83:善意の妖怪(お題 梓弓)2/2 ◆xoqQYwssWY[saga]
2012/01/31(火) 16:51:45.94 ID:xzVNkHuno
そんな日々の終わりは驚くほどあっさりやってきた。きっかけは夜中に起きた地震だった。
小さな地震だったらしい。らしいというのは寝ていて気づかなかったからだ。私が目を覚ましたのは祖母の悲鳴と微かなビィィン、という弦鳴のせいだった。
一緒に起きた母と祖母の部屋に向かうと祖母は低く唸りながら足をさすっていて、その横にはいつもは神棚に置いてあるはずの弓が落ちていた。おそらく地震で落ちて祖母の足にでも当たったのだろう。
痛い、痛い、と喚く祖母を見てこの弓でも弾いてやろうかとも思った。けどすぐ冷静になって、代わりに受話器を手に取った。
どうやら骨折していたらしい。翌朝、付き添いで救急車に乗ったいった母がそう教えてくれた。
見舞いの時、祖母は想像以上にしょげていた。出産以外で病院にかかったことがないのが自慢で、毎日の散歩を欠かさなかった祖母。それがあの弓に奪われたことがショックだったようだ。
「罰が当たったんだあな。つい神棚に足を向けて寝ちまった。神さんが怒ったんだあ」
なぜこの人は神様の怒りには敏感なのに私たちの悲しみには鈍感なのだろう。そう思ったが口には出さずに胸にしまい込んで、病室を後にした。
その日の夜中、私は祖母の部屋にいた。落ちていた弓を手に取り、しびれる手で弦を持ち、ビィィン、と弾いた。
この弓は梓弓というらしい。神事に使う神聖なものだという。その弦の音は魔を払うという。
もちろん信じてなんかいなかった。ただ何かにすがりつきたかったのだと思う。
願いながら弦を引く。魔を払え、と。
想いながら弦を弾く。妖怪よ消えろ、と。
毎晩毎晩、祖母の部屋から弦鳴が家の中に鳴り響いた。父と母はなにか言いたげだったが結局何も言わなかった。
そして私は毎日祖母の見舞いに行った。もちろん心配してのことじゃない。確かめるためだ。
私の予想外に祖母の身体は会う度に小さくなっていった。
医者は入院生活で気力が削がれているかもしれない、と説明してくれたが、私は違うと確信していた。
「神さんとあの弓のおかげだあ」
心の中で祖母の声が聞こえた。初めて祖母に賛同したくなったが、そこで違和感に気づく。
心の中の祖母は笑っていなかった。
納棺の日から断続的に降り続いた雨は明日まで続くらしい。参列者が少ないのを雨のせいにできるから祖母としては良かったのかもしれない。
棺が火葬場に入って二十分が経つ。係の人は五十分はかかると言っていたので、その場にいるみんなが暇を持て余し、男性陣は喫煙所で、女性陣は自販機の前に集まり談笑中だ。私はその二つを遠巻きに眺めながら誰も祖母の話などしていないのだろうな、と考えていた。少しかわいそうなのかもしれない、けれどこれが祖母のやってきたことの結果なのだろう。
「コーヒー飲む?」
不意に後ろから紙コップが差し出された。うん、と短く答え、母からコーヒーを受け取る。カップ越しに伝わる熱が優しかった。
「なんだか疲れちゃったわね」
歳の割に少ない笑いジワを作りながら母は微笑んだ。これから歳相応にシワが増えていけばいいと思う。
「ねえ、お母さん。ほうれん草のグラタンが食べたいな」
祖母が入院してから私は庭に小さな畑を作りほうれん草の種を植えていた。もうそろそろ食べられるはずだ。
明後日は晴れるからその時に採ろう。今からもう楽しみでしょうがない。
そんなことを考えているとビイイッと火葬の終わりをを報せるベルの音が鳴り響いた。その音はあの弓の弦の音に少しだけ似ていた。
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