4: ◆8HmEy52dzA[sage saga]
2015/06/18(木) 23:24:15.31 ID:jPdfGr6q0
「それで、何があったのですか。私で良ければ相談に乗りますが」
「んーん、ちょっと考え事……はぁ」
荘一郎に相談しても仕方がない。
荘一郎だけじゃなくて、神谷でも、ロールでも、アスランでも解決しようがない。
解決できるとしたら、それはあたしだけ――あたしが今抱えている問題は、そんな登りたくない山なのだ。
なんて心境で鬱雲をまとっていると、店内に来客を告げるベルが響き渡る。
溜息で雲も吹き飛ばせたらいいのに。
「神谷は今買い出しに出ていますから、接客、よろしゅうに」
無理はしないでくださいね、と一言告げ、荘一郎は奥へと引っ込んでいった。
つかず離れずの距離を保つのが上手い荘一郎のことだ。
これ以上はあたしが何も言わない限り、深入りもしないだろう。
そんなことよりも――ああ、また、あの人が来た。
「いらっしゃい……ませ」
「…………」
静かな威圧感を纏って入店して来た彼は、最近、毎日のように同じ時間帯にやって来る。
おやつの時間にも夕食の時間にも当てはまらないこの時間帯は、最もお客さんが少ない。
それを狙い澄ましているかのように、彼はやって来るのだ。
眼鏡を掛けた彼はとても背が大きくて、外見通り不良なのか、いつもどこか新しく怪我をしている。
今日は殴り合いでもして来たのか、頬にガーゼが貼られていた。
そして、右目の上に位置する、消えない傷痕が彼の歴戦を物語っている。
「……ご注文は?」
「エスプレッソのシングルを二杯」
そしていつも同じ注文。初回から今まで、変わることはない。
エスプレッソは、日本人には馴染みの薄い飲み物だ。
まず量が少ない。普通のコーヒーの五分の一程度だ。
日本人にとってコーヒーはカップになみなみと注がれた液体であり、どちらかと言えばジュースなどのソフトドリンク側に分類される。
だが、実際のエスプレッソは飲み物と言うよりは嗜好品やデザートに近い。少量で濃厚なコーヒーの風味を味わうためのものであり、喉を潤すことを目的としたものではない。
……全部、神谷の受け売りだけどね。
喫茶店でメイドをやるからには商品の最低限の知識くらいは覚えておくべきだよね、ということで教えてもらったのだ。
彼もそれを理解しているのか、まずエスプレッソを一杯、一気に飲み干す。これはエスプレッソの苦味とアロマを全身で感じる為だ。
その後、もう一杯に砂糖を加えてフレーバーとアフターテイストをゆっくり楽しむ。
見ればまだ高校生なのに、随分と小粋なカフェを嗜む人だ。
小難しそうな本を読みながら小さなカップを時折口に運ぶその仕草は、とてもじゃないが十代のそれとは思えない。
彼の読んでいる本は毎回違う。
医学書や製図などの専門学書を読んでいるかと思えば、次の日にはラノベや恋愛小説を読んでいたりする。
ビジネス書や新書の時もあるし、辞書のように冗談みたく厚い本を読んでいる時もあった。
しばらく寛いだ後、本を閉じ、席を立つ。
そしてちょうどぴったりのお代をレジに置き、颯爽と去って行く。
まるでそれだけで映画のワンシーンになりそうな程に無駄がない。
「あ、ありがとうございました」
あたしの言葉に反応した訳ではないだろうが、扉の前で振り返り、あたしを一瞥する。
その眼光は、知らない人が見たら恐怖心ごと射抜かれてしまいそうな程鋭く。
「……またのお越しを、お待ちしてます……黒野、くん」
そして何処か、温かみのある視線だった。
「ああ……また来る。水嶋」
またな、と不敵な笑みを浮かべて、踵を返す。
彼とあたしは、アイドルとして面識がある仲だ。
それだけならば他にも大勢いる。
でも。
一つだけ、大きな問題を挙げるのであれば。
どうやらあたしは、彼――黒野玄武くんに、惚れられてしまったようなのだ。
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