過去ログ - ありす・イン・シンデレラワールド
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4:チョッキを着たウサギ
2014/01/11(土) 08:58:19.06 ID:Gcj069EQ0
「それなら」
 ぐっと拳を握り、灯が掴んだ答えは最初から彼が気付いていたものだった。灯は自分と同じく少女に置き去りにされたチェック柄のマフラーへと視線を向けた。


 その日の夕暮れ時、ありすはあの場所へと戻ってきていた。逃げるように、実際に逃げ出したのだが慌てて鞄とタブレットPCを手に取ったためにマフラーが手からこぼれ落ちてしまったのだ。本当ならすぐに取りに戻るはずなのだが逃げ出した相手を前にどう対処すれば良いのか分からずに学校からの帰りに意を決して足を踏み入れたのだ。
 病院の敷地内にある中庭は日中は解放されているが夜から早朝にかけては基本的には立ち入り禁止になっている。もちろん、ありすは許可などもらっている訳もなく無断で抜け道を通って中に入っていた。もしも長身の男が病院関係者で怒られるかと思うと心細さを感じてならない。しかし、マフラーを無くしたことを親に勘づかれたら自分の行動を事細かに訊ねられてしまう。そのときに嘘を突き通す自信はなかった。だからこそマフラーを持って優しく微笑む男の前にやって来たのだ。
 ありすの"自分の場所"に立つ長身の男は夕焼けのオレンジ色に染まっていた。彼だけでなく辺り一面が彼女が知る"自分の場所"とは変わってしまっている。一瞬まったく違う所に来てしまったのでないかと感じるも、それはただ彼女が一つの場所でも違う色を見せる事を知らなかっただけだった。
 朝日が一日の始まりを告げるのなら夕日は一日の終わりを告げる。夜の帳が降りてくる時間にて名前も知らぬ若い男と幼い少女は再会を果たした。
「学校が終わって少し経ったこの時間に来ると思ってたよ」
 ありすにとって灯の言葉と笑顔は今まで接してきたどの大人のものとも違っていた。ミステリー小説の受け売りだが『どういう風に人間を観察するか』というものを知っていた。ありすが見る彼のそれは事務的なものでも彼女を騙そうとする類いのものでもない。純粋に相手の警戒心を解こうとしていた。このまま何も言わなければ自分の経歴を話し出しそうな笑顔にありすは面食らう。
 怒られることはなさそうでありすは少しばかり警戒心を解くとそこで一つの発見をする。男の肩が寒さによって微かに揺れていたのだ。男は早朝と違ってスーツを着こなしてネクタイも締め、いかにも社会人といった格好になっている。ありすはふと、目の前の男が病院関係者でなければ何の仕事をしているのか気になった。
(私を待っていた?)とありすはついつい口を開きそうになってしまう。
 この男となら話が出来てしまうのではないかと思ったが、まだ完全に警戒を解くには早いともありすは感じる。そして無言で近付いて手を上げた。たださえ背の低いありすに対して灯の背は高く、物を受け取ろうとすれば手を上げなければならない。かかとを上げても彼の頭には触れることが出来ないだろうと改めて自分たちの身長差を感じ取る二人だった。
「はい。これが無くて寒くなかった?」
 灯がありすにマフラーを返す。そのときにありすは寒い思いをしたのはあなたでしょう、と再び言葉が出そうになる。それと共にありすは相手の手が自分以上に冷たいことを感じながらマフラーを受け取って何の警戒もなしに首に巻いた。そして一礼だけでして回れ右、背中を向けて歩き出す。その背中に灯は声をかけた。
「今朝はごめんね、驚かせてしまって。あのさ……アイドルに興味あるの?」
 ありすの足が止まりスレンダーな彼女のアクセントなっているぷにぷにとした頬がぴくりと震える。ありすはこのとき、なんで自分が振り返ってしまったのか分からなかった。もしかしたらこの場所に来にくくなって文句を言いたかったのかもしれない。それとも自分の歌のことについて話したかったのかもしれない。すれ違いの赤の他人は夢にて自分の心に触れるかのように……
「アイドルに興味がある訳じゃないです、歌が好きであの楽曲はつい最近耳に残っていたので。歌った曲がたまたまアイドルのものだった、というだけです」
「すごく綺麗だったよ」
 男の笑顔が更に優しくなる。まるで幼い子供が百点満点のテストを見せてきてそれを褒める親のようだった。ありすはその『綺麗』という言われ慣れてない言葉に自分のことを言われたのではないかと顔をイチゴのように真っ赤にする。
「曲に合った繊細な声は伸びがあって思わず聞き入って拍手を送ってしまった。
 ごめんね、ここはきっとキミにとって大切な場所なんだよね? 今朝は驚かせて本当にごめん。
 もう、ここには来ないから……」
 灯は名前も知らない少女をアイドルにスカウトしようとしていた。しかし、それを取りやめる。何故だかありすに触れることは彼女のアイデンティティを壊しかねない行為であると思えたからだ。彼女は誰かに聞かせるために歌っていた訳でないと思った。だから今度は灯がありすへと背を向けた。しかし前に出そうとした手に違和感、見るとうつむきながら自分のスーツを袖を引っ張るありすがいた。
 ありすは何かを言おうと口を小さく動かすが声に出来ていない。胸に抱きしめるように持っているタブレットPCにぎゅーと力を込めていた。そして顔を上げる。その顔は真っ赤で瞳は潤んで今にも泣き出しそうになっている。
 灯が目を白黒させてているとありすは遂に言葉を発することが出来た。それは歌声ではない男に聞かせる初めての声だった、少女は辿々しくも思いを乗せて。
「あの……もし、お時間があるのなら少し……いえ、一曲だけで……あのワンコーラスだけでもいい。違う……いいので、少しだけ聞いてくれませんか?」
 灯の返答次第によっては本当に泣き出してしまうのではないかと感じるほどに言い終えたありすは口をわなわなと震わせていた。そんな少女に灯は振り向いて意外な言葉を返した。
「俺にキミをスカウトさせてもらいませんか?」
 まるでプロポーズ、ありすの心が弾けてしまうほどに脈打つ。日が沈み灯の絶やさない笑顔が隠れていく。変わっていく時の中でありすと灯に教会の鐘の音が降り注いできた、それは何かが変わるか二人が自身を変えていく声なのかもしれない。
 次の鐘の音が二人に届くには遠く果てしない。


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