俺ガイルSS 『思いのほか壁ドンは難しい』 その他 Part2

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677 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:37:46.47 ID:U7GVPbHG0

陽乃「じゃ、比企谷くん、もし、雪乃ちゃんから何か連絡があったら教えてね。決して悪いようにはしないから」

八幡「ええ、覚えておきます」

陽乃「あ、それから」

片目を瞑り、艶っぽく付け加える。

陽乃「さっきの続きはまた次の機会に」

八幡「 ……… それだけは絶対にありえませんから」

雪ノ下の名前を耳にした小町が何かしらもの問いたげな表情を浮かべてそっと俺の顔を窺がう。

俺は迷った挙句、無駄だとはわかりつつも既に背を向けている陽乃さんに声を掛けた。

八幡「あの、余計なお世話かもしれませんけど、いくら妹だからってあまり干渉し過ぎるのも却って逆効果なのかもしれませんよ」

扉に手をかけていた陽乃さんが、ふとその動きを止めたが、振り返ることなく答える。


陽乃「 ――― 私にはこんなやり方しかできないの。知ってるでしょ?」


外の世界と家の中を隔てる玄関の扉が、いつもより少しだけ長く、もの悲しい音を曳いて閉まる。

ややあって、隣に立つ小町がくいくいと小さく袖を引きながら、俺に向けてそっと呟いた。



小町「 ……… お兄ちゃん、それって特大のブーメランだと思う」

678 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:41:00.96 ID:U7GVPbHG0

では、本日はここまで。ノシ

やっと終わりが見えてきました。今しばらくお付き合いください。
679 :1 [sage]:2019/07/19(金) 08:33:53.85 ID:U7GVPbHG0

まぁ、他にも色々とあるんですが、ここだけ修正しときます。

>>614 6行目


そこで少しだけ間を置き、できるだけ当たり障りのない紹介しようと三浦の顔色を窺いながら慎重に言葉ぶ。
                      ↓
そこで少しだけ間を置き、できるだけ当たり障りのない紹介しようと三浦の顔色を窺いながら慎重に言葉を選ぶ。


>>673 10行目

八幡「ってててて! そ、そんなんはありませんてば!」
           ↓
八幡「ってててて! そ、そんなんじゃありませんてば!」
680 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:22:53.35 ID:018m0W4j0

転章なので今回は短めです。
681 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:29:28.52 ID:018m0W4j0

小町「そう言えば、お兄ちゃん、どこか出かけるんじゃなかったの?」

陽乃さんが去った後、小町が思い出したように話しかけてくる。

八幡「いや、予定変更だ」

先ほど家に招き入れた際、陽乃さんは玄関先でごくさりげなくだが靴を物色していた。
リビングでも一見寛いでいるようでいて、実は家の中に他に人の気配がないかと耳を欹(そばだ)てていたことにも気が付いている。

ということは、彼女が俺の家まで来た理由はひとつ ――― 雪ノ下がここにいないかと勘繰ってのことなのだろう。

俺に変なちょっかいをかけてきたのも、妹を誘き出そうとしてのことだとすれば十分頷ける。

もっともあの女性(ひと)の事だ。
もしかしたら単に俺に対する嫌がらせのためだけにわざわざ家まで押しかけて来たという可能性もなきにしもあらずなのだが。
何といっても目的のためなら手段を選ばないどころか、手段のためなら目的すら選ばないところまであるからな。

682 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:32:21.68 ID:018m0W4j0

八幡「あー…、それより小町、悪いけどちょっと金貸してもらえないか?」

昨日の由比ヶ浜とのお出かけと先程のお茶請けの菓子代で、ただでさえ乏しい俺の軍資金は既にほぼ底を尽きかけている。
どこへ行くという宛てがあるわけでもないのだが、いざという時に今手持ちの金だけでは少しばかり心許ない。

小町「またぁ? 小町だって今月は結構ピンチなんだよ?」

八幡「や、ほら、倍にして返すから ……… 宝くじで三億円当たったら」

小町「 ……… 三億円当たっても倍にしかならないんだ。っていうか、お兄ちゃん宝くじなんて買ってないじゃない」

八幡「いや、買ってるだろ、オヤジが」

小町「こんな時まで親の脛齧るつもりなんだ!? 地道に働いて自分で返すつもりがない時点でお兄ちゃん人として始まる前にもう終わってるよ?!」

八幡「よしわかった。そこまで言うんなら体で返す」

小町「 ……… それってクズ男が女からお金をせびる時のテンプレ文句だってば。 っていうかいらないしマジいらないしホントいらない」

八幡「なにをうっ! お兄ちゃん、お前をそんな薄情な子に産んだ覚えはないぞっ?!」

小町「 ………… 小町だってお兄ちゃんに産んでもらった覚えないけど」

683 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:37:26.75 ID:018m0W4j0

小町「やれやれ、でもそういうことなら仕方ないか」

ちょっと待ってて、と言い残して姿を消したかと思うと、しばらくして年頃の女の子にあまり似つかわしくない地味な茶封筒を片手に戻ってくる。

小町「はいこれ」

俺に向けて差し出された封を受け取って中を覗くと、そこにはピン札が数枚。

八幡「何これどうしたんだ?」

小町「ん? ヘソクリ」

ドヤ顔でいかにも得意げに胸を張って見せるが、残念ながらその手のマニアでもなければ腹と胸の区別すらできない。

八幡「いいのか、こんな大金?」

小町「雪乃さんのためなんでしょ? だったら小町だって、ひと肌もふた肌も脱いじゃうよ」

うんうん、やはり持つべきはよくできた可愛い妹だな。でもとりあえずお前も年頃の娘なんだから、脱ぎ散らかした下着は自分で洗濯カゴに入れるくらいしような?

小町「それに、お兄ちゃんのためでもあるもんね。あ、これって小町的にポイント高いかも」

八幡「 ……… 小町」

ポイント云々はともかく、感動のあまり思わず目を潤ませる俺に、小町が後ろ手を振りながら当たり前のような顔で付け加える。


小町「あ、利子はいいからね。それ、お父さんのだし」

684 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:38:51.98 ID:018m0W4j0


* * * * * * * * * *


685 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:45:40.32 ID:018m0W4j0


小町「 ―――― で、結局もう諦めて帰ってきちゃったの?」


ソファーにぐったり凭れかかるようにして仰向けになる俺に、小町が呆れ顔で声をかける。

八幡「 ……… いや、捜すにしたって、千葉、広過ぎだろ」

県外にお土産として持ってくと湿気ていると勘違いされてしまいがちな銚子の濡れ煎でさえ平気で食べることのできるほど千葉愛に満ちた俺としては、誇らしいと思う反面こんな時ばかりはやはりげんなりしてしまう。
ちなみにフツウの煎餅は湿気ると柔らかくなるものだが、濡れ煎は湿気ると逆に固くなる。一応これも千葉のマメチな?

小町「そのへんブラブラしてて、どこかで偶然ばったりってことはないの?」

八幡「 …… なんだよそのベタな展開」

生まれながらにして神懸かったアンチ恋愛体質の俺のことだ。例えトーストを咥えて交差点で飛び出したところで、せいぜいまた車に轢かれるのが関の山だ。

それどころか下手をすると当たり屋と間違えられて警察に捕まるかもしれない。

686 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:53:40.40 ID:018m0W4j0

小町「雪乃さんが行きそうな場所とかわかんないの?」

八幡「さっき陽乃さんにも同じこと聞かれたけど、正直言ってホントに見当もつかん」

小町「 ……… お兄ちゃんって、ホント使えないね。知ってたけど」

八幡「使えない言うな」

同じ学校、同じ学年とはいえ本来、代議士の娘である雪ノ下と社畜の息子に過ぎないこの俺とでは天と地ほどの差がある。
活動範囲どころか住む世界からして既に異なる。
あたかもロミオとジュリエットのようだと言えば聞こえがいいが、要は格差社会のモデルケースみたいなものだ。

八幡「だいたい、千葉にいると限ったわけでもないだろ。さすがに車はないにしても電車とか …… 青春18きっぷ一枚でどこまで行けると思ってんだよ?」

小町「でも雪乃さん、まだ17歳じゃなかったっけ?」

八幡「一応言っておくが18きっぷは年齢に関係なく買えるからな?」

しかしよく考えてみれば罪つくりなネーミングだよな。

みどりの窓口で、もじもじしながら小声で「せ、青春18きっぷ下さい」とか口にしている平塚先生の姿が目に浮かぶようだ。

小町「あ、だったら想い出の場所とか、どう?」

八幡「想い出の場所?」

知り合ってまだ一年に満たない俺達に、想い出の場所などあるだろうか?

メッセ、ららポート、千葉村キャンプ場、修学旅行で訪れた奈良京都の名刹、東京ディスティニーランド、幕張のコミュニティセンター、…… 結構あるもんだな。

さすがに遠方はないだろう。あいつ、人込み苦手だし方向オンチだし。初見の場所では予めパン屑でも捲いておかない限り戻って来られそうもない。

しかしそうなると、直近でしかも近場と言えば奉仕部の部室くらいしか思いつかないが、さすがに休みの日に特別棟には入れないはずだ。

687 :1 [sage]:2019/07/21(日) 00:05:58.60 ID:4msA1/n50

その時、今までどこに隠れていたものか、再び姿を現したカマクラがテーブルの上に飛び乗った。

小町の買ってきた袋の中身が気になるのか、コンビニ袋に首を突っ込んで中をガサゴソと物色しているうちに、偶然置きっぱなしだったリモコンを踏んづけ、その拍子にテレビの電源が入る。

画面に映し出されたのは、バラエティ番組か何かだ。いつもなら気にも留めないわざとらしい笑い声が今は耳について煩わしい。

しかし、すぐに切ろうと伸ばしかけた手がそこで止まる。

コマーシャルに切り代わって画面に登場したのは笹の葉を咥えた凶暴な面構えのパンダのキャラクター ―――― パンさんだ。

そういや昨日、映画館でも3Dリメイク版が近日公開だとかいって予告編が流れてたっけか。

パンさんが酔っ払って千鳥足で酔拳を繰り出し、悪役をばったばったと薙ぎ倒すシーンでは、既に聞き慣れたテーマ曲が流れ始める。


―――――――― そうか!


閃くものを感じた俺はソファーに置きっぱなしだった上着を引っ掴む。


小町「お兄ちゃん?!」


背後で小町が声を上げるのが聞こえたが、一縷の望みに賭けた俺は振り返ることもなくすぐさま駅へと走った。

688 :1 [sage]:2019/07/21(日) 00:07:40.27 ID:4msA1/n50

それでは短いですが、本日はこの辺で。ノシ゛
689 :1 [sage]:2019/07/27(土) 19:56:47.78 ID:/20m2WhF0

おっとっと。次の更新はできれば今月中、遅くとも来週中に。
690 :1 [sage]:2019/08/10(土) 21:10:27.83 ID:hNAt3JfZ0

この暑さの中で冬の話なんて書いてられっけ!(逆ギレ

スミマセン、調子に乗りました。もう少しお待ちください。
691 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/06(金) 16:22:16.94 ID:06hZQm3Do
おつかーれ
692 : [sage]:2019/11/07(木) 02:36:09.53 ID:kw0kl4XjO

* * * * * * * 

693 : [sage]:2020/01/07(火) 10:34:36.13 ID:zsmSax3y0

原作完結したのにまだ終わらん(白目
694 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/07(火) 23:25:35.85 ID:ncIkGJ6t0
ここが完結するのをずっと待ってるよ
〈●〉〈●〉
695 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/22(水) 12:13:32.59 ID:DtROEQsDO
由比ヶ浜にやった事の責任を取らせるよね?
雪乃が不利な状況で抜け駆けという最低な行為までやっておいて、このまま八幡や雪乃と人間関係を続けるとか都合が良すぎると思う
696 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:28:20.01 ID:0yGjL3CR0

ガラスに映る俺の姿を見た雪ノ下の顔に驚きの表情が広がる。


雪乃「 ……… どうして、ここだとわかったの?」

振り返ることもせず、努めて淡々と問う声にも明らかな狼狽の色が滲む。

八幡「正直、ここしか思いつかなかったんでな」

最寄りの駅からここまで走って来たせいで弾む息を抑えながら、そのまま彼女の傍らに並ぶようにして立つ。

葛○臨海水族館 ――― 先日、俺と雪ノ下、そして由比ヶ浜の三人で初めて訪れた場所である。

もし雪ノ下に心残りがあるとするならば、あの時自らの願いを口にすることの叶わなかったこの場所をおいて他にあるまい。
それにここは彼女の住まうマンションから目と鼻の先でもある。

いつぞや聴いた雪ノ下のスマホの着信音 ――― パンダのパンさんのテーマを耳にして、もしや、と思ったのだが、いつもはつれない運命の女神も、どうやら今回ばかりは俺に向けて微笑んでくれたらしい。
697 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:30:16.78 ID:0yGjL3CR0

雪ノ下の視線が水槽の中を悠々と泳ぐ魚の姿を追う。先日見た赤い魚とは違う別の魚だ。

雪乃「きっと、あの魚にはここは狭すぎたのね」

ガラスの表面をなぞるように指先で触れながら、寂しそうにぽしょり呟くのが聴こえた。

八幡「そうとも限んねぇんじゃないのか? 単に見つけられないだけなのかも知れんぞ。 ほら、赤いのは三倍速いって言うしな」
 
彼女の声の響きに居た堪れないものを感じた俺は、根拠もないままついまぜっ返してしまう。

雪乃「 ―――― 相変わらずそういう嘘は下手なのね」

そんな俺に、雪ノ下が小さく笑い、でもありがとう、と付け加えた。それがいったい何に対する礼なのかは俺にも解らない。

698 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:33:56.15 ID:0yGjL3CR0

雪乃「 ……… あなた、ひとりなの?」

何かしら意を決したかのように短い問いを口にする。

八幡「ここに来たのは俺ひとりだ」

気の利いた言葉を添えようと思ったのだが、すぐに無駄だと気が付いて諦める。

今ここには由比ヶ浜はいない。どのような理由があるにせよ、その現実が今更のように重くのしかかる。

雪乃「 ………… そう。でも、いいの?」

初めて俺に向けられた瞳が、水槽の照り返しを受けて薄暗がりの中で複雑な色を孕んで揺らぐのが見えた気がした。

八幡「 ―――― ああ。最初(はじめ)っから俺にも選択肢なんてもんはなかったんだ」

考えるまでもなく俺の出すべき答えは決まっていた。
いずれその答えを求められる日が来ると知りつつも、変化を恐れるあまり、敢えて見て見ぬふりをして先送りにしていた。
ただ単に、それだけのことなのだから。

699 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:38:15.77 ID:0yGjL3CR0

八幡「どうするつもりなんだ、これから」

留学のこと、葉山とのこと、そして俺達のこと。全てを含ませた上での俺の問い。

雪乃「正直、どうしたらいいのか、私にもわからないの」

雪ノ下が小さく首を振りながら答える。

雪乃「どうしようもないことなの」

明確に応えることができない、その苦し気な胸の内を吐露するかのように付け加えられた言葉は、まるで自分自身に対する言い訳のように聞こえた。

八幡「お前らしくないな」 

自分でも思いがけずその言葉が口を衝いて出る。
俺の知る、いや、少なくとも知っているはずの雪ノ下は、誰の前であっても決してそんな弱音を口にすると考えもしなかったからだ。


雪乃「あなたの言う私らしさって、何?」

間髪入れず返されたその問いが、行き場を喪い力なく宙に霧散する。

そしてその声の響きは、以前、俺に対して同じセリフを口にした、とある少女を思い起こさせた。

今となっては彼女たちに対する俺の認識も、全て単なる思い込みや、勝手な理想の押しつけに過ぎなかった、ということなのだろうか。


八幡「 ……… そうだな。悪かった」

自己嫌悪に囚われ、ただありきたりな言葉でしか謝罪することのできない俺に、雪ノ下は少し困ったような表情を浮かべ、


雪乃「 ―――― 出ましょうか」

静かにそう促すと、返事を待つことなくしずしずと出口に向けて歩き始めた。

700 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:40:45.60 ID:0yGjL3CR0

いつの間にか、外は白い雪が舞い始めていた。


薄暗い屋内にいたせいもあるのだろう、鉛色の雲に覆われた空の色でさえ沁みるように眩しく感じられる。

振り向けば今出て来たばかりの建物の上に覆い被さる半円形のドームが地平線に埋もれた月の骨のように見えた。

周囲は他に目立った建物や他の人影もなく、その寒々とした景色は、あたかも別の星にふたり、ひっそりと取り残されたような錯覚すら覚える。

白くけぶる息を身に纏わりつかせようにしながら音のない世界を宛てどもなく歩き続け、舞い散る雪の中に霞む彼女の姿は、手を伸ばせば届く距離だというのに、まるで今にもどこか遠くに消え失せてしまうのではないかと思われるほど切なく儚げに見えた。

701 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:42:35.70 ID:0yGjL3CR0

八幡「 ――― どこ行くつもりなんだ?」 

行きたい処があるの、少しだけつきあってもらえるかしら ――― 水族館を出る時に、それだけしか聞かされていない。

俺の声に気が付いた彼女は、僅かに歩調を緩めたが、振り返りもせず答える声だけが風に乗って届く。

雪乃「ごめんなさい。もう一度あれに乗ってみたくて」

言いながら仰ぐ雪ノ下の視線を追う俺の目に映ったものは、あの日、三人で乗った大観覧車だった。


702 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:44:23.58 ID:0yGjL3CR0

ゆっくりとはいえ、常に回り続ける観覧車に乗り込むタイミングというのがこれでいてなかなか難しい。

地方から出てきたお年寄りがエスカレーターに乗る時のおぼつかない感覚も恐らくはこんな感じなだろう。

ついそんな余計なことを考えていたせいか、


八幡「ほら」

先に乗り込んだ俺は、無意識のうちにいつものクセが出て、妹に対してやるような調子で雪ノ下に向けて手を差し延べてしまう。

目の合った瞬間、相手が小町ではないことを思い出し、少しばかりバツの悪い思いをしながら、慌てて手を引っ込めようとすると、

雪乃「 ……… ありがとう」

呟くような小さな礼とともに、小さく冷たく、まるで氷のように滑らかな感触が俺の掌の中にすべりこんできた。

703 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:47:05.06 ID:0yGjL3CR0

雪乃「 ―――― どういった風の吹き回しかしら?」


斜向かいの席に腰を下ろして程なく、雪ノ下が静かに口を開く。

手にした半券に目を落としているのを見て、それが観覧車のチケットを購入する際に俺が黙ってふたり分払ったことを意味していると気が付く。


八幡「 …… ん? ああ。こんな時は黙って男の方が出すもんだって、小さい頃からよく躾けられてるんでな」

雪乃「随分と古風なご家庭なのね。それとも、もしかしたら妹さんがいるせいなのかしら?」

八幡「いや、俺をそう躾けたのは小町なんだけどね」

雪乃「いつもふたこと目には“金がない、金がない”ってまるで口癖のように言っていたと思うけれど?」

多少押しつけがましいかとも思ったのだが、俺を見るその目が悪戯っぽく笑っているのを見る限り別に気分を害しているというわけでもないらしい。

しみったれた男だと思われるのもなんかアレな気がしたので少しばかり見栄を張る。


八幡「そのことだったら心配すんな。どうせ金の出処は隠してあった親父のヘソクリだし」

雪乃「 ……… 心配するなと言われてもそれを聞かされたら余計に心配になるのだけれど」

704 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:52:40.39 ID:0yGjL3CR0

そんな他愛のない会話を交わしているうちに、ふつりと会話が途切れてしまう。


八幡「あー……、お前のマンションって、確かあっちの方だったっけ?」

ゴンドラ内を漂う微妙な空気を誤魔化すようにして、朧げな記憶を頼りにツインタワーの方角を示す。


雪乃「そうだったかしら。ここからじゃよく見えないわね」

形ばかりに窓の外を一瞥しただけで返って来たそっけない返事は、この間とは座っている位置が違うからなのだろう。

だが、ゴンドラの高度が上がるにつれ、ただでさえ白い顔が更に色を失くしてゆくのを見て、そういえばこいつが高い処を苦手としていたことを思い出す。

恐いんならわざわざ乗らなきゃいいだろ、と言いたくもなるのだが、女子って恐い恐いとかいいながら遊園地の絶叫マシンとかにも率先して乗りたがるのな。
嫌よ嫌よも好きのうち、とは女性心理の不可解さを表す常套句ではあるのだが、俺の経験からしてマジで嫌われているだけ、という可能性の方が高いので決して鵜呑みにしてはいけない。


雪乃「良かったら、もう少し端に寄ってもらっても構わないかしら?」

八幡「ん?」

背後の窓越しに何か見えるのかしら、と振り返りながらも言われるがままに尻の位置をずらす。
すると、雪ノ下が無言のまま立ち上がり、くるりと体の向きを変えたかと思うと、すぐさま、すとんと俺のすぐ隣に腰を下ろす。


雪乃「隣に誰かいるだけでも少しは違うから」

消え入るような小さなその声は後からついてきた。

八幡「お、おう。そ、そか」

すぐ近くに感じる雪ノ下の体温のせいか、ゴンドラ内の空調は変わらないというのに、急に頬が火照り始めたような気がした。

705 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:55:14.30 ID:0yGjL3CR0

リハビリを兼ねて少しだけ更新。近日中にまた。ノシ゛
706 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:17:21.91 ID:IsKPfli80

今日は生憎(あいにく)の空模様だが、日本最大級を謳うだけのことはあり、晴れた日の観覧車の窓からは東京都庁やスカイツリーはもちろん、房総半島や海ほたる、遠くは遥々富士山さえも望むことができるらしい。

実は富士山くらいなら総武線沿線からでも日常的に目にすることができる、というのが千葉市民の数少ない自慢のひとつだったりするのだが。

ちなみに現在のところ日本最大の観覧車は大阪エキ〇ポシティのレッド〇ースオーサカホイールなんだそうだ。
高さ123m、72基あるゴンドラは床面は全てクリア素材で、しかも一周するのに18分もかかるとあっては、高所恐怖症の人間にしてみれば絶叫マシンどころか、まさに拷問部屋に等しいとすらいってもいいくらいだ。
わざわざそんなものに、しかも金払ってまで乗りたがるヤツなんて、せいぜいバカとハサミくらいのものだろう。何か違うか。

707 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:19:46.91 ID:IsKPfli80

そういや前回この観覧車に三人で乗った時、由比ヶ浜が「観覧車の頂上でキスしたカップルは永遠に別れないんだって」とかなんとか、どこかで聞き齧ったような頭の悪そうなジンクスをさも得意げに披露してたっけか。

あの時は「いやそれ単なる吊り橋効果なんじゃねぇの?」と、鼻先で嗤って軽く聞き流していたのだが、改めて狭い空間にこうしてふたり、肩が触れ合わんばかりの距離で座っていれば嫌でも意識してしまう。

さすがに少しばかり居心地の悪くなった俺が、さりげなく座る位置をずらそうと膝の上で組んでいた手を解いて脇に下ろすと、偶然、雪ノ下の手に軽く触れてしまった。

八幡「や、すまん」

あたふたと謝り、慌てて離そうとした俺の小指に、先ほどから黙りこくったまま俯く雪ノ下の小指がそっと絡みついてきた。

ふと見れば、艶やかな黒髪の隙間から覗く彼女の耳が微かに赤く染まっていることに気が付く。

結局、俺はそのまま何も言わずに視線だけを窓の外へと逃した。

708 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:22:23.58 ID:IsKPfli80

雪乃「 ……… ごめんなさい。あなたの期待に沿えなくて」

窓の外を眺める俺に耳に、雪ノ下がぽしょりと呟く声が届いてきた。

八幡「 ―――― 期待?」 

その言葉の意味を理解することができず、思わず聞き返してしまう。

雪乃「そう。あなたが求めていたのは"本物"だったのでしょう?」

雪ノ下が目を伏せたまま薄く微笑む。

雪乃「でも、私は違う。少なくともあなたの求めている“本物”ではないの」

訥々と語る、いつもとは異なるその声の響きが俺の胸に深く突き刺さる。

八幡「本物 …… じゃない?」

雪乃「ええ、そう。あなたがどう思っているのかは知らないけれど、本当の私は、いつも姉の影に隠れて母に怯えているだけのただ臆病で小さな子ども。姉さんの真似さえしていれば、いつかはあの人のようになれると堅く信じ、そう錯覚していたの」

そこで言葉は途切れ、ゴンドラを流れる音楽とアナウンスの声がふたりの間に落ちた束の間の沈黙を埋める。

雪乃「でもそれは違った。気がついたら、私は自分では何も決められない人間になっていたの。中身のない、意思のないただの人形。目を固くつむり、耳を塞いでじっとしてさえいれば、いつの間にか嵐は過ぎ去ってくれる。ずっとそう思っていたの。ほんと、そんなところは昔からちっとも変わっていないのね」

乾いた声で自嘲気味にそう告げる雪ノ下の横顔は、俺の目からはまるで姉と瓜ふたつに映って見えていた。


709 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:23:57.90 ID:IsKPfli80

雪乃「けれど、あなたは本物。私には決してないものを持っている。揺るぎのない信念と、自己犠牲を厭わない高潔さ。そして最後には誰でも救ってしまう優しさ」

八幡「そ …… 」

そんなことはないだろ、と、否定しかけた俺の言葉を雪ノ下が被せるようにして遮る。

雪乃「 …… だから、あなたを見ていると自分がとてもちっぽけで取るに足らないみじめな存在に思えてしまうの」

俺は改めて隣に座る雪ノ下をまじまじと見つめる。

そこには俺の憧れる完璧超人の姿はなく、ただひとり、自信を失い、怯え、疲れて、うちひしがれた俺と同じ歳の等身大の少女の姿があった。

もし、彼女の言葉が真実だとするならば、皮肉なことに俺の求めていた本物が彼女の中にあったように、彼女の希(こいねが)う何かもまた、俺の中にあったということなのだろうか。


710 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:26:10.35 ID:IsKPfli80

―――――― いや、多分それは違う。


彼女も俺と同様、自らの追い求めてやまないが、決して手にすることのできない“本物”の幻想を、他人の中に投影しているだけなのだ。

そして今のこのような状況に追い込まれたことで冷静な判断力を失い、自分が負の感情による自己嫌悪のスパイラルに陥っている事に気が付いていないだけなのだ。

だが、それと同時に、彼女の思いつめた表情を見て、俺はもうひとつ、この件を通じて自分が大きな勘違いを犯していたことに気が付く。

711 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:27:44.10 ID:IsKPfli80

昨年の夏休み明け、俺が入学式初日に巻き込まれたあの事故で、雪ノ下ただひとりがいち早く被害者と加害者という俺達の関係性に気が付いていながらも、ずっとそれを黙っていた事、そしてそれがあくまでも結果論に過ぎないとはいえ、彼女が俺たちに嘘をついていた、ということに対し、勝手に幻滅し、あまつさえ彼女を責めるかのような態度さえとってしまったことがある。

しかし、それとても本当のところは、俺の理想であり憧れでもある完璧超人であるはずの雪ノ下雪乃でさえも嘘をつくという、ごく当り前の現実を俺自身が認めたくなかったという、ただそれだけの理由に過ぎない。

そして、今度は俺の固執していた“本物”という言葉だけが、俺の知らないところで勝手に独り歩きを始め、いつしか意図せずして雪ノ下を圧迫し、無意識のうちに彼女を苦しめるようにさえなっていたに違いない。

つまるところ、雪ノ下に留学を決意させるまで追いつめたもの。それは、母親への畏怖でも、姉への劣等感でも、葉山との婚約でも、由比ヶ浜との友情でもなく、


―――――― 他でもない、彼女に寄せていた、俺自身の勝手な思い込みのせいだったのだ。

712 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:30:34.69 ID:IsKPfli80

短くてスミマセンが、本日はこんなところで。

次回はもう少し早くなると思います。ではでは。ノジ
713 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:41:54.90 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ―――――― どうか、したの?」


気が付くと、俺の顔色の変化を察したらしい雪ノ下が心配そうに顔を覗き込んでいた。

雪乃「大丈夫? 顔色が悪いわよ? もしかして気分が優れないのかしら?」

その声にも気遣う気配が色濃く滲む。

八幡「あ、や、何でもない。えっと、すまん。黙ってたけど、実は俺も高いところがちょっと苦手だったりするんだ」

ともすれば押し潰されそうになる罪悪感を気(け)取られまいと、へどもどしながらも咄嗟の言い訳を口にする俺に、雪ノ下が心底意外そうな顔をする。


雪乃「そうなの? 私はてっきり、あなたは高いところが好きなのだとばかり思っていたのだけれど」

八幡「 ……… もしかしてそれ暗に俺がバカだっていいたいわけ?」


つか、なんでそこで超可愛らしく首傾げてんだよ。

714 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:43:58.64 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「そういえば、昨日は三浦さんと一緒だったみたいだけれど?」

少し気づまりになった空気を換えようとするかのように、雪ノ下の方から違う話題を振ってきた。

八幡「 ……… ん? ああ、言わなかったか? 偶然あそこでバッタリ出会っちまったって」

そのことは葉山にも伝えてあったはずなのだが、恐らく少し離れていたこいつの耳にまでは届かなかったのだろう。

雪乃「 ……… そう」

ぼんやりとした返事が返ってくる。

八幡「確か、三浦の方は海老名さんと遊びに行った帰り、とか言ってたけどな」

何の気なしにそこまで付け加えたところで、ふと気が付く。

昨日、俺が由比ヶ浜とふたりで会っていたことは雪ノ下も本人から聞いて知っているはずだ。
だとしたら、今のはもしかして、由比ヶ浜はどうしたのか、という彼女からの遠回しの問いかけなのだろうか。

どうやら知らずボールは俺の手に渡されていたようだ。

715 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:45:54.85 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ―――― 海老名、さん?」

だが、その名前を耳にした途端、雪ノ下が反応を示す。

八幡「あいつがどうかしたのか?」

俺的にはむしろどうかしてるのはあいつの頭の方なのではないかと思うのだが。


雪乃「実はあなたに話しておきたいことが、もうひとつだけあるの」

暫し口を噤み、何かしら躊躇うかのような素振りを見せていた雪ノ下だが、やがておずおずと口を開く。


雪乃「修学旅行での嵐山のこと、覚えているかしら?」

俺はその問いに黙って頷いて見せる。

あの時、俺は海老名さんに対する戸部の告白を未然に防ぐため、雪ノ下と由比ヶ浜の前で彼女に嘘の告白をしている。

それもこれも、それが欺瞞であり、ぬるま湯に浸かる行為であると知りつつも、変わらぬ関係の継続を願う葉山達に、柄にもなく俺自身が共感を覚えてしまったからに他ならない。

716 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:48:20.61 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「あの時は、その、悪かったな」

当時のことを思い出すと、今でも忸怩たる思いとともに、胸の奥が締め付けられるようにきりきりと痛む。
俺の軽率な行動のせいで、そうとは知らず危うくかけがえのない大切なものを喪いかけたのだ。

雪乃「私の方こそ、あなたには酷いことを言ってしまって ……… 」

ごめんなさい、と言いながらしおらしく頭(こうべ)を垂れる。

あの時、俺は雪ノ下から、あなたのそのやり方はとても嫌いだと言われている。

それも当然なのだろう。あれが決して褒められたやり方ではないことは俺自身がよくわかっていた。
だが、その事で雪ノ下と由比ヶ浜に呆れられるようなことはあったとしても、まさかふたりからあのような反応が返ってくるとは予想だにしていなかった。

しかし、当時はわからなかったふたりの気持ちも、今は痛いほど理解できる。
もし、あれが逆の立場であったなら、やはり俺も彼女達と同じように考え、同じように傷ついたことだろう。

いつぞや平塚先生にも言われた通り、俺には他人の心理を読み取ることはできても、その感情までは理解できていなかったのだ。

717 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:52:43.11 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「でも、別にあの時の事であなたを責めているわけではないの」

ふるふると小さく首を振ると、その艶やかな黒髪がさらさらと揺れ、まるで雪の結晶のような光が弾けて空気に溶ける。


雪乃「私は、例えそれが嘘だとわかってはいても、彼女が、海老名さんのことがとても羨ましかった。そして、―――― それ以上に妬ましかった」

いいえ、それも違うかもしれないわね、と、今、自分が口したばかりの言葉を否定する。


雪乃「 ――――― あの時、私は、あなたに対する本当の気持ちに気がついてしまったの」


そこで彼女は言葉を切り、それ以上は何も言わず、その代わりに俺の肩に暖かな重みが遠慮がちに加わるのを感じた。

このままずっと時間が停まってしまえばいい。生まれて初めて俺の中にそんな感情が生まれた。

718 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:55:39.90 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「 ……… なぁ、ひとつだけ聞いていいか?」

緊張のあまり掠れた声で問う俺に、雪ノ下がこくんと小さく頷いて返す。


八幡「この前、ここで言いかけた、お前の願いって、いったい何だったんだ?」

ゆっくりと雪ノ下が顔を上げ、深く濃く昏い色を湛えた美しい瞳が俺の目を真っすぐに覗き込んだ。


雪乃「そうね。それももう、今となってはどうでもいいことなのかもしれないけれど、 ―――― 」

それまで触れるままにしてていた俺の小指に、雪ノ下の小指の力がきゅっと加わる。


雪乃「今は、ずっとあなたとこうしていたい、かしら」

719 :1 [sage]:2020/03/31(火) 10:56:56.39 ID:Ls+QV4MJ0


気が付くとゴンドラは観覧車の頂上へと差し掛かっていた。


720 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:00:12.63 ID:Ls+QV4MJ0

彼女に向けられた視線を逸らすこともできず、熱にうかされたように頭の中心が痺れたまま、ゆっくりと、まるで吸い寄せられるように互いの顔が近づく。

そして、ふたりの唇が重なるかと思われた、まさにその瞬間、




雪乃「 ―――― ねぇ、比企谷くん?」


それまでとはうって変わって地の底から響いてくるような、低くくぐもった声が俺の耳へと届いてきた。





雪乃「 ……… 気のせいかしら。なぜかあなたから姉さんの香りがするみたいなのだけれど?」


721 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:05:45.66 ID:Ls+QV4MJ0


* * * * * * *

722 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:08:02.01 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ―――― そう、姉さんがあなたの家に。あの人の考えそうなことだわ」


雪ノ下が深々と溜息を吐きながら首を振る。

しどろもどろの釈明に追われているうちにいつの間にか観覧車は一巡を終え、今、俺達がいるのは再び地面の上だ。

俺のたどたどしい言い訳でもなんとか納得してもらえたのは、俺が信用されているというよりも、むしろ好むと好まざるとに関わらず彼女が姉の行動パターンを熟知しているが故だろう。


723 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:11:19.72 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「一応、お前のこと心配してってことなんじゃないのか?」

雪乃「そうかしら」

いもうとのんの方は半信半疑といった様子だが、普段の行いがアレなだけに、こればかりは何と言われようとも仕方あるまい。


―――― と、その時、急に雪ノ下の身体がびくりと強張る。


明らかに何かに怯えるような彼女の視線を辿って首を巡らせば、

そこにはどこからか現れた白と黒と茶の混じった仔犬が一匹、こちらに向けて一目散に駆け寄って来る姿があった。

何が嬉しいのか空気なんぞお構いなしとばかりにひゃんひゃん吠えながらまとわりついてくる犬に対し、雪ノ下の方は俺を盾にしながらくるくると逃げ惑う。

724 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:15:11.69 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「ひ、比企谷くん、そ、その子、な、なんとかしてくれないかしら」

これが大型犬だったらさすがに俺も腰が引けてしまうところだが相手は小型犬、しかもまだ仔犬に過ぎない。

苦笑しながらも、しゃがんで手を差し出すと、せわしなく尾を振りながら、ざらざらした長い舌で嬉しそうに俺の掌をぺろぺろと舐めはじめた。

雪乃「か、飼い主はどうしたのかしら」

俺の背後に隠れたままの雪ノ下が覗き込むようにしながら、こそっと口にする。

八幡「さぁ、な。大方、はぐれでもしたんだろ」

仔犬の頭を撫でながらあたりを見回すが、それらしき姿はどこにも見えない。

確かこの公園はペット同伴の散歩も許可されていたはずだ。首輪もしているし、毛並みも整っているところを見る限り野良犬というわけでもあるまい。


雪乃「 ……… そう、この子も迷子、なのね」

迷子の仔犬の姿が今の自分の境遇と重なりでもしたのか、複雑な表情を浮かべてしんみりと呟く。どうやら警戒レベルも少しだけ下がったようだ。

725 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:17:49.85 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「そういやこないだ、お前の姉ちゃん、犬を飼うみたいなこと言ってたぞ?」

先日ミスドで出くわした折に陽乃さんと交わした会話を思い出す。

雪乃「昨日の晩も、あの後、部屋に帰ってからお酒を飲みながらそんな話をしていたわ」

言いながら小さく肩を竦めて見せる。

八幡「 …… まだ飲んでたのかよ」

つか、よく考えたらあのひとまだ未成年だろ。お酒は夫婦かハタチになってからって、学校で習わなかったのかよ。

雪乃「姉さんはいつもそう。私の嫌がることばかりするの」

拗ねたように恨みごとを口にする。

八幡「お前んちでも昔、犬飼ってたことがあったんだって?」

雪乃「 ……… 驚いた。そんな話までしたの?」

素で意外そうな顔をする。

一見サバけているようでいて実のところ本心では何を考えているのかわからないあのひとのことだ。
例え話の流れとはいえ、他人に対して自分のことを話すこと自体、そうそうあるものではないのかもしれない。

726 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:20:34.58 ID:Ls+QV4MJ0

八幡「だったらお前も今のうちに少し慣れといた方がいいんじゃねぇのか? どうせ家に帰ったら嫌でも顔を合わせることになるんだし」

雪乃「それはそう ……… なのかも知れないけれど」

その様子からすると、どうやらまだ及び腰のようだ。

八幡「まだ …… 恐いのか?」

雪乃「こ、恐くないんかないわ」

少しばかりむっとした様子で応じる。
陽乃さんから色々と事情を聴いている俺としては気を遣って言ったつもりだったのだが、雪ノ下の方はどうやらそれを挑発と受け取ったらしい。


雪乃「で、でも、ただ、ちょっと、なんていうか、その …… か、咬んだりしないかしら?」

しかし威勢がよかったのは最初だけで、言葉尻にかけて次第に声が不安げに窄まる。


八幡「大丈夫だろ、多分。―――― いや、よく知らんけど」

俺の言葉に、そっと伸ばしかけていた手がぴたりと止まる。


雪乃「 ……… あなたって、こんな時にまで随分と無責任なことを言うのね」

727 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:22:38.58 ID:Ls+QV4MJ0

呆れたように小さく首を振りながら、それでも彼女自身も何かしら思うところでもあったのか、覚悟を決めるかのような吐息をひとつ漏らし、おずおずと、いや、明らかに恐る恐るといった態で仔犬に向けて再び手を伸ばす ――― と、


雪乃「ひゃうっ!?」


ぺろりと指先を舐められた雪ノ下が手を引っ込めながら、すっとんきょうな声を上げる。

八幡「って、お前いったいどっから声出してんだよ?!」

雪乃「し、仕方ないじゃない。びっくりしたのだから」

だが、戸惑いながらも先程よりも幾分落ち着いた様子でそっと頭に手をやり、仔犬の方も今度は大人しくされるがままになっている。

728 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:26:49.91 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ―――― 昔、姉さんとふたりでお父さんにおねだりして仔犬を買ってもらったことがあったの」

犬の頭をそっと撫でながら、遠い目で、独り言のようにぽつぽつと語り出す。

雪乃「でも、その子が私たちの見ている目の前で車に轢かれてしまって……」

その話なら姉のんからも聞いていたが、敢えて口を挟むような野暮な真似はせず、黙って耳を傾けながら頷いて見せる。


八幡「ショック、だったんだろうな」

まるで初めて聞きでもしたかのように相槌をうつ。

雪乃「ええ。もちろん私もショックだったのだけれど、姉さんたら、その仔犬抱いたまま、ずっと泣いてて。あんな姉さん、初めて見たわ」


……………… ん? 


ちょっと待て。何か俺の聞いた話と若干食い違うような?

729 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:30:37.78 ID:Ls+QV4MJ0

雪乃「 ……… どうかしたの?」

思わず反応してしまう俺に、雪ノ下が怪訝そうな表情を浮かべる。

八幡「え、あ、いや、それって ……」


ン・ヴヴヴヴ、ン・ヴヴヴヴ ……


と、ちょうどその時、間の悪いことに俺のポケットでスマホのバイブ音が響き始めた。

どうせまたいつものダイレクトメールか何かだろ、と、そのまま放置しておいたのだが、なかなか鳴り止む気配を見せない。

八幡「すまん、ちょっといいか?」

スマホに気をとられるあまり、返事を聞かないうちに雪ノ下に仔犬を押し付ける。

雪乃「え? や? ちょ、ちょっと、あ、あの、ひ、比企谷くん?」

手にした仔犬を明らかに持て余し、わたわたと慌てる雪ノ下を他所に、未だ鳴り続けるスマホを取り出して着信画面を見ると、――― そこには“由比ヶ浜”の文字。

そういえば雪ノ下がスマホの電源は切られたままだったはずだ。
ということは、多分、連絡が取れない事を心配するあまり、由比ヶ浜は迂回して俺のところに電話をしてきた、といったところなのだろう。

出るべきものかどうなのか、それ以前に着信相手が由比ヶ浜であることを知られていいものか逡巡しながら、そっと雪ノ下の顔を窺う。


雪乃「もしかして、……… 由比ヶ浜さん ………?」

俺の様子を見て何かしら察したのだろう。やはりというかなんというか、勘が鋭い。


八幡「 ……… うん、まぁ、そうだな」

ここで嘘をついても彼女に通じるとも思えない。素直に告げる。その間もスマホのバイブは鳴りっぱなしだ。


雪乃「出なくて、……… いいの?」

八幡「 ……… 今は、いいだろ」


ふたりの間に落ちた沈黙とは対照的に、スマホのバイブ音だけが、まるで責めるかのようにやけに大きく鳴り響く。

やがて、その音も唐突に途絶え、後には息苦しくなるような重い沈黙だけが残された。

730 :1 [sage]:2020/03/31(火) 11:32:36.64 ID:Ls+QV4MJ0

それでは、本日はこれにて。ノジ
731 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/01(水) 19:00:03.93 ID:YIqytHJ70
乙です。
732 :1 [sage]:2020/04/05(日) 09:48:05.75 ID:f0RhZ2+m0

ちょっとだけ更新のついでにちょっとだけ訂正。辻褄が合わんかったぞなもし。

>>727 1行目

呆れたように小さく首を振りながら、それでも彼女自身も何かしら思うところでもあったのか、覚悟を決めるかのような吐息をひとつ漏らし、おずおずと、いや、明らかに恐る恐るといった態で仔犬に向けて再び手を伸ばす ――― と、

              ↓

呆れたように小さく首を振りながら、それでも彼女自身も何かしら思うところでもあったのか、覚悟を決めるかのような吐息をひとつ漏らし、おずおずと、いや、明らかに恐る恐るといった態で、俺の抱き上げた仔犬の頭に向けて再び手を伸ばす ――― と、

733 :1 [sage]:2020/04/05(日) 09:50:02.12 ID:f0RhZ2+m0

あれほど怖がっていた仔犬を手にしたまま物思いに佇む雪ノ下の顔には隠しようのない翳りが浮かんでいた。

彼女が今、心に抱いているそれは、ここにこうして俺とふたりだけでいることに対する後ろめたさ、――― 罪の意識なのだろう。

普段は滅多に感情を面に露わにすることのない雪ノ下だが、今の俺にはその気持ちが手に取るようにわかる。

なぜならば俺もまた、ここに来るまで、そして、ここに来てからも彼女と同じ想いをずっと胸に抱え続けていたのだから。

同じような完璧超人でありながら雪ノ下にはあっても葉山にはない弱点、それは由比ヶ浜という存在である。

それは彼女がこれまで生きてきた十七年の人生の中で、唯一、心を許した友達だからこそのなのだろう。

そして、立場や形こそ違えど俺にとってもそれは同じだった。

734 :1 [sage]:2020/04/05(日) 09:56:41.68 ID:f0RhZ2+m0

―――――――――― 恋愛と友情。


本来は天秤にかけるようなものではなないはずのものなのに。

譲ったり、譲られたりする類のものではないはずなのに。

頭ではわかっていながらも、彼女のその誠実さと優しさが、たったひとりの友達の心を傷つけてまで自らの望みを叶えることを頑なに拒んでいた。

それがわかっていながらも、いや、わかっているからこそ、どうすることもできない俺がここにいる。

そんな自分の無力さ、不甲斐なさがいつになく――――― 腹立たしい。

しかもそれは、いずれこうなると薄々感づいていながらも見て見ぬふりを続け、いつの間にか袋小路に迷い込ませ、追い込んでしまった俺自身の責任でもあるのだ。

誰も傷つけることなく、誰ひとり傷つくことなく全てを丸く納める。そんなご都合主義な解決方法など、どこを探しても見つかりはしない。

例えここで全てを投げ出し、全てを忘れるとことにして逃げ出したとしても、それは近い将来必ず俺達三人の心に深い影を落とすことになるだろう。

735 :1 [sage]:2020/04/05(日) 10:00:25.22 ID:f0RhZ2+m0

雪ははらはらと静かに舞い降り、運命の瞬間は刻一亥と迫りつつあるのが分かった。

振る雪は止まらない。決して時間が止まらないように。


やがて、彼女は浅く噛みしめていた美しい唇を解く。


雪乃「 ……… 今日、あなたに会えて本当に良かったわ」

努めて明るい口調だが、そこには惜別の悲しみが滲む。


雪乃「 ……… あなたに対する気持ちは本当よ。それは決して嘘ではないの」

こみあげてくる何かを無理やり飲み下し、震え声で絞り出すように一語一語をはっきりと告げる。

全てを聞くまでもなく、彼女が何を言わんとしているか察した俺の胸の奥で何かが押し潰され、外気の寒さとは違う理由で身体が震え始める。


雪乃「 ――― でも、」


やめてくれ。それ以上は何も聞きたくない。頼むからその先は言わないでくれ。


雪乃「それでも私は、やはり友達を ――― 由比ヶ浜さんの気持ちを裏切ることはできない」


深い悲しみと、それ以上に固い意思の宿るその瞳を見た瞬間、どれほど言葉を尽くしたところで彼女の決意を覆すことなどできはしないと悟っていた。

736 :1 [sage]:2020/04/05(日) 10:02:00.22 ID:f0RhZ2+m0

ではでは。ノジ
737 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/05(日) 10:07:27.83 ID:fn/kz9Nu0
乙です。
738 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:19:28.00 ID:Qd5hvHO10

ぽっかりと空いた胸の穴に冷たい空気が流れ込む。

こうなるであろうことはある程度予期していたはずなのだが、いざそれが現実と重なると思考に感情がうまく追いつかない。

失意のあまりその場に立ち尽くす俺の耳に、どこか遠くで誰かを、或いは何かを呼ぶような声が聴こえた気がした。

男なのか女なのか、子供なのか大人なのか。もしかしたら空耳だったのかも知れない。それに今はそんなことはどうでも ――――

だが、それまで大人しく雪ノ下の腕に抱かれたままだった仔犬の垂れ耳がぴくりと動き、もたげた首をあらぬ方向へと巡らす。

そして次の瞬間、いきなり小さな身体をめいっぱいくねらせ彼女の腕から抜け出たかと思うと、短い脚を目いっぱい動かしながら一目散に走り出した。


雪乃「 ――――― え?」


咄嗟の事に何の反応もできず、言葉を喪ったまま茫然と仔犬の走る姿を目だけで追う ―――― と、

間の悪いことに、ロータリーの周辺に植えられた街路樹の陰、ちょうど俺達の死角になる位置から、音もなく一台の車が滑るように侵入してきた。

739 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:21:49.62 ID:Qd5hvHO10


―――――――――― マズい。



考えるより早く体が動く。


ヘッドライトに照らされ驚きのあまり車道の真ん中で竦む仔犬に覆い被さるように抱きかかえ、そのままの勢いでつんのめるようにして反対側まで走り抜けた後、足が縺れて無様にすっ転んだ。

冷たいアスファルトの感触、空気を切り裂くブレーキの音、目まぐるしく回転する景色、網膜に焼き付く眩いばかりのライトの輝きが、時系列をまるで無視して立て続けに俺の脳裏に混然一体となって押し寄せる。


そして、一瞬の後に訪れた静寂の中で、俺は泥まみれ擦り傷だらけになりながらも、なんとか自力で身体を起こすことができた。

740 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:23:18.72 ID:Qd5hvHO10

普段の運動不足が祟ったのだろう。急激な動きに耐えかねた身体の節々は悲鳴を上げてはいるものの、幸いなことに仔犬も自分も大した怪我はなさそうだ。

車の運転手にどやされる覚悟でいたが、一度止まった車は再びゆっくりと動き出し、申し訳程度に小さくクラクションをひとつ鳴らすと、そのまま俺の脇をのろのろと通り過ぎて行ってしまった。

スモークガラスのせいで車内の様子を窺うことはできなかったが、こちらに向けて注がれる視線のようなものを感じた気がした。

741 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:25:55.28 ID:Qd5hvHO10

とりあえずは大事に至らず安堵の溜息を漏らす。

余程驚いたのか、腕の中で身じろぎもしなかったが仔犬も、甘えるように小さく鼻を鳴らすとぺろりと俺の顔を舐め上げた。


八幡「 ……… ほらよ」

苦笑しながら仔犬を地面に下すと、小さな尻を振り振り先ほどの声のしたであろう方向にそのままとことこと駆け去ってしまった。


ふと目を向ければ車道の反対側で、蒼白な表情を浮かべ手で口を覆った姿で固まっている雪ノ下に気が付く。

照れ隠しに軽く手を挙げて無事を伝えると、まるで何かの魔法でも解けたかのように、こちらに向けて小走りで駆け寄って来る彼女の姿が見えた。

742 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:27:36.37 ID:Qd5hvHO10

 ぱんっ


八幡「 ―――――― てっ!?」


服についた汚れを払い、立ち上ろうとするや否や、いきなり左頬を張られた。

訳が分からず、頬を押さえつつも、ただただ茫然として俺を叩いた雪ノ下の顔を見つめてしまう。


 バキッ


八幡「あがっ」


今度は左のフック。しかも腰の入ったいいパンチ。恐らくは世界を狙えるまである。

もしかしたら車に跳ねられた方がまだマシだったかもしれない。

っていうか、二度もぶった!? オヤジにもぶたれたことないのに!?


743 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:29:01.43 ID:Qd5hvHO10

八幡「って、ちょっ、おまっ、女がグーで殴るかよフツウ!?」

俺の抗議する声も聞かず、雪ノ下がたて続けに殴ってこようとするのを見て、咄嗟にその細い手首を掴んで止める。

単純な腕力のみに限って言えば、男である俺の方が強いはずだ。

だが、それでも雪ノ下は腕を掴まれたまま全力で抗い、その動きを止めようとしない。


………… やばい。なんかフツウに力負けしそうなんですけど。

744 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:31:38.60 ID:Qd5hvHO10

八幡「いい加減に ……… 」

さすがに堪りかねて声を荒げると、雪ノ下は俺の手を振り解き、今度はまるで子供のように握った拳で俺の胸を叩き始めた。


雪乃「 …… て …… は」

身の内から溢れ出る何かに耐え切れないないかのように意味を為さない言葉を漏らすが、顔を伏せているせいでその表情までは見えない。


雪乃「 ………… どうして、あなたは、いつも、そうやって」

いつもは冷静沈着な雪ノ下のここまで取り乱した姿を見るのが初めてだったせいもあり、驚きのあまりされるがままになってしまう。

雪乃「平気で自分を …… 傷つけようとするの …… 私の …… 気持ちも …… 知ら …… ない …… で …… 」

顔を俯けたまま、しゃくり上げながら途切れ途切れに言葉を継ぐ。その形の良い頤から伝い落ちるのは、溶けた雪の滴 …… ではないのだろう。

745 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:34:54.33 ID:Qd5hvHO10

雪乃「 ……… どうして? どうしてなの? あなたはどうして ………」

まるで幼子のように同じ問いを何度も投げかける雪ノ下に、


八幡「 ………… それは、多分、俺が俺だからだろ」

俺は無意識のうちに、呟きで答える。


恐らく、彼女の聞きたい答えは別にあったのだろう。俺の言うべき言葉も他にあったのだろう。

だが、俺にはそれに応える術がない。

ずっと答えを出す事を先延ばしにしていたのは俺なのだから。変化を恐れて逃げていたのも俺なのだから。

できればふたりとは今までのような関係でいたい。しかし、今となってはそれも叶わぬ夢なのだろう。

だとしたら、例え三人の関係がこれで終わってしまうにしても、せめてこれ以上ふたりを悲しませるような真似だけはしたくなかった。

この期に及んでなお、自分の気持ちを偽っているのは百も承知だ。嘘に嘘を重ねてきたせいで、いつの間にか自分でさえも真実が見えなくなる。

自分に対してだけは決して嘘はつかない。そう心に決めていたはずなのに。それはいったいなんのためだろうか。誰のためなのだろうか。

746 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:37:07.20 ID:Qd5hvHO10

雪乃「 ……… そうね。あなたはそういう人だものね」 

雪ノ下が諦めたように涙声で呟く。

雪乃「だから、だから私は ……… 」

そして、彼女は顔を上げ、涙で濡そぼってなお吸い込まれそうなほど美しい瞳で俺を真っすぐに見据えながらこう告げる。


雪乃「 ……… あなたのことが …… 大嫌い」


それは、俺の憧れであり、理想であるはずの雪ノ下の口から初めて聞く、―――― 自らの意思で吐いた“嘘”だった。

747 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:43:10.75 ID:Qd5hvHO10

雪はいつの間にか糸のように細く冷たい雨へと変わり、ふたりの上にぱらぱらと降り注ぐ。


八幡「 ………濡れちまうぞ 」

ともすれば、感情の波に呑まれて彼女の身体を掻き抱いてしまいそうになる気持ちに抗い、ゆっくりと引き離そうとする。

ここ数日、いや、それ以前からずっと悩み続けていたのだろう。元々線の細い雪ノ下だが、その肩は触れただけで折れてしまいそうなほど華奢だった。

八幡「それに、 ……… お前も汚れちまうだろ」

ひび割れ、掠れた他人のような声が俺の耳に届く。

嫌われ者は俺ひとりでいい。汚れ役も俺ひとりでいい。

誰かが汚れ役をやらねばならないなら、それが結果として大切な何か、かけがえのない誰かを守れるなら、本当の本物が守れるなら、俺が喜んでその役を引き受けよう。

そのためだったら俺はどんな犠牲だって払うし、どんな道化だって演じて見せる。

だからこそ、今の俺にできることといえば、せいぜい自分の気持ちに蓋をして、どちらも選ばないという選択肢しか思いつかなかった。

雪ノ下にこれ以上負い目を感じさせないため。彼女たちふたりの関係を守るために。


しかし、その一方で、俺の頭の片隅で覚めた声が囁きかけてくる。

だとしたら、もしそうなのだとしたら、俺の求めて続けてたいた"本物"とは一体何だったのだろうか、どこにあるのだろうか。


だが、雪ノ下がいやいやするかのように首を振り、そのまま俺の胸に顔を埋める。

そして、俺の自らに対する全ての問いかけを否定するかのように、くぐもった震え声が耳朶をうつ。



雪乃「もう、いいの。構わないわ …… あなたと一緒なら …… 」


748 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:44:00.75 ID:Qd5hvHO10



「 ―――――――――――― あらあら、文字通り濡れ場、ね」



749 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:46:14.51 ID:Qd5hvHO10

八幡&雪乃「 ――――――― ?!」


突如としてかけられた聞き慣れた声にふたりして愕然と振り向く。


「それにしても比企谷くんったら、うちの車に何か怨みでもあるのかしら?」


そこには、いつの間にか俺たちのすぐ傍らで、こちらに向けて傘を差し出しながら呆れ顔で立つ ―――― 陽乃さんの姿があった。

750 :1 [sage]:2020/04/06(月) 08:47:24.52 ID:Qd5hvHO10

では本日はこんなところで。ノジ
751 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/06(月) 12:14:10.06 ID:vEQ/4ijxO
乙です。
752 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:00:50.97 ID:dU5Rz+gv0


* * * * * * *


753 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:03:23.49 ID:dU5Rz+gv0


雪乃「 ―――――― お母さんに直接会って話をしようと思うの」


開口一番、雪ノ下が真っ直ぐに話を切り出した相手 ――― 陽乃さんがまるで至近距離から豆鉄砲食らった鳩、というか、陽電子砲を喰らった使徒みたいな顔になる。どんな顔だよ。

場所は雪ノ下が住むマンションのすぐ近くにある喫茶店。あの後、ここまで車で送ってくれたのも陽乃さんだ。

毎度のことながらいくらなんでもタイミングが良過ぎだろ、と思ったら案の定、道すがら本人の口から悪びれもせずに俺を囮に使ったと聞かされた。

雪ノ下が姿を消したと知れば必ず俺が探しに行き、そして十中八九見つけ出すであろうと予測した上でのことらしい。

買い被りもいいところなのだが、「事実そうなったでしょ?」と言われては、さすがに返す言葉もない。

それ以上突っ込んだ話はしなかったが、もしかしたら俺のスマホにもいつの間にか怪しげなマルウェアがインストールされているのかも知れない。

だとすれば必ず共犯者がいるはずだ。

一瞬、頭をコツンとやりながら、てへぺろしている小町の姿が頭に浮かんだ。

754 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:05:41.90 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「 ……… ふーん。いったいどういう風の吹き回し?」

陽乃さんがなぜか妹ではなく、隣に座る俺の顔をまじまじと見つめる。

陽乃「おやおや、もしかしたら、お赤飯でも炊いた方がいいのかな?」

からかうような露骨な言い回しに、思わず自分の顔が赤くなってしまうのがわかった。

雪乃「ふ、ふざけないで」///

雪ノ下が姉に向けてぴしゃりと言い放つが、その頬もまた赤く染まっているせいか迫力は半減以下だ。


陽乃「別にふざけてなんかいやしないわよ。それにしても、まさか雪乃ちゃんに先を越されるとはねぇ」

やれやれ、と軽く肩を竦め、深々とした溜息混じりに呟いたかと思うと、


陽乃「 ……… やっぱりあの時、ひと思いに押し倒してしまえばよかったかしら」

聞こえよがしにぼそりと不穏なセリフを付け加える。

雪乃「 ……… あの時?」

雪ノ下がきょとんとした表情を浮かべ、次いで突き刺すような視線で俺を睨み付ける。おいよせやめろこっち見んな。

思い当たる節があり過ぎるほどある俺は反射的に顔を背けてその視線から逃れようとはしたものの、


八幡「 ……… ってっ!」

何か言う代わりに思いっ切り太ももをつねられてしまった。しかも姉と同じ場所。姉妹揃って手加減なし。絶対、痣になってんぞこれ。

755 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:07:26.33 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「 ……… ま、いいわ。帰ったら、ひとまず“あなた達”がお母さんと会えるように私の方でセッティングしといてあげる」

突然の思いも寄らない申し出に、ふたりしてまるでキツネにつままれたような顔を見合わせてしまう。

しかも“あなた達”と口にしているのを聞く限り、どうやら俺達の意図は正確に見抜かれていたらしい。

雪ノ下ひとりなら母親に会うためにわざわざアポなどとる必要はない。だが、どこの馬の骨ともわからぬ男が一緒となれば話は別だ。

いきなり押し掛けたところで門前払いされるのは目に見えているし、かといって彼女ひとりに全てを任せるわけにはいかない。

勝ち目があるなしに関わらず、これは俺の責任でもあるのだから。

756 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:08:31.05 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「 ――― ただし、ひとつだけ条件があるわ」

そう言って、陽乃さんが、なんとも形容し難い笑みを浮かべて妹と俺の顔を交互に見る。

そらきた、とばかりに身構える俺達に、蠱惑的な笑みを更に深くしながら涼し気に言葉を継ぐ。


陽乃「その時は私も同席させてもらうってことで、どう?」

雪ノ下が面食らったような表情を浮かべ、次いで何かを探るかのようにまじまじと姉の顔を見つめていたが、やがて、どうかしら、とばかりに俺に目で問うてきた。

757 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:11:47.56 ID:dU5Rz+gv0

八幡「なぜ ――― ですか?」


当然の質問だ。相手は俺達を合わせたよりも更に一枚も二枚も上手な陽乃さんだ。

それにこのひとの性格からして、ただの好意だけでそんなことを言い出すはずもない。


陽乃「 ――― あら、だって面白そうじゃない」

聞いたところで素直に答えてくれるとも思わなかったが、意外にもあっけらかんとした表情で至極あっさりと言ってのける。しかも面白そうて。

どうやらこの女性(ひと)にとっては、これもまた座興のひとつに過ぎないということなのだろう。相変わらずまるで掴みどころがない人である。

しかし、一緒にいたところで助けになるとは決して思えないが、かといってあの母親のいる手前、いつものように悪戯に引っ掻き回すような真似もできまい。

それでも姉の真意が掴めず態度を決めかねているらしい雪ノ下に黙って頷いて見せると、


雪乃「 ――― わかったわ」

深く濃い諦観の滲んだ溜息をひとつ吐き、渋々といった感じで姉の出す条件に応じる。

その時の陽乃さんの顔に浮かんだ何やら怪しげな笑みが少しばかり気にかかったものの、とりあえず今は肯(よし)とするしか他に方法はなかった。

758 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:13:49.32 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「ところで、私は今日はもう家に帰るつもりなんだけど、あなたたち、――― 」

交渉は終わり、とばかりに席を立つ陽乃さんが、テーブル越しに乗り出すようにして俺たちに顔を寄せ、いつになく真面目な口調で切り出す。


八幡&雪乃「 ―――― ?」 


陽乃「まだ高校生なんだから、ちゃんとヒニンくらいはした方がいいわよ?」

言いながら左手の人差し指と親指で作った輪に、右手の人差し指をすこすこと出し入れする仕草をする。


八幡&雪乃「し・ま・せ・ん !」


陽乃「あら、しないの? ま、大胆!」


口に手を当て、大袈裟に驚いた素振りが超わざとらしい。


八幡&雪乃「 ……… だから」「 ……… そうじゃなくて」


頭痛と眩暈を一緒くたに覚え、思わずふたりしてこめかみを手で押さえてしまう。

759 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:15:13.65 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「ま、もっとも例えあなたたちがいくら既成事実を作ったところで、それだけでお母さんを説得することは不可能なんだけどね」


八幡「 …… どういう …… 意味ですか?」

既成事実云々はともかく、何かしら含みのあるそのセリフを聞き咎め、思わず問うてしまった俺に、

陽乃「わからない? 例えキズモノでもコブツキでも構わないから雪ノ下(うち)とお近づきになりたいって考えている輩は掃いて捨てるほどいるってことよ」

まるで出来の悪いに生徒に接する教師の如く懇々と諭す。

なるほど。県内有数の建築会社を経営し、県議会議員も輩出した“雪ノ下”の看板には当然それだけの価値がある、という意味なのだろう。


760 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:16:40.89 ID:dU5Rz+gv0

陽乃「 ――― ああ、それと」

雪乃「まだ何かあるの?」

いささか棘と倦怠の器用に混じりあった妹の口調を気にも留めず、あねのんが俺に向けて話しかける。


陽乃「この場合、もうひとり役者が必要ね」

そう言って、そうでしょ? とばかりに俺の目を真っすぐ覗き込む。どうやら考えていることは同じらしい。


雪乃「 ――― もうひとり?」

訝し気な顔をする雪ノ下にも聞こえるように、俺はきっぱりと断言する。


八幡「ああ。今回の件については、もうひとり同席してもらうつもりだ」

もし、イヤだとぬかそうものなら、無理やりにでも引っ張り出すつもりだった。

761 :1 [sage]:2020/04/07(火) 21:17:20.15 ID:dU5Rz+gv0

短いですが、本日はこれにて。ノジ
762 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:06:47.31 ID:u2V0dNLU0


* * * * * * *

763 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:09:13.82 ID:u2V0dNLU0

店を出て陽乃さんが立ち去ると、残されたふたりの間には先程とはまた違った意味での何やら不自然で、少しばかりそわそわするような沈黙が落ちた。

雪は積もるほど降る前に雨へと変わり、それすらもいつの間にか上がってしまったようで、濡れた路面が街灯を受けて黒々とした光を放つ以外、その痕跡すら残っていない。


雪乃「 ――― 結局、私の家の事情にあなたまで巻き込むことになってしまったわね」

俺の傍らに立つ雪ノ下が申し訳なさそうに呟く。

八幡「 ……… いや、まぁ、あれは俺が勝手に言い出したことだからな」

事前にふたりで示し合わせていたというわけでもないのだが、雪ノ下もあの場で異を唱えるようなことはしなかったのだから、事後承諾みたいなものだろう。

成り行きとはいえ乗りかかった舟だ。既に腹は括っていた。それに策も ――― ないこともない。


764 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:12:55.50 ID:u2V0dNLU0

八幡「さて、明日は学校だし、俺もそろそろ …… 」

昨日今日と急な展開で疲れ果てていたし、ラスボス戦に向けて今のうちに英気を養っておく必要もある。

多少、後ろ髪を引かれる思いはしたが、それでも努めてさりげない風を装いながら駅の方角に向けて歩き出そうとすると、


雪乃「 ―――――― お待ちなさい」 


いきなり雪ノ下に引き止められてしまう。

雪乃「 ……… 服、濡れたままじゃない。その格好で帰るつもり? 風邪を曳くわよ」

八幡「や、ほら、水も滴(したた)るいい男って言うだろ? それに、俺にとっては濡れ衣を着せられるのだって毎度のことだからな」 

言った途端にクシャミが出てしまう。


雪乃「ほらごらんなさい。言わないことじゃない。大丈夫?」

いつになく優しく気遣うような態度に、俺としてもどう反応していいものか困ってしまう。

八幡「や、心配すんなって。 これくらいで風邪曳くほど ―――

雪乃「そうではなくて、私に感染(うつ)らないかって意味で聞いたのだけれど?」

八幡「 ……………… ああ、そうだろうよ」


雪ノ下がくすりと笑い、俺の口の端も自然に綻ぶ。

まだ少しぎこちないものがあるが、それもおいおい慣れるだろう。手探りで距離を確認しながら、ゆっくりと縮めていけばいい。

互いの事など何も知らずにただただ反発しあっていたあの頃に比べれば、それは遥かに容易(たやす)いことのようにさえ思えた。


765 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:16:53.15 ID:u2V0dNLU0

雪乃「 ……… 私の家、すぐそこだし、乾燥機もあるから少し寄っていったら?」

雪ノ下が目を伏せながら、それとなく申し出る。

八幡「あ、や、さすがにそれは ……… 」

わざわざ時刻を確認するまでもなく、世間一般の常識に照らし合わせても、男がひとり暮らしの女性の部屋を訪れていい時間帯ではなくなっていた。

いつぞやのように管理人に見咎められる危険性もさることながら、それ以上に陽乃さんが余計なことを言ったせいで、実は先ほどから変に意識してしまっているのは思春期全力真っ盛りのどうも俺です。

だが、途中で邪魔が入ったお陰で色々と中途半端な状態になってしまったこともあり、このままでは何やら決まりが悪いのも確かだ。

ちらりと様子を窺えば、雪ノ下がそわそわと俺の返事を待っているのがわかった。

766 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:28:15.36 ID:u2V0dNLU0

仕方なく、照れ隠しに頭をガシガシと掻きながら口を開く。


八幡「 ……… あー…、そういやさっき、お前、自分が本物じゃないみたいなこと言ってたけど ……… 」

雪乃「 ………そうね。残念だけれど、私はあなたの求めている本物には程遠いわ」

目を伏せたまま肯い、その黒い髪と白い息をさらうようにして冷たい風が吹き抜ける。


八幡「 …………… だったら、俺は本物なんていらない」


俺の言葉に、雪ノ下が驚いたように目を瞠る。そして俺はそんな彼女を真っすぐに見つめながら続けた。


八幡「 ……… 例え本物でなくても、俺は、お前が欲しい」


今ならはっきりとわかる。俺が欲しかったのは本物ではない。
いや、そうではない。例え完璧でなくとも、あるがままの雪ノ下こそが俺にとっての唯一無二の“本物”だったのだ。

もし俺の理想であり、憧れでもある雪ノ下が本物ではないのだとしたら、俺の求める本物など、この世界のどこを探しても存在しないということになってしまうのだから。

767 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:31:44.35 ID:u2V0dNLU0

雪ノ下が俺から目を逸らし、夜目にも明らかに寒さとは違う理由で頬が朱を帯びる。もじもじと身を捩るその仕草が普段の凛とした姿のギャップと相俟って妙に可愛らしい。


雪乃「………… あの、それって ………… もしかして、今すぐってことかしら?」


八幡「 ………… ん?」


想定外の返事に、今、自分が口にしたセリフを脳内再生し、すぐにあらぬ誤解を抱かせてしまった事に気が付いた。

八幡「あ、や、違っ、そうじゃなくて、今のはアレだ、なに、その、言い方に語弊があったっていうか言葉の綾波レイっていうか?」 

何だよそのヱヴァ〇ゲリオン。


雪乃「でも、ごめんなさい。私、今までそういう経験がないものだから何の準備もしてなくって。だから、その …… 急に言われても、困るというか …… 」

雪ノ下が真っ赤になりながらわたわたと言葉を連ねる。しかもどさくさに紛れてなんか凄いことカミングアウトしてるし。

768 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:33:20.87 ID:u2V0dNLU0

どうやら俺の不用意な発言のせいで雪ノ下に変なスイッチが入ってしまったらしい。

恐らく彼女の言う“準備”とは、陽乃さんが口にしていたアレのことなのだろう。
こいつってば、そっち方面の免疫とかまるでないくせに、知識だけはやたらと豊富だからな。

っていうか、いくらなんでも色々すっ飛ばして性急過ぎるでしょ。それこそ性的な意味で。
そういうのはちゃんとした段階を踏んでするもんだろ? そうだな、とりあえず先ずは交換日記あたりから? なにそれどこの昭和だよ。

769 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:35:50.31 ID:u2V0dNLU0

それに、例え俺にそんなつもりがあったにしても、当然のことながらそんなものを都合よく持ち合わせているわけがない。

いざとなれば近くのコンビニで買うという選択肢もあるのだろうが、いくら年齢確認が不要とはいえ俺のような健全な高校生にはあまりにもハードルが高過ぎる。

しかも、もし、レジの店員さんが若い女性だったりなんかした日には、難易度ドン、更に倍、で巨泉さん並みの倍率のミッション・インポッシブルだ。

770 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:40:37.71 ID:u2V0dNLU0


〜♪♪〜♪〜♪〜♪〜♪ 〜♪♪〜♪〜♪〜♪〜♪


そんな事を考えながらひとり勝手にテンパっていると、不意にどこからか耳慣れた曲が流れてきた。

既にスマホの電源を入れ直していたのだろう、音の出所は雪ノ下のスマホからだ。


―――――――― もしかして、由比ヶ浜?


同じことを考えていたのか、雪ノ下に緊張が走る。

だが、スマホの着信画面に目を走らせた顔に、たちまち安堵の表情が広がるのが見えた。

771 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:42:36.47 ID:u2V0dNLU0


雪乃「 ………… 何かしら?」


通話モードにするや否や、そのあからさまに突慳貪(つっけんどん)な、それこそまるで赤穂の特産品みたいな塩対応からして、どうやら相手は先ほど別れたばかりのあねのんのようだった。


「 ―――― ○%×$★♭♯▼!」


漏れてくる声は俺にも聞こえるが、何を言ってるのかまではさっぱりわからない。何か言い忘れた事でもあったのか、それとも ―――――


「 ―――― ◆%×☆$、♭♯▲!※%△♯?%÷&@□、■&○%$■☆♭*!:」


雪乃「 ………… え?」 雪ノ下の顔色が変わる。


「 ―――― ※%△♯?%★$♭♯▲÷&@□」


雪乃「なっ? い、いつの間にっ?! ちょっ、姉さん?!」

 
「 ―――― ●%△♯?%◎★&@□!」


唖然としながらまじまじとスマホの画面を見る様子からして、一方的に言いたい事だけ言ってそのまま切ってしまったに違いない。
いかにもジーニアスハイテンションにしてゴーイングマイペースなあの人らしい。


772 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:46:08.02 ID:u2V0dNLU0

八幡「姉ちゃんから、 ……… か?」

雪ノ下が無言でこくんと頷く。

八幡「んで、 ……… なんだって?」

何も答えないところを見る限り、急に気が変わった、とかそんなところなのだろうか。

例えもしそうだとしても、それならそれで仕方あるまい。多少遠回りになるかも知れないが、ははのんに会うためには何か別の方法を考えればいいだけだ。

いずれにせよ、今日はもう遅い。この件については改めて仕切り直しということになるのだろう。

残念なような、それでいて少しほっとしたような複雑な心境だった。

773 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:50:37.91 ID:u2V0dNLU0

雪乃「 ……… 違うの。そうじゃなくて」


俺の考えを察したらしい雪ノ下が、逸らせた視線を昏いアスファルトに落としたたまま、ふるふると首を振る。


雪乃「 ……… 姉さんが」

八幡「姉ちゃんがどうかしたのか?」


よほど言いにくいことなのだろう。何を言われたものか先程より更に朱を深くし、しかもよく見れば少しばかり涙目になってる。

そしてそのまま待つこと暫し、やがて消え入りそうなほど小さな声で続ける。



雪乃「 ………… リビングの引き出しに入れてあるから、ちゃんと使いなさい ……… って」

774 :1 [sage]:2020/04/17(金) 09:52:15.09 ID:u2V0dNLU0

ではでは。ノジ
775 :1 [sage]:2020/04/18(土) 22:24:14.59 ID:+7z8dsQm0


* * * * * * *

776 :1 [sage]:2020/04/18(土) 22:27:31.49 ID:+7z8dsQm0

胸の上に何やら圧を感じて目を覚ます。

冬になると、いつの間にかカマクラが俺の上で丸くなって寝ている、ちょうどあんな感じだ。

夢現で目を薄く開けると、窓から差し込む淡い光に照らされ、染み一つないまっさらな白い天井が視界に広がっていた。

俺の部屋のものではない、見慣れない天井だ。

互いの家に泊まりに行くような仲のよい友達のいなかった俺としては、自分の部屋以外で目覚めることなど滅多にない。

だが、まるで馴染みのないはずのその白さにはどこかしら既視感があった ――――― 病院だ。

って、もしかして夢オチ? もしかして俺、また車に撥ねられちゃったとか? つか、我ながら真っ先に思いつくのがそこかよ。

やがて意識に記憶が追い付いてくると、糊の効いたシーツのたてるさらさらという衣擦れの音、肩にかかるすやすやと心地よさそうな寝息に気がつく。


――――― 胸の上に乗っているのはふてぶてしい猫などではなく、細くたおやかな白い腕。


時折、彼女がもぞもぞと動くと、ベッドのスプリングが僅かに軋む音がする。

掌には柔らく滑らかな感触、耳許には甘い吐息が鮮明に残っていた。

そして俺は深々と溜息をつきながら、自問自答する。


ちょっと乾燥機借りる間だけだったはずなのが、なぜこうなってしまったのだろうか。

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