過去ログ - ありす・イン・シンデレラワールド
1- 20
19:チョッキを着たウサギ
2014/01/11(土) 09:26:19.46 ID:Gcj069EQ0
 9

「お仕事ですか、了解です」
 この時、少女は確かにそう言った。『仕事ならば自分に合わずとも少しは我慢』という思いは嘘ではなかった。だが画面越しの世界の恐ろしさを知らない少女に大人は浅はかという言葉を使ってしまうだろう。
 ありすがアイドル紹介番組"Hallo IDOL"のオーディションを合格してデビューが決まってから幾つも仕事のオファーが舞い込んできた。"Hallo IDOL"の収録日はまだ少し時間があり別番組の収録へと向かう途中でありすと灯は会話をする。
「"Hallo IDOL"がデビューなのに先に別の番組を収録したらデビューする日が変わりますよね?」
 タクシーの後部座席での会話、灯は首を横に振る。
「いや、収録自体はこっちが先になるけど放送は"Hallo IDOL"の方が先になるんだ」
「何だか変な話ですよね」
 ありすの苦笑いに灯も「確かに」と苦笑いで返した。そして、ありすを幾つかバラエティー番組の収録へと臨んだ。他のアイドルと一緒にひな壇の端に座ったり体を使うゲームに参加させられたりティーン向けの雑誌でモデルもやってみた。どれもが小さな仕事であってこれはありすが特別な訳ではなく"Hallo IDOL"のオーディションを合格した女の子なら誰もが通る道であった。
 しかし、そこでありすは他の女の子とは違うものを見ていた。
 "Hallo IDOL"の収録を控えた前日に事務所でありすは灯に向かってこんなことを言った。
「私、アイドルというものが分からなくなりました」
 ありすが参加した番組で何人もアイドルを見たが誰も一度たりとも歌うことはなかった。これはありすの想像の範疇ではない、驚きだ。中には歌唱力が高くて有名なアイドルとの共演に心躍らせたというのにそのアイドルが笑いを取るのに必死な姿を見て正直な話幻滅するほどだった。
 "アイドル"――偶像は煌びやかなものでそれに疎かった少女は今のアイドルの実情を知る由がなかった。絵を描かされたり自分には似合わない服装で寒空の下、何時間も待たされて雑誌に載るのは一枚、もしくはゼロだというのは一緒に撮影したアイドルから聞かされた話。
 翼をもがれた鳥のように自分の存在意義を失ったアイドルに価値を毛の先ほども感じられなかった。彼女の疑問は当たり前の話だと言える。しかし、
「どうしたの!? ありすちゃん!」
 デスクで書類整理を行っていた灯が驚き、その顔を見ながらありすは内心で「どうしたのじゃないだろう」と呆れにも似た思いが募った。
「だって歌わせてもらえると思ったら口を開くこともままならなくてこれでは何のために頑張ってきたのか分からなくなりそうです。
 モデルとかならまだ分からなくはないですが、お笑い番組で小麦粉のプールに飛び込んでた人なんて完全に汚れ役じゃないですか!」
 ありすのよく通る声が事務所の喧噪を貫く。向き合う灯とありす、ありすの背後で他のプロデューサーが頭の上で手首を交差させる。灯はそれに「分かっている」とアイコンタクトで答える。わざとらしく咳払いして灯はペンを置いてから少しばかり目元に力を込めて口を開く。
「ありすちゃんの気持ちはよく分かったよ」
 最近になって柔らかくなっていた心がまた石のように冷たく固くなっている。そんな頑な少女は憤りを越えて相手に怒りを覚えた。
「簡単に気持ちが分かるなんて言わないで下さい!」
 怒声が響き渡る。そして、ありすは涙を拭おうともせずに灯に背を向けて逃げ出したのだった。
「ありすちゃん!」
 呼び止める声など聞いてくれるはずもなく灯は慌てて立ち上がる。その腕を引くようにちひろが掴んで自分へと向かせる。灯の険しい表情とちひろの真剣な眼差しが向き合う。先に口を開いたのは灯だった。
「彼女がアイドルに対して疑問を持っていたのは知っていました。でもそれは誤解で自然に解けるものだと自分勝手に思っていたんです。行かせて下さい、俺はありすちゃんのプロデューサーだから」
 灯に嘘偽りがないことを見たちひろは頬を緩ませて灯の腕を掴む力を抜いた。灯はありすが走っていった方向を見つめて深呼吸、
「セッ! ハッ!」
 自分で自分の頬を叩く。周りに居る者の耳をつんざくほどの大きな音が鳴り渡る。視界がぐらりと揺れながらチカチカとフラッシュが焚かれる。自分を奮い立たせるために常に行ってきた儀式的作業を終えてヒリヒリと痛む頬に手の平は握って拳を作った。
 これで何度目か、自分の馬鹿さ加減に嫌気を差しそうになるが自身のことになんて構ってる場合じゃないと感じる男はぐっと脚を踏み込んで駆け出していた。エレベーターへと消えて行く小さな少女を追って手を伸ばす。閉じていく扉へと体を差し込んで無理やり開かせる。


<<前のレス[*]次のレス[#]>>
50Res/84.63 KB
↑[8] 前[4] 次[6] 板[3] 1-[1] l20
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
もう書き込みできません。




VIPサービス増築中!
携帯うpろだ|隙間うpろだ
Powered By VIPservice