澪「海底都市ラプチャー」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:14:51.53 ID:P07wBpgD0

・2007年に発売されたFPS「バイオショック」と「けいおん!!」のクロス
・バイオショック1、2のネタバレ注意
・バイオショック未プレイの人でもわかりやすく書くつもりです
・百合描写注意

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1366992891

1.5 ：荒巻＠管理人★(お知らせ) [Twitter]： ID:???

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もし、探しているスレッドがパートスレッドの場合は次スレが建ってるかもしれないですよ。

諸君、狂いたまえ。 ＠ 2024/04/26(金) 22:00:04.52 ID:pApquyFx0
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少し暑くて少し寒くて ＠ 2024/04/25(木) 23:19:25.34 ID:dTqYP2V2O
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渾沌ゴア「それでもボクはアイツを殺す」 ＠ 2024/04/25(木) 22:46:29.10 ID:7GVnel7qo
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二次小説の面白そうなクロス設定 ＠ 2024/04/25(木) 21:47:22.48 ID:xRQGcEnv0
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佐久間まゆ「犬系彼女を目指しますよぉ」 ＠ 2024/04/24(水) 22:44:08.58 ID:gulbWFtS0
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全レスする（´；ω；｀）part56 ばばあ化気味 ＠ 2024/04/24(水) 20:10:08.44 ID:eOA82Cc3o
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君が望む永遠〜Latest Edition〜 ＠ 2024/04/24(水) 00:17:25.03 ID:IOyaeVgN0
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笑えるな 君のせいだ ＠ 2024/04/23(火) 19:59:42.67 ID:pUs63Qd+0
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2 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:23:11.67 ID:P07wBpgD0

澪「………」

澪「…？」

澪「！？」

私は暗闇の中にいた。

澪「…ボゴォ！」ｺﾞﾎﾟｺﾞﾎﾟ

澪「〜〜っっ！？」

気が付くと私は水の中でひとり漂っていた。

澪「…ボゴゴゴ！」

自分が水中にいると分かると、私はパニックに陥りそうになったが、すぐに着ている服を脱ごうともがいた。
どうしてこんなに冷静になれるのか、自覚は無かったが体が勝手に動いていた。

澪「ん〜っっ！！んーｯｯｯ！」

何とかシャツと下着だけを残して着ている服を脱ぎ、私は水面だと思う方へ向かって必死に手を掻いた。
水面らしき場所は妙に明るく、オレンジ色に揺らいでいる。
その光を目指して、必死にバタ足をした。

澪「〜！」

澪「〜〜っ！」

澪「ん〜〜〜〜〜っ！！！！！」

澪「ぷはっ！！！」ﾊﾞｼｬﾝ

澪「うぷっ、ぷっ！はぁっ！」

澪「はぁ…うぷ…ぶはぁ！はぁ…」

澪「はぁ…はぁ…はぁ…」

なんとか水面にたどり着けた。
沈まぬように必死に足を動かしながら両手でバランスを取る。

澪「んっ…はぁ…うぅ…」

水面は自分を取り囲むようにメラメラと燃えていて、顔に熱が伝わってくる。
炎の熱で少しだけ水が暖かい。

澪「痛ぁ！」

顔が空気に触れたとたん水が目にしみだした。
どうやら海水のようだ。

澪「うぅぅ…」ｺﾞｼｺﾞｼ

澪「あぁぁ…いたたた…」

澪「…海…？」

澪「あっ…」

トランクケースがこっちに流れてきた。
私はそれにしがみ付き、なんとか安定する事ができた。

澪「はぁ…」

澪「うぅぅ……」

澪「なんなんだ…これ」

気が付けば海の中、海面に出てみると辺りは炎に包まれている。
突然の出来事と疲労でしばらく何も考えられない。

澪「どこだ、ここ…」

澪「何がどうなってるんだ…？」

3 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:26:18.15 ID:P07wBpgD0

「……ぉ…ん！」

澪「…！？」

澪「声？」

「…ぉ…ちゃーん！」

擦れてよく聞こえないが聞き覚えがある声だ。

「み…ぉ…ちゃーん！」

澪「どこだ…？」

声のする方を向くと目の前に大きな影が現れた。

澪「！？」

澪「と、灯台…？」

海の上に灯台が聳え立っている。
初めは炎の明るさで見えなかったが、確かに巨大な角柱の灯台が一つ、目の前にあった。
辺りには陸らしきものは無く、ただ海の真ん中にひっそりと灯台だけが立っている。
青白い月の明かりに照らされたそれはとても不気味に見えた。

澪「ぁ…………」

私は口をポカンと開けて灯台を見つめていた。
普段の自分なら、こんな物を目にすれば、すぐに目を瞑り怖がって身を丸めているだろう。
でも、その灯台の禍々しいオーラを前に私は恐怖も忘れて呆けるしかなかった。

「みーおーちゃーん！！」

澪「はっ！？ゆ、唯！？」

唯「澪ちゃん、こっちだよ！」

灯台のふもとに唯がいる。
石造りのバルコニーから手を振っている。

澪「うぷ…唯！」

私はトランクケースをビート板代わりに、バタ足をして唯のいる灯台へ泳いだ。

唯「澪ちゃん！ほら掴まって！」

バルコニーから水面まで伸びている階段を降りてきて、半身を海水に浸かりながら唯が手を差し伸べてくる。

澪「唯！」

唯「捕まえた！ほら、はやく上がって！」

澪「うぁっ」ﾊﾞｼｬ!

澪「ぐ……はぁ！」

唯「大丈夫！？澪ちゃん？」

澪「はぁ…はぁ…な、なんとか」

澪「ありがとう…」

唯「よかったぁ」

澪「はぁ…はぁ…」

4 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:29:13.54 ID:P07wBpgD0

唯「あ！他にも誰かいるよ！」

澪「えっ、どこ！？」

唯「おーい！」

澪「あれは……！」

澪「りつ！ムギ！」

唯「こっちだよー！」

唯も海の中にいたのか服をずぶ濡れにしながらも必死に手を振っている。

律「はぁ、はぁ！」

紬「澪ちゃん！唯ちゃん！」

澪「手を伸ばせ！」

唯「りっちゃん！ムギちゃん！」

律「はぁ…！」

紬「んっ…はぁ…澪ちゃんありがとう」

澪「二人とも大丈夫か！？」

澪と同じく律とムギも下着姿だった。

律「あぁぁ…ぁぁ…寒い…」

紬「はぁ…はぁ、りっちゃんだけ火とは離れた所にいたみたいで…かなり凍えてるわ」

律「ぅぅぅ…」ｶﾞﾁｶﾞﾁ

澪「大丈夫か！？何か着る物…」

私は律と紬が浮き代わりに持ってきたトランクを開けようとしたが、鍵がかかっていて開かない。

澪「…だめだ！」

唯「澪ちゃんが使ってたトランクも開かないよ…」

澪「ここには入れないのか？」

灯台に入口らしき大きなドアがあるが、固く閉ざされておりびくともしない。

律「ぅぅぅぅ…さみぃ……」ｶﾞﾀｶﾞﾀ

紬「そうだ…りっちゃん。ほら」

律「ちょっ！お、おいムギなにして…」

ムギは寒さに震える律を包み込むようにそっと抱きしめる。

紬「こうすれば少しは温まるでしょ？」ｷﾞｭｳ

律「ま、まぁそうだけど…///」

唯「さすがムギちゃんだね」

澪「はぁ…はは、そうだな…」

5 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:31:16.17 ID:P07wBpgD0

ﾊﾞﾁｬﾊﾞﾁｬ…

澪「ん！？」

梓「…ぱぃ！先輩！」

唯「あ、あずにゃん！？」

梓「うぷ…ぶはぁ！はぁ！」

唯「あずにゃん！」

澪「梓！」

梓「はぁ…うぐ…ぷはぁ…」

梓に気付いた私はすぐに海に飛び込んで梓を捕まえた。

梓「はぁはぁ…澪せんぱい…ありがとうございます」

澪「大丈夫？梓」

律「梓も無事だったか」

紬「よかったわ」

梓「はぁ…はぁ…」

唯「ほら、あずにゃん寒いでしょ！？」ｷﾞｭｩ

梓「そりゃまぁ寒いですけど。ちょっと…待っ…」

律「はは…」

澪「………」

澪「唯…ちょっと休ませてあげろよ」

唯「ほら、あずにゃん。座って」

梓「はい…」

澪「怪我とか無いか？」

梓「はい。たぶん大丈夫です」

澪「そうか。ん？」

よく見ると梓は片方のツインテールがバラバラに千切れたように半分くらいに短くなっていた。

澪「梓、髪どうしたんだ？」

梓「あぁ、絡まって取れなかったんです。飛行機のシートベルトの金具に」

澪「飛行機…」

梓「髪がどうしても取れなくて、機内食用のナイフを見つけられなかったら座席に引っ張られて水の底へ連れて行かれるところでした。」

律「ひぇぇぇ…」

律がムギに抱きしめられながら、戦慄する。
たしかに何かに引きずられて海の底へ連れて行かれるなんて想像するのも恐ろしい。

6 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:34:21.38 ID:P07wBpgD0

唯「あずにゃん、無事でよかったよ」

紬「うん、みんな無事でよかったわ…」

澪「あぁ、よかった」

だんだん落ち着いていくうちにいろいろな事を思い出してきた。
私は立ち上がり、自分たちがいた海面を見渡す。

澪「あ、あれは…」

飛行機の尾翼がズブズブと音を立てながら海に引きずり込まれている。
人影は無く、投げ出されたように海面の辺り一面に浮かぶトランクケースやカバンなどの荷物、何かの残骸が、燃え盛る炎に照らされていた。

澪「私たちたしか、ロンドンに行こうとしてたんだよな…」

・・・・
・・・・
・・・・

“ヨーロッパ”

唯「ん〜！ん〜ん〜！」

律「しばらくそうしてるといい」

澪「唯？」ﾊﾟｼｬ

ラクガキした紙を顔に張り付けた唯にカメラを向けて、私はシャッターを押す。

梓「ぷっ…ふふふ」

律「じゃあそろそろちゃんと、卒業旅行の場所決めるか」

律「みんな、行きたいトコバラバラだしな〜」

澪「多数決とか？」

律「無理じゃん」

唯「トンちゃんに決めてもらうのはどう？」

梓「トンちゃんに決めてもらうって、どうするんですか？」

澪「話せるわけでも無いし」

紬「あ、いい方法があるわ」

・・・

ムギが考えたのは、ティーカップを水槽の中に入れてトンちゃんが触れたティーカップで場所を決めるというものだった。

トンちゃん「？」ﾌﾟｶﾌﾟｶ

澪（それにしても食器をスッポンモドキの水槽に入れるのってどうなんだ…汚いだろ）

紬「遊園地みたいでかわいいね♪」

澪「まぁ確かに…」

澪「梓はどこも希望しなくていいのか？」

梓「だって私は…これ、皆さんの卒業旅行の行先ですし」

唯「え？あずにゃんは行かないの？」

梓「私はまだ卒業じゃないですし、みなさんで楽しんできてもらえれば…」

澪「梓も一緒に行こうよ」

唯「そうだよ！あずにゃんもいなきゃ、軽音部じゃないよ！？」

梓「皆さんがそういうなら、でもお邪魔じゃないですか？」

律「なんで？」

澪「しっかり者の梓がいてくれれば安心だよ」

梓「じゃ、じゃあ…」

7 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:37:26.86 ID:P07wBpgD0

唯「ああぁぁ！ととと…トンちゃんが！」

唯「私のヨーロッパの前に！」

律「まじか！？」

紬「ホント！？」

律「あ、でもこれロンドン触ってる！」

唯「えぇ！？」

澪「本当か！？」

トンちゃんは確かに、私が希望したロンドンのティーカップを触っている。

梓「じゃあ…卒業旅行の行先はロンドンって事ですか？」

律「みーお！ロンドンだぞぉ！」

紬「よかったね澪ちゃん」

澪「………」

澪「や…や…やったぁぁぁぁ！」

・・・・
・・・・
・・・・

ﾊﾞｷｯｶﾞﾁｬﾝ！

澪「開いた！」

紬「やった！」

私とムギは灯台に流れ着いた飛行機の残骸を使って、浮き代わりにしていたトランクケースをこじ開けた。

唯「服、入ってるね」

梓「ほとんど濡れてませんね」

皆で手元にあった二つのトランクをあけ、中に入っていた服を分け合って、全員まともな格好になることができた。

紬「女性用の物でよかったわ。サイズもちょうどいいみたい」

梓「はい。私はちょっとブカブカですけど…」

澪「持ち主には悪いけど、しかたないよな」

唯「これでひとまず落ち着けるね」

澪「………」

澪「な、なぁ…ここどこなんだ？」

律「………」

紬「………」

唯「………」

梓「………」

私の一言でみんな静まり返る。

澪「私たち、どうなったんだ…？」

律「これって、遭難だよな？」

紬「飛行機は海に沈んじゃったし、他の乗客の人は誰もいないし…」

律「生き残ったのは、私たちだけって事なのか…？」

澪「そんな…」

8 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:41:13.59 ID:P07wBpgD0

唯「でも、建物に着いたんだから誰かいるんじゃない？」

律「いくらノックしても誰も出てこないじゃん…」

紬「辺りにはこの灯台以外なにも無いし」

梓「そもそも、海の上にこんな大きな灯台だけあるなんておかしいですよ。ふつう岬とかにある物じゃないんですか？」

律「まぁなんにせよ、今のところ頼りなのはこの灯台だけだな」

律「辺りは暗くて一面海で何も無い。しばらくここで待つしかないよ」

律「幸いトランクの中にお菓子が少し入ってるし、朝まで待てば誰かくるかも」

澪「………」

突然こんな状況になったのに、みんなやけに冷静だ。

ガコ！

澪「！？」

ｷﾞｷﾞｷﾞｷﾞｷﾞｷﾞ…

その時大きな音がして、さっきまでびくともしなかった縦長の扉が鈍い音をたててゆっくりと開いた。

梓「あ、開いた…」

紬「まぁ」

唯「やった、誰かいるんだよきっと！」

律「よかったぁ！」

しかし中は真っ暗で、月の光に照らされて微かに床が見えるのみ。

梓「真っ暗ですよ…？」

澪「ちょっとヤだな…これ」

紬「でも寒さもしのげそうだし、外にいるよりマシだと思うわ」

律「よぉし、みんなりっちゃん隊員についてこい！」

唯「ら、ラジャ！」

律に続いて私たちはほぼ暗闇の灯台の中へと足を踏み入れた。

澪「く、暗い…やっぱ無理だよぉ…」

律「慌てるなって、どこかに電気のスイッチみたいなのが無いか探すんだ」

唯「暗すぎるよぉ。さっきのトランクに懐中電灯か何か入ってないの？」

澪「そ、それもそうだな」

9 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:44:32.26 ID:P07wBpgD0

ｷｨ…ﾊﾞﾀﾝ！

澪「え…」

澪「ひぃぃ！」

律「お、おい誰だ入口閉めたの！」

唯「私じゃないよぉ」

梓「誰も閉めるわけないじゃないですか！」

紬「何も見えないわ」

澪「りつぅ〜！」ｷﾞｭｳ

梓「あの、それ私です」

澪「あ、梓か…すまん」

ｷｰﾝ！

澪「！？」

何か甲高い音と共に、突然に辺りが真っ白になり目が眩んだ。

唯「まぶし！」

紬「きゃ！」

澪「うぅぅ…」

明かりが灯されて、皆目を眩ませる。
そして間髪入れずどこからか音楽が鳴りはじめた。
スローテンポの落ち着いたクール・ジャズだ。

律「いきなりなんなんだよ…？」

なんとか光に慣れようと、片目だけ開けて辺りを確認する。

梓「これは…」

澪「なんだこれ…」

灯台の内部は吹き抜けになっており、両脇に２本の階段が下へと続いている。
それよりも真っ先に目に入ったのは頭上の大きなブロンズ像だった。
しかめ面をした中年男性の巨大な胸像が、自分たちを見下ろしている。

律「なんなんだ…ここ」

唯「ほぇぇぇ…」

ブロンズ像の前には横断幕が掲げられ、「NO GODS OR KINGS.　ONLY MAN.」と書かれている。

梓「気味が悪いですね…」

紬「でも、誰かいるのは間違いないわね」

唯「そうみたい」

10 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:50:01.60 ID:P07wBpgD0

唯「すみませーん！」

唯の声は階段の奥まで響き渡ったようだが、全く反応が無い。
クール・ジャズだけが「とりあえずこれを聴いて落ち着いてね」と言わんばかりに鳴り響いている。

唯「だれも出てこないね…」

律「行ってみるか…」

澪「うぅ…行くしかないよな…」

一歩一歩足を踏みしめるたびに、照明が音をたてながら点灯していく。
私たちは寄り添いながら恐る恐る階段を下っていった。

澪「ん？」

律「お？なんだこれ」

階段を降りたところには円形のプールがあり、そこには鈍く黄色に輝く球体が浮いている。
球体のガラス張りの扉が開いており、中には座席が備え付けられている。

紬「なにかしらこれ」

唯「中に入れるみたいだよ」

澪「ゴンドラみたいな…」

梓「すっごく怪しいですね…」

プールの底は確認する事ができず、ずっと下に…海の底に続いているようだ。
球体の内部の中心にはレバーがあり、どうやらこれを倒せば起動するらしい。

澪「“bathysphere”って書いてある」

律「“bath”…風呂？」

澪「いや“bathy”だよ。深いとか、深海とか…」

澪「“sphere”は球体だから、潜水球とか？」

紬「たぶんそれね。見るからにそうだもの」

律「なんなんだ。次から次へと…」

唯「これに乗れってことなのかな」

律「でもこれどうやって操縦するんだ？レバーしかないぞ？」

梓「レバー以外に何かあっても、操縦なんて無理でしょう…」

澪「とりあえずここは暖かいし、すこし休んでもいてもいいかもしれない」

唯「乗らないの？」

澪「いや、こんな変な物、簡単に乗っていっちゃマズイだろ…」

律「澪しゃん怖いの〜？」

澪「そ、そりゃそうだろ！とにかくみんな疲れてるし、いったん休憩だ」

・・・

11 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:52:49.39 ID:P07wBpgD0

律「どこへ行くんだぁ？」

唯「お、お前と一緒に、避難する準備だぁ！」

律「一人用のポッドでかぁ？」

澪「………」

澪「あいつら元気だな…」

私は潜水球で遊ぶ唯と律を見て溜息をつきながら、そばにある段差に腰かけた。

紬「さすがね」

澪「全くこんな状況で…」

紬「こんな状況だからじゃない？」

澪「えぇ？」

紬「りっちゃんも唯ちゃんも、ああやって遊んでる事で正気を保っているんだわ」

紬「私たちも、もっと狼狽えていてもいいはずだけど、りっちゃんと唯ちゃんがああやっているからか、割と落ち着いていられるじゃない？」

澪「それはまぁ…そうだけど」

澪「ん？」

梓「う、うぅぅ…」ﾌﾟﾙﾌﾟﾙ

澪「梓、大丈夫か？」

梓「ちょっと寒いですね…」

澪「そうか？こっちきなよ」

梓「あぅ…///」

澪「どうだ？温いか？」

梓「は、はい」

紬「ふふふ♪」

澪「疲れてるんだろ？ちょっと寝た方がよくないか？」

梓「はい…///」

澪「ふふ…」ﾅﾃﾞﾅﾃﾞ

澪「！？って、すごい熱じゃないか、梓！」

梓「うぅ…」

紬「梓ちゃん、風邪ひいちゃった？」

梓「そうかもしれません…」

澪「ほら、私の上着着て」

紬「さっきのトランクは外に置いてきてしまったし…」

12 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 01:56:47.31 ID:P07wBpgD0

ｶﾞｰｯ！ｶﾞｰｯ！ﾋﾟｰ！

その時、潜水球からラジオの砂嵐のような音が流れてきた。

ｶﾞｰｯ！ｶﾞｰｯ！

律「なんだなんだ！？」

『Can you hear me?』

周りの壁に反響して無線機からの声がこだまする。

澪「英語か？」

『Can you hear me?』

『Would you kindly pick up that shortwave radio?』

律「なんて言ってるんだ？」

澪「ええと…“ラジオを拾え？”」

紬「ラジオ…たぶんこの無線機を取れって事じゃない？」

澪「たぶん…」

潜水球内部に古そうな無線機らしき機械が備え付けてあり、そこから男の声が話しかけてくる。

『Can you hear me?』

『Do you understand what I'm saying?』

無線機の向こうから話しかけてくる相手は、言葉を変えて何度も呼びかけてくる。

『Понимаете ли вы, мои слова?』

『你明白我的话吗？』

『Verstehen Sie meine Worte?』

律「なぁ、でないのか…？」

澪「でたほうがいいんだろうけど…」

助けが求められる状況にもかかわらず、この異様な空気に押しつぶされて私たちはどうにも動けずにいた。

13 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:00:54.14 ID:P07wBpgD0

唯「こんにちわ！」

紬「あら、唯ちゃん」

唯「助けて！私たち、遭難してるの！」

唯がそのまま日本語で無線機に応答する。

律「唯、せめて英語で…」

『Oh...Are you Japanese? Well....』

無線機の男は軽く咳払いした後、改めて話しかけてきた。

『んんっ……私の言葉がわかるかな？』

澪「！！」

唯「わかるよ！わかります！」

無線機の男『よし、時間が無いからよく聞いてくれ』

無線機の男『君たちは恐らく墜落してきた飛行機に乗っていたんだろう。でも奇跡的に助かり、その灯台にたどり着いた』

唯「そうです！私たち、ロンドンへ行こうとしてて…」

無線機の男『イギリスへ？ここから結構離れてるじゃないか…まぁいい』

無線機の男『とにかく…その灯台に入ってしまった以上、引き返す事はできない。その潜水球でこっちまで来てくれ。迎えに行く』

澪「え、でも…動かし方なんかわからないし」

無線機の男『その潜水球はレバーを倒すだけでいい。操縦は完全に自動化されている』

無線機の男『早くしないとライアンに察知されてしまう。急ぐんだ！』

律「ら、ライアン？」

無線機の男『すまないが、今は説明している暇がないんだ…もう通信を切る』

無線機の男『恐縮だが、急いで潜水球でこっちまで向かってくれ！』

その言葉を最後に、無線機からは一切音がしなくなった。

澪「どうする…？」

律「どうするもこうするも…これに乗る以外にここから出る方法なんか…」

澪「うぅ…」ﾁﾗ

梓の方へ目をやる。
顔はかなり火照っていて、少し苦しそうな表情をしている。

梓「はぁ…はぁ…」

紬「澪ちゃん、行きましょ。ここにいてもしかたないわ」

澪「あぁ、梓も辛そうだし…ゆっくり休める場所に行った方がいいよな」

14 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:05:31.01 ID:P07wBpgD0

無線機の男の言うことを信じて、皆恐る恐る潜水球へ乗り込む。

私は梓を潜水球の座席に寝かしつけた。

梓「澪せんぱい…」

澪「大丈夫だ梓。もうすぐ助けてもらえるぞ」

唯「レバー、倒すよ？」

律「あぁ」

ｶﾞﾁｬﾝ、ﾊﾞﾀﾝ

ｺﾞﾎﾟﾝ…ｼｭｰｼｭｰ…ｺﾞﾎﾟｺﾞﾎﾟ…

レバーを倒すとハッチが閉まり、潜水球はｺﾞﾎﾟｺﾞﾎﾟと音をたてながら潜水を始める。

澪「………」

律「………」

紬「………」

唯「………」

かなり深い所まで潜り、先ほどの建物から海中に出る。

ｶｼｬﾝ！ｶﾗｶﾗｶﾗ…

律「な、なんだ？」

ガラス張りのハッチがスライドで覆われ、ファンファーレのような楽しげな音楽と共に、古い白黒映画のような映像が流れ出した。

“Fire at your Fingertips! Incinerate”

“PLASMIDS BY RYAN INDUSTRIES”

男性が指先から火を出して女性が持っているタバコに火をつけている、広告のような画が写される。

律「宣伝かなにかか？」

ｶｼｬﾝ

広告が終わり、次はパイプをくわえ鼻の下に髭を生やした中年男性の写真が写された。

15 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:09:56.85 ID:P07wBpgD0

“I am Andrew Ryan, and I'm here to ask you a question.”（私の名はアンドリュー・ライアン。君たちに一つ、質問をしよう。）


律「これ、たぶん録音されてる物だよな？…なんて言っているんだ？」

澪「えぇと…私はアンドリューライアン。あなたに質問をする…？」

紬「さっき無線機の人が言ってた“ライアン”ってこの人の事かしら？」

律「みたいだな」


“Is a man not entitled to the sweat of his brow?”（人には自ら汗を流し、そこから得るものを受け取る資格があると思うかということだ。）

“ 'No!' says the man in Washington, 'It belongs to the poor.'”（ワシントンでは、それは貧しい者にあると言い…）

“ 'No!' says the man in the Vatican, 'It belongs to God.'”（バチカンでは神の物だと言う）

“ 'No!' says the man in Moscow, 'It belongs to everyone.' ”（モスクワでは全ての人間にあると言うようだ）


澪「えぇと…よくわからないけど、何かの資格があるかどうか聞いているみたい…」

澪「ワシントンでは貧しい物にあり、バチカンでは神の物で、モスクワでは全員にある…と言う」

楽しげなBGMとは裏腹に、潜水球の中は不穏な空気が漂い始める。


“I rejected those answers, instead, ”（私はその全ての答えを受け入れはしなかった。）


澪「私はこれらの答えを拒否し、その代わりに…」


“I chose something different. I chose the impossible.”（私の選択する答えはそのような答えではない。誰もが思いもよらぬだろう答え。それこそが…）

“I chose.”..


澪「私は違うものを選んだ。私は不可能を選んだ。私は選んだ…」

同時にスライドが引き下がり、潜水球の窓から海底が見えた。


“ Rapture ”（ラプチャー）


潜水球の窓からありえない物が目に飛び込んでくる。

律「な、なんだこれ…」

海底には高層ビルが無数にそびえ立ち、そのビルの間を様々な深海の生物が泳いでいる。
摩天楼を街ごとごっそり海底に持ってきたような異様で圧倒的な光景が目の前に広がっていた。

唯「うわぁ…海の中に街がある」

高層ビルは40年代ニューヨークのようなレトロな建築で、ビルの窓からこぼれる光と、そこらじゅうで輝く色とりどりのネオンサインによって幻想的に輝いていた。

澪「な………」

私たちはその圧倒的な光景に言葉を失い、口をポカンと開ける。

16 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:13:01.31 ID:P07wBpgD0

“ a city where the artist would not fear the censor, ”（芸術家たちが検閲を恐れず）

海底のありえない光景をバックに、音声が続く。

“where the scientist would not be bound by petty morality, ”（科学者たちが倫理感に縛られることもなく…）

“Where the great would not be constrained by the small! ”（大いなる者が愚かな者達に拘束されない場所）

“And with the sweat of your brow, Rapture can become your city as well. ”（ラプチャーは、君が額に汗を流し努力する者であるなら喜んで受け入れるだろう）

潜水球に揺られながら、私達は全員、音声を忘れてただひたすら海底にそびえ立つ摩天楼を見つめていた。
梓も体を起こし、その非現実的な情景に目を丸くしていた。

律「は…ははは…これって夢か…？」

律が私のほっぺをつまんだ。

澪「痛い…」

私も律のほっぺをつまみ返す。

律「ははは、私も痛いぞ」

紬「凄い。こんなの見たことない…」

唯「ほへぇ〜」

澪「ぁ………あぁ…」

もう何も考えられない。この状況と疲労で、テンションが完全におかしくなっている。
だんだん意識が遠のいていくような感じがした。

澪「うぅ…」

想像もつかないような光景に圧倒されているうちに、潜水球の発着場らしき場所に到着する。
七色のカラフルなネオンサインに照らされながら、軽音部を乗せた潜水球は建物の中へと吸い込まれていった。

■　 第一章　「 Welcome to Rapture 」　終　■

17 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:18:17.85 ID:P07wBpgD0

●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
クラスメイトがハワイへ卒業旅行に行くことを知った軽音部たちは、自分達も高校卒業前に旅行へ行くことを計画する。
行き先はロンドン。

そして気が付けば澪はひとり海の中を漂っていた。
灯台にいた唯の助けを借りて澪はなんとか一命を取り留め、後に律、紬、梓含む放課後ティータイム全員が飛行機事故を生き延びた。

謎の灯台の中には怪しげな潜水球。備え付けてあった無線機から男の声が。
軽音部達は助けを求めて潜水球に乗り込む。

潜水球は海中の奥深くを潜航し、“ライアン”と呼ばれる男の映像とともに目の前に広大な海底都市が現れる。
ありえない光景を前に唖然とする軽音部達はそのまま都市の中へと吸い込まれていった。


■　第二章　「 Somewhere Over the Rainbow 」　■

律「広っ、すっげーなぁ」

律が空港のターミナルを見てつぶやく。

紬「先に荷物預けちゃお？」

唯「あ、それがいいね」

ひとまず荷物預かりの受付カウンターに行くことにする。

係員「大変申し訳ございません。本日、機内が大変混み合っておりまして…よろしければそちらのお荷物をお預かりさせていただきたいのですが…」

梓「え…」

唯「えぇ〜ギー太ぁ」

澪「まぁ仕方ないよな…」

大きな荷物を全て預けて、搭乗口へと向かう。

・・・

律「噂の彼とはどうなってるんですか！？」

唯「付き合ってるんですか！？」

紬「ぷく〜」

律「どうなんすかぁ！コトブキさぁん！？」

澪「はしゃぎすぎだろ…」

澪「あぶないぞ〜？まったく」

梓「………」

梓は律たちが遊んでいるのを見て、少し微妙な顔をしている。
まだ卒業に関係の無い梓にとって、この旅行では自分はお邪魔だといまだに思っているのだろうか。

18 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:20:06.37 ID:P07wBpgD0

澪「梓？」

梓「はい」

澪「梓がいてよかったよ…あいつらだけだと私たぶんいまごろ疲れてた」

梓「あは、そうですかね…」

梓はまだどこか申し訳なさそうにしている。

澪「あ、見て」

梓「？」

空港の広い滑走路が太陽に照らされて眩しい。
今朝は少し雨が降っていたからか、山のむこうにうっすらと虹がかかっている。

澪「綺麗だなぁ…」

澪「ロンドンに行ったら、もっと凄い景色がいっぱい並んでるんだな」

梓「楽しみですね」

・・・
・・・
・・・

19 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:23:26.54 ID:P07wBpgD0

澪「………」

澪「うぅ…」

気が付くと私はベッドの上にいた。
毛布から顔だけ出して部屋を見回す。
窓から青白い光が差し込み、薄暗い部屋を照らしている。
窓の外には見たことも無い魚が群れを成して泳いでいる。

澪「ここって…」

窓の外は海中で、摩天楼が幾重にも重なりながらそびえ立っている。
やはりあれは夢ではなかったらしい。

飛行機が墜落した事。
海の上の奇妙な灯台。
海底に広がる巨大都市。

澪「そんな…」

その現実から逃避するように寝返りを打つと、何か暖かい物にあたった。

澪「あ、梓…！」

横には梓が寝ていた。狭いシングルベッドに二人で寝かされていた。

梓「ｽﾔｽﾔ…」

梓は澪に寄り添うように安眠している。

澪「………」

記憶が飛び飛びで、状況がよく理解できないが梓の寝顔を見ているとなんだかほっとする。

澪「とりあえずは、助かったのかな…」

梓「ん…ぅん、ぁ…澪先輩…」

澪「あ、梓。おはよう」

梓「へ…？澪先輩、なんで一緒のベッドで…///」

澪「いや、すまない。私も今気づいたところなんだ」

梓「ここは…」

澪「ここはたぶん、あの海の中の…」

ｶﾞﾗ

律「お、澪！梓！気が付いたのか？」

唯「澪ちゃん！あずにゃん！」

紬「よかったわ」

みんなが部屋に入ってきた。
後ろにはもう一人、男性がいる。
30代くらい、落ち着いた表情で、白人にしては小柄な人だった。

20 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:27:49.96 ID:P07wBpgD0

男性「やぁ。目が覚めたかな？すまないね。ベッドが一つしか用意できなくて」

澪「あ…」

男の声に聴き覚えがある。

唯「潜水球の無線機で助けてくれた人だよ」

男性「よかった。君ら二人は潜水球の発着場に着いた時、気絶していたんだ。けど、元気になったみたいだね」

梓「あなたは…」

男性「私はアトラス。この海底都市ラプチャーの住人さ」

澪「ラプチャー…」

アトラス「この街の名前だ」

アトラス「“ミオ”と“アズサ”だったかな？君たちの名前は」

梓「あ、はい…」

澪「………」

アトラス「さっそくだが、君らにも状況を整理してもうために一から説明をしよう」

私と梓は今自分が置かれている状況について聞いた。
私たちは北大西洋のど真ん中に飛行機事故で墜落したこと。
そして海の上にあった灯台はこのラプチャーという海底都市の唯一の入口で、私たちはそのラプチャーにたどり着いた事。
そして今日は1958年の10月22日だという事…。

アトラス「君たちがどうやって飛行機事故を生き延びたかは知らないが、神に疑問を持つようなことはしない主義でね」

アトラス「それよりも疑問なのは、君たちが2010年の日本からやってきたという事だ」

律「私たちは今が1958年だって事の方が信じられないぜ」

澪「え…冗談、ですよね…」

梓「どういう事なんですか？もしかして…ドッキリ？」

アトラス「私も最初は何かの作り話だと思ったよ。でも仲間が言うには君たちが乗っていた飛行機は確かに日本から来た物だし、今の技術で創り出すことは到底不可能な物だらけだったらしい」

アトラス「乗客が身に着けていた遺留品などもこの時代の物ではなさそうだ。回収するのにライアンにだいぶ先を越されたがね」

紬「そういえば、“ライアン”ってどなたなのかしら？潜水球の映像にも出てきたけど…」

アトラス「アンドリュー・ライアンはこのラプチャーを造ったヤツさ。奴がこの街の最高権力者だ」

律「なるほどなぁ…」

澪「み、みんなはなんでそんなに冷静なんだ…？」

澪「こんなの絶対おかしいよ！」

唯「うーん…よくわからないけど、アトラスさんと一緒に1日ここにいて、色々教えてもらって…もう信じるしかなかったの」

澪「私も梓も丸一日、寝てたのか…」

紬「澪ちゃんと梓ちゃんが寝ている間少し街を見たけど、どうやらここは本当に海底で、時代も1958年みたい…」

律「もうわけわかんないよ」

21 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:33:50.03 ID:P07wBpgD0

梓「で、でも…そんな“タイムスリップ”なんて、ありえません！」

アトラス「私もにわかには信じ難いが…」

澪「…」

アトラス「とにかく、恐縮だがしばらくはここで休んでいてくれ。誰かに見つかると色々面倒だ。特にライアンには」

澪「え、でもその…ライアンって人に言えば何か分かるんじゃ？この街のリーダーで、科学者なんですよね？」

アトラス「あぁ、科学者ではあるが、たぶん君達がここへ来てしまった原因は恐らくライアンでも解らないだろう」

アトラス「それに奴にはかかわらない方がいい」

澪「え…」

アトラス「奴はここのところ専制的でね」

アトラス「このラプチャー自体は元々外界には察知されていないんだが、ライアンは自分が作ったラプチャーの事が外部に漏れるのを恐れている」

アトラス「最近はそれが顕著に表れるようになってきて、人々を恐れて疑心暗鬼になっている」

アトラス「ついこの間まではある程度仕方の無い事だと思っていたんだが、ある事がきっかけで我々も我慢できなくなるほど独裁的な行動をとるようになってきたんだ」

律「何があったの？」

アトラス「このラプチャーでの流通や事業のほぼ全てを取り仕切るまでに成長し、大きな力を持つようになった“フランク・フォンテイン”という男がいたんだが」

アトラス「そのフォンテインは外界から物資を密輸したり、裏でいろいろな悪事に手を染めていたんだ」

アトラス「科学や芸術のために、外界からの干渉を受けないよう造られたこのラプチャーでは、そのような事は許されない」

梓「科学や…芸術…」

アトラス「そのフォンテインは当然有罪となり、ライアンは彼を死刑にするよう命じたんだ」

アトラス「まぁ、実際には死刑はされなかったんだがね。フォンテインもだいぶ抵抗したみたいで」

アトラス「でも結局、フォンテインはライアンに殺されたんだ。この街の法の名のもとにおいて」

梓「でも、それのどこが専制的なんですか？法律でそう決まっているのなら仕方の無い事なんじゃ…？」

アトラス「確かに、フランク・フォンテインは殺されて同然の事をしていた。まぁ、そこまでは我々も良かったんだが」

アトラス「フォンテインの死後、ライアンは彼の資産と事業を片っ端から自分の物にしたんだ」

アトラス「水産業だけじゃない。アダムの生産。プラスミドの流通…フォンテイン未来技術社もいまはライアン未来技術社になっている」

アトラス「私もさすがに黙っていられなかったよ」

アトラスさんの話にかなり力が入ってきた。

アトラス「ラプチャーは限りない自由…宗教や政府、道徳やモラルなどの束縛に一切縛られる事無く、科学者や芸術家、技術者たちが存分に才能を発揮するために作られたものなんだ」

アトラス「だから外の世界にラプチャーの存在が知られてはいけない。ライアンはそう考えている」

アトラス「奴はフォンテインの一件から専制的になり、あれやこれやと規制や禁止条例を出すようになった」

アトラス「希望を抱いてこの街にやってきた人達も、スパイと疑われて尋問やらなんやらされる始末だ」

アトラス「君たちも何をされるかわからない。だからこうしてかくまってあげているんだ」

軽音部は皆下を向いて黙り込む。

律「私たちが来るべき所じゃなかったんだな…」

アトラス「ラプチャーに入る事自体はさほど問題ではない。来る者拒まず…ラプチャーはそういう場所なんだ」

アトラス「しかし、入れば一生出られない。秘密のためにね」

アトラス「私も少しはましな生活ができるかと思って、妻と子を連れてこの街に来たんだが、間違いだったようだ」

アトラス「ライアンは今、自分の街を守ろうとするがために、自分の街を殺そうとしている」

アトラス「才能ある者に自由を与えるはずが、疑心暗鬼になり…人々を束縛している」

22 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:36:17.75 ID:P07wBpgD0

アトラスさんは少し我に返ったような表情になり、くだけて言い直した。

アトラス「はは、少し熱くなりすぎたかな。私の悪い癖だ、すまない」

澪「いえ…」

アトラス「とにかく、しばらくはここに居てくれ。ここは“ネプチューン・バウンティ”。ラプチャーでも指折りの漁港だ」

アトラス「3人には大体説明をしたから、落ち着いたら二人にもいろいろ案内をしてやってくれ」

律「あぁ、ありがとう」

澪「………」

梓「ところで、さっき言ってた“アダム”とか“プラスミド”ってなんなんですか？」

アトラス「あ、そうだ。すっかり忘れていたな。君らにはまだプラスミドをわたしていなかった」

律「へへ」

澪「？」

律が私を見て少し不敵な笑みを浮かべた。

アトラス「このラプチャーで世紀の大発見があったんだ。遺伝子工学の分野でね」

アトラス「そこで発見されたのが“アダム”」

アトラス「アダムは人の遺伝子を書き換えて、今まで人が成しえなかったような事を可能にできる力をもたらしてくれた」

アトラス「超能力っていうのかな？医学の分野にも大いに貢献している」

澪「うえぇ…なんだかちょっと怖いな…」

アトラス「確かに遺伝子を書き換えるなんて人体改造まがいなマネ、最初は皆嫌がっただろうさ」

アトラス「しかし今はそれがラプチャーでは日常茶飯事。みんな便利なプラスミドを身に着けてより良い暮らしをしている」

アトラス「あ、プラスミドっていうのはアダムによって得られた能力の事だ」

アトラス「例えば物体を宙に浮かせたり、物を凍らせたり…他にも日常生活において便利なプラスミドがいくつも流通している」

アトラス「彼女たちにもプラスミドを一つだけ分けてあげたよ」

澪「えっ！？律たちが？」

律「へっへーん。ま、火ぃ吐いたり電撃飛ばしたり、そんな物騒な物はさすがに手は出せないけどな」

梓「そんな事して平気なんですか？いったいどんな…」

23 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:40:28.88 ID:P07wBpgD0

唯「Azunyan, cold was cured?」

梓「へっ？」

唯「えへへ〜、どう？」

梓「唯先輩、そんなに英語話せましたっけ…」

唯「I can use a plasmid and can speak English.」

澪「すごく自然な発音だ…」

律「だろ？私もムギも、アトラスさんから英語を話せるようになるプラスミドを貰ったんだ」

アトラス「まぁ厳密に言えばトニックと言って、プラスミドとはまた別の物なんだが。アダムには変わりない」

アトラス「まだ流通前の代物でね、手に入れるのに苦労したよ」

アトラス「他にも色々使っておいた方がいい物もあったんだがね…」

紬「英語で会話ができるようになれば、ここの他の人たちとも簡単にコミュニケーションができるでしょ？これだけで十分だわ」

梓「そ、そうなんですか…」

澪「でも、そんな事して平気なのか？なにか害とかあるんじゃ…」

アトラス「アダムのすごいところはそこなんだ。軽い物ならほとんど副作用もなく力を手にすることができる。注射一本すればいいだけさ。」

澪「ひぃっ！」

梓「注射なんですか…」

アトラス「あぁ、だが少なくとも彼女たちは何も問題なかったよ」

アトラス「普通、遺伝子を書き換えている時に少しは痛みを伴うんだがね」

アトラス「私が日本語を話せたのは運が良かった。語学にはある程度心得があるんだ。」

アトラス「しかし、日本語が話せる者なんてこのラプチャーにはほとんどいない。君ら二人もこの言語トニックを一つ使っておくといい」

アトラス「私自身、英語で話せたほうが気が楽でいいしね」

梓「うぅ…なんだか気が進みませんね…」

唯「Do not worry. I'll hold you！」

梓「うぐっ！」

そういって唯は梓に抱きついた。

梓「もう、唯先輩〜///」

唯「えへへ〜」

澪「………」

唯と仲良くしている梓を見ていると、少し胸が苦しくなる。

・・・
・・・
・・・

24 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:42:49.51 ID:P07wBpgD0

澪「なんか嘘みたいだ」

澪「飛行機に乗って、降りたらロンドンなんだな」

律「違う国なんだよな！」

紬「本当にみんなと一緒に海外にいけるのね！」

唯「過去とか未来とか行っちゃったりして？」

梓「タイムマシンじゃないんですから…」

律「映画の見すぎだろ唯〜」

シートベルト着用のサインが点灯し、みんな離陸に備える。
離着陸時は、電車でトンネルに入った時みたいに耳が変になるらしいから気を付けないと。

唯「あずにゃん、ここからは日本語禁止だよ」

梓「え？」

唯「OK?」

梓「ぅ…ｱｲ、ｱﾝﾀﾞｽﾀﾝﾄﾞ…」

唯「あずキャット…！」

梓「な、なんですかそれ…」

唯「ノージャパニーズ！」

梓「もう」

唯と梓が後ろの席で何やら楽しげに会話をしている。
前の席に座る私たち3人は機内サービスの食事とソフトドリンクをもらいとりあえず乾杯をした。

澪「律、コーラ好きだな」

律「ん？まぁね〜」ｺﾞｸｺﾞｸ

・・・

律「ちょっとトイレ…！」

澪「さっきから飲み過ぎだって…」

唯「モイ！」

梓「はぁ…？」

唯「フィンランド語だよ〜」

梓「これから行くのはイギリスですよ」

唯「“モイ”は『やぁ、どうも』で、“モイモイ”は『バイバイ』って意味だよ〜」

唯「あずにゃん、モイ！」

梓「は、はぁ…モイ」

なんていうか、梓はなーなーに受け応えしているようだが、ああ見えて唯との何気ない会話を楽しんでるように見える。
いいよな、唯は。あんなに親密に…後輩とどんな時でも打ち解けられるんだから。
唯と席を交代して、たまには梓とふたりでいろいろ話をしてみたいものだ。

25 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:45:22.92 ID:P07wBpgD0

紬「あっ…」

ムギが手を滑らせてすこし飲み物をこぼしてしまった。

澪「あ、ムギ…ほらこのティッシュ使って」

紬「ありがとう」

紬「澪ちゃん、頼りになるわ」

澪「そんなティッシュくらいで大げさな」

紬「それに旅行に慣れてるって感じ」

澪「ムギだって、家族でよく海外旅行とか行ったりするだろ？」

紬「ううん、全然。お父様は仕事で忙しいし、外国だって全然連れて行ってもらった事ない」

澪「そうなんだ。なんか意外だな」

紬「澪ちゃん、ロンドン以外で海外は他に行きたい所とかある？」

澪「そうだなぁ…ジャズとかもよく聞くから、アメリカにも行ってみたいな」

紬「あぁ！ジャズかぁ〜」

澪「けど、有名な人はみんな…私たちが幼い頃に亡くなっちゃってるし、治安とかいろいろ気になってあんまり行こうとは思えないんだよね」

紬「そういえば、この前映画を見たわ。主人公は約束を果たすためにアメリカにくるのだけど、自分の国でクーデターが起こってしまって空港で立ち往生してしまうの」

澪「あぁ、あれか。亡くなった父親が集めていた物で、あと一つ足りない物があったんだよな」

澪「それを手に入れるためだけにアメリカの空港に留まって、最初は言葉もわからずに色々苦労する話だったっけ」

紬「素敵よね。約束のために、たった一つの物のために奮闘するなんて」

澪「私はあのオチ結構好きだったよ」

・・・

飛行機はロシア領空に入り、機内は消灯された。
みんなアイマスクを付けて眠る。

澪（なんで私のアイマスクだけこんな目がパッチリ開いてる柄なんだ…）

澪「………」

澪「トイレ…」

私は客室後部にある化粧室で用を済ませ、席に戻る。
梓と唯たちもぐっすり寝ていた。

アイマスクで寝顔は見えないが、梓の小さな口がちょこっと開いて寝息が聞こえる。

澪「ちょっとだけ…」

私は梓が付けているアイマスクをめくり、寝顔を確認してみる。

澪「寝てる寝てる…ふふ」

澪「あ、まずい…」

めくり過ぎて、アイマスクがずり落ちてしまった。
それでも梓はスヤスヤと眠っている。

澪「どうしようこれ…」

澪「まぁいいか」

付け直そうとすると起こしてしまいそうなので、梓には悪いけどそのままにしておく事にした。

澪「ふー…」

私は鼻で溜息をつきながら、席に座った。

・・・
・・・
・・・

26 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:51:02.20 ID:P07wBpgD0

まだ少し体が注射の感覚を覚えている。
でも不思議と苦痛は無く、むしろ心地よい気分だった。

私は痛い事が苦手で、そういう話を聞くだけで怯えてしまう。
注射をするなんて悪い意味で人生における一大イベントだ。
その注射器に入っているものが、遺伝子を書き換える得体の知れない物質だなんて物騒な物だった日にはもう…。
でも梓もすんなり英語がネイティブレベルで話せるようになっていて、みんなの後押しもあり結局ムギに注射をしてもらった。

澪「はぁ…」

溜息をつきながら窓の外を見る。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫…色とりどりのネオンサインや看板が海の中をぼんやりと照らしている。
高層ビルが立ち並び、ビルとビルはガラス張りの廊下でつながっていて、そこを人々が忙しなく行き来している。
その光景はどこか切なくて哀愁を感じる。

これがノスタルジーってやつなのか。
私は平成生まれで、ずっと日本で暮らしてきたのに…。

律「どうした？澪」

ワインの樽の上に丸い板を付けた洒落たテーブルの向かいから、律が私の顔色を見てきた。
机の上にそのまま置かれた大きなろうそくが律の顔を照らしている。

澪「私たち、どうなっちゃったんだ？」

律「………」

澪「飛行機が墜落して、海の底にある変な街にたどり着いて、しかも1958年だなんて…」

澪「パパとママすら生まれてないんじゃ…？なんなんだよ…これ…」

目頭に熱い物がこみあげてくる。

律「澪…」

澪「家に帰りたい」

私が泣き出そうとしたとき、律はテーブルの上のろうそくをベリと剥がして隅にやり、私の手をとりテーブルの上で優しく握った。

律「澪…大丈夫。よくわからないけど、来れたんだからきっと帰る方法だってあるはずさ」

澪「………」

律「飛行機は墜落して、ロンドンには行けなかったけど、私たちは生きてる」

律「生きていれば、なんとかなるだろ？」

律の手から体温が伝わってくる。

澪「うん」

律「帰る方法なんか見当もつかないけど、放課後ティータイムの仲間もみんないる」

澪「…律はなんでそんな強いんだ」

私は律の顔を見る。
涙で歪んでよくわからないけど、律はとても強気な顔をしている。
そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべると…

律「部長だからな」

と言うのであった。

澪「………そうだったな」

私は律の手を強く握り返す。

紬「おまたせ」

紬と唯がビンを抱えて戻ってきた

唯「あっちのテーブル開いてるって。あずにゃんが取っておいてくれてるよ」

紬「広いテーブルでお茶にしましょう」

27 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:55:42.21 ID:P07wBpgD0

ここはラプチャー有数の漁港区画、ネプチューン・バウンティ。
その区画にある“ファイティング・マクドナー”という酒場らしい。
アトラスさんが言うには、ここはライアンの系列の店らしいが、ラプチャーじゅうがライアンの傘下のようなものなので、どこに隠れるのもさほど代わりはないらしい。
私たちが着いた潜水球の発着場の近くに、たまたま知り合いがいるファイティング・マクドナーがあったため、アトラスさんはここに私たちを匿ってくれた。

紬「はい、どうぞ」

ムギはバーで貰ってきたと思しき紅茶やソフトドリンクを並べてくれた。

澪「ありがとう」

唯「ありがとう、ムギちゃん」

梓「いただきます」

律「なんだか妙に懐かしい気分だなぁ」

こうやって軽音部のみんなと一緒にお茶するのが10年ぶりくらいに思えてくる。
酒場は今は営業しておらず、店内には私たちとカウンターで開店準備をしている店長だけだ。
店長はアトラスさんと知り合いらしく、私たちを快く受け入れてくれたらしい。

律「ん〜」

律がコーラらしき物を一口飲むと、テーブルに腕をついてみんなを見回す。
みんな何を話題にお茶をすればいいのかよくわからないみたいだ。

唯「ねぇりっちゃん。私たち、いつまでこうしていればいいのかな？」

飛行機事故によってこの海底都市にたどり着いて3日。
私たちは未だにこの酒場から出たことは一度もない。
アトラスさんに酒場の外には出るなと言われている。
ほとぼりが冷めてきたら、その内ラプチャーで暮らせる所を探してくれるらしい。

律「なんだかなぁ〜。なにもする事ないしなぁ」

慣れとは恐ろしい物で、この異様な状況に混乱する事にも飽き、皆暇を持て余していた。

梓「せめて、楽器でもあればいいんですけど」

梓はそう言って、酒場のジュークボックスに目をやる。
ジュークボックスからは、アダルティックなジャズソングが流れていた。

梓「フランク・シナトラだ…」

唯「あ、聞いたことある！」

梓「かなり有名なジャズ・シンガーですしね」

唯「へぇ〜。よくわからないけど、ジャズってなんだか私たちにはまだ早い、大人の世界って感じだよね」

澪「まぁたしかに、若者はあんまり好んで聴いたりしないよな」

梓「そうですね。日本でも人気は下火ですし、ジャンル自体がマイナーになっている気がします」

梓「全盛期がちょうど1950年代からで、今でも懐古なジャズを好む趣向が玄人の中で根付いていて、ファンの間でも新しい物はあまり受け入れられない傾向にあります」

梓「一時期はフュージョンなんてロック要素を取り入れたジャンルがジャズファン以外の層でも流行りましたけど」

梓「やはり伝統的なジャズを支持するファンのほうが多いみたいですね」

唯「ジャズにゃん！」

梓「はぁ…」

自分に指をさしながら言う唯を見て、梓は飽きれたように答える。

28 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 02:58:05.10 ID:P07wBpgD0

律「あぁ〜なんか思いっきりドラム叩きたくなってきたぁ〜」

澪「いつもは雑誌とか読んだりして練習しない癖に…」

紬「ほんと、なにか楽器でもあればまたみんなで演奏できるのに」

唯「ギー太ぁ……」

その時、酒場の入口の方でなにやら騒がしい音がした。

澪「？」

アトラス「早く！部屋へ戻るんだ！」

アトラスさんが血相を変えて酒場に入ってきた。

唯「え？何！？」

アトラス「ライアンの手下に嗅ぎ付かれた！裏口に案内するから、早く！」

律「まじかよ！」

私たちは飲み物をテーブルに残したまま酒場の奥へ行こうとするも、遅かった。
入口から数人の男がなだれ込んできて、私たちを取り囲む。
手には銃らしき物を持っている。

「アトラス。ライアンさんの命令なんだ」

銃を構える男たちの後から早歩きでスーツの男が出てきた。

アトラス「サリバン…」

澪「誰なんですか…？」

アトラス「このネプチューンバウンティの管理人だ」

サリバン「俺は法を執行しているだけだ。ここに来た者はライアンさんに一度会わないと…」

サリバンという男は申し訳なさそうな態度で説得する。

アトラス「こんな若い少女達にまで尋問する気なのか？この子たちが中国やそこらのヒューミントに見えるか！？」

サリバン「それはライアンさんが決める。さぁ、おとなしくその子達を渡してくれ」

ﾁｬｷﾝ！ｶﾞｼｬﾝ！

サリバンの手下たちが銃の撃鉄を起こす。

澪「う…」

本物の銃を目の前にしたら、きっと恐怖で震え上がると思っていたが、私は意外と冷静だった。
これが現代の日本人特有の平和ボケというヤツなのだろうか。
この人たちは私たちには本気で撃つように見えないし、どことなく事務的に仕事をこなしているだけのように思えた。

29 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 03:00:28.19 ID:P07wBpgD0

ｷﾞｭｳ…

澪「？」

梓「うぅ…澪ｾﾝﾊﾟｲ…」

梓が今にも泣きだしそうになりながら私の腕を掴んできた。

澪「梓…」

極端におびえる梓を見て、やはりこういう反応が正しいのだろうと思い、少し自分の冷静さを恥じる。
しかし仮にも部活の先輩なわけで、こんなにおびえている後輩を見過ごすわけにはいかない。

澪「…っ！」

私は銃を構えている男たちから守るために、梓を覆うように抱き寄せた。

梓「ぅぅ……」

梓は私の胸の中で小さく震えている。

唯「アトラスさん」

アトラス「く………」

銃を向けられ、アトラスさんはどうにもできないといった表情だった。

紬「りっちゃん、どうすれば」

ムギもかなりおびえているようで律にくっついている。

律「………」

律は向けられた銃におびえながらも少し下を見て考えている。

30 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 03:02:34.45 ID:P07wBpgD0

律「なぁ、ここはおとなしく従おう」

唯「え、りっちゃん？」

律「私たちがスパイじゃないって証明できればそれでいいんだ」

律「私たちは飛行機事故でたまたまここへやってきた女子高生なんだ」

律「それをライアンとかいうヤツに言ってやればいい」

澪「おい、律！そんなの信じてもらえるのか！？」

私が抗議すると、律は少し小声で言った。

律「大丈夫…だと思う。少し考えがあるんだ」

そして律は一歩前に出て言う。

律「わかった。行けばいいんだろ？」

アトラス「おい、待て！」

サリバン「おぉっと、よせよアトラス。今回は見逃してやるって言ってるんだ。お前もライアンさんのところへ行くか？」

サリバンはアトラスさんに銃を向け威嚇する。

アトラス「…っ！」

澪「………？」

サリバン「じゃ、行くぞ。ライアンさんのところへまではこの目隠しをしてもらう」

律「う…」

一人一人サリバンの手下達に目隠しをさせられる。

紬「りっちゃん…！りっちゃん！」

ムギが泣き叫びながら律の名前を呼ぶ。

律「大丈夫、大丈夫だから！」

二人に黒い布の袋をかぶせられる。
唯にも袋が被せられ、そしてとうとう抱いていた梓も引き離され、男たちに捕まえられる。

梓「澪先輩！」

梓が涙で顔をぐしゃぐしゃにぬらしながら私の名前を呼ぶ。

澪「梓、大丈夫だ。私が付いてるから！」

梓「うぅ…澪…せんぱい…」

そして私は再び暗闇の中に連れて行かれた。

・・・
・・・
・・・

31 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 03:06:17.50 ID:P07wBpgD0

澪「………」

暗い。
私はつけていたアイマスクをはずす。

澪「ん〜っ！」

私は伸びをして飛行機内を見回した。
そろそろ到着する頃なのか、他の乗客は何人かすでに起きていて荷物をまとめたりしていた。

澪「律？」

律「ん、あぁ…もうすぐか？」

澪「多分」

機内はさほどざわついていないが、着陸の準備をしている他の乗客を見ると、なんだかﾄﾞｷﾄﾞｷしてくる。

律「いよいよか」

澪「だな」

唯「もうすぐ着くの！？」

唯も起きていたみたいで、座席のうしろから声をかけてきた。

澪「うん。もう少しかかるとはおもうけど…」

後ろを見ると梓は唯の肩を借りてぐっすり寝ている。

澪「………」

私はまだ寝ているムギを起こさないように、手を伸ばして窓のプレートを上げた。
なんとも言えない景色だ。雲の上だけど、どこか冷たい感じがした。

律「ムギと梓はまだ寝てるんだな」

澪「まぁ、まだ早いしそっとして…うわ！」

ｸﾞﾗｯ！

機体が揺れ、席を立っていた他の乗客がバランスを崩す。

ｶﾞﾀｶﾞﾀｶﾞﾀ

律「乱気流ってやつか？」

ポーンと案内音が鳴り、シートベルト着用のランプが点灯する。
飛行機はまだ小刻みに揺れていて、客室乗務員が乗客に席に着くように呼びかけている。

澪「あわわ…」

私はシートベルトを閉めながら後ろの二人を確認する。
梓も起きていて、唯に寄り添って心配そうにしていた。

澪「うぅ…」

私は座席の肘掛けに掴まり、体を安定させる。

律「澪、ムギ起こした方がいいんじゃないか？」

澪「え、ああ…ムギ…！」

私はムギを起こしてシートベルトを締めるよう言った。
機内は少しざわつき始め、乗務員の人達が長い棒を持ち、客席の窓を閉めてまわっていた。
ムギもそれを見て窓を閉める。

32 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 03:09:50.81 ID:P07wBpgD0

機長『お客様にお知らせします。当機はただ今、晴天乱気流に差し掛かり、機体が多少揺れております』

ドラマでよく聞くアナウンスが放送される。

機長『各自ご自分の席にお戻りになり、シートベルトをしっかり締めてご着席ください』

機長『尚、多少の揺れはございますが、10分ほどで乱気流を抜ける見通しとなっております。ご安心ください』

律「なんか飛行機ってかんじだよな〜」

普段経験の無い事なので、律がすこしはしゃいでいる。

澪「なにがだよぉ…」

律「へへへ」

ｶﾞﾀｶﾞﾀｶﾞﾀ…

次第に大きくなっていく揺れに怯えて、シートに必死に掴まる私をみて律が笑っている。

澪「うぅぅ…」

律「大丈夫だって。よくある事らしいから」

澪「ほんと…？」

律「あぁ、だけど飛行…おうッ！？」ｸﾞﾗｯ

ｶﾞﾀﾝ！と大きく揺れ、明らかに異常なほど機体が振動している。

律「あわわわわ…！」

もう横を向く余裕もないほど振動が強くなってきた。

澪「うあぁっ！」

もう一度グワンと上下に大きく揺れ、シートベルトを締めていなかった人が席から飛び出して天井に叩きつけられた。
機内は物と人でゴチャゴチャになり、頭上から黄色い酸素マスクが落ちてきた。

悲鳴とざわめきでさらに慌ただしくなり、人々は目の前にあるマスクを必死に装着している。

澪「ひぃぃ…！」

私も慌ててマスクを装着する。
揺れはどんどん大きくなって、機体が軋む音が聞こえ私は震え上がった。

澪「〜！！〜！！！」

澪「〜〜〜！！！」

澪「ぅ……」

澪「」

■　第二章　「 Somewhere Over the Rainbow 」　終　■

33 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 03:16:54.81 ID:P07wBpgD0

とりあえず今はここまで投下しておきますので、念のためトリップつけておきます。

ここまで読んでくれた方がいれば、ありがとうございます。

34 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします ：2013/04/27(土) 06:10:49.23 ID:Wwcf6a1do

続きそうはよ

35 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 09:01:19.99 ID:/nFp6gYmo

ここでバイオショックのSSを見るのは初めてだな
続き期待

36 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:21:23.96 ID:P07wBpgD0

投下再開します。

まだ最後まで書けていないので、今後章ごとに小出しにしていく予定です。

37 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:23:14.48 ID:P07wBpgD0

●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
搭乗していた飛行機が乱気流により大きくコースを外れ、北大西洋に墜落してしまった軽音部達は、謎の海底都市「ラプチャー」にたどり着く。
潜水球の無線機でコンタクトしてきたラプチャーの市民“アトラス”によって軽音部はなんとか助かることができた。

しかしこの海底都市ラプチャーは一度入れば出ることは許されない秘密の都市。
都市の最高権力者“アンドリュー・ライアン”は、裏社会の商人“フランク・フォンテイン”の登場により、以前よりも独裁的な体制をとるようになっており、新参者の軽音部達をスパイと疑って尋問をしようとしている。
アトラスはライアンから軽音部達を守るため、仲間のいるネプチューンバウンティ地区の酒場に軽音部達を匿ってくれた。

しかし、ライアンの手下たちに居場所を突き止められ、拘束される軽音部達。
全員目隠しをされ、ライアンの所へ連行されてしまう。

38 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:24:59.07 ID:P07wBpgD0

■　第三章　「 Beyond The Sea　」　■

頭に被されていた布が取られる。

ﾊﾞｻｯ！

澪「はぁっ…！」

律「うはぁ…」

唯「ふはぁ…」

梓「うぅ…」

紬「はぁ…はぁ…」

膝に手をつきながら新鮮な空気を必死に吸う。
辺りを見回すとどうやら執務室のような所らしい。
豪華な装飾に大きな地球儀、石像などが置かれて、目の前には上等そうな事務机がある。

ここにたどり着くまでどれだけ歩かされただろう。潜水球も二回ほど乗り継いだ気がする。
気が付くとサリバンと手下はもうおらず、辺りには誰もいないように見えた。

ｶｺﾝ

何か音がしてその方向を振り向く。
茶色のスーツを着た男が、室内用のパター練習マットでゴルフボールをカップに入れている。

澪「アンドリュー…ライアン？」

ライアン「その通り」

ライアンと思しき男は渋く落ち着いた声でそう答えると、振り向いてこちらへやってきた。
潜水球の映像で見た通り、スーツを着て鼻の下に髭がある中年男性だ。

39 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:27:26.17 ID:P07wBpgD0

ライアン「さて、君たちは一体何者かな？見たところアジア人のようだが、私は人民解放軍の糞参謀どもにラプチャーの事を教えてやるつもりはないぞ」

澪「わ、私たちは…」

私が言いかけると、唯が割って入った。

唯「私たちはスパイなんかじゃないよ！ただの女子高生だもん！」

ライアンはそれを聞くと大きく首を振った。

ライアン「言うは易しだ」

ライアン「まぁ、しかし…確かに君らがどこぞの国の寄生虫共の使いだという証拠はどこにもなかったわけだが…」

ライアンは部屋の隅に置かれた荷物を、ゴルフのパットで指す。

唯「あ、私たちの荷物！」

唯は自分のギターケースがあるのを見て、荷物に飛びつこうとしたが、ライアンがパットを掲げて唯を止めた。

唯「私たちの荷物返してよ！」

ライアン「………」

唯とライアンが火花を散らすようににらみ合う。

律「おい、唯。落ち着け」

唯「でも…」

律に言われ、唯はしぶしぶ元の位置に戻る。
ライアンはそれを見て薄気味悪い笑みを浮かべた。

ライアン「君たちの事を調べさせてもらったよ。じつに興味深い代物をたくさん持っていた」

律「私達の荷物を漁ったのかよ…」

ライアン「そうだ…苦労したよ。墜落した飛行機から乗客リストを手に入れて、遺体と照らし合わせ、一人ひとり誰なのか“当たり”をつけていくのは」

ライアン「飛行機はばらばらになっていて、街の端から端まで探したよ」

ライアン「そして5人の乗客がまだ生存している事に気が付いた。君たちだ」

ライアン「君らはいったい、どこから来たんだ？あの未知の技術が使われた飛行機はなんだ？」

澪「………」

律「………」

私と律は目を合わせる。
それから決心して、私たちはライアンに自分たちがどこから来た何者なのか、今の状況を全て話した。

・・・

40 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:30:57.10 ID:P07wBpgD0

ライアン「ふむ…つまりこういうことか」

ライアン「君らは2010年の日本からやってきた。その日本は先の大戦の後、めまぐるしい経済成長を遂げ、文化的にも技術的にも世界をリードする先進国となっている」

ライアン「君たちはその日本の高校に通う普通の女子高生で、全員軽音部なる部活の仲間どうし。そして高校卒業の記念に、イギリスに旅行しようとしていた」

ライアン「しかし運悪く飛行機は乱気流に飲まれ、大西洋のど真ん中に墜落。気が付けばこの1958年のラプチャーにたどり着いていたと…」

律「その通りだ…」

ライアン「馬鹿馬鹿しいが、興味深くもある」

ライアン「たしかに、敗戦からの日本の復興は今すさまじいらしい」

ライアン「実際にその事を裏付けるような代物は墜落した最新鋭の飛行機自体がそうであるし、乗客の死体や荷物を見ても到底この時代の物とは思えない」

澪「………」

ライアンはパットを振り回しながら部屋を闊歩した。

ライアン「しかし、最近は特に“クレムリン”なぞはどんな変わった工作をしてくるか分かったものではないからな」

ライアン「それだけでスパイではないと決めつけてしまっては…」

ライアンはコツコツと靴をならしながら私達の荷物の方へ歩み寄る。

ライアン「ギター…ベース…」

ライアン「君たちもアーティストの端くれ。という“設定”のようだな？」

ライアンが私たちの楽器を見ながら言った。

律「！」

律が少しピクリと反応する。“設定”という侮辱的な言葉にではなく、まるでライアンの口から“アーティスト”という言葉が出るのを待っていたかのようだ。

ライアン「あまり進歩していないな。この前も科学技術者だとかなんとか言って、この街に土足で侵入してきた“寄生虫ども”がいた」

ライアン「その皮を剥いでみると、そいつらは科学の科の字も知らないようなクズ以下のゴミで、このラプチャーをあろうことか我が物にしようなどと企んでいた」

ライアン「彼らの態度を見ていたらすぐにわかったよ。詰めが甘い。だから地上にのさばる連中は嫌いなんだ」

ライアン「君たちも、彼らと同じように魚の餌になりたいかね？」

私たちは震えあがり、文字通り手も足も出ない状態だった。
しかし律が決心したように表情を変えて一歩前に出た。

律「ら、ライアンさん！チャンスをくれ！」

澪「…律！？」

律「私たちの演奏を聴いて欲しい」

梓「律先輩…？」

ライアン「ほう」

ライアンは律が申し出てくるのを知っていたかのような笑みを浮かべながら答える。

律「このラプチャーは科学者や芸術家たちのために造られたんだろ？」

律「私たちだって、放課後ティータイムなんてふざけた名前だけど、れっきとしたバンドなんだ」

律「もし私たちの演奏を聴いて、この街にふさわしくないと思ったら…尋問でもなんでも好きにしてくれればいい」

澪「ちょ…律っ！」

律「だから、お願いします！」

律はライアンに向かってこれでもかと頭を下げてお願いした。

41 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:34:39.06 ID:P07wBpgD0

ライアン「…いいだろう」

ライアン「それが君たち一人一人の理性による選択なら」

私たちは荷物から自分の楽器を手に取って、準備をした。
私のベースは思ったよりも濡れていなかったようで、少しカビていたが演奏には全く問題なかった。
律はライアンに頼みドラムセットを手配してもらい、ムギもライアンの執務室にあったグランドピアノについた。マイクもアンプも用意され、準備は万端だ。
皆の顔を見ると、すこし強張っているものの、目の前に立ちふさがった試練を乗り越えようと猛っているようにも見える。
さっきまで泣いていた梓も、ギタリストとしてのプライドのおかげか覇気を取り戻し、ライアンを睨みながらムスタングを構えている。

澪「律…」

律「考えるな。いつものように演奏すればいいんだ」

律「言うは易し…なら行動で示すんだ。私たちが何者なのか」

唯「うん…そうだね」

紬「やりましょう！」

梓「私たちの音楽をみせてやるです」

律「唯、何にする？」

唯「」

律「唯？」

唯「っ？…え？」

律「曲！」

唯「え…あ！きょ、曲…」

澪「？」

唯「か、カレーのち…」

律「え…？」

唯「ううん！やっぱりここは、ふわふわ時間！」

律「よし。ｵｰｹｰ」

澪「………」

私たちは「ふわふわ時間」を演奏した。
演奏中の事はよく覚えていない。みんな必死に演奏し、唯も一生懸命歌っていた。
ライアンはその様子をじっと見ていたが、あまり感銘は受けてないように思えた。

ライアン「………」

律「ど、どうでしょう…？」

ライアンは険しい顔をしながら、こちらをみつめる。

ライアン「ふむ…演奏技術はさておき…」

律「（バッサリだー）」

律が小声で私を見ながら言う。

澪「（わ、わかったから…）」

ライアン「聞いたことのないサウンドだな。地上で今流行の“ロック”に似た物を感じるが」

ライアン「ここでそれが認められるかどうかは別だが…それでも、過去の栄光にしがみ付き、同じような物をダラダラといつまでも垂れ流す似非芸術家のような連中よりはよっぽどましだ」

律「じゃ、じゃあ…」

ライアン「甘い蜜を分けてもらおうと地上からやってくる“寄生虫”とは違うようだな？君たちは」

澪「それって…！」

ライアン「すくなくともどこぞの国のアホスパイではないだろう。あのような連中に、このような演奏はできまい」

ライアン「いいだろう、認めよう。尋問はしない」

律「よかったぁ…」

みんなひとまず助かったように思え、ホッとする。

42 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:37:32.14 ID:P07wBpgD0

澪「なら…」

私は家に帰りたい。

唯「じゃあ、私たち…家に…むぐっ！」ﾑｶﾞｶﾞ…

唯が「家へ帰りたい」と言う前に、律が唯の口を手で押さえた。

唯「ん〜！！りっちゃんなにするの！？」

律「（ちょっと静かにしてろ！）」

律は唯に小声で言うとライアンの方へ向き直り言う。

律「じゃあ私たち、この街にいてもいいんだな？」

ライアン「いいだろう、ラプチャーへようこそ“クインテット”」

澪「（律！？）」

律「（どうせこの人が帰り方を知っていたとしても、外には出してもらえないよ）」

澪「（そりゃまぁ、そうみたいだけど…）」

ライアン「君たちには特別に住居を提供しよう。しばらく生活できるだけの金も渡しておこうじゃないか」

澪「……え？」

ライアン「このラプチャーで新しいサウンドを創り出すイノベーターとして、努力してくれ？」

律「あ、ありがとう」

ライアン「さぁ、荷物は返してやる。私の気が変わらないうちに行け」

ライアンに言われ軽音部はそれぞれ自分の荷物を持って執務室を出る。

ライアン「そうだ、お前。ちょっと来い」

律「…私か？」

紬「え…」

澪「？」

律だけ呼ばれて、皆不安な表情をする。

43 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:39:43.79 ID:P07wBpgD0

律「ま、まだ何かあるの？」

ライアン「お前がバンドリーダーだな？」

律「あれ、どうして知ってるんだ？」

ライアン「見れば分かる。よくもまぁ、あんなマイペースな小娘たちをまとめていられるものだな」

律「………」

律「まぁな」

ライアン「ふん。いいか、このまま仲間を一つにしていろ。誰ひとり、帰りたいなんて本気で思わせてはいけない」

律「え…」

ライアン「お前が仲間をまとめるんだ。もし誰か一人でもこのラプチャーから逃げ出そうものなら、必ず全員捕まえて…殺してやる」

律「こ、[ﾋﾟｰｰｰ]って…」

ライアン「分かったな？」

律「あぁ。分かった」

ライアン「いいだろう、さぁ受け取れ。部屋の鍵だ」

律「さ、ｻﾝｷｭ！」

律がライアンとの話を終えてこちらへ戻ってきた。

律「おまたせ」

澪「なんだったんだ？」

律「あ、いや…部屋の鍵渡すの忘れてたって」

唯「あは、なるほどね」

律「じゃあ行くぞ。話はそれからだ」

澪「う、うん…」

私たちはライアンの手下たちに連れられて外に出た。

律（私がしっかりしていないと、みんな…殺される！）

・・・
・・・
・・・

44 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:41:23.08 ID:P07wBpgD0

澪「バカ律！」ｺﾞﾁﾝ

律「いてっ！」

いつものように私は悪ふざけが過ぎて澪に殴られる。
痛いのが極端に苦手なくせに、自分以外には容赦ないんだもんな、全く。

紬「まぁまぁ、とりあえずお茶にしましょう」

ムギは部室にある戸棚からティーセットを出して、ティータイムの準備を始めた。

律「ほかのやつらは遅いな」

澪「なにしてるんだろ」

ｶﾞﾁｬ

唯「おまたせ〜」

和「お、おじゃまします」

律「あれ、和？」

唯「私が勝手に連れてきました！」

唯はビシッと手を前に出して、説明する。

和「お邪魔ならすぐに帰るわよ」

澪「いや、全然邪魔じゃないよ。今はのんびりしてるだけだし」

紬「和ちゃんもお茶どうぞ」

和「ありがとう、頂くわ」

律「生徒会長を拉致ってくるとは、お前もワルよのぉ？」

唯「にっしっし」

・・・

45 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:43:53.24 ID:P07wBpgD0

ガチャ

梓「遅れてすみません」

唯「あ、あずにゃ〜ん」

梓「あれ？和先輩？」

和「お邪魔してるわ」

梓は和を見ると、私の方を見てあきれた表情をした。

梓「はぁ、律先輩…また何か忘れてたんですか？」

律「は？いや、今回はなんも忘れてないよ！」

唯「ちょっとお茶しに来ただけだもんね〜？」

和「まぁあなたに無理やり連れてこられたんだけど」

梓「そうだったんですか。てっきりまた律先輩がなにかしでかしたのかと…」

律「なんだとこのやろ〜」

澪「律。お前、人望なさすぎ…」

律「うぅ…澪しゃんまで…」

和「まぁそこまでは言わないけど、律はもう少し部長としてしっかりして欲しいわね」

律「面目ない」

唯「そうだ、りっちゃんが演奏の方に集中できるように、マネージャー募集してみるとか！？」

澪「マネージャー？」

紬「マネージャー！」

梓「マネージャー…」

澪梓紬和「憂ちゃんとか？」

律「みんな同じこと考えてるよ…」

紬「前に唯ちゃんのフリして憂ちゃんが入り込んできた時は、ギターもかなり弾けてたね」

梓「あぁ、あれはヤバいですね。絶対裏でなにかしてますって」

澪「一人で姉の世話と家事ができて、姉よりギターが完璧に弾けるって超人すぎだよな」

唯「えへへ〜、すごいでしょ？」

律「別にお前は褒められてないぞ〜？」

和「でも、マネージャーが必要なほど活動してるわけでもないでしょ？」

唯「あはは、そうだよね〜」

律「………」

・・・

46 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:47:07.08 ID:P07wBpgD0

唯「じゃ、また明日ね〜」

紬「バイバイ！りっちゃん、澪ちゃん」

律「おう、またな〜」

澪「また明日」

ﾃｸﾃｸ

律（部長か…）

澪「あ、律。ちょっと買いたい物があるから、10GIA行こうよ」

律「ん？いいよ〜」

・・・
・・・
・・・

律「セイレーン通り、プラザ・ヘドネ…ここか」

部屋にたどり着き、みんな荷物を下ろす。
パッと見、まるで修学旅行みたいだ。
でもみんなの顔からはそんなムード、1ミリも伝わってこない。

澪「律！」

律「まぁとりあえず座ろうぜ…」

皆、基本的な家具くらいしか何もない部屋で思い思いの場所に腰かける。
梓は窓際に置いてあった机に乗り窓の外を見た。

律「すまないな。“ふざけた名前”なんて言っちゃって」

澪「そうじゃない！あのライアンに言えばなにか分かるかもしれないのに」

澪「帰りたいと直接言わなくても、なんでここにきてしまったのか…それらしい話題を言ってみて手がかりだけでもつかめたんじゃないのか！？」

律「どうだか…どうせ原因を知ってたとしても、私たちがこの街を出ようとするきっかけになるような事は、毛の先ほども教えるつもりはないだろうさ…」

紬「私もそう思う…アトラスさんの言う通り、最初は私たちをかなり疑っている様子だったもの」

澪「………」

唯「でもあのおじさん、思ったよりやさしかったね。こんな立派な部屋までくれて、お金だってこんなに」

紬「私たちの演奏が通じたのかしら」

澪「そんな簡単な話でもないと思うけどなぁ…」

私はふと梓に目をやった。
ずっと、窓から海中の“夜景”を眺めている。

澪「梓はどう思う？まぁ、こんなわけわかんない状況で、どうもこうもない気もするんだけど…」

梓「………」

梓「私は…」

梓はしばらくして、窓に目をやったままゆっくり話し始めた。

47 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:51:04.32 ID:P07wBpgD0

梓「私は、あのライアンとかいう人は嫌いですけど、この街は好きです」

その意外な答えに上級生たちは驚いた。

澪「梓…」

梓「なんだか、ここにいると落ち着くんです。たしかに、いろいろ大変な事はありましたけど…それでもこの街を見ていると、不思議と心が安らぎます」

律「まぁ言いたい事は分かる気がするよ…」

澪「うん」

私も梓の気持ちには賛成せざるを得ない。実際、私はこの街にどこか懐かしさと望郷に似た哀愁を感じていた。
元の世界…自分が元いた世界で、パパやママ…和やさわ子先生、憂ちゃんやクラスのみんなとまた一緒に笑いたい。その気持ちはもちろんある。
だけどこのどうしようもできない状況と、どこから来るのかそのノスタルジアにそれをかき消され、妙に落ち着ける。

唯「私もあずにゃんの気持ち、ちょっと分かるよ」

唯「もちろん家に帰りたいし、憂にも会いたいけど、でも今は私たちじゃどうにもならない」

唯「だったら帰る方法が見つかるまでここで過ごすしかないと思う」

唯「どうやったら帰る方法が見つかるかなんてわからないけど、ここへ来たのには何か理由がある気がする」

唯「私たち5人全員助かったのにも何かわけがあるはずだよ」

唯もこの街のオーラにやられたのか、それとも元々なのか。
こういう大事な時はやけに気持ちの整理が早く、気をしっかり保つことができる気がする。
唯だけじゃない。律もムギも、その表情には確かに帰りたいという気持ちは現れているものの…大西洋の真ん中に放り出されて、絶望に打ちひしがれるような顔じゃない。

紬「そうね。何か運命みたいな物を感じる。私たちみんな一緒なら怖くないわ」

律「あぁ。なんて言ったらいいのかよくわからないけど、人生の新たな第一歩って言うのかな」

皆の思いに、私もなんだか自信が湧いてきた。

澪「あ、あぁ…そうだよな。みんないるなら…どこだってやっていける気がする」

澪「なぁ、梓？」

私は梓を呼んだ。
梓はこっちを振り向いて、ニッコリ微笑む。

梓「はい」

少し涙目になっていたように見えたが、その顔にはもう恐怖なんてものは見えない。

48 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:53:37.78 ID:P07wBpgD0

梓が机から降りて、みんなの元へやってくる。
そして誰からともなく、みんな円陣を組むように右手を前に出した。
左手は隣にいる仲間の肩に回し、スクラムを組む。

律「生まれ変わった放課後ティータイムの新たな幕開け…」

律が少し大げさな口調で言う。

唯「バンド名、変えるの？」

律「いや、別に変えなくてもいいだろうけど…」

ふと私の頭の中で不謹慎な名前が浮かぶ。
「墜落後ティータイム」なんて…

澪「ぶふっ！」

すごく不謹慎なのに吹き出してしまった。

律「な、なんだよ澪ｗｗどうした？」

紬「澪ちゃん、思い出し笑い？」

私につられて、みんな笑顔になっていく。

澪「くふっ、あははは…！」

律「だからｗｗどうしたんだってｗｗ」

梓「澪先輩？ｗｗ」

唯「あはは！みんなつられてるｗｗあははは！」

律「ふふふ、とっ…とにかく活動名は放課後ティータイムだろ。こんなところへ来たからってわざわざ変更する必要も無いよ」

唯「そうだね、ずっとこのままだよ！」

紬「素敵ね♪」

梓「はい。私たちのバンドはいつまでも変わりません」

澪「あぁ」

皆手を指し出し直す。

律「おっしゃ！放課後ティータイム、新たな生活の始まりだ！」

律「気合入れていくぞ！」

49 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:54:23.21 ID:P07wBpgD0

紬「おー！」

澪「えいえいお…あれ？」

唯「よっしゃぁー！」

梓「………」

梓「ぷふっ！ｗｗ」

唯「あ、あずにゃんが吹き出した」

梓「みなさん、ばらばら過ぎですって！くふふふ！」

律「ははは！」

紬「ふふふふ♪」

澪「ぷっ！あはははは！」

帰る方法なんて見当もつかない。
ここは大西洋のど真ん中、しかも深い深い海の底で、1958年だなんて…
きっとアインシュタインだって…一人こんな所に放り出されたら、帰ることを諦めてこのユートピアシティでの生活を楽しんでいたに違いない。

でも、私はここに一人で置き去りにされたわけじゃない。

・・・

50 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 09:59:15.40 ID:P07wBpgD0

1958年11月11日火曜日、私たちはこの海底都市ラプチャーで新たな生活を送っていた。
ライアンが提供してくれた物件はラプチャーの中でも比較的治安が良く、中流階級の人々が好んで訪れる活気のある区域にある。
元々は大工や建築家といった人々が住む職人街だったそうだが、今はいろいろな店が立ち並ぶ歓楽街になっていた。
なかには娼館なんて、私たち女子高生からしてみたらやましくてしょうがない施設もあったりするが、ユートピア・シティであるラプチャーでは特に珍しい物でもないらしい。

澪「よいしょっと」

ラプチャーは何年か前はもっと栄えていたらしいが、最近は少し衰退しているみたいだ。
治安の悪化、アダムを巡ってたまに起きる小競り合いやおかしな宗教団体によるデモ。ライアンが敷く理不尽な規制や条例。
人々は一昔前の活気に満ち満ちていたラプチャーに思いを馳せて、どこか悲しげな顔をしていた。
それでも桃源郷と呼ばれるほどのラプチャーにはまだまだ活気が残っていて、人々は時々ダンスホールで舞踏会を行ったり、劇場でオペラを楽しんだりしている。

律「そういや、アトラスさんは元気かな？」

澪「あれ以来会ってないな」

律「まぁ、あいつ…誰だっけ？サリなんとかってヤツは“見逃してやる”とか言ってたし、私たちのせいでアトラスさんがどうこうされたって事はないよな？」

澪「たぶん。短い間だったけど、お世話になったもんな…元気にしてるといいけど」

律「うん」

澪「あ、律？それこっちにお願い」

私たち軽音部も、なんとかこのラプチャーに慣れようと必死に努力している。
初めは、私たちの演奏する曲が人々に受け入れられなくて、働き口がなかなか見つからなかったが、珍しいバンドがいるという事で何度かディナーショーのライブなどに招待されたりして、なんとか打ち解けていく事ができた。
今でもたまに日雇いで5人そろってジャズバーで演奏したりすることもあるが、最近はもっと安定した収入を得るためにみんなで手分けして働いている。
全員一緒の店で働きたいのは山々だが、どの店もバンドは間に合っているようで、5人全員雇ってくれる所なんて無かった。

澪「あぁ、ちょっと待って…はい」

私と律はセイレーン通りから少し離れた、パウパードロップと呼ばれる地区にある本屋で働いている。
“Pauper（貧民）”なんて呼ばれるこの地区は、もともとラプチャーメトロの整備区画で、多くの労働者たちが働く場所であった。
しかし、自家用潜水球が普及してからは、ラプチャーメトロは寂れてしまい、鉄道会社で働く人たちは職を失った。
働き口を探そうにも、他の地区に移る余裕もなく、整備区画の労働者たちは文字通り“Pauper drop”してしまったらしい。

ムギは私たちの住居があるすぐ近く、セイレーン通りのリトルエデン地区にあるマーメイド・ラウンジというダイナーで給仕をしている。
働くのが好きで、誰にでも明るく振る舞うムギはすぐに客の人気者となり、たまに店でピアノ演奏も披露するらしく“ラプチャーに迷いこんだマーメイド”なんて言われているみたいだ。

唯と梓は、“フォートフロリック”という地区にあるレコード屋の店員として働いている。
フォートフロリックはかなり遠くにあるので少し心配だが、裕福層の地区らしいので治安はラプチャーの中でもかなり良いらしい。
劇場やカジノ、ギャラリーなど、娯楽と芸術に特化した場所らしく、梓と唯はそこをとても気に入っていた。

演奏の仕事ができないのは残念だけど、5人揃ってできないのならむしろこっちの方がいい。

澪「律、売れ残った雑誌なんか読んでないで、はやく並べるの手伝ってよ」

律「あぁ…ちょっと待って」

律は新しく並べるはずの雑誌のブロックの上に座りながら、雑貨や新商品の紹介雑誌を読み漁っている。

澪「りーつ！それ今日中に出版社に返送しないといけないんだから…」

律「よっこらしょっと」

律はやれやれといった感じで腰を上げ、雑誌を閉じる。

澪「オッサンかお前は」

私と律は古い雑誌を整理し、綺麗にまとめて箱詰めする。

51 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 10:01:56.93 ID:P07wBpgD0

澪「じゃあ、行ってきます」

店主「あぁ、頼んだよ」

本屋の主人が“テレキネシス”というの念力のようなプラスミドを使って本を空中に浮かせ、手の届かないところに陳列しながら答える。

律「私たちも何か便利なプラスミド一つくらい欲しいなぁ」

雑誌の入った段ボールを抱えながら律がつぶやいた。

澪「や、やめとけって！この間スプライスしすぎて気が狂った人見ただろ！？」

“スプライス”とは、アダムを使ってプラスミドの力を得る行為の事で、遺伝子を繋ぎあわせる（splice）という意味からそう呼ばれている。
二つ三つくらいならスプライスしても問題は無いようだが、何回も遺伝子改造を重ねると精神を蝕まれ、狂人になってしまうらしい。
この貧困地区でも、そういう人を稀に見かける。人々はその廃人と化した人間を“スプライサー”と呼んでいた。

律「あぁ、あれはたしかにキモかった」

私たちは水密扉を出て、ガラス張りの廊下を歩く。
壁も天井も一面ガラスで、外は海の中…水族館みたいだ。
この地区はかなり下層にあるので、街の景色は見えないけど。

律「あ、そういえばこの間、唯がサー・プライズに行ってきたらしいぜ」

澪「おいおい、カジノなんかで遊んでるお金ないんだぞ？」

律「一緒にいた梓も最初は止めたらしいんだけどな」

律「仕事帰りに唯がどうしてもって言うから、一度だけスロットで遊んできたらしい」

澪「で？」

律「5ドル勝ったって」

澪「微妙だな…まぁ負けるよりかはいいか」

そんな他愛もない話をしながら、私たちは郵便局に着いた。
このラプチャーの郵便や荷物の運送は“ニューモ”と呼ばれる装置で成り立っている。
管の中に荷物を入れて、空気圧で目的地まで届けるらしい。なんだか面白い。

澪「これ、お願いします」

係員「はいよ」

雑誌をニューモの運送業者に預けて一仕事終える。

律が壁にもたれかかるように座り、腕時計を確認している。
このラプチャーは海底にあるため、今が朝なのか夜なのか、窓の外を見ても見当がつかない。

律「これで終わりかな。ノド乾いた〜！」

私も時計を確認する。そろそろ仕事をあがる時間だ。

澪「帰りにフィッシュボウルにでも寄って、なんか飲もうか？」

律「そだな〜」

私と律は本屋に戻り、残していた仕事を片付けてから仕事をあがった。

・・・

52 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 10:04:12.39 ID:P07wBpgD0

フィッシュボウル・ダイナー。この地区にある大きな食堂。
カウンターと丸い椅子、見るからに座りにくそうな赤とシルバーのボックス席など、一昔前のアメリカ映画に出てくるようなプレハブ式簡易食堂に似せた作りになっている。
こんなところでハンバーガーかホットドッグでも食べれば、オールディーズな気分を味わえること間違いなしだ。

私と律はその座りにくそうなボックス席に腰かけ、飲み物をオーダーした。
夕食は家に帰って皆で作るので、ハンバーガーなんかは食べない。

律「仕事の後のコーラは最高だぜ」

澪「コーラってなんか、食べ物と一緒じゃないと飲めない」

律「まぁ、それはわかるけどさ」

澪「それにカロリーオフとかこの時代には無いしなぁ…」

律「おい、マクフライ！ここで何してる？」

澪「なんだってぇ〜？」

律が私を指さしてふざけだしたので、私は拳を振りかざそうとする。

律「ひぇぇ〜、マクフライじゃなくてビフだった…！」

澪「そっちの方が嫌だよ！まったくもー…」

私はコーヒーをすすりながら肩の力を抜く。
店にはチラホラ客がいるが、私達の事は気にせず新聞を読んだり談笑している。

律「あ、そういえば…」

澪「？」

律がカレンダーを見てふと何かを思い出したようだ。

律「今日が何の日か覚えてる？」

澪「え、何？」

澪「今日って…。あっ……」

ラプチャーに迷い込んでから色々あったし、毎日大変な日々を送っていたから、地上にいた頃のようにはいかなかった。
普段なら一週間前くらいから気にしだして、あれやこれやとみんなで考えていただろう。
私と律はその事を思い出し、コーヒーを飲み干すとすぐに勘定を済ませて店を出る。

澪「もっと早く気付いておけばよかった」

律「ん〜…にしてもどうすりゃいいんだ？何か買うにも大したお金も持ってないし」

澪「だよなぁ…」

・・・

53 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 10:06:06.23 ID:P07wBpgD0

澪律「ただいま〜」

紬「あら、おかえり」

私たちの住居に戻ると、ムギがすでに夕食の支度をはじめていた。

紬「今日はちょっとしたご馳走よ」

そう言ってムギは卓に食器を並べていく。
ムギも今日が何の日か覚えていたらしい。

澪「私たちも手伝うよ」

紬「ありがと♪」

ルーム貝のパスタや白身魚のソテーなど、魚介類が安いこのラプチャーならでは食事だが、ここに来たばかりでお金の無い私たちにとってはご馳走だ。
私たちは一通り調理を済ませて、唯と梓の帰りを待つ。

律「お腹すいたよぉ〜」

律が出来上がった料理をつまみ食いしようとする。

澪「こら、律！」

律「いでっ！」

唯「ただいま戻りました〜！」

梓「遅くなってすみません」

唯と梓が戻ってきた。
部屋に入り、梓は食卓に並べられたいつもより豪華な食事を見て驚く。

梓「あれ、もう用意しちゃったんですか？ていうかいつもに比べて豪華な気が…」

唯「わーい。美味しそう！」

澪「おかえり二人とも。梓、今日は何日だ？」

梓「え、今日？今日は11月11…あっ…」

梓も忘れていたらしい。

律「…」ﾆﾀｧ

律が横目で私を見ながらﾆﾝﾏﾘと笑う。

梓「もしかして…もしかして…」

澪律紬「誕生日おめでとう！」

それを聞いて梓は目をうるうるさせた。
今日は11月11日、梓の誕生日だ。

54 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 10:08:44.22 ID:P07wBpgD0

梓「うぅ…みなさん、ありがとうございます！」

唯「おめでと、あずにゃ〜ん！」

唯はそう言って梓に抱きついた。

梓「ありがとうございます…ありがとうございます！」

梓はサプライズに感激して、ずっと感謝の意を述べている。

澪「ささやかだけどプレゼントも用意したんだ」

梓「プレゼントだなんて、そんな…」

うれし涙をぬぐいながら、梓が恐縮する。

律「て言っても、こんなものしか買えなかったけどな」

律は私と仕事帰りに土産屋で買ったイルカのキーホルダーを渡した。

律「このラプチャーにはこんなものしか無かった！」

律はお手上げ状態なポーズをしてへりくだった。

梓「いえ、うれしいです。ありがとうございます！」

澪「私はこれ。カメ」

私は律と選んだカメのぬいぐるみを梓に渡す。

梓「ありがとうございます。トンちゃんみたいですね」

律「それどちらかというと澪の趣味だろ〜」

澪「う、うるさいな…かわいいからいいじゃないか」

唯「あ、澪ちゃんもぬいぐるみなんだ〜」

唯は鞄からプレゼント用に簡単に包装された包みを取り出した。

梓「あれ！？唯先輩、いつの間にそんな物用意したんですか？」

唯「えーとね、あずにゃんがさっきトイレ行ってる時にこっそり買っておいた」

梓「そ、そうなんですか…///」

唯「はい、開けてみて〜！」

梓「じゃあ、遠慮なく…」

梓は包装を丁寧に解いていく。

梓「…ん？……なんのぬいぐるみですかこれ」

唯「かわいいでしょ〜？」

唯が梓にプレゼントしたのは、潜水服を着たキャラクターのぬいぐるみだった。
丸い小窓がいっぱい付いた潜水用のヘルメットを被り、右手はドリルになっている。
どういうキャラクターなのかよくわからないが、ゴツイ潜水服とドリルの組み合わせに、デフォルメされたちんちくりんな見た目のギャップは確かにかわいい。

55 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 10:12:32.33 ID:P07wBpgD0

梓「変な物が好きな唯先輩らしいですね」

唯「えへへ〜。私も買っちゃったんだよね〜」

唯はそう言って、自分用に買った潜水服男のぬいぐるみを自分のギターケースに付けた。

唯「おそろいだね」

梓「はい。にゃ…！？」

唯はまた梓に勢いよく抱きつく。

梓「うぐぐ…唯先輩ってば〜！」

紬「さぁ、冷めちゃうから早く食べましょう」

紬「私は梓ちゃんにケーキを作ってあるの。後でみんなで食べましょう♪」

唯「やったぁ〜ケーキだ〜」

律「おっしゃー、食べるぞぉ」

みんなご馳走を食べながら談笑する。

梓「でも、今は1958年ですよ？まだ生まれてないのに誕生日だなんて、なんだか変ですね」

唯「じゃああずにゃんは今、マイナス34歳だね！」

梓「なんだかヤな響きですねそれ…」

唯「あ…今度は私の誕生日だから、あずにゃんも祝ってよね。私のマイナス35歳」

律「ははは、なんだそれｗｗ」

紬「ふふふ♪」

澪「あはは…」

ここは今、世界中の海底の中で一番暖かい場所だ。
たぶん、そこらの海底火山よりもぬくもりを感じられる場所に違いない。

でも私はまだ素直に笑う事ができずにいる。

このラプチャーに慣れ、心から笑って…この生活を楽しんでしまっている自分に気付くたび、我に返って色々考え込んでしまう。
このままいくと、どんどん海の底に引きずり込まれ…二度と水面に這い上がる事が出来なくなってしまうような気がしてくる。
もうずっと、この海底都市で暮らさなくてはいけないのだろうか？
そう思うと、胸が痛い。まるで自分の心が、どこか海を越えてもっと深い所にいってしまうような、そんな感覚に襲われる。

■　第三章　「 Beyond The Sea　」　　終　■

56 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 10:16:50.79 ID:P07wBpgD0

とりあえず午前はここまでです。
時間があれば、今日中にまた投下します。

57 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 11:32:59.88 ID:IGEKsQSNo

乙！

58 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 12:05:33.07 ID:u4s/Okek0

元ネタ知らんから何とも言えんが、今はただ、5人の生還を祈るばかりだ。

59 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [[sage]]：2013/04/27(土) 12:28:47.62 ID:HxoKi9s+0

BIOSHOCKでこういう日常っていうのも新しいな

原作主人公は出るのかな？そしてビッグ・ダディとか

60 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 18:06:41.12 ID:/Wt20GAyo

原作は1960年の出来事だったよな
てことはあんまり時間は無いのか
そしてinfiniteの要素は出てくるのかな？

61 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 21:37:34.46 ID:P07wBpgD0

もう一章投下します。

62 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 21:40:53.37 ID:P07wBpgD0

●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
ラプチャーの最高権力者“ライアン”と対峙した軽音部達は、自分たちがスパイではない事を証明しようとバンド演奏をする。
その演奏がライアンに認められ、軽音部達はラプチャーでの居住権を手にした。
「軽音部達をまとめられず、脱走する者がいれば全員[ﾋﾟｰｰｰ]」とライアンに言われた律は、リーダーとしての立場を追及される。

絶望的とも言える状況の中、自分たちではどうする事もできず、軽音部達はラプチャーで暮らすことを決意する。


■　第四章　「 Who could ask for anything more? 」　■

1958年11月27日木曜日
みなさん頑張って働いている事もあって、収入はなかなか安定してきたし、蓄えもできてきた。
それぞれの仕事で得た収入は自分で管理しているが、私も先輩達もみんな、軽音部の部費のような感覚で共有しているつもりでいるらしい。
今日は唯先輩の誕生日だ。マイナス35歳の。

梓「………」

ていうか、あの理屈から言えば唯先輩の次の誕生日はマイナス35歳じゃなくて、マイナス33歳なのでは…？

唯「ふ〜ふ〜ふ〜ふ〜♪」

梓（まぁ、いっか…）

ということで、お金に余裕ができてきた私たちは、誕生日を楽しみにしている唯先輩になにかできないかと考え、唯先輩自身の希望により中流階級層の地区で行われるディナーショーに行くことになった。

唯「ふふふっふ、ふふふっふ♪」

唯先輩は鼻歌を歌いながらレコードの手入れをしている。

梓「ゴキゲンですね」

唯「えへへ、だってぇ〜♪」

唯「こ〜の〜リーズーム♪」

唯「こ〜の〜ミュージック！」

唯先輩はノリノリでLPの溝に沿って布を滑らせている。
唯先輩自体が蓄音機みたいに見えてなんだか面白い。

63 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 21:43:31.93 ID:P07wBpgD0

梓「その歌って“I Got Rhythm”ですよね」

唯「あ、そうなんだ〜。曲名は知らなかった」

梓「知らずに歌ってたんですか…どこで知ったんです？」

梓「ここにLP置いてありましたっけ」

唯「ううん。知ったのはここに来る前からだよ〜」

梓「へぇ…」

唯「ん〜とね、中学生の時に劇を見たの」

唯「なんて名前だったかなぁ…クレイジーなんとか？」

梓「あぁ、あれですね。クレイジー・フォー・ユー」

唯「そうそれ！修学旅行で、東京の劇場で初めてミュージカルを見て凄く感動したの」

梓「へぇ〜学校の修学旅行で行ったんですか。いいですね中学校でそんな所連れて行ってもらえて」

唯「野球とミュージカルどっちか選択式だったんだけどね。野球はあんまり興味なかったから」

梓「なるほど…」

唯「でも、私本当に感動しちゃって…修学旅行が終わった後、よく劇を家族で見る友達にチケットを取ってもらって、もう一度見たんだよ！」

梓「同じクレイジー・フォー・ユーを見たんですか？」

唯「うん」

梓「別の物見てみても良かったんじゃないですか？」

唯「まぁね。でも、もう一回同じのを見たくてしたなくて」

梓「で、二回目はどうでしたか？」

唯「それがね、二回目は京都で見たんだけど…音楽が録音されたのだったからちょっとがっかりした…」

梓「それは萎えますね。ていうか、東京の劇場はピットで生演奏だったんですか」

唯「あ、そうだよ。ステージの手前下に大きなスペースがあって」

梓「それはうらやましいですねぇ…」

私は「はぁ〜っ」とわざとらしく溜息をついた。
唯先輩が感動してしまうわけも分かる。
中学生時代、青春真っ只中の時期に修学旅行テンションで生オケのミュージカルなんて物を見れば誰でも心躍るはずだ。

64 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 21:45:47.78 ID:P07wBpgD0

唯「演技してる人も、落とし穴みたいな所でモニター見ながら演奏している人もみんなとっても楽しそうだった！」

梓「なかなか素敵な話じゃないですか。まぁ二回目が録音だったのはちょっと残念ですけど」

唯「でも、二回目もとっても面白かったよ！ステージ全体で、役者さんが目の届かないような所でもしっかり演技してて」

唯「一回見ただけでは目が追い付かなかったから、二回目もとっても新鮮だった」

唯先輩はそう言って立ち上がり、履いている靴の底を床にたたきつけてタップダンスのマネをした。

唯「どうしてあんなにカチカチ気持ちいい音が出せるんだろね」

梓「あぁ、あれはたしかつま先とかかとに金属の板を付けたタップダンス用の靴を履いているんですよ」

唯「あ、そうなんだ〜」

唯先輩は適当なリズムで靴をパコパコと鳴らす。

梓「唯先輩って、結構いろんな所に行ってるんですね」

いつもだらけてばかりなイメージの唯先輩がそんな教養のある経験をしているとは思わなかった。

唯「見直した〜？」ﾌﾝｽ

梓「まぁ、少しは」

私は話に区切りをつけて作業に集中しなおす。

・・・

65 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 21:49:17.44 ID:P07wBpgD0

一仕事終えて私は窓際に座った。
どうしてこの街は、こんなに心地よい哀愁を私の胸に与えてくれるのだろう？
オーラというか雰囲気というか…。
この街の幻想的な景色を見ていると、自分はちっぽけな存在で、どこに居ようが…何をしようがそれは変わらない…
そんな気持ちで胸がいっぱいで切ないけど、とても懐かしくてどこか優しく感じる。自分のいるべき本来の場所はここだったんじゃないかとも思えてくる。

唯「ありがとうございました〜」

唯先輩は帰りたいと思っているのだろうか。
律先輩は以前よりもしっかりしてて、なんだか地上にいた時よりも部長らしい振る舞いを心がけている気がする。
ムギ先輩もこの街を楽しんでいるように見えるし。
澪先輩はどうだろう…？

たしかにこの街はどこか異常に狂ってるような部分もある。
まるでドラッグが切れてしまったかのようにアダムを追い求める人々。
自分の理想を見失い、人を束縛するライアンや小競り合いを起こすどこかの狂信者たち。

それでも、科学と芸術の為に作られたこの街は、額に汗を流して努力する人々の活気で満ちていて、音楽に携わる私たち軽音部がここへたどり着いたのも偶然では無い気がしてくる。
そんなこのラプチャーを見ていると、自分は地上での生活にどこか憂いていた気がしてくる

上辺だけの薄っぺらい友情で結成するも、人間関係なんて理由で解散するバンド。
知名度、売り上げ、金……“芸術性”なんかへとも思っていない、音楽を金儲けの道具としか考えていないメディア。
私の周りだってそうだ。何の目的も持たず、ただ日常を浪費していくクラスメイトたち。
それは、日々怠惰に暮らしていた軽音部の私たちも例外ではない。

でもこのラプチャーに来てからは、そんな事微塵も思わない。

唯「あ、これですか？少々お待ちください！」

私たち軽音部は、地上にいたころよりも一体感がある。
みんな毎日を真剣に生きている。
将来がどうなるかなんて見当もついていないだろうけど
仲間を思い、協力し合っている。
音楽を愛し、自分達の演奏に誇りを持っている。

このラプチャーが私たちを“導いた”のなら、私はそれをとても光栄に思う。

でも、このラプチャーで一生を過ごすのも気が進まないし、元の世界に帰る事ができるのならそれはそれでとても嬉しい。
なんていうか、どちらか一方に結論を出したくない自分がいた。
こういう事自体、あんまり深く考えたくはない。
そういう意味では、ここに来てから軽音部の中で自分が一番、怠惰なのかもしれない。

梓「はぁ…まぁ成り行きに任せればいいかな」

唯「あずにゃん？」

梓「あ、はい」

唯「今日はもう仕事終わりだって」

梓「そうですか。少し早いですね」

唯「そだね〜、とりあえず支度しよっか。もうお店も閉めちゃうみたいだし」

梓「はい」

66 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 21:53:45.98 ID:P07wBpgD0

私たちは仕事帰りにすぐディナーショーへ行けるよう、着替えのドレスを持って来ていた。
そのような催し物に参加するのは生まれて初めてなので、どこまでめかし込めばいいのかよくわからないが。
皆で頑張って貯めたお金で買った安物で慎ましやかなドレスを着て、ディナーショーの準備をした。

唯「あずにゃんかわいいよぉ〜」

私は露出が少なめで暗めの菫色をしたイブニングドレスを着ている。
唯先輩はスカートが長めの白のチュニックワンピースのような厚手の洋服着て、私に抱きつこうとしてくる。

梓「唯先輩、せっかくのお洋服がくしゃくしゃになりますよ」

唯「あぁ、ごめんね〜あずにゃんがどうしてもかわいくて」

オードリー・ヘップバーンみたいな爽やかで元気な笑顔をしながら、唯先輩はギターケースを背負う。

梓「ギー太、店に置いて来ればよかったじゃないですか」

唯「えぇ〜ギー太を一人にしておいてはいけないよぉ」

めかし込んだ格好にギターケースは少しミスマッチだ。
こんな人、海底どころか地上を探しても唯先輩しかいないと思う。

唯「よいしょ、おっととと…」

履き慣れない靴のせいか、ギターを背負おうとした唯先輩はバランスを崩してよろめく。

梓「あ！先輩危ない！」

唯「うわ！」

ﾄﾞｽ！

唯先輩はよろめいて通りかかった男の人にぶつかってしまった。

唯「あ！ごご、ごめんなさい！」

男「あぁ〜これはすまないね御嬢さん」

結構歳を取ってそうな感じのその男の人は、少し不気味な高い声であいさつした。

唯「その、ぶつかったのは私ですし…」

男「気にすることはない。お互い様だ」

どこか小気味良いリズムの話しかただ。
動物を愛でるときのような甘い口調でしゃべるその男の人は、仮面舞踏会で付けるような、ウサギを模した仮面をかぶっており、素顔は確認できない。
ピシッとしたタキシードを着て、イギリス紳士のように髭がカールしている。

男「では失礼するよ、芸術を愛する子猫ちゃんたち」

男の人はそう言い、どこかへ行ってしまった。

唯「なんであずにゃんが猫だってわかったのかな？」

梓「いや、たまたまそう言っただけでしょう。…あれ？」

私が目を下に落とすとハンカチが落ちていた。

梓「これ唯先輩のですか？」

私がハンカチを拾い上げて唯先輩に見せる。

唯「え？違うよ〜。もしかしてさっきの人の物かな？」

梓「でしょうか…」

ハンカチをよく確認すると、金の刺繍で名前が書いてある。

梓「サンダー…コーエン！？」

67 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 21:58:24.56 ID:P07wBpgD0

唯「知ってる人？」

梓「知ってるっていうか…唯先輩、このフォート・フロリックでずっと勤めててサンダー・コーエンさんを知らないんですか？」

唯「え…」

梓「フォートフロリック地区の管理者で、あの大きな劇場“フリートホール”のオーナーですよ」

梓「ラプチャーでもとびきり有名な芸術家で、彫刻品や絵画、楽曲なんかをいっぱい発表してる人です！街の施設のデザインにも携わっているみたいですよ」

唯「そうなんだぁ」

梓「これは何かの縁ですね…このハンカチ、コーエンさんに届けないと」

唯「そだね。まだ時間はあるし」

私たちは劇場の関係者の人にコーエンさんの自宅を訊き、ハンカチを届けに行くことにした。
コーエンさんの自宅は、オリュンポスハイツ地区にあるマーキュリースイートという高級住宅にあるらしい。

・・・

梓「ここですね」

ガラス張りの海中トンネルを走る路面電車に乗り、私たちはマーキュリースイートまでたどり着いた。
建物は吹き抜けになっておりその中心をエレベーターが貫いている。

唯「S.COHEN…ここじゃない？」

梓「ですね」

ｺﾝｺﾝｺﾝ

いかにも高級そうなドアをそっとノックする。

唯「反応ないね」

梓「でも劇場の人は、コーエンさんは自宅に戻ってるって言ってましたよね？」

唯「そうだよねぇ…？」

ｶﾞﾗ

私たちがどうしようか悩んでいると扉が開いた。

唯「開いたよ？入れって事じゃない？」

梓「そうですかね」

私たちは恐る恐る部屋に入る。

コーエン「さっきの野良猫ちゃんたちじゃないか。さぁ、こっちへおいで」

コーエンさんの声がどこからか響いてくる。

唯「お邪魔しまーす！」

梓「お、お邪魔します」

コーエン「調子はどうかね、野良猫達よ…しっぽをくねくねさせてご機嫌そうではないか」

梓「あ、あの…コーエンさん、さっきはすみませんでした。その、これコーエンさんの落し物ではないかと思って届けに…」

私はハンカチを差し出す。

コーエン「あぁ〜わざわざ私の家までとどけてくれてすまないね。お礼と言ってはなんだが、お茶でもしていくかな？」

梓「いえ、そんなお礼だなんて。コーエンさんに会えるだけでも嬉しいです」

梓「コーエンさんの曲、いくつか聴きました」

コーエン「それはそれは、こんなお嬢様方にも芸術を理解してもらって嬉しいねぇ」

芸術という単語を強調しながら、甲高い声でコーエンさんは言う。

68 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:01:11.23 ID:P07wBpgD0

コーエン「そうだ、この老いぼれを少し手伝ってはくれないかね？」

コーエン「今、私の弟子達にダンスの手ほどきをするために部屋を片付けていたところでね…」

中央の広々とした部屋にはグランドピアノや背もたれの高い椅子が並べられている。
片付けているというよりも、すこし模様替えして配置を変えるつもりだったみたいだ。

私たちはそれを快諾して部屋の模様替えを手伝う。

コーエン「すまないねぇ、レディにこんなことさせてしまって」

唯「いえ、このくらいへっちゃらです！」

唯先輩は蓄音機を運びながら答える。

梓「その蓄音機はどうするんですか？」

コーエン「それはこのテーブルに置いてくれ」

コーエンはグランドピアノの傍に配置した丸い小さなテーブルを指さす。

コーエン「あぁ〜でもすこし高さが足りないようだ。なにか本の上にでも重ねて置いてくれ」

唯「本…？本…」

あたりには本らしき物は無く、山のように積まれたピアノスコアの束くらいしかない。

唯「これでいいかなぁ〜」

唯先輩は近くにあった大きな厚紙の箱を丸いテーブルの上に置き、その上に蓄音機を置いた。

コーエン「上出来じゃないか。ちょうどいい高さだ」

梓（あれって銃の弾の箱なんじゃ…）

そう思ったけど、コーエンさんも特に気にしていないらしいし、ツッコむのはやめておいた。

69 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:07:23.50 ID:P07wBpgD0

コーエン「助かったよ、若き芸術家たち…ささやかな礼だ。土産にするといい」

コーエンさんは、純銀の装飾の入った手製のウサギの仮面を一つずつ、私たちにくれた。

唯「わぁい、ありがとうコーエンさん！」

コーエン「礼には及ばないよ。君たちの演奏は前に一度聞いたことがある」

唯「ほんと！？」

コーエン「あぁ、もちろん。芸術を愛する者たちがここへやって来るのはうれしい限りだ」

梓「あ、ありがとうございます」

私がふと時計を見ると、もうディナーショーに遅れそうな時間になっていた。

梓「じゃあ、私たちこれで失礼します」

唯「あ、ほんとだ。ディナーに遅れちゃう！」

コーエン「また会おう。ぜひ私の舞台も見に来てくれたまえ」

梓「はい。機会があれば是非！」

私たちはコーエンさんの部屋を出て、再び路面電車に乗る。

梓「ちょっと変わった人でしたね。たしかに芸術家って感じがしました」

唯「白い人の彫刻みたいなのがあったね〜」

仮面を付けながら唯先輩が言う。
なんだか夏祭りの帰りのようだ。

梓「石膏かなにかですかね？等身大であんな物つくるなんて大変そうですよね」

私もコーエンさんにもらった仮面をつけてみる。

唯「あ、あずうさちゃんだ〜」

梓（あずうさ？あずぴょんとか言い出すと思ったら…）

梓「ぴょんぴょん、わたしあずうさ。飛び跳ねるのに、耳が少し邪魔なの」

なんてね。

唯「おーよしよし〜」

・・・

70 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:15:00.25 ID:P07wBpgD0

澪律「誕生日おめでとう、唯〜！」

紬「唯ちゃんおめでとう♪」

梓「おめでとうございます、唯先輩」

唯「ありがと、みんな！」

私たちは中流地区の大きくて豪華なダンスホールで唯先輩を祝った。
唯先輩はディナーショーでみんなと食事するだけでいいと言ったので、プレゼントは用意していない。
私たちは予約していた席を囲んでオンテーブル・ビュッフェ、いわゆるバイキング形式でめいめいが取ってきた好きな料理を食べながら、お話を楽しむ。

律「少し前にみんなで弁当食べてる時にさ、和が突然むせだして…澪は自分の水筒のお茶を和に注ごうとしたんだ」

律「でも澪はその時、水筒にエナジードリンクをスポドリで割った物を入れてること忘れてて、そのまま和に飲ませちゃったんだよ」

律「そしたら、お茶だと思って飲んだ和がエナジードリンク吹き出して、もっと咳き込んじゃってさ…ぶふっ！ｗｗ」

澪「ちょっ、その話はやめろよ！っ…ぷふふｗｗ」

律「私は必死に和を鎮めようとしてるのに、澪はその時だけはお腹抱えて笑ってんの…！」

律先輩は向日葵みたいに明るい黄色のイブニングドレスを着ている。律先輩らしい色のチョイスだ。

紬「私もそれしてみたいわ♪」

紬先輩は深い赤。臙脂色のストレートなワンピースドレスで、すごく大人っぽい。

澪「だからやめろー！ムギも何をどうしてみたいんだよ！」

澪先輩は恐らく律先輩の着ている物の色違いだろう。真っ黒で落ち着いた雰囲気をしていて、ムギ先輩とは違った意味で大人っぽく見える。

梓「あはは」

最初、周りの人たちは結構ラフな格好をしていて、地味ではあるが着飾ってきてしまった私たちは周りから浮いて見えないかと心配したが、ガッチリした正装で来る人や、露出度の高い派手なドレスを着た女性なども現れてきてホッとした。
普段着など動きやすい格好の人は、後のダンスなどで思いっきり踊る気でいるのだろう。

唯「あ、そうですよ〜。え？あはは、照れるなぁ〜///」

唯先輩は、食事を取りに行くと他の人から声をかけられたようで、向こうで楽しそうに談笑している。
どうやら、ギターを持っていたので他の演奏者から話しかけられたみたいだ。

梓「ふふふ、はぁ〜ぁ」

私は先輩たちと楽しいお喋りをしつつ、ダンスホールを見回した。

他の人たちも、席に座って食事を楽しんだり、立ったまま色々会話したりしてパーティを楽しんでいた。
200人くらいいるだろうか、私たちのお喋りなんか簡単にかき消されてしまう。

ステージでは8名からなるビッグバンドが、比較的落ち着いたスウィング・ジャズを演奏している。
彼らが奏でるアンサンブルは、私なんかが「凄い」と言うのもおこがましいほど素晴らしい物だ。
高度な技術とチームワーク、耳に心地よいアレンジと、ブラボー！と思わず声がでてしまうソロパート。
ジャズバンドをしている両親にも、この素晴らしい演奏を聴かせてあげたいと思った。

曲が終わり、会場は拍手に包まれる。

私も感動して必死に手を叩いた。

ここで、ビッグバンドの最前列で一人ヴァイオリンを弾いていたリーダーらしき人物が、メンバーを一人一人紹介していく。
楽器と名前をリーダーが叫び、そのサイドメンが技術を見せつけるように短いフレーズで音を奏でそれに応える。

一人一人紹介されるたび、客席にいる人々は大きな拍手をした。

71 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:17:35.22 ID:P07wBpgD0

律「いいよなぁ。こういうのだよなぁ」

澪「あぁ…そうだな」

澪先輩と律先輩が、昔話を思い出すみたいに意気投合している。
バンドを結成する決意をした時の事を思い出しているのだろうか？

唯「りっちゃん、澪ちゃん…！」ﾀﾀﾀﾀ

唯先輩が息を切らしながら帰ってきた。

律「ん〜？どうしたんだ唯？」

澪「なにかあったのか？」

唯「いやぁ…それがぁ…///」

唯先輩は嬉しいのか困っているのかよくわからない顔をしながら焦っている。

リーダー「さてみなさん、お待ちかね…ダンスの時間ですが」

リーダー「ここで、今日は特別ゲストに急遽参加してもらう事になりました」

ビッグバンドのリーダーがそう言うと、唯先輩の方に手を向けた。
会場にいる人の視線が一気に唯先輩の方へ集まる。

律「えぇ！？なんだ唯、お前…えぇ！？」

澪「ゲストって…！？」

唯「ち、違うんだって…ギター持ってて一緒に弾かないかって、リーダーの人が私たちの事知ってて…！」

唯「今日はたまたまギターの人がケガして演奏できなくて…」

梓「で、ギターをたまたま持ち合わせてた唯先輩を“ギグ”に誘ってくれたんですか」

唯「そ、そうみたい…///」

律「へぇ〜そんな事もあるんだなぁ」

澪「ビッグバンドに飛び入りって、そんなことあるものなのか？」

梓「普通ありえませんよねぇ…」

紬「よっぽど気に入られてたみたいね」

唯「うん、えと…その…ダメかなぁ？」

律「私は別に唯一人だけ行ったって気にしないぞ！」

澪「あぁ、私も。ていうかもう呼ばれちゃってるし」

紬「頑張ってね唯ちゃん！」

梓「唯先輩の思うように楽しんでください。今日はそういう日なんですから」

唯「うん！みんなありがとう！」

唯先輩は申し訳なさそうに喜びながら、ギターを持ってステージへ向かった。

72 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:19:40.56 ID:P07wBpgD0

リーダー「このラプチャーに突如現れた、期待の新星バンドHTT　ギター　ユイ・ヒラサワ！」

人々はさらに大きな拍手をし、会場は熱気に包まれる。
唯先輩は頭をペコペコ下げながら恥ずかしそうに笑っている。

律「いや、なんか弾いて応えろよ！」

律先輩が席に座りながらビシッと手を出してツッコむ。

澪「まぁいいんじゃないか？こんな事、全くの予想外だし」

梓「そうですね…」

ホールの半分はダンスの為に広々と開けられており、参加客のムードはピークに達していた。
みんな、まだかまだかと待ちわびている。

唯先輩はビッグバンドのメンバー達と軽い打ち合わせをした後、すぐに定位置について演奏を始める。
コミカルで明るく、軽快なノリのディキシーランド・ジャズが会場を湧き立たせる。

人々は立ち上がり、一人でに踊りだしたり、二人組を作りホールに躍り出てステップを踏み始める。

唯先輩は、目の前で自分が奏でるメロディに合わせながら思い思いに体を動かす人々を見て満面の笑みで演奏していた。
自分の演奏でこんなに楽しそうに踊ってもらえるなんて初めての経験で、自分自身もそのうち踊りだしてしまうんじゃないかというくらい嬉しそうだった。

梓「凄いですね…」

ビッグバンドと即興で演奏するなんてとんでもなく難しい事を唯先輩は難なくこなしている。
互いの息もなかなかあっているみたいだ。

澪「楽しそうだなぁ」

梓「はい」

演奏する人、踊る人、それを見て楽しむ人…会場はもうお祭り騒ぎのようだった。

73 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:23:48.01 ID:P07wBpgD0

澪「………」

澪「なぁ…梓…？」

梓「なんですか？」

澪先輩が笑顔で私の手をとり、決心したかのように言った。

澪「私たちも踊ろう」

梓「え！？」

いきなりの誘いに私はすこし戸惑った。

梓「で、でも私…ダンスなんてしたこと…」

澪「そんなの適当でいいんだよ。さ、早く！」

梓「あ、はい…うわわ…！」

澪先輩が私の手を引っ張り、人ごみの中へ進んでいく。

澪「ほら、こっちだ」

澪先輩は踊っている人々をかき分けて、ダンスホールの真ん中へ私を導いた。

梓「み、澪センパイ…///」

恥ずかしがり屋じゃなかったのかとツッコみたくなってくるが、私も会場の熱気と陽気なジャズに惹かれて体が勝手に動き出す。
澪先輩は右手を私の背中にまわし、もう一方の手で私の右手をとりホールドした。
私もそれに応じ、さらに身を寄せてステップを踏む。

澪「ふふふ」

梓「え、えへへ…//」

こんな幸せそうな澪先輩を見たのは初めてかもしれない。
澪先輩は目を合わせながら左右にリズムをとって軽快に踊り、私をリードする。
私もそれについて行こうと体を動かした。

私達の席を見ると、律先輩とムギ先輩も二人で体を左右に揺らしながらノリノリで私たちのダンスを見守っている。

唯先輩もこちらを確認するとさらに演奏に気合が入った。

私はタイミングを見計らって、澪先輩の手を軸にくるりと回ってみる。
上を見上げると大きなシャンデリアが万華鏡みたいに回転していた。

素早く一回転しているだけなのに、その瞬間だけスローモーションのように妙に長く感じる。
澪先輩の方に向き直ると、私の回転の勢いを優しく受け止めてくれた。

澪「いいぞぉ」

梓「やってみるもんですね」

二人の息はバッチリで、私たちのダンスをみんなが羨むように見ている…そんな気さえした。
曲が終盤に近づき、二人の動きは落ち着いてきて、徐々に洗練さが増していく。

74 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:27:36.64 ID:P07wBpgD0

澪「なぁ梓…」

踊る人たちの間を縫うようにゆっくり流れながら、澪先輩が呟くように言った。

梓「はい澪先輩」

澪「私は怖いんだ…」

澪「この海底でも私たちはこんなに笑いあえている」

澪「それに気付く度に、私の心はどこか海の底深くに引きずり込まれて…もう戻れなくなってしまう…」

梓「………」

澪「そんな気がするんだ…」

澪「そう思うと怖くて…怖くてしかたがない」

梓「………」

澪「でも…」

澪「私には友達がいる、一緒に付いてきてくれる後輩がいる…」

澪「何かいい話があって、それを一緒にお喋りする仲間がいる。それだけでも人生は捨てたもんじゃない」

梓「澪先輩…」

澪「だから決めたんだ」

澪「今を大事にしようって…」

澪「踊り出したら、曲が終わるまで踊り続けるしかない」

澪「演奏を始めたら、曲が終わるまで辞めることなんかできない」

澪「途中で失敗しても最初からやり直すことなんて、できやしない…」

澪「だから、今を一生懸命生きていこうと思う」

澪「軽音部のみんなと一緒に」

澪先輩がどうしてこんなことを言い出すのか私にはよくわからなかった。
だけどきっと、澪先輩は自分自身の決意と同時に、後輩である私を元気づけてくれているのだと思った。

澪先輩の目は戸惑いなんて一切無く、希望と決意でいっぱいで…そんな目をした澪先輩に私は自分の胸の鼓動が高まるのを感じた。

梓「澪せんぱい…///」

75 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:30:16.73 ID:P07wBpgD0

梓「…わわっ！？」

澪先輩に見惚れて、私はリズムが狂い足を絡ませてしまった。

澪「おぉっとと…梓！？」

バランスを崩し後ろに転げようとした私の背中に澪先輩が腕を回して受け止める。

私たちはタンゴのフィニッシュポーズのような、片方が背中を逸らせ片方がそれを支える形で静止した。
澪先輩も私を支えるために前のめりになって、私と澪先輩の顔は手のひら一つ分しか離れていない。

曲が終わり、会場が再び拍手と熱気に包まれる。

梓「はぁ…はぁ…///」

澪「はぁ……///」

私と澪先輩はフィニッシュポーズのままお互いを見つめ合い、放心状態になっていた。

梓「は…ぁ…」

二人とも息を荒立たせて顔が赤い。
澪先輩の唇が目の前にある。間近で見るととても綺麗で麗しい。
なんだか、このままキスしてしまいそうな…

澪「大丈夫か？」

梓「あ、はい。ありがとうございます」

私は澪先輩に支えられながら立ち上がり、ドレスを整える。

澪「楽しかったな」

梓「はい…///」

会場の熱気が冷めてゆく。
ショーは終わり、徐々に人々は家へ帰っていった。

ディナーに参加していた人たちはたまに、唯先輩に「よかったよ」とか「今度演奏聴きに行く」とか言って通り過ぎていく。

ビックバンドも私たちに別れの挨拶をして撤収していった。

76 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:33:14.33 ID:P07wBpgD0

律「最高だったぜ、唯」

唯「ありがとりっちゃん！私もすっごく楽しかった！」

紬「うん、こんなに楽しいパーティ、生まれて初めてかも！」

澪「ちょっと疲れちゃったな」

梓「そうですね」

皆、満足げな表情でホールの出口に集まる。

澪「じゃあ、帰ろう…ん？」

私たちが住居に戻ろうとした時、散り散りに解散していく人々の中から、一人の女性が私たちに近づいてきた。

壮年を迎えた40代後半の女性で、淡い水色をした厚手の地味なワンピースに、濃い青のジャケットを羽織った、いかにも50年代アメリカのファッションといった感じだ。
しかしその落ち着いた振る舞いと両端が少し尖った大きなメガネから見える目は、とても知性的である。

壮年の女性「ミス・ヒラサワ…いい演奏だったわ」

女性はとても知的で、優しげな声をしていた。

唯「あ、ありがとうございます！」

女性は一言だけそう言うと、すぐに立ち去って行った。

律「ファンが増えたな、唯？」

唯「あ、うん。そうだね！」

紬「さ、行きましょうか。もう、遅い時間だし」

律「よーしかえるぞー」

澪「家に着いたら風呂に入りたいよ」

梓「そうですね」

澪先輩と踊って、とても良い汗をかいた。
私も風呂に入りたい。
いつもは唯先輩が無理やり一緒に風呂に入ってくるけど、今日は澪先輩と一緒に入りたいなんて思った。

・・・

77 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:35:50.97 ID:P07wBpgD0

1958年11月30日金曜日

澪「おまたせ」

紬「おかえり澪ちゃん」

律「よっしゃ、揃ったな」

梓「はい」

唯「おなかすいた〜！」

律「じゃあ行くか」

今日の夕食は外で食べる事になった。
外と言っても、もちろん“家の外”って意味だけど。
発端は今朝、私がなんとなく発した一言だった。

・・・

澪「肉が食べたい」

唯律紬「！！！！！」

梓「？」

かじりかけの朝食のパンを手に、私は何気なくボソっとつぶやいた。
日常会話の一部のように、本当に無意識のうちにそんな事を口走っていた。

唯律紬「………！」ﾌﾟﾙﾌﾟﾙﾌﾟﾙ

澪「こんな缶詰のボロボロした肉じゃなくてさ、なんかこう…焼肉とかステーキみたいな」

律唯紬「〜〜〜〜〜！！！！」

梓「………」

澪「たまには食べたいよなぁ。…あれ、みんなどうしたの？」

澪「なんで3人ともそんな悶えてるの…」

律「えぇぇぇぇい！！」

紬「きぇぇぇぇい！！」

澪「ひっ！？」

澪「ぇ…あの、みんな？」

律「よくも…よくも…」

澪「な、なんだよ…」

唯と律とムギが俯いて息を荒立たせている。
まぁムギは律と唯をマネてノリでやってるんだろうけど。

律「よくもそんな事が言えるな！」ﾊﾞﾝｯ

紬「言えるな！」ﾊﾞﾝｯ

唯「ﾌﾝｽｯ」ﾊﾞﾝｯ

澪「落ち着けよ…」

梓「………」

78 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:39:21.41 ID:P07wBpgD0

律「私だって食べたいぞ！」

紬「私も！」

唯「私も！」

梓「たしかにそうですね」

このラプチャーでは魚はとにかく安く、簡単に手に入る。貧しい庶民の味方だが…
毎日毎日、魚料理なのにはさすがにみんな辟易していたらしい。

律「あぁ〜！もう我慢できなくなってきた！」

律が頭を掻き毟って、アダムで狂ったスプライサーのようにビクビクしている。

紬「今日の夕飯はなにか新鮮な肉が食べたいわね」

唯「にくぅ〜にくぅ〜…」

唯が両手をあげて梓に襲い掛かる。

梓「ふんっ！」

ゾンビのマネをする唯を、梓は片手で軽くあしらって静止させる。

唯「うぐぐぐ…」

律「にしてもそんなｼﾞｮｰﾄｰな肉売ってるとこ見たことないぞ」

紬「そうね、この近くの市場には缶詰の肉しか売ってないし」

梓「ファーマーズ・マーケットでも見かけませんでしたね」

律「なにか方法は無いのか…」

唯「澪ちゃんはなんで急にそんな事言いだしたの？」

澪「な、なんとなく言ったんだけどな」

澪「昨日、繁華街の方で結構カジュアルなアメリカ料理の店を見つけてさ」

澪「ステーキとかスペアリブとか…」

律「そ、それだぁぁぁぁ！！！」

澪「えぇぇぇぇ！？」

唯「すぺありぶって何？」

・・・

79 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:41:55.18 ID:P07wBpgD0

そして夕方。

律「こ、ここだな」

澪「うん」

私たちは繁華街のバーベキュー・リブ専門店に来た。
１階から５階までのフロアが吹き抜けになっているアーケードのような場所で、吹き抜けの天井はガラス張りになっている。
外には色とりどりの魚が泳ぎ回っていて、南国のリゾート地にやってきたような気分になれる。
その巨大な商店街の４階にあるアメリカ料理屋もといバーベキュー・リブ専門店で私たちは夕食をとる事になった。

紬「不思議な場所ね」

唯「すごいね〜」

ﾜｲﾜｲｶﾞﾔｶﾞﾔ

比較的狭いアーケードの道に沿って、さまざまな店がネオンサインを光らせながら立ち並ぶ。
行き交う人々もかなり多く、「これぞ大都会」と言った感じの地区だった。

澪「すごいなぁ、梓」

梓「そうですね。なんだかリゾート地のショッピングモールなんかに来たみたいです」

澪「あながち間違いじゃないな」

律「じゃあ入るか」

店員「いらっしゃいませ。５名様ですね、お席にご案内します」

暗めの照明で落ち着きがあって、なんだか“イマドキ”って感じだ。
このレトロなラプチャーにしては洗練されたデザインの内装で、スタイリッシュな高級感がある。

紬「なかなか新しい店なのね」

梓「そうみたいですね。綺麗な所です」

私たちは席に座り、メニューを開く。

唯「リブってのが肉なの？」

紬「そうね。牛肉や豚肉のロースの部分よ」

紬「私たちが普段食べるようなのは“かたロース”」

紬「リブロースはその近くの肋骨にある、厚くてきめの細かい部分の肉なの」

律「よく知ってるな」

紬「私の働いてるダイナーでもメニューにあるから」

紬「でも、ここの肉はすごくよさそうなのを使ってるわね」

唯「おいしそ〜」

澪「リブとBBQチキン…リブとサーロインステーキ…リブとラムチョップ…」

梓「リブだらけですね」

紬「お値段も思ったより良心的ね」

律「でも、何を頼めばいいのかよくわかんないな」

唯「とりあえず二つくらい頼んで、みんなで分けようよ」

澪「それがいいかもな」

・・・

80 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:44:46.87 ID:P07wBpgD0

店員「お待たせしました当店オリジナルソースのフルスラブ・バックリブでございます」

律「おぉぉ！」

唯「ひぇぇ…！」

澪「でかいなぁ」

梓「美味しそうです」

持ち上げるには両手でしっかり握りしめないといけないような、こんがりジューシーに焼けた大きな長い肉が出てきた。
身に沿って骨が12本連なって、皿からはみ出しそうだ。横にはフライドポテトが添えてある。

唯「これがスペアリブ…」

律「これ、どうやって食べればいいんだ？」

紬「えぇとね」

ムギはナイフとフォークを持って、肉を切り分けていく。
あらかじめ骨単位である程度切られており、フォークで刺して持ち上げると、骨と一緒にホロリと肉がほぐれていいサイズになった。

紬「はいどうぞ、りっちゃん」

律「あ、ありがとう。いただきます！」

律はナイフとフォークを使って食べようとしたが、食べにくかったようで骨を手で持ってかぶりついた。

律「……ﾑｼｬﾑｼｬ」ﾓｸﾞﾓｸﾞ

律「なんだこれ…やわらかっ！」ﾊﾑﾊﾑ

唯「わ、わたしも！」

皆ムギに習ってフォークで肉を切り離して自分の皿に取り分ける。

澪「いただきます」

澪「もぐもぐ」

澪「おぉ…おいしい」

口の中でほろりと崩れ、肉汁が口の中であふれる。
少しトウガラシの効いたソースと肉が絶妙にマッチしている。
ソース自体の味付けは控えめで、肉の旨味を引き出す立役者のような、クドくなくすっきりした甘辛さだ。

梓「むぐむぐ」

梓も両手で骨をつまんで、行儀良さげに肉に食らいついている。

律「このグラタンとドンタコスみたいなのは？」

紬「これはアーティチョークディップね。こうやってトルティーヤチップスにこのグラタンみたいなものを乗せてたべるの」

紬「チップスで直接掬ってもいいわね。後は好みで一緒に付いてる色々なソースを付けてみてもいいわ」

澪「どれどれ」

梓「もぐもぐ」ﾊﾟﾘﾊﾟﾘ

律「へぇ〜なんかアメリカって感じだよなー！」

澪「このジャンクでカジュアルな感じがな」

梓「でもとってもおいしいですね」ﾓｸﾞﾓｸﾞ

81 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:46:35.08 ID:P07wBpgD0

店員「こちらフィンガーボウルでございます」

店員がシルバーのずっしり重たい小さな器を並べた。
中には透明の液体が入っている。

唯「これはなに？」

紬「フィンガーボウルは指を洗うためのものよ」

紬「食事で汚れた指先を、レモンやハーブを入れた水につけて綺麗にするの」

律「そういえばそんな物どこかで見た覚えがあるな。一瞬、なにかの飲み物かと思った」

梓「たしかに、知らない人から見れば何か料理の一部に見えますよね」

澪「昔、大日本帝国陸軍の大将の人が、自分が主宰したホテルの宴会で客がフィンガーボウルの水を知らずに飲んでしまったのを見て、自分も咄嗟に同じことをしたって話があるな」

澪「主宰者として客に恥をかかせないためにって」

唯「へぇ〜なんかカッコいいね」

梓「マナーに縛られず、それぞれが楽しめるように気配りする事こそマナーって事ですね」

律「なんで澪はそんな変な話知ってるんだよ」

澪「あれ、フィンガーボウルと言えばこの話だと思ったんだけどな…」

・・・

82 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:49:31.77 ID:P07wBpgD0

バーベキュー・リブを楽しんだ後、デザートにアップルパイを食べてコークを飲む。
恐らく明日の朝は胃がもたれて寝起きは最悪の気分だろう。
私たちは長い時間お喋りをした後、食事を終えて店を出た。

唯「りっちゃん隊員、もう食べられません…」

律「私もだ…唯！」

紬「美味しかったわね♪」

梓「ちょっと食べ過ぎちゃいました」

澪「私も」

みんな吹き抜けの手すりにもたれ掛ってしばし休憩する。

澪「………」

ガラス張り天井の外を魚が泳いでいる。
街の明かりが鈍くそれを照らして、とても幻想的だ。

律「なんだこれすげぇ！」

唯「おもしろーい！」

紬「どうなってるのかしら♪」

あの三人はもう復活して、商店街の店の表にある商品で色々遊んでいる。

澪「………」

梓「元気ですねぇ…みなさん」

お腹を抱えながら、梓も私の隣に来た。

澪「どんな高性能な胃袋してるんだろ」

梓「ふふふ」

梓「はぁ〜…」

梓「なんだか、充実してますね」

澪「ん？あぁ、そうだな」

梓「毎日一生懸命働いて、みんなで生活して、いろんな所でいろんな経験して」

梓「元の世界にいた時よりも、有意義な気がします」

澪「うん…」

梓「あっ、その…ごめんなさい。澪先輩…」

澪「いや、確かにそうだ」

澪「私も、ここはここで楽しいもん」

澪「でもやっぱり、元の世界の方が私は気が楽でいいよ」

梓「そうですよね…」

83 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:51:19.11 ID:P07wBpgD0

梓「そういえば、律先輩や唯先輩がこの前言ってましたね」

梓「ここに来たのはなにかの試練で、ある条件を満たせば試練は終了して元の世界へ帰ることができるって」

澪「あはは、漫画の読み過ぎだろ」

梓「ふふ、そうですよね」

梓「でも、なんだか本当にそんな気もするんです」

梓「私、ここへ来てからすごく意識が変わった気がします」

梓「成長したっていうのかな？バンドもそれなりに上手くいってるし、毎日なにか目的があって行動できている気がして」

梓「あと何か一つ大きな事をやり遂げれば、元の世界に…」

澪「梓」

梓「はい」

澪「本当にそう思ってる？」

梓「えっ？」

澪「何かを達成すれば帰ることができるって」

澪「なら、一つだけ試してみたい事があるんだけど」

梓「なんですか？」

澪「キスとか」

梓「へ！？」

梓「ききき、キスですか？」

澪「うん。キスすれば元の世界に帰れるかも」

梓「な、なんでキスですか？」

澪「いや、ほらよくあるネタだから」

梓「え、で…でも…///」

澪「はは、冗談だよ冗談」

梓「えぇぇ…もう、澪先輩！///」

澪「でもそういうのってなんか素敵だよな」

梓「ま、まぁそうですけど…わざわざ私としなくても///」

澪「あはは」

84 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:54:36.46 ID:P07wBpgD0

梓「………」

梓「澪先輩、“今を生きる”ってどういう事ですか？」

澪「？」

梓「ダンスの時言ってたじゃないですか」

澪「あぁ…それはな」

澪「なんかこう、過去に囚われない生き方っていうのかな？」

澪「いつまでも家に帰りたいと思っていたら、ここじゃ何もできない」

澪「いい思い出は、麻薬みたいなもので…ずっと引きずっていたら足枷にしかならない気がする」

澪「特にこのラプチャーでは」

澪「でもそんなの急には変えられないし」

澪「過去を捨てるなんて、少なくとも私には絶対に無理だ」

澪「あの時言ったのは、なんていうのかな？決意と言うよりは、戒めかな」

澪「半ば自分に言い聞かせながら、少しずつ自分の意志を変えていこうっていう努力みたいなものだよ」

澪「唯も律もムギも、なにかと適応が早いだろ？」

澪「私もいつまでもグズグズしてないで、少しでもついて行かないとなって」

梓「なるほど」

澪「だから、あんまり気にしないで。そこまで思いを固めて言った事でもないし」

澪「あはは、ほんとクサい台詞だよな。言うのは簡単だよ」

梓「いいえ、私すごくいいと思います」

梓「私も、前まではどっちつかずって感じで…結論を出したくないから、そういう事あんまり考えないようにしてました」

梓「帰りたいけど、帰ることができないならここにいてもいいかなって」

梓「でも、澪先輩の言葉を聞いてちょっと自信がつきました」

梓「今を生きるって、とっても前向きで…私たちにぴったりだと思います！」

85 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 22:59:13.51 ID:P07wBpgD0

澪「そんなに言われるとなんか恥ずかしいな…///」

澪「まぁ帰るに越したことはないんだけどなぁ」

紬「澪ちゃん、梓ちゃん。アルカディア地区にとっても素敵な雰囲気のティーガーデンがあるんだけど、そこに行ってみない？私、そこに一度行ってみたかったの！」

澪「ん？ティーガーデン？」

律「文字通り、お茶飲みながら自然と触れ合えるトコらしいぜ」

唯「行こうよ澪ちゃん！」

澪「そういえばアルカディアは、ラプチャーの酸素を供給するための植物を育ててる場所なんだっけ」

澪「たまには自然と触れ合うのもいいかもな」

梓「そうですね。ずっと海底にいると、なんだか窮屈でまいっちゃいます」

澪「じゃあ、いくか」

梓「はい！」

■　第四章　「 Who could ask for anything more? 」　終　■



●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
ラプチャーでの生活に慣れ、毎日を有意義に過ごす軽音部達。

そして今を生きる事を決意する澪。
そんな澪に思いを馳せ始める梓。

こんな海底都市でも、青春を謳歌できている放課後ティータイムだったが…………

86 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage]：2013/04/27(土) 23:03:18.67 ID:P07wBpgD0

今日はここまでです。
読んでくださっている方、ありがとうございます。

ちなみにインフィニットのほうはキャンペーン一周はしました。
今1999モード頑張ってます。

87 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします ：2013/04/27(土) 23:08:07.68 ID:9PELVwmC0

けいおんも好きだけどバイオショックシリーズのファンで独特なSFホラーの感じが好きだったから
無理矢理けいおんと混ぜたせいで原作の雰囲気が損なわれてて読んでて不快になったわ

88 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga sage]：2013/04/27(土) 23:13:45.82 ID:bALU7sNM0

この「平穏な日常」がいつ崩れ去るかとハラハラさせられるな。
ここで質問。
メール欄にsagaと入れた方が良くないか？
そうすれば、「殺す」と書いても変換されずに済むし。
それから、百合要素は澪梓ってことでOK？

89 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 23:23:51.90 ID:KGATRW8g0

はあ

90 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/27(土) 23:26:54.83 ID:P07wBpgD0

>>87
申し訳ないです。その点につきましては、大変恐縮しております。
荒廃する直前の、栄えていた時のラプチャーでの暮らしを軽音部で書きたかったんです。

>>88
失念してました。以後そうします。
ここまでの[ﾋﾟｰｰｰ]二つは「殺す」と読み替えてもられば幸いです。失礼しました。

後、カプは澪梓以外にもあります。

91 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/27(土) 23:57:48.25 ID:tY764mISO

……ぷっ

92 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします ：2013/04/28(日) 05:40:47.74 ID:gWmaw2fJo

>>87
じゃあ読むなよ

93 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/28(日) 06:17:13.39 ID:GxcJkprr0

糞スレは支援してる奴も糞だからな
すぐ荒れる方に向かっていく

94 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:14:32.03 ID:D2QQsEvl0

■　第五章　「 The most lasting love is unrequited love 」　■

紬「お待たせしました」

客「ありがとう」

1958年12月3日水曜日
ラプチャーに来てから一か月ちょっとくらい経つ。
ここにはいろんな人々がいて、地上にいたとき以上の刺激を私に与えてくれる。

軽音部のみんなもこの生活に慣れてきているけど、やっぱり元いた世界に帰りたいはず。
りっちゃんと唯ちゃんは結構楽しんでいるみたいだけど、梓ちゃんはよく窓の外を眺めているし、澪ちゃんは時々夜中に泣いていたりする。

私だって元の世界にみんなで戻ることができれば、それはとても嬉しい事だ。
でも、ここでずっと暮らしているのも悪くないと思ってる…みんなには申し訳ない気がするけど。

だってここは多分、私が望んだ…私が求めていた理想の世界に限りなく近い所だから。
すくなくとも、もといた世界よりは…。

紬「ありがとうございました〜」

店長「ツムギ、給仕はもういいから、またピアノを弾いてくれないか？お客さんが聴きたいって」

私がいつも通り給仕の仕事をしていると、店長さんがいつものお願いをしてきた。

そう言われて客席の方を見ると、一人の女性と目が合った。
女性は私と目が合ったことに気付くと、微笑みながら軽く手を振った。

紬「あ……」

恐らく、あの人が私のピアノをリクエストしたのだろう。

紬「はい、わかりました」

私はやりかけていた作業を終え、一度バックヤードに戻り着替える。
そしてピアノスコアを手に、店の中央にあるアップライトピアノの側まで行き、お客様に一礼してから椅子に座る。

ゆっくりと鍵盤に指を添えて、なでるように弾きはじめる。
ここの人々はやはりジャズが好みらしく、店に用意されているスコアも聞いたことの無い曲から、21世紀になっても誰もが知っているスタンダード・ナンバーのジャズばかりだ。
店長さんは気さくな人で、たまに私が書いてくるジャズアレンジの放課後ティータイムの曲も弾かせてくれる。

・・・

95 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:16:56.48 ID:D2QQsEvl0

■　第五章　「 The most lasting love is unrequited love 」　■

紬「お待たせしました」

客「ありがとう」

1958年12月3日水曜日
ラプチャーに来てから一か月半くらい経つ。
ここにはいろんな人々がいて、地上にいたとき以上の刺激を私に与えてくれる。

軽音部のみんなもこの生活に慣れてきているけど、やっぱり元いた世界に帰りたいはず。
りっちゃんと唯ちゃんは結構楽しんでいるみたいだけど、梓ちゃんはよく窓の外を眺めているし、澪ちゃんは時々夜中に泣いていたりする。

私だって元の世界にみんなで戻ることができれば、それはとても嬉しい事だ。
でも、ここでずっと暮らしているのも悪くないと思ってる…みんなには申し訳ない気がするけど。

だってここは多分、私が望んだ…私が求めていた理想の世界に限りなく近い所だから。
すくなくとも、もといた世界よりは…。

紬「ありがとうございました〜」

店長「ツムギ、給仕はもういいから、またピアノを弾いてくれないか？お客さんが聴きたいって」

私がいつも通り給仕の仕事をしていると、店長さんがいつものお願いをしてきた。

そう言われて客席の方を見ると、一人の女性と目が合った。
女性は私と目が合ったことに気付くと、微笑みながら軽く手を振った。

紬「あ……」

恐らく、あの人が私のピアノをリクエストしたのだろう。

紬「はい、わかりました」

私はやりかけていた作業を終え、一度バックヤードに戻り着替える。
そしてピアノスコアを手に、店の中央にあるアップライトピアノの側まで行き、お客様に一礼してから椅子に座る。

ゆっくりと鍵盤に指を添えて、なでるように弾きはじめる。
ここの人々はやはりジャズが好みらしく、店に用意されているスコアも聞いたことの無い曲から、21世紀になっても誰もが知っているスタンダード・ナンバーのジャズばかりだ。
店長さんは気さくな人で、たまに私が書いてくるジャズアレンジの放課後ティータイムの曲も弾かせてくれる。

・・・

96 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:21:26.09 ID:D2QQsEvl0

演奏を終え、店内にいるお客さんたちの拍手が響く。

私は今日の仕事は早めにあがっていいと言われ、着替えを済ませて店を出た。

紬「よし、今日は少しゆっくりしちゃおう」

私は店の向かいにあるバーでアルコールの入っていないカクテルを注文する。
初めのころはバーなんて少し躊躇ったけど、好奇心には逆らえず、大人な気分を味わおうとバーでお酒を注文した。
アルコールはやはり私には早かったけど、気分が安らぐので仕事が終わったらたまにここでゆっくりしている。

紬「うふふ、元の世界だとこんな所行けないものね」

バーは庶民的だが落ち着いた雰囲気で、向かいのカウンターでは小奇麗な中年男性がマッチの火で葉巻の先を炙りながらバーテンダーと会話している。

紬「………」

紬「あの人、きれいな人だったわ…」

先ほど店で目が合った女性の事をふと思い出した。
大きな瞳、肩下からすこしカールした長くしなやかなブロンドの髪。
妖艶な顔つきをしていて、動きの一つ一つに色気があった。

紬「はぁ…」

私はカクテルを一口飲んで溜息をつく。

「どうしたの？」

唐突に後ろから声をかけられる。

紬「え？」

私が振り向くとさっきの女性がいた。
女性は私が座っているカウンターの角を挟んで向かいの席に座り、私の方を見る。

女性「溜息なんかついて…」

女性「いい演奏だったわよ？」

女性は目を細めながら微笑した。

紬「あ、ありがとうございます」

改めて見ると、女性はかなり派手な格好をしている。
薄手の真っ赤なワンピースに、ガーターベルトのついたサイハイストッキングをはいていた。

いわゆる“コールガール”だろうか。

女性「あら、ごめんなさい。私みたいなのが、気安く話しかけちゃって…」

紬「あ、いえ別にそんな……」

紬「私の演奏聞いてくれて…みなさんピアノの事はあんまり言ってくれなくて…」

私は、何故か緊張して言葉を詰まらせた。

女性「あなた、人気者よね。たびたび男から声をかけられてる」

紬「あ…いぇ…」

女性にそう言われますます緊張してきた。
とても大人びた話し方で、妖美な声だ。

97 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:22:52.25 ID:D2QQsEvl0

女性「でも、どんなに誘われてもみんな断ってる…」

紬「仕事ですから…」

何か探りを入れるように女性は話しかけてくる。

女性「ラプチャーでの暮らしには慣れたの？」

紬「え？」

女性「知ってるわよ。あなた、ストレンジャーズの一人でしょ？」

このラプチャーでも情報の駆け巡るスピードは恐ろしく早く、私たちが飛行機事故でここにたどり着いた事は、ラプチャー市民の間でも話題になっている。
それが誰なのかはまだ広く知られていないようだが、生き残った5人がこのラプチャーのどこかで生活しているという話を仕事先でも耳にする。
ラプチャーに来る者は珍しくないが、飛行機事故でたどり着いたという人間は例に無く、しかもそれが未来からやってきたというオマケ付きだ。

人々は私たちの事をストレンジャーズ（訪問者）とか、ドリフターズ（漂流者）とか呼んだりしているようだ。
この間5人でディナーショーに参加した時も何人かにそう呼ばれた気がする。

女性「ま、別にそれはどうでもいいの」

紬「はあ」

私も別に気にはしていないし、考えた事も無かった。

女性「この間、ライブ見たわよ。かわいい子たちね」

紬「あ、どうも…ありがとうございます」

なんだか話がかみ合わないというか、この人は私に何を話したいのだろう。
よくわからないけど、とにかくそれとなく受け応えしてやりすごそうと思い、カクテルを口にした。

女性「誰と付き合ってるの？」

紬「ぶふっ！？」

女性「あはははは」

女性は私の隣の席に座ってきた。

女性「かわいいわね」

私の頬に手をやり、恍惚とした表情をする。

女性「あなた…レズビアンでしょう？」

私の唇に触れながら、女性は訊いた。
こんな間近で顔を近づけられて、こんな表情されて訊かれると、もう嘘なんかつけない。

紬「はい……」

顔が熱い。というか体全体が熱い。
身体全体が火照っているのが分かる。
息も荒くなってきた。

女性「ほんとうにかわいいわね…」

そういって女性は今にも泣き出しそうな私にキスしようと顔を近づけてきた。

紬「あ、あの…」

女性「ん、何？」

紬「すみません…けど…」

女性「嫌？」

紬「………」

紬「好きな人がいるんです」

98 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:24:37.28 ID:D2QQsEvl0

私がそう言うと女性は席を立ち、ニッコリと笑った。

女性「そ」

女性「ごめんなさい、許してね」

紬「あ、あの…」

女性「また演奏聴きに行くわ」

そして女性はバーから立ち去って行った。

紬「………」

胸がまだ少しﾄﾞｷﾄﾞｷしている。
すこし苦しい…私はカクテルを飲み干してバーを出た。

紬「はぁ…」

澪「あ、ムギ」

律「おームギ、ただいまー」

バーを出ると仕事から帰った澪ちゃんとりっちゃんに出会った。

紬「あ、澪ちゃん」

紬「…りっちゃん」

また胸が高鳴ってくる。

律「ん？どうしたんだ、なんか顔赤いぞ？」

紬「な、なんでもないわ…」

私は必死に顔を逸らす。

律「ていうか、もしかして泣いてた…？」

紬「なんでもないったら…」

律「え、でも…」

紬「なんでもないってば！」

澪「こら律。ムギ、なにか悩み事か？」

私はなんとか作り笑いをして二人に向き直る

紬「ううん、なんでもない。ちょっと居眠りしてたからかな」

紬「戻って夕食の支度しましょう」

澪「あ…あぁ、そうしよう」

律「そうだな〜。じゃ、行こうぜ」

紬「うん！」

・・・
・・・
・・・

99 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:26:43.49 ID:D2QQsEvl0

三花「え〜！？ありえないよ」

紬「？」

エリ「え、え…？なんで？」

三花「だって、女の子同士だよ！？」

紬「…っ！」

エリ「そこまで！？別によくない？」

アカネ「まぁ他人の恋愛は勝手だろうけど、私も無いと思う」

エリ「そっかなぁ〜？」

律「なに話してるんだろ？」

紬「さ、さぁ…？」

律「ちょっと気になるな、聞いてみようぜ」

紬「え、りっちゃん…！？」

律「なんの話〜？」

三花「あぁ、りっちゃん、むぎちゃん。昨日、1組の子がさぁ文恵にコクったらしいよ」

律「え、まじかよ」

エリ「かなり本気みたいだったってさ」

紬「あらまぁ」

三花「さすがにちょっとねぇ…？文恵もちょっと困ってたし」

エリ「そこまで気にすることかなぁ？別にいいじゃん女子同士でもさ」

アカネ「いや、流石にちょっと引く」

アカネ「ていうか、エリはもっと信心深いと思ってた。宗教ってそういうのタブーでしょ？」

エリ「仏教はそういうのには割と寛容だよ？ていうか、私が好きなのは宗教じゃなくてあくまで仏像だし」

律「女子同士ねぇ」

三花「りっちゃんはどう思う？」

律「ん〜？私は別になんとも思わないけどなー」

律「文恵が困ってるってのはちょっと考え物だけど」

律「でも結局はその二人の問題だし、私たちがどうこう言うほどの事でもないんじゃね？」

律「なぁ？ムギ」

紬「う、うん。そうよね…」

三花「そうかなぁ…？」

アカネ「でもやっぱりそういうのは堂々とやってほしくないなぁ…」

紬「………」

・・・
・・・
・・・

100 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:29:21.42 ID:D2QQsEvl0

1958年12月7日日曜日

澪「いただきます」

昼は仕事をし、帰宅したらみんなで家事を分担する。
そんな家族みたいな暮らしをし始めて一か月ちょっと。

今日は休日で、みんなはテーブルを囲んですがすがしい朝を迎える。
すがすがしいとは言っても、窓から朝日なんて射してこないし、小鳥がチュンチュン鳴いているわけでもない。
その代わりにビルの窓や看板の光がぼんやりと窓際を照らして、見たことも無い魚がプカプカ泳いでいる。

澪「………」ﾓｸﾞﾓｸﾞ

人は太陽の光が無いと生きていけないと言うが、無いなら無いでそれなりに生きていけると思う。
現に私たちはもうずっと日光を浴びていないけど、別に頭がおかしくなったりはしていない。
本当に人間の環境適応能力には驚かされる。とか思いつつ、いつもの朝食を食べている。

それとも、私たちはまだ…おかしくなる前なだけなのだろうか？

律「そういえばさ」

律が缶詰の肉と豆で作ったトマト煮を食パンの上に乗せながら、唐突に話題を振る。

律「さっき整備エリアを通った時、でっかい潜水服を着たゴーレムみたいな奴と、こんな小さなピンクの洋服を着た女の子が一緒に歩いてたんだけど…」

律「潜水服のヤツは変な唸り声あげてたし、女の子は目が光ってて、注射器みたいな物持ってたし…なんだったんだろう、あれ」

澪「それ私も見たぞ…唯と梓がもってるぬいぐるみのヤツじゃないか…？」

私は少しおびえながらも会話に入る。

梓「あぁ、あれって“ビッグダディ”と“リトルシスター”って呼ばれてるらしいですよ」

梓「このラプチャーでは何組も存在してるらしいです」

紬「へぇ、梓ちゃんは知ってるのね」

梓「この間、レコード屋の仕事でジュークボックスの修理に行ったんですけど、その帰りに見かけました」

梓「店長に聞いてみたら、あの少女たちがアダムを作りだしているみたいです」

律「あんな小さい女の子が？アダムを作り出すってどうやって…？」

梓「私もよくわかりませんけど…ビッグダディはその少女の護衛役だそうです」

澪「なんだか気味が悪いなぁ」

このラプチャーでは気味が悪い事だらけなので、この手の話にはだいぶ慣れてきた。

唯「わたしまだ見てない！！」

紬「私も！」

唯が立ち上がり、紬もそれに続いた。

澪（なんか嫌な流れだな…）

律「うーん」

律「よし！」

律「じゃあ今日は休みだしそいつらを見に行ってみるか！」

澪（やっぱり…！）

101 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:30:31.64 ID:D2QQsEvl0

澪「ちょっと律…水族館にイルカを見に行くんじゃないんだぞ」

澪「そんな得体のしれない物、ほっとけば…」

唯「え、でもこんなにカワイイんだよ！？」

唯がギターケースに付いたビッグダディの人形を指さした。

澪「それはぬいぐるみだから！」

梓「話によると、極端に近づいたり、その二人に直接危害を加えない限り大丈夫みたいですよ」

澪「いやそういう問題じゃなくて…」

私は唯と律と紬の顔を見た。
三人とも楽しい休日の予定ができて、目を輝かせている。

律「わたしもちらっと見ただけだから、しっかり見てみたいな」

唯「見よう！見よう！」

紬「楽しみね♪」

梓「まぁ別に私は構いませんけど…」

澪「えぇぇぇ〜…」

・・・

102 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:32:16.00 ID:D2QQsEvl0

そして昼…。
私たちは整備エリアの一角にある、リトルシスターがよく現れるという場所に張り込むことにした。
リトルシスターは、ラプチャー内に張り巡らされた通気口のような専用の穴の中を行き来しており、ビッグダディがその通気口の前で合図するとリトルシスターが顔を出すらしい。
私たちは通気口から少し離れた物陰から、ずっとビッグダディがやってくるのを待っている。

律「来ないな」

梓「来ませんね」

澪「よし、帰ろう！」

律「ちょちょちょ、もうちょっとだけ…」

踵を返し家へ戻ろうとした私は服を掴まれ、律にぐいと引き戻された。

澪「一向に来る気配無いじゃん…もう帰ろうよ！」

ﾄﾞｼﾝ

澪「それに私たちに襲ってこないなんて保障ないし…」

ﾄﾞｼﾝ

律「しっ！」

律は人差し指を口にあてて、私をむりやりしゃがみこませる。

澪「え？なな何！？」

律「足音がする…」

ﾄﾞｼﾝ、ﾄﾞｼﾝ…

音がだんだん近づいてくる。
正面にある廊下の方向からだ。
私は息をのんで物陰に隠れながら周囲を確認する。

ﾄﾞｼﾝ、ﾄﾞｼﾝ、ﾄﾞｼﾝ…

紬「あっ…」

廊下の奥から、黒い大きな影がこちらへやってくるのが見える。

梓「あれですね」

黒い影は、唯の持っているダディ人形のシルエットそのままで、頭部には8つの点が鋭く光っている。
次第に細部の形や色がはっきりと見えてきた。

澪「ひぃぃ…！」

唯「うわぁ〜」

紬「あれがビッグダディね」

アメコミみたいにデフォルメされたかのような大きな手と足と頭。
錆びついた焦げ茶色の潜水服と右手の大きなドリル。
ヘルメットの小窓からこぼれる光が不気味に周囲を照らして、その姿はまさに怪物だった。

103 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:34:52.20 ID:D2QQsEvl0

梓「あ、私がこの前見たのは恐らく違うタイプのビッグダディですね」

梓「ヘルメットの小窓は一つしか無くて、もっとスマートな体系でした」

律「へぇ、いろいろ種類があるんだな」

大きな足音を立てながら、ビッグダディはリトルシスターの通気口の前へ歩いて行った。

紬「いよいよね」

ビッグダディはヒマワリを模った通気口を叩き、ゴーン、ゴーンと鈍い音を出してリトルシスターを呼んだ。

唯「………」

律「………」

紬「………」

梓「………」

澪「………うぅ」

通気口を叩いたが、反応が無い。
ビッグダディは少し戸惑ったような動きをし、気を取り直してもう一度通気口を叩く。
その後ろ姿はどこか悲しげで、少しかわいかった。

「ん、ん〜」

律「お？」

通気口から目が光った少女が顔を覗かせ、すぐに引っ込んだ。
そして今度はか細い足が出てきて、ビッグダディはそれを受け止めるように支えた。

紬「あれがリトルシスターね」

少女が穴からはい出ると、ビッグダディはそれをやさしく抱えて地面にそっと降ろした。

リトルシスター「おはよう、ミスターバブルス」

ビッグダディ「ヴｫｫｫﾝ」

ビッグダディは低いうなり声を上げ、大きな手で優しくリトルシスターの頭を撫でた後、自分の肩の上に乗せた。

唯「かわいいねぇ〜」

唯はその様子を見てご満悦の様子だ。
まぁ確かに見た目はグロテスクだが、和気あいあいとしていて、和まなくもない。

リトルシスター「こっちよ、ミスターバブルス。天使が私たちを待ってるんだから」

ビッグダディ「ヴｫｫｫｫｫｫｫﾝ」

自分が歩く振動でリトルシスターが転げ落ちないように手を添えながら、ビッグダディは歩いていく。
まるで父親が幼い娘を肩車しているみたいだ。

律「よし、私たちも行くぞ！」

澪「えぇ！？」

唯「ﾗｼﾞｬｰ！」

紬「尾行ね！」

澪「えぇぇ…もういいじゃん、十分見ただろ！？」

律「いやーリトルシスターがどうやってアダムを作るのか見てみたいじゃん？」

紬「あの注射器、何に使うのかしら？」

みんな興味津々に、ビッグダディの後についていく。

梓「はぁ…」

梓もすこしあきれた様子だが、仕方なく後を追う。

澪「ちょ…待ってよぉ〜！」

・・・

104 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:39:35.48 ID:D2QQsEvl0

唯「なんか…臭いよね？」

律「あぁ、臭い」

紬「なんの臭いかしら？」

確かにクサい。とてつもなく臭い。
ビッグダディが通った所は、なにかものすごい刺激臭がする。

梓「自分に懐かせるために、リトルシスターが好むフェロモンを付けてるそうですよあの潜水服お父さん」

梓が自分の鼻をつまみながら鼻声で解説する。

律「こんなくさい物をか！？わけわかんねーな」

唯「こんな臭いであの子たち寄ってくるんだ…」

紬「へぇ〜」ｽﾝｽﾝ

みんな異様な刺激臭に鼻を塞いでいるが、ムギだけはクンクンと鼻を動かし、フェロモンの臭いを嗅いで関心していた。
クサい物ほど嗅いでみたくなる気持ちもわからなくはないが、この臭いは流石に耐えられない。

リトルシスター「みて、天使よ！」

ビッグダディはリトルシスターを肩からゆっくりと降ろした。

律「ん…？」

リトルシスターがちょこちょこと歩いて行く、その先には誰かが倒れていた。

澪「ひっ！？」

梓「あれって死体ですかね…」

貧困層の地区では、たまに死体が通りに転がっているのを見かける。
スプライスしすぎで死んでしまった人や、時々に起こる事件の犠牲者だろうか。

唯「なにしてるのかな…？」

リトルシスター「天使が踊っているのが見えるわ！」

リトルシスターは死体に歩み寄り、持っていた注射器を勢いよく死体に突き刺した。

ｻﾞｸｯ！ｻﾞｸｯ！

律「うっ…なんだあれ…」

唯「うぇぇ〜」

注射器は深々と突き刺され、遺体に残っている血を吸いだしている。
リトルシスターはザクザクと何度も何度も別のところに突き刺して、まるで刃物でメッタ刺しにしているみたいだ。

紬「なんてこと…」

澪「見えない聞こえない…」ﾌﾞﾙﾌﾞﾙ

105 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:41:59.40 ID:D2QQsEvl0

唯「ひぇぇ……あ、うわっ！」ｸﾞﾗｯ

その時、唯が段差から足を踏み外して転げ、大きな音をたててしまった。

ビッグダディ「ヴｫｫｫｫｫｫｫ！！！」

律「や、やべ！」

ビッグダディがこちらを向き、ドリルを回転させながらものすごい剣幕で威嚇してくる。

唯「ひえぇえ！ごごご、ごめんなさい！！」

紬「怒らせちゃった！？」

ビッグダディ「ヴｫｫｫｫｫｫｫ！！！」

ビッグダディはリトルシスターをかばうようにしながら、両手を構えてこちらの様子をうかがっている。

唯「ご、ごめんねダディちゃん！そんなつもりはなかったんだよぉ」

律「おい唯、近づいちゃダメだって…」

ビッグダディ「ヴｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫ！！！！！！」

唯「ひぇぇぇ！！！」

リトルシスター「悪い奴！悪い奴！」ｸﾞｻｯ

リトルシスターが唯めがけて注射器を刺してきた。

唯「痛っ！や、やめて！」

唯「ごごご、ごめんってば！」

律「大丈夫か！？唯、はやくこっちへ戻れ！」

律「に、逃げるぞみんな！」

律「澪もほら！」

澪「………はっ？え！？」

ビッグダディ「ヴｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫｫ！！！！！！」

澪「いやぁぁぁぁぁ！！」

・・・

106 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:44:54.78 ID:D2QQsEvl0

ｺﾎﾟｺﾎﾟｺﾎﾟ…

紬「はい澪ちゃん。ハーブティーよ」

澪「あ、ありがとう。っ…あちち…」

命からがら逃げてきた私たちはひとまず自宅にもどり尾行後ティータイムをする。

梓「これからはもう少し考えて行動しましょう」

律「いや、わりぃ…」

唯「びっくりしちゃったよ」

紬「唯ちゃん、まだ痛む？」

唯「ううん、もう血も止まったし、あんまり深くは刺さらなかったから大丈夫」

澪「これからはもっと消極的に生きよう…」

梓「………」

紬「でもなんだかショックね、ラプチャーの発展を担うアダムの裏にはあんな子たちがいたなんて」

梓「あの注射器で採った血を何かに使って、アダムを作り出しているんでしょうね…」

紬「まだ幼いのに、あんな事強いられているなんて、かわいそう…」

澪「………」

科学の発展には何かしら暗部があり、数々の犠牲を伴って今の私たちを支えている。
それはこのラプチャーでも変わらないようで、先ほど見てきたものはまさにラプチャーにおける暗黒面そのものだったようだ。

この日は皆あまりおしゃべりもせず、夕食の時も皆黙々と料理を食べていた。

・・・
・・・・
・・・・・

107 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:46:54.54 ID:D2QQsEvl0

『あいつは？』

『死にました。いくら痛めつけても、何も喋りませんでした』

『アダムがあれば、もうすこしマシなやり方でできたんですがねぇ…』

『はあ』

『どうします？』

『ま、いいだろう。どうせ奴を支えている取り巻きも、頭の悪い連中だからな』

『すぐ荒れる方に向かっていく。結果は変わらないさ』

『それにまだ策は残っている……』

唯「？」

・・・・・
・・・・
・・・

1958年12月10日水曜日
今日は久しぶりに5人で演奏ができる。
このラプチャーでもとびきり有名なレストラン「カシミール」で、ディナーショーのライブをする事になったのだ。

梓「今日もポセイドンプラザの洋裁店が閉店されたんです」

澪「またか…」

最近なにかと暗い話題が絶えない。
ライアンの規制がさらに厳しくなってきたためだ。
このラプチャーで力を付け、ライアンに恐れられたほどの豪商フランクフォンテイン。
彼と以前つながりがあった店は検挙され、通りの店にはClosedの札がいくつもかかっている。

フランク・フォンテインはライアンに殺されたとはいえ、その人脈はまだ健在で、多くの人がフォンテインを殺したライアンを憎んでいる。
そうでない人たちも、最近のライアンの独裁的な姿勢に反発し、小競り合いが頻繁に起きてきている。
この間も、中流層のアパートで小規模な銃撃戦があったようだ。
フォンテインの死、ライアンの独裁に耐えかねて、また新たにレジスタンスなる組織が立ち上がったらしい。

私たちの地区はまだ安全だとは思うが、なんだか心配だ。

澪「はぁ…」

でも今日は久々にみんなでバンド演奏ができる。
そう思うと、こんな世の中でもすこしは気が和らぐ。

・・・

108 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:49:43.21 ID:D2QQsEvl0

唯「こんばんわ！放課後ティータイムです！」

レストラン指定の衣装に身を包んで、私たちはステージの上に立っている。
一曲弾き終わり、ここで唯のMCとメンバー紹介だ。

唯「知っている方もいるかもしれませんが、私たちは飛行機でここまでやってきました」

別に隠す必要も無いし、みんな知っていることだ。
でも未来から来たって事は極力内緒にしている。
どうせ信じてくれる人なんて誰もいないけど。

唯「最初は分からない事だらけで戸惑ってたけど、このラプチャーの人々に支えられて、ここでこうして演奏する事ができてます」

唯「毎日が新鮮で、私たちは色々な事を学びました」

唯「あ、そうそう。この間、前の負けを取り返そうと、サー・プライズに行ってスロットをやったんですけど…」

律「んん！」

律がそのくらいにしておけと咳払いをする。

唯「あ、えぇとスロットって時間もかかるし、あんまりお金増えないなぁ〜なんて」

レストランにいる客たちはすこし苦笑いをしながら、唯のMCに耳を傾けている。

唯「じゃあさっそくメンバー紹介します！」

唯「ベース、秋山澪ちゃん！」

私はボボボボンと低い音を出し、ラグタイムでジャズっぽいスケールを軽く弾いた。

人々は慎ましやかに拍手する。

唯「ギター、中野梓ちゃん！」

ギュィーンとムスタングを鳴らし、梓が応える。
普段梓はアームを使わないが、今日は気分で付けてきたのか、フレーズの最後に見事なアーミングをしてみせた。
やはりこの手のエレキな音はラプチャーではまだまだ珍しいようで、人々は互いの顔を見合わせて珍しがっている様子だ。

唯「ピアノ、琴吹紬ちゃん！」

ムギはﾀﾗﾗﾗﾗﾗと素早く鍵盤をたたき、会場の人を沸かせた。
すずしい顔してよくあんなもの弾けるものだ。ここへ来る以前からクラシックに精通していて、今では仕事でたびたび弾いているらしいから、腕前はかなりの物になっているに違いない。

唯「ドラム、田井中律ちゃん！」

律はスティックを軽く握り、ﾀﾞﾀﾞﾀﾞﾝとタムを交互に叩く。
目立たないから「ドラムやだ」とか言っていた割にはかなり奥ゆかしいソロだ。

唯「そして私がボーカルとリードギターの平沢唯です！よろしく！」

メンバー紹介が終わり、会場は大きな拍手に包まれる。
ステージから遠く離れ、飲食を楽しんでいる人々もこちらに向かって拍手をしてくれている。

唯「では演奏に戻りたいと思います…！」

ムギのピアノから始まる、このラプチャー用の“ジャズアレンジ　ふわふわ時間”
いつも演奏する私たちの曲はかなりラプチャーで認められてきて、たまにライブに招待されたりする。
しかし今日は上流階級地区一番ともいわれるレストラン・カシミールでの演奏なので、雰囲気に合ったものを頼まれた。

私たちが演奏するステージの前には広いスペースがあり、レストランの客がダンスを楽しめるようになっている。
ダンススペースの周りをぐるりと円形にテーブルとイスが取り囲み、人々はそこで談笑をしあっているが、曲が始まると紳士淑女が互いに手を取り合ってダンスを始めた。

みな落ち着いた表情で、ゆっくりと踊り始める。中流階級のディナーショーの時とは全く違った感じで、少し緊張する。

・・・

109 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:52:33.00 ID:D2QQsEvl0

曲目が全て終了し、私たちは一息つく。

唯「今日はありがとうございました！」

会場が再び拍手に包まれる。今日のショーはこれで終わり。後はギャラを貰って帰るだけ。

唯「楽しかったね〜」

澪「うん、こうやってみんなで演奏できるとやっぱり気持ちがいいよ」

梓「そうですよね！」

律「久しぶりだったからな〜。すこし変に筋肉使っちゃって節々が痛い」

紬「私も。グランドピアノなんて普段弾かないから、すこし感覚が変ね」

私たちが撤収準備をし始めようとすると、客の中から一人、仮面を付けた紳士がこちらへ歩いて来た。

仮面の男「素晴らしい演奏だったよ。ありがとう」

男はまだ成人したくらいの若い声で、薄気味悪く笑った表情をした仮面を付けている。

唯「ありがとうございます！」

唯は仮面の男に明るく返事をした。

仮面の男「そうだ。これ、君にプレゼントがあるんだけど…」

そういって男は懐に手を入れる。

唯「え、プレゼント？」

仮面の男「えぇと、ほら…これだ。……からのプレゼントだ」

男は懐からプレゼントを取り出し、唯の頭に付きつけた。

唯「えっ…」

パァン！

乾いた音がレストラン中に響き渡る。
その音に驚いた客たちは悲鳴をあげた。

澪「唯っ…！？」

唯の顔には赤い血が飛び散っていた。

律「唯！？」

紬「唯ちゃん！？！？」

梓「え！？唯先輩！！」

唯「あ、あわわ…？」

澪「………？」

よく見ると先ほどの仮面の男が頭から血を流して倒れていた。
仮面は粉々に砕け、あたりには鮮血が飛び散っている。

律「唯！」

律は駆け寄り、唯を確かめた。

律「これ…お前の血じゃないよな？どこも怪我してないよな！？」

唯「う、うん…たぶん平気…」

唯は今起こった出来事が理解できず、ただ茫然としている。

唯に“プレゼント”を渡そうとした男は、回転式拳銃を握りしめたまま、ステージの前で死んでいる。

律「こいつ、唯を撃とうとした…？」

110 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:54:57.11 ID:D2QQsEvl0

その時、バン！と勢いよくレストランの入り口が開き、3人の男たちがなだれ込んできた。
みな円形のマガジンの付いたマシンガンを構え、唯を取り囲む。

唯「えっ？え！？」

男A「大丈夫、無傷だ！」

男B「すぐに連れていくんだ」

男の一人が唯に手をかざした。

唯「え、ちょ！うわ!」

唯はギターを落として独りでに宙に浮きあがり、じたばたする。

律「おい、唯！」

そして男たちの元へ引き寄せられ、捕まえられた。

律「おいやめろ！なにすんだ！？」

律が男たちに掴みかかろうとする。

律「お前らなんなんだよ！？」

唯「うぐっ、やだぁ！りっちゃん、助けてぇ！」

澪「唯！」

紬「どうなってるの！？」

律「このやろ！」

男C「邪魔だ！」

律は男に掴みかかったが、振り払われ床に叩きつけられた。

律「がぁ！痛っ！」

紬「りっちゃん！」

唯「うわぁぁあん！たすけて！放して！」

レストランはパニック状態で、客たちはみな悲鳴をあげて逃げ惑っている。
男たちは走りだし、唯を連れてレストランを出た。

澪「唯！！」

梓「唯先輩！！」

私と梓もそれを追ってレストランを出る。

澪「はぁ…はぁ！！」ﾀﾞｯ

唯「嫌ぁぁ！放してよ！」

男たちは唯を取り囲むようにして廊下を逃げていく。

梓「はぁ、はぁ！唯先輩！」

男たちのスピードは速く、私たちでは追い付けずどんどん遠ざかっていく。

111 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:57:03.68 ID:D2QQsEvl0

ﾌｩｯ！

次の瞬間、男たちがなにか手を掲げたと思ったら、空間が揺らいで唯ごと全員、どこかへ瞬間移動したように消え去ってしまった。

澪「え！？」

勢い余って空間が揺らいだ場所を通り過ぎ、急いで立ち止まる。

澪「消えた！？」

梓「え？え！？」

男たちが消えた場所には何もなく、ただ空中に塵のようなものが舞っている。

澪「どこへ行ったんだ！？」

梓「突然…消えた！？」

澪「あぁ、一瞬で……はぁ…はぁ…」

梓「んっ…はぁ…唯先輩…唯先輩…」

澪「唯…唯ぃぃぃ！！」

梓「唯せんぱぁぁい！！」

唯の姿はどこにも無く、ガラス張りの渡り廊下に私たちの声がむなしく響き渡るだけだった。

・・・

澪「………」

梓「………」

律「………」

紬「………」

律「……っ…いつつつ…」

紬「我慢してね」

ムギが律の怪我を治療している。

梓「唯先輩が…唯先輩が…」

まさに一瞬のできごとであった。
仮面の男が近づいてきて唯の頭に拳銃を突きつけたと思ったら、その仮面男は他の誰かに射殺され、次は別の男たちが押し入ってきて、唯を誘拐した。

梓「うっうぅぅ…うぅ…ｸﾞｽﾝ」

澪「………」

私たちはあたりをくまなく探し、ラプチャーの自警団にも届け出たが、結局唯は見つからなかった。

梓「唯先輩……」

112 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 19:59:01.33 ID:D2QQsEvl0

・・・
・・・
・・・

ゴツン

梓「ん…？」

何か柔らかい物が私にぶつかった。
私はアイマスクを外して横の席を確認する。

梓「ん…唯先輩？」

飛行機内で睡眠中に、唯先輩が私の方へ寄りかかってきたみたいだ。

梓「よいしょっと…」

私は寝ている唯先輩を窓際の方へ押し込んだ。

梓「ん？」

唯先輩の机にメモ帳が置いてある。

梓「何か書いてたのかな？」

梓「なにこれ…ワールドワイド…？」

唯「ん…え！？わぁ！」

梓「え！？」

バタン！

唯「………」

梓「………」

他の乗客も寝ている中で大きな音を出してしまい、私と唯先輩はしばし沈黙する。

唯「………」

梓「………」

唯「あずにゃん、なんか見た？」

梓「え、あ…いえ…」

唯「………」

唯「そっか」

唯先輩はパタムとメモ帳を閉じて言った。

梓「あ、えぇと…」

唯「本当に見てない…？」

梓「み、見てませんってば！」

唯先輩がいつにも無く真剣な眼差しでこちらを睨んでくる。

113 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:01:08.07 ID:D2QQsEvl0

唯「………」

梓「ぇ……」

唯「さっき、私のノート手に取ってたよね？」

梓「あ、その…」

唯「見たんだ…」

梓「あうぅ……ご、ごめんなさい…」

唯「………」

唯先輩はそっぽ向いて再び眠りにつこうとする。

梓「あ、あの…なに書いてたんですか？」

唯「別に…」

唯「………」

梓「………」

・・・
・・・
・・・

律「はあ……」

1958年12月12日金曜日
唯が何者かに誘拐されてからまる二日…私たちは仕事を休んで、一日中唯を探して街を歩きまわり、聞き込みや張り紙までした。
けど、なにも手掛かりは掴めず五里霧中の状態で、私たちはこのラプチャーにたどり着いて以来の窮地に立たされていた。

律「ただいま…」

アルカディア地区での張り紙を終えて、私は住居へ戻る。

澪「………」

梓「………」

紬「………」

みんな食事を用意して私を待っていてくれたみたいだ。
というか、唯が連れ去れた事と、ラプチャーじゅうを必死に探し回った疲労からくるストレスで食欲を失い、なにも食べたくなかったのであろう。

私は完全に静まり返った食卓につき、スプーンを手に取る。

律「じゃあ、いただきます…」

私は冷めかけたオートミールを頬張った。
今は何も感じない…どんな美味しい料理を食べても、どんなに素晴らしい音楽を聴いても、何の感銘を受けないだろう。

澪「いただきます」

私が食べ始めるとそれに続いてみんなも夕食を食べ始める。
いつもは私や唯が、ここで話題を振ってお喋りに花を咲かせるはずなのだが…。

部屋は静まり返り、食器のカチャカチャという音だけが響き渡っていた。

114 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:02:38.52 ID:D2QQsEvl0

律「あ、あのさ…」

私が何か話題を振ろうとみんなに声をかけた。

澪「………」

梓「………」

紬「………」

律「………」

律「ぃや…なんでもないや」

・・・

私たちは食事を終え、後片付けを始める。

律「ほら、澪」

澪「あ、すまない」

みんな最小限の言葉でしか会話せず、淡々と作業をこなしている。
片づけを終え、再びみんな卓につく。

澪「私、今日は寝るよ」

梓「私も寝ます…疲れました」

律「あ、あぁ…ゆっくり休め」

澪と梓は就寝の準備のため風呂場へ行った。

紬「………」

律「………」

紬「ちょっとお外で涼んでくる」

律「え…？」

ムギはそう言って部屋を出て行った。

律「お外で涼んでくるって…」

115 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:04:21.16 ID:D2QQsEvl0

・・・
・・・
・・・

紬「素敵よね。約束のために、たった一つの物のために奮闘するなんて」

澪「私はあのオチ結構好きだったよ」

澪「ムギも映画とかよく見るんだな」

紬「たまにね。小さい頃は執事の斉藤がレンタルしてきた古い映画なんかを一緒にたくさん見てたわ」

澪「へ〜結構遊んでくれたんだ、斉藤さん」

紬「そうね。映画の他にも将棋とか色々教えてくれたわ」

澪「ふ〜ん」

澪「………」

紬「………」

紬「ねぇ澪ちゃん」

澪「ん？」

紬「席、代わらない？」

澪「私が窓際に？なんで？」

紬「えぇと…その…」

紬「ううん、やっぱりいい」

澪「え…？」

澪「別に代わってもいいよ？」

紬「大丈夫」

澪「そ、そう…」

紬「澪ちゃんはりっちゃんとはいつから友達なんだっけ？」

澪「ええと、小学校くらいかなぁ」

澪「作文を全校集会で発表しなきゃいけなくなった時とか、いじめっ子にいじめられてた時とか」

澪「何故かいつも律が助けてくれて…いつのまにか、一緒にいるようになってた」

116 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:06:04.60 ID:D2QQsEvl0

紬「そうなんだ。やさしいのねりっちゃん」

澪「まぁ、でも…律は律で色々困ったところがあるんだけどね」

紬「そう？」

澪「そうだよ。いつも何かにつけて私をからかってくるし」

澪「私が怖いのダメだってわかってて変な映画とか一緒に見ようとか言い出すし」

紬「ふふふ、楽しそうじゃない」

その場の流れでなんとなく言ったのであろうムギの言葉に、澪はすこしイラっとした。

澪「他人事みたいに…」

澪「ムギは律の事全然知らないからそんな事言えるんだよ」

紬「………」

澪「ぁ…」

ムギは下を向いて黙り込んでしまった。

澪「ぁ…ムギ、なんかごめん」

紬「……いいの」

そう言ってムギは窓の外を見た。

律「あ〜すっきりしたー」

律「ん…？」

これからロンドンへ旅行だというのに、澪とムギはお葬式みたいに黙り込んでいる。

律「………」

律「ほらっ、ヒゲッ！」

紬「………」

澪「………」

律「ぅ…なんだよ…お前ら、喧嘩でもしたのか」

澪「いや、別に」

紬「………」

律「そ、そう…」

律（感じ悪っ…）

・・・
・・・
・・・

117 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:08:30.34 ID:D2QQsEvl0

律「お外で涼んでくるって、どこ行ったんだよムギ…」

不安になってムギの後を追ったが、どこにも姿は無い。
もう時間も遅く、通りには誰もいない。

律「うーん」

唯は何者かに誘拐されたが、その直前は銃を突きつけられて殺される寸前だった。
銃口を向けられたのは唯だが、それは私たちにも向いていたかもしれない。
私たちは命を狙われる覚えなんてないが、実際にそれはあった事なのだ。

律「危ないからあんまり一人でうろうろすんなよなぁ…」

ムギの仕事先のダイナー、マーメイド・ラウンジの前に来た。

律「閉まってるよな」

看板の明かりは付いていない。

律「ん？」

しかし中からピアノの音がする。

律「ムギか？」

入口の扉は開いており、私は店内に入った。

ｶﾞﾗ…

律「………！」

律「ここにいたのか、ムギ」

ムギは店の中央にあるピアノを弾いていた。

紬「りっちゃん」

律「いいのかよ、勝手にあがりこんで」

私はそう言いながら近くのボックス席にドサッと座り込む。

紬「さぁ？」

ムギは少しくだけた表情をして答えた。

律「はぁ…」

紬「りっちゃん、来て」

律「え？」

紬「となり」

ムギはそう言うと、椅子の端に詰めて私を呼んだ。

律「ん…あぁ」

律「よっこらしょ」

椅子は狭く、私たち二人でぎりぎり座れるくらいだ。
お互いの肩が触れ合い、なんだかちょっと恥ずかしい。

紬「ふふ…りっちゃん、よっこらしょなんて言っちゃだめ」

律「え、あぁ…ごめん」

紬「ふふふ」

ムギは落ち着いた感じで笑っているものの、悲しげな表情は隠しきれていない。

律「ムギ…」

118 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:10:58.98 ID:D2QQsEvl0

少し悲しげな曲が終わり、店の中は静まり返る。
ピアノの近くにある水槽の中を熱帯魚が悠々と泳いでいる。

紬「りっちゃん…見て」

そういってムギは再びピアノを弾き出した。
細くて綺麗な手をゆっくり鍵盤に添えて、優しく叩き出す。
とても楽しげだけど、哀愁に満ちていて、胸が締め付けられそうなワルツが店内に響く。
幸せの絶頂にいるのに、心のどこかでその幸せが終わることを恐れている…そんな感覚に駆られるメロディだった。

紬「ほら」

律「あ、おぉ…！」

水槽の熱帯魚が音楽に合わせて踊っているかのように元気よく泳いでいた。
オレンジ色の熱帯魚たちは曲に合わせて水槽の中を行ったり来たりして、フレーズの後にある心地よいパッセージに合わせ、水槽の中を素早く動き回る。

律「あはは」

まるで小さなダンスパーティだ。

紬「餌をあげる時にピアノを弾いてるとこうやって踊り出すようになったの」

律「すげー」

紬「りっちゃん、餌あげてくれる？」

ムギは水槽の横にあった小さなエビのような生き物が詰まった瓶を見た。

律「あぁ、いいぜ」

私は水槽にぱらぱらと餌をまく。
熱帯魚たちが集まり、元気に餌を食べている。
そのくらいでいいとムギに言われ、私は再びムギの横に座った。

紬「ありがとりっちゃん」

律「おう」

私たちは互いに目を合わせて微笑んだ。
曲が終わり、再び店内に静寂が訪れる。

紬「ふぅ」

律「今の曲、なんて名前なの？ムギのオリジナル？」

紬「私の曲じゃないわ。昔見た映画の曲」

律「へぇ〜」

紬「豪華客船の中で生まれて、一度もその船から降りたことのないピアニストの物語」

紬「映画の主人公がはじめてそのピアニストに出会うシーンの曲なの」

私は静かに相槌をうち、ムギの話に耳を傾ける。

紬「私、小さい頃は習い事のピアノが大嫌いで、よく練習をサボったりしてたの」

紬「でも、映画で見たそのシーンがとっても素敵で、何度も何度も繰り返し見て…元気づけられた」

紬「それでピアノを頑張ろうと思ったの」

律「そうなんだ」

紬「そのおかげで、りっちゃん達に出会えた」

紬「放課後ティータイムのみんなと一緒に、演奏する事ができた」

律「…うん！」

119 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:13:13.23 ID:D2QQsEvl0

紬「………」

私は笑顔で応えたが、ムギは少しするとうつむいて泣き出した。

紬「っ…ぅぅ…ｸﾞｽﾝ…」

律「ムギ…」

紬「私たち、どうなるの…？」

紬「ぅぅぅぅ…ｸﾞｽｯ…」

律「ん………」

私も泣き出してしまいたくなったが、泣いているムギを見ると放っておけず、うずくまるムギの頭を優しく抱きしめた。

紬「っ！ぅぅ…りっちゃん…ｸﾞｽﾝ」

律「わからない、わからないけど…」

ムギは私を抱きしめ返し、私の顔を見上げる。

紬「りっちゃん…やさしいのね」

そういってムギは私の胸の中にうずくまり、鼻をｽﾝｽﾝ鳴らして私の匂いを嗅いだ。

律「あ、悪い。汗臭かったかな？まだ風呂入ってないし…」

紬「ううん…りっちゃんとってもいい匂い…」

律「え…あ、あはは？」

紬「りっちゃん…私…」

ムギの声が心なしかだんだん甘く、切ない声になってきた。

律「む、ムギ…？」

ムギは私の胸から首筋を沿うようにして顔を近づけ、私をさらに強く抱きしめてきた。

紬「りっちゃん…わたしもう……我慢できない」

律「え、ちょ！？ムギ！？」

ムギは私をピアノの椅子に押し倒し、両手で私の頬を押さえてキスをした。

律「んん！？！？！？」

私は驚いたが、ムギに覆いかぶされて身動きができない。

紬「ん…ちゅ…はぁっ！はぁ…はぁ…」

律「むむむむ…むぎ！なにを…！？」

紬「りっちゃん、とってもかわいいわ…」

ムギの頬は真っ赤になっていて、髪の毛も乱れ、とても切なそうな顔をしている。
私は言葉を失って、ひたすらムギの顔を見つめる。

紬「りっちゃん…大好き。愛してるわ…」

120 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:14:36.49 ID:D2QQsEvl0

そしてムギはまた私に吸い付くように、ディープなキスをした。

律「んん…んん…」

紬「んっちゅ…はぁ…はぁ…」

紬「あっ…」

ムギが私の顔を見て、我に返ったように表情を変えた。

律「ぅ…ぅぅぅ……」

私は涙を流して泣いていた。

律「むぎ、やめてくれ…ｸﾞｽﾝ」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

紬「！…りっちゃん…あ、その…」

律「う…うぅ…」

私はムギを振り払ってなんとか立ち上がり、自分の髪と服を整えなおした。

律「はぁ…！はぁ…！」

心臓が破裂しそうだ…。

紬「りっちゃん…ごめんなさい！」

律「くっ…」

私はムギの顔を直視できず、後ろを向く。
自分の胸ぐらを掴み、なんとか呼吸を整えようとした。

紬「りっちゃん…ごめんなさい…私…私！」

律「むむ…むぎ…！」

私は突然の出来事に驚き、どうしていいのか全くわからなかった。

紬「りっちゃん…許して！」

律「うっ…」

泣きながら詰め寄ってくるムギに、思わず後ずさりしてしまう。

紬「りっちゃん！お願い…キライにならないで！」

恐怖とはまた違うが、私はこの場にいることに耐えきれなかった。

律「ムギ……ごご…ゴメン！」

私は店を飛び出して、自宅に走って行った。
店を出るとき、ムギが必死に私の名前を叫んでいた気がする。

121 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:16:47.09 ID:D2QQsEvl0

律「はぁっ…はぁっ！」

澪「あっ、律！どこ行ってたんだ！？」

玄関の前に澪が立っていた。

澪「心配してたんたぞ！？気がついたら律とムギがいないから」

律「うぅ…澪…ごめん」

私は泣いているのを隠して、なんとか平静を装った。

澪「ムギはどうしたんだ？」

律「ムギは…ムギは…」

私はムギを置いてきてしまった事を思い出し、我に返った。

澪「一緒にいたのか！？」

律「戻らないと…」

・・・

律「ムギ！？」

すぐに私と澪はマーメイド・ラウンジに戻ったが、そこにムギの姿は無かった。

澪「律…どういう事だよ！？ムギはどこ行ったんだ！？」

律「ぁ…あぁぁ…」

私は床に膝をつき、激しく後悔した。

ムギは唯がさらわれた事でストレスがいっぱいになり、それまで秘めていた思いが爆発して私にすがってきた。
なんとか元気に振る舞おうとしていたようだが…恐怖でいっぱいだったんだろう。
そんなムギを、私は突き放して、受け入れる事を拒んでしまった。

律「ムギ…ムギぃ…！」

ピアノは閉じられ、椅子もキチンとしまわれ、店にはもう誰もいない。
水槽の中を泳ぐ熱帯魚だけが、私を慰めるようにこちらを向いて口をパクパクさせていた。

■　第五章　「 The most lasting love is unrequited love 」　終　■

122 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 20:18:48.58 ID:D2QQsEvl0

今日はここまで

>>94と>>95が被ってしまった…申し訳ないです。

123 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/28(日) 22:42:54.32 ID:7kunV5x+0

取り敢えず乙。
いよいよ「日常」が崩壊してきたな。
もう一つ質問。
差し支え無ければ過去作を教えて頂きたい。

124 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/28(日) 23:20:51.62 ID:INeHSIFR0

>>92
クロス物でお互いの作品を活かせてるかどうかは書き手の技量の問題で
読んでみなければ旨く融合させられてるかどうかもわからんだろ

125 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/28(日) 23:21:49.29 ID:D2QQsEvl0

>>123
以前に書いた物で、このSS速報に投下したのは

澪「趣味は麻雀とラーメンです」
澪「ラーメンと後輩」

の二つですね。

SS自体、今年に入ってから書き始めました。
今のところ、けいおんでしか書いてません。

126 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/28(日) 23:42:59.58 ID:CkRvXiYSO

>>125
過去作を尋ねられても答えない方がいいぞ

127 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/28(日) 23:48:48.29 ID:MO3Yij2j0

バイオショックってelonaに出てくるビッグダディやリトルシスターの元ネタか

128 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/04/29(月) 04:36:40.05 ID:ZoE4nSEw0

いいね、雰囲気がいい

129 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 22:49:44.10 ID:xIr5FKnB0

●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
海底にひっそりと佇む大都市「ラプチャー」に迷い込んだ軽音部達はついに都市の暗部を目の当たりにしてしまう。
ラプチャーの発展は、リトルシスターと呼ばれる少女達から成り立っていた。
人々は、リトルシスターが死体の血液から作り出すアダムをめぐって争いを起こし、次第に街は荒廃していく。

そしてある日、唯は何者かに暗殺されそうになり、その暗殺を阻止した別の誰かに誘拐される。
海底で手にした日常が一気に崩れ去り、ムギは律を求めようとするが拒否されてしまい、失踪する。


■　第六章　「 A Sensational fit 」　■

1958年12月13日土曜日
ムギが失踪した翌日。

澪「………」

梓「………」

私と梓は二人、部屋で沈黙していた。

今朝、律もどこかへ行ってしまったのだ。
ムギがいなくなった事でもめて、律もここを出て行った。

・・・
・・・
・・・

澪「律！」

私は朝から律を問い詰めていた。
唯がさらわれ、昨晩はムギが失踪し、私たちはみんな限界だった。

澪「ムギと何があったんだよ！？どうしてなにも教えてくれない！？」

律「………」

澪「なぁ、律！」

律「私のせいだ…私の…」

澪「それは何回も聞いたよ！それで何があったんだって！？」

律「私がムギを……私のせいだ」

澪「っ…！だから！」

私はカッとなり律の胸ぐらを掴みこちらを向かせる。

梓「ちょっと、澪先輩！」

梓が止めに入ったが、私は聞かずに律を糺す。

澪「おまえなぁ！」

律「………」

律はそっぽ向いたまま沈黙している。

澪「バカ律！こんな時でもグズグズして…」

梓「あ、あの…澪先輩っ…」

130 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 22:58:28.85 ID:xIr5FKnB0

澪「お前ホントダメだな！部活してた頃はぜんぜん真面目に練習しないし、提出する書類も書けないし！」

澪「毎日ダラダラして、いざこんな状況になっても…！」

澪「なにが部長だよ！？」

律「ぅ………」

梓「澪先輩！」

澪「お前、少しでも軽音部のみんなの事考えた事あるのか！？」

律「っ……！」

私がそう言うと、律はピクリと反応し、こちらを睨んできた。

律「……！！！」

澪「！？」

眉間にシワを寄せ、犬歯をむき出しにして、鋭い目つきでこちらを睨んでいる。
こんな律の顔、今まで一度も見たことない。

律「っ！」ﾄﾞﾝｯ

澪「うわっ！」

律は私を突き飛ばし、息を荒立させた。

律「はぁ…はぁ…！！」

澪「り、律…？」

律「みんなの事を考えた事がないだって？」

律「私は軽音部の事なんとも思ってないだって！？」

律はうつむいて両手を強く握りしめ、小刻みに震えている。

澪「ぇ……」

律「よ、よくも…よくもそんな事が言えるな…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

律は涙を流しはじめ、入口の方を向いた。

律「………」

律「お別れだ…」

澪「えっ…？」

131 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:01:19.41 ID:xIr5FKnB0

律「今まで楽しかった」

梓「そんな…律先輩まで！」

律「唯は誘拐され…ムギは出て行き…私は人望のカケラも無い……」

律「もうおしまいだ」

律「解散だ」

律「放課後ティータイムは、解散だ！」

澪「ま、待て…律！」

ﾊﾞﾀﾝ！

律は玄関をピシャリと閉めて出て行った。

澪「あ…ぁぁ…」

梓「な、なにも律先輩まで出て行かなくても…」

私も梓も、もう立ち上がる力もなく…その場に崩れさる。

澪「どうすりゃいいんだよ…」

口をポッカリ開けたまま、私は梓の方を向いた。

澪「みんな…みんな行っちゃったよ…」

梓「ｸﾞｽﾝ…澪先輩…うぅぅぅ…」

澪「は、ははは……あんなにうまくいってたのに」

澪「こんな海底へ迷い込んでも、私たち笑いあえてたのに…」

澪「おしまいだ」

梓「そ、そんなの嫌です！」

澪「ｸﾞｽﾝ…くぅ…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

・・・
・・・
・・・

132 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:03:58.75 ID:xIr5FKnB0

唯「けいおん大好きー！」

ｷｬｰ！ﾜー！ﾜｰ！

講堂が生徒たちの歓声で倒壊しそうだ。
先輩も、友人も、後輩も、みんなステージに立っている私たちに惜しみない賛美を送ってくれている。

澪（これだよ、これ…！）

澪「律…！」

律「へへへ」

唯「りっちゃん！もう一曲！」

律「おっしゃぁ！」

和「ちょっと、もう時間よ！？」

唯「えぇ〜！？」

ｷｬｰ！ｷｬｰ！ﾜｰﾜｰ！

学園祭のライブは大盛況のうちに幕を閉じ、私たちは人生で一番幸せな瞬間にいた。
自分たちを中心に、世界が回ってるようにも思えた。

私たちはひとまず部室に戻り、ライブの余韻を仲間と一緒に噛みしめる。

唯「大成功だったね！」

梓「はい、私感動しちゃいました！」

律「すごい一体感を感じるぜ」

澪「ムギのアンコール、あれ最高だったよ」

紬「ありがと、澪ちゃん」

さわ子「みんな、おつかれさま」ｶﾞﾁｬ

律「おぅ、さわちゃん！」

唯「あ、先生ありがとう。私の代わりにギター弾いてくれて」

さわ子「いいのよ、私も久しぶりに気持ちよく演奏できたし」

さわ子「生徒たちにカッコいいトコ見せて、好感度アップ間違い無しね！！」

律「あー、はいはい」

澪「あはは」

・・・

133 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:06:43.71 ID:xIr5FKnB0

学園祭が終わり、打ち上げをする事になった。
憂ちゃんが腕によりをかけてご馳走を作ってくれるそうで、私たちはその好意に甘えて唯の家でパーティをすることにした。

和やさわ子先生も参加して、みんなで盛大に打ち上げパーティー楽しむ。

梓「あはは、それにしてもホント、憂は張り切りすぎだって」

憂「そうかなぁ？」

澪「ありがたいけど、すこし休まないとこれ以上食べられないよ…」

唯「さすが私の妹だね〜」

さわ子「いいお嫁さんになれるわよぉ？」

和「あら、もうジュース切れちゃった？」

紬「あ、ほんとだ」

憂「私、買ってきますね！」

律「あ、いいよいいよ憂ちゃん。澪と買ってくっから」

澪「私も！？まぁ少し休憩したかったからちょうどいいけど」

梓「私も行きます！」

律「そんな気ぃ遣わなくてもいいぞ〜？」

梓「いえ、後輩ですから！」

律「へへ、こんな時だけ後輩風ふかしちゃって〜」ﾍﾟｼﾍﾟｼ

梓「うぅ〜…！」

澪「はは、じゃあ行くか」

・・・

律「………」

澪「………」

梓「………」

ﾃｸﾃｸﾃｸ…

律「幸せだよな、私ら」

澪「？」

律「こんな素敵なライブができるなんて、私たち幸せ者だよ」

澪「なにガラにもない事言ってるんだよ」

律「いやいやほんとに」

律「私たち、サイコーの学生生活送ってるよ」

澪「そうだな」

梓「先輩…」

熱が冷めて、みんなしっとりしたムードになってくる。
でも心臓はﾊﾞｸﾊﾞｸ鳴りっぱなしで、いまにもはち切れそうだ。

134 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:09:08.94 ID:xIr5FKnB0

律「……ぷっ、唯もうまい事言ったよな、“今いるこの講堂が、私たちの武道館”なんて」

澪「たしかに。ベタだけど、いい語りだったな」

梓「なんだか、もう目的を達成しちゃったみたいですね」

澪「うん。それくらいよかったよ、今日のライブは」

律「いや…」

律「いやいや、これからだぜ」

律「これからもずっと、私たちは一緒だ」

律「夢はでっかく武道館だ」

律「な！そうだろ？」

澪「唯とムギは？」

律「あーもう、せっかく人が部長らしい事言ってるのにさぁ…」

澪「だから、それを部長らしくみんな揃ってる時に言えばって」

律「あぁーもう、やめだやめー。どうせこんな台詞、私には似合わないよーだ」

梓「ふふふっ」

・・・
・・・
・・・

135 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:15:56.77 ID:xIr5FKnB0

唯がいなくなり、ムギがいなくなり、律もいなくなった。
放課後ティータイムは解散。

残ったのは私と梓だけ。
私たちは誰か帰ってくる事を願い、ずっと住まいで待っていたが、誰一人戻っては来ない。

この部屋で円陣を組み、共に生きていく事を誓ったあの日。
みんなで作った料理を囲みながら食事を楽しんだ日々…。

全部ウソみたいだ。

澪「梓…ニッパー取って」

梓「はい」

私たちは、部屋を綺麗に掃除して、唯のギターを手入れした。

ホコリを掃い、弦を張り替え、オイルで磨き…。
ただ仲間が帰ってくる事だけを祈った。

梓「………」

梓「だれのせいでもありません」

澪「？」

梓がおもむろに立ち上がり、窓の外を見ながら呟いた。

梓「悪いのはこの街です」

梓「この腐敗した街、ラプチャー」

梓「そして、それを見て見ぬふりをしているアンドリュー・ライアン」

梓「全部アイツのせいです」

澪「梓…」

同意もしないが、否定もしない。
確かに、この海底都市ラプチャーが本当の意味でユートピアであったならば、こんな事にはならないはずだ。
唯がさらわれてから、私たちの歯車は一気に狂い始めた。

唯がさらわれた原因がこの腐敗したラプチャーによるものであるなら、その腐敗を独裁という形で助長しているアンドリューライアンは確かに私たちの絆を引き裂いた張本人であるかもしれない。

自由の街ラプチャー。
自由であるが故に無法…無法は腐敗を呼び、それを抑えるために規制が入る。規制はさらに腐敗を呼ぶ…。

梓「まぁ、どうすることもできないんでしょうけど…ね」

澪「うん…」

澪「よし、これで終わり」

私は唯のレスポールをギターケースにしまい、壁に立てかける。
みんなの楽器が部屋の隅に揃った。

澪「………」

・・・

136 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:19:49.03 ID:xIr5FKnB0

1958年12月15日月曜日

澪「お腹すいたな」

梓「はい、もうすぐお昼ですね」

私たちはネプチューンバウンティに来ていた。
去って行ったみんなを見つける手がかりが何か無いかと思い、ラプチャーじゅうを探している。

澪「フォンテイン水産…ここでいいか」

梓「そうですね」

フォンテイン水産という、かつてフランク・フォンテインの傘下にあった水産業者。
今でもライアンから手は付けられず、フォンテインの死後もそのまま運営されているようだ。

私たちはひとまず昼食をとるため、フォンテイン水産にあるダイナーで腹ごしらえをする事にした。

店員「いらっしゃい。食券を買ってね」

澪「あ、食券機なのか」

澪「はは…いかにも“定食屋”って感じだなぁ」

お金を入れてボタンを押すと、ｶﾞﾀﾝと大げさな音をたてて札が出てくる。
私たちはそれを店員に渡して、ボックス席に向い合せで座る。

梓「………」

最近の梓は以前とどこか印象が違う。

唯に振り回されてあきれたり、窓の外を見つめてぼーっとしたりしていたが、今はなんて言うか…覇気がある気がする。
仲間と別れ、落ち込んでいたものの…今では少し元気を取り戻し、何か決意したような目で街を見ている。

「おや…？」

澪梓「？」

アトラス「君らは…！」

澪「アトラスさん！」

梓「あ、お久しぶりです！」

店にアトラスさんが入ってきた。
どうやら彼も昼食らしい。

アトラス「こんな所で出会うとはな。隣いいかな？」

澪「どうぞ…」

私は奥に詰めて、アトラスさんを座らせる。

アトラス「あの時はすまなかった…私にはどうする事も…」

梓「いえ、結果的に私たちはこのラプチャーで暮らす事を許してもらえたので」

アトラス「あぁ、よかったよ。あの後、なにかと君たちの噂は耳にしていた」

アトラス「様子を見に会いに行こうかとも思っていたんだが、何かと忙しくてね」

アトラス「他のみんなはどうした？」

澪「………」

梓「………」

私たちはいままでのいきさつをアトラスさんに説明した。
唯がさらわれ、ムギと律が失踪し…私たちは何を目的に生きて行けばいいのか分からなかった。

137 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:23:00.64 ID:xIr5FKnB0

アトラス「そうか…こんな事私が言うのもなんだが、辛いだろうね」

澪「………」

梓「全部…全部この街のせいです！こんなに素敵な街を腐敗させた…ライアンのせいです！」

アトラス「………」

アトラス「確かにな…」

私たちは今の街の惨状や、アダムを巡ってあちこちで抗争が起こっている事などについて話し合い、昼食を共にした。
アトラスさんが言うには、私たちがここへやってきた時よりも遥かに急速に、街は荒廃の一途をたどっているらしい。
市民は弾圧され、科学者はこき使われ、芸術家たちは行き場を失い…もはやラプチャーはユートピアなんてものでは無かった。

アトラス「私たちがなんとかしなければ」

アトラスさんは何か心に秘めているように見えたが、その場では何も教えてはくれなかった。
私たちは食事を終えて店を出る。

澪「じゃあ、私たちは仕事があるので…」

梓「また機会があれば」

アトラス「あぁ」

私たちはアトラスさんに別れを告げ、一旦住居へ戻るため潜水球乗り場へ向かった。

・・・

澪「あ、来たな」

潜水球が到着し、私と梓は中に乗り込む。

アトラス「ちょっと…！」

澪「？」

アトラスさんが走ってきて私たちを呼び止めてきた。

梓「アトラスさん？」

澪「なんですか？」

アトラス「実は…」

アトラス「私は対ライアン政権のレジスタンスのリーダーをしているんだ」

アトラス「このラプチャーをより良い物にするために、ライアンに立ち向かい、色々活動をしている」

梓「！」

アトラス「もし君たちがそのために力を貸してくれるのなら、ぜひレジスタンスに加わってほしい」

潜水球がぶくぶくと音をたて、潜水準備を始める。

梓「本当ですか！？」

澪「！？」

澪「梓…？」

胸騒ぎがする。梓のあの目はそういう事だったのか…？

138 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:26:42.37 ID:xIr5FKnB0

アトラス「あぁ、人手は多い方がいい。君たちのような若い人材は特に必要だ」

アトラス「詳しい事は今は言えないが、私の周りだけでも50人は仲間がいる」

アトラス「みんなライアンによる政治に不満を持ち、それをどうにかしようと行動すべく立ち上がった人々だ」

アトラス「そしてさらにラプチャーじゅうにいる仲間を集結させれば…きっとライアンを倒すことができる」

アトラス「我々の手で、このラプチャーを変えてやるんだ！」

梓「………！」

梓「私、ずっと考えてました。このラプチャーの腐敗を正して、再び活気ある街に戻すことができれば…」

梓「私たち軽音部も元に戻るんじゃないかって」

梓「こんなきっかけを待ってました！」

澪「なぁ梓、もしかして…」

梓「澪先輩、行きましょう。私たちもレジスタンスに加わるんです」

梓「そしてこの街を、再び私たちのようなアーティスト達の理想郷として甦らせるんです！」

澪「そ、そんな事…できるのか…？」

梓「私たちだけじゃ無理でしょうけど、アトラスさんとその仲間の人達がいればきっと」

澪「でも、レジスタンスって……危険なんじゃ…？」

アトラスは真面目な顔をしながら、私たちを説得するような眼差しを投げかけてくる。

アトラス「たしかに、我々のレジスタンスは過激な行動をとらないわけじゃない」

アトラス「だが、革命には何かしらの危険はつきものだし、畏縮してなにも行動しないよりはよっぽどいい」

梓は潜水球の座席から立ちあがり、外に出た。

澪「梓！」

私は決心が付かずに、潜水球の外に踏み出せずにいる。

139 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:29:39.37 ID:xIr5FKnB0

梓「行かないんですか？」

澪「だ、だって…」

梓「………」

梓「澪先輩が行かなくても、私は行きます」

澪「えぇ！？ちょ…梓！」

梓「大丈夫、私が…放課後ティータイムを再結成させてみせます」

梓「その時には澪先輩も必ず迎えに行きますから…」

プシュウと潜水球のハッチが閉まりはじめる。

澪「ま、待って！…ダメだ！」

梓「その時が来るまで待っててください」

アトラス「また会おう。決心がついたら、君も是非来てくれ。いつでも歓迎する」

梓「澪先輩…また」

澪「そんな、ダメだ…！」

ﾊﾞﾀﾝ

ハッチが閉まり、潜水球は沈み始める。

澪「うぅぅぅ…」

私は一人、潜水球の密室の中でハッチにすがりついた。

澪「梓まで…。そんな…一人にしないで…」

澪「私はどうすればいいんだよ…」

私は何もできず…潜水球と共に深い海に沈んでいった。

・・・

140 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:33:23.31 ID:xIr5FKnB0

同じく1958年12月15日月曜日

律「………」

澪と喧嘩して軽音部を飛び出してきてしまった。
唯とムギがいなくなり、最悪の展開の中、放課後ティータイムを解散させ、私は幼馴染と後輩に別れを告げてその場を去った。

今思えば、なにもかも浅はかだった気がする。
唯を守れず、ムギを慰めてやる事も出来ず、澪にはリーダー失格だと言われ…。

この街に来てから、私はある種の転機を迎えていると感じていた。
それまでなんとなく過ごしていた日常が一変したことに、なにかお告げのようなものを感じていたのかもしれない。

これは、チャンスだと…なにか神様のような大きな存在に啓示されたと感じていた。
こんな得体のしれない街に流れ着き、みんな怯えている…そんな時こそリーダーである私の出番だと。

そう思って、私はいままでの態度を改め、良きリーダーとして努めたつもりではいたが…結局何もできなかった。
軽音部の為になにもできなかった…。

そう思うと、いてもたってもいられなくなって、勢いで家を飛び出してきてしまった。

律「あーあ…」

それから私はフラリとそこらへんをうろついて、気が付けばヘファエストス地区に来ていた。
アンドリュー・ライアンのいるこの街の中心部まで。

警備員「おい、お前！ここからはライアンさんの執務室だ。一般人は立ち入り禁止だ！」

律「………」

警備員「聞いているのか！？」

警備員は戦争ゲームでよく見かけるカービン銃を私に突きつけ、追い返そうとする。

律「………ライアンさんに会いたいんだけど」

警備員「ライアン様は仕事中だ。アポも取らずに、いったい何様のつもりだ！去れ！」

その時、近くのスピーカーから音がした。

ライアン『大丈夫だ、かまわん。その娘を通してやれ。私の執務室まで案内しろ』

警備員「は？はぁ…」

律「………」

私は警備員に連れられて、いつしかみんなで演奏をした執務室まで戻ってきた。

ライアンは木製の豪華な事務机に向かい万年筆を持ち、書類の山と格闘している。

律「…お邪魔します」

ライアン「久しぶりだな？まぁ座れ」

部屋の入口で棒立ちしていた私は座るように促され、部屋の中央にある来客用のソファに座った。

141 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:35:57.36 ID:xIr5FKnB0

律「………」

ライアン「どうしたんだ？お前からここへやってくるとは」

律「なぁ、ライアンさん」

律「私って…リーダーに向いてないのかな」

ライアン「………」

律「私って、誰の事も考えてやれない…ここぞと言う時に何もできない、弱い人間なのかな…」

律「ここに来てから、みんなのために頑張ってるのに…リーダーとしてみんなを支えようとしているのに」

律「その努力が報われない」

律「みんなから気付いてもらえない気がする」

ライアン「………」

ライアンは筆を止め、私の方を見ている。
そして少ししてから万年筆を置き、話し始めた。

ライアン「ラプチャーは、なにで成り立っていると思う？」

律「え？」

ライアン「ラプチャーを動かしているものはなんだと思う？」

律「それは…」

ライアン「ラプチャーを動かし、支えているものは“鎖”だ」

ライアン「海底火山でも、アダムでもない。目に見えない、大きな鎖…グレートチェーン」

ライアン「その鎖の一つ一つはなにから成り立っていると思う？」

律「さ、さぁ…？」

ライアン「それは、人々が一人一人持っている“理性”」

ライアン「個人が、他の誰でもない己の為に行動し、最良だと思う道を選択する“意志”」

ライアン「その一人一人の理性による行動が連鎖し、鎖を形成している」

律「鎖…」

ライアンが何を言いたいのかわからなかったが、その言葉の意味はなんとなく理解できた。

ライアン「それを脅かす存在こそが“寄生虫”なのだ」

ライアン「利他主義という名の退廃思想に取りつかれ…人に尽くすこと、人から与えられる事がさも当然のように思っている」

ライアン「今のお前は、まさにそれだ」

律「え？」

142 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:38:50.02 ID:xIr5FKnB0

ライアン「人に与えればそれがそのまま対価のように返ってくるとでも思っているのか？」

ライアン「お前はさも仲間のために尽くしているような口ぶりだが、それは本当に仲間の為になっているのか？」

律「………」

ライアン「他人に何かを与えることでその見返りをただひたすら待っているようではだめだ」

ライアン「それは自分だけでなく、仲間をも破滅の道に引きずり込んでしまう」

ライアン「もし仲間の事を思っているのなら、自分はどうするべきかを考えろ」

ライアン「お前は自分たちのバンドをどうしたい？」

ライアン「“仲間ならどうするか？”じゃない…自分なら、どうあるべきだと考える？」

ライアン「自分の理想の為には、何が必要だ？」

ライアン「お前は、どうなりたい？」

律「………！」

律「私は、もっと…強くなりたい」

律「みんなに認められて、私がみんなを引っ張っていきたい」

律「私は、強くなりたい！」

ライアン「ふふふ…」

ライアンはニヤリと笑い、私を見た。

ライアン「強さとは力……力とは、“知性”と“意志”だ」

ライアン「鋼や火のような目に見える存在などでは無い」

ライアン「何人たりとも冒すことはできない、不屈の意志…私の力はそこにある」

ライアン「だからこそ、このラプチャーを作ることができた」

律「………」

ライアン「その力を手にいれたいのなら、お前はどうすればいいと思う？」

律「………」

そう言うとライアンは事務机に戻り、仕事を再開した。

143 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:41:20.59 ID:xIr5FKnB0

律「………」

律「っ…！」

律「ライアンさん！」

律「私を、雇ってください！」

ライアン「………」

律「ライアンさんが言ってること、その通りだと思う」

律「私、ライアンさんの言う“力”が欲しい」

律「もしかしたら私の解釈はまだ追い付いてないかもしれないけど…それを確かめたいんだ」

律「私は、その考えを私なりに整理したい」

律「だから、ここで働かせてくれ！」

律「雑用でもなんでもする！ここでこき使ってくれ！」

ライアン「…ふむ」

ライアンは薄気味悪い笑みをしながら私を繁々と見つめた。

ライアン「いいだろう…。それがお前の理性による選択なら」

・・・

144 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:44:07.89 ID:xIr5FKnB0

紬「はぁ…」

私は一人、ラプチャーを彷徨っていた。
行くあてもなく、今はアドニス高級リゾート付近にある廃墟の家で寝泊まりしている。

私はその日暮らしで、ホテルの厨房裏で食べ物を分けてもらったり、道行く人にお金を恵んでもらっていた。
たまに金持ちそうな男の人から“お茶”に誘われたりするけど、そんな事軽々しくできない。

だって私には、大好きな人がいるから…。

でも、私はその大切な人を傷つけてしまった。
自分の衝動を抑えきれずに、欲望をさらけ出し、その人に嫌われてしまった。
私はもう、あそこへ戻ることはできない。

ホテルの料理長「ほら、こんなものしか残ってないけど、持っていきなよ」

紬「ありがとうございます」

今日も上流階級地区にあるホテルの厨房の掃除をして、その見返りに余ったパンや野菜なんかを貰う。

ホテルの料理長「なぁ…正式にここの社員として働いたらどうなんだ？」

ホテルの料理長「お前さんみたいな綺麗な娘が、そんな乞食みたいな生活してるのは見るに堪えん」

紬「お気持ちは嬉しいですけど…」

ホテルの料理長「君くらいしっかりしてる娘なら、給仕としてならすぐにでも雇ってもらえるのに…」

紬「ありがとうございます。でも…私はこれでいいんです」

ホテルの料理長「うぅ〜ん…まぁ、また明日も来なよ」

紬「ありがとうございます」

私は寝泊まりしている廃墟に戻り、質素な食事をする。

紬「みんなどうしてるかな？」

萎れたパンを頬張りながら、ふと思う。

私はこのまま何をして生きて行けばいいのだろうか？
やはり、みんなのところへ戻るべきなのだろうか？
戻ったとして、りっちゃんや他のみんなは私を許してくれるのだろうか？

紬「よいしょっと…」

私は立ち上がって側にあった潜水ヘルメットを被り、壁にある古びた通気口を二回叩いた。

145 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:48:13.73 ID:xIr5FKnB0

リトルシスター「んっ…よっと…なぁにお姉ちゃん？」

紬「今日もお願い」

リトルシスター「いいわ」

私は床に敷いたマットレスに仰向けになって目を閉じる。
リトルシスターは注射器を構えて私の腕めがけて勢いよくそれを突き刺した。

ｸﾞｻｯ

紬「んっ…」

どんどん眠くなってくる。
今日はどんな“記憶”が見られるだろう？

・・・
・・・・
・・・・・

幼紬「ふぇ…」

私は注射器を持って立っていた。

幼紬「あはは」

私は今、夢の中にいる。
正確には“記憶の中”に。

アダムには人の遺伝子を書き換える作用だけではなく、記憶を保存する事もできるらしい。
少し前に偶然、廃墟で寝ている所を死体と間違えられ、リトルシスターに注射器で刺されてその事を知った。

それから、工場の廃棄場所に捨ててあったビッグダディの匂いのする潜水ヘルメットを手に入れ、それを使ってリトルシスターをおびき寄せて、たまに夢の世界へ連れてもらっている。

幼紬「ふんふんふん♪」ﾄｺﾄｺ

今見ているこの夢は、私を刺したリトルシスターの記憶だ。
アダムを介して、リトルシスターが経験した事を夢として見る事ができる。

幼紬「素敵よねっ」

壁は真っ白なシルクに包まれて煌びやかに光り輝き、床には真っ赤な絨毯が廊下の奥にずっと続いている。
リトルシスターの夢はいつもこんな美しい場所に私を連れて行ってくれる。
ラプチャーにこんな場所、本当にあるのだろうか？
それともこれは、リトルシスターにはこう見えているだけなのだろうか？

幼紬「あ、天使だわ！」

私は床に横たわる天使の羽が生えた男性を見つけ、駆け寄っていった。
横たわる男性は胸に手を添えて、安らかに眠っている。

幼紬「えいっ！」ｻﾞｸﾘ

持っていた注射器を深々と突き刺し、天使の血を吸いだす。
注射器が満タンになると、反対側に付いている哺乳瓶の飲み口から吸い出した血を飲む。

幼紬「ちゅうちゅうちゅう」

幼紬「ん〜、あはは！」

私は血を啜って一服し、さらに奥へと進む。

146 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:51:28.75 ID:xIr5FKnB0

幼紬「あら？」

リトルシスター「ダディ、こっちよ」

ビッグダディ「ﾎﾞｫｫｫｫﾝ」

幼紬「お友達だわ」

リトルシスター「ふふふ」

「エレノア！」

幼紬「？」

私が他のリトルシスターを見つけ声をかけようとすると、一人の黒人女性がそのリトルシスターの名前を呼び、駆け寄っていった。

エレノア「？」

ビッグダディ「ｳﾞｫｫｫｫｫ！」

黒人の女性「その子を返しなさい！この人さらい！」

黒人の女性「その子はソフィアから預かっている大切な子よ！」

幼紬「ふぇ…」

私は物陰に隠れてその様子をじっと観察する。

黒人の女性「ほら、行きましょエレノア」

ビッグダディ「ｳﾞｫｫｫｫｫｫｫｫｫ！」ﾄﾞｶｯ！

黒人の女性「あぐっ！」

女性がエレノアに手を伸ばすと、ビッグダディが怒り狂い、強烈なパンチをお見舞いした。

黒人の女性「あが…あが…」

女性はビッグダディに殴られて顎が砕かれ、もがき苦しんでいる。

幼紬「ふ、ふぇぇぇ…！」

エレノア「ダディ…」

ビッグダディ「ﾎﾞｫｫｫｫ」

エレノアとビッグダディはそのままその場を去って行った。

黒人の女性「ががぇ…へえ…のあ…」

幼紬「………」

・・・・・
・・・・
・・・

紬「……ｸﾞｽﾝ…」

紬「う…うぅぅぅ…うっ…」

私は目覚めると涙を洪水のように流しながら泣いていた。

紬「うぅぅ…ｸﾞｽﾝ…」

紬「ん…」ｺﾞｼｺﾞｼ

リトルシスター「もういいの？」

紬「えぇ…ありがとう」

147 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:54:36.16 ID:xIr5FKnB0

リトルシスター「じゃあアダムは返してね」

紬「はい、どうぞ」ｸﾞｽﾝ

私が差し出した腕に、リトルシスターはまた注射器を刺す。
赤く光り輝くアダムが私から吸い出される。

その様子を見て私は心が痛む。

紬「おいで……」

リトルシスター「あう…？」

私はリトルシスターを優しく抱きしめた。

リトルシスター「お姉ちゃん、どうしたの？」

紬「かわいそうに…」

リトルシスター「？」

ﾎﾞｰﾝ、ﾎﾞｰﾝ

リトルシスター「もう行かなきゃ、ダディが呼んでるわ」

紬「うん、行ってらっしゃい」

私はリトルシスターを通気口まで持ち上げ、別れを告げた。

紬「はぁ…」

マットレスの上で体育座りし、俯いて先ほどの夢からくる虚脱感を味わう。
リトルシスターたちは誘拐されて、アダムを作るために洗脳され、死体探しを強要されている。

紬「………」

紬「夢に出てきた、黒人の女性…あの“エレノア”って名前のリトルシスターの保護者かしら」

紬「あの場所、たしか澪ちゃんとりっちゃんが働いていた本屋の近く…」

・・・

148 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/29(月) 23:58:02.51 ID:xIr5FKnB0

1958年12月16日火曜日

ﾊﾞｧﾝ！

梓「うわっ！」

私は反動を抑えきれず、後ろにバランスを崩す。

アトラス「おぉっと」

背中から倒れそうになり、アトラスさんは素早く私の肩をキャッチした。

仲間A「はは、やっぱりちょっと無理があったんじゃないかアトラス？」

梓「うぅぅ…」

手首を万力できつく締め付けられているような圧迫感と共に、ビリビリとした痛みが襲ってくる。
拳銃なんて、私には一生縁が無いものだと思っていた。

私が放った弾丸は、ボウリングのピンの的から大きく外れ、遠くの土嚢に当たった。

アトラス「ふむ、少し休むか」

梓「ま、まだできます！」

アトラス「おいおい、無理はよくない。それに、その手は楽器のための大事な手だろ？」

梓「はい…」

アトラス「なんでもできるようになりたいと思う事はいいが、無茶はよくない」

梓「す、すみません」

アトラス「それに、できれば私はこんな物使ってこのラプチャーを正したくはない」

アトラス「もっとスマートな方法があるはずなんだ」

アトラスさんはそう言って私から拳銃を取り上げた。

アトラス「ほら、何か飲もう」

梓「はい」

仲間B「やっと休めるぜ」

アトラス「ははは、“ピンボーイ”の仕事はもう嫌だって？」

仲間B「そりゃそうよ」

私とアトラスさんはアジトに戻り、しばし休憩する事にした。
レジスタンスのアジト、アトラスさんの本拠地はフォンテイン救済センターという施設の最上階にあった。
フランク・フォンテインは生前ここで貧困層の人々に職と寝床、そして食料を与えるというビジネスをしていた。
多くのホームレスや明日生きる金さえ無い貧乏な人たちが集まり、救済センターのあるアポロ広場は、高級住宅とスラムが混在する異質な場所になっていた。

149 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/30(火) 00:01:45.81 ID:64a2MyvP0

梓「銃なんて触ることなんて無いと思ってたし、まさか自分が使うようになるなんて…」

アトラス「そうか？」

アトラスさんはここにいる貧困に苦しむ人々の為に立ち上がった。
貧困層の人だけじゃない。ラプチャーの民衆全員の為に、アトラスさんはこうやってみんなを導こうとしている。

梓「私が元いた世界の日本は、一般家庭に銃なんかありませんし」

梓「戦争なんかとも全然縁が無くて…」

梓「私が言うのもなんですけど、元いた世界の日本人は他の国とくらべて、かなり平和ボケです」

アトラス「平和ボケね…」

アトラス「たしかに、軍事的な外交手段以外でライアンとケリを付けられれば、それに越したことはない」

アトラス「でも、こちらが提案する平和的な解決方法にライアンが応じてくれるはずはない」

アトラス「実際、私はレジスタンスの代表として何度もライアンと交渉してきたんだがね」

梓「そうだったんですか」

アトラス「あぁ、フォンテインの死後、彼の会社を民間に明け渡すように交渉したりもした」

アトラス「結果はご覧のとおりだったけどね」

梓「………」

アトラス「もうライアンは我々の言葉に耳を貸すつもりはないらしい」

アトラス「そのために最後の手段として、我々もライアンに打ち勝つための武力が必要になってくる」

梓「そう、ですよね…」

アトラス「怖いか？」

梓「は、はい…要するに、クーデターって言うか…蹶起って事ですよね？」

アトラス「あぁ、もっと簡単に言えば、“戦争”だ」

梓「人を…殺さないといけない事になるんですよね」

アトラス「そうだ。そして自分も殺される覚悟をしないといけない」

梓「うぅ……」

アトラス「おかしな話だよな？より良い未来のために、他人の未来を…命を奪うんだ」

アトラス「分かってはいるんだ、俺たちも。そんな事あってはならないってね。でも、人々の怒りは抑えられはしない」

アトラス「確かにそこが問題なんだ。感情ってやつがな」

アトラス「でも、人々はその振幅の中で少しずつ進歩するしかないんだ」

アトラス「感情を肯定しないと、俺たちは生きていけない」

梓「………」

150 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/30(火) 00:04:24.13 ID:64a2MyvP0

アトラス「でも大丈夫、君にはもっとスマートな仕事を用意してあるから」

梓「スマート？」

アトラス「そうだ。君には諜報員として情報収集をお願いしたい」

梓「諜報員…スパイって事ですね？」

アトラス「そういうことだ。このラプチャーで君のようなどこの派閥の息もかかっていないような人材は非常に少ない」

アトラス「君がこのレジスタンスに加わった事は、まだ外部の人間には誰にも気づかれていないはずだ」

アトラス「お友達のミオを除いてね」

梓「………」

アトラス「彼女は、一人にして大丈夫なのか？」

梓「澪先輩なら、大丈夫だと思います」

梓「私が知っている澪先輩は、とっても強くて優しい人です」

梓「たしかに、レジスタンスに入る事をためらってましたけど…」

梓「むしろ一度、一人で考えさせてあげた方がいいのかも」

梓「私は信じてます」

梓「澪先輩も、必ずここへ来ると思います」

アトラス「そうか。ならいいんだが」

梓「それまでの間、私がここでちゃんとやって行ければいいんですけど…」

アトラス「大丈夫、そこまでヤバい仕事は頼まないよ。諜報員と言っても、ライアンがいるヘファエストス地区の労働者に紛れて、何か変わった事があれば知らせてくれるだけでいい」

梓「でも、もし私がスパイだとバレたら…？」

アトラス「心配ない。ライアンインダストリーズで働く連中は、単なる寄せ集めの労働者たちだ」

アトラス「ちょっとやそっとでバレるような事は無いさ」

梓「そ、そうですかね」

151 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/30(火) 00:07:05.67 ID:64a2MyvP0

アトラス「それに万が一の時のため、プラスミドをいくつか用意した」

アトラス「これさえあれば銃が撃てなくても自分の身を守れる」

アトラスさんは注射器とアダムが詰まった瓶を5つほどテーブルの上に置いた。

アトラス「これが自己防衛に役に立つプラスミド、そしてプラスミドを使うために必要なイヴ」

梓「イヴ？」

アトラス「そうだ。君や君の仲間が使ったような身体能力を向上させる“トニック”と違って、超能力を操る事のできる“プラスミド”にはエネルギー源が必要になる」

アトラス「それがイヴ、この青い液体がそれだ。アダムによってプラスミドの能力を得た後、加えてイヴを注射しないとプラスミドは継続的に使えない」

梓「なるほど」

アトラス「イヴは消耗品だが、ラプチャーのいたるところで販売してる。とりあえず今はこれだけ用意しておいた」

梓「はい」

アトラス「さて…道具はこれで揃った」

アトラス「我々がラプチャーを正す事になる日は近い。それまでにライアン側がなにか事を起こすようなら、その前に手を打たないといけない」

アトラス「後は君がやるかやらないか決めるだけだ」

私は机の上に置かれた注射器を見る。
元はと言えば、こんなものが生み出されてしまったからこそ、ラプチャーは荒んで行っているのではないのか？
アダムは、お金以上に誰をも魅了し、善人を殺人鬼に変え、ドラッグのように蔓延している。

でも…

梓「やります」

私たち一人ひとりが行動しなければ何も変わらない。
もはやなりふりなんか構っていられない。

■　第六章　「 A Sensational fit 」　終　■

●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
紬の失踪により澪と律は喧嘩し、律は放課後ティータイムを解散させてどこかへ行ってしまう。
残された澪と梓はみんなの帰りを待ち続けようとするが、梓は自分から行動すべきだとして対ライアン政権のレジスタンスに加わってしまい、澪は完全に孤立してしまった。

そして散り散りになった軽音部達は、海底都市の中でそれぞれの道を歩き出す。

152 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/04/30(火) 00:08:44.92 ID:64a2MyvP0

今日はここまでです。

153 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:15:46.25 ID:aWEb3cEy0

■　第七章　「 Have you got the guts to live? 」　■

1958年12月16日火曜日

澪「ｸﾞｽﾝ……」

気が付くと私は貧困地区のスラムを一人歩いていた。
目的も無く、ただ海を彷徨うクラゲのように。

澪「おかしいよ…こんなの」

とうとう一人になってしまった。
みんなどこかへ行ってしまった。
この海底で、一番恐れていた事が現実になってしまった。

唯は何者かに誘拐され、ムギは何故か失踪し、律もその理由を教えてくれないまま軽音部を後にした。
そして梓はこの街を変えるべくレジスタンスなんてものに加わり、私を置いて行った。

澪「わたしは…これから何を生きがいにしていけばいいんだ…」

澪「帰る方法は見つからない…私は一人。梓のいるレジスタンスに入る勇気もない…」

澪「………」

もう、いっそのこと…このまま死んでしまいたい。

スラムの男「お嬢ちゃん、綺麗だねぇ？」

澪「ひっ…！？」

スラムの男「なんで泣いてるの？」

スラムの男「カレシに振られでもしたのか？」

スラムの男「俺といいことしようぜ？へへへｗ」

澪「や、やめてください…！」

スラムの男「怖がるこたぁねぇよｗ」

澪「ひぃぃ…！」

ﾀﾞｯ

澪「やだ、嫌だ！もう嫌だ！」

澪「はぁ…はぁ…！」

ﾄﾞﾝｯ！

澪「あいたっ！」

私が道を走って角に差し掛かった時、何か大きな物とぶつかり、反動で尻餅をついてこけてしまった。

澪「いてて…」

154 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:25:23.53 ID:aWEb3cEy0

ビッグダディ「ｳﾞｧｧｧｧ！」

澪「え？ビッグダディ！？」

リトルシスター「悪い奴！悪い奴！」

前を見ずに走っていて、気が付かずにビッグダディに思いっきりタックルしてしまった。

ビッグダディ「ﾎﾞｫｫｫｧｧｧｧl！」

澪「ひ…や、やめ…！」

私はなんとか逃げようと立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
地面を這いつくばって、なんとかビッグダディから逃れようとする。

澪「や…やだ…嫌だぁ！」

ビッグダディ「ｳﾞｧｧｧｧｱｧｧｧ！」

ビッグダディがドリルを回転させながら、ジリジリとこちらへ近づいてくる。

澪「はぁ！…はぁ！」

私は逃げ場を失って、地面に座り込んだ。

澪「はぁ……」

澪「…はぁ…」

澪「ん………」

私は痛いのが苦手だと思っていた。
でも、もっと苦手な物があった事を今こうして気が付いた。

仲間を失って、一人で孤独に生きていくこと。
私は普段、なにかと一人でいても平気な方ではあったが、それは友達という存在があってこその事で…
このラプチャーでの唯一の仲間たちは、もう私のそばには誰一人としていない。

澪「もう、いいか…」

私には無理だ。

澪「わ…私はもう生きていく自信が無い…」ｸﾞｽﾝ

ビッグダディ「ｳﾞｧｧｧｧｧ！」

澪「こ、ここ…ここで…ｸﾞｽﾝ…死ぬなら、それでも…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

ビッグダディ「ﾎﾞｧｧｧｧｧ！」

ビッグダディが私をグチャグチャにしようとドリルを振りかぶった。

澪「…やってくれ」

ビッグダディ「ｳﾞｧｧｧｧｱｧｧｧ！」

私は生きていく辛さから逃れようと、ビッグダディを正面に構えて目を閉じた。

ﾎﾞｫﾝ！

155 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:27:50.91 ID:aWEb3cEy0

「やっちまえぇ〜！」

澪「！？」

スプライサーA「リトルシスターだぁ！」

スプライサーB「ビッグダディを殺せ！」

スプライサーC「ﾋｬｯﾊｧｰ！」

スプライサーD「取り囲めぇ！」

突然スプライサーが現れ、ビッグダディの背中にグレネードをお見舞いした。

スプライサーD「死ねぇ！ﾃﾞｶﾌﾞﾂ！」

ﾀﾞﾀﾞﾀﾞﾀﾞﾀﾞﾀﾞﾀﾞ！

スプライサー達はビッグダディを取り囲み、マシンガンで一斉射撃する。

澪「う…うわわ！」

私はなんとか立ち上がり、咄嗟に物陰へ隠れた。

ビッグダディ「ｳﾞｧｧｧｧｱｧｧｧ！」

ビッグダディは怒り狂って、スプライサーをドリルで薙ぎ払い応戦する。

ｸﾞﾁｬｧ！

スプライサーC「ﾍﾞﾌﾞｫ！」

スプライサーB「このブリキ野郎！」

スプライサー達は電撃を放ったり、炎を出したりしてビッグダディに襲い掛かる。

スプライサーA「これでも喰らえフランケンシュタイン！」ﾎﾞﾝｯ！

一人が手製のグレネードランチャーを持ち出し、ビッグダディに向かって発射した。

ビッグダディ「ﾎﾞｫｫｧｧｧ！」

グレネードが炸裂し、ビッグダディが崩れ去る。
潜水服はズタズタになり、ヘルメットの小窓からの光が消え、ブリキの怪物は完全に沈黙した。

スプライサーA「やったぜぇ！」

澪「う、うわぁ…」

リトルシスター「お願い！ミスターバブルス、目を覚まして！」

事切れたビッグダディに駆け寄り、リトルシスターが必死にすがりついている。

スプライサーD「へっへっへ…アダムはいただきだぁ」

リトルシスター「嫌、やめて！来ないで！」

澪「ま、まずい…」

156 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:30:11.44 ID:aWEb3cEy0

ﾊﾞｧﾝ！

スプライサーD「えぐぅっ！？」

澪「！？」

どこからか銃声がし、リトルシスターに詰め寄っていたスプライサーが頭から血を吹き出して倒れた。

スプライサーA「なんだ！？」

スプライサーB「どっからだ！？」

ﾊﾞｧﾝ！ﾊﾞｧﾝ！

スプライサーA「ごぉぉ！？」

スプライサーB「いぎぃぃ！？」

再び銃声がし、残りのスプライサーも次々と倒されていく。

澪「え…え…？」

気が付けば道路はたくさんの死体とリトルシスターだけになっていた。

「そこのあなた！」

澪「へ？」

私が声のする方向を見ると、女性が銃をこちらへ向けていた。

澪「ひ！？」

私は顔を腕で隠して縮こまる。

女性「あなた、そいつらの仲間！？」

澪「ち、違います！」

女性「本当に？」

女性は銃を構えたままジリジリと私に近づいてくる。

澪「ほほ、ほんとです！」

女性「………」

女性「ふっ、そうよね」

女性は安心したように肩の力を抜いて、銃を下ろした。

女性「あなた、お願いがあるの。その子を助けるから、その間周りを見張っていて欲しいの」

澪「え？」

私が先ほどの惨劇の場所を見ると、リトルシスターがまだビッグダディにすがり泣きついていた。

女性「その子供には何の罪もない。もしあなたがその子たちの事で心を痛めているのなら、私を手伝ってほしい」

157 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:33:33.10 ID:aWEb3cEy0

女性は持っていた9mm拳銃を私に差し出してきた。

澪「え、手伝うって…」

女性「大丈夫、すぐに済ませるわ。お願い」

澪「でも…」

私は再度リトルシスターの方を見た。

リトルシスター「………ミスターバブルス！目を覚まして！うえぇぇぇん！」

澪「でも私、ピストルなんて…」

女性「お願い。早くこの子を元に戻さないと、またスプライサーが寄ってくるわ」

リトルシスター「ふぇぇ…ぇぇぇええん…ｸﾞｽﾝ」

澪「わ、わかりました…」

私はズシリと重たい拳銃を受け取り、両手で構えて辺りを警戒した。

澪「うぅ…」

女性「ほら、おいで」

リトルシスター「嫌！来ないで！」

女性「助けてあげるのよ」

リトルシスター「やだ…やだ！」

リトルシスターは必死に逃げ惑うも、ついに行き場を失ってしまった。

女性「大丈夫だから」

リトルシスター「いや！いや！離して！」

女性「大丈夫…」

女性は暴れるリトルシスターをそっと抱きかかえ、あやすように頭を撫でる。
すると女性の手は青白く光り輝いて、リトルシスターをなにかのオーラで包み込んだ。

澪「…！」

リトルシスター「あ…ふわぁ…」

抱きかかえているリトルシスターは暴れるのをやめ、だんだん安らいでいくように女性に身を委ねる。

澪「凄い…」

しばらくすると光は収まり、女性の手は元通りに戻った。

澪「あ…！」

リトルシスター「………？」

リトルシスターの目から奇妙な光が消え、普通の人間の瞳が見えた。

リトルシスター「ふぇ…」

澪「あ、ははは」

女性「いい子ね」

少女は女性の手を離れ、近くの通気口へと向かっていった。

澪「普通の女の子になった…！」

158 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:36:18.05 ID:aWEb3cEy0

女性「リトルシスター達を洗脳から助けるためのプラスミドよ」

澪「そんなプラスミドがあったなんて…」

女性「ふふ」

女性「ラプチャーにも、まだ良心が残っている人がいるなんてね」

澪「え？」

女性「リトルシスターのアダム欲しさに、私を撃たなかった」

澪「そ、そんな事するわけ…！」

女性「ごめんなさい。そうよね、普通は」

女性は私に握手を求めてきた。

女性「私はブリジット・テネンバウム」

澪「あ、秋山澪です」

テネンバウム「あの子を救ってくれて、ありがとう」

澪「い、いえ…なにもしてないですし」

女性は30代前半くらいで、洋服の上に科学者の白衣を着ている。

テネンバウム「あなた、ビッグダディにぶつかって死のうとしたでしょ？」

澪「………はい」

テネンバウム「理由は知らないけど、あんな化け物に殺されようなんてどうかしてるわ」

澪「ぅ…」

テネンバウム「付いてきなさい」

・・・

私はテネンバウムと名乗る女性に出会い、近くの喫茶店に連れて行かれた。

テネンバウム「あなた、最近話題のバンドの子よね？」

テネンバウム「放課後ティータイムだったかしら」

澪「あ、はい」

テネンバウム「他のメンバーとは一緒じゃないの？」

澪「………」

テネンバウム「前からラプチャーにいたの？ここへはどうやって？」

澪「私たち…」

私はテネンバウムさんに未来からやってきた事を話してみた。
未来からやってきた事だけでなく、今私たちのバンドがどうなっているかも。
どうしてそんな気になったのかはわからない。
いい人そうだったからか、単に気のよさそうな女性だったからか。
私自身、同情してくれるような話し相手を求めていたのかもしれない。

159 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:39:05.87 ID:aWEb3cEy0

テネンバウム「2010年…」

澪「はい」

澪「元の世界へ戻りたいんです。でもどうやったら戻れるのかわからないし…みんなとは離れ離れになっちゃったし…」

澪「わたし、どうすればいいのか…」

テネンバウム「………」

テネンバウムさんは鼻で深い溜息をつき、宙を見た。

テネンバウム「ここは、本当に酷いところね……」

テネンバウム「全て、私の責任だわ」

澪「えっ…？」

澪「あ、あなたは…何してる人なんですか…？」

テネンバウム「私は科学者。アダムを発見した…」

澪「えっ！？」

私はテネンバウムさんからアダムやリトルシスターを巡るいきさつを全て聞いた。
彼女は、ラプチャーがこんな事になってしまったのは自分の責任だと言い、罪を懺悔するように全てを話してくれた。

澪「ウミウシ…？」

テネンバウム「そう。深海に生息する後鰓類、ナメクジのような軟体動物から、アダムを発見したの」

テネンバウム「アダムは知ってのとおり、人間の遺伝子を不安定にさせて、超能力ともいえる力を発揮できたり、肉体を強靭に改造する事ができる」

テネンバウム「私は、もともとドイツで遺伝子工学を研究していたの」

テネンバウム「ある日、その知識が買われてこのラプチャーに招待された」

テネンバウム「そして、私はアダムを発見した…」

澪「………」

テネンバウム「でも、ウミウシから採取できるアダムはごくわずかで、とても実用化できるようなものではなかったわ」

テネンバウム「だから私は、あの子たちを生み出した。リトルシスターたちを」

テネンバウムさんはそう言ってポケットから古びた名札を私に見せた。

テネンバウム「ほら、フォンテイン未来技術社。私はここで援助を受けてリトルシスターの研究をしていたの」

テネンバウム「そして私は、少女の胃の中にウミウシを寄生させる事でアダムを効率よく生産する事に成功した」

テネンバウム「なにも知らない、まだ小さな少女たちを利用してね」

澪「ぅぅ………」

160 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:43:03.67 ID:aWEb3cEy0

テネンバウム「最初この街へ来たときは、まさに天国だと思ったわ」

テネンバウム「科学者たちのユートピア。私はここでなら自分の知識が最大限に生かせると思い、研究に没頭していたの」

テネンバウム「今じゃ考えられないくらい酷い事もしてきた…その頃は世の中のためになるならやむ負えないと思っていたんでしょうね」

澪「世の中…」

テネンバウム「アダムだって、最初は人のためになると思って研究していたの」

テネンバウム「戦争で亡くした腕や足が元通りに使えるようになり、光を失っていた目を再び景色が見られるようにすることができれば、どれだけ素晴らしいか」

テネンバウム「私は、その大義名分のために犠牲を惜しまずに研究に没頭していたわ」

テネンバウム「でも、怪物のように変わり果てたあの子たちを見ていたら、目が覚めたの…」

テネンバウム「私は、とんでもない罪を犯してしまった。ってね」

テネンバウム「良心の呵責って奴ね。バカみたいでしょ？もうほとんど手遅れなのに」

テネンバウム「最初は責任を感じて、私も自殺しようと考えていた…」

澪「………」

テネンバウム「でも、今からでも何かできないかと…あの子たちを救う事にしたの」

テネンバウム「自分が犯してきた事の贖罪のために」

澪「そうだったんですか」

テネンバウム「私の研究のせいで、全く関係の無いあなたたちまでこんな目にあわせてしまって、ごめんなさい」

澪「い、いえ…」

テネンバウム「でも、きっとあなたちの力になってあげられるはずよ」

テネンバウム「未来からきたってのは信じがたいけど…あなたたちがここを脱出する助けにはなれるかもしれない」

澪「ほ、ほんとうですか？」

テネンバウム「ええ。もう私のせいで、子供たちが苦しむ姿なんか見たくはないもの」

テネンバウム「こんな、未来ある子供たちが…」

澪「………」

テネンバウム「だから、死のうなんて考えないで」

テネンバウム「まだ何か…チャンスはあるはず」

澪「でも、私は…私にはもう何も…」

テネンバウム「………」

澪「唯も、律も、ムギも…梓も…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

テネンバウム「でも、彼女たちはまだどこかにいるんでしょう？」

澪「わ、わからない…どこにいるのかわからないし、探そうにも…どこを探せばいいのか…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

澪「も、もう…ｸﾞｽﾝ…私には無理なんです…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

澪「うっ…ｸﾞｽﾝ…うわぁぁぁぁん…うぅっ…」

テネンバウム「ミオ…」

澪「うっ…うぅ…ｽｸﾞﾝ…」

・・・

161 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:46:49.83 ID:aWEb3cEy0

ﾀﾞﾝｯ！ﾀﾞﾝｯ！

広い射撃場に銃声が響き渡る。

律「……ん！」

ﾀﾞﾝｯ！ﾀﾞﾝｯ！

射撃場管理人「………」

ﾀﾞﾝｯ！ﾀﾞﾝｯ！

律「ん…ん…！」

ﾀﾞﾝｯ！

律「……うぅ」

ﾀﾞﾝｯ…

スライドが後退した状態で固定され、弾切れを知らせた。

律「いててて…」

射撃場管理人「流石に45はキツイか」

律「うん…もうすこし弱いのでいいよ」

射撃場管理人「ふむ、じゃあこれなんかどうだ？ドイツ製だ」

射撃場管理人「マウザー・ショネルフォイヤー」

射撃場管理人「大戦前に作られたマシンピストルだ」

律「あ、これゲームとかで見たことあるな」

射撃場管理人「？…まぁ今じゃ希少だけど、コレクターは多いから結構有名な銃だな」

射撃場管理人「グリップが小さくて握りやすいし、連射機構も付いていて火力があるから、アジアの小柄な民族に愛用されたりもしてる」

律「ほんとだ、私でも持ちやすい」

射撃場管理人「マガジンを挿入したら、ここをつまんで手前に引けばいい」

律「これか」ﾁｬｷﾝ

射撃場管理人「セーフティはハンマーの左にあるレバーだ。それを手前に倒して解除しろ」

律「よぉし」

ﾊﾟｧﾝ！

律「くぅ〜…」ｼﾞﾝｼﾞﾝ

射撃場管理人「外れたな」

律「かなり上に行っちゃったなぁ…」

射撃場管理人「あ、そうだ…そいつは元々遠距離向けの銃だから、この距離だともう少し下を狙わないといけなかったな」

律「それを早く言ってくれ」

律「………」ﾁｬｶ

律「ｽｩ……」

ﾊﾟｧﾝ！ｶﾝｯ！

律「あ、当たった」

162 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:52:07.37 ID:aWEb3cEy0

射撃場管理人「どうだ？」

律「うん。これなら使えそうだ」

射撃場管理人「なかなか飲み込みが早いな」

律「いや、言われたとおりにやってるだけだって」

射撃場管理人「そう謙遜するな。そいつは決して初心者向けってわけじゃないからな」

律「ならなんでこれを進めたんだよ…？；」

射撃場管理人「在庫処分、かな」

律「はぁ…」

射撃場管理人「さぁ、これを持って行け。マガジンは予備が無いから、クリップで弾を再装填すればいい」

射撃場管理人「あぁ、そうだ…あとこれにライアンのサインを貰っておいてくれ」

律「わかった」

1958年12月17日火曜日
私はライアンの部下として働くことになった。
軽音部のリーダーとして、ラプチャーの王ライアンから何か学べるかもしれないと思ったからだ。
リーダーとはどういう存在であるか学ぶ事ができれば…きっと放課後ティータイムのみんなをまた一つにできる。

ライアンの語る思想はこの海のように深く、壮大な所まで及んでいる。

確かに、今のラプチャーの状態を見たら、ライアンがまるで頑冥不霊な人物であるかのように見えてしまうのも無理はない。
でも、こんな海底に街を築き上げるという快挙を成し得たのは、他でもないライアンだ。
ライアンの確固たる意志が人々を動かし、ラプチャーは築かれた。
私は彼のように強くなりたい。

律「ライアン？」

執務室に来たが、ライアンがいない。

律「あれ…どこ行ったんだろ」

私はふとライアンのデスクを覗き込んだ。
机には色々書類やらファイルが山積みに置いてある。

律「ひゃ〜、大変なんだなぁライアンも」

律「ん？」

私はその中の一つのファイルに目をとめた。

律「これって…私たちが乗ってた飛行機の乗客リストか」

たしか、ライアンが乗客の死体やらなんやら調べ上げ、まだ私たちが生存している事に気付いたんだっけ。
リストには名前がずらりと並んでいるが、一つだけ気になる個所がある。

荷物の中身、座席番号など細かな事まで分かる範囲でびっしりと調べ上げてあるにも関わらず、「遺体」の項目だけ全部白紙だ。
いや、正確には私たち以外…軽音部の５人以外全員、「遺体」の項目になにも書かれていない。

私たちの「遺体」の欄にだけ何故か“Existence”と赤いハンコが押してある。

律「は？なにこれ…？」

163 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:54:31.70 ID:aWEb3cEy0

ｶﾞﾗｯ…ｺﾂｺﾂｺﾂ

律「あ、やば！」

ドアが開く音がして私はすぐにソファに座り、くつろいでいるふりをする。

律「あ、ライアン」

ライアン「銃は受け取ったな？」

律「うん。これにサイン貰えって」

ライアン「よし。ではさっそく仕事だ」

律「…ｵｰｹｰ。何をすればいい？」

ライアン「と言っても最初から重要な仕事を一人でやらせるわけにはいかない」

ライアン「まずは手伝いだ」

律「手伝い？」

ライアン「入って来い」

ｺﾂｺﾂｺﾂ…

女性「………」

律「…？」

ライアンの後に続くように、執務室に女性が入ってきた。
長身で、スマートだが筋肉質で引き締まった体格。まるでモデルみたいだ。
スーツをピシッと着こなして、いかにも真面目そうな雰囲気を醸し出している。

ライアン「エヴリンだ」

エヴリン「よろしく」

エヴリンという女性は冷たい目でこちらを見下ろして、愛想の無い態度で一言だけ挨拶をした。

ライアン「今日から彼女の下で働くんだ。いろいろ教えてくれる」

律「わ、分かった」

ライアン「では行って来い」

エヴリン「来なさい」

律「…はい」

・・・

164 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:56:25.78 ID:aWEb3cEy0

ｺﾂｺﾂｺﾂ…

律「………」

エヴリン「………」

私は何も言わずにエヴリンについて行く。

エヴリン「ライアン様から仕事の内容はまだ聞いてないわね？」

律「あ、はい。聞いてません…」

エヴリン「フランク・フォンテインの事は？」

律「ライアンに殺された密輸業者のリーダーだとか」

エヴリン「そう。これから、彼の家へ行く」

律「え？」

エヴリン「フォンテインが殺された後も、彼の自宅は放置されたままなの」

エヴリン「最近、そこで妙な動きがあるらしい」

エヴリン「恐らく彼の後釜か、レジスタンス達が何かを企てている」

律「レジスタンス…」

エヴリン「それを突き止めて、必要があればその場で阻止する」

エヴリン「それが今回の仕事」

律「………」

エヴリン「あなたは見ているだけでいいわ」

律「え、でも…」

エヴリン「邪魔しないようにだけ注意していて」

律「う……」

・・・

165 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 20:59:06.29 ID:aWEb3cEy0

オリュンポスハイツに到着し、大きな吹き抜けの中央にあるエレベータに乗ってフォンテインの自宅に上がる。

エヴリン「………」ﾁｬｷﾝ

エヴリンは懐から32口径の自動拳銃を取り出し、スライドを引いて初弾を装填した。
それを見て私は心臓が落下していくような感覚に襲われる。

律「………」ｶﾞｸｶﾞｸ

エヴリン「なにしてるの？銃を抜きなさい」

エヴリン「死にたくなかったらね」

律「っ！」

ｼﾞｬｷ

律「ぅぅ………！；」ｶﾀｶﾀｶﾀ

エヴリン「着くわよ」

ﾁﾝｯ…ｶﾞﾗ…

エヴリンは銃を胸に添えるように小さく構え、左右を確認してエレベータから降りた。
私も銃を手にその後ろについて行く。

エヴリン「………」

屋内庭園のような場所だ。
綺麗に慣らされた砂場に岩が置いてあるシンプルな庭で、どことなく和風の庭みたいな雰囲気だ。

律「………」

私たちは砂場を回り込んで奥の扉へと進む。
扉の両脇に付いて、エヴリンの合図で扉を開けて中へ入った。

律「はぁ…はぁ…！」

フランクフォンテインの家は豪華で、無駄に広い。
階段の踊り場には大きなシロクマの剥製が、こちらへ襲い掛かってくるような姿勢で待ち構えている。
壁にも動物の剥製がいくつも飾ってあり、いかにも金持ちといった豪華なインテリアの部屋だ。

エヴリン「落ち着きなさい」

律「…はぁ…ん、ふぅ…ふぅ…」

額から汗がダラダラ出てくる。
さっきまで射撃場で銃を撃っていたときはこんなに緊張はしていなかった。
でも、いざこうして本当の現場に来てみると、その緊張感と重圧に押し潰されそうで、考えている余裕さえない。

律「んん…！」ｺﾞｼｺﾞｼ

私は汗を拭って銃をしっかりと握りなおす。

エヴリン「ふっ」

エヴリンは私を見て少し笑った。
嘲笑のようにも見えたが、何故か少し親近感みたいな物を感じた。

律「ぁ、はは…」

166 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:01:00.85 ID:aWEb3cEy0

ｶﾞﾗ…

律「ん…？」

男「神は俺を愛してる〜♪聖書に書いてあったから〜♪」

男「俺たちは小さなもんだけど〜♪神は偉大…」

男「んぁあ！？」

エヴリン「！？」

律「？」

男「誰だ貴様ら！」

ﾊﾞｧﾝ！

律「うわっ！」

エヴリン「隠れて！」

上階から男が現れて、いきなり私たちを撃ってきた。

律「あ、あわわ…！」

エヴリンと私は廊下の角に隠れて応戦する。

エヴリン「っ！」ﾄﾞﾝｯ！ﾄﾞﾝｯ！

エヴリン「落ち着きなさい。ケガはないわね？」

エヴリンは角から少し顔を出して、周囲を確認しながら言った。

律「あ、あぁ…！」

ﾊﾞｧﾝﾊﾞｧﾝ！

エヴリン「くっ！」ﾄﾞﾝｯ！ﾄﾞﾝｯ！

ﾄﾞﾝｯ！ﾊﾞｧﾝ！

何者か数人がこちらへ発砲してくる。
それに応じるようにエヴリンは威嚇射撃する。

エヴリン「よく見てなさい」

律「？」

167 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:03:53.27 ID:aWEb3cEy0

エヴリン「くっ……！」

エヴリンは左袖を捲って腕を掲げ、力を込めた。
すると彼女の左腕は水分が失われたようにザラザラでどす黒くなり、無数の小さな穴がポツポツと開いた。

律「いっ…！？」

エヴリンの腕の穴から大きなスズメバチが何匹も這い出てくる。
ﾌﾞﾝﾌﾞﾝと羽音を立てて、腕をはい回っている。

エヴリン「覚悟しなさい…」

エヴリンは敵のいる方へ腕を差し出して、大量のスズメバチを放出させた。
まるで黒い煙を操っているかのようにして、スズメバチの大群を思いのままにコントロールしている。

「ぎゃぁぁぁ！！」

エヴリン「いまよ」

律「えっ！？」

エヴリンは角から飛び出して銃を構えた。

ﾄﾞﾝｯﾄﾞﾝｯ！

走りながら銃を２発撃つとすかさず次の物陰に隠れる。

「あぁぁ！あぁぁぁー！」

ﾄﾞﾝｯ！ﾊﾞｧﾝ！

律「…！？；」

私は物陰に隠れて、ずっと音だけを聞いている。

ﾄﾞﾝｯ！ﾀﾞｧﾝ！ﾊﾞﾝｯ！

律「……エヴリン…？」

しばらくすると、銃声も悲鳴も、ハチの羽音も聞こえなくなり、家の中は静まり返った。

律「………？」

エヴリン「リツ、出てきなさい」

律「……」ｿｰ

律「うわっ……」

エヴリンの周りには死体が５体ほど横たわっていた。
全員、ハチに刺されて皮膚はブクブクに腫れ上がり、頭部に銃弾を叩きこまれた無残な状態で床に転がっている。

律「いぃぃ…；」

168 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:07:02.44 ID:aWEb3cEy0

私は恐る恐るエヴリンの元へ歩いて行く。

エヴリン「ただのスプライサーだった」

エヴリン「きっと、なにか金目の物でも漁りに来ていたのでしょうね」

律「そ、そうなのか…」

スプライサー「あがぁ…」

律「あｯ…」

エヴリン「ふん、アダムで治癒能力が高まっていたのね」

エヴリンはまだ息があるスプライサーに銃を向ける。

スプライサー「へへ…俺は幸せだ、ようやく幸せになれる…」

エヴリン「………」

ﾄﾞﾝｯ！

ｶﾁﾝｯ…ｺｯ…ｺﾛｺﾛ…

エヴリンの放った弾丸の空薬莢が私の足元まで転がってくる。

律「はは、すげ…」

・・・

ライアン「ご苦労だった。あそこもあのまま放置しておくわけにはいかんな」

仕事を終えて、ライアンに報告する。
と言っても、私は何もしていないけど。

私たちは報告書をまとめて一息つく。
今日はもう仕事は無いと思うが、ライアンから何かあれば、すぐにまた行かなければならない。

律「………」

エヴリン「………」ｶﾁｬｶﾁｬ

控え室でライアンの指示を待つ。
エヴリンは銃を分解して簡単にクリーニングをしている。

169 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:08:38.38 ID:aWEb3cEy0

律「なぁ、あれって…プラスミドなの？」

エヴリン「あれって、ハチの事？」

律「うん…」

エヴリン「そうよ」

なんとも淡泊な返事だ。

律「うぇぇ…」

エヴリン「もっと酷いのもたくさんあるわよ」

律「………」

エヴリン「………」ｶﾁｬｶﾁｬ

律「普段はさ、誰かと一緒に仕事してるの？」

エヴリン「いいえ、いつもは一人」

律「だよね…」

エヴリン「前にもあなたみたいな新人を一人任されたことはあったわね」

律「へ〜、そうなんだ」

律「その人は？」

エヴリン「死んだ」

律「あ、うぅぅ…」

律「や、やっぱり…さっきにみたいな奴等にやられたの？」

エヴリン「いいえ、違う」

律「？」

エヴリン「私が殺した」ﾁｬｷﾝ

律「え…」

・・・

170 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:11:30.22 ID:aWEb3cEy0

少女A「お姉ちゃん！」

少女B「遊んで！一緒に遊んで！」

少女C「髪の毛長いね」

澪「あ、あわわ…ちょっと、あはは…」

私はテネンバウムさんの隠れ家に来ていた。

テネンバウム「あなたが仲間を救ってくれたから、みんな喜んでるわ」

隠れ家にはリトルシスターの洗脳から救われた少女たちが大勢いた。
もともとこのラプチャーには孤児院が多く、その中から多くの少女たちがリトルシスターの実験台として引き取られていったらしい。
リトルシスターの研究が成功し、アダムの生産が本格的に始まってからは、少女の数が全く足りず、ラプチャーの市民から幼い女の子を誘拐して数を補っていたらしい。
今では、クローン技術を駆使して少女を量産しようという計画もあるようだ。

澪「よしよし…いいこだな。あっ、いたた！髪の毛引っ張らないで…！」

少女D「あはは」

この子たちの無邪気に遊ぶ姿を見ていると、同情せざる負えない。
親が誰かもわからず、自分がどういう状況に置かれているのかも知らず、この海底で独りぼっちなんだ。

澪「………」

テネンバウム「一度は死のうとしたけど、私は今この子たちの為に生きてる」

テネンバウム「この子たちの笑顔が、私に生きる勇気をくれたわ」

澪「生きる勇気…」

少女E「……？」

澪「私の生きる…目的」

私がこの海底で存在している唯一の理由…放課後ティータイムの仲間たち。
今はそれが粉々に砕け散って、ここには無い。

澪「うぅ……」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

でも、私は前に決めていた。今を生きるんだって。
前向きに生きようと努力していた。

澪「私の…ｸﾞｽﾝ…今生きる目的は…」

その答えは恐らく、たった一つしかない。
みんなを再び一つにする。

澪「くっ…ん！」ｺﾞｼｺﾞｼ

テネンバウム「ミオ？」

澪「テネンバウムさん、ありがとう」

澪「私、もう少し頑張ってみます」

テネンバウム「その意気よ」

・・・

171 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:16:47.94 ID:aWEb3cEy0

律「………」

エヴリン「………」

1958年12月18日水曜日
私たちは潜水球に乗り込み、アドニス高級リゾート地区を目指している。
アトラスのレジスタンスに潜入中の別のエージェントが、なにか重要な情報を持っているらしい。

律「なぁ、エヴリン」

エヴリン「また世話話かしら」

律「いや、そういうのじゃなくて」

エヴリン「何？」

律「前いってた、新人を殺したって話…」

エヴリン「それがどうかしたの？」

律「なんで殺したの？」

エヴリン「………」

エヴリンはあまり答えたくなかったようだが、少し考えた後、話し始めた。

エヴリン「私は昔、ライアンの命令でフォンテイン未来技術社にスパイとして潜りこんでいた」

エヴリン「産業スパイみたいなものね。未来技術社が裏で何かしでかしていないか、監視するのが私の任務だった」

エヴリン「フォンテインの事業は徹底していて、なかなか難しい任務だったけど、なんとかバレずに遂行できていたわ」

エヴリン「でもある日、私の元に一人の捕虜が連れてこられた」

エヴリン「ライアンは私の他にスパイをもう一人送り込んで来ていたの」

エヴリン「そんな事したら、情報が漏れている事を怪しむ人間も増えてくるのにね」

エヴリン「で、そのもう一人のスパイがフォンテインにバレて、捕虜として連れてこられた」

エヴリン「そのスパイ容疑で連れてこられた捕虜が、私のかつての教え子だったの」

エヴリン「私の妹」

律「え…！？」

エヴリン「その時フォンテインは、同じ時期に未来技術社へ来て、これといった特徴的な経歴があまり無い私をもスパイではないのかと疑った」

律「ぅ…」

エヴリン「身の潔白を証明させるために、フォンテインは妹を殺すように私に命じた」

エヴリン「それで、私は妹を殺した」

律「そ、そうだったんだ…ごめん」

エヴリン「なんで謝るの？」

律「そんな辛い事思い出させちゃってさ…」

エヴリン「あなたには、極力なんでも答えるようにライアン様から言われているわ」

エヴリン「それに、別に辛い事でもないし」

律「え、だって…妹を殺したんだろ？自分で…」

エヴリン「別に悲しんでなんかないし、自分のした事に後悔もしていない」

エヴリン「妹はあの仕事には向いてなかった。いつかは死ぬ運命だったのよ」

律「そ、そんな事言うなよ…」

エヴリン「さ、着くわよ。話は終わり」

律「………」

・・・

172 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:19:23.47 ID:aWEb3cEy0

私たちは地区の外れにある今は使われていない歌劇場の廃墟で情報提供者と落ち合う事になっていた。

律「ここか」

昔はここでオペラやら演劇などが催され、大変栄えていたのだろう。
いまは老朽化が進み、ところどころ浸水したりしている。

エヴリン「リツは裏口にまわって何か異常が無いか見てきて」

律「オッケー」

エヴリンは正面玄関から堂々と劇場内へ入っていった。

律「裏口ねぇ」

私は受付カウンターを飛び越えてバックヤードへ入り、懐中電灯を点けて暗い廊下へ足を進める。

律「中は見た目ほど廃墟でもないな。ちょっと修繕すればまた劇場として復活しそうだけどなー」

律「あれ、なんだこれ？」

床に何か落ちている。

律「これ、ライフル弾の薬莢…？」

律「ん？」

よく見るとホコリが積もった床に足跡が続いている。
私は自分が付けた足跡とそれを比較してみた。

律「これって、かなり新しいんじゃ…？」

律「しかも一人二人ってレベルじゃない」

・・・

エヴリン「久しぶりね」

情報提供者「一人か？」

エヴリン「えぇ」

エヴリンは一階観客席にて情報提供者と対面する。
大きな歌劇場のホールのど真ん中に二人だけ。

エヴリン「どうしてこんなところなの？」

情報提供者「へへ、まぁここは誰も寄り付かないし、なかなか居心地がいい」

エヴリン「あなたらしいわね」

エヴリン「で、その情報とは？」

情報提供者「それはな…」ｺﾞｿｺﾞｿ

173 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:22:07.42 ID:aWEb3cEy0

ﾊﾞｼｬﾝ！

突然、劇場のスポットライトが点灯し、エヴリンの方へ向けられる。

情報提供者「動くなよ」ﾁｬｶ

エヴリン「……！」

ﾁｬｷﾝｯ…ｶｼｬｯ…ﾁｬｺﾝ！

エヴリン「！？」

広い劇場内にライフルのボルトを引く音がいくつも響き渡る。

情報提供者「お前は袋のネズミだ。おとなしく我々に従え」

エヴリン「何のマネ？」

情報提供者「レジスタンスにあんたを売る」

エヴリン「ライアンを裏切る気？」

情報提供者「はは、裏切る？いいや“転職”さ。俺はアトラス側の協力者でもあるんだ」

情報提供者「今のラプチャーの現状を垣間見れば、アトラスの側に就く方が利口ってもんだ」

情報提供者「それに、もうスパイごっこはやめにしようと思ってね。だからキッパリ、ライアンとはお別れだ」

情報提供者「手土産としてライアンインダストリーズの台所事情を良く知っているお前を連れて行けば、きっとレジスタンスも喜ぶだろう」

エヴリン「私を拷問する気？」

情報提供者「お前…ここはラプチャーだぞ？」

情報提供者「苦しめる他にも、喋ってもらう方法はごまんとあるんだよ」

エヴリン「はぁ…」

エヴリンは劇場内を見回す。
スポットライトに照らされ、逆光で上階の観客席が全く確認できない。
3、4名か、もっとか…どこかに狙撃手がいてエヴリンを狙っている。

エヴリン「ただの女一人にここまでするなんて、情けないわね」

情報提供者「こういう趣向を凝らした事を、一度やってみたかったんでねぇ？」

情報提供者「あと、お前は“ただの女”なんかじゃねぇよ」

エヴリン「………」

情報提供者「さぁ、一緒にくるんだ」

エヴリン「嫌って言ったら？」

情報提供者「力ずくで連れて行くまでだ」

エヴリン「………」

174 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:25:38.47 ID:aWEb3cEy0

ﾊﾟｧﾝ！ｶﾞｼｬﾝｯ

情報提供者「！？」

律「エヴリン！今だ！」

3階の観客席からエヴリンの窮地を目撃し、私はスポットライトを撃ちぬいて合図する。

エヴリン「ナイス」

エヴリンはすかさず走りだし、劇場の柱へ身を隠した。
いきなり照明を失って、狙撃手たちは発砲できない。

情報提供者「くそっ、観客席にもう一人いるぞ！始末しろ！」

ﾊﾞｧﾝ！ﾀﾞﾝｯ！

律「うわっ！わっ！」

夜目のプラスミドでも使ったのか、狙撃手たちはこんな暗い中でも、すぐに私の位置を特定して銃撃してきた。

ﾁｭｨｰﾝ！ﾊﾞｷｬﾝ！

律「くっ…くっそ〜」ﾁｬｷ

律「こんの！」ﾊﾟｧﾝ！ﾊﾟｧﾝ！

ﾀﾞﾝｯ…ﾊﾞｧﾝ！

律「うぅ…だめだ。全然わかんね」

敵はこちらに制圧射撃をしてくる。私をここから動かさないつもりだ。
ボックス席の縁に隠れてはいるものの、一歩踏み出せば狙い撃ちされかねない。

律「あ、あれは…」

エヴリンが放ったと思われるハチの大群が、炎のプラスミドによって迎撃されている。
相手もこの前みたいに一筋縄ではいかないようだ。

律「どうすれば…」

エヴリン「リツ」

律「え、うわっ」

エヴリン「ケガは無い？」

律「エヴリン、どっから出てきたんだよ」

エヴリン「テレポートのプラスミドよ」

律「そ、そうか…。脅かさないでくれ」

ﾀﾞﾝｯ！ﾀﾞﾝｯ！

律「うーん、動けない…！」

エヴリン「あなたはここで敵を引きつけておいて」

エヴリン「私が奴らの背後へまわって仕留める」

エヴリン「奴等の場所を特定できるように、なんとかこの撃ち合いを続けなさい」

律「わ、わかったよ…」

175 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:27:19.69 ID:aWEb3cEy0

律「っ！」ﾊﾟｧﾝ！ﾊﾟｧﾝ！

ﾀﾞﾝｯ！

エヴリン「見えた」

そう言うとエヴリンは左手を握りしめて空間を歪ませ、消え去っていった。

律「んっ！」ﾊﾟｧﾝ！ﾊﾟｧﾝ！

律「ほらっ！かかってきやがれ」ﾊﾟｧﾝ！ﾊﾟｧﾝ！

律「この…」ｽｶｽｶ

銃のコッキングピースが後退した状態で固定される。弾切れだ。

律「おっととと…」

律「リロード…リロード…」ｼﾞｮﾘｼﾞｮﾘ

大きく開いたエジェクションポートにクリップを差し込んで、弾丸を滑り込ませる。

律「よしっ」ｼﾞｬｺﾝ

律「おらっ！」ﾊﾟｧﾝﾊﾟｧﾝ！

ﾀﾞﾝｯ…ﾊﾞｷｬﾝｯ！

律「……っ！」ｻｯ

律「あぶねー！」

律「んっ！」ﾊﾟｧﾝ！

律「………」ｻｯ

律「………」

律「？」

敵からの銃撃が止んだ。

律「あれ？」

エヴリン「リツ、降りてきなさい」

エヴリンは劇場の真ん中に立っていた。
狙撃手はエヴリンが全員片付けたみたいだ。

律「はは、仕事はえーなぁ…」

・・・

176 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:30:27.77 ID:aWEb3cEy0

情報提供者「ひっ…ひぃぃ…！」

エヴリン「まったく…」

律「………」

私は一階の客席まで降り、エヴリンと合流する。
先ほど私たちを裏切った情報提供者が、足を撃ちぬかれて踊り場で這いずり回っている。

エヴリン「動くと出血がひどくなるわよ」

情報提供者「くそっ！くそっ！」ｽﾞﾙｽﾞﾙ

律「………」

エヴリン「ちょっとそこでおとなしくしてなさい。お前の処分をどうするか聞いてあげる」

エヴリンは無線機を取り出してライアンと通信する。

律「ったく、何が居心地がいいだよ。最悪だぜ」

情報提供者「うわぁぁ！！」ﾁｬｶ！

律「！？」

ﾊﾞｧﾝ！

律「あがぁっ！」

情報提供者が隠し持っていた銃で私を撃った。
私は頭に銃弾を受け、背中から倒れる。

エヴリン「！？」

エヴリン「往生際がなってないわ」ﾊﾞｷｯ

エヴリンはテレキネシスを使ってすぐさま銃を奪い、提供者のケガを負った足を思いっきり踏みつけた。

情報提供者「ぎゃあぁあぁぁぁ！」

エヴリン「リツ？」

律「……か」

エヴリン「生きてるわね」

律「え…？」

177 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:33:25.38 ID:aWEb3cEy0

頭に銃弾をもろに食らったが、私は生きてる。

律「なんで…」

ﾊﾟｻﾘ

身体を起こすと長い前髪が額に落ちてきた。

律「あ、私のカチューシャ…」

私が付けていたカチューシャはあらぬ形に拉げて、床に転がっていた。
でも私の頭は無傷だ。

エヴリン「ふふ、ラッキーね」

律「え、え？」

エヴリン「ま、ありえない事ではないわ」

そういってエヴリンは私の肩を支えて立ち上がらせる。

律「カチューシャが銃弾を跳ね返したのかよ…」

エヴリン「稀にある現象よ。運がよかったわね」

律「はは…運がいいってレベルじゃねーぞ」

情報提供者「く、くそぉ…」

エヴリン「ライアン様、どうしましょう？」

ライアン『かまわん、殺れ』

エヴリン「はい」

情報提供者「や、やめてくれぇ…！」

エヴリン「大丈夫、“私は”殺さないわ」

律「？」

エヴリン「リツ、あなたがやりなさい」

律「！！！」

さっきまで銃撃戦でハイになっていた事に気付く。
夢中で狙撃手たちに応戦していて、生きるとか死ぬとか…この手で人を殺すとか、全く考えてなかった。
考えている暇なんて無かった。

律「わ、私が…？」

エヴリン「そう」

律「………」

身体の熱が冷めて、だんだん冷静になっていく。
私はたった今まで、生きるか死ぬかの瀬戸際に立っていた。
そして今度は、目の前に這いつくばっている男の命を奪えと命令されている。
でも、人を殺した事なんかもちろん一度も無いし、そんな事したくもない。

178 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:37:46.24 ID:aWEb3cEy0

律「エ、エヴリンがやればいいだろ」

エヴリン「だめよ。自分の手を汚さずに、この仕事はやっていけない」

エヴリン「リツ、あなたはまだ若い。まだこの世界の事を何も知らない」

エヴリン「この先私と、ライアン様の下でやっていきたいのなら、覚悟を決めなさい」

律「でも…」

エヴリン「いい？こいつは今、あなたを殺そうとしたのよ？」

律「！」

そういえばそうだ。この男は最後の抵抗に、私を銃で撃った。
カチューシャのおかげで奇跡的に助かったものの、普通なら私は既に死んでいる。

律「………」

無残な形になったカチューシャ、降ろされた前髪…。
なんだか妙に腹が立ってきた。

律「…」ｷﾞﾘ…

情報提供者「ひっ！？」

こんなやつに殺されてたまるか。
私にはやることがあるんだ…あっさり死ぬわけにはいかない。

律「………」ﾋﾟｸﾋﾟｸ

なんだろう、いままで味わった事の無い憤りを感じる。
家族、姉弟、友達と喧嘩して頭に来た事は何度もあったが、そんなもの比べ物にならない。
何故だか分からないけど……心の底から、殺してやりたい…。

律「ﾌｰｯ…ﾌｯｰ！」

私は怒りで息を荒立たせ、歯を食いしばって男の方へ歩いて行く。

情報提供者「や、やめてくれ…！おぉぉおねがいだ！！」

律「………」

情報提供者「悪かった…殺そうとしたことは謝るよ！」

律「………」

情報提供者「な？この通りだ、頼むよ！」

律「………」ﾁｬｷ

情報提供者「俺はまだ死にたくない！今回は見逃し…」

律「」ﾀﾞｧﾝｯ！

エヴリン「………」

ﾁﾝｯ…ｶﾗﾝｯ…ｶﾗｶﾗ…

情報提供者「」ｶﾞｸﾘ

律「はぁ…はぁ…」

裏切り者の脳天には大きな風穴が開き、血しぶきが飛び散った。

律「ん…」ｺﾞｼｺﾞｼ

私は顔に少し返り血を浴びて、それを手で拭った。
血で真っ赤になった手のひらを見つめ、そして強く握りしめる。

律「………」ｸﾞｯ

エヴリン「上出来よ」

179 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:40:15.49 ID:aWEb3cEy0

・・・
・・・
・・・

幼律「ねぇねぇ澪ちゃん！」

幼澪「な、なぁに？」

幼律「ほら！トカゲ！」ﾜｼｬﾜｼｬ

幼澪「や、やだ！やめてよりっちゃん！」

幼律「えー、ほらよく見てみてよ。面白いよ〜？」ﾌﾟﾗﾌﾟﾗ

幼澪「やだ！怖いよぉ！」

ﾌﾟﾂﾝ

幼律「あ、しっぽが切れちゃった」

幼澪「ひぃぃっ！」

幼律「こら、逃げるなトカゲ！まてこのぉ〜！」ﾄﾞﾀﾊﾞﾀ

幼澪「や、やめてあげてよぉ…」

幼律「このっ！こいつ！」

ｸﾞﾁｬ…！

幼律「あ…」

幼澪「へ…」

幼律「ふ、踏んづけちゃった…」ﾃﾍ

幼澪「ふぇ、うぅぅ…」

幼律「あ、はははは…；」

幼澪「うぇぇぇぇぇん！トカゲさん！」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

幼律「あわわ…澪ちゃん！」

幼澪「りっちゃんのバカぁぁぁ！」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

幼律「ご、ごめん…」

幼澪「バカ！バカ！」ﾎﾟｶﾎﾟｶ

幼律「痛っ…ごめんって！」

幼律「ご、ごめんなトカゲ」

幼律「ちゃんと埋めてやるから」

ｻﾞｸｻﾞｸ…

幼律「ほら、澪ちゃん。トカゲのお墓、作ってあげたからさ…」

幼澪「ｸﾞｽﾝ…うん」

・・・
・・・
・・・

律「………」

■　第七章　「 Have you got the guts to live? 」　終　■

180 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/01(水) 21:42:53.48 ID:aWEb3cEy0

今日もこれでひとまず終わりです。

181 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga sage]：2013/05/01(水) 22:55:19.09 ID:3StoC92f0

律に人殺しをさせたのはまずかったな。
ある意味、もう戻れない訳だし、下手をすれば梓すら手に掛けかねないぞ。
一応、律に間違った選択をさせるのは作者が最初から狙っていたんだろうけど。
鍵を握るのは行方不明の唯か？

182 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/05/01(水) 23:01:52.11 ID:yqpib1Lio

>>1は澪梓厨だから律に汚れ役押し付けてんじゃないの？

183 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/05/02(木) 02:05:44.51 ID:s2vPelmOo

乙
どう転ぶのか……楽しみやわ

184 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:09:06.16 ID:9Tjbswgc0

●“澪「海底都市ラプチャー」”前章のあらすじ●
仲間が全員どこかへ行き、生きること諦めかけていた澪はテネンバウムという女性に出会う。
テネンバウムはフォンテイン未来技術社でアダムを産み出した張本人で、自分が犯してきたことへの贖罪のため、自ら産み出したリトルシスターの救済をしていた。
そんな彼女に元気づけられ、澪は軽音部を再び一つにする事を誓う。
一方律はライアン直属のエージェント「エヴリン」の元で働く事となり、ラプチャーの裏社会へと足を踏み入れてしまう。

■　第八章　「 I have to overcome myself　」　■

少女たち「ミオ、遊んで！遊んで！」ｸﾞｲｸﾞｲ

澪「あ、うん。あわわ、ちょっと待って！」

1958年12月23日 日曜日
私はテネンバウムさんの隠れ家でリトルシスター達の世話をしている。

テネンバウムさんは、行く当ても無く彷徨いビッグダディに殺されようとしていた私を助けてくれて、元気づけてくれた。
みんながバラバラになってから、ついこの前まではもう一思いに死んでしまいたいと考えていたが、私はどうかしていた。
放課後ティータイムの仲間たちはまだこのラプチャーのどこかにいるはずだ。

なら、私がすることは一つだ。

みんなを元通りにする。
演奏して、お茶して、一緒に笑い合っていた頃の私たちに戻るために、私は行動するべきだ。

でも、やはり現実はそう簡単に上手くはいってくれない。
唯一足取りが掴めそうな梓を探しに、レジスタンスを訪ねようとしてみたものの、アトラスさんはおろか正規のレジスタンスメンバーすら見つける事はできなかった。
律も、ムギも、唯も、どこにいるのか見当もつかない。結局は何も変わってない…相変わらず八方ふさがりの状態だった。

でも、私の気持ちは変わった。
律が昔バンドをやろうと言い出した時のように、今度は私が軽音部の仲間を集めるんだ。

澪「ケンケンパっおっとと…」

少女「あはは、ミオどんくさい」

澪「小さすぎるぞこれ…」

少女「ぴょんぴょん」ﾋﾟｮﾝﾋﾟｮﾝ

185 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:11:17.71 ID:9Tjbswgc0

テネンバウム「ミオ」

澪「あ、テネンバウムさん」

テネンバウム「ありがとう、この子たちの世話までしてくれて」

澪「いえ…私もお世話になってますし」

テネンバウム「この前言っていた、信頼できる知人にあなたの仲間の事を聞いてみたけれど、手掛かりは掴めなかった」

澪「そうですか…」

テネンバウム「もっと顔の広い人物にきい……」

ｽﾞｼﾝ…！

澪「わっ…？」

ｽﾞﾝ…ﾊﾟﾗﾊﾟﾗ…

何か爆発したような振動が起こり、天井から埃が落ちてくる。

テネンバウム「上のアポロ広場で、暴動が起こってるみたいね」

澪「レジスタンスですか？」

テネンバウム「いいえ、恐らくアトラス派の貧困層の人間か、ソフィア・ラム派の宗教団体かなにかじゃないかしら？」

テネンバウム「でも、ライアンの私兵たちがすぐに鎮圧するでしょうね」

澪「ちょっと不安だなぁ…」

少女「ママ」

テネンバウム「ん、なあに？」

少女「私のお友達がいないの」

テネンバウム「今朝は一緒にいたんじゃないの？」

少女「ダディの所へ行くって…」

澪「？」

186 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:15:53.23 ID:9Tjbswgc0

テネンバウム「ダディ…？」

少女「うん。ダディが呼んでるって、外へ行っちゃった」

テネンバウム「大変…」

澪「どうかしたんですか？」

テネンバウム「すぐに探しに行かないと…」

澪「え？」

テネンバウム「この子たちは知ってのとおり、リトルシスターとしてアダムを作り出すために洗脳されていた」

テネンバウム「そんな子たちをプラスミドを使って治しているのだけど、完全ではないの」

テネンバウム「恐らく、ビッグダディの声が聞こえて外に飛び出していったのね」

澪「でもすぐ外では暴動が…」

テネンバウム「ええ、いつもなら必ずここへ戻ってくるから通気口の入口は空けておいてあるのだけど」

テネンバウム「まずかったわね。とても危険だわ…」

テネンバウム「外に出て行った子を探さないと」

澪「て、手伝います。私も…」

テネンバウム「ミオ、いいの？」

澪「はい」

テネンバウム「分かった。じゃあいきましょう」

テネンバウムさんは銃を手に取り、支度をする。

テネンバウム「ミオ、あなたはこれを使いなさい」

澪「これって…プラスミドですか？」

テネンバウムさんから、アダムが入った注射器を渡された。

テネンバウム「ええ、エレクトロボルト。手のひらから電撃を放つことができるわ」

澪「で、でも私…アダムはできれば使いたくないです」

テネンバウム「なるべく暴動を避けるように行動すれば問題ないわ」

テネンバウム「それは念のために持っておきなさい」

澪「はい…」

・・・

187 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:18:28.96 ID:9Tjbswgc0

ﾜｰﾜｰ！

ラプチャー市民A「ライアンのﾊﾞｶﾔﾛｰ！」

ラプチャー市民B「俺たちをこんな所へ閉じ込めてどうする気だぁ！」

ラプチャー市民C「ここは自由の街じゃねぇのかよ！？」

ライアン私兵A「フェンスに近づくな！さがれ！」

ライアン私兵B「お前たちは隔離地区から出ることは許されない！すぐに自宅に戻れ！」

律「うわぁ…すげぇなぁ」

エヴリン「まさに烏合の衆ね」

ライアンの命により、アポロ広場の暴動鎮圧に加勢する事になった。
通りは高いフェンスで塞がれて、人々がそこにぎゅうぎゅう詰めになって押し寄せている。
みんなライアンへの不満を爆発させ、フェンスに群がり抗議やらなんやら、罵詈雑言をこちらへ浴びせている。
まるでゾンビ映画を見ている気分だ。

ライアン私兵A「あ、エヴリン様…！」

エヴリン「どんな状況？」

ライアン私兵A「アトラス派を中心とした貧困層の人間がアポロ広場で暴動を始めたので、警戒レベルを上げました」

ライアン私兵B「現在、オリュンポスハイツなどの高級住宅街や潜水球発着場へのルートを遮断し、他の地区への侵攻を防いでいます」

エヴリン「そう。ライアン様は今すぐに暴動を鎮めろと。バリケードの外に出た者はラプチャーへの反逆とみなして、警告なしに殺すように」

ライアン私兵A「ﾊｯ！」

律「………」

ラプチャー市民D「お、おぉぉ…俺はこっから逃げる！」ｶﾞｼｬ

ライアン私兵B「おい、お前！フェンスから降りろ！」

ラプチャー市民D「く、来るなぁ…！」

ライアン私兵A「下がれ！」ﾊﾟﾁﾝｯ

ﾎﾞｳｯ！

ラプチャー市民D「ギャァァァァァ！」ﾄﾞｻｯ

一人の男性が、フェンスによじ登って逃げようとした。
ライアンの兵がそれに向かって指パッチンをしたかと思えば、男は一瞬で火だるまになり、フェンスの上から落下した。

律「うわ…」

ラプチャー市民E「ライアンの人殺しー！」

188 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:22:41.75 ID:9Tjbswgc0

ﾜｰﾜｰｻﾞﾜｻﾞﾜ！

律「ひどいな…」

エヴリン「見なさいリツ。これがライアン様の言う“寄生虫”のような物…」

エヴリン「自らの意思で行動せず、ただ他人から与えられるのを待っているような人間たち」

エヴリン「彼らには思想も気概も無い。自分に相応な器を認めたくなくて、だれもが大きな存在になろうと夢ばかり見て何も行動しない」

律「それに気づいたから、こうやって行動してるんじゃないのか？」

エヴリン「この騒ぎは“行動”ではないわ。幼い子供の駄々と同じ」

エヴリン「世の中を内面から変えていこうとする心意気なんて無い。この暴動は言わば“不正解の行動”」

律「不正解ねぇ…」

エヴリン「だからといって、私たちは“寄生虫”ではなく“人間”かと言われたら…そうでもないわ」

律「え…？」

エヴリン「私たちも、命令に従っているだけの“人間以下の存在”…言わば奴隷ね」

エヴリン「確かに…ライアン様の意志に賛同し、尽くしているつもりでいるから、自分では自らの意志で行動しているように思いこめる」

エヴリン「でも、それは命令に従っているだけで、決して自分の意志で行動しているわけではない」

律「だったら、エヴリンはなんでライアンの下で働いてるんだ？」

エヴリン「だから、私は自分に相応な器を受け入れているという事よ」

律「は、はぁ…」

エヴリン「あなたはライアン様から何かを学んで大きな存在になりたいみたいだけど」

エヴリン「早いうちに諦めた方がいいかもね」

律「は…？」

エヴリン「今のあなたは、相応な器を認めたくなくて…天を目指して羽ばたこうとしている飛べない鳥」

律「なんだと…！？」

律「なんなんだよいきなり」

律「私は、私の意志でここにいるんだ！」

律「あんたにとやかく言われる筋合いはない！」

エヴリン「そういうところ…妹によく似てる」

律「っ………！？」

189 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:24:30.40 ID:9Tjbswgc0

エヴリン「リツ、あなたは早く目覚めた方がいいわ」

エヴリン「結局の所、世の中には二つの人間…いえ、二つの存在しかない」

エヴリン「“人間”と“奴隷”…使う側と使われる側の二つ」

エヴリン「今のあなたは私と同じ、人間以下の存在でしかないの」

エヴリン「それは、どうやっても覆すことはできない」

エヴリン「むしろそのことに早く気が付いて、自分の器に収まっていた方がより懸命よ」

律「……なんなんだよ」

律「いきなりそんな事言われても」

律「私は諦めないからな」

エヴリン「……そう」

エヴリン「さぁ、行きましょう。奥のバリケードを見に行くわよ」

律「………」

エヴリン「どうしたの？行くわよ」

律「……あぁ」

・・・

ｶﾞﾔｶﾞﾔ　ﾜｰﾜｰ！

澪「おーい？どこいったんだ？」

ラプチャー市民G「よし、行くぞ！」

ラプチャー市民F「おい、やめとけって！もうライアンの手下どもがここを囲ってるらしいぞ！？」

ラプチャー市民G「なにビビってんだ、お前も行くぞ！アトラス万歳！！」ﾀﾞｯ

ラプチャー市民G「邪魔だガキっ！」ﾄﾞｶｯ

澪「わっ！」ﾄﾞﾃｯ

ﾜｰﾜｰ！ｻﾞﾜｻﾞﾜ

澪「うぅぅ…」

澪「は、はやくあの子を探して戻らないと…」

・・・

190 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:26:03.39 ID:9Tjbswgc0

ｶﾞｼｬﾝｯ！ﾄﾞｶﾝｯ！

ラプチャー市民たち「ここから出せよ！」

ラプチャー市民たち「糞野郎！このチーズヘッドが！」

ｶﾞｼｬﾝｯ！ﾊﾞﾝｯ！

ライアン私兵C「エヴリン様、このままではバリケードが破られます！」

エヴリン「まずいわね」

ラプチャー市民G「ここからだせよ！」ｶﾞｼｬﾝｯ

エヴリン「下がりなさい！」ﾁｬｷﾝ　ﾀﾞﾝｯ！

ラプチャー市民G「ひぃ！」

エヴリン「リツ、あなたも銃を抜きなさい」

律「でも…この人たちはなにも…」

エヴリン「あなたがやらなくても、この人たちはあなたをやるわよ？」

律「うぅ…ちっくしょ…」ﾁｬｷﾝ

律「おい、お前ら！これ以上騒いでもどうにもならないぞ！？」ﾁｬｶ

ラプチャー市民たち「黙れ、ライアンの犬どもが！」ﾌﾞﾝｯ

ｺﾞｯ

律「痛っ！」

怒り狂った市民が私にゴミや石を投げつけてきた。

律「やめろ！」ﾊﾟｧﾝﾊﾟｧﾝ！

ラプチャー市民H「うわっ…あぶね！」

ﾜｰﾜｰ！

律「はぁ…はぁ…」

律「こんなところ、みんなには絶対見られたくないな…」

・・・

191 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:27:52.71 ID:9Tjbswgc0

澪「おーい、でてきてよ！」

澪「一緒にテネンバウムさんの所へ戻ろう！」

ﾜｰﾜｰ！

澪「だめだ」

暴動の騒ぎがだんだん大きくなってきた。
私はひとまずバリケードの外、ライアンの私兵たちが警備している場所に出てきた。

澪「もうテネンバウムさんが見つけたのかな？」

澪「一度隠れ家へ戻ってみよう」

ﾄﾞｶﾝｯ！

澪「！？」

ライアン私兵D「フェンスが破られたぞ！中央広場のバリケードまで後退だ！」

大勢のライアンの兵隊たちが通りの方から逃げるように走ってきた。

ラプチャー市民たち「アトラス万歳！」

ラプチャー市民たち「ソフィア・ラム万歳！」

ライアン私兵E「だめだ、下がれ！バリケードに後退だ！」

澪「あ、あわわ…私もどこかに隠れないと！」

ﾊﾟｧﾝ！

律「うわっと！くっそ！」

澪「え！？」

後退するライアンの兵隊たちの後に続いて、見慣れた顔の女の子が走ってきた。
律だ。律が兵隊たちと一緒に暴徒に威嚇射撃をしながら、退却している。

澪「り、律…！？」

律「はぁっ！はぁっ！」ﾀｯﾀｯ

律は私に気付かず、広場の方へ走って行った。

澪「律っ！」ﾀﾞｯ

・・・

192 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:29:45.27 ID:9Tjbswgc0

澪「おーい！律ー！」

私は律の後を追って、裏路地に駆け込んだ。
一瞬しか顔は見えなかったし、服装や髪型はいつもと全然違っていたが、あれはたしかに律だ。

澪「どこいったんだよ…」

ﾊﾟｧﾝ！

澪「！？」

律『離せこの！』

路地の奥から律の声がする。

澪「律！？」ﾀﾞｯ

・・・

ﾊﾟｧﾝ！

暴徒「うごぉっ！」ﾄﾞｻｯ

律「はぁ…はぁ…」

律「ったく…」

澪「り、律！？」

律「！？」

律「澪？」

路地裏の小さな広場に律がいた。
手には銃を持ち、そばには暴徒が足を撃たれて横たわっていた。

暴徒「うぐがぁ……ぁ…」

澪「律、これ…」

律「ぁ………はぁ、さっそく見られちゃったよ…」

律は私を見るとショックな顔をしながら銃をホルスターに納め、私に背を向けた。

澪「り、律…ここ、これお前がやったのか…？」

私は地面に転がり苦しんでいる暴徒を目にして、律に聞いた。

律「……あぁ、そうだよ」

澪「な…どうして…」

律「どうしてって、襲ってきたからだよ」

律「だから撃った」

澪「………」

律は私の方へ向き直った。

律「久しぶりだな、澪」

目の前にいるのは確かに律だが、私の知っている律とはまるで違う。
前髪を降ろして、暗い口調で淡々と喋り…私の知っている、いつも元気で明るく振る舞う律じゃない。

193 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:31:24.73 ID:9Tjbswgc0

澪「お前…その恰好…」

律「これか？私は今、ライアンの下で働いているんだ」

澪「ライアン…！？なんで！？」

律「さぁな。それじゃ、またな澪」

澪「え、律！待ってよ！」

律「ん…？」

澪「なんで行っちゃうんだよ！」

澪「あの後、梓もいなくなって…私、どうすればいいのかわからないんだ！」

律「………」

澪「………」ｺﾞｸﾘ

澪「で、でも…やっと律を見つけた」

律「…？」

澪「なぁ律…帰らないか？家に」

律「……ごめん」ﾀﾞｯ

澪「あっ、待って！」

「おらっ！」

ﾄﾞｶｯ！

律「うぐっ！？」ﾄﾞｻｯ

澪「！？」

律が走り出した次の瞬間、路地から暴徒が飛び出してきて、律に強烈なパンチをお見舞いした。

暴徒A「見つけたぞぉ！ライアンの犬が！」

律「うぐっ…くっ…！」

律はなんとか反応して腕でガードできたが、地面に勢いよく倒されて苦しんでいる。

暴徒B「おらっ！」ｶﾞｼｯ

澪「え？やっ…離せ！」

もう一人、暴徒が後ろからやってきて私は羽交い絞めにされた。

律「み、澪ぉ…！」

暴徒A「へへへ」

194 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:33:50.19 ID:9Tjbswgc0

暴徒B「おーおー、こりゃずいぶんかわいいじゃねぇか？」

澪「やだっ…離して！」ｼﾞﾀﾊﾞﾀ

暴徒B「こいつはいいや、ゆっくり楽しませてもらうよぉ？」

澪「ひ…！？」

律「……っ！」ｷﾞﾘｯ

律「澪っ…」ﾁｬｶｯ

澪「えっ…？」

律がこちらに銃を向けてきた。
私はそれに反応して暴徒を肘で思いっきり突いた。

澪「んっ…！」ﾄﾞｺｯ

暴徒B「おうふっ…へへ、こいつ」

律「……！」ﾊﾟｧﾝ！

暴徒B「がっ…！？」

暴徒B「う……ぁ」ﾄﾞｻｯ

なんとか暴徒の手ほどき、律は私が離れた隙を狙って暴徒を撃った。

暴徒A「このやろう！」ｶﾞｼｯ

律「あっ…！」

もう一人の暴徒が律の首を掴んで立たせる。

暴徒A「よくもやりやがったのこのガキ」

律「はなせこの！」

澪「まずい…」

澪「な、なんとかしないと…」

私はテネンバウムさんからもらったプラスミドの事を思い出した。

澪「これ…」

真っ赤な液体が入った大きな針の注射器。

澪「うぅぅ…」ﾁｬ

私は注射器の針を自分の腕に向けてためらった。
今まで、自分で自分に注射を打ったことなんか一度も無い。
ただでさえ痛い事がダメなのに、こんな太い針の注射を自分の腕に打つなんて、とても無理だ。

195 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:36:18.56 ID:9Tjbswgc0

律「おらっ！」ｶﾞｽｯ

暴徒A「ははもっと力入れろ！」

律「や、やめろ！離せぇ！」

律「やだ…！みぉ…澪ぉ！」

澪「！」

澪（なにしてるんだ私は、親友が一大事だって言うのに！）

澪「くっ…ぅぅ…！」ﾌﾟﾙﾌﾟﾙ

ｻﾞｸｯ

澪「んっ！」

アダムを注入した途端、腕に激痛が走る。

澪「いぃぃ…！」

ﾊﾞﾁﾊﾞﾁﾊﾞﾁ！

腕の筋肉が裂けるような鋭い痛みと共に、手のひらに青白い電流が流れた。

澪「ぁぁ……あぁぁ…！」

ﾊﾞﾁﾊﾞﾁ！ﾊﾞﾁﾊﾞﾁﾊﾞﾁ！

律「く…うぅぅ…」ｼﾞﾀﾊﾞﾀ

暴徒A「このガキ、俺の親友を…ただじゃおかねぇ」

澪「お、おい！」

暴徒A「ん…！？」

澪「律を…律を離せぇぇぇ！」

律「！」

ﾋﾞｼｬﾝ！ﾊﾞﾁﾊﾞﾁｯ！

暴徒「あばばべべべばばべっべ！」ﾊﾞﾁｯﾋﾞﾘﾋﾞﾘﾋﾞﾘ！

暴徒「ぼご………」ﾄﾞｻｯ

暴徒は電撃を食らって激しく痙攣し、背中から倒れた。

澪「はぁ…はぁ…」

澪「律！」

律「うぐ……はぁ…」

澪「律、大丈夫か！？」

律「はぁ…はぁ…私もちょっと痺れたぞ…」

澪「え、あ…ご、ごめん」

律「でも助かったよ。ｻﾝｷｭｰ…澪」

澪「うん」

196 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:37:44.02 ID:9Tjbswgc0

律は喉を押さえて息を整え、当たりを見回した。
そして立ち上がって銃をとり、電撃を食らって気絶している暴徒へ向ける。

律「このゲスやろう共…」ﾁｬｷ

澪「ひっ……」

律「ぁ………」

律「ふん。まぁ、しばらくは起きてこないだろ」

銃を見て怯える私に気付いて、律は暴徒にとどめをさすことをやめた。

律「その…見苦しいとこみせちゃったな、色々と…」

澪「律…」

律「とにかく、ここは危ない。この先の抜け道まで案内するから」ｽｯ

澪「ひっ…！」

手を差し伸べてきた律に驚いて、私は少し後ずさりしてしまう。

律「………」

律「そうだよな。そんな風におびえて当然だと思う」

澪「ご、ごめん…」

律「なんで澪があやまるんだよ」

澪「だって…」

律「ほら、行くぞ。またこんな奴等に出くわすのはごめんだからな」

澪「うん。分かった…」

・・・

197 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:39:02.98 ID:9Tjbswgc0

律「ここからは一人で行けるだろ」

律に案内されて、通りまで出てきた。
暴動はもうほとんど鎮圧され、ライアンの私兵たちの一部は撤収準備を始めていた。

律「じゃあな」

澪「えっ…」

律「澪と一緒にいるところを仲間に見られたら色々面倒なんだ。それじゃ、またな」ﾀﾞｯ

澪「あ、待ってよ！」

澪「またやり直そうよ！一から、放課後ティータイムを！」

律「………」

律「まだだ」

澪「？」

律「まだその時じゃない」

澪「なんで！？」

律「いいリーダーがまだいない」

律はそう一言だけ呟くと、私を残してライアン私兵のいる方へ走って行った。

澪「律…」

・・・

198 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:41:58.22 ID:9Tjbswgc0

1958年12月25日木曜日

労働者管理人「私が管理人、これはシャンパン、メリークリスマス！」

労働者たち「「「メリークリスマス！」」」

澪「………」

私は律を探してヘファエストス地区に来ていた。
アポロ広場での暴動は完全に治まり、迷子の少女も見つかって、私はあの後すぐに律を訪ねようと思った。

今日はクリスマスということで、労働者は仕事を切り上げてのんきにパーティなんかしてるみたいだ。
まぁ、こういうみんなが浮かれたタイミングでないと、ライアンインダストリーズに入り込んで律を探すのは難しい。
予想通り、警備員もクリスマスの七面鳥を求めパーティに参加していて、ほとんど持ち場についていない。

澪「どこにいるんだ？」

私は労働者に紛れてパーティ会場を練り歩く。

労働者A「やぁ。君、かわいいね。どこの部署？」

澪「えっ？あ、ええと…」

労働者A「ま、いいや。どう？今夜はボクと楽しまないかい？」

澪「あ、ええと…」

澪「興味ないです」

労働者A「えっ…」

澪「じゃ、失礼します」ﾌﾟｲｯ

労働者A「………」ｼｮﾝﾎﾞﾘ

澪（なんかこういうのにも慣れてきた気がする）

私は一旦労働者のパーティ会場を出た。

澪「律はここにはいないのか…？」

窓の外から差し込んでくる街の明かりだけの、薄暗い廊下を歩きながら律を探す。

澪「暗いなぁ…ん？」

廊下の奥のベンチに誰かいる。

律「…よっこらしょっと」

澪「！」

律「あーコーラうめー」

澪「律！！！」

律「ん？……あ！」

律「み、澪！？」

私は律に歩み寄り、目の前で立ち止まる。

律「よ、よう…澪；」

澪「………」

私はそのまま無言で、律の横に座った。
私たちは少しの間、無言で街の夜景を見ていた。

199 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:44:25.89 ID:9Tjbswgc0

律「澪…どうしたんだよ？なんでこんなところに…」

澪「………」

澪「なぁ、律…」

律「ん；？」

澪「その…悪かったな。あんな事言って…」

律「あんな事？」

澪「律は、軽音部のために頑張ってたのに…酷い事言っちゃって」

律「………」

澪「今思えば、ここに来てから律は凄く部長らしかった」

澪「落ち込んでた私を最初に元気づけてくれたのは律だったし」

澪「ライアンに尋問されそうになってた時だって、律がみんなを導いてくれた」

律「………」

澪「このラプチャーで暮らすことになっても、放課後ティータイムのみんなを引っ張ってくれた」

澪「律は凄いよ」

律「………」

律は一言も喋らなかったけど、顔はほんのすこし微笑んでいた。
よく見ないと分からないほど少しだけ、恥ずかしそうに照れ隠ししながら、私の話に耳を傾けていた。

澪「な、なぁ、律…ｸﾞｽﾝ」

澪「律じゃなきゃだめなんだ…律がいないと軽音部は始まらないんだよ…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

律「な、泣くなって…」ｻｽｻｽ

澪「ｸﾞｽﾝ」

律「私もごめん…」

律「あんな状況だったのに、急に飛び出してって…」

律「ムギがさ…ムギはさ、その…ええと…」

律「な、なんていうかなぁ…？」

澪「いいよ。律が話したくなったらでいいんだ。」

澪「あんな事があって、みんな冷静になんてなれないんだ」

律「うん…」

澪「律」

律「ん？」

澪「戻ってきてくれないのか？」

律「………」

澪「なんでいいリーダーがいないとか言うんだよ」

澪「律は十分、リーダーにふさわしいよ」

澪「私が保証する。律はとっても“良いヤツ”だ！」

澪「だから、あの時みたいに…また一緒に演奏しようよ！」

律「そのためにここまで来たのか…」

澪「あたりまえだろ！それ以外に何があるっていうんだよ！」

律「あはは」

200 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:47:11.09 ID:9Tjbswgc0

律「澪、わたしだって放課後ティータイムを再結成するつもりではいるよ」

律「でも、私にはリーダーの素質が無い」

澪「だから、そんなこと…！」

律「いや、自分でも色々頑張ってたけど…土壇場であんなんじゃ、私はまだまだだ」

律「私がもっと強かったら唯を守れたし、ムギを悲しませずに済んだんだ。きっと」

澪「………」

律「もっと、精神的に…人間的に強くなりたい」

律「だからここで働くことにしたんだ。ライアンの下で」

澪「ライアン…」

律「ライアンならなにか知ってると思って。リーダーとしての素質みたいなものを」

澪「そうだったのか」

律「まぁでも、ご覧のとおりだよ」

律「私は精神的に強くなったかもしれない。でも、“良いヤツ”なんかじゃない」

澪「え…？」

律「ここにきて学ぶべきものを間違えたんだろうな」

律「教わったのは銃の扱い方とか、身を守る術とか…」

律「で、汚い仕事に就かされて…」

律「とても良いヤツなんて言われる器じゃない」

澪「………」

澪「いや、律は良いヤツだ」

律「だから、どこが！？」

律「澪も見ただろ！？裏路地で、私は人を殺したんだ！」

律「別にあれが初めてってわけじゃない。その前にも一人、無防備なヤツを撃ち殺した！」

律「そんな私の、どこが良いヤツなんだよ！？」

澪「律、“良いヤツ”ってのは“根がいいヤツ”って事だよ」

律「………？」

澪「誰にでも失敗する事はあるだろ？」

201 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:49:47.04 ID:9Tjbswgc0

律「………」

律「………ふっ、はは」

私の言葉を聞いて、律は苦笑いした。
真剣に考えるのも面倒になってきて、あきれたようにくだけた表情になる。

律「ぷっ、ふふふ」

律「はぁ〜…そうだな」

律「そうかもな」

澪「そうだよ」

澪「私だってあの後、色々考えたよ」

澪「やっぱり、ちょっと驚いけど…」

澪「でも、律は律だ」

澪「律がどれだけ酷い事してようが、私は本当の律を知ってる」

澪「冗談言って一緒に笑って、みんなで頑張ってる時の律を」

澪「みんなだって、きっと分かってくれるはずだ」

律「そう…かな？」

澪「うん」

澪「だから、軽音部を立て直そうよ」

澪「ライアンなんかに教わる必要はない」

澪「私たちのバンドは私たちの物だし、部長の律が思うようにやっていけばいいよ」

律「へへ…そ、そうだよな」ﾃﾚﾃﾚ

澪「まぁ、ライアンの所で働いて、律がもっとしっかりしてくれるようになるのなら、それはそれでもいいんだけどね」

律「このやろ〜ｗ」

澪「ふふふ。あ、コーラちょっとちょうだい」

律「ん、いいよ」

澪「ありがと」ｺﾞｸｺﾞｸ

律「他のみんなは？梓とは一緒じゃないのか？」

澪「梓は、アトラスさんのレジスタンスの所へ…」

律「え…まじで？」

澪「うん」

律「アトラスのレジスタンスって対ライアン政権のか？」

澪「そうみたい」

律「まじかよ…」

202 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:51:22.13 ID:9Tjbswgc0

律「………」

律「早めに終わらせないとな」

澪「？」

律「澪、分かったよ」

律「私はライアンの部下を辞める」

澪「本当か！？」

律「でも、すぐに辞められるわけじゃない」

律「もしかしたら、辞められないかも」

澪「………」

律「でも私は必ず戻る」

律「また一緒に、部員探ししようぜっ！」

澪「あぁ、そうだな」

律「……ありがとな。澪」

澪「うんっ」

律「あ、そうだ。パーティ行くか？お腹すいた」

澪「いいけど、私部外者なんだけど」

律「大丈夫だって、私がついてるから。私はライアン直々に仕えてる身分なんだ。そこらへんの労働者とはわけが違うよ」

律は胸に付いているライアンインダストリーズのバッヂを見せながら言った。

澪「いつのまにそんな出世したんだよ」

律「へへへ〜」

・・・

203 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:52:39.60 ID:9Tjbswgc0

ﾜｲﾜｲｶﾞﾔｶﾞﾔ

労働者A「へぇ、最近入ってきたばかりなんだ」

梓「は、はい；」ｱｾｱｾ

労働者A「僕はここで６年やってるけど、困ったことがあればなんでも言ってよ」

労働者A「僕にできることならなんでも力になるよっ」ﾆｺｯ

梓「あ、あははは…；」

梓「あ！ちょ、ちょっとお手洗いに」

労働者A「あ、それならこっちに…」

梓「一人で大丈夫なんで！」ｻｻｯ

梓「ふぅ…なんとか振り切れた」

梓「あんまりここの人と無意味に関わりを持たないようにしないと…」

梓「アトラスさんの為にも、絶対に何か役に立って見せるんだから！」

「うめ…うめ…」「がっつきすぎだろ」

梓「？」

204 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:54:09.02 ID:9Tjbswgc0

律「だってさぁ、もぐもぐもぐ」

澪「確かに、思ったよりだいぶ美味しいな。見た目はアレだけど」

梓（澪先輩と律先輩！？）

梓（どうしてここに？）

律「あ、それも美味そう。澪それ取ってくれ」

澪「はいはい。っていうかそれ全部食べちゃだめだろ、他の人の分も残しておけって」

律「いいんだよ〜。なんてったって私はライアン直属の部下なんだぜ〜！」

梓（え！？）

澪「はぁ、そうやってすぐ調子に乗る」

梓（律先輩がライアンインダストリーズの社員！？）

梓（ライアン直属の部下って…）

律「これが格差社会ってやつだぜ！」

澪「何が格差社会だ！」ｺﾞﾁﾝ

律「うおん！」

梓（澪先輩もここで…？）

律「そうそう、この澪の鉄拳が無いとやっぱり落ち着かないな！」ﾋﾘﾋﾘ

澪「ほう？」ｽｯ

律「ウソウソ、嘘ですみおしゃん！」

梓（………）

梓「っ…！」ﾀﾞｯ

労働者A「あ、いたいた。ねぇ…」

梓「…どいてください！」ﾄﾞｶｯ

労働者A「わっ…！」

・・・

205 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 02:56:47.95 ID:9Tjbswgc0

ﾊﾞﾀﾝ！

梓「はぁ…はぁ……」ｸﾞｽﾝ

私はクリスマスのパーティー会場を出て、トイレに閉じ籠った。

梓「うぅ…ｸﾞｽﾝ」

梓「…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

これまでに味わった事の無い悲しみと怒りが込み上げてくる。

梓「澪先輩、律先輩…なんで！？」

梓「どうして、ライアンの部下なんかに…！」

梓「澪先輩…あの時一緒にいたじゃないですか…！」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

梓「私は、この街を良くするためにレジスタンスに入って…ｸﾞｽﾝ…ライアンと戦うって…」

梓「そして放課後ティータイムを再結成するって…！」

信じてたのに、きっと澪先輩は私の考えを分かってくれると思ってたのに…。

梓「なのに…どうして…ぅぅ…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

梓「最低です…！」

・・・
・・・
・・・

澪「誰も来ないな」

梓「来ませんね…」

夏休みのある日、いつも通り学校で練習する予定だったけれど、私と澪先輩以外は部室には来なかった。
みんな急な用事ができて、３人からその旨を伝えるメールが来たのは私が部室に到着した30分後だった。

ﾐｰﾝﾐｰﾝ、ｼﾞｼﾞｼﾞｼﾞ

澪「どうする？」

梓「帰りましょうかね」

澪「うん…」

澪「あ、せっかくだしどっか行かないか？」

梓「えっ？」

澪「いや、別に暇ならでいいんだよ」

梓「ふふっ、部活が無くなったんだから、暇に決まってるじゃないですか」

澪「あはは、そうだな。それなら良かった」

澪先輩からこういう誘いがあるのは珍しい。
というか、どこかに出かけるタイプには見えなかったので、ちょっと意外だった。
私たちは一旦家に戻り、私服に着替えて街で再び合流した。

澪「いやぁ、暑いなぁ」

梓「そうですね、どこか涼しいところに行きたいです」

澪「うん」

梓「？…澪先輩、暑いって言ってる割には、どうしてジャケット持ってるんですか？」

澪「念のため？かな」

梓「？」

206 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:04:02.96 ID:9Tjbswgc0

梓「それで、どうしましょう？何かプランでも？」

澪「それなんだけど、映画見に行かないか？」

梓「え、映画ですか？」

澪「洋画なんだけど。あっ…梓はあんまりそういうの見ない？」

梓「いえ、澪先輩が洋画なんて…なんだか意外だなと思って」

澪「そう？」

梓「ん〜。ちょっとだけですけど」

梓「じゃあ、行きましょうか！映画観に！」

澪「あぁ」

・・・

ｶﾞﾔｶﾞﾔ

澪「やっぱ夏休みは人が多いなぁ」

梓「そうですね。映画館なんて久しぶりに来ました」

澪「何観たい？」

梓「あれ？澪先輩、観たいものがあって来たんじゃないですか？」

澪「そうだけど、梓の希望も聞いておこうと思って…」

梓「そんな気にしなくてもいいですよ？」

梓「私、基本なんでも観ますから」

澪「そっか」

梓「強いて言えば…今の気分だと、これとか」

澪「あ、それも面白そうだな」

私はチケット販売機の画面をタッチして、梓の希望した映画の詳細を見る。

澪「あれ…これもう満席だってさ」

梓「あぁ、やっぱりそうですよね」

澪「どれもこれもほとんど満席状態だなぁ」ﾎﾟﾁﾎﾟﾁ

梓「こういうシーズンは、予約しないといけませんね」

澪「う、うん……」

なんだか気まずい雰囲気になってきた。
観たい映画は予約でいっぱいだったし、面白そうな物もいい位置で見れない。
何事も行き当たりばったりで行動するのはよくないと改めて実感した。

澪「なんか悪いな…振り回しちゃって」

梓「え？いえ、大丈夫ですよ」

梓「澪先輩と映画観れないのは残念ですけど」

梓「こういう風にのんびり街を歩くのも悪くないです」

澪「そ、そうか」

はぁ、やっちゃった。後輩に気を使われている。
梓の私への信用メーターが一気に下がった気がする。
自分で言うのもなんだけど、梓は私をしっかり者の先輩として見てくれているから、こういうなんでもないヘマをすると余計に気にしてしまう。

ここでまた梓に意見を求めるのもアレだし、私がリードしないとな。

澪「じゃあここにいても仕方ないし、どこかでお茶にしようか」

梓「はいっ」

・・・

207 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:07:12.98 ID:9Tjbswgc0

私たちは繁華街にある有名な喫茶店で休憩する事にした。
さすが夏休み。店内はほぼ満席状態で、喫茶店というよりちょっとした大衆食堂に見えてしまう。

梓「ここ、初めて来ます。なんだかすごいですね」

澪「実は私も。前から来たいとは思ってたんだけどね」

店内は冷たい真っ青な証明で幻想的に照らされていて、まるで海の中にあるみたいだ。
昭和でレトロな建物の中は、奇抜で芸術的なインテリアで溢れており、お茶するには少々落ち着けない気もする。

私たちはとりあえずドリンクを頼み、あたりを見回しながら茶をしばいた。

澪「これは絵になるよな。フォトジェニックだ」

梓「確かにどこを切りとっても素敵ですね」

梓「ぷふっ…フォトジェニックって聞くと、あの安物ブランドが思い浮かびます」

澪「あぁ、あれか。よく通販とかで初心者向けにセットで売られてるよな」

梓「中身を弄れる人とか、演奏の後に破壊したりする人もよくあそこのギター買うらしいですね」

澪「あはは、なるほどなぁ」

梓「………」ﾁｭｰｺﾞｸｺﾞｸ

梓「うぅっ…」ﾌﾟﾙﾌﾟﾙ

澪「あ、やっぱり店の中は冷房効きすぎてちょっと寒いよな」

梓「はい。やっぱり私も一枚持って来ればよかったです」

澪「これ着なよ。私は別に平気だから」

梓「あ、すみません…///」

その後なんとなく街を歩いて、なんとなく店を回って、なんとなく夏休みの一日を過ごした。

梓「もうこんな時間ですね」

澪「無計画の割には、割とすぐだったなぁ」

梓「ふふふ」

澪「ん？」

梓「ホント、澪先輩は頼りになります」

澪「え…？どういうこと？」

梓「そのままの意味ですよ」

澪「そ、そうかな…？」

梓「そうですよ」

208 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:08:30.23 ID:9Tjbswgc0

梓「澪先輩が私のお姉ちゃんとかだったらよかったのに」

澪「へっ…///」

澪「そういや、梓は一人っ子だったっけ」

梓「はい」

梓「私、姉妹とかができるなら、絶対に澪先輩みたいな姉が欲しいです！」

澪「///」ﾃﾚﾃﾚ

澪「ま、まぁ…実際に姉妹だったら、また結構違ってくると思うぞ」

梓「そうですかね」

澪「ほら、喧嘩とかするかもしれないし」

梓「そんな事ないです！」

梓「澪先輩はとっても優しくて、思いやりのあるお姉さんですから！」

澪「あはは…どこまで私は美化されてるんだ」

澪「さて、そろそろ帰らないとな」

澪「あ、それとも夕飯もどっか行こうか？」

梓「いいですね、行きましょう」

・・・
・・・
・・・

209 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:10:09.67 ID:9Tjbswgc0

澪「じゃあ、またな律」

律「あぁ、待っててくれ。今度の仕事が終われば…それでキッパリ辞める」

律「そしたら必ず戻るから」

澪「うん」

ライアンインダストリーズのクリスマスパーティが終わり、私たちは再びバンドを結成する約束を交わす。

律「みんな無事だといいんだけどな」

澪「そうだな……」

澪「でも、きっとみんな大丈夫だと思う。なんでか分からないけど、そんな気がする」

律「なんてったて、私たちはあの飛行機事故を無傷で生き残れたほどタフなんだからな」

澪「ぷふっ…今思えば、どこまでタフなんだ」

律「ま、とにかくそう信じよう。きっと全員見つけ出して、嫌でもバンドに引きずり込んでやる」

澪「ははは、おいおい」

律「さて、じゃあ行くわ」

澪「あぁ、またな」

私たちは抱き合い、互いの背中を軽く叩いて、別れを告げた。

・・・

210 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:12:39.86 ID:9Tjbswgc0

1958年12月26日金曜日

紬「夢で見た場所、確かにここだったわ」

アダムの記憶の中で見た、黒人の女性。
私はその女性の事が気になって、彼女がビッグダディに殴られた現場のビジョンを頼りに、パウパードロップ地区まで来た。

決して興味本位で来たわけでは無い。
私はその女性にどうしても会わなければいけないと思ったからだ。

私は夢で見た“エレノア”というリトルシスターの事を知っている。

・・・
・・・
・・・

紬「…ｚｚｚ」

ｻﾞｸｯ！！

紬「いたっ！」

リトルシスター「わ！？」

紬「り、リトルシスター！？」

リトルシスター「ふぇぇ…ご、ごめんなさい」

紬「いたた…」

リトルシスター「ごめんなさい…天使だと思ったの」

紬「……ん、天使？」

リトルシスター「うぅぅ…ｸﾞｽﾝ」

紬「…ふふふ」

紬「間違ったのなら、仕方ないわ」

リトルシスター「許してくれる？」

紬「えぇ。間違いは誰にでもあるよ」ﾅﾃﾞﾅﾃﾞ

リトルシスター「うぅ…ありがとう」

紬「あなた、リトルシスターなのに普通の人が怖くないの？」

リトルシスター「え？」

紬「ビッグダディも一緒じゃないし。普通、別の人間を見ると必ず怯えて逃げ出しちゃうのに」

リトルシスター「そういうものなの？」

紬「うん。あなた、名前はあるの？」

リトルシスター「私は、エレノア」

紬「エレノアちゃんか！よろしくね」

エレノア「うん」

・・・
・・・
・・・

恐らく、エレノアちゃんはあの黒人女性の元から誘拐された後、リトルシスターにされたのだろう。
エレノアちゃんはたぶん今も、アドニス高級リゾートの近くでずっと死体探しに夢中になっている。いいえ…死体探しを強いられている。

紬「あの黒人の女性に、エレノアちゃんの場所を教えてあげないと…」

211 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:14:32.45 ID:9Tjbswgc0

私はパウパードロップのドヤ街に来ていた。
ラプチャーの中でもかなり貧困が進んでいる地域で、ボロ屋が上下左右に無秩序に広がって、まるで中国の九龍城砦のようだ。

紬「シンクレアデラックス…ここね」

黒人の女性が何者なのかは全く知らず、どうやって探したものかと思っていたが、実際にドヤ街へ来てみれば女性の事はすぐに分かった。
彼女の名前はグレース・ホロウェイ。
このスラムでは有名な歌手らしい。街の壁にチラホラとポスターが貼ってある。

彼女は今“シンクレアデラックス”という低賃金のマンションに住んでいるらしい。

紬「思ったよりも大きなマンションね」

中央の広場を囲むように、吹き抜けが上まで続いている。
グレースさんはこのマンションの一番上の階に住んでいるそうだ。

ゴロツキ「なんだお前？ガキが来る場所じゃねぇぞ」

座っていた大柄の男が私に話しかけてきた。

紬「あ、あの…私、グレース・ホロウェイさんに用があって…」

ゴロツキ「あぁ？グレースに何の用だ？」

紬「あなた、グレースさんを知っているの？」

ゴロツキ「ここじゃ有名だからな。グレースとソフィア様は親友みたいなもんだから、俺たちのギャングのママってところだな」

紬（ソフィア…夢でグレースさんが言っていた人…）

・・・

212 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:16:16.43 ID:9Tjbswgc0

私は、ここら一帯を牛耳っているギャングの一員に連れられて、最上階へ登って行った。
このギャングというのは、ソフィア・ラムという人物を信奉しているカルト集団の事らしく、シンクレアデラックスを拠点にしているらしい。
グレースさんとソフィア・ラムは古くからの付き合いらしく、ギャングはグレースさんにも一目置いているみたいだ。

ゴロツキ「グレース？」ｺﾝｺﾝ

紬「………」

ｶﾞﾗｯ

グレース「なに？」

夢の中で見た黒人の女性が出てきた。

ゴロツキ「お客さんだ」

紬「あ、あの…」

グレース「あなたは？」

紬「私、琴吹紬と言います。すこしグレースさんにお話しがあって…」

グレース「話すことは何も無いわ」

紬「え…」

グレース「帰りなさい。誰だか知らないけど、私は今お話なんて気分じゃない」

グレース「ごめんなさい」

紬「あ、ちょっと…」

ゴロツキ「だってよ。さぁ、帰りな」

紬「グレースさん！待って！」

グレース「………」

紬「エレノアちゃんの事なの！」

グレース「！」

エレノアちゃんの名前を出すと、グレースは立ち止まり、私の方へ向き直った。

グレース「あなた、何故エレノアの事を…？」

紬「エレノアちゃんが、どこにいるのか知っています！」

グレース「………！」

グレース「入って」

・・・

213 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:19:34.11 ID:9Tjbswgc0

グレース「夢で…」

紬「はい、アダムを介して見た記憶で、グレースさんの事を知りました」

私はグレースさんの家に案内され、リトルシスターの記憶で見たことを全て話した。

紬「エレノアちゃんは今、アドニス高級リゾートにいます」

紬「私と出会った後、すぐにまた行ってしまったので、正確な場所はわかりませんが…」

グレース「エレノア…」

グレース「ツムギ？だったわね。ありがとう」

グレース「あの子が生きている事だけでも分かれば、私は嬉しいわ」

紬「いえ…」

紬「ソフィアさんとはどういう人なんですか？」

紬「エレノアちゃんはソフィアさんの娘のようですが」

グレース「ソフィアは精神科医よ。このラプチャーで一番のね」

紬「精神科医…」

グレース「ソフィアはアンドリュー・ライアンに招待されてこのラプチャーへやって来たの」

グレース「彼女はラプチャー設立時の街を代表するメンバーの一員だったわ」

グレース「その時から人々の心を、医者という立場から癒していた」

グレース「私もよくソフィアのカウンセリングを受けていたの」

グレース「彼女はとても親身に接してくれたわ」

グレース「ソフィアは、私が子供を授かることができない事を覚えてくれていて、私にエレノアを預けてくれた」

グレース「恐らく、アンドリュー・ライアンとの対立が悪化するのを見越して、エレノアを安全な場所で保護したかったんでしょうね」

紬「対立？」

グレース「えぇ。ソフィアは、弱者を踏みにじるライアンのやり方と真っ向から対立して、貧しい者たちの為にラプチャーを変えようとしていた」

グレース「ソフィアはたびたび、ライアンとの討論会を開いて、貧しい人々から圧倒的な支持を得ていたわ」

グレース「それが気に食わなかったライアンはソフィアを監禁して、彼女を慕う勢力を封じ込め始めた」

紬「そんなことが…」

グレース「でも大丈夫。ソフィアはもうすでにライアンの監禁を破って、どこかへ逃げているはず」

グレース「ソフィアに早く伝えないとね。エレノアが生きている事」

紬「………」

ここに来てよかった。
私はある意味では、りっちゃんにした酷い事へのせめてもの償いのために、わざわざこうして他人の力になっているのかもしれない。
赤の他人の力になっても、りっちゃんに許してもらえるわけでもないけど…

それでも、何か人のためになることをするのはとても気分がいい。

214 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:21:42.87 ID:9Tjbswgc0

紬「じゃあ私はこれで…」

ﾎﾞｫﾝ！！ｽﾞｼﾝ！

グレース「！？」

紬「……？」

突然近くで爆発音が鳴り響き、建物が小刻みに揺れる。
恐らくマンションの下層からだ。外が騒がしい。

ゴロツキ「大変だ、グレース！ライアンの兵隊たちが攻めてきた！」

グレース「なんですって！？」

15分前・・・

律「エヴリン、ちょっと話しておきたいことがあるんだけど」

エヴリン「何？」

律「その、まだこの仕事に就いてばかりだけど…」

エヴリン「………？」

ライアン私兵「エヴリン様！」ｻﾞｯ！

律「あ…」

私たちの後ろには、ライアンの兵隊が30人ほど整列している。
ソフィア・ラムを信奉する過激派を根絶やしにするため…今日、今からシンクレアデラックスに襲撃を仕掛ける。

エヴリン「後で聞くわ」

律「う、うん」

エヴリン「………」

エヴリン「じゃあ行きましょう」

エヴリン「各班、作戦通りに…」

ライアン私兵「「「了解！」」」

律「…なぁ、エヴリン。交渉とかはしないのか？」

エヴリン「もう十分した。その結果がこれよ」

律「でも、こんなの…この街らしくない！」

律「こんなの、本来のライアンの考えとは全然違うんじゃないのか！？」

律「ライアンはなんでこんな事するんだ！」

律「ライアンは間違ってるよ！」

エヴリン「……私も分かってるわよ」

律「ぇ………」

エヴリンはその時だけは表情が違って見えた。
いつもは冷静に、そして冷酷に物事を見つめていたけど…
その時のエヴリンの目は、なんていうか…私にはどうしようもできないって感じの悔しそうな目をしていた。

・・・

215 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:23:35.31 ID:9Tjbswgc0

ﾄﾞﾝｯ！ﾊﾞｧﾝ！

ソフィア信奉者たち「くたばれぇ！」ﾊﾞｧﾝ！ﾊﾞｧﾝ！

律「くぅぅ…！」

エヴリン「ちっ！」

シンクレアデラックスで、激しい銃撃戦が始まった。
中央の吹き抜けを中心にして、爆音と共に無数の鉛弾や電撃、氷の塊が飛び交っている。

ﾀﾞﾀﾞﾀﾞﾀﾞﾝ！ﾊﾞｧﾝ！ﾊﾞﾁｯ！

ライアン私兵「あがぁっ…！」ﾄﾞｻｯ

律「あっ…」

ソフィア派のカルト集団とライアン私兵。両者の兵隊たちは一人、また一人と倒れていく。

エヴリン「なによこれ、情報よりもだいぶいいモノ持ってるじゃないの」

私とエヴリンは、激しい銃撃で物陰から一歩も動けない。

律「せめてあっちの方へ行けたらな」

ﾊﾞｧﾝ！ﾊﾞｧﾝ！ﾁｭｲｰﾝ！

ソフィア信奉者たち「負け犬め！」ﾊﾞﾊﾞﾝ！

律「う、動けない…」

ﾊﾞｧﾝ！ﾊﾞｧﾝ！

ﾊﾞｧﾝ！ﾋﾟｰﾝ！ｶﾗﾝｯ…

律「！」

何か甲高い金属音が聞こえた。
それに反応して、すぐに私は物陰から銃を出して応戦する。

律「エヴリン、今なら行ける！」ﾊﾟｧﾝ！ﾊﾟﾊﾟﾊﾟｧﾝ！

エヴリン「ええ！」ﾄﾞﾝｯﾄﾞﾝｯ！

こちらに制圧射撃を仕掛けていた敵の銃の弾倉が空になった隙を突いて応戦し、次の物陰へと進んで間合いを詰めた。

律「はぁっ！はぁ…はぁ…」

エヴリン「やるじゃないの。いい耳してるわ」

律「だろ？これでもミュージシャンだからな」ﾁｬｷﾝ

・・・

216 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:25:42.08 ID:9Tjbswgc0

ﾄﾞｼｬﾝ！

エヴリン「………」ﾄﾞﾝｯ！ﾄﾞﾝｯ！

ソフィア信奉者「うげぇ…！」

敵の抵抗はだいぶ弱まり、私たちは最上階の部屋を一つ一つしらみつぶしにしていく。

エヴリン「リツ。あっちの部屋を」

律「了解っ…！」

私は最上階の一番奥の扉へ向かう。

ｶﾞﾁｬ…ｶﾞﾁｬｶﾞﾁｬ…

律「やっぱりカギが掛かってるな」

ﾊﾟﾝ！ｶﾞｷｬﾝ！

銃でカギを壊して、ドアを破る。

律「おらっ」ﾁｬｯ

ｶﾞﾀﾝｯ！

律「！」

人影が見えた。この部屋にも誰かいる。

律「おい待て！」

私は銃を構えて部屋の奥へと進んでいく。

紬「やめて！お願い！」

律「観念しろ！もう逃げられ……」

律「え…！？」

紬「り、りっちゃん！？」

グレース「………？」

律「な、なんで！？」

ソフィア・ラムのカルト集団の巣窟、シンクレアデラックスの最上階にはムギがいた。
ムギが黒人の女性と一緒に部屋の奥で縮こまっていた。

紬「り、りっちゃん…なんでここに？」

律「ムギこそ…」

私は驚いて、銃を構えたまま唖然とした。

律「あっ…」ｻｯ

銃口をムギに向けている事を思い出して、咄嗟に銃を下ろす。

律「ムギ……」

グレース「あなたは誰！？」ﾁｬｷﾝ！

黒人の女性が私に銃を向けてきた。

律「くっ…」ﾁｬｶ

それに反応して私は再び銃を構えなおす。

217 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:27:36.16 ID:9Tjbswgc0

紬「駄目！グレースさん！」

紬「りっちゃんは友達なの！」

グレース「友達？こいつはライアンの手下でしょうが！？」

グレース「まさか、あんたも…」

紬「ち、違うわ！どうしてかは分からないけど…りっちゃんはこんな事する人じゃない…！」

律「ぅ……ムギ…！」

グレース「………」

私たちは銃を向けあいながら沈黙する。

ﾄﾞﾝｯ！ﾄﾞﾝｯ！

外でエヴリンやその仲間たちが部屋を掃除する音が聞こえる。

律「くそ…」

律「ムギ、ここは危ない！私についてきて！」

紬「え…？」

律「ここから連れ出してやるから！」

紬「で、でも…」

ｶﾞﾗｯ…！

律「！？」

ｺﾂｺﾂｺﾂ

エヴリン「………」

部屋にエヴリンが入ってきた。

エヴリン「はぁ…」

エヴリン「これはどういうことかしら」

ムギやグレースと一緒にいる所を見られた。
本来、見つけたらすぐに射殺するはずの二人と話している所を…

律「エ、エヴリン…これは違っ……」

エヴリン「…っ！」ﾁｬｷﾝ！

律「う……」ﾋﾟｸ

エヴリン「黙りなさい」ﾁｬｶ…

律「ご、誤解なんだ…」

エヴリン「二人とも銃を捨てて、こっちへ」

律「な、なぁ…エヴリ…」

エヴリン「はやく！！」

律「く……」ｺﾞﾄﾝ

グレース「………」ｶﾞﾁｬﾝ

捨てた銃を足元に寄せて、エヴリンは私たちに銃を向けたまま、冷めた目で部屋を見渡す。

218 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:30:05.97 ID:9Tjbswgc0

エヴリン「たしかに、私が入ってくるタイミングが悪かったのかもね？」

エヴリンは皮肉っぽくそう言うと、無線機を取り出して通信をした。

エヴリン「ライアン様、リツがソフィア派の奴らと“顔見知り”だったようですが…？」

通信中でも、目と銃口はこちらへ向けたまま、エヴリンはライアンに今の状況を説明する。

ライアン『リツはスパイだったのか？』

エヴリン「いえ、その確証はありません。でも、ギャングの連中と何かもめている現場を発見しました」

エヴリン「今彼女たちを抑えています」

ライアン『リツにそいつらを殺させろ』

律「え…」

ライアン『証明しろ、リツ。お前がスパイで無いと証明できれば不問に付す』

律「で、でも…これは私の…」

ライアン『エヴリン。リツができなければ、そこにいる全員を殺せ。リツもな』

エヴリン「はい」

律「な……」

エヴリンは通信を切り、私の銃をこちらへ滑らせてきた。

エヴリン「銃を取りなさい。リツ」

律「おい…待ってくれよ！」

律「そんな事できるわけ…」

エヴリン「は　や　く」ﾁｬｷﾝ

律「く、くそ…」

私はゆっくりと床に落ちた銃を拾い、ムギたちの方へ向ける。

紬「りっちゃん…やめて」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

律「ムギ…ムギ…」ﾌﾟﾙﾌﾟﾙ

エヴリン「………」

律「ムギ、すまない…私、結局誰も守れない…」

紬「りっちゃん……」

律「ごめんよムギ…」ﾁｬｷﾝ

紬「………」

紬「……いいえ、いいのりっちゃん」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

ムギは涙を流していたけど、なんとか私に笑顔を見せようと、満面の笑みで笑ってみせた。

紬「愛してるわ」

律「ぅ…ムギぃぃぃ！！！」ﾁｬｷﾝ

ﾄﾞﾝｯ！

・・・
・・・
・・・

219 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:32:59.79 ID:9Tjbswgc0

律「………」ﾍﾟﾗ

律「………」ﾍﾟﾗ

律「ふわぁぁ……」ﾍﾟﾗ

放課後、私はみんなより一足先に部室でくつろいでいる。
ソファに寝ころびながら、読み古した雑誌のページを無意味に捲っている。

ｶﾞﾁｬ

紬「ごきげんよ〜う」

律「おうムギ」ﾍﾟﾗ

紬「あら、みんなはまだなのね」

律「ちょっと遅くなるってさ〜」ﾍﾟﾗ

紬「そうなんだ」

ムギは荷物を置いてティータイムの下準備をし、私の寝ている横に腰かけた。

紬「何読んでるの？」

律「ん？なんも読んでない」ﾍﾟﾗﾍﾟﾗﾗﾗ

律「あーあ暇だなぁ」ﾊﾞｻｯ

私は読んでいた雑誌を床に置いて、ムギを見上げる。

上から見下ろすように、ムギが微笑みながら私と目を合わせた。

律「ん…///」ﾓｿﾞﾓｿﾞ

なんだか気恥ずかしかったので、私は起き上がってソファに腰かけた。

律「ふぅ……」

律「………」

律「ムギ、天国では海の話をするらしいぜ」

紬「え、海？」

律「うん。今天国では海を話題にするのが大流行だって」

紬「どんな事話すの？」

律「さぁ？私もよくわかんね」

律「多分、魚の好みとかじゃないかな？」

紬「私は焼き魚ならサンマが好きよ」

律「これまた渋いな」

律「まぁ確かに酢橘かけてご飯と食べたらうまいよな」

紬「うん！」

律「ってこれ女子高生の会話じゃないよな絶対」

紬「じゃあ女子高生らしい会話って？」

律「例えば…服とか、メイクとか、昨日のテレビ番組の事とか…」

律「あの俳優かっこいいとか、あの先公チョーウザいー！とか」

律「少なくとも、海の話で盛り上がる女子高生なんかいない！」

220 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:34:46.58 ID:9Tjbswgc0

紬「ふふふ、少しくらいいるんじゃない？さすがに」

律「まぁ、そうだろうけど」

律「………」

律「ちなみに私はサンマよりアジの開きが好きだよ」

律「大根おろしと一緒に食べるのたまんねぇ……」

紬「レモンとかもいけるよね……」

紬「………」

律「………」

律「……く、ふふふ」

紬「ぷふっ…くくくくく」

律「ふふふ…くくく…あははははは！」

紬「ふふふ、やっぱりおかしい…あははは」

律「ぷふふ、絶対いないよｗ今、私たち以外で焼き魚の話で盛り上がってる女子高生なんかｗ」

紬「えへへへ…」

律「はぁー…」

紬「なんだか眠くなってきちゃった」

律「ん…？」

ムギが私の膝に頭を乗せて寝転がってきた。

紬「………」

律「……ん；///」

紬「誰も来ないね」

律「そうだなぁ…」

律「帰ろっか？」

紬「練習は？」

律「もう遅いし、どうせ揃っても駄弁って解散じゃない？」

紬「うーん…」

紬「もう少し待ってよう」

律「……う、うん」

・・・
・・・
・・・

221 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:37:36.67 ID:9Tjbswgc0

ｶﾁﾝｯ！

薬莢が一つ、心地よい音を出して床へ転がる。

律「はぁ…はぁ…」

紬「………」

グレース「あ、あんた……」

エヴリン「………」

エヴリン「いいのよ。それで…」

律「…ぇ」

エヴリン「ぅ……」ﾄﾞｻｯ…

エヴリンは胸に銃弾を受けて倒れた。
私が放った銃弾を受けて。

私はスパイではない事を証明せず、エヴリンを撃った。

律「エヴリン…」

私は仰向けに倒れたエヴリンの元へ寄り、手に持っている銃を見て驚愕した。

律「せ、セーフティが外れてないぞ…」

エヴリン「外さなかったのよ」

エヴリンは息を荒くして大量の血を流していたが、顔は笑っていた。
その顔を見て、何故か私は激しく後悔する。
なぜかやってはいけない事をやってしまった気がする。
私がエヴリンに銃口を向けて引き金を引く時、エヴリンの顔はとても穏やかだった。

律「なんで…！？なにが“それでいい”んだよ！？」

律「私が撃つより速く反応できただろ！？」

エヴリン「あたりまえじゃない」

律「ならどうして！？」

エヴリン「律、あなたは人を守れない人間なんかじゃない」

エヴリン「私は妹を守れなかったけど、あなたは愛する人を守る事ができた」

律「ぇ…」

エヴリン「もっとこっちへ」

床に横たわったまま、エヴリンは私を引き寄せ、私の頬に手を添える。

エヴリン「なんでこんなに似てるのかしら…本当にそっくり」

律「な、なにがだよぉ…！」

エヴリン「これでいいの。あなたは私の分まで自分の“意志”を突き通せた」

エヴリン「私はフォンテインに屈して、それができなかったけど…」

エヴリン「あなたには、それができた」

エヴリン「あなたは他人に左右されず、自らの意志で行動できる人間よ」

エヴリン「人の命令に従って、ただそれを実行する…私のような“人間以下の存在”ではない」

律「うぅ…ｸﾞｽﾝ…エヴリン…」

エヴリン「だから、ライアンに仕える必要なんてもう無い」

律「ぅぅぅ…」

222 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:39:22.73 ID:9Tjbswgc0

ﾄﾞｩﾝ！ﾊﾞﾊﾞﾊﾞﾝ！ﾄﾞｫﾝ！

ライアン私兵「エヴリン様！ソフィア派の新手が…」

ライアン私兵「え…！？」

ライアン私兵「なんだこれは！？おい貴様これはどういうことだ！？」ｼﾞｬｺﾝ

律「いっ…！？」

エヴリン「………」ﾁｬｷ…ﾄﾞﾝｯ！

ライアン私兵「うぐがぁっ！？」ﾄﾞｻｯ

律「…！」

エヴリン「うぅ…はぁ。さぁ、もう行きなさい。こ、このプラスミドを使えば、外の兵隊達に見られる事なく、その子を連れて逃げることができる」

紬「………」

律「ｸﾞｽﾝ…うん…ありがとう…」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

エヴリン「ふふ、ほんとに似てる……」

エヴリン「」

エヴリンはテレポートプラスミドが入った注射器を私に手渡して、事切れた。
最後まで私の頬に手をあてて、笑っていた。

律「はぁ……ｸﾞｽﾝ」ｺﾞｼｺﾞｼ

グレース「………」

律「ムギ…」

紬「りっちゃん…」

律「ムギぃぃ…！」

私たちはどちらからとも無く寄り添って、互いに抱きしめあった。

律「ムギ…ごめん。私、ムギの事突き放したりしちゃってさ…」

紬「ううん、私こそいきなりひどい事してごめんなさい」

律「いや、あの時はさ、ちょっと突然だったから」

律「でも、その…なんていうか、嬉しかったよ。ちょっとだけ」

ｶﾞｶﾞｰﾋﾟｰ！

律「？」

紬「無線機ね…」

律「……っ」

223 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:41:22.14 ID:9Tjbswgc0

私はエヴリンの持っていた無線機を拾い上げライアンに応答する。

ライアン『終わったか？』

律「あぁ、これでお別れだ。ライアン」

ライアン『………』

ライアン『そうか。あいつは結局、最後まで信念を貫くことはできなかったか』

律「いや、貫いたさ。エヴリンは妹に会う事を選んだんだ」

ライアン『ふん。ではまた会おうリツ』

ライアン『今度会ったら、殺してやる』

律「………」

ﾄﾞｫﾝ…！ｽﾞﾝ…！ﾄﾞｶﾝｯ！

律「わっ…！」

グレース「奴ら、ラプチャーごと海に沈める勢いね」ｶﾁｯ

グレースが隠し扉のスイッチを押し、部屋のさらに奥へと入っていく。

グレース「あんたたちも早く逃げなさい」

グレース「ツムギ、ありがとう。エレノアの事はソフィアに必ず伝えておくわ」

紬「はい」

グレース「それじゃあ、二人とも無事でね」

ﾊﾞﾀﾝ

律「………」

律「さ、行こうムギ」

紬「いいの…？」

律「なに言ってるんだよ？」

紬「私、りっちゃんにひどい事したし…皆にも迷惑かけたんじゃ…」

律「だから、気にすんなって！」

律「そんなことよりもさ、今部員を探してるんだ！」

紬「へ…？」

律「だけど、今は澪しかいなくてさ…人数が足りないんだよね」

律「だから、よかったら軽音部に入ってくれないかな〜なんて？」

紬「………」

紬「ふふふっ、面白そう」

紬「キーボードくらいしかできないけど、よろしくお願いしますっ」

律「おうｯ」

・・・

224 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:44:39.71 ID:9Tjbswgc0

1958年12月27日土曜日

澪「ムギっ、無事だったんだ…！よかったぁ…！」

紬「心配かけてごめんなさい。澪ちゃん」

律「へへへ」

私たちはテネンバウムさんの隠れ家で再会した。
律がここへやってきた時、まさかムギまで連れて帰ってくるとは思ってもみなかった。
一気に大切な物を二つも取り戻すことができた。

紬「えへへ、りっちゃん///」

律「な、なんだよ暑くるしーぞ…///」

紬「だって〜///」

澪「あ、あはは…；」

あの夜、ムギと律に何があったのかは結局聞いていないが、この二人の親密具合を見ればなんとなく察しがついた。
それを見てちょっとホッとする。別に、私だけが仲間にそのような気持ちを抱いていたわけでは無かったんだ。

澪「梓…」

その後、これまでのいきさつをみんなで語り合い、私たちはすぐにあの家を捨てることにした。
律がライアンと決別したからだ。あの家は元々…ライアンにもらった家。
あんなとこにもう住めるはずがない。
私たちの願いを、テネンバウムさんは快く受け入れて、私たちは大事な楽器や荷物をテネンバウムさんの隠れ家へ持ち帰った。

澪「ふでぺんふっふっ〜？」ｼﾞｬｶｼﾞｬｶ

少女たち「ふっふっ〜！」

軽音部を発足したあの時みたいに、私たちは再び集い、足りないメンバーを探し始めた。
でも、梓のいるレジスタンスの足取りは一向につかめないし、唯もどこをどう探せばいいのか見当もつかない。

そんなある日、私たちの隠れ家に一つの手紙が届いた。

1958年12月29日月曜日

テネンバウム「表にこんな手紙があったわ。きっとあなたたち宛よ」

律「え、手紙？」

紬「なんて書いてあるの？」

【 君たちの欠けた1ピースの場所を知っている。　教えて欲しければ今宵、フリートホールへ S.C】

律「これって…唯か梓の事か？」

澪「多分…でも、そうとう怪しいぞ」

紬「S.Cって、差出人の頭文字かな？」

澪「どうする？」

律「何言ってるんだ、行くしかないだろ」

律「何も手がかりが無いんだ。こんな誰が出したか分からない手紙でも、唯や梓の為なら私たちには確かめる義務がある」

紬「そうね」

澪「よし」

私たちはその夜、ラプチャーで一番華やかで芸術的な場所、フォート・フロリック地区へと向かった。

・・・

225 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:47:28.35 ID:9Tjbswgc0

フォート・フロリック。娯楽と芸術の街。
交通規制のため、ライアンが遺伝子キーを組み込んだせいで潜水球が全面運航停止になり、私たちは何本もの海中トンネルを迂回してやってきた。

本来は華やかな場所であるはずのフォート・フロリックには人っ子一人おらず、静まり返っている。
入口には「本日貸切」の文字。

律「貸切って、この地区全体をか…！？」

紬「どうなってるのかしら？」

澪「なんだか嫌な予感がするな」

ここへ向かう直前、テネンバウムさんが言っていた。
S.Cとは恐らく、フォート・フロリックの管理人であるサンダー・コーエンの事。
彼は芸術家らしいが、飛びきりの狂人で、何をするかわからない男らしい。

以前、梓と唯はコーエンに合った事があると聞いていたが、その時は素晴らしい芸術家の人というイメージしか無かった。
テネンバウムさんにそう言われた今でも、彼が狂人だなんて信じられない。

ﾋﾟｰｨｨｨｰｰｰｰｶﾞｯｰ

澪「！？」

私たちがフォート・フロリックの入口に着くと、どこからか館内放送が流れ始めた。

コーエン『待っていたよ野良猫共よ』

律「！？」

紬「この人が…」

澪「サンダー・コーエン…」

コーエン『ﾀﾞﾀﾞｰﾀﾞﾀﾞﾀﾞｰ、あぁいい感じだねぇ。このかぐわしき香り』

律「は？何言ってるんだ！？」

律「私たちを呼んだのはお前なんだろ！？」

コーエン『いかにも。私はね、この私自身を興味心で満たしてくれる者をずっと待っている』

コーエン『君たちは、ここへ来てからなかなか活躍しているそうじゃないか』

澪「ｯ？」

コーエン『知っているよ。私も一度聴かせてもらった事があるのでな』

コーエン『まぁ、私個人としてはあまり好みではないがね』

律「っ…！こいつ…」

コーエン『それでも、芸術家というものは耳を喜ばせ、魂をも震わせる事ができる』

コーエン『君らはどちらかな？芸術家か虫けらか…』

律「おい！何わけのわからないこと言ってるんだよ、早くあの手紙…」

ｶﾞｼｬﾝ…ｶﾞﾗｶﾞﾗ…

突然、フォート・フロリックへのシャッターが開き始める。

コーエン『さあ入ってくれたまえ！遠慮するな！サンダー・コーエンがお待ちかねだ！』

ｶﾞﾗｶﾞﾗｶﾞﾗ…

226 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:50:21.62 ID:9Tjbswgc0

律「な、なんなんだよアイツ…」

澪「とにかく、中へ進もう」

紬「そうね」

私たちはゲートをくぐり、フリートホール劇場の正面までやってきた。
辺りは薄暗く、ガラス張りの天井から街の明かりが気休め程度に差し込んでくるだけで何も見えない。

ﾊﾞｼｬﾝ！

澪「うっ…！？」

突然スポットライトが私たちをライトアップする。
それに続いて、大きなホールの壁にあるネオンサインが次々に点灯していく。

コーエン『ようこそ、フォート・フロリックへ！』

澪「うぅぅ…」

私たちは、煌びやかなネオンサインとスポットライトに照らされて、その場に立ち尽くした。

律「何が狂人だよ…ただの変人じゃないか」

紬「………」

コーエン『さぁ、私の城へ入ってきてくれたまえ。話はそれからしようじゃないか』

私たちは中央の階段を昇り、劇場の中へと入っていく。

紬「わぁ…」

劇場はそれほど大きくはないが、ラプチャーの中でもかなりアール・デコ調が強い様式で、その美しさに私たちは圧倒される。
ステージにはグランドピアノが二つ置かれており、仮面を被った男がその片方のピアノを弾いていた。

激しくて、情熱的にも感じられるけど、どうしようもなく悲壮的。悲しみと絶望を表現したようなミステリアスなメロディが聞こえてくる。

澪「………」

律「………」

紬「………」

私たちはしばしその演奏に耳を傾けていたが、律がしびれを切らせてコーエンを呼んだ。

律「おい、コーエン！私たちの仲間がいる場所、知ってるんだろ！？」

律「唯だろ！？お前が言っている欠けた1ピースって！」

コーエン『その通り』

律「どこにいるのか早く教えろよ！！」

コーエン『黙れ野良猫。そう易々と教えていては、観客が興ざめだ！』

澪「？」

私は観客席を見渡した。さっきまでは気付かなかったけど、客席の椅子には石膏で作られたと思しき等身大の人形たちがほぼ満席状態で座っていた。

紬「これが、観客…？」

227 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:53:00.04 ID:9Tjbswgc0

律「ちっ…ふざけやがって！本当に唯の居場所、知ってるんだろうな！？この…」

ﾊﾞｧﾝ！

律「いっ…！？」

劇場の映写室から銃弾が飛んできた。
その銃弾は客席の石膏人形の一つに当たり、人形は白い粉を舞い上げてバラバラになった。

と、思ったが…

澪「ひぃ…なんだよこれ！！」

紬「これって…！」

弾が当たった瞬間、石膏の破片と共に人形の頭から血と肉片が飛び散る。
これは石膏人形なんかじゃない。石膏で固められた、人間。

律「な…なんだよこれ…」

コーエン『黙れ黙れ！私は疑り深い連中は大嫌いだ！』

コーエン『私を疑う奴は、全員ここで死んでしまえぇ！』

澪「え…！？」

コーエンがそう言った瞬間、あちこちにあるスピーカーから音楽が鳴りはじめた。

澪「な……」

誰もが一度は聞いたことのある曲、チャイコフスキーの「くるみ割り人形 行進曲」

律「お次はなんだよ…」

華やかなBGMと共に仮面をかぶった大勢の男女が劇場内に入ってくる。
鉤爪やレンチを振りかぶって、こちらへ襲い掛かってくる。

律「スプライサーか！？」ﾁｬｷ

ﾀﾞﾝｯ…ﾀﾞﾝｯ！

スプライサー「」ﾄﾞｻｯ

襲い掛かってきたスプライサーは、銃弾を受けるとその場に無言で散っていく。

律「ムギ、私の後ろにいろ！」ﾀﾞﾝｯ…ﾀﾞﾝｯ！

紬「うん…！」

澪「わ、わたしもやるぞ！」

私もエレクトロボルトを放ち、律に加勢した。
ムギを守るように背中合わせになり、襲い掛かってくるスプライサー達を劇場の中央で待ち構えて次々と倒していく。

律「……ｯ！」ﾄﾞﾝｯ！ﾄﾞﾝｯ！

澪「……ひぃぃぃ！」ﾊﾞﾁﾝｯ！ﾋﾞｼｬﾝｯ！

紬「うぅぅ…」

コーエン『踊れ！野良猫！舞えぇぇ！！』

228 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:56:26.53 ID:9Tjbswgc0

スプライサーB「」ﾄﾞｻｯ

スプライサーC「」ﾊﾞﾀﾝ…

バレエ組曲をバックに、コーエンはスプライサー達を次々に送り込んでくる。
私たちはその襲い掛かってくるスプライサー達を片っ端から倒していく。

コーエン『やるじゃないか！』

律「こんの！」ﾀﾞｧﾝｯ！ﾊﾞﾝ！

澪「ごめんなさい！ごめんなさい！」ﾊﾞﾁﾁ！ﾊﾞｼｬﾝｯ！

紬「………」

５分ほど経ち、周りに死体の山ができ始めた時、BGMが止まりスプライサーの進撃が止んだ。

律「はぁ…はぁ…」

澪「はぁ…うっ…はぁ…はぁ…」

コーエン『いきなり取り乱してしまって失礼した。今夜はもっと楽しいショーがあるというのに』

コーエン『ここで君らに死んでもらっては、示しがつかないからねぇ』

律「はぁ…な、なにがショーだよ！」

コーエン『さぁ、おまちかね！今夜のメインイベント！音楽対決の時間だ！』

澪「た、対決？」

コーエン『そう。そこにいる私の弟子、フィッツ・パトリック君とピアノ演奏で勝負してもらう』

紬「！」

コーエン『曲はもちろん私の代表作、彼が先ほど弾いていた曲で勝負する』

コーエン『もしも私の弟子に勝つことができれば、君たちの仲間の場所を教えてあげよう』

澪「本当か！？」

コーエン『あぁもちろんだとも』

律「どこまでふざけて…」

コーエン『勝敗はそこにいる観客たちと私が決める。君たちと弟子の演奏を聴いて、どちらがより聴衆の魂を震わせる事ができたか…』

コーエン『もちろん負けた者にはそれなりの罰を与えるよ』

コーエン『負けた者はその瞬間、壇上で華やかに散ってもらう』

澪「え？」

コーエンの手下と思われるスプライサー達が、壇上にあるグランドピアノの傍になにやら怪しげな箱をいくつも並べていく。

澪「なんだあれ…？」

律「ウソだろ…？TNT…爆薬だよ」

紬「爆薬！？」

229 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 03:58:44.33 ID:9Tjbswgc0

コーエン『なぁにそんなに緊張する事は無い。私の弟子が芸術家として輝かしく幕を上げるための余興だと思ってくれればいい』

コーエン『君たちは私の芸術史における一ページになると思って、のびのびと演奏して散って行ってくれ』

律「ふざけんな！こんなもん誰がやるかよ！」

律「もう帰ろうぜ」

澪「あぁ、こんなの話にならない」

コーエン『それはできないよ。お客様に失礼だろう？』

ｶﾞｼｬﾝ！ｶﾞｼｬﾝ！

律「！」

私たちが帰ろうとしたとき、劇場の入口がシャッターで閉じられ、武装したスプライサー達が私たちを取り囲んだ。

澪「うぅ…」

律「くっそぉ…」

コーエン『さぁ、だれが演奏してくれるのかな？一人決めてくれ』

このメンバーの中でピアノと言えば一人しかいない。
私と律は一人決めてくれと言われ、ムギの方を見る。

紬「やるわ」

澪「おいムギ！」

律「や、やめろって！」

ムギの表情は明らかにやる気だ。

律「やめろムギ！こんなの話にならない！」

澪「そうだよ！相手は最初から曲を練習してるし、こんなの理不尽すぎる！」

澪「大体、負けたら爆弾で殺されるんだぞ！？」

紬「………」

ムギは唇を強くしめて、コーエンがいると思われる映写室の方をずっと見ている。

律「なぁ、ムギ…やめてくれ…。こんなの無理だって…！」

紬「りっちゃん、澪ちゃん…！」

澪「？；」

律「な、なんだよ…？」

230 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:01:05.76 ID:9Tjbswgc0

紬「今まで、りっちゃんと澪ちゃんは軽音部の為に…みんなの為に私たちを支えてくれた」

紬「ここに来る前も、ここに来てからも、軽音部のために力を尽くしてくれた」

紬「どんな時でも、いつも私たちの中心にいたのは、りっちゃんと澪ちゃんだったわ」

紬「さっきだって、何もできない私を守って必死に戦ってくれた」

紬「次は、私がみんなの役にたつ番」

紬「私は、りっちゃんや澪ちゃんみたいに、直接みんなを支える事はできないわ」

紬「でも、私の演奏で唯ちゃんを取り戻せるのなら、死ぬことだって怖くない」

紬「私のピアノで、みんなが元通りになるのなら…！」

律「ムギ…」

澪「………」

紬「だから、私に演奏させて！」

紬「私、こんな風にみんなの力になるのが夢だったの！」

ムギはそう言ってこちらに満面の笑みをくれた。

コーエン『役者は決まったようだな』

フィッツパトリック「………」

コーエン『さぁ、始めようか』

劇場に散らばった死体は片付けられ、いよいよショーの幕が開く。

澪「ムギ……うぅぅ…ｸﾞｽﾝ」

律「………」

紬「ふふふ、もっと笑顔で見送ってほしいな」

澪「だって…ｸﾞｽﾝ」

律「………ムギ」

紬「りっちゃん」

律「が、頑張って…な」

紬「うんっ」

ムギは笑顔のままステージの方へ向き、ピアノへ向かおうとする。

紬「………」

コーエン『どうした？はやくピアノにつけ』

231 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:03:46.40 ID:9Tjbswgc0

律「ムギ…？」

澪「ぁ…」

よく見るとムギの手が震えている。
笑顔で取り繕ってはいたが、やっぱりムギだって怖いんだ。
それを見た律は、すぐさまムギの方へ駆けていく。

律「ムギっ！」

紬「り、りっちゃん……ｸﾞｽﾝ」ﾌﾟﾙﾌﾟﾙ

律「ムギ、その…」

紬「ｸﾞｽﾝ…」

律「大丈夫だ…ムギ」ｷﾞｭ…

紬「！りっちゃん…」

律「私がついてるから。澪と一緒にムギの演奏見てるから」

律「ムギは一人じゃない」

紬「…ありがとう」

そして律とムギは互いに抱きしめ合って、口づけを交わした。

律「…んっ」

紬「…んむ…ちゅ」

澪「………」

コーエン『ほぉぉ…これは…』

フィッツパトリック「………」

律「ん……」

紬「はぁ…はぁ…///」

律「聴かせてくれ。ムギのピアノ」

紬「うん！」

232 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:06:11.53 ID:9Tjbswgc0

コーエン『ははは、素晴らしい！！！』

コーエン『洗練された魂と、禁断の愛…それらが奏でる音はまさに至高のメロディとなるだろう！』

コーエン『さぁ、始まりだ！拍手！』

あたかも観客席の石膏人間たちが拍手しているかのように、スピーカーから盛大な拍手喝采が響き渡る。

ムギはその歓声の中一歩一歩、ゆっくりと階段を踏みしめて壇上へ上がっていった。

フィッツパトリック「………」

紬「………」

仮面を付けたコーエンの弟子とムギが睨み合い、それぞれピアノの椅子に座る。

フィッツパトリック「………」ｽｯ

まずは俺からだと言わんばかりに、コーエンの弟子はﾀﾗﾗﾗﾗと素早く鍵盤を叩き、演奏を始める。
ムギは楽譜を確認しながら、その様子をじっと見つめている。

澪「………」

律「………」

先ほど聴いた、悲しみに満ちたピアノ曲が劇場内の空気を重く、シリアスな物へと変えていく。
コーエンの弟子のピアノはとても激しく、感傷的で、その感情が音を通じて私達の耳から心臓へ直に伝わってくる。

澪（すごい…）

律「ぅぅ……」

私たちの耳が喜んでいるのを感じる。
いままで、このラプチャーへ来てからも素晴らしい演奏を何度も何度も聞いてきた。
でも、こんな魂に訴えかけてくるピアノは初めてかもしれない。

紬「………」

約３分間の曲が終わり、再び劇場内は拍手に包まれる。

コーエン『………』

次はムギの番。
私たちは、たった今聴いたコーエンの弟子の曲に圧倒されていた。

律「や、やっぱり無理だ…！ムギは初めて弾くのに…こんなの勝てっこない…」

澪「む、ムギ……」

フィッツパトリック「………」

紬「………」

律「ムギ…」ｶﾞｸｶﾞｸ

澪「………」

客席に座っている私たち二人は、もはやそれを見守り、神に祈るしかなかった。

233 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:11:50.21 ID:9Tjbswgc0

紬「ふー…」

ムギは大きく深呼吸し、手を鍵盤に添えた。

澪「……！」

律「へ……！？」

ムギは鍵盤を滑らかに叩き出し、先ほどコーエンの弟子が弾いた曲を軽々と弾き始めた。
その動きには淀みなんて一切なく、まるで自分が作った曲であるかのように、悲壮感漂うメロディを奏でている。

律「す、すげぇ…」

フィッツパトリック「！」

コーエンの弟子の演奏と全く同じように、いや…もっと情熱的で、悲壮的で…
まるで私たちがこれまでこの街で経験してきた事を、その思い全てを鍵盤に叩きつけているかのように…
ムギはこんな悲しいメロディさえも陽気に感じてしまうくらい、持てるすべての感情を音に乗せている。

その音に感化されて、私たちは涙を滝のように流した。

律「ぁ…ぁぁぁ……」

澪「ぅ…ｸﾞｽﾝ……」

フィッツパトリック「………！！！」

ムギの喜怒哀楽が魂に直接伝わってくる。
ピアノは一番、奏者の感情に左右される繊細な楽器だとかよく言われるが、まさにその通りだとたった今感じた。

ライアンの弟子でさえその演奏に圧倒されて、ずっとムギの方を見て唖然としている。

コーエン『………』

曲が終わり、再びスピーカーから拍手喝采が巻き起こる。
心なしか、コーエンの弟子の時よりもその音は大きく聞こえた。

紬「………」ﾍﾟｺﾘ

ムギは椅子から立ち上がり、観客席へ深々とお辞儀をした。
私たちも客席から立ち上がり、ムギに力いっぱいの拍手をしていた。

澪「………」ﾊﾟﾁﾊﾟﾁ

律「………」ﾊﾟﾁﾊﾟﾁ

コーエン『結果はもう、満場一致のようなだな…？』

コーエンが少しドスの効いた声で、ゆっくりと喋りはじめた。

コーエン『失望したよ。フィッツパトリック君…』

フィッツパトリック「や、やめてくれコーエン！！」

澪「！」

コーエン『だまれ虫けらよ。私の顔に泥を塗ったな。お前などを見込んだこの私が馬鹿だった！』

紬「………！」

フィッツパトリック「やめろ、コーエン！待ってくれ！」

律「やばいぞ」

どちらか一方の爆薬が起爆すると言っても、ステージはそこまで広くない。
場合によっては、ムギまで巻き込まれるかも…。

234 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:13:57.11 ID:9Tjbswgc0

律「ムギ…！逃げろ！」ﾀﾞｯ

紬「りっちゃん…！」

コーエン『えぇい！！敗者は潔く死ぬがいい！！！』

律「うわっ！」

ﾄﾞｶｧｧｧﾝ！！！

紬「きゃあぁぁ！」

コーエンの弟子のTNTが起爆し、グランドピアノごと粉々に砕け散る。

律は爆風で飛ばされる寸前のムギをつかまえて、ステージの段差の隅に飛び込んだ。

ﾊﾟﾗﾊﾟﾗ……

澪「律、ムギ！！」

私は舞い上がった粉塵をかき分けて、律とムギの方へ駆けよった。

澪「二人とも大丈夫か！？」

律「うぅ…なんとか…」

紬「はぁ…はぁ…」

フィッツパトリック「うぅぅ……」

コーエン『おやぁ…お前は本当に虫けらのようだなぁ。死にぞこないが』

澪「？」

コーエンの弟子であるフィッツパトリックも、なんとか爆破から逃れる事ができたみたいだ。

コーエン『なんという醜い…勝負に負けたのいうのにまだ醜態をさらすのか』

フィッツパトリック「くそ、コーエン！あんたはいかれてる！」

コーエン『黙れ！貴様は一からやり直しだ！その薄汚い命が続く限り、鍵盤をたたき続けるがいい！！』

フィッツパトリック「やめろっ！あぁぁ！離せぇ！！」

周りにいたスプライサー達が、フィッツパトリックを取り押さえ、どこかへ連れて行ってしまった。

澪「うぅぅ…酷い…」

律「ムギ、お前…なんであんな難しそうな曲、一発で…！」

紬「え、えへへ」

律「もしかして、弾いたことあったのか！？」

律「仕事で何回も練習してたとか？」

紬「ふふふ、秘密よ」

235 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:15:15.01 ID:9Tjbswgc0

そして私たちは立ち上がり、埃を掃って一階の観客席からコーエンの方を見た。

コーエン『素晴らしい演奏をどうもありがとう。礼を言わないとな』

律「っ！礼なんかどうでもいいから、唯の居場所を教えろ！！」

コーエン『あぁもちろん教えるとも』

コーエン『彼女は今“ペルセポネ”と呼ばれる収容施設にいる』

コーエン『詳しい事は私もわからないけどね。どうやら誘拐されて、そこに監禁されているらしいねぇ』

澪「ペルセポネ…」

律「聞いたことあるぞ…多分、場所も分かる！」

紬「ほんとに！？」

律「あぁ。ライアンに仕えてた時、そういう所があるって事だけは確認した」

コーエン『さぁ、行け！もうショーは終わりだ！』

澪「っ！」

澪「言われなくても出ていくぞ！」

律「あぁ、もうこんな所うんざりだ」

紬「うん。さっそく行きましょう。唯ちゃんの所へ！」

私たちは唯の居場所を掴み、フリートホールを後にした。

コーエン『はははは！またな野良猫共！！！』

・・・
・・・
・・・

236 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:16:34.08 ID:9Tjbswgc0

律「あ、これとかどうだムギ」

紬「どれどれ？」

紬「〜？」ｼｬｶｼｬｶ

紬「あ、いいかも」

唯「私にも聴かせて！」

澪「これ気になるな」

梓「澪先輩ってけっこうジャケ買いする方なんですか？」

澪「ま、まぁね」

いつものように皆で楽器店やCDショップを巡る。
私たちは、どこに行こうが一緒。それは変わらない。

澪「〜♪」ｼｬｶｼｬｶ

澪「あ、結構いいかも」

澪「梓聴いてみる？」

梓「あ、はい」

梓「〜？〜♪」ｼｬｶｼｬｶ

律「あと“Lower than atlantis”とか？」

唯「あ、私そのバンド知ってるよ」

律「お、マジで？」

紬「なんだか変わった名前ね」

律「アトランティスって海底都市？みたいな神秘的なイメージがあるけど、これがまた最高にクールなんだぜ」

律「なんていうのかな、聞いてると元気が迸ってくる」

唯「だよねー」

梓「ん〜…あ良いですねこれ〜♪」ｼｬｶｼｬｶ

澪「………」

梓「澪先輩？」

澪「え？あぁ、なかなかいいだろそれ？ちょっと“Muse”っぽいけど。ははは」

梓「？」

・・・

237 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:17:46.96 ID:9Tjbswgc0

店を巡った後、私たちは大きな川岸で少し休憩する。

律「海は一番深い所で11kｍあるんだってさー」

唯「ひえ〜！」

紬「一番下にはなにがあるのかしら？」

唯「じゃあ次はムギちゃん」

紬「昔、三重県で96本足のタコが見つかったんだって」

律「なんだそれきめぇ！」

唯「たこ焼きいっぱい作れるねー」

律「じゃあ次は唯」

唯「えーとね、魚の半分以上はスズキの仲間！」

紬「あら、そうなの？」

唯「そうらしいよ〜？」

紬「じゃあ私が食べてたのはほとんどスズキさんだったのね」

唯「そうらしいよ〜？」

澪「………」

あの三人はなにかのウンチクで話を盛り上げている。
私と梓は川沿いのベンチに座って、向こう岸の建物を眺めた。

238 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:19:09.19 ID:9Tjbswgc0

澪「あのさ、梓…？」

梓「なんですか？」

澪「その、ごめんな…あの時は…」

梓「？…何がですか？」

澪「いやほらその…灯台でさ…」

梓「え…？」

澪「あ、いや…なんでも無いや」

梓「………」

梓「ふふ、変な澪先輩…」

梓「時差ボケか何かですか？」

澪「いや、私は元気だぞ…？」

梓「なら良かったです」

澪「う、うん…」

律「おーい、そろそろ次の所行かないとー」

唯「そうだよーせっかくロンドンに来たんだから、いろんな所まわらないと！」

澪「うん。ちょっと待って！」

澪「よーしじゃあ行くか」

梓「はい！」

■　第八章　「 I have to overcome myself　」　終　■

239 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/04(土) 04:20:04.54 ID:9Tjbswgc0

今日はこれにて終了です。

240 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/05/09(木) 04:06:58.54 ID:vfcoINrSO

　

241 ： ◆IDiYMzl2Ls [sage saga]：2013/05/13(月) 02:03:13.65 ID:lv7hrkVk0

もう見ている人いないかもしれませんが、念のため。

リアルでいろいろあったので長い間放置してしまいました。
そして…熱がほぼ冷めてしまいました。

リアルが色々忙しくなってきて、やる気もそこまで無い時に書いてもアレなので、大変恐縮ですが一旦落とします。
完結は必ずさせるつもりなので、色々修正したりしてまたどこかでスレ立てすると思います。

ここまで読んでくれた人はありがとうございます。そして大変申し訳ありません……

242 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/05/13(月) 02:25:54.85 ID:2Zdu5GMDO

いつかまた読めることを期待してます
乙でした

いいことあるといいね

243 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/05/13(月) 03:52:43.46 ID:Bl3A6c3G0

それは残念だね
復活を待ってるよ

244 ：VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]：2013/05/13(月) 14:40:51.70 ID:RocrnAca0

止めちゃうのか、惜しいな。
けいおんの非日常系クロスではハラハラしながらも、ムギが黒幕ではなく、巻き込まれる側だったので、結構気になっていたんだけどなぁ。
また頑張って下さい。
あと、今度は劇場版クレヨンしんちゃんみたいな明るいノリの非日常系ＳＳを希望します。