男「元奴隷が居候する事になった」【安価有】

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:00:48.85 ID:1bqYoAB70

書き溜めなし、安価有、地の文有。

思いつきのみで形成されております。

ゆるくまったり進めていけたらと思いますので、お付き合いの程をよしなに。 

 

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1509966048
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:05:38.82 ID:1bqYoAB70

浮気調査、動物探し、盗聴器ハント、簡易的な身辺保護。

平々凡々な探偵業をこなしていると、しがない依頼しか大抵は来ないものだ。

自分の掲げていた理想のハードボイルドと呼ぶには程遠い。

まだサラリーマン時代の方が楽だったのかもしれないとまで思っている。

霞でメシを食わないと仏様になってしまうような日々を過ごしていた。

だからこそ、今日の依頼人が提示してきた仕事には度肝を抜かれてしまう。


「マフィア殲滅のために情報収集を依頼したい。
 報酬は貴方が会社員を続けていた頃を基盤とした生涯年収分で如何ですか」


内容から察して詳細なんか聞かずとも、超弩級にきな臭い案件以外の何物でもないじゃないか。

それにこんな赤貧探偵に頼むなんて、どう考えても鉄砲玉のようにしか扱われないに決まってる。

即々でノーと返事を出してお引き取り願おう。

頭じゃ理解していても、心に宿る愚かな自分が吠え猛るのだ。

これこそがハードボイルドの真骨頂だろう、と。

震える指先を誤魔化すように煙草に火を点け、大きく吸い込み、溜め息のように煙を吐き出す。



「その仕事、請け負いましょう」


退路は断った。

後は野と成れ山と成れ、だ。

 
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:19:17.95 ID:1bqYoAB70

依頼の概要はこうだった。

“マフィアの元締めが来日する日付は七ヶ月後。
 それまで構成員に成りすまして内部調査を行なってほしい。”

俗に言うスパイというやつだ。

ターゲットとなる組織内に従属して、武器の貯蔵や構成員数、幹部のマル秘ネタなど、

出来得る限りの事柄を詳細に報告してほしいとの事。


有り体に言って自分には無理だと思った。

素人に毛が生えたくらいの人間に、そんな大それた事が出来るものかと。

ただ、向こうはどうやら自分が今までこなしてきた依頼を調べ上げており、

その功績や実績を何故かやたらと高く評価してくれていた。


先方は言う。

出来得る限りでいい。それに、構成員の中には既に君と同じように潜り込んでいる人が複数人いるから安心してくれと。

なるほど自分と同じような境遇の輩がいるのか。

先駆者がいるなら多少は安心だ。きっと同じように蓮っ葉な扱いをされている人達なのだろう。

ちなみにどういった経歴の方が紛れているのか訊ねてみた。


「FBIです」


この仕事を断るのは今からでも遅くないのではないかと本気で考える良いキッカケになる一言だった。

吐いた唾を飲めないのがハードボイルドの辛い所である。

 
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:34:18.63 ID:1bqYoAB70


先駆者のスパイらしき人物からの勧誘により、組織内には割とスムーズに侵入する事が出来た。

様々な人種がいたが、みな流暢に日本語を喋っている。

どうやら自分が潜入したのは日本支部のような扱いをされている場所のようで、

そこにイタリア本部からボスが視察にくる所を一網打尽にする予定なのだとか。


それからというもの、地獄のような日々が始まった。

ミスしたら即座に消される。正に文字通り。

不安と緊張が鎧のように体を重くして、血と硝煙の香りが鼻腔と脳内を率先して狂わせてくる。

依頼達成のための意地と根性で篩い立ち、親しくなりなくもない奴らとコミュニケーションを取って、

幹部の情報や武器の売買先を確認して定時連絡を取る。

お金と酔狂という飾りのようなモチベーションで、どうにか毎日を過ごしていた。

そんなある日の事、麻薬中毒者(ジャンキー)の構成員がいきなり後ろからガッツリ肩を組んでくる。

内心では死ぬほどビビっていたが、なんだよブラザーとヘラヘラ笑いつつも平静を装う。

すると、虚ろな目をしたそいつは、誰にも聞こえないようにこそこそと話してきた。


「Hey,bro. 聞いたか?今日ようやく本商品が届くんだってよ」


一体何の事だ?

あまり良い予感はしなかったが、そいつの次の一言で予感は確信に変わった。


「糞以下の金持ち共に売り払う用の、愛玩動物(クソガキ)共の事だよ」

 
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:54:56.54 ID:1bqYoAB70

なるほど、本商品とはそういう事か。

確かに組織は潤沢な金銭を抱えている。潤沢すぎるほど、金の流動を見せていた。

その謎の財源はどこから来ているのかと思えば、その子どもたちの人身売買が出処だったのか。

なるほど、なるほど。

握り拳の隙間から血が滴るのを隠しつつ、そのジャンキーに詳細を聞いてみた。

現状は船のタコ部屋で軟禁状態。

船に乗せる前から長期間“しつけ”を行なっているので、暴れる奴はいない。

ボスの到着と同じ日に〇〇港に着く予定なので、ボスが子ども達を出迎える手筈になっている、との事。

貴重な情報が聞けた事の小さじ一杯ほどの感謝をしつつ、どうして只のジャンキーがここまで情報を握っているのか訊ねてみた。

曰く、彼は幹部と飲み仲間で、且つこういう情報を小耳に挟んで組織内を立ち回る情報屋だった。

ある日新人から勧められた薬が非常にハマってしまい、

そいつから薬を貰う代わりにこういう情報を喋ってしまうので、ついつい口が滑ってしまったんだ。

わひゃわひゃわひゃ、と心ここに在らずのような笑い方をしながらそのままジャンキーは去っていった。

どうやら自分の同業者には素晴らしいマキャベリストが居るようだ。

手段はさておき、顔も知らない彼の手練手管に感心しつつ、ホットな報告を依頼人に送った。


「承知しました。つい先ほど貴方と同じ情報が入ったので、信憑性はヒトマルですね。
 不審な船の調査を急ぎます。元締め退治と奪還は同時に行う作戦に変更です」


了解、と残して通話終了。後はもう少しだけ情報を探るとしよう。

この組織の壊滅も近い。

なんとなく、そんな気がする。

 
 
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 21:14:35.03 ID:1bqYoAB70


運命の日。それはあっけなく終わった。

元締めが来日し、そのまま港に足を向け、そこで待ち構えていた警察たちに彼はあっけなく捕縛される。

彼の両手に手錠がかけられたタイミングで船が寄港し、その際に多少のドンパチはあったものの

こちら側に然したる被害もなく収まった。

そのドンパチに加担した身としては、弾が当たらなくて何よりだった。

久々に撃った感覚は変わらず気持ちの悪いもので、相変わらず苦手意識は変わっていない。

船に乗り込んだ際、どうやら配置の都合上、自分が子どもたちのいるタコ部屋に一番近かったらしく保護の役目を担う事になった。

これは依頼内容に含まれていないから後で追徴しようなどとボヤきつつ、その部屋に突入する。


そこには三人の子どもがいた。

どの子も将来は見目麗しい素敵な女性になるのだろうと思わせるような見た目だった。

体中に刻まれた夥しい数の傷跡さえなけば。

その子ども達は、自分を見るや否や震え出した。

何か恐ろしいものを見るような目で見つめられ、うち二人は頭を抱えて泣き出した。

ごめんなさい、ごめんなさいと絞り出すような嗚咽を漏らしながら。

そして自分の前に一人の少女が両手を広げて立ちはだかった。

手入れのされていない黒髪を振り乱し、澱んだ瞳孔をこちらに向ける。

後ろで泣いている子を庇うかのような立ち振る舞いだったが、

小鹿のようにやせ細った両足が大仰に震えており、必死で恐怖と戦っているのが見て取れる。


「いたいこと、するなら、わたしが、うけます」


その惨たらしい献身を見て、体中の力が抜けた。

守れて良かった、という思いと。

護れずに済まなかった、という想いで。


気付けば自分は、大粒の涙を零しながら、その子どもを抱きしめていた。

 
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 21:26:06.15 ID:1bqYoAB70


しばらくして抱擁を解くと、少し息苦しかったのか、けほけほと咳き込んでいた。

すまないと思わず謝った。力加減が分からなかったのだ。

その黒髪の少女は一体何をされていたのだろうといった表情で呆気に取られている。


「君たちを、助けにきた」


そう伝えて、髪をくしゃくしゃと撫でてみる。

眼前の黒髪の少女の瞳に一瞬だけ光が戻り、その子が逆にこちらの胸に飛び込んできた。

そして、そのまま大声で泣き始めた。

奥で震えていた子どもたちも次々に抱き着いてきて、しゃくりを上げて大泣きしてきた。


目先のお金と恰好つけで始めた仕事にしては、随分と貰える報酬の多さに驚いている。

死ぬほど辛くて、何度か本当に黄泉路を歩きそうになったけれど。

請けて良かった。あの時の自分の判断こそが正しかったのだと、ようやく実感できた。


 
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 21:38:00.79 ID:1bqYoAB70


それから約一か月後、日射しの気持ち良い秋晴れの頃。

依頼人が自分の事務所を訊ねてきた。


「依頼達成、お疲れ様でした。請け負ってくれて有難うございます」


事務所の安革ソファに腰を下ろし、労いの言葉をかけてくる。

気にしないでください、お役立てできて何よりです。

そんな言葉を返すと、眼前のスーツ姿の青年は、にこりと会釈を返してくれた。


「貴方が身を粉にしてくださったおかげで、一つの大きな組織が滅びました。
 子ども達も無事に保護できて何よりです」


あの子達は元気かどうか聞くと、今はまだ療養中との事だった。


「元々あの三人は、組織お抱えの娼婦たちがそれぞれ捨てた孤児だったのです。
 身寄りどころか戸籍もなく、組織内で文字通り飼われていた子でしたから……。
 劣悪な環境下で育っていたので、日本の病院の綺麗さを天国だと言ってました。
 まぁ確かに天国へ繋がっている人も居るかも知れませんがね。 はっはっは」


いや、はっはっはじゃないだろう。地味なブラックジョークは止めてほしい。


 
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 21:51:39.96 ID:1bqYoAB70


「世界にはお金で狂った人が大勢います。
 道徳心を亡くした小金持ちは子どもを愛玩や嗜虐の道具で欲しがる、歪んだ人々もいます。割といます。結構います」


神妙な面持ちで、スーツ姿の青年は語りかけてくる。


「あの子たちは、奴隷として飼われており、奴隷として買われるところでした。
 貴方はその子どもを助け、世界を美しくする一端を担ってくれました。
 本当に、本当に有難うございます」


そういって、深々と頭を下げてきた。

流石に恐縮してしまう。

いえいえ、人として当然の事をしたまでです。頭を上げてください、というので精一杯。

そういえば、あの子たちはどうなるのですか。

気恥ずかしさで話をすり替えるために別の話題を振ってみた。


「そうですね……あの中の二人は、アメリカの孤児院に行く事になっていまして……」


何故か急に歯切れが悪くなった。あまり聞いてはいけない内容だったのか。

では報酬の話にでも移ろうかと思った瞬間、スーツ姿の男が洗練された営業スマイルを向けてきた。



「ところで少々話は変わって、物は相談なのですが。追加依頼を受けて頂けないでしょうか」

 
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 22:15:14.82 ID:1bqYoAB70


「助けて頂いた子のうち二人はアメリカに行く事が決まりました。
 ただ、もう一人の子はこの国への残留を強く望んでおりまして。
 それで、この国の戸籍を準備するのが少々手間取っている現状ですね」


ほぅほぅ、難儀な事ですね。

そう言いつつも手元のコーヒーを優雅に啜ってみる。


「それでですね、こちら側が戸籍を準備するまで、その子を預かって貰えないでしょうか」


飲んでいたコーヒーを盛大に噴出した。

男一人で侘しくものんびり暮らしていた生活なのに、そこに住人一人増えるのはたまったものではない。

断固反対、絶対不可。これを心情に断ろう。


「その子、いたく貴方を気に入っているんです。
 実は今日も連れてきていまして……。入っておいで」


スーツの青年が事務所の出入り口に声をかけて、少しだけ間の空いた後、おずおずと入ってきた一人の少女。

変わらずボサボサだが、変わらぬ綺麗な黒髪。華奢な肢体に少しだけ血色の良くなった顔。


あの日、船の中で自分が助けて、抱きしめた子だった。


「……迷惑だったら、断ってください」


その子は、涙を浮かべて不安そうな瞳を向けてくる。

自分の事は自分が一番よく分かる。

ノーだというのは、きっと無理だろう。
 
 
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 22:25:49.34 ID:1bqYoAB70


……期間は、どのくらいですか。


諦めたように依頼人に告げた。

ぱぁっ、っと少女の表情が明るくなり、依頼人はネクタイを正して商談に入るような姿勢を向けてきた。


「まぁ、組織内の情報を洗う意味で少々時間を空けて、一年です。
 延びるかもしれないし、短くなるかもわかりません。」


報酬は如何ほどになります?


「そこは要相談で。ああ、ちなみに彼女の生活費はこちらで出しますので、そこは気にしないでください」


ふぅ、と思わずため息をついた。

腹をくくったからには、まぁそれなりに過ごしていこうと思う。

それに、あの船で出会ったときに感じた、あの気持ちは未だに忘れていない。この胸で燻っている。

大人として未熟な身だが、出来得る限りこの子が幸せになれるよう、自分なりに最善を尽くそう。

出入り口で立ったままの少女に向き合い、言葉をかける。


「初めまして。君の名前は何ていうんだい?」


少女は、おずおずと口を開いた。




「わ、私の名前は……>>14です……」



 
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 22:26:26.87 ID:RfneMM/3o
ksk
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 22:26:58.90 ID:vC6TSfSp0
リンダ

まともな名前が来ますように!
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 22:27:10.84 ID:t2BjLYsM0
サンディ
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 22:47:57.10 ID:1bqYoAB70

>>14


「私の名前は……サンディ、です……」


少女は俯いたまま、ぼそりと呟く。

可愛い名前だね。

そう率直な感想を告げると、さらに身を縮こまらせて耳を真っ赤にしていた。


「仲睦まじいようで何よりです。では、私はこの辺りで失礼させてもらいますね」


ああ、そうだ。報酬は忘れないでくださいよ。

そう釘を打つと、彼は微笑みを返してくる。

謎の不安が胸をよぎるが、まぁここは信用しておこう。


そして依頼人は去り、中に残されたのは自分と、少女……サンディの二人。

これから一年間の同居人に向かって、とりあえずは声をかけてみよう



「ずっと入口に立ってると寒いでしょ? 汚い事務所だけれど、まぁお入りなさい」

「お、お邪魔します……」


「これから宜しくお願いするよ、サンディ」

「は、はい、ご主人様……」


変な言葉が聞こえてきたのは気のせいだと願いたい。

前途多難になりそうだが、まぁ楽しくやっていきたいところだ。
 

彼女がほんの少しでも幸せで在るよう、祈りを続ける日々がこうして幕を開けた。


 
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 23:00:14.17 ID:1bqYoAB70


今日はここまで。お目通し、安価協力に感謝を。

のんびり書いているので、ゆるりとお茶でも飲みつつお待ちください。

感想やご意見などあれば是非ぜひ。


【作業用BGMより一曲】

https://youtu.be/P20NA5_nMfw

 
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 23:03:09.32 ID:c7c87bhwo
おつ
きたい
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 23:03:28.70 ID:RfneMM/3o
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 23:16:05.09 ID:CbR4GO9cO
おつ
20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 06:41:20.02 ID:lfj9bXFJ0


仕事場でもあり居住地として使用している我が根城。

事務所兼自宅に男が一人だけ。

そこに暮らす輩が無精者だとすれば、それはまぁ見事に散らかっているもので。

顧客を招く職場としての事務所は辛うじて綺麗な環境を保ってはいるが、

これぞハリボテと呼ぶのが正しいものだろう。

少し裏に回れば掃き溜めの如き環境が広がっている。

ここに年頃の娘を住まわせるのか?


……え、ここに?

 
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 06:48:30.54 ID:lfj9bXFJ0


否、断じて否。

部屋の散らかりは心の散らかり。美しい場所でこそ凛とした育ての場に相応しい。

元から性根の腐っている自分ならまだしも、これは子どもを預かる環境としてはあまりに不適切。


「サンディ。もしかしなくて、今日から早速一緒に住むって事でいいのかな?」

「は、はい。ご迷惑でしたら、適当に野宿をしながらでも生きていきますので……」


彼女の目じりに涙が一気に溜まる。

人に泣かれる事なぞ滅多にないので、ついあわあわと狼狽してしまう。


「いやいや、違う違う。もしそうだったら、ちょっとお願い事があってね」

「あ、しょ、承知いたしました。私に何なりとお申し付けください」


サンディは目元の涙を腕でごしごしと拭った後、スカートの端を軽くつまんでお辞儀をしてくる。

なんとも優雅な身のこなしだ。堂に入っている事が妙に胸をざわつかせるが、それは現状まぁ置いといて。

はい、どうぞと。彼女の両手にそれぞれハタキと空のバケツを持たせる。

そしてそのまま玄関先に向かい、OPEN札を裏返しておく。今日は早々に店じまいだ。


「……部屋の片づけ、一緒にやってもらってもいいかい?」

「お任せください。謹んでお受け致します」


普段から綺麗にしておかないから別嬪さんに迷惑かけるんだよ、と。

今は亡き母が空から怒っているような幻聴がした。

うむ、ごもっとも。

この情けない現状は自分だって心苦しいし恥ずかしいのだ。

とりあえずは、えっちな本だけ先に片付けておくことにしよう。

 
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 07:14:10.65 ID:lfj9bXFJ0


彼女を招いたのがお昼過ぎくらいの頃だったか。

今やすっかり日も傾いて、もう夜の帳が下りそうな時間だ。

もっとこう、時間もあれば多少は片付けて招けたのだが……などと、心の内で言い訳だけ噛み砕く。

彼女の尽力のおかげで、居住地だけではなく、トイレ、風呂、果ては事務所の隅々まで見事に綺麗になっている。

久々に自分の部屋の床が見えて感動していた昼下がりの自分が、また何とも残念な大人っぷりを醸し出していた。

サンディは、未だに事務所の床をモップで一所懸命に磨いている。

そんなに擦ると摩擦係数がなくなるんじゃなかろうかと思ってしまう程だ。


「お疲れ様、サンディ。まだしんどいだろうに、初日から無理させてごめんね」

「いいえ、ご主人様。私如きがお役に立てるのならば幸いです」


滔々と彼女は言う。

滅私奉公が義務のような言い方だ。

そんな言葉を使い慣れているのが、今までの環境を想起させてくる。


「君が居てくれて良かった。今日はこのくらいにして、夕飯にでもしようか」


そんな素直な感想を伝えると、彼女は一瞬ピタっと動きを止めて、目を大きく見開いて驚いていた。

何か不味い事でもあったのかと心配していると、


「……今、なんと?」


と、訊ねてきた。


「いや、もう今日は終わりにして、ご飯でも食べようかって……」

「いえ、その、前の、言葉です……」

「ああ、君が居てくれて良かったっていうあれか。 うん、僕の正直な気持ちだよ」

「……っ」


彼女はその大きな瞳から、滂沱の涙を零し始めた。

とめどなく流れていくそれを抑えようと、サンディは両手を顔に添えて必死に堪えている。


「も、もったい、ない、おこ、おことば、です……。
 あ、あり、ありが、……うっ、ありがどう、ございまず……」


当たり前の言動で心が震えてしまうほど。

虐げられてきたのだろう。傷ついてきたのだろう。

今まで辛かったのだろう。

かける言葉は、今の自分には見つからない。

ただ今日の夕飯は、とても美味しいものを準備してあげたい。

そう心に決めた。

 
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 07:34:15.98 ID:lfj9bXFJ0


涙を流していたサンディを事務所のソファに座らせ、手元にティッシュを添えてやる。

その対面に自分は腰をおろして、感情の起伏が治まるのを待ってみた。


「お見苦しいところを、失礼いたしました」


ずびっ、っと鼻を啜りながら彼女は謝罪を口にする。

ようやく泣き止んでくれた頃には、辺りは既に真っ暗になっていた。

時刻は十八時を回って少々。秋の半ばは夏に比べると宵の口が早くなる。


「いいよ、気にしないで。ゆっくり慣れていけばいいさ」

「お心遣い、恐縮です」


不器用に頭をかくん、と下げてくる。彼女の年相応な本意の礼だろう。

何とも不慣れなのが妙に可愛らしい。


「それで、今日の夕飯なんだけれど。何か食べたいものとかあるかい?」

「いいえ、特に。……それで、私は何をすれば宜しいのですか?」

「え、いや別に。何もしなくても、出前で適当に頼もうかなって」

「そうではなく。食べ物を貰うときは、相応の何かをするという事でいつも貰っていたので」

「そういうのは要らないし、受け取らないよ」


冷えた言葉が口から漏れた。

彼女の過ごした環境への憤りが、つい態度に出てしまう。

こういう点が自身の幼い所で、改善しなければならないところだというのに。

猛省しながらサンディを見ると、やはり空気が変わってしまった機微に触れている。

緊張していただろう体が更にこわばっており、顔面蒼白になっていた。


「も、も、申し訳ありません……ご主人様への不快な発言をしてしまい、まして……」


彼女のスカートの裾が大きく皺になる。両手で握りしめているから。

早々に誤解を解かねばならない。


「ああいや、違う、違うんだ。君に怒っていたんじゃない。
 君がいた昔の場所を考えて、僕はつい変な空気にしてしまった。そして、不安にさせてしまった事を心から謝罪する」


赦してくれとは言えないが、誠意が伝わりますようにと思いながら大きく頭を下げた。

 
24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 07:49:42.18 ID:lfj9bXFJ0

彼女の返答を待つまで頭を下げていたが、一向に答えが返ってこない。

嫌われてしまったか。

それも已む無しと思いつつ、ふと顔を上げると。

両手をあわあわと振りながらも、言葉に詰まって慌てふためく彼女の姿があった。


「あ、あの、あのその! お、お気にならさず、なさらず!?
 わ、私如きに頭を下げるというのは滅相もないというか何というか
 そういう風にされるのは生まれて初めてだからどうすればいいのか分からないというか私はそのあのそのその…!!」


一気にまくし立てて喋るから、後半は何を言ってるのか正直分からなかった。

だが、何とも愛くるしいその様に、つい吹き出してしまう。

嫌われていないのが分かっただけでも、こちらの心も随分と軽くなるものだ。


「ゴメンよ、サンディ。次から気を付ける。
 付けるついでに取り直して、夕飯の相談をしよう」

「しょ、承知しました……」


尻すぼみな返答をしつつ、何となく「ここでは何もしなくても良い」と伝わってくれたようだ。

後は何か美味しいものでも食べよう。

食事というのは、それだけで心を満たしてくれる。


「ところで、君は何か好きな食べ物とかあるのかい?」

「す、好きな食べ物ですか……?」

「うん、ご飯を食べるついでと言っちゃ何だけれど、これから一緒に暮らすんだから、趣味嗜好とか知っておきたいんだ」

「出されたものは何でも全て食べていましたから、嫌いなものはありませんが……。
 好きなもの、というのは存外難しいです……」

「まぁまぁ、何でもいいよ。インタビューみたいなものさ。 あくまで、好みだけ教えてほしい」

「そう、ですね……。今まで食べて来られたもの、で、美味しかったものと言えば……」


>>27、ですかね」


 
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 07:54:42.49 ID:fV6fJm9D0
さつまいも
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 08:40:19.82 ID:d9cRRv3Uo
ピーマン
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 08:41:03.41 ID:CpKmnU3DO
お魚
28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:14:24.06 ID:lfj9bXFJ0

>>27

「お魚、ですかね」


これはまたずいぶん漠然とした好物だ。

種類は何か、調理方法はどういったものが好きか、味付けはソースと塩のどちらが良いのか。

色々と聞きたい所はあるが、まずは彼女の好きな物が分かっただけでも良しとしよう。


「そうか、君は魚が好きなのか」

「はい。特に食べ方のこだわり等はありませんが、お魚さんが好きです」


お魚さん。なにそれ可愛い。

こほん、と誤魔化すための咳払いを一つ。


「何で魚が好きなのか、聞いてもいいかい?」

「私は物心が着く頃辺りまで港町に住んでいたのだと思います。
 もう記憶も朧気なので、どこに居たのかまでは思い出せないのですが。」

「ほぅほぅ」

「そこで覚えているのは、活気のある町と、顔も思い出せない母の手、そしてお魚さんを使った色んな料理。
 だから、魚を食べているときだけは、何となく昔を思い出してもいいような気がしまして……」

「なるほどね」

「失礼致しました。つまらない話をして申し訳ありません」

「いや、いいんだ。話してくれて有難う。
 おかげさまで出前のメニューがようやく決まったよ」


まだ報酬の振り込みが確認できていないからほとんど素寒貧だが、今こそ見栄の張り所。

サンディ、君にはジャパニーズ海鮮料理の金字塔こと“SUSHI”の魅力を存分に堪能してほしい。

 
29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:28:46.63 ID:lfj9bXFJ0


「……綺麗」


届いた特上寿司を見た彼女の感想だ。

美味しそう、ではなく、綺麗というのがまた何とも奥ゆかしいというか。

薄いピンクの霜降りが垂涎を誘う大トロ、こんなに並んでいるのは自分でもほとんど見た事がない。

イクラが宝石と喩えたのは一体誰だったか。今なら非常に共感できる。

眺めているだけで垂涎を誘う素晴らしい光景、お預けのままでいるのはあまりに惜しい。


「よし、では一緒に食べよう」

「?」


サンディは首をかしげてこちらを見てくる。

はて一体どうしたのか。


「一緒に食べても、宜しいのですか?」

「いいよ。むしろ君に食べてもらいたいから準備したんだ。遠慮はダメだぞ」

「……すいません。あまりにも普段と違う環境なので、その、どうしていいのか分からなくて」

「うん。 これから少しずつ慣れていけばいいさ」


そう言いながら、彼女の頭をくしゃりと撫でてみる。

こそばゆそうな、でもどこか嬉しそうな顔で撫でる手を享受してくれた。


「では、いただきます」

「い、いただき、ます……?」


自分が手を合わせるのを見たサンディは、その仕草を真似たのちに寿司に向かって頭を下げる。

そう。美味しい物を食べるという当たり前の日常。いや、寿司は当たり前ではないが。

人が日々の中で過ごすそんな幸せに、少しずつ、慣れていってほしい。


 
30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:34:51.89 ID:lfj9bXFJ0

昨今の出前寿司は、ワサビ抜きがデフォルトになっている。

別個でワサビは準備されており、それを醤油入れ用の小皿に分けて好みの量を取るのが普通なのだ。

ただ、きっと彼女の食べた一口目はきっと例外でワサビがてんこ盛りだったのだろう。


泣きながら寿司を食べる人を初めて見た。


それでも美味しそうに食べているその様は、お腹よりも、心を充分に満たしてくれた。

まだ食べていないのに、何故かこっちまで泣きそうになってしまうのは困りものだ。

 
31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:50:17.57 ID:lfj9bXFJ0


「少し横になっても良いですか?」


それを承諾すると、お腹いっぱいになったらしい彼女は充足したようにソファに横たわった。

どうやら食べ過ぎたらしい。

もともと線の細い少女だと思っていたから、これからどんどん食べてほしいものだ。


「こんなに美味しいものを食べたのは、とっても、久しぶりです……」


くりくりの大きい瞳を目蓋が覆い隠そうとしている。

どうやら眠気が襲ってきたようだ。まるで子どものようだと思いつつ、そういえば子どもだったなと再確認する。

食後のお茶でも準備するために席を立ち、再び戻ってきた頃には対面の少女は穏やかな寝息を立てていた。

就寝用のベッドは一つしかないから、彼女にはそれを利用してもらい、自分は事務所のソファで寝ることにしよう。

寝室には後から運ぼうと決め、まずは一服しようと自分が淹れた玄米茶を軽く啜る。

気持ちよさそうに眠っているサンディを見ると、心が温かくなる。ふっと自分の口元がたわんでしまう。

これは傍から見たら事案になるのか。などと変な事を考える前に、窓際にかけてあるカレンダーに視線を移した。

今日の日付は、十一月十一日。語呂も良くて覚えやすく良い日だ。

同居人というか居候が突然増えた日。

おおよそ一年という期間が長いのか短いのは今は分からないが、とかく、大切に過ごそうと思った。

 
32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:56:55.52 ID:lfj9bXFJ0


【今後の呼ばせ方について】


1:ご主人様のままで構わない

2:先生、お兄さん、など特定の呼び名(要安価)

3:主人公の名前(要安価)


>>33-40までの間、多数決にて検討。
 
33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 09:59:13.41 ID:d9cRRv3Uo
先生
34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 10:06:20.42 ID:zeWxoSbb0
お兄さんで
35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 10:11:06.25 ID:o4MwoIQHo
先生
36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 10:31:52.55 ID:XUmJd7Qro
3名前+さん

名前はまた安価で
37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 11:11:54.49 ID:mV0W04Za0
兄さん
38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 12:03:31.83 ID:MoSOz1bTo
兄さん
39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 12:04:07.34 ID:VPXDCBzPO
名前+さん
40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 12:19:59.13 ID:4w0OIzJ2o
兄さんで
41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 12:34:07.81 ID:lfj9bXFJ0

では、2番の「兄さん」にて採決を。ご協力に感謝。

ご主人様枠がレスで一つも無いという皆の優しさほんとすき。

のんびり書いているので、ゆるりとお茶でも飲みつつお待ちください。

感想やご意見などあれば是非ぜひ。

 
42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 13:38:29.16 ID:nEbuNM+xo
1だと他人に言い訳きかないからね…
43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/08(水) 15:00:34.01 ID:q2+5VjSt0

【追加設定】


サンディの年齢は?(10〜15歳の間)

>>45


連れて行ってあげたい場所

>>47

44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/08(水) 15:07:24.67 ID:J6iX0LlOo
13歳
45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/08(水) 15:16:57.88 ID:BORsb27Ro
11
46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/08(水) 15:20:35.16 ID:J6iX0LlOo
展望塔
47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/08(水) 15:21:27.42 ID:ZXD2NsuDO
動物園
48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 22:08:10.74 ID:o6ummrG70
安価協力に感謝。
今帰宅したばかりなので、一息ついたらのんびり書いてみます。
49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/09(木) 22:35:59.32 ID:oARFd2Gho
了解しました
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:12:53.01 ID:o6ummrG70


ハードボイルドの朝は早い。

東雲の空に有明の月が少しだけ白を残す頃、僕はゆるりと目が覚める。

カーテンを開けると未だに外は静かなまま。静寂の帳があける前の時間帯。

今日はソファで眠ったので、少し姿勢が悪い寝方をしていたようだ。背伸びをすると軟骨が音を立ててくる。

くあぁ、と軽く欠伸を噛み潰すと、緩い虚脱感に抱かれているような心地良い気分を覚える。

寝起きで覚束ない足取りのまま、事務所の戸棚からコーヒー豆を取り出した。

それをミルで砕くと芳醇な香りが広がり、目覚まし代わりの気付けになってくれる。

今日の豆は粗挽きで仕上げてみた。コーヒーメーカーを起動させて、夜明けの一杯としけこもう。

出来上がるのを待つまでの間に微睡のゆりかごに揺られていると、ぴーぴーと機械音が聞こえてきた。

少し温めておいたカップにコーヒーを注いで、鼻先に近づけてみる。

ほろ苦さを醸し出す匂いが鼻腔をくすぐる空気を楽しみ、そのまま口元へ。

ずずっ、と一啜り。

これぞ朝の醍醐味。美味しい以外の感想なぞ野暮というものだ。

そしてそのまま淹れたてのコーヒーを嗜むため、次は一口目よりも少し多めに含んでみると。



< ええええぇぇぇぇぇーーーーーーーー!!!!



寝室からの絶叫でそれを盛大に吹き出した。

ハードボイルドな朝は終わりを告げたようだ。

 
51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:22:56.59 ID:o6ummrG70

すぐさま引き出しの拳銃を握りしめて駆け出した。

昨日は彼女をベッドに運んで、僕はそのままソファで眠っていた。

だからこそ、さっき寝室から聞こえてきた大声はサンディだろう。

一体なにがあったのか。もしや組織の残党が連れ戻しに来たのか。

口元に垂れたコーヒーと頭に浮かぶ不安は拭えぬまま、急いで寝室に駆け込んだ。


「サンディ、無事か!?」


そこで見たものは。

ベッドの上で深々と土下座をして迎えてくれた、年端もいかない少女の姿だった。

なんちゅう美しいフォームで頭をさげるんだこの子は。

 
52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:34:17.71 ID:o6ummrG70

気まずい雰囲気の際は時が止まる、というのは比喩表現ではなかったようだ。

自分の手には拳銃、目先には土下座スタイルの少女。外からうっすら聞こえてくる鶏の声。

体感的にだが、今たぶん確実に時間は停止している。凄まじい空気が部屋に漂っているぞこれ。

何なのだこれは、どうすればよいのだ。

一体どうやって声をかけようかと寝起きの頭を無理やり動かそうとする前に、彼女はゆっくりと頭を上げた。

そして、絞り出すように声を発する。


「……ご主人様より先に眠ってしまい、あまつさえ、寝室を占領するような体たらくで申し訳ありません」


一気に肩の力が抜けた。溜息をつきながら、ドアにもたれかかり、そのまま尻もちをついてしまう。

大事じゃなくて何よりだ。頭の中で思い描いた悪い想像が杞憂に終わってホッとした。


「いいよ別に、主従関係とか僕らにはないから気にしないで」

「ですが……」

「それより、サンディ。大事なことを一つ忘れてるよ」

「はい……?」

「おはよう。良い朝だね」


目の前の少女は目をまん丸にして、狼狽しつつも手元の枕を抱きしめる。

そして、とっても照れくさそうに、恥ずかしそうに、言葉を返してくれた。


「お、おはようございます……!」


 
53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:44:50.58 ID:o6ummrG70


予想外の形ではあるが、まぁ良い目覚ましにはなったかなと思う。

そのまま洗顔を済ませて朝食の準備に取り掛かる。

私にも何か手伝えることはありませんか、とはサンディ談。

特にこれといって手伝うものは無いというと彼女は気を遣うだろうから、とりあえずお皿を並べるようにお願いした。

朝食はトーストと目玉焼き、そして簡素なサラダ。

僕はコーヒーを、サンディには牛乳を準備して食卓に並べた。

彼女は目をキラキラさせながら朝食が出来上がる様子を眺めている。


「どうしたの?」

「私も食べて、いいんですか……」

「もちろん。ああ、でもパンは今この二枚しかないから、おかわりが無くてゴメンね」


彼女は首を大きくブンブンと何度も横に振り、ついでに手もパタパタさせる。


「いいえ!いいえ!お気になさらず!!こうしてご主人様からお恵みを頂けるだけで幸せです!!」


そんなサンディの頭に手を置き、軽くクシャクシャと撫でてみる。

そうすると、こそばゆそうな、でもちょっぴり嬉しそうなのが見て取れた。

俯きかげんな表情から覗ける口元がもにゅもにゅしているから。



「顔を洗っておいで。それが済んだら朝ごはんにしよう」

「は、はい!!」

 

54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/11/09(木) 23:56:38.28 ID:uf8KxLWkO
見てます
55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:59:49.17 ID:o6ummrG70


「では、いただきます」

「い、いただきます」


昨日食べたお寿司の時と同じく、ご飯を食べる前の自分の動作を彼女も真似てみた。

たどたどしい身ぶりだが、これから時間が経つ毎に慣れていくだろう。

それにしても、とても美味しそうに食べてくれるなぁ。

作った身としては割と嬉しかったりする。

頬をぷっくりさせて一心不乱にもぐもぐしている様は、まるでハムスターみたいだ。


「ご飯は逃げないから大丈夫だよ。喉に引っ掛けないようにね」

「ふぇ!? ふぁ、ふぁい! 行儀が悪くてすいません……」


あまりに微笑ましいので、くっくっとつい笑いつつも一言告げてしまう。

サンディはあわあわしながら急いで牛乳を飲んで口内の食べ物を流し込んだ。

空になったコップにおかわりの分を注ぎ足すと、頭をぺこぺこ下げてお礼の動きを見せてくれる。

上司にビールを注がれたサラリーマンの動きそのものじゃないか。

くっはっは、とまたしても笑ってしまった。失敬失敬。

サンディは何が面白くて笑っていたのか分からなかったようで、キョロキョロしながら赤面していた。

 
56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 00:13:00.19 ID:uuR+QXp40

「ところでさ、サンディ」

「ご主人様、どうされました?」


朝食を終えてホッと一息ついた頃。

僕は片手に朝淹れたコーヒーを、サンディはオレンジジュースを持って、

お互いソファに向き合うように座っている。



「僕をご主人様って呼ぶのはそろそろ止めてみないかい?」

「え……? でも貴方様は私を助けてくれた恩人なので、貴方のモノとしてこれから生きていくのが普通では?」

「いやまぁ、そりゃ確かに助けたのは事実だけどさ。君に奉公されたくて動いたわけじゃないんだ」

「では、どうして助けてくださったのですか?」

「どうして助けた、か。 うーん……」


これはまた難しいな。どうして助けたのか、とは難しい。

誰かを助けるのに理由はいるかい、などと言うのはヒーローみたいだが、ハードボイルドではないな。

いや別にそこ(ハードボイルド)にこだわらなくてもいいんだけれど。

どうして助けたのか。仕事のためだ。

でも、きっとそれだけじゃない。

仕事のためというのは後出しの理由だ。本音を言うなら、たぶん。


「助けたかったから、かな」

「……」


サンディは訝しんだ顔をしている。理由になっていないからだろうか。

そう取られても仕方ない。確かに論理的ではないからね。

でも、あの時自分に浮かんだ感情なんて、そりゃもうシンプルなもの。

助けたかったから。

人の手を取る理由なんて、そのくらいの緩いスタンスで良いと僕は思うんだ。


 
57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 00:35:54.77 ID:uuR+QXp40

少しの間、サンディは黙ったままだった。何かを考えている様子だ。

それから、ぽつりと声を漏らした。


「私は、今まで生きてきた環境で、道具のように扱われてきました」

「うん」

「気に入られなかったらひどい事をされて、ご主人様の機嫌が悪くてもひどい事をされて。
 機嫌が良いときこそ悲鳴が聞きたくなるという理由で、痛い事をされてきました」

「……そうなのか」

「ある日、その気まぐれで拷問を受けました。今までに一回だけ、本当に惨たらしい事を受けました。
 その日の夜は死ぬ事ばかり考えていました」

「……うん」

「気まぐれというのは悪いものしか呼ばないと思ってました」


そしてサンディは、顔を上げてこちらを見つめてきた。

目には涙が今にも溢れんばかりに溜まっている。


「だから、そんな優しい気まぐれがあるなんて、思いませんでした」


涙の膜が張られた瞳は真珠のように淡く輝いて、美しかった。


「私は、ご主人様を、信じても、いいんですか……?」


僕はコーヒーを軽く啜る。彼女の気持ちに答える言葉を発するために喉を潤した。


「ご主人様、なんて呼ばせるような輩は信じちゃいけない」

「……」

「だから、この“お兄さん”を信じなさい」

「……!! はい、はい……! 信じます、信じます……! 信じさせて、ください……!!」


コーヒーを机に置いて席を立ち、そっと彼女の横に座る。

そのままゆっくり抱きしめて、胸の中に収めてみた。

朝方に零した淹れたてのコーヒーよりも熱いものが胸元を濡らしてくる。

ぽんぽん、出来るだけ優しく彼女の背中を叩いてみると、そのたびに胸にうずまった後頭部から嗚咽が響いてくる。


今まで辛い思いばかりの彼女が、ようやく年相応に泣くことが出来ているのかも知れない。

そう思うと何故だが僕の頬も濡れてしまう。涙を貰ってしまったようだ。

ハードボイルドとは程遠い朝だが、今日くらいは許してほしい。

 
58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 00:42:44.60 ID:uuR+QXp40
睡魔の都合にて小休止。現行で書いているゆえ、ゆっくりペースで恐縮です。
59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 00:49:47.09 ID:1yn0SZtN0
60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 01:05:51.01 ID:5Ourvn8DO
61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 01:08:00.01 ID:E++DTx1Qo
すき
おつ
62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 05:09:20.93 ID:uuR+QXp40


それからしばらく経って、ようやく落ち着いた頃、幼い顔が懐から離れる。

ぐずぐずの顔になっているサンディにティッシュを渡した。

びろんと鼻水がワイシャツに染み付いたのを恥ずかしがりながら、彼女は慌てて鼻をかむ。

一呼吸のちに、すん、と鼻を鳴らしながら言葉を紡いだ。


「泣いてばかりで申し訳ありません」


感情を流水、それを受け入れる心を器として喩えるなら。

きっとサンディの心は割れ物なのだ。

ほんの少し感情の起伏があるだけで、心の器が受け入れきれずに

涙となって溢れてしまうのだろう。

だからこそ、涙を流すことについてお咎めなんてある筈も無く。

それこそ嬉しかったり楽しかったりしたときに零れるならば致し方ないだろう。

63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 05:12:16.61 ID:uuR+QXp40

「気にしないで」

そう言いながら僕は彼女に微笑んでみる。

心に形は無いから、先ほどのはあくまで例え話の一環。

これから彼女に起こるのは幸せな事柄ばかり。祝福の花吹雪で毎日を過ごすのだ。

たった一年の間だけとはいえ、僕がそうしてみせる。

その度に泣かれては脱水症状でも起こしかねない。

僕がしてあげられそうなのは、サンディの傷ついた心と体をこれからゆっくり戻すこと。

今まで生きてきた結果で積み上げられた心身を大事にしながら、また新しく形成していけば良いだけ。

結論は至って単純。シンプルこそが難しくも美しいのだ。

 
64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 05:50:55.29 ID:uuR+QXp40

さて、今日はもともと探偵事務所が休みの日付だ。

折角ならサンディを連れてどこか外出でもしてみようか。

ふと改めて彼女の恰好をまじまじと確認してみる。

藍色を基調とした無地のパーカー、飾り気のない白いスカートに黒いタイツ。

これは服の下にある古傷を見せないための配慮なのか。

それとも見立ててくれた人の輝きすぎるセンスなのか。

後者ならばそっと目を瞑ろう。

何にせよ、将来はモデルか芸能人にでもなるような整った顔立ちに対して少々無骨すぎるファッションだ。

彼女も立派なレディ予備軍。ここはひとつ外出用やら部屋着やらで洋服を見立てるとするか。


「よし、今日は軽く出かけるとするか」

「はい、いってらっしゃいませ」


危うく前のめりにこけるところだった。ノータイムでお留守番の返事と来たか。


「いや、君も来るんだよ」

「私がついて行っても宜しいのですか?」

「もちろん。これから一緒に住むんだから、君の日用品とか買い足そうと思ってね。
 好みの問題もあるだろうから一緒に選んでくれると嬉しいな」

「そ、それは恐縮ですが……では、ご一緒させて頂きます!」


そう言ってサンディはびしっと姿勢を正す。うむ、善き哉善き哉。

 
65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 06:13:35.91 ID:uuR+QXp40

本日の予定が決まった後は準備をしなければ。

部屋着から外出用の服に着替え、髪のセットや髭剃りなど身支度を整える。

その間にサンディはテレビをずっと見ていた。

朝のニュースは芸能界の何某な話題にシフトしており、彼女にとっては馴染みのないネタだと思うが

どうやらテレビ自体を見ることが物珍しいらしく

キャスターの話にうんうんと首を縦に振りながら頷いていた。なんてキュートな仕草。

自分は身支度している一環で歯ブラシを口に加えつつ、昨日チェックをし忘れていた郵便受けの中身を確認するため玄関へ。

そこには一通の封筒が投函されていた。

差出人は例の依頼人。丁寧に折られた便箋を解くと、中には手書きの文章が。

それを確認すると、歯磨き粉で泡立つ口元がさらにだらしなくポカンと開いてしまう。


> あの子の生活費は各月の十五日と三十日の隔週ごとに支払います。二月は月末予定で。
  保護者である貴方の分も少し色を付けておりますが、無駄遣いはなさらぬように。

  振り込みが満期を全うしたのちに、本来の報酬を振り込みます。


即日振込じゃないのか、とか。

結局は幾らくらいの金額が振込されるのか、とか。

いの一番に本報酬を支払ってほしいんですが、とか。

突っ込みたい事が山のようにある。


だが、まずは一つ。


絶望的に字が汚い……。

次からはパソコンで文章書いてくださいってどこにお願いすれば良いんだろうか。

 
66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 06:36:04.06 ID:uuR+QXp40

どうにか読解を終えて、軽くため息。なんか無駄に頭を使った気分だ。

ふと手元に握った封筒から何かの紙切れがヒラヒラと落ちていく。

そのまま自分の足元に着地したので拾い上げてみた。

ほぅ、なるほど。これは割と良い物かも知れない。


「ただいま」

「おかえりなさ……どうかされましたか?」

「……いや、なんでもないよ」


玄関から帰ってきた僕に向かって、サンディは心配の表情を見せてくる。

さっきの手紙を読んで変に疲れたのが表に出てしまったか。反省せねば。

まぁ近いうちに金銭面の心配が少しは和らぐのも分かったことだし、物事が前進したと捉えておこう。

手紙にはもう一つ。チケットが同封されていた。

これは郊外の動物園の入園チケットだ。割引券ではなくタダ券というのが太っ腹。

ただ、期限が今日だという点で見事に太っ腹な部分が帳消しになっている。


「サンディ、動物って好き?」

「はい、好きです。好きですが……何かあったのですか?」

「いや、ちょっと予定を追加しようと思って。買い出しがてら、動物園に行かないか?」

「……!?」


彼女の目がシイタケみたいに一瞬キラっとしたのを見逃さなかった。思った以上の好感触じゃないか。

グッジョブ依頼人、全力のサンクスを貴方に。

まずは動物園に足を向けて、その後にでも服と食料品を買うとするか。

あと三日は生き延びれるくらいは預金もある。

今日は可愛いものや楽しいものをサンディに見せてあげることが出来るよう、財布の中身を仮初めの潤沢にしておかねば。

現在時刻は七時五十分。

銀行が開く時間までは、とりあえず家で待機かな……。

 
67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 06:38:52.13 ID:uuR+QXp40
ここで一息。時間を見繕ってから改めて着手します。
一言だけでもレスは割と嬉しいもので。読んでくださる方々に感謝をば。
68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 07:06:45.01 ID:23riN+uo0
69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 08:24:34.35 ID:IDMR8uvIo
乙です
70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 08:50:37.76 ID:Ghvc3d1c0
71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 15:16:31.90 ID:z9TNpIkhO

シイタケって…
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 15:45:39.50 ID:Wxwn7AWrO
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 16:56:14.69 ID:sfW6kd/no
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/11(土) 01:59:44.92 ID:ZDJ4wgU50
今帰宅。レスポンスに感謝。
今宵の投下は難しいので、少し睡眠を取ってから内容に着手します。


ちなみに。読んで頂いている方は男の年齢はどのくらいで想像されているのか。
明確な回答は特に無い&書く上での設定参考にしてみたいので、深く捉えずお気軽に答えてもらえると幸いです。
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/11(土) 02:12:29.28 ID:1Dyq91YXo
乙〜
年齢は28くらいのイメージ
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/11(土) 07:35:57.63 ID:bGcy+nyJ0

30代前半ぐらい。20代後半にしてちょっと…
77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/11(土) 08:16:04.65 ID:8y5v+uAQo
お兄さんよりむしろおじさんと言われた方が違和感の無い年齢
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/11(土) 11:21:13.61 ID:QK323oLm0
Wの翔太郎みたいなイメージだった

ハーフボイルドっぽいところもあるし
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/11(土) 11:25:45.73 ID:6Lu7LXaSo
前職あると考えてギリギリ29か8
80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/11/11(土) 17:29:02.28 ID:zGnqo7znO
イメージは野々村病院の人々の海原 琢磨呂

海原琢磨呂探偵事務所の所長にして、事務所で唯一の私立探偵。32歳。数々の難事件を解決した手腕がありながら、女好きの性格のために悪名が高く、捜査依頼はさっぱりの閑古鳥であった。ある日、涼子とのふとした出会いが元で足を骨折し、搬送された野々村病院で亜希子から捜査を依頼される。
かなりのヘビースモーカーでもあり、何かにつけては紫煙を燻らせる。
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/11(土) 17:57:36.25 ID:Nl6ZjZqs0
とりあえず髭面ではない三十路を想定してた
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/11(土) 21:33:29.47 ID:0EtV53xmO
三十路手前のアラサー優男、ついでに髪は野暮ったく伸ばしてる感じ
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/12(日) 11:33:48.78 ID:LoDib1WAo

すごくこういうの好み
年齢は28くらい
84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/12(日) 21:02:59.93 ID:s+xF8aIN0
年齢に関するレス等ありがとうございます。 書き連ねる上での参考にさせて頂きます。
放映されている某怪獣映画を観終えた後にのんびり書き始めるので、夜半お時間ある方は覗いてみてくださいな。
85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/12(日) 23:50:49.06 ID:s+xF8aIN0


何だかんだでダラダラと過ごしていると、気づけばもう九時を回ろうとしていた。

仕事中は一秒が体感三分にも感じられるのに、朝の時間はどうして過ぎるのが早いのか。

既に出かける準備は済ませておいたので、サンディに外出するよと声をかけて事務所を後にする。

玄関を出てから対面側の敷地にある月極駐車場。

そこには先代所長から受け継いだビビットピンクのハスラーが駐車されている。

結婚適齢期を迎えた年頃として、引き継いだ当時は乗り回すのを中々に恥ずかしがったりもしたが、流石にもう慣れたものだ。

当時の所長が「可愛いからハードボイルドだな」という謎すぎる理論のもとに購入していたのを思い出す。


「可愛い車ですね」


とはこれから助手席に乗り込もうとしているサンディ談。

それが気遣いから出た言葉ならば花マルを差し上げたい。

だが、どうやら彼女は本心で告げていたらしく、この車に乗る際にウキウキしている様が目にとれた。お気に召したようで何より。

まずは銀行でお金を引き落として、それから洋服を買い、そして動物園。

良い一日になりますようにと少しだけ願いつつ、僕は車のエンジンを起動させた。

 
86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/12(日) 23:59:31.85 ID:XEYTZQK50
おまかわ
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 00:03:55.02 ID:grI1dH9y0

車のカーステレオから流れているラジオは今日の天気を教えてくれた。

どうやら秋晴れが続くらしく、ここ一週間は出かけるのにうってつけの日取りだとか。

雨が降らないだけでも有難いのに、晴れ間にも恵まれているのは上出来だろう。

フロントガラスの先に見えるのは鼻歌でも歌いたくなるような青空だ。

季節柄だろうが日射しも強すぎず、日向ぼっこのような心地よい温かさが上半身を包んでくれる。

ふと横のサンディを見ると、シートベルトの根本に寄りかかるようにして目を閉じていた。

耳をすませば聞こえてくるのは穏やかな寝息。

よく考えるとやたら朝早く目覚めて、朝食を取り、この気候で車に乗っている。眠くなるのも頷ける。

普段よりも加速と減速に気を使い、今まさに育っている寝る子を起こさないよう早めに銀行の用事を済ませておこう。

しかし何だろうか。

助手席で心地良く眠られると、こちらもなんだか睡魔に肩を掴まれているような錯覚に陥る。

朝に補充したコーヒーのカフェインをゴリゴリ消費するようなイメージで戦わねばなるまい。

くわぁ、と生欠伸を一つ。

うん、良い天気だ。

 
88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 00:24:13.16 ID:grI1dH9y0

銀行からぼちぼちの金額を引き落とし、そこから走ること更に十五分。

目的地の一つである場所に到着した。

そこは全国でチェーン店が展開されている洋服屋の一つで、様々なジャンルの服を取り扱っている。

店内を少し見渡すだけでもキッズ用の衣類は散見されており、これなら色々と見繕えるだろう。

彼女の気に入る服はあるかなと思い、ふと横をみるとサンディがいない。

慌てて探すと入ってすぐのドアで口をあんぐりさせていた。

店の広さになのか、それとも服の種類の多さにだろうか。


「お、大きいですね……」

「そうだね。君の好きな服が見つかるといいな」

「でも、私なんかがこんな贅沢をしていいのでしょうか、ご主人様……」


僕はサンディの鼻先を傷つけない程度に優しくちょこんと指先で弾く。


「サンディ、僕はご主人様じゃなくて?」

「は、はい、そうでした……」


何やらもじもじしている。恥ずかしがっている様子だ。


「お、……おにい、さん……!」


頬を真っ赤にしながら、彼女は告げる。これから口にするべき僕の呼称を。

そう言ってくれたサンディの手を軽く握る。手を繋いでいれば、なんとなく年の離れた兄妹に見えてくれるだろうか。

彼女は俯き加減の姿勢になり、表情が見えなくなってしまった。

長い髪から覗く耳の赤さと、僕の右手に伝わる体温の温かさが気になるところだが、まぁ今は置いておこう。

入口から動かす意味合いと、好きな洋服を選んでほしいという気持ちで、僕らは手を繋いで売り場に向かうことにした。

 
89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 00:39:14.76 ID:grI1dH9y0

ファッションには疎いうえに、さらに子ども用の服なんてコーディネートした事も無く。

果たして一体どれがサンディに似合うのだろうか。さっぱり分からない。

まぁこの子は傍から見ても美形だ。目鼻立ちもくっきりしており、小顔で華奢ときた。

将来は美人になるのが容易に想像できる。

そんな彼女だからきっと何を着ても似合うのだろうが、それはそれとしてだ。

餅は餅屋というし、こういうのはショップの方に相談するのが一番だろう。

辺りを見回すと、手透きの女性店員を一人見つけた。早速声掛けしてみよう。


「すみません、この子に服を何点か見繕ってほしいのですが」

「はい、畏まりました。 こちらのお子さんですね。 ……あら、綺麗な子! お名前は何ていうの?」


店員は腰を屈ませて、自分の視点をサンディと同じ高さに持って行った。

当の彼女は急に大人に話しかけられてしどろもどろになっている。


「え、あ、うぅ……その……」


この子はサンディって言うんですよ、と軽く助け船。

素敵な名前ですね、と微笑みながら店員は言う。嫌味もなく、感じが良くて素晴らしい。

店員自体も綺麗な方だし、洋服はこの方に任せても大丈夫そうだ。

 
90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 00:53:36.29 ID:grI1dH9y0

「じゃあ僕は適当にレジ前のベンチにいるから、外出用と部屋着の洋服を最低三点ずつ選んだら教えてね」

「は、はい!承知しました!」


そういってサンディの頭を軽く撫でて、店員にお願いしますと声をかける。

そして少しだけ補足事項を伝えておいた。


「私はこの子の保護者ですが、あの子は過去の経験で古傷がありまして……露出の高い服は控えてくださると幸いです……」

「……畏まりました」


おおよそ察してくれたのか、深々とお辞儀をして僕に頭を下げてきた。色々な意図が見受けられるお辞儀だ。

きっとこの人は良い人なのだろう。

頭を上げてからすぐに女性店員はサンディに向かって声色高めに話しかける。


「さぁサンディちゃん! お兄ちゃんからOK貰ったから、いっぱい可愛い服を着ましょうね!!」

「え、え、えぇ……!?」


戸惑うサンディの肩を掴んで、キッズ用のラインナップが並ぶ棚に連れて行ってくれた。

うん、あとはのんびり待つことにしよう。

何となく子を持った親の気分だ。いや、親戚の子と遊んでるような感じが近いのか。

 
91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 01:07:01.74 ID:grI1dH9y0

それから一時間ほど後に、店員とサンディが手を繋いで歩いてきた。

いつの間にそんなに仲良くなっていたんだ……。

店員を見ると、なんだか目元の化粧がちょっと厚くなっている。気になる点が増えてしまった。


「お待たせ致しました。それぞれ日常用とレジャー用で着回しも出来る服を持って参りました」

「有難うございます、ファッションに疎いんで助かりました」

「いえいえ、お気になさらないでください。あ、あとこちらもどうぞ〜」


そういって手渡されたのは、数枚の割引券。

受け取っていいものかどうか考えていると、今日の新聞の折り込みに入っているので皆さんも使われてますよとの事。

そうであれば有り難く好意を頂こうとその券を貰い、そのまま精算する事に。

レジの前には人が列になっており、自分は五番目に位置している。

財布の確認をしていると、サンディがぽつりと零す。


「あのお姉さん、いいひとです」


そうだね、良い人っぽいね。

そう僕が言うと、いいえ、いいひとです、と彼女は言い切る。


「服を試着する際に上着を脱いだとき、背中の傷を見られました。
 そしたら……お姉さん、泣いてしまいました」

「そして、ゴメンなさい。ほんの少しだけ、お兄さんの所にいる経緯を話してしまいました」


ああ、なるほど。目元の化粧が濃くなったのと、割引券をくれた理由がなんとなくわかった。


「お姉さんも、お兄さんも、良い人です」


そう言ってくれるサンディに、僕は返事の代わりに繋いだ手をほんの少しだけ強く握り返してみた。

 
92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 01:21:23.65 ID:grI1dH9y0

割引券と店員のチョイスのおかげで、自分が想像していた額の倍ほど安く買い物は済んだ。

会計を済ませて店を出る前に、ふと思い立つ。


「ねぇ、サンディ。せっかくなら買った服を着て動物園に行かないかい?」

「宜しいのですか……?」

「うん、試着室もあるし、いいんじゃないかな」

「で、では、袖を通すのが勿体なくも感じますが、着てみます!」


購入した服が入った袋を抱きしめて、そのまま試着室に駆け出していく。

服のタグはレジで取ってもらっているので大丈夫だろう。

それからしばらく、試着室の奥から聞こえてくるのは「えーと、うーんと、これと……これと……」というサンディの声。

お洒落を楽しんでいるのか、声が弾んでいるのが分かる。可愛い。

それからしばらく後、カーテンの端からぴょこんと顔を出してきた。


「その、……着てみました」

「どんな服になったのか、楽しみにしてるよ」


僕がそう言うと、意を決したようにカーテンをシャッと勢いよく開けた。

彼女が選んだのは、フランネルチェックのシャツに、ガウチョパンツ。アウターに白いセーター。

清楚に納めてきたファッションだ。とてもよく似合っている。


「サンディ」

「は、はい」

「似合ってる、可愛いよ」


それを聞いた瞬間、勢いよくカーテンが閉まる。

そして奥から聞こえてくるのは「ふぅぅぅぅう〜〜……ふぅぅぅぅぅぅう〜〜!」と悶えるような声。


「だ、大丈夫!?」

「はい!大丈夫です! 大丈夫ですが、息ができないので少しだけお待ちください!」

「いやそれ大丈夫じゃないでしょ!」

「大丈夫です!!」

「は、はい……」


思わず押し切られてしまった。本当に大丈夫なのだろうか……。

 
93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 01:36:14.95 ID:grI1dH9y0

待つこと数分、未だぜぇぜぇ息を切らすサンディが試着室から出てきた。


「お、お待たせしました……」

「お、おぅ……」


謎の圧を感じながらも、改めて彼女の手を取り、歩き出す。

出口方面ではなく、店内に。

最初は不思議な顔をしたサンディもすぐに察し、辺りをキョロキョロ見回していた。

そして、


「ご主人様、あれ」

「こら」

「す、すいません。お兄さん、あれを」


サンディが指さした先には、お世話になった店員がいた。

接客中でも棚の整理中というわけでもなさそうだったので、声をかけてみる。


「すみません、お世話になりました」

「あら、お兄さんとサンディちゃん!!」


店員は軽く屈んでサンディをハグする。当の本人はわたわたと両手をバタバタさせていた。照れ隠しだろう。

それからふと彼女の恰好を見て気づく。自分が見立てた服を着ていることに。


「あら、これはさっき一緒に試着室で着た……」

「改めて、有難うございます。おかげさまで良い買い物ができました。お忙しいところ失礼いたしました」

「いえいえ、とんでもないです」

「それとついでに、お気遣いのほど、有難うございました。それを伝えたくて」


僕が言い終えると同時に、サンディは軽くガウチョパンツの裾をつまんで優雅に一礼する。


「ありがとうございました。素敵なおねえさん。わたしは、あなたのような優しい大人になりたい」


店員の目に涙が溜まるのが分かる。それを誤魔化すような素振りで、こちらに向けて再度深々と頭を下げてくる。


「こちらの方こそ、少しでもお役立ちできて光栄です。またのご来店、お待ちしております」


 
94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 01:57:36.38 ID:grI1dH9y0

店を出てから、車を郊外方面に走らせる事おおよそ四十分。

その間に途中でドライブスルーに寄って昼食を車内で食べたりもした。

ハンバーガーを物珍しそうにもっきゅもっきゅと頬張って食べる助手席の小動物の可愛さに心奪われながらも

今回の第二の目的地である動物園に到着した。

そこは正確には動植物園と呼ばれるような施設であり、名前の通り動物園の施設が半分、植物園の施設が半分になっている。

車を動物園側の駐車場に停めて、無料入園券のチケットを準備し、いざ中に入ってみた。

大人二枚と子ども一枚ですね、と係員からの問い掛けにイエスと答える。

お連れ様が小学生以下の場合は風船のサービスがあるという。

……そういえばサンディって何歳なんだ?


「ねぇ、サンディ。君って今いくつだい?」

「確か十一歳か十二歳だったと思います」

「うん、ありがとう」


十一歳か十二歳、か……。

係員に十一歳と伝えて、手持ち風船を貰う事に。

それを彼女の右手に渡して、空いた片方は僕が握ってみた。

手を繋ぐ際は相変わらず照れる彼女に、つられて僕も照れてしまう。

僕が照れるのは、きっとこういう柄じゃないからだろう、きっと。

今日は休日という事もあったので親子連れがちらほら散見され、まぁまぁ活気を感じられる程度には人の気配があった。

動物園なんて何年ぶりだろうか、などと昔を思い返していると、僕の右手がきゅっと締まった。

横のサンディを見ると、まるで夢でも見ているかのように惚けたような目をしている。


「サンディ、どこから回ろうか?」

「えっと、キリンさん、見たいです!」


ノータイムで答える辺り、本当に見たいのだろうという気持ちがこれでもかというほど伝わってくる。

パンフレットを確認し、まずはキリンのコーナーから見ていく事にした。

 
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 02:21:51.08 ID:grI1dH9y0

パンフレットを眺めて思った事がある。

ここの動植物園はかなり広く、それぞれの施設を回るだけで半日が潰れそうだ。

どちらも楽しもうと思うなら、それこそ丸一日は使わないと周り切れ無さそうではある。

今回はまず動物を堪能して、また別の機会に植物園の方を周ることにしておこう。

さてさてキリンのコーナーは、と。

なるほど端の方か。縮尺から考えて、大人の足でここから十分ほど。思ったより少々歩かなければならない。

ただ、サンディは服を選ぶことで気疲れしてそうではある。

さて、一体どうするべきか検討してみよう。



1:背中におんぶして向かう

2:肩車をして向かう

3:このまま手を繋いで向かう


>>97

96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/13(月) 03:19:24.32 ID:0SAAm99u0
踏み台
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/13(月) 03:27:52.99 ID:V0rYhPwY0
1
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 03:54:48.61 ID:grI1dH9y0

>>97


おもむろにサンディの前で屈んでみた。案の定、彼女は意図が分からぬようで。

頭にクエスチョンマークが浮かんでいるのが想起される。


「キリンの所までちょっと距離があるから、背中に乗っかっておいで」

「ふぇっっっ!?」


目を丸くして驚いている。まぁ今までの傾向から、すぐすぐ乗らないであろう事は予想していた。


「はい、じゅーう、きゅーう、はーち……」

「あ、あわわ……!」


謎のカウントダウンをしてみる。もちろんゼロになっても何も起こる筈など無い。

だが急に始まった事によりサンディはあわあわと焦っている。

残りカウントが五秒を切ったところで、意を決したような声が後ろから聞こえてきた。


「えいっ!」


という掛け声と共に、背中に筋張った感触を覚える。

首元に締まる細い手、後頭部に感じる顔の輪郭骨。

彼女が勢いよく飛び乗ってきたようだ。バランスを崩さなかった自分を少しだけ褒めたい。

立ち上がってみると本当に何か背負っているのか疑わしいほど負担もなく。有り体に言って軽すぎる。

冬の身支度で先日押入れから引っ張ってきた羽毛布団のほうがよほど手ごたえがあった。

背中でサンディが狼狽しているのが分かる。腕に抱えた足元がバタバタしているから。


「あ、す、すいません……。 重いですよね、重いですよね!! すぐ降りますから、調子に乗ってすいません!」

「サンディ、そのまましっかり掴まっててね」

「へ?」


足を腕にかっちり挟んで固定したまま、それいけと言わんばかりに馬になった気持ちで僕は走り出す。

うひゃぁ、と可愛い悲鳴を聞きながら、そのままキリンが見物できるコーナーを目標に駆け出していた。

年端もいかない子を背中に抱えたアラサー男子。

傍から見たらどんな絵面になっているだろうか。

犯罪の香りだけはしませんように。

何と言われようと今くらいは彼女の為に只のお兄さんになってやる。

動物園にいる間くらい、普段の渋くてダンディを纏うハードボイルドな自分は休憩しておくことにした。


 
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 04:08:49.20 ID:grI1dH9y0

普段から鍛えている事が功を奏し、息を切らす事無く目的地に到着。

背中からサンディを降ろしてみれば、なんだか嬉しそうな顔をしていたのに気づく。

どうしたの、と訊ねてみると。


「お兄さん、すごい。しゅぱぱぱぱ、って、まるで飛んでるみたいでした」

「足の速さをそこまで喜んでくれるのは予想外だよ」


幼い子は足が速い男子が好きとはいうが。サンディも例に漏れないということか。

それよりほら、と前を指さしてみた。


「わぁ…………!!」


実際に目の当たりにしたキリンに感嘆の声を上げた。

サンディの大きな目が目映くキラキラ光っているような錯覚を覚える。


「大きいですね」

「うん」

「首が長いです」

「うん」

「目がぱっちりしてて、かわいいです」

「そうだね」

「かわいい……かわいいなぁ……」


嬉しそうにサンディはキリンを見つめている。

そんな彼女の気持ちなど何処吹く風で、キリンはマイペースにエサを食んでいる。

むっしゃむっしゃと食べるその様までたまらないようで、僕の服の裾をくいくいと引っ張ってくる。


「キリンがエサを食べてます」

「うん、食べてるねぇ」

「可愛いです」

「うん、可愛いね」

「あ、こっち見ました。可愛いです」

「そうだね」

「あ、かわいいです」

「うんうん」



当初会った頃から日本語が堪能だと思っていた彼女だが、どうやらキリンを見ていると語彙力が低下していく事が分かった。

 
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 04:24:03.27 ID:grI1dH9y0

サンディは僕の服の裾を掴んでいる事にも気づかずに、夢中でキリンを凝視している。

そしてキリンを見始めてしばらく時間が経過した。

どれくらい過ぎたのかというと、僕は目蓋を閉じても黄色と茶色のまだら模様が浮かぶくらいずっとそこにいた。

それから更に時間が経ち、園内のチャイムから本日の業務時間がもうすぐ終わる放送が流れて来た。

僕はそこで意識をようやく取り戻す。

隣のサンディはまだずっとキリンの様子を目で追っていた。


「サンディ、もうすぐ動物園が閉まるんだって」

「…………」

「サンディ、サンディさん」

「…………」

「おーい、さーんでぃー」

「……はっ! す、すいません!キリンさんを見るのに集中していました!」


頭をびくんと縦に振ってサンディは僕を見つめてくる。

そして、ようやく自分が服の裾をがっしり掴んでいた事に気付いたようだ。頬を真っ赤にして慌てて手を放した。

なんとも微笑ましい。


「よし、じゃあ帰ろうか」

「は、はい……」


彼女は頷くものの名残惜しそうにキリンに何度か視線を送っている。

別に悪い事をしていないのだが、なんだか申し訳ない気持ちが沸き起こる。

そこで一つ妙案が浮かんだ。


「帰る前に寄りたいところがあるんだけれど、いいかい?」

「もちろんです。何処までもお供します」


軽くガウチョパンツの端をつまんで、恭しく一礼。

奴隷の頃にメイドの立ち振る舞いでも訓練していたのだろうか。

堂に入ったその動きは長い間培ってきた何某を思わせる。

彼女が辛かったであろう頃の面影が脳裏をよぎったので軽く頭を振り、

僕はサンディを動物園の売店まで連れて行く事にした。

 
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 04:40:09.68 ID:grI1dH9y0


サンディを店の入り口で待機させて、僕は閉店の準備で忙しそうな売店に滑り込む。

店員に心の中で謝りつつも目当ての品を探してみた。

お土産コーナーの一角にそれを見つけ、プレゼント用に包んでもらう。

これ以上手数をかけないようお店を足早に後にして、外で待ってくれたサンディに駆け寄る。


「何か探していたものは買えましたか?」

「うん、どうにかね」

「それは何よりです」

「サンディ、手を出して」

「?」


疑問には思っただろうが、大人しく彼女は右手を差し出してくる。

その手の平に僕はラッピングされたものを置いてみた。彼女の手に包まるくらいの小さなサイズだ。


「これは?」

「まぁ、ラッピング破って開けてみてほしい」


言われたように彼女は丁寧にラッピングを解いていく。

そして、その全貌が分かったとき、息を飲んだ。


「これ、は……」

「キリンのキーホルダー。安物だけれど、今日の記念って事でさ」

「これ、わたしに……?」

「僕が使えるにはちょっと年を取り過ぎたからね」


あまりこういうのを誰かにしたことが無い身なので、照れ隠しに頬を軽く搔いてしまう。

好みかどうか分からないし、勝手に買ってしまった物だから受け取って困ってなければいいな、と心配ばかりが浮かんでくる。


「…………私の、生涯の、宝物が、………出来ました」


キーホルダーを両手に包んで、それを胸の真ん中に添えて、彼女は言う。

瞳からは感情が零れている。ぽろぽろと、ぽたぽたと。

感情は数値化されないから分からない。様子でだけしか判断できない曖昧なものだけれど。

サンディは、喜んでくれた。そうだと思う。

彼女の心に少しでも届いたのなれば、そうであれば、僕も嬉しい。

 
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 04:52:49.95 ID:grI1dH9y0

閉園時間のギリギリで僕らは動物園を後にした。

一日ずっと歩き詰めになるかと思ったが、サンディがあそこまでキリンが好きとは思わなかった。

おかげでそんなに動かずに済んだ。

まだ暮らし始めて二日目だが、今日で好きな動物が一つ分かった。

こうやって、少しずつ、互いに互いを知っていけたらいいと思う。

サンディが幸せになりますように。

出会って間もなく、知り合ってすぐではあるけれど、僕は切に思っている。


今こうして車に乗って帰路に着くなか、無表情に街のネオンをずっと見つめる彼女にふと問いかけてみた。


「ところでさ、サンディ」

「どうされました?」

「キリン、好きなの?」

「はい」

「どの辺が?」

「……強いて言うなら、耳ですね」

「……マニアックだね」



僕らの二日目は、こうして緩く終わっていく。


別れの日まで、約三百六十二日。



 
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 05:03:27.81 ID:grI1dH9y0
一旦休憩。安価協力に感謝をば。
今後の二人の動向等を安価で検討してまして、その際にも助力を頂けると有り難い限り。
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 06:05:24.94 ID:grI1dH9y0

【連れて行きたい場所】

>>105


【視点:男 or サンディ】

>>107


【二人の寝床:一緒 or 別々】

>>109

105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/13(月) 07:25:27.02 ID:+6uoFwsAo
ケーキバイキング
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/13(月) 08:41:28.83 ID:rRg8hJyA0
サンディ
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/13(月) 08:47:02.44 ID:RXltBsd90
サンディ視点
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/13(月) 08:51:48.24 ID:11Jw7LYl0

kskst
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/13(月) 08:53:09.63 ID:rRg8hJyA0
一緒
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/11/13(月) 09:19:11.21 ID:4CIw6SJTO
wktk
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 12:06:41.48 ID:grI1dH9y0

【連れて行きたい場所】

ケーキバイキング


【視点:男 or サンディ】

サンディ視点


【二人の寝床:一緒 or 別々】

一緒



承知しました。ケーキバイキング、良いですね。
時間を空けてから再開しますので少々お待ちを。
 
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/11/13(月) 20:18:53.28 ID:HN4dMpxeo
>大人二枚と子ども一枚ですね
店員のお姉さんついて来ちゃったかな?
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/13(月) 21:17:27.55 ID:VwXDTvtEO
ww
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/13(月) 21:57:09.80 ID:grI1dH9y0
>>112
お分かりいただけただろうか……。
すいません、言われて初めて気が付きました。推敲も無しに投下して申し訳ない。
こんな感じの文章ポロポロあると思いますが、即興で書くライブ感ゆえの弊害と捉えてもらえると幸いです……。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/13(月) 22:14:12.39 ID:jF03+OFUO
分かってたけどスルーするのがマナー
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 06:10:40.98 ID:OiSFZpw30



私の名前はサンディ。名前だけしか持たない奴隷。

遠い昔にどこかの港町で母と暮らしていたような気がする。

以前の記憶は曖昧で、全ての事柄に薄ぼんやりとした霧がかかっているみたいだが、

私自身としては振り返るつもりが毛頭ない。

どこで、何をして、どんな事をされてきたのか、

思い出しそうになると凄まじい嘔吐感を覚え、腕の皮膚を搔きむしりたくなってくる。

だから昔は思い出さない事にした。

綺麗だった母の顔も、もしかしたら居たかも知れない友人も、あの懐かしい磯の香りも。

それはきっと。

逃げる事すら許されなかった私の脳内で生まれた、愚かな幻。

きっと実際は暗い橋の下あたりで拾われて今に至るのだろう。

一番鮮明な記憶は、鞭を振るわれた背中の痛み。

人生で残せてきたのは、体に刻まれた醜い傷跡だけ。

幸せの意味さえよく分からないまま、ずっと長いあいだ虐げられてきた。


日本へ売り飛ばされる際に乗ってきた船で、あの人に出会うまでは。

 
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 06:25:43.02 ID:OiSFZpw30


私は夢を見ない。

恐ろしい夜が早く過ぎ去りますようにと願いながら目を瞑り、そのまま気づけば朝になっている。

夢で起こる事柄はどれもひどいものばかりで、いっそ見なくなればいいと思ってから随分経った。

私はいつも夜に電源が落ちて、朝に電源が勝手に点く機械のようなものだ。

何某かの夢を見ているのかも知れないが、思い出すつもりもない。


ちゅんちゅん、と鳥の囀りがどこか遠くから聞こえてくる。

目蓋の重さをこじ開けるように見開き、朦朧とした意識が徐々に温まってきた。

掛け布団の重さに未だ違和感を覚えながらも、そのままむくり、と目が覚める。

時刻を見ると朝の六時四十分。

七時までに起きてくれば朝ごはんの準備をするよ、とはお兄さんの言伝。

ふかふかのベッドから身を起こして、先日購入してもらった部屋着に着替える。

部屋の出口にある姿見に映るのは、煤や垢まみれのみすぼらしい姿な自分ではなく、

きちんとした身なりで、まるで人並みの生活を過ごせているかのような私。

そのまま右の頬をむにゅ、と摘まんでみた。姿見の自分の滑稽な顔が見える。

そして少し力を入れてみると。

良かった、痛い。


私は夢を見ない。

ただ、今のこの現状は、まるで夢を見ているようで。

どうしようもなく胸がいっぱいになる。

 


118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 06:35:52.28 ID:OiSFZpw30

事務所に繋がる扉を開けると、鼻腔を何やら良い匂いがくすぐってくる。

この香りはいつもお兄さんが飲んでいるコーヒーというものの匂いらしい。

鼻先だけで苦みを覚えてしまいそうなのに、それが無骨に心をほぐしてくれる。

香りの出処は、ソファで新聞を広げている人物からだった。

その方は私が起床してきた事に気が付くと、新聞を置いて、ふわりとたわむような優しい顔を見せてくれる。


「おはよう、サンディ」


この笑顔を朝から見ると一瞬で目が覚める。それと同時に、何故だか胸の動悸まで起こしてくれる。

おはようございます、と敬意を込めて一礼を交わす。

そのまま目線をずらして暦を見ると、今日の日付は十一月二十五日。

お兄さんの下にお世話になり始めてから二週間が経過していた。

 
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 06:55:31.28 ID:OiSFZpw30

お兄さんはコーヒーを軽く啜り、再び新聞に目を通し始める。

前にちょっとだけ飲ませてもらった時はとっても苦かったけれど、

私用に改めてコーヒーを淹れ直して、それにミルクと砂糖を混ぜてくれたら

驚くほど美味しい飲み物に変わったのを覚えている。

でもお兄さんはコーヒーを真っ黒いまま飲めている。不思議だ。


「それ、黒いままでも美味しいんですか?」


なんとなく聞いてみる。お兄さんは困った顔をしながら答えてくれた。


「あんまり美味しくないね。僕は甘党だから、本当はミルクと砂糖があった方が好き」

「では何故に入れないのですか?」

「ハードボイルドのコーヒーはブラックと相場が決まっているんだ」


お兄さんは、ふふん、と鼻を鳴らすようなポーズでまたコーヒーに口をつけた。

ハードボイルド。その単語は聞いた事がないので辞書でめくってみた事がある。

卵の固ゆでが語源になった、冷静だったり冷酷だったりする人を現すらしい。

現状だとほぼ間違いなく正反対だと思う。

物腰も柔らかくて穏やか。誰かのために涙を流せる人。

お兄さんは、ソフトマイルドの方がしっくり来るような気がする。

そして、それを言ったら何となくお兄さんががっかりしそうなので、私はグッと胸に秘めておくことにした。

 
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 07:12:26.25 ID:OiSFZpw30

新聞を読み終わったら徐に立ち上がってキッチンに向かうお兄さん。

私はカルガモのように後ろをとてとてとついて行く。

振り返って嬉しそうな顔をしながら私の頭を撫でて、今日の朝ごはんのリクエストを訊ねてきた。

私如きがご飯を食べるなんて滅相もない、というとお兄さんはとっても悲しそうな顔をするので、

その言葉を飲み込みながら伝える。

なんでもいいです。なんでも嬉しいです、と。

それが一番難しいなぁ、と顔をふにゃっとさせながらお兄さんは戸棚からフライパンを取り出した。

私も早く料理が出来るようになりたい。切にそう思う。

そのままお兄さんが朝食を作り、私がお皿を並べる。

これが朝食前の風景になり始めた。心の芯が温かい。また泣きそうになってしまう。

それから少々時間が経つと、部屋に美味しそうな匂いが充満してきた。


「では、サンディ。号令よろしく!」

「はい、では僭越ながら……いただきます」

「いただきます!」


いただきます。とっても良い言葉だと思う。

知識として前々から知ってはいたが、いざこうして自分が使う方の立場になるなんて思わなかった。

毎日三食のご飯を食べる事が出来ているのは今までの自分の人生では考えられない奇跡だ。

本当は日本に着いたときの船で起こった銃撃戦で既に私は死んでいて、日本でいう鬼籍に入ったのかも知れない。

それならそれでも構わない。

神様と一緒に過ごせているという事に変わりはないのだから。

 
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 07:37:24.67 ID:OiSFZpw30

食事を終えてからのひととき。

緑茶の淹れ方は先日覚えたので、お兄さんに新茶の一杯を持っていく。

ソファで新聞に挟まれていたチラシを整理していたので、手元から少し遠ざけて置いてみた。

ありがとう、と一言が返ってくる。

たったこれだけで心の柔らかい所がグッと掴まれたような錯覚を感じる。

この感覚の正体をようやく最近思い出した。

うん、嬉しいのだ。純粋に。

お気になさらず、とお兄さんに返しつつも、私はキッチンに駆け込んだ。

感情の処理の仕方が分からないので、そのまま衝動に任せてぴょんぴょん跳ねてみる。

そして二度三度ほど跳ねたら急に気恥ずかしくなった。控えよう。

持って行ったお盆で口を隠すようにして、少し呼吸を落ち着ける。

これから何かお兄さんの役に立てるような仕事はないかと探していると、

お兄さんが私を呼んでいる声が聞こえてきた。

今行きます、と返事をして、また駆け足で向かう。ペタペタと音を立てるスリッパがもどかしい。

そして彼の元まで向かうと、折り込みチラシを読みながら訊ねてきた。


「サンディ、今日はケーキバイキングに行かないか?」


私は首をかしげた。ケーキは分かる。砂糖が宝石の形になる食べ物だ。

ただ、バイキングが分からない。大男の作るケーキという事なのだろうか……。

詳細の程はよく分からないが、お兄さんの嬉しそうな笑顔を見ると、体が自動的に首を縦に振っていた。


 
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 07:49:06.92 ID:OiSFZpw30

車内にてバイキングがどういうものかを教えてもらった。

色んな食べ物をお皿にとって好きなだけ食べてもいいものだ、と。

信じられない。今までの食生活を鑑みれば眉唾ものだ。

だが、お兄さんが言うのならば嘘ではないのだろう。

いや、本当にそのような話があるのだろうか。

奴隷として飼われていた頃にそのような食事をするというのは

暗に最後の晩餐だと言わんばかりの事柄だから、何となく身がこわばってしまう。

元々死んでいるような身なので、もし今日がそれならば、せめてお兄さんの役に立ってから死のう。

そんな覚悟を決めて、“死地(ケーキバイキング)”へと歩みを進める事に。




そして目的地に着いたとき、桃源郷の意味を知った。


 
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 08:08:40.47 ID:OiSFZpw30

「ふわぁ…………!」


思わず声が漏れる。

これでもかと言わんばかりに並ぶ、古今東西の様々なケーキ。

一口サイズのものから、ピース型、ホールごと丸々置いていたりと形もそれぞれ。

カットフルーツの傍にはチョコレートの噴水が湧き出ている。

ボタンを押すと温かいバニラの飲み物まであるようだ。

昔、遠い昔、絵本を読んでくれた人がいた頃、そこに描かれていたときの世界。

童話の中に迷い込んでしまったのだろうか。

取り皿を持ってみたものの、どれから取ろうかと悩んでしまう。

私が取ってもいいのかな。

首輪で繋がれていたような、畜生の扱いしかされていなかったような、浅ましい私でも。

わたしがさわっても、きたないっていわないかな……?

心にモヤがかかり、俯いてケーキの群れから背を向けようとしたら、

手元の取り皿にふと重みを覚えた。

そこには、一口サイズのショートケーキが置かれている。


「サンディ、なに食べる?」


朗らかな声で、お兄さんが笑いながらケーキを一欠片、取ってくれたのだ。

私の暗い気持ちなど素知らぬように。知っていても見ないフリをしてくれているかのように。


「これだけあったら迷うよね。僕もどれにしようかずっと考えてて、結局こうなっちゃった」


そして私に見せてくれたのは、取り皿にてんこ盛りのケーキの山。

所狭しと並んでいるどころか、三段くらい詰まれたそれは、見栄えなんか考えていませんと体現しているかの如く。

こんな量が食べられるのだろうか。周りの人もなんかヒソヒソお兄さんの方を見ながら言ってるような……。

大人なのに妙に愛らしい。まるで無邪気な子どものようだ。


「ぷっ……ふふ、ふふふ………あははは、あはははは!」


気付けば、私は笑っていた。笑ってしまった。

とても素直に笑えていた。


 
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 08:20:17.28 ID:OiSFZpw30

「おいおい、急に笑うなんてどうしたのさ?」

「だ、だってお兄さん……ケーキ、取りすぎ……ふふ、うふふ……!」

「そ、そうかな? 甘党だったらこれくらい普通じゃないかな?」


お兄さんは困ったように頬を軽く掻いている。

本人が食べられるといってる分には問題ないのだろう。


「サンディ、君も気にしないで好きなだけ取ればいいよ」

「はい、お兄さん。いっぱいとって来ますね!」

「よしよし。じゃあ、先に席を確保しておくから、ゆっくり選んできてね」

「あ、ありがとうございます!」


お兄さんは手をひらひらと振って、そのまま飲み物コーナーに向かっていった。

私は軽く頭を下げる。そして、目の前に沢山ある宝石箱へ向かい合った。

軽くほっぺを摘まんでみると、ちゃんと痛かった。

夢じゃない。 嘘みたいだが、夢じゃない。

私もお兄さんを見習って、いっぱい、いっぱい、食べてみよう。

 
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 08:23:09.34 ID:OiSFZpw30



「……」

「……」

「……サンディ」

「……はい」

「……食べ過ぎたね」

「……はい」



顔色が悪くなるまで食べた結果、帰りの車でグロッキーになっている二人がいた。


 
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 08:36:33.25 ID:OiSFZpw30


帰りの車内でも甘い匂いが充満していたので、やたらと酔いそうになりながらも無事に帰宅した。

確かに食べ過ぎた節もあるが、ケーキそのものは美味しかった。本当に美味しかった。幸せだった。

折り込みチラシに入っていた「ケーキバイキング半額デー」には感謝してもしきれない。

ただ、お兄さんは食べ過ぎたのを非常に後悔していた。

どうやら私がちょっぴり具合が悪くなったのを気に病んでいたらしい。

こちらとしては、私を幸せにしてくれる人が縮こまってしまうと萎縮してしまう。

いつものソフトマイルド、もといハードボイルドに早く戻ってほしいものだ。


「ゴメンね、サンディ……」

「いえ、素敵な時間でした。今日みたいな光景を夢で見てみたいです」

「とりあえずお茶でも淹れるけれどさ、何か僕に出来る事ある?」

「何か、ですか?」

「うん、なんでも聞くよ」

「なんでも……」



なんでも、というのは難しい。

ご飯のリクエストでお兄さんが困っていた理由が今更ながら理解できた。

では、一つだけ。いつも思っていた事を言ってみようか。

叶うかどうか分からないし、とても恥ずかしい事だから、躊躇いはあるけれど。



「では、お兄さん」

「うん」

「そのですね」

「うん」

「あの、そのですね……その………」

「うん」

「夜は寂しいから……私と一緒に寝てください……」

「いいよ」


即決だった。

照れていた自分が今一番恥ずかしい。


 
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 08:48:10.82 ID:OiSFZpw30


その日の夜。

私一人では広すぎるベッドが、有効に活用されるようになった。


「ん、そっちは狭くない?」

「は、はい……」


私の横にお兄さんが寝ている。

お風呂上りで石鹸の香りがする。

なんだか妙にそわそわして、顔がまともに見れない。

思わず掛け布団の中に頭まで埋まってみる。


「顔ださないと苦しくなっちゃうよ」

「あ、す、すいません……」


お兄さんから引きずり出された。

確かに少しだけ息苦しくなったので、ぷはっ、と声が出てしまう。

これは諦めるしかないのだろう。


「お、もう良い時間だね、そろそろ寝よっか。電気消すよ」

「分かりました」


お兄さんが手元のリモコンで消灯ボタンを押すと、部屋がオレンジ色の豆球で薄暗くなった。

顔が見えなくなる分、気恥ずかしさは緩くなるので有難い。

ふと頭に手の平の感触を覚えた。お兄さんが撫でてくれている。


「サンディ、おやすみ」

「はい、おやすみなさい」



私は夢を見ない。

恐ろしい夜が早く過ぎ去りますようにと願いながら目を瞑り、そのまま気づけば朝になっている。

夢で起こる事柄はどれもひどいものばかりで、いっそ見なくなればいいと思ってから随分経った。

私はいつも夜に電源が落ちて、朝に電源が勝手に点く機械のようなものだ。

何某かの夢を見ているのかも知れないが、思い出すつもりもない。


でも今日は。

今日みたいな幸せな日は。


夢をみたいな、と生まれて初めて思った。


 
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 08:52:21.04 ID:OiSFZpw30
一旦お休み。読んでくださって感謝。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 08:57:08.09 ID:tTrBmxFXo
乙でした
いつも楽しく読んでます
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 09:43:39.27 ID:AL7IqYuz0

にやにや止まらん
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 12:39:41.75 ID:+KcW2uB70
サンディ幸せになってくれ……
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 12:51:46.28 ID:v+lZZYj+O
乙ー!
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 18:02:14.37 ID:OiSFZpw30
有難うございます、皆様からのレスは活力&小話設定の糧になっております
後ほど安価を検討していますので、お手透きの方はご協力してくださると嬉しい限り
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 18:47:15.05 ID:OiSFZpw30

【連れて行きたい場所】

>>136


【視点:男 or サンディ】(多数決)

>>137-141


【サンディの料理の腕前】

01〜40:簡素な料理を覚えた程度。
41〜85:レシピ本を見るとあらかた作れる程度。
86〜00:抜群の味付け。料理に関する才能有。


>>143のコンマ数

 
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 18:48:04.07 ID:KliB+dOg0
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 18:50:54.24 ID:w72GMjrYo
知り合いの喫茶店
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 18:53:34.18 ID:2bvROhc00
サンディ
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 18:53:51.33 ID:W1f83SPn0
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 18:54:37.06 ID:GC+jg2eho
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 18:58:23.62 ID:seKLy8xxO
m
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 19:08:44.93 ID:Si1TE8Qz0
サンディで
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 19:18:25.26 ID:lhpon9pfo
かそく
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 19:20:21.08 ID:5HHRZcqDO
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 19:21:32.36 ID:2bvROhc00
コンマは仕方がないとしても>>140はどっちかな?
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 19:24:25.02 ID:seKLy8xxO
ごめん範囲外だと勘違いしてた…
男で
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/14(火) 19:25:46.63 ID:lhpon9pfo
こ、これから上手くなってけばいいさ
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 19:26:47.62 ID:OiSFZpw30
ご協力サンクスです。下記が安価結果になっております。



【連れて行きたい場所】

知り合いの喫茶店


【視点:男 or サンディ】(多数決)

男 ※m→manで解釈


【サンディの料理の腕前】

>>143:簡素な料理を覚えた程度。
    これから上達していく模様。

 
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/14(火) 19:38:50.09 ID:OiSFZpw30
これから外出するので、帰宅後にまた少しずつ書いていきます。夜半過ぎると思われ。
お茶でも片手にまったり読んでもらえたら幸甚です。

【男が車内で聞いてそうなイメージ曲】
https://www.youtube.com/watch?v=55Qv-CuDl-4
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/15(水) 01:59:01.46 ID:PX2kAcV30
今帰宅。早速書こうと思いましましたが、
いかんせん頭が回らないので、恐縮ですが今宵はこのまま眠ることにします。
目覚めてからちょこっとだけ書いてみます。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/15(水) 09:12:05.99 ID:Z+1dAgG50
待ってる
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/15(水) 22:41:00.65 ID:PX2kAcV30



ハードボイルドの朝は穏やかだ。

外に広がる曇天の空模様は、太陽を隠すことで夜を長く見せてくれているのだろう。

未だ少し寝惚けた頭を覚ますために、空気の入れ替えがてら窓を開ける。

仄かに香っていた金木犀はなりを潜め、今は凛と澄んだ冬のアトモスフィアが呼吸を心地よく満たしてくれた。

そのまま軽く背伸びをして、腰を左右に一捻り、肩をぐるぐる回して、メンテナンスのように体を動かしてみる。

痛みや重さは感じる事無く体調は普段通りの模様。

ふと、奥のキッチンから何やら香ばしい匂いが漂ってきた。

今日はサンディが朝食の準備に挑戦している。

以前に「私も料理を覚えたい」という事を告げられ、

いくつか簡単なレシピを教えてみたら割とすんなり覚えてくれたのだ。

昨晩眠る前に、今日は卵焼きに挑戦してみると意気込んでいたから

この油とバターの香りはきっとそれなのだろう。

まだ教えていない料理ではあるが、お兄さんの横でずっと見てたから上手くいくと思います、とはサンディの言葉。

出来上がるのが実に楽しみである。

それまでに時間もかかるだろうから、どれタバコでも吸おうかと先端に火を点けた辺りで、


< うひゃぁっ!?


と可愛らしい悲鳴がキッチンから聞こえてきた。

次の瞬間には、煙を一吸いすることなくタバコを急いで揉み消して彼女の元へ駆け出した自分がいた。



ハードボイルドの朝は穏やかだ。

たまに賑やかな事もある、というのを注釈しておこう。


 
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/15(水) 22:54:06.96 ID:PX2kAcV30


今日の朝食は、トースト、サラダ、こんがりベーコン、スクランブルエッグ。

最後の一品に関しては、スクランブルというかエマージェンシーな焦げ具合になっている。

たぶん強火にあてすぎた事と、卵を巻くタイミングが分からずに戸惑ってしまったのが要因か。

これはこれで食べごたえがあって良いものだ。

当のサンディは、肩をしょんぼりと落としている。

美味しいよと素直に伝えてみるが、俯いて何度も溜め息をついていた。


「私、本当にダメな奴隷で……申し訳ありません……」

「自分を奴隷だと思っているのはダメな点だけれど、それ以外は最高だよ」

「あ、申し訳ありません……」


またしてもサンディは肩を落とす。ずーん、という効果音が聞こえてきそうだ。

さてはきっと元卵焼き、もといスクランブルエッグを味見してないなこの子。

味付けそのものは本当に美味しいのだ。

だからこそ多少カリカリでも食べ甲斐が出てくる。

僕はスプーンで少量を掬って、彼女が火傷しないように軽く息を吹きかけて覚ましてみる。


「ほれ、サンディ」

「え?」

「あーん」

「…………え!?」


彼女の頬がみるみるうちに真っ赤になっていく。色合い的には秋の紅葉と良い勝負をしているかも知れない。

やってはみたものの、かくいう僕も実は結構恥ずかしかったりする。

気障(きざ)だと思うなかれ、ハードボイルドなら当たり前の所業なのだ、と自身に言い聞かせた。


 
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/15(水) 23:14:13.99 ID:PX2kAcV30

「あーん」

「……」

「あーん」

「……」

「ほら、口開けてみて」

「……ぅ、……うぅ」


匙を出してしまった手前、もはや後には引けない僕の心境。

ごり押し気味にでも食べさせてやろうという気概すら生まれてきた。

サンディは落としていた肩をきゅっと縮こまらせて、手元をもじもじさせている。

何かを躊躇っているようだ。

何を躊躇うことがある、さぁ、ぱくっと、パクッと来るんだ。

セクハラじゃありませんように。

そう願うクールな自分を尻目に、彼女の口元にスプーンを差し出してから大よそ三十秒。

意を決したような顔つきを一瞬見せて、サンディは目を瞑ったまま、はむっとスプーンを咥えた。


「あ……、美味しい……」

「でしょ? 味付けが満点なんだから、気にしなくていいよ。これからもっと上手になるよ」

「は、はい!」


そして朝食は再開した。サンディは美味しそうにパンを齧りながら、ベーコンと卵を胃に詰めていく。

もっきゅ、もっきゅ。本当に美味しそうに食べている。

彼女の表情筋が一番動くのは、もしかするとご飯のときなのかも知れないな。微笑ましい。

そう思いながら、僕はサンディが淹れてくれたコーヒーをごくりと飲む。凄まじいエグ味が舌を襲う。

そして盛大に吹き出した。 


「サンディ、なにこれ」

「お兄さんはコーヒーには砂糖を入れないみたいなので、代わりに塩を入れてみました」


屈託のない顔でそう言われたら、有難うとしか言えない弱気な自分が大好きだ。

だがこれは後でやんわりと訂正しておかねばなるまい……。

 
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/15(水) 23:30:34.47 ID:PX2kAcV30


朝食が片付き、今度は何も混入されていないブラックのコーヒーを食後の一杯で飲んでいる。

サンディはホットミルクだ。砂糖とハチミツを入れてまろやかに仕上げてみた。

ほぅっ、とした穏やかな顔でそれを飲む彼女は、実に年相応だ。

あの子の心に負った様々なものが、僕との暮らしで少しでも削がれてくれたのなら嬉しい。

美味しいかい、とつい聞きたくなってしまう。

はい、と首を二度ほど軽く縦に振ってサンディは綻んだ顔で答えてくれた。

二人で暮らし始めてから一か月ほど経ったが、

住み始めた当初と比べると笑顔の数が少しずつ増えてきているような気がする。

 



155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/15(水) 23:38:34.56 ID:PX2kAcV30

彼女はまだ、治っていない。

時折フラッシュバックで体がガチガチに硬直したり、滝のような脂汗を流しながら青ざめた顔をする事もままある。

ぶるぶると震える彼女は、嫌でも昔を思い出しているのか、「ゆるしてください、ごめんなさい」と虚に唱えてしまう。

その都度「大丈夫だよ」と軽く抱きしめ、頭を優しく撫でてみる。何度も、何度も。

容体が落ち着いたら、組織から二週間ごとに投函される薬の中の一種にある安定剤を飲ませている。

そも簡単に治るのならばトラウマなどという言葉は生まれない。

医療機関で診断させろと組織に言いたいが、連絡手法もなく、向こうから一方的に封筒が届くだけ。

戸籍のない少女を病院に連れて行けば別所の輩に目を付けられますと事前に釘をさされている事もある。

僕が最善の治療薬になっている、とはたまに送られてくる封筒に添付された汚い字の文面に書かれているが、本当だろうか。

そうとしか信じるものもないのが現状だ。

とかく、サンディを一所懸命に守ってあげたい。

優しいこの子が幸せになりますように、と祈りながら護るのだ。

 
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/15(水) 23:53:48.99 ID:PX2kAcV30


「お兄さん、どうされましたか?」


ふと気づき、意識が再びサンディに向けられる。

ぼんやり考え事としていたのが顔に出ていたのか、対面に座る彼女から不安な目線を送られる。

大丈夫、気にしないで。そう伝えて、誤魔化すようにコーヒーを一啜り。

それなら良かったです、とサンディも僕を真似るように手元のホットミルクに口づける。

飲む仕草の際に、長い前髪がぱさりと垂れて、彼女の表情を隠してくる。

改めて彼女をまじまじと眺めてみた。

うん、やはり気のせいじゃないな。


「サンディ」

「はい?」

「髪、伸びたねぇ……」

「そうでしょうか?」

「どのくらい切ってないの?」

「日本に来るときに切られて以来なので、だいたい二ヶ月くらいです」


出会った当初は無造作に切られていた印象の強いボサボサの髪の毛だったが、

それゆえ現状は変な部分が長かったり、ボリュームが出過ぎてサイドがもっさりしている。

それに何よりも前髪だ。

目隠れ、という昨今で流行しているヘアスタイルのジャンルを聞いた事はあるが

流石に前髪が鼻先についた状態だと日々の生活でも邪魔になってしまうだろう。

綺麗な顔なのに隠れているのも勿体ない。

これは近いうちに美容室にでも連れて行ってあげなくちゃいけないな。

 
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 00:04:41.19 ID:qrdjbAqX0

「サンディ、今度髪でも切りにいこうか」

「……」

「ん、どうしたの?」

「……」


ホットミルクの入ったカップを見つめながら、何やら黙考している様子。

それから少し間を空けて、彼女は僕に告げてきた。


「お兄さん、一つ質問を宜しいでしょうか」

「う、うん。どうぞ」

「お兄さんは……お兄さんは……」

「うん」

「どういう髪型の人が好きですか!?」


これは流石に予想外の質問だった。思わず面食らってしまう。

鼻息がちょっと荒めになっているサンディは、ふんす、と興味深そうな眼差しを向けてくる。

僕の好みを教えたところでどうなる事でもないが、サンディも変なところに食いつくなぁと思う。

まぁお洒落に目線が向くのはいい事だし、あくまで僕の好みだけを簡素に伝えてみよう。


「うーん、そうだね……」




【好きな髪の長さ】

・ショート
・ミディアム
・ロング

>>158-164のレスにて多数決

 
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 00:05:09.81 ID:tfDomImpo
ロング
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 00:12:35.01 ID:bP+7k7PbO
ミディアム
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 00:15:53.93 ID:MJBkpOdd0
ミディアム
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 00:18:18.20 ID:P5V49ZMDO
ロング
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 00:32:06.98 ID:AhqYazNYO
ミディアム
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 00:35:34.82 ID:79BKvuaIo
ロング
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 00:44:03.22 ID:859mnUBi0
ロング
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 01:02:00.37 ID:qrdjbAqX0


「ミディアム寄りのロング、かな……」


少し考えてみたが、こう、前はぼちぼち長い程度、後ろは肩甲骨にかかるくらい辺りか。

セミロングとはまた違うというか何というか。


「ど、どのくらいの長さなのでしょうか?」


サンディはいまいちピンと来ていないようで、食い気味に訊ねてくる。

これは僕の説明が不足しているのが悪い。

だが、これを語り始めたらフェチの話になって恥ずかしいんだよなぁ。


「まぁ、髪はどちらかというと長い方が好きかな」


と、曖昧に濁しつつも回答する。

ふむふむ、とサンディは何度か頷いた。何某かの参考になったのならば幸いだ。

 

166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 01:18:19.57 ID:qrdjbAqX0

そんな事を話しながらものんびりとした時間を過ごしていると、気づけばお昼の準備が必要な頃合いになってきた。

天候は曇り。今日の気温的にも外はさほど寒くない。

どこか食べに出てもいいかも知れないと思いながら、

そういえば最近顔を出していない店があった事をふと思い出す。


「よっし、そろそろお昼の時間だね。今日はどこかに出かけようか」

「はい。お供いたします」


微笑みながらサンディは立ち上がって、玄関口に駆け出した。

入口の靴箱の上に置いていた、サンディ用のこの家の合鍵を持ってきたのだ。

その鍵には動物園で買ったキリンのキーホルダーが付けられている。

最近は出かける際にサンディが家の戸締りを確認し、扉のロックまでしてくれるのは有り難い。

彼女なりにここを我が家と感じてくれているんだろうか。

意図は分からないけれど、家の鍵を閉める際になんだか得意げな顔をするのが可愛らしいので

施錠の確認はそのまま彼女に任せている。

窓よし、裏口よし、玄関よし。指差し呼称までばっちりだ。可愛い。

そしていつもの駐車場まで手を繋いで歩き、ハスラーに乗っていざ出発。


「ところで、今日はどちらに向かうのですか?」


車の中でサンディが問いかけてくる。

運転中なのでよそ見はできないが、視界の端で首をかしげた様子が伺えた。


「今日はね、喫茶店でご飯を食べようか」

「喫茶店、ですか」

「そう。そこの料理は美味しいんだよ」

「楽しみです……♪」


声が弾む調子が分かる。僕も久々にあの喫茶店の料理が味わえるのが楽しみだ。


「ところで、そこのお店は何が美味しいのですか?」

「スクランブルエッグかな」


くっくっ、と笑いながら冗談を喋ってみる。

むぅ、と膨れたサンディが可愛いので、軽く頭を撫でてみた。

 


167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 01:41:13.43 ID:qrdjbAqX0

車で十五分。平日という事もあり、さほど混み合う事無くスムーズに到着した。

住宅街の一角にあるその喫茶店は、周りにツタが生い茂っており、外から伺える店内は観葉植物が散見されている。

相変わらずロハスな雰囲気の喫茶店だ。

一つ惜しい所を挙げるとすれば、店の中の七割が花と観葉植物で覆いつくされているところか。良し悪しな部分だ。

季節ごとに花や植物が変わっているので、夏頃に来たらジャングルでコーヒーを飲んでいる気分になった事がある。

今は冬の花に染まっているようで、

外に咲く山茶花が僕らを出迎えてくれる。

カランコロンと入口のベルを鳴らすと、そこに見えるのは緑を基調とした観葉植物たち。

それに混ざるカランコエの橙色が良いアクセントになっていた。

今年の冬場はセンスが良いじゃないか、マスター。そんな事を独り言ちる。


「良い香りのするお店ですね」


サンディは花の匂いを楽しんでいる。お気に召してくれたようで何よりだ。

僕はおもむろにカウンターに座り、奥でコーヒーの豆を挽いている店主に声をかける。


「マスター、久しぶり」

「……おぅ」


横にいたサンディが、振り返った彼を見てびくりと身をすくませる。

痩せぎすの長身、無骨な顔立ち、そして頬に十字傷。どこの剣客かと。

いや、良い人なんだけれど、確かに初見だとカタギには見えないよなぁ……。

 
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 01:58:46.38 ID:qrdjbAqX0

マスターがお冷を二杯、カウンターごしに渡してくる。

僕はそれを手に取って少し喉を潤した。

不敵な笑顔が対面に見える。笑いかた一つとっても迫力ある人だ。


「えらく久しぶりじゃねぇか、一年ぶりくらいだな」

「ちょっと長丁場な事件を請け負っちゃってね。ここが潰れてなくて安心したよ」

「ふっ、ぬかせ。常連のマダムたちがいる限りは安泰よ」


僕らが軽口を交わすなか、サンディは未だ気後れしているのか下を向いてテーブルをじっと見つめている。

マスターは彼女をちらりと見て、それから僕に目線を向けた。

それからくるりと踵を返して、ご注文は、と催促してくる。

空気の読める人だ。あまり詮索しないからこそ、ここは居心地がいい。


「じゃあ、オムライス。サンディは?」

「わ、私も同じもので……」


あいよ、と返事が一つ。

久々に絶品のオムライスが楽しめるのを心待ちにしつつ、隣のサンディに話しかける。


「ああいう見た目だけれど、凄くいい人だよ」

「そ、そうですね。見た目で判断しちゃいけませんよね」

「そうそう。パッと見だとお勤め上がりの極道さんだけれど、あの人って花と絵本が大好きだから」

「!?」


サンディが驚いた表情を見せる。そして厨房から、


「おい聞こえてんぞ、情報漏えいで訴えるぞポンコツ探偵」


と野次が聞こえてきた。

ハードボイルド私立探偵をポンコツ呼ばわりとは失礼な。

だがポンコツと呼ばれる事は身に覚えは幾つかあるので、そっと押し黙ることにした。

 
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 02:13:38.96 ID:qrdjbAqX0


それからしばらく。

僕は持参の小説を読みつつ、サンディは店内に置いてある絵本を読みながら料理の出来を待っていた。

お互い手元の本をあらかた読み終えた頃に、お待ちどうさん、とタイミングよくオムライスが運ばれてきた。

産地直送のものをふんだんに使用したふわとろ仕上げの包み玉子、たっぷりの自家製デミグラスソース。

マスターがこだわり抜いて作成したチキンライス。

相も変わらず絶品だ。

オムライスに限らず、ここの料理は全品当たりでどれも美味しい。

サンディもうっとりした顔で舌鼓をうっている。

連れて来た甲斐があったというものだ。


あっという間に平らげて、胃が落ち着いた頃に食後のコーヒーが運ばれてきた。

サンディは食後の飲み物はアップルジュースにした模様。

ここのコーヒーは美味しい。僕がブラックで飲めるようになったのは、マスターの影響が大きいだろう。

そんな事を思っていると、彼の大きな手が一皿なにかを持ってきた。そのお皿をサンディの前に置く。

そこに乗っていたのは、苺のタルトケーキ。彼のお手製だ。

注文していないデザートが届いて、サンディは狼狽している。


「ああ、こりゃ余っちまったから勿体無くてな。お嬢さん、食べてくれるかい」

「よ、宜しいのですか?」


彼は返事の代わりに薄く微笑んだ。僕よりほんのちょっぴりハードボイルドみを感じてしまう。

サンディは何度も頭をペコペコ下げて、お礼の意を表している。

よせやい、早く食えと言わんばかりに手をしっしっとマスターは振った。相変わらず不器用な人だ。

 
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 02:18:09.21 ID:qrdjbAqX0

タルトを一齧りしたサンディの目がキラキラ輝いた。

目は口程に物を言うというのはこの事か。なんて分かり易いんだろう。

うん、人のものが欲しくなるというのは、大人として流石にそれはない。

ただ、少しばかりタルトが美味しそうなので、もしかしたら僕にも取っておいてあるんじゃないかとも思ってしまう。

一縷の望みを抱きつつ、訊ねてみた。


「マスター、僕の分は?」

「520円だ」

「ですよね」

 

171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 02:33:23.37 ID:qrdjbAqX0

サンディがタルトを食べ終えるまでの間に、コーヒーをおかわりしてみた。

手慣れた手付きで彼はモカマタリを注いでくれる。

ふと、ポツリと僕だけに聞こえるように訊ねてきた。


「まだ、見つかんねぇのか」

「うん」

「そうか、早く手がかりが掴めればいいな」

「ありがとう」


そう言って、僕は手元のモカを一啜り。深みのあるコクがたまらない。

マスターは僕らに背中を向けて、食器洗いと仕込みの作業に戻った。

ふとテーブル奥にある時計に目を向けると、割といい時間になっていた。つい長居をしてしまったようだ。

サンディもタルトを食べ終えて、ホッと一息ついている。

もう少し味わいたかったが、そろそろ腰をあげるとするか。
 
まだ冷め切っていないコーヒーを飲み干して、勘定を済ませる事に。


「また来いよ」


帰り際、彼のバリトンボイスが耳に響く。

これからも二人でちょくちょく来るよ、と返事を返す。彼は破顔一笑、いつでも来いと言ってくれた。

サンディも強面には慣れたらしく、ドアから出る前に彼へ手を振っていた。

また美味しいものが食べたくなったり、落ち着きたくなったら、この喫茶店に通うことになるだろう。

マスター、今後ともご贔屓にさせてもらいます。ご健勝で。

 
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 02:36:45.80 ID:qrdjbAqX0
今宵はここまで。お目通し、安価協力に感謝を。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/16(木) 03:27:28.75 ID:qrdjbAqX0


【連れて行きたい場所】

>>174


【視点:男 or サンディ】(多数決)

>>175-179


【サンディのクリスマスの願い事】

>>181

174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/11/16(木) 05:24:07.75 ID:5lbcQn2Ko
遊園地
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/16(木) 08:14:45.76 ID:U2xlXYpJ0
サンディ
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 08:18:01.57 ID:NrTc4fVho
サンディ
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 08:33:35.76 ID:Lph6H7ld0
サンディ
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 09:02:43.67 ID:4ADBIfQwo
サンディ
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 15:57:15.93 ID:s1ebihMEo
サンディ
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 17:03:16.71 ID:P5V49ZMDO
このままお兄さんと一緒に幸せな日々を過ごしたい
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/16(木) 17:17:29.30 ID:MJBkpOdd0
>>180+孤児院に行った二人が幸せに暮らせていますように
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/11/16(木) 18:18:04.78 ID:nmI6rWftO
サンディ大天使案件
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/17(金) 04:45:36.17 ID:RD0V/B3lO
このシリーズぐぅ好き
サンディ幸せになってほしい
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/17(金) 22:32:49.51 ID:YMs9sVyG0
安価協力に感謝&サンクス&グラッツェ。
週末は更新が難しいと思うので、週明け辺りを目安に書ける時間を見繕いたい所存。
乙レスや感想が貰える現状が嬉しいですね。有難うございます。
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/17(金) 22:50:08.33 ID:DZGbs1dWO
乙です
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/18(土) 19:42:29.39 ID:LTBhqTdt0
追いついた乙
ぐぅ天使やんけ…
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/19(日) 17:05:58.14 ID:IafLjFJXO

更新待ってます
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/21(火) 08:08:34.18 ID:nhhc/Mo8O
待ってるよー
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/22(水) 07:27:35.36 ID:wg0W+evb0
おはようございます。少々忙殺されておりました。
今日の夜には時間が取れそうなので、クリスマスや年末年始の話を書いてみたい所存です。
書き溜めがないので毎回の如くまったり進行になるとは思いますが、どうぞよしなに。
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/22(水) 07:38:25.62 ID:wg0W+evb0
されておりました→されていました。

修正ついでに自分の中のイメージ曲を少々。
https://www.youtube.com/watch?v=8l1TQnPqXWY 「幸せは途切れながらも続くのです」
https://www.youtube.com/watch?v=W4xLzohMQaE 「四季に飽きた頃、春は悲しいと知る」

音楽を聴きながら書くことが多いので、何かお薦めあれば是非ぜひ。
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/22(水) 09:12:51.58 ID:+sTqrLLUO
wktk
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/23(木) 02:50:37.61 ID:uKzXp4eX0


【連れて行きたい場所】

遊園地


【視点:男 or サンディ】(多数決)

サンディ


【サンディのクリスマスの願い事】

孤児院に行った二人が幸せに暮らせていますように
(このままお兄さんと一緒に幸せな日々を過ごしたい)

 
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/23(木) 03:18:56.14 ID:uKzXp4eX0


魔法を見た。

夕暮れの薄暗い世界が、色彩鮮やかに目映く輝く瞬間。

もみの木の頂点に大きなガラス細工の星が飾られていて、

そこから天の川みたいな煌びやかさでライトが掛け降ろされている。

明るくなった影響で周りにいた人々の顔も照らされていく。

道行く人、誰かを待っている人、スーツ姿であくせく歩く人。

みんなが笑顔で包まれていた。

世界が平和でありますように、と。

そんな事が聞こえてきそうな、優しい光。


「綺麗ですね、お兄さん」

「うん」


イルミネーション、というものらしい。

生まれて初めて見た私は、感嘆の声を上げるほかなかった。

こうして見つめているだけで、胸の奥底がじんわりと温かくなってくる。

ふと横にいるお兄さんを見上げてみると、目が合ってしまった。

ずっと私を見ていたのだろうか。などという想い上がりを抱きそうになってしまう。

お兄さんは優しい目を薄くたわませて笑顔を向けてくれる。

じんわりと温かかった胸が、心拍数の上昇と共にどんどん熱くなってきた。

私は何故だか恥ずかしくなって、そっと俯く。

顔が見れない代わりに、お兄さんと繋いでいた手を少しだけギュッと握ってみた。


季節は十二月。年の瀬が背中を突いていく頃。

クリスマスという日まであと一週間。

 
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/23(木) 03:33:30.34 ID:uKzXp4eX0

今日はお兄さんの買い物がてら、二人で街に出ていた。

目的の物を買うのに時間がかかるという事だったので、お付き合いしますと言ったものの


「サンディはここで待機ね」

「え……?」


と、待機場所を命ぜられたのは、美容院という所だった。

そこはどうやら髪を切る場所のようで、美人ばかりが所狭しと往来していた。

奴隷身分で場違いな私は凄く気が引ける。

ここで勝手に待っていてもいいのかとおろおろしていたら、

何やらお兄さんが受付の方と二言三言と言葉を交わしている。

それからすぐに、こちらですと店の中に案内された。


「じゃあ、髪でも切って待っててね。
 僕も用事を済ませてくるんで、あとから迎えに来るよ」


そう言ってお兄さんはヒラヒラと手を振って店を出る。

自分にとって髪は、荒っぽく掴まれたり、気まぐれで焦がされたり、乱雑に切られるだけのもので

こんなに煌びやかな場所で整えるなんてやった事がない。

いざ席に着いて、如何されますかと言われても、あ、う、う、と言葉に詰まってしまう。

しどろもどろになっていたら、自分の隣の座席から急に声が聞こえてきた。


「サンディちゃん!!?」


自分の名前が呼ばれた事に驚きながらも横を向くと。

そこには、以前私に洋服を見繕ってくれたあのお姉さんがいた。

 
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/23(木) 03:46:18.14 ID:uKzXp4eX0

お姉さんとの再会を喜ぼうにも、どう言葉を交わしていいのか分からない私は、軽くぺこりと会釈をする。

当の本人はテンションを高くして喜んでくれる。

なんだか照れ臭い。頬が染まってしまう。

お姉さんも髪を切りにきたのかと訊ねてみると、『ごうこん』のために髪をセットしに来たのだという。

よく分からないが凄い気迫を感じるので、後程たぶん大事な場に赴くのだろうか。

そんなお姉さんは私を見て、むふふと笑う。


「サンディちゃんは、どんな髪型にするの? あの大好きなお兄さんの好みのタイプに?」


しゅぽん、と。頭から湯気が出る音がした。

あ、な、な、あ、あ、あぁ……!

何か言おうとしてみるものの、言葉が紡げない。


「あら図星!? やだもう、お姉さん全力で応援するからね!
 あの人なんだか朴念仁そうだし、落とすのは困難と思うけれど、ファイトよ、ファイト!!」


そんなつもりじゃないのだが、確かに自分の髪型なんて気にした事はほとんどなかった。

だから、せっかくならばお兄さんが見ても不快な気持ちにさせないというか、

ちょっと、いいな、って思ってくれたら、私は、ちょっぴり、嬉しい、かもしれない……。

私はお姉さんの言葉にこくり、と頷いた。

気が付けば、お姉さんの他にも、後ろで待機していた店員さんまでニマニマしていた。

顔から火が出そうだ。

 
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/23(木) 03:51:20.64 ID:uKzXp4eX0

「ではお客様、素敵に仕上げますのでご安心を。ご希望の髪の長さはありますか?」


そう言ってくれる店員さんがとっても頼もしく感じる。

さて髪の長さはどうしようか。

そういえば以前、お兄さんが好きな長さを聞いた事があったような。

確かミディアム、なんとか。あまり聞きなれない言葉だから、それっぽく言えば伝わるだろうか。


「すいません、ミディアムレアにしてください」


注文を間違えたのはすぐわかった。

それを横で聞いていたお姉さんが、五分くらい爆笑していたから。

 
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/23(木) 04:03:22.26 ID:uKzXp4eX0

紆余曲折はあれど、どうにか意図は伝わったようで、やや長めくらいの髪型に仕上げてもらう事に。

お姉さんは早々にセットが終わって、先にお店を出ていった。

とっても可愛い髪型だったし、何よりも、また会いましょうと私に向けて微笑んでくれたあの笑顔が素敵だった。

大人は怖いけれど、それだけじゃないというのが日本に来て分かってきた。

あのお姉さんにはまた会いたいな、と思う。


それから髪を霧吹きで軽く濡らして、ちょきちょきと小気味のいい音が自分の耳元から聞こえてくる。

足元にぱさりと落ちてくる黒髪が、今こうしてカットされている様を物語っていた。

以前は乱暴に髪を引っ張られてじょきじょきと錆び付いたハサミで切られていたから凄く痛かったのに

何故だか今こうして髪を切られるととても心地いい。

目蓋がとろんと重くなってきてしまう。

不意に睡魔が肩を掴んできたと思えば、次の瞬間には店員さんから肩をゆすられていた。


「大体の形が出来ましたが、如何でしょうか」


鏡の前に映るのが一瞬誰なのか分からなかった。

前とサイドはボブテイスト、後ろは長さを残しつつ、ロングに伸ばしてもおかしくないようにしたとの事。

不思議だ。髪型一つでこうも心が躍るのか。

早くお兄さんに会って、見せてみたい。そんな事を思ってしまう。

 
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/23(木) 04:15:20.64 ID:uKzXp4eX0

「おぉ、サンディ。また一段と綺麗になったね。似合ってるよ」


お店に迎えに来てくれたお兄さんは、開口一番にそう言って褒めてくれた。

私は心からのお礼を申し合げる。有難うございます、と。

こうして美容院を後にした私たちは、そのまま手を繋いで、街を少しだけ歩いてみることにした。

その途中にて、クリスマス企画でもみの木にイルミネーションを点灯させるという行事に巡り合ったというわけだ。


「ふわぁ……」


イルミネーションを眺めていると、またしても声が漏れる。

青一色になったかと思えば、次はオレンジ色の暖色に切り替わり、そして紫の光の濁流に変わる。

去年の今頃は、寒さとひもじさで震える体を薄手の毛布で包んで寝ていた事しか記憶にない。

今こうして寒さに震えないのは、お兄さんのおかげ。

彼から先日買ってもらったマフラーを軽く触ると、ふわふわしている。

幸せだなぁ、幸せだなぁ。

胸がいっぱいになると不意にイルミネーションが滲んできた。

手袋を私なんかで汚すのは勿体ないので、急いで外してごしごしと目元を拭う。

ふと頭に優しい感触を覚える。お兄さんの手だ。

髪を切って軽くなった私の頭を撫でてくれる。嬉しい。

 
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/23(木) 04:29:50.33 ID:uKzXp4eX0


「そういえば、もうすぐクリスマスだね」


お兄さんが独り言ちる。少し遠い目をしていた。

そうですね、と私は言う。

自分には今まで縁のないものだったから、正直なところよく分からないのだ。


「クリスマス、何か欲しいものはある?」


いいえ、何も、何も要りません。

ずっと貴方の傍においてください。

そう言うとお兄さんはきっと困るだろうから、私は首を振る。


「いいえ、特に」

「欲が無いなぁ。お兄さんをサンタさんと思ってくれていいんだよ」

「いいえ、本当に何も無いのです」

「そっか。 うーん……保護者として、何かしてあげたいんだよなぁ……」


するとお兄さんは、何か閃いたような顔をした。

そしてにっこり笑って私に告げる。


「よし、サンディ。宿題を出そう。
 明日までに何か願い事を書いておくように。可能不可能は度外視で!」

「……え?」



貴方がいればいいのです、と早く言ってしまうべきだったか。

いや無理だ。面と向かって言うのは恥ずかしすぎる。


満たされている私にとって、とても難しい宿題が言い渡された。

 
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/23(木) 04:30:20.10 ID:uKzXp4eX0
今宵はここまで。また後日。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/23(木) 05:11:16.96 ID:PJIeaVSpO
キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ !!!
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/23(木) 08:18:35.70 ID:cPdB/pwpO
清い気持ちになれるな
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/23(木) 10:03:30.52 ID:7XpDlwt7O

読むたびに浄化される
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/25(土) 12:04:36.09 ID:KdyHe2Zm0



わたしが生きていた轍には、吹きさらしの傷口が無数にある。

冷たい風を浴びるとじくじく疼くから、同じ痛みを持つ者同士で寄り添いあい

温め合ってそれを誤魔化すしかなかった。

ヤマアラシのように体に針がなくて良かったと思う。

もしそうだったら、私たちは血塗れで抱きしめ合う事になっていただろうから。

205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/25(土) 12:06:36.06 ID:KdyHe2Zm0

コンクリートの冷たい床、薄手の毛布、首輪と鎖。

自分が過ごしてきた寝床として思い出せる記憶だ。

寒さとひもじさで最初は泣いていた。

泣いていると折檻をされるから、次は笑うようになった。

笑っていても折檻をされるから、次は怒るようになった。

怒っていても折檻をされるから、次は喜ぶようになった。

喜んでいても折檻をされるから、もうどうしようもなかった。


もう、どうしようもなかった。

 
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/25(土) 12:13:31.64 ID:KdyHe2Zm0

だから、心を空っぽにした。

そうして一日が早く過ぎますようにと願いながら

寒さをしのげるように、奴隷だった私たちは固まって眠るようになる。

ドブ鼠のような様だなと前のご主人様は笑いながら、真冬の夜に冷水をその集塊に浴びせてくることもあった。

その時は体温が下がるのを防ぐために一層固まって擦り寄った。

唇が真っ白になる子を輪の中心に、体を一所懸命こすり合わせて温めた。

他の子にそうしてもらい、他の子にそうしてあげていた。

死なないように生きる事に、私たちは必死だったのだ。

最初は十五人いた。

別所へ競売にかけられたり、冷たくなっていった子がいたりして、どんどん人数は減っていく。

結局そうして生き残って無事に日本に来れたのはたった三人。

たった三人だった。

一緒に船に乗ってきた子以外の顔立ちを頭の中で描こうとすると、ペンで塗りつぶされたような漠然としたものに仕上がる。

散った皆の事を考え出すと心が砕けそうになるから。

今は思い出せない。思い出してはいけないのだろう。

 
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/25(土) 12:16:14.11 ID:KdyHe2Zm0

ふと思う。

お兄さんに保護されて、私だけこの国に留まらせてもらうことになったけれど。

離れ離れになったあの子たちはちゃんと温かい毛布で眠れているんだろうか。

どこか知らない土地で寂しく泣いていないだろうか、と。

そう思うと無性に顔を見たくなった。

あの二人を振り返るために想起すると、泣いている顔しか思い出せないのが、とても悲しい。

 
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/25(土) 12:18:25.10 ID:KdyHe2Zm0


サンタはいない。

でも、もしいたとしても、プレゼントはいらない。

たった一つだけお願い事を聞いてほしい。


“孤児院に行った二人が幸せに暮らせていますように”


私はお兄さんから渡されたメモ紙にそう書いて、

事務所の中に準備してくれた『サンタさんへのポスト』へ就寝前に投函した。

もうサンタなんて信じる年頃ではないが、優しさを無碍にしたくないのでそれは置いておこう。

願い事は何でもいいとは言われたものの、我ながら漠然とした内容だ。

これは叶えるのが難しいな、と少し困った顔をするであろう人物が思い浮かぶ。

それはふくよかで白鬚を口元にたくわえた虚像ではなく。

柔らかい笑顔の似合う、とっても素敵で、ソフトマイルドなサンタさんだった。

 
209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/25(土) 12:21:48.28 ID:KdyHe2Zm0


投函した次の日から、お兄さんは色々な所に電話をかけていた。

そして電話をかけた数に呼応するかのように外出する事が多くなった。

曰く「今まで探偵業を休んでいたから、年明けに再開をする為の準備中」との事だ。

手伝えることは何かありませんかと訊ねてみれば、じゃあお留守番を頼むと言われた。

頑張りますと答えたら、彼はにっこりと私の大好きな微笑みを向けてくれる。

そして大きな手で頭を撫でられた。

私は非力だけれど、全力でお兄さんのおうちを守ろうと心に決めた瞬間だった。


それから、あれよあれよという間に時間は過ぎて。

気付けば暦は十二月二十四日。クリスマスを迎えていた。

 
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/25(土) 12:23:14.25 ID:KdyHe2Zm0
今回はここまで。小出しで恐縮です。
次回はクリスマスの話で。
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/25(土) 12:25:55.51 ID:RYlJjhPjo
おつ
サンディの回想がうまくて毎回心キュッとなる
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/25(土) 12:57:19.79 ID:xCvSkzRRO
サンディほんと幸せになってくれ定期
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/25(土) 15:12:01.83 ID:LrSCu0RPO
奴隷救う系ほんと好き
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/25(土) 17:19:23.17 ID:n2cPOXCOO
乙です
215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/28(火) 09:02:50.57 ID:jaE8/peno
>>1
申し訳ありませんが貴方の過去作を教えてください。

是非とも読みたいのですが見つけられない作品があります。どうか宜しくお願いいたします。
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/28(火) 09:48:35.88 ID:WpOi9+rfO
待ってるよー
217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/28(火) 11:27:13.66 ID:ceEhInHU0
>>215
以前書いた話に興味を持って頂けて嬉しい限り。
見つけられない作品がどういう内容だったか私自身も忘れている可能性があるので
拙作ばかりで恐縮ですが、覚えてる分の一部を羅列させてもらいます。
どれかに当て嵌まれば良いのですが……。


【オリジナル】

・貴方の読みたい物語
・男「ここが君の、終の棲家でありますように」
・男「昔話のついでに」
・男「ど、童貞じゃねーし!」女「しょ、処女じゃないわよ!」


【二次創作】

<艦これ>
・ていとくがこわれるはなし
・ボンクラ提督とぽんこつ系ビッグセブン

<シュタインズゲート>
・鳳凰院凶真のオールナイト円卓会議

<Angel Beats!>
・音無「オペレーション・ラブエクストリーム…?」
・音無「平和な日常って、いいよな」


その他もろもろ。
初見の方は上記の小話が暇つぶしのお供になれば幸いです。
探偵と元奴隷の話は近日中に投下する予定。
 
218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/28(火) 15:27:08.40 ID:Zo2s9H/NO
ていとくがこわれるはなしの人か!
名作メーカーやんけ
219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/28(火) 19:40:02.94 ID:9hTaagXoO
待ってる
220 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/03(日) 05:31:13.00 ID:j14dRfK5o
221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/04(月) 20:51:49.82 ID:3oy68iSKO
追いついた乙
言葉の綺麗な文がちょいちょいあって好き
222 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/05(火) 08:04:22.80 ID:bxpe8R73o
保守
223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/05(火) 16:52:38.62 ID:uO7JY89I0

【幕間】


「私も早く大人になって、泣き虫を治したいです」


料理を教えているときにサンディがふと呟いた。

よくよく見てみると、大きな目からポロポロと雫が頬へ垂れている。

今日のメニューはカレーライスだ。

玉ねぎを刻むのが不慣れなら、そりゃ涙も出るさ。

そう伝えながら、手元のキッチンペーパーをティッシュ代わりにして

涙を拭うついでに鼻水も噛ませてみる。


「え゛う゛、ごべんなしゃい……」


鼻を噛んでるときに喋るものだから、なんとも間の抜けた可愛い声が漏れた。

彼女もちょっと恥ずかしかったようで、耳を赤くして俯いてしまう。

しばしそのまま立ちすくんだかと思うと、ふるふると頭を振って再び玉ねぎと格闘を始めた。

傍から見ずとも微笑ましい光景だと思う。

しかして、さっきの台詞は本心なのだろう。

それについてはサンディが大人になる前に訂正をしなければならないな。


“私も早く大人になって、泣き虫を治したいです”


大人は泣かなくなるんじゃない。

隠れて泣くのが上手になるんだよ。


224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/05(火) 16:59:31.08 ID:uO7JY89I0

上手に出来上がったカレーを二人で食べ終えて、湯を張ったお風呂にそれぞれ浸かり、

夜更かししないように早々と就寝することに。

体質的には夜型の身だが、サンディと住むようになってから

随分と人間らしいルーティンで日々を過ごせるようになったものだ。


「おやすみなさい、お兄さん」

「おやすみ、サンディ。今日はゆっくり眠れそうかい?」

「はい。今日もゆっくり眠れそうです」


そう言って彼女は嬉しそうに薄く微笑む。

軽く頭を撫でたあとに部屋の灯りを消してみると、

羊を数える間もなく隣から規則正しい呼吸音が聞こえてきた。

君が穏やかな寝息を立てて眠ってくれているとき。

僕は静かに泣いている。

悲しいからではない。切ないからでもない。

ただ、涙が零れてしまう。

皆が享受する当たり前の幸せを、一生懸命に日々かみしめる健気な姿を見ていると。

願わずにはいられないのだ。


きみの瞳が美しいもので輝きますように。

きみの心が温かいもので満ちますように。


僕は多分、君から愛を教わっている。



〜〜〜〜

 
225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/05(火) 17:00:35.99 ID:uO7JY89I0
保守がてらに少しだけ。クリスマスの話はそのうちに。
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/05(火) 17:10:53.29 ID:f41yhUXuo
乙!
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/05(火) 18:11:21.28 ID:hpdgNTSWO
サンディ大天使定期
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/06(水) 09:58:20.11 ID:rCa+B+8Io
乙、終わりかと思ったわw
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/11(月) 21:47:50.06 ID:1W/bGZOT0
ようやく書ける時間が取れたので、夜半過ぎくらいからちまちまと投下していきます。
時間のあるお方は温かい飲み物でも片手にお付き合いください。
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/11(月) 22:12:37.90 ID:NxFfGUiNo
待ってる
231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/11(月) 22:47:10.06 ID:IMNLlpCFO
更新ktkr
232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/12(火) 00:45:25.04 ID:kAW1Hs42O
待ってまーす
233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 00:55:06.57 ID:sLz/PBVL0


クリスマスイブ。薄曇りの空模様で、普段よりも少し肌寒い気温が世界を包む。

今日はお兄さんの提案で出かける事になった。

行先を訊ねてみれば、内緒の一言だけ。

どこへ行くのかもちろん気にはなっている。

ただそれ以上に、お兄さんと一緒に外出できるだけで心が弾んでしまうのだ。

駐車場に向かう自分の足が浮いているような気さえする。


「スキップするのはいいけれど転ばないようにね」


後からお兄さんの声が聞こえてきた。……スキップ?

どうやら本当に浮いていたようで、心どころか足さえ無意識に弾んでしまったらしい。

はしゃいでいるのを見られてしまい、否が応にも心拍数が上昇する。

顔中が火照るように熱い。両手でパタパタと扇いでも治まる様子はない。

自分の頬と耳が赤くなっているのが手に取るように分かってしまう。

恥ずかしさを隠すために車の元まで駆け出してみた。

お兄さんが到着するまでに早く浮かれた熱を冷まさなければ。

 
234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 01:12:10.92 ID:sLz/PBVL0

深呼吸を幾度か繰り返して平静に戻る。

ちょうどその頃合を見計らったかのように、お兄さんも車の駐車してあるスペースに辿り着いた。

そこに停めてある桃色の車に乗り込む前に、

サイドミラーを覗き込んで手櫛でサッサッと前髪を整える。

髪型はおかしくはないだろうかと自問自答。

答えは当然返ってこない。

初めて出会ってからずっとボサボサの髪で過ごしていた手前、今更という感はある。

でも、お兄さんは髪を切り終えた私に向かって綺麗だと言ってくれた。

嬉しかった。とても嬉しかったのだ。

だから、あの時の気持ちを忘れないように、不慣れな手付きで髪をセットする。

そうするとまるで自分が女の子だった事を思い出すようで、少し照れくさくなる。

それと同時に胸が温かくなるのだ。

とっても不思議な感覚。

何度か前髪の分け目を弄っていると、ふと後ろに視線を感じた。

サイドミラーの視線を自分の髪から後ろに少しずらしてみると、

ほほぅ、と何か感心したような顔立ちでお兄さんが覗き込んでいる。


「綺麗だよ、サンディ」


そう言ってお兄さんは運転席側に移行して、車の中に入り込む。

私は思わずしゃがみ込んだ。

頬の熱さがぶり返してきたから。

 
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 01:29:38.93 ID:sLz/PBVL0


それから一呼吸だけ間を置いて私も助手席に乗り込む。

私がシートベルトを着用したのを確認し、お兄さんは今回の目的地に向かうために車のエンジンを点火した。

しばらく走っているうちに、この車は郊外に向かっている事が分かった。

道路の案内板から察すると市街地のテーマパークらしき場所が目的地のようだ。

未だ行ったことのない場所なので、そこに何があるのか皆目見当がつかない。

車が風を切っているその間、私は車窓の内側から外の景色を眺めている。

街路樹に巻かれた電灯が美しいイルミネーションになっていてとても綺麗だ。

天国へ続く道は、もしかするとこんな光景かも知れない。

歩道を歩く人達はみな寄り添いあって、それぞれが幸せそうな顔をしている。

本の中でしか見た事のない尊い世界を覗いているようだ。

もし本当に神様がいるならば、この中に私が一人くらい混ざっても許容してくれるだろうか。

隣で車をのんびり運転する私の神様に、そう訊ねてみたくなった。

 
236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 01:45:19.98 ID:sLz/PBVL0

車を走らせること大よそ一時間ほど。

“遊園地”と呼ばれている大規模なテーマパークに辿り着いた。

目的地に着いてその中に入場をした私は思う。

地球にはこんなにも人が居たのか、と。


「うはぁ、凄い人の多さだ……」


お兄さんも絶句していた。どうやら人の多さに関しては予想外だったようだ。

 
237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 01:47:44.59 ID:sLz/PBVL0

「いやぁ、最近ちょっとバタバタしていたからどこにも連れて行けてなくてさ。
 今日はクリスマスイブだから何かしようと思ってたけれど……裏目に出ちゃったかな?」

「いいえ、とても素敵なところに連れてきてくださって嬉しいです」

「サンディは優しいなぁ……」


お兄さんは大仰にほろりと泣くような素振りを見せて、私の手を繋いでくれる。

その大きな手をぎゅっと握り返した。離さないように、離れないように。

 
238 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 01:58:36.16 ID:sLz/PBVL0

人の多さが影響しているのだろう。

遊園地のアトラクションは軒並み待ち時間が多かった。

特にジェットコースターという乗り物には、どれも約三時間待ちという看板が立っている。

さてどこから回ろうかとお兄さんはパンフレット片手に悩んでいた。

貴方と一緒にいれるだけで私は嬉しいのに。

現在地は遊園地の中央区にある噴水前。

噴き出す水が光に照らされて彩り鮮やかに変化していく。

綺麗だなぁ。ずっと眺めていても飽きない。

ふと視線を外して周りを見ると、様々な人が楽しそうに往来している。

カップルと呼ばれる男女のつがいよりも、親子連れの家族の方が多かった。

子どもはみんな嬉しそうに親と手を繋いで、暖かい恰好ではしゃいでいる。

そんな子どもを見て、親は嬉しそうに目を緩ませている。


瞬きするだけで世界はこんなにも美しい。

私の視界は今、幸せで満たされていた。

 
239 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 02:14:53.76 ID:sLz/PBVL0


お兄さんが熟考をして出した結論は、

『とりあえず空いているアトラクションを端から回ろう』という内容だった。

ただ、観覧車にはとりあえず乗っておきたいという彼の要望で、

一番最初に観覧車の整理券をもらい、順番が巡ってくる二時間後までは別所を巡る段取りに。


そして今、私はメリーゴーラウンドという乗り物の順番待ちをしていた。

曰く「年を取った男は乗れないもの」だそうだ。

なのでお兄さんは外で待機して、私が乗る様を楽しむとの事。

改めて一緒に並んでいる子を見ると、小さい子ばかり。私が最年長のような気がしなくもない。

順番が回ってきて係員の方から案内をされる。

馬を模倣した乗り物に跨るように言われ、言葉のままに乗ってみる。

そのまま手すりのポールを離さないでという注意喚起を告げられたかと思うと

途端にファンシーな音楽が流れ始めた。


「えっ、えっ、えっ……!?」


あたふたしながらポールをギュッと抱きかかえる。

そして地面と乗り物が動き始めた。

地面は地球の自転のように回り、それに呼応するように馬は上下に動いている。

ちょっと楽しい。

周りの風景は緩やかに移行して、遊園地の煌びやかなイルミネーションを楽しめる様になっていた。

そんな幻想的な風景を楽しんでいると、ふと何か呼びかけられたような気がする。


「おーい、サンディー! こっちこっちー!」


お兄さんがアトラクションの外側で、手を振りながら迎えてくれる。

なんとなく気恥ずかしいけれど、少し浮かれた私はおずおずと手を振り返してみた。

お姫様みたいでなんだか照れてしまう。

 
240 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 02:19:48.26 ID:sLz/PBVL0


そのままお兄さんのいた景色を置き去りにして、回転木馬はのんびり回る。

そして二周目、再びお兄さんの待っている景色へ。


「サンディ、こっち向いて!」


言葉のまま彼の方を向いて手を振ると、パシャリと彼の携帯電話で写真を撮られた。

ちょっぴり気恥ずかしさを残しながら三周目。

次はいつの間に持っていたのか本格的なカメラを向けて私を待ち構えていた。

パシャ、パシャ、パシャ、パシャ。連続したシャッター音が聞こえてくる。

お兄さんは周りの人の注目を浴びているのに気づいていないのかも知れない。

流石にもう撮られる事は無いと思っていた四周目。

録画状態のハンディカムを持って、キラリと光る大きなレンズを私に向けていた。


「可愛いよ、サンディ! 手を振って、ほらほら!」


周りの人はお兄さんの大きな声に驚いていて、必然的に私も注目を浴びることに。

顔から火が出そうだ。でも、お兄さんの要望には応えたい。

作り物の白馬のうなじに顔をうずめながら、ぱたぱたと頑張って手だけは振ってみる。

後の周回は、お兄さんの待ち構える付近になったらポールを抱きしめて

恥ずかしさで死にそうになっている様をビデオカメラで撮られ続けていた。


メリーゴーラウンドから降りたあと、私は一目散にお兄さんの元へと駆け出した。

そして何故か満足げな顔をした彼の背中に回り込み、ぽかぽかと軽く叩いてみる。

恥ずかしかったけれど、楽しかったのもまた事実。

なので、これは私なりの照れ隠しと抗議の合わせ技だ。

次の乗り物は一緒に乗ろう。そう決めるのには充分な出来事だった。

 
241 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/12(火) 02:24:54.67 ID:U1leUHnaO
くっそ可愛い
242 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 02:46:10.33 ID:sLz/PBVL0

その後はコーヒーカップという乗り物の所へ行き、お兄さんと一緒に乗った。

ぐるぐる回るそれも楽しくて、ついはしゃぎすぎた結果、二人して思わず回し過ぎた。

アトラクションから降りる際にお兄さんの足元がふらふらしていたのも

何だかとっても面白くて、つい笑ってしまった。

そして遊園地の中にある売店で軽食のサンドイッチと温かい飲み物を購入した。

私はホットココア、お兄さんはコーヒー。ハードボイルドのこだわりは相変わらずだ。

再び中央区の噴水前に戻り、そこに備えられてあるベンチに座ってサンドイッチを食べた。

パンに挟まれてあるのは、レタス、ハム、チーズという至極シンプルなものなのに

どうしてこんなにも美味しいのだろうか。

私はつい率直な感想を呟いてしまう。


「サンドイッチ、美味しいです」

「お、じゃあ今度一緒に作ろうか」

「はい、これなら私も間違えずに作れると思います」

「随分と頼もしい返事だね。これは最高のサンドイッチを期待しても良さそうかな」

「あ、えと……そこまでは、ないかも知れません……。
 美味しくなるよう、お兄さんへの気持ちは多めに挟んでおきますね……」


急にハードルが上がると自信を無くしてしまう。

愛情だけは劣りません、という上手な言い回しが分からないので、つい語尾が弱くなる。

お兄さんは優しく微笑んで告げる。


「ありがとう、サンディ。お腹よりも胸がいっぱいになりそうだなぁ」


そう言いながら、私にむけてカメラのレンズを向けて、パシャっと一枚シャッターを切る。

サンドイッチを食べている状態だったので、凄く無防備なところを撮られてしまった。

急いでもふもふとサンドイッチを詰め込んで、ホットココアで流し込む。

ようやく食道に収まった頃に、お兄さんから急に抱き寄せされた。


「ほら、携帯のレンズを見つめて……はい、チーズ!」


カシャ、と無機質な音が鳴る。

そこに映っていたのは、にこやかで楽しそうなお兄さん。

そして、急な出来事で大混乱していて、グルグル眼の真っ赤な顔をした私だった。


なんとなく。

なんとなく、だけれど。

年の離れた兄と妹で撮ったような。

まるで、家族みたいな写真だった。

 
243 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 03:05:27.83 ID:sLz/PBVL0


それから少し遊園地の飾りつけを見て回り、気が付いたら観覧車に並ぶ良い時間となっていた。

係員の方に整理券を渡して、優先列に並ぶ。

ものの十分と待つ事も無く、ゴンドラに乗り込むことができた。

ゆっくりと頂上に上がるそれは、人工的に色づいた夜光を置き去りにしていく。

私の足元には、先ほどまで見上げていたイルミネーション。

気付けば燭光のように小さくなっていた。

空が近づいているのだろうが、夜闇ではどの程度まで高くなっているのか分からない。

ふと、夜の黒に白色が紛れてくる。

あまりに綺麗な真白だったので、星が落ちて来たのかと思った。

よくよく目を凝らしてみると、どうやら雪が降り始めたようだ。

牡丹雪のようで、一粒一粒が大きい。明日は積もるかも知れない。


「綺麗ですね、お兄さん」

「うん。まさかのホワイトクリスマスになったね」


そう言いながら、お兄さんは鞄の中を漁り始めた。

そして少しの間を空けたあと、ラッピングされた何某を私に手渡してくる。


「メリークリスマス、サンディ。サンタさんからのプレゼントだよ」

「あ、ありがとう、ございます……!」


私はそれをおずおずと手に取る。

薄手ながらに固い感触のするそれは、CDケースのようだった。


「家に帰ったら空けてね。サンタとの約束だよ」


ふぉっふぉっふぉ、とでお兄さんは笑いながら、

生えていない白鬚を触るような仕草でそう告げる。

私はコクコクと頷くので精一杯だった。

 
244 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 03:19:53.26 ID:sLz/PBVL0


プレゼントに対して、私は何か返せるものがないのか訊ねてみた。

お兄さんは「気にしないで」の一点張り。

そして私の頭を軽く撫でて、伝えてくれる。


「君がプレゼントの中身を見てくれたら、僕はそれだけでいいんだ」


それから、私はお兄さんと他愛もない事を話した。

明日のクリスマスは雪が積もるのか、とか。

お兄さんの好きな映画の話、とか。

どうやったら美味しいご飯が作れるのか、とか。

そうこう話し込んでいると、観覧車のゴンドラはあっという間に一周を終えた。

外の景色は綺麗だったけれど、それ以上にお兄さんの顔を見ていた時間の方が長かった気がする。

雪は牡丹雪から粉雪へと変わり、いつの間にかすっかり止んでいた。

私たちが観覧車に乗っているときにだけ降ってくれたかのようだ。

お兄さんとしては先ほどの物を私に渡すのが一番のミッションだったようで、

さて後のプランはどうしようかと悩んでいる様子。

だから私は答えた。

「家に帰って、プレゼントの中身が見たいです」と。

 
245 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 03:21:42.94 ID:sLz/PBVL0


素敵な時間はあっという間に過ぎていく。

遊園地にもっと長くいたいという気持ちは強い。

だからこそ、名残惜しいくらいが丁度いいのだろう。

去年の今頃は、明日さえ分からないような刹那を生きていた。

奴隷だった身からすれば、楽しすぎるのは怖いのだ。

満たされ過ぎると悲しくなる。

だから、今はこの場所に願いだけ置いておこう。

きっとまた、お兄さんと一緒に来れる機会がありますように。

 
246 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 03:50:39.93 ID:sLz/PBVL0


家に戻ると、お兄さんはいそいそと何かの準備を始めた。

その間に私はラッピングされたプレゼントを開ける事に。

包み紙の形を崩さないように丁寧に開けると、そこに見えたのはやはり簡素なCDケースだった。

ただ、『親愛なるサンディへ』と書かれているのが気になるところ。

お兄さんはどうやらテレビにDVDプレイヤーを接続しているようだ。

ではこれはCDではなくて、何らかの映像が記録されているDVDなのか。

中身を知らないので、私は恐る恐るそれをセットして、再生ボタンを押してみた。

 
247 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 03:53:11.57 ID:sLz/PBVL0


まず最初に映っていたのは、どこかの大きな施設。

色んな人種の子どもたちが楽しそうにはしゃいでいる姿が映し出されている。

ふと、カメラがとある子どもに向かってズームを始めた。

そこに映っていたのは。

私と一緒に日本へ来た、孤児の生き残りの二人だった。

彼女たちは朗らかに、声をあげて笑っている。

どうやら友達が出来たようで、ボールを蹴りながら一所懸命にそれを追いかけていた。

そしてカメラは一度暗転したかと思うと、次は食事のシーンを映してくる。

子どもたちは机に向かって美味しそうにご飯を食べている。

あの二人もしっかりパンとスープ、お肉やサラダなど好き嫌いなく食べていた。

とても、とても美味しそうに食べていた。


楽しそうだった。

幸せそうだった。

 
248 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 03:54:37.49 ID:sLz/PBVL0

そして次の場面転換では、空いた部屋に二人が並んで座っていた。

二人はまじまじとした顔でカメラを見つめている。

物珍しい、を体現するとこうなるのか。

カメラを回している人が小さな声で、オッケー喋って喋って、と言ってるのが聞こえてきた。

 
249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:03:48.71 ID:sLz/PBVL0


“あー、いま、もう撮れてるの? 撮れてる? なら良かった。

 サンディ。元気にしてる?

 私たちは今、アメリカの孤児院で暮らしているわ。

 ここの先生たち、とっても優しいの。神様みたい。

 お行儀が悪いと怒るけれど、鞭で叩かないし、

 意味もなく生爪を剥がしてレモン汁に浸して泣かせてくる、みたいな事もないの。

 今のところはね。

 人間なんて分からないから信頼なんて出来ないけれど、

 ちょっとだけ、ちょっとだけ信じてみてもいいかな、って思ってる。

 今ね。

 人生で、一番幸せなのかも知れないわ。”

 
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:07:29.79 ID:sLz/PBVL0


『やっほー。サンディ、私のこと忘れてないよね?

 私もイザベルと一緒の孤児院にいるんだ。

 ここはね、温かいよ。

 身を切らずにご飯も出るし、それぞれにベッドとふかふかの毛布が分配されてるから

 寒くて死んじゃうこともないんだー。

 この前はすっごい雪が降ったけれど、院のみんなで雪かきして、集めた雪で遊んだんだ。

 すっごい面白かったよ!

 ここにいる子どもたちもね、私たちとおんなじような子ばかりでね。

 夜に泣いている子がいると、みんなで集まってぬくぬくするんだ。

 私たちが生きてたあの部屋を思い出しちゃうけれど、

 サンディたちと温め合ってこうして生きて来れたこと、いっつも感じるの。』

 
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:09:14.53 ID:sLz/PBVL0


“それとね。あたし達、貴方にどうしても伝えなくちゃいけない事があるの”


『うん、どうしても伝えたかったの』


せーの、と息を合わせる合図の後、その言葉は紡がれた。

 
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:10:25.69 ID:sLz/PBVL0



 サンディ、助けてくれて、ありがとう。



 
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:12:07.22 ID:sLz/PBVL0


『辛かったとき、一緒にぬくぬくしてくれて、ありがとう』


“日本にくるとき、あの船の中で私たちを庇ってくれて、ありがとう”


『サンディ泣き虫だから、きっと誰よりも怖かったのに』


“貴方がいてくれたから、きっと私たちは生きていられたの”



“生きていれば、また会えるから。

 きっといつか、会いましょうね。”


『私たちは適当に幸せに過ごしているから安心してね。

 優しいサンディが、幸せに過ごせていますように、って祈ってるよ。ずっと。』

 
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:15:17.99 ID:sLz/PBVL0


二人は満面の笑みで、カメラに向かって手を振っている。

映像はそこで終わっていた。

私は途中で二人の顔が見えなくなっていたから、もう一度見直さなければならない。

ただ、今の所は、何度見ても最後まで顔を見据える自信が無い。


幸せな二人を見る度にきっと私は泣いてしまうだろうから。


 
255 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:29:11.03 ID:sLz/PBVL0


涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになってしまった。

お兄さんはティッシュの箱を持ってきてくれたが、それを使い切りそうな勢いだ。

泣きすぎて息ができないから、おぅ、おぅ、とオットセイみたいな声が出る。

もはや恥も外聞もなく、私は枯れ果てるまで涙を流そうと決めた。


それからしばらくの間ののち、ようやく少し落ち着いた私に向けて

お兄さんはホットミルクを差し出した。


「いやぁ、そこまで感激してくれるとサンタ冥利につきるね」

「いづ、グスッ……、ずみ゛まぜん、いつ、の間に……、準備したんですか?」

「きみが願い事を投函した翌日から準備を進めてたよ。
 組織の連絡先を調べていたら、色々と時間かかっちゃってさ」

「ありがとう……、ありがとう、ございます……。叶うなんて、思ってませんでした……」


未だ涙が少し溢れる私をお兄さんは優しく抱きしめてくれる。

温かい。ぬくぬくだ。

お兄さんは、私を腕の中に収めながら告げてくる。


「実はね、この映像をくれる代わりに一つだけ取引があったんだ」

「とり、ひき……?」

「それを聞いてくれるかい?」

「何でもいいです。私で出来ることは、何でも受け入れます……」

「“あの二人にサンディの現状を伝えてほしい”ってさ。
 今日撮った写真、送っていい?」

「恥ずかしいからダメです」

「手の平大回転!? なんでもって言ったじゃんサンディ!」

「それはそれ、これはこれ、です」

「便利な日本語を知ってるね……!」

 
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:40:31.81 ID:sLz/PBVL0



それから数日後。年の瀬も近づいた頃。


「じゃあ、カメラ回すよ」

「えっと、どのタイミングで喋ればいいですか?」

「ゴメン、もう回ってる」

「ええ!?

 
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:43:54.79 ID:sLz/PBVL0


ええ!? もう始まってるんですか!!

あと、その、えーと。


イザベル、クロエ。元気ですか。

えっと、サンディです。

私は今、あの船で助けてくれたお兄さんの元で居候になっています。

お兄さんはとっても優しくて素敵です。

普段はにこやかなのに、キリッとした時の表情が凄く恰好いいです。

とっても良い匂いもします。

それに私の知らない事をいっぱい教えてくれて、

沢山の愛をいつも注いでもらっています。

え、あ、ちょっと、お兄さん、照れないで……。

私も本人が目の前なのに本音を言い過ぎました……自重します……。

あ、え、えと、そうだ!

最近はご飯も少しずつだけれど作れるようになりました。

昨日はサンドイッチを作ってみました。二人にも食べてもらいたいです。

あと、えーと、あとは……。

話したいことが沢山あって、全然まとめられません。ごめんなさい。

たまにこうして、やりとり出来たら嬉しいです。

また会いましょう。

ぜったい、ぜったい会いましょうね。



ふたりとも。たすけてくれて、ありがとう。


いま、わたしは、しあわせです。


 
258 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 04:59:33.85 ID:sLz/PBVL0


〜〜〜〜



それから大晦日を越えて、年の始めの元日を迎えた。

明けましておめでとうございます。

二人でそう伝えあい、年越し蕎麦というものを食べる。

お兄さんお手製のお蕎麦は薄口でとても美味しかった。

鐘の音が鳴り響く境内、深々と降る雪の中を参拝する人々がテレビに映される。

とても厳かに感じるが、それ以上に私が感じているのは眠気だ。

時間を見ると午前零時を少し跨いだあたり。

お兄さんの下でお世話になって以来、こんなに遅くまで起きているのは初めてだ。

先に眠る旨をお兄さんに伝えると、明日はごろごろ過ごすから好きな時間に起きていいとの事。

お兄さんはしばらく夜更かしをしてテレビを見るらしい。

おやすみなさい、と私は先に伝えて就寝。

彼がいつ潜り込んできても良いように、お布団を温めておくのだ。


そして次に目が覚めたのは、午後三時。

久しぶりに飛び起きる。いくらなんでも寝すぎてしまった……。


 
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 05:08:52.14 ID:sLz/PBVL0

「おはようございます……元日早々から寝坊して申し訳ありません……」

「おはよう、サンディ。僕も起きたばかりだし気にしないで」


お兄さんは朗らかに笑いながら、ご飯の準備を進めている。

おせち、というものを取り寄せていたようで、お雑煮というのを作り終えるまで

それを摘まんで待っていてほしいとの事。

私は重箱に入っている彩り鮮やかなその中から、不思議な形の食べ物をぱくりと食べてみる。

おお、かまぼこだ。美味しい。


「それにしても、よく寝てたねぇ。今日の夜が初夢になるから、その調子だといい夢を見れそうだね」

「あ、はい……」


私は夢を見ない。

お兄さんにそれを伝えていないから、もちろん知る筈も無く。


「今日はお兄さんの夢を見れたら嬉しいです」


と付け足してみる。


「嬉しいこと言うねぇ。じゃあ僕はサンディの夢を見ようかな。
 あ、お餅は何個ほしい?」

「えっと、六個です」

「いいねぇ、僕は餅あまり食べないから助かるよ」


少々食い意地が張ってしまったような気がしなくもない。

運ばれてきたお雑煮が大きいドンブリに入っていた辺りで、少しだけ後悔した。


そんな穏やかな元日をお兄さんと過ごす事が出来た。


 
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 05:24:28.46 ID:sLz/PBVL0





潮騒の音が聞こえてくる。

気が付くと私は、砂浜に立っていた。

足元には海水が寄せては引いている。

私の来ている服装は白いワンピースに麦わら帽子。

随分と肌を露出する恰好だ。

気になって左手を水平に上げてみると、拷問を受けた際に付いた大きい切り傷がなくなっているではないか。

よくよく見てみれば、体に刻まれた鞭の痕が随分と薄くなっている。


ふと後ろから声が聞こえてきた。

私を呼ぶ声なのだろうか。

耳を澄ますと、少年の声が聞こえてくる。

おかあさん、おかあさん、と。

はて一体誰を呼んでいるのだろうか。

そう思いながら振り返った直後、腹部にどしんと振動がくる。

先ほどの声の主であろう男の子が飛び込んできたのだ。

そして私に向かって告げる。

「おかあさん」、と。

なんとなく、腑に落ちる。

よく分からないが、私はきっとこの子のお母さんなのだ。

その子に手を引かれるまま、私は何処かへと足を進める。

どこへ行くのか訊ねてみれば、僕らのおうちへ帰るんだと言う。

おとうさんも待ってるよ、と嬉しそうに言うから、なんだか私も嬉しくなる。

砂浜から歩いて間もない所に建っている白い家。

そこの玄関を開けて、ただいまと男の子は元気に入っていく。

私も、なんとなく、ただいま、と言ってみる。

家の間取りは分からないのに、足の赴くままに進むと、リビングに通じていそうなドアの前まで来ていた。

男の子の声が聞こえる。お母さんが帰ってきたよ、お父さん。

お父さんと呼ばれた人は答える。よし、じゃあ二人で出迎えようか。

私は恐る恐る、そのドアを開ける。

そこには。




「おかえり、サンディ」



お兄さんが、その男の子を抱きかかえて、私を迎えてくれた。



 
261 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 05:32:21.46 ID:sLz/PBVL0


ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ。

目覚まし時計のアラームが枕元で鳴っている。

私はむくりと起き上がり、寝惚けた頭でおもむろにそれをオフにする。

横を見ると、とても気持ちよさそうな顔でお兄さんが寝ていた。

いったい何の夢を見ているのだろうか。

良い夢だといいな、と思ってしまう。


顔を洗うために起き上がろうとしたその時、ふと頬が濡れているのに気付く。

何故に私は泣いていたのだろう。

原因を思い出そうとするが、分からない。

ただ、なんとなく、幸せだった事は分かる。

潮騒の心地良い港町で、不思議な男の子に出会っていたのだ。



ああ、なるほど。


私は夢を見たのだ。



――あれはきっと、初夢だったのだ。


 


 
262 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 05:34:45.89 ID:sLz/PBVL0

読んで頂いてありがとうございます。

とりあえず、第一部完という事で。



【エンディング曲】

https://www.youtube.com/watch?v=A-D3pRQMiNw

 
263 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/12(火) 05:49:58.57 ID:hyUP4s/FO

初夢が正夢になるかそれとも別の幸せを見つけるか…
サンディにはどんな形でも幸せになって貰いたい
264 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/12(火) 05:58:16.99 ID:53AlL6imO
乙、貼ってる歌の出だして泣きそうになった
初夢は誰にも喋らなければ叶うというジンクスがあるぞ
265 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/12(火) 10:14:27.46 ID:kAW1Hs42O
乙、良かったです
266 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/12(火) 15:33:11.09 ID:sLz/PBVL0

乙レス、感想など有難うございます。嬉しい限りです。

「虐げられてきた者が夢見る少女に変わるまで」という当初の脳内目標までは書けました。

スレはこのまま残して二人の幕間などをつらつら綴ろうとも思いましたが

内容的にキリも丁度良い頃合でしたし、一旦ここで〆ておくことにします。

次回作、または探偵と元奴隷の小話続編でお会いしましょう。

重ね重ね、お時間をかけて読んでくださって本当に有難うございました。 依頼を出してきます。
267 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/12(火) 18:02:41.37 ID:OHAp4f44o
マジかよ終わっちゃうのか
続編に期待するしかないな
268 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/12(火) 18:13:13.61 ID:dFXrh+q00
いい話すぎて壁に頭を打ち付けそうになった。
269 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/14(木) 01:09:58.48 ID:DwkAWVf50


【番外編〜秘密の探偵物語〜】


ここは喫茶店、リーブル・ド・イマージュ。

フランス語で絵本という意味らしい。

僕は今この店のカウンター席に座り、モカマタリを堪能している。

芳醇な味わい、コクと深みのある香り。苦みすらも愛おしい。

マスターの淹れるコーヒーは間違いなく一級品だ。

店に来てから注文以外に言葉を交わさず、各々が思い思いの時間を過ごしている。

顧客と店主の距離感としても最高だ。

彼から情報を買う以外にも、普通に客として足繁く通ってしまうのは不可抗力というものか。


 
270 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/14(木) 01:11:14.05 ID:DwkAWVf50


人は沈黙を恐れる生き物だ。

しかして、僕とマスターは言葉を交わさずとも互いの心情を理解する仲だ。

彼はいま背中を向けて食器の手入れをしているようだが、

その後ろ姿の哀愁から察するに、さも人生の何某を僕に向けて語りかけているのだろう。

彼はふと磨いていたコップを置き、僕の方へ振り返る。

そしてこう告げた。


「一杯のコーヒーで三時間も粘る客に語る言葉なんてねぇよ」


どうやら今までのモノローグは口から全部出ていたようだ。

長い時間をかけて飲み干し、もはや水滴ほどしか残っていないコーヒーを無理やり啜る。

ハードボイルドは何事も冷静に。

恥ずかしさを誤魔化すことすら一流なのだ。

 
271 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/14(木) 01:12:52.43 ID:DwkAWVf50


さて、そもそもどうしてコーヒーをこんなに時間かけて飲んでいるのか。

理由は二つある。


「そういや、今更だけれど例のお嬢さんは一緒じゃねぇのか」

「ああ、彼女は事務所でDVDを見ているよ」


アメリカの孤児院から届いたビデオレターを改めて見たい、と

今日の昼飯の最中にサンディから頼まれたのだ。

彼女にDVDプレイヤーの使い方を教えてあげた後、

その間に僕は野暮用を済ませると嘯いて外出することに。

たぶん僕がいると気を遣うだろうから、ゆっくり一人で見せてあげたかったのだ。

他にも自分の部屋にあったサンディでも見れそうなお薦めDVDを渡しておいた。

探偵物語、探偵はBarにいる、名探偵コナン、ジュマンジ。

我ながらチョイス的には一部の隙も無い完璧な布陣だろう。


そして時間をかけているもう一つの理由。

財布を忘れてしまった事をどう伝えればいいのか悩んでいたのだ。

 
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/14(木) 01:14:27.34 ID:DwkAWVf50


もはやコーヒーから醸し出されていた湯気すらも飲み切っているような気がする。

ここは正直に言ってしまうか。


「マスター、申し訳ない。財布を忘れたから今回だけツケといてもらえないかな」

「はぁ? 仕方ねぇ奴だな、この赤貧ポンコツ探偵は」


頭をがしがし搔きながらも、マスターは了承してくれた。

有難い。なので言葉の後半部分は聞かなかった事にしよう。ハートには効いているが。


「支払いはトサンで待ってやる」

「十日で三割は暴利すぎるよマスター」

「馬鹿言うんじゃねぇ、十秒三倍だ」

「馬鹿言うんじゃないよ、ゲイツですら破産するわ」


 
273 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/14(木) 01:15:40.88 ID:DwkAWVf50


それから僕とマスターは時間を縫い合わせるかのように会話に興じる。

最近の景気、前所長の話、春先に店に置く植物の話、などなど。

その中で、二人の癖について話題が飛んだ。


「マスターって何だかんだ承諾してくれるときって頭掻く癖ありますよね」

「ああ、まぁそりゃこんだけ生きてると色んなもんが染み付いちまうのよ」

「そんなもんですか」

「そんなもんだ。そういやお前も色々と癖あるよな」

「曲者なので」

「十秒五倍な」

「大変申し訳ございませんでした。それで、僕の癖のことですか?」


そう言いながら、ツケにかこつけて追加注文していたコーヒーを軽く啜った。


「癖といえば、お前たしか自分の好きな映画のケースにエロDVD隠してるとか言ってたな。
 年端もいかない同居人がいるんだったら、その癖を早く治しとけよ」


それを聞いた瞬間、飲んでいたコーヒーの手が止まる。

少し間を置いて全身の汗が一気に噴き出した。

探偵物語がクロだった。


 
274 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/14(木) 01:18:20.25 ID:DwkAWVf50


嫌な予感が確信に変わる前に喫茶店から出て、急いで事務所兼自宅へと戻ってきた。


「……た、ただいまー」


何故だか小声で帰宅を告げてしまう。

やましい事は無い筈なのに。たぶん、おそらく、きっと。


「……おかえりなさい」


玄関先で出迎えてくれたのは、両手を腰にあてた仁王立ちのシルエット。

もとい、顔を真っ赤にして涙目になりながら、ぷくっと頬を膨らませているサンディだった。

“ぷんぷん”という擬音が聞こえてきそうな動作からしてご立腹の様子だ。

傍からみれば只々可愛いだけなのだが、それこそご愛嬌というものか。


 
275 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/14(木) 01:20:31.71 ID:DwkAWVf50

さて、弁明を考えよう。

こういう時だって狼狽しない。あくまでクールに。

冷静沈着、頭脳明晰、奇想天外、四捨五入だ。いけない混乱している。

もしかしたら例の案件を見ていないかも、という一縷の可能性に賭けて

目の前の可愛い同居人の第一声を伺うことに。

肩をぷるぷる震わせながら、サンディは呟いた。



「………………おにいさんの、えっち」



次の瞬間には土下座を決め込んでいた。

最速で適した回答を出せるのもハードボイルドが成せる技なのだ。


とりあえず今日の夕飯、少しだけデザートを豪勢にせねばなるまいて。


 
276 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/14(木) 01:21:21.64 ID:DwkAWVf50

スレが落ちる前のエクストラとして小話を。
もし続編があるなら、こういう感じのゆるい話も増やして行きたいなと思います。
277 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/14(木) 01:32:05.80 ID:0437wubYO
番外編のタイトルで草生え散らかした
続き書いてくれてもええんやで
278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/14(木) 01:54:26.79 ID:zhiA99K10
下手したらサンディのトラウマが蘇りそうかと思ったけどそんなことはなかった
279 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/14(木) 07:53:33.77 ID:lmlvEM3f0
おつ
続きも楽しみにしてる
280 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/15(金) 18:20:33.44 ID:xZtK72FO0
最高だった
つづきをたのしみにしている
281 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/15(金) 21:42:11.79 ID:dA6Qgnz90
>>1の作品ほんとすき
昔からずっと追いかけて見てる
また書いてください
282 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 09:31:18.16 ID:yuTTByYZO
やっと追いついた…
恋われた日の作者さんだったとは…

つづき…ある…よね?
283 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/20(水) 02:24:31.05 ID:32QB0K5q0
タイトルと内容に惹かれて一気読みしてきた。素晴らしすぎる、乙です

と、ところで続きは……続きはないんですか……!
284 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/22(金) 02:50:13.37 ID:7reG6FM70
ご無沙汰しております。夜分遅くに恐縮です。
一週間以上前には依頼を出しているのですが中々落ちないものですね……。

まだ覗いてくれる方がいるなれば、またエクストラ(番外編)でも綴ってみます。
気が向いた際に安価協力を頂ければ幸いです。

【イメージ曲】
https://www.youtube.com/watch?v=vtvVwgQCKrM
285 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/22(金) 02:53:49.64 ID:7reG6FM70

【二人のエピソード】  ※連れて行きたい場所、日常の一コマ、未来の話など

>>287


【視点:男 or サンディ】(多数決)

>>289-291


【サンディの最近の趣味】

>>293

286 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 07:58:02.66 ID:i7oDoVEVo
季節は夏
夏祭りで花火を見る
287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 08:00:33.48 ID:mVYFEFODO
288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 08:33:12.16 ID:iGaHxHSGo
289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 08:43:50.73 ID:aNis0w4+0
290 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 10:35:11.75 ID:KnNtdvJuo
291 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 12:11:10.38 ID:G5zW9NwHo
292 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 12:16:40.71 ID:wOYmGqQAo
kskst
293 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 12:21:55.50 ID:BH3UDmJro
猫観察
294 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 12:35:17.98 ID:/tbiSFc1O
趣味が可愛すぎて悶えた
295 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 14:34:17.41 ID:DhT8JNUs0
飼い猫か野良猫か…
どちらにせよ可愛いwww
296 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/22(金) 20:07:36.77 ID:O831xV+t0
かわいい(かわいい)
297 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/26(火) 08:29:52.70 ID:FJfmKFygO
おっ!更新きてるね。これは機体
298 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga sage]:2018/01/03(水) 01:21:25.65 ID:D/ZVingG0
謹賀新年。明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
皆々様のご健勝とご多幸をお祈りしております。

私事で恐縮ですが、年末年始はしっかり寝込んでおりました。
一生分の咳をしたような気がします。
それが起因で声帯を痛めつけた結果、
かのプロレスラー天龍源一郎のような声で日々過ごしておりまして。

体調回復に努めていた故に安価内容は未だ未着手。
近日中に上げようと意気込みはありますので、
思い出した頃にスレを覗いてくださると嬉しい限り。
 
299 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/03(水) 09:41:21.49 ID:TKKPjbVqO
あけましておめでとうございます。
お身体を大切に、無理はなさらぬよう…
300 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/03(水) 14:24:27.45 ID:Ic+MS72qo
>>298
あけましておめでとうございます。
御自愛ください
301 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/04(木) 07:49:44.14 ID:nQQw/K0bO
天龍で草
お体に気をつけて過ごしてください
302 :(´ω`) :2018/01/08(月) 05:16:54.74 ID:SgrNZwah0
体調にお気をつけて無理せず更新してください…
私も年末にインフルエンザにやられたクチです…
303 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/09(火) 21:03:28.39 ID:xcA863R90
楽しみに待っていますよ
304 :NATHAN [sage]:2018/01/15(月) 01:40:12.44 ID:UDMIs4Zw0
保守
305 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/15(月) 17:01:08.96 ID:Hql4hg9c0
保守
306 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/16(火) 15:30:51.79 ID:Ng5+RBxr0
肺炎一歩手前でした。(挨拶省略)

週末には元の住まいに戻れるとの事なので、ようやくまともに書けそうです。
長らく投下できずに申し訳ありません……。
新年のあいさつや体調を気遣って頂けるレス、スレが落ちないための保守など有難うございます。心が温まりました。

ところで、私のようなぽんこつは脳内でよく物語のイメージソングを垂れ流してしまう性(さが)でして。
それを皆様にも共有したいと思い、このスレを想起しながら聞いた曲を一つ紹介させてください。
https://www.youtube.com/watch?v=I79m_otKgJI


本編に関しては、今週の土曜か日曜辺りにでも改めて覗いて頂けると幸いです。
307 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/16(火) 16:45:55.87 ID:LZPRrAq90
待ってます!
308 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/17(水) 17:57:05.64 ID:uGMrt0jSO
まだかなー?
309 :名無し [sage]:2018/01/17(水) 19:21:59.54 ID:DbbzBz000
肺炎手前とは危なかったですね・・・。
無理をなさらずに更新してくださいね、待ってます(∩´∀`)∩
310 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/19(金) 23:35:49.01 ID:zdfdEQWn0
保守
311 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:03:24.21 ID:Qhwvu5580


【二人のエピソード】  


季節は夏
夏祭りで花火を見る



【視点:男 or サンディ】






【サンディの最近の趣味】


猫観察

 
312 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:08:37.57 ID:Qhwvu5580


部屋の窓から見える敷地に、桔梗の花が濃紫の花弁を慎ましく覗かせていた。

梅雨の空けたこの時期は吹く風みなに湿気が纏わりついているような気がする。

その風色が頬を撫でると涼やかさを少し感じた。

本格的に始まる夏が一歩一歩近づいているような兆しで、

緩やかでも確実に四季が巡っているのだと再確認できる。

朗らかな気持ちに流され軽く背伸びをしようと手を伸ばす。

ずきり、と右の肘が少しだけ疼いた。先月の怪我が未だ完治していないようだ。

この手の傷は何度か負った事がある。手酷いものではないので、そのうち治るだけでも良しとしておこう。

そのまま軽くストレッチでもしようかと思うと、不意に後ろから呼びかけられる。


「お兄さん、今日も行ってきます」


声のした方向を向くと、そこには少しだけ日に焼けた健康的な肌色の少女が居た。

名前はサンディ。去年の秋から一緒に住んでいる同居人だ。

 
313 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:10:47.04 ID:Qhwvu5580


七分袖の白いシャツにショートパンツ。

そして日除けの麦わら帽子を被った格好で、

ピシッと音が立つような真っ直ぐな姿勢を向けてくれる。


「おぉ、今日も元気だね。ちゃんと飲み物は持ったかい?」

「はい、万全です。ぬかりはありません」


ふんす、を鼻を鳴らすような動作をしつつ、

肩にかけたポシェットから清涼飲料水を出して見せてきた。可愛い。

ポシェットの中には飲み物の他に筆記用具とノート、

そして塩飴、更にはGPS付防犯アラームが常備してある。

五月の事件以降、特に防犯アラームだけは絶対に手放さないよう言いつけていた。

素直な彼女はしっかりと言いつけを守ってくれているようだ。

よしよし、とサンディの頭を麦わら帽子の上からぐりぐり撫でてみる。

ショートパンツの裾をぎゅっと摘まんでサンディは僕の手を受け入れてくれた。

もじもじしている仕草からして、ひょっとすると照れているのだろうか。

それがまた何とも可愛らしいと思い、もう少しだけ愛おしむように撫でてみた。

君の今日が幸せでありますように、と。

ひとつまみだけ愛を添えて。

 
314 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:15:31.60 ID:Qhwvu5580


「お、お兄さん!そろそろ修行に行ってきますね!」

「はい、いってらっしゃい」


玄関前で一度振り返って僕に向けて手をぱたぱた振り、サンディは外出した。

最近サンディは一人で外に出る事ができるようになった。

さらに外出先で趣味に興じるようになったのも非常に喜ばしい。

昔はどこに行くにしても僕が傍にいたが、以前に比べれば随分と快活に変わってくれたものだ。

もちろん彼女に気付かれないよう、当面の間は組織に頼んで護衛をつけてもらってはいるが。

外で遊ぶのも健康的で子どもらしいから大変喜ばしい事である。

ただ、遊ぶ、というのはひょっとするとサンディ的には語弊があるのかも知れない。

そう、あくまで彼女にとっては“修行”なのだ。

修行の内容は、猫の観察。ほんと愛らしすぎて悶死しそう。

 
315 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:19:25.70 ID:Qhwvu5580


なぜサンディが修行などという言葉を使うようになったのか。

事の発端は彼女と一緒に図書館へ行ったときに遡る。

あの子に知識の幅を持たせるために、僕はそこへよく連れていくのだ。

図書館に赴き、いつもの如く読書用スペースに各々本を数冊持ってきた。

僕はノンフィクション小説、そして新書コーナーにあった本を幾つか見繕う。

サンディは多種多様な本を六冊持ってきた。

背表紙を見る限りは本当にジャンル不問の模様。

まさか青色申告関連の本まで読むのかい、君は。

もし本当にその手の専門書の内容を理解できているのならば、

年中火の車である我が探偵事務所の経営を一緒に回してほしい。

切に。切に。いや本気八割くらいで切に。

 
316 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:22:50.23 ID:Qhwvu5580

サンディが持ってきた本の中でも特に僕が目を引いたのは、職業に関する本だった。

そういったものは僕も就職活動をしていた頃に読んだ事がある。

どういう職種や職業があるのか、どうやったらなれるのか、どのくらい稼げるのか。

夢への道筋、その先の現実、そんな未来の在り方が書かれているような内容だ。

ひょっとすると、サンディには将来の夢があるのだろうか……。

小さな声で問いかけてみた。


「サンディ、将来は何になりたいの?」


それを聞いたサンディは顔を真っ赤にした。まさかの地雷だったか。

彼女は耳まで紅潮させつつ、なにやら索引ページから探し始めた。

そして本をパラパラと捲ると、彼女はその項目を開いて僕にそっと差し出した。

そこにはこう書いてあった。



 『 探偵 』  と。

 
317 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:29:03.20 ID:Qhwvu5580


サンディはその項目を一所懸命に読んでいた。

その中で彼女が学んだ重要な点は、職業内容。

特に今の自分に出来そうな所をブラッシュアップしていた

探偵の探しものは人や動物。専門的に人を探す所もあるが、大体は動物を取り扱う方が多い。

そしてサンディは動物探しなら自分にも手伝えるかも知れないという結論に至った。

いつか自分が探偵の仕事を手伝えるようになるために、最近は“修行”を始めたというわけだ。

 
318 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:31:30.30 ID:Qhwvu5580

これは只の余談になる。

それからしばらく僕らは読書に耽り、読み終えていない本を借りて図書館を後にした。

車の中で互いに今日読んだ本の感想を語りつつ、その合間で僕はふと思った。

読書をさせてみることで気づいたが、彼女の日本語に関する語学力は同年代よりもかなり高い。

難しい言葉をすらすらと読めて、且つ漢字の読み書きは中学生と同じかそれより上のレベル。

どうしてこんなに日本語が堪能なのか。それをふと聞いてみた。

曰く、日本に連れていかれるのは自分が奴隷になった早期の段階で決まっていたと。

国外の売却先であるご主人様に迷惑かけないように、

日本語、というか学問の分野に関しては相当仕込まれたとか。

それを聞き終えた後、衝動的に僕は彼女を抱きしめた。

突然抱き着かれたサンディは僕の胸のうちであわあわと慌てふためいたが、

ひとしきり手をパタパタさせたあと、観念したように僕の背中へとおもむろに手を伸ばしてくれた。

常人では耐えきれないような、そんな辛い経験を経て覚えた日本語は嫌いなのかも知れない。

彼女のことを鑑みず、勉強が出来る理由を聞いた事に対して「ごめんね」と呟く。

すると僕の耳元でサンディは囁く。


「あの辛かった時間も、こうして貴方とお喋りするためにあったと思うと、幸せなんです」


僕はまた、ぎゅっと彼女を抱きしめた。

 
319 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:36:59.88 ID:Qhwvu5580


閑話休題。

それからサンディは探偵見習いと自称して、その修行のために動物の動きを見ていた。

僕らの住まいは周囲に野良猫が多いから、観察の場としては打って付けだろう。

サンディは動物好きという事もあり、まさに趣味と実益を兼ねている。

最近は猫の気持ちになりたいから、と猫耳付カチューシャを所望された事があった。

用途をもう少し深く訊ねると、それをつけて動物探索のために町内を闊歩するつもりだったとか。

現状あまり人目についてはいけないサンディだが、流石に色々と注目されそうなので却下した。

だが、シュンとしたあの子を見てしまうと僕の心はどうにも脆弱になってしまう。

家の中だけならいいよ、と買ってあげたのはここだけの話に留めておいてほしい。

 
320 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:39:22.52 ID:Qhwvu5580


最近の修行場所は近所の空き地に住まう猫たちの観察が主流のようだ。 

今日もそこに向かっており、持っていたノートに何やら色々と書いているのだろう。

そういえば、実際に修行している場面って見た事がなかったなと思い出す。


……尾行してみるか。


決して仕事が入らず暇なワケではない。

ハードボイルド探偵として、それこそ修行の一環を最近怠っていたのを失念していたのだ。

ここ一つ、サンディに本物の探偵の尾行をお見せしよう。いや見せたら尾行にならないけれど。

傍から見れば女子小学生に付き纏うアラサー青年になるという事か。

なるほどちょっと死にたくなる光景だ。

サンディに持たせている防犯アラーム、初めて鳴り響く相手が僕じゃありませんように。

 
321 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/20(土) 00:40:01.88 ID:Qhwvu5580
今宵はここまで。続きは近日。
322 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/20(土) 01:11:26.33 ID:T2FWtZAZo
おつ
ネコミミサンディを家に監禁(語弊)とか……マスターこっちです
323 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/20(土) 06:51:47.59 ID:YUXyrn6S0
五月の事件とは一体…気になる
324 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/20(土) 07:57:31.75 ID:Tt+9yqQ5O
おつ、楽しみ!
325 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/21(日) 00:21:41.91 ID:eL2mP0RHO
乙です。サンディ…
やっぱり翔太郎で再生される…
326 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/21(日) 02:17:09.20 ID:gEuhmUohO
更新きてるー!うれしい!!
サンディぐぅかわなんだよなあ……
327 :m [sage]:2018/01/21(日) 06:14:41.99 ID:T8WsVcJI0
更新キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
待ってます!
328 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/26(金) 14:25:27.29 ID:NrLW8VxQ0
相変わらず癒される...
無理しない程度でいいので更新待ってます
329 :m [sage]:2018/01/29(月) 02:10:19.02 ID:ZHfM2+Rs0
ほしぅ
330 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/31(水) 03:17:09.62 ID:VSRPkGtqO
ほしゅ
331 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/01(木) 04:28:50.39 ID:g3o3GpUFO
保守
332 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/01(木) 04:30:01.93 ID:g3o3GpUFO
保守
333 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/03(土) 12:43:19.75 ID:y3/GEi8TO
ほしゅるん
334 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/02/07(水) 02:06:10.28 ID:gEc+r8DH0
保守
335 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/08(木) 19:20:57.49 ID:e9FipieJ0
保守
336 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/09(金) 17:56:28.17 ID:ROQA8ONmO
ほっこりしたくなったらたまに読み直してる
更新のんびりまってます
337 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/09(金) 18:08:50.20 ID:K3sHqXN7O
ほしゅ
338 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/11(日) 06:40:53.93 ID:AYOUkIcBO
保守
読み返したけどやっぱ癒されるわ……
339 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/11(日) 13:42:04.15 ID:DiJEXGug0
保守
340 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [m]:2018/02/13(火) 00:23:47.81 ID:EfUJyyZh0
保守ううう!!!!!!!!
341 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/13(火) 00:45:48.34 ID:nmHWO3L10
何度読み返してもホッコリする…
続きを気長に待ってます
342 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/13(火) 08:44:12.76 ID:mXkgRK7bO
つづきのんびり待ってます
小説とかになればいいのに
343 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/13(火) 23:05:22.49 ID:95Pvhgo00
保守
344 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/14(水) 00:22:11.55 ID:lqfaoJaX0
ほしゅ
345 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/17(土) 01:20:42.45 ID:V0xcROtO0
保守
346 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/17(土) 15:32:02.67 ID:Jku2EmAH0
今更だけど保守いらんぞここ
347 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/18(日) 00:21:23.56 ID:iDaniB1b0
保守
348 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/02/19(月) 17:13:27.12 ID:IrgpWKrk0
月日が経つのは早いもので。年が明けたと思っていたら、いつの間やら年度末。
企業戦士リーマンが忙殺される頃であり、漏れなく私もその屍の一部になっておりまして。
この時期の慌ただしさは毎年の事ながら未だ慣れません。
只々「楽がしたい」という雑念と煩悩に塗れて日々を過ごしている昨今です。
探偵と元奴隷の小話は今しばらくお待ちをば。
保守に関して調べてみましたが、二ヶ月ルールなるものがあるようで特に無くとも大丈夫のようです。
落ちないようにレスして下さった方々のお気持ちに感謝を。
349 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/20(火) 06:45:11.64 ID:S1KcoW/4O
生存報告来てて安心。のんびり待ってますので、余裕ができて気が向いたら書いてくだちぃ。
350 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/27(火) 00:45:08.17 ID:R+LLoqif0
生きてたぁ!
よかったぁ…前の肺炎で体調悪化されたのかと…
351 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/05(月) 23:00:19.09 ID:iSeL06nIo
352 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/03/16(金) 23:46:06.96 ID:zXRklIi+0
久しぶりに読み直した。
あーすばらしい(語彙力)
353 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/17(土) 13:23:13.59 ID:yaP+5VPlO
定期的に読み返したくなるクオリティ
のんびり待ってますので、どうか無理をなさらぬように
354 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/01(日) 23:40:05.39 ID:DDWde19wo
まだ待ってます
355 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/02(月) 05:33:08.83 ID:nA3eOcSSO
まだまだ待てますよー。
それじゃあ読み返してくるか……。
356 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/03(火) 01:30:22.83 ID:Da7jFV5NO
行間まで読みこんで隅々まで考察した結果…
サンディが尊い…その他に言葉はいらぬ…
357 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/08(日) 22:59:43.41 ID:RgvwPJJBO
4月だし今まで以上に忙しいんだろうなぁ……のんびり待ってますので頑張ってください。
358 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/04/19(木) 06:24:20.05 ID:DE8J+aTm0
新年度を迎えて繁忙期も治まるかと思いきや、何故か慌ただしさは増すばかり。
自身の時間の使い方を見直す機会なのやも知れない……。
今週末は久々に連休が取れそうなので、その際に投下できれば良いかと。
お手透きの方はお目通し頂けると幸いです。
359 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/19(木) 10:51:49.69 ID:Culsvb3oo
待ってましたぁ!無理しないで頑張ってくだせぇ
360 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/19(木) 12:28:51.50 ID:jfaifRPVO
待ってるぜええええ
361 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/04/21(土) 22:55:23.72 ID:aP2GD9YT0


蝉の声が遠くで聞こえてくる。

本格的な時雨の音が鳴り始めるほどではない。

しかし夏の暦を捲るには充分だろう。

照りつける日射しの強さが肌を焦がしていくような錯覚を感じた。

無意識に手を上に掲げて影を作る。

日除けにもならないが、まぁ幾分はマシだろう。

群青色のクリアスカイ。暑い季節は苦手だが、この空の色合いは割と好ましい。

深い藍をした空に白い線が一本引かれていた。

飛行機雲だ。これもまた夏の空の風物詩。

ただ、これが見えるのは天候が崩れる兆候でもある。

早めに切り上げるべきかどうかの良い判断材料になってくれるだろう。

それは何の事かって?


子どもの尾行に決まっているじゃないか。


……文字面だけだと、やたら業が深くなるなぁ。

 
362 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/04/21(土) 23:12:21.36 ID:aP2GD9YT0

とあるキッカケで一緒に住んでいる同居人のサンディ。

昔過ごしていた環境の影響からか塞ぎがちな子だったが、最近は朗らかな笑顔を見せてくれるようになった。

そんな彼女の趣味、もとい修行の一環は猫の観察。

一体どういう風に観察対象をチェックしているのか、実は前々から気になっていた。

観察ノートを見せてほしいと言ったら「恥ずかしいので……ちょっと……」と濁されたので

以来僕からはあまりその事に触れないようにしていたのだ。

まぁ、保護者として遠目から成長を見守ってみたいという気持ちは父性に似たサムシングだろう。


そんな僕は今現在、アロハシャツに身を包みサングラスをかけて電柱の陰に潜んでいる。

視線の先には空き地の土管を見つめる同居人の姿。

正確には土管ではなくその上に鎮座している三毛猫だろう。

なるほど、あの猫が観察対象か。

ふと目線を右に逸らしてみると、電柱の付近に立つカーブミラーに映るぐぅの音も出ない変質者と目が合った、気がした。

その格好はアロハシャツにサングラス。紛う事なく自分の姿だった。

ハードボイルドは今日だけ家に置いてきた事にしておこう。
 
363 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/04/21(土) 23:17:28.19 ID:aP2GD9YT0

彼女が今いるのは近所の空き地。

そこに長らく放置されている土管の上に、猫が数匹ほど座っている。

人慣れしているのか逃げる様子も特に無い。

その中心にいる三毛猫の首には鈴が付いていた。飼い猫だろうか。

くしくしと手で顔を掻いたり、大きい欠伸をしていた。

ふとサンディの方を見てみる。

顔でも痒いのだろうか。右手の甲で何度か頬をさするような仕草をしていた。

もう少しだけ注視してみる。

サンディは一生懸命に猫を見ながら口を大きく開けた。

くあぁぁ、と欠伸をするような吐息を漏らすが、顔は真剣そのもの。

これはまさか……猫の真似をしているのだろうか。

更にもう少し観察を続けてみる。

猫が伸びをする姿勢をすると、彼女もまた同じポージングをしていた。

うむ、確定だ。猫の素振りを真似ているぞこの子。

 
364 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/04/21(土) 23:18:16.19 ID:aP2GD9YT0

謎の感情に心臓がキュッとなる。うっ、と思わず声が出そうになった。

それと同時に自分が隠れている電柱とは対面にそびえている電柱の陰で、

黒いスーツに身を包んだ女性が胸の中心を抑えつつ悶えている様子が見えた。

うっ、と声を上げてそうな素振りをしている。

変質者発見。いや違う、向こうから見たら僕もそんな感じだった。

対面側の彼女はあれか、組織から派遣されたサンディの護衛の人か。

不意打ちでこんなの見せられたらそうなる気持ちは重々理解できるので今回は不問にしておこう。

 
365 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/04/21(土) 23:34:21.12 ID:aP2GD9YT0

悶えるのを耐え続ける怪しげな大人たちに囲まれている。

そんな小さな地獄絵図を露知らず、サンディは猫の観察を続けている。

猫の挙動や仕草を真似つつ、ノートに何某かをカリカリと綴っていた。

書いている内容に全く想像がつかないのがまた何とも言えない。

ふと、あの子のいる空き地が薄暗くなった。

よくよく見たら空き地だけではなく、自身のいる辺り全体がどんよりとしている。

空を見上げると厚い雲が太陽を遮っている。

すん、と鼻腔をくすぐるのは仄かな梅雨の香り。夕立の顔(かんばせ)が上から覗き込んでいる。

それに感化されたかのように、遠雷がゴロゴロと重い音を響かせた。

雨が降り出すのはそう遠くないだろう。

サンディもそれに気づいたのか、ポシェットにノートをしまいこみ、帰宅の準備を始めている。

僕と対面側の女性もそそくさと帰り支度を整え、その場を後にした。

帰路に着く自身の脳裏には、先ほどの空き地で過ごしていたサンディの情景。

彼女の無邪気なその様に、しとど濡れるアスファルト以上に僕の心は潤っていた。

なんだか小さな世界に蔓延る幸せが彼女を包んでくれているようで。


 
366 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/04/21(土) 23:58:43.19 ID:aP2GD9YT0


「ただいま、帰りました」


おかえり、と僕は言葉を返す。少しだけ肩で息をしながら。

急いでアロハシャツから着替えて出迎えたのが要因だ。

彼女は訝しむ様子もなく、洗面所で手洗いうがいを終えて、

冷蔵庫にしまってある冷えた麦茶を取りに向かった。

台所の奥から声が聞こえてくる。お兄さんも麦茶を飲みませんか、と。

一杯もらおうかなと返事をしつつ、自分の手元にある小型カメラに目線を下ろす。

そこに写るのは先ほどの空き地にいたサンディの一部始終。

撮ってはみたものの、これは多分バレたら怒られるだろうな……。

そっと削除にカーソルを合わせて決定ボタンを押してみた。

可愛らしい様子であったが、写真を撮る際はやはり本人に許可を取ってなんぼというもの。

少しだけ勿体ない気もしたけれど、これでいいのだ。

軽くため息をついたところでペタペタと台所の方からスリッパの音が近づいてくる。


「はい、お麦茶です」


サンディはそう言いながら、そっと優しく麦茶を僕の前に差し出してくれた。

謎の丁寧語が妙に可愛らしくてついぞ口元が綻んでしまう。

 
367 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/04/22(日) 00:11:22.19 ID:L18Uo7f10

お盆を胸の前に添えてにこやかな笑顔を向けてくれる彼女。

いい表情をするようになったなぁ、と何だか嬉しくなってしまう。

ふと思い立ち、カメラを起動した。


「サンディ、一枚撮らせて」

「はい?」


パシャリ、と一枚。

カメラの中には無防備な笑顔のサンディが映し出されていた。

急に撮られて驚いたのか、あわあわと狼狽する彼女が愛くるしい。

顔の熱さを誤魔化すように手をパタパタさせて、その後にサッサッと前髪を整えている。

不意打ちみたいに許可を取ってみたが、これはもう一枚くらい良さそうかな。

僕は彼女を自分に軽く抱き寄せて、自撮りのような様でファインダーを降ろしてみる。

真っ赤な顔をした少女とハードボイルド探偵の様子が一枚増えた。

何気ない僕らの只の日常の一ページ、積み重ねていきたい幸せの名残。

今度連れて行く予定の夏祭りで、更に枚数が増やせたらいいなと思ってしまうのだ。


 
368 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/22(日) 00:13:12.05 ID:L18Uo7f10
少しだけ投下させて貰いました。
読んでくれるのなら、それだけで有難い。
肝心の夏祭りは次の投下時にでも。
369 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/22(日) 00:26:54.05 ID:2Fob7RNIo
おつおつ
こんなん不審者量産されちまう
来週からも頑張ろう
370 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/22(日) 01:57:18.95 ID:LdAz9hcmo
良い……
371 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/22(日) 05:19:15.87 ID:0MyZ8VqAo
お疲れ様です
372 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/22(日) 07:34:31.38 ID:riq/95pMo
嗚呼尊い
373 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/23(月) 19:07:04.98 ID:JilGHsPSO
癒されました・・・
374 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/24(火) 07:07:35.96 ID:OFor3nMTO
乙かれ様です
ニャンディ…
375 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/26(木) 07:03:00.60 ID:kGaOfU7hO
更新されてるぅううううう!!!???
気づくのが遅くなってしまった……更新お疲れさまでした。とても尊い……。
376 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/05/05(土) 03:26:17.31 ID:E8sYXJhQ0
語彙が来い(しゅき)
377 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/15(火) 02:41:49.95 ID:cZXKolcGO
>>376お前が語彙にナルンダヨォ!
ニャンディはそういえばお魚さんが好きだったね。
懐かしい食事として今度は回るお寿司連れて行ってあげたい想像したかわいいやばいしぬ
378 :sage :2018/06/01(金) 02:59:52.22 ID:ud9NdqNj0
夏祭り編は夏に投下するのかな
乙だね
379 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/02(土) 23:29:02.09 ID:kHWgRYZzO
まだ期待して待ってますよー!
380 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/06/06(水) 08:41:05.35 ID:CLNIGgDD0
久々に半休が取れて、特に予定も無し。
小話書くなら今のうちということで、今日の夕方頃に少しだけ投下します。
夏祭りになるか幕間になるかは検討中。
381 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/06(水) 10:40:00.17 ID:BHQxpnkQO
ありがとうございます!
お忙しい中お疲れ様です
382 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/06(水) 13:04:04.96 ID:/Vv2tK3YO
可愛さに癒やされながら追いついた

元奴隷という共通点からかサンディが某同人ゲームの娘で再生されてしまう
383 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/06(水) 18:48:06.70 ID:CLNIGgDD0
思った以上に時間がかかって申し訳ありません。
本日夕方までに書き上げられるのは難しかったです……。
近日中には必ず投下しますので、気が向いた際にお目通し頂ければ幸いです。
384 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/06(水) 19:09:19.02 ID:q9UdEIMG0
ところで思ってたんだけど酉つけないの?
385 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:16:08.60 ID:JHw0RtO20


夜明けの空に蛍が哭いた。

時刻は午前四時を少し過ぎた頃。

薄い青を纏う空は雲一つ無い。淑やかな景色だ。

窓を開けると、白みがかった月の横に寄り添うような星が見える。

それと同時に、人肌程度のぬるい湿気を重ね着した風が部屋に忍び込む。

香水のように仄かに鼻腔をくすぐる朝露の香り。

季節が巡る。

彼女と過ごす初めての夏は、いつの間にか本格的に始まっていた。

 
386 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:19:14.38 ID:JHw0RtO20

早起きをしたので寝室の窓際で夏の朝を噛みしめていると、

ベッドの方から「うぅん……」と声が聞こえてきた。

そちらの方に振り返って音の出処を確認してみると、

同居人のサンディから発せられていた声だったようだ。

寝汗で冷えているかも知れない。

近づいて軽く頬を撫でてみるが、特に汗をかいたような形跡はなかった。

頬を撫でた際、寝ている彼女は軽く微笑んだ。

起こさない程度に冗談半分で顎の下を少し擦ってみると、

嬉しそうな、くすぐったそうな顔をしてむにゃむにゃ声を上げている。

日々の修行の成果か、徐々に猫の魂がインストールされているのかも知れないな。
387 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:21:43.91 ID:JHw0RtO20

それにしても、幸せそうな寝顔をしてくれるなぁ。

ここに来た時は毎夜の如く魘されていて、ひどい歯ぎしりをしていた彼女が

今はこうして穏やかな眠りを享受できている。

本当に喜ばしいことだ。

きっと彼女を怖がらせるような外敵がいないという、安心した環境下がそうさせてくれるのだろう。

そこに少しでも僕が介添え出来ているのなら、それだけで良い。

いつか僕の元を離れて、それから先の世界を生きる彼女。

今のように安寧で過ごしてくれるよう、少しずつ整えていかなければならない。


サンディと過ごし始めてから早九ヶ月。

当初の予定だった一年契約は、今のところ相手先からの変更は無し。

季節が巡る。時の流れは寄せては返す波のように。

出会いの季節に近づいて、別れの季節へ還っていく。

388 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:23:14.30 ID:JHw0RtO20


「おはようございます、お兄さん」

「おはよう、サンディ」


目を爛々と輝かせたサンディは元気よく挨拶をしてくれる。

よく眠れた証拠だろう。

彼女は颯爽と台所に向かい、朝ごはんの準備を始めた。

料理の楽しさを知ったのか、居候なりの気遣いか。はたまた両方か。

もはや我が家の朝食に関してはサンディの領分と成っていた。

僕としては非常に有り難い限り。

まぁ任せっぱなしも何なので、洗い物くらいは担わせてもらってはいるが。
389 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:26:12.38 ID:JHw0RtO20

コトコトとお味噌汁がうっすら噴きそうな、美味しそうな音が聞こえてくる。

エプロンを着けたサンディは慣れた手つきでコンロを止めて、お玉で軽く中身を一掬い。

ふーっ、ふーっ、と息を吹きかけて熱を冷まし、ずずっと啜る。

次の瞬間には花が咲くような目映い笑顔。どうやら美味しく出汁が取れたようだ。

やたら素敵な表情をするので、ちょっとだけ味見をしたくなる。


「サンディ、サンディ。僕もちょっと味見がしたいな」

「はい、勿論です。味の濃さは如何でしょうか?」


そう言いながら同居人は再びお玉に汁を掬い、

またしてもふーふーしながら一所懸命に冷ましてくれる。

これは何とも至れり尽くせり。

息を吹きかけるサンディに、からかいがてら擽るように告げてみた。


「なんだか新婚さんみたいだね」

「ふーーーーーーーーーーーー!!!???」


サンディの吐く息の量が凄まじい事になり、お玉の中身は全てキッチンの排水溝に吸い込まれた。

390 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:33:59.42 ID:JHw0RtO20

目線は宙を浮き、握ったお玉を剣道の竹刀の構えのように僕に向けてきた。

しどろもどろの擬人化、とは今の彼女を指すのかも知れない。


「いや、え、あの、その、そ、そんなつもりでは……その……!!」

「いやゴメンゴメン、驚かせちゃったね」


耳まで真っ赤にしている彼女が何とも可愛らしい。

僕がカラカラ笑うと、サンディはもうっと言いながら改めて一口分だけお味噌汁を掬う。


「はいお兄さん。ご自身でふーふーしてくださいね」


どうやらちょっぴり拗ねてしまったようだ。それすらも愛おしい。

391 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:38:16.71 ID:JHw0RtO20

僕は自分で軽く二息ほど吹きかけ温度を覚まし、さっそく味見をしてみる。

うん、良い出汁が出ている。これは随分と料理上手になったもんだ。

年齢的にはまだ幼いという言葉が当て嵌まるのに、本当に君はしっかりしている。

思わずサンディの頭に手を置いて、くしゃくしゃと軽く撫でてみた。

彼女はうひゃっ、と声を上げて驚いてはいたものの、少し俯きがちに僕の手を享受してくれた。


「うん、美味しい。サンディは良いお嫁さんになるよ」

「ほ、本当ですか!!」


とても嬉しそうな顔で喜んでくれるサンディ。

良いお嫁さんになるのは本心だ。確定事項と言ってもいい。

まだまだ小さいけれど、もう数年もすれば

世の男性が放ってはおけない素敵なレディになるだろう。

あとは悪い虫が寄って来ないよう、撃退方法を伝えておくのが僕の役目か。
392 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:43:03.39 ID:JHw0RtO20


サンディはもじもじしながら、僕に一つ質問を投げかけた。


「お、お兄さんは、私のそういう姿を見たいとか、思いますか……?」

「勿論だよ。君のウェディングドレスを見る事を、僕の人生目標にでもしようかなぁ」


なんて冗談交じりに言ってみる。

するとサンディは大きい目をキラキラさせたかと思うと、とたん僕の胸に飛び込んできた。

顔を胸元に埋められて後頭部しか見えないゆえ、どういう表情をしているのか読み取る事はできない。

うずまってきた胸の内側で彼女は言葉を紡いだ。


「じゃあ、いちばんちかくで、みてくださいね……!!」

393 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:43:55.58 ID:JHw0RtO20


バージンロードを歩く父の代役という意味だろうか。

とりあえず、うんと答える。

すると彼女はうずめた顔を僕の胸にぐりぐり摺り寄せてきた。

僕の後ろに回されている手もギュっと力が入って、抱きしめられているような感じになっている。

ここまでサンディが表現するのは珍しい。嬉しいのだろうか。

とりあえず頭を再び撫でながら僕は言う。


「とりあえず、朝ごはんの準備しよっか」

「…………は、はいっ!」

394 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:44:46.40 ID:JHw0RtO20


和食で彩られた朝食。今日も彼女の料理の上達具合を味と共に楽しめた。

僕は食器洗い、サンディは食後のお茶の準備をこなし、穏やかな朝の時間が始まる。

テレビを点けると朝のニュースが流れている。

サンディは食い入るようにゴシップに見入っていた。君って割とそういうネタ好きだよね……。

その合間に僕はポストから朝刊を取る事に。

ポストの中には新聞に紛れて、町内会のチラシが投函されていた。

内容は「夏祭りにおける道路規制について」。

そういえば今日は夕方からお祭りだったな、と思い出す。
395 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:47:03.75 ID:JHw0RtO20

お祭りは特に花火に気合を入れていて、近くの湖に面したところで打ち上げる事になっている。

割と規模の大きい打ち上げ花火が見られるから、近隣住人における夏の風物詩にもなっているのだ。

そのチラシを片手に事務所へ戻り、

芸能人の飲酒問題に興味津々のサンディさんの背中に向かって問いかける。


「サンディ、今日はお祭りに行かないかい?」

「……はい?」


お祭りが何たるかいまいちピンと来ていないのだろうか。

首を傾げる動作がキュートで愛らしい。

後ほど祭りの活気と花火の綺麗さを軽くレクチャーする必要がありそうだ。



僕と君はいつか離れる事になっている。

それまでに、うつくしいものを一つでも、君に差し上げたいんだ。

396 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/09(土) 00:49:17.97 ID:JHw0RtO20
今宵はここまで。今回は幕間がてらの二人の近況の話。
次回こそ夏祭り編。
397 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/09(土) 03:04:14.85 ID:/FOcTVXeo
おつ
398 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/09(土) 08:28:06.16 ID:DKEQHvuzO
>夜明けの空に蛍が哭いた

すごい美文だとおもいました(小並感)
次更新も楽しみにしてます
399 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 09:42:58.60 ID:rvzZOGDi0
おつです
次回も待ってます!
400 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 15:25:12.42 ID:LNB86qPLO
見てあげてほしいですね"誰より"も近くで。
401 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 17:46:44.89 ID:9leKWHIwo
これは間違いなく勘違いのパターン…
後から修羅場になるんだろうなぁ…
402 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/11(月) 04:23:11.97 ID:sy8ph5kK0
アッアッアッほぶぁぁぁあ尊い死ぬ(語彙)
403 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/29(金) 00:43:30.77 ID:y4MdAdNyO
大人の女性になる近道は恋と嫉妬と勘違い
サンディはきっと素敵なレディになるだろう
404 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/02(月) 22:05:49.76 ID:tv3J+4f90
もうほんと…浄化される…
いつもありがとうございます
405 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 02:15:14.49 ID:DNR4q8jP0


【番外編〜未来はミルクで作られる〜】


ここは喫茶店、リーブル・ド・イマージュ。

フランス語で絵本という意味らしい。

僕は今この店のカウンター席に座り、注文したエスプレッソを堪能している。

飲み慣れたこの味は、目を閉じても香りだけで酒類を当てられる自信がある。

苦みの強い筈なのに、不思議とそれが心を解きほぐす要因となっているようだ。

暦の頃は二月上旬。冬の冷え込みとしては最後の時期。

カウンターから外を眺めると、ちらちらと粉雪が舞っていた。

店内の穏やかな温度とは裏腹な景色がガラス一枚を隔てた向こうに広がる。

そんな風景を横目にして、ずずっと音を立てコーヒーを体に浸透させてみた。

じんわり広がる温かさ。仄かな幸せを舌先から感じる。

うん、やはりマスターの淹れるコーヒーは美味しい。

 
406 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 02:19:50.38 ID:DNR4q8jP0

彼はいま僕を背にして、コーヒーミルを使い自身の手で豆を挽いていた。

マスターの無骨な背中には哀愁を覚えてしまう。

何の歌詞だったか。男には自分の世界がある、と。

背中で謳う男の物語。

奥深さを醸し出し、それを感じ取る僕もまた男だから。

共鳴にも似たハードボイルド同士の性(さが)だというものか。

多くを交えず、ただ黙さず。

ごりごりと豆を荒く擦る音だけが店に響く。
 
407 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 02:23:57.90 ID:DNR4q8jP0

僕が手元の飲み物を半分ほど飲み終えた頃。

ふと、彼が手を止めて僕に語りかけてきた。


「気付いていたか?」


僕は飲んでいたコーヒーカップをソーサ―に置き、渋めの声を意識して答える。


「もちろん」


マスターは、ふっと軽く肩をすくめながら笑う。

彼には見えていないだろうが僕は口角を軽く上げて答える。

再びミルで豆を挽きながら彼は告げる。


「すまん注文間違えてた。
 お前に出したコーヒーな、コロンビアだったわ」


僕は答えずに手元のコーヒーを再び啜る。

やっぱりコロンビアだったか。

気付いていたけどね。ほんとほんと。

408 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 02:39:52.10 ID:DNR4q8jP0


芳醇な香りのコロンビアはやはり良いものだ。

エスプレッソとはまた一味違ってくる。味も苦くてなんとなく似ているなぁ。

心に芽生えた羞恥を誤魔化すように、僕は言葉を紡いだ。


「それにしても、今日も今日とて閑古鳥が鳴いてるね」

「お前が来るといっつも客が去っていくんだよな。ホント貧乏神かってんだ」


彼は手作業を止めて僕に向き合ったかと思うと、

しっしっと追い払うように仕草を見せてくる。

慣れ切った僕は、受け流すように笑みだけ浮かべておくことにした。

まぁこういうのは、堅苦しい客と店員の会話よりも心地よかったりするから不思議なものだ。

 
409 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 02:40:50.97 ID:DNR4q8jP0

やれやれ、という表情のマスターは続けて言う。


「そういえば今日はあのお嬢さんはどうした?」

「ああ。ここの店のすぐ傍に出来た本屋さんにいるよ」

「一人にしてもいいのか?」

「あんまり僕がべったりなのも息苦しいのかなって。
 本を買ったらこの店に来るように伝えているよ」

「なんだ、少しは何某かを考えてるんだな」

「まぁね。一応保護者だし」


鼻垂れ小僧がえらくなったもんだ、と何故だかマスターは少し嬉しそうだ。

そんなに昔からの知り合いじゃないでしょ、と突っ込んでみると

会ったときからずっと鼻垂れ小僧だよ阿呆、と返された。

貴方には頭が上がらないから、そりゃぐぅの音も出ないときたもんだ。

410 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 02:51:29.99 ID:DNR4q8jP0

マスターは意地の悪い笑顔を浮かべて僕に向き合う。


「そういやお前、気に入った子がいると昔よくここに連れてきてたな」

「いやまぁそんな事もあったような無かったような……」

「『ここ雰囲気が良いところでしょ?隠れ家なんだ』が店に入ってからの毎度の切り出しでよ」

「どうだったかなぁ……」

「一緒に来るのは決まって胸のでかい年上ばかり」

「おいやめろ馬鹿店主、情報漏洩で訴えるぞ」


かっかっか、と実に楽しそうなマスターの笑顔が憎たらしい。

僕は照れ隠しを込めて一気にコロンビアを飲み干して、マスターに告げる。


「そもそもね、胸の大きい子が嫌いな男子はいないでしょ」

「視線が尻にいかねぇ辺りはヒヨッコよ」

「いや尻もいいけれど今は胸の話だから。大は小を兼ねるのさ」

「大は小をねぇ……」


このマスターは胸の大きい子の素晴らしさを分かってないな。

ここは一つハードボイルドに熱く語ってみるか。

411 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 03:02:03.94 ID:DNR4q8jP0

店の入口に備えられていた鈴の音を背中に受け、それを合図に僕はまくしたててみた。


「いいですか?そもそも胸が大きい子は良いんですよ」

「ほぅ」

「あのたわわな感じで、両の手にギリギリ収まらない辺りがベストですかね」

「ほほぅ」

「弾力性があり、先端の部位すらも神々しく思えるようなお椀形で
 水着に着替えたらはちきれんばかりのグラマラスさがたまらないと思わないんですか!?」

「お前のタイプは胸の大きい子ってわけでいいんだな?」

「いやそれだけがタイプじゃないですが、大きかったら最高のオプションですね」

「んじゃ、胸の小さい子はどうすんだよ?」

「そりゃ牛乳でも飲んで育ててもらうほか無いでしょう!?」


「だってよ、お嬢ちゃん」

「………………は?」


マスターは僕の後ろに向けて言葉をかける。

僕は間髪入れずに振り返って、その言葉の方向を見る。


そこには、玄関付近に本屋の紙袋を抱えたサンディがいた。

412 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 03:10:36.21 ID:DNR4q8jP0

い、いつの間に店内に!?

まさかあの時の鈴の音は来客を知らせるための……!?

いやしかし、割と距離もあるし、僕とマスターの会話って意外と聞こえてないのでは。

俯きがちで前髪がぱさりと垂れたサンディの表情は分からない。


「さ、サーンディ。こっちおいで。欲しい本は買えたかい?」

「……はい」


そのまま僕の横に空いている席にちょこん、と座る。

おいおい謎の空気の重さですよ奥さん。

ハードボイルド力を高めていないと到底耐えられないぞ。


「ま、マスター。コロンビアのおかわり一つ」

「あいよ。そこのお嬢さんは何か飲むもの決まったかい?」


一瞬の静寂。そして紡がれた言葉は。


「…………………ミルク、お願いします」


か細い声でミルクを注文しおったわ。

これ絶対さっきの会話聞かれてますやん。

413 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 03:16:39.49 ID:DNR4q8jP0


この喫茶店での一件以来、サンディの日課が一つ増えた。


<コップ一杯の牛乳を毎日飲むこと>


うんうん、健康的で大変よろしい。

僕は僕で、あそこで喋った事柄を早めに忘れなければならないだろう……。



414 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/07/03(火) 03:19:40.24 ID:DNR4q8jP0
この手の番外編たくさん作っておりまして。昨今長くお待たせしているゆえ投下する事こそが大事。
もちろん本筋も大事にしております。
こうして未だに見てくださる方々に感謝をば。感想レス本当に嬉しいです。
これからも緩く続いていければと思うので、たまに見に来てくれると幸いです。
415 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/03(火) 04:08:36.10 ID:IFXF04iLo
お疲れ様です

頑張れ豊かな胸を目指して
416 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/03(火) 19:38:24.32 ID:mPKtNRVtO

コーヒー飲んでるのに酒?と思ったら種類か…
417 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/07/06(金) 01:55:33.91 ID:ytdShLoP0
はーもう、好き!!!(大声)
清らかな気持ちを思い出すわ
418 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/08(日) 20:34:59.29 ID:pkUJ8PXm0
あーーー、かっわいいなぁ!!!!サンディさんよぉ!!!!!
めっちゃゆるゆると待ってます、がんばってください…癒される…
419 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/14(土) 00:31:15.42 ID:nEf2QhjR0
はい尊いーーマジ無理ーー好きーーー
420 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/07/14(土) 22:10:30.83 ID:vPPy4PT50
萌えエネルギーが足りないぞ!
もっとくれ(´・ω・`)バンバン
421 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/03(金) 11:39:36.77 ID:JiZBB5bX0
保守
422 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/06(月) 01:31:29.74 ID:MBIdpBwTO
夏休みだしアメリカの孤児院に住んでる子がホームステイ(?)に来たらサンディ慌てそうだな
と、夏休み編きぼんぬ
423 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/10(金) 02:21:32.68 ID:rJ5jODG8o
待ってるよー
424 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/15(水) 19:33:15.34 ID:qIEG0TPV0
机バンバン三c⌒っ.ω.)っ シューッ
425 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/22(水) 08:07:04.86 ID:i8Hk4PN/o
まだかなー?
426 :terra [sage]:2018/09/02(日) 19:55:57.16 ID:mgJVcrdA0
まだ!私は!尊み成分が足りてない!お願いします!夏祭りを!!!
427 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/09/03(月) 07:27:41.81 ID:jf1cxdO+0
【若者のすべて】
https://www.youtube.com/watch?v=IPBXepn5jTA
428 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 20:48:30.43 ID:4uI/TZsD0


耳に届くは夏の風物詩。

遠くから太鼓の音が聞こえてきた。

実際に叩いてはおらず、どうやら町内放送用の

大きいスピーカーで流しているようだが、

それだけでも祭りの雰囲気をこれでもかというほど増幅してくれる。

湖畔の傍にある公園のベンチで、僕はのんびりと空を仰いでいた。

薄橙色の黄昏だったカーテンはゆっくりと黒を纏い始めている。

夕暮れ頃に浮かんでいた入道雲も夜に染められているようで、

今は蝉の声と共に鳴りを潜めているようだ。

 
429 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 20:50:04.96 ID:4uI/TZsD0
 
周りを見渡せば人の波が視界に飛び込んでくる。

中々に壮観な混雑具合で、人混みが苦手は僕としては

この中に後から飛び込むのかと考えると少しだけ肩が重い。

只、がやがやとしているが、その実なぜだか妙に心地良い。

祭りの賑わい故だろうか。

下駄足が奏でるカランカランという音と共に、

耳に入ってくるのは笑い声を基調とした穏やかな喧騒。

家族か、友人か、或いは想い人か。

様々な人間模様が目の前をゆっくりと通り過ぎていく。

 
430 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 20:53:56.36 ID:4uI/TZsD0

ふと、下駄の音が背後から自分に近づいてくるのを感じた。

振り返ってみると、そこには一人の女の子。


「お兄さん、お待たせしました」


和装の定番とも言える浴衣に身を包んだサンディがそこにいた。

日焼けした褐色の肌、烏の濡羽色を想起する黒艶な髪からのぞかせる、ほんのり紅潮した頬。

何やら少しもじもじしているのは、着慣れない服装に戸惑っているのかもしれない。

そんなしおらしい動作も兼ね揃えていて、奥ゆかしい大和撫子を体現しているようだ。

 
431 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 20:55:31.94 ID:4uI/TZsD0
 
濃紺の藍色を基調とした浴衣に身を包んだサンディ。

それを見た僕は率直な感想を告げてみた。


「うん、綺麗だね」

「………………っ!!!」


彼女はぼっと顔を更に真っ赤にして、しゅんしゅんと肩を縮こませるような素振りをする。

俯きがちに口元をもにょもにょさせる仕草もこれまた愛らしいというか何というか。

お祭りのために慌てて浴衣の買い出しにいったのは、どうやら正解だったか。

 
432 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 20:59:36.47 ID:4uI/TZsD0

サンディの分だけ買うと彼女は気後れするだろうから、

いちおう僕も大人用のそれを購入して、いま実際に着ていたりする。

和の心を形だけでもと整えてはみたが、こうして実際に袖を通してみると

なかなかどうして粋なものだ。


「お兄さんも、とっても似合ってます……」

「え、本当!? 似合ってる?」

「ほ、本当です! すっごく、すっごく格好いいです!!」


両手をグーの形にして胸元に構え、ふんすと鼻息を荒げつつサンディは褒めてくれる。

なんだが言わせちゃったみたいで申し訳ないなぁと、頭を軽くかいてみる。

そのまま余った方の手をサンディの頭に添えて、整えられた髪を乱さない程度に少し撫でてみた。

ふふ、と少しくすぐったそうに顔をほころばせてくれる。

困ったことに、どうにも可愛い以外の言葉が出てこない。

彼女の微笑みは、見た人の語彙力を無くす効力でもあるのだろうか。

 
433 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 21:02:24.39 ID:4uI/TZsD0

「そ、それにしても思ったより時間がかかって申し訳ありません」

「気にしないで。少しは下駄に慣れたかい?」

「む、難しいところです……」


彼女は浴衣用の下駄を初めて履くものだから、

玄関を出た先の足取りなんてそれはもう覚束なくて危なっかしい。

なので近隣にある公園の周りを少し歩いて練習してくるとの事で遅くなっていた。

僕は祭りのために備え付けられていた公共用ベンチから腰を上げ、

さてどこから屋台を周ろうかなと思案をしながら一歩二歩と歩みを進める。

すると後ろから「うわっと、とと……」とこけないよう慌てるような声と共に

不規則なリズムの下駄音が聞こえて来た。

サンディはやはり歩き慣れていないようで、少しフラフラしながらも

カルガモの赤ちゃんみたいに一所懸命ついてくる。

靴擦れ防止のため、鼻緒が当たる指間にはバンドエイドを貼ってはいるものの、

それでもこすれて痛まないように歩く歩幅には気をつけておきたいところ。

 
434 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 21:04:51.81 ID:4uI/TZsD0

目線を下にして足元を注視しながらも、わたわた歩きをするサンディは実に可愛い。

だがそれ以上にハラハラしてしまう……。

折角の楽しい場でケガをさせてしまうのは保護者失格。

浴衣と下駄を見立てたのは僕だし、そこはしっかり責任を持たねば。

支えになるため、彼女の左手を優しく握ってみた。

手が触れた驚きからか、下を向いていたサンディは顔を上げ、

まん丸になった彼女の目が僕の視線とぶつかる。

すると途端にまた俯いて、ぽつりと呟いた。


「あ、ありがとう、ございます……」


身長差も相まって彼女の表情は見えないが、耳元がこれでもかというほど赤くなっている。

一足早い秋の訪れか。まるで紅葉のようだった。

 
435 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 21:12:59.53 ID:4uI/TZsD0

まぁ、おじさんに片足を踏み込んだような僕と手を繋ぐのは恥ずかしいのだろう。

中々に慣れてくれないから何だかこっちも妙に照れ臭くなってしまうのは困りもの。


「ゴメンね、嫌だったら離してもいいからね」


そういうとサンディは首を勢いよくブンブンと振って、

繋がっている手を少し強く握り返してくれた。


僕らは人込みの中にゆっくりと歩みを進めていく。

今日はお祭り。荘厳な意味合いではなく、人の笑顔で包まれる賑やかな世界。

美味しいものでも食べながら、ぶらりと歩いてこの空気を堪能してみよう。

その中で、一秒でも長く彼女の笑顔が続くよう

喧騒が好きな神様へ向けて少しだけ祈ってみた。

 
436 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/15(月) 21:20:03.24 ID:cWIBgpyuO
更新お疲れ様です
437 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/15(月) 21:21:02.76 ID:Nerc9FuGo
お疲れ様です
あー、かわいいかわいいかわいすぎる
438 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 21:30:12.58 ID:4uI/TZsD0

ちんとんしゃん、と祭りの雰囲気を色濃く醸し出してくれるBGMが聞こえてくる。

そんな中でダラダラ歩みを進めていると、くぅぅと横から可愛らしいお腹の音が聞こえて来た。

発信源になった子は、それはもう恥ずかしさでいたたまれないような表情をしている。

そういえば夕飯を済ませていなかった事を思い出し、

僕とサンディは屋台の並んだ通りを歩くことに。

当の彼女はチョコバナナ、綿菓子、林檎飴と見慣れない食べ物に非常に興味をそそられており、

おのぼりさんの様に首を忙しなく左右に振っていた。

 
439 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 21:33:04.35 ID:4uI/TZsD0


「お兄さん、あれはなんですか?」

「あれはヒーローを催したお面だよ」

「食べられるんですか?」

「食べられないよ」

「え、でもアンパン〇ンのお面があります……」

「彼は稀に食べられない顔を持っているからね」


「あ、ではあれは何をしているんですか?」

「あれは型抜きだよ。くりとった型の出来で賞金や商品がもらえるよ」

「食べられますか?」

「素材的に食べられなくはないけれど、たぶん止めといた方がいいよ」


「じゃあ、あれは何ですか?」

「金魚すくいだね。掬った金魚を持って帰って育てたりできるよ」

「食べられますか?」

「お刺身の文化はあるけれど、あれは食べられないよ」


今日のサンディさんは突然の腹ペコ属性を手に入れてしまったようだ。

このままでは射的の屋台を見ても食べ物の可否判定をしそうな勢いじゃないか。
 
440 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 21:36:41.52 ID:4uI/TZsD0

「へい、サンディ」

「な、なんでしょうか?」

「お好み焼きとタコ焼き、どっちが好き?」

「ど、どちらも好きですが……強いて言えば、たこ焼きです」

「よっしゃ任せて、どっちも買ってくる」

「え、お兄さん!? お兄さん!?」


何故に一回泳がせる質問をしてしまったのか、それはきっと祭りの魔力。

ハードボイルドらしからぬ言動だが、そこはそっと目を瞑ってほしい。

たぶん僕も空気にあてられ、少し浮かれているのだろう。

お祭りとは得てしてそういうものか。童心をふっと思い出してしまうのも已む無し已む無し。

 
441 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 21:44:36.17 ID:4uI/TZsD0

少し離れた屋台にて双方の食べ物を購入し、サンディの所へ戻ろうと振り返ってみると。

遠目だと分からないが、どうやら浴衣姿の女性と話し込んでいるようだ。

知り合いなのだろうか? 屈託のない笑顔を浴衣の女性に向けていた。

例の事件のこともあるし、心内で少しだけ警戒レベルを上げながら元居た場所に歩みを進める。

だが、近づくにつれて自分の心配が杞憂なのが分かった。

サンディと話し込んでいるのは、よく買い物に行く洋服屋の店員だった。

確かサンディと初めて会った頃、動物園に向かう前に寄ってからあの店は贔屓させてもらっている。

当然僕も顔なじみになり始めていたので、まぁ互いに見知った仲ではある。

浴衣姿の店員がこちらに気付いて手を振ってくれた。

少し気恥ずかしさを覚えながら、食べ物の入った袋を片手に一任し、空いた手で手を振り返してみた。


その時にふと、気がつく。

その店員の背中に隠れるように、サンディと同年代の子どもがいる事に。

 
442 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 21:53:37.90 ID:4uI/TZsD0

「あら、お兄さん。偶然ですね!」

「いや本当に。店員さん、浴衣姿も似合っていますね」

「本当ですか!? いやー、イケメンから言われると悪い気はしませんね!!」


はっはっは、と互いに笑いながらも邂逅する。

こちらとしては偽りなく褒めているつもりだが、まぁ向こうの返しは社交辞令だろう。

アパレル系の方は何かとお上手なものだ。

ふと何やらピリッとした視線を感じる。

店員の後ろから発せられるそれは、子どもから生じていたものだった。

なんだか敵意のようなものを向けられているような気がする。

知らぬ間に嫌われるようなムーヴを見せてしまっていたのだろうか……。

 
443 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 21:56:46.59 ID:4uI/TZsD0

大きな目、クリっとした癖毛、中世的な顔立ち。

例えがあまり思い浮かばないが、芸能人の有名子役と言われても違和感のない子だ。

まぁ、うちの子も負けてはいないが。

背丈と雰囲気から察するに年齢はサンディと近いと予想する。

……ただ、この子は男の子か?女の子か? 一体どっちだ?

とりあえず質問してみることに。


「あの、後ろの子はご家族ですか?」


店員はからから笑って答える。


「この子は従弟ですよ。年の離れているのもあって可愛いのなんのって」

「そ、そうですか……」


男の子であったか。

うむ、探偵としてのカンが男の子と告げていたからね。やっぱりか。

などと誰にも聞こえない謎の強がりもとい勝利宣言を頭の中だけで考えていた。

 
444 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 22:07:46.52 ID:4uI/TZsD0

そういえばサンディは、日本に同じ年頃の子の友人が今の所いなかったのを思い出す。

もしこの子が友人になってくれたら、きっと彼女は喜ぶだろう。

いつの間にやら僕の背中に隠れるように収まっていたサンディの頭を軽く撫で、

そっと背中を押して前に出す。


「ほら、自己紹介」

「あ、え、あ……、さ、サンディです。 こ、こちらのお兄さんにお世話になっています」


よく言えました、と褒美のように手元のたこ焼きを手渡しする。

えへへ、と笑顔を見せる彼女は可愛い。

何でこんなに可愛いのかよ、と孫を歌う某演歌の歌詞の一部が想起されてしまう。


負けじと店員さんも、背中にいた子をグイグイ押し出してきた。


「ほら!あんな可愛い子が挨拶してきたんだから、アンタも自己紹介しなさいな」

「……みなせ、まお、です。真っすぐ生きるって、書きます」


なるほど、真生(まお)君か。良い名前だな。

確か中国の猫も、マオと呼ぶんだったか。そちらの意味も妙にしっくりくる。

サンディにとって、こっちでの初めての友達になってくれたら嬉しいけれど、

まぁそこまで干渉するのは庇護が過ぎるか。

両人でどこか気が合う所があればいいのだけれど、などと思ってしまう。

 
445 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 22:19:24.64 ID:4uI/TZsD0

店員のお姉さんは、よくできましたと言わんばかりにマオ君をぐりぐり撫でくりましている。

当の彼は、やめろよと口では言いながらも、嫌がる事無くされるがままだった。

どことなく照れているような素振りすら伺えてしまう。

……おや、これはひょっとして?

ひとしきり撫で終えたあと、店員はこちらを振り返って笑顔を向けてくる。


「それにしても、お互いに子ども連れって奇遇ですね。
 お兄さんは彼女さんとかいらっしゃらないんですか?」

「いやぁ、あいにく縁が無いものでして」

「モテそうなのに意外ですねぇ」

「それを言うならそちらこそ。彼氏さんとは予定が合わなかったんですか?」

「謙虚に地雷を踏むタイプの人ですか、お兄さん……!
 彼氏なんてもう長いこといませんよ……」


店員のお姉さんは、げんなりと肩を落とすような仕草で、これみよがしに大きなため息をつく。

僕はこういう男女が絡む話は苦手なんだ、ハードボイルドだから。

 
446 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 22:20:56.47 ID:4uI/TZsD0

「で、でもお姉さんはきっとその内いい人ができますよ。お綺麗なんですから」

「いいんです、いいんです……。その優しさにしばし癒させてもらいます……」

「何なら僕が嫁さんにしたいくらいですよ」

「えー、ほんとにですか……?」


何となくお姉さんがまんざらでもない顔を向けてくる。

と、同時に空いた片手がギュッと握られた。

なんぞと思いながら視線を向けると、無表情でたこ焼きをもぐつかせながら

サンディが僕の手を握ってきていた。

よくよく顔を覗き込むと目は虚ろで、瞳の中にはまるで出会った時のような

感情を殺したようなどんよりとした黒が見える。

えっ、サンディさんこわい。どうしたの?

 
447 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 22:28:33.23 ID:4uI/TZsD0

謎のプレッシャーを感じつつ、ふと相手の方を見てみると、マオ君が店員さんの手を握っていた。

彼女はポカンとしながらも握られるがまま。

マオ君は顔を見られないように俯きながら、しかして真っ赤な耳で呟いた。


「姉ちゃんは俺がもらうから、いいだろ」


男前ですやん。なんて分かり易い初恋なんだ……!

敵意の目線を向けられていた事も理解した。

なるほど、お兄さんは全力で君の応援をするぞ。

そんな事を言われた当の本人は。


「はーーーー!! もう、可愛い!!!
 姉ちゃんね、アンタがそんな事を言わなくなるまで、ずっと甘やかしてあげるからね!!!」


それを聞いたマオ君は、サンディと同じように無表情で死んだ魚のような目をしていた。

 
448 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 22:38:21.02 ID:4uI/TZsD0

サンディは握っていた僕の手を放して、つかつかとマオ君に近づいていく。

そうして悲しみの抱擁が終わった彼の前に立ち、次はサンディが彼にハグをした。

そして背中を二度三度、ポンポンと叩く。


その後にサンディとマオ君は初めて向かい合い、互いの目を見つめた。

はっ、とマオ君はサンディの何かを察したような仕草をする。

サンディと僕を交互に数度見て、その様子が終わったあとにサンディは無言で彼に向けて頷く。

次はマオ君が無言でサンディに抱擁を返した。

そして背中を二度三度、ぽんぽんと叩く。


抱擁が解かれたあと、彼らはほんの数秒だけ見つめ合い、何故か堅い握手を交わした。

この動作が行われている間、たったの一言も言葉を交わしていないのに。

何故かサンディとマオ君の間には確かな友情らしきものが生まれていた。

二人の表情を見るに、友情というか、同盟というか、仲間意識というか、そういうものすら感じてしまう。


彼らの思いなぞ終ぞ知らぬ僕と店員さんは、きっと同じ事を思っていたに違いない。

最近のシャイな子どもって、何も言わなくても友達になれるんだなぁ、と。

 
449 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 22:54:45.87 ID:4uI/TZsD0

そうして僕らは二言三言と世間話をしたあと、

もうすぐ花火が始まるとのアナウンスを機にそれぞれ解散した。

お姉さんは別所に二人分だけスペースを事前に作って陣取ってあるのだとか。

僕たちよりその場を早めに去る二人の背中を見つめる。

目に見えて分かるのは、身長差。

頭一つ少々足りていない背の高さが、きっとマオ君にはもどかしいのだろう。

願わくば、彼の初恋が実りますように。

前を向いてずんずんと歩き、何事もないような振りをしながらも

おそるおそる好きな人の手を握ろうとする、一所懸命なマオ君の姿を応援したくなった。

日本でのサンディの初めての友達。いつか家に招いてみたいものだ。

サンディと手を改めてつなぎ直し、僕らは花火の見える広場へと向かった。

 
450 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 23:13:18.54 ID:4uI/TZsD0

温い夏風が頬を撫で、耳を賑わす人込みの喧騒。

祭りのメインイベントとなる花火の打ち上げ会場には、沢山の人でごった煮していた。

これは冗談抜きで油断したらはぐれそうだ。


「ゴメンね、サンディ。人酔いしてないかい?」

「は、はい。平気です。こんなに多くの人が周りにいるのは初めてで、少し楽しいくらいです」

「そっか、良かった。はぐれないように、腕を掴んでもらってもいいかな?」

「え、その……いいんですか?」

「いいんです」


えいっと掛け声付きでサンディは僕の腕に抱き着きながら、下駄の音を響かせる。

最初に比べたら随分と歩き方も慣れたようで何よりだ。


「これから、その、花火が始まるんですね」

「そうだよ。テレビで見た事あるかも知れないけれど、本物は迫力が違うからね」

「楽しみです……♪」


はにかみながら、嬉しそうな声色で答えてくれる。

サンディの片手は僕の左腕、空いた手で広場に向かう途中で手に入れた林檎飴を持っている。

甘い物が好きな彼女は、これを買ったときが一番興奮していた。

林檎一個が丸々包まれたものは流石に入らないとの事で、

カットされている小サイズのものを購入して大事そうにペロペロと舐めていた。

それを見つめるのは、広場でたむろっていた小学校高学年くらいの年頃の少年たち。

まぁ気持ちは分かる。綺麗だもんね。そりゃ目をひくだろう。

実際にここに来るまでに、同年代の男子がすれ違うたび、彼女を振り返っているからなぁ。

ほんと何人かの初恋を奪っていってるのではなかろうか。

 
451 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 23:21:24.24 ID:4uI/TZsD0

そんな事を露知らず、サンディは夜空を仰いでいた。

雲は少なめ。視界は良好。

星の輝きは特になく、ぼつんと黄色の欠けた月が申し訳程度に浮かんでいる。


「この真っ暗な景色に、色がつくんですね」

「うん、きっと綺麗だよ」

「はい、ワクワクします」


そう言って、吸い込まれそうなほどキラキラした目で再び空を見上げた。

見えない筈の星空を瞳に映しているかのようだ。

 
452 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 23:35:06.44 ID:4uI/TZsD0

彼女が日本に来てから数ヶ月。

そのほとんどは、僕との生活の思い出になっているだろう。

虐げられてきた彼女は、昔の記憶に今も苛まれている。

僕は、サンディに、幸せを一房でも与えられているのだろうか。

誰かの幸せを願うような、幸せな気持ちでいっぱいだから。


彼女の笑顔が続くような日々を思うばかりで、自分がしっかり事を成しているのか自信は皆無で。

蕾のような子に綺麗な花を咲かせてあげることはできるのか。

もうすぐ秋が来る。

別れになるかは分からないが、一つの終わりがやってくる。

もしそうなった際に、僕との思い出が美しいもので彩られますように、と。

愛しい気持ちで僕は祈るのだ。

 
453 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 23:35:34.64 ID:4uI/TZsD0


そんなことを考えていたら。

ぱぁん、ぱぁん、と。始まりの音が聞こえて来た。

空に轟音が鳴り響く。

少し遅れて、頭上は色鮮やかな花々で埋められる。

綺麗な花が空で咲いて、僕の横では小さな笑顔の花が咲く。

今日という一日の締め括りには最高だ。

明日もまた、良い日でありますようにと。

喧騒のどこかで微笑んでいるであろう、祭りの神様にお願いをしてみた。

 
454 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 23:43:35.66 ID:4uI/TZsD0


〜〜


   僕「うーん……うーん……」

サンディ「二日酔いですか、お兄さん……」

   僕「み、水がここまで美味しいとは……」

サンディ「買い過ぎた屋台の品を片付けるがてらに、普段飲まないお酒を飲んじゃうから」

   僕「ま、祭りの雰囲気でイケるかなって思っちゃってさ……。
     ビールを二缶空けただけで、まさか翌日まで響くとは……」

サンディ「これに懲りたら、お酒は程々にしておいてくださいね」

   僕「ぜ、善処します……それよりサンディ、一緒に祈ってくれないか?」

サンディ「何を祈るんですか?」

   僕「“二日酔いが早く治りますように”って……」


 
455 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/15(月) 23:47:16.86 ID:4uI/TZsD0
板の復活記念がてら書きましたが、今宵はここまで。
途中で紛らわしい感じの間を空けて申し訳ありませんでした。
頂いたレスとっても嬉しかったです。本当に。
今後ともゆるりと宜しく願います。次回は>>422を書きませう。

作業用BGMを一曲紹介
https://www.youtube.com/watch?v=22mOCjkwQjM
456 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/15(月) 23:49:02.71 ID:BFFLeZUgo
おつおつ
続きめっっっちゃうれしい!!
お兄さんは察しが良い所と悪い所の差がすごい
サンディ尊い…尊い…
457 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/10/16(火) 23:52:04.57 ID:+vSB1e/G0
3 名前:以下、名無しが深夜にお送りします[sage] 投稿日:2018/10/06(土) 23:34:38 ID:OAMNkNAg
男「奴隷が欲しいんだけど」
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/14562/1529059481/

53 名前:以下、名無しが深夜にお送りします[sage] 投稿日:2018/09/19(水) 21:45:00 ID:swo1vipc
もうこなくていいよ
どいつもこいつも奴隷奴隷って自分より立場の弱いやつを従えることに優越感だったり優しくしてやってるところに満足感得てるんだろうけど気持ち悪いわ
リアルが充実してないやつほど奴隷スレ立てたり読んだりもてはやしたりするんだろうな
最近はそういう陰キャが増えたせいで奴隷ものが量産されててうざい
458 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/25(木) 20:57:46.72 ID:wo6SUZ9lO
ハクが付いてきたってもんだ。
続き、楽しみにしてるよ
459 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/27(土) 18:50:16.73 ID:PJIlaZYmO
乙ー!続き見られてよかったー
460 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/12/15(土) 11:21:48.54 ID:SYnR9S3+0
忙殺されて更新できずに申し訳ない、近日中には何か投下します

作業用BGMより
https://www.youtube.com/watch?v=1_lap6dzSUc
461 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/12/15(土) 11:39:52.30 ID:rAc+9G2O0
3 名前:以下、名無しが深夜にお送りします[sage] 投稿日:2018/10/06(土) 23:34:38 ID:OAMNkNAg
男「奴隷が欲しいんだけど」
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/14562/1529059481/

53 名前:以下、名無しが深夜にお送りします[sage] 投稿日:2018/09/19(水) 21:45:00 ID:swo1vipc
もうこなくていいよ
どいつもこいつも奴隷奴隷って自分より立場の弱いやつを従えることに優越感だったり優しくしてやってるところに満足感得てるんだろうけど気持ち悪いわ
リアルが充実してないやつほど奴隷スレ立てたり読んだりもてはやしたりするんだろうな
最近はそういう陰キャが増えたせいで奴隷ものが量産されててうざい
462 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/15(土) 15:30:49.85 ID:aB4lL0+dO
ぼく林檎飴になる(なぜ純粋に楽しめないのだろう)
463 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/15(土) 15:56:28.49 ID:X9mgViid0
ID:rAc+9G2O0
散々ここで(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1544829613/)イキりながらコピペ荒らしか
あの作者と同レベルのクズ野郎だということ自覚しろよ
464 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/02/18(月) 01:14:33.77 ID:mJdm+o5r0
もう投稿してくださらないのかしら……楽しみに待っているんだけれども(´・ω・`)
465 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/02/18(月) 23:15:59.34 ID:P4pRc4fp0
ほぼ1クールほど追加で書けていないので、スレ落ちしていないか確認してみたら
有難いお言葉を頂けていて嬉しい限り
昨年秋から多忙になっていたゆえ恐縮です……
話そのものは多々思いつけるので、短い話でも何でも兎に角新しい小話を置いていけるように善処致します

https://www.youtube.com/watch?v=NQ12-0TYgAs
466 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/02/18(月) 23:16:53.51 ID:P4pRc4fp0
ほぼ1クールほど追加で書けていないので、スレ落ちしていないか確認してみたら
有難いお言葉を頂けていて嬉しい限り
昨年秋から多忙になっていたゆえ恐縮です……
話そのものは多々思いつけるので、短い話でも何でも兎に角新しい小話を置いていけるように善処致します

https://www.youtube.com/watch?v=NQ12-0TYgAs
467 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/21(木) 02:14:01.84 ID:99S53SMYO
yattaze
468 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/23(土) 13:48:34.86 ID:Tf0K8hqO0
支援
尊い
469 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/01(金) 08:11:19.88 ID:RWFTRho/O
マターリと更新待ってます
470 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/16(土) 20:19:22.88 ID:JOssD2tk0
支援

のんびり待ってますので、無理はなさらぬよう
471 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/29(金) 02:51:55.70 ID:GsAPJROLO
おっと失礼、ちょっと通るよ
472 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/04/02(火) 14:56:15.00 ID:YmoQ0jae0


【番外編〜甘くて苦い義理人情〜】


ここは喫茶店、リーブル・ド・イマージュ。

フランス語で絵本という意味らしい。

僕は今この店のカウンター席に座り、注文を待ちながら外の景色を眺めている。

街灯に照らされている雪の色は、蛍のような柔らかい色合いだ。

もう夜の帳はおりていた。

壁にかけられている時計を見ると、時刻は夜の六時半。

夏と比べるのは流石に早計だが、冬の日が落ちる早さを否が応にも感じてしまう。

待ち人である同居人のサンディは近場の本屋で物色中。

彼女の買い物を待つがてら、馴染みのこのお店で時間を潰しているところだ

 
473 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/04/02(火) 15:03:46.67 ID:YmoQ0jae0

マスターが挽く豆の音をBGMに、喫茶店に置いてあった新聞に目を通す。

一面記事には昨今話題のニュースが掲載されている。

よくテレビで報道されている内容と記事の中身もさして変わらなかったので

興味は薄れて目線を紙面の右上に逸らしてみる。

そこには日付が描かれていた。

今日は二月十四日。世間ではバレンタインデーというものか。

そんな些末はハードボイルド探偵である僕には何の関わり合いもない。

甘いものは凄く好きだけれど別に関係ない。

ほんと興味とかないし、ホントホント。
 
474 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/04/02(火) 15:13:16.71 ID:YmoQ0jae0

日付から注意を反らすように新聞の頁をめくったところで

対面のカウンターにいるマスターが声をかけてくれる。


「あいよ、お待ち」

「ん、どうも」


そんな他愛もないやり取りだが、何か違和感を覚えた。

確かアメリカンコーヒーを頼んだ筈だが、

差し出された飲物からは妙に甘い匂いが醸し出されている。

香りを嗅いで、ずずっと一啜り。

なにこれ、ココアじゃないか。


「マスター、注文間違えてますよ。口を付けちゃって言うのもなんですが」


僕が指摘すると、ヒラヒラと手を振った仕草のあとに

悪そうな笑みで返答がくる。


「誰からもチョコ貰えてねぇ輩への奢りだよ。ハッピーバレンタイン」


おいなんだ急に苦みが増してきたぞ、このココア。
 
475 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/04/02(火) 15:20:01.11 ID:YmoQ0jae0


「いいんですよ、別に。そもそもバレンタインとか今思い出したくらいです」


そう言いながら、ずずっとココアを一啜り。うん、甘くておいしい。

マスターはニヤニヤしながら、カウンターに置かれている沢山のチョコを

これ見よがしにと僕へ向けてくる。


「あぁ、俺も忘れていたクチだがよ。いい男の前には自然と集まっちまうみたいだぜ」

「それ全部マダム達からの義理チョコですか?」

「おぅよ。義理でも人情味がある分だけマシってなもんだ」


ぐぬぬ。皮肉を綺麗なカウンターで返されると切り返す言葉もない。

誤魔化すために再びココアを口元に運んでみた。

鼻腔をくすぐるカカオの香り、程よい温かさの後に舌先から広がる甘いテイスト。

義理人情のチョコとしては申し分ないほど美味しいのが難点だ。
 
476 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/04/02(火) 15:29:12.78 ID:YmoQ0jae0

「まぁでも、お前も一つくらいチョコ貰えるだろ」

「おあいにく様ですが、そんな人なんていませんよ」

「何言ってんだ。同居人の嬢ちゃんがいるじゃねぇか」


おお、サンディの事か。

今は例の如く喫茶店付近にある本屋で書籍を物色中な彼女だが、

果たして今日がそんなイベントだと知っているのだろうか。

テレビを好んでよく見ているので、バレンタイン特集とか放送されていたら

賢い彼女は色々と察してそうではある。


「どうでしょうね。もし知ってるなら有難く義理チョコを貰いたいところですよ」


僕がそう言うと、マスターは苦い顔をして軽くため息をつく。


「いや、嬢ちゃんの義理チョコねぇ……」

「友チョコくらい親近感を持ってくれてるなら尚更嬉しいですね」


僕の言葉を聴いたあと、マスターは振り返って洗い物のために炊事場に向かう。

その道中で何故か目頭を押さえる仕草を見せてきた。

こいつ相手は嬢ちゃんも大変だな、とカウンターの奥から聞こえてくる。

モテないハードボイルドはそんなに駄目ですか親父殿……。

 
477 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 15:44:55.82 ID:YmoQ0jae0

そんな話をしていたら、カランコロンと来客を知らせる入口ドアのベルが鳴った。

噂をすれば何とやら。そこに居たのは、本屋の紙袋を抱えたサンディだった。


「お兄さん、お待たせしました」

「ううん、全然待ってないよ。何か良い本は買えた?」


僕の言葉に、サンディは軽く首を縦に振る。

そして嬉しそうにはにかんだ笑顔を浮かべてくれた。

言葉にせずとも十二分に買い物を堪能できたと分かる仕草だ。あいくるしい。

彼女をよく見ると頬と鼻が少し赤い。

外気の寒さから暖かいお店に入って血色がよくなった影響か。

いつまでも入口に立たせているのは申し訳ないので、手招きをしてカウンターに呼んでみる。

とてとて、とやや早めに歩いてきて、そのまま僕の横に着座。

耳までほんのり紅色している。これは思ったよりも外が寒そうだ。


「マスター、サンディにココア」

「あいよ」


奥の炊事場で洗い物していた彼に声をかけて、温かい飲み物が出てくるまでは小休止。

その間にさて何を話そうかなとサンディの方を向いてみると、はたと彼女と目が合った。

僕が向くまでにずっとこちらを見ていたのだろうか。

目が合った後は、ハッとした顔をして目をテーブルに伏せるサンディ。

まだまだシャイな所は相変わらずかな。それもまた可愛いらしくて良いところ。

うむ、これは友チョコを貰える線は薄そうだ。

 
478 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 16:03:20.09 ID:YmoQ0jae0

今日も色々な本を購入しているのか、紙袋はパンパンになっていた。

行きつけの本屋のロゴが入った袋の他に、見慣れぬ名前のお店の名前の袋がある。

はてこれは一体何だろうと思いつつ、まずは買った本でも聞いておきたい。


「サンディ、今日は何を買ったの?」

「えっと、お料理の本と、お勉強の本です」

「そっか。自分の好きな本とか買えたのかい?」

「はい。お勉強自体は好きですし、最近はお料理も楽しいです」

「そうだね。サンディはどんどん料理上手になっているから、これからの食卓が楽しみだなぁ」


僕がそういうと、サンディはコクコクと首を縦に振りながら

お任せください、お兄さんの健康のためにも更に腕に磨きをかけます、と

片手に拳を軽く作る素振りで意気込んでいる。

その仕草を見て、うちの子本当に可愛いんですよ、と危うく絶叫しそうになってしまった。

最近本当に目に入れても痛くない程度にまでサンディの可愛さ度数が上昇しているから、

ちょっと気を緩めたらすぐお小遣いを上げそうになってしまう。

これって親戚のオジサン化現象らしいのよね。

ハードボイルド強度が下がってしまう行は程々にしたい事と、

金銭感覚を身に着けさせる意味合いで、その欲求はグッと堪えた。

ほんま魔性のガールやでサンディはん……。
 
479 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 16:16:45.94 ID:YmoQ0jae0

ふっと目線を他の紙袋に移してみる。

何やら英語の表記で書かれているお洒落なロゴだ。

見た事のないお店だが、一体何を買ったのだろう。


「ねぇサンディ、そういえばもう一つの袋って何を買ったの?」


それとなく訊ねてみると、途端サンディの肩が跳ね上がた。

直後に彼女に現れる、顔全体の紅潮と、モジモジするような手の動く。

え、なに、ヤバイ代物なの。


「あ、別にそんな詮索するつもりとかないから、無理に言わなくてもいいよ」


僕なりの優しさを見せたつもりだが、それを聞いた瞬間に

サンディが体全体を僕の方に向けてきて、おもむろに紙袋を開けてきた。

そしてそこから出てきたのは。

丁寧にラッピングされた、チョコレートだった。


「そ、その! て、テレビで今日は親しい人に気持ちを送る日だと聞いたので!」


ラッピングされたリボンに挟まるように、メッセージカードが添えられている。

折り曲げられていて中身は見えないが、“お兄さんへ”というタイトルだけで

サンディが自分で書いたカードだというのが一目で分かった。


「ハッピー……バレンタイン、です……!」

 
480 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 16:28:42.49 ID:YmoQ0jae0

天使はいるか、と聞かれたら。

眼前に降臨している、と今なら答えられる。

今まで貰ってきた義理チョコの中でも一番嬉しいチョコレートだ。

言葉にならない喜びをどう表現していいのか分からないから

サンディの頭をワシワシと撫で繰り回してしまう。

あわわわ、とちょっと髪が乱れながらも、気持ちよさそうな表情を浮かべる彼女が一層愛おしい。


「ありがとう、サンディ。大事に食べさせてもらうよ」

「は、はい……っ!」


幸せそうな、でもどこかでやり遂げたような顔をしているサンディ。

丁度そんなタイミングで、カウンター奥から気配がする。

どうやら注文したココアが出来上がったようだ。


「あいよ、お待たせ」

「有難う、マスター」

「あ、ありがとうございます」


マスターは僕の手元を見たあとに、サンディを見て破顔一笑。

サンディも彼を見ては何度もコクコクと頷いている。

なんだ、この一言も発さずに互いを察するようなやり取りは。

いつの間に二人とも仲良くなったんだろうか、などと少し気になったりもする。
 
481 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 16:37:43.13 ID:YmoQ0jae0


まぁ、それはさておき。

僕は手元に備えていたサンディからの義理チョコをマスターに

借りを返すかの如くこれ見よがしにとちらつかせる。


「いやー、マスター。確かにいい男の前には自然と集まってしまうみたいですな」

「良かったじゃねぇか。なぁ、嬢ちゃん?」


そう言いつつサンディに話を振ると、当の彼女は真っ赤になった顔を隠そうと俯きつつ、

両手をマスターに向けてパタパタと振っている。かわいい。


「確かに、義理でも人情味があるとチョコの良さも一際グッときますね」


パタパタ振ってたサンディの手が止まった。

そして油の切れたロボットのようなぎこちなさで顔を上げ、マスターの方に向ける。

向けられた彼は片手で顔を覆いつつ、天を仰ぎながらも何某かのジェスチャーをサンディに返す。

あの阿呆には俺から言ってやろうか、的なモーションだ。

するとサンディは首をブンブン振って、ガッツポーズのような動きを取る。

これからも頑張ります、的なモーションだ。


「嬢ちゃん、そのココアは奢りだ……。ゆっくり飲みな……」

「ありがとう、ございます……」

「いいってことよ……」


僕の知らない所でハードボイルドが繰り広げられている気がする。

 
482 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 16:49:05.50 ID:YmoQ0jae0


それからしばらく喫茶店でココアを堪能したのち、僕とサンディは帰路に就いていた。

帰り道の途中にある、街灯のオレンジ色に淡く灯る光が、僕らを緩く照らしてくれる。

サンディは僕の少し後ろを歩いているようだ。

がさがさと紙袋の擦れる音で、彼女がしっかりついて来てくれているのが分かる。

僕は僕で、サンディから貰ったチョコレートを割らないように

普段よりも注意深く歩いている。

鞄にしまったチョコレート、添えられたメッセージカードの真心が嬉しい。

僕もメッセージくらいは準備しておくべきだったかな。
 
483 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 16:53:59.72 ID:YmoQ0jae0

一直線に長い遊歩道の中間あたりで、足を止めてみた。

誰もいない夜の狭間。静けさだけが僕らを包む。


「サンディ、おいで」

「はい」


あえて前を向いたまま呼んでみる。

少し小走りな足音が後ろから聞こえてきて、丁度僕の横に並んだ。

止まったままの僕を何事か、と彼女は覗き込んでくる。

そのタイミングで、僕は鞄から物を取り出した。

縦に長いそれは、黒を基調とした入れ物に赤色でラッピングがされている。

それを、サンディに渡してみた。僕なりの真心を。


「はい、ハッピーバレンタイン」

「……え?」

 
484 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 17:08:57.94 ID:YmoQ0jae0

サンディは目を丸くして驚いている。

まさか自分が貰えるとは、といった心境だろうか。

昨今は男性から女性に送るバレンタインも珍しくないらしいので

僕からの小さなサプライズを送ってみた。


「い、いいんですか……?」

「いいも何も、君のためだけに準備したチョコだよ。受け取ってくれたら嬉しいな」


なんだか少々照れ臭い。いや結構照れ臭いなこれ。

サンディが僕にチョコ渡す前に顔が真っ赤になっていた理由が何となく分かった。

自身の耳が赤くなってそうだが、そこはハードボイルドらしく冷静に振舞っておこう。

そんな僕の義理チョコを受け取ってくれた彼女は、

胸いっぱいにそれを抱きしめている。

幸せそうに、幸せそうに、抱きしめている。

 
485 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 17:10:51.20 ID:YmoQ0jae0

「じゃ、じゃあ用件も済んだことだし、帰ろうか」

「はい……!」


サンディは僕の横に並んだかと思えば、スキップするような足取りで軽やかに抜き去って

数メートル先の街灯の下まであっという間に辿り着いていた。

喜んでくれたのは素直に嬉しく思う。

こういう些細な喜びがある日々をもっと増やせていけるよう、僕なりの努力はしてみたい。

義理と人情で引き受けたサンディとの共同生活だけれど。

一握りくらいは愛を込めてもいいのかな。

そんな事を思いながら、サンディの待つ橙色の光が灯る街灯まで駆け出した。

 
486 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 17:18:50.78 ID:YmoQ0jae0


〜 後日談 〜


サンディから受け取ったメッセージカードには、

沢山の感謝の言葉が綴られていた。

出会った頃に助けてもらった事から始まり、何でもない日々の中で本人すら覚えていないような

些細な気遣いの行動に関して等、とめどなく溢れるような沢山の感謝の言葉。


締め括りの文章に書かれていたのは下記の通り。



“私と居てくれてありがとう、おにいさん。 好きです。大好きです。”



それを夜中に読んでいた探偵は、

あまりの尊さにおうおう涙を零しながら、うわごとのように

「うちの子本当に可愛いんですよ……」を只々繰り返すだけのマシーンと成っていた。

 
487 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 17:29:54.08 ID:YmoQ0jae0
「季節感」とかいう置いて行かれるためだけにある言葉よ。
ネタはあるものの書き溜めしていないと、どうしても時間がかかりますね。

業務多忙の日々も少し落ち着いたゆえ、久々に綴ってみまして。
読んでくださった方々が少しでも楽しんでくれたのなれば幸いです。

作業用BGMより一曲
https://www.youtube.com/watch?v=nS32IXrNgfw
488 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/02(火) 21:29:32.70 ID:Vjx0L5x2O

浄化される…
489 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/03(水) 01:20:56.84 ID:lIPkH7iso
いやー…尊い
490 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/03(水) 08:21:17.97 ID:AXP6EEd0O
更新乙です

あぁ、癒される??
491 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/03(水) 08:23:44.34 ID:AXP6EEd0O
せっかくの感想誤字ってる( ̄▽ ̄;)

でもこれで研修頑張れます
492 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/05(金) 22:04:36.33 ID:fCLfJEqw0
更新乙です
ソフトマイルドなお兄さんよりハードボイルドしてますねサンディさん…
493 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/05/01(水) 05:05:40.57 ID:XMZ3frEk0
令和記念
494 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/07(金) 21:00:08.85 ID:gsIZWItq0
保守
495 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/16(日) 13:23:48.74 ID:MPJ0sY3a0
まだ待ってますよ〜 (*^−^*)ノ
496 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/29(月) 19:57:10.56 ID:1u2H/ZMS0
保守
497 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/08/15(木) 20:46:17.00 ID:dn7JADrJ0
保守
498 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/18(水) 16:37:49.44 ID:W6AdXEGX0
保守
499 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/08(火) 11:41:58.30 ID:DAHSTfS1O
保守
500 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/07(木) 06:57:56.58 ID:37vZtoMZO
保守
501 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/12/01(日) 22:03:46.73 ID:qyKV0/ei0
保守
502 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 16:51:00.93 ID:lpdju8Jx0
新年あけましておめでとうございます。
今宵どこかで投下をば。
503 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 18:12:48.12 ID:uhGUIKFFo
あけおめ!
504 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 20:50:20.17 ID:lpdju8Jx0
 
秋の兆しよりも、夏の名残が風に乗って頬を撫でてくる。

そんな九月の半ばを迎える暦の頃。

私は探偵事務所のテーブルで、とある同年代の子と一緒に向き合って勉強をしている。


体面にいる男の子の名前は、水瀬 真生(みなせ まお)くん。

先月の夏祭りで知り合ったばかりだが、

なんとなく彼とは非常に気が合いそうな気がしている。

日本語でいう“同好の士”とでもいうのだろうか。

いや、何か違うような気がするが、それに近い空気を感じるのだ。


>>444
 
505 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 20:55:31.70 ID:lpdju8Jx0

彼は非常に中性的な顔立ちをしていて、

黙っていると女の子にも見えてしまう。

同じくらいの年の友人なんて殆どいないけれど、

テレビで見るような賑やかな子ども達とは違う、独特の雰囲気がある。

そんな彼を見つめていると、チラッとだけ目が合った。


「……なに?」

「あ、いや、別に……なんでも、ないです……」


ふーん、とだけ言葉を残して、マオくんは再びテーブルの下に目を落とす。

人の動向を見過ぎる仕草は失礼に値する。

昔そう教えられていた事もあり、反省をしつつ

私も机に敷かれた積本を崩す作業に戻ることにした。

カリカリ、カリカリと鉛筆が滑る音に紛れて

ペラリ、ペラリと本を捲る音が、私たちのいる空間に反響する。

とても静謐で淑やかな時間だと感じている。

マオくんとは出会ったばかりなのだけれど、あまり緊張しないのは

こういう空気を共有できるからなのかも知れない。
 
506 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 21:01:10.70 ID:lpdju8Jx0

そのまましばらく時が流れて、私は本を一冊読み終えた。

さて次は何を読もうと考えていると、体面で机に噛り付いている子が目に入る。

ふと興味が湧く。マオくんが何を一心不乱に学んでいるのか。

そっと覗いてみると、どうやら国語の四字熟語を覚えるために

何度もノートに書きなぐっていたのだ。


私も日本語は文字通り叩き込まれながら覚えたのだけれど、

当時を振り返ると四字熟語は結構苦手だったりした。

慣用句と違い、漢字のみで形成される言葉の成り立ちがイコールで結び付けづらいから。

設問を間違えた回数分、シャープペンを腕に突き立てられた事もある。

私は無意識に左腕の少し肉厚になった傷跡に手を添えていた。

過去の記憶を思い出しそうになり、思わずぶんぶんと頭を振ると、

訝しげな表情でマオくんが見つめてきていた。


「なに? ……どこか痛いの?」

「え、う、ううん。大丈夫です、大丈夫……」


そっか、と言いながらも、チラチラと私を気にするように、

目が合う頻度が少し上がった気がする。

マオくん、優しいなぁ。
 
507 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:07:00.63 ID:lpdju8Jx0

ただ、私がいることで彼の気を散らせてしまっているのなら申し訳ない限り。

ずっと勉強を続けているマオくんの息抜きになればと、

ほんの少し勇気を出して話しかけてみた。


「それ、何の勉強をしているんですか?」

「ん、塾。宿題とは別にテスト勉強してるだけ」

「へぇ……すごいなぁ。私、そういうのやった事ないから」

「そうなの?」


マオくんが不思議そうに首をかしげる。

何となく猫を想起させてくる仕草だなぁ。

私は、うん、と首を縦に振りながら、思っている事を口から紡いだ。


「ちょっとだけ憧れているんだ、学校みたいなこと」

「学校に来たことないの?」

「うん」

「そっか……」

「マオくんは、学校楽しい?」

「別に。俺は早く大人になりたいから、学校に居ること自体、なんかもやもやしてる」

「大人になりたいの?なんで?」

「それは、その、そう……何となく、かな。
 せ、背伸びしてるみたいでダサいよな……」


そう言いながらも、彼は耳を真っ赤にしている。

ふと笑顔の素敵なお姉さんが脳裏をよぎった。

きっと、好きな人に一秒でも早く追いつきたいんだ。


「わかります」


私は思わず口に出していた。
 
508 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:12:26.37 ID:lpdju8Jx0

彼はきょとんとした顔で、私を見つめてくる。

次は私の鼓動が早くなる番だった。

何も考えずに零れた言葉、私の心。

言葉の裏に思い描くのは、私の神様。

あの人の横に並べる女性に成りたいから、私は大人になるまで生きていたい。

生きていたいと、願ってしまうのだ。


「君も、そうなんだ……」


コクリ、と首を振ってマオくんからの質問に答える。

何故か凄く恥ずかしい。耳まで真っ赤になっているのが分かる。


「じゃあ俺たち、戦友だな」


マオくんが、二カッと無邪気な笑顔を返してくる。

私は、ようやく彼が男の子と認識できたような気がした。

何故か不思議と嬉しくなって、返事の代わりに笑顔を向けてみた。


イザベル、クロエ。

わたし、友達ができたよ。
 
509 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:15:35.35 ID:lpdju8Jx0

それから私とマオくんは、他愛もない話を交わしていく。

マオくんは学校の友達のこと。通っている塾のこと。

そして、お姉さんのこと。

私は基本的にお兄さんのことが話の内容として多くなってしまう。

そんな話の流れは、マオくんが勉強をしている四字熟語の事にスポットが当てられた。


「マオくんは何の四字熟語を勉強していたの?」

「ん、色々。 今は“岡目八目”ってのを覚えていた」

「岡目八目?」

「サンディにはあんまり馴染みないかもね。
 囲碁っていうゲームから生まれた言葉だし」

「それってどういう意味?」

「ああ、それはね……」


マオくんがその解答を告げようとしたその時、

探偵事務所の扉がきぃ、と音を立てて開いた。


「ただいまー。 二人ともお留守番ありがとね。
 アイス買ってきたから、お利口さん方は好きなの選んじゃって」


朗らかな声が私の鼓膜と心を震わせてくれる。

お兄さんの声だ!!
 
510 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:19:14.86 ID:lpdju8Jx0

「おお、マオくん。勉強いつも頑張ってるね。
 お姉さんから『塾が始まるまでの一時間だけ預かってくれ』って頼まれてるし、
 時間がくるまでゆっくりしていっていいよ」


お兄さんはマオくんにそう告げると、

マオくんは、「……りがとざっす」と、小さな声でお礼を返す。

そしてお兄さんは手元のコンビニ袋を私たちに差し出してくれた。

マオくんが「先にいいよ、サンディ」と気を使ってくれるので

なんだか恐縮してしまって「ま、マオくんからいいよ!」と返事をする。

じゃあ遠慮なく、と言わんばかりにラムネ味のアイスバーを彼は選んだ。

残る一つはなんだろうと袋の中に手を入れ、それを取り出してみる。

私が選んだアイスは、千切ると二つになり、啜るように食べるものだった。

パ〇コと書いてある。

前にお兄さんと分けて食べた事があるが、チョコ味でとても美味しかったのを覚えている。

おもむろに袋からそれを取り出し、二つに分けてお兄さんに差し出す。

お兄さんは嬉しそうにそれを手に取り、余った手で私の頭を撫でてくれた。

嬉しさ半分、こそばゆさ半分。

いや、やや嬉しさが勝っている。体感の比率では8:2くらいか。

マオくんが何か考えながら私たちを見ているような気がするが、気のせいだろう。


「ありがとう、サンディ」


お兄さんは嬉しそうに言う。

わたしは、それが、とってもうれしい。
 
511 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:24:58.75 ID:lpdju8Jx0


「でもサンディのご褒美で買ったんだから、二つ食べていいんだよ?」

「あ、そ、それはですね……今日読んだ本に……」

「何か書いてあったの?」

「“愛する人には、全てを注ぐの。何も見返りを望まずに。”って……」


視界の端でマオくんが、やるじゃん、と言わんばかりの顔をしている。

お兄さんがパ〇コを返そうとしたから、口から咄嗟に出た言葉なんだけれど。

愛などと大層な言葉を使ってしまい、恥ずかしさが止まらない。


「『献身』か。僕もそう在りたいな。いい本を読んでいるね、サンディ」


そういうと、またしても頭を優しく撫でてくる。

慈しむように触れてくるから、胸がいっぱいになってしまう。
 
512 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:29:52.70 ID:lpdju8Jx0

アイスをガリガリと齧りつつ、何やら考えていたマオくん。

「ああ……そういう事ね……」と呟きながら、

ハズレの表記が出たまま半分残っているアイスを銜えつつ、テーブルを片付け始めた。

お兄さんはそれに気づいて、事務所に置いてある時計に目を向けた。


「もう塾の時間か。自分で気づけてえらいね。
 またこうしてサンディと一緒に遊んでくれたらうれしいな」

「はい、また来ます。 俺、サンディと気が合いそうなんで」


お兄さんは嬉しそうに、うんうんと頷いている。

そして勉強道具をすべて仕舞い込んだマオくんが、帰る前にそっと私に耳打ちする。


「大変だな……」

「なにが?」

「いや、なんでもない……。二人のおかげで、一つ勉強になったよ」

「?」



「岡目八目、ってやつ」
 
513 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:37:52.89 ID:lpdju8Jx0
ご無沙汰しております。
またこうして、ゆっくりと綴っていけたらいいな、と。
たまには覗いてくれると嬉しい限り。
514 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 21:42:15.94 ID:4RYyFHTu0

ずっと待っていたよ
515 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 22:09:28.80 ID:uhGUIKFFo
おつおつ!
よろしくお願いします
こいつ…中々の察し、どこかのソフトマイルドさんは見習って?
516 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 22:14:29.05 ID:lpdju8Jx0
感想を頂ける喜びを噛み締めつつ、
話を綴る楽しさを改めて思い出しています。
有難うございます。感謝。
517 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/09(木) 06:37:58.01 ID:eXxQ/tD40
あけおめ更新乙
518 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/01/09(木) 08:20:02.51 ID:utGKCd1V0
昨日読み始めて追いついたけどすごくいいねファンになったわ
519 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/21(火) 10:22:41.38 ID:cnAJyixHO
相も変わらずオサレだなぁ……
更新お疲れ様です
520 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/26(日) 10:51:19.00 ID:uZ4Ygj190
【二人のエピソード】  ※連れて行きたい場所、日常の一コマ、未来の話など

>>521


【視点:男 or サンディ or その他】

>>523
521 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/26(日) 11:22:49.25 ID:5H/sa4jy0
たまには仕事帰りのお兄さんを
522 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/26(日) 11:23:20.83 ID:xQE9gnT5o
イザベル、クロエ、会いに来た
523 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/27(月) 08:33:47.84 ID:TeAvOi/SO
サンディ視点で
524 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/04(水) 10:48:14.35 ID:KaEFgGcH0
保守
のんびりとお待ちしております
525 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/04(土) 21:00:54.26 ID:oQRrTn2I0
保守
526 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/11(土) 07:13:09.11 ID:Y25hWkHhO
引き込まれますね
続き楽しみです
保守
527 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/11(土) 10:29:11.41 ID:awJL6YJno
読み返したくなる名作
そして毎回クリスマスで死ぬ
528 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/05/05(火) 05:56:13.01 ID:reK9YqafO
保守
529 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/05/12(火) 14:20:11.10 ID:GSr3VfmPO
保守
530 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/06/03(水) 08:19:30.35 ID:uokk9BjHO
保守
531 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/06/24(水) 00:32:02.60 ID:5DmSTfA6O
保守
532 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 19:58:55.23 ID:xBNddiV40

【二人のエピソード】  ※連れて行きたい場所、日常の一コマ、未来の話など

たまには仕事帰りのお兄さんを


【視点:男 or サンディ or その他】

サンディ視点
 
533 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:00:49.06 ID:xBNddiV40
 
六月中旬。夕刻の頃。

どんよりとした空模様から、しとしとと降っている生温い雫がアスファルトを濡らす。

天気予報の週間予想は、一昨日からずっと傘マークを示していた。

これほどまでに雨が続くと、恵みの雨と表するには少々供給が過ぎているようにも感じる。


夏が始まる前の日本の空のカーテンは、グレイの色合いをしていた。

今まで私が居た場所の天井を想起させてきて、何だか少し気が滅入る。

ただ、外の景色を歩く人々は、色とりどりの傘を差していて

灰色の用紙にビビットな色彩の絵の具を撒いたような

高翌揚感のある風景も一緒に見せてくれる。
 
534 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:03:00.90 ID:xBNddiV40
 
街並みを探偵事務所から見下ろしながら、私は一人の影を探す。

探し人は、居候先でお世話になっているお兄さんだ。

今日はお仕事で午前中から外出していて、帰宅が夕方頃になるとの事。

お兄さんを玄関で「おかえりなさい」と迎えたいので、

帰路の姿を見つけられるよう、こうしてチラチラと外を気にしてしまう。

まだ来ない、まだ来ない……。

待ち続けること三十分。

その間、「ただいま」と私に向けてくれる、ほんわかとした笑顔を思い描くたび。

何故だか耳が紅潮してしまい、どうしても落ち着かない。
535 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:04:08.16 ID:xBNddiV40
 
既に家事は粗方片付いており、強いて言えば夕飯をどうするか悩んでいるくらい。

いつも夕方の時間帯はテレビを見ているか、読書、勉強をしているけれど、

今日はそんな気分ではない。

窓の外に映る景色が気分を落ち着かせてくれているのか、

もしくは昔の景色が瞼の裏に映って気分が落ち着かないのか。

お昼寝をしたらお兄さんの帰宅のタイミングを逃すかも知れないので、

何某かの行動はしておきたいところ。

何か良いものは無いものかと事務所内を見渡してみると、

旧型のラジオが目に飛び込んだ。

早起きした時にお兄さんがそれをよく聞いているので、

周波数は合っていると考えられる。


ご飯の準備の片手間に、ラジオでも聞いてみようと思い、

電源スイッチをオンにしてみると、丁度のタイミングで曲が流れてきた。

美しく澄んだ女性の声が耳に心地よくて。

それ以上に、歌の最初のフレーズに私は心を鷲掴みにされた。
 
536 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:05:45.55 ID:xBNddiV40


Someday I want to run away
(いつか私は 逃げ出したい)

To the World of Midnight
(真夜中の世界へ)


曲自体は二分となく、短いものだった。

でも、その歌がずっと頭の中をリフレインしている。

覚えたフレーズだけ、自然と口から紡がれる。

 
537 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:06:33.16 ID:xBNddiV40


「さーむでぃ……あい、うぉんと…とぅ、らなうぇい……」


いつか私は 逃げ出したい。


「とぅ……ざ、わーると…おぶ、みっどないと……」


真夜中の世界へ。
 
538 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:08:01.30 ID:xBNddiV40
 
私が、ずっと、ずっと考えていた事。

逃げ出して、どこかに行きたかった事。

あの時に居た暗がりよりも、暗いところに行きたかった事。
 
539 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:08:50.62 ID:xBNddiV40

堅い木材で頭を殴られた事を思い出すような衝撃だった。

不意に前に居た場所を思い出し、呼吸が少し荒くなる。

苦しさを顔に出すと更に折檻を受けた事を体が覚えていて、もっと息が辛くなる。

いきているのが、つらくなる。

お兄さんから渡されている青い錠剤を、ポケットから取り出し、

台所から水を調達して急いで胃の中へ流し込んだ。
 
540 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:09:31.00 ID:xBNddiV40

ぜぇぜぇ、と肩で息をしながら、ふっと深呼吸をする。

深く息を吸い、ゆっくりと吐く事を数度。

心拍数はやや乱れているものの、先ほどよりも幾分か気分が楽になった。

それでも、あの美しい歌声が、頭の中で優しく響いてくるのは変わりなく。

悲しい曲。けれど、とても美しい曲だな、と感じたから。

つい、ぽつぽつと、私のか細い声帯はその歌を奏でてしまう。


雨音にかき消されるように小さく歌うその曲が、

誰もいない探偵事務所に反響する。


それを数度繰り返していると、その中で一番大きな音が鳴り響いた。

ピンポン、ピンポンというチャイムが二回。

お兄さんが帰ってきた合図だ。
 
541 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:10:06.57 ID:xBNddiV40

私はバタバタと慌てて玄関まで走り、お兄さんを出迎える準備をする。

お兄さんが濡れているかも知れないから、タオルを片手に持ち、ドアのチェーンを外した。

金属を擦る無機質な音が聞こえてから一拍、ドアがきぃ、と開いた。


「ただいま、サンディ」

「おかえりなさい、お兄さん」


優しく微笑む彼の顔を見て、私は嬉しくなり、笑顔を返す。

そして手に持っていたタオルを渡すと、ありがとう、と受け取ってくれた。
 
542 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:11:13.24 ID:xBNddiV40

「いやー、外は思ったより降っていたけれど、大きめの傘だったから殆ど濡れなかったね。
 出かける前に一緒に見ていたテレビの天気予報さまさまだよ」

「ふふ、それは良かったです」

「だからね、サンディ。気になる所は一つだけ」


お兄さんは手に取ったタオルを、優しく、優しく私の顔に添えてくれる。


「君の頬の方が濡れてる」

「えっ?」

「そりゃっ!」


お兄さんはそのまま、私の顔をタオルで覆い隠すようにぐるりと巻いて、

肩と膝裏に手を添え、お姫様抱っこの要領で私を持ち上げた。

突然の事に、うひゃあっ、と声が漏れてしまう。

顔が真っ赤になっているのが直ぐにバレそうだったので

恥ずかしさを隠す為にタオルはそのまま顔に添えて、

後はもうお兄さんの好きにしてほしいと言わんばかりに身を預けた。
 
543 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:13:07.62 ID:xBNddiV40
 
そしてそのまま事務所のソファまで運ばれ、一番フカフカのクッションを敷いた所に私を置いた。

どうやら無意識のうちに滂沱の如く涙を流していたようで、

ようやく首元の襟筋まで濡れていることに気づき、割と新品の服を汚したようで申し訳ない気持ちがある。

お兄さんは心配しながらも、内証について深くは聞かず、

私にホットミルクを作ってくれた。じんわりと心まで温めてくれる、優しい味。

彼は私がミルクに口を少しずつ付けるのを、見守るように微笑んでいたあと、

部屋着に着替えるために自室へ戻った。

ふっと、また歌が頭を駆け巡る。

美しい歌の歌詞が、私の口から零れてくる。


「サンディ、声が綺麗だね」


自室の奥からお兄さんの声が聞こえ、私は気恥ずかしくなって俯いた。
 
544 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:14:21.15 ID:xBNddiV40

恰好を部屋着にシフトしたお兄さんは、片手にコーヒーを持って私の横に腰を下ろした。

そのまま何も言わず、私の頭にそっと右手を伸ばして、自分の肩元に抱き寄せる。

何故だかまた涙が溢れてきた。

雨のような生温さのそれは、私の頬をポロポロと零れてゆく。

ふと、自分の頭の上から、調子が少し外れた歌が聞こえてくる。


「Someday I want to run away、To the World of Midnight……♪」


私が聞いたあの曲を、楽しそうにお兄さんが歌っていた。
 
545 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:15:15.50 ID:xBNddiV40

「サンディ、懐かしい歌を知ってるね」

「え、あの……さっきラジオで聞いていたので……」

「この曲をラジオで流すのもまた凄いな……最近のFMを見くびっていたよ……」

「お兄さんはどうしてこれを知ってるんですか?」

「ああ、前の所長がジャンル問わずで音楽を車内で流す人でね。
 好きな作品で使われた曲だってのを熱弁された事があるんだ」


そう言いながら事務所の天井を見上げるお兄さんは、

どこか遠くの暗い場所を覗き込んでいるような、寂しい目をしていた。
 
546 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:16:05.75 ID:xBNddiV40
 
「サンディ、ハードボイルドが生きる時間帯って知ってるかい?」

「いえ……分からないです……」

「ハードボイルドは真夜中に生きているんだよ」


ハードボイルドは生き物だったのか。

などと一瞬思ったがそうではなく、恐らく活動時間帯の事を指しているのだろう。


「だからね、サンディ」


お兄さんはくしゃり、と私の髪を撫でてくる。


「ハードボイルドたる僕は真夜中の世界にいるからさ」

「逃げてきたんじゃなくて、僕の所に走ってきたと思えばいいさ」


あの歌を聞いて、原因の分からない気持ちを抱えていた私は、

ようやく泣いていた意味を理解する。

あの場所から、この世界から、逃げ出したかった気持ちの後ろめたさを

全て包んでくれるような言葉を貰ったような気がした。

この人は、どうして私の事が分かるのだろう。

私でも分からない所を、分かってくれるのだろう。

色々な感情が混ざり合い、何も思考が出来なくなって。


私はふっと立ち上がり、お兄さんの額を右手で捲り、

そこに唇を当ててみた。

 
547 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:16:45.09 ID:xBNddiV40

その感触で正気に戻り、お兄さんの顔を見つめる事無く、

我ながら物凄い勢いで台所の奥へと駆けだした。

この状態で目が合ってしまえば、きっと息が出来なくなる。

どうしようもないほどに心拍数や脈拍が上がってしまうけれど、

これはきっと、悪い症状ではないのだと、自分に言い聞かせる。


「お兄さん! 今日の晩御飯は何がいいですか!?」

「え、あ、じゃあ、ハンバーグで……」

「承知しました!いっぱい作りますね!」

「おおぅ、急に元気になったね、サンディ……」

「はい、もうずっと元気です!!!」


貴方が居てくれるから、私は元気でいられます。
 
548 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:18:26.20 ID:xBNddiV40
 
 
貴方は自分を真夜中の世界の住人みたいに仰いましたけれど。

それを聞いた私は、貴方の事をそうは思っておりません。


私は生きている。

明るくて、温かい、お日様の世界に。

 
549 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:21:05.34 ID:xBNddiV40
日々なかなかの勢いで忙殺されていて、家の役割が風呂と就寝くらいしか果たせていない今日この頃。
投下が遅くなって申し訳ございません。
ボチボチと書いてはいますので、またゆるりとお付き合い頂ければ幸いです。


※サンディが聞いていた楽曲
https://www.youtube.com/watch?v=6Yg6uDKdvHU
550 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/07/02(木) 20:24:53.51 ID:HhIAA2dDo
待っててよかった、…、!
551 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/07/02(木) 21:03:42.02 ID:6Oaw9sEq0

待ってた
552 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/07/04(土) 06:31:07.02 ID:ZkPPyWBy0
投下乙です
日向に生きるハードボイルドがいたっていいじゃない
553 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/07(金) 05:44:17.94 ID:F+vZmmib0
保守
554 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/06(日) 23:25:42.59 ID:rjRU/foq0
保守
555 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/18(金) 07:22:36.32 ID:lilqAKcVO
保守
556 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/10/09(金) 05:37:18.40 ID:esmYg5Nh0
保守
557 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/05(木) 21:38:06.07 ID:6L3xRFEe0
保守。こんなにいい作品が流れてたまるか
558 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/26(木) 11:10:51.02 ID:Zb3bDCm80
保守
気長に更新待ってます
559 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/12/23(水) 00:50:58.77 ID:E3/wsmQZ0
保守
560 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/01/23(土) 23:23:32.24 ID:CbDDyPA10
保守
561 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/02/11(木) 22:52:19.53 ID:Oa/mMnB70
保守
562 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/02/26(金) 23:09:22.33 ID:+V1rM9z70
保守
563 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/03/12(金) 05:21:09.11 ID:7j6o11FA0
保守
564 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/03/19(金) 07:54:09.97 ID:WJSWVTRq0
保守
565 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/04/02(金) 12:14:14.85 ID:xPrRjml9O
保守
566 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/04/17(土) 10:40:24.71 ID:6iJJiEpM0
保守
567 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/05/01(土) 10:14:18.11 ID:Y+vzmKSC0
保守
568 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/05/20(木) 12:47:39.08 ID:bbZqkODrO
保守
569 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/06/03(木) 21:27:06.53 ID:6mphcS6o0
保守
570 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/06/25(金) 14:34:45.75 ID:xtmnHDB+O
保守
571 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/07/10(土) 08:22:32.12 ID:B+lo8EFF0
保守
572 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/08/07(土) 07:08:49.04 ID:YcdaX57+0
保守
573 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/08/29(日) 09:18:44.74 ID:qdsVNk150
保守
574 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/09/11(土) 12:27:21.53 ID:1FQssip+0
保守
575 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/10/10(日) 17:21:33.85 ID:memgFZtC0
保守
576 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/11/02(火) 00:52:57.76 ID:IdxWoCyu0
保守
577 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/11/21(日) 18:34:36.70 ID:Gz8AShw50
保守
578 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/12/04(土) 20:24:06.19 ID:ReaMdmYo0
保守
579 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/12/26(日) 07:43:54.95 ID:KTVoFGPU0
保守
580 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/02/05(土) 12:28:33.53 ID:qxs98jBj0
保守
581 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/03/05(土) 06:06:19.59 ID:fujdVb2F0
保守
582 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/04/16(土) 07:12:58.37 ID:viEaOM8i0
保守
583 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/05/21(土) 21:22:24.64 ID:K9iyVM4j0
保守
584 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/07/18(月) 07:31:57.71 ID:X3q2F9Oa0
保守
585 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/08/12(金) 05:57:52.44 ID:DX9H7mGI0
保守
586 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/08/30(火) 07:41:51.10 ID:VITqYdJuO
もう2年も前になるのか…
続き待ってるんだけどな
587 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/11/26(土) 13:07:51.13 ID:YsNjcXh/0
保守
588 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2022/12/19(月) 17:27:57.99 ID:pLNqhZae0
はい
589 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2023/01/14(土) 10:56:24.39 ID:KVJhdgqO0
保守
590 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/02/20(月) 12:49:19.45 ID:QfFnTBMb0
保守
591 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2023/03/12(日) 03:04:16.64 ID:7c/+vqms0
保守

続きお待ち申し上げております
592 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/04/13(木) 21:17:53.93 ID:sOILJPFp0
保守
593 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/10/15(日) 21:47:16.13 ID:rMg4btUL0
保守
594 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2023/12/05(火) 14:05:20.91 ID:TZkism+QO
保守
595 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/12/05(火) 20:27:47.33 ID:lg+/B3D00
待ってる
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