51:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage saga]
2011/08/17(水) 00:20:04.70 ID:c+5+k8k3o
―――五月二十九日
この日、星条旗が首里城跡にはためいたが、日本軍司令部はすでに南部に撤退した後であった。
壮麗優美な首里城は跡形もなく焼け落ち、石垣も大半が破壊された。
今も、その破壊の痕跡を、当時の石垣に見ることが出来る。
司令部の南部撤退は、徹底持久という作戦目的には適うものであったが、
これが避難民の被害を激増させる大きな原因となったのである―――
そして、ようやく南端近くにたどり着きました。
まだ南部のほうは、艦砲も爆撃も少なく、家々の屋根が残っていました。
「静かだねぇ…」
途中、立ち寄った集落では子ヤギが草をはみ、庭先をニワトリがコッコッと歩いていました。
畑から失敬してきたキャベツを塩もみにして頬張ると、しょっぱさと共に、キャベツの甘みが口に広がります。
「キャベツうめぇ!」
りっちゃんが、涙にむせびそうな勢いで、パリパリとキャベツを噛みます。
私たちも、思わず笑みをこぼします。野菜を食べるなんて久しぶりでした。
床板は引きはがされたりしてありませんでしたが、屋根の下で休めたので、私たちは泥のように眠りました。
しかし、そんな束の間の安らぎは、すぐに破られたのです。
患者さんを収容する壕はなく、患者さんは廃屋や、石垣の陰や茂みの中で野ざらしになっていました。
すぐに薬も資材もなくなり、病院としての機能はほとんど失われていたのです。
私たちにできることと言えば、砲火をくぐって水をあげたり様子を見に行くくらいでした。
その患者さんたちも、次第に激しくなる艦砲と銃爆撃にさらされ、どんどん亡くなっていきました……。
―――南部撤退後、沖縄陸軍病院が入った壕は、以下のとおりである。
病院本部は山城本部壕。第一外科は波平第一外科壕と大田壕。
第二外科は糸洲第二外科壕。第三外科は伊原第三外科壕。
津嘉山経理部は伊原第一外科壕。一日橋・識名分室は伊原第三外科壕。
糸数分室は伊原第一外科壕―――
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