918:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[saga]
2012/02/07(火) 07:59:43.14 ID:plUG+vdMo
>>891
こつこつこつ。テーブルとペンの演奏が小さい音で、だが強くわたしの鼓膜を叩いている。
と、他人事のように言ったところで、喫茶店のテーブルをペンでつついているのはわたしの手だ。
うるさいのならばやめればいいのだが、どうにも手が止められない。
焦燥感と苛立ちと、あと何やら追いかけられているような恐怖感と。
非力な女性でしかないわたしは、それらに押しつぶされないように必死でテーブルをペンで叩き続けている。
こつこつこつ。
時間にはまだ早い。腕時計を何度も確かめ、それは分かる。
しかし、それはわたしを安心させてくれない。むしろ、迫りくる刻限がわたしの息を詰まらせる。
この仕事に就いてから数年。熟練してきた、とまでは言えないまでも業務内容には慣れたつもりだ。
理不尽なことは数えればきりがないが、それでも仕事には満足している。
だが、と思う。新米の頃はもっと楽しんで働いていた気がする。
空になったカップを見て、コーヒーの追加を注文する。
おかわりをついで去っていったウェイターはこの間まで付き合っていた彼にどことなく似ていた。
彼は言っていたっけ。わたしはいつも苛立っているからそばにいるのがつらい、と。
半分あっていて半分外れている。わたしは苛立っていたけれども、それは怯えていたからだ。
何に、と明確に説明することはできない。それはそういうものだ。分かっていたら怖くない。
こつこつこつ。
最近思う。わたしはずっとこうなのだろうか。
こう、というのがどうなのかはこれもまた明確には説明できない。
ただ思う。ずっとわたしはわたしでないままなのだろうかと。
ペンを持つ手が止まった。それでも頭の中でこつこつこつ。
喫茶店内に流れる音楽が切り替わった。
今までだって何度となく切り替わっていたのだが、唐突にそれを意識したのは、それが聞き覚えのあるものだったからだ。
緩やかで、どこか郷愁を誘うメロディー。ちょっと考えて思いだす。『カントリーロード』
昔はよくそういう音楽を聞いていた。乏しいお小遣いで買ったiPod。
友達が持っていたそれが欲しくなって、結構頑張ってやりくりしたのだ。
気に入った音楽を紹介し合ったり、相手の趣味をからかったり。
バンドを組もうか、なんて大真面目に話し合ったりもした。
そういえば、分かれた彼とも音楽つながりで知り合ったんだっけ。
涙がこぼれた。些細なことだけれど。
わたしはどこに置き忘れてきたんだろう。
いつの間にか時間だった。
待ち合わせていた仕事相手がやってきた。
そのときわたしは決めた。この案件が終わったら、少し休みをもらおう。
そしてちょっと立ち止まって、落とし物を探してみる。
拾い直せるなんて思わないけれど、それでも何を落としたのかぐらいは知りたい。
手に持っていたままだったペンを.、胸ポケットにしまった。
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