69: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:17:18.45 ID:p8Id/7Jt0
 〜村上巴編〜 
70: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:17:59.11 ID:p8Id/7Jt0
  巴はガチャリと音を立ててその部屋に入った。どこからか微かに、すうすうと寝息らしきものが聴こえる。 
  奥に足を進めると、音の発生源がソファに横たわっている姿が目に映った。 
  
 「寝とるんか……」 
  
71: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:18:50.13 ID:p8Id/7Jt0
  杏がうんざりしたように溜息をつく。 
  
 「またか、今度は誰の差し金?」 
  
 「……告げ口は好かん」 
72: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:20:09.46 ID:p8Id/7Jt0
    * 
  
  巴は将棋を趣味としている。それは父親の影響だった。 
  
  任侠団体と将棋は古来より関わりが深い、というのが関係しているかは知らないが、巴の父親は大の将棋好きで、アマチュアとしてはそれなりの指し手でもあった。あるとき彼は、戯れにまだ幼い娘に駒の動かし方を教えた。 
73: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:20:53.54 ID:p8Id/7Jt0
  東京へやってきてアイドルになり、新しい知人たちが増えて、巴がまず考えたことは、将棋を指せる奴はいるだろうか、ということだった。 
  同僚アイドル、事務所の職員、そして自分の担当プロデューサーと、指せるものはそれなりにいた。巴は喜び勇んで対局を申し込み、その全員に土をつけた。 
  勝つことはもちろん嬉しい。しかし同時に、「こんなものか」と残念に思う気持ちもあった。 
  将棋というゲームは、ある程度以上の実力差があれば、百戦して百回とも強い方が勝つように出来ている。やはり、それなりに実力が伯仲している者同士でないと面白いものではない。親元を離れてみると、身近に巴と戦える者はいなくなっていた。 
  
74: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:22:05.27 ID:p8Id/7Jt0
  そんなある日、同僚アイドルの宮本フレデリカが、「杏ちゃんに課題手伝ってもらっちゃった〜」と言いふらしている姿を目にした。 
  
  双葉杏。ニート系アイドルという奇妙な触れ込みで人気を博している一方で、近頃は同僚アイドルたちから持ち掛けられる悩み事を片っ端から解決してるという噂もある。 
  自他ともに認める怠け者と名高く、巴自身も彼女が事務所で昼寝に励んでいる姿は度々目撃していたが、杏とて常に眠っているわけではない。聞くところによると、ゲームをしたり漫画を読んだりアニメを観たりと、娯楽にはむしろ積極的な方であるらしい。ならば、将棋の心得もあるかもしれないと巴は思った。 
  若い女性で将棋を嗜む者なんて、そうはいない。しかし、もし指せるのであれば、おそらく相当に強いだろうという印象が彼女にはある。 
75: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:23:31.96 ID:p8Id/7Jt0
    * 
  
 「んー……まあ、指せるよ」 
  
  若干迷ったような口ぶりで、杏が答える。 
76: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:26:02.25 ID:p8Id/7Jt0
  木製の二つ折り将棋盤をテーブルに開き、駒箱を逆さにする。巴は大橋流の手順で、杏は順番は関係なしに目についたところから無造作に駒を並べていった。 
  
 「先後はどうしようかの?」と巴が云う。 
  
  一般的には強い方が後手を持つものだが、杏が将棋を指している姿を見たことはなく、その実力は未知数だ。また、将棋指しの自称強い、弱いほど当てにならないものはない。 
77: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:26:32.53 ID:p8Id/7Jt0
 「端歩でも突くかと思ったわ」 
  
 「それでもよかったけどね」 
  
  後手の巴は飛車先の歩を突いた。続く杏も己の飛車先を突き、巴は更に8五に歩を進めた。 
78: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:29:59.30 ID:p8Id/7Jt0
 https://i.imgur.com/JPgZQAu.jpg 
79: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2019/01/03(木) 20:31:13.74 ID:p8Id/7Jt0
  角換わり右玉、これはおよそ一年前、巴が初めて父を破った際に取った陣形だった。 
  未だ十三年の人生しか歩んでいない巴にとって、何十年と将棋を指してきた大人たちとは埋められない経験の差がある。強い弱いというよりは、知っているか知らないかという部分で序盤に不利を負ってしまう。角換わりから、順当に相矢倉、相腰かけ銀ともなれば、散々研究し尽されている定跡手順だ。 
  
  ならば、見たこともない戦型にすればええ、と巴は考えた。 
  無論、これとて例がないわけではない。しかし珍しい形ではある。巴の父はこの一手に大いに唸り、そして娘に平手では初の白星を贈ることとなった。 
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