534:にゃんこ[saga]
2012/06/10(日) 18:31:45.31 ID:bX5VV6EK0
◎
ホテルの屋上から梓の姿を見かけたビルに駆け寄る。
私は息を整えて汗を払うと、心を落ち着かせるために二回深呼吸をする。
それから、気配を悟られないように、
梓が座り込んでいるはずのビルの側面をそっと覗き込んだ。
「あっ……」
思わず声を出しそうになってしまったけど、どうにか喉の奥にその言葉を仕舞い込む。
梓はそこに座っていた。
膝を抱え込んで、泣きこそはしていないけど、悲しそうな表情を浮かべていた。
梓を悲しませてしまったのは多分、私だ。
胸の中にある漠然とした不安を上手く伝えられなかった私の責任だと思う。
だけど、その漠然とした不安は、曖昧なだけに間違ってないはずだった。
私も唯も本能的に感じてる不安……。
上手く伝えられないし、理に適ってない気もするけど、
やっぱり梓のした事は、私達がしてきた事は間違ってたって感じたんだ。
私はそれをこれから梓に伝えなきゃいけないんだ。
「梓」
梓が座っている側に身体を出して、座り込んでいる梓に呼び掛ける。
また逃げられるかもしれないって不安もあったけど、
でも、私は梓を無理矢理捕まえるような事はしたくなかった。
信じたかった。
梓だって私のさっき言おうとした事を心の何処かで分かってるはずなんだって。
それを認めたくないからこそ、逃げ出してしまったんだって。
「律……先輩……?
どう……して……?」
梓が驚いた顔になって私に訊ねる。
多分、私が梓の前に姿を現した事を驚いてるんじゃなくて、
私がほとんど音もなく現れたって事に驚いてるんだと思う。
確かに今までの私だったら、当てもなく駆け回って疲れ果てた姿で梓をどうにか見つけ出していたはずだ。
だけど、今回はそうならなかった。
そうならないために、そうしないために、私は屋上から梓を捜したんだから。
逃げ回る梓とそれを追い掛ける私って関係じゃなくて、
お互いに真正面から対等な二人として話をしたかったからだ。
「隣……、いいか……?」
私が穏やかに言った事に面食らったんだろう。
梓はとても複雑そうな顔を浮かべてたけど、しばらくしてから軽く頷いた。
追い掛けられるようなら逃げるつもりだったのかもしれないけど、
こうやって静かに言葉を掛けられるなんて思ってなかったんだろうな。
それも私に。
自分で言うのも何だけど、私自身もかなりそう思う。
そういや、梓が入部届を出しに来た時、
私は「確保」って言いながら梓を捕まえたんだっけ。
何だか懐かしくなって、嬉しくなって、
同時に胸が痛くなったけど、私はその沢山の想いを受け入れる事にした。
悲しさや辛さや痛さ……、
そういう物も全部ひっくるめて梓に想いを伝えたいからだ。
私はゆっくりと梓の左隣にまで歩み寄って、静かに腰を下ろす。
梓はその私の動きから目を逸らさなかった。
何かを言おうとしながら、何も言葉が浮かんで来なかったのかもしれない。
私も何も言わなかった。
話を始めるにしても、もう少しだけ梓と二人でこの世界の空気を感じてたかったんだと思う。
二人とも何も言葉を出さない。
肩を並べて、膝を抱えて、顔を向けて、視線を合わせる。
私達五人以外誰も居ない、夢のようで、多分、実際にも夢なんだろう世界を感じる。
五人で傍に居たかったから辿り着けた、辿り着いてしまった世界を。
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