5:aho ◆Ye3lmuJlrA[saga]
2013/12/22(日) 17:24:18.39 ID:y7rCDTmB0
そうして三十分ほども、櫂は瞳子が歩んできた苦難の過去を聞かされる羽目になった。
曰く、地方で仕事だというので聞いたこともないような田舎にバスを乗り継いで行ったら、客がいない夜の体育館で二時間も歌い続ける羽目になったとか。
曰く、所属した事務所が五回ほど連続で潰れてあちこち転々とする羽目になり、極めつけに裏ビデオに出演させられそうになったとか。
曰く、やっと仕事が取れて現場に行ってみたら聞いていた内容と全然違い、ほとんどスタントマン同然の危険な汚れ仕事をやらされて危うく死にかけたとか。
その他にも、アイドルどうの以前によく生きてるなこの人、と感心したくなるエピソードが盛り沢山。
「……大変だったけれど……こうして振り返ってみれば、みんないい思い出だわ……」
瞳子は懐かしそうにそう言うが、聞いていてとてもそうは思えなかった。
櫂としてはただ曖昧に笑って誤魔化すしかない。
(本当に苦労してきたんだなあ、この人……)
とりあえず、そのことだけは嫌というほどよく分かった。
改めて間近で見てみると、テレビ画面越しにも窺えた苦労人オーラが、より一層強く感じられるような気がする。
もっとも、やはり本人の方はただ自分の思い出話を語っているだけという感じの、ある種のほほんとした雰囲気なのだが。
(辛いのに慣れ過ぎちゃって感覚が麻痺してんのかな……いや、そんな言い方は失礼か)
つまるところ、これも長年の苦労で培われた精神的な強さというやつなのだろう。
その強さが彼女の言葉や仕草に重みを与え、辛い現実に打ちのめされている者たちに、再び立つ力を与えるのだ。
何があっても諦めず、歯を喰いしばって一つの道を歩み続けてきた服部瞳子だからこそ、つかみ取ることが出来た武器。
(きっと、あたしにはもう手に入れることのできない、武器)
櫂はぎゅっとマグカップを握りしめる。
「あの」
思い切って、訊いてみた。
「瞳子さんは……アイドル辞めたいって思ったこと、なかったんですか」
不躾だと知りつつも、訊かずにはいられなかった。
瞳子は急な質問に少し驚いたようだったが、特に気分を害してはいないようだった。
「……辞めたいと思ったこと……」
呟き、今までと同様また懐かしそうに目を細め、
「あるわ……数え切れないぐらい」
「……そうですか」
櫂は、ただ一言そう返すしかなかった。
考えてみれば当たり前だ。聞いているだけで気が重くなってくるような過去なのに、実際にそれを体験してきた本人が一度も辞めたいと思わないなど、あり得ないことではないか。
そもそも、どんな答えを期待していたのだろう。仮に「ない」という答えが返ってきたところで、既に一つの道を諦めてしまった自分がそれを参考にしたり、真似したりできるはずもなかったのに。
(バカだな、あたし。なんでこんなに未練がましいんだろ)
目の前に瞳子がいるのに、ため息が零れてしまう。
そんな櫂の様子を見ても、瞳子は特に何も言わなかった。かと言って冷淡に無視しているわけでもなく、ただ思慮深く穏やかな眼差しで、こちらの言葉を待ってくれている様子だった。
きっと、悩みを打ち明ければ真摯に聞いてくれるだろうし、彼女なりにアドバイスもしてくれるのだろう。
「そういえば」
しかし、櫂は敢えて無理矢理話題を変えた。
瞳子が受け入れてくれるからこそ、甘えたくない。
それは馬鹿げたプライドだったが、だからこそ守らなくてはならないものだと思えた。
「瞳子さん、テレビで何を見てたんですか?」
「……ああ……」
瞳子は、思い出したように頷いた。
「昔の録画映像を見ていたの……わたしの」
「え、昔の瞳子さんですか?」
櫂は驚いた。
服部瞳子は長い間売れずに燻っていて、最近になってようやく知られ始めた遅咲きのアイドルだ。
それなのに、昔の映像なんてものが残っていたとは。
「って言うと、レッスン風景とかですか?」
「ううん……テレビの、歌番組に出たときの映像よ」
瞳子はほんの少しだけ誇らしそうに言う。
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