青葉「けしの花びら、さえずるひばり。」

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75 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/26(水) 03:55:10.81 ID:H6gDLKu+O

『司令官!今日も一日お疲れ様でした!』

あれから青葉は、彼にこまめに連絡を入れるようになりました。
長々とやり取りする訳ではありませんが…お仕事の後や顔を出せない日でも、気持ちだけでも近くにいるって思ってもらえるように。

あの日まで、髪留めは結構ローテーションをしてたんです。
でも今はいつ会っても大丈夫なように、プレゼントしてもらったものを毎日着けています。
…そうでなくとも、毎日着けますけどね。大切な人からもらったものですから。

“でも司令官、あの人の事は確かに引きずってないよね…青葉の気にしすぎかなぁ。”

司令官の過去もですけど…色々分かる中で、最近特に気掛かりになっていたのは、やはり扶桑さんの事。

記者としては褒められたものでは無いのですが、勘という奴でしょうか。
振られたのは彼ですが、思い返すと扶桑さんの方が未練があるように感じていたんです。
何か、振らざるを得ないような理由があったような気がして。

だって彼女は、開戦前の彼と付き合っていたのですから。
彼の学生時代の話を聞く限り…もしかしたら、変化に耐え切れなくなってしまったのかもしれません。

司令官の手首の原因は、多分この戦争そのもので。
扶桑さんはむしろ、あの事に傷付いている側なのかも。
だとしたら…見放してしまう気持ちは、少しだけ分かる気がします。

……青葉は彼がどんなものを抱えていても、絶対に離れたりしませんけど。

76 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/26(水) 03:56:31.11 ID:H6gDLKu+O
あ…ううん、ダメダメ!こんな事考えちゃ。

女だからなのか、青葉だからなのかもう分かりませんけど。
彼と距離が近付いた手応えを得るたび、ふと湧いてくるものがあるんです。


独占欲とか嫉妬とか、そういう類が。


この前なんて、駆逐の子が司令官にじゃれてるだけで、ちょっとむっとしちゃって…。

昔元カレに浮気された時だって、泣いて怒って仕返しして、後ははいバイバイ!綺麗さっぱり!って感じだったのに。
いつからこんな嫌な女になっちゃったんでしょう。

…大体、まだ付き合ってすらないし。
77 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/26(水) 03:58:14.67 ID:H6gDLKu+O
『今日もありがとう、明日もよろしくね。』

返信はこれだけで、それでも充分嬉しいんですけど。もっと話したいなぁ…って、日増しに思っちゃいます。
出来れば連絡じゃなくて、毎日直接話したい。
週4〜5で直で話してるんだから、満足しなよって話なんですけど。

ご飯連れてってもらったり、髪留めもらったり…もらってばっかりだなぁ…。
もっとこう、司令官の為にできる事、ないかなぁ…。

色々と彼について考え事をする時間は、悶々としつつも、何処か楽しみな時間にもなっていました。
こんな時間ですら、なんだかんだで幸せだなぁなんて。

机に置いたデジタルのフォトフレームには、ランダムでこの前の写真が流れていて。
それは青葉にとっては、宝箱を開けるみたいで。

“でも青葉『だけ』しか、この瞬間は知らないんだよね…。
司令官…青葉はいつでも、あなたを見てますよ。”

そうやって悦に入りながら、ずっとそれを眺めていました。


ちらりと写真に写った、彼の腕時計の陰にあるものすら愛おしく思いながら。

78 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/26(水) 03:58:40.57 ID:H6gDLKu+O
今回はここまで。
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/27(木) 20:30:40.44 ID:PxnMxN2p0
青葉舞い上がってるなあ
ひばりって太陽に向かってさえずりながら垂直に昇っていって力尽きたようにポトッと落ちてくるんだよな、今後が怖い
80 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/30(日) 05:13:05.60 ID:zE7UP0Tu0
一人称を『私』じゃなくて『青葉』と呼ぶのは、艦娘でいる間は、周りに覚えてもらいやすいようにって思ったからです。
本名じゃどこのどいつだってなっちゃうし、私でも分かりにくいかなって。

そんな『青葉』が、ただの『私』だった頃の話をしましょう。

2年ぐらい前ですかねぇ、付き合ってた人がいたんですよ。
人当たりの良い人だったのですけど…あれはその相手と何度か一線を超えて、しばらく経った頃でしょうか。
連絡が、徐々に取れなくなって行ったんです。

取れても素っ気ないし、躱されてる気がして…まだその時は好きだったので、我慢してたんです。
でも、段々浮気じゃないかって思い始めて…ある日尾行をしたんですよ。

結果はと言えば、クロでした。

当時の『私』は新聞部で、先輩から尾行のコツを教わったりしてました。
まさかそれが、本当に役立つなんて思わなくて。

最初は家に逃げ帰って、押さえた証拠を見返しては泣いてました。
信じられなくて…妹か何かだなんて思い込もうとしたけど、場所が場所だけに、そんな訳もなく。

それでも必死に隠して、会いに行きました。
それで相手が丁度トイレに行った時、置きっ放しの携帯に通知が来たんです。

『お前ほんとゲスだな!__ちゃんかわいそうだわー、なんなら俺にちょうだいw』

それは相手の友達から来たもので、思いっきり『私』の名前が出ていました。
文面を見て、その前にどう言う会話をしてたのかすぐに理解して。

あいつは、初体験の相手だったんですよ。
でもそんな奴に奪われたのも、見抜けなかった自分も情けなくて、悔しくて…段々許せなくなってきて。
それで友達に相談したら、意外な答えが返ってきました。

「その子、中学の同級生だよ。」って。

最初は取られたんじゃないかって思って、確かめようと思ってその子の高校で待ち伏せしてたんです。
そしたらその子も、二股の事は知らなかったらしくて…意気投合した私達は、あいつに会いに行きました。
私とその子で、ワンツーパンチを決めましたねぇ。綺麗に吹っ飛びましたよ。

その子とは今でも仲が良くて、地元に帰ると必ず遊びます。
殴った瞬間『私』もその子も、元カレの事はどうでも良くなっちゃって。
…まあ、そんなありがちな話です。

え?何でこんな話をしてるのかって?

そうですねぇ…司令官の事を好きになったのは、その件以来の恋だったんですよ。

その男自体はどうでもよくなったんですけど、今思うと、無意識にトラウマになったのかもしれません。
司令官への感情を自覚してから、独占欲の類が当時より強くなった気がして。

でも…もう一つ心当たりがあるなら、そうですねぇ…彼の抱えていたものに、あてられてしまったのかもしれませんね。
それが『私』の場合は、独占欲って形で出たのかもしれません。

人から人へ伝染するものって、例えばウィルスだけだと思いますか?
物理的には、確かにそうなのでしょう。


目に見えないものも、中にはあるんでしょうけどね。


さて…話は鎮守府に戻ります。
ここからは、再び『青葉』としてお送り致しましょう。

81 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/30(日) 05:14:04.94 ID:zE7UP0Tu0
夜、青葉はいつものように執務室へ向かっていました。

でも内心は穏やかじゃありません。
秘書艦を終えて、部屋から連絡を入れたんですが…返ってこないんですよ。
これだけだとオーバーに見えそうですが、彼の場合は心配になる要因があって。

司令官はお仕事が終わっても、すぐには帰りません。
大体は、音楽を聴いて少し休んでから部屋に戻るんです。

青葉と雑談をしたり、連絡をくれるのはそう言う時間です。
ただ、今日は残務も無くて、なのにいつもは付く既読も無いまま。体調でも崩してないかって、心配になったんですよ。
ノックをしても、やっぱりいつもの返事は無し。
それでもうっすらと音楽は聴こえていて…いよいよ嫌な予感がして、急いでドアを開けました。

“司令官!?”

ソファに横になってるのを見た時、思わず駆け寄りました。
まさか病気じゃないかって思いましたが…どうやら、それは杞憂だったようです。

“ほ…よかったぁ、寝てるだけかぁ…。”

彼は少しお疲れだったようで、ソファで仮眠を取っていました。
どれどれ、寝顔を拝見…よかった、今日は前と違うみたい。
ふふ…でもこれってチャンスじゃないかなぁ。こんな顔、なかなか見れないよ。

例えば意中の人の寝姿を見たとして。
このまま眺めてたり、こっそり添い寝やキスをしちゃおっかなんて、こういう場面に遭遇すると思うものなのでしょう。
この時、確かにそう言う気持ちも抱きましたが…。


青葉が真っ先にした事は、部屋の鍵を閉める事でした。


82 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/30(日) 05:15:44.48 ID:zE7UP0Tu0
“……これで、誰も入れないよね。”

この時間に執務室を訪ねるのなんて、青葉しかいません。
それでも、鍵を閉めたかったんです。

だってそうしちゃえば、本当に二人きりじゃないですか?
誰も邪魔しない、彼の前には青葉しかいない世界。独り占め出来る機会なんて、こんな時ぐらいしかない。

ソファの端は、丁度青葉が座れるぐらいに空いていて。そこにこっそりと座ってみます。
ほんの少し手を動かすだけで、髪に触れそうな距離。
いつか手を掴んでもらった時よりも、この前街へ出た時よりも、今はもっともっと近くて。
起こさないようにそっと持ち上げて…自分の膝に、彼の頭を乗せてみました。

カメラは勿論持ってないし、携帯も出す必要はありません。
今、網膜と脳に刻まれているもの。それ以上に素敵に写す事なんて、きっと無理でしょうから。

眠る顔は、いつかの死体のような無表情じゃなく、人らしい穏やかなもので。
すうすうと寝息を立てる振動が、太腿越しに伝わって。それは青葉にとって心地いいものでした。

今はどんな夢を見ているんでしょう?
優しく髪を撫でて、そうすると心なしか表情が柔らかくなった気がして。

「司令官…青葉は、いつでもそばにいますからね…。」

深く眠る彼に、聞こえる訳もないのに。
こんな事を囁いていました。

83 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/30(日) 05:16:26.69 ID:zE7UP0Tu0
そうしてる内に、少しだけ彼が寝返りを打ちました。
青葉のお腹側に顔が向いて…服の裾を、少しだけ掴んで。
可愛い所もあるなぁ、なんて。

……この時間と出来事だけは、青葉だけのものです。
頭の中だけの、誰にも見せない秘密の記事ですから。

あ、時計、今は外してるんだ…目を逸らしちゃダメだよね…。
恐る恐る視線を左手に合わせると、ズタズタの手首が晒されていました。
初めて全容を見たけど…痛いなぁって。こっちの心まで痛くなりそうで。
手首に手を伸ばして、優しく傷を撫でて…一瞬だけ、彼の頬にキスをしました。

スピーカーから流れていたのは、あの曲で。
今は丁度曲の終わりで…天国の夢を、見ているんでしょうか?

天国旅行…そう、旅行、なんですよね…。
旅行だから、帰ってくる場所がある前提の事だから。死出の旅とは、帰るあての無い放浪とは違うはずで。
この曲を知ってから何度も聴いた、断末魔の悲鳴みたいなギターソロが鳴り響いて。
そこから、嘘みたいに穏やかなアウトロに繋がって。

やっぱり、人が死ぬ時の気持ちを想像してしまって。


青葉は覆い被さるように、彼の頭を胸に抱いていました。


84 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/30(日) 05:17:45.34 ID:zE7UP0Tu0
司令官…青葉の胸の中が、あなたにとっての天国じゃダメでしょうか?

ずっと触れたかった、抱きしめたかったはずの人は、いざ触れてもどこまでも遠くて。
泣いちゃダメだってわかってるけど、考える程に泣けてしまって。

だからその時は、当たり前の事が何処かに行っていたんです。
こんな事をされたら、大抵の人は起きてしまうって。

「…青葉か?」

「……はい…。」

その声色は、いつもと変わらなくて。
青葉が体をどけると、彼はすぐに起き上がって、こちらを見つめていました。

きっと今、青葉はひどい顔をしているでしょう。
みっともない泣き顔で、可愛げも何も無い姿で。
ましてや部下が、自分が寝ている間にこんな事をしていたなんて、幻滅されるかもしれない。

でも司令官は…


「……大丈夫だ、泣かないでいい。」


優しく、青葉の事を抱きしめてくれました。


「青葉…一体どうしたんだい?」

「司令官……。」

触れるべきか、触れないべきか。
この時はまだ、迷いがありました。

でも…もう、後になんて引けない。
だから青葉は、遂にあの事を訊くと決めたんです。


「……青葉、見ちゃいました。
司令官…その手首の傷は、どうしてなんですか?」


この時青葉は、また一つ真実への裂け目に手を伸ばしたのです。

裂け目から落ちる、真っ黒な滴。
ポタポタとこぼれる程度だったそれが、線を描いて漏れていたのはいつからだったのでしょう。

それが青葉の中も、次第に黒く侵食して行く事に目を背けたまま。



85 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/04/30(日) 05:18:12.74 ID:zE7UP0Tu0
今回はここまで。
86 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/02(火) 04:18:00.34 ID:UUDRFckKO
「……ああ、時計を外したままだったね。見せてしまったのか、すまない。」

まるで大した事でも無いように、彼はあの微笑でそう言い放ちました。
そんなズタズタの手首を、他人事みたいに…この時少しだけ、怒りすら覚えました。

どうしてそんなに、自分を大事に出来ないんだって。

「いえ…本当は少し前から知ってました。ベルトの裾から見えていて…。
司令官、教えてください…青葉はあなたの事を、もっと知りたいんです!」

「君が思う程、大した話じゃないよ。知ったら肩透かしを食らうかもしれない。」

「……それでも、いいんです。青葉にだけは、本当の事を教えてください…。」

「…そうだな、何から話そうか。あれは…」

困ったような、でも相変わらずの貼り付けたような笑み。
それを崩さないまま、彼はゆっくりと口を開きました。
87 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/02(火) 04:40:31.52 ID:TkF1vjjP0
「最初の戦闘だったね…僕の乗った護衛艦は、近海での戦闘に向かっていたんだ。

その船には、あそこに赴任した頃からいた部隊が乗っていてね。
同期の仲間に、お世話になった上官や先輩。いつもの顔ぶれが揃っていたよ。

あの日までこの国の軍はね、災害救助や警備が主だった。
上官すら戦闘なんて初めての事で…それも、相手は未知の怪物だ。死の緊張感と、人々を守ると言う意志が船内には混在していた。

そして、いざ敵と対面さ。

まず、甲板にいた一人が頭を撃ち抜かれた。
いや…正確には、頭が飛び散ったのかな。クラッカーみたいな音がして、直後にはもう倒れていたよ。

一人、また一人と撃たれて死んで、それでも士気は下がらなかった。
だけどその時だ、敵の魚雷が飛んできたのは。」

「……船は、吹っ飛んだんですか?」

「……ああ、火薬庫を貫いてね。背中の火傷は、その時のものさ。
壁が厚いし、遮蔽物もあったからね。幸い遠くにいた僕は、飛ばされるだけで済んだ。
…だけどその近くにいた仲間は、バラバラになって海上に浮いてたよ。

僕は船首側まで吹っ飛ばされて、そして船尾から船が沈んだ。
船は上を向く形で、船首だけが顔を出してる状態でね。僕はそこに捕まって、何とか無理矢理立っていた。

海に投げ出された仲間が、噛み付かれて死ぬ断末魔。
爆発で飛び散った死体が、海面に浮く様。
それが沈みかけの船首からは、よく見聞き出来たよ。

その日は快晴だったなぁ…青空と青い海に、血の赤と火の赤が広がっていた。
まるで昼と夕暮れの境目みたいだって…船首からのその光景は、よく覚えている。」
88 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/02(火) 04:41:31.77 ID:TkF1vjjP0
「それで…どうやって生きて帰って来たんですか?」

「そうだね…吹っ飛ばされた場所で、とっさに仲間の死体から機関銃を掴んでね。
僕はそいつを担いだまま、傾いた船首に立っていた。

死にたくないとか、勝ちたいとか、そんな事はもう考えていなかったと思う。
大声を上げて、とにかく機関銃をぶっ放した…敵にも浮かんだ仲間の死体にも、次々弾が当たって…。

そこから先は、覚えていない。」

「…じゃあ、目を覚ましたのは…。」

「前話した通り、病院のICUさ。

だけどその前に、違うものを見たよ…。
何もない草原に、真っ赤な花が咲いていて…鳥が鳴いて、潮風と風の音だけで。『俺』はそこに立っていた。」

「……っ!?」

「上を見れば、雲一つない空さ。

悲しくもない、ましてや喜びもない。
ただ穏やかな安らぎだけがそこにあって…感情なんて何処かに消えていて…“ああ、ここが天国か”って、その時思ったよ。

…目が覚めたら、__が抱き付いてきた。
船は沈んだ。仲間が死ぬ様も見た。それは全部覚えてる。
どういうわけか『俺』は生きていて…本来なら恋人との再会を喜ぶか、怒りと悲しみに震えるかしたんだろう。

だけど…不思議なものだね、何も感じなかった。
愛していたはずの__に抱き締められた時でさえ、あの場所以上の安らぎは感じなかったね。」

89 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/02(火) 04:42:41.18 ID:UUDRFckKO
言葉が、出ませんでした。

ここまで脳の処理が追い付かない感覚と言うのは、初めてだったかもしれません。
…でも、折れちゃダメ。確かめなきゃいけない事は、まだたくさんあるんだ。

「………それから、どうして手首を切ったんですか…?」

「死にたかったわけじゃないよ。『俺』もどうして切ったのか、よく分かってないんだ。

そうだね…強いて言うなら……また見れるかなって、思ったからさ。
結局『それ』じゃ、見れなかったけどね。」

その時彼が見せた笑顔は、青葉は一生忘れられないと思います。
あの曲のタイトルを教えてくれた時でさえ、まだ隠していたものがそこにはありました。

欲望に歪むでも、悪意を孕むでも無い。
子供のように無邪気で、どこまでも透き通っていて。
だけど、ゾッとするような。


初めて見た、彼の心からの笑顔を。


ああ…そっか……少しだけ、分かりました。
彼はもう自分じゃ…


90 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/02(火) 04:43:43.10 ID:TkF1vjjP0





____心が死にたがっていることさえ、理解出来ないんだ。





91 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/02(火) 04:45:33.25 ID:TkF1vjjP0
「…そんな所さ。大した話じゃなかったろう?『僕』の話は。」

貼り付けた笑み。
戻った一人称。
他人事みたいに笑う。

笑う嗤うワらう笑う笑うわらうワラうわラう。

どうすればいいんだろう?
何をしてあげれば、取り戻せんるんだろう?

頭がぐちゃぐちゃになって、青ばハもうドうシタら良いカわからナくなッて。

「少し、長話をし過ぎてしまったね…青葉、今日はもう休んだ方がっ…!?」

いつの間にか、ソファに彼を押し倒していました。
頭がボーッとします。それで押さえ付けた肩から手を離して、今度はそれを横に動かして。


気付いたら、ギリギリと彼の首を締めていました。


その瞬間の事でした。
靄が晴れたように、頭の中がクリアになって…自分がどうしたいのか、何をするべきなのか理解出来たのは。

苦痛に歪む顔を見て、手を離して。
彼の胸が酸素を求めて激しく動くのを見て、次にやるべき事。

青葉は彼の手首を取って…今度は、その傷にキスをしました。

92 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/02(火) 04:47:02.72 ID:TkF1vjjP0
「あお、ば……?」

今は鍵を閉めています。
ここにはもう、彼と青葉しか存在しない。

首を締めたのは、生存本能を分からせる為。
傷跡を舐めるのは、慈しみの感情。
それで…これは、愛情を示す為の行為。

唇を重ねて、舌を無理矢理絡めて。
切れる青葉の息と、それでも上がってくれない彼の心拍数がそこにはあって。

ずっと念願だった彼との最初の口付けは、デートの終わりなんてロマンチックなものじゃなく。
『私』から踏み込んだ、甘美で、でもひどく暴力的なものでした。

子供の頃、10針縫う怪我をしました。
その時は周りは大騒ぎで…でも青葉は痛いなんて思わなくて、冷静なぐらいで。
痛くなってきたのは、治療が終わってようやくの事でした。

後で知ったんですけど、痛覚が限界を超えると、麻痺する事ってあるそうじゃないですか?
それは心でも、同じなのかもしれませんね。

93 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/02(火) 04:47:53.34 ID:TkF1vjjP0
壊れたあなたを見て、きっとあの人は耐えられなくなったのでしょう。
色んな人が、死んで、去って。あなたの元を過ぎて行ったのでしょう。

でも壊れてしまっていても、あなたの本質は優しい人です。
分からないのなら、与えてしまえばいいんだ。
苦痛も喜びも幸せも、感情の全部を呼び覚ます為に。

青葉は、今もあなたから逃げなかったじゃないですか?
記者はね、しつこいんですよ。とことん離れませんから。

青葉だけは、そばにいます。
青葉だけが、あなたに与えてあげられる。
青葉なら、あなたの心を取り戻せる。

…だから、どこにも行かないでください。
青葉があなたの天国になりますから…天国になんて…行かせませんから…。
『私』を、ひとりにしないでください…。

気が動転したままの彼を胸に抱いて、青葉は微笑んでいました。
胸に顔を沈めさせて、青葉以外何も感じられないようにして。

だから、この時一筋だけ、頬を伝うものがあった事。

それは、青葉だけしか知らなかったのでした。

94 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/02(火) 04:48:37.98 ID:TkF1vjjP0
今回はここまで。
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/03(水) 01:39:14.72 ID:erRfoPmA0
おつです
壮絶だし健気すぎるなあ…
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/05/06(土) 00:09:46.06 ID:ll5pEpFB0
以前北上のSSを書かれた人ですか?
97 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/06(土) 04:32:11.47 ID:u3lwuGH40
「うおおおおおおお!!!!」

叫び声と共に、男の持つ機関銃の音が鳴り響く。
それは海面に浮く死体を貫き、それを見つめる異形達の肌を掠めた。

だがその者達にとって、それは何ら意味を持たない。
異形達は、ただ呆然とその男を見つめるばかりだった。

「…ホットコウカ、今回ハコレデ終ワリ。」

「良イイノデスカ?殺サナクテ。」

「ハァ…ワカッテナイナァ…イイ?アタシ達ハ『人間』ト戦争シニ来タンダ。アレハモウ、殺ス意味モナイヨ。
ソウダネ……デモ、代ワリニヨク見テオクトイイ。」

「アレヲデスカ?」

「…アタシ達モ所詮『心』ト『命』、両方ガ無イト生キテルトハ言エナイ。ドッチカガ死ネバ終ワリサ。
ダカラ、ヨク覚エテオクンダ。アタシ達モコノ先、アアナルカモシレナイッテ事。
殺サナイ事ガ、アアナッタ奴ニハ一番ノ攻撃ナノサ。」

“人間ハ手強イ…コノ先コソ、コッチモタクサン死ヌンダロウナ。
タダ、願ウナラ……。”

「…仲間タチニハ、アアハナッテ欲シクナイネ。」

異形の一人が振り返った先には、沈み行く船首と、波に飲まれる男がいた。
敵も去り、独り漂う男は目を開けたまま、何処かをじっと見つめている。
彼の瞳は開いているが、意識は既に途切れていた。

その瞳孔には。
透き通る青空だけが、虚しく反射していた。

98 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/06(土) 04:35:21.06 ID:u3lwuGH40
あの日から、司令官と青葉の間に少し変化が起きました。

それは青葉が一方的にそうし始めたのですが。
彼が仕事を終えた後は、必ず__さん、彼の下の名を呼ぶようになった事。

「__さん、今日もお仕事終わりましたねぇ。

「そうだね、『青葉』。食堂にでも行こうか。」

仕事以外では青葉も本名で呼ぶように言ったのですが…彼の方は、今も呼んではくれないままです。
仕方ないとは思いつつも…やっぱり、ちょっと寂しいかな。

あの日あれだけの事をしでかしたのに、彼は怒りもしませんでした。
しばらく呆然としていて、でもすぐにあの微笑に戻って。逆に青葉の頭を撫でて、慰められた始末で。

「今はそんな気は起こさないから、心配しないでいい」なんて、よく言いますよ。
だから青葉は決めました。少しでも壊れたものを取り戻してみせるって。
その為にこそ、もっと彼を深く知って、色んなものに触れないといけない。
全てを知る事が出来たなら、きっと壊れた所も治せるでしょうから。

…あなたは生きてるんだって、絶対分からせてやるんだ。


それで部屋に戻ってやる事と言えば、ちょっとした泊まりの準備でした。

明日から演習の関係で、3日程ここを離れます。
日程自体は2泊3日なのですが、でも演習は1日だけ。その中日はオフになっています。
オフ日は演習先での観光が義務付けられていて、それは上からの命令です。
要は慣れない街の日常に触れて、普段自分達が何を守っているのか感じろと言うお達しでして。
まぁ、たまにこういう事があるのですが…今回は観光じゃなく、取材と行かせてもらいます。
何と言っても、行先はあの街の鎮守府なんですから。

今回の引率は、司令官じゃなくて少尉さん。
彼の不在と言う環境で、あの街です。調べるにはまさにうってつけ。
愛用の一眼は置いていって、機動性重視の薄型で行きます。それでスマホはレコーダー代わりにして。

『あの人』を捕まえられたら、一番早いんだけどなぁ。
99 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/06(土) 04:37:06.85 ID:u3lwuGH40
翌日、移動のバスがあの街に差し掛かると、まず車窓からの景色をひたすら収めました。
勿論オフ日に自分の足でも回りますが…彼がどんなものを見て来たのか、記録したいと思ったので。

今回の演習は、相手方は着任から浅い子達で構成されています。
そんな編成なのであの人はいなくて、どうしようかと途方に暮れていた時の事です。

「……あなた、__鎮守府の方かしら?」

振り返ると、青葉と変わらないぐらいの女の子。
少しキツそうな声色ですが、何処か見覚えもあるような…あれ?この制服って…。

「初めまして!そうです、__鎮守府の青葉と申します!」

「私は扶桑型二番艦、山城よ。 ねぇ…__提督は今日いるかしら?」

「いえ、今日はうちの少尉さんが引率ですが…。」

「そう…じゃああいつに伝言をお願い。“あんた、次会ったら殴る”って言っておいて。」

え?この子何言って…。

咄嗟にその子の肩を掴んで、足を止めさせてしまいました。
この子、見る限りあの人の…でも、何でそんなに…。

「…何よ。」

「い、いえ、うちの司令官と何かあったのかなって…。」

「…あなた、もしかして姉様の事を知ってるのかしら?あいつとの関係も。」

「はい…知ってますねぇ…。」

「…艦娘の姉妹艦って、大体の子はエルダー制みたいなものじゃない?でも私達は、実の姉妹なの。
だから全部知ってるわ……あの男…姉様を散々泣かせておいて、許せるわけ無いでしょう…!
今日はあなた達の敗北を、あいつへの土産にしてあげるわ。覚悟しておいてね。」

その捨て台詞と共に、つかつかと山城さんは去ってしまいました。
すごい剣幕だったなぁ…妹さんがあそこまで怒るって、本当に何があったんだろ。

でも…青葉もちょっと怒っちゃうな。好きな人をあんな風に言われたら。よし!今日の演習、絶対勝ってやる!

100 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/06(土) 04:37:51.37 ID:u3lwuGH40

その後、演習には勝ちました。

ただし、内容はA勝利。山城さんは最後まで粘って、とうとう完全勝利とは行きませんでした。
あの人には会えずじまいで、おまけに山城さんの態度で余計謎が深まった気がします…はぁ、今回は仕方ないか…明日はちゃんと散策して、違う視点からネタを仕入れよ。

布団に潜ってスマホを開くと、メッセージは友達からだけ。
結果は少尉さんが連絡してるだろうし、わざわざ青葉の所に来ないよね…あの人からくれたの、あの時だけだなぁ。

「かまえよー…ちぇー。」

理不尽なぼやきを吐きつつ、今夜は諦めるとします。
結局何も送らないまま、慣れない浴衣と布団で眠りに就きました。


次の日、青葉は朝から街を散策していました。

路線バスを乗り継いでみたり、観光スポットを回ってみたり。
予めネットで下調べをしていたのですが、デートスポットなんかはありふれたものが多くて、特に目ぼしいものはありません。
あの浜辺もそうですけど、司令官は秘密の場所を見付けるのが上手いタイプかと思って、何かそれっぽい所は無いかと海岸線をふらふらしていました。

車や人の通りはまぁ、よくある片田舎って感じです。途切れず、でも多すぎずで。
そんな時、青葉の少し先でとある車が停まりました。窓も開いてるし、何だろ?あ…。


「青葉ちゃん、お久しぶりね…。」


その車の運転席にいたのは、扶桑さんでした。



101 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/06(土) 04:40:15.09 ID:u3lwuGH40
今回はここまで。

前作をお読みいただいていた方もいらっしゃるようで、その節は誠にありがとうございました。
肩の力を抜いたものを書きたいと思っていたのですが、今回も重い話になりそうです…。
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/06(土) 05:55:03.38 ID:iDUUXg7DO
更新お疲れさまです。
いつも楽しみにしてます。
103 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/08(月) 02:41:09.80 ID:hghrd//O0
予想外の事態でした。

青葉は言わずもがなですが、扶桑さんも私服で。どうやら彼女もオフなようです。
ま、まさか鎮守府の外で会うなんて…うう、私服姿がまた美人…負けそう…。

「ふふ、後姿でそうじゃないかって思って。あなたも来てたのね、散策かしら?」

「え、ええ…扶桑さんはお休みでしょうか?」

「ええ、でもちょっと暇を持て余してね。良ければ一緒にお茶でもどうかしら?」

「…はい!」

これは千載一遇のチャンスだ!
緊張感はありましたが、この時青葉にNOの二文字は浮かびませんでした。

車は海岸線を走って、とあるカフェへ。
人もまばらで、今日は暇なようです。お好きな席へどうぞと言われ、扶桑さんの促すままとある席に座りました。
そこは窓から国道と海の見える、見晴らしのいい場所で…ここ、昔も来たのかなぁ。

「昨日は山城が失礼をしたみたいね…ごめんなさい。」

「いえいえ!気にしてませんから!」

「ありがとう。慕ってくれるのは嬉しいのだけど、あの子は私の事になると、ちょっと周りが見えなくなる時があるから…。」

山城さんかぁ、そう言えば昨日のやり取りで…。
青葉が二人の事を知ってるのも、きっと聞いてるよね。

窓の外を眺める彼女の横顔は、やっぱりきれいで。
でも物憂げな瞳の奥には、何かあるように思えました。

…何を、思い出してるんだろう。

104 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/08(月) 02:42:12.08 ID:hghrd//O0
「…青葉ちゃん。」

「はい。」

「あなたは、__さんの今の彼女なのかしら?」

「んっふっ!?」

な、な、な!いきなり何を!?
突拍子の無い一言に、コーヒーを吹き出しそうになっちゃいました。

「…い、いえいえ!まだお付き合いはしてませんよ!」

「ふふふ、『まだ』してないのね。かわいいわね、青葉ちゃん。」

「あ。」

しまったー…ああ、そんな小動物見るような目で…。
でも、意外とユーモアのある方なんですねぇ、人をからかってみたりして。大人の余裕かなぁ…。

「もう聞いていると思うけど…私とあの人は付き合っていたの。」

「ええ…聞いてます。」

「…私から別れた事も?」

「はい。」

「じゃあ…彼に何が起きたのかも、聞いてるわね?」

「それも聞きました…すぐには言葉が出ませんでしたよ。」

「…そう。」

それからしばらく、扶桑さんは何かを考えているようでした。
き、気まずい…!冷静に考えて、意中の人の元カノさんとその話題…如何に地雷を踏まずに本質を射抜くか、記者としての資質が試されている気がします。

そんな風に内心慌てていると、扶桑さんはスマホを取り出しました。
開いて何かを探し始めて…少しすると、彼女は小さく微笑んだのです。
105 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/08(月) 02:43:26.48 ID:hghrd//O0

「これ、誰かわかるかしら?」

「え……この方、司令官ですか!?」

そこに写っていたのは、青葉が今一番この目で見たいと願っているものでした。

幸せそうに、心からの笑みを見せる顔。
どこかでの記念撮影でしょうか、二人とも本当にいい笑顔で…青葉の記憶の中では、未だに見た事が無い顔でした。

「ふふ、いい写真でしょう?」

「初めて見ましたよ、あの人のそんな顔…。」

「昔はよく見せてくれていたの…あの日まではね。」

「……そう、ですか。」

胸に鉛を突っ込まれたような感覚と言うのでしょうか。
あの日まではと言う言葉が聞こえた途端、羨望さえもどこかへ消えてしまいました。

やっぱり、あの時から彼は……。

「退院した後、やっぱりどこか空っぽでね…お医者さんは精神的なショックだろうって言ってたわ。
学生時代の友達が亡くなられたのを伝えても、上の空だったの。
…手首の事、知っているかしら?」

「……見ちゃいました。ズタズタで、時計でも隠しきれてなくて…。」

「最初ね、私が見付けたの。血の海で、フラフラしてたけど……貼り付けたような笑みを浮かべてたわ。
また入院したけど、やっぱり精神的なショックだって周りは思ってた…でも、それは違ったわ。」

「何か言ってたんですか?」

「“今ならそれで片付けられると思った”って…笑いながら言ったわ。」

「……!!」

「彼はね…あの件で、心だけが死んでしまったと思うの。
そうね…“寂しいや悲しいと感じられない事が、寂しくて悲しい”って…笑って……。」

__さん…そっか、あの公園の時隠れてた顔は…。

間近にいた人からの話は、とても重いものでした。
感情の欠落…嘆くべき事を嘆けない事……司令官のいる場所は、青葉にはどう頑張っても想像しきれなくて…。

106 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/08(月) 02:45:52.41 ID:hghrd//O0
「……彼を振ったのは、どうしてですか?」

「これをあなたに伝えるべきかは分からないけれど…嫌いになったからじゃないわ。今でも未練はあるもの。
ただ、私は引っ張られやすいから…ある時カッターを持って、こう思ったの。

“殺してあげる事が、一番彼の為になるんじゃないか”って…。

そう思って我に返って、別れるって決めたわ。
そばにいたら…本当に……やってしまいそうだったもの…。

ふふ…ひどい女でしょう?私は結局、彼を見捨てたのよ…。」

微笑みながらも、扶桑さんは涙声を堪え切れないようでした。

なんで見捨てたんだなんて、責める事は出来ません。
青葉は写真を撮る人間ですから…見れば分かるんですよ。ふたりがどれだけ想い合っていたのかなんて。
だから変化に耐え切れなくなるのは、おかしい事ではないって。

別れを切り出された時の彼の様子は、容易に想像出来ました。
あの困ったような笑みで、そうかとだけ言って……それですら、上手く悲しいと感じられなかったのでしょう。きっと、扶桑さんへの罪悪感さえも。

だけど…上手く感じられないだけで、感情が無いはずじゃないと思うんです。
でなきゃあんな寂しそうになんてしない。

例え壊れていても、あんなに優しい人なんですから。まだ可能性はある。
107 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/08(月) 02:46:59.85 ID:hghrd//O0

「…扶桑さん、大丈夫です。これ以上はあなたがつらいでしょう?」

「青葉ちゃん…。」

「司令官は、それでも優しい人のままですよ…青葉はこう見えて、結構泣き虫なんです。そんな時、いつも受け入れてくれる人です。
こんな事を言うのは変ですが…あなたの無念は、青葉が晴らしますから。
『私』が、必ず彼を幸せにします!!」

「青葉ちゃん……ありがとう…。」

…彼の奥底に引っ張られていたのは、この前の青葉も同じでした。
首を絞めた時の感覚は、今でも残っていて。

でも…負けられなくなっちゃったなぁ。
__さん、『私』はあなたの死神になんて、なってあげませんから。
そうですねぇ…なりたいのはあなたにとっての……この言い方は、大分恥ずかしいけど…。



『天使』かなぁ、なんて。



108 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/08(月) 02:48:51.88 ID:hghrd//O0

青葉達の鎮守府・執務室。

この時提督は、一人食い入るようにPCのモニターを見つめていた。

映し出されているのは、定期的に届く戦場の写真だ。
敵の死体は激しい戦いの末、死ぬまで戦い抜いた苦悶の表情を浮かべている。

殺傷効果、煙の量等の戦地で兵器がもたらす影響。
それらを取り纏め、司令官視点での改良案を開発部門へと提出する。それも彼の仕事の一つだ。

その全てを見終えた後、ようやく彼はいつもの微笑へと戻る。
だが、その目の奥は…


“きっと彼女達には、あの場所が……。”


この時彼は、歯が見えるほどの吊り上がった笑みを浮かべていた。
それは、青葉でさえ見た事の無いものだった。

109 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/08(月) 02:49:29.21 ID:hghrd//O0
今回はここまで。
110 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/10(水) 14:28:36.08 ID:nW+Vca+e0
泊りがけの演習も終わって、バスはいつもの鎮守府に着きました。
みんな、次々と降りていきます。このまま寮に帰って、後はゆっくりするのでしょう。

青葉には、真っ先に向かう場所がありますが。

廊下を抜けて、大きな扉の前。この時間は、彼以外は誰もいないはず。
青葉がいない間は、当然他の子が秘書艦を務めていて…その子と廊下ですれ違った時、安心している自分がいました。
だってこの扉を開けて、他の子がいたら…きっと、取られちゃったような気持ちになっていたでしょうから。

「失礼しまーす。」

「お帰り、青葉。わざわざ来てくれたのか。」

出迎えてくれる笑顔を見た時、飛び付きたくなるのを必死に抑えていました。
本当は思いっきり抱き締めて、そばにいるって言ってあげたい。でも我慢です。
扶桑さんと話して、前より深く知った事はあるけれど…今は、いつものふたりとして会いたかったから。
それが今の日常で、それを感じてもらいたいからこそ。



111 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/10(水) 14:30:45.57 ID:nW+Vca+e0
「少尉から報告は受けたよ。頑張っていたそうじゃないか。」

「まぁ、何とか勝てたって感じでしたけどね…あ!そうだ!司令官、これお土産です!」

「これは懐かしいな、あそこの名物か…青葉、ありがとう。遅いけど、少しコーヒーでも飲もう。」

「あ!それぐらい青葉が淹れますよぉ!」

「ダメダメ、今この時間の君は客人だ。まぁ座っててくれよ。」

そう制されて、青葉はしょうがなくソファに座り込みました。
やっぱりいつものあの微笑ですが、コーヒーメーカーを弄る横顔は、何だか機嫌が良さそうで。
“青葉が帰って来たからかなぁ”なんて勘違いみたいな事を思って、一人で嬉しくなっていました。

今は出されたコーヒーを飲みながら、ふたりでお土産をつまんでいます。
あ…これすっごい美味しい!名物なだけあるなぁ。

「……いやぁ、落ち着くね。」

「お菓子も美味しいですねぇ。司令官、コーヒー淹れるの上手いですね。」

「まぁ久々のこの味もだけど…いつもの時間に戻った気がしてね。
青葉が帰って来たら、あっという間にそうなったよ。」

「……きょーしゅくです。」

あー……あはは、いざ言われると、頭真っ白になっちゃうなぁ…。
そっか…そう思ってくれてたんだ…。

ソファの対面に座る彼を見て、隣に行きたいなぁなんて思って。
でもこうして、前から見つめてもいたいような。
それは何にせよ、青葉にはとても幸せな時間でした。

そんな時です、彼から声が掛かったのは。
112 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/10(水) 14:32:10.67 ID:nW+Vca+e0

「そうだなぁ…たまには、青葉の話が聞きたいな。」

「青葉の…ですか?」

「ああ、どうして艦娘になったのかとかね。
適正検査の時も、僕が面談した訳じゃなかっただろ?」

言われてみれば、確かに彼とそんな話はした事がありませんでした。興味を持ってくれてるんだって、嬉しくなりましたねぇ。
青葉にとっては、これはちょっとだけ重い話ではありますけど…。
113 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/10(水) 14:33:14.95 ID:nW+Vca+e0
「司令官…少しだけ、嫌なお話になるかもしれません。

青葉の叔父さんは、ローカル誌の記者だったんですよ。
最初の戦闘の前、民間船が何隻か襲われたじゃないですか?
その船の中に、叔父さんも取材で乗ってて…そこで亡くなってしまいました。

遺体の手に、SDカードが握られてたんです。
ビニールに包んで、しっかり握り込まれていて…死期を悟って、咄嗟に包んだんでしょうね。
不幸中の幸いですが、叔父さんの遺体はすぐに回収されて…間近で深海棲艦を捉えた写真として出回ったのが、SDに残されていたものなんです。

叔父さんはよく言ってました、“それが街の行事であれ事件であれ、事の本質を伝えるのが俺達の仕事だ”って…。
だから…仇を討ちたかったですし、知りたかったんです。
前線に立つ事で今起こってる事を見極めて、そして自分の手で、この悲劇を終わらせたいって。

それでいつか、この戦争に関する記事か本を書きたいって思ってます。」

「そうだったのか…僕も、君が果たせるように頑張らないとな。」

“終わらせたい悲劇は、増えちゃいましたけどね”とは、言えませんでした。

叔父さんの事だけじゃなく、死んでしまった仲間や、司令官自身の事。
青葉にとって、終わらせたい事は増えていました。

“寂しいや悲しいと感じられない事が、寂しくて悲しい。”

彼が手首を切った時、そう笑っていたと扶桑さんは言ってました。
喜怒哀楽の全部…嬉しいや楽しいも、本当は彼の中には無いんでしょうか?
青葉に向けてくれる顔も、もしかして…。

一瞬気が暗くなりかけて、すぐにそれを追い出しました。
ダメダメ。青葉が暗くなっちゃ、照らしてなんてあげられないんだから。
そうだ、質問を変えさせてみよう。

114 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/10(水) 14:35:48.55 ID:nW+Vca+e0
「訊かれるって言うのも新鮮ですねえ、他に何か質問とか無いですか?」

「そうだな…じゃあ次は…変な話で申し訳ないのだけど、恋の思い出とかは?」

嫌な汗が背中を伝ったのは、その時の事でした。

徐々に壊れてく不安。
見てしまった瞬間や、携帯の画面の下卑た会話。
真っ暗な所に突き落とされる気持ち。
あの子と一緒に向かった時の怒り。

トラウマになんて、なってないと思っていました。
それまで思い出しても、せいぜいダメな黒歴史ぐらいにしか思わなかった事。
ガサには、笑い話として話したような事。

なのに、何故でしょうか。
あの時の嫌な感覚が、頭の奥を突き抜けてしまうのは。

ああ…今『私』は、この人を好きだからなんだ。
形はあの時と全然別で、彼はあいつと違って優しい人で。
だけど壊れていて、いつか青葉の前から消えてしまいそうな人。

『私』は、またひとりにされてしまうかもしれない。
今度は心変わりじゃなく、絶対的な『死』という終わりでもって。

その間は、実際は5秒にも満たない時間だったでしょう。
ですがこの時青葉には、こんな思考を回せる程に長く感じられました。

やろうと思えば上手くけむに巻いて、適当に誤魔化せる話で。
でも青葉は…はぐらかすと言う選択肢を、取る事が出来なくて。
115 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/10(水) 14:37:23.70 ID:nW+Vca+e0

「……そうですねぇ…高校生の時、彼氏がいたんですけど…二股されて、別れちゃいました。」

こんな事を伝えて、どうしたいんだろう。
ひとりにしないでなんて、言える間柄じゃないのに。

俯いたまま、彼の顔を見る事が出来ません。
今の顔を見られたくなかったですし…訊かれるのって辛いんだなって、改めて分かりました。
今まで手を差し伸べようとすると同時に、傷に塩を塗ってもいたんだなぁって。
色々な感情が頭を巡っては、どんな顔をすればいいのか分からなくて。

「そうか…すまない、辛い事ばかり訊いてしまったね。」

謝らないで欲しい。
裏を返せば、ひとりが怖くなるぐらいまた人を好きになれたのは、あなたのおかげなんですから。

そうですねぇ…でも、ちょっとだけ、寂しくなっちゃったかな。

116 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/10(水) 14:38:58.03 ID:nW+Vca+e0

「……青葉?」

対面から隣へ移動して、そのまま横になりました。
この前と逆で、青葉が膝枕をしてもらう形で。

「じゃあ謝るよりも、撫でてくださいよ。青葉も司令官の辛い事、沢山訊いてきましたから。」

「……分かったよ。」

一際優しい声の後に、髪に手が触れました。
触れるのは彼の左手。ズタズタの手首がある場所。
眠くなりそうなくらい優しい手付きで、夢みたいで…でも青葉は満たして欲しいと同時に、満たしてあげたいんですよ。

撫でてくれる手を掴んで、時計を外しました。
改めて間近で見るそれはグロテスクで…そして愛おしい、彼の一部でもあって。一度手を胸に抱えて、その傷に唇を寄せました。

触れた感触は、でこぼことしていて。
きっとあの人でさえ、知らない事。青葉だけが知っている事。

これは、わたしだけのもの。
他の誰にも渡したくない、青葉だけのもの。

手を離したら、また髪を撫でてくれて。どんどん眠くなって来ました。
「いいんですよ?襲ってくれても」なんて、寝ぼけたフリして言えちゃいそう。

でも今は…これだけでも充分です。
この時間をひとりじめ出来ているだけで、青葉は満足でしたから。
結局そのまま眠気に負けて、目を閉じて。すうすうと寝入ってしまったのでした。

彼への欲望に際限なんて無い事にも、目を閉じたままで。

117 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/10(水) 14:40:06.87 ID:nW+Vca+e0
今回はここまで。
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/11(木) 01:15:56.66 ID:9xdPayjA0
おつおつ
119 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/15(月) 05:29:44.15 ID:QOyJbMOhO
歌が聴こえる。

どうやら青葉は、しばらく彼の膝で眠っていたようです。
血流なのか、衣擦れなのか。さわさわとした音が波のように頭の奥をくすぐって、意識はまだほわほわとしたままでした。

今も頭を撫でてくれる感触は、余計に意識を微睡みに沈めて。夢と現とが混濁した世界に、溶けていくみたいで。
そんな中で流れている音楽は、段々と映像のように、青葉をその中に引きずり込むのでした。

“海の果ての果てに君を連れて…”

これ、あの曲と同じ声だ…同じ人なのかな?
そのメロディに身を任せていると、あの日の浜辺が脳裏に蘇ります。
何だかせつなくなって…彼の上着の裾を、きゅっと掴みました。もう狸寝入りも、やめにしなくちゃ。

「ん…__さん、今何時ですか…?」

「起きたのか、まだ1時間も経ってないよ。」

そっかぁ…随分長く寝てた気がしたけど…。もう少しこのままでいたいけど、彼も帰らなくちゃだしね。
……『私』の匂い、これで付いたかな?着替える時にでも、思い出してくれたらいいなぁ。

120 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/15(月) 05:30:35.93 ID:QOyJbMOhO
「…お邪魔しました。じゃあ、部屋戻りますね。」

「君も長旅だったしね、今日はしっかり休んでくれ。」

後は『私』が彼の名前を呼んで、おやすみなさいって言えば。それで今日はお別れ。
きっとその時も青葉って呼んで、本当の名前を呼んではくれないのでしょう。
ここで聞き耳を立てる人なんて、誰もいないのに。

「__さん、おやすみなさい。」

いっそ朝が来るまで隣にいたいけど、それはできないから。こうやって、今日もお別れをするんです。
…この後返ってくる言葉は、変わらないと思うけど。


「おやすみ、__。」


涙がこぼれそうな瞬間って、あるんですね。

初めてそう呼んでもらえた時、じわじわと込み上げてくるものがあって。
でもそれを出さないように、精一杯の笑顔を向けてました。

ふたりだけの秘密が、また増えた。

それがただ幸せで、せつなくて。
部屋に帰って横になったら、何だか泣けてきていました。

121 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/15(月) 05:32:30.67 ID:QOyJbMOhO
その日から数日後、青葉は原付を飛ばしてあの浜辺にいました。

その日はお休みでしたけど、予定の合う人が誰もいなくて。
大岩に座ってイヤフォンを嵌めて、ある音楽を掛けていました。

ゆうべ暇を持て余して、映画でも借りようかとレンタル屋さんに行ったんです。
執務室のプレーヤーに出てたタイトルを覚えていて…何となくCDコーナーに行って、あの日掛かっていた曲が入ってるアルバムを借りました。

それは、『聖なる海とサンシャイン』と言う曲。
それを聴きながら、今はぼーっと空と海を眺めています。

今日はあの日と同じように、曇り空。
あの日と違うのは、たまに雲間から夕焼けが差していたのと、隣に誰もいない事で。
一人っきりでこの景色を眺めていると、ここの寂しさが改めて浮き彫りになります。

天国みたいな場所だって、あの時言ってたっけ。
その時よりは深く彼を知った今、その言葉の意味が少し分かったような、分かりたくないような。そんな気持ちになりました。

目の前で仲間が残酷な死に方をして、自分も死にかけて。
何も感じなくなる方が、もしかしたら幸せなのかもしれない。
その後も昔の仲間も失って、恋人とも別れて…それでも彼は、悲しむ事さえ出来なかった。

それはより、天国への憧憬を強めさせたのかもしれません。
ああ、でもきっと憧憬なんかじゃなくて…それはそこに隠した、死への願望なんだ。

相変わらず、寂しい光景が青葉の前には広がっていました。
悲しくも綺麗でもない、ただただ寂しい海辺。

彼の心が、今もいる場所。

122 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/15(月) 05:33:23.57 ID:QOyJbMOhO
今日何度目かの、歌の終わりの時です。ふと立ち上がって、後ろを振り向きました。

一瞬の事ですが、その時確かに見えたんです。
夕日を背に、微笑む彼が立っていたのは。

血を吐きながら、青葉の方を見て微笑んで。

「…青葉か?」

だけど当の本人の声が聞こえたのは、更に反対側からでした。
制服を着ていた幻と違って、私服姿の彼は、いつもの微笑でそこに立っていて。

「びっくりしたぁ!お疲れ様です!お仕事はもう終わったんですか?」

「ああ、それで一息入れようかってね。」

彼の顔を見た瞬間、嬉しさが込み上げて来きました。
こんな寂しい場所でも、ふたりでいればすぐに色が付く。それはとても幸せで…。


でも…じゃあさっき『私』が見たのは、誰?


123 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/15(月) 05:34:33.74 ID:QOyJbMOhO
「…隣、座ってもいいですか?」

「いいよ、おいで。」

しれっと体を寄せて、青葉は隣に座りました。
落ち着くなぁ…こうしてる間は、ゆっくり時間が流れれば良いのに。

寂しげだった波音も、今は優しい音に聞こえて。
世界の変わる瞬間を、じっくりと噛み締めていました。

「〜〜…♪」

「それ、聖なる海とサンシャインですよね。」

「そうだよ、よく知ってるね。」

ふと聴こえた鼻歌に、思わず声をかけて。
蘇るのはさっきの幻と、聞いていた歌の最後。

『潮騒の銃声が夕日に響いて』

そのフレーズと血を吐く彼の影が、脳裏を掠めて。

「…昨日借りて、さっきまで聴いてたんですよ。何ていうか、悲しい歌ですよね。」

「そうだね…確かに悲しい歌だ。」

「……扶桑さんの事、聴いてて思い出したりするんですか?」

「…ああ。別れ話をされた時、こんな海を見ていた。彼女はずっと泣いていたね。」

「そう、ですか…。」

未練は無い。

それはいつか彼が言った事ですが…今思うのは、未練すら上手く感じられないんじゃないかって事で。
もしかしたら、彼も心のどこかに引っかかりがあるのかもしれない。

でも二人が後戻り出来ない事は、どちらの話も聞いていた青葉にはよく理解出来ます。
そう、戻れないんだ…だから青葉が、そばにいてあげなきゃいけない。

青葉で塗りつぶせば、少しでも未来が動くのかな?

扶桑さん…ごめんなさい。
あなたの分も幸せにするって言ったのに、今も青葉は、あなたに嫉妬しています。
だってこんなにも、染め替えてしまいたいのですから。

胸元の広いTシャツに、上着を羽織った彼の姿。
青葉はそこに抱きついて…。


彼の肩に、噛み付いたのでした。


124 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/15(月) 05:36:32.03 ID:QOyJbMOhO

「__…?」

呼んでくれる本当の名前は、脳に甘く広がって。
口の中の鉄の味は、とても甘美なものに思えて。
残った傷を見れば、ぞくりとしたものが背筋を駆け抜けて行きました。

ああ……これで『私』は、いつでも彼に残ってるんだ。

「__さん、痛みますか?」

「……ああ。」

そっか……ふふ、痛いんだぁ。

込み上げて来るものは、熟れた甘い匂いみたいで。
青葉は抱きついたまま、今度は彼の匂いを楽しんでいました。

だって……痛いって、生きてるって事じゃないですか?
心だって、痛みも喜びもあって…彼はきっと、そこに蓋をしてるだけなんです。

そのまま彼の顔を掴んで、キスをしました。
重ねた唇からは、血の味がした事でしょう。
それが、あなたの命の味なんです。

アナタハイキテマス、アオバガソバニイマスカラ。

拒絶もせず、彼は優しく青葉を受け入れてくれました。
唇を離しても、胸に青葉を甘えさせてくれて…少しだけ、心音が早くなった気がして。
この鼓動は、きっと青葉のせいで。それが堪らなく嬉しくなりました。

それが『私』の、気のせいだとしても。

「なぁ、__。」

「どうしました?」

優しく背中を撫でながら、彼は青葉に声を掛けました。
また本名を呼ばれて、それがもっと嬉しくて…。


「…例えば『僕は人を殺した』って言ったら、君はどうする?」


鉛弾のような冷たさが心臓を駆け抜けたのは、その時の事でした。


125 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/15(月) 05:37:31.95 ID:QOyJbMOhO
今回はここまで。
126 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/18(木) 02:59:21.42 ID:3OWGQWfYO
激しい悪寒が背筋を抜けてく。

目をそらせない。

ただただ、じっと青葉を見つめてくる目は吸い込まれそうで。

にたりと笑う顔は、一瞬誰かすらわからなくなりそうで。

怖いって、明確に感情の正体が理解できて。


「冗談だよ。」


そう耳元でささやく声は、今までで一番優しい声で。
その瞬間。ふっ、と、青葉の体は力を失ったのでした。

「……ほんと、ですよね?」

「ああ。」

なだめるように、また髪に手が触れて。
でも青葉の意識は、下げられた方の手に向かっていました。

震えてる…?

「…僕は先に帰るよ。今日は冷えそうだ、青葉も早めに帰るようにね。」

「あ……はい…。」

そのまま彼は、駐車場へ向けて歩いて行ってしまいました。
そして姿が見えなくなった瞬間、青葉はその場にへたり込んでしまったのです。

辺りは夕凪の無音で、心臓の音が嫌に生々しくて。
それは何だか、世界にひとりぼっちにされたような。そんな感覚を青葉に与えていたのでした。

__さん…俺に深入りするなって、脅してるんですか?

恐怖感と言う壁を彼に張ってしまった後悔と、突き放されたような感覚とで、頭の中はグチャグチャで。
さっきまでのドロドロとした感情でさえ、どこかに行ってしまって。
青葉はただ、呆然と夕日を眺めていたのでした。


ああ、目に沁みるなぁ…。


127 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/18(木) 03:00:58.58 ID:3OWGQWfYO
同日・鎮守府駐車場。

一足先に鎮守府へと戻った彼は、車をいつもの区画へと停めた。
日も相当に沈み、外灯と殺虫灯のみが辺りを照らしている。

殺虫灯がバチンと音を立て、白い蛾がポトリと彼の先へと落ちた。
そこより少し先に視線を送ると、人の脚。
その影をなぞるように目を動かすと、そこに立ち尽くす者が一人。

青葉の姉妹艦である、衣笠だ。

「……青葉に、会ってたんですか?」

「ああ、たまたま出先でね。どうかしたかい?」

「あの子について、話があるの。
提督…青葉の元カレの事、聞いてます?」

「…聞いたよ。詳しくではないけどね。」

「そう…。提督、青葉の事、大事にしてあげて?
あの子、その相手に『初めて』を許したら浮気されて…好きな人が離れるのが、トラウマになってるから。」

「なるほどね………そういうことか。」

「………っ!?」

それを彼が聞いた瞬間の変化は、衣笠に衝撃を与えた。

衣笠にとっては初めて見る、彼の無表情な貌。
そこにある凍てついた視線は、彼女の背筋を冷たくなぞる。
そこに衣笠は、一瞬誰かも分からなくなるほどの違和感を感じていた。

「提督……あなたも、そんな顔するんですね。」

「さて…何の事かな?おやすみ、衣笠。」

衣笠の横を通り過ぎる頃には、彼はいつもの微笑に戻っていた。
衣笠はそれを一瞥すると、軽く手を振り彼を見送る。

彼女の足元には、先程電流に撃たれた蛾が一匹。
白い羽根を震わせていたそれも、やがて震える事さえ止めた。

「焼けちゃうぐらい、光に縋る…かぁ。」

その蛾の影に何を重ねているのか。
それは、衣笠だけが知っていた。

128 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/18(木) 03:03:29.36 ID:3OWGQWfYO
部屋に戻った彼は、ベッドへと倒れ込んだ。
時計も外し、上着も脱ぎ。何となく照明へと手を伸ばしている。

彼の視界に映るのは、ぼやけて見える強い照明と、相反して生々しく映る自身の左手。
ズタズタの手首は明かりに晒され、その傷の深さをより浮き彫りにする。

手は、微かに震えていた。

「うっ…………!?」

そんな中、突如強烈な嘔吐感が彼を襲い、彼はトイレへと駆け込んだ。
吐けるものを全て吐き、口をゆすいでようやく平静を取り戻す。
彼が正面を向くと、目を鋭くした男が一人、洗面台の鏡の中に立っていた。

肌蹴たTシャツから覗く肩には、噛み跡が一つ。
その痛みと共に、蘇るもの。

甘い声。
体温と匂い。
向けられた心。

それらが否応無しに、彼の奥底に貼り付くものを、少しだけ引き剥がす。

洗面台の横、コンクリートの壁。そこから鈍い音がしたのは、直後の事だ。
拳から垂れる血が、足元の白いマットを赤く汚す。
掌を伝う温度が、命の赤が、生命の存在を耳をこじ開けるように囁く。

ここでは誰も見たことの無い、彼の苦痛に歪む顔。
今それは、たった一枚の鏡の中でのみ、白日のもとに晒されていた。

「……ふふ…。」

だがそれも、長くは続かなかった。
それはすぐに、侮蔑の笑みへと変わったが故に。

「………てめえは死んだんだろ?今更出てくんじゃねえよ。」

男は一人笑いながら、鏡の奥へと声を掛ける
その目には、一筋の涙が伝っていた。

彼の感情さえ無視した、身勝手に溢れる涙が。

129 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/18(木) 03:04:35.00 ID:3OWGQWfYO
今回はここまで。
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/18(木) 15:43:53.05 ID:vQ2BFUfA0
おつおつ
これはまた強烈な…
131 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/20(土) 05:01:36.71 ID:MJwCQvXBO
「司令官!おっはよーございまーす!!」

「おはよう。」

昨日の事が嘘みたいに、次の日、青葉達はいつも通りでした。
人や国を守るお仕事ですから、そこは青葉も理解しているつもりです。

でも早速、いつもと違う事が青葉の目には飛び込んで来ました。

「司令官、その手どうしたんですか!?」

「ん?ああ、昨日ハサミでやっちゃってね。」

司令官は、手にひどい怪我を負っていました。
右手は包帯で巻かれていて、肌は指ぐらいしか見えていません。

…右利きの人が、何でハサミで利き手を怪我するんでしょう?
包帯の膨らみが分からない程、青葉は鈍くありません。ガーゼの位置は拳で…何かを殴らなければ、まずそんな所に怪我なんてしない。
ガーゼがあるって事は、擦り傷で。きっと固いものを殴ったのでしょう。

あの後、何があったんでしょうか?彼が何かを殴るなんて…。
……青葉、怒らせちゃったのかな…。

「ああそうだ。青葉、明後日から2日ほど僕はいないからね。
戦術講習で、××鎮守府に出張に行くんだ。」

「××鎮守府…ですか。」

それは、扶桑さんのいるあの鎮守府の名前でした。
司令官一人で、あそこに行く…それが頭を過ぎった瞬間、暗い気持ちになって。

でも青葉は…。

「了解しました!お気を付けて行って来てくださいね!」

何とか明るい笑顔を作って、その場は答えたのでした。
ほんとは、一人じゃ行って欲しくないなぁ…だってあの人は今も…。


そう、今でも………。


132 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/20(土) 05:03:40.47 ID:MJwCQvXBO
その夜、青葉はまた執務室を訪ねていました。

夜にここに来ると、昼と違う顔を見せ合うようになったのは、いつからだったっけ。
いつも通り、いろんな音楽が流れていて…その間だけは、艦娘と司令官じゃなく、ただの人同士でいられる。

扉を閉めた時、またこっそり鍵を掛けちゃいました。
誰にも、邪魔なんかさせたくなかったから。

「……__か。」

あの声で響く、『私』の本当の名前。
その瞬間に、込み上げて来るもの。
腐った果実みたいな匂いの感情が、頭の奥を支配して。

「いい夜ですねぇ。今夜は何をお聴きでしょうか?」

答えなんて、待つ気も無いけれど。

言葉が帰って来る前に、背中から腕を回して。
首を挟むように、青葉は彼に絡み付いたのでした。
右手の中に、ある物を握ったままで。
133 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/20(土) 05:05:45.84 ID:MJwCQvXBO
「…ソロモンの狼って、実艦の青葉が呼ばれてたのは知ってますよね?」

「それはそうさ。」

実艦の青葉は、何度大破しても戦線に戻る不死身ぶりからそう呼ばれていました。
その適合者である『私』もまた、狼なのかもしれませんね…意味は大分、違ってしまうけれど。

狼って、愛情深い生き物なんですよ。
裏を返せば、執着の強さとも言えますけど。
こうして腕を絡ませて体を寄せれば、『私』の匂いは否応無しに刻まれるでしょう。
白い制服に、鼻腔に。或いは、記憶の底に。

匂いの記憶って、鮮明なものですから。

胸元に触れた手には、彼の心音が伝わって。
それが早まったのは、今度は気のせいじゃない。

今の心音もそうですし…朝にあの手を見た時、思ったんですよ。
少しずつ、彼に感情が戻って来てるんじゃないかって。
それは嬉しい兆候でしたけど、出張の話を聞いた途端、不安に変わってしまったのです。

だって…もし彼の閉じた感情が、未だにあの人を想っていたとしたら?
感情を取り戻す事で、その想いまで取り戻したとしたら?
それ以上の恐怖なんて、今の『私』にはありませんでしたから。

今は終業後です。
彼も一休みの時で、気を抜くために制服の前は開けられてる…だから、手の中の『これ』を付ける事だって出来る。
134 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/20(土) 05:07:05.52 ID:MJwCQvXBO
「…何を着けた?」

「それ、あげますよ。青葉のおさがりになっちゃいますけど。」

それはあまり着けてなかった、手持ちのとあるペンダントです。
彼なら似合うと思って、男性向きのチェーンに付け替えたんですよ。

着任した時シャレのつもりで買った、葉をモチーフにしたペンダント。

“『私』と言う『青葉』は、いつでもあなたのそばにいる”って。
“いつでも、あなたを見ています”って。

そんなつもりで持ってきたんです。

「これは……ありがとう。大事にするよ。」

「お守りです。寂しくなったら、いつでもそれで青葉の事を思い出してください。」

「…ああ。」

いつもの微笑でしたが、それでも嬉しそうに見えて。青葉もそれに釣られて笑って。
そんな瞬間は、やっぱりとても幸せで…また深く、彼に抱き着いたのでした。

そんな時でした。
彼の手が、青葉の髪を撫でたのは。

「この前は、言いづらい事を訊いてしまったね…だけど、もし吐き出したくなったら、いつでも言ってくれ。
『俺』でよければ、幾らでも聞くよ。」

じわりとした感覚が、目元に広がりました。

優しい言葉をもらったのもですが…また一つ、心を開いてもらった気がして。
肩に顔を埋めて、それを押し殺していました。

もう、誰にも渡したくないよ…あの人のいる場所になんて、行かせたくない…。
そんな我儘な感情を、押し殺すのに精一杯で。
青葉は、それ以外の事が見えていなかったのでした。

彼の心の奥が、血溜まりの中にある事さえも。

135 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/20(土) 05:07:56.14 ID:MJwCQvXBO
今回はここまで。
136 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/24(水) 03:59:46.99 ID:H6iAFqcy0
愛車を駆り、青年はかつて暮らした街へと走っていた。

自らの運転では、やはり景色は違う。
過去の記憶をなぞるかのように車は国道を通り、彼の脳裏では、次々とその時々の記録が流れて行く。

左折しようと横を見れば、がらんどうな助手席が目に入る。
この景色とその位置にもまた、彼の思い出は残っていた。

長い黒髪。
不意にその影が蘇り、青年は思わず苦笑する。

制服はバッグに詰め、今の彼は私服姿だ。
左折の振動でちゃり、と胸元から金属音がした時、彼の瞳はその幻を消し去った。

運転中の彼には、当然助手席の小さなゴミが見える事は無い。
故に、そこに落ちていた一本の薄紫の髪にも、気付かずにいた。

『彼女』は、常にそばにいるのだ。
例え目の届かない場所でも、彼の現在の、様々な場所に。


車を目的の鎮守府に停め、彼は駐車場へと降り立った。

日頃艦娘達を引率する際は、他に気を向けずに済む。
だが今は、一人だ。植樹の生え方や、空の色合い。それらの一つ一つでさえ、否が応にも彼の中の思い出を蘇らせて行く。

コツコツと靴を鳴らし、それらを踏み付けて行くように彼は駐車場を越えた。
案内された更衣室もまた、懐かしさはある。
だが、白い服に袖を通した瞬間、それもすぐに消え去った。

唯一外されなかったのは、制服の下にあるペンダントのみ。
司令官としての、そして人としての彼の現在の、そばにあるもの。
ボタンを閉める前、彼は一度だけそれを握り締めていた。

「…さて、行ってくるよ。」

ポツリとこぼした言葉は、どこの誰に向けたものなのか。
それは、彼だけが知っている。

懐かしい廊下を通り、集会室へと彼は歩いていた。
その後ろ姿を、遠くから睨み付ける視線が一つ。
それはミディアムの黒髪を揺らす、とある少女のものだ。

「あいつ…!」

すぐさま追いかけようと、少女は動こうとした。
だが、彼女の肩に掛かる白い手が、それを制する。
少女が振り返ると、そこには彼女の姉が立っていた。

「……やめてちょうだい。」

「姉様…でも…!」

「…いいのよ。彼を振ったのは、あくまで私だもの。」

「…わかりました。」

妹を制し、彼女は遠ざかる背中を見つめていた。
その目はひどく切なげに、妹の目には映っていた。
137 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/24(水) 04:02:11.78 ID:H6iAFqcy0
その日の講習を終え、彼は一人、用意された宿でくつろいでいた。

安宿ではあるが、窓からは慣れ親しんだ海がよく見える。
月夜と海、さわさわとした潮騒の声。
写真を一枚撮り、彼はある少女の元へそれを送った。
カメラには上手く収まらなかったが、何となく、今自身が見ている世界を共有したくなったのだ。

数分後、携帯が震えた。
だがそれは先程彼が連絡した相手ではなく、違う女性からのもの。
何年振りかのその名前に、画面をスライドする手は少し震えていた。


『明日、会えるかしら?』


『あの浜に行くつもりだよ。』
彼はそれだけを返し、以降返信は無かった。

続いて携帯を震わせたのは、とある少女からのものだ。
『綺麗ですねぇ。』と、可愛らしいスタンプと共に返ってきた言葉を目に収めると、彼は微笑を深める。


『ああ、今日の月は本当に綺麗だ。そっちも見えてるかな?』


空だけは、何処へだって繋がっている。例え、遠く離れていたとしても。
出来るなら今夜は…と打ちかけた所で、彼は首を横に振っていた。

机に置かれた、葉をモチーフとしたペンダント。
それは全くの偶然だが、今も彼の背の方を向いて置かれている。

じっと、それを見つめ続けるかのように。


138 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/24(水) 04:03:52.61 ID:H6iAFqcy0
翌日の昼には、講習は全て終わった。

参加者は各々の交通手段で帰る。
電車の者、飛行機の者。そして車で戻る者。
ここまでの道は、高速を使って3時間。
自分の車で来ていた彼は、気が向いた頃に帰れば良いと言った状況だった。
それはこの街での自由時間が、まだある事を意味する。

彼はすぐに帰ろうとはせず、とある駐車場へと車を停めていた。
そこは、ある海浜公園の駐車場。
少し歩けば砂浜が広がり、シーズンオフの今、ここに彼以外の人影は無かった。

青空と海。それ以外は、この砂浜には何も無い。
一人ポツリと佇み、彼は潮騒の声に耳をすませている。
かつて『二人』で何度も見た、穏やかな海がそこにはあった。
今、彼の胸に去来するものは、一体何なのであろうか。


「……変わらないわね、ここは。」


そこに響くのは、儚げな細い声。
長い黒髪とスカートを揺らし、とある女が彼に声を掛けていた。

艦娘としての制服よりも、彼にとってはずっと見慣れていた私服姿。
戦艦・扶桑としてではない、かつての恋人の姿として、彼女は立っていたのだ。

「……久しぶりだね。」

「ええ…何年経ったのかしら。」

「少し、座ろうか。」

言葉少なに、二人は近くの石段へと腰掛ける。
肩と肩の隙間は30cm程、手を伸ばせば届く距離。
だが、彼らが触れ合う事は無い。手をつなぐ事でさえも。

139 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/24(水) 04:06:17.76 ID:H6iAFqcy0

「知ってはいたが、目の当たりにするまで本当だと思わなかったよ。
…どうして艦娘になんてなった?」

「…憎たらしかったの…あなたを壊した、戦争そのものが。」

「…それでも『俺』は、帰ってこないけどね。」

「わかってるわ…でも__……何でそんなに寂しそうなのかしら?」

「…何の事だよ。」

「可愛い子ね、青葉ちゃん…この前、じっくりお話させてもらったわ。
ねぇ__……少しずつ、感情を取り戻して来てるのではないかしら?」

「………あぁ、そうだよ。」

青年の肯定に、女は寂しげに微笑んだ。

彼は青葉との交流の中で、失った物を徐々に取り戻しつつあった。
痛みや悲しみ、恐怖に怒り。

そして、愛と喜び。

少しずつではあるが、それらに揺れる感覚を、近頃彼は味わっていた。
それは間違いなく、青葉と言う少女が与えてくれたもの。
だが、過去への感情もまた、改めて噴き出していたのだ。

「……あの子のおかげかしら?」

「きっとね…例えは悪いけど、犬みたいな子だよ。常に『俺』の深い所にいてくれる。
…こんなんになっちまった、『俺』のそばにでもね。」

「それでも、あなたを見捨てた女に会いに来たのね…。」

「あの頃の『俺』は、死んだようなものだったからな…だから今こそ、ケリを着ける為にね。」

「……ずっと、後悔してたわ。
私がしっかりさえしていれば、あなたを殺しそうなんて思わなかったもの。ねぇ…。」

しなだれかかる重さ、懐かしい香り。
それらはかつてこの海で、幸せに夕日を眺めていた頃と同じものだった。

だが、今は違った。
過ぎた年月は心を焼き、今二人にあるものは、思い出の灰でしかない。

それでも彼女にとって、伝えたい言葉は。


「……やり直す事は、出来ないのかしら?」


どこまでも悲しい、わがままな想いだった。



140 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/24(水) 04:08:14.75 ID:H6iAFqcy0
「……ああ、出来ない。
君の好きな『俺』はもう、あの時死んだんだ。
息を吹き返してたとしても、それは新しい『俺』さ。」

「……あの子、本当に良い子よ。幸せにしてあげて。」

「…………わかったよ。」

嘘つきだなと、彼は内心で自嘲の笑みを浮かべていた。
青葉と心を通わせる前に、彼はもう、後戻り出来ない場所まで来てしまっている。
その事は、かつての恋人にさえ話せない事。

「…『僕』は、そろそろ行くとするよ。」

「そう…気を付けてね。」

背を返し、彼はその場を後にする。
振り返らずに歩く彼と、座ったままの彼女。

次第に遠くなる足音。それもエンジン音と共に止むのだろう。
だが彼女は、その音が途切れる前に走り出していた。

「待って!」

肩を掴まれ、強引に振り向かさせられた彼に触れたのは。
かつて愛した女の、唇の感触だった。

「__、愛して『いた』わ。」

「__……『俺』もだよ。さよなら。」

「ええ…さようなら。」

車は走り去り、見えなくなるまで彼女は手を振っていた。
その足で浜へと戻り、彼女は石段へとまた腰掛ける。

ひとりきりの、石段の上。
さっきまでは、ふたりきりだった思い出の場所。

上を見れば、透き通るような青空だ。
だが彼女の瞳には、天気は狐の嫁入りに見えていた。

瞳をぽつぽつと水滴が濡らし、それは人肌の、ぬるい雨粒だ。
次第に視界が滲んで行くが、それでも尚、空は変わらない。

青き日々の最期を、彼女の中に刻むように。


「ああ…空はあんなに青いのに。」


ポツリとこぼした言葉と、ポツリとこぼれた雫。
彼女の瞳には、土砂降りの雨が降っていた。

次の虹を呼ぶ為の、寂しい通り雨が。


141 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/24(水) 04:09:29.02 ID:H6iAFqcy0

この日が来るのを、待っていました。

今日は彼が帰って来る日です。
もう夜だけど、絶対出迎えてやるんだ!って今は待ち伏せしている所。
早く会いたいなぁ…でもこんな時間も何だか楽しくて、暗い駐車場も怖くはありません。

おや、光ですねぇ…あ!帰って来た!

「司令官!おかえりなさい!」

「青葉…待っててくれたのか。ありがとう。」

私服姿の彼は、あのペンダントを付けてくれてて。
もう顔を見ただけで嬉しくなって…思わず抱きついちゃいました。
だって今なら、誰も見てないもん。だから我慢なんて出来ない。

「あはは、そんなにくっつくなよ。犬じゃないんだから。」

「狼ですよーだ。えへへ…。」

嬉しくて嬉しくて、思わず腕に頬ずりしちゃいました。
ふふーん、久々に匂いでも味わってやろうかなー、どれどれ……。


…………え?


「司令官……扶桑さん、いましたか?」

「…ああ、いたよ。」



アノヒトノ、ニオイガスル。



形容し難い何かが青葉の中を駆け抜けて行ったのは。
その匂いを、感じた時でした。



142 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/05/24(水) 04:10:44.50 ID:H6iAFqcy0
今回はここまで。
143 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/01(木) 05:55:03.91 ID:SzsIr5nJ0

こわい。こわい。こわい。

血の気が引いて、でも込み上げてくる感覚もあって。
頭がぐるぐる回って、汗が冷たい。

くらくらする。
しんぞうがばくばくして、じめんがちかい。

あれ?なんでじめんがちかいんだろ?

「青葉!?」

しれいかんのあししかみえない。おっきなこえがする。
なんでそんなにあわててるんですか?だいじょうぶ、たてますよ。

あ。からだがういた。

「待ってろ、すぐ連れてく!」

そのままかれは、あおばをどこかへつれていってくれました。
あたまがぼんやりして、ねむくなって…。


そこからは、意識が途切れていました。


144 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/01(木) 05:56:22.82 ID:SzsIr5nJ0
あの浜に、青葉と司令官は立っていました。

彼は青葉の少し先にいて、いつもの微笑もありません。
ただ淡々と、曇り空の下を歩いていました。


『たぁん…。』


嫌な残響の銃声が響いたのは、その時のこと。

その場で彼は倒れて、青葉はそこに駆け寄るんです。
抱き上げるんですけど、血が止まらない。
気付いたら青葉の両手も真っ赤で…ふと自分の手を見たら、拳銃が握られていたんです。
血は暖かくて、全身に彼を浴びているようで。

でも拳銃は、とっても冷たい。

青葉が目を覚ましたのは、心までその温度に飲み込まれた時でした。



“あれ…?”

司令官の匂いだ。
真っ先に感じたのは、その香りです。

そこは医務室でもドックでもないし、ましてや自室でもない。知らないベッドの上で。
手があったかくて…それはどうやら、人に握られていたからのようでした。

「え…司令官!?」

「良かった…目を覚ましたのか。」

その手の主は、彼でした。
優しい笑みを向けてくれてて…青葉はそれで、ようやく現実に帰ってこれたのです。

でもここ、どこだろ…?

145 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/01(木) 05:57:42.10 ID:SzsIr5nJ0

「あの、青葉は一体…。」

「急にうずくまって、意識も朦朧としてたんだよ。それで近くの俺の部屋に運んだんだ。
医務も呼んで診てもらったが…ストレスから来る急性のものだったようだね。」

「………ストレスですか。」

原因は、思いっきり心当たりがあります。
扶桑さんの匂いがした瞬間、『あの時』の感覚が蘇りましたから。

ドン底に突き落とされる感覚…でも違うのは、司令官は青葉のものでも何でも無いってこと。
だからこんな感情も、こんな風にトラウマぶり返すのも、本当は筋が違うんですよ。

迷惑掛けちゃったな…彼女ヅラして、ばかみたい。
ほんと、ばかだよ……やり直す可能性だってあって、『私』にそれを止める権利なんて…。

「青葉…泣いているのか?」

「あ…いえいえ!だいじょーぶです!眩しいだけなので!」

そうだ、起きたんだし帰らなきゃ。
ここ、司令官の家だもん。これ以上はいられないし…。

「…ここなら誰も見てないよ、我慢しなくていい。」

ぎゅっと青葉を抱き締めて、彼はそんな言葉をくれました。
ダメですよ、そんな事言っちゃ…余計涙止まんなくなっちゃう。

言えないよ、こんな気持ち…でも…。

「……扶桑さんと、ヨリを戻したんですか?」

この時、心底自分を子供だって思いました。
そんな光景を想像すると、やっぱり怖くなって…今でも、少し手が震えてるのがわかる。
無意識に彼の裾を強く掴んでいて、それは青葉自身の執着を教えてくれていました。

そうだよ。これは執着で、ワガママなんだ…知りたいって思う事さえも。

「逆さ。彼女とは、ちゃんとケリを着けたんだ。
あの時の俺は、今より欠けていたからね。」

でも返ってきたのは、青葉の不安と真逆な言葉でした。
ケリって一体…。
146 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/01(木) 05:59:59.33 ID:SzsIr5nJ0

「……彼女は俺を振ったのを後悔していたが、それでもやり直す事は出来ない。
あまりにも、時間が経ち過ぎていたんだ…俺が俺を取り戻し出すには。」

「司令官…やっぱり、感情が欠けてしまっていたんですね。」

「そうだろうね…昔は寂しいや悲しいと言った類も、上手く感じられなくなっていた。
ただあの場所に俺は焦がれていて…その理由さえ、理解出来なかったのにな。

だけどこの頃、少しずつ蘇ってきたんだ…君との交流の中でね。
思う所は沢山あったが、まず彼女とちゃんとケジメを着けなきゃと思った。講習の話は、その時に来たんだ。」

「それで…扶桑さんは何て?」

「……宿にいる時、彼女から連絡があった。それで次の日会いに行ったよ。

彼女もまた、後悔したままだった。
ただ俺とは逆で…やり直せないかって、そう言われた。
だが、今となっては不可能な話だ。
俺はその間、余りに変わりすぎたからね。戻る事は出来ない…その旨は、ちゃんと伝えたよ。」

「…そう、ですか…。」

それを聞いて安心した自分がいて。
ふと我に返って、自己嫌悪を抱きました。

何を安心なんて…だって感情が戻り出したって事は、きっと…。

「……司令官、じゃあ拳の傷は…。」

「…あの件やその後に纏わる気持ちを思い出し始めた、副産物だろうね。
耐え切れなくなって、吐いたり暴れたりしたものさ。
なぁ青葉。俺が見た場所へ行く条件って、分かるか?」

「いえ…。」

「手首を切った時は、気絶しても何も見えなかった…今思えば、簡単な事なんだよ。
あそこは戦場で、死に瀕した者にだけ見える…生と死の、狭間の場所だ。
もしかしたら俺は、そこに自分の心を置いて来たと思い込んでたのかもな。ずっと、俺の中に眠っていたのに。

…まぁ、俺の事はどうでもいい。
今日は無理せず、休ませた方が良いって医務も言ってたよ。ベッドはそのまま使ってくれ。」

そう微笑んで、彼は青葉の髪から手を離しました。
短い間見せた、張り詰めた目なんて無かったかのように。

「司令官は、今夜どうするんですか?」

「俺はリビングで寝るよ。ソファもあるしね。それじゃあ…!?」

「…嫌です。」

背を向けようとする彼の手を、無意識に掴んでいました。
怖くて、寂しくて……それは青葉にとってもでしたが、彼を一人にする事が怖くもあったから。

このまま、遠くに行ってしまわないかって。だったらいっそ…。
147 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/01(木) 06:01:32.19 ID:SzsIr5nJ0
「病人ほっとかないで下さいよ…隣で寝て下さい。」

「…簡単に、異性にそんな事言うものじゃない。『僕』が狼でないと言いきれるかい?」

「……あなたの一人称が『僕』の時は、仮面被る時です。青葉、さんざん見ちゃってますから。
それに……『私』も狼ですから。食べられちゃうのはあなたかもしれませんし?」

自分が満更でもないと思ってもらえている事ぐらい、気付いてるんですよ。

だからこれは、卑怯な事。
こうやってどさくさ紛れに気持ちを伝えて、後戻り出来なくさせて…逃げ場を無くす行為。
それと同時に、これは青葉にとっても大切な事で。

本当は、今でも怖いんですよ。
こんな事したって、またいなくなるんじゃないかって。男の人自体を信じられなくなってる自分もいて。

だけど、それじゃこの先何も変わらない。

『私』との交流の中で、感情を取り戻し始めた彼。
もっと深く踏み込んだなら、より多く取り戻せるでしょうか?

自分の為にも、あなたの為にも。
今少しだけ、私達は殻を破らなきゃいけない。

「…私達は成人同士です。不倫でもない限り、男女の仲は自己責任ですよ?
司令官…いえ、__さん。私はあなたが好きです。あなただから、こんな事を言うんですよ。」

「………そうか。」

「びっくりしちゃいましたか?
_さん、あなたはどうなんでしょう?」

「俺は……。」

さっきとは別で、心臓がばくばくしています。
小悪魔気取ったって、内心は必死ですから。

とても長くて、永遠にも感じられる時間です。
背中に汗が伝うのを、青葉の肌は感じ取っていました。

「なぁ、__。」

その時聞こえたのは、青葉の本当の名前。
微笑も無く、ひどく真剣な。そして苦悩に満ちた顔で。

あぁ…あれだけの事、『私』はしてきたもんね。
きっと振られてしまうんだと、目元にじわりとした感覚を感じた時の事。

148 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/01(木) 06:03:38.34 ID:SzsIr5nJ0

「俺はあの日以来、感情を失っていた。今でも完全にとは言えない。
今でも軍にいるのは、もう一度死線に巡り合う為でしかなかった……いや、正確にはそれ以外は感じられなかったんだ。
ここにいれば、いつかあの場所が見えるんじゃないかってね。

この歳で少佐に上がったのも、感情が無かったからだろうな。
感情が無いから、戦術での最適解を出す事が出来た…味方の反発を産まず、敵もなるべく殺せる道を。

だが、失ったものは多かった。
俺は仲間の死も嘆けなければ、彼女と別れてもやはり空虚だった…ひどい事ばかりしてきたよ。

司令官になった今でも、艦娘や他の職員との距離は感じていてね。そんな中に現れたのが、君だ。」

「……はい。」

「随分と、俺を引っ張り出してくれたもんだよ…ちゃんと人として話を出来たのは、君ぐらいなものさ。
おかげで、今はこの戦争を終わらせたいと、はっきり思えるようになった。

俺には言えない事も沢山ある。これから先、君にはつらい思いをさせるかもしれない。
__。それでも、近くにいてくれるか?」

「……はい!いつでもそばにいますから!」

「ありがとう…俺も、君の事が好きだ。」

そうやって抱き締められた時、全てが昇華された気がしました。
彼の苦しみも、青葉の苦しみも、何もかもが。

抱き合っている間は、融け合えているみたいで。それはとても、幸せな事。
目に見える全てが、優しい場所と思い込めるぐらいには。

例えばそこが、実際は海の底だったとしても。
いくらでも、どこまでも深入りできてしまう気がして。


青葉と司令官が。
いえ…『私』と『彼』が一線を超えたのは、その夜の事でした。


それは全てに目を伏せるような。
虫の声も聞こえない、丸い月の夜だったのです。


手を伸ばしても届かない、光の遠い夜の事。


149 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/01(木) 06:04:14.92 ID:SzsIr5nJ0
今回はここまで。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/03(土) 15:01:42.33 ID:wPGvBaJ60
順調に泥沼へすすんどる
151 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/18(日) 06:53:13.41 ID:E5Fo7Ca+O
“……真っ暗…まだ3時かぁ。”

一度目を覚ましたのは、真夜中の事でした。
上は裸ですけど、寒くない。だって、彼の腕にくるまれているんですから。

ふふ…叶っちゃったんだぁ…。

幸せを噛み締めて、胸元に頬を寄せて。
これは夢じゃないんだって思えました。

静かに眠る彼の顔は穏やかで。でもいつかみたいな、死んだような寝顔じゃない。
それが愛おしくて、嬉しくて。青葉は少しの間、彼の心臓の音に耳をすませていました。

“でもトイレ行きたいなぁ…起こさないように…っと。”

ベッドを出て、そろそろとトイレに向かいました。そこで初めて、ちゃんと家の中を歩いたんです。
最初にトイレと間違えてお風呂場を開けちゃって、目に入ったのは脱衣所。
端の方に透明なビニール袋があって…その中には、血の付いたマットが入っていました。

これ、きっと拳の怪我のだ…手に取ってみると、かなりの血が出ていたのがわかりました。
さっきまでの幸せとは別で、胸がぎゅっとなります。どんな気持ちだったんだろ…。

用を足して寝室に戻ると、多少目が覚めたのでしょう、部屋の様子がさっきよりはっきり見えました。
間接照明にも目が慣れて、どんなレイアウトかよく見える。

棚には沢山のCDが並べられていますが、それ以外は特にめぼしい物もありません。
むしろ無機質さすら感じるぐらい、他に生活感や趣味の要素が見当たらない。
本棚も、殆どは戦術や軍事関係のもの…思い出のアルバムも無いし、何か写真が飾られてる様子も無くて。
PCには外付けHDが繋がれていますが、これも音楽用なのでしょう。

……デジカメや古い携帯の写真とかも、PCに無いのかもなぁ。

CDラックは整頓されていて、ちゃんとアーティスト順に並べられていました。
悪いとは思いましたが…ふと気になって、ある区画を探したんです。
彼が一番好きな曲を作った人達の、あの頭文字を。

“綺麗…。”

何となく手に取ったのは、黒地に綺麗な指輪が印刷されたもので。
しばらくそのジャケットを、ぼーっと見つめていました。

152 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/18(日) 06:54:35.55 ID:E5Fo7Ca+O
「ん…起きてたのか。」

「あ…え、ええ!少しトイレお借りしました…。」

そこに掛かった声は、大好きな人の声で。
でもCDラックを勝手に見ちゃってたから、ちょっと慌てちゃいました。

「おや、あのバンドか。それは良いアルバムだ、良かったら貸すよ。そうだなぁ…だったら他にも…。」

そうして青葉の隣に来て。
彼は何気無く、片手で青葉の肩を抱きながらCDを探していました。

…恋人同士って、こう言う感じだよね。
こんな何気ない事でも、怖いぐらい幸せで。このまま朝なんて来なくていいのに。

「袋に入れたから、帰りに持ってくと良い。忘れないようにね。」

「ありがとうございます。」

「ああ、それと…仕事以外では、敬語はもう使わなくていいよ。
その、何だ…す、少なくとも、今までの関係じゃないんだし。」

「ふふ…うん!そうするね!」

「よくできました。」

少し恥ずかしそうに言う姿は、初めて見る顔で。
かわいいなぁって、にまにまとそんな顔を見つめたものでした。

夜明けまでまだあるなぁ…ガサには連絡が行ってるみたいで、下手に早く帰ったら怒られちゃいそうです。
それにしても、よっぽどぐっすり寝ていたのでしょう、目も冴えてしまっていて…それは彼も、同じなようでした。
153 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/18(日) 06:56:41.99 ID:E5Fo7Ca+O

「眠くねえなぁ…。」

「横になろっか?ゴロゴロしてるだけでもマシだろうし。」

「そうだね、変にテレビ見たりするよりは。」

照れ笑いも、少し崩れた言葉遣いも。やっと心を開けたようで、青葉には全部が嬉しくて。
それで思わず抱き着いて、腕を絡めたら…あるものが青葉の手に触れました。

火傷ででこぼことした背中に触ると、眠る前まで無かった、細くて硬い感触があって。
それは多分、最中に青葉が爪を立てたせいで出来た傷。

痛かったかなぁ…無意識とは言え、悪い事しちゃったな。

「背中、ごめんね…痛くない?」

「ん?ああ、大した事じゃないさ。」

そう笑顔で言い放つ彼を見て、少し胸が痛みます。
彼の過去の恋愛も過ぎりましたけど…それ以上に、あの戦闘で痛みに慣れてしまったんだろうって。

…最近少しだけ、確信を得た事があるんです。
彼が感情を取り戻し始めたきっかけや、その後に欠けたピースをはめて行ったトリガー。

それはきっと、『私』が彼の体に痛みや傷を与える事。
痛みを以って、痛みを呼び覚ます事。

確かに、恋人同士になった事もあるでしょう。
だけど、体を重ねる前より柔らかくなった表情を見ると…背中の爪痕が、また呼び覚ましたのかもしれないって思ってしまう。

医務官さんの指示で、青葉は今日はお休みになったそうです。
それでも昼には、部屋に戻らなきゃいけない。

つまり、また夜になれば、彼はひとりきりで夜を明かす。誰にも見られず、何かを隠す必要もない。
そこまで考えた時、さっきの血まみれのマットが頭を過って…今度は、自分の胸に彼を抱きしめたんです。
154 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/18(日) 06:58:05.67 ID:E5Fo7Ca+O

「ねぇ…本当に痛くないの?」

「背中の事か?大丈夫だよ。」

「……違うよ。私は記者だもん、あなたの事は沢山見てきたんだ。
__…昔の事、思い出したりしてない?」

「……思い出してないと言えば、嘘になるかな。」

「…今は何も訊かないよ。でも辛くなったら、私のこと思い出して。いつでも見てるから。
それで…話したくなったら、いつでも話してね。」

「……ありがとう。」

胸元にわずかに冷たいものが触れたのは、きっと気のせいじゃない。
痛くないように、なるべくゆっくりと抱く力を強くして…体に食い込むその感触で、彼がここにいる事を確かめていました。

抱きしめているようで、きっと縋り付いているのは『私』の方だけど。

艦娘である以上、命の危険なんていつでもあるはずで。
なのに相変わらず、仲間や自分の誰よりも、司令官である彼が一番消えてしまいそうな気がするのは、変わりませんでした。

『私』は、あなたがいないと生きて行ける気がしない。
でも…あなたは、『私』がいなくても生きて行ける?

何度も自分からキスをして。その後何をするでもなく、ベッドで色んな話をして。
その間ずっと、青葉はつないだ手を離す事が出来ませんでした。

155 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/18(日) 06:59:15.18 ID:E5Fo7Ca+O
やがて朝が来て、いつの間にかまた眠ってしまっていて。
青葉が目を覚ました時には、彼はもうお仕事に行った後でした。

“……この部屋、結構広いんだ。”

テーブルの上には、鍵と一枚のメモ書きが。
メモの内容はお風呂の使い方と、鍵の隠し場所の指定でした。

“…さすがに合鍵もらう事も無いかな。あの人も軍人だもんね。”

シャワーを浴びてベッドを整えたら、すぐに彼の家を出ました。
ずっといると、寂しくなっちゃいそうでしたから。

ここの司令官用の住居は、駐車場のそばにある平屋で。どの設備からも少し離れた位置にありました。
だから、上手くやれば人には見付からない。
からかわれたりする事は無いと思いつつ、こっそりと戻った訳なのですが…部屋の鍵を開けると、何やらドアの隙間に紙が一枚。


『おめでとうございます。』


あはは……これ、ガサの字じゃん…。

さすがに今冷やかされるのは恥ずかしいなって思って、今日は大人しくする事にしました。
1日ぶりに自分のベッドに入ると、何だか妙に頭が冷静になって…ふと、今までの青葉の人生を思い返していました。
156 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/18(日) 07:01:12.09 ID:E5Fo7Ca+O
無意識にトラウマになってた、最低な過去の恋愛も。一夜明けると何だか遠くの様で。
それ以外の事も、映画の様に客観的に蘇って来て…例えば、艦娘になるきっかけの事。

叔父さんの事については、一つだけ彼に隠し事をしていたんです。
それは心配をかけまいとしたが故ですけど。

叔父さんの遺体は、確かに早く見付かりましたが…厳密には、頭と右腕までだけが繋がった状態で見付かったんですよ。
それ以外は吹っ飛んでしまっていて、それでもSDだけは手放していなかった。

青葉が敵に憎しみを抱いたのは、それが最初の事。
叔父さんは青葉にとって、ジャーナリストとしての目標で…仇討ちに艦娘になる事を決めたのは、そう時間は掛かりませんでした。

仇を討つ事も、本を書いて世に伝えたいと言う目標も、そこに偽りはありません。
でも、ある時から青葉の中には、一つだけ疑問が芽生えました。

じゃあ、守りたいものや助けたいものは、青葉にはあるのかな?って。

仲間が亡くなった時や、彼と深く関わっていく中で、その疑問は次第に大きくなっていました。

今は…幸せになりたいし、したいかな。
この戦争に勝って、叶えたい事もあるし…ずっと、隣にいて欲しい人が出来ましたから。
戦争が終わっても彼が生きていられるように、青葉が彼の心を連れ戻すんだって。

“今夜はせめて、彼が寂しくないようにいっぱい連絡をしよう。”

そう決めて体を起こすと、貸してもらったCDをPCに取り込みました。
それで一番気になっていた、黒地のアルバムから聴き始めて…。

言い知れぬ不安に駆られたのは、その時の事でした。


157 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/18(日) 07:03:20.81 ID:E5Fo7Ca+O
その日の夜。
一日を終え、彼は自室のベッドに横たわっていた。

部屋には音楽が流れており、間接照明の中、彼はじっと天井を見つめている。
ベッドから感じるのは、彼女の残り香。
記憶の中のぬくもりを思い出しながら、しかし彼の手には、それとは相反するものが握られていた。

マガジンの抜かれた、冷え切った拳銃が一つ。

スピーカーから流れるのは、彼女に貸したものと同じアルバム。
それは戦死した兵士の魂が、現代へとタイムスリップすると言うストーリーの作品だった。

彼女の前ではこの頃見せていない、あの貼り付けたような微笑み。
それを浮かべつつ、彼は右手の銃を持ち上げ。
そして、かち、と言う虚しい音だけが彼の片耳に響いた。

「ふふ……ははははははは!!!」

まるで楽しんでいるかのような、激しい笑い声が部屋に響く。
実際に、彼はコントを見ているような気分だったのだろう。

自身の存在と言う、ブラックコメディ。
今彼にとって最も滑稽なものは、それ以上に存在し得ないのだから。

“あの子の前で殺された……ね。”

流れる音楽の歌詞と、ある想像が彼の中でリンクする。
そして彼が彼自身に突き付ける銃口は、自身の心の弱さだった。

「俺は、蘇ったりはできないな……。」

彼女からもらった、葉のペンダント。
それを握り締める手は、ひどく震えている。

直後、携帯のバイブレーションが響き、それは彼女からのものだった。
何とも他愛の無い、恋人らしい内容だ。目を通せば、先程までの感覚はひと時でも安らぐ。

それは偽薬のような、か細い安息。
だがその実、幸福以外に、心の奥底にあるものを隠したままだった。

形は違えど、互いが共通して隠すもの。
それは、不安と言う名の感情だった。


158 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/18(日) 07:04:09.70 ID:E5Fo7Ca+O
今回はここまで。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/20(火) 00:56:58.29 ID:K3r+mxBpO
なんだろう、すごくドキドキする
160 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/23(金) 05:17:34.57 ID:GXp8xFqq0
『魔の海を越えて……最後に見たのは…』

イヤフォンを耳に差したまま、呆然と天井を見つめていました。
一通り黒いジャケのアルバムを聴いて…今は、ある曲をリピートしてしまっていて。
それはアルバムのストーリーの冒頭。主人公が敵に撃たれて、戦地から現代へと魂が飛ぶ場面を歌った曲。

これはあくまで、過去としてのその瞬間の歌で。
だけどこの時浮かんだのは……彼の…。
……ううん、もうやめなきゃ、こんなこと考えるのは。今は幸せなんだもん。

それでも寂しい夜を過ごしてないか、心配になって連絡を取りました。
そのまま何となくwebブラウザを開いて…検索したのは、このアルバムのこと。

“ラストのサビの部分には_________の冒頭部分が重ねられている。”

何枚か貸してもらったCDをざっと見た時、そのタイトルを見た覚えがありました。
確かに違うメロディが鳴ってる…それがどうしても気になって、今度はそっちの曲を再生したんです。

日は暮れていて、彼もきっと帰っている頃で。それを一通り聴いて…。


青葉は、部屋を飛び出していました。

161 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/23(金) 05:18:43.03 ID:GXp8xFqq0
息を切らして彼の家に辿り着くと、インターホンに手を伸ばしました。
だけどその手を、途中で止めてしまったんです。

きっと堂々と尋ねたら、彼は全てを隠してしまう。
今青葉が知らなきゃいけないのは、そうじゃない顔。

“…覗くしかない。
何もなければそれで良し、もし何かあったなら…。”

今は記者として、恋人としての見せ所だ。
記者だからこそ出来る、ともすれば傷を広げかねないような、すれすれの手助け。

でもそんな事、他に誰が出来るの?
やるしかない…青葉、取材しちゃいます……!

壁を這うように、こっそりと裏へ回ります。
寝室の位置は把握してる、それはこのサッシの向こう。
カーテンの隙間からは間接照明が漏れてる…音楽も聴こえる。いるのは間違いない。

バレる事は、微塵も怖くない。そんな余裕自体無くて。
でも心臓の音はばくばくしていて…その正体は、不安でした。

ちゃんと耳をすませば、かち、かち、と、無機質な音が聞こえて来ます。
音を立てないよう、片手スコープを窓の隙間へ。
いました……あれは…!?


青葉、見ちゃいました…。


そこにいたのは。
ベッドの上で何度となく、空の拳銃をこめかみに撃ち続ける彼の姿。

間接照明に口元だけが照らされていて…その頬は、釣り上がっていて。

頬には、涙が伝っていました。

162 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/23(金) 05:20:03.92 ID:GXp8xFqq0
『こん…こん…』

自分でもびっくりするぐらい、弱々しいノックをしていました。
それでもあの部屋にはよく響いたのでしょう、彼はすぐに気付いて…。

サッシを開けた彼の顔は、見た事もない、悲しげな顔を浮かべていました。

「見たのか……。」

「うん…ねえ、入れてもらってもいい?」

「……上がってくれ。」

隣同士でベッドに座っても、言葉はありません。
何を言えばいいんだろう、何をしてあげればいいんだろう。
考えるほどわからなくて……ただ、ぎゅっと彼を抱きしめる事しか、青葉には出来ませんでした。

「……何があったの?」

「…………。」

「黙ってちゃ、わかんないよ…おねがい……私には、話してよ……。」

「……何で俺だけ、のうのうと生きてんだろうなって思ったんだ。」

「………また、思い出したの?」

「ああ……あの戦闘で死んだ仲間たちや、あの子の事への気持ちが一気にね……今更だ、本当に今更だよ。
今になって、悲しくてたまらなくなって……気付いたら、空砲を撃っていた。」

様々な痛みや悲しみが、混ざり合って吹き溜まりになって…決壊したダムのように、一気に溢れたのでしょう。
それがどれだけの心の痛みになったのか、青葉には全てを想像する事は出来ませんでした。

それはきっと、地獄のような責め苦で。
不意に甦るのは、彼の語っていた天国の事。

感情なんて捨ててしまった方が、心だけでも殺してしまった方が。何かに苦しみ続けるより、ずっと楽な事で。
彼が心を閉ざしていたのは、防衛本能だったのかもしれない。

死にたいと言う気持ちすら、天国への憧憬にすり替えて。
そうすれば、死に場所を探す事さえ辛くないはずだから。

その蓋を開けてしまったのは、『私』だったのでしょう。


それでも…『私』は……。

163 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/23(金) 05:20:43.13 ID:GXp8xFqq0


「__……大丈夫だよ。」


強く抱きしめて、安心させるように。


「私は、何があってもそばにいるから。」


たったひとりの理解者である事を擦り込むように、甘い言葉を囁いて。


「やっと泣けてよかった…ありがとう、話してくれて…。」


ヴェールを纏った聖母を気取るみたいに、欲望を包み隠して。


「生きてるんだよ、あなたは。」


腕を取って、唇を寄せて。
また、彼に噛み跡を付けたのでした。


164 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/23(金) 05:22:10.26 ID:GXp8xFqq0
「………っ!?」

「痛かった?ごめんね……。」

こぼれた血は、あたたかい。
それはまるで、とろけるように甘美で。

唇を伝う血も気にせず、私はキスをして。
付いた傷を眺めて…ぞくりとしたものが、背筋を通り抜けて行きました。

ああ、また『私』の跡が増えたんだ。
これでまた、感情が一つ戻るんだ。

喜びや幸せが戻るまで、何度でも、何度でも傷を付けてあげる。
全部、『私』が呼び戻した跡で。

他の誰にも、こんな事は出来やしない。

「……それでも今は、私がいるよ。
私を“シルクスカーフに帽子が似合う女”になんて、しないでよ…。」

「聴いたのか?」

「うん……あれ、悲しいよ。あなたの事みたいだって思った…。」

「そりゃ予想外だったな…ごめんな。」

「だめ。収まるまで許さない。」

「ありがとう…お前がいなかったら、今頃どうなってただろうな。」

胸元に飛び込んで、顔を埋めて。
そうやって甘えてみせる青葉を、彼は優しく抱きしめてくれました。

だから今、彼に青葉の顔なんて見えていない。

この時本当は、甘えるよりも、抱きしめてあげたかったんです。
でも、どうしても隠さなきゃいけない自分の変化があった。

釣り上がる頬の感覚。
きっとこの時の青葉は…それはそれは、ひどい笑顔をしていたでしょうから。
彼には見せられないような、欲望まみれの女の顔で。

この時一番強かった感情。それは…



“私がいないと、この人は生きて行けない。

これでもう、えいえんにわたしだけのもの。”



そんな、どこまでも下卑た感情だったのですから。


165 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/06/23(金) 05:23:16.59 ID:GXp8xFqq0
今回はここまで。
筆者の中では、青葉はかなり影を隠してそうなイメージがあります。
166 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/07/21(金) 03:58:54.17 ID:lURP6mEEO
膝枕をしてあげる内に、彼は疲れ果てて眠ってしまいました。
今は子供みたいに穏やかに目を閉じていて、その顔が青葉を満たして行く。
少なくともこの鎮守府では、青葉以外誰も知らない顔なのですから。

腕には真新しい噛み跡。まだかさぶたも真っ赤なその傷を見て、ふと彼の血の味が蘇りました。
アヘンって、元はけしの乳液だったよね……さながら青葉にとってはその味が。いえ、彼の存在自体が麻薬のようで。
傷に舌を這わせれば、乾いた鉄の味。頭の奥が痺れるような感覚が、そこにはありました。

ほんとうのこのひとはわたしだけのもの。

でも、もう帰らなくちゃ。
起こさないように頭を下ろして、毛布を掛けたら最後にキスをして。それでこっそりと、部屋に戻りました。

本当は朝までそばにいてあげたいけど、恋人であると同時に青葉は艦娘で、彼は司令官で。
それは二人とも、よく分かっている事でしたから。
167 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/07/21(金) 04:00:03.38 ID:lURP6mEEO

「“司令官”、おはよーございます!!」

「ああ、おはよう。“青葉”。」

次の日、今まで通りの挨拶で1日が始まりました。
今日の青葉は秘書艦を外れていて、でも作戦の関係上出撃はありません。

戦闘が無い時の艦娘がやる事と言えば、専ら訓練です。
今日は海上移動の訓練をしたかったので、一人訓練用の沖に立っていました。
この時はたまたま、青葉以外誰もここを使っていなくて。静かな沖が目の前に広がっていました。

“〜〜…♪”

何故なんでしょうね。
天国旅行と言う曲を知った日から、艤装を付けて一人沖に立つと、頭の中で流れてきます。

あの曲から感じる、寂しい景色。
それを何故か、ずっと昔から知っているかのように思える。
彼が見た天国が、艤装と通じている間は既視感のあるものに感じられるんです。

『天国とは名ばかりのそれ』が、生々しい物に思えるぐらいには。

彼の事を知り始めてから、作戦や訓練の時は頭の中でスイッチが入るようになりました。
特に具体的な過去を知ってからは、グツグツと煮えたぎるのに、冷え切った様な。そんな感覚を持つようになったのです。

洋上を駆けて、障害物を避けて。そして置かれた的を撃つ。もっと速く、もっと正確に。
ぜえぜえと息が上がっても、足が震え始めても。
日が暮れるまで、青葉は訓練を止める事はしませんでした。

168 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/07/21(金) 04:00:47.80 ID:lURP6mEEO
「演習ですか…。」

「…ああ。さっき話が来た。」

その夜彼から告げられたのは、演習の知らせでした。
相手はあの鎮守府で、今度はここが会場だって。そう言われたんです。

「その…向こうの編成は?」

「……彼女の妹がいる。たっての希望だそうだ。」

「…青葉を、旗艦にしてもらえませんか?」

「君をか?」

「はい。前の演習の時は、倒せませんでしたから。」

「…分かった。君を旗艦に編成を組もう。」

山城さんの事が出た瞬間、使命感に駆られたんです。
あの子は彼を憎んでる…それこそ顔を見た瞬間、殴ろうとしてるぐらいには。
それを思い出したら、守らなきゃって思って。


コノヒトヲキズツケヨウトスルヤツハ、ダレデアロウトユルサナイ。

キズヲツケテイイノハ、ワタシダケ。


「……ねぇ、“時間だよ。”」

終業時刻を過ぎた瞬間、『私』は彼にとって『青葉』ではなくなる。
だけど『青葉』である時も、いつでも彼のそばにいる。

最も近い部下としても、最も近い恋人としても。
いつだって、あなたのそばにいるんだから。
いつでもいつでも、見てるんだよ。あなたの敵でさえも。

大丈夫、あの子の好きにはさせないから。

私が、守ってあげるから。

169 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/07/21(金) 04:02:18.08 ID:lURP6mEEO

翌日夜。鎮守府内・射撃場。

かつて拳銃やライフルの訓練用に作られた小さな建物も、今はあまり使われていない。
だが、今でも時折ここで訓練を行う者が、一人だけいた。

彼が構える拳銃には、サイレンサーが付けられている。
味気ない発砲音の後、的には穴。白い的に空いた銃創は、否応無しに彼の中である光景を思い出させている。

自分と同じ制服を纏った、へたり込む死体の記憶。

彼が手を下した男は、我欲に溺れ、殺されるだけの罪を犯した。
元々その男は、下卑た人格で有名な者。
深海棲艦との初回戦闘を生き延びた一人ではあるが、男の部隊も死者を多数出し、生き延びた者も男以外は後に除隊していた。

当時男の部下の中には、彼の学生時代の友人もいた。
その友人もまた、戦闘の際帰らぬ人となっている。
真相は分からない。だが、男のみ軽傷で済んだ事実は、疑いを与えるには充分過ぎた。

しかし、手を下した当時の彼には、友人の件への疑念も、男の犯した罪も関係無かった。
そこに正義や復讐心も無ければ、義憤に駆られた感情も無い。
彼もまた、我欲の為に男の命を奪ったのだ。

粛清の話を受けた折、彼が元帥の意思に背いてでも、自らその役目を負った理由。
それは、全力の抵抗を受けた先に死線を手に入れ、もう一度天国への切符を手に入れたいが為の行動だったのだから。

全力で戦い、殺される事。
あの場所へ行く為の条件。

それが当時の彼にとっては、全てだった。
だが、今の彼は感情を取り戻しつつある。

その中の一つ。
それは、罪悪感と言う感覚だ。

気の抜けた断末魔と血の匂いが蘇り、同時に湧き上がる様々なもの。
今になって感じる男への怒りや、説明し難い達成感。

そして、一抹の不安。

170 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/07/21(金) 04:03:10.03 ID:lURP6mEEO
穴の空いた的は、穴の空いた脳天を蘇らせる。
的の白と、血を流す銃創。
それらが混ざり合うと、それは白い制服を汚す血を想像させた。

“胸に三発の弾”

感情を取り戻しつつある今、苦痛の末の死への願望は、決壊したダムのように彼を濁流に飲み込んでいる。
だが、それでも死ねない理由、死への恐怖を抱く理由が彼にはあった。

何よりも愛おしい恋人であり、最も信頼する部下である彼女の存在。
それがたった一つの死ねない理由で、生きる意味。

射撃場の外へ出ると、三日月が浮かんでいた。
手を伸ばしたところで、それは届くはずもない。
月光はただただ、彼の指をすり抜けていた。

「追いかけても追いかけても〜♪

…指の間をすり抜けるバラ色の日々…ね。」

人生とは奇妙だな、と、彼は考えていた。
日頃はあまり吸わないタバコを取り出し、火を点ける。
喉を通るメンソールの冷たさは、夜風の冷たさを一際強く彼の脳に刻み込んでいた。

こんな日は、ぬくもりに触れたい。

その夜恋人にこっそり抜け出してもらい、情事に耽るでもなく、彼はただ彼女を抱きしめ眠った。
これは依存なのだと、彼はどこか冷めた目を自身に向けていて。
彼女はその傾向を感じ、眠る彼を見ては微笑んでいた。

心の奥底にまで沈めるように、深く胸へと彼を抱きしめて。

明後日には、演習が待っている。

171 : ◆FlW2v5zETA [saga]:2017/07/21(金) 04:04:09.14 ID:lURP6mEEO
久々となりました。今回はここまで。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/21(金) 10:55:43.71 ID:cOjYM/rLO
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/21(金) 18:56:28.37 ID:YJg288LA0
おつおつ
せめてもつれないでいてくれればなあ…
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/25(火) 21:40:41.90 ID:lMSOodtYO
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