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春香「ねぇプロデューサーさん?」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [saga]:2012/08/22(水) 22:47:55.72 ID:zi9nDhH8o
※はじめましてです
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満身創痍 @ 2024/03/28(木) 18:15:37.00 ID:YDfjckg/o
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【GANTZ】俺「安価で星人達と戦う」part8 @ 2024/03/28(木) 10:54:28.17 ID:l/9ZW4Ws0
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旅にでんちう @ 2024/03/27(水) 09:07:07.22 ID:y4bABGEzO
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にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:26:18.81 ID:AZ8P+2+I0
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にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:26:02.91 ID:AZ8P+2+I0
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にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:25:33.60 ID:AZ8P+2+I0
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にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:23:40.62 ID:AZ8P+2+I0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/gomi/1711459420/

2 :1/2 [saga]:2012/08/22(水) 22:49:39.97 ID:zi9nDhH8o
【魅力的な話】

春香がゲストとして招かれたラジオ番組の収録を終えて、事務所へと戻るその車中。
珍しくスタジオを出てからずっと黙り込んでいた春香は、流れる車窓をボンヤリと見つめながら言った。
俺はというと、前の車に乗った黒髪女性の顔をどうにかして見てやろうと、
女性の額ばかりを映すその軽自動車のルームミラーを、テレパシーでも送るように凝視していた。
まさかその姿を春香に見られていて、ジト目を向けられているんじゃないだろうか……。
安全運転の合間を縫って、ちらりと助手席へ視線を移してみる。
春香は俺の被害妄想癖にはまったく気付いていないようで、いまだに頬杖を付いて外を眺めていた。

「なんだ?」

視線を前方に戻して春香に答える。
春香はきっと沈黙に耐えかねて、何か適当に話題を振るつもりで声をかけたのだろう。
その証拠に俺の顔は一切見ることなく、一貫して外ばかりに顔を向けている。
大した話題を持ち合わせずに話しかけたことが誰の目にも明らかだった。
……などと勝手な解釈で自己解決していたのだが、次の瞬間春香は、
ピンを抜いた手榴弾を投げつけるかのように、物凄い話題を持ちかけてきた。

「一体いつになったら、小鳥さんにプロポーズするんですか?」
「はぁ!?」

一応アイドル達の歌声の変化などに気付くことができる程度の耳をしているが、
今まで生きてきた中で、初めて自分の耳を疑った瞬間だった。
こちらに顔を見せぬまま、動きの変化をせずに言い放った春香の言葉に、
一瞬にして黒髪女性の素顔などはどうでもいいものとなった。

「言ってる意味がよくわからないんだけど?」
「意味って……そのままの意味ですよ」

ようやく春香はこちらを向いて、亜美真美得意の悪戯っ子スマイルを浮かべる。
あの二人なら考えが幼い分、上手い具合に受け流すことが出来るのだが、
相手はあざといやら白々しいやら、散々言われ続けたあの天海春香。
『そのままの意味』というのが一体どのままの意味なのか分かりかねない。

「俺は春香とそんな約束を交わした覚えはないぞ」
「でしょうね、私もそんな約束はした覚えはないです」
「だったら俺が小鳥さんにプロポーズする理由も無いわけだ」

春香にバレないようにボイスレコーダーや隠しカメラの類を一通り探し、
後続車や併走車の中に見慣れた人物が居ないか確認する。
それらが見つからず、ドッキリ企画でないことが分かったところで、
俺は『もうこの話は終わりだ』というニュアンスを十二分に含ませて春香に告げ、
話している間に開いてしまった車間距離を埋めるべく、少し強めにアクセルを踏んだ。
しかし春香はそうやって話を流そうとした俺にブレーキをかけた。

「本当に理由……無いんですか?」
「な、無いよ」
「じゃ聞きますけど、小鳥さんのことどう思ってます?」
「どうって………」

なおも食い下がる春香に多少の面倒臭さと多少の苛立ちを感じながらも、
噂話の種にされて、今頃豪快なクシャミをしているであろう小鳥さんの姿を想像し、
彼女に対して俺が持っている印象や、それに伴って発生する感情を引っ張り出してみた。

「そりゃー小鳥さんは素敵な人だよ。 いつも笑顔で仕事をしてるし」
「その笑顔って妄想してヘブン状態になってるだけじゃ……」
「いやいや、それもまた一興なんだよ」

そういうどうしょうもないところや、大人になりきれてないところも含めて、小鳥さんは素敵な人だ。
アイドル達には反面教師にしかならないほど、本当にどうしようもないところもあるけど………。
幸せを追い続けるも、それを手にすることが出来ないと悩み、嘆き、諦めつつあるところすら魅力的に思えてくる。
3 :2/2 [saga]:2012/08/22(水) 22:51:27.89 ID:zi9nDhH8o
「疲れて事務所に帰ってくるだろ?」
「はい」
「そしたらさ、小鳥さんが笑顔で『おかえりなさい』なんて言ってくれるんだよ」
「そうでしたっけ?」
「あぁ……その笑顔と魔法の呪文を聞けば、疲れなんて一気に吹き飛んでしまうんだ」
「なんとなーくわかる気がします」
「家に帰ったときもそれを味わえるようになるってのは、かなり魅力的な話だと思うけどね」

自宅の玄関に立つ小鳥さんの姿を想像してみると、いつもの事務服を着たままだった。
酷く乏しい自分の想像力と、脳に刷り込まれてしまった小鳥さんの事務服姿に、思わず笑みがこぼれる。
きっと小鳥さんのことだから『私とお風呂? 私を食べる? それともコ・ト・リ?』とか尋ねてきて、
俺に適当にあしらわれて、頬を膨らましながらポコポコとネコパンチをしてくるんだろうなぁ………
その後もずーっと機嫌が悪くて『はぁ〜ぁ、Pさんに相手にされないなんて寂しいなぁ〜』とか言っちゃって……

 『小鳥は寂しいと死んじゃうんですよ!』
 『それはウサギでしょ?』
 『ウサギだって一羽二羽って数えるんですよーだ!』

とかそんな会話を………おっと失礼、妄想が過ぎたようだ。
良いことなのか悪い傾向なのか、最近どうも小鳥さんの妄想癖が伝染ってきたな。

「どうって……とか言ったわりに、結構理由持ってるじゃないですか」
「いやだから、あんな素敵な人と親密になれたらいいとは思うよ?
 でもそれはただの憧れであって、実際にそういう関係になれるとは思ってない」
「ん〜そうですかねぇ〜」

春香はアヒルのように口を尖らせて、首を傾げた。
納得していないと言いたげな顔をしているが、春香が納得してくれなくても、これは事実なのだ。
男は幼い頃に一度はウルトラマンや仮面ライダーになった自分を想像したりするものだが、
同時に、幼いながらもどこかその夢が実現できないものだと認識していたりする。
俺が小鳥さんに対して抱いている感情が、成就することのないものだという認識は、
その幼い頃の無意識的な悟りと同様にして、長い年月が経った後に
愚かな夢を持ったものだと振り返る材料にしかならないのだ。

「なにより小鳥さんみたいな人、俺にはもったいないさ」

アヒル口と首傾げに加え、今度は眉までしかめる春香。
『意気地なし』と言われているようで、チクリとしたものが心に刺さる。

「それに、俺のことなんてなんとも思ってないはずだ」

多分そう……恐らくそう………いや、きっとそうであるはず。
小鳥さんに対する憧れは確かにあったが、自分に対して恋愛感情を抱いていないと分かっているからこそ、
気付かない間に小鳥さんに対し、そういった感情を抱かないようにしていたのだろう。
勝手に自分自身で結論をつけ、顎を摩りながら、うんうんと二度ほど頷いてみたのだが、
お隣に座る春香さんはどうも納得してはいただけぬご様子で、指をこめかみに当てて考えを巡らせている。

「……好きではあるんですよね? 小鳥さんのことが」
「う〜ん、そこんとこはよくわからん」

実際に今日こうして春香に尋ねられるまで、深く考えたことなど一度も無かった。
俺がそうなのだから、小鳥さんも俺のことをそうマジマジと考えることなんて無いだろう。

赤信号に引っかかり、決して新しくないこの車はしっかりとアイドリングを継続させている。
いつの間にか沈黙へと回帰してしまった車内にはエンジン音だけが轟いていた。

「はぁ……」

春香は横断歩道を渡る人並みを目で追いかけながら、小さく短い吐息を漏らした。
それがどのような感情が反映された溜息なのか、俺には分からなかった。
ただ、これは俺の考えすぎなのか、春香の目はその群集の中にまぎれた、
しっかりと手を繋ぎ歩いていくカップルに向けられているように見えて仕方がなかった。
4 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/22(水) 22:52:55.11 ID:V7RfNZ2IO
面白いよ
だからこそ改行してくれよ
5 :1/2 [saga]:2012/08/22(水) 22:54:08.86 ID:zi9nDhH8o
【フツリアイ】

「はい小鳥さん、言われてた資料できましたよ」
「あっ、ありがとう律子さん」

超売れっ子アイドルグループ『竜宮小町』と、それを率いる売れっ子プロデューサー秋月律子さん。
テレビにラジオに雑誌のインタビュー、各地営業周りに握手会、ダンスレッスンにボーカルレッスン……。
多忙極まる彼女達にも休息は必要で、今日と明日、珍しく竜宮小町はオフになったみたい。
いえ……どうにかこうにかスケジュールを調整して、無理やりオフにしたと言った方が適切かしら?
だからいつもはテレビ局やスタジオを忙しく飛び回る律子さんも、
お家でゆっくり……となるはずが、こうして事務所で私の仕事を手伝ってくれている。

「手伝ってもらってる身だけど……律子さんもお休み取ればよかったのに」
「いえいえ、それなら平気ですよ」

メガネをクイッと片手であげて、律子さんは自信ありげに腰に手を当てた。
さしずめ『えっへん!』といったところかしら?

「メガネでスーツ、性別以外じゃ被ってる節のあるプロデューサーには負けてられませんから」
「あら勇ましい。 で、そのプロデューサーさんは……?」

遠めに見れば黒の割合が多くなってきたホワイトボードに視線を移し、
たった今話題に上ったプロデューサーさんのスケジュールを確認してみる。
今日は春香ちゃんのラジオの収録現場に同行してるみたいね。
もう収録は終わってるだろうから、今頃は車の中かしら?

  信号待ちで停車して、シフトノブに置かれたプロデューサーさんのほっそりとした、
  それでいて血管の浮き出た男らしく逞しい手にそっと自分の手を重ねる春香ちゃん。

  『春香、どうした?』
  『プ、プロデューサーさん……私………』

  震える口元から漏れた愛の言葉は、発進を催促する後続車のクラクションに掻き消され、
  身体を貫くような鋭く尖った音に驚いた春香ちゃんは咄嗟に手を離す。
  沈黙と沈黙の間に投げかけられた、闇夜に淡い光を放つ月のような仄かな恋心は、
  それを相手に意識させることなく、蕭然とした闇の中へ……………

「…………はっ!?」

なんとなく視線を感じた。
涎を拭きつつ律子さんを見てみると、何も言わずにただ私の顔を見つめていた。
その目を見つめ返していると、妄想明けの私にまた別の妄想が舞い降りてきてしまった。
な、なになに? コレなに? も、もももしかして律子さんってば私のこと……。
最近は百合だとかBLだとか、そういうものに大らかになりつつある世の中だけど、
きゅ、急にそんなこと言われたら……流石の小鳥だって、その……こ……こ…………

「困っちゃうなぁー!」
「何をニヘラニヘラ笑ってるんですか?」
「…………おっと」

私を見る律子さんの細い目は、いつのまにかジットリと湿度の高いものに変わっていた。
最近よくこうやって、律子さんに妄想を阻止されているような気がする。

「わ、私の顔に何か付いてるかしら?」
「いえ……ちょっと気になることがありまして」

バツの悪そうな顔をして、人差し指で頬を掻く律子さんは、
普段歯に着せぬ物言いをする彼女に、雪歩ちゃんの臆病さを少しだけ足したようだった。

「な、なにかしら?」
「一体いつになったら、プロデューサーに告白するんですか?」
「…………ピヨ?」

私の頭は、昔使っていたWindowsMEのようにフリーズし、ブルースクリーンが浮かび上がった。
6 :2/2 [saga]:2012/08/22(水) 22:55:41.74 ID:zi9nDhH8o
  システムがビジー状態です

  [プログラムの強制終了]
  ダイアログの表示待ちでシステムがビジー状態になっています。
  ダイアログが表示されるまで待つか………


「コンピュータを再起動………ってえぇー!?」
「私そんなに驚くようなこと言いました?」
「だ、だって私がそんな……告白なんて………」
「嫌いなんですか? プロデューサーのこと」
「えっ」

…………ドキリとした。
電話で打ち合わせをするプロデューサーさんの姿が頭に浮かぶ。
私の真正面にプロデューサーさんのデスクがあるからか、
どうしてもその顔に目が行ってしまう機会が多くあるわけで、
私の脳内HDDにはプロデューサーさんの表情がzip形式で沢山保存されてある。
コーヒーカップを倒してしまって、書類やパソコンは大丈夫かと心配する焦った表情だとか、
アイドル達にちょっかいを出されて、タジタジしている照れた表情だとか、
大きな仕事を獲得して、電話越しのディレクターさんにお辞儀をしてる嬉しそうな表情だとか、
喜怒哀楽、いろんな感情を露にしたプロデューサーさんが私の脳内を駆け巡った。

「き、嫌いなわけないじゃない」
「つまり好きだと」
「す、好き……っていうかそのぅ……」

雪歩ちゃん要素はどこへ行ってしまったのか、律子さんはいつもの調子に戻っていた。
その表情はどこか嬉しそうなもので、その目は少し輝いて見える。
そんな律子さんの表情を前にして私が抱く感情は、恐怖以外の何者でもない。
律子さんの巧みな話術、感情操作にコントロールされて、丸裸にされてしまいそう。
私は律子さんから受け取った雪歩ちゃん要素により、シドロモドロになってしまった。

「プ、プロデューサーさんは……素敵な方よ」
「まぁ悪い人ではないですね」
「事務所に戻ってきたときも、プロデューサーさんの方が疲れてる筈なのに
 私に『お疲れ様です』なんて気を遣ってくれるし」
「ほう」
「も、もちろんプロデューサーさんが私をそういう対象として見てくれるなら、
 それはとっても嬉しいことだけど……でもそれは願望であって…………」
「叶うことは無い……と?」
「そう」

別に自分を必要以上に卑下したり、謙遜したりするつもりはない。
私が無駄に年をとってしまったが為に、理想が理想でしかないことを知っているってだけ。
全てが上手くいくと錯覚していた若いころと違って、自分を冷静に、客観的に見れるというだけ。
普通に考えて、自分がプロデューサーさんの恋愛対象になれるとは思っていない。
ごくたまにそういう間柄になったことを想像したり、超展開で告白されるという妄想をしたりもする。
でもそのイメージを具現化させるような努力をしようとは少しも思わなかった。
努力してなんとかなるような問題であれば、私だって努力するわよ……。
費用対効果が見受けられないのなら、その努力は無駄になる。
無駄になるような意味の無い努力なら、しないほうがいいに決まってるもの。
仮にも芸能事務所に勤める私が、某吸血鬼のように無駄無駄言っちゃダメなんだろうけど、
三十路という人生の泥濘に片足を突っ込み始めた孤独な女に、自信を持てと言うのはあまりに酷よ。

「第一、プロデューサーさんと私とじゃ釣り合わないわよ」
「私はお似合いだと思いますけどね」
「もう……律子さんはお世辞が下手ね」
「本当にそう思ってるんですって」

765プロはみんな仲良しで、家族のような……という表現も大げさではない。
だから顔を見れば、相手が冗談を言っているのか、本心なのかぐらいは見分けられる。
律子さんの顔を見てみると、どうやら本心で言っているらしかった。
でもだからこそ、私はこの話を終わらせなければならないと思った。
お似合いだと言ってくれた律子さんの期待には応えられない。
そういう悪い方面での、迷いなく確固たる自信が私にはあったから。

「はい! この話はもう終わりっ! さぁー仕事仕事〜」
「もう……」

バカボンのパパの真似じゃないけど、これでいいのよ。
私だって自分のことぐらいよーーーくわかってるつもりよ。
自分がプロデューサーさんには相応しくない、ツマンナイ女だってことくらい。
7 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [saga]:2012/08/22(水) 23:02:34.99 ID:zi9nDhH8o
一回切ります
改行学んでくる
8 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(秋田県) [sage]:2012/08/22(水) 23:06:05.38 ID:EIZNBur7o
こんなに読む気の失せるSS初めて見たわ
9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/22(水) 23:07:17.54 ID:pyMAkYWmo
最初の春香の台詞何処だよって探したらスレタイか
こういうがっつりしたのを待ってた。乙
10 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/22(水) 23:07:49.97 ID:V7RfNZ2IO

期待してるよ
11 :1/2 [saga]:2012/08/22(水) 23:32:07.19 ID:zi9nDhH8o
【Sugarless Coffee】

「天海春香、ただいま戻りましたぁ〜」

相変わらず元気の良い春香の後に続いて事務所に入る。

まず出迎えてくれたのは、ガラガラと不安定な音を立てる老体の扇風機だった。
その広い顔を左右に振りまいて、生ぬるい風を事務所中に運んでいる。

例のごとく春香が扇風機の前に屈みこんで、宇宙人の真似ごとをしはじめた。

「ワレワレハ……ツルンツルンダ」

トレードマークのリボンがヒラヒラ、風に靡いている。

しばらく扇風機から離れそうにない春香の後方にピントを合わせると、
小鳥さんがパソコンから目を外し、こちらを見て微笑んでいた。

そうそう、これこれ……春の陽気のような、柔らかなこの笑顔。
これを見れば、俺の疲れなんて一瞬にして吹き飛んでしまう。

「おかえりなさい」

「アァァアアァ……ホントダァー」

「え? 春香ちゃん、何がホントなの?」

「アァアァあ、いえ……なんでもないです」

車中での俺の発言を思い出したのだろう。
思わず口を付いてしまった春香が、慌てて誤魔化している。

小鳥さんは不思議そうな顔で春香を見つめた後、
その表情を崩さぬまま俺へと視線をシフトさせた。

「お疲れ様です小鳥さん」

いつもそうするように小鳥さんに声をかけると、
まるでライターの火を灯したかのようにパッと頬を赤く染め上げたかと思えば、
瞬時に顔を背けてしまった。

その隣に立っていた律子は、ひどく驚いた、または拍子抜けした顔で俺を見る。
まるで俺が何かとんでもないことを言い放ったかのような表情をして――――

「………ホントだ」

――――春香と同じようなことを言った。
12 :2/2 [saga]:2012/08/22(水) 23:32:54.52 ID:zi9nDhH8o
「小鳥さん、俺いま何か言いましたっけ?」

『お疲れ様です』なんて言葉はあってないようなもので、相手に疲れた様子が見受けられなくとも使う。
それほど慣用化された挨拶の中に、これといって大きな意味は無いと思うんだが……どうなんだろう?

「な、なんでもないんですよ! ねぇ、律子さん?」

飛び立たんばかりに手をバタバタと羽ばたかせながら、小鳥さんは慌てて律子に声をかける。
その律子は顔を背け、小鳥さんと目を合わせずにポツリと呟いた。

「何でもないこともないですけど……」

「コ、コラッ!」

キャッキャウフフと表現すればいいのだろうか……。
ニヤニヤと笑みを浮かべる律子と、顔を真っ赤にして腕を振り回す小鳥さん。

なんとなく良いものが見れた気がして、少し得したような気分になる。

「あのぅ律子さん、ちょっといいですか?」

「はいはい、何かしら?」

二匹の子猫のじゃれあいを中断させて、春香がそのうちの一匹を連れて行ってしまった。
依然としてガラガラ音を立てる扇風機が、その二人を追いかけるように首を振る。

そして俺の目の前に座った、残された方の一匹はというと………。

「はぁ」

車中の春香と同じように小さく短い溜息を付いて、俺の顔をチラリと見た。
……かと思えば、またまた顔を赤くして即座に視線をパソコンへと戻した。
そうして俺が『一体なんなのだろう……?』と不審に思うまもなく、

「……コホン」

ヒヨコの鳴き声のように小さな咳払いを一つ。

「コーヒーでも……い、淹れましょうか?」

「でしたら……砂糖は無しで、薄めに作ってもらえますか?」

「は、はい」

気まずそうに席を立ち、そそくさと給湯室へ消えていく。
俺達が居ない間に律子と二人で何か話しをしていて、それであの反応だったのだろう。
しかし……もしそうだとしても、一体全体何の話をしていたんだろうな。

あれだけ赤面してしまうのだから、余程のことなのかもしれないが……。
小鳥さんの様子からでは、その会話を予想することは出来ない。
13 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) :2012/08/22(水) 23:33:51.94 ID:zi9nDhH8o
ちょっと修正してみましたが、どうでしょうか?
こんな感じでいいようであれば、書き溜めした分を修正します
14 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西・北陸) [sage]:2012/08/23(木) 00:09:33.07 ID:ME11zOTAO
いいと思うよ
楽しみにしてる
15 :1/4 [saga]:2012/08/23(木) 00:24:42.09 ID:QXBHTeFZo
【わかったこととかわったこと】

「……って感じね」

「やっぱり二人とも似たようなこと考えてたんですね」

私と律子さんは、会議室で秘密の談話をしていた。
お互いに今日話した内容を打ち明けてみると、びっくりするくらい同じような会話。

そもそも、あの二人の気持ちを探ってみようと律子さんに提案したのは私。

私を担当してくれているプロデューサーさんと接する機会が、私には多くあるし、
律子さんは事務も兼任しているから、小鳥さんと接する機会が多い。

だからもしかしたら、プロデューサーさんが小鳥さんに対して、
逆に小鳥さんがプロデューサーさんに対してどういう感情を抱いているのか、
私と律子さんで聞きだすことが出来るんじゃないかと思った。

といっても私も律子さんも、あの二人がお互い
意識しあっていることを知っていた。

だからもどかしく感じていたし、
『早くくっつけばいいのに……』というのが二人の共通する意見だった。

「お互いが謙遜しあってるからダメなのよね」

「そうですね」

『きっと自分のことなんてなんとも思っていない』
『自分なんて相手に釣り合うはずがない』

そう決め付けているから、前に進むことが出来ずにいる。
良い意味での自惚れが足りないというか、悪い意味で謙虚すぎるというか……。
人間なんて少しくらいあざといぐらいがちょうどいいのになぁー。

「どちらかが押しが強ければ、イケると思うんですけどね」

「小さなことでもいいから、何かきっかけがあればね……」

「そのきっかけを私達で作ってあげましょうよ!」

「どうやって?」

「二人を別々にけしかけるってのはどうでしょう?
 私は私で、律子さんは律子さんで、二人の背中を押すんですっ!」

「そそのかすってこと?」

「はい!」

たとえば食事に行くとか、たとえば共通の話題を持ってることに気付かせるとか……。

とにかく二人が否応無しにお互いを意識しないといけない状況に追いやってしまえば、
あとは水を差した植木鉢のように、待っていれば何かしらの芽が出てくるかもしれない。

「それが赤い実だったら、素敵じゃないですか!!」

「ま、まぁね」

「でしょう?」
16 :2/4 [saga]:2012/08/23(木) 00:27:35.11 ID:QXBHTeFZo
律子さんの顔を覗き込んでみると、何かいつもと違う雰囲気が感じられた。
いつも強気な律子さんに珍しく、心配の種を心に持っているような、そんな感じ。

俯いたまま目だけをこちらに向けて、私の心を探るような表情を浮かべている。

「どうしたんですか?」

「春香は……よかったの?」

「何のことでしょう?」

「好きだったんじゃないの? プロデューサーが」

「あぁ……それは…………」

確かに律子さんの言うとおり、私はプロデューサーさんが大好き。
それは恋愛感情としてもそうだし、尊敬の念としてもそう。

私は自分に正直というか、器用じゃないというか…………。
自分の気持ちを隠すことが下手だから、鈍感なプロデューサーさんは抜きにして、
律子さんは私がプロデューサーさんに好意を抱いていることに気付いていたみたい。

だから、ともすれば敵に塩を送ろうとする私のことを心配してくれたんだ。

「それだったら、もう平気ですよ」

「もうって……」

それは最近になってわかったこと。

最近になってかわったこと。

「普通なら、私は学校に通ってますよね? いや、もちろんちゃんと通ってますけど」

「えぇ」

「でも、明らかに学業は二の次です」

「あまり感心しないけど、実際問題難しいわよね」

「で、もし私がアイドルじゃなかったら、普通に学校に通ってました。
 そして、普通に異性に恋をして……ってことになっていたはずです」

きっとそれが、ごく一般的な思春期の女子の姿なんだと思う。
恋人が出来る出来ないは別としても、好きな人ぐらいはいるはず。

でも私は今、世間一般的な学校生活、
一般的な思春期女子とは遠くかけ離れた場所に居る。
私に思春期特有の、異性に対する感情が芽生えたとしても、それを向ける相手が居ない。

だから、その行き場を失った感情が……
本来なら同年代の男子に向けられていた筈の感情が……

「一番身近な異性であるプロデューサーさんに向けられてただけなんですよ」

「…………」

律子さんはものすごく真剣で、それでいて憐れむような表情をしている。
やっぱり律子さんはとても優しくて暖かい人だ。

そっけないように見せているけど、いつもみんなを気にかけていて、ちゃんと見ていてくれる。
だからこそ、律子さんには心配をかけちゃいけない。
17 :3/4 [saga]:2012/08/23(木) 00:29:05.02 ID:QXBHTeFZo
「最近やっとそのことに気付いたんです……やっと、そう思えるようになったんです」

私がとびっきりの笑顔を向けても、しばらく律子さんの表情は変わらなかった。
それどころか、さらにもう一歩前進して顔を近づけ、私の目をジッと見つめ始めた。

「あ、あの……」

そろそろ気まずくなってきた私が目を逸らそうとした時、
律子さんはやっと分かってくれたのか、安心したようにニッコリと笑った。

「わかったわ」

「……ってことで! もう一人思春期からかけ離れてしまった小鳥さんをどうにかしましょう!」

「せめて満面の笑みで言わないであげて………」

「あはは」

ごめんなさい律子さん。
本当は少しだけ嘘をつきました。
もちろんそれは自分自身に対する嘘でもあったわけですけど。

ごめんなさい小鳥さん。
嫌いになんてならないけど、たまに小鳥さんに嫉妬することもありました。
だって小鳥さんには、プロデューサーさんを好きになれる資格があったから。

私がプロデューサーさんに抱く恋愛感情は、
本来なら抱くはずのない、抱くことの許されないもの。
だからその資格を持った小鳥さんが羨ましかったし、だからこそ、それを活かして欲しかった。

「春香?」

「は、はい!?」

「とりあえず、食事に誘わせる?」

「あぁ、そうしましょうそうしましょう! い、いやぁ面白くなってきた!」

「あんまり人の恋路を面白がっちゃいけないわよ……」

「恋のキューピッドですよ! キューピッド!」

「三味線も弾き方ね」

「えっと……それはよくわかんないですけど」

「物は言い様ってこと」

「なるほど………でもまぁ、お互い好意を持っているのは明白です!
 このままじゃ、あの奥手な二人にはいつまでたっても進展がありませんよ」

食べずに取っておいたスイーツが賞味期限を優に越えて、虫が湧いてしまうように、
恋に発展することなく、既に切れつつある小鳥さんの賞味期限が切れて、
虫が湧いて……って、むしろ小鳥さんの場合は虫が付かったからこうなったのか……。
18 :4/4 [saga]:2012/08/23(木) 00:29:56.57 ID:QXBHTeFZo
「春香ちゃん?」

「ぅひゃぁ!!」

「プロデューサーさんが呼んで……ってどうしたの?」

悪い意味でのベストタイミングで、背中から小鳥さんの声が聞こえた。
思わず叫びにも似た声を挙げて後ろを振り返ると、小鳥さんが首を傾げて立っていた。

「いえいえ、なんでもございませんですよ!」

「ございませんって……変な春香ちゃん」

「あ、あはは……」

とにかく小鳥さんの不憫度が増してしまう前に、なんとかして二人をくっつけないと。

腕組みをする律子さんにそっと目配せすると、得意げにメガネをクイッと挙げて微笑んだ。
その姿を見てしまった小鳥さんはさらに混乱してしまったようで、
名前に相応しく小鳥のような動きで、律子さんと私の顔を交互に見比べていた。

「も〜ぅ、二人して私の悪口言ってたんでしょ?」

「ち、違いますって……むしろ良い方ですよ!」

「ホントにぃ?」

「モッチモッチ、ロンロンです!」

「夢のマロン社? 春香ちゃん、それ古いわよ……うふふっ」

一体何の話をしているのか分からないけど、小鳥さんは嬉しそうに笑っている。

その笑顔を家でも味わえるのは、かなり魅力的だとプロデューサーさんは言った。
自分のことを恋愛対象として見てくれるなら、とても嬉しいことだと小鳥さんは言った。

あと少し……あともう少しで二人のそうした想いが通じ合えるのに。
本当にこの二人はもどかしい。

「小鳥さん」

「はい?」

「ファイトですよっ! ファイト!」

「お、おー!」

わけがわからないといった顔をしつつも、私を真似て拳を振り上げると、
小鳥さんはその体勢のまま照れくさそうに俯いて、

「二人にもコーヒー淹れてこないと……」

顔を真っ赤にして、半ば逃げるように去っていった。

「大丈夫かなぁ……小鳥さん」

いつもは恥ずかしげもなく、恥ずかしいことを平気で言うような人なのに。
こういうちょっとした、大したことのないものには恥じらいを見せる。

プロデューサーさんが惹かれるのは、案外こういうところなのかな?
19 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) :2012/08/23(木) 01:02:10.44 ID:QXBHTeFZo
gdgdでもうしわけない
今日はここまでとさせてください

完結まで書き溜めはしてますので
修正した後に続きを投下します
20 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/23(木) 01:07:41.62 ID:U09u80HWo
おつ
21 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/08/23(木) 01:17:33.30 ID:6rszKQjso
22 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/23(木) 02:25:10.65 ID:zKbZo3QIO

うん、読みやすくなったよ
そして面白いよ
23 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sagesaga]:2012/08/23(木) 08:03:48.85 ID:YlL+py4Ro
畜生春香スレじゃないのかよ…
24 :1/3 [saga]:2012/08/24(金) 00:25:29.72 ID:+gymnPO2o
【かもしれない】

「ふぃ〜今日もよく頑張ったな春香」

「はいっ! プロデューサーさんも!」

昨日のラジオの収録は、特に大きなトラブルもなく無事に終わった。
そして本日、春香は某所で雑誌の取材を受けたのだが、すばらしく上手くいった。
なんと驚くべきことに、たったの三度しか転ばなかったのだ!!

雑誌の取材なら転ぶことなんてないだろうと首を傾げたそこの貴方!
もし貴方が春香のプロデュースを担当することになったなら、
恐らく三日もせぬうちに、彼女のオートバランサーを最新鋭のものに交換したくなるだろう。

「こりゃ明日ニュートラリーノが降るかもな」

「なんですそれ??」

暗黒物質の最有力候補とされる超対称性粒子ニュートラリーノ。
一部の人々から植えつけられた春香のイメージに、暗黒の名は実にピッタリだ。

などと言うと、きっと俺は春香の暗黒面に引き込まれてしまうだろう。

「あのープロデューサーさん?」

「どうした?」

「小鳥さん……のことなんですけど」

「なんだまたか」

下を向いた春香はもどかしそうに手を扱いまわしながら、
歩幅の大きなゆっくりとした足取りで歩き始めた。

どうも昨日から、春香は俺に小鳥さんのことを聞きたがる。
聞いたところで人の心はたった一日程度で変わるもんじゃないってのに。

「プロデューサーさんは、小鳥さんは自分には勿体無いって思ってるんですよね?」

「そう、俺なんかよりもっと良い男が世の中にはごまんといる」

「私は十分素敵だと思いますけどね、プロデューサーさんって」

「ん? なんだって?」

「ナンデモナイデスヨー」

「とにかく、俺が小鳥さんに好意を持つなんて、おこがましいにも程があるよ」

「そんな大したタマじゃないと思いますけどね、小鳥さんって」

「ん? なんだって?」

「ナンデモナイデスヨー」

もちろん春香の言葉は聞こえていたわけだけど、
小鳥さんの名誉の為、ここはスルーしておこう。

車へと向かう足を少しだけ速めて春香との距離を開けようとすると、
すかさず小走りで間合いを詰めてきた。
どうやらまだこの話を続けるつもりらしい。

「でもですよ? それってプロデューサーさんが決めることですか?」

「え?」

「相応しいかどうかは小鳥さんが決めることじゃないですか?」

「まぁ確かにな」

「だったら分からないじゃないですか! プロデューサーさんのこと好きかもしれない」
25 :2/3 [saga]:2012/08/24(金) 00:26:15.27 ID:+gymnPO2o
春香の言うことは間違ってはいないが、それは大して重要ではない。
そのことを念頭に入れて考えてみても、俺の出す結論は変わらないのだ。

「確かに春香の言うとおりかもしれない」

「でしょう?」

だがその“かもしれない”は、宇宙人がいるかもしれないと同じくらい、
宝くじがあたるかもしれないと同じくらいの、当てにならないおまじないのようなものだ。

  『トップアイドルになれるかもしれない』

その夢を実現する為の手伝いを生業としている俺がこんなことを言ってはいけないのだろうが……。

しかし春香達の“かもしれない”は十分実現可能なものであるのに対し、
俺の“かもしれない”は、自分で考えてみても十分実現不可能なものなのだ。

そんな不確実な“かもしれない”ばかりに目を奪われて、
現実が見えなくなるのは大きな間違いだ。

「いいか……もし想いを伝えたとして、
 それが受け入れられなかった時のことを考えてみろ」

俺は今の765プロの雰囲気がすごく気に入っている。
よく無料求人案内誌に載っている『アットホームな職場』というのを、
俺は初めてこの765プロダクションに見たのだ。

何より春香達の夢を叶えてあげたい、いや……共に叶えていきたいと思っているのだ。

もし小鳥さんに告白して振られたとなれば、
『気まずさ』という余計な感情を抱かないといけなくなる。
それが邪魔をしてトップアイドルを育てるという
大きな夢の実現を逃してしまっては元も子もないではないか。

「俺は今の関係が崩れて、ギクシャクした中で仕事をしたくないんだよ」

「…………」

「きっと小鳥さんだって同じはずだ」

「それは……それは…………」

春香は少し怒ったような、苛立ったような顔で俺を見上げていた。
握り締められた拳は小さく震え、その苛立ちが本物なのだと証明している。

「それは臆病者の言い訳ですッ!!」

俺を罵る春香に対して悔しいという感情を抱くのなら、俺は臆病者ではないのだろうが、

「言い訳結構……気まずくなるくらいなら臆病者でいいよ」

としか言えない俺は、本当に臆病者なのだろう。

「もう………」

フグの様に膨れ面を晒す春香は、なおも俺に喰らい付いてきた。
春香がそんなに必死になるようなことじゃないと思うんだけどなぁ………。

「分かりました」

「なにが?」

「いきなり結果を考えるからダメなんですよ!
 好きとか嫌いとか勿体無いとかなんだとか、今はどうだっていいんです!」

「どうだっていいことはないだろ」

「そんな七面倒臭いことは考えないで、ただ『飲みに行きませんか?』の一言でいいんです」
26 :3/3 [saga]:2012/08/24(金) 00:27:36.08 ID:+gymnPO2o
好きか嫌いかの次は、小鳥さんを飲みに誘えと来たか。
一体どういうつまりなんだろうか、小悪魔笑みを浮かべるこのアイドルは。

とここまで話したところで、頼れる765プロの足、少し古めの軽自動車の元へたどり着いた。
上手いこと話が終わってくれたらよかったのだが、そうは問屋が卸さないらしい。

「オーライですっ!」

「あぁサンキュー」

駐車場から交通量の多い道路へと飛び出す。
となれば、中断していた会話がまた再開されるということだ。

「何度か食事に行ったりしてると、なんとなーく相手の考えが分かってくるじゃないですか」

「そうか?」

「少なくとも好感を持たれているかどうかぐらいは」

「随分アバウトなんだな」

まぁ確かに、ボンヤリとしたものではあるだろうが、掴めてくるのかもしれない。

「ダメっぽかったらそれはそれで仕方ないですけど、
 ただの食事なんですから、気まずくなることもギクシャクすることも無いでしょう?」

「まぁな」

「だから食事に誘えばいいんですよ!」

「う〜ん」

「恋愛に発展すれば儲けもんですし、そうじゃなくても
 あくまでも仕事仲間として親睦を深める為に誘ったってことに出来るんです」

「つまり、逃げ道があると」

「イエスザッツライト!」

「うん……そうだ……そうだよな!」

だんだんとテンションを上げて熱弁を振るう春香に半ば押されるような形で、
俺の中にあるちっぽけな勇気が沸々と拳を握り始めた。

きっと今の俺のような状況を『まんまと乗せられた』と言うのだろう。

まぁしかし、あくまでも色恋方面の発展は無いと思っているが、
日頃お世話になっているわけだし、その感謝の意を込めて
ご飯を奢らせてもらうっていうのも、たまには良いのかもしれないな。

「思い立ったがナントカですし、今日誘っちゃいましょう!」

「吉日な……よし、事務所に戻ったら誘ってみるよ」

「はい!」

春香は満足げに頷きながら、小さくガッツポーズをとっている。
人のことだろうに、何がそんなに嬉しいのやら。
いや……人事だからこそ、純粋に楽しめるのかもしれないな。

イヤホンを耳に付け、新曲のデモを聞きながら鼻歌を歌い始めた春香。

その横で平静を装う俺だったが、内心は緊張が身体を支配し始め、
それがアクセルを踏む足に伝わり、予想以上に車を急加速させてしまった。

「はは……こりゃ先が思いやられるよ」

会話のクラッチを繋ぎ損なってエンストしなければいいが……大丈夫だろうか?
27 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/24(金) 00:30:07.38 ID:jgpmCHZIO
来てたか
良いね
28 :1/3 [saga]:2012/08/24(金) 00:30:40.23 ID:+gymnPO2o
【ギクシャク】

「ふぅ〜」

「少し休憩したらどうですか? はい、アイスなコーヒー」

「ごめんなさい律子さん、本当は私が淹れないといけないのに……」

昨日に引き続き、律子さんは事務仕事を手伝ってくれている。
別に私一人で出来ないこともないし……普段サボってるわけじゃないけど、
やっぱり一人よりも二人でしたほうが仕事は捗る。

「随分疲れてますね」

流石は人気アイドルをプロデュースする律子さん。
ちょっとした表情の変化から、その人の体調を見抜くことが出来る。

事務員である私も、一応そういうことに長けていないといけないんだろうけど、
こんな私に出来ることは、せいぜい服装の違いに気付けるかくらいのもの。

今日の律子さんは珍しく私服姿で、あまりにスーツが定着したからか、逆に新鮮な感じ。

「え、えぇ……ちょっと昨日眠れなくて」

「あぁ、プロデューサーのことを考えて?」

「ちちちち違うわよっ! 別にそんなのじゃ……」

「へぇ〜そうでしたか」

「…………考えてました」

これまで意識してこなかったこと、意識することを
避けてきた人を嫌でも意識しなくてはならなくなった。

昨日の夜布団に入ると、頭の中がプロデューサーさんで一杯になって、
ぐるぐると駆け巡って、かき回して………そしてど真ん中に鎮座していた。

それを律子さんの“所為で”と言うと、語弊があるけれど、
律子さんの“お陰で”と言うと、これもまた語弊があるような気がする。

「で、一晩考えた結果は?」

「えっ」

「どう思ってるんです? プロデューサーのこと」

「そ、それは……いいなぁとは思ってますけど……ねぇ」

「釣り合わないと」

「そう」

プロデューサーさんには、私みたいに誰とも付き合ったことがない
寂れた女なんかより、もっとずっと素敵な人に巡り合えるはずですもの。

私なんかに引っかかるわけないけど、プロデューサーさんの幸せの邪魔をしちゃ悪い。

「もっと自信持っていいと思いますけどねぇ私は」

「うぅん……私なんかが好意を持っちゃ、きっと迷惑です」

律子さんを見てみると、少し怖い顔をしているようだった。
自分に自信を持てない私に心底苛立っているのかしら。

でも……やっぱり、そう簡単に自信なんて…………。

「小鳥さん」

「……はい」

「プロデューサーが迷惑だって、そう言ったんですか? そういう風な態度を取ったんですか?」

「それはないけど……きっとそうよ!」

「そうですか、わかりました」

いつものように腕を組んだ律子さんは、人差し指を頬にあてた。
29 :2/3 [saga]:2012/08/24(金) 00:31:44.20 ID:+gymnPO2o
「つまり整理すると、プロデューサーのことは好きだけれど、
 高嶺の花だからアプローチなんて到底出来ないわーってことですね?」

「せ、整理しないで貰いたいけど……そういうことです」

律子さんに心の中をすべて見透かされているようで、服を着ていないような気にさえなる。

今に始まったことじゃないけど、明らかに私と律子さんの関係は実年齢とは逆を行っている。
これじゃ私の方が年下みたい……なんて言うと、律子さんは怒るかしら?

「自信がないことにだけは、自信があるんです私は」

「でも実際には、どう思われてるか分からないじゃないですか」

「えぇまぁ」

それは確かに律子さんの言うとおりかもしれない。
でも、だからこそ、プロデューサーさんに好意を持つことが怖い。

私と同じ気持ちでいてくれたなら、それはとっても素敵なこと。
でも、それがもし違っていたら? 真逆だったら?

私には告白しても成就しない未来しか思い浮かばなくて、気まずい空気しか想像できない。

「振られちゃったら、きっと事務所の空気に耐え切れなくなってしまって………」

「ですから、それを事前に見極めるんですよ」

「どうやって?」

「簡単ですよ! 今日にでも『晩御飯ご一緒しませんか?』って誘ってみるんです」

「えぇー!?」

「……そんなに驚くようなこと言いました?」

言いましたとも!

そう突っ込みたくなるのを何とか抑えて、小さく咳払いをする。
ご飯に誘ったり、デートに誘ったり……そういうことが出来ないから困ってるのに…………。

「だ、だって……絶対変に思われちゃいますよぉ
 好意を持ってるなんて感付かれたら、それだけでギクシャクしちゃう」

「平気です!」

眉をひそめた真剣な眼差しを向けて、律子さんは私にズイと顔を近づけた。
思わず後ろに仰け反った私は、危うくイスから転げ落ちてしまうところだった。

「いいですか! 食事に行くというは、実はとても便利な行動なんですよ」

「と、言いますと?」

「仕事仲間と食事に行ったりするのは、ごく普通のことですよね?」

「えぇ」

  『今日一杯どう?』
  『ウチのコレがコレなもんで………』

アフターファイブのオフィスなんかでは、こんな一幕も見慣れたものかもしれない。
たまに独りで行く居酒屋でも、仕事帰りと思しきスーツ姿の男女が杯を交わしていたりする。

「恋人同士で食事に行くのもまた、ごくごく普通のことですよね」

「ま、まぁそうなんでしょうね」

確かにたまに独りで行くファミレスやなんかでも、
若い男女がニヤケ面で目と目を見交わしていたりする。
30 :3/3 [saga]:2012/08/24(金) 00:32:59.18 ID:+gymnPO2o
恋人同士で食事をすることは、ごくごく普通のこと……か。
一般的に見たら普通だけど、それを経験したことのない私にはよくわからない。

あぁ……私ってやっぱり普通じゃないのかしら……。
デスクの引き出しに薄い本が入ってる事務員は普通じゃないのかしら……。
アイドル達を使ってイケナイ妄想をしてしまうのは普通じゃないのかしら……。

「小鳥さん?」

「は、はい! 何の話だったかしら?」

「だから、食事に誘うっていうのはどっちにも転がることが出来るんです」

「同僚にも……恋人にも?」

「そうです! 食事がきっかけで恋に発展すれば尚良し、もしそうならなくても
 ただ『同僚と食事に行った』だけなんだって、相手にも自分にも言い訳が出来るじゃないですか」

「う〜ん」

「同僚と食事に行って、その後ギクシャクします?」

「しない……かなぁ」

「でしょう?」

なんとなく、騙されているような気がしてならないのだけど……。
でも律子さんの言うとおり、自分に言い訳が出来るというのは良いことのような気がする。

既に私は自分の考えが何なのか分からなくなってきた。
このまま律子さんに壷や仏像や、変なサプリや絵画の購入を勧められたら、
『はい分かりました』とお金を渡してしまいそう。

「難しいことは考えないで、少しでもお近づきになれるように食事に誘ってみましょうよ」

「そ、そうね……食事に行くぐらい普通にすることなんでしょうから」

「はい」

「別に変に思われるわけないわよね」

「そうですそうです」

「よーし!女一匹音無小鳥! 一世一代の勝負なりっ!」

「……そ、そうですね」

火柱をあげ急激に燃え始めた私の情熱に圧倒されたのか、
律子さんは顔を引きつらせて笑っている。

いけないいけない……あんまり猪突猛進だと
プロデューサーさんも呆気に取られちゃうわね。

ここはそう気負わずに、自然を装って装って、装い倒していかないと!

「ありがとう律子さん! 勇気が出たわっ」

「どういたしまして」

「さて、プロデューサーさんが戻ってくるまで仕事仕事ー!!」

イスが倒れるくらい大きく伸びをしたところで、律子さんの携帯が歌いだした。

最近のはスマートフォンって言うんだったかしら?
なんてジェネレーションギャップなことを考えていると、
律子さんは小さく『春香だ』と呟きながら、そそくさと事務所から出て行った。

別にここで電話すればよかったのに……変な律子さん。
31 :1/2 [saga]:2012/08/24(金) 00:36:10.38 ID:+gymnPO2o
【マチのほっとステーション】

「もしもし? 律子さん?」

電話越しの春香の声は、とくにいつもと変わりはないようだった。

とはいっても、こうして春香から電話をかけてくることも、
逆に私から春香に電話をかけることも、そう多いことではない。

別に仲が悪いからではなくて、私は受け持ちのアイドル達の世話で手一杯だし、
春香は自分のスケジュールをこなしていくので手一杯だから、そんな暇は無い。

それに春香だったら、仕事の件でならプロデューサーに電話するだろうし、
プライベートなことなら千早に電話するだろうし。

「春香、電話して大丈夫なの? 近くにプロデューサー居ない?」

「平気です! 今コンビニに居て、私は車で待ってますから」

「そ、そう……」

慌てて小鳥さんから離れたせいで、少し鼓動が早まっていた。
それとなく深呼吸をして、心を落ち着かせる。

「で、どんな感じ?」

一応春香に尋ねてはみるけど、上手くいったという答えが帰ってくることを確信していた。

小鳥さんもプロデューサーも、足に紐をくくりつけて、橋の真ん中に立っているようなもの。
ほんのちょっとの決心で身体を重力に任せれば、後は勢いでレッツバンジーよ。
その決心が付かないようなら、後ろから軽く押してあげれば、やっぱりレッツバンジーよね。

「うふふっ」

電話越しの春香は嬉しそうに笑った。
その様子だと、予想通り上手い具合にいったらしい。

「もうすっかりその気になっちゃって………
 事務所に戻ったら誘うんだって、張り切っちゃってます!」

「あらそう」

「小鳥さんはどうですか?」

「うん、私も火打石ぐらいの火種しか与えてないんだけど、
 随分と燃え上がっちゃって……一世一代の勝負とまで言ってたわ」

「あはは……」

見えなくとも、春香の苦笑する顔が浮かんでくる。
それは憐れみなのか、それとも嘲笑なのか………。
32 :2/2 [saga]:2012/08/24(金) 00:38:08.16 ID:+gymnPO2o
「それで、何時ごろ戻ってくるの?」

「えぇっとぉ……あと10分ぐらいかと」

「それなら春香、事務所の前まできたら……そうねぇ………
 コンビニに行くって言って、プロデューサーだけ帰してくれないかしら?」

「え?」

「私は先にそのコンビニで待ってるから」

「なるほど! 二人きりにするんですね?」

「そうよ」

事務所の近くには、あの青と白を基調としたコンビニがある。
そこで春香と待ち合わせをして、私達は後からこっそり事務所に戻って………。

「隠れて様子を見る……ですねっ?」

「そうよ!」

「分かりまし……あっ! プロデューサーさん戻ってきたんで切りますね!」

ブツリと途切れる電話の声。
余り長く電話をすると、小鳥さんが不審に思うだろうから逆に良かった。

「………よし!」

まさか私達の計画がこれほどまで上手くいくとは思っていなかったから、
自他共に認める冷静沈着な私だけれど、この時ばかりは興奮を禁じ得なかった。

もしかすれば、恋の瞬間に立ち会うことが出来るかもしれない。
私だって乙女の端くれ、色恋沙汰にまったく興味がないわけじゃない。

それが他人のことであれば尚のこと、余計なことを考えずに、純粋に楽しむことが出来る。

……いや、それは違うか。

  『それだったら、もう平気ですよ』

そう言って微笑んだ春香のことが少しだけ気になる。

どうしても私には、春香が無理しているような気がしてならなかった。
でもあのテンションを見るに、春香の言う『もう平気』は本当なのかもしれない。

「考えたってしょうがないか……」

もしこの危惧の念がずっと残るようなら、一度きちんと話をしないといけない。
だって春香は、765プロ所属のアイドルだとか仕事仲間だとかいう以前に、とても大切な友人。

友人が密かに辛い思いをしていて、身を切るような思いでいるのなら、なんとか力になってあげたい。

「小鳥さーん、ちょっと外出しますねー」

事務所入り口、アルミの框ドアを開けて小鳥さんに呼びかけ、返事を待たずに階段を駆け下りる。
頭上からピヨピヨと鳴き声が聞こえたようだけど、そんなことはお構いなし。

早いとこコンビニへ行って、春香を待つとしようかしら。
33 :1/1 :2012/08/24(金) 00:40:23.02 ID:+gymnPO2o
【春香遠く】

「ふぅ……今日もご苦労様でございました俺、そして春香!」

「そうですねっ♪ お疲れ様でした!」

コンビニに寄ってからというもの、春香はずっと黙りっぱなしだったが、
何故かニコニコと微笑みながら、鼻歌交じりに窓の外を眺めていた。

そして今、車を降りて事務所へと歩いている間も、やはり春香は
お誕生日にお人形さんの贈り物を貰ったお嬢さんのように、
おスキップ手前といった、おウキウキとしたお足取りでお歩いていらっしゃる。

大事そうに携帯を手に持っていたが、誰かからメールでも来たのだろうか?

「随分とご機嫌じゃないか? 何かいいことでもあったか?」

「えぇそりゃーもう!!」

俺の少し前を歩いていた春香はクルリと振り返り、髪とスカートを揺らした。
春香のように、感情の変化が仕草や声の調子でわかるような、
純粋で素直な性格を羨ましく思う時がある。

こうして見ていると、やはり春香はみんなの中で一番アイドルをしているな。
もちろん誰が優れているとか劣っているとか、そういう意味ではない。
765プロのアイドル達はみんなそれぞれ良いところを持っていて、それぞれが魅力的だからな。
ただ俺が思うアイドルの姿に一番近いのが春香なのだ。

一昔前のアイドル像とでもいうのだろうか?

どう言えばいいのか分からないが……どこにでも、それこそ隣に住んでそうな女の子。
そんな子がテレビに出て、歌を歌って、踊りを踊っている。

そういう風に、身近に感じられることはすごく重要なのだ。
なにも俗世間からかけ離れた“華やかさ”を持つ者だけが、
アイドルとして優れているのではない。

それが高く聳え立つ山の頂、突き出た尾根に咲く一輪の花だとするならば、
春香は道端か河川敷か公園か……我々の日常風景の中で
ひと際美しく咲いた可憐な花なのだ。

少なくとも俺自身は、春香の魅力はそこにあると考えている。

「あっいけない!」

その春香の声が、一人思念に耽っていた俺の耳を劈いた。
まさか自分がホメられているとは露知らず、春香は口に手を当て驚きの表情を見せる。

「ちょ、ちょっとコンビニ行ってきます!」

「なんだ、買う物があったならさっき買えば良かったじゃないか」

「えへへ、忘れてました」

最近では今の春香のように、テレながら舌を出すことを“てへぺろ”と呼ぶらしい。
春香はその“てへぺろ”を決め込みながら、拳を握り、自分の頭を軽く叩いた。

それは決して初代林家三平師匠のモノマネを決め込んだわけではない。

「お金はあるか?」

「いえいえ、個人的な買い物なのでっ」

「そうか……先に事務所に戻っておくからな」

「はーい!」

春香は背中で返事をしながら小走りで俺の元を離れていった。

俺はいつもそうするように、春香が転んでしまわないだろうかと、
その後姿がひとしきり小さくなり、都会の群集に紛れてしまうまで
スカートとリボンが揺れる様と、不安を誘う軽い足取りを目で追った。

無事にコンビニまでたどり着けることを願いつつ視線を戻し、
一体何を買うのだろうと思いながらも、俺の足はすでに事務所へと向かっていた。

「あぁ……緊張するなぁ」
34 :1/1 [saga]:2012/08/24(金) 00:42:13.39 ID:+gymnPO2o
【Give me Colorge-kun】

プロデューサーさんと別れて、私は律子さんの待つコンビニへと急いだ。
そのコンビニは、事務所からはそう遠くない位置にある。

といっても普段そんなに買い物をすることはないし、ほとんど訪れたこともない。
それなのに待ち合わせ場所に使うというのは少しだけ気が引けるけど、
その埋め合わせはまた今度ということで、今日ばかりは多めに見て欲しいかな。

「あれ? 律子さんが居ない……」

一歩一歩と近づきながら、数メートル先のコンビニを見てみると。
雑誌のコーナーに一つの人影があるのに気が付いた。

遠目から見たその人の装いから、どうやらそれは店員さんのようだった。
でもその店員さんと思しき人物は、雑誌をパラパラと捲っている。

商品の陳列をするなら、本を開くことはないはずなのに……。
どうして店員さんが雑誌を手に取って読んでいるんだろう……?

多少不審に思いながら、自動ドアをくぐる。

「おっ、来たわね」

「あれ? 律子さんだったんですか!? 私てっきり………」

「どうしたの?」

店員さんだと思っていた人影は、待ち合わせをした律子さんその人だった。
青白ボーダーなんて格好をして店の中にいたら、誰だって間違えるよ。

ただでさえ律子さん、ちょっと店員さんっぽいところがあるのに。

「よし、早く行くわよ!」

「あっ! ま、待ってください!」

律子さんは握りこぶしを二つ構えてニッコリすると、身体中から音符が飛び出してきそうな、
嬉々とした笑顔を振りまきながら、弾むような足取りで駆け出していった。

その後を追ってコンビニを出る頃には、何も買わないことへの罪悪感など感じなかった。
それよりも、近しい人の恋路を観察することへの期待の方が勝るに決まっている。
35 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/24(金) 00:44:09.98 ID:jgpmCHZIO
ローソンネタを仕込んできやがったか
36 :1/4 [saga]:2012/08/24(金) 00:44:49.36 ID:+gymnPO2o
【どんがる、アイドル】

この階段を上がるとき、今まで何通りの自分があったのだろうか?

初めて上がるときは、新たな環境に飛び込むことに対しひどく緊張していた。
ある時はプロデュース業が上手くいって二段飛ばしで駆け上がったこともあったし、
またある時は、何か手痛い失敗をして意気消沈の有様で、
一段、また一段とテンションが落ちていくこともあった。

よりにもよって階段で転びそうになった春香を守り、蒲田行進曲状態になった時には、
意識を失う寸前に春香のパンツをしっかりと目に焼き付けることができ、
とても人様に見せられないような、緩みに緩んだニヤケ面でぶっ倒れていた……らしい。

そして今日は決意と不安と緊張の入り混じった奇妙な感覚を抱いて、この階段を登る。
しかもこれは今まで生きてきた中で、一度も出会ったことのない感覚だった。

「まさかこんな日が来ようとは……」

異性を食事に誘うくらいで何をヘタレなことを……と、誰しもが思うかもしれない。
しかし俺にとっては、有名ディレクターにタメ口を叩くくらい、勇気がいることなのだ。

階上の事務所で仕事をしている小鳥さんは、俺がこんな気持ちでいることなんて知らないだろう。
こうして重くなった足を懸命に上げて、13階段を上っているなんて。

ついに階段を上りきり、俺の目の前には年季の入ったアルミのドアがある。
ドアノブに手をかける前に、緊張を解きほぐそうと一つ大きく深呼吸をしてみた。
…………状況は変わらず、それどころかその深呼吸でさえ震えている。

いつも春香に緊張するなと言っておきながら、肝心の自分はこのザマだ。

誰でもいいからハイタッチをするか、拳と拳を合わせてくれないだろうか?
そうすればこの緊張も少しは和らいでくれるかもしれない。

「普通に……自然に……平静を装って……」

自己暗示でもかけるかのように、ブツブツと呟きながらドアノブに手をかける。
銀色に光るそれはひんやりと冷たく、幾分手の震えが治まったような気がした。

「お、おつかれさまです!」

「わわっ!」

ドアが反対の壁にぶち当たるほど勢い良く開け、事務所に向かって挨拶をする。
決心と勇気の空回りが声を裏返らせ、その音量を大きくさせた。

あまりの大声に身体をビクリと跳ね上げ、驚愕の表情で俺を見る小鳥さん。
そして興奮気味に肩で息をしつつ『不器用 引きつり笑顔♪』を振りまくプロデューサー(俺)。

なんとも奇妙で間抜けで、小っ恥ずかしい帰社風景である。

「すみません、びっくりさせちゃいました」

「い、いえ……おかえりなさい」

そう言って小鳥さんはいつものように、ニッコリと微笑んだ。
かと思えば、数度ほど首をかしげてみせた。

「プロデューサーさん、春香ちゃんは?」

「あぁ、すぐそこのコンビニです。 何か買うものがあったみたいで」

もしかすれば春香は、俺が小鳥さんをご飯に誘いやすいようにと、
事務所で二人きりになれるように気を利かせてコンビニにいったのかもしれない。

とはいっても今日事務所には小鳥さん以外に律子が……律子が…………あれ?
37 :2/4 [saga]:2012/08/24(金) 00:48:31.21 ID:+gymnPO2o
「小鳥さん、今日は律子と一緒じゃ?」

「えぇ、ついさっき外出しました」

「そうですか」

「何か買うものでもあったんでしょうね」

小鳥さんはその律子のように、人差し指を頬に当てて考え込むようなそぶりを見せた。
まるで律子の外出の理由が買い物以外に何かあるのではないかと、そう考えているような表情だった。

しかしこれは俺にとってかなりの好都合だ。
どんな理由があるにせよ、今事務所には俺と小鳥さんしか存在していない。
まるで今日夕食に誘うことが予め決まっていたかのようなベストなタイミングである。

俺はついに、自分の持つちっぽけな勇気を必死にかき集めて、食事のアポを取ることにした。
気が付いてみると、決心の表れか緊張の仕業か、自然と拳を握り締めていた。

「あ、あのっ!」

小鳥さんに向かって声をかけたとき、一瞬俺は一体どこで
ヘリウムを吸ったのだろうかと、オカシナ疑問が頭をよぎった。
しかし、自分の声に交わるようにして聞こえた高い声がヘリウムの作用によるものではなく、
小鳥さんの声だったということに気が付くまで、そう長い時間は掛からなかった。

「こ、小鳥さんからどうぞ」

「いえ……プ、プロデューサーさんからどうぞ」

「そうですか……あ、あのですね! 今晩飲みにでも行かないかなぁ〜なんて」

「へ?」

間の抜けた返事をする小鳥さんは、
まさに“ポカーン”といった顔をして、震える手で俺を指差した。
パチクリと瞬きを繰り返し、力なくアングリと開いたその口元も、
手に合わせて震えているように見える。

「ってえぇー!?」

「そ、そんなに驚くようなこと言いました?」

「実は……私も今日晩御飯に誘おうと思ってまして………」

なるほど、小鳥さんが驚くのも良くわかる。
まさか同じタイミングで、同じ内容のことを相手に伝えようとしていたとは………。

学がないため、どのくらいの確立なのかは計り知れないところではあるが、
そうそうあるようなことではないはずだ。

「でも、それなら話は早いですね」

「そ、そうね……お互い誘うつもりだったんですし」

「そうと決まれば、お仕事頑張りましょう! 僕も手伝いますよ」

「い、いえ……悪いですよそんな」

小鳥さんは申し訳なさそうな顔をして、フルフルと首を振った。

そんな小鳥さんの机の上には、大きなパイプ式ファイルが真ん中に鎮座し、
さらには領収書や、何かの書類の束が乱雑に積み重なっていた。

これではもはや事務員などではなく、しがない作家の机である。

「でも、かなり苦戦してるみたいですし」

「確かにメモリ不足ではありますけど……」
38 :3/4 [saga]:2012/08/24(金) 00:51:06.54 ID:+gymnPO2o
てんてこ舞いな状態であることは、小鳥さんの表情と、この机を見ればよくわかる。

確か小鳥さんの机は、最近律子が口煩く言うようになった
『4S活動』とやらのお陰で、いつも綺麗で清潔な状態だった。

(しかしその実は、765プロ全体の仕事量が少なかったという悲しい理由があるわけだが……)

それが今や、パソコンのキーボードはモニターに立てかけれられ、
あとは前に記した通り書類累々の有様。
どうか手伝わせてくださいと、こちらから頼みたいほどだ。

「俺も一応は事務仕事も出来ますから」

「じ、じゃーお言葉に甘えて………」

「そうこなくっちゃ」

とりあえずと自分の机に鞄を置き、イスに座ったところで、
事務所のドアが、ガチャリと古びた音を立てて開かれた。

「ただいま戻りましたぁ〜!」

先ほど別れる前までのテンションを維持しつつドアをくぐった春香は、
背中いっぱいにランドセルを背負い、横断歩道を渡る小学生のように、
元気良く右手を挙げて、躓きそうになりながらも俺達に挨拶をした。

「同じく戻りましたー」

そんな春香とは対照的に、落ち着き払った律子は、
それでもほんのりと笑顔を浮かべて、コツコツと靴を鳴らし入ってきた。

感情の出し方はそれぞれあるとして、二人とも随分とご機嫌に見えるのは気のせいだろうか?
どんなものであれ、何か新しく物を買ったときにはそういう気持ちになるのかもしれ……無い!?

春香の手にも律子の手にも、ビニール袋の類など、買い物へ行った形跡は見当たらなかった。

「あれ? 二人とも何か買いに行ったんじゃなかったのか?」

「えへへ……やっぱり止めました」

「同じく」

二人は一瞬だけ顔を見合わせると、また笑顔を作った。

「それよりお二人とも、一体何の話をしていたんですか?」

「は?」

春香の突然の質問に、思わず間抜けな声を出してしまう。
俺が小鳥さんを食事に誘うと知っておきながら聞いてくるとは……この策士め。

小鳥さんを見てみると、困ったような顔をして、ごく小さな振れ幅で首を振った。

「別に何も話してないぞ? ねぇ小鳥さん?」

「モチのロンです!」

「も、もち?」

その場の空気が凍りついたというか、時間が止まったような気がした。
小鳥さんの醸し出すナントモ言えない昭和臭があたりに充満する。

当の本人は頭に疑問符を浮かべて 『何かマズイことを言ったのかしら?』
というような表情で、俺達三人の顔を不安げに見比べていた。

私語ならぬ『死語は慎め』という言葉が浮かんだが、千早なら笑ってくれるだろうか?
39 :4/4 [saga]:2012/08/24(金) 00:52:41.89 ID:+gymnPO2o
「フフフッ」

「どうして笑うんですか? プロデューサーさん」

「いえ……な、なんでもないですよ………ふふっ」

「どーせ私が昭和臭いこと言ったから笑ってるんでしょ!」

「わかってるじゃないですか」

「むぅ〜」

頬を膨らませては、俺にジト目を向ける小鳥さん。
少しいたずらが過ぎたかと思ったが、その顔はすぐに笑顔にシフトされた。

「いいんですかプロデューサーさん? ドタキャンしちゃいますよー?」

「それは困りま………あっ!」

はい、本日のNGワードいただきました。
墓穴という名の穴を掘ることに関して言えば、小鳥さんは雪歩を凌駕する。
しかも大概の穴は大きく深いのだ。

「何をドタキャンするんですかプロデューサー?」

「……俺に振りますか」

口を滑らせた小鳥さんの言葉尻を捕まえて、すかさず律子が俺への尋問を開始した。
人差し指でメガネを上げる律子の姿は、さながらやり手の検察官だ。

それに引き換え、テンションを大幅に下げた小鳥さんは、
声の無き悲痛な叫びを挙げ、潤んだ瞳を俺に向けて助けを請う。
その上目遣いに当然ドキリとさせられたわけではあるが、今はそれどころではない。

春香はしょうがないとして、律子には食事に行くことを伏せておきたい。
別に大した理由があるわけではなく、ただ単に照れくさいだけなのだが……。

「アレだよ、コーヒーを淹れてくれるって話」

しかし自分でもこの言い訳はどうかと思う。
ただ、グラム数の少ない俺の脳髄から捻り出されるものはこれくらいしかないのだ。
そこのところはご了承願いたいところである。

「だったら私が淹れてきます!」

「春香は“どんがる”からダメだ」

「そんな動詞はありません!」

ドタキャンの件を律子に掘り下げられるとビクビクしていたが、
春香のおかげで上手く誤魔化すことができた。

小鳥さんはホッとした様子で胸に手を当て、一度大きな溜息を付いた。
そして俺と目が合うと、舌を出して照れ笑いを浮かべるのだった。

「わぁ!」

ガッシャーン!!

「ほらみろ、言わんこっちゃない」

耳が割れんばかりの破壊音が朝の事務所に鳴り響いた。
『だっふんだ!!』じゃあるまいし、俺は馬鹿踊りをするつもりはないからな。
って、小鳥さんぐらいしか分からないかこのネタは……。
40 :4/4 [saga]:2012/08/24(金) 00:54:15.79 ID:+gymnPO2o
「フフフッ」

「どうして笑うんですか? プロデューサーさん」

「いえ……な、なんでもないですよ………ふふっ」

「どーせ私が昭和臭いこと言ったから笑ってるんでしょ!」

「わかってるじゃないですか」

「むぅ〜」

頬を膨らませては、俺にジト目を向ける小鳥さん。
少しいたずらが過ぎたかと思ったが、その顔はすぐに笑顔にシフトされた。

「いいんですかプロデューサーさん? ドタキャンしちゃいますよー?」

「それは困りま………あっ!」

はい、本日のNGワードいただきました。
墓穴という名の穴を掘ることに関して言えば、小鳥さんは雪歩を凌駕する。
しかも大概の穴は大きく深いのだ。

「何をドタキャンするんですかプロデューサー?」

「……俺に振りますか」

口を滑らせた小鳥さんの言葉尻を捕まえて、すかさず律子が俺への尋問を開始した。
人差し指でメガネを上げる律子の姿は、さながらやり手の検察官だ。

それに引き換え、テンションを大幅に下げた小鳥さんは、
声の無き悲痛な叫びを挙げ、潤んだ瞳を俺に向けて助けを請う。
その上目遣いに当然ドキリとさせられたわけではあるが、今はそれどころではない。

春香はしょうがないとして、律子には食事に行くことを伏せておきたい。
別に大した理由があるわけではなく、ただ単に照れくさいだけなのだが……。

「アレだよ、コーヒーを淹れてくれるって話」

しかし自分でもこの言い訳はどうかと思う。
ただ、グラム数の少ない俺の脳髄から捻出されるものはこれくらいしかないのだ。
そこのところはご了承願いたいところである。

「だったら私が淹れてきます!」

「春香は“どんがる”からダメだ」

「そんな動詞はありません!」

ドタキャンの件を律子に掘り下げられるとビクビクしていたが、
春香のおかげで上手く誤魔化すことができた。

小鳥さんはホッとした様子で胸に手を当て、一度大きな溜息を付いた。
そして俺と目が合うと、舌を出して照れ笑いを浮かべるのだった。

「わぁ!」

ガッシャーン!!

「ほらみろ、言わんこっちゃない」

耳が割れんばかりの破壊音が朝の事務所に鳴り響いた。
『だっふんだ!!』じゃあるまいし、俺は馬鹿踊りをするつもりはないからな。
って、小鳥さんぐらいしか分からないかこのネタは……。
41 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [saga]:2012/08/24(金) 00:55:04.48 ID:+gymnPO2o
↑ 失礼しました
42 :1/1 [saga]:2012/08/24(金) 00:57:34.77 ID:+gymnPO2o
【Ringless Finger】

「お疲れ様です」

「はーい♪」

ガヤガヤとサラリーマン達の声が駆け回る居酒屋。
黄金色の麦酒が入った、結露し汗をかいたグラスを打ち付け合う。

小鳥さんは二度ほど喉を動かした後 『……ふぅ』 と短く息を吐きながら、
口元に付いた白い泡を、丁寧にお絞りで拭き取った。

「連れてきといて言うのもアレですけど……居酒屋でよかったんですか?」

「え?」

「本当はお洒落な店がいいかと思ったんですけどね、
 生憎そういうところは心当たりがなくて……すみません」

「い、いえ! 私居酒屋好きですから!」

小鳥さんは慌てた様子で、右手を顔の前でブンブンと振り回した。
気を遣ってくれているのか、それとも本当に居酒屋が好きなのだろうか?

「お洒落なところだと逆に飲み辛いというか、こう……肩に力が入っちゃうっていうか」

「あぁなるほど」

確かに小鳥さんの気持ちは良く分かる。

案外リラックスできる空間というのは、綺麗すぎるところよりも、
小汚いとまではいかないが、多少騒がしくてマナーの欠落したような場所かもしれない。

しかし………しかしである。
今の俺はリラックスなんて無縁で、緊張の真っ只中にいた。

居酒屋というのは総じて狭苦しいもので、二人連れともなると、
必然的に小さな二人掛けのテーブルが宛がわれてしまうわけだ。

その席というのが、イスはもちろん二つあるわけだが、
テーブルなどは一人分としても狭い部類に入るようなお粗末なものしかない。

そんな小さなテーブルに差し向かいで座るとどうなるか?
仕事をしている上では決して近づかないであろう位置に、小鳥さんが座っているのだ。

そうすると、どうしても仄かに火照った頬だとか、グラスに触れる唇だとか、
細く長い、指輪の付いてない手だとか、そういったものに目がいってしまい、
心臓の鼓動が加速され、非アルコール由来の赤面をしてしまう。

まるで喋りかたを忘れてしまったかのように、言葉が出にくくなってしまうのだ。

「こ、小鳥さんって……こういうとこ、よく来るんですか?」

「流石に一人では来れないかなぁ……でもお家では結構飲んだりするんですよ♪」

「…………へぇ」

「プ、プロデューサーさんは?」

「はい?」

「強いんですか? お酒」

「う〜ん、そんなには強くないですね」

「…………へぇ」

大体こういった心境に陥ってしまう一番の原因は、紛れもなく春香だ。
春香が急に 『プロポーズしないんですか?』 なんてことを言うもんだから、
変に意識してしまって、こういう風に気まずい空気になってしまうのだ。

「………れは……しかないか」

「へ?」

脳内で春香に不満を述べていたがために、小鳥さんの言葉を聞き逃してしまった。
いかんいかん……こんな調子では空気をさらに濁らせているだけだ。

ここはひとつ、アルコールの力を借りて小鳥さんとの会話を楽しもう。
そうなる為には、どのくらい飲めばいいんだろうな。
43 :1/2 [saga]:2012/08/24(金) 01:00:02.65 ID:+gymnPO2o
【酒は飲んでも……】

たった今プロデューサーさんとグラスを鳴らしあったというのに、
そんなことも忘れて、独りで飲む時のようにゴクリゴクリと
少し大げさに喉を動かしてビールを飲んでしまった。
これじゃネクタイを頭に巻いた、ただの飲んだくれのオヤジと何ら変わりはない。

とっさに口元に付いた泡をおしぼりで拭き取り、女の子を気取ってみたけど、
半分にまで減ってしまったジョッキが、無駄な抵抗だと教えてくれた。

「居酒屋でよかったんですか?」

不意にプロデューサーさんにそんなことを聞かれた。
見るとすこしバツの悪そうな、申し訳なさそうな顔をしている。

「本当はお洒落な店がいいかと思ってたんですけどね………」

後頭部に手をやりながら苦笑いを浮かべるプロデューサーさんは、
『生憎そういうところは心当たりがなくて……すみません』と節目がちに言った。
そんなプロデューサーさんの姿に、何というか……少し安心する自分が居た。

「い、いえ! 私居酒屋好きですから!」

残念なことに、私は居酒屋に何の抵抗もないような、乙女心の欠落した女。

「お洒落なところだと逆に飲み辛いというか、こう……肩に力が入っちゃうっていうか」

「あぁなるほど」

むしろそうしたお店のほうが、私にはハードルが高いような気がする。

でも、プロデューサーさんが『居酒屋でよかったんですか?』と私に尋ねたということは、
こんな私でも、ちゃんと普通の女性だと認識してくれたってこと。
私に気を遣ってくれたことより、その事実の方が嬉しかった。

でも裏を返せば、私がプロデューサーさんの期待に応えることができないということになる。
私はプロデューサーさんが思うような、居酒屋に抵抗がある女の子女の子した人じゃない。

親父成分がかなりの割合で混ざっていることを知られたら、幻滅されちゃうのかな……。

「あ、あの………」

穴を掘って埋まろうとしていた私をプロデューサーさんの声が引き止める。
その顔は少しだけ赤くなっているように見えた。

よくよく考えてみたら、私とプロデューサーさんの距離は今かなり近い。
ちょっと手を伸ばせばその赤い顔に触れることが出来るし、
そのことに気付いてしまった私の、速くなった心臓の鼓動も聞かれてしまいそう。

  『いつになったらプロデューサーに告白するんですか?』

律子さんの声が頭の中でフラッシュバックする。
私がプロデューサーさんを意識するようになった一番の原因は、この律子さんの言葉。

傷つかないで済むようにと、胸の内に閉まっておいた心を引き出された。
自分でも気付かなかった、プロデューサーさんに対する心。
44 :2/2 [saga]:2012/08/24(金) 01:01:48.60 ID:+gymnPO2o
「こ、小鳥さんって……こういうとこ、よく来るんですか?」

「流石に一人では来れないかなぁ……でもお家では結構飲んだりするんですよ♪」

「…………へぇ」

「プ、プロデューサーさんは?」

「はい?」

「強いんですか? お酒」

「う〜ん、そんなには強くないですね」

「…………へぇ」

二人の会話は、止むことのない群声に溶け込んでいき、
私とプロデューサーさんの間には、ただ沈黙だけが流れていく。

沈黙が長引けば長引くほど、それを打ち破るのは難しくなるわけで、
そうなると、もう頼れるのは唯一つ。

「これは飲むしかないか………」

誰の歌だったか忘れちゃったけど、こんな歌詞があった。

  『なんでお酒なんか飲むの?』
  『なんでお酒を飲まなきゃ親睦を図れないの?』
  『なんでお酒を飲まなきゃ本音を語れないの?』

実にいい歌詞で、私の好きな歌でもある。
だけれども、私はこのとてもいい歌詞に一言物申したい。

どうしてお酒を飲まないで、好意を持つ人と平静を装って話すことが出来ようかっ!!

度胸の無さ、意気地の無さを自ら認めているようで、劣等感で一杯になるけど、
私はそんなに器用な性格ではないし、まず絶対的に場数が足りないというか、
むしろ実戦経験が無いというか……とにかく、今私からお酒を取り上げたら、
プロデューサーさんと親密になるどころか、もとから深いであろう溝がさらに深くなる。

だから、私に残された手段は、緊張を酔いで掻き消すことしかない。

「なにか仰いました?」

「い、いえ! なんでもないです! 料理遅いですねぇ〜あはは…………」

「まだ頼んでませんよ?」

「………そうでしたっけ?」

こんな調子で大丈夫かしら?

緊張を解す為に飲むとするなら、今日は記録を更新しちゃうかも………。
アルコールの力を借りるどころか、返り討ちにあって逆にお酒に呑まれないようにしないと。
45 :1/2 [saga]:2012/08/24(金) 01:05:00.45 ID:+gymnPO2o
【Drunk Bird】

どれくらいの時間が経ったのだろう。
もう既に二人でいくつのグラスを開けたのか分からない。

結構酔いが回ってきたのか、無重力空間を漂っているような感覚が襲ってきた。
とはいえまだ理性、自制心の類はまだ残っており、その点は問題ない。

…………少なくとも俺に関して言えば。

「小鳥さーん、大丈夫ですか?」

「コロリはじぇーんじぇんらいじょぶれすよぉ〜」

「これはひどい」

小鳥さんは舌を半分切られたような口調で、ブツブツと一人呟いている。

『管を巻く』 を体現するその姿は、とても普段事務職をしているとは思えないものだ。

「もう勘定終わってますから、お家に帰りますよ」

割り勘だと気を遣われないように、こっそり払ってしまおうと思っていたが、
そんな心配は杞憂だったと今にして気が付いた。

もし小鳥さんがお金を出すつもりだったとしても、こんな状態じゃ不可能だからな。

「ほらほら、ちゃんと立って」

「やらぁー帰りませーん」

回転数の衰えた独楽のように、小鳥さんの足取りは不安定なもので、
カトちゃんばりの小鳥足……もとい……千鳥足で、
靴も履かずに居酒屋の通路をペタペタと歩いている。

しかたなく靴を履かせ、手を取って肩を組ませ、
半ば担ぎ上げるようにして出入り口を目指す。
するとバイトらしき女の子が心配そうな顔をして近づいてきた。

「だ、大丈夫ですか?」

「あはは、ちょっと羽目外しすぎちゃったみたいで」

「ぶぅ〜」

一人ブタの真似ごとをする小鳥さんに、女の子も苦笑い。
『こんな大人になっちゃいけないよ』という言葉が喉元まで出掛けたが、
ここは飲んだくれのどうしようもない大人たちが集う居酒屋。
彼女だって、そんなことはとうの昔に分かっているだろう。

「君、お酒飲む?」

「いえ、飲みません」

「そっか……これから先そういう機会があったら、飲み過ぎには気をつけてね」

「は、はぁ」

「ぶぅ〜」

小鳥さんの普段とは違った姿を見ることができて得したような気分ではあるが、
出来ることならもう少しだけ、しっかりとしてもらいたい。

こんな大人になりたくないなんて、将来のある若者に思われたらおしまいですよ?
俺個人としては、そんな一面を持った小鳥さんも、とても魅力的に写るんですけどね。

「ありがとうごさいました〜お気をつけて〜」

女の子の威勢のいい声を聞きつつ、ドアをくぐる。

店を出てすぐおんぶへと移行したが、小鳥さんは足をプラプラと落ち着きがない。
内面から溢れ出てくる高揚感の処理方法が分からないのだろう。

「じたばたしゅ〜るぅなよ〜♪ 聖飢魔Uがくぅるじぇ〜♪」

「小鳥さん、暴れないでください!」

「あててんのよ〜」
46 :2/2 [saga]:2012/08/24(金) 01:07:55.88 ID:+gymnPO2o
確かに小鳥さんの柔らかな感触は俺の背中に伝わってくるが、それを堪能する暇はない。
今の小鳥さんはただのヨッパライで、残念なことに色気が行方不明になっているのだ。

煩悩を抱く暇があるのなら、この大きな雛鳥をどうにかして巣に返さないと。

「ほら小鳥さん、巣……じゃなくて、お家どこですか?」

「帰りたくなーい」

「そういうわけにいかないでしょ?」

「かえりたくなーいー」

小鳥さんは何か悩みでもあって、酒で忘れようとしていたのだろうか?
そうじゃないと、これだけ酔っ払うというのは並大抵のことではない。

…………これはちょっと心配になってきたぞ。
何かトンデモなく大きな悩みを抱え込んでいるのかもしれない。

もしかしたら会社を辞めるつもりだと言い出すかもしれないし、
親に強引に見合いを勧められて、好きでもない人と結婚を約束する羽目になったとか……。

いやいや、こんなに酔っ払うまで飲んでしまうのだから、
そんなありふれた平々凡々な悩みではないはずだ。

もしかしたら本当は男でしたとか、社長にセクハラされてますとかいうレベルにまで……。

「だぁー俺はなんてことを考えてんだ! ………と、とにかく帰りましょ? ね?」

「帰りたく……ないよぉ」

「そ、そう言われましても」

「びぇええええええええん!!」

「えぇー」

後頭部から大音量の小鳥さんの“鳴き”声が聞こえてきた。

アルコールの力とはまったく恐ろしいもので、どうやら小鳥さんは幼児退行してしまったらしい。
小さな頃に遊園地かどこかへ連れて行ってもらった記憶が甦りでもしたのだろう。

えっぐえっぐと恥ずかしげもなく涙を流す声が、人気の無い夜道に轟く。

「帰っても誰も居ないし……誰も『おかえり』って言ってくれないし………」

「誰も居ない部屋で声が聞こえたらホラーでしょ」

「………ぐすっ」

あぁなるほど、単に小鳥さんは寂しかったのか。
俺自身もそうなのだが、確かに一人暮らしをしていると、
たまにではあるが無性に寂しく思う時がある。

バラエティ番組で笑った瞬間、それを共有する人が居ないということに気付いたり、
風邪をひいてダウンしているときに、誰も見舞ってくれなかったり………。

いつも気丈に振舞っていても、そういうちょっとしたダメージが心のダムに蓄積されていって、
今回それがアルコールの雨で決壊してしまったんだろう。

「とにかくお家の場所を教えてください」

「やー!!」

「………しょうがない、事務所に行くか」

まさか自宅に連れて行くわけにもいかないし、かといって
ミカンのダンボール箱に入れて『拾ってください』と捨てていくわけにもいかない。

「いいですか? 事務所に帰りますよ」

「はーい」

俺は一度小鳥さんを降ろして、彼女のポケットから事務所の鍵を取り出した後、
まるで等身大の人形を扱うようにして、電池が切れかけた小鳥さんを担ぎなおした。
47 :1/2 [saga]:2012/08/24(金) 01:09:57.92 ID:+gymnPO2o
【YO.DA.RE】

「すぅ……すぅ………」

小鳥さんが眠りに付いて、大人しくなったのは大変好ましい状態だが、
いくら小鳥さんが軽いとはいえ、流石に長い距離をおんぶして歩くのは辛い。

それに背中で受けるやわらかな感触と、両手に伝わるフトモモの弾力、
さらに小鳥さんの吐息が俺の首筋を擽っており、そうすると俺の中の狼がメキメキと……

「う〜ん……ぷろりゅーしゃーしゃん」

「っとマズイマズイ」

危うく間違いを……ってそんな度胸は無いんだけども。

「小鳥さん? もうすぐ着きますからね」

「…………って」

「はい?」

相変わらず舌足らずで呂律も回らず、加えて音量の小さな声で何かを話す小鳥さん。
酔っ払いの戯言といえど、聞き漏らすといろいろ面倒なことになりそうだ………。

「私らって、ぷろりゅーさんと………」

「俺と?」

「れも……ぷろりゅーしゃんは私のことなんて……げふぅ
 きっと、絶対、なぁ〜んとも思ってないんれすよ」

「…………」

「わらしとなんて釣り合いがとれらいんれすよ
 しょれなのに律子しゃんったら『食事に誘え』れすってぇ………」

急に饒舌になった小鳥さんだが、それよりも話の内容が気になった。
ただそれを深く考えていいのかどうか、俺には分からなかった。

これを本当に酔っ払いの戯言で片付けていいのだろうか?
それとも、アルコールによって導き出された小鳥さんの本音なのだろうか?

「らいたい! ぷろりゅーさんもぷろりゅーしゃんれすよ!」

「えっ?」

「その気もないくしぇに、わらしを もれあそんれん……
 もれあしょ……もれあそんれんれん…………げふぅ………」

「むしろ今もてあそんでるのは小鳥さんのほうでしょ」

「ぷろりゅーしゃんのばか」

「と言われましても……」

「ばかばかばかばかばかばかばかばか」
48 :2/2 [saga]:2012/08/24(金) 01:11:36.47 ID:+gymnPO2o
足を手を、頭をバタバタと振り回し、小鳥さんは俺を罵倒し続ける。
駄々っ子は身体の小さな子供だから平気なのであって、大の大人に暴れられると、
えろえr……いろいろと危険なことが起きるので、止めていただきたい。

「ちょ、だから暴れないでくださいってば! 落ちちゃいますって!」

「ばかぁあああああ!」

「ぐびをじめないでーーー落ぢぢゃいばすって!!」

浮き出る血管、遠のく意識……小鳥さんの細い指が俺の首をギリギリと締め上げる。
さらに丹念に磨かれた爪が食い込んで……あれ? 俺って殺されるのか?

走馬灯か? アイドル達と過ごした日々が走馬灯のように駆け巡っていくのか?
幽体離脱か? 俺の意識だけが身体を離れて、首を絞められた自分を見下ろすのか?
三途の川か? 三途の川のほとりに立って、片足を水に浸けるのか?

「ゲホッゲホッ!」

「………ばか……ばか……」

曾ばあちゃんの笑顔が見えかけたところで、
ようやくフォースグリップから逃れることが出来た。
そして散々暴れまわった小鳥さんはというと…………。

「すぅ……すぅ……すぅ…………」

「ふぅ……寝てくれたか」

ご丁寧にイビキまで掻いて、夢の世界へと旅立ってくれた。
この調子なら、事務所につくまでずっと眠っているだろう。

「ぐぅ……ぐぅ……樹る里」

「じゅるり? …………どわっ! よ、よだれぇぇええぇえええ〜〜〜〜」

小鳥さんの口から滝のように流れるは、
なんとも形容しがたい温度、粘度の透明な液体。
美女の涎ならご褒美だって? 案外そう良いモンじゃないぞ?

「はぁ……替えのシャツあったかな………」

まぁいい……もう少しで事務所に着く。
シャツのことは事務所に着いて小鳥さんを寝かせた後、ゆっくりと考えよう。

もはや何度目なのか分からないが『よっこいしょ』と
小鳥さんを担ぎなおして、俺は事務所に向けて歩き始めた。
今までの騒ぎようはどこへやら、小鳥さんは尚も涎を垂らしながら寝息を立てていた。
49 :1/3 [saga]:2012/08/24(金) 01:13:25.04 ID:+gymnPO2o
【罪悪と背徳と】

「う、う〜ん」

頭痛と共に目を覚ますのは余りお勧めできない。

目を開ける前に、これまでの記憶を再構成してみようかしら。
私は今日プロデューサーさんと居酒屋に行く約束をしていた。
お店のドアを潜ったことも覚えてるし、乾杯をしたことも覚えている。

一杯目、二杯目……三杯目………この辺りから記憶が薄れて、
一番最後の記憶は私が泣き喚いているところ。

でも景色だとか状況はまったく覚えていなくて、
ただただ激しく泣いていたことだけが頭に残っている。

それにしてもどうやってお家に帰りついたのかしら?
プロデューサーさんが送ってくれたのかな?

……それで何もせずに帰っちゃったのかしら?

「……あれ?」

なんとなく、今自分が寝ているのがベッドじゃないような気がした。
お家のベッドに比べて少し硬いと言うか、張りがあるというか、
そう、まるで事務所のソファーのような…………。

「ここは……事務所?」

目を開けてすぐに飛び込んできたのは、どこの事務所でも見られるはずの、
白いトラバーチン模様の天井と、規則的に取り付けられた蛍光灯だった。

確かその天井は、化粧石膏ボードだとか、ジプトーンとか言う名前だった気がする。
数年前に天井の一部を張り替えたことがあって、そのときに聞いたからよく覚えている。

辺りを見回してみると、そこは見慣れた自宅ではなく、
見慣れてはいるけど、数時間前に後にしたはずのいつもの仕事場765プロだった。

何故にWHY? 私は事務所に居るのかしら?

どうして来客用ソファーで眠っているのかしら?

「小鳥さん、目が覚めました?」

「ひゃぁ!」

急いで身体を起こすと、そこにはグラスを片手に微笑むプロデューサーさんの姿。

「かなり飲んでましたもんね……はい、お水です」

「あ、ありがとう」

結露したグラスを受け取り、喉を鳴らして水を飲む。
酔いの所為なのか、その水はなんとなく苦く感じた。
50 :2/3 [saga]:2012/08/24(金) 01:15:04.83 ID:+gymnPO2o
冷たい水が喉を、食道を過ぎ去り、身体全体に行き渡る。
胃のムカツキだとか、頭の痛みが少しだけ和らいでいった。

とはいえ、いまだに頭の中では除夜の鐘が何度も何度も鳴っているし、
胃の中では小さな悪魔が、フォークみたいな槍を翳して粘膜層をチクチクと刺している。

「気分は……悪そうですね」

「あ、あの……どうして事務所に……?」

そう言いつつプロデューサーさんを見ると、その姿に少しだけ違和感を覚えた。
その違和感とは、プロデューサーさんの容姿が変わっていることだった。

最近新調したと言っていた、ボタンや襟のデザインがお洒落なワイシャツを脱いでいる。

「あれ? どうしてシャツなんか脱いで…………ってまさか!?」

私の脳裏を、みだらな妄想が……。

  『そ、そんな……恥ずかしいです………こんなところで』

  『よいではないか、よいではないか』

  『あぁ罪悪感と背徳感が同時に襲ってくるぅ〜〜』

ま、まさか……プププププロデューサーさんと、事務所でイケナイことを!?

「いやぁあああぁああ!!」

「こ、小鳥さん!?」

「あーららぁヒヨコが廻ってますぅ〜」

「だ、大丈夫ですか? シャツは……その、汚れちゃいまして」

「ナニで汚れたんですか!?」

「それはその……言わないほうが」

「私!? 私のなんですかぁ!?」

「え、えぇ……まぁ」

プロデューサーさんは言いにくそうにして、言葉を搾り出している。
顔を赤くするような、大っぴらに言えないような“私のナニか”で汚れたってことは!?

ってスラックスとかじゃなくてシャツが汚れたの!?
どんなアクロバティックな体位で……って何考えてるの小鳥ーッ!!
51 :3/3 [saga]:2012/08/24(金) 01:16:44.81 ID:+gymnPO2o
「あああ洗って返しますからっ!」

「べ、別に大丈夫ですよ……その……よ、よだれぐらい」

「よ……だれ? ドドドドドコの?」

「はい?」

「ドコのよだれですか!?」

「く、口以外にありましたっけ?」

「だからどっちの……はっ!?」

プロデューサーさんが、何も知らない純真な目で私を見ている。
涎は口からしか出ないって、口は一つしかないって、そう信じきった目で。

あぁダメよ小鳥……貴方こそ真っ白で純真な白鳥だったはずよ?

いつから貴方は汚れてしまったの?

「わ、忘れてください!」

「あの、おんぶしてここまで来るときに……」

「あっ……そうだったんですか! 私てっきり……」

「てっきり?」

「そんな、とても言えません!」

不思議そうな顔をして、私を見返すプロデューサーさん。
その目に私の腐った心を見透かされているようで、少し身構えてしまった。

「あれ? ってことはおんぶされてたこと、まったく覚えてないんですか?」

「恥ずかしながら、お店を出た記憶さえ」

何度思い出そうとしても、私に残っているのは泣き喚いている記憶だけ。
どのくらい飲んだのかも知らないし、レジに行ってお金を払ったことも………

「あっ、お金! いくらでしたか?」

「いいですよ、先に誘ったのはこっちですから」

「同時だったじゃないですか!」

「いいんですって」

「でも……それだと釣り合いが」

「釣り合い……ですか」

急にプロデューサーさんの表情が真剣なものに変わった。
私が今言った言葉に反応したようだけれど……私、今何か言ったかしら?

もしかしたら、おんぶされてここまで来るときに酔った私が変なことを……?
依然変わらぬプロデューサーさんの表情に、不安とか期待とか恐怖を感じた私は、

プルプルと身体を震わせ、プロデューサーさんが口を開くのを待つことしか出来なかった。
52 :1/2 [saga]:2012/08/24(金) 01:18:45.62 ID:+gymnPO2o
【危ぶむなかれ】

「それだと釣り合いが」

もちろん小鳥さんが、支払いのことでその言葉を使ったということは分かっている。
ただ俺の頭の中には小鳥さんのものを含めて、色んな言葉が甦っていた。

  『わらしとなんて釣り合いがとれらいんれすよ』

  『しょれなのに律子しゃんったら『食事に誘え』れすって………』

これはついさっき、おんぶしている時に聞いた小鳥さんの舌足らずな言葉。

  『一体いつになったら、小鳥さんにプロポーズするんですか?』

  『思い立ったがナントカですし、今日誘っちゃいましょう!』

これは春香が俺に言い放った言葉。

  『実は……私も今日晩御飯に誘おうと思ってまして………』

んでこれは、今日俺が御飯に誘ったときの小鳥さんの言葉。

日中、事務所には小鳥さんと律子の二人だけだったはずだ。
そのことと、今頭の中で再生した数多くの言葉。
つまり……そういうことか。

急にコンビニに行くと走り出した春香と、俺が戻る少し前に外出したという律子。
小鳥さんと食事に行く話が付いた後、同時に帰ってきた二人。
その二人のなんとなく嬉しそうな、ニコニコとした姿。

これらから導かれる結論は、もうただの一つしかないじゃないか。

「お、俺もです」

「へ?」

「小鳥さんには俺なんかよりもっと素敵な人がいるって、
 俺とは釣り合わないはずだって、そう思ってました」

「え? えぇ?」

急に語り始めた俺に戸惑いを隠せない様子の小鳥さんは、
辺り一面に『?』を散りばめながらキョロキョロと首を降り始めた。

段々と顔が赤くなっていることから、内容は理解していただいてるようだ。

「春香の言う通りだ……俺が臆病なだけだったんですね」

「えっと……その…………」
53 :2/2 [saga]:2012/08/24(金) 01:21:12.30 ID:+gymnPO2o
俺はもう覚悟を決めた。

臆病者と罵られても言い返せないほど臆病な俺だが、一応は男の端くれだ。

この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ

……よし! 覚悟完了!

「小鳥さん」

「……はい」

「こういうのは初めてなので、上手く言えるかわかりませんけど………」

「は、はい」

さすがに小鳥さんも俺が何を言おうとしているか分かったようで、
緊張した面持ちで、頷きながらゴクリと生唾を飲んだ。

対する俺は、リンゴぐらいなら潰せそうな強い力で拳を握り締めていた。

「好きです、貴方のことが」

「…………」

初めて知ったことだが、告白はする前よりもした後の方が緊張する。

想いを伝えた後、その返事が帰ってくるまでの永遠のように長い長い時間。

告白したことへの後悔の念や結果への恐れを感じたり、
断られたときの惨めな気持ちを想像してしまったり、
これから先、気まずいままで仕事をしなくてはならないのかと軽く絶望したり……。

いろいろな感情が頭の中をぐるぐる廻って、徐々に大きくなる。

「あ、あ……あ………」

余程驚いたのか、小鳥さんは焦点の合わぬ目を俺に向けて、
その名に相応しく、巣の中で小さな身体を寄せ合っては
親鳥に餌をねだる雛のように、開け放たれた口をパクパクと動かしていた。
54 :1/3 [saga]:2012/08/24(金) 01:23:33.97 ID:+gymnPO2o
【遅咲きガール】

「あ、あ……あ………」

あまりに突然の出来事に私の思考回路は停止してしまい、
声帯運動機能にも異常が生じてしまった。

今日は普通に晩御飯を食べて、お酒を飲んで……。
そういうのを続けていって、プロデューサーさんと仲良くなるのが目的で、
もちろん最終的には恋仲になれればいいなぁーっていうのが願望だったわけだけど……。

まさか今日、しかもプロデューサーさんの方から告白されるなんて思ってもみなかった。
すっごく嬉しいし、返事をしないといけないのに、なかなか言葉が出てこない。

「あ、あの……その………わ、私も………」

大きく息を吸って……また吐いて。

二回ほど深呼吸をした後で、私は出来るだけ声の震えを悟られないように、
気丈に振舞ってプロデューサーさんに返事をした。

「私も……私も好きです!」

ほっとして力が抜けたのか、プロデューサーさんの肩が少し下がったようだった。
それとも、こんなことなら早くに告白しとけば良かったと思ってるのかしら?

「どうやら俺たちは、同時に背中を押されたみたいです」

「え?」

「今日どうして同じタイミングで食事に誘ったと思います?」

「う、う〜ん」

「どうして、タイミングよく二人きりになれたと思います?」

「それは、律子さんが外出してて………」

「春香がコンビニに行った」

「そう」

私が誘おうとしたタイミングと、プロデューサーさんが誘おうとしたタイミング。
律子さんが外出したタイミングと、春香ちゃんがコンビニに行ったタイミング。

いろんなタイミングが絶妙に合わさって、こういう結果になった。

「ここで重要なのは、そのタイミングを誰が合わせたかってことです」

「誰って………」

「では質問しますが、どうして今日俺を誘おうと?」

「そ、それは………」

  『少しでもお近づきになれるように、食事に誘ってみましょうよ』

私が決心をした……いや、半ば強引に決心させられたのは律子さんの一言だった。

ということは………

「まさか……律子さんが?」

「半分正解です」

「え?」

「俺は春香に」

「……あぁ」
55 :2/3 [saga]:2012/08/24(金) 01:25:30.33 ID:+gymnPO2o
ようやく全てが理解できた。

  『一体いつになったら、プロデューサーに告白するんですか?』

律子さんが私にそう尋ねてきたときから始まっていたこと。
春香ちゃんは春香ちゃんで、プロデューサーさんに同じようなことを聞いたのよ。

そうやって二人にお互いを意識させておいて、
翌日……つまり今日になって、食事に誘ってはどうかとモーションをかけてきた。

「そうだったのかぁ……」

結果として二人の気持ちが分かったし、その気持ちが結ばれた。
春香ちゃんと律子さんには感謝しないといけないのかもしれない。

でも、なんとなく心に引っかかるものがあるのは、私だけなのかしら?

「なんだか操られてたみたいでちょっと悔しいかなぁ」

「結果的には良い方に働いたんですけどね、
 まぁちょっとシャクなのは分かるような気がします」

確かにお互い勇気が足りなかった。
春香ちゃんと律子さんはその勇気を奮い立たせてくれた。

でも、ほんのちょっとだけ釈然としないというか、
手放しでは喜べないというか……もちろん感謝の方が大きいわけだけど。

「ねぇプロデューサーさん?」

「はい」

「こうなったらですよ! 二人が予想もしなかったことをしましょうか」

「え?」

「このまま二人に操られたままじゃ、ツマラナイじゃないですか
 だから、飼い主の手を噛んじゃうんです! こう……ガブゥーっと」

「で、でも一体どうやって?」

プロデューサーさんは私の気迫に押されながら、不思議そうな顔を向けた。
どうやら私が言おうとしていることが、本当に分からないらしい。

「多分、私達が恋仲になることは、二人は予想していたはずですよね?」

「まぁこんなに早いとは思ってないでしょうけどね」

「でも、そうなる可能性もあるとは思っていたはずです」

だからその可能性を大きく上回るようなことをすればいい。
恋仲になった後に発展していく関係を二段飛ばしで駆け上がればいい。

「二人がビックリドッキリしてひっくり返るようなことをするんです!」

「そ、それって………」

「そんなのひとつしかないでしょう?」

「こ、小鳥さん? な、なんか目が怖………はっ!?」

何かに気が付いたプロデューサーさんは、身体をビクリと跳ね上げた。
そうしてワナワナと震えながら、ゆっくり後ずさりを始めた。
56 :3/3 [saga]:2012/08/24(金) 01:27:44.90 ID:+gymnPO2o
「んふふぅ……好きですよぉプロデューサーさぁん♪」

「ちょ、ちょっとまっ………」

「いいじゃないですかぁ〜ちょうどシャツも脱いでるんですしぃ」

私がにじり寄る度に、プロデューサーさんの顔が紅潮していく。
そんな姿に、胸の奥が軽く締め付けられるような感覚に陥った。

まぁ端的に一言で表すなら……萌えというやつ。

「私達、もう恋人同士なんですよ?」

恋人同士だってことは、もう何だって出来るわよね?
なんてったって愛し合ってるんですもの。

やっぱり愛ね……愛が一番尊いわ…………。

きぃ〜みぃ〜がぁ みむぅ〜ねにぃ〜♪
だかれてぇ〜きぃくわぁ〜♪

「こ、小鳥さーん?」

「はっ!?」

いけないいけない……危うく蘇州へと旅に出るところだったわ。
ってこのネタが分かるの社長くらいしかいないか………。

「ということで……プロデューサーさぁ〜ん♪」

「ルパンみたいな口調で言ってもダメですって! それにこんなところじゃ…………」

「だからいいんですよ? あの二人だってまさかここで………ねぇ?」

「ねぇ? じゃなくて! と、とにかく落ち着きましょう!」

プロデューサーさんは額に汗をびっしょりかいて、バタバタと手を振った。
そう可愛く慌てられると、ますます弄りたくなってくるのが小鳥のサガってやつよね。

「まだ酔いが醒めてないんですって! ほら、お酒臭いですもん!」

「もう……据え膳ですよ据え膳! 二人に操られたままでいいんですか?」

「そういうわけじゃなくて………」

「操る糸を断ち切って♪ ですよ!」

「いつもネタがちょっと古いですよね」

「そ、そんなことに気付かないでいいですから!」

無自覚なジェネレーションハラスメントを受けるも、ここで負けるわけにはいかない。

なんてったって、これは一世一代の大勝負なんですもの!
全身全霊をかけて、この『遅咲きガール大作戦』を成功させないと!
57 :1/2 :2012/08/24(金) 01:29:21.71 ID:+gymnPO2o
【The Eyes of Medusa】

「さぁ……さぁさぁさぁ! おとなしくお縄を………」

「ちょ、ちょっと待ってくださいって!
 気持ちが焦るのは分かりますけど、ここはゆっくり行きましょ!!」

手をワキワキさせながら、小鳥さんが一歩、また一歩とにじり寄ってくる。
その全身から発せられる妖しげなオーラが、晴れやかな夏の日、
アスファルトから立ち昇る陽炎のように、揺らめいて見える……ような気がする。

いよいよリングコーナーまで追い詰められ、来るか猛攻ラッシュと身構えた俺だったが、
何かに気が付いた様子の小鳥さんは、急に顔を曇らせたかと思えば、
先ほど小鳥さんが口ずさんだあの歌ではないが、糸を切られた操り人形のように
腕をダラリと真下に落とし、節目がちに短く息を吐いた。

「そう……ですか」

「やっと落ち着いてくれましたか?」

「てっきり私は律子さんと春香ちゃんの二人に操られてるって思ってましたけど」

「……ん?」

「本当は三人だったんですね」

「えーっと……」

心の中が疑心暗鬼で一杯になったらしく、小鳥さんは今まで見たことの無いような
ジットリと湿り気を帯びつつも鋭く尖った上目遣いで俺を睨みつけた。

「みんなで私をドッキリにかけて、哀れな独り身女が有頂天になって
 浮かれに浮かれた馬鹿面を引っさげて小躍りする姿を見て笑ってるんですね!!」

よくまぁ息継ぎもせず、スラスラと噛まずに言葉を並べ立てることが出来るものだ。

「春香ぁー! 律子ぉー! でてこーい!!」

「ダメですって大声出しちゃ!!」

酒臭い吐息の混じった叫び声を撒き散らす小鳥さんは、
一見すると恥を捨てたように見えるが、やはりアルコールの作用によるものなのだろう。

日頃感じつつも心に仕舞い込んでいた劣等感や焦燥感が、それによって露になったのだ。

かわいそうに……好きだと言われても信じられなくなるほど恋をしたことがないのだ。
むろんそれは俺だって同じことなんだけど…………。

「ドッキリで告白するわけないでしょ?」

「だったら証明してください!」

「証明?」

「好きだっていう証拠に……だ、抱きしめてください!」

「そのくらいなら……」
58 :2/2 [saga]:2012/08/24(金) 01:33:17.60 ID:+gymnPO2o
肩に手を触れると、少しだけ震えているようだった。

その震えを止めるように、また抱きしめやすい間合いに移動させる意味合いも込めて、
両肩を若干強く押さえたあと、その手をそっと背中に回した。

「あっ……」

小鳥さんの身体は思ったよりもずっと小さく華奢だった。
シャンプーなのか香水なのか、鼻を擽る妖艶な香りに頭がクラクラとしてくる。
それはどんな麻薬よりも魅惑的で、なにより危険な香りだった。

「プロデューサーさん……」

「落ち着きました?」

「……なぁんて♪」

「えっ……ぐわっ! い、痛い痛い痛い! 鯖折り鯖折り!!」

胸が押し付けられるとか、早くなった鼓動が伝わるとか、
適度な太さと肉付きをした小鳥さんのフトモモが俺の脚の間に入るだとか、
その小さなお顔を俺の胸元に摺り寄せてくるだとか、

そんな興奮必至な状態であるはずなのに、それを感じさせないほどの激痛が襲う。

「うふふっ……プロデューサーさん赤くなっちゃって、かぁわいい♪」

「そ、それは息が出来ないからです!」

「あらら……ゴメンなさい♪」

「うひゃあ!」

申し訳なさを微塵も感じられぬ心無い謝罪をする小鳥さんは、
手の力を緩めたかと思うと、途端にイヤラシさを含んだ手つきで、
俺の背中やら胸元やらをサワサワとまさぐり、脚をモゾモゾと食い込ませ始めた。
突然のこそばゆさに、自分でも驚くほど情けない裏返った叫びを挙げてしまう。

「ちょっ! こ、小鳥さん!?」

「んっふっふ〜」

段々とエスカレートしていく手つき、さらにその手の位置。
それは浮いた話の一切を経験したことのない男心を弄ぶにはあまりに強烈過ぎて、

俺は蛇に睨まれたカエルよろしく、何の身動きも出来ないまま、
その大きな口にガブリと噛みつかれ、丸呑みにされた。

「や、やめ……あ……あぁ…………アッーーーー!!!」

シンと静まり返った事務所の中に、優男の情けない悲鳴が轟く。
そう……夜はまだ始まったばかり………。
苦痛と快楽とが混ざり合ったアダルトな時間もまた………。
59 :1/3 [saga]:2012/08/24(金) 01:38:28.11 ID:+gymnPO2o
【A little bait catches a large fish.】

基本的に出社の順番は、四人まで決まっていて、私は一番乗りで765プロにやってくる。

そして私が一日のスケジュール等を手帳に書き終え、パタンと閉じたところで、
朝に弱い小鳥さんが眠そうな顔をして、時には女を忘れて欠伸と共にやってくる。

小鳥さんと一言二言話をして、そろそろ沈黙が襲ってくるかという頃合に、
今度はプロデューサーが軽快な革靴の音を鳴らしながら事務所のドアを潜る。

プロデューサーを含めた三人でまた一言二言話をしていると…………
春香が元気一杯に勢いよくドアを開けて、朝の挨拶を部屋中に響かせる。

今朝もこうして、小鳥さんとプロデューサーが事務所に居る。
それだけを取ればいつもと変わらない朝の風景、あとは春香を待つのみだけど、
その細部を見てみると、いかに今朝の状況がイレギュラーなものなのかが分かる。

一つ目は……

「ふんふんふ〜ん♪」

小鳥さんはいつになくご機嫌で、楽しそうに鼻歌を弾ませながら、
デスクや来客用テーブルを、音楽を奏でるような流れる手つきで拭いている。

その頬の緩みようは、並大抵の幸運では発生しないもの。
私の記憶している限りでは、小鳥さんは必ず眠そうにしていた。

にこやかにしていることすら珍しいのに、加えて鼻歌まで披露するなんて、
やっぱり何かがオカシイとしか思えないわね。

そして二つ目は……

「……ふぅ」

プロデューサーは疲労が溜まっているのか、真白い彫刻のような感情のない顔、
焦点の定まらぬ目をして、しきりにコーヒーの入ったタンブラーに口を付けていた。

プロデューサーは頼りないところもあったりなんかするけど、気力だけはあるというか、
特に朝は空回りするんじゃないかってほどエンジン全開フルスロットルなのに……。
今日はエンストどころか、燃料すら入っていないように見受けられる。

陰と陽、喜と哀、静と動……相対する二人のテンション。

それはあきらかに昨日起きた出来事によるものだとは思うけれど、
食事に行った二人が、どういう店に行ったのか、またどういう会話を交わしたのか、
全体的にどういう結果に終わったのかは、直接聞いたわけではないから計り知れない。

だから今日、小鳥さんやプロデューサーの雰囲気で掴み取ろうと思っていたのに、
一方は超絶スマイルで、もう一方は無表情ということになると、どうにも掴みようがない。

二人共が笑顔なら、上手くいったということになるし、
共に落胆の表情なら、ダメだったのだと予想は出来るのに………。

「おはようございまーす!」

ドアが壊れんばかりの勢いで開かれ、片手を挙げた春香が飛び出してきた。
驚いたプロデューサーがコーヒーを気管に吸い込み、苦しそうに噎せる。

「プロデューサーさん、おはようございますっ!」

「あぁ……おはよう………」

「あ、あれ?」

相変わらず低いテンションのまま応対するプロデューサーに面食らったのか、
春香は不思議そうな顔で首をかしげ、こめかみ辺りに人差し指を当てる。

それほどプロデューサーの様子はいつもと違っていて、春香が不審がるのは無理もない。
60 :2/3 [saga]:2012/08/24(金) 01:42:56.00 ID:+gymnPO2o
「春香ちゃん、おっはよー!」

「お、おはようござい……ます」

「いやぁー今日も良い天気ねぇ〜」

「そ、そうですね」

「こんな日には歌いたくなっちゃうわー」

「そ、そうですか」

「朝だあーさーだーよぉ〜♪ きぼぉ〜の朝ぁだー♪」

もっとオカシイ……いや、もっともオカシイのはこの事務員ね。

基本的に小鳥さんがハイテンションな時の、その由来は健全なものじゃない場合が多い。
言い換えると、小鳥さんは健全でないものによってハイテンションになる。
となれば今朝のこのハイテンションは一体………。

「あっ律子さん! ちょちょちょちょっと!」

私の顔を見るなり、春香は闘牛士に突進する雄牛のような勢いで近づいてきた。
その勢いに押されて壁際にまで追いやられた私に顔を近づける。

「あの……プロデューサーさん、なんかオカシクないですか?」

依然として無機質なプロデューサーを横目に見ながら、
春香はオネェを意味するジェスチャーのように口を手で覆い隠し、そっと小声で呟いた。

「精根尽き果てたっていうか……なんでしょう? あの……真っ白に燃え尽きたみたいな?」

「やっぱりそう見えるわよね」

「えぇ」

私達の密談に気付いていないプロデューサーからは、依然として覇気は感じられない。

ただ、自分でもそのテンションの低さを気にしているのか、
受験勉強中の苦学浪人生が眠気を振り切ろうとするように、
もしくは水を被った犬がそうするように、首をブルブルと振っている。

「あの……小鳥さんも、オカシクないですか?」

「そうね」

「元気モリモリっていうか……なんでしょう? あの……最高にハイってやつだー!みたいな?」

「やっぱりそう見えるわよね」

「えぇ」

今度は小鳥さんに目を向けてみる。

拭き掃除を終えた小鳥さんは 『よっこいしょーいち』 と自分の席につき、
一世代前のOSの入ったデスクトップPCが立ち上がるのを待っていた。

いつのまにか鼻歌のナンバーも変わっており、古い歌だからなのか、
どの曲の鼻歌バージョンであるかは、私にも春香にも分からなかった。

「昨日……なにかあったんですかね?」

「海老で鯛を釣る」

「はい?」

「多分に……」
61 :3/3 [saga]:2012/08/24(金) 01:45:35.80 ID:+gymnPO2o
私達の入れ知恵が思いのほか大きな効果をもたらしたと考えられる。

そうでないと、プロデューサーは置いておくとして、
小鳥さんのあの異常なまでのテンションの上がり方は説明がつかない。

「昨日の食事はまぁ良かったみたいですけどね」

「あっそうなの?」

「えぇ……今朝気が付いたんですけど、昨日プロデューサーさんがメールが来てて……」

だったら尚のこと、私の推測が正しいという可能性が高くなってきた。

昨日の小鳥さんの決意に満ち満ちた表情や、春香から電話で聞いたプロデューサーの様子。
それに事務所で春香と一緒に盗み見た、約束を交わす二人のやりとり。

まず普通に考えたら、それらから導かれる結果は食事に行くということ。
少し発展させたとしても、階段を一つ飛ばして恋人同士になるくらいのもの。

その予想を遥かに越えたということになると……二人は昨晩………。

もしそれを春香が知ったとしたら、血を見ることになるわね。
それがプロデューサーの血か、春香の鼻血か、もしくは小鳥さんの……おっと!

「食事の後に何か……う〜ん………」

「春香、もうその辺にしときましょ」

「え?」

「ほ、ほら! 詮索はしないほうがいいじゃない?」

「でもでも! 絶対おかしいですってあの二人!」

「いいからいいから………」

謙遜しあっていた二人の間に、どういう展開があったにせよ、
いつまでも他人の色恋沙汰に首を突っ込んで、干渉し続けるのはナンセンス。
遠目から優しく見守るというのが一番よね。

「だから春香も探偵の真似事はやめて………」

「二人とも、どこまで行ったんですか!?
 さぁアルファベットで! さんにーいちキュー!」

「コラー!!」

春香はいつの間にか二人に近づき、エアマイクを握ってインタビューを始めていた。
当の二人は目を見開いて、アンポンタンポカンといった表情で春香を見返している。

「はるか! やめなさいっ」

「だってぇ〜」

春香を羽交い絞めにしつつ、後ずさりする。
フグに負けず劣らずな膨れっ面を晒しながら、春香は手足をバタつかせて抵抗した。

「ウォッホン!」

朝の挨拶以来、一貫して黙っていたプロデューサーがワザとらしく咳払いをした。
残りの三人が一斉に、口元に握りこぶしを近づけたプロデューサーに注目する。

俯いてなにやら言葉を考えている様子のプロデューサーは、やがて顔を上げると、
恥ずかしそうにこめかみ辺りを掻きながら、目を泳がせつつ口を開いた。
62 :1/4 [saga]:2012/08/24(金) 01:47:56.59 ID:+gymnPO2o
【大人の節度】

「えーっと……律子、それに春香」

緊張というか、小っ恥ずかしいというか、なかなか言葉がスムーズに出てこない。
名を呼ばれた二人は、ジッと俺の顔を見つめ、二言目を待っているようだった。

「まぁなんだ……その、ありがとな」

「はい?」

いきなり俺の口から飛び込んできた感謝の言葉に、すかさず律子が聞き返してきた。

「二人のおかげで、俺たちは自分の気持ちに気付いて、相手の気持ちを知った」

「そうね……ありがとう二人とも」

「そ、それは……どう致しまして」

便乗する形で感謝を述べる小鳥さんに、何を思ったのか、
急に改まった春香が、キャビンアテンダントばりに45度のお辞儀をする。

でもその表情だけは、あっけに取られたような、拍子抜けしたものだった。

「ということは、お二人は付き合うことになったと」

「え、えぇ……そうなのよ」

小鳥さんはなにか胸中に含んだような笑みを見せつつ、律子に答える。
律子もその表情を読み取ったようで、若干眉を潜めて何かを考えているようだった。

そんなことには気付いていない小鳥さんは、ちらりと俺の顔を見ては
恥ずかしそうに顔を赤く染め上げた。

「で、でも……そのぅ………貴方達二人はしょうがないとして、
 私とプロデューサーさんのことは、みんなには伏せておいて欲しいの」

まぁ懸命な判断だろう。

律子はもちろんのこと、春香だってそういった機転が利く子だ。
他のアイドル達に知られた場合の面倒臭さを考えて、小鳥さんの提案を受けるだろうな。

「別に構いませんけど……ねぇ律子さん?」

「そうね、そのほうが良いかもしれないわ」

「すまんな」

「っていうかむしろ、こちらからお願いしますよ?
 他のみんなに悟られないように、不用意な行動は慎んでください!」

「ぐっ」

今の俺達には、律子の言葉はかなり深く突き刺さる。
小鳥さんは余程驚いたのか、肩を窄めて身体を縮こませた。
ボロを出すような不用意な行動なら、もう既に昨夜の段階で……おっと!

「だ、大丈夫よ♪ 事務所ではもうしな……んぐっ!!」

さっそくトンデモ無いことを口走り始めた小鳥さんの口を慌てて押さえる。
……が一歩遅く、勘が鋭い律子は何のことを言っているのか分かったらしい。
63 :2/4 [saga]:2012/08/24(金) 01:51:33.26 ID:+gymnPO2o
「ぬぁんですってぇえー!?」

「え? なになに? 律子さん! どうしたんですか!?」

訳もわからずオロオロし始めた春香だけが、状況を理解していないようだ。
律子は血走った目をギョロリと見開いて、俺たちに詰め寄ってきた。

その血相たるや、血管は浮き出るわ歯は食い縛るわ………。
それはもうなまはげも裸足で逃げ出すほどだ。

「アンタら大人でしょーがっ!! 節度ってもんがあるでしょーがっ!!!」

「ごめんなさいごめんなさいぃ〜」

「り、律子さん落ち着いて!!」

「雪歩は黙ってて!」

「ひどいーって私は雪歩じゃないです!!」

ここに四人しか居ないとは思えないほど、ヤンヤヤンヤと騒ぎ立つ事務所。
自分に関係していることが原因だけに、頭痛の度合いが増しそうだ。
しかも律子の方が正論となれば、これはもう救いようがないのだ。

「うわ〜〜ん、プロデューサーさぁん助けてぇ」

「は、春香! そろそろ出ないと……」

「え? あっ、はい!!」

「あーん待ってぇええぇえぇぇぇえ!!」

「正座ぁー!!!」

小鳥さんの泣き喚く声と、地鳴りのような律子の怒号を背中で聞きながら、
俺は心の中で小鳥さんに頭を下げ下げ、そそくさと事務所を飛び出した。

春香は心配そうに後ろを振り返りながらも、小走りで俺の後に続く。

「プロデューサーさん! よかったんですか!?」

「まぁ……良くはないだろうね」

社用の軽自動車に乗り込み、キーを回してエンジンをかける。

今頃小鳥さんはどうなっているだろうか?
あの律子の怒りようからして、それはもうこっっっっぴどく叱られているはずだ。

春香のプロデュースという大義名分があり、
これ幸いと見捨ててしまったことに多少の罪悪感を抱いてしまう。

しかしこれは時間だからしょうがないのだと自分に言い聞かせて、
俺はアクセルを踏み込み、ゆっくりと車を発進させた。

「でも、よかったですね」

「ん?」

「小鳥さんとお付き合いできるようになって」

「あぁ、そうだな」

春香はまるで自分のことのように、嬉しそうな笑顔を見せた。
しかし一瞬だけ、そこに悔しさというか、悲しさが垣間見えたような気がした。

律子に怒られて心身共にボロボロになっているであろう、
可哀相な小鳥さんのことを考えたのだろうか?

「ちょっと悔しくて寂しいですけど、おめでとうございます」

悔しくて寂しい…………。

俺には春香がなぜそのような感情を抱くのか、どうしても分からなかった。
なぜ悔しくて寂しいのに 『おめでとう』 と笑顔で祝福することが出来るのかも。
64 :3/4 [saga]:2012/08/24(金) 01:55:09.74 ID:+gymnPO2o
事務所を出て最初に遭遇した信号機が赤に変わる。

俺たちを乗せた車は道路交通法を遵守するべく停車した。
春香はその信号の色に会わせるかのように会話を止め、黙り込んでしまった。

歩行者信号が点滅しだすと、またも呼応させるようにしてソワソワとし始め、
青信号になり車を発進させて数百メートル進んだところで、春香は静かに口を開いた。

「で……ですよ! プロデューサーさんに質問があるんです」

ちらりと春香を見てみると、いつぞやと同じ悪戯っ子スマイルを浮かべていた。
ということで、俺はいつぞやと同じ嫌な予感というものを感じずにはいられなかった。

「いつになったら、小鳥さんと結婚するんですか?」

「はぁ……なんだって?」

俺の感じた嫌な予感は見事に的中してしまった。

いやいや、もちろん小鳥さんと結婚したくないとか、そういう意味ではない。
むしろ結婚できたならそれはそれは素晴らしいことではあるのだが………

やはりこういうのは徐々にステップアップしていくのが良いわけで、
告白して恋人同士になりましたから、はい結婚しましょうとはならないのだ。

「早くしないと、相手にはもう時間が………」

「すとーっぷ!!」

「それは冗談ですけど、実際待ってると思いますよ?」

確かに春香の言うとおり結婚願望は強いのかもしれないが、恋人の期間も必要なものだ。

誕生日、クリスマスなど、年中様々なイベントごとが訪れてくるわけではあるが、
それを夫婦として過ごすか、恋人として過ごすかによって、ずいぶんと趣が変わってくる。

俺は恋人としての時間を積み重ねていくことが、結婚をする上で重要だと思うわけだ。

「追い追い考えていくさ」

「つまり……もっとキャッキャウフフしたいんですね?」

「ま、まぁそういうことだ」

「その気持ちは分かりますけど、なるべく早いほうがいいと思いますよ?
 ほら、何にでも書いてあるじゃないですか、開封後はお早めにお召し上がりくだ………」

「すとーっぷ!!」

確かに昨晩開封し……おっと!
この場に小鳥さんが居たら、般若の面のような顔をして怒るのだろうか?
それとも老女の面のような顔をして悲しむのだろうか?

とはいえ、今頃律子に絞られているだろうから、この車内だろうが事務所だろうが、
今の小鳥さんに安息の地などは何処にも存在していないのだろう。

……などと人事のように思念しているが、事務所に戻った俺も律子に正座をさせられて、
頭の上から罵声怒号の数々を打ち水のように浴びせられること請け合いだ。

今のうちに辞世の句でも考えておこうかな…………
65 :4/4 [saga]:2012/08/24(金) 01:57:13.87 ID:+gymnPO2o
「はぁ」

「なんですか? 溜息なんて付いちゃダメですよ?」

「あぁスマンスマン」

「とりあえず、今は私のプロデュースに集中してくださいね♪」

「へいへい」

そうだった。
恋煩いの治療も大事だが、仕事にまで支障をきたすようでは、
荒療治として恋そのものを解消しなくてはならなくなる。

このくらいのことで溜息を付くようでは、小鳥さんを不安な気持ちにさせてしまうだろう。

しっかりしろ俺! がんばれ俺!
765プロ繁栄の為に! アイドル達の夢実現の為に!
そして、俺と小鳥さんの未来の為に!

「プロデューサーさん! スピードスピード!!」

「あぁスマン」

ただし勇み足だけは気をつけないと、春香のようにすっ転んでしまうかもしれない。
猪突猛進では周りが見えなくなってしまうからな。

アイドルのプロデュースと、小鳥さんのプロデュース、そしてセルフプロデュース。
よくよく考えてみれば人生はプロデュースの連続じゃないか。

ならば、俺がやるべきことは唯一つ。

「よーっし、頑張るぞ春香!!」

「それって何に対しての“頑張る”ですか? 仕事? 恋愛? それ以外?」

「全部だよ」

「そうですか……うん! 頑張りましょう!!」

春香は満面の笑みを浮かべて、小さく握り拳を固めた。

これから色々なことが起こるだろう。
もしかすれば、辛いことの方が多いと感じてしまうかもしれない。

しかしそんな時は、春香や律子や小鳥さんだけでなく、
社長を含めた765プロみんなの笑顔を心に思い浮かべればいいのだ。

さっそく思い浮かべてみた笑顔は、やはり小鳥さんのヘブン状態のものだった。

…………うん、頑張ろう。
66 :1/5 [saga]:2012/08/24(金) 02:00:19.18 ID:+gymnPO2o
【乙女よ大志を抱け】

移動中の車内ですることといったら、プロデューサーさんと軽く打ち合わせをするか、
街ゆく老若男女や老若犬猫など、それぞれの営みの断片を眺めるか、
心の中でアレコレと考えを巡らすか……。

プロデューサーさんは何を考えていたのか、急に頑張るぞと意気込み始めた。
何を頑張るのか尋ねてみると、仕事も恋愛もそれ以外も、すべてを頑張るらしい。

あんまり張り切って肩に力を入れすぎるのは良くないような気もするけど、
私もプロデューサーさんに負けないように、頑張らないといけないな。

「ただ……恋愛に対しては頑張り方がわからないんじゃないですか?」

「痛いところを突いてきますね春香さん」

分かりやすい性格をした私の、分かりやすい恋心。

それに気付けなかった程、鈍感なプロデューサーさんには、
ともすれば思春期女子よりも扱いづらい“お年頃”の女性は難易度が高すぎる。

「女心やなんかで、分からないことがあったら相談してくださいね♪
 ……あんまり役に立たないかもしれませんけど、私だって力になりたいですから」

「あぁ、ありがとな」

「どういたしまして」

出来うる限りの笑顔で答えると、プロデューサーさんは
何度目かの赤信号が青に切り替わり、私から 『青ですよ』 とツッコまれるまでの間、
何故かチラチラと私を見て、顔色を伺うような視線を送っていた。

「なぁ春香……どうしてなんだ?」

不意にプロデューサーさんが、私にそう尋ねてきた。

すかさず 『何がですか?』 と言葉を返してみると、
ちょっとしたタイムラグの後、強くもなく弱くもなく、
青空を漂う雲のようなフワフワとした口調で話し始めた。

「どうして告白させたり、プロポーズをさせようとしたり、
 俺と小鳥さんの仲を取り持つようなことをするんだ?」

プロデューサーさんは本当に不思議そうな顔をした後、
急に慌てるような素振りを見せ始め、

『別に迷惑してるわけじゃなくて、ただ単に疑問に思っただけだぞ!』

そう念を押した。

「それは……アレですよ」

「アレ?」

「可能性がある時点でアウトなんです」

「可能性?」

「はい」
67 :2/5 [saga]:2012/08/24(金) 02:02:19.54 ID:+gymnPO2o
プロデューサーさんと恋仲になる可能性。

限りなくゼロに近くて、頭に『不』の字を冠するようなものだろうけど、
そのほんの少しの可能性が存在している所為で、
プロデューサーさんに対する想いがいつまで経っても消えてくれない。

せっかく諦めがついたのに……
せっかく自分の中で終わらせることが出来たのに……。

だから、私にとって辛いことかもしれないけど、
プロデューサーさんと小鳥さんの幸せそうな姿が見たかった。

その姿を見ることで、私は本当の意味で
プロデューサーさんを諦めることが出来ると思った。

…………それは私のワガママなのかな?

「ねぇプロデューサーさん……今、幸せですか?」

そんなことを聞く私は、今どんな顔をしているんだろう?
悲しそうな顔? 嬉しそうな顔? それとも、怒った顔をしているのかな?

「そうだなぁ……幸せかもな」

「かも……ですか」

「いや、幸せだよ」

笑うでもなく、怪訝な顔をするでもなく。
プロデューサーさんはハッキリとした口調でそう答えた。

それからしばらくの間、車内に沈黙が充満し、
いつもは気にならないエンジン音が、それまでよりも大きく聞こえた。

「春香はどうなんだ?」

「え?」

「幸せか?」

プロデューサーさんは表情も声色も変えることなく、ふと私に尋ねてきた。
どうして今の私にそんなこと聞いてくるかなぁ……プロデューサーさん。

「それは……わかりません」

「そうか」

「だって、私はその幸せを掴み取るために今頑張ってるんですもん
 だから今が幸せかどうか分かるのは、まだずっと先のことなんですよ多分」

「確かにな」

「だから、今はわかりません」

一つだけ確かなのは、プロデューサーさんのことがやっぱり大好きだということ。

ただその意味合いが以前とは少しだけ違っている。

これは恋愛心理として当然のことなんだろうけど、
今まではプロデューサーさんにも私を好きになって欲しかったし、
他の人にはプロデューサーさんのことを好きになって欲しくなかった。

でも最近は、小鳥さんのことが好きなプロデューサーさんも、
プロデューサーさんのことが好きな小鳥さんも、同じように好きになれた。
だから私は二人を応援するし、力になりたいと言ったのは本心からだった。


――――そう思っていた。 そう信じていた。
68 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/24(金) 02:04:06.50 ID:jgpmCHZIO
飽きた
冗長
69 :3/5 :2012/08/24(金) 02:05:12.90 ID:+gymnPO2o
「何が幸せで、何が不幸なのか……私には分かりません」

本心……それは自分がそうであると信じていたに過ぎなかった。
人の心は見ることが出来ないと言うけれど、それは自分の心だって同じだと思う。
人は自分ですら騙してしまう生き物だから。

泣きたくないのに涙が出たり、笑いたくないの笑ったり。
辛くて苦しいはずなのに、なんでもないと気丈に振舞ってみたり。

そんなことを続けている内に、自分の本当の気持ちが分からなくなってしまう。
今だってそう……私は二人が結ばれて嬉しいはずなのに…………
幸せそうな二人の笑顔につられて、笑っているはずなのに…………

「プロデューサーさん……ごめんなさい」

……どうして?
どうして胸が苦しくなって、震えが止まらなくなって、涙が溢れ出てくるの?

異性の前、近しい人の前……好きな人の前で涙を流すことの恥ずかしさも感じなくて、
気が付けば自分の感情を抑えることが出来ずに、嗚咽を繰り返していた。
息は途切れ途切れで、歪んだ口元からは声にならない声が漏れる。

「……ごべんなざい……ごめんなざい」

私が涙を流す間、プロデューサーさんは何も言わなかった。
いや……何も言わないでいてくれた。

そんな優しいプロデューサーさんに比べて、
自分があまりに身勝手すぎて自己嫌悪感で一杯になる。
諦めるとか諦めきれないだとか、外野の私が勝手に喚いてるだけでしかないのに。
それで胸が苦しくなって涙が出るなんて……やっぱり私はワガママなんだ。

「ごめんな春香……俺はプロデューサー失格だ」

きっとプロデューサーさんは私が悩んでいたことにも気付かなかっただろうし、
今私の目から滝のように流れ出る涙の理由もわからないんだろう。

プロデューサーさんは唇を噛み締め、拳を握り締めて、申し訳なさそうに呟いた。

「いいんです……隠してましたから」

それに私自身、自分がこれほどまで感情を溜め込んでいたことに気付かなかった。
プロデューサーさんの前で、これほどまで感情を露にするとは思わなかった。

悔しそうな顔をしてくれたプロデューサーさんと同じように、
自分が悩んでいることも、その涙の理由も分からなかった。

「ごめんなさいプロデューサーさん……勝手ですけど、この涙は忘れてください」

私はもう、土俵に上がることが許されない存在になった。
それなのにこうして悲劇のヒロインを気取ってる自分が嫌になる。

以前からそうだった……プロデューサーさんのことが好きで好きで堪らなくなって、
そうであればあるほど、他の子たちのことが嫌いで嫌いで堪らなくなって、

でも、みんなのことを本当に嫌いになんてなれるわけがなくて…………

芸能界には、他人を蹴落としてのし上がるという側面もあるとは思う。
でも私はそういう手段を取りたくはなかったし、取らない自信があった。
それなのに、ふと気が付けば心の中に黒く濁ったヘドロのような感情が生まれていた。
70 :4/5 :2012/08/24(金) 02:06:48.84 ID:+gymnPO2o
そうやって自分の胸の内を知ったとき、私は自分で自分が怖くなった。
負の感情が大きくなって、精神全体を支配してしまいそうだったから。

そして今、私の心はそうした負の感情に蝕まれつつある。

「プロデューサーさん」

「……なんだ?」

その支配から逃れる為に……負の感情を消し去る為に、
プロデューサーさんと小鳥さんに、是非とも頼んでおかないといけないことがある。

「絶対に……絶対に幸せになってくださいね!」

「あぁ、ありがとう」

涙は本当に不思議なものだと思う。

流れるときは悲しくて悲しくて堪らない。
世界中で自分が一番不幸なんだと偏屈になってしまう。

でもこうして泣き止んでみれば、その悲しみだとか苦しみだとか、
涙を流す原因となった不快な気持ちの一切を、綺麗に洗い流してくれて、
雷雨が去った後の青空のように、清々しい気持ちにさせてくれる。

今のプロデューサーさんのホッとした表情を見るに、
最後にはなんとか自然な笑顔を見せることが出来たみたい。

車の窓から空を見上げてみると、私の心情を表しているかのように、
青く透き通った大海原を真白いクジラが緩やかに泳ぐような、綺麗な空が広がっていた。

……もう大丈夫……もう悲しくはないし、苦しくもない。

なんてったって私には大きな夢があるんだもん。

「私も絶対にトップアイドルになって、幸せになります!!」

そして……ギャフンと言わせてやるんです。
プロデューサーさんでも、小鳥さんでも、律子さんでもなく、
勝手に失恋したと勘違いして涙を流した、自分勝手な私自身を。

「さぁプロデューサーさん! 『フルスロットル♪飛ばしてみましょ♪』ですよ!!」

「無茶いうなって」

未来は誰にも見えないモノで、だから誰もが夢を見てる。
その大事な夢を追い続けるんだから、もう節目がちな昨日なんていらない。

泣きたい時にはこうやって涙を流して、ストレスなんて溜めないし、
悲しみや切なさは今日ですべてサヨウナラして、今すぐに笑顔しかない私になって、
輝いた未来をまっすぐに……最高の未来を突き進んでやるんだ。

「プロデューサーさん」

「ん?」

「今までありがとうございました。 それと、これからもよろしくお願いしますね♪」
71 :5/5 [saga]:2012/08/24(金) 02:07:53.89 ID:+gymnPO2o
さて、思えば私の一言から始まったこの物語も、
その天海春香を大トリとしまして、一応の大団円を迎えることとなりました。

もちろん二人の物語はこれから先も綴られていくわけでありまして、
その本のページもまた、これから先もずっと捲られていくわけであります。

バカップル度が増して私達がウンザリさせられたり、
喧嘩をして別れる別れないの話にまで発展してしまうこともあるでしょう。
他のアイドル達に関係を知られて、一悶着も二悶着もあるかもしれません。

ですが、それら全てを皆さんにお見せするというのは、あまりに赤裸々で、
何より野暮ってやつですから、どうか皆さんご了承くださいませませ!

ということで、お別れの時間がやってまいりました。
では皆さんさようなら。 念のため、こんにちはとお久しぶりも!


このお話の出演は……

プロデューサー

音無小鳥

秋月律子

そして……天海春香でした♪
72 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) :2012/08/24(金) 02:08:25.04 ID:+gymnPO2o
終わりです
お粗末さまでした
73 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/24(金) 02:09:03.81 ID:jgpmCHZIO
最後以外乙
74 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) :2012/08/24(金) 02:31:02.93 ID:EvrKkF7O0
よかった
75 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/08/24(金) 06:10:54.40 ID:4rb7lwei0
ガッツリしたものを投下してくれてありがとう。

機会あったらまた書いてくれ〜。
76 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(三重県) [sage]:2012/08/25(土) 01:04:50.58 ID:My9DwX5Vo
人数が少なめなのも良かったよ
やっぱりがっつり読めるのはいいよね
77 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/08/27(月) 14:49:07.54 ID:mDdqZIy30
遅くなったが乙
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