静香千早「「アライブファクター」」 【ミリマス】

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1 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:28:12.02 ID:PusMuPT6O

 昼と夜の隙間を貫くような、冷たい風だった。

 肘の辺りをさすりながら、静香は舌を唇へとやった。
 意識してのことではなかった。乾燥を覚えた時、あるいはそれ以外の時にも、静香には自分の唇を舐める癖があった。
 元々は、友人や相棒がよくやる仕種だっただろうか。癖がうつる、というのはどうやら本当のことらしい。

 ――余計に乾燥するから感心しないわ。

 いつか言われたことを思い出す。
 コートの右ポケットには愛用のリップクリームが転がっている。以前は女の子らしく鞄の中の更にポーチの中に携帯していたのだけれど、いつの間にかそこが定位置となってしまった。
 つつ、とクリームを滑らせる。ぱっぱっ、と唇を合わせて軽く馴染ませる。
 わざとらしいくらいの清涼感。
 すっ、と鼻が通るような、その瞬間が静香は嫌いではなかった。

 ふぅ。

 一つ、大きく息を吐く。


 ――その程度なの、静香。


 突き刺すような視線が、静香を冷たく焦がしている。

 本番の日が、近付いていた。


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2 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:32:20.00 ID:PusMuPT6O

 ◇


「静香、新曲だ」

 未来、翼、それに静香の三人、レッスンまでの時間を控え室で過ごしていた。
 プロデューサーの言葉はいつも唐突だ。静香は改めてそう思う。

「わー! 静香ちゃん、新曲だって! すごいすごーい!」

 と、まるで自分のことのように嬉しそうな未来。

「えー! プロデューサーさん、静香ちゃんだけですかー?」

 ずるいずるい。口にするのは翼。
 そんな二人の様子に、プロデューサーは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「今回は、な。未来と翼の新曲についても、実は、もう動き出してるから」

 期待して待っててくれ。
 やったー、と二人手を合わせて喜ぶ未来と翼。
 そしてそんな二人を見ながら楽しそうなプロデューサー。
 未来と翼は良い。でも、大人であるはずの彼のそんな茶目っ気が、静香はあまり好きではなかった。
3 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:33:39.10 ID:PusMuPT6O

「……プロデューサー、新曲の話を聞かせてください」

「悪い悪い。今回静香に歌ってもらうのは……」

「「もらうのは?」」

「そういうのいいですから。未来と翼も簡単に乗せられないの」

「「はーい」」

「ぐ……」

 相変わらず子どもっぽい。
 静香は心の中でため息をつく。
 まったく、この人はいつになったらしっかりしてくれるのだろう。
 ……やる時はやる人だということぐらいは、分かっているのだけど。

「静香、今回は、またデュオ曲を用意した」

「デュオ……『D/Zeal』の時みたいに、ですか?」

「そうだ。相方は――千早」

 今度は、さらりと、爆弾を落とした。

4 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:35:23.70 ID:PusMuPT6O

「へ?」

 静香が呆気に取られた声を出す。
 今、プロデューサーは何と言った?
 相方は、千早?
 千早って、あの、千早さん?
 と、二人で?

「千早さんと!? すごい! すごいすごーい!」

「静香ちゃん、千早さんに憧れてるって言ってたもんね! いいないいなー」


「え、ええええええええええ!?」


 静香の絶叫が、劇場内を駆け巡った。


5 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:36:20.99 ID:PusMuPT6O

 ◇


 大丈夫。
 事前にしっかり練習してきた。
 楽譜も完全に頭に入れて、ピアノでも弾けるようになった。
 『D/Zeal』での経験もある。

 初めての二人揃ってのレッスンを前にして、静香は、言い聞かせるように一つ一つ自分の行いを確認した。
 今の自分を千早に見てもらう。
 そして、あわよくば、認めてもらうんだ。
 どきどきと共に、わくわくとした感情を確かに静香は覚えていた。

6 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:37:16.49 ID:PusMuPT6O

 ガチャ、と扉の開く音がした。
 振り向くと、そこにトレーニングウェアを着た千早の姿があった。

 ――空気が、違う。


「ごめんなさい、遅れたわ」

「い、いえ、まだ時間前ですし……」

 千早が入って来た瞬間から、ピリピリとした何かを、静香は感じていた。
 いつもの千早さんじゃない?
 一人黙々とストレッチを始める千早に声をかけようとしたけれど、結局、それは叶わなかった。
 ちらちらと様子を窺う静香に、千早が気付いていないとは思えなかった。普段の彼女なら、そんな静香に一声二声とかけて緊張を解してくれるはずだった。
7 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:38:26.85 ID:PusMuPT6O

 レッスンコーチ、そしてプロデューサーが入室する。
 千早が立ち上がり、一礼。
 静香も慌ててそれに続いた。

「今度の曲は、ライブが初披露となる。その意味が、分かるな?」

 プロデューサーの言葉に、

「はい」と、千早。

「は、はい」と、静香。

「コーチには、普段以上に厳しく、とお願いしてある」

「望む所です」

「が、頑張ります」

 よし、とプロデューサーが頷いた。
 コーチが二人の前に出る。

「始めよう。如月、最上、もちろん、準備はできているな?」

 唇が冷たい。
 静香の瞳が、怯えるように揺れている。

8 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:40:46.35 ID:PusMuPT6O


 ◇


「……で、あたしの所に相談に来た、と」

「……はい。すいません。ジュリアさんもお忙しいのに」

「バカ、謝んなって。ユニットとしての活動は多少減ったとはいえ、シズは今でもあたしの相棒なんだから」

「ジュリアさん……ありがとうございます」

 千早と二人でのレッスンは、なかなか静香の思うようには進まなかった。
 萎縮している、という自覚はあった。そうして歌えば歌う程に、千早との差が感じられて、更に自分が小さくなって行くような悪循環に陥っていた。

「心配しなくても、チハは、あいつは、シズのことを認めてるよ」

「で、でも、レッスン中、全然声もかけてくれなくて……それに……」

9 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:41:50.09 ID:PusMuPT6O



 ――その程度なの、静香。

 初日のレッスン終了後、千早からかけられた言葉が、鋭い視線が、頭から離れない。


10 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:44:02.83 ID:PusMuPT6O

「期待の表れだって言っても、シズは納得しないよな?」

「……すいません。どうしてもそうは思えなくて」

 これまでの優しい千早とのギャップが、静香を悩ませていた。
 自分が悩む時にはいつもアドバイスをくれた。導いてくれた。
 その千早が、今は、無言で自分を見つめている。
 何か、千早の気に入らないことをしてしまったのではないか。そもそも、最初から自分の力量に納得していないのではないか。
 やっぱり、

「やっぱり、千早さんは、ジュリアさんとの方が――」

「ストップ。シズ、その先は言っちゃダメだ。絶対に」

「あ……ご、ごめんなさい……」

 謝ってばかりだ。
 静香は思う。

「まったく、チハもチハだぜ。シズをこんなに悩ませて……」

「いえ、千早さんは……」

「はぁ。不器用なんだよな、あいつ」

 バカみたいに。
 ジュリアの言葉に、静香は答える術を持たなかった。
11 : ◆0NR3cF8wDM [saga]:2019/06/29(土) 23:46:52.17 ID:PusMuPT6O


 ◇


「しーずーかーちゃん!」

 何をするでもなく、控え室で物思いにふける静香に声をかけたのは、春香だった。

「春香さん?」

「新曲の具合はどう?」

「……ええと、その……」

 上手く行っていない、と正直に答えることはできなかった。

「……なんて。ごめんね、ちょっとだけ、ジュリアちゃんから聞いてるんだ」

「ジュリアさんから?」

「うん。それで、静香ちゃんとお話がしたいなって思ったの」

 春香と千早が親友同士の関係であることは、身内を飛び越えて、ファンにまで知られていることだった。
 その春香が、自分に話がある、という。
 静香がつい姿勢を正して身構えてしまったのも、無理はないことだっただろう。

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