ダイヤ「吸血鬼の噂」

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72 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 08:52:19.41 ID:ZRnZyA2Z0

あまり落ち込んでいる様子は見せないようにしているのかもしれませんが、明らかに口数が少ない。


ダイヤ「……千歌さん」

千歌「……ん?」

ダイヤ「この後……はとりあえずお風呂ですわね。髪を乾かしたら沼津までお出かけしませんか?」

千歌「……この時間からだと、行ってもすぐに日が落ちちゃうんじゃないかな」

ダイヤ「確かにあまり長居は出来ないかもしれませんけれど……。今日はいい塩梅の曇り空ですし。天気予報を見たら雨も降らないみたいですので」


有り難いことに、今日は昨日と違って日が隠れているし、雨が降る心配もない。

今の千歌さんが安心して出歩ける貴重な天気なのです。


千歌「ん……でも……」

ダイヤ「余り家でじっとしていても、どんどん気落ちしてしまうと思いますから……。少し気晴らしにお買い物をしましょう?」

千歌「……わかった、そういうことなら」


よかった、納得してくれた。


ダイヤ「それでは、早く食べて片付けてしまいましょうか」

千歌「うん」





    *    *    *





──浴室。


千歌「ふぅ…………」

ダイヤ「お湯……大丈夫ですか?」

千歌「うん、昨日の朝方入ったのに比べると……」


やはり、吸血鬼化していない状態だと、水への精神的抵抗が減るみたいですわね……。

流水はやはり無理なようなので、気をつける必要こそありますが……。

……しかし、


千歌「ふぇ……? どうしたの、じっと見つめて……?」

ダイヤ「……ちょっと、失礼しますわ」


千歌さんの髪に手を伸ばす。


千歌「……!?///」


そのまま髪を撫でたり、梳いたりしてみる。
73 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 08:53:16.04 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「は……/// え……/// え……!?///」

ダイヤ「……やはり、サラサラですわね」

千歌「ふぇ……!?/// ぁ……/// ぅ……///」

ダイヤ「昨日からずっと気になっていたのですが……」

千歌「き、気になってたの!?///」

ダイヤ「……髪の状態も、肌の状態も……不自然なほどに良すぎる……」

千歌「……へ?」


これは代謝がどうと言うか……。

根本的に美しい状態が維持されているような気がしてならない。


ダイヤ「吸血鬼は容姿が美しいのも特徴とされていると善子さんは言っていましたわ。吸血鬼化の影響で、千歌さんの肌や髪のコンディションも最高に保たれているということなのかもしれませんわ」

千歌「…………」

ダイヤ「肌がすべすべになったと言っていましたし……千歌さん、他に何か心当たりはありませんか?」

千歌「…………知らない」


千歌さんがぷいっと顔を背ける。


ダイヤ「もし、少しでも気になることがあったら教えてくださると……」

千歌「自分で見ればいいじゃん、目の前にいるんだから」

ダイヤ「え……いや……その……?」


何故か急に千歌さんがそっけなくなった気が……?


ダイヤ「……主観的な部分でしかわからないこともあるかもしれませんし……」

千歌「……かもね」

ダイヤ「千歌さん……?」

千歌「……お風呂、出る」

ダイヤ「え、ま、まだ入ったばかりではないですか……?」

千歌「チカの身体、綺麗に保たれてるんでしょ? なら、いいじゃん。どっちにしろ、シャワー使ったり身体流したり出来ないから、シャンプーとか、コンディショナーとかしなくても綺麗なら、ちょうどいいね」

ダイヤ「ち、千歌さん……?」

千歌「ダイヤさんはごゆっくりどうぞ」

ダイヤ「え、ち、ちょっと待ってください!!」


気のせいかと思いましたが、どう考えても今の千歌さんの態度は、明らかに不機嫌です。


ダイヤ「わ、わたくし、もしかして何か気に障ることを……」

千歌「……知らない」

ダイヤ「ま、待って……! わたくしも一緒に出ますから……!」


焦って湯船から出ようとして、


千歌「ダイヤさんは髪も身体洗わないとダメじゃない?」

ダイヤ「……!」


言われて気付く。
74 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 08:53:47.41 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「ご、ごめんなさい……わたくし、そのようなつもりで言ったわけでは……」

千歌「…………」

ダイヤ「……日中の時間帯から吸血鬼扱いされては……気分が悪いですわよね……すみません」


わたくしが、謝罪をすると、


千歌「…………そういうことじゃないもん」


千歌さんは小さな声でそう返す。


ダイヤ「……え?」

千歌「……ダイヤさんのおたんこなす!」

ダイヤ「え……え?」

千歌「にぶちん! とーへんぼく! もう、知らない!」

ダイヤ「ち、ちょっと待って……」


わたくしの制止も虚しく。千歌さんは浴室から出て行ってしまいました。


ダイヤ「…………?」


彼女を怒らせてしまった理由がわからず、呆けてしまう。


ダイヤ「おたんこなすですか……」


久しぶりに聞きましたわね……あのような幼稚な悪口。


ダイヤ「……とりあえず、お風呂から出たら謝りましょう……」


わたくしは千歌さんに言われたとおり、とりあえず身体を洗うことに致しました。

……それにしても、どうして急に怒り出したのでしょうか……?

何度も理由を頭の中で考えていましたが、結局答えが出ることはありませんでした。





    *    *    *





お風呂からあがると、千歌さんはわたくしの部屋で髪を乾かしながら待っていました。


ダイヤ「えっと……千歌さん」

千歌「ダイヤさん」

ダイヤ「は、はい」


何故か妙な迫力があって、思わず背筋が伸びる。


千歌「そこ座って」

ダイヤ「は、はい……」


千歌さんが自分のすぐ横を指し示すので、言われたとおりそこに腰を降ろす──と、


千歌「乾かすよ」
75 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 08:54:55.78 ID:ZRnZyA2Z0

おもむろにわたくしの髪をドライヤーで乾かし始める。


ダイヤ「え……? い、いや、自分で出来ますから……」

千歌「チカの髪は触っておいて、自分の髪は触らせてくれないの?」

ダイヤ「!? え、ええっと……?」

千歌「それに、私の髪、短いからもう乾いたし」

ダイヤ「は、はあ……」


……とりあえず、ここは言うことを聞いた方が良さそうだと思い、大人しく髪を乾かしてもらうことにしました。


ダイヤ「…………あの、千歌さん」

千歌「何?」

ダイヤ「……怒ってますか……?」

千歌「……怒ってるかも」

ダイヤ「……えっと……理由を聞いたら……更に怒りますか?」

千歌「……理由がわかってないことをすでに怒ってるし、聞かれても教えたくない」

ダイヤ「そ、その……ごめんなさい……」

千歌「……もう、いい……チカも悪いから」

ダイヤ「……え?」

千歌「期待しちゃったみたい」

ダイヤ「……期待……?」

千歌「……なんでもない、今のは忘れて欲しいかな」

ダイヤ「……は、はい」


なんだか、わかりませんが……。一応、解決……したのでしょうか……?


千歌「……ダイヤさんの髪、完全なストレートだね……羨ましい」

ダイヤ「……千歌さんの髪も癖は少ない方ではないですか?」

千歌「うーん、ちょっと内巻き気味だけど……まあ、曜ちゃんほど癖っ毛ではないかな。でも、ここまでストレートなのは女の子なら皆羨ましいんじゃないかな」

ダイヤ「そうでしょうか……。日本人形みたいではないですか?」

千歌「ダイヤさん髪の毛真っ黒だもんね……でも、私は綺麗だなーって思うよ」

ダイヤ「あ、ありがとうございます……」


さっきと打って変わって褒められる。


千歌「果南ちゃんも鞠莉ちゃんも言ってたよ? ダイヤさんの髪はお手本みたいな黒髪ストレートロングで羨ましいって」

ダイヤ「鞠莉さんは色もですが、わたくしとは真逆の髪質ですからね……果南さんもストレートですけれど……」

千歌「海水で傷みやすくて、手入れが大変ってよく言ってるよね」

ダイヤ「ですわね。……でも、わたくしもたまにパーマをかけること、ありますのよ?」

千歌「そうなの?」

ダイヤ「ええ。少しウェーブがかかっているのも好きですので。……ただ、すぐストレートに戻ってしまうのですけれど」

千歌「女の子のヘアスタイルって生まれつきの髪質との戦いなところあるよね……曜ちゃんなんかもう割り切っちゃってるけど、子供の頃は癖っ毛いやだーってよく言ってたし」

ダイヤ「曜さんも大変そうですわよね……水泳の選手は特に」

千歌「消毒の塩素で色とか抜けちゃうんだっけ? 言われてみれば、昔はもうちょっと黒っぽかった気もしなくはない……」
76 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 08:55:31.30 ID:ZRnZyA2Z0

何気ない世間話。……と言うか、ガールズトークでしょうか?

よかった……。本当にもう怒ってはいないみたいです。

二人でぼんやりと会話をしていると、程なくして、


千歌「うん、そろそろ大丈夫かな」

ダイヤ「ええ、ありがとうございます。千歌さん」


髪を乾かし終わる。


ダイヤ「それでは、身支度をして、出かけましょうか」

千歌「うん」


春物の上着を手に取る。

その際──ポケットから、何かが落ちる。


ダイヤ「きゃぁ!!?」


驚いて咄嗟に声をあげてしまった。


千歌「え、なに? どしたの──わぁぁあぁぁ!!!?」


千歌さんが落ちたソレを見て、わたくし以上に大きく飛び退いた。

──ソレは善子さんから貰ったロザリオでした。


千歌「び、び、び、びっくりしたぁ……!!」

ダイヤ「ご、ごめんなさい……うっかりしていました」


わたくしはロザリオを拾ってポケットにしまう。

そういえば、昨日出かけたときにポケットに入れたままでしたわ。


千歌「う、うぅん……大丈夫。それじゃ、いこっか」

ダイヤ「そうですわね……」


二人揃って、部屋を出て行く。

玄関まで行き、二人で靴を履いている最中、ふと疑問に思う。

──……どうして、わたくし……ロザリオを見て、声をあげるほど驚いたのかしら……?





    *    *    *





千歌「……着いた!」


沼津に到着したのは16時前でした。

日没まではもう2時間くらいしかないので、本当に長居は出来そうにありませんが……。

ただ、本当に今日はいい塩梅の曇り空のお陰で、外を出歩いていても、千歌さんの顔色が大分良い。やはり連れ出して正解でしたわね。
77 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 08:57:37.31 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「それで、どこにいくの?」

ダイヤ「今晩作るご飯の買い物をしようと思いまして」

千歌「おお! なるほど! 何作るの?」

ダイヤ「何がいいですか?」

千歌「んー……んー……おいしいもの」

ダイヤ「ふふ、そうね。わたくしもおいしいものが良いですわ」

千歌「わ、笑わないでよぉ! 考えてなかったんだもん……えっと、そうだなぁ…………カレーとか?」

ダイヤ「カレーですか……いいですわね。となると具材は……」

千歌「ニンジンは冷蔵庫にあったよね」

ダイヤ「ええ、あとは馬鈴薯かしら……」

千歌「ばれーしょ?」

ダイヤ「あ、えっと……じゃがいものことですわ」

千歌「ばれーしょって言うじゃがいも?」

ダイヤ「じゃがいものことを馬鈴薯と言うのですわよ」

千歌「……??」


二人でそんな話をしながら、スーパーに入ろうとしたとき──


千歌「…………」


千歌さんがピタリと止まる。


ダイヤ「? 千歌さん?」


千歌さんの顔を見ると、真っ青になっていた。


ダイヤ「ち、千歌さん!? どうしたのですか!?」

千歌「ダ、ダイヤさん……た、たぶんチカ、これより先に進めない……」

ダイヤ「ど、どういうことですか……?」

千歌「わ、わかんないけど……この先に行くのは命の危険がある気がする……」

ダイヤ「…………あ」


……しまった。この規模のスーパーだったら、この時期でも確実に置いてある。


ダイヤ「大蒜……」


大蒜のニオイに異常に敏感なのはもう目にしている。

スーパーに入るのは無理そうですわね……。


ダイヤ「他を当たりましょうか……」

千歌「う、うん……でも、どこで買えば……」

ダイヤ「そうですわね……カレールーはコンビニで買えばいいとして……。馬鈴薯──じゃがいもは個人商店で買いましょう」

千歌「あ、八百屋さんならニンニクは置いてない……のかな?」

ダイヤ「大蒜は今は旬ではないので……国産に拘っているお店もあるでしょうし、そういう場所なら大丈夫だと思いますわ」


二人で踵を返して、駅前ロータリーに戻ってくると──
78 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 08:58:24.39 ID:ZRnZyA2Z0

 「あれ? お姉ちゃん……と千歌ちゃん?」

 「ん? 千歌ちゃんと、ダイヤさん?」


聞き覚えのある声がする。

声のする方を見ると、


ダイヤ「ルビィ……花丸さんも」

ルビィ「わ、偶然だね!」

花丸「二人ともこんにちは。千歌ちゃん、体調は大丈夫?」

千歌「あ、うん、だいぶよくなったよ」

花丸「それはよかったずら」


ルビィと花丸さんでした。

そんな中、花丸さんが近付いてきて、こそこそと話しかけてくる。


花丸「ダイヤさん……彼氏さんは説得できたずら?」


一瞬何のことかと思いましたが、そういえばそういう話になっているのでしたっけ……。


ダイヤ「え、ええ、まあ……お陰様で」

花丸「そっか、力になれて何よりずら」


花丸さんは腕を組んで得意気に頷いている。

まあ……参考になったのは確かなので、いいでしょう。……たぶん。


千歌「? どうしたの?」

ダイヤ「いえ、なんでもありませんわ」

花丸「乙女の秘密ずら」

千歌「……?」


そう言いながら、花丸さんの視線が首筋の絆創膏に注がれている気がするのですが……。

まあ、花丸さんならわざわざ言いふらしたりはしないでしょう……。


ルビィ「二人はお買い物?」

ダイヤ「ええ、千歌さんと一緒に夕食を作ろうと思って」

花丸「ずら? 二人ってそんなに仲良かったの?」


花丸さんが首を傾げながら、ルビィに訊ねる。


ダイヤ「少し、Aqoursの活動について相談を受けていまして……ゆっくり二人で食事をしながら、考えましょうということになりまして」

千歌「……? …………あ、うん、そうそう! そうなんだよね!」


千歌さんは最初なんの話かわかっていない様子でしたが、なんとか途中で気付いてくれたようですわ。

ちなみに……ギリギリ嘘はついていませんわ。
79 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 08:58:54.50 ID:ZRnZyA2Z0

ルビィ「千歌ちゃん、悩み事……?」

千歌「あ、うん……まあ、ちょっと」

花丸「ルビィちゃん、きっとあんまり詮索しない方がいいよ。わざわざダイヤさんに相談してるくらいだから、きっと言い辛いことなんだよ」

ルビィ「あ、そっか……ごめんね」

千歌「う、うぅん、気にしないで」

ダイヤ「それより、貴方達は何をしにここまで? 善子さんは一緒ではないのですか?」


会話が続くとボロが出かねないので、話題を切り替える。


ルビィ「あ、うん……それがね」

花丸「ゴールデンウイーク特別はいしん? とやらで追い出されたずら」

ダイヤ「配信……ですか?」

千歌「あ、善子ちゃんがよくやってる、生配信?」

ルビィ「うん……1時間くらいだからって言われて」

花丸「そういうことならって、二人で買い物に来たずら」

ダイヤ「まあ、3日もお世話になるわけですからね……そういうこともあるでしょう。ルビィ、迷惑は掛けていませんか?」

ルビィ「うん! 大丈夫だよ! むしろ、善子ちゃんのお母さんに『ルビィちゃんは育ちが良いのね』って褒められちゃった!」

ダイヤ「そう、それなら安心ね……」


妹がよそ様で変なことをしていないかと言うのはいつも不安ではありますが、どうやら問題ないようですわね。


ルビィ「それにね! 善子ちゃんちってすごくって、お風呂がハーブ湯になってるんだって! すっごい良い匂いだし、オシャレだし、びっくりしちゃった!」

千歌「ハーブ湯……! さすが善子ちゃん……オシャレ……」

花丸「……オシャレというか……いつもの堕天使の延長ずら。なんかハーブは聖なる力を中和してくれるからとかなんとか、わけのわからないことを言ってたずら……」

ダイヤ「善子さんは相変わらずのようですわね……」


その知識に昨日頼らせてもらったばかりなので、その拘りは全く否定出来ませんが……。


千歌「……と、言うかせっかくなら二人も一緒に配信に出ちゃえばいいのに」

ルビィ「え?」

千歌「前、堕天使スクールアイドルのときに善子ちゃんの配信にちょこっと出たことあったでしょ? ルビィちゃん人気あったし……意外と視聴者の人も喜んでくれるんじゃないかな」

花丸「言われてみればそうかも……3人ではいしん……」

ルビィ「……ちょっと楽しそうかも」

花丸「……ルビィちゃん! 急いで善子ちゃんちに戻るずら!」

ルビィ「うん!」


二人は顔を見合わせ頷いて、踵を返して走り出す。


ダイヤ「あ! 二人とも! 走ったら転びますわよ!」

ルビィ「気をつける〜!」

花丸「千歌ちゃん! ダイヤさん! また練習で〜!」

ダイヤ「……もう」


慌しい妹たちを見て、思わず肩を竦めてしまう。

まあ、元気なのはいいことなのですが……。
80 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 08:59:23.02 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「練習……そっか、月曜からやるって話だったっけ」

ダイヤ「……そういえば、そうでしたわね」


ゴールデンウイークは最初の土日は完全オフにしようとは決めていましたが、それ以外の日は練習をしようという話をしていたことを思い出す。


千歌「…………明日、曇って欲しいな……」

ダイヤ「…………」


いつも快晴を望み、明るく真っ直ぐな、彼女らしからぬ願いに、胸が痛む。


千歌「…………どうして、こうなっちゃったんだろう」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「…………そのうちAqoursで居られなくなっちゃうのかな……」

ダイヤ「…………」


悲しげな顔でそう言う、千歌さんの顔を見ているのが辛くて、


ダイヤ「千歌さん」


わたくしは千歌さんの手を取った。


千歌「え……ぁ……ダイヤさん……?」

ダイヤ「まだ、買い物は始まっていませんわよ? 行きましょう?」

千歌「……えへへ、うん」


少しでも笑っていて欲しいと想って、願って、彼女の手を引き、歩き出す。

その想いからか、手をきゅっと握ると、


千歌「…………」


千歌さんは無言で握り返してくる。

今は……今はわたくしが千歌さんを支えるのです。

そして、彼女をまた、笑顔で居られる世界に戻してあげる必要がある。

……千歌さんの笑顔にはそれだけの価値がある。そう想うから。





    *    *    *





ここ数日、千歌さんは本当に精神的に参っているのが、間近で見ると痛いほど伝わってくる。

特に自分が真っ当に人間としての生活が送れなくなり──Aqoursとしての居場所がなくなることにすごく脅えている。

どうにかして、彼女を元気付けてあげたいのですが……。

千歌さんの現在の状況は、日常生活に密接な制限が多すぎて、ふとした拍子に思い出して落ち込んでしまう。

外に連れ出せば何かしら、元気になってくれるかと期待して出かけたのですが……何か、何かないでしょうか……。

そんな無責任な期待をしながら、歩いていると……その機会は案外すぐに訪れたのでした。
81 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:00:03.74 ID:ZRnZyA2Z0

 「──あ、あの! もしかして、Aqoursの千歌ちゃんとダイヤさんですか!?」

千歌「……え?」

ダイヤ「?」


声を掛けられて立ち止まる。

そこは──仲見世通りに入ってすぐの場所にあるお花屋さんでした。

その店先に立っている女の子が声を掛けてきた人物で……。


千歌「えっと……?」

ダイヤ「貴方、Aqoursをご存知なのですか?」

女の子「はい! PVとか見ていて、私大好きで……」

千歌「……! そうなんだ……!」

女の子「……あ、そうだ! ちょっと待っててください」

千歌「……?」


女の子はそう言って店の奥へと小走りに駆けて行く。

……すぐに戻ってきた彼女は、手にオレンジと白色の可愛らしいお花で作られた小さなブーケを持っていました。


女の子「あのこれ、どうぞ!」

千歌「え、わ、私……?」

女の子「実はAqoursの皆のイメージブーケを作ってる途中で……全員分はまだ出来てないんですけど、千歌ちゃんのイメージブーケは最初に作ったから……!」

千歌「!」

ダイヤ「……ふふ、貴方は千歌さん推しなのですわね?」

女の子「は、はい……!」


わたくしがそう訊ねると、少し照れくさそうにする、お花屋さんの女の子。

一方、千歌さんは──


千歌「…………そっか……そっか……っ……」

女の子「……え?」


口元を抑えて、ぽろぽろと涙を零していた。


千歌「私……Aqoursなんだよね……っ……」

ダイヤ「ふふ、当たり前ではないですか……」

女の子「え、えっと……」

ダイヤ「大丈夫ですわ、嬉しくて感極まってしまっただけだと思いますので」

千歌「応援してくれて……ありがとう……っ……私、頑張るから……っ」

女の子「! は、はい! これからも応援してます!」

千歌「私……っ……頑張る……っ……」

ダイヤ「……ふふ」





    *    *    *


82 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:00:38.45 ID:ZRnZyA2Z0


──千歌さんはブーケの入った白いビニール袋を片手に、そしてもう片方の手はわたくしと繋いだまま歩く。


千歌「えへへ……」


二人で歩く最中、何度も手に持ったブーケの入った袋を見てはニヤニヤとしている。


ダイヤ「ほら、千歌さん、前を見て歩かないと危ないですわよ」


すれ違う通行人とぶつかりそうになっていたので、ちょっと強めに手を引く。


千歌「わわっ!?」

ダイヤ「すみません」


ぶつかりそうになった通行人に謝りながら、少しよろけた千歌さんを支える。


千歌「あはは、ごめんなさい……」


千歌さんは謝りはするものの、相変わらずにやけた表情をしている。

よほど嬉しかったのでしょう。


ダイヤ「ふふ……」


安心からなのか、わたくしも思わず笑みが零れる。

やっと、笑ってくれた。よかった……。


千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「チカ……もうちょっとだけ頑張ってみる」

ダイヤ「ふふ……わたくしも出来る限りの協力を致しますわ」

千歌「うん、ありがと! ……待っててくれる人がいるんだもん! こんなところで負けてられない!」

ダイヤ「ええ! その意気ですわ!」


やっと千歌さんらしさが戻ってきましたわね。


ダイヤ「それでは! 買い物に参りましょうか!」

千歌「うん! ばれーしょが待ってる!」


わたくしはニコニコ笑顔を取り戻した千歌さんと手を繋いで、商店街を進んでいくのでした。






    *    *    *





──さて、無事馬鈴薯とカレールーを手に入れた、わたくしたちは帰路に就いています。


千歌「思ったより遅くなっちゃったね」

ダイヤ「そうですわね」
83 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:01:16.23 ID:ZRnZyA2Z0

買い物を終えて、バスに乗り込んだのは18時半前のことでした。

そろそろ日没の時間。

内浦までの道のりは45分ほどかかるので、バスの中にいる間に日は沈んでしまうでしょう。

早めに帰るのに越したことはありませんが……。


ダイヤ「まだ時間に余裕はありますから」

千歌「あはは、そだね」


日没になった瞬間、急激に吸血鬼化するわけではない。

強い吸血鬼化が認められるようになってくるのは、大凡21時以降。

それまでは緩やかに進行していくだけですし、まだまだ時間的な余裕がある。

今日は曇り空のお陰で、バス内に差し込んでくる西日もありませんし……。


千歌「えへへ……」


千歌さんはご機嫌な様子ですし、短時間でしたが、一緒にお出かけしてよかったですわ。

ふいに、千歌さんが繋いだ手をきゅっと握る。


ダイヤ「? どうかしましたか?」

千歌「んーん……なんか、ずっと手繋いでてくれて……嬉しいなって」

ダイヤ「…………」


言われてみれば、そうでしたわね……。

商店街に入る前、強引に手を引くために握ってから、手を繋ぎっぱなしでしたわ。

……あら、もしかして……馬鈴薯を買うとき、やたら店主さんの視線が微笑ましかったのって……。


ダイヤ「…………///」


改めて考えてみたら、急に恥ずかしくなってきて、思わず繋いでいた手を放す。


千歌「あ……手、放しちゃうんだ……」

ダイヤ「え、いや、その……」


千歌さんがしゅんとしてしまったので、慌てて握り直す。


千歌「! えへへ……」

ダイヤ「……手を繋いでいると、何か違うのですか……?」

千歌「うん、ダイヤさんが温かくて嬉しいなって」

ダイヤ「……千歌さんの手の方が温度は高そうですけれど……」


わたくしは少々冷え性気味なので、温かい季節でもよく手が冷たいと言われる。

逆に千歌さんの手はやたら温かかった。代謝の違いでしょうか……?


千歌「あはは、そうじゃなくてね。……んー、心がかな……」

ダイヤ「心、ですか?」

千歌「うん……ホントはすっごく不安なはずなんだけど……。ダイヤさんが傍にいてくれるだけ……すっごく心強い。手繋いでくれてる間は、もっと安心する」

ダイヤ「そう……」
84 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:01:46.01 ID:ZRnZyA2Z0

そういう風に言ってもらえると、悪い気はしない。

思わず、彼女の手をきゅっと握ると、


千歌「えへへ……」


千歌さんは幸せそうに微笑みながら、手を握り返してくる。

そのまま、千歌さんはコテンと頭を預けてくる。


ダイヤ「千歌さん?」

千歌「……ダイヤさん、ありがと……」

ダイヤ「ふふ、どういたしまして……」

千歌「ちょっと眠いかも……」

ダイヤ「眠ってもいいですわよ。着いたら起こしてあげますわ」

千歌「うん……」


そう言うと、千歌さんは目を瞑って、わたくしの方に身を預けてくる。

わたくしは、人の温もりを感じながら、往く帰り道は──存外悪くないなと、思ったのでした。





    *    *    *





異変が起きたのは、自宅のバス停まであと10分ほどの場所に差し掛かったときのことでした。


千歌「…………ぅ」

ダイヤ「? 千歌さん? 起きたのですか?」


千歌さんから小さなうめき声が聞こえてきて、声を掛ける。


千歌「…………ふ……ぅ……」

ダイヤ「……千歌さん?」


起きたのかと思ったら、千歌さんの身体が小刻みに震えだす。


ダイヤ「!? 千歌さん……!?」

千歌「…………ぅ……く……ふぅ…………ふぅー…………」


気付けば千歌さんと繋がれていた手の平が汗で湿っていた。

はっとなって、彼女の額を見ると、脂汗が滲んでいる。


ダイヤ「大丈夫ですか……!? 酔いましたか……?」

千歌「…………血、が……」

ダイヤ「え!?」


その発言に血の気が引く。

まさか──


ダイヤ「ちょっと、失礼します!!」
85 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:02:44.75 ID:ZRnZyA2Z0

千歌さんの顔に手を添えて、自分の方に向き直らせる。


ダイヤ「口、開けて!」

千歌「ぁ、ぁー……」


彼女の口の中を見て──更に血の気が引いていく。


ダイヤ「ど、どうして……」


千歌さんの歯が──吸血鬼状態になっていた。

それも、伸びかけの状態などではない。

完全に吸血鬼のソレなのです。

慌てて窓の外を見ると、確かに夜の時間は始まっていますが、まだ僅かに西の空には昼の明るさの余韻が残っている。

昨日はまだこの時間は全然吸血鬼化が進んでいなかったのに、何故……!?


千歌「……ぅ……ふぅ……ふぅ……」


そんなことを考えている間にも、千歌さんの呼気はどんどん荒くなり、震えは大きくなっていく。

これは……もしかしなくても、血を欲している状態です。


ダイヤ「千歌さん……! 今の欲求はどれくらいですか……!?」

千歌「……きゅぅ……じゅぅ……」

ダイヤ「90……!?」


もうすでに限界ギリギリではありませんか……!!


ダイヤ「千歌さん……! もう少しだから、我慢してください……!! 荷物はわたくしが持ちますから……!!」

千歌「ふ……ぅ……ぅん…………」


あとバス停何個分……!?

千歌さんからブーケの入った袋と、買い物袋を受け取りながら、外を見回す。

あと5分程度で着く。

最寄りのバス停から家まで走って……あ、いや、今の状態の千歌さんは走れるとは思えない。

ギリギリ家まで間に合うかどうか……!!

焦る思考の中、気付けば、


千歌「ふ……ぅ…………んぁー…………っ」

ダイヤ「!?」


千歌さんはわたくしの首筋に噛み付こうとしていた。


ダイヤ「ス、ストップ!!」

千歌「むぎゅ……っ!!」


彼女の頭を無理矢理抱きかかえるようにして、どうにか噛みつきを回避する。

不味い……不味い……! 不味いですわ……!!


千歌「ふぅー…………ふぅー…………!!」
86 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:04:11.23 ID:ZRnZyA2Z0

もう千歌さんは限界……!

ですが、外での吸血は絶対回避しなければならない。

外でチャームにかかってしまったら、本当に収拾がつかなくなってしまう。


ダイヤ「千歌さん、お願い!! 我慢して!!」

千歌「ふ、ぅ……ふぅー…………」


彼女の頭を抱きかかえながら、祈るように、目的地に着くまで耐える。

──あとバス停一つ分なのに、どうしてこんなに長いの!?

時間が掛かりすぎですわ……!!!

バスは普段と何も変わらず運行しているはずなのに、今この瞬間だけはやたらのろのろ動いているように感じる。

お願い、お願い……!! 早く、早く目的地に着いて……!!





    *    *    *





バスを降りる際、運転手の人に「お嬢ちゃん大丈夫かい!?」と心配されてしまいましたが。


ダイヤ「少し酔ってしまったみたいで!! 家はすぐそこなので、お気になさらず!!」


そう言って、バスを飛び出した。

バス停から自宅までは一直線。

ここさえ、抜ければ……!!


千歌「……血!!!」

ダイヤ「……!!」


手を引く千歌さんが、大きな声をあげた。


ダイヤ「あとちょっとだからっ!!!」

千歌「血、血!!!!」


千歌さんが強い力で手を引っ張ってくる。


ダイヤ「っ……!!」


ここで、引きずり倒されて吸血されるのはダメです……!!

わたくしは咄嗟に繋いでいた手を振りほどいて──


千歌「血っ!!!」

ダイヤ「血が欲しいなら、こっちですわ!!」


自宅までの一直線の道を全速力で走り出す。


千歌「血ぃ!!」
87 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:05:01.01 ID:ZRnZyA2Z0

正気を失った千歌さんが、後ろから追いかけてくる。

これでいい。

辺りに他の人影はない。

なら、千歌さんはわたくしだけを追いかけてくる。


ダイヤ「こっちですわよ!! 千歌さん!!」

千歌「血、血、血!!!」


目を血走らせて、千歌さんが追いかけてくる。


ダイヤ「は、はや……!!」


先に勢いをつけて飛び出したはずなのに、千歌さんは思った以上に足が速く、どんどん距離を詰められる。

自宅正門前の石段に差し掛かり、普段絶対しないような大股で走りながら、階段を一段飛ばしで駆け上がっていく。

こんなところ、お母様に見られたら絶対に叱られる。


ダイヤ「緊急事態なのでっ!!!」


誰が見ているわけでもないのに──正確には千歌さんは見てますが──大声で言い訳しながら、階段を駆け上がる。

全速力で黒澤邸の正門をくぐり抜けると、左手に我が家の玄関が見えてくる。


ダイヤ「っ……!!」


無理矢理引き戸を開いて、屋内へと転がり込む。

田舎特有の留守なのに鍵を掛けない習慣、普段はこのご時世に不用心なと、顔をしかめるところですが今日ばかりは助かりました。

急いで靴を脱ぎ捨て、部屋まで走ろうとしたところで、


千歌「血血血血ぃっ!!!!!!」

ダイヤ「!!」


追いついてきた千歌さんに背後から押さえつけられ、玄関前の廊下に倒れ込む。


ダイヤ「へ、部屋まで待って!!!」

千歌「フゥーッ!!! フゥーーッ!!!!」


千歌さんの顔が首筋に迫ってくるのが気配でわかる。

首を捩りながら、彼女の顔を確認すると──


ダイヤ「……!!」

千歌「……ふぅーーっ!!!! フゥーーーーーッ!!!!!!」


千歌さんは涙を流していた。

その涙が……何を意味しているのか。何故だか少し……わかるような気がして……。

思わず、彼女の頭を後ろ手に抱くようにして──


ダイヤ「……よく、頑張りましたわね。……吸ってもいいですわよ」


彼女へ吸血を許可したのでした。


千歌「ん、ぐぁあーーーっ!!!!」
88 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:06:15.71 ID:ZRnZyA2Z0

──ブスリ。

剥がす暇のなかった絆創膏を貫く形で、歯が首筋のいつもの場所に突き刺さってくる。


ダイヤ「っ゛…………!!」

千歌「ん…………ちゅ…………ちゅぅ…………」

ダイヤ「は……っ……はぁ…………♡ ……ん…………ん……っ…………♡」


快感が昇ってくる。

思考が刺激で掻き消されていく。


ダイヤ「や、ぁ…………♡ …………ふ、ぅ…………ん…………っ…………♡」


声が漏れる。気持ち良い。


千歌「ちゅ…………ちゅ、ぅ…………っ…………ぷは…………」

ダイヤ「ゃっ…………♡」

千歌「…………ごめんなさい……っ……」

ダイヤ「はっ……♡ はっ…………♡ 千歌さ……っ……♡ もっと……♡」

千歌「ごめんなさい……っ……。ごめんなさい……っ……!」

ダイヤ「……?? 千歌さん、もっとぉ…………♡」

千歌「ごめんなさ……っ…………ごめんなさい……っ……!!」

ダイヤ「……千歌、さ…………ぁ…………」


気付けば──千歌さんに後ろから抱き竦められていた。

そして、彼女は──


千歌「ごめ……っ……ごめん、なさ……っ…………ごめんなさい……っ……ごめん、なさい…………っ……!」


何度も謝罪の言葉を繰り返しながら、泣いていた。


ダイヤ「……千歌さん」

千歌「わた……っ……わ、たし……っ…………」

ダイヤ「ちゃんと、家まで我慢できましたわね……偉いですわ。ありがとう」


吸血前に後ろ手に抱きかかえるようにしていた手で、頭を撫でる。


千歌「っ゛……!!! ぅ、ぅぁぁぁ……っ……」

ダイヤ「……よしよし」

千歌「ぅ……っ……あ、ぁぁぁ……っ……」


わたくしは、ただ泣きじゃくる彼女に言葉を掛けて、撫でてあげることしか……できませんでした。





    *    *    *





ダイヤ「──あーん」

千歌「ぁー……」
89 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:07:30.83 ID:ZRnZyA2Z0

千歌さんの口の中を覗き込む。


ダイヤ「……やはり、完璧に吸血鬼化していますわ」

千歌「……うん」


時刻は20時過ぎ。

昨日のこの時間の写真と比べても──というか、もう比べる必要もないほど立派なキバになってしまっていた。


千歌「……どうして」

ダイヤ「…………」


もう答えは出ている気はした。

──根本的に吸血鬼化が加速している。

ただ、明言化はしたくない。

今、千歌さんに辛い現実を突きつけても、いいことなんて何も……。


ダイヤ「千歌さん」

千歌「ん……」

ダイヤ「少し遅くなってしまったけれど……夕御飯を作りましょう?」

千歌「ごはん……」

ダイヤ「カレー一緒に作りましょう?」

千歌「……うん、ばれーしょが待ってるもんね」

ダイヤ「ええ」


今は少しでも普通に……千歌さんと過ごした方がいい。

わたくしと千歌さんは買い物袋を持って、厨房へと足を運ぶのでした。






    *    *    *





ダイヤ「──はい、野菜洗いましたわ」

千歌「うん、じゃあ皮剥くよー!」

ダイヤ「お願いしますわ」


流水に触れない千歌さんは野菜を洗うことはできないので、わたくしが洗ってから手渡す。

千歌さんはピーラーを片手に張り切っている。


ダイヤ「張り切りすぎて、手を切らないようにしてくださいませね」

千歌「はーい!」


千歌さんが野菜の皮剥きをしている間に、わたくしは鍋の準備をする。

二人分なのでそんなに大きなものは必要ないので、普通のお鍋に水を貯めていく。


千歌「出たな! ばれーしょの芽! しっかり、えぐってやるぞぉ!」

ダイヤ「…………」
90 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:08:42.82 ID:ZRnZyA2Z0

どう考えても、空元気ですわよね……。


千歌「あ、ダイヤさん! お水あふれてる!」

ダイヤ「え?」


言われて手元を見ると、鍋から水が溢れ出していた。


ダイヤ「…………」


余分に入れてしまった水を捨ててから、コンロの上に鍋を置く。


千歌「ダイヤさん……大丈夫……?」

ダイヤ「ごめんなさい……少し考え事をしていて……」


全く、わたくしが心配されて、どうするのですか……。

ただ……現実問題、事態はどんどん悪い方向へと進んでいる。

このままでは、本当に──


千歌「……大丈夫だよ」

ダイヤ「え……?」

千歌「私……諦めないから」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「だから、今はカレー! 作ろ?」

ダイヤ「……ええ、そうですわね」


腹が減っては戦は出来ぬですわ。

しっかり、ご飯を食べて……どうするかを考えないと、いけませんものね。





    *    *    *





千歌「これでよし! あとは煮込むだけだね」


カレールーの投入も終えて。

カレーは鍋の中でぐつぐつと煮込まれている。


ダイヤ「あとは、これですわね」


お玉にはちみつを垂らす。


千歌「……? はちみつ?」

ダイヤ「? どうかしましたか?」

千歌「はちみつ入れるの?」

ダイヤ「……? はちみつ入れないのですか?」

千歌「……??? 普通入れない気がするけど……」

ダイヤ「え……?」
91 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:09:56.20 ID:ZRnZyA2Z0

お玉いっぱいのはちみつをカレーに投入しながら、わたくしは怪訝な顔をする。


ダイヤ「……はちみつ、入れないのですか……? 我が家では昔から、はちみつを入れているのですが……」

千歌「そ、そうなんだ……黒澤家のカレーの隠し味なんだね」

ダイヤ「……昔から、当たり前のように入れていたので、疑問に思ったことがありませんでしたわ……」


お玉にはちみつを垂らしながら、少しショックを受ける。

……他のご家庭では、はちみつは入れないのですわね……。


千歌「って、え!? まだ入れるの!?」

ダイヤ「黒澤家のカレーはお玉2杯分のはちみつをいつも入れているので……」

千歌「…………そ、そうなんだ」


そのまま、はちみつを投入して、煮込みながらかき混ぜる。

小皿に味見用にカレーを少しだけ取って、一口──


ダイヤ「……ふふ、いつもの味ですわね。おいしいですわ」

千歌「ホントに?」

ダイヤ「千歌さんもどうぞ」


同じように小皿にカレーを少しだけ取り、千歌さんの口元に運ぶ。


千歌「ん……。……あ、確かにコクがあっておいしいかも……」

ダイヤ「でしょう?」

千歌「ただ……甘口カレーみたいだね」

ダイヤ「そうですか?」


そんなに甘いでしょうか……?

もう一口、頂いてみますが……。やっぱり、カレーと言えばこの味だと思うのだけれど……。


千歌「あ、でもでも、チカはこのカレーの味も好きだよ」

ダイヤ「当然ですわ! 我が家のカレーなのですから!」

千歌「うん、完成するの楽しみだね」

ダイヤ「ええ!」


あとは野菜をよく煮込んで完成ですわね。





    *    *    *





千歌・ダイヤ「「いただきます」」


今日も今日とて、二人で食事を頂く。

なんだかんだでここ数日はいつもこうして千歌さんと一緒にご飯を食べている気がしますわね。
92 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:10:42.34 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「んー! やっぱり、カレーっていつ食べてもおいしいよね!」

ダイヤ「ふふ、前にルビィも同じようなことを言っていましたわ」

千歌「あはは、言ってそう」


二人で食事を楽しむ最中。


千歌「ダイヤさん」


千歌さんが自分から話を振ってくる。


ダイヤ「なんですか?」

千歌「……ちょっと、今後の話をした方がいいかなって……」

ダイヤ「…………」


わたくしのスプーンが止まる。


ダイヤ「……今ですか?」

千歌「……後回しにしても、よくないかなって」

ダイヤ「それは……」

千歌「また急に……予想出来ないことが起こるかもしれないし」

ダイヤ「…………」

千歌「明日から……練習もあるし」


確かに明日は午後からAqoursの練習があります。

救いなのは午前中は果南さんが家の手伝いで出られないため、午後までの時間は自由参加ということになっていることでしょうか……。


ダイヤ「……とりあえず、午前中の練習は休みましょう」

千歌「うん……お昼まで起きられないもんね」


こういう休日の練習スケジュールの場合、午前中から積極的に参加しているのは、わたくし、千歌さん、曜さん、梨子さん、花丸さん……それと、ルビィの6人。

善子さん、鞠莉さんはお昼まで寝ていることが多く──というか、鞠莉さんは根本的にルーズなので──果南さんも家の手伝いや準備のため遅れることが多い。


千歌「明日の午前練習は4人かな……」

ダイヤ「……まあ、善子さんの家にルビィと花丸さんが今日まで泊まっているので、一緒に練習に参加すると思いますわ」

千歌「あ、それもそっか。……5人もいればどうにか練習出来るよね」

ダイヤ「ええ、きっと大丈夫ですわ」


やはり彼女はAqoursのリーダーらしく、練習状況の心配をしている様子です。

確かに練習の主導はメニュー管理をしているわたくしと、実質ダンスリーダーの果南さんがやっている節があります。

三年生が不在のときは千歌さんが牽引している様子ですが……。

明日に関してはそういう人員が全員いない練習になってしまいそうなのが、懸念なのでしょう。


ダイヤ「そんなに心配しなくても、皆さんしっかりしていますから、大丈夫だと思いますわ」

千歌「うん……まあ、そのメンバーなら曜ちゃんがまとめてくれるかな」


ダンスなら曜さん。歌唱訓練なら、ピアノが弾ける梨子さんと歌が得意な花丸さんも居ますし……。

きっと、大丈夫でしょう。
93 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:11:26.32 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「わたくしたちは、お昼以降の参加。……夜明けは5時頃なので、11時には目覚ましをセットしておきましょう」

千歌「うん、そうだね」


まあ……それはいいのですが。


ダイヤ「明日……ちゃんと曇るかしら……?」

千歌「……うん」


晴れてしまうと、千歌さんは屋外でのダンス練習は厳しいかもしれない。


千歌「一度家に寄って……帽子取ってこようかな」

ダイヤ「それがいいかもしれませんわね……」


気休め程度かもしれませんが……ないよりはきっと良いでしょう。

そして、もう一つ……大きな問題が……。


ダイヤ「千歌さん……その……」

千歌「……うん、お昼にキバがあったら、さすがに練習に行くわけにはいかないよね……」


……そう、千歌さんの吸血鬼化は確実に進行し、加速している。

吸血衝動を始め、前日、前々日のことはほとんどアテにならないのではないかという疑念が払拭できない。

今日も日が沈んですぐに、完全に吸血鬼化してしまっていたし……もしかしたら、日が昇っても吸血鬼状態から戻らないという可能性は否定出来ない。

ただ、逆に言うならそれはそのときになってみないとわからないということでもある。


ダイヤ「明日は慎重に様子を見ながら、どう動くかを考えた方がいいかもしれませんわね……」

千歌「……後ね、今……30くらいだよ」

ダイヤ「…………! ……吸血衝動のことですか?」

千歌「……うん」

ダイヤ「…………」


正直、今はこの話題をするつもりはなかった。

この事実は、あまりに千歌さんの精神に負荷を掛けすぎると思ったからです。

ただ、彼女は自分からこの話題を振ってきた。


千歌「……あのね、思ったんだ」

ダイヤ「……?」

千歌「どんなに認めたくなくても、実際に衝動は抑えられないわけだし……それだったら、目を逸らしてもなんにもならないなって」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「ちゃんと、認めて……それから、どうするか、何が出来るか考えないと……どんどんどんどん、悪い方向に進んでっちゃうだけな気がするんだ」

ダイヤ「……今、そのように言えるのは、本当に偉いですわ……」


一番辛いのは本人でしょうに……。


千歌「うぅん……今こういう風に考えられるのは、私を応援してくれる人が居るんだって、ちゃんとわかったから。待っててくれる人がいるなら、私はまた戻らないと──」


──Aqoursとしてのステージに……。
94 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:12:15.81 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「だから……逃げたくない」

ダイヤ「……わかりましたわ。そこまでの覚悟があるのでしたら、わたくしも変に気を遣って、この話題を避けるのはやめにします」

千歌「うん、ありがと。そうしてくれると嬉しいかな」

ダイヤ「とりあえず、現段階から出来る範囲で次の吸血時間を考えてみましょう」

千歌「うん」


読めないと言うのが正直なところなのですが……。

とは言っても、吸血衝動はあくまで吸血時に欲求がリセットされて0になり、そこから100に向かって増大していくと言うことには変わりありません。

問題はその欲求の増大速度なのです。

吸血によるリセットを行わない限り、欲求が勝手に減っていくことは基本的にない。

それがないだけでも、少しは予測を立てやすい条件にはなっていると言えなくもない。


ダイヤ「初日──保健室で会ったときは0時過ぎくらいだったでしょうか……」


時計を見る余裕がなかったので、正確な時間は覚えていませんが……恐らくそれくらいだったと思います。


千歌「その次の日は、1時前くらいだったよね」

ダイヤ「ええ。……そうなると、この間のタームは24時間ほどですわね」


ただ、それ以前は二日間が我慢の限界と言っていました。

つまり、わたくしが事情を知ってから、二日目の時点でこのタームは半減してしまっている。

これが単純に吸血鬼化がずっと進行していたからなのか、もっと他の理由があるからなのかはわかりかねますが……。


千歌「さっきのは……内浦までのバスに乗った時間から考えると、19時半前くらいだっけ……」

ダイヤ「……つまり、18〜19時間と言ったところ」


単純計算で75%ほど吸血のタームが短くなっている。


ダイヤ「仮に次も同じように75%ほど短くなっているなら、次は13.5時間──朝の7時半頃と言うことになりますが……昼の時間はそもそも別枠と考えた方がいいかもしれませんし……」


日中は吸血衝動が減る……欲求の増大進行が減るとまで言い切れるかはともかく、影響がある可能性を考慮して、日の出ていない時間帯だけをカウントしてみると……。


千歌「えっと……夜の時間は吸血した1時前から、夜明けの5時過ぎまでと……バスの中で日が落ちてからの時間を合わせたくらいになるのかな」


そうなると、次の吸血までのタームは最悪5時間以下の可能性がある……。

現在は21時前なので……およそ2時間で0〜30%まで欲求が増大進行していると言うなら、単純計算でも6時間ちょっと……。


ダイヤ「……そうなると、次は0時〜2時前後……。最悪、夜明けまでにもう一回ある可能性もありますわね……」

千歌「……起きてる間に3回……」

ダイヤ「……もちろん、まだ可能性の話なので、どうなるかはわかりませんが……吸血欲求がどれくらいかはこまめに言ってください」

千歌「うん、わかった」


悪化していく状況の中──千歌さんと出会った日から数えて、3日目の夜中の時間へと突入していく……。





    *    *    *


95 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:13:30.80 ID:ZRnZyA2Z0


──時刻0時。


ダイヤ「……日付が変わりましたわね。どうですか?」

千歌「……今……70……くらい……」


7割まで達すると、千歌さんはだいぶ苦しそうな様子になってくる。

ただ、この時点で100に達してしまうという最悪のペースではないのに、少しだけ安心する。


ダイヤ「このペースだと……やはり、次は2時頃だと思いますわ」

千歌「うん……」

ダイヤ「何か、欲しいものとかありますか……?」

千歌「……トマトジュース……飲みたい」

ダイヤ「わかりました……すぐに持ってきますわね」

千歌「うん……」


千歌さんは餓えに耐えながら、横になってじっとしている。

こうなってしまうと、他のことに集中も出来ないため、あとは限界が来るまで待っているしかない。

せめて、少しでも気が紛れるようにと、彼女の欲しいものを聞いては持ってきている。

……とは言っても、先ほどから頼まれて持ってくるものは、冷たいトマトジュースと噛み付いて我慢するためのタオルくらいです。

もうそろそろ……千歌さんの近くを離れるのも危険な状態になってくる。

今のうちに何本か、トマトジュースもタオルも纏めて持って行きましょう……。

目的のものを冷蔵庫から取り出し、すぐに千歌さんの元へと戻る。


ダイヤ「千歌さん、トマトジュースですわ」

千歌「うん……ありがと……」


コップに注いであげる。


ダイヤ「……どうぞ」

千歌「いただきます……」


千歌さんは半身を起こして、トマトジュースをコクコクと飲み干していく。

飲み干して、コップを置くと──


千歌「……ぅ……っ」


呻き声と共に、目尻に涙が浮かんでいた。


ダイヤ「……大丈夫……?」

千歌「うん……」


千歌さんは軽くかぶりを振る。

血への餓えでどんどん理性が働かなくなり、感情のコントロールも出来なくなってきているのかもしれない。

恐らく、今彼女の中ではいろんな感情が渦巻いてぐちゃぐちゃになっているのではないでしょうか。

この状態に、立ち向かうという覚悟と勇気。自分がこれからどうなるかわからない恐怖。そして、わかっていてもどうにもならない自分の情けなさ。

全てがごちゃまぜになって、苦しんでいる。


ダイヤ「千歌さん……何かして欲しいことは、ありませんか?」
96 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:14:24.82 ID:ZRnZyA2Z0

今わたくしに出来ることは……少しでも彼女の話を聞いて、力になってあげることくらい。


千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「……ぎゅって……して欲しい……」

ダイヤ「……わかりましたわ」


こうすることで不安が和らぐなら、いくらでも……そう想いながら、彼女を抱きしめる。


ダイヤ「……これでいい?」

千歌「……うん」


ぎゅーっと抱きしめながら、頭を撫でる。

抱きしめた千歌さんの身体は……震えていた。


千歌「……ダイヤさんが傍にいてくれると……安心する……」

ダイヤ「ふふ……なら、よかった」

千歌「……ダイヤさんが……私を……人間に、繋ぎとめてくれる……」

ダイヤ「…………」

千歌「……ちょっと……弱音……吐いて……いい……?」

ダイヤ「ええ、もちろん。……いくらでも聞きますわ」

千歌「えへへ……ありがと……。…………恐いよ」

ダイヤ「…………」

千歌「私……ホントに吸血鬼になっちゃうのかな……人間じゃ……なくなっちゃうのかな……。……恐いよ……」


その言葉に胸が締め付けられる。

今彼女の中にある恐怖は、きっとわたくしには想像も出来ないような果てしない恐怖なのだろう。


千歌「……恐いよ……っ……」

ダイヤ「…………っ……」


繰り返される千歌さんの言葉に、思わず抱きしめる腕に力が篭もる。

何を言えばいいのか、わからない。

またいつもと同じように、元に戻れる、大丈夫、と言えばいい……?

いや……そんなわかりきった気休めを言って何になるのか。

今そんなことを言っても、彼女の不安を一抹さえも拭ってあげることすら出来ない。


千歌「私……人間じゃなくなったら……一人ぼっちで……生きてかなくちゃ……いけないのかな……」

ダイヤ「……いえ、一人になんか……させませんわ」

千歌「え……」


気付けばわたくしは、そんな言葉を選んでいた。

──この慰めが正しいのかわからない。

わからないけれど……。
97 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:15:01.50 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「もし貴方が吸血鬼になってしまっても……わたくしはずっと傍に居ますわ……」

千歌「……ダイヤ……さん……」

ダイヤ「もし吸血鬼になってしまった貴方のことを、誰かが嫌って、恐がって、遠ざけて……皆の傍に居られなくなったとしても……わたくしだけは貴方の傍に居るから……」

千歌「……ほんと……?」

ダイヤ「もちろん。黒澤の女に二言はありませんわ」

千歌「……そっか」


千歌さんの震えが、少しだけ治まったのがわかった。


千歌「……少しだけ……恐くなくなった……」

ダイヤ「……それは、何よりですわ」


これは酷く無責任な誓いなのかもしれない。

それでも、わたくしは……今本心から、そう言えたと思う。

千歌さんだけを、このような真っ暗闇に置いていくなんてことは……絶対にしない。

何が自分にそこまで言わせているのか。

同情なのか、友愛なのか、プライドなのか、義務感なのか……それとも──

……もしくは全部なのか。

それはわからない。わからないけれど……。

ただ、一つ言えることは……。


ダイヤ「わたくしは……千歌さんには笑っていて欲しい……。だから、貴方が少しでも笑ってくれるなら……貴方の傍に居ますから……」


今口にした、その気持ちには、嘘偽りがないと。確信を持って言える。


千歌「……うん……っ」


ぎゅっと……強く強く抱きしめて。

ただ、耐える。

刻一刻と刻まれる秒針の音を聴きながら──わたくしたちはただ、耐え忍ぶ……。





    *    *    *





──2時、10分前。


千歌「……はっ…………はぁっ…………」


抱きしめたままの千歌さんの呼吸はどんどん荒くなっていく。

肩が上下に動き、全身に冷や汗をかいているのがわかる。

密着した身体には、激しくなっていく彼女の心拍がダイレクトに伝わってくる。

まるで、全力疾走をしたあとなのではと疑いかねないような状態です。
98 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:15:48.47 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「……はっ……はっ……い、ま……きゅうじゅう……ご……くらい……」

ダイヤ「……そろそろ、血を吸う準備をしましょう」

千歌「う、ん……」


もう十分、千歌さんは我慢したと思います。

想定時間ギリギリまで耐えてくれた。

夕食前に貼り直した絆創膏を剥がし、髪を纏めてゴムで縛って、首筋を露出する。

そのまま、千歌さんを抱きしめるようにして、いつものように自らの左首筋の辺りに彼女の頭の後ろに右手を添える形で引き寄せる。


ダイヤ「よしよし……よくここまで我慢しましたわね……」

千歌「…………ぅっく……っ」


優しい言葉を掛けながら、頭を撫でると、千歌さんが小さくしゃくりをあげた。

きっと、また泣いているのだと思う。

彼女が一番苦しいのは……もしかしたら、我慢しているときよりも、血を吸うこの瞬間なのかもしれません。

だから……わたくしは精一杯優しい言葉を選んで、あとは彼女に委ねることにしました。


ダイヤ「あとは、千歌さんの好きなタイミングで血を吸ってくださいませね……。わたくしはいつでも大丈夫ですので」

千歌「……ダイヤ……さん……っ」


抱きしめたままだった千歌さんが急に腕を背中の方に回してくる。

そして、そのまま強い力で抱きしめてきた。

……気付けば抱き合う形になる。


ダイヤ「よしよし……」


わたくしは震える彼女の頭を撫でる。


千歌「……ふ、ぅ……ふぅーーー……っ……」


千歌さんは肩を大きく上下させながら、大きく息を吸っている。

それに伴うように、背中に回された手が、指が、爪が、痛いくらい背中に食い込んでくる。

もう本当に限界の限界。最後の抵抗をしているのでしょう。

自分が──人間でなくなる瞬間への最後の抵抗を……。


千歌「…………は……っ……ぅ…………血…………」

ダイヤ「はい……いいですわよ」

千歌「……ゃだ……血欲しい……血、飲みたくない……」

ダイヤ「千歌さんの好きなタイミングで……」

千歌「……血、血……血…………」


──ガブリ。

急に首筋に鋭利なものが刺さってくる感触がした。


ダイヤ「……っ゛……」
99 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:17:07.47 ID:ZRnZyA2Z0

千歌さんの後頭部に回した腕に力を込めて、首の方へと引き寄せる。

彼女が出来るだけ、何も考えずに、血を吸えるように……。


千歌「…………ちゅぅーーー……」

ダイヤ「…………ん……ぅ……♡」


また、抗いようのない快感が、全身を駆け巡る。

ただ、もうこれで4回目……少しはわたくしも慣れたはず……。


千歌「…………ちゅ、ちゅーー…………」

ダイヤ「……は……っ……はっ…………♡」


漏れる息に勝手に艶が混じる。


ダイヤ「……ふぅーーー……ふぅーーーーー……♡」


意識的に深く息をして、自分を保つ。

思考が痺れて、靄が掛かってくる感覚に必死に抵抗する。


千歌「…………ん、ちゅぅ…………」

ダイヤ「……んっ……♡ ぁっ♡ ゃっ♡ だめっ……♡」

千歌「…………ちゅぅ…………」

ダイヤ「ん、ぁっ♡ だ、めっ♡ きゅうけつ、なが……っ……♡」

千歌「…………ちゅー…………」

ダイヤ「……♡♡ ぁっ♡ だめっ♡ すき♡ すきっ♡ これすき……♡」

千歌「…………ん、ぷはっ……」

ダイヤ「は、はっ♡ ちかさ……っ♡」

千歌「は……はっ……ダイヤさん……終わったよ……」

ダイヤ「ぁっ……はっ……♡ ちかさん……♡ すき、すきぃ……♡」

千歌「……!?」

ダイヤ「ちかさん……すきぃ……♡ すきすきすき……♡」

千歌「え、ちょ、だ、だいやさ……」


──ドサリ。


千歌「え、ま、ちょっと……///」

ダイヤ「ちかさん……♡ ちかさん……♡ ちかさん……♡ すき……すきぃ……♡」

千歌「ぇ……ぁ……/// だいや……さん……/// ……わ、わたし……も……///」

ダイヤ「…………ちか、さ……。……え……?」


──思わず、目の前の光景に目をパチクリとさせてしまう。

何故、わたくしは千歌さんを押し倒してるのでしょうか。


千歌「え……あ……ダイヤ……さん……?」

ダイヤ「!?/// し、失礼致しました!?///」


思わず、飛び退くようにして離れる。
100 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:18:01.66 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「……ぁ……」

ダイヤ「ご、ごめんなさい、千歌さんっ!? チャームに掛かってたとは言え、わたくしは何を……!!」

千歌「…………うぅん、平気だよ」

ダイヤ「……本当に、ごめんなさい……」

千歌「…………大丈夫だよ。血ありがとね」

ダイヤ「い、いえ……」


今もっとも落ち込んでいるタイミングであろう彼女に対して、わたくしはどうしてこう……。

──チャームで我を忘れてしまっているとわかっていても、自己嫌悪せざるを得ない……。


千歌「……あと、3時間くらいで夜明けだね」

ダイヤ「え、ええ……」

千歌「さっきはごめんね……。ぎゅってしてなんて……」

ダイヤ「え……? ……い、いえ、問題ないですわ」

千歌「うん……」

ダイヤ「いいのですわよ。千歌さんの不安が和らぐなら、あれくらいのこと」

千歌「……うん、ありがと。……ダイヤさん優しいね」


──恐らく吸血直後だからだと思いますが……。

千歌さんは酷く落ち込んだ顔をしていた。

声にも覇気がない。


ダイヤ「軽く、お夜食を作りましょうか……ご飯を食べれば、少しは元気も出ると思いますので」

千歌「ぁ……うん……。チカも手伝うね」


いつのものように、吸血行為のあとは……何か元気の出ることをしましょう。

少しでも千歌さんの力になれるように……。


千歌「………………はぁ………………」





    *    *    *





お夜食は、カレー用に炊いたご飯が余っていたので、簡素な塩むすびを作ることにしました。


千歌「んしょ……んしょ……」


二人で大きめなお皿に、握ったおむすびを乗っけていく。

……ふと、千歌さんがやたらお皿の端っこの方におむすびを乗せていることに気付く。


ダイヤ「千歌さん? もしかして、お腹が空いていたのですか……?」

千歌「……え?」

ダイヤ「いえ……お夜食なので、そんなに量を作るつもりはなかったのですが……。随分お皿の端っこに乗っけているので……」


お皿の端から中央まで埋め尽くすほどにおむすびを作ったら、相当な量になってしまいます。
101 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:19:19.66 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「あ、いや……こっち側がチカの分ってわかりやすいようにした方がいいかなって思って」

ダイヤ「え?」

千歌「……だから、そっち側がダイヤさんが作ったおむすびね」

ダイヤ「え、えっと……。……あの、千歌さん」

千歌「……ん?」

ダイヤ「わたくし、別に誰が握ったとか……そういうことは気にしませんわよ?」

千歌「…………」

ダイヤ「むしろ、千歌さんが握ってくれたおむすび……食べてみたいですわ」

千歌「……誰が作っても塩むすびなんて変わらないよ」

ダイヤ「そうですか? 握り加減で食感が違うかもしれないではないですか」

千歌「……それは……まあ……」

ダイヤ「今更、そんな遠慮なんて……千歌さんらしくありませんわ」

千歌「…………私らしさって何?」

ダイヤ「……え?」

千歌「……あ、いや……ご、ごめん……なんでもない……」

ダイヤ「……い、いえ」


……なんでしょうか。何故か空気が……重い気がする。


千歌「…………私が握ったおむすび……何があるかわからないから……」

ダイヤ「え……?」

千歌「……吸血鬼が握ったおむすびなんて……なんか変な毒とかあるかも」

ダイヤ「……?? ち、千歌さん、どうしたのですか……?」

千歌「……そんな汚いもの、ダイヤさんに食べさせられない」

ダイヤ「き、汚いって……。そのようなことありませんわ……!」

千歌「……わかんないじゃん」


千歌さんは悲しそうな顔をしながら、淡々とおむすびをお皿に乗せていく。


千歌「ダイヤさんまでチカのせいでおかしくなっちゃったら……」

ダイヤ「だ、大丈夫ですわ! そんなおむすびを食べたくらいで……──」

千歌「わかんないじゃん!!」

ダイヤ「っ!?」


千歌さんが大きな声をあげる。


千歌「……あ、ご、ごめんなさい……。夜なのに……」

ダイヤ「……い、いえ」

千歌「…………」

ダイヤ「…………」


二人で黙り込んでしまう。
102 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:20:10.90 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「……千歌さん、少し考えすぎですわ……。気になってしまうのなら、わたくしが二人分作りますので……」

千歌「…………うん」

ダイヤ「……すぐ部屋に戻りますから」

千歌「…………わかった。……チカが握った分は先に食べてるね」


千歌さんは自分が握った分だけ、先に小皿に取って、部屋に戻っていく。

その折、


千歌「……ダイヤさん」


名前を呼ばれる。


ダイヤ「なんですか?」

千歌「……吸血された直後って……あんまり、覚えてないんだよね……」

ダイヤ「……え、ええ……ぼんやりしてしまって、正直記憶には自信がありませんわ……」

千歌「……うん、わかった……」


千歌さんはそれだけ聞くと、とぼとぼとわたくしの部屋へと戻っていったのだった。


ダイヤ「…………」


 千歌『ダイヤさんまでチカのせいでおかしくなっちゃったら……』


ダイヤ「……チャームのことでしょうか……」


チャームはある種、思考の支配に近い。

吸血された対象が、吸血した相手に性的に興奮し、求めるようになるというのは、吸血する側にとってとにかく都合の良い洗脳効果と言っても過言ではない。

ただ、吸血の際に自動で掛かってしまうものである以上、わたくしにはどうにも出来ず……。

それはそれとしても……千歌さんは吸血以外にも、もしかしたらチャームが発動してしまうんじゃないかと言う懸念があるのかもしれない。


ダイヤ「……気にするなと言っても、無理かもしれませんが」


加えて……わたくしがチャームに掛かっている間、千歌さんに何かとんでもないことを言ってしまったのでしょうか……。

……吸血直後から、千歌さんは酷く落ち込んでいたし、その可能性は高い気がする。

その状態のわたくしの言葉が彼女を傷つけてしまったのだとしたら、それは本意ではない。


ダイヤ「……また、謝らないといけませんわね」


何を言ってしまったのかは……わたくしには確かめる術はありませんが……。

正気でなかったと言うことを伝えて、誠心誠意謝るしかない。


ダイヤ「……はぁ……」


せめて、チャームに対抗することが出来れば……。





    ♣    ♣    ♣


103 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:21:10.59 ID:ZRnZyA2Z0


千歌「……はぁ……。なんであんなこと言っちゃったんだろ……」


ダイヤさんは散々気を遣ってくれてるのに……なんであんな態度取っちゃったんだろう……。

自己嫌悪が止まらない。


千歌「………………」

 ダイヤ『ちかさん……♡ ちかさん……♡ ちかさん……♡ すき……すきぃ……♡』

千歌「…………私が……無理矢理言わせたんだ……」


ダイヤさんの気持ちを捻じ曲げて。洗脳して。操って。


千歌「……ぅ……」


気持ち悪くなってくる。

きっとそれが、私にとって、都合の良い言葉だったから。

ダイヤさんはそう言ったんだ。


千歌「………………」


なのに、なのに……。


千歌「どんだけ……自分勝手になれば、気が済むんだろう……」


一人で呟いて……苦しくなる。

あるわけないのに……あれが、ダイヤさんの本心だったら……なんて……──。





    *    *    *





ダイヤ「──千歌さん、戻りましたわ。申し訳ないのですけれど……戸を開けてもらってもいいですか?」

千歌「あ……うん」


大きなお皿を両手で持っているため、戸が開けられない。

なので、千歌さんに開けてもらう。


ダイヤ「ありがとうございます」

千歌「……うん」


彼女の表情は未だに暗いまま。

……やはり、わたくしが何か言ってしまったのでしょう。

おむすびの乗った大皿を置いたところで、


千歌「……ダイヤさん、さっきはごめんなさい」


千歌さんがわたくしに向かって頭をさげてきた。
104 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:22:53.27 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「!? あ、頭をあげてください……! 貴方は悪いことなんか一つも……」

千歌「うぅん……ダイヤさんのこと……困らせる態度、取っちゃった……ごめんなさい」

ダイヤ「……その原因は、わたくしなのでしょう?」

千歌「原因……なんて……」

ダイヤ「わたくしが、チャームされたときに……貴方に何か言ってしまったのよね」

千歌「………………」

ダイヤ「千歌さん……聞いて」


ちゃんと、誤解を解いておかなければ。


ダイヤ「……チャームされている間にわたくしが言っていることは、本心ではないのですわ」

千歌「……!!!」

ダイヤ「自分でも情けないと思うけれど……チャームされている間は、自分でも何を言っているのか覚えていないのです……。だから、その間にわたくしが言ったことは気にしないで──……千歌さん?」


そこまで話して、


千歌「……ぅ……っ……。……わ、かった……っ……」


彼女がぽろぽろと泣いていることに気付いた。


ダイヤ「!? ち、千歌さん……!?」

千歌「……あ、はは……ご、めん……」

ダイヤ「……っ」


わたくしは一体彼女に何を言ってしまったのか。

相当傷つくことを言ってしまったのかもしれない。

本意ではないで許されないようなことを……言ってしまったのかもしれない。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「き、気に……しない、で……っ……。……最初から……っ……チャームの間に、言ったことは……聞かないって……約束、してたもん。……忘れるね……」

ダイヤ「……ごめんなさい……」


必死に涙を拭いながら、千歌さんは笑顔を作る。


千歌「それより……っ おむすび食べよっ? お腹空いたな……っ……」


わかりやすいほどの空元気。何を言ったのか本当にわからない。だけど、彼女を深く傷つけてしまったことはわかる。


ダイヤ「…………」

千歌「……ほ、ホントに気にしないで! 本心じゃないってちゃんと言ってくれて……むしろ、吹っ切れたから!」

ダイヤ「千歌さん……はい」


千歌さんはおむすびを手に取って、口に運ぶ。


千歌「あむ……っ……。……わ、ダイヤさんの作ったおむすびおいしいねっ! さっきダイヤさんが言ったとおりかも……握り加減がチカの作った適当なやつと全然違っておいしいよ……っ!」

ダイヤ「え、ええ……ありがとう」


……もう千歌さんはこのやり取りは終わりにしようと暗に言っている。

それならば、わたくしもこの件は終わりにしなくては……。
105 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:23:39.89 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「あむ……。……おいしいですわね」

千歌「でしょっ?」


目の前の千歌さんが気になって、全然味を感じない塩むすびをお腹に詰め込むのでした。





    *    *    *





──時刻は5時前。


ダイヤ「今、どれくらいですか?」

千歌「ん……40……うぅん、50くらいかな」

ダイヤ「そうですか……この分なら、このまま夜明けを迎えられそうですわね」

千歌「うん」


正直、心底ホッとしている。

あんなことのあった直後に、またチャーム状態になりたくなかったので……。

千歌さんもわたくしをチャーム状態にしたくないでしょうし……。

遅かれ早かれ次はあるにしても、今このタイミングでないに越したことはない。


ダイヤ「今のうちに、お布団を敷いておきましょうか」

千歌「あ、うん」


5時になったらすぐに就寝して──11時にはちゃんと起きていたい。

二人分の布団を押入れから出して、敷く。


千歌「あとは……時間になったら寝るだけだね」

ダイヤ「……ええ」


今日も長い夜でした……。

やっと夜が終わり、明日からは更なる試練が待っている。


千歌「…………」


布団の上で、千歌さんは座ったまま、ぼんやりと自分の両手を見つめていた。


ダイヤ「…………」


 千歌『……吸血鬼が握ったおむすびなんて……なんか変な毒とかあるかも。……そんな汚いもの、ダイヤさんに食べさせられない』


わたくしの中で、どうしても千歌さんのあの言葉が納得出来ていなかった。

……今後、こんなことを気にされていては、何かと困ることもあるだろう。


ダイヤ「…………よし」


小さな声で覚悟を決める。
106 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:25:28.40 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「千歌さん」

千歌「……ん?」


──不意を打つ形で、


千歌「っ!?」


千歌さんの両手を、包み込むようにわたくしの両手で握りこむ。


千歌「っ!!! は、放して!!!」

ダイヤ「千歌さんの手は、汚くなんてありませんわっ!!」

千歌「っ!!!」


千歌さんの瞳を覗きこみながら、ちゃんと言う。


ダイヤ「千歌さんの手は……今日も温かい。人間の手ですわ」

千歌「わ、たし……」

ダイヤ「この手に吸血鬼的な要素は何も感じません……それに、人と手を繋ぐと、安心しませんか……?」

千歌「…………」

ダイヤ「ルビィは……いつもそう言っていました……。……お姉ちゃんが手を繋いでくれると、安心するって……」

千歌「……で、も……」

ダイヤ「それに、さっき千歌さんも仰っていたではないですか……。わたくしが人間に繋ぎとめてくれているって……」

千歌「…………」

ダイヤ「……今更、貴方の手を放したりしません……。放してあげたりなんか……致しませんわ」


この手が、貴方を人間に繋ぎとめておく手であるならば、尚更。


千歌「…………」


千歌さんは何かを言おうとして、口をもごもごさせるものの……結局何も言わずに口を噤む。


ダイヤ「……それとも、わたくしが隣にいるのは嫌ですか?」

千歌「い、イヤなわけない!!」


千歌さんは今度は喰い気味に答える。


ダイヤ「なら……貴方の手はわたくしが握ります。わたくしが繋ぎとめますわ」

千歌「……っ」


真っ直ぐ瞳を見つめながら言うと、千歌さんは目を逸らす。

目を逸らして、しばらくすると、またわたくしの瞳の方に視線が戻ってきて──また逸らす。

そんなことの繰り返し。

しばらくそれが続いた後、


千歌「…………………………じゃあ……一生……放さないで……」


千歌さんは消え入りそうな声でそう言うのでした。


ダイヤ「ええ、問題が解決して、貴方が元の生活に戻れるまで……絶対に放したりしませんわ」

千歌「………………うん」
107 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:27:37.62 ID:ZRnZyA2Z0

一先ず、これで仲直り。

時刻は丁度、5時になろうとしていました。


千歌「……ふぁ……」

ダイヤ「……眠りましょうか」

千歌「……ぅ……ん……」


千歌さんが急にうつらうつらと船を漕ぎ出す。

吸血鬼の眠る時間。

わたくしも釣られるように急に眠くなってきたので、そのまま横になる。


ダイヤ「……おやすみなさい、千歌さん」

千歌「……おやすみ……なさい……」


そして、二人で眠りに就くのでした。





    *    *    *





──翌日。……と言うか、お昼頃になって、わたくしが目を覚ますと。


千歌「……すぅ……すぅ……」

ダイヤ「…………」


またしても、胸の中で千歌さんが寝息を立てていた。


ダイヤ「…………はぁ」


2日連続で何をしているのかしら……。

体勢を見るに、千歌さんが飛び込んできたと言うよりは、わたくしが抱き寄せたのだと思うし……。


ダイヤ「……わたくし、もしかして寂しいのかしら」


高校生にもなって、実は一人で寝るのが寂しいとか……?


ダイヤ「……妹離れ出来てないのかしら」


鞠莉さんにも、果南さんにも散々言われては『そんなことはない』と言い返していますが……。

そんなことあるのかもしれませんわね……。

とはいえ、千歌さんをルビィの代わりのように扱ってしまうのはよろしくない。


千歌「……すぅ……すぅ……」

ダイヤ「…………」


可愛らしい笑顔を前にして、一人で勝手に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも──とりあえず、寝起きの状況確認のために周囲を見回す。


ダイヤ「……11時、5分前ですか」


ギリギリ目覚ましより早く起きてしまったようですわね。
108 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:28:36.27 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「……まあ、起きましょうか」


布団から這い出ると──


千歌「ん……ぅ……? ……あさ……?」


千歌さんも釣られて目を覚ます。


ダイヤ「あ、ごめんなさい、起こしてしまいましたわね……。……とは言っても、直に目覚ましが鳴るのですが」

千歌「んゅ……だいじょうぶ……ぁふ……おはよ……」

ダイヤ「おはようございます、千歌さん。もう起きられる?」

千歌「……うん、起きる」


千歌さんはもぞもぞと布団から這い出てくる。


ダイヤ「えっと……とりあえず……あーん」

千歌「んぁー……」

ダイヤ「ありがとう」


千歌さんの歯を確認する。


ダイヤ「…………」

千歌「ぁー…………」


──カシャ。

例の如く写真に収める。


千歌「……どう?」

ダイヤ「……気のせいかもしれませんが……少し、犬歯が長い気がしますわ」

千歌「え……」


先ほど撮った写真を表示して、彼女に見せようとして──


ダイヤ「あ、あら……?」


うまく写真が撮れていないことに気付く。


千歌「どうしたの?」

ダイヤ「ごめんなさい、少しカメラの方向がずれてしまったみたいですわ」


撮った写真は室内のやや上の方を写していた。


千歌「もう一回撮る?」

ダイヤ「そうしましょう」


何度も撮っていたためか、手癖で撮っていたのが原因でしょう。

今度はちゃんと撮影画面をよく見ながら──


ダイヤ「あ、あら……??」


口を開けている、千歌さんにカメラを向けても──何故か先ほど同様、部屋の上の方が表示されてしまう。
109 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:29:52.75 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「……故障?」

千歌「え、私のスマホ壊れたの……?」

ダイヤ「……何度やってもカメラが勝手に上の方に行ってしまって……」

千歌「なんでだろ……?」

ダイヤ「困りましたわね……」

千歌「あ、でもでも、比べるだけなら、前の日撮ったやつと、実物を見比べればいいんじゃない?」

ダイヤ「……それもそうですわね」


カメラは別のものを用意しておきましょうか……。

とりあえず、昨日同じ時間に撮った写真と千歌さんの歯を見比べてみる。


ダイヤ「……やっぱり、少し長い気がしますわ。……もう、閉じていいですわよ」

千歌「……ん。……吸血鬼化が、進んでるってことかな……」

ダイヤ「……かもしれません」


正直なところ、ここまでは予想出来ていました。

どんどん加速する吸血衝動……こうなったら、次に起こりそうなことは、昼にも吸血鬼化の現象が現われる可能性。

千歌さんも覚悟は出来ていたのか、割と落ち着いていました。


ダイヤ「とりあえず……どうしましょうか」


吸血鬼化が進んでいるとなると、今日の午後からのAqoursの練習……参加するか、否か。


千歌「……私は出来るなら参加したい」

ダイヤ「……まあ、そうですわよね」

千歌「無理そうだったら、諦める……だから、とりあえず練習に行く準備しよ?」

ダイヤ「わかりました」


そうなると……まずはお風呂……。

と、思ったのですが。


ダイヤ「……お風呂、入りますか?」

千歌「……正直、入りたくないかも」

ダイヤ「ですわよね……」


吸血鬼化が進んでいるなら、夜と同様、水との相性もきっと悪くなっているでしょう。

そうなると、お風呂は千歌さんにとって酷く居心地の悪い環境になってしまう。


ダイヤ「見た感じ……相変わらず髪もさらさらですわね……」

千歌「すんすん……。汗のニオイとかもしないかな」

ダイヤ「……身嗜みに問題がないなら、とりあえず……大丈夫かもしれませんわね」


まあ、うら若き乙女が、お風呂に入らないという事実には少しだけ思うところがありますが……。


千歌「それじゃ、ダイヤさんだけ、お風呂入っちゃって? その間に私がお布団畳んで、ご飯作ってるから」

ダイヤ「わかりました、それではお願いしますわ」
110 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:31:40.44 ID:ZRnZyA2Z0

その方が効率もいいでしょうしね……。

わたくしはさっさと入浴を済ませるために、脱衣所へと向かう。

脱衣所に向かう途中、廊下の窓から外を見ると──


ダイヤ「……今日も、いい天気ですわね……恨めしい程に」


外ではこれでもかと言うくらいに太陽が照り付けていた。





    *    *    *





──脱衣所で服を脱いでいる途中。


ダイヤ「……あら?」


部屋着のポケットに何かが入っていることに気付く。

取り出して──


ダイヤ「……ひっ!!!」


思わず小さく悲鳴をあげながら、それを投げ捨てた。

──カランカラン。


ダイヤ「……え?」


音を立てながら、落ちるソレは──善子さんから貰ったロザリオだった。


ダイヤ「……え……??」


……何故、今わたくしはロザリオを投げ捨てた……?

千歌さんの希望なので、基本的にロザリオは携帯しています。

昨日も部屋着に着替えた際に、部屋着のポケットにロザリオを移しましたし、持っていることはなんらおかしなことではない。


ダイヤ「……疲れてるのかしら……」


疲れていることは間違いない。

わたくしも千歌さんもここ数日は確実に消耗している。

軽く忘れかけていたから、仰々しいロザリオを見て、一瞬不気味に思ってしまっただけかもしれない。

どっちにしろ、このまま床に落としたままにしておくわけにいはいかないので……と、思い拾い上げようとしたら──


ダイヤ「…………?」


落ちているロザリオに伸ばした手が止まる。

何故だか、これには触ってはいけない気がする。直感がそう言っている。

……なんだか。


ダイヤ「……このロザリオ……気持ち悪いですわ……」
111 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:32:30.34 ID:ZRnZyA2Z0

不快害虫を見たときのような嫌悪感がする。

気持ち悪い。


ダイヤ「……え?」


──ハッとする。


ダイヤ「わ、わたくし……何を言っているの……?」


ロザリオが気持ち悪い……?

再び、ロザリオをよーく見てみる。

なんら変哲のない。ロザリオですわ。


ダイヤ「………………本当に疲れているのかしら」


改めて、床に落ちたロザリオを拾い上げる──と、

ロザリオを持った手が震えて、再びロザリオを落としてしまった。


ダイヤ「……な、なんですか……これは……?」


何故か、ロザリオが手に持てない。


ダイヤ「…………」


そのとき、ある可能性が頭を過ぎる。


ダイヤ「……ま、まさか……そんなはずありませんわ」


思わず、かぶりを振って頭に浮かんだ可能性を打ち消す。


ダイヤ「そ、そうですわ! お風呂に入れば……!」


とりあえず、ロザリオは後回しにして、わたくしはさっさとお風呂へと入ることにした。

服を脱いで、浴室へと足を運ぶ。

お湯を沸かす暇はなかったので、手早くシャワーを浴びようとノズルを捻ると──


ダイヤ「きゃぁっ!!!?」


シャワーから、水が飛び出した。


ダイヤ「ひっ……」


水はすぐにお湯に変わり湯気を立てながら、流れていく。

それを見ていると、酷く気分が悪くなった。


ダイヤ「…………な、に……なに……? なんで? なんでですか……?」
112 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:33:48.12 ID:ZRnZyA2Z0

冷や汗が止まらない。

十字架のロザリオが気持ち悪かった。

シャワーから流れ出す水を見て、驚いて悲鳴をあげた。

まさか……まさか……これでは……。

いや、そんなはずはない。

未だシャワーヘッドから出続けているお湯に、手を伸ばす。

──これはただのお湯です。

いつも自らの身を清めてくれる、お湯。

手を伸ばす。

──シャアアアア。水音が欲室内に響く。


ダイヤ「……これはただのお湯ですわ」


自分に言い聞かせる。

水が流れている。

怖い怖い怖い。


ダイヤ「こ、怖いわけないでしょう!?」


心の声に、自問自答するように声をあげる。


ダイヤ「……ぅ……」


──シャアアアア。

音を立てながら、お湯を撒き散らすシャワーに手を伸ばす。

意を決して、一気に近付く。


ダイヤ「……っ……!! ………………ぁ──」


──気付けば、わたくしはシャワーのお湯を全身に浴びていた。


ダイヤ「は……はは……。……そ、そうですわよね……お湯が怖いわけありませんもの。……普通に浴びられるではないですか」


全く、気のせいと言うのは怖いものですわね……。


ダイヤ「……は、早く……浴びて千歌さんの元に戻らないと……」


わたくしは自分に言い聞かせるように、手早く髪と身体を洗い始める。

……その間、何故だか浴び続けるお湯は、身体中を虫が這っているかのような不快感があったことから、必死に目を逸らしながら──





    *    *    *





──あの後、脱衣所の落ちていたロザリオは普通に拾い上げることが出来た。


ダイヤ「……はぁ」
113 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:35:15.94 ID:ZRnZyA2Z0

酷く気疲れしてしまった。

ロザリオが気持ち悪いと思ったのも、恐らく気のせいでしょう。……恐らく気のせいでしょう。


千歌「あ、ダイヤさん。おかえり……どうしたの? 顔色悪いよ……?」


戻ってきて早々、千歌さんに心配されてしまう。


ダイヤ「い、いえ……なんでもありませんわ」

千歌「そう……?」


……思うことはたくさんある。ですが、これは絶対に千歌さんに伝えてはいけない類の問題。

もし……もし、わたくしの懸念が事実だとしたら……。

いや、やめましょう……。伝えたくないのなら今考えるべきではない。


千歌「じゃあ、ご飯にしよ? 作ったから」


言われてちゃぶ台の上を見ると──目玉焼き、白米と海苔が用意してあった。


ダイヤ「まあ……! 千歌さんが一人で用意したのですか?」

千歌「うん。お味噌汁もあったらいいかなって思ったんだけど……水が使えないから諦めた。あと調理器具……洗えなかったから放置してます」

ダイヤ「問題ありませんわ。あとでわたくしが全て片付けておきますから。それにしても、千歌さん料理上手ですわね」

千歌「ん、まあ……お父さんに簡単な料理くらい覚えろってうるさいんだよね」

ダイヤ「千歌さんのお父様に?」

千歌「お父さん板前だから……」

ダイヤ「まあ、そうでしたの?」

千歌「あれ? 言ってなかったっけ? ……それに目玉焼きは得意だから! ご飯はよそっただけだけど……」

ダイヤ「いえ……味わって食べますわ。いただきます」

千歌「ふふ、召し上がれ」


目玉焼きに醤油を少しかけて、頂く。


ダイヤ「……ふふ、おいしい」


思わず笑みが零れる。おいしいのも勿論なのですが……何より、昨日おむすびを作りながら、あんなことを言っていた千歌さんが手料理を振舞ってくれていることが何よりも嬉しかった。


千歌「よかったぁ……目玉焼きなんて、誰が作ってもそんなに変わらないけどね」

ダイヤ「真っ黒コゲになっていたら、大分味が変わりますわよ?」

千歌「まあ、そうだけど……それは目玉焼きというか、焦げた卵だし。チカにも醤油ちょーだい」

ダイヤ「はい、どうぞ」


千歌さんも目玉焼きに醤油をかけて、食し始める。
114 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:37:09.79 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「千歌さんも醤油派ですか?」

千歌「ん? んー……醤油でも塩でもソースでも食べれるけど……。普段は白だしが好きかな」

ダイヤ「白だしですか? ……珍しいですわね」

千歌「あはは、まあ少数派だよね。でも、おいしいんだよ?」

ダイヤ「そうなのですか……今度試してみようかしら」

千歌「目玉焼きに何かける論争って、いつまでも決着つかないよねぇ……チカは白だし派だから、高見の見物だけど。……あ、ちなみに今のは苗字の高海と掛けた──」

ダイヤ「それは説明しなくていいです。……果南さんは塩派だったかしら」

千歌「あ、うん、そうだよ。曜ちゃんは醤油派だからダイヤさんと同じだね」

ダイヤ「まあ。曜さんに少し親近感を覚えますわね」

千歌「同じ家に住んでるから、ルビィちゃんも醤油?」

ダイヤ「ええ。というか、目玉焼きと一緒に出てくる調味料が醤油しかないので、自然と……」

千歌「あー……そういうのあるよね。私も自分で用意しないと、お母さん白だし全然出してくれなくて……大体厨房行ってお父さんに貰ってる。梨子ちゃんみたいにお料理好きだと自然といろいろ試すんだろうけどなぁ」

ダイヤ「ちなみに梨子さんは何をかけるの?」

千歌「梨子ちゃんはケチャップって言ってた気がする」

ダイヤ「なるほど、ケチャップですか……少数派ですわね」

千歌「白だしほどじゃないけどね。他の皆は何かけるんだろう……鞠莉ちゃんとか、とてつもない高級な調味料とかで食べてそう」

ダイヤ「……というか、日常的に目玉焼きを食べているのか疑問ですわね……。さすがに食べたことがないということはないと思いますが……」

千歌「花丸ちゃんは醤油か、塩胡椒ってイメージかなぁ」

ダイヤ「確かに花丸さんの家も和風料理が多いみたいですからね。あとは……善子さんかしら」

千歌「善子ちゃん……タバスコとかかけてそう」

ダイヤ「ありえますわね……」


二人で他愛もない会話をしながら、ご飯を食べる。

……よかった、千歌さん。少しは元気になってくれて……。

──程なくして、


ダイヤ「ご馳走様でした」

千歌「おそまつさまでした♪」


食べ終わる。


ダイヤ「それでは、あとはわたくしが片付けて置きますから。千歌さんは制服に着替えていてくださいね」

千歌「……練習だけだから、練習着で行っちゃだめ?」

ダイヤ「ダメです。学校に行くなら制服を着ていかなければ」

千歌「ちぇ……はーい」


お皿とお茶碗を持って、厨房へと足を運ぶ。

千歌さんの言う通り、調理器具はそのままにしてあったので、一緒に洗うために流しに下ろして……。


ダイヤ「…………わたくしは大丈夫ですわよね」


変に意気込んでも意味がないので、洗い物のために蛇口から水を出す。


ダイヤ「…………」
115 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:38:27.94 ID:ZRnZyA2Z0

流れている水を見て、顔を顰める、

明確に言葉にしづらいですが、不快感的なものがなくはないと言ったところ。


ダイヤ「……手早く洗ってしまいましょう」


多少違和感こそあるものの、千歌さんのように触れないと言うことはなかった。

そのまま二人分の食器と、調理器具を洗い終えて、さっさと部屋に戻る。

わたくしも制服に着替えないといけませんし。


千歌「あ、ダイヤさん、おかえり」


部屋に戻ると、千歌さんがいつもの制服姿になっていた。


ダイヤ「わたくしも早く着替えないと……」


時計にちらりと目をやると、時刻は12時を指していた。

そろそろ出ないといけませんわね。

自室に掛けてある制服に近付き、部屋着のポケットから出来るだけ視線を向けないように、サッとロザリオを制服のポケットにしまってから、すぐに着替え始めた。





    *    *    *





──玄関。


ダイヤ「千歌さん、忘れ物はないですか」

千歌「うん、だいじょぶー」

ダイヤ「……忘れ物はなさそうですが、リボンが曲がっていますわ」

千歌「え、うそ?」

ダイヤ「今直しますから、じっとして……」

千歌「別に授業とかあるわけじゃないし……適当でも……」

ダイヤ「制服の乱れは心の乱れです。授業の有無とは関係ありません」

千歌「ダイヤさん御堅いなぁ……」

ダイヤ「生徒会長なので。……これでよし」

千歌「えへへ、ありがと」


そのまま、玄関に腰掛けて靴を履く千歌さんに、


ダイヤ「はい、日傘」

千歌「あ、うん! ありがと!」


日傘を手渡す。

これがないと、こんな快晴日和に外を出歩くなんて、自殺行為ですからね……。

むしろ吸血鬼でなくても、日傘が欲しいくらいで……。

わたくしも自分で使う用の日傘を傘立てから、取り出して。
116 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:39:35.30 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「それでは……行きましょうか」

千歌「うん」


二人で玄関を出る。

正午過ぎなので、太陽は一番高い。

日影は出来辛い時間帯なものの、建物の中に日差しが入ってくることもあまりない。そんな時間。

千歌さんが脚が日向に出た、途端。

──ボウッ

燃えた。


千歌「!!!?!!? あっづ!!!!?!!?」


そのまま、脚がもつれて、千歌さんが前方に倒れこむ。

つまり、全身が日向に投げ出されて。

──途端に火達磨になった。


千歌「──────ッ!!??!?!!??」


もはや言葉にすらなっていない、悲鳴が響き渡った。

わたくしは──目の前の光景に対して、脳が理解を拒んで、動けなくなっていた。


千歌「あついっ!!!!! あづっ、あぁあ゛ぁ゛ああぁぁぁ゛!!!!! あづい、あづい!!!! あづいあづい゛あ゛つ゛い゛っ!!!!!!!!」


千歌さんが目の前で絶叫しながら、のたうちまわっている。

なんで、千歌さんは燃えているの……??

千歌さんが……燃えている……??

燃えてる……!!?


ダイヤ「千歌さんっ!!!!!!」


脳がやっと意味を理解して、わたくしは飛び出した。


千歌「あづいっ゛!! あづい゛あづい゛よぉ……っっ!!!!!!!」

ダイヤ「千歌さん!!!!」


無我夢中で千歌さんの身体を掴んで軒下に引っ張り込む。


千歌「はっ……はっ……はっ……はっ……!!!!!」

ダイヤ「千歌さんっ! 大丈夫ですか!?」


幸いな事に、日影に引っ張り込むと、千歌さんの身体の炎はすぐに鎮火した。


千歌「……は……は、ははは……」


千歌さんは焦点の合わない目で、日向を見て、変な笑い声をあげていた。


ダイヤ「……っ! 今すぐ、部屋に戻りましょう!!」

千歌「あ、ははは……」


強引に千歌さんを引きずるようにして、家の中に引き返す。
117 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:40:46.53 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「千歌さんっ!! しっかりしてっ!!」

千歌「……あ、ははは……」


千歌さんは……気付けば、笑いながら、ぽろぽろと涙を流していた。


ダイヤ「……っ」


どうにか、力の限り引っ張って、玄関まで引き返してこれた。

ここまではさすがに日の光は入ってこない。


ダイヤ「千歌さんっ!!」


改めて、状態を確認するために、声を掛ける。

その際に燃えてしまった全身を確認する。

燃えたのは一瞬だったためか、火傷痕のようなものは見えないですが……。

激しく暴れていたためか、腕に痛々しい感じの大きな擦り傷が出来ていた。


千歌「あ、はは……? いき、てる……?」

ダイヤ「大丈夫です!! 生きてますわ!!」

千歌「そっか……死んだかと……思った……っ……。……ぅ……うぅぅ、うぇぇぇぇ……っ……」


千歌さんはそう言いながら、自分の身体を抱くようにして縮こまり、さめざめと泣き出した。


ダイヤ「……怖かったですわね……大丈夫、ちゃんと生きていますわ……」

千歌「うっぐ……っ……ひぐっ……ぅぅぇぇぇ……っ……んぐ……っ……ひっぐ……っ……」


千歌さんを抱きしめて、慰めながら……。わたくしも混乱していた。

何が起こっている……?

いや、起こったこと自体は単純です。

燃えた。

吸血鬼が日光に焼かれて燃えた。


千歌「……ぅっぐ……ひっぐ……ぅっく……」

ダイヤ「…………」


いえ……状況確認も大事ですが、今は千歌さんを安全な場所に避難させることが最優先ですわ。


ダイヤ「千歌さん……部屋まで歩けますか……?」

千歌「……ぅぐ……っ……ぅん……っ……」


覚束ない足取りの千歌さんを支えながら、わたくしはどうにか自室へと引き返しすことにしたのでした。





    *    *    *





ダイヤ「…………」

千歌「すぅ…………すぅ…………」
118 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:42:30.10 ID:ZRnZyA2Z0

あのあと、千歌さんは錯乱に近い状態で、ずっと泣き続けていました。

よほど怖かったのでしょう……。

全身火達磨になったのです、当たり前ですわ。

擦り傷だらけになった腕は千歌さんが泣きじゃくっている間に手当てをしてあげましたが……。

その間も、痛い痛いと子供のように泣き叫んでいました。

相当混乱していたから仕方がないのですが……手当てをせず放っておくわけにもいきませんでしたし。

──そして、その後、泣き疲れたのか、気絶するように眠ってしまいました。

とりあえず、毛布だけ掛けてあげて……。

わたくしは一人考える。

とんでもないことが起こった。

吸血鬼化は確かにずっと加速していた……だけれど、まさか突然日光で燃えるようになるとは思わなかった。

しかし、現実に起こった以上は認めるしかない。そして、そこから導き出される考えは──


ダイヤ「……吸血鬼化の進行と共に、今までなかった吸血鬼性が現れ始めている……?」


それしかなかった。

勝手に千歌さんにはないものだと思い込んでいた。でも、違った。ただ、要素として“まだ”出現していなかっただけに過ぎなかった。


ダイヤ「……そういえば」


起きてすぐにもおかしなことがあった。


ダイヤ「写真……」


スマホのカメラで千歌さんをうまく撮影することが出来なかった。

……カメラが勝手に天井の方を撮ってしまうというバグ。

時間がなかったから流してしまいましたが……そんなバグ、普通ありえるのでしょうか?

天井を撮ってしまったのではなく……千歌さんが写らなかっただけなのでは……?


ダイヤ「…………」


化粧台から、手鏡を取り出して、千歌さんに向けてみる。


ダイヤ「! ……そういうことでしたのね」


予想した通り、千歌さんは手鏡には映っていなかった。

吸血鬼の要素──鏡に映らない。

レンズだって広義の意味で言えば鏡面です。

きっとあの時点で彼女はもうすでに鏡には映らなくなっていた。

そしてこれも、吸血鬼性の進行によるものだと考えて、間違いないでしょう。


ダイヤ「考えてみれば……昼に吸血鬼性を保ったままだった時点で、日光にはもっと注意するべきでしたわ……」


自分の考えの甘さに思わず唇を噛む。

とりあえず、取り急ぎ今日はわたくしと千歌さんは練習を欠席するという連絡を曜さんと果南さんに送った。

それはいいとして、このあとどうする……?

本日は善子さんの家に泊まりに行っていたルビィも帰ってくる。

別にルビィが帰ってくること=千歌さんを置いておけなくなると言うわけではありませんが……。
119 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:44:22.05 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「ただ……いつまでも誤魔化すことは絶対に無理ですわ……」


千歌さんとわたくしの家は近いため、最悪吸血衝動に耐えられなくなったら、千歌さんに自宅に呼んで貰う形でどうにか対処をしようと思っていましたが……。

もう、こうなってしまっては本当に千歌さんを一人にするわけにはいかない。それこそ何かの拍子に日光に焼かれて焼け死んでしまうのではないか。

じゃあ、どこに行く……?

千歌さんの家に泊まる……?

いや、それも結局、他の人にバレるリスクは大して変わらない。

千歌さんのご家族もいますし、すぐ隣には梨子さんの家もある。


ダイヤ「人払いがちゃんと出来ている場所……どこか……」


考える。


ダイヤ「…………学校に戻る……? いや、日中が逆に危険すぎる……」


むしろ日中こそ隠れ続けられる場所が必要なのです。

そうなると……部屋を借りる……。


ダイヤ「ホテルの部屋なら……」


それなら、自由に出入りが出来るし、仮に出てこなくても誰に咎められることもない。ただ、問題は……。


ダイヤ「そんなお金……用意出来るわけありませんわ……」


どんなに安い宿泊先だったとしても一泊3000円程度が恐らく下限でしょう。

しかも今はゴールデンウイークの真っ只中、値段も上がっているでしょうし、そもそも部屋が確保出来るかもわからない……。

加えてわたくしと千歌さん二人で泊まったら、それこそ手持ちから考えてもゴールデンウイークを乗り切ることすら難しいかもしれない。


ダイヤ「どうすれば……」


せめて、格安のホテルを知ってる人がいれば……。


ダイヤ「……ホテル? ……格安ではないですが……いるではないですか、身近に」


わたくしはすぐさま、そろそろ起き抜けて来て練習に行く準備をしている頃合であろう、幼馴染に電話を掛ける──





    *    *    *





千歌「ん……んぅ……」

ダイヤ「千歌さん……? 目が覚めましたか?」

千歌「ダイヤ……さん……?」

ダイヤ「おはよう」

千歌「ん……おはよ……」


千歌さんはぼんやりとしながら、身体を起こす。


千歌「……?」
120 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:45:14.18 ID:ZRnZyA2Z0

周囲を見回して、少し不思議そうな顔をしたあと。


千歌「…………っ!!」


思い出したかのように、顔色を真っ青にして、震えだした。


ダイヤ「大丈夫ですわ……ここまで日の光は差し込んできませんから」

千歌「ダイヤ、さん……」


そう声を掛けながら、震える千歌さんを抱きしめる。

彼女はしばらくの間、震え続けていましたが……。

抱きしめたまま、背中を撫でてあげていると……次第に震えは収まって来ました。

落ち着いてきたのを確認して、


ダイヤ「千歌さん……日が沈んだら、淡島に行きましょう」


そう伝える。


千歌「淡島……?」

ダイヤ「ええ、鞠莉さんに頼んで……部屋を用意してもらいました」

千歌「……鞠莉ちゃんに話したの?」

ダイヤ「いえ……とりあえず、部屋を用意できないかとだけ打診したら、了承は得られたという状態ですわ。今後どれくらい追及してくるかは……会ったときにどうするか次第だと思います」

千歌「そっか……」


鞠莉さんに伝えるかは……正直微妙なところです。

実際ホテルオハラに着いてから理由を聞かれるかもしれませんし、その際に誤魔化しきれないと感じたら説明するしかないでしょうけれど……。


千歌「今何時……?」

ダイヤ「17時過ぎですわ」

千歌「17時……じゃあ、練習終わっちゃったね……」

ダイヤ「今日は仕方ありませんわ……それよりも今は直近のことを考えましょう」

千歌「うん……」


ちょうど、そのとき──玄関の方で物音がする。


ダイヤ「……時間的にルビィが帰ってきたのかしら……少し出てきますわ」

千歌「あ、うん……」

ダイヤ「千歌さんはもう少し眠っていていいですからね……」

千歌「うん……ありがと……」


わたくしは、千歌さんにそう残して、玄関へと向かう。

玄関では、ルビィが腰掛けて靴を脱いでいるところだった。
121 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:46:32.61 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「ルビィ、おかえりなさい」

ルビィ「あ、お姉ちゃん! 起きてて、大丈夫なの?」

ダイヤ「ええ、特にわたくしの体調が悪いわけじゃないから」

ルビィ「? そうなの? 練習お休みしてたから、体調が悪いんだと思ってたんだけど……」

ダイヤ「実は今、千歌さんがわたくしの部屋で休んでいますの」

ルビィ「え? 千歌ちゃんが?」

ダイヤ「ええ。……実は練習に向かう際に、道でたまたま千歌さんが日射病で倒れてるところを見つけてしまって……」

ルビィ「え!? だ、大丈夫だったの……?」

ダイヤ「一先ずは落ち着いたわ。お医者様に連れて行きたかったんだけど……生憎ゴールデンウイークのせいでどこもお休みで……」

ルビィ「そうだったんだ……だから、お姉ちゃんと千歌ちゃんが揃ってお休みだったんだね……」

ダイヤ「ええ……。千歌さん、リーダーだから責任を感じてしまっていて……。あまり他の人には言わないであげて貰える?」

ルビィ「うん、わかった!」


千歌さんが眠っている間、延々と考えていた言い訳でルビィを誤魔化す。

かなり嘘だらけですが……。千歌さんが日光で燃えたので練習に行けませんでしたなどと言うわけにもいきませんし……。

そして、心は痛みますが、まだ嘘を吐く必要があります。


ダイヤ「あと、鞠莉さんがお医者様を紹介してくれるらしくて……この後で千歌さんと一緒に淡島の方に赴く予定なの」

ルビィ「そうなんだ」

ダイヤ「だから、今日はあちらの方に泊まることになると思うわ。お母様やお父様に何か聞かれたら、そのように伝えてくれる?」

ルビィ「わかった」

ダイヤ「それと……まだ千歌さん、眠ってるから静かにしてあげてね」

ルビィ「はーい」


……さて、あとは時間になったら淡島に赴くだけですわね……。





    *    *    *





ダイヤ「それでは千歌さん、行きましょうか」

千歌「う、うん……」


時刻は18時半。

日没時間を過ぎて、太陽の光を浴びる心配はなくなった。

ただ、保険として、千歌さんには大きめのレインコートを目深に着て貰っている。

これなら人に見られても千歌さんだとわからなくする効果もあるでしょうし……。

千歌さんの手を引きながら、夕闇の時間が始まった内浦を北上していく。


ダイヤ「千歌さん……体に異常はありませんか?」

千歌「うん……大丈夫」


船着場まではやや歩く。

もう定期船はとっくに終わってしまっているので、これも無理を言って鞠莉さんに迎えを回してもらった。
122 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:47:53.84 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「……ごめんね」

ダイヤ「どうしたのですか、突然」

千歌「私のせいで……途方もないことに……巻き込んじゃってる……」

ダイヤ「……わたくしが自分が意思でここにいるのですわ。貴方が気に病むようなことではありません」

千歌「…………」


確かに、最初はどこかで、どうにかなるだろうと思っていた気がします。

だけれど、状況はどんどん悪化し……解決の糸口がどこにあるのか、だんだんわからなくなってきている。

そもそも、未だに千歌さんが吸血鬼から元に戻る方法については全く思いついていないのです。

起こったことの対処に追われ続けて……あっと言う間に3日間が過ぎてしまった。


千歌「……ねえ、ダイヤさん」


手を引いていた千歌さんが、急に足を止めた。


ダイヤ「千歌さん……?」

千歌「……もう、いいよ」

ダイヤ「……え?」

千歌「……もう、ここまででいいよ」

ダイヤ「……? ……あ、ああ……一人で歩くということですか? ですが、レインコートのせいで周りが見づらいでしょう? 港までちゃんと一緒に──」

千歌「そうじゃなくて……。……ダイヤさんが、ここまでしてくれる理由……ないよ」

ダイヤ「…………!」


千歌さんの言葉に驚いて、思わず目を見開いた。


ダイヤ「な、何を言っているのですか……?」

千歌「……ここ3日だけでも、ダイヤさん、チカにつきっきりで……それどころか、解決するかもわかんないことに、これ以上ダイヤさんを巻き込めないよ……」

ダイヤ「……っ……絶対解決しますわ……! いえ、解決してみせますわ!!」

千歌「日の当たらない場所さえあれば……あとは静かに暮らせばきっと生きていけるよ……」

ダイヤ「その場所だって、これから交渉するのよ……? どれだけの期間使わせてくれるかもわからない……」

千歌「きっと……死ぬ気で頼み込めば、鞠莉ちゃんなら許してくれるよ……」

ダイヤ「血はどうするのですか……?」

千歌「……どうにかする」

ダイヤ「なんですか、そのいい加減な理屈は……!!」


だんだん、イライラしてきて、声が大きくなる。
123 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:50:09.53 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「だって、そうじゃないとダイヤさんの時間も自由も、全部チカが奪っちゃうじゃん!!」

ダイヤ「そんなこと気にしなくていいのですわ……わたくしは何がなんでも、貴方を元の世界に返します」

千歌「……もう……ダイヤさんに迷惑掛けたくない……」

ダイヤ「迷惑だなんて思ってませんわ」

千歌「ダイヤさん優しいから……そう言ってくれるけど……」

ダイヤ「……どう言えば納得してくれるのですか」

千歌「……ここで見捨ててくれたら……納得するよ」

ダイヤ「お断りしますわ。ここまで来て見捨てろですって……? そんなの絶対イヤですわ」

千歌「なんで……」

ダイヤ「何度も言ったではありませんか。わたくしは貴方を見捨てない。途中で投げ出したりなんて絶対致しませんわ」

千歌「……らしくないよ」

ダイヤ「……は?」

千歌「……ダイヤさんってすっごく頭いいんだもん!! 私、ダイヤさんのそういうところがすごいなってずっと思ってたんだもん!!」

ダイヤ「……効率よく切り捨てろと」

千歌「…………」

ダイヤ「もっと賢い選択肢を選べと? その賢い選択肢が貴方を見捨てることだとでも!?」

千歌「だってそうじゃん!! もう、解決なんか出来ないよ!!」

ダイヤ「そんなのまだわからないではないですか!! いや、解決するまでやれば解決しますわ!!」

千歌「なにそれ!? ダイヤさんの言ってる理屈の方が無茶苦茶じゃん!!」

ダイヤ「わたくしが無茶苦茶言ったらいけないのですかっ!!!」

千歌「え……」


問答を続けるうち……気付いたら頭に血が昇って、普段だったら言わないような言葉が勝手に口をつく。


ダイヤ「解決するかわからない……? ええ、そうですわ!! わたくしも、これからどうすればいいのか全然わかりませんわ!!」

千歌「……っ」

ダイヤ「でも、もしここで諦めて……自分の時間も自由も戻ってきて、全部なかったことにして日常に戻っても……そこに千歌さんが居ないではないですか……!」

千歌「……!」

ダイヤ「……それでわたくしが喜ぶとでも……? あそこで見捨ててよかった、自分の世界に一人戻ってよかったなんて……わたくしがそう言いながら生きていけると思っているのですか!?」

千歌「……でもっ」

ダイヤ「わたくしはっ!!! ……諦めたくないっ!!」

千歌「……ダイヤ、さん……」

ダイヤ「周りの人のこと考えて、自分を押し殺さなくちゃいけないことなんてたくさんありましたわ!! 果南さんと鞠莉さんのこと、ルビィとのこと、スクールアイドルのこと、家のことも……!! 押し殺して、我慢して、大人な振りして、賢くなった振りして……その度、たくさん後悔して……失って……」

千歌「…………」

ダイヤ「きっとわたくしはこれからも、たくさん後悔して、たくさん失うのです……きっと、自分自身で選ぶことすら出来ない、運命に翻弄されて……。だけど、今は違う……! わたくしはわたくしの意思で、後悔しないために、千歌さんと戦う道を選ぶ……! 自分の意思で諦めることを選んで、千歌さんが居ない世界で後悔して生きるなんて……そんなのそれこそ死んだ方がマシよ!!!」


気付けば肩で息をしていた。

自分でも驚くくらい声を荒げた気がする。


千歌「………………」

ダイヤ「これでもまだ納得出来ないのですか!?」


俯く千歌さんに向かって言うソレは、もはや癇癪に近かった。
124 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:51:39.78 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「でも……」

ダイヤ「……!!」


頭がカッと熱くなる。

どうして、わたくしの言葉は伝わらないの? いつも、いつもそうだ。


ダイヤ「わたくしはっ……!!」

 「はい、ストップ」


後ろから頭をぱしっと叩かれた。


ダイヤ「な……」


驚いて振り返ると、


鞠莉「はぁ……いつまで経っても来ないと思ったら。なんで往来でケンカしてるの?」

ダイヤ「ま、鞠莉さん……」


そこにいたのは鞠莉さんだった。


鞠莉「こんな風に捲くし立てられても困っちゃうわよね、チカッチも」

千歌「……!」


千歌さんがレインコートのフードを目深に被りなおす。


鞠莉「……ま、ダイヤから頼まれた時点でかーなーり、訳アリなんだってのは想像してたけどね。……とりあえず、船乗ってくれないかしら? これ以上船着場で待たされてたら退屈で死んじゃいそうだから」

千歌「わ、私だけでいいから……!」

ダイヤ「っ!! まだ、そんなことをっ!!!」

鞠莉「千歌もダイヤも、ストップ」

千歌「……っ」

ダイヤ「こんな状況で黙っていられるわけ……!!」

鞠莉「ダイヤ」


鞠莉さんが真面目な声音でわたくしの名前を呼ぶ。

普段、あまり感じない威圧感に思わず、怯む。


鞠莉「……少し頭冷やした方がいいヨ。今のままじゃ、落ち着いて会話出来ないでしょ」

ダイヤ「…………」

鞠莉「チカッチも。一方的についてくるなって言ってるだけじゃ、ケンカになっちゃうだけなんだから。……島に着いてからでも、帰るかどうかは決められるでしょ? 今はとりあえず移動してからにしない?」

千歌「…………わかった」

鞠莉「ダイヤも、それでいいよね?」

ダイヤ「……はい」


わたくしたちは鞠莉さんの先導される形で、船着場まで再び歩き始める。

その間、わたくしは──死んでも放してやるものかと半ば意固地になり気味に千歌さんと手を繋いだまま……船着場を目指すのでした。





    ♣    ♣    ♣

125 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:54:03.98 ID:ZRnZyA2Z0



鞠莉「ホテルオハラまで、出して」


鞠莉ちゃんがそう指示すると、クルーザーは淡島に向かって動き出した。

私が船室の椅子に腰を降ろすと、鞠莉ちゃんがその横に腰を降ろす。

ダイヤさんはと言うと……。


 鞠莉『ダイヤは頭に血が昇りすぎ。少し風にでも当たった方がいいヨ。別に船の上ならどうやっても逃げられないから、安心して頭冷やしてくるといいヨ』


と言って、鞠莉ちゃんが半ば無理矢理、甲板に追い出してしまいました。


鞠莉「……そのレインコート、着たままなのね。今日は雨とか降らないけど」

千歌「……」

鞠莉「ま、話せないなら別に詮索はしないけど……。それにしても、あそこまで素のダイヤ……久しぶりに見たかも」

千歌「……え?」


素……?


鞠莉「ダイヤが頑固なのは知ってると思うけど……あれで結構わがままなのよ?」

千歌「……そうなの?」

鞠莉「思い通りにいかないとすーぐ不機嫌になるんだから」

千歌「……そんなところ、見たことないよ」

鞠莉「そう? 練習サボってると、鬼のように怒るじゃない」

千歌「そ、それは厳しくしないと、皆が上達しないから……」

鞠莉「チカッチはダイヤのこと、大人だと思いこみすぎ」

千歌「……?」

鞠莉「そんなの方便に決まってるじゃない。誰よりも上達して、誰にも負けない、ダイヤの思い描く理想のスクールアイドルの形に近付きたいがためのエゴなのよ、あれは」

千歌「……でもそれって、わがままなのかな?」

鞠莉「それも、立派なワガママよ。ただ、ダイヤはホンキでそれがいいことだと思ってるから、タチが悪いの。だから、いざ爆発しちゃっても、言ってることは自分の考えを押し通すことばっかりで一歩も譲らない。一度意見が直交したら、全然うまくいかなくなっちゃう」

千歌「…………」

鞠莉「だけどね……ダイヤはいつだって、皆が良い方向に行くためのことをホンキで考えてる。だから、皆ついてきてくれるし、いろんな人から慕われてるのよ」

千歌「……そう、なんだ……」

鞠莉「だから、今回も。事情はよくわからないけど……心の底から、千歌の力になりたいって気持ちだから、ダイヤは貴方のことを助けているんだと思うわ」

千歌「…………でも」

鞠莉「ダイヤは自己犠牲でやってるわけじゃないの。むしろ、覚悟が足りてないのはチカッチの方なのかもね」

千歌「え……」

鞠莉「自分一人で抱えて、一人の世界に逃げ込むなんて簡単だもん。でも、人はそれだけじゃ生きていけない。自分一人で出来ることなんて高が知れてるからね。だから、手を取り合って協力して、何かを為すの」

千歌「……うん」

鞠莉「でも、一緒に頑張るってことは絶対どこかで相手に迷惑を掛ける、苦労させる。そういうものなの。でも、それは必要な迷惑だし、必要な苦労。もちろん心苦しい部分もあるかもしれないけど……それでも、何かを為すために同じ方向を向いて、一緒に進んでいくために分かちあわなくちゃいけないもの」

千歌「……」

鞠莉「少なくともダイヤは貴方と同じ方向に進みたいと思ってる。ダイヤにはもうとっくに貴方の苦労を背負う覚悟がある。だから、千歌、貴方もダイヤに背負わせる覚悟をしないといけないのかもね」

千歌「背負わせる……覚悟……」

鞠莉「背負って背負わせて……それをお互い受け止めて、一緒に前に進んでいくことを認め合う。そういうの、なんて言うかわかる?」

千歌「……なんて言うの……?」

鞠莉「信頼って言うのよ」
126 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:55:14.16 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「……信頼」

鞠莉「ま、ダイヤと別々の道がいいって思ってるなら、話は別だけどね。ただ、見てる限り、一緒に来て欲しいけど、千歌が一方的に遠慮してるように見えたかな、私には」

千歌「…………」

鞠莉「千歌」

千歌「何……?」

鞠莉「ダイヤのこと、好き?」

千歌「……うん、好き」

鞠莉「一緒に居たい?」

千歌「一緒に居たい」

鞠莉「じゃあ、どうしてダイヤと離れようとするの?」

千歌「……ダイヤさんの邪魔したくないから」

鞠莉「ダイヤが貴方のこと邪魔だって言ったの?」

千歌「それは……」

鞠莉「迷惑だって、言われた?」

千歌「……迷惑なんかじゃないって言われた」

鞠莉「じゃあ、そうなんだヨ。その言葉だけは、ちゃんと信じてあげて欲しいかな」

千歌「…………」

鞠莉「まあ、最後は自分で決めればいいけどね。ただ、ちゃんとダイヤと話し合ってから決めた方がいいとは思うヨ」

千歌「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「あんな性格だから、気持ち全部ぶつけ合うのは大変かもしれないけど……。全部本音をぶつけあってさ、答えを出すのはそれからでいいんじゃない?」

千歌「……うん」

鞠莉「……ま、わたしは今二人の間になんの問題があるのか全くわからないんだけどね」

千歌「あはは……ごめん」

鞠莉「いいわよ、詮索しないって言ったし。……っと、そろそろ着くわね」


──気付けば、フェリーの窓の先に、ホテルオハラが見えてきていました。





    *    *    *





鞠莉「これ頼まれた条件の部屋の鍵ね」

ダイヤ「……ありがとうございます」

鞠莉「監禁とかしないでよ? さすがにそういうことの幇助したってなったら、ホテルの問題になっちゃから」

ダイヤ「するわけないでしょう」

鞠莉「知ってる。だから、部屋貸すんだし」

ダイヤ「感謝していますわ」

鞠莉「ん。ダイヤ」

ダイヤ「なんですか?」

鞠莉「信頼してるわ」

ダイヤ「……知ってますわ」
127 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:55:50.41 ID:ZRnZyA2Z0

全くこういうとき、ああいう言葉が口をつくのは欧米人の悪いところだと思いますわ。

こういうものは言葉にしないからこそ美しいのに……。

まあ……信頼してると言われて悪い気はしませんが……。

鞠莉さんに背を向けて、千歌さんの手を引いてホテルへと歩き出す。


千歌「鞠莉ちゃん……ダイヤさんのこと、信頼してるんだね」

ダイヤ「……まあ、付き合いも長いですし。お互いのこと、嫌と言うほどわかってますからね」

千歌「そっか……。……ねえ、さっき鞠莉ちゃんが言ってた条件って何? 特別な部屋なの?」

ダイヤ「ええ。内側からも外側からも、鍵がないと施錠開錠が出来ない作りになっている部屋ですわ。吸血衝動があるときでも、外に出て誰かを襲ったりしないでしょう」

千歌「……そこまで、考えてくれてたんだ」

ダイヤ「……千歌さん、誰かを襲うことを……すごく怖がってましたから」

千歌「……うん、ありがと……」

ダイヤ「…………いえ」

千歌「…………」


なんとなく、ここで会話が途切れてしまった。

……あとは、中に入ってから。

これからどうするか、長い話し合いをすることになりそうですわね……。





    *    *    *





件の部屋は地下にあった。


ダイヤ「地下なら、日が当たる心配もありませんわね……助かりますわ」

千歌「うん……」


二人で部屋に入ってから、施錠をする。


ダイヤ「鍵はわたくしが持ちますわ」

千歌「……」

ダイヤ「それとも、まだ一人でどうにかするなんて仰るつもりだったりしますか?」

千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「なんですか」

千歌「ダイヤさんが何考えてるのか、ちゃんと聞きたい」

ダイヤ「さっき全て言いました。わたくしは絶対に諦めたくないし、貴方を見捨てるつもりもありません」

千歌「うーんとね、そうじゃなくて……どうして、見捨てないでいてくれるの?」

ダイヤ「どうして……? ……どうして、ですか」


少し頭を捻る。理由なんていくらでもありそうですが……。
128 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:56:58.60 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「……そうですわね。貴方が同じAqoursの仲間だから、でしょうか」

千歌「Aqoursの仲間だったら、誰でも助けるの?」

ダイヤ「当たり前ですわ。仲間なのですから」

千歌「……ふふ、そっか」

ダイヤ「……どうして笑うのですか」

千歌「ここで、チカだからって言ってくれれば、それはそれで納得したかもしれないのに、素直だなぁって」


言われてみれば……そうかもしれない。


ダイヤ「……まあ……事実なので」

千歌「ふふ……そっか。ダイヤさんらしいかも」

ダイヤ「逆に聞きたいのですが……逆の立場だったら、貴方も同じように助けるのではないですか?」

千歌「……確かにそうかも」

ダイヤ「なら、そういうものなのですわ。仲間は助ける、当たり前ではないですか」

千歌「うん……そうだね」

ダイヤ「ただ……その前提の上で」

千歌「?」

ダイヤ「貴方と二人で、過ごす中で……たった3日間でしたけれど、わたくしは心の底から千歌さんの力になりたいと思わされることが何度もありました」

千歌「……」

ダイヤ「貴方が恐いと思うなら、その恐怖を和らげてあげたい。泣いているなら、涙を拭ってあげたい。苦しんでいるなら、少しでも楽になれるように一緒に考えたい。そう、思ったのです」

千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「そして何より……貴方はAqoursに必要なのですわ。皆を繋いで結ぶ力のある貴方は……絶対に必要な人。そんな千歌さんが……貴方だけが、人から繋がりを断たれて、一人ぼっちになるなんて……やるせないではないですか」


何度もその繋ぐ力に、結ぶ力にわたくしたちは救われてきた。なら……。


ダイヤ「今度はわたくしが、貴方を繋ぎ止めて……救ってみせますわ」

千歌「……そっか」

ダイヤ「納得、していただけましたか?」

千歌「……もう一個聞いていい?」

ダイヤ「なんですか?」

千歌「……どうなったら、解決だと思う?」

ダイヤ「……また、皆でスクールアイドルが出来るようになったら、解決ですわ」

千歌「……そっか」

ダイヤ「出るのでしょう? スクールアイドルフェスティバル」

千歌「……うん!」


千歌さんは頷いて、わたくしの手を握ってきた。


千歌「ダイヤさん……お願い、チカのこと……助けて……。……チカ、人間に戻りたい……。皆とまた一緒にスクールアイドルがしたい」

ダイヤ「ふふ……そんなこと最初から知っていますわ」

千歌「そっか……ダイヤさんは最初っから、知ってたんだね……」


千歌さんはそのまま、わたくしの背中に腕を回して、抱きついてくる。


ダイヤ「ち、千歌さん……?」
129 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:57:36.81 ID:ZRnZyA2Z0

ケンカ腰の状態が続いていたところに急にハグをされて、少し動揺してしまう。


千歌「……イヤなこと言ってごめんなさい……。ダイヤさん……ずっと、チカのこと考えてくれてたのに……」

ダイヤ「い、いえ……その……。……わたくしも……強く言いすぎましたわ……ごめんなさい」

千歌「うぅん……全部チカのためを想って怒ってくれたんだもんね……ありがとう、ダイヤさん……」

ダイヤ「えっと……その……。……わ、わかっていただけたなら……問題ありませんわ」


もっと、言い合いになると思っていたので、思った以上にすんなり納得してもらえて、逆に拍子抜けしてしまいました。


千歌「ダイヤさん……一緒に、考えよう……」

ダイヤ「……ええ、勿論ですわ」





    *    *    *





その後、わたくしは一先ず、千歌さんと和解したことを鞠莉さんへ報告しに行くことにしました。

場合によっては、わたくしだけは本島に戻るかもという話だったので、残ると決まったなら決まったでちゃんと報告しないと鞠莉さんも困るでしょう。

船着場に向かおうと、ホテルのエントランスホールから外に出ようとしたところで──


鞠莉「あ、ダイヤ。終わったの?」


鞠莉さんはエントランスホールのソファで紅茶を飲んでくつろいでいるところだった。


ダイヤ「随分くつろいでいますわね……」

鞠莉「だって、どうせ残るんでしょ?」


鞠莉さんは、まるで見てきたかのように言う。


ダイヤ「盗聴でもしていましたの……?」

鞠莉「そんなわけないでしょ……。それで、チカッチにはなんて言ったの?」

ダイヤ「……千歌さんには想ったことを言いましたわ」

鞠莉「……どーせ、チカッチはAqoursに必要だからーとか言ったんでしょ」


鞠莉さんは、まるで、見てきたかのように、言う。
130 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:58:54.33 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「……盗聴でもしていましたの……?」

鞠莉「ダイヤ……もっと、素直に自分の気持ち言わないと、いつか後悔するヨ?」

ダイヤ「え……? わたくし……ちゃんと、言ったつもりですが……」

鞠莉「……はぁー……。自分の気持ちに対してもにぶちんなんだから……じゃあ、わたしが代弁してあげる」

ダイヤ「は、はぁ……」

鞠莉「ダイヤは……ただ、チカッチと一緒に居るのが楽しかっただけなんだヨ」

ダイヤ「……え」

鞠莉「義務感とか、プライドとかじゃなくてさ……ただ、チカッチともっと一緒に居たかったってだけ」

ダイヤ「…………えっと」

鞠莉「ダイヤ、ずーーーーっとチカッチの手握ってたじゃない」

ダイヤ「!?/// そ、それは……!!///」

鞠莉「クルーザーに乗るときに、手を放して、頭冷やして来いって言ったとき、ものすっごい寂しそうな顔してたし……」

ダイヤ「し、してませんわっ!!!///」

鞠莉「そう? 何がなんでも放したくないって顔してたけど」

ダイヤ「どんな顔ですか!?/// まあ、確かに……放したくない……と、想っていた節はありますけど……」

鞠莉「Love…愛だネ〜」

ダイヤ「そ、そんなんじゃありませんわ!!///」

鞠莉「いやどう考えても愛でしょ……」

ダイヤ「わ、わたくしはあくまで仲間を助けるために……」

鞠莉「そのために、ホテルの一室を頼み込んで確保してもらったり、挙句そばについてお世話をしてあげるの? メンバーだから? ……違うでしょ」

ダイヤ「え……いや……」

鞠莉「千歌だからでしょ」

ダイヤ「…………」

鞠莉「普通、同じグループの仲間だからって理由だけじゃ……相談に乗ったり、解決方法を考えるところ止まりよ。ましてや、宿泊先の斡旋とか、ずっとそばについて手を繋いでてあげるなんて……ただの仲間にしてあげる親切心を超えてるわよ」

ダイヤ「…………そ、そう……でしょうか……」

鞠莉「……千歌と手繋いでて……安心してたのは、実はダイヤなんじゃない?」

ダイヤ「…………」

鞠莉「……まあ、これ以上はホントにおせっかいだから、あとは勝手にして。……ただ、自分の気持ちには素直にネ」

ダイヤ「……はい……」


普段はお気楽能天気な理事長で苦労ばっかり掛けさせられている気がするのに、こういうときは核心ばかりついてくる。

全く、鞠莉さんには敵いませんわね……。

……まあ、彼女の言う通り、もう少し……千歌さんと素直に接してみるのも、いいのかもしれませんわね……。





    *    *    *





ダイヤ「千歌さん、戻りましたわ」


鞠莉さんへの報告を終えて、部屋に戻ってくると、


千歌「う、ん……おかえり……」
131 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 09:59:44.36 ID:ZRnZyA2Z0

千歌さんはベッドの上で苦しげに息を切らせながら、丸くなっていた。


ダイヤ「!? 千歌さん!?」

千歌「あはは……次の吸血時間……近い、みたいで……」


……言い合いになっていたせいで忘れていましたが、時刻はもう20時半を回ったところ。

夜明け頃に50%ほどまで欲求は進行していたのですから、そろそろ時間が来てもおかしくない。


ダイヤ「今、どれくらいですか?」


部屋の戸の鍵を閉めながら訊ねる。


千歌「80……うぅん、85……くらい」

ダイヤ「……となると、あと1時間くらいでしょうか」

千歌「うん……」


千歌さんが横になっているベッドに腰掛けて、手を握る。


千歌「ダイヤさん……?」

ダイヤ「傍に居ますわ」

千歌「……うん。……傍にいて……」


横になっている千歌さんの手を握りながら、逆の手で髪を撫でる。

相変わらずサラサラの髪ですが、軽く前髪を掻きあげると、額には珠のような汗が浮いている。

その汗をポケットから取り出したハンカチで拭いてあげる。


千歌「えへへ……」

ダイヤ「もう……何笑っているのですか……」

千歌「ダイヤさんが……優しくしてくれて、嬉しい……」

ダイヤ「全く、現金なんですから……」


先ほどまで、あれだけもう自分に構うなと言っていたのに……。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「なんですか?」

千歌「また、ぎゅーって……して欲しい……」

ダイヤ「……わかりました」


千歌さんの背中に腕を回して、抱き起こす。

すると、千歌さんもわたくしの首に腕を回してくる。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「チカのことぎゅってするの……イヤじゃない……?」

ダイヤ「嫌なわけないでしょう?」


そう伝えると、


千歌「えへへ……そっか……」
132 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:00:53.95 ID:ZRnZyA2Z0

千歌さんは嬉しそうに微笑みながら、更に密着してくる。

わたくしは彼女の背中をゆっくりさする。

千歌さんはじっとりと汗をかき、服が濡れていた。

汗の匂いがした。


ダイヤ「…………」


やはり、餓えに耐えるのは苦しいのでしょう。


ダイヤ「千歌さん……辛かったら、いつでも血を吸ってください……」

千歌「う、ん……」


千歌さんはわたくしの胸の中で小さく頷いた。

──ただ、二人で抱き合いながら、限界が来るのを待つ。

これも何度も繰り返してきたこと。

ふと、思う。……何故、何度も繰り返してきたのでしょうか。

何故抱きしめたまま、待つのでしょうか。

抱きしめると、千歌さんが安心してくれるからでしょうか。

……それもあると思います。

ですが、それだけではない。


ダイヤ「…………」


さっき、ちゃんと素直に言うように言われたばかりですものね……。


ダイヤ「……千歌さん」

千歌「ん……?」

ダイヤ「千歌さんとこうして抱き合っていると……すごく安心しますわ」

千歌「……ほんと?」

ダイヤ「ええ……千歌さんが、ちゃんとここに居るんだって……すごく安心しますわ」


今思い返してみれば、わたくしも、ずっと不安だったのだと思います。

いつ彼女が彼女でなくなってしまうのか、わからなくて。

ちゃんと手を繋いで、抱きしめて、存在を意識していないと……高海千歌さんという人間があやふやになってしまう気がして。


ダイヤ「千歌さんが居なくなってしまったら……わたくしは悲しいですわ」

千歌「ダイヤ、さん……」

ダイヤ「貴方の為だけじゃない……わたくしの為にも、ここに居てください……ここに居させてください」

千歌「……うん」

ダイヤ「そして……一緒に元の世界に、帰りましょう……」

千歌「うん。……ダイヤさん」

ダイヤ「なんですか?」

千歌「……一緒に元の世界に戻るために……今は、血をください」

ダイヤ「ええ」


千歌さんが自らの意思で、首筋に顔を近付ける。

口を開けて──
133 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:01:41.43 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「──ぁむっ」


噛み付いた。

──キバが突き刺さる感覚と共に、わたくしは深く息をする。


千歌「……ちゅぅーー……」

ダイヤ「…………っ……♡」


また快感に襲われる。

下唇を強く噛んで、耐える。


千歌「……ちゅぅちゅぅ……」

ダイヤ「………………っ……ふ、ぅ……♡」


息が漏れる。思わず、千歌さんの背中に回した腕に力が入る。

密着すればするほど──ドキドキ、ドキドキと胸の鼓動が早くなっていく。

頭がぼーっとしてくる。千歌さんの温もりと、千歌さんの匂いで思考が埋っていく。

血が抜けていく感覚が、酷く気持ち良い。


ダイヤ「ふ、ぅ……………ん…………っ…………」


必死に歯を噛み締めて、快感に抵抗する。

流されたくない。


千歌「……ん……ぷはっ……」

ダイヤ「……ん゛っ…………♡」


キバが抜ける感覚に、身体がビクリと跳ねる。


千歌「ダイヤさん、終わったよ……」

ダイヤ「へ……え……? お、終わった……の……?」

千歌「うん、終わり。血、ありがと」

ダイヤ「そう……です、か……」


力が抜けて、思わず一人で横向きに倒れこむ。


千歌「ダイヤさん!? 大丈夫……?」

ダイヤ「ち、ちょっと……疲れた……だけ、ですわ……」


酷く疲れた。だけれど……達成感があった。


ダイヤ「チャームに……呑まれ、ません、でしたわ……」


ギリギリでしたが……今回の吸血行為中、一度も意識が途切れた覚えがない。


千歌「ほ、ほんとに……?」

ダイヤ「わたくし……何か、変なこと、言ったり……していましたか……?」

千歌「う、うぅん! 何も言ってなかった……!」

ダイヤ「なら、よかった……」
134 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:02:46.70 ID:ZRnZyA2Z0

未だに心臓はバクバクと激しく音を立てていますし、酷い疲労感のせいで動ける気が全くしませんでしたが……。

これは大きな進歩でしょう。

チャーム中にお互いの言葉や意思に齟齬が生まれる心配がこれで大きく減る。

今回で5回目……いい加減わたくしの身体も吸血行為に慣れて来たということなのかもしれません。


ダイヤ「これ、で……チャームを、気にして……吸血を、躊躇する、必要……なくなりました、わね……」

千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「ただ……少し……休ませて……くだ、さい……疲れ、ました……」

千歌「うん……頑張ってくれて、ありがとう……」


倒れこんだままのわたくしの横に、倣うように千歌さんも寝転がり、そのまま胸に顔を埋めてくる。


ダイヤ「千歌……さん……?」

千歌「……その……こうしてた方が安心するし……ダイヤさんも、動けない間、チカがくっついてた方が……安心なのかなって」

ダイヤ「なるほど……」


腕を持ち上げるのもかなりだるいという状態でしたが、どうにか千歌さんの背中に片腕を回して、抱き寄せる。


ダイヤ「……お互いこれが一番安心するみたいですから……しばらく、こうしていましょうか……」

千歌「うん……。……ダイヤさん、心臓の音、すごいね……」

ダイヤ「……そう、かもしれません……」


チャームに思考を呑まれなくなったとは言え、効果がなくなったわけではないと言うことでしょう。


千歌「……あの、どんどん早くなってるけど……大丈夫……?」

ダイヤ「そう、ですか……? まあ、一時的なものだと、思いますので……直に収まり、ますわ……」

千歌「ならいいけど……」


──実のところ、直に収まると言った割に、このチャームによる心拍数の増大は、結構な時間収まらなかったのですが……。

まあ、身体に特段影響があったわけでもないですし……無理に抵抗した反動なだけかもしれませんし。これは余談でしょう。


千歌「……このまま、寝ちゃう?」

ダイヤ「眠れるなら……それもいいかもしれませんわね」


酷い倦怠感なのに、何故か目が冴えているのが憎らしい。

まだ起床してから10時間も経っていないから、仕方がないかもしれませんが……。

結局──わたくしが動けるようになったのは、それから2時間も後のことです。

それまでの間、ただわたくしたちは、お互いの存在を噛み締めながら、ぼんやりと時間を過ごしたのでした。





    *    *    *





──時刻は23時前。

わたくしは鞠莉さんの部屋に訪れていました。
135 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:04:24.56 ID:ZRnZyA2Z0

鞠莉「あら、ダイヤ。いらっしゃい。どしたの?」

ダイヤ「いろいろ確認をしようと思いまして……」

鞠莉「確認?」

ダイヤ「……あの部屋、いつまで使わせてもらえますか?」

鞠莉「ん……あの部屋使う人なんて滅多にいないし、いいわよ好きなだけいてくれても。1週間くらい?」

ダイヤ「……あ、えーっと……」

鞠莉「? ……1ヶ月?」

ダイヤ「…………いつまで使う必要があるかわからないと言いますか」

鞠莉「Why? どゆこと?」

ダイヤ「その……なんと、言いますか。……問題が解決するまで貸していただければ」

鞠莉「……その問題ってなんなの?」

ダイヤ「それは……その……」


思わず口ごもる。言ってもいいものなのでしょうか……。


鞠莉「まあ、言いたくないなら無理に詮索しないけど……。その口振りだと解決の目処が立ってないってことかしら?」

ダイヤ「……そうですわね」


先ほど千歌さんと口論になったときも口にしていましたが、正直今後どうしたものか見当もつかない状態です。


鞠莉「その問題って……今日、練習来なかったのと関係あるわよね」

ダイヤ「まあ……はい」

鞠莉「明日は練習行くの?」

ダイヤ「たぶん……難しいですわ」

鞠莉「解決しないと、練習に参加出来ない感じ?」

ダイヤ「……はい」


詮索はしないと言った割に、鞠莉さんの誘導尋問が始まっている。

いっそ、このまま打ち明けてしまった方がいいのかしら……。


鞠莉「全く、ダイヤも大変そうね。連休直前に吸血鬼に噂の見回りしてたと思ったら、今度は何故か千歌を匿ったりして……ん……?」

ダイヤ「…………」

鞠莉「……もしかして、この二つ、関連してるの?」


勘が良すぎる。このまま誘導尋問を受け続けると、確実にバレる。


ダイヤ「関係ないですわ」

鞠莉「ま、そりゃそうよね。見つかったのはネズミって言ってたし」

ダイヤ「そうですわ。吸血鬼なんて、眉唾な話とっくに忘れていましたわ」

鞠莉「ふーん。……その割に善子とマルに吸血鬼の話聞いたりしてたのね」

ダイヤ「……!? い、いや……その……」


カマを掛けられた。
136 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:06:03.55 ID:ZRnZyA2Z0

鞠莉「…………」

ダイヤ「…………」

鞠莉「ダイヤ、力になるよ?」

ダイヤ「…………」


鞠莉さんはなんとなくアタリが付いているのかもしれない。

いや……まさか、千歌さんが吸血鬼化していて、わたくしと一緒に元に戻る方法を探しているなんて、ピンポイントな結論に至っていることはないと思いますが……。

どうするか、悩みましたが──


ダイヤ「…………いえ、なんでもありませんわ」


悩んだ末にわたくしはそう答えた。


鞠莉「…………そ」


わたくしには懸念があった。

巻き込んでしまうと……鞠莉さんにも影響があるかもしれない。


ダイヤ「鞠莉さん、一つお訊ねしたいのですが」

鞠莉「何?」

ダイヤ「今日の日差しは……どうでしたか」

鞠莉「日差し……? 普通だったと思うけど」

ダイヤ「真夏のような強烈な日射ではありませんでしたか?」

鞠莉「……? 普通にこの季節の日差しって感じだったけど……。……むしろ、ちょっと控えめってくらいじゃないかしら」

ダイヤ「そうですか……」


……やはり、そうだ。

わたくしが思っていた日差しの感覚と、鞠莉さんの感覚が著しくズレている。

今日の日差しは、絶対に日傘が必要だと思うくらいにきつかったと記憶している。

結局、千歌さんが日光で燃えて引き返したため、わたくしはほとんど日には当たってはいないのですが……。

加えて、それだけではない。

水──主に流水への不快感。ロザリオ──十字架への嫌悪感。そして日光への過敏な反応。

この3つの要素はどう考えても──わたくしにも大なり小なりの吸血鬼化が起こっていることを指し示していた。

こうなってしまった原因の特定は難しいですが……これも、恐らく千歌さんには勝手にないと思い込んでいた吸血鬼要素──血を吸った対象を吸血鬼化すると言う、吸血鬼の能力の一つなのではないでしょうか。

彼女は吸血鬼化が進む中で、日光下で燃える、鏡に映らない等の吸血鬼性を新たに発現してしまったのと同様に……吸血対象の吸血鬼化と言う吸血鬼要素も持ってしまった、と考えるのが状況証拠としては一番有力な気がします。

この事実は……協力者にも、相当な危険が及ぶ可能性を示唆しています。

吸血対象をあくまでわたくしだけに絞れば問題ないのかもしれませんが……あやふやな存在に対して甘い考えで、ここまでに想定を何度もひっくり返されています。

今後も何が起こってもおかしくない……。

そこまでわかった上で、鞠莉さんに事情を話すべきかと言われると……。
137 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:11:21.29 ID:ZRnZyA2Z0

鞠莉「──おーい、ダイヤー?」

ダイヤ「……え?」

鞠莉「話聞いてる?」

ダイヤ「あ、すみません……少し考え事をしていて……」

鞠莉「……まあ、ダイヤと千歌が抱えてる問題は、わたしに迂闊に言えないことだって言うのはわかった」

ダイヤ「……すみません」

鞠莉「ついでに解決の目処も立っていない。解決しないと練習にも出て来れない」

ダイヤ「…………」

鞠莉「……ま、ダイヤがチカッチのハートを独占したいからってことにしておいてあげる」

ダイヤ「……!?/// ……で、では、そういうことにしておいてください……///」


これで納得して、部屋も貸してもらえるなら……そういうことで納得してもらいましょう。


ダイヤ「……ところで、一つお聞きしたいのですが」

鞠莉「What?」

ダイヤ「なんで、あのような部屋があったのですか……? 自分で頼んでおいて、まさか本当にあんな部屋があったなんて……」

鞠莉「ああ……なんか、元々はどうにもならない病気を患った患者とかを匿う部屋として作ったみたいなのよね」

ダイヤ「どうにもならない病気……?」

鞠莉「精神錯乱が起こって暴れちゃう人とかをやむを得ず閉じ込めておくとか……。重度の日光過敏症で、外に出られない人とかね」

ダイヤ「どうしてわざわざホテルに……」

鞠莉「さあね……詳しいことはわたしも知らないけど、名残って言ってた気がするわ」

ダイヤ「名残……?」

鞠莉「淡島ってもともと無人島だったでしょ? だから、感染症とかで迫害されて、追いやられた人の隔離先だったんじゃないかって話があってね」

ダイヤ「感染症……」

鞠莉「日本でも戦前戦時中なんかはたくさん感染症もあったって言うし……この辺にもあったんじゃないっけ? チホービョーとか言うやつ?」

ダイヤ「ちほーびょー? ……ああ、地方病ですか」


さすがに詳しいと言うほど詳しくはないですが、確か山梨は甲府盆地一帯で長い間問題になっていた感染症のことだったはず。

当時の富士川水系だった浮島沼──現在の沼川です──でも発症例があったため、沼津も本当にギリギリ感染範囲内でした。なので、家の史書で少しだけ目にしたことがあった気がします。


鞠莉「今は日本の感染病ってほとんどないけど……そういう歴史的な名残と、あとはゲンカツギ? 的なものもあったのかもしれないわね。ほら、狂犬病とか一応まだ撲滅してないし、いざってときの為にね」

ダイヤ「……狂犬病」

鞠莉「光を恐がるし、精神錯乱で暴れることとかあるって言うし……それこそ、そういう病気の患者を意識して作られた部屋なのかもね」

ダイヤ「そうですか……」


花丸さんが言っていたように、吸血鬼と関連付けられて語られることのある、狂犬病患者のために作られたのではないかと言う部屋に、本物の吸血鬼を匿っているなんて、皮肉な話ですわね……。


鞠莉「まあ……わたしの記憶が正しければ、あの部屋を使ってるのはあなたたちが初めてよ。だから、沼津で未知の感染病が大流行でもしない限り、当分の間は使ってても問題ないと思うわ」


あの部屋を追い出されるときは、それこそ世界の危機なのかもしれませんわね……。

何はともあれ、当分の宿泊先は確保されたと言うのは非常にありがたいことです。
138 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:12:24.44 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「ありがとうございます……しばらくお世話になると思います」

鞠莉「言ってくれれば簡単なまかないくらいなら、出してあげられると思うから。必要だったら言ってね」

ダイヤ「何から何まで……感謝しますわ」

鞠莉「気にしないで。……それより、千歌のこと、お願いね? さすがに居なくなられたら皆も困るから」

ダイヤ「ええ、承知していますわ」


鞠莉さんとの会話を終えて……わたくしは部屋を後にしたのでした。





    *    *    *





──明けて、時刻2時。


千歌「……ちゅー……ちゅぅー……」

ダイヤ「……ん…………ふ、ぅ…………♡」

千歌「…………ん、ぷはっ」

ダイヤ「……ん゛……♡」

千歌「ダイヤさん、終わったよ」

ダイヤ「は……はひ……っ……」


通算6回目の吸血行為を終えて、千歌さん方へ倒れこむ。


千歌「わわ!? 大丈夫……?」

ダイヤ「す、すみません……うまく力が、入らなくて……」

千歌「んーん。……気にしないで」


千歌さんに抱きとめられながら、身体に力を込めてみるものの……筋肉が弛緩してしまっているのか、全然思うように動けない。

やはり、吸血はノーリスクと言うわけにはいかないようですわね……。

ただ、理性を飛ばさずに耐えるコツみたいなものがだんだんわかってきた。


千歌「んっしょと……」


千歌さんに抱きかかえられながら、横になる。


ダイヤ「ありがとう……千歌さん」

千歌「うぅん……むしろ、ごめんね……。吸血の度に疲れちゃうよね……」

ダイヤ「いえ、気にしないでください」


さて……チャームをどうにか乗り越えたのはいいとして。


ダイヤ「……そろそろ、本格的に今後どうするか考えないといけませんわね」

千歌「うん……そうだね」


千歌さんにはまだ言っていませんが……わたくしの吸血鬼化が取り返しのつかないところまで進んでしまったら、更に対処は厳しくなる。

二人してお風呂に入れないくらいなら可愛いものですが……日中全く出歩くことが出来なくなったりしたら、それこそ詰みかねない。


千歌「どうしよ……」
139 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:15:57.61 ID:ZRnZyA2Z0

千歌さんが先ほど同様、わたくしのすぐ横に横たわりながら、困った顔をする。

千歌さんの方から、ほんのり汗の匂いがした。


ダイヤ「……汗を流すために、お風呂くらい入りたいですわよね」

千歌「?」

ダイヤ「いえ……先ほどから千歌さん汗を……かい、て……? え……?」


わたくし、今……自分でなんて言いましたか……?


ダイヤ「……千歌さん……汗をかいているのですか……?」

千歌「え……い、言われてみれば……そうかも……? ……あ、あれ??」


最初の晩にしたやり取りを思い出す。


 ダイヤ『余り、汗の臭いはしませんわね……』

 千歌『ぅ……そういうこと言いながら、ニオイ嗅がないでよぉ……』


ダイヤ「千歌さん、失礼しますっ!」


身体を捩って、寝転がったまま千歌さんに近付きニオイを嗅いでみる。


千歌「う、うぇぇ!?/// ダ、ダイヤさん!?///」

ダイヤ「……汗のニオイがしますわ」

千歌「!!?!?///// 言わなくていい!!!!//// 言わなくていいっ!!!!!!////」


これはどういうことでしょうか……。

吸血鬼は汗をほとんどかかない、ないし吸血鬼は汗のニオイがしないという大前提が間違っていた……?

確かに焦ったときや苦しいときに脂汗をかくということはありましたが……。

いや……汗をかかないと言うよりは、肌や髪が常に最高のコンディションに保たれるという考えを……。


ダイヤ「え?」


肌が最高のコンディションに保たれるという話の根底にあるのは確か……再生能力を端にした考察だったはず。

それによって、肌の傷や痕がないために美しい肌や、髪になっているはずなのに……千歌さんの腕を見る。


千歌「えっと……?」


そこには昼に火達磨になりながら、のたうち回って転がったときに出来てしまった擦り傷の治療をし、当てているガーゼがあった。


ダイヤ「……どうして気付かなかったのでしょうか」

千歌「……? ……このケガがどうかし……て……? え……? なんでケガしてるの?」

ダイヤ「千歌さん!! ガーゼを外してください……!!」

千歌「う、うん!!」


相変わらず身体にうまく力が入らず起き上がろうとすると、身体が震えるけれど、それどころではない。

千歌さんがガーゼを取ると──そこには治り掛けの擦り傷があった。


千歌「こ、これ……」

ダイヤ「……かなり、治って来ていますが……まだ擦り傷がある……」
140 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:17:50.57 ID:ZRnZyA2Z0

──つまり。


ダイヤ「再生能力が失われている……?」





    *    *    *





千歌「どうして、急に……」

ダイヤ「…………」


何故急に再生能力が失われたのか。

千歌さんの肌は刃物で傷つけても傷口がすぐに塞がってしまうところを目撃している。


千歌「……擦り傷には弱いとか……?」

ダイヤ「その可能性もなくはないですが……」


とは言っても、千歌さんは保健室で出会ったときも、錯乱しながらあちこちに身体をぶつけたり、床や壁に身体を擦っていた気がする。

それでも傷一つない、綺麗な身体だったことはその日のうちにお風呂で確認している。

元から、擦り傷は治り辛いと考えるよりは、再生能力が極端に低下していると考えた方が合理です。


ダイヤ「……どちらにしろ、汗のニオイがしたことの説明になりませんわ」

千歌「ぅ……/// そ、そのことは……忘れてよぉ……///」


何故そんなことが起きたのか。物事の起こっている順番から考えて、原因は……。


ダイヤ「太陽の光に焼かれたから……?」


その可能性が非常に高い。


ダイヤ「…………ですが、解せないことがありますわ」

千歌「解せないこと?」

ダイヤ「再生能力を失ったという割に……火達磨になったのに、千歌さんは火傷一つ負っていませんでした」


一瞬であれば、もちろん軽傷で済むのかもしれませんが……微塵も火傷痕がないなんてことがあるのでしょうか……。


千歌「私……そんなにすごく燃えてたの? 正直熱かったことしか覚えてなくって……」

ダイヤ「……ええ、全身炎に包まれていましたわ」

千歌「……そっか。でもダイヤさんが日影に引っ張り込んでくれたんだよね。大丈夫だった……?」

ダイヤ「大丈夫……? 何がですか?」

千歌「いや……だって、燃えてるチカを引っ張ったんだから、ダイヤさんも熱かったんじゃないかなって」

ダイヤ「……え?」

千歌「え?」


……言われてみればそうです。

千歌さんに微塵も火傷痕がないと言うのなら……何故、わたくしにも火傷痕が微塵もないのでしょうか。

改めて、自身の腕を確認してみますが──
141 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:19:10.42 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「火傷した痕なんて……全くない。というか……熱さを感じた覚えがない」


無我夢中だったから、熱さに気付かなかったという可能性もなくはないかもしれませんが……。

だとしても、実際炎に触れたら火傷ぐらいするはず。


ダイヤ「どういうこと……? あれは実は炎じゃなかった……?」

千歌「……もしかしたら」

ダイヤ「?」

千歌「太陽の光で燃えてたのは吸血鬼のチカで、吸血鬼のチカが燃えちゃったから、人間のチカが出てきたとか……?」


そんないい加減な仕組みなのか……言いたいところですが、根本的に吸血鬼化なんて仕組みがよくわからない現象が起こっているのです。

千歌さんの言っている通りの可能性は十分にある。

どちらにしろ、これは解決の糸口になるやもしれない可能性です


ダイヤ「千歌さん」

千歌「な、なに?」

ダイヤ「一つ試してみたいことがありますわ」


わたくしはここまでの話を受けて、一つの提案をすることにしました。





    *    *    *





ダイヤ「──……ん……んぅ……」

千歌「むにゃむにゃ…………」


目が覚めると、わたくしの胸の辺りで、千歌さんがむにゃむにゃと言っている。

…………。


ダイヤ「……はっ!?」


ばっと起き上がる。


千歌「んにゅ……? ……だいあさん……?」

ダイヤ「ね、眠ってしまいましたわ……夜明けと共に実験を始めようと思っていたのに……」


夜明けの時間にあわせて試そうと思っていたことがあったのに、日の出の時間と共に、急激な眠気に襲われて眠ってしまった。


ダイヤ「今、時間は……?」


自分の携帯を手に取って開いてみると──


ダイヤ「11時……」


昨日の起床と大体同じ時間でした。

地下階故に日の光は全く入ってきませんが、体内時計はまだまだ優秀に機能しているようで安心する。
142 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:20:32.59 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「今から実験する?」

ダイヤ「ええ……ですが、千歌さんは危ないので部屋の中にいてください」

千歌「うん、わかった」


……と言うわけで、予定より、かなり出遅れましたが、わたくしは一人外に出ることに致しました。





    *    *    *





──ホテルの外に出ようとしたところで、


鞠莉「Hello. ダイヤ」


鞠莉さんに声を掛けられる。


ダイヤ「おはようございます、鞠莉さん」

鞠莉「もうお昼よ? まあ、わたしもさっき起きたところだけど……」

ダイヤ「……午前練習始まってますわよ」

鞠莉「午前練習……そんなのあった気がするわね」

ダイヤ「はぁ……」


普段だったら怒っているところですが、本日わたくしは午後練習含めて不参加なため、咎めることは出来ない。


鞠莉「んまあ、今からその練習に行くつもりだったんだけど……。ダイヤはやっぱり休み?」

ダイヤ「ええ、まあ……千歌さんを置いていくわけにもいきませんし」

鞠莉「そ。じゃあ、なんかあったら携帯に連絡してね」

ダイヤ「わかりましたわ。いってらっしゃい」

鞠莉「……なんか、ダイヤにいってらっしゃいとか言われると変な感じね……。いってくるわ」


鞠莉さんが出かけて行ったあと、わたくしはホテルオハラの裏口階段に足を向ける。

鞠莉さんや、わたくしや、果南さんが普段通用口として利用している階段です。

エントランスホール側は少し人目が気になるので、裏口に来たのですが……。

その際外を見てみると、今日も晴れている、絶好の練習日和のようです。

裏口の階段の途中、踊り場で、僅かに日が差し込んでいる場所を見つけて、一旦辺りを見回す。


ダイヤ「人影は……ありませんわね」


入念に人の目がないかを確認する。

大丈夫そうです。

確認を終えたら、千歌さんにお願いしたものを入れた袋を取り出して、ピンセットで1本摘んで取り出す。

──それは千歌さんの髪の毛です。


ダイヤ「……千歌さんが火達磨になったとき、確かに頭部も燃えていた」
143 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:21:15.48 ID:ZRnZyA2Z0

つまり、髪も太陽で燃えると考えて良い。

そのまま、ピンセットで摘んだ髪を、日向に晒すと……。

──ボッ。

案の定髪の毛は一瞬で火に包まれ……しばらくすると、鎮火した。


ダイヤ「……! ……千歌さんの言う通りでしたわ」


そして、その燃えたはずの髪の毛は──ピンセットの先で綺麗に形を残したままでした。





    *    *    *





──その後も何本か同様の実験をしてみましたが……。

同じように全ての髪の毛は、余すことなく、同じ様相の燃えない髪の毛へと変わることを確認しました。

ついでに……わたくしが触れても熱くない──つまり、人間には害のない炎だと言うこともわかる。


ダイヤ「……これが実験結果ですわ」

千歌「じゃあ、もしかして……」

ダイヤ「太陽の光を浴びれば……人間に戻れるかもしれません。……ですが……」


……ただ、問題がある……。

髪の毛ならまだしも……実際にやるとなれば、千歌さんが燃えるのです。

しかも、あくまで髪の毛で十数本で実験をしただけ。

千歌さんの身体が燃え尽きない保証なんてどこにもない。


千歌「私はやるよ」

ダイヤ「…………千歌さん」

千歌「だって、やっと見つけた元に戻れるかもしれない方法なんだもん」

ダイヤ「…………命に関わるかもしれませんわ」

千歌「……そう、だね。でもやる」

ダイヤ「……そうですか」

千歌「ただ……ちょっと、覚悟したいから。今日すぐには……」

ダイヤ「わかりましたわ。どちらにしろ、人払いができていないと、出来ませんから……」

千歌「うん、わかった。……えっと……少しだけ、一人にしてもらっていい?」

ダイヤ「承知しました」
144 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:21:58.97 ID:ZRnZyA2Z0

わたくしはそう言って、一人部屋を後にする。

……覚悟を決めるのに、千歌さんなりにいろいろ思うことがあるのでしょう。

実際、元に戻るためとは言え……全身を焼かれるなんて、相当な恐怖のはず。

しかも、簡単な検証はしたとは言え、命の保証がない。

たった、一日で覚悟を決めろというのすら、酷なのではないでしょうか……。

……ですが、彼女がやると言っている。

他に術が見つかる保証もない。

なら……わたくしはわたくしに出来ることをするしかない。

──電話を掛ける。

prrrrr....prrrrr....

しばらくコール音が続いた後、


鞠莉『ダイヤ? 何かあった?』


鞠莉さんに繋がる。


ダイヤ「重ね重ね申し訳ないのですが……お願いがありまして」

鞠莉『いいヨ。わたしに出来ることならなんでも言って』

ダイヤ「ありがとうございます……それで、お願いしたいことなのですが……──」





    *    *    *





──夜18時半。日の入の時間。


千歌「お世話になりました」

鞠莉「思ったより、すぐ解決したのね」

ダイヤ「……これから解決しに行くのですわ。それより、頼んでいたことは……」

鞠莉「夜中〜朝までの間、浦の星女学院に通じる道を封鎖して欲しいって話でしょ? 理事長権限使って手配しておいたわ。浦女を貸切にして何するつもりなの?」

ダイヤ「それは……秘密ですわ」

千歌「うん、私とダイヤさんだけの秘密」

鞠莉「あらあら……イケナイことしちゃダメよ?」

ダイヤ「/// そんなこと、しません///」

千歌「イケナイことって?」

ダイヤ「千歌さん、行きますわよ」

千歌「え、あ、うん」


鞠莉さんに用意してもらった、船で本島を目指す。

──揺れる船の中で、千歌さんに話しかける。


ダイヤ「千歌さん」

千歌「ん……?」

ダイヤ「……元の世界に、帰りましょうね」

千歌「……うん!」
145 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:22:50.24 ID:ZRnZyA2Z0

わたくしたちは決着をつけるために、浦の星女学院を目指します。





    *    *    *





千歌「……なんか、もうすでに懐かしいな」

ダイヤ「……久しぶりに訪れたような気がしますわね」


わたくしたちは、いつも練習をしている屋上へと足を踏み入れていた。


千歌「夜に来ることってほぼないけど……星がよく見えるね」

ダイヤ「そうですわね……しばらくは天体観測しながら、待つことになると思いますわ」


わたくしは、簡易的なテントを組み立てながら、千歌さんの言葉に受け答えする。


千歌「わ、テント?」

ダイヤ「一応泊まりなので……これも鞠莉さんに用意して貰いましたわ」

千歌「なんか、キャンプみたいでワクワクするね!」

ダイヤ「ふふ……そうですわね」


テントを手早く組み終えて、中に二人で腰を降ろす。


千歌「テントの中って以外と、居心地いいかも……」

ダイヤ「キャンピングマットがしっかりしているから、これなら横になっても大丈夫そうですわね」

千歌「うん!」

ダイヤ「……吸血欲求はどれくらい?」

千歌「えっと……50くらい」

ダイヤ「では、次は……22時過ぎくらいですわね」

千歌「うん」


きっとそのあと……4時過ぎにもう一回……。

今後のことを考えていると──くぅぅぅ〜〜〜……。


千歌「あはは、お腹空いたね」

ダイヤ「はぁ……/// 最後まで締まりませんわ……///」


どうして、いつもわたくしのお腹が鳴ってしまうのかしら。


千歌「ご飯にしよっか」

ダイヤ「そうですわね」





    *    *    *


146 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:24:34.07 ID:ZRnZyA2Z0


千歌「あむ……」

ダイヤ「……あむ……」


二人でサンドイッチを食べながら、星を見上げる。


千歌「サンドイッチ、おいしいね!」

ダイヤ「ご飯まで用意してもらって……鞠莉さんには結局お世話になりっぱなしでしたわ」

千歌「そうだね……」


水筒から、トマトジュースをコップに注ぐ。


ダイヤ「はい、どうぞ」

千歌「えへへ、ありがと」


千歌さんに手渡してから、わたくしも自分の飲む分をコップに注ぐ。


千歌「ダイヤさんもトマトジュース飲むの?」

ダイヤ「……今日は千歌さんと同じ物が飲みたいと思って」

千歌「そっか、じゃあ乾杯しよ!」

ダイヤ「ふふ……トマトジュースで乾杯する日が来るなんて思いませんでしたわ。乾杯」

千歌「乾杯!」


二人でトマトジュースの入ったコップをコチンとぶつける。


千歌「えへへ……」

ダイヤ「ふふ……」


何故だか、二人して笑ってしまう。


千歌「……ダイヤさん、ありがと」

ダイヤ「なんですか急に」

千歌「ここまで……一緒に居てくれて、ありがと」

ダイヤ「……大変なのはここからですわよ」

千歌「わかってるけど……でもお礼言いたかったんだ」

ダイヤ「……そう」

千歌「うん」


なんだか……すごく穏やかに時間が流れている。

食事を終えたあとも……なんとなく、ぼんやり夜空を眺める。

二人で空を見つめながら、どちらからでもなく、自然と手を繋いでいた。


千歌「…………」

ダイヤ「…………」


お互いの存在を確かめ合うように……ぎゅっと手を繋いで過ごす。

ただ、それだけなのに──何故だか……すごく胸が温かかった。


147 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:25:21.98 ID:ZRnZyA2Z0


    *    *    *





──22時半。


ダイヤ「今どれくらい?」

千歌「ん……90くらい……」


テントの中でいつものように抱き合う形で訊ねる。


ダイヤ「……その割に、落ち着いていますわね」

千歌「血は飲みたいけど……ダイヤさんがそばに居てくれるから……なんか、安心してる」

ダイヤ「……そう」


千歌さんの頭を撫でながら……いつものように、自分の首筋に誘導する。


ダイヤ「千歌さん……貴方の好きなタイミングで」

千歌「うん……血、いただきます。……ぁむっ」


──ブスリ。

キバが突き刺さってくる。


千歌「……ちゅぅー…………」

ダイヤ「…………ん…………♡」


ぎゅーっと千歌さんを抱きしめる。


千歌「…………ちゅー…………」

ダイヤ「……千歌さん…………ん…………♡ ……おいしい……?」


訊ねると、千歌さんは血を吸いながら、コクコクと小さく頷く。


ダイヤ「……そう……よかった…………ふ、ぅ…………♡」


千歌さんの背中を撫でながら、血を与える。

千歌さんはある程度吸ったところで、


千歌「……ぷはっ」


吸血を終えて、キバを引き抜く。


ダイヤ「……ん゛……♡」


相変わらず、この歯が抜ける瞬間だけはどうしても声が漏れてしまう。


千歌「……血、おいしかったよ……ダイヤさん、大丈夫?」

ダイヤ「ええ……」
148 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:26:37.69 ID:ZRnZyA2Z0

千歌さんにもたれかかる形のまま返事をする。

もう理性が飛ぶこともなくなった。我ながらよく慣れたものです。

──相変わらずドキドキと心臓がうるさいですが、まあいいでしょう。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「なぁに?」

ダイヤ「しばらく……このままでいいですか?」

千歌「えへへ……うん」

ダイヤ「ありがとう……」


やはり吸血後は倦怠感でしんどいのですが……。

こうして千歌さんと抱きあったままいると、不思議とホッとする。


ダイヤ「千歌さん……」

千歌「ダイヤさん……」


抱き合って、存在を噛み締めて。

夜は更けていく。





    *    *    *


149 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:27:22.68 ID:ZRnZyA2Z0


ダイヤ「南東から南の空──少し低い場所で光っている星、わかりますか?」

千歌「んーっと……あ、あった」

ダイヤ「あれがアンタレス。さそり座の心臓部。そのアンタレスの右上から下に向けて伸びているS字に連なっている星たちが、さそり座ですわ」

千歌「……あ、確かにさそりに見えるかも」

ダイヤ「そして、さそり座から左上に……大きな横倒しの五角形、わかりますか?」

千歌「横倒しの五角形……あれかな?」

ダイヤ「ふふ、きっとそれですわ。それがへびつかい座。へびつかい座の周りにぐねぐねと伸びているのがへび座ですわ」

千歌「へび……へび……」

ダイヤ「ぐねぐねの先、上の方にある小さな三角形、あれがへびの頭ですわ」

千歌「あ! へびだ!」

ダイヤ「ふふ……そして、そこから左に視線をずらしていくと……大きな三角形が見えてきますわ。これが有名な夏の大三角」

千歌「まだゴールデンウイークだよ?」

ダイヤ「ゴールデンウイークでもこの時間になると、見ることが出来るのですわよ」

千歌「へー」

ダイヤ「まあ、果南さんの受け売りなんですけどね。……それぞれの頂点にあるのはベガ、アルタイル、デネブですわ」

千歌「どれがどれ?」

ダイヤ「一番下に見えるのがアルタイルですわね。上の方にあるのがベガですわ」

千歌「じゃあ、真ん中くらいの高さにあるのが……」

ダイヤ「ええ、はくちょう座の尾に当たる部分……デネブですわ」

千歌「はくちょう座はわかるよ! ノーザンクロスだよね!」

ダイヤ「まあ、物知りですわね」

千歌「十字の星座、かっこいいから覚えてた!」

ダイヤ「ふふ、千歌さんも果南さんと星をたくさん見ていますものね」

千歌「うん! でもー正直ーあんまり覚えられなくてー……」

ダイヤ「物語を思い浮かべながら見ると、覚えられますわよ。ノーザンクロスは翼を広げたはくちょう座、その両端にいるベガは織姫、アルタイルは彦星。七夕の夜には、はくちょう座が二つの星の架け橋となってくれますわ。お話の中に出てくる鳥はカササギですけれど」

千歌「はくちょうはカササギなの?」

ダイヤ「ギリシャ神話でははくちょう座ですが……七夕伝説は古代中国のお話ですからね。中国ではカササギに見えたのでしょう。ですが……広い世界の別々の場所で、同じように星を見て、鳥を見出したのだとしたら、少しロマンチックな気がしますわね」

千歌「……確かに、そうかも……」

ダイヤ「百人一首にもあの夜空のカササギを詠んだ歌がありますのよ。 『かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける』 中納言家持の歌ですわ。七夕の日、織姫と彦星を逢わせるために、かささぎ連ねて渡した橋──天の川にちらばる霜のような星の群れの白さを見ていると、夜も更けたのだなぁと感じてしまいます。そんな歌ですわ」

千歌「天の川があるの?」

ダイヤ「今の季節は少し見づらいですが……七夕頃になるとカササギが天の川の上に橋を作っているところが、綺麗に見ることができますわよ」

千歌「そうなんだ……! 見てみたいなぁ……」

ダイヤ「ふふ……じゃあ、七夕が近くなったら、また一緒に見に来ましょうか」

千歌「ホントに?」

ダイヤ「ええ、約束ですわ」

千歌「うん!」





    *    *    *


150 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:28:05.38 ID:ZRnZyA2Z0


ゆっくり回る夜空を二人で旅しながら、気付けばだんだん空が白んできた。

時刻は4時半過ぎ。


千歌「ダイヤさん……」

ダイヤ「なぁに?」

千歌「最後の……吸血、かな」

ダイヤ「……そうですわね」

千歌「…………」

ダイヤ「どうしたのですか」

千歌「うぅん……なんでもない」

ダイヤ「そう?」

千歌「うん」


……やっと、終わる。

この長いようで短かった、吸血鬼の彼女と過ごした時間も。

不謹慎なので、口には出来ませんが──思い返してみると、少しだけ寂しい気持ちもあるかもしれません。

先の沈黙……もしかしたら、ですが……千歌さんも少しだけ寂しいと思ってくれたのかもしれません。


ダイヤ「千歌さん……」


ぎゅーっと抱きしめる。

もうこうして、彼女を抱きしめる理由も、なくなってしまいますから。

忘れないように、強く抱きしめる。


千歌「ダイヤさん……」


それに応えるように背中に回された彼女の腕にも、力が篭もるのがわかった。


千歌「……酷いこと言って良い?」

ダイヤ「……聞いてから考えますわ」

千歌「……血、いっぱい吸っていい?」

ダイヤ「それは酷いことなのですか?」

千歌「だって……ダイヤさんはごはんじゃないもん」

ダイヤ「ふふ……そうね」

千歌「……でも、ダイヤさんの血……おいしいから」

ダイヤ「それは褒められてるのですわよね。……血の味を褒められるなんて、もう今後ないでしょうけれど」

千歌「あはは、そうだね。ダイヤさんの血の味を知ってるのは……チカだけだね」

ダイヤ「……じゃあ、最後ですから。……好きなだけどうぞ。ただ、死ぬほどは吸わないでくださいね?」

千歌「それってどれくらい?」

ダイヤ「えーっと……500mℓペットボトル1.5本分くらいでしょうか」

千歌「絶対そんなに飲めない……お腹たぽたぽになる」

ダイヤ「じゃあ、安心ですわね……どうぞ」

千歌「うん……──ぁーむっ……」


──キバが首筋に突き刺さってくる。
151 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:29:00.43 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「……っ……」


最後の吸血。


千歌「…………ちゅぅ……ちゅぅ……」

ダイヤ「…………んっ…………♡」


噛まれた辺りからぞわぞわとした刺激が拡がっていって、声が漏れる。


千歌「…………ちゅー……ちゅー……」

ダイヤ「…………ちか、さん……♡ ……わたくしの血……おいしい、ですか……?♡」

千歌「…………ちゅ、ちゅ……」


千歌さんは吸い付きながら、コクコクと頷く。


ダイヤ「……そ、う…………んっ……♡」


何故だか、千歌さんが美味しそうに血を吸ってくれると、嬉しいなと思った。

これもチャームの一種なのでしょうか。

……きっと、そうなのでしょう。


千歌「…………ちゅ、ちゅ、ちゅぅー…………」

ダイヤ「ふふ…………♡ …………いっぱい、飲んでください…………♡」


心臓がドキドキと早鐘を打つ。


千歌「…………ちゅーーー……ちゅーーー…………」

ダイヤ「……は……ぁ…………♡ ……ちか……さ……ん…………♡」


そろそろ、まずいかも……。

頭の中に靄が掛かり始めた、そんな頃合で、


千歌「……ん、ぷはっ」


千歌さんが口を放した。

キバが抜ける。


ダイヤ「……ん゛……♡」

千歌「……は……ふ……ふぅ……おいしかったよ……」

ダイヤ「ふふ……それは……なにより、ですわ……」


たくさん血を吸われたせいなのか、いつもより長い吸血だったからなのか、輪をかけて身体に力が入らない。

また、千歌さんにもたれかかるようして、抱きしめてもらう。


千歌「ダイヤさん……」
152 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:30:23.92 ID:ZRnZyA2Z0

……夜明けまでもう20分もない。

千歌さんはわたくしを抱きしめたまま、震えている。

抱き返したいが、脱力してしまって、抱き返すための力が入らない。

ただ、ただ時間が過ぎていく。

千歌さんが震えているのを感じながら──ただ、ただ時間が過ぎていく。


千歌「……ダイヤさん」

ダイヤ「……はい」

千歌「……いってくるね」


夜明けと共に彼女の口から出た“さいご”の──覚悟の言葉。

そして、彼女は……わたくしから離れて、テントの外へ──夜明けの世界へと一人で旅立った。





    ♣    ♣    ♣





──テントから出る。


千歌「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……っ……」


心臓が意味不明なほどの早鐘を打っている。

脚がガクガクと震えている。


千歌「は……はっ……はっ……はっ…………!!」


あと1分もしない間に、ダイヤさんと二人で確認した──夜明けの時間だ。


千歌「…………はっ、はっ、はっ、はっ」


脚だけじゃない、腕が、膝が、ガタガタと震えだす。


千歌「っ……!!」


拳を握りこむ。


千歌「……止まれ……っ……!!!」


声を出したら、その拍子にカチカチカチと音が鳴り始める。

口が震えていた。


千歌「……っ゛!!!!」


思いっきり噛み締める。無理矢理震えを押さえつける。

怖くない、怖くない、怖くない、怖くない、怖くない。

景色の遥か先──東の空が光を帯びていく。


千歌「……っ!!!!!」
153 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:31:17.80 ID:ZRnZyA2Z0

──怖い!

あと何秒。

もう10秒もない。

怖い、怖い、怖い。

怖い!!!

息が出来ない。

全身が震える。

恐怖で心臓が壊れそうだ。

指先の感覚がない。

頭がぐわんぐわんする。

地面がぐにゃぐにゃする。

ダメだ、ダメだ、ダメだ……!!!

無理、無理、無理……!!!!!


千歌「はっ!!! はっ!!!! はっ!!!!」


太陽が顔を出す。

私を焼き尽くす、焔が顔を出す。


千歌「っ゛!!!!!!!」


──そのとき。

声がした。


 「──千歌さん、頑張って──」

千歌「!!!!! うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」


叫んで脚を踏みしめて。

夜が──明けた。

太陽光線が真横から私に照り付ける。

──ボウッ!!!!!!

音を立てて、全身が一気に燃え盛る。


千歌「あっづ!!!!!!!!!」


第一声の悲鳴と共に、熱が一気に全身を焼き尽くす。


千歌「っ゛ぁ゛ああ゛あぁ゛ああぁあ゛ッッッッ!!!!!!!!!!」


燃えてる。身体が燃えてる。


千歌「あづ、あ゛づぃ!!!! あ゛つ゛いっ゛!!!!!! あ゛つ゛い゛ぃ゛っ!!!!!!!!」


熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!!!!!!

熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!!!!!!!!!!!!!!

熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!!!!!

全身が焼き切れる。
154 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:32:12.34 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「あ゛つ゛……ぁ゛──」


意識が遠のく。


千歌「──……っ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁぁぁ゛!!!!!!」


熱で意識を無理矢理戻される。

地獄。

死ぬ。

熱い。


千歌「……あ゛つ゛、あ゛つ゛ぃ゛よ゛ぉ……」


あ、もう。ダメだ。

たぶん死ぬんだ。

生き物って痛かったり、熱かったりすると、死ぬんだ。

そんな当たり前のことが頭の中を過ぎって行く。


千歌「ぁ……ぁ……ぁ……ぁ……ァ」


死、ぬ。


 「千歌さん」


千歌「ぁ……」


 「あとちょっとだから……」


千歌「ぐ……っ゛……」


 「頑張って……」


千歌「……は、ぁ……はぁ……ぁ……」


身体の感覚がなかった。

……たぶん、これが死ぬってことなのかな。


 「千歌さん……」


声がする。

大好きな声。

私の大好きな人の声。
155 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:33:02.66 ID:ZRnZyA2Z0

 「千歌さん……」

千歌「──ダイヤ……さん……」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「……ダイヤ、さん……?」

ダイヤ「千歌さん……よく、頑張りましたわね……」

千歌「…………ぁ」


ダイヤさんの言葉で、我に返る。

全身を包む炎は──消えていた。


千歌「……生き……てる……」

ダイヤ「……ええ……っ……」

千歌「…………ぁ……っ」


膝から崩れ落ちる。


千歌「ぁ……っ……ぁっ……」


生きてることを実感して、涙が溢れてきた。


ダイヤ「千歌さん……っ」

千歌「ぅ、ぅぁっ……ぅぁぁぁ……っ……生きてる……っ……ぅぐ……っ……生きてるよぉ……っ……」

ダイヤ「ええ……っ!!……生きてますわ……っ……!!」

千歌「……ぇぐ……っ……生きてる……よぉ……っ……ぁぐっ……ぇぐ……ぐずっ…………うぇぇぇぇ……っ……」

ダイヤ「……千歌さん……っ……!! ホントに……っ……ホントに、よく頑張りましたわ……っ……!!!」


──こうして、私の……太陽との戦いは終わったのでした。

……太陽との戦いは。





    *    *    *


156 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:34:17.36 ID:ZRnZyA2Z0


ダイヤ「これは?」

千歌「善子ちゃんがよく持ってるやつ」

ダイヤ「ちゃんと名前を言いなさい……」

千歌「ロザリオ」

ダイヤ「正解。持ってみて」

千歌「うん」

ダイヤ「何か思うことは?」

千歌「……特に。無」

ダイヤ「無ですか……じゃあ、次。これは、なんですか」

千歌「ニンニク」

ダイヤ「食べてみてください」

千歌「え、生!?」

ダイヤ「冗談ですわ」

千歌「冗談きついって……」


全てが終わったあと……わたくしは自宅で千歌さんと最後の確認を行っていた。

十字架、大蒜は問題ない。


千歌「それより……お風呂入りたい」


……流水も問題なさそうですわね。


千歌「……ダイヤさんと一緒に入りたいなー」

ダイヤ「……片付けたら行きますわ」

千歌「ほんとに? 嘘ついたら怒るからね」

ダイヤ「ちゃんと行きますから……」


……千歌さんの吸血鬼性は完全に消滅したと言っても過言ではなかった。

加えて不思議なことに、わたくしに発現していた、症状もまるっと全て消失していた。


ダイヤ「……千歌さんの力による吸血鬼化だったから、千歌さんが人間に戻ったら一緒に戻ったということなんでしょうか……?」


まあ……戻ってくれたのなら、何よりなのですけれど。

──大蒜を新聞紙で包み、保存用のジップロックに入れてから、チルド室に入れる。

ロザリオは……今度善子さんに返さないといけませんわね。

……ただ、自分用のロザリオを今度買いに行きましょうか。

十字架が本当に効果的な魔よけになると、嫌と言うほどわかったので……。


ダイヤ「さて……わたくしもお風呂に」


 「──ミギャアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」


ダイヤ「…………そういえば千歌さん……擦り傷だらけでしたものね」


さぞ傷口にお湯が染みることでしょう。

お風呂から聞こえてくる悲鳴に肩を竦めながらも、わたくしは千歌さんの元へと歩く。
157 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 10:35:02.23 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「死ぬ!!!! 痛すぎて死ぬ!!!!!」

ダイヤ「それくらいじゃ、死にませんわよ……全く」


やっと、騒がしいいつもの千歌さんが戻ってきてくれて。


ダイヤ「……ふふ」


わたくしは少しだけ笑ってしまった。


ダイヤ「千歌さーん? 久しぶりのお風呂なのですから、肩まで浸かって100まで数えるのですわよー?」

千歌「んなぁ!!!? ダイヤさんの鬼!!! 悪魔!!!! 吸血鬼ぃーーーー!!!!!!」


だけれど、少しだけ変わった千歌さんとの関係に、何故だか少しだけ期待に胸を躍らせて、

わたくしは、ここからの道を、また始まった道を──千歌さんと共に歩いていこうかなと、そう思った、とあるゴールデンウイークの出来事でした。

158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2019/07/06(土) 11:57:46.58 ID:uBUUJHFb0
ちかだいもっと流行れ
159 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 15:50:01.03 ID:ZRnZyA2Z0



    *    *    *










    *    *    *


160 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 18:49:16.27 ID:ZRnZyA2Z0


……さて、あれから少しだけ時が流れました。


花丸「ここが……スクールアイドルフェスティバルの会場……! 凄いずら〜!」

善子「クックック……堕天使ヨハネの闇のパワーを解放するステージには相応しいわね」

梨子「解放するのはいいけど、ミスしないようにしてよ? 善子ちゃん」

善子「善子じゃなくて、ヨハネよ!!!」

曜「でも、ホントにおっきいね! さすが東京の会場……」

果南「いや〜腕が鳴るね。こんな立派なステージ見たら、自然と気合いが入っちゃうよ」

鞠莉「そうだネ〜。この最高の会場でわたしたちの最高のPerformanceを見せ付けてあげましょう!」

果南「だね!」

ルビィ「えっと……さっき確かに、見えたんだけど……」

善子「ルビィ? 誰か探してるの?」

ルビィ「あ、うん……さっき……。……あ、いた!! 理亞ちゃーん!!!」

理亞「ルビィ?」

聖良「Aqoursの皆さん! お久しぶりです」

果南「Saint Snowも、もう来てたんだね」

聖良「ええ。本番前にステージの雰囲気に慣れておきたいと思って……」

理亞「本番前なんだから、それくらい当たり前」

ルビィ「理亞ちゃーん!!」

理亞「!? 引っつくな!?」


スクールアイドルフェスティバルの会場に訪れたわたくしたちは、会場の大きさに圧倒されていた。

この場に集められた大勢のスクールアイドルの中で、本日共に参加するSaint Snowの二人も含め、皆さん本番前に非常にテンションが上がっている。


ダイヤ「いつも通り、騒々しいですわね」

千歌「でも、これくらいが私たちらしいよ」

ダイヤ「ふふ、そうかもしれませんわね」

千歌「……それにしても、スクールアイドルフェスティバルかぁ」

ダイヤ「? どうかしましたか?」

千歌「一時は……本当に出られないかもって、思ってたから……」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「ダイヤさん……ホントにありがと。……ダイヤさんが居てくれたから、今チカはここに居られるよ」

ダイヤ「いえ……全部千歌さんが頑張ったからですわ。わたくしはちょっと手を貸しただけ」

千歌「んーん……そんなことないよ」

ダイヤ「……最後に決めたのは千歌さんですから」

千歌「……ん、じゃあ二人の力ってことで」

ダイヤ「ふふ……それでもいいですけれど」

鞠莉「何イチャイチャしてんのよ」

ダイヤ「イチャ……!?/// し、してませんわ!!///」

千歌「えっへへ……」

鞠莉「チカッチったら、幸せそうに笑っちゃって……」

曜「千歌ちゃーん!! こっち見てよー!! このセットすごいよー!!」

千歌「え、ホントに!? 今いくー!!」
161 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 18:59:47.70 ID:ZRnZyA2Z0

曜さんに呼ばれて、千歌さんは飛び出して行ってしまう。


ダイヤ「ぁ……」

鞠莉「あらあら、フラレちゃったわね」

ダイヤ「……やかましいですわ」

鞠莉「まだ告白してないの?」

ダイヤ「……千歌さんとはそういうのではありませんわ」

鞠莉「はぁ……相変わらずだね。チカッチかわいそー」

ダイヤ「減らない口ですわね……」

鞠莉「マリーはかわいい後輩の味方デスから」

ダイヤ「はいはい……」


……あのあと千歌さんとの関係は特別変わったりはしなかったのですが……。

最近は時折、休みの日に家で一緒に料理を作ったりしている。

先ほどのように、鞠莉さんが『早く告白しろ』とせっついてくるのですが……。わたくしは今の関係で満足しています。

わたくしたちには、これくらいの距離感が丁度いいのですわ。

……ただ、少しだけ……少しだけですが。

あのときの、吸血鬼の問題を一緒に解決したときの距離感が、なくなってしまったことが少しだけ寂しいと思っているわたくしが居るのを……少しだけ感じることがあります。

あれだけ苦労したというのに……人間というのは業深い生き物ですわね。


千歌「ダイヤさんもー!!! 早く早くー!!!」

ダイヤ「はーい、今行きますわー!!」


……ですが、いいのです。


千歌「えへへっ!!!」


千歌さんが……今は満面の笑みで笑ってくれているから。

162 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 19:00:15.43 ID:ZRnZyA2Z0



    *    *    *





千歌「……いよいよ本番だね。皆でいっぱい練習してきた、最高のステージを作るために。あとは今持ってる力を精一杯ぶつけるだけ!! 皆で全力で輝こう!! Aqours──」

9人「サーーーーーーン、シャイーーーーーーーーン!!!!!」


163 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 19:45:16.06 ID:ZRnZyA2Z0


    *    *    *





千歌「今日のステージは本当に最高だった……!!」

梨子「うん……ホントに夢みたいな景色だったね」

曜「ああ、もう……今でも思い出して踊っちゃいそうだよ!」

果南「せっかくだし、踊っちゃう?」

鞠莉「いいネ! 皆でLet's dance party!!」

ダイヤ「人の家で踊らないでください!」

ルビィ「あはは……家の中で踊られたら、さすがにお父さんとお母さんに怒られちゃうかも……」

花丸「せっかくの打ち上げだから、盛大に食べるずら」

善子「……って、あんた帰りもいろいろ買い食いしてたのにまだ食べるの!?」

花丸「打ち上げは別腹ずら」

善子「はぁ……ホントあんたの胃袋どうなってんのよ……」


スクールアイドルフェスティバルを終えて、沼津に帰還したわたくしたちは、我が家──黒澤家で打ち上げを行っていました。

全く騒がしいことこの上ない……。


善子「……あら? 飲み物もうなくなっちゃったわね」

ダイヤ「あれ、本当ですわね」

千歌「あ、それじゃ、私取りに行くよ」

ダイヤ「お願いしてもいいですか?」

千歌「うん、任せてー」

善子「あ、千歌! 私も手伝う」


千歌さんと善子さんが飲み物を取りに部屋を出て行く。

まあ、千歌さんなら、我が家の厨房には詳しいですから、任せておけば問題ないでしょう。


164 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 20:03:56.57 ID:ZRnZyA2Z0


    ♣    ♣    ♣





千歌「えーっと……コーラとー。みかんジュースとー……」

善子「千歌、あんた随分慣れてるわね?」

千歌「ん? 何がー?」

善子「ここ、ダイヤとルビィの家なのに、冷蔵庫とか躊躇なく開けてるし……」

千歌「あ、うん。よくダイヤさんと一緒にここでご飯作るから」

善子「え? ダイヤと一緒に?」

千歌「うん、お休みの日とかにね」

善子「……へー。ちょっと意外かも」

千歌「そう?」

善子「千歌とダイヤってそんなに距離感近かったのね」

千歌「……ちかだけに?」

善子「いや、掛けてないから……」


一通り、飲み物を取り出して。


千歌「これくらいあればいいかな」

善子「そうね」


善子ちゃんと一緒に皆がいる部屋に戻る。

廊下を二人で歩いている際に、


善子「……なんかこういう感じの家っていいわよね」


善子ちゃんがそんなことを言う。


千歌「そうなの?」

善子「まさに和って感じの家……自分の家じゃないのに懐かしい感じがするというか……。……前世の血が騒ぐというか……クックック」

千歌「そういうもんなんだ」

善子「廊下から見える中庭とかかっこよくない?」

千歌「いや、よくわかんないけど……」


善子ちゃんはお家がマンションだから、そう思うのかもしれない。

まあ、確かにお庭があるのはいいよねー。

そう思いながら、中庭に続く窓に目を向けて──


千歌「………………ぇ?」


私は目を見開いた。





    *    *    *


165 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 20:05:55.01 ID:ZRnZyA2Z0


鞠莉「コップが空よ!! ダイヤ!!」

ダイヤ「飲み物がないだけです……今千歌さんと善子さんが取りに行っていますから──」


そのときだった。


 「いやあああああああああああーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!」


家中に絶叫が響き渡った。


ルビィ「ぴぎっ!?」 花丸「ずら!?」 果南「え、何!?」 鞠莉「What!?」 梨子「ひ、悲鳴!?」 曜「え、え!?」

ダイヤ「!!? 千歌さんっ!!?」


千歌さんの悲鳴が聞こえて、反射的に部屋を飛び出す。


果南「あ、ちょ、ダイヤ!?」


悲鳴の聞こえてきた方向に走ると、


千歌「い、いやっ……いやっ……!!!」

善子「え、ちょ、ど、どうしたのよ!? ち、千歌!?」


千歌さんが口元を両手で覆い隠しながら、蹲っていた。


千歌「み、見ないで……お、お願い……」

ダイヤ「……!」

善子「え、えっと……」


これは……まさか……。


ダイヤ「千歌、さん……」

千歌「……ダイ、ヤ、さん……」

善子「ダ、ダイヤ……千歌が……」


善子さんは蹲った千歌さんの前でおろおろとしていた。

わたくしは周囲を見回して……。


ダイヤ「……!!」


すぐさま、廊下の障子を閉める。


ダイヤ「…………」

善子「ダイヤ……?」

千歌「……見ないで」


さて、どうしたものでしょうか……。


果南「千歌!! どうかしたの!?」

曜「千歌ちゃん……! 大丈夫!?」


遅れて、果南さんと曜さんがわたくしたちの元へとやってくるが──
166 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 20:07:40.79 ID:ZRnZyA2Z0

千歌「来ないでぇっ!!!!!!」

果南・曜「「!?」」


千歌さんが大声で二人が近付くことを制止する。


千歌「来ないで……来ないで……」

曜「えっと……」

果南「千歌……?」

ダイヤ「…………お二人とも、ここはわたくしに任せて貰えませんか?」

曜「え……」

果南「いや、でも……」

ダイヤ「千歌さん……少し気を張っていたので、疲れているんだと思いますわ。わたくしが話を聞きますので……」

果南「い、いや……そういう感じじゃ」

曜「……そ、それに話だったら私も……!」

鞠莉「──……曜、果南」


気付けば二人の後ろから鞠莉さんが肩を掴んでいた。


鞠莉「ここはダイヤに任せましょう」

果南「鞠莉……?」

曜「え、いや、でも……」

鞠莉「いいから……。ダイヤ、任せるわよ」

ダイヤ「ええ、任されましたわ」


そのまま鞠莉さんは二人を強引に部屋に連れ戻す。またしても事情を聞かずに気を利かせてくれた鞠莉さんには感謝しかない……あとでお礼を言わないと。

……さて。


千歌「………………」

ダイヤ「千歌さん……」

善子「えっと……あの……これ、どういう状況なの……?」

ダイヤ「……その、説明が難しいので、今は追及しないで貰えませんか……?」

善子「……いや、こんなの見てほっとけって言われても……」


善子さんはそういいながら、千歌さんの前にしゃがみこむ。


善子「千歌……どうしたのよ」

千歌「……善子、ちゃ……ひっ!!!!?」


千歌さんが善子さんを見て大きく後ずさる。


善子「!?」

ダイヤ「……! 善子さん、それ外してもらっていいですか……?」

善子「……それ?」


わたくしが指差したソレは……。


善子「ロザリオ……?」
167 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 20:12:16.12 ID:ZRnZyA2Z0

善子さんが首から提げていたロザリオだった。

先ほどまで身に付けていた記憶はなかったので、恐らく首から提げてシャツの中にしまっていたのだと思いますが、この騒ぎの際に勢い余って外に出てきてしまったのでしょう……。


千歌「はっ……はっ……はっ……!!!」

ダイヤ「善子さん……お願いします。何も聞かずに、それを外していただけると……」

善子「……まあ、いいけど。じゃあダイヤ、預かってくれる?」

ダイヤ「ええ、わかりました」


善子さんからロザリオを受け取り、ポケットにしまう。


善子「…………」

千歌「……っは、っは」

ダイヤ「千歌さん……もう、大丈夫ですから」


千歌さんは未だ口元を両手で覆ったままだった。

とりあえず、善子さんに席を外してもらわないと……。


善子「……はぁー、全く困ったものね」

ダイヤ「善子さん……申し訳ないのですが、一旦席を──」

善子「ほんっと、人間って面倒ね。ちょっと自分の見た目が変わっただけで大騒ぎしちゃって」

千歌「!?」

ダイヤ「……!?」

善子「……ま、窓ガラスに自分の姿が映らないのはさすがにびびるか」

千歌「!!?!?」

ダイヤ「!!!」


わたくしは咄嗟に、善子さんを押しのけて、千歌さんを庇うようにして、二人の間に割って入る。


善子「っと……ちょっと、あんた生意気ね。人間の癖して」

ダイヤ「……貴方……誰ですか……」

善子「私? 私はヨハネよ」

ダイヤ「……いつもの善子さんとは雰囲気が違いすぎますわ」

善子「あーだから……」

ダイヤ「……?」

ヨハネ「私は善子じゃなくて、ヨハネ。吸血鬼のヨハネよ」


そう目の前の善子さん──もといヨハネさんは改めて名乗りをあげるのでした。





    *    *    *





ダイヤ「──沼津の……えっと」

ヨハネ「バス停の上土がわかりやすいと思うわ。さんさん通りと139号線の交差点の辺り」

ダイヤ「えっと、そこまでお願いしますわ」
168 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 20:13:59.92 ID:ZRnZyA2Z0

黒澤家の送迎の運転手に目的地を伝えて車を出してもらう。


千歌「…………」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「……そう警戒しないでよ。別に害意はないわよ」


何故今こうして、わたくしと千歌さんが善子さん──もといヨハネさんと一緒に送迎車に乗っているのか言うと……。



──────
────
──


ヨハネ「とりあえず、どうしたいの? 吸血鬼化を隠したいの?」

千歌「!!!」

ダイヤ「…………」


自らを吸血鬼のヨハネと名乗った彼女は、明らかに吸血鬼のことを知っている。

と言うか──気付けば彼女の歯は鋭利なキバになっていた。

善子さんも割と犬歯が鋭く、八重歯気味ではありましたが……さすがにキバと言えるほどのものではなかった。

となると……。


ダイヤ「貴方……吸血鬼なのですか?」

ヨハネ「いや、だからそう言ったじゃない……」

ダイヤ「…………」

ヨハネ「とりあえず、吸血鬼化を隠したいなら、ここに居るのはよくないんじゃない? いつまでもここでぼーっとしてたら、またさっきの二人が心配して戻ってくるかもしれないわよ」


……確かに、ヨハネさんの言う通りかもしれない。


ダイヤ「わかりました。一旦場所を移しましょう……千歌さん、立てますか?」

千歌「……う、うん」


千歌さんを支える形で立ち上がらせる。


ヨハネ「とりあえず、善子の家に行きましょう。あそこなら、吸血鬼にとって便利なものもあるから」

ダイヤ「便利なもの……?」

ヨハネ「あんたたちみたいな、吸血鬼もどきじゃ知らないようなことがいろいろあるのよ」

ダイヤ「…………」


──
────
──────



そして、今に至る。


ダイヤ「…………」

千歌「…………」

ヨハネ「…………」
169 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 20:15:12.49 ID:ZRnZyA2Z0

三者の間に積極的な会話はない。

ドライバーも居ますし、ここで込み入った話をするわけにもいかないので仕方がないですが……。

時折、


千歌「ダイヤ、さん……」


千歌さんが不安そうにわたくしを呼ぶ。


ダイヤ「大丈夫ですわ……わたくしが居ます」

千歌「……うん」


そんなわたくしたちを見て。


ヨハネ「仲良いわね」


ヨハネさんが話を振ってきた。


ダイヤ「……どうも」

ヨハネ「……手厳しい反応ね。……久しぶりに人と話したんだから、もうちょっと優しくして欲しいわ」

千歌「久しぶりなんだ……」

ヨハネ「ええ……本当に久しぶりな気がするわ。普段は寝て過ごしてるから」

ダイヤ「普段は寝てる……。いつ振りなのですか?」

ヨハネ「あー……あんま覚えてないわね。善子が配信するのを覚えてからは、全然夜に寝てくれなくなったし」

ダイヤ「夜しか活動できないのですか?」

ヨハネ「ま、そんな感じ」


当たり障りのない会話だと、この辺りが限界でしょうか……。


ヨハネ「……別に変な探りいれなくても、聞かれたら後で教えてあげるわよ」

ダイヤ「……!」


……遠まわしに探っていることがバレている。


ヨハネ「私も、横からつつかれるようなことされるのは、正直プライドが許さないタチだし」

ダイヤ「……?」

千歌「横からつつかれる……?」

ヨハネ「ま、着いたら話すわよ」

ダイヤ「……」


夜の闇の中を──送迎車が沼津に向かって進んでいく。





    *    *    *





ヨハネ「ただいま」

善子母「あら、おかえりなさい……ヨハネちゃん……?」

ヨハネ「ちょっとわけありでね」
170 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 20:16:42.21 ID:ZRnZyA2Z0

そう言いながら、ヨハネさんが背後に立つわたくしたちを肩越しに親指で指す。


千歌「お、お邪魔……します……」

ダイヤ「夜分遅くに失礼します」

善子母「あら……こんにちは。ルビィちゃんのお姉さんと、梨子ちゃんのお隣さんの子よね」

ヨハネ「どっちも善子と同じAqoursのメンバーよ。……ま、見たことくらいはあるか」


ヨハネさんの口振りからして、善子さんのお母様はヨハネさんのことを知っているようですが……。


ヨハネ「ちょっとマジで緊急事態だったから、私が出てきちゃってるけど……フォローお願いしていい?」

善子母「……はあ、わかったわ」


善子さんのお母様は、肩を竦めながら了承する。

……いくつか、気になることはあるのですが……。


ヨハネ「それじゃ、とりあえず善子の部屋に行きましょ」

ダイヤ「……千歌さん、行きましょう」

千歌「う、うん……」


ヨハネさんのあとをついていきながら、


ダイヤ「あのヨハネさん……えーっと、善子さんのお母様? ……貴方のお母様にもなるのですか? あの人は……」

ヨハネ「ん? ……ああ、あの人は人間よ。人間100%」

千歌「……人間100%……? 100%じゃない人がいるの?」

ヨハネ「ま、いるわね。ハーフとか言うやつ。いまどきハーフも滅多に見ないけどね。さ、部屋入って」


二人で部屋に通される。


ダイヤ「……じゃあ、貴方はそのハーフとやらなのですか?」

ヨハネ「いや、私は純度100%の吸血鬼」

ダイヤ「……はい?」

千歌「お母さんは100%人間なのに……?」

ヨハネ「……まあ、この辺ややこしいから順番に話すわ。まず、何が知りたい?」


どうやら自由に質問していいらしい。

なら、出来るだけ多くの情報を引き出しましょう。


ダイヤ「……貴方は何者ですか?」

ヨハネ「吸血鬼よ。吸血鬼のヨハネ」

ダイヤ「善子さんと貴方は……どういう関係ですか」

ヨハネ「あー……同居人? 一つの身体に一緒に住んでるみたいな」

ダイヤ「多重人格ですか?」

ヨハネ「大体あってるわ。ただ、あんたたちの言う多重人格とはちょっと違うけど」

ダイヤ「……? どういうことですか?」

ヨハネ「善子は普通の子だけど、私は善子の吸血鬼性だけ切り離された人格みたいに考えてくれればいいわ」

ダイヤ「……余計に意味がわかりませんわ」

ヨハネ「そうねぇ……まず前提として、善子の父方に吸血鬼の血がものすっごく薄く混じってるの」
171 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/07/06(土) 20:19:21.35 ID:ZRnZyA2Z0

ダイヤ「……はい?」

ヨハネ「ただ、ホントに極限まで薄まっちゃってるから、日常生活で気になることって全くないんだけどね。吸血鬼の血は0.1%くらいじゃないかしら」

ダイヤ「…………」

千歌「えっと……吸血鬼って、子供を産んで増えるの……? 吸血して増えるんじゃ……」

ヨハネ「眷属化と子孫繁栄は別よ。眷属化で出来るのはあんたたちみたいな吸血鬼もどき。純血や混血の吸血鬼はちゃんと人間みたいに子供を作らないと出来ないわ」

千歌「も、もどき……」

ダイヤ「……その吸血鬼の血を持った人とやらはどこに居たんですか?」

ヨハネ「吸血鬼って意外と多いわよ? 世界中に伝承があるくらいなんだから。それにこの辺には吸血鬼が大量に放りこまれてた場所があるじゃない」

ダイヤ「放り込まれてた場所……?」

ヨハネ「ほら、淡島だっけ」

ダイヤ「……は!?」

千歌「え、淡島……?」

ヨハネ「ま、今は残ってないみたいだけど……。数百年レベルは昔の話になっちゃうけど、吸血鬼は見つかり次第ああ言う離島に幽閉されてたりしたのよね。ほら、吸血鬼って流水が苦手だから、島の脱出が大変だし、隔離に向いてるのよね」

ダイヤ「…………」


眉唾な話だと一蹴したいところですが……この話には心当たりがあった。


 鞠莉『淡島ってもともと無人島だったでしょ? だから、感染症とかで迫害されて、追いやられた人の隔離先だったんじゃないかって話があってね』


以前、鞠莉さんから聞いた話です。

つまりホテルオハラのあの地下室は、感染病の人間の隔離先だった名残が、たまたま吸血鬼にとって都合の良い場所になったのではなく……。


ダイヤ「元々、吸血鬼の隔離先の名残だから、吸血鬼にとって都合のいい環境になっていた……?」

ヨハネ「ああ……なんか吸血鬼の集落になってたなんて話もあったかもしれないわね。ま、ほとんどは駆除されちゃったけど」

千歌「駆除……?」

ヨハネ「吸血鬼って嫌われ者なのよ。だから、正義のヴァンパイアハンターとかに殺されちゃうの」

千歌「そ、そんな……!」

ヨハネ「だから、多くの吸血鬼ってのはたくみに自分の姿を隠す方法を持ってるのよ。……まあ、善子に流れてる血はその淡島の吸血鬼の生き残りが元の血っぽいけどね」

ダイヤ「……吸血鬼が実在するという前提はなんとなくわかりました」

ヨハネ「いや、厳密には実在はしないわ」

ダイヤ「……はぁ??」

ヨハネ「……ま、めちゃくちゃややこしい話だから、これはあとで話すわ。それで前提がわかった上で何を聞こうとしてたの?」

ダイヤ「……ええっと……ヨハネさん。貴方はどうして純度100%の吸血鬼なのですか? 吸血鬼だけを切り離したというのもよく意味がわかりませんわ」

ヨハネ「まず私の吸血鬼性は隔世遺伝なの」

千歌「かくせーいでん……?」

ダイヤ「……先祖返りということですか?」

ヨハネ「そういうことね」


隔世遺伝──親に現れていない、先祖の遺伝上の特徴が、子に現れる現象のことです。

わかりやすい例だと、両親に血液型がA型かB型なのに、その子供の血液型O型だったりすることがある、ということでしょうか。

これは両親に発現こそしていないものの、元々O型の因子を持っていて、その因子を偶然濃く受け継いだ場合O型になると言われています。
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