過去ログ - ありす・イン・シンデレラワールド
↓ 1- 覧 板 20
8:チョッキを着たウサギ
2014/01/11(土) 09:01:32.17 ID:Gcj069EQ0
3
それから数日後、オレンジ色の空の下でありすは河川敷沿いを走っていた。長い髪を後ろで束ねて真っ青なジャージ姿をして横には同じくジャージ姿の灯がいる。その後ろには自転車に乗るちひろも居て単純な話、体力作りのために二人で走り込みを行っているところであった。
ありすの初仕事、宣伝材料用写真の撮影を終えた後にボイストレーニングを行ったのだがそこで重大な事実が判明する。橘ありすという少女はアイドル活動をするには決定的に体力が足りないのだ。
簡単なボイストレーニングを十分間ほど続けただけで全身から汗を噴き出して息を切らしてしまった、更には気分の悪さまで訴える始末。トレーナーに指摘を受けて灯はありすに基礎体力をつけさせるためにランニングをしていた。
季節は移り変わって冬となった。河川敷沿いの柔らかい土の上に居る者はありすたちと同じくジャージ姿で走っている者や犬の散歩や単なる散策に来てる者まで様々。そんな中で遠目からでも分かる身長差のある男女が並んで走っているのだ。
片方、少女は荒い呼吸を繰り返して汗で額に前髪を張り付かせている。片方、涼しい顔で走る男がいた。ありすは前髪が張り付いている気持ち悪さなど気に掛からぬほど疲労しておりそんな彼女に灯は、
「ありすちゃん、呼吸が乱れてるよ。教えたようにやってみて」
「ありすって呼ばないで下さい」
ありすは切れ切れの言葉で力なく灯を睨み付ける。だが、そんなありすに灯は首を横に振ってみせる。
「駄目駄目、走り切るまでは名前で呼ぶって約束でしょ? 基礎体力のない子にはお仕事はありませんよ」
灯の言葉にありすはむっとする。だが口を噤んでしまう。それと同時に最初にランニングをした時のことを思い出す。一キロメートルも走ることも出来ずに灯に背負ってもらって事務所に帰ることを余儀なくされたありすは自分の力不足を痛感して自責の念に囚われた。
その時に二人は約束を交わした、『橘ありすを必ずトップアイドルにする』という。
ファン一号――プロデューサーの男と、未来のトップアイドル――今は候補生と呼ばれる少女は共にまだ見えぬゴールを目指して走る。そして、そのゴールとしている河原へと下りる階段が遠くに見えてきた。名前を呼ばれたくない少女は一気に駆け出した。
「あらら、逃げられちゃいましたね」
太い三つ編みが風にたなびくちひろが灯へと視線を向けて灯は「はい、追いかけます!」とありすから視線を外さずに一心に相手の背中を追いかける。ぐっと脚に力を込めてボートを漕ぐイメージ、彼は全身で風を切る。すぐさまにありすの背中に追い着き、
「負けたら今日も名前で呼ぶね」
それだけ声を掛けて灯はありすから一気に距離を離していった。その姿にありすがかぶりを振って膝を折った。その場に手をついてアゴの先からぽたぽたと汗を垂らしていく。ありすの限界を知らせるサインであり、ちひろは自転車を止めて戻ってきた灯と目を合わせるとくすりと笑う。
ありすは灯に抱きかかえられて河川敷から腰を落ち着けられる場所まで降りる。肩で息をするありすはスポーツドリンクをちひろから受け取って一気に飲もうとするが三分の一を飲む前にむせてしまう。
「お疲れ様、ありすちゃん」
灯に声を掛けられて再び力のない射るような視線をありすは放った。しかしその矢は到達する前に地面に突き刺さる。広い階段の一画に三人は並んで腰掛けて日が沈んでいく様を見つめる。
「呼吸を整えたら帰ろうかね」
ありすとの走り込みが始まってからそろそろ一週間が過ぎようとしていた。帰りはちひろが乗る自転車の後ろに乗せてもらうか灯に背負ってもらって事務所へと帰ることになっており、ありすは最初こそ頑な拒んだものの体験したこともないような疲労感に泣く泣く従ってしまう日々であった。
ありすがどれだけ拒もうとも灯やちひろなどが手助けして幼い少女は何度もその手を受け取ってしまった。そんな自分に自己嫌悪しそうになるがアイドルの歌に興味が勝って今に至る。
知れば知るほど興味が湧いてくる世界にありすは居た。彼女は言う、「歌には"力"があると思う」と。灯から幾つもサンプリングを受け取り聞いてみてまだ遊びたい年頃の少女はアイドルとなるための活動に自分の時間の全てを割いている。
学業を終えて走り込みの後、帰宅すれば今まで見向きもしなかった楽曲を聞いて気付けば深い眠りに落ちているという日々を送っている。ありすへと訪れた変化は彼女が想像していたものとは少しばかり違ってしまった。
ありすが口元にタオルを当てて呼吸を整えていると灯は急に立ち上がって彼女たちから離れて河原まで降りる。そして、ありすとちひろから見れば逆光の中で彼は屈伸しながら腕を振り上げる動作を繰り返す。ありすは小首を傾げてちひろも不思議に思って訊ねる。
「どうしました?」
「はい、ちょっと久しぶりに……」
そして灯はふっと息を素早く吐いて膝を曲げて腕を前へ、屈伸運動と腕の振りの連動、地面を大きく蹴って滲んでいく橙色の光の上弦をなぞるように空中で背を逸らす。突然のことにありすは呼吸を忘れてその動きを見つめた。
灯はアゴを上げて空中で回転してみせる。大きな音を立てて両足を再び地面につける。刹那、上半身がバランスを失って後ろに受け身も取れずに倒れた。
「ははははっ、やっぱり体鈍ったなー」
地面に大の字に寝そべる灯は空を仰ぎながら何が面白いのか肩を揺らして大口を開けて笑う。そんな彼に周りの視線は集まっていた。ちひろが慌てて灯へと駆け寄っていく。
「大丈夫ですか!?」
ちひろに心配されて灯は「大丈夫です」とはっきりとした声と共にしっかりと頷いてみせた。体勢はそのままに灯は首だけ動かしてありすへと視線を向けた。
「失敗、失敗」
白い歯を見せて笑う灯にありすは赤くなっているであろう顔をタオルで隠し、ちひろは少し困ったような笑みを浮かべて腰に手を当てた。
50Res/84.63 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
板[3] 1-[1] l20
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
もう書き込みできません。