政権与党に与えた影響力も小さくない。
まして、あの国の中でもエリート層の官僚や先進国の大資本、
世界的権威だった学者が組織的に悪質過ぎる改竄を行っていた。
あれだけの政変の後で中央政府のトップクラスに情報が届かなかったのも無理は無い、そう思う」

「実際、あの報告が公表されてからも、少なからぬ官僚があからさまに事実をねじ曲げ続けた。
指輪の権威もそれによって報告された内容もとてもそれが通じる段階ではない、
国際的に信用される対処がなければ国益を害する。
大臣やキャリア官僚の中でも言わば政府中枢の側では概ねその事を理解して懸命の対処を続けていたし
もちろん僕もその方向で内部の進言や関係機関の説得を続けていた。

その意味では、森羅による外圧は狙い通りだったんだ。
だけど、私利私欲だけじゃない、長期的な財源を確保して国庫を満たさなければならない。
それによって国民の飢えや火種を長期的に解決しなければならない。
その事を正義と信じプライオリティーを置く、
そんな真面目で職務熱心な官僚達が中枢部にも決して少なくなかった」

「分かってる。だから…」

「だから、森羅は自分の、指輪に託されたプライオリティーに従った。それでいいんだ。
事前に僕が知っていて、行動した場合、なまじ政府に発言力があるだけに
対処が必要ない事を証明するためにどんな手段が使われたか分からない。
権威ある形で国際的に公表してそれを無力化する。
国際的な監視の中で、それが存在する事を前提とせざるを得ない、そういう枷を政府に填める。
歴史的生物学的、人類共通の財産としての価値を客観的に考えるなら、
それが最もローリスクであり最善の選択肢だった。そう思う」

「分かってる、分かってる。指輪の持ち主として納得しなければならない。
そのために、想兄ちゃんも、想兄ちゃんが働いていた政府も、そこにいた人達…
それも使命だった、その使命のために本当に必要な事なら、
博物学は時には醜く、残酷なものも、そうやって歴史は、そんな事、散々…」
「素晴らしい報告だった」
「想兄ちゃん」

「皮肉でもなんでもない。読ませてもらった。
もしかしたら、森羅の内心では怒りがあったのかも知れない。
だけど、そんな事で自分を見失う程今の森羅はチャチじゃないよ。あの論文を読めば分かる。
指輪にも僕にも恥じない、歴史に残る立派な報告だった。従兄弟として心から誇りに思う。
それだけの価値があったんだ。そうじゃないと、浮かばれないだろ。だから謝ったりするな」
164 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/16(日) 04:13:25.00 ID:ilAygl1s0
>>163

「うん」
「じゃあ、そろそろ。久しぶりに実りのある話が出来て、少し疲れた。
どうやら僕にはまだ当分治療と休息が必要らしい」
「治療、それは内戦で?」
「そういう事になりますね。長い歴史で繰り返された武力紛争、内戦、
一人の人間として、喪った友人や仲間と共に僕はそのただ中にいた」
「PTSD…想兄ちゃん」

「心配はない、回復は順調だ。それに、戦争はまだ終わっていない。これを」
「これは…紹介状?…」

「あの国のフランス大使宛、信頼出来る人物だ。指輪を使えば直接手渡す事も容易だろう。
内戦が終わって、政府はあの開発事業に関して、過去の過ちと今後に就いて検討委員会を設置する。
委員ではなくオブザーバーの方がいい、とも書いておいた。
無論、僕の立場を気にする必要は全く無い。
只、指輪の使命を果たしてくれれば、それに値しないなら席を蹴ってくれても、いや、そうして欲しい。
僕はこんな状態だ。森羅と指輪の良心がそれを許すなら、あの国が自分で立ち直る手助けをして欲しい」

「少しだけ、考えさせて欲しい」
「有り難う。これ以上ここに長居をしていては七瀬さんに迷惑がかかる。七瀬さん」
「はい」

「森羅をお願いします」
「分かりました。森羅」
「うん」
「落ち着いたら一杯飲もう。僕の夢を打ち砕いたものがどれ程美しく偉大なものであったか、
その時ゆっくり講義をしてくれ。いい肴になりそうだ」
「うん」

 ×     ×

「そうそう、その後で、隠れ家から出た所であいつだ!って森羅が言うから、
森羅に妙な事吹き込んだCIAがね」
「やはり、監視していましたか」
「みたいですね。見付かったって気付かれたみたいで、
そのまま300メートルほど追い掛けてとっ捕まえて丁寧に挨拶しておきましたけど」
165 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/16(日) 04:15:59.71 ID:ilAygl1s0
>>164

 ×     ×

広くて熱い湯船はやはり気持ちがいい、日本文化万歳だ。
湯船で体を延ばしながら、南空ナオミは実感する。
こうしていると、考えをまとめるのにも具合がいい。
精々湯あたりをしない様に気を付けないといけない。
大昔、ローマのあの時代にも広い公衆浴場があったと言うから、見る人は見ているものだ。

富樫慎二の捜査情報は裏のルートで手に入れた。
合理的な意図を持った死体の損壊、それでいてチグハグな遺留品の残留状況。
これは「抜けている」と言う類ではない、だとすると、未だに証明できない程の高度な計算。
そして、只のチンピラである富樫慎二の人間関係。

どうも、資料からのプロファイリングとナオミの勘からは、
依頼人にとって余り喜ばしくない結果になりそうだ。
直接の接点である水原可奈との関係を確かめるため、
表向き空白になっている期間も洗い直したが、自分の得た結果は空白だからこそ、
そして、燈馬想と言う男の人となりがどう作り上げられていったか。

ついさっき、内戦と、その発端となった報告書に関わる裏事情をとっくりと聞かせてもらった訳だが、
その時にももっと前、燈馬想のもっと前の話まで聞けたのも思いがけぬ収穫だった。

しかし、何かが引っ掛かる。
かの指輪を許された天才が更に上を行く存在として脱帽する切れ者。
今、自分が調べている事件
二人の容疑者
チグハグなアリバイ
チグハグな遺留品
どうしても一つに収まらない
湯船の真ん中で、お湯が大きく跳ね上がった。
166 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/16(日) 04:18:35.05 ID:ilAygl1s0
>>165

 ×     ×

「いたっ!」

脱衣所に飛び出したナオミは、小さく鋭く叫んでいた。
だが、ナオミが声を掛ける前に、その美しい黒髪はノレンの向こうに姿を消してしまう。
ナオミは追った、追った、追った。

「タツキ!」
「は、はいっ!?」

番台に入った途端に呼び止められ、そちらを向くが早いか胸倉を掴まれて、
さすがに目を白黒させた。

「彼はその時何て言ったっ!?」
「は?」
「もう一度聞かせて。
彼、燈馬想は何て言った!?何と言って指輪を真相へと案内したっ!?」

今回の投下はここまでです。、

>>158
今回もこんな感じですはい、
だから気持ちは分かる、気持ちは痛い程分かるw

続きは折を見て。
167 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:28:17.83 ID:1fyYv7RQ0
では、今回の投下、入ります。

>>166

 ×     ×

テーブル席に座るナオミの前で、鉄板に油が敷かれる。
たっぷりとした荒切りのキャベツが温まった鉄板にドーナツ状に敷き詰められ、
そのドーナツの中空に白い液体生地が流し込まれる。
生地が煮立ち、刻んだ烏賊やら豚やら海老やらのたっぷり混ざったキャベツと生地を混ぜ合わせる。

そこまで終わって、離れる店員にお礼を言ったナオミは、
後はお任せで青のりと共にいい感じに焦げた所をヘラで切り分けて口に運ぶ。
軽くビールを傾けながらの腹ごしらえを終えたナオミは、
立ち上がるとすぐ近くの調理場の方に足を運ぶ。

「すいません」
「お勘定?」

愛想のいいオヤジだ、ここでの商売も長い。

「ちょっと伺いたい事が」

 ×     ×

夕食と聞き込みを終えたナオミは、そのままふらりと下町を歩き、
そのまま近くのビジネスホテルの入る。
フロントに預けておいた鍵を受け取り、自分の客室に。
施錠を確認してコートと鞄を置くと、バスルームに向かう。

12月でも本日は晴天也、冬着で一日上動き回ったら暑いぐらいだった。
ユニットバスで衣服を脱ぎ、バスに入ってシャワーを使う。
丁度一汗流してさっぱりした辺りで、音が聞こえた。

一旦バスを出て、手だけを拭い携帯を確認する。
体を拭いてバスローブ姿でバスルームを出たナオミは、
セミロングの黒髪をバスタオルで拭い終えて椅子に掛けた。
小さな机にノーパソを広げ、起ち上げながらヘッドセットを装着する。
少しの間、ヘッドセット越しに繋がった電話の会話が続く。
168 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:30:41.35 ID:1fyYv7RQ0
>>167

「つまり、当たりって事ね?」
「ええ、X、Y、Z、確かに三人ともあの中にいました。
あれ、日本のニュース番組ですよね。録画してあったんですか?」
「まあ、その辺はね。元々、結構珍しいニュースだったし」

「それで、例の監視カメラ用テロ対策認証システムをぶっ込んだら出て来ました。
XとYはセットですか?」
「そうよ」
「そうですか。認証システムでの一次検索に引っ掛かった顔を拡大して、
まあ、サンプル写真と見た目まんまでしたけど一応照合したら本人でしたよ。
初々しいですね、仲良しカップルの姉さん女房って感じで」
「間違いなく当たりだわ、それで、Zは?」

「そっちの方が簡単でしたね、アップで出て来ましたから」
「でも、サンプルとは…」
「そりゃまあ、加齢オンリーなら肉眼ならとにかく基本的な特徴は変わりませんからね。
認証プログラムの照合だと間違いなく同一人物。一応人間のプロにも確認はとってあります」
「OK有り難う。時間的にも難しい注文を」
「その分もらうもの貰ってますからね」

ナオミは電話を切り、ノーパソに送られたデータに目を通す。

報告書と添付資料に目を通した後、元となったニュース番組の録画を眺める。

「やっぱり、関わっていた。なのに残っていなかった。
それは解けなかったから?違う。現にこうして…」

何度もニュース番組を眺めながら、思考に沈む。
音声が耳を通り過ぎ、つと視線を画面に向ける。
柔和な笑顔と目が合ったその時、ナオミは椅子に掛けたまますとんと脱力していた。

 ×     ×

朝、ビジネスホテルを出たナオミは、メモを手に目的地へと向かう。
天高いビルやマンションが方々に見えるその中で、下町の風情が残っている。
棟続きの平屋で、待ち人に声を掛ける。色々と手を回してここに来てもらった家主だ。

ナオミは事前の話通り家主に頼み、真ん中の平屋に入れてもらった。
棟続きの住居に住人がいる事もあって建物は維持されているが、
ナオミが入った棟は既に住人もなくがらんとしていた。
ざっと見回した後、窓を開けて外を見る。
床を這って、残っている凹凸を確認する。
169 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:33:09.34 ID:1fyYv7RQ0
>>168

それが終わり、立ち上がって腕組み黙考していたナオミは、再び動き出した。
住居の中をうろうろと動き回る。壁の前に立ち、存在しない本を手にする。
キッチンに立つ、居間に戻り正座する、寝転がる。
色々と動き回ってから、居間で床に体育座りをした。

体育座りをして壁の一点をじっと見つめていたナオミは、
膝の間に顔を埋めて動かなくなった。
しばらく、じっとそうしていた。
ゆるゆると立ち上がり、天を仰いだ。黒髪が床へと垂れる。

「何故、そこまで?それが、男?それが、分かったから?共鳴?」

 ×     ×

「お嬢さん」

家主にお礼を言って平屋を出て、少し歩いた所でナオミは振り返った。
そこには、チェックのコートにベレー帽の骸骨の様に痩せた老人が杖を突いて立っていた。

「あなたは?」

ナオミの問いに老人が名刺を渡す。細筆の達筆だった。

「新聞記者」
「そう、歴史の真実を追い求め取材活動を続けておる」

ナオミが記憶を辿る。
確かにこの名前、セピア色を通り越した記事とセットでナオミのPCにもファイルされている。

「わしはかつて、地を這う様な取材活動によって真実を突き止めた。
それから幾星霜、新たなる展開を迎えた時もな、
そう、あの時も妙な娘っ子が探り回っていた様ぢゃったが、
もう少し、もう少しで真実に行き当たる所だったのぢゃ。
そして今又お主が現れた。あの娘っ子と同じ道行きで方々動き回ってのぉ、話していただけるかの」
「そう、あなたが」

ナオミは、静かに目を閉じた。
170 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:35:33.66 ID:1fyYv7RQ0
>>169

「今こそ歴史の真実が白日の下に晒される時であるのぢゃあっ!」
「そう、あなたが……ぷりぃーず…」

ナオミが、すうぅっと息を吸い込む。

「げらうぇいっ!!」

ナオミが振り返ったその時、ドドドドドドドドと男女の一団が急接近していた。

「さ、こっちですよ」
「お爺ちゃん帰りますよ」
「車、あっちで待ってますからね」
「あのー」

その様子を静かに眺めていたナオミに、団体の一人が声を掛ける。

「名刺、もらいました?」
「ええ」
「困ったものです。とっくに定年で退職されているんですけど、
ああやって記憶が飛ぶんですね。忘れて下さい」
「はあ」

丁寧に頭を下げる男に、ナオミが生返事をする。

「陰謀ぢゃあ、これは陰謀なんぢゃあああっ!!」

 ×     ×

動きやすい服装で、立ち並ぶ建物の隙間に立つ。
枯れ木に飛び付き、上へ上へとひょいひょい上っていく。
枯れ木から、隣のベランダに飛び移りベランダのある建物の中に移動する。
そうやって中に入った立樹は立ち尽くし、その頬にぽーっと赤みが差した。

中央部へとたっと駆け出し、そして、飛び付く。
目尻に僅かに浮かぶのはうれし涙。背中に腕を回しながら、ほんの僅かに爪先に力を入れる。
立樹の後ろに回った腕も又、優しく彼女を抱き留める。
唇が重なる。しんと静まる博物館に僅かばかり表現の難しき音が聞こえる。
171 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:38:06.27 ID:1fyYv7RQ0
>>170

「お帰り、森羅」
「ただ今、立樹さん」

目と目を交えての挨拶。その後で、森羅はその場にしゃがみ込んだ。
つい先ほどまで空気を読んで控えていた老いた留守番がひょこひょこと表れ、主に頭を撫でられる。

「あーっ、疲れたぁーっ。立樹さん、お風呂入れる?」
「大丈夫、ちゃんと閉店後二人貸し切りで話付けてるから」
「やったっ」

「その代わり明日の朝はキリキリ働いてもらうからね。アルゼンチン、どうだった?」
「うん、アサド美味しかった。新しいソースの配合教えてもらったから」
「じゃあ、今度作ってね」
「うん。他にもあーでこーでそーでかくかくしかじかで」

立ち上がった森羅が両腕を広げ、
相変わらず、立樹は組んだ指を顎に乗せてのんびり聞いていた。

「あの人は?」
「うん、何か日本人の下僕が一人増えてたけど元気だったよ」
「そう」
「それで、メールでなんか変わった事があったの?」
「うん、ちょっとね」

立樹が概略を説明する。

「間木照子、ねぇ…どんな人だった?」
「アメリカのルポライターだけど日本人、結構美人だったけど」
「ふーん」

 ×     ×

「こんばんわー」
「あ、泥棒」
「泥棒じゃないわよっ!」

椅子に掛けて鉛筆を手にスケッチブックに向かっていた森羅とその傍らの立樹の同時発言に、
ベランダからの闖入者はすかさず切り返す。
闖入者と言うのは、ベランダ自体は通用口なのだが入って来た人物が主に問題だった。
172 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:40:21.75 ID:1fyYv7RQ0
>>171

「ったく、あんな隙だらけで、泥棒だったらさっさとこの辺の本物一つや二つ持って帰ってるわよ。
そっから偵察したらあんまりあっつあつで火傷しそうだったから今まで待ってあげてたんでしょ」
「森羅、この和泉守兼定、本物だっけ?」
「ああ、そっちの方天画戟、伝説に近い出来だって職人さんが言ってたから。で、何の用?」

森羅は実にぶっきらぼうに尋ねる。

「帰国したってから来てやったのに、つれないなー」
「当たり前だろ。大体、ついこないだまで」

「そうそう、同じホテルの同じシングルの部屋で
三日三晩一緒に過ごしてたってのにホントつれないんだから。
流石にあのバスルーム二人で入ったらきっつかったわねー。
大体、いくらシングルってったって二人で潜るには狭すぎるのよあのベッド」

「それはっ!君が変なもの持って来たからメキシコやコロンビアのカルテルとか
アメリカとイタリアのコーサ・ノストラにユニオン・コルスに三合会タリバン系麻薬組織まで
総出で血眼で町中を、えーと立樹さん、どちらにお電話なさっているのでしょうか?」

「オッケー、話付いたから。道場空いてるって言うから
お風呂の前に一汗流していきましょうねー」
「イシシシ…ん?何か見付けたの?金になる?…うげっ」
「知ってるの?」

その、脂汗を流してのけ反った態度に立樹が尋ねるが、
その質問にもつつつーっと視線を反らして答えない。

「これは…」
「ビア警視」

勝手知ったる博物館、
今度は欧州刑事警察機構ビア・ブルスト警視がスケットブックを興味深げに覗き込んでいる。

「何であんたまでいるのよっ!?」
「彼の帰国と同時期にお前も入国しているからな、ここに集まる見込みが強かったからだ」
「このストーカー!」
「それでビア警視、彼女の事知ってるんですか?」

立樹が本題に入る。
173 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:43:10.16 ID:1fyYv7RQ0
>>172

「ちょっと見せてくれ…彼女とはどこで会った?」

ビア警視の質問に、立樹があらましを説明する。

「ルポライターの間木照子か、なるほど」
「ビア警視?」
「南空ナオミ、FBIよ」

答えあぐねているビア警視の後ろから、痺れを切らした様に吐き捨てる様な声が聞こえた。

「FBI?」

ビア警視に睨まれてのアッカンベーを視界の片隅に、
森羅の口調も真面目なものとなった。

「南空ナオミってどんな人だった?」
「切れ者だ、そして手段を選ばない」

森羅の問いにビアが即答した。

「しぶとく生き残ってるコーサ・ノストラのファミリーの一つを摘発するために、
彼女は当時資金源になっていた盗難美術品のブラックマーケットに狙いを付けた事がある。
盗品の流通に関わって一人のブローカーが突破口になる、そう睨んだ彼女は、

上や連邦地検に話を付けて囮、潜入、盗聴、司法取引、
ありとあらゆる手段と地道な捜査、鋭い先読みでブローカーの周辺を徹底的に締め上げた。
ブローカーに生涯刑務所に入るかシンジケートの全てを喋って第二の人生を送るか、って勢いでな」

「ま、お役所の縄張り争いで水泡に帰した、ってのが実際みたいだけど」
「どういう事?」

ふんと鼻を鳴らした意地悪い言葉に、立樹が尋ねた。

「ああ、この世界の事だからね、捜査官の事はとにかく僕も顛末は聞いてるよ。
FBIはブローカーを追い詰めてコーサ・ノストラ立件の証人として抱え込もうとした。
証人保護プログラムで全く別の名前を与えてね。
だけど、ユーロポールはあくまでこれまでの美術品闇市場の中心人物と目していた
ブローカー本人の立件にこだわっていたけど、
EU圏内でもイタリアのDIAはFBIに近い立場を取った」
174 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:45:49.78 ID:1fyYv7RQ0
>>173

「イタリア…それってつまりマフィア?」
「そう」

立樹の回答に森羅が応じて話を続ける。

「コーサ・ノストラ。いわゆるマフィアによる資金洗浄に美術品の闇市場が使われてる、
アメリカとイタリアは、協力関係にあった両国のコーサ・ノストラの
資金ルートを解明する事を優先したかったんだ」

「無論、ユーロポールにとってもコーサ・ノストラによる資金洗浄の解明は優先課題、
見過ごすつもりなどさらさらなかった」
「だけど、所詮はお役人の縄張り争い。
DIAにしてもパレルモで車ごとミンチになりながらやって来た本場のプライドがあるしね」

両手の中指を外側に向けての嫌味に、ブル警視がぐわっと視線を向けている間にも森羅の話は続く。

「そうこうしてる内に、当時発生していたレンブラントの名画の盗難事件に関わって、
窃盗グループを摘発したBKA、ドイツ連邦捜査局が盗品売買を行ったとしてそのブローカーを逮捕した」
「なーんか嫌な予感しかしないわね。そんなブローカーが窃盗犯の供述で簡単に尻尾を出すとか」

何となく聞いた事がある様な森羅の話に立樹が言った。

「ユーロポールから見たらかなり突発的な逮捕だったみたいだね。
ドイツ当局にしても棚ぼたで思わぬ大物が引っ掛かったって所みたいで。
それでも、ユーロポールとしては管内で逮捕されたからには、
そこを突破口にしようとしてドイツ当局を全力で支援した。

だけど、結果は無罪。どうも元々無理があると言うか、
そもそも容疑が本当なら狡猾で知られたブローカーにしては間抜け過ぎる内容でね。
終わってみれば盗品絡みの筋の悪いペテン師に
ドイツ当局が乗せられてユーロポールが付き合わされたって事さ」

「やっぱり」
「しかも、そのペテン師が捏造した結果、火の粉がとんでもない所に飛んでいった。
つまり、最後に買い取ったアメリカのコレクターまで巻き込んじゃったんだ。
コレクターにしたら、このままいけば大金を払った挙げ句売買無効、最悪刑事責任すら問われかねない。
これででっち上げだったら?」
「悪いけどキレていい?」

「そういう事。そのコレクターって言うのがITで大当たりした世界屈指の大富豪でね、
狡猾で頭が切れて、それでいて自分が手に入れたいもの、
まして大金を支払った事に関しては子どもの様に手段を選ばず地獄の底まで執念深い」
175 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:48:24.25 ID:1fyYv7RQ0
>>174

「なんか、質の悪いストーカーみたい」

「大体合ってる。激怒したコレクターは事件を調べ上げて、
ブローカーを無罪にするのが手っ取り早いって分かると
資金力と政界司法界の人脈を総動員しておよそありとあらゆる行動に出た。
FBIでも現場からはドイツの摘発は無理筋だって意見があったけど、
国際捜査での外交力を優先する司法省や国務省の幹部が舞い上がってドイツでの捜査にねじ込んだ。
そしたら今度は司法省のもっと上から有力者の関係者だって耳打ちされて」

「悪いけどキレていいリターンズ」
「でも、元々が無理筋だったからFBIとしても抗弁の仕様が無かった。
要は、本筋じゃない事件に巻き込まれた挙げ句捜査班自体が身動き取れず空中分解、
当分触る事が出来る相手じゃないって既成事実だけが残ったって事」

博物館内の約三名はじろりと一つの方向を見るが、
そこには「オホホホホーナンノコトダカワカリマセンワ」と極太ゴシック体で書かれた天使の笑顔があるだけだった。

「とにかくだ、南空ナオミは世界中でチーズを食い散らかすすばしっこいネズミに
臭い飯を食わせるぐらいには切れ者だった、そこの所は理解してもらいたい」

ビア警視が言い、森羅と立樹も頷く。ビア警視の言う通りであれば、
この手のブローカーは善意の第三者として本来身綺麗である事、履歴が白い事が最大の武器。
例え作戦でもそんな捨て身の作戦を選択せざるを得ない所まで追い込んだ時点で相当の相手だと、
それは二人ともよく分かっていた。

「しかし、南空ナオミが別名を名乗って燈馬想の事を調べてる、か。
彼女は既にFBIを退職してフリーの調査員をやっているが、そこらの浮気調査で終わるタマじゃない。
未だに各国の捜査機関にも顔が利いて極めて公共的かつ困難な事件でも成果を上げている」
「あー、何か日本の時代劇の小説で読んだ事あったなー、
狗、って言うんだっけそういうの」
「只の私立探偵じゃないって事?」

近くで聞こえる嫌味を聞き流した森羅の問いにビア警視が頷いた。
176 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/20(木) 15:51:07.47 ID:1fyYv7RQ0
>>175

「とにかく、捜査官としてもフリーのオプとしても辣腕で知られている。
仕事も選ぶ。有力な顧問先があるらしい、少なくともフリーとしても相応な倫理観の持ち主だ」
「そんな人が想兄ちゃんの事を」
「気になるわね」

実際に対応した立樹も少し不安そうな表情を見せた。

「森羅、燈馬さんと連絡は?」

その問いに、森羅は首を横に振る。

「あれから没交渉になっちゃったから。
今からだと優姉ちゃんに連絡取って、でも確か引っ越して…水原さんとは?」

その問いに、立樹は首を横に振る。

「確かに、気になるな」

ビア警視が言う。

「南空ナオミは顧問先の関係もあって下手な警察よりガードが堅いが、
日本警察の知り合いに当たってみよう。あの二人には私も借りがある」

今回はここまでです。
続きは折を見て。
177 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/21(金) 01:56:18.59 ID:sVcd6kUG0

どんどん話が広がって把握しきれんぜ
クランの時のお好み焼き屋のおっちゃんまで引っ張り出すかww
178 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/24(月) 15:27:42.67 ID:2okgrC/F0
それでは今回の投下、入ります。

>>176

 ×     ×

昼下がり、曇天模様の空の下、草薙は乗用車の後部座席に乗っていた。
乗用車を運転しているのは、かつては警視庁刑事部の幹部として捜査本部の雛壇で草薙と対し、
今は警察庁の要職にいる。当然キャリア組だが信頼の出来る指揮官だった。
車は橋の近くに停車し、促されて草薙は車を降りる。
二人で堤防を降りて河川敷に。橋桁の陰から、一人の女性が姿を現し頭を下げた。

「草薙さんですか?」
「ええ」

草薙は、背後の男性が小さく頷くのを確認し、前方の女性に返答する。

「彼女は南空ナオミ君、かつてはFBIの特別捜査員として、
現在はフリーの調査員として数々の難事件を解決したキャリアの持ち主だ」
「南空です」

南空ナオミが改めて頭を下げ、草薙もそれに倣う。

「今回は別筋の依頼だが、彼女はとある秘匿性の高い調査機関とも提携と言ってもいい協力関係にある」
「調査機関?」
「うむ。形式上は民間だがインターポール、ユーロポールや先進各国の警察上層部が
事実上その存在を承認し、むしろ指揮下にあると言っても過言ではない。
一部の協力者を除き現場には表面化はしない、
私自身存在を知っている、と言うレベルの秘匿性の高い組織であるが
極めて有能であり高い国際的な信頼を得ている事は間違いない」

他の人物が言っているのであれば何の漫画の話だ、と言いたくもなる所だったが、
刑事の職務中に裏で許可を取ってそういう冗談を言うには
余りに縁遠い相手である事も草薙はよく知っていた。つまり、かなり厄介な事になりそうだ。

「それで、その南空ナオミ調査員が今回どの様なご用件でしょうか?」

そこまでややこしい、しかも元FBIつまりアメリカと言う事になると、
一介の刑事である草薙には最近多少の心当たりがあった。
179 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/24(月) 15:30:16.38 ID:2okgrC/F0
>>178

「OK、単刀直入にいきましょう」
「そうしていただけると有り難い」

ナオミの言葉に草薙が応じる。国は違うが、これは確かに同業者の目、言葉だ。

「燈馬想の当日を含む12月2日から過去三日間の行動を把握している限り教えていただきたい」
「あんたもか」

草薙の呟きを、ナオミの視線が鋭く捉えた。

「つまり、気が付いた人がいる。警察はまだ把握していない」
「今は申し上げられませんな」

ひっそり唾を呑んだ草薙の言葉に、その背後から取りなそうとする挙動をナオミが手で制する。

「あなたの目的は?」
「端的に言えば燈馬想の素行調査。依頼の詳細は申し上げかねます。
しかし、この事件を無視する事は出来ない。
水原可奈に関しては別のルートで把握しています」
「それを、私に協力しろと?あなたが民間人であれば法に触れる事になる」
「あなたにご迷惑は掛けしません。もちろん捜査を妨げるつもりもない」

「草薙君、命令は出来ない。
だが、応じるのであれば関係資料を私のパソコンに送って欲しい。これがアドレスだ。
無論、外部からどうこう出来ないセキュリティは尽くしてある。
つまり、トラブルになるなら間違いなく私の名前が出る」
「南空さん」

改めて草薙が一歩踏み込んだ。

「あなたが、事件を揉み消そうとする側ではないと言う保障は?あなたに聞いておきたい」
「私は、短い間でしたがFBIの特別捜査官として殺人事件を含む捜査活動に従事して来た。
靴底をすり減らし地べたを這い回るその先で獲物を奪い去る、その意味を知っている。
そんな真似はしない。そして、私の依頼主も決してそれを許さない。
刑事としてのあなたの顔を潰す様な真似はしない、約束します」
180 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/24(月) 15:32:40.73 ID:2okgrC/F0
>>179

草薙は、黙って書き付けた手帖のページを破りナオミに渡す。
それに目を通したナオミは、一度、強く瞬きをする。
喉が動き、元々色白な肌から血の気が引いている。
どうやらビンゴだ、と、草薙の刑事の勘は囁いていた。
だが、先ほど紹介された彼女のキャリアに恐らく偽りはない。
その筈なのだが、今、彼女が封じ込めようとしている動揺は尋常ではない。
湯川と言い、一体何が見えているのか。それを聞きたい所だ、が、

「後は、今言った手順で」
「感謝します」

ナオミは、深々と頭を下げて草薙に背を向ける。
近くに駐めたナナハンでその場を離れた。

「ありがとう」
「私は私の勘を信じた。
しかし、率直に言って、得体の知れない民間人です。これで何かあれば」
「全責任は私が取る。その時は」

さああと川風が冬の枝葉を揺らす
近くで声楽家が練習をしているらしい。アメイジング・グレースが厳かに響く。
一筋、二筋、雲間から陽光が降り注ぐ。

「再就職だな」
181 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/24(月) 15:35:24.23 ID:2okgrC/F0
>>180

 ×     ×

あれから想は弁当屋にも顔を見せない、連絡も無い。
何が何だか分からない、いや、案外単純な話なのかも知れない。
つまり、身一つで社会に飛び込んでから今まで見て来た男と本質的には大して変わらないのだと。

不謹慎な言い方をすれば何かの弾みで殺人を犯してしまった女が
その遺体を処分した共犯者の男に弱味を握られて、なんて、
よくあるかどうかは知らないがよく聞く話ではないか。

そう、笑い飛ばしてしまいたかったが、引っ掛かってしまうのは自分の知る思い出、過去。
あれから、可奈の頭の中では、そんな堂々巡りが弁当用の唐揚げが出火する寸前まで延々と続いていた。
その時はその時だ、と割り切る事も出来るかも知れないが、それでもやはり相手は燈馬想だ。
彼がブラックバージョンになった場合、その恐ろしさは底知れないとしか言い様がないが、
それはそれ、元はと言えば自分の罪だ。自分が受け容れる以外の選択肢は無い。

帰宅し、両手で顔を覆って座り込んでいた可奈は、
鳴り続ける固定電話にようやく歩み寄った。

「もしもし」
「もしもし、水原さん?」
「え?」
「私」
「もしかして、七瀬さん?」
「うん、久しぶりっ!」
「久しぶり!!」

素直に、本当に素直に懐かしかった。
これがもう少し前であれば、連絡を絶った立樹が直接電話を掛けて来た事に何か考えるのが優先した筈だ。

「水原さん、なんか、大変だったんだって?殺人事件に巻き込まれたとか?」
「う、うん。もしかして警察がそっちに?」

それが一番分かりやすい。想と森羅は従兄弟同士。
刑事のあのしつこさであれば行かないと考える方が不自然。
そして、森羅に警察が行けば即座に立樹に繋がる。
182 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/24(月) 15:38:08.62 ID:2okgrC/F0
>>181

「いや、警察は来てない」
「警察、は?」
「うん。水原さん、南空ナオミ、って人知ってる?」

可奈は、まず言葉を失った。

「水原さん?」
「う、うん、ごめん。知ってる。元FBIとかで燈馬君のアメリカの知り合いにも色々聞いて回ってるって。
直接会った事はないんだけど」
「そう。それで、私も色々聞かれたんだけどね、一つ特に食い付いて来た事があったんだ」

「食い付いて来た事?」
「うん。昔森羅が解決した事件で燈馬さんも関わった時の事、そう、水原さんも一緒で」
「えーっと、それってベルギーの…」
「違う、そっちじゃない」

 ×     ×

「その時、何と言って真実に導いた…」

電話を切った後、可奈は立樹から聞いた言葉を反芻していた。
改めてそれを尋ねた南空ナオミの態度は明らかに尋常ではなかったと言う。
可奈は、腕を組んで首を傾げる。
あの時、何と言って、いや、立樹から聞いてはいるが、立樹自身断片的にしか聞いていなかった。

もう一度改めて、
恋人さんですか、お互い大変、ビルハルツ住血吸虫、負け犬…基本、全滅…これは違う。
そうだ、あの時確か

 ×     ×

「ただ今ー、おかあさん帰ってるの?」

帰宅した水原美里は、雰囲気から今日は母親がいると見当を付けていた。

「おかあさん?どうしたのおかあさんっ!?」

トイレのドアが開いている事に気付いた美里は、その中を見て飛び込んだ。
そこでは、可奈が洋式便器に顔を突っ込む様にして蹲っており、
その白い陶器は緑色に染まっている。
183 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/24(月) 15:41:58.74 ID:2okgrC/F0
>>182

「おかあさん、おかあさんっ!?」

美里に肩を揺すぶられながら、可奈はまだ咳き込んでいる。

「み、美里?」
「おかあさん!?どうしたのおかあさん大丈夫っ!?」
「う、うん、大丈夫。お帰り、美里」
「で、でもっ」

言いかけた美里が、言葉を失う。

「美里、美里…」

ぎゅっと、力強く抱き締められていた。
そうだ、何がどうあれ人一人殺したんだ、反吐を吐くぐらい無い方がおかしい。美里は改めて思い知る。
もっと言うと、本当なら、自分の知っている母親、水原可奈なら間違いは間違いとして自首したかった筈だ。
それすら、罪を償う事すら妨げている存在がある。

「おかあさん、おかあさん…」

美里は可奈の背中をさすり、少しの間そうしていた。
そんな美里から可奈はゆっくり離れて、手洗いとうがいを始める。

「だ、大丈夫?」
「うん、大丈夫。うぇー、これ、お水で沈没して以来だよ」

ついでに顔を洗い、美里に向けてにっこり笑みを向ける。

「じゃ、ご飯の支度しようか」
「本当に大丈夫なの、おかあさん」
「うん、大丈夫、全然大丈夫」

そういう可奈は、本当に何かさっぱりした様だった。

「うん、大丈夫だから、美味しいご飯食べて元気にね」
「うん」

今回はここまでです。

「真夏の方程式」映画化 取り敢えず ネ兄

続きは折を見て。
184 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/28(金) 04:05:56.01 ID:k287Jim90
引き続き今回の投下、入ります。

>>183

 ×     ×

「入るぞ」
「どうぞー」

ロキが研究室に入ると、
その部屋の主と言うか使用者エバ・スークタは愉快そうな電話の真っ最中だった。

「うん、うん。いる」

エバが、そのままロキに電話を渡す。

「はい、もしもし?
なんだぁ?おい、なんだよおい随分久しぶりじゃねぇか?
ああ、元気だったかよ?ああ、俺様は、まあな。
それであいつとは、ああ、そうか。
で、何?聞きたい事?
おいおい、ああ、分かった。教えてやるよ」

エバは、実に愉快そうな電話をにこにこと眺めていた。

 ×     ×

「砂肝お願いします」
「はい、砂肝一丁」
「有り難うございます」

焼鳥屋のカウンターで、想がにこにこと追加を受け取る。
そうやって焼き鳥を食らいながらビールの次に注文した国産ハイボールを流し込む。

「ネギマ下さい。それからビール小さいの」
「お客さん、そろそろにした方がいいよ」
「そうですね。じゃ、これだけ」

辛うじてと言う手つきで皿を受け取り、想は女将の言葉に愛想良く応じた。
185 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/28(金) 04:08:21.62 ID:k287Jim90
>>184

 ×     ×

「毎度ありぃ」

ひらひらと手を振りながら縄のれんをくぐって出て来る想を見て、
さっと隠れた一人の工員が秘かに嘆息する。
彼は同じ職場で想とは割と長い付き合い、と言うかこのお話しの最初の方から登場している。
赤ら顔で独り帰路につく想をそうやって黙って見送った訳だが、
この辺は職場の工場の縄張りでもあり同僚を見かけても不思議ではない。

問題なのは、最近の想の行動だ。
彼は、昨夜も出くわす形でおでん屋の屋台で想と席を同じくした。
想は熱いコップ酒、焼酎のお湯割りでしめて概ね聞き役で座っていた。
まあ、そういう事は今までも無いではなかったが、
本格的にまずいと言うのは昼間を見れば分かる事だった。

 ×     ×

「いらっしゃい」

漫画本から入口にチラリと視線を走らせた若い工員は、
「あちゃー」と言う思いだった。

「ラーメン一つ」
「はいよ」

チェーン店でもない、割と長い事やってるラーメン屋。
地理的な関係で工場からの常連も多い。
そこに、こうやって燈馬想が現れてカウンター席で注文をする。
これは、いよいよもってちょっとまずいかも知れないと、想を知る若い工員は思う。

昨日など、コンビニ弁当を広げていた。
夜は夜で、少し過ぎるぐらいに酒を過ごして帰宅してる。
ここの所、少し続き過ぎている。
想の周辺では気付き始めている頃だが、だからと言って口に出す者はいない。
あのおばちゃんの前で口に出した日には自分は真っ先にシェルターにダッシュする自信があるが、
相手が想では、機会こそ少ないもののにっこり笑って人を斬る恐ろしさを身近な人間はよく知っている。
186 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/28(金) 04:10:44.93 ID:k287Jim90
>>185

 ×     ×

粛々と仕事を終え、帰路につく。
大丈夫、順調だ。結局ここまで来てしまったが、最終目的には何等の支障もない。
又、苦い酒で腹を満たして帰ろうか。
そんな燈馬想の現状認識は、数秒後には木っ端微塵に吹き飛ばされる。

「!?」

圧倒的に強い力で、想は近くの路地に引きずり込まれていた。

「!?み、みっ…」
「三つ、選択肢をあげる」

それは、想のよく知る有無を言わせぬ口調だった。

「今すぐ私について来るか、
今すぐ私が燈馬君の指定する場所について行くか、
三つ目は…」

 ×     ×

雑居ビルの一室で、想は周囲を見回す。
廃業直後のバー、と言った雰囲気だ。

「ここは?」
「こう見えてもね、ちょっと顔広いんだ私。
丁度いいタイミングに知り合いの出物があってね。
だから、ここで私が携帯一つ押したら信頼のおけるスタッフが駆け付ける事になってるから。
で、燈馬君、私に言いたい事は?」

可奈の言葉を受け、想は深々と頭を下げた。

「先日は申し訳ありませんでした。弁解はありません。
見たままありのままの愚かな行為、それだけです。
警察に行くと言うのなら抵抗はしません。もちろん余計な事は言いません」

「顔上げて」
「はい」
「歯、食いしばって」
「はい」
187 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/28(金) 04:13:14.37 ID:k287Jim90
>>186

店内に、バシーンと会心のいい音が響き渡った。

「次は無いからね」
「すいませんでした」

想がもう一度深々と頭を下げ、可奈はカウンターの中の冷蔵庫冷凍室から取り出した氷嚢を想に渡す。
柔らかいが範囲が広く、何より勢いがある分杖の一撃と甲乙付けがたい。
そして、可奈はそのまま休憩室らしき小部屋に引っ込んでしまった。

「水原さん?」

想は、氷嚢を頬に当てながら、手近なテーブル席の椅子に掛けていた。
その内、小部屋から出て来る気配がする。

「水原、さん」

想は、言葉を失った。
濃い紫色でドレスアップした可奈が、蓄音機のレコードに針を乗せる。

「燈馬君の人徳よね、こんないいの貸してくれたんだから」

呆然とする想の前に、可奈が立っていた。
そして、アメリカでも公開、リメイクされた有名な日本映画のタイトルを口にする。
想は、こっくり頷くとその、差し出された白い柔らかな手をその手に取って立ち上がる。
優美なクラシックと共に、互いに一礼して動き出す。

想の場合、少々複雑な略歴により、アメリカ育ちでもプロムと言う歳でも無かったが、
再度の大学生活で当時の友人と共にこういう集まりに参加した事はあった。
あの国では文字通り会議は踊る踊る会議も仕事の内で、やはりその延長で
気晴らし的な私的なダンスに付き合った事もある。

だが、こうしていると改めて思う。
かつてもそうしながらも自分が求めていたのはただ一つ、この時間だったのだと。
少々夢心地を覚えながら想はパートナーに視線を向ける。
ドレスアップした、匂い立つ魅惑の女性がそこにはいた。
188 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/09/28(金) 04:15:38.92 ID:k287Jim90
>>187

元お水だと自分でも言っている。かつてのドレスアップはむしろ清楚なイメージだった。
今は、生々しいぐらいに艶っぽくドレスアップして優美に情熱的にその豊かで伸びやかな全身を舞わせる。
そこには、恐らく自分の知らなかった、
その時間、女性として美しく成長する可奈を見て、そして手を取った者が。

それを思うと胸の奥で黒いものがチラリと燃え上がるのだが、
正面を向いた時、可奈のどこかうっとりとした微笑み瞳の輝きは全てを吹き飛ばして呑み込んでしまう。
吸い込まれそうな、只只ついて行く事しか出来ないぐらいに。

それでも、選曲が本格的アルゼンチンタンゴでなくて良かった。いくら成長したとは言っても、
どう考えても可奈相手にガチであれを踊るのは命懸けだ。いや、その価値は十分過ぎる程にある。
曲の終わりと共に、ポーズは惚れ惚れする程ぴたりとはまった。

想は、はっとして静かに手を離す。
もしかしたら間抜けに手を掴みっぱなしにしていたのではないか、とも思うのだが、
客観的な時間の感覚がどうだったのかついに分からなかった。
改めて二人で正面を向き合い、ぺこりと頭を下げて互いにくすくすと笑っていた。

 ×     ×

想は、促されるままバーカウンターの止まり木に着席していた。
カウンターに入っていた可奈が材料をステアし、グラスを置く。
配置と可奈の体の動きでよく見えなかったが、
想の見る限り出て来たものは一般にマンハッタンと呼ばれているカクテルである様だ。
チェリーの代わりにオリーブ、ややドライに寄ったチンザノ・ロッソの割合も好みである、が、

「水原さん」
「ん?」
「これ、何使いました?」

今回はここまでです。続きは折を見て。
189 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/03(水) 04:23:47.89 ID:tzMxPPmP0
それでは今回の投下、入ります。

>>188

 ×     ×

「不味かった?」
「いえ、どちらかと言うと、と言いますかとても美味しいと言いますか」

ゴトンとカウンターに置かれた瓶。
硝子越しにも芳醇に匂い立つ様な琥珀色を包む、その流暢な筆記体のラベルに想は目を丸くした。

「ブッカーズじゃないですかっ!?」
「うん、ちょうど知り合いから安く手に入ったから」
「いやいやいやいや、とにかく、払いますからっ」
「あー、いいっていいって、て言うか、今夜の準備費用各種、
後で燈馬君の所に請求行く事になってるから、慰謝料代わりにね。当然だよね」

すっと真面目になった目で念押しされて、想はごくりと息を呑んで頷く。
それを見て、可奈はとても可愛く破顔した。

「だから、一本ぐらい奢ってあげる」
「信じられない事しますね」

立ち上がっていた想は財布をしまってすとんと座り直した。
そう、いつも自分にとって信じられない事をしてくれて引っ張り回してくれた、
それが水原可奈、善意と行動力の塊。それは自分に欠けていたもの。

「…怒った?」
「ここに座って下さい」

嘆息する想に可奈が言い、想は無愛想な声で隣の椅子を掌で叩く。
両手を外側に広げた可奈が指示に従うと、交替に想がカウンターに入った。
そして、カウンターからブッカーズの瓶を一度取り上げる。
瓶を戻した想は、まずはミネラルウォーターやソーダを突っ込んだアイスペールをカウンターに置き、
続いてグラスを二つ手にして可奈の隣に座る。

「ふーん、ウィスキー・フロート。お洒落じゃない」
「それじゃ」
「ん」

ふっと笑みを浮かべてグラスを持ち上げた想に可奈が倣う。
190 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/03(水) 04:26:15.62 ID:tzMxPPmP0
>>189

「乾杯」

カチンとグラスを合わせ、二人で喉を湿す。

「うん、美味しい」
「有り難うございます」

そうやって、まずはなかなか機会の無い美酒を楽しむ。

「燈馬君がバーボン党員になってたってね」
「似合いませんか?」
「んー、結構似合うかも」
「好みはスコッチの方が好みだった筈なんですけど、
なんとなくこっちの方が呑み付けたって言いますか」
「色々あったんだねー」
「ええ、色々ありました」

ウィスキー・フロートが空になると、
後はめいめい水で割ってソーダで割って氷を放り込んで、
可奈が買い置いていたマリアージュを適当に摘む。
そうしながら、いつの間にかぽつぽつと話が出て来る、

「でさー、それでちょっと小耳に挟んだんだけどねー」

昔の思い出、少し昔の話。

「なんか、エバが凄く怖かったんですけど」
「そりゃあねー、って言うか私がその場にいたら間違いなく跳び蹴りしてる」

もちろん全部話した訳ではないが、
お互い知らなかった若気の至り、苦い思い出も笑いながら話が続く。
実に愉快だった、これなら明日にでもバッカス教に入信したい所だ。
191 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/03(水) 04:28:40.13 ID:tzMxPPmP0
>>190

 ×     ×

「燈馬君、燈馬君」
「ん、んー…」

カウンターに突っ伏していた想が、可奈に揺られて身を起こす。

「んー…僕、寝てました」
「うん」
「そうですか…水原さん大丈夫ですか?」
「うん、何とか。こんな美味しいお酒、久しぶりだけどいい気持ちー」

言いながら、可奈がグラスの水をカウンターに置く。

「有り難うございます」
「じゃ、そろそろ」
「はい」

 ×     ×

「あ、すいません。ちょっと止めて下さい」
「?」

タクシーを拾って帰る途中、想がタクシーを停車させた。

 ×     ×

「只今ー」
「お帰り…燈馬さん?」
「こんばんわ美里さん」

やたらご機嫌な二人の登場に、家で待っていた美里は目を丸くする。
遅くなるとだけ言われていたので、美里はピザの出前で夕食を済ませていた。
昔はお水だったのでご機嫌な可奈を知らないでも無かったが、
想と一緒に、と言う事になるとこれは前代未聞だった。

「お土産です」
「え?あ、有り難うございます」

想からケーキの箱を渡され、美里がお礼を言う。
192 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/03(水) 04:31:14.95 ID:tzMxPPmP0
>>191

「それじゃあ僕は」
「うん、お休み」
「お休みなさい」

想と可奈が言葉を交わす。
美里から見て、ここ何日か可奈の様子が変だった。
酷く落ち込んでいたかと思うとやたらと空元気を発動したり。
だけど、今夜は本当に美味しいお酒だったらしい。それは美里にも分かった。

 ×     ×

いい気分で帰宅した想は、ランプの点灯に気付き留守番電話の再生ボタンを押す。

「初めまして、ルポライターの間木照子と言います。
少しお伺いしたい事があります。こちらの連絡先は…」

 ×     ×

「お早うございます」
「はい、お早うございます」

朝、カウンターに近づき可奈に声を掛ける想に、可奈は挨拶を返す。

「お任せ弁当を一つ」
「はい、お任せ入りまーす」

淡々と、想はお任せ弁当を購入する。
ついこの間までの、いつも通りの二人の姿がそこにはあった。

 ×     ×

「いただきます」

昼休み、工場の食堂で想が手を合わせる。
あの弁当屋のお任せ弁当だ。
朝から雰囲気も心なし穏やかに見えたが、実際分かりやすいと知り合いの工員はそう見ていた。
193 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/03(水) 04:33:42.59 ID:tzMxPPmP0
>>192

 ×     ×

夜、想は首に巻いた襟巻きをくっと上げて階段を下りる。
その先、隅田川沿いの遊歩道では、一人の女性が鉄柵に腕を乗せて景色を眺めていた。

「何を見ているんですか?」
「橋を見ていました」

想に背を向けたまま、女性が答える。セミロングの黒髪に黒いライダースーツ。
女性である事は確かだが敏捷な印象を与えている。

「南空ナオミさんですか?」
「ええ。初めまして燈馬想さん」

遊歩道で、二人は向き合い言葉を交わした。

「どの様なご用件でしょうか?」
「事情があってあなたの事を調べさせていただきました」
「その様ですね」
「ええ。その事自体、恐らくはあなたの掌の上。
そういう手を打って来る事は予測していた筈です」

「そうですね。
事の深刻さや公共性を考えるなら、お願いしますはいそうします。
それで終わる相手でしたら僕も却ってお願いなんか出来ない」
「懸命な認識です」

ここで言葉が途切れ、改めて二人はじっと向き合う。
簡単に言ってしまえば、剣豪同士が鯉口に手を掛けて対峙している様なものだ。
さすがに、事前の知識もあってお互いを油断ならない相手と見据えている。

「少し歩きましょうか」
「ええ。今夜はやけに冷えます」

言葉通り、二人は白い息を吐きながら遊歩道を歩き出した。

「申し訳ありませんが、正確に把握する必要もあってあなた自身の調査に少々深入りした。
私自身の興味、と言ってもいいかも知れませんね」
「平均よりも少々波瀾万丈な要素の強い半生を送って来たと言う事は
少しは自覚しているつもりです」
「少々、かどうかに就いてはここではおいておきます。
取り敢えず、久しぶりに興味深い調査になった事は確かです」
194 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/03(水) 04:36:54.98 ID:tzMxPPmP0
>>193

「自分の事を興味本位に調べ回ってもらっていい気分はしませんけどね」
「だからと言って、私の仕事として全く無駄と言う事でもなかった。
私もそこまで暇ではありません」
「そうですか。それで、何か分かったんですか?」

想の言葉を受け、向きを変えたナオミがすいっと想を交わして前進を続ける。

「あなたも、たまにはジョークを言うんですね」

ナオミの変化球に、想は少々怪訝な顔をしてみせる。

「あなたが最初に教えたレシピは、マサチューセッツの限られたコミュニティにおいて
謎のメキシカン日本料理として伝説になっていました」

ナオミの言葉に、想は口元を緩める。

「あなたが考えた、と言うのはかなり無理がある。
ああ言うジョークを発想するとしたらロキ、これも外れだった。
そもそも日本料理に応用力があるとも考え難い。だとすると一人しかいない。
それをあなたはレシピとして教えた、ちょっとしたジョークとして。
残酷な事をする」

最後の一言を発した時、ナオミの目は笑っていなかった。

「細部までよく調べている、人間関係に至るまで、と言う事ですか」

静かに笑い、想が続けた。

「後から本物のレシピを教えて作ってもらって堪能したと言う事も容易に想像が付く、
と言うより大凡調べもついている。
自分で言っていて暇人な話だと思いますが、調査に付随してついて来た情報なもので」
「ええ、その通りです。向こうでも割と手に入る材料でしたから」
「そして、土地によって違いがある」

そう言って、ナオミは柵に背中を預けて想を見た。
195 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/03(水) 04:45:15.78 ID:tzMxPPmP0
>>194

「結果を言えば、その調査は無駄ではなかった」
「そうですか。無駄ではなかったと言うのならそこから何を証明出来たのですか?」
「何を証明出来たか、ですか」
「ええ、僕の方も今は余り暇人ではありません。
あなたとの話は面白そうですが出来れば余り夜更かしもしたくないもので」

「分かりました。
今の話からスタートすると結構長い数式を書き連ねる必要が出て来るのですが、
イコールの先が何であったか、そこからお話しします」
「お願いします」

想の言葉を聞きナオミは一度下を向く。
そして、静かに顔を上げ、流れる様に発言した。

「You killed John Doe on December 2」

今回はここまでです。続きは折を見て。
196 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/04(木) 15:07:07.12 ID:QfLwWP+R0
引き続き今回の投下、入ります。

>>195

 ×     ×

一瞬、挑む様に想を見たナオミに、想は静かな眼差しを返す。

「あなたはこれからどうするのですか?」
「仕事ですから、依頼主に報告を上げる事になります」
「言ってる意味がさっぱり分からない上に表現が穏やかではない。
それがあなたの報告であると言うなら、僕は法的手段を検討しなければならなくなる」

「では、余計な手間を省きましょう。それが無駄だと納得いただける様に。
警視庁刑事部捜査一課水原幸太郎警部が過去に担当した事件、
とあるルートからその記録を取り寄せ、洗い直してみました。
無論、全てと言う訳にはいきませんしその必要性も薄い。だから、期間を限定してです」
「さらっと地方公務員法違反の犯罪が行われた事を告白されてもですね」

ナオミは、そう言った想の目に、僅かに懐かしさの混じる憂いが走ったのを見て取る。

「その中から、一つ奇妙な事件を見付けました。
あの時期、あれだけユニークな事件に就いてあなた達が関わっていない、そう考えるのは不自然。
実際、あなた達が関わっていた事はこちらの調べでも明らか。
寿命と言うタイムリミットはありましたが、遺体の身元は判明していた。
そして、明らかに事件性のある事案。
そこから情報の源流まで遡って行く事はリミットが全てを呑み込む前であれば可能。
現に、その途上で過去に通り過ぎたリボンつきの尻尾の陰を掴む事も出来た」

「僕は若い頃から出不精でしてね、さすがに辣腕のオプはオールラウンドですか」
「例え公訴時効であれ被疑者死亡であれ、この国では事件性が明らかな遺体が発見された以上、
警察は判明した被疑者を検察官に送致する。しかし、この事件ではその手続きは取られていない。
それどころか、基本的な手段すら把握出来ていない。
関わっていた筈のあなた達は記録の片隅にも登場しない。

関わった筈の、そして、警察とは良好な関係だったあなた方に謎が解けず出番が無かったのか?
それもNo、ピースが集まればロジックで当てはめる場所を特定する事は可能だった。
十数年前私と同じ道を辿った彼女は、過去の事例を見ても私の調査結果からも正確な情報をもたらした筈。
で、あれば、あれはあなたに解けないレベルの謎ではない」
197 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/04(木) 15:09:28.38 ID:QfLwWP+R0
>>196

そう言ったナオミを、想は静かに見据えている。
これは、試されている。ナオミはそう見ていた。
間違いなく想には分かっている。ナオミは緩みそうな口元を引き締めた。

「只、腑に落ちなかった」
「ピースがはまってもですか?」

想は静かに尋ね、ナオミは頷いた。

「ロジックではね。只、私も現職時代もオプとしてもシリアルキラーを含めた
奇っ怪な事件は色々見てきました。
それでも、敢えてこういう事をする人間が実在したのだろうか、と」

想の顔つき、目つきの僅かな変化。どうやら合格点はもらえたらしい。
ナオミは再び鉄柵に腕を乗せて橋を眺めた。

「跳ね橋だったんですね」
「ええ」
「今や自動車に占拠されているあれだけの橋が、壮観だったでしょうね」
「ええ」

「日本のマンガ、アニメでも時々その設定が使われているみたいで。
それは魅力的な絵なのでしょうね。
あなたが教えた奇妙な料理、その本来のレシピ。
あれは同じ名前でも地域差がある。本来のレシピの出所に行って来ました」

想は、真面目な顔で黙って聞いている。

「あそこにはまだ、高い建物の間にあの頃の景色、匂いが残っていた。
人の匂いを追って、私は一軒の家を訪ねた。
平屋建てのちょっとした集合住宅でしたね。随分前からその部屋に住む人はいなかったみたいです。
その部屋の中で私は考えた。

そこで独り寝て起きて食事をして、テレビを見て、変わりゆく街並み、景色の中で
何を考えどの様に過ごしていたのかを。
独り寝て起きて食事をして、変わりゆく街並み、景色の中で、テレビを見て。
腑に落ちました。時の流れの中で、そういう人間もいるのだと」

「霊媒、イタコ、理解出来ますか?」

想の問いに、振り返ったナオミが頷く。
198 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/04(木) 15:11:53.18 ID:QfLwWP+R0
>>197

「降霊術方式のプロファイリングですか。危険な手法ですね」
「人格の浸食、深淵を覗き込み引きずり込まれる事の無い様に、それは心がけています。
幸い、底に秘めた情こそ深くとも発想がロジカルである分やりやすかった」

想の懸念に、柵を背にしたナオミも真面目に応じる。

「そして、警察の記録があの様なもので終わった理由も。
仕掛けられた謎が解けなかったからああなったのではない。
答えは逆、その謎を解き、意図を正確に把握したからこそ、ああせざるを得なかったのだと。
地球の裏側に行く迄もなく、理解する事が出来た」

ナオミはそっと息を呑んだ。想のポーカーフェイスに、
プロのみに分かる、僅かな剣呑さが増している。

「そう、理解しました。
世の中にはそういう人間がいて、それを理解出来る人間もいるのだと」

 ×     ×

「水原可奈の元夫である富樫慎二が殺害された、
と言う理由で警視庁貝塚北警察署に特別捜査本部が設置された」
「本題に入るまでが長かったですね」

想の言葉を聞きながら、ナオミは想に静かに歩み寄る。

「そう、富樫慎二が殺害されたと言う理由で設置された特別捜査本部。
その事件の資料も取り寄せた」
「警視庁の情報管理体制は抜本的に見直す必要がある様ですね」

静かな想の言葉にナオミもふっと口元に笑みを浮かべる。

「警察の中には、あなたを根強く疑う向きがあった様ですね」
「そうですね。結構しつこく捜査対象にされていました」
「私が担当刑事でもそうします」
「聞き捨てならない言葉ですが、それはどうして?」

想を逸れて遊歩道を歩いていたナオミが、想の問いを受けてそちらに向き直る。

「遺体の損傷と遺留品」

まずは、一枚目のカード一発目のジャブ。半ば襟巻きに隠れた想の表情は変わらない。
199 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/04(木) 15:14:19.67 ID:QfLwWP+R0
>>198

「全裸で放置された遺体は激しく損傷していた。
そして、その損傷は極めて合理的に行われている。儀式性は欠片も無い」
「シリアルキラーではない、ですか」

「ええ。客観的、合理的な動機に基づくもの、そう推測されます。
只、合理的な筈でありながらその理由は容易には理解出来ない。
普通に見るならば被害者の身元を隠匿するための損傷、
一直線に身元の隠匿として機能する遺体の損傷を極めて綿密に徹底して行っている、
にも関わらず、遺留品の処分が杜撰過ぎて早期に身元の判明を許した。

だから、あの形状の遺体の損傷など、そこから合理的に考えるなら他の理由が見付からない、
にも関わらず本当に理由がよく分からない。
何か別の意図があってその様な状況を作り出した、
そういう結論に達するのですが、その様な事を可能とし、かつ、未だに警察を欺き
何よりその意図がなんなのかを読み取る事が出来ない。
その様な事が出来るのは、極めて頭のいい人間。
優れた頭脳で合理的にものを考え、それと共に、
ロールシャッハテストでとんでもない結果を合理的に発見するインスピレーションの持ち主」

「それが僕、ですか」
「少なくとも、優秀な日本の警察、警視庁捜査一課が特別捜査本部を立ち上げて行った、
只のチンピラである富樫慎二の鑑取り捜査の結果を見る限り、当てはまる人物は他にいません」
「憶測ですね」
「これだけでは。プロファイリングはあくまで確率の問題、絶対視してはならない。
しかし、それにしても様々な条件が余りにもそちらを向いている」
「だから、僕が富樫慎二を殺したと?」
「なるほど、改めて理解出来ます。
かつてここから始まり謎に挑んだあなたがどの様な瀬戸際に立たされ、
そして私をその位置に立たせているのかを。そのために私は呼ばれたみたいね」

そう言って、ナオミは天を仰いだ。

「遺体から判明した頭脳的な技術なパターン、
その方向性は大きくあなたを向いている。
しかし、動機、、性格、属人的なパターン、そう言った要素から考えた場合、
あなたが富樫慎二を殺害した、この仮説を採用するのは強く躊躇される。
それでも犯行様態と人間的要素、この二つのプロファイリングを合致させるとしたら、
どうしますか?往年の名探偵の坊やとしては」
200 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/04(木) 15:16:42.68 ID:QfLwWP+R0
>>199

「非常に不愉快ですが、その問いに対する解を、辛うじて可能性があるものを示すとするならば、
水原さんが富樫慎二を殺害して僕が証拠を隠滅した、そういう結論になりますね。
僕の周囲にも似た様な推測をした人がいますから」
「果たして、富樫慎二を殺害したのは水原可奈でしょうか?」

その言葉に、想の眉が僅かに動いた。

「年月を経ても基本的な性格はそうそう変わらない。
まして、ここは日本です。橋が上がらなくなるぐらい色々あったとは言っても、
まだまだ普通の市民の中には強固なものが残っている。

水原可奈に就いても相応の調査は行いました。警察でも調べて回ったみたいですね。
人間がスレるに十分な人生経験を積んでいますが、
基本的なパーソナリティまでは変わった形跡が無い。
むしろ、生き抜く中で柔軟でありつつも強化されている節がある。違いますか?燈馬想さん」

「違いませんね。流石に母親になってこの歳になると色々ありますけど、
それでも、基本的な部分は変わっていない」
「その様な人物が、ひどい男だったとしても人を一人殺害して、
そして口を拭ってのうのうと暮らしている。
燈馬想さん、それはあなたが知る水原可奈ですか?」
「全力で否定します」

真正面から射抜く漢の目、元辣腕捜査官として、そして、中略として実に、漲る。

「全てがちぐはぐなんです」

ナオミは疲れた仕草でそう言った。

「私は数学者ではない。しかし、捜査のプロとして調査の結果からイメージを描く事は出来た。
この事件では、いくつもの条件付けが数式の様に並んでいる。
そして、その数式の一つ一つを解いていった場合、
多くの数式においてXは燈馬想、Yは水原可奈の近似値である、と言う解が示される。

ところが、現実に厳然として存在している数少ない数式を当てはめた場合、
解は燈馬想、水原可奈である可能性が極めて低い、そういう数値が出てしまう。
しかも、困った事に、除外すべきと言う解も出ない」
201 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/04(木) 15:19:06.31 ID:QfLwWP+R0
>>200

「それは困った事ですね」
「あなたならどうします?」
「一杯引っかけて寝ます。捨てるべきか遡り修正するべきか、思い付く時には思い付くものです」
「なるほど。まず、現実に存在する条件である以上、
それを無視する事は出来ないしやってはいけない」

「その通りです」
「だから私は、徹底的に当てはまる条件付けを探しました」
「その様ですね」
「指輪の守護者、あなたの従兄弟でしたね」
「ええ、会ったのですか?」

「残念ながら彼は海外出張中でした。只、パートナーから話を聞く事は出来た。
あたなと最後に会った時の事も聞きました。型どおりの事を言っても仕方がないのでしょうね。
FBIで捜査を行う中でも、そうした過去に関わる事はしばしばありましたから」
「余り思い出したくない、今でも夢見る事がある話なのは否定しません」

「過去にもあなたは、指輪の守護者と、それも海外で事件に関わっている。
エジプトで発生したミニカルトによる猟奇殺人事件。
元々被害者が多国籍でもあり、事件の性質が性質でしたから、
猟奇殺人のテキストとしてFBIにも研究資料が残されていた。覚えていますね?」
「ええ、丁度僕が別の用事でエジプトに行った時、
森羅は確かにその事件に関わり、後に解決したと聞きました」

「その通り、記録上も解決したのは彼とそのパートナーです。
しかし、陰の功労者がいた。丸で安楽椅子探偵の様に、
事件のあらましを聞いただけでその本質を理解し、
十分に天才である探偵を更に凌駕したその一言で真実が眠る驚異の部屋へと導いた張本人が」
「別に否定するつもりはありません」

そう言いながら、想は背中に嫌な汗を感じていた。
局地的とは言え、想定を外れた方向からのアプローチは嫌なものだ。
しかも、一筋縄でいく相手ではない。

「あのグロテスクな猟奇殺人事件の捜査にあなたが関わっていたと知った時、何か引っ掛かった。
エジプトの事件を解決に導いたキーワードを知った時、全てが一本に繋がるのを感じた。
そういう発想が存在して、それを瞬時に理解出来る人間がいた。その事を知った瞬間にね。
只、それが合理的である事は理解出来ても実行した事を理解するのは難しかった。
例え世界一有名な名探偵のポリシーに従うにしても、
本当にそんな事をする人間がいるのか、ましてや私の想定する人物が、とね」
202 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/04(木) 15:21:28.91 ID:QfLwWP+R0
>>201

「不可能を除外していって、残ったものが真実。どんなに信じられなくても、ですか」
「そう。だけど、論理的に可能であり他に考えられない、とは言っても心証を無視する事は出来ない。
それも一つ一つ、あなたが何者かを調べていく中で、何とか自分の心証と折り合いを付ける事が出来た」

「そうですか。僕が殺人鬼である事を納得していただけたと言う事ですか」
「そんなものは存在しません。只の人間ですよ。
細い綱を渡っている只の人間、その僅かなブレの違いを見分けるのが私の仕事です。
私には把握出来た。Xは燈馬想、Yは水原可奈。
問題はZ、Zとして表現していた事が誤りであった、その事を理解しました」

「理解して、そして、どうするんですか?」
「報告します。そして、日本の警察と使える民間調査を総動員して立証する。
私と、私の依頼主が首を賭けて対処すればハッタリでは済まないと、それはご理解いただける筈です」
「賭けますか?」

「私は賭けます。その価値はある。
率直に言います。私にとって、調べる側に身を置いて以来、最強の相手との勝負です。
そして、私の依頼主もそうする筈。後顧の憂いを残さないためにね」
「あなたが自爆するのは勝手ですが」

夜闇の中、いつしか上に向かう階段を通りすぎたナオミに、想は静かに歩み寄る。

「そんな妄想に付き合わされるこちらはいい迷惑ですね」
「これが妄想であればそういう事になりますね。
しかし、私は勝利を確信している」
「なぜ?」

「燈馬想と水原可奈であれば、富樫慎二が殺害されたとして警察が捜査を開始して以降、
あなたは彼女から相談を受けている筈。警察による捜査のポイントはハッキリしている。
で、あれば、あなたは有力なカードを持っていた筈。
にも関わらず、延々と続く与太話を我慢して今に至るまでそれを口にしなかった。
その理由はただ一つ、それが無効化されている事を一番最初に知っていたから」
「どうしたものですかね」

想は、そう言って後頭部に爪を立てた。

「私は、あなたに自首を勧める」
「自首ですか」
「ええ。警察に出頭して真実をありのままに告白して欲しい。
既に起きてしまった事件侵してしまった犯ちである以上、それが誰にとっても最善です」
「一般論として今の文言を解釈した場合、その通りの結論になります」
203 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/04(木) 15:24:00.90 ID:QfLwWP+R0
>>202

「では、もう少し実利的な話をします。
私がこれからどうするかに就いては先ほど説明した通りです。

しかし、実際に私がこのまま報告を行った場合、誰にとっても負担が大き過ぎるんです。
報告が妄想であった場合、私も依頼主も社会的に身の破滅。
相手があなたでは刑事訴追すら十分に考えられる。
もちろん、あなた達にとってもいい迷惑では済まない。

そうでなかった場合も、これは相当な横車になる。
相手はあなたです。大前提を突破されても局地的な隠滅も徹底している筈。
それでも、現代科学においてそれも生活レベルが一般人である以上、
殺人事件として日本で認知されて100%の証拠隠滅はあり得ない。

ここから見える範囲の川底に確実に金貨が一枚沈んでいる、絶対に沈んでいる。
その事を納得させて、否、納得しなくてもその前提で人を、まして警察を動かすんです。

こちらの負担も馬鹿にならなければ、
例え金貨が見付かったとしても、訳の分からない横車で自分達の事件を解決する事になる
日本の警察の面子の問題も馬鹿にはならない。
何より、誠実な私の依頼人にこれ以上余計な負担を掛けたくはない。
返答は要りませんが、ご理解いただけると信じています」

カクンと下を向き、はあーっと白い息を吐いた想がスタスタと早足でナオミに接近した。
204 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/04(木) 15:26:40.79 ID:QfLwWP+R0
>>203

「!?」

白い光がナオミの目を射る。
次の瞬間、ナオミの両手は想の前腕部を掴んでいた。

「さすがに、プロですか」

想がぼそっと言った。

「あなたは敢えて、ポケットの中の右手に私の注意を集中していた。
その、LEDのミニライトを掴んだ右手に。
ナイフは左の背中、ベルトにでも差していましたか」
「僕の負け、ですか」

その言葉に、ナオミは瞬間眉根を寄せる。

「余り、私を甘く見ないで下さい」
「そうですね」
「この刃渡りではリバー狙いで殺れるのはそれこそプロ。
素人では真正面から零距離で喉笛でもぶち抜かない限り死なないでしょう。
これは見なかった事にします。これ以上私の依頼人を悲しませないで」

想が掴まれた腕を力任せに振り解く。
互いに、次のアクションをとり易い様に、敢えて流れに任せ軽く後ろに跳ぶ。
着地したナオミの目がカッと見開かれ、彼女は両腕を緩く外側に開き全身を硬直させた。

今回はここまでです。続きは折を見て。
205 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:32:54.18 ID:7fJDHbYL0
それでは今回の投下、入ります。

>>204

 ×     ×

右手で背中を撫でる。ぬるりと赤い右手を見たナオミは、
ひとまずなんじゃあこりゃあぁぁーーーーーっっっ!!!な衝動を呑み込む。

「これは、イレギュラーみたいね」

格好つけなくても、と自分でも思うがこれも性分らしい。

「彼の計算は恐らく完璧に近い。だからこそ、このイレギュラーは破局点になる」
「その数式の解はゼロ、それは私が困る」
「まるで、蛇。女心は、度し難し」
「さようなら、南空ナオミさん」
「………が………ま………」

立ち尽くす想の前でナオミが力尽き、その背から引き抜かれたナイフが遊歩道の地面を跳ねる。
そこでは、一人の美女が、吸い込まれる様に透き通った笑みを浮かべていた。
言葉を失った想の前で、水原可奈は透き通る微笑みと共に緩く両腕を広げ、想に飛び付く様に駆け寄る。
可奈が想に抱き付いた。想が可奈を抱き留める。唇と唇が重ねられる。
唇が離れる。想はゆっくりと首を左右に動かす。

「逃げて下さい」

想がぼそっと言った。

「に、げて…逃げて下さい水原さんっ!後の事は僕が、だから逃げてっ」
「でも燈馬君」
「逃げて下さい!僕のためにもっ!!」
「………うん………わかった…………」
206 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:35:28.06 ID:7fJDHbYL0
>>205

 ×     ×

「いらっしゃいませ」
「お早うございます」
「はい、お早うございます」
「お任せ一つ」
「はーい、お任せ入りまーす。お待たせしました、六百円です」
「はい…じゃあこれで」

想が小銭入れから取り出したのは、折り畳まれた千円札だった。
その和紙の隙間からほんの僅か、鮮やかな白が覗いて見えた。

 ×     ×

その夜、想と可奈は先日とは別のビジネスホテルの一室で落ち合っていた。

「水原さん」

想は、静かに訪ねた。

「どうしてあんな事を?」
「どうして、あんな事?」
「そうですよ。どうして?」
「私が人殺しだから」
「水原さんっ!」

淡々とした可奈の回答に、想が声を荒げた。

「私が人殺しだから、自分の罪を免れるために罪も無い人を殺した。
何か矛盾してる?馬鹿な事をしてるって自覚はあるけど」
「そうですか」

それだけ答えた想は、いわゆる突っ込み所が渋滞している状態らしい。

「それで、あれからどうしたの?」
「聞かないで下さいっ!」

想の言葉に、可奈はほんの僅かにたじろぎを見せる。
207 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:37:51.22 ID:7fJDHbYL0
>>206

「水原さん、分かりますよね?」
「知らない事は答えられない、だよね」

諭す様な想の質問に可奈が答え、想が頷く。

「どうしてあそこに水原さんが?」

想に問われた可奈は、自分の腰の辺りを手で叩く。
その行動に倣った想は、コートを裏返し縫い目を引き裂いた。

「これ…」

縫い目の中から想が取り出したのは、想が可奈に渡した携帯だった。
目の前で可奈が右腕を体の前で折り曲げて一礼し、想が腰を抜かした。

「どう、して…」
「ブッカーズって呑みやすいのに普通のバーボンと20度ぐらい違うからねー。
私も前に、バーボンだって言うからお相手したら目ぇ回しちゃってあれは危なかったなー」
「危なかったって」
「知りたい?」

可奈がにいっと笑い、想はつーっと視線を反らす。

「なんか私の彼氏候補の周辺に妙なストーカーが出没し始めたからね。
前の仕事でそういう話は時々聞いてたし。
で、考えた訳よ。相手と手段の見当はすぐに付いた訳だけどさ、誰の名義なんだろうって。

多分、自分の名義じゃないってのは本当だろうし、
あんまり裏の方面に関わる事まではリスクの関係でしないんじゃないか。
誰かに頼むとして、妙に頭が良かったり性格がまずい人も使えない。

で、思い付いた名義人候補を一人ずつ当たって行こうと思ったんだけどさ、
ま、一人目でカマ掛けたら一瞬で引っ掛かってくれたよ由美子ちゃん。
後は名義人の権限でね、こっちから居場所分かる様にさせてもらって」

「は、ははは…」

想は、腰を抜かしたまま乾いた笑いを漏らすばかりだった。
208 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:40:14.50 ID:7fJDHbYL0
>>207

「それでさ、燈馬君の動き方が色んな意味でおかしかったからね。
上手く言えないけど、ま、昔のよしみで勘が働いたって言うのかな?
そうやって燈馬君の事監視させてもらったらあの修羅場だったって事」
「そういう、事ですか」

体勢を立て直しつつも、まだどこか釈然としない口調で想が言った。

「そういう訳でさ」

可奈が言葉を続けた。

「私は、何の罪もない人を殺した。私が自分の罪を隠蔽するために」
「水原さんは、僕を…」

想が言いかけ、可奈は首を横に振る。

「そうやってどんどん人の道を外れて、それでも何も無かった様に、私は生きていく。
もちろん人殺しなんてしたくない、
幸いまだそれで快感を覚える所まではいってないけど、綻びは力ずくで塞いでね。

そうやって、どんどん綻びが大きくなって、いつか警察が紙切れを持ってドアを叩く。
少なくともこの日本ではそれが普通の事で、お父さんもずっとそうやって、
みんなが平和に暮らしていくにはそうじゃなきゃ困る訳で」

「その通りですね」

可奈の至って当たり前の解説に、想もふっと笑って答えた。

「でも、私はそうする」

その言葉を聞いて、想がどさっとベッドに座り込む。
そして、ポケットから取り出したスキットルに口をつけ喉を鳴らして流し込む。

「私もいいかな?」

想は、隣に座った可奈に革張りのスキットルを渡し、可奈もその中身をごくりと呑み込む。

「どうぞ」
「ありがと」

可奈が、想が渡した板チョコをパリッと噛み千切る。
209 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:42:49.97 ID:7fJDHbYL0
>>208

「これもバーボン、ターキーだね。って容れ物に描いてあるか。
でも、普通に売ってる奴じゃない」
「多少年季が入ってますから。正直、素面じゃやってられません」

「だね。でも、頭の回転は大丈夫?」
「ええ、多分」
「こういう格言があるの知ってる?」
「自分が酔っ払いだという酔っ払いはいない」

想が答えて、二人は顔を見合わせて面白そうに笑い合った。

「燈馬君っ?」

その後、肩を抱き寄せられた可奈が声を上げた。

「分かりました。水原さんがそういうつもりだと言う事は」
「理解はしたんだよね、私が殺人鬼だって事は」
「取り敢えず客観的かつ合理的で通俗的な動機がはっきりしている分、
シリアルキラーよりは扱い易いと言う事は理解しました」

「ありがとう」
「自分で言っておいて何ですが、今の僕の言葉は褒め言葉だったのでしょうか?」
「さあ」

どんどん脇道に逸れる珍妙なやり取りに、二人は再び顔を見合わせて笑い声を立てる。
その後で、再び想の腕にぐっと力が込められた。

「分かりました。でも、無理です。水原さんには」
「無理かな?」
「ええ、失礼ながら水原さんの頭脳の長所も短所も基本的な構造は把握しているつもりです。
時間が経って色々あったと言っても、先ほどの所信表明に向いている頭脳の構造とは言い難い」

「遠回しに馬鹿って言われてる?」
「ある部分においては。その部分は僕が補います」
「信じて、いいんだよね」

可奈の言葉を聞き、想が頷く。

「だって、そうじゃないですか」

想は微笑んでいた。
210 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:45:16.44 ID:7fJDHbYL0
>>209

「僕の場合も、ここで退いても何の得にもなりはしません。
それなら丸損は避ける方向でやらせてもらいますよ」
「合理的な選択。燈馬君がそう言うんなら信用出来る」
「ありがとうございます」

もう一度、可奈に微笑みを向けた想が目を丸くした。
ふっと一度触れた可奈の唇が想の唇から離れる。

「今夜は?」
「帰ります」
「そう」

ふっと半開きの目で微笑む可奈に想は首を小さく横に振って答え、立ち上がった。

 ×     ×

「いらっしゃいませ」
「お早うございます」
「はい、お早うございます」
「お任せ一つ」
「はーい、お任せ入りまーす。お待たせしました、六百円です」
「はい…じゃあこれで」

想が小銭入れから取り出したのは、折り畳まれた千円札だった。
その和紙の隙間からほんの僅か、鮮やかな白が覗いて見えた。

 ×     ×

「来てくれましたか」
「うん」

昼過ぎ、近所のエアポケットとでも言うべき建物の陰で、
想と可奈は落ち合っていた。

「どうしたの?」
「ええ、お報せしたい事が」
「何?」
「僕の方もお話しを聞いて腹が決まりましたから、その事を」
「そう」

そういう想は、確かに何かさっぱりした様だった。
211 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:47:44.44 ID:7fJDHbYL0
>>210

「それから、お返しがまだでしたね」
「え?」

と、可奈か聞き返したその時には、可奈は正面から抱き寄せられていた。

「燈馬、君?」

想が無言で唇を寄せ、そして可奈が応じる。

「それじゃあ」

可奈が気が付いた時には、想は手をひらひら振って爽やかな笑みと共に歩き出していた。
そして、その像が歪んでいく。

「あ、れ?」

つーっと、頬に熱いものが伝っている事に可奈は気付いた。

「何、これ?」

それは第六感。その事に気付き、止めようと前のめりになった可奈だったが、
ガシガシと袖で顔を拭ったその後には、既に相手はその視界から消えていた。

 ×     ×

「ごめん、先帰ってて」
「美里?」

帰宅途中、水原美里は友達から離れて駆け出した。
近くの曲がり角を曲がった所で、足を止める。

「燈馬さん」
「どうも」

にっこり微笑んだ想が頷き、美里もぺこりと頭を下げた。

「少し、歩きましょうか」

その誘いに、美里も異存はなかった。
212 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:50:14.66 ID:7fJDHbYL0
>>211

「あの」
「はい」
「あの…色々と、有り難うございました」
「どういたしまして」

想は、あくまで優しく微笑み小さく頭を下げる。
温かな人だと、美里は心からそう思った。

「美里さん」
「はい」
「ちょっと、頼まれてくれませんか?」
「え?」

「この先に小さな公園があります。そこの迷路、穴に出たり入ったりするあれ、
その迷路の中の天井に茶封筒が張り付けてあります。
それをお家に持って帰って水原さん…」

「はい」
「ああ、お母さんに渡して下さい」
「えーと…はい、分かりました」

返答しながら、美里はくすっと笑った。

「それじゃあ、すいませんが僕はもう少し用事がありますので」
「分かりました、燈馬さん」
「では」

あくまで優しい微笑みと共に、想は駆け出して近くの曲がり角に消えていった。

 ×     ×

「美里ー、開けてー」

夜、ドアの向こうから聞こえる声に従い、美里は目を丸くした。

「ただ今ーっ」

入って来るや、可奈は大入りのエコバックをドサドサと床に置く。

「どうしたの、それ?」
213 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:52:36.88 ID:7fJDHbYL0
>>212

美里が改めて尋ねる。母娘二人の慎ましい暮らし、
料理上手な可奈と美里はそれなりに工夫はするが、
余程の事が無い限り店の残りものかスーパーでも一手間が精々の商品がいつもの夕食だった。

「んー、ちょっとねー。確かここにあったんだけどなー」
「な、何、それ?」

可奈が戸棚の奥から引っ張り出した代物を見て美里が質問する。

「肉挽器、見た事なかった?」

可奈の問いに美里が首を縦に振った。
台所にその銀色の装置を設置しながら、可奈はエコバックを開ける。

「強力粉、牛肉、豚肉、大蒜、韮、葱、椎茸、海老、それからお酒…
もしかしなくても燈馬さん?」

乾いた笑いを浮かべる美里に、可奈がにっこり頷いた。

「ねぇおかあさん」
「何?」

楽しそうにボウルに小麦粉をあける可奈に美里が尋ねる。

「えっと、おかあさん、もしかして昔2月に向けてカカオの苗木とか買ってなかった」
「は?何それ?」
「いや、やりそうだから、じゃなくってっ!」

鼻歌交じりにボウルの強力粉をこねていた可奈は、美里の強い呼びかけに振り返った。

「どうしたの美里」
「燈馬さんが、これ」
「?」

見せられたのは、封を切っていないA4サイズの茶封筒だった。
214 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/11(木) 22:55:00.72 ID:7fJDHbYL0
>>213

「これ、燈馬君が?」
「うん」

手を洗った可奈が鋏で封を切ると、中からB5とA4折り畳みの二つの茶封筒が姿を現す。
そして、便箋が添えられていた。
便箋を読んだ可奈の顔つきが険しくなり、次々と封筒を開封する。

「おかあさんっ!?」

ガバリと立ち上がった可奈が奪い取る様に携帯電話を手にする。
だが、そこで可奈は硬直した。
震える手の中でピシッと効果音が聞こえそうな勢いで携帯を握りしめ、座り込む。

「電話…」

美里が言いかけるが、座り込み俯いた可奈は首を横に振る。

 ×     ×

午前中の帝都大学物理学研究室。
丁度、手が空いた所で湯川学は携帯のバイブに気が付く。相手は内海薫だ。

「もしもし」
「今朝、燈馬想が自首して来ました。
水原可奈に協力したって言ってるんじゃないんです。
富樫慎二を殺したのは自分だって言ってるんです」

今回はここまでです。
続きは折を見て。
215 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:30:47.41 ID:uJWzfwxa0
うあー、やっちまったよー
この作品で言う水原家、ここでの事情聴取ってネタ元に照らしたら
炬燵じゃなくてダイニングテーブルでやってたんだなー。
やっちまったモンは仕方がない。

それでは今回の投下、入ります。

>>214

 ×     ×

どこか若さ、あるいは幼さを残した大人しい中年男。
取調室と言う空間が彼を小さく見せている事もあり、
マジックミラーの向こうに集結した特捜本部の面々の第一印象はそうだった。
だが、その経歴を見るなら決して侮る事の出来る相手ではない。
既に、話を聞きつけた一課出身の古株からも厳しい忠告が相次いでいる、
燈馬想はただ者ではない、と。

「あなたには警視庁、我々捜査一課も色々手助けしていただいた。
私自身亡き水原幸太郎警部と仕事をした事もある。この様な形でお会いするのは残念です」
「申し訳ありません」

相対して頭を下げた取調官に想も静かに頭を下げる。

「あなたには黙秘権があります。ここでの供述は法廷で不利に使われる事があります。
あなたには弁護士を呼ぶ権利があります」
「分かりました」

想が返答し、型どおりの人定質問にも淡々と応じる。
取調官の人選に当たっては、データマンとは別の方がいいと言う判断で草薙が外れ、
当初はインテリ相手と言う事でガツンといく事も検討されたが却下された。

把握されているだけでも燈馬想の人脈は尋常ではない。
東京地検刑事部の本部係からも自白の強要などのトラブルには特に注意が来ている。
加えて、海外で修羅場をくぐって来たと言う情報もあり、見た目よりも遥かにタフとも想定された。
結果、静かにむしろ紳士的に、しかし理詰めで事実に基づいて迫る。
このキングロードな取調官が採用された。
216 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:33:15.91 ID:uJWzfwxa0
>>215

「持参された上申書も読みました。富樫慎二を殺害したのは自分だと。その事に間違いは?」
「ありません」
「なぜ殺したんですか?」
「水原さん親子の害になる、そう判断したからです」
「富樫慎二が水原可奈、水原美里の害になると、どうしてそう思いましたか?」

「水原さんの事は、日本に戻る前に人に頼んで調べてもらいました。
そうしたら、ひどい男と結婚して離婚してからも付きまとわれて本当に困っていると。
こちらで再会してからはお二人は平穏に暮らしていました。
しかし、あの日、12月2日、帰宅途中にあの男と出会った」

「富樫慎二と?」
「はい。自分のすべき事を把握した僕はただちに自宅に先回りして、
道具を鞄に突っ込んでから引き返して富樫慎二に声を掛けました。
この間弁当屋の側でお会いしましたね、と」
「なぜ?」

「DV加害者の行動パターンはある程度予測が付きます。
店長の水原さんの隣人ですけど何か御用でしたか、こう言ったら案の定富樫慎二は食い付いて来ました。
多少は外面の使えるDV加害者のパターン通りです。
女房に逃げられて娘に会いたいとかなんとか適当な浪花節をふかすのを聞き流して、
今、水原さんは引っ越しの準備をしていてほぼそちらに住んでいると教えました」
「それは事実でしたか?」
「嘘です。架空の住所を教えて、その間に僕は帰宅して必要な道具を用意しました」

その後の供述を聞きながら、ヴェテランの取調官は疑問を禁じ得なかった。
確かに、現在分かっている事との整合性はあるのだが一方で無理がある様にも聞こえる。
つまり、メモされた住所を頼りに架空のアパートに富樫慎二が出向き、
見付けられずに元来た道を戻ろうとする所を燈馬想が待ち伏せて河川敷に誘い出して殺害した事になる。
そんなに上手くいくのだろうかと。

「丸で、その架空のアパートを教えられて以後の富樫慎二の行動を事前に知っていた様ですね」
「あの場所で見付けられなかったらその後どの道を辿って戻ろうとするか、
おおよその見当は付きます」
「そもそも、そのために教えた住所自体、丸で最初から用意していた様だ」
「この計画のためには丁度いい場所だと思いました」
217 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:36:28.61 ID:uJWzfwxa0
>>216

「ちょっと待って下さい、あなたが富樫慎二を殺害する事を決めたのはいつですか?」
「ですから12月2日、彼と出会った時です」
「その時点で誘い出す場所も含めて計画を立てた、そういう事ですか?」
「ええ、そういう事になります」
「その…」

取調官は富樫慎二を誘い出した住所を口にした。

「あの辺には土地鑑が?」
「そうですね、図書館に行く途中とか、なんとなく通り過ぎて見た覚えはあります」
「それで、その場所を」
「はい。距離や想定される人の流れから考えて一番いい場所だと判断しましたから」

とにかく、取調官は殺害、死体損壊と言った部分の供述を詰めていく。

「計算通りに実行した、そう思ったのはその時だけでした。
帰宅してから考え直すと全然駄目です。
ご存じの通り高校時代は素人探偵として殺人事件にも関わって来ました。
人並み以上の知識があってそれを使いこなせる、そう思ったのですが後で考えると穴だらけです。
衣服の燃焼を見届けなかった上に自転車を手つかずにして帰ってしまった、あり得ない致命傷だ。
あれならすぐにでも身元が判明するのは当然です」

「もう一度聞きます。なぜ殺したんですか富樫慎二を?」
「客観的な表現をするなら、歪んだ愛、としか表現の仕様がありません。
僕の、水原さんに対する、です」

「つまり、君は水原可奈のために富樫慎二を殺害したと、そう言いたいのか?」

「もちろん水原さんはそんな事を望んでいない望む人じゃありません。
だから僕が殺した。水原さん親子はやっと生活が軌道に乗った所で決して楽じゃない。
富樫慎二は調査によるとかなり質の悪いバタラーです。
ええ、調べました。早くにシングルマザーになった水原さんが、
富樫慎二の事も含めて、随分苦労をして来た事も。とにかく、嫌だったんですよ」

想は吐き出す様に言う。ようやく感情がかいま見えた様に。

「正直、理解出来んなー。高校時代に仲が良かったと言うのは聞いています、
恋人と目する向きがあった事も。しかし、渡米してからは随分とブランクがあった。
それともあれですか、焼け木杭に火がついたとか?」

その問いに、想は首を横に振った。
218 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:38:55.32 ID:uJWzfwxa0
>>217

「生憎と、それは無かったです。そういう意味で執着していたのは僕だけだった様です。
高校を卒業してから、僕の掌からはこぼれ落ちてばかりでした。
目指した数学の頂きも少しでも理想に近づいた国創りの成果も、本当に欲したものは何も。

もちろん、仕事や生活に困る事もない贅沢な悩みなのは理解しています。
帰国して再会して改めて理解出来た、残されたのは水原さんの笑顔だけだった。
あの笑顔の側にいる事だけがエネルギーになって。
だから、あんな男は、僕にとっては存在自体が耐え難いノイズだった」

僅かな自嘲と共に語っていた想の最後の言葉は、
静かだが百戦錬磨の一課の刑事がそっと息を呑む冷気に満ちていた。

「それでは、何故自首をしたんですか?」
「水原さんが僕の善き友人だったからです」
「分からない」

「帰国してから、僕は気持ちを持て余していました。水原さんへの感情をね。
単純に、まだ恋をしていたんだと思います。だから、あんな事をした。
だけど、水原さんには新しい恋人が出来た。
情けない話ですがストーカー紛い、いや、ストーカーそのものの行為もしていましたね。
それも水原さんに発覚して問い詰められて、それでも、水原さんは僕の善き友人でいてくれた。
僕は、間違えた事を理解しました。その罰を受けるためにここに来ました」

 ×     ×

「確かに、昨日の内に私の事務所に現金の振り込みがあって、
弁護を依頼する速達が今日届きました」
「お手数をお掛けします」
「富樫慎二を自分が殺した、ついては弁護を依頼したいので接見に来て欲しい。
これが用件で間違いないわね」
「間違いありません」

「改めて聞きます。あなたが私に手紙に書いて寄越した事は本当の事ですか?」
「本当の事です」
「ご丁寧にその手紙は検察庁に提出して欲しいとも書かれていましたが、それに間違いは?」
「ありません」

「間違いありませんね。依頼人に無許可で依頼人からの手紙を検察に提出したなんて言ったら
弁護士バッジが幾つあってもありません」
「間違いありません。お願いします」
219 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:41:32.80 ID:uJWzfwxa0
>>218

仕切りガラス越しにぺこりと頭を下げられ、
江成姫子はとうとうガラスの前の台をバンと両手で叩いた。

「何がどうなってそういう事になったんですかっ!?」
「全て、手紙に書いた通りです。愚かな事をしてしまい江成さんの信頼も裏切ってしまいました。
その上で申し訳ないのですが、適切な処罰を受けるため、
些かの私事の整理のために手助けをしていただきたい江成先生」

座ったまま頭を下げる想を前に、姫子は椅子にかけ直す。

「そうですね、弁護人が机を叩いて自供を迫っても洒落にもならない。
時間も限られています。可能な限り整理して聞きます」

 ×     ×

「それでは、指を差して下さい」

捜査員と共に実況見分のために自分の部屋に戻った想は、
言われるままに押し入れを指差す。そこには炬燵の袋打ちコードが置かれていた。

「パソコンも押収します」
「当然だと思いますけど、一応言っておきますと徒労に終わると思いますよ」
「それはどういう事ですか?」

「確かにストーカー行為のためにこのパソコンを使用した事は認めますが、
その痕跡は残っていません。
時折自己嫌悪に襲われましてね。その痕跡は全部デリートしています。
かつてIT関係の仕事をしていた事もありましたので、
消したい部分に繰り返しジャンクデータを書き込んでから消去する特殊ソフトを使っています。
先端企業や軍需関係でスパイ対策に使っているものですから科警研やメーカーでも恐らく復元は出来ません。
ええ、分かっています。そう言っても押収して分析すると言う事は、ご迷惑をお掛けします」

「担当者に伝えておきますが、押収品目録にサインを」
「はい」
220 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:44:10.46 ID:uJWzfwxa0
>>219

 ×     ×

「燈馬君が?」
「ええ、富樫さんを殺したのは自分だ、と警察に出頭しました」

燈馬想の自宅の家宅捜索が行われている頃、隣の部屋では水原可奈の事情聴取が行われていた。
水原美里に対する事情聴取は、近くに駐車した警察車両の中で行われている。
可奈への聴取は彼女の部屋の食堂でテーブルを挟んで行われ、
まずは内海を同行した草薙が可奈に事情を説明していた。

「余り、驚いていない様に見えますか?」

そう言うと、可奈は立ち上がり戸棚から何かを取り出す。
それは、お菓子の箱だった。
そこから現れた物証に関して、少しの間事情聴取が続く。

「あの…」
「何でしょうか?」

思わず沈黙してしまった草薙が、可奈の声に聞き返す。

「内海さんと少し、その、お話しいいでしょうか?」

二人の刑事は頷き合い、内海と可奈は美里の部屋に移動した。
少しの間そちらでの話が行われ、引き戸が開いて戻って来た内海が草薙に耳打ちをする。
少しぎょっとした表情で草薙が内海を見る。

「では、署までご同行いただけますか?」
「分かりました」

内海の言葉に可奈が従った。

 ×     ×

貝塚北警察署の廊下で、任意同行されていた可奈が見送る草薙、内海にぺこりと頭を下げる。

「あの、水原さん」
「はい」

その時、内海が可奈に尋ねた。
221 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:47:57.68 ID:uJWzfwxa0
>>220

「もう一つだけ」
「なんでしょうか?」

内海は、我ながらどこぞのテレビの中の変人天才刑事の様だと思いながら、
実の所たった今思い出した質問を切り出し、可奈は愛想良く応じる。

「燈馬想の頭の中には地図が入っているんですか?」

その質問に、一瞬きょとんとした可奈はふっと懐かしそうに微笑んだ。
しかし、その温かな筈の微笑みに内海薫が感じたのは、血の凍る様な戦慄だった。

「はい、入ってますよ」

にっこり微笑んだ可奈はさらりと答え、再び一礼する。

 ×     ×

「乱暴されたぁ?」

水原可奈を送り返した後、捜査本部で葛城が内海に聞き返した。

「はい。ストーカー行為について話を付けようとした所、
ホテルの部屋に呼び出されて乱暴されたと。
正確には強姦未遂です。薄くなっていましたが痣や傷跡も残っていました」

 ×     ×

「もしもし、ああ、俺だ」

貝塚北警察署の廊下で、携帯電話を受信しながらさり気なく目立たない位置に移動した草薙を
内海は追跡する。相手の見当が付いたからであり、草薙も拒まなかった。

「取り敢えず一日の調べは終わったって所だ。
電話じゃちょっとな。只、現状では自首は維持せざるを得ない。
それで一つ、確認したい事がある。燈馬想の好みのウィスキーだ。ああ、ああ…」

草薙が電話を切った。
222 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:50:29.53 ID:uJWzfwxa0
>>221

「湯川先生ですか?」
「ああ、あいつも気になってたらしい」
「水原可奈の自宅台所ですね」

「エヴァン・ウィリアムス。封も切っちゃいなかった。
湯川が知る限りでも、大概ウィスキーって言ったらバーボンをやってたらしい。どう見る?」
「そのまま考えると燈馬想が自首する事を知らずに用意した」
「つまり、普通に考えなきゃ」
「そう思わせるために用意した」

 ×     ×

警察署を出た所で、可奈は自分の携帯を確認して自宅に電話を掛けた。

「もしもし、美里、戻ってた?」
「うん、それで…」

 ×     ×

「ただ今っ!」
「お帰り、おかあさん」
「お帰りなさい、待たせてもらったわ」

ダイニングテーブルに着いていた江成姫子が立ち上がり、可奈を迎えた。
自宅の留守電に姫子からのメッセージがあったため、
美里が母親にその事を伝えて可奈が姫子の携帯に電話を入れて美里にも姫子を迎える様に伝えていた。
そして、可奈と姫子は改めてテーブルに着席して向かい合う。

「久しぶりね」
「久しぶり。燈馬君の弁護人をしてるって?」
「ええ。出頭直前に燈馬想本人から依頼が入りました。
それで色々聞かせてもらいたいんですけど、いいですね」

姫子の言葉に、可奈は頷いた。

最初の話し合いで姫子が把握したのは、
可奈が警察で聞いた事と姫子が把握して今話す事が出来る事に大きな相違は無いと言う事だった。

「じゃあ、現物は押収されたのね?」

デジカメの写真を手にして姫子が言った。
223 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:53:21.58 ID:uJWzfwxa0
>>222

「うん。昔の癖で最初に薄気味悪いから撮影しておいて、
こんなものとっておきたくなかったんだけど、まだデータ残ってたから」

写真に写っているのは上質紙を畳んで作った封筒、表面には「水原可奈様」と印字されている。

「あなたが頻繁に会っている男性の素性を突き止めた。
あなたに聞きたい、この男性とはどういう仲なのか。
もし恋愛関係にあるというのなら、それはとんでもない裏切り行為である…」

姫子が別の写真に撮影されていた無機質な印刷文字を読み上げていると、
不意に、茶の間からガタッと言う音が聞こえた。
そちらでは、部屋に戻ろうとしていた美里が部活動のラケットを取り落とし、蹲っていた。

「そして、デート現場の盗撮写真、こういうものは他にはあったの?」
「もっとあった。手紙も写真も何回も。だけど、気味が悪いから捨てた、写真も撮ってない。
写真を撮ろうって思い付いたのが前のを捨てた後に来た時だったから」
「あなたはどう思ってるの?」
「どう、って?」
「今現在の私の依頼人に就いて尋ねるに当たって、
家族以外にあなた以上の適任者がこの世にいる筈がありません」

自信たっぷりに断言する姫子に可奈の口元が綻びそうになるが、
すぐに可奈は下を向き首を横に振った。

「分からない」
「分からない?」
「ストーカーの事は、ちゃんと話付けて燈馬君も謝って、それで終わると思ってた。
燈馬君が人を、殺した、あいつを、もしかしたら私のために、そんなの、理解出来ない」

「ざっくり聞くわよ。あなたが頼んだとか、いや、教唆じゃなくても
ほのめかしたとか愚痴をこぼしたとかなんでも、そういう事は無かった?」
「無い。だって、燈馬君とあの男、富樫慎二の事を話したのは
殺されて新聞に出たのが初めて、本当なの」

ふと、姫子は蹲ったままの美里に視線を向けた。
彼女も任意で事情を聞かれたと言う。先ほどからの話ではかつては富樫慎二のDVに晒され、
そして殺人事件の事情聴取でもその事を聞かれた筈。精神的に大きな負担となっている筈だ。
気が付いた時には、姫子は美里の視線を追っていた。
そしてはっとする。可奈が油断無くこちらを伺っていた。
224 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/19(金) 14:55:44.53 ID:uJWzfwxa0
>>223

「水原さん」
「はい」
「私には今の立場、燈馬想の弁護人と言う立場があります。
友人として手助けしたい気持ちはあっても軽々な事は言えません。
只、お嬢さんの事はとにかく気懸かりです」

そう言いながら姫子は携帯電話を操作する。

「面倒な事になりそうなら迷わずここに相談する事、いいですね」
「うん。有り難う」

可奈は、姫子がネット接続した弁護士会の子ども人権窓口の電話番号をメモした。

 ×     ×

姫子が帰宅し、施錠しチェーンを掛けた後、ダイニングテーブルの椅子に掛けていた可奈は、
台所の隅から菓子箱を引っ張り出す。
そして、その底からA4折り畳みの茶封筒を取り出した。

封筒には何も書かれていない。中から折り畳まれたレポート用紙を取り出し、
几帳面な文字をじっと見つめる。
気が付くと、背後に美里が立っていた。
美里が頽れそうになり、可奈が美里を抱き締め、二人は只、泣いた。

今回はここまでです。続きは折を見て。
225 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(広島県) [sage]:2012/10/19(金) 17:33:10.89 ID:9rZCb8rEo
もはやSSではないな
226 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/25(木) 15:46:30.81 ID:/rFIaedz0
>>225
ぼちぼち終盤戦ですしこのまま突っ走ります。

それでは今回の投下、入ります。

>>224

 ×     ×

一日の取調を終えた燈馬想は、粛々と留置所に入り食事その他を済ませて就寝をする。
天井を眺めながら頭の中で計算に没頭する。
ここでも出来ない事は無いだろうが、紙と鉛筆を本格的に使うのは拘置所に移ってからになるだろう。
この場合、四色問題は悪くない。

 ×     ×

その日は、いつも通り図書館からの帰路についていた。
後の予定は、いつも通り計算に没頭し、目覚まし時計が鳴れば夕食。
特に若い頃は数式と食事を秤にかけて随分無茶をしたものだから。

さすがにトースターと電子ジャーこそ購入したものの、
食事は大概近場で購入して一手間で済むものが主になる。今日の買い置きはある。
浅からぬ思い出の川の近くになんとなく決めた住居、
先の事は先の事として淡々と過ぎる一日。
自宅アパートに到着した想は、玄関ドアの鍵穴に鍵を差し込もうとする。

「燈馬君」

近くでドアが開く音と共に聞こえた声。
横を向きながら、想の中ではありとあらゆる感情が只、高速で通り過ぎる。
気が付いた時には、想は全身で温もりを感じていた。

「久しぶりっ!」
「水原さんっ!?」

叫んだ想の目の前には、見ているだけで涙が溢れそうになる。最高の笑顔が輝いていた。

「ど、どうしたんですか水原さんっ!?どうしてここに!?」
「いやー、引っ越し先色々リサーチしてたらさぁ、
図書館からこの界隈にかけて数学好きで味方に付けたら便利な
三十路過ぎの謎のNEETがいるって言うからね、まさかとは思ったんだけどねー」
227 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/25(木) 15:48:53.24 ID:/rFIaedz0
>>226

「あの、まさかそれで?」
「んー、一応確認してね、つー訳であれが私ん家、よろしくねお隣さん。
蕎麦はこれから打つトコだから」
「は、はあ…」

そう言われた想は、まだ現実が認識し切れない。
それ程までに渇望しだからこそそんな都合のいい話が、と言うフィルターがかかる。

「あ、美里?この人燈馬想さん、私の高校のクラスメイト。
15であっちの大学卒業したアメリカの天才飛び級野郎でさ、
挨拶代わりに抱き付くの習慣になっちゃってねー」

可奈に声を掛けられ、その背後で唖然としていた美里がぺこりと頭を下げる。

「この娘が娘の美里」

そう言いながら、可奈は想にチラシを渡す。

「これ、私の弁当屋、近日開店だから是非寄ってって。
コブ付きのバツイチシングルやっぱり大変でさ、
燈馬君も色々あるかも知れないけど、まあお隣同志よろしく頼むわ」
「は、はい」

状況認識が今ひとつ追い付いていなかった想だったが、
それはあちらも同じらしい。あちらとは可奈の事ではない、
その斜め後ろで小さくなっている美里を目にして、想の口にくすっと笑みが浮かぶ。

「燈馬想です。よろしく、美里さん」
「水原美里です、よろしくお願いします」
228 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/25(木) 15:51:36.13 ID:/rFIaedz0
>>227

 ×     ×

計算を進める内に混濁する意識の中で、想は改めての出会いを思い出していた。
このシチュエーションでの四色問題は悪くない。
頭の中を縛る事は出来ない、丸で蜃気楼の様にゴールがある事だけは分かっている、
しかし人の足では容易に辿り着かないその長い長い道行きは止められない。

無論、それがごまかしを含んでいる事も分かっている。
少なくとも家族には迷惑などと言う程度の話ではない。優はどんな顔をして報せを聞いたのだろう。
もしかしたら、と、思う、多少の自惚れが許されるならば、
優が自分を信じて無実を求めれば求めるほどお互いの傷は止め処なく深くなってしまう。

家族に多大なる迷惑を掛け、友人もことごとく失うだろう。
突然仕事を投げ出した工場の人達には、本当に詫びても詫び切れない。
出所しても、例え想の頭脳キャリアをもってしても生活すら容易ではなくなる事も十分考えられる。
そんな事は、分かり切っている。
それでも、この優先順位を選択した。

 ×     ×

「ええ、その通りです」

翌朝、取り調べを受けた想は淡々と答えた。

「あの男の事で、ええ、僕のストーカー行為の事なんですけど、
それで水原さんが怒っているのを見て、無性に腹が立ちましてね。
言葉にするなら、いっそ、一度だけでも自分のものにしてやりたいって。
だけど、途中でやめました」

「何故?」
「水原さんじゃなかったからです」
「それはどういう?」

「何と言いますか、悲しい顔をして黙ってされるがままで、
凄く嫌な気分になって、途中でやめました。
結局、後日謝罪してぶっ飛ばされた訳ですけどそんな事で許される事じゃありません。
もし、刑事告訴すると言うのなら、裁判で抵抗をするつもりは一切ありません」
229 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/25(木) 15:55:12.46 ID:/rFIaedz0
>>228

 ×     ×

受け渡しは、早朝のビジネスホテルの一室で行われた。
受け取った茶封筒の中身が確認される。

「最新の捜査報告書と供述調書まで、仕事が速いわね」

渡された資料の想像以上の分厚さと内容の充実感が、その感想を吐かせる。

「確かに、刑事警察扱いの事件でも公安畑を握っていればルートはある。
それでも、チンピラ一人の事件に最初からご執心だったとしか思えない」
「それはあなたも同じ事でしょう」
「お互い、分かり切った事は抜きにしましょう。
所詮この世界も表で顔を隠して裏で顔を繋ぐ世界。
例の件、信義にかけてこちらで話を付けておきます。感謝するわMr.N」

 ×     ×

「よろしく、美里さん」

あの声を思い出す。あの優しい笑顔も。

「分からない訳ないじゃん」

そして、独りごちる。
それが、この日の水原美里の放課後の事。体調が悪いと言って部活動も休んで帰路についていた。
ニュースは学校にも届いていたので、深い追及もなかった。

「美里さん」

下を向いていた美里は、正面からの声にはっと顔を上げた。
230 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/25(木) 15:57:43.15 ID:/rFIaedz0
>>229

 ×     ×

「食べる?」
「いただきます」

ちょうど、途中で見かけた屋台の鯛焼きを渡され、美里は口にする。
そうやって、江成姫子と水原美里は並んで川沿いの小さな公園のベンチに座っていた。
本当なら断る事も出来た。だが、美里は引き付けられていた。

昨夜の事を見ていても、真面目過ぎる状況の筈なのに何と言うかユニークな人だ、
母から聞いた話でも本格的にユニークな人らしい。
そして、人を惹き付ける力強さがあり、自分が知りたい事の側にいた女性。

率直に言って、金を掛けていると言う程ではないがセンスがいい、本人の素材も上々。
母とは別の意味で格好いい女性、と言う印象でもあった。
さり気なく、だが確かに見せつけられたICレコーダーの前で、
まずは燈馬想との出会いを聞かれ、美里は知っている限りを答えた。

「それで、どう見ましたか?」
「どうって?」
「あの二人、燈馬想と水原可奈の関係」
「普通に元カレ」

美里のストレートな表現に、姫子はくすっと笑った。

「そう見えましたか?」
「他にあり得ないですって、分からない訳が無い。
あの時のあの二人の顔見てたら、
お互いの気持ちなんて見てるこっちがお腹いっぱいってぐらいで」
「あなた、いい事を言いました。そうなのよねー」

姫子が天を仰いではーっと嘆息する。

「あの…」
「はい」
「えっと、クイーン会長、なんですよね」
「お母さんに聞きましたか?ええ、そういう名前も持ち合わせています」
「江成先生って母と同じ高校だったんですよね、一緒の同好会で」
「ええ、そうです」
231 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/25(木) 16:00:15.58 ID:/rFIaedz0
>>230

「母と燈馬さん、付き合ってたんですか?」
「答えはノー、二人は形の上ではとてもいい友人でした。
但し、あなたの言う通り、間近で見ていればそれは分かるものです」
「想像つく」
「そういう事です」

「江成先生は」
「え?」
「江成先生は燈馬さんの事、どう思っていたんですか?
一緒の同好会で今回も真っ先に依頼が来るって、信用されてますよね」
「まあ、その前に彼に借金していると言う事情もありますけどね」

そう言いながら、母親譲りか結構頭の回転も早いと、姫子は改めて思い直す。

「特に頭脳労働においては実に頼りになる善き友人、それが答えと言う事にしておきましょう」
「なんか含みのある言葉ですねー」

思春期の女の子のこう言って食い付かないと思う方が間違えている。

「そうですね、彼を恋人とした高校生活、確かにユニークで実りあるものだったかも知れない。
能力がある上に芯は実に誠実な男性です」

姫子と目が合い、美里は頷いていた。

「只、はっきりしているのは、欠片でも恋愛感情があったとしても、
母熊が仁王立ちしている真ん前から
子熊をかっさらってでもと言う程の強い想いではなかった、そういう事です」

姫子の返答は、美里が吹き出すに十分なものだった。

「いっ」
「どうしたんですか?」

微笑みながら後頭部を掻いていた姫子の声に美里が聞き返す。

「引っ掛かったみたい、弁護士って言っても零細事務所は貧乏暇無し」

そう言いながら、姫子は自分の鞄を漁る。
232 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/25(木) 16:02:38.38 ID:/rFIaedz0
>>231

「ねえ、ヘアブラシ持ってないかしら?」
「あ、あります」
「ありがとう」

姫子が美里からブラシを借りて自分の髪に当てる。

「ふわふわして綺麗な髪だと思うけどなー」
「ありがとう。あなたも綺麗な髪をしてる」
「ありがとうごさいます」
「やっぱり歳を感じるわ」

苦笑いしながら、姫子が美里にブラシを返却した。

「それじゃあ、今日はこの辺にしておこうかしら。その前に一つだけ、いい?」
「何ですか?」
「あなたから見て私の依頼人はどんな男性でしたか?」
「え、っと、その、そんなに詳しく知ってる訳じゃないです。
母は時々話とかしていましたけど、私は直接話す事もあんまり無かったし。
只、優しそうな人だなあって、ちょっと頼りない感じでしたけど嫌な感じはしなかった」
「恐らくあなたの見る目は確かです、信頼出来ると思いますよ」

姫子が言う。美里も自分でも少しは自覚している。
義父だった富樫慎二の悪影響で、些かでも男性に対する抵抗感が強まっている事を。

「時々だけど、おかあさんとは本当に、だからそういう事なら、
って漠然と考えたりとかもしてたけど、こんな事になって、
私にはもう、正直分からない」
「分かりました。辛い事を色々と申し訳ありません」
「いえ、正直、警察よりは、少し誰かと話したかったし」
「そうですか」

そう言って、姫子は美里に名刺を渡す。
233 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/25(木) 16:05:28.07 ID:/rFIaedz0
>>232

「中学生には少し難しいかも知れませんが、今の私は燈馬想氏の弁護人です。
例え今目に見える社会正義に反している様に見えても、その立場を優先しなければならない」
「そうしないと懲戒とかされるんですよね」

「そういう事です。個人的には燈馬想も水原可奈も私の善き友人。手助けしたい。
ですが、今はそれが優先されます。
それを踏まえた上で、何かあると言うのなら連絡いただけると助かります。

只、今のあなたは社会的には中学生です。
職務上の調査であっても余りあなたを騙したり親の目を盗む様な事を
プロとしてやり過ぎるとこれはこれで問題がありますので。
それでも、私は出来る限りの事はするつもりです」

「分かりました。何かあったら」
「お願いします」

姫子が改めて頭を下げる。
真面目な返答をした美里は凛々しいぐらいであり、
そう、姫子の知る誰よりも凛々しい少女の娘であると再認識させられた。

今回はここまでです。続きは折を見て。
234 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/10/25(木) 17:41:19.49 ID:hL7hy+Mdo
見てる人少なそうだけど頑張るんだ!!
235 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 00:50:46.93 ID:Vxo/hs3a0
>>234

ありがとうございます。
それでは今回の投下、入ります。

>>233

 ×     ×

「精神鑑定論争がこじれたとは言え長引いたわね」
「弁護士と医者が妙にハッスルしてくれたからな。
だが、それも研究。敢えて拒否はしなかったよ」
「それでも殺人未遂に銃刀法違反、出所も間近だけど」
「その後は国外退去、アメリカ入国と同時に逮捕、ロシアとチャイナの代理処罰要請に基づいてね。
日本の当局にも全てを供述している、立件に何の問題も無い筈だ。
どの道生きて出られる見込みは無い、キレる上にキレてるイカレ野郎としての名前だけを残してだ」

刑務所面会室の硝子越しの対話は、至って淡々と進められていた。
弁護士接見でも無いので刑務官の立ち会いはあるが、
面会人が当面得ている身分、法務省本省筋からの微妙な連絡が英語の会話への介入を慎重にさせている

「新聞は読んでいるかしら?」
「ああ」
「あなたがそこにいるぐらいご執心だった、その彼の事も?」
「ああ、興味深く読ませてもらった。これでも今は模範囚だ。
弁護士もわざわざ報せてくれたし日本語も一応は理解出来る」
「じゃあ、話は早いわね」
「何か、教えてくれるのか?」

防弾ガラスを挟んで黙って面会人からの説明を聞いていたが、その内に笑い出していた。

「あんた、その供述本当に信じてるのか?」
「まさか」
「だろう!」

一笑に付したその態度に、ガラスの向こうの男は台に手をついてぐわっと迫った。
236 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 00:53:11.06 ID:Vxo/hs3a0
>>235

「そうだ、そんな事あり得る筈が無い。
そうだ、あいつはそんなもの、俺が追い続けたまやかしの輝きを一蹴して見せたんだ。
今更そんな理由で馬鹿げた殺人などするものか」
「馬鹿げてる」
「ああ、少なくともあいつにとってはな。
確かに、数理屋なら納得するかもな。つかみかけたリーマンの証明が実は蜃気楼だった」
「心臓が止まっても不思議ではない、そう聞いた」

「そういう事だ。だが、あいつに限ってはそんな事は無い。
確かに、リーマンすらねじ伏せかねない才能の持ち主ではあったし、
それだけに最後の詰めで足をすくわれた、その絶望も想像を絶する。
だが、それで終わる訳がない。そうであれば、俺はここにはいない」
「理解出来る様に証明してもらえるかしら?」

「ああ、あいつは俺とは違う、そもそも殺人なんて愚かしい真似はしない天上の星さ。
だが、あいつにとってはその輝きよりも大切なものがある。
そうさ、その名が全てを照らし輝く事じゃない。その輝きが誰のものかを知ってくれる人。
あり得るとしたらそれ以外に無い。そうでなければ、俺の間違いを証明出来やしなかった」

「感謝するわ、Mr.…」
「ああ、俺は…」
「そろそろ時間です」

刑務官の言葉に、面会人が立ち上がった。

「大学時代も新聞ぐらいは読んでいた。あの頃を思い出す。
標準的なビジネス英語を心がけても地は隠せないね。懐かしいものを聞かせてもらった」

 ×     ×

「ふーっ」

広い洗い場で一日の汗と汚れを洗い流し、
タオルを頭に乗せて浴槽に身を沈めると思わず声が溢れる。
心身共に何とも疲れる事態になったが、その身に広い浴槽の熱めの湯は具合がいい。
商売繁盛の様だが、このぐらいの賑わいは心地よいぐらいだ。

浴槽から上がった江成姫子は、シャワーブースでざっと掛け湯をしてから脱衣所に向かう。
脱衣所での支度を済ませ待合室に移った姫子は、
コインロッカーにしまってあった携帯電話を確認すると待合室の隅に移動した。
発信した携帯を耳に当てる。
237 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 00:56:20.57 ID:Vxo/hs3a0
>>236

「もしもし、どうだった?」
「よくないです。用件は伝えたんですが海外出張とかで」
「あり得る話ね。場所は?」

その質問への答えを聞きながら、姫子の表情には陰鬱さが増していく。

「…奥地での研究調査に許可が出たとかで、通信手段も限定される上に、
そもそも我々が取り次ぎを得られるか」
「出来る限りの事をやって、とにかく、一刻も早くコンタクトが取れる様に念を押して」
「了解しました」

電話を切った姫子は、一度嘆息するとパンと両手で頬を張り、
スーツの襟に弁護士バッジを装着して番台に向かう。
まずはフルーツ牛乳を購入し喉を潤してから、番台の親父に名刺を見せて用件を告げる。

「入れ違った」

そっと横を向いた姫子が舌打ちをこらえて呟いた。

 ×     ×

「………」

するすると枯れ木を上りベランダから中に入る。
掃除のために森羅博物館に足を踏み入れた立樹が目にしたのは、
互いにコオオとオーラを発しながらにらみ合いを続けているヒヒ丸と江成姫子の姿だった。

 ×     ×

「………」

テーブル席に就いた姫子は、
運ばれたカップとその運び手を見比べて黒い液体にじっと視線を落としていた。

「江成先生」
「はい」

テーブルの対面に座った立樹が姫子に声を掛ける。
238 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 00:59:03.13 ID:Vxo/hs3a0
>>237

「燈馬さんの弁護人なんですよね」
「その通りです。あなた、燈馬想氏との面識は?」
「何度か。海外でしたけど、森羅と一緒に会った事があります」
「なるほど。その森羅氏とお会いしたかったのですが」

その申し入れに、立樹が首を横に振り状況を説明する。

「そうですか、極秘調査で」
「はい。非常に厄介な利害関係が関わる調査だとかで、
今は私も居場所を知らないんです」
「連絡は?」
「大英博物館の学芸員の一人が仲介役になっています」
「なるほど」
「あの」
「なんでしょう?」

「森羅にどの様なご用件だったんでしょうか?
確かに森羅は燈馬さんの従兄弟で昔は随分仲良くしていましたが、
ここ暫く連絡も取っていなかった。それが今回の事件の弁護士さんとどの様な関わりが?」

「分からないんです」
「は?」
「分かりませんか?燈馬想と言う人物が分からない、理解出来ない、と言う事を?
実の所、高校からの付き合いではあるのですけどね、だから余計に」
「確かに、それは理解出来ます」

姫子の言葉に、立樹も深く納得した様であった。

「あの」
「なんでしょう?」
「燈馬さん、燈馬さんは、本当に人を殺したんですか?」
「今、それを明確に返答する権限は私は持ち合わせていません」
「そうですか、裁判って大変なんですね」

珈琲を傾ける姫子の姿は、その言葉を肯定するかの様だった。
239 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 01:01:28.30 ID:Vxo/hs3a0
>>238

「あなたはどの程度、事件の事を知っているんですか?」
「森羅がああだから、多少の伝手は持っています。
過去には警察に協力して殺人事件を解決した事もある。
その事で、今回もあなたの前に変な人も来たし」
「変な人?」

姫子に問われ、立樹は南空ナオミとのあらましを伝える。

「…元FBI…それが燈馬想の周辺を調査していた…」
「元はと言えば水原さんの離婚したDV旦那が殺された、そうなんですよね」
「ええ、その通りです」

「それで、燈馬さんが逮捕された。燈馬さんは自首して容疑を素直に認めている。
少なくとも私はそう聞いています」
「ノーコメントとさせてもらいます」
「ええ、江成先生の立場は理解してるつもりです」
「助かります」

姫子がそう言った時、立樹は顎を指に挟んで考え込んでいた。

「やっぱり、無い」
「え?」
「燈馬さんがそんな事で人を殺すなんて考えられない」
「どうしてそう思いますか?」

「あの森羅が圧倒的な高みにいる事を認めてる、
そんな人がそんな事で逮捕される、全然納得いかない」
「オフレコでギリギリの事を言いましょう。
彼を知っている友人としての江成姫子であれば、全く同じセリフを言った筈です」
「でしょうっ!」

立樹が姫子を指差して叫んだ。

「それでも…もし、本当にそれがあり得るんだとしたら…
多分そういう事になるとしたら、それは一つだけ…」
「その点も、恐らく同意見だと思います。
海外で、燈馬想と会って、そして事件を解決した事もある。
それを見て来たと言う事はあなたも見て来た筈」

姫子の言葉に、立樹も頷いた。
しんと静まったテーブル席で、姫子は上目に立樹を見た。
240 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 01:04:04.14 ID:Vxo/hs3a0
>>239

「明日にでも、締め上げてでも吐かせる腹ですか?」

立樹は首を横に振る。

「本当にそうなら、事件の部外者が一人でどうこう出来る、
それでどうにかなるんだったら最初からこんな事になってない。
だって、あの二人なんだから」

姫子が、ガタリと立ち上がった。

「美味しい珈琲を頂きました」

 ×     ×

とっくに陽の落ちた住宅街を姫子は進む。
途中で立ち止まり、携帯を取り出す。

「もしもし」

「…ガガッ………申し訳………ございませんカガッ………クイーンガッ会長………」
「もしもし?」
「ガガッ………氷のガガッ中………既に………お亡くなりに………ガガッ」
「ちょっと待った、あんた今どこにいる?」
「……ガガッ………現在地………ガガッ………報告………ガガッ………」
「………でかしたっ!!!………」

周辺から、ガラガラッと窓が開く音が響く。
姫子は、走りながら地名を電話に吹き込む。

「………空港に向かって!大至急っ!!」
「………ピー………空港ガガッ………ですか?」
「そう、最優先で、詳細は後で説明するから今すぐ向かって!
恐らくそこが中継点になる。何としても燈馬優を捕まえるのっ!!」
「ガガッ………ガッ………シー・イエッサー!………
イエス・ユアマジェスティクィーン閣下!!!」
「行って来いっ!!」
241 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 01:06:32.50 ID:Vxo/hs3a0
>>240

姫子は電話を切りながら、何となく電話の向こうのBGMが
何かまずいものを見られた国会議員の放つ銃声の様に聞こえた様な気がしたのは
聞かなかった事にしておく。

電話をしまい、黙々と歩く。歩きながら姫子は考える。
真実を突き止める、真実を突き止めてどうする?
今は燈馬想の弁護人だ。真実に従い依頼人を説得する。それが王道だ。
だが、その説得に応じる相手か?江成姫子は何のために説得するのか?
多くの場合、真実は結局強い、虚偽はどこかで破綻する。
余計な事をしてもろくな事にならない。それも一つの答え。

だが、相手は燈馬想、あの燈馬想が自らの一生をチップに張って仕掛けた勝負、
「真実」がそれを突破するだけの力を持ち得るか?
それは、弁護人としてか、友人としてか、
弁護人は解任されればそれまで、そして、例え解任されたとしても、
一度弁護人として事件に関わった以上、そこで知った事は、

「ふっ」

足を止めた姫子の口元が綻ぶ。

「ふっ、は、ははっ、あははっ!
あははははははっ、あーっはっはっはっはっはっはっはっ!!!」

上を向いて、大声で笑っていた。

「やってくれたわね、燈馬想!」

はっとして周囲に気を配りながらも、それでも聞こえない様に姫子は叫ぶ。

「それはつまり、私の事を少しは脅威と思ったからかしら?面白い」

実に面白い、あの男にそこまで見込まれたからには、逃げる訳にはいかない。
今や将軍の風格すら持つかつての騎士、
こちらは海賊船の女王、相手にとって不足はなし、海賊らしく突き進み、お宝を奪い取るのみ。
只、それでも、かつてない悲しい闘いになる。そこに違いは無い。
242 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 01:08:58.64 ID:Vxo/hs3a0
>>241

 ×     ×

「つまる所」

アラン・リードは、自宅のソファーでルービック・キューブを回しながら報告を受けていた。

「燈馬は自首して逮捕され、南空ナオミは行方不明で音信不通、そういう事か」
「申し訳ございません!全ては私の一存で行った事。
いかなる処分も甘んじて受けます。解雇であれ…」

ルービック・キューブを投げ出し立ち上がったアランは、振り返り指差しながら叫んでいた。

「その先は言うな、絶対に言うな言ったら絶対に許さんからなっ!!」
「申し訳ございませんっ!!」

「分かるな?分かってるよな?お前、まんまと燈馬にハメられたんだ」
「はい」
「あいつは基本、お人好しだ。だけどな、必要とあらばどこまででも冷酷にも腹黒くもなる、
しかも、一片の歪みもなく合理的にだ。
聡明で生真面目、義理堅い良識ある常識人で健全な社会人。
そんなお前をつっつけばどう考えてどう動くか、最初っから全部読まれてたって事だ」

「申し訳、ございません」
「ああ、お前一人で尻尾を掴める様な相手なら、
俺様は今までそんな相手に何をしてたんだった事になるからな。
大体、それでお前を首にしたらこっちの尻に火が付く」
「え?」

「俺も最初からそのつもりだって事だ。
燈馬にそこまでさせる事が出来るなんて他に誰がいる?
忘れたか?最初に水原可奈に目を付けたのが誰だったのか?」

そう言って、アランは手元の受話器を取り上げる。
243 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 01:11:42.26 ID:Vxo/hs3a0
>>242

「どっちにしろ、アラン・リードの愛妻をコケにしてくれた時点で腹に据えかねる」
「え?」
「そういう訳で本気で全力を挙げて介入して無駄な抵抗に引導を渡す、異議は?」
「ありません」

「まあ、針はデカけりゃいいってモンじゃないからな。
ああ、俺だ、例の件でコンタクトを…何?ああ、分かった、全て任せる、そう伝えてくれ」
「アラン?」
「燈馬の尻を蹴っ飛ばしてやるってさ、癖になるかもな」

電話を切ったアランがそっくり返って乾いた笑い声を上げる。
そして、体勢を戻し逆にテーブルに傾けてその上で両手を組む。

「しかし、あんたもタフだが、本気になった燈馬のネゴは大概タフだぜ…」
「それでは、私は…」
「エリー!」

一度退出しようとするエリーをアランが呼び止め、ピッと紙片を掲げた。

「この手の話は苦手だ、ゼンショしろ」

エリーは、折り畳まれた紙片を開き一読すると、
再び折り畳みぱくりと口に含み飲み下した。

「知ってたのか?」

今回はここまでです。続きは折を見て。
244 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/28(日) 01:13:52.84 ID:wNMh6ZjH0
菱田wwwwww

どうでもいいけどアランのファミリーネームはブレードだったはず
245 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/28(日) 01:22:15.94 ID:Vxo/hs3a0
>>244
ぎゃああああっ!!!
マジだ、っつーか何書いてんだよ自分素で間違えた

つー訳で>>244が正解
脳内補完頼みますサンクス
246 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/29(月) 02:23:24.21 ID:gOGKl+eA0
それでは今回の投下、入ります。

>>243

 ×     ×

「珈琲、いれますね」

帝都大学物理学研究室で言葉の接ぎ穂を失っていた内海薫は、
珈琲をいれると、中二階へと運んでいく。
そこでは、古びたソファーに埋まり込んで、湯川学准教授が惚けていた。

「水原さんは人殺しをする様な人じゃない」

珈琲を置いた内海が反応して当然の言葉だった。

「燈馬想と再会した時に彼が言った言葉だ。
驚いたよ、彼が心証を語ったんだからね」
「あの…それって、それ程大変な事なんですか?」

「殺人事件の犯人であるか否か、
彼が他人に軽々しく心証のみで自らの判断を語る、実に大変な事だ。
しかも、相手は僕だ。友人ではあったがウエットではない、
むしろ、そうした判断基準に最も馴染まない類の人間である事を、
彼が一番理解していた筈だ。その僕にそうした事を告げた」

取り敢えず、湯川が基本的に自分に対する評価を正確に把握している事を内海は理解した。

「推測は色々出来る、が、はっきりしているのは、
燈馬想はその時、自分の判断の根拠を最後まで語らなかったと言う事だ、僕を前にしてね。
彼は僕が警察とのパイプ役になり得る事を知っていた、実際に警察にそう伝えてくれ、そう言っていた。
ならば根拠があるなら話していた筈だ。
その程度の、互いの理性と知性に関する信頼関係はあったものと僕は信じている」

湯川を知っていて、湯川を前にしての燈馬想の言動、確かに説得力はあった。

「その発言に関する推論の一つは、燈馬想にとって、
水原可奈がその論理的な思考、発想すら超越するア・プリオリに無垢な存在である、
水原可奈と言う存在イコール無実に証明であると彼が信じ込める存在である、と言う事。
それはあり得るか?」
247 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/29(月) 02:26:16.30 ID:gOGKl+eA0
>>246

「率直に言います、考えにくいです。
燈馬想は水原可奈の事をかなりよく理解していた筈です。
水原可奈は基本的には標準以上の正義感を持ち合わせた善人であり常識人です。
しかし、それは私達が仕事をしていれば取調室で顔を合わせる三分の一強の人間でもあります。
そして、水原可奈は決して馬鹿ではありませんが直情的な性格を多分に持ち合わせています」

「直情的な正義感、か」
「そして、燈馬想。ええ、恋愛感情が彼ほどの天才を盲目にした。
それも絶対無いとは言えませんが、素人探偵として、それ以外の事でも、
湯川先生の言う通り、人間の汚い部分に目を閉じて湯川先生の前でさらりと信じてしまうには、
彼は余りに色々な事を見過ぎている」

「友人として彼に接した感想と概ね一致している。
では、他に考えられるのは、彼が作りすぎたと言う事」
「作りすぎた」

「水原可奈とは決して無関係ではない、
古い友人である自分が殺人事件に巻き込まれた友人についてどの様な世間話をするか、
当たり前の世間話と言うものを考えすぎた。元々、そうした分野の交際には比較的疎い、
それでいてそういう現象が存在すると言う事をロジカルに理解する事には天才的、それが燈馬想だ」
「教えて下さい、燈馬想は一体何をしたんですか?」

一言一言の度に決して隠せない、余りにも沈痛な湯川の表情に内海は核心を切り出した。

「僕がこの事件の真相を暴いた所で、誰も幸せにはならない」
「そうも言っていられないんだな」
「草薙さん」

草薙俊平が階段を上がって来た。

「南空ナオミと言う女性が行方不明になっている」
「南空ナオミ?」

唐突な言葉に内海が聞き返した。
248 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/29(月) 02:28:47.39 ID:gOGKl+eA0
>>247

「元FBI捜査官でフリーの調査員、かなり凄いコネが色々とあるらしい。
俺の所にも、警察庁のお偉いさんを介して極秘に接触して来た」
「何のために?」
「今この面子で話すのに他の理由があるか?」
「燈馬想か?」

湯川が呻く様に言った。

「俺にこの事件の捜査情報の提供を要請して来た。
あの女がご執心だったのは、燈馬想の事件当日、
そしてその前何日かのスケジュールを可能な限り正確に、ここにこだわっていた」

二人の刑事から見て、湯川の目つきが変わったのは明らかだった。

「燈馬想の自首を知って、お偉いさんの方からこっちに問い合わせが来た。
もちろん俺は知らないと答えた、事実なんだからな。
どうも、そのお偉いさんどころか南空ナオミの周辺からも彼女が完全に消えちまってるらしい。
お偉いさんも履歴書購入しながら調査を継続してるが、かなりまずい状況だ」
「湯川先生っ!」
「極秘に接触、公式なルートには一切乗っていないと言う事か?」

内海の叫びを聞きながら、湯川は、冷酷な程の声で尋ねる。

「ああ」

草薙の返事を聞きながら、組んだ両手の上に額を乗せた湯川は目を閉じる。

「刑事ではなく、友人として聞いてくれないか」
「はい」

内海が返答し、草薙は最大限沈黙をもって妥協する。

「この事件の結論は全て僕に任せて欲しい」
249 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/29(月) 02:31:14.26 ID:gOGKl+eA0
>>248

 ×     ×

水原可奈は、一日の仕事を終えて帰路についていた。
心なしか足取りは重い、その心にはどこかぽっかりと穴が空いたままだ。
はっと顔を上げると、最近見知った男が、小さく手を上げていた。

「あなたのアリバイは本物でしょう」

促されるまま降りていった河川敷で、可奈をそこに促した湯川は切り出した。
振り切って帰宅しても良かったのだが、
それをさせなかったのは水原可奈の魂だったのかも知れない。
離れた場所に例の刑事の姿が見える。湯川は友人が勝手に付いてきた、と言っている。
湯川自身の誠実さは可奈も嗅ぎ取っている。どこか彼と似た所がある。
だが、友人であれスパイであれ、この際どうでもいい事でもあった。

「12月2日の夜、あなたと娘さんは実際に映画を観ていたんです。
あなたは何も嘘を言っていない」
「ええ、その通りです」
「しかし、あなたは不思議に思った筈だ。なぜ嘘をつかなくてもいいのか」

内海薫は、遠目にも違和感を覚えた。
話は続いているが、虚空を見据えた水原可奈の表情に変化が見えない。

 ×     ×

湯川は、嫌な汗を感じていた。
この説明には、湯川自身の感情はとにかく多少の自信はあった。
それは、実際に湯川の説明を聞いた本職の刑事二人の反応からも裏付けられた。
だが、今、湯川の隣にいる女性の反応は少々、いや、かなりかけ離れたものだった。

「湯川先生」

少しの沈黙の後、説明を終えた湯川に可奈は切り出した。

「タイムマシンっていつ出来るんでしょうね?」

草薙であれば即座に、とうとう頭がイカレたか?と、その反応が目に見える様だった。
250 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/29(月) 02:33:46.65 ID:gOGKl+eA0
>>249

「実際、一度乗った事あるんですけどややこしくなるからそれはおいておきます。
何かの、ほら、日本一有名なタイムマシンと同じ作者の漫画で見た事あるんですよね、
人間に秘密がある限りタイムマシンは絶対に実現しないって」
「実に興味深い」
「私にはタイムマシンはいらなかった」
「身近にその代替物があったからか」

「流石ですね、湯川さん。
燈馬君は、ある時は本当に私の過去を取り戻してくれた。
燈馬君は、タイムマシンなんかに頼らなくても、
そこに実際に存在した過去をありのままの形で私達の頭の中に見せてくれた。
それは、辻褄が合ってそれもあり得る、と言う話ではなかった。
確かに存在していた、その事を見せてくれた」

静かな微笑みは、見ている側には湯川への嘲笑にすら見えた。
遠目に見ていた内海は、
言葉に頼らなくともこの勝負或いは湯川の負け、と直感した。

「ご存じでしたか?燈馬君、撃たれた事あるんですよピストルで」
「それは、海外で?」

「いいえ、この日本、ここからでも行ける所です。
大学時代の天才を狙ったストーカーだったんですけど、
そういう訳で、海外で燈馬君の前に殺された事件が国家機密扱いにされて、
只の高校生が銃撃されたと言っても動機を説明出来なかった。
川沿いで銃撃されて弾丸は肩をかすめて川の中。

実際ケガしてて燈馬君の供述もあるから警察も川浚いまではしてくれたんだけど、
もしかしたらどっかに流されたかこの川一杯の砂利の中から見つけ出す事は出来なかった。
お陰で、私達がストーカー本人現行犯でふん捕まえる迄燈馬君警察からも嘘つき扱いでした。
何かよく分からない子どもが目立ちたくて幼稚な狂言をしたんだろうって」

「その当時でも、燈馬想だと言うだけで銃口を向けられる危険は十分にあったと、
僕などはそう思うが」
「なんですけどね。只、今ならなんとなく分かるんです。
警察は見ていない事も多いけど、むしろ色んな事を見過ぎてしまってるって」
「少なくない事を知る事を全てを知った事と錯覚し発想を限定する、か」
251 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/29(月) 02:36:18.67 ID:gOGKl+eA0
>>250

「そうですね。お陰であの時は酷い目に遭いました。
勝鬨橋の真ん中から人間の腕のミイラが落ちて来た事もあった。
父が担当刑事だったんですけど、遺体そのものを引っ張り出すのにあの橋を開いて、
実際に腕が出て来てるのに根回しに結構苦労してたなー。
湯川先生も、無限の予算とスタッフを与えられている訳じゃない。
私も一応零細企業の経営者です。人とお金を動かすには、それなりの理屈が必要」

「国立大学と言っても色々ある。やはり目に見えるものは強いとね。痛感するよ」

湯川の苦笑に可奈は微笑みを返し、穏やかに一礼をして可奈は踵を返した。

 ×     ×

「どうやら、うまくなかったらしいな」

常緑の並木道を歩きながら、草薙は湯川に声を掛けた。

「ああ、恐らく彼女は自首はしない」

湯川の表情は、心なし青ざめていた。
内海にはその気持ちがよく分かる。「あの」水原可奈と対峙したら湯川ですらそうなのかと。

「共謀してやがったのか」
「いや、それは無い」

吐き捨てる様に言った草薙に湯川が言った。

「このトリックの重要な利点は嘘をつかずに済む事、
そして、聞かれない事は答えず、知らない事を話す事も出来なければそうする必要もない。
だから、燈馬想がわざわざそれを話したとは思えない」
「それじゃあ…」
「彼女は、自分で気付いたんだ」

内海の言葉に湯川が結論を示す。

「ちょっと待て、あの女そこまで切れ者なのか?
どちらかと言うと安楽椅子探偵の手足だった筈だぞ」
「だけど、燈馬想の事は誰よりも理解している」

草薙の疑問に内海が発言した。
252 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/29(月) 02:38:49.42 ID:gOGKl+eA0
>>251

「何となく、ですけど分かるんです。
友達とか恋人とか、そういう定義ではよく分からない。
でも、あの二人はお互い最強のパートナーなんだって。
確かに燈馬想は天才です。水原可奈は行動力がある。
だけど、お互いの欠点を補い合って終わる関係じゃない」

「確かに、ここにいない人間のパワーを完全に咀嚼して、
自分のものとして使いこなす、元々記憶力や頭の回転がいいのだろう。
その上で、一番大切なものを燈馬想の身近でずっと見続けてきた」

「一番大切なもの?」
「仮説は実証によって初めて真実となる」
「くそっ!」

湯川の説明に、再び草薙が吐き捨てる。

「悪いが湯川、この話上に上げるぞ。何としても口実を作って徹底的に洗い直して」
「その口実を、警察、司法と言う組織の性質を理解した上で
その隙を与えない。そこまで計画を練り上げているよ、あの二人は」
「ああー、そうだろうな。天才とそのパートナーは。だが、諦める訳にはいかない」

そこで、内海は腕で二人を制する。
二人も、こちらに誰かが来る事に気付き危険な漏洩作業を一時中断する。

今回はここまでです。続きは折を見て。
253 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/31(水) 17:27:01.28 ID:bXMuUyGS0
それでは今回の投下、入ります。

>>252

 ×     ×

並木道で三人の会話を止めたのは、只の通行人では無かった。

「江成先生?」

こちらに現れた人物を見て、草薙が声を掛ける。

「湯川先生ですね?」

草薙をにっこり受け流した姫子が湯川に声を掛けた。

「ええ」
「申し遅れました。弁護士の江成姫子と申します」
「これはご丁寧に」

湯川が姫子の名刺をにこやかに受け取る。
間違いなく美人センサーに反応していると内海は把握した。

「わたくし、燈馬想氏の弁護人を務めています。
湯川先生がこれまでいくつかの刑事事件で警察に専門的な協力を行い、
本件に一定の関わりを持っている事は既に承知を致しております。
既に正式な鑑定による守秘義務が発生しているのであれば仕方がありませんが、
出来れば湯川先生のお知恵を貸していただけませんか」

「僕は只の物理学者、それ以外の事はお門違いだ」
「冷凍保存」

姫子の言葉が、動こうとした湯川の足を止める。

「最初はそれを考えました。しかし、その設備や道具、痕跡がどうしても見付からない。
水中に没する、あるいは土に埋める。
法医学的な死亡推定時刻を遅らせるためにこう言った方法を使えば遺体に痕跡が残り過ぎてしまう」
「なぜ君はそこにこだわる?」
254 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/31(水) 17:29:32.50 ID:bXMuUyGS0
>>253

「実際に富樫慎二が殺害されたのが12月1日だからです。
もっと前とも考えられますが、スケジュール的にも遺体の保存などを考えても
12月1日以外は排除していい。殺害したのは水原美里、水原可奈も強く関わっている。
そして、燈馬想がその証拠を隠滅し、何等かの方法でアリバイを作った。
実際の犯行時刻を遅延させて偽りの犯行時刻に二人が別の場所にいる様に」

「それだけ聞いていると、酷く飛躍した仮説に聞こえるが」

「本人の性格、そして人間関係。少なくともあなたよりは把握しているつもりです。
時が経ったと言っても、基本的な性格は変わるものと変わらないものがある。
まず、燈馬想本人には富樫慎二を殺害する動機が根本的に存在しない。
正確に言えば、富樫慎二に対する動機を持っていても殺害と言う手段を選択する理由が無い。
今の供述をまともに信じるのは論外。
水原可奈に動機があっても、彼女自身が殺害したのだとしたらそこで事件は終わっている筈。
情実で事態をここまで泥沼に引きずり込む鍵があるとしたら一人しかいない」

「なかなか合理的だ」

その言葉がどこまで本気なのか、判断が難しい所だが湯川の表情は至って真面目なものだった。

「富樫慎二の人間関係を考えても、あそこまで凝った殺し方をされる舞台は極めて限定される。
私ごときが見ても、プロファイリングとしてシリアルキラーは殺し方として除外。
逆に、裏社会だとするとチグハグ過ぎる。
あの人達は見せしめは見せしめで死体を堂々と放り出す。逆に、隠すとなったら徹底的に隠す。
どっちつかずと言う間の抜けた真似をするのは殺人に関しては素人です。只…」
「只?」

口ごもった姫子に湯川が聞き返す。

「今回はそのチグハグさが異常すぎます。
そこに、逆に極めて高度な計算があるのだとしたら、それは一種の職人芸。
やはりそんな事が出来る、と言うかそんな事をするのは一個人の理性的な人間。
シリアルキラーでも裏社会の人間でも無い。

ここからは私の推論、湯川先生にお聞かせするのは辛い所ですが。
その高度な計算と犯行時刻は結び付いている。
人間像と現実を隔絶する約一日のブランク、チグハグな遺体と現場状況は、
高度な計算で必ず結び付いている。上手く言えないのですが、他にそうなる理由が考えられない。
私が湯川先生に伺いたかったのは、この二つを結び付けている計算式がどういうものか…」
255 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/31(水) 17:32:01.54 ID:bXMuUyGS0
>>254

「知りたい?」

不意に、声が聞こえた。
姫子がそちらを向こうとすると、さああっと風が木々の葉を鳴らす。

「本当に知りたい?」
「誰かいるのかっ」

木々のざわめきと共に聞こえる声に、草薙が聞き返した。

「扉は、お姉さんの目の前にある。鍵の束はお姉さんの手に握られている」
「誰っ!?」

たまらず姫子も聞き返した。

「鍵穴に鍵を差し込んで、回してみるだけでいい。
回らなかったらそれだけの事なんだ」
「私には、既にそれが出来ると言うの?」

「出来るよ。その手に握っている鍵で、扉を開ける事が出来る。
その扉の向こうだよ、お姉さんが欲しているものがあるのは。
でも、本当に見たい?」
「どういう事?」

「扉の向こうにある真実を、お姉さんは本当に見たいの?」
「ええ、是非見てみたいわね」
「それじゃあ、鍵を探しなよ。
いや、本当は鍵は一本しかなくて、それでも差し込めないだけなのかも知れない」
「何を言っているの?」

姫子が聞き返すが、その姫子を内海はじっと凝視している。
湯川の話を聞き、そして、先ほどからの姫子の話を聞いた内海は、姫子を見据える。

「知りたければ、お姉さんの持っている鍵の中から扉の鍵を探しなよ。
鍵が回るかどうか、試してみるだけでいい。
本当に鍵を開いて、扉を開けて中を見てみようと言うのなら、
驚異の部屋でお待ちしています」

風がやんだ。
同時に、気配まで消えた様だった。
256 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/31(水) 17:34:25.30 ID:bXMuUyGS0
>>255

「何だったんだ?」

草薙が呟く、そしてふと見ると、姫子が突っ立ったまま固まっていた。
立てた人差し指を口元に近くに向けて、じっと考え込んでいた。

「わたくし…謎が解けた気がするわ」

周囲に静かな緊張が走る。

「え?いや、あれ?何でしょうこれ?今確かに何か浮かんで…
でも結局は出来ないんだから根本的にそうである限り…
鍵が、本当に見付かりそうなんだけど出て来ない…
呼び止めて申し訳ありませんが、今日はこれで失礼します」
「ああ、こちらこそ」

慌ただしく一礼し、姫子は去って行った。

「…彼女が」
「はい、江成姫子。
燈馬想の弁護人、そして咲坂高校ミステリー同好会の当時の会長」

そう、言葉を交わす湯川と内海の表情からは感傷が消せなかった。

 ×     ×

湯川と別れた後、可奈は再び川沿いの遊歩道で鉄柵に腕を乗せていた。
そこで、同じ場所で懐かしい人と会った時の事を思い出す。

 ×     ×

「水原さん?」
「エリーさん!」
「お久しぶりね」

自分の所に降りて来たエリーは、流石にあの時から年月の流れは否めないものの、
やはり見るからに聡明な美女に他ならなかった。
257 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/31(水) 17:37:05.29 ID:bXMuUyGS0
>>256

「エリーさん、どうしたんですか?」
「うん、近くまで来たものだから、って白々しいか」
「そうですね」

そう言って、二人は顔を見合わせてくすくすと笑う。

「仕事で東京に来たのは本当。
だけど、最短時刻でこのシチュエーションに到達するため
あなたが知ったら少々不愉快に思うであろう手段を幾つか用いたのも事実です」
「いえ、勝手に姿を消したの私ですから」
「そうね」

ばつの悪そうな可奈に、エリーはふっと笑って応じた。

「彼、帰って来てるわよ」
「え?」

と、聞き返すが、この二人でこの会話になった以上、該当者は一人しかいない話だった。

「向こうで色々あったみたいだけど、今、私の口からは言わない」
「そうですか」

「過去のあなたの選択について今何かを言うつもりはない。
そして、取り敢えず標準的な見方として、
あれは懐かしい思い出で終わるだけの状態にあなたがいるのであれば、
私も言うつもりは無かった」
「確かに…正直色々厳しいです」

可奈は虚勢をそぎ落とし苦笑いを見せる。
わざわざ訪ねてくれた大切な年上の旧友に今更虚勢を張るには、少々年を取った。
そして、この歳でそれ相応に苦労すると、
ほんの僅かでも友情の中に相手への値踏みが無かったと言えば嘘になる。

「だから、後はあなたの選択に任せる」

エリーが可奈に見せたのは、真ん中にウエディングドレス姿の美女が写っている、
懐かしい顔ぶれが勢揃いしている涙が出る様な写真だった。

「この時間をくれた、その事に大変な尽力をしてくれたのだもの」

エリーが、可奈に写真を握らせた。
258 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/31(水) 17:39:27.29 ID:bXMuUyGS0
>>257

「お弁当屋さん、だったかしら?」
「ええ」
「物件とか、探してるみたいだけど、大変なの?」

「大変です。何せバツイチ子持ち、シングルだと普通に家借りるのだって大変ですからね。
結構まあ、色々無茶して稼ぐだけ貯金したつもりだったんですけど、
正直今の手持ちだと、よっぽど上手く計算しないとこわーい未来しか見えませんて。
迂闊に独立した人結構見て来てますから」

「そう」

エリーはさり気なく可奈の手に封筒を握らせた。

「嗅ぎ付けられちゃってね。こういうの水原さんは嫌がると思ったんだけど、
あれで義理堅いって言うか借りっぱなしが嫌いと言うか。
だから、一度言い出したら聞かない誰かさんからの伝言。
儲かったら返せ」

そう言って、エリーは鉄柵を離れ背を伸ばす。

「それじゃあ、車待たせてるから」
「ありがとうございましたっ!」

かつての、清々しい剣道部時代の様に、可奈は深々と、素直に頭を下げた。

「エリーさんっ!」

階段を上るエリーに、可奈はもう一度声をかける。

「今、幸せですかっ!?」

その返答は、輝く笑顔だった。
深呼吸して、ふんっと力を込めた可奈は、
厚めの封筒と、裏に住所を走り書きした写真を手に取った。
259 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/31(水) 17:42:26.62 ID:bXMuUyGS0
>>258

 ×     ×

想が自首する直前に可奈に残した手紙。
読み終えたら処分する様に最初に念を押した手紙、
その一言一言は可奈の優秀な記憶力を持って焼き付いている。

今後、警察が来たら、それ以外にも、
どの様に対処するべきか細かく指示されていて、それは見事なシミュレーションだった。
だからこそ、可奈も美里も警察の追及を耐える事が出来た。
その手紙の最後は、以下の様に結ばれていた。

工藤邦明氏は誠実で信用できる人物だと思われます。
彼と結ばれることは、あなたと美里さんが幸せになる確率を高めるでしょう。
僕のことはすべて忘れてください。
決して罪悪感などを持ってはいけません。
あなたが幸せにならなければ、私の行為はすべて無駄になるのですから。

多分理屈に合っている、が、無性にぶっ飛ばしたくて仕方が無くなる一文。
だからと言って、今の自分に何が出来るのだろうか?
想の人物眼は確かだ。
可奈さえしっかりしていれば想の計算は現実のものとなるかも知れない。
何より、想は既にそうしてしまっている。可奈の出方一つでは、
そんな想を本当に見捨てる事になってしまう。

「燈馬君…ごめん、なさい…アラン、エリーさん…」

裏切って、裏切って裏切って、苦しい、こんなに苦しい、
それでも、償う事すら、それほど罪深く厳しく、
可奈は慌てて目を拭う。そして、背後の気配に対処しようとする。

「私の事は、知ってるみたいね」
「あ…あなた…」
「あなたが本当に守りたい秘密は何かしら?
Goodbuy girl」
260 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/10/31(水) 17:45:25.29 ID:bXMuUyGS0
>>259

 ×     ×

何か、酷く疲れた。
雑多な雑居ビルの事務所でソファーに体重を預けながら、姫子は大きく嘆息した。
鍵が見付かりそうな気がする。それは確かだったが後一つ、何かが引っ掛かって先に進めない。
しかし、何かとんでもなく恐ろしい予感がするのは確かだった。驚異、と呼ぶに相応しい。
電話の音を聞いて立ち上がる。丁度今は手下も出払っている。

「はい、江成法律事務所です」
「…もしもし、江成先生?…」
「ええ、江成は私ですが」
「わたしです、わたぁし…」

「?…もしもし、美里さん?」
「はい、水原美里です」
「そう。お電話ありがとう。どうしたの?」
「うん、お話ししたい事が、あったんだけど」
「そう、聞かせてもらえるかしら?」
「お話ししたかったんだけど」

「えーと美里さん、今、どこにいるの?」
「今、学校、学校にいる」
「そう、出て来られる?近くで…」
「うーん、今、ちょっと難しい、かな?」
「戻りましたクイーン会長…」

姫子は、すかさず自分の唇に指を当て、走り書きのメモを渡す。
渡された手下は目を通し、顔色を変えて吹っ飛んでいく。

森下南中学校に連絡
校内を探索して水原美里の「生存」(赤字)を確認
弁護士江成姫子の名の下に命ず
大至急!!!

今回はここまでです。続きは折を見て。
261 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/02(金) 15:53:26.25 ID:aEGHdTkt0
それでは今回の投下、入ります。

>>260

 ×     ×

「時間が限られてる、大事な話だから最後まで聞いて」

接見室に現れた想に、江成姫子は早口で切り出した。

「水原美里が私に、彼女が知る事件の全容を告白した」

切り出して、姫子は想を見る。相変わらず穏やかな眼差しで姫子を見ている。

「これも、友人を弁護人にしたあなたの計画通りかしら?
水原美里は私があなたの弁護人である事を十分理解した上で私に話してくれた。
つまり、彼女は良心をあなたに預けた事になる」
「美里さんが知る事件の全容、ですか」
「ええ、そうよ」

「僕が構わないと言えば、それは警察に提出されると言う事ですか」
「そういう事になるわね。やっぱり余裕ね」
「そう見えますか?」
「質問に質問で返すのは卑怯です」

そう言って、姫子はふっと口元を緩めた。

「…わたしはわたぁし」
「ライトノベルを嗜むのですか?」
「私の周辺にはどういうタイプの人間がいると?」

その言葉に想が頷いた。

「旧探偵同好会ミステリー同好会の会長だった者です。
周辺ジャンルにも多少の関心はあります。
あなたが即答した事の方が結構興味深い事です」
「あちらの友人に勧められました。なかなか興味深いお話です」
262 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/02(金) 15:56:02.36 ID:aEGHdTkt0
>>261

「やれやれと言いながら引っ張り回されて内心楽しい高校生活。
私も似た様なものを身近で見ていた記憶があります。

ふとした拍子に思い出した言葉ですが、わたくしに教えてくれた。
水原美里の告白、ファイリングされた捜査資料、全てが実在して尚、
SFで無い限り世界は一つしか存在しない。
只、ズレて噛み合っていないだけなのだと」

その言葉を聞いた想の表情は相変わらず穏やかだ。
だが、その中にもそこはかとない敬意が感じられるのは姫子の自惚れだろうか?

「恐らく、気付いたのは私だけじゃない」
「湯川さんですか」
「恐らく、彼は気付いている。彼が気付いていると言う事は警察にも伝わると言う事。
だけど、それは時間との闘いに過ぎない。
最大の問題は燈馬想っ!」

想が驚いたのは振りなのか本心なのか、少々頼りなかった。
少なくとも、姫子の真剣を彼が受け止めたと言う事は理解出来た。

「短い付き合いですが、水原美里は間違いなく水原可奈の娘です。
あの水原可奈が人生を懸けて産み、そして育ててきた気性の持ち主です。
その水原美里があなたに、あなたに水原美里の良心を預けたと言う事です。

わたくしは最後まで、例え解任されても最後まで
あなたに弁護人として信任を受けた者としての責務を全うします。
あなたは燈馬想、あなたは燈馬想としての生き様を全うしなさい、いいですね」

ほんの少しの間、立ち上がった想は呆然としていた。

「よろしくお願いします、江成先生」

想が、深々と頭を垂れた。

「時間の様です。よく考えて下さい」

勝った、等とは思わない。達成感と言う程のものは無い苦い結末。
それでも、少しはいい仕事が出来たのだろう、姫子はそれだけは自らに認めたかった。
263 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/02(金) 15:58:42.94 ID:aEGHdTkt0
>>262

 ×     ×

気が付くと、ここに来ていた。
目を覚ました時、普段の可奈の日常を考えると結構な時間になっていた。

「完全にアウト、か」

水原可奈はベッドの上にすとんと座って嘆息した。
まとっていた浴衣を放り出し、ユニットバスに入ってシャワーを浴びる。
ここに来た事は覚えている。途中の夕食は狸蕎麦だったと思う。
思い浮かぶのはそれぐらいだ。

この高台のホテルを訪れ、チェックインしてシャワーを浴びて、
気が付いたらベッドで眠り込んでいた。
シャワーを上がり、時計を見てもう一度嘆息する。
ベッドに仰向けに倒れ、大の字になる。

お話しにならない時間だ、下手をすると捜索願を出されるかも知れない。
高校までは随分ルーズだったと思うが、そこから先はそんな事をやっていられる状況ではなかった。
それが文字通り命に関わる日々。そんな一日一日の積み重ね。
身に染みて知って来た事、信頼は一日にして成らず一日にして崩壊する。

可奈は苦笑を浮かべる。そう、一日にして崩壊する。
それなら、最も大切な信頼はとっくに崩壊していた。

かつて朝の閉門を済ませた高校の塀を乗り越えフリークライミングしていた水原可奈を
勤勉ならしめた最大のモチベーションの源は、可奈の掌からこぼれ落ちた。
だからこんな事が出来る、こんな朝を迎えたのだと思い当たると、又、涙が溢れそうになる。
顔を洗う。もう少し時間はありそうだ。
264 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/02(金) 16:01:36.10 ID:aEGHdTkt0
>>263

 ×     ×

「モーニングを」

絶景大浴場で一風呂浴びてから、可奈はレストランで注文を告げる。
モーニングタイムに辛うじて間に合った時刻、人の入りはまばらと言った所だ。
そうやって注文を待つ間、水原可奈は周囲のざわつきを感じた。

「久しぶりね」
「お久しぶりです」
「影のオーナーの悪名は健在。なるべく表立たない様に言われてるんだけど。
一名様、特等席ごあんなーいっ」

「え、え?」

あれよあれよで可奈が案内されたのはレストランのバルコニー席。
さすがに少々風が冷たいが、眺めは最高だった。

「…綺麗…」

この高台に建つホテルのバルコニーからは、下の港、そして海岸線までが一望できた。

「やっぱりこの眺めなんですね」
「時間はかかったけど、取り戻した」

可奈とオーナーはふっと笑みを交わし、可奈は席に戻る。
朝食の時間の様だ。

短くてすいませんが今回はここまでです。
想と姫子が会話しているライトノベルは「涼宮ハルヒ」シリーズ
ついでに言うと進級後作品です
続きは折を見て。
265 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/02(金) 17:01:01.95 ID:kX/LlKZd0
あのホテルのあの人か
ほんと色んなキャラ出してくるなー
266 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:17:04.46 ID:P3XW5NWI0
では、今回の投下、入ります。

>>266

 ×     ×

「お待たせしました」
「いただきます」

給仕が一礼して下がり、可奈はトーストをバターで口にする。

「美味しい」
「シンプルだけどね、人も材料も厳選してるんだから。
それで、今日は?同業者って言えば同業者か。それが大事な朝っぱらから何もかも放り出して、
それで、未来の自分の姿でも見たくなった?」

やや機械的に食事をしていた可奈は、まだどこか生気の無い表情で相手を見上げる。

「そりゃあ、エリをあんな裁判に付き合わせてくれたんだから。
あなた達の事は調査会社に委託して定期的に報告させてた。いつ関わるか分からないからね。
裁判中は必要なかったけど、その間に名前が出て来た富樫慎二が殺されたって新聞に出てるじゃない。
だから、特に警視庁周辺の情報源に網を張って事件の事を逐次報告する様に指示し直したの」

「そう、でしたか」
「で、少しは参考になった?でもお生憎、もちろんエリは元気元気、
だって、エリは悪いことはなにもしてないんだから。
あなたも入ったら?珈琲ぐらいおごるわよ」
「そりゃ悪いね」

このホテルのオーナー、エリ・シルバーの言葉に、一人の男がのっそりと姿を現す。

「締地さん?」
「よう、久しぶりだな。そういやここの事件も例の坊やだったか」

そこに現れたのは、可奈とも面識のある締地守。可奈の知る限り推理作家だった筈だ。

「どうしてここに?」
「まあー、色々あってな。ここのオーナーとは十年来の付き合いだ」
「へえ…」
267 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:19:30.99 ID:P3XW5NWI0

「知り合いの編集者の誘いで推理ごっこに手を出したのが運の尽きさ。
週刊誌が俺のコメントにイースト菌ブチ込んだもんで、早速弁護士から内容証明が届きやがった。
だからって訳じゃないが、ちょっと興味が湧いたってのが間違いの元だな。
ノンフィクションで大層な賞を頂くわ名誉毀損裁判で十年戦争やらかすわ、
今じゃあノンフィクションライターの方が通りがいいってぐらいだ」

「お待たせしました」
「おお、有り難う」

給仕が一礼して退出し、締地がテーブル席で珈琲を傾ける。

「されど、今日のエリは機嫌がいい。
今ここでの発言は全部お伽噺って事で裁判にはしないであげる」
「そりゃどうも」
「新聞、読みました」

可奈が切り出した。

「そう。まあ、あれだけ取り上げられたからね。
あれから色々大変だったけど、あなた達と別れた後も銀色のブレスレッドは貰えなかったっけ」

「パーティーでの事件の後、招待客の中から興味深い情報提供があったらしいな。
県警と地検はその方向で立件する。最終的には日本と引き渡し条約を締結しているアメリカ政府に
被疑者の身柄拘束と日本への引き渡しを請求する方針で、現地への捜査員派遣も準備していた。
地検はその方針だったが高検、最高検の御前会議で差し戻された。
県警も日本国内で逮捕状を請求して既成事実化しようとしたが、警察庁からストップがかかった」

可奈は信じられないと言う表情でエリと締地を見比べたが、エリは相変わらず楽しそうだ。

「時期が悪かったって事さ。一旦アメリカに戻ってから、事業で東南アジアに出張した。
だからこそ、捜査本部では日本との条約や捜査共助が整っている
アメリカにいる間に身柄を取りたかったんだが、問題はその事業の内容だ。
丁度日本も含めて海の上が色々ぎくしゃくしてた時期に、
アジアレベルでキーマンになってた大統領の夫人が肝煎りの一大リゾート事業」

「奥様、とっても綺麗な薔薇を育てるのよ」
268 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:21:57.05 ID:P3XW5NWI0
>>267

「そういう事だ。アジア情勢そのものに関わる国のトップ一族が五枚も十枚も噛んでる巨大事業。
その中心人物を足止めしておいて絶対に有罪を取れるのか、ってな。

その筋から関わりのある日本の政治家、官邸に外務省法務省本省、
そっち方面からぶっとい釘を刺されたって事さ。
金の力よりより恐ろしいモノがある、その事を知らない。
この評価は間違っている。高度過ぎて田舎政治家には見えなかったそれだけだ」

「大きな仕事だったから、邪魔が入ったら国のレベルで大変な事になったでしょうね。
捜査にご協力出来なかったのは残念だったけど、エリにはエリの仕事があるから」
「でも、裁判にはなったんですよね」
「遺族が告訴状を出したからな。
検察は不起訴にしたが検察審査会が強制起訴に持っていった」

「そう。審査員の皆さんは、エリもどこかで聞いた面白い話に素直に感動したみたい」
「検察審査会が一度目の起訴相当の議決を行って担当検事が米国出張、
事情聴取要請なんかを経て二度目の不起訴処分を出した直後、彼女は本格的に日本に戻って来た。

ここの敷地の一部を会社から借りる形で、突貫工事で俺のボロ屋の百倍立派な仮住まいを建てて居座った。
今じゃあ大増築されてホテルの別館になってるがな。
検察審査会が二度目の起訴相当でいわゆる強制起訴になった後も、そこから悠然と出廷さ」

「だって、エリは悪いことはなにもしてないんだから、日本の法務省も普通に許してくれたよ」
「普通に、ねぇ」
「裁判になって、指定弁護士さんも頑張ったみたいだけど、本当に誰も知らなかったのか、
ゼロではない可能性がゼロである、と言う事を証明出来なかった」

「初動で固められなかったブランクが痛かった、って事はある。
君らが一番知ってる事だろう、あの裁判の争点はゼロかゼロではないか。
時間が広げた隙間を否定出来なかったって事さ。
ドリームチーム弁護団のプレゼン、見事だったぜ。裁判員の顔つきからして結果は見えてた。
指定弁護士も一審無罪でギブアップさ」

締地の言葉にもエリは楽しそうな表情を崩さず、お伽噺の続きを語った。

「その無罪の確定の後に、遺族の請求で高台の画家の再審が始まった。
最高の権威による捏造の科学的証明。スーパー弁護団でマスコミ大注目、
錆び付いた扉も少しは軽くなったみたい。
最重要証人は体調不良で散々ゴネて、臨床尋問でも非を認めなかったのはある意味立派ね」
269 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:24:22.01 ID:P3XW5NWI0
>>268

「お陰さんで偽証罪で在宅起訴。つまり、時効にかかった例の件を検察が正式に認めたって事さ。
公判こそ病気やらなんやらで延び延びになってたが、
裁判所が事実上過去の事を認定した再審開始決定以来、
東京のマスコミに火だるまにされて銀行からも見捨てられ、政治生命は完全に終わりさ。
むしろ、ああなっても議席にしがみついてた執念がな」

それだけの執念は間違いなくあるだろう、と、本人を知ってる可奈は確信していた。
その過程は、日本地方自治史の恥と言われた程に醜悪極まりないものとなった。
司法が過去のでっち上げを断罪するに等しい再審開始決定の後、
僅かながら本気で動き出した市民運動、そして何より東京マスコミの集中砲火に辟易した
党の県支部がやんわりとお体を気遣い公職を離れた静養を勧めた所、
「では、回顧録でも書きながら余生を過ごそう」と冷笑された。

以後、県内で肩書きらしきものを持つおおよそ全てが見せた狂奔とごく一部の反発は
東京マスコミとインターネットを巻き込んで加速度的に先鋭化していく。

そのごく一部に含まれた県庁職員に対する文字通りの暴行、脅迫により
現職の県庁幹部と議員複数が逮捕、事件現場のネット公開、県知事の辞職。
土台が揺らいだ事による市民運動の本格化と、
それによる利権危機を恐れた暴力団の本格介入が更に激しく東京マスコミを煽り立てる。

総退陣した党の県支部にマスコミの突き上げを受けた党の東京本部の介入があり、
警察庁が本格的に暴力団周辺企業として捜査や金融圧力を強化した事情もあり、
県議会の議員辞職勧告や党からの除名決定も僅差で可決。
実業家としてもメガバンクからは完全に見捨てられ地元の金融機関に救済する地力はなし。
それでも、任期一杯無所属議員として議席にしがみつき県議会も除名にまでは踏み切れなかった。

「それで再審も無罪が確定。
冤罪が証明されて悪者が罰せられてめでたしめでたしのお伽噺」
「心が晴れる、訳ないですよね」

可奈がぽつりと言った。

「だって、たった、それだけの事だもの
何もかも無くなってから嘘から本当に記録が書き換えられるたったそれだけの事」
270 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:26:57.59 ID:P3XW5NWI0
>>269

一度、周囲がしんと静まる。
締地が立ち上がり、テーブルに硬貨を置く。

「おごりって言わなかったっけ?」
「買収にはまだ早いよ」
「珈琲で買える人なら苦労しなかった」
「旨かったよ、ご馳走さん」

締地が、ヒラヒラと手を振ってバルコニーを退出する。

 ×     ×

「それで何?あの時の彼氏があなたの元旦那殺して逮捕されたって?」

二人きりになったバルコニー、エリの無遠慮な言葉に、可奈はぎこちなく笑い頷く。

「まぁー、あんな裁判に付き合わされた身としてはざまぁーってトコもあるけど、
半分は彼氏のお陰でもあるんだし。で、ホントん所誰が殺したの?」
「知らないわよっ!」

可奈がドン、とテーブルを叩いて絶叫し、ガチャンと食器が鳴り響く。

「ご、ごめんなさい」
「そんな事じゃ、エリにはなれないよね。なる必要もないんだと思うんだけど。
ほらほらほら、やっぱり良心の呵責って言うの?
毎晩夢に幽霊が出て来るとか、そういうのあるのかなー」
「無い、ですよそんなもの」

カラカラ笑うエリの前で、可奈は我ながら自分の声が乾いているのを感じる。

「そう、やっぱり私はなにも悪くないって言っちゃうんだ。
それは何のため?誰に向かって力一杯言いたいの?」

聞いていた可奈が、がばっと顔を覆った。

「どうしたの?」
「母親、失格」
「ああ、娘さんいたんだっけ?」
「でも、失うかも知れない。いや、もう失ってる」
「お元気だって聞いたけど」
271 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:29:35.32 ID:P3XW5NWI0
>>270

「自殺、しようとした。うん、体は大丈夫。
でも、その時、その時あの娘が頼ったのは私じゃなかった。
あんなに、今まで私あんなに一生懸命、なのに、
分かってる、そんな言い訳しても駄目なの分かってるのに、
あの娘はもう、私、私の」

「えーと、エリの前で私の娘じゃないとか言い出さないよね?」
「あ、ご、ごめんなさい。
ごめんなさい。私、私が、辛くて、苦しい只私が…」

「分からない」
「ごめんなさい、こんな事」
「エリには全然分からない。だって、まだあるんでしょ?」
「え?」

可奈は、頬を濡らしたまま、相変わらずの笑顔を見上げた。

「まだあるなら取り戻せばいいじゃない。
一生懸命やって来たんなら、一生懸命取り戻せばいいじゃない。
消えたものは、無くなったものは絶対に取り戻せないんだから」

可奈はガタリと立ち上がり、エリに頭を下げていた。

「すいません、急ぎの用事を思い出しました」

「そう。残念ね。
エリはここにいる。それを許してくれる今の家族には心から感謝してる。
でも、エリの魂はここから離れられない。
ここで悪いことはなにもしていないって言い続ける」

「行って来ます」
「行ってらっしゃい、又のお越しをお待ちしております」

可奈がばたばたと会計に向かう。
272 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:32:20.86 ID:P3XW5NWI0
>>271

「鏡の中で見慣れた顔。死なせてなんてやるものか」

その背を見送り、
そして、海に向けてバルコニーに手をついたエリはぽつりと呟いた。

「エリの魂に触れた。死なせてなんてやるものか。
未練たらしくずっとずっとあがいてあがいて苦しんで生き続ければいい
あがいて、手に触れるものがあるんだから」

 ×     ×

どうやら、勾留期限を待たずに起訴されるらしい。
それが想の感触だった。
想の供述や想から見える捜査の進展から考えても、それで支障はない筈。
殺人事件である以上、勾留延長の請求が為される可能性もゼロではないが、
警察、検察も役所だ。今が12月だと言う事もその可能性を低くしている。

警察の取扱からも、未だに自分が持っている影響力をある程度客観視する事が出来る。
起訴されたらそのまま拘置所に移管される可能性が高い。
検察が自主的にそうしなくても、弁護人を通じて請求すれば裁判所が拒否する可能性は極めて低い。
拘置所なら、比較的ましな環境で計算に没頭出来る。他に何も要らない。
留置所で朝起きて、それからの取扱を見ても、どうやらそれは今日辺りか、とも見当が付いた。

「ああ、間に合った」

廊下を進む想を連れた刑事が、現れた草薙に呼び止められる。

「俺がもう一度取り調べたい」
「いや、しかし」
「いいだろう、マル被を洗った俺が一度直接当たりたい事がある。な」

そうやって、担当者との力関係一つで草薙は有無を言わせず想を連れて行く。

「管理官の許可は出てるのか?」

後から駆け付けた内海薫に担当者が尋ねた。

「いえ、何かあったら草薙さんが勝手にやった事にしろと」
「はあっ!?」
273 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:35:08.78 ID:P3XW5NWI0
>>272

 ×     ×

取調室で一人待たされていた想は、口元を綻ばせた

「今飛ばないともう一生機会が無いかも知れない。
この事だったんだな」
「警察はあなたのためだったら法律をも曲げるんですか。
大したものですね」

対面に座った湯川に対して、想は余裕の笑みを見せていた。

「あの時出来なかった話をしよう。
富樫慎二を殺したのは水原可奈だ。
物音で異変に気付いた君は、かつての親しい友人に何があったのかを把握し、
そして、犯罪の隠蔽に力を貸す事にした。

しかし、死体が見付かれば警察は必ず水原可奈、そして娘の水原美里の所に行く。
彼女達、特に中学生の水原美里がいつまでもシラを切り通す事は難しい。
そこで君が立てた計画は、もう一つ別の死体を用意し、それを富樫慎二と思わせる事だった」

その他殺体となったのは、通勤路にいるホームレスの一人であったのだろうとの推論。
想がそのホームレスに依頼して、
12月2日の前半に富樫慎二の宿泊している簡易宿泊所で休憩してもらう。
富樫慎二が所持していて、そして、一度指紋を拭き取った鍵を使用してだ。
夜、依頼通り、富樫慎二の衣服を着用したホームレスは待ち合わせ場所に現れ、
想が盗んだ自転車で現場近くまで移動して、そこで想が殺害した。
274 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:37:47.35 ID:P3XW5NWI0
>>273

「その死体を富樫慎二だと思わせるために顔を潰した。
指紋を焼いたのは、顔を潰した事との整合性をつけるためだ。
自転車の指紋や衣類を残したのは、宿の痕跡と一致させるため。
ミスだと思っていたのは全て君の計算だったんだ。

そして、あの二人にわざと出来すぎのアリバイを作り、警察の目をそちらに向ける。
ギリギリの所で抜けられる様に見えて抜ける事が出来ないアリバイの迷路。
だが、警察がいくら調べてもあの二人の12月2日のアリバイを解く事は出来ない。

当然だ、12月2日に殺害された死体とあの二人は何の関係も無いからだ。
幾何と見せかけて関数、これと同じだ。
アリバイトリックと見せかけた死体のすり替えだったんだ。

君はホームレス殺人と平行して富樫慎二の死体を処理した、
恐らくバラバラに解体してどこかに目立たない所に捨てた、と言った辺りだろう。
これが、君が2日続けて勤務先を休んだ理由だ。
これがこの事件の真相だ」

「実に面白いですね。仮説を話すのはあなたの自由です」

「この方法にはもう一つ大きな意味がある。
あの二人を守るために単に君が自首をするだけでは、
いかに君でも警察の追及に負けて本当の事を話してしまう恐れがある。
だが、本当に人を殺した事で、堂々と罪を主張する事が出来る。
愛する人を完璧に守る事が出来る」

「何を言っているのかさっぱり分からない」
「燈馬想、君は愛する人を守るために何の関係も無い人間を時計の歯車にした」
「仮説は実証されて初めて真実になる、違いますか?」

想の口調は、あくまで穏やかだった。

「もう一つの死体が見付かれば実証出来る」
「もう、やめましょう」
「僕は喋った、全てを彼女に」

その言葉にも、想の瞼が僅かに動いただけだった。
それは湯川、そしてマジックミラーの向こうの面々も或いは、と言う反応。
共謀なんてチャチなものじゃない。もっと重い何か。
275 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:40:12.82 ID:P3XW5NWI0
>>274

「もし仮に別に死体が見付かったとしても、その時には僕の有罪判決は確定していますね。
特に最近の裁判は早いですから、僕も一審だけで争うつもりは毛頭ありませんし。
その後で、仮に今の湯川さんの仮説が完璧に実証されたならば、
検察は僕の再審を請求するでしょうね。

一事不再理は無罪を有罪にする事を禁止するものであってその逆は許されている。
検事総長による再審請求で富樫慎二氏に対する殺人容疑は再審で無罪となり、
改めてホームレス殺害と富樫慎二氏殺害に関する証拠隠滅、犯人隠避、状況からして死体損壊もですか。

その容疑で僕は起訴される。
そして、改めて水原さんが富樫慎二殺害で起訴される。
でも、何かの拍子で発見でもされない限り、誰がその死体を見付けるんですか?」

下を向いていた想の細めた目が、湯川を見直した。

「湯川さんの仮説に従った場合、今に至るまであの死体が富樫慎二として誤認されているのならば、
警察は本物の富樫慎二の生物学的データを根本的に把握していない事になる。

今まで警視庁捜査一課が特別捜査本部を設置して身元を確認した事件で、
もうすぐ有罪判決が整然とした文書で体系的に確定すると言う時に、
何の理由があればどこにあるかも存在すらも証明されていない分からない本物の富樫慎二の死体。

今まで把握されていなかった程に孤独な
産湯を使ってから既に風化している本物の富樫慎二の生物学的データ、
その様なものを税金を費やして何の理由で誰が探すと言うんですか?」

じっと想を見据えた湯川に、想は優しく微笑んだ。

「申し訳ない、殺人者風情が。これはそのまま褒め言葉ですけど、
湯川さんの仮説が実に面白かったので、つい僕から目に見える反証にムキになってしまいました。
僕の様な者の事件に真剣に付き合っていただき、感謝します」

「その素晴らしい頭脳を、
そんな事に使わなければならなかったとは。残念だ。君にとって水原…」
「もう結構です。終わりにして下さい」

想が誰かに聞かせる様に大声を出す。

「これ以上は、勾留中の資格の怪しい面会として弁護士を通す事になりますよ」

静かに、想は釘を刺していた。
276 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:42:54.97 ID:P3XW5NWI0
>>275

 ×     ×

湯川は取調室の入口に待機させられ、
改めて先ほどの担当者と草薙と内海が想を連行する。
そこに、余り見かけぬスーツ姿の男が二人姿を現した。

「あなた方は?」

それに対する返答は、内海など一瞬本気で犯罪を疑ったが、
示された身分証は確かなものだった。
かくして、想と二人の刑事は連行される。

「どういう事ですか、どうしてあの…」

後から現れた葛城に、廊下で待たされた担当者が聞き返す。

「もっと上だ」

葛城が言う。

「え?」
「既に地検も了承している。場合によっては勾留延長も辞さずってな。
それも、地検じゃない。東京本部(警視庁)はもちろんサツ庁(警察庁)と最高検のトップ、
それに大臣レベルも噛んでる」
「なんなんですかっ!?」
277 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/05(月) 02:45:22.21 ID:P3XW5NWI0
>>276

 ×     ×

先ほどとは別の取調室に想が待たされる。今度は草薙、内海も一緒だ。

「何なんだ一体?」

入口側の壁際に突っ立った草薙が呻く。
取り敢えず、理解出来ているのは、逆らえない筋の要請である事だけだった。

「何か知っているのか?」
「いいえ」

草薙の問いに対する想の返答も、どうも嘘は無いらしい。

ドアが開き、近くの壁際に立ってそちらに視線を向けた内海が尻餅をついた。

「どうした?………なっ!?」

その隣に立っていた草薙も驚愕を隠せず目を見開き、絶句する。
想は、無感動に顔を上げながらその口元は僅かに綻んでいた。

何とか立ち上がろうとしながら、内海が入口を指差す。

「ゆ、ゆゆ、幽霊えっ!?」

今回はここまでです。

>>265
感想ありがとうございます。
エリは是非とも出したい、と熱望しつつプロットに隙が無く半ば断念していましたが、
終盤まで書き上げた所で神が降りてきました。

続きは折を見て。
278 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/12(月) 14:22:33.98 ID:vCMWm5Xn0
あ、一週間か
ちょっと忙しかったモンで

大詰めの調整中

なんとなくレスでスマソ
279 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/13(火) 01:09:23.48 ID:nUQRpS/e0
年末近いしのんびりでいいよ
280 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/28(水) 03:58:52.41 ID:j860/oui0
>>279
いつも?どうも、感謝です。

どうもお久しぶりです。
しばらくのご無沙汰ですいません。

やる夫板IIで復活した事件の真相を証明するスレを拝読したり
録画しておいた「殿下乗合」を観賞したり録画しておいた「鹿ヶ谷の陰謀」を観賞したり
録画しておいた「忠と孝のはざまで」を観賞したり録画しておいた「そこからの眺め」を観賞したり
実に多忙な日々を

…冗談はさておいて、
原作愛読者の方には前回終盤の幽霊の正体、見当付いてるかも知れませんが、
二次でこの対決を創り上げるって、これがなかなか何と申しましょうか。
この作品に手を出した以上、きついからこそ、ですが。

久しぶりにお喋りが過ぎました。
短くてすいませんが
今回の投下、入ります。
281 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/28(水) 04:01:14.59 ID:j860/oui0
>>277
>>280

 ×     ×

「見れたものじゃないわね、少年」

その言葉と共に、ぺこりと頭を下げた想の前で右手がばあんと机を叩いた。

「あ、あんた…」

草薙が口を挟もうとする。

「頬が腫れてたら、この人達への迷惑が口紅なんてレベルじゃないからね」
「アニー・クレイナーさんですね」

気を取り直した内海薫の質問に、アニーは頷いた。

「そこまで調べたのね」
「燈馬想にはアメリカで逮捕歴があった。状況が不自然過ぎてすぐに釈放されましたがね。
直接調べたかったが流石にこの現場を離れられない。
この事件に関わった警察庁の上の人間に一通りの資料は揃えてもらいました。なるほど」
「納得していただけましたか?」

草薙の言葉の語尾に、アニーが問い返す。

「ええ、事件の決着に関して何かが引っ掛かっていたんです。
正確には情報を交換した私の友人が、ですがね。
記録通りだとすると現場の状況が不自然だ、
記録に無いXが存在していた、そう考えるのが自然だと」

「そう、記録には残らない。
私は幽霊、だから公式には何も残らない空白の時間」
「なるほど、確かになんでもありだ」

草薙が鼻で笑い、納得して見せた。
アニーは、想と向かい合ってどっかりと椅子に座り込む。
両腕を机に乗せ、その上に乗るぐらいに顎を下げて目を細めている。
その前で想は顔を伏せているが、草薙も内海も、想の体の端々に異変を感じていた。
282 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/28(水) 04:03:44.01 ID:j860/oui0
>>281

プロの刑事をごまかせない程には何かが起きている。
驚愕したぐらいだから草薙もアニー・クレイナーの事は把握している。だが、これは予想以上だ。
事によっては、いや、これは十中八九初恋のお姉さんだ。
推定されている動機が動機だ、これはきっついぞ、と言うのが草薙の男心だった。
アニーが身を起こし、姿勢を正す。

「この様な事になり、言葉もありません」
「南空ナオミの死体が出て来たわよ」
「なっ!?」

草薙二度目の驚愕。

「おい、どこでだっ!?」
「それはここでは言えない。
ここでの幽霊問答で彼の耳に入れたら今後の取調に本格的に差し支える」
「それは分かる。だが、死体と聞いて…」

「既に管轄の警察が着手している。偶然発見された身元不明の遺体としてね。
南空ナオミの代理人がアメリカ大使館の人間を同行して警視庁に捜索願を出す様に手配した。
仕事の性質上として指紋、歯形の記録を添付したものをね」
「あ、あの」

内海が口を挟む。

「何か、時系列がおかしい気がするのですが、それとも私の理解力が足りないのでしょうか」
「前者で正解。
OK、ここだけの話でいいなら理解出来る様に説明するわ」
「是非そうしてくれ」

草薙が応じた。

「ある筋からこの事件の調査を依頼されていた私は、
独自の調査と共に別筋で動いていた南空ナオミをマークしていた。
そして、南空ナオミの失踪を把握した。
はっきり言ってこちらの手痛いミス。流石にプロの尾行点検で彼女の行方をロストした後の事だった」
「その間に彼女は」

内海が、最悪の予測を質問する。
283 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/28(水) 04:06:15.73 ID:j860/oui0
>>282

「まず間違いない。
南空ナオミの行方をロストした時点から数時間もしない内に、我々は総力を挙げた捜索に着手した。
こちらには、莫大な予算と表に出せない裏ルートの情報網がある事を理解して下さい。
この事件に関して愛憎半ばを過ぎて国を一つ二つ傾ける規模の予算投入も辞さないスポンサーと、
元々本件に強い関心を持っていた、公安に太いパイプを持つ上の人間の協力を得る事が出来ました」

草薙も内海も、真面目に聞いていた。
彼女がここにいる時点で、その言葉を裏付けている様なものだ。

「彼女が別名義で契約していた携帯電話の位置情報を端緒に、
人海戦術による聞き込みと映像記録の分析で絞り込み、発見に至った」
「それを聞くだけでも、公判で使えそうにはないな」

「その通り。こちらの調査はあくまで影。一般人が偶然発見したと言う形を取った。
証拠となる映像記録のあるエリアではちょっとした事件を起こして、
抹消される前にその事件の証拠として警察に押収させた。
携帯電話の位置情報も身元隠匿で手続き上の違法行為を見付けて関連する証拠として押収済み。
アナログな足取りを知る目撃者と今後展開される捜査を繋ぐ影の仲介人も手配済みよ。
証拠を捏造する訳じゃない、あくまで実際に存在した証拠を保全しそこに導くだけ」

「種を知ってるハム(公安)が消される前に保管して、
捜査一課が本件で押っ取り刀で押収、って絵図か。まあ、感謝すべきなんですかね」
「さて少年、自分が置かれている立場、理解出来てるわよね」
「い、やだ…」

ガタガタと震えだした想が、怯えた表情で顔を上げた。

「嫌だ…」

想は、ふるふると首を横に振る。

「そ、そんなつもりは無かったのに、
事件の事を調べ上げて、報告するって言うから捕まりたくなかったから、
気が付いたら、い、嫌だ、アニーさん、アニーさんアニーさんっ!」

想が、悲鳴を上げながら身を前に乗り出す。

「まだ間に合う、まだ間に合いますよねアニーさん、
まだ、彼女は秘密裏に行動してた筈、身元さえ分からなければまだ僕とは繋がらない。
二人目、それも客観的に何の落ち度も無い相手、極刑、極刑もあり得る。
お願いですアニーさん、アニーさん僕を助けて下さいっ」
284 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/28(水) 04:12:53.86 ID:j860/oui0
>>283

必死に縋り付く様な想を、アニーは静かに見下ろしている。

「アニーさんっ!刑務所に入っても、紙と鉛筆があれば数学が出来る。
出来る、僕なら出来る、残りの一生の時間があればリーマン予想だって証明出来る。
ここで、ここで僕が死んだら科学の、世界の損失になる、これは紛れもない事実、
だから、今ならまだ間に合う。
今ならまだ間に合う、お願いしますお願いします助けて下さいアニーさんっ、
嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だ死にたくない逝きたくないなんとか、なんとなんとかアニーさんアニーさんっ!!!」
「いい加減にしろっ!」

今にも机を乗り越え縋り付きそうな想に、草薙が割って入った。

「おいっ!誰だって死にたくないんだよ。それを二人も殺したんだ分かってんのかっ!?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

草薙に胸倉を掴み上げられ、想は千回でも続けそうな勢いで繰り返す。

「あー、ここでの事は記録には残らない。仏さんの身元も割れてないって話だ。
生きる見込みを探すなら、後はどうすりゃいいか、天才のあんたなら分かるだろ」

草薙がばっと手を離し、想が椅子に座り込む。

今回はここまでです。続きは折を見て。
285 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/11/28(水) 04:35:06.71 ID:j860/oui0
>>280
訂正です。正しくは

「殿下乗合事件」

でした。それでは失礼
286 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 22:37:53.67 ID:WnCwMl9N0
毎度お久しぶりです。

>>280に引き続き、
名探偵コナン「長崎ミステリー劇場」を堪能すると言う重要ミッションも無事終了し

うん、面白くもない冗談はさっさと打ち切って

今回の投下、入ります。

>>284

 ×     ×

「すいませんでした。ごめんなさいごめんなさい…」
「… 計 画 通 り…」
「?」

側で呟いたアニーの言葉に、草薙は怪訝な顔をした。

「出来れば最後の辺りで気が付いて欲しかったわね。カオル!」

嘆息したアニーは、鞄から取り出した資料をバッと掲げた。

「あなた、今の話信じられる?」

唐突な指名に目を白黒させていた内海薫が、アニーの手にした資料に目を通す。

「…あり得ない…」

しばらくそうしていた内海は、どこかで聞いた様な言葉を呟く。

「ん?…確かに、これはあり得ない…」

その内海から資料を奪い、目を通した草薙も言った。

「マル被はFBIの捜査官だったんですよね?」
「そうよ」
「その技量は?」
「花丸」
「だったら絶対あり得ない」

内海とアニーがサクサクと言葉を交わす。
287 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 22:40:16.53 ID:WnCwMl9N0
>>286

「どうやら、まともな話が出来そうね。
私が現職でこんな自首がそのまま上がって来たら顔面に書類を叩き返してた所よ。

「この鑑定は信用出来るんですか?」

「世界最高水準。どうやら少年は、総合点では世界一の
我が儘で執念深くてなんでもありで大富豪で愛妻家を本気で怒らせたみたいね。
現地の県警本部御用達の法医学教室がある大学病院が、
ハイレベルな世界的医療財団との提携関係を結んで県警本部、警察庁もそれに加わった。
そのモデル事業の一つとして、たまたまそのタイミングに運び込まれた南空ナオミのご遺体が選ばれた」

「確かに、この文書は私が見ても尋常じゃない」

「極めて少額の税金負担によって、解剖、AI、病理検査、
人間も機材も世界最高レベルの検査が実行された。そのデータは通常の鑑定に使われると共に、
財団を通じて待機していた世界最高峰の遠距離専門家会議に回されて、
そのカンファレンスの結果を今あなたが手にしている。
もちろん、時間を掛けなければ確定できない検査もあるけど、それが現時点での最新データよ」

「なんだかなぁ」

遺体のハラワタを見るため懸命に事件性を探す日々を思い返し、草薙が嘆息した。

「それじゃあ、南空ナオミを殺ったのは?」

草薙が問いを発する。下を向いた想の顔からは、既に表情が消えていた。

「元々、南空ナオミの調査対象になった事それ自体、
その経緯を考えても計算内、いや、計画通りだった筈。
南空ナオミの依頼人は燈馬想、水原可奈と親しい関係にあった人間で
相当に社会的地位もある、何よりも良識ある社会人。

燈馬想から事件に巻き込まれていると聞いたらどういう行動をとるか?
事が殺人事件となると、良識に基づき自身の社会的責任を考えて盲目的な決め付けは行わない。
一方で、迂闊に表立った動きをした場合、
その人物の身近に非常に厄介な事になりそうな地雷が埋まっている。
導き出される結論は、信頼の出来るごく少数を使って隠密裏に調査を行いそれから判断する事」

「でも、その事が分かっている、行動パターンを読んでいるなら、
どうしてわざわざリスクを増やす必要がある?」

草薙が質問を挟んだ。
288 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 22:42:47.95 ID:WnCwMl9N0
>>287

「湯川学」

アニーの回答に、二人の刑事が表情を動かした。

「相当な切れ者の様ね。そして、少年もその事をよく知っている。
湯川学がこの事件を調べ始めた時点で、少年は百点満点を放棄した。
ロジックの解析は避けられないとね」

それは、非常に説得力のある解答だった。

「少年は最初から自分の身一つで警察を止める。完全犯罪と言うベストを放棄した場合、
そこをベターとして確実に食い止める腹だった。だけど、そこで一つ問題が生ずる。
自首する理由が無い」

内海が、思わず「あ」と声を上げそうになった。

「燈馬想は論理的な失敗をしない。作り話は所詮作り話、どこかに隙がある。
実際に殺害してから自首をする、それを相手に、否、
燈馬想と言う取調官を納得させるロジックが組み立てられない。

燈馬想は俳優じゃない。その事を本人が論理的に十分理解しているからあんな方法をとった筈。
自首とは何のために行うもの?良心の呵責?失敗を恐れた罪の軽減?
自分が感じていないものを表現するのは簡単じゃない。

簒奪した玉座で笑う亡霊の姿をまことしやかに語り伝える事が出来るのは、
プロの俳優じゃなければ実際に亡霊を見た人間だけだから」

アニーが想を見据えるが想の表情は変わらない。
そして、二人の刑事はその細心さに改めて舌を巻く。
そう、燈馬想は天才だ。自分に出来ない事、相対するプロを侮らない事、
計画に必要な理論値を希望的観測では決して誤らない。
そして、とんでもない所から完璧に数値に当てはまる結論を導き出す掛け値無しの天才だ。

「ストーカーと言うマクロとミクロで非論理的であり論理的である人格を偽装して
自首する突破口も画策していた。だけどそれは余り上手くいかなかった。
独りで抱え込んでうじうじ悩む相手なら出来たかも知れない。
水原可奈は、事、燈馬想にそんな事をされてむざむざ大人しくしている性格じゃない。
そこで無理な対応をしていると最悪意図を見破られてややこしい事になるばかり」
「最強のパートナーが仇って訳か」

草薙が言った。
289 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 22:45:20.01 ID:WnCwMl9N0
>>288

「だから、その膠着状態を打破する破局点を作り上げた」
「それが南空ナオミか。とことん利用しやがって」

草薙が吐き捨てる様に言った。

「後は南空ナオミの調査の進行次第。
結局の所、南空ナオミの技量が確かなら燈馬想か水原可奈に行き着く。
調査の性質上、一度は接触して来る筈。

プライベート・アイに追い詰められて自首、こういうストーリー。
車を用意していた所から見て殺害も選択肢に入れていた、私はそう推測している。
最悪、車のトランクに死体を詰め込んだまま交通事故を起こして逮捕。
十分に納得出来る。何しろ本当に自分でやってる事だから」

「だが、そうならなかったな。理由は…」

既に、その理由は三人の共通認識であり、共通認識となっている事も又認識出来た。

「計算外の本当の破局点になってしまった、そういう事。
後付けで急ごしらえの作り話、殺人事件に関してそんなもので警察をごまかそうとするのは分が悪すぎる。
自分が知らなかった矛盾点が一つでも出て来たらその時点でゲームセットだから。
少年はその事を誰よりもよく知っている。
極秘調査と言う想定に賭けて、少なくとも当面はまとめて蓋をするしか手は無い」

「何の事を言っているのか理解出来ません。彼女を殺害したのは僕です。
富樫慎二殺害事件に関して彼女は僕が殺した証拠を把握し報告すると言っていました。
それがブラフだったかどうか分からない。僕は今の、正確には当時の生活に未練があった。

相手はプロですからね、動揺を見抜かれたのでしょうね。それでもう駄目だと思うとますます動揺する。
人間の、人を殺す様な人間の心は弱いものです。
なんとか脅して資料を奪って口を封じるつもりだったんだと思います。
でも、気が付くとそのナイフで彼女を刺し殺していた。だけど、今更殺意を否認するつもりもない」

「それは無理ね、ますます無理。
本当はあなたも分かってるんじゃないですか?正直がっかりなぐらいです」

想の言葉に内海薫が決め付けた。
290 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 22:47:45.18 ID:WnCwMl9N0
>>289

「元FBIの辣腕捜査官が調査対象者と、それも会話を交わした後にやられる殺し方じゃない」
「全くだ」

内海の言葉に草薙が続いた。

それでも言い募ろうとする想の右腕を、アニーが掴んだ。

「少しは男になったわね、少年。だけど、無理」
「僕に、人を殺す力は無いと?」

机を挟み、挑む様な眼差しが交わされた。

「南空ナオミ相手にダルタニャンにヘラクレスが乗り移った様な一撃必殺の突き、
と言うのは少年には無理ね」

「日本には火事場の馬鹿力と言う言葉があるんですよ。
もし、あなた達が想定している犯人を法廷に送り込むと言うのなら、
僕は弁護側の証人として裁判員の意識に確実な楔を打ち込んで見せます。
斎藤一に源為朝が乗り移った様な出来事も決して不可能ではない。それで十分です。
アニーさん、アニーさんが積み上げた真実のピース、
その繋がりは結論を一つに絞り込むには余りに脆過ぎる」

前を見据えた想を前に、アニーはふっと息を漏らす。

「もう少し早く、その覇気を見てみたかったかしら」

そう言って、アニーは真正面から想を静かに見据えていた。

「四色問題。ロースクール出の私にも分かる様にその定義を教えてくれるかしら?」
「二次元の地図は四色で塗り分ける事が出来るか?アンサーは出来る。
最近、少し興味深い事がありました」
「何かしら?」

「僕の勤めていた工場に勤労学生がいましてね、
そこの、率直に言って決して偏差値の高くない高校の数学教師がエルデシュ信者、
ああ、手書き計算の信奉者、ですね。それで四色問題の専門家の様でした。
少なくとも生半可なマニアの仕業じゃない。一度話を聞いてみたかった」
291 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 22:50:12.54 ID:WnCwMl9N0
>>290

「そう。結論として出来る事は証明されたけど証明はされていない。
なぜなら、コンピューターで全てのパターンを解析した結果出来ると結論付けられたけど、
その過程の計算式は人間が理解するには余りにも複雑過ぎて
いまだもって人間が理屈で解説する事が出来ないブラックボックス状態だから。これで合ってるかしら?」

「構わないと思います」

「そう。日本の裁判の歴史を見ても科学のブラックボックスがあったみたいね。
法医学の最高権威を独占していた大学教授のある技術が、
本来必ずしも絶対ではなかったものを絶対視していた。
でも、当時最高の権威が最先端の技術であると結論づけていたために反証する事が出来なかった。
その結果、死刑を含む誤った有罪判決が何件も下された」

「決して、遠い過去の話ではない様です」

「人を裁く以上絶対を求めなければならないけど絶対こそが危うい事を知らなければならない。
それが司法に関わる人間が心得るべき事、難しい事だけど。
燈馬想とは何者か?この事件の調査を依頼された南空ナオミはその答えを追い続けた。
一見事件の本筋から外れる様でも、丸で吸い寄せられる様にね。
彼女は恐らく知っていた、そこに求める解がある事を。
それが刑事の勘、って言ったら少年は笑うかしら?」

「いいえ」

想は、静かに微笑み首を横に振った。

「優秀な刑事の勘は、その過程を外部から検証し難いだけで実に合理的なものです。
人間の脳は電子計算機など及びもつかない。優秀な刑事、職業人は、
その余りに複雑な計算式に自分の経験と情報を当てはめて必要な解を得ています」

「そう、南空ナオミは理屈の上でも優秀な刑事だった。
その上に、時に神懸かりと言える程の勘を発揮する捜査官だった。
四色問題が正しい事を経験で知る地図作り、漁師が五感で科学的に天候を予測する様に、
彼女は捜査の中で複雑に入り組んだ地図の中から
ゴールに辿り着く一本の道を掴み取る事が出来る、そういう捜査官だった」

その感覚は草薙も内海も理解している。自分達がそうであるかは別にして、
「刑事の勘」が、理屈で分からなくても決して馬鹿には出来ない。その事を経験則で知っていた。
292 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 22:52:42.65 ID:WnCwMl9N0
>>291

「その南空ナオミが、燈馬想とは何者か?その質問の解を追い続けた。
もちろん、その基礎にはプロファイリングや識鑑によって、
少年がこの事件に深く関わっている可能性が極めて高い、
そう結論づけられるだけの合理的な分析があった筈」

「刑事事件でそのやり方が許されるのは、
あくまで確率の問題に過ぎないと言う大前提を付けた上でです」

「そう。それはあくまで確率論。それを絶対視して惑わされてはならない。
南空ナオミはそれを承知の上で追い続けた。
燈馬想が何を見て来たのか?それを問い、そして自らの目で確かめた彼女は、
この事件の真実を掴み取る事に成功した」

「それは、アニーさんの推測ですか?」

「私も、南空ナオミが見て来たものはおおよそ把握している。
そして、彼女が知りたかったであろうそれ以外の若干の事も。
そこからの眺めが何であったのか光であったのか果てしない暗闇ばかりだったのか?
経験豊富、とまでは言えなくても聡明で優秀な捜査官。
それは相手を、人を知る事が出来る、そんな彼女が何を感じ取ったのかを」

「南空ナオミやアニーさんに何が見えたのか、それは分かりません。
少なくとも法廷では私にだけ見える世界は意味を持たない。
裁判員が理解出来る形で示して現実に存在する事を証明して初めて意味を持つものです」

「そう、一つ一つの真実を積み重ねて結論を示す。それが法廷の役割。
そこに至るまでの補助線が引かれたと言うお話し。
少年がかつて関わり、南空ナオミが最後に追跡した二つの事件。
少なくとも南空ナオミはその先に真実を見た筈。私にもそれは見えた」

改めて、二人は机を挟んで向き合った。

「己の感情をゼロにして恐ろしい程に論理的な解を導き出す。
そうやって取捨選択して守るべきものは命を懸けてでも守り抜く。自覚すら無いままに。
どうやら悪い病気をこじらせたみたいね。
もっとも、あんなものを少年に見せた私が言えた事じゃないけど」

「僕が行った事の責任は僕が負うべきもの、アニーさんのせいじゃない」
「そう。それが少年が決めて少年が実行した事」
293 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 22:55:09.04 ID:WnCwMl9N0
>>292

「法的にも倫理的にも実利的にも、そして僕の良心にも、
やってはみたけど全ての観点に照らしてその結論は大失敗。
一つ間違えてそれを取り繕おうとして一つ一つ小さく譲歩して最終的に大きく破綻する、
渦中にいるとなかなか気付かないよくある失敗です。
さすがにもう肯定は出来ないししていただくつもりもありません。
後は、自分のやった事のツケを支払いに進むだけ。後の事はそれからです」

「そう」

それは、快活な笑顔だった。

「この人…」

その横顔を見た内海が呟いた。
正面から相手を見据える、快活な中にも凛とした雰囲気の持ち主。

「ああ」

草薙も内海の呟きに小さく応じる。

「男になったわね」

そのまま一つ頷き、アニーは立ち上がった。
ドアに近づき、小さく開いたドアの向こうに一言二言声を掛ける。
ドアの向こうから背広の男が二人、想の側に歩み寄る。
想が無言で立ち上がり、手錠が掛けられ連行される。
その資格がある者達である事は当然草薙も確認済みだ。

「アニーさん」

ドアの近くで想が口を開き、アニーの目配せで歩みが止まる。


「有り難うございました」

想が、深々と頭を下げた。
294 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 22:57:48.25 ID:WnCwMl9N0
>>293

「何を、かしら?」
「僕は自ら人からの信頼を全て放棄しました。
それでも、今こうしてもう一度だけでもアニーさんに会う事が出来た。
アニーさんにどう思われても、嬉しいとしか表現が出来ません」

「罪は罪。だけど、私が燈馬想にその言葉を言わせた事、私はそれを誇りに思う。
あなたに今教えられる事は一つ。あなたの出した解は間違えている。
そして、それを教える事が出来るのは私じゃない。あの少年が人間と言うものをよくここまで理解した。
でも、すぐに又思い知る事になる。さようなら、燈馬想」

想がもう一度頭を下げ、連行された。

 ×     ×

「アニーさんっ!」

想の去った取調室で、椅子に座り直したアニーに内海薫が声を掛けた。

「時間が足りなかったか」

草薙が言う。

「アニーさん、あなたは確実に燈馬想の心に楔を打ち込んだ。もう少しで落ちてたかも知れない。
あなたの事は深くは問わない。だが、協力できるなら協力して欲しい。俺達は決して諦めない」

草薙の言葉に、アニーはチラとそちらを見やる。

「私のかつての仕事は、あなたみたいなガッツに支えられていた。
思えば客観的には決して長いとは言えない在任期間」
「地方検事でしたか」

内海薫が確かめる。

「検事補」
「その時に燈馬想と裁判に関わったんですね」

内海の質問にアニーが頷いた。
そして、机の上で組んだ手に額を乗せる。
295 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 23:00:48.88 ID:WnCwMl9N0
>>294

「過去の仕事、今の仕事、仕事以外にも今まで。
天才を含めて多少標準を超えてバラエティーに富んだ出会いと別れもして来たつもり。
少年もその内の一人。だけど…」

下を向いたアニーは、その後の言葉を続けなかった。

「泣いてた、あの少年がね、男になったわね…
ごめんなさい、この歳になると繰り言が多くなって」

その言葉に、内海が首を横に振る。

「個人としてあなたには辛い事かも知れない。
しかし、後は我々が引き受ける、何としても真実を引きずり出す。
ご理解いただけるものと確信していますアニー・クレイナー元検事補」

草薙が言った。

「検察は恐らく勾留延長請求抜きに起訴に持ち込む。
例え延長しても十日余りで覆すのは正直厳しい。
起訴されて拘置所に移管されたら取調も、何より捜査体制の維持が非常に厳しい。
それでも、最後まで諦めるつもりはありません」

その草薙の言葉に、アニーはふっと柔らかな笑みを浮かべた。
怒る所なのかも知れないがその穏やかな余裕の笑み。
それを見た時、改めて内海は取調室での想との対峙で感じた直感の正しさを実感する。
もちろん、あの燈馬想は別の人格をそのまま重ね見る程の愚か者ではないだろう。
それでも、特に男と言うものは逃れられないものを持っているのだと。
296 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/10(月) 23:05:36.10 ID:WnCwMl9N0
>>295

「本件の捜査本部が解散しても、南空ナオミの件がある。
あなたの言う事が本当なら、まず現在発見されている遺体の身元が南空ナオミだと判明すれば、
それさえ分かれば表のルートからでも情報を集める事が出来る。

そうしていけば、何れ燈馬想に繋がる。いや、繋げて見せる。
例え燈馬想が防波堤になるつもりでも、
向こうが通常の隠蔽ならこっちは通常の捜査で草の根分けても引っぺがすまでだ」

草薙の言葉にアニーは小さく首を横に振った。二人の刑事に緊張が走る。

「大丈夫」
「え?」
「大丈夫、もうすぐ片が付く」
「分かるんですか?」

繰り返し内海が尋ねる。

「ええ。まあ、あれから随分努力して学ぶ事も多かったみたいね。
実りある年月を経てもうすぐ手が届くかも知れなかった。その事だけが残念。
だけど、今の燈馬想の証明、その解には決して譲れない欠陥があるから。
本当に証明に成功していたなら、最初に気付くべき事だった筈」

今回はここまでです。

次回、最終回です(多分)
何とか年内に終わりそうですが。
映画の方の元ネタもこのシーズンですので、
メインの元ネタでは皮を閉じて焼き始めた頃か凝った所で茹でるか蒸すか

続きは折を見て。
297 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/11(火) 19:12:49.38 ID:UP1cF0HB0
おつ
餃子おいしいねん!
298 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/13(木) 00:55:46.46 ID:FTeFMcqV0
>>297
どうもです

>>286
>「マル被はFBIの捜査官だったんですよね?」

ごめん、ここミス
正しくは

「マル害はFBIの捜査官だったんですよね」

になります。
それではひとまず失礼
299 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 22:37:22.47 ID:J1J7jJSn0
そろそろ最終回投下の時間です。

ミステリと言う事で空気読んでご静読いただいた方、ありがとうございました。
もう少しだけそのままで頼みます。

そもそも、一体何人読者がいたものか、そこから大変心細い話ではありますが、
最後って事ではっちゃけときます。

改めて申し上げますが、これは映画「容疑者Xの献身」他と見せた
「Q.E.D.−証明終了−」のクロスーオーバー二次創作です。

ホントウニキヅキマセンデシタカ?

時間の様です。
最終回投下、入ります。

>>296

 ×     ×

手錠をはめられて当然自由意思も無く機械的に連行され、
もうそろそろ建物を出ると言う頃か。
いい加減これ以上妙な邪魔は入らないだろう。

そう考えた燈馬想の常識は、またしてもいとも簡単に覆された。
それはそうだ。想の常識を覆す、そのために存在している様な相手なのだから
想も、想を連行していた男達も、きょとん、と立ち止まった。
目の前にいるのは、肉親以外で最も親しかった人。想がそう確信している相手。
しかし、それは間違いだった。親しかった、ではなく。

「燈馬君」
「どう、して?」

目をぱちくりさせた想の前で、可奈はあの笑顔、
でも、ほんの少しどこか寂しい笑顔を想に見せた。

「ロジックが支配できるのは機械だけ」
300 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 22:39:44.35 ID:J1J7jJSn0
>>299

その言葉を聞き、一瞬唖然とした想はカクンと下を向き、呟いた。

「エレファント」

その言葉にも、可奈は静かで、優しい眼差しを崩さない。
可奈の側には、美里が縋り付く様に立っている。
取調室を出た草薙と内海も、異変に気付いて想の後方に立ち止まる。
水原母娘に付き添っているもう二人の事も草薙は知っていた。

まず江成姫子弁護士。
その隣にいる笹塚は元捜査一課のヴェテランであり、
今は別の所轄署の管理職だがこの狭い世界、草薙とも知らない間柄ではない。
先日も富樫慎二事件に関わる事で捜査本部を訪れていた。

「マイナスで、不格好で間が抜けていてお人好し。
見た目損得がどうあろうと本当の真実は輝きを失わない。
筋の通っている唯一の解。人間として正しい、たった一つの正解」

注目の中、想の唇が動いた。

「Q.E.D.証明終了です」

その言葉が発せられた時、彼はその言葉に全ての誠意を傾注し、
そこに認められた事実は即ち宇宙の果てで道が尽きても変わらぬ真実。
想の前に立っているそのほとんどの者は、誰よりもその事を理解していた。

「僕は、この結果は難しいと思っていた」

虚しい帰路となった廊下で大ハプニングに遭遇していた湯川が語った。

「燈馬想の計算、導き出した解には致命的な欠陥があった。
燈馬想イコールゼロ、燈馬想は最早、否、本当は最初っから、
この解の許されない存在だった、それだけの事よ」
「実に興味深い」
301 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 22:42:13.41 ID:J1J7jJSn0
>>300

 ×     ×

「逮捕された三人は、おおよその所を自白しています」

落ち葉の群れが、ベンチの横を吹き過ぎる。
帝都大学のキャンパス内、そのベンチに掛ける湯川に内海薫が報告する。

「あの後、水原可奈と水原美里は富樫慎二殺害の容疑で、
燈馬想はその凶器を処分した証拠隠滅の容疑で逮捕されました。
何れ、自供に基づき燈馬想を死体損壊遺棄の容疑でも再逮捕する方針です」

 ×     ×

「その後で、燈馬君は買い物に出て、
帰って来てからは自分が呼ぶまで美里の部屋から一歩も出ない様に、
どうしてもトイレに行きたい時だけ大きめにノックをして欲しい、って。
それで、言われた通りにずっと待ってて、燈馬君がもういいって言って、
その時には、もう死体はなくて、美里が聞こうとしたけど、私が、止めた」

取調室でそこまで言って、水原可奈は頭を抱えた。

「本当なんです、自分がやった事ならもう喋っています。
でも、本当に私は知らないし美里も知らない筈なんです。
私、本当は私、力仕事は私が、なのに私…」

一度落ちた水原可奈は実に人間らしい普通の女性だった。
掌を見て震えている目の前の女性は、間違いなく、
まず水原可奈自身からの報いを日々受け続けている。
取調に当たった刑事も、捜査一課のベテランだけにその事をよく知っている。
それは生涯の苦しみでありそして一片の救いであると。

そして、燈馬想は既にその間の事をすらすらと供述していた。
その図面を言葉で再現するが如き供述の態度は、
捜一のヴェテランをして表現し難い狂気を再認識させるものだった。
302 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 22:44:41.80 ID:J1J7jJSn0
>>301

 ×     ×

「燈馬想の自供に基づき、富樫慎二の遺体や凶器となったスノーグローブが引き揚げられました。
水原可奈の部屋を鑑識が徹底的に捜索して採取した僅かな血痕、毛髪と富樫慎二の遺体、
鑑定結果が一致しました」
「日本の科学捜査の水準であれば、
彼女の部屋に家宅捜索が入ればそういう結果が出る事は十分予測出来る」

「だからこそ、ですね。水原可奈が自ら名乗りでなければ、
水原可奈の部屋を捜索する事は至難の業でした。
仮に無理やり令状を取ったとしても、部屋で採取された微物のことごとくが
河川敷の遺体と不一致と言う事になれば、検察はむしろ手を引いてしまう。
改めて思い知りました。恐ろしい人物を相手にしていたのだと」

「実に論理的だ」

その言葉には、心なしか力がなかった。

「南空ナオミに関しても、遺体を遺棄した燈馬想の自供と捜索願に添えられた試料から
既に発見された身元不明遺体と同一人物である事を確認。水原可奈も殺害を自供しました。
富樫慎二事件の勾留期限切れを待って殺人と死体遺棄、
あるいは証拠隠滅の容疑で逮捕状を取る方針です」

「証拠隠滅は、自分の犯罪に関しては罪にならないだったか」
「はい。燈馬想も遺体と共に水原可奈が殺害に使ったナイフを持ち去った事を認めています。
隣、いいですか」
「ああ」

湯川が言い、内海が湯川の隣に腰掛ける。

「大筋において問題はないのだろうな。自分ではない二人を操縦出来ない状態である以上、
本気で科学捜査を行う警察を相手に余計な嘘をつくのは、
正に誰のためにもならない実に非論理的な自殺行為。その事を彼は熟知している筈だ」

「はい、そのままそういう状態です。燈馬想もそうですが、
水原可奈の記憶力も相当なものです。よくよく考えて調書を読み直すと、
それこそ燈馬想の頭の中に地図が入っていて
水原可奈の頭の中にはビデオカメラでも入っているのだろうかと」
「なるほど相性がいい筈だ。事によっては燈馬想を上回る天才だったのかも知れないな」
「そう思います」

内海薫が真面目に応じた。
303 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 22:47:03.95 ID:J1J7jJSn0
>>302

「量刑はどうなる?」

意外な気がした。確かに今回は少々深入りし過ぎた。
気になる友人であり天才同士である、と言う事もあったのだろう。
だが、事件の科学的解明以外興味がない、
その事を公言している湯川から出た単語は、内海の内心に僅かばかりの驚きを呼ぶのも当然だった。

「水原美里は富樫慎二の殺害を自供しています。全ては自分が最初にやった事で、
水原可奈は成り行きで自分を助けようとしただけだと。

江成弁護士の紹介で虐待絡みの少年事件に強い弁護士がついていますが、
富樫慎二による暴力の裏付けがどこまでとれるか、こちらにはこちらの立場がありますから、
殺人事件の原則として検察官送致が適用されるか
家庭裁判所の保護処分で終わるか厳しい争いになりそうです。

水原可奈もその辺りの事は同様です。富樫慎二による暴力が認定されたなら
そちらの情状はよくなりますが南空ナオミの殺害に就いては言い訳がききません。
水原可奈自身、辣腕の調査官として殺人を犯した自分の事を調べ回って
燈馬想と接触している南空ナオミの事が怖くなったと自供しています。
これでは長期の懲役刑は避けられない。

燈馬想は富樫慎二及び南空ナオミの殺害
それ自体にはタッチしていませんが死体損壊遺棄が三件、
そして何の関係も無いホームレスの殺害も自供している。
燈馬想も決して軽い、罪、ではない…」

そこまで言って、内海薫の言葉は途切れていた。

「実に、興味深い」

その呟きはしかし、木枯らしにかき消えそうなものだった。
304 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 22:50:32.40 ID:J1J7jJSn0
>>303

 ×     ×

「あの馬鹿がっ!」

MITの研究室では、ロキがかんしゃく玉を爆発させていた。

「あの、馬鹿がよぉ…もう、知らん」

その顔は決してそう言ってはいない。
取り敢えず、近くない未来にもう一度顔を合わせる事になるだろう。
その時は一発や二発の挨拶は覚悟しておいた方がいい。
その程度のコードを顔から読み取る事が出来るぐらいには、
エバは長い事ロキと付き合っている。

「それが、あいつの答えだったのかよ」

ロキが、どっかとソファーに座り込む。
デスクに掛けてパソコンに向き合っていたエバは、
ふと死角となっている机の引き出しを開けた。
変色の始まった封筒。その中身はもう、
敢えて目で追う迄もなくずっと昔にその優秀な脳に焼き付いている。

「エバ!」

はっとこちらに意識を取り戻したエバがさり気なく引き出しを閉じる。

「行くぞ!エバのあの解析結果なら首を縦に振る。
そうじゃなきゃボンクラだ、そんな会社組む価値なんかねぇよ」
「うんっ!」

立ち上がったエバは、つと、閉じられた引き出しに視線を走らせた。
305 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 22:53:15.72 ID:J1J7jJSn0
>>304

怖かった。
遠くに、果てしない霧の向こうに行ったまま、二度と戻って来ないのではないか
永遠に喪ってしまうのではないか、その事が心の底から怖かった。
だからつなぎ止めたかった。
何もかも、あの時は意思さえもねじ伏せてこちら側につなぎ止めておきたかった
何としても、どんな手を使ってでも
だから

死ぬほど後悔した。

誠意や義務感、そんなもので選んでもらうなんて真っ平
今更都合のいい格好を付けた言い分。だけど、そうじゃないと耐えられない。
だから送り出した。
負ける筈がない。何であれこの世に解けない謎なんてある筈がない。
ここに戻って来る、それが正しい答えなんだと信じて。

エバの唇が僅かに動く

「…Q.E.D.証明、終了…」
「エバ!」
「はいっ!」

燈馬「おはようございます」可奈「はい、お弁当」
−了−?
おまけあり
306 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 22:56:25.97 ID:J1J7jJSn0
>>305

 ×     ×

おまけ

それは夢かうつつか

「白井部長」
「ん」
「電飾の点灯実験実行しました」
「ん」
「仕様書のボルトにゼロが一つ多かった様で、
現在ショートした99.9%の修理中です」
「ああ、分かった」

「佐伯さんの衣装テスト終わりました」
「ナンバー6の特製スク水衣装だったな」
「接合部と原料そのもの、加えて体型変化に基づく脆弱性により、
五センチ四方以内の布片複数に分散しました」
「カメラは?」
「それに関しては完璧です。死角無し動作不良一切無しです」
「分かった」

「もう二人のヒロインとの打ち合わせ、行って来ました」
「ああ、確か涼○ハ○○の憂○のチラシ配りシーンをモチーフにした幻想的シーンだったか。
で、どうだった?」
「部長に直接重要なOHANASHIをしたいとの事で
斬馬刀と宋剣大河モデルを携えてこちらに急行しています」
「ああ、分かった」

「白井部長」
「ん?ああ、君か」
「脚本、上がりました」
「ああ、どれ…うん、分かった。
よし、瓶に紅茶を詰めろ、セット作るぞ、まずはBARカウンターからだ」

燈馬「おはようございます」可奈「はい、お弁当」
−了−
307 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 22:59:25.80 ID:J1J7jJSn0
>>306

口虚 予 告

「水原さん、あの服装って最近の流行ですか?」
「え?…いや、今だとちょっと寒くないかな?」

何の所にても

をしています」
「笹塚さんが?」

求めんと思う所の物に

「じゃあ水原さん、この事を聞いて来て下さい」
「オッケー」
「即決ね。理由とかは?」
「まあ、いつもの事ですから」
「今回は特に重要なんです」

天元の一を立て其とすれば

「答えならわかりますよ。他にありえない」
「いえ、それがあるんです」

則して其を得るなり

「昔、アメリカで刑事裁判に関わった事があります。
日本で言う殺人罪が幾つかに分類されています」
「だったらなぜ、この

考えないんですか?」

「その影を見ているようなもの…従来の線上に表現できないという事は立証

「…以上、証明終了です」

近日公開予定・全く無し・ごめん、それ無理、無理無理無理。以上
308 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 23:02:04.92 ID:J1J7jJSn0
>>307

−後書き−

はい、終わりました、ようやく終わりました。

見様によっては、メインの主役二人はおおよそ自分勝手ではた迷惑な外道揃い、
まあ、燈馬君はまんまクロスがそうとも言えますが
水原さんに至っては更に外道追加でぼちぼちロケットパンチの到達予定時刻ですはい。

原作好きの端くれとしては森羅も厳しかったです。
正直、逆アテ書きと言いますかプロットに合わせて無理してもらった部分が(汗)
メインの二人は多少は何とかなったのですが、年齢を乗せた未来森羅を描くのは…かなり無理でした。

ガリレオチームに至っては、
特に終盤ことごとく圧倒され気味、美味しい所までがっぷり持って行かれると言う噛ませっぷり。
何を愛しているのかと言うのか誰得と言うか投石はご遠慮下さいと言いますか。

思い付いたが吉日と言いますか、最初は何かの弾みでやっぱり発想がそうなるんですかね、あの犯行。
燈馬の思考回路ならやたら早く解けそうだ、ほらあの事件とあの事件と、と、思い付いたが運の尽き。
そこからあれよあれよでこんなプロットが出来上がって行ったのですが、
後はとにかく、好き放題書いてみました。

作中においても婉曲に触れられたかも知れませんが、
本作と元ネタの犯人達、ある一点においては確実に酷似していますが、
少なくとも表面的には違いが多数、はっきり言って多くの部分で相反しています。
燈馬に至っては、境遇がどうあれ社会的にも聡明過ぎてあの男ほどの絶望が思い浮かびませんし
本作中序盤では収入とかじゃなくて何このリア充だし。
それだけに、周囲の人間関係も含めてどう素材を味付けて調理していくか、楽しませてもらいました。

その中でも激しくイースト菌をぶち込んだ部分。
「Q.E.D.−証明終了−」と「容疑者Xの献身」をすんなりクロスさせていれば
物語的にもすっきり行きそうだと分かっていたのですが、実際には見ての通りのカオスに。

そのオリ部分の大半を担って散った南空ナオミはあっさり言ってしまえば狂言回しです。
こちらも散々な役回りですが。
本編の本筋に無関係って事も無いし、だからと言って安易なトラウマ論にするのもこの場合、
特に相手が燈馬想であるならば余り好きではないのですが。
結論を言ってしまえば、あの関係の話は最早書きたいから書いた後悔はしていないって言う。
309 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/17(月) 23:05:07.50 ID:J1J7jJSn0
>>308

「Q.E.D.−証明終了−」と「容疑者Xの献身」をクロスさせる時、
あの事件とあの事件は流せなかったと言うのも大きいです。
その場合、スレ内感想でも言われてた通り、捜査の本筋で深入りするのは無理がある。
では誰が、と言うのを色々考えて、結局中心作品の原作側からはどうしても。

当初は「相棒」とかも色々考えたのですが、「容疑者Xの献身」の方は
警察そのものが標準以上だとプロット的に成り立たないと言う要素もあったりしたり。
そんなこんなでこの人選に…ええ、それはまあ、そうでしょうね。

別作品のクロスで激しく文句が出ない程度に知名度と実力があって、
で、要は、あの出番終了でも、まあ、と言った所が人選の理由として無いかと言えば。
何よりも、「Q.E.D.−証明終了−」と「容疑者Xの献身」をクロスさせる時、
どうしてもあのシーンだけはやっときたかった、と言う理由も込みで外道一割増しな事件追加で
うん、そろそろですね。ここで文章が終わってたら見えない面で真っ二つになってると思っT

事前準備を経て夏頃から始めましたが、意外と長引きました。
こちらの不精や盛り過ぎもありますが、特に最終盤のオリジナル対決は、
ハッタリのきかないシーンだけにシーンがあって勢いで、とはいかず厳しく頭を絞る事に。

色々自虐的に後書きしましたが、ここ数ヶ月、準備も含めて
二次を嗜む者として最高の素材で力一杯楽しませていただきました。
読者さんにも楽しんでもらえたなら幸いです。

それでは今回はここまでです。
縁があったら又どこかでお会いしましょう。
勝手に使わせていただいた素晴らしい元ネタ関係者各位及び読者各位に感謝を込めて

今度こそ
−了−
ルールですので後で依頼は出しておきます。
310 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/18(火) 00:29:58.69 ID:yvRR+G1eo
永かったけどついに終わりかおつおつ
また始めから通して読みますか
311 :燈可奈弁X ◆WxhrC2Qhtw [saga]:2012/12/19(水) 21:31:39.42 ID:q0xv6PXE0
ああ、すいません、
遅くなりましたが依頼行って来ます。

「真夏の方程式」
いい映画になるといいですね。

それでは、和風スイーツ用意して
いいクリスマスを、よい年でありますように。
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