過去ログ - 恒一「『ある年』の3年3組の追憶」
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60:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[saga]
2012/08/06(月) 21:50:49.33 ID:4DOG5YTr0
気がつくと、私は車の後ろ座席に寝かされていた。
「幸子、目が覚めた・・・?」
お母さんの声が聞こえる。
あれ?私はさっきまで教室にいたんじゃ・・・
「ちょっと待ってね、もうすぐ家に着くから」
そう言って、母さんは車のスピードを少し上げた。
あの直後、救急車やパトカーが何台も到着し、
血まみれのまま意識を失っていた私は、怪我人と勘違いされたらしい。
返り血を浴びただけだと判断されて、
和久井君のように病院に運ばれることはなかったけど、
特に返り血がひどかった生徒は、この姿で帰るわけにも行かず、
保護者が順々に連れ帰るということになった。
家の仕事を休んでまで、迎えに来てくれたお母さんには感謝の言葉もなかった。
家に着くなり、私はすぐにシャワーを浴びるために浴室へ向かった。
濡れタオルなどで顔に付いた血は、いくらか拭き取ったらしいけど、
こびり付いた血が全部取れるわけもない。
血の付いた服を脱ぎ捨て、シャワーのお湯をかけると、
髪や顔に付いた血と混じって、たちまち床のタイルが赤くなった。
何度も何度もシャンプーやリンス、ボディソープで躰を念入りに洗っても、
血の感触とさびた鉄のような臭いは、完全には落ちなかった。
そしてその晩、お父さんはまだ会社から帰ってこないため、
お母さんと二人で夕食を食べていた時のこと。
おかずを口にした瞬間、
あの血が飛び、肉が裂かれる瞬間の光景が生々しく脳裏に浮かんだ。
腹の奥から、酸っぱいような苦いような感覚が湧き上がってくる。
驚くお母さんを尻目に、私はトイレへ急いで・・・そして吐いた。
今まで躰の中で貯まっていた恐怖や苦痛が
一挙に爆発したかのように、躰全体が悲鳴を上げていた。
喉を絞るように吐ききっても、まだ気持ち悪さは収まらなかった。
翌日になっても、私の体調は芳しくなかった。
いや、日が経てば経つほどどんどん悪化していったのである。
食べても食べても、忘れた頃にあの惨状を思い出しては、
ショックで吐き気を訴え、戻してしまう。
当然ながら学校は欠席を続けたまま、夏休みを迎えてしまった。
そしてあの事件が起きてから十日後、私は居間で目まいを起こして昏倒、
救急車で運ばれ、そのまま入院することとなった。
医者による診察の結果、過度の嘔吐による脱水症状と診断された。
さらに、この炎天下の暑さが体調悪化に拍車を掛けたのである。
拒食症のように食欲が著しく低下しているわけではなかったけど、
今の状態では躰、特に胃が食べものを受け付けないため、
点滴治療が行われて、今に至っている。
体調は少しずつ取り戻しつつあったけれど、
それでもこうして時々悪夢を見てはトラウマが蘇り、
心も躰も不快な気分に襲われることがある。
また、この病院の陰鬱な雰囲気がどうしても馴染めなかった。
なぜならば、先月にはこの病院の中で、事故が起こって死者が出たのだから。
そう、水野君のお姉さんが災厄に巻き込まれて死んだ事故は、
この建物の中で起きたのだ。
これで居心地が良いと思う方がおかしいだろう。
また入院生活が退屈極まりないというのも、地味に辛かった。
相部屋の患者さんは高齢のお婆ちゃんだけで、
いつも寝ていることが多く、あまり話相手になることができなかった。
美容院を経営しているお母さんの影響で、私は部活でも手芸部に入っているが、
暇つぶしになるような本が意外に少ないのが痛かった。
その多くが雑誌なので、すぐに読み終わってしまうのである。
これが柿沼さんあたりだったら、入院している間に沢山の文学作品を
読みふけっていたんだろうなと思うと、
読書週間を身につければ良かったかなと、少し後悔してしまう。
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