【クウガ×デレマス】一条薫「灰被」

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280 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:03:47.38 ID:eRGHfrTr0



「愛をこめてずっと歌うよ」


281 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:04:15.32 ID:eRGHfrTr0

ステージに上がり、観客席の方を振り向いた卯月の表情は、歌い始めた時から変わらない眩しい笑顔だった。
282 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:05:22.98 ID:eRGHfrTr0
「わー!」

歌い終えた卯月を、薫の感嘆詞と拍手と笑顔が祝福した。

「「うおおおおお!」」
「……大したもんだな」

杉田が卯月にコールを送り出した『親衛隊』を見て呆れたように声を出した。

「腕、全然衰えてませんね、早苗さん」
「アイドルのレッスンってのもハードなのよ、やってみる?」
「それは一条さんだけで結構です」

実加と早苗はお互いに称えあった。

「……ありがとう、龍崎くん……おかげで助かった」
「えへへ〜♪どういたしまして!
それと、刑事さんにも!この前はありがとうございまー!
それと、お礼言えなくてごめんなさい!」
「気にするな……そうだ、龍崎くん、一日署長には興味は無いかい?」
「しょちょー?」
「一日だけ、警察官としてお仕事が出来るお仕事だ」
「ホント!?かおるやってみたい!」
「私が上に掛け合ってみよう、期待していてくれ」
「わ〜い!」

一条と薫はわだかまりを無くして語り合った。
その誰もが『笑顔』だった。
卯月が歌を通して与えたかった『笑顔』を、彼らはしっかり受け取っていた。
辺りが和やかな空気に包まれ……
283 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:06:10.23 ID:eRGHfrTr0


「……何で?」

284 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:06:40.61 ID:eRGHfrTr0
一瞬で崩壊する。
ステージに、突如として一ノ瀬志希が現れたのだ。
285 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:07:42.09 ID:eRGHfrTr0
「志希ちゃん!?」
「志希お姉ちゃん!?」

真実を知らない早苗と薫が驚きの声を上げ、周囲がざわついた。
286 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:08:47.00 ID:eRGHfrTr0
「うるさいよ」

志希が口に右手を当てる。
その右手を離した時、その手には直径3cm程の玉が握られていた。
それを志希は無造作に空に放り投げる。

「っ!?まさか!毛玉!?」

いち早く事態を把握した一条が薫を庇うように抱き締める。
と、ほぼ同時に毛玉がはじけた。
287 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:09:43.18 ID:eRGHfrTr0
毛というより、針の硬さと鋭さに変化したそれが降り注ぐ。

「「ぐああああ!」」

おそらく、ライブの際にカメラを壊したのと同じように、それは観客席にいた人々に刺さると、刺さった人は次々と倒れて行く。

「眠ってて?」

刺さった者は体内に特殊な薬品を注入され、眠りについた。
残ったのは、毛玉から逃れた……いや、標的から外されたのは、一条薫、夏目実加、杉田守道、龍崎薫、片桐早苗、そして『親衛隊』の面々のみ……会場の約2/3が一瞬にして眠りについた。
288 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:10:37.98 ID:eRGHfrTr0
「これって……まさか……志希ちゃんが……?」
「志希お姉ちゃん……?」

志希の行動は、早苗と薫に即座に真実を教えた。
289 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:11:24.54 ID:eRGHfrTr0
戸惑い、声を絞り出した二人になぞ興味無いかのように、志希は光の消えた目で卯月を見つめ、卯月も志希を見つめ返していた。

「……ねぇ、どうして?
どうして失敗するかなぁ?」
「……志希ちゃん」

一歩ずつ、ゆっくりと志希は卯月に歩を進める。
290 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:12:07.12 ID:eRGHfrTr0
一条は危機感から銃を構えたくなる衝動に刈られたものの、それを抑える。
卯月が、それを許さない。
卯月は一条たちが銃を抜くことを善しとしない。
卯月は、まだ志希と人間として向き合おうとしている。
警察官として失格だが、一条たちは卯月のその意思に賭けていた。
291 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:13:15.82 ID:eRGHfrTr0
「これで三度目……本当はあの刑事に撃ち殺させる筈だった。
護送中の暴動で殺される筈だった。
今ここで死ぬ筈だった……
なのに何故?何が卯月ちゃんを生かすの?」
「………………」
「歌って何が変わったの?
歌なんてただの振動数の組み合わせなのに、貴女の歌は何が違うの!?」
「志希ちゃん……」
「完璧だの天才だの言われたアタシの計画を!何にも無いお前が何でここまで狂わせる!?何が違う!何が違うの!?」
「うぐっ!」

卯月に近づいた志希は、激情を顕にして卯月の首を締めた。
そのまま、未確認の姿に変わりながら、力を強めて行く。
猫を思わせる異形の顔が、卯月を見つめる。
292 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:14:05.22 ID:eRGHfrTr0
だが、一条は銃を抜かない。
かつて、17年前に五代雄介を信じた時のように、島村卯月を信じているから。

「何でお前は全部持ってる!?
何がアタシと違う!?
何なの卯月ちゃんは!?
どうして貴女だけ……」
「志希ちゃん……」

首を締められ、苦しいだろうに、その様子を出さず、卯月は優しい声で呼び掛ける。
293 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:14:46.22 ID:eRGHfrTr0
「ゴメンね……志希ちゃんが何で苦しんでいるのか……私にはわからないの。
だけど……貴女の気持ちには成れないけど、貴女を思いやることなら出来る……だから、ね、お願い」

首を押さえられかすれた声で、優しく、先程の薫にしたように、卯月は志希の背中に手を伸ばして、その化け物の身体を抱き締めた。
294 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:15:19.01 ID:eRGHfrTr0





「………………志希ちゃん」




295 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:15:46.46 ID:eRGHfrTr0
そして、ただ名前を呼んだ。
続く言葉はない。
いや、それに続く数々の言葉を、声色に詰め込んで、名前を呼んだ。
296 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:16:35.86 ID:eRGHfrTr0
「うぁ…………」

志希の動きが止まる。
卯月の首を締めていた手が離れる。

「あぁ……」

その手が、卯月の背中に回り、少しずつ身体から色が抜け、志希の肌が戻って行く。
297 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:17:01.73 ID:eRGHfrTr0
そして、卯月を抱き締め返した。
志希自身の、人間の身体で。
志希の顔に表情が戻る。
その顔は…………
298 : ◆ZfqRKaJB86 [sage]:2017/07/04(火) 22:19:08.27 ID:eRGHfrTr0
ここで七章は終わりです。

まさか七章を投下するだけで一時間以上かかるとは思いませんでした。
では続けて八章を投下していきます。
299 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:19:55.15 ID:eRGHfrTr0
第八章「志希」
300 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:20:47.62 ID:eRGHfrTr0
アタシは、産まれた時から天才だった。
言葉を話すのも早く、一人で歩けるようになるのも早かった。
両親は、そんなアタシに喜んで、誉めた。
『天才だ!』『wonderful!』二、三ヶ国語を用いてアタシを称賛し、撫で、抱きしめた。
その時の両親の良い香りを今でも覚えている。
301 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:21:21.87 ID:eRGHfrTr0
アタシには人の感情が匂いで判る。
各種ホルモンやエンドルフィン、ドーパミン、アドレナリン、etc、それらが分泌された時の僅かな匂いの変化を嗅ぎ分けることが出来るらしい。
成長するにつれて、その鼻がアタシを誉める両親の匂いに混じる嫌な匂いを嗅ぎ分けるようになった。
その嫌な匂いの正体にも、賢いアタシはすぐに気づいた。
302 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:22:10.66 ID:eRGHfrTr0
それは……恐れ。
両親は、私の才能を恐れ始めたのだ。
アタシのダッド……父親は科学者だった。
ダッドは、アタシが齢六歳にして彼の論文を読み、理解した時、遂に私を誉めることすらしなくなった。
アタシが何をしようと否定も肯定もせず、叱りも誉めもしない。
それがアタシが六歳の頃のダッド。
それまでの良い匂いはしなくなり、生ゴミか何かが腐ったような匂いしか発しなくなったダッド。
303 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:23:02.48 ID:eRGHfrTr0
だけど、アタシはその匂いに惹かれた。
科学者としての知識欲故か、その酷い匂いはどこまで行き着くのか知りたくなり、更に知識を詰め込み始めた。
同年代の子と全く遊ばず、ダッドの部屋に並んだ分厚い科学の専門書とにらめっこを続けるアタシに、遂にママもおかしな匂いを出し始めた。
たぶん、それは心配と困惑の香り。
我が子の成長の仕方を憂いて放たれた香り。
304 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:23:51.25 ID:eRGHfrTr0
やり方は間違ってなかったことを知り、アタシはダッドとママの匂いを更に発酵させて行った。
まだ十にも満たない年齢で、アメリカの超一流大学に特例で入学し、見せ物を見るような周囲の視線に堪え、研究を続けた。
だけど、研究成果なんてどうでも良かった。
何を発見しようと、何を作ろうと、それはあくまでも過程に過ぎなかった……人の匂いの変化を知るための。
アタシが成果を上げる度、ダッドの匂いは嫉妬と劣等感と恐怖でどんどん酷い物になって行った。
305 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:24:44.72 ID:eRGHfrTr0
それが堪らなく嬉しくて、アタシは加速して行った。
ママが止めるのも気にせずに、寝食を惜しんで研究を続けた。
そして、アタシが12歳の時、遂にアタシの研究が終わりを告げた。
306 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:26:04.82 ID:eRGHfrTr0
ダッドが科学者人生で数十年間ずっと追い求めていた命題を、アタシが解明したのだ。
親として、科学者としてのプライドをズタズタに引き裂かれ、どうなるのかが楽しみだった。
学会でそれを発表し、小うるさい記者たちのインタビューに付き合わされすっかり帰宅が遅くなったアタシは、期待に胸を膨らませてダッドの部屋に飛び込んだ。
307 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:26:41.09 ID:eRGHfrTr0


そのアタシを出迎えたのは、酷い腐臭と、首を吊ったダッドだった。

308 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:27:12.72 ID:eRGHfrTr0
吊られて首は伸び、括約筋が弛み、足元には汚物が転がるダッドの死体。
時間的には、私が学会で発表していた途中に抜け出し、自殺したようだった。
机の上に置かれた遺書には、アタシはダッドの数十年の努力を嘲笑う悪魔だと書かれていた。
309 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:27:54.11 ID:eRGHfrTr0


そうして、アタシは12歳にしてダッドを殺した。

310 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:28:38.36 ID:eRGHfrTr0
自殺だったけど、ダッドを追い詰めたのは間違いなくアタシだ……アタシが殺したも同然だった。
その時から……周囲の目が変わった。
珍しい珍獣か何かを見るようだった不快な視線は、親殺しの化け物を見る、恐怖の視線に変わった。
311 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:29:06.25 ID:eRGHfrTr0
ママはそれに堪えきれなくなり、ママはアタシを連れて日本に逃げた。
日本に帰る前までは、どうにか正気を保っていたママだったけど、ダッドが自殺して時間が流れると、放置された食べ物が腐っていくように、少しずつママは壊れていった。
312 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:30:07.44 ID:eRGHfrTr0
岩手県の母方の実家に行けば良いものを、アメリカに渡る前に住んでいた東京に拘って、東京に、僅かに残るダッドの残滓にすがり付くママは、アタシを殴るようになった。
『産まなければ良かった』
『どうして産まれてきた』
『どうしてあの人を殺した』
『お前は悪魔だ』
それだけがその頃のママがアタシに吐き出す言葉。
アルコールと、当時笑顔になれる、疲れがとれる等と言われて広く販売されていた未確認生命体第49号の化学兵器、『リオネル』がママの主食。
固形物の栄養はほぼ摂取せずに、アルコールとリオネルに溺れるママは、みるみる衰弱していったけど、アタシを殴る力は強いままだった。
313 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:31:08.74 ID:eRGHfrTr0


結果、4年前の夏のある日、ママは死んだ。
第49号のゲゲルの被害者となって。

314 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:31:57.57 ID:eRGHfrTr0
リオネルの効果で狂気に飲み込まれ、大声で高々と笑いながら絶命したママの姿は、酷く滑稽だった。
こうして、アタシは両親を失った。
不思議と、どちらが死んだ時も涙は出なかった。
ただ、アタシが求めた酷い悪臭が無くなったことは寂しかった。
315 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:33:01.38 ID:eRGHfrTr0
ママが死んで、アタシは、引き取るというグランマの手を振り払って一人で生きることを決めて、飛行機事故、並びに集団催眠だのなんだのと言われていた第49号の事件の傷痕の残る町を宛もなく徘徊していた。
そうしてママが死んだ五日後。
アタシはいきなり路地裏に連れ込まれた。

「……何かな〜?アタシに何か用?」
「小娘一人が出歩くと危ないってことを教えてやろうと思ってな」

4人の男たち、その目的は火を見るよりも明らかだった。
316 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:34:10.00 ID:eRGHfrTr0
その男たちを前に、アタシは心の底から笑った。

「何を笑って……」

言い終える前に、その男はアタシにぶん殴られて倒れた。

「バッカじゃないの?
人間4人で悪魔をどうこう出来ると思う?」

怒りで襲って来る男たちを、アタシは軽々と投げ飛ばした。
武道の根底にあるのは力学と生物学だ。
科学という分野に置いて、アタシを越える頭脳は恐らくない。
自分の身体の限界、出来る動き、耐久力、その全てを把握することなど造作もなく、また実践するのもアタシにとっては楽なことで、4人の武道の心得もない男たちなんて相手にならなった。
317 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:35:17.48 ID:eRGHfrTr0
「つぇぇ……」
「フフッ、こっからが本番だよ?」

仰向けに倒れた男の一人に跨がり、懐から茶褐色の小さな瓶を取り出した。

「これ、何だと思う?」
「何って……」
「はい時間切れ〜。
正解はね、フッ化水素酸」
「は?」
「そうか〜、キミの軽い脳ミソじゃ解らないか。
反応性の極めて高い薬品……劇薬だよ?」
「なっ!?」
「はい!ここで問題!
人間の身体で、痛覚が一番強い場所は何処でしょう?」
「はぁ?」
「ブブ〜!歯の神経は第二位で〜す!
一位はね、目の粘膜だよ!
そうだよね〜、少しゴミが入るだけでも物凄く痛いもんね!」
「な、何を……」
「フッ化水素酸ってね、歯科医が間違えて小さな子供の歯に塗っちゃって、その子供は大の大人数人に押さえつけられてたのにそれを振り払う程の力を出して絶命したんだって!
第二位だもんね歯は!
第一位だとどうなっちゃうのかにゃ〜?」
「お、おい……冗談……だろ?」
「さて……目薬のお時間ですよ?
もっと嗅がせて?その恐怖の匂い」

風の影響等を計算に入れ、恐怖をじっくりと味わえるように目の1メートル程上から液体を一滴垂らす。
押さえつけられて動けぬ顔に自由落下で落ちる雫は、目標をズレずに相手の目玉に……
318 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:36:25.11 ID:eRGHfrTr0
「ほう?」

落ちる前に、間に入り込んだ手がその雫を受け止めた。

「リントの中にも、面白い奴がいたのだな」

むせかえる程濃厚な薔薇の香りを放つ女性がそこにいた。
319 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:37:46.22 ID:eRGHfrTr0
その女性は、恐怖で気絶した男、逃げ出した男たちなど毛ほども気にせずに、アタシを、アタシだけを見下ろしていた。

「誰アナタ?」
「私が誰なのかはどうでもいい。
それよりも訊きたい……コイツらの恐怖に歪む顔を見て、楽しいか?」
「う〜ん?わかんない。
でも……この恐怖の匂いは、大好きだよ。
だって、志希ちゃんは悪魔だから♪」
「そうか……ならば、本物の悪魔になってみる気はないか?」

白い薔薇のタトゥを入れた彼女は、アタシの頬に手を這わせて誘った。
断る理由なんて、どこにも無かった。
320 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:38:39.11 ID:eRGHfrTr0
グロンギの霊石の欠片が馴染むまで一年、体内の霊石の欠片が完全な物に再生するのに二年がかかった。
その間に、もう一人彼女に選ばれ、アタシとそいつは彼女からグロンギのことを学んだ。
殺戮ゲーム以外では人間を殺してはいけないと聞いて、酷くガッカリしたのを覚えている。
そうして一年前、ようやくほぼ完全にグロンギとなり、ゲゲルの許可を得た。
だが、ペナルティをつけられる程霊石は馴染んでおらず、最初のゲゲルはチュートリアルということで時間制限等は無し、ただし、失敗したら問答無用で殺される。
そういうことになった。
321 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:39:47.36 ID:eRGHfrTr0
なるべく人間を沢山殺したかったアタシは、どんなことをすればいいか気ままに考えながら町を徘徊していた時……アイドルのロケ現場に出くわした。
伽部凜のことは薔薇の女、バルバから聞いていた。
同じようなゲゲルも悪くない。
そう思って、アタシはアイドルになった。
そこは、つまらない、同じような匂いのする人間しかいない陳腐な世界で、アタシは酷く退屈していた。

面白くない。
アイドルなら少しは面白い人間がいるかもと思っていたのに、全員つまらない香りばかりでイライラする。
322 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:40:40.86 ID:eRGHfrTr0
そう感じていた時。

「あの……怒ってますか?」

一辺たりとも、その感情は表に出していなかった筈だった。
なのに、彼女は……卯月ちゃんは初対面のアタシにそう話しかけた。
卯月ちゃんからだけは……嗅いだ覚えのないような、嗅いだことのあるような、不思議な、良い香りがした。
323 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:41:31.86 ID:eRGHfrTr0
アタシから見て彼女は酷く平凡だった。
突出した何かは無かった。
人の感情の機微に悟い訳でもない。
それなのに、何となくでアタシの感情を読み取ってみせた。
気に食わなかった。
アタシより何もかも下のくせに、同じ目線で、馴れ馴れしく、心に触れようとする彼女が。
だから、潰そうとした。
ダッドと同じ方法で。
彼女が習得に苦労していたステップを、一回見ただけで完全にモノにして卯月ちゃんに見せつけてやった。
軽々と自分を越えられ、彼女のプライドはどうなるのか楽しみだった。
324 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:42:30.76 ID:eRGHfrTr0
だけど、アタシのステップを見た彼女の反応はアタシの予想とは全く違った。

「わぁ〜!凄いですね、志希ちゃん!」

ただの、称賛。
鼻が良いから判る。
その称賛に嫉妬や劣等感等が、微塵も含まれてないことが。
ただ、ただただ純粋に、アタシのことを誉め称えていた。
325 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:43:36.55 ID:eRGHfrTr0
思い通りにならないのが、また嫌だった。
アタシに追い付こうと、夜遅くまでステップを練習する彼女の姿が目障りだった。
どれ程才能の差を見せつけようと、卯月ちゃんは挫折せず、純粋にアタシを称賛し、自分を研鑽し続けた。
不快で堪らなかった。
自分がダメになる数歩手前まで無理をして、それでも決して壊れない彼女が。
してはいけない無理はしない、それが彼女で。
それでもやらなきゃいけない無理ならする。
そんなおかしな人間が卯月ちゃんだった。
その生き方が、アタシへの姿勢が、大嫌いだった。
326 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:45:10.44 ID:eRGHfrTr0
だから、彼女のアタシのゲゲルのキーにした。

「リントにリントを殺させる、か……面白いゲゲルだ」
「でしょ?
オマケに〜♪その時にグロンギの素質のある人間を選別すりゃ一石二鳥ってこと♪」
「お前は……ダグバをも越える存在となるかもな……」
「ダグバ?なにそれ?」

バルバは、アタシのゲゲルを肯定した。
327 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:45:50.21 ID:eRGHfrTr0
ゲゲルはスタートし、CGプロが博打の覚悟で企画したライブツアーに、アタシが参加していない時も客席に紛れ、観客を眠らせた。
ブローチで卯月ちゃんの行く場所を知り、卯月ちゃんの印象を悪くするために卯月ちゃんのみが良く行く場所にいる人物を眠らせた。
後は、トリガーを引く人間の選出。
第一候補はプロデューサーだが、残念なことに彼には力がない。
少し不満が残るが、警察を呼び、その中から選んでみるのも良いだろう。
328 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:46:22.45 ID:eRGHfrTr0
「……なぁ、志希……お前は、躊躇しないのか?」
「はぁ?」

ある日、熊谷和樹がアタシに語りかけて来た。
それまで一切干渉しようとしなかったくせに。
329 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:47:17.52 ID:eRGHfrTr0
「俺のゲゲルが始まった。
特に拘りはなく、九人殺すだけだ……俺も、人は死んだほうが良いと思ってきた……でもよ、実際に手にかけてみて……なんか……さ」
「……何言ってんの?
ここまで来て今更何を言っているの?
アナタはもう殺人者、グロンギ、戻ることは出来ない」
「……そ、そうだけどよ……」
「……そうだ、場所を提供してあげる……そこなら、アナタのゲゲルはすぐに完遂される……そこで、完全に人間を捨てちゃいな?」

万が一にも卯月ちゃんを殺させないように、熊谷の身体に薬品を仕込むと、そのライブのために状況を整えた。
掲示板に書き込みをし、プロデューサーとちひろさんを誘導して警察に相談させた。
330 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:48:12.77 ID:eRGHfrTr0
その男の匂いを嗅いだ瞬間に、トリガーを彼にすることを決めた。
一条薫、彼の匂いは独特だった。
いや、彼自身の匂いは平凡な物だ……だが、何かの残り香のような物がついている。
それは、例えるならば青空の香り、その残り香が、彼から漂っていた。
331 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:48:48.51 ID:eRGHfrTr0
そして、あのライブの日、熊谷のゲゲルは失敗した。
一条薫によって熊谷は追い払われた。
その結果にがっかりしながら着替えていた時、卯月ちゃんの様子がおかしいことに気づいた。

「どうしたの?卯月ちゃん」
「志希ちゃん……あの人、何であんなことしたんでしょう……」
「ああいう生き物なんだよ。
未確認生命体、卯月ちゃんやアタシが産まれたばっかの頃の奴らだけど、知ってるでしょ?」
「はい……でも……」
「『でも』?」
「……あの人、人を襲う時、手が震えていました……」

熊谷の奴は、怖じ気付いていたらしい。
全くもって情けない、グロンギの恥だ。
332 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:50:00.66 ID:eRGHfrTr0
だが、この状況は善い。

「……それなら、確かめに行ってみる?」
「え?」
「本当はアレはどんな人なのか……黙っててあげる、そこの窓から出ていって確かめに行ったら?
ん〜、たぶん近くの公園に行ってると思う」

熊谷に仕込んだ、眠り病のとは違う薬品のおかげで、アタシには居場所がしっかりとわかった。

「志希ちゃん……はい!行ってきます!」
「うん……おっと、ちゃんとブローチ着けてってね」
「あ、はい!」

こうして、あの一条とかいう刑事に卯月ちゃんが未確認生命体だという偽の証拠も掴ませた。
333 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:50:57.91 ID:eRGHfrTr0
あとは……

「う〜ん……」
「どったの?プロデューサー」
「志希か……いや、この前のライブが未確認のせいで大赤字になってしまってな……少し経営がな……」
「ふ〜ん……ならこれは?」
「?……何だこの書類?」
「仕事場から貰ってきたの、その合同ライブ、シークレットゲストのアイドルたちが全員眠り病になっちゃって急遽代わりのアイドルたちを探してるんだって」
「……近いな」
「だけど、それしかないんじゃない?」
「う〜ん……確かにな……検討しておく、準備期間が短いからキツいだろうけど……」
「……にゃはっ♪」

舞台は整った。
334 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:51:33.38 ID:eRGHfrTr0
「へ〜、あの刑事さん、ポレポレ知ってたんだ……」
「うん、おやっさんと結構前からの知り合いみたいだったよ」
「へぇ〜♪」

キャストも呼んだ。
335 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:52:01.31 ID:eRGHfrTr0
「調子はどうだ?」
「上々、もう超硬化形態も手に入れた……後は、時を待つだけだよ」

力も手に入れた。
336 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:52:50.56 ID:eRGHfrTr0
「……なぁ、志希」
「どったの?プロデューサー」
「……時期的に、お前が来た頃から……眠り病になる人が出てきてる。
出演してなかった公演の時、お前がチケットを購入して見に来てることがわかった。
そして、このライブの話を持ってきたのは……お前だ、志希」
「……何が言いたいの?」
「……お前は……未確認生命体……なのか?」
「………………」
「ハハッ……なんてな、悪いな、疑って」
「ん〜、卯月ちゃんじゃなくてアタシに来ちゃうか……鋭すぎるのも考えものだね〜、トリガーをキミにしなくて正解だったかも♪」
「…………志希?」
「おやすみ、プロデューサー」

邪魔者は眠らせた。
後は、本番だけ。
337 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:53:51.40 ID:eRGHfrTr0

なのに……
338 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:54:18.66 ID:eRGHfrTr0
失敗した。
あの刑事は、卯月ちゃんを撃たなかった。
どうして?
あの刑事は完全に卯月ちゃんを疑っていた、なのに……何で卯月ちゃんを信じたの?
339 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:55:03.92 ID:eRGHfrTr0
「痛たた……撃つなんて酷いなぁ」
「刑事さん!刑事さん!」
「完全に寝ちゃったみたいだね。
応援が来るまで時間もないし、アタシはもう行かないと……でも、その前に」

アタシの腕を、渋谷凛の腕を、本田未央の腕を、遊佐こずえの腕を切り裂いて血を流させ、卯月ちゃんに浴びせた。

「きゃっ!?」
「だいじょぶ、みんな殺しはしない、ちゃんと止血もする……けど、卯月ちゃんが死ねばみんな死ぬ。
卯月ちゃんの命は、今眠り病で眠っている人たち全員に繋がってるんだよ♪
じゃね、卯月ちゃん、ちゃんと死んでね?」

卯月ちゃん以外のアイドル、そしてブローチを運び出す。
卯月ちゃんは捕まって、ネットには卯月ちゃんに不利な情報を流す。
これで、卯月ちゃんは殺される。
当初の予定とは違い、トリガーの刑事ではなく、市民によって。
340 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:55:38.87 ID:eRGHfrTr0

何故?
341 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:56:41.68 ID:eRGHfrTr0
卯月ちゃんは、何者かによって逃がされた。
警察ですら卯月ちゃんを疑っていたのに、何故、誰が卯月ちゃんを信じたの?
最後の手段を使うことになってしまった。
本当は、卯月ちゃんが死に、その他多くの人間も死んだ後のネタばらし、全てを知らしめて絶望させるための舞台、それを、卯月ちゃんの墓場とすることになった。
たった四人のレジスタンス、小細工しか出来ない弱い四人。
居場所を知らせれば、すぐに卯月ちゃんは死ぬ。
342 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:57:14.94 ID:eRGHfrTr0


なのに……何故?
何故……卯月ちゃんを信じる?

343 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:57:51.41 ID:eRGHfrTr0
彼女は何もしていない。
歌には何の力もない。
全ては、卯月ちゃんの信頼の力。
卯月ちゃんが人間を、自分を信じ、みんなが卯月ちゃんに惹かれ、卯月ちゃんを信じた結果。
344 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:58:30.27 ID:eRGHfrTr0



何で?


345 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:58:59.99 ID:eRGHfrTr0
「……ねぇ、どうして?
どうして失敗するかなぁ?」
「……志希ちゃん」
346 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 22:59:30.33 ID:eRGHfrTr0




何で卯月ちゃんばっかり?



347 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:00:09.81 ID:eRGHfrTr0
「これで三度目……本当はあの刑事に撃ち殺させる筈だった。
護送中の暴動で殺される筈だった。
今ここで死ぬ筈だった……
なのに何故?何が卯月ちゃんを生かすの?」
「………………」
「歌って何が変わったの?
歌なんてただの振動数の組み合わせなのに、貴女の歌は何が違うの!?」
「志希ちゃん……」
「完璧だの天才だの言われたアタシの計画を!何にも無いお前が何でここまで狂わせる!?何が違う!何が違うの!?」
「うぐっ!」
348 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:00:50.16 ID:eRGHfrTr0





何で平凡な卯月ちゃんは、他の誰よりも特別なの?




349 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:01:39.95 ID:eRGHfrTr0
「何でお前は全部持ってる!?
何がアタシと違う!?
何なの卯月ちゃんは!?
どうして貴女だけ……」
「志希ちゃん……」
350 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:02:10.75 ID:eRGHfrTr0





どうして……アタシがーーーー




351 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:03:08.15 ID:eRGHfrTr0


「ゴメンね……志希ちゃんが何で苦しんでいるのか……私にはわからないの。
だけど……貴女の気持ちには成れないけど、貴女を思いやることなら出来る……だから、ね、お願い」

352 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:03:50.64 ID:eRGHfrTr0


ーーーーーーーー

353 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:04:22.26 ID:eRGHfrTr0





「………………志希ちゃん」




354 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:04:51.55 ID:eRGHfrTr0


何だろう……この暖かい感触は……

355 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:05:27.96 ID:eRGHfrTr0


「うぁ……」

356 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:06:05.38 ID:eRGHfrTr0



この優しい匂いは……


357 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:06:38.80 ID:eRGHfrTr0


「あぁ……」

358 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:07:20.02 ID:eRGHfrTr0



あぁ……どうして?
どうして卯月ちゃんは全部持ってるの?
どうしてアタシにくれるの?


359 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:07:50.38 ID:eRGHfrTr0





アタシが……本当に欲していた物を。




360 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:08:28.94 ID:eRGHfrTr0





「うぁぁぁぁぁあん!」




361 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:08:54.04 ID:eRGHfrTr0


ダッドが死んだ時も、ママを失った時も流れなかった涙が、堰を切ったように溢れ出した。

362 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:09:31.36 ID:eRGHfrTr0
本当は……アタシは……両親を愛していた。
アタシは、ただもう一度ダッドに、ママに愛して欲しかった。
ダッドを追い詰めるつもりなんてなかった。
ただ、研究を手伝って、偉いねって、凄いねって、誉めて欲しかった。
また、私を誉める時の良い匂いをアタシに嗅がせて欲しかった。
ただそれだけだった。
363 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:10:14.79 ID:eRGHfrTr0
なのに……アタシは幼く、そして歪んでいた。
アタシが、ダッドが喜ぶと思ってしてきたことは全て裏目に出てしまった。
研究を続けている途中で、ダッドの匂いがどんどん酷くなっても、成果が足りないせいだと勘違いして、成果を求めて無理をし続けた。
364 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:10:55.12 ID:eRGHfrTr0

両親がつけてくれた名の通り、『希』望を『志』して……
そのアタシの希望が、ダッドを壊し、ママを壊した。
365 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:11:29.18 ID:eRGHfrTr0
そして……アタシ自身も壊した。
壊れるしかなかった。
壊れなければ、もっと酷くなっていただろうから。
だから、アタシは自分の記憶の中の感情を改竄した、自分を悪魔だと思い込んだ。
そして、アタシはグロンギになった。
366 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:12:11.70 ID:eRGHfrTr0
……なのに。
卯月ちゃんは残酷だ。
壊れてしまったアタシに、全てを見せて、全てを与えた……
367 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:12:47.46 ID:eRGHfrTr0
卯月ちゃんのように、平凡に生まれたならば、両親は壊れなかったと何度も思った。
アタシは、卯月ちゃんのように、真っ当に努力をして、認められたかった。
当たり前のように両親に愛され、当たり前のように友達と遊んで、夢を追い求めて……
アタシは……心の底から、卯月ちゃんが羨ましかった。
368 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:13:25.67 ID:eRGHfrTr0
そして、卯月ちゃんは、アタシにくれた。
純粋な称賛を、無条件の信頼を……抱き締める肌の温もりを…………包み込む愛情を。
アタシを抱き締める彼女の身体からは、卯月ちゃん自身のとても良い匂いと……昔嗅いだ両親の愛情の匂いがした。
それは全て、壊れる前のアタシが欲してやまなかった物。
369 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:14:11.15 ID:eRGHfrTr0
卯月ちゃんは、アタシが求める全てを持っていて、アタシが欲する全てを与えてくれる……正しくアタシの理想(アイドル)だ。
そのアイドルは、アタシが壊れたままであることを許さない。
すっかり干からびたアタシの心の泉に愛情を注ぎ込み、埋めて、アタシの心を治し、アタシの心を傷つける。
だけど、何故か、その傷の痛みは暖かい。
370 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:14:46.72 ID:eRGHfrTr0
みっともなく、赤子のように泣き喚くアタシを、卯月ちゃんは優しく抱き締め続けてくれた。
ありがとう……ありがとう、卯月ちゃん。
そして……ゴメンね……酷いことばかりして……ゴメンね。
感情が溢れ出しても、それは言葉にならず、ただアタシの口からは泣き声が流れ続けた。
言葉は出ないのに、今まで流さなかった分の涙が次から次へと溢れ出して止まらなかった。
371 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:15:44.84 ID:eRGHfrTr0
どれだけ時間が経ったのかは分からない。
ようやく、涙は流れなくなってきて、口からは短い嗚咽が漏れるだけになった。

「……落ち着きましたか?」

卯月ちゃんが優しい声で語りかけてくれた。

「……うん」
「……よかった。
後で……志希ちゃんの背負っている悩みを、未確認生命体にならなくてはいけなかった理由を、私に教えてくれませんか?
少しでも……志希ちゃんの助けになりたいんです……」
「……うん」
372 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:16:29.52 ID:eRGHfrTr0
ずっと、卯月ちゃんの身体は離さずに、彼女の言葉と温もりと匂いだけを感じていた。
ずっと、永遠にこうしていたい。
ずっと、彼女の温もりに包まれていたい。
だけど、そういうわけにもいかない。
アタシは……罪を犯した。
なら、それを償わなくてはいけない。
373 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:17:18.53 ID:eRGHfrTr0
「……ありがとう、卯月ちゃん」

ゆっくりと卯月ちゃんから手を離して、卯月ちゃんにお礼を言う。

「いいんですよこれくらい」
「……卯月ちゃんは凄いなぁ。
アタシなんかじゃ敵わないよ」
「へ?そ、そうですか?
志希ちゃんの方が凄いと思いますけど……」
「いやいや……って、こうして言い合っちゃうとキリが無いよね。
……今、眠ってる人たちを起こすよ……待ってて」

少し神経を集中して、眠り病のスイッチを……
374 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:17:58.16 ID:eRGHfrTr0
「っ!?」

誰かが、息を飲む微かな音がした。
その四半秒後、静けさを切り裂く鋭い銃声が響いた。
僅かに硝煙を燻らせるのは、一条薫の持つ神経断裂弾用の特殊なライフル。

「へ?」
「一条さん!何を……」
「そこから逃げろ!卯月くん!一ノ瀬くん!」

あの刑事の持つ銃口は、アタシではなく、アタシと卯月ちゃんの立つステージの端に向いていた。
振り向けば、視覚よりも先に嗅覚が反応する。
375 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:18:26.11 ID:eRGHfrTr0


……濃厚な薔薇の香り。

376 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:19:04.27 ID:eRGHfrTr0
「やれやれ……お前は優秀だと思ったのだがな」

未確認生命体B1号、バラのタトゥの女、ラ・バルバ・デ。
その女が、ステージに立っていた。
出来損ないのアタシを始末するために。
377 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:20:13.30 ID:eRGHfrTr0
「卯月ちゃん、下がってて」
「でも……」
「いいから!」
「……はい」
「ゴメンね、バルバ。
アナタには悪いと思うけど、志希ちゃん、ホントはグロンギ向いてなかったみたい。
だからもう、ゲゲルもしない。
……悪いけど、帰ってくれない?」

腹部が熱を持つ。
その熱が身体中に伝染し、もう一つの皮膚が皮膚の下から浮き上がるような奇妙な感覚が脳に情報として送られて、身体が変質する。
グロンギとしての姿に変わる。

「こちらも帰る訳にはいかない、ゲゲルを達成出来ぬ者には死を、それがグロンギだ」

刑事は、銃を構えるものの、先の一発が触手で防御されたことで残弾を危惧し、迂闊に撃てない。
未熟なクウガは、卯月ちゃんのファンや早苗さんや薫ちゃんの目を気にして変身出来ず、人目のない場所へ走って行くところ。
もう一人のハゲのおっさんは、ファンや早苗さんたちへの避難誘導。
まともな戦力はアタシだけ。
相手はグロンギの中でもゲゲルの進行を行う者。
グロンギの中でもかなり上位の力を持つ。
だが……

「ギベ!」
「にゃはっ♪」

アタシはそれ以上に強い。
378 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:20:46.22 ID:eRGHfrTr0
伸びて来る触手を全て切り落とし、バルバに迫る。
触手が減った隙に刑事の銃から弾丸が発射される……が、バルバが素早く触手を伸ばして防御する。
そして、通常の植物の成長スピードなぞ軽く無視し、一本、二本と次々に触手を生やして襲いかかる。

「その程度じゃ!アタシは殺せないよ!」
「……あぁ、グロンギのお前なら殺せないだろうな」

圧倒的不利な状況にあるというのに、バルバの余裕のある笑みは崩れない。
肉薄し、アタシの爪がバルバに迫った。
379 : ◆ZfqRKaJB86 [saga]:2017/07/04(火) 23:21:37.70 ID:eRGHfrTr0
「キャーッ!」

かん高い悲鳴、勿論バルバの物ではない……なら……

「卯月くん!」

人間の手が切り落とされても、処置が適切なら再びくっついて元と同じく動かせるようになるのと同じように、植物にも再生力がある。
切れた茎が合わさって再生し、元の姿に戻る植物がある。
それと同じ、しかしそれよりも並外れた速度で、切れた触手が繋ぎ合わされ、卯月ちゃんに襲いかかっていた。
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