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【ベン・トー×Another】 Another wolves - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:08:05.87 ID:IHhokMFdo
 ベン・トー×Another クロスSSです

*Anotherに強い愛着をお持ちの方はそっ閉じ推奨

 一部他の方が書かれたギャグ・コメディ系AnotherSSのネタを拝借しているので、免疫のある方はお試し下さい

*舞台は1998年の夜見山市

 半額弁当争奪戦、現象、両方有り

 3月から始めて8月の咲谷記念館までやるのでかなりの長編になります

*ベン・トーキャラは夜見北中に編入、生まれも育ちも夜見山に設定変更

 原作で先輩後輩の関係にあるキャラが同級生になっていたり、山乃守、秋鹿が怜子さんの同級生だったりします



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=^・ω・^= ぬこ神社 Part125《ぬこみくじ・猫育成ゲーム》 @ 2024/03/29(金) 17:12:24.43 ID:jZB3xFnv0
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VIPでTW ★5 @ 2024/03/29(金) 09:54:48.69 ID:aP+hFwQR0
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小テスト @ 2024/03/28(木) 19:48:27.38 ID:ptMrOEVy0
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満身創痍 @ 2024/03/28(木) 18:15:37.00 ID:YDfjckg/o
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【GANTZ】俺「安価で星人達と戦う」part8 @ 2024/03/28(木) 10:54:28.17 ID:l/9ZW4Ws0
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旅にでんちう @ 2024/03/27(水) 09:07:07.22 ID:y4bABGEzO
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にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:26:18.81 ID:AZ8P+2+I0
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にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:26:02.91 ID:AZ8P+2+I0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/gomi/1711459562/

2 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:12:13.11 ID:IHhokMFdo
 需要と供給、これら二つは商売における絶対の要素である。

 これら二つの要素が寄り添う流通バランスのクロスポイント……その前後に於いて必ず発生するかすかな、ずれ。

 その僅かな領域に生きる者たちがいる。

 己の資金、生活、そして誇りを賭けてカオスと化す極狭領域を狩場とする者たち。

――――人は彼らを《狼》と呼んだ。


 これは――――


 理不尽な死の影を背負い、それでもなお食に、生に執着し――――

 気高く戦場を駆け抜けた、若き狼たちの物語。


 死せる餓狼の物語である。

3 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:15:03.57 ID:IHhokMFdo
 ミサキって知ってる?


 ミサキって……スーパーの?

 
 は? スーパー?


 あ、いやなんでもない……それで、ミサキって?


 3年3組のミサキの話、知ってるか?


 3組にそんな人いたっけ?


 いたんだよ、26年前の話な。
 そいつさ、一年の頃から人気者で、頭も顔も性格も良かったらしいんだ。
 だから、生徒にも先生にもみんなに好かれててさ。


 いるよね、学年に一人はそういう人。


 ところが三年に上がってすぐ、そのミサキが死んじゃったのさ。


 え……どうして……?


 事故だって聞いた。
 それでな、みんな物凄いショックを受けてさ、そんな中でふと誰かが言い出したんだ。


 なんて……?

4 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:17:49.94 ID:IHhokMFdo
 ミサキが使ってた机を指差して、

『ミサキはそこにいる。ミサキは死んじゃいない』

 ――――って。


 それって……。


 まぁ『ふり』なんだけどな……。
 それから3組じゃその後もずっと、ミサキが生きてるっていう『ふり』をし続けることにしたのさ。


 ちょっと、不気味ね……。
 ていうか、そうか……みんなが言ってた『由来』ってこの話なんだ……。


 『由来』?


 なんでもない。続けて。


 ? 結局、その『ふり』は卒業まで続いてさ。
 卒業式の時は校長の計らいで、ミサキの席が用意されたらしい。


 いい話じゃない。


 ここまでなら、な……。


 ……続き、あるんだ。


 その、続きってのがな――――

5 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:23:02.81 ID:IHhokMFdo
 Chapter 0

  Another wolves―群狼―


 March

  1


 1998年3月26日。


 中学三年への進級を控えた春休み。


 今にも雨が降り出しそうな曇天の下、僕、佐藤洋は夜見山市の駅に降り立った。


 祖父母と従姉姉の住むこの夜見山には、物心ついた頃からもう何度も訪れているため、特に新鮮な感慨はない。

 
 しかしこの日は、少しだけ憂鬱な気分での来訪だった。


佐藤「はぁ……」


 湿った空気が頬を撫でる。

 見慣れたはずの自然の多い景色、地方特有の寂れた駅舎 が、灰色の空と合わせてどこか陰鬱なものに見えていた。

 いつもなら夜見山に住む従姉妹……著莪あやめと会えるのが楽しみで、微かに高揚した気分でこの街を訪れるのだが……。

 三年への進級を控えたこの時期に、夜見山市内にある夜見山北中学への転校、それに伴う転居を余儀なくされた身としては、喜び勇んでの来訪とはいかないのだった。

 自衛官の父が一年間の海外勤務を命じられ渡米する事になり、母もそれに同伴、僕一人が日本に残された。

 親父の海外赴任も母の同伴にも、僕は特に反対しなかった。

 というより、親の転勤による生活の変化に抗う術など中学生の自分にはない。

 反発するだけ無駄である。

 どうせ一年後には寮のある高校に進んで家を出るつもりでいたし、両親の決定に特に異論はなかった。

 それどころかむしろ、僕は母さんが親父の海外赴任に積極的に同伴を希望した事に安堵し、喜んでいた。


 親父の海外赴任が決まる少し前に、こんな事があった。

6 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:26:25.53 ID:IHhokMFdo
 母さんはここ最近、親父に買わせたパソコンでインター ネットに興じ、『ネネ14歳』と身分を詐称しチャットに嵌っていた。

 ちなみに母は三十代後半である。

 三十代後半、専業主婦の母は、ネットで女子中学生を自称し、『女子中学生』という単語に特別な意味を見出す残 念な男性ネットユーザーを手玉に取って遊ぶのが趣味だった。

 おぞましくも母は、彼ら哀れなロリコンどもを『お兄ちゃん』と呼んで媚を売り、チヤホヤと女神の如く崇め立 てられる事を至上の喜びとしていた。

 夕食の席上でその日の釣果を、やれ今日は大学生にナンパされた、やれサラリーマンに一晩三万で援交を申し込ま れたと報告してくるものだから、僕も親父も地味にストレスを感じていた。

 母さんの場合、実年齢がバレるのを防ぐため現実で『お 兄ちゃん』たちと接触する心配はなかったので、親父も苦笑いとももに微妙な反応を示すばかりだったのだが……。

 ある日の事。

 夕食時、母のいつもの釣果報告が始まり、僕と親父は黙ってその日の献立、麻婆丼をかきこみながら静聴していた。

 高校生に文化祭に遊びに来ないかと誘われた可愛げのある話。

 ヲタク大学生にコスプレのモデルにならないかと誘われたキツイ話。

 その日の釣果報告はやたらと濃厚でバリエーションに富み、僕も親父もげんなりとしながら麻婆丼をかきこんでいたのだが、母さんの喜々とした語り口が徐々にトーンダウンしていき、やがて箸を置き頬杖を突き「ふう……」と溜息をついた。
7 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:29:48.28 ID:IHhokMFdo
佐藤母『それでさぁ……参っちゃったのが……』

佐藤父『……!』

 頬杖を突く母さんの表情に親父は息を飲み、僕は戦慄した。

佐藤『……!?』

 なんだ……!?

 この乙女のような表情は……!

 初めて見るぞ母さんのこんな顔……!

 なんなんだ一体……!

 母さんは……母さんは何を話そうとしている?


佐藤母『中学生の男の子にね……告白されちゃったの……ア タシ』


佐藤父『』

佐藤『…………ち、中学生って……』

佐藤母『フフ、洋と同い年の子よ』

佐藤父『』

佐藤『…………』


 ナンパされた、とか……。

 合コンに誘われた、とか……そんな話ならまだいい。

 その手の話なら耐えられる。

 慣れっこだ。

 しかし母親が、自分と同い年の中学生に告白されて物憂げにしている表情は、さすがに見るに耐えなかった。

 親父も、妻が息子と同い年の男子中学生に告白されてウットリしている様はいくらなんでも看過できなかったよ うで、丼をテーブルに置き絶句していた。
8 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:33:56.63 ID:IHhokMFdo
佐藤母『ホント……ネネ困っちゃう……』

佐藤『〜〜〜〜ッ!?』ゾワッ!

佐藤父『』

 頬杖を突き人差し指でテーブルをなぞる母さんの姿に、 僕は言いようのない拒否感を覚えた。

 どうしていいのかわからず、横に座る親父を見たのだが ――――


佐藤『……!』

佐藤父『…………』


 親父は陶然と自分の世界に入ってしまった母さんを、捨てられた子犬の様な表情で見詰めていた。

 身長180オーバーの屈強な自衛官の父が――――

 麻婆丼のひき肉とご飯粒を口元につけたまま――――

 『捨てないで』と哀願する子犬のような瞳で――――

 ネットと現実の境を失い、三十代後半の肉体に少女の魂を宿してしまった母さんを、ただ黙って見詰めていた。


佐藤『あ……あ……』


 僕は――――


 その場から、逃げ出した。

 猛然と麻婆丼をかきこみ、空になった丼を流し台に置き、部屋に戻って財布を引っ掴み、ダッシュで家を抜け出 し最寄りの電話ボックスに駆け込んだ。

 震える手で未使用のテレカを電話機に突っ込み、夜見山の著莪家の番号を押した。

 数回のコール音の後、電話に出た著莪ママに著莪に取り次いで貰い、著莪の声を聞いた所で、僕の涙腺は崩壊し た。
9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/20(木) 20:35:39.96 ID:JYMW+AXF0
いつになったらドリームキャスト2がでるんだ!
10 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:36:56.28 ID:IHhokMFdo
佐藤『じゃがぁ〜』ポロポロ

著莪『な、なんだよ、なんで泣いてんの!?』

佐藤『親父が……!ご、子犬……ヒック、母さんがッ……グスッお、 乙女……!中学生で!』

著莪『はぁ?何言ってんのか全然わからん、とにかく落ち着けよ』

 そして僕は著莪に、母さんがチャットで中学生に告白され女の顔になり、それを見た親父が子犬になった事の顛末を説明した。

著莪『ますます訳がわからんけど……いつものヤツ?』

佐藤『うん……』

 著莪にはちょくちょく残念な両親の愚痴を聞いてもらっていたので、家庭崩壊の萌芽を見たような気がしてショックを受けていた僕の支離滅裂な説明で、なんとなく事情を 察してくれたようだった。

著莪『お前んち、やっぱ面白い な〜』

 などと笑いつつも、著莪は僕を宥め慰めてくれた。

 その後30分ほど著莪と話し、落ち着いた僕は家に帰った。

 電話の向こうから聞こえた著莪ママ、リタの優しげな声は、僕に回線の向こうにある楽園を想起させた。

 我が家と比較し、著莪家の暖かな家庭が羨ましかった。

 隣の芝生は青いとか、その手の思い込みの類では断じてなかった。

 この日ほど、著莪家が自宅の近くにあったらと思った日はなかった。

 著莪の金髪モフモフしたかった。
11 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/20(木) 20:37:41.39 ID:ZiDEZiLRo
1998年はドリームキャストが発売された年か

しかしなんというモノ同士のクロスだよ
12 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:40:30.50 ID:IHhokMFdo
佐藤「…………」

 まぁ……そんな訳で。

 母さんが親父について行くと即断した事で僕は、家庭崩壊の危機なんてなかった、あの夜の出来事は僕の見た悪夢だったと安心し、高校受験を控えた僕を日本に置いて行くという親父の判断になんの反発もせず従った。

一人日本に置き去りにされ、両親と離れる事にはなんの不満もなかった。

 それでも著莪家に預けられる事が決まり、地元を一年離れる事になるのは憂鬱だった。

 タイミングが最悪だった。

 中学三年に進学するこのタイミングでの転校は、やはり辛いものがある。

 受験に対する不安は勿論、小学校から中学二年までの八年間を共に過ごした幼馴染たちと別れるのが何よりも辛 かった。

 中学三年の一年間は、高校に進学し彼らと散り散りになる前の最後の一年になるはずだった。

 それが今回の転校で、僕一人だけが一年早いお別れとなってしまったのだ。

 憂鬱にならないはずがない。

 気落ちした僕を慮り、同級生が音頭を取って送別会を企画してくれたのだが、その席上もまた残念なものになってしまった。


 主に幼馴染の石岡君と、親父の所為で。
13 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:43:29.30 ID:IHhokMFdo
 クラスのみんなが送別会をやってくれると両親に話したところ、一人日本に置き去りにするどころか軽くトラウマ まで与えてしまった罪悪感があったのか、会場に自宅を提供し人数分の寿司やオードブルを用意すると約束してくれ た。

 送別会当日、佐藤家のリビングには男女合わせたクラスメイトの半数近くが集まった。

 僕としては感動的な集まりの良さだった。

 仲の良い男子はともかく、クラスのマドンナ広部さんを中心とした女子数名が、僕との別れを惜しんで佐藤家とい う魔窟に足を運んでくれたのだ。

 これは感動しない訳がない。

 開始前から既に僕の目頭は熱くなっていたのだが、早々に涙して場を湿っぽくしてはこの至福の時が台無しになると思い、なんとか我慢した。

 そうして約束通り用意された豪華な食事を囲み、和やかに送別会は始まったのだが……。

 まず最初に仕掛けたのは、石岡君だった。

 軽く八年間の思い出話をしながら食事を始め、5分ほど経った所で――――

石岡『えっ……うえッ……』グスッ

 5分――――

 5分である。

 送別会開始後、たったの5分で――――

石岡『えええ、よ〜ぐぅぅん』ズビッ

 石岡君が、号泣し始めたのだ。

 滂沱と流れる涙。

 汚らしく垂れた鼻水。

 気色の悪い声色で僕の名を呼びながら、一人ワンワンと泣き出したのだ。
14 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:46:17.77 ID:IHhokMFdo
石岡『ぐぇぇん、ざみじいよぉ〜』

 幼馴染が僕との別れを惜しみ号泣しているというのに、 感動は微塵もなかった。

 ただただ気色悪かった。

 静まり返るリビング。

 凍りつく空気。

 早すぎるだろ、石岡。

 誰もがそう思った。

 僕たち中学生はこういった、長期の離別を前提とした送別会の経験はあまりないものだ。

 それでもさすがに送別会というものが、一時間も二時間も泣きながら湿っぽく進行するものでないことぐらいはわかっていた。

 別れに涙するとしてもそれは会の終盤、あるいは別れ際であり、場合によっては互いに涙を見せず、新たな門出を 景気良く祝って別れればいい。

 長年同じ学校で机を並べた者同士、僕たちは拙くも空気 を読み合い、暗黙の内に大過なく、楽しく送別会を執り行おうとしていたのだが……。

 僕たちは八年間同級生として付き合って尚、石岡君の空気の読めなさを見誤っていた。

 冷たい佐藤家の時は止まる。
15 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:48:41.16 ID:IHhokMFdo
広部『どうすんのよ、これ……』

 同じ時を止める能力を持つ広部さん(広部さんは魔法少 女なんだ、へへッ可愛いな)でも、この状況はお手上げらしかった。

 何処か人の心(主に男子の)を暖かくさせる広部さんのそれと違い、石岡君のそれは男女問わず人の心を凍てつか せる。

 広部さんでこの状況を収集できないのなら、他の誰にも石岡君を泣き止ませ、場の空気を和やか方面に戻す舵取り などできはしない。

 僕たちはそれぞれ微妙な空気に黙り込むか、手元の料理をもちゃ……もちゃ……と不味そうに食べるかのどちらかしか取れる行動がなくなっていた。

 ワンワンおんおん泣き叫ぶ石岡君。

 もう、石岡君の脳に何か異常が起きたのではと心配になる程の泣きっぷりだった。

 目の前には広部さんと愉快な仲間たち、そして豪華な料理が並べられ、切なくも楽しい送別会になるはずだったの に、石岡君の所為で全てが台無しだった。

 この微妙な空気のままみんなとお別れなんて絶対に嫌だ。

 ここは石岡君と最も深い交流があり、この会の主賓である僕が動くしかない。

 そう決意を固めた、その時だった。
16 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:51:30.80 ID:IHhokMFdo
佐藤父『おいおいぃ〜もう泣いてんのかぁ気の早い奴ゥめぇ』

 親父だった。

 親父が、小脇にメガドライブを抱え、片手にゲームギア持ちリビングに乱入してきたのだ。

 おそらくは若者がたくさん我が家に集まるこの機会に、 セガハードの布教に励もうと乱入のタイミングを見計らっていたのだろう。

 昨年12月にFF7が発売された事で、次世代ハード闘争はプレステに軍配が上がり決着がついたという見方が多勢を 占める中、それでも諦めずに草の根活動に励むその姿勢は見上げたものだが、この場に限ってはただの無謀だった。

 ただでさえ石岡君の号泣で空気は冷え切っていたし、この場に集まったメンバーの大半が『FF7』『ブレイブフェ ンサー武蔵伝』『サガフロンティア』のスクウェア1997コンボにノックアウトされた無垢な少年少女たちなのだ。

 メガドライブにゲームギアを携えたセガマニアの中年親父など、この場にいる誰も受け入れはしない。

 ウアーン、ヨークーン

佐藤父『まぁったくゥ、今生の別れでもぉあるまいにぃ〜』ガチャガチャ

 そんな事を言いながら、親父はさりげなくみんなの目に付きやすい位置にゲームギアを置き、テレビにメガドライブをセットしていく。
17 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:54:17.70 ID:IHhokMFdo
 イッジョニソツギョウシタカッタヨー

佐藤『……!』ギリッ

 そんな事をしても無駄だ、父さん……!

 父さんが思っている以上に……!

 ヴォォォ

 強すぎる……強すぎるんだッFFはッ!

 プレステはッッ!!

 社会人の父さんには若者のゲーム事情、そのリアルが見えていないんだッッ!

 ギャオーン

 彼らは『グランディア』や『デビルサマナーソウルハッカーズ』にすらなびかなかったんだぞ!

 僕たちが繰り返しサターン版の『バイオ1』を遊んでいる中、奴らは先月プレステで『バイオ2』を遊んでいたん だぞ!

 『トゥームレイダー』がサターンで先に発売されていた事を知らないような連中相手にメガドライブとゲームギア で何ができる!

 『サンダーフォースX』でも『街』でも勝てなかったんだ!

 ムコウイッテモゲンキデネー

 父さんが毎晩ビクビクニヤニヤプレイしている『慟哭 そして……』なんて彼らにとっては論外なんだ!

 ソフトは良くてもセガは戦い方を間違えたんだ!

 負けたんだよ僕たちはッ!

 今年発売されるセガの新ハードに望みを託し、今は雌伏の時、耐え忍ぶ時だって言っていたじゃないか!

 なのになんでそんな……!

 竹槍でB29に突撃するような真似を!
18 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 20:58:04.61 ID:IHhokMFdo
佐藤父『さぁてとぉ〜』

 メガドライブをセットし終え、立ち上がる親父。

佐藤父『ふぅ……』

 そのまま、しばし無言で立ち尽くす。

 石岡君以外の全員が、突然現れ謎のゲーム機をテレビにセットし始めた親父に注目していた。

佐藤『…………』

佐藤父『ぃ今はぁ……』

 僕たちに背を向けたまま、腰に手を当て厳かに語り出す親父。

 中には親父のアレっ振りを知っているメンバーもいたが、親父の声にはバトルアニメのラスボスじみた謎の威厳と迫力があるため、石岡君以外の全員が黙って聞き入ってい た。

佐藤父『寂しいぃかもぉ……知れん……だがなぁ』

 僕たちが静聴姿勢になった事を確認するようにタメを作り、一言一言を噛み締めるように親父は語る。

佐藤父『君たちが子供の頃から紡いできた絆はぁ…… たかだか一年のお別れで消えちまうようなぁヤワなもんじゃあないとぉ……おじさん思うよぉ?』

石岡『グジゅッ……!』

佐藤父『この中ァにはぁ子供の頃から知ってる顔もいるしぃ……おじさんさぁ……みんながこういうゥお別れ…… 一つの転機を迎える歳まで成長してくれた事がさぁ……おじさん、なんだか嬉しくってさぁ……』

石岡『おじざん……!』

佐藤『……!』

広部『…………』

 何か良い話をし始めた親父、素直に感動する石岡君。

 その意図に、息子である僕と場の空気を読む事に長けた広部さんが気付いた。

 そうか、そういう事か……。
19 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/20(木) 20:58:39.14 ID:Priy5mOpo
待ってました、期待
20 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:03:00.75 ID:IHhokMFdo
 親父は、石岡君の所為で冷え切った空気を無理に明るくしようとするのではなく、あえて湿っぽい良い話をする事 で、一人で盛り上がって泣き出した石岡君の感傷を行き着く所まで行き着かせてしまおうとしているのだろう。

 場の空気を明るく変えられないのなら、あえて暗く湿った空気と戯れ石岡君の気持ちに区切りを着けてやればい い。


 それが、親父がトランクスにTシャツ一枚で息子の友人たちの前に現れ、メガドライブをセットし突然良い話を し始めた意図……!


広部『そ、そうよ、石岡』

 広部さんは、この際親父の服装に関しては無視し、親父の作り出した波に乗るつもりのようだった。

 露骨に親父を視界に入れないようにしながら、広部さんは石岡君を宥めた。

広部『今さら一年離ればなれになるくらいで大袈裟なのよ!いい加減泣き止まないとご飯が不味くなるじゃな い!』

石岡『広部じゃん……』


 『もう!あんたはホントにしょうがないんだから!』的な、あからさまな広部さんの演技。

 しかし石岡君のような鈍い男は、これくらいわかりやすい小芝居でもしなければなかなか空気を読んでくれない。

 広部さんの判断は正しく、今にも『もう!プンプン!』 とでも言い出しそうなその小芝居は大変に可愛らしくて素晴らしかった。

佐藤『そうだよ、石岡君!高校が別になったって地元が一 緒なんだからまたいつでも会えるさ!』

 正直石岡君とは、このまま疎遠になっても別に構わなかった。

石岡『よーぐん……』ジュビ

佐藤『ほら、ティッシュ。涙拭けよ』

 ようやく落ち着いた様子の石岡君。

佐藤父『笑顔でぇ……お別れぇしようじゃあ、ないか。な?』

石岡『はい……!みんなごめんよ……なんだか暗くなってしまって』

 へへへ、という鼻につく笑いが余計ではあったが、石岡君がようやく空気を読んで泣き止んだ。
21 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:06:09.30 ID:IHhokMFdo
『まったく、石岡はしょうがねぇなぁ!』

『ほんと、泣き虫なんだから!』

広部『さ、食べましょう?せっかくおじさんが用意してくれたご馳走なんだから!』

 親父が作り出し、広部さんが乗った波にみんなが便乗し始めた。

 どこか空々しい茶番じみた台詞が飛び交い、石岡君が凍てつかせた空気を溶かしていく。

佐藤『ほら、石岡君も、さっきから全然食べてないだ ろ?』

石岡『うん!』

佐藤『はは……』

 恐ろしい事に石岡君は、この茶番に真剣に感動しているようだった。

 若干イラッときたが、せっかく送別会の空気が和やかな ものに戻ったので、なんとか表情に出さないように我慢した。

 僕たちは料理に手をつけ会話を再開し、今度こそ和やかな送別会を始めようとしたのだが……。


 ここからが、親父のターンだった。


 僕たちの空気が明るくなったのを見て取り、親父は笑った。

佐藤父『なぁーっはっはァッ!!たくさん食べろよォッ! くぉどもたちィ!そしてお腹が一杯になったらぁ――――』

佐藤『!』


佐藤父『セガのゲームでぇッ!メガドライブで思うずぉんブンッ!遊ぶがいいィッ!』

 
 セガの妙技とくと味わえィッッ!!


 とでも言いかねない、かめはめ波が撃てたり地球の命運を賭けた格闘大会を開催したり上半身が吹き飛んでも再生しそうな剣幕で、ここぞとばかりにメガドライブを推す親父。
22 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:09:22.24 ID:IHhokMFdo
石岡『……?』キョトン

広部『…………』

佐藤『……!』

 そうか……!

 そういう事だったのか父さん……!

 良い話をして石岡君を宥め、場の空気が和やかになったタイミングでセガのゲームを子供たちに勧める。

 それが父さんの戦略……!

 乱入当初から描いていた絵図……!


佐藤『……!』ゴクリッ

 僕は息を飲んだ。

 セガ派としての期待があった。

 本来なら昨年のプレステ大攻勢に心奪われた彼らが、メガドライブやゲームギアに強い興味を示す可能性は低い。

 しかし今なら……!

 石岡君がシラけさせた空気を復旧させようと全員が一丸となっている今なら!

 テレビゲームは場を盛り上げる格好のツールになる!

 みんなだって『セガなんてダッセーよな!』なんて言っ ている場合ではないはず……!

 親父が持ち込んだメガドライブのソフトは『ソニック・ ザ・ヘッジホッグ3』『ガンスターヒーローズ』の2本。

 ともに比較的一般受けし易い『触る楽しさ』のあるアクションゲームである。

 この場の流れに乗ってこの2本のソフトにみんなの手を触れさせる事さえできれば、如何に何の迷いも無くプレス テを選んだ彼らといえど、セガのゲームの魅力に目を向けてくれるかもしれない……!
23 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:12:24.19 ID:IHhokMFdo
佐藤『…………!』

 どうだ……!?

 みんなの反応は……!


佐藤父『…………』


広部『それはいいです』

 広部さんは、親父の方を見向きもせずに言い放った。

佐藤父『んなぁ……!?』

佐藤『〜〜〜〜ッ!?』

広部『ゲームとかみんなで遊べないし、今はいいです』

 広部さんはバッサリと親父の提案を切り捨てた。

 もっともな言い分である。

 せっかく大人数で集まってのパーティーで、わざわざゲームもないだろう。

 相手が広部さんという事もあり、僕はあっさりと納得したのだが親父はそうもいかなかった。


佐藤父『……ッ!』プルプル


 今にも『ぶるアァああああッッ!』と激発しそうな様子で、肩を震わせ広部さん凝視していた。

 息子として親父の名誉のために言っておくと、本来なら親父はこの程度の事でキレるような大人気ない人物ではな い。

 むしろ長年セガのゲームで鍛え抜いた忍耐力は人並外れて強く、大抵の物事(昨年のプレステの猛威ですら)笑って許せる寛容さを持ち合わせていた。

 しかしこの場合、まずい事に『せっかく気を遣って場を収めてやったのに』『レンタヒーローは自重したのに』と いう意識が働いてしまったようで、親父は広部さんにマジギレしかかっていた。

佐藤『……おっ、おや――――』

 僕は親父をフォローすべく口を開いたのだが――――


『そっ、そうね!ゲームはまた今度にしようか!せっかく皆集まったんだしね!』

『だな!洋とは今日でお別れなんだし、もっとみんなで遊べるものにしようぜ!』


佐藤『!』
24 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:15:59.26 ID:IHhokMFdo
 メガドライブセット時にしゃがんだ際トランクスの裾がずり上がり局部の膨らみが強調された親父から目を背け、 親父の怒りに気づけなかった広部さんに代わり、同級生たちが口々に親父をフォローし始めた。

佐藤父『……!』

『また今度』

『せっかくだけど』

 あからさまに気を遣った様子の同級生たちに親父も自分の愚かさに気付いたようで、ハッと我に返りトランクスの裾を直した。

 女子中学生にキレかけた愚に、ではなく、自分の恥ずかしい格好に気付いただけかもしれなかった。

広部『はぁ…………』チラッ

佐藤父『ぐぬ……!』イラッ

 広部さんは『やっと気付いたかオッサン』という表情でため息をつき、親父はその冷ややかな視線に再びイラッときたようだった。


広部『とりあえずはご飯、頂きましょうか』スッ


 箸を寿司桶の稲荷寿司に延ばす広部さん。


 その時だった。


佐藤父『それはァ……私のッッお稲荷さんッだッッ!!』


広部『』

佐藤『』

同級生たち『』


 この場にいたのが――――


 男子、だけだったなら。
25 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:20:05.82 ID:IHhokMFdo
佐藤父『ふふんっ』ドヤァ

 
 バカ受けだっだろう。


 伝説的迷作ギャグ漫画『変態仮面』の定番ギャグ。


『それは私のお稲荷さんだ』


 親父は広部さんの態度に苛ついた気持ちを抑え切れなかったようで、ジャンプネタによるセクハラという、もう 擁護のしようのない大人気ない真似をしでかしてくれやがった。

 再び佐藤家の時は止まる。

女子『???』

 何人かの女子は、ギャグの意味がわからずキョトンとしていた。


 しかし。

広部『――――』

 広部さんは稲荷寿司を箸で掴んだまま固まっていた。


広部『…………』スッ

男子『…………ッ!』

 
 広部さんは稲荷寿司を寿司桶に戻した。

 息を飲む男子。

 親父の一言で稲荷寿司を桶に戻したその行動は、広部さんが……『それは私のお稲荷さんだ』この言葉の意味を理 解しているという証拠に他ならない。

 まさか広部さんが『変態仮面』を知っているとは思えない。

 つまり広部さんは『お稲荷さん』がなんの比喩なのかを瞬時に理解し、そしてその言葉から先程の親父の局部の膨らみを連想したに違いなかった。

男子『…………ッ!』ゴクリ

 我らがアイドル広部さんにジャンプネタによる婉曲な下ネタが通用した、してしまったという事実に、男子一同色めき立った。
26 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:27:02.44 ID:IHhokMFdo
広部『…………』モグモグ

佐藤『……!』

 稲荷寿司の代わりに、その隣の玉子寿司を取り咀嚼する広部さんの顔が……僅かに、赤い。

 何か、なんだろう。

 背徳的な表情だった。

 中年親父にセクハラされながらも、いつもの強気な表情を維持し頬を朱に染め玉子寿司をモグモグする様は、形容し難い背徳的なエロスを湛えていた。

 むふぅ……なんでこう、口一杯モノを頬張る女の子というのはエロいのか……。

 僕もモグモグされたい、玉子寿司になりたい。

 なんというか、今の広部さんは――――ッ!


広部『……///』ヒョイパク

 セクハラによる赤面!

広部『……///』モグモグ

 寿司を頬張り膨らんだ頬!

広部『もう、やだ///』ボソリ

 セクハラされた羞恥と食事という健全な生命活動、相反する要素が同居し生じる混沌状態の背徳的破壊空間はまさに歯車的エロスの小宇宙!!


佐藤『――――』

 ――――という感じだった。

 感無量、眼福である。
27 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:31:12.89 ID:IHhokMFdo
広部『///』ムグムグ

 いなり寿司を桶に戻した事がセクハラを理解している証明であると広部さん自身も気付いたようで、頬に差した朱が顔全体に広がりもはやリンゴちゃんだった。

佐藤『……!』

 可愛いけどこれはいけない。

 広部さんのこの状態を引き出した親父の力技をグッジョブとサムズアップとともに称賛したい気持ちもないではなかったが、このままいくと広部さんが泣いてしまう恐れがあった。

佐藤『まったく――』スッ

 普段大人振って強気に振舞っていても結局は女の子なんだなぁ可愛いなぁ結婚したいなぁプロポーズしようかなぁ今しようかなぁという気持ちをなんとか抑え、僕は親父をリビングから追い出すべく立ち上がった。

 そしてその瞬間、再び石岡君が仕掛けた。


石岡『あ、そうだ洋くん、僕、洋くんにプレゼント持って きたんだ』


 どういう訳かこのタイミングでプレゼントをドローする石岡君。


佐藤『え?』


 何故、このタイミングで?

 と、一瞬思ったが、この気まずい沈黙を打破するには石岡君のプレゼントに食いつくのは悪くない選択に思えた。


石岡『はい、これ。僕からの餞別だよ』

佐藤『うわぁ、ありがとう』

 そう言って石岡君は、僕に何か薄い袋を差し出した。

 本か何かだろうか。
28 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:35:24.78 ID:IHhokMFdo
佐藤『嬉しいな、なんだろう?』

 何を思って今この時に渡そうと思ったのかはわからない が、昔馴染みからの餞別というのは普通に嬉しかった。

 何かと残念な石岡君だが、やはり根は良い奴なのだ。

 先程の気持ち悪い号泣が、この時になってようやく感動的な涙に思えてきた。

佐藤『あけていいよね?』ガサガサ

 言いながら、僕は袋を開けた。


石岡『あっ!待って、今は――――』

佐藤『は?』ガサ


 袋から、出てきたもの――――


 それは。


佐藤『』


 『北欧の美少女』


 ―――一冊の、本だった。


 エロ本だった。


 その、表紙。


 北欧―――


 ロシア――――


 ――だろうか。


 どことも知れない広大な草原の真ん中で、全裸で佇む金髪碧眼の美少女が僕に向かって微笑んでいた。


 僕は―――


佐藤『――――』


 何故、外国のエロいピンナップは、野外で撮影されたやたらと開放的なものが多いのだろう、と。


 一瞬、この場にそぐわない思考を巡らせた。
29 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:37:38.61 ID:IHhokMFdo
 お国柄なのか?


 広大な国土が、欲望を野外に解きつオープンマインドを育むのだろうか。


石岡『あ〜! なんで開けちゃうんだよ!』


佐藤『オラァッ!』ブンッ!

 バシィッ!!

石岡『あう!』


 僕はエロ本を石岡君に投げつけた。

石岡『痛いよ! 洋くん!』

佐藤『なんで今出そうと思ったんだよこれッ!』

石岡『だって今開けるとは思わないじゃないか!』

佐藤『思うわ!「わあ、なんだろう開けていい?」って定番の流れがなんで想像できないんだよ!』


 何故、石岡君は今プレゼントを取り出したのか。

 その理由が、袋の中身を見てわかった。

 石岡君は、広部さんが生み出した奇跡の小宇宙に欲情しムラムラしたことで、そこからの連想で持参したエロ本の 存在を思い出し、無思慮に今この場で取り出したのだ。

 大方、

『なんだか広部さんエッチだな……あ、そういえば僕、洋くんに取って置きをあげようと思って持ってきたんだっ た』


 とでも考えていたのだろう。

 気持ちの悪い奴だ。

 純朴そうでいて性欲だけは一丁前な所が本当に気持ち悪い。
30 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:40:07.74 ID:IHhokMFdo
女子『うわぁ……キモ……』

男子『石岡、お前……』

 屋外で裸体を晒すロシア美少女の写真集を見た女子連中はドン引き、男子も石岡君の擁護を放棄し即座に女子に迎 合した。

 結果、場の空気はさらに冷え込み、広部さんから決定的な一言が放たれた。

広部『これ、頂いたら……お暇するわ』

佐藤・石岡『……!?』

 石岡君の性癖にドン引き血の気も引いた広部さんは、 テーブルの料理を指差し石岡君と、何故か僕に冷ややかな 視線を寄越した。

 終わりだった。

 クラスの中心人物である広部さんの終了宣言は絶対だった。


佐藤父『なんだぁ、最近の子はナイーブだなぁ。男の別れ際の餞別っていやぁ、エロ本は定番じゃないかぁ』

石岡『で、ですよね?』

佐藤『お前らもう黙れよ……』


 僕の送別会はその後――――


 まるで時間に余裕の無い昼休みのようにみんなで手早く料理を片づけ、

『引越しって言ってもどうせ同じ県内だしね』

『ていうかあの金髪の従姉妹と一つ屋根の下とか羨ましす ぎるわ』

 などと、小一時間弛緩した空気の中ぶっちゃけトークをした後、おざなりな別れの挨拶をして解散となった。

 あんまりなお別れだった。


石岡『洋くん、これ……』ス……

『北欧の美少女』

佐藤『…………ああ、うん……いらないや。持って帰って』

31 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:43:09.83 ID:IHhokMFdo
佐藤「…………」

 忌まわしき追想を終え、僕は駅舎を出た。

 親父から持たされた携帯電話を取り出す。

 同年代で持っている者の少ない携帯も、親父へのホットラインだと思うとあまり嬉しくない。

 が、携帯に取り付けたストラップは別だった。

佐藤「フヒ」

 思わずニヤけてしまう。

 残念極まりない送別会ではあったが、最後の最後に嬉しい出来事があった。



広部『はい、これ。あげる』

佐藤『え? 何これ?』

広部『餞別よ、ストラップ。あんた、携帯持たせてもらうって言ってたじゃない』

佐藤『!? あ、あ……!』

広部『な、何よ?』

佐藤『ありがとう!! 一生大事にするよ!』

広部『ふん。当然よ、この私があんたなんかにプレゼンしたんだから。その代わり……』

佐藤『なに?』

広部『来年の春、帰って来るまでにお返し用意しときなさいよ』

佐藤『うんわかった! 今すぐ体で返すよ!』

広部『いらねぇわよ!』

 べチィっ!

佐藤『あう!』

広部『まったくあんたは……とにかく、3倍返しだから。しょうもないもん持ってきたら承知しないからね』

佐藤『ひゃ、ひゃい……』

広部『それと……』

佐藤『?』

広部『えっと……』

佐藤『??』

広部『……元気でね、洋』

佐藤『! うん、広部さんも!』


 
 というやり取りが、別れ際にあったのだ。
32 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:46:31.83 ID:IHhokMFdo
佐藤「にヒヒ」

 可愛らしいペンギンのマスコットがついたストラップ。

 広部さんから貰ったものでなければ、男の僕が着けるにはちょっと躊躇してしまうデザインである。

 何も知らない他人が見れば、このストラップを僕が自分で選んだとはまず考えまい。

 きっとこう思うはずだ。

『あら、可愛らしいストラップ。きっと彼女からの贈り物なのね。残念だわとても素敵な殿方なのにお相手がい らっしゃるのね』

『なんだいあいつ彼女がいるのか。まあ彼ほどのナイスガイなら恋人の一人や二人いてもおかしくないけどね』

 と。

 当然、広部さんもその事は折込済みで、あえてこの可愛らしいストラップを僕に渡したのだろう。

 つまりこれは、広部さんが僕を自分の所有物であるとアピールするために渡したストラップに違いないのだった。

 離れている間に、洋に悪い虫がつかないように……と。

 そんな、可愛い牽制の意味を込めたストラップに違いないのだった。

 広部さん御所望の『3倍返し』とは『今の3倍良い男になった僕』という意味に違いないのだった。

佐藤「ぐへへ」

 まったく、困った子猫ちゃんだ。

 そんな心配しなくても僕が広部さん以外の女子に興味を示す訳が――――


???「佐藤〜」


佐藤「!」


 前方から見慣れた姿、聞き慣れた声。
33 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:49:32.41 ID:IHhokMFdo
著莪「お〜っす、何一人でニヤついてんだよ」

佐藤「著莪……」


 従姉妹の著莪あやめだった。

 おそらくは部屋着のまま出てきたのだろう、白のパーカーにジーンズ姿。

 イタリア人と日本人のハーフの著莪だが、著莪ママことリタの血を色濃く受け継いだその姿はほとんど外人にしか見えない。

 毎度思う事だが、碧い瞳と金髪が寂れた地方都市である夜見山の風景にはまったく似合っていなかった。


佐藤「なんだよ、迎えに来てくれたの? 別にいいのに、 今更」

 駅から紅月町の著莪家までの道のりは頭に入っていたし、夜見山を訪れる事に今更特別な意識もないため出迎え があるとは思っていなかった。

著莪「暇だったんだよ。そろそろ佐藤来る頃だな〜って 思ってさ」

佐藤「ふぅん……」

著莪「ほいで? なに携帯見てニヤついてんだよ」

佐藤「ふふん、見ろ!」

著莪「うわ、なにお前、その似合わねぇストラップ」

佐藤「…………」

著莪「あ、わかった蘭だろ? いやぁでも、いくら好きな娘に貰ったからって男でそれはないわ〜」

佐藤「…………」

 うん……ほら、著莪はほら、従姉妹だから。

 昔から休みの度に僕の家に遊びに来てたし……著莪は僕の交友関係とかよく知ってるからこういう反応になるんで あって、赤の他人は違うから……。

 違うから……。

 ちゃんと彼女持ち認定して貰えるから……。
34 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:52:27.45 ID:IHhokMFdo
著莪「でもそっか、蘭に先越されちゃったな」

佐藤「先?」

著莪「いやさ、佐藤が携帯買ったって聞いて……」

 言いながら、著莪はポケットから何かを取り出した。

著莪「これ、やろうと思って買っといたんだ」

佐藤「そ、それは……!」

 著莪が取り出したのは――――

佐藤「そ、そそそソニックやないか!」

 腕を組みニヒルな笑みを浮かべるソニックだった。

著莪「ソニックだけど……誰だよお前」

 そ、ソニックのストラップやないか、著莪はん……!

 アカンなんやこれ、かっこええ……!

 めちゃかっこええですやん……!

佐藤「! しゃ著莪、それお前、ソニックのストラップってお前……!」

著莪「?」

 携帯は携帯するもの、携帯ストラップは携帯につけるも の……そのストラップがソニックのストラップということはつまり――――

佐藤「ソニックとずっと一緒って事じゃねぇか! ひゃっほう! こいつはCOOLだ! 最高だぜ著莪!」

 喜びのあまり、思わず跳び上がってしまう。

著莪「喜びすぎだろ……」
35 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:55:51.59 ID:IHhokMFdo
 広部さんに貰ったストラップが嬉しすぎてその発想はなかった!

佐藤「著莪ありがとな! 超嬉しいよ! これで寝ても覚めてもソニックと一緒だ!」

 ソニックのストラップに手を延ばす。

 しかし。

著莪「でもいらないよな〜?」ヒョイ

佐藤「ああ!」

 僕の手を躱すように、ストラップを頭上に持ち上げる著莪。

佐藤「なんで!? いるよ! ちょ、ちょうだい、下さい! ソニックを僕に!」ピョンピョン

著莪「だって、蘭に貰ったやつがあるだろ? アイツに悪いしな〜」

佐藤「う……!」

 それを言われると……!

 だがしかし!

佐藤「だ、大丈夫だって! 2つつける! クラスの女子にゴチャゴチャ一杯つけてる子もいたし2つくらいなんて ことないって!」

 欲しい欲しいそれ欲しい!

著莪「女々しいし、必死だな。でもまぁ、それでいっか。 ほれ」ポイ

佐藤「やた!」パシッ

 ソニックゲット!

佐藤「やった〜!」カチャカチャ

著莪「まさかここまで喜ぶとは……」

佐藤「すげぇ、僕の携帯にソニックが!」キラキラ

著莪「はは。目ぇキラキラしてんぞ、佐藤」

 早速装着し、携帯を天に掲げてみせる。

 広部さんに貰ったストラップと合わせ、僕の携帯はもはや無敵だった。

佐藤「著莪ありがとう!」

著莪「わかったから、もう行くぞ? 家でバーチャやろう ぜ」

佐藤「うん!」キラキラ


 こうして僕は著莪とともに、正月以来約三ヶ月振りの……これから一年間我が家となる著莪家に向かったのだった。
36 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 21:59:39.40 ID:IHhokMFdo
  

  2


佐藤「え? リタいないの?」

著莪「うん、今イタリア〜」

佐藤「そ……そんな……」

 著莪家に到着し、一年間自室になる空き部屋に荷物を置いた所で驚愕の事実を知らされた。

 ソニックのストラップで高まったテンションが急速に低下していく。

佐藤「な、なんでこの時期に……」

 里帰りは毎年夏と正月だけのはずじゃ……。

著莪「いやさ、なんかあっちの爺ちゃんが倒れちゃったらしくて。何日か前に慌てて帰ってった」

 あまりにもいつもと変わらない調子で、サラリと言い放つ著莪。

 倒れたって……。

佐藤「え……それ、大丈夫なの? ていうか親父たちから何も聞いてないんだけど」

著莪「大丈夫みたい。大した事はなかったらしいんだけど 一応検査入院することになって、ママも心配だからしばらく向こうに残るってさ。伯父さんたちにはパパから連絡いってるはずだけど……」

 何考えてんだあの馬鹿親父……面識は少ないけど僕だって親族だろうが。

佐藤「いや、聞いてない……まぁ、大丈夫ならいいんだけど……ちなみにしばらくってどのくらい?」

著莪「わかんないけど、何ヶ月かは向こうにいるってさ」
37 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:02:11.29 ID:IHhokMFdo
佐藤「何ヶ月……」

著莪「少なくとも夏までは。大した事ないっていっても、 やっぱりママもちょっとナーバスになってて」

 著莪の表情が僅かに曇る。

佐藤「そっか……」

著莪「こっちに連絡あった時はもう大事ないってわかった後でさ……それってつまり、何かあった場合でも……連絡は事後だったって事じゃん?それでちょっとね」

佐藤「ああ……うん、それは仕方ない……」

 外国で離れて暮らす父親が倒れたとあっては、病状の度合いなど関係なく平静ではいられないだろう。

 仕方ないのはよくわかる。

 しかし。

佐藤「ああ……そっかぁリタいないのかぁ……」

著莪「なんだよ? そんなにママに会いたかった?」

佐藤「いやさ、電話でも話したけど、最近ウチの母さんネットにハマり過ぎて家事が手抜き気味で……」

著莪「そういや言ってたな、そんな事」

佐藤「最低限の家事はちゃんとやってるんだけど……メシがさ、最近レトルトとか冷凍食品が増えてきてて……」

著莪「ああ、それで」

佐藤「うん……リタの料理楽しみにしてたんだけどなぁ ……」

著莪「あはは、ママも『男の子ってどのくらい食べるのかしら〜』とか言ってウキウキしてた」

佐藤「うう……」

 そんな話を聞かされると余計に辛い。
38 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:05:12.75 ID:IHhokMFdo
佐藤「それで、リタがいない間メシはどうするの?」

著莪「うん、パパも仕事あるしあたしもそんなに作れないし、適当に買って済ませようって。佐藤の分の余計な食費 は伯父さんが振り込むってさ」

佐藤「そっか……そういう事は知らせとけよな、あの馬鹿親父……」

著莪「あたしから聞けばいいとでも思ってたんじゃない? 爺ちゃんも無事だったし」

佐藤「多分そんなとこだろうな……」

 リタの事は仕方ないとして、親父の連絡の不備にはげんなりとさせられる。

佐藤「はぁ……ま、しょうかないよな」

著莪「そんなに落ち込むなって〜」

佐藤「別に落ち込んでる訳じゃ……」

 本当は落ち込んでるけど……事情が事情なので不満を口にし辛い。

著莪「あたしはちょうどいいぐらいに思ってたんだ」

佐藤「ちょうどいい?」

著莪「うん、佐藤がこっちに住むなら連れてってやろうと思ってた店があってさ」

佐藤「なに? メシ屋かなんか?」

著莪「まぁ、そんなとこ」

佐藤「何屋さん? 美味いの?」

著莪「ふっふ〜ん」

佐藤「? なんだよ?」

 著莪の眼が妖しく光る。

 口元がニヤついている。

 なんだが嫌な予感がする。

 これは著莪が何か企んでいる時の顔だ。
39 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:07:22.25 ID:IHhokMFdo
著莪「まぁそれは行ってみてからのお楽しみって事で。多分、佐藤もすげぇ気に入ると思う」

佐藤「本当ににメシ屋なんだろうな……?」

著莪「大丈夫、味は保証するよ。それにすごい面白いし、 新しいダチも出来るかもしれない。行って損はないな」

 すごい面白いメシ屋?

 それに新しいダチって……。

 地元民御用達の店、という事だろうか。

佐藤「怪しい……なんか企んでないか?」

著莪「んん〜? ふふ、心配すんなって。美味いのは確かだから」

佐藤「う〜ん、なぁんか不安だなぁ」

 まぁ著莪のことだから、何かあるとしてもちょっとした 悪戯程度だとは思うけど……。

著莪「ふふん、どうかな〜? まぁ楽しみは後に取っとくとして……まだ晩飯まで時間あるし、あたしの部屋行って バーチャやろう」

佐藤「うん、それはいいけど……」

 考えても何もわからないし、ここは大人しく従っておく事にしよう。

 それに……。


著莪「ふっふっふ」

佐藤「なんだよ、その不敵な笑みは」


 久しぶりに会った従姉妹の悪戯に付き合うのも、悪い気はしないし。

40 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:10:50.22 ID:IHhokMFdo


  3



 数時間後、僕と著莪は著莪家の近所にあるスーパーの前にいた。

佐藤「……連れて来たかった店ってここ?」

著莪「うん、ここ」


 店名は『ラルフストア』

 改装されて新しくはなっているが、僕もよく知っている店だった。

佐藤「……ここって、昔よく一緒にお菓子買いに来た店じゃんか」

著莪「懐かしいな〜まだボロっちかった頃だな」

佐藤「……うん」


 これは……あれか?

 美味い店あるんだ、と言われて来てみれば、それはただのスーパーでしたという……著莪のギャグか?

 先ほどの露骨に腹に一物といった態度の真意はこれ……?

 そうだとしたら……珍しい事もあるもんだ。


著莪「ほいじゃ行くか」

佐藤「うん……」


 著莪がスベるなんて。

 なんか、なんでもないような顔してスーパーに入っていくけど面白くないぞ著莪……普通にがっかりだよ?


著莪「ちくわの磯辺揚げの婆ちゃん、覚えてる?」

佐藤「ああ……うわ、懐かしいな。あの人まだいるの?」

 自動ドアを潜りながら、著莪が懐かしい話を持ち出す。

 確か、7、8年前、僕たちが小学校低学年の頃、リタからお小遣いを貰ってこのスーパーにお菓子を買いに来た時 に、出来立ての惣菜……ちくわの磯辺揚げをこっそりくれたお婆ちゃん店員の話だ。

 記憶している限り、あの時点でかなりの高齢だったと思うのだがまだ現役なのだろうか。

著莪「いんや、さすがに引退してる。まだ元気だけどね、 たまに朝走ってる時会うし。そんで今は若い人妻が後引き継いで弁当とか惣菜作ってる」

佐藤「ほほう……若い人妻……」

 著莪に他意はないのだろうが、若い人妻というだけでもうなんかエロい。
41 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:13:59.65 ID:IHhokMFdo
著莪「前の婆ちゃんの弁当も旨かったけど、今のはんが――――人妻の弁当もかなり旨くて、この辺りじゃ結構人気あるんだ」

 ? 今のはんがー?

 何と言い間違えたんだ?

佐藤「ああ、そういう事か。旨いとこって言ってスーパーなんか連れて来るから、なんのギャグかと思ったよ」

著莪「あはは、ママのご飯楽しみにしてた佐藤にはちょうどいいかなって。ここの、裏で手作りした弁当だし」

佐藤「人妻の手作り弁当……」

 いい響きだ。

 むふぅ……オラ、ワクワクしてきたぞ。

 さすがに叔母のリタにエロスは期待していなかったけど……これはこれで……うん、なかなか悪くない。

佐藤「その人美人?」

著莪「かなり。男性客の中には、あの人が作ってるからってだけでここの弁当を狙ってる奴もいるくらい」

佐藤「それはそれは……」

 ぜひ食べる前に、その弁当を作っているという美人若妻 のご尊顔を拝んでおきたいところだ。

著莪「ま、そういう連中はすっげえ弱いんだけど」

佐藤「? 弱いって?」

著莪「ん? ああいや、なんでもない」

佐藤「…………」

 なんだ……?

 やっぱり何か怪しい……。

著莪「さ、弁当見に行こうぜ。今くらいだと割引き始まってる頃だろうし」

佐藤「うん……」
42 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:17:21.72 ID:IHhokMFdo

  *

 惣菜、弁当コーナーには、3個の弁当が売れ残っていた。

佐藤「お、ラッキー。3割引だぞ、著莪」

著莪「…………」

 売れ残っていた弁当は、2つの大きなお碗型のオムライスが入った弁当、エビチリがメインの中華弁当が2つの3 個。

 どれも3割引のシールが貼られていた。

 著莪の言う通りどちらも旨そうだった。

 コンビニ弁当にはない暖かみと遊び心が感じられるのもいい。

 特にオムライス弁当は、見た瞬間『あ、オッパイだな』 と思ったら、商品名がそのものズバリ『特製オムッパイ弁 当』と表記されていた。

 なんという事でしょう……。

 これを件の人妻が作っていると思うと……ぬふぅ……!

 もう辛抱たまらん!

佐藤「著莪、僕オッパ――オムッパイにするよ」

著莪「……ああ」

 あやうく言い間違えそうになりながら、オムッパイに手を伸ばす。


著莪「ふッ……」ニヤッ


佐藤「?」


 なんだ?

 著莪のこの笑みは――――



???「ストップ、そこの君」


43 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:21:29.12 ID:IHhokMFdo
著莪「げっ」

佐藤「はい?」ピタッ


 弁当に手が触れる直前、背後から――おそらくは僕を静止する――謎の声。


佐藤「?」クルッ

著莪「あちゃ〜」

 振り返る。


???「弁当に伸ばした手を引くんだ……」


 そこにいたのは、ウェーブした前髪を左右に分けた、一 人の華奢な少年だった。


佐藤「?」


???「『まだ』だよ。君は……著莪さんに嵌められているんだ」


 ……?

 いや、嵌められているのは知っていたけど……。


佐藤「えと、知り合い?」

著莪「うん……同級生」


???「まったく、君も懲りないね。またそうやって『争奪戦』を知らない者を罠に嵌めて遊んでいるのかい?」


佐藤「?」


 なんだ?


著莪「人聞きの悪い事言うなよ、『高林』ボコられたってこいつの自己責任だろ?」

佐藤「??」

 何言ってんだ?  2人とも。

 争奪戦? ボコられる?


高林「確かに……そうだ……『スーパーとはそういう場所』 だ。その通りだね……でも、やっぱりそんなの…………『フェ アじゃない』……」ゴッ!


著莪「う……!」

佐藤「……!?」


 な、なんだ……?

 この気配は――――!?

44 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:22:03.33 ID:IHhokMFdo
著莪「げっ」

佐藤「はい?」ピタッ


 弁当に手が触れる直前、背後から――おそらくは僕を静止する――謎の声。


佐藤「?」クルッ

著莪「あちゃ〜」

 振り返る。


???「弁当に伸ばした手を引くんだ……」


 そこにいたのは、ウェーブした前髪を左右に分けた、一 人の華奢な少年だった。


佐藤「?」


???「『まだ』だよ。君は……著莪さんに嵌められているんだ」


 ……?

 いや、嵌められているのは知っていたけど……。


佐藤「えと、知り合い?」

著莪「うん……同級生」


???「まったく、君も懲りないね。またそうやって『争奪戦』を知らない者を罠に嵌めて遊んでいるのかい?」


佐藤「?」


 なんだ?


著莪「人聞きの悪い事言うなよ、『高林』ボコられたってこいつの自己責任だろ?」

佐藤「??」

 何言ってんだ?  2人とも。

 争奪戦? ボコられる?


高林「確かに……そうだ……『スーパーとはそういう場所』 だ。その通りだね……でも、やっぱりそんなの…………『フェ アじゃない』……」ゴッ!


著莪「う……!」

佐藤「……!?」


 な、なんだ……?

 この気配は――――!?

45 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:25:56.63 ID:IHhokMFdo
佐藤「……!」ジリッ

 カツン

佐藤「!?」ハッ


 無意識の内に後ずさり、陳列棚に踵が当たる。

 
 僕は――――!?


佐藤「〜〜〜〜ッ!?」


 怯えているのか……!?

 この……僕より体重が10キロは軽そうなこの少年――高林君に!?


高林「『フェアじゃあないよ』……著莪さん……たとえ争奪戦という『場』がそれを許しても……この僕が許さない」
 

著莪「く……!」

佐藤「しゃ、著莪……?」


高林「説明するんだ。彼に……『全てを』いいね?」


著莪「むぅ……」


高林「『いいね?』」


著莪「う、わかった、わかったから……説明するよ、全部」


高林「そう……ならいいんだ…………君」


佐藤「は、はい!」


高林「名前は?」


佐藤「さ、佐藤洋。著莪の従兄弟です」


高林「肩肘張らなくていい。僕は高林郁夫。よろしくね……」


佐藤「よ、よろしく」

46 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:29:12.93 ID:IHhokMFdo

 自己紹介とともに、優しく笑う高林君。

 ようやく謎の気配が消える。

 いや……消えたというより……高林君が『収めた』という印象だった。

 これは一体……この、如何にも病弱なもやしっ子という風体の彼から、何故あんな殺気立った気配が……?


高林「佐藤君、今は意味を理解できなくてもいい。でも覚えておいて欲しい……本来なら、3割引の弁当に手を出す客 がいても『僕たち狼は』『豚』と蔑んで終わりだが……オムッパイだけは別だ」


佐藤「???」


高林「たとえ3割引でも、その弁当だけは危険なんだ。殺気立った『男性狼』が何をするかわからない。以前にも、 血迷った狼たちが複数個のオムッパイを買い占めようとした『豚』を襲撃した事があってね」


佐藤「しゅ、襲撃……? この弁当を巡って喧嘩が起きたって事?」


高林「ン……まぁね、そんな所。ほら、あそこ――――」

 高林君は、弁当コーナー近くの棚にたむろす男性客を指さした。

佐藤「う――――!?」



???「…………」

???「…………」

 ギンッッ

???「…………」

???「…………」



佐藤「……!」

 そこには、ギラギラした目付きでこちらを睨む4人の男性客がいた。

 顎髭のチャラそうな男、同じくチャラそうなジャージを羽織った男、坊主頭の男、長めの髪に童顔の小柄な男。

 全員同年代だろうか……彼らが高林君の言う『男性狼』 というやつなのだろうか。
47 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:41:43.02 ID:IHhokMFdo
佐藤「あの人たちが?」


高林「そう、オムッパイ狙いの狼……今夜に限っては狂犬 といった所かな。一度出禁になりかけたんだけど、半額神の厚意で取り下げになってね。今夜も懲りずにオムッパイ に群がっている」

 半額神?

 訳わかんない言葉が次々と出てくるな……今は意味を理解できなくていいと言っていたけど……。

佐藤「でも、それじゃとられる前に買っちゃえばいいんじゃ……」


高林「それはそうなんだけど、彼らにもプライドはあるからね。でも、半額ならいいんだ、あと少しして……半額 シールが貼られたら、オムッパイだろうが中華弁当だろうが『手を出して』構わない。佐藤君、君もね。勿論、3割引の中華弁当を買って帰るのも君の自由だ……」


佐藤「それはどういう――――」


高林「――これ以上は著莪さんから聞いてくれ。それじゃあ……『また後で会える事を祈っている』佐藤君……」


 そう言って、高林君は僕たちの前から立ち去った。


佐藤「……著莪、どういう事?」

著莪「はぁ……まだ15分くらいあるな……しゃあない、説明するからちょっとあっち行こうぜ」

佐藤「うん……」


 著莪の悪戯が失敗に終わったという事はなんとなくわかったのだが、高林君の説明はわからない事だらけだっ た。

48 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:45:00.47 ID:IHhokMFdo

  *

佐藤「それじゃ、この後弁当が半額になったら、さっきの連中と戰うって事?」

著莪「そう。半額弁当争奪戦っていうんだ。さっき高林が言ってたろ?」

 
 著莪の説明に、僕は呆気に取られた。


佐藤「え? あの高林君も、その『狼』ってやつなの?」

著莪「そう。それもかなりの強豪。あたしの所為で火をつけちゃったみたいだし、今夜は余計に強いだろうね」

佐藤「ちょっと……何言ってんのかわかんない……だってさっきのあの高林君が? 強豪?」

著莪「うん。ここらじゃ知らない奴はいない。本人は嫌ってるけど《フェア林》って二つ名もついてる」

佐藤「二つ名って……」

著莪「単純に強い奴とか、外見や戦い方に特徴がある狼には二つ名がつくんだ」

佐藤「えぇ……」

 
 半額弁当争奪戦の存在にも驚いたが、高林君が強豪だという話には更に驚いた。

 というか信じられない。


佐藤「さっきの顎髭とか坊主とかジャージより高林君の方が強いっていうの?」

著莪「? うん、ていうかあん中のジャージと童顔は雑魚だな。高林には遠く及ばない。顎髭と坊主はけっこうやる奴 だけど」

佐藤「えぇ……? 嘘だろ?」

 あの連中は体格もしっかりとしていたし、華奢な高林君の方が強いだなんて信じられない。

著莪「本当だよ。スーパー限定だけどな」

佐藤「スーパー限定?」

著莪「『腹の虫の加護』って呼ばれてる……空腹時に半額弁当を求める事で身体能力を引き上げる力があるんだ」

佐藤「……なんだって?」

49 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:47:07.48 ID:IHhokMFdo
著莪「はは、そうなるよな? でも実在する。さっきの高林はその腹の虫の力を引き出す事に長けてるから強いん だ。あいつ、スーパー以外じゃ心臓弱くて体育の授業はいつも見学だし」

佐藤「駄目じゃんか、そんな奴が喧嘩とかしちゃ……」

著莪「スーパーでは腹の虫の加護があるから平気なんだ。 スーパーでなら、あいつは全力で体を動かせる。あたしなんて一回、あいつに殴られて3メートルくらい吹っ飛ばされて失神した事あるし」

佐藤「……ねぇ、やっぱり僕の事担ごうとしてるよね?」

 いくらなんでも……3メートルはないわ……。

著莪「信じる信じないは自由だよ。どうせ後10分もすれば半値印証時刻だし。その時になってみればわかる」

佐藤「…………」

著莪「で、どうすんの?」

佐藤「何が?」、

著莪「高林が言ってたろ? 3割引の弁当を買って帰るもよし、半値印証時刻を待って争奪戦に参戦するもよし。高 林のお節介のせいで悪戯もパーだし、佐藤の好きにしていいよ」

佐藤「うぅん……」
50 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:48:38.83 ID:IHhokMFdo
 僕に美人若妻の情報を知らせて3割引きのオムッパイに手を出させ、半額になったオムッパイ狙いの狼たちをけし かける。

 それが著莪の悪戯の全容。

 想像していたより遥かにバイオレンスな著莪の悪戯には、僕を争奪戦の世界に引き入れる上での『洗礼』の意味 も込められていたらしい。

 しかしその悪戯は、高林君の妨害で失敗に終わった。

 大抵の場合、半額弁当争奪戦の存在を知り狼になるまでは、何度か痛い目を見るのが普通らしい。

 しかし争奪戦の暗黙のルールよりも自身のフェアプレー精神を重んじる高林君によって、この店でデビューするルー キーは事前にルール説明を受けるケースが多いのだとか。


著莪「あたしはそんなのつまんないと思うんだけどな〜」

佐藤「それは……ちょっとわかるような気もする」


 ボコられるのは嫌だし、助けてくれた高林君には感謝しているけど、面白みが薄れるとは思う。
51 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:51:45.25 ID:IHhokMFdo
 半額弁当争奪戦。

 半額神。

 腹の虫の加護。

 強豪《フェア林》

 正直、どれも信じられない話だ。

 でも――――


著莪『それにすごい面白いし、新しいダチも出来るかもし れない』


 数時間前の著莪家での、あの言葉……。

 この半額弁当争奪戦への導きは、中3のこの微妙な時期に転校して来た僕への著莪なりの気遣いなのではないだろ うか。

 そう考えると3割引きの中華弁当を買って帰ってしまうのは無粋な気がする。

 それに、著莪と高林君に『怖ければ逃げても構わない』 と言われているようで、このまま帰るのはなんだか癪に障る。


佐藤「著莪……僕やってみるよ、著莪の言う通りすごい面白そうだ」

著莪「よっしゃ、決まりだな」


 ニッコリと、再会して以来一番の笑みを浮かべる著莪。


著莪「へへ、佐藤ならそう言うと思ってた。ならさ、さっき見た弁当に意識を集中させて、『オムッパイ食べた い』って強く願うんだ」

佐藤「腹の虫の力ってやつか……よし」

 オムッパイ……オムっパイ、オムっパイオムっパイオムっパイ、オムっパイが食べたい。

 こんな感じか……?


著莪「佐藤は素質あるよ、さっき高林の気配を感じ取って ビビってたし」

佐藤「あれは、そういう事だったのか……」

 得体の知れない、身を刺すようなあの気配……高林君が狼として放つものだったのか……。
52 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:54:41.31 ID:IHhokMFdo
 著莪の話を聞きながら、オムっパイ弁当に意識を集中させていく。

 オムっパイオムっパイオムっパイオムっパイオムっパイオッパイオムっパイオムっパイオムっパイオッパイ……食 べたい食べたい……腹減った……。

佐藤「食べたい食べたい……」

 昼はカップ麺だけだったからなぁ……オッパ、オムっパイにむしゃぶりつきたいなぁ……。

 オッパイオムっパイオッパイオムっパイオッパイオムっパイオッパイ若妻のオッパイオムっパイ……。

佐藤「むふぅ……」

著莪「佐藤、エロい事は考えんなよ?」

佐藤「!?」

 何故バレた!?

著莪「そういうのは邪念になる。純粋に弁当の事考えてないと腹の虫の力が鈍るぞ」

佐藤「人妻の手作り弁当狙いが弱いってのはそういう訳か……」

著莪「そ、とにかく集中しゅうちゅ――――あ」

佐藤「?」

 僕に腹の虫の力をレクチャーしながら、途中で何かに気付いた様子の著莪。


著莪「――ふっ」ニヤッ

佐藤「?」


 著莪の瞳が妖しく光る。

 なんだよ……悪戯は失敗に終わったはずじゃ……。


著莪「そこで集中してろよ? あたしはちょっと行ってくる」

佐藤「え、行っちゃうの?」
53 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 22:58:41.06 ID:IHhokMFdo
著莪「うん。ちょっと知り合いがいたから挨拶して来る。痛い目見たくなかったら集中してろよ? オッパイじゃな くてオムっパイだからな」

佐藤「わかったよ……」

 そう言い残して、著莪は行ってしまった。

 去り際の怪しい表情が気になるが、とにかくオッパ――オムっパイに意識を集中させよう。

 まだ著莪の話を完全に信じきれた訳ではなかったが、先 程の高林君の異様な迫力を思えば用心するに越した事は ない。

佐藤「オパ――オムっパイオムっパイ……」

 僕はカップ麺の棚に向き直り、目を閉じて魅惑の弁当に想いを馳せる。

 著莪は邪念になると言っていたが、やはりあんな形をし たオムっパイを目の当たりにして平静でいられる程、僕は成熟しちゃいな――――


???「こんばんわ」


佐藤「?」


 また――――

 背後から、謎の声。


佐藤「はい?」クルッ

 
 目を開き、振り返る。

 そこにいたのは――――

54 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 23:01:31.55 ID:IHhokMFdo
???「こんばんわ。今、著莪さんと話してたよね?」


 美少女――――


 なのだが……なんだ?


 著莪の知り合いみたいだけど……何かこの娘は……?


佐藤「うん……著莪の友達?」


???「うん。ミサキっていうの。君は?」


佐藤「……佐藤洋。著莪の従兄弟だよ」


 少し色素の薄いシャギーショートボブの黒髪。

 小柄で華奢な体格に、大きな瞳が愛らしい中性的な顔立ち。

 病気か怪我でもしているのだろうか、右眼に眼帯を着け ている。

 美少女、ではあるのだが……。


ミサキ「オムっパイって呟いてたけど、佐藤君も狼なの?」


佐藤「うん……というか、今日が初めてなんだけど……」


ミサキ「私も狼なの」


佐藤「へぇ……君みたいな娘もいるんだね、狼って」


ミサキ「狼に、性別とか体格とか関係ないもの」


佐藤「ふぅん……そういうもの……」


 ミサキと名乗った少女……彼女は、二言三言言葉を交わしても、まったく表情が変わらない。
55 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 23:06:14.10 ID:IHhokMFdo
 美しく、可愛らしい女の子ではあるのだが……。

 身に纏った……これはロリータファッションというのだろうか……?

 フリフリのついた淡いピンク色のワンピースに同色のストールを羽織った少し浮いた出で立ちと、透き通るよう に白い作り物めいた肌が、能面のような無表情と合わせ ―――


 どこか彼女は――――


ミサキ「今――――」


佐藤「!」


ミサキ「人形みたい――って、思ったでしょ」


佐藤「!? あ、いや……」


 心中をズバリ言い当てられ、慌ててしまう。

ミサキ「よく言われるの『ミサキはお人形みたいだ』っ て。大抵は褒め言葉みたいだけど……なんだかね、含みを持たせる人もいて……」

 
 含み……おそらく、今僕が思ったように……。


ミサキ「気味が悪いって……言われてるような気がするの。佐藤君は、どう思う?」


佐藤「え、いや、ミサキさん可愛いと思うよ? その服もすごく似合ってるし……」


ミサキ「そう、ありがとう」


 面と向かって可愛いと言われても、やはりミサキの表情は動かない。


 可愛いと思ったのは本音だが、服に関しては本音の半分だった。

 似合っている……というより、似合いすぎている、というのが僕の印象だった。

 白磁の肌、美しい顔立ち、そして眉一つ動かない無表情と合わせ、ミサキ本人の言う通り、僕には彼女が人形のよ うに見えていた。


 ちょっと不気味だと思ってしまったのは内緒だ。

56 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 23:08:06.62 ID:IHhokMFdo
佐藤「…………えっと」


ミサキ「なに?」


 一つ、気になる点があった。


佐藤「眼、どうしたの? 病気?」


ミサキ「ああ、これ……うん、ちょっとね」


 彼女は狼だというが、眼帯を着けたまま戦うつもりなのだろうか。


佐藤「平気なの? 片目で、この後……」


ミサキ「平気よ。いつもの事だから」


佐藤「あ、そう…………」


ミサキ「見る?」


佐藤「え?」


ミサキ「眼帯の下。すごいことになってるよ」


佐藤「い、いいよ。別に……」


 これから夕食だというのに、怪我だか眼病だかの痕を見るのは嫌だった。

 なんか、やっぱりちょっと変わった娘なのかな……?

57 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 23:11:02.10 ID:IHhokMFdo
ミサキ「そう」


佐藤「うん……」


ミサキ「…………」


 それきり、ミサキは黙り込んでしまう。


ミサキ「…………」


 黙り込んだまま、僕を見詰めるミサキ。


佐藤「う……え……?」


 表情が変わらない事もあり、彼女が何を考えているのかまったくわからない。


佐藤「…………」キョロ


 気まずくなり、著莪を探して視線を彷徨わせる。

 そこで――――


佐藤「!?」



???「…………」



 店内外周の通路から、棚の間にいる僕たちを見詰める少女がいるのに、気づいた。

 その外見――――

 少女は、ミサキに瓜二つだった。

 髪型、服装、眼帯……全て同じ。

 違うのは服の色が水色である事と、眼帯を左眼に着けている事……そして。



???「…………」カタッ



 少女は右手に、人形を持っていた。

 服も何も身に着けていない、裸の球体関節の人形が少女の右手にぶら下がっていた。

 人形の長い金髪がダラリと垂れ下がり、その顔を覆い隠している。
58 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 23:13:56.96 ID:IHhokMFdo
佐藤「あ、あの……!」


ミサキ「なに?」


 ミサキに視線を戻す。

 彼女は相変わらず、真っ直ぐ僕を見据えていた。


佐藤「ミサキさん、あの娘――――」


ミサキ「?」


 人形を持った少女を指さす。

 しかし。


佐藤「あれ?」


ミサキ「? どうしたの?」

 
 そこにはもう、あの少女はいなかった。

 もうどこかへ行ってしまったようだ。


佐藤「あ? いない……いやさ、今そこに、ミサキさんそっくりな娘がいたから……てっきりミサキさんのお姉さんか 妹さんかと……」


 あまりにも外見がそっくりだった事と、手に持った人形の不気味さに一瞬驚いてしまったが、常識的に考えれば 少女はミサキの姉妹か何かだろう。


ミサキ「え……!」


佐藤「?」


 それまでまったくの無表情だったミサキが、驚いたように眼を見開いた。


ミサキ「また、か……」


 ため息をつき、ミサキはひとりごちる。


佐藤「また?」


ミサキ「佐藤君、その娘、私と似たような服を着てて…… 人形を持って……?」


佐藤「う、うん……それから眼帯も。左眼だったけど……」

59 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 23:17:14.15 ID:IHhokMFdo
ミサキ「そう……やっぱり。最近、よくあるの。周りの人に『さっき人形持って歩いてたよね』とか『さっき見た時 と服の色が違うね』って言われる事……」


佐藤「それってどういう……」


ミサキ「佐藤君、ドッペルゲンガーって知ってる?」


 なんだよ……。

 ……なんの話をしようとしている?


佐藤「少しは……詳しくは知らない」


ミサキ「簡単に言うとね、死期が近づいた人の傍にその人そっくりの別人が現れる現象の事。死期が近づいた本人が 別人に直接会うと、その人は死んじゃうっていう……」


佐藤「現象って……それ怪談でしょ? オカルトの類いなんじゃ……」


ミサキ「ううん……そうでもないみたい。現に……私は今、 その現象の渦中にいるから……」


佐藤「あ――――」


 え……まさか、さっきのが……?


ミサキ「佐藤君、私に姉妹はいないの。親が一人っ子だか ら従姉妹もいない。他に歳の近い親戚もいない」
 

佐藤「え…………」


ミサキ「だんだん、周りの人が私そっくりの別人を目撃する頻度が増えてきてる。もしかしたら……私……」


佐藤「……」


ミサキ「もうすぐ…………死んじゃうのかもしれない」


佐藤「…………そんな馬鹿な……ただのそっくりさん、だよ…… きっと」


 言いながら、僕は自分の言葉が信じられないでいた。

 ただのそっくりさんというには、先程の少女はあまりにもミサキに似すぎていた。

 まさか……まさかとは思うが、あれは本当にミサキのドッペルゲンガー……なのだろうか……。
60 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 23:20:09.83 ID:IHhokMFdo
佐藤「…………」

 
 背筋が凍る。

 石岡君の号泣なんて目じゃない、ミサキの時間停止能力だった。

 おかしいな……女の子の使う時間停止能力は『へへッ、 可愛いな』と思わず笑ってしまうような、ハートウォーミ ングなもののはずなのに。

 今の僕には、恐怖しかない。


著莪「佐藤〜」


佐藤「著莪……」

 著莪が戻って来た。

 聞き慣れた従姉妹の声に安心し、体から力が抜けてい く。

ミサキ「こんばんわ」

著莪「おいっす。なんだ、ミサキと話してたのか。そろそろ時間だけど、集中はできた?」

佐藤「うん……いや、うん……」

 正直、集中どころではなかった。

 もしかしたら怪奇現象に遭遇してしまったのかもしれないという恐怖で、オムっパイどころではなくなってしまった。

ミサキ「佐藤君、今の話、気にしなくていいからね?」

佐藤「でも……」

ミサキ「どうせ、なるようにしかならない事だと思うの。本当にただのそっくりさんって可能性もあるしね」

佐藤「うん……」

ミサキ「それじゃあ、2人とも、また後でね」

佐藤「うん…………」

著莪「…………フッ」

 ミサキは軽く手を振りながら、僕たちの前から立ち去って行った。


著莪「お前、ミサキと何話してたの?」

佐藤「別に……自己紹介と世間話」

著莪「ふぅん……」ニヤリ


61 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/20(木) 23:21:00.64 ID:ZiDEZiLRo
Another側キャラの二つ名が気になる
高翌林くんはなんとなく予想できるがwww
62 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 23:23:46.20 ID:IHhokMFdo
今日は以上です
佐藤父の設定は適当です。

展開予想は別に構わないのですが、死者予想はご遠慮願います
63 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/20(木) 23:25:39.63 ID:ZiDEZiLRo
乙です

餓狼伝xベン・トー書いてた人?
64 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/20(木) 23:29:57.57 ID:IHhokMFdo
>>63
そうです
ベン・トークロス以外書く気がないので、前スレから酉も変えずにやってます
65 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/20(木) 23:43:10.94 ID:rRm3jSw+o
いきなりの大量投下乙
なんかまた一段とベントーっぽくなってる
送別会のとことか特に
あと佐藤のいきなりの大阪弁になったのに吹いたwww地の文まで大阪弁にするのは反則だwww
66 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 16:43:14.54 ID:C/+oeqLDo

  *

佐藤「あれが……」

著莪「そう、この店の半額神、マッちゃん」


 僕たちは弁当コーナー近くの棚の前で、半額シールを貼りに売り場に出てきた人妻をしかn、見ていた、観察して いた。

 半値印証時刻。

 ハーフプライスラベリングタイム。



マッちゃん「…………」



 この店の半額神、マッちゃんは、一つ一つ丁寧に売れ残った惣菜を並べ直し、半額シールを貼っていく。

著莪「反応鈍いな、美人だろ?」ニヤッ

佐藤「うん……綺麗な人だけど……」

 確かにかなりの美人だ。

 男性客があの人の作った弁当に群がるのもわかる。

 わかるのだが……。

佐藤「…………」

 あの人形を持ったミサキのそっくりさんを見た瞬間から、胸の辺りがなんとなく重苦しい。

 それに。



ミサキ『佐藤君、ドッペルゲンガーって知ってる?』

『私に姉妹はいないの。親が一人っ子だから従姉妹もいな い。他に歳の近い親戚もいない』



佐藤「…………」

 ミサキのドッペルゲンガー……の、話。
67 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 16:45:52.50 ID:C/+oeqLDo
 人形のようなミサキの無表情、その淡々とした語り口を思い出すと、なんだか喉が詰まるような……息苦しいよう な。

 怖い……だけではない……。



ミサキ『もうすぐ、死んじゃうのかもしれない』



佐藤「…………」

 ミサキ話を信じている訳では……ない。

 ないのだが、微妙に不安を含んだ恐怖で食事どころではない。

 食欲が湧いてこないどころか、美人若妻のエロスにすら反応できない。

 Tシャツとジーンズにエプロン、バンダナを巻き一つ結びにした、緩くウェーブのかかった黒髪……動き易さを重視し、重視したが故にタイトで体のラインが分かり易いあの出で立ち、うなじに、普段の僕なら働く女性のエロスを 見出しいきり立っているところなのだが……クッ……今はちょっと綺麗なただの店員さんにしか見えない……!

佐藤「…………」

 重症である。

 我ながらビビリすぎだった。



マッちゃん「…………」



 マッちゃんは弁当に半額シールを貼り終え立ち上がった。
68 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 16:48:36.01 ID:C/+oeqLDo
著莪「おい佐藤、大丈夫か? マッちゃんが裏に戻ったらすぐ始まるぞ」

佐藤「うん……え?」

著莪「半額神が売り場からいなくなったらもう始まるぞ。とりあえずマッちゃんが裏に引っ込んだらすぐ弁当に向 かって走れ」

佐藤「ああ……わかった」

 
 駄目だ……やっぱり食欲が湧いて来ない……。

 腹の虫の力とやらを、引き出せる気がしなかっ――――



 カタッ



佐藤「――――う」クルッ



???「…………」カタッ



 いる。

 ミサキのドッペ――――そっくりさんが、僕と著莪の背後からこちらを見詰めていた。

佐藤「う……」



 バタンッ



著莪「佐藤!」ダッ!


佐藤「は――――?」


著莪「始まった!」


佐藤「あ――――くっ!」ダッ!


 始まってしまった……!

 著莪を追い、僕も走り出す。

69 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 16:51:29.59 ID:C/+oeqLDo
顎髭「まずは《麗人》を止めろ!!」

坊主「おおッ!!」

ジャージ「俺と望月が前に出る!」

童顔「女子にオムっパイは渡さない……!」


佐藤「!?」


 別の棚の間から、先程のオムっパイ狙いの四人組が飛び出してきた。

 顎髭が鬼気迫る表情で号令を掛け、他の3人がそれに呼応する。


著莪「あたしは中華狙いだっての!」


顎髭「関係ないッ!」

ジャージ「オムっパイが並んだ棚には誰も近づけさせん!」

坊主「俺たち以外はな!」

童顔「著莪さんには立派なのが二つあるじゃない!  オムっパイは僕たちに譲ってよ!」

著莪「アホか《高め打ち》! ありゃオッパイじゃなくてただのオムライスだって! 何回言わせんだお前ら!」


佐藤「…………」

 走りながら、四人と著莪は叫び合う。

 《麗人》というのは著莪の二つ名だろうか。

 どうやら、著莪と4人のいつものやり取りらしかった。

70 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 16:54:06.35 ID:C/+oeqLDo
童顔「ッ! 違うよ! あれはオムライスじゃない! オッパイでもない! オムっパイだよッ!!」


佐藤「…………!」

 著莪に《高め打ち》と呼ばれた童顔が『なんでわかってくれないんだ!』と言わんばかりに、顔をクシャクシャにして叫んだ。

 言っていること自体は当たり前のことなのだが、僕には彼の言いたいことが、言葉ではなく心で理解できた。

 著莪は単純に、僕たち男子はあのオムっパイがオッパイを模して作られている点に魅力を感じていると考えているようだが、それは少し違う。

 ましてあのオムっパイを、調理者であるマッちゃんの乳房に見立てている訳でも決してない。

 僕たち男があのオムっパイに見出した価値、求めているもの……。

 それは――――


『美人若妻のちょっとエッチな遊び心』


 ――――である。
71 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 16:56:35.97 ID:C/+oeqLDo
 オムライスじゃない。

 オッパイでもない。


 オムっパイだ。


 端的に真理を言い表した良い言葉だ。

 決して僕たちは、あの形状に魅せられた訳ではないのだ。

 僕たちは即物的なエロスを求める獣ではない。

 彼らはオムっパイの調理過程に込められたマッちゃんの遊び心を汲み取りたいだけなのだ。

 紳士なのだ。

 それ故に、オムっパイを狙い狼として弱くなる事を良しとしてしまうのだろう。

 同志の魂の叫びに感銘を受け、僅かに恐怖が和らいだ。

 この食欲とは別の欲求を高めた状態は争奪戦では不利に働くらしいが、恐怖で縮こまっているよりは遥かにマシだ。


著莪「ッ!」


 著莪が弁当コーナー前で足を止めた。

 そこに――――
72 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 16:59:26.01 ID:C/+oeqLDo
顎髭「ちッ!」

ジャージ「クッ! 高林!」

坊主「さっさと勝ち抜けちまえばいいものを……!」


高林「どうやら……著莪さん……彼に説明したようだね……」


 高林君が、弁当コーナーを背に佇んでいた。


著莪「ああ、だからあたしは今夜は勘弁してくんない?」


高林「……そうだね。半値印証時刻になったというのにミサキさんの姿が見えないのが気になるけど……」


著莪「…………」

佐藤「……?」

 そういえば、ミサキの姿が見えない。

 弁当コーナーに集ったのは、僕、著莪、高林君、オムっパイ4人組の7人。


佐藤「……!」

 嫌な想像が脳裏をよぎる。

 まさか、さっきの別人に遭遇してミサキは……。

 いや……いやいや何考えてんだ僕は!

 あれはただのそっくりさんだって!
73 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:01:43.67 ID:C/+oeqLDo
高林「まあいい……著莪さん、君の事は保留にしておこう。それより問題なのは――――」


 ゴッ!


顎髭「うッ――――」

ジャージ「!!」

坊主「相変わらず怪物じみてやがる……!」

童顔「高林君……!」


佐藤「!!」

 まただ――――!

 高林君から異様な気配が……!


高林「またそうやって4人で徒党を組んで……恥ずかしくはないのかい? 君たちに狼の誇りはないのかい……」


顎髭「き、共闘は別にルール違反じゃねぇだろうが! 俺たちは何もやましい事はしちゃいねぇ!」

ジャージ「そうだそうだ!」

坊主「お前も狼ならわかってんだろうが!」

童顔「高林君、どいて……どいてよ……! でないと僕、僕……!」


高林「はぁ……確かにね……『スーパーは』それを許す。 スーパーはね……だが……」


佐藤「……ひっ」


高林「僕は許さない……この高林郁夫は……オムっパイ限定とはいえ、4人で1人の狼を叩き潰す君たちの戦い方を許さない……4対1の戦いなんて……『フェアじゃない』から ね……」
74 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:04:51.45 ID:C/+oeqLDo


 『フェアじゃない』


佐藤「こっ、これは……!」

 高林君がこの一言を発した瞬間、売り場の空気が急激に重くなる。

 口調は穏やかなのに、一語一語に込められた殺気が尋常ではない。


顎髭「ッ! 来るか……!」

ジャージ「フェア林……」

坊主「《アヌビス》!」


高林「コンビプレイ、乱戦の隙を突く非戦闘型、食欲減退戦法……狼にとっては卑怯でもなんでもない……だけどね、『僕は』絶対に許さない。『フェアじゃない』のは嫌いなんだ……」

 
 高林君は4人組を睨めつけ、ゆるりと構えた。

 上体をやや前傾に、両手をダラリと下げ、両足のスタンスを僅かに広げた。


佐藤「……ッ!」


 プレッシャーが……!


佐藤「うぷッ……!?」

 
 なんだ……!?

 この胃を鷲掴みにされるような感覚は……!


著莪「平気か? 佐藤」

佐藤「う……ぐ」

 なんて気を放つんだ……こんなもやしっ子が……!

75 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:08:12.94 ID:C/+oeqLDo

顎髭「く……! 今夜はなんだってこんな……!」

坊主「麗人と《ミサキ》がルーキーに仕掛けやがったから……! それで……!」


佐藤「……?」

 ルーキーというのは僕の事……だよな。

 著莪はともかく、ミサキが僕に仕掛けたとはどういう意味だ……?


著莪「……佐藤、その状態じゃ戦闘は無理だ。高林が4馬鹿に仕掛けたら弁当コーナーに走れ。もうそれしかない」

佐藤「ああ……」

 悔しいが著莪の言う通りだ。

 著莪もオムっパイ4人組も、高林君の放つ殺気に億しはしても、僕のように体に変調をきたすほど影響は受けてい ない。

 ミサキのドッペルゲンガーの話とオムっパイへの邪念で、どうやら僕は腹の虫の加護を得る事に失敗しているら しい。
76 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:10:55.65 ID:C/+oeqLDo
ジャージ「つーか、あのルーキー……なーんか見た事あるような……?」


佐藤「ん……?」

 なんだ?

 ジャージがこっちを見ている……。

 そういえば、あいつ……どこかで……?


童顔「どうだっていいよ! 早く行こう! あのわからず屋を倒してオムっパイを!!」


高林「わからず屋は君たちのほう……と言いたい所だが…… 狼としておかしいのは僕のほうだからね……相手になるよ、望月君」


童顔「高林君……!」ギリッ

ジャージ「お、おい落ち着けよ望月……」

顎髭「抑えろ望月! 力を合わせないと奴には……!」


童顔「高林君ッ!」ダッ!


坊主「おい馬鹿――――!」


童顔「そこをどいて! 僕にはオムっパイが必要なんだッッ!」

高林「まったく……」


佐藤「!」

 望月と呼ばれた童顔が猛然と高林君に向かって突進した。


望月「うわああああああアッ!」

 絶叫。

 飛び込みざま、右拳を振りかぶる望月。


高林「色に目が眩んだ狂犬め――――」

 高林君は弛く構えたままだ。
77 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:13:24.47 ID:C/+oeqLDo
望月「高林ィィッ!」ブオッ!

 望月が右を振り抜く。


佐藤「……!」

 事前に話を聞いていても、やはり実際に手を出す所を見ると身が固まる。

 本当にやるのか……!

 やっちまうのか……半額弁当のために、殴り合いを……!


 バチィッ!


佐藤「ッ!」


 望月の拳が高林君の顔面にめり込む。

 しかし――――


高林「弱い。弱いよ、望月君」

 高林君は、望月の拳を身じろぎ一つせず受け止めた。


望月「!」

高林「やはり純粋に弁当を欲していない君たちでは、僕には敵わない」

 ゆるりと右手を動かす高林君。

 その次の瞬間、


 ゴンッ!

望月「あうッ!?」

 肉を、骨を打つ打撃音とともに、望月が情けない声を上げて後方に吹き飛んだ。
78 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:15:36.41 ID:C/+oeqLDo
佐藤「な……!?」

 高林君が何をしたのか、僕にはまったくわからなかった。


 しかし……著莪の言う通りだった。


望月「うぐっ」ドサッ


ジャージ「望月ィァッ!」

顎髭「馬鹿野郎が!」

坊主「先走りやがって!」

 
 望月はそのまま、1メートル、2メートルと宙を舞い、 フロアに背中から落下した。


著莪「な?」

佐藤「…………うん」


 足を揃えたまま、腕を振り被りもせず……右腕を僅かに動かしただけで、望月を数メートル吹き飛ばした。

 これが腹の虫の加護を得た狼の力。


佐藤「あれ大丈夫なの?」

著莪「大丈夫大丈夫、あいつらも少しは腹の虫の加護を得てるから。それにあれ、いつもの事だし」

佐藤「いつもああなのか……てか、僕って今かなりヤバイんじゃ……」

著莪「だな、素の状態であれ喰らったらただじゃ済まない」

佐藤「…………」
79 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:18:31.29 ID:C/+oeqLDo
著莪「だから、3人が突っ込んだらあたしらも同時に行く。高林が3人をやる隙に弁当を獲る。戦いには勝てなくてもいいんだ、争奪戦は弁当を獲った者が勝者なんだから」

佐藤「わかった……」

 あの3人、同志の力になりたい気持ちもなくはなかったが、瞬殺された望月を見て無茶をする気は完全に失せた。


顎髭「畜生! かかれ野郎共!」

ジャージ「糞ったれ!」

坊主「やるしかねぇ!」


 3人が一斉に高林に飛び掛かる。


高林「はぁ……」


著莪「佐藤!」

佐藤「ッ!」

 僕と著莪も僅かに遅れて飛び出す。


顎髭・ジャージ・坊主「おおオッッ!!」

高林「ふん……」


著莪「がんばれよ〜」

 3人を軽く激励しつつ、著莪は左へ。

佐藤「……!」

 僕は右から、3人を壁にして高林君の背後、弁当コーナーに回り込む。
80 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:21:31.47 ID:C/+oeqLDo
 
 ドガッ!

顎髭「ぐはッ!?」

高林「まぁ……仕方ないね」

 最初に仕掛けた顎髭を殴り飛ばしつつ、高林君が呟く。

 どうやら僕たちの動きを放置し、3人の排除を優先するつもりのようだ。


著莪「楽勝〜」パシッ

 著莪が中華弁当を奪取。

 弁当を獲った者には手出し無用。

 著莪がまず勝ち抜けた。


 ガンッ

ジャージ「ぐへっ!」

 ゴガッ!

坊主「がふッ!」

高林「本当に……毎度毎度君たちは……何がしたいんだか」

 高林君があっさりと残りの二人を片付けた。

 あんな化け物の相手は御免だ。

 急がなくては。
 

佐藤「よし……!」

 
 4人組には悪いが、オムっパイを――――!


???「――――駄目だよ。佐藤君」

81 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:24:36.55 ID:C/+oeqLDo
佐藤「な――――!?」

 ミサキ――のドッペルゲンガー!?


???「それは、わたしのオムっパイ」ヒュオッ


 バチィッ!


佐藤「いっ――でぇっ!!」

 突如現れたミサキのドッペルゲンガーに、オムっパイに伸ばした手を平手打ちではたき落とされた。

 痛みに思わず手を引いてしまう。


???「それは、わたしの晩ご飯」ブオッ
  
 
 ガキャッ!


佐藤「ぐっ!?」

 続いてドッペルゲンガーは、片手に持った買い物カゴを大きく円を描くように振り回し、僕の頭に叩きつけた。

佐藤「う、あ……ッ!?」

 数歩後退。

 頭が……!

 たかが買い物カゴがなんでこんな……!?


???「それは、わたしの生きる糧。ルーキーには渡せない」

82 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:28:20.64 ID:C/+oeqLDo
 カゴの中には、先程の人形が入っていた。

佐藤「……!」

 そうか……!

 今の買い物カゴとは思えない威力は、人形の重みと遠心力によるもの……!

 そして、それだけではない。

佐藤「君も、狼だったのか……!」

 ミサキにそっくりな外見、その正体はともかく、この気配は……!


???「そう、わたしは狼。あなたはワンちゃん」


佐藤「ワンちゃん?」


???「『犬』って意味よ。ルーキー」


佐藤「ぐっ……!」

 よくわからないが、馬鹿にされている事だけはわかる。


高林「そういうことか――――」バッ

???「……!」


佐藤「! 高林君……!」

 横合いから、高林君がドッペルゲンガーに殴り掛かる。

 ドッペルゲンガーはカゴでその一撃を受け流した。
83 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:31:13.76 ID:C/+oeqLDo
高林「彼に『毒』を盛ったね? 見崎さん」

???「…………」


佐藤「……?」

 毒?

 それにミサキって……。


高林「おかしいとは思ったんだ。微弱ながら感じられた彼の気配が萎れてしまっていたからね……まったく……!」ブ オッ!

 ガガッ!

???「くっ……!」

 高林君が始めて見せた大振りの一打をカゴの底部で受け止めるドッペルゲンガー。

 ……高林君にはミサキと呼んだが、彼女は一体……?


高林「これだから君たち『毒使い』は!」

???「…………」


高林「大方お得意のドッペルゲンガーネタでも仕込んだんだろう――――」


佐藤「…………」

 ドッペルゲンガー……『ネタ』?


高林「――『藤岡さん』!!」ブオッ!

 高林君のバックハンドブロー。

ミサキ「おっと」

 高林君の背後。

 忍び寄っていたミサキが、高林君の裏拳を躱す。
84 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:35:08.35 ID:C/+oeqLDo
ミサキ「作戦失敗〜」


高林「〜〜〜〜ッ!」


 おどけた様子でチロリと舌を出し、高林君から間合いを取るミサキ。


佐藤「…………やられた」

 
 その悪戯っぽい笑みを見て、僕は全てを悟った。


高林「当たり前だろ!? ルーキーに毒を仕込んで木偶にして、僕に助けさせてその隙に不意打ち……! 何回同じ事を繰り返せば気が済む!」


???「だって高林君、わかってるのに毎回付き合ってくれるから……様式美ってやつ?」


ミサキ「そーそー、私たちなりにルーキーを歓迎してるのよ」


高林「くっ……! 僕が『フェアじゃない』行いを見逃せないのをいい事に……!」


 先程の無表情はどこへやら、目を細め、楽しげに笑うミサキ。


 これはもう、完全に――――


佐藤「し、著莪ぁ!」


 担がれている。


著莪「ぶふっ」


 弁当を片手に吹き出す著莪。

85 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:38:53.82 ID:C/+oeqLDo
 先程、去り際に見せた怪しい笑みはこういう事だったのか……!

 著莪の奴、ミサキにドッキリを仕込ませるために『知り合いがいた』なんて嘘をついて……!


著莪「あっはっはっは! 佐藤〜、ピンクが藤岡美咲で水色が見崎鳴な〜」


佐藤「……?」

 ピンクは名前がミサキで水色は苗字がミサキ……?

 姉妹じゃないの?


見崎「従姉妹なの」


美咲「そっくりでしょ〜」


 いるんじゃねぇか! 従姉妹!


佐藤「やられた……完全に……」


 ていうか……ミサキピンク、もう眼帯も外してるし……普通に可愛いお目々だし……。


高林「気を抜くな! 佐藤君!」ブンッ!

美咲「うわっと」


佐藤「!」

 高林君がミサキピンクに仕掛けながら叫んだ。

86 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/21(金) 17:41:24.75 ID:C/+oeqLDo
とりあえずここまで
また深夜に来ます
87 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2013/06/21(金) 18:46:47.81 ID:oWCb0AReo

こんなにイキイキした高林の出てくるSS
見たことありません
88 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/21(金) 18:58:48.98 ID:37HACLleo

ミサキ達は結局トリックかよ騙されたwww
89 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:34:00.75 ID:JDBwAWjAo
高林「ネタバラしをして安心させるまでが彼女たちの作戦なんだ! 気を落ち着けるな!」

佐藤「! そういうことか……!」

 高林君の言う『毒』とは、おそらく彼女たちが僕に仕込んだ質の悪い冗談『ドッペルゲンガーネタ』の事……!

 恐怖で食欲を減退させ腹の虫の力を発揮させず、ドッキリだったという安心感でさらに相手を骨抜きにする……それが――――!


見崎「もう、本当に全部バラしちゃうんだから」ヒュオッ

佐藤「!」

 バチィッ!

佐藤「ッッぐ!」

 ミサキブルーの平手打ちを頬に受ける。


見崎「これも『毒』なんだけど……ほとんど力を発揮できていないあなたになら――――」ブンッッ

 ゴッ!

佐藤「ぐッ!?」

 続いて左フック。


見崎「――普通の打撃で十分ね」

佐藤「〜〜〜〜ッ!」

 芯まで響く……!

 これが女の子の打撃……!?


見崎「わおーん」


美咲「ふふっ、ワンワン!」


佐藤「……ッ!」ギッ

 後退した僕を馬鹿にするように、ブルーが平坦な調子で遠吠え、ピンクがそれに楽しげに呼応して吠える。


見崎・美咲「「ふふふっ」」

 同時に笑うミサキコンビ。

著莪「がんばれ佐藤〜」

 楽しくて仕方ないといった表情の著莪。
90 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:37:35.35 ID:JDBwAWjAo
佐藤「くそっ!」

 女子連中に手玉に取られた!

 糞ったれ! 超たの、超悔しい!


高林「ッッ!」ブオッ!

美咲「あはは!」


高林「佐藤君、集中!」

 高林君が叫ぶ。


佐藤「う、うん……!」

 そうだ、この弛緩した空気を作る事自体が彼女たちの狙いなのだ。

 怪談、ネタバラし、おどけた態度、この一連の流れで僕の集中を阻害する。

 二人の浮いた服装や眼帯、ブルーが持った不気味か人形やピンクの表情を消した演技も、全てが僕の腹の虫の力を封殺するための演出……!

 まずは恐怖による緊張。

 続いてネタバラしによる脱力。

 ものの見事に策に嵌り、僕は弁当に、食事に意識を集中できていない。


美咲「人のこと気にしてる余裕があるの?」ブオッ!

 ガガッ!

高林「くっ!」


見崎「どうせ、この状況でワンちゃんに集中なんて無理」 フォンッ

 ガキャッ!

佐藤「ぐっ!」


 ピンクは高林君に、ブルーが僕に同時に仕掛ける。

91 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:40:09.72 ID:JDBwAWjAo
見崎「美咲、そっちは任せた」


美咲「任された!」


高林「ッ! 舐めるな!」ブンッ!

美咲「おお、こわ」

 あくまでおどけた態度を崩さないピンク。


美咲「ふんッ!」グアッ!

 バガッ!

高林「ぐ……!」

 ピンクのミドルキックが高林君の腹部を捉える。

高林「ち……!」


佐藤「!?」

 男子4人を瞬殺した高林君に、小柄なピンクの打撃が効いている……!?


美咲「――――ッ!」ブンッ!

 ゴンッ!

高林「がはッ!」

 距離を詰め、高林君のアッパーで脇腹を突き上げるピンク。


佐藤「〜〜〜〜ッ」

 あれ程圧倒的だった高林君が……!


見崎「佐藤君はこっち」

佐藤「!」
92 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:42:33.79 ID:JDBwAWjAo
見崎「お腹空いてるから、早く倒れてね」ブンッッ

 ゴガッ!

佐藤「ッ!?」

 ハイキック……!

 糞っ! スカートの中を見ようとして貰ってしまった!


美咲「鳴〜、佐藤君、てっしーたちと同じニオイがするからキックは駄目〜パンツ見えちゃうよ〜?」


佐藤「チッ」

 余計な事を……!
 

見崎「エッチなんだね。佐藤君」


佐藤「見てないよ!」


見崎「いやらしい」


佐藤「見てないったら!」

 あとちょっとだったけどギリギリ見えなかった!

 それもまたいいんだけど!


見崎「もう終わりにするね。変態さんの相手は嫌だもの」 ブンッ

 バガッ!

佐藤「いでっ!」

 左の貫手が肋骨の間に打ち込まれる。

 上体が折れる。
93 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:45:34.07 ID:JDBwAWjAo
見崎「バイバイ、サ・ト・ウ――――」ビュオッ

佐藤「ッ!?」

 また人形入りのカゴ――――!

見崎「――くんッ!」ブオッ!


 ガキャッ!

佐藤「ッッ!?」


 ……ていうかさ――――


佐藤「ぐっ……あ!」ガクンッ


 その人形どんだけ重いんだよ……!


佐藤「うぐ……!」ドスッ


 耐え切れず、フロアに膝を突く。


見崎「じゃあね」

佐藤「くそ……!」


 走り去るミサキブルー。

 そして程なく――――


見崎「美咲ー、獲れたよー」

 ブルーが弁当を、オムっパイを奪取。
94 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:48:06.04 ID:JDBwAWjAo
美咲「よっしゃー! それじゃ高林君、そういうことで!」

高林「くっ……今度会ったら容赦しないからね」

美咲「それはこっちの台詞! 今度こそ決着つけるからね!」


佐藤「?」

 ブルーが勝ち抜けると、ピンクも戦いをやめ離脱してしまった。

 高林君も承知の上といった感じだ。


著莪「佐藤ー、まだ中華1個残ってるぞー」


佐藤「! そうだ……!」

 まだ争奪戦は終わっていない。

 最大目標のオムっパイは獲られてしまったが、まだあの旨そうなエビチリが……!


佐藤「……!」ダッ

 弁当コーナーに向かって走る。


高林「…………」ザッ


佐藤「ッ! 高林君……!」

 当然、高林君が立ちはだかる。
 

高林「佐藤君……もうなんとなくわかってると思うけ ど……」

 高林君が、静かに口を開く。
95 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:50:57.76 ID:JDBwAWjAo
高林「僕は争奪戦の暗黙のルールよりも、自分の信じる正義を優先して戦っている……」


佐藤「そうみたいだね……」


高林「君を助けたのも、君のためじゃない。僕のためだ。 何も知らないルーキーを潰すなんて『フェアじゃない』毒を使って食欲を減退させるなんて『フェアじゃない』それが許せないから君を助けた……ただそれだけの事……」


佐藤「ああ……」

 わかっている。

 なんとなく、わかっていた。

 暗黙のルールは、ミサキコンビ、著莪、オムっパイ4人組の戦い方を許す。

 しかし高林君は許せない。

 納得できないのだろう。

 きっと高林君の中に、曲げられない何かがあるのだ。

 争奪戦のルールを今日知ったばかりで翻弄されっ放しの僕には、その気持ちが少しだけ理解できた。


高林「それでも、僕は半額弁当を求める一匹の狼だ……狼でありながら、スーパーの理に反するこの戦い方を僕は改めるつもりはない……それでね……佐藤君――――」


佐藤「…………」

96 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:54:09.82 ID:JDBwAWjAo
高林「今、ここが君の『分岐点』だ。僕との戦いを避け 『フェアじゃない』弁当の奪取を目指し、僕に裁かれるか……僕と正面から戦いフェアな弁当奪取を試みるか……」


佐藤「…………」


高林「選ぶんだ。どちらを選んでも、僕は全力で君の相手をさせて貰う……」


佐藤「…………」


 高林君にそういう風に言われると、なんだか真正面から戦うのがこの場は正しい選択に思えてくる。

 1対1で正々堂々と戦い弁当の奪取を目指す方が、気持ちの良い戦い方なのではないかと。


 そんな気にさせられる。

 高林君は、凄く格好いい。


 狼でありながらスーパーの理を否定する矛盾を、葛藤もなく堂々と示してみせる高潔な戦い方には、本当に魅せられる。


佐藤「決まっているよ、今更選ぶまでもない……」

 
 魅せられるがそれは――――


佐藤「僕は『狼として』君と戦う」


 敵役としての魅力だ。

97 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:57:04.23 ID:JDBwAWjAo
 複数人での共闘、怪談による食欲減退。

 僕はそれぞれの適性に見合った争奪戦における戦法…… 『攻略法』に翻弄されながらも、それらに感心しワクワク していた。
 

 著莪の言う通り半額弁当争奪戦は『すっげぇ面白い』

 
 そして『新しいダチ』の一人に、高林君が数えられるなら――――


高林「ふっ…………うん、わかったよ」

 
 ライバルがいい。

 超えるべき壁であって欲しい。

 高林君は僕から見れば理不尽なまでに強い。

 理不尽な強さに試行錯誤しながら立ち向かうのは、セガ派である僕にとって大きな喜びだ。

 
 真正面から戦って玉砕なんて、そんなつまらない戦い方は選べない。


 僕は格好いい方よりも、面白い方を選ぶ。

 考えて考えて、この化け物じみたもやしっ子を攻略したい。
98 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 01:59:23.26 ID:JDBwAWjAo
高林「それで? どんな『フェアじゃない』戦い方を見せてくれるんだい?」


佐藤「そうだね……とりあえずは……」


 腹の虫の加護も無く、1対1で高林君を出し抜く手立てもない……。

 
 ルーキーの僕に一人できる事などほとんど無いに等しい。


 ならさ――――!


 とりあえずは協力プレイだ!

 
 そうだろう?


佐藤「――――ッッ手ェ貸せやァッ! 『てっ しィィィィッ』!!」

 
 僕は思い切り息を吸い、後方で大の字に倒れた『ジャージ』に向かって叫んだ。



ジャージ「!! へへッ…………覚えててくれたか……! 『よーちん』!!」ガバッ


 ジャージ……勅使河原直哉は、懐かしい愛称で僕を呼びながら、勢いよく起き上がった。
99 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 02:01:34.54 ID:JDBwAWjAo

 *


 あれは、8年前。


 夏休みに著莪に遊びに来た時の事。


 先ほど店の入り口で話したお婆ちゃん店員……この店の先代半額神に、ちくわの磯辺揚げを貰った時の話だ。


幼佐藤・幼著莪『…………』ジッ

半額神『んん?』


 半額神が並べる出来立ての惣菜を、幼い僕と著莪は手を繋ぎ、じっと見ていた。

 さすがに指はくわえていなかったと思うが、2人とも美味しそうな惣菜に目が釘付けになっていたのだ。


半額神『おやぁ、著莪さんとこの。お使いかい?』


幼著莪『んーん、おかしかいにきたの』


半額神『そうかい。横の子はお友達かい? 手なんか繋いでぇお熱いねぇ』


幼著莪『えへへ、イトコのサトーっていうの』

幼佐藤『イトコのサトーです』
100 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 02:03:08.35 ID:JDBwAWjAo
半額神『ありゃそうかい。夏休みだもんねぇ、遊びに来たのかい?』


幼著莪『うん、サトーあそびにきた』

幼佐藤『あそびにきた』


半額神『そうかいそうかい。それじゃあサービスしないとねぇ、ほらちくわ。一個ずつあけるよ』


幼著莪『! いいの?』

幼佐藤『! いいんですか?』


半額神『いいんだよぉ、せっかく夜見山の外から遊びに来てくれたんだからねぇ。内緒だよ?』


幼佐藤・幼著莪『うん!』


 そうして僕たちはちくわの磯辺揚げを一つずつ貰った。


 その、すぐ後だった。


???『ずっけー!』
101 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 02:05:14.16 ID:JDBwAWjAo
幼佐藤・幼著莪『?』


幼勅使河原『ばばあ、おれにもちくわくれよ!』


 勅使河原直哉と、出会ったのは。


半額神『直坊! ばばあはやめろっていつも言ってるだろう!』


幼勅使河原『ばばあはばばあだろーが、おれにもちくわよこせー』


半額神『やだよ。いつも悪戯ばっかりの直坊にはやらない。これは良い子にしかあげないんだよ、欲しけりゃ買い な悪ガキ』


 勅使河原は近所で有名な悪ガキだった。


幼勅使河原『ぐぬぬ……』


幼著莪『おいしー』

幼佐藤『うまー』


 幼き日の勅使河原が、悔しさに耐えかね取った行動。

 それは。
102 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 02:07:34.14 ID:JDBwAWjAo
幼勅使河原『ちくしょー!』バッ

 バサッ

幼著莪『!』


 スカートめくりだった。


幼著莪『ふ……ッ』

 まだ純情だった著莪は、一瞬呆気にとられた後、涙ぐんだ。

 義憤に駆られた僕は、勅使河原に報復した。


幼佐藤『てめー! シャガになにすんだ!』

 ポカっ

幼勅使河原『いて! こんにゃろー!』


 てめー!

 こんにゃろー!

 と。

 僕たちはポカポカ殴り合った。


著莪『ふえー!』

半額神『これ! あんたたち! 仲良く喧嘩しな!』
103 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 02:10:19.26 ID:JDBwAWjAo
 ………

 ……………

 ………。


 それからなんやかんやあって、僕たちは一緒に遊ぶようになった。

 なんやかんやは、なんやかんやだ。

 詳細には思い出せない。

 子供の頃の友情なんて、どんな風に芽生えるかわからないものだ。


幼勅使河原『まてー!』

幼佐藤『まてー!』


幼著莪『やー!』


 夏のあの日。

 僕たち二人は、夢中で著莪を追い掛けた。


幼勅使河原『今日こそめくってやるー!』

幼佐藤『かんねんしろシャガー!』


 著莪の、スカートをめくるために。


幼著莪『いやー!』


 ハハッ……。

 本当に、どうしてああなったのか……。

 僕と勅使河原は一日中汗だくになって著莪を追い回し、 スカートめくりに血道を上げていた。
 
 もっとも……。


著莪『や!』

 ゲシっ!ガシッ!

幼佐藤・幼勅使河原『ぐえ!』

 
 著莪の強烈なニ段蹴りによって、成功した試しはなかったのだけれど……ね?
104 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 02:12:13.96 ID:JDBwAWjAo
 ………

 ……………

 ……。


 そして訪れる別れの時。


幼勅使河原『ぜってーまたよみやま来いよな! よーち ん!』


幼佐藤『うん! てっしーもこっちあそびにこいよ!』


幼勅使河原『おう! こんどこそぜってーシャガのスカートめくってやろーな!』


 著莪のスカートめくりという困難に共に立ち向かった事で、僕たちは固い絆で結ばれていた。


幼佐藤『うん! ぜってーな!』


幼佐藤・幼勅使河原『にひひ!』


幼著莪『もうやだ、こいつら……あたしもうスカートはかない』
105 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 02:15:24.42 ID:JDBwAWjAo
 ………

 …………

 ………。


 しかしそれから、僕たちが会う事は二度となかった。

 
 夜見山の著莪家や、夜見山の麓にある祖父宅は何度も訪れていたが、勅使河原と会う事はなかった。


 年を経て、僕の中から幼き日の勅使河原の記憶は薄れていった。


 最初にスーパーで勅使河原がめくった著莪のスカートの中身は、不思議と覚えていたのだが……。


 そして僕は小学校を卒業し――――
 

 中ニになり――――


 中三への進級を控えた今――――


佐藤「久しぶり、てっしー……!」

 ――8年の時を超え、僕たちは再会した。

勅使河原「ああ、よーちん……!」



著莪「佐藤の奴、こっち来る度てっしーてっしーうるさいから会わせないようにしてたんだよな……その内あいつ勅 使河原のこと忘れちゃってさ」

美咲「同じニオイがするはずだよ」

見崎「出会ってはいけない二人が出会ってしまったのね」

106 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/22(土) 02:18:46.10 ID:JDBwAWjAo
佐藤「やってやろうぜ……! 一緒にあいつを!」

勅使河原「ああ……! 俺たちなら……!」


高林「……まぁ2対1なんて『フェアじゃない』ね……でもね……君たち……あのね?」


佐藤「行くぜ!」

勅使河原「おおッ!」


高林「んー……いや、まぁ、いっか……」


佐藤・勅使河原「「うおおおッ!」」ダッ!
 
 僕たちが組めば、もう何も怖いものはない。

 特に何か策があった訳ではないのだが、僕たちは猛然と高林君に突進した。


 しかし。


 というか、当然。


高林「君たち二人が束になったところで――――」ブンッッ

 ゴガッ!

勅使河原「ぐえッ!」

 まず、勅使河原が宙を舞う。


高林「それが――――」ブオッ!

 ゴキャッ!

佐藤「ぶほっ!」

 続いて僕も翔ぶ。


高林「なんだっていうんだい……」



佐藤「むぎっ」ドサッ

勅使河原「ぐおっ」ドサッ

 折り重なるようにフロアに落下。



著莪「こうなるわな……」

美咲「筋良さげなのにね、佐藤君」

見崎「変態さんだけどね」



佐藤・勅使河原「「」」ガクン


 そのまま、僕は意識を失った。

 おそらく、勅使河原も。

107 : ◆/CAUbbUAk6 [sage]:2013/06/22(土) 02:21:46.39 ID:JDBwAWjAo
今日は以上です

次回は夕餉からクラス編成決定後の〈申し送りの会〉まで書けたら来ます
108 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/22(土) 08:31:56.82 ID:Aub9UUgTo


これでさらに現象もありとかすごい展開になりそう
109 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/22(土) 10:56:00.74 ID:Fr5qjJcbo

なんとなく赤沢さんとかマジで強そうな予感
110 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/22(土) 11:08:30.04 ID:IsrEA/Dqo
乙!現象をどう絡めるのかすげー楽しみ
111 : ◆/CAUbbUAk6 [sage]:2013/06/22(土) 15:14:07.28 ID:+SWUThlWo
基本Another要素にベン・トーキャラを絡めたり
ベン・トー要素にAnotherキャラを絡めたりといった感じで進行します

赤沢さんはAnother側で、白梅がそっちに絡んでいく予定

Another→ベン・トー
ベン・トー→Anotherの混合で

>>1はもう狼たちの夜と凶夢伝染交互にリピートで聞きながら書いて頭の中ぐちゃぐちゃ
112 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/22(土) 15:18:29.07 ID:rTclmlmgo
それは面白そうだ
113 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/22(土) 15:22:53.01 ID:Aub9UUgTo
3組一体何人いるんだーッwwwwww
114 : ◆/CAUbbUAk6 [sage]:2013/06/22(土) 16:55:21.45 ID:+SWUThlWo
>>113
座席表見ながら何人かリストラしようと考えたんですが無理でした
皆可愛すぎて誰も削りたくない

なにこの美人薄命クラス
左端の赤沢さんの列が最強すぎる
115 : ◆/CAUbbUAk6 [sage]:2013/06/24(月) 19:35:46.07 ID:dxaOOEcFo
 
  4


佐藤「う……」


???「あら、起きた」


 目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。

 僕はソファの上に寝かされていた。

 目の前には見知らぬ……いや、知っている顔だ。


マッちゃん「大丈夫? 起きられそう?」


 この店の半額神、マッちゃんだった。

 近くで見るとさらに美人だ。

 ということはここは……。


佐藤「ああ……はい……大丈夫です」

 返事をしつつ体を起こす。

 ダメージのせいだろうか……なんだか頭が重かったが、 起きられない程ではなかった。


マッちゃん「ここはラルフストアの休憩室よ。覚えてる? あなた高翌林君にぶっ飛ばされて気を失ってたのよ」

 優しく微笑みながら、マッちゃんは言う。
116 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 19:38:39.70 ID:dxaOOEcFo
勅使河原「…………よう、相棒」

 対面のソファに勅使河原が寝かされていた。

 ダメージありありの憔悴した様子で、声に力が無い。


佐藤「てっしー……はは、やられたな……」


勅使河原「ははは、よく考えたら無謀だったぜ、フェア林……《アヌビス》にルーキーと二人で突っ込むなんて よ……」


佐藤「《アヌビス》?」

 ジョジョ? ねぇジョジョの話?


勅使河原「高林の二つ名だよ……あいつは他にも《ラーの 天秤》とか《アメミット》とか……狼によって呼び方が変わるんだ……俺難しくてよくわかんねぇんだけど」


佐藤「ふーん……」


 《アヌビス》といえば僕には、先月発売された週刊少年ジャンプ第9号に掲載された11周年記念巻頭カラーが記憶 に新しい奇才荒木飛呂彦先生による傑作少年漫画『ジョジョの 奇妙な冒険』その第三部に登場するスタンド『アヌビス 神』の知識しかない。

 多分エジプト神話に登場する神様だとは思うのだけど……。


勅使河原「見崎は、ああ鳴ちゃんの方な? あいつ心霊現象研究部の部長でさ、外国の神話とかにも詳しいから、あいつに聞けばいいよ」


佐藤「そうするよ」

 心霊現象研究部とか、中学らしからぬ部活だな……。

 始まってるなー、夜見山……。
117 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 19:41:28.91 ID:dxaOOEcFo
マッちゃん「高林君は強いわ。二人とも、本当に無茶をしたわね。勅使河原君なんてもうわかってるでしょうに」


勅使河原「へへっ……久しぶりにこいつに会ってテンション上がっちまって……」


佐藤「僕もだよ、よく考えたらすげー馬鹿だったわ……」

 なんだったのか、本当に。

 あの高まったテンションは……。


著莪「よく考えなくても馬鹿だっつーの」


佐藤「著莪……」

 著莪が休憩室に入ってきた。

 買い物袋を二つ持っている。


著莪「ほい、どん兵衛。今日は引越し初日だから蕎麦にしといた」

佐藤「ああ、ありがとう……って二つ?」

著莪「勅使河原の分だよ、一人で引越し蕎麦ってのも微妙だろ?」

佐藤「悪いな、気を遣わせて……」

著莪「後で金払えよ?」

佐藤「……奢りじゃないのかよ」

著莪「引越し蕎麦だからな。佐藤が払うのは当然だって」

佐藤「うん……」

 うん、まぁ著莪が僕に奢ってくれる訳がないよな。

 さっきのソニックのストラップの代金も払わされたし。

 何故か著莪が自分用に買ったテイルズストラップ代も一緒に。
118 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 19:45:43.83 ID:dxaOOEcFo
勅使河原「引越しって……よーちん、こっちに越してきたのか!?」


佐藤「ああ……言ってなかったっけ」


勅使河原「マジかよ!中学は? 中学はどこよ?」


著莪「夜見北だよ。あたしんちに住むからな」


勅使河原「ひょーっ!マジか! やった! よーちん、俺も夜見北!」


佐藤「! そっかー……うわぁ、まさかてっしーと同じ中学行けるなんて……!」


勅使河原「ははは! だな! いやあ、こりゃ4月が楽しみになってきたぜ!」


著莪「はぁ……変態コンビ再結成してないでもう行くぞ? マッちゃんに迷惑だろうが」


佐藤「あ、そっか。すみません、お世話になってしまって」


マッちゃん「いいのよ、いつもの事だから。倒れたらまた介抱してあげるから、これからも思いっきり戦うのよ?」

 優しく笑うマッちゃん。


 なんという――――


 美しい……!


佐藤「……!」

 と……蕩けた……僕の中の何かが蕩けた…………決定的な何かが……。

 むふぅ。


佐藤「はいッ! 全力で戦うのでッまた介抱よろしくお願いしますッ!」ペコォ!

勅使河原「お願いしますッッ!」ペコォ!

 僕と勅使河原は揃って頭を下げた。

 次こそはこの人の作った弁当を……!

 そして負けるにしても意識が飛ぶレベルの激闘を……!

 また介抱して頂くために!


マッちゃん「あらあら、ふふふ」

著莪「アホコンビ……」

119 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 19:50:07.96 ID:dxaOOEcFo

  *


 その後僕たちは、どん兵衛だけでは寂しいだろうというマッちゃんにお握りと売れ残りの惣菜……ちくわの磯辺揚げを貰い、バックヤードを後にした。

 なんだかこの店ではちくわづいている。

 ちくわなんてキュウリが入っているだけでも嬉しいのに、磯辺揚げにしてしまうなんて贅沢すぎる。

 弁当こそ獲れなかったが、十分な夕食だった。


 オムっパイ4人組の残りの3人、ミサキコンビに高林君は、店内に設けられた休憩スペースで僕たちを待っていて くれた。

 争奪戦の最中は敵同士でも、終われば共に夕餉を囲むのが普通らしい。

 狭い休憩スペースで9人で食事をするのは無理があったので、近くの公園に移動する事になった。


 勝った面子が弁当を暖めている横で、どん兵衛にお湯を注ぐ。


 そこで――――


佐藤「……?」



???「…………」



 通りに面する窓越しに、こちらを見詰める一人の少女。
120 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 19:53:31.18 ID:dxaOOEcFo
 またも美人さんの登場である。

 あれは確か、夜見北の制服だ。

 黒のブレザーに赤いリボンタイ、紺のスカート。

 著莪が着ているのを見た事がある。

 だけど……。



???「…………」



 膝丈の編み上げブーツが、夜見北の制服にはミスマッチだった。

 外跳ねのワイルドな髪型もブーツも、彼女の凛々しい顔立ちにはよく似合っているのだが……。

 
 なんだろう。


佐藤「…………?」


 あの娘は……。

 あの人は……?


佐藤「う……?」

 
 頭が重い。

 ずうぅぅーん……という、重低音……のようなものが頭の中に鳴り響く。

 ……耳鳴りだろうか。


 まだダメージが残っているようだ。

 腹の虫の加護を得ていない状態で見崎と高林君の相手をするのは、やはり無茶だった。


勅使河原「どした?」

佐藤「いや……なんでもない」


 勅使河原に声を掛けられ我に返る。

 耳鳴りは止んでいた。


佐藤「…………」

 
 窓の外にはもう、ブーツの少女はいなかった。

121 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 19:56:49.18 ID:dxaOOEcFo

 *


 公園に向かう道すがら、皆から争奪戦に関する話を色々と聞かせて貰った。


高林「一人暮らしの学生が多い地域と違って、夜見山の狼は大半が実家暮らしの中高生だからね。夕食時に両親がいない者同士で集まって、戦って、一緒に夕餉って事が多いんだ」


美咲「卒業して夜見山の外に進学した先輩の話だと、激戦区には大学生の狼も結構いるらしいんだけどね。こんな田 舎じゃ中学生がほとんど」


顎髭「中学出た時点で夜見山出ちまう奴も多いしな」


坊主「ただでさえ田舎のスーパーは層が薄いのに、みんな高校出る頃には全然顔出さなくなっちまうもんなぁ。高校生の狼も、俺たち含めて数人しかいねぇ」


佐藤「二人は高校生なの?」


顎髭「おうよ、こん中じゃ俺とこいつだけだな」

 そう言って顎髭は、坊主の頭をパシッと叩いた。

坊主「って!」

 良い音するなぁ……。

坊主「叩くなよ」

顎髭「へへ、ついな」


望月「最近だと《魔導士》《ウルフズべイン》……強い人は皆出ていっちゃったもんね」


勅使河原「弁当の奪取率は上がるけど、やっぱ寂しいよな……」


著莪「鳴、お師匠は元気? 連絡取ってるんだろ?」


見崎「うん、元気みたい。烏田高校のHP部に入ったって」
122 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 19:59:32.70 ID:dxaOOEcFo
著莪「そっか〜、あの辺激戦区だって聞くけど、あの人ならなんとかなりそうだよな」


佐藤「ハーフプライサー部? 部活で争奪戦を戦うって事?」


見崎「そう。夜見北にもあるんだよ。部活っていうか、有志が集まって作ったサークルだけど」


佐藤「へぇ、この中にも入ってる人いるの?」


著莪「いないな。狼は群れるの嫌う奴も多いし」


高林「部長は槍水仙……《氷結の魔女》」


 また二つ名か……。


望月「サークルって言っても、結構伝統のある部活なの。今は槍水さんと白粉さんの二人だけになっちゃったけど ね」


勅使河原「落ちぶれてもエリート集団ってイメージあるわ。槍水が部長って時点で」


佐藤「……そんなに強いんだその魔女って人」


著莪「《氷結の魔女》《アヌビス》《オルトロス》《ミサキ》この辺が今の夜見山の主な強豪だな」


 いいなぁ……二つ名、格好いいなぁ……。

 いつか僕も……。


佐藤「あれ、《ミサキ》だけそのまんまだね?」


見崎「《ミサキ》はわたしと美咲のコンビにつけられた二つ名なの。単純に二人の名前が同じだから……あと、わたしが『毒使い』だから……」


佐藤「二人の名前以外にも、何か意味があるの?」
123 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:02:57.68 ID:dxaOOEcFo
見崎「夜見山で密かに有名な……ある怪談があるの。その怪談にミサキって名前が出てくるから……わたしが使う毒とわたしたちの名前と、その怪談を関連づけて《ミサキ》って二つ名になったの。これが『由来』」


美咲「その話、わたしには絶対聞かせてくれないよね」


見崎「お師匠からきつく言われてるの。26年前のミサキの話は本当にやばいからって。迂闊に口にすると余計な災いを招くって」


高林「あの語りたがりの《ウルフズべイン》がそんな事を言うなんて……」


勅使河原「まぁ、4月から三年に上がる俺たちにとっちゃ、マジで洒落にならんよな……」


望月「3組だけは嫌だよね……」


顎髭「俺たちは3組じゃなかったけど……」


坊主「話だけは色々と伝え聞いたな……」


佐藤「……?」


著莪「烏頭って3組だったんだろ? 『あの話』ってマジなの?」


見崎「本当、みたい。詳しくは話してくれなかったけど……それで、97年度の3組は……」


佐藤「3組だと何かまずいの?」


著莪「ん? まあな、でも実際に3組にならなきゃ、知らなくていい事だよ」


佐藤「??」


高林「……着いたね。話は後にして、夕餉といこう」
124 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:05:17.60 ID:dxaOOEcFo
 公園に到着。

 僕たちは木製のテーブルが設置された東屋で各々の夕食を広げ、手を合わせた。


全員「「「いただきます」」」


 全員揃っての合掌、食前の礼なんて小学校以来だ。

 なんとなく気恥ずかしかったが、半額神と半額弁当への礼儀だと言われれば、素直に従う事ができた。

 常にすまし顔で淡々とした様子の見崎が、手を合わせて 『いただきます』という様は、なんだかちょっと可愛らしかった。


勅使河原「うめー! たまには蕎麦もいいな!」ズルズル

 どん兵衛に貰ったちくわと備え付けのかき揚げをぶち込んで一口啜り、勅使河原が歓喜の声を上げる。

佐藤「てっしーも普段はうどん派?」

勅使河原「お、よーちんもか?」

佐藤「おうよ」

勅使河原「ははっ、俺たちとことん気が合うなぁ!」

佐藤「だなぁ!」

佐藤・勅使河原「ははは!」
125 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:08:32.11 ID:dxaOOEcFo
高林「ふふ、これから賑やかになりそうだね、夜見山のスーパーも」

著莪「どん兵衛コンビになりそうだよな、こいつら」

美咲「いいんじゃないかな? なんか面白いし」

 そう言って、ミサキピンク、藤岡さんはお茶を一口。

 藤岡さんだけ何も夕食を用意しておらず、ペットボトルのお茶を買っただけだった。


佐藤「藤岡さんは食べないの?」


美咲「うん、わたしは家に帰って食べるから」


高林「藤岡さんは、見崎さんの弁当奪取のフォローために戦ってるんだ」


佐藤「へぇ、それで見崎さんが弁当を獲ったら戦いをやめちゃったのか」


美咲「そ、鳴んちはお母さんがあんまり家事とかやらないから。いっつもレトルトばっかり食べてて、見てられなくて」

見崎「はぐっ! むぐっ!」モグモグ

 なんだか僕にとっては他人事とは思えない話をしながら、藤岡さんは夢中でオムっパイを頬張る見崎さんの頭を 撫でた。

 もの凄い勢いでほとんど掻き込むように食べているのに、あまりオムっパイの山は崩れていない。

 一口が小さいのだ。

 まるで必死に餌に齧りつく小動物のようだった。
126 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:11:42.37 ID:dxaOOEcFo
見崎「ひりひゃはみんぎょうひでげいじゅつひゃひゃひゃぎ――――」

 口一杯にオムっパイを頬張ったまま、何事か説明している様子の見崎さん。


美咲「ふふっ、こら鳴、お行儀悪いでしょ。飲み込んでから喋りなさい」

見崎「―――」ゴクン

 見崎さんはオムっパイを飲み込み、口元にご飯粒をつけたまま再度説明。


見崎「霧果……わたしのお母さんは人形作家で芸術家気質だから、一旦作業に入ると他の事は見えなくなっちゃう の。そう美咲に話したらスーパーに連れて行ってくれて……それで狼になったの」

美咲「レトルトより、断然ラルフストアのお弁当の方が栄養あるしね。――――ってほら、ご飯粒ついてる」

見崎「ん」

美咲「もう」パク

 見崎さんの頬からご飯粒を取り、自分の口元に運ぶ藤岡さん。


見崎・美咲「ふふふっ」


 何が可笑しいのか、顔を見合わせてころころと笑う二 人。

 僕を騙すための演技をやめた後もどこか感情の起伏に乏しい見崎さんだが、藤岡さんとはよく笑い合っている。

 従姉妹同士の二人だけの世界という感じだ。
127 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:14:38.44 ID:dxaOOEcFo
佐藤「それじゃ、その人形もお母さんが?」


見崎「うん、これは霧果に頼んで特別に作って貰ったの。 重りが入れてあるのよ」


 霧果って……お母さんを自然に呼び捨てにするな……。

 ……まぁ、僕がリタを呼び捨てにするのと同じような感覚なのかな?


佐藤「それであの威力か……そんなのよく作ってくれたね」


見崎「普通の人形より少し重いくらいだけどね。わたしが霧果におねだりなんて滅多にしないから。何も聞かずに 作ってくれた」


高林「まったく……『フェアじゃない』よ……そんなの」


佐藤「ひえ……!」

 高林君の気配が……!

顎髭「おいおい……!」

坊主「やめろ高林、メシ時だぞ……!」


高林「おっと……はは、ごめんよ。僕とした事が」

勅使河原「はは……スーパー以外で《アヌビス》は勘弁だぜ……」


佐藤「そういえば、高林君の二つ名の由来ってなんなの? てっしーは狼によって呼び方が変わるって……」


見崎「高林君の二つ名はね、エジプト神話」


佐藤「やっぱり……!」

 ジョジョの話? ねぇジョジョの話する?

著莪「言っとくけど佐藤、ジョジョは関係ないからな?」

佐藤「なんだ……」

 ジョジョの話しないのか……。
128 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:17:04.71 ID:dxaOOEcFo
見崎「? 古代エジプト神話の、死者の罪の重さを量る役目を担った神様、それが『アヌビス』」


佐藤「名前だけは聞いたことあったけど、そういう神様なんだ」


見崎「アヌビスはね『ラーの天秤』を用いて死者の罪を量るの。天秤の片方に『女神マアト』の羽を置いて、もう片方に死者の心臓を置くの。古代エジプトでは、死者の罪は心臓に宿るとされていたのね。

 それで、心臓が羽より軽ければ長く危険な旅を経て楽園 『アアル』に辿り着く事が出来る。

 逆に心臓が羽より重ければ『アメミット』に心臓を貪り食われ永遠に『アアル』に至ることはできない。

『死者の書』って聞いたことない?」


佐藤「無いけど……高林君が《アヌビス》って呼ばれる意味はなんとなくわかったけど、狼によって呼び方が変わるっ てのは……?」

 罪の重さを量る神様の名と、相手がフェアかアンフェアかを推し量る高林君のスタイルの符合が、二つ名の由来と いうことなのだろう。
129 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:19:06.24 ID:dxaOOEcFo
見崎「高林君はね、不思議なの。わたしのような『毒使 い』とか……狼としての特性そのものが高林君に『フェア じゃない』と判断された場合、その狼はもう高林君のいる戦場では絶対に半額弁当に辿り着けなくなる。そういう狼は高林君の事を《アメミット》と呼ぶ」


望月「それで日によって『フェア』か『アンフェア』か高林君の判断が変わる狼は、高林君のことを罪を量る役目を担う《アヌビス》もしくは天秤そのもの《ラーの天秤》って呼ぶの」


顎髭「一番通りがいいのは《アヌビス》だな」

坊主「『フェアじゃない狼』筆頭の《ウルフズべイン》な んて、高林に一度も勝った事ないんだぜ。もはやラルフストアの伝説さ。あれだけの腕利きを相手に一度も勝たせないなんて」


高林「二つ名なんて、僕には勿体無いんだけどね」

 高林君は照れくさそうに笑う。


著莪「そうかと思えば、あたしとかさっき話した魔女みたいに単独で普通に戦う奴は、高林が相手でも結構勝てるんだよな。苦戦はするんだけど」


見崎「心臓が羽より軽ければ『長く危険な旅』を経て楽園 アアルに辿り着く事が出来るって訳ね」
130 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:21:35.10 ID:dxaOOEcFo
佐藤「へぇ……二つ名っていっても、しっかり意味があるんだね。でも、それじゃあ見崎さんが今夜勝てたのは?」


美咲「わたしのおかげ!」

見崎「美咲のおかげ。美咲が高林君を引きつけておいてくれたおかげなの。高林君の特性は一度に一人しか作用しないから。美咲は普通のストロングスタイルだから、高林君 が《アメミット》になることもないし」


佐藤「それじゃあ、てっしーたちは? 4人掛かりだったけど」


見崎「勅使河原君たちは、煩悩に支配されて弱くなっていたから。高林君の素の実力で十分あしらえるの」


佐藤「じゃあ、てっしーと組んだのってかなり無謀だった のか……」


勅使河原「なはは……まぁな。悪ぃな、テンションだだ上がりでさ……」


佐藤「まあ、それはいいんだけど。しっかしよく考える なぁ、そういうの。見崎さん色々詳しいけど、見崎さんが考えたの?」


見崎「ううん。わたしの師匠、烏頭先輩」


佐藤「《ウルフズべイン》だっけ?」
131 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:22:21.38 ID:dxaOOEcFo
佐藤「へぇ……二つ名っていっても、しっかり意味があるんだね。でも、それじゃあ見崎さんが今夜勝てたのは?」


美咲「わたしのおかげ!」

見崎「美咲のおかげ。美咲が高林君を引きつけておいてくれたおかげなの。高林君の特性は一度に一人しか作用しないから。美咲は普通のストロングスタイルだから、高林君 が《アメミット》になることもないし」


佐藤「それじゃあ、てっしーたちは? 4人掛かりだったけど」


見崎「勅使河原君たちは、煩悩に支配されて弱くなっていたから。高林君の素の実力で十分あしらえるの」


佐藤「じゃあ、てっしーと組んだのってかなり無謀だった のか……」


勅使河原「なはは……まぁな。悪ぃな、テンションだだ上がりでさ……」


佐藤「まあ、それはいいんだけど。しっかしよく考える なぁ、そういうの。見崎さん色々詳しいけど、見崎さんが考えたの?」


見崎「ううん。わたしの師匠、烏頭先輩」


佐藤「《ウルフズべイン》だっけ?」
132 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:25:30.20 ID:dxaOOEcFo
見崎「そう。先輩は心霊現象研究部の先代の部長でね。わたしに毒の使い方を教えてくれて、部にも誘ってくれた人 なんだけど……高林君の特性ってほとんどオカルトだから、あの人の研究対象になってたの」


佐藤「ふぅん……」


見崎「《アメミット》になった高林君を相手に、あと一 歩って所まで行ったことも何度かあったんだけど……その 度にね、弁当奪取寸前でスーパーが停電になったり……何故か捨ててあったバナナの皮で足を滑らせたり……戦闘に勝てないだけじゃなくて、あり得ない不運が重なって絶対に弁当に辿り着けなくなるの」


佐藤「本当にオカルトなんだね……」

 バナナの皮って……。


著莪「ほんと、すごい執念だったよな。それでも諦めずに何度も何度も」


高林「僕自身この特性には半信半疑だっていうのに、すごくしつこくてね。正直、もう顔も見たくない」

 苦虫を噛み潰したような表情の高林君。


見崎「ふふ、それが師匠の売りだもの」

 どことなく誇らしげな見崎さん。

 よほどその《ウルフズベイン》……烏頭という人を敬愛 しているようだ。
133 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:28:41.13 ID:dxaOOEcFo
高林「はは……もうあの人の話はよそう。それより佐藤君 ――――」

 高林君は僕に食べかけの中華弁当を差し出した。


佐藤「いいの?」

高林「うん、デビュー祝いだよ。一口どうぞ」

佐藤「ありがとう!」

 弁当を受け取り、エビチリを一口。

佐藤「!」

高林「どう?」

佐藤「旨い!!」

 プリプリのエビに、程よい辛さのチリソース。

 絶品だった。

 旨い、だけではない。

 久しぶりに食べた手作りの暖かみに、涙が出そうになる。

 思わず『お母さん……』(ネネの事ではない)と口走りそうになるのを堪える。

 そしてこの味付け……!

 この塩梅は……!

佐藤「高林君……!」

 自分、ご飯いいっすか!?

高林「仕方ないな、もう一口だけだよ?」

佐藤「ごっちゃんです!」

 エビチリをもう一口、続いて白米を放り込む。

佐藤「〜〜〜〜ッ!」

 旨い!

 やっぱり思った通りだ!

 ソースの控えめな辛味、濃厚な旨味は、白米との相性を考慮した味付け!
134 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:30:41.03 ID:dxaOOEcFo
高林「今度は自分で獲って食べるといいよ。中華やオムっパイの他にも、まだまだ美味しいの一杯あるからね」


佐藤「うん、頑張るよ!」


見崎「はぐはぐっ――――わたひほはあへにゃい……」

佐藤「?」

美咲「もう、鳴!」

見崎「――――」ゴクン

 
 飲み込んで、スプーンの先端をこちらに向ける見崎さん。


見崎「わたしのはあげない。欲しければ自分で獲る事ね、ワンちゃん」


美咲「もう……」

高林「ふふふ……」

著莪「鳴の言う通りだな」


勅使河原「まぁ、よーちんは俺たちの新しい仲間だけどな!」

望月「5人ならイケるよね!」

顎髭「ああ……! 悲願のオムっパイを……!」

坊主「連携の基礎、バッチリ叩き込んでやるぜ!」


佐藤「あはは……」

 夜見山に来て最初の夕餉。

 ここに連れて来てくれた著莪のおかげで、新生活への不安はすっかり消えていた。
135 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:33:54.06 ID:dxaOOEcFo


  *


著莪「ただいまー……ってありゃ、パパまだ帰ってないな」

佐藤「いつもこんなもん?」

著莪「いや、さすがに普段はもっと早いけど」

 時刻は夜の9時過ぎ。

 狼たちとの夕餉を終え、著莪家に帰宅。

 著莪パパは不在だった。


 prrr……

著莪「お、電話」


 玄関で靴を脱いでいると、電話が鳴り響いた。


著莪「佐藤、あたし出るから風呂沸かしといて。浴槽洗ってあるから」

佐藤「あいよ」

 はいはい今出ますよ〜、と言いながら著莪は電話のあるリビングへ。

 著莪の独り言を笑いつつ、僕は風呂場へ。

 蛇口を捻り、湯沸かし器のスイッチを入れた。

 リビングに戻る。


著莪「…………はい。はい、わかりました……」


佐藤「……?」

 リビングでは、著莪がいつになく丁寧な口調で電話の相手に対応していた。

136 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:36:37.20 ID:dxaOOEcFo
 受話器を握る著莪の顔が暗い。

 暗いといより、もはや青ざめているように見える。

 
 なんだ……?

 さっきまであんなに元気だったのに……。


 まさか、イタリアの爺ちゃんに何か……?


著莪「はい。佐藤にも伝えます。それでは」ガチャ


佐藤「著莪、誰? 何だって?」


著莪「はぁ…………」


佐藤「著莪?」


著莪「……佐藤、明日学校な」


佐藤「え、なんで? 登校日かなんか?」


著莪「あたしら同じクラスだってさ」


佐藤「え! やった、そりゃ嬉しい――――って、電話、学校から?」


著莪「うん……」


佐藤「なんだよ……どうしちゃったの? そんなに僕と同じクラスが嫌なのか?」


著莪「いや、それは嬉しいんだけど……佐藤と同じ学校行くならクラスも同じがいいって思ってたし…………でもなぁ、ままならないもんだわ……」


佐藤「何が……?」


著莪「あたしら3組だってさ……」

137 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:38:58.37 ID:dxaOOEcFo
佐藤「……それ、さっきも言ってたけど……3組だと何がまずいの?」


著莪「うん、まあ、明日学校で全部説明して貰えるから……」


佐藤「……?」


 著莪がここまで露骨にテンションを下げるのは珍し い。

 僕は著莪の『同じクラスがいい』発言に若干テンションを上げていたのだが……ヘコんでいる著莪の手前、それを 表に出すのを躊躇ってしまう。

 勅使河原や望月も3組になるのを嫌がっていたが、一体何がそんなに……?


著莪「……佐藤、今夜一緒に寝よう」

佐藤「? うん、いいけど……」

 著莪の発育をチェックするために、僕もそのつもりでいたけど……。
138 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:40:36.63 ID:dxaOOEcFo
著莪「とりあえず、風呂行ってくる」

佐藤「うん……」


 その後、帰宅した著莪パパに挨拶し入浴を済ませ、サ ターンで遊ぶのもそこそこに僕たちは床に着いた。


 明かりを消し、布団に潜る。

 子供の頃と同じように、どちらからともなく抱き合う体勢になり、著莪が呟いた。


著莪「……佐藤と一緒なら大丈夫だよな」

佐藤「……そんなに深刻になるような事なの?」

著莪「うん……とにかく明日だ明日。おやすみ」チュ

佐藤「うん……おやすみ」


 おやすみのキスをして、著莪はさっさと寝入ってしまった。

 著莪の常に無い萎れた態度に不安を覚えながら、僕も眠りについた。


 冗談では済まされない雰囲気だったので、発育チェックは後日に先送りする事にした。

139 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:42:29.05 ID:dxaOOEcFo
今日は以上です
次は2、3日後に
140 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/24(月) 20:45:13.77 ID:84XXRnT+0
榊原君でるん?
141 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/24(月) 20:47:30.59 ID:dxaOOEcFo
出ます
まだ先ですが
142 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2013/06/24(月) 20:53:32.73 ID:c2VvzmRXo
乙ッ
高林=アヌビス=心臓
うーむ
143 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/24(月) 23:54:19.57 ID:I6g3gtzwo
いちいち佐藤の心の声(?)が面白いwww
144 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:12:31.73 ID:HawdlNFio


  5


 翌日。

 3月27日。


 僕と著莪は制服に着替え、夜見山北中学に登校した。


佐藤「人少ないな……登校日なのに」

著莪「うん……だな」


 教室に向かうまでの間、ほとんど他の生徒には会わなかった。

 特別に早く家を出た訳でもないのに、校舎の中は閑散としていた。

 たまに出会う僕たち以外の生徒も著莪の顔見知りばかりで、みんな同級生のようだった。


佐藤「登校日なのは3年だけ?」

著莪「いや、3年3組だけ」

佐藤「なんだそれ、どうして3組だけ……」

著莪「行きゃわかる」


 著莪の口数がいつもより少ない。

 口調も僅かだが硬く、意識していつもの調子を出そうと無理をしているのがわかる。

 廊下ですれ違う生徒たちも、心なしか表情が暗い。


 一体みんなは、何に対してそんなに憂鬱になっているのか……。

 春休み中の登校日が面倒、なんて単純な理由ではなさそうだけど。
145 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:17:21.37 ID:HawdlNFio
勅使河原「!」

望月「うわ……」

高林「…………」

見崎「本当に来た」


佐藤「てっしー! みんなも、同じクラスか!」

著莪「よーっす」


 教室に着くと、勅使河原、望月、高林君が、見崎さんの席に集まって話していた。


佐藤「なんだよ、昨日のメンバー勢揃いじゃんか!」

著莪「なーんかそんな気はしてたけどな」


高林「こっちもだよ。今4人で話してたんだ、二人も来るんじゃないかって」

勅使河原「はあ、嬉しいんだか嬉しくないんだかもうわっかんねー……」

望月「本当だよ……」

見崎「このクラス、狼が多いね」


著莪「んー……おお、マジだ。HP部に二階堂、鏡もいる」

 
 著莪は教室を見回し、目を丸くする。

 HP部は昨日聞いたが、二階堂と鏡は知らない名前だ。


佐藤「誰が誰?」

著莪「あの横髪だけ長い女子が沢桔鏡、その横の長髪男子が二階堂。そんで窓際の最後尾の席に集まって話してるのがHP部。後で紹介してやるよ」
146 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:20:10.18 ID:HawdlNFio
 なんとなく二階堂にいけ好かない印象を抱きつつ、視線を最後尾へ。

 窓際の最後尾では女子が3人集まって話していた。


 髪を後ろで一つ結びにした眼鏡の小柄な少女。

 黒髪ロングの、ちょっときつそうな美人さん。


 そして――――


佐藤「あ……」


 外跳ねブーツ……。

 昨夜ラルフストアで見かけた少女だ。


著莪「あの外跳ねと眼鏡がHP部。黒髪ロングは白梅様」


 ……なんで様付け?


佐藤「あの外はねの娘が……?」

著莪「そ、《氷結の魔女》槍水仙。眼鏡が白粉花」


望月「藤岡さんは別の学校だし《オルトロス》のお姉さんはいないけど、夜見山の主な実力者がほとんど集まってるね」


佐藤「《オルトロス》……双子のコンビ狼だっけ」

 昨夜、少し話を聞いていた。


勅使河原「あの二階堂ってのも中々やるやつだし。初めてだな、こんなに狼連中と同じクラスになるの」

望月「3組になったのは災難だけど……ちょっとはマシな気分かな」

高林「あとは今年が〈ない年〉なのを祈るばかりだね」


佐藤「〈ない年〉?」

著莪「もうすぐわかるから……席着いてよう」
147 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:22:03.22 ID:HawdlNFio
 僕たち6人は廊下側の席に固まって座った。

 廊下側の最後尾の席に著莪、その隣に僕、僕の前に勅使河原、勅使河原の横に望月、望月の前に見崎さん、その横に高林くん。

 特に席順の指定はなく、みんな仲の良い者同士適当に座っているようだった。


 続々とクラスメイトが集まり、席が全て埋まった。


見崎「今日、烏頭先輩が来るみたい」

著莪「今日って、ここに?」

見崎「うん、説明役。毎年卒業生も何人か来るんだって」

著莪「へぇ」


勅使河原「担任久保寺だっけか。あんま好きじゃねぇなーあの先生」

高林「そう? 僕は結構好きだな」

望月「副担任が三神先生だから、担任は誰でもいいや」

勅使河原「お前ホント三神先生好きな、《高め打ち》」

望月「それやめてよね、勅使河原くんだってマッちゃん大好きじゃない」

勅使河原「はは、まあな。でも俺は歳上なら誰でもいいって訳じゃないし」
148 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:24:27.24 ID:HawdlNFio
 狼6人の会話には参加せず、僕はなんとはなしに教室を見回していた。

 教室の各所から聞こえてくる会話に耳を傾ける。


 知らない顔、知らない声……。

 始業前、他愛のないお喋りに興じる同級生たち。


 ありふれた光景ではあるが、転校して来たばかりの僕には全てが新鮮だった。

 昨夜の内に勅使河原たちと仲良くなれていたおかげで、 新しい学校への不安よりも期待が勝り、僕の胸は高鳴っていた。


 このクラスは、良い。


佐藤「むふぅ……」


 可愛い子ばかりだ。


 著莪と見崎さんは言うに及ばず、窓際最前列の赤みががった髪を二つに結わえた美人さん、白梅さん、槍水さ ん、白粉さん、鏡さん……他にもたくさん、たくさん、いっぱい……全員タイプは違えど、揃いも揃ってハイレベルだった。


 見渡す限り美少女ばかり……。

 いかん、いかんなこれは……。


 僕には広部さんという心に決めた人が、フィアンセがいるというのに……。
149 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:26:54.24 ID:HawdlNFio
 槍水さん、白粉さん、鏡さんは狼だというし、何かしらのロマンスに発展して広部さんに対し不貞を働いてしまう恐れがある。


 何せこの佐藤洋、故郷では評判のナイスガイである。


 よく近所のおじさんやおばさんに、蛙の子は蛙だとか、あの親にしてこの子ありだとか言われたものだ……。

 生粋のメガドライバーにして現職の自衛官、鍛え抜かれ た180オーバーの体躯、ドラゴンボールのセルそっくりの 声。

 数々のナイスガイ要素を備えた親父を指してそう言われ続けて来たサラブレッドの僕に、彼女たちが群がらないはずがないのだ。


 まずい、これはいけない。


 気を引き締めて自制しないと……僕の中の何かが弾けてしまいそうだ……。


 僕って奴は……!


 駄目だ……! 駄目だ駄目だ駄目だ!


 広部さん……!


佐藤「くっ……!」

著莪「…………」


 携帯を取り出し、広部さんに貰ったストラップを見詰め、今は遠く離れてしまった(電車で片道1時間半も……遠 い、遠すぎる……!)広部さんに想いを馳せる。

 今こそ愛の力が込められたストラップが必要だった。
150 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:28:41.39 ID:HawdlNFio
佐藤「…………よし」ギュ

 よし、これで大丈――――


著莪「アホ」

ベシッ

佐藤「あたっ」

 著莪に頭を叩かれた。


佐藤「痛いな、何すんだよ!」

著莪「お前が考えてるような事は起こらない」

佐藤「!?」

著莪「ロマンスとかないから」

佐藤「!?!? な、なんで僕の考えている事がわかった!?」

著莪「はぁ……まったく、能天気な……」


佐藤「…………?」

 ……やっぱり、ツッコミにもいつものキレがないな、著莪……。


 何だっていうんだ……教室にも微妙に緊張した空気が流れているし……。

 そんなに憂鬱になるような事なのか?

 なんか僕も怖くなってくるじゃんか。

 ちょっとは説明してくれても――――



 ――――ガラッ!

151 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:31:57.88 ID:HawdlNFio
佐藤「!」

 教室の前の扉が勢いよく開いた。

 先生にしては威勢が良すぎる登場だが……?



???「はーっ、ヤバかった! まだ始まってないよね!?」



 教室に飛び込んできたのは、一人の女子生徒だった。

 おでこが眩しいショートカットの、これまた可愛らしい娘さんだった。

 席が埋まっているため、もう全員が集まっていると思っていたのだが、まだ生徒がいたようだ。


勅使河原「あっはは! 綾野ー! おめーの席ねーからー!」


 勅使河原が女生徒、綾野さんに、質の悪い冗談を飛ばす。



綾野「うわ、てっしーひどくない? てかホントだ! もう席ないじゃん! 泉美ーどーしよー!」


 勅使河原にムッとした顔を向け、続いて席が無いことに目を丸くし、最後にイズミさんとやらに泣きつく綾野さ ん。

 コロコロと表情の変わる娘だ。

 勅使河原の愛称のセンスといい、なんとなくウマが合いそうな気がする。
 

 勅使河原のキツめの冗談に一瞬ドキッとしたが、どうやら二人の間柄では許される範囲の冗談らしい。

 他の生徒たちは二人のやり取りを見て笑い合っていた。

 こういう時、自分が新参者なのだと自覚させられる。

 転校初日なので当然だが、人間関係が把握し切れず内心で挙動不審になってしまう。
152 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:34:20.67 ID:HawdlNFio
???「はぁ……勅使河原」



勅使河原「な、なんだよ、赤沢」


 窓際最前列の美人さんが、何故か険のある声で勅使河原に声を掛けた。

 赤沢さんっていうのか……じゃあイズミさんは名前か。

 どうやってお近づきになろうかなぁ……。


赤沢「隣の教室行って机と椅子一組持ってきて」


勅使河原「なんで俺が……」


赤沢「早くなさい。それと私、今みたいな冗談嫌いなの。 もう二度と言わないでくれる?」


勅使河原「う……わぁったよ。行ってくる」


綾野「怒られてやんのー」


勅使河原「うるせー」


 勅使河原が教室を後にし、空いた席、僕の前に綾野さんが座る。
153 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:36:42.75 ID:HawdlNFio
綾野「? 君、誰? 知らない顔だね」


 着席して即、僕の素性を問いただす綾野さん。

 おそらくは皆も気にしていたのだろうが、綾野さんは物怖じしない性格のようだ。


佐藤「佐藤洋、著莪の従兄弟だよ。一年だけこっちに住む事になったんだ」

綾野「ふーん、そっかー……あやめの従兄弟……うーん……」

 何かを考え込む綾野さん。


綾野「洋ならよーちんだね! うん決まり! あたしは綾野彩、よろしくね!」

佐藤「うん、よろしく」

 やはり何か勅使河原に通ずるものがある娘だ。

 愛称のセンスがダダ被りじゃないか。


勅使河原「戻ったぞー……って綾野、席とるなよ」

綾野「いーじゃん、てっしーがそれ使いなよ」


 勅使河原はブツブツと文句を言いながら、僕の後ろに机を置いた。
154 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:39:32.36 ID:HawdlNFio

  *


久保寺「国語の授業で知っている方もいるとは思いますが ――――」


 数分後、集合時間の少し前に、担任教師が教室にやって来た。


 短く切り揃えた髪に眼鏡、スーツをきっちりと着込んだ真面目そうな先生だった。

 勅使河原が苦手だというのも頷ける、冗談の通じなさそうな雰囲気を身に纏っている。

 温厚そうではあるが、同時に頼りない印象も受けてしまう。


久保寺「――これから一年間みなさんの担任を務めます、 久保寺昭二です。よろしくお願いします。――三神先生」


三神「副担任の三神怜子です。担当教科は美術です。よろ しくお願いします」


 おいおいこのクラスは天国か何かですか?

 知らない間に僕昇天しちゃったのかしら?

 昨夜のマッちゃんと肩を並べる美人教師だった。

 望月の言う事もわかる。

 この人が副担任なら、誰が担任でも文句はない。


久保寺「話を始める前に〈申し送り〉のために来てくれたみなさんの先輩を紹介します。金城くん、烏頭さん……」

155 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:41:40.41 ID:HawdlNFio
金城「はい。金城優です。みなさんの二年先輩で96年度の3組の生徒でした」


 久保寺先生が、頼りなく見えてしまうのは……。

 この、金城という先輩の隣に並んでいるから……相対的に頼りなく見えてしまっている、という事もあるのだろ う。


 190はあるだろう長身長駆、相当な美男子で、もう春だというのに、何故かファーのついたコートを羽織ってい る。

 金城はかつて、二つ名《魔導士》として夜見山最強の実力を誇り、激戦区でもすでに名を知られた狼になっているのだそうだ。

 痩せた中年の久保寺先生とは比べ物にならない存在感だった。


 そして、もう一人。


烏頭「烏頭みこと。私は97年度の3組の卒業生……」

 
 見崎さんの師匠だという《ウルフズベイン》烏頭みこと。

 彼女も独特の存在感を放っていた。
156 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:44:40.81 ID:HawdlNFio
 背中まで伸ばした美しい黒髪、スラリと伸びた手足、見崎さんに似通った白い肌。

 長すぎる前髪が綺麗な顔を隠してしまっているが、なかなかの美人さんだった。

 しかし、あまり良い印象は持てなかった。

 彼女の放つ気配が、昨夜、僕に毒を仕込んだ時の藤岡さんの雰囲気に似ていたからだ。

 ドッペルゲンガーネタに限り毒使いである見崎さんの技に協力する藤岡さんの演技は、元を辿ればこの烏頭先輩の仕込みなのだという。


 教室に入ってきた際、小さく手を振る見崎さんに向けた 微笑みは好印象だったのだが……。


久保寺「では……次に佐藤くん、佐藤洋くん」


佐藤「はい」

 次は転校生の僕の番だ。


久保寺「起立して、みなさんに自己紹介をして下さい。みなさん、転校生の佐藤洋くんです」


 席を立つ。

佐藤「えっと、佐藤洋です。著莪の従兄弟で、××市から来ました。一年間よろしくお願いします」


勅使河原「よっ! よーちん! よろしくー!」

綾野「よろしくー! よーちん!」


 勅使河原と綾野さんが二人だけで拍手をしてくれる。

 二人につられたクラスメイトたちからも、まばらな拍手が。


佐藤「あはは……よろしく」

 若干照れつつ着席。
 
157 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:46:18.58 ID:HawdlNFio
久保寺「ふふ、もうお友達もいるようですね……佐藤くんは、お父さんの仕事の都合でこちらに越してきたばかりで す。色々と不慣れな事もあるでしょうから、みなさん助けになってあげて下さい」


 勅使河原と綾野さんの拍手に微笑む先生。

 一瞬緩んだ表情を見て、そのお堅い雰囲気が、性格よりも緊張によるものなのではないかと想像してしまう。

 それほど教室全体の雰囲気は暗く、重苦しいものだった。

 著莪の従兄弟と自己紹介すれば何かしらの反応があると思っていたのだが、みんな俯きがちで特に何もなかった。

 勅使河原と綾野さんのおどけた態度にしても空元気といった感じだ。


久保寺「さて…………それでは、始めましょう。金城くん、お願いします」

金城「いえ、説明は烏頭から……烏頭は『あの部』の部長を務めていましたから……」

久保寺「そうですね、では烏頭さん……」

烏頭「はい」
158 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:48:54.82 ID:HawdlNFio
 久保寺先生が教壇を退き、代わりに烏頭先輩が立つ。


烏頭「みんな……」


 静まり返る教室に、烏頭先輩の声が凛と響く。


烏頭「事前の〈申し送り〉は済んでいると思うけど……転校生は、あの話は?」


 こちらを見る先輩。


佐藤「? えっと……」

著莪「あー……すいません。何も話してなくて……」


烏頭「いい……仕方たない。あの話題に触れたくない気持はわかる……なら、うちの部の〈申し送り〉が不十分だった可能性を考慮して、最初から掻い摘んで説明する……」

金城「烏頭、簡潔に頼む。妙な演出はいらないからな」

烏頭「わかってる」


 烏頭先輩は一旦間を置き、何故か僕の方を見詰めた。


烏頭「始まりは……26年前、3年3組に夜見山岬という名の 男子生徒がいた。彼は人気者で、みんなから好かれていた……でも3年に上がってすぐ、彼は死んでしまった……」


佐藤「…………」

 いきなり――――


烏頭「岬の同級生たちは信じられなかった、岬の死が。受け入れられなかった。そんな時、誰かが言い出した……」


 何の……話だ?

 『ミサキ』……?

159 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:52:17.68 ID:HawdlNFio
烏頭「岬は死んじゃいない、今もそこで生きてるじゃないか――――って」



見崎『夜見山で密かに有名な……ある怪談があるの』


佐藤「あ……」

 もしかしてこの話が……?

 でもなんで今……。


烏頭「それ以来、3組では岬が生きている、という『ふり』をし続けた。当時の担任も一緒になってね。その『ふり』は卒業まで続いて、卒業式の日には岬の席が用意されたりもした……」


 なんで先生やOB、OGがわざわざ集まって……こんな話を……?


烏頭「そして卒業式の後――――」


佐藤「…………」ゴクリ

 卒業式の後……?
 

金城「烏頭、妙なタメを作るな」

烏頭「――ごめん、つい癖で……卒業式の後、3組は教室で記念写真を撮ったの………その写真の隅に――――」


佐藤「……!」

 隅に、何なんだ……一体、何が……!?


金城「烏頭!」

烏頭「――ごめん、つい」


見崎「ふふ」

 見崎さんが笑いを漏らす。
160 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:54:43.66 ID:HawdlNFio
烏頭「――写真の隅には有り得ないものが写っていた。笑顔で写真に収まる3組の生徒たちの中に――――」

金城「はぁ……」


 烏頭先輩はタメを作らずにはいられないようで、金城先輩が呆れたようにため息をついた。

 金城先輩を横目で見つつ、烏頭先輩は話を続ける。


烏頭「……生徒たちの中に、死んだはずの夜見山岬が、笑顔で写り込んでいたの」


佐藤「あの……」

 僕は堪え切れず、手を上げた。


烏頭「何?」


佐藤「その話が何なんですか? なんでわざわざ、学校に集まってそんな話を?」

 怖くて話を止めた訳じゃない……でもなんで今怪談?


烏頭「……重要なのはこの先。最後まで聞いて欲しい。これから3組で一年間過ごすのなら、聞かなければいけない」

久保寺「佐藤くん、疑問は尤もですが……どうか最後まで……大切な話なので……」


佐藤「…………はい」

 先輩の有無を言わせない態度に加え、先生にまでそんな事を言われては従うしかない。


 烏頭先輩は話を再開する。

161 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 21:58:14.69 ID:HawdlNFio
烏頭「佐藤くん、みんなも……信じていない人もいるでしょうけど、この夜見山岬の話は全て実話。

 26年前、この夜見山北中学3年3組で本当に起きた事なの……そしてこの先……」


佐藤「…………」

 きな臭い、なんてものじゃない……。

 そんな怪談にありきたりな注釈をつけたって信じられる訳ないじゃないか……。

 この集まりの意味が、まったくわからない……。


烏頭「その翌年から、3組で人が死に始めた。

 毎月、最低でも一人、生徒、あるいはその関係者が、事故死、病死、自殺、他殺……様々な要因で次々と亡くなっていった」


佐藤「…………」


烏頭「最初はみんな、不幸な偶然が続いたのだと考えていた。

 でも、そうじゃない事が徐々にわかってきた………最初の年は結局、16人が亡くなった。

 その翌年も、同じように人が死に続けた。
 〈ない年〉もあったけど、それからも不規則に〈ある年〉は訪れ続けた……そして――――」



高林『あとは今年が〈ない年〉なのを祈るばかりだね』

佐藤「…………」



烏頭「…………97年度の3組、私たちのクラスでも人が死んだ。クラスメイトが9人、関係者が4人死んだ」

金城「…………」


 烏頭先輩は、声を詰まらせた。

 沈痛な表情の金城先輩。


 見崎さんの師匠だという先輩だが、いくらなんでも演出過剰なんじゃ……?

162 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:00:42.40 ID:HawdlNFio
佐藤「えぇ……」

著莪「おい、佐藤……」

 思わず声を漏らす。

 まさか、26年前から、先輩の代にまで話が及ぶとは思っていなかった。


久保寺「事実です、佐藤くん。

 実際に3組の生徒、関係者が13名『現象』の犠牲になりました。
 
 信じられないというのなら、昨年4月から今月までの地元紙の死亡記事をお見せします」


佐藤「いや……」

 真剣な表情の久保寺先生。

 そんな事を言われても……。


烏頭「今久保寺先生が仰ったように、この毎月3組に訪れる死を〈現象〉〈災厄〉と呼ぶ。

 そしてここからが、佐藤くん以外にも知らない人がいるかもしれない話……」


金城「みんな〈現象〉に関しては、単に『呪われた3年3 組』『ミサキの呪い』としか聞いていないと思う。

 だがおそらく、夜見山岬は3組を呪ってなどいない。

 夜見山岬の『遺志』は、この〈現象〉には関与していないと考えられている」
163 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:04:03.27 ID:HawdlNFio
烏頭「〈現象〉は、3組に〈死者〉が紛れ込む事で起こる。
 
 それ以前の〈現象〉で亡くなった〈死者〉が、4月にクラスに紛れ込んで始まる」


赤沢「その〈死者〉というのは、幽霊のようなものなんですか?」

 赤沢さんが疑問を差し挟む。

 なんだか彼女は、先輩たちの話を信じているような…… 真実であるという前提で質問しているような……?


烏頭「少し違う。

 普通の人間のように実体があり、知性も感情も、全て私たちと変わりない。

 そして〈死者〉には、自分がすでに死んだ人間だという記憶がない。

 〈死者〉本人も、自分が〈死者〉だという自覚がないの」


赤沢「本人になくても、周りが気付くのでは?」


金城「気付けない。

〈死者〉本人だけでなく、周囲の関係 者全ての記憶、関係書類が、書き換えられるからだ」


白梅「書き換えられる?」

 赤沢の隣に座った、白梅さんも口を挟む。


金城「ああ。誰の意思も介在していない上、記憶まで改変されるとあっては比喩に過ぎないが……『改竄』と言われている。

 〈死者〉が3組に紛れ込むと、〈死者〉に関係する人物の記憶、関係書類が全て、〈死者〉がその年の3組の生徒 である事に違和感のないよう改変、調整されてしまう」
164 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:07:30.85 ID:HawdlNFio
白梅「〈現象〉は〈死者〉が3組に紛れ込んで始まる……そして……〈死者〉を探す事は不可能……?」

赤沢「厄介ね……」

 赤沢さんと白梅さんの理解の早さ、話への没入の仕方は、 僕のような何も知らない人間には不自然に思える程だった。

 何か、二人には〈現象〉に関する予備知識がある……?

 烏頭先輩は〈申し送り〉は済んでいると言っていたが、 他のみんなも……?


金城「そうだ。誰が〈死者〉なのかは絶対にわからない。

 記憶も書類も〈死者〉が普通の生きた人間であると証明する形で、全体の辻褄合わせが行われてしまう。

 『改竄』は3組の関係者だけではなく、夜見山全体に及ぶ。

 場合によっては外部の人間にも影響する」


赤沢「始まってしまったら、もう止められない……という事ですか?」


金城「一つだけ有効な〈対策〉がある。

 個々人への〈申し送り〉とは別に、今日集まって貰った最大の理由が、その〈対策〉を伝える事にある」


烏頭「〈現象〉は〈死者〉が3組に〈もう一人〉として紛れ込んで始まる……。

 だから〈もう一人〉とは別の誰かを〈いないもの〉として扱い、クラスの人数を元に戻せば、〈現象〉は止まる」


白梅「……クラスの誰かを無視する、と……?」


金城「26年前の3組の生徒が死んだ岬を〈いるもの〉として扱った……それと逆の事をやるという事だ」


赤沢「〈対策〉って言ったって……それじゃあ……」


烏頭「そう。ほとんど、おまじないのようなもの」


赤沢「そんな……」
165 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:10:51.00 ID:HawdlNFio
烏頭「〈現象〉が何故起きるのか〈死者〉はどうやって蘇るのか、何もわからないし、わかった所でどうしようもない。

 ある人は3組の災厄を〈超自然現象〉と呼んだ。

 誰の意思も関与しない、ただそういう〈現象〉〈災厄〉なんだって……だから〈はじまりの年〉とは逆の事をやったり、クラスの名前を3組からC組に変えてみたり、おまじないのような対策しか講じようがない」


金城「それで問題は――――」


???「あっ、あの!」ガタッ


 僕の隣に座っていた、細目の男子が突然立ち上がった。


久保寺「なんですか、和久井くん?」


和久井「烏頭先輩は、『あの部』の部長さんだったって……! なら、そのツテでこの〈現象〉……『あの人』に 何とかして頂く事はできないんでしょうか……!」


佐藤「……?」

 あの人?


和久井「あの――――『寺生まれ』の……ッ!」


 
 ――――ザワッ!



佐藤「?」

 和久井くんが『寺生まれ』と口にした瞬間、静まり返っていた教室にざわめきが起こった。
166 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:13:31.32 ID:HawdlNFio
「そうだ……そうだよ……! あの人がいたじゃないか!」

「あの人なら、きっと……!」


 何やら希望を見出したように、クラスメイトたちの表情が明るくなる。

 何者だ? 『あの人』って。


和久井「友達の従姉妹の友達のお兄さんが『あの人』に助けてもらったって……! この手の問題なら『あの人』の右に出る者はいないって――――!」


「俺も聞いた事あるぜ! 親戚の友達の従兄弟の友達の親御さんが『あの人』に助けてもらったって!」


「わたしも聞いた事あるわ! 兄貴の友達の友達の親戚が 『あの人』に助けてもらった話!」


佐藤「…………」

 なんだよ、その信憑性皆無のルートは……。


烏頭「残念だけど――――」 

 烏頭先輩は、希望に湧くクラスのざわめきを断ち切るように、言い放つ。


烏頭「寺生まれの『あの人』でも……駄目だった」


和久井「……!」

 細目をカッと見開き、驚愕の表情を浮かべる和久井くん。

 再び静まり返る教室。
167 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:18:45.82 ID:HawdlNFio
烏頭「これだけ何人も人が死んでいて『あの人』が動かない訳がない。

 あの人は何ヶ月も掛けて3組の災厄と戦った……でも、駄目だった。

 『あの人』は96年度の3組の生徒。

 そして〈現象〉の犠牲になり、亡くなった……『あの人』はもういない……」


金城「『あいつ』の最期は俺が看取った……。

 あいつは言っていたよ。

『助かりたければ、対策を完遂するしかなかったんだ……〈いないもの〉対策を』と……。

『俺たちは既に失敗している……すまねぇ皆……もう駄目みてぇだ……来年の春、夜見北の……桜の下、で……会お……うや……』と。

 ぶっきらぼうな奴だったけど……最期の最期までクラスの無事だけを考えていた……惜しい奴を亡くしたよ……本当に」


和久井「そ、んな……」ガタッ

 へたり込むように席に着く和久井くん。

 僕は全然ついて行けなかったが、どうやらクラスの皆も絶望しているようだった。


久保寺「……!」

 きつく目を閉じ、天を仰ぐ久保寺先生。


三神「ッ……!」

 口元に手を当て、涙を堪える三神先生。


著莪「…………」ギュ

佐藤「…………」

 著莪なんて微かに震えながら僕の手を握ってくる始末。

 僕は『あの人』への興味が先行してみんなの絶望にまったくついて行けなかったが。

 実際に亡くなっているのにこんな事を考えるのは不謹慎だけど……。

 末期の言葉が格好良すぎる。

 本当に何者なんだよ『あの人』
168 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:21:29.07 ID:HawdlNFio
烏頭「みんな、これで〈いないもの〉対策の重要性がよくわかったと思う」


金城「俺たちの年も当然〈いないもの〉対策が講じられて、年度の前半は死亡者が出なかった。

 だが――」


赤沢「『あの人』の言う『失敗』……」


金城「ああ、〈いないもの〉対策の失敗だ。

 〈いないもの〉にされた生徒が孤独に耐えかね役割を放棄してしまったんだ。

 その結果『あいつ』の奮闘虚しく7人の関係者が死んだ」


烏頭「私の年は5月の時点で対策が破綻した。

 でも、4月は誰も死ななかった。

 96年も〈いないもの〉が役割を放棄した後から〈災厄〉は始まった。

これはつまり〈いないもの〉対策が有効だという証明」


赤沢「現実的な対処のしようがなく、有効な〈おまじない〉は〈いないもの〉対策のみ……」

白梅「それがわかっていながら、2度までも失敗した原因は……?」
169 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:23:39.71 ID:HawdlNFio
烏頭「わからない……学校以外でも〈いないもの〉として 扱わなければならないのか、〈いないもの〉の話をすることすら駄目なのか……。

 どこまで徹底すへきなのかがはっきりしていないから……。

 だから、今年の3組には徹底的に〈いないもの〉を完全に〈いないもの〉として扱ってもらう」


金城「人材の選定が重要になる。

 孤独に耐えられない、精神的に弱い人間には務まらない。

 クラス内の交友関係が広い者も向かない」


烏頭「それで……。

 私から提案がある。

 今年の〈いないもの〉を誰にするか。この中で〈いないもの〉になる事に耐えられそうな人材に心当たりがある。

 クラスのような大きな集団には馴染みにくく、尚かつクラス外に、心の支えになる部活関連の友人、知人が多くい て……何より〈現象〉に対する危機意識が強い――――」

 
 烏頭先輩は、僕の前の席に視線を向けた。


烏頭「――――鳴、あなたが適任だと思う」


見崎「…………」

170 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:26:36.74 ID:HawdlNFio
 
  *


 その後〈申し送りの会〉は、対策の立案と執行を担当する〈対策係〉を決め、解散となった。


 対策係には赤沢さんが立候補、赤沢さんに続いて白梅さん、杉浦さんが係に決まり、男子からは風見くん、中尾くんの二人が指名された。

 風見くんは男子のクラス委員も兼任。

 女子のクラス委員は桜木さんに決まった。


久保寺『それでは、みんなで無事に卒業できるよう、4月から力を合わせて頑張りましょう……私たち教員も、出来 る限りの事はしますので……』


 解散時の久保寺先生の言葉が、耳に残って離れない。

 半信半疑の僕にとっては、先生たちの真に迫った態度が一番薄気味悪かった。

 何故みんな、あれほど素直に〈現象〉なんて胡散臭い話を信じられるのか……。


見崎「それは、夜見北の生徒には予め〈申し送り〉が済んでいたから」

佐藤「それ、あの人も言ってたね」


 昨夜争奪戦を戦った面子は、対策係への個別の申し送りのために教室に残った先輩を待つという見崎さんに付き合って、中庭の池の前にあるベンチで話をしていた。
171 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:29:44.98 ID:HawdlNFio
見崎「公共の教育機関で大々的に呪いの存在を認める訳にはいかないから、教員には教員の、生徒には生徒の〈現 象〉に関する話を伝える〈申し送り〉のルートがあるの」


佐藤「体育館なんかに集めて、みんなで話せばいいのに」


見崎「そういうのはね、あまりよくないとされてる。

 余計な災いを招くからって。

 だから情報の伝達には、密かに語られる人伝いの口伝が利用されているの」


佐藤「それじゃあ不備が出そうだけど」


見崎「そうね。でも、公式には〈現象〉の存在を認めない という、暗黙の取り決めみたいなものがある以上、これしかなかったみたい。

 それでね、先生たちより遥かに人数が多い生徒間の〈申し送り〉……次の年に3組になる可能性がある2年生への情報の伝達は、わたしたち『心霊現象研究部』……通称〈現象部〉が担当しているの」


著莪「へぇ……」

佐藤「著莪も知らなかったの?」

著莪「うん……その現象部って呼び方も初めて聞いた」
172 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:31:37.92 ID:HawdlNFio
見崎「部員と、一部の教員しか知らない呼称だから。

 他にもね、対策係の補佐とか、過去の〈現象〉に関する記録の保管とか。

 顧問は第二図書室の司書の千曳さんが、演劇部との兼任でやってる」


高林「それは知らなかった……あの部が〈申し送り〉に深く関わっているのは知っていたけど……」


見崎「基本的にはホラー小説とか映画とか、実話怪談の類が好きな人が集まる、ただの同好会なんだけどね。

 わたしはその手の本とかビデオには興味なかったんだけど、烏頭先輩がいたから……。

 3年の部員と一部の2年の部員が、密かに〈現象部〉として活動していて、後は適当に顔を出したり出さなかったり」


望月「見崎さん、一時期美術部に顔出さなくなってたけど……」


見崎「ちょっと〈現象部〉の活動が忙しがったから。
 生徒間の〈申し送り〉のために、噂を広めていたの」


勅使河原「噂?」
173 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:34:19.89 ID:HawdlNFio
見崎「〈現象〉に関する情報が『現実的な脅威』……『確かな情報』として伝わってしまうとね、みんな怖くて口をつぐんでしまって……口伝のルートが閉じてしまうの。

 その年が〈ある年〉で実際に人が死んでしまっていたら、なおさら。

 だから、非現実的な怪談『噂』『都市伝説』のような形 で、2年生に3組の〈現象〉に関する情報を伝えていく の。

『噂の伝播』による『情報の伝達』という訳」


著莪「そういやあの話聞いたのって鳴からだったな……」

高林「僕も覚えてるよ……夕餉の時だったね、確か」

望月「僕は美術部で聞いたよ……」


勅使河原「でもよ、それだとあの……ちょっと言いにくい んだけど、友達いなくてクラスで孤立してる奴とかはどうすんだよ? 話聞けなくね?」


見崎「そういうルートから外れてしまっている人はね、 〈現象部〉の部員が個別に話を伝えるの。

 去年は烏頭先輩が担当してた。

 先輩は〈現象〉の当事者だったから、変わってあげたかったんだけど……。

 ちょっと難易度高いから、先輩以外できる人がいなくて」

佐藤「どうやるの?」
174 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:36:33.82 ID:HawdlNFio
見崎「一言でいうと、辻怪談。

 人気の無い廊下でいきなり話しかけて、夜見山岬の話をし始めるの。

 ちょうど、昨日美咲が佐藤くんにやったみたいな感じ」


佐藤「う……」


見崎「先輩、怖い話を語るのが凄く上手くて、大抵が聞き入って、怖がってた。

 ちょっと悪戯みたいで、面白かったな……。

 こう、ゆらっと相手の前にいきなり現れて――――」



???「――――『ミサキって知ってる?』」



佐藤「!」ビクッ


見崎「先輩……」


烏頭「懐かしい話してるね……」

 見崎さんの話にタイミングを合わせるように、背後から烏頭先輩が現れた。


見崎「もう〈申し送り〉は済んだんですか?」

烏頭「うん。後は千曳さんと〈現象部〉のみんなの仕事。 私の務めはこれで終わり」
175 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:39:15.13 ID:HawdlNFio
見崎「お疲れ様です。長い間」


烏頭「うん……なんとか生き残れた。鳴たちは、これからだけど……」

 烏頭先輩は見崎さんの頬をそっと撫でた。


見崎「平気です。まだ〈ある年〉だって決まった訳じゃないし……」

 先輩の手に自分の手を添え、見崎さんは囁く。


見崎「〈いないもの〉の事も……なんとかなります」


烏頭「大切な役目だから、頑張って。辛かったら私に連絡してくれていい」


見崎「はい」


佐藤「…………」


 見崎さんは〈いないもの〉になる事をあっさりと受け入 れた。
 

 クラス全員で、教師まで一緒になって、見崎さんを無視するという〈対策〉


 〈おまじない〉


 〈現象〉が始まるとすれば、それは4月の新学期初日から、という事だった。

 教室の席が一つ足りなかった場合、それが〈ある年〉 の……〈死者〉がクラスに紛れ込んだ証なのだという。
176 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:41:37.62 ID:HawdlNFio
 先ほど会が始まる前、席が一つ足りなかった事を、赤沢さんが念のためにと前置きして先生たちに報告していた。

 しかし〈現象〉が始まるのは4月になって、年度が変わってから……。

 今まで例外はなく新学期の初日からとの事で、大きな問題にはならなかった。

 クラスメイトたちは怯えていたが、おそらくは僕、転校生が来たために起きた手配ミスなのだろう。


佐藤「本当にいいの? 4月に席が足りなかったら、もう始めるんでしょ、対策……」


見崎「平気よ。佐藤くん、わたしに話し掛けないように気をつけてね」


烏頭「私の年の失敗は〈現象〉を信じない生徒が〈いないもの〉に話し掛けた事……同情してね。


『こんなの可哀想だ。もうやめよう』って。

 その月から次々と人が死んだ。

 そして〈いないもの〉に話しかけた生徒は、自責の念に駆られて自殺した。

 ずっと皆に責められ続けて、耐えられなくなったのね……」


佐藤「…………」

 もう、3組に関する話を疑ってはいなかった。

 というより、疑問を差し挟むのに疲れ、少しずつ話を受け入れつつある……という感覚だった。
177 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:44:03.40 ID:HawdlNFio
 僕が恐怖を覚えているのは、教師、大人を含む周囲の人間全てが、こんな胡散臭い怪談に真剣になっている現状に対してだった。


 みんな頭がおかしいんじゃないか。

 なんでこんな話を。


 朝から何度そんな事を考えたかわからない。


 だが……。


 しかし、烏頭先輩に、こんな話を聞かされては……。


烏頭「佐藤もそうならないように気を付けて。

 くれぐれもクラスの決まりごとは守って。

 いい?」


佐藤「はい……わかりました」


 〈現象〉〈災厄〉


 その真偽のほどはともかく、3組の一員になるためには……。


 3組の一員として、これから一年過ごすのなら。
 

 この気味の悪い状況を受け入れるしかない。

 『ある』『信じる』という前提で行動するのが正解なのだと、先輩の話で強く思い知らされたような気がした。


  ***

178 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/27(木) 22:48:43.15 ID:HawdlNFio
今日は以上です

これで一話目、Chapter0終了です
こんな感じで一ヶ月一話、Chapter7までなります(8月のみ2分割)
かなり長いです
179 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/27(木) 23:02:17.58 ID:RnlqAV9mo
3年になる前からのAnotherSSって初めて見た気がするなぁ乙
180 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/28(金) 02:11:21.77 ID:vh50hPKgo

これで一話終了とかどんな長編になるんだよwww
181 : ◆/CAUbbUAk6 [saga]:2013/06/28(金) 23:48:37.32 ID:z8B/0Hato
ちょっと間が空きそうなので一旦HTML化依頼出してきます

続きは次スレ以降で

次スレタイは

【ベン・トー×Another 2 】sexual deviate

です
182 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/30(日) 00:34:13.11 ID:koXM+ryho
待ってるぜ
183 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/06/30(日) 12:52:24.69 ID:YgwbzTHqO
ひとまず乙
次も楽しみだ
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