俺ガイルSS 『思いのほか壁ドンは難しい』 その他 Part2

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572 : [sage]:2019/06/30(日) 00:07:21.89 ID:UuBroTXy0

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573 : [sage]:2019/06/30(日) 00:12:28.62 ID:UuBroTXy0

帰りの電車で揺られている間も、去り際に無言で小さく手を振る由比ヶ浜の寂しそうな笑顔が脳裏から離れないでいた。

ぽつぽつと空席が目についたが座る気にもなれず、僅かに後ろ髪を引かれる思いと模糊とした焦燥に駆られるまま、寄りかかったドアの窓を意味もなく手の甲で小突いてしまう。


がたり


と、電車がひと際大きく揺れ、バランスを崩した拍子に我に還る。

何はどうあれ自分の中で選択は為されたのだ。済んでしまったことを今更悔やんだたところで仕方あるまい。

未だ燻り続ける胸の蟠りを散らすように溜息をひとつ。その息で白く濁ったガラスを何気に掌で拭うと、色のない空に滲む月の影が目に映った。
その朧な光の輪郭に、憂いを秘めた雪ノ下の美しくも儚げな横顔が重なる。


―――― あなたは、どうなの?


流れゆく街の灯の上に静かに留まり続けるそれは酷く現実味を欠き、ともすれば触れられそうなほど近く感じられたが、いくら手を伸ばしたところで届きはしないことは子供だって知っている。

頭ではそうとわかっていながらも、気持ちのうえで納得できない距離感がいつになくもどかしい。

無意識に伸ばしかけた指がガラスに阻まれ、あまりの愚かしさに気が付いて苦笑しながら頭(かぶり)を振る。

決して届かない高みにある葡萄を酸いと断じた寓話のキツネも、口では何と言おうと心の奥底ではずっとそれを夢見ていたに違いない。
今の俺にはその捻くれ者のキツネの気持ちが痛いほどよくわかる気がした。
574 : [sage]:2019/06/30(日) 00:15:38.11 ID:UuBroTXy0

車内アナウンスが終点の駅名を告げ、降車する人の群れに混じってホームに降り立つ。

吐く息は白く煙り、僅かに露出した肌の部分をちくちくと刺す外気の冷たさは、暦の上はともかく体感上は未だ春が近からぬと告げているかのようだった。

人の流れに身を任せて昇りエスカレーターに乗り、長く狭い無言の列から解放されると、ここ数年続いた改装工事を終えて見違えるように広く明るくなった駅構内へと出る。

未だ微かに漂う新建材の香る中、急ぎ足で行き交う人々の合間を縫うように改札口へと足を向ける途中、ふと思うところあって足が止まった。

―――― 駅の音声ガイダンスの“多機能トイレ”って、なんでいつも“滝のおトイレ”に聞こえちゃうのかしらん?

そんな本当にどうでもいいようなことを考えていたせいもあるのだろう、俺のすぐ後ろを歩いていた通行人に気が付かず、背中でぶつかってしまう。


「 ―――― ちょっとぉ、あんた、どこ見てんのよ?」 


え? 何、もしかして青木さ○かなの?

苛立ちを隠そうともせず、頭ごなしに浴びせかけられたそのセリフに戸惑いつつも、急に足を止めた非はこちらにある。

それに今はそんな些細なことでいちいち目くじらを立てるような気力も残ってないし、変にゴネられてイザコザに巻き込まれるのもまっぴらゴメンだ。

もごもごと謝罪の言葉らしきものを口にし、逃げるようにその場から立ち去りかけたところで、ふと声に聞き覚えがある気がして、再び足が止まる。


八幡「 ―――――― って、お前、三浦か?」

三浦「あ゛?」

振り向き様声をかけたその相手 ――― 三浦優美子はつかつかと足早に詰め寄ったかと思うと、むんずとばかりに俺の胸倉をつかみ、ぐいと顔を寄せる。


近い恐い近い恐い近い恐い近い恐い近い恐い近い恐い恐い恐い恐い恐い恐い! 近すぎるし、それ以上に恐すぎるだろっ!


三浦「 ―――――――― あんた」

八幡「よ、よう」


三浦「 ……… 誰だっけ?」

八幡「って、俺だよ、俺、比企谷だよ、比企谷!」
575 : [sage]:2019/06/30(日) 00:17:47.90 ID:UuBroTXy0

三浦「 ……… なんだヒキオじゃん、そうならそうって言いなよ」

八幡「 ……… だからそう言ってるだろ」

やっと俺が誰だか気が付いたらしい三浦が眉間にキツく寄せた縦皺を解く。
っていうか一応クラスメートなんだからいい加減名前くらい覚えろよ。俺も他人のこと言えねぇけど。

八幡「あー…、ところで、お前、どうしたんだ、こんなところで?」

行きがかり上とはいえ、自分から声をかけてしまった手前そのままただ黙って突っ立っているのもなんかアレなので取りあえず俺の方から話を振ってみる。

三浦「あーし? あーしは姫菜と遊びに行った帰りなんだけど、……… そんなのあんたに関係ないっしょ」

八幡「 ………… まぁ、そりゃそうなんだが」

けんもほろろというか、取り付く島もにべもない返事だが、正直俺だってこいつに限らず他人が休みの日にどこぞで誰と何をしてようが、いちミリだって興味もないし関心もない。

そうでなくとも今日は由比ヶ浜とあんなことがあったばかりだ。
できればあまり顔を会わせたくない相手なのだが、なぜかそんな時に限ってやたらとエンカしてしまう確率が高くなるのが八幡流引き寄せの法則。
576 : [sage]:2019/06/30(日) 00:23:29.32 ID:UuBroTXy0

三浦「あんたは、ひとりなの?」

ただでさえ不機嫌そうな顔に更に輪をかけて不機嫌そうな声で三浦が問うてくる。 

八幡「 ……… ん? ああ。 まぁ、大抵そうだな」

自慢ではないが俺がひとりなのは何も今日に限ったことではない。つか、んなもんいちいち聞かなくたって見りゃわかんだろ。

それにしても普段から気軽に言葉を交わすように相手でもなし、そもそも俺の場合普段に限らず気軽に言葉を交わす相手すら滅多にいなかったりする。
それがなんで今日に限って、そんな分かり切ったことまでわざわざ聞いてくんのかね、などと訝しんでいると、


三浦「っていうかー、ホントは今日、結衣のことも誘ってたんだけどー、あの娘、昨日の夜になっていきなり“大切な用事ができたから”って断り入れてきてー」

八幡「 ………… お、おう、そ、そうなのか」

ドンピシャのタイミングで放たれたそのセリフに、心当たりのありすぎるほどある俺の目が意志に反して泳ぎ出し、背中を冷たい汗が音もなく流れ落ちる。

そういえば、由比ヶ浜と今日ふたりで会っていたことは雪ノ下にも伝わっていると聞いている。
だとすれば、あいつの性格からして三浦に黙っているということの方が考え難い。

というか、俺の過去の経験から推測するに、みんな知ってたのに俺だけ知らなかったという可能性の方が遥かに高かったりする。
小学校のクラスメートのお誕生会とかでも、俺だけ呼ばれてないのを知らないのも俺だけだったりしたんだよな。

恐らく由比ヶ浜のことだ、俺に気を遣わせまいとして先約があったことはずっと黙っていたのだろう。

三浦の機嫌を損ねないよう電話越しにお団子髪を揺らしながら、コメツキバッタか社畜営業の如くひたすらぺこぺこと頭を下げまくっている由比ヶ浜の涙ぐましい姿が目に浮かぶようだった。

でもあれな、よく考えたらいくら頭を下げたところで相手からは見えてないんですけどね。

577 : [sage]:2019/06/30(日) 00:26:09.02 ID:UuBroTXy0

三浦「 ――― あに?」

おっと、いかんいかん。どうやらいつの間にか無意識のうちにまじまじと見つめてしまっていたらしく、三浦に険のある目で睨みつけらてしまう。

八幡「え、あ、や、ドタキャンされたって言ってる割には、なんかお前、ちょっと嬉しそうだなって?」

咄嗟に口を衝いて出たセリフだが、テキトーぶっこいているというわけでもない。
先ほどから見ている限り、俺に対する態度こそ不機嫌そうではあるものの、由比ヶ浜に対しては別に怒っている風でもなさそうだ。
それどころか何やら満更でもない様子だと思ったのだが、

三浦「はぁ?! そんなことないし! あんたもしかして目ぇ腐ってんじゃないの?!」

一言のもとに切り捨てられてしまう。しかもそれ、別にもしかしなくてもよく言われてるんですけどね。

三浦「そうじゃなくって、ほら、あーし、こういう性格だからー、なんていうかー、ハッキリしない態度が一番イラってするっていうか?」

…………… いや、それ単にお前が怖いからじゃねぇの? だったらまずその他人に対してデフォで高圧的な態度なんとかしろよ。
教師だってビビッて授業中に指名するのを避けてるって話だぞ? いったどんだけレジェンドなんだよ。

と、思わずツッコミそうになってしまったが、「何か言いたい事でもあんの?」と言わんばかりのひと睨みで何も言えなくなってしまう。

だからお前がそんなだからみんな怖くて言いたい事も言えなくなるんだってことにいい加減気が付けよ。
っていうか、コイツさっきから言ってることとやってることが全然違くね? もしかしてダブルスタンダードがスタンダードなの?
578 : [sage]:2019/06/30(日) 00:27:49.52 ID:UuBroTXy0

そのまま何やら手持無沙汰気に自慢のゆるふわ縦ロールの金髪にくりんくりん指を絡め、みゅんみゅん引っ張っていた三浦だったが、やがて、

三浦「 ……… だから、なに? その、あの子もああやって、やっとあーしにハッキリものが言えるようになったのかな、なんて思わないわけでもないわけでもないけど?」

今度は微かに頬を赤らめながら照れ隠しのようにごにょごにょと付け加える。

その普段は見せることのない、我が子の成長ぶりを喜ぶおかんの如き見事なまでのツンデレっぷりに、思わず聞いている俺の口の端が微かに緩んでしまった。

なるほど、確かに考えれてみれば由比ヶ浜が以前のように単に周りの空気を読んで合わせるだけでなく、自分の意見や考えをハッキリと相手に伝える事ができるようになったのも雪ノ下のみならず三浦の影響が大きいのだろう。

……… なんせこいつらってば言いたいことは勿論、言わなくてもいいことまでズケズケ言いやがるからな。

579 : [sage]:2019/06/30(日) 00:31:21.86 ID:UuBroTXy0

八幡「 ……… あー、それで、もしかしてお前、俺に何か訊きたいことでもあんのか?」 

かたやスクールカーストの中でも最上位グループのそのまた頂点に君臨する女王様、かたやカースト最下層の更にその底辺を這いずり回っているような名も知れぬぼっちである。

共通の話題なぞそうそうあろうはずもなく、それきりふっつりと会話が途切れてしまう。
普通ならそんな時は「あ、じゃあ」「うん、じゃあ」という文字通りあ・うんの呼吸で袂を別つことになるはずのだが、なぜか三浦は一向に立ち去る気配を見せない。

仕方なく俺の方から水を向けると、

三浦「 ……… 用もないのになんであーしがあんたなんかと無駄話しなきゃならないわけ?」

半ばふて腐れたような口調で逆ギレ気味に肯定されてしまったが、どうやら図星だったらしい。

八幡「それって、やっぱり由比ヶ浜のことなのか?」

勇を鼓してと言えば聞こえがいいが、地雷原の上でタップダンスでも踊る心地で恐る恐る尋ねながらも、多分それだけではないであろうことは薄々察しがついていた。

もしそうだとしたら、わざわざ俺になんぞ訊かずとも、昨日の時点で由比ヶ浜に直接問い質しているはずだ。


三浦「 ……… それもあるんだけど」

やはりというかなんというか、答える三浦の口調が急に歯切れ悪くなる。

それもある、ということは、つまりそれだけではないということなのだろう。

というよりも、どうやらそちらの方が本題、それもなかなか切り出すことのできないようなデリケートな話らしい。

先程からの俺に対するやたらと横柄で高圧的な態度も、もしかするとそれが原因だったりするのだろうか。
もっとも俺に対してはいつもこんなだからやはりこれがこいつのデフォなのかも知れないが。

そのまま暫く何やらもじもじそわそわしていた三浦だが、やがて意を決したかのように小さく溜息をひとつ吐くと、それでもおずおずと口を開いた。


三浦「あのさ ……… 」

八幡「ん?」


三浦「あの、雪ノ下のお姉さん …… 陽乃 …… さん …… だっけ? …… のことなんだけど」
580 : [sage]:2019/06/30(日) 00:33:14.11 ID:UuBroTXy0

たどたどしく口にされたその名を耳にして、常日頃から女心に関して絶望的に疎(うと)いと耳にタコができるくらい言われている俺といえどもピンとくる。
ちなみに言ってるのは他でもない妹の小町で、しかもタコではなくて死んだウオノメではないかという説もあるくらいなのだがそれはこの際どうでもいい。

確か先日の踊り場の一件では三浦も俺達の会話を耳にしていはずだ。

だが、冬休み明けにふたりの噂が広まった際、雪ノ下自身から手酷く否定されたこともあってか、いもうとのんの方についてはさほど警戒していないし、また、する必要もないとでも考えているのだろう。

しかしながら、相手があの、あねのんともなれば全く話は別である。

年齢(とし)こそさほど俺らと変わらないとはいえ、全学年を通じて屈指の美少女と呼び声の高い妹さえも凌駕するであろう美貌に加え、こいつの苦手とするところの料理に関してもバレンタインのイベントでは特別講師として招かれるほどの腕前だ。

そして何といっても三浦にとって雪ノ下に対する唯一無二とも言える絶対的なアドバンテージでさえ、あの通りボッカチオも裸足で逃げ出すデカメロンなのだから、その存在を危惧するなという方が無理な話なのかもしれない。
581 : [sage]:2019/06/30(日) 00:35:03.80 ID:UuBroTXy0

八幡「葉山からは何も聞いてないのか?」

三浦「 …… 前に一度聞いたことあるんだけど、その時は“ただの幼馴染だ”って」

小さく唇を尖らせたその口振りからして、三浦とて葉山の言葉をそのまま鵜呑みにしているというわけではあるまい。
かといってそれ以上深く踏み込んで聞くこともできないでいるらしい。乙女かよ。

プライドが高く、自己中で、傲岸不遜、我儘無双を誇る三浦だが、実はこう見えて案外打たれ弱いところがある。

いや、この場合どちらかというと打たれ慣れていないといった方がいいだろう。
だからこそ雪ノ下に真正面から正論で論破されたくらいで泣き出してしまったりもするのだ。

もっとも、あいつの舌鋒の鋭さときたら下手な刃物なんぞよりよっぽどエグいからな。なんなら俺ひとりで被害者の会とか結成してもいいくらいだし。

しかし、そう考えればここにきて突如としてその正体を現したラスボスの如き陽乃さんという存在に危機感を覚え、それこそ藁をも縋る思いで俺のような者にさえ頼らざるを得ない三浦の気持ちも決してわからないではない。わからんでもないこともないこともないのだが、


八幡「 ……… つか、何で俺にそんなこと聞くわけ?」 

三浦「 ……… だって、あんた、なんかあの人と親しそうだし?」

八幡「 ……… え、なにそれ誤解だから」
582 : [sage]:2019/06/30(日) 00:38:07.41 ID:UuBroTXy0

確かにいもうとのんの前だとしょっちゅう俺に絡んでくるせいで傍目にはそう見えるのかも知れないが、俺からすればできるだけお近づきになりたくないタイプの女性である。

正直、一番苦手と言ってもいいだろう。

その理由はごくシンプルに言って“怖い”からだ。

勿論、ただ単に怖いというだけならば、今、目の前にいる三浦だって十分過ぎてお釣りが来るくらいに怖い。

だが、陽乃さんの場合は三浦のような直接的なそれと異なり、一見してそうとはわからないが、何かしら異質で底が知れないというか、人好きのする笑顔のその向こう側に巧妙に隠された悪意のようなものが透けて見えることである。

しかもそのことに俺が気づいていると知りながら隠そうともしないどころか、それすらも面白がっている節があるから余計に空恐ろしく思えるのだ。

しかしそうは言っても、今まで接点らしい接点もなく、彼女のことを表面的にしか知らないであろう三浦にそれを上手く伝えることができるとも思えない。

あの鉄壁ともいえる外面の下に潜む苛烈な本性を知るものといえば、雪ノ下曰く、捻て腐った目を持つゆえに物事の本質を見抜いている ―― 褒めてるのか貶しているのかよくわからないが多分後者だろう ―― 俺を除いた他に数えるほどしかいまい。

敢えて挙げるとすれば、教師ゆえに鋭い観察眼を持ち、比較的彼女との付き合いも長い平塚先生、それに妹である雪ノ下は当然として、あとはその彼女と同じくらい近しい立ち位置にいる人物 ――――
583 : [sage]:2019/06/30(日) 00:40:34.17 ID:UuBroTXy0

三浦「 ―――― 隼人?!」

八幡「あん?」


思いがけず三浦の口にした名前に驚いて、その視線の向けられた先を追うようにして背後を振り返る。

その俺の目に映ったのものは、にこやかに談笑しながら、いかにも仲睦まじげに肩を並べて歩く葉山と ――――――  陽乃さんの姿だった。

俺達の向けた視線に気が付いたものか、葉山が足を止め、僅かに遅れて陽乃さんもこちらに振り向いた。


葉山「 ――――― 優美子?」 

陽乃「 ――――― あら、比企谷くんも?」


葉山「ふたりともこんなところでどうしたんだい?」

こんな状況であるにも関わらず、葉山はいつものように気さくな態度を崩すことなく、ごく自然な調子で話しかけながら歩み寄ってくる。

八幡「ん? ああ、こいつとはついさっきここでばったり出会っちまってな。 あー…… それより ――― 」

お前らこそどうしたんだ、と問い返そうとすると、

陽乃「うっわー、やっぱり比企谷くんだ――― 、ちょー久しぶり ―――。 ひゃっはろ ―――!」

何を思ったのか、突然陽乃さんがもんのすごい勢いでがばりと俺に抱きついてきやがった。

八幡「や、ちょっ、何すんですか、いきなり!?」

つか、久しぶりってよく考えたらついこないだミスドで会ったばかりじゃねぇか。

俺の抗議に、陽乃さんがあざとくも可愛らしく、ぷぅとばかりに頬を膨らませる。

陽乃「んもう、比企谷くんたら何をそんなに照れてるの? ハグなんて欧米じゃ挨拶みたいなものなのよ?」

八幡「でも俺の記憶に間違いなければここ日本だし俺もあなたも日本人でしたよね?!」

陽乃「あらそんな細かい事どうでもいいじゃなーい、だって、私と八幡の仲なんだし」

八幡「いや、いきなりそんなとってつけたみたくいかにも親しげにファーストネームで呼ばれてたって、誰がどう考えてもお互いもうこれ以上はないってくらい赤の他人だったはずなんですけど!?」

いつもより高いテンション、過剰ともいえるスキンシップ、上気した頬、潤んだ目、甘い声音、熱い吐息、ヤバイ、この人もしかして ―――――――― 酔っ払い?!
584 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/06/30(日) 00:41:56.05 ID:UuBroTXy0

葉山「今日は身内だけでちょっとした食事会があってね。今はちょうどその帰りなんだ」

苦笑を浮かべながらも、それとなく今の状況を説明するのはふたりの姿を見てフリーズしたままの三浦を慮ってのことなのだろう。
なるほど、そうと言われるまで気付かなかったが確かにふたりともコートの下は幾分フォーマルな服装のようだった。

葉山「俺は親に頼まれて途中までふたりを送っていたところさ。ほら、最近は千葉も何かと物騒だからね」

いかにもそれが自分の意志によるものではないかのように軽く肩を竦めて見せる。

いやいやいやいや、俺に言わせればさっきから露骨に嫌がる俺をまるっと無視してぎゅうぎゅうぐりぐりと頭と体を押しつけてくる酔っ払いの方がある意味よっぽど危険だし物騒だっつーの。

っていうか、お前もただ見てねぇでなんとかしろ …… よ ……


八幡「 ――― ん? ちょっと待て。お前、今、ふたりって言ったか?」 


遅まきながら葉山の口にした言葉の意味に気が付いて慌てて周囲を見回すまでもなく、

陽乃「そうなの。でもあの子ったら、さっきからずっとあんな調子で」

葉山の代わりに答えるあねのんのチラリと目をくれた先は、―――― ふたりから少し離れてぽつんとひとり、まるで美しい壁の花の如く静かに立ち尽くす雪ノ下だった。
585 : [sage]:2019/06/30(日) 00:44:15.01 ID:UuBroTXy0

陽乃「今日はせっかく雪乃ちゃんの留学祝いも兼ねてたっていうのに、なんかお通夜みたいになっちゃって」

彼女にしてみれば余程それが面白くなかったのだろう。
でもだからってここぞとばかりに当てつけみたく俺に変なちょっかい出してくんのやめてくれませんかね。
んなことばっかりしてっから俺に対する世間の風評被害が絶えないんだってばさってばさ。
ただでさえ俺に対する世間の風当たりの強さときたら、もうそれだけで桶屋が儲かっちゃうくらい。

しかし、いつもならこんな時に真っ先に間に割って入るはずの雪ノ下が今日に限ってはなぜか微動だにしない。
寒さのためかそれとも別の理由からなのか、自分の体をかき抱くようにして片手を回したまま、頑ななまでに俺から顔を背け、目を合わせようともしなかった。

そんな妹の姿を見て、あねのんが俺の耳元でこしょりと囁く。

陽乃「あ、もしかして雪乃ちゃんたら今日の食事会に比企谷くん呼んでもらえなかったからって拗ねちゃったのかしら?」

八幡「 ……… 身内だけの集まりにひとりだけ俺みたいな無関係のぼっち同席させるとか、何の罰ゲームなんすかそれ」

586 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/06/30(日) 00:48:21.13 ID:UuBroTXy0

陽乃「それで、私もちょっと飲み過ぎちゃったし、ここからだと家に帰るより雪乃ちゃんの部屋の方が近いから、今日はこのままお泊まりさせてもらおうかなって ――― 明日のこともあるし」

八幡「明日のこと?」

何かしら含みのあるそのフレーズに思わず反応した俺を陽乃さんは素知らぬ顔でさらりと流し、

陽乃「あ、そうだ。丁度良かった。比企谷くん、ちょっといい?」

止める間もなく、ごくさりげない仕草で俺の肩に手を載せたかと思うと、

陽乃「慣れない靴履いてきちゃったせいか、さっきからずっと踵が気になってて」

悪びれもせず言いながらひょいと片足立ちとなり、俺につかまる手でバランスをとりながら、ひとさし指の指先でくいとヒールの位置を直す。
その拍子に陽乃さんの身体がぐっと接近し、柑橘系の香水に仄かなアルコールの入り混じった甘い香りが鼻腔をくすぐる。

と、同時に服の上からでもそれとわかるほど暖かくしっとりと柔らかな重みが俺の腕のあたりにぎゅっと押し付けられるのを感じた。

陽乃さんは俺の反応を楽しむかのように、とろけるような悪戯っぽい笑みを浮かべ、俺の顔を下から覗き見て更にぐいとばかりに身体と顔を寄せて来たかと思うと、


陽乃「ねぇ、比企谷くん?」 

八幡「 ……… な、なんすか?」

陽乃「疲れちゃったから、おんぶ」 

八幡「 ……… いやそれ無理でしょ」

だからいきなり何言い出すんだよ、この人。

陽乃「あらそう、残念。じゃ、抱っこでもいいんだけど?」

八幡「 ……… いいんだけどって、なんでそこでハードル高くなってんすか」

ただでさえ人目を引く美人だってのに、公衆の面前で、しかも、それこそ抱き着かんばかりに身を寄せられてさすがにきまりの悪くなった俺が、

八幡「 ――― っていうか、今日はいつもみたく車じゃないんですか?」

いつものように話を逸らして煙に巻こうと、咄嗟に思いつきの疑問を口にすると、


陽乃「ふふ。だって、雪乃ちゃんたら、あれ以来、滅多にあの車に乗ろうとしないんだもの」

小さく笑みを浮かべて答えるあねのんの向こうで、雪ノ下が居心地悪そうにもぞりと小さく身じろぎするのが見えた気がした。
587 : [sage]:2019/06/30(日) 00:50:52.78 ID:UuBroTXy0

陽乃「 ――― ところで、そちらはどちら様なのかしら?」

まるで今初めて気が付いたかのように三浦へと向ける陽乃さんの瞳が、何か新しい玩具でも見つけた子どものようにキラキラと輝く。
あるいはこの場合、獲物を見つけた猫が舌なめずりするかのような、とでも形容すべきか。

そして笑顔のままくりんと首だけで俺に向き直り、

陽乃「――― こないだ連れてたのとは、また違う子みたいだけど?」

明らかに言わなくてもいいはずのひと言まで付け加える。

八幡「 ……… できればそういう誤解を招くような言い方するのやめてもらえませんかね?」

っていうかそれフツウに女連れに対して言ったら絶対あかんヤツやろ。


三浦「あ、あーしは、その、隼人の …… 友達って言うか」

生徒会主催の進路相談会やバレンタインのイベントで何度か顔を合わせているとはいえ、こうして陽乃さんから直接声をかけられるのはこれが初めてなのだろう。
相手が誰であれ憚ることのない三浦にしては珍しく、幾分気遅れでもしているかのようにおずおずと答えつつ、それでも何かしら期待するような目でチラリと葉山の様子を窺う。


葉山「 ――― 友達だよ。俺や比企谷と同じクラスの三浦優美子」

そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、ごくあっさりとした葉山の紹介に三浦の顔がみるみる失意と落胆に曇る。

陽乃「あら、そう。ふーん、隼人のお友達なんだ」

それを聞いた陽乃さんの反応は素っ気なく、なぜかそれきり三浦に対する興味を失くしたかのようだった。

陽乃さんにいったいどんな意図があったにせよ、“お友達”を強調したかのようなセリフが余程気に障ったのか、三浦の片眉がピクリと反応する。

それまでの借りてきた猫の皮のようなしおらしさはどこへやら、やおら腕を組み、ブーツのつま先でカツカツと硬い音を刻みながら憮然とした表情で言い放つ。

三浦「ちょっとちょっとー、前々から気になってたんですけどー。隼人隼人隼人隼人って隼人のこと気安く呼び捨てなんかしてー、隼人、この人いったい隼人のなんなわけー?」

いやいやいやいやいやいやいやいや、あーしさん、いくらなんでもそれ自分の事棚上げし過ぎでしょ。
伊東温泉のCMだってさすがにそこまでハヤト連発してねぇぞ。あれはハトヤだけど。

588 : [sage]:2019/06/30(日) 00:58:31.83 ID:UuBroTXy0

葉山「 ――― 優美子」


葉山に小さく諫められた三浦が拗ねたようにぷいとそっぽを向いてしまう。

ふたりの性格をよく知る葉山だけに、できるだけこの場を穏便にやり過そうとしたのかもしれないが、どうやらそれが却って裏目に出てしまったようだ。


陽乃「そんなこと言われても、隼人は小っちゃい頃からずっと隼人だし? 私にとっては可愛い弟みたいなものだから」

三浦の不躾な態度を気にするでもなく、陽乃さんが年上らしく余裕と鷹揚さを見せながら、「そうでしょ?」 と、ばかりに葉山に同意を求める。

葉山「 …… ああ、そうだね」

だが、答える葉山の反応は些かぎこちなく、気のせいか声も心なし不自然に硬く沈んで聴こえた。

三浦「ふ、ふーん。そ、そうなんだ」

だが、そんな葉山の様子に気が付くこともなく意外にも三浦もあっさりと矛を収める。

もしかしたら、今のふたりの短い遣り取りで、言外にとはいえ互いが恋愛の対象外であるという言質をとったことで幾分気を良くしたのかも知れない。
でも、あーしさんたら、ちょっとチョロすぎやしませんかね。

俺としても三浦がハンカチ咥えながら「キーッ!! この薄汚い泥棒猫ッ!」(死語)みたいなベタな昼ドラ的展開を期待していなかったと言えば嘘になるが、もしかしたら、いきなりこの場で修羅場でバトル!に巻き込まれやしないかと内心冷や冷やしていただけに、やれやれこれでひと安心と胸を撫で下そうとした、まさにその瞬間、


陽乃「 ――― あ、そうそう。でもそういえば、私、隼人からプロポーズされたことがあったかしら」


これ以上はないといえるくらいの絶妙なタイミングで、いかにもわざとらしく胸の前で掌をぽんと打ち合わせながらの爆弾発言。


三浦「え? や? ちょっ? はぁ?!」

不意を衝かれて目を白黒させんばかりの三浦を尻目に、


陽乃「 ――― もっとも、小っちゃい頃の話だから、隼人の方はもう覚えてないかも知れないけど」

殊更冗談めかしてはいるものの、この女性(ひと)のことだ、今のセリフがこの場でどのような効果をもたらすかを十二分に計算し尽くした上でのことだろう。


葉山「どうしてキミはいつもそうやって …… 」

深い溜息とともに咎めるような視線を向ける葉山に対し、当の陽乃さんはまるで素知らぬ顔。
美しいガラス細工を思わせるようなその冷たく透き通った美しい面(おもて)には微塵の揺るぎも見受けられない。

………なんせ、この人の場合、同じガラスでもメンタルは防弾ガラスばりだからな。
589 : [sage]:2019/06/30(日) 01:00:09.32 ID:UuBroTXy0

葉山「前にも話しただろ? 陽乃は本当にただの幼馴染だよ」

取り繕うかのように口にはしたものの、咄嗟にとはいえその名を呼び捨てにしてしまったことに気が付いたのか、すぐにきまりの悪そうな表情に変わる。

三浦「だって、隼人、あの時 ……… 」

当然納得のいかないであろう三浦が更に何か言い募ろうとはしたが、そこではたと思い止まり、気まずそうに口を噤んでしまう。

三浦の言わんとした“あの時”というのが、先日の踊り場での一件を指しているであろうことは、その場所に居合わせた俺にはすぐに察しがついた。

当然、葉山もその事には気が付いているのかもしれないが、まさか当人たちのいる目の前でその事に触れるわけにもいくまい。
590 : [sage]:2019/06/30(日) 01:02:30.19 ID:UuBroTXy0

「 ―――――― あの時?」


小さく首を傾げながら、今しがたの三浦の言葉をそのままなぞるように呟いたその声は、陽乃さんの口から発せられたものだった。

僅かに細められた目は冴え冴えとした冷気を湛え、その瞳から放たれる鋭い視線は ―――――― なぜか真っ直ぐ俺に注がれる。

心の奥底まで覗き込むような瞳に絡み取られる前にと、咄嗟に目をあらぬ方にへと逸らしはしたが、

陽乃「ふーん、なるほど。そういう事、ね」

僅かな顔色の変化から何を察したものか、陽乃さんの口角がすっと吊り上がるのが見えた。


陽乃「 ――― この子も、私達と隼人の家の関係を知っているんだ?」


誰にともなく独り言のように口にされ、それでいて明らかに断定するような問い掛けに、当然の如く答える声は皆無。

だが、言葉の余韻すらも残さずその場に落ちた沈黙こそが、そのまま彼女の求める答えとなっていることは誰の目にも明白だった。


陽乃「あはっ♪ そうだ。お姉さん、いいこと思いついちゃった♪」


それがいかなる状況であれ、この女性(ひと)が今のようにとびきりの笑顔を浮かべた場合、大抵は碌でもないことを言い出すに決まっていた。

その証拠に彼女をよく知る葉山がそっと眉を寄せ、雪ノ下も「またはじまった」とばかりに小さく頭(かぶり)を振りながらひっそりと溜息を吐く。

はたせるかな陽乃さんは常よりも紅く濡れたように艶を帯びたその美しい唇から、柔らかく、甘く、優しい声音で、喜々として残酷な言葉を紡ぐ ―――――


陽乃「 ――――― だったらいっそのこと、隼人がこの場で誰を選ぶか決めちゃえばいいじゃない」

591 :1 [sage]:2019/06/30(日) 01:04:07.05 ID:UuBroTXy0

2年振りの更新。7月より本社復帰。続きはまた来週。ノシ゛
592 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/30(日) 17:05:08.02 ID:1WVh47G6o
おかへりおつ
593 :1 [sage]:2019/07/07(日) 22:09:25.51 ID:VlhyZjJS0
>>592

ただいまあり
594 :1 [sage]:2019/07/07(日) 22:10:12.25 ID:VlhyZjJS0
ただいまあり
595 : [sage]:2019/07/07(日) 22:32:13.49 ID:VlhyZjJS0

行き交う人々の衣擦れや雑踏の音。絶え間なく流れるアナウンスの中で、俺達のいるこの一角だけが時の流れから切り離されでもしたかのように、全ての音が遠のき、あらゆる情景が色を喪う。

まるで空気が急に薄くなったような息苦しさを覚えたが、咳払いひとつ、身動ぎすらも許されない重苦しい雰囲気に包まれた。

先ほどの陽乃さんの発言から、いったいどれほどの時間が経過しただろうか。

葉山は彼女の真意を探るが如く、薄く笑みを浮かべたその顔を凝っと見つめ、そんな彼の姿を三浦が気遣わしげに見ている。


陽乃「 ――― それで隼人はどうするの? 誰を選ぶの?」

言葉こそ静かだが、一切の妥協も甘えも許さない声の響きから彼女が本気でこの場で葉山に選択を迫っているのがわかった。

そもそも陽乃さんが本当に酔っているのかどうかすら、かなり怪しいものがある。
常に誰よりも覚めた目で物事を捉える彼女にとっては、例え浴びるほどの量の酒を飲んだところで酔うことなどできようはずもなく、仮に酔ったにしても、そんな自分の姿さえ、一歩離れた位置から冷静な目で見つめているに違いない。
596 : [sage]:2019/07/07(日) 22:35:54.96 ID:VlhyZjJS0

対して葉山の採った行動は、ただ貝のように固く口を閉ざし、沈黙を守るというものだった。

なるほど、あくまでここは公共の場だ。いつまでも膠着状態を続けるわけにも行くまい。
それに、とりあえずこの場さえ凌げば後はどうにかなる。そういう考えも働いたのかもしれない。

いつものことながら身内に対する単なる悪ふざけや嫌がらせというにはあまりにも度が過ぎている。

とはいえ、葉山とて彼女との付き合いは長いはずだ。
いもうとのんほどではないにせよ、陽乃さんから無理難題をふっかけられるのも何もこれが初めてというわけでもあるまい。

にも拘わらず、その顔に浮かんでいるのはいつものはぐらかすような苦笑ではなく、―――― なぜか、戸惑いの表情だった。
597 : [sage]:2019/07/07(日) 22:39:40.86 ID:VlhyZjJS0

その時、何の脈絡もなく俺の脳裏に林間学校の夜の出来事が思い出された。

あの晩、就寝間際に戸部から好きな女性の名を訊かれた葉山はイニシャルでひと言“Y”と答えている。

それが名前か苗字かは定かではないものの、逆にその曖昧な答えのお陰で、俺はひとり悶々とした夜を過ごすハメになったわけだが、それはまぁいい。
ついでに言えば戸部の想い人が海老名さんだと聞かされたのも確かその時が初めてだったと思うが、それこそホントにどうでもいいや。だって戸部だし。

あの時俺の頭に浮かんだのは、由比ヶ浜結衣、雪ノ下雪乃、三浦優美子、その三人の名前だった。

だが、もうひとり、同じイニシャルにあてはまる女性いることに気が付いた。

それも今、目の前に、だ。

確かに以前から葉山の彼女に対する見る目や、その語り口には何かしら引っかかるものを覚えていたのは事実だ。
雪ノ下と葉山。小さい頃から同じ背を見て育ち、追いかけつつ、長じるに従い片や反発し、片や従う道を選んだ。

男であり、血の繋がりのない葉山の抱く感情が、いつしか淡い憧れから純然たる好意に変わったとしても、何ら不思議なことではないだろう。

そして、聡い彼女がそんな葉山の気持ちに気が付いていないはずはない。
598 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/07(日) 22:43:45.83 ID:VlhyZjJS0

「 ―――――― 随分と趣味の悪い冗談ですね」


敢えて場の空気を読もうともせず、無理矢理茶化すように口を挿んだのは他ならぬ俺自身だ。

俺は偶然この場に居合わせてしまっただけだ。
本来は他人の家の事情に口を挿む権利はなどあろうはずもなく、それを理由に一歩退いた位置から傍観者に徹することもできたはずだった。
事実、もしこの件に雪ノ下が絡んでさえいなければ、余計な首を突っ込むようなマネはしなかっただろう。

だが、この流れは変えなければならない。俺の第六感がそう叫んでいる。あるいはそれは俺のゴーストが囁いたのかもしれない。


陽乃「そうかしら。私は本気で言ってるつもりなんだけど?」

口調こそ柔らかいままだが、俺に向けたその目に宿るのは背筋も凍る剣呑な光。その目が余計なチャチャを入れるなと告げている。

八幡「本気で言っているなら尚更ですよ。それに、こんな場所でするような話でもないでしょ」

陽乃「 ――― やれやれ、キミはもっと面白い子だと思っていたのになぁ」

小さく首を振りながら、わざとらしく溜息を吐く。

八幡「そんな面白い男だったら、ここまでぼっち拗(こじ)らせてやしませんよ」

陽乃「比企谷くんだってこういう馴れ合いを蔑んでいたんじゃなかったのかしら?」

心外とでも言わんばかりに、小首を傾げて見せる。

確かに彼女の言う通りなのだろう。以前の俺であれば葉山のとるそうした態度をこそもっとも嫌悪し、唾棄すべき行為として無条件に断じていたはずだ。

陽乃「それとも、何かしら心境の変化でもあった ――― とか?」

まるで全て見透かしたようなその言葉に、俺だけではなく雪ノ下の肩がぴくりと反応を示す。しかしその表情からは何も読み取れない。
599 : [sage]:2019/07/07(日) 22:46:22.18 ID:VlhyZjJS0

陽乃「あーあ、なんか白けちゃったなー」

やや間を置いて、溜め息とともに告げられたそのひと言で、限界まで張り詰めていた空気が緩む。

最初から俺などお呼びではなかったのだろうが、あっさり鼻先であしらわれると思いきや、彼女の興を削ぐことはできたようだ。

自分でけしかけておきながら既にその遊びにも飽いたのか、それとも単なるいつもの気紛れなのか、本当のところはいったい何を考えているのかわからない。
それともただ単に葉山を追い詰めることで懊悩する姿を見ていて楽しんでいたのだとすれば、とんだドSだ。


陽乃「雪乃ちゃん、そろそろ帰ろっか」

おいおい、それはいくらなんでも自由過ぎだろ。その前にどうしてくれんだよこの雰囲気。なんかここだけエアポケットが生まれてんぞ?

陽乃「あ、私たちはもういいから隼人は代わりにその子 ……… えっと、あーしさん ……… だっけ? を家まで送ってあげたら?」

しかも、もう用済みだとでもと言わんばかりに葉山に対してひらひらと手を振って見せる。

さんざっぱら晒し者にした挙句、最後は放置プレイとか、ホント容赦ねぇな。

つか、今更どの面下げてふたりだけで帰れると思ってんだよ。それこそ針の筵だろ。このひとってば、マジ性格悪いのな。
600 :1 [sage]:2019/07/07(日) 22:48:02.08 ID:VlhyZjJS0

しかし、それよりも何よりも、俺にはしなければならないことがあった。今、この機会を逃せばチャンスは二度と巡って来ないかもしれない。


八幡「 ―――― 雪ノ下」


俺のかけた声に、こちらに背を向けていた脚がぴたりと止まる。



陽乃「 ……… 呼んだかしら?」

八幡「 ……… いえ、妹さんの方ですから」 


このタイミングでそれって、絶対わかっててやってんだろ?
601 : [sage]:2019/07/07(日) 22:51:04.06 ID:VlhyZjJS0

やや間を置いて、おずおずと振り向いた彼女の視線は相変わらず俺に向けられることはなく、だが、その瞳が微かに揺れ動いているのがわかった。

いざ声をかけはしたものの、何をどう伝えたらいいのかすらわからない。中途半端に上げた手が行き場を失い、どこにもたどり着けぬまま悪戯に彷徨う。

それこそまるで夜空に浮かぶ月の影を素手でつかもうとしているようなものだった。

しかし、それでも俺は、――― 


陽乃「 ―――― だめだよ、雪乃ちゃん。あなたはまた友達を、―――― 今度はガハマちゃんを裏切るつもり?」


背後からかけられたあねのんの言葉に、雪ノ下がびくりと反応し、こちらに向けて踏み出しかけていた足が再び止まる。

由比ヶ浜の名を耳にした三浦がはっと目を瞠り、どういう意味なのかと探るように俺と雪ノ下の顔を交互に見る。

陽乃「今までもずっとそうだったでしょ。忘れたの?」

優しく諭すかのような声音に、そこにあるべき温もりはまるで感じられない。そしてその言葉は的確に妹の弱点を突く。


雪乃「わ、私は ……… 」

ただでさえ白い顔を更に蒼白にして、雪ノ下が今日初めて俺の前で口を開こうとした。

―――― しかし、その言葉は途中で飲み込まれ、胸の前で小さく握り締められた手は、やがて力なく体の脇に垂れ下がる。
602 : [sage]:2019/07/07(日) 22:52:47.30 ID:VlhyZjJS0


「 ――――― はっ、あんたにいったいあの子の何がわかるって言うのさ」



603 :1 [sage]:2019/07/07(日) 22:56:23.78 ID:VlhyZjJS0

その時、思いがけず声を上げたのは三浦だった。

義憤に駆られ怒りに燃える瞳は真っすぐに陽乃さんへと向けられ、その苛立ちに渦巻く黒く猛々しいオーラを身に纏った姿はまさに俺の知る獄焔の女王。


三浦「あの子は、 ――――― 結衣は強いんだよ、あんたなんかが思ってるより、ずっとね」


陽乃「 ……… へぇ。本当にそうならいいのだけれど。けれど最初はみんなそうでも、結局は ――― 」

目を細め、訳知り顔で嘲笑うかのように言いかけた陽乃さんの言葉を、

三浦「今まであんたたちが出会ったヤツがみんなそうだからって、なんであの子もそうだって決めつけるのさ」

鋭い一言で決然と跳ね付ける。明らかに格上のあねのんに対して一歩も引かぬ構えだ。

そのまま火花を散らしながら睨み合うこと暫し、胃がキリキリと痛むような一瞬即発の空気の中で、


雪乃「 ――― そうね。私も三浦さんの言う通りだと思うわ」


更に何か言いかけた姉を遮るようにして雪ノ下が一歩前に出る。

無限にヒートアップするふたりの注意を自分に向けてさせることで水を挿す、という狙いもあったのだろう。そしてそれは十分効果を発揮したようだ。

虚を衝かれたようにふたりの視線が互いから逸らされ、たちこめていた不穏な空気がゆらぎ、薄れてゆく。

雪ノ下雪乃とと三浦優美子 ――― 何かにつけ対立していた相容れないふたりではあるが、由比ヶ浜という存在を介していつの間にか何かしらの絆が生まれていたのかも知れない。

言葉数こそ少ないが、互いの言わんとしていることは十分に理解しているようだった。

しかし、考えてみればこのふたりを、しかも同時に手懐けちゃうとか、ガハマさんたらある意味最強なんじゃね? もしかして魔眼の猛獣使いなの?
604 :1 [sage]:2019/07/07(日) 22:58:48.79 ID:VlhyZjJS0

三浦「あんた、いいの? ホントにそれでいいわけ? あの子だって、結衣だって絶対そんなの望んでいないし」

珍しく自分に向けられた慮るような言葉に、雪ノ下が儚げな笑みを浮かべて応える。

雪乃「ありがとう、三浦さん。でも、――― これは、私が、私が自分で決めたことなのだから」

その言葉を口にする雪ノ下の目に迷いはない。少なくとも俺からはそう見えた。そしてそんな彼女に対して俺はこの場でこれ以上かける言葉を見つけることができなかった。


雪乃「―――― 行きましょう、姉さん」

先程とは逆に、妹に促され再度俺達に背を向けかけた陽乃さんが、思い出したかのように、何も言わず立ち尽くす葉山の姿を一瞥してぽつりとひとつ小さな呟きを残す。



陽乃「 ――――― 結局、隼人も自分では何ひとつ決めることが出来ないんだね」



寒々とした空間に響くそれは、蔑むでも嘲るでもなく、まるで心底憐れむかのような口調だった。
605 :1 [sage]:2019/07/07(日) 23:01:12.92 ID:VlhyZjJS0

短いですが、キリがいいのでこの辺りで。ノシ゛

できれば今週中にもう1回。
606 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:16:30.67 ID:SkCQuLIZ0

* * * * * * * * * *

607 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/13(土) 20:28:40.27 ID:SkCQuLIZ0

三浦「はぁっ? それって、つまり振ったってこと? 結衣を? あんたが? 何チョーシくれてんの? バッカじゃないの?」


ひと際高い怒号が店内に響き渡り、思わず俺は亀のように首を竦めてしまう。

周囲の客が驚いて一斉にこちらを振り向くが、見せもんじゃないわよと言わんばかりの三浦のひと睨みで恐れをなしたのか、すぐに目を逸らしてそらぞらしく日常の会話へと戻っていく。

先程から新米らしいウェイトレスさんがひとり、オーダーを取りに来ていいものかおろおろと右往左往しているのが見えた。ホント、すんません、色々と。
つか、他人をバカって言う方がバカだって学校で習わなかったのかよ。先生も恐くてこいつには言えなかったのかも知れないけど。

三浦「ハァ …… 、結衣も姫菜もホンッと、男見る目ないっていうか、趣味悪すぎっだつーの」

八幡「ちょっと待て、由比ヶ浜はともかく、海老名さんは関係ないだろ?」

聞き捨てならないセリフについ口を挿んでしまう。それに彼女の趣味は悪いどころか既に腐ってると思いますけど? 

三浦は俺をまじまじと俺の顔を見つめていたかと思うと再度、今度は聞こえよがしに大きな溜め息を吐いて見せる。

……… いや、そんな世紀末覇王みたいな顔して世も末だと言わんばかりの表情浮かべられてもだな …… 。俺なんか変なこと言ったかよ。
608 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:30:12.87 ID:SkCQuLIZ0

八幡「それより、お前、葉山の事はいいのか?」

三浦「 …… とりあえずLINEしといたから」

スマホの画面を見ながら物憂げに呟くところを見る限り、返事はないのだろう。

三浦「あんたこそ、こんなとこで油売ってて大丈夫なの?」

八幡「 ……… お前がそれを言うか?」

葉山をひとりあの場所に残すのは多少気が引けたが、だからといって俺に何ができるというわけでもない。
それに、今の俺には他人にかまけているような余裕もなかった。

結局、葉山のフォローは三浦に丸投げする形で、そのまま黙って背を向けたのだが、改札を抜けたところでなぜか俺を追ってきたらしい三浦にいきなり捕まり有無を言わさず近くのファミレスに連れ込まれて今に至る、というわけである。

まぁ、いずれにせよ陽乃さんが一緒だとわかっている以上、俺も今は迂闊に動くこともできないことも確かだ。
609 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:35:24.18 ID:SkCQuLIZ0

時間が時間だったせいもあってか店内は混み合っており、暫く待って案内されたのはふたりがけの狭い席。
お互いの足がくっつきそうな距離で、しかもすぐ目の前にあるのが眉間に縦皺を寄せた三浦の顔とあっては寛げと言う方が無理な話である。

三浦は三浦で自分から強引に誘っておきながら、その後は何を話すでもなく、頬杖をつき手持無沙汰げに金髪ゆるふわ縦ロールをみゅんみゅんと引っ張りながら遠い目で窓の外を見るばかりだ。


八幡「 ……… なんか食うか?」

黙っているのもなんか気まずいので恐る恐る声をかけると、三浦がふるふると小さく首を振って応える。

八幡「 ……… とりあえず飲み物だけでも頼んどくぞ」

返事はないが一応断りを入れてからコールボタンを押し、ドリンクバーを二人分注文する。

ウエイトレスのお姉さんが心なし震え声で、それでも律儀にオーダーを復唱してからそそくさと下がるや否や、


三浦「あーし、カプチーノ」 やおら三浦が口を開いた。

八幡「 ……… は?」


いやお前三浦だろ? いつの間に名前変わったんだよ? それともあれか? いわゆるA.K.A.ってやつ? お前もしかしてラッパーだったの? 


三浦「カ・プ・チ・イ・ノ」

くるりとこちらに顔を向け、デコデコにデコった指の爪先でコツコツとテーブルを叩きながら不機嫌そうになおも同じ単語を繰り返す。

……… なるほど、どうやら俺にカプチーノを淹れてこい、ということらしい。うん、最初から知ってた。

しっかし、いるんだよなー、こんだけ男女平等が声高に叫ばれるご時世に、未だに女は男にかしずかれて当然みたいに考えている超勘違いタカビー女。
自分は指一つ動かさないくせして、それでいて男が何もしないでいると、やれ気が利かないだの、気が回らないだの言って文句垂れるんだぜ?
そんなにぐるぐる回ってたら溶けてバターになっちまうっつの。 

だが、進路希望調査票第一希望に堂々と専業主夫一択と書いて職員室に呼び出され、進路指導の先生から小一時間に渡り懇々とセッキョーかまされたうえに反省文まで書かされるほどの男女平等原理主義者の俺としては、例え目の前にいる相手が誰であれ、ここはひとつガツンと言っておかなければ気が済まない。

半ば席から腰を浮かせながら、テーブルに手をつき、上から見下ろす形で三浦に向けてきっぱりと告げる。


八幡「 ……… 砂糖はどうする? シナモンスティックないけど、いいか?」

610 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:38:21.22 ID:SkCQuLIZ0

ちょどその時、テーブルをふたつほど置いて向かい側の席で、先ほどからこちらの様子をチラチラと窺っていた客と偶然目が合ってしまう。

俺が気が付いたのを見て、その顔に驚きと共にぱっと明るい色が掠めたような気がしたが、すぐに恥じらうかのようにそっと目を伏せる。

そして目の前に座る相手 ―― ここからはよく見えないが、多分、年配の女性だろう ――― に何かしら小さく声をかけると、大きなグラスを手にすっくと席を立った。

そのままドリンクバーに向かうのかと思いきや、わざわざ大きく迂回して俺達のいるテーブルの前まで歩み寄り、無言のまま俺の前でぴたりと立ち止まる。

さらさらと音を立てそうな黒髪、年相応のあどけなさに、何かしら見るものを落ち着かなくさせるような少しばかり危うげな透明感をまとう美少女、―――――― 夏休みの千葉村キャンプ場やクリスマスの海総高との合同イベントでも一緒だった小学生、鶴見留美だ。

611 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:39:48.93 ID:SkCQuLIZ0

八幡「 ……… お、おう、なんだ、お前か」

思わぬところで思わぬ人物に出会ってしまったせいか、中途半端な姿勢のまま声をかけてしまう。


留美「 ……… お前、じゃない」

返って来たのはいつものごとく抑揚に乏しい小さな澄んだ声音。

え? 俺じゃないの? ってことは背後に誰か見えてる? もしかして死んだオヤジ? いやまだ死んでねぇし。

どうやらそういう意味ではなく、お前呼ばわりしたのが気に障ったらしい。

八幡「おっとそうだったな、えっと、……… るみるみ?」

留美「な、なにそれ。そ、そんな恥ずかしい名前のひと知らない」///

今度は少しだけむくれた顔をして、ぷいとそっぽを向いてしまった。やだなにこの子反抗期かしら?

612 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:42:03.92 ID:SkCQuLIZ0

八幡「ところで、こんなところで何してんだ?」

留美「セイフクのサイスン ……… の帰り」


……… セイフク? サイスン?

一瞬、言葉の意味がわからなかったが、脳内で咀嚼してそれが“制服の採寸”だと気が付く。 

そういやこいつ6年生だっけか。つまり4月からは当然中学に上がるわけだ。
ホント、余所のうちの子供ってやたら成長早いんだよな。うかうかしているとそのうちに追い越されるまである。いやさすがにそれはない。

見れば返事こそぶっきらぼうだが、少しだけ誇らしげで、それでいて照れているようにも見えないこともない。
そこらへんの思春期の女の子特有の複雑な感情の機微については妹の小町で既に十分慣れている、というか完全に慣らされている俺はシスター・マイスター略してシスマイ。


留美「八幡の ……… お友達?」

八幡「あん?」

小さく俺に向けて問いつつも、その大きな瞳がチラチラと遠慮がちに三浦へ注がれている。

三浦とは夏休みの林間学校の時に会ってるし、忘れたくても忘れられないどころか下手をするとPTSDになりかねないようなインパクトを受けてるはずなのだが、どうやらその事にはまるで気がついていないようだ。
それよりも今は別の事が気になってそれどころではないらしい。

613 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:44:59.30 ID:SkCQuLIZ0

八幡「 ……… や、友達の友達っていうか、なんつーか …… 」

三浦「 ……… あんた友達いないっしょ」

答えに窮して小学生相手にしどろもどろになる俺に対し、三浦がそっぽを向いたまま、ぼそりと鋭いツッコミを入れる。
 
八幡「ちょっ、おまっ、何てこと言うんだよ? こいつに俺がぼっちだってことがバレちまうじゃねぇか?!」


留美「 ……… そんなことない」

八幡「あん?」 

るみるみが静かに、だがきっぱりと言い切る。左右に振られた首の動きにつれて艶やかな黒髪がはらはらと揺れた。



留美「 ……… それはフツウに知ってるから」

八幡「 ……… だったら最初っから聞くんじゃねぇよ」

614 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:48:10.37 ID:SkCQuLIZ0

三浦「あんたの妹 …… じゃないよね? 前見たのと感じ違うし」

三浦も三浦で昨年の夏に一度会ったきりの小学生のことなんぞまるで覚えていないのだろう。
覚えていたらいたでいろいろと面倒臭いことになりそうなので、もっけの幸いではある。

しかし、どこかで見たことがあることに気が付いたのか、眇めた目で視線を向けられた、るみるみの身体が固く強張るのがわかった。


八幡「あー……、それで、こっちのお姉ちゃんは俺のクラスメート、な。 見た目はちょっと怖いかもしんないけど ……… 」

そこで少しだけ間を置き、できるだけ当たり障りのない紹介しようと三浦の顔色を窺いながら慎重に言葉ぶ。


八幡「 ………… 中身はもっと怖い」

三浦「ちょっと何よそれぇ?!」

八幡「おっとすまん、つい本音が」

三浦「あんた今、本音っつった? っていうか、それって全然謝ってなくなくない?」

八幡「わかった、わかったから、そんなに怒んなって、今、訂正するから、訂正。 えっと ……… 大丈夫だ安心していいぞ。 見た目ほどじゃないから、な?」

三浦「だからそれ全然フォローにもなってないしっ!?」

三浦の剣幕にたじろいだるみるみが俺の背後にそっと隠れながら半信半疑といった態で俺の耳元に小声で問うてくる。


留美( ……… ホントに? 八幡も怖くない?) ヒソヒソ

八幡( ……… いや実を言うと俺も本当は怖いんだけどね) ヒソヒソ

留美( ……… やっぱり) ヒソヒソ


三浦「 ……… あんた達、それ全然丸聴こえだし。っていうか、いい加減にしないとあーし、マジ怒るよ?」

615 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:50:54.27 ID:SkCQuLIZ0

留美「 ……… でも、きれいな髪」

溜息のともにるみるみが手入れの行き届いた三浦の金髪をうっとりと見つめる。

ふん、とばかりに小さく鼻を鳴らす三浦も褒められて満更でもなさそうで、これみよがしに指で髪を梳いて見せる。


留美「 ……… 八幡、いつも違う女(ひと)連れてる。それも綺麗な人ばっかり」

るみるみの小さな唇から淡々と漏れ出たセリフに少しばかり棘を感じるのは気のせいか。


留美「 ………… もしかして、デート中 ……… だった?」

いったい何をどう勘違いしたものか、るみるみが思いもよらないことを口にする。


八幡「や、そういうんじゃないから」

動転のあまり首がもげてあらぬ方へ飛んでいきそうな勢いで頭(かぶり)を振りながら全力で全否定すると、


留美「 ………… そう、よかった」

ほっとした表情でぽしょりと呟き、


留美「あ、違くて、そうじゃなくて」///

慌てるように打ち消すその姿がいつになく年相応に見えて微笑ましい。


八幡「わぁってるって。邪魔したんでなければよかったってことだろ?」

そんなるみるみに俺が苦笑混じりのフォローを入れてやると、


留美「 ……… やっぱり全然わかってない」

なぜか今度はふすっとふて腐れたように呟きながら、小さく口を尖らせてしまった。


……… なんかこの年頃の女の子って、やたらと理不尽なんだよな。

616 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:53:50.20 ID:SkCQuLIZ0


「もしかして、八幡さん ――― かしら?」


気が付くといつの間にか俺達の目の前に品のよい笑顔を浮かべた女性が立っていた。

年の頃はうちの母ちゃんよりいくつか若いくらい、くせのない黒い髪と涼し気な目許の辺りに、るみるみの面影が窺がえる。

八幡「 ……… え? あ、はい。 ええ、まぁ」

自分で答えておきながら、何が“ええ、まぁ”なのかよくわからない。

「娘がいつもお世話になっています」

ひとりでテンパってしまう俺に小さく頭を下げるその女性 ―― 留美母に、俺も礼を返そうとするが先程からの中途半端な姿勢なのでそれもままならない。

仕方なく今更のように腰を落ち着け、改めてぺこりと頭を下げた。


留美「べ、別にお世話になんかなってないし」///

慌てて抗議する娘にとりあわず、留美母が笑顔のまま言葉を継ぐ。

留美母「この子ったら、家ではあなたの話ばっかり」

留美「う、嘘だから。し、してないからっ! 全然してないからっ」///

良きにつけ悪きにつけ、俺の話題が他人の口に昇ることからして既に珍しい。
るみるみが家ではいったい親にどんな風に俺の話をしているのか気にならないといえば嘘になるが、母親の俺に対する態度や物腰からして、そう悪いものではなさそうだった。
それに、なんであれ気兼ねなく話せる親がいるということは、るみるみにとっても良いことなのだろう。

617 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:56:41.74 ID:SkCQuLIZ0

留美母「あらあら、この子ったら照れちゃって」

留美「照れてないんてないから。ホント、そんなことないから。ほら、お母さん、もう行こ」

真っ赤になってぐいぐいと身体を押す娘に、るみるみ母は苦笑を浮かべながらもう一度俺に向けて会釈すると、るみるみに急かされるようにしてその場を後にした。

そんな微笑ましい母子の姿を見送る俺の口許にも自然と笑みが浮かんでしまう。


―――― と、不意にるみるみがひとり、こちらに小走りで駆け戻ってきた。


八幡「ん? どうかしたのか?」

俺の問いに、しばらくは何も答えずひとりなにやらもじもじとしていたるみるみだが、やがて、


留美「 ………… から」

八幡「ん?」

留美「 ……… わ、私、八幡と同じ高校行くつもりだから」

顔を真っ赤にしながら、やっと聞こえるような小声でそう告げる。


八幡「お、おお、そうか。 ……… なんか知らんがとりあえず頑張れよ」

言うまでもないことだが、るみるみが入学する頃には俺など影も形もないだろう。逆にまだ居たとしたらそれはそれでかなり問題がある。

それでもその時のるみるみの口振りというか健気な雰囲気というかが、なんとはなしに小さい頃の小町に似ていたせいなのか、ついつい無意識のうちに妹にやるような調子で、頭にぽんと手を置いてしまう。

やってからしまったと思ったがもう遅い。

キモイとかいって怒られない内にその手を引っ込めようとしたのだが、ふとるみるみの顔を見ると照れながらも少しだけ嬉しそうに口許が綻んでいる。

完全にタイミングを失った俺がるみるみの頭に手を置いたままにしていると、しばらく目を細めてじっとしていたるみるみが、やがて思い出したように俺からすいと一歩離れ、くるりと身を翻して、再び小走りで母親の許へと走り去ってしまった。

去り際に俺にだけわかるよう小さく手を振って見せたのは、それが別れの挨拶だったのだろう。


618 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:58:53.17 ID:SkCQuLIZ0

三浦「 ――― ちょっとぉ、さっきの子、どう見たって中学生くらいじゃない。あんたもしかしてそういう趣味があるわけ?」

仄かに暖かい気持ちに浸りながらカプチーノを手に戻ってきた俺に対し、三浦が無遠慮な言葉を投げつけてきた。

その手にはなぜかスマホが握られている。

八幡「ん? お前どこに電話してんだ?」

三浦「アムネスティ」

八幡「ばっ、ちがっ やめっ、おまっ、何言ってんだよ! 天に誓ってもいいが、俺はシスコンであってもロリコンじゃねっつの」

三浦「なにそれ、あんたやっぱりシスコンだったの? 超キモいんだけど?」

八幡「おい失礼なこと言うな。言っとくけど別に全然キモかねぇぞ、俺の妹は」 むしろ可愛くて可愛くて仕方がないくらいだし。

三浦「 ……… あんたのことだってば」

619 :1 [sage]:2019/07/13(土) 21:02:37.80 ID:SkCQuLIZ0

三浦「それにしても、あんた年下からずいぶん慕われてるみたいじゃん」

八幡「ん? そうか? まぁ、なんか知らんが確かに子供と動物にだけは好かれるみたいだけどな」

その分なぜか同じ年頃の女子からは嫌われるんですけどね。 理由? 俺が聞きてぇくらいだよ。


三浦「そういえば、あのサッカー部のマネ ……… 一色だっけ? にも慕われてるみたいだし」

その目がますます疑い深く狭まる。

八幡「や、あれは好かれてるとか頼られてるとかそんな可愛げのあるもんじゃなくて、単に隙あらば都合よく俺を利用してやろうと狙ってるだけだろ」

何気に返した俺のその言葉に何か思うところでもあったのか、急に三浦がむっつりと黙り込んでしまう。そして、


三浦「 ……… 都合よく、か」


それきり何事か物思いに耽りながら、俺の淹れたカプチーノにそっと口をつけた。

620 :1 [sage]:2019/07/13(土) 21:04:24.29 ID:SkCQuLIZ0

このくだり、あとちょっとだけ続きます。長くなるので今日はこのへんで。

続きは近日中に。ノシ゛
621 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:31:03.18 ID:I8jB+if+0

カップを手にしたまま、三浦が少しだけ驚いたように目を丸くする。

そして、何かしら問いたげな視線をくれる三浦に、

八幡「淹れ方にちょっとしたコツがあるんだよ」

さりげなく、だが鼻につかない程度に自慢してみせる。

お湯を注いでカップを温め、その後にカプチーノを注ぐ。
最初に出てくるミルクは半分ほど使わずにそのまま捨て、シングルのエスプレッソをもう一度注ぐ。
たったこれだけのことなのだが、驚くほど味が良くなる、ドリンクバーだからこそできるテクニックである。

八幡「ちっとは元気出たか?」

三浦「別に落ち込んでたわけじゃないし」

僅かに唇を尖らせて抗議する素振りを見せるが、普段のありあまる覇気がまるで鳴りを潜めている。

三浦「っていうか、もしかしてあんたこういうの慣れてんの?」

こういうの、とはつまり女性の扱いとかそういう諸々の意味合いが含まれているのだろう。

更に俺くらいともなれば、その中に含まれる“全然そんな風には見えないんですけどぉ”というニュアンスまでわかってしまう。でっけぇお世話だっつーの。

622 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:36:10.19 ID:I8jB+if+0

三浦「 ――― あーし、隼人からどう思われてるんだろ」

不意に三浦がぽしょりと呟く。
それが俺に向けてのものなのか、単なる独り言なのかまではわからない。しかし、その意図するところは問うまでもなく明らかだ。

八幡「どうって、……… 何がだよ」

三浦「もしかしたらあーしも隼人からそんな風に思われてるだけなのかな」

自嘲気味に言いながらも、その声に微かな湿り気を帯びる。

そんな風とは、先ほど俺が口にした、“都合よく利用しようとしている”という言葉を示しているのだろう。

八幡「や、そんなこと …… 」

ないだろう、と言いかけてそのまま口ごもってしまう。あながち的外れとも言い切れないことに気が付いたからだ。

文化祭実行委員長であったあの相模南を例にとるまでもなく、三浦のポジションになり代わりたいと鵜の眼鷹の眼で狙っている女子はいくらでもいる。
だが、三浦が傍にいる限り、他の女子はおいそれと葉山には寄ってはこれない。
それはつまり、他人との間に常に一定の距離を設けようとしている葉山にとって格好の予防線の役割を果たしているということになる。

加えて、葉山が光輝けば光輝くほど、それだけ三浦に落ちる影、つまり彼女に対する嫉みややっかみは強くなる。

さすがに面と向かってということはないだろうが、見えないところで陰口や中傷、嫌がらせだってあるのかもしれない。
いかに気丈に振る舞ってはいても、そこはやはり年頃の女子だ。何も感じないということはあるまい。

果たして葉山がそこまで計算して三浦を傍に置いているのかどうなのかまではわからない。
しかし、時折垣間見せる葉山の冷淡さや酷薄さは、俺にとある女性を連想させることもまた、事実だった。

朱に交わればなんとやら。普通に考えて彼女から少なからぬ影響を受けてきたはずの葉山が、見かけどおり只の感じのいい好青年だけであるはずもない。

623 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:39:33.23 ID:I8jB+if+0

三浦「あのふたり、どういう関係なんだろ」

葉山の態度から、こいつも何かしら察していたのかも知れない。

八幡「まぁ、俺も詳しくは知らんが、なんでも親同士が古くからの知り合いらしくて、あの三人も小さい頃から姉弟みたく育ったって聞いてるぞ」

口ではそうは言ったものの、もちろんそれだけではないことは俺にもよくわかっていた。

三浦「ホントにそれだけなのかな?」

八幡「他人の家の事情なんてわからんし、それこそ憶測だけでどうのこうの言ったところで始まらんだろ」

まるで突き放すような言い方になってしまったが、事実その通りなのである。
どんなに相手に想いを寄せ、募らせていようとも、それはあくまでも自分の勝手な思い込みや独り善がりを押し付けているに過ぎない。

海老名さんではないが、相手によって引かれた線を踏み越える勇気がないのなら、やはりそれはそれまでのことなのだ。
そして、踏み込むと決めた以上は、当然相手に拒絶されることもまた覚悟の上でなければならない。

だが、三浦とて別に気の利いた答えを求めているわけではあるまい。つい思わず胸の内の呟きがポロリと漏れてしまったのだけのことなのだろう。
なまじ近しい人間なんかよりも、利害関係や後腐れがない分、むしろ行きずりの赤の他人の方にこそ本音を吐露しやすいという心理もあると聞く。

いや、よく考えたら俺も一応こいつのクラスメートだったはずなんですけどね。

624 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:42:51.11 ID:I8jB+if+0

気が付くと、窓の外を眺める三浦の頬を光るものが伝って落ちていた。そのうちにくすんとひとつしゃくりをあげる。

八幡「 ……… お前、結構よく泣くのな」

三浦「うっさい!」

返す言葉はいささか鼻声で、当然、いつものような迫力はない。先ほどの一件で余程気落ちしてるということなのだろう。

そんな三浦を見ているのに偲びなくなった俺は、少しだけ躊躇ったがそのまま黙ってハンカチを差し出す。

三浦「 ……… あんた、それ」

八幡「ちゃんと洗ってあるし、今日は一度も使ってない」

嘘ではない。最近は駅はもちろん大抵の店のトイレにもハンドドライヤーが設置されているので、ハンカチを持ち歩いていても使わずに済むことの方が多い。
そして、そのままズボンと一緒に洗濯機に放り込んでしまい、乾燥して固まった状態でポケットから出てきて母ちゃんに怒られるというのは年頃の男の子あるあるだろう。まぁ、妹に怒られるのは俺くらいかもしれないが。

暫く迷う素振りを見せていた三浦だが、結局あんがと、と照れたように小さく呟くと俺の手からそれを受け取り、


三浦「んぶっ、ち ―――――――――― ん」


……… だからなんで俺の周りってば、こんなヤツばっかりなんだよ。

625 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:45:45.38 ID:I8jB+if+0

八幡「だから言っただろ、葉山の相手は大変だぞって」

三浦「そんなことわかってるし。……… でも、しょうないじゃん」

好きになっちゃったんだから、と消え入りそうな声で呟く。

八幡「お前、あいつのどこがそんなに気に入ったわけ?」

まぁ、爽やかなイケメンでスポーツ万能、成績も学年トップクラス、父親は弁護士で母親が女医さん、しかも家はお金持ちとくれば俺だって嫁にもらってもらいたいぐらいだが。


三浦「 ………… ルックス」

八幡「って、即答だな、おい!?」

少しは考えるとかしたらどうなんだよ。色々とブチ壊しだろ。


三浦「それにイケメン連れてると、なんか気分いいし?」

八幡「 ………… いっそ清々しいほどだよな、お前って」 

おいおい、こんなメンクイ、ラーメン大好き小池さんくらいしか知らねぇぞ?


三浦「 ………… だって、最初(はじめ)はみんなそんなもんでしょ?」

八幡「まぁ、そりゃそうなんだけどな」

確かにファーストインプレッションは重要だよね。人は見かけが八割ともいうし。
つまり逆を言えばそれだけの容姿を誇りながら第一印象が最低最悪というこいつや雪ノ下はいったいどんだけ中身がアレなんだよって気もするのだが。

626 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:48:38.27 ID:I8jB+if+0

八幡「んで、いつからなんだ、それ?」

頃合いを見計らって、先程からずっと気になっていたことを切り出すと、三浦が一瞬だけキョトンとした顔になる。


八幡「 …… 目だよ、目」

言いながらひ人さし指で自分の左右の目を交互に差してみせる。


三浦「気が付いたのはやっぱ最近 …… かな」

何か言い返しかけたが、結局、観念したように三浦が白状する。

本人は別に意図しているというわけでもないのだろうが、こいつが人や物を見る時に目を眇めるクセがあることには気が付いていた。
目つきが悪いのは元からなのかもしれないが、いや間違いなくそうなのだろうが、目が悪くなったせいで更に人相が凶悪になっている。

戸部ですらすぐにそうと気が付いた雪ノ下母の容姿や、一度は会っているはずのるみるみにそれと気が付かなかったのもそのためなのかもしれない。
それでいて遠目にも葉山だと気が付いたのは、やはり恋心のなせる業なのだろうか。 いや、よく知らんけど。

627 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:52:26.20 ID:I8jB+if+0

三浦の視力が悪化した原因は聞かずとも想像できる。

いかにもギャルギャルした見かけや言動にも拘わらず、由比ヶ浜や戸部と違って三浦の成績が悪いという噂はついぞ聞いたことがない。
かといって見てくれがいくら似てるからといって、まさかビリギャルのように地頭がいいとも思えない。

恐らくそれは外見のみならず中身も葉山に釣り合うようにと常日頃からよほど根を詰めて勉強しているのに違いない。

―――― それこそ、視力が落ちるほどに。

もしかしたら三年進級時の文理選択のみならず、その先までも見据えて葉山と同じ大学を受験することすら考えているのかも知れない。

そこまで想いを募らせながら葉山に対して今一歩が踏み出せないでいるのは、家同士の約定を楯に拒まれることを恐れての事なのだろう。

確かに、今のままでは例え三浦が葉山に想いの丈を告げたところで結果は目に見えていると言わざるを得ない。

628 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:55:17.89 ID:I8jB+if+0

八幡「 ――― ひとつだけ、あいつの本心を訊きだす手立てがないわけでもない」

三浦「 ………… え?」

そんなことができるのかと問う三浦の視線をそのまま見つめ返し、それが事実であることを伝えるためにゆっくりと頷いて見せる。

簡単なことだ。葉山から全ての虚飾を剥ぎ取り、一切の言い訳を奪い去り、完全に退路を断ったその上であいつの本音を引きずり出しさえすればいい。

しかし、問題があるとすればひとつ ――――

八幡「一応断っとくが、必ずしもお前の期待するような結果になるとは限らんぞ」

例えこれから何をするにせよ、伴うであろうリスクは正確に伝えておいた方がフェアというものだろう。

それに敢えて口にこそ出さなかったが、もし俺の勘が正しければ、そうなる可能性の方が高かった。 

なぜならば葉山は ――――― 


三浦「その時は …… その時じゃん」

俯く三浦の声が僅かに震える。だが、次の瞬間には強く固い決意を込めた目で俺を睨み付けながら、きっぱりと言い放つ。


三浦「それに、隼人がこれから先も同じ想いを抱えていくより、そっちの方がずっといいと思う」

なるほど、恐らく三浦にとって葉山こそが、かけがえのない唯一無二の“本物”なのだろう ――― 俺にとっての雪ノ下でそうであるように。

629 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:58:35.54 ID:I8jB+if+0

正直、三浦が葉山を落とすことが出来れば俺の仕事もやりやすくなる、そういう計算が働かなかったわけでもない。
何も知らない三浦を駒として利用するのは幾分気が引けたが、なにぶん、今回は相手が相手だ。手段なぞ選んでいられないし選ぶつもりも毛頭ない。

八幡「もう一度確認するが、お前は葉山の本心が知りたいってことでいいんだな?」

俺の問いに、三浦がこくんとひとつ頷いて答える。

その瞳が、何をするつもりなのか、と問うていたが無言でスルーする。誰であれ、今はまだ手の内を明かすわけにはいかない。

しかし、その代わりとでも言うように俺はきっぱりと断言した。


八幡「 ―――― そうか、わかった。だったらお前のその依頼は、奉仕部(おれ)が責任を持って引き受ける」

630 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:01:16.88 ID:yJKsoavJ0

三浦「 ――― そういえば、結衣がさ、あんただったら何とかしてくれるかもって言ってた」

店を出て、寒さに白くけぶる息の向こう、数歩離れた位置から三浦が振り返りざまに俺に向けて声をかけてきた。

八幡「なんだそりゃ」

いくらなんでも買いかぶり過ぎだろ、と苦笑を浮かべる俺に、

三浦「あーしも最初聞いた時はそう思ったけど、結衣が信じるなら、あーしも信じていいかなって。 それに、今なら …… 」

不思議な色を湛えた瞳でじっと俺を見つめる。そして、


三浦「 ……… やっぱ、なんでもない」

なぜか怒ったようにそう言いながら、ついと俺から目を逸らす。

631 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:02:08.75 ID:yJKsoavJ0


「 ……… 思ってたより、いいヤツみたい、だな」ボソッ


632 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:06:20.50 ID:yJKsoavJ0

三浦「なっ? ちょっ? はぁ? だ、誰もあんたのことなんて、そんな風に思ってないし!?」


八幡「え? あ、や、お前のこと言ったつもりなんだけど?」

俺の独り言に反応して盛大に自爆したらしい三浦が真っ赤な顔で黙り込む。

そして、俺はそんな彼女に訥々と語り掛ける。

八幡「なぁ、三浦。これからも由比ヶ浜のこと、その …… 色々と助けてやってもらえるか?」

これから俺がしようとしている事で、俺たちの三人の関係は壊れてしまうかもしれない。少なくとも今までのままというわけにはいくまい。

そんな時に由比ヶ浜を支えてやれるのは、彼女のことをよく知るこいつしかいない。

それに、こいつは絶対に友達である由比ヶ浜を見捨てるような真似だけはしない。そう信じることができた。

欺瞞だろうが偽善であろうが、それでも自分の大切なものは守りたい、そんな思いが無意識に紡いだ俺の本心だった。

そんな俺に対し、三浦は少しだけ意外そうな表情を浮かべていたが、すぐに小さく頷く、―――― と思いきや、


三浦「はぁ? そんなことヒキオに言われるまでもないんですけど?」


いつものように勝気で、高飛車で、それでいて少し照れたような、はにかんだ笑みを浮かべて寄越す。


八幡「そりゃそうだ」 いかにも三浦らしい返事に俺も苦笑で応える。

633 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:13:13.77 ID:yJKsoavJ0

八幡「じゃ、な」

三浦「 …… ん」


いつの間にか三浦との会話にかなりの時間を費やしていたことに気が付く。

三浦はああ言ってくれたが、俺にできることといえば、せいぜいその場凌ぎによる時間稼ぎで問題を先送りにするくらいのものだ。
詭弁を弄して小手先でごまかし、既存の枠組みを壊してしまう。結局のところ誰も幸せにはならないし、そもそも俺にそんなことはできやしない。

場合によっては時間が解決してくれることもある。だが、それは最初からなるべくしてそうなっただけであり、決して誰かのせい、ましてや俺の功績というわけではない。

他人が手を差し伸べなくとも、助かる者は勝手に助かり、そうでない者もいずれは自分の足で立ち上がらなくてはならない。

そして、幸福とは有限である。誰かが幸せになる一方で誰かが不幸になり、誰かが笑う影で誰かが涙し、誰がが得をする一方で、誰かが損をしている。

しかも、大抵の場合、損をするのも正直で善良な人間なのだ。つまり逆説的にいえば損ばかりしている俺は正直者で善人ということになるんじゃね? いや、ならないか。

634 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:14:57.22 ID:yJKsoavJ0

いずれにせよ、誰もがみんな主人公なんて幼稚園でやる桃太郎の演劇みたいなことはありえない。

だから、みんなを救おうとするやり方では、自ずと限界が生じてしまう。事実、あの葉山でさえ、すぐ傍にいる三浦を救うことすらできないではないか。


だとしたら、

もし、本当にそうなのだとしたら、

みんながみんな幸せになる方法がないのだとしたら、



―――――― いっそのこと、みんな不幸になってしまえばいいのだ。

635 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:17:29.92 ID:yJKsoavJ0

キリがいいので今日はこの辺で。

このまま週2くらいのペースで……できたらいいですね。ノシ゛
636 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:01:22.06 ID:9g2X1Clv0


小町「 ――― お兄ちゃんどこ行くの?」


朝、出掛けに玄関の框(かまち)に腰掛けて靴の紐を結び直していると、背後からいきなり小町に声をかけられた。

自慢ではないが自他共に認める根っからの引きこもり体質であるこの俺が、わざわざ休みの日に、それも二日続けて朝から出かけるなんて滅多にあることではない。

いつも脳天気なお天気お姉さんが、もしかしたら今日は雪が降っちゃうかも知れませんねー、などと無責任なことを言っていたのも実は俺のせいなのかも知れない。

637 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:04:11.64 ID:9g2X1Clv0

休みの日と言えばいつも昼近くまで惰眠を貪るような兄(つまり俺)と違って、小町はニワトリや年寄り並みに起きるのが早い。
三歩歩いただけで全て忘れるところもよく似ているので、もしかしたら前世は鳥だったのかもしれない。なにしろ俺もオヤジも揃ってチキンだし。

ニワトリといえば朝一番に鳴く鳥、というのが世間一般のイメージなのだが、殊、千葉市に限って言えば朝鳴く鳥といえばそれは即ちカッコウのことである。

毎朝きっかり7時に聴こえてくる鳥の声を何の疑いも感じることなく本物だと信じ込んでいたら、実は防災無線のチェックを兼ねた時報でしたなにお前そんなことも知らねぇのかよぷすーくすくすとか言われた時のショックは、ネイティブな千葉市民であれば誰しもが一度は経験する通過儀礼のひとつだろう。

ちなみに正午の時報はウェストミンスターの鐘、午後五時は夕焼け小焼けだ。なんだよその千葉のマメチ。

638 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:06:31.13 ID:9g2X1Clv0

八幡「ん、まぁ、ちょっとヤボ用でな」

小町「 ……… ふーん、あっそ」

わざわざ呼び止めてまで訊いておきながら、あまりに素っ気ないその返事もどうかと思うが、変につっこまれても困る。

小町「御飯どうするの?」

八幡「いらね」

小町「いらないって ……… 」

少しばかり不機嫌そうになってしまった声に驚く気配が背中越しに伝わる。

八幡「や、なんつーか、今日は食欲ないんだよ」

慌ててフォローするように付け加えると、

小町「 ……… そうじゃなくって、今日はお兄ちゃんが用意する番なんだけど?」

見れば既に用意していたらしい茶碗と箸をこれ見よがしに持ち上げている。

八幡「って、そっちかよ。悪りぃけど忙しいんだ。冷蔵庫に昨日の晩飯の残りがあったろ? チンしとけ、チン」


小町「 >>お兄ちゃん ご飯まだぁ?」 チンチン

八幡「 ……… そうじゃねぇよ。レンジでチンしろってんだよ」

639 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:10:43.61 ID:9g2X1Clv0

小町「ところで、お兄ちゃん」

八幡「あん?」

小町「もしかして小町に何か隠し事とかしてなぁい?」


……… あ、これあかんやつや。

どのようなシチュであれ、女が男に対してこのセリフを口にした場合、まず間違いなく何かしらの証拠を掴んでいると考えていいだろう。
それを敢えて遠回しかつ婉曲な訊き方をしてくるあたりに、中学生にして既に女性特有の底意地の悪さを感じざるを得ない。
兄としては妹の成長を喜ぶべきなのかもしれないが、男としては素直に喜べないものがある。

雪ノ下の留学に端を発する諸々の出来事は、遅かれ早かれいずれ小町の耳に入ってしまうことはそれこそ時間の問題だ。

だからこそ小町に見咎められない内にとさっさと家を出ようとしていたのだが、早くもその目論みが外れてしまった。

内心の動揺と焦りを押し隠すようにして、顔を逸らし、わざとゆっくり腰を上げる。
つま先で軽く床を蹴り、靴を足に馴染ませるふりをするその間も、絶えず俺の背中に小町の視線が突き刺さるように注がれている気がして振り向くに振り向けない。

640 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:13:22.00 ID:9g2X1Clv0

八幡「 ……… んだよ藪から棒に」

ようやく返した言葉も、ついぶっきらぼうになる。

小町「 ……… 実は、さ、昨日の晩、結衣さんからこないだのお誘いの件で返事があったんだけど」

由比ヶ浜の名を耳にして反射的にぎくりとして振り向くと、案の定、小町が不機嫌そうに口をへの字にひん曲げていた。


八幡「お、おう、そうなのか。 ……… んで、なんだって?」

小町「“色々あって返事が遅くなっちゃってごめんね”って」

八幡「それだけか?」

小町「それだけ? ってことは、やっぱり他にも何かあったってこと?」

八幡「や、別にそういうわけでもないんだが」

ではなぜそんなことを聞くのかとツッコまれたらそれはそれでやはり返答に困ってしまう。どうやら藪をつついて出てきたのは棒ではなくてヘビだったようだ。


小町「色々ってなに? 雪乃さんとはどうなってるの? ふたりともちゃんと仲直りできたの?」

次々と質問が飛んでくる。でもお兄ちゃん聖徳太子じゃないんだから質問は一度にひとつにしてくれない?


八幡「 ……… コホンッ。 まぁ、とりあえずその件に関しては一応前向きに善処する方向で検討してはいる、かな」

小町「 ……… それってなんか政治家の典型的な国会答弁みたいだね、ダメな方の」

641 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:15:08.39 ID:9g2X1Clv0


小町「 ――― あっきれたぁ。なんでそんな大事な事、今まで小町に黙ってるかなぁ」


仕方なく事情をかいつまんで話して聞かせると、小町がぷくりと頬を膨らませる。

それにしても怒らないから正直に言ってごらんと言われて正直に答えた時に怒られる確率の高さはやはりちょっと異常。
嘘つきは社畜営業の成れの果てって学校で習わなかったのかよ。俺も習ってねぇけど。


八幡「余計な心配かけたくなかったんだよ。ほら、お前も一応受験生なんだし」

他にも色々と事情はあるのだが長くなりそうなのでその件については触れないでおく。

小町「それはそうかもしんないけどさ」」

他意はなかったにせよ結果的にはひとりだけ除け者扱いされたことになるのだから、小町としても面白くなくて当然だろう。

小町「それにしたって何がショックって、家の中でさえいつもハブられてるお兄ちゃんにまでハブられたことが小町的には一番のショックだよ。ポイント低いよ」

八幡「 ……… お兄ちゃん的にはお前のその発言の方がよっぽどショックなんだけど」

そういやたまの休みの日とか俺がいない時に限って、みんなで出前とったり外食とかしてるよな。それも結構高いヤツ。


642 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:16:45.49 ID:9g2X1Clv0

小町「それで、このままだと雪乃さん留学しちゃうかも知れないの?」

八幡「まだ完全にそうと決まったわけじゃないけどな」

小町「なるほど、色々ってそういうことだったんだね」

ふむふむと感慨深げに首肯する。

八幡「 …… まぁ、そうだな」

小町「雪乃さんは何て言ってるの?」

八幡「それが雪ノ下とは全然連絡がとれてない状況だからな」

そう言ってポケットからスマホを取り出しメーラーを立ち上げると、小町も俺の手元をのぞき込む。


小町「うわっ! 英語?! ってことは、もしかして雪乃さん、もう外国行っちゃったの?!」

八幡「 …… いやこれ、リターンメールだから」

643 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:19:01.60 ID:9g2X1Clv0

実のところ昨晩から雪ノ下に連絡しようと試みてはいるのだが、いずれも不発に終わっている。
女の子にメールしてスルーされるのは初めてではないし、恐らくはこれが最後でもないのだろうが、とにかくこのままでは埒があかない。

直接会いに行くにしても、昨日の話では今日はあねのんと一緒のはずだ。さて、これからどうしたもんかと考えあぐねいていたところでもあった。


小町「リターンメール?」

なんぞそれ、とばかりに頬にひとさし指を当て、こればかりは俺とよく似たアホ毛をハテナマークにして首を傾げる。

八幡「よくあんだろ、ほら、"間違って"ドメインごとブロックされちゃったり、"ついうっかり"メルアド変えたのを伝え忘れちゃったり」

なんだそんなことも知らねぇのかよ、とばかりにお兄ちゃんぶって答える俺に、小町がますます首を深く傾げて見せる。


小町「小町、ないけど?」

八幡「 ……… マジかよ」


俺なんてメアド交換して最初に送ったメールがリターンしてくるなんてざらざらにざらだぜ? 女子にされるとホント凹むんだよな、あれ。期待してる分だけ振り幅でかいし。


小町「あ、でも雪乃さんに限ってそんなことするような人じゃないし、きっと何か理由があるんじゃないかな、お兄ちゃんの方に」

八幡「なにそれもしかして俺の方にはそんなことをされそうな理由があるとでも言いたいわけ?」

644 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:20:30.47 ID:9g2X1Clv0

八幡「そんなわけでお兄ちゃん、悪いけど色々と忙しいんだよ。話の続きはまた後で、帰って来てからゆっくりな」

小町「あ、お兄ちゃん!?」

ちっ、仕方ない。ここはひとつ、奥の手を出すとするか。


八幡「あ ―――― っ! カマクラがタマゴ産んでる!」

小町「えっ? ホントっ?! どこどこ?」


……… いや、ふつうにネコ、タマゴとか産まねーし。だいいちカマクラはオスだろ。

なおもしつこく食い下がろうとする小町を半ば強引に振り切るようにして俺は玄関の扉を潜り抜けた。


645 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:23:35.07 ID:9g2X1Clv0


「 ―――― あら、こんなところで偶然ね」


明るく柔らかく親し気とさえいえるはずなのに、その声を耳にした途端に背筋を冷気が這い上がるような気がしたのは何も冬の朝だからというだけではあるまい。

八幡「 ……… いや偶然て、ここ俺んちなんですけど」 しかも、こんなところて。

俺のツッコミをさらりと聞き流し、その声の主 ――― 陽乃さんは開け放たれた黒塗りのハイヤーの後部座席のドアからすらり優雅に降り立つ。

そんなさり気ない仕草も、この人の場合、まるで女優のように様になる。

見るとどうやら車に乗っていたのは陽乃さんだけの様子。だとすれば雪ノ下は今、あのマンションでひとりきりということなのだろうか。


ちょうどその時、俺の背後で今しがた締めたばかりの玄関の扉の開く音がした。

小町「 ――― あれ? お兄ちゃんどうかしたの ……… って、はわわわわ、陽乃さん?!」

振り返れば扉の隙間から外を覗く小町の目が驚きのあまり真ん丸くなっている。


陽乃「およ? 小町ちゃんだ。おはやっはろー! お久し振りだねぇ」

由比ヶ浜だとまるでトイレのLEDのように無駄に明るい挨拶も、陽乃さんがやるとあざとくも魅力的に見えてしまうから不思議な。

俺は一瞬だけ迷った後、すぐにくるりと回れ右して小町へと向き直る。


八幡「小町、スマンが俺ならいないと言っといてもらえるか?」

陽乃「 ……… そこまで堂々と居留守使われるのはさすがに私も初めてなんだけど」

646 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:25:46.60 ID:9g2X1Clv0

小町「えっと、あの、今日はいったいどうされたんですか?」

陽乃「ええ。たまたまこの近くを通りかかって ――― あ、でも、ちょうど良かったわ。比企谷くんにちょっと訊きたいことがあったし?」

んなわけねーだろ、と喉まで出かかった悪態をかろうじて飲み込む。そんなタマタマ、サザエさんちにだっていやしない。


八幡「わざわざこんなところまで来ていただなくても、俺の連絡先はご存じのはずじゃありませんでしたっけ?」

もちろん俺が教えたわけはない。

横目でジロリと見ると、小町が目を逸らしながら窄めた唇からしきりにひゅーひゅーと掠れた音を漏らしている。もしかして口笛で誤魔化しているつもりかそれ?

陽乃さんは陽乃さんで、わざとらしく鼻にかかった甘い声を出しながら、しなりと身を寄せてくる。

陽乃「だってぇ、どうせ近くに寄るんだったら比企谷くんの顔が見たかったんですものぉ」


八幡「 ……… それって絶っ対、俺の嫌がる顔がって意味ですよね?」


647 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:26:48.15 ID:9g2X1Clv0

* * * * * * * * * *

648 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:29:11.90 ID:9g2X1Clv0


陽乃「 ―――――― あら、美味し」


コーヒーカップに口をつけた陽乃さんの形の良い唇に品の良い柔らかな笑みが浮かぶ。

寒い処で立ち話もなんですから、続きは中でいかがですか ――― 止める間もなく小町がそんな余計な事を言い出したせいで、結局のところ俺にとって極めつけの疫病神とさえいえる存在を家に招き入れることになってしまったわけである。

普段から何かと気のつく上に可愛くてよくできたどこへ出しても恥ずかしくないがどこにも出すつもりのない超自慢の妹ではあるのだが、こんな時ばかりはその性格が恨めしい。


八幡「すみませんね。うち、滅多に客とか来ないんでインスタントくらいしかご用意できなくて」

陽乃「いいえ、お気になさらず」

口に合うかどうかというよりも、雪ノ下の紅茶好きからしてあねのんも紅茶党なのかもしれないが、残念ながらうちの家族は揃いも揃って皆コーヒー党だ。

厳密にはその中にも更に派閥があり、小町はどちらかというとカフェオレ派だが俺はマッ缶原理主義。オヤジと母ちゃんに至っては嗜好品としてではなく気つけや眠気覚ましとしてカフェインを摂取するのが目的なので基本ストレートで砂糖もミルクも一切入れない。
ブラックなのは勤め先の会社だけにしとけばいいのに。


649 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:33:00.06 ID:9g2X1Clv0

陽乃「こちらこそ、お休みの日にいきなりお邪魔しちゃってごめんなさいね」

小町「いえいえ、お邪魔だなんてとんでもない!」

応じながら小町が両手と首をぶんぶん振り、その拍子にアホ毛がぴょこぴょこ揺れる。

小町「それに休みの日といえばいつも家でゴロゴロしてて美少女アニメが始まるとテレビの下からスカートの中を覗こうと必死になって無駄な努力してる兄の方がマジでキモくてウザくて邪魔なくらいですから」

八幡「うんうんドサクサに紛れてお兄ちゃんの恥ずかしいプライバシー晒すのやめような?」


小町「あ、ところでお兄ちゃん、お茶請けのお菓子、切らしちゃってるみたいなんだけど?」

八幡「 ……… ん? お、そうか。じゃ、すまんが小町、コンビニまでひとっ走りしてもらえるか?」

小町「かしこまっ!」

横ピースとウィンクであざと可愛く答えながら、ちゃっかり反対側の掌が俺に向かって差し出される。
どうでもいいけど、こいつってばホンッと頭脳線が短いのな。

兄妹ならではの以心伝心といやつで小町の意図を察した俺は、とりあえず自分のサイフの中から千円札を一枚取り出し、その手の上に乗っける。

それをしばらくじっと見つめていた小町だが、その目を俺に向けるや今度は顎をしゃくりながら、ふんふんと二度ほど鼻を鳴らす。

どうやら足りないということらしい。

舌打ちを一つ、仕方なくもう一枚取り出して今度はやや乱暴に掌に叩きつけるようにして追加した。


陽乃「あら、全然お構いなく。用向きが済んだらすぐに御暇(おいとま)するつもりだから」

小町「いえいえ、ホントにすぐそこなんですけど、ここはやっぱり気を利かせてわざと遠回りしてきちゃいますから、後は若いふたりでごゆっくり」

口の端から尖った八重歯を覗かせて、にっしっしと気色の悪い笑みを漏らす。


八幡「 ……… いやどう考えてもこの中で一番若いのお前だろ」

650 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:34:35.24 ID:9g2X1Clv0

陽乃「遠慮しないで座ったらどうなの?」

小町が姿を消して間もなく、陽乃さんがソファーを軽くぽんぽんと叩いて俺に促す。

いやだから遠慮するも何も確かここ俺の家だったはずなんですけどね。つか、なんでいつもさりげなく自分の隣勧めようとするかね、このひと。

陽乃さんはまるで自分の家であるかのようにいかにもといった感じにゆったりと寛いで見えるが、俺ときたらあまりの居心地悪さに文字通りホームなのにアウェイ。

互いの家に呼ぶほど親しい友達などいたことがないせいもあってか、他人が家にいる、というもうそれだけで何やらそわそわして落ち着かない。

それに俺の場合、立たされる事に関してはいつもなので特別苦にもならない。もっとも俺の場合、立たされるのは決まって矢面とか、苦境とか、窮地とかなのだが。

651 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:40:03.96 ID:9g2X1Clv0

そうは言っても、お客様相手にいつまでも立ったまま相手をするのもさすがに失礼なので、テーブルを挟んで斜向かい、物理的に限界ギリギリまで距離をとり、半ば尻がずり落ちそうな見るからに不自然な姿勢で腰掛ける。


陽乃「そういえば、比企谷くんの家に来るのはこれが初めてね」

とりたてて広いともいえぬ部屋の中を興味深げにぐるりと見回しながら、陽乃さんが感慨深げに口にする。

当然である。招きもしないのにしょっちゅう押しかけられたのでは俺としても堪ったものではない。できれば最初で最後にして欲しいくらいだ。

陽乃「たくさん本があるのね。これ、みんな比企谷くんの?」

八幡「俺のもありますけど、ほとんどはオヤジのです」

ちなみに母ちゃんと小町は実用書以外の本は滅多に読まない。比企谷家における男系の遺伝なのだろう。

陽乃「全部読んだの?」

八幡「ええ、まぁ、一応、ひと通りは」

陽乃「へぇ、もしかして将来は作家にでもなるつもり?」 

八幡「まさか。単なる趣味っていうかヒマ潰しみたいなもんですよ」

小さい頃から両親共働きで家にいないことの方が多く、幼い小町ひとり残して外に遊びに出かけるわけにもいかなかった俺は、自然、家で過ごす時間の方が長かった。
殊更本が好き、という自覚はないのだが、活字に対する抵抗は少ない。
そのせいか同年代の子供たちよりも文字を覚えるのも早かったし、難しい漢字もいつの間にか読めるようにもなったのだから、決して悪い事でもないのだろう。
今でもどちらかというとアニメよりも原作のマンガやラノベの方が好きなのは、そのせいなのかも知れない。

652 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:41:44.23 ID:9g2X1Clv0

陽乃「比企谷くんって確か大学は公立文系志望だったよね」

八幡「はぁ、まぁ、一応」

陽乃「だったら、やっぱり国語の先生目指してるのかな、静ちゃんみたいに?」

八幡「なんすかそれ」

いったい何がどう“やっぱり”なのかさっぱりわからないが、以前、平塚先生にも同じことを言われたことがあったっけか。

たまに呼び出されて顔を出すのさえ厭々だってのに、毎日職員室に通うだなんて想像しただけでもうんざりしてしまう。
間違いなく着任初日から登校拒否を起こすだろう。

それにとてもではないが俺のような人間に学校の先生が務まるとは思えない。もしできるとしたら、せいぜい生徒たちの反面教師が関の山だ。

653 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:45:33.32 ID:9g2X1Clv0

陽乃「ところで、今日はご両親は? 」

八幡「え? ああ …… 。えっと、仕事です。年度末が近いせいか、なんか最近やたらと忙しいみたいで」

うちの両親は会社が繁忙期に入ると揃って終電か、そうなければタクシーで帰ってきて次の日も始発で出かけてしまうのだが、そんな時は寝室ではなく今俺たちの居るリビングのソファでゴロ寝して仮眠をとることが多い。

なんでも一度布団に入ってしまうとそのまま起きる気力がなくなってしまうからだなのだそうだ。
そんなおばあちゃんならぬ社畜の知恵袋みたいなマメチ要らないし、できれば将来的にも絶対役に立って欲しくない。

しかし、そんなまでしてブラックな会社にしがみついているのも、ひとえに大切な家族を養うためだと思えばこそなのだろう。

俺にも小町にも何かにつけクソミソ言われているオヤジだが、それなりに汗水たらして働いている。それ以上に愚痴や文句もたれてはいるが。

まぁ、オヤジの場合、窓際遥かに飛び越えて今やギリギリ崖っぷちだからな。そうでもして一生懸命会社のために働いていますアピールでもしなけば、首がいくつあっても足りないのかも知れない。



陽乃「 ―――― そう、大変ね」


その時かけられた陽乃さんの、ごくさりげない労いの言葉に何やら不穏な響きを感じ取った気がしたが、気のせいだと思い込むことにした。

654 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:48:02.42 ID:9g2X1Clv0

陽乃「急に押しかけるような形になってごめんなさいね。もしかして今からどこか出かけるつもりだったのかしら?」

八幡「いえ、大した用でもないんで。あー……、それで俺に用って何なんですか?」

本当は訊きたいことは他にあるのだが、とりあえずは来客に対して訪問の理由を聞くのがマナーというものだろう。


陽乃「ええ、そのことなんだけど ――― 」

手にしたカップをソーサーに戻す磁器の触れ合う乾いた音が軽く耳を擦る。

少し間をおいて陽乃さんが目を細めながらゆっくりと口を開き、思いがけないセリフを俺に告げた。





陽乃「 ――― 今朝起きてから、雪乃ちゃんの姿が見えないの。比企谷くん、何か心当たりないかしら?」

655 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:50:00.03 ID:9g2X1Clv0

では本日はこの辺で。続きはまた近日中に。ノシ
656 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:15:30.09 ID:U7GVPbHG0


八幡「 ………… 正直、見当もつきませんね」


雪ノ下が姿を消したという事実を耳にして、驚きのあまり一方ならず動揺してしまう。
そしてそんな俺の様子を、陽乃さんが冷静な目で凝っと見ているのが分かった。

八幡「雪ノ下 ――― いえ、妹さんと連絡がとれないと何か困ることでもあるんですか?」

普通なら一時的に妹と連絡がとれなくなったという多寡がそれだけの理由で、わざわざ朝早く他人の家まで押しかけて来たりはすまい。いや俺ならするかも知れないけれど。

もしかしたら何かしら差し迫った事情でもあるということなのだろうか。


陽乃「そうね。……… 実は今日、あの子と一緒に、今住んでいるマンションの解約手続きをしに行くことになっていたの」

昨日、陽乃さんが口にしていた“明日の事”とは、つまりその事だったのだろう。しかし、

八幡「その手続きってのは直接本人がいなきゃできないもんなんですか?」

俺も詳しくは知らないが、建物自体は元々親の持ち物らしいし、単に解約するだけなら管理会社に電話一本で済みそうな気もするのだが。


657 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:17:46.97 ID:U7GVPbHG0

陽乃「んー、別にそういう訳でもないんだけど …… 」

曖昧な言葉で濁しながら、彼女はそこで一旦言葉を切ったが、

陽乃「お母さんの反対を押し切って勝手にひとり暮らし始めたのは自分だから、最後まで自分でやるって言いだして」

次に口にしたその言葉に妙に納得してしまう。
なるほど、あいつだったらそれくらいのことを言い出しかねない。
もしかしたら雪ノ下にとってのそれは“けじめ”という意味も含まれていたのかもしれない。

陽乃「そうしたら、お母さんが“それならあなたも付き添ってあげなさい”って」

八幡「それってつまり、お目付け役ってことですか?」

途中で気が変わらないように最後まで見届けろ、ということなのだろう。

陽乃「嫌な言い方だけど、その通りね」 そう言って苦笑を浮かべて見せた。

658 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:21:24.71 ID:U7GVPbHG0

八幡「でも、あいつが行きそうなところだったら、俺なんかより貴女(あなた)の方がよっぽど心当たりがあるんじゃないですか?」

それにもし仮に俺が知っていたとしても、絶対に教えるわけがないことだって百も承知だろうに。

しかしそれがわかっていながらも敢えてここまで足を運んだ、ということは、当然何かしらそれなりの思惑があってのことなのだろう。

いずれにせよ、雪ノ下の突然の失踪には今回の留学の件が絡んでいることは間違いあるまい。

まさか心変わりした、というわけでもないだろうが、もしそうだとしても、なぜまた今になって急に翻意したのかという疑問は拭い切れない。

659 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:24:56.89 ID:U7GVPbHG0

陽乃「普通なら、そうね。でも今回は今までとはちょっと勝手が違うみたいなの」

八幡「何がどう違うんですか?」

陽乃「スマホの電源もずっと切ったままにしてあるみたいだし」

八幡「たまたまバッテリーが切れているとかじゃなくて?」

別に珍しいことではない。うっかり充電し忘れてしまうことだってあるだろうし、そうでなくとも古くなったスマホはいつの間にか勝手に電源が落ちていたりするからな。

もっとも俺の場合、スマホはコミュニケーションツールとしてではなく“今スマホしてるから話しかけないでくれオーラ”を演出するためのディス・コミニケーションツールみたいなものなので実際に電源が入っていようがいまいが別に困ることはないし、そもそもわざわざそんなこともしなくても最初から話かけてくる相手からしていないのだが、一応はぼっちの嗜みというやつだ。

陽乃「でも、バッテリーの残量はまだ十分残っているはずなの」

スマホを取り出し、何やらぽちぽちと弄りながら答える。

おいおい、今この女性(ひと)、しれっととんでもないセリフ口にしなかったか? なんでそんなことまでわかるんだよ。
本人の知らないうちに位置情報特定する違法なマルウェアとか仕込んでるんじゃねぇだろうな。カレログじゃなくてイモログ?
もしかしてあいつが電源切ってあんのもそれが原因なんじゃね?

660 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:29:40.06 ID:U7GVPbHG0

ふと陽乃さんの視線が部屋の一点に注がれたまま止まる。

彼女の視線を追うと、そこはクリップポードに留められた家族の写真が数枚飾られている場所だった。

主に小町の写真がメインだが、申し訳程度に俺の写真も数枚混じっている。
家族のスナップ写真で俺だけ見切れているのが多いのは、クソオヤジが小町中心に写しているからだ。

陽乃さんが、「見ていいかしら?」と目で問うてきたので、特に断る理由もない俺は「どうぞ」と、浅く頷いて応える。

陽乃さんはすっと音もなく立ち上がると、俺のすぐ近くを横切り、立ったまま写真を眺め始める。

彼女が今、どのような表情をしているかまでは俺の座っている角度からでは見えない。

661 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:33:42.89 ID:U7GVPbHG0

陽乃「そういえば比企谷くん、この間の校内マラソン大会の時、ゴール間際で転んだんだって?」

不意に陽乃さんが、それこそどうでもいいような話題を振って来た。もしかしたら小町の運動会の写真を見て思い出しでもしたのだろうか。

八幡「そんな話、いったいどこから聞いてきたんですか?」

まるで場違いな質問に多少面喰らいながらも、ついつい問い返してしまう。

陽乃「途中まで隼人と一緒だったんでしょ?」

八幡「ええ、まぁ」 どうやら話の出所は葉山らしい。

三浦に頼まれて文理選択の答えを聞き出そうという目論見があったとはいえ、普段から運動らしい運動ひとつしていない俺が現役サッカー部のエースと並走しようとは、我ながら無茶をしたものである。

学校の部活動はたいてい体育会系と文化系に分類されるものだが、俺の所属する奉仕部はどうかというと、当然、そのどちらでもない系である。

陽乃「相当派手に転んだって聞いてるけど?」

八幡「や、そんなたいしたもんじゃありませんよ。ちょっと膝を擦り剥いたって程度です」

陽乃「 ……… へぇ、そうなんだ」

662 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:38:29.90 ID:U7GVPbHG0

陽乃「 ……… ねぇ?」

やや間をおいて継がれたその声には彼女としては珍しく、遠慮がちな響きがあった。

陽乃「それってやっぱりあの事故の後遺症のせいなの?」

八幡「 ………… 事故?」


気が付くと、いつの間にかすぐ目の前に立つ陽乃さんを俺が下から見上げる形になっていた。

本能的に身の危険を察知し、半ば腰を浮かせかけた俺の肩の辺りが、ぽんと軽く押される。


八幡「え?」


さして力を込めた様にも見えなかったが、絶妙なタイミングで押されたせいか簡単にバランスを崩してしまい、そのまま背中からソファーの上に倒れ込んでしまった。

起き上がろうとする俺の胸の辺りが、やんわりと、だが、有無を言わせぬ柔らかな重みに押し止められる。

この感触は、もしかして ……… ノー〇ラ?!


熱く湿った吐息が顔にかかるほど近く、お互いの鼻が触れ合わんばかりに迫る陽乃さんの顔に、ちょっとしたパニック状態に陥る。


陽乃「どれどれ、その傷とやら、お姉さんにもちょっと見せてごらんなさい」

663 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:44:46.57 ID:U7GVPbHG0

八幡「やっ、ちょっ、なっ?!」

泡喰って抵抗しようにも、この状況で変に押しのけようとして当たったり触ったりしたらかなりマズいものがある。

陽乃「うふふ、よーいではないかぁ♪」

必死に後ずさろうとする俺に、陽乃さんがとろけるような熱っぽい目で這い寄ってくる。しかもこの角度だと胸の圧迫感というか迫力がマジパない。


“それは 胸というにはあまりにも大きすぎた 大きく 柔らかく 重く そして豊満過ぎた それは 正に肉塊だった”


思わず脳内ナレーションが流れてしまう。しかも石塚○昇ボイスで。


八幡「全然よくありませんってば! って、なにどさくさに紛れて上まで脱がせようとしてるんですか?!」

陽乃「ついでよ、ついで。いいじゃない、別に減るもんじゃあるまいし。あら、意外と引き締まってるのね」

八幡「だからそういうことされると俺の神経がゴリゴリ擦り減るんですってば!」

陽乃「ほらほら、すぐに終わるから、あなたは大人しく畳の目でも数えてなさい」

八幡「でもこの部屋フローリングなんですけどっ!?」

陽乃「えいっ」 はむっ


いやぁああああああああ! やめてぇええええええええ!! 耳はらめぇええええええええ!!!

664 : [sage]:2019/07/19(金) 00:49:14.95 ID:U7GVPbHG0

かたんっ


その時、不意に部屋の外から小さな物音が響いてきた。

陽乃さんがすぐにその音に反応して動きを止め、それでもきっちりマウントをとった状態のまま何かしら問うような視線でじっと俺を見下ろす。


雪乃「おやおや、比企谷くんのおうち、大きなネズミでも出るのかしら?」

八幡「 ……… いえ、ネズミじゃなくてネコだと思います」

陽乃「ネコ? …… へぇ、ネコなんて飼ってたんだ? ネコ、好きなの?」

八幡「ええ。ネコは好きですよ。さすがに貴女(あなた)の妹さんほどじゃありませんけど」

今更言うまでもないことだが、雪ノ下のネコ好きはまさに超合金Zかガンダニウム並みの筋金入りだ。


陽乃「 ……… そうね。でもあれは一種の代償行為みたいなものだから」

ごくさらりと陽乃さんが口にした言葉が耳にとまった。


八幡「代償行為? それってあの ……… ?」

陽乃「そ、さすがによく知ってるわね」

全てを口にするまでもなく陽乃さんが俺の考えを読み取る。

陽乃さんの言う代償行為とは、何らかの原因によって欲求が満たされなかった場合に、それに代る行為で代替えしようとする心理行動のことである。

665 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:54:51.89 ID:U7GVPbHG0

俺の言葉を裏付けるようにして、扉の隙間から飼い猫のカマクラが顔をのぞかせ、そのままのそのそと部屋に入って来た。

冬なのにわざと扉を少し開けておく習慣はネコを飼っている家あるあるだ。
もっともこの場合はネコのためというよりも、いちいち戸を開け閉めするのが面倒だという飼い主側の事情によるものが大きいのだが。

ここで犬ならばまず間違いなく飼い主の危険を察知して即座に駆け寄ってくるところなのだろうが、部屋に入って来たカマクラはこちらを一瞥したきり後は見向きもしない。

別に俺が嫌われているとか、家族のヒエラルキーの中でも一段低く見られていると言うわけでもないし、できればそう思いたい。
ネコはイヌと違って多分に野生が残っているらしく、例え相手が誰であろうとまるで気兼ねすることなく勝手気儘、悠々自適に振る舞う可愛らしくも憎たらしい生きものなのである。


陽乃「名前はなんていうの? あ、あなたじゃなくてもちろんネコの方ね?」

八幡「 …… いちいち断らなくてもそれくらいわかりますから。えっと、カマクラです」

陽乃「ふーん。カマクラ、ね。おいで、カマクラ」

カマクラは陽乃さんに名前を呼ばれると甘えた声でにゃあとひと鳴きし、そのままとことこソファーまで近づいてきてごろんと横になる。
あまつさえ撫でれとばかりに腹まで見せやがった。

おいおい、お前の野生の矜持と飼い主である俺の立場はいったいどこにやったんだよ。 

666 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:57:44.87 ID:U7GVPbHG0

陽乃「私はてっきり比企谷くんは犬派だとばかり思ってたんだけどなー」

ソファーから乗り出すようにして俺の身体越しにカマクラの腹をふにふにもふもふと撫で摩りながら、陽乃さんが問うともなしに問うてきた。
カマクラが気持ち良さそうにごろごろと喉を鳴らす。

八幡「別に犬も嫌いってわけじゃありませんけど。でもどうしてそう思ったんですか?」

陽乃「そうね、犬好きの匂いがするっていうか?」

八幡「犬好き?」

思わずくんくんと袖の匂いを嗅いでみる。なるほど、確かに負け犬の匂いならプンプンしてるかしれませんけど? しかも血統書付き。

陽乃「だって、あの時もあんな必死になって車に飛び込んで来たじゃない?」

八幡「 ……… あの時?」

さきほどからの話の流れもあって、それが高校入学初日に起きたあの事故のことを意味しているのはすぐにわかった。
しかし、まるでその場で見ていたかのような口ぶりに違和感を覚え、つい同じ言葉で聞き返してしまう。


陽乃「あら、言ってなかったしら?」

言いながら、陽乃さんは今度は俺の耳元に睦言のようにそっと囁く。


陽乃「キミが事故に遭った時、私も雪乃ちゃんと一緒にあの車に乗ってたんだよ?」

667 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:02:54.44 ID:U7GVPbHG0

驚きのあまり思わずがばりと半身を起こすと、バランスを崩した陽乃さんがわざとらしく嬌声を上げる。

カマクラがビクリと跳び退き、そのままソファの陰へと逃げ込んでしまった。

陽乃「もしかしてやっとその気になったのかしら?」

八幡「なってませんて。じゃなくて、そんなこと今まで一度も言ってませんでしたよね?」

陽乃「そうだったかしら。それに、わざわざ話すようなことでもないでしょ?」

八幡「でもそれだとまるで、あなたは最初から全部知ってたみたいじゃないですか」

陽乃「もちろん全部というわけじゃないんだけどね。お父さんの立場もあるからって、キミのことは何も教えてもらえなかったし」

そういえば、あの事故の事後処理は弁護士を通じて内々のうちに示談で済ませたと聞いている。
元はと言えば勝手に路面に飛び出した俺が悪いわけであって、うちの親も恐縮しきりだったらしいが、結局のところ押し切られる形で治療費は全額負担してもらっているはずだ。
別に俺が文句を言えるような立場でも筋合いでもあるまい。

668 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:05:59.08 ID:U7GVPbHG0

その時、閃きにも似たある考えが俺の頭に浮かぶ。

八幡「もしかして、あの時、間に入った弁護士さんって ……… 」

陽乃「そ。お父さんの会社の顧問弁護士。つまり、隼人のお父さんよ。といっても、普段は交通事故の示談なんかは扱ってないみたいだけど」

八幡「ってことは、葉山も事故のことを?」

陽乃「 ……… そうね、知っていたとしても不思議はないかもしれないわね」

そんな素振りを露ほども見せなかったのは、父親の仕事とはいえ、やはり依頼人に対する守秘義務があったからなのだろうか。

陽乃「あ、それから」

八幡「 ……… まだ何かあるんすか」

陽乃「ちなみにあなたの運ばれた病院、あれ、隼人のお母さんのところよ」

当たり前のような顔で、とんでもないことを言ってのける。

さすがにそれはできすぎだろう ……、と言いたくもなるところだが、必ずしもそうとは言いきれないないところに逆に怖いものを感じる。
当初から示談に持ち込むことを念頭に置いていたのだとしたら、その方が色々と都合がよかったことだろう。

サブレの飼い主である由比ヶ浜、庇って車に跳ねられた俺、跳ねた車に乗っていた雪ノ下、示談の間に立った弁護士と俺の運ばれた病院の女医さんの息子である葉山。

なんの因果なのか、どうやら俺達は運命の糸というやつで最初からがんじがらめに縛られていたらしい。

669 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:08:44.68 ID:U7GVPbHG0

陽乃「雪乃ちゃんもあの事故のことはずっと気にしてて」

八幡「ああ、あいつもアレでいて案外、気にしぃなところがありますからね」

完璧主義故の潔癖症なのだろう。他人にも厳しいが自分にも厳しい。そしてなぜか俺に対しては一番厳しい。それってなんかおかしくね? 普段の俺に対する言動の方をもっと気にしろよ。


陽乃「あの子もあの子なりに色々と手を尽くして調べていたみたいなんだけど、あの事故のことはおろか、あなたの存在すら誰も知らなくて」

そこで陽乃さんはなぜか改めて俺の顔をまじまじと見つめる。


陽乃「 ……… あなた、いったい何者?」

八幡「 ……… いや、ただのぼっちなんですけどね」

670 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:12:55.26 ID:U7GVPbHG0

陽乃「それにしても、ほとんど諦めかけてたから、まさかあんな形で再び会うことになるとは思いもよらなかったわ。今だから言うけど、初めてキミが雪乃ちゃんと一緒にいるのを見た時は、ホントびっくりしたものよ」

そうは見えなかったが、このひとのことだ。気がついても素知らぬフリをするくらい雑作もないことなのだろう。

陽乃「 ……… てっきり雪乃ちゃんに先を越されたのかと思ったんだけど」

八幡「先を越すって ……… 何がですか?」

俺のその言葉を陽乃さんは曖昧な微笑(えみ)を浮かべて誤魔化した。


八幡「ところで、貴女はどうしてそれが俺だとわかったんです?」」

陽乃「私は静ちゃんから聞いたの」

なるほど、被害者と加害者が共に学校の関係者であるならば、当然学校側があの事故のことを把握していたとしても何ら不思議はあるまい。
本来ならもっと大騒ぎになってもおかしくないはずなのだが、相手が県議とあって学校側も色々と忖度したのやも知れない。

だとすると、もしかしたら俺があの部室の連れて来られたのも、決して単なる偶然なんかではなかったということなのだろうか。

全てを知っていながらも敢えて事故のことを俺たちに黙っていたのも、平塚先生なりに何かしら思うところがあったのかも知れない。
自ら抱える悩みや問題を自力で解決させることが奉仕部の主旨であるとするならば、それは自ずと部員にも適用されるということか。

いかにもあの先生の考えそうなことではある。

671 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:17:32.05 ID:U7GVPbHG0

陽乃「 ――― さっきの話の続き、なんだけど」

あねのんの言葉にふと我に返る。

陽乃「実はあの子はね、昔はどちらかというとネコよりもイヌ好きだったのよ」

八幡「それが ――― どうしてあんなに苦手になったんですか?」

陽乃「なぜだと思う?」

八幡「小さい頃あなたが面白半分にイヌをけしかけた、とか?」

陽乃「あ、惜しい! ……… でも、確かにそんなこともあったかしらね」


…… あったのかよ。嫌味で言ったつもりだったのに。いや、この人ならマジでやりかねないから怖いんだよな。

獅子は千尋の谷から我が子を突き落とすというが、あねのんなら教育的指導とかいう名目で更にその上から平気で岩とか投げ落とすまでしそう。
もうシゴキとか体罰っていうレベルじゃねぇだろ。虐待だ虐待。児童相談所何やってたんだよ。

そう考えると雪ノ下の抱える幼少期のトラウマの八割方はこの姉のせいなのかもしれない。もちろん血筋もあるが、あの加虐的な性格も多分に影響を受けているのだろう。

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