橘ありす「二人ぼっちのアリス」

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48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/09(木) 14:04:19.10 ID:qqZ9lcZyo
おつ
49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/09(木) 14:32:01.81 ID:YE4j/vKxO
おつ
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/09(木) 17:42:59.50 ID:DJMIbTGHo
いい・・・ありすもありすも、いいいい・・・すごい・・・良いよ・・・・
51 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:24:19.38 ID:/E20kLoAo
 ――――

 秋の落とした陰から煙が立ち上るように、冬がやってくる。
 中には、すでに湿っぽくなっている教員もいて、

「冬休みに入ると、あの子たちと会えるのが、本当にもう、すこしなんだと思ってね」

 などと、ため息をつくのだった。

 一方の子供たちはクリスマスや冬休みの予定に胸を躍らせ、
自分たちが小学校を卒業することさえ忘れているようだった。

 そして、それは毎年のことだった。
 あと三ヶ月で、六年間の教育を修了するというのに。
 時間感覚に鈍感なのか、それとも大人が勝手なのか。きっと、両方だろう。
52 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:24:50.86 ID:/E20kLoAo
「冬休みは兵庫のおばあちゃんの家へ行くんです」

 終業式のあと、ありすはタブレットを胸にウキウキとした様子で言った。

「兵庫ねぇー。雪遊びとか、する?」

「もう、そこまで子供じゃありません」

「そうかしら? 私、高校生くらいまでずーっと雪遊びしてたのよね。
 実家が東北の田舎でね、冬になると雪まみれになってさ」

「なんだか、先生らしいですね」

「そうかな?」と、私は笑った。「冬休み、楽しんでおいでね」

「はいっ」と、ありすはニコニコ答えた。

 合唱のパートリーダーを任せたことが、いい方に作用してくれたのだろうか。
 オーディション以来の陰はほとんど見られない。
53 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:26:08.05 ID:/E20kLoAo
 ありすの後ろ姿を目で追っていると、思わず鼻がツンとした。
 あまり感傷的になる質ではないのだが。

 頑張り屋の彼女なら、きっといつか、夢を叶えられる。
 けれど、教師は、損だ。
 私はこの学校という場所に留まり続けなければならない。

 生徒が夢を叶えるとき、傍には居られない。
54 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:27:08.01 ID:/E20kLoAo
 しかし、冬休みの二週間は、そんな感傷に浸る暇もなかった。

 卒業式や、新学期のカリキュラム、来年度の準備など仕事は山積みだ。
 それに加えて実家への帰省。日々の雑事もなくなるわけではない。
 かえって、普段より忙しいくらいで、バタバタ働いているうち、あっという間に冬休みは終わってしまった。

 雪も、降らなかった。
55 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:28:10.41 ID:/E20kLoAo
 冬休み明けの始業式。
 私はすっかりヘトヘトの状態で登校した。

 教室へ入ると何やら騒がしい。
 見ると、何やら雑誌を回し読みしているようだった。

「こーらっ、何読んでるの」

「あっ、アリス先生」

 雑誌を囲むひとりがバツの悪そうな顔をした。
 私は注意の言葉を続けるより先に、その雑誌に目が行った。

「あれっ、この子……」

 そこには、橘ありすの姿があったのだ。

「これ、橘さんですよね。アイドルになるんだって!」

「アイドルって……」

 私はすっかり面食らって、生徒たちと一緒になって雑誌を囲んだ。
 ありすはカラーページの一角で、なんだかぎこちない笑顔を浮かべている。
56 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:29:15.88 ID:/E20kLoAo
 はて――、事情が飲み込めないうちにチャイムが鳴った。
 騒ぎをよそに、当の本人――ありすはいつの間にやら登校してきていた。
 ちらちら視線を投げかけるクラスメイトなんか、まるで見えていないように平然としている。

 私はどうも、腑に落ちないような気持ちで半日を過ごした。
57 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:29:56.99 ID:/E20kLoAo
「アイドル事務所の方に、声をかけられたんです」

 放課後になってようやく雑誌のことを訊くと、ありすはこともなげに言った。

「じゃあ、ありすちゃんはアイドルになるの?」

「オーディションのとき、目にしてくれていたらしくて、……それで、あんまり熱心だったから」

 そう言って、ありすは気まずそうにちょっと目を伏せた。

「先生は雑誌、見ましたか」

「うん、見たよ」

「大人って嘘つきですね」

 ありすは自嘲的に笑った。大人を信じた自分がバカだった、とでもいうように。
58 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:31:09.04 ID:/E20kLoAo
「どうして?」

「本当は、別の名前でデビューするはずだったんです」

「別の? 別の名前って?」

「本名はイヤだって。ちゃんと言ったんです。
 他の名前でなら、アイドルになってもいいです、って」

 話しているあいだ、ありすは私と目を合わせてくれなかった。

「結局、口だけでした。大人なんて、そういうものです」

「なんて言われた?」

「えっ?」

「その人に、名前のことで」

 私が訊くと、ありすは躊躇いがちに答えた。

「素敵な名前だって」

 それから、困ったようにひとつため息をついた。

「だから、自分の名前を好きになってほしいって」
59 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:32:46.72 ID:/E20kLoAo
「先生もそれは同じ気持ちだけどな……」

「先生まで。みんな、勝手です。私の気持ちなんて、全然考えてくれない」

 ありすはがっかりしたような顔をして、それから、申し訳なさそうに言葉を続けた。

「ごめんなさい。名前、好きになれなくて」

 私は、何も言えなかった。
60 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:34:12.09 ID:/E20kLoAo
 橘ありすがアイドルに。

 そのことで、クラス全体がどことなく浮き足立っていた。
 クラスだけでなく、学校中が彼女の話題でもちきりだった。

 すでに、二月である。
 卒業まで残すところほんの一ヶ月、登校の日数だけ数えれば二十日ほど。

 この時期はどうしても学校中が浮足立つものだが、
それに拍車をかける新人アイドルの存在は、職員のあいだでやはり目につくようだ。

「先生のクラスの橘という子ですがね」

 同僚に先輩、果ては教頭から校長まで。
 世間でもよほど話題なのか、あるいは単に好奇心で訊いているだけなのか。
 学校に勤めていると、どうも世情に疎くなる。
61 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:35:31.50 ID:/E20kLoAo
 さて、私は台風の目の中に居て、平生通りに授業をこなした。
 そうするより他ない。

 台風の目たるありすもまた、淡々と学校生活を送っていた。
 彼女の話では、仕事やそれに伴うレッスンが本格的に始まるのは春以降。
 つまり小学校を卒業してからだそうだ。

 だからといってノンビリしているわけではなく、すでに中学校の教科課程を勉強しはじめているという。
 それに独学の歌の練習も変わらず続けているらしい。

「やるからには、全部、ちゃんとやりたいんです」

 私はそれをありすらしい言葉だと思い、
アイドルとして活躍する彼女の姿を想像して、なんだかワクワクした。
62 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:36:59.32 ID:/E20kLoAo
 クラスメイトも似たものらしく、ありすの写真が載った雑誌を繰り返し回し読みしたり、何やら噂しあっていた。

「ねえ、橘さん……」

 あるとき、ひとりがおずおず声をかけると、それを皮切りにクラスメイトたちはありすの机を囲んだ。
 ありすはすこし気難しいところがあるけれど、もともと気立ての良い女の子だ。
 すぐにクラスメイトたちとも打ち解けて、様々な質問に答えてあげていた。

 中には気が早い生徒もいて、ノートに彼女のサインなどねだっている。

「まだ、ちゃんとデビューもしていないのに……」

 ありすはちょっと困ったように言っているが、特にこだわらず自分の名前を書いたようだ。
63 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:38:20.65 ID:/E20kLoAo
 そんな風に、クラスメイトに囲まれておしゃべりを楽しむ彼女を遠目に、私はすこし切ない気持ちになった。

 ね、ありすは、ひとりぼっちなんかじゃないんだよ――。

 いつもは喉に引っかかって、矛盾を感じながら飲みこんだ言葉が、いまは私の胸を温めてくれる。
64 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:39:23.65 ID:/E20kLoAo
「お母さんは、なんて?」

「喜んでくれてますよ」

 放課後、私が訊くと、ありすはちょっと照れくさそうにした。

「あの、笑わないでくださいね。いま着てる服、母の選んだ服なんです」

「いつもは、違う服なの?」

「ええ、普段は自分で選んで買ってもらった服なんですけど。
 ……母はこういうの着せたがるので、嫌だったんですけど」

 確かに、普段着ているような服と比べて、今日は思い切ったデザインの可愛らしい服だった。
 エプロンスカートを彼女が着ると、まさに不思議の国のアリスといった感じだ。
65 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:40:21.83 ID:/E20kLoAo
「これからは、仲直りのつもりで着てあげるんです」

「仲直りねぇ」

 私はありすの表情に自虐的な陰を見た気がした。
 ありすは、いつだって後ろめたい気持ちを抱えているみたいだ。

「タンスの肥やしにしておくのも、もったいないしね。着られるうちに、どんどん着るといいんじゃない」

「そうします。前は、こういう服ばっかり着せられるのが、まるで着せ替え人形みたいで、嫌だったんですけど、
 ……いまもそれは変わらないんですけど、でも、まあ、いいかなって」

 ありすが中学生になり、大人になっていくその過程で、いまある洋服は着られなくなっていくはずだ。
 身長が伸びて、胸も、お尻もいまより大きくなっていく。

「私、早く大人になりたいです」

 ありすがそう言って笑うのは、間違いなく無邪気さゆえだった。
66 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:41:40.27 ID:/E20kLoAo
はたまた続きは明日に。
次の投下分で完結です。よければ最後までお付き合い願います。
よろしう。
67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/09(木) 20:43:29.54 ID:D3uhvC1jo
なんとなくありすはあんま胸育たなそう
68 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/09(木) 20:44:44.97 ID:/E20kLoAo
俺が育てる。
69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/09(木) 21:16:58.77 ID:ctg/R84wo
通報した
70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/09(木) 21:39:45.19 ID:soUkKMMzO
通報した
71 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:02:29.31 ID:/aq2I7elo
 ――――

 ありすは激怒した。
 それは合唱のパート練習の最中に起きた。

「いいかげんにしてよ!」

 突然の大声に、私は思わずピアノを弾く手を止めた。
 その残響がかき消えると、沈黙が床を濡らしたようになった。

 ありすはクラスメイトたちの視線を目で手繰り、
最後に私と目を合わせると悲しそうな表情になり、音楽室を出て行ってしまった。

「どうしたの?」

 私はその場に残った生徒に訊いた。
 本当は、すぐにでもありすを追いかけたかったけれど、教師という立場がそれを阻んだ。
72 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:03:10.56 ID:/aq2I7elo
「よくわからないけど、急に、橘さんが……」

 生徒たちの話は要領を得ず、気まずい雰囲気だけが何かの間違いのように続く。
 すこしして帰ってきたありすに声をかけると、彼女は「トイレに」と、それだけ言った。
 とにかくその日は、早々にパート練習を切り上げたけれど、大方、予想はついていた。

「みんな、おしゃべりばっかりしてるんです」

 放課後。いつものように、ありすと二人になって、ようやく話を聞くことができた。

「何回言っても聞かなくって、それで、つい、かっとなってしまいました。すみません」

「ううん。気にしなくていいわよ」
73 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:04:03.20 ID:/aq2I7elo
 生徒たちは合唱の練習中も、ありすに話しかけては、何やら囁き合ってばかり。
 はしゃぐ気持ちを抑えられないところは、やはり子供だな、と思うけれど、無理もない。

 生徒にとって、彼女はもう、クラスメイトの橘ありすである以上に、アイドルの橘ありすだった。

「パートリーダー、……辞退したほうが、いいでしょうか」

「それより、どうすれば、みんなをまとめられるか、先生と一緒に考えよう」

 ありすをなだめすかして、二人であれこれ方策を考えた。
 実際、私たちは頑張ったのだ。

 話しかけられてもできるだけ相手にしないとか、私から注意をしてみたり、パート練習の間隔を短くしてみたり……。
74 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:06:10.59 ID:/aq2I7elo
「もしも、私の名前がありすじゃなかったら、こうはならなかったのに」

 あるとき、ありすはうんざりした様子で、ため息をついた。

「そうしたら、クラスメイトに見つからなかったし、こんな変な風にならなかった」

 ここ最近、ありすはクラスの中ですこし浮いた感じになっていた。
 そのことは、私も気づいていたけれど、どうすればいいのか、わからなかった。

「でも、悪いことばかりじゃないでしょう」

 そう言った私を、ありすはきっと見つめた。

「どうして、わかってくれないんですか」

 アイドルになったことがきっかけで、クラスメイトと打ち解けた。
 ありすという名前が私たちを結びつけた。
 それに違いはない。

 けれど、わかっている、そういうことではないのだ。
 よくわかるから、てんで方向違いのことを言ってしまう。
75 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:07:38.46 ID:/aq2I7elo
 ありすは目に涙を溜め、吐き捨てるように続けた。

「それなんです、みんなそうです。プロデューサーの方も、言うんです。
 珍しい名前の子がいて気になったって。
 ……そればっかり。誰も私をちゃんと見てくれない。
 先生だって、おんなじですよね。ありすって名前じゃなかったら、私のことなんてどうでもよかったんじゃないですか?」

 その、真っ直ぐすぎる言葉に、私は何と返せばよかったのか。

「ごめんね、ありす」

「――――」

 ありすは裏切られたような顔をして、それから、何も言わず、私に背を向けた。

 彼女はどんなに傷ついたか、知れない。私が悪いのだ、と思った。
 私はまた、言葉を飲みこんだ。言わなきゃ、言わなきゃ、と思っている言葉を。
76 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:08:59.10 ID:/aq2I7elo
 ――――

 珍しく、ありすは遅刻した。
 朝礼の時刻にも間に合わず、一時間目が始まる直前にようやく教室へやってきた。

 すこし息を切らしている様子で、私が教壇から声をかけると、

「忘れ物、しちゃって……」と、短く答えた。

 始業のチャイムが鳴ってもなおクラスはざわついたままで、私は手を叩いて授業の開始を告げた。

「はーい、今日は教科書最後のところ、ちゃちゃっと終わらせちゃうよー」

 二月の下旬、いよいよ卒業を目前に控えて、授業はまるで消化試合のような趣だ。

 クラス全体の落ち着きのなさは日に日にひどくなる。
 が、一方で、きちんと授業に参加してノートを取る組もいる。

 ありすもその中のひとりだったが、今日はなんだか上の空だった。
77 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:09:58.45 ID:/aq2I7elo
 放課後。

「遅刻なんて、珍しいね」

「ええ、まあ……」

 ありすは曖昧に頷いた。
 そして、私からタブレットを受け取ると、そそくさと職員室を出て行こうとした。

「ありす」と、私は彼女を呼び止めた。「朝、何かあった?」

「別に、……何も」

「本当に? 今日、ずっと元気なかったよ」

 ありすは私を無視して行くか、それとも留まろうか、迷うように足踏みをした。

「何か、あったの?」と、私は努めて優しく言った。
78 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:10:57.42 ID:/aq2I7elo
「朝は、……その」

「うん」

「上靴が、たまたま見当たらなくて」

 私は、ガン、と頭を打たれたようになった。

 ありすの上靴にひどい汚れはないから、捨てられりしたわけではないだろう。
 が、上靴がひとりでに下駄箱からほっつき歩くはずがない。

「それじゃあ、行きますね。あんまり遅いと、心配されますから……」

 ありすはいつもと変わらぬ丁寧なお辞儀をひとつして、職員室を出て行った。
 私は、はっと我に返ると、慌てて、ありすを追って廊下に出た。
79 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:12:17.86 ID:/aq2I7elo
「ありす!」

 私の声は薄暗い廊下に響いて、ありすの足をやっと止めた。
 彼女の後ろ姿は蛍光灯のわざとらしい白と、窓から射す青い夕闇が混ざり合って、消えかかったように見えた。

「どうして私なんかをパートリーダーにしたんですか」

 ありすの声は涙に濡れて、言葉は幾重に輪郭を失い元には戻らなかった。

「大っ嫌い……」

 その声の残響が消える前に、ありすは足早に去ってしまった。
80 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:13:05.27 ID:/aq2I7elo
「大嫌い」

 私は胸にしまいこむように、その言葉を繰り返した。

「大っ嫌い、大っ嫌い……」

 ありすは、何に対して言ったのだろう。クラスメイトだろうか、私だろうか。
 それとも、ありすという名前に対してだろうか。

 立ち尽くす私は、行き場をなくした言葉そのものだった。

「私は、そういう、ありすが大好きだよ……」

 廊下には血のついた痕のように、涙が点々と光っていた。
81 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:14:27.32 ID:/aq2I7elo

 朝――、出勤してすぐ、ありすの母親から電話がかかってきた。
 体調を崩したので、ありすは学校を休む、ということだった。

「あ、……お忙しい中、連絡ありがとうございます。承知いたしました」

 靴のことがあって以来、ありすには、なんとなく距離を取られている。
 最後の最後で振り出しに戻ってしまったな、という感じがした。

「あと何日もしないで卒業式なのに、すみません。あの、……あの子」

 電話を切ろうとする寸前、彼女は言葉を続けた。
 私は慌てて受話器を耳に戻した。
82 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:15:36.39 ID:/aq2I7elo
「なんでしょう?」と、私は言った。

「大変でしたよね、先生……」

 ありすの母親はどことなく、躊躇いがちな口調で言った。

「いえ、大変は大変ですけど、ありすちゃんは、素直ないい子ですよ」

「そう言っていただけると、ありがたいというか。
 ……あの子、家に帰ってからも先生の話ばっかりしているんですよ。
 アリス先生って、同じ名前の先生がいるんだーって、ずーっと。
 先生、特に面倒を見てくれていたみたいで、もう、本当に嬉しそうで……」

「私の話を……」

「先生、ありがとうございました。
 あんなに楽しそうに学校のことを話すありすを見たの、はじめてで。
 ……親としては、情けないんですけど、アハハ」
83 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:16:30.56 ID:/aq2I7elo
 電話を切ったあと、なんだか涙があふれた。
 箱ティッシュを使い切るほどの勢いで鼻をかむ私を、先生方が不思議そうに見ていた。

「いやあ、あの子たちも、もうすぐ卒業なんだなぁ、と思うと……」

 私がそう言うと、ウンウン、と皆一様に頷き合った。

 教室では相変わらず、ありすが話題の中心だった。
 例の雑誌は回し読みが過ぎてボロボロになっていたし、誰もが休んだありすを心配していた。

 この教室で、ありすはいったいどんな気持ちで居たのだろう。

 ――みんな、ありすのことが大好きなんだよ。
 私は、そればかり、考えていた。
84 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:17:44.82 ID:/aq2I7elo
 ――――

 卒業式当日。
 古くなった空の層が剥がれかかっているような曇天で、ひどく冷え込んでいた。
 体育館には大きなジェットヒーターがいくつも置かれ、轟々と絶え間なく騒音が続いた。
 そのせいで、卒業証書授与式では声を張り上げなければならず、この酷寒の中にあって校長先生は汗をかいていた。

 私はピアノを弾く手が冷えないよう、入念に指を動かした。
 校歌と合唱曲に加えて、五年生の「六年生を送る歌」でも伴奏を任されている。
 教員にとっては一年に一度の行事だが、生徒やその保護者にとって、卒業式は一生に一度のものだ。
 そのことを意識すると、いやでも緊張する。
85 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:21:05.53 ID:/aq2I7elo
 ピアノの前に座って、鍵盤に手をかける。
 キリリと冷えたその感触に、私は思わず身震いした。

 緊張すると、私は脇汗がよく出る。パッドを入れておけばよかった。

 息を呑み、ふっと目を上げると、――ありすと目が合った。

「行くぞぅ」

 小声で呟き、私は鍵盤を叩いた。
86 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:24:36.39 ID:/aq2I7elo
 生徒たちの声はひとつひとつ混ざり合って、まるで大きな川のように流れていく。
 そして、私も、その川の一部になる。没入していく。

 私は、いい先生でいられたかなぁ……。

 私のくだらない考えは、笹舟のように、流れに飲みこまれていく。

 みんな、いつか私を思い出してくれるのかなぁ……。

 目頭が熱くなった。けれど、泣くまい――泣くまいよ。
 泣くものか。
87 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:26:06.46 ID:/aq2I7elo

 教員にとっては、式後が長い。

 体育館内や、その周りで、皆思い思いに談笑したり、写真を撮ったり。
 私もすでに何枚も写真を頼まれた。
 保護者への挨拶、生徒との会話、――それに、様々な雑事が残っていた。
 体育館を片付けるのは、他ならぬ教員である。

 私は怒涛の挨拶ラッシュに耐えかねて、体育館の裏手にある階段へ座りこみ、小休止していた。

 桜が咲くにはまだ、早い。
 立ち並ぶ桜の、ほんのり色づく枝先に誰かの姿を重ねていた。
88 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:27:23.88 ID:/aq2I7elo
「先生!」

 声のする方向を見ると、やはり、ありすだった。
 泣くまい、と思った。

「ありす」

「先生」

 ありすは私の傍へ立って、何を言うでもなくただ黙っていた。

「卒業おめでとう」

 それは、あまりに月並みな言葉だった。
 同じ名前を背負った私たちには不似合いだと、わかっていても。
89 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:28:38.13 ID:/aq2I7elo
「おめでとう」

「ありがとうございます。先生……」

「うん」

「ありがとうございました。いままで」

「うん……」

「ありがとうございました」

 ありすはそれだけ繰り返して、それから、階段を一段、二段降りた。
90 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:30:04.45 ID:/aq2I7elo
「ありす!」

 私は小走りに追いかけて、彼女の肩を抱いた。
 腰をかがめて、真っ直ぐに見つめ合う。

「ありす、……ありすは、自分の名前、好き?」

「――――」

 ありすは答えなかった。私は、構わず言葉を続けた。

「それでもいい。嫌いなままで、いい。でもね、でもね……」

 泣くまいと思っていたのに、どうしても、涙が出た。
91 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:32:18.61 ID:/aq2I7elo
「ありすは、ひとりぼっちじゃないんだって、それだけ、……忘れないでいて。
 ありすは、ひとりぼっちなんかじゃないんだよ」

 そうしてうなだれた私を、慰めるように、ありすは私を抱きしめた。

「アリス先生、さようなら」

「さよなら、ありす。さよなら」

 それが、最後だった。
92 : ◆xJHI1D1Uro [saga sage]:2017/11/10(金) 17:33:31.61 ID:/aq2I7elo

 その日の夜、雪が降った。
 稀に見る大雪で、朝になると街路樹から道路まで、真っ白に埋めてしまった。
 私は仕事でくたびれた体を起こして、ベランダからその様子を眺めた。
 吐息が白々と朝日を掴まえた。

 昨日のうちに降っていたら、みんなで雪遊びができたのかなぁ。惜しいなぁ。
 昨日、降ってくれていたらなぁ。

 ありすと、雪遊びできたのかなぁ……。
93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/11/10(金) 17:34:46.49 ID:/aq2I7elo
以上、「二人ぼっちのアリス」でした。
読んでいただき、ありがとうございました。
94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 19:16:11.63 ID:xXMtXHS1O
おつ
素晴らしいとしか言いようがなかった
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 20:09:07.95 ID:Ctea6tCoo
乙乙
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 22:41:26.13 ID:+oXw6hRA0
おつ
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/13(月) 02:10:55.22 ID:Qi14yMAq0
すごく良かった。乙です。
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