967:その命、尽きるとき(お題:女神) 3/10 ◆AWMsiz.p/TuP
2012/08/12(日) 23:28:19.12 ID:j3F87tL90
「二十八年前ですか」
口にしただけで、疲れを感じる年月だった。
「写真はあるんですか?」
茂さんは、首を横に振った。名前と年齢と、三十年ほど前の勤務先だけで人を探す。人探しの経験は無いが、一日二日でどうにかなる
とは思えなかった。それこそ駄菓子屋の店先でソーダアイスを食べるより、無駄な時間を過ごす羽目になりそうだ。
「坊主にこんなことを言いたくはないが」断ろうという僕の気配を察してか、逃げ道に立ち塞がるように茂さんがいった。「わしはたぶ
んもう長くない」
蝉が聞き耳をたてるように、ぴたりと鳴きやんだ。
「どこか悪いんですか?」
はは、と茂さんは乾いた笑い声を漏らした。「もういいところを探すほうが難しいなあ」
「そうだとしても、なにかそう思うきっかけがあったわけでしょう」
「いいや。なんとなくだな。この歳になると、なんとなく自分がもう先が長くないことがわかってきよる。いつ倒れてもおかしくない身
体だから、弱気になっとるだけかもしれんけれども、とにかくそんな気がしよる。足音、というかな、そういうものが聞こえてきよる」
いつの間にか蝉が騒ぎ出していた。蝉が大きな音で鳴き叫ぶのは、死にゆく自分の存在を夏に刻みたいからだ、と誰かが言っていた。
もしそうだとするなら、彼等は自分自身がもう長く生きられないことを悟っているのだろうか。彼等にも茂さんと同じ類の足音が聞こえ
ているのだろうか。もしかすると、彼等は叫ぶことによって、どこからか聞こえてくる足音を必死でかき消そうとしているのかもしれない。
「女神様に会って、どうするつもりですか?」
「そうだな……なにをするかまでは考えとらん。ただ会いたい。それだけじゃあ駄目だろうか。正直に言うと、少し不安なんだ。今まで
一度も死んだことがないからなあ」
茂さんは呟いて、煙草を咥えた。火を点けて大きく煙を吸い込む。その横顔には、様々な線が刻まれていた。次の瞬間、茂さんの顔面
に勢いよく水がぶつけられた。振り向くと、水鉄砲をもった小学生が顔を強張らせていた。きっと銃が暴発したのだろう。
「くおらああっ。くそガキどもおおお」
茂さんは歳を感じさせぬ勢いで立ち上がった。ごめんなさい、と叫びながら、小学生が脱兎のごとく逃げ出した。
「わっはっは。逃げていきよった」
茂さんは満足気に笑うと、水気を吸ってしおしおになった煙草の先端に火を近づけた。意外にも、火が点いた。
「茂さん」
「ん?」
「先に言っておきますけれど、僕は人探しをしたことがありません。だから本当に見つけたいのであれば、探偵なり興信所なりプロに頼
むのが一番だと思います」
「わしもそれは考えた。でも駄目じゃな。それじゃ足が……そう足が出る」
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