双葉杏「冬の国、春の国」

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44 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:17:04.41 ID:pkJ3DQ8K0
>>43
ホンマや。気付かんかった。ありがとう!

つづき、いきます。たぶん今日中に終わると思います。
45 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:19:31.13 ID:pkJ3DQ8K0
 きらりが倒れた。

 私は当日に電話で聞かされたけど、光と晶葉の二人には、翌日になってプロデューサーの口から直接伝えられた。
 光はぼろぼろ大粒の涙を流して泣いた。
 晶葉は呆然とした表情を浮かべて、唇を噛みしめた。

「私たちの、せいだな」

 晶葉が呟くと、光はわんわんと泣き声を大きくする。

「そんなことないよ。二人がいなくてもきらりは頑張っちゃってただろうし。きらりが勝手に頑張って、勝手に倒れちゃっただけ。気に病むことないよ」

「おい、杏」

 プロデューサーにたしなめられて「すみませーん」と答える。

 棘のある言い方になっちゃってたのかもしれない。
 でも、二人に責任がないと思ってるのはホントだ。

 きらりが頑張りすぎただけだとも思ってる。
 でも、だからってきらりに責任があるはずがない。誰も悪くなんかない。

 強いて言えば、悪いのは、一番そばにいたのに、いくらでも気付くタイミングはあったのに、何もできなかった、私だ。
46 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:22:24.38 ID:pkJ3DQ8K0
「でもさー、プロデューサー。いまは落ち込んでる場合じゃないでしょ。来週末のライブとか、他にもアンキラの活動諸々、どうすんの」

「断れるものは全部断る。アンキラは二人揃って初めてアンキラだ。俺もファンもそう思ってる。杏だってそうだろ」

 もっちろん。

「……しかし、来週に控えたライブを今更中止にはできない。希望者にはチケットの払い戻しはするが、ライブを楽しみにしていたファンは大勢いるんだ。その中にはきらりのファンもいれば杏のファンもいる。一番多いのは、アンキラのファンだろうけどな、せめて杏一人だけでも構わないという連中も多いだろう。そんな彼らのために、ライブの中止だけは避けたい」

 うわー、愛されてるなー、杏。

「きらりの抜けた穴は大きい。その穴埋めはしなければならない。……しかし、きらりでなければ成立しないパフォーマンスも多いからな。特に『あんきら!? 狂騒曲』は顕著だ」
47 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:23:24.35 ID:pkJ3DQ8K0
「あー、それならさ、プロデューサー。きらりの代わりにこの子たちに入ってもらおうよ」

 私が光と晶葉を指さすと、二人は目を丸くした。

「あ、アタシたち……っ?」

「あんなに大きなステージに立つのか?」

「いや、杏。あのな、ライブは来週だ。今から準備したって仕上がるはずがないだろう。そもそも、さっき俺が言った通り、きらりの抜けた穴はきらりでないと成立しないんだ」

「だったら、そもそも曲のテーマを変えるしかないよね。歌詞も掛け合いも全部変える。きらりの代わりに、二人が、だらしない杏を引っ張ってくれれば良いんじゃない?」

 二人へ目を向けると、少しだけ戸惑った様子を見せた後で、揃って強く頷く。
 きらりのおかげで良い子達に育ったと思う。
48 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:25:06.28 ID:pkJ3DQ8K0
 プロデューサーは私たちのやりとりに頭を掻いた。

「まあ、三人がそれでやれるって言うなら、俺から止めることはないよ。やる気があるんだろ? だったら、全部任せる」

「やる気はないけど任せてくれて大丈夫だよ」

「杏らしいな」

 プロデューサーはふっと笑った後で、

「ライブの諸々、俺は口出ししないけど、演出との打ち合わせは綿密にやれ。それに、必ず三人で参加することだ。俺はしばらくライブ以外の仕事の調整に走るから、頼んだぞ、杏」

「はーい。ご褒美の飴、忘れないでね、プロデューサー」

「そのくらいお安いご用だ。……そもそもきらりが倒れたのは俺の管理不行き届きが原因だからな。苦労をかけて申し訳ない」
49 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:26:21.46 ID:pkJ3DQ8K0
「じゃあ、ライブが終わったら、杏、半年くらいアイドル休業していい?」

 私が言うと、プロデューサーは「考えとくよ」と言葉を残して事務所を出て行った。

「よっと」

 ソファから身を起こして、床に足をつける。

「あ、アタシ、どうすれば良いんだっ?」

「うむ。天才な私だが、経験の浅さはカバーできない。教えてくれ、先輩」

「そうだなあ。じゃあ、まずは歌詞をぜんぶ決めちゃおっか」

 よーし。杏、がんばるぞ。
 印税生活のために、光と晶葉のために。
 そして何より、きらりのために。

 ……恥ずかしいから、口には出さないけど。
50 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:28:39.43 ID:pkJ3DQ8K0
「「「できたーっ!」」」

 夕方に相談を始めて、歌詞が完成したのは夜も更けきった頃のことだった。
 すでに終電もなくなってて帰れない。
 せっかくなので、続けて他の曲とか、トークの打ち合わせなんかを朝まですることにした。
 もちろん二人の家には電話を済ませてある(プロデューサーから)。

「あ、この曲の最後、三人で勝利ポーズきめたい!」

「えー、一応これ、アンキラのライブなんだけどなあ。採用」

「だったらロボをたくさん用意して一緒に周りでポーズ取らせよう! きっと楽しいぞ!」

「えー、そんなの用意できる? 採用ー」

 突っ込み役がいないのと深夜テンションとで、ばんばん演出が決まっていく。
 きっと朝になって冷静な頭で考えてみたら大半を却下することになるんだろうなあ、とかって思いつつ。
51 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:31:56.65 ID:pkJ3DQ8K0
 わーわーわーわー喧喧諤諤。

 朝になって解散、今日は三人とも学校はサボりだ。
 最近じゃ慣れっこだから大丈夫。出席日数だけ気にしておけば問題なーい。
 光と晶葉はあんまりサボりの経験はないみたいで悪いこと覚えさせちゃったなーとは思うけど。

 むくり。夕方。
 きらりがいなくても自分で起きる杏である。

 プロデューサーからのメールを確認すると、なになに? 今日のラジオは予定通り収録? うー、めんどくさいなあ。

 ラジオ出演はライブの宣伝も兼ねてるから、サプライズで光と晶葉を呼んで、三人で菜々ちゃんのラジオ番組に登場した。

 今朝の段階できらりの件は報道に流れてる。
 それでも私の口から話すことによるリスナーの反応は大きかった。
 光と晶葉の件もあったしね。
 あとで確認したら、ツイッターの流速もやばかったらしい。
52 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:34:04.46 ID:pkJ3DQ8K0
 ラジオの収録が終わったら、今度は演出さんとの打ち合わせ。
 案の定、夜に話したことは次々に却下されていった。
 でも、その数は半分だけ。
 残り半分は「面白そう! それくらいやらなくちゃお客さんも納得してくれないよね!」なんて反応で強行することになった。

 で、次はプロデューサーとスケジュールの調整。

「とりあえず、先方に謝って、削れる仕事は全て削った。その代わりに、ライブの準備にかける時間を増やすぞ」

「わー、プロデューサーありがとー」

「棒読みで言われてもな」

 自分で言い出したことだから「杏やめまーす」とか言えないのが辛い。
53 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:37:00.21 ID:pkJ3DQ8K0
 ドラマの撮影して、バラエティ番組に出演して、ラジオ収録して、打ち合わせして。
 レッスンして、会場の下見に行って、トークの内容考えて、思い出したみたいに学校行って。
 忙しさで頭がぐるぐるするけど、これもライブが終わるまでの辛抱だ。

『杏ちゃん、大丈夫かにぃ?』

「大丈夫。心配しなくても、杏がぜーんぶ何とかするからさー」

 きらりは私が電話すると必ず出てくれる。
 まだ入院中だから、あんまり長話はできないけど。

『ごめんねえ。きらり、こんなことになっちゃって』

「謝らないで。期待だけしててよ、杏たちのライブ」

『杏ちゃん、頼もしいなあ』

 きらりはそう言って、ふふって笑った。
54 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:42:30.55 ID:pkJ3DQ8K0
 楽屋にて、カメラ越しに満員のお客さんを観察する。
 きらりがいなくても結局満員になってるのは、キャンセルした人の分の座席を、チケットを諦めてた人達が埋めたからだ。
 当日のチケットサイトはサーバー落ち寸前だったらしい。

「……うわー」「す、すごい人だ……っ」「震えてきたな」

 カメラが映すのは映像だけで音声はないんだけど、それでも客席の喧噪が伝わってくるみたいだった。

 きらりにもライブチケットを渡したけど、今日来られるかどうかはわからない。
 昨日電話した時には、まだ退院の許可が下りてないって言ってた。

「よし、三人とも、準備は出来てるか」

「うん、プロデューサー。ばっちりだよ」

 私が言うと、光と晶葉の二人が頷く。

「じゃあ、行ってこい。ここまでよく頑張ったな。もう一踏ん張りだ」

 プロデューサーに肩を押されて、楽屋を出る。
55 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:44:33.33 ID:pkJ3DQ8K0
 ステージの下、奈落。今日はここから登場だ。
 暗闇の中で、右手で光と、左手で晶葉と手を繋ぐ。
 二人の手はどちらも震えていて、それがわかったから私は「気楽にやろう、いっぱい練習したし何とかなるよ」と声をかけた。

『お待たせしましたっ! それでは! アンキラソロライブ、「凸凹シンデレラのお祭り騒ぎ」開演です!』

 会場が真っ暗になって、司会の菜々ちゃんの声が響き渡る。

 曲が流れて、奈落がせり上がって歌い始めて、無数のライトが私たちを包むと、体の芯まで響くような歓声が沸いた。

 光と晶葉の方をちらり見ると、強張った表情だけど、きちんと声は出せていた。ダンスも練習通り。
 うん、これなら大丈夫。

 オープニングから、一曲、二曲、三曲。続けて歌いきる。
 それでようやく「「「私たちが! アンキラ With ヒーロボ! 今日はみんな、よろしくー!」」」と宣言した。
56 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:47:10.68 ID:pkJ3DQ8K0
「きらりを楽しみにしてた人達、ごめんね。きらり、ちょっと病気でライブに出られなくなっちゃったんだ。もしかしたらきらりの病気はしばらく続くかもしれないし、これからのアンキラがどうなるのかまだ私にもわからない」

 暗いことを言ったせいだと思う、会場がしんと静まりかえる。
 慌てて私は、

「でもさ、今日の私たちは、アンキラ with ヒーロボ。双葉杏 with ヒーロボじゃないよ。アンキラだよ。アンキラのアンは双葉杏で、アンキラのキラは諸星きらり。だからこのステージは、きらりのものでもあるんだ」

 会場は相変わらず静か。
 でも、何となく、さっきとは空気が変わったことはわかる。

「だからさ、ゆるーく考えてくれたら嬉しいな。楽しかったらそれで良いじゃん。とにかく今日は、アンキラのライブなんだ。最後まで楽しんでいってね。杏からのお願いでした」

 私が小さく頭を下げると、向こうからわーっと歓声が返ってくる。
 よし、うまくいった。
57 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:49:51.97 ID:pkJ3DQ8K0
「じゃあ、またばーっと続けて三曲くらいやるから、みんな付いてきてね。杏は疲れて途中でやめちゃうかもしんないけど」

 私の言葉に「「「えーっ?」」」と反応があって、音楽開始。

 ちゃんと三曲歌いきって、一旦MC。
 2回目のMCからは光と晶葉にメインで喋らせる。
 経験を積ませる意味もあるけど、正直ずっと私一人で喋ってたらすぐに限界がくるから。

 歌、MC、歌、MC、あとコント。

 体力の限界が近付いてきたら、「あー疲れたー杏ちょっと休憩するから二人で喋ってて」「「杏ちゃんっ!?」」とステージの脇へ。
 私のキャラはこういう時に便利だ。
 光と晶葉は緊張もほぐれてきたし、まだ元気も残ってそう。安心して任せられる。

 ステージ袖に座ってると、少し頭が冷静になってくる。
 ステージから眺める景色はきらきらしてて、アイドルーって感じだ。
58 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:55:22.12 ID:pkJ3DQ8K0
 ライブは終盤へ向かって進み、「みんなー、今日はどうもありがとー」って手を振って、一旦、舞台袖へ下がる。

「良かったぞ! 大成功じゃないか!」

「いやー、まだ終わってないよ? プロデューサー」

 背後からアンコールの大合唱が届く。
 ラスト、一曲。
 もしお客さんが誰もアンコールしてくれなかったらどうしようかと思ったけど、杞憂で良かった。

「いってきます」

 プロデューサーにそう告げて、舞台上へ戻ると、再び強烈な歓声に包まれた。

「アンコールありがとー。ていうか、まだあの曲やってないし、終わるわけないよね」
59 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 20:57:12.52 ID:pkJ3DQ8K0
 会場がざわめくのがわかる。
 杏が『あの曲』って言ったら、あの、アンキラの代表曲に決まってる。
 でも、きらりがいないんだからできやしない。
 きっとみんなそう思ってるんでしょ。

「じゃあ、これがホントのホントにラストソング!」

 だから、私たちが度肝を抜いてやるんだ。

「「「アンキラ VS ヒーロボ!? 狂騒曲!」」」

 叫ぶと私はステージの上手へ、光と晶葉は下手へ移動する。

 双葉杏と諸星きらりでアンキラ。それは譲れない。
 光と晶葉はきらりの代わりにはなれない。

 だからこの曲は、杏と二人の掛け合いじゃない。
 アンキラとヒーロボの、ユニット同士の掛け合いなんだ。
60 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:00:11.41 ID:pkJ3DQ8K0
「にゃっほーい! 私たち、アンキラ! 歌いまーす!」

「「いーや、これからはヒーロボの時代! ヒーロボ歌うぞ!」」

「えー、まだまだ時代はアンキラだよねー」

「「ヒーロボだ!」」

「後輩のくせに生意気だなあ」

「「先輩のくせにサボってばっかでだらしないぞ!」」

「「「うーっ!」」」

 お互いに睨み合って、力を溜めて、客席に向き直って、

「「ヒーロボヒーロボヒーロボヒーロボ!」」

「アンキラアンキラアンキラアンキラ!」

 メロでは続けてユニット同士の対立を繰り広げて、そしてサビでは三人で手を繋ぐ。

「「「ハチャメチャなんだけど、楽しいでしょ!」」」

 三人揃って、客席へびしっとピースすると、今日一番の歓声が返ってくる。
 あぁ、ホント、楽しいなあ。へとへとだけど。
61 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:02:45.28 ID:pkJ3DQ8K0
 二番のメロが終わって、曲調が変わって、一瞬、しんと静まりかえって、私が口を開く。

「いつもキラキラだけど、ホントは繊細なとこも」

「「平気な顔してるけど、ホントは頑張り屋なとこも」」

「知ってるし」

「「大好きだし」」

「「「だから一緒に歌おう! ねえ、きらり!」」」

 そんな感じでいくよ、ついてきて、やっぱり一緒がいいよね。

 アンキラのコール&レスポンスを経て、最後のサビだ。
 三人で横に並んで、歌詞を全力で叫ぶ。

「「「そうです、杏と、きらりでアンキラなんでーす」」」

 もう口から出てきてる言葉がなんなのかよくわかってないし。
 自分がうまく踊れてるかも自信がないけど。
 お客さんのボルテージは凄いことになってるし、たぶん大丈夫。
62 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:07:57.51 ID:pkJ3DQ8K0
「「「ハピハピな未来、見つけにゆこうよー!」」」

 それがラストフレーズ。

 伴奏が終わる。
 喉の奥から息が漏れる。
 歓声が高まる。
 鳴り止まぬそれが私たちを包み、はっと気付く。

「これでおーわり! 今日はありがとうございましたー!」

 三人で礼。ステージの幕が下りる。

 客席からは「杏ちゃーんっ!」「光ーっ!」「晶葉ーっ!」「きらりちゃーんっ!」と私たちを呼ぶ声が届く。
 きらりが混ざってるのが「お客さんわかってるねー」って感じで嬉しい。

 幕が下りきっても私たちを呼ぶ声は止まないけど、今日のステージはこれで終わりだ。もう続かない。
 ライトが消され、代わりに会場の明かりが灯る。

 私はマイクの電源を落として「はー、終わったー」と、床へへたりこんだ。
63 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:11:42.17 ID:pkJ3DQ8K0
 頭がぼーっとして、ふわふわちかちか、とろけそう。
 全身汗だくで、体の中心から熱がこみ上げてくるみたいだ。
 あー、ホント、疲れて指一本動かすのもめんどくさい。

「「先輩、お疲れ様でしたっ!」」

 ステージでぺたんと背中をつけて寝そべる私へ、光と晶葉が珍しく敬語を使う。

「そっちもね。あ、そうだ。杏、もう一歩も動けないから楽屋まで運んでくれない?」

「よーしわかった! プロデューサー呼んでくるっ!」

 叫んだ光は舞台袖へと走って行く。元気だなあ。
64 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:13:39.43 ID:pkJ3DQ8K0
 光が消えてから、一分も経たない内にプロデューサーが現れる。

「仕方ないな、お前はホントに」

「もう絶対無理。一ミリも動けない」

 プロデューサーは笑って私の肩とふとももに手をやった。
 ふわっと体が持ち上がる。

「アイドルをお姫様だっことか。光栄に思った方が良いよ、プロデューサー」

「お前が命令したんだろ」

「そうでしたー」

 プロデューサーに答えると、ぐでーっと全身の力を抜く。
 さっきまであんなに動けてたのが嘘みたいだ。
 なんであんなにテンションあがってたんだろ。もう二度とやりたくない。
65 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:15:46.04 ID:pkJ3DQ8K0
 ふわふわした頭で考える。
 アイドルになってから、ずっと悩んでたこと。

 ……あぁ、やっぱり私、アイドル向いてないなあ。

 踊ったり歌ったりできるようなおっきい体じゃないし、動き回るのもあんまり好きじゃない。

 そりゃあライブは楽しかったけどさ、炬燵大明神の元でゲームしてた方が全然楽しいし。
 苦しい思いをしてまでアイドル活動なんてやりたくない。

 正直、杏、北海道の実家でぬくぬく暮らしてた方が性に合ってると思うんだよね。
 こんなきらきらした場所、私には似合わない。
 元々、ひねくれてるし。
 ここは、私なんかじゃなくて、きらりみたいなののための場所だ。
66 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:19:18.05 ID:pkJ3DQ8K0
 そろそろ、潮時なのかも。
 きらりとか、ファンのみんなには悪いけどさ。
 最後にすっごく頑張ったし、これで終わりなら許してくれるよね。

 ……でも、アイドル辞めたからって、実家に帰れるかっていえば、お母さんに『東京で一人暮らしせ』なんて言われたし。

 うーん、なるべく楽して生きるには……あ、そうだ。

「ねえ、プロデューサー、結婚して杏のこと養わない?」

「自分で稼げ」

 ですよねー。

 あーあ、私の居場所はどこにあるんだろ。
 炬燵大明神の中はけっこうそれっぽいんだけど、ずーっとはいられないし、夏は邪魔なだけだし。
 でも、アイドルを続けたとしても今回みたいなのばっかだと嫌になる。
 そもそも私はできるだけ家の中から動かずに生きていきたいんだ。
67 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:20:24.72 ID:pkJ3DQ8K0
 レッスンとかしたくない。勉強とかしたくない。働きたくない。
 ゲームしたい。漫画読みたい。アニメ観たい。

 そうやって楽しいことだけして生きられればそれが一番なんだけどね。

「杏。そろそろ降ろしても良いか? すれ違うスタッフの視線が辛いんだ」

「えー、杏、頑張ったんだから、それくらい我慢してよ」

「……はあ、まぁ仕方ないか。本当に、楽屋までだぞ」

 甘えられる相手には、甘えられる時には、全力で甘える。
 それが杏の生き方。
 子供の頃からの、私の生き方だ。
68 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:24:22.64 ID:pkJ3DQ8K0
 ……うん、決めた。

 アイドル、やめよう。

 ファンのみんなに甘えて、プロデューサーに甘えて、きらりに甘えて、光と晶葉にも甘えよう。
 お金のことは、なんとかなるよ。
 少しずつ仕事を減らして、来月くらいにライブで宣言しよう。
 高校を卒業する頃にはアイドル卒業だ。

「あ、受験勉強してない」

「なんだよ急に。お前、アイドルに専念するんだろ」

 ……まぁしばらくは無職でいっか。
 アイドル活動で貯金も結構貯まったし、一年くらいなら何もしなくても生きられるから。

 なんか決断したらちょっとだけ気力が沸いてきた。

 よーし、杏、引き籠もるぞーっ!
69 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:26:51.02 ID:pkJ3DQ8K0
「ほら、杏、楽屋だぞ。しばらくそこで寝てて良い、か、ら?」

 プロデューサーの左手の力が弱まって、半ば落とされるみたいに「あいたっ」と床に尻餅をつく。

「杏ちゃんっ!」

 次の瞬間、ふわっと体を抱きしめられて、あぁこの感触は、この匂いは、すぐに気付く。

「きらり、退院できたの。良かったじゃん」

「ずっと観てたにぃ。ありがとう。ありがとお、杏ちゃん」

 栗色の髪が揺れて、肩に熱い水滴がぽたぽたと触れて、きらりが泣いているのに気付く。
 泣き虫だなあ、きらりは。

 放っておいたらいつまでも泣いてそうだから、仕方なく私は言葉を返す。
 照れくさいから、本心なんか口にしないけど。

「杏、仕事だからやっただけだよ。ライブの出演料もたくさんもらえるし。全部、印税生活のためでーす」

「違うよ。きらり、杏ちゃんのことなら全部わかってるもん。照れ屋さんだけど、ホントはやさしい♪ でしょ?」

 う……そういうのやめてほしいなあ。
70 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:29:15.58 ID:pkJ3DQ8K0
 あ、そうだ。きらりが退院して、ライブが終わったら、やろうって決めてたことがあったんだ。

「ねえ、きらり、来週くらいからさー、一緒に海外旅行に行こうよ。しばらく忙しくて死にそうだったし、杏、ハワイで思いっきりだらだらしたーい」

「にょわ! 杏ちゃんと旅行! ……た、楽しそうだけど、きらり、お仕事しなくちゃだにぃ」

「病み上がりで仕事なんか出来るはずありませーん」

 私が言うと、きらりは涙を飛ばして笑う。

「良いでしょ、プロデューサー?」

「あぁ、好きなだけ行ってこい」

 頭上のプロデューサーの言葉に、思わず目が丸くなった。
 え? 好きなだけ?
 それじゃあ杏、アイドル辞めてそのままずっとハワイで暮らそうかな。

「よからぬ事を考えてる顔だな。それはやめろ」

 ええー。でもアイドルはやめるけどねー。
 もう決めちゃったもーん。
71 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:31:17.27 ID:pkJ3DQ8K0
「杏ちゃん」

「なに、きらり?」

 きらりが私の正面に向き直って、目元の涙を拭う。
 久しぶりに見たきらりの顔は、前よりもちょっとだけきらきらが失われてて、でも確かに光り輝いていた。

「杏ちゃんはー、今回のライブ、とーっても頑張りました」

「うんうん、そうだよね。頑張りすぎなくらいだよ」

「だからね」

 きらりがポケットに手を入れて、それを取り出す。

「はーい、頑張ったから、飴あげるにぃ☆」

「わーい!」

 そう言って、受け取った飴玉に目を落とす。
 飴玉はどこまでも丸くて、まるで吸い込まれそう。
 周りの音が聞こえなくなって、飴玉だけが私の視界に映る。

 じいっとそれを見ていると、突然、頭の中がくるんって裏返ったような気がした。
72 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:33:09.59 ID:pkJ3DQ8K0
 遠くの方で誰かの声が聞こえて、続けてふわっとした開放感を覚えて、脳みそが覚醒を始めるのがわかる。

「杏ちゃーんっ! 朝だにぃ! 起きてーっ!」

「まだ眠いー」

「駄目だよ、杏ちゃんっ! 今日はヒーロボの二人のライブなんだからーっ!」

「もー、きらりのいない時、ライブ頑張ったから良いじゃん」

「もう、杏ちゃんっ! それはもう何年も前の話でしょーっ! ほら、お・き・てーっ!」

 仕方なくベッドの上を転がって、床に足をつける。
 シャワーを浴びて、着替えて、歯磨きして。
 誰もいない部屋の中へ「いってきまーす」と言葉を投げかける。
73 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:34:38.28 ID:pkJ3DQ8K0
「行ってみたいカフェがあるからー、今日はそこ行こ☆」

「えー、行く途中にあるんなら良いよ」

「んーと、ちょっと寄り道になっちゃうかも?」

「じゃあ、杏、行きませーん」

 なんて言いつつ、杏は行く。

 お腹に入りきらないくらいのパフェを食べて、紅茶飲んで、きらりとだらだら喋る。
 あー、しあわせー。やっぱりこういうのだよね。こういうのが良いよ。

 なんかきらりと一緒にハワイへ旅行へ行ったのを思い出すなあ。
 そういえばあの時は一ヶ月くらいハワイにいたんだっけ。
74 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:37:19.62 ID:pkJ3DQ8K0
「あっ! もうこんな時間っ! 杏ちゃん、急がなきゃ!」

「えー、あと10時間くらい大丈夫じゃない?」

「大丈夫じゃないよっ! もう! ほら、立って立って!」

 きらりに腕を引かれて立ち上がる。

 そして会計を済ませて外に出ると、猛烈な日差しに襲われる。

「むり。杏、帰ってゲームする」

 私が言うと、きらりはいよいよ「もーっ!」と叫んでぷりぷり怒り出す。
 私を置いて先に歩いて行ってしまった。

 慌てて私は後を追って、その背中に「ごめん、きらり」と声をかける。
 それだけできらりは「これで最後だからね」って許してくれるから優しい。
75 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:42:23.84 ID:pkJ3DQ8K0
 暑いし間に合わなさそうだしで、途中でタクシーを拾う。
 運転手さんに「前の車を追ってくださーい」って言うと、きらりがすぐに「パシフィコ! パシフィコですっ!」って訂正した。

 会場に到着すると、大勢の人が入り口に列を作っているのが見えて、思わず「うわー」と声に出た。
 運転手さんに指示して裏側の搬入口に回ってもらう。

 搬入口にも大勢のお客さんが出待ちしてて、また「うわー」ってなったけど、気を引き締めて、営業スマイル。

「杏ちゃん、行こ☆」

「仕方ないなあ」

 車の中で会計を済ませて、一歩外へ出ると、わーわーきゃーきゃーと老若男女の声が私たちを取り囲んだ。
76 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:44:24.45 ID:pkJ3DQ8K0
 私ときらりはファンのみんなに手を振って、建物の中へ。

 プロデューサーに「ギリギリだぞ」って言われたけど、開場もまだだし、着替える時間だって十分残ってる。何の問題もありませーん。

 楽屋で待ってた光と晶葉に「やーやー、今日は頑張りたまえー」って言ったら、「「杏ちゃんも頑張るんだぞ」」と声をそろえて返される。仲が良いなあ、まったく。

 やがて開演。ステージに光が灯る。

 オープニングから光と晶葉の二人は観客を目一杯沸かせて、光り輝くステージを作り上げる。

 杏ときらりの出番はライブ中盤から。
 舞台袖できらりと話をしながら、この場所でしか味わえない空気を吸い込む。
 ああ、楽しいなあ。ワクワクするなあ。
77 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:50:24.59 ID:pkJ3DQ8K0
 ――私の居場所がどこにあるか、わざわざ考える必要なんてなかったんだ。

 炬燵大明神、冬の国。きっとそれはどこにでもあるし。
 きらきら煌めく、春の国。きっとそれはどこにでもある。

 私は、欲張りなんだと思う。
 楽しいことだけしたい。楽しいことだけして生きていたい。

 だったら簡単なこと。
 アイドルが楽しいんならやれば良いし、炬燵でごろごろするのが楽しいならやれば良い。

 ゲームしたい漫画読みたいアニメ観たい。
 ……でもきらりと一緒にアイドルするのも好き。

 選ぶ必要なんてない。悩む必要なんてない。
 ぜーんぶ、杏のものだ。

 無理そうになったら甘えれば良いし逃げれば良い。
 そうやってぐーたらなんにも考えずに生きられれば、それで良いや。
78 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:55:23.11 ID:pkJ3DQ8K0
「んふー」

 きらりがにやにや笑うので、「どうしたの?」と声をかける。

「杏ちゃん、楽しそうだにぃ☆」

 ……きらりはそうやって全部口に出しちゃうんだもんなあ。

「杏は早く家に帰ってベッドに寝っ転がりたいよ」

「嘘ばっか! ほら、行くよ☆」

 聞き慣れた伴奏がまた耳に入る。

 舞台袖から一歩踏み出して、私たちがライトに照らされると、観客の声が大きくなるのがわかる。

 きらきらに飲み込まれそうになりながら、目を開けると見えた景色に心臓が高鳴った。

 きらりと手を繋いで、まずは四人並んで、曲のタイトルコールから。

 にやける表情をそのままに、私は大きく息を吸い込んだ。
79 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 21:56:08.14 ID:pkJ3DQ8K0
おわり。
80 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2017/07/21(金) 22:00:56.79 ID:pkJ3DQ8K0
読んでくれた方(いてほしい)、ありがとうございました!

HTML化依頼、出してきます。
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/21(金) 22:33:16.50 ID:iWKfl3NY0
僕も仕事やめたい
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/22(土) 13:08:05.63 ID:s0wECKZ7O
杏は天才なんだ
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/23(日) 21:51:27.68 ID:1aLQiss30
おつおつ とてもいい雰囲気でよかったよ !
84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/25(火) 07:14:38.04 ID:AAob7kZlo
乙です
85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/15(火) 23:53:13.31 ID:UqtVCJ4/o
今更だけどよかったよ!
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