3:以下、新鯖からお送りいたします[saga]
2013/09/21(土) 01:55:23.74 ID:8ucU1b060
常識とは20歳までに集めた偏見のコレクションである、だなんて言った人があるが、その偏見の目で見ればまったくの無意味な、無内容なショーであるのはまず間違いない。しかしながらこの時の俺は、内容や意味を超越した、なにか崇高なものをこのショーに感じていたのである。
つまりこれが仕事というものなのだ。ステージ上のへぼ役者たちはこの、なんの意味もない、なんらの意義も見出せないしょぼくれた演劇に関わることで飯を食うのだ。
おそらく彼らは心中で泣いていることであろう。人として生まれて演技を覚え、こなす年齢になっても尚、誰からも省みられない仕事で他者への良心、自らの青春を殺してゆく。報酬といってわずかな給金と子供たちからの声援のみ、その純真な子供たちによって心から発された声援ですら、結局のところは自らのへぼな演技によって騙し取ったまがいものなのだ。
これほどの悲劇があろうか。でもこの程度の悲劇なんて社会のどこでも演じられていて、畢竟それが、働く、ということなのだろう。
感極まって軽くわなないていると、問答を打ち切った怪人デフレスパイラルと目が合った。
「はははは、茶番はもう終わりだ。これから俺はここにいる一般人を懲らしめてやるぞ」
デフレスパイラルによるひどく説明的で突飛かつ理不尽な台詞。俺はものすごく嫌な予感がした。
おそらく今、真っ直ぐ俺の目を見据えたうえでこっちに向かってくるデフレスパイラルのぼけなすは、観客の一人を人質に見立てて素人参加型のショーとすることで、場面および空気の転換を図ろうとしているのであろう。しかしながらその目論見たるや始める前から破綻しているのは明白である。なんとなれば全てが役者のアドリブ、というか思いつきで進行しているこの茶番において、わざわざ貴重な時間を割いてまで参加したがる酔狂な観客は一人もいないから。
確かに俺はさっきまで感動していた。しかしながらその感動というのは俺がこの茶番に関わらないことが大前提というか、俺の責任が及ばない範囲において好き勝手言える立場から見た感想みたいなものであって、個人的にこの場において何らかの役割を担うということは絶対に避けたい。
俺は周囲を見回した。ショウテンガイは「いったい何をするつもりだ」と言ったきり棒杭のように立っていた。小学生達が残酷な好奇心をもって俺を見ていた。愚鈍な親子はまだ揚げ芋を食っていた。リーマンは携帯端末に顔をくっ付けんばかりにして自己の精神世界に没入し、汚い爺は横目で俺を一瞥するとカップ酒を呷った。他に人質として使える人間はいなかった。俺は一人だった。
「さあ来い。俺はお前を懲らしめてやるぞ」
とうとう俺は捕まった。一体俺が何をしたというのだろう。少なくとも今までの人生において、不細工なはりぼてを着込んだあほに2回も懲らしめてやるなどと言われるような罪を犯した記憶はない。
そもそも日本語が間違っている。懲らす、とは悪事を起こした人を力でもって悔悟させることであって、懲らされる側による悪行が前提の、いわば副次的な行動である。何も知らない初対面の相手に用いる言葉ではない。しかしこの状況ではそんな議論をする余裕すらないのだ。
俺の肩を掴むデフレスパイラルの手つきは思いのほか優しかった。でも俺はその心遣いを、今ではなくはるか前、商店街のヒーロー制作に熱狂するおっさんを嗜めるために使ってほしかった。
15Res/17.30 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
板[3] 1-[1] l20
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
もう書き込みできません。