渋谷凛「輝くということ」

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1 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:00:01.70 ID:c5e7bYk30

■ 第一章 オリジン



目覚まし時計が私を起こす。

まだ半分眠っている頭で停止ボタンに手を伸ばし、二度寝するべく布団をかぶり直した。

その直後、下の階からはがらがらがらっとシャッターの上がる音が響いて、そこに追い討ちをかけるかのようにお腹の辺りにずしんと衝撃が走った。

あー、もう。

心の中でそう叫んで、布団から顔を出すとお腹の上では愛犬であるハナコが尻尾をぱたぱたとさせていた。

ハナコはミニチュアダックスとヨーキーのミックスで、いわゆる小型犬だからお腹に乗られてもたいして重くはない。

重くはないけれど目が覚めるには十分の衝撃だった。

そして、ハナコが私を起こす理由は朝ご飯と散歩の催促だ。

「はいはい、わかったよ」

くしゃくしゃっと頭を撫でてやると、尻尾のぱたぱたを一層早くして、ハナコはベッドからぴょんと飛び降りた。


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2 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:02:11.24 ID:c5e7bYk30



ハナコと一緒に自室を出て、一階に降りると母が洗い物をしていた。

「あら、早いのね。春休みもあと少しなんだからゆっくり寝てればいいのに」

「そうなんだけど、ゆっくり寝てられない理由があってさ」

「お店のシャッターで起こしちゃったかしら」

「んー、まぁそれもあるけど、一番は……ね?」

一心不乱にドッグフードをがつがつと食べているハナコを視線で示すと、母は「世界一優秀な目覚まし時計ね」と笑った。

「トースト、焼いといてあげるから着替えてらっしゃい」

「わかった」と軽く返事をして、自室へ戻り着替えを済ませて、再び一階へ。

着ていたパジャマを洗濯機へと放り込んで、ダイニングテーブルに着くころには母とハナコはもうどこかへ行ってしまっていた。

その代わりにテーブルの上には、ほかほかのトーストとスクランブルエッグが並んでいた。

母はきっと店の方へ父を手伝いに行ったのだろう。

そして、ハナコはそれについて行ったのだろう。

私の家は小さな花屋をやっている。

ハナコの名前もそこから来ていて、命名は父だ。

花屋の子だからハナコだなんて安直だなぁ、と子供ながらに思ったことを今でも覚えている。

そんないつかのことを思い出しながら朝ご飯を食べた。

両手を合わせて「ごちそうさまでした」をして、食べ終えた食器を洗う。

洗い終わったそれらを水切りラックへと並べた。

そうして、靴棚にかかっているハナコのリードを手に父と母が開店の準備をしているであろう店へと向かった。
3 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:02:44.21 ID:c5e7bYk30



開店まではまだ少し時間があるにも関わらず、店先には既にプランターたちが並んでいた。

「そんなに早く準備してどうするの」と呆れている母をよそに、父はせっせと店内の掃除をしている。

私が来たことに一番に気が付いたのはハナコだった。

ハナコは私が手に持っているリードを見て、千切れんばかりに尻尾を振って父の足元をぐるぐる回っている。

「おはよ。今日は少し早いね」

「ああ、おはよう。凛はこれから散歩?」

「うん。行ってくるね」

「行ってらっしゃい」

ハナコの首輪にリードをつけて、こんこんとスニーカーのつま先を鳴らす。

そこに母が、つつつと寄ってきて「明日から凛が高校生だから落ち着かないのよ」と耳打ちした。

なるほど。

「また何か凛にいらないことを言っただろ」

「さぁ、どうかしら。ふふふ」

そんな文字どおりの夫婦漫才を背中で聞きながら、ハナコの散歩へと踏み出した。
4 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:03:15.40 ID:c5e7bYk30



朝と夜。一日二回のハナコの散歩は私の役目で、日課で、趣味だった。

あっちの街路樹に行ったかと思えば今度はこっちの電柱へと匂いを嗅ぎ回り、右へ左へ大忙しのハナコと歩くいつもの散歩道。

風はまだ少し冷たいけれど、日差しは暖かで、春がそこまで来ていることを実感する。

明日から私も高校生ってことは明日からの散歩は制服になるのか、なんてまだ見ぬ新学期への思いを巡らせていると、気が付けば近所の公園に到着していた。

まだ少し朝早いこともあって、公園には人の姿はない。

ちょっとだけなら、とリードをハナコの首輪から外した。
5 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:03:55.22 ID:c5e7bYk30



公園中をハナコと駆け回ったせいで、背中にじんわりと汗が滲む。

ちょっと休憩、とベンチに腰かけるとハナコも私の横へぴょんと飛び乗った。

「ふふ、さすがにハナコも疲れたでしょ」

まるで人間みたいにベンチで休むハナコに声をかけた瞬間、ハナコは猛烈な勢いでベンチから飛び降り公園の出口に向かって走り出した。

「えっ、ちょっ……ハナコ待って!」

慌てて追いかけながら叫ぶも虚しく、私とハナコの距離はぐんぐん伸びていき、ずっと先の曲がり角へとハナコは姿を消した。

もし轢かれでもしたら……。

悪い予感ばかりがぐるぐると頭で回る。

必死の思いでハナコが消えて行った曲がり角へと駆けた。
6 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:04:24.24 ID:c5e7bYk30



曲がり角の先に、ハナコはいた。

通勤中と思しきスーツの男の人に撫でられて。

ハナコは私の気なんか知らないで気持ちよさそうにお腹を見せている。

無事でよかったという安堵と、まったくもう、という気持ちが入り交じって、頭の中がごちゃごちゃだ。

「……すみません!」

肩で息をしながら頭を下げると、男の人は私に気付き目線を上げた。

「ん。この子の飼い主さんですか?」

「はい。捕まえてくださって、本当にありがとうございます」

「いえいえ、捕まえるだとかそんなことは何も。偶然ここでばったりと……」

「でも、びっくり……しましたよね。すみません……ほら、ハナコもいつまでも寝転んでないで……」

首輪にリードをつけ、ぐいっと引っ張るとハナコは少し不満そうに立ち上がった。
7 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:05:14.42 ID:c5e7bYk30



もう一度男の人にお礼を言いその場を後にするべく、くるりと回れ右をしたとき、不意に声をかけられた。

声の主はもちろんさっきのスーツの男の人だ。

「あの、私こういう者なのですが……」

男は、いそいそと鞄の中身をひっくり返して名刺ケースを取り出し、その中の一枚を私に差し出した。

ハナコのリードを右手に持っているため、不作法であると知りつつも名刺を片手で受け取り、それに目を落とすと『シンデレラプロダクション』という文字が真っ先に飛び込んでくる。

男が芸能プロダクションの人間であることは理解した。

「その、私に何か……?」

「ごめんなさい。急に名刺だけ渡されても困りますよね」

言って、ひっくり返した鞄の中身を詰め直しながら男はぺこぺこしている。

そうして、ようやく身支度が整ったかと思えば、男はまるで一世一代のプロポーズでもするかのように声を張り上げてこう言った。

「アイドルに、なっていただけませんか」
8 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:05:40.34 ID:c5e7bYk30



突拍子もない申し出に面喰ってしまい、何も返せずただただ呆然としていた。

すると、男は「突然こんなことを言われても訳が分からないですよね。すみません。でも、少しだけでいいのでお話を聞いてもらえないでしょうか」などと言いながら、またしてもぺこぺこを始めた。

この手の輩は無視するのが一番だということは分かっていた。

分かっていたけれど、ハナコを助けてもらった手前そうもいかず、仕方がないので話を聞くことにした。

それに今日は予定も何もないし、聞くだけ聞いて帰ればいい。

そう思ったからだ。

私が「少しだけなら」と返すと、男は分かりやすく顔色を明るくして「ありがとうございます」と言った。
9 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:07:29.94 ID:c5e7bYk30



男の「立ち話も何ですから」という提案を受け、奇しくもさっきの公園のベンチへと戻ってきたことで思わず苦い笑みが込み上げる。

中学生として行く最後の散歩はなんだかおかしなことになっちゃったなぁ、なんて考えていると男が口を開いた。

「単刀直入に申しますと、一目惚れです」

「……はぁ。それで」

「先程お渡しした名刺のとおり、シンデレラプロダクションでプロデューサーをしておりまして……」

ポケットからもらった名刺を取り出し、もう一度確認する。

そこには男の言葉どおり所属の横に『プロデューサー』の文字があった。

よく見なかった私も私だけれど、てっきりスカウトマンか何かだと思っていた。

「ふーん。じゃあ、アンタが私のプロデューサーになるってわけ」

少し語気を強めるだけに留めるつもりが下手に出るべきじゃないという考えばかりが先行してしまって、つい強い口調になってしまった。

「え、ええ。是非プロデュースさせていただきたく……」

「……ってことはアンタが私を有名にしてくれるんだ」

「いえ、有名にするのではなく、なるんです」

「どういう……」

「我々プロデューサは楽曲、振付、衣装といった具合に、必要なものは揃えます。でも、できるのはそこまでなんです」

「……」

「その先を掴むのは貴方で、教えられるのは……輝くこと、とでも言いましょうか」

「輝くこと……。でも、それって賭けじゃ……」

「確かに、賭けであることは否定しません。ですが、それでも、貴方なら、そう思い声をかけました」

「その先、ってやつを掴める……ってこと?」

「はい。……急にこんなことを言われても訳が分からないとは思います」

「……うん。よくわからないです。……もう、いいですか?」

頃合いかな。

そう思って、会話を打ち切ろうとする。

しかし、男は「もう一つだけ」と言い、立ち上がろうとする私を制止した。

「未知の世界へ踏み出すのは怖い、ことです。だと思います。でも、踏み出した先でしか見えない景色もあるということを、知って欲しい。その景色を貴方に見せたい。見て欲しい」

「……さっき会ったばかりで、私の何が分かるって言うの」

「何も知りません。最初に申し上げたとおり一目惚れです。しかし、貴方ならきっと輝けます」

「……話は終わり?」

これ以上の問答は無用だと、さらに語気を強めてそう言った。

「ええ。契約の際に必要となるものや規約などの詳しいことはこちらの書類に」

男も、私の内心を察してか今度はあっさりと引き下がる。

「一応、受け取っときます」

「ありがとうございます。もし、アイドルに興味がありましたら……いえ興味がなくともご不明な点などありましたら、先ほどの名刺の電話番号にご連絡いただければと思います」

「…………それじゃあ、失礼します」

書類がたくさん入ったクリアファイルを男から受け取り、退屈そうに足元で座っているハナコに「行くよ」と声をかけてそのまま公園を後にした。

男は私たちが公園を出るその時まで、深々と頭を下げたままだった。
10 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:07:55.72 ID:c5e7bYk30



家に戻る頃には、既に店は開いていた。

カウンターでせっせとアレンジメントを作っている父に「ただいま」と声をかけ家の中へと入る。

玄関でハナコの足を拭いて、自室へ向かった。

散歩中に出会った例の男からもらったクリアファイルを勉強机の上に無造作に置き、ベッドに倒れ込む。

「はぁ」

自然とため息が漏れるほどに、疲れる散歩だった。

――教えられるのは……輝くこと。

男の言葉が頭の中で反響していた。

輝くと言われても、抽象的すぎてよくわからない。けれど、なぜだかその言葉だけ耳に焼き鏝みたいに残っていた。

天井をぼーっと見つめ、アイドルという世界に思いを巡らしてみる。

ふりふりした衣装を身に付けて、たくさんの人の前で歌って踊る。

そんな自分の姿を脳内で描いて「ないない」と頭を振った。
11 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:08:22.38 ID:c5e7bYk30



ごろんと寝返りを打って枕元の携帯電話へと手を伸ばし、電源を入れる。

ブラウザを立ち上げて、先程のスーツの男にもらった名刺に書かれていたプロダクションの名前を検索した。

出てきたホームページは意外にもしっかりとしており、どうやらマトモなプロダクションであるらしいことは分かった。

画面をスクロールしてお知らせの欄を覗くと、近々公募で新人アイドルのオーディションをやるらしいこと知った。

きっとあの男は、私をスカウトできた暁にはこの枠にねじ込む予定なのだろうか。

そうであったとしても、アイドルになる気なんて微塵もない私には関係ない。

関係ないはずなのに、応募する気もないはずなのに、募集要項のリンクをクリックした。

応募資格や条件、合格後のこと。

次々にページを送っていき、気が付けば夢中でホームページのあちこちを見て回っていた。

そんなとき、階下からの「凛ー!」と私を呼ぶ母の声によって我に返る。

「何してんだろ」

自嘲気味に呟いて、携帯電話をまた枕元に置き「はーい」と返事をして部屋を出た。
12 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:08:49.73 ID:c5e7bYk30



ダイニングテーブルには三人分のパスタと大皿に盛りつけられたサラダが並んでいた。

私と母が席に着いて、少しした後にお父さんが店の方からやってきた。

「おー、今日はパスタかー」

「ちゃんと内線の子機出してきた?」

「もちろん」

「じゃあ、食べよっか」

そんなやり取りを経て、三人揃って「いただきます」をした。

母と父の談笑を聞きながら、フォークでくるくるとパスタを巻いて、口に運ぶ。

うちの親は本当に仲がいいなぁ、なんて思いながら口と皿の間をフォークは何度も往復し、やがてお皿の上のパスタはなくなっていた。

両手を合わせて「ごちそうさまでした」と言って、食べ終えた食器をキッチンへと持っていこうと立ち上がる。

「そういえば今日の散歩は長かったな」

サラダをもぐもぐとしながら父がそう言った。

それに対して、私は「うん。ちょっとね」と返す。

母は「飲みこんでから喋りなさい」と父を注意した後で「何かあったの?」と私に尋ねた。

「んー……実はね」

下手に隠して心配させるよりはいいか、と今日の散歩中にあったことを一つずつ話し始める。

いつもの公園に行ったこと。

誰もいなかったからリードを外したこと。

ハナコが逃げて行ってしまったこと。

捕まえてくれた人がいたこと。

その人が芸能プロダクションのプロデューサーだったこと。

そして、アイドルにスカウトされたこと。

全部包み隠さず話すと、母は「もうハナコから目を離しちゃダメよ」とだけ言った。

父は何も言わなかった。

沈黙を破ったのは、来客を知らせる内線だった。

内線の呼び出しを聞くや否や、父はがたっと立ち上がって店の方へ小走りで向かって行った。

「洗い物、私がやるよ」

ダイニングテーブルに残された父の分の空っぽのお皿を下げて、キッチンへと持っていこうとしたところ母は首を振った。

「ちょっと座って?」

「いいけど……何?」

「アイドル、どうするつもり?」

「やるつもりは……今のところないかな。特に興味もないし」

「なぁんだ。娘がアイドルになるかと思ってちょっとわくわくしてたのに」

なんて冗談めかし、くすくす笑いながら母は席を立つ。

「悪いんだけど、洗い物頼んじゃってもいいかしら?」

「うん」

「よろしくね。お母さんは洗濯物やっちゃうわ」

「わかった」

「それとね、これは明日から高校生になる凛にお母さんからのアドバイス」

そう言って改めて私の方へと向き直り、母はにっこり笑う。

「たくさんのことに全力で挑戦してみなさい。お母さんは凛がどんな選択をしても応援するから」
13 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:09:16.41 ID:c5e7bYk30




次の日の朝、私は自然と目が覚めた。

寝転んだ姿勢のまま、壁にかかっている時計に目をやると時刻は午前六時を示していた。

自分じゃ気が付かないだけで案外、新学期を前にして緊張してるのかもしれない。

いや、それはないかな。

まだあまり実感がないのが正直なところだ。

……とりあえず、顔洗っちゃおう。

犬用のベッドで寝息を立てているハナコを起こさないように、そっと自室を出た。
14 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:09:45.76 ID:c5e7bYk30



下の階に降りると、父が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。

「あれ。早いね」

「うん。目が覚めちゃって」

「ははは、入学式だからか」

「そうかも」

「ま、頑張れよ。父さんは店番しないといけないから入学式は見に行けないけど」

「うん。……朝ご飯、作ろうか」

「いいよ。もう三十分もしたらお母さんも起きてくるだろうし」

「……気を紛らせたくてさ」

「じゃあお願いしよう」

「ふふっ、ありがと」

パジャマのままキッチンに立ち、手を洗う。

食パンを二枚オーブントースターに入れて、時間を設定。

それから冷蔵庫から卵とベーコンを取り出してフライパンに油を敷き、火にかけた。

フライパンにベーコンと卵を乗せると、じゅーっという音と匂いが鼻をくすぐって食欲をそそる。

程無くしてできあがったベーコンエッグをお皿へ移し、トースターからこんがりきつね色になったトーストを取り出す。

あつあつのトーストの上にベーコンエッグを乗せて、父の元へと持って行った。

「おおー、ありがとね」

「簡単なやつだけど……」

「すごいおいしいよ」

「ならいいんだけどさ……デザートにオレンジでも切る?」

「いや、これで十分。凛も食べたらせっかく早起きしたんだからハナコの散歩行って来たらいいよ」

「うん」

「リード、離しちゃダメだぞ」

「わかってる」
15 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:10:52.36 ID:c5e7bYk30



朝食を食べ終えて、部屋に戻って制服に着替える。

カッターシャツのボタンを留めて、慣れない手つきでネクタイを結ぶ。

そして、紺のブレザーに灰色のスカート。

学校指定の靴下。

一つ一つ確認して、鏡の前でくるりと回ってみる。

「これから三年間よろしく」

制服にこんなことを言うなんて自分で自分がおかしくて、笑えてくる。

ちょうどそんなときにハナコも目を覚ました。

ハナコは目を覚ますなりぴょんと飛び起きて、私の足元で跳ね回り朝ご飯を催促した。

「わかってる。じゃあ下、行こうか」
16 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:11:19.84 ID:c5e7bYk30



ハナコに朝ご飯をあげ、食べ終わるのを待っているとお母さんが起きてきた。

「あら、早いのね」

「ふふっ、お父さんと同じこと言ってるよ」

「朝ご飯、凛が作ってくれたの?」

「うん。お母さんの分もトースト焼けばすぐできるよ。でもベーコンエッグちょっと冷めちゃってるかも」

「自分でやるから大丈夫。ハナコの散歩、行ってらっしゃい」

「わかった」

「あ。それと、凛」

「何?」

「制服、似合ってるわよ」

「ありがと。行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい。もうリード離しちゃダメよ?」

またお父さんと同じこと言ってる。
17 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:11:50.66 ID:c5e7bYk30



お店のシャッターを少しだけ上げて、くぐるようにして外へ出る。

新品のローファーを鳴らして歩くいつもの散歩道。

なんだか少しだけ、心が弾む気がした。

軽快な足取りのままいつもの公園に入ると、ベンチには見覚えのある男が座っていた。

昨日、私をスカウトしたスーツの男だ。

気付かれる前に立ち去ろう、そう思ってくるりと方向転換して、来た道を戻った。
18 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:12:18.81 ID:c5e7bYk30



家へと帰り、登校までの時間をテレビを見ながら過ごす。

ニュース番組を眺めながら、どうして昨日の例の男が公園にいたのかを考えた。

一般的な会社員が出社するには、おそらくまだかなり時間があるはずだ。

となると、考えられるのは一つ。

私を待っていた……ということになる。

次に浮かぶのは何時から待っていたのか、という疑問だった。

果たして、そこまでしてスカウトする価値が私にあるのだろうか。
19 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:13:08.92 ID:c5e7bYk30



結局、考えはまとまらないまま登校時間を迎えた。

鞄から買ったばかりの定期券を取り出して、ぎゅっと握りしめる。

洗面所で化粧をしている母に「また後でね」と声をかけて家を出た。
20 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:13:42.45 ID:c5e7bYk30



電車が一駅、また一駅と学校に近付くにつれて、ちらほらと同じ制服の人を見かけるようになる。

ぴかぴかのローファーに、シワ一つないスカート。

きっちりと一番上まで留められたカッターシャツ。

きゅっと結ばれているネクタイ。

自分もそうだから、一目で同級生だとわかる。

この中の何人かは同じクラスになるのだろうか。

そんな感じで、たくさんのことを考えていたら、いつの間にか学校の最寄り駅に着いていた。
21 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:14:10.71 ID:c5e7bYk30



慌てて電車を降りて、改札を抜ける。

同じ制服を着た子たちが、ぞろぞろと学校の方へと流れていく。

携帯電話を意味なく鞄から取り出して、少し眺めて、またしまう。

その動作を二度ほど繰り返してから、意を決してその流れに乗った。
22 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:14:43.66 ID:c5e7bYk30



校門には、でかでかと『入学式』と書かれた大きな看板があって、新入生の方はこちら、父兄の方はこちらというふうに親切に案内が出ている。

案内に従い、順路を進むと下駄箱へと到着した。

事前に通知されたクラスと出席番号を元に、自分の下駄箱を探し出し、ローファーを入れて、代わりに鞄から学校指定の上履きを取り出し、履き替えた。

廊下を人の流れに沿って進む。

程無くして、自分の教室に辿り着く。

引き戸に手をかけ、中の様子を窺うように開けると、既に教室に来ていた数人のクラスメイトたちの視線が一斉に私を向く。

たくさんの視線に少したじろぎながら、真っ直ぐ自分の席へと向かった。
23 : ◆Rin.ODRFYM [saga]:2017/08/10(木) 00:15:13.37 ID:c5e7bYk30



席に着いてからの時間は、ひどく長いように思えた。

実際には十数分であるはずの時の流れが一時間にも二時間にも思えた。

時折、誰かが咳き込んだり椅子を引いたりする音の他は何もない。

重苦しい空気が教室を支配していた。

その空気を破ったのは、すぱーんと開け放たれた引き戸の音だった。

開け放たれた教室前方の入り口から、一人の教師が入ってきて、教壇に登り、柔らかな笑みを浮かべて教室を見渡す。

「まだ緊張してるかな。そうでもないかな? どちらにせよ、まずは……入学おめでとう!」

そのあとで、教師はチョークを取り出して黒板に大きく自分の名前を書いて「よろしく!」と言った。

「じゃあ、式まで少し時間があるから。一言ずつ自己紹介でもしようか。簡単でいいから……番号順で!」

出席番号の若い順に自己紹介が始まった。

自己紹介とはいえ、まだそれほど踏み込んだことを話す子は少なく、名前のあとに一言添える程度だ。

淡々と自己紹介は進んでいき、私の番が来た。

「渋谷凛です。一年間、よろしくお願いします」

軽く頭を下げて、また席に座った。
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