過去ログ - 文才ないけど小説かく(実験)
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81:善意の妖怪(お題 梓弓)1/2 ◆xoqQYwssWY[saga]
2012/01/31(火) 16:47:30.43 ID:xzVNkHuno
 今年は3月に入ってからずっと暖かった。だからそれをぶった切るような今日の寒さに大叔父はあの婆さんらしいな、とぼやいていた。外は春雨が降りしきり、雨音は激しくないものの、雨の気配は室内にいても感じられる。祖母の納棺の日はそんな日だった。
 納棺の儀は誰の涙もなく淡々と進み、私の番が回ってきた。
 遺言にあった通り棺に弓を収める。祖母の顔が心なしか安らいだように見えるが気のせいだろう。彼女はもう死んでいる。きっと安心したのは私の方だ。
「最後です。お声をかけてあげてください」
 孫の私に気をかけてくれたのか、お坊さんはそう微笑んでくれた。その心遣いはありがたい、のかもしれない。けれど祖母と交わす言葉などすでになかった。
 代わりに棺の中に手を伸ばし、弓の弦に指をかけ、そのまま弾く。ビィィン、と澄み切った音が部屋の中に響き、その場にいた親戚みんなが一斉に顔を顰めた。なんだか少しだけおかしくなった。
 この弓は梓弓というらしい。神事に使う神聖なものだという。その弦の音は魔を払うという。
 人はそれを聞いてなんと言うだろうか。多分うさんくさいが一番多い気がする。そこまで言わなくても本気で信じる人はほぼ皆無だろう。
 けれど私はこの弓の力を信じている。誰がなんと言おうと私は信じる。なにせこの弓は私の家に巣食っていた妖怪を退治してくれたのだから。
 
 私が生まれた日もこんな春雨が降っていたらしい。予定日より一月も早い陣痛に母は焦り、救急車を呼ぼうとしたがあまりの痛みにその場でうずくまることしか出来なかったそうだ。
 最初に母を発見したのは散歩から帰ってきた祖母だった。
 祖母は母の姿を見ると血相を変え電話のある祖母の部屋の方に走り去り、それでやっと母は安心することが出来た。これで救急車が来る、無事に子供を産める、そう思ったそうだ。当たり前だ、誰だってそう思う。
 けれど祖母が持ってきたのは電話の受話器ではなく、一本の弓だった。
「赤子が生まれんなら空気をお清めしなきゃならねえ。も少し頑張ってくれ、な?」
 そう言うと祖母は涙を流しながら弦を弾きだした。もう救急車は呼んでくれたのか、と母が聞いてもなにも答えずひたすら弓を弾いていたらしい。
 痛みに苦しむ母とそのそばで泣きながら弓を鳴らすだけの祖母。想像するだけで吐き気がする。それが何に起因するかは分からない。恐怖か、怒りか、不気味さか。おそらくそれら全部だろう。
 結局救急車が来たのは父が仕事から帰ってから、陣痛が始まって二時間も経った時だった。私の左手に今もしびれがあるのはそのとき胎内の酸素が十分でなかったせいだそうだ。もう少し早く病院に着いていたら対処できたらしい。
「早産のあんたが無事生まれたのは神さんとあの弓のおかげだあ」
 祖母はよく幼い私にそう言って笑った。まるで冒険ごっこの成果を親に話す子供のように、誇らしげに、無邪気に、カラカラと。 
 何度も何度も。
 そしてその度に母は泣くのだ。ごめんね、ごめんね、と泣いて私に謝った。祖母が笑うと母が泣く、その因果関係にいつの間にか気づき、祖母の笑顔が嫌いになっていった。
 
 こんなこともあった。
 小学生のころ家の庭に母と私の畑があった。小さな小さな畑で、二人が並んで座れば隅から隅まで手が届く事ができるほど狭い、けれどとても大切だった私と母の菜園。
 当時は食費を浮かすためにこの畑を作ったと母は言っていた。けれど今考えればあんな小さな畑で採れる野菜が家計を助けていたとはとても思えない。おそらく母は祖母のいる家の中から離れる口実が欲しかったのだろう。
 母と私はそこでほうれん草やパセリを育てていた。私はそこで採れるほうれん草のグラタンが大好きだった。
 そしてそれ以上に、土いじりをしながらよく笑う母が好きだった。
「もうほうれん草は食べれそうね。明日採ってグラタンにしましょうか」
 母はそう言って笑い、私も笑った。
 次の日学校から帰ってくるとなんだか家の庭が様子がおかしかった。塀の上から見知らぬ植物の頭が突き出ていたのだ。
 急いで庭に行くと塀沿いに白い花をつけた低木が植えられていて、それを満足そうに眺める祖母の姿があった。
 祖母は私に気づくと嬉しそうに手招きした。
「ほれ見てみい。南天植えてもらったんだあ。こっちゃ鬼門だったからなあ」
 南天とか鬼門とかどうでもいい、私には畑のあった所に生えている木とその下で横たわる無残に掘り返されたほうれん草しか見えなかった。
「悪い気が溜まってたんだ。あんたの左手もそのせいだあ。これできっと治る、よかったなあ」
 そう言って祖母は笑い、隣で母はやはり泣いていた。それが悔しくて悔しくて、私も声を出して泣いてしまった。
 祖母はなぜ私が泣き出したか分からなかったろう。当然かも知れない。彼女には悪意なんてない、すべてが善意からの行動なのだ。祖母と私たちの常識の座標軸が大きくずれていた『だけ』にすぎない。
 しかしその『だけ』のせいで周囲の人間は彼女の巨大な善意に押しつぶされ続けた。
 いつまでこんなことが続くのだろう、祖母以外の家族全員が思っていたはずだ。


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