964:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[saga]
2012/06/20(水) 13:46:14.52 ID:++s6Hx0ko
>>949
少年は大きくため息をつき、河原でゴロンと寝転がった。
つくづく己の小賢しさが嫌になる。他の門下生達のようになるほど、先生の仰るとおりだな、としたり顔で頷いていればよかったのだ。
「これからどうしようか」
道場を追い出されたばかりの少年には今日の宿もなければ飯もない。脇に転がっている長年振り続けてきた一本の古びた木槍だけが彼の持ち物だ。
はあ、ともう一度ため息して「なんとかなるさ」と本心でない己を鼓舞するためだけの言葉を口にした。
幸い今日は雲ひとつない晴れ。とりあえず今日は野宿だな、と少年は心に決め今日はもう寝るか、とあくびをすると大きな影が顔の上に覆いかぶさった。
「おんしゃなにしよりゃ」
覆いかぶさった影、もとい縮れ毛の大男は興味深そうに顔を覗きこんでいた。とっさに少年は脇にある木槍に手を伸ばす。
「ちゃちゃちゃ、そう警戒せられん。わしは桶町千葉道場の坂本いうもんちゃ」
「坂本竜馬! 北辰一刀流免許皆伝の……」
少年は慌てて手を引っ込める。刀も抜かず名も名乗った相手に刃先を向け続けるのは武芸者のすることではない、と考えたのだろう。
そもそも相手は江戸中に聞こえた小千葉の筆頭。名もない槍術道場の一門下生だった少年とはどうにもならない腕の差というものがある。
刃先の代わりに少年は「小千葉の筆頭が何の用ですか?」との言葉を坂本に向ける。すると、坂本は口元をニカッと緩めた。人懐っこい笑顔をする男だった。
「そうじゃな、表情がころころ変わっちょって面白かったち、声をかけたんちゃ。まあとにかくなにがあったか話してみんしゃい」
「別に何もありません」
「嘘はいかんぜよ。なんもない男があんな顔するわけないち」
坂本の口元は相変わらず笑みを浮かべたままだ。しかし自分を見据えるその目に嘘をつくことが出来なかった。少年はつらつらと今日のことを話し始める。
「僕の槍の先生が仰ったんです。短筒は卑怯者が使う道具だ、近づいて仕合う根性のない者がそんなものを使うんだ、と。その言葉を僕は疑問に思いました。槍も本来刀の間合いの外から攻撃するもの、そこにどんな違いがあるのだろうか、と。
そのことを口にすると先生は激昂されて。お前は破門だ、さっさと出ていけ、と……坂本さん?」
少年が見やると坂本は大きな体躯を小さく縮こませてぶるぶる震えていた。よく聞くとクックックッ、と絞るような声が聞こえ、ついに坂本は腹を抱えて笑い出してしまった。
「やはり僕の言ったことはおかしかったのでしょうか」
坂本の笑いに少し拗ねたようにつぶやいたこの言葉に坂本が返事をしたのは数分経ってからだった。
「クックックッ、すまんすまん、あんまりにおんしが真っ直ぐものを言いよるもんでの。いや、しかしおんしはなんも間違ったことを言っちょらん。短銃も槍もどっちも人を殺す道具、戦争の道具。戦争に卑怯、正々堂々なんてありゃせんきに」
「ならば先生はなぜあんなにお怒りになられたのでしょう」
「悪いがおんしゃの先生は時勢が見えず駄々をこねてる子供なんちゃ」
「時勢、ですか」
少年は聞き返す。坂本の話はなぜか引き込まれるような力があった。
「おんし武芸ごとは好きか」
間髪入れずに「はい」と答えた。破門を言い渡されたばかりなのに、である。
「いい目をしちょるな。武に恋する目ちゃ。しかしな、いくらおんしが武芸に恋焦がれても武芸がおんしの身を立ててくれるような時代はもう来ん。黒船は見たことはあるがや?」
「浦賀のですか? はい一度」
「ありゃあすごいぜよ。どんな剣術の達人でもありゃ斬れんしどんな槍の名人でも穿けん。戦争になったら日本は間違いなく負けるぜよ」
「ま、まずいですよ。坂本さん」
慌てて周りを見渡す。もし役人に見つかったら死罪ものの言葉だ。
「まずいもなにも本当のことちゃ。それにそのことに反論がないち言うことはおんしもそう思うちょるんがや?」
首肯で答える。確かに武芸は好きだが槍一本であの船に敵うなんて思ったことはない。
「じゃがな、お偉いさん方はそう思うちょらん。おんしの先生と同じちゃ。このままじゃと日本は滅ぶ」
少年はうんうん、と坂本の言葉に聞き入ってる。坂本の考えは少年の頭の中にピタリとはまっていた。
坂本はそんな少年の顔見て、更にニヤリと笑みを深めた。
「そんじゃ、質問ちゃ。どうしたら日本は生き残れるがや? どうしたら黒船に勝てる?」
急な質問に少しうろたえながらも少年は考える。
人は刀に勝つために槍を使う、槍に勝つために短筒を使う、短筒に勝つために大砲を使う、大砲に勝つために黒船を使う。じゃあ黒船に勝つには?
「……! 日本も黒船を持てばいいのではないでしょうか!」
「クックッ、正解ちゃ。今の時代の力は武じゃなく知識ちゃ。武じゃ黒船は手に入らんきに」
坂本の声を聞くと少年は全身の血が熱くなったような感覚を覚えた。有り体な言葉を使えば興奮していたのだ。自分が出した答えが日本を救えるかもしれないという事実に。
少年の心の臓は初めて槍を握ったときよりはるかに早く脈を打っていた。するとどんどん次の疑問が頭に浮かんでくる。
「で、ではどうやったら日本は黒船を持てるのでしょうか」
「日本では無理ちゃ。だからわしは世界へ出ようと思う」
「せ、世界!?」
この人は身だけじゃなく考えることがとにかくでかい。少年は坂本の言葉に腰を抜かしそうになった。
「世界は広いちゃ。清の国には千里を超える城壁があるちゃ。それに米利堅には……」
その後一人の少年と一人の大人は、いや二人の少年の目をした男たちは夜が明けるまで世界と日本のことについて語り明かしたのである。
二人は別れ際こんな言葉を交わした。
「坂本さん、僕が武芸に恋をしていたように坂本さんは世界に恋しておられるのですね」
「ちゃちゃちゃ、そんなはっきり言われるとこっ恥ずかしいぜよ」
ひとしきり笑い合うと二人は踵を返し、逆の道を歩き出す。
「恋していた、か。うれしいぜよ。あんな男と世界に行きたいもんちゃ」
道場への帰り道での坂本のそんな独り言は残念ながら叶うことはなかった。
少年は坂本と別れたその足で、江戸を出奔した。父の生まれ故郷の長州まで日銭を稼ぎながら旅をし、松下村塾の門を叩いた。新たな力を手に入れるために。
その後少年は吉田松陰が処刑されるまで大いに学び、同期の塾生のつてで桂小五郎の下で働くことになる。そこで己の知識を武器に活躍した。
今日、少年の名は歴史に残っていない。しかし歴史を動かしたとある大事件に彼は関わっている。
慶応三年十月二十四日、京都近江屋にて。
薩長同盟を快く思わない一部の長州藩上層部の命により元少年は坂本竜馬暗殺を敢行した。
もう一度言うがこの坂本竜馬暗殺の犯人の名は歴史に残ることはなかった。
彼が世界に恋焦がれながらも、とうとう叶わなかったかつての恩人の脳漿が垂れた姿を見て涙を流した事ももちろん歴史には残っていない。
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