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男「銀河鉄道は」女「夜の街に」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :みの ◆hetalol7Bc :2012/08/27(月) 02:07:01.37 ID:87tC1tni0
★゜・。。・゜゜・。。・゜ 注意 ゜・。。・゜゜・。。・゜★


このSSは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」という小説と、
トーマPの「銀河鉄道は夜の街に」というボーカロイド曲の二次創作です。

風景描写には原作の本文をそのまま使っているので、
主人公が男の子と女の子になった銀河鉄道の夜を、もう一度読みかえす感じになります。

原作に登場しなかった部分を解釈して勝手に考えたりしていて
変わった内容になっていますが、暖かい目で見てもらえると嬉しいです。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1346000821
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諸君、狂いたまえ。 @ 2024/04/26(金) 22:00:04.52 ID:pApquyFx0
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少し暑くて少し寒くて @ 2024/04/25(木) 23:19:25.34 ID:dTqYP2V2O
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渾沌ゴア「それでもボクはアイツを殺す」 @ 2024/04/25(木) 22:46:29.10 ID:7GVnel7qo
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二次小説の面白そうなクロス設定 @ 2024/04/25(木) 21:47:22.48 ID:xRQGcEnv0
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佐久間まゆ「犬系彼女を目指しますよぉ」 @ 2024/04/24(水) 22:44:08.58 ID:gulbWFtS0
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全レスする(´;ω;`)part56 ばばあ化気味 @ 2024/04/24(水) 20:10:08.44 ID:eOA82Cc3o
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君が望む永遠〜Latest Edition〜 @ 2024/04/24(水) 00:17:25.03 ID:IOyaeVgN0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aa/1713885444/

笑えるな 君のせいだ @ 2024/04/23(火) 19:59:42.67 ID:pUs63Qd+0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aa/1713869982/

2 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:09:22.42 ID:87tC1tni0
一、午後の授業


先生「夜空をすーっと横切るように流れる天の川。
――これは天体観測所で夏に撮られた写真ですね。
ミルキーウェイとも呼ばれていて、
ギリシャ神話に出てくるゼウスのきさきである女神ヘラの母乳のことです。
ゼウスが息子のヘラクレスを不死身にするために、
女神ヘラの母乳を飲ませようとしたんですが、
嫉妬深いヘラはヘラクレスを憎んでいたので途中で払いのけました。
その時流れ出た乳がこのようになったということですね。」

男「」ウトウト

教室の外側を冷たいからっ風が吹き抜け、窓をがたがた揺らしている。
教卓の隣には石油ストーブが置いてあって、小窓の中でおどる火が部屋を暖めていた。
3 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:14:46.37 ID:87tC1tni0
先生「これを望遠鏡で覗いてみるとたくさんの星が集まって見えることは
   もう皆さんご存知だと思いますが、
   なぜこのように帯状の集まりになっているのか分かりますか?」

男「zzz」

先生は教室の後ろの方を見た。
そこで一人の男子生徒が広げたノートに頭を乗せて眠っているのを見つけると、
つかつかと歩み寄った。

先生「こら、男君起きなさい。あなたの得意分野ですよ。」

そして右手に持っていたラジオのアンテナのような指し棒を短くして頭をはたいて、
慣れた様子で男の肩を起こした。
どこかの席からクスクスと笑っているのが聞こえる。
男はしかめっ面で、うっすらと目を開けた。
4 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:20:25.69 ID:87tC1tni0
男「はい……なんですか?」

先生「天の川が帯状の星の集まりに見えるのはなんでですか?」

男「えーっと、太陽を中心に地球とかが回ってる太陽系っていうのは、
  もっともっと巨大な銀河系っていう平たい星の渦の中にあって……、
  天の川が川っぽく見えるのはそれを横向きに見てるからです。」

先生「はい正解です。さすが、天体に関してだけは詳しいですね。
   この後は太陽系の惑星についての話に入りますが、
   もう時間なのでまた次の理科の時間に話します。」

先生「では、今日の授業はここまで。
   もう冬に入って冷え込んでいますから、暖かくして風邪を引かないようにしてくださいね。」
5 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:24:21.23 ID:87tC1tni0


二、放課後


女「お待たせー。」

友「お、来たね。」

男「じゃあ行くか。」

校門の前で待っている男とその友の元へ、長い髪の女の子が駆け寄ってくる。
放課後は必ず集まるまで待ってから帰るのが仲の良い3人の取り決めだった。

女「ところでさー。」

門を出て通りまで来たところで女が口を開いた。
友は冷たくなった手をこすりながら、水筒の蓋を開けて口をつけていた。

女「ヘラってあんなにいっぱい乳だしてよく干乾びなかったよね。」

友「」ブーッ!

男「はははww」

女「だって、普通あんなに乳出したら死んじゃうよ?」

友「女の子が乳とか言うのはやめなさい。」
6 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:29:42.40 ID:87tC1tni0

男「それが神の力だ。」キリッ

友「だめだ、最近二人の下ネタについていけない……。」

そうやってしゃべりながら帰る放課後。
しかしいつからか男と友が話しているばかりで、女は目を細めてだんだん無口になっていった。

友「――だから、望遠鏡は貰ったつもりで使ってていいんだよ。」

男「そんな訳にもいかないだろ。ねえ女はさ、」

女「ん……。」

突然、女がころんで地べたに膝をついた。

男「おい!大丈夫?」

7 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:32:54.24 ID:87tC1tni0

男はすぐに駆け寄って膝についた土を払ってやる。
怪我はしていないようだった。
女は何度もまばたきして、
なんで転んだのか訳が分からないみたいにきょとんとしていた。

男「女、お前もう眠いんじゃないか?」

女「え? う、うん。」

男「ほら、肩貸すよ。」

男は女の手をとって自分の肩に回す。

友「おぶってやった方がいいよ。」

女「ええ、悪いよう。」

男「大丈夫だよ。女はちっこいから、ちょっと太った猫をおぶってるようなもんだ。」

女「うん……。ありがとう。」

女が遠慮がちに背中におぶさる重みを感じながら、男は「太った」なんて冗談を言ったことに申し訳なさを感じていた。
言い返す元気もないのだ。

8 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:37:54.36 ID:87tC1tni0

女は男の右肩にあごを乗せて幸せそうに目を閉じた。

女「ねえ……男、友。」

男・友「「ん?」」

女「今度のケンタウル祭、一緒に行こうねえ。」

友「ケンタウス祭……。」

男「仕事が無かったらなー。ほら、もう家だぞ。」

女の家まで来ると、男は門を通って玄関の呼び鈴を鳴らす。
しばらく待つと女の母親が出たので、うとうとしている女を預けて門を出た。

外では友が心配そうに待っていた。

友「女の病気、良くならないね。だんだん酷くなってきてる。」

男「せめて原因だけでも分かればなあ。」

友「最近は記憶もごっちゃになってる。」

男「ケンタウル祭は……夏の行事だもんなあ。」

ため息をつくように男は言った。
二人は歩き出す。重たい足取りだった。

9 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:41:26.46 ID:87tC1tni0

男「友。」

友「ん?」

男「いいか、女がどんなになろうと、おれ達はずっと女の味方だ。」

男は右手を握って友の前につき出す。

友「もちろんだよ。」

二人は拳を打ち合わせた。


友「もしかしたら、女が夜に裁縫をしてるせいかも知れない。」

男「革細工だっけか? 女、いつも眠いのに頑張ってるよな。」

友「あれ、実は男が小さい頃から働いてるのを見習って始めたらしいんだ。『手に職をつけて、男みたいになりたい』って。」

男「そ、そうなのか。」

友「男は、女が好きだろう? 大事にしてあげなよ。」

男「そんなんじゃないしっ!」


友「じゃあ、僕はこのへんで。お仕事頑張ってね。」

男「うん、また学校でな。」
10 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:44:20.63 ID:87tC1tni0

三、活版所


男は家へは帰らずかけ足で街にある大きな活版処に向かった。
はいってすぐ入口の計算台に居た、だぶだぶのほつれたシャツを着た人に挨拶をして男は靴をぬいで上がると、突き当りの大きな扉をあける。

中にはまだ明るいうちから電燈がついてたくさんの輪転器がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりランプシェード・ハットを被ったりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働いていた。

男「おはようございます。」

騒がしい工場内でも聞こえるように声を張る。

おじさん「おう、おはよう。」

11 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:47:16.84 ID:87tC1tni0

男「あの詩集はどのくらい進んでますか?」

おじさん「お前んとこの文選と植字はもう済んだから、
試し刷りして確認が終わったら印刷に入ってくれ。」

男「分かりました。」

男は台の上で組み上げた状態で並んでいる版を、活字が落ちないように一つずつ糸で丁寧に縛って、表面にインクをつけると上に紙を乗せて、シリンダーで圧力をかけた。

そうやって1ページずつ紙に文字を印刷していく。

『   永訣の朝

   けふのうちに
   とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
   みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

   (あめゆじゆとてちてけんじや)      』

男(これは妹さんを看取る時の詩だな。うん、原稿と少しも違わない。)
12 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 02:53:42.88 ID:87tC1tni0

『  わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
   みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
   もうけふおまへはわかれてしまふ
   (Ora Orade Shitori egumo)         』

男(『私は 私で 一人 逝くもん』。)

印刷された紙に一通り目をとおすと、男は一息ついて顔を上げた。

すると向うの電燈のたくさんついた、
たてかけてある壁の隅の所で小さな子供が背を丸めて活字拾いをしているのが見えた。

男「あの、おじさん。」

おじさん「ん、なんだ?」

男「最近は子供が手伝いに来てるんですか?」

おじさん「来てるったって、お前だって子供じゃねえか。」

男「そういう意味じゃないですよ。」

男は指をさしてほらあそこの子ですよと言おうと棚の方を見たが、
よく見渡してみても手伝いをしている子供はどこにも見当たらなかった。

13 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:01:18.93 ID:87tC1tni0


四、ケンタウル祭の夜


仕事を終える頃にはもうすっかり夜遅くになっていて、
男は冷たい両手を上着のポケットに入れて暖めながら、檜のまっ黒にならんだ町の坂を下りていた。
坂の下に大きな一つの街燈が、青白く立派に光って立っている。

すると後ろから小さな男の子がかけ足で降りてきて、男を追い越していった。

男(あ、活版所に居た子だ。)

どんどん電燈の方へ下りて行くと、さっきまでばけもののように、長くぼんやり、
うしろへ引いていた男の子の影ぼうしは、だんだん濃く黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ったり、男の子の横の方へまわって来た。

男がそれを遠くから眺めていると、えりの尖ったシャツを着た小さな影が電燈の向う側の暗い小路から出て来て、ひらっと男の子とすれちがった。

14 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:04:44.95 ID:87tC1tni0

男の子は何か声を掛けたようだが、まだ言ってしまわないうちにもう一人が叫んだ。

「ラッコの上着が来るよ!」

投げつけるような一言が男の耳まで届いてきた途端、
きいんとそこら中で鳴るような耳鳴りがして、男の頭の中でぐわんぐわんと大きくなっていった。
男は思わず頭を抱えてぎゅっと目を閉じていると、だんだん耳鳴りはたくさんの人のざわめきに変わった。

子供たちが「ケンタウル、露をふらせ」と叫ぶ歓声やら、
屋台で何かを売る人が呼び込む声やらが、トンネルの中を反響してから男に届いてきているみたいに聞こえてくるのだ。

男「うう、なんだよこれ!」

15 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:06:53.74 ID:87tC1tni0

そっと目を開けると、ざわめきの中にうそのようにただがらんとした暗い路地だけがあったが、
さっきまで男の子が居た電燈の辺りに、女が背を向けてとぼとぼ歩いているのが見えた。
男は痛む頭から手を離して女を追いかけた。

男(こんな時間に女が一人で出歩いてるなんておかし過ぎる。
  病気の影響なんじゃないのか。
  いやまてよ、この賑やかな音だけがする中に女を置いておくのは危ないかも知れない。)

さまざまな考えで頭の中がいっぱいになりながら、
女の肩にもう少しで手が届くと思ったその時


ガボン


生暖かいゼリーに体ごと入り込んだような感触がして、男は身震いした。

16 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:08:13.51 ID:87tC1tni0

気がつくと霧が出ていて、それが街の明かりに照らされている。
そこは暖かくて、とても静かだった。

後ろを振り向くと、さっきの街燈が、ダイヤモンドダストのようにきらきらと青白い光を反射する もや を噴き出していた。

女「男。ここ、どこだろ。」

街の真ん中に建っている、
大きな黄色く光る文字盤のついた時計塔から目を離さずに、女は言った。

17 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:18:37.60 ID:87tC1tni0


五、民宿の主人


二人は坂を登って高いところに出た。
そして街をぐるっと一回転するように見渡してみた。
ぱっと見るとさっきまで自分たちが居たいつもの街の景色なのだが、
中心に建つ文字盤ばかり大きい時計塔やら、見たことのない建物が霧の中にたくさん混じっていた。

女「さっきまで居たところじゃないみたいだね。」

男「ほんとどこだろうな、ここ。」

とりあえず知っている場所を見てみようと、二人は男の家に向かった。
しかしそこにあったのは、二階建てのごく小さな民宿だった。

男は擦りガラスの扉をたたく。

男「ごめんください。」

返事がないのでもう二、三度たたくと、
奥から足音が近づいてきてやせた老人が扉を開けた。

18 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:22:52.03 ID:87tC1tni0

老人「はいはい、お泊りで?」

男がどう答えればいいか、自分たちに起こったことをどう説明すればいいか困っていると、老人が心得たふうに言った。

老人「ああ、ここは銀河ステーションといって、ここら一帯のほとんどの建物は、お前たちみたいな迷い込んだ人を休ませたりする施設なんだ。」

女「ステーションってことは、汽車が来るんですか。」

老人「ああ来るよ。ここに来た人らは、みんなそれに乗ってくんだ。次へ進むためにな。」

男「何時に来ますか?」

老人「次の十二時。ちょうど短い針が一週した頃だな。
   ところで二人ともずいぶん眠たそうだな。良かったら休んでいくか。
   この民宿じゃあ、汽車の時間まで泊まるだけならお代はかからないからな。」

女「ええ、いいんですか?」

老人「いいともさ。どれ、少し待ってろ。」
19 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:25:18.17 ID:87tC1tni0

老人が廊下の奥に行って見えなくなると、遠くで女の人と話しているのが聞こえた。
どちらかが何か言うと二人はこそこそと内緒話をするような声になったが、すぐに話を切り上げて老人が戻ってきた。

老人「二階の部屋をひとつあてよう。なぁに、ちゃんと仕切りがあるから大丈夫だ。
   外の空気が吸いたくなったら、屋上を開け放してあるから出てみるといい。」

男「ありがとうございます。」

女「ありがとうございまーす。」

老人「そら、ここだ。」

部屋の前まで案内して老人は階段を下りていった。

「02」と数字が彫られたプレートの貼ってある扉を開けて入ってみると、
広めの部屋が三つくらいに区切られていて、うち二つにふかふかのベッドが置いてあった。

20 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:27:56.34 ID:87tC1tni0

女「お泊まり〜!」

女は一方のベッドに仰向けになって飛び込んだと思うと、
そのまま目を閉じてすぐに寝息をたて始めた。

男もベッドに寝転がって目を閉じてみたが、少し眠ると目が覚めてしまった。
活版所を出てから変なことばかりなので、これから何かひどいことが起こるんじゃないかと、心配で胸がざわめくのだった。

男(女はもう寝てるよなぁ。)

起きて星でも見に行こうか、それとも女に声をかけようか迷いながら仕切りの引き戸を眺めていると、向こうに居る女がごろごろと戸を開けた。

女「男、起きてる?」

男「うん、起きてるよ。どうした?」

男は正直ほっとしていたが、それをごまかすために聞き返した。

女「なんか眠れなくって。」

女は困ったような顔をして笑った。
いつもまっすぐだった髪が少しはねていた。
21 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:33:44.42 ID:87tC1tni0

男「じゃあ屋上行かないか? よく晴れてるし、星の名前教えてやるよ。」

部屋を出てから向かって右の短い階段を登って屋上へ出てみると、
空の端っこの、地平線のすぐ近くまで鮮やかに輝く星たちが、街に並んだ屋根の上を覆っていた。

二人は靴を屋上の入り口に並んでいるスリッパに履き替える。
そこには物干し竿が一組並んでいて、
白いシーツが二枚と洗濯ばさみに吊るされたタオルが何枚か干してあった。

興奮した様子で座る場所を探し、
床に隣同士で腰を下ろして顔を上げる。

女「まずは、どの星座から?」

男は星を指差しながら次々と星座の見つけ方や、
星座の元になったギリシア神話を熱心に話して周った。

男「フィロメラを犯したテレウスは、口封じのためにフィロメラの舌を切り取って閉じ込めてしまったんだ。
  だからフィロメラは自身の不幸を告げる文字を長衣に織り込んで――。」

22 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:40:52.99 ID:87tC1tni0

空の隅々のことまで語り尽くすと、話すことも無いし部屋に戻って寝るような気分でもなくて、手持ち無沙汰になってしまった。
それに男はさっきからなんだか違和感があった。

男(この星空はおかしい。もうだいぶ時間がたったはずなのに、雲が一つも流れてこない。星もちっとも動いてないぞ。なら、ここは……。)

男(夜が、明けない?)

老人「お二人さん、時間だぞ。仕度をしておけ。」

ちょうど老人が二階から上がってきて、声をかけた。

23 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:42:44.35 ID:87tC1tni0



老人「駅のホームは時計塔の向かい側にある丘の上だからな。」

民宿を出る時、老人は二人を前にして言った。

老人「お前にはこれをやろう。三次空間からのおみやげだ。」

老人は四つくらいに折られた緑色の紙を男に渡した。

男「これは?」

老人「どこにでも行ける証明書だ。汽車の旅で必ず役に立つぞ。」

男「ありがとうございます。そうだ、女の分の切符は?」

老人「そっちのお嬢さんは持ってるはずだよ。よくポケットの中を探してみろ。」

女がけげんな顔をしてポケットを漁ると、小さな鼠いろの切符が出てきた。
星の明かりに透かすように眺めてみる。

女「あった。」

男と女がそれぞれの切符を大事にポケットに仕舞ったのを確認すると、
老人は改まって言った。

老人「いいか、これからも人から何かをもらうことがあるだろうが、
  物でも、愛でもいい。誰かから授かったものは最後まで大事にするんだ。
  例えばそれが、大切なものと引き換えに手に入ったものだとしてもだ。」

女「はい……心得ておきます。」

男「分かりました。それじゃあ、お世話になりました。」

二人には老人がなんのためにそんなことを言うのか分からなかったが、
心から自分たちのために心配してくれているのを感じたので、素直に従わずにはいられなかった。

24 :今日はここまで ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 03:55:04.68 ID:87tC1tni0

おれみたいなボカロ曲の方を聴いて原作を読んだって人がいっぱい集まるといいな。
続きはまた次の夜に。おやすみなさい
25 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/27(月) 23:58:10.32 ID:87tC1tni0

誰も来てないな。投下再開。
おれのSSがまとめブログに載ると信じて……!!
26 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:01:57.41 ID:bOaug2Ec0



六、天気輪の柱


牧場のうしろからはゆるい丘になっていて、その黒い平らな頂上は、北の大熊星の下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えた。
男と女は、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行く。

女「この丘って、確か天気輪の柱が立ってた所だよね?」

男「そうだな。でも今はどうなってるかなぁ。」

まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのだ。
草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、
男はケンタウル祭に持って行く烏瓜のあかりのようだとも思った。

そのまっ黒な、マツやナラの林を越えると、にわかにがらんと空がひらけて、
天の川がしらしらと南から北へ渡っているのが見え、またいただきの天気輪の柱も見わけられたのだった。
ツリガネソウか野菊かの花が、そこらいちめんに、
夢の中からでも薫りだしたというように咲き、鳥が一匹、丘の上を鳴き続けながら通って行った。
27 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:05:30.33 ID:bOaug2Ec0

ようやくてっぺんまで上りきると、平らになって開けた場所に、
100メートルほどの線路がどこかから切り取られてきたみたいに敷いてあって、
線路の隣には横長なバス停の休憩所のような、屋根のついたホームもあった。

二人はいただきの柱の下に来て、どかどかするからだを、順番につめたい草に投げた。

女「あれ、よく見たらこれ天気輪の柱じゃないよ。」

それはいつもの車輪のついている石でできた柱ではなく、黒い鉄の信号機がすきっと立ち、
頭のところに丸い電燈が二つ縦に並んで、下の一つに赤い灯りがともっていた。

男「線路の近くに立ってるから、汽車が通る目印かな。」

見下ろす街の灯りは互いに混じり合って広がり、
ぼんやりと明るい霧の上に時計塔の大きな文字盤が乗っていて、まるで雲がかかった月をすぐ間近で見ているようだった。
28 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:07:27.67 ID:bOaug2Ec0

二人が丘の上まで来たとき、時計の針は11時40分ごろを指していたが、見ているうちに長い針が一分ずつ進んで、だんだんと真上に近づいてきた。

女「12時にお迎えかぁ。灰かぶり姫みたいだね。」

風が遠くで鳴り、丘の草もしずかにそよぎ、二人の汗ばんだ上着の中もつめたく冷やされた。

男「そろそろだ。ホームに並ぼう。切符は落としてないよな?」

女「子ども扱いしなーい! もう高校生だよ?」

重たい鍵が開くような音がして、二つの針が12のところでぴったりと重なった。
29 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:09:33.11 ID:bOaug2Ec0


七、銀河ステーション


そして信号機の赤い電燈が、しばらく蛍のようにぺかぺか消えたりともったりして、一つ上にある緑の電燈に切り替わった。

すると頭の上からふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと言う声がしたと思うといきなり空が、ぱっと明るくなって、
まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、
わざと獲れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、
眼の前がさあっと明るくなって、二人は思わず目のあたりを手で覆った。

指の間から覗き込めば、空から降りてきた機関車が、箒星のように車体に霧を絡ませて、線路の上に滑り込んでいるところだった。

30 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:16:08.05 ID:bOaug2Ec0

気がついてみると、さっきから、
ごとごとごとごと、男の乗っている小さな列車が走りつづけていたのだった。
ほんとうに男は、夜の軽便鉄道の、
小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのだ。

車室の中は、青いビロードを張った腰掛けが、まるでがら明きで、向うの鼠いろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光っている。

すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、小柄な女の子が、窓から頭を出して外を見ているのに気が付いた。
そしてその女の子の肩のあたりに垂れた黒い髪が、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなった。

いきなりこっちも窓から顔を出してみると、
向かい合った女の子が驚いた顔をしてから、にこっと笑った。

それは女だったのだ。

31 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:18:01.16 ID:bOaug2Ec0

席に戻ってから男が、女、お前ずっとここに居たのと言おうと思ったとき、女が

「時間が来ちゃったのは悲しいけど、いっぱい楽しい思いもできたからいいんだよ。
これでもう、全部済ませるときなんだね。」

と言った。
男は、(そうだ、おれたちはいま、一緒に誘って故郷を出ていくところなんだ。)と思いながら、

「後悔してないか?」

と言った。すると女は

「大丈夫。そうならないように、ちゃんと準備してきたから。」

女は、なぜかそう言いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうだった。
すると男も、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持ちがしてだまってしまった。

32 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:19:11.76 ID:bOaug2Ec0

ところが女は、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢よく言った。

女「銀河ステーションのおみやげ屋に行けば、立派な鉄道の地図が貰えたんだって。
でも構わない。私たちの頭の中にはもう正確な地図が入ってるんだからね。」

男「じゃあ、今はどのへんに居る?」

女「もうじき白鳥の停車場だよ。」

地図を覚えることなんてしただろうかと男は思ったが、そう言われてみると確かに、
自分たちの居る場所がどのあたりかはっきりと分かるようだった。

女「見てよ。小石も水もすすきも、全部光ってる。」

そっちを見ると、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、
もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのだった。

33 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:21:14.42 ID:bOaug2Ec0

男「ずっと下から眺めてたのがばかみたいだ。」

男は言いながら、すっかり上機嫌になって、窓枠に頬杖をついて、高く高く星めぐりの口笛を吹きながら、その天の川の水を眺めていたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしなかった。

けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのだ。

遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或いは三角形、或いは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのだった。

男は、まるでどきどきして、景色をあますところなく見ようと何度も頭を左右に振った。
するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、流星のように、尾を引いてゆれたり震えたりした。

男「今じゃもう、すっかり銀河の真ん中だ。」

34 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:22:34.97 ID:bOaug2Ec0

男「ところでこの汽車、石炭を焚いてないなぁ。」

女「アルコールか、電気で動かしてるんでしょ。」

男「あったな、アルコールランプで走る汽車のおもちゃ。」

ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、
天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのだった。

女「ああ、花も咲いている。秋の花だね。」

女が、窓の外を指さして言った。
線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていた。

男「よし、おれがさっと下りて、一輪摘んできてやろ。」

男は胸を躍らせて言った。

女「危ないからやめなよ。もう、すぐ調子に乗るんだから。」

女が、そう言ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行った。
と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、
湧くように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのだ。

35 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:24:49.98 ID:bOaug2Ec0


八、北十字とプリシオン海岸


女「友は、元気にしてるかな。」

ふと昔のことを思い出したように、女が窓の外を見ながら言った。

男「(ああそうだ、友は、あの遠い一つのちりのように見える橙いろの三角標のあたりにいて、いまおれたちのことを考えているんだった。)」

と思いながら男は、ぼんやりしてだまっていた。

女「小学校の終わりごろだったかな。私、男とはあんまり仲良くなかったけど、
  友が間を取り持ってくれて。困ったことがあったら、なんでも友に相談してたよ。」

男「懐かしいなあ。友はおれたちよりずっとかしこいから、おれもいつも頼りにしてた。
  小学校っていうと、まだ女が髪を短くしてたときか。」

女「男も今みたいに背が高くなかったね。
  あの頃からもう活版所で働いてたから、だんだんたくましくなって、
  今じゃ他の子より大人びて見えるよ。」

男「えへへ、よせやい。」

36 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:26:22.16 ID:bOaug2Ec0

女「友はずっと変わってないね。」

男「あいつ、結構マイペースなところあるからな。
別のものに流されなくてしっかりしてて、そこがいいところなんだけど。」

男は、友がどこかでこの話を聞いて、苦笑いしたような気がした。
俄かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなった。

見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、
きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのだった。

その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、
それはもう凍った北極の雪で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのだった。

37 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:29:46.04 ID:bOaug2Ec0

「ハルレヤ、ハルレヤ。」

前からもうしろからも声が起こった。
ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、
黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の数珠をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈っているのだった。

思わず二人もまっすぐに立ちあがった。
小さな十字架が映る女の瞳は、
まるで水に浮かぶ青い一等星のようにうつくしくかがやいて見えた。

そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行った。

向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、
さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、
また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のように思われた。

それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、
白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、
じきもうずうっと遠く小さく、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまった。

男のうしろには、いつから乗っていたのか、せいの高い、黒いベールをかけたカトリック風の尼さんが、
まん円な緑の瞳を、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっちから伝わって来るのを、
つつしんで聞いているというように見えた。

旅人たちはしずかに席に戻り、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語で、そっと談し合ったのだ。

38 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:32:25.86 ID:bOaug2Ec0

男「さっきのはノーザンクロス、北十字星だ。
  夏の代表的な星座で、
  夜空に羽を広げた白鳥座の中心の辺りが、十字架の形に見えるってやつ。」

女「ノーザンクロス? サザンクロス、南十字星もあるってこと?」

男「うん、あるよ。この列車が天の川沿いをたどって行くんなら、
  そのうち見れるかも知れないな。」

女「いいなあ、楽しみ。」

男「もうじき白鳥の停車場だなぁ。」

女「うん、十一時に着くみたいだよ。」

早くも、信号機の緑の燈と、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、
それから硫黄のほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、
間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、
二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまった。

39 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:34:33.25 ID:bOaug2Ec0

さわやかな秋の時計の盤面には、
青く灼かれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指した。
みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまった。

〔二十分停車〕と時計の下に書いてあった。

男「おれたちも降りてみるか?」

女「降りよ降りよ!」

女は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行った。
後を男が追いかける。

男「ちょっと待てよ!」

ところが改札口には、明るい紫がかった電燈が、一つ点いているばかり、誰も居なかった。
そこら中を見ても、駅長や赤帽らしい人の、影もなかったのだ。

二人は、停車場の前の、
水晶細工のように見えるイチョウの木に囲まれた、小さな広場に出た。

40 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:36:50.80 ID:bOaug2Ec0

そこから幅の広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っていた。

さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えなかった。
その白い道を、女を先頭にして行くと、二人の影は、ちょうど四方に窓のある室の中の、二本の柱の影のように、また二つの車輪の輻のように幾本も幾本も四方へ出るのだった。

そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原に来た。

女は、そのきれいな砂に人差し指をうずませて、うねうねした線を描いたり、手のひらでならしたりしながら、夢のように言っているのだった。

女「知ってる? 砂ってほとんどが水晶でできてるんだって。
  あ、すごい。一粒一粒の中に火がともってる。」

男「知ってるよ。ここも同じなんだな。」

おれがここと比べたどこかって、
どんな場所だったろうと思いながら、男もぼんやり答えていた。

41 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:38:37.30 ID:bOaug2Ec0

河原のれきは、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃに曲がった地層のかけらや、また角から霧のような青白い光を出す鋼玉やらだった。

男はその渚に行って、水に手をひたした。
けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのだ。

それでもたしかに流れていたことは、男の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかった。

川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖の下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのだった。
そこに小さな五六人の人かげが、何か掘り出すか埋めるかしているらしく、立ったり屈んだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりした。

42 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:39:30.43 ID:bOaug2Ec0

男「女、あっちにも行ってみようよ。」

女「うん、ちょっと待ってて。」

まだ河原で砂をいじっている女に呼びかけると、
女は仕上げだというふうに大きく線を引く動きをして、男についてきた。

43 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:41:08.10 ID:bOaug2Ec0

その白い岩になった処の入口に、
〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物のつるつるした標札が立って、向うの渚には、
ところどころ、細い鉄の欄干も植えられ、木製のきれいなベンチも置いてあった。

女「あれ、変なのが落ちてる。」

女が、不思議そうに立ちどまって、
岩から黒い細長いさきの尖ったくるみの実のようなものをひろいあげた。

男「くるみの実だよ。ほら、岩の中にたくさん入ってる。全部化石だな。」

女「このくるみ大きいね。割って食べよっか。」

男「ばか。それより早くあそこに行って見よう。発掘作業してるみたいだよ。」

二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行った。
左手の渚には、波がやさしい稲妻のように燃えて寄せ、右手の崖には、いちめん銀や貝殻でこさえたようなすすきの穂がゆれたのだ。

44 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:42:14.17 ID:bOaug2Ec0

だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴をはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、鶴嘴をふりあげたり、スコープをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中でいろいろ指図をしていた。

「そこのその突起を壊さないように。スコープを使いたまえ、スコープを。
おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない。なぜそんな乱暴をするんだ。」

見ると、その白い柔らかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣の骨が、横に倒れて潰れたという風になって、半分以上掘り出されていた。
そして気をつけて見ると、そこらには、蹄の二つある足跡のついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてあった。

「君たちは参観かね。」

その大学士らしい人が、眼鏡をきらっとさせて、こっちを見て話しかけた。

45 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:43:43.71 ID:bOaug2Ec0

「くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。
ごく新らしい方のバタクルミというやつさ。
ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。
いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。
このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまえ。
ていねいに鑿でやってくれたまえ。
ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔はたくさん居たさ。」

男「標本にするんですか。」

「いや、証明するに要るんだ。
ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあがるけれども、
ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。
わかったかい。
けれども、おいおい。そこもスコープではいけない。そのすぐ下に肋骨が埋もれてる筈じゃないか。」

大学士はあわてて走って行った。

46 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:45:13.74 ID:bOaug2Ec0

女「いま何時?」

女が男の腕時計を覗き込みながら言った。
男も見ると、もう少しで汽車が出る時間だった。

男「ああ、ではぼくたちは失礼します。」

男は、ていねいに大学士におじぎした。

「そうですか。いや、さよなら。」

大学士は、また忙がしそうに、あちこち歩きまわって監督をはじめた。
男は、女の手を引いて、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないように走った。

そしてほんとうに、風のように走れたのだ。
息も切れず膝もあつくならなかった。
こんなにしてかけるなら、もう世界中だってかけれると、男は思った。

そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈がだんだん大きくなって、
間もなく二人は、もとの車室の席に座って、いま行って来た方を、窓から見ていた。

47 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:49:34.11 ID:bOaug2Ec0


八、鳥を捕る人


「ここへかけてもようございますか。」

がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞こえた。

それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い巾でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯のせなかのかがんだ人だった。

男「ええ、どうぞ。」

男は、端に寄って挨拶した。
その人は、ひげの中でかすかに微笑いながら荷物をゆっくり網棚にのせた。

男は、なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして、
だまって正面の時計を見ていたら、ずうっと前の方で、硝子の笛のようなものが鳴った。

48 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:50:58.00 ID:bOaug2Ec0

汽車はもう、しずかにうごいていたのだ。
車室の天上の、一つのあかりに黒い甲虫がとまってその影が大きく天井にうつっていた。

女は、なぜか先生に怒られている生徒のように、下を向いてじっとしていた。

赤ひげの人は、なにかなつかしそうにわらいながら、男や女のようすを見ていた。
汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かわるがわる窓の外から光った。

赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人に訊いた。

「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか。」

男「どこまでも行くんです。」

男は、少しきまり悪そうに答えた。

「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。」

女「どこまででもって、どこですか?」

女が、いきなり、喧嘩のようにたずねたので、男は思わずわらった。
すると、向うの席に居た、尖った帽子をかぶり、大きな鍵を腰に下げた人も、
ちらっとこっちを見てわらったので、女は顔をまっ赤にして不機嫌になってしまった。

49 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:52:36.31 ID:bOaug2Ec0

ところがその人は別に怒ったでもなく、頬をぴくぴくしながら返事した。

「乗客の行くべきところです。わっしは、鳥をつかまえる商売でね。
仕事場所に向かうときに、よくこの汽車にお世話になるんですよ。」

男「何鳥ですか。」

「鶴や雁です。さぎも白鳥もです。」

男「鶴はたくさんいますか。」

「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。」

男「いいえ。」

「いまでも聞えるじゃありませんか。そら、耳をすまして聴いてごらんなさい。」

二人は眼を挙げ、耳をすませた。
ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧くような音が聞えて来るのだった。

男「どうして鳥をとるんですか。」

「鶴ですか、それとも鷺ですか。」

男「鷺です。」

男は、どっちでもいいと思いながら答えた。

50 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:54:02.69 ID:bOaug2Ec0

「そいつはな、雑作ない。さぎというものは、みんな天の川の砂が凝って、ぼおっとできるもんですからね、
そして始終川へ帰りますからね、川原で待っていて、鷺がみんな、脚をこういう風にして下りてくるところを、
そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押えちまうんです。
するともう鷺は、かたまって安心して死んじまいます。
あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」

男「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」

「標本じゃありません。みんなたべるじゃありませんか。」

女「違うよ。」

うつむいたまま女がつぶやいた。
さっきからずっと暗い顔をしているので、男は心配だった。

51 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:55:24.29 ID:bOaug2Ec0

「違うもなにもありませんや。そら。」

その男の人は立って、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解いた。

「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」

男「ほんとうに鷺だなあ。」

男は思わず叫んだ。
まっ白な、あのさっきの北の十字架のように光る鷺のからだが、十ばかり、少しひらべったくなって、
黒い脚をちぢめて、浮彫のようにならんでいたのだ。

女は黙ったまま、指でそっと、鷺のSの字に縮んだ首にさわった。
頭の上の槍のような白い毛もちゃんとついていた。

「ね、そうでしょう。」

鳥捕りは風呂敷を重ねて、またくるくると包んで紐でくくった。
誰がいったいここらで鷺なんぞ喰べるだろうと男は思いながら訊いた。

男「鷺はおいしいんですか。」

52 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:56:58.71 ID:bOaug2Ec0

「ええ、毎日注文があります。しかし雁の方が、もっと売れます。雁の方がずっと柄がいいし、第一、手間がかかりませんからな。そら。」

鳥捕りは、また別の方の包みを解いた。
すると黄と青じろとまだらになって、なにかのあかりのようにひかる雁が、
ちょうどさっきの鷺のように、くちばしを揃えて、少し扁べったくなって、ならんでいた。

「こっちはすぐ喰べられます。どうです、少しお召しあがりなさい。」

鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっぱった。
するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれた。

「どうです。すこしたべてごらんなさい。」

鳥捕りは、それを二つにちぎってわたした。
男は、ちょっと喰べてみて、

男(なんだ、やっぱりこいつはお菓子じゃないか。
チョコレートよりも、もっと美味いけど、こんな雁が飛んでいるもんか。
この男は、どこかそこらの野原の菓子屋だ。
でもおれは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、すごく気の毒だ。)

とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていた。

53 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 00:58:39.86 ID:bOaug2Ec0

「も少しおあがりなさい。」

鳥捕りがまた包みを出した。
男は、もっとたべたかったのだが、

男「ええ、ありがとう。」

と言って遠慮したら、鳥捕りは、こんどは向うの席の、鍵をもった人に出した。

「いや、商売ものを貰っちゃすみませんな。」

その人は、帽子をとっておじきした。

「いいえ、どういたしまして。どうです、今年の渡り鳥の景気は。」

「いや、すてきなもんですよ。一昨日の第二限ころなんか、なぜ燈台の灯を、規則以外に点滅させるかって、あっちからもこっちからも、電話で故障の知らせが来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、渡り鳥どもが、まっ黒にかたまって、明かりの前を通るのですから仕方ありませんや。わたしぁ、べらぼうめ、そんな苦情は、おれのとこへ持って来たって仕方がねえや、ばさばさのマントを着て脚も口も途方もなく細い大将へやれって、こう言ってやりましたがね、はっは。」

すすきがなくなったために、向うの野原から、ぱっとあかりが射して来た。

54 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 01:01:01.80 ID:bOaug2Ec0

男「鷺の加工は大変なんですか。」

男は、自分も仕事で何か作っていたことを思い出して、
うそをついているにせよ、鳥捕りのすることが気になっていたのだ。

「時間はかかりますな。なぜならね、鷺を喰べるには、」

鳥捕りは、こっちに向き直った。

「天の川の水あかりに、十日もつるして置くかね、
そうでなけぁ、砂に三四日うずめなけぁいけないんだ。そうすると、水銀がみんな蒸発して、喰べられるようになるよ。」

女「あの! これ、ただのお菓子ですよね。」

おなじことを考えていたとみえて、女が、思い切ったというように尋ねた。
鳥捕りは、何か大へんあわてた風で、

「そうそう、ここで降りなけぁ。」

と言いながら、立って荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていた。

55 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 01:02:40.06 ID:bOaug2Ec0

男「どこに行った?」

二人が顔を見合せたら、燈台守は、にやにや笑って、少し伸びあがるようにしながら、二人の横の窓の外をのぞき込んだ。
二人もそっちを見たら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、
いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのだ。

男「あそこに行ってる。ずいぶん不思議だなあ。きっとまた鳥をつかまえるとこだ。
  汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな。」

と言った途端、がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たような鷺が、
まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞いおりて来た。

するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、
両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っ端から押えて、布の袋の中に入れるのだった。

すると鷺は、蛍のように、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、
おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのだった。

56 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 01:04:07.93 ID:bOaug2Ec0

ところが、つかまえられる鳥よりは、つかまえられないで無事に天の川の砂の上に降りるものの方が多かったのだ。

それは見ていると、足が砂へつくや否や、まるで雪の融けるように、縮まって扁べったくなって、
間もなく熔鉱炉から出た銅の汁のように、砂や砂利の上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についているのだが、
それも二三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのだった。

鳥捕りは二十匹ばかり、袋に入れてしまうと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾にあたって、死ぬときのような形をした。
と思ったら、もうそこに鳥捕りの形はなくなって、かえって、

「ああせいせいした。どうもからだにちょうど合うほど稼いでいるくらい、いいことはありませんな。」

というききおぼえのある声が、男の隣りにした。
見ると鳥捕りは、もうそこでとって来た鷺を、きちんとそろえて、一つずつ重ね直しているのだった。

男「どうやってあそこから、一瞬でここへ来たんですか。」

男が、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がしてたずねた。

「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。」

57 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 01:05:02.60 ID:bOaug2Ec0

男は、すぐ返事しようと思ったけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつかなかった。
しかし女は、何か分かっていて、それでも答えたくないような様子だった。

「ああ、遠くからですね。」

鳥捕りは、わかったというように雑作なくうなずいた。

58 :ここまで ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 01:11:55.45 ID:bOaug2Ec0

今夜はここまで。
次回の最後に、原作には無かった部分の伏線を回収していきます。

読んでくれてる人がいたらぜひ最後までお付き合いください。
おやすみなさい。
59 :ここまで ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 01:30:24.95 ID:bOaug2Ec0

念のため書くきっかけになった動画貼っとく。

ttp://www.youtube.com/watch?v=V64qv52N50k
↑なぜか削除された元動画。
 SSに出てくる「女」はこっちの後姿で出てくる女の子のイメージ。

ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm14633272
↑声もPVもめちゃかっこいい染香バージョン
60 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:28:27.12 ID:bOaug2Ec0

最後の投下です。今夜もはじまりー
61 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:31:11.38 ID:bOaug2Ec0


十、ジョバンニの切符


「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」

窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、
その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉と黄玉の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていた。

黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、
きれいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、
とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来たので、緑の中心と黄いろな明るい環とができた。

それがまただんだん横へ外れて、前のレンズの形を逆に繰り返し、とうとうすっとはなれて、
サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になった。

銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、眠っているように、しずかによこたわったのだ。

62 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:34:24.93 ID:bOaug2Ec0

男「屋根の上のは、白鳥座のくちばしの辺りにあるアルビレオって名前の二重星だ。
  望遠鏡を通さないで見るときに、
風が吹くとちろちろまたたいて、くっついたり離れたりしてるように見えるんだよ。」

「さすがお詳しい。下の建物は、水の速さをはかる器械です。水も……。」

鳥捕りが言いかけたとき、

「切符を拝見いたします。」

三人の席の横に、赤い帽子をかぶったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立っていて言った。

鳥捕りは、だまって内ポケットから、小さな紙きれを出した。
車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手を男たちの方へ出した。

男「えっ」

男は困って、もじもじしていたら、
女は、わけもないという風で、小さな鼠いろの切符を出した。

女「ほら、お爺さんからもらった紙。」

男は、すっかりあわててしまって、もしか上着のポケットにでも、入っていたかとおもいながら、
手を入れて見たら、何か大きな畳んだ紙きれにあった。
こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙だった。

63 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:36:06.58 ID:bOaug2Ec0

車掌が手を出しているもんだから何でも構わない、やっちまえと思って渡したら、車掌はまっすぐに立ち直って丁寧にそれを開いて見ていた。

そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、男はたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がした。

「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」

車掌がたずねました。

男「誰かからもらったんです。」

もう大丈夫だと安心しながら男は女の方を向いてため息をついた。

「よろしゅうございます。南十字へ着きますのは、次の第三時ころになります。」

車掌は紙を男に渡して向こうへ行った。

64 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:39:12.55 ID:bOaug2Ec0

女は、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこんだ。
男も全く早く見たかったのだ。

ところがそれはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもので、
だまって見ていると何だかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのだった。

すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように言った。

「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。
天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。
こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方大したもんですね。」

男「いや、おれたちがすごい訳じゃないですから。」

男が赤くなって答えながらそれをまた畳んで内ポケットに入れた。

男(それにしても、この人も大げさなことを言うな。
確かにここはきれいでいいところだけど、天上まで行くなんて。
天上ってのは死んだ人が行くところだぞ。)

65 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:42:01.76 ID:bOaug2Ec0

そしてきまりが悪いので女と二人、また窓の外をながめていたが、
その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかった。

女「もうじき鷲座に着くよ。」

女が向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標を見ながら言った。

男「ああ、よく覚えてるな。」

男はうわの空でこたえた。
なんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなったのだ。

鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、
ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、
もうその見ず知らずの鳥捕りのために、男の持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、
もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、
どうしてももう黙っていられなくなった。

ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊こうとして、
それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考えて振り返って見たら、そこにはもうあの鳥捕りが居なかった。

網棚の上には白い荷物も見えなかったのだ。
また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度をしているのかと思って、
急いでそっちを見たが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖った帽子も見えなかった。

66 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:44:11.20 ID:bOaug2Ec0


女「あの人のこと、何か覚えてない?」

女がずっと我慢していたように聞いた。
女こそ、あの人のこと知ってるだろと男は言いたくなったが、
どこか思い当たることがある気がしていたので、よく自分の頭の中を探ってみた。

すると男の古ぼけた記憶の中でたゆたう、大きな背中が見えた。
そしてふいに男の人が振り向くとき、
鳥捕りの顔中のひげがさっと消えて、懐かしい顔が男に優しい微笑みを向けていた。

男「あ、ああ。」

男はその顔をよく知っていた。

男「父さんだ。何で分からなかったんだろう。たった一人しか居ないおれの父さんなのに。
  おれはあの人が邪魔なような気がしたんだ。そしたら本当にどこかへ行ってしまった。
  だからおれはすごく辛い。」

今にも眼から泪がこぼれそうな男に、女はなだめるように言った。

女「たぶんここは、いろんなことを忘れさせて、
ここの世界の当たり前にすりかえる力があるんだと思うの。
だから気をしっかり持つんだよ、ジョバンニ。」

男はだまって眼をそででぬぐった。
女がこうやって励ましてくれているのに、自分が弱くてはいけないと思った。


67 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:47:29.14 ID:bOaug2Ec0

女「なんだか苹果(りんご)の匂いがする。いま甘いもの食べたいなーって思ったからかな。」

女が不思議そうにあたりを見まわした。

男「ほんとうに苹果の匂いだよ。それから野いばらの匂いもする。」

男もそこらを見たがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのだった。
秋の花が咲いていた天の川沿いで、
春か夏の花である野いばらも一緒に咲くんだろうかと男は思った。

そしたらにわかにそこに、つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子が、
赤いジャケツのぼたんもかけず、ひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていた。

隣りには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が、一ぱいに風に吹かれているけやきの木のような姿勢で、
男の子の手をしっかりひいて立っていた。

68 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:50:01.73 ID:bOaug2Ec0


「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」

青年のうしろにもひとり、十二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子が、
黒い外套を着て青年の腕にすがって、不思議そうに窓の外を見ているのだった。

「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。
わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。
わたくしたちは神さまに召されているのです。」

黒服の青年はよろこびにかがやいてその女の子に言った。
けれどもなぜかまた額に深く皺を刻んで、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子を男のとなりに座らせた。

それから女の子にやさしく女のとなりの席を指さした。
女の子は素直にそこへ座って、きちんと両手を組み合せた。

「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」

腰掛けたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に言った。
青年は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見た。

女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまった。

69 :この章に入ってからがまた長いんだよな・・・ ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 19:52:54.06 ID:bOaug2Ec0

「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。
けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。
それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。
わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、
雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたり、
ほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」

「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」

「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、
ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。
ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」

泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見た。
青年は教えるようにそっと姉弟にまた言った。

「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。
そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。
そしてわたしたちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、
心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。
さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」

青年は男の子のぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰めながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来た。

70 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:00:28.43 ID:bOaug2Ec0

「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」

さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねた。
青年はかすかにわらった。

「いえ、氷山にぶっつかって船が沈みましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で、
二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発ったのです。
私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。

ところがちょうど十二日目、今日か昨日のあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾きもう沈みかけました。
月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。

ところがボートは左舷の方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。
もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫びました。

近くの人たちはすぐみちを開いて、そして子供たちのために祈って呉れました。
けれどもそこからボートまでのところには、まだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押しのける勇気がなかったのです。
それでもわたくしは、どうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから、前にいる子供らを押しのけようとしました。

けれどもまたそんなにして助けてあげるよりは、このまま神のお前にみんなで行く方が、ほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。
それからまた、その神にそむく罪はわたくしひとりでしょって、ぜひとも助けてあげようと思いました。
けれどもどうして見ているとそれができないのでした。

子どもらばかりボートの中へはなしてやって、お母さんが狂気のようにキスを送り、
お父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなど、とてももう腸もちぎれるようでした。

そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて、
浮べるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。

誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども、滑ってずうっと向うへ行ってしまいました。
私は一生けん命で甲板の格子になったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。

どこからともなく讃美歌三二○番の合奏が聞こえてきました。
たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。

そのとき俄かに大きな音がして私たちは水に落ちました。
もう渦に入ったと思いながら、しっかりこの人たちをだいて、それからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。

この方たちのお母さんは一昨年没くなられました。
ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕いですばやく船からはなれていましたから。」

そこらから小さな祈りの声が聞え、男も女も姉弟たちのことを想って眼が熱くなった。

71 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:05:35.93 ID:bOaug2Ec0


http://www.youtube.com/watch?v=rjz609Zu7iM

賛美歌320番 主よみもとに近づかん


72 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:12:24.80 ID:bOaug2Ec0


ジョバンニの切符(中)


女「タイタニック号。」

女がぼそっとつぶやいた。

男(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。
その氷山の流れる北のはての海で、小さな救命ボートに乗って、
風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。
おれはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。
おれはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)

男は首を垂れて、すっかりふさぎ込んでしまった。

「なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、
峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

燈台守がなぐさめていた。

「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみも、みんなおぼしめしです。」

青年が祈るようにそう答えた。

73 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:17:59.03 ID:bOaug2Ec0

そしてあの姉弟はもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡っていた。
さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔らかな靴をはいていたのだ。

ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進んだ。
向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈のようだった

百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、
野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、
そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のようなものが、
かわるがわるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのだった。

じつにそのすきとおった奇麗な風は、ばらの匂でいっぱいだった。

「いかがですか。こういう苹果はおはじめてでしょう。」

向うの席の燈台看守がいつか黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝の上にかかえていた。

74 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:20:43.69 ID:bOaug2Ec0

「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」

青年はほんとうにびっくりしたらしく、燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果を、
眼を細くしたり首をまげたりしながら、われを忘れてながめていた。

「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」

青年は一つとって男たちの方をちょっと見た。

「さあ、向うのお兄さんがた。いかがですか。おとり下さい。」

男はお兄さんと呼ばれたのがほとんど初めてだったので、
びっくりしてだまっていたが女は

女「ありがとう。」

と言った。

すると青年は自分でとって一つずつ二人に送ってよこしたので男も立ってありがとうと言った。

75 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:23:12.99 ID:bOaug2Ec0

燈台看守はやっと両腕があいたのでこんどは自分で一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置いた。

「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」

青年はつくづく見ながら言った。

「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束になって居ります。
農業だってそんなに骨は折れはしません。
たいてい自分の望む種子さえ播けばひとりでにどんどんできます。
米だってパシフィック辺のように殻もないし十倍も大きくて匂もいいのです。
けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。
苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんから、みんなそのひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって、
毛あなからちらけてしまうのです。」

にわかに男の子がぱっちり眼をあいて言った。

「ああぼくいまお母さんの夢をみていたよ。
お母さんがね立派な戸棚や本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。
ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか言ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」

「その苹果がそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」

青年が言った。

76 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:25:12.02 ID:bOaug2Ec0

「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。
ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」

姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見た。
男の子はまるでパイを喰べるようにもうそれを喰べていた、また折角剥いたそのきれいな皮も、
くるくるコルク抜きのような形になって床へ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのだった。

二人はりんごを大切にポケットにしまった。

川下の向う岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、
その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何ともいえずきれいな音いろが、
とけるように浸みるように風につれて流れて来るのだった。

青年はぞくっとしてからだをふるうようにした。

だまってその譜を聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、
またまっ白な蝋のような露が、太陽の面を擦めて行くように思われた。

77 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:27:59.36 ID:bOaug2Ec0

「まあ、あの鴉。」

女のとなりのかおると呼ばれた女の子が叫んだ。

女「からすじゃないねえ。ほら、羽に白いところがある。」

女が残念そうに言うので、
男は思わず吹きだしてしまい、女の子はきまり悪そうにしていた。
まったく河原の青じろいあかりの上に、白黒の鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光を受けているのだった。

「かささぎですねえ、尾のとこに毛がぴんと延びてますから。」

男「でも、かささぎはからすの仲間なんだぞ。」

青年はとりなすように言うと、男がそうつけ加えた。

78 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:29:22.54 ID:bOaug2Ec0

向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来た。
そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた三二○番の讃美歌のふしが聞えてきた。
よほどの人数で合唱しているらしいのだった。

青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしたが思いかえしてまた座りました。
かおる子はハンケチを顔にあててしまった。

男まで何だか鼻が変になった。
けれどもいつともなく誰ともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わず男も女も一緒にうたい出したのだ。

そして青いカンランの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながら、だんだんうしろの方へ行ってしまい、
そこから流れて来るあやしい楽器の音も、もう汽車のひびきや風の音にすり耗らされてずうっとかすかになった。

79 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:32:10.52 ID:bOaug2Ec0

男「ほら、孔雀が居るよ。」

「ええたくさん居たわ。」

女の子がこたえた。

男はその小さく小さくなって、いまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上に、
さっさっと青じろく時々光って、その孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見た。

女「うにゃあーって、おもしろい鳴き声が聞こえたね。」

女がかおる子に言った。

「ええ、三十匹ぐらいはたしかに居たわ。ねこのように聞えたのはみんな孔雀よ。」

女の子が答えた。
男はにわかに何ともいえずかなしい気がして、思わず

「女、すぐにここからはねおりてどこか行こうよ。」

とこわい顔をして言おうとしたくらいだった。

80 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:34:36.47 ID:bOaug2Ec0

男「鳥が飛んで行くな。」

男が窓の外で言った。

女「どれどれ。」

女もそらを見ました。
そのとき大きなやぐらの上で、ゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気のようにふりうごかした。

するとぴたっと鳥の群は通らなくなり、それと同時にぴしゃぁんという潰れたような音が、
川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしていた。

と思ったらあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫んでいたのだ。

「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」

その声もはっきり聞えた。
それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのだ。

二人の顔を出しているまん中の窓から、
あの女の子が顔を出して美しい頬をかがやかせながらそらを仰いだ。

81 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:37:18.95 ID:bOaug2Ec0

「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」

女の子は男にはなしかけたけれども、
男はやけに大人びたしゃべり方をする子だなと思いながら

男「そうだね。」

とそらを見あげたままぶっきらぼうに言った。

女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻った。
女が気の毒そうに窓から顔を引っ込めてこちらを見ていた。

「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」

女の子がそっと女にたずねた。

女「わたり鳥が不幸にならないように導いてるんだよ。
  きっと、ああやっておけば私たちにもいいことがあるんじゃないかな。」

女が少しおぼつかなそうに、しかしはっきりと答えた。

82 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:39:17.61 ID:bOaug2Ec0

そして車の中はしぃんとなった。
男はもう頭を引っ込めたかったのだが、明るいとこへ顔を出すのがつらかったので、だまってこらえてそのまま立って口笛を吹いていた。

男(どうしておれはこんなにかなしいんだろう。
あんな小さな子に当たるようではいけない。
あそこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。
あれはほんとうにしずかでつめたい。おれはあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)

男は熱って痛いあたまを両手で押えるようにしてそっちの方を見た。

男(ほんとうにどこまでも女と一緒に行けるんだろうか。ああやっぱり不安なんだ。
ここに居る青年や姉弟なんかは海の事故にあってから来たみたいだし、
この汽車が行き着く場所がどこなのか、いまになって怖くてしょうがない。)

男の眼はまた泪でいっぱいになり、
天の川もまるで遠くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけだった。

そのとき汽車はだんだん川からはなれて崖の上を通るようになった。
向う岸もまた黒いいろの崖が川の岸を下流に下るにしたがってだんだん高くなって行くのだった。

83 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:41:35.31 ID:bOaug2Ec0

そしてちらっと大きなとうもろこしの木を見た。
その葉はぐるぐるに縮れ葉の下にはもう美しい緑いろの大きな苞が赤い毛を吐いて真珠のような実もちらっと見えたのだった。

それはだんだん数を増して来て、もういまは列のように崖と線路との間にならび、
思わず男が窓から顔を引っ込めて向う側の窓を見たときは、
美しいそらの野原の地平線のはてまで、その大きなとうもろこしの木が、ほとんどいちめんに植えられて、さやさや風にゆらぎ、
その立派なちぢれた葉のさきからは、まるでひるの間にいっぱい日光を吸った金剛石のように、
露がいっぱいについて、赤や緑やきらきら燃えて光っているのだった。

女が

女「あのとうもろこし美味しそう。男、ちょっと取ってくるから見ててよ。」

と冗談を言ったけれども男はどうしても気持がなおらないから、ただぶっきらぼうに野原を見たまま

男「無理だよ。」

と答えた。

そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかの信号機とてんてつ器の灯を過ぎ小さな停車場にとまった。

その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示し、その振子は風もなくなり、汽車もうごかず、
しずかなしずかな野原のなかにカチッカチッと正しく時を刻んで行くのだった。

84 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:44:16.68 ID:bOaug2Ec0

そしてまったくその振子の音のたえまを遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のように流れて来るのだった。

「新世界交響楽だわ。」

姉がひとりごとのようにこっちを見ながらそっと言った。
全くもう車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰もみんなやさしい夢を見ているのだった。

男(こんなしずかないいとこでおれはどうしてもっと愉快になれないんだろう。
女だっておれを笑わせようと努力してくれてるのに。
このままじゃいけない。もう小さいころのおれじゃないんだから、
ひとりでも立ち直れるようにならないと。)

男はまた窓枠から身を乗り出して、火照った顔に風を当てようとした。
そこで汽車が止まっていることに気づいて、早く動けと男は願った。

すきとおった硝子のような笛が鳴って汽車はしずかに動き出し、
女もさびしそうに口笛で真似しながらずっと男のことを見ていた。

85 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:46:07.38 ID:bOaug2Ec0

「ええ、ええ、もうこの辺はひどい高原ですから。」

うしろの方で誰かとしよりらしい人のいま眼がさめたという風ではきはき談している声がして、男はやっと頭をひっこめた。

「とうもろこしだって棒で二尺も孔をあけておいてそこへ播かないと生えないんです。」

「そうですか。川まではよほどありましょうかねえ、」

「ええええ河までは二千尺から六千尺あります。もうまるでひどい峡谷になっているんです。」

そうそうここはコロラドの高原じゃなかったろうか、男は思わずそう頭に浮かんだ。

女がこっちを向いて、もういちど汽笛を真似てぴゅるうっとなさけなく吹くと、
ようやく男は笑顔を見せた。

女の子はまるで絹で包んだ苹果のような顔いろをしてそんな二人を見ているのだった。

86 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:47:51.86 ID:bOaug2Ec0

突然とうもろこしがなくなって巨きな黒い野原がいっぱいにひらけた。
新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてから湧き、そのまっ黒な野原のなかを一人のインデアンが、
白い鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕と胸にかざり、小さな弓に矢を番えて一目散に汽車を追って来るのだった。

「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。ごらんなさい。」

黒服の青年も眼をさました。男も女も立ちあがった。

男「ほんとうだ。インデアン座だよ、すごく新しい星座だ。」

男は興奮して言った。

「走って来るわ、あら、走って来るわ。追いかけているんでしょう。」

「いいえ、汽車を追ってるんじゃないんですよ。猟をするか踊るかしてるんですよ。」

青年はいまどこに居るか忘れたという風にポケットに手を入れて立ちながら言った。

87 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:49:38.79 ID:bOaug2Ec0

まったくインデアンは半分は踊っているようだった。
第一かけるにしても足のふみようがもっと上手くとれば本気にもなれそうだった。

にわかにくっきり白いその羽根は前の方へ倒れるようになり、インデアンはぴたっと立ちどまってすばやく弓を空にひいた。

そこから一羽の鶴がふらふらと落ちて来て、また走り出したインデアンの大きくひろげた両手に落ちこんだ。
インデアンはうれしそうに立ってわらった。

そしてその鶴をもってこっちを見ている影ももうどんどん小さく遠くなり、
電信柱の絶縁体がきらっきらっと続いて二つばかり光って、
またとうもろこしの林になってしまった。

88 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:51:17.75 ID:bOaug2Ec0

こっち側の窓を見ると汽車はほんとうに高い高い崖の上を走っていて、
その谷の底には川がやっぱり幅ひろく明るく流れていたのだ。

「ええ、もうこの辺から下りです。
何せこんどは一ぺんにあの水面までおりて行くんですから容易じゃありません。
この傾斜があるもんですから汽車は決して向うからこっちへは来ないんです。
そら、もうだんだん早くなったでしょう。」

さっきの老人らしい声が言った。

どんどんどんどん汽車は降りて行った。
崖のはじに鉄道がかかるときは川が明るく下にのぞけたのだ。
男はだんだんこころもちが明るくなって来た。

89 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 20:52:30.57 ID:bOaug2Ec0

汽車が小さな小屋の前を通ってその前にしょんぼりひとりの子供が立ってこっちを見ているときなどは、思わずおおいと叫んで励ました。

どんどんどんどん汽車は走って行った。

室中のひとたちは半分うしろの方へ倒れるようになりながら腰掛にしっかりしがみついていた。
男は思わず女とわらった。

もうそして天の川は汽車のすぐ横手をいままでよほど激しく流れて来たらしくときどきちらちら光ってながれているのだった。
うすあかい河原なでしこの花があちこち咲いていた。

汽車はようやく落ち着いたようにゆっくりと走っていた。
向うとこっちの岸に星のかたちとつるはしを書いた旗がたっていた。

90 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:17:09.99 ID:bOaug2Ec0

男「あれ何の旗だろうな。」

男がやっとものを言った。

女「ううん、なんだろう。あんな星座知らない。舟が浮かんでるねえ。」

男「ああ。」

「橋を架けるとこじゃないんでしょうか。」

女の子が云いました。

男「あああれ工兵の旗だね。架橋演習をしてるんだ。でも兵隊のすがたが見えないな。」

その時向う岸ちかくの少し下流の方で見えない天の川の水がぎらっと光って柱のように高くはねあがりどぉと烈しい音がした。

女「わ、爆発したよ。すごい、すごい。」

女はこおどりした。

その柱のようになった水は見えなくなり大きな鮭や鱒がきらっきらっと白く腹を光らせて空中に抛り出されて円い輪を描いてまた水に落ちた。
男はもうはねあがりたいくらい気持が軽くなって言った。

91 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:18:11.92 ID:bOaug2Ec0

男「空の工兵大隊だ。いまの見たか、
ますやなにかがまるでこんなになってはねあげられたな。
おれこんな愉快な旅はしたことない。いいなあ。」

女「あれが発破漁っていうのかな。
一回であれだけ飛んだんだから、まだ水の中にたくさんいるよ。」

「小さなお魚もいるんでしょうか。」

女の子が談につり込まれて言った。

男「居るだろうね。大きなのが居るんだから小さいのもいるだろ。
でも遠くだからいま小さいのが見えなかったなあ。」

男はもうすっかり機嫌が直って面白そうにわらって女の子に答えた。

「あれきっと双子のお星さまのお宮だよ。」

男の子がいきなり窓の外をさして叫んだ。
右手の低い丘の上に小さな水晶ででもこさえたような二つのお宮がならんで立っていた。

92 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:19:02.12 ID:bOaug2Ec0

男「双子のお星さまのお宮って何だ?」

「あたし前になんべんもお母さんから聴いたわ。ちゃんと小さな水晶のお宮で二つならんでいるからきっとそうだわ。」

男「はなしてごらん。双子のお星さまが何したっての。」

「ぼくも知ってらい。双子のお星さまが野原へ遊びにでてからすと喧嘩したんだろう。」

「そうじゃないわよ。あのね、天の川の岸にね、おっかさんお話なすったわ、……」

「それから彗星がギーギーフーギーギーフーて云って来たねえ。」

「いやだわターちゃんそうじゃないわよ。それはべつの方だわ。」

「するとあすこにいま笛を吹いて居るんだろうか。」

「いま海へ行ってらあ。」

「いけないわよ。もう海からあがっていらっしゃったのよ。」

「そうそう。ぼく知ってらあ、ぼくおはなししよう。」

93 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:23:50.54 ID:bOaug2Ec0


ジョバンニの切符(後)


川の向う岸がにわかに赤くなった。
楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のように赤く光った。

まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうだった。
ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えているのだった。

女「あれきれいだね。たしかオリオンを倒して星座にしてもらった、ええと」

男「さそり座だな。じゃああの赤い火は、アンタレスか。」

「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」

男「蝎の火ってなんだ?」

「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」

男「何か悪さでもしたのか?」

94 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:25:28.83 ID:bOaug2Ec0

「いいえ、蠍はいい虫だわ。」

男「でも、ずっと燃やされてたら苦しいじゃんか。」

「そうね。だけどいい虫だわ、お父さんこう言ったのよ。
むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。

するとある日いたちに見附かって食べられそうになったんですって。
さそりは一生けん命遁げて遁げたけどとうとういたちに押えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。

そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、

ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、
そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。

どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちにくれてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。
って言ったというの。

そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。
いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。ほんとうにあの火それだわ。」

95 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:27:42.36 ID:bOaug2Ec0

女「ねえ見て、三角漂がさそり座の並びかたとそっくり同じだよ。」

男はまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見た。
そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのだ。

その火がだんだんうしろの方になるにつれて、みんなは何とも言えずにぎやかなさまざまの楽の音や草花の匂のようなもの口笛や人々のざわざわいう声やらを聞いた。
それはもうじきちかくに町か何かがあって、そこにお祭でもあるというような気がするのだった。

「ケンタウル露をふらせ。」

いきなりいままで眠っていた男のとなりの男の子が向うの窓を見ながら叫んでいた。

ああそこにはクリスマストリイのようにまっ青な唐檜かもみの木がたってその中にはたくさんのたくさんの豆電燈がまるで千の蛍でも集ったようについていた。

男「おい、ここって、もしかして」

女「ケンタウルの村! ほんとうにあったんだ。」

女が感極まって言った。

96 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:29:35.32 ID:bOaug2Ec0


※ここは原作では原稿が残っていない部分なので、
 「」の左側に全員の名前がついてる辺りまではおれの想像です。

97 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:32:42.76 ID:bOaug2Ec0

青年「ケンタウル村の伝説、ご存知なんですか。」

女「ええ、私たちの住んでたところにも、ケンタウル祭っていう銀河のお祭りがあって。」

かおる子「ケンタウル村のことは、家庭教師のお兄さんが教えてくれたわ。」

男「あなたが?」

青年「子供たちから星の物語をたくさん教わったので、お返しにひとつわたくしの知っているお話を教えたんです。」

タダシ「もう一度はなししてよ。お兄さんの話おもしろいんだ。」

男「いいですね。どうぞ、聴かせてください。」

青年「では、おはなしします。
馬と人の間に産まれたケンタウルは、半人半馬な自分の姿が嫌いでした。
人に会えば槍を持って追い立てられますし、馬に会えば一目散に逃げられてしまうからです。
だからケンタウルは、深い森の中、人も馬も滅多に来ないところで過ごしていました。
そこへとある農家の娘が迷い込みました。
馬だって人だっていつも見慣れている娘は、
うろたえるケンタウルの背に飛び乗って走るようにせがみます。

ケンタウルは娘を背中に乗せてどこまでも走れる馬の足と、娘を抱きしめられる人の両腕が好きになっていきました。
いつしか二人は恋に落ちて、そしてケンタウルは気付きます。
自分の姿は誰のものでもない、父と母の特別な愛によって生まれたものなのだと。

そしてある年にひどい干ばつに見舞われました。
娘は喉がかわいてだんだん弱っていきましたし、
たくさんの家族が大切な誰かを次々と亡くしていくのをケンタウルは悲しみました。

そこでケンタウルはぐっと大地に馬の足を踏みしめますと、高く高く天まで飛び上がりました。
そして、そこにいた雨の神さまを、人の手で思いきりたたきました。
神さまの眼からは大粒の泪がこぼれ落ちて地上は潤いましたが、ケンタウルは神さまの怒りを買ってころされてしまいました。

天に昇ってもまた娘に会いたいと願ったケンタウルは、天上に一番近いところに村を作り、
娘がいつやってきてもすぐに分かるようにケンタウル村と名付けたということです。」

98 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:33:59.38 ID:bOaug2Ec0

かおる子「ケンタウルは、娘に会えたんでしょうか。」

女「心配ないよ。あんなに飾り付けて賑やかにしてるから、すぐ分かったもん。」

タダシ「ケンタウル露をふらせ!」

男「ケンタウル露をふらせ。」

男の子が叫んだのと、男がなんとなくつぶやいたのが重なって、
二人はにやにやしながら顔を見合わせた。

男「今度どこかで会えたら、一緒に遊ぼうか。」

青年「いいですね。そのときはこの子らを、よろしくお願いします。」

女「あなたも一緒に遊ぶんですよ。」

男「ははは、みんなで輪になって、ボール投げでもするか。」

小さい子や青年と、いろんな年の集まりでひとつの広場にいるところを想像すると、
男はなんだかとても愉快だった。

99 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:35:06.82 ID:bOaug2Ec0


「ボール投げなら僕決してはずさない。」

男の子が大威張りで言った。

「もうじきサウザンクロスです。おりる支度をして下さい。」

青年がみんなに言った。

「僕もう少し汽車へ乗ってるんだよ。」

男の子がいった。

女のとなりの女の子はそわそわ立って支度をはじめたけれども、やっぱり男たちとわかれたくないようなようすだった。

「ここでおりなけぁいけないのです。」

青年はきちっと口を結んで男の子を見おろしながら言った。

「嫌だい。僕もう少し汽車へ乗ってから行くんだい。」
100 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:39:11.87 ID:bOaug2Ec0

男がこらえ兼ねて言った。

男「おれたちと一緒に乗って行こう。おれたちどこまでだって行ける切符を持ってるんだ。」

「だけどあたしたちもうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから。」

女の子がさびしそうに言った。

男「待ってよ。ほんとうに天上に行くのか。」

男はさあっと血の気が引くようだった。
今までずっと心配だったことの正体が、やっと姿を現したように感じた。

男が女の方を見ると、女ははっとして眼をそらした。
101 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:41:25.79 ID:bOaug2Ec0

「天上はいいところよ。
だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰っしゃるんだわ。」

男「そんな神さまうその神さまだ。」

「あなたの神さまうその神さまよ。」

男「そうじゃないよ。」

「あなたの神さまってどんな神さまですか。」

青年は笑いながら言った。

男「ごめんなさい、おれほんとうはちょっと遠くの方まで出掛けるんだと思ってずっとこの汽車に乗ってて、
  いきなり天上だの神様だの言われてびっくりしたんです。」

青年「それは大変でしたね。でも神さまはたった一人、ほんとうにいらっしゃいますよ。」

男「ああ、おれも神さまはいると思います。
  ただ、たった一人なんでなくて、
  いろんな人がそれぞれ信じている、もしかしたら星の数くらいの。」

102 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:44:14.96 ID:bOaug2Ec0

青年「そうかも知れませんね。
わたくしはあなた方がいまにその中の一人、神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります。」

青年はつつましく両手を組んだ。女の子もちょうどその通りにした。
みんなほんとうに別れが惜しそうでその顔いろも少し青ざめて見えた。

男はあぶなく泣き出しそうになって、右手で口元を押さえた。

「さあもう支度はいいんですか。じきサウザンクロスですから。」

ああそのときだった。
見えない天の川のずうっと川下に、青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架が、
まるで一本の木という風に川の中から立ってかがやき、その上には青じろい雲がまるい環になって後光のようにかかっているのだった。

汽車の中がまるでざわざわした。
みんなあの北の十字のときのようにまっすぐに立ってお祈りをはじめた。

あっちにもこっちにも、子供が瓜に飛びついたときのような、
よろこびの声や何とも言いようない深いつつましいためいきの音ばかりきこえた。
そしてだんだん十字架は窓の正面になり、
あの苹果の肉のような青じろい環の雲もゆるやかにゆるやかに取り巻いているのが見えた。

103 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:46:28.37 ID:bOaug2Ec0

「ハルレヤハルレヤ。」

明るくたのしくみんなの声はひびき、みんなはそのそらの遠くからつめたいそらの遠くから、
すきとおった何とも言えずさわやかなラッパの声をきいた。
そしてたくさんの信号機や電燈の灯のなかを、汽車はだんだんゆるやかになり、とうとう十字架のちょうどま向いに行ってすっかりとまった。

「さあ、下りるんですよ。」

青年は男の子の手をひきだんだん向うの出口の方へ歩き出した。

「じゃあさよなら。」

女の子がふりかえって二人に言った。

男「さよなら。」

男は声がふるえるのをこらえて怒ったようにぶっきらぼうに言った。

104 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:47:49.77 ID:bOaug2Ec0

女の子はいかにもつらそうに眼を大きくして、もう一度こっちをふりかえってそれからあとはもうだまって出て行ってしまった。
汽車の中はもう半分以上も空いてしまい、にわかにがらんとしてさびしくなり、風がいっぱいに吹き込んだ。

そして見ているとみんなはつつましく列を組んで、あの十字架の前の天の川のなぎさにひざまずいていた。
そしてその見えない天の川の水をわたって、ひとりの神々しい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見た。

けれどもそのときはもう硝子の呼子は鳴らされ、
汽車はうごき出したと思ううちに銀いろの霧が、川下の方からすうっと流れて来て、もうそっちは何も見えなくなった。

ただたくさんのくるみの木が葉をさんさんと光らして、
その霧の中に立ち黄金の円光をもった電気栗鼠が、可愛い顔をその中からちらちらのぞいているだけだった。

105 :ピカチュウは賢治が考えた説↑ ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:50:22.52 ID:bOaug2Ec0

そのときすうっと霧がはれかかった。
どこかへ行く街道らしく小さな電燈の一列についた通りがあった。
それはしばらく線路に沿って進んでいた。

そして二人がそのあかりの前を通って行くときは、
その小さな豆いろの火はちょうど挨拶でもするようにぽかっと消え、二人が過ぎて行くときまた点くのだった。

ふりかえって見るとさっきの十字架はすっかり小さくなってしまい、ほんとうにもうそのまま胸にも吊されそうになり、
さっきの女の子や青年たちがその前の白い渚にまだひざまずいているのか、それともどこか方角もわからないその天上へ行ったのか、
ぼんやりして見分けられなかった。

106 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:52:42.34 ID:bOaug2Ec0

男はああと深く息をした。

男「女、おれはもうあのさそりのように、ほんとうにみんなの幸のためなら、
おれのからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

女「私だってそうだよ。」

女の眼にはきれいな泪がうかんでいた。

男「こうなったらおれたち、どこまでも行こうな。
  天上でも神さまのもとでも、喜んで行こう。
お爺さんにもらった切符で、どこでも好きなところに行けるんだ。」

女「だめだよ。一緒には行けない。」

いきなり女が冷たく突き放すように言った。
男は女も当然おなじ気持ちだと思っていたのでびっくりした。

107 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:54:31.01 ID:bOaug2Ec0

男「なんでだよ。」

女「この汽車に乗ることになったのは、たぶん私への報いだから。」

そう言って女は申し訳なさそうに下を向いてしまった。

男「なぁ女、ずっと前から何か隠してるんだろ。
  もったいぶらずに全部話してくれよ。」


ジョバンニ「友達だろ、ザネリ。」

ザネリ「……。」


108 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:56:05.41 ID:bOaug2Ec0


十一、ザネリの切符


ザネリ「本当はね、友は、カムパネルラは小学生の時に死んでるんだよ。」

ジョバンニ「どういうこと?」

ザネリ「ケンタウル祭の夜に、子供たちがボートに乗って川を下るでしょ?
    あの時に私は、カムパネルラを一緒に乗るよう誘ったんだ。」

109 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:57:53.67 ID:bOaug2Ec0

*   *   *

ジョバンニをどうやって友達の輪の中に入れようか、
ジョバンニの親友のカムパネルラに相談しようと思ったんだ。

ジョバンニのことは子供なのに自分で働いてて偉いなと思って、気になってた。
でもいざ目の前にすると、つい悪口を言ったりからかったりしてしまった。

ごめんね。あの時辛かったよね……。

たぶん、あの時の私に罪悪感なんてなかった。
かわいそうだから友達に入れてやろうなんて、上から見て考えてたかも知れない。

それで二人でボートに乗ってしばらくたった時、カムパネルラは言ったんだ。

「今日誘ったのは、ジョバンニのことで話があるからだろう?」

「うん、どうやったらジョバンニを友達に入れられるかって思って!」


「……よく言うよ。」


心臓がどきりと跳ね上がった。
その一言で初めて、悪いことをしていたと自覚したんだ。
口が渇いて、体が重くなった。

110 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 21:59:33.14 ID:bOaug2Ec0

踏みとどまろうとボートのふちに手を置こうとしたけど、
そこには何もなくて、

「あっ」

落ちていく腕に引きずられるように、私はそのまま川に落ちた。

―ガボン―

「ザネリ!!」

カムパネルラは私を助けるために川に飛び込んだみたい。

私たちが落ちたのを見ていた子が大人を呼んで、私は岸に引き上げられた。
けどカムパネルラはどんどん流されてく。
私もずいぶん走って追いかけたけど、
そのうちにカムパネルラは暗い水の中に沈んでいった。

ジョバンニ「でも、カムパネルラはまだ生きてる。
      この前だっておれとザネリと、三人一緒に帰ったろ。」

ザネリ「私が、事故を無かったことにしたからね。」

ジョバンニ「無かったことって……そんなこと出来るのかよ。」

ザネリ「うん。じゃあ、そうなるまでの話をするね。」

111 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:01:04.95 ID:bOaug2Ec0

カムパネルラが亡くなってから、
私の周りの友達はだんだんよそよそしくなって、離れていった。
私の不注意で川に落ちなければ、あの事故は起きなかったから。
カムパネルラが死んだ原因みたいな人と友達でいるのは嫌だったんだろうね。

そうやって私が一人で落ち込んでる時、
近くに来て励ましてくれたのはジョバンニだったよ。
幻想的な、夢のような銀河鉄道の夜の話を私に聞かせてくれた。

「カムパネルラはザネリを悪く思ってないし、何も気にすることないんだよ。」

その一言で私がジョバンニをいじめたことも許していたと分かったのは、
もうしばらく後だったな。

112 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:03:32.84 ID:bOaug2Ec0

それから私たちはたちまちに仲良くなって、
休み時間や放課後に会っては
“あの世界にあるものの正体はなんなのか”について語り合った。

神々しい白い着物の人はイエス・キリストだとか、
渡り鳥が運んでるのは人の運命だとか。

私はカムパネルラに申し訳なくて、その話をするのは気が引けたけど、
いつも、ああでもないこうでもないと言い合ううちに、気持が少し楽になった。

ジョバンニ(おれ、そんなことしてたんだ……。)

ジョバンニ「ちょっとまてよ。じゃあ今いるおれは何なんだ?」

ザネリ「川の事故も知らないし、銀河鉄道にも初めて乗ったジョバンニだよ。
    カムパネルラが生きてるってことは、
    ジョバンニが一緒に銀河鉄道に乗ることもないってことだから。」

ジョバンニ「ううん、そっか。
      じゃあわたり鳥が人の運命を運んでるって、どういうこと?」

ザネリ「古くからいろんな国で、人の魂は鳥の形をしてるって言われてたところがあるの。
    天上へ向かう鉄道で渡り鳥を導いてる人がいるなら、きっとそうだろうって思って。」

113 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:07:50.00 ID:bOaug2Ec0

ジョバンニの家に行ったらお母さんにおつかいを頼まれて、
一緒に牛乳を取りに行ったりもした。
いつも静かに笑ってる、優しい人だったな。
お父さんも、ほんとうにラッコの上着を持ってこっそり仕事から帰ってきてた。

でもジョバンニがお父さんの顔をいつもまじまじと見てるもんだから、
私が何でそんなに見てるのって聞くと、

「何でだかあの時は分からなかったけど、父さんはどう見てもあの鳥捕りだ。」

って言うんだ。
その時に私は、やってはいけないことを閃いてしまった。

鳥の一羽一羽がたくさんの人の運命や幸せでできているなら、
なんとかして捕まえればカムパネルラの運命を変えられるかも知れない。

そして幻想第四次の世界へ行くための“何か”は、鳥捕りであるジョバンニのお父さんが持っているはず。

114 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:08:57.30 ID:bOaug2Ec0

私はジョバンニの家に誰も居なくなる頃を待って、
机に置きっぱなしになっていたお父さんの鞄を漁った。

奥にまで手を入れて内ポケットを探すと、
何か四角い厚紙のようなものに触れた感触がした。

すると目の前が真っ暗になって、そこから先は何をしていたのかよく覚えてない。

ただ覚えているのは、私はすすきの原に居て、
まだ元気に光っている一羽のさぎを両手で捕まえていた。

見つめ返してくる鷺の潤んだ目。
私は顔をそむけて、鷺の細い首を……――

115 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:10:29.94 ID:bOaug2Ec0




この時のザネリのイメージにすごく近い画像を拾ったので、貼っておきますね。


116 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:15:00.56 ID:bOaug2Ec0

*   *   *

ザネリは膝の上に乗せた両手をぎゅっと握った。
口を硬く結んで、その時の手の感触を思い出しているんだろうとジョバンニは思った。

ザネリ「元の世界にもどってから確認したら、カムパネルラはちゃんと生きてた。
    事故も起きてなかった。成功したんだ。」

ジョバンニは何も言えなかった。
自分の親友の命を助けてくれた話だったが、
よくやったな、と気軽に褒めたりできるようなことではなかった。

ザネリ「でも、いつからか、私の体に変化が起きた。」

ジョバンニ「眠れなくなったのか?」

ザネリ「ううん、よく眠れたよ。
    その代わり、だんだんいくら寝ても眠れるようになって、
    起きていられる時間が短くなっていった。
    ああ、いつか二度と目覚められなくなるんだな、
    これが鳥を殺した報いなんだなって思った。
    もしかしたら、あの鳥は私自身だったのかも知れない。」

ジョバンニ「そんな……。」

117 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:19:41.38 ID:bOaug2Ec0

ザネリ「だけど、私の命だけじゃ足りないみたい。
    普通ならここらでジョバンニは消えて元の街に帰れるはずなのに、
    汽車はジョバンニを乗せたままどんどん天上へ向かってるんだ。」

ジョバンニ「そんなこといいじゃないか。このまま一緒に行こうよ。」

ザネリ「だめ。私のわがままのせいでジョバンニの命を奪うなんてできないよ。
    フィロメラから舌を切り取るようなひどいことになったって、
    ジョバンニだけは絶対に帰してあげる。」

ザネリは車掌が切れ込みをつけた切符をポケットから出し、
真ん中を両手の親指と人差し指で上からつまんだ。

ザネリ「鳥のときの感覚は覚えてるから、やり方は分かるよ。」

118 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:22:16.61 ID:bOaug2Ec0


ジョバンニ「まさか……。おい、やめろ!!」


ビリッ


119 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:25:35.00 ID:bOaug2Ec0

鼠いろの切符が半分にやぶれて、一方が燃え尽きるように光になって消えた。
そしてザネリの体が一瞬だけ、あの時の鷺のように灯って見えたが、
ジョバンニがまばたきするともう元に戻っていた。

ザネリ「きっとジョバンニのお父さんがお菓子を作って、
    これが鳥だって嘘をつくのは大切な仕事だったんだ。
    私みたいにずるしちゃう人がでてくるからね。」

ジョバンニ「もういいよ、もう、いいんだよ。」

ジョバンニは思わず席から立ち上がって、ザネリを抱きしめた。
髪からリンスのいい匂いがした。
もうこれを逃したら、二度とザネリにふれることもできないと分かったのだ。

120 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:26:59.80 ID:bOaug2Ec0

ザネリ「ねえジョバンニ。私じつは、ジョバンニのこと好きなんだ。大好きなんだ。」

ぼんやりと眠たそうにザネリが言うと、ジョバンニはいっそう強く抱きしめるのだった。

ジョバンニ「ああ、おれもだよ。大好きだ。」

ザネリ「そっか。よかったあ。
    ほんとうはね、プレゼント作ってて、それを渡すときに告白しようと思ってた。」

ジョバンニ「うん。」

ザネリ「だけど、もう、いいや。」

121 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:28:04.22 ID:bOaug2Ec0

ジョバンニはぎょっとして、ザネリから離れた。
顔があつく火照っていて、思わずジョバンニが下を向くと

ザネリ「行かなきゃ。」

ほとんど泣くようなザネリの声が聞こえた。
ジョバンニは「一緒に行くんだろ。」と言おうと思って顔を上げたが、
ザネリの座っていた席にはもうザネリの形は見えず、ただ黒いビロードばかりひかっていた。

122 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:29:46.64 ID:bOaug2Ec0

ジョバンニは座席の上にうずくまって、もう大声を出して泣いてしまおうとした。
そのとき、ひと筋の暖かい光が窓から入ってきて、ジョバンニの頬につたう泪を橙に照らした。

それは朝日だったのだ。

ジョバンニが顔を上げようとすると、汽車が大きくがたんと揺れた。
そして後ろ側を下にして、ゆっくりと下降し始めた。

辺りをきょろきょろ見渡すと、他の乗客もごっそり居なくなっていた。
窓から風が入り込んで、落ちる速度といっしょにだんだん強く吹き込んでくる。

123 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:32:43.63 ID:bOaug2Ec0

ふと目の前に、スライド写真のように別の情景が映った。

鏡に映った、伸びかけの髪を気にかけている小さな女の子。

(ザネリ……?)

ひたすら机に向かって、ノートに文字を書く右手。
ノートを閉じれば、「ジョバンニ用」と題名が書かれている。

(ああ、おれがいつも授業で寝てるから、よく教えてもらったっけ。)

ランプに照らされた、作りかけの革細工の手袋。

(これがプレゼントか。いいもの作るじゃん。)

河原の砂に線を引いた、誰かと誰かの相合傘。

(そっか、全部このためだったんだな。)

目の前がすっと開けると、向かいの黒い座席に革の手袋が一組重ねて置いてあった。
荒れ狂う風のなか、ジョバンニは急いでそれを拾い上げて、胸にぎゅっと抱きしめた。

124 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 22:34:34.26 ID:bOaug2Ec0

窓の外のずっと下では、懐かしい故郷の景色が朝焼けに染まっていた。

(ザネリ、今までほんとうに頑張ったな。)

車窓から眺めた薄色の朝焼けは、少しザネリの匂いがした。

「おやすみ。」

ジョバンニは真っ逆さまに落ちていった。

125 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 23:00:22.21 ID:bOaug2Ec0


終章、銀河鉄道は夜の街に


老人「この度は、ご愁傷様で。」

老人の友「ああ。私が不在の時にジョバンニがなんとかやりくりしてくれたおかげで、
     妻の最期まで一緒にいることができたよ。
     君には感謝してもしきれないな。」

老人「なんてことはねえ。子供の頃にしてもらったことのお返しだよ。
   だから、これでお終いだ。」

老友「なんのことだい?」

老人「ザネリの恋の相談にのってくれたことと、
   おれたちを引き合わせようとしてくれたことだ。
   手袋のプレゼントは、カムパネルラが考えたんだろ?」

老友「なんだ、うまく隠してるつもりだったのにな。
   とにかく、私たちが付き合い始める時もそうだし、
   君のおかげで妻と最期まで共に過ごすことができた。」

老友「だから分かる。独り身で過ごす一生が、どれだけ寂しいものか。
   君が、ザネリのことをどれだけ想っているのかもよく分かったよ。」

老人「百年つづけて柱に張り付けられたままほったかされたって、待っててやるさ。
   これでやっと、ザネリを探しに行ける。」

126 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 23:02:08.90 ID:bOaug2Ec0

老友「途方もない旅になりそうだな。そのときは私にも手伝わせてくれ。」

老人「いや、実はすぐにも見つかりそうなんだ。これを見てくれ。」

老友「緑色の紙に、黒い唐草模様……。」

老人「あの日の夜にもらった、どこにでも行ける特別な通行証だ。
   最近ポケットを漁ったら入ってた。
   どこで入り込んだのか、何を条件に貰えるのかは分からないが、
   これを使っておれは銀河ステーションに行こうと思う。
   そして、民宿で一度も顔を見せなかった女性に会いに行くんだ。」

127 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/28(火) 23:03:52.09 ID:bOaug2Ec0

老友「なんてことだ。こんなところで繋がっていたとは。
   でも、銀河ステーションってどうやって行くんだ?
   そこらの駅から汽車に乗って行けるものなのかい。」

老人「まどろっこしいな。もうここに呼んでしまおう。」

真っ暗な丘の頂上で、ジョバンニが手に持った紙を星空にかざすと、
見上げた二人のしわくちゃな顔がぱっと明るく照らされた。





ジョバンニ「銀河鉄道は」ザネリ「夜の街に」

(終わり)



128 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/08/28(火) 23:15:35.31 ID:CI3CRaXxo
乙です
129 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/29(水) 00:29:19.98 ID:2gQk7iGIO
つまらんかった
130 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/08/29(水) 01:00:55.46 ID:Ydq7+2QWo
意味わからんかった
131 :みの ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/29(水) 04:41:04.18 ID:xzrnE70l0
一般的な学校の夏休み(7月から8月31日まで)の間に投稿しようと思って書いてたけど、
思ったよりすごく時間がかかって終わり直前になってしまった。

銀河鉄道の夜ってこんな長かったんだ……童話だからってなめてた。

こんな長いSSを最後まで読んでくれた方も乙でした! >>128さん乙!
132 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/29(水) 08:13:40.46 ID:2gQk7iGIO
俺も読んでやったのにスルーかよ

褒めてくれる人しか相手しないとかどうなのよこいつ
133 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/08/29(水) 12:24:42.64 ID:qsKmo6m60
>>132
俺(>>130)もスルーされた
一応は全部読んだんだけどねー
134 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/08/29(水) 17:22:08.18 ID:mcGB0ZwYo
>こんな長いSSを最後まで読んでくれた方も乙でした!

ここだけじゃダメなのかよ自己顕示欲強いなお前ら
135 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/30(木) 08:43:09.85 ID:bKWdTOCDO
>>1
なんかとても懐かしい気分で読めた
136 : ◆hetalol7Bc [sage]:2012/08/30(木) 21:58:33.14 ID:JFSwDlmF0
>>132 >>133
すみませんでした。乙!
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