187:空気を感じて 1/3(お題:古本屋の匂い) ◆d9gN98TTJY[sage]
2013/07/29(月) 22:35:15.20 ID:ZRWh3hi+0
そうだ。確かにこの情報化社会において販売のプロという言葉はほぼ形骸化して久しい。ことによれば
接待のプロと混同したかのような意見もある始末だ。まあ、接客という語彙はそういった面こそを重視
する昨今の世の中を風刺していると言っても過言ではないだろうね。
だが、販売に携わる者としてのプロ意識とは本当に接待のことだけなのだろうか。それができなければ
プロ足り得ないと思う?
いいや、私はほぼ形骸化したとは言ったが完全に失われたとは言ってない。
まだ居るものなんだ。販売のプロという存在は……。
あれは……そう、二年ほど前のことだったか。よくある系列店タイプの大規模店舗とかじゃあなくてな。
テナントという感じでもなく、そうだなあ……家。平屋建てのただの家という風情だった。
もちろん、最近よく見かけるプレハブ工法のしっかりと四方を壁で囲ってしまう様なタイプの家でもなく
てな、なんと言うかガラガラと引き戸を開けるタイプの、そう、古き良き家屋と言った風情の家だった。
瓦でもなかったんだが、何故かそういう風情の木の家だった。
おや? と、そう思ったね。一目で古いと見て分かるほどの本が、ガラス窓やガラス戸から見える範囲
全てに詰め込まれているくらい沢山あったからだ。それに何より、そこは自宅から二駅隣の商店街の片隅
のところにあってね。それまでの人生で何度もそこは通り過ぎていた筈なのに、記憶にもその家がそこに
あったことは疑いようもないのに、それまでそこが古本屋だとは気付いていなかったんだ。
値札もあるし、お奨めというタグがついた本もある。外から見えるようにも置いていたが、いかんせん
……その、くすんでいてね。ガラスが。気付かなかったことに驚いた後は、その店のみすぼらしさに驚いたよ。
でもね、その店は素晴らしかった。これから言う販売のプロという意味合いもそうだが、古本屋の佇まい
としてね。だって、古本屋と言うのは斯くあるべきだろう? 煤けた本を埃っぽい書棚いっぱいに詰めて、
いかにもな豆電球のオレンジ色の明かりで薄暗く照らし出して、その奥には眼鏡が似合う店長が独り。あれ
はもう、古書好きにとっての夢の国、アミューズメントパークでもありえない幻想そのものの体現だったよ。
あのみすぼらしさこそが、まさに古本屋と言った風情だったね。もう一目で気に入ったよ。
ああ、話は少し逸れてしまったが、そう私はその本屋に入ったわけだ。そして入ってから悩んだ。
そもそも何を探そうかなってね。
先ほど延べたとおり、私はその店の佇まいに惹かれて入ってしまったわけだ。本を買おうかなとは思っていた
んだが、それはあくまで漠然とした思いでね。例えるなら……そう、改めて思うと少し気恥ずかしい思いもある
がね、つまりはその時の私はその古本屋で本を買って帰る自分というものに酔いたくなっていたわけだ。
だからこそ困った。
その芸術的なまでに完成された昔ながらの古本屋という風情の中で、何を買うのがそのイメージに一番
相応しいのだろうとね。いや、当時はそうしっかりと目標立てて本を選んでいたわけではなかったんだが、
今思うと要するにその時の私にはそういった考えが心の奥の方に根付いてしまっていたんだろう。よさそうな
古本屋なんだ。よさそうな本はないのか。その時の、言葉に成っていた思いはそういったものだったと思う。
そういう事情があったから、適当にその辺の本を掴んで良いも悪いも読んだ後に任せてしまおうだなんていう、
普段通りの決断ができなかったわけだ。
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