279:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県)[saga]
2012/03/04(日) 23:26:29.09 ID:Uiv4gkQ8o
わたしは元々は引っ込み思案で社交的でない性格の女の子だった。小学生の頃も普通に話せる友だちはいたけど、親友と呼べるような子はできたためしがなかった。それは一人っ子だったせいもあるし、親が転勤を繰り返していて友だちとは出会いと別れを繰り返していたせいもある
のかもしれない。それでも、よく考えてみれば家の都合で一期一会の出会いを繰り返していたあたしは、むしろ友だちを作るのは得意だった。少し話しをすればいつも転校先の同級生たちはすぐにあたしを受け入れてくれた。それは転校を繰り返していたあたしが必要に迫られて習得した
テクニックだったけど、もちろんそれは特殊な能力というわけではなく、単純に自分の話したいことを2割くらいしか喋らないようにして、残り8割の時間は相手が話すことを聞いてあげるということだけだった。
人というのは例外なく自分のことや自分の知っていること、考えていることを話したがる。そして、話した内容から自分を評価して認めてもらいたがるものなのだということを、度重なる出会いと別れの間にあたしは学んだのだ。誰も別にあたしのこと、あたしの考えていることなんかに深い
興味はない。でも、自分の話しを聞いてくれて評価してくれるあたしには興味があるみたいで、その一点だけであたしは新しい環境に放り込まれても、友だちが出来ないということはなかったのだ。そしてもちろん、人とそういう接し方をしている限り、普通の友だちは出来ても心を許しあえる親友はあたしには望むべくもなかった。
最初はそうやって出来た友だちと毎日を過ごすことは、あたしにとって別に苦ではなかった。ただ、あたしもそういう人たちと同じで、自分の中にも人に認めてもらいたいという欲求があることが、だんだんわかってきたのは中学3年の頃だった。あたしみたいな根無し草のようにいろいろな
場所を放浪している人間にも、人に話したいことや人から認めてもらいたいことがあるんだ。あたしは自分のその感情に気がついた時、すごく新鮮な驚きを覚えたものだった。ただ、友だちの話しをきいてあげ、必要に応じてほめたりなぐさめたりとまるでコンサルタントのようなことをしながら学校で過ごしていたあたしには、自分語りをする余地は学校にはもうなかった。更に考えれば、あたしには自分が人に語って認めてもらえるようなことは何もないことにも気がついた。あたしには、なくとも学校では人に語れるような自我がない。学校でのあたしの存在意義は、文字どおり
友人の自己主張を受け止めてあげることにしかなかったのだ。
そういう自分に嫌気が差したあたしは、高校に入学しても同級生の話をよく聞いてあげる良い人を演ずることを止めた。そうすると絵に描いたような結末があたしを迎えてくれた。友だちのいないぼっち・・・・・・。
それでも高校に入ったばかりのあたしにはその孤独や同級生の奇異の視線は、あまり気にならなくなっていたのだった。そう。その頃のあたしは、自分を構ってくれ誉めてくれる場所を、校外に見出したのだ。それは2ちゃんねるの女神板だった。
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