遊び人♀「おい勇者、どこ触ってんだ///」

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81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/21(火) 21:52:18.23 ID:7r5VCsPu0
乙ー
82 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 22:56:47.41 ID:3l3UqrgJ0


「そろそろ結末を見越した方がいいと思うんだけど」


「そ、それはちょっと気が早いんじゃないか?」


「そう?そんなことは無いと思うけど」


「さいでございますか」


突然の彼女の言葉に、俺は完全に動揺してしまっていた。
声はあからさまに震え、少し上ずってしまっている。

しかし、ほんの数日の間、時を同じくしただけで、こんなにも彼女に心を寄せてしまっているという事実を認めるのは非常に抵抗がある。
それだとまるで、俺がチョロい男みたいじゃないか。それは、どうも、男としての沽券に関わる。

これまでだって、一時的ではあるが女性とパーティーを組んだことはあった。
確かに、その都度、女性と二人きりという状況に心ときめいたこともあった。
だが、別れに際して、ここまで心を揺り動かされたことがあっただろうか、いやないはずだ。

もしかすると、当時は未だ魔王のもとへとたどり着いていなかったがために、俺に多少の緊張感があったということだろうか。
その緊張感が、彼女たちと親密な関係になりたいという俺のリビドーを抑えていてくれたのかもしれない。
だとすれば、今の俺はなんだ。魔王をとり逃してしまうという大失態を犯しながら、仮初の平和に気を緩めてしまっている軟弱者ではないか。

……ならば、これは、男の沽券云々の問題ではない。
俺の勇者としての在り方の問題だ。

正直に言おう、彼女といるのは楽しい。
だが、それに甘んじ魔王を倒すという使命が揺らぐくらいなら初めから勇者の仕事など引き受けてはいない。
だから、これは自分への戒めとして、俺たちの旅の結末について確りと考えておくべきなのだ。

なに、今すぐ旅が終わるというわけではないし、俺たちの関係が今後どのようになるかはわからない。
あくまで、色欲に杭を打ち込んでおくというだけのこと。自身に、その覚悟を再認識させるだけの話なのだ。


「だってさあ。路銀だって限られてるんだし。いつまでもこの教会の屋根裏部屋に間借りしているってわけには行かないでしょ?」


「ん?」
83 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 22:57:24.16 ID:3l3UqrgJ0

ん?


んんっ?


「あれ?話が通じてない?いや、確かにちゃんとした宿に比べたら教会に間借りするのは安くついてるわよ。でも、無限の収入減が無い限り路銀は減る一方でしょ」

「ミノ達が言っていた、約束の期日はとっくにすぎているし。いつまでも、ここであそこを見張っているわけにもいかないでしょ?」


あー、あー、あー、そういうことね。
これは恥ずかしい。俺は、重大な勘違いをしていたようだ。つまり、彼女の言う『結末』とは、あくまで見張りをいつまで続けるかという話だったらしい。
だ、だがしかし、俺の気が緩んでいたのは事実だ。
今後は、確り気を張っていかねば。


「いやいや、うん。確かに、遊び人の言う通りだ」


「大丈夫?私の言ったこと、ちゃんと理解できてる?」


「もちろんさ!何を突然!わかっているさ、それぐらいのこと!俺は勇者だぞ!あなどるなよ!」


「えぇ……本当に大丈夫?」


彼女の言葉に、手を振ることで答え。(答えられていないかもしれないが。)
俺は、魔王軍の連絡員を押さえようと、見張りを続けている現状について改めて思考を巡らす。

確かに、俺たちはミノタウロスから情報を引き出した後、強行軍でこの村まで飛ばしてきた。
それは、連絡員に密造酒倉庫の強襲を悟られる前に動く必要があったわけなのだが。

しかし、現状、ランナー達と連絡員の接触場所である、あのあばら家に人の出入りは一切ない。
連絡員は危険に敏いのが必須スキルだと聞いたことがある。
それは連絡員が敵性の組織に捕まってしまった場合、連絡員が取り扱っていた情報はもちろんのこと、その連絡網自体から組織の体系が漏れてしまう可能性があるからだ。
もし、魔王軍がそういった危険性を知っていたとするならば、当然、連絡員である魔物は特に危険を感知する力に長けている魔族が担当するであろう。

いや、そうに違いない。そうでなければ、この半年の間、俺が一切の情報をつかむことができなかったことは、俺が単なる無能だと世に知らしめることになってしまう。
残念なことに、もしくは喜ばしいことに、勇者たる俺が無能であることなどありえない。だからこそ、俺たちが押さえようとしていた連絡員は、もう逃げたと考えるべきだ。
連絡員が自身で危険を察知できなかったとしても、俺たちが襲撃したミノタウロス達に他の緊急用の連絡手段があった可能性もある。

こんなことなら奴らを殺しておくべきだったと、後悔と苛立ちの念がむくむくっと起き上がる。
例え、遊び人が不殺主義の甘ちゃんだったとしても、俺は俺の勇者としての役目を確り果たすべきだった。

だいたい、彼女に指摘されるまで、この程度の考えに今の今まで至らなかった事にも心底腹が立つ。
これも、彼女と少しでも長く一緒に居たいという俺の欲望が目を濁らせていたのかもしれない。

落ち着こう。今は冷静に、判断を下すべきだ。

……仮に、連絡員に逃げられていたとしたら、時間の経過は痕跡の風化を招く可能性もある。
何処かのタイミングで見切りをつけて、乗り込むべきだ。
84 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 22:57:50.54 ID:3l3UqrgJ0


「……日の出まで動きが無ければ、乗り込もう」


もし、今日まであのあばら家に人の出入りが無かったのが、連絡員がずっと中に潜んでいるからだとしたら、この強襲はきっとうまくいくだろう。
長時間、あの小さい小屋に身をひそめるというは、肉体的にも精神的にも相当きついはずだ。どんなに強い魔物だろうと、体調が悪ければ力を発揮できない。
それに明け方というのは、生物が最も油断する時間だ。魔物とて、例外ではあるまい。

そうだな、裏の窓を遊び人に押さえさせ、俺が扉から……
俺は、拙いながら少しでも強襲の成功率を上げようと、ふと、あばら家へと視線を向けた。


「……あ」


「どうしたの?」


「あばら家に灯りが灯っている」
85 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 22:58:17.71 ID:3l3UqrgJ0


――――――


扉から、小屋の中の気配を探る。
絹のこすれる音、床がきしむ音、息遣い、何者かが潜んでいれば必ず発生するであろう事象を全神経を研ぎ澄ませ耳をたてる。
俺の全感覚が、小屋の中には誰もいないことを告げていた。もう既に、逃げたのだろうか?

あばら家には扉の向かいに小さな小窓があった。
そこは既に遊び人が回り込んでおり、仮に何者かが潜んでいたとしても、取り逃がすことはないだろう。

俺は、扉を蹴飛ばし中に押し入った。
机の上に置かれた、蝋燭の火がまるで驚いた童のように体を揺らした。
―――中には誰も居なかった。

警戒を怠らないで、部屋の中を探る。
あるのは質素なベッドと、机のみ。

机の上には、羽ペンと1冊の本。


「ちょっと拝見させてもらうよ」


不在の小屋の中で、誰に許可をとるでもなく俺はページを開く。


突然、光が俺を襲った。
光は、開いた本のページから放たれている。


「罠か……っ!?」


手のひらで、光を遮り目を凝らす。
光っているのは、ページに記載された多数のルーン文字と共につづられた円形の図面。
これは、召喚術の魔法陣だ。
86 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 22:58:47.48 ID:3l3UqrgJ0

光は、その奔流を止めることなくページからあふれ出ている。
家が、きしきしと音を鳴らしはじめる。その音は、次第に轟音となり地面を揺らし始めた。

俺は、慌てて外に出た。


「遊び人!離れろっ!」


「え?あ、うん!」


俺が、小屋から出ると同時にそいつは、あばら家の屋根を突き破り巨大な体躯を現した。
高さは小屋の倍ほど、月の光に照らされたそれは土色の肌をもち、巨大な手を月へと掲げ、咆哮をあげる。


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおお」


その巨大さ最大を武器とする魔道兵器。
ゴーレムだ。


「うわあ、なにこのゴーレム!こんなにでかいのは初めて見たわ!」


遊び人が、緊張感の声をあげる。


「あの蝋燭の灯り自体が罠だったんだ!中には誰も居なかった」


「なるほどね!連絡員が一定期間来なかった場合に蝋燭が灯り、侵入者を誘い込むよう仕組んであったわけね」


ゴーレムが巨大な手を、地面に叩きつけると、まだ辛うじて残っていた小屋の柱が全て砕け散った。
俺は、飛んでくる木材の破片を、両腕で防ぎながらゴーレムの足元へと迫る。
腰に下げた剣を一閃。ゴーレムの足へと刃を滑らせる。
粘土のような手ごたえ、確かに俺の刃は奴の膝から下を切り離したが、切り離した先から順に繋がり、何事も無かったようにくっついてしまった。


「土のゴーレムだ!斬撃は効かない!」


「そんなの、見りゃわかるわよ!氷結魔法フリーズ!」
87 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 22:59:14.44 ID:3l3UqrgJ0

遊び人の魔法が、ゴーレムの右腕を完全に凍らせる。
ゴーレムは気にする様子もなく、その右腕を遊び人のいる方向へと振るう。


「うわぁ、あぶないなぁ!」


やはり、どこか緊張感の抜けた声だ。
遊び人は、難なく攻撃をかわしゴーレムから距離をとる。
ゴーレムの攻撃は、地面に大きな穴を開けていた。流石に、あれを直に食らったら俺でもまずいな。


「遊び人!ゴーレムの倒し方は知っているか?」


「馬鹿にしないでよ!真理を死へ!」


そう、斬っても斬れず、粉々に砕いても土さえあれば再生してしまう泥人形ゴーレムは、一見無敵にも見えるが唯一つだけ弱点がある。

それは、額に書かれた「emeth(真理)」の文字から「e」を削り取ることで「meth(死)」へと書き換えてやるというものだ。
ただそれだけのことで、ゴーレムは動きを止め土くれに還る。

なんともまあ、先に弱点から考えられたのではないかというほど出来過ぎた弱点ではあるが。
その実際は、それを安全性の担保とすることでしかゴーレムの運用が困難である、ということなのだろう。

だが、今回の場合は……


「あったよ勇者!やっぱり、額の上に『真理』がある!」


今回の相手は、小屋の倍ほどの高さがある、巨大ゴーレムだ。
どう考えても、剣は『真理』に届かないんだよなあ……。あ、なんか名言っぽい。


「私に、任せて!」


遊び人が、相変わらず何処から出したかわからないナイフをゴーレムの額めがけて投擲した。
しかし、それは『真理』に辿り着く前にゴーレムの左腕で弾かれてしまった。
88 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 22:59:41.94 ID:3l3UqrgJ0


「あちゃー、距離が遠すぎて、ナイフの軌道を読まれちゃってる!」


「不意をつけないか!?」


「後ろから狙えっての!?馬鹿言わないで!『真理』は額、つまりゴーレムの正面にあるのよ!」


なるほど。確かにその通りだ。背後から、額の上を狙うなどできるはずもない。
だが、やりようはある。


「数秒でいい、奴の足を止めてくれ!」


「氷結魔法フリーズ!」


返事をすることなく、遊び人は行動に移る。
即断即決、やはり彼女は強い。相当な修練、もしくは戦闘の経験を積んでいるのだろう。
そして何より、俺の事をパーティーの仲間として信頼してくれているのだ。

ゴーレムの足が、たちまち凍り付き動きが止まる。
俺は、遊び人の魔法とほぼ同時にゴーレムの背後へと回り込んでいた。


「来い!遊び人!」


片膝をつき、両手を空へと向けて組む。
俺の意図を察した、遊び人がゴーレムを迂回しその俊足をもって駆けてくる。
彼女の足が止まる気配はない、全速力で向かってくる。

いまだ!


「いっけええええええええええ!」


遊び人の右足を組んだ両手で支え、彼女を天高く放りあげた。
俺の鼻先を、彼女の体がかすめた。


「あーっ!いま、おっぱいに触った!!!」


彼女の声が、夜の町に響き渡った。
89 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 23:00:11.03 ID:3l3UqrgJ0

不可抗力だ。
わざとじゃない。
触ったんじゃなくて、鼻先が当たっただけだ。

誠実さをもって、幾百の言葉をもって弁明をすべきだということはわかっていた。
だが、俺にはそれができなかった。それができない理由があったのだ。

俺は、自身の脳に、かつてないほどのオーバーワークを強いていた。
今見ている光景を、一切の欠落なく記憶するためにだ。
魔王を倒すという使命を忘れ、俺は今、新たなる使命に目覚めてしまっていた。それはすなわち語り部となること。
今見ている光景を、俺は後世へと語り継がねばならない。世界に溢れる、チェリーたちに勇気を与えなくてはならない。

空高く放り上げられた彼女。
月と並ぶ彼女の肢体は、さながら月夜に舞い降りた天使のような荘厳さをもち、薄い月明りが、彼女の清廉さをより研ぎ澄ましている。
短く黄金に輝く髪は、草原を疾走する獅子の鬣のように猛々しく揺れている。
そして何より、あのはためくスカートな中から垣間見える、彼女の滑らかな肌に直接触れている白い布地の聖性さの何たることか。
かつて、聖人の遺体を包んだとされる聖骸布。彼の物ですら、あれほどの聖性は宿していなかったであろう。

俺は、この美しき一枚絵のような光景を独り占めするつもりはない。そのような狭量な男ではない。
この喜びを、猛りを、共有するのだ、全ての仲間たちと。
真面目に生きていれば、きっと出会えると。拝めると。相まみえると。あの白き布地と。


聖なるパンツは、軽々とゴーレムを飛び越え、何事かを叫びながらゴーレムの額へとナイフを投げつけた。
背後からの完璧な奇襲、そして近距離からのナイフの投擲に、ゴーレムはナイフを防ぐことができず『死』へと誘われた。

ゴーレムは、体制を崩し仰向けに倒れていくと同時に、形を保つことができなくなったのか、ただの土くれへと戻っていった。
当然のことながら、ゴーレムの背後にいた俺は、土へと戻った巨体を頭から浴びる羽目となってしまった。

我にかえり、破壊されたあばら家と、崩れた土に視線を移す。
何かしらの手掛かりがあったとしても、土に埋もれてしまっていることだろう。それに月明りの下の探索は、困難極まりない。
探すのは日が昇ってからにしよう。とりあえず、水を浴びたい。

風呂にゆっくりつかる自身を想像しながら、体についた土を叩き落としていると、見事な着地を見せた遊び人が寄ってきた。
彼女の顔は、とても険しい。眉間にしわが寄っている。もしかして怒ってる?


「おっぱい触ったでしょ」


「鼻先が当たっただけです。決して、故意ではありません」


これは、うそではない。だいたい、戦闘のさ中にそんな器用なマネができるものか。
90 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 23:00:42.29 ID:3l3UqrgJ0

「パンツ見たでしょ」


「……覚えてません」


「うそつき」


うそだ。克明に覚えている。更に言えば、俺は人々にこの光景を伝え歩く愛の伝道師となるであろうことが確定している。


「責任取ってよ」


彼女の声は、どこか震えていた。怒りに震えるという言葉がある。つまるところ彼女の怒りは、それほどのものであるのだ。
目は微かに潤み、頬に紅が指しているのも怒りのあまり故ということであろう。

謝罪の言葉を述べるべきなのだろうか?しかし、故意ではないというのは事実であり、それに対して謝るというのも何だか理不尽な気がする。
しかしながら、彼女が怒りを覚えており、それについて債務を果たすよう主張している現況を見るに、俺が彼女の言うところの責任をとらないというのは悪手であろう。
ならば、二人とも面目が立つ提案をするのはどうだろうか。そう、俺が謝罪の意を明確に示すことなく、かつ彼女が機嫌を取り戻すための提案だ。


「それじゃあ、酒でも奢るよ」


彼女からの返答はない。恐る恐る、彼女の顔を覗いてみる。
なんだあの顔は。あれはどういう顔なんだ。彼女は、その愛らしい口と目を全開にし、そのまま表情筋が突然死してしまったかのように、固まってしまっている。
いや、口が徐々に閉じていく。頬の紅潮が、顔全体へと広がっていく。あ、これはまずい。


「いや、今夜一晩!お好きなだけワインをお召し上がりください!」


「……あがが」


その表情は、爆発寸前の火山そのものであった。足りないのだ、彼女にとって一晩飲み放題のワインなど腹ごなしにしかならないのだ。


「朝まで!朝まで!好きなだけ!ワインを!驕ります!」


火山の噴火に一瞬身構えるが、彼女は代わりにため息をひとつだけ漏らすだけだった。


「……わかった。それで手を打つわ」
91 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 23:01:09.52 ID:3l3UqrgJ0


ふう、見たか諸君。これがネゴシエーション、勇者の交渉術というものだ。
女性の乳に触れ、パンツを拝むという最大のリターンを、酒を驕るという僅かなコストだけで成し得てみせたぞ。
なんだ、女と言うものは意外にチョロいもんだな。勇者の職を辞したら、第二の人生をナンパ師として送るのもいいかもしれない。


「それじゃあ、ワインを仕入れて部屋に戻ろうか」


「いえ、行くのは教会のワイン蔵よ」


え?


「水差しが空になるたびにワインを貰いに行く気?面倒だから、ワイン蔵の中で飲もうって言ってるの」


「じゃあ、水差しを二人で二つずつ貰っていけばいいんじゃないかな。それだけあれば足りるだろう?」


「あら、それなら一人二つずつワイン樽を運んだ方が早いわよ」


彼女は、眩しいばかりの笑顔を俺に向けている……どうやら、俺は見誤っていたようだ。
社会はうまくできている。いくら小賢しいネゴシエーション術を使おうとも最大のリターンには、最大のコストを支払わなくてはならないというわけだ。
俺は、これからも続く長い人生の中でも類を見ない大散財をこれから経験するであろうことに、ただ怯えることしかできなかった。
92 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 23:01:36.60 ID:3l3UqrgJ0

――――――


「ねえー、勇者ぁー。起きてよー」


ああ、なんと心地の良い声だろう。その声は、俺の頭の中で二重三重と響き渡り、折り重なって、まるでサンドイッチだ?
いや層の重なり具合から鑑みるに、ミルフィーユ、もしくはバームクーヘンかもしれない。


「ねえ、勇者ってばー。おきてってー」


おはよう、マイハニー。もう朝なのだろうか。
しかし予想に反して、部屋は暗い。微かに揺れる蝋燭のみによって部屋は照らされている。


「朝か?いや、部屋は暗いしそれはないか……」


「ワインぐらに陽が指すわけないでしょー。それにまだ、日がのぼるには早い時間よー」


ふむ、どうやら、俺はワインを飲みすぎて寝てしまっていたらしい。どうにか、頭を捻るが記憶があやふやとなってしまっている。
思い出せない。俺には、何か大事な使命があったはずだ。遍く世界へ、伝えなければならないことがあったはずだが、寝起きのためか頭が回らない。

水を一杯飲もう。少しは目も覚めるだろう。
ワイングラスへと手を伸ばす。すると、グラスからは鼻を刺すキツイ匂いが漂ってきた。どうやら、グラスにはまだワインが残っていたらしい。
そういえば、ワインの楽しみ方の一つに『匂いの形容』があると遊び人は言っていたな。ならばこれも一興。このワインの匂いを、俺なりの言葉で表してみようじゃないか。


「このワインは、犬のゲロみたいな匂いがする」


「犬のゲロも何も、そのグラスに入ってるのは君のゲロだからねえー」


……忘れよう。この記憶こそ、アルコールの力を借りて今夜という過ぎ去る時の中に置いていこうではないか。
頭を起こし、遊び人に目を向ける。酔いつぶれた俺に比べて、彼女の様子は普段と変わらないようにも見える。いや、少しだけ口元の角度があがっているかもしれない。
それに、少し呂律も回っていない。彼女も、だいぶ酔っているようだ。
93 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 23:02:05.01 ID:3l3UqrgJ0

「約束は、朝までだ。好きなだけ飲むといいよ」


「そのことなのよ、勇者ぁ……」


声に翳りがある。どうも妙だ。
なにか、嫌な予感がする。とてつもなく、嫌な予感が。


「あの、その……このワイン蔵に、もうワインはないの」


「はい?」


目が覚める。ワイン蔵のワインがなくなった?つまり、全て飲み干したということか?
いったい、どんな膀胱と肝臓を持っていればそんな事態が起きうるというのだ。いや、問題なのはそこではない。
頭の中のソロバンが、パチパチと音を立て始める。音は一向に止まらない、それどころか万来の拍手が如くパチパチパチパチと折り重なり鳴り響いていく。
その様は、まるでスタンディングオベーションだ。


「あの、その……ついキミと飲むのが楽しくて。はどめが効かなくなっちゃって……」

「わ、わたしも、それなりにお金は持ってるからあ!き今日は、わたしが払うからっ!」


……なんだ、いい娘じゃあないか。彼女が神妙な理由は、俺の懐を心配しているからなのだ。

俺は、彼女の唇に、人差し指をスッと伸ばす。
ふふっ、可愛らしい唇じゃないか。それ以上、俺に恥をかかせるのは止めておくれ。
君は何も心配する必要は無いんだ。だが、例えそう言っても君は俺の懐を心配せずにはいられないだろう。

だから送ろう。君自身が俺に教えてくれた。この言葉を。


「ここは、俺に任せて……先に行け……」


ソロバンの音は、まだ止まらない。
94 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 23:02:32.21 ID:3l3UqrgJ0
――――――

ここは、ワインに任せて先に行け 
                
                おわり
――――――
95 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/08/28(火) 23:03:11.05 ID:3l3UqrgJ0

―――――――


「いらっしゃいませ……おや、久しぶりだねえ」


「マスターも元気そうで何よりだわー」


「しかも、こんな時間に来るなんて。全く、なんて不良娘だ」


「相方が、酔いつぶれちゃったのよ。でも、なんだか飲み足りなくってさー」


「ははは、大抵の奴は君より先に酔いつぶれるだろうさ」


「そうだっ!今度、そいつをココに連れてきてもいい?」


「もちろん構わないよ。お前のお友達なら、何人でも大歓迎さ。それで、どんな友達だい」


「すごい面白い奴なのよ。いい年して、私と出会うまで一滴も酒を飲んだことが無いって言うのっ!」


「へえ、真面目な子なんだねえ」


「しかもね、そいつはなんと、あの勇者なの!魔王を追い詰めた、世界最強の男!」


「……勇者、ね」


「マスター……どうかした?」


「なに、その男。是非、連れてきなさい」


お前には悪いが、世界最強の男……是非とも我の手で、葬ってくれよう。


――――――

つづく

――――――
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/29(水) 12:53:48.30 ID:YBAblOYDO
乙乙
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/09/01(土) 21:38:14.19 ID:noFw5+Zro
酒をテーマにしてるのか、期待
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/09/03(月) 07:00:31.34 ID:9LJInb6nO
面白い乙
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/15(月) 22:30:55.77 ID:EMHoGRxR0
復活したのか?
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/10/18(木) 20:23:02.38 ID:oSCelaam0
復活しましたね。2か月放置に引っかからない程度に、ぼちぼち更新していきます。
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/18(木) 22:18:46.92 ID:QzNC+KJTo
まってます
102 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/10/19(金) 20:51:58.04 ID:U0E6GTtU0

母さん、俺、今日こそ男になります。


俺と遊び人との旅がはじまり、どれだけの年月が流れただろうか。
初めての出会いは既に、悠久のかなたのように思えるが、今日という記念すべき一日までの出来事は遍く脳内に書き記してある。

いや、懺悔しよう。全て覚えているとは言ったが、本当に全てを覚えているわけではない。
だが安心してほしい。時に男は、忘れる生き物だと聞くし。人は、失うことで前に進めることもある。俺の記憶の喪失も、そういった何かしらの尤もらしい理由に則ったものだ。
もっと具体的に言えば、さすがの勇者といえど酩酊した際の記憶は明確ではないということだ。勇者から記憶を奪うとは、酒の力は実に恐ろしいものだ。

ふと目が覚めたら、教会の地下で身ぐるみはがされていたこともあった。
街のゴミ捨て場で、汚い麻袋を枕としていたこともあった。身に覚えのない、痛みを感じることもあった。
もう一度、声を上げよう。だが、安心してほしい。全ての恥は、その記憶とともに嘗てありし夜に置いてきた。俺に恥じることは何もない。

かつての俺は、溢れんばかりの道徳意識を王より譲り受けた宝剣とともに腰に携えていた。
だが、いまやこの体たらく。夜になれば彼女とともに酒を飲み、道端に戻した胃袋の中身よろしく、記憶と強き道徳意識を土に還してしまう。
勇者として、俺は多くの物を失ってしまった。

しかし、人は時として失うことで前に進めることもあるって、さっきも言っただろう?
そういうことだから、安心してくれ。


ゴーレムとの一戦以来、俺と遊び人は魔王に関する大した情報を得ることが出来なかった。
別に、俺たちに落ち度があったわけではない。俺と遊び人によって、立て続けに拠点を強襲されている魔王軍としても情報の秘匿に力を入れているのだろう。

だがしかし、いくら魔王軍が影に潜み隠れようとも。こちらには魔王軍にからしてみればチート以外の何物でもない「千鳥足テレポート」がある。
俺と遊び人は、魔王捜索に行き詰まると酒を飲み、そして千鳥足テレポートで飛んだ。もちろん飛んだ先々では、魔物たちと剣を交え魔王の居場所を問い詰めるのだ。
情報が得られなければ、また日を改めて酒を飲み千鳥足テレポートだ。

そんなこんなを、俺たちは半年ほど続けてきたが未だ魔王の居場所に関する情報は一切得られていない。
だが、情報を得られなくとも。テレポートで飛び続ければ、いつか必ず魔王のもとへとたどり着ける。俺は、そう信じ今日もエールを流し込む。


「勇者さん勇者さん、そろそろご都合はいかがでしょうか」


「おやおや、遊び人さん。俺が、もうそんなに酔っぱらっているよおに見えるのですかな」
103 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/10/19(金) 20:52:46.92 ID:U0E6GTtU0


「見えますとも、見えますとも。いまの勇者様は、まるで地獄の赤鬼のような赤ら顔ですぜ」


「それを言うなら、遊び人さんは。地獄のサルの尻のように顔が赤い」


「女性の顔を、エテ公の尻に例えるたあ、勇者様のデリカシーのなさに磨きがかかってきましたなあ。というか、地獄のサルって何よ……」


「いや、なんとなくだから深堀しないで」


「……もっと可愛いものに例えなさいよ」


サルの尻より可愛いものときたか。いや待て、考えるまでもなくそんなものは世に数多あるわ。
ありすぎて逆に、回答に困るやつだわ。


「はよしろ。あほう勇者」


焦らすなよ。
そうだなあ。かわいいもの、かわいいものねえ。うん、そうだ。
例えば、今俺の目の前で頬を染めて酒を飲んでいる黄金色の髪をもった女の子とか。
あ、これはだめだ。これじゃあ、可愛いものの例えじゃなくて可愛いそのものではないか。


「 ちどりあしてれぽーとおおおおおおおお!! 」


狭く薄暗く、街の酔いどれ達で溢れかえっていた秘密酒場中に、彼女のその澄んだ声が響き渡った。
104 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2018/10/19(金) 20:53:26.99 ID:U0E6GTtU0

――――――

3杯目 カクタル思い

――――――
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/27(土) 21:32:09.79 ID:YbbIXQvho
サブタイがが毎度のことうまい
おつおつ
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/04(日) 11:08:55.49 ID:YTeUSHwDO
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/05(月) 10:30:13.22 ID:xiHCEqwcO
おつ!
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/12/31(月) 23:40:02.82 ID:WwrfsYGmo
まつまつ
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/31(月) 23:59:55.75 ID:pbmqiLK+o
来年から本気だす
110 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/01/07(月) 23:10:57.91 ID:LJEQkzAO0


目を開けると、鼻先には地獄の赤鬼。で、あったらどれだけ良かったであろうか。
少し皺が寄り、黒く太い毛が大量に茂っているそれは。地獄のサルの「赤尻」。
でもなく、誰とも知れぬ汚い生尻であった。
その様相からして間違いなく、彼女の尻ではないことだけはわかる。彼女の尻が、こんなにオゾマシイものであるはずがない。


「きゃあああああああああああああああああああああああ!」


尻の持ち主が、まるで女みたいな悲鳴をあげる。あくまで「女みたいな」悲鳴である。その実、尻の雄々しさに違わぬ、酷く低いしわがれた声だ。
しかし無理もない。勇者たる俺であろうとも、突然尻の先に見知らぬ男が現れたら恥も外聞もなく黄色い声を上げるであろう。

というか、むしろ叫びたいのは俺のほうである。こちらからしてみれば、鼻先に突然見知らぬ尻が現れたのだ。
見知らぬ男と、見知らぬ尻なら間違いなく見知らぬ尻のほうが恐ろしいではないか。
かろうじて俺が声を上げずにいられるのは、この汚い尻を前にして口を開けることが至極恐ろしかったからである。

尻から距離を取るべく、足に力を入れるが徒労に終わる。
身動きがとれない。重力を頭上に感じる。どうやら俺は、ひっくり返っているらしい。


「あ、こいつ魔王軍幹部だ!捕まえろ勇者!」


どこからか、遊び人の声が聞こえてきた。
声の反響具合から、この部屋の大きさがおおよそに知れた。

狭い個室、尻を丸出しにした男、察するにここは厠だ。
できれば、察しないままでいたかったが。


「拘束魔法 フリーズ!」


「さ、させるか!反射魔法マジックミラー!」


「詠唱封印 サイレント!」


「効かぬわ!獄炎魔法 ヘルファイア!」


遊び人の詠唱を皮切りに、俺たちと魔王軍幹部との戦闘が始まった。
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/01/08(火) 00:17:25.15 ID:GVyCdWULo
なんという場所にワープしてるんだ…不意打ち最強だな
おつおつ
112 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/01/08(火) 22:25:42.00 ID:LgZWL0Kj0
――――――


「魔王はどこにいる!?」


体術の使えない狭い厠で二対一での魔法の打ち合いともなれば、結果は語らずとも明らかであろう。

縄で後ろ手に縛られた魔王軍幹部が、神妙に首を垂れている。
あまりに可哀そうだったので、ズボンだけは俺が手ずから上げてやった。


「……」


俺の問いかけに、魔王軍幹部はその面を上げる。
赤みがかった肌に、額に生えた日本の角からは東の国で語られる地獄の獄卒を彷彿とさせられる。
赤鬼の目がギョロっとこちらを向いた。その漆黒の瞳には俺に対する強い敵意がこもっている。

排泄中を急襲されたのだ、怒髪天になるのも無理もない。だがしかし、誰が好んでおっさんの排泄シーンを急襲するであろうか。
不可抗力である。責任の所在は、少なくとも俺のところにはない。


「勇者。こいつは、魔王軍四天王がひとり炎魔将軍。魔王の側近中の側近だよ。」


「こいつがそうなのか?」


再び鬼の顔を見る。なるほど、魔王軍残党の中でも極めて高い戦闘力を誇ると言われる炎魔将軍、別名『黒き炎』の人相書きにそっくりだ。


「お前の二つ名が『赤尻の男』なら、もっと早く正体が割れていたんだがな」


部屋の中が、冬の澄み切った朝のような静寂に包まれる。
どうやら、冗談の通じる相手では無いようであった。
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/01/09(水) 07:09:42.87 ID:LiToC/5qo
赤鬼かわいそうすぎるだろこれ…
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/01/09(水) 10:59:09.16 ID:Kl1kwKJDO

このタイミングなら魔王も楽勝じゃね?
115 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/01/17(木) 23:18:06.57 ID:8MWYKcmw0


「私が話すから勇者は少し離れていてくれないか」

遊び人の声は、いつになく冷ややかなうえに更には冷たい視線まで俺に送ってきている。
その原因に一切の見当もつかないものの、母親に叱られる子供のようについ「はい」と答えてしまっていた。

彼女と炎魔将軍から幾分か離れたところで俺は振り返った。
声は届かない。だが、会話の内容を読み取る方法なんていくらでもある。
俺は、目を凝らし彼女たちの唇を読む。

「ねえ魔王がどこにいるのか教えてよ」

「知っていれば教えているさ。本当に知らないんだ」

「うそね」

「本当さ」

二人の問答は、街角で出会った友人同士が交わすあいさつのように淀みないものだ。
その日常にあふれるような有様であるが、まったくもって異常だ。

これまでも、遊び人は魔物たちから巧みに情報を引き出してきた(情報の有益性は別としてではあるが)。
彼女の問いかけに、彼らは常に誠実に答える。少なくともはた目からはそのように見える。

俺が問いかけても無視をするか、罵詈雑言を浴びせてくる連中が彼女の前では尻尾を振る犬の如しである。

当然、彼女のことを疑った。
「魔王軍と何らかの関りがある」まではいかなくとも、禁じられた拷問魔法や自白剤の類を魔物たちに使用している可能性は十分にある。
できれば、そのような真似を彼女にはしてほしくない。

というわけで俺は、彼女と魔物たちとの会話を盗み聞くのが習慣となっていた。
残念なことに、もしくは喜ばしいことにその成果は一切にあがっていない。
いまのところは彼女はとてつもない聞き上手である。と自分に言い聞かせ無理やり納得している。

「しかし、胸もなかなかに膨らんでてしっかり大人の女の子だねえ」

エロ将軍がいやらしそうな視線で彼女を嘗め回す。

「……話をそらさないで」

右腕に力がこもる。気が付くと剣の柄に右手がかかっていた。
二人の間に割り込んでエロ親父を成敗してやりたい衝動に襲われる。
116 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 19:58:06.23 ID:YlZ38RDP0


遊び人の厳しい目が、炎魔将軍に突き刺さる。
まるでその眼差しに耐えられなかったかのように、炎魔将軍がぽつりとこぼした。


「なあ、見逃してはもらえぬか?」


「魔王の居場所を教えてくれたらね」


「それはできん。殺せ」


炎魔将軍の表情は真に迫っている。ブラフではない、本当に死を覚悟している者の顔だ。
すると今度は、遊び人の表情に困惑が浮かんだ。


「そんな物騒なこと言わないでよ。だいたい、私のナイフは全部貴方に燃やし尽くされちゃったのよ」


炎魔将軍の目がギラリと妖しく光る。


「それに、魔力だってほとんど残っていないんだから」


そこからは一瞬だった。
炎魔将軍の輪郭が揺らいだかと思ったら、彼を縛り上げていた縄が燃え上がり彼の手には炎によって作り上げられた刀が握られていた。
117 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 19:58:32.92 ID:YlZ38RDP0

「遊び人、離れろ!」


叫ぶと同時に俺は体当たりで、遊び人を吹き飛ばす。
つい数瞬前まで彼女の首があったところを、炎の刃が通り過ぎた。


「あ、ありがとう、勇者」


彼女の言葉には答えず、炎魔将軍の攻撃に備えて抜刀する。
しかし、黒き炎の影は既に消え去っていた。


「怪我はないか?」


彼女の顔を見た瞬間、俺の血が沸騰した。
右頬に一筋の黒い線。間に合わなかったのだ、黒き炎の刃は確実に彼女の右頬を切り裂いていた。

頬の傷からは血が流れていない。炎の刃故なのだろう。
切り裂かれたと同時に炎に焼かれ血が止まっているのだ。

彼女の顔から眼をそらす。彼女の事を見ていられない。
怒りが湧いてくる。


「―――いつか必ず報いを受けさせる」


「落ち着いて。勇者」


遊び人が、俺の口元に手を寄せる。
何事かと思えば、彼女は自身の袖口で俺の口を拭った。

どうやら、怒りのあまりに唇を噛んでしまっていたらしい。
俺の血で彼女の袖口を汚してしまっていた。
118 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 19:58:59.30 ID:YlZ38RDP0


「逃げられたか」


「ありがとう、勇者。君の助けが無かったら、喉を切り裂かれてた」


再び、彼女の顔をみる。


「俺たちが相手しているのは、魔族だということを忘れたのか?迂闊にもほどがあるぞ」


「もう戦意はないと」


「君は魔族に優しすぎる。その結果がこれだ、見てみろ」


いや、見れるわけがない。見れるわけがないのだ。
俺としたことが冷静さに欠けている。


「来てくれ……回復魔法をかけるから」


「ありがとう」


彼女に、回復魔法をかける。頬の傷がみるみるうちに塞がっていく。
そう、傷は塞がるのだ。塞がっていくだけ。
119 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 19:59:26.22 ID:YlZ38RDP0


「次に会ったら、絶対に殺す。」


思わず出た言葉に、自身が思っている以上に怒りに囚われていることにハッとする。

俺の口からつい出てしまった言葉が、遊び人に恐怖の表情を浮かばせていた。

これはいけない、かなり感情的になりすぎだ。


「ひとまず、宿でも取ろう」


部屋の小窓から差し込んでいる赤い夕陽が、俺たち二人の影を長く伸ばしていた。
120 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 19:59:52.70 ID:YlZ38RDP0


――――――


千鳥足テレポートの帰還術式で酒場に戻った俺たちは、村のはずれにある宿屋へと向かった。


おそらく元は酒場だったものを改装したのだろう、扉を入ると机がいくつか並べてあり宿泊客らしき人達が食事をとっていた。
広間の奥には、カウンターがあるが本来酒が置いてあるはずの棚には代わりに部屋の鍵らしきものが並べてある。


机の隙間を抜け、カウンターの中にいる禿頭の大男へと話しかける。


「宿をとりたい」


禿頭の大男改め宿屋の主人がチラリと俺たちの様子を見る。
見慣れない旅人、飛び込みの宿泊客を見定めているのであろう。


「一部屋でいいな。二階の一番奥の部屋を使ってくれ」


そういう仲ではないと主人を制すると、遊び人が抗議の意思がこもった視線を飛ばしてくる。


「私は一部屋でも構わないけど」


「いや、できれば二部屋とりたい」


確かにこれまでの旅路の中、ほぼ毎日床を共にしている。
勘違いしないでほしいが、床を共にしたというのは至極直接的な意味であって。
残念なことに何か過ちが起こった夜など一夜としてない。
121 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 20:00:21.76 ID:YlZ38RDP0

ではなぜ、俺たちが恋仲にあるでもなく部屋を一つしかとらなかったかといえば答えは単純で金欠であったからである。

俺たちは立ち寄った村々で剣の腕をつかい路銀を稼いできたが、そういった仕事も毎度あるわけではない。
そして何より俺と彼女の旅はその性質上、資金のほぼ全ては酒代へと消えていくのだ。

おのずと酒代以外の費用は節約するという習慣が俺たちには備わっていた。


「俺に少し時間をくれ遊び人。主人、二部屋で頼む」


しかし、今の俺には正直なところ彼女と同じ部屋で過ごす余裕がなかったのだ。
炎魔将軍を止められなかったという後悔の念、つい口走ってしまった言葉で歪んでしまった彼女の表情。
彼女の頬に振るわれた炎の刃が脳裏から一向に離れる気配がない。

様々な思考が、脳内を駆けずり回っている。
経験上、こういうときは一度冷静にならないと非常に危険だということを俺は知っている。
魔王討伐の旅は一歩間違えれば、簡単に命を落としてしまう辛い旅だ。一瞬の迷いが、死に直結してしまう。

悩みや後悔の種は、育つ前に摘み取らなくてはならない。
だからこそ、俺には一人で冷静になれるだけの時間が必要だったのだ。
122 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 20:01:21.79 ID:YlZ38RDP0


大男が唸りながら宿帳をとりだした。


「うーん、実は今晩来る予定だった御者がまだ来ていないんだ。日を跨いでも、そいつが来なかったら一部屋空くかな」


「じゃあ、部屋が空いたら教えてくれそうしてくれ。だめなら諦める」


遊び人のほうを振り返ると、何がそんなに気に食わないのか彼女の眉間にしわが幾重にも寄っていた。
路銀を節約するのも大事だが、時には俺に一人になる時間をくれたっていいじゃないか。

それに路銀のことを言うなら、千鳥足テレポートを使わない日は休肝日にでもすればいいじゃないか。
魔王を探し出すための必要経費と言うならともかく、君は普段から酒を飲みすぎている。

とは口を避けても言わない、いや言えない俺がいる。
酒が、俺の不眠症への特効薬となっているということもあるが、なにより彼女と酒を酌み交わす時間がとても好きだからだ。
その楽しいひと時を失うことは是が非でも避けたい。


「ひとまず、荷物を部屋に置こう。それから夕食にしようじゃないか」


「だったら、私の荷物も置いてきてよ」


どこか険のある言い方だった。
123 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 20:01:49.87 ID:YlZ38RDP0


「どうした、何が気に食わないんだ?」


「おじさん、ここの宿屋にある中で一番強いお酒を頂戴」


店主が困った表情で告げる。


「おいおい、こんな所で喧嘩は止めてくれよ。それにうちは真っ当な宿屋なんだ酒なんてあるわけないだろう」


彼からすれば、俺たちのやり取りは単なる痴話げんかに見えているのであろう。
遊び人が店主をにらみつけると、店主はたいした酒は置いてねえぞと呟きながらいそいそと店の奥へと引っ込んだ。


「おい、店主に八つ当たりすることは無いだろう」


「早く、荷物を置いてきてよ」


言葉を荒げているわけではない。
むしろ、とても静かで落ち着いたトーンであるがしかし。そこには一切の反論を許さない遊び人の強い意志がこもっていた。

かつて幼き日に母がヒステリーを起こした時をふと思い出す。
こういう時の女には逆らってはいけない、それは火に油を注ぐような愚かな行為である。

俺、いそいそと彼女の荷物を背負い宿屋の主人から告げられた二階の部屋へと上がった。
124 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 20:02:17.02 ID:YlZ38RDP0


部屋に荷物を置き、階段を降りると遊び人が既に机の一角に陣取っている。
他の宿泊客は先ほどのやり取りを聞いていたのだろう、まるで演劇の一幕を楽しむがごとく奇異の目を向けている。


「話がしたいの」


「それは、こちらも望むところだ。だが、道化師の傍らを演じるつもりはないぞ」


彼女が何に怒っていて、俺に対して何を伝えたいのかはわからない。
しかし、話し合う必要があると考えていたのは俺も同様だった。

二度と同じ過ちを犯さないためにも、彼女の魔族に対する甘さを捨てさせる必要がある。


「じゃあ、これ飲んで」


「なんだこれ」


「さあ、店主の自家製らしいわ。いいから、飲んで」


グラスを傾け謎の酒を喉に通すと、喉がやけたような刺激に襲われる。なんだこれ、まっず。
125 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/19(火) 20:02:52.97 ID:YlZ38RDP0


「そうね貴方の言う通り、衆目にさらされるのは本意じゃないわ」


「そうだな」


「だから、静かに話の出来る場所に行きましょ」


彼女が、俺に手を差しのべる。
なんだ、なんだかんだ言いながら仲直りの握手というわけだ。

ならば、そのまま二人仲良く手を繋いで静かなスピークイージーへと繰り出すのも悪くないではないか。
なにより、この宿屋においてある酒は碌なものではない。まともな酒が飲めるなら、どこだっていい。


ウキウキと浮足立った俺は、何も疑問に思わず彼女の手を取った。


「千鳥足テレポート!」


「え!?」


毎度のごとく彼女の澄んだ声が部屋に広がるとともに、俺は俺の淡い期待が泡へと消えたことを察してしまった。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 00:47:51.83 ID:5jl12CkDO
やっと来たか乙
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 17:06:46.30 ID:SM1Pn+Coo

待ってた
128 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/21(木) 23:32:55.40 ID:Fom+zo150


目を開けると、そこには俺の胸の高さほどのカウンターがあった。
そして、そのカウンター越しには壮年の男が一人。


「みぃぃぃつぅぅぅうぅけぇぇぇぇたぁぁあぁあ」


思わず歓喜の声が出てしまっていた。
それだけか、顔中の表情筋が全てにおいて緩んでいるのがわかる。
まさか俺がここまで表情豊かな男であったとは自分でも驚きだ。

目の前の男は、褐色の肌に銀色の髪を持ち。額からは二本の角が生えている。
その姿は、かつて剣を交えた魔王その人であった。

しかし、逃亡生活の疲れのせいか大分やつれてしまっている。
哀れには思わんぞ、今度こそトドメを刺してくれる。
俺はゆっくりと剣の鞘に手をかける。


「剣を離して」


遊び人が声をかけてきた。
珍しく声が震えている、きっと彼女も緊張しているのだろう。

……なんだって?遊び人は何と言った。
『剣を離して』だと?


「マスター、貴方もよ」


マスター……?目の前の男、魔王が『マスター』。すなわち『ご主人』であると言うのか?
ならば、彼女の正体は……魔物!?
129 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/21(木) 23:33:24.22 ID:Fom+zo150

俺の意識が、魔王から遊び人へ移ったその一瞬。
魔王の右腕が尋常ならざる速さで動く。
その手に逆手で握られているのは針状の武器。暗殺等に用いられる暗器だ。


「……っ!?」


なんとか反応し剣を引き抜こうとするが、剣は抜けなかった。
剣の柄を握った俺の手に、遊び人が手を重ね押さえつけてきたからだった。

俺は、死を覚悟した。


しかし、暗器が俺に向けられることはなかった。
魔王は満足そうにニンマリと笑うと、何処から取り出したのか左手の上に氷をのせ、その暗器で砕きだした。

かっかっかっと刻みよく氷が削られていく。
呆然として魔王を眺めていると、見る見るうちに綺麗な球体がその手の上に作り上げられていった。

魔王ができあがった氷の球体を、透明なグラスへと放る。
氷がグラスを叩く乾いた音がカランカランと鳴った。その音を福音とし、俺は正気を取り戻した。


「ど、どういうことだ?」


遊び人に問いかけるが、彼女は答えずにカウンターに並べられた椅子へと俺を促した。
魔王はひとまずのところ、俺を殺しにかかってくる様子はない。ならばと、俺は椅子に腰を下ろす。


「ここは?」


再び遊び人に問いかけるが、答えは正面から返ってきた。


「いらっしゃいませ。ここは、バー『ゾクジン』でございます」
130 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/21(木) 23:36:21.32 ID:Fom+zo150


独特の低さを持ちながらも透き通った力強く優しい声。


違う……姿かたちはよく似ているが、声が違う。
あいつの、魔王の声はもっと威圧感に溢れ。まるで自らの力を誇示するかのようなものだった。

ならば目の前の、魔王によく似た男は魔王と同族。もしくは、近しい親類といったところだろうか。


「お前は何者だ……?」


「マンハッタン」


俺を無視して、遊び人が謎の呪文を呟いた。
隣を見ると、彼女は気だるそうに頬杖をつき指を一本立てている。


「『いつもの』ですね、畏まりました。それで、そちらは?」


こいつら、俺の質問に全然答える気がないんじゃないかという怒りもあるが、状況を理解していないのはどうやら俺一人であることを考えるに。
今は、状況に流されるのが正解への近道だろう。
というか、『マスター』って店の主人のほうかよ……!

勘違いからくる若干の恥ずかしさに頬を染めながらも、俺は男の言葉を無視して部屋をぐるりと見渡す。俺たちがいる部屋は、それほど広くなくカウンターに席が6つほど。俺の後ろには、小さな丸机と椅子が二つ。
席が埋まったとしても8名しか客が入らない。どうやら、かなり狭い店らしい。
足元すら怪しい暗さであるが、僅かな光によって作り出される影が妖しく室内を飾っているのを見るに意図的に照明の数を減らしているのであろう。

カウンターの向こう、魔王によく似た男の背には見たこともない多種多様な酒瓶が並んでいる。
そのほとんどは、見たことのない未知の言語で書かれたラベルが張り付けてある。

今まで、さまざまなスピークイージーを見てきたがこんな奇妙な店は初めてだった。
131 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/21(木) 23:36:49.27 ID:Fom+zo150


「彼、バーに来るのは初めてなの」


「おや、もしかして彼が……?」


「そう、例のお友達」


察するに、遊び人はここの常連らしい。
時折、魔王探索とは別に一人で千鳥足テレポートで飛んでいくことがあったが、ここに来ていたのだろう。

店の主人との親し気な具合が実に腹立たしいが、年齢的には爺さんと孫ぐらいだろうか。
実際のところ、そう言う関係とは到底思えない。

だが、それでも俺の知らない彼女を『マスター』が知っている様子にどうも嫉妬を禁じ得ない。


「そうでしたか。それでしたら、何か飲みやすいものでも如何でしょうか」


「俺を舐めるなよ。何か強い奴をくれ」


妬みからくる敵意むき出しな俺に、遊び人からの抗議の視線が届く。
が、俺は気づいていないふりをする。
132 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/21(木) 23:37:16.48 ID:Fom+zo150


「それでは、スクリュードライバーでもお作りしましょう。少し強めに致しますね」

「二杯目からは、さらにお好みに沿うようにお作りできるかと思います」


マスターの『作る』という言葉に、俺の頭上に再び疑問符が浮かび上がった。
酒を『出す』ではなく『作る』とマスターは言った。ここは、酷く狭い店に見えるが裏に醸造所でも兼ね備えているのだろうか。


「遊び人、ここは醸造所なのか?スピークイージーかとも思ったが、店主は酒を造ると言ったぞ?」


「ああ、ごめんね。説明不足だったわね。ここはカクテルバー」


「酒や果汁なんかを混ぜてつくる、カクテルを飲ませる店よ」


いい加減、俺の問いかけに一つにくらい答えてくれないだろうかという淡い願いを込めた質問に。

彼女は素っ気なくも、ようやく一つ答えを返してくれた。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 22:56:05.29 ID:HJxRj7YDO

カクテル初見殺しならマルガリータやカルーアミルクも危ない
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/23(土) 22:43:12.39 ID:M51pKeft0
氷で冷やした拳大のグラス
謎の小瓶から数滴
ベルモットが底を張る程度
カナディアンウイスキーでステア
最後に謎の柑橘を振る

氷で冷やした拳大のグラス
氷を抜かずに謎の小瓶から氷へ数滴
ベルモット、そしてジン
「これじゃあ、ストレートと変わりませんよ」
135 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/26(火) 22:34:40.53 ID:Bg4X09fI0
―――――

「カクテルってのはねえ、組み合わせによって無限の広がりをもつものなの」


逆三角形のグラスには、店のランプのせいだろうか少し赤みがかった琥珀色の液体で満たされている。
魔法薬だと言われれば信じてしまいそうな色彩だ。
酒の中でプカプカ浮いたり沈んだりを繰り返しているチェリーも、見ようによってはホルマリン漬けされた実験体みたいだ。


「まあ、論より証拠よ。飲んでみたら」


気づくと、俺の前にもすでにグラスが置かれている。
パッと見たところ、ただのオレンジジュースに見えるが、これが本当に酒なのだろうか。
幸いなことに、その疑いはたったの一口で晴らされた。

強いアルコールがガツンと脳を揺らす。これをジュースと呼ぶ奴がいたら、そいつは間違いなく素面ではないだろう。
オレンジジュースと何かしらの蒸留酒が混ぜてあるのだろう。慣れ親しんだ酸味が、その飲みやすさを助長している。


「うまい」


なにより飲みやすい。俺は、初めて酒を飲んだ日の事を思い出す。
ビールも、ワインもどちらの初めても最初の一口は、まるで異物を体内に取り込んだかのような拒絶反応が起きた。
胃が逆流してくるような強烈な嫌悪感に襲われた。

しかし、この飲み物はすんなりと喉を通る。体が何の拒絶を起こすことなく受け入れている。
起きるものといえば、せいぜいが清涼感ぐらいのものだ。
気づけば俺のグラスは既に空になってしまっていた。


「お気に召しましたか?」


答えは聞くまでもないという表情でマスターがニヤニヤ笑っている。
136 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/26(火) 22:35:12.92 ID:Bg4X09fI0


「ああ、えっと何だ。スクリュードライバーをくれ」


「かしこまりました」


まるで、必殺技みたいな名前だな。


「わたしも、初めての時そう思った」


遊び人は、謎の『マンハッタン』をちびちび飲んでいる。
どこか表情は緩んでいて、機嫌もよさそうだ。

さて、状況を察するに俺と仲直りをし仲良く飲みなおそうというのはあながち勘違いではなかったらしい。
そもそも、やらかした彼女に俺が怒るならともかく彼女が俺に怒るというのはお門違いであるし。
納得がいかない部分は大いにあるが、まあ彼女が機嫌がいいならそれに越したことは無い。


ふと遊び人と目が合う。


「なに?これが飲みたいの?」


遊び人が俺をおちょくるようにグラスをクランクランとまわして見せる。


「それは、どんな酒なんだ?」


「論より証拠」


遊び人が差し出したグラスを一口もらう。
そういえば、間接キス程度でドギマギしていたこともあったな。
それが、いまやこの程度じゃ動揺すらせんぞ。俺も、成長したものだ。

そんなことをツラツラと思いながら、マンハッタンに口をつける。
137 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/26(火) 22:35:39.47 ID:Bg4X09fI0


「なんだこれは」


なんだこれは。
スクリュードライバーとはまた違った衝撃だった。


「すごいでしょ?」


香ばしく濃厚な香りに、少しだけ果物特有の甘い香り。
それぞれが特色を持ちながら、もともとは一つとして生まれたかのような完璧な一体感。


「なるほどな。カクテルとは、例えるなら酒を使って酒をつくる料理というわけか」


「いいこと言うじゃない」

「私もねかつてこう思ったのよ。もうこの世には新しい酒なんて生まれてこないんじゃないかって」

「だってそうでしょう?ワインだってビールだって起源を辿れば何千年も前にできてたわけだし」

「最近の工業化で蒸留酒が出回るようになったときは、久々の新しい酒だってそりゃもう歓喜したものよ」

「技術革新による新製法なんてものは、そうそう考え出されるものじゃないしね」


遊び人の言葉が止まらない。酒の話になるといつもこれだ。
138 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/02/26(火) 22:37:00.36 ID:Bg4X09fI0


「そんな時に、このカクテルを私は知ったのよ。工業的な技術によらない、文化的革新」

「組み合わせ方によって、無限に広がっていく味・香り・風味!」

「酒の行きつく先、それこそがこのカクテルなのよ!」


ぱちぱちぱち。
思わず拍手してしまっていた。


「ちなみに、この世界にカクテルバーはここしかないわ」


さらっと新情報。


「じゃあ、ここが酒の文化的最前線というわけか」


「いえ、実はそういうわけではありません」


マスターが、新たにグラス注がれたスクリュードライバーを俺の下へと静かに寄越す。
俺は、魔王によく似た男をじっと見つめる。奴は、にこにことするだけで口を開く様子がない。
まるで、俺からの催促を待っているようだ。


「……遊び人、そろそろこの店とこの男のことを教えてくれ」


誰がお前に催促何かするものか。


「では、マスター。ご指名ですので」


遊び人がおどけて畏まると同時にマスターがしたり顔を寄越してきた。
ぶん殴ってやろうか。
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/26(火) 23:27:53.62 ID:fpwdeJfeO
おつおつ
魔王関係してるのだろうか
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/02(土) 00:44:01.34 ID:VWbH7aMDO

カクテルのレシピなんてもう忘れちゃったなあ…つか酒自体何年も飲んでないやww
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/27(水) 00:23:31.25 ID:ZKrufPuDO
おーい、まだかー!?
142 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/03/27(水) 20:20:24.93 ID:DIeGWH8y0


「お客様、いえ勇者様と呼ばせていただいてもよろしいですか?」


俺は言葉を発さずに頷く。


「では勇者様、先ほど貴方がおっしゃったことですが半分は正しいです」
「ここは、この世界においては酒の最前線と呼べるでしょう。しかし、更なる先が存在するのです」


どこに?


「異世界です」


話を聞き終えた俺の頬を一雫の涙が流れ落ちた。
悔しくても認めなくてはならない。
この酒場の主人はただものではないということを。
彼が語る物語は、実に雄大かつ繊細で聞く者を皆惹きつけてしまう魅力をもった物だった。
あまりの面白さに、小便を我慢しすぎて漏れてしまう寸前だったほどである。あるいはこの頬を伝った涙は心の小便なのかもしれん。
あぁ、自らの表現力の乏しさを皆さまに暴露してしまうのが実に恥ずかしいが彼の話を俺なりに要約しよう。

マスターは名門戦士家の嫡男として生を受けたが、その興味は剣や魔法だけではなく酒へも向けられた。
しかし、その家柄から若き日々はその鍛錬へと費やされマスターの酒への欲求は日々積もるばかりであった。
マスターは長き日を耐え続けた。そうして遂に、妻をとり子をなし自身の息子が成人を迎える日に至ってその欲望が爆発した。

成人したばかりの息子に、即座に当主の座を譲り自らは未だ出会わぬ酒を求めて旅に出たのだ。
マスターの旅は、この世界の隅から隅までを探索しつくし遂には異世界へと足を延ばすこととなる。
煌びやかな鉄の車が走り、地上に星が生えたかのよう明るさを持った街にたどり着いたマスターは遂にカクテルと出会う。

しかし、いつからかマスターは酒を飲むだけでは満足できなくなってしまっていた。
彼に沸いた新たな欲求は、故郷の酒飲み友達とともにカクテルを酌み交わしたいというものであった。
そうして一念発起したマスターは、異世界でカクテルの技術を修めこの世界へと舞い戻り店を開くに至ったのであった。
143 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/03/27(水) 20:20:51.86 ID:DIeGWH8y0


「おやおや、つい長話を……失礼いたしました」


マスターが手持無沙汰にグラスを磨く。
グラスからは、乾いた音がした。


「さて、仕事に戻りましょうか。お次は何にいたしますか」


「マスターに任せる」


「それでは、勇者様はお酒に強そうですので少し強めの物をご用意いたしましょう」


マスターの話を聞いたからだろうか、俺はマスターの仕事に少し興味が湧いたようだ。
俺は、カクテルが作られる様子を観察することにした。

マスターは少し大きめのグラスを用意し、その中に氷を敷き詰める。
その氷は、先ほど刻んでいた球形のものとは違い荒く大きく削られたものだった。
ふと、そこでマスターの手が止まる。
訝し気に、マスターに目を向けるとうっかり目が合ってしまった。
マスターはにっこりと笑顔を返してくる。


「しかし、こんなにうまい酒を出す店ならもっと大きくすればいいのに」


壮年の男と見つめあうことに耐えきれなくなった俺は、適当に話を持ち出した。


「でなくても、弟子をとって店を増やすとか」


「ええまあ……」


マスターの返事はどうにも歯切れが悪いものだった。
しかし、その言葉とは裏腹にマスターの手はよく動いている。
流れるような手つきで、棚から大小入り混じった酒瓶を取り上げてカウンターにならべる。
それらを少量ずつグラスへと放り込み、5寸ほどある金属の棒でかき回す。
144 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/03/27(水) 20:21:18.90 ID:DIeGWH8y0


「それね、私も言ってるのよ。この店って来るのが大変だから、ほかにもカクテルが飲める店が欲しいって」
「禁酒法下にあるこのご時世に酒の文化を一歩前進させるなんて反社会的で格好いいじゃない」


「まあ、これだけ画期的な酒なんだ。他には漏らしたくないという気持ちもわかる」


「いえ、カクテルを独り占めしたいというわけでは無いんです」


できあがったカクテルを静かにグラスへと移していく。
グラスにはオリーブの実が沈められている、美しい緑色がマンハッタンのチェリーとはまた違う雰囲気を醸し出している。
グラスの淵に盛り上がるほどカクテルが注がれていく。あんなに並々に注がれていては、持ち上げて飲むことなんてできないんじゃないだろうか。
ましてや、酔ったこの身ではなおさらだ。

溢れんばかりのグラスは、マスターによって一滴も零されることなく俺の手元へと運ばれてくる。
その手際からは、少しでも動かせば零れるのではないかという危惧を一切感じさせない。


「ドライマティーニです」


案の定、持ち上げようとして少しだけこぼしてしまった。
こういうところでスマートにこなせない自分が嫌になる。

マティーニを口に含むと、強く、しかし爽やかなアルコールがそんな嫌気を払ってくれるようだった。
この青臭さはオリーブだろうか?いや、それだけではない。僅かではあるが、何か他の香りが混じっている。


「ドライですので、ほとんどストレートに近いですよ。如何でしょうか?」


「うまい」


率直な感想しか出てこない。
酒を零してしまったことといい、どうも俺は気取った動きというのが苦手なようだ。
まあ、隣に座っている女はそんなこと一切気にしないのであろうが。
145 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/03/27(水) 20:21:47.06 ID:DIeGWH8y0


「私は、普通のマティーニがいいな」


「かしこまりました」


「そういえば、この店はどこにあるんだ?」


ふと浮かんだ疑問を遊び人にぶつけてみる。


「知らない」


「知らないってことは無いだろう。君はよくこの店に来るんだろう?」


「マスターに聞いてみたら」


なるほど、遊び人の言うとおりだった。
マスターを伺うと、忙しそうに遊び人のマティーニを作っている。


「残念ですが場所はお教えできません」


おやおや?なぜ店の場所を隠す必要があるのだろうか。
カクテルのあまりのおいしさに酔い沈んでいた勇者的直観がひょっこりと顔を出してくる。

いや、もちろん禁酒法下にある現在おおっぴらに営業することはできないのだろう。
故に、場所を明らかにしないというのは、まあわかる。
しかし、なぜ既に店にたどり着きカクテルを味わっている俺や遊び人にすら場所を隠すのだろうか。

その徹底的な秘匿主義に、マスターが魔王そっくりの男であることも加えて急に危機感が沸いて来た。
何をやっているのだ俺は、ついうっかりカクテルのうまさに流されていたぞ。

ここのところそればかりだ。
酒がらみになると、すぐに油断してしまう。

そもそもの話、ここは酒場なのだ。
ならば、酒の卸元である魔王一味とも何らかの関りがあるはずではないか。
146 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/03/27(水) 20:22:14.17 ID:DIeGWH8y0


「なぜ、場所を隠すんですか?」


俺の緊張を知ってか知らずか、マスターは眉一つ動かさず口を開いた。


「先ほどの話ともつながるのですが、わたくしは異世界でカクテルを学びました」

「それはいわばズルです。この世界の人々も日々研鑽し、進化し続けている。しかし、私はその過程をすっとばし進んだ異世界からカクテルを持ち込んだ」


声のトーンが少しだけ沈んでいる。
まるで懺悔を聞いているようだ。


「わたくしは、この世界が自らカクテルにたどり着くまで店の存在を公にするつもりはないのです」

「『Bar ゾクジン』は世界が進化するまでの繋ぎ、わたくしのズルに付き合って頂けるほんの僅かなお客様だけにカクテルを提供しています」


遊び人のほうを見ると「初耳」と声に出さず返してきた。


「じゃあ、俺はこの店に来たい時どうすれば―――」

いや、そもそも俺はどうやってこの店に来たんだったか……
そうか、この店は。


「そう、ここは千鳥足テレポートでのみ来店が可能な店なのです」


かつて、遊び人から千鳥足テレポートの仕組みを聞いたことがあった。
「この魔法は酔っ払いが二件目を探すための魔法」「遊び人御用達の魔法」「とあるバーのマスターが作った」
147 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/03/27(水) 20:22:40.86 ID:DIeGWH8y0

「もしかして、千鳥足テレポートを作った大賢者って」


「大賢者だなどと恥ずかしいですが……」


酒好きここに極まれりといったところか。
こんなヘンテコな魔法を作ったやつは、相当な変わり者だろうと踏んでいたが。
酒を求めて異世界を渡り、あまつさえ自分の店を開いてしまうほどの遊び人だとは思いもしなかった。

肩から力が抜けていく。
マスターの言には嘘偽りがあるようには思えない。
少なくとも、俺が勇者として葬り去らなければならない類の者ではないはずだ。

だがしかし、新しい魔法を作り出せるほどの大賢者であり、さらには名門の戦士の家系という事実が。
俺の勇者的直観が、ある結論を導き出していた。
ならば、俺は職責を全うしなくてはならない。確かめなくてはならない。


「マスター、あなたは魔王の……」


「父親です」


やはりそうだ。マスターは現魔王の父親、すなわち先代の魔王だったのだ。
というか、魔王にそっくりな時点でその可能性をまず追うべきだったのだろう。
どうも俺のポンコツ加減に磨きがかかっている。原因は、もちろん酒と……女……つまるところ遊び人にあるのだろう。

だが堕落に甘んじているわけにはいかない、俺は自身に気合を入れなおすために剣の柄に手を触れる。
抜くつもりはない。あくまで俺が何者であり、何を求めて旅をしているのかを思い出すための所作にすぎない。
遊び人がチラリとこちらに目を向けている。


「ここの酒は息子。つまり魔王から直接仕入れているんじゃないのか?」


仕事モードに入ったためか、自然と口調が強く問い詰める形になった。
148 :今日はここまでです。 ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/03/27(水) 20:23:40.53 ID:DIeGWH8y0


「まさか、我が不肖の息子が卸す酒はこの棚に並べられた素晴らしき酒たちとは比べ物になりません」
「ここにある酒は、すべて異世界より持ってきたものです」


「では、魔王の行方は」


「全く存じ上げません」


マスターの目をじっと見つめる。
魔族特有の、マンハッタンのように赤い瞳は、静かにだが強く輝いている。

剣の柄から手を離す。やはり、そこには嘘はないと判断したからだ。
人目をはばからず、息をふーっと吐き出す。
限りなく僅かと言えど、先代魔王と一戦交える可能性すらあったのだ無理もないだろう。
それに、カクテルの味を知ってしまった身としてマスターに剣をかけずにいられてホッとしたことも大きい。


「くだらない質問はおわった?」


遊び人からの棘のある質問が届いた。
こっちは、どこかの誰かとは違い真剣なのだと少しムッとしてしまう。


「くだらなくはない。酒場で情報を聞いて何が悪い」


「馬鹿ね、酒場は魔王を探しに行く場所じゃないわ」


さんざん、一緒に千鳥足テレポートで魔王を探してきたというのに何を言っているんだ。


「じゃあ、なんだと言うのだ」


「お待たせいたしました。マティーニです」
「割り入って恐縮ですが勇者様、酒場は酒を楽しむところですよ」


なるほど、マスターが言うと説得力がある。
ならばしかたない。


「マスター。もう一杯頼む」


夜はまだまだ終わりそうにない。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/27(水) 22:47:41.15 ID:ZKrufPuDO

打てば響くとは思わなんだ
マスター次は雪国をお願いします
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/31(日) 05:58:57.13 ID:wnGVyay7o
言葉の選び方とかしゅごい
おつおつ
151 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:10:52.62 ID:NdD66LHM0

――――――


人間、酔っぱらうと本性がでるものである。

理性という名の鎧が、普段は身を潜め息を殺してきた溢れんばかりの衝動によって内からはち切れるのだ。

抑えるものが何もなければ、例え進む先が地獄だとしても迷わずに突き進んでこその酔っ払いである。

言いたいことをいい、やりたいことをやる。何を恐れるや。その姿、まさに勇者と呼ばれるにふさわしいのではないか。


では、女神からお墨付きを受けている唯一本物の勇者である俺が酔っぱらったらどうなるのであろうか。

残念なことに、みなの期待には応えられそうにはない。俺は勇者ととしての使命感からか、仮に酒に酔ったとしても何ら素面の時と変わらないのだからから。

まっこと残念なことである。まっこと。

だがしかし、それでも多少なりともほんの僅かであろうが口の滑りが良くなることはあるやもしれない。


さて、酔っ払いが二人。共に思うところあって、懐にのっぴきならぬ問題を抱えて、さらには口に酒を含んだらどうなるか。

行きつく先なんてのは、火を見るよりも明らかではなかろうか。


それは、ついつい初めての「カクテル」に興味心を引かれ昼間の険悪な雰囲気を忘れていた俺。

そして、ついついお気に入りのバーに来たことで大好きなカクテルで喉を潤すことに没頭してしまっていた彼女。

数多の酔いどれをして、「うわばみ」と称されるカップルと言えど酔いには逆らえないのが世の常。


夜も更け、俺たちはいつになく酒に酔っていた。

ワイン蔵を文字通り空けてしまったこともある俺たちをして、僅かなカクテルに酔わされるとは不思議なものである。

だがこのカクテルバーという独特の雰囲気を持つ場には、それを成す何物かが潜んでいるのだ。

つまるところ、俺と遊び人の間に何が起こったのかというと。良い雰囲気に流されて、男女がともにくんずほぐれつ汗をかく……なんてことが起こるはずもなく。

ごくごく酒場にあり触れた光景。腹を割ってのタイマンである。要は喧嘩である。
152 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:11:21.59 ID:NdD66LHM0


切り出したのは、彼女からだった


「ねえ勇者。キミは魔王にあったらどうするの?」


立ち上がりは静かなジャブから。

俺は、彼女の質問の意図を探るように回らない頭を回してみる。カランカランと音がする。まるで氷の入ったグラスのようだ。

結局は、回らないものは回らないと諦め、対外的にバツの悪くない答えを返す。


「魔王を倒すのが勇者の仕事だ」


「はぐらかさないでよ。倒すってのは殺すって意味?」


「場合によっては」


「じゃあ、魔王が人に無害になっていたとしたら殺さないでいてくれる?」


彼女は何を言いたいのだろうか。


「彼らは一度滅んだ。キミの手によってね。でも、今はただの酒の密売人組織じゃない」


「犯した罪は消えない。かつて魔王は世界を混乱に導いた」


「それって王国も同罪じゃない。所詮は国同士の戦争よ、魔王個人に罪を背負わせるなんて道理じゃない」


「元騎士の君がそれを言うのか」


「……少なくとも、キミに魔王を殺されるってのは許容できないかな」
153 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:12:15.28 ID:NdD66LHM0


「魔王を殺さないでいてくれる?」彼女は再び俺に問いかけた。それは既に質問というより懇願に近いものだった。

その問いに、俺は答えることができなかった。

なぜなら、そんなこと一度たりとも考えたことがなかったからだ。

魔王を殺さない選択だって?果たして、そんなものがありえるのだろうか。

……仮に選択肢の中にあったとしても、俺がその一つを選び取れるのだろうか。


この店に来て初めて魔王そっくりのマスターの姿を見た時。

俺の中から沸き上がったものは、遂に魔王を殺せるという喜びだった。


かつて深手を負わせたものの殺しそこなった男を。

長年にわたって追いかけてきた宿敵に、ようやくトドメを刺すことができると俺は歓喜に打ちひしがれていたのだ。

もしも、遊び人の静止がなければ俺は間違いなく剣を抜いていただろう。


全く情けないことに、あの時の俺に勇者としての使命感はほんの欠片すらなかった。

ただひたすらに、自身の感情、欲望に衝き動かされ剣の柄に手をかけたのだ。……そんなの、まるで酔っ払いではないか。

そんな俺が本物の魔王を相対して、どうなるのか。殺さないという選択を取ることができうるのか。俺にはわかりかねた。


「そう……」


沈黙する俺に、何かを察したかのように遊び人が呟いた。

何を察したのかはわからないが、おそらく何かしらの誤解が生じた気がする。
154 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:12:42.69 ID:NdD66LHM0


「魔王が……いえ、魔物がそんなに憎いのね?」


ほら生まれた。おんぎゃーおんぎゃー。


「そんなことはない」と、とっさに否定を試みる。


「そんなことなくはないでしょ。初めて出会ったあの夜のことを忘れたの?」


マスターの眉が片方だけピクリと動いた。

おいおい、「初めて出会ったあの夜」なんて艶めかしい言い方するから、マスターにもあらぬ誤解が生じたかもしれんぞ。


「変な言い方をするなよ。初めて、魔王残党の密造酒倉庫に忍び込んだ時の話だよな!」
「……何かあったっけ?」


「キミはミノタウロス達を躊躇なく殺そうとしたじゃない、あまつさえ拷問すらしようとした」


「そ、それは」


「それにさっきだって、私が止めてなければ君はマスターに切りかかっていたでしょ!」


「……そうだが」


ちがう、そうではない。いや、そうであるのだが事情が事情だ。
155 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:13:10.40 ID:NdD66LHM0


「それに関しては、何の説明もなく連れて来る遊び人が悪いじゃないか」
「突然、目の前に魔王によく似た男がいたんだぞ。俺が何年、魔王を追い続けてるか知っているのだろう?」


「一理あるわ」


一理どころか、百理も二百理もあるわ。

遊び人は、まるでそのことに考えが及ばなかったとばかりに一頻り頷いてみせた。


「もう一度だけ応えて。あなたは魔族が憎い?」


「ミノ達の件は、それが必要だったからだ。当時の俺には、魔物を殺さないでおく余裕も魔物たちから情報を引き出す術もなかった。決して魔族憎しで動いているわけじゃない」


「でも、彼らが人間だったとしたら殺さないし。拷問もしないんじゃないの?」


まあ、その通りだ。

魔族と人間の違いは、その膂力の大きさにある。

例え子供の姿をしていようが、俺を殺し得るポテンシャルをもっている。それが魔族だ。


「魔族は、人間とは違う。だから対応も違ってくるは当然だ」


「魔族は危険だってこと?だったらそれは人間だって同じじゃない」


「度合いが違うだろ」


「……」


「なあ、結局のところ何が言いたいんだ」


「私は、あなたに魔族を嫌ってほしくない」
「ごく普通に、人間とそうするように接してほしい」
156 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:13:38.03 ID:NdD66LHM0


譲歩はしている。

かつての勇者なら、理由がなければ出会った魔族に手心を加えるなんてなかった。

だが、遊び人が無益な殺生を嫌っている以上。そして俺が彼女に嫌われたくはない以上。

俺は彼女の意向に沿って、最大限の努力をしてきた。

そうでなければ、ここにたどり着くまでに俺たちは数多の魔族の死骸を積み上げてきたことだろう。


俺の「殺さない」努力を彼女は一切顧みていない。

これは一体どういうことだ。俺のかつての戦いぶりは、元騎士であるというのなら噂ぐらいは耳にしているはずだ。

勇者の通った後には草すら生えない。勇者のブーツは常に血の赤で濡れている。これまで散々なことを言われてきた。

そんな俺が、彼女と出会ってから今日という日まで命をひとつも奪っていないということがどれほどの事なのかをわかっていない。

惚れた弱み。そう惚れた弱みであるが、これほどまでに尽くしているというのに……。

その無関心には怒りすら覚えてしまう。


「遊び人、俺からも君に質問がある」


「なによ」


「君はなぜ魔王を追っている」
157 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:14:08.91 ID:NdD66LHM0

ほんのジャブ程度の質問のつもりだった。俺の努力を顧みない彼女に対してのほんの意趣返しだったのだ。

本当のところは、彼女が魔王を追っている理由などどうでもいい。

ただ、彼女がひた隠しにする目的を露わにせんとすることで少しでも彼女が嫌がる姿が見たかったのだ。


だが、俺は俺自身のことをよくは理解できていなかったらしい。

そのたった一つの質問を皮切りに、堰をきったように俺の中に溜め込まれていた疑問、いや欲望というべきものがあふれ出したのだ。


「君は、元騎士だと言っていたが何処の騎士団だ」

「なぜ、遊び人なんてやっているんだ」

「年はいくつなんだ」

「どこの出身」


今の俺には、彼女の返答を待つことすらできなかった。

こんなこと、本当なら初めて出会った夜に、初めて背中を任せられる仲間に出会たあの夜に聞いておくべきだったのだ。

だが、下心をさらしたくない一心がそれを妨げた。それでも、俺は聞くべきだった。

共有する時間が増えるにつれ、彼女のことを知らぬまま彼女への思いが募った結果がこれだ。


「一人の時は何して過ごしているんだ」

「俺のことをどう思っている」

「なぜ魔物にやさしくする」

「この店にはしょっちゅう来ているのか?」


……



彼女は黙ってそれを聞き続けた。

答える隙などなかったのだから、仕方あるまい。
158 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:14:37.59 ID:NdD66LHM0


「君の名は」


ようやく、俺の問いかけが尽き。しばしの沈黙が流れた。

遊び人は、最後の俺の問いかけに対してか何かを言いかけたものの息を吐きだすに留まった。


「私は、ただの遊び人よ」


彼女は、俺の心からの問いかけにそう答えた。

この期に及んで、秘密を明かすつもりは毛頭ない。そういうことなのだろう。

「いい加減にしろ」という言葉が喉まで出かかった。

だが、所在なさげに自身の頬を撫でている彼女を見てハッとした。


「痛むのか?」


「ちょっと痒いだけ」そう言って彼女は炎魔将軍にやられた傷を再びさすった。

俺は、彼女のその姿から目をそらさずにはいられなかった。


「もう終わりにしよう」


まるで恋人の会話みたいだな。


「まるで、恋人みたいな言いぶりね」


以前の俺なら、頬を染めていたに違いないであろう言葉も酒の助けもあってか今なら難なく言える。俺も成長したものだ。

……成長?本当に俺は成長したといえるのだろうか。
159 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:15:05.11 ID:NdD66LHM0


「千鳥足テレポートも覚えた。もう二人で飛ぶ必要はない」


そう、俺は成長した。

なんたって俺は勇者だ。誰よりも才能に溢れ、女神の加護を受けた俺は人一倍の成長力を有している。

現に見てみろ、かつて一杯のビールでふらついた足が今では浮つくことなく地面に確固としてその存在を主張している。


「魔王は俺一人で見つけ出す。そして生かしたまま君の前に引きずり出してやる。だから君は、酒でも飲んで待っていろ」


「私がそばにいるとまずいって言うの?初めて会ったときに行ったわよね、貴方は危なっかしいって。あなたを一人にするなんて無理よ」


「それは……俺ではなく魔物を気遣っての言葉だな」


隣席から、猛烈に沸き上がる怒りの波動を感じる。

ちょっとした嫌味のつもりだったが、その怒り様を見るに本当に俺のことを心配してくれているのだ。

それはそれで嬉しいし、自分の心無い言葉に猛省もする。だが、俺がそれに怯むことは無い。

彼女を如何に怒らせようと、たとえ嫌われることがあろうと、そう為さねばならない理由があるからだ。


「俺は今日見たいなことは二度とごめんだ」


「だから、それはごめんなさいって謝ったでしょ」


「謝る謝らないの問題じゃないんだ」


「そう!貴方はそんなに、炎魔将軍が大事なのね!」
160 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:15:32.55 ID:NdD66LHM0


彼女の怒りが頂上へと達するその瞬間、まるで「私のことを忘れていませんか」と言わんばかりにマスターがグラスを二つ差し出してきた。


「お待たせしました」


俺と彼女の前に、届けられたグラスにはそれぞれ透明の液体がなみなみと注がれていた。


「これは何だマスター?蒸留酒か?」


「中身はただの水でございます」


「誰がこんなの頼んだって言うの!ふざけないでよマスター!」


突如、全身に悪寒が走った。

手が震え、足が震え、視界が泳ぎ、歯がかみ合わずにガチガチとなりだした。

酔いではない、勇者の持つ耐性で酒に強くなった俺がこんなにわかりやすく酔うはずがない。

隣では、遊び人もまた同じ症状に襲われている。


「申し訳ありません。そろそろ店じまいしようかと」


マスターは、その笑みを崩すことなくグラスを磨き上げ続けている。

だが、言葉や表情とは裏腹に彼のオーラが「喧嘩は外でやれ」と雄弁に物語っていた。

流石、先代魔王と言ったところだ。この勇者である俺をして、ここまですくみあがらせるとは。

いや決して、決して恐れをなしたわけでは無いが俺は慌てて席を立つ。相変わらず、足がガクガク震えているがこれは酔いのせいだ。
161 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:16:00.04 ID:NdD66LHM0


カクテルが如何ほどするのかは知らないが、これだけあれば二人分の酒代は十分に賄えるだろう。

俺は、黙ってカウンターに銀貨を1枚おいた。

すると、それに対抗するかのように遊び人もまた自身の懐から銀貨を1枚取り出す。

あくまでも、今晩は俺に奢られるつもりはないという意思表示なのだろう。


「多すぎますよ」


マスターが困った表情で、俺と遊び人の顔を見つめる。


「マスターに」「マスターに」


期せずして、俺と彼女の言葉が被さった。

マスターはくっくっと頬を緩め、「では頂戴いたします」と銀貨を引っ込めた。


「また来るわ」


遊び人が、パンパンと手を二回たたき俺の体は再び光に包まれテレポートする。

「またお越しください」

光の中で、ただマスターの声だけが響き渡った。
162 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/07(日) 14:16:27.12 ID:NdD66LHM0

――――――


「おや、兄ちゃん、どっから現れた!?」


大柄で禿頭の店主が、突然転移してきた俺を驚きの表情で出迎えてくれた。


「悪いが、部屋はやっぱり一つしか取れなかったよ」


最悪だ。

部屋が一つしか取れていないことを、俺はすっかり忘れていた。

この険悪な雰囲気のまま、彼女と一晩過ごすのはどんな強敵と戦うよりも困難を極めることだろう。


「あれ、あの可愛い姉ちゃんは一緒じゃないのかい」


店主の言葉に、俺は慌てて周囲を見回すがどこにも彼女の姿はなかった。

なに心配することはない、彼女は腕もたつし夜にふらっといなくなることはよくあることだ。

きっと、近くのスピークイージーになりへ行ったのだろう。

俺は、気まずい夜を過ごさないで済むと少しだけほっと胸をなでおろし床へ着く。

明日、どんな顔して彼女に顔をあわそうかと気に病む間もなく俺は意識を失うように夢の中へと落ちていった。


残念なことに、もしくは幸いなことにか。

翌朝、俺は気に病む必要などなかったことを思い知る。なぜなら、彼女は朝になっても戻ってこなかったからだ。


そしてその翌日も、そのまた翌日も。

彼女は帰ってこなかった。
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/08(月) 00:27:12.88 ID:h3mGJ8iDO

164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/08(月) 01:28:40.70 ID:CAzlXe61o
痴話喧嘩だもんな
おつおつ
165 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/04/23(火) 23:04:48.48 ID:mit/xXSs0
――――――

翌朝になっても、遊び人は帰って来なかった。
二人で酒を飲んだ後、夜の闇の中に彼女が一人ふらりと消えてしまうことはこれまでも何度かあった。
今にして思えば、俺と別れた後にあのカクテルバーに赴いていたのだろう。

だが、朝になっても姿を見せないなんてことは一度もなかった。
確かに、彼女は魔族との戦いにおいても一歩も引けを取らない実力を持っている。
たとえそれでも、俺が彼女の身の安全を案じない理由には決してならない。
彼女は一人前の戦士であると同時に、俺のハートを打ち抜いた類まれなる愛らしさを持っているのだから。

日が昇ると同時に、俺は宿屋を起点に彼女を探し回ることにした。
ここは、そう広くない村だ。そんな村を、彼女のような美人が、しかも白と黒のワンピースに、首元には赤いマフラーというまるで道化師のようないでたちをしていれば目立たないはずがない。
彼女を目撃していれば、その身目麗しい姿を己が眼に焼き付けていることであろう。
だが残念なことに、予想通りであったのは、この村はさほど広くないという事実のみであった。
日がてっぺんに上る前には、俺は全ての住民に聞き込みも終えてしまったのだ。

俺たちが千鳥足テレポートで飛んで以降、彼女の姿を見たものは誰一人としていなかった。


俺は、宿屋にひとり戻ってきた。どんな精神状態であろうと人間、腹は減るものである。
それに闇雲に探すだけでは、どうにも埒があかないと悟った俺は食事を済ませつつ状況を整理することにしたのだ。
宿屋の主人に、声をかけ、俺は広間の一角に陣取った。

これだけ探しても見つからないということから推測できることは2つだ。
まず一つ目は、酔った彼女が何者かによってかどわかされたという可能性。
だが、例え酔っていたといっても屈強な彼女を、しかも勇者である俺の目を盗んで攫って行くなんてことは不可能に近い。
ならば最も可能性が高いのは、彼女が自らの意思で俺の前から消えたという推測だ。

彼女が消える直前、俺たちは意見の相違にお互い歩み寄ることができなかった。
故に、彼女が俺に愛想をつかし身を隠してしまったというのは十分にありえるのではなかろうか。
であるならば、彼女の行方を捜すという行為は、振られた男が未練がましく女の尻を追いかけているという風に見えるのではないか。
なんともみっともない話である。

そんなことを考えていると、イライラがつのり、つい足が小刻みに震えてしまっていた。
宿屋の主人が、食事を運んでくる。それに、何の配慮か俺にあの謎の自家製酒をすすめてきた。
やはり、俺の姿は女に逃げられた情けない男に見えているのだろう。
だが、見栄を張ったところで恥の上塗りになると思い素直に礼を言って酒を受け取った。

謎の液体を、一息に胃に流し込む。相変わらず、きついだけで美味しさの欠片もない酒だった。
しかしどういうわけか、不思議と足の震えが止まっていた。なんだこれは、これではまるでアル中みたいじゃないか。
だがあらゆる毒ですら殺すことのできない、神耐性を保有する俺が中毒症状に陥るなんてことはありえない。

ならば、先ほどの震えはなんだ。
俺は何を恐れているというのだ。
あの魔王とすら、たった一人で対峙した。世界で最も勇気あるものである俺が、何を恐れるや。

答えは既にわかっていた。
俺が恐れているのは、彼女との別れだ。
生まれてこのかた、魔族と戦うことばかりに励んできた俺が初めてした恋だ。
例え世界で最も勇気があると謳われても、俺はたったひとつ彼女との別れに臆しているのだ。何が勇者だ。ただの臆病者ではないか。
だが、もう震えはとまった。あの謎の酒の力だ。たとえまずくても酒は酒。
アルコールが脳をかき乱し、その恐れをかき消してくれている。

そう酒の力を借りることで、俺は恋愛に関しても恐れなど知らない勇気ある者へと姿を変えたのだ。
例え、どんな結末になろうとも彼女ともう一度話をしなくてはならない。たとえコテンパンに振られようとも、俺は耐性の勇者。その経験を糧に、さらに強くなるのだ。


と、決意を新たにしたところで、この村には彼女の行方に関する手掛かりは皆無だった。
ならば、頼る先はこの村にはない。秘密主義の彼女を辿るには、それを知り得る人を頼るべきだ。
そう、バー『俗人』だ。
彼女が足しげく通うあの店のマスターなら。俺の知らない彼女の情報を、何かしら知っているかもしれない。
もう一度、あの店に赴く必要がある。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/04/24(水) 14:48:35.72 ID:ciR0Q/f9O
おつおつ!
167 :今日はここまでです ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/01(水) 13:09:52.18 ID:/dcHJZ9Q0


俺は、出された食事を手早く腹に収め、再び宿屋の主人に声をかけた。


「あの酒をもう一杯くれ」


宿屋の主人は、機嫌よさげに「やっと俺の酒の味がわかる客が来た」と呟きながら店の奥へと消えていった。
誤解を生んではいるが……あえて否定することもないだろう。旨いか否かは、問題ではないのだから。
戻ってきた主人の右手には、水差しが握られている。中身は、推測するまでもなくあの酒なのだろう。


「このご時世だ、飲むなら自分の部屋で頼むよ」


礼を言い、俺は二階の自室へと足を向けた。
扉を固く閉じ、大きく息を吸い込む。なにせ一人で千鳥足テレポートを使うのは初めてだ。
遊び人の前では嘯いて見せたが、何事も初めてというのは恐ろしいものだ。

俺は、謎の酒を一息で飲み込んだ。
強い眩暈が起こり、足元がふらつく。胃が、「こんなものを流し込むな」と拒絶反応をおこしている。
昨日のカクテルに比べて、なんて飲みにくい酒だろうか。
だが出来の悪い酒のおかげか、酔いは一気に回った。
魔力を全身に巡らせ、呪文を唱える。


「千鳥足テレポート!」


足元に浮かび上がった魔法陣から光が放たれ、そのあまりの眩しさから視界を奪われる。
次の瞬間、俺は謎の浮遊感に襲われた。

慌てて目を開けると、どういうことだ、足元にはあるはずの地面がなかった。
足元を無意味にバタつかせてみるも、俺は重力に抗うだけの力はもっていなかったようだ。

ひゅー。
どぼーん。

俺の落ちた先は、水の中だった。しょっぱい水が、衝撃で鼻から入ってきた。
どうやらここは、どこかの海らしい。俺の鼻先を、魚たちが優雅に泳いでいく。
慌てて、水面へと浮上して周りを見渡す。見上げれば空が、見下ろせれば海が、俺の周囲に一面の青を形成していた。

やたらと、腰に付けた剣がやたらと重く感じられる。
それなりの旅装備のまま水の中に沈んだのだから、そりゃあそうだろう。
168 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/01(水) 13:10:19.54 ID:/dcHJZ9Q0

いつの日か、遊び人が言っていたが。
確かに金づちの彼女が、今の俺と同じ体験をする可能性を鑑みれば、この魔法のリスクは相当なものだ。
彼女からしてみれば、海に飛ばされるイコール死に直結するのだから。

初めての千鳥足テレポートは、大失敗だった。

俺は、必死に足をばたつかせ両手を頭の上に掲げ、そうして何とか、手を二回パンパンと叩いた。


再び光にのみこまれ、目を開けるとそこは先ほど旅立ったばかりの宿屋だった。
俺から流れ落ちた、水が足元に大きな水たまりをつくっている。
階下へと降り、宿屋の主人にタオルを借りる。


「うお、兄ちゃん、びしょ濡れでどうしたんだ。それになんだか、なまぐせえぞ」


「魔法に失敗したんだ」


「……ほどほどにな」


宿屋の主人に礼を言い、部屋に戻った俺は再び酒に口をつけた。
初めてワインを口にしたとき、そのあまりの渋みと強い香りに絶句したものの。
それでもなお、飲み進めるうちに、それらを楽しむ余裕が生まれてきたものだが。
幾度の邂逅を果たそうと、この自家製酒には慣れそうにもない。


「千鳥足テレポート!」


そこは、ゴミ捨て場だった。


早々に部屋へと帰還した俺は、訝しげな眼を向けながら鼻をつまんでいる店主に湯を借りた。
こざっぱりとしたところで、再度、酒を口に含み挑戦する。


「千鳥足テレポート!」


目の前に広がるのは、赤い海。否、ごうごうと泡を吹き上げているそれはマグマだ。
それに鼻をツンとつつく、卵の腐ったような臭い。間違いない、ここは南の山岳地帯、火龍の住まう火山だ。
ひどい熱気と、まずい酒のせいか頭がくらくらする。
少し休もうと、手ごろな岩に腰掛けると、あまりの熱さにズボンが発火してしまった。
慌てて、ズボンを脱ぎ火を消す。なんとか消火には成功したが、ズボンには大きな穴が開いてしまっていた。
長居してもしょうがないので、俺は再び部屋に帰還した。
169 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/01(水) 13:10:46.66 ID:/dcHJZ9Q0

度重なる失敗に俺がめげることなどなかった。
うまくいかないなら、うまくいくまでやるだけだ。

と、水差しから直に燃料を補給しようとするも当に空になっていた。
いったい今日一日で何往復したかであろう、宿屋の階段を降りていく。


「おいおいおいおい兄ちゃんよ。あんたの魔法ってのは、失敗するたびに臭くなるのかい?」


主人に言われて、自身の袖を嗅いでみる。
腐った卵のような臭い。いわゆる硫黄臭いというやつだ。


「悪いが、酒を追加でくれないか?」


「あのなぁ兄ちゃん。何があったかは知らねえが、酒に逃げるのはあまり褒められたことじゃあねえぜ」


「ありがとう。でも逃げてるんじゃないんだ、追いかけるために酒が必要なんだ」


主人は「ぬぅ」と喉の奥から声を出し、諦めたのか再び酒を持ってきてくれた。


「今日は、もうこれぐらいにしておけよ」


「あぁ」


俺は、再び階段を上っていく。
背後から「なんで尻に穴が開いてんだ」
そう呟く宿屋の主人の声が聞こえてきた。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/05/01(水) 14:35:20.96 ID:FH1V6VKdo
剣錆びそう耐性つきそう
おつおつ
171 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/01(水) 15:26:15.75 ID:/dcHJZ9Q0
―――――


目が覚めると、朝日が昇っていた。
どういうことだ。俺は、千鳥足テレポートに失敗しすぎて遂に時空を超えてしまったのか。
なんてことはなく、酔っぱらっていることが条件の千鳥足テレポートの燃料補給にと酒をしこたま飲んだせいで酔いつぶれてしまったらしい。

結局、俺は一度たりとも千鳥足テレポートを成功させることができなかった。
遊び人曰く、二人でやると成功率があがる。とのことだったが、それにしたって10割失敗というのはどういうことだろう。
俺には、まだ千鳥足テレポートを使いこなすことができないのだろうか。

真っ先に思いつくのは、俺が呪文を間違っていた可能性だ。
だが、この魔法は妙な条件付けが為されている一方で呪文に関しては非常に簡易なものである。
俺は遊び人の隣で、幾度となくこの魔法の呪文を聞いて来た。一言一句違えていないはずだ。

二つ目に挙げられるのは、燃料不足。つまるところ酔いが足らないという可能性だが。
この点、俺は昨日酔いつぶれるほどに、しこたま酒を飲んだ。あれで燃料が足りないということは無いだろう。
いや待てよ。果たして、そうだろうか。

昨日の俺は、本当に酔っていたのだろうか?
そもそも、『酔い』を『摂取したアルコール量』と仮定するのは些か安直な気がする。
だって、酒に強い女もいれば下戸の男だっているんだ。どれだけ酒を飲んで酔っ払うかどうかなんて人それぞれなんだから。

ならば酔いとは何だろうか。
千鳥足テレポートは使用者に何を求めているというのか。

いや、そうではない。
求めているのは千鳥足テレポート自身ではない。
求めているのは、そう。このみょうちくりんな魔法を生み出した元魔王の大賢者。
バー『俗人』のマスターが、客を自らの店へ招き入れる条件だ。

昨日の自分の姿を、ふと思い出す。
酔っぱらって大暴れ、なんてことにはなってはいない。だが、床を水浸しにし、硫黄の臭いを宿に振りまき。
あまつさえ、主人に苦言をていされる始末。今になって思えば、昨日の俺はとても普段通りとはいいがたかった。
とにかく、早々に酔って千鳥足テレポートを試そうとやっきになっていた。
そんな状態で飲んだ酒は、まったく美味しく感じられなかった。いや、そもそもここの酒がまずいのは間違いないのだが。

だが、そんなまずい酒でも、俺と遊び人は素面の状態からたった一杯の酒でテレポートに成功した。
ふむ、なんとなく見えてきたぞ。

水差しに手を伸ばす。
中には、ほんのわずかではあるが昨日の酒が残っていた。
俺は、一息に酒を飲みほした。

遊び人と初めて出会った日のことを思い出す。
そうあれは春先のことだった。この村と似た辺境の片田舎だ。そこの秘密酒場で、彼女から声をかけてきたんだったな。
それから数日後には、二人で教会のワイン樽を全部開けてしまったこともあった。あの日見た、彼女の下着の白さを久しく忘れていた。
一気に飛んで、一昨日も酷い一日だったが。それでも、いいことだってあった。
そう、あの日は彼女が俺の手を引いて秘蔵のカクテルバーに連れて行ってくれたんだった。

俺は、あらんかぎりの彼女との思い出を引き起こす。
ワイングラスの関節キッス。純白のパンツ。彼女の小さく柔らかい手。
この部屋には、鏡がなくてよかった。おそらく今の俺は、とんでもない間抜け面をしていることだろう。
そうすると、僅かな酒しか体に居れていないというのに、不思議と頬が熱くなってくる。
俺は、成功を確信して呪文を唱える。


「ちどりあしてれぽーと!」


この魔法は、ネガティブな気持ちじゃ使えない。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/05/01(水) 22:38:20.80 ID:jcsr/CODO

若いって良いなあ
173 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/03(金) 16:29:04.16 ID:KfriHW7I0
――――――


「いらっしゃいませ」


マスターの声に、俺は胸をほっと撫でおろす。
店の奥には、一人の女がカウンターに突っ伏している。
ブロンドの美しい髪、屋内でも決してとることのない赤いマフラー、そしてまるで道化師のような派手な服。
彼女は、そこにいた。


「あ……」


「こんなところにいたのか」


新たな客に、ふと顔をあげた彼女は、俺の姿を見ると再び机に突っ伏してしまう。
脇には、チェリーが入った逆三角形のグラスがひとつ。まるで、先日から彼女の席だけ時が止まっていたかのようだ。


「まさか、ずっと飲んでたのか?」


俺の問いかけに、彼女は答えない。


「ひとまず帰ろう。ずっといたらマスターも迷惑だろう」


やはり、返答はない。
だが、ここで彼女と押し問答をする気は俺にはなかった。
二の轍を踏んで、マスターを再び起こらせることもあるまいとの配慮からだ。


「マスター、会計は」


「先日、十分な量をいただきましたから」


俺は、黙ったままの彼女の横に立ち手を胸の前まであげる。
すると、遊び人が声を上げた。


「まって」


「……まだ、飲み足りないなんて言わないでくれよ」


「そうじゃないの」
「勇者、私帰れなくなっちゃった」
174 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/03(金) 16:29:32.55 ID:KfriHW7I0
――――――


なんとか『千鳥足テレポートが成功しない』を解決したかと思えば、今度は『千鳥足テレポートの期間術式が発動しない』だ。
問題が発生したら、むやみやたらに試行錯誤を繰り返すよりも、まずは状況を整理する。一見遠回りに見えるが、これが一番いいことは既に経験済みだ。

そもそも、千鳥足テレポートとは、二つのテレポートによって構成されている。

まず1つ目のテレポート、これが成功すると、テレポートの行使者は酒のある屋内へとランダムテレポートする。
ただし、そのランダム性には行使者の嗜好、望む場所が影響を与える。
俺が、初めて飛んだのは、ラムランナーの秘密倉庫。
そして先日は、炎魔将軍の便……いや、思い出すのはよしておこう。
まあ、あそこは魔王軍の幹部の隠れ家だ、おそらく相当な量の酒をため込んでいたに違いない。

そして2つ目が帰還術式によるテレポートだ。
一つ目のテレポートが成功したにしろ、失敗したにしろに関わらず、テレポート先で手を二回叩くことで元の場所へと戻される。
そう言えば、ラムランナーの秘密倉庫から帰還した際は、俺はいつの間にか宿屋のベッドの中にいた。
初めての飲酒で、酔いが回っていたのだろう。
そして、炎魔将軍の下からは元居た酒場へと戻された。

今回は、この2つ目のテレポートに何らかの不具合が生じているのだろう。


「なあ、キミと俺が初めて出会った日のことなんだが。あの日、俺を宿屋のベッドに放り込んでくれたのはキミか?」


「……ちがうわよ。あのときはたしか、アタシはもといた酒場にもどされたけど。キミの姿は見えなかった」


「つまり、俺は宿屋のベッドに直接送り返されたということか?」


遊び人が、顎に手をあて黙り込む。


「そういえば、あんまり考えたことがなかったけど……アタシも、ベッドに直接飛ばされたことが何度かある」
「ヨっぱらって宿屋にかえった記憶がないだけかと思ってたけど、イマ思えばあれは転送先がベッドの中だったとしか思えない」


なるほど、確かに一人で千鳥足テレポートを使っていれば考えもしないことだろう。
なぜならば、この魔法の行使者はみな等しく酔っぱらっている状態だ。多少の記憶の祖語は、酔っぱらっていたで説明がついてしまう。
今回、俺たちがこの疑問にたどり着けたのは、俺たちが二人でこの魔法を使っていたからだ。

考えれば考えるほど妙ちくりんな魔法だ。千鳥足テレポートの行使者の状態によって、帰還先が変化するなんて、いったい何の意味があるというのだ。
だがしかし、どうやらこの辺りの条件付けに、問題が潜んでいそうな気がする。
175 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/03(金) 16:30:00.04 ID:KfriHW7I0


……って、俺は阿呆か。なんて無駄な思案を巡らせていたんだ。
今、この場において問題は既に解決されたも同然ではないか。なんたってここには、千鳥足テレポートを開発した大賢者がいるのだから。


「ムダよ……アタシが何の手段も講じずに、ここでカクテルを楽しんでいたとでも思うの?」


表情から、俺が何を考えているのか察したのだろう。遊び人が、水を差してくる。
……いや、キミの場合、それが十分にありえるのだが。


「残念ですが。これはあなた方の問題でしょう。私が口出しするのは野暮ってものですよ」


遊び人の言葉を裏付けるように、マスターは俺に釘をさしてきた。
しかし、その口ぶりからは、マスターは問題の原因に既に思い至っていることが伺い知れた。


「ご注文はお決まりですか?」


正直、酒を飲みたいという気分ではなかった。
だが、バーに来て一杯も飲まないなんて選択肢はありえないだろう。
俺は少しだけ考えて、彼女と同じものを頼むことにした。


マスターが酒を作っている間、俺は何とかマスターから情報を引き出せないものかと考えた。
そうした気配を感じ取ったのか、マスターは先日とは比べ物にならないスピードでカクテルを作り上げてしまった。


「マンハッタンでございます」


やはり、なみなみに注がれたグラスが、その中身を一滴も零すことなく遊び人の隣の席へと運ばれる。
マスターの心遣いなのかもしれないが、どうにも面倒なことをしてくれる。
彼女の隣に腰を下ろしていいものか、俺が逡巡していると。
マスターが「おっと、これはしまった。氷を切らしてしまいました。少し出てきます」と、わざとらしいセリフを残して店を出て行ってしまった。


今しがた、マスターが店を出て行った扉に目をやる。
カウンターの向こう側、酒が並べられた棚の横に設置されたその扉は、俺の腰の高さほどしかない。
まるで、童話に出てくる小人たちが拵えたもののようだ。

帰還術式が使えないなら、この店から直接外に出ればどうなるのだろう。
店を改めて見回すと、カウンターのこちら側、すなわち客が座るであろうスペースには一つだけ扉が設置されていた。
マスターの使っていた扉とは違い、こちらはごく普通のサイズだ。
開けてみると、中にはさらに扉が一つ。さらにそれを開けてみると、中はただの便所だった。

マスターの言っていた言葉を思い出す。ここは、千鳥足テレポートでしか来れない店。
つまるところ、客が出入りする扉はそもそも設置していないのだ。そこに、マスターの店の秘匿性を徹底的に守るという強い決意が感じられる。
ならば、と俺はカウンターを乗り越え、今しがたマスターが出て行った扉に手をかける。
鍵がかかっているわけでは無い、だがどんなに力を入れようとドアノブはピクリとも動かなかった。
このドアノブの硬さは物理的なものではない、魔術的な何かだと考えるのが妥当だろう。

千鳥足テレポートは、その帰還術式以外での帰還は絶対にできない。そういうことなのだろう。
176 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/03(金) 16:30:29.14 ID:KfriHW7I0


ふむ、手詰まりだ。
自身の魔法への知見が浅いとは思わないが、これだけ複雑の条件付けが為されているとお手上げだ。
少なくとも、酒が入っている状態で取り組むべき問題ではない気がしてきた。

俺は、再びカウンターを乗り越え客側へと戻った。
当然のことだが、俺の酒は彼女の隣に置かれたままだ。正直なところ、気まずさから席を一人分空けたい気分ではあるが。
それでは、俺が逃げたみたいで実に情けないではないか。
俺は、覚悟を決め彼女の隣へ座った。

彼女の手元にあるものと同じ、強い赤みを帯びた琥珀色の酒に口をつける。
マンハッタンといったか。いったいどういう意味なのだろうか。


「アタシは、マンハッタンが一番好き」

「甘くて、芳ばしくて。それに、最後に口に放り込むチェリーがたまらないの」


俺も、もともとはあまり甘いものが好きというわけでは無い。
だが、ウイスキーが放つ香りと混じり合っているせいか、このカクテルの甘さは俺にあっていた。


「たまには、甘い酒も悪くないな」


「あらあら、気取っちゃって」


横目に、彼女をチラリと見る。

彼女の頬は、いつになく赤く染まっていた。
彼女がこんなに酔っているのをみるのは初めてだった。

だが、そこには確かに更に赤黒い一筋の線が見て取れる。
モヤモヤとした薄暗い感情に、俺は視線を正面に戻される。


「キミがこんなに酔っているのは初めて見た。体調でも悪いのか」


「嫌なことがあったから飲みすぎちゃった」


「俺が、帰った後もずっと飲んでたのか?」


「たぶんそう」


先日とは打って変わって、彼女は素直に見える。これもまた、酒の力であろうか。
冷静に話をするなら、今がいい機会なのかもしれない。

この間の話の続きを、するべきなのであろう。
それは、魔王を見つけた時の取り扱いであり、彼女がひたすらに隠す彼女自身の素性についてであり。
そして、最も重要なのは魔王探索の最前線から彼女に退いてもらうことである。

彼女の説得の困難さを鑑みると、どうにも気が重くなってきて自然と眉に皺がよってくる。
177 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/03(金) 16:30:56.10 ID:KfriHW7I0


「まだ怒ってる?」


顔中の皺という皺を眉に寄せ、口を真一文字に結び、腕を組んで正面を凝視する俺の様子を窺うように、遊び人が俺の顔を覗き込んできた。


「俺は、そもそも怒ってなんかいない」


「いや、怒ってたよ」


「何に対してだ、俺が怒る要因など何一つない」


「でも、私のせいで炎魔将軍を取り逃がしちゃったじゃん」


「それは、そういうこともあるさ」


「でもでも、二度とこんなのはごめんだって……」


ああ、誤解の原因はそこだったのか。
彼女は、俺が炎魔将軍を取り逃がしたことを怒っていると思っているのだ。
故に、その原因となった彼女を俺が旅から排除しようとしていると勘違いさせてしまっていた。
ならば、その誤解さえとければ、俺は彼女を納得させられるのではないだろうか。
彼女との協力関係を保ったまま、前線に一人で立つことができるのではないだろうか。


「二度とごめんだ」


彼女は悲しそうに「ほら」と呟いた。


「ちがう。そうじゃないんだ」


「じゃあなに?」


「……」


沈黙が流れる。答えに詰まったわけではない。
明確な答えは俺の中にある。だが、それを言うには相応の勇気が必要なのだ。
人々から、勇気あるものと称される俺をもってしても躊躇してしまうほど恐ろしい壁があるのだ。
目をそらしてはならない、俺は自身の罪へと向き合わなくてはならなかった。

カウンターの上に置かれていたウイスキーを無造作に取り上げる。
ラベルには、見たこともない角ばった文字らしきものがでかでかと書かれている。
気にせず、ビンを開け、一気に喉へと流し込む。所謂ラッパ飲みだ。

肺が空気をもとめ、胃が突然の強い酒の侵入に嫌悪感を示す。
えづきそうになるのを我慢して、俺はどうにかビンを全てからにすることに成功した。


「君の顔に、傷が残ってしまった」


彼女が驚いてこちらを見ていた。
俺もまた、彼女の目をそらすことはなかった。

彼女は、自身の頬に何げなく振れた。
そこには、炎魔将軍によってつけられた刃傷がありありと残っていた。
炎魔将軍の高温の剣は肉を切り裂くと同時に彼女の皮膚を焼いていた。血が出なかったのはそのせいだ。
そして、その傷は回復魔法をかけても跡が消えることはなかった。

俺は、美しく愛らしい彼女の顔をまっすぐ見ることができなくなっていた。
彼女を無防備にも魔王幹部に近づけてしまったこと。そして、あまつさえ彼女と連中のやり取りを盗み聞きし彼女の素性を探ろうとしていたこと。
彼女に一生ものの傷を負わせてしまったのは、自分であるという後ろめたさがそうさせたのだ。

絞り出すように、俺は懺悔をつづけた。
178 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/03(金) 16:31:23.27 ID:KfriHW7I0


「かつて俺はキミに約束した。俺が君を守ると」


「いや、そんな約束した覚えがないけど」


「す、すまない、気のせいだったかもしれない」


あれ?気のせいだったか?俺の記憶違いなのだろうか。
いや、確かに以前そんな約束をした気がする。
景気づけに、カウンターから再び一本ウイスキーをとる。
あける。飲み干す。
実に燃費の悪い身体である。そうして、ドーピングを重ねないと本心を明かすことができないなんて。


「……君が傷つくのは二度とごめんだ」


我ながら思う。うすら寒い台詞だと。
照れのせいかどうにも鼻がむずかゆい。


「……そう……じ、じゃあ、次は君が守ってよ」


そう言って彼女は机に突っ伏してしまった。
どうやら、俺の説得は失敗したらしい。彼女は、俺が本心を明かしてもなお前線についてきて俺の隣に立つつもりでいた。

しかし、その挙動に一つまみ程の不振さを抱いた俺は、組んだ腕の中に自身の頭を納めこんでいる彼女を、その腕の隙間からのぞみこんでみた。
薄暗くてよく見えないが、頬が先ほどよりも更に赤くなっている気がする。呼吸もいくばくか、荒くなっている。
飲みすぎて気持ち悪くなったのかと、背中をさすろうと手を伸ばすと、彼女はゼンマイ仕掛けの玩具のようにバッと起き上がった。


「私の秘密、ひとつだけ教えてあげる」


その頬はやはり、赤い。というか、頬に限らず顔全体が赤く染まっている。


「お、おぅ」


「君さ。たぶん、自分では気づいていないようだけど」


「お、おぅ?」


「酔っているとき、心のモノローグがだだもれだよ」
179 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/03(金) 16:31:50.78 ID:KfriHW7I0
〜〜〜〜〜〜

「ビールの苦みはホップに由来するものなのよ」


「ホップ?」


「そ、ホップステップジャンプのホップ」


遊び人のにやけ面からするに、これは冗談を言っているのだろう。

これだから、酔っ払いの相手をするのは嫌なんだ。下らない冗談を、得意満面に話すなんて恥ずかしくないのだろうか。

どうせ言うならもっと洒落た冗談を言って欲しいものだ。例えば、そうだな……。

ホップ……モップ……コップ……いや、やめておこう。このままだと碌なことを言いだしかねない。


「いい判断だね」


〜〜〜〜〜〜
180 : ◆CItYBDS.l2 [saga]:2019/05/03(金) 16:32:18.77 ID:KfriHW7I0
〜〜〜〜〜〜


「うんうん、そうだな。俺も、君の中身のほうを楽しみたいものだ」


〜〜〜〜〜〜
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