過去ログ - 杏子「お、ほむ焼きの屋台だ」 仔ほむほむ「ホミュェエエェェッッ!!!…」
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21:見滝原がある群馬は旧上野国[sage saga]
2012/08/26(日) 15:28:15.97 ID:PtQeigLc0
※注意:ここでのほむほむは他作品と時代がかなり離れいてます。
 
 戦国時代におけるほむほむの活躍(「ほむほむを活用した先人の知恵628(ほむまどライフ出版)」から抜粋)

 甲斐武田氏とほむほむ
 戦国時代におけるほむほむの活用で有名なのは武田信玄の将、小山田信茂である。西上野(今の群馬県西部)を一時期領有した武田信玄は、地元豪族からほむほむの話を聞いて、これを活用することを思いつき、家臣の小山田信茂を「ほむほむ守役」に命じてほむほむの捕獲・繁殖・活用を行った。
 資料によると訓練の的、食糧や「武田の投石部隊」の石代わりとされたようであるが、武田信玄が徳川家康を破った「三方ヶ原の合戦」では小山田信茂率いる「ほむほむ衆」がほむほむを投擲兵器としてだけでなく、その容姿を生かした陽動挑発に活用したと言う記録が残っている。
 なお、ほむほむ衆及び飼いほむほむはその殆どが織田信忠により武田家滅亡時に処刑されたが、ごくわずかのほむほむ衆が少数の番ととも当時信濃・西上野に勢力を保っていた真田家に雇用されたと言われている。また、小山田信茂は武田家を滅亡直前に裏切ったがその理由の一つとしてほむほむの管理に疲れたことがあげられている。

 真田氏とほむほむ(関が原の合戦関連)
 真田氏はもともと信濃の小豪族であったが、武田家に仕えて成長を遂げ、本能寺の変(1582)ごろには信濃と上野のそれぞれ一部を領有するまでに成長していた。当時の当主である真田昌幸は食用を含めたほむほむの活用について消極的であったが、武田家滅亡後逃亡してきた「ほむほむ衆」を雇い、挑発陽動や投擲兵器及び築城資材として活用した。
 真田氏のほむほむ活用でもっとも有名なのは1600年の「第二次上田合戦(関が原の戦いに関連した戦い)」である。4万近くの軍勢を率いて上田城に軍勢を進めた降伏勧告を行った東軍・徳川秀忠に対して、西軍であった真田昌幸は徳川軍の陣営に「ほむほむ料理」や火や槍刀の上でほむほむを踊らせる「ほむほむ踊り」を供し時間稼ぎを行った。そして、「返答を延ばしていたのは篭城の準備の為でござった。充分に仕度は出来たので、一合戦つかまつろう」という返書を、この日の為に特別に調教したほむほむとまどまど(当時飼育が難しかったらしい)の挑発付で徳川秀忠に渡すという行為を行ったとされている。

 (イメージ)
徳川秀忠「何、真田からの返書か。おお"ほむほむ"とやらか、こっちにおいで。おいしいお菓子をやろう。」

徳川秀忠「おい、お前(人間の使者)は帰ってよい、ほむほむはしばらく愛でていくと主に伝えてくれ。」
      _
     .:===:ヽ
    (ハwwリ|リ:|  ホミィ♪
    |:|.^ヮ^ノ|:|
    (つ【返書】  ヘンショダヨ
     l_丿___],/
     /_|。__|

返書内容「返答を延ばしていたのは篭城の準備の為でござった。充分に仕度は出来たので、一合戦つかまつろう BY昌幸」

徳川秀忠「ぐぬぬぬ・・・いや、落ち着け挑発に乗ってはならぬ。早く関が原に参陣しないと。」

              i>i<!´`⌒i>i<!  マドマドマドーォ--ッ!!
     ホ…ムッ…______ノノリ从从ゝ)))
          r´===:(リ ゜ヮ゜ノリ
         !l|从ハノリ!l:l| , , ヽ二   カクカク!!!!!
   ギシギシ… |リ, ゜ヮ゜ノl|⌒(,/ )三
         |l|(つ と,ノ~、(,/_つ

徳川秀忠「ムムッ、ほむほむ一体何をしておる!それとそのおさげの生物は誰だ!?」

ほむほむ「ホムホムッ…ホムッホムゥー…」オヤカタサマニ ダマサレテ ドンナカンンジ…

まどまど「ウェヒヒヒ…マドマドマドー…」 ウェヒヒヒ 「ドウテイ」サンニハチョット キツスギタカナァ

※秀忠はこの戦いが初陣とされている。

徳川秀忠「真田め・・・こいつらを血祭りに上げて全軍突撃じゃー!」



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