584:ハーミッツ・ジャムをパンに塗って(お題:珈琲と泥水の違い)2/11[sage]
2012/07/03(火) 19:47:18.14 ID:FW9rMRg6o
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ここまで文章を書きあげて、私はノートパソコンのモニターをそっと閉じる。そして、眉間
を揉みほぐした。それでも体にのしかかる疲れが和らぐ様子はなかったので、背伸びをして肩
をゆっくりと回した。壁掛け時計に視線をやると、時刻は夜の九時半だった。蝉の泣き声が、
小奇麗な宿直室を満たしていた。
ひとつ溜め息を吐いて、なんとなくポケットに手を差し込む。カーキ色のチノパンの右ポケッ
トには、カラフルな袋に包まれた飴玉があった。
飴玉を机に並べて、今度は窓を眺める。街燈に照らされている一本の大きなカエデの木が、
柔らかな風にそよいで揺れいた。その木を通り過ぎるようにして配置された、施設と正門を繋
げる茶色い歩道には誰もいない。また、溜め息をひとつ吐く。
……無意識のうちに歩道へ視線を動かしていた自分に気づいて、なんだか可笑しくなって鼻
を鳴らす。
二階にある宿直室の窓から見えるのは、緑色のカエデの木々と、ウレタンで舗装された茶色
い歩道、その両脇に規則正しく並んだ白い街燈、そして灰色の正門の四点だけだ。それから先
の景色は、山に邪魔されて、上手く見えない。
私は知的障がい者入所施設で働いている。知的障がい者入所施設とは、障害を持った人が健
全な社会生活を営むことが出来るように、支援、訓練する場だ。
私が働いている「きぼう園」では、主に軽度から中度の知的障がい者が入所している。無理
解にさらされている彼らには、この施設で仲間たちと共に生活し、人らしく生きる術を身につ
ける場が必要だった。
そのためにこの施設では、行事をたくさん企画している。クリスマスパーティーを始め、遠
足、お泊り会、そして毎月行われるお誕生会。
さっきまで書いていたのは、来月に催されるお誕生会の出し物として行う劇のプロットだっ
た。旅人が、「見たことのない綺麗なもの」を探すため、魔女と戦う。そしてお姫様と結婚を
する。そんな話にするつもりで書き始めた。
健常者からすれば、幼稚に思えるかもしれない。しかし、彼らの話にのめり込む力は凄まじ
いものだ。ひとたび演じ始めると、見るものを圧倒する。実際、初めて彼らの劇を見たときの
感動は、いいようのないものだった。
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