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藍子「セルフタイマー」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :第一章『トイカメラ』 [saga]:2013/01/03(木) 20:05:56.20 ID:ecg1BOd5o

「ちょっとお話でも、どうでしょう」

 裏通りに立ち尽くしていた男の人が、突然話しかけてきた。

 正直言って、嫌な予感しかしなかった。

 こんなところ。
 つまり、人目に付かない場所。
 どう考えたって、ナンパとかには適してない。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1357211156
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諸君、狂いたまえ。 @ 2024/04/26(金) 22:00:04.52 ID:pApquyFx0
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少し暑くて少し寒くて @ 2024/04/25(木) 23:19:25.34 ID:dTqYP2V2O
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渾沌ゴア「それでもボクはアイツを殺す」 @ 2024/04/25(木) 22:46:29.10 ID:7GVnel7qo
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二次小説の面白そうなクロス設定 @ 2024/04/25(木) 21:47:22.48 ID:xRQGcEnv0
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佐久間まゆ「犬系彼女を目指しますよぉ」 @ 2024/04/24(水) 22:44:08.58 ID:gulbWFtS0
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全レスする(´;ω;`)part56 ばばあ化気味 @ 2024/04/24(水) 20:10:08.44 ID:eOA82Cc3o
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君が望む永遠〜Latest Edition〜 @ 2024/04/24(水) 00:17:25.03 ID:IOyaeVgN0
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笑えるな 君のせいだ @ 2024/04/23(火) 19:59:42.67 ID:pUs63Qd+0
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2 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:06:33.52 ID:ecg1BOd5o

「お名前は?」

「高森藍子、と申します」

「どこか行くとこですか?」

「ただのお散歩です」

 できるだけ素っ気なく答える。

 十二月の半ばの寒さ。
 ちょうど外に出たのを後悔し始めた時だった。
3 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:07:08.41 ID:ecg1BOd5o

 訊いてもないのに、男の人はぺらぺらしゃべりだす。
 おかげで逃げるタイミングを失ってしまった。

 しぶしぶ耳を傾ける。
 もらった名刺と話を聞くに、その人はアイドルのスカウトをしてるらしい。

 実際にそんな人が存在するんだな。

 そんないい加減な感想を、私は抱いていた。
4 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:08:19.25 ID:ecg1BOd5o

「ここじゃ寒いですね。
 どこか、あたたかいところで話しましょう。
 ごちそうしますから、ね?」

 周りを見渡しながら、その人は言った。
 その誘惑と、『ね?』の力強さに押されて、私はついうなずいてしまった。
5 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:09:06.70 ID:ecg1BOd5o

 プロデューサーを名乗る人は、
とある芸能事務所の新入社員で、
スカウトをさせられている。

 ちなみに声をかけたのは私が二人だか三人目だか。

 喫茶店までの短い道のりの中、私が手に入れた情報だった。

「割と、声とかかけられたりします?」

 入った喫茶店で、プロデューサーさんは私に訊いた。

「いえ。なんでですか?」

「いや、落ち着いてるし、慣れてるのかなあって」

 落ち着いている、か。
 それが褒められているのかはよくわからないけど。
6 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:09:43.21 ID:ecg1BOd5o

「そんなことないです」ちょっと考えてから、曖昧に答える。

「そう? なら、よく話聞く気になりましたね」

「寒かったので、つい」

「寒かったから?」

「はい」

 道理で。そりゃ寒いもんなあ。
 
 砕けた口調で、プロデューサーさんも苦笑を漏らした。
 私もそれにつられて、小さく笑みを浮かべた。
7 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:10:22.23 ID:ecg1BOd5o

 それから先は、芸能界や、その事務所に関する説明をされた。
 とにかく、美辞麗句の連発。

 新人の人にしては、話が上手だなあと思った。

 おおかた、マニュアルでもあるんだろう。
 そう思わせるような説明が、十五分ほど続いた。

 全部しゃべり終わった後、プロデューサーさんはコーヒーを一度混ぜると、頬杖をつきながら言った

「まあ、俺もよくわかんないんだけどね」

「無責任なんですね」

 呆れながら、カフェモカをすする。
8 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:11:31.03 ID:ecg1BOd5o

「まあ、事実ですから」

 開き直ったように、プロデューサーさんは、はっきりと言った。

 その顔がおかしくて、私は少し笑った。
 プロデューサーさんも、肩をすくめて笑っていた。
 
 どこかで聞いたような洋楽と、ほかのお客さんの話し声が混じり合う。
 なんとなく、その音が私の背中を押してくれた気がした。

「あの」

「はい」

「もし、もしですよ?
 私が、やるって言ったら、応援してくれますか?」

 それから少しの間があった。
 長いような短いような沈黙が流れる。
 ほんの四、五秒だったかもしれないし、もしかしたらもっと長い時間だったのかもしれない。

 私には、その沈黙がとにかく長く感じられた。
9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:12:06.92 ID:ecg1BOd5o

 プロデューサーさんは、手に取っていたカップを置くと、やたらと真面目な顔で私の目を見た。

「もちろん」

 その目の中に、私が写っている気がした。
 思わず視線を落として、私は口をもごもごさせながら言う。

「じゃあ、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 そこまで言うと、プロデューサーさんは椅子に思いきり身を預けて、やー、よかったーと天を仰いだ。

 そして、結構な量のコーヒーを、プロデューサーさんは一気に飲み干した。
 その熱さに顔をしかめていたのを、私は見逃さなかった。
10 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:14:38.26 ID:ecg1BOd5o

「それで」

 と、火傷したかもしれない舌を出し入れしながら、プロデューサーさんは続けた。

「俺、たぶん君のプロデューサーになるわけだけど、なんて呼んだらいい?」

「藍子、でお願いします」

 間髪入れずに答えてしまう。

「アイコ、ね。わかった」

 まだ私の名前の漢字を覚えてないからか、プロデューサーさんは、まるで片言のようにつぶやく。
 反芻するように、それを二、三度繰り返されたので、わけもなく、居たたまれなくなる。
 
 カフェモカを飲み込みながら、私はやり場のない視線を、減っていくカップの中に送っていた、
11 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:15:15.05 ID:ecg1BOd5o

「よし、覚えた。
 じゃあ今日はここまで。
 書類とかは後日、事務所で渡すよ。
 
 これ俺の連絡先ね。
 って言っても会社用なんだけど。

 その時になったら迎えに行くから。
 日取りと待ち合わせ場所は――」

 プロデューサーさんが段取りよく事務連絡を告げると、タイミングよくショートケーキが運ばれた。
 形のいい苺が上に乗っている。

 せっかくだし写真に残しておこう。

 そう思ってしまうのは、私の癖みたいなものだった。

 いいものを見ると、
ついカメラを取り出して、
シャッターを切らないと気が済まないのだ。
12 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:15:50.99 ID:ecg1BOd5o

「それ何?」

 興味深そうにプロデューサーさんが私の手元を覗きこむ。

「トイカメラです」

「写真好きなの?」

「はい。……よかったら後で撮ってあげましょうか?」

「いや、恥ずかしいからいいや」

 本当に照れくさそうな声だった。
 耳触りは、悪くない。
13 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:17:14.23 ID:ecg1BOd5o

「写真撮るの面白いよな」

 カメラを構えると、また声がした。

 そういえば、口調が完全に砕けきっている。
 私としても、そのほうがいいと思えたから、問題はない。

 問題だったのは、私が今、見られていることだった。

 ケーキを撮る私の様子が、しっかり見られているに違いない。
 私の視線はファインダー越しのケーキにあったけど、それがしっかりと分かった。

 かと言って、いまさら目を離すこともできず、私はそのままシャッターを切った。
14 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:17:46.31 ID:ecg1BOd5o

 それからは、他愛もない話が続く。

 好きな食べ物は?
 趣味は?
 好きな俳優は?
 愛読書は?

 そうして私たちはお互いの情報を交換し合った。

 プロデューサーさんは、いちいち大げさな反応をした。
 話してて、これつまんないだろうな、と思うことにも、感心して見せていた。

 だから、私もなるべくそれに応えるようにした。
15 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:18:18.75 ID:ecg1BOd5o

 そんな風にして、好きな動物の話もした。

 その流れで、外を歩く犬の種類あてをすることになった。

 プロデューサーさんは詳しいみたいで、私の知らないような犬種の名前をすらすら答えていた。

「あれはブルドッグですかね」

「いや、パグだ」

 三匹目にして、私はとうとう外した。
 
 どうやってもブルドッグにしか見えない。
 
 間違えた気恥ずかしさから、私がそうやって頑なに主張し続けると、

「じゃあ、それでいいよ」とプロデューサーさんは笑った。

 それを見て、私は何となく、アイドルやってみても大丈夫かな、と思ってしまった。
 新人って言ってたけど、この人はプロデューサー向きなのかもしれない。
16 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:19:15.48 ID:ecg1BOd5o

 二杯目のカフェモカを飲み干すころには、すっかり外も暗くなっていた。

「報告し忘れてた」

 プロデューサーさんは慌てて席を立つ。
 私も慌てて、バッグのファスナーを開いて、財布を取り出そうとする。

「待ってください」

「大丈夫だよ」

「でも、一応」

「これくらい、落としてもらえるさ」

 落ちる? 経費とか?

 思いながら、黙々とバッグの中を引っ掻き回す。
 すると、ポーチがこぼれ落ちた。
17 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/03(木) 20:21:16.91 ID:ecg1BOd5o

 私が固まっている間に、プロデューサーさんはそれを拾って、

「じゃ、お代は後で」

 と立ち上がると、開けっ放しのバッグの上に、ポーチを置いた。

 プロデューサーさんは、そのまま支払いを終えると、逃げるように別れを告げて、人ごみの中へと走って行った。

 その背中を見て、私はすかさずカメラを取り出す。

 そして、ろくにファインダーも覗かず、シャッターを切った。

「お代、か」

 カメラを片手に、そっとつぶやく。
 どうせ受け取ってくれないに決まってる。

 なら、この写真の現像代をお代にしよう、と私は思った。
18 : [saga]:2013/01/03(木) 20:22:30.87 ID:ecg1BOd5o

 後日、現像された写真は少しぶれてた。
 だけど、なかなか満足いく仕上がりのようにも感じられた。

 これなら、プロデューサーさんも満足してくれるに違いない。

 まあ、見せるわけないんだけどね。

 私は、その写真をアルバムの一番最後のページにそっとはさみながら、誰に見せるでもなく一人で笑った。
19 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/03(木) 20:24:50.81 ID:ecg1BOd5o
以上
書き溜め全部終わってないのに見切り発車のモバマスSS

今月かせめて来月までには完結させたいと思います
20 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/03(木) 20:51:18.58 ID:8HnilJCAO
これはと思ったら予想があたってた
藍子メインなんて珍しいし読みやすい、期待!
21 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/03(木) 21:50:46.50 ID:zgpWhkSko

期待しとく
22 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:15:42.61 ID:nS0hKkLfo
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AA禄見に行ったらAAが増えてました。やったね
23 :第二章『春』 [saga]:2013/01/09(水) 22:16:24.68 ID:nS0hKkLfo

 通いなれた写真屋さん。
 そこで証明写真を撮ってもらうのは、なかなか緊張するものだった。

 そうして私のアイドル活動がスタートした。

 握手会やサイン会。
 バレンタインにチョコを配ったり、レッスンしたり……。
 
 アイドルをするって、これでいいのかな。
 考えていても、毎日は過ぎていった。
24 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:16:59.43 ID:nS0hKkLfo

 それと、日を重ねるごとに同僚も増えていった。

 私が事務のちひろさんに、

「よくあんなにたくさん連れてこれますよね」と、訊いたら、

「なんでかしらね」

 よくわからないわ、とちひろさんは肩をすくめた。

「勧誘マニュアルとか、あるんですか?」続けて質問すると、

「ええ。あれ、私が考えたの」

 と、今度は得意げに鼻を鳴らした。

 まるでネズミ講の勧誘みたいでしたよ、とは言わなかった。
 そもそもそんなの受けたことなかったし、あったにせよ、言えるはずないよね。
25 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:17:47.99 ID:nS0hKkLfo

 それにしても、プロデューサーさんは、いろんな子を連れてきていた。
  
 中でも、身長182cmの子は、私に大いなる衝撃を与えた。
 しかも話してみると存外に常識的だったので、衝撃は余計に大きくなった。

 他にも外国の人。
 着ぐるみにくるまれた九歳児。
 きのこに対してやたら執着を見せる子……。

 例を挙げだすとキリがないし、彼女たちのことを一口に説明するのはとても難しい。

 とにかくみんな元気でまとまりがなかったのだ。

 私と違って個性的な人たち。
 私は少しうらやましく思っていた。
26 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:18:49.08 ID:nS0hKkLfo

 そんな中で、私はなぜかまとめ役みたいなポジションに収まってしまっていた。

 といっても、そこまで大したことをしてたわけじゃないけど。
 幸い、みんな話はちゃんと聞いてくれる子たちだったから、私みたいなのでもどうにかできた。

 ふらりと立ち去ろうとする子。
 隅っこでぼーっとしてる子。

 そういう子たちを引き戻して、レッスンをつつがなく終了させる。

 これが最近の私の役目だった。
27 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:19:20.53 ID:nS0hKkLfo

 嫌になったらさっさとやめちゃおうかな。

 なんて考えていた私にとって、
この立ち位置はある意味で絶妙だった。

 でもやっぱり、そういうのはガラじゃないかな、とも思っていた。
28 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:20:13.04 ID:nS0hKkLfo



 レッスンを終えると、みんなが散り散りに帰っていく。

 すでに着替えを終えた私は、菜帆ちゃんを待っていた。

 どうしたんだろ。
 着替えにしては長い。
 でも更衣室に入った時には、いなかったし。

 人影のない廊下。
 そこの硬いベンチに座っていると、菜帆ちゃんが入口の方からゆっくりと歩いてきた。
29 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:20:51.27 ID:nS0hKkLfo

「お疲れさま」

 左手で紙袋を掲げて、菜帆ちゃんが言った。

「うん、お疲れ様っ!」

「みんなは?」

「もう帰っちゃったよ」

「じゃあ、待たせちゃったかしら」

「ううん。それより、どこ行ってたの?」

 訊ねると、菜帆ちゃんは紙袋をがさごそやって、

「買ってきたの」と、あんまんを取り出した。
30 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:21:21.92 ID:nS0hKkLfo

「お一つどうぞ」

 間延びした声とあんまんが差し出される。
 勧められるがままに、私はそれを受け取った。
 
「いいの?」

 言いながら、あんまんに口をつける。

「だって藍子ちゃん、大変そうだもの」

 緩やかに微笑みながら、菜帆ちゃんも自分の分を取り出した。
31 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:21:52.25 ID:nS0hKkLfo

「仕方ないよ」

「みんな元気だものねえ」

「うん。ほんとに」

 冗談めかして笑うと、菜帆ちゃんもゆったりと笑った。
 みんなもこの人くらい落ち着きがあればいいのに。
32 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:22:26.71 ID:nS0hKkLfo

「で、どこ行くの?」

「和菓子屋さん」

「また?」

「新商品が出てたのよ」

 うっとりした目で菜帆ちゃんが言う。
 二人でお散歩していた時に見つけた和菓子屋さん。

 そこは、私たち二人の秘密の場所みたいになっていた。
33 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:22:58.10 ID:nS0hKkLfo

「確かに美味しいけど……」

「美味しいけど?」

「店員さんに顔覚えられるの、恥ずかしいなって」

「いいじゃない」

 覚えられたら、おまけしてくれるかも。
 それに、顔を覚えてもらえるのって、いいことよ。
 たくさん食べられるしね。

 菜帆ちゃんは楽しげに、そう話した。
34 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:24:36.35 ID:nS0hKkLfo

「でも、間食減らした方がいいってプロデューサーさんが」

「そうだったかしら」

「うん。私、ちゃんと聞いてたよ?」

 直接聞いたのが一回。

 聞いてくれなくて困ってるよ。
 そうプロデューサーさんが言っていたのを聞いたのが二回。

 だから、三回も聞いている。
 さすがに間違えるはずがない。

「藍子ちゃんがそう言うなら、そうよねえ」

 のんびりした調子で言うと、
菜帆ちゃんは袋からもう一つのあんまんを取り出して、
私の口に軽く押し付けた。

「それあげる。じゃ、行きましょうか」

 あの癖さえなければ、注意することもないのに。
 ため息をつくかわりに、あんまんをかみしめる。
 
 まあ、菜帆ちゃんのそういうところ、けっこううらやましいんだけどね。

 ゆっくり動く背中を、私もスローに追う。
 その間中、私の口の中はあんこで満たされていた。
35 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:25:12.65 ID:nS0hKkLfo



「これ、おいしいわあ」

 お皿の上には、白く粉がかかった豆大福が、小高く積み上げられている。
 しかもまた、あんこだし。
 美味しいからいいけど。

「本当によく食べるよね」

「だって、おいしいんだもの。仕方ないでしょう?」

 菜穂ちゃんは悪戯っぽく笑って、二つ目に手を伸ばす。

「食べすぎちゃだめだよ?」

「はーい」

 一応の警告をして、私も豆大福をつかんだ。
 ハリがあって、ずっしりと重みがあった。
36 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:25:49.10 ID:nS0hKkLfo

「でも、プロデューサーさんに怒られちゃうわねえ」

 いま思いついたような調子だった。
 それに万一そうなっても、大して困らないふうでもあった。

「プロデューサーさん、怒るの?」指先で、大福の表面を撫でながら訊ねる。

「ううん。というか、前ほど顔を見ないから」

「忙しそうだもんね」

 プロデュースしてるアイドルは、私たち二人だけじゃない。
 こうなるのも、仕方ないことなんだろう。

「いてくれたら、色々わかりやすいんだけど」

「どういうこと?」

「仕事やレッスンの出来が顔に出るじゃない、あの人」

 狭い和菓子屋さんの中で、声を潜めて笑う。
 
 レッスンや仕事終わり。
 そのたいていの場合、“あの人”はにこやかに出迎えてくれる。

 その笑顔の度合いがバロメーターになるのだ。
37 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:26:29.84 ID:nS0hKkLfo

「でも、ちょっとひどいわよね」

 それ、三つ目。
 私が言葉にする前に、菜帆ちゃんが弾むように言う。

「藍子ちゃんに、みんなの面倒見させてるんだから」

「わかってるなら手伝ってよお」

「これ食べてから、ね」

「だめ、今から」

 そう告げて、お皿を手繰り寄せる。

 菜帆ちゃんの、そんなあ、という悲鳴を無視して、
残った豆大福のうちの一つを口にした。

 下から見上げた菜帆ちゃんは、珍しく困り顔を見せている。
 その顔を見ながら、舌と上あごの間で粒あんの粒を一つ潰した。
38 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:27:09.44 ID:nS0hKkLfo

「そういえば藍子ちゃん、明日はレッスン?」

 黙ってうなずく。

「プロデューサーさんが、お迎え来てくれるんでしょ?」

 口の中をいっぱいにしたのは失敗だった。
 思いながら、もう一度うなずく。

「少しくらい文句言ったらいいんじゃない?」

 そんなこと、言わない。
 それすらできなくなったら、どうしていいかわからないし。
39 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:27:48.46 ID:nS0hKkLfo

 何か言おうと、少し身を起こす。

 すると、菜帆ちゃんの腕がさっと伸びて来た。

 おっとりとした口調とは裏腹な、機敏な動きだった。
 腕の中に収められていたお皿の中から、大福が一つ減っている。

「藍子ちゃんなら、何か言ってもばちは当たらないわよ」

 ほんとに、仕方のない子だ。

 菜帆ちゃんも、そしてたぶん、私も。
40 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:28:23.30 ID:nS0hKkLfo



「事務所というより学校。
 いや、学校っていうより動物園だよな」

「それ聞かれたら、怒られますよ?」

「知ってる」

 プロデューサーさんが私のほうを見て笑う。
41 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:29:06.91 ID:nS0hKkLfo

 レッスン帰りの車中。

 もう三月なのに、みぞれ交じりの雪が落ちてきて、ぽたぽた車体を叩いていた。

 信号が青に変わる。

「まあ、藍子だし」

 いいかな、と続けて、プロデューサーさんがハンドルを切る。
 後ろ髪とヘッドレストがこすれる音を聞きながら、カーブに任せてからだを傾ける。

 そうでもしないとエアコンの温風がかかって、余計に顔が熱くなりそうだった。

 そういえば、私のこと、しっかり呼んでくれるようになったな。

 頭の中で小さくつぶやいた。

 あのぎこちない感じも、悪くなかったんだけど。
 ふとプロデューサーさんの横顔をちらりと見ながら、そんなことを思った。
42 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:29:55.99 ID:nS0hKkLfo

「ねえ」

「うん?」

「写真撮ってあげましょうか?」

「今?」

「だって逃げられないでしょ?」

「それ、ずるいよね」とプロデューサーさんが声を弾ませた。

 えー、と笑いながら非難の声を上げる。
 私が助手席に座った時に、よくやるこのやり取り。
 決まりきったこの応酬が私は好きだった。

 もちろん写真も、撮りたかったけど。
43 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:30:38.97 ID:nS0hKkLfo

 この数か月でわかったことは、
プロデューサーさんは、
写真に入るのが本当に苦手だということだった。

 その証拠に、
私が持っているプロデューサーさんの写真は、
あの背中だけ写った一枚きり。
 
 撮ろうとすると、必ずファインダーの外に逃げてしまう。
 せっかく笑うと素敵なのに。
44 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:31:40.75 ID:nS0hKkLfo

「にしてもさ」

 さっきの話を掻き消すように、プロデューサーさんが言う。

「まとめ役とか慣れてるよね」

「そうですかね?」

「だってあいつら、俺の言うことなんて全然言うこと聞かないし」

 誰もいなくなった後部座席。
 バックミラーを通して、そこを見る顔はどこか不満げだった。

「慣れてなんか、ないです」

「そう?」

「ああいうの、あんまりしたことないですし」

 へえ、そうなのか。
 意外そうに、プロデューサーさんは言った。

「じゃあ、器用なんだな」

「器用?」

 思いがけず、ついおうむ返しに返事をしてしまう。
 何が器用なんだろう。
 私には、よくわからなかった。
45 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:32:13.36 ID:nS0hKkLfo

「まあ、助かるよ」考える私に構わず、プロデューサーさんが言う。

「でも私、それくらいしかできないんです」

「そうかな」

「そうですよ。みんな、個性的だし、何かしら特技があるし」

「そりゃ、そういうの集めたわけだし」

 私が『そういうの』に含まれてると考える。
 それはそれで、なんだか複雑だった。
46 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:33:05.20 ID:nS0hKkLfo

「でも私、普通じゃないですか?」

 プロデューサーさんは、うーん、と低くうなって、

「少なくとも奇特ではないね」と答えた。

「他の子たちと比べたら、まあ」

 私も軽く吹き出しながら返事をする。

「他の子、ねえ」

 ぼおっとしたようにつぶやいて、

「確かに個性のデパートみたいなもんだよな」と、プロデューサーさんは、ふわりと言った。

「まあ、そうですよね」

「うん、そうだね」
47 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:34:04.37 ID:nS0hKkLfo

 だけど、私は違います。

 のど元まで来た言葉は、声にならない。
 その代わり、胸の奥にずしんとのしかかった。

 窓に付いた水滴は、窓ガラスを斜めに流れる。

 流れていきながら、
止まっては揺れて、
揺れてはまた流れて、そのまま消える。

 ぼんやりしたカーラジオも、流れて消えていく。
48 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:34:30.51 ID:nS0hKkLfo

 やっぱりさ。

 と先に切り出したのは、プロデューサーさんだった。

「比べたりする?」

「……はい」

「そっか」

「はい」

 私が二回うなずくと、また会話が途切れる。

 何か言わなきゃ。
 考えているうちに、ゆっくり車が停まった。

 見渡すと家の近くまで来ている。
 にもかかわらず、プロデューサーさんは腕組みして黙ったままだった。
49 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:35:05.94 ID:nS0hKkLfo

 あの、と今度は私が先に切り出す。

「着きましたよ」

 けど、プロデューサーさんはその体勢を崩さない。

 出ていいのかな。
 それとも待った方がいいのかな。

 しばらく逡巡していたら、突然、ああ、とプロデューサーさんはため息を漏らした。
50 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:35:38.61 ID:nS0hKkLfo

「どうしたんですか?」

「いや、思いつかないなあって」

「思いつかない?」

 意味が分からずに聞き返すと、
いや、まあ、うん、
とかたどたどしい言葉を発するだけだった。

 何がだろう?

 小首をかしげる。
 そんな私をじっと見て、プロデューサーさんは、

「まあ、いっか」と開き直った様子で言った。
51 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:36:11.83 ID:nS0hKkLfo

「こんなもんだよな」

「こんなもん、ですか」

「うん、思いつけたら敏腕プロデューサーになれる」

「ビンワン?」

「うん。
 そもそも敏腕なら、車で送り迎えなんてしてないね」

 プロデューサーさんがおかしそうに笑った。

「そうかもしれないですね」よくわからなかったけど、つられて私も笑った。
52 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:36:44.60 ID:nS0hKkLfo

 敏腕なら、タクシーで帰らせてやるくらいの金はあるんだろうな。

 どうでもよさそうにつぶやいて、

「じゃ、今日のところはそんな感じで」と締めくくった。

 なので私も小さくお礼を言って、車を出ることにした。

 どーいたしまして。
 なんて声が背中越しにする。
 それを聞きながら、私はドアを閉めた。
53 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:37:19.33 ID:nS0hKkLfo

 どんどん遠のく車を見つめる。
 そこでようやく私は、プロデューサーさんの『思いつかない』の内容を思いついた。

 それで、まあ、いっかなと思ってしまった。
 こんなもんなんだ。きっと。

 車はいつしか見えなくなる。

 私は、ぼおっとそれを眺め続けていた。
54 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:38:35.54 ID:nS0hKkLfo

 不意にみぞれが顔を叩く。

 私は慌てて折り畳み傘を取り出した。

 春雨だったら、もうちょっと風情があるのに。
 頬についたみぞれを拭いながら思った。

 にしても、また、その気にさせられちゃった。

 声にして、小さくつぶやく。

 これで二度目だ。

 一度目はアイドルをする気に。
 二度目はアイドルを続ける気に。

 まあ、今のところ楽しいから、いっか。

 言い聞かせるようにして、今度は口の中でつぶやいた。

 みぞれは、ぽたぽた傘を叩く。
 そのリズムを聞きながら、私は家のほうに向かって歩き出す。
55 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:39:21.34 ID:nS0hKkLfo

 ねえ、プロデューサーさん。

 まあいっか、で済ませるのは、
ちょっとどうかと思いますよ?

 これでも一応、悩んでたんですから。

 怖かったんです、私。

 今はいいけど、みんないつかもっと忙しくなって。
 一人一人、遠くへ行っちゃって。
 そんな未来、決まってるはずないのに、わからなくて怖かったんです。
56 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:39:53.68 ID:nS0hKkLfo

 ビンワンじゃなくても、いいんです。
 送ってもらえないのは寂しいですから。

 タクシーだなんて、味気ないから。

 けど、もうちょっと頑張ってください。

 まあいっか、とか。
 そんなもんか、とか。

 あんまりですよ。

 『君はトクベツです』
 せめてそれくらい言った方がいいかもしれません。
57 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:40:30.40 ID:nS0hKkLfo

 今度同じような事したら、写真撮っちゃいますからね。
 まあ、ほんとは、そんなことしなくても、撮りたいんです。

 あなたの写真が欲しいの。
 撮らせてくれないのは、はっきり言って不満です。

 いつか必ず、撮らせてください。

 でもね、プロデューサーさん。

 あなたの写真は、まだないけれど。

 私は今日も笑顔です。
58 : [saga]:2013/01/09(水) 22:41:13.26 ID:nS0hKkLfo

 車はどこら辺まで行ったのかな。

 思いながら、遠くのプロデューサーさんに向かって、私は語りかけた。

 家までの道のりを、
ゆっくりと歩きながら、
とりとめなく、何度も何度も、語りかけた。
59 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/09(水) 22:45:09.85 ID:nS0hKkLfo
以上です
60 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 22:48:13.05 ID:nS0hKkLfo
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3827374.jpg
海老原菜帆(17)

次はまあ近いうちに
61 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/09(水) 23:18:27.74 ID:94VXQuMso
地の文が良い感じに味出してて面白かったよ。
アンニュイな藍子ちゃんはレア。続きに期待。
62 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/10(木) 00:06:59.23 ID:yEvZfcaL0
乙乙乙
面白かったです
63 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/11(金) 23:24:30.76 ID:tk/Ppi95o
いいなこれ

続き期待してます
64 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/12(土) 01:39:15.33 ID:YLqWxglb0
期待
65 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:24:36.78 ID:bj09aPZ4o

 夏だった。
 プロデューサーさんの写真は結局、撮れずじまいだった。

 むしろ、写真の枚数は減っていた。
 
 その代わりに、私たちのお仕事はだいぶ増えてきていた。 
 個別のお仕事が増えると、仕事の合間に誰かを撮ることも少なくなる。

 少しさみしかったけど、その分、負担も減った。
 いちいちまとめる必要もなくなったから。

 みんなも、写真も。
 
 まあ、あれはあれで楽しかったんだけど。
66 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:25:38.89 ID:bj09aPZ4o

「仕方ない、か」

 階段をのぼりながら、ぽつりとつぶやいた。
 みんな揃っていたほうが、やっぱり楽しい。
 けど、いつもそういう訳にもいかないんだろうな。
 
 そんなことを考えながら、いつものように事務所の扉を開けた。
 
「おはようございます!」

 中は珍しくプロデューサーさん一人だった。
 プロデューサーさんは、珍しいものを見るような顔をして、私の顔をしばらく見つめていた。
67 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:26:33.12 ID:bj09aPZ4o

「あの、お仕事」

 たまらず訊ねると、

「仕事?」

 と言ったきり、首を傾げられてしまった。

 頭の中に不安が浮かぶ。
 日取りを間違えちゃった、とか。
 そんな仕事、実はもともとなかった、とか。

 まごついていると「あー」と短く声が上がった。

「ごめん。連絡し忘れてた」

 大して悪びれず、プロデューサーさんは事情を話してくれた。

 説明を聞くに、今日はお休みになっていたらしい。
 つまり、連絡ミス。
68 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:27:03.30 ID:bj09aPZ4o

「仕方ないですね、プロデューサーさんは」

 わざとらしく口をとがらせる。
 それを見て、あはは、とプロデューサーさんが笑った。

「悪い悪い。
 次から気を付けるよ」

「悪いと思ってるなら、
 もうちょっと申し訳なさそうにしてください」

「俺、申し訳なさそうじゃなかった?」

「はい。全然」

 そっかあ。
 言われてみれば、そうかもしれないね。

 プロデューサーさんは、おかしそうに笑った。

 言われてみれば、じゃないです。
 ちゃんと、謝ってください。

 笑わずに、私は言う。

 正直言うと、別にお休みでも、構わなかったのだけど。
69 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:28:10.44 ID:bj09aPZ4o

 結局私は、プロデューサーさんに、もう一度謝らせることにした。
 でも謝るときの挙動があまりにもわざとらしくて、とうとう私は吹き出してしまった。

 ひどいね。
 ちゃんと謝ったのに。
 プロデューサーさんが不満そうに言う。

 どっちがですか。
 声を弾ませながら、訊ねる。

 藍子に決まってる。
 いいえ。プロデューサーさんの方が、ひどいです。

 肩を揺らしながら、私たちは言いあった。
70 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:29:34.65 ID:bj09aPZ4o

 悪かったし、家まで送っていくよ。
 その提案を断って、私は事務所に居座ることにした。

「ちひろさんは?」

 私が訊ねると、

「夏風邪らしい」と答えが返ってきた。

「だから事務所にいるんですね」

「まあね」
 
 それっきり、会話が途切れる。
 遠くで鳴ったクラクションが、エアコンの風の音の中に溶けていく。
71 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:30:33.95 ID:bj09aPZ4o

 そのまま突っ立ってるのもなんだったし、私は持ち主不在の席に座らせてもらうことにした。
 書類整理をするプロデューサーさんを眺めてみる。

 プロデューサーさんは、外にいることの方が多い。
 だから、事務所で机に向かっている姿というのは、どこか珍しく感じられた。

 そうしてぼんやり見つめていると、不意に目が合ってしまった。

「デスクワークってあんまり好きじゃないんだよね」と、プロデューサーさんはそのまま口を開く。

「はあ」

 私はどぎまぎしながら、たぶん、ぎこちない笑みを浮かべた。
72 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:32:30.17 ID:bj09aPZ4o

「てかさ、留守番頼める?」

 思い出したように、プロデューサーさんが勢いよく言う。
 その手の中のボールペンは、くるくるとまわされている。

「いいですけど、どちらへ?」

「文房具屋。インク切れそうでさ」

「コンビニとかじゃダメなんですか?」

「なんか、だめらしい」
 
 ちひろさんがね、と付け足して苦笑いを浮かべた。

「良かったら、行ってきますよ?」

「そういうわけにもいかないだろ」

「じゃあ、プロデューサーさんもお休みしませんか?」

 再び首をかしげるプロデューサーさんを横目に、私は最低限の荷物をバッグから取り出した。
 プロデューサーさんの手中のボールペンは、くるくるくるくる、回り続けていた。
73 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:34:12.95 ID:bj09aPZ4o



「なんかサボってるみたいだ」

「これも、お仕事のうちですよ。たぶん」

 汗を拭いながら歩くスーツの大群に紛れ込んで、私たちはお使いへと出発した。

 人垣の前のほう。
 つまり、街の向こう側がぼやけて見える。
 それくらいの暑さだった。
74 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:34:46.78 ID:bj09aPZ4o

 事務所のカギは閉めてきた。
 今日は誰かが来る予定もないらしい。

 文房具屋さんは、歩いて十分だか十五分だか。
 なんとも曖昧で頼りない情報だ。

 二人で、何人かの人を追い越しながら、歩いた。
 プロデューサーさんは、少し早足だった。

 置いて行かれそうになる。
 軽い駆け足で走る。
 これといった特徴になるものがないのが、プロデューサーさんの背中だ。
 おいて行かれたら、見つけられないかもしれない。

 少しくらい合わせてくれたって、いいのに。
 思いながらも、私はその歩調に合わせて、ずんずんと歩いた。
75 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:35:49.22 ID:bj09aPZ4o

 事務所のあるビル街を抜けると、こじんまりとした学校があった。
 そのまま歩みを進めると、郵便局や交番、公民館などが点在していた。

 二つ目の郵便局を過ぎたあたりで、プロデューサーさんが、唐突に立ち止まる。

「確か、ここらへん」

「場所覚えてないんですか?」ちょっと息を切らしながら、訊ねる。

「一度来たことあったし、平気かなって思ってたんだ」
  
 立ち上る蝉の声を聞きながら、私は汗をぬぐった。
 さっきまでのようなビルの影もなく、太陽が容赦なく私たちを照らす。

 プロデューサーさんはというと、狭い道の真ん中で、携帯片手に右往左往していた。
76 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:37:29.78 ID:bj09aPZ4o

「交番に行って、教えてもらいましょうよ」

 せっかくさっき見かけたんだし、それがいい。
 けど、プロデューサーさんの反応は鈍かった。

「迷子みたいで恥ずかしいね」

「実際、迷子みたいなものじゃないですか」

 負けじと言い返すと、プロデューサーさんは、

「確かに」と言い、元来た道をたどることになった。

 けれど、交番に行っても誰もいなかった。
 その代わり、“町内巡回中”の五文字が、時代を感じさせる木製の看板に浮かんでいた。

 私はそれを見て、がっくり肩を落とした。
 プロデューサーさんは、妙に安心したように息を吐いていた。

「ひょっとして、悪いこととか、してたんですか?」思わず訊ねてしまう。

「まさか」

 ないない、とプロデューサーさんは笑いながら、左右に手を振った。
77 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:38:37.56 ID:bj09aPZ4o

「まあ、あきらめるか」

「ダメですよ」

「なんで」

「せっかくだし、歩きたいなって」

「そんなもんかな」

「いいじゃないですか。
 私、このあたり歩くの初めてですし」

 仕方ない、という風にプロデューサーさんは肩をすくめた。
 こんな平和そうな町、巡回なんてしなくても大丈夫そうなのにな。
78 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:39:38.46 ID:bj09aPZ4o



 またしばらく歩いた。
 入ってくる風景の中には、文房具屋さんどころか、人影すらまばら。
 せいぜい見つけられたのは、猫くらい。

 そういえば、カメラ忘れちゃったな。
 そんなことを考えられないくらいには、疲れてしまっていた。

「あきらめよう」

 不意に立ち止まって、プロデューサーさんが宣言した。

「あきらめましょう」

 思わず私も、力強くうなずく。
 そして、力なく二人で笑った。
 遠くで、学校のチャイムの音が聞こえた。
79 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:41:07.84 ID:bj09aPZ4o

 疲れた。
 その言葉を繰り返しながら、私たちは自販機の脇に陣取った。

 お詫びとして、プロデューサーさんからは缶ジュースを買ってもらっていた。

 ふたを開けて、一口飲む。
 喉の奥が痛むくらいの冷たさも、今では心地よい。

「そういえば、カメラ持ってきてないね」

「置いてきちゃいました」

 そりゃラッキーだ。
 なんですかそれ。

 そんな風にして私たちは、缶の中身が空になっても、自販機の横でたくさんのことを話し続けた。

 明日には忘れてしまうような、とりとめのない話だった。

 これだけ話したのは、いつ振りだろう。
 ひょっとすると、これが初めてなのかもしれない。

 そんな、どうでもいい話が続けられた。
80 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:41:42.62 ID:bj09aPZ4o

「なんか暗くない?」

 菜帆ちゃんとケーキを食べにいった話をしていた時だった。
 プロデューサーさんは、話の腰を折るようにそう言って、辺りを見回した。

 言われてみると、確かに暗い。
 けど腕時計は、午後の二時半を指している。
81 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:42:39.09 ID:bj09aPZ4o

 遠くで雷の音が鳴った。

「藍子」

「はい」

「傘とか」

「置いてきました」

 言い終わるころに、雨がぽつぽつと降り出した。

 プロデューサーさんが、私の手を引いて走り出す。
 そのまま、数ブロック走る。
 進むにつれて、雨粒は大きくなっていった。
82 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:44:31.89 ID:bj09aPZ4o

 どうにか雨の中を潜り抜けて、看板すら掲げていないお店の軒先に入ると、

「雨宿りしてっていいよ」

 と、中のおばあさんに言われたので、私たちはそこで雨宿りをすることにした。

 プロデューサーさんは、奥に入っていくおばあさんにお礼を言うと、空を見上げてつぶやいた。

「あんま濡れなかったな」

 髪に付いた小さな水滴を払いながら、そうですねと答えた。
 大きな雨粒が、容赦なく地面を叩きつけている。

「いつ止むかな、これ」

「どうせすぐですよ」
83 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:45:19.33 ID:bj09aPZ4o

 風が吹いた。
 私の髪がなびいて、プロデューサーさんの右腕にまとわりつくように触れた。

「ごめんなさい」

 私は慌てて髪を戻す。
 でも、風は乱暴に私の髪を揺らした。

 プロデューサーさんは、その髪を手に取った。
 そのまま私に手を伸ばした。

 指先が軽く頬に触れた。

「少し、濡れてる」

 何を言っていいかわからず、私はただうつむいた。
 その間中、指先で、髪がもてあそばれている気配がした。

 嫌ではなかった。
 そうでもしないと、また同じことの繰り返しになるんだろうし。
84 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:46:49.97 ID:bj09aPZ4o

 時折、指先が頬に、耳に、触れた。

 足元で、雨がはじけて消えていく様をじっと見る。

「濡れちゃいましたね」

 強張った唇を、何とか動かすことができた。

 ようやく、何か言えた。

 一人安心していると、今度は雷が大きな音を立てた。
 思わず、びくっと身を震わせる。
85 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:47:15.37 ID:bj09aPZ4o

「怖いの、雷」

 なんてことないふうに、プロデューサーさんが訊ねる。

「雷というか、突然でしたから」

 二回、続けざまに光って、雷鳴がどん、どん、と響く。

 やっぱり怖いです。
 そう言って、プロデューサーさんの腕を取った。

 その拍子に私の髪が手放され、視界の端ではらりと揺れた。
 何度も何度も、雷が鳴る。

 手の中の腕を握る力が強くなる。
86 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:48:28.15 ID:bj09aPZ4o

「結構近いですね」

「うん」

「雷好きな人なんて、いるんですかね」

「いるんじゃない?」

「プロデューサーさんは、どうなんですか?」

「普通、かな」

「なんですか、それ」

 プロデューサーさんは、それ以上何も言わず、ただ肩を揺らすだけだった。
87 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:50:10.63 ID:bj09aPZ4o

 雷鳴が鳴る。
 少し身をすくめる。

 そのたびに、プロデューサーさんが何か言う。
 けど、雨音で聞こえない。

 私も何か言う。
 自分でもよくわからないような曖昧な言葉だったけれど、雨音と雷鳴に掻き消されて、届かない。

 そのうち私は、プロデューサーさんの腕を、もはや抱きかかえるようにしていた。

 雨が降る前までいた人たちも、どこかへと消えてしまった。

 きっと、私たちは、この町に取り残されちゃったんだ。

 そんな気分にさえなってしまっていた。
88 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:51:59.18 ID:bj09aPZ4o

 ずっと降れば、いいな。
 ふと、口走ってしまう。
 聞いてほしかったのか、聞いてほしくなかったのか。
 それすらも分からないくらいの、微妙なボリュームだった。

 そのうち止むよ、たぶん。
 平坦な声が、耳を突いた。

 聞こえちゃったんですか。
 驚いて、訊いた。

 それだけ雨が弱くなったってことじゃないかな。
 楽しそうに、プロデューサーさんは答えた。

 止まないでほしいな。
 そういうわけにもいかないよ。

 乙女心がわかってませんよ。
 そうかなあ。

 このままが、いいんです。
 それはそれで、いいかもね。

 雨は降り続ける。
 その合間に雷が、時々鳴る。
 いちいち身をこわばらせるもが面倒になって、私は肩に頭を預ける。

 空を睨んだまま、私たちはただひたすらに待っていた。
89 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:53:50.76 ID:bj09aPZ4o



「まさか行けないなんてな」

 椅子を軋ませながら、プロデューサーさんがぼやく。

「今度はちゃんと調べてから行きましょうね」

 そう言ってバッグの中を探ると、カメラが顔を覗かせた。

「チャンス、いっぱいあったのになあ」

 カメラを取り出しながらこぼす。

「そんなの、俺に限らなければ、いくらでもあるんじゃない」

 身構えながら、プロデューサーさんが恐れたような声を出す。

「だめですよ。プロデューサーさんじゃないと」

「参ったなあ」

 それから私は、事務所で何度もカメラを取り出しては、プロデューサーさんのお仕事の邪魔をした。
 プロデューサーさんは、それを出すたびに、机の下に隠れようとしたり。
 そして、両手で顔を覆ったりした。

 その動きが、やけに機敏で。
 それがやたらとおかしかったので。

 ついつい私は、何度もそれを繰り返してしまった。
90 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:54:36.10 ID:bj09aPZ4o



 家で晩御飯が出る時間に合わせて、私は帰ることにした。
 駅まで送っていく、との申し出があったので、二人で歩く。

「ひどい一日だった」

「自業自得です」

「それを言われると、きついね」

 ヒグラシの鳴き声を聞きながら、プロデューサーさんの後ろに続いた。
 水たまりを避けるため、前にならって、右に左に忙しく揺れる。

「夏だなあ」

 ヒグラシを聞いてか、プロデューサーさんが何気なしに言う。

「夏ですねえ」後ろから、私もこたえる。
91 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:56:19.74 ID:bj09aPZ4o

「迷子は、もう嫌だね」

 ため息交じりに、プロデューサーさんがこぼす。

「下調べしてからにすれば、よかったのに」

 責め立てるような調子で、私は言う。

「藍子がすぐ出たそうにしてたから」言い訳じみた声だった。

「そんなこと、ないです」

「でも、迷惑かけちゃったかな」

「私こそ、迷惑じゃなかったですか」消え入りそうな声で訊ねると、

「なにが」と不思議そうな声で逆に訊ねられた。

「なんでも、です」

「迷惑なことなんて、思い当たらないんだけど」

「だったらいいんです」

「ああ、でも写真はちょっと……」

 プロデューサーさんは頭をかきながら、天を仰いだ。
 私もつられて見上げる。
 明るい夏の夕空だった。
92 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 00:57:45.75 ID:bj09aPZ4o

 スーツの人。
 Tシャツにジーンズの若い人たち。
 いろいろな人たちが、その空の下で、忙しそうに歩いていた。

「別に、なくてもいいんじゃない。写真」

「なくちゃだめですよ」

「そう」

「プロデューサーさんじゃないと、だめです」

 言いながら、一歩前に出る。

「だめか」

「ええ」
 
 だめか。
 だめです。

 どこかふわりとしたやり取りを繰り返しながら、そのままゆっくりと肩を並べて歩いた。
93 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 01:00:04.89 ID:bj09aPZ4o

 駅が見えてくる。
 スクランブル交差点で、信号待ちをする。

 クラクションの音。
 人々のざわつき。
 信号の音。

 駅前らしい喧噪の中で、私はなんとなく、言葉をこぼした。

「覚えててくださいね、今日のこと」

「いいけど、なんで」

 戸惑ったような、声だった。

「忘れられちゃうのは、さみしいですから」

「さみしい」

 繰り返して、プロデューサーさんは、なるほど、と感心したように言った。

「それと、明日のことも」

「会わなかったら、どうするの」

「そういう時のための、写真ですっ」

 狙い澄ましたかのように告げて、私は笑った。
 プロデューサーさんは、、ひゃーと悲鳴を上げて、また天を仰いだ。
94 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 01:00:36.85 ID:bj09aPZ4o

「なんでそんなに嫌いなんですか?」

「嫌いじゃない、苦手なんだ」

「じゃあ、なんで苦手なんですか」

 なんでだろうねえ。
 わかってたら、とっくに撮られてるんじゃないかな。
 プロデューサーさんが照れたように、目を細める。
95 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 01:01:27.87 ID:bj09aPZ4o

 信号が青に変わる。
 私は一足先に、横断歩道を渡る。
 白線の上を見極めながら、とん、とん、と弾みながら、進む。

「どちらにせよ、少し時間が欲しいんだ」煮え切らない声が後ろから飛んでくる。

「なんですかそれ」振り返って、くすくす笑う。
96 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 01:02:50.47 ID:bj09aPZ4o

 渡り切ると、プロデューサーさんが小さく手をあげて、言った。

「ここまででいい?」

「ええ、ここで」私も手を振る。

「手間とらせちゃって、悪かったな」

「今度からは気を付けてくださいね」

 言い残して、駅内へと向かった。
 がやがやした人ごみの中でも、ヒグラシの鳴き声はくっきりと浮き出ている。

 その中でも、ひゃー、という悲鳴が、ヒグラシと同じくらい耳に焼き付いていた。

 思い出すたびに吹き出しちゃいそうな、そんな声。

 私はなるべく表情を崩さないようにして、改札の方へと向かった。
97 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/19(土) 01:04:41.74 ID:bj09aPZ4o
以上。
>>65に第三章『通り雨』追加で。
98 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/19(土) 02:40:45.28 ID:rfRDkg1co
99 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/19(土) 08:24:57.29 ID:RUU2kdeko
おっつし
100 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/19(土) 08:44:30.26 ID:xzKbEVNho
101 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/19(土) 11:38:18.53 ID:vhQpY4u0o
乙乙
102 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/01(金) 01:16:54.82 ID:gpjSZCIDo
生存報告
間が空いて申し訳ないです
残りは書き次第まとめて投下しようかと思ってます
103 :第四章『ラムネ』 [saga]:2013/02/04(月) 00:28:00.43 ID:D3BxFaXXo

 プロデューサーさんの様子が、おかしい。
 挙動が不審だとかそういうわけではなく、おかしい。

 何気なしに周りの子に聞いてみても、「いつも通りじゃない?」と答えられてしまう。

 でも、違う。

 本人に直接訊いてみようとも思った、
 でも、もし気を悪くされたらと考えると、なかなか踏みだせなかった。

 私がそんな違和感を覚えたのは、先週の本屋さんでのサイン会でのことだ。
104 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:28:47.72 ID:D3BxFaXXo

 サイン会、と言うと、腕が疲れるくらいなんじゃないかな。
 アイドルを始めてすぐのころは、そう思っていた。

 でも、実際はなかなかに難しいものだった。

 ファンの人が行儀よく並んでくれるか、とか。
 話しかけられたときに、うまく答えられるか、とか。
 少し怖そうな人を目の前にしてうまく笑えるか、とか。
105 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:30:31.76 ID:D3BxFaXXo

 しかも、ときどき泣きそうになるし。

 だって、あんな短い時間のために、
私なんか見るために、
わざわざ遠く来てくれる人までいるのだから。

 とにかくファンの方を身近に感じられる。
 だから、私はサイン会をするのが割と好きだった。
106 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:31:27.80 ID:D3BxFaXXo

 けれど、いいことばかりでもなかった。
 私や、私たちに興味のない人もやってくる。

 そういう人たちはサインを書くと、とくにお礼も言わず、逃げるようにして帰るのだ。

 書店の店員さんいわく、

「どうせネトオクとかに流すのよ、ああいう人は」ということらしい。

 その苦々しげな顔が、妙に印象に残っている。

 それを知っていても、私は少し落ち込んだ。

 私なんかのサインを欲しい人なんているのかな。
 ちょっとくらいはそう思っていたけれど、やはりへこんでしまった。
107 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:33:28.09 ID:D3BxFaXXo

 そんなサイン会を何度か経験した。
 でも、先週のサイン会は飛び切りに出来がよかったのだ。
 
 ファンの方のマナーもよかった。
 一人一人と、しっかり喋れた。
 それに、うまく笑えた。
 泣くのも、たぶんこらえられたように思う。

 あと、みんな私たちに興味を持っている人(そう見えただけかもしれないけど)だったのが何よりうれしかった。
108 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:34:31.56 ID:D3BxFaXXo

 私が思うに、これまでで一番のサイン会だった。

 最後の挨拶を終わらせると、私は喜び勇んで控室に戻り、プロデューサーさんを待った。
 きっと、笑って褒めてくれる。

 私はそう思っていた。
109 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:35:34.23 ID:D3BxFaXXo

「お疲れ様」

 ドアが開いて、プロデューサーさんが手をあげる。

「お疲れ様です。ねえ、今日の私、どうでした?」

 んー、と右手を顎に添え、少し考え込むようにした後、

「今までで一番だったと思う」

 と、しっかり言って、プロデューサーさんが笑った。
 でも、その笑顔がいつもと違って、少しかげって見えた。

 その後、具合悪いんですか、と訊いた。

 プロデューサーさんは、ちょっと目を丸くして、
もし具合が悪かったらちゃんと休んでるよ、と笑った。

 さっきと同じ、笑い方だった。
 私はそれ以上、何も訊けなかった。
110 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:36:42.52 ID:D3BxFaXXo



「お仕事ついて行ってもらったの、ちょっと久しぶりだったわ」

 菜帆ちゃんが、そういえば、と切り出して、突然こんなことをつぶやいた。
 秋の初めの月曜日。

 偶然、事務所で居合わせたので、
私たちは一緒に帰りながら、次のお散歩はどこに行こうか、なんて話をしていた。

「プロデューサーさん、どこか変じゃなかった?」思わず訊ねる。

「変って?」

「こう、違和感と言うか……」

「違和感、ねえ」
111 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:37:27.84 ID:D3BxFaXXo

 言ったきり、菜帆ちゃんは少し黙ってしまった。

 もしかして、何か思い出そうとしてるのかな。
 初めて同意を得られそうな気がして、耐え切れずに催促してしまう。

「なにか、ない?」

 すると菜帆ちゃんは、ああ、と手を打って

「あれ、かも」とぼんやり言った。

「あれって?」

「内緒なのよそれが」

「なんで?」
112 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:39:01.21 ID:D3BxFaXXo

「プロデューサーさんに、口止めされてるの」

「そんなあ」

 ずいぶんと落胆した声になった。
 それを聞いて、菜帆ちゃんは申し訳なさそうに、

「まあ、大したことじゃないわ」と笑った。

 隠し事は誰でも持っているものだとは思う。
 だけど、実際されてみると、少し穏やかではいられない。

「何とか教えてもらえない?」

「出来れば教えてあげたいんだけど……。
 もしバラしたら、私に食事制限と適度な運動を課してやる、って言われちゃって」

 菜帆ちゃんの目は、かなり真剣みを帯びていた。

 プロデューサーさんが菜帆ちゃんに課す“適度な運動”。
 それは、菜帆ちゃんにとって、全然“適度”ではないらしく、菜帆ちゃんはそれを恐れていた。
113 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:40:03.48 ID:D3BxFaXXo

 さすがはプロデューサーさん。
 用でもないところばかり、用意周到。
 
「なら、しょうがない、かな」

 私は菜帆ちゃんの身に起こるかもしれない災いと、私の悩みを天秤にかけて、結局菜帆ちゃんをとった。

 菜帆ちゃんは安心したように、
「よかったあ」といつもの間延びした声で息を吐いた。

 そうそう、とまた手を打って、菜帆ちゃんが喋りだす。

「そんなことより、夏祭りに行かない?」

 そんなことより、で済まされることなんだから、些細なことなのかも。
 少し安心しながら、返事をする。
114 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:41:11.96 ID:D3BxFaXXo

「夏祭り?」

「うん。あんまり規模は大きくないけど」

「その方がいいよ。人が多いと、疲れちゃうもん」

「そうよねえ」

「いつ?」

「今週の金曜。空いてる?」

「うん」

「決まりね。楽しみだわ」
115 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:42:59.34 ID:D3BxFaXXo

 金曜。
 確かお仕事も早めに終わる。
 だけどその日は、プロデューサーさんがついてくれる日だった。

「縁日って言えば綿菓子よねえ」

 あの、うっとりした眼だった。
 こうしてる時、菜帆ちゃんは大体食べ物のことを考えている。

「食べすぎちゃ、ダメだよ?」

「大丈夫、大丈夫」

 繰り返して、菜帆ちゃんはブイサインを作る。
 だけど、『大丈夫』という言葉ほど信用できないものはない。

 しっかり見張っておかなくちゃ。

「本当に、大したことじゃないから」

 別れ際、念を押すように笑って、菜帆ちゃんが手を振った。
 そう言われると、余計に気になると思いつつ、私も笑って振り返した。

 きっと、ぎこちない笑顔だったに違いない。
116 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:44:07.85 ID:D3BxFaXXo



 その次の日は、雑誌のインタビューがある日だった。
 写真集を出して、それに関する取材。
 もちろん、撮られる側で、だけど。

 それも私だけじゃなく、他の子たちも一緒に写ったもの。

 今日はその取材だった。
 一人でインタビューされるより気楽だし、私は安心していた。

 指定されたオフィスの受付で名前を告げると、中に通された。
 部屋に入れば、見知った顔がいて、きっと安心できる。

 そう思って中に入ると、意外な人物が待っていた。

 白い部屋。
 まるい机の真ん中にはお菓子がたくさん。

 そして、今日いるはずのないプロデューサーさんがいたのだ。
117 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:45:09.11 ID:D3BxFaXXo

「火曜日ですよ?」

「金曜に休みとらせてもらったんだ」

 だから、その埋め合わせ。
 ぎこちなく、プロデューサーさんは笑って言った。

 金曜に何があるの?
 一人の女の子が、勢いよく訊く。

 私用だよ、私用。
 プロデューサーさんが答える。

 私用って何さー。
 髪を揺らして、別の子が口をとがらせる。

 私もそれに加勢したかった。
 でも、なんでか出来なかった。
118 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:46:28.63 ID:D3BxFaXXo

 そうしているうちに、
インタビュアーさんたちが部屋の中に入ってきて、インタビューが始まった。

 インタビューは、
だいたい他の子たちが喋りとおしていた。

 私は無口な方ではないけど、
饒舌と言えるほど、たくさんおしゃべりする方ではないので、
どちらかというと、ありがたかった。

 ざっくり話すみんなの話に、
補足を入れながらインタビューは進んでいく。

 なんとなく、辺りを見回すと、
視界の端にプロデューサーさんがいた。
119 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:47:23.40 ID:D3BxFaXXo

 少ししゃべりすぎ。
 とでも言いたげに苦笑を浮かべている。

 やっぱり、なんか違う。

 私の戸惑いをよそにインタビューは続く。

 意気込みは、とか。
 あの場所での撮影はどうだったの、とか。
 抱負は、とか。

 そんな質問にそつなく答えて、
インタビューはあっさり終了した。

 戸惑っていても、
意外となんとかできるものなんだな。

 私は私自身に感心してしまっていた。
120 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:48:16.78 ID:D3BxFaXXo



 そして、金曜日が来た。
 プロデューサーさんのいない現場。

 いなくたって別にいいもん。
 なんて思って、映画の撮影をこなした。

 そしたら、なんか今日は良かったよ、とか。
 ああいうのもできるんだね、とか。

 顔見知りのスタッフさんたちは口々にそう言った。

 なので私は複雑な気分で、現場を後にすることになってしまった。
121 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:49:05.04 ID:D3BxFaXXo

「藍子ちゃんは浴衣じゃないのねえ」

「直接来たからね」

 浴衣を身にまとった菜帆ちゃんは、真剣に残念そうな顔をしていた。

「見たかったのに」

「そんなに残念?」

「だって、絶対かわいいもの」

「そんなことないよお」

「ある。なんなら今すぐ買いに走ってもいいくらい」

 こちらが驚くくらいきっぱりとした口調だったので、
私は愛想笑いを浮かべるだけにとどめておいた。
122 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/04(月) 00:51:25.04 ID:lUut1exa0
支援
123 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:51:32.74 ID:D3BxFaXXo

 じっとりとした風が、頬を執拗に撫でていく。

 それを感じながら、私は黙々と歩く。

 かつん、かつん。
 下駄の音を立てながら、菜帆ちゃんも歩く。

 一般に秋と言われる月になったけれど、まだまだ夏だった。

 しばらくすると、かつん、かつんの間にふう、ふうと息の漏れる音が混ざり始めた。
124 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:52:32.66 ID:D3BxFaXXo

「大丈夫?」

「下駄ってやっぱりなれないわ」

 袖で汗を拭いながら、菜帆ちゃんがこぼす。

「私、やっぱり浴衣じゃなくてよかったよ」

「そうねえ」

 思ってたより、距離あるし。

 嘆きながらも、下駄はゆっくりと音をたて続ける。

 一歩一歩、その足取りを見ながら。
 私も歩調を合わせて、ゆっくりと歩いた。
125 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:53:22.13 ID:D3BxFaXXo

「あ」

 不意に菜帆ちゃんが声を上げる。
 かすかながらも、祭り囃子が漂ってきていた。

 コンクリートを打つ音の感覚が狭まっていく。
 真横からしていた音が、少しずつ前の方から聞こえるようになる。
126 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:54:25.74 ID:D3BxFaXXo

「プロデューサーさあん」

 今度は私が、「え」と声を上げる番だった。

 思わず顔をあげる。
 目に入ってきたのはプロデューサーさんと歯医者さんの看板だった。
127 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:55:20.23 ID:D3BxFaXXo



「ここんとこ、歯が痛くてね」

「甘いものばっか食べてるからですよ」

「私がお菓子あげようとしたら、断るんですもの。つい問い詰めちゃった」

 決まり悪そうなプロデューサーさん。
 不機嫌に見えるであろう私。
 何てこと無さそうに微笑む菜帆ちゃん。

 三人が口々に言葉を並べた。

「教えてくれたってよかったじゃないですか」

「ほんとです。私、喋りたくてしょうがなかったんですよお」

「たかが虫歯で休むだなんて、言えないだろう」

「たかが虫歯、されど虫歯、です」

 菜帆ちゃんが毅然とした口調で言い放つ。

 まったくその通り。
 反省するよ。

 月並みな反省を並べ立てて、
プロデューサーさんは、やっぱりぎこちなく笑った。
128 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:57:04.47 ID:D3BxFaXXo

 あと何回ですか。
 菜帆ちゃんが訊ねる。

 二回だか四回だか。
 プロデューサーさんはいい加減に答える。

 なんですか、それ。
 菜帆ちゃんが笑う。

 二人が並んで歩いている。
 私はその後ろを、黙ったまま歩いた。

 それくらいなら教えてくれたって、よかったのに。
129 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:57:55.14 ID:D3BxFaXXo

 道沿いに、ぽつぽつと屋台が現れ始めた。

 湯気があちこちでふわりと浮かんでいる。
 ソース焼きそばのにおいが、強くしていた。

「ソースのにおいって、暴力的よね」

 物騒な言葉が菜帆ちゃんの口から出てくる。

「焼きそばにするの?」

「ううん。まずは綿菓子じゃない?」

 なんで最初は綿菓子なの?
 そう訊こうとしたのに、菜帆ちゃんは既に屋台に並びに行ってしまっていた。
130 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 00:59:25.81 ID:D3BxFaXXo

「食べ物がかかわると速いね、あいつ」

 おかしそうに、プロデューサーさんが声を弾ませた。

「そうですね」

「地元の商店街とかが、主催してるのかな」

「そうですね」

 早足で歩きながら、辺りを見渡した。

 子供たちが群がっている、おもちゃを売っているお店。
 チョコバナナのお店。
 たこ焼きのお店。

 いろいろなお店の前に、それぞれ人が並んでいた。
131 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:01:10.02 ID:D3BxFaXXo

 がやがやとしたざわめきの中で、
からんからん、という澄んだベルの音が遠くで聞こえる。

 二等。

 よく通る叫び声が響き渡って、
お客さんたちの歓声が上がる。

 二等ですって。
 すごいですね。

 言おうとして、振り返る。
 けど、プロデューサーさんもいなかった。

 人ごみの中で、一人取り残された気分になる。

 いつの間に。
 なんて身勝手なの。
132 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:03:07.86 ID:D3BxFaXXo

「藍子」

 文句を思い浮かべていると、名前がすっと耳に入ってきた。

 声のする方に振り返ろうとすると、
顔が胸に当たりそうになったので、思わず後ずさる。

「座れるところ、行こうか」

 それだけ言って、プロデューサーさんは歩き出す。
 私も慌てて、その隣に並ぶ。

「菜帆ちゃんには?」

「ちゃんと言ってきたよ」

「どこ行ってたんですか?」

「ラムネ、買ってきた」
133 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:04:14.22 ID:D3BxFaXXo

 あげるよ。
 プロデューサーさんが誇らしげにラムネの瓶を差し出す。

 ありがとうございます。
 素っ気なくお礼を言う。

 どういたしまして。
 時折、歩調を緩めながら、プロデューサーさんは答えた。

 向こう側から来る人々とすれ違う。

 私たちはそれをかわしてゆく。

 プロデューサーさんの腕が、
私の頬をかすめたり、
道の向こう側へと遠のいたりする。

 しばらくすると、私たちは適度な距離に戻る。
134 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:06:10.10 ID:D3BxFaXXo

 そうして少しの間歩いていると、

「こっちだ」とプロデューサーさんが公園を指差した。

 言われるがまま、そこに入る。

 表の道ほどではないにせよ、中は人でいっぱいだった。

「あのベンチ、空いてる」

 指が示した先のベンチに並んで、私はラムネのビー玉を、瓶の中へと押し入れた。

「美味しそうだね」

「あげませんよ?」

「まあ、もらっても困るし」

「虫歯ですもんね」

「その通り」

 麻酔が効いているのか、頬をしきりに気にしながら、プロデューサーさんは言った。
135 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:10:33.26 ID:D3BxFaXXo

 ラムネを、くいと飲んだ。
 口の中で、炭酸がぷちぷちとはじける。

 ひんやりとした感触が、喉の奥へ下りていく。

「いいなあ」

 うらやましそうな声が横から聞こえる。

「自業自得です」一息ついて、私は言い放った。

「なんか今日は厳しいね」肩をすくめて、プロデューサーさんが居心地悪そうにする。

「そんなこと、ない」

「そう?」

「うん。いつも通り、です」
136 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:11:23.38 ID:D3BxFaXXo

 子供が、私たちの目の前を通り過ぎた。

 すみません。
 お母さんらしき人が申し訳なさそうに謝る。

 なんともないから、大丈夫です。
 そういう風に、プロデューサーさんが横に手を振った。

 なんともないなら、それでいいのに。
 良かったとだけ、思えればいいのに。

「思い通りには、いきませんね」

 思っていた言葉が口をついてしまう。

 けど、プロデューサーさんは聞こえていないのか、
ただただぼんやり、公園の中の風景を眺めていた。
137 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:12:27.37 ID:D3BxFaXXo

「プロデューサーさん。今週の私、どうでしたか?」

 念のため、訊ねてみる。

「どうって?」

「どこでもです」

「仕事の方なら、よく出来てたと思うけど」

 そういうことじゃなくて。
 喉元まで来た言葉を、おしこめる。

 そんなこと、これ以上言えるわけなかった。
 事を荒立てたり、人を困らせたりすることは、私が一番苦手なことだったし。
138 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:15:38.62 ID:D3BxFaXXo

「藍子は、見ててひやひやしないから、助かる」

 不安がってるの、気づかなかったくせに。
 心の中で悪態をつく。
 それを知らずに、プロデューサーさんは続ける。

「だから、目を背けずに、ちゃんと覚えていられるしね」

「覚えてたんですか」

「まあね」

 藍子のこと、覚えてるって約束は忘れないよ。
 得意げにプロデューサーさんは鼻を鳴らした。

「じゃあ、もう一つ約束してください」

「なにを」

「虫歯になったら、ちゃんと教えてください」

 なにそれ。
 お母さんみたい。

 プロデューサーさんは笑った。

 絶対ですよ。
 たぶん真顔で、私は言った。
139 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:16:37.20 ID:D3BxFaXXo

「仕方ないなあ、もう」笑いながら、プロデューサーさんはしぶしぶ了承した。

「どっちがですか」思わず口にする。

「どっちもだよたぶん」

「一緒にしないでください」

「やっぱり厳しくない?」

「いつも通りです」

 他愛のないやりとりだった。
 いつも通りの、やり取りだった。

 私はもう一度ラムネを口に付けて、そっと脇に置いた。

 これで、よかったんだ。

 もうちょっとして、
プロデューサーさんの虫歯が治れば元通り。
140 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:18:08.94 ID:D3BxFaXXo

 頭の中でつぶやくと、
菜帆ちゃんが軽やかな足取りでやってきた。

「おまけをもらったの」

 菜帆ちゃんは綿菓子を三つも抱えながら、足取り同様、軽やかに声を弾ませる。

「俺食べられないんだけど」

 非難がましく、プロデューサーさんが指摘する。

「知ってますよお。はい、どうぞ」

 無理矢理に、菜帆ちゃんが綿菓子を差し出す。

「ただの嫌がらせです」

 あと、これも持っててください。
 今度は焼きそば買ってきます。
 食べないでくださいね。

 言い残して、菜帆ちゃんはまた人ごみの中へと消えていった。
141 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/04(月) 01:20:02.76 ID:D3BxFaXXo

 私の片手の中に綿菓子が一つ。
 プロデューサーさんの両手の中に綿菓子が二つ。

「これ、どうすればいいかな」

 弱弱しく、プロデューサーさんが訊いてくる。

「自業自得です」

 笑いながら、さっきと同じことを言って、私は綿菓子を口に含んだ。
 恨めしげな視線を無視しながら、じっくり味わって食べた。
142 : [sage]:2013/02/04(月) 01:24:51.22 ID:D3BxFaXXo

「早く治さないとなあ」

 困ったように、プロデューサーさんが私に笑いかける。
 いつもより困ったような笑い方だった。

「早く治してくださいね」

 そしたらまた、元気にお仕事しましょう。
 心の中で、しっかりとなえる。

「たくさん買ってこられたら、どうしよう」

 プロデューサーさんが誰と無しに口にする。 

 綿菓子一つでも、お腹いっぱいになるなあ。
 食べながら、そんなことを思う。

 瓶の中で、ビー玉がゆらゆら浮かんでいる。

 私はそれを見つめながら、
菜帆ちゃんがどんな食べ物を、どれだけ買ってくるか。

 期待半分、不安半分で待っていた。
143 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/04(月) 01:26:27.84 ID:D3BxFaXXo
なんか重いので今日はここまで
二、三日以内にはもう一つ投下できると思います
144 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/04(月) 01:35:03.52 ID:wGdcc8uDO
乙です
145 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/05(火) 15:43:44.38 ID:J2MIT5JQo
146 :第五章『ぐっすり』 [saga]:2013/02/06(水) 00:45:51.71 ID:zxrCYVuuo

 雲を、見下げていた。

 ポン、という音の後、機内放送が、これから着陸しようとしていることを告げる。

 その間中ずっと、プロデューサーさんはベルトを握りしめていた。

 思い返すとプロデューサーさんは、ほとんどの時間そうしている。

「まあ、落ちないですよ」カメラマンさんが言う。

 でも、プロデューサーさんはベルトを握りしめたまま。

 高度が下がったからか、耳に膜が張った感じになる。

 隣のプロデューサーさんを見ると、ベルトを握る手に力が入っている。

 大丈夫ですよ。

 そう言っても、
プロデューサーさんは力なく笑うだけで、
ベルトから手を放そうとはしなかった。
147 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:46:51.69 ID:zxrCYVuuo

 撮影で、南の島に行くことになった。
 写真集が好評だったみたいで、その第二弾という位置づけらしい。

 ようやく夏が終わって、秋らしくなってきた頃。

 事務所の椅子に座ってぼおっとしていると、
プロデューサーさんが隣に腰かけて、そう教えてくれた。

「あと、事務所のライブも決まったよ」

 大したことじゃないみたいに、つけたして。
148 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:47:47.57 ID:zxrCYVuuo

「ビンワンですね」

 プロデューサーさんの方に向き直って、感心したような声を上げる。

「そう?」

「ライブも写真集のお仕事も取ってくるなんて」

 敏腕ならよかったんだけど。
 プロデューサーさんは、航空券のチケットを睨みながら、

「まあ、ほとんど何もしてないんだけどね」と続けた。

「じゃあ、なんでですかね」

「藍子の仕事ぶりが評価された、とか?」

「『とか?』は、いりませんよお」

「そんなこともあるさ」

 それよりさ。
 言うと、プロデューサーさんは私の両肩に両手を置いた。
149 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:49:28.89 ID:zxrCYVuuo

 その手に、力が入る。

 キャスターがからから音を立てる。
 二つの椅子の距離が、微妙に近くなる。

 それよりさ。
 もう一度、繰り返される。

 私は無言でうなずいた。

 何かな。

 やたらと真面目くさった顔で、プロデューサーさんは私をじっと見つめていた。 
 目を背ける訳にもいかず、じっと見つめ返す。
150 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:50:45.75 ID:zxrCYVuuo

「なんですか」

 たまらずに口を開くと、
思ってた以上に揺らいでいて、不安定な声が出た。

「あのさ」

 また、だまって首を縦に振る。

 プロデューサーさんは、
本当に深刻そうな顔をして、私に訊いた。

「飛行機以外の方法で、どうにかならないのかな」
151 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:51:55.49 ID:zxrCYVuuo

 まあ、結果的に飛行機に乗ってここまできたのだけど。

「チェックインが終わったら、海を見に行きましょう!」

 初めて来る土地。
 きれいな空、海。
 こんなに素敵なことってない。

 私はカメラ片手にはしゃぎ続けていた。
152 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:53:32.00 ID:zxrCYVuuo

 撮影は明日から。
 晩御飯は各自。
 明日の夜は撮影一日目の打ち上げもかねて、バーベキュー。

 プロデューサーさんからではなく、カメラマンさんから聞いたことだ。

 短い間だけど、仲よくしなくちゃ。
 ですよね、プロデューサーさん?

 言っても、プロデューサーさんは曖昧な返事をするだけ。

 今なら写真が撮れるかも!

 食堂で晩御飯をとっている時にそう思ったけれど、
プロデューサーさんの顔色があまりにも悪かったので、さすがにやめておいた。
153 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:54:45.55 ID:zxrCYVuuo

 ぼろぼろのプロデューサーさんと別れ、部屋に入る。
 荷物を開いたり、ベッドに寝そべったり、テレビをつけてみたりする。

 これから、何しよう。
 カメラ片手に、窓辺の向こうの砂浜を見下ろしながら考える。

 観光シーズンが終わったからか、それとも夜だからか、さすがに人も少ない。

 ただ、さざ波の音だけが静かになっていた。

 それでもやっぱり、つまんない

 声に出さず、つぶやく。

 今回の撮影は私一人。
 他の子や他の子たちとの撮影は、また別の日に、ということらしい。
154 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:56:35.51 ID:zxrCYVuuo

「せめて、プロデューサーさんが元気だったらいいのに」

 今度は口にする。

 ほんと、ひどい人。
 ちょっとくらい付き合ってくれてもいいのに。

 続けてつぶやくと、無性に腹が立ってきた。

 もう、無理矢理連れ出しちゃおうかな。

 そんなこと、出来ないに決まってるのに。

 いいもん。
 寝ちゃうんだから。

 ひとしきりシャッターを押しまくって、私はベッドの中に潜り込んだ。
155 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:57:43.79 ID:zxrCYVuuo



 絶好の撮影日和だった。
 水平線をじっと見ていると、何か見えてくるような、ないような。

 しばらく目を凝らしていたけれど、よくわからない。
 これだけ晴れているのに、不思議だと思った。

 じゃあ、さくっと撮っちゃいましょ。
 カメラマンさんは、がたがた機材を並べたてながら、スタッフさんたちに話していた。
156 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:59:39.50 ID:zxrCYVuuo

「なんかおあつらえ向き、って感じだね」

 調子を取りもどしたプロデューサーさんが言う。

「おあつらえ向き、ですか」口の中がこんがらがって、あやふやな響きになった。

 白のワンピース。
 麦藁帽。
 確かにおあつらえ向きだ。

 芸能生活の短い私にでさえ、わかる。

「ありふれてますよね」

「そうだね」

「もしかして、こういうの見飽きちゃってたりします?」

 ふざけたような、軽い調子で訊いてみる。

「いや、むしろ好き」

 手をかざし、青空を睨みながら、プロデューサーさんは淀みなく言った。
157 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:01:07.02 ID:zxrCYVuuo

 準備できました!
 いけますかー?

 立派そうなカメラを手にしたカメラマンさんが叫ぶ。

 はい!
 オッケーです!

 叫び返しながら、私はカメラの前に立った。
158 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:03:15.52 ID:zxrCYVuuo

 からっと晴れているのに、風がしっとりとしていた。
 潮のにおいがする。

 じゃあ、走ってみて。
 いいですね。
 ちょっと怒ってみようか。
 今度はそこで笑って。

 視界の端では、プロデューサーさんが神妙な顔で私を見ている。

 サンダルで、白い砂に足跡をつけていく。
 それが波で掻き消されていくのを見て、なんとなく満ち足りた気持ちになる。

 シャッターを切る音が、さざ波を縫って、消える。

 プロデューサーさん、やたら真面目な顔してるな。
 まあ、終わったら笑ってくれるよね、とか思いながら。

 あのカメラはさすがに持ち歩けないな、なんてことを考えながら。

 私はカメラマンさんに言われるがまま、撮られるがままになった。
159 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:05:00.12 ID:zxrCYVuuo



 お昼休みを挟んで、昼、夕方、夜。

 めまぐるしく歩き回ったり、走り回ったり、時には寝転んだりなんかもして、なんとか撮影を終えた。

 あと二泊。帰りも考えると、実質あと一泊。
 つまり、撮影はあと一日だ。

 もっともカメラマンさんは、
今日の分で十分だから、
明日は予備みたいなものになった、と教えてくれたのだけど。

 着替えを終えて指定された場所に着くと、
開始前なのに、スタッフさんたちはすでに盛り上がっていた。

 お肉の焼ける煙がもくもくと立ち込めている。

 どこが輪の真ん中なんだろ。
 少人数なのに、なんとなしに散らばっちゃっていて、わからない。
 仕方ないので、手当たり次第挨拶をする。
160 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:07:12.19 ID:zxrCYVuuo

 お疲れ様でした。
 明日も、お願いします。

 若い男の人、女の人。
 さっき見た人たちとは別人みたい。

 やがて私は、カメラマンさんや、他のスタッフさんの輪の中に入った。
 気が付いたら、そんな風になっていたのだ。

 お酒が入るといつもこうなんですよ。

 女性のスタッフさんが言うとおり、
カメラマンさんはよくわからない話を喋りとおしていた。
161 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:08:20.15 ID:zxrCYVuuo

 プロデューサーさんはというと、
いつの間にか網の向こう側で、
他のスタッフさんたちと楽しそうにお肉を食べている。

 少し抜け出そうともしたけれど、そういう空気ではない。

 とうとう私は愛想笑いと相槌を浮かべるのに終始してしまった。

 これもお仕事。
 こんな日も、ある。
162 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:09:57.09 ID:zxrCYVuuo



 最終的に、私はスタイリストさんに救出され、事なきを得た。

 ごめんなさいね。
 あとで言い聞かせておきますから。

 いえ、楽しかったです。
 こちらこそ、わざわざ送ってもらっちゃってすいません。

 お互いに、謝りあいながらホテルのエレベーターに乗った。

「そういえば、プロデューサーさんは」

 エレベーターのランプを見上げながら、訊ねる。

「たぶん、どこかに連れられて行ったんじゃないでしょうか」

 きっと無理やりでしょうね。
 スタイリストさんが遠慮がちな笑みを浮かべる。

 エレベーターが開く。

 それじゃ、おやすみなさい。
 明日もお願いしますね。
 
 そう言い残して、スタイリストさんは外へと出て行った。
163 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:12:30.28 ID:zxrCYVuuo

 部屋に戻ると、
どっと疲れが押し寄せてきた。

 スカウトされてから一年弱。
 レッスンで体力をつけてきたつもりだったけど、
まだまだなのかもしれない。

 暑さにやられたのか、
頭の中も、なんだかもやがかかったみたいになっている。

「疲れたあ」

 言葉にすると、余計に疲れが増す様な気になる。

 それなのに私は、
寝る準備をしながら、“疲れた”を連呼した。
164 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:13:16.02 ID:zxrCYVuuo

 さっとシャワーを浴び、ドライヤーをあてる。

 湿り気を帯びた髪を指の間に挟む。
 本当は髪も乾かさないまま、寝ちゃいたいくらいだった。

 けど、明日も撮影はある。
 ぼさぼさの頭で出ていくわけにもいかない。

 もうちょっとの間だけ起きていたいから、風に当たろう。
 そう思って、窓を開けた。

 白い砂浜が見える。
 波の音が、相変らず静かに聞こえてくる。
165 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:16:59.22 ID:zxrCYVuuo

 ああいうのが、好きなのかあ。

 つぶやいて、思い出してしまう。

 撮影の時のこと。
 バーベキューの時のこと。

 撮影が終わったら、笑ってもらえた。
 例の虫歯も治ったらしく、いつも通りで嬉しかった。

 バーベキューでは網の前で、お肉と格闘していた。

 脇の女性スタッフさんが、大変ですね、なんて言うと、
「いえいえ」とか言って笑いかけてた。

 それも、お酒のせいか、少し顔を赤くさせながら。

 あんな風に笑ってくれたことはあったっけ。
 思い出そうとして、やめる。

 私が知らないなら、今までなかったみたいじゃない。
166 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:18:48.13 ID:zxrCYVuuo

 歯磨きも適当に終わらせて窓を閉めると、勢いよくベッドの中に潜り込んだ。

 けど、妙に目がさえてしまった。
 眠ろうとすればするほど、些細な物音が大きく聞こえてくる。

 明日も撮影なんだから寝ないと。
 そう思うたびに、どんどん眠たくなくなってくる。

 代わりに、今日の出来事や昨日の出来事。
 そしてそれ以前の出来事が、頭の中で鮮明にうつしだされる。
167 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:20:30.70 ID:zxrCYVuuo

 あれだけ眠たかったのに。

 恐る恐る時計を見ると、
ベッドに入ってからすでに三時間が経っていた。

 眠れないのが、悲しいやら悔しいやらで、涙がこぼれそうになる。

 仕方なしにベッドから出て、
ポットでお湯を沸かして、そのまま飲んだ。

 窓からは、月も星も見えなかった。
 朝の気配がまだなかったので、少し安心した。

 カップの中のお湯を四分の一ほど残して、またベッドにもぐる。

 それでも寝れなかった。

 プロデューサーさん。

 つぶやくと、
また涙がこぼれそうになったから、
慌てて目をきつく閉じる。

 私が眠るのと、朝が来るの、どっちが早いんだろう。
 考えが深まる中、時間ばかりが流れていく。
168 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:21:42.99 ID:zxrCYVuuo



 ほとんど寝れずに、朝を迎えた。

 幸か不幸か、外は大雨。
 白いカーテンみたいだった

 これが本物のスコールなのかな。
 はっきりしない頭で思う。

 朝食をとるためロビーに降り、
食堂に入ると、カメラマンさんがいることに気づいた。

 挨拶をすると、昨日のことを平謝りされたので私はにこやかに、「いえ、楽しかったです」と告げた。

 カメラマンさんは安心したように、
それはよかった、と息をつき、今日のことについてこう続けた。
169 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:23:00.26 ID:zxrCYVuuo

 雨だし、昨日ので十分撮れたから、今日はお休み。
 退屈だろうけど、昨日の疲れもあるだろうしゆっくりしてください。
 あと、プロデューサーさんにも伝えといて。

 苺ジャムが塗られたトーストを飲み込むと、
カメラマンさんは簡単な別れの挨拶を告げて、さっさと行ってしまった。

 おつかいを頼まれちゃった。

 外にも出られない。
 なら、することもない。

 だったら食堂でプロデューサーさんとおしゃべりでもしようかな。

 思い返せばこっちに来てから、あまり話していない。

 せっかくの機会。
 いい加減に写真でも撮らせてもらっちゃお。

 それくらいの罪滅ぼし、必要だよね。
170 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:23:53.83 ID:zxrCYVuuo

 扉の脇に設置されたチャイムを鳴らす。
 十秒ほど待ってみても、中で人の動く気配はない。

 ちょっとだけ、
扉の前で右往左往した後、
もう一度チャイムを鳴らす。

 出てくるかと息をのむ。
 けど、やっぱり出てこない。

 もう一度、もう一度と鳴らす。
 それでも出てこない。

 どうしたんですか。
 まだ帰ってきてないとか、ないですよね。

 胸の内で訊ねる。
 もちろん返事はない。
171 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:25:58.35 ID:zxrCYVuuo

「プロデューサーさん?」

 できるだけ小声で呼びかける。
 大声はさすがに出せない。

 もう一度チャイムを鳴らす。
 すると、ようやく中で物音がした。
 少し、安心する。

 扉が開いた。

「藍子か」寝ぼけ眼のプロデューサーさんが私を見る。

「私ですっ」思っていたよりも弾んだ声になる。
172 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:27:29.92 ID:zxrCYVuuo

「どうしたこんなに朝早く」

「撮影があったらギリギリですよ?」

「『あったら』ってことはないんだね」

「わかってるじゃないですか」

「だったら、暇だね」

「外にも出られませんしね」

「寝るしかないなあ」

「お茶淹れますから、それで覚ましてください」

 叱りつけるような口調で言って、半ば強引に部屋に入り込んだ。
173 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:30:16.95 ID:zxrCYVuuo

 ベッドに申し訳程度のテーブルと椅子。
 私の部屋と大差ない。

「眠いね」

 ベッドを捲りながら、プロデューサーさんはこぼした。

 寝ちゃだめですよ。
 買ってきたミネラルウォーターを、そのままポットの中へと注ぎ込む。

「昨日は何時まで、飲んでらしたんですか?」

「三時くらい」

「それはお疲れ様でした」

「お疲れだね」

 プロデューサーさんは力ない笑みを浮かべ、

「じゃあ、おやすみ」と言い、ベッドの中にもぐった。
174 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:32:59.50 ID:zxrCYVuuo

「お湯が沸くまで待ってくださいよ」

「たぶん無理」

 だいぶこもった声になっている。

「お話すれば眠たくなりませんよ、きっと」

 私の提案を聞いてか、プロデューサーさんは上半身を起き上がらせた。

 それで、少し悩んだ表情になってから、
「もっと無理かも」と言い、またベッドの中に潜り込んでしまった。

 それ、どういう意味ですか。
 悲鳴みたいな声になって、私の口から出る。

「私と話すの、つまんない?」

 びくびくしながら訊くと、
プロデューサーさんはベッドから顔だけ出して、

「いや、そうじゃなくて、ぐっすりって感じ?」と情けなく笑い、またベッドの中に隠れた。
175 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:34:00.46 ID:zxrCYVuuo

 なにそれ。 
 わけわかんないです。

 非難がましく口にしたけど、いやではなかった。
 でも、どこか釈然としない。

「起きてください」

 ベッドの上から、体をゆする。
 布団を通して、体温が手にじんわりと伝わる。
 その中身が、迷惑そうに体をよじりながらも、しっかり寝息を立てている。
176 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:35:57.88 ID:zxrCYVuuo

 寝ちゃった。
 どうしよう。

 ポットがしゅうしゅうと音を立てた。
 そちらに歩み寄ろうとすると、何かを蹴ってしまった。

 プロデューサーさんのセカンドバッグだった。
 腰を落として、それを拾い上げる。

 けど、置くのに適当な場所が見当たらなかった。
 仕方なく、私はベッドの上にそっとそれを置いた。
177 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:38:28.50 ID:zxrCYVuuo

 ベッドは寝息に合わせて緩やかに上下している。

 いろいろ忙しそうだし、
無理矢理起こすのも、なんだかしのびない。

 せっかくだし、休ませてあげようかな。
 仕方ないよね。

 過度なわがままを言って、誰かに迷惑をかけるのは、好きじゃない。

 行き場もなく、ひとまず椅子に座ろうとすると、その上に手帳が置かれていることに気づいた。

 そっと開いてみると、所狭しと文字が並んでいる。
 しかも、何が書いてあるのか、まったくわからない。

 プロデューサーさんは、これ読み直して、分かるのかな。

 疑問に思いながらページをめくると角の方に、
へたな絵が描かれてて、つい吹き出してしまう。

 名プロデューサーへの道は、遠いみたいですね。

 私はなるべく音をたてないように、ゆっくりと手帳の表紙を閉じた。
178 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:40:20.27 ID:zxrCYVuuo



 よく寝てたね。
 お茶でも淹れるよ。

 耳に馴染んだ声が聞こえてくる。

 うつらうつらしてたみたい。

 私が頭を上げたのを見たのか、
視界の端のプロデューサーさんが背を向けて、言った。

「今、昼過ぎくらい」

 まだ、止んでないよ、雨。
 カップを両手にして、プロデューサーさんがこちらに振り向く。

 どんな顔をしていたか、見えなかった。
 ぼんやりと、にじんでいた。
179 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:42:42.52 ID:zxrCYVuuo

「だいぶ、眠そうだね」

 笑い声がする。

 不服に思いながらも、
言われた通り眠たかったので、
黙ってうなずいてみせる。

「髪、はねてる」

 お茶をテーブルの上に置くと、
プロデューサーさんは、
私の頭を押さえつけるようにしながら撫でた。

 何をされているかわからないくらい自然な動作だったので、私はなされるがままになった。
180 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:47:04.69 ID:zxrCYVuuo

 手が、頭のてっぺんから耳に触れ、
頬のあたりを滑り落ち、
あごを通って、喉元まで来る。

 視界が次第にはっきりしてきた。
 目の前のプロデューサーさんは、少し眉間にしわを寄せている。

「なんか、熱くない?」

 喉元にあった手が、額へと当てられる。

 言われてみると、
そんな気がしたので、
私はもう一度黙ってうなずいた。

 風邪っぽい?
 喉とか痛くない?

 矢継ぎ早に訊ねられる質問たちに、
私は首を縦に振ったり、横に振ったりした。
181 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:48:37.48 ID:zxrCYVuuo

 ひとしきり質問が終わると、そこからが大変だった。

 言われるがままに、
プロデューサーさんが持ってきた風邪薬を飲まされ、
手を引かれるがままに私の部屋に戻らされ、
髪をほどかれると、着の身着のままで、半ば強引にベッドの中に押し込まれた。

「大した熱じゃない。すぐよくなるよ」

 その割には、大げさだったと思うのだけど。

「昨日から、熱っぽかった?」

 そんなことないです。
 少し寝れなかったけど。
182 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:51:34.18 ID:zxrCYVuuo

 プロデューサーさんは苦笑する。

「それはよくないね」

 ポットが先ほどと同じように、
しゅうしゅうと、音を立てている。

「やっぱり疲れた?」

 プロデューサーさんは机を枕元まで持ってくると、お茶を淹れ始めた。

「……ちょっとだけ」

「忙しかったもんな」

 はい、どうぞ。
 机の上にお茶が差し出される。
183 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:53:09.46 ID:zxrCYVuuo

「じゃあ、ゆっくり休んで」

 小さく手を振って、プロデューサーさんが扉の方へと向き直る。

「行かないでください」

 口からこぼれ落ちるようにして、言葉が出る。
 言った途端に、やってしまったと思った。

 本格的に迷惑をかけるようなことを口走ってしまった。
 じんわりと、視界がにじむ。

 プロデューサーさんは、その場で立ち往生している。

「あは、変なこと言っちゃいましたね」

 努めて明るい声を出す。
 プロデューサーさんの影は動かない。

「ごめんなさい。
 今日はもう寝ておきます」

 顔を上げて、どうにか笑って見せる。

 雨は相変わらず、窓辺を叩いていた。
 風の音が、ごうごうと鳴り響いた。
184 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:54:39.22 ID:zxrCYVuuo

「確かにときどき、変なこと言うよね」

 顔を上げていられず、うなだれてしまう。
 すると、椅子の脚の引きずられる音が、近づいてくる。

「明日は晴れるって、天気予報が言ってた」

 椅子に腰かけて、プロデューサーさんが言う。

「当たるんですかね、天気予報」

 絞り出すような声になった。

「さあ。
 明日にならないと、わからない」
185 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 01:56:22.22 ID:zxrCYVuuo

 そして、気まずいような沈黙が訪れる。

 泣いていいのか、わからなくなる。
 こぼれるほどの涙は、溜まっていなかった。

「撮影しなくていいのかな」

 先にプロデューサーさんが口を開く。

「言ってませんでしたっけ。
 昨日撮ったやつで、大丈夫らしいです」

 今度は普段通りにしゃべりだせた。

「そうなの?」

「そう言われました」

 そっか。
 さすがだねえ。

 妙に納得したような相槌を打つと、プロデューサーさんは退屈そうに頬杖をついた。
186 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 02:00:10.34 ID:zxrCYVuuo

「することないですし、お話ししましょう?」

 口走ってしまったと思ったけれど、もう止まらない。

「だってそれくらいしか、することないんだもの」

「はやく寝なさい」

 珍しく、プロデューサーさんが少し強い口調になる。

「さっき寝ました。
 いいの。お話しするんです」

 わざとらしく、頬を膨らませてみる。

 やっぱり変わってるよ。
 観念したように、プロデューサーさんが笑う。

 変じゃないです。
 私、普通の子だもん。
 肩を揺らしながら、返事をする。
187 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 02:01:32.73 ID:zxrCYVuuo

 私を気遣ってか、
プロデューサーさんは、
なるべく自分がたくさん話すようにしてくれた。

 大体の場合、私はそれにうなずいたり、笑って見せたりするだけでよかった。

「――というわけで酔っ払いに絡まれると、大変なんだ」

「私も昨日、大変でしたよ」

「そうだったの?」

「ほんと、助けてくれればよかったのに」

 口をとがらせると、
ぱっと見は楽しそうにしてたから気づかなかった、と言われてしまった。

「今度から気を付けるよ」

 そう言って、また笑った。
 笑い事じゃないのに。
188 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 02:03:14.31 ID:zxrCYVuuo

 そうして話しているうちに、眠たくなった。

「さっきあんなにねたのに」

「昨日は何時間くらい寝たの」

「よく、わからないです」

 回らない頭で、何とか答える。

 小刻みに息の吐かれる音が聞こえる。

「ぐっすりって感じ、するだろ」

 声にできず、ただ深くうなずく。
 少し、さみしくなる。
189 : [saga]:2013/02/06(水) 02:06:10.82 ID:zxrCYVuuo

 プロデューサーさんの声も、雨音もどんどん眠りの中に引きずり込まれていく。

 プロデューサーさん、ねちゃいます。
 どうにか声を絞り出す。

 ゆっくり休みな。
 遠くで声が響いて、頭の中でかすれていく。

 おやすみなさい。

 私は言ったつもりになる。

 おやすみ。

 その声がしたかどうかなんて、私にはわからない。
190 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 02:10:58.25 ID:zxrCYVuuo
ここまで
読んでくださってる方どうもです
のんびりしたSSになってればいいなと思います
191 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 02:54:01.47 ID:+Wp7TMHV0
やみのまー
192 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 15:04:24.07 ID:PXYnMo20o
乙乙
193 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 23:39:24.01 ID:2OfA0buio
194 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/18(月) 09:19:46.88 ID:VjBTWoIbo
藍子はかわいいなぁ!
195 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/20(水) 15:07:24.10 ID:k0p7hA6oo
生存報告(ガチャガチャ)
今週中に全部書き終わらなければ一つ投下したいなあと
196 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/20(水) 16:22:35.13 ID:hzp7FkJto
おう待ってるぞ
197 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/20(水) 16:54:42.28 ID:Ob9lcUQ6o
藍子SR化記念
198 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/21(木) 02:59:35.58 ID:EcM+yvr/o
予告
今週中に最後まで駆け抜けられそう
199 :第六章『はなせない』 [saga]:2013/02/22(金) 19:50:22.49 ID:pSpvNKUzo

「担当替えのうわさがあるそうよ」

 事務所の椅子の上で、
松葉づえを所在無げにもてあそびながら、
菜帆ちゃんは言った。

「そろそろ一年だものねえ」

 誰がいいかしら。
 あの人なんか、優しくて和菓子が好きそうで、いいかも。

 事務所に所属するプロデューサーの名前を二、三人ほどあげ、菜帆ちゃんは、

「まあ、それよりこれよ」

 と、ギプスが巻かれた左足をぷらぷらさせた。
200 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:50:53.43 ID:pSpvNKUzo

「大変だね」

「そうでもないの。
 問題なのは、お医者さんに
 『くじいた時に体重がずいぶんとかかったんでしょうな』
 なんていわれちゃったこと。
 
 失礼しちゃうわ。
 それを聞いて、プロデューサーさんったら、
 『治ったらダイエットね』なんてすごくいい顔で笑うの」

 次のプロデューサーさん。
 痩せなくていい、なんて言ってくれないかしら。

 ぼやくような口調で、菜帆ちゃんが天を仰ぐ。
201 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:51:53.98 ID:pSpvNKUzo

「菜帆ちゃんは、今のプロデューサーさん、いや?」

 おそるおそる訊ねる。

「いいえ?
 でも、いつかは変わるものでしょう?」

「そう、かな」

「担任の先生とかだって、一、二年で変わっちゃうじゃない。
 それに、親しんでくれる人が増えるって、アイドルらしいと思わない?
 まあ、こんなんじゃ、ファンの人の前に立てないんだけどね」

 菜帆ちゃんの顔は、心底つまらなそうなものになった。
202 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:53:06.99 ID:pSpvNKUzo

「ほんとだね。
 お客さん、減っちゃうかも」

 なるべく冗談めかして言う。
 
「まったく、その通り」

 菜帆ちゃんも一瞬だけ口元を緩めた。
 けど、その顔がまた悲しそうな笑みを浮かべる。

「それと、残念なことがもう一つあるの」

 菜帆ちゃんは続ける。

「和菓子屋さん、しばらくいけないわね」
203 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:53:36.87 ID:pSpvNKUzo



 なのに、なんで私はここに座っているんだろう。

 電話を取ると、菜帆ちゃんが突然「今から和菓子屋さん来れる?」と言い出した。

 お仕事も終わったし、
ちょっとお散歩でもしようかな、
なんて考えていたところだった。

「どうやって行ったの?」

「やろうと思えば、案外なんだってできちゃうものよ」

 菜帆ちゃんの声は、
電話越しにもかかわらず、
弾んでいるのがわかった。
204 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:54:17.56 ID:pSpvNKUzo

「いいでしょ? ね? ね?」

 というわけで、ここまで来たのだった。
 菜帆ちゃんに誘われたら、断れない何かがある。

 菜帆ちゃんにどうやって来たのか訊ねても、
「それが何とかなっちゃったの」とウインクするばかり。

「やっぱり藍子ちゃんとここに来ないと、生きた心地がしないのよね」

「おおげさだよ」

「おおげさじゃないわ。
 本当に息苦しいのよ」

 こう、なんか胸のあたりがきゅってなる感じ。

 菜帆ちゃんは真剣なまなざしで、そう主張した。

「お仕事もあんまりできない上に、
 お茶もできないだなんて、
 私にとっては拷問みたいなものだわ」
205 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:55:31.07 ID:pSpvNKUzo

 栗ようかんが運び込まれる。

 菜帆ちゃんが愛想よくお礼を言うと、
店員さんはいつものように無愛想に去って行った。

 この店には、沢山というほどじゃないけど、何度か来ている。
 それなのに、顔を覚えてもらっている気配が全くない。

 お客さんもそんなに来ないふうなのだから、
さすがに少しくらい、覚えていてくれたっていいのに。

「菜帆ちゃんは、お仕事好き?」

 楊枝を使って、ようかんを切り分ける菜帆ちゃんに訊ねる。
206 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:56:51.78 ID:pSpvNKUzo

「好きよ」

 菜帆ちゃんは間髪入れずに答えた。

「藍子ちゃんは好きじゃないの?」

「好きだよ」

「なんで?」

「なんで、って……」

 思わず答えに詰まる。
 やっぱり先が読めない子だな。
 内心で思いながら、少し考えてみる。

「……よくわからない」

 ややあって、私はゆっくり口を開いた。

「ファンの人、
 それとみんなやプロデューサーさんが笑ってくれたり、
 優しい気持ちになってくれたりしたらいいなと思うし、
 実際、ファンレターとかで、そういう風に言ってくれる人もいる。

 それはそれで泣きそうになるくらいうれしいんだけど、たぶんそれだけじゃない気がするの」
207 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:57:33.93 ID:pSpvNKUzo

 お皿の上に、視線を落とす。
 菜帆ちゃんがさっきしていたように、楊枝でようかんを切る。
 半分になったようかんの一方が、ぐらりと倒れていく。

「ごめんね、なんかはっきりしなくて」

 視線のやり場に困って、辺りを見回した。

 お客さんは私たちだけで、
レジにいたおばさんも、
奥の方へと引っ込んでいるみたいだった。
208 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:58:58.73 ID:pSpvNKUzo

「いいんじゃないかしら」

 紙ナプキンで口を拭きながら、菜帆ちゃんは言った。

「たぶん、私もうまく説明できないもの」

「それなのに、私に訊いたの?」

「わからないから、訊いたんじゃない」

 悪戯っぽく、菜帆ちゃんが笑みを浮かべる。

「でも、ここで藍子ちゃんとのんびりお茶が出来るってだけで、今は十分なんじゃないかしら」

 入口の方でからんと鈴の音が鳴った。
 店の奥の方から、いらっしゃいませが聞こえてくる。
 差し込む光が、窓ガラスを通して潤んでいる。

「そうだね」

 私たちはいつも、わかってない。

 私は倒れたようかんを、もう半分に刻みながら、「ありがとう」と言った。
209 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 19:59:28.54 ID:pSpvNKUzo



 時間は緩やかに流れる。

 私は撮影旅行の話をした。
 もちろん、実際に撮影した日の話だけを抜き出して。

 あれ以来、プロデューサーさんとどう接していいか、わからない。

 正直に言うと、気恥ずかしい。

 蒸し返されたらと思うだけで、顔が熱くなる。

 表面上取り繕ってはいるし、
たぶん気づかれてはいないんだと思う。

 だって、今までもそうだったし。
210 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:00:14.59 ID:pSpvNKUzo

「バーベキュー、いいわねえ」

 プロデューサーさんにご馳走してもらえないかしら。
 けどもう、そんな時期じゃないわね。
 私も連れて行ってもらえるように、頑張らなきゃ。

 そんな時期じゃない。

 ゆったりあくびをした後、
「見られちゃった」と照れ笑いを浮かべる菜帆ちゃんを見ながら思う。

 夏の時期はあれだけ冷房が効いていたのに、
今はその気配すら感じさせない。

 外を歩く人は、長袖や、その上に何かを羽織るようになっている。

 気づくと陽の光は淡くなり、
見慣れた風景を赤く染めようとしていた。
211 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:01:27.26 ID:pSpvNKUzo

「秋になっちゃったね」

「そうね。これから冬なんて、すぐよねえ」

 菜帆ちゃんは私にうなずきかけ、「そろそろかしら」と腕時計を確認する。

 また、からんと入口の方で鈴の音が鳴る。

 今度は、「いらっしゃいませ」すら聞こえてこない。
 代わりに、菜帆ちゃんが松葉づえでかんかんと床を打ち鳴らす。

「こっちですよ」

「藍子も一緒か」

 声のする方を振り返ると、プロデューサーさんが立っていた。
212 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:02:26.50 ID:pSpvNKUzo

「偶然ですね」

 いつも通りに振舞おうとしたけれど、声が少し上ずる。

「偶然なもんか」

 プロデューサーさんが頭をかきながら説明を始める。

 菜帆ちゃんを病院に連れて行って、
その帰りで、ちょっとした野暮用が入ったらしい。

「そしたら、ちょうど近くにここがあったってこと?」

 菜帆ちゃんは「そうよ」と、ゆっくりまばたきをした。
213 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:02:54.50 ID:pSpvNKUzo



「プロデューサーさん、焼き肉行きましょう」

 後ろから菜帆ちゃんの声が飛んでくる。

「いいけど、そこまではご馳走できないよ」

 結局、和菓子屋さんもご馳走になってしまった。

 もっとも、そういう人だと分かっていたので、
私たちも無理に払おうとはしなかったんだけど。

「なんでいきなり焼き肉なの」

 車のステレオから流れるざらざらした音に、プロデューサーさんの声が混ざる。

「だって、バーベキューしたんでしょう?」

 この曲、最近よく聞くなあと、ぼんやり考えていたら、
とんでもない質問が投げかけられて、つい身をこわばらせてしまう。
214 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:03:21.83 ID:pSpvNKUzo

「ああ、したね」

 よく通る声でプロデューサーさんは答える。

「私もお肉食べたいです」

「もうちょっと痩せたらね」

「ひどいですよお」

 私の心境をよそに、二人のやり取りが続けられる。
 熱いような、寒いような、妙な心地になる。

 早く着かないかな。
 けれど、こういう時に限って、信号は赤ばかり。
 ついてない。
215 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:04:09.03 ID:pSpvNKUzo

 三度目の信号待ちで、
プロデューサーさんと菜帆ちゃんの会話は、
今日の和菓子屋さんについて展開され始めた。

「あそこうまいの?」

「美味しいですよ」

 へえ。
 プロデューサーさんは、
関心のあるような無いような微妙な反応をして、

「藍子は偶然通りかかったの?」と私に訊ねてきた。
216 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:04:46.15 ID:pSpvNKUzo

 あ、いえ。
 違います。

 突然話しかけられて、しどろもどろになる。
 そうしていると、菜帆ちゃんが口を挟む。

「私が呼んだんですよ」

 そうなの?
 私の方をまっすぐにみてプロデューサーさんが言う。

 ええ、まあ。
 肯定とも否定とも取れない曖昧な返事をする。

 プロデューサーさんは、
それを肯定と捉えたらしく、
「あんま藍子を振り回すなよ」と、菜帆ちゃんにやんわり注意した。
217 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:05:51.56 ID:pSpvNKUzo

「だって一人じゃさみしいんですもの」

 バックミラー越しで、菜帆ちゃんが頬を膨らませている。

「それに私を置き去りにしたのは、
 プロデューサーさんじゃないですか」

「そりゃそうなんだけどさ」

 一瞬、横顔が曇る。

「私は大丈夫ですよ?」

 プロデューサーさんに向かって、私は笑いかける。

 すると、あー、と言う声が後ろではねた。

「もしかして、贔屓ですか?」

 思わせぶりに、菜帆ちゃんが訊ねる。

「うん。贔屓」

 一瞬のためらいもなく、プロデューサーさんは言い切った。

 なんですかあそれ。
 菜帆ちゃんが尖ってるのに、間延びした声を出す。
218 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:06:44.51 ID:pSpvNKUzo

「私も贔屓してくださいよお」

 プロデューサーさんは、少し考えるように首を傾げた後、

「もうちょっと聞き分けがよくなったら、考えとく」と言った。

 それは難しそうですねえ。
 諦めたような口調で菜帆ちゃんがため息を吐く。

 そんなに難しくはないと思うけど。
 笑いながら、プロデューサーさんがアクセルを踏む。

 それが難しいんですって。
 声が、エンジンの音に掻き消される。

 私は声を出さずに笑った。

 車のスピードがどんどん上がる。
 通り過ぎる景色の中に、紅葉したイチョウが見える。

 多くの木々が、街灯や車のライトに照らされていて、夜を彩っていた。
219 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:07:44.71 ID:pSpvNKUzo

 私って、聞き分けいいんですか?
 訊ねたくなって、やめる。

 聞き分けのいい私。
 最近に至っては、全く持って身に覚えがない。

 それにどうせ訊ねたって、
藍子はいい子だから、
とかで済まされるに決まってる。

 まあ、それでもいいかなあ。
 そう思ってしまった。

 実際に、私に対して、いい子、だなんて単語がプロデューサーさんの口から発されたことは、ない。
 けど、それに近い言葉は、何度もかけられてきた気がする。

 レッスンスタジオで。
 仕事中の現場で。
 事務所で過ごす、どこか退屈な一日の中で。

 プロデューサーさんが目を細める。
 私は少し疲れた様子で、歩み寄る。
 その口がゆっくりと動く。
 それを見て、私はほっとする。
220 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:08:19.19 ID:pSpvNKUzo

「いい感じに、紅葉してる」

 近くて、遠い声に引き戻される。

「そうですね」

 私はさりげなく返事をして見せる。

 菜帆ちゃんはゆっくりと、舟をこぎ始めている。
221 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:10:24.29 ID:pSpvNKUzo



 ライブまで、レッスンの日々が続く。

 同じことの繰り返しでつまらない。
 退屈。
 先生のやり方の押しつけ。

 レッスン嫌いの子は、たいていそう言う。

 でも、同じことを繰り返すことは、どこか安心してしまう。
 レッスン中は、レッスンのことだけを考えていられた。

 だから私は、割とレッスンが好きだった。
222 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:13:01.99 ID:pSpvNKUzo

 けど、今日は違った。

 担当が変わる。
 その噂が本当なら、どうなってしまうのか。

 私はそのことばかり考えていた。

 そばにいても、訊けなかった。
 物事をつまびらかにするのは、怖い。

 そうして今日まで、訊かなくちゃと思うだけで、
自分から訊いて傷つくより、
訊かないまま傷つかずにいる方法を選んできた。
223 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:15:25.90 ID:pSpvNKUzo

『何とかなっちゃったの』

 菜帆ちゃんはそう言っていた。

 私はそれを信じることにしようと思う。

 時間はかかるかもしれない。
 それでもまた、前を向いて行ける方法だって、見つけられるはず。

 それに、いなくなるわけじゃないし。
 大げさに考えすぎなんだ。たぶん。

 今日、迎えに来てもらった時。 
 その時に、担当替えのことについて、訊いてみよう。
 私はそう決めた。

 一人のスタジオ。
 シューズが床をこする。
 その音だけが、静かに響いていた。
224 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:17:31.98 ID:pSpvNKUzo

>少し遅れる

>ごめん

 レッスンが終わって携帯を開くと、
最低限の情報が含まれたメールが届いていた。

 少し拍子抜けする。

 私は十秒ほど考え込んだ後、
スタジオの向かい側の公園にいます、とだけ返信した。

 座ろうと思っていた屋根つきのベンチの下では、
厚着した子供たちがカードゲームをしている。

 男の子って、ああいうの好きだよなあ。
 仕方なく、入口から見て奥の方にある、あさぎ色のベンチに腰掛けた。
225 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:18:24.18 ID:pSpvNKUzo

 冷たい、芯のある風が吹く。
 カードが散らばったらしく、屋根の下がいっそう騒がしくなった。

 手が、かじかんでいた。

 ついこの前、手袋をなくしてしまったのだ。
 気に入っていたのに。

 ないと分かっていても、ポケットの中を探ってしまう。
 すると、手袋ではなくトイカメラが出てきた。

 電源も入れず、空に向かって構える。
 秋空は高いというけど、私には今一つわからなかった。
226 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:19:18.57 ID:pSpvNKUzo

 そのままの体勢で立ち上がる。
 足元で枯れ葉が音を立てる。

 このトイカメラには、液晶がない。
 どう撮れたかなんて、後にならないとわからない。

 そうして出来上がった写真は、いつもどこかおぼろげだ。
 もちろん、いつか撮ったプロデューサーさんの背中も例外ではない
 (ぶれているから、“おぼろげ”の域を超えているかもしれない)。

 今の空を撮ったら、どう写るんだろう。

 興味がふつふつと沸いてくる。

 電源を入れる。
 腕を目いっぱい伸ばす。

 首が痛くなるくらい、真上を見ようとする。

 なんだかくらくらして、少しよろける。
 半歩ばかり、後ずさる。

 すると、背中のあたりに、何かが触れた。
227 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:20:09.51 ID:pSpvNKUzo

「面白そうなことしてるね」

 空と私との間に、プロデューサーさんの顔が入る。

 わっ、と叫んで私はトイカメラをまたポケットに突っ込んだ。

「どこから見てました?」

 ポケットを軽くたたきながら、訊ねる。

「立ち上がった辺りから、かな」

 なんか、のんびりしてていいね。
 笑われて、少しむっとした。

「撮らないの」

「いじわるされたから、撮りませんよ」

「いじわるだったかな」

「いじわるでしたよお」

 小さく舌を出す。

 そりゃ悪かった。
 さらっと、プロデューサーさんが謝る。
228 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:20:42.91 ID:pSpvNKUzo

「それより、あの、お時間ありますか?」

「あるけど……。
 長くなりそうなら、
 どこか入ったほうがいいかな」

「大丈夫です。
 お時間はとらせません」

 たぶん。

「ちょっと座っていきませんか?」

「いいよ」

 二人でベンチに腰掛ける。
 どうやって切り出そう。
 考えていたはずなのに、頭が真っ白になる。
229 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:21:21.33 ID:pSpvNKUzo

「プロデューサーさん」

「うん」

「……プロデューサーさん」

「うん」

 うまく言葉にできなかった。
 結局、私は恐れている。

「どうしたの」

 痺れを切らしたのか、プロデューサーさんが訊いてくる。

「なんでも、なんでもないです」

 分かり切った嘘をついてしまう。

「なんでもないってことはないだろ」

 プロデューサーさんが笑う。
230 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:22:27.05 ID:pSpvNKUzo

 私は申し訳なさそうに、
いやあ、とか、まあ、とか、
意味のない言葉を並べながら苦笑した。

「相談事や心配事があれば、なんでもどうぞ」

 プロデューサーさんが気取ったように言う。

「藍子の頼みなら、悪いようにはしないよ」

「プロデューサーさんに相談すると、
 大体うやむやにされて終わった気がします」

「本当?」

「ほんとですよ」

「……世の中そんなものなんだよ」

 そう言われて、顔を背けられた。

 私は、スーツの袖を強く引きながら、
そういうのどうかと思います、と強い口調で言う。

 乾いた笑いが聞こえてくる。

 もう、悩んでたのがばからしくなってきた。
231 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:22:58.88 ID:pSpvNKUzo

 私たちの間には、
うやむやなものばかりで、
はっきりしたものなんて、きっとない。

 私は覚悟を決めた。

「担当替え、するって、本当ですか?」

 プロデューサーさんは振り向いて、

「それ、誰から訊いた?」と質問してきた。

 私は黙り込んだ。
 黄色い銀杏の葉が、風に揺られて足元に転がり込んでくる。
232 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:23:24.83 ID:pSpvNKUzo

 私の様子を見てか
「ああ、別に怒るとかそういうのはないから大丈夫」とプロデューサーさんは優しく言った。

 私が、菜帆ちゃんが、とだけ言うと、
なんであいつ知ってるんだろう、
と、プロデューサーさんは息を漏らした。

「一応、まだ公にはしてないはずなんだけどなあ」

 いや、公って言うほど、大げさなものじゃないか。
 プロデューサーさんが独り言みたいにしてつぶやく。

「で、訊きたいのはそれだけ?」

 柔らかな口調。
 なのに、それは私を安心させてくれない。
233 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:24:33.49 ID:pSpvNKUzo

「……じゃあ、本当、なんですね」

「多少ね。人も増えすぎたし」

 どこからか、鐘の音が聞こえてくる。

 それを合図に、子供たちが別れの挨拶をかわして、方々へと散っていく。
234 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:26:30.60 ID:pSpvNKUzo

「ああ」

 はっとしたようにプロデューサーさんが手を打った。

「そういうことか」

「どういうことですか」

「藍子なら、大丈夫だよ」

 何が大丈夫と言うんだろう。
 いまいち要領を得ない。

 首をかしげている私を見かねてか、
プロデューサーさんは、仕方ないという風に、肩をすくめる。
235 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:27:19.91 ID:pSpvNKUzo

「来年もよろしくお願いします、ってこと」

「よかったあ」

 何かを感じたり、
考えたりする前に、
安どのため息と言葉が漏れ出る。

「そう言ってもらえてよかったよ」

 プロデューサーさんが満足げにうなずく。

「私、ここのところずっと不安で……」

 遠慮がちな笑みを浮かべる。
 裾をつかむ力が、少し緩む。
236 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:27:56.24 ID:pSpvNKUzo

「道理で。なんかよそよそしかったわけだ」

「……気づいてましたか」

「たまには気づかないとね」

「でもですね」

「うん?」

「避けてたのは、また別の理由でですね……」

「違うの」

「違うんです」

 なんだ。
 わかったつもりに、なってただけか。

 がっくりとプロデューサーさんが肩を落とす。
 けど、すぐに私の方を向いて真面目な声を出した

「で、また別の理由って言うのは?」
237 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:29:34.73 ID:pSpvNKUzo

 答えに窮する。
 言わなきゃよかったと少し後悔する。

 あの日の話を繰り返されることほど、恥ずかしいことはない。

 袖から手をはなす。
 顔の前で両手を重ねて息を吐きかける。

 暗い空気の中で、白い息が立ちのぼる。
 自分でも驚いてしまうくらいに、手が、かたかたと震えている。

「手袋なくしちゃったんですよお」

 ごまかすように、わざとらしく笑う。

「手袋なら助手席の下に落ちてたよ」

「ほんとですか!」

 私は喜んでみせた。
 声が上ずっているのを悟られないよう、大声で。
238 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:30:49.79 ID:pSpvNKUzo

「それよりさ」

 それを無視して、
プロデューサーさんは私の両手を奪った。

「本当に冷たい」

 言おうとしていたはずの言葉を続けるのをやめ、
プロデューサーさんは、私の手に関する感想を、驚いたようにして述べる。

 私は内心あたふたした。
 けど、身動きをとれず、ただただうつむいている。

 痛いほどに鼓動が高鳴っている。
 引き寄せられた両手は、いまだに震え続けている。
239 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:31:30.23 ID:pSpvNKUzo

 寒かったんです。
 絞り出すように、私は言う。

 そう。
 プロデューサーさんは無関心を装う。

「それより、なんで避けられられてたのかな」

 なんか俺、悪いことした?
 とでも言いだしそうな顔をしている。

 これはわざとで、実は全部見透かしてるんじゃないだろうか。

 今まで、そんなことほとんどなかったのに、不思議とそう思えてくる。

 私の手の中が、じっとりと湿っていく。
 どうすればいいのか、全然わからない。
240 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/22(金) 20:32:06.14 ID:pSpvNKUzo

 あの、恥ずかしいです。
 蚊の鳴くような声で、私は言う。

 いや、まだ冷たいし。
 また風邪とかひかれたら、いやだし。

 困る、じゃなくて、いや、なのか。
 熱を帯びた頭の中で、何とか思う。

 いじわる。
 なんで。

 ほら、もう十分あったまりましたから。

 じゃあ、はやく教えて。
 今後の参考にするから。
241 : [saga]:2013/02/22(金) 20:33:14.21 ID:pSpvNKUzo

 終わりの見えない言い争いが続く。
 白い息が、ふわりと浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。

 秋が闌けてゆく。
 ごわごわした手は、相変らず私の両手を奪っている。

 二つあった影が次第に闇に溶けて、見えなくなっていく。

 私は結局、話せないままでいる。
242 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/22(金) 20:34:26.23 ID:pSpvNKUzo
フェス休憩
見直しが終われば最後まで投下する
243 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/22(金) 20:40:27.29 ID:OHsKsRYAO
お疲れ
244 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/23(土) 00:24:05.31 ID:J6vNNcoJo
日付をまたいでしまった…
最後の投下になります
245 :第七章『帰り道』 [saga]:2013/02/23(土) 00:26:30.00 ID:J6vNNcoJo

 ちょっとお話でも、どうでしょう。

 なーんて。

 覚えてます?

 さすがに忘れてませんよね。

 にしても、心配性ですね、プロデューサーさんは。
 私、別に一人でも帰れるのに。

 でも、あれだけのライブの後で、
一人になるとさみしくなりそうだったから、よかったです。

 それでですね。
 実際にちょっと話していきたいんですけど、どうですか?

 なんだかしゃべり続けてないと、今日のこと思い出して、色々考え込んじゃいそうだから。
246 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:27:37.85 ID:J6vNNcoJo

 あの日まで、私、人並みに生きてきたんです。

 何が人並みか、ですよね。
 まあ、私のことですよ。

 高森藍子。
 七月二十五日生まれ。
 獅子座のO型。

 運動神経とか得意科目とかには、
多少偏りがありますけど、
決してそれも人並みの範疇は超えないものだと思います。

 だから私はこう思っていたんです。

 できるだけ、平穏無事に日々を送ることが出来たらいいなあと。

 それが、私の希望でした。

 それなのに、あなたに会っちゃったんです。

 だからと言って、劇的な変化とか、
そういうのがあったかと言われると……。

 実はなかったんじゃないかなって思います。

 だって、今も……。
 いや、まあ、多少波はありますけど、割と平穏無事な日々を送ってますし。
247 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:28:18.98 ID:J6vNNcoJo

 初めてあなたに会った時。
 正直言って、怪しいなって思ったんです。

 裏通りだったし。
 なんか早口でたくさんしゃべるし。
 私のこと、呼び捨てにするし。
 ……自分でそう言ったから、嫌じゃなかったですけどね。

 この人はきっと、セールスとかやればうまいことやるんだろうなと思いました。
 実際は、そうでもないみたいですけど。

 また、あの時に戻れたら、私はどうするのかなあ。

 なんか、また結局言い負かされちゃう気がします。
248 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:29:11.95 ID:J6vNNcoJo

 二回目にプロデューサーさんに会った時。
 私が初めて事務所にお邪魔させていただいた時ですね。

 街角で会ってお茶したときより、
いい感じの人だと思ったんです。

 また、最初みたいにぺらぺらしゃべられたら、
私、尻込みしてたんじゃないかと思います。

 だから、プロデューサーさんは、
プロデューサーさんのままでいれば、大丈夫。

 そういうのが隠しきれてなかったから、
他の、プロデューサーさんに誘われた子たちも、来たんだと思いますよ?

 菜帆ちゃんが言ってました。

『ただ、いいかなって思っちゃったの』って。

 私も菜帆ちゃんと同じ理由です。

 もちろん、誰かに笑ってもらえたらいいな、くらいは思ってましたけど、ね。
249 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:29:40.38 ID:J6vNNcoJo

 それで、最初のうちは、
だめそうだったら、
やめようと思ってたんです。

 でも、ガラじゃないのに、
まとめ役みたいになって、
やめるにやめられなくなって……。

 私、かなり我慢強い方だと思うんですよ。
 出来るだけ、迷惑かけないようにしなくちゃ、って。

 だからその時は続いちゃったんです。
250 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:30:28.65 ID:J6vNNcoJo

 それをですね、
プロデューサーさんは、
まあいいや、で投げたんですよ。

 いい加減だな、とは思いました。
 今でも少し、いや、結構思ってます。

 いい加減だな、と思ったんですけど、
それが嫌かって訊かれると、嫌じゃなかった。

 それで、今まで……、
まあ、その間にも色んなことがありましたけど、続けてこられたわけです。
251 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:30:56.81 ID:J6vNNcoJo

 今は大丈夫なの?
 そう訊かれたら、どう答えたらいいんでしょうね。

 でも、悪くないなって思ってます。
 むしろ、よかった。

 うん、続けてよかったです。
 ありがとうございます、本当に。
 
 プロデューサーさんがいなければ、私は今ここで歩いてませんから。
252 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:31:34.36 ID:J6vNNcoJo

 温厚だね、ってよく言われてたんです。
 今でもですけど。

 でも、少し、怒りっぽくなりました。
 我慢も一年前より出来なくなっちゃいました。

 どうしましょう。
 プロデューサーさんのせいですね。

 でも今の私は、今までずっと私だったんです。

 それだけは、間違いようがないんです。
253 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:32:06.43 ID:J6vNNcoJo

 少し、変なこと言っちゃったかな。
 すみません。
 すこし落ち着かなくて。

 ……えっと、それとですね。
 なんというかですね。
 ご褒美というか形に残るものをプレゼントしてほしいというか……。

 ……ほんとに?
 男に二言はないですよ?

 じゃあ、今ここでもらってもいいですか?

 今すぐにでも、私がもらえるものです。
 プロデューサーさんなら、何かわかりますよねっ。
254 : [saga]:2013/02/23(土) 00:33:08.67 ID:J6vNNcoJo

 観念してください。
 ちゃんと、フラッシュは炊けますから。
 ほんと、そんなに嫌がらなくてもいいのに。

 写真欲しがってるの、結構本気なんですよ?
 形になる、確かなものが欲しいんです。

 はいはい。
 いいからいいから。

 じゃあ、そこらへんで。

 もうちょっとリラックスして?

 笑ってくれないと、何枚でも撮り続けちゃいますから。

 そうそうそのまま。

 ねっ、笑って?
255 :第八章『セルフタイマー』 [saga]:2013/02/23(土) 00:33:40.08 ID:J6vNNcoJo

『新興事務所の大躍進!!』

 そのど派手な見出しの割に、記事は小さめ。

 あれ以来、さほど変わりない。
 お仕事の量が増えたような気はするけど、それも緩やかなものだ。

 ライブのレビューが載った雑誌を開きながら、私はぼおっと夜を過ごしていた。 

 プロデューサーさんとの時間も、それに応じて増えるけど、
そっちの方も、変わらず緩やかな関係でいる。

 私たちが事務所に入社して、だいたい一年。

 そういえば新興事務所だったと改めて思う。
 その割に人であふれていた気がするけど。
256 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:34:29.11 ID:J6vNNcoJo

 なんというか、のんびりしてしまっている。

 手に入れたプロデューサーさんの写真。

 せっかく手に入れたのに。
 この時を待ち望んでいたはずなのに。
 私は、まだなお満足していない。

 笑顔がぎこちない?
 どこか証明写真じみているから?
 辺りが暗いのが気に入らない?
 一枚だけじゃ物足りないとか?

 それらしい理由はいくらでも思い浮かぶ。
 けど、これと言って核心を突くようなものが思い当たらない。
257 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:35:18.34 ID:J6vNNcoJo

 雑誌を閉じると、電話が鳴った。

 クリスマス兼忘年会兼ライブの打ち上げ兼一周年記念の食事会をしよう。

 電話に出るなり、プロデューサーさんは早口でまくしたてた。

 ひどいごった煮ですね。
 私は笑った。
 電話越しにプロデューサーさんも低く笑っている。

「それで、当日の買い出しに付き合ってほしいわけだ」

 どれだけ買うんだろう。

 これだけ突発的なら、全員参加は無理なはず。
 それでも、半分が参加すればかなりの人数になるはずだ。
258 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:36:32.15 ID:J6vNNcoJo

「だめ?」

 他に頼むと、ロクなことになりそうにないんだよ。

 黙っていたせいか、
私の機嫌をうかがうようにして、
プロデューサーさんが訊いてくる。

「突然ですね。でも、いいですよ」

 仕方ないですね、プロデューサーさんは。
 わざとらしい口調で、了承する。

 そう、仕方ないの俺。
 プロデューサーさんが、笑っている。

 それ以上、特に話すこともなく沈黙が流れる。
 プロデューサーさんの後ろは、どことなくざわついている。

 電話、切っていい?
 あの、写真。

 言い出したのが、ほぼ同時だった。
259 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:37:27.77 ID:J6vNNcoJo

「写真?」

「写真、撮らせてくれて、ありがとうございました」

「あれは……うまいこと、口車に乗せられちゃったなあ」

「もっと撮らせてくださいね?
 アルバムがプロデューサーさんでいっぱいになるくらいに」

「それはちょっと気持ち悪いんじゃない」

「自分で言っておいてなんですけど、 私も少し、そう思いました」

「そう言われると、それはそれで複雑な気分になるね」

 プロデューサーさんが苦々しげに笑う。
260 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:37:54.46 ID:J6vNNcoJo

「じゃあ」

「はい」

「よろしく」

「はい」

「あと、おやすみ」

「はい。おやすみなさい」

 私が言うと、電話が切られた。
 なんとなく、かけなおして話し続けたかった。
 でも、これと言った用事もなかった。

 電話口からは、機械音が規則的正しく流れ続けている。
261 :>>260 訂正 [saga]:2013/02/23(土) 00:38:52.79 ID:J6vNNcoJo

「じゃあ」

「はい」

「よろしく」

「はい」

「あと、おやすみ」

「はい。おやすみなさい」

 私が言うと、電話が切られた。
 なんとなく、かけなおして話し続けたかった。
 でも、これと言った用事もなかった。

 電話口からは、機械音が規則正しく流れ続けている。
262 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:39:31.83 ID:J6vNNcoJo



 呼び出されて、連れて行かれたのはスーパーマーケットだった。

「ピザやケーキは予約してあるんだ」

簡潔にプロデューサーさんは説明してくれた。

パーティーに必要そうなものを順序よくかごに詰めていく。

 割り箸。
 紙コップ。紙皿。
 スプーン。フォーク。キッチンペーパー。
 それに飲み物、お菓子などなど……。

「どこか店がとれればよかったんけど」

「いちいち突然なんですよプロデューサーさんは」

 店内のBGMは遠慮がちに流れていて、私たちの会話の邪魔にはならなかった。
263 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:40:39.93 ID:J6vNNcoJo

「思ったより早く済んだよ。ありがとう」

 両手に重そうな袋を提げて、プロデューサーさんがお礼を言う。

「どういたしまして」

私は片手に黄色い風船を握っていた。

スーパーの出口に立っていたお店の人から、
押し付けられるようにして、もらったものだった。

「余っても困るだろうしなあ」

 駐車場の中を二人で並んで歩く。
 荷物のせいか、プロデューサーさんの歩幅がちょうどいいものになっている。

「私だって、もらっても困ります」

「そう?」

「嬉しいですけど、置き場がないというか……」

「そりゃまあ、そうだろうね」

「でも風船っていいですよね」

「うん、いいね」
264 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:41:53.08 ID:J6vNNcoJo

 車の前まで来ると、
「あ、鍵開けてよ」と、指示された。

「鍵はどこですか?」

 訊ねると、プロデューサーさんはからだをゆすって、コートの右ポケットのあたりを肘で押さえた。

「私、出しますよ?」

「じゃあ、お願い」

 身を寄せて、ポケットに手を突っ込む。

 左手に持ち替えた風船は、ふわふわゆらめいて、プロデューサーさんの顔の前を漂っている。
265 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:42:41.67 ID:J6vNNcoJo

「ちゃんと整理しといてくださいよ」

 中がごちゃごちゃしていて、
どれが車の鍵だか分からなかった。

 ポケットの中がかちゃかちゃ鳴る。
 風船は私と適度な距離を置いて、揺れている。

 一方的に文句を言いながらも、私は一発で鍵を抜き出した。

「当たりだね」

 プロデューサーさんがおどけて言う。

「ふざけたこと言わないでください」

 不満げな声をよそにして、
いくつかのビニール袋が、後部座席に乱雑に並べられていく。

 私はその袋に風船を、低くくくり付けた。
266 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:43:12.33 ID:J6vNNcoJo

「どうしようねあれ」

「知りませんよ」

 運転席と助手席。
 いつものように、それぞれの席に乗り込みながら、言い合う。

「それに、どうしようかこれから」

「どうしようか、って?」

「ケーキを取りに行くには早すぎるし、
 だからと言って、事務所に寄って、ただ待つのもなんだし……」

「微妙な時間の使い方って難しいですよね」

「お茶でもしていこうか?」

 なんとなく、懐かしい誘い。
267 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:44:36.67 ID:J6vNNcoJo

「あの和菓子屋さん、近いですかね」

「それなり、ってところかな」

「最近、あまり行けてなかったので」

 菜帆ちゃんに呼び出されたあの日以来、
和菓子屋さんには一度も行けていなかった。

 それまでも、
頻繁に通い詰めていたとは言えないけど、
ここまでの間隔があいたことは、たぶん一度もない。
268 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:45:38.80 ID:J6vNNcoJo

「じゃあ、そこにするか」

「お願いします」

 いつものようにゆるりと車は動き出す。

『明日は大雪になるでしょう』

 カーラジオからは天気予報が流れ始めていた。

「雪が降ると、うかつに運転もできなくなりそうだね」

 ため息交じりに、プロデューサーさんがつぶやく。

「大渋滞とか、出来そうですね」

「そればかりは、運転のうまさじゃどうにもならないよなあ」

「それでどうにかなったら、渋滞どころの騒ぎじゃないですね」

 笑いながら、思った。
 プロデューサーさんは、運転に自信があったんだろうか。
269 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:46:17.96 ID:J6vNNcoJo

 それを訊ねると、「へ」と、かなり意外そうな声が返ってきた。

「運転上手だとか思ったこと、ない?」

 それにこの一年で、うまくなったし。
 言い訳みたいに、プロデューサーさんは付け足した。

 よくわからない。
 たぶん、意識していてもわからなかったと思う。

 正直にそう伝えると、あからさまにがっかりした顔をされた。

 少なくとも、下手だと思ったことはないですよ。

 慌ててフォローを入れても、プロデューサーさんの顔はどことなく曇っている。

「じゃあ今度はちゃんと見とけよ」

 運転中の、真面目な顔に戻しながら、プロデューサーさんは少し怒ったように言った。
270 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:47:16.94 ID:J6vNNcoJo

 ほどなくして、和菓子屋さんの正面にある駐車場に入った。
 
 見とけよ。

 プロデューサーさんがもう一度繰り返す。
 珍しくムキになっている。

「写真撮ってあげましょうか?」

 ふざけて訊ねる。

「いいよ」

「えっと、そのいいよ、はどっちのいいよ?」

「肯定の方」

 私がカメラを取り出す間もなく、車は後ろに下がる。

 プロデューサーさんはと言うと、席の肩に腕を乗せ、からだを半分よじって、後ろを見ている。
271 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:48:14.15 ID:J6vNNcoJo

 車が停まった。

 プロデューサーさんは前に向き直り、
シフトレバーをガチャガチャ動かした後、エンジンを止めた。

「どう」

 プロデューサーさんは子供みたいに鼻を鳴らす。

 やっぱり、わからない。

 困ったような笑みを浮かべながら首をかしげていると、
プロデューサーさんはまたがっかりして見せて、
「藍子はこういうの、わからない子だったのか」と言った。

 少し、むっときて、少し、しょんぼりした。

 そうして黙ったままいたら、
プロデューサーさんは、「ごめんごめん」と、軽く私の頬を引っ張ってから、ドアを開けた。
272 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:48:57.50 ID:J6vNNcoJo

「何するんですか」

 口をとがらせて、私は言った。

「今後の参考にさせてもらうよ」

「それは何の役に立つんですか?」

 プロデューサーさんは笑いながら、
狭い道路を渡ると、なぜか和菓子屋さんの前で立ち尽くした。

 どうしたんですか?

 その背中を追って後ろから覗きこむと、
シンプルな貼り紙が、かすかに風に揺られていた。
273 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:49:45.08 ID:J6vNNcoJo

            お知らせ


 長年のご愛顧、誠にありがとうございました。


 当店は十二月末日をもちまして、閉店させていただきます。


                                 店主
274 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:50:29.02 ID:J6vNNcoJo

「客、いなかったもんなあ」

「そうですね」

「末日って言うには早い気もするけど」

「そうかもしれません」

 思い浮かべようとしても、
店員さんの顔が思い浮かばない。

 数少ないテーブルに、数少ない店員さん。

 夕方前になると、よく陽がさして、少しまぶしかった。
275 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:51:40.30 ID:J6vNNcoJo

「あの時、少し休んでいけばよかった」

 残念そうに、プロデューサーさんがこぼす。

「そうですね」

 ぼんやり答える。
 少し、感傷的になってしまっている。

「菜帆ちゃん、なんて言うかなあ」

「どうだろうなあ」

「せっかく見つけたのに、一年でなくなっちゃうなんて」

 なんだかなあ。
 小声でぽつりとつぶやいた。

 頭の上に、ぽんと手を乗せられる。

 鼻の奥が、つんと痛む。
 少し目の前が潤んだけど、すぐ元通りになる。
276 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:53:22.73 ID:J6vNNcoJo

「行こうか」

 プロデューサーさんは歩き出す。
 つい、その腕をつかんで、その場に止めてしまう

「どうしたの」

 プロデューサーさんが目を丸くする。

「お店の写真、撮っていってもいいですか?」

 いいよ。
 プロデューサーさんがまぶしそうに目を細める。

 陽の色が、街を茜色に染め上げる。
 向こうに見える車の中で、風船の頭が窮屈そうに浮かんでいるのが見える。
277 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:54:19.50 ID:J6vNNcoJo



「それは残念ね」

 行きつけの和菓子屋さんがなくなったことを伝えると、
菜帆ちゃんはフライドチキン片手に、
軽く肩を落としてみせた。

「いいとこだったのにね」

 私も少し大げさに肩を落とす。

 広めの会議室に、三十人弱と言ったところだろうか。

 立食パーティと言えば聞こえはいいけど、
椅子に座って行儀よくできないから、
と言うのが、この形式になった理由らしい。

 でも、こんな突発的な行事に、
これだけ人が集まったのは、
なんだかんだでまとまっている証なのかもしれない。

 おかげで小さい子に、風船を渡すこともできたし。
 そうして巡って行って、優しさのおすそわけが出来たのなら、いいなと思う。
278 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:55:00.67 ID:J6vNNcoJo

「まあ、お客さん、いなかったし、
 店員さんの愛想も良くなかったから、仕方ないわよね」

 笑って、菜帆ちゃんはフライドチキンをかじった。

「もしかして、あんまりショックうけてない?」

「ええ。
 まあ、いつかこうなるとは思ってたもの。
 どこかでそれを覚悟してたのかも」

 だから、と菜帆ちゃんは続ける。

「この近辺の和菓子屋さん、もうリストアップしてるの。
 しらみつぶしに行って、新しいところ、見つけましょ?」

 なんというか、かなわない。

「抜け目ないね、菜帆ちゃんは」

「こうみえて、しっかり者なのよ、私」

 顔を見合わせて、二人で笑った。
279 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:55:46.07 ID:J6vNNcoJo

 ひとしきり笑い終えると、
菜帆ちゃんは、次のフライドチキンへと手を伸ばした。

「食べ過ぎじゃない?」

「いいのいいの」

「プロデューサーさんに、怒られちゃうよ?」

「それが怒られなくなったの」

 なんでだろう。

 怪我が治ってからの菜帆ちゃんは、
レッスンを中心にしていたから、
プロデューサーさんにこってりとしぼられていたはずなのに。
280 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:56:21.61 ID:J6vNNcoJo

「プロデューサーさんが私の体重を聞いて言うの」

 菜帆ちゃんは私が黙っているのに構わず、
プロデューサーさんのものまねをする。

「『あれだけやって、
 食事制限もしたのに増えるなら、もう好きにしろ』って」

 えっ。
 増えたの。

 驚いて、訊ねる。

 菜帆ちゃんは、ゆるりと微笑んで見せるだけで、それ以上多くは語らなかった。
281 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:57:19.34 ID:J6vNNcoJo

「まあ、それじゃあ、もう、プロデューサーさんに怒られることはなさそうだね」

 たどたどしく言って、菜帆ちゃんに笑いかける。

「そうねえ」

 一瞬考えるようなしぐさを見せて、菜帆ちゃんは「あ」と声を漏らした。

「しいて言うなら、冗談めかして怒るくらい、かもね」
282 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:58:08.41 ID:J6vNNcoJo

「なんて言って怒るの?」

 菜帆ちゃんが口を開く。
 歓声に、その声が紛れる。
 それと同時に長机の上のコップが倒れる。

 歓声の中心には、宅配ピザを持ったプロデューサーさんがいる。

「私が怪我してたあの時は、しょうがなかったんでしょうけど」

 言いながら、菜帆ちゃんがキッチンペーパーを抱えた。

「じゃあ私、片づけてくるわね」

 たまには藍子ちゃんにも休んでもらわないと。

 キッチンペーパーを抱えて、菜帆ちゃんが被害の中心へと歩み出す。

 そんなこと言われたら、動けないじゃない。
283 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:58:48.03 ID:J6vNNcoJo

 何もできず、突っ立ってると、
プロデューサーさんがやってくる。

「珍しいね」

「えっと、何がです?」

「ああなってるのに、藍子が片づけに行かないの」

 ジュースがこぼれた長机の上を見やってから、
プロデューサーさんがピザを置く。

「菜帆ちゃんが休んでろって」

「なるほど」

 それは成長したもんだ。
 おかしそうに笑って、プロデューサーさんは深くため息を吐いた。
284 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 00:59:31.81 ID:J6vNNcoJo

「お疲れですか?」

「見てた?」

 ちょっとした雑務が入って。
 それで今朝は少し早かったんだ。

 眠そうに、プロデューサーさんが目を瞬かせる。

「藍子といると、緩んじゃうから、よくないね」

「そうですかね」

「運転中はしっかりしてただろ?」

「してないと困りますよ」

「そりゃそうだけどさ」

 このやり取りで、気づいてしまった。
 とうとう、気づいてしまった。
285 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:00:14.56 ID:J6vNNcoJo

「だからですか?」

 私は訊ねる。

 なにが、とプロデューサーさんは首をかしげている。

「だから、私に写真撮られるの、苦手なんですか?」

「そうなのかな」

 どちらにせよって感じだけど。
 でもまあ、自分の緩んだ顔なんて、あんまり残したくないもんな。
 そう言いながらも、顔は緩んでいる。
286 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:01:24.37 ID:J6vNNcoJo

「でも、気づかれないように、そっと撮ってたりしてないの。俺が藍子なら、絶対してる」

 実は、一度だけ。

 言えるはずもない。

 黙って首を横に振る。

「どうして」

「……そうすればいいって、気づかなかったんです」

 我ながら、少し苦しい。
 けど、プロデューサーさんは全く気付かない様子で、

「ばかだなあ」と笑った。

「分かってても、私隠し撮りなんかしませんもん」

 実際、最初の時しかしてないし。
287 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:02:40.52 ID:J6vNNcoJo

「そっかそっか」

 信じていない様子で、プロデューサーさんは声を弾ませた。

「それよりさ」

「はい」

「明日の仕事の前に菜帆を駅まで送っていくんだけど、ついでに行く?」

「菜帆ちゃん、ロケとかですか?」

「いや、帰省」

 怪我がいつ治るかわからなくて、
いまいち予定を入れられなかったんだ。

 プロデューサーさんは、そう弁解した。
288 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:04:20.93 ID:J6vNNcoJo

「まあ、ちょうどいい休みになるだろ」

「そうかもしれませんね。
 でも、明日って大雪になるんじゃ……」

「早めに出れば、大丈夫なんじゃないかな。で、行く?」

「はい、ぜひお供させていただきます」

「了解。でも、やっぱり混むかもなあ」

 プロデューサーさんが不安材料をあげると、今度は悲鳴が上がる。

 目をやると長机の上で、またコップが倒れている。

「全然成長してないな」

 じゃあ、今度は俺が手伝ってきますよ。

 わざとらしい敬語を使って、
プロデューサーさんも、さっきの菜帆ちゃんと同じように、
キッチンペーパーを抱えながら、輪の中心へと入り込んでいく。

 そこにいる菜帆ちゃんは、珍しくおろおろしている。
 
 その様子がおかしくて、こみあげてくる笑いを押しとどめるのに、私は必死になっていた。
289 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:04:53.02 ID:J6vNNcoJo



 次の日の朝早く。

 天気は快晴。
 こんな時間なのに、駅の中は人でいっぱいだった。

 私たち三人は、
待合室の空いたベンチを探して、
新幹線の時間を待った。

「昨日の天気予報、嘘でしたね」

「そういうこともあるさ」

 右側のプロデューサーさんが、少し不機嫌そうに言う。
 私はそれに気づかないふりをして、左の菜帆ちゃんに訊ねた。
290 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:05:28.70 ID:J6vNNcoJo

「それにしても、飛行機じゃなくていいの?」

 菜帆ちゃんの実家は、ここよりだいぶ西の方だ。

 どう考えたって、飛行機で行く方が便利に決まってる。

「藍子ちゃんを見習って、のんびり行こうかと思って」

 もっとも菜帆ちゃんは、時間なんて気にしてないみたい。

「君も十分のんびりしてるよ」

 右からプロデューサーさんが口をはさむ。

「私と藍子ちゃんの“のんびり”は種類が違うんですよ」

 菜帆ちゃんが得意げになる。
 のんびりに種類があるんだろうか。
 考えていると、でもさ、とプロデューサーさんが笑う。
291 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:06:03.15 ID:J6vNNcoJo

「本当は、飛行機が怖いんだろ?」

「いいえ?
 帰りは飛行機にするつもりですよ?」

 なんだ。
 プロデューサーさんが肩を落とす。

 プロデューサーさん、飛行機苦手なの。
 私は菜帆ちゃんに耳打ちをする。

 なるほどね、と言わんばかりに菜帆ちゃんはうなずく。

 プロデューサーさんは、
私たちの様子に気づかないまま、
眠たそうな目で携帯をチェックしている。
292 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:07:12.91 ID:J6vNNcoJo

 お弁当を持ったサラリーマンの人が、私たちの前を通り過ぎて行く。

「昨日の写真、ちょっと見せてよ」

 突然、菜帆ちゃんが言いだした。

 昨日あんなことを言われたから、
私はプロデューサーさん含む、
みんなの写真をたくさん撮っていたのだった。

 菜帆ちゃんは私からデジカメを受け取ると、
頬を緩ませながら、その液晶を覗きはじめた。

 ふと振り向くと、プロデューサーさんが、それを横から不安そうに眺めていた。
293 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:07:43.37 ID:J6vNNcoJo

「徐々に慣れていけばいいんですよ」

 プロデューサーさんの耳元に、ささやきかけてみる、

「慣れるもんかな」

 不安げに、プロデューサーさんがひそひそ言う。

「来年から、私が慣れさせてあげますよ」

 来年かあ。
 先が思いやられるね。

 プロデューサーさんが声を殺して笑う。
 私も静かに笑う。
294 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:08:33.56 ID:J6vNNcoJo

 すると、いきなり「えいっ」という声がした。
 一瞬、目の前がくらくらする。

「綺麗に撮れた」

 菜帆ちゃんの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

「不意打ちは卑怯だよ」

 プロデューサーさんがちょっと強く言う。

「そっちこそ、私をのけ者にしないでくださいよ」

 菜帆ちゃんが頬を膨らませる。

「ごめんね」

 私は笑いながら、謝る。

 仕方ないわねえ。
 そう言いながらも、菜帆ちゃんも笑っている。

 そしてもちろん、プロデューサーさんも。
295 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:09:46.50 ID:J6vNNcoJo

 アナウンスが流れる。
 それは待合室の中のざわめきのせいか、何重にも重なって聞こえた。

「そろそろ行くわね」

 菜帆ちゃんが私にデジカメを渡す。

「ちゃんと帰ってきてね」

「失踪はしないと思うわ」

「それは困るよ」

「冗談ですよ」

 菜帆ちゃんがスーツケースを転がしだす。
 私は二人の間を歩く。
296 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:10:26.10 ID:J6vNNcoJo

 三人で歩く。
 向こう側から人が来る。

 私はプロデューサーさんの方に寄って、それをやり過ごす。

「年が明けたら、また食べ歩きね」

 前を向いたまま、菜帆ちゃんが言う。

「君は本当にそればっかだね」

 プロデューサーさんが呆れたような声を出す。

「しょうがないじゃないですか。
 それを取ったら私は何を楽しみに生きればいいか分かりません」

 改札口の前まで来ると、菜帆ちゃんは、
「今年はお世話になりました」と深々と頭を下げた。

 それにつられ、私は慌てて頭を下げる。

 しばらくして顔を上げると、「お辞儀、深すぎ」と笑われてしまった。
297 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:10:58.07 ID:J6vNNcoJo

「じゃあ、よいお年を」

 菜帆ちゃんが手を振って、改札の方へと進んでいく。

「よいお年を」

 菜帆ちゃんはしっかりうなずいてみせると、
改札を通っていって、人ごみの中に紛れていった。
298 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:11:25.79 ID:J6vNNcoJo

「行っちゃいましたね」

 ぽつりとつぶやく。

「うん」

「さみしいなあ」

「すぐに帰ってくるさ」

「だといいんですけど」

「心配?」

「そういうんじゃないですけど……」

「大丈夫だよ。どうせ、十日やそこらでまた会えるんだから」
299 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:12:06.95 ID:J6vNNcoJo

 駅の外に出ると、朝の光が目を刺した。

 今日も仕事かあ。
 伸びをしながら、プロデューサーさんがつぶやく。

 仕事ですねえ。
 曖昧に返事をする。

 終わったら、お茶でも行くかあ。
 昨日は行けなかったし。

 それ、いいですね。
 言いながら、私は一歩前に出る。
300 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:12:53.01 ID:J6vNNcoJo

「ねえねえ」

「うん?」

「助手席の写真、撮っていいですか?」

「助手席、だけ?」

「だけ、です」

「いいけど、そんなの撮って面白いの」

「撮ってみないとわからない、ですよ」

「それもそうだね」

「そうそうそれと……」

「うん」

「助手席、乗ってもいいです、よね?」
301 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:14:15.81 ID:J6vNNcoJo



 起きた途端に、雪だ、と思った。

 お仕事の日は、
あんなに素早く目を覚ませるのに、
お休みになると、どうも起きられない。

 雪かあ。
 ベッドの中でもそもそつぶやく。

 プロデューサーさんが愚痴ってそうだな。
 私も嫌いになっちゃいそう。
302 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:15:13.82 ID:J6vNNcoJo

 年末だし、写真の整理をしよう。

 トーストと紅茶の朝食をとって、私はまた部屋にこもった。

 デジカメで撮ったもの。
 トイカメラで撮ったもの。

 それぞれ別のアルバムに分けながら、多くの写真を入れていく。

 風景。
 秋の空。
 パーティで食べたケーキ、ピザ。
 事務所の子たちとプロデューサーさんの集合写真。

 そういえば、ファンの人たちとの写真がない。
 事務所に行けばあるのかな。
 あるんだったら、もらってこなきゃ。

 そう考えつつ、黙々と作業を進める。
 作業は午前いっぱいかかった。
 たとえ失敗した写真でも、それなりに思い出深いものがあるから仕方ない。
303 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:15:48.27 ID:J6vNNcoJo

 それでも何とか作業をほとんど終わらせて、
ラジオを流しながら、ぼんやり休憩していると、
菜帆ちゃんからのメールが届いているのに気付いた。

>そっちは雪だそうですね
>からだには気を付けて

>私がそっちに戻ったら、食べ歩きしましょう
>ちゃんと、おまけ付けてくれるところがいいですね

>そうそう。お店を探す前に、焼き肉に連れてってもらわなくちゃ
>でも、たまにはご馳走してあげるのもいいかも

 どこにいても、ゆったりしてるなあ。

 そう思ったけど、私も人のこと、あんまり言えないのかも。
304 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:16:19.81 ID:J6vNNcoJo

 一人笑って、作業の大詰めに入る。

 今までのとは違うデザインの、少し小さめのアルバム。
 表紙には、二匹の犬と、タイトルを書くためのアンダーライン。

 プロデューサーさんからのクリスマスプレゼントだった。
 突然だったから、私はまだお返しが出来ていない。

 残り少なくなった写真を、今度は貼り付けていく。

 このタイプは、色あせしづらいらしいんだ。
 まあ、安物なんだけどね。

 プロデューサーさんが、少し申し訳なさそうにして教えてくれた。
305 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:16:54.24 ID:J6vNNcoJo

 初めに行った喫茶店のケーキ。
 昔のアルバムから抜き出したプロデューサーさんの背中。
 あの島の空、海。

 前を向いたプロデューサーさん。
 誰もいなくなった和菓子屋さん。
 よく撮れているパーティの一幕。
 助手席。
 そして、ツーショット。

 一枚一枚丁寧に貼り付けていく。

 確かにあった瞬間が、それぞれ積み重なって、一つの形になる。
 貼り終わると、嬉しくなって私は小さく声を上げた。

 一度開いては閉じて、また開いては閉じる。

 新しくおもちゃをもらった子供みたい。
 気づいて、苦笑する。
306 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:17:31.10 ID:J6vNNcoJo

 あのパーティの日。
 菜帆ちゃんの言葉は大声にまぎれていたけど、しっかりと聞こえていた。

『助手席は特等席なのに、って』

 言われた言葉をかみしめる。
 頬が緩む。

 これはきっと、自惚れじゃない。
 だって、わざわざ確かめたんだもの。

 ずるいですよね。
 小さくつぶやく。

 不機嫌にさせて、ごめんなさい。
 同じことされたら、私もそうなると思います。
 でも、今回、ずっと気づいてなかったのは私の方だったんですよ。

 そんなの、フェアじゃない。
 だから、ずるいけど、謝らない。
 それくらい、許してもらわなきゃ。
307 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:18:28.38 ID:J6vNNcoJo

 マジックをとる。

 私。
 あなた。
 菜帆ちゃん。
 和菓子屋さん。
 助手席。
 みんな。

 全部ひっくるめて、一つの名前を付ける。
 ペンを滑らせた表紙には、二匹の犬が相変らずのすまし顔で並んでいる。

 つまり、結構前から、もしかしたら初めから、お互いにこのタイトル通りだったのかもしれない。
308 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:19:03.95 ID:J6vNNcoJo

『午後になって、雪が止んできましたね』

 ラジオのパーソナリティの声が響く。
 外を見ると、濡れた風景が陽の光に反射して、きらきら輝いている。

 きっと、あなたは苦手なデスクワークを、退屈そうにこなしてるに決まってる。

『道がすごく混んでまして』

 パーソナリティが喋り続ける。

 どうやら事務所まで行くには時間がかかりそう。
 でも、どうやったって行けない、ということもなさそうだ。

 立ち上がって、電話をかける。

 出るなり、プロデューサーさんは「デスクワークは退屈だよ」と嘆く。

「じゃあ、今から遊びに行きますね」

 電話の向こうの驚いた声を無視して、私は電話を切った。
309 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:19:43.87 ID:J6vNNcoJo

 出来たアルバムを一緒に見たいんです。

 電話では伝えられそうにないことを思いながら、コートを羽織る。

 それを見た後で、分かりきったことを聞きたいんです。
 もっとも、私はつい最近まで気づいてなかったんだけど。

 あなたの口から聞きたいんです。

 それを聞いたら、私は泣いて、あなたを困らせちゃうかもしれません。

 でも、そうなってもいいのかなって、最近思えてきたんです。

 出来上がったアルバムは、
なんてことのない日常を切り取ったアルバムです。

 でも、私にとっては大切なもの。
 あなたにとっても、きっと。

 そうやって、大切なものを増やしながら、また一年、続いてゆけばいいなと思います。
310 : [saga]:2013/02/23(土) 01:21:15.48 ID:J6vNNcoJo

 マフラーを巻く。

 髪がたわんでいる。

 アルバムを手に取る。

 しっかり表紙の文字を確認する。

 それを大事にバッグに詰める。

 手袋をはめる。

 姿見で変なところはないか確認する。

 すると、プロデューサーさんから折り返しの電話がかかってくる。

 私はそっと、電話をとる。

 今からじゃなきゃ意味がないんです。

 強く言う。

 プロデューサーさんは、じゃあ気を付けてこいよ、としか言えなくなる。

 バッグに携帯を入れる時に、アルバムが顔を覗かせる。

 その表紙には私が欲しがっている言葉。

 “トクベツ”の四文字が力強く並んでいる。

 その言葉をもらう瞬間。
 不確かが確かになる瞬間。

 私はその瞬間を待ち焦がれている。
311 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/23(土) 01:21:41.84 ID:J6vNNcoJo
おわり
312 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/23(土) 01:23:42.81 ID:Kij9R0iZ0
乙! 長編ご苦労様! しんみりとしたよ
313 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/23(土) 01:38:51.14 ID:fs6PAmB3o

しっとりしんみり、いいもの読ませてもらいました
314 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/23(土) 01:50:18.41 ID:PBnmyI8ro
こういうしんみりとしたSSだと余韻もしんみりとしてくるね

おつでした
それと藍子SRおめでとう
315 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/23(土) 02:01:23.56 ID:QFuTAXD6o
乙です

小さな恋心に気づく瞬間って良いものですね
続きが楽しみで仕方ない作品でした
316 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/23(土) 02:25:27.14 ID:VFLdE1E7o
終わってしまったか
おっつおっつ、凄く好きな雰囲気だった
317 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/23(土) 06:34:54.33 ID:BXVu52uko
心が洗われた

おっつおっつ!
318 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/23(土) 10:31:06.91 ID:9cZjzQEAO
ついに完結したのか
おつおつ、ほのぼのしんみりとしててよかったよ

HTML化の依頼は出した?
319 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/23(土) 10:34:00.73 ID:J6vNNcoJo
起きた

HTML出してきますわ
どうもでしたー
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