92:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道)
2011/06/28(火) 14:11:57.60 ID:KsUUtW6S0
>>91
劉巴の父親、劉祥は孫堅と協力関係だった。
孫権が知ってても不思議はないと思う。
江夏太守・劉祥は孫堅とともに名士である南陽太守・張咨を殺したことで住民に恨まれて殺された。
93:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道)
2011/06/28(火) 14:19:43.44 ID:KsUUtW6S0
・・・と思ったらこの話も零陵先賢伝が出典なのか
う〜ん・・・
94:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(三重県)[saga]
2011/06/28(火) 19:53:19.67 ID:dN6kKgLJo
同書が反蜀漢(ただし漢室復興の視点での)なのは明らかですが、
どこまで作為が入っているのかは……??
95:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(広島県)[sage]
2011/06/28(火) 22:06:29.32 ID:pr0rwtNg0
作為とか捏造とか信憑性とか疑いだしたらキリがない
とりあえず明らかに矛盾してるような記録じゃない限り気にしないようにしてるがね
96:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区)[sage]
2011/07/02(土) 18:57:58.80 ID:TZkfcsIs0
注の史料にそれぞれどのくらいの信用性を持ってるかというのは聞いてみたいな。
信用できる記述からトンデモまでピンキリだし。
97:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(三重県)[saga]
2011/07/02(土) 20:13:16.17 ID:I/xVYxDro
零陵は呂蒙によって呉に占領されたわけで、作者が漢室復興をなおも願っていた
呉の人と考えれば、孫権が出てくる理由は判る。読者にわかりやすいから。
ただ、漢室復興をあくまで説くことは、今度は呉への批判にもなってしまうのだが、
どういう形で原著は著されたのだろう。
98:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(秋田県)[sage]
2011/07/04(月) 10:08:14.17 ID:7cb90AVq0
件の零陵先賢伝は劉備や曹操を下げて地元出身者を上げるスタンスだったね。劉先や劉巴とか、周不疑もそうかな。
記憶が正しければ時系列で最後の記述は劉備の皇帝即位直前だったはず。本来書かれているべき、宰相まで昇った蒋琬は載ってない。
書かれた時期や経緯はそれがヒントになるのでは。
99:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(三重県)[saga]
2011/07/05(火) 18:28:03.87 ID:BwrmRUnKo
>>98
劉備が帝位に即いたのを非難した記述があり、そして孫権が表向き漢室復興を掲げていた時期、
となると221-229年。
孫権の蜀漢への使者となった鄭泉も、似たような批判を劉備にしていますから、この時期の呉なら…
100:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区)[sage]
2011/07/06(水) 22:30:14.79 ID:uaGkBjzVo
続きがまとめられたよ!
やる夫が正史を書くようです 第二十八回 正始政変其の参
yromtm1059.blog117.fc2.com
101:1 ◆ZXqVVWPHtc[sage]
2011/07/10(日) 15:05:00.60 ID:JhhuWycGo
| ≫'"´ \ヽ-、〉:|
|/\/ ̄ --Yー|
|:::::l ::|/_ ̄` ´ ̄ |:::|::| >>100
|:::::|:::斤::::卞 'T::::カ|:::|::| 「やる夫+まとめ -戦国系-」様、遅くなりましたがお礼申し上げます。
102:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県)[sage]
2011/07/11(月) 20:56:35.15 ID:DXSh3p+t0
楽しみにしてます
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