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杏「杏は天才だぜい」
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1 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 11:55:18.16 ID:F6tUihmD0
モバマスSSです。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1499136917
2 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 11:55:55.42 ID:F6tUihmD0
その日、私――双葉杏は出席日数稼ぎのために学校へ行き、仕事の予定もレッスンの予定もなかったのでまっすぐに家に帰った。
カバンを放り出し、楽な格好に着替えて、さて昼寝の一発でも決めようかという矢先、スマートフォンが着信を知らせる。発信元は千川ちひろさん、私の所属事務所である346プロダクションの事務員さんだ。
『これから健康診断に行ってもらえませんか?』
とちひろさんは言った。
しかし健康診断だったら、346プロのアイドルはみんな定期的に受けている。私が前回強制連行に近い形でひきずられていったのも、ほんの2ヶ月前かそこらの話だ。
つまり緊急の健康診断を受けろということになる。それもちひろさんからの指示ということは、
「プロデューサーが倒れたの?」
『……現在、自宅療養中です』
「理由は?」
『インフルエンザです』
まあ予想通り。そういえば、最近外国で新型が猛威を振るってるとかネットニュースで見た覚えがある。
「プロデューサーだけ?」
『いえ、他の社員やアイドルの子も、確認できているだけで合わせて10人以上が発症しています。予約はこちらで取ってありますので、身ひとつで行っていただければけっこうです』
「しょうがないな……予約何時で取ってるの?」
3 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 11:57:13.29 ID:F6tUihmD0
タクシーでの移動中にスマホでネットニュースの記事を見る。
新型のインフルエンザは主にヨーロッパのほうで流行しているらしい。潜伏期間が短く、感染力が強く、回復までの期間が長いことが特徴だそうで、従来の特効薬の類は効果が見られないと。うーん、なかなかエグい進化をしたもんだね。
血を抜いて、おしっこを採って、鼻の穴を綿棒でほじられて(痛かった)、たいして時間もかからずに検査は終わった。
外に出ると、同じように検査を受けるよう指示されたらしい知った顔がいくつか見えたけど、事務所的には結果が出るまではあまり接触はしないでほしいはずだね、と思い、声はかけずにおとなしく帰りのタクシーを捕まえた。
車内でちひろさん宛てに「終わったよ」とメールを送る。ほんの数秒後にスマホがぶるんと振動した。
返事早いなぁ、と思いながら画面を見る。ちひろさんからの返信ではなかった。LINEの通知だ。
発信者は諸星きらり、私のいちばん仲のいい同僚アイドルで、最近はモデルとして活躍の場を広げている。
『杏ちゃん検査受けた?』という、なんのデコレーションの施されていないシンプルなメッセージに、きらりらしくないなと首をひねりながら、『今終わったとこだよ。きらりは?』と返す。
きらりは検査を受けていなかった。
ちひろさんの言っていた、すでに発症が確認されている十数人、そのひとりがきらりだったからだ。
4 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 11:58:34.67 ID:F6tUihmD0
翌日、ちひろさんからメールで「専務室へ行ってください」とお達しを受け、そのドアを叩いた。
「入りたまえ」と中から声がする。
部屋に入ると、当然ながら美城専務がいた。それからちひろさんがいた。ふたりはそれぞれなにかの書類を手にして、眉間に皺をよせていた。
「……どうなってんの? これ」
ウチのプロダクションはなかなかの大所帯だ。入口の傍らには昼夜問わず警備員が立っていて、エントランスに入ればカウンターの向こうに受け付けの女の人が3人いて、そこを抜けると、たちまち社員や所属アイドルたちの喧噪で埋め尽くされる、そのはずだった。
なのに、建物に入ってからこの部屋にやってくるまで、たったのひとりの人間ともすれ違わなかった。まるで間違えて廃墟にでも迷い込んでしまったかのように。
「この事務所で働いている、全社員とアイドルの検査が完了した……その結果だ」
専務が言う。
「つまり?」
「双葉杏、君は罹患していない」
「だろうね、くしゃみのひとつも出やしないよ」
専務はそれ以上なにも言わなかった。わざわざ言わなくてもわかっているだろう、とでもいうように。
いや、そりゃあわかるよ。わかるけどさ――
「……嘘でしょ?」
「私も、そう思いたい」
ちひろさんが注目を集めるようにコホンと咳ばらいをする。
「検査を受けた、ほぼ全員に陽性反応が出ました。この事務所で陰性――罹患していないことが確認できたのは、私と、美城専務、それから杏ちゃん。……この3人だけです」
5 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 12:00:43.99 ID:F6tUihmD0
「むしろ杏たちが無事なのはなんで? って訊きたくなるね」
「かかりにくい体質というものがあるのかもしれないが、実際のところはわからないな。このインフルエンザは最近になって発見された新種のもので、ほとんど研究も進んでいないようだ」
「そう……それで、どうすんの?」
「……我が社のアイドル部門は規模を縮小し、最終的には解散という形をとることになる。所属アイドルたちは、もちろん本人の希望なども考慮するが、ほとんどの場合、他の事務所へ移籍という形になるだろうな」
ちひろさんは沈痛な面持ちで黙っている。たぶん先に聞かされていたんだろう。
「なんで? お金の問題?」
「この後しばらくの、予定されていた仕事は全てキャンセルとなる。君の言うように多額の違約金が発生することになるが、それ以上に信用の失墜が問題だ。急なキャンセルはイメージを地に落とす。ひとりやふたりならばたいした問題ではないが、それが100人以上ともなると影響は計り知れない。今後は346プロ所属というそれだけで、仕事をとることは困難になるだろう」
「仕方ないじゃん、病気なんだから。そんなん誰だってかかるときはかかるでしょ」
「この新型インフルエンザは、世間でほとんど認知されていない。一般人では存在すらも知らないか、どこかで聞いていたとしても、それは自分とは関係のない話だと思っているだろう。人は身近でないものは正しく想像できないものだ。認識されるのは『346プロのアイドルがことごとく仕事をキャンセル』したという結果だけだ」
そうかもな、と思ってしまう。
私も偶然そんなニュース記事を見かけはしたものの、その時点で気に留めていたとは言い難い。ちひろさんからの電話がなければ、そのまま忘れていただろう。
専務は更に続けて言った。
「そして……予定されていた『シンデレラの舞踏会』も、当然中止となる」
6 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 12:03:20.31 ID:F6tUihmD0
『シンデレラの舞踏会』は、346プロ所属のアイドル数十名によって行われる大規模ライブイベントだ。
去年第1回を開催し、成功を収めたことで第2回の開催が決定した。選抜されたメンバーは、ここしばらくはそれに向けたレッスンに励んでいた。
その本番は、もう1週間後に迫っていた。チケットも完売していて、すでにファンの手元に届いている頃だ。
かなりの高倍率の抽選になったと聞いている。中止となったら相当な騒ぎになるだろう。
私の調べたところだと、新型インフルエンザは、回復までにおよそ2週間もの期間を要する。1〜2日程度の個人差はあるらしいけど、それでも1週間後の舞踏会には、絶対に間に合わない。
「プロダクションとしての批判は避けられないが、理由が理由である以上、個々のアイドルのイメージダウンは大きくはないと予測している。移籍はそう難しい話ではないだろう。散り散りにはなってしまうだろうが――」
「冗談じゃない」
私は専務の言葉をさえぎるように言った。
「解散なんてさせない」
感情的になっている、と思われたかもしれない。でも実際のところは、私の頭の中はこれ以上ないくらいに冷えていた。冷静に、ものすごい勢いで回転していた。
「させない、といっても、現実問題どうしようもなかろう」
「杏がやる」
「……なにをかな?」
7 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 12:04:45.09 ID:F6tUihmD0
「杏がみんなの仕事をするって言ってるんだよ。もちろん杏にもできないことはあるし、全部とはいかないだろうけどさ。予定してた仕事の中からできるやつ、特に影響の大きいものを選んで、片っ端から代役で出る。そうやって、キャンセルを最小限に留めたら、それでもプロダクション解散しなきゃいけないほどのダメージになる?」
「杏ちゃん!? なにを言ってるんですか!?」
ちひろさんが慌てて口をはさんだ。
「ウチは未成年が多いし、学生は学業の妨げにならないように調整してるでしょ。個人単位での仕事量は、平均すればそんなに多くない。それにここしばらくは、人気があって普段忙しい人ほど、舞踏会に向けたレッスンを多くとるために、あんまり仕事入れないようにしてたはずだよ」
「ひとりひとりはそうでも……この事務所に何人のアイドルが所属してると思ってるんですか?」
専務は、じっとなにかを考えこんでいた。
「相当に忙しくなると思うが」
「そうだね」
「舞踏会はどうする?」
「ひとりで演るよ。シンデレラの舞踏会改め、双葉杏の舞踏会ってね」
「……念のため訊いておきたいのだが、それは舞踏会を中止して、その代わりに君のソロライブを開催するのではなく、舞踏会のために抑えている会場で、既に売ってしまっているチケットで、規模を縮小させずに、予定通り執り行うということか?」
「うん、そうだよ。その通り」
「予定されていた舞踏会は、3時間を超える長丁場だ。君は、出演が決定していたアイドルの中でも、比較的出番が多いほうだとは思うが、それでも10曲分もあるまい? では、残りの時間はなにをする?」
「他の人の持ち歌を歌うよ。ウチは仲間内の曲をカバーしあうなんて珍しくもないでしょ。なにかまずい?」
「権利的には問題はない。しかし残り少ない日数で、トレーナーもいないこの状況で、観客たちを納得させられるクオリティが出せるのか、ということだ」
「できる」
8 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 12:06:26.12 ID:F6tUihmD0
「……簡単に言い切ってくれるな。……今から全員分の振り付けを覚えるというのは難しいだろうな。体力的な問題もある。すると、ダンスはなくし、歌に専念するということになるのかな?」
「専務が言ったばかりでしょ、お客さんを納得させられるクオリティじゃなきゃいけないって。ちゃんと踊るよ、ウチのアイドルのライブはダンスも売りなんだからね」
「数十人分をか?」
「数十人分をだよ」
「……本当に君が、他のアイドルの予定していた仕事を肩代わりするというのであれば、レッスンに割ける時間はほとんどない」
「レッスンはしない」
「君は――いささか思い上がってはいるのではないか? 君ひとりでなんでもできるつもりか?」
「そう思われても仕方ないかもね」
『シンデレラの舞踏会』は、今や346プロの看板と言ってもいい一大イベントだ。アイドルの間では、それに参加する権利を勝ち取る段階から、熾烈な競争が始まっている。そうして選ばれた者は、自分の持ち歌を歌い、踊るためだけでも日々足腰立たなくなるほどのレッスンを積んでいる。それでも失敗することはある。それを、たったの一度も歌ったことも踊ったこともない身で、レッスンすらせずにやってみせると言ってるんだから、『なめている』と思うのが当然だろう。
「――でも、杏にならできる」
しばしの間、部屋の中は静寂に包まれた。そして、専務がふっと笑った。
……笑ったね。なんだかレアなものを見た気がする。
「千川君」
「は、はい」
「急ぎ、プロダクションのアイドルの当面のスケジュールをまとめてくれ。今日の分からだ」
「きょ、今日のからですか!? 急ぎですね! わかりました!」
ちひろさんがバタバタと専務室を飛び出していく。
これは、乗ってくれたと受け取っていいのかな。
9 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 12:07:18.44 ID:F6tUihmD0
「……ひとつ、質問をしてもいいだろうか?」
「どうぞ、いくつでも」
「君は、あまりアイドルの仕事に積極的ではなかったと記憶している」
「まあね」
「その君が、なぜそうまでしてプロダクションを救おうとする? 君ほどの知名度があれば、移籍先は引く手あまただ。条件等も君の要求を最大限考慮した交渉ができるだろう、そう悪い話にはならないはずだ。方や、先ほどの君の提案、それを実行するとなれば、想像を絶するような多忙に見舞われることになる」
まあ、当然の疑問ってとこだろうね。
正直言えば今だって、頭の中で「なにバカなこと言ってんのさ、考え直せ! 撤回しろ、はよ!」って、わめきたてている自分がいるよ。
しばらくの間、地獄のような日々が続くことだって、もちろんわかってる。だけど、
「きっと、泣くから」
「君がか?」
答えは返さなかった。必要ないと思ったからだ。
「……余計なことを訊いたかな」
「いいよ、べつに。それよりさ、杏としては専務があっさり認めてくれたことに驚いてるよ」
「私としても、このような形でアイドル部門をたたむことは本意ではない。存続の可能性があるのなら、賭けようと思ってもおかしくはないだろう?」
「そりゃそうだけど……あー、今更だけど、口の利き方こんなんだけど、いいよね?」
「むろん構わない。他にも希望があれば、なんでも言ってくれていい。私と千川君で、できる限りのサポートをしよう」
「……じゃあ早速だけど、出演予定だったみんなの、ライブ映像のファイルが欲しい。できたら最初から最後までひとりを追っているようなの。それを、できるだけ多く」
「ふむ、販売しているライブビデオの編集前のデータに、君の希望に近いものがあるだろう。通常破棄することはないから、何処かに保管はされているはずだ、確認しておこう」
「どうも。……あ、それからもうひとつ」
「なんだ?」
「飴ちょうだい」
10 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/07/04(火) 12:09:08.70 ID:F6tUihmD0
〇
実のところ、私の運動神経はそう悪くない。自分で言うのもなんだけど、むしろ抜群に優れている方だと思う。
子供の頃――小学校の体育の時間なんかは、ほとんど独壇場だったといってもいい。
それから頭もよかった。勉強でも運動でも、一番であることが当たり前だった。当時の私は、本当になんでもできたんだ。なんら特別な努力をすることもなく。
もちろん、英才教育なんてものを受けていたわけではない。なんてことのない、普通の子供の生活だったと思う。よく寝よく食べよく遊び、だだっ広さだけには定評のある北海道の大地を、自分ちの庭みたいに駆け回り、少しだけ本を読んだ。
私はなにも変わらない。変わっていったのは周りのほうだ。
きっかけらしきものは思い当たらない、だけどいつの間にやら、周囲から私に向けられる視線が、奇異、それから畏怖、そして、非難のようなものになっていた。
周りの人たちからすると、どうやら『なんでもできる人間』なんてものは、いてほしくなかったようだ。
なにかに優れているのは構わない、だけど、ある点で優れているならば、そのぶん別のところが劣っていなければならない。それが自然というもので、そうでなくてはならないのだと、そんなふうに思うものらしい。
それでも、もしも『周囲』が学校の同級生だけだったら、たいして気にとめなかったかもしれない。
男の子ばかりのサッカーチームに混じって大活躍する。
大人も参加するクイズ大会で優勝してみせる。
知能テストとやらを受けてみる。
なんで、お父さんとお母さんは笑ってくれないのかな?
前は笑ってくれたのに、喜んでくれたのに、すごいって言ってくれたのに。
いつもと同じだよ。今に始まったことじゃない。私はずっとこんなだったじゃないか。
なのになんで、私を、そんな目で見るのさ?
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