33:S・エルロイ[saga(≠sage)]
2012/07/01(日) 05:57:19.57 ID:FiCMgbbE0
荒れ狂う強風と地面を強く叩いていた豪雨が通り過ぎると、春先だって言うのに酷く底冷えしてきてたまらなかったよ。
そんなわけで俺は行きつけのバーに飛び込むと、マスターからタオルを受け取って雨で濡れた髪を拭った。
それからウイスキーを一杯注文して、酒で身体を温めたんだ。マスターがツマミによこしたビーフジャーキーを齧りながらな。
店内は小さな作りで、ボックス席が二つとそれから一枚板のカウンターの下にスツールが六つばかり置いてあるだけだった。
シンプルなバーだ。客の入りもまばらで静かだった。聞こえてくるのは音量を低くしたロバート・ジョンスンのブルースだけだ。
グラスに入った丸い氷を揺らし、俺は酒を半分ほど胃袋に流し込んだ。もの哀しいブルースのリズムが俺の耳を聾する。
俺が葉巻を咥えると、マスターがそっとマッチの火を差し出してきた。礼を言いながら、俺は火をつけた葉巻をゆっくりと吹かした。
俺はこの店が好きだ。
マスターは口数の少ない男で、神経質そうにいつもグラスを磨いているだけだったが、マティーニを作る腕は超一流だ。
俺はマスターのマティーニに惚れたのさ。ウイスキーを飲み終えるとマティーニを頼んだ。
味わうようにゆっくりとマティーニを楽しんでから、俺はマスターに声をかけた。
「マスター、勘定を頼む」
スツールから腰を上げ、カウンターの上に金を置くと俺はバーを出た。短くなった葉巻を唇から飛ばし、口笛を吹く。
俺は自分が誰であるのかを知らない。正確には覚えていない。一ヶ月以上から前の記憶がすっぽりと頭から抜け落ちている。
右手に握られていた、やけにしっくりと掌に馴染むパイソン七七マグナムだけが、俺自身に残された唯一の手がかりだ。
俺は安アパートの自室に戻った。ハンモックに身体を横たえると俺は瞼を閉じた。眠りはすぐに訪れた。
それから数時間ほど経ち、目も覚めるような美女との夢での逢瀬を打ち切り、俺は暗闇の中で目を覚ました。静かに淀んだ空気。
揺れるハンモックから降り、俺は眠気覚ましに葉巻を一本咥えて火をつけた。
カプチーノ色をしたモンテクリストの先端がじんわりと赤く燃える。
ニコチンの苦味/燻る甘いスモーク/覚醒する脳内。身支度を済ませてアパートを出る。
金を稼がなくちゃならない。
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