過去ログ - 織莉子「私の世界を守るために」
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69: ◆qaCCdKXLNw[sage saga]
2012/07/17(火) 03:48:01.51 ID:yIkrPX160
 かつて、美国織莉子の世界は一つだった。
それは厳密に言えば二つだったのだけれど、両者は不可分で、それぞれが分かたれ難いものとして彼女の中に併存していた。

 一つ目は、世の中への奉仕、というやつだ。
幼い頃からそれを掲げ働いてきた父の後ろ姿を見てきたからだろうか、織莉子はずっとそれだけを胸に生きてきた。

 美国の善き娘として在り続けようとしたのも、不断の努力を続けたのも、全てはそれで世界が良くなると思っていたからだ。
もちろん、自分と言う存在がとても非力で、及ぼす影響もたかが知れているということくらい織莉子は知っていた。
だがそれでも、父の行う行為――善き世界を創るための行いの一助となれれば良い、そう考えて、織莉子はいつも生きてきたんだ。

 あまりにも無垢で、純粋で、言っちゃ悪いがお花畑な想いが、織莉子の原動力だったわけだ。

 二つ目は、父への愛情だった。
伴侶を早くに喪い、自らも国会議員と言う重責に在りながら、たっぷりの愛情を注ぎこんでくれた父に対する、この上ない想い。

 実の所、織莉子が父と過ごした年月と言うのは他の一般的な子供と比べてもそう多くない。
きちんと国会に参加し、国の行く末について議論し、務めをまっとうするのは国会議員としての最低条件で、その間は東京の国会議事堂に通い詰めとなる。
当然群馬県見滝原からえっちらおっちら毎日移動するわけにもいかず、東京で行われる長期間の国会会期中は、織莉子は広大な邸宅においてけぼりだった。
もちろん家にはお手伝いさんも何人か居たし、小さな子供を賢く育てるための教育もふんだんに行われたけれど、それでも寂しいものは寂しかった。

 だから地元に戻っている間に、父が過密なスケジュールを圧してまで自分と一緒に過ごす時間を設けてくれることが、織莉子には何よりも嬉しかったんだ。
何処へ行くわけでもない。ただ一緒の部屋でクッキーを摘まみながら紅茶を飲むだけの、些細な時間。
たったそれだけが、織莉子にとっては何ものにも代えがたい大切な時間だったんだ。

 ところが、父は死んだ。
首を括って、あっけなく。
あんなに醜い屍を晒して。

 織莉子は何が何だかわからなかった。
何故死んだ、どうして。

 気が付けば、織莉子は紺色の制服を着た警察関係者に聴取を受けていた。
父の書斎へと眼を遣ると、そこには黄色の立ち入り禁止テープが風情なくべたべたと貼り付けられていた。

 放心状態の織莉子からは何らも有益な情報が訊きだせないと判断したのか、聴取をしていた者は早々に引き揚げた。
警官たちもあらかた現場の整理が終わったのか、次々と器材をまとめて帰っていった。
後に残ったのは、テープの貼られていた粘着痕と父の死を記録した白い縁取り線のマーカーだけだった。

 織莉子の裡には失意の嵐が吹き荒れた。
凄まじい欠落感があった。まるで、本来身体の中に納まって然るべきはらわたが軒並み抜け落ちてしまったかのようだ。

 それは当然の事、織莉子にとって父・久臣の存在は拠って立つ存在意義の一つだったのだから。
その死が、織莉子に言いようのない喪失感を与えるのは必然だった。

 それでも、哀しいことに人間は慣れる生き物だ。
授業を欠席し、何日かして気持ちが落ち着いてくると、織莉子はどうにか心の整頓をすることができるようになった。

 そう、父は死んだ。でも自分は、こうして生きている。
では、遺された自分が為すべきこととはいったい何なのだろう。
それはきっと、父の志を、遺志を、継ぐことなのではないだろうか。
私は、お父様が為そうとした想い――世の中を良くするという願いを、受け継ぎ成し遂げるべきなのではないだろうか。

 それは、織莉子にとっての唯一の逃避先だった。

 「父」というとても重要なファクターを欠いて、織莉子が縋りついたのは残された自身の世界の片割れ、世の中への奉仕だった。
大脳を半分失った身体が、その生命を維持するために片方の脳だけで身体機能の全てを補おうと脳機能を肥大化させるように、織莉子は予め裡に抱えていた公共への奉仕に改めて軸足を置くことで、父の死からくる喪失感から立ち直ろうとしたわけだ。

 そうして、どうにか立ち直ろうとした織莉子を待っていたのは、嘲笑と罵声でしかなかった。

 昇降口から下駄箱に入り、教室へ向かう先々で、織莉子の背中には悪意の言葉と視線とが突き刺さった。
いったいこれはどうしたことだろう。織莉子は訳が分からなかった。

 織莉子は心の整理を付けるために、数日間の間失意に沈んでいた。
窓に鍵をかけ、カーテンを閉め、ベッドの上でシーツに包まりながら、父の死と自らの為すべきことについて自問自答を繰り返していた。
だから世間様で久臣の死がどのような報じられ方をしていたのか、知らなかったんだ。

 久臣が死んだ当日の、7時のテレビ・ニュースではこう報じた。

「本日未明、××党美国久臣議員が、自宅で首を吊っているのが確認されました。
 病院に搬送されましたが、本日14時に死亡が確認されました。
 美国議員には、以前から経費などの改竄による不正疑惑があり、警察は追及を逃れての自殺の可能性が高いと見ています――」

 それから数日の間、ワイドショーや週刊誌では久臣の死を面白おかしく吊るし上げることに専心した。
曰く、「饅頭議員」。外っ面が白くて中が真っ黒だから、こう呼んだのさ。


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